刑法ゼロから刑法#50

責任能力——「弁識」と「制御」のどちらが欠けても、心神喪失

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第7章 責任 ②/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

導入——止められなかった、その先

分かっていた、でも止められなかった 図:分かっていた、でも止められなかった

夜、コンビニのレジ前に立っている人を思い浮かべてください。もうすぐ閉店という時間で、店員も他のお客さんもいません。その人は、目の前の商品を代金も払わずに持ち去ってはいけないと分かっていました。でも、精神の障害によって、その衝動を止める力が、まったく無かったとします。この人は、心神耗弱でしょうか、心神喪失でしょうか。あなたなら、どう答えますか。多くの人が、心神耗弱と答えます。でも、それは外れます。多くの人の直感は外れます。どちらが答えで、なぜそうなるのかは、このあと表で確かめます。

今日の位置

3つの穴の1つ目 図:3つの穴の1つ目

前回、非難可能性を潰す3つの穴の名前を並べました。1つ目は何でしたか?責任能力です。非難可能性とは、その人を責められるかどうか、という物差しでした。今日はその責任能力の中身だけを、底まで掘ります。責任故意・責任過失と、期待可能性は、それぞれ別の回で詰めます。今日は触れません。判断する土台そのものでしたね。ここが欠けると、その先の話に進めません。今日、決着させることが4つあります。1つ目は、責任能力を作る2つの力、弁識する力と制御する力の関係です。この2つが、どう組み合わさると責任能力が崩れるのか、今日はっきりさせます。

2つ目は、39条と41条の効果の違いです。不可罰になる場合と、刑が減るだけの場合を、条文で区別します。3つ目は、その区別を、誰がどうやって決めるのかです。そこも、今日はっきりさせます。4つ目は、14歳未満を一律に不可罰とするのは、なぜかです。この4つが今日の地図です。1つずつ、順番に開いていきます。別物ではありません。4つとも、1つ目の穴、責任能力の中の話です。

弁識能力と制御能力

責任能力を作る2つの力 図:責任能力を作る2つの力

責任能力とは、行為の違法性を弁識する能力のことです。かつ、弁識に従って行動を制御する能力、この両方を言います。1つ目が弁識能力です。目の前の行為が、違法かどうかを判断できる力です。2つ目が制御能力です。弁識した内容に従って、自分の行動を抑えられる力です。片方だけでは、非難の理由になりません。具体例で確かめましょう。Aは、目の前の商品を無断で持ち去ってはいけないと、はっきり分かっていました。ところが、精神の障害によって、その衝動を抑える力を完全に失っていました。分かっていても、止める力がゼロなら、非難のしようがありません。

「分かっていたのだから、防げたはずだ」とは言えません。前編の言葉を借りれば、違うようにする、つまり、そうしないでいられたという力そのものが無いからです。その場合も、非難できません。中身は、後の表でまとめて確認しましょう。弁識能力は見えること、制御能力はブレーキが利くことです。見えているだけでは、安全には運転できません。ブレーキが利いて初めて、止まれます。責任能力も同じで、2つの力がそろって初めて、非難の土台になります。Aがどちらに当たるかは、今日いちばん間違えやすいところです。答えは、後の表で、理由ごと出します。

責任無能力と限定責任能力

力の欠け方で分かれる2つの区分 図:力の欠け方で分かれる2つの区分

この2つの力を、まったく欠く場合を責任無能力と言います。当然に犯罪不成立です。刑法は、責任無能力者として、心神喪失者と刑事未成年者を規定しています。心神喪失者は39条1項、刑事未成年者は41条です。中身は、この後で1つずつ見ていきます。力を欠くまでいかないけれど、著しく低い場合を限定責任能力と言います。Bは危険性を、完全に分からないわけではなく、うっすらと分かっている状態でした。抑える力は、普通に保たれていた、ということですね。その場合、Bは弁識能力が著しく減退、制御能力はあり、という組み合わせになります。

限定責任能力者として、刑法は心神耗弱者を、39条2項に規定しています。限定責任能力の場合も、犯罪は成立します。ただし、扱いが変わります。中身は次の論点で詰めます。Aは、責任無能力なので、そもそも犯罪が成立せず、無罪です。Bは、限定責任能力なので、有罪にはなりますが、刑は必ず軽くなります。有罪か無罪かという判決の結論そのものが変わります。この差が、無能力と限定責任能力を分ける実益です。入り口の分類が、そのまま結論を決めます。非難の土台がゼロなら、責めようがありません。だから犯罪自体が成り立ちません。土台が残っていて弱いだけなら、責められます。だから成立させて、刑の側で調整します。

この理由は、次の論点で条文の文言そのものから確かめます。中身、つまり弁識と制御のどちらが欠けるかは、この後の論点でまとめて開きます。

行為・責任能力同時存在の原則

責任能力は、いつ有ればいいのか 図:責任能力は、いつ有ればいいのか

責任能力を見る時点について、先に片付けます。責任能力は、いつの時点に有ればよいと思いますか。結果が出た瞬間ではありません。責任能力は、実行行為の時点に有ることを要します。前編を思い出してください。非難の対象は、何でしたか。行為者が、その行為をしたことでした。非難できるかは、行為をした瞬間の行為者を見て決まります。逆に言えば、結果発生の時点で責任能力を欠いていても構いません。実行行為の時点で有していれば、それで足ります。Cが、正常な判断力のもとで、人を刃物で刺したとします。ところがその後、搬送先で被害者が亡くなるまでの間に、Cは精神に異常をきたしたとします。

それでも問題ありません。刺した瞬間、つまり実行行為の時点で責任能力があったからです。これを、行為・責任能力同時存在の原則と呼びます。Dが、先に大量に飲酒して責任能力を失ったとします。実行行為の時点で、Dにはすでに責任能力がありません。原則をそのまま当てはめると、Dは心神喪失として、不可罰になってしまいます。自分で招いた状態を理由に、処罰を免れるのは、不都合に見えます。ここに、原則をそのまま使えない場面が出てきます。自分でその状態を招いた場合の話です。名前だけ、持ち帰ってください。今日は、原則のほうだけ、まず固めます。

心神喪失・心神耗弱の定義と効果

心神喪失と心神耗弱の違い 図:心神喪失と心神耗弱の違い

心神喪失とは、精神の障害による状態です。精神の障害とは、精神の働きに異常がある状態を言います。病気に限らず、一時的な状態も含みます。弁識能力か制御能力の、どちらかがまったく無い状態を言います。効果は不可罰です。犯罪自体が成立しません。たとえば、大量に飲酒した状態を考えてください。判断する力も抑える力も、著しく損なわれています。酩酊や催眠状態のような一時的な精神状態の異常も、精神の障害に入ります。心神耗弱は、精神の障害により、弁識能力か制御能力の、どちらかが著しく減退している状態です。

心神耗弱者は、責任能力自体はあります。だから犯罪は成立します。ただ、非難できる程度が弱いので、刑が減ります。減らすかどうかを裁判所が選べるかは、要注意です。条文を見てみましょう。

条文刑法39条

刑法39条 心神喪失者の行為は、罰しない。 2 心神耗弱者の行為は、その刑を減軽する

2項は「減軽する」と書いてあり、「減軽することができる」ではありません。「できる」と「する」は違います。「できる」なら裁判所の裁量です。「する」は必要的、つまり必ず減軽されます。心神耗弱者は、非難できる程度が、量的に減っている人です。力が半分だけ働いている、というイメージです。ゼロにはなっていません。減っている以上は必ず減軽する、と決めてしまいます。そうすることで、量刑のばらつきを防いでいます。条文の文言が、そのまま結論を決めています。はっきりと線引きできるわけではなく、実は量の問題です。境界線上の事案では、争いになります。

ゼロなのか、ゼロに近いだけなのか、その評価が分かれます。その評価を誰がどう決めるのかが、次の論点です。

弁識×制御の2軸表——冒頭の答え合わせ

力の組み合わせで見る5パターン 図:力の組み合わせで見る5パターン

冒頭の問いに戻ります。弁識能力と制御能力を、表に組み合わせてみましょう。まだ何か引っかかっているようですね。どこがですか。「半分持っているなら半分だけの扱い」という発想ですね。その考え方は、責任能力が成立する条件を思い出すと、崩れます。では、責任能力が崩れる条件は、その裏返しです。「かつ」の否定は、どちらか一方だけで成り立ちますか。弁識能力が無い、または制御能力が無い。そのどちらかで、責任能力は崩れます。「著しく減退」の場合も同じ考え方です。弁識能力が著しく減退、または制御能力が著しく減退。そのどちらかで、心神耗弱になります。

冒頭の人は、制御能力が「なし」に当たります。もう一方の弁識能力があるかどうかは、関係ありません。答えは心神喪失です。責任無能力として、不可罰になります。「分かっていたのに止められない」は、制御能力の「なし」でした。どう違いましたか、自分の言葉で言ってみてください。弁識と制御の関係は、足し算ではなく最悪値で決まります。この表で見えるとおり、著しく減退は片方だけで足ります。「なし」も同じで、片方だけで心神喪失に決まります。どちらの力も、単独で責任能力の生命線になっています。

判断の性質——法律判断と鑑定

誰が、どう決めるのか 図:誰が、どう決めるのか

誰が決めるかについて、まず1点目です。この判断は、法律判断とされています。専門家の意見の土台になる事情も含めて、裁判所が判断します。決めているのは、病気の診断そのものではありません。その状態で非難できるかという、法的な評価です。だから、判断権者は裁判所になります。

論文で書く規範:心神喪失・心神耗弱の該当性は法律判断 被告人の精神状態が心神喪失・心神耗弱のいずれにあたるかは、専門家の意見の基礎となる事情も含め、最終的には裁判所が判断する法律判断である。 (規範(最決昭和58年9月13日))

医師の意見が基礎になりますが、最終的に決めるのは裁判所です。だからこそ、2点目が出てきます。

論文で書く規範:鑑定は必須ではない 法律判断である以上、必ずしも医師などの鑑定を経る必要はなく、鑑定の結論と異なる認定をしても違法ではない。 (規範(最決昭和59年7月3日))

鑑定が無くても、裁判所だけで判断できます。鑑定と違う結論を出しても、それだけでは違法になりません。鑑定を全部無視して進めることは、多くありません。むしろ、多くの事件で鑑定は行われ、判断の重要な手がかりになります。そう単純ではありません。3点目が、その歯止めです。

論文で書く規範:鑑定意見の尊重 鑑定人の公正さや能力への疑い、鑑定の前提条件の問題など、これを採用しえない合理的な事情がない限り、裁判所は鑑定意見を十分に尊重しなければならない。 (規範(最判平成20年4月25日))

「必須ではない」と「尊重すべき」は矛盾しません。判断権者は裁判所、という1点がまずあります。そのうえで、専門家の意見をどう扱うかに、段階的に答えているだけです。採用しえない合理的な事情は、大きく3つあります。1つ目は、鑑定人の公正さへの疑いです。2つ目は、鑑定人の能力への疑いです。専門性が不足している場合です。3つ目は、鑑定の前提条件の問題です。事実を誤って前提にした鑑定などです。裁判所が決めるといっても、その前提になる精神の状態を見立てる力は、専門家の側にあります。だから、疑う理由が無いのに、見立てを捨てることは許されません。

合理的な事情も無いのに、鑑定と違う結論を出せば、その判断は崩れます。その判断は、上級審で見直される可能性が高くなります。鑑定意見の重みは、この3つの歯止めによって支えられています。3つの規範は、1本の線でつながっています。

刑事未成年——14歳未満という一線

14歳未満は、なぜ一律に不可罰か 図:14歳未満は、なぜ一律に不可罰か

最後に、今日の地図の4つ目です。ここだけは、これまでと理由の立て方が変わります。刑法上の刑事未成年者は、14歳に満たない者を言います。刑法の刑事未成年は、民法の未成年とは違います。民法の未成年は18歳未満、刑法の刑事未成年は14歳未満です。基準がそもそも別物です。

条文刑法41条

刑法41条 十四歳に満たない者の行為は、罰しない

なぜ、そう思いますか。「幼いほど分別がつかない」という考え方には、大きな見落としがあります。能力の有無は、1人ひとり違います。14歳に近い子と、遠い子とでは、実際の能力に差があります。もし「一般に能力を欠くから」が理由なら、能力がある子には例外を認めるべきになります。41条に例外規定はありません。全員一律に、14歳未満というだけで不可罰です。「精神発達が未熟で、一般に弁識・制御の能力を欠くから」は誤りです。41条は、年少者の可塑性にかんがみた政策的な観点からの規定です。可塑性とは、この先、大きく成長し、変わっていく余地のことです。

一律に扱うのは、能力の個人差を無視してでも、利益があるからです。工事中の建物の話で考えてもいいですか。建物1棟ごとに「もう自立できるか」を検査するのではなく、工事期間中は一律に足場を外さない、というルールに似ています。見誤るリスクのほうが、大きいからです。1棟ずつ強度を見誤れば取り返しがつきません。審査を誤って、可塑性のある子を処罰してしまえば、取り返しがつきません。だから、一律の年齢という、誤りにくい基準を選んでいます。可塑性のある年少者を、能力の見誤りで刑罰の対象にしないためです。14という数字自体は、立法が引いた線です。可塑性という理由は、一律ルールを支えますが、数字までは導きません。

ここまでの論点は「この人に力があったか」を見る話でした。刑事未成年だけは、政策による一律ルールという違いを押さえてください。

今日の地図(保存版)

責任能力の全体像 図:責任能力の全体像

今日を振り返ります。責任能力とは、弁識能力かつ制御能力のことでした。どちらか一方が完全に無ければ、心神喪失でした。どちらか一方が著しく減退すれば、心神耗弱でした。答えは心神喪失です。弁識能力があっても、制御能力が「なし」に当たれば、それで決まります。Aは制御能力がゼロで心神喪失、Bは弁識能力が著しく減退で心神耗弱でしたね。心神喪失は不可罰、心神耗弱は必要的減軽です。「できる」ではなく「する」だと、条文で確認しましたね。非難が量的に減るからでした。専ら裁判所の法律判断です。鑑定は必須ではありません。ただ、公正さや能力への疑い、前提条件の問題が無い限り、尊重しなければなりません。

刑事未成年は、能力を個別に見るのではありません。年少者の可塑性への配慮という政策から、一律に線を引いた規定でした。責任能力の中身、39条の効果、判断権者、14歳の線、全部が1本の線でした。「違うようにする力とチャンスがあったか」という問いを、今日は責任能力の面から掘り下げました。責任能力は、実行行為の時点に有ればよい、という原則も確認しました。

参照条文

  • 刑法39条
  • 刑法41条

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