故意とは何か——38条1項・規範に直面する・認容説
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第4章 故意と錯誤 ①/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。
前回の想起と、今日の問い
図:前回の2つの決め手——今日から、章が変わります
前回、因果関係の章の最後に学んだことを、覚えていますか?1つは、死因を形成したのは誰の行為か。もう1つは、その介在事情を経由する危険性が、行為に含まれていたか。因果関係は、行為と結果の”外側”の関係を見る道具でした。今日から始まる第4章は、行為者の”内側”を見ていきます。頭の中で、何を分かっていたか——そこを見ていくのが、故意と錯誤の章です。今日の問いを、先に置いておきます。人が一人死んでいるのは同じなのに——なぜ、罰金五十万円で済む場合と、死刑まである場合とに、分かれるのでしょうか。この違いの正体を、今日、一緒に見ていきます。先に、答えの在りかだけ言っておきます。違いは、結果の側ではなく、行為者の頭の中にあります。今日は、条文の骨格を確認し、その頭の中を言葉にして、最後に、3つの説を実際の場面に当てはめます。
38条1項を読む——原則と例外の条文構造
図:今日、開く3つの条文
今日は、条文を3つ、開いていきます。この3つが、今日の落差を作る条文です。まず、1つ目——刑法38条です。この条文は、犯罪の分類を扱った回で一度開いています。そのときは、故意犯が原則、過失犯が例外、という配置だけを確認しました。今日は、その本文にある「罪を犯す意思」そのものを、正面から見ます。ここに、故意とは何かの、いちばんの土台があります。
条文刑法38条
刑法38条(故意) 罪を犯す意思がない行為は、罰しない。ただし、法律に特別の規定がある場合は、この限りでない。 2 重い罪に当たるべき行為をしたのに、行為の時にその重い罪に当たることとなる事実を知らなかった者は、その重い罪によって処断することはできない。 3 法律を知らなかったとしても、そのことによって、罪を犯す意思がなかったとすることはできない。ただし、情状により、その刑を減軽することができる。
今日、じっくり読むのは、1項だけです。2項・3項は、名前だけ、先に見ておきます。「罪を犯す意思がない行為は、罰しない」。ここまでが、本文です。故意が無ければ、原則として、犯罪は成立しません。続きを、見てください。「ただし、法律に特別の規定がある場合は、この限りでない」。ただし書は、例外です。故意が無くても、特別な規定さえあれば、罰せられる場合がある。1つの文の中に、原則と例外が、同居しています。過失犯は、条文がわざわざ用意されているときだけ、成立します。分類の回で見た、工場で安全装置を確認せずに同僚に大怪我をさせた例を、思い出してください。ああした過失を罰する条文は、別に用意されています。
うっかり結果を起こしても、その罪では処罰されません。では、2項と3項を、簡単に触れておきます。2項は、重い罪の事実を知らなかったときの話。3項は、法律を知らなかった、という言い分の話です。2項は、事実の錯誤を扱う回で、あらためて扱います。3項は、責任を学ぶ章で、あらためて扱います。今日は、1項——原則と例外の骨格だけ、持って帰ってください。
落差の実物——199条と210条を並べる
図:同じ『人の死』なのに、この差
では、199条と210条を、並べてみましょう。まず、199条から見てみましょう。
条文刑法199条
刑法199条(殺人) 人を殺した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の拘禁刑に処する。
日本の刑罰の中で、いちばん重い枠が、そのまま用意されています。では、隣の条文も、見てください。
条文刑法210条
刑法210条(過失致死) 過失により人を死亡させた者は、五十万円以下の罰金に処する。
210条には、拘禁刑の定めが、そもそもありません。そこです。今日の問いに、戻ってきました。同じように人が一人死んでいるのに、なぜ、これほど刑が違うのでしょうか?結果の重さだけを見ていたら、この差は、説明がつきません。この落差こそが、この章のすべての問いの、出発点になります。
山場①:故意の本質——反対動機
図:反対動機の4段——この章のものさし
では、その落差の正体に、迫っていきます。今日、いちばんの山場です。先ほどの問いを、もう一度、言葉にします。その”強い非難”の正体は、何でしょうか。結果の大きさではなく、行為者の”心の中”の、何を見ているのでしょうか?「気持ちの強さ」と言いたくなるところですが、それでは少し足りません。刑法の言葉で、正確に言ってみましょう。故意を持つ人は、こう説明されます。
⭐ 論文で書く規範:故意の本質とは 規範に直面し反対動機の形成が可能であったにもかかわらず、あえて犯罪行為に及んだ。 だから、強い道義的非難が可能。 (規範(通説で立てる))
1つずつ、ほどいていきましょう。「規範」とは、「やってはいけない」という決まりのことです。この決まりに突き当たることを、「規範に直面する」と言います。これは、人を道具のように使う間接正犯の回で使った物差しと同じものです。そのときは、頼まれた側に、その機会があったかを見ました。今日は、機会がありながら、あえてやった側を見ます。頭の中で、「あ、これは、やってはいけないことだ」と、気づく瞬間のことです。気づいた以上、思いとどまる機会が、生まれます。これが、「反対動機の形成が可能」の意味です。そして、そのチャンスがあったのに——それでも、やった。気づく機会があり、思いとどまる機会もあったのに、あえてやった人には——強い道義的非難が、可能になります。
この4段が、これから第4章の全部を貫く、1本のものさしになります。認容説も、これから先の論点も、全部この4段から出てきます。今日は、その入口です。もう1つ、大事な接続があります。「規範に直面する」——これが言えるのは、あらかじめ、その決まりが示されているからです。罪刑法定主義です。あらかじめ、「これはやってはいけない」と示されているからこそ——「気づけたはずだ」と、言えるんです。ここで、今日の問いに、一度、答えを返しておきます。199条と210条、結果は同じ、人が一人亡くなっています。でも、行為者が、規範に直面していたかどうかが、違います。
だから、刑の重さも、これほど違うんです。
故意の二段構造——構成要件的故意と責任故意
図:故意は、2つの関門にそれぞれ登場する
故意の本質が分かったところで、もう1つ、整理しておきたいことがあります。犯罪が成立するかどうかは、いつも、3段階で判断していましたね。実は、故意は、この3段階のうち——2つの関門に、それぞれ別の顔で登場します。なぜ2つに分かれるのか、先に言っておきます。関門ごとに、聞いていることが違うからです。第一関門は、「その行為が、犯罪の型に当たるか」を見ます。だから、ここでの故意は、「型に当たる事実を、分かっていたか」です。第三関門は、「この人を、非難できるか」を見ます。同じ「故意」でも、どの関門で問われるかで、中身が変わる——だから、名前を分けて呼びます。第一関門のほうが、構成要件的故意。第三関門のほうが、責任故意です。
そして、今日扱うのは——構成要件的故意、第一関門のほうだけです。責任故意の中身は、責任を学ぶ章で、あらためて扱います。ここを取り違えると、第一関門の話をしているのに、責任の話を持ち込んでしまいます。
故意責任と責任故意——似ている名前ほど注意
図:似ている名前ほど、注意が要る
ここで、1つ、問題を出します。似た2つの言葉が出てきます。「故意」が先に来る、故意責任。「責任」が先に来る、責任故意。まず、「故意」が先のほう——故意責任です。この言葉には、構成要件的故意と責任故意——両方が含まれるでしょうか。それとも、責任故意だけでしょうか?名前からすると責任故意だけのようにも見えますが、実は、そこが、よく間違えられるところなんです。
⭐ 論文で書く規範:似ている2つの言葉 故意責任は、構成要件的故意と責任故意の両方を含む、強い道義的非難可能性。 責任故意は、そのうち、構成要件的故意ではないほうの故意。
「故意」が先の、故意責任は、構成要件的故意と責任故意、両方を含む——強い道義的非難可能性のことです。それに対して、「責任」が先の、責任故意は、そのうちの一部だけを指します。構成要件的故意ではないほうの故意——それだけを、責任故意と呼びます。中身は責任の章で扱いますが、働き方だけ言っておきます。第一関門の故意はあるのに、責任のレベルで故意が否定される——そういう場面で使う道具です。片方は大きい概念、片方は小さい概念。答案で取り違えると、論じる範囲を間違えてしまいます。
認識だけで足りるか——三説の対立
図:認識だけで足りるか——3つの説
では、構成要件的故意の中身に、入っていきます。この言葉は、構成要件の部品表を作った回で「認識・認容」として一度出てきました。そのときは名前だけ渡しました。今日は、その「認容」がなぜ要るのかを、作ります。まず、争いのないところから、確認します。犯罪事実の認識——つまり、頭で分かっていたこと。これが必要な点は、誰も争いません。問題は、その先です。認識さえあれば、それで足りるのか。それとも、もう一段、心の関わりが必要なのか。そこで、3つの説が対立します。1つ目、認識説。犯罪事実を認識していれば、それで足ります。2つ目、意欲説。認識に加えて、結果を積極的に望むことまで必要です。やりたいと思っていなければ故意ではない——意欲説では、そうなります。3つ目、認容説。認識に加えて、結果を仕方ないと受け入れることが必要です。
そこが、今日の核心です。この3つ、実際の事件に当てはめると、本当に結論が変わるのでしょうか——それとも、言葉が違うだけで、同じことを言っているのでしょうか?では、実際に、試してみましょう。
山場②:解体工事現場——3説を当ててみる
図:解体工事の現場——Aは何を知っていたか
ここで、1つの場面を、一緒に考えてみましょう。解体工事の現場責任者Aは、老朽化したビルの外壁を、重機で崩す作業をしています。本来、真下の歩道は、通行止めのはずです。でも、この現場では、警備員が持ち場を離れることが、たびたびありました。Aは、そのことを、以前から知っていました。ある日、Aは作業を始める直前、ふと真下の歩道に目をやりました。「もしかしたら、人がいるかもしれない」——一瞬、そう思ったんです。作業を中断せず、外壁を崩しました。落下したコンクリート片が、たまたま柵をすり抜けて通りかかった歩行者Bに直撃し——Bは、死亡しました。
図:同じ出来事、Aの心の中だけが違う2パターン
ここで、Aの心の中だけが違う、2つのパターンを考えます。パターン①。Aは、「まあ、もし本当に人がいたとしても、それは仕方ない」と考えて——そのまま、作業を続けました。このAは、故意でしょうか、過失でしょうか。3つの説で、順番に当てはめてみましょう。まず、認識説。Aは、人がいるかもしれないと、認識していました。それで足りるので——認識説では、故意です。次に、意欲説。Aは、Bを死なせたいと、積極的に望んでいたでしょうか。意欲説では、積極的な意欲が無い以上——過失になります。では、認容説です。Aは、「仕方ない」と考えていました。これは、結果を受け入れている、と言えます。
認容説でも——故意です。では、パターン②です。Aは、「さすがに、今この瞬間は誰もいないだろう」と考えて、作業を続けました。まず、認識説から。Aは、さっきと同じく、人がいるかもしれないと、一瞬、認識していました。だから、認識説では——こちらも、故意です。認識説は、「頭で分かっていたか」しか見ません。だから、2つのパターンを、区別できないんです。次に、意欲説。Aは、こちらでも、積極的に死なせたいとは、望んでいません。意欲説でも——こちらも、過失です。では、認容説です。「いないだろう」と考えていた、というのは——結果を、受け入れているでしょうか。
受け入れているというより、起きないと思い込んでいるだけです。「仕方ない」と受け入れたわけではありません。だから、認容説では——過失になります。
図:3説の結果を並べる——弁別できるのは認容説だけ
ここまでの結果を、1枚にまとめます。認識説は、パターン①も②も、両方とも故意にしてしまいます。認識説は、結論が広すぎるんです。意欲説は、逆に、パターン①も②も、両方とも過失にしてしまいます。意欲説は、結論が狭すぎます。積極的な意欲を、要求しすぎているんです。認容説だけが——パターン①は故意、パターン②は過失、と分けられます。ここが、「意欲は要らない」と言い切れる理由です。意欲説のように、積極的に望むことまでは、求められていません。認容と、意欲を、混同しないでください。
認容説の理由——故意の本質に、もう一度戻る
図:認容説の結論を、もう一度4段に当てはめる
では、なぜ、認容説が、正しい線引きだと言えるのか。理由づけを、詰めておきましょう。なぜ、ただ『まあ仕方ない』と思っただけで——故意と言えるほどの強い非難に値するのでしょうか。4段のプロセスに、戻って考えてみましょう。パターン①のAに、当てはめてみましょう。Aは、「人がいるかもしれない」と、一瞬、気づきました。これが、規範に直面した瞬間です。ここでの規範は、「人を巻き込んではいけない」というものです。気づいた以上、思いとどまる機会も、ありました。それなのに、Aは「まあ、仕方ない」と受け入れて、作業を続けました。だから、強い道義的非難が、可能になります。だから、故意なんです。
パターン②のAも、規範に直面してはいます。一瞬、気づいてはいるからです。でも、「いないだろう」と、思い込んでいました。規範を軽視してはいますが、「あえて」やったとまでは、言い切れません。認容説の結論は、暗記した答えではありません。故意の本質から、導いた答えなんです。
認容の有無が、故意と過失の分水嶺
図:認容の有無が、故意と過失の分水嶺
今日見てきたことを、1つの言葉にまとめます。認容の有無が、故意と過失の分水嶺となります。認識があるという前提のうえで——認容があれば故意、無ければ過失、という大きな向きです。ただし、今日は、この向きだけです。実際の事件で、この線を、具体的にどこで引くのか——そこには、まだ踏み込んでいません。「仕方ない」と「いないだろう」の境目が、いつも、今日ほどはっきりしているとは限りません。可能性が低くても認容があれば故意になる場合、可能性が高くても認容が無ければ過失になる場合——そうした、実際のあてはめの手順だけを扱う回を、この先に用意しています。
今日は、その向きだけを、持って帰ってください。
今日の地図(保存版)
図:今日の地図
では、今日の内容を、1本の地図にして振り返りましょう。まず、38条1項——原則と例外の条文構造でした。次に、199条と210条の落差を見て——その正体、故意の本質にたどり着きました。そこから、二段構造——構成要件的故意と、責任故意の区別も見ました。そして、認識だけで足りるかを、3つの説で当てはめました。認容説が、2パターンを弁別できることも、確かめましたね。最後に、認容の有無が——故意と過失の分水嶺だと、確認しました。それが、これから第4章の全部を貫く、ものさしになります。言葉の意味をどこまで分かっていればよいか、という問題も、この章の中で扱います。その分水嶺を、実際にどこで引くのか——その作業だけを扱う回も、用意しています。思っていたことと起きたことがズレたとき、の話は、錯誤の回で扱います。法律を知らなかった、という言い分の話は、責任の章で、あらためて扱います。
1つずつ、順番に、積み上げていきましょう。では過失とは何か、は次の章で扱います。
参照条文
- 刑法38条
- 刑法199条
- 刑法210条