刑法ゼロから刑法#74

結果的加重犯の共同正犯

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第9章 共犯 ⑪/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

受け直し——前回の結論と、今日の謎

過失犯でも、共同の注意義務に共同して違反すれば共同正犯になる。では今日は 図:過失犯でも、共同の注意義務に共同して違反すれば共同正犯になる。では今日は

前回、過失犯の共同正犯は、どんな場合に認められると言いましたか?共同の注意義務があって、それに共同して違反したと言えれば、過失犯でも共同正犯になりうる、という結論でした。今日は、この結論が別の場面で顔を出します。設例から始めます。AとBが、強盗をしようと共謀しました。かわるがわるVに暴行を加え、財布を奪いました。ところが、Vは思いがけず死亡しました。しかも、致命傷となった暴行が、Aのものか、Bのものか、証拠上分かりません。先に答えだけ言うと、判例の考え方では、この設例の2人は、ともに強盗致死罪の共同正犯になります。ただ、なぜそう言えるかを確かめるには、共同正犯の話だけでは足りません。結果的加重犯という犯罪そのものの本質に、一度立ち戻る必要があります。

問題の所在——強盗の共同正犯は成立するが

交互の暴行。どちらの一撃が致命傷か、証拠上分からない 図:交互の暴行。どちらの一撃が致命傷か、証拠上分からない

前々回、途中から加わったBでも、加わった後にAがひとりで振るった暴行でけがが生じたなら、Bにも傷害罪の共同正犯が成立しうる、という話が出ていました。なぜそう言えるのか。その答えは、今日の筋から出てきます。最後に、そこへ戻ります。

条文刑法236条1項

刑法236条1項(強盗) 暴行又は脅迫を用いて他人の財物を強取した者は、強盗の罪とし、五年以上の有期拘禁刑に処する。

もう一度、設例を整理します。AとBは、強盗をしようと共謀しました。共謀した内容どおりに、2人で財布を奪っています。この限りでは、強盗罪の共同正犯が成立することに問題はありません。一部だけを実行した者にも、全部の結果について責任が及ぶ、という効果でした。ただし、及ぶのは、2人が共同して実行したと言える範囲の結果です。ここに、当初の意図には無かった死亡という結果が加わります。しかも、致命傷となった暴行が、Aのものか、Bのものか、証拠上分かりません。

条文刑法240条

刑法240条(強盗致死傷) 強盗が、人を負傷させたときは無期又は六年以上の拘禁刑に処し、死亡させたときは死刑又は無期拘禁刑に処する。

もし、A・Bの誰も強盗致死罪の共同正犯を負わないとすれば、2人とも強盗罪の共同正犯にとどまります。反対に、死亡についても共同正犯と認められるなら、一部実行の全部責任によって、A・Bともに240条後段の強盗致死罪の共同正犯を負います。自分の暴行で死なせたと証明できなくても、共同正犯なら重い結果まで責任を負うのか。そこが今日の核心です。1つだけ、先に区別しておきます。今日の場面は、最初から2人が意思を通じて一緒に始めている場面です。以前見た、実行行為の途中から加わる場合の共同正犯とは、前提が違います。今日考えるのは、あくまで最初から一緒にいる2人の話です。

鍵の問い——結果的加重犯に過失は要るか

重い結果に、行為者の過失は要るのか 図:重い結果に、行為者の過失は要るのか

鍵になるのは、この問いです。以前見た傷害致死のように、故意の対象を超えた重い結果が生じれば成立するのが、結果的加重犯でした。この重い結果について、行為者に過失、つまり予見できたのに予見しなかったという事情は必要でしょうか。過失が必要だとすると、前回見た形の問題に戻ってくるのか。この後、それを確かめます。まず、学説と判例の立場を整理します。

3つの立場。何を要求し、何を根拠にするか 図:3つの立場。何を要求し、何を根拠にするか

1つ目は必要説、いわば通説です。重い結果についても、過失、つまり予見できたのに予見しなかったという事情を要求します。根拠は責任主義です。故意か過失、どちらかが無ければ、非難することはできないという考え方です。2つ目は不要説の1つで、これが判例の伝統的な立場です。基本行為と重い結果との間に、条件関係、つまり、その行為が無ければその結果も無かったという関係があれば、それで足りるとします。この立場には、批判が2つあります。1つ、責任主義に反すること。もう1つ、処罰の範囲が広くなりすぎることです。

判例最高裁判所判決 昭和26年9月20日

判例(結果的加重犯の因果関係) 傷害致死罪の成立には、傷害と死亡との間の因果関係の存在を必要とするにとどまり、致死の結果についての予見は必要としない

ある判例は、はっきりとこの立場を示しています。傷害致死罪の成立には、傷害と死亡との間に因果関係があれば足り、死亡についての予見は必要としない、という判示です。ただし、この判示自体は、複数人が絡む共犯の事案についてのものではありません。同じ立場を示す判例は、他にも古くからあります。3つ目は、不要説のもう1つの理由づけです。基本行為は、もともとその性質上、重い結果を生む高い危険を含んでいます。行為者は、その危険を含む行為そのものには故意を持っています。だから、その危険が現実化した結果と言える範囲、つまり刑法上の因果関係が認められる範囲であれば、あらためて過失を要求しなくても、責任主義に反しません。

基本行為に含まれていた危険が、そのまま現実化して重い結果になったのなら、その結果は、もともとの故意の届く範囲の中にある、という説明です。

本質論が共同正犯の結論を分ける

2つの道。行き先は同じでも、通る場所が違う 図:2つの道。行き先は同じでも、通る場所が違う

ここが、今日いちばん大事な場所です。必要説に立つと、どうなるでしょうか。強盗罪の共同正犯が成立している状態から先、死亡という重い結果について、A・Bに共同の注意義務があり、それに共同して違反したと言えるかを検討します。これは、まさに前回学んだ、過失犯の共同正犯の問題そのものです。前回のように過失犯の共同正犯を認める立場をとり、設例で、かわるがわる暴行を加えるという強盗の共同から、相手の死亡を予見し避けるべき共同の注意義務と、それへの共同の違反が認められるなら、必要説からも結論は肯定に至ります。逆に、過失犯の共同正犯を認めない立場や、共同の注意義務を認めない場合には、強盗罪の共同正犯にとどまります。

では、不要説に立つと、どうなるでしょうか。不要説に立てば、過失犯の共同正犯を論じるまでもありません。強盗罪の共同正犯と死亡という結果との間に、刑法上の因果関係、つまり危険の現実化と言える関係があるかどうかだけを見ます。かわるがわる暴行を加えるという基本行為自体が、もともと死亡を生む高い危険を含んでおり、実際にその危険が現実化して死亡したのですから、過失を別に問うまでもなく、結論は肯定に至ります。その場合、行き先は同じです。ただ、いつも同じとは限りません。たとえば、Vが外からは分からない重い持病を抱えていて、ふつうなら死ぬことのない程度の暴行で亡くなった、という場面を考えます。必要説では、この死亡について、共同の注意義務と、それに共同して違反したことが認められるかがあらためて問われ、認められなければ、2人は強盗罪の共同正犯にとどまります。そして、肯定に至る場面でも、必要説を選んだ答案は、共同の注意義務という、もう1つの検討を通らなければなりません。不要説を選んだ答案は、因果関係の検討だけで、そこにたどり着けます。同じ肯定という結論でも、答案で書く道筋の長さが変わる、ということです。

判例——基本犯の共同正犯なら、重い結果の責任も及ぶ

強盗の機会になされた行為なら、他の共犯者にも及ぶ 図:強盗の機会になされた行為なら、他の共犯者にも及ぶ

結果的加重犯の共同正犯を肯定した、実際の判例を見ます。事案はこうです。強盗の共犯者の一人が、強盗に着手した後、家人に騒がれて逃走し、追跡されて巡査に発見されました。この者は、逮捕を免れるため、その巡査に切りつけ、死亡させました。

判例最高裁判所判決 昭和26年3月27日

判例(強盗の機会になされた行為と共犯者の責任) 強盗について共謀した共犯者等はその一人が強盗の機会において為した行為については他の共犯者も責任を負うべきものである。

判例は、この行為につき、他の共犯者も責任を負うとしました。理由は、この行為が、強盗の機会になされた行為だから、というものです。判例が述べているのは、ここまでです。今日の筋に引きつけて読むなら、強盗を共謀した全員が、その機会に重い結果が生じうる危険を一緒に作り出していた、と整理することができます。ただし、この判例の事案は、逮捕を免れる目的という、もう1つの事情が絡んだ場面です。冒頭の設例のように、致命傷を与えたのがどちらの暴行か分からない、という場面とは、事案の型が少し違います。ただ、共通する筋は取り出せます。基本犯の共同正犯が成立していれば、その機会に共犯者の一人が重い結果を引き起こしたときでも、他の共犯者にも結果的加重犯としての責任が及びうる、という筋です。冒頭の設例も、この筋の上にあります。

設例の結論——2つの道、同じ行き先

条件が満たされれば、どちらの説からもA・Bは強盗致死罪の共同正犯 図:条件が満たされれば、どちらの説からもA・Bは強盗致死罪の共同正犯

冒頭の設例に戻ります。A・Bは、強盗を共謀し、かわるがわる暴行を加え、Vが死亡しました。致命傷がどちらの暴行によるものかは、証拠上分かりません。必要説からは、前回の過失犯の共同正犯を認める立場をとり、かわるがわる暴行するという強盗の共同から、相手の死亡についての共同の注意義務と、その共同の違反が認められるなら、結果的加重犯の共同正犯が肯定されます。不要説からは、かわるがわるの暴行という基本行為が、もともと死亡を生む高い危険を含んでおり、その危険がそのまま現実化して死亡したと言えるので、同じく肯定されます。

一部実行の全部責任により、致命傷を与えたのがAかBか分からなくても、2人とも240条後段の責任を負います。なお、この論点は、論文で論点になりうる場面です。前々回の、途中から加わったBの話も、同じ筋で答えられます。Bが加わった後の暴行については、AとBは暴行を共同しています。傷害罪は、前々回見たとおり、暴行の結果的加重犯です。だから、加わった後にAがひとりで振るった暴行からけがが生じても、基本犯である暴行の共同正犯から重い結果が生じたとして、Bにも傷害罪の共同正犯が成立しうるのです。加わる前の暴行によるけがは、前々回見たとおり、承継的共同正犯としては、Bには及びません。

今日の地図(保存版)

今日の到達点 図:今日の到達点

今日を振り返ります。結果的加重犯という犯罪類型で、重い結果に過失を要求するかどうかが、今日の本質論でした。必要説は責任主義から過失を要求し、判例が伝統的に採る不要説は条件関係があれば足りるとし、もう1つの不要説は危険の現実化という考え方で説明します。基本犯の共同正犯が成立していれば、重い結果を引き起こした者以外の共犯者にも、結果的加重犯としての責任が及びうる。これが、判例からも読み取れる筋でした。

参照条文

  • 刑法236条1項
  • 刑法240条

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