責任主義——「できたはずだ」と言えないなら、罰せない
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第7章 責任 ①/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。
導入——向き直る瞬間
図:同じ行為、違う結末
2人の運転手が、同じ交差点で信号を無視しました。どちらも同じように赤信号を無視して、通行人にけがをさせています。構成要件に当たるのも同じ、正当防衛や緊急避難のような事情が無いのも同じです。それでも、一方は罪に問われて、もう一方は罪に問われませんでした。行為の外側には、答えがありません。刑法は最後にもう一度、行為をした本人のほうに向き直ります。行為者に向き直って見るもの、それが今日から始まる第7章のテーマです。
今日の位置
図:三段の関門、第三の入口
犯罪とは、構成要件に該当する、違法で、有責な行為でした。そして今日から、第三の関門、責任に入ります。行為そのものの評価は、違法性の関門で終わっています。行為が悪いと決まっても、それをした人を罰してよいかは、別の問いだからです。第一と第二は行為そのものを測り、第三だけが行為者に向き直って測ります。まとめてしまうと、行為の悪さと、その人への非難が、同じ物差しで測られてしまいます。行為がどれだけ悪くても、その人に選べる余地が無かった場合まで、同じように罰することになってしまいます。だから刑法は、行為の評価と行為者への評価を、あえて2つの関門に分けています。
有責性推定機能という言葉も、以前触れましたね。違法だと推定された行為は、責任もあると推定される。二段構えです。阻却事由というのは、その推定を打ち消す例外的な事情のことで、責任の側では責任阻却事由と呼びます。責任能力があり、故意や過失もあり、期待可能性もある、という状態が普通なので、通常はそのまま推定が働きます。今日は、その土台になる考え方を組み立てます。責任能力の中身は、次の回で詰めます。
軸——責任とは何か
図:非難可能性という一点
責任とは、行為が構成要件に当たり、違法だと分かったうえで、それでも行為者本人に道義的な非難を向けられること、つまり非難可能性を言います。一つ、橋の話で考えてみましょう。構成要件該当性は、「この道が橋か」を見ています。形の話です。違法性は、「その橋は、渡ってよい橋か」を見ています。許されるかどうかの話です。違法性の関門を渡り切っても、そこで終わりません。責任は、渡り切った後で、もう一度渡った人に向き直ります。「あなたは、この橋を渡らない道を選べたか」です。選べたのに渡ったなら、非難できます。選べなかったなら、非難できません。
選べなかった、というのは次の場合です。ほかに道が無かった場合、渡っていることに気づいていなかった場合、渡らないという選択肢が現実に閉ざされていた場合です。渡っていることに気づいていなかった、というのは、自分が今、何をしているか、内側で認識できていない場合を言います。ここは、次の要素で詳しく扱います。その、内側で認識できていない状態に対応する要素の名前は、責任故意、または責任過失です。まずは、この一点だけ押さえてください。その場面で、この人には違うようにする力とチャンスがあった、と言えるときだけ非難できます。
力かチャンスのどちらかが欠けていれば、非難できません。責任が無いことになります。責任がある場合にだけ犯罪が成立するとする原則を、責任主義と言います。「責任なければ刑罰なし」です。今日はこの一点から、責任にまつわる話を全部、組み立て直していきます。この後の章でも、非難可能性という言葉が何度も出てきます。今日確定させた意味を、そのまま使い回します。だから、「選べたか」という問い方まで下ろして、輪郭をはっきりさせました。
責任主義の内容①——主観的責任
図:主観的責任と客観的責任の対比
非難するには、行為者の内側、つまり責任能力と、故意または過失を見る必要があります。対になるのが客観的責任です。結果として法益侵害を引き起こした以上、内側を見なくても常に非難できる、という考え方です。具体的に動かしてみましょう。橋の上で大きな地震が起きて、通行人の体がぶつかり合い、Aが将棋倒しで倒れてBにけがをさせたとします。客観的責任に立つと、Bがけがをしたという結果が起きた以上、それだけでAを非難できることになります。客観的責任では、関係ありません。結果さえ起きれば、非難は成立します。
客観的責任のこの帰結は、おかしな結論です。Aには、避ける力もチャンスも、最初から無かったからです。主観的責任に立てば、Aの内側、つまり地震の中で他にどうしようもなかったという事情を見て、非難できないと判断します。だから刑法は、客観的責任を採らず、主観的責任を採ります。Aが、腹を立てて意図的にBを突き飛ばした場合を考えてください。主観的責任に立っても、この場合は内側の要件を満たすので、非難できます。内側を見ることで、罰すべき人と、罰すべきでない人を、正確に分けられます。名前の似た主観主義・客観主義とは、別ものです。前に見た主観主義・客観主義は、3つの関門の全体にかかわる立場の話。こちらは、責任の関門の中で、行為者の内側を見るかどうかという話です。
責任主義の内容②——個人的責任
図:個人的責任と団体責任の対比
もう1つの内容が、個人的責任です。個人は、自分が犯した犯罪についてのみ責任を負う、という原則です。対になるのが団体責任です。動かしてみましょう。ある村で、1人の住民が罪を犯したとします。団体責任を採ると、その人が属する村全体が、同じ罪で罰せられることになります。隣に住んでいただけの人も、生まれたばかりの子どもも、同じ集団に属するという理由だけで罰せられます。ですが、団体責任という考え方自体は、歴史的にはめずらしくありません。刑法は、そこから意識的に離れた立場を採っています。団体責任のもとでは、罰せられる人たちが違うようにできたかは、一度も問われていません。非難は、あなたが違うようにできたか、を問うものです。
だから団体責任は採りません。個人主義・自由主義を前提にした社会だから、というのも理由の1つです。罰は、行為をした本人にしか及びません。自分がした行為については、当然、非難を免れません。個人的責任が守っているのは、「自分がしていないことでは、非難されない」という一点です。個人的責任は、罰の届く範囲を正確に区切るための原則です。
図:責任主義、2つの内容
主観的責任と個人的責任、この2つで責任主義の中身が揃いました。この2つを外すと、責任という言葉の意味そのものが崩れます。
責任主義の緊張
図:責任主義が試される場所
ここまでは、きれいに筋が通った話でした。ところが、責任主義を本気で貫こうとすると、説明に困る制度が実定法の中にあります。1つ目は結果的加重犯です。具体的に見てみましょう。Aが、Bを軽くこづくつもりで押したとします。ところがBは、予想外に転倒して、打ちどころが悪く死亡しました。それでも法律上、死亡という重い結果について、Aへの非難が重くなる構造がありえます。重い結果について行為者の内側を問わない、という点が緊張です。主観的責任の観点からは、内側に無いものについて非難を重くすることに、説明が要ります。
重い結果に何を要求すべきかについては、議論があります。重い結果についても、最低限の内心の状態を求めるべきだという指摘もあります。重い結果に何を求めるかの結論は、まだ出ていません。この先どちらの立場を採るにせよ、責任主義という物差しに照らして議論されている、という点だけ押さえてください。
条文刑法38条1項
刑法38条1項 罪を犯す意思がない行為は、罰しない。ただし、法律に特別の規定がある場合は、この限りでない。
この条文が示すとおり、罪を犯す意思が無い行為は原則として罰しません。内心の状態を要求するのが、刑法の原則です。2つ目は客観的処罰条件です。こちらも具体的に見てみましょう。ある行為をした、その時点では、処罰されるかどうかがまだ決まりません。行為者の外側で、後日、ある事実が確定して、初めて処罰の可否が決まります。ある競技で、選手のきわどい動きが、その場では何の処分にもならず、後日、本人のいないところで開かれた委員会が、ある事実があったと認定したときにだけ処分の対象になる、という形です。選手には、その委員会に出て結論を動かす手立てがありません。
行為者は、その事実をコントロールできません。知ってさえいないことも多いです。行為者の意思とは無関係に確定した事実の有無だけで、結論がひっくり返ります。行為者からすれば、あとになって突然、処罰の扉が開く形になります。この2つが、それぞれどこまで責任主義と両立するのかは、別の回で個別に検討します。今日は、責任主義がこういう場所で試される、という地図だけ持ち帰ってください。結果的加重犯も客観的処罰条件も、非難可能性という一点から見ると、居心地が悪い制度です。
責任の本質
図:何を非難しているのか、3つの立場
いま見た緊張も、突き詰めれば非難可能性という一点に戻ってきます。非難可能性の実体、つまり責任の本質を何に見るかについては、3つの立場があります。1つ目、道義的責任論です。悪い意思決定をしたこと自体を非難します。2つ目、社会的責任論です。非難の対象は、個々の意思決定ではありません。行為者が持つ性格が、社会にとってどれほど危ういか、その点を非難します。3つ目は、人格責任論です。行為者が自ら主体的に形成した人格が、その行為として現実化したことを非難します。人が自由な意思を持つと考えるか、持たないと考えるかによって、立場が分かれます。
試験との関係では、それぞれが何を非難しているかを比較表で押さえておけば十分です。
責任の要素
図:非難可能性を潰す、3つの穴
非難できるかどうかを決める、責任の要素を見ていきます。主観的責任の観点から、まず必要なのが、1つ目の責任能力です。ここが欠けると、そもそも判断する土台が無いので、非難は最初から成り立ちません。中身は次の回で詰めますが、今日は「非難の土台になる」という位置づけだけ押さえてください。次に、2つ目の責任故意または責任過失です。行為者の内側に、非難の材料となる故意または過失があったか、を見ます。この段階で問題になる故意・過失の中身は、別の回で詰めます。材料が無ければ、非難できません。自分が何をしているか、まったく気づいていなかった場合が典型です。
力と材料がそろっただけでは、まだ足りません。ここが山場です。現在の通説は、これに加えて、3つ目の期待可能性まで要求します。その中身がここです。期待可能性とは、その場面で適法行為に出ることを期待できたか、ということです。1つ目も2つ目もクリアしているのに、これが無いせいで非難できない場合があります。拳銃を突きつけられて、家族を人質に取られた店員が、犯人の指示どおり金庫を開けたとします。判断する力はあります。責任能力は問題ありません。1つ目はクリアです。何をしているかも分かっています。故意もあります。2つ目もクリアです。
それでも、非難できません。その場で「開けない」という道を選ぶことは、現実には閉ざされていました。適法行為に出ることを期待できなかった以上、「違うようにできたはずだ」とは言えません。命令が軽く、断る余地が十分あったのに従った場合は、適法行為に出るチャンスが現実にあったので、期待可能性が認められます。怖かったかどうかという感覚の強さでは、判断しません。基準は、その場に現実の選択肢があったかどうかです。怖くても、選べる道が残っていれば、期待可能性はあります。1つ目から3つ目まで、順番に確かめていく手順だと考えてください。3つを並べて覚えるのではなく、非難可能性という一つの問いを、順番に潰していくものです。
責任能力の中身は、次の回で扱います。責任故意・責任過失の中身と、期待可能性の判断基準は、それぞれ別の回で扱います。
責任判断の性質
図:違法性判断と責任判断の違い
違法性は、行為を、客観的な見地から測っていましたね。行為そのものを、外から見て評価しました。責任の測り方は違います。同じ事案を、両方の目線で測ってみましょう。拳銃を突きつけられた店員の例を、もう一度使いましょう。店員が金庫を開けた行為を、違法性の目線で見るとどうなりますか。金庫を開ける行為そのものは、財産を害する行為で、正当化事由もありません。行為そのものは、客観的に見て違法のままです。次に、責任の目線で見てみましょう。店員を基準に、その人にどんな事情があったかを、主観的に見ます。同じ1つの行為が、違法性の目線では違法、責任の目線では非難できない、という別々の答えを返しています。
立ち位置も違います。違法性は行為を客観的見地から判断しますが、責任は、その人がどういう人格を持っているかとひもづけて、行為者本人を基準に主観的に見ます。共通点はあります。どちらも、具体的・実質的になされます。類型化された判断基準が無いので、非類型的にもなります。この点は共通です。そして、要件が揃えば責任は推定され、責任阻却事由があれば覆ります。構成要件該当性が違法性を推定する構造と、同じ形です。冒頭の運転手の話も、同じように整理できます。行為だけを見れば、2人とも同じく違法です。責任の目線で見て初めて、それぞれの内側とチャンスの違いが見えてきます。
2人の運転手の答えが分かれた理由は、責任の目線でしか見えませんでした。
今日の地図(保存版)
図:非難可能性という一点から
今日を振り返ります。責任とは、行為者を道義的に非難しうること、つまり非難可能性でした。そこから、責任主義の2つの内容が出てきました。内側を見る主観的責任と、自分の行為だけを見る個人的責任です。同じ一点から、責任の3つの要素も出てきます。責任能力、責任故意・責任過失、そして期待可能性です。責任能力があって故意もあるのに罰せない、という場合に欠けているのは、3つ目の期待可能性です。力と材料があっても、その場にチャンスが無ければ、非難は成り立ちません。冒頭の、2人の運転手の話に戻りましょう。行為の外側ではなく、行為者の内側とチャンスに、答えがありました。
責任主義が試される場所というのは、結果的加重犯と客観的処罰条件でしたね。あちらは、別の回でまた深く扱います。期待可能性の判断基準や、責任故意の中身も、それぞれ別の回で扱います。責任という関門を組み立て終えたので、次はその中身を1つずつ、詰めていきます。
参照条文
- 刑法38条1項