刑法ゼロから刑法#71

片面的共同正犯と承継的共同正犯

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第9章 共犯 ⑧/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

受け直し——途中から加わった人は、何を背負うのか

途中から来た人は、脅したことまで背負うのか 図:途中から来た人は、脅したことまで背負うのか

前回は、共謀共同正犯の成立要件を見ました。3つ、思い出せますか?共謀、共謀に基づく実行、正犯意思の3つでした。相談に加わっただけでは、正犯にはならない、という話でしたね。前回の最後で予告したとおり、今日は少し変わった形の共同正犯を2つ見ていきます。まず1つ目です。仲間が相手を脅して怖がらせたあと、その現場に途中から来た人が、一緒にお金を受け取ったとします。途中から来た人は、脅したことまで背負うのでしょうか。もう1つ、別の問いも置いておきます。相手にまったく気づかれないまま、こっそり手を貸した人は、一緒にやった正犯と言えるでしょうか。

途中から加わった人の問いと、気づかれないまま手を貸した人の問い。この2つは、実はどちらも同じ原因から出てきます。前回までで固めた共同正犯の2要件、共同実行の意思と共同実行の事実のうち、どちらかが欠けて見える場面だからです。先に答えの形だけ言っておきます。気づかれないまま手を貸した人は、正犯にはなりません。途中から来た人は、原則として前の部分までは責任を負わず、ある条件を満たしたときだけ背負います。今日は、この2つの場面を順番に見ていきます。

片面的共同正犯の意義——気づかれないまま手を貸す

Vを取り押さえたのは、AとB。ただしAは、Bに気づいていない 図:Vを取り押さえたのは、AとB。ただしAは、Bに気づいていない

設例で考えます。Aは、Vを刃物で脅して金品を奪おうとしていました。ちょうどそのとき、たまたま近くにいたBが、Aの犯行に気づきました。Bは、Aの犯行をうまくいかせてやろうと考え、暗がりからVを背後で取り押さえ、動けなくしました。Aは、自分の背後にBがいることに、まったく気づいていません。ここで、AとVの間の脅す行為、BとVの間の取り押さえる行為、どちらも強盗罪の実行行為の一部です。客観的に見れば、AとBが力を合わせて、強盗罪の実行行為を実現しています。共同実行の事実は認められます。問題は、共同実行の意思です。Bは「Aを手伝おう」という意思を持っていますが、Aは、Bの存在にすら気づいていません。共同実行の意思が、Bの側にしかありません。このように、共同実行の事実はあるのに、共同実行の意思が一方の者にだけあり、他方には無い場合を、片面的共同正犯と呼びます。

この場合、Bは強盗罪の共同正犯になるでしょうか。それとも、ならないのでしょうか。

片面的共同正犯の肯否——なぜ「相互」でなければならないか

片面的共同正犯をめぐる2つの立場 図:片面的共同正犯をめぐる2つの立場

学説は2つに分かれます。A説、肯定説です。共同正犯の本質について、前に見た行為共同説の立場に立てば、Bは相手方であるAの行為を利用して、結果を惹起しています。それなら、責任を問うべきだ、という考え方です。片面的共同正犯をめぐるもう1つの立場が、B説、否定説です。こちらは判例・通説の立場です。共同実行の意思が、各共同者にそれぞれ認められない限り、共同正犯は成立しない、という考え方です。ここで、前回までの根拠に戻ります。共同正犯を正犯として扱えるのは、各人が相互利用補充関係のもとで、結果に因果性を及ぼしているからでした。「相互」という言葉に、注目してください。

相互利用補充関係とは、互いに相手の行為を自分の計画に組み込み、自分だけでは足りない部分を、相手に埋めてもらう関係のことでした。Bは、Aの行為を自分の計画に組み込んでいますが、Aは、Bの行為を自分の計画に組み込んでいません。組み込みようがないからです。Aにとって、Bは存在しないのと同じです。心理的因果性は、Bの側からAの側へは流れていても、Aの側からBの側へは流れていません。相互性が欠けている以上、共同正犯の処罰根拠そのものが半分しか成り立っていません。だから、否定説が結論として妥当です。Bは、強盗罪の共同正犯にはなりません。

正犯でなくても、幇助犯という受け皿がある 図:正犯でなくても、幇助犯という受け皿がある

条文刑法62条1項

刑法62条1項(幇助) 正犯を幇助した者は、従犯とする。

では、Bは何の罪にもならないのかというと、そういうわけではありません。Bは、Aに気づかれていなくても、Aの犯行を手伝う意思のもとで、実際にVを取り押さえるという形で手を貸しています。この行為が、幇助犯、つまり62条1項の従犯として評価される余地は残ります。片方からしか意思の連絡が無い幇助を、片面的幇助と呼びます。片面的共同正犯は否定されますが、処罰の空白にはなりません。否定された理由は、意思の連絡の「向き」が一方通行だったことでした。もう1つの場面は、向きではなく「時間」の問題です。

承継的共同正犯の意義——途中から加わるとは

先に脅したのはA。金を受け取ったのは、Aと後から来たB 図:先に脅したのはA。金を受け取ったのは、Aと後から来たB

次の設例です。Aは、Vに対して、金を出さなければ痛い目にあわせると告げ、Vを怖がらせました。まだVが金を渡す前の段階で、Bが現れます。Bは、Aがそれまでにどんな脅し方をしたのか、一部始終を聞いて知ったうえで、Aと意思を通じ合いました。そのあと、AとBは一緒になって、怖がったままのVから現金を受け取りました。人を脅して怖がらせ、お金などを出させる犯罪を、恐喝罪と言います。この設例は、恐喝罪の場面です。そして、この設例のように、ある者、先行者が、特定の犯罪の実行に着手し、まだ実行行為の全部を終えないうちに、別の者、後行者が、その事情を知りながら関与し、先行者と意思を通じて、残りの実行行為を一緒に、または単独で行う場合を、承継的共同正犯と呼びます。

3つの型を、意思の連絡が「いつ」「どちら向きか」で並べる 図:3つの型を、意思の連絡が「いつ」「どちら向きか」で並べる

ここで、3つの型を並べてみます。通常の共同正犯は、実行行為が始まる前に、双方向で意思が形成されています。さっきの片面的共同正犯は、実行行為の最初から最後まで、意思の連絡が一方通行のままでした。そして承継的共同正犯は、実行行為の当初には意思の連絡が無く、途中になってはじめて、双方向の意思が形成されます。この「途中から」という時間のズレが、次の問題を生みます。

問題の所在——過去の分まで、責任を負うのか

Bは、Aの脅しの分まで背負うのか 図:Bは、Aの脅しの分まで背負うのか

条文刑法60条

刑法60条(共同正犯) 二人以上共同して犯罪を実行した者は、すべて正犯とする。

問題は、途中から来たBが、60条の「共同して犯罪を実行した者」にあたるか、です。承継的共同正犯を「共同正犯にあたらない」とすれば、Bは、自分が関与したあとの行為、つまり現金を受け取った行為についてのみ、責任を負います。Aの脅迫によってVが怖がっていたという効果は、Bが自分で作り出したものではないので、その部分の責任までは負いません。「共同正犯にあたる」とすれば、話が変わります。前に見た、一部実行の全部責任です。Bは、自分が実行していないAの脅迫の効果まで含めて、恐喝罪が既遂に至ったことについて、責任を負うことになります。

問題は、後行者は、先行者の行為やその効果を承継するか、しないか。この一点に尽きます。承継すれば、途中から来ただけなのに、既に出来上がっていた被害者の畏怖状態まで、自分の犯罪として引き受けたことになります。

承継的共同正犯の肯否——因果性は、過去にさかのぼれない

関与する前の行為に、後行者の因果性は及ぶか 図:関与する前の行為に、後行者の因果性は及ぶか

ここで、もう一度、根拠に戻ります。共同正犯を正犯として扱えるのは、各人が相互利用補充関係のもとで、結果に物理的または心理的な因果性を及ぼしているからでした。Bが関与する前に、Aが1人でVを脅していた時点では、Bはまだ存在すらしていません。因果的共犯論、つまり惹起説に立つ限り、因果性は過去にさかのぼりません。共同実行の意思に基づいて成立するのは、あくまで意思が形成されたあとの行為だけです。だから、原則としては、承継的共同正犯は共同正犯にあたりません。Bが背負うのは、自分が関与したあとの部分だけ、というのが原則の結論です。

原則をそのまま押し通してよいのか、ここで例外が問題になります。

前の部分を、自分の犯罪の道具として使ったなら 図:前の部分を、自分の犯罪の道具として使ったなら

⭐ 論文で書く規範:積極的利用の規範 後行者が、先行者の行為及びこれによって生じた結果を、自己の犯罪遂行の手段として積極的に利用する意思のもと、現にこれを利用した場合には、実質的に先行行為に関与したのと同視できる。 (規範(通説で立てる))

例外はこうです。後行者が、先行者の行為やその結果を、自分の犯罪をやり遂げる道具として、積極的に利用する意思のもとで、実際にそれを利用した場合には、実質的に、後行者が先行行為に関与したのと同じだと評価できます。Bは、Aの脅しでVが既に怖がっている状態を、そのまま利用しています。改めて自分で脅し直す必要すらありません。Vが怖がっているという、Aが作り出した状態を、自分の犯罪を実現する道具として、積極的に使い切っています。この場合には、Bも承継的共同正犯として、恐喝既遂の責任を負います。単に事情を知っていた、認識していたというだけでは足りません。積極的に利用する意思を持ち、現に利用したと言えるかどうかが、分かれ目です。

設例を少し変えます。Bは、Aの脅しの一部始終を聞いて知っていました。ですが、Vが怖がっていることは当てにせず、Vが目を離したすきに、Vのかばんから財布をこっそり抜き取っただけだとします。Bは事情を知っていますが、Vの怖がっている状態を、自分の犯罪の道具としては使っていません。この場合、Bは、Aの脅しの分までは背負いません。背負うのは、自分でした抜き取りの分だけです。

3つの説を、結論・理由・批判で並べる 図:3つの説を、結論・理由・批判で並べる

ここまでの話を、3つの説として整理します。1つ目、全面否定説です。有力説の立場です。承継的共同正犯を、一切、共同正犯として認めません。理由は、さっき見たとおり、関与前の行為に後行者の行為が因果性を持つことはありえない、因果的共犯論に立つ限り認められない、というものです。ただし、この説には批判もあります。因果性は、あくまで1つの視点にすぎません。それに、刑法には207条という規定があります。

因果性を欠く結果にも、共犯の例によるという規定がある 図:因果性を欠く結果にも、共犯の例によるという規定がある

条文刑法207条

刑法207条(同時傷害の特例) 二人以上で暴行を加えて人を傷害した場合において、それぞれの暴行による傷害の軽重を知ることができず、又はその傷害を生じさせた者を知ることができないときは、共同して実行した者でなくても、共犯の例による。

この規定は、207条、同時傷害の特例と呼ばれる規定です。これは、誰の暴行でけがをさせたのか分からない場合に、因果関係の証明が無くても、共犯として扱ってよいと定めています。刑法自身が、因果性を欠く結果についてまで、共犯の例によることを認めているわけです。だとすると、因果性だけを唯一の物差しにする全面否定説には、この規定との整合性という宿題が残ります。2つ目、全面肯定説です。承継的共同正犯を、全面的に共同正犯として認める立場です。理由は、1個の犯罪は一罪として不可分であり、共同実行の意思のもとで一罪の一部に関与した以上、共同正犯として認めるべきだ、というものです。今日の設例で言えば、AがVを脅して怖がらせ、Vからお金を受け取るまでが、1個の恐喝罪です。脅す部分と受け取る部分は、別々の犯罪ではなく、ひとかたまりです。だから、受け取る部分に意思を通じて加わったBは、そのひとかたまりの恐喝罪全体に加わったことになり、脅しの部分まで含めて責任を負う、という理屈です。

ただし、この説にも批判があります。単に犯罪が不可分だというだけでは、自分がやったことにしか責任を負わないという、個人責任の原則との抵触を、完全には避けられません。Bは、Vを脅してはいません。それなのに、1個の犯罪だからというだけで、脅しの分まで自分の責任にされてしまうからです。そこで、3つ目、限定的肯定説です。これが多数説であり、今日の結論です。後行者が、自己の犯罪遂行の手段として積極的に利用する意思のもとで、現にこれを利用した場合に限り、共同正犯として認める立場です。理由は、この場合には、先行者の行為やその結果を、実質的に後行者自身の行為と同視してよい、というものです。

全面否定説と全面肯定説の間を取った、というより、因果性の原則は保ったまま、積極的な利用という一点でだけ、例外を開ける説です。Bが背負うのは、Aが過去に脅した行為そのものではありません。Vが今も怖がっているという、まだ続いている状態を、B自身が道具として使い、現金の受け取りという結果に結びつけました。その使った部分には、B自身の因果性がある。だから、因果性を過去にさかのぼらせなくても、責任を問えるわけです。全面否定説の言う「因果性は過去にさかのぼれない」という筋は保ちながら、207条のような規定とも矛盾しない結論を導けます。だからこそ、多数説として支持されています。今日の設例のBは、この限定的肯定説のもとで、承継的共同正犯として恐喝罪の責任を負います。

関与後の実行行為の共同の要否——一緒にやらなくてもよいのか

Aが姿を消したあと、残りをBだけがやった場合 図:Aが姿を消したあと、残りをBだけがやった場合

限定的肯定説に立ったとして、もう一歩踏み込みます。さっきの設例を少し変えます。Aは、Vを脅したあと、その場をすぐに立ち去りました。Vが怖がったままの状態を、Bが1人で見つけ、Aの脅しの効果を積極的に利用する意思のもとで、単独でVから現金を受け取ったとします。ここで、あなたに聞きます。Bは、承継的共同正犯として、恐喝罪の責任を負うでしょうか。それとも、関与したあとに、AとBが一緒に実行行為をしていない以上、負わないのでしょうか。この点、要すると解する見解もあります。先行行為は共同していない以上、関与後の実行行為まで共同してはじめて、共同実行の事実が認められる、という考え方です。

もっとも、通説はこう考えます。後行者が、先行者の行為やその結果を、積極的に利用する意思のもとで、これを利用した以上、それだけで既に、共同して犯罪を実現したと言える、というものです。関与後に一緒に実行行為をしたことまでは、要りません。結論として、後行者だけが、関与後の行為を単独で行った場合であっても、承継的共同正犯は成立しえます。積極的な利用という規範の中身が、既に「共同実行の事実」の代わりを果たしているからです。今日の設例のBも、単独で現金を受け取っていますが、それだけを理由に責任を免れることはありません。

今日の地図(保存版)

今日の到達点 図:今日の到達点

今日を振り返ります。片面的共同正犯は、共同実行の事実はあっても、意思の連絡が一方通行にとどまる場合でした。相互利用補充関係の「相互」が欠けるため、判例・通説は否定します。ただし、片面的な意思を持っていた側について、幇助犯が成立する余地は残ります。承継的共同正犯は、原則として、因果性が過去にさかのぼらない以上、否定です。ただし、後行者が先行者の行為や結果を、自己の犯罪遂行の手段として積極的に利用する意思のもとで、現にこれを利用した場合には、限定的肯定説によって例外的に肯定されます。さらに、関与したあとに一緒に実行行為をしたことまでは要りません。

片面的も、承継的も、根っこにあるのは同じ相互利用補充関係と因果性という物差しでした。

参照条文

  • 刑法62条1項
  • 刑法60条
  • 刑法207条

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