挙証責任と無罪推定
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第5章 証拠法 ④/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。
導入

具体的な場面で考えます。深夜の路上で、AとBが、Cを殴りました。Aが殴ったことは、防犯カメラの映像で確実です。ところが、Bは殴っている最中にCの財布を奪いました。検察官は、AとBが事前に財布を奪う相談をしていた、つまり強盗の共謀があったとして、Aを強盗で起訴しました。Aは、殴る相談しかしていない、と言っています。Bの証言はAの言い分と食い違い、客観的な証拠もどちらとも読めます。検察官の側も弁護人の側も、証拠を出し尽くしました。それでも、奪う相談があったのかどうかは、決められません。それなら、分からないから判決できません、とはならないんですか。なりません。裁判所は、証拠が足りないと感じても、必ず有罪か無罪かのどちらかに決着させなければなりません。決めきれないまま裁判を終えることはできないのです。今日は、その決着のルールを作ります。ここで、Aは強盗で有罪になるのか、傷害にとどまるのか、少しだけ頭の片隅に置いておいてください。
証明の程度と証明責任は別の問い

似ていますが、答えている問いが違います。前回の問いは、どこまで確信すれば有罪と言えるか、でした。これが、証明の程度です。今回の問いは、その確信に届かなかったとき、誰の負けにするか、です。これが、証明責任です。試合にたとえると、何点取れば勝ちかを決めるのが程度、同点のとき勝ちを誰に与えるかを試合の前に決めておくのが責任です。引き分けのない試合では、後者のルールがないと決着がつきません。決めきれない状態にも、名前があるんですか。あります。真偽不明、あるいはノン・リケットと呼びます。証拠を調べ尽くしても、その事実があったのか、なかったのかが決まらない状態です。事実があったと分かれば有罪、なかったと分かれば無罪です。問題は、真偽不明のときで、このとき、証明責任を負う側に不利な判断をします。冒頭の設例なら、奪う相談があったかどうかが真偽不明で、その不利益を誰かが負う、ということです。
責任と言っても、ただ証拠を出す負担のことではないんですか。そこは、2つの意味を分けておく必要があります。1つ目は、実質的挙証責任です。真偽不明のとき、不利益な判断を受ける地位のことで、いわば勝敗のルールです。2つ目は、形式的挙証責任です。その不利益を避けるために、証拠を出して立証していく負担のことで、こちらは立証の活動です。単に証明責任と言えば、前者を指します。なお、証明責任と挙証責任は、同じものを指す言い方です。無罪推定の回で名前だけ出た挙証責任の中身が、この2つの意味です。どちらが負うかは、事件ごとに、その場の雰囲気で決まるんですか。違います。事実の種類ごとに、あらかじめ法によって決まっています。裁判官が、その事件で決着をつけやすい側に負わせる、というものではありません。刑事では、実質的挙証責任は原則として検察官が負います。ここから、その理由を見ていきます。
利益原則と336条——なぜ検察官が負うのか

真偽不明の不利益を検察官が負う、という原則を、利益原則と呼びます。疑わしきは被告人の利益に、という標語のことです。条文の手がかりは、336条です。
条文刑事訴訟法第336条
刑事訴訟法第336条 被告事件が罪とならないとき、又は被告事件について犯罪の証明がないときは、判決で無罪の言渡をしなければならない。
前段は、起訴された事実がそもそも法律上の犯罪にならない場合です。利益原則に関わるのは後段で、犯罪の証明がないときは、無罪にしなければならない、と定めています。証明がなければ、有罪の側に倒さず、無罪の側に倒す。真偽不明のときの決着のルールが、条文で書かれています。あのとき、無罪推定の第2の意義は、事実がはっきりしないとき、被告人に不利益な事実は認定されない、というものでした。今日扱う利益原則は、その第2の意義の、証拠法の側の中身です。つまり、不利益な事実が認定されない、とはどういう仕組みか、というと、真偽不明の不利益を検察官が負う、ということです。
最高裁は、この原則を刑事裁判における鉄則と呼んでいます。ただ、この言葉が出てきたのは、再審を開始するかどうかの判断の場面です。
判例最高裁判所第一小法廷決定・昭和50年5月20日
再審開始の判断における「疑わしいときは被告人の利益に」という鉄則 再審開始のためには確定判決における事実認定につき合理的な疑いを生ぜしめれば足りるという意味において、「疑わしいときは被告人の利益に」という刑事裁判における鉄則が適用されるものと解すべきである。
この決定は、再審の開始の判断で、この鉄則が働くと述べたものです。再審での意味の詳しい中身は、再審を扱う回に送ります。ここでは、最高裁が、疑わしいときは被告人の利益に、という原則を、刑事裁判の鉄則と位置づけている、という点だけ押さえてください。なぜ、真偽不明の損を検察官に置くんですか。被告人に置いても、理屈の上では同じ勝負ではないですか。そこが、この原則の根っこです。裁判は人間がやる以上、間違いが起こりえます。間違いは2種類あります。無実の人を有罪にしてしまう間違いと、真犯人を無罪にしてしまう間違いです。無実の人を有罪にすれば、その人ただ1人に、自由や、ときには生命まで奪う重い害が集中します。真犯人を誤って無罪にした場合の害は、社会の側が広く薄く受けとめることになります。
害が避けられないなら、1人に集中させるより、社会に分散させたほうが、個々人の権利をよく守れます。だから、真偽不明のときは、有罪の側ではなく、無罪の側に倒し、その不利益は、国家権力を持つ検察官に負わせるのです。
設例に戻る——真偽不明のとき、どう裁くか

では、冒頭に戻ります。検察官は、AとBの間に強盗の共謀があったと主張しました。Aは、なかったと主張しました。どちらの証拠もそろい、どちらとも決められません。この共謀の存在は、Aを強盗で有罪にするための事実ですから、その真偽不明の不利益は、検察官が負います。共謀があったとは認定できませんから、共謀は、なかったものとして裁きます。ここで、共謀の役割を思い出してください。事前に相談して合意していれば、相手が実行した部分も、自分がおこなったものとして責任を負います。刑法の回で見た、一部実行の全部責任です。Bの財布の奪取をAの罪にできる理由は、この共謀しかありません。その共謀がなかったものとして扱う以上、AがBの財布の奪取まで責任を負う根拠がありません。Aは、自分が実際におこなった暴行の限度、つまり傷害の限度で罪責を負います。
共謀がなかった、と証明されたわけではないのに、なかったことにしていいんですか。そこが、この原則の働き方です。共謀がなかったと積極的に認定するのではありません。あったと認定できない、という状態のまま、不利益な事実は、なかったものとして扱うのです。あったかどうかは、分からないままです。それでも、分からないことの損は、検察官が引き受けます。AかBか、どちらかは確かに強盗の共謀だ、というような場合は、どうなりますか。それは、択一的認定という別の問題です。ここで扱っているのは、共謀があったかなかったかの2つのうち、どちらとも決まらないという場合だけです。択一的認定は、別の回で扱います。
適用範囲——実体法上の事実と、違法性阻却・責任

利益原則が、どこまで及ぶのかを見ます。基本は、刑罰権を発動できるか、その範囲がどこまでかに関わる事実です。構成要件に該当する事実、つまり行為、結果、因果関係、故意などが真偽不明なら、その不利益は検察官が負い、無罪か、より軽い罪になります。処罰の範囲を広げる加重や、減らす減免の事由も、同じ枠組みで考えます。なお、量刑の情状事実の証明責任は、量刑の回で扱います。そこで、1度立ち止まってください。被告人が、先に襲われて身を守っただけだ、と言っています。証拠を尽くしても、その真偽が決められません。この場合、裁判所は、正当防衛を認めるべきか、認めるべきでないか。少し考えてから、続きを聞いてください。
主張した側が証明する、という発想には理由があります。ただ、答えは、正当防衛でない、と検察官が言い切れなければ、正当防衛を否定できず、無罪の方向になります。犯罪が成立するとは、構成要件に該当し、違法で、有責であることです。正当防衛でないこと、心神喪失でないことも、犯罪成立の一部です。すると、理屈の上では、これらの不存在も、検察官が証明することになります。あらゆる阻却事由の不存在を、検察官に最初から潰させると、訴訟が著しく遅れます。そこで、通説的な理解は、こう分担します。被告人に求められるのは、争点を形成する責任にとどまります。つまり、正当防衛だった、と主張して、争点にするところまでです。スイッチを入れる役です。いったん争点になれば、その存在が真偽不明のとき、負けるのは検察官です。かつては、被告人が証明責任を負うとする見解もありましたが、今は一般的ではありません。争点形成のときに、主張だけでよいか、証拠の提出まで要るかは、説が分かれますが、最終的な責任は検察官にある、という点は共通です。

負けの責任を負うのではなく、争点にする義務にすぎません。次に、責任の側の条文を見ます。
条文刑法第39条
刑法第39条 心神喪失者の行為は、罰しない。 2 心神耗弱者の行為は、その刑を減軽する。
刑法の回で見たとおり、精神の障害で、違法だと分かる力か、自分を抑える力が、まったく無いのが心神喪失、著しく弱まっているのが心神耗弱です。心神耗弱かどうかが争点になり、その疑いを払拭できないとします。すると、心神喪失とまでは認められないけれど、心神耗弱の疑いが残ることになり、裁判所は、心神耗弱と認定します。検察官が、完全な責任能力があったと言い切れなかった不利益は、検察官に落ちます。結果として、その刑は減軽されます。型は同じです。検察官が、正当防衛でないと、言い切れなかった。だから、正当防衛の疑いは残り、無罪の方向に倒れます。
適用範囲——訴訟法上の事実と、誰が負けるか一覧

原則は、その事実の存在を主張する当事者が負います。その事実によって手続上の効果を求めているのは、その当事者だからです。たとえば、検察官が自白調書を証拠として出したとき、その自白が任意になされたことは、検察官が示さなければなりません。一方、弁護人が出した証拠の証拠能力は、弁護人が負います。訴訟条件とは、公訴を有効に進めるための条件で、たとえば、親告罪の告訴があります。これも、先ほどの考え方の当てはめです。有罪か無罪かの審判を始めてほしい、続けてほしいと求めているのは、起訴した検察官です。訴訟条件は、その求めが通るための条件ですから、効果を求める検察官が負う側に立ちます。しかも、訴訟条件は、国家が刑罰権を実現できるかどうかに関わる事項です。そのため、検察官が負うと考えられています。告訴があったかどうかが真偽不明なら、検察官の不利益になり、公訴を棄却する方向に倒れます。
自由な証明とは、別の軸の話です。自由な証明は、何で証明してよいかという、方式の問いでした。しかもその回では、訴訟法上の事実でも、今の例に出た自白の任意性や、訴訟条件は、厳格な証明を求める扱いが有力だ、と見ました。方式が厳格か自由かは、そこで決まる話です。今日の問いは、真偽不明のときに誰が負けるかという、責任の問いです。方式がどちらでも、責任の所在は、それとは別に決まります。ここで、今日の原則を、表で1度整理します。構成要件に該当する事実は、検察官が負います。違法性阻却や責任の不存在も、負けるのは検察官で、被告人は争点形成責任を負うだけです。訴訟法上の事実は、主張した当事者が負い、訴訟条件は検察官が負います。そして、例外として、法律が被告人に負わせる場面があります。ここからが、後半です。
法律上の推定——反証の責任を被告人に負わせる

ここで1問です。証拠の分類の回で、間接事実から、経験則を使って主要事実を認めていく推認を扱いました。そこで挙げた盗品の例を、思い出せますか?盗まれた直後の品物が自宅にあったから、それを盗んだ本人だろう、という推認でした。このように、経験則にもとづいて自由心証の中で事実を推認することを、事実上の推定と呼びます。これに対して、法律の規定があって成り立つ推定を、法律上の推定と呼びます。前提事実が証明されると、法律の効力で、推定事実があるものと扱われます。麻薬特例法の14条が、その例です。
条文国際的な協力の下に規制薬物に係る不正行為を助長する行為等の防止を図るための麻薬及び向精神薬取締法等の特例等に関する法律第14条
麻薬特例法第14条 第五条の罪に係る薬物犯罪収益については、同条各号に掲げる行為を業とした期間内に犯人が取得した財産であって、その価額が当該期間内における犯人の稼働の状況又は法令に基づく給付の受給の状況に照らし不相当に高額であると認められるものは、当該罪に係る薬物犯罪収益と推定する。
3つの前提事実が読み取れます。1つ目、5条の罪、つまり規制薬物の輸入などを、くり返し続けるつもりで行う、業とする罪が行われたこと。次に2つ目、その業とした期間内に、犯人が取得した財産であること。3つ目、その財産の価額が、期間内の犯人の稼働の状況などに照らして、不相当に高額であること。以上の3つが証明されれば、その財産は、薬物犯罪収益と推定されます。身近なたとえで言います。薬物の密輸をくり返していた人がいます。その数年のあいだに、月収20万円のはずなのに、数千万円分の財産を次々に取得していました。どこから得たのかを、何も示せません。3つの前提事実がそろった状態です。財産の出どころの記録が残っていなくても、稼ぎに見合わない財産が現れた、という事実から、出どころを推定するわけです。この推定を破るには、被告人の側が、その財産は薬物犯罪収益ではない、と立証しなければなりません。たとえば、親から相続した記録を出す、といった形です。

待ってください。それは、真偽不明の不利益を、被告人に負わせることになりませんか。利益原則に反しませんか。そこが、この論点の中心です。反証の責任を被告人に負わせる推定は、利益原則と衝突しかねません。そこで、許される条件が考えられています。1つ目は、前提事実から推定事実を推認することが、合理的であること。稼ぎに見合わない財産があれば、出どころを疑うのは、経験則に照らして自然です。そして2つ目は、被告人が、推認を破る証拠、つまり推定事実が存在しないことを示す証拠を出すのが、困難でないこと。財産の出どころは、その本人が一番よく知っています。
出せるはずの反証が出てこない、という点も証拠評価の一要素にして、裁判所が推定事実を認める。そう理解すると、推定は、裁判所が証拠を合わせて事実を認めるときの、材料の1つになります。前提事実に加えて、出せるはずの反証が出ない、という事実もあるから、推定事実があると認める。真偽不明のまま被告人の負けにするのではなく、証拠に支えられた認定だ、と説明できます。そう理解することで、利益原則との調和をとります。ほかにも、公害犯罪処罰法5条に、工場の排出と、公衆の生命や身体の危険との因果関係を推定する規定があります。型は同じです。
証明責任の転換規定

推定という形をとらず、端的に、被告人に証明責任を負わせる規定もあります。証明責任の転換規定です。1つ目は、名誉毀損の真実性の証明です。
条文刑法第230条の2第1項
刑法第230条の2第1項 前条第一項の行為が公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的が専ら公益を図ることにあったと認める場合には、事実の真否を判断し、真実であることの証明があったときは、これを罰しない。
摘示した事実が、公共の利害に関する事実に係り、目的が専ら公益を図ることにあったと認められるとき、真実であることの証明があれば、罰しません。この真実性の証明は、被告人が負います。真実かどうかが真偽不明なら、被告人は、名誉毀損罪で処罰されます。2項と3項には特則がありますが、ここでは触れません。刑法の回では、条文が、証明があったことそのものを罰しない条件にしている、という形から、この向きを説明しました。免責の構造や、真実だと誤信した場合の扱いも、刑法の回で見たとおりです。今日は、この向きがなぜ許されるのかを、後で証明責任の側から見直します。
同時傷害の特例と呼ばれる、刑法207条です。
条文刑法第207条
刑法第207条 二人以上で暴行を加えて人を傷害した場合において、それぞれの暴行による傷害の軽重を知ることができず、又はその傷害を生じさせた者を知ることができないときは、共同して実行した者でなくても、共犯の例による。
冒頭の設例に、少し形を変えて当てはめます。AとBが、意思を通じないまま、別々に、同じ場所で、Cを殴りました。Cは傷害を負いましたが、どちらの殴打が傷害を生じさせたのか分かりません。本来は、Aの暴行がCの傷害を生じさせた、と検察官が証明しなければ、Aは傷害罪になりません。しかし、207条があると、意思の連絡がなくても、共犯の例によって、つまり共犯者と同じように、責任を負わせます。ただし、無条件ではありません。この特例が、証明責任の転換規定だと言われる理由が、最高裁の判断に出ています。
判例最高裁判所第三小法廷決定・平成28年3月24日
同時傷害の特例(刑法207条)の適用の前提と、被告人側の立証 しかし,同時傷害の特例を定めた刑法207条は,二人以上が暴行を加えた事案においては,生じた傷害の原因となった暴行を特定することが困難な場合が多いことなどに鑑み,共犯関係が立証されない場合であっても,例外的に共犯の例によることとしている。同条の適用の前提として,検察官は,各暴行が当該傷害を生じさせ得る危険性を有するものであること及び各暴行が外形的には共同実行に等しいと評価できるような状況において行われたこと,すなわち,同一の機会に行われたものであることの証明を要するというべきであり,その証明がされた場合,各行為者は,自己の関与した暴行がその傷害を生じさせていないことを立証しない限り,傷害についての責任を免れないというべきである。
判旨は、2段に分かれています。まず、検察官が前提として証明することです。各暴行が、その傷害を生じさせうる危険性を持つこと。そして、各暴行が、外形的には共同実行に等しいと評価できる状況で、つまり同一の機会に行われたこと。この2つを、検察官が証明しなければなりません。次に、その証明がされたら、各行為者は、自分の暴行がその傷害を生じさせていないことを、自分で立証しない限り、傷害の責任を免れません。傷害と自分の暴行の因果関係が真偽不明なら、被告人の不利益になります。丸ごと被告人に負わせるのではありません。同一の機会の暴行だという前提までは、検察官が証明する。そのうえで、因果関係の部分だけを被告人側に転換しています。刑法の回では、207条は推定にとどまるから、被告人が因果関係の無いことを証明すれば責任を免れる、と見ました。共同正犯と比べて、反証の道が開いている、という意味でした。今日の分類でいう法律上の推定とは、別の話です。今日の目で見ると、その証明ができず真偽不明に終われば、被告人の負けです。真偽不明の不利益を被告人に移している。この点で、証明責任の転換規定に分類されます。傷害致死への適用は、刑法の回で見たとおり、実体法の論点です。
転換規定はなぜ許されるのか

証明責任を被告人に移す規定が適正手続に反しないかは、大事な問いです。無制限には許されず、実質的な合理性が必要だと解されています。まず、なぜ転換規定のほうが問題が大きいのか。先ほどの推定は、出せるはずの反証が出ないという事実も材料にして、裁判所が事実を認める仕組みでした。転換規定は違います。被告人が証明しきれず、真偽不明に終われば、それだけで被告人の負けです。真偽不明の不利益そのものを被告人に移すので、利益原則と正面からぶつかります。そこで学説は、法律上の推定より問題が大きいとして、3つの要素を考慮して許容性を判断すべきだ、としています。ここは論文でも論点になりうるところです。1つ目は、検察官が証明した事実から、被告人側の立証事項が推し量れるか、その推し量りに無理がないか。推認が合理的なら、被告人に負わせても、誤った有罪が生まれる危険は小さくなります。2つ目は、その事実を証明する資料が、通常は被告人の側にあるかどうか。手元に資料があるなら、証明を求めても無理を強いることになりません。3つ目は、被告人が証明責任を負う部分を除いても、なお、犯罪として相当の可罰性があるかどうか。そうであれば、転換した部分で被告人が負けても、罰に値しない人を罰することにはなりません。
許される条件の3つの要素を、同時傷害の特例に当てはめます。1つ目、同一の機会に、傷害を生じさせうる暴行が行われたなら、誰かの暴行が傷害を生じさせた蓋然性は高く、推認は合理的です。2つ目、自分の暴行が傷害を生じさせたかどうかは、殴った本人が、一番よく分かる資料を持っています。3つ目、因果関係の部分を外しても、それぞれの暴行は、暴行罪として処罰に値します。名誉毀損の真実性も、2つ目と3つ目の要素は、同じ形で考えられます。事実の資料は、表現をした側にあります。真実性の部分を外しても、名誉を傷つける外形は残ります。
違います。これは、3つの要素を使った、考え方の練習です。なぜ被告人に負わせてよいのか、という論拠を、要素に沿って組み立てる。その型が、答案では役に立ちます。
今日の地図(保存版)

今日のまとめです。証明の程度は、どこまで確信すれば有罪か、証明責任は、届かなかったとき誰が負けるか、という別の問いです。刑事では、真偽不明の不利益を、検察官が負います。これが利益原則で、条文は336条後段です。理由は、誤判の害を、無実の1人に集中させず、社会に分散させることにあります。構成要件に該当する事実に加えて、違法性阻却や責任阻却の不存在にも及びます。被告人が負うのは争点形成責任にとどまり、心神耗弱の疑いが払拭できなければ、心神耗弱と認定します。訴訟法上の事実は主張者が、訴訟条件は検察官が負います。例外は、法律上の推定と転換規定です。前者は、推認の合理性と、反証を出すのが困難でないこと、後者は、推認の合理性、資料が被告人側にあること、転換部分を除いても可罰性があること、が許される条件です。
今日は、事実が決まらなかったとき、誰が負けるかというルールを見ました。そもそも、その証拠は、事実の認定に使ってよいのか。証拠に関連性がなければ、法廷で検討することすらできません。その関連性とは何か、を見ていきます。
参照条文
- 刑事訴訟法第336条
- 刑法第39条
- 国際的な協力の下に規制薬物に係る不正行為を助長する行為等の防止を図るための麻薬及び向精神薬取締法等の特例等に関する法律第14条
- 刑法第230条の2第1項
- 刑法第207条