刑法ゼロから刑法#23

意味の認識——規範的構成要件要素と「素人的認識」

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第4章 故意と錯誤 ①/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

前回・前々回の想起と、今日の問い

前回・前々回の到達点——今日の問いは、その中身について 図:前回・前々回の到達点——今日の問いは、その中身について

前々回、故意と過失のあいだに、認容の有無で線を引きましたね。前回は、その形に、何を入れるかを確定しました。認識・認容の対象は、客観的構成要件要素に該当する事実だと確認しましたね。では、前回確定したその対象は、いつも同じ性質のものでしょうか?実は、対象の中に、性質のちがう部品が混じっています。今日は、そこを扱います。物は見えているのに、その意味が分かっていない——そんな状態を、故意はどう評価するのか。今日の問いは、そこにあります。

論文で書く規範:前回・前々回の到達点と、今日の問い 認容があれば故意——前々回、判定の形を作った。 対象は客観的構成要件要素に該当する事実——前回、その中身を確定した。 今日の問い:見えているのに、意味が分かっていない。それでも、故意と言えるのか。 (今日の出発点)

38条1項を、もう一度開く

38条1項——今日も、ここから出発する 図:38条1項——今日も、ここから出発する

出発点は、今日も同じです。刑法38条1項を、もう一度開きます。

条文刑法38条1項

刑法38条1項(故意) 罪を犯す意思がない行為は、罰しない。ただし、法律に特別の規定がある場合は、この限りでない。

今日は、この「意思」の中でも、意味を分かっていたかどうか、という部分に入っていきます。一緒に見ていきましょう。

部品の中の異物——記述的要素と規範的要素

2種類の部品——記述的要素と規範的要素の違い 図:2種類の部品——記述的要素と規範的要素の違い

ここで、少しだけ、前に作った道具を思い出してください。構成要件要素——犯罪成立の部品のことでしたね。それを、評価が要るかどうかで仕分けた回で、2種類に分けましたね。記述的要素は、見れば分かる部品——人、物、行為です。規範的要素は、評価を経ないと、当てはまるかどうかが決まらない部品でした。わいせつ性のように、裁判官の価値判断が要るものが、その代表です。たとえば、人を殺した、という条文の「人」。これは、見れば分かる要素の代表格で、目の前の相手が人かどうかは、ふつう、その場で決まります。ところが「わいせつな」は、物を見ただけでは決まりません。誰かが評価して、はじめて決まります。

見分け方そのものは、前に作った回に譲ります。今日は、あのとき仕分けた部品が、故意の側で、特別な扱いを受ける——ということだけ、押さえてください。

175条1項の実物——「わいせつな」という言葉が条文にある

175条1項——「わいせつな」という言葉の実物 図:175条1項——「わいせつな」という言葉の実物

では、規範的構成要件要素の実物を、条文で見てみましょう。

条文刑法175条1項

刑法175条1項(わいせつ物頒布等) わいせつな文書、図画、電磁的記録に係る記録媒体その他の物を頒布し、又は公然と陳列した者は、二年以下の拘禁刑若しくは二百五十万円以下の罰金若しくは科料に処し、又は拘禁刑及び罰金を併科する。電気通信の送信によりわいせつな電磁的記録その他の記録を頒布した者も、同様とする。

この罪の名前は、わいせつ物頒布等です。現行の条文に、販売という言葉はありません。以前は「販売」という言い方をしていましたが、法律の改正で「頒布」に統合されました。有償で頒布する目的で持っているだけの場合は、2項が別に用意されています。今日は、1項だけを見ます。では、この175条を使って、1つの場面を考えてみましょう。Xは、海外のオークションサイトで、古い版画100枚のセットを落札しました。届いた段ボールの中身を仕分けずに、そのまま国内のフリマアプリで、海外アンティーク版画セットとして出品しました。

実は、その中に、性的な描写を含む版画が、数枚混じっていました。この設定を使って、次から、Xの頭の中身だけを変えた、何人かのXを見ていきます。

特殊性——物体を認識していても、意味の認識に結びつかない

特殊性——見えているのに、意味は分からない 図:特殊性——見えているのに、意味は分からない

まず、規範的構成要件要素の特殊性を、確認します。

論文で書く規範:規範的構成要件要素の特殊性 記述的要素は、その物を認識すれば、意味も一緒に分かる。 しかし規範的構成要件要素は、物体を認識していても、意味の認識に結びつかないことがある。 だから、規範的構成要件要素については、特に意味の認識が必要になる。 (規範的構成要件要素の特殊性)

1人目のXで、確かめてみましょう。X〔a〕は、梱包を開けて中身を一枚も確認せず、届いた箱をそのまま出品しました。版画という物は、認識しています。でも、それがわいせつな内容だという意味は、まったく認識していません。では、Xは、いったい何を認識していれば、故意があると言えるのでしょうか。版画という”物”を認識していれば、それで十分でしょうか?

山場①:程度の物差し——X〔a〕〔b〕〔c〕で選ぶ

X〔a〕〔b〕〔c〕——どこから故意か 図:X〔a〕〔b〕〔c〕——どこから故意か

では、Xの頭の中身だけを、3段階に分けてみます。一緒に、考えてみてください。X〔a〕は、さっき見たとおり、梱包を開けずに出品した人でした。物体の認識だけ、です。X〔b〕は、梱包を開けて中身を確認し、性的な描写のある版画が混じっていることは分かっていました。でも、「これは芸術性の高いアンティーク版画だから、わいせつ物には当たらない」と、思っていました。そしてX〔c〕は、中身を確認した上で、判例が定めるわいせつの3要件を、実際に検討しました。その結果、「これはわいせつ物に当たる」という、正確な法的結論に達していました。

さて、この3人のうち、どこから故意があると言えるでしょうか——考えてみてください。実は、答えは、〔b〕からです。

なぜ〔b〕からなのか——故意の本質に戻る

なぜ〔b〕からか——反対動機のものさし 図:なぜ〔b〕からか——反対動機のものさし

なぜ、〔b〕から故意があると言えるのか——理由を、前々回のものさしに戻って考えましょう。故意の本質は、規範に直面して、反対動機の形成が可能だったのに、あえて行為に及んだことへの、強い道義的非難でした。X〔b〕は、性的な描写があると分かっていました。それだけで、規範に直面したと言えます。気づいていた以上、思いとどまる機会も、あったはずです。だから、X〔b〕には、強い道義的非難が可能——故意ありです。〔a〕は、意味が、まったく分かっていません。だから、やってはいけない、という規範に、そもそも直面できていない。気づく材料が無い以上、思いとどまる機会も、ありません。だから、強い道義的非難ができない——故意なしです。

X〔c〕まで求めなくていい理由も、同じものさしです。裁判官レベルの正確な評価まで求めなくても、反対動機を形成することは、もう十分に可能でした。それ以上を要求する理由が、ありません。最後に決めるのは裁判官です。ただ、行為者に、その裁判官と同じ判断まで求めているわけではありません。素人的認識があれば、それで足ります。

通説の定式——素人的認識で足りる

通説の定式——素人的認識で足りる 図:通説の定式——素人的認識で足りる

ここで、今日の核心を、1つの言葉にまとめます。

論文で書く規範:意味の認識の程度(通説) 反対動機の形成には、裁判官レベルの認識は要らない。 一般通常人が知っているような意味・性質の認識、すなわち素人的認識で足りると解するのが、通説である。 (意味の認識の程度)

X〔b〕は、性的な描写があると、一般の人が分かる程度には、分かっていました。それで、十分なんです。

山場②:「芸術だと思っていた」は通用するか

「芸術だと思っていた」は通用するか 図:「芸術だと思っていた」は通用するか

では、ここで、少し意地悪な質問をします。X〔b〕は、“芸術だ”と思い込んでいました。それでも、Xに故意は認められるでしょうか?実は、その言い分は通用しません。理由を、部品ごとに、指差してみましょう。Xが持っていた”勝手な評価”は、「芸術性の高いアンティーク版画だ」という、Xなりの法的な結論です。でも、その評価をしていたとしても、性的な描写があると分かっていた、という素人的な意味の認識そのものは、消えていません。故意の対象は、Xの法的な評価が正しいかどうかではなく、素人的な意味の認識が有ったかどうかです。なお、ここでいう故意は、前々回に分けた2つのうち、型に当たる事実を分かっていたか——構成要件的故意のほうです。もう一方は、責任故意です。そちらは、責任を学ぶ章で、あらためて扱います。だから、“芸術だと思っていた”という言い分があっても、構成要件的故意は、問題なく認められます。

山場③:1つの言葉が、3つの問いに答えている

1つの言葉が、3つの問いに答えている 図:1つの言葉が、3つの問いに答えている

ここまで来ると、“素人的認識で足りる”という一言が、実は、3つの別々の質問への答えを、一度に言っている、と気づきます。どんな3つの質問だと思いますか?1つ目は、そもそも意味の認識は要るのか、という質問です。X〔a〕がアウトだった理由——意味の認識は必要、という答えです。2つ目は、程度は裁判官レベルまで不要、という答えです。X〔c〕まで求めない理由でした。3つ目の質問は——意味は分かっていたけれど、自分では違う評価をしていた。そういうときは、どうなるのか、です。答えは、勝手な解釈をしているだけなら、故意は認められる。X〔b〕の”芸術だ”という言い分が、通用しなかった理由です。

ここは、受験生が実際に、つまずきやすいところです。3つに分けて理解しておくと、随分とすっきりします。

一線を引いて帰る——意味の認識と、してはいけないと知っていたか

意味の認識と、してはいけないと知っていたか 図:意味の認識と、してはいけないと知っていたか

もう1つ、ここではっきりさせておきたいことがあります。もし、X〔b〕が、さらにこう言い出したら、どうでしょうか。「そもそも、こういう版画を配っても、罪になるとは思わなかった」。実は、別の話なんです。今日ずっと見てきたのは、「わいせつな内容だと分かっていたか」という、意味の認識の問題でした。それに対して、いまの言い分は、「配ってはいけないと知っていたかどうか」——別の問題です。これは、法律の世界で、違法性の意識と呼ばれる問題です。犯罪は、型に当たるか、違法か、責任があるか——3つの関門で順に見ましたね。今日の意味の認識とは、別の階層——責任という段階で、扱われます。

今日の話に、その先の話が混ざらないように、条文だけ、先に見ておきましょう。

条文刑法38条3項(違法性の意識・予告)

刑法38条3項(故意) 法律を知らなかったとしても、そのことによって、罪を犯す意思がなかったとすることはできない。ただし、情状により、その刑を減軽することができる。

この条文の扱い方だけを、正面から扱う回を、この先に用意しています。今日は、階層が違うと分かれば十分です。

山場④:同じ物差しが作為義務にも効く——体系的地位

作為義務は、どの箱か——違法性説と保障人説 図:作為義務は、どの箱か——違法性説と保障人説

では、話題を変えます。同じ物差しが、まったく別に見える論点にも、そのまま効くことを、見てもらいます。不真正不作為犯の、作為義務です。今日扱うのは、その義務がどうやって発生するかではありません。作為義務は、そもそも構成要件要素なのでしょうか、それとも違法要素なのでしょうか——この位置づけの違いが、何を変えるのでしょうか?まず、1つの場面で考えます。登山初心者3人を誘って山に入った、リーダー格のYがいます。同行者の1人が、高山病で動けなくなりました。Yは、「自分は雇われたガイドではないから、助ける義務は無い」と思って、その人を残したまま、先に下山しました。

法的には、Yが率先して仲間を誘い、山に連れて入った、という経緯から、作為義務が認められうる事案です。義務がどう発生するかは、前に扱った回に譲ります。今日は、この作為義務が、どの箱に入るのか、を考えます。1つ目の考え方——違法性説です。作為義務は、違法要素だとする考え方です。犯罪の型に当たるかを見る、第一の関門ではなく——その次の、違法性の関門で見る要素だ、という意味です。すると、型の側には、義務という絞りが、残らなくなります。この考え方を採ると、どうなるか、実際に見てみましょう。たとえば、この場に、たまたま居合わせた見ず知らずの通行人がいたとします。その人が何もしなかったとしても——作為義務を違法要素だと考えると、その人の不作為まで、構成要件に該当してしまいます。

それでは、構成要件というふるいが、機能しなくなってしまいます。構成要件に該当すれば、違法性は推定される——これが、構成要件の違法性推定機能でした。誰の不作為でも構成要件に当たってしまうなら、この推定機能が、意味をなさなくなります。そこで、通説は、こう考えます。作為義務は、構成要件要素である。

論文で書く規範:作為義務の体系的地位(保障人説・通説) 作為義務を違法要素とすると、すべての者の不作為が構成要件に該当し、構成要件の違法性推定機能を害する。 だから、作為義務は構成要件要素であると解する(保障人説・通説)。 作為義務を負う者(保障人)の不作為だけが、構成要件に該当しうる。 (作為義務の体系的地位)

保障人とは、作為義務を負う人のことです。Yのように、自分から仲間を誘って山に連れて入った人が、まさに保障人です。保障人の不作為だけが、構成要件に該当します。だから、Yの不作為は構成要件に当たりますが、通りすがりの人の不作為は、当たりません。

三段の落ち——理論の位置づけが、答えを決めていた

三段の落ち——位置づけが、故意の結論を決める 図:三段の落ち——位置づけが、故意の結論を決める

では、Yに、今日の物差しを当ててみましょう。Yは、“自分には義務が無い”と思っていました。それでも、Yに故意は認められるでしょうか——今日の物差しを、もう一度使ってみましょう。構成要件要素である以上、作為義務は、構成要件的故意の対象になります。Yは作為義務の認識を欠いていた——ここまでなら、構成要件的故意は無い、という結論になりそうです。もっとも、ここで、今日ずっと見てきた物差しが、もう一度、効いてきます。作為義務があるかどうかは、見て分かることではありません。その人の立場や経緯を、法的に評価して、はじめて決まります。

だから、素人的認識があれば、構成要件的故意は認められます。Yは、自分がリーダー格として仲間を連れてきた以上、何かしなければならない責任があるかもしれない——その程度の認識は、持っていました。だから、Yには、構成要件的故意が認められます。作為義務を構成要件要素と位置づけたからこそ、故意の対象になり、そこに今日の同じ物差しが、効いてくる。理論の位置づけが、答えを決めていたんです。

今日の地図(保存版)

今日の地図 図:今日の地図

では、今日の内容を、1本の地図にして振り返りましょう。出発点は、規範的構成要件要素の特殊性でした。だから、特に意味の認識が必要でした。ただし、これは、認識・認容という要件が、新しく増えたわけではありません。認識の中身の解像度を、上げただけです。その程度は、山場①で確かめました。物体の認識だけでは足りず、裁判官レベルまでも要らない。次に、山場②。勝手な解釈をしていても、素人的な意味の認識は消えない——だから、“芸術だと思っていた”は、通用しませんでした。そして、山場③。“素人的認識で足りる”という一言は、意味の認識の要否・程度・錯誤の処理という、3つの答えを一度に言っている、多義的な命題でした。

そのあと、意味の認識と、違法性の意識を、はっきり分けました。今日は、あくまで意味の認識のほうです。そして、山場④。同じ物差しが、作為義務の錯誤にも、そのまま効きました。それが、理論の位置づけが答えを決めていた、という今日の締めです。この先、いくつか、送っておく話があります。“知らなかった”という言い分には、もう一段、別の階層があります。それだけを扱う回を、この先に用意しています。正当防衛だと思い込んでいた、というタイプの思い違いも、また別の場所で扱います。どこからがわいせつなのか、という中身の線引きは、各論に入ってから、正面から扱います。どこまでの心持ちなら「認容した」と言えるのか——その線の引き方だけを扱う回も、この先にあります。

思っていたことと、実際に起きたことがズレたとき、どう処理するのか——ここから先は、その話が続きます。1つずつ、積み上げていきましょう。

参照条文

  • 刑法38条1項
  • 刑法175条1項
  • 刑法38条3項(違法性の意識・予告)

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