公訴権濫用論と起訴後の捜査
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第3章 公訴 ②/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。
起訴した側の行き過ぎ

前回の最後に、検察官が起訴しなかった場合の話から一転、逆に検察官が起訴した側の行き過ぎ、公訴権濫用論を見ていくと予告しました。今日がその回です。今日は大きく2つを見ていきます。まず、起訴そのものが行き過ぎだったときに裁判所が手続を打ち切れるかという公訴権濫用論、次に、起訴した後も捜査官は被告人を調べてよいのかという起訴後の捜査です。前回見た検察官の広い裁量が、今日はどこまで裁判所に審査されるかという話につながります。先に答えを言っておくと、理屈のうえでは打ち切れます。ただ、その基準は極端に絞られていて、最高裁が公訴権濫用を認めた事案はありません。
出口としての338条4号

まず言葉の整理からです。裁判所に対して公訴を提起する権限そのものを公訴権と呼びます。前回見たとおり、起訴便宜主義の下で検察官はこの権限の使い方に広い裁量を持っています。検察官による公訴権の行使が、権限の濫用と言えるほど行き過ぎていた場合には、その公訴は無効であり、有罪か無罪かの中身の審理に入る前に、手続を打ち切るべきだという主張を公訴権濫用論と呼びます。打ち切りの出口になる条文がこちらです。
条文刑事訴訟法338条4号
刑事訴訟法第338条4号 左の場合には、判決で公訴を棄却しなければならない。…四 公訴提起の手続がその規定に違反したため無効であるとき。
公訴棄却は、無罪判決とは別物です。無罪判決は中身まで審理した結果ですが、公訴棄却は中身に入らずに手続だけで終わらせる判断です。公訴権濫用論は、この338条4号を使って、実体審理そのものを回避しようとする主張だと考えてください。この主張が実際に出てくるのは、主に3つの場面です。1つ目、そもそも嫌疑が足りないのに起訴された場面。2つ目、起訴猶予にすべき事件なのに起訴された場面。3つ目、違法な捜査を経て起訴された場面。1つずつ見ていきます。
類型1——嫌疑なき起訴

1つ目の場面、嫌疑がないのに起訴された、という主張です。実はこれ、独立の類型としてはあまり支持されていません。嫌疑がないなら裁判所が打ち切ってくれたほうが早い、そう感じますよね。しかし理由は3つあります。1つ目、嫌疑がないなら実体審理をして無罪判決を出せば足ります。わざわざ手続だけで終わらせる理由がありません。2つ目、嫌疑の有無を実体審理より先に判断しようとすると、結局同じ証拠をもう一度検討することになり、審理が重複して手続が長引きます。3つ目が一番大きな理由です。公訴棄却の判決には、無罪判決と違って一事不再理効がありません。
無罪判決なら、その後どんな証拠が出てきても同じ事件で再び起訴されません。ところが公訴棄却で終わっても、検察官は要件をそろえて再び起訴できます。手続を打ち切ったほうが被告人に有利、とは限らないわけです。だから実務でも、嫌疑がないという主張が出ても、裁判所は普通どおり実体審理を始めます。なお、無罪になった後に国が損害賠償を求められる場面では、起訴の時点で合理的な判断に基づく嫌疑があれば足りるとされていて、無罪だったからといって起訴そのものが当然に違法になるわけではない、という点も参考までに触れておきます。
類型2——訴追裁量の逸脱

2つ目の場面、起訴猶予にすべき事件なのに起訴された、という主張です。ここが今日の山場です。だからこそ問題になります。前回見たとおり、不当に起訴されなかった事件には、検察審査会や付審判請求という歯止めがありましたね。ところが不当に起訴された事件、とくに起訴猶予にすべきだった事件には、現行法上これといった救済制度がありません。この非対称さから、公訴権濫用論が主張されるようになりました。
⭐ 論文で書く規範:独自設例——同じ横領で分かれる2人 同じ職場のAとBは、それぞれ同程度の金額を横領した。検察官は、初犯で被害弁償も済ませたAを起訴猶予とした一方、Bについては起訴した。動機や態度に大きな差はない。Bの弁護人は「Aだけ見逃してBを起訴するのは、裁量の逸脱だ」と主張する。 (独自設例)
この主張に対して、判例は次のように答えています。
判例最決昭55・12・17(チッソ川本事件・刑集34巻7号672頁)
訴追裁量の逸脱と公訴提起の効力 検察官は、現行法制の下では、公訴の提起をするかしないかについて広範な裁量権を認められているのであつて、公訴の提起が検察官の裁量権の逸脱によるものであつたからといつて直ちに無効となるものでないことは明らかである。…検察官の裁量権の逸脱が公訴の提起を無効ならしめる場合のありうることを否定することはできないが、それはたとえば公訴の提起自体が職務犯罪を構成するような極限的な場合に限られるものというべきである。
会社の話に置き換えると分かりやすくなります。現場の残業の割り振りを任されたリーダーがいて、同じ仕事量のメンバーのうち片方だけに残業を割り振ったとします。もう一方が不公平だと訴えても、人事は普通「リーダーの裁量の範囲内」として介入しません。人事が実際に動くのは、リーダーが金品を受け取って割り振りを歪めたような、裁量の話を超えて不正そのものと言えるレベルに達したときだけです。さっきのAとBの例で言えば、検察官が賄賂を受け取ってBだけを狙い撃ちで起訴した、というレベルの事情がない限り、極限的な場合には当たりません。反省の程度や被害弁償の有無の評価が担当者によって分かれること自体は、裁量の範囲内として扱われます。
実際、最高裁がこの基準を満たすと判断した事案は、これまでありません。検察官には、248条によって広い裁量を与えている以上、裁判所がその裁量の使い方そのものに踏み込んで審査すると、裁量を与えた意味がなくなってしまいます。だから審査の対象を、裁量の当否ではなく、裁量を超えて職務犯罪と言えるレベルの逸脱かどうかに絞っているわけです。なお、この判例が扱った事件そのものでは、原審が公訴権濫用にあたるとして公訴を棄却していました。最高裁は、極限的な場合には当たらないので原審の判断は誤りだとしつつ、判決を職権で取り消さなければ著しく正義に反するほどではないとして、検察官の上告を退けています。だから公訴棄却という結果は残りましたが、最高裁が公訴権濫用を認めたわけではありません。ここは取り違えやすいので注意してください。
類型3——違法捜査に基づく起訴

3つ目の場面、違法な捜査を経て起訴された、という主張です。捜査が違法なら、その先の起訴も無効になりそうだ、と感じるのは自然ですが、判例は捜査の適法性と起訴の効力を分けて考えます。捜査の全体像を見た回で、少年事件の判例を1つ読みましたね。捜査が違法かどうかと、起訴が無効になるかどうかは別の判断だ、というところまで確かめて、続きは公訴権濫用論として別の回で扱う、と言っていました。今日がその続きです。
⭐ 論文で書く規範:事案の概要 少年が自動二輪車の運転中に事故を起こし、業務上過失傷害で送致された。警察署内での書類のやり取りや検察庁の年末事務処理により捜査と送致が遅れ、少年が20歳に達した後になって略式命令が請求された。遅延のせいで、少年審判で保護処分を受ける機会が失われた形になった。第一審・原審はこの遅延を重大な職務違反と認めて捜査を違法とし、起訴も無効と判断していた。 (最判昭44・12・5の事案)
判例最判昭44・12・5(刑集23巻12号1583頁)
捜査の違法と公訴提起の効力について もつとも、捜査官において、家庭裁判所の審判の機会を失わせる意図をもつてことさら捜査を遅らせ、あるいは、特段の事情もなくいたずらに事件の処理を放置しそのため手続を設けた制度の趣旨が失われる程度に著しく捜査の遅延をみる等、極めて重大な職務違反が認められる場合においては、捜査官の措置は、制度を設けた趣旨に反するものとして、違法となることがあると解すべきである。…仮りに捜査手続に違法があるとしても、それが必ずしも公訴提起の効力を当然に失わせるものでないことは、検察官の極めて広範な裁量にかかる公訴提起の性質にかんがみ明らかであつて、…
最高裁はこの事件で、遅延はあったものの、極めて重大な職務違反とまでは言えないとして、捜査手続の違法性そのものを否定しました。原審と第一審の判断を破棄して、審理をやり直すよう差し戻しています。チッソの事件と結論の向きが違う点は注意が必要です。チッソの事件は原審の公訴棄却がそのまま確定しましたが、この事件は原審の公訴棄却が破棄されて差し戻されました。結論の向きは逆です。あの回でも確かめた注意点を、もう一度押さえます。「仮りに捜査手続に違法があるとしても」という後半部分は、この事件では捜査の違法自体が認められなかった上での、仮定の場合の補足的な判断です。「捜査が違法かどうか」の基準と、「捜査の違法が起訴の効力を失わせるかどうか」の基準は、判文の中でも別々に並べられているだけで、直接つながる説明にはなっていません。混同しないでください。
判例が示したのは、捜査に違法があっても、それだけで起訴の効力が当然に失われるわけではない、ということです。検察官の起訴・不起訴の判断は極めて広い裁量にかかるうえ、捜査の違法には、証拠を排除するという別の対処の道があります。わざわざ起訴そのものを無効にする必要がない、という考え方です。この少年の事件で言えば、仮に遅延が違法だったとしても、それだけで略式命令の請求まで無効になるわけではない、ということになります。違法な捜査を理由に、最高裁が起訴を無効とした事案は、まだありません。
3つの類型のまとめ

ここで3つの類型を振り返ります。1つ目、嫌疑がないという主張は、どういう結論になりましたか。2つ目、訴追裁量の逸脱は。公訴提起自体が職務犯罪を構成するような、極限的な場合でない限り、実体審理に進む、でした。3つ目、違法捜査に基づく起訴は。よくできました。3つとも、理屈としては公訴権濫用を認めつつ、実際に発動する基準は極端に絞る、という共通の姿勢を持っています。理由もいつも同じ2つです。1つ、検察官の裁量に口を出しすぎると、起訴便宜主義を与えた意味がなくなる。2つ、無罪判決や証拠排除という、より適切な救済手段があるなら、そちらに任せれば足りる。こうした2つのバランスで、公訴権濫用論はごく限られた場面でしか使えない理論になっています。
起訴後の捜査——全体像

ここからは、起訴した後の話です。検察官の権限をどこまで縛るかという同じ綱引きが、今度は起訴後の捜査で出てきます。起訴された後も、検察官は捜査を続けられるでしょうか。別の事件、つまり余罪についてであれば、通常どおり捜査を続けて構いません。問題になるのは、起訴した事実そのものについて、公訴を維持するために捜査を続けられるか、という場面です。
条文刑事訴訟法197条1項
刑事訴訟法第197条1項 捜査については、その目的を達するため必要な取調べをすることができる。ただし、強制の処分は、この法律に特別の定めのある場合でなければ、これをすることができない。
まず任意捜査です。被告人以外の人への出頭要求や取調べ、証拠物の任意提出を受けること、実況見分、役所などへの照会、鑑定の依頼といった任意処分は、必要性が認められれば起訴後でも実施できます。第1回公判期日より前であれば、検察官が証人尋問を裁判官に請求することもできます。捜索や差押えは、第1回公判期日を境に扱いが変わると考えられています。条文の上では裁判所も捜索や差押えができますが、期日の前に裁判所が自分で証拠を集めると、法廷で証拠を調べる前から事件について先入観、つまり予断を持ってしまいます。だから期日の前は、裁判所自身は捜索や差押えをせず、捜査官が、起訴前と同じ要件で裁判官の令状を得て行う、と考えられています。期日の後は、公判が始まって、裁判所自身による捜索や差押えが使えるようになります。さっきの、事件はもう裁判所の手に渡っている、という感覚がここで効いてきます。裁判所に任せられる以上、捜査官が自分で行えるのは、裁判所による方法では目的を達せられない例外的な場合に限られます。そして、とりわけ問題になるのが、被告人本人の取調べです。
被告人の取調べ——なぜ問題になるか

捜査の全体像を見た回で、被疑者を調べられる客体と見るか、対等な防御の主体と見るか、2つの捜査観が対立していました。それぞれ何と呼んだか覚えていますか?糾問的捜査観と弾劾的捜査観です。調べられる客体と見るのが糾問的捜査観、対等な防御の主体と見るのが弾劾的捜査観でした。今日の話は、その対立軸の延長線上にあります。
条文刑事訴訟法198条1項
刑事訴訟法第198条1項 検察官、検察事務官又は司法警察職員は、犯罪の捜査をするについて必要があるときは、被疑者の出頭を求め、これを取り調べることができる。但し、被疑者は、逮捕又は勾留されている場合を除いては、出頭を拒み、又は出頭後、何時でも退去することができる。
197条とは違い、198条が「被疑者」としか書いていない点が問題の入り口です。公訴が提起されると、対象者は被疑者ではなく被告人になります。文言だけを見れば、198条は被告人を対象に含んでいないようにも読めます。理由はもう2つあります。1つ、起訴されたあとの被告人は、法廷で検察官と向き合って争う側の当事者です。それを検察官の側が取り調べるとなると、対等な当事者どうしという建前、当事者主義に反するのではないか。2つ、事件はすでに裁判所に係属しているのだから、真相の解明は公判の場で行うべきだという、公判中心主義に反するのではないか。こうした理由から、学説の多くは起訴後の被告人取調べを許されないと考えています。取調べの申出がある場合や、弁護人の立会いがある場合に限って認めるという、限定的に許容する見解もあります。
実際に検察官が取り調べていいのかどうか、判例を見てみましょう。
被告人の取調べ——判例と実務運用

判例最決昭36・11・21(刑集15巻10号1764頁)
起訴後の被告人取調べの適法性 刑訴一九七条は、捜査については、その目的を達するため必要な取調をすることができる旨を規定しており、同条は捜査官の任意捜査について何ら制限をしていないから、同法一九八条の「被疑者」という文字にかかわりなく、起訴後においても、捜査官はその公訴を維持するために必要な取調を行うことができるものといわなければならない。なるほど起訴後においては被告人の当事者たる地位にかんがみ、捜査官が当該公訴事実について被告人を取り調べることはなるべく避けなければならないところであるが、これによつて直ちにその取調を違法とし、その取調の上作成された供述調書の証拠能力を否定すべきいわれはなく、また、勾留中の取調であるのゆえをもつて、直ちにその供述が強制されたものであるということもできない。
判例は、198条ではなく197条を根拠に持ち出しています。197条は任意捜査について特に制限をしていないので、198条が「被疑者」としか書いていなくても、公訴を維持するために必要な取調べは起訴後でもできる、という理屈です。当事者主義との関係は、判例の中で分けて書かれています。判例は「できる」と述べた直後に、被告人の当事者としての地位を考えると、当該事件について被告人を取り調べることはなるべく避けなければならない、と付け加えています。ただし、これによって直ちに違法になるわけではなく、その取調べで作られた調書の証拠能力が否定されるわけでもない、とも述べています。スポーツの試合に置き換えると分かりやすいと思います。審判が片方の選手とだけ長く話し込むことを禁止するルールはありませんが、対等であるべき立場を乱すので避けるべきだとされています。話しかけたこと自体は反則になりませんが、そこで誘導や強制が入れば別問題になる、というのと同じ距離感です。「できる」と「望ましくない」は矛盾しません。
⭐ 論文で書く規範:独自設例——真犯人の疑いが生じた場面 Aは窃盗罪で起訴され、勾留されたまま公判を待っていた。ところが起訴後になって、真犯人は別人ではないかという情報が出てきた。検察官は、公訴を維持するために、Aを改めて取り調べたいと考えている。 (独自設例)
この場面でも、実務は197条に基づく任意捜査として行います。取調べの冒頭で、黙秘権に加えて、意思に反して取調べに応じる必要はないことをAに告げ、Aが同意した場合にのみ実施します。同意した経緯は、録音や録画、あるいは供述調書への記載といった形で残しておき、後から任意性が争われたときに備えます。弁護人の立会いは、実務上認められていません。告知をして、Aの同意を得て、その経緯を記録する。この3つがそろって初めて、任意捜査としての起訴後の取調べだと言えます。逆に、Aが応じたくないと言ったのに取調べを続ければ、もう任意捜査とは言えません。判例が認めた「できる」の外に出てしまいます。
第三者・余罪の取調べとの区別

被告人以外の人の話とは区別して整理しておきます。被告人以外の人、たとえば公判で証人になる予定の人を取り調べることは、これまでどおりの任意捜査として問題なく行えます。今日ここまで見てきた難しさは、あくまで被告人本人を、起訴した事実そのものについて調べる場面に限られた話です。もう1つ、余罪についての被告人取調べも別問題です。起訴した事実とは別の事件で身柄を拘束されている場合や、別の事件を新たに捜査する場合は、通常の被疑者取調べの問題であって、今日見てきた「起訴後の当事者としての地位」をめぐる話とは切り分けて考えてください。
今日のまとめ

今日の内容を振り返ります。1つ目。公訴権濫用論は、338条4号の公訴棄却を出口として、嫌疑なき起訴、訴追裁量の逸脱、違法捜査に基づく起訴、という3つの場面で主張されます。ただし、嫌疑なき起訴は実体審理で無罪にすれば足りるとして退けられ、残る2つも打ち切りが認められる基準が極端に絞られていて、最高裁がこの基準を満たすと認めた事案は、これまでありません。2つ目。訴追裁量の逸脱は、公訴の提起自体が職務犯罪を構成するような極限的な場合に限られます。3つ目。違法捜査に基づく起訴は、捜査に違法があっても、それだけで公訴の効力が当然に失われるわけではありません。4つ目。起訴後も、公訴を維持するために必要な被告人の取調べはできますが、当事者としての地位を考えると、なるべく避けるべきとされています。任意捜査であることの告知と同意、記録化が実務の作法です。
検察官の裁量を尊重する姿勢と、それでも歯止めをどこかには置きたいという姿勢が、ずっと綱引きしていた回でしたね。
参照条文
- 刑事訴訟法338条4号
- 刑事訴訟法197条1項
- 刑事訴訟法198条1項