刑法ゼロから刑法#88

予備罪の教唆・幇助と正犯・共犯の区別

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第9章 共犯 ㉕/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

見張り役は、共犯者か、それとも正犯か

見張り役は、共犯者か、正犯か 図:見張り役は、共犯者か、正犯か

前回まで、教唆・幇助の関与の形、不作為かどうか、身分があるかどうかを見てきました。今日は、教唆・幇助のシリーズの最後、そして共犯論全体の締めくくりです。角度が変わります。「その関与は、そもそも正犯なのか、それとも共犯なのか」という問いです。実は、これだけでは決まりません。同じ「見張り役」でも、共謀共同正犯と呼ばれることもあれば、幇助犯にとどまることもあります。今日はその分かれ目を確かめます。あわせて、唆した相手が実行にすら至らず予備で終わった場合、教唆犯や幇助犯は成立するのかという問題も見ます。

予備罪の教唆

予備で終わっても、教唆犯は成立するか 図:予備で終わっても、教唆犯は成立するか

こんな場面を考えてください。Aが、Bに殺人を教唆しました。ところがBは、実行に着手することなく、凶器を買っただけで終わりました。この場合、Aに殺人予備罪の教唆犯は成立するでしょうか。

条文刑法61条1項

刑法61条1項 「人を教唆して犯罪を実行させた者には、正犯の刑を科する。」

61条1項は「犯罪を実行させた者」と定めています。Bは実行に着手すらしていません。だとすると、Aは教唆犯にならないようにも見えます。ここで問題になるのは、予備行為が61条の「実行」にあたるか、つまり予備行為を実行行為と呼んでよいかです。以前、予備罪の共同正犯の回で見た筋を、ここでもう一度使います。

各本条が独立に定めた犯罪なら、予備行為もその罪の実行行為 図:各本条が独立に定めた犯罪なら、予備行為もその罪の実行行為

予備罪の共同正犯の回で確かめたとおり、201条は199条にぶら下がる従属予備罪ですが、それでも条文は「殺人の目的で準備をする」という行為の型を独立に定めて処罰しています。条文が行為の型を定めて罰している以上、その型にあたる行為は、殺人予備罪という罪の実行行為と見てよい——この筋を、ここでもそのまま使います。Aが唆した先の犯罪は、結果として殺人予備罪でした。その殺人予備罪の「実行」は、凶器を買うなどの準備行為であり、Bはすでにその実行行為に出ています。したがって、殺人予備罪の教唆犯がAに成立すると解するのが妥当です。

予備罪の幇助

同じロジックが、幇助犯にもそのまま効く 図:同じロジックが、幇助犯にもそのまま効く

条文刑法62条1項

刑法62条1項 「正犯を幇助した者は、従犯とする。」

同じ問題は、幇助犯にも生じます。62条1項は「正犯を幇助した者」と定めていますが、正犯の実行行為が予備行為にとどまった場合はどうなるでしょうか。さっきと同じ理屈が、そのまま使えそうですね。予備罪も条文が独立に定めた犯罪である以上、その実行行為である予備行為を手伝えば、62条1項の「正犯を幇助した」にあたります。論証をもう一度組み立て直す必要はありません。同じロジックがもう一度効くだけです。予備罪の幇助犯も成立すると解するのが妥当です。

取り違え注意——問題になるのは予備で終わった場合だけ

実行に着手したなら、話は単純な教唆・幇助に戻る 図:実行に着手したなら、話は単純な教唆・幇助に戻る

ここで1つ、取り違えないよう確認しておきます。今見た予備罪の教唆・幇助が問題になるのは、唆された側・手伝われた側が、実行に着手せず予備行為にとどまった場合だけです。もし正犯が実行に着手していたなら、それはもう予備罪の話ではなく、単純な殺人罪の教唆犯・幇助犯の問題です。教唆犯の回・幇助犯の回で見た、ふつうの成立要件をそのまま使えば足ります。

正犯と狭義の共犯の区別

「正犯」と「共犯」の境目は、どこにあるか 図:「正犯」と「共犯」の境目は、どこにあるか

ここからが、今日の中心です。間接正犯や共同正犯を含めた「正犯」と、教唆犯・幇助犯という狭い意味の「共犯」との境界は、実は曖昧なことが多いんです。典型的に問題になるのが、冒頭で聞いた見張り役です。見張りは実行行為そのものをしていないから幇助犯止まり——そう単純には決まらないんです。同じ見張り役でも、結論が変わることがあります。なぜ変わるのか、まず区別の物差しから見ていきましょう。

学説は3つ、物差しをどこに置くかが違う 図:学説は3つ、物差しをどこに置くかが違う

正犯と狭義の共犯をどこで分けるか、学説は大きく3つに分かれます。1つ目は主観説、自己のためにする意思、つまり正犯意思があるかどうかで区別します。2つ目は形式的客観説、構成要件に該当する行為の全部または一部を、自分の体でおこなったかどうかで区別します。3つ目は実質的客観説、犯罪の実現にどれだけ重要な役割を果たしたか、つまり因果的寄与の大きさで区別します。見張り役のように、実行行為そのものには手を出していない人は、形式的客観説で測るかぎり共犯止まりになります。ですが、形式的客観説だけで押し切ると、計画の中心にいて全部を仕切っていた人が、たまたま自分の手を実行行為に下さなかったというだけで、共犯止まりになってしまいます。それでは実態に合わないことが多いんです。

試験で使う帰結——自己の犯罪か、他人の犯罪への加担か 図:試験で使う帰結——自己の犯罪か、他人の犯罪への加担か

論文で書く規範:試験対応の帰結 自分の犯罪としてやったといえるかどうかが分かれ目であり、そう言えるなら正犯、他人の犯罪に手を貸しただけなら共犯にとどまる。 (正犯と狭義の共犯の区別)

試験で使うのは、自分の犯罪としてやったといえるかどうかを分かれ目にする整理です。そう言えるなら正犯、他人の犯罪に手を貸しただけなら共犯にとどまります。3つの学説のうち、主軸に据えるのは実質的客観説です。いま見たとおり、形式的客観説では、計画の中心にいたのに手を下さなかった人を取りこぼしてしまいますが、役割の重要性で測る実質的客観説なら、その人も拾えるからです。ただ、重要な役割を果たしていても、頼まれて仕方なく従っただけの人まで正犯にするのは行き過ぎです。そこで、自分の犯罪としてやる気だったか、という主観説の視点も判断材料に足します。

見分ける2つのポイント——役割の重要性と正犯意思 図:見分ける2つのポイント——役割の重要性と正犯意思

論文で書く規範:正犯・共犯の区別の規範 自己の犯罪といえるかを分けるのは、犯罪行為全体でどれだけ重い役割を担ったか、そして正犯意思を持っていたか、この2点である。 (正犯と狭義の共犯の区別)

自己の犯罪といえるかどうかを分けるのは、2つの物差しです。犯罪行為全体の中で、その人の役割がどれだけ重かったか。そして、正犯意思を持っていたかどうかです。正犯意思は、共謀共同正犯の回で押さえたものです。共謀に基づく実行によって因果性を及ぼした、その関与を、自己の犯罪として行う意思のことでした。そこでは、利害関係・利益配分・影響力・実行担当者となる可能性・密接性、この5つの視点で見分けると整理しました。ここでも、その5つの視点をそのまま道具として使います。ただ、使う場面が少し違います。共謀共同正犯の回は、共謀と、その共謀に基づく実行という外側の条件を先に確かめたうえでの話でしたから、残るのは正犯意思1つで足りました。今日は、その外側の条件を別立てにせず、正犯か共犯かを正面から分けます。だから、外側にあたる部分を役割の重要性という柱として据えて、正犯意思と合わせて2つで見るわけです。5つの視点は、どちらか一方の柱だけに属するものではありません。たとえば実行担当者となる可能性は、役割の重要性の裏付けにもなりますし、正犯意思の裏付けにもなります。役割の重要性と正犯意思、この2つがどちらも強ければ正犯、どちらも弱ければ共犯に近づきます。なお、犯罪から得られる利益の大小を補助的に見る考え方もありますが、これは断定的な決め手にはしません。あくまで役割の重要性と正犯意思、この2つを中心に見ていきます。

あてはめ——見張り役、2パターンの対比

特殊詐欺の見張り役、2つのパターン 図:特殊詐欺の見張り役、2つのパターン

ここからは、独自の設例で確かめます。特殊詐欺のグループに、見張り役として関わったAがいます。役割の重さを変えた2つのパターンで、正犯と共犯、それぞれ結論がどう変わるか見ていきましょう。このうちパターンAは、共謀共同正犯の回で見た見張り役と、よく似た場面です。同じような場面を、今日の物差しで測り直してみましょう。

パターンA——言われた場所に立つだけ 図:パターンA——言われた場所に立つだけ

パターンAです。この特殊詐欺は、Bが標的を選び、受け子の手配もすべて行い、計画を立てました。Aは、Bに頼まれて、決まった時間に決まった場所に立ち、周囲を見ているだけの役です。標的の選定にも実行の日時にも関わっておらず、報酬は定額、計画への発言権もありません。役割の重要性も低く、正犯意思も認めにくい事案です。この場合、Aは自分の犯罪としてやったとは言えず、Bの犯罪に加担したにすぎません。Aは幇助犯にとどまります。

パターンB——標的も、実行日も、自分で決めた 図:パターンB——標的も、実行日も、自分で決めた

パターンBです。今度は同じ「見張り役」でも、Aが標的の選定や実行日時の決定にも関わっていました。報酬は定額ではなく、成果に応じた分け前で受け取ります。しかも、実行を担当する人が欠けた場合には、自分がその場で代わる想定でした。Aは計画の立案段階から食い込み、利益の配分も受け、実行担当者になる可能性もありました。役割の重要性は高く、正犯意思も認められます。Aは自分の犯罪としてやったと言え、共謀共同正犯です。肩書きそのものは、正犯と共犯を分ける物差しではないからです。見張っているという外形の行為が同じでも、その人が計画にどれだけ食い込み、どれだけの取り分を得る立場だったかという中身が違えば、実質的に自己の犯罪と言えるかどうかも変わります。「見張り役だから一律に幇助犯」という思い込みを、まず崩してください。

パターンAとパターンBの違いは、どこにあったか 図:パターンAとパターンBの違いは、どこにあったか

この対比を表にまとめます。役割の重要性と正犯意思、この2つの物差しをそれぞれのパターンに当てると、結論の違いがそのまま説明できます。実際の試験では、学説の名前を並べることより、目の前の設例で役割の重要性と正犯意思をどう評価するかが、点差の付くところです。

今日の地図(保存版)

今日の到達点——2本の柱 図:今日の到達点——2本の柱

今日を振り返ります。予備罪の教唆・幇助は、予備罪も独立に構成要件化された犯罪である以上、その実行行為である予備行為を唆し、あるいは手伝えば、それぞれ成立すると解するのが妥当でした。ただし、これが問題になるのは、正犯が予備行為にとどまった場合だけでしたね。実行に着手していたら、単純な教唆犯・幇助犯の問題に戻る、という注意点でした。そして今日の中心、正犯と狭義の共犯の区別は、自分の犯罪としてやったといえるかどうかを、役割の重要性と正犯意思の2つで判断する、という規範でした。パターンAとパターンBは、同じ見張り役なのに結論が分かれました。見張っているという行為の外形が同じでも、標的の選定や実行日時の決定にどれだけ関わり、どれだけの取り分を得る立場だったか、という中身が違えば、役割の重要性も正犯意思も変わるからです。肩書きではなく、中身を見る、これが今日の答えです。これで、教唆犯・幇助犯をめぐる一連の論点は終わりです。

参照条文

  • 刑法61条1項
  • 刑法62条1項

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