期待可能性——「他に選べなかった」を責められるか
責任の最後の関門=期待可能性を扱い第4章を締める回。具体的事情の下で適法行為を期待できなければ超法規的責任阻却事由として責任が阻却される。規範的責任論・行為者標準説・第五柏島丸事件(有罪・減軽)まで。
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第4章 責任 ③/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。
責任の第三要素=期待可能性。故意・過失・責任能力があっても、なお責任を否定しうる最後の関門。
期待可能性とは
- 定義:行為当時の具体的事情のもとで、行為者に適法行為を期待できること。
- 責任の本質=非難可能性(規範的責任論)。適法に行動できたのにしなかったから責められる。逆に、どうやっても適法行為を選べなかったなら非難できず、責任が阻却される。
- 故意・過失・責任能力に加わる第三の責任要素。明文がない=超法規的責任阻却事由。
規範的責任論(なぜ最後のピースが要るか)
- かつての心理的責任論=責任とは故意・過失という心理状態のこと。だが「脅されてやった故意犯」を救えない(心理状態は完璧にあるから)。
- 転機=19世紀末ドイツの暴れ馬事件(御者が危険な癖のある馬と知りつつ、解雇を恐れて使用を続け通行人を負傷させた→適法行為を期待できず無罪)。
- そこから責任の本質=非難可能性=「適法な行動を選べたのに選ばなかった」から責められる、という理解(規範的責任論=現在の通説)が確立。期待可能性はその核心。
- 喩え:責任能力=ハンドルを切る腕前(#26)/違法性の意識=標識が見えたか(#27)/期待可能性=そもそも曲がれる道があったか(#28)。
判断基準(学説)
- 行為者標準説:当該行為者本人に適法行為を期待できたか。責任=本人への非難だから基準も本人。判例の立場とされる。批判=「自分には無理だった」の開き直りを許さないか→「具体的事情のもとで」と枠をはめて運用。
- 平均人標準説:平均人をその状況に置いたら期待できたか。学説では多数とする整理もある。批判=「平均人」の中身が不明確。
- 国家標準説:法秩序が何を期待するか。批判=期待する側を基準にすると答えが先に決まる(循環)。
→ 本シリーズは行為者標準説(判例の立場とされる)で進める。ただし帰属は学説整理が分かれる論点なので、答案では3説を示しつつ自説を立てれば足り、「○○説が判例・通説」と過度に断定しない。
期待可能性の錯誤
- 意義:期待可能性の不存在を基礎づける事情がないのに、適法行為を期待できないと誤信して違法行為に及んだ場合(本当は適法行為を選べたのに「選べない」と思い込んだケース)。
- 効果:その錯誤がやむをえないと認められる場合は、期待可能性の欠如に準じて責任を阻却するのが多数説。錯誤は期待可能性の判断の一部として処理する。
実定法上の現れ
期待可能性の減少・欠如を根拠とすると説明される規定:
- 過剰防衛(36条2項)・過剰避難(37条1項但書)=任意的減免(襲われて動揺し、やりすぎた→強く非難できない)。
- 親族による犯人蔵匿・証拠隠滅(105条)=刑の任意的免除。
- 自己の刑事事件の証拠隠滅=104条は「他人の」刑事事件の証拠が客体ゆえ不可罰(自己庇護は適法行為を期待しにくい)。
判例
【判例】第五柏島丸事件(大判昭8・11・21) 瀬戸内海の渡船が定員の5倍を超える乗客を乗せて転覆し、多数の死傷者を出した事案。起訴されたのは船長のみ。船長はかねて定員超過を避けたい旨を申し入れていたが、船主は儲けを優先して聞き入れず、取締りも黙認していた。大審院はこれらの事情を考慮して原判決を破棄し、罰金300円にとどめた。 → 結論は有罪(無罪ではない)で、刑を大きく減軽した点が核心。しかも判決文に「期待可能性」という語はなく、期待可能性論の先駆と評価される判例、というのが正確な理解。
【判例】三友炭鉱事件(最判昭31・12・11) 期待可能性の不存在を理由に刑事責任を否定する理論は刑法上の明文に基づかない、いわゆる超法規的責任阻却事由と解すべきだ、と理論の性質を示した。 ただし同事件の無罪理由は威力業務妨害罪の不成立(構成要件レベル)であり、期待可能性で無罪にしたのではない点に注意。 (※ 旧版で「三菱美唄炭鉱事件」と誤記していたが、正しくは三友炭鉱事件。三井美唄炭鉱労組事件=憲法28条・最大判昭43・12・4 ともまったくの別事件。)
- 最高裁が期待可能性を欠くことを理由に無罪とした例はない。理論を正面から採用も全面否定もせず、慎重な姿勢(濫用=法秩序の弛緩を警戒)。
📝 論文の型|期待可能性
★コア規範(逐語で覚えるのはここだけ)
責任の本質は非難可能性にある(規範的責任論)。行為当時の具体的事情のもとで、行為者に適法行為を期待することができなかった場合には、超法規的責任阻却事由として責任が阻却される。
復元キー(趣旨から再構成する鎖)
- 責任=非難可能性(規範的責任論・#26の土台)
- 非難の前提=あのとき適法行為を選べたこと(期待可能性)
- 明文なし → 超法規的責任阻却事由(第三の責任要素・通説)
- 判断基準=行為者標準説(判例の立場とされる)
- 安易な適用は法秩序の弛緩 → 例外的・謙抑的に判断
フル論証(正本)
責任の本質は非難可能性にある(規範的責任論)。したがって、行為当時の具体的事情のもとで、行為者に適法行為を期待することができなかった場合には、故意・過失・責任能力が認められても、なお行為者を非難できないから、責任が阻却される(期待可能性の不存在=超法規的責任阻却事由)。もっとも、明文なき阻却事由であり安易な適用は法秩序の弛緩を招くから、例外的・謙抑的に判断すべきである。
【事例】 船長甲は、船主から定員を大きく超える乗客を乗せて出航するよう命じられ、再三反対したが聞き入れられず、断れば解雇される状況のもとで、やむなく超過乗船させて出航した結果、船が沈没し乗客を死亡させた。
【問題提起】 業務上過失致死の構成要件・違法性・責任能力が認められる甲について、なお期待可能性の不存在により責任が阻却されないか。
【あてはめ】 甲は再三反対したのに船主の命令を覆せず、断れば解雇される従属的地位にあり、取締当局も超過乗船を黙認していた。もっとも、多数の生命に対する危険が明白である以上、出航を見合わせる適法行為がおよそ期待できなかったとまではいえず、期待可能性は否定されない(その減少は量刑で考慮される)。よって責任は阻却されず業務上過失致死罪が成立する。
短答ひっかけ
- 期待可能性=規範的責任論の核心・超法規的責任阻却事由。明文がなくても罪刑法定主義に反しない(処罰を否定する=有利な方向だから)。
- 判断基準は行為者/平均人/国家標準説。行為者標準説が判例の立場とされる/平均人標準説を多数とする整理もある(帰属は断定しすぎない)。
- 第五柏島丸事件=大審院・有罪(罰金300円に減軽)。無罪ではない/判決文に「期待可能性」の語はない。
- 三友炭鉱事件(最判昭31・12・11)の無罪理由は威力業務妨害罪の不成立(期待可能性ではない)。
- 104条=「他人の」事件に限定/105条=任意的免除。
- 最高裁が期待可能性を欠くことを理由に無罪とした例はない(慎重・謙抑的に使う)。
今日の地図(保存版)
- 責任=非難可能性を問う第三関門(責任主義)。
- 責任能力(#26):弁識+制御/心神喪失・耗弱/原因において自由な行為。
- 違法性の意識・法律の錯誤(#27):38条3項/制限故意説/むささび・たぬき。
- 期待可能性(#28):超法規的責任阻却事由/謙抑的判断。
- → これで犯罪論の3関門(構成要件・違法性・責任)が完成。次章は未遂犯。