刑法ゼロから刑法#66

共犯の従属性

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第9章 共犯 ③/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

導入——正犯に、何が起きていればよいのか

唆した相手が、何もしなかったら 図:唆した相手が、何もしなかったら

友人Bに、「あの家は今、留守だから盗みに入ろう」と唆したとします。ところが、Bは結局、何もしませんでした。唆した人は、それでも罰せられるでしょうか。前回、共犯が罰せられる理由を見ましたね。混合惹起説では、共犯を処罰するには、共犯自身の関与の違法性と、正犯が実行した行為の違法性の、両方が要るのでした。今日は、その「正犯の側」を掘り下げます。共犯は正犯を前提にしている、という性質を、共犯の従属性と呼びます。ここから2つの問いが生まれます。「いつから」正犯に寄りかかれるのか、そして「どこまで」正犯に寄りかかる必要があるのか。この2つです。先に答えの形だけ言っておくと、共犯が正犯から借りるのは違法性だけで、責任までは借りません。では、前回の混合惹起説を思い出してください。正犯がまだ何も実行に出ていない段階では、共犯は成立すると言えるでしょうか?

実行従属性——「いつから」寄りかかれるか

唆しただけで、共犯は成立するか 図:唆しただけで、共犯は成立するか

狭義の共犯は、教唆・幇助行為があって、それを受けて正犯が実行行為に出て、その結果として法益侵害が起きる、という流れをたどります。1つ目の問いは、教唆・幇助行為はあったのに、正犯が実行に出なかったとき、共犯は成立するか、というものです。これを実行従属性の問題と呼びます。そこで意見が分かれます。まず共犯独立性説です。犯罪とは行為者の危険な性格が表れたものだ、という発想に立って、唆した時点、あるいは手伝おうとした時点で、もうその危険性は表れていると考えます。だから、正犯が実際に実行したかどうかとは関係なく、教唆・幇助それ自体で未遂・既遂という概念が成り立つ、という立場です。

もう一方が共犯従属性説で、これが通説です。正犯が実行に着手して初めて共犯が成立する、つまり唆しただけの段階では共犯は成立しない、という立場です。

通説の根拠——混合惹起説と条文の文言

共犯従属性説の根拠——混合惹起説と条文の文言 図:共犯従属性説の根拠——混合惹起説と条文の文言

条文刑法61条1項

刑法61条1項(教唆) 人を教唆して犯罪を実行させた者には、正犯の刑を科する。

条文刑法62条1項

刑法62条1項(幇助) 正犯を幇助した者は、従犯とする。

なぜ共犯従属性説が通説なのか。理由は2つあります。1つ目は、前回の混合惹起説そのものです。共犯を処罰するには、正犯が実行した行為の違法性を借りてくる必要がありました。だとすれば、正犯がまだ実行に出ていない段階では、借りる先そのものが存在しません。2つ目は条文の文言です。61条1項は「犯罪を実行させた者」、62条1項は「正犯を幇助した者」と書いています。どちらも、正犯の実行行為が存在することを前提にした書き方です。唆しただけ、手伝おうとしただけの段階を処罰する条文にはなっていません。

時間軸で比較する——独立性説と従属性説の分かれ道

教唆→実行の着手→結果発生を、2つの説で追う 図:教唆→実行の着手→結果発生を、2つの説で追う

ここで、2つの説の違いを時間軸に乗せて確かめます。AがBを唆して、駅のホームでCのかばんから財布をすり取らせようとした、という設例です。3つの時点を置きます。1つ目は、Aが唆した時点。2つ目は、Bがすり取ろうとしてCのかばんに手を伸ばしてさわり、窃盗の実行に着手した時点。3つ目は、Bが財布を抜き取って結果が発生した時点です。まず共犯独立性説から考えましょう。この説の出発点は、犯罪とは行為者の危険な性格の表れだ、という発想でした。だとすれば、Aの危険性は、唆した1つ目の時点でもう外に表れています。正犯Bがその後どう動くかは、Aの危険性の有無とは関係がありません。だから、1つ目の時点でもう「教唆未遂」に相当するものが成立し、3つ目まで進めば「教唆既遂」に相当するものが成立する、という説明になります。

では通説の共犯従属性説はどうか。こちらの出発点は、前回の混合惹起説でした。共犯を処罰するには、正犯が実行した行為の違法性を借りる必要がある。借りる先が無ければ、共犯という制度そのものが空回りします。1つ目の段階では、Bはまだ何も実行していません。だから借りる先が無く、Aは不可罰です。2つ目でBがCのかばんに手を伸ばしてさわり、実行に着手すれば、そこで初めて借りる先ができるので、未遂犯の教唆犯が成立します。そして3つ目でBが財布を抜き取るという結果まで出せば、既遂犯の教唆犯が成立します。ここで1つ、考えてほしい分岐を出します。もし2つ目の手前、BがCに近づいたところで怖くなって引き返してしまい、実行に着手する一歩手前で終わったとしたら、共犯従属性説の下でAはどうなるでしょうか?

着手の一歩手前なら、借りる先がまだ無いので、Aも不可罰です。逆に、共犯独立性説だと、この場合でも1つ目の時点でもう危険性は表れているので、教唆未遂に相当するものが成立します。同じ「Bが結局実行に出なかった」という結果でも、2つの説では結論がまったく違うわけです。冒頭の問いに戻ると、共犯従属性説の下では、唆しただけで正犯が何もしなかった場合、Aは不可罰です。61条1項が「実行させた者」と書いている以上、実行に出ていない段階を処罰する条文は、そもそも存在しないんです。

要素従属性——「どこまで」寄りかかる必要があるか

正犯は、成立要件のどこまで満たせばよいか 図:正犯は、成立要件のどこまで満たせばよいか

実行従属性を認めるとして、次の問いに進みます。正犯は実行に出さえすればいいのか、それとも、犯罪の成立要件をどこまで満たしている必要があるのか。以前見た、構成要件該当性、違法性、責任という3段を覚えていますか。構成要件に当てはまって、違法で、責任もある。この3つがそろって初めて犯罪が成立する、という話でしたね。正犯が、この3段のうちどこまで満たしていれば共犯が成立するのか、という問いを、要素従属性と呼びます。

4つの学説——階段で線を引く

構成要件・違法性・責任・処罰条件——4段の階段 図:構成要件・違法性・責任・処罰条件——4段の階段

正犯の成立要件を、下から積み木のように4段に並べます。構成要件該当性、違法性、責任、そして一定の処罰条件です。4段目の処罰条件は、ここでは、犯罪が成立したあとで、処罰できるかどうかを左右する事情をまとめて指します。犯罪の成立要件の回では、無いと処罰できない処罰条件と、あると処罰できなくなる処罰阻却事由を、向きが逆の別物として分けましたね。この4段目には、その両方が入ります。親族の間の窃盗で刑が免除されるのは、あとのほう、処罰阻却事由です。この4段のどこまで正犯が満たしていれば共犯が成立するか、という基準の違いで、学説が4つに分かれます。

最小従属性説は、いちばん下の構成要件該当性だけで足りるとします。制限従属性説は、これが通説ですが、構成要件該当性に加えて違法性まで要るとします。極端従属性説は、さらに責任まで要るとします。誇張従属性説は、責任に加えて処罰条件まで要るとします。

各説を試す——線を引きすぎるとどうなるか

現行犯を取り押さえる——最小従属性説を試す設例 図:現行犯を取り押さえる——最小従属性説を試す設例

まず、考えてほしい問題です。AがBに、「あの男が今、店の品物を盗んで逃げようとしている、取り押さえてくれ」と頼み、Bがその男Cを取り押さえる際に、Cに軽い怪我を負わせたとします。Bの行為は、以前、正当行為の回で見たとおり、刑事訴訟法213条が誰にでも許している現行犯逮捕であり、逮捕のために必要かつ相当な限度にとどまっていれば、法令にもとづく正当行為として、違法性が阻却されます。では、正犯が構成要件に該当しさえすれば足りるとする最小従属性説だと、Aはどうなるでしょうか?最小従属性説だと、Aは傷害罪の教唆犯になってしまいます。Bの行為は正当な逮捕行為として許されるのに、それを頼んだAだけが教唆犯として処罰される、という行き過ぎた結論になります。これが最小従属性説への批判です。正犯が違法でない以上、共犯だけを罰する理由がありません。

極端従属性説を試す——責任は誰の話か 図:極端従属性説を試す——責任は誰の話か

次に極端従属性説です。この説は、正犯に責任まで要求します。61条1項が「犯罪を実行させた」の「犯罪」という言葉を根拠にする説です。ここでもう一問、考えてみてください。AがBに、Cの家に侵入して盗みをするよう唆したところ、Bは、物事の善し悪しは分かっているものの、14歳に満たない13歳だったとします。刑法では、14歳未満の人には一律に責任が認められません。極端従属性説だと、Bに責任が無い以上、Aはどうなるでしょうか?極端従属性説の論理をそのまま当てはめると、Aも教唆犯にならない、という結論になります。ですが、それでいいのでしょうか。責任とは何だったか覚えていますか。

責任は、行為者一人ひとりについて判断されるべきものです。それなのに、正犯に責任があるかどうかで共犯自身の成否まで決めてしまうのは、共犯の責任判断を正犯に丸投げすることになります。今の設例でいえば、唆したAには唆した時点でAなりの非難可能性があるはずなのに、Bが13歳だったという事情だけでAの責任まで消えてしまうのは、おかしいですよね。文言の解釈だけでは、この行き過ぎを正当化できません。最後に誇張従属性説です。この説は、正犯に一定の処罰条件まで要求します。もう一問、考えてみましょう。AがBに、「Bの父親の家から現金を盗んでこい」と唆し、Bが実行したとします。244条1項は、直系血族・配偶者・同居の親族の間の窃盗罪について、刑を免除すると定めています。Bにはこの特例が及ぶとして、処罰条件まで正犯に従属させる誇張従属性説だと、唆したAはどうなるでしょうか?

条文刑法244条3項

刑法244条3項(親族間の特例) 前二項の規定は、親族でない共犯については、適用しない

誇張従属性説の筋を通すと、Bの刑の免除がAにも及んで、Aも処罰されないことになりますが、ここで244条3項を見てください。「前二項の規定は、親族でない共犯については、適用しない」と定めています。親族であることにもとづく刑の免除、つまり処罰阻却事由ですが、これは共犯には及ばない、と条文自身が明示しています。処罰条件まで正犯に従属させる誇張従属性説は、この条文の建て付けと真っ向からぶつかります。

3説の行き過ぎを比較する 図:3説の行き過ぎを比較する

こうして見ると、最小従属性説は下に寄りすぎ、極端従属性説と誇張従属性説は上に寄りすぎです。残るのは、構成要件該当性と違法性のところで線を引く説、つまり制限従属性説です。

制限従属性説の根拠——違法性は借りる、責任は借りない

なぜ違法性までは要り、責任までは要らないのか 図:なぜ違法性までは要り、責任までは要らないのか

なぜ、制限従属性説がちょうどいい線なのか、理由をまとめます。前回、共犯が処罰されるには、共犯自身の関与の違法性というスイッチと、正犯側の違法性というスイッチ、この2つが同時に入っている必要がある、という話をしましたね。違法性が要る理由は、まさにその正犯側のスイッチです。混合惹起説の下では、共犯は正犯側の違法性を借りて処罰されます。正犯が違法でなければ、借りるものがそもそも無いんです。一方、責任が要らない理由は、借りる中身の違いにあります。違法性は、行為が法益を侵害したという、出来事の側への評価なので、同じ出来事に関わった人の間で共有できます。これに対して責任は、その人を責められるかという、一人ひとりへの評価です。Aの共犯としての責任はA自身について判断されるべきもので、Bに責任があるかどうかに左右される筋合いがありません。

61条1項も、「犯罪を実行させた」とは書いていますが、「犯罪が成立した」とまでは書いていません。実行に出たことは要求していますが、正犯に責任まで具わることは要求していないんです。混合惹起説というたった1つの発想から、実行従属性も、要素従属性のちょうどよい線も、両方とも導けます。

違法は連帯的に、責任は個別的に

違法は連帯、責任は個別——2つの分岐 図:違法は連帯、責任は個別——2つの分岐

ここまでの結論を、標語にまとめます。「違法は連帯的に、責任は個別的に」。これが今日の到達点です。さっきの現行犯逮捕の設例では、Bの行為が違法でなかったから、Aも不成立になりました。それが違法の連帯性です。正犯の行為の違法性が阻却されるなら、正犯はもとより、共犯も成立しません。正犯の違法性が無ければ、共犯が借りるものが無いからです。では、責任の個別性の方を見ます。今度は、さっきの13歳のBに戻ります。Bは善し悪しを分かったうえで、自分で決めて、Cの家に侵入して盗みを働きました。Bの行為は、構成要件に該当し、違法でもありますが、責任だけが認められません。

この場合、正犯Bの行為は構成要件該当性・違法性という、共犯が借りるべきラインまでは満たしています。責任が無いことは、Bにとっての個別の事情にすぎません。だから、Aには教唆犯が成立します。さっきの極端従属性説の批判で、13歳のBに責任が無いからAも教唆犯にならない、という結論がおかしいと言ったのは、まさにこの理由です。違法性の有無は、正犯と共犯の間で連帯して効きますが、責任の有無は、それぞれ個別に判断される。この非対称こそが、制限従属性説の中身です。

間接正犯との境に一言

責任のない者を「道具」として使う場合との違い 図:責任のない者を「道具」として使う場合との違い

1つだけ付け加えます。責任のない者を、いわば「道具」として利用する場合は、教唆犯ではなく、それ自体が正犯になります。これを間接正犯と呼びます。以前、間接正犯の回で、4歳の子どもを使った人は、教唆犯ではなく正犯になると見ました。4歳の子は善し悪しの判断もつかず、言われるままに動く、いわば道具だからです。そのとき、正犯側にどこまでそろえば共犯になるのかは、この章に送っていました。その答えが今日の制限従属性説です。善し悪しを分かったうえで自分で決めた13歳のBなら、Aは道具を使ったのではなく唆したことになり、Bに責任が無くても教唆犯が成り立ちます。

見通し

次の問い——共同正犯にも、同じ発想は効くか 図:次の問い——共同正犯にも、同じ発想は効くか

今日は、教唆犯と幇助犯、つまり狭義の共犯を念頭に話してきました。共同正犯でも同じように考えてよいかは、次の問いになります。共同正犯を考えるときには、共犯とは何かという、もう1つの根本問題も絡んできます。

今日の地図(保存版)

今日の到達点 図:今日の到達点

今日を振り返ります。実行従属性では、唆した時点で成立するとする共犯独立性説と、正犯の実行に従属するとする共犯従属性説(通説)が対立していました。最小従属性説は構成要件該当性だけ、制限従属性説は構成要件該当性と違法性、極端従属性説はそれに責任、誇張従属性説はさらに処罰条件まで。通説は制限従属性説でした。共犯を処罰するには正犯側の違法性を借りる、という前回の発想からそのまま、実行に出ていることと、違法であることの2つが導けます。ここで、もう一度聞きます。制限従属性説が、正犯の違法性は要求するのに、責任までは要求しないのはなぜでしょうか?

違法性は借りるものですが、責任は行為者ごとに個別に判断されるべきものだからです。冒頭の問いに戻ります。唆しただけで正犯が何もしなかった場合、共犯は不可罰です。そして、正犯が実行に出ていれば、正犯に責任が無くても共犯は成立しうる。違法は連帯的に、責任は個別的に。これが今日の結論です。

参照条文

  • 刑法61条1項
  • 刑法62条1項
  • 刑法244条3項

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