誤想防衛——事実は違っていただけなのに、なぜ無罪になるのか
印刷のコツ
プリンターでは次の設定がおすすめです。
- 用紙:A4 / 向き:縦
- 拡大縮小:「実際のサイズ」(フィット縮小しない)
- 両面印刷:オン、とじ方は「長辺をとじる」(左綴じ)
- モノクロ印刷OK(強調は色でなく太字なので白黒でも読めます)
第7章 責任 ⑦/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。
導入——事実が違っていただけで、なぜ無罪になるのか
図:駐輪場の夜、Aが見たもの
夜の駐輪場を、想像してください。Aが自分の自転車を探していると、少し離れた暗がりで、Bが自転車の鍵をいじっているのが見えました。Aは、それを見て「自分の自転車が盗まれかけている」と思い込み、とっさにBの手を払いのけて、突き飛ばしてしまいました。ところが、実際には、その自転車はBの自転車でした。Bは、自分の鍵を外そうとしていただけだったんです。Aの行為は、Bへの暴行として、構成要件に該当します。正当防衛も成立しません。本当に自転車を盗まれかけていたわけではないからです。ところが、この人は、無罪になります。
この納得できなさを、今日は最後まで、1本の道具で解いていきます。何度も出てきた、規範に直面できたかどうか、という故意の本質です。やってはいけないという線が、目の前にはっきり見えていて、それでも思いとどまる機会が、本人に与えられていた、ということです。今日は、この一言を道具にします。責任の章で、違法性の意識と法律の錯誤まで来ました。今日は、その道具を、正当防衛の場面にそのまま当てていきます。
違法性阻却事由の錯誤とは——誤想防衛・誤想避難
図:違法性阻却事由の錯誤とは
まず、名前を確認します。正当防衛や緊急避難のような、違法性阻却事由が本当は存在しないのに、行為者がそれがあると誤って信じて行為することを、違法性阻却事由の錯誤といいます。今日は、その代表格である、誤想防衛を主役にします。そこが、今日いちばん最初に押さえてほしいところです。犯罪の成立は、構成要件に当たるか、違法性が阻却されないか、最後に責任を問えるか、この3段階で審査します。前にやった構成要件的事実の錯誤は、1段階目、構成要件そのものの事実を取り違える場面でした。何を殴ったか、誰を殴ったか、というレベルの誤りです。たとえば、暗がりで人形を人だと見間違えて殴った場合、殴る対象そのものについての認識が、最初からずれています。
今日のAは、誰を突き飛ばすかは、分かっていましたよね。Aは、目の前の人を突き飛ばすという構成要件の中身は、正しく認識していました。だから、1段階目の錯誤ではありません。Aが誤ったのは、2段階目、違法性を阻却してくれる事実、つまり「本当に襲われているか」という部分です。構成要件の中身が正しく認識されたあとに問題になる、独立の場所です。だから、違法性阻却事由の錯誤という、独立の名前がついています。3段階目の責任の話ではないか、という疑問も出るところです。前回までの違法性の意識の話は、事実は正しく分かったうえで、それが法に触れると気づけたか、という3段階目の責任の話でした。今日のAは、そもそも2段階目の事実を取り違えています。順番として、その手前で止まっているんです。
誤想避難も、まったく同じ理屈で、この真ん中の場所に入ります。
図:誤想防衛の定義——どこが欠けているか
正当防衛が成立するには、客観的要件として急迫不正の侵害があること、行為が相当な範囲にとどまること、そして主観的要件として防衛の意思をもつことが要ります。
条文刑法36条1項
刑法36条1項(正当防衛) 急迫不正の侵害に対して、自己又は他人の権利を防衛するため、やむを得ずにした行為は、罰しない。
各要件の中身そのものは前に扱ったので、ここでは条文を、もう一度、正面から確認しておきます。正当防衛が罰しないとするのは、急迫不正の侵害に対して、やむを得ずにした行為です。今日、注目してほしいのは、この条文の要件のうち、どれが欠けるかです。誤想防衛とは、客観的要件のうち、急迫不正の侵害という事実が、現実には無いのに、あると誤信して、防衛の意思をもって、相当な範囲で反撃した場合をいいます。主観的要件の防衛の意思も、客観的要件の相当性も、ちゃんと備わっています。欠けているのは、客観的要件のうち、急迫不正の侵害という事実、その一点だけです。
Aには、防衛の意思も、突き飛ばすという行為の相当性もありました。欠けていたのは、本当に侵害があったかどうか、その事実だけです。
図:誤想避難——並行する構造
同じことは、緊急避難でも起こります。緊急避難が成立するには、自己または他人の生命、身体、自由または財産に対する、現在の危難を避けるため、やむを得ずにした行為であり、これによって生じた害が、避けようとした害の程度を超えないことが要ります。この現在の危難という事実が、本当は無いのに、あると誤信して避難行為をした場合を、誤想避難といいます。正当防衛でも、緊急避難でも、違法性を阻却してくれる客観的な事実だけを誤認した、という構造が共通しています。だから、同じ違法性阻却事由の錯誤という1つの枠で処理できるんです。
以下では、誤想防衛を中心に見ていきますが、話の骨格はそのまま誤想避難にも当てはまります。
法律の錯誤との弁別——事実を誤ったか、解釈を誤ったか
図:前回のものさしを、もう一度
本題に入る前に、前回のものさしを、一度だけ思い出しておきましょう。前回、法律の錯誤かどうかを見分けるとき、何を基準にしましたか?一般人ならば、違法性を意識しうる程度の事実認識があったかどうか、でした。今日は、その同じ基準を、別の関門の事実に当てていきます。どこが違ってくるのかを、最後まで追いかけましょう。
図:もう1つのAを考える
ここで、もう1人、別のAを考えてみます。今度のAも、同じ駐輪場にいます。ただし今度のAは、目の前の自転車がBのもので、自分のものではない、ということは、はじめから正しく分かっていました。ただ、このAは、他人の自転車の鍵に誰かが触れていたら、居合わせた人間が実力で取り返してもかまわない、という誤った理解を持っていました。この誤った理解のまま、Bを突き飛ばしてしまいました。前のAは、目の前で起きている事実を取り違えていました。今度のAは、事実は正しく分かっていて、それに対して自分がどこまで許されるか、という法解釈だけを誤りました。
図:弁別の一線——誤認識の対象はどちらか
この2つを分ける一線は、はっきりしています。誤って認識したのが、事実そのものか、それとも、その事実に対する評価かです。最初のAは、急迫不正の侵害という事実そのものを、無いのにあると誤って認識しました。これが、誤想防衛です。今のAは、侵害の事実は正しく分かっていて、自分の対応が正当防衛として許される範囲だ、という解釈だけを誤りました。これは、単なる法律の錯誤です。法律の錯誤が、事実は正しく分かっているのを前提にしている、という点は、事実の錯誤との区別のところでも効いてくると言いました。ここでも、まったく同じ形で効いてきます。この一線が引かれる理由も、実ははっきりしています。後で確かめる故意の本質、つまり規範に直面できたかどうか、という物差しから出てくるものです。
事実そのものを取り違えていれば、その人の頭の中には、規範に直面する場面そのものが存在しません。侵害があると思い込んでいる以上、自分は正当な防衛をしているとしか見えないからです。今度のAは、事実は正しく認識していて、規範にはちゃんと直面したうえで、自分がどこまで許されるかという、その先の判断だけを誤りました。だから、規範に直面できたかどうかで見ると、扱いが変わって当然なんです。
図:同じ道具、違う関門
もう1つ、注意しておきたいことがあります。使っている道具は、今日も前回も、実はまったく同じです。前回も、故意の本質、つまり規範に直面できたかどうかから、ものさしを導きました。一般人ならば違法性を意識しうる程度の事実認識があったか、というあの基準も、根っこはそこから出ています。違うのは、誤って認識した先が、どの関門の事実か、という点だけです。前回は、構成要件に当たる事実の認識が足りていたかどうかが問題でした。今日は、正当防衛や緊急避難という、違法性阻却事由の要件にあたる事実の認識が問題になります。
今日の、事実を誤ったか解釈だけを誤ったか、という切り口も、同じ道具を、違法性阻却事由という場面に当てたときの現れ方にすぎません。この2つの関門を混ぜて答案に書くと、当てはめが崩れます。
図:境界の例——思い込んだのか、割り切ったのか
最後に、境界に近い例で確かめておきましょう。今度のAは、暗がりで自転車の色や形がよく見えず、目の前の自転車が本当に自分のものかどうか確信が持てないまま、念のためBを突き飛ばした、としたらどうでしょう。この場合でも、見るべきところは変わりません。Aの頭の中で、急迫不正の侵害という事実があると認識していたかどうか、それだけです。確信が薄くても、Aが侵害があると思い込んで行動していれば、事実の誤認、誤想防衛です。逆に、もしAが「本当に盗まれているかは分からないが、疑わしい以上は実力で排除してよいはずだ」というように、侵害の有無についての評価や判断のレベルで動いていたなら、それはもう事実の誤認ではなく、法律の錯誤の側に入ります。
思い込んだのか、それとも割り切ったのか。この一点が、誤想防衛と法律の錯誤を見分ける決め手になります。
前提事実の錯誤と限界の錯誤——次回への橋
図:もう1つの誤り方——程度を見誤る場合
ここで、今日の話がどこまでの範囲か、はっきりさせておきます。今日のAが誤ったのは、正当防衛の成立に必要な事実、いわば前提となる事実です。これに対して、侵害の事実そのものは正しく認識していたのに、防衛としてどこまでやってよいか、その程度を見誤る、という誤り方もありえます。たとえば、侵害があったこと自体は正しく分かっていたのに、必要な範囲を超えて反撃してしまった場合を考えてみてください。これは、今日とは別の場所で起きる誤りです。この、程度のほうを見誤る場面は、正当防衛として許される限界のほうを誤る、という意味で、限界の錯誤と呼ばれます。今日の主役とは別の話なので、深入りはしません。正当防衛なら誤想過剰防衛、緊急避難なら誤想過剰避難という場面です。
今日は、前提となる事実を誤った場面だけを扱います。
効果の学説対立①——法律の錯誤説
図:効果をどう考えるか——2つの入口
さて、Aが誤想防衛にあたる、というところまでは分かりました。問題は、ここから先です。この人を、故意犯として処罰してよいのか。学説が対立します。ですが、今日も、道具は1つだけです。まず、一方の立場から見ましょう。
図:法律の錯誤説
1つ目は、法律の錯誤説です。違法性阻却事由の錯誤も、結局は行為の違法性についての誤解にすぎない、法律の錯誤と同じ問題だ、と考える立場です。だから、この立場からは、厳格故意説に立たない限り、原則として、責任故意は認められます。前回、法律の錯誤は、原則として責任故意が阻却されない、という結論でしたよね。この立場だと、誤想防衛のAにも、その同じ枠組みがそのまま適用されます。事実そのものを取り違えた人を、事実は正しく分かっている人と同じ枠で扱ってよいのか。この疑問こそ、法律の錯誤説がいちばん説明に困る場所です。法律の錯誤は、事実は正しく分かっている人の話でした。誤想防衛は、事実そのものを取り違えている人の話です。出発点がまるで違う人を、同じ枠に押し込めてよいのか、という疑問が残ります。
それでも、この立場が成り立つのは、違法性に関する誤解であれば、事実の誤りか評価の誤りかを問わず一括りに扱うほうが、判断基準がぶれずに済む、という一貫性を重視しているからです。この違和感が、もう一方の事実の錯誤説につながっていきます。
効果の学説対立②——事実の錯誤説(自説)
図:事実の錯誤説(自説)——故意の本質から導く
もう一方が、事実の錯誤説です。この動画が立つのは、こちらの立場です。故意の本質を、もう一度思い出してください。規範に直面し、反対動機の形成が可能だったのに、あえて行為に出たことへの、強い道義的非難でした。この定式を、誤想防衛にそのまま当てます。Aは、違法性を否定する事実、つまり急迫不正の侵害があるという事実を、誤って認識していました。Aの頭の中では、自分は正当な防衛をしている、としか見えていません。だとすれば、規範に直面する場面そのものが、その人の認識の中に存在しないことになります。これは、構成要件的事実の錯誤で、故意が落ちるのと、まったく同じ理屈です。だから、事実の錯誤と同じように扱い、責任故意を阻却する、と考えます。
⭐ 論文で書く規範:誤想防衛の処理(事実の錯誤説) 責任故意とは、違法性阻却事由が存在しないとの認識をいう。行為者が違法性阻却事由(急迫不正の侵害等)は存在すると誤信していた場合、違法性を基礎づける事実の認識に欠け、規範の問題を与えられず反対動機を形成する機会がなかったといえる。したがって、責任故意を欠き、故意犯は成立しない。 (規範(学説からの帰結・自説=事実の錯誤説))
図:構成要件的故意と責任故意——消える場所の違い
Aには、目の前の人を突き飛ばす、という認識自体はありました。Bを叩く、という構成要件的な事実の認識は、欠けていません。欠けているのは、その行為が正当化されるかどうかを基礎づける事実、つまり急迫不正の侵害があるかどうか、という部分です。ここは、構成要件の話ではなく、責任の話です。構成要件的な事実の錯誤とは、消える場所が違います。あちらは、構成要件の中身そのものが欠ける場合でした。今日は、構成要件はすべて満たしたうえで、責任の段階で非難できなくなる場合です。
図:責任故意阻却の3段あてはめ——駐輪場のAに当てる
この規範を、駐輪場のAに具体的に当ててみましょう。順番に、1つずつ確かめます。まず①、責任故意が阻却されるには、違法性を基礎づける事実の認識を欠いていることが要ります。Aが認識すべきだった事実は、急迫不正の侵害があるかどうか、その一点です。それが②です。Aは「侵害がある」と誤信していた、つまり侵害が無いという正しい認識には、たどり着けていませんでした。③、その結果、Aは、規範に直面する機会そのものを与えられていません。侵害があると思い込んでいる人に、「侵害の無い相手を殴るな」という規範は、届きようがないからです。
①事実の認識を欠く、②誤信の中身、③規範に直面できない、この3つがそろって、はじめて責任故意の阻却にたどり着きます。ただし、これで話が終わるわけではありません。誤信したこと自体に、不注意があったかどうかは、別に問題になります。規範に直面できず、故意犯としての強い非難は向けられないとしても、そもそも侵害の有無を見極める注意義務は、行為者に残っています。そこを怠っていれば、不注意による結果として、別の罪責が問題になります。では、この人は、どんな罪でなら、なお処罰されうると思いますか。ここで検討することになるのが、過失犯です。過失犯の成否を、あらためて検討する必要があります。過失犯の中身そのものは、別の回で見た構造がそのまま使えるので、ここでは踏み込みません。
今日のAは、暗いうえに一瞬の出来事で、注意を尽くしてもなお誤信を避けられなかった、という前提です。だから、誤信に不注意はなく、過失犯も成立しません。冒頭で無罪と言ったのは、この前提があってのことです。
採用しない学説の地図——責任説の系列
図:もう1つの前提——責任説という系列
ここまでは、自説の道筋でした。ここからは、視野を広げて、別の前提に立つ学説を、地図として眺めておきます。名前と、結論の違いだけ押さえてください。まず、前提の違いから確認します。前回、可能性必要説の中が、制限故意説と、責任説に割れる、という話をしたのを覚えていますか。今日の自説は、その制限故意説と同じ、故意説の系列に立っています。これから見る3つの学説は、すべて、もう一方の責任説の系列に立ちます。
図:学説の地図——採用しない3つの立場
まず、厳格責任説です。この立場は、構成要件的な故意そのものは否定しません。違法性阻却事由の錯誤も、あくまで違法性の意識の可能性の問題として処理します。なぜそうなるかというと、責任説は、違法性にかかわる判断を、はじめから故意の外に出して、独立の責任要素として置く立場だからです。違法性阻却事由の錯誤も違法性にかかわる誤りである以上、故意の成否には関係させず、責任要素の側だけで受け止める、という筋になります。だから、原則として故意犯は成立し、可能性が無い場合だけ、例外的に責任が阻却されます。次に、制限責任説です。こちらは、違法性阻却事由が存在しないという認識の欠如を、構成要件的な事実の錯誤に準じるものとして、責任要素の側で扱います。こう扱う理由は、行為者が事実を誤っているという構造そのものが、構成要件的な事実の錯誤とそっくりだからです。同じ形をしている以上、責任の段階でも、それに準じた扱いをそろえるべきだ、と考えるわけです。
事実の錯誤に近い形で、責任故意が阻却される、という結論に近づけるわけです。ここから、責任故意が阻却され、過失犯の検討に進みます。結論は近づきますが、そこに至る前提、つまり故意説に立つか、責任説に立つかが、根本的に違います。ここを混ぜて書くと、答案が矛盾します。
図:法効果制限的責任説——不法は故意犯のまま、法効果は過失犯
最後に、法効果制限的責任説です。これは、制限責任説と同じ考え方に立ちながら、故意を否定する場所を、構成要件から責任の段階へずらした立場です。構成要件的故意そのものは、否定しません。ただし、責任の段階まで行くと、故意犯として責める前提である責任故意は、やはり阻却されます。そのうえで、過失犯と同じ法効果を認める、という考え方です。構成要件の段階の故意は認めるけれども、最後に適用されるのは過失犯のほうだ、という構成です。Aには、目の前の人を突き飛ばすという、事実の認識そのものはありました。この部分まで否定するのは行きすぎだ、という発想が出発点です。ただ、故意犯として重く罰するに値するだけの、規範に直面したうえでの非難までは向けられません。
不法の段階の評価と、責任の段階の評価を切り離す、という2段構えの処理です。共通しているのは、責任説という前提に立っている、という一点だけです。今日は、この地図があることだけ知っておいてください。自説は、あくまで事実の錯誤説です。
図:駐輪場のAに当てると、結論はどう変わるか
厳格責任説なら、故意そのものは否定されず、可能性が無い場合だけ責任が阻却されるので、Aは、多くの場合、故意犯として扱われやすくなります。制限責任説なら、責任故意は阻却され、過失犯の検討に進みます。結論だけ見れば、自説と同じ形になります。構成要件的な故意は認めたうえで、責任の段階で過失犯と同じ扱いに落とします。ですから、最後に科される刑は、自説と同じく過失犯の限度にとどまります。この違いを答案で明示できるかどうかが、そのまま得点の分かれ目になります。
答案の手つきで確認——別の場面で当てはめる
図:別の場面——Cの場合
最後に、今日の型を、別の場面で確かめておきましょう。夜道を歩いていたCが、後ろから駆け寄ってくる足音を聞き、襲われると思い込んで、振り向きざま、近づいてきたDを突き飛ばしました。実際には、Dは、バスに乗り遅れまいと、急いで走っていただけでした。①誤ったのは事実か、解釈かを見ます。Cは、襲われているという事実そのものを、誤って認識していました。だから、これは誤想防衛です。次に、②効果です。自説の事実の錯誤説からは、Cは、違法性を基礎づける事実、つまり侵害があるという事実の認識を欠いています。だから、規範に直面する余地が無く、責任故意が阻却されます。
最後に、③誤信に過失があったかです。もし、周囲をよく確認すれば足音の主が分かった状況だったなら、不注意があったとして、過失犯の検討に進みます。逆に、どれだけ注意しても足音だけでは判別できない状況だったなら、不注意も無かったことになりますから、過失犯としても処罰されません。無罪です。今日の型は、この3段だけです。事実か解釈か、効果、そして過失の有無。この順で当てはめれば、今日の話はすべて答案になります。
まとめ——弁別のフローと次回予告
図:今日の弁別と結論のフロー
今日を振り返ります。まず、違法性阻却事由の錯誤とは、正当防衛や緊急避難が無いのに、あると誤信して行為することでした。そして、今日いちばん大事だったのは、前回の法律の錯誤との弁別でした。誤ったのが、事実そのものか、それとも解釈だけか、この一点で箱が分かれます。誤想防衛だと分かったら、次は効果です。自説である事実の錯誤説からは、違法性を基礎づける事実の認識を欠く以上、規範に直面する余地が無く、責任故意が阻却されて、故意犯は不成立になります。ただし、誤信につき不注意があれば、過失犯の成否は、別途検討します。
法律の錯誤説は前回の枠組みをそのまま使い、原則故意犯が成立する立場でした。自説の事実の錯誤説は、責任故意を阻却する立場でした。そして、厳格責任説・制限責任説・法効果制限的責任説は、どれも責任説という別の前提に立つ地図で、自説とは根っこから違う道筋でした。今日は、事実そのものを誤った場面だけを見ました。ですが、事実は正しく認識していて、防衛の程度だけをやりすぎてしまう場面も、実際にはあります。さきほど名前だけ出した、正当防衛のほうの誤想過剰防衛と、緊急避難のほうの誤想過剰避難です。今日のところは、事実か解釈か、その一点の見分け方を、まず自分の手で使えるようにしておいてください。
参照条文
- 刑法36条1項