遺棄罪・保護責任者遺棄罪・遺棄等致死傷罪——「置き去り」はどの条文で裁くか
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第9章 生命・身体に対する罪 ⑤/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。
遺棄の罪の地図——217 / 218 / 219 〔短答・論文共通(地図)〕

まず地図。遺棄の罪は一言でいうと「危険な状態にある弱者を見捨てる罪」です。条文は3つ。217が単純遺棄、218が保護責任者遺棄、219が遺棄等致死傷。違いは大きく2つ。誰が見捨てたか、と、どう見捨てたか。217は赤の他人が見捨てた場合。218は「保護責任者」が見捨てた場合。218の保護責任者は刑が重い。217は1年以下、218は3月以上5年以下です。そして219は、そこに人の死傷という結果が乗ったもの。後で詳しくやります。保護法益は生命・身体の安全。生命だけでなく身体も含む。理由は219が致傷も罰しているから。傷害罪の後ろに置かれているのも、身体への罪という位置づけの表れです。
法的性質——危険犯 〔短答・論文共通〕

性質を一つ押さえます。217と218は「危険犯」です。見捨てて危険な状態を作った時点で成立。実際に死んだりケガしたりは要らない。判例は、これを抽象的危険犯と読みます。具体的な危険まで条文は要求していない、と。そこは実務がやや絞る。ある程度の具体的危険は要る、という準抽象的危険犯説です。例えば、交番の真ん前に、すぐ保護される形で置いたなら、危険がなく否定すべき、と。なお219だけは、死傷の結果が出て初めて成立する結果犯です。ここだけ別。
行為の4分類——不保護・移置・置去り 〔論文の骨格+短答(山場①)〕

では山場①。「どう見捨てたか」を分類します。ここを丁寧にやると全部つながる。まず大きく2つ。「遺棄」と「不保護」。分かれ目は「場所的離隔」があるかどうか。離隔なし、つまりその場にいて世話をしないのが「不保護」。例えば、同居の乳児にミルクを与えない。場所は移していない。これが不保護です。一方、場所を離して危険にするのが「遺棄」。そしてこの遺棄が、さらに2つに割れる。一つは「移置」。自分が動かして、危険な所へ運ぶ。山に捨てに行くイメージ。もう一つは「置去り」。相手をその場に残して、自分が立ち去る。放置して逃げる。いい着眼点。結果は似ています。でも、決定的に違うものがある。移置は自分が動く「作為」。置去りは何もせず立ち去る「不作為」。ここが効いてくる。さらに性質を分けると、不保護は真正不作為犯、置去りは不真正不作為犯。この「作為か不作為か」が、次のマトリクスで結論を分けます。
行為×条文の対応——置去りは218前のみ 〔論文(山場②・論文の核)〕

山場②。さっきの4分類を、条文に対応させます。これがこの回の核、短答で一番狙われる所。表で一気に見ます。3行あります。不保護、移置、置去り。まず不保護。これは元々世話をする立場の人しか成り立たない。だから保護責任者の218後だけ。次に移置。山に捨てに行く。これは赤の他人なら217、保護責任者なら218前。どっちも成立する。赤の他人でも罪になる。ここを覚えてください。問題は3行目、置去り。同じく場所は離れる。でも結論が劇的に違う。置去りは、保護責任者なら218前。でも赤の他人は——無罪なんです。そこが冒頭の「親なら罪、他人なら無罪」の正体。理由は次の画面でほどきます。結論だけ先に言うと。置去りは217の対象に入らない。218前でしか裁けない。
なぜ置去りは赤の他人だと無罪か——理由フロー 〔論文(山場②の理由)〕

理由フローです。5ステップで一本に通します。ステップ1。置去りは「その場に残して立ち去る」。つまり何もしない。不作為です。ステップ2。不作為を犯罪として罰するには、何が要りましたか。第5回。完璧です。不作為を罰するには作為義務が要る。これが総論の道具。ステップ3。赤の他人には、その作為義務がない。助けるべき法的立場にない。だから赤の他人の置去りは、217では裁けない。これが無罪の正体です。ステップ4。では、作為義務を持つ者は誰か。それこそが「保護責任者」なんです。そこが今日一番の気づき。「作為義務」と「218の保護責任」は同じもの。だからステップ5。置去りは、保護責任者を相手にする218前段でだけ処罰できる。移置は自分から動いて危険を作る「作為」。積極的に手を出している。作為なら、義務がなくても罰してよい。手を出してはいけないのは誰でも同じだから。その差です。217の「遺棄」は移置だけ=狭い意味。218前の「遺棄」は移置+置去り=広い意味です。同じ「遺棄」の言葉でも、条文によって射程が違う。ここまでが論文の核です。
単純遺棄罪217——客体は限定列挙 〔論文の骨格+短答〕

では単純遺棄罪217。条文を全文で出します。「老年、幼年、身体障害又は疾病のために扶助を必要とする者を遺棄した者は、一年以下の拘禁刑」。そこが大事。この客体は「限定列挙」です。例示じゃない。ここが短答の引っかけ。しかも217の「遺棄」は、さっきの結論で、移置だけ。置去りは入りません。

客体を○×で整理します。当たるのは、高齢で動けない人、幼児、けが人、病人。ここで一つ面白い判例。高度に酩酊した人も、客体になります。べろべろに酔って動けない状態は、一時的とはいえ「疾病」つまり病者に当たる。昭和43年の判例。なりうる。逆に、当たらないものが引っかけです。単に道に迷っただけの人。それから、縛られて拘束されただけの人。これらは列挙のどれにも当たらない。あくまで限定列挙。老年・幼年・身体障害・疾病。この4つに絞られる。ここが狙われます。
保護責任者遺棄罪218——身分犯 〔論文の骨格+短答(#36接続)〕

次は218、保護責任者遺棄罪。条文を全文で。「保護する責任のある者がこれらの者を遺棄し、又はその生存に必要な保護をしなかったとき」。法定刑は、三月以上五年以下の拘禁刑です。218の「遺棄」は広義=移置+置去り。「保護をしなかった」が不保護です。主体が「保護責任者」に限られる。これが「身分」です。ここで第36回の道具を当てます。65条の処理は第36回送り。移置の場合。赤の他人でも217が成立し、保護責任者は刑が重くなる。これは不真正身分犯。置去りと不保護の場合。保護責任者でなければそもそも犯罪にならない。これは真正身分犯。さっきのマトリクスと同じ理屈です。作為か不作為かで、身分の種類も決まる。

では、その「保護責任」はどこから生まれるか。発生原因を見ます。これは、不作為犯の作為義務の発生原因とまったく同じ。一般論は第5回でやりました。一つ目、法令。親が子を監護する義務、夫婦の協力扶助義務など。二つ目、契約や事務管理。病者を引き受ける契約、あるいは、いったん自分から助け始めた場合。途中で引き受けると、事務管理として責任が生じる。これが後のひき逃げで効きます。三つ目、慣習・条理。同居や引受けといった事実関係から、条理上認められる場合です。
ひき逃げ事案の保護責任——3説 〔論文(山場③・#43回収)〕

山場③。冒頭のひき逃げです。Aが過失で歩行者Bをはねて重傷、放置して逃げた。このBを残して立ち去る行為は、さっきの分類でいうと何でしたか。正解。広義の遺棄、置去りです。となると、保護責任があれば218前。なければ無罪。では、ひいた運転手に保護責任はあるのか。ここで説が3つに割れます。A説、先行行為説。自分でひいた、その先行行為から保護責任が発生する。でも批判があります。これだと、単純なひき逃げが常に保護責任者遺棄罪になってしまう。広すぎる。B説、これが判例。道路交通法の救護義務、今の72条から保護責任が発生する。昭和34年の判例です。でもこれも批判が強い。やはり常に成立してしまう。それに、救護義務は行政の取締目的の義務。そこから刑罰を基礎づけるのは筋が違う、と。そこでC説、有力説で実務的。車にいったん乗せた、というように——自分だけが助けられる状態、つまり「排他的支配」を得たときだけ、事務管理で保護責任が発生する。つながりました。これが論文向き。むやみに広がらず、限定的に成立する。そして大事な射程の注記。実は判例、昭和34年の事案自体が、排他的支配を得た事案なんです。被害者を車に乗せて運んだ後に放置した事案でした。だから実務でも、単純なひき逃げで遺棄罪の起訴はほぼない。そういうことです。では、冒頭のAは結局どうなるか。具体例で見ます。

関係図です。甲と乙。甲が運転手、乙が歩行者。3コマで見ます。コマ1。甲が過失で乙をはねて重傷。ここまでは前回の過失運転致傷です。コマ2。甲は病院へ運ぼうと、乙を自分の車に乗せた。でもこの瞬間、乙の生死は甲だけが握ることになった。排他的支配を得た。ここで保護責任が発生。コマ3。ところが甲は怖くなって、人気のない山道で乙を降ろし、残して立ち去る。だから218前段。乙が死傷すれば219。保護責任者遺棄、致死傷罪です。それなら排他的支配を得ていない。単純なひき逃げ=過失運転致傷と救護義務違反。第43回の処理です。車に乗せたかどうか。この一点が、遺棄罪が乗るかどうかの分かれ目になる。
📝 論文の型

では論文の型。まず核になる候補A。逐語で覚えるのは太字のキーワードだけ。あとは復元キーで、趣旨から組み立て直します。核は3つ。置去りは不真正不作為犯。だから法的な作為義務が要る。その作為義務は218の保護責任と同一。だから置去りは218前段でだけ処罰できる。この一本道を趣旨から再現できれば書けます。逐語は「不真正不作為犯」「作為義務」「保護責任と同一」「218前のみ」だけ。

使い方を型で。甲は歩けない父Aを、自宅に置いたまま長期間家を出て放置した。動かしてはいない。問題提起。この置き去りは、単純遺棄217か、保護責任者遺棄218前か。あてはめ。これは移動させない置去り=不作為。不作為だから作為義務が要る。甲は子として保護責任を負う。だから217でなく218前。仮に山へ運べば移置で、他人でも217成立。

もう一つ、応用の候補B。ひき逃げの保護責任です。ここの核は、先行行為説や救護義務説だと、単純なひき逃げが常に成立して広すぎる。だから絞る。排他的支配を獲得したときだけ、事務管理で保護責任が発生する。逐語は「排他的支配」「事務管理」。あとは「常に成立して広すぎる」という批判から再現します。

型で。甲は乙をはね、車に乗せたが、山道で降ろし放置、乙は死亡。あてはめ。車に乗せたことで排他的支配を獲得=事務管理で保護責任が発生。その後の放置は置去り=不作為の遺棄。致死の結果が出た。よって保護責任者遺棄致死。もし車に乗せず現場に放置しただけなら排他的支配なし=過失運転致傷と救護義務違反どまり。
遺棄等致死傷罪219——結果的加重犯・比較方式 〔論文の骨格+短答(#37接続)〕

最後、219、遺棄等致死傷罪。条文を全文で。「前二条の罪を犯し、よって人を死傷させた者は、傷害の罪と比較して、重い刑により処断する」。よく気づきました。そこが219の特徴。数値の法定刑を持たない。比較方式なんです。性質は結果的加重犯。基本犯の217・218に、死傷の結果が乗ったもの。一般論は第37回。だから基本犯の故意があれば足り、死傷の結果の故意は不要。あれば殺人で、それは第40回。

では比較方式を具体例で。単純遺棄致傷を例にします。基本犯の単純遺棄217は、1月以上1年以下。比べる相手の傷害罪204は、15年以下。これを比べて、上限も下限も重い方を採る。だから結論、1月以上15年以下の拘禁刑。両方から重い側を寄せ集める。短答ではここを問われます。219は数値法定刑なし、傷害の罪と比較して重い刑。
短答ひっかけ

短答でひっかかる所を整理します。①客体は限定列挙。道に迷った人・拘束された人は✗。一方、高度に酩酊した人は病者として○。昭和43年の判例でした。②置去りは赤の他人だと無罪。217の遺棄は移置だけ、218前の遺棄は移置+置去り。③身分犯の振り分け。移置は不真正、置去りと不保護は真正。④ひき逃げで必ず遺棄罪、ではない。保護責任があるときだけ。判例も実務も排他的支配の事案に限る。⑤219は数字がない。傷害の罪と比較して重い刑。上限も下限も重い方。そこを押さえれば、この回の短答はかなり強くなります。
今日の地図(保存版)

まとめます。遺棄罪は、危険な状態の弱者を見捨てる罪。軸は「誰が×どう見捨てたか」。客体は限定列挙。高度の酩酊者は○、道迷い・拘束は✗。見捨て方は4分類。不保護は218後。移置は217と218前。そして核心。置去りは217の対象外、218前だけ。理由は、不作為だから作為義務が要り、その義務が保護責任だから。身分犯は移置が不真正、置去り・不保護が真正。保護責任の原因は法令・契約事務管理・条理。ひき逃げの保護責任は、排他的支配を得たときだけ。単純なひき逃げは過失運転と救護義務違反。最後に219、結果的加重犯。法定刑は傷害の罪と比較して重い刑でした。お腹の中の命をめぐる罪——堕胎罪です。これで第9章、生命・身体の罪が完結します。