刑法ゼロから刑法#22

何を認識していれば故意か——認識・認容の対象と「大筋の認識」

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第4章 故意と錯誤 ①/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

前回の想起と、今日の問い

前回の到達点——今日は、その形に何を入れるのか 図:前回の到達点——今日は、その形に何を入れるのか

前回、故意と過失のあいだに、1本の線を引きましたね。その線は、前回、何の有無で引くと決めたか、思い出せますか?よく覚えていますね。ただ、前回作ったのは、あくまで判定の”形”です。「認容があれば故意」までは、決まりました。では、いったい”何を”認容していれば、故意と言えるのでしょうか。今日は、その中身を確定する回です。先に、答えの在りかだけ言っておきます。分かっていなければならないのは、行為者の心の中の評価ではなく、犯罪の”客観的な部品”のほうです。今日は、その部品を並べたうえで、因果関係も入るのか、どこまで細かく分かっていれば足りるのか。そして、逆に、要らないものは何か——この順で見ていきます。

論文で書く規範:前回の到達点と、今日の問い 認容があれば故意、無ければ過失——これが前回作った判定の形。 今日は、いったい何を認容していれば足りるのか、その対象を確定する。 (今日の出発点)

38条1項を、もう一度開く

38条1項——今日は「意思」の中身に入る 図:38条1項——今日は「意思」の中身に入る

出発点は、今日も同じです。刑法38条1項を、もう一度開きます。

条文刑法38条1項

刑法38条1項(故意) 罪を犯す意思がない行為は、罰しない。ただし、法律に特別の規定がある場合は、この限りでない。

今日は、この「意思」の中身に、正面から入っていきます。では、いったい”何を”分かっていれば、故意と言えるのでしょうか。行為者の頭の中身か、それとも……そう単純でもないんです。一緒に見ていきましょう。

対象の答え——客観的構成要件要素に該当する事実

認識・認容の対象——主観でも評価でもない 図:認識・認容の対象——主観でも評価でもない

認識・認容の対象は、客観的構成要件要素に該当する事実です。分解しましょう。構成要件要素は、犯罪成立の部品のことでしたね。その部品のうち、“客観的な”もの——行為者の頭の中身ではなく。外側に現れる事実のことです。そこが、つまずきやすい点です。「故意そのものを分かっていたか」を対象にすると、話が堂々巡りになります。「故意があるかを判定するために、故意を分かっていたかを見る」。これでは、答えになりません。前回の、解体工事現場の場面で考えてみましょう。あのとき見たのは、現場責任者が「下に人がいるかもしれない」と分かっていたか、でした。下に人がいるかどうかは、その人の外側にある事実です。

だから、対象は、あくまで客観的な事実です。「違法だ」「悪いことだ」という評価でもありません。

部品に分けてみる——実行行為・客体・結果・因果関係

客観的な事実を、4つに分ける 図:客観的な事実を、4つに分ける

では、その”客観的な事実”を、部品に分解してみましょう。実行行為、行為の客体、結果、そして因果関係——この4つです。構成要件要素を勉強した回で、客観側の部品表を作りましたね。そこに並んでいた4つを、言えますか?「その他」——主体・客体・状況を、まとめて置いた枠です。今日の事案で効くのは、その中の客体です。だから、この4つで並べます。あのとき作った部品表を、今日の事案に合わせて開いたのが、この4つです。主体や状況が効く事案なら、そちらも対象になります。1つの舞台で、確認しましょう。

AとB——ブレーキワイヤーの1本の筋 図:AとB——ブレーキワイヤーの1本の筋

宅配の仕事で、Bと競っていたAは、Bを仕事から排除したいと考えました。前の晩、Bの自転車のブレーキワイヤーを、こっそり切断しておきました。翌日、Bはいつもの坂道を下り、ブレーキが利かず、転倒して死亡しました。

客観的構成要件要素の部品表 図:客観的構成要件要素の部品表

この事実を、4つの部品に分けてみます。実行行為は、前の晩、ワイヤーを切断した行為。行為の客体は、Bの自転車——そして、その先にいるB自身。結果は、翌日の、Bの死亡。そして因果関係は、ワイヤーを切ったことから死亡に至るつながりです。

認識と予見——実行行為の時点で必要

認識と予見——でも、あわせて認識と呼ぶ 図:認識と予見——でも、あわせて認識と呼ぶ

もう1つ、押さえておきたい注釈があります。実行行為や行為の客体は、Aがワイヤーを切る、その瞬間には。もう目の前にあります。だから、行為と客体については、「分かっていた」がぴったりです。結果——Bの死亡は、まだ起きていません。因果関係も、これから展開する経過です。だから、厳密には、「あらかじめ思い描いていたか」。この言葉のほうが、正確です。学界では、これを「予見」と呼びます。言葉が増えるわけでは、ないんです。そこがポイントです。多くの本は、この2つを区別せず、両方まとめて「認識」と呼びます。この先も、私たちは「認識」という言葉で、両方をまとめて扱います。

もう1つ、大事な確認があります。この「分かっていた」状態は、いつの時点で必要でしょうか。Aが、実際にワイヤーを切る、その瞬間です。構成要件的故意——前回、第一関門の故意を、そう呼びましたね。その構成要件的故意が、実行行為の時点で必要です。もしAが、前の晩は何も考えなかったとします。翌日、事故のニュースを見て初めて「実は危ないと分かっていた」。そう言い出しても、それでは遅いんです。行為の瞬間に、分かっていなければなりません。

山場①:因果関係も対象か——必要説と不要説

因果関係も対象か——必要説と不要説 図:因果関係も対象か——必要説と不要説

では、今日、いちばん大事な問いに入ります。先ほどの4つの部品のうち、因果関係だけ、少し特殊です。因果関係も、故意の対象に入るのでしょうか。それとも、行為と結果さえ分かっていれば、それで十分なのでしょうか?そこで、2つの説が対立します。1つ目、不要説。実行行為と結果さえ分かっていれば十分だ、という考えです。もう1つが、必要説——こちらが通説です。理由は、シンプルです。先ほどの部品表を、思い出してください。因果関係も、客観的構成要件要素の1つである以上。対象から外す理由が、ありません。

パターン①とパターン③——理論の違いを見る 図:パターン①とパターン③——理論の違いを見る

では、実際に、確かめてみましょう。Aの心の中身が違うパターンを、3つ用意しました。まずは、いちばん詳しい①と、いちばんぼんやりした③——両端の2つから見ます。パターン①。Aは、ワイヤーを切ればブレーキが利かなくなる。あの坂で制御を失い、転倒して頭を打って死ぬ——ここまで具体的に思い描いていました。パターン③。Aは、「ワイヤーを切れば、Bは死ぬかもしれない」。「それでもかまわない」とは、思っていました。でも、どういう道筋でそうなるのかは、まったく考えていませんでした。この2つに、それぞれの説を当ててみましょう。まず、不要説。実行行為と結果の認識さえあれば十分ですから——どちらも故意ありです。

不要説は、経路への理解を問わないので、そうなります。次に、必要説です。パターン①は、因果の筋も思い描いていました。故意あり——これは、争いがありません。パターン③は、因果関係についての認識が、事実上ゼロです。必要説だと、対象の1つを欠くのではないか、という問題が立ちます。そこが、この2つの説の、理論的な違いです。パターン③が、結局、故意ありなのか無いのか——次の物差しで確定させましょう。

山場②:大筋の認識で足りる

どこまで細かく分かっていれば足りるのか 図:どこまで細かく分かっていれば足りるのか

論文で書く規範:大筋の認識という物差し 因果の経過を具体的・詳細に認識することは実際上不可能であり、また不要。 だから、因果関係の大筋の認識で足りる。 (因果関係の認識の程度(通説))

必要説を採ると、当然、反論が来ます。「経路まで正確に思い描いていないと故意にならないなら、誰も故意犯にならないのでは」。答えは、こうです。因果の経過を、具体的・詳細に認識することは、実際上不可能です。そして、できないことを要求すれば、故意犯は、ほとんど成立しなくなってしまいます。だから、大筋——ラフな筋書きの認識で足ります。細部の解像度は問いません。骨格さえ思い描いていれば、十分なんです。

パターン①②③——大筋の認識はあるか 図:パターン①②③——大筋の認識はあるか

では、3つのパターン、それぞれに、この物差しを当ててみましょう。皆さんも、一緒に考えてみてください。パターン①は、坂で制御を失い転倒して頭を打って死ぬ、という細部まで思い描いていました。大筋の認識は、あるでしょうか?細部まで思い描いている以上、大筋も、当然満たされます。次に、残しておいたパターン②です。Aは、「ブレーキが利かなくなって坂道で事故になり、死ぬかもしれない」。とは思っていましたが、転倒するのか、何かにぶつかるのかまでは、考えていませんでした。どうでしょう。少し、考えてみてください。ここが、まさに「大筋で足りる」の実質です。転倒か衝突かという細部が分からなくても、骨格さえ思い描いていれば。大筋の認識あり、と言えます。

では、パターン③です。パターン③は、ブレーキが利かなくなって坂で事故になる、という道筋を。まったく思い描いていませんでした。パターン③には、大筋の認識が、ありません。これで、山場①の宿題に、答えが出ました。パターン③は、因果関係という、対象の1つを欠くことになります。故意の成立が、危うくなるんです。ここに、2つの説の、はっきりした違いが出ます。もう1つ、この「大筋」という物差しには、まだ続きがあります。パターン②は、大筋を思い描いていました。でも、もし実際に起きたことが、その大筋とすらズレていたら、どう扱うのでしょうか。

思っていた道筋と、実際の道筋がズレたとき、どう処理するのか。それだけを扱う回を、この先に用意しています。今日作った、この大筋の物差しが、そこでそのまま使われます。

山場③:結果的加重犯の重い結果は、認識・認容が要らない

逆に、認識・認容が要らないものはあるか 図:逆に、認識・認容が要らないものはあるか

では、話の向きを、少し変えます。ここまでは、対象に”入るもの”を見てきました。実行行為、客体、結果、因果関係——これらは全部、対象でした。では逆に、認識・認容が全く要らないものは、あるでしょうか。あります。結果的加重犯の、重い結果です。基本の犯罪に、故意を超えた重い結果が加わる型でした。あのとき、「重い結果に故意が要るかは、別の回で」と送りました。その回が、今日です。まず、傷害罪の条文から見てみましょう。

条文刑法204条

刑法204条(傷害): 人の身体を傷害した者は、十五年以下の拘禁刑又は五十万円以下の罰金に処する。

口論の末、相手を突き飛ばして殴った、とします。殴る意図——傷害の故意はありました。でも、相手が死ぬとは、考えていませんでした。そのときに開くのが、次の条文です。

条文刑法205条

刑法205条(傷害致死) 身体を傷害し、よって人を死亡させた者は、三年以上の有期拘禁刑に処する。

予期せず死亡すれば、205条、傷害致死罪です。死んでしまうとまでは分かっていなかったけれど、それでも重い罪になります。では、質問です。もし205条の”重い結果”、つまり死亡について。初めから、死ぬと分かっていて、それでもかまわないと思っていたとしたら。この人は何罪になるでしょうか?傷害致死が重くなる、ではありません。答えは、こちらです。

条文刑法199条

刑法199条(殺人) 人を殺した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の拘禁刑に処する。

死ぬと分かっていて、それでもかまわないと思っていたなら。それはもう傷害致死罪ではなく、端的に殺人罪です。罪名そのものが、変わります。

204条・205条・199条——重い結果の認識で罪名が変わる 図:204条・205条・199条——重い結果の認識で罪名が変わる

この3つを、並べてみましょう。引っかかったのは、どこでしょう。死亡も205条の部品である以上、今日の原則からは、対象に入るはずに見えます。

論文で書く規範:なぜ、重い結果の認識は要らないのか 認識・認容がある事案は、その時点で端的に199条(殺人)になる。 だから、結果的加重犯の箱に入ってくる事案は、性質上、重い結果の認識・認容が無い事案しかない。 (結果的加重犯と重い結果)

では、なぜ、重い結果の認識・認容は「要らない」と言えるのでしょうか。その理由を、前回のものさしに戻って、考えてみましょう。死ぬと分かっていて、それでもかまわないと思っていた事案は。その時点で、もう199条、殺人罪の話になります。結果的加重犯、205条の箱の中に入ってくる事案は。そもそも、重い結果について、そう思っていない事案しか、ありえません。だから、「重い結果の認識は要らない」というのは。例外的な緩和ではなく、箱の作りから見て、当然のことなんです。前回のものさしを、思い出してください。反対動機を形成する機会があったのに、あえてやった人は、どう扱われましたか。

死ぬと分かっていて、それでもかまわないと思っていた人には。その機会がありました。だから、殺人罪の強い非難に値します。その機会が無かった人は、加重はされますが、殺人罪ほどの非難までは、及びません。前回のものさしが、今日の結論も、導いているんです。今日の答えは、最初に置いたとおりです。見るべきは、心の中の評価ではなく、客観的な部品のほう。因果関係も部品だから対象に入り、重い結果は、認識していたら別の箱に行ってしまう——死ぬと分かっていた人が認識していたのは、もう、殺人罪の客観面の部品です。どの犯罪の部品を認識していたか——そこで、入る箱が決まります。どちらも、同じ1つの物差しから出てきた答えです。

今日の地図(保存版)

今日の地図 図:今日の地図

では、今日の内容を、1本の地図にして振り返りましょう。対象の確定から、始まりました。認識・認容の対象は、客観的構成要件要素に該当する事実でした。それを、部品表に分解しました。実行行為、客体、結果、そして因果関係。そして、因果関係も対象か、という山場①。答えは、対象になる——必要説が通説でした。細部までは要らない、骨格さえ思い描いていれば足りる。これが山場②でした。最後に、山場③。結果的加重犯の重い結果は、認識・認容が要らない。理由は、認識が要るなら、そもそも別の罪になるから、でした。今日、確定した対象のリストを、これから先も繰り返し使います。言葉の意味をどこまで分かっていればよいか、という別の問題が。この章には、まだ残っています。

それから、どこまでの心持ちなら「認容した」と言えるのか。その線の引き方だけを扱う回も、この先にあります。結果的加重犯そのものを正面から扱う回は、各論に入ってからです。1つずつ、積み上げていきましょう。

参照条文

  • 刑法38条1項
  • 刑法204条
  • 刑法205条
  • 刑法199条

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