事実の錯誤(前編)——ウェーバーの概括的故意
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第4章 故意と錯誤 ⑥/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。
前回の続き、そして——概括的故意、3回目の登場
図:前回までの続き
前回は、事実の錯誤の3類型の処理を仕上げ、これで錯誤シリーズを閉じると予告しました。ただ、実際に組み立ててみると、その山には2つの型があることが分かりました。今日はその1つ目です。今日の型を見たあとで、逆の型を見ると、錯誤シリーズがきれいに閉じます。本題に入る前に、もっと前の宿題を1つ、片付けておきます。以前、概括的故意という言葉には、まだ扱っていない意味がもう一つあると予告しました。覚えていますか?大丈夫です。ここで一度、3つ並べて整理しましょう。
図:概括的故意、3つの弁別
1つ目は、客体の個数が不確定な場合の概括的故意でした。誰かは分からないが、誰かには当たる、という認識のことでしたね。2つ目は、ヘルマンの概括的故意でした。具体的にどの種類かまで分かっていなくても、上位の類の認識があれば構成要件的故意を認めてよいか、という故意の中身の精度の問題でした。そして3つ目が、今日の話です。今日のウェーバーの概括的故意は、故意の種類の話ですらありません。第1の行為から第2の行為までを、1つの故意でつなげて評価できるかという、まったく別の問題の呼び名です。以前、そう言って気をつけると約束してもらいましたが、まさにその瞬間です。それから、ウェーバーという呼び方は人名ですが、誰かの意見に従うという話ではありません。この問題類型そのものの名前です。
問題の所在——どちらも足りないように見える
図:設例K——行き止まりの正体
設例を見てみましょう。設例Kと呼びます。たとえば、Xは、Aを殺すつもりで、深夜、解体作業中の空き家で、木製の角材でAの頭部を殴りつけました。殴ったほうの行為、第1の行為です。この時点では、Aはまだ死んでいません。Aが動かなくなったので、XはAが死んだと思い込み、犯行の発覚をおそれて、Aを解体済みの壁材のがれきの下に押し込んで隠しました。隠したほうの行為、第2の行為です。Aは殴られた時点ではまだ生きていました。がれきの重みで胸部を圧迫され、窒息して死亡します。これが、今日の論点の定義そのものです。行為者が第1の行為で結果を発生させたと思い、第2の行為を行ったところ、実は第2の行為によりはじめて結果が生じた場合——これが今日、扱う場面です。
迷って当然です。整理してみましょう。殴ったほうの行為には、殺す故意があります。しかし、その時点でAは死んでいません。結果が、足りません。故意があるほうには結果がなく、結果があるほうには故意がない。どちらの行為も、単独では殺人罪が完成しないように見えます。今日は、この一見の行き止まりを、順番に処理していきます。
処理①行為の個数——2個か、1個か
図:行為の個数——従来の有力説と本書
まず、行為をいくつと数えるかを決めます。従来の有力な考え方は、原則として2個としながら、時間的・場所的に接着していれば、例外的に全体を1個の行為とみることができる、というものでした。ただし、本書が採る通説は、そもそも接着しているかどうかを問いません。常に2個の行為とみます。理由は、故意の中身にあります。殴ったほうの行為の故意は、殺す故意です。隠したほうの行為の故意は、死体を処理する故意です。第1行為と第2行為とでは、故意の内容が大きく異なります。だからこそ、いくら時間的・場所的に接着していても、分断して2個の行為とみるのが妥当です。
⭐ 論文で書く規範:答案の型①(行為の個数) 通説(本書)の結論は、行為を2個とみる。理由は、第1行為と第2行為とでは、行為者の有する故意の内容が大きく異なる以上、いくら時間的・場所的に接着していようとも、分断して2個の行為とみるのが妥当であるから。 (答案の型(行為の個数))
この理由づけは、そのまま覚えてください。故意の内容が大きく異なる——この一言が、通説の理由です。実は、時間的・場所的に接着している、という言葉が要らなくなった理由こそ、次に見る内容です。
なぜ、かつては「1個の行為」が必要だったのか
図:旧処理の系譜——迂回路だった理由
かつての考え方を、順番にたどってみます。まず、行為を2個に分けたまま考える前提に立ちます。ただ、当時の因果関係の判断は、折衷的相当因果関係説という立場でした。一般人が予見できず、行為者も現に知らなかった事情は、判断の材料から外れる、という考え方です。はい、詳しい中身はそちらに譲ります。ここで必要なのは一言だけです。一般人が予見できず、行為者も現に知らなかった事情は、判断の材料から除かれます。当時の発想では、一般人にも予見できず、行為者も現に知らなかった出来事とされました。すると「殴った結果、隠されて窒息死した」という流れは、通常あり得る展開として説明できない、つまり相当とはいえないことになります。
結論として、殴ったほうの行為は殺人未遂にとどまり、隠したほうの行為は過失致死にとどまる、とされていました。そこで登場するのが、「時間的・場所的に接着していれば、全体を1個の行為とみる」という例外です。行為を1個とみてしまえば、殺す故意で始まり死亡結果まで出た、1つの行為として、まとめて殺人既遂を導けます。行為を分けたままでは因果関係が切れてしまうから、無理にでも1個にまとめる必要があった——それが、かつての処理でした。因果関係の判断そのものが広がったからです。今の判例の立場は、危険の現実化と呼ばれます。この立場は、犯行の発覚をおそれて死体を隠す、あるいは運ぶという展開を、誰の目にも十分ありうると評価します。決して異常な出来事ではありません。
だから、行為を分断したままでも、因果関係を肯定できます。迂回路そのものが、要らなくなったんです。次は、その因果関係の判断を、設例Kに当てはめてみましょう。
処理②因果関係——危険はどこにあったか
図:因果関係のあてはめ——否定に振ってから肯定に戻る
因果関係の判断枠組みそのものは、因果関係の回で組み立てたものを、そのまま使います。ここでは再説明せず、あてはめだけをやります。まず、否定に振る事情から見てみましょう。Aの死因を直接作ったのは、殴ったほうの行為ではなく、隠したほうの行為です。がれきの重みで胸部が圧迫されて窒息した、という経過です。そう見えます。行為の寄与度と、介在事情の寄与度、どちらが結果に大きく効いたか——その物差しでいうと、ここだけ見れば、因果関係は否定に傾きそうです。ここで、決め手になる一文があります。殺害行為に及んだ者が、犯行の発覚をおそれて被害者を遺棄することは、十分にありうる。
殴ったほうの行為をした時点で、隠された末に死ぬという結果を発生させる危険性が、すでに含まれていたと評価できます。この振れ幅こそが、この場面の面白いところです。介在事情だけを見れば寄与度が大きく見えても、その介在事情自体が、第1行為から自然に続く展開なら、危険は途切れていません。
⭐ 論文で書く規範:答案の型②(因果関係のあてはめ) 第2行為(隠す行為)の介在事情としての寄与度は大きく見えるが、殺害行為に及んだ者が犯行の発覚をおそれて被害者を遺棄することは十分にありうる以上、第1行為には結果を発生させる危険性が含まれていた。よって第1行為と死亡結果との間に因果関係が認められる。 (答案の型(因果関係))
処理③故意の有無——因果関係の錯誤
図:因果関係の錯誤——3段でそのまま当てる
因果関係が認められても、まだ足りません。次は故意です。Xは、殴ってすぐに死ぬところを思い描いていました。実際には、隠されたあとで窒息して死んでいます。この食い違いを、因果関係の錯誤と呼びます。あのときの結論を、そのまま持ってきます。因果関係も、構成要件的故意が対象とする事実の一つです。ただし、認識していた因果経過と実際に生じた因果経過が、ともに刑法上の因果関係の範囲内にあるかぎり、構成要件的故意を認めてよい、という結論でした。設例Kに当てはめます。Xが認識していた経過は、殴って即死させる、というものです。実際に生じた経過は、殴って隠して窒息死させる、というものです。
どちらの経過も、刑法上の因果関係が認められる経過です。だから、客観と主観が、ともに刑法上の因果関係の範囲内にあります。
⭐ 論文で書く規範:答案の型③(因果関係の錯誤) 因果関係も構成要件的故意の対象となるが、客観と主観がともに刑法上の因果関係の範囲内にあるかぎり、構成要件的故意を認めるべきである。設例Kでは、認識していた経過(殴打による死亡)も、実際の経過(殴打から隠匿を経た窒息死)も、ともに刑法上の因果関係の範囲内にある。 (答案の型(因果関係の錯誤))
殴ったほうの行為には、Aを殺す故意があり、Aの死亡との間に因果関係があり、その因果関係の錯誤も故意を妨げません。殴ったほうの行為だけで、すでに殺人罪の既遂が成立しています。結果が足りないように見えた殴ったほうの行為は、実は最初から、結果まで届く危険を抱えていたんです。ただ、これで話が終わるわけではありません。隠したほうの行為が、何も残さないのかどうか、まだ確認していません。
処理④第2行為の評価——死体遺棄のつもりが、殺人だった
図:隠したほうの行為——主観と客観がまるごとズレる
続いて、隠したほうの行為を見ていきます。ここで、Xの頭の中身を思い出してください。主観は、死体遺棄の故意です。ところが客観的には、Aはまだ生きていました。実際にXがしていたのは、生きている人間を死なせる行為です。1つの死亡結果を二重に数えているわけではありません。死因を直接作ったのは、隠したほうの行為でした。それでも、その展開は殴ったほうの行為から自然に続くものだったので、殴ったほうの行為の危険も途切れていない——という関係でした。そのうえで、隠したほうの行為そのものを、もう一度見ます。主観は死体遺棄、客観は人を死なせた行為です。
主観が死体遺棄、客観が殺人——これは、前回まで扱ってきた、抽象的事実の錯誤の場面です。まず、重いほうの罪、殺人罪から見ていきます。条文を確認しましょう。
条文刑法199条
刑法199条(殺人) 人を殺した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の拘禁刑に処する。
ですが、Xには殺す故意がありません。ここで、以前組み立てた道具を思い出してください。
条文刑法38条2項
刑法38条2項 重い罪に当たるべき行為をしたのに、行為の時にその重い罪に当たることとなる事実を知らなかった者は、その重い罪によって処断することはできない。
殺人罪は、この条文によって、Xを処断する罪としては使えません。殺人罪は不成立です。殺意の認定そのものは、殺人罪を正面から扱う回に譲りますが、今日は成立要件がそろわないという結論だけ押さえてください。死体遺棄罪が成立するかどうかが、今日いちばん見落としやすいところです。条文を見てみましょう。
条文刑法190条(見出し=死体損壊等)
刑法190条(死体損壊等) 死体、遺骨、遺髪又は棺に納めてある物を損壊し、遺棄し、又は領得した者は、三年以下の拘禁刑に処する。
条文の見出しは「死体損壊等」ですが、講学上は「死体遺棄罪」と呼びます。この呼び方の対応は、この先も同じです。ここで問題です。死体遺棄罪は、成立すると思いますか。実は、成立しません。理由は、死体遺棄罪と殺人罪とでは、両罪は保護法益がまったく異なるからです。殺人罪が守っているのは、生きている人の命です。死体遺棄罪が守っているのは、国民の宗教的感情——死者を敬う気持ちです。Aは隠された時点で、まだ生きていました。生きている人に対して、死体遺棄罪は成立しようがありません。前々回は、死体遺棄罪と保護責任者遺棄罪でした。今日は、殺人罪と死体遺棄罪です。どちらも死体遺棄罪が顔を出しますが、組み合わせる相手が違います。混同しないでください。死体遺棄罪そのものの詳しい中身は、また別の回に譲ります。
故意犯としては、何も残りません。ただし、過失は別です。Xは、Aが本当に死んでいるかどうかを確認せずに隠しています。ここに、過失致死罪が成立する余地があります。
条文刑法210条
刑法210条(過失致死) 過失により人を死亡させた者は、五十万円以下の罰金に処する。
事情によっては、重過失致死罪が成立することもあります。ほんのわずかな注意を払えば結果を避けられたのに、それすら怠った、という場合です。刑法211条の後段にあたる罪で、法定刑は業務上過失致死傷と同じ、五年以下の拘禁刑または百万円以下の罰金です。中身は別の回に譲りますが、今日は名前だけ覚えておいてください。
図:法定刑の並置——210条だけ拘禁刑がない
だから、隠したほうの行為だけを取り出して処罰しても、せいぜい罰金で終わってしまいます。隠したほうの行為についての結論は、こうなります。過失致死罪、あるいは重過失致死罪は、成立する余地はあります。ですが、これはすでに成立している殺人罪と保護法益が同じで、しかも時間的・場所的に近接しています。だから独立に処罰せず、重い殺人罪の包括一罪として扱われます。
⭐ 論文で書く規範:答案の型④(第2行為の評価) 隠したほうの行為は、主観(死体遺棄の故意)と客観(殺人)が食い違う抽象的事実の錯誤である。まず殺人罪は38条2項により不成立。次に死体遺棄罪も、両罪は保護法益がまったく異なるため不成立。過失致死罪・重過失致死罪は成立しうるが、第1行為の殺人罪と保護法益が同一かつ時間的・場所的に近接するため、重い殺人罪の包括一罪となる。 (答案の型(第2行為の評価))
違います。観念的競合は、1個の行為が2つ以上の罪名に触れる場面の処理でした。包括一罪は、それとは別の、複数の犯罪を1個として評価する場面の名前です。今日は、名前だけ覚えておいてください。中身は、罪数を正面から扱う回に譲ります。今、大事なのは、罪の名前が1つに畳まれる、ということだけです。
離れていても結論は変わらない——設例L
図:設例L——距離を離してみると
最後に、条件を1つ変えた設例を見ておきます。設例Lと呼びます。設例Kと同じ事案で、Aを隠した場所が、空き家から車で40分離れた山中だった場合を考えます。かつての考え方なら、接着していない以上、1個の行為とみることはできません。折衷説の枠組みでも、隠す行為は基礎事情から外れて、殴ったほうの行為は殺人未遂、隠したほうの行為は過失致死にとどまっていました。通説は、そもそも接着しているかどうかを見ていません。どちらにせよ、行為は2個です。因果関係の判断も変わりません。犯行の発覚をおそれて被害者を遺棄することは、車で40分の距離であっても、十分にありうる展開です。
かつての考え方だけが、距離に振り回されていたんです。通説は、距離を見ずに、故意の中身と因果関係の実質だけで判断します。
今日の地図(保存版)
図:今日の地図
では、今日の内容を振り返りましょう。でも実際には、行き止まりではありませんでした。まず、行為を2個と数えます。理由は、故意の内容が大きく異なるからでした。犯行の発覚をおそれて被害者を遺棄することは十分にありうる——だから、殴ったほうの行為には、すでに結果を発生させる危険が含まれていました。認識していた経過も、実際の経過も、ともに刑法上の因果関係の範囲内にありました。だから、構成要件的故意が認められ、殴ったほうの行為だけで、殺人罪の既遂が完成していました。抽象的事実の錯誤として処理すると、殺人罪も死体遺棄罪も成立せず、残るのは過失犯だけでした。その過失犯は独立に処罰されず、重い殺人罪に包括されます。過失そのものの中身は、次の章で正面から扱います。
分けたからこそ、それぞれを正確に評価でき、結果として1個の罪にたどり着けたんです。答えは、つなげる必要はなかった、です。行為を2個に分けたまま、因果関係と故意を別々に確かめれば、殴ったほうの行為だけで殺人罪は完成しました。ウェーバーの概括的故意という名前は、この問題そのものの呼び名として覚えておけば足ります。行為の個数の考え方だけが、新しい道具でした。因果関係の判断は因果関係の回で、因果関係の錯誤の処理は因果関係の錯誤の回で、第2行為の評価は事実の錯誤の3類型の回で、それぞれ組み立てたものです。
次は、今日の裏返しの型を見ます。第2の行為で殺すつもりだったのに、実は第1の行為の時点で、すでに死んでしまっていた場合です。次で、錯誤シリーズを閉じます。
参照条文
- 刑法199条
- 刑法38条2項
- 刑法190条(見出し=死体損壊等)
- 刑法210条