黙秘権の範囲と効果
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第2章 捜査 ㉘/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。
名前を聞かれて黙っていた

前回教わった、包括的な黙秘権のとおりでしたね。答えは、なります。被疑者・被告人の黙秘権は、一切の事柄が対象なので、名前も含まれます。ところが最高裁は、名前を伏せたまま出した書類を受け付けず、結局名前を明かすことになっても、憲法違反ではない、と判断しました。鍵は、憲法38条1項が何を守っているかです。守っているのは、「供述」を強要されないこと。その供述とは何なのか、どこまで広がる権利なのか。今日は、その中身を詰めていきましょう。
自己負罪拒否特権と黙秘権——誰の、どこまでの権利か
図:自己負罪拒否特権・証言拒絶権・包括的黙秘権の3段階の違いを比べる板
まず、一番大元の条文から見ましょう。
条文憲法第38条第1項
憲法第38条第1項 何人も、自己に不利益な供述を強要されない。
証人でも、参考人でも、誰でも持つ最低限の権利です。これを自己負罪拒否特権と呼びます。ただし、拒めるのは「自己に不利益な」供述だけです。証人にも別の条文があります。146条です。
条文刑事訴訟法第146条
刑事訴訟法第146条 何人も、自己が刑事訴追を受け、又は有罪判決を受ける虞のある証言を拒むことができる。
これは証人が使う証言拒絶権です。中身は、38条1項とほぼ同じ、「自分が罪に問われかねない事柄だけ」拒める権利です。147条は、近親者のための別の権利です。前回、被疑者以外の者の取調べで出てきた話を覚えていますか。被疑者以外は、自分が罪に問われかねない事柄だけしか拒めない、という話でした。それが、この146条・38条1項の範囲です。では、被疑者・被告人はどうでしょう。
条文刑事訴訟法第311条第1項
刑事訴訟法第311条第1項 被告人は、終始沈黙し、又は個々の質問に対し、供述を拒むことができる。
「終始沈黙」は、利益・不利益を問わず、一切の事柄について黙っていられるという意味です。前回見た198条2項も、見比べましょう。
条文刑事訴訟法第198条第2項
刑事訴訟法第198条第2項 前項の取調に際しては、被疑者に対し、あらかじめ、自己の意思に反して供述をする必要がない旨を告げなければならない。
198条2項は、「自己の意思に反して供述する必要がない」としか書いていません。311条1項ほど明確ではないんです。被疑者にも包括的な黙秘権はあります。被疑者にも及ぶ、と解釈するのが有力です。条文に無くても及ぶと解釈する理由は、被疑者は、起訴されれば被告人になる、前段階の存在だからです。被告人には終始沈黙する権利、という厚い保護があるのに、その前段階の被疑者にそれが無いというのは、バランスを欠きます。だから、被疑者の黙秘権も「終始沈黙」できる、包括的な権利だと理解されています。供述拒否権とも呼ばれます。
範囲の広い順に、被疑者・被告人の包括的な黙秘権、証人の証言拒絶権、何人もが持つ自己負罪拒否特権、の3段階です。例えば、ある夜の傷害事件で考えます。目撃者として法廷に呼ばれたAさんは、「その夜、何を見たか」には答えなければなりません。拒めるのは、「あなたも殴ったのでは」のように、自分が罪に問われかねない質問だけです。一方、被告人のBさんは、「その夜、どこにいたか」にも、答えずに黙っていられます。刑訴法が、憲法の最低ラインより広い権利を、被疑者・被告人に法律で与えている、ということです。
なぜ黙秘権を保障するか

いくつもの角度から理由づけがされています。まず1つ目。供述を法律で強制することは、個人の人格の尊厳を傷つける、という説明です。2つ目は、もっと実務的な理由です。供述を強制すると、苦しさから逃れたくてやってもいない罪を認めてしまう、虚偽自白を誘発します。3つ目は、挙証責任の所在からの説明です。罪を犯したという事実は、被告人自身の口からではなく、検察官が証明する責任を負っています。証明する側とされる側が逆転しないための裏づけです。4つ目は、自分の情報を自分でコントロールするプライバシー権として、刑事手続の中で特に強く保障した、という説明です。
どれか1つが正解、というより、別々の角度から同じ結論を支えている、と理解してください。
氏名は黙っていられるか

さて、ここで冒頭の問いに戻ります。一切の事柄について黙っていられるなら、氏名も対象になるはずですね。実際に、氏名を黙っていられるかどうかが争われた事件があります。労働争議の中の集団行動をめぐって、威力業務妨害や公務執行妨害、傷害の罪に問われた被告人たちの事件です。被告人たちは、氏名を黙秘したまま、監房の番号を自分で書いて拇印を押した、弁護人選任届を出しました。ところが、この選任届は不適法だとして却下され、国選弁護人が選ばれます。結局、被告人たちは氏名を明かして、私選弁護人の選任届を出し直しました。
最高裁の結論を見ましょう。
判例最大判昭和32年2月20日(刑集11巻2号802頁)
氏名黙秘・弁護人選任届事件 氏名のごときは、原則としてここにいわゆる不利益な事項に該当するものではない。氏名黙秘のまま提出された弁護人選任届を却下し、結局氏名を開示させることになった訴訟手続・原判決も、憲法38条1項・37条3項に違反しない。
ここは2段に分けて考えます。1段目。刑訴法の包括的な黙秘権は、一切の事柄が対象なので、氏名も黙っていられます。2段目。この判例が判断したのは、憲法38条1項のほうです。38条1項が守るのは、「不利益な」供述だけでした。名前を名乗っても、それだけで、罪を犯したかどうかの手がかりには、普通なりません。だから氏名は、原則として「不利益な事項」に当たらない、とされました。さっきの3段階の区別が、ここで効いてきます。
⭐ 論文で書く規範:氏名黙秘の規範 氏名は、原則として「不利益な事項」に当たらない。 (規範(最大判昭32・2・20))
⭐ 論文で書く規範:氏名が例外的に「不利益な事項」となる場面 氏名を明らかにすることが、①前科の発覚につながる場合、②それによって累犯加重・常習犯の成立につながる場合、③被告人と犯人との同一性を示す材料になる場合、④共犯者の存在が明らかになる場合には、氏名も例外的に「不利益な事項」に当たりうる。 (通説的な整理)
氏名を言うことで、前科がバレたり、共犯者の存在がバレたりする場合は、話が別です。例えば、氏名を言うだけで、過去に同じ罪で服役していたことが明らかになり、それが累犯加重として刑を重くする事情に直結するような場合です。その場合の氏名は、もう「不利益な事項」に入り込んできます。犯人と同じ人だと分かってしまう場合も、同じです。例えば、現場に、名前の書かれた手帳が落ちていたとします。名乗った名前がそれと同じなら、名乗ることが、そのまま犯人と結びつく手がかりになります。賭博を繰り返してきた常習犯だと分かって、重い罪になる場合も同じです。どれも、名乗ることが、罪や刑の重さの手がかりに直結する場面です。
供述以外の証拠採取に及ぶか

もう1つ、冒頭で出てきそうな疑問を確かめましょう。呼気検査や指紋採取を拒んでも、それは黙秘権の話になるでしょうか。そこが、この論点の核心です。38条1項が守っているのは「供述」、つまり言葉で内心を伝える行為だけです。供述でない証拠、指紋・血液・写真撮影、そして呼気検査には、そもそも黙秘権の保障が及びません。実際に争われた事件があります。道路交通法は、酒気帯び運転の疑いがある運転者に、呼気検査を義務づけています。これを拒んだ人が、処罰された事件です。
判例最判平成9年1月30日(刑集51巻1号335頁)
呼気検査拒否事件 右検査は、酒気を帯びて車両等を運転することの防止を目的として運転者らから呼気を採取してアルコール保有の程度を調査するものであって、その供述を得ようとするものではないから、右検査を拒んだ者を処罰する右道路交通法の規定は、憲法三八条一項に違反するものではない。
呼気からアルコールの量を調べているだけで、本人に何かを語らせているわけではありません。同じ検問でも、警察官が「何杯飲みましたか」と聞くのは別です。これは言葉で内心を語らせる質問なので、供述の側。黙秘権の守備範囲に入ります。指紋は、体の一部の模様を記録するだけ。写真撮影も、見た目を記録するだけ。どちらも、言葉による自己申告を求めてはいません。ここが今日の軸です。黙秘権が守るのは、供述という行為を強要されないこと。体から取る証拠は、そもそも守備範囲の外です。歯止めはあります。前に見た、令状の仕組みです。体を調べるなら、原則は身体検査令状が要ります。ただ、身体を拘束されている被疑者の指紋や写真撮影は、裸にしない限り、令状が要らない、という例外も見ましたね。どちらにしても、縛っているのは令状のルールで、黙秘権ではありません。
刑事手続以外の手続にも及ぶか——川崎民商事件ほか

では、税務署や、交通の行政手続のような、刑事手続以外の場面にも、38条1項は及ぶでしょうか。結論から言うと、場合によっては及びます。最高裁の判断は、2段に分かれます。1段目は、どんな手続なら38条1項が及ぶか、という基準。2段目は、この事件の帳簿検査がそれに当たるか、という点です。まず、最も有名な事件を見ましょう。所得税の確定申告に過少申告の疑いがあるとして、税務署職員が帳簿の呈示を求めたのに対し、これを拒んだ人が処罰された事件です。
判例最大判昭和47年11月22日(刑集26巻9号554頁)
川崎民商事件 憲法三八条一項……右規定による保障は、純然たる刑事手続においてばかりではなく、それ以外の手続においても、実質上、刑事責任追及のための資料の取得収集に直接結びつく作用を一般的に有する手続には、ひとしく及ぶものと解するのを相当とする。もっとも、所得税法上の検査・質問は専ら公平確実な賦課徴収を目的とし、そのための資料取得に直接結びつく作用を一般的に有するものではなく、公益上の必要性・合理性がある。
保障が及ぶ手続の「範囲」は広く取りつつ、この事件の帳簿検査は、公平な課税のための一般的な調査で、刑事責任追及に直接結びつく作用を一般的に持つとまでは言えない、として合憲としました。
⭐ 論文で書く規範:刑事手続以外への拡張の基準(川崎民商事件) 38条1項の保障は、実質上、刑事責任追及のための資料の取得収集に直接結びつく作用を一般的に有する手続には、ひとしく及ぶ。及ぶかどうかは、場所(刑事手続か行政手続か)ではなく、その手続の機能で決まる。 (規範(最大判昭47・11・22))
もし場所で決めると、名前だけ「行政の調査」にすれば、答えを強制できてしまいます。例えば、犯罪の証拠集めのために役所が質問し、答えないと罰する仕組みがあったとします。中身は取調べと同じなので、こういう手続には38条1項が及びます。この基準に沿って、似た事件がもう2つあります。1つ目は、自動車事故を起こした運転者に、事故の内容を警察官へ報告させる義務についての事件です。最高裁は、報告させる「事故の内容」とは、日時・場所・死傷者数といった客観的な事項に限られ、刑事責任を問われかねない事故の原因までは含まれない、と判断しました。だから、38条1項の供述強要には当たらず、合憲です。
もう1つは、医師法21条の事件です。死体を検案して、つまり外から調べて死因などを判断して、異状を認めた医師には、届出義務があります。この義務が、自分の医療過誤の罪責を問われかねない場合にも及ぶかが争われました。それでも最高裁は、この届出義務は犯罪捜査の端緒を得て社会を守るための行政上の義務で、公益上の必要性が高いこと、犯罪そのものの中身までは届出を強制していないこと、医師免許に伴う社会的な責務であることから、38条1項に違反しない、と判断しました。3つに共通するのは、その手続に必要性・合理性があって、しかも求められている中身に、自分が刑事責任を問われかねない事項までは含まれていない、という理由づけです。
黙秘したことを不利益に扱えるか

次は、実際に黙ったらどうなるか、という問題です。まず前提として、黙秘権を行使したこと自体に、罰則など何らかの制裁を科すことは許されません。では、制裁ではなく、「黙っているのは、やましいことがあるからだろう」と、裁判官が有罪方向の事実として使うことはどうでしょう。現行法の解釈では、これも原則として許されません。黙っていたという事実だけを理由に、不利益な事実を推し量ることの禁止で、不利益事実推認の禁止と呼ばれます。黙秘する理由は、人によってさまざまだからです。本当にやましいから黙る人もいれば、動揺してうまく話せないから黙る人、弁護人が来るまで話したくない人、単に権利を使いたいだけの人もいます。
しかも、黙ったら不利になるとわかっていたら、結局話さざるを得なくなります。それでは、話すかどうかを自由に選べる、という黙秘権の保障が掘り崩されてしまいます。なお、有罪認定の証拠にはできませんが、量刑面の扱いをめぐっては、また別の議論があります。
黙秘権を行使した後も、取調べは続くか

前回、拘束中の被疑者が取調室から帰れるかで、実務と学説が割れました。学説は、帰れないまま聞かれ続けると、話さない自由が形だけになるとして、受忍義務を否定しました。さて、実務はどうだったと、前回見ましたか?実務は出頭・在室の義務を認める立場でしたね。話す義務までは認められない、というのが折衷的な運用でした。学説の中には、黙秘権を行使したこと自体が、取調べの継続を禁じる効果を持つ、と主張するものがあります。黙秘権の遮断効と呼ばれます。聞かれ続けること自体が、話す圧力になります。前回、受忍義務を否定した学説と、同じ発想です。ただ、実務上は、黙秘権を行使したことだけを理由に、直ちに取調べをやめることは稀です。捜査機関は、供述するよう説得する行為を続けることが多いです。
身柄を拘束されている以上、出頭・在室の義務はなくなりません。部屋にいる義務があっても、話さない自由まで奪うわけではありません。だから、説得を続けること自体は許される、と考えるわけです。実務では、黙秘権の遮断効は観念されていません。公判では、また別の判断がされた例があります。被告人が明確に黙秘の意思を示しているのに、検察官が延々と質問を続ける行為は、「黙秘権の行使を危うくする」と説示した、ある高裁の裁判例です。身柄拘束中の取調べと、公判での質問継続は、場面が違うので、混ぜて考えてはいけません。
今日のまとめ

今日の内容を振り返ります。1つ目。何人もが持つ自己負罪拒否特権は、不利益な供述だけを拒める権利。被疑者・被告人が持つ包括的な黙秘権は、利益不利益を問わず終始沈黙できる、もっと広い権利です。2つ目。氏名も黙秘権の対象ですが、憲法38条1項の「不利益な事項」には原則として当たりません。ただし、前科や共犯者がバレる場合は例外です。3つ目。黙秘権が守るのは「供述」だけで、呼気検査・指紋・写真撮影のような供述以外の証拠採取には、そもそも及びません。4つ目。38条1項の保障は、刑事手続の外にも及びます。決め手は、場所ではなく、刑事責任追及の資料取得に直接結びつく作用を一般的に持つか、という機能です。5つ目。黙秘した事実から不利益な事実を推認することは、原則として許されません。6つ目。身柄拘束中は、前回見た受忍義務が引き続き効いて、実務上、黙秘権の遮断効は観念されていません。
全部、「38条1項が守っているのは何か」という1つの問いから説明できるんですね。守っているのは、供述という行為を強要されないこと。それだけを軸に、誰が持つか、どこまで広がるか、使うとどうなるか、を整理すれば、今日の話は全部つながります。
参照条文
- 憲法第38条第1項
- 刑事訴訟法第146条
- 刑事訴訟法第311条第1項
- 刑事訴訟法第198条第2項