刑事訴訟法ゼロから刑事訴訟法#110

精神状態の供述と咄嗟の一言(伝聞法則)

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第5章 証拠法 ⑨/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

導入

「あの人は嫌い。いつも変なことをしてくるから」という一言を、嫌いという気持ちの証明に使う場合は通説が非伝聞、変なことをされたという出来事の証明に使う場合は伝聞と、使う部分によって伝聞かどうかが入れ替わることを左右に対比した導入板

変わるのは、その言葉のどの部分で、証明したい事実に届くか、です。例を置きます。ある人が友人に「あの人は嫌い。いつも私に変なことをしてくるから」と話しました。「嫌い」は、話した時点の気持ちです。「変なことをしてくる」は、過去にあった出来事の叙述です。同じ一言でも、嫌いという気持ちの証明に使うなら、通説は非伝聞です。変なことをされた、という出来事の証明に使うなら、伝聞です。最高裁は、この形の証言を、実際にどちらとして読んだのでしょうか。今日は、その判例を見ます。今日は、気持ちの言葉と、事件のその場で出た一言を扱います。今日の1問は、これです。「その言葉のどの部分の真実性を通って、証明したい事実に届くか」。答えを先に言うと、混ざった言葉は、部分に割って、使う部分だけを見ます。

混ざった一言は部分に割る

前回の判定の問い「言葉の中身が仮に偽でも値打ちが残るか」と、現在の精神状態の供述は知覚と記憶の関所を通らず残る誤りは叙述の真摯性だけで通説は非伝聞・有力説は伝聞・過去の気持ちを語る供述は争いなく伝聞であることを呼び戻した板

前回の道具を、先に呼び戻します。一問は、言葉の中身が仮に偽でも、証拠の値打ちが残るか、でした。残らない使い方は、原則として伝聞です。ただし、発言した時点の気持ちを述べる供述は、例外の余地がありました。残る誤りは、本心から述べたかという叙述の真摯性だけです。見る、覚える、の関所を通らないので、誤りの入る危険が類型的に低い。だから通説は非伝聞とします。本心かどうかは、聞いた人への反対尋問で、ある程度確かめられます。しかも、本人の言葉は、その時の気持ちを知るいちばんの証拠なので、伝聞として退ける必要も乏しいのです。有力説は伝聞です。過去の気持ちを語る供述は、争いなく伝聞でした。ここで、前回の問いを1つ。言葉の中身が仮に偽でも、証拠の値打ちが残る使い方は、伝聞でしょうか、非伝聞でしょうか?

非伝聞です。中身を信じて認定していないので、4つの関所の誤りが、結論に入り込まないからです。では、値打ちが残らない部分と残る部分が、1つの発言に混ざっていたら、どうなるでしょうか。設例で見ます。

傷害致死の事件で被告人Mと被害者Nと友人Tの関係を示し、Nが亡くなる数日前にTへ「Mが毎晩うちの前に立っているの。気味が悪くて、もう会いたくない」と話し、Tが法廷でそれを証言する設例Hの関係図

設例Hです。傷害致死の事件で、被告人はMです。被害者はNで、亡くなりました。Nは、亡くなる数日前に、友人のTにこう話していました。「Mが毎晩うちの前に立っているの。気味が悪くて、もう会いたくない」。Tが、法廷でこれを証言します。

Nの一言を、前半の「気味が悪くて、もう会いたくない」という発言時の気持ちと、後半の「Mが毎晩うちの前に立っている」というNが見て覚えた過去の行為の叙述に割り、使い方でケース1(過去の行為が本当だったことを使うなら伝聞)とケース2(Nの気持ちを使うなら通説は非伝聞)に分かれることを示した板

この一言を、2つに割ります。前半の「気味が悪くて、もう会いたくない」は、Nが話した時点の気持ちです。後半の「Mが毎晩うちの前に立っている」は、Nが見て覚えた、過去の行為の叙述です。どちらの部分を使うかは、要証事実で決まります。ケース1です。Mは、Nとは何の関わりもなかったと主張しています。検察官は、Mが以前からNにつきまとっていた事実を、犯行の動機の立証に使います。この場合、推論の道筋は、Nの言ったとおり、Mが毎晩立っていた、を通ります。仮に、Nの言葉が偽で、Mが立っていなかったなら、動機の証拠にはなりません。内容の真実性が問題になるので、この使い方は伝聞です。まず、その原則を条文で確かめます。

条文刑事訴訟法第320条第1項

刑事訴訟法第320条第1項 第三百二十一条乃至第三百二十八条に規定する場合を除いては、公判期日における供述に代えて書面を証拠とし、又は公判期日外における他の者の供述を内容とする供述を証拠とすることはできない。

Tの証言は、公判期日外にNがした供述を内容とする供述です。この条文で、原則として証拠にできません。例外の入り口は、あとで条文を出します。ケース2です。Mは「Nに誘われて会っただけだ」と主張しています。検察官は、NはMと会いたくなかった、という事実を使います。使うのは、後半の行為ではなく、前半の、Nの気持ちです。現在の精神状態の供述として、通説は非伝聞です。証拠になるのは、言葉そのものではなく、言葉を使う推論だからです。設例Hでいえば、ケース1で確かめるのは、後半の、Mが立っていたかです。ケース2で確かめるのは、前半の、Nの気持ちだけです。判定は、「どの部分の真実性を使う推論か」で書きます。

気持ちの供述でも、根拠の出来事の真偽は響きます。気味が悪くなる出来事が何もなかったなら、本当に気味悪がっていたのか、疑わしくなります。この問題が、これから見る判例の読み方に、そのままつながります。

米子強姦致死事件——最高裁の判断

第一審は被告人が被害者と情を通じたいとの野心を持っていたことを犯行の動機として認定しその証拠に第三者Kの証言を対応させ、控訴審はKの証言は嫌悪の感情を告白した事実に関するもので伝聞証拠とするのは当たらないとして退けられ、最高裁は動機の認定との関係で伝聞証拠であることは明らかとして破棄差戻しとした三審の流れの板

判例で確かめます。米子強姦致死事件です。被告人は、道路上で出会った女性を姦淫しようとして首を絞め、窒息死させたとして、第一審は、強姦致死の事実を認定しました。第一審は、被告人が「かねて被害者と情を通じたいとの野心を持っていた」ことを、犯行の動機として認定しました。情を通じる、とは、性的な関係を持つことです。その証拠として使われたのが、Kの証言です。中身は、被害者が、被告人の言動に嫌悪の感情を持っている、とKに打ち明けていた、というものでした。被害者の気持ちの言葉から、被告人の側の事情を推し量る。そこが出発点です。最高裁は、この証言を、犯行自体の間接事実である動機の認定との関係で見ています。間接事実は、証拠の分類の回で見たとおり、犯人かどうかを直接示す事実ではなく、それを推し量らせる事実です。ここでは、動機がそれにあたります。

控訴審はKの証言を被害者が嫌悪の感情を持っていると告白した事実に関するもので伝聞証拠とするのは当たらないとし、最高裁は動機の認定との関係で伝聞証拠であることは明らかとして原判決を退けた、Kの証言の見方の対立を並べた板

控訴審は、この証言を、被害者が嫌悪の感情を持っていると告白した事実に関するものであり、伝聞証拠とするのは当たらない、と説示しました。気持ちの表明だと見たのです。最高裁は、この見方を退けました。ここは、最高裁が退けた側の言葉なので、判旨とは区別します。最高裁の判断を、判決の文言で見ます。判決が引いている条文を先に出します。

条文刑事訴訟法第324条第2項

刑事訴訟法第324条第2項 被告人以外の者の公判準備又は公判期日における供述で被告人以外の者の供述をその内容とするものについては、第三百二十一条第一項第三号の規定を準用する。

条文刑事訴訟法第321条第1項

刑事訴訟法第321条第1項(柱書・第3号) 被告人以外の者が作成した供述書又はその者の供述を録取した書面で供述者の署名若しくは押印のあるものは、次に掲げる場合に限り、これを証拠とすることができる。 三 前二号に掲げる書面以外の書面については、供述者が死亡、精神若しくは身体の故障、所在不明又は国外にいるため公判準備又は公判期日において供述することができず、かつ、その供述が犯罪事実の存否の証明に欠くことができないものであるとき。ただし、その供述が特に信用すべき情況の下にされたものであるときに限る。

324条は、伝聞法則の意義の回で、中身は別の回で見る、とした条文です。その2項は、被告人以外の者が法廷で、別の人の供述を内容として話す場合に、321条1項3号を準用します。Kの証言は、被害者の供述を内容とする証言なので、この道を通ります。では、判旨を見ます。

判例最高裁判所第二小法廷判決・昭和30年12月9日(刑集9巻13号2699頁)

動機の認定との関係で伝聞証拠であることは明らかとした判旨 同証言が右要証事実(犯行自体の間接事実たる動機の認定)との関係において伝聞証拠であることは明らかである。従つて右供述に証拠能力を認めるためには刑訴三二四条二項、三二一条一項三号に則り、その必要性並びに信用性の情況保障について調査するを要する。

判旨の読みどころ3つとして、伝聞かどうかは要証事実との関係で判断すること、伝聞でも324条2項と321条1項3号に沿って必要性と信用性の情況保障を調べること、Kの立場から供述の信用性は慎重に調べるべきとされたことを並べた板

読みどころは3つです。1つ目。伝聞かどうかは、要証事実との関係で判断すると、判決自身が言っています。動機の認定に使うから、伝聞なのです。2つ目。伝聞だとしても、証拠能力が直ちにゼロになるわけではありません。324条2項と321条1項3号に沿って、必要性と、信用性の情況保障を調べます。必要性は、供述者が死亡などで供述できないことと、証明に欠くことができないこと。信用性の情況保障は、特に信用すべき情況の下で話された、という点です。3号の中身は、別の回で扱います。3つ目。判決は、Kが被害者の死の前日まで情交関係にあり、しかも本件の被疑者として取り調べられた事実もあるので、供述の信用性は慎重に調べるべきだ、と付け加えました。結論として、最高裁は、これを伝聞でないとして当然に証拠能力を認めた原判決を、伝聞法則を誤ったものとしました。なお、この判決は、伝聞の点のほかにも、被告人が現場付近にいたという認定や、死亡時刻に疑問を示し、重大な事実誤認の疑いがあるとして、原判決と第一審判決を破棄し、差し戻しています。今日は、伝聞の部分だけを取り出します。

判旨には伝聞証拠であることは明らかとしか書かれておらず理由が書かれていないため、この判断には2通りの読み方があることを示した板

ここで立ち止まります。最高裁は、なぜ伝聞と言えるのか、その理由を判決に書いているでしょうか。判旨には、伝聞証拠であることは明らか、としか書かれていません。理由は書かれていないと思います。だから、この判断には、2通りの読み方があります。

理由が書かれていない——2通りの読み

判例は理由を示していないため読み方が2つあることとして、読み1は現在の精神状態として捉えておらず中核は被告人の過去の言動の叙述で設例Hのケース1の型、読み2は現在の精神状態として見たうえで嫌悪の根拠となる体験事実が立証されないと叙述の真摯性を担保できないとする読みで設例Hのケース2の型と並べ、どちらも判決に理由が書かれていないため解説書で示される読み方で判例が示した理由ではなく読み2は考える余地がある程度の強さだと注記した板

これから話す2つの読みは、判決に理由が書かれていないため、解説書で示されている読み方です。最高裁が示した理由ではありません。2つ目の読みは、そう考える余地もある、という程度の強さです。読み1。被害者の言葉を、現在の精神状態の供述として見ていない、という読みです。Kの証言の中核は、被告人が被害者に異常な言動をしていた、という過去の行為の叙述です。被害者の嫌悪から、被告人の野心を推し量る道筋は、その異常な言動が本当にあった、を通ります。だから、供述の中身の真実性が問題になり、伝聞です。設例Hのケース1と同じ型です。読み2。被害者の言葉を、現在の精神状態の供述として見る読みです。要証事実を、被害者の嫌悪の感情ととらえます。嫌われている相手と関係を持つには、無理に迫るしかありません。そこから、被告人が無理にでも関係を求める動機を推し量ります。ただし、嫌悪の根拠になった出来事、つまり被告人の言動が本当にあったと立証されないと、嫌悪が本心だったのかという叙述の真摯性を担保できません。設例Hのケース2で気になった点です。

たとえば、「気味が悪い」と話した人がいても、気味が悪くなる出来事が何もなかったなら、本当に気味悪がっていたのか、疑わしくなります。嫌悪の理由が作り話なら、嫌悪の表明も作り話かもしれません。だから、過去の体験事実の立証を欠くときは、現在の精神状態の供述としても使いにくい、というのが読み2です。2つの読みは、伝聞という結論では一致しますが、答案の道筋が違います。読み1は、そもそも精神状態の供述ではなく、体験事実の叙述だから伝聞。読み2は、精神状態の供述と見ても、根拠の体験事実が立証されない以上、使えない。2つの読みに共通するのは、被害者の言葉が、被告人の過去の言動という体験を根拠にしていて、その体験が本当かどうかを離れては使えない、という点です。答案では、判例の規範として書いてはいけません。判例は理由を示していないからです。次のように、通説的な整理として、規範を立てます。

⭐ 論文で書く規範:混ざった供述の伝聞性 1つの発言に現在の精神状態と過去の体験事実の叙述が混在するときは 要証事実との関係でどの部分の真実性を使う推論かを分けて判断する | 過去の体験事実の真実性が推論の中核なら伝聞であり320条1項により原則証拠能力がなく 324条2項・321条1項3号で例外を検討する | 現在の精神状態として使うなら 知覚・記憶を経ず叙述の真摯性が確保されるかぎり誤りの入る危険が類型的に低いとして非伝聞(通説) (規範(通説で立てる)——判例が一般論として示した文言ではない・米子事件は結論のみで理由を示していない)

境界のペアで確かめます。Nが「毎晩Mが立っているの」と話すのを、Mが以前からつきまとっていた証明に使うなら、体験事実が中核で、伝聞です。「もう会いたくない」を、NがMを避けていた証明に使うなら、気持ちを使うので、通説は非伝聞です。決め手は、推論が、過去の行為が本当だったことを通るかどうかです。

咄嗟の一言——何が残り何が消えるか

強盗致傷の事件で犯人性が争点であり、被害者Nが夜の路上で襲われる直前に被告人Mを見て大声で「Mさん、やめて!」と叫び、通行人Tがその叫びを聞いて法廷で証言する設例Iの関係図

次は、とっさに出た一言です。設例Iです。強盗致傷の事件で、犯人がMかどうかが争われています。被害者のNは、夜の路上で、襲われる直前に、大声で「Mさん、やめて!」と叫びました。通行人のTが、それを聞いていました。Nは重傷で、法廷で証言できません。Tが、叫びを証言します。要証事実は、襲った犯人がMだった、ことです。Nの叫びは、犯人はMだ、という内容を含みます。中身が偽なら値打ちは残りません。だから、内容の真実性は問題になり、中身を信じなくても使える、前回の非伝聞の5つの型には入りません。叫びは、行為の一部として出た言葉にも見えますが、使うのは、Nが相手を見て、Mだと見分けた、という体験の中身です。そこで、前回の判定手順の最後の段階、誤りの入る危険が類型的に低いか、で判断します。

現在の精神状態の供述と似ていますが、同じではありません。前に見た、誤りが入りうる4つの関所で点検します。

4つの関所の点検表。現在の精神状態は見る・覚えるを通らず残るのは叙述の真摯性だけ。咄嗟の一言は、見るは相手をMと見分けたか残り、覚えるは直後なので問題が乏しく、言葉にするは考える余裕のない反射なので作為が入りにくく、伝えるは聞いたTに法廷で反対尋問できるとした表 図:4つの関所の点検表

  • 現在の精神状態は見る・覚えるを通らず残るのは叙述の真摯性だけ
  • 咄嗟の一言は、見るは相手をMと見分けたか残り、覚えるは直後なので問題が乏しく、言葉にするは考える余裕のない反射なので作為が入りにくく、伝えるは聞いたTに法廷で反対尋問できるとした表

見る。Nが、襲ってきた相手を、Mだと見分けたか。暗さや距離で、見間違えたかもしれません。ここは残ります。覚える。叫びは、襲われるその瞬間です。時間がたっていないので、記憶違いは、ほとんど入りません。言葉にする。考える余裕のない反射的な叫びなので、作り話や言い繕いが入りにくい。伝える。Tが聞き間違えていないかは、Tが法廷にいて、反対尋問で確かめられます。ここで立ち止まります。この叫びで、まだ誤りが入りうる関所は、どれでしょうか。見る、です。Mだと見分けたのかどうかは、叫びだけからは分かりません。現在の精神状態の供述は、見る、覚える、を通らず、残るのは真摯性だけでした。咄嗟の一言は、覚えると言葉にするは問題が乏しい一方で、見るが残ります。急ブレーキに例えるなら、踏む足は反射なので言い繕いは入りませんが、見た人影が本当にあったかは、別に確かめる必要があります。叫びでいえば、その人影にあたるのが、Mだと見分けたか、です。

非伝聞とみる立場と伝聞とみる余地

咄嗟の一言の分かれ目として、残る知覚の誤りを咄嗟という状況で誤りの入る危険が類型的に低いとみてよいかを軸に、非伝聞とみる立場は知覚は周辺の証拠で別に確かめ記憶と叙述の危険が小さいので類型的に低いとし、伝聞とみる立場は知覚が残る以上類型的に低いとまでは言えず321条1項3号の検討へ進むとした対比板

非伝聞とみる立場の考え方は、こうです。見間違いの有無は、当時の明るさや距離などから、別に確かめる必要が残る。そこは別に押さえるとして、残る記憶と叙述の誤りは、咄嗟の反応なので、とても小さい。だから、誤りの入る危険が類型的に低く、現在の精神状態の供述に近い、と評価します。決め手は、見る以外の関所が、その状況では実質的にふさがれていることです。伝聞とみる立場もありえます。見る、の関所が残る以上、叫びの中身、つまり犯人はMだった、が本当かどうかが、結論を左右します。見間違いの危険が残るのに、類型的に低いとまでは言えない、という考えです。この立場なら、伝聞として、Nが供述できないことを前提に、324条2項、321条1項3号の検討に進みます。

分かれ目は、残った、見る、の誤りを、咄嗟という状況、つまり直後で即時で、第三者の介入もない状況を理由に、類型的に低いとみてよいか、です。答案では、関所を順に点検して、残る関所を指摘し、そのうえで立場の結論を書きます。

⭐ 論文で書く規範:咄嗟に自然反応的になされた供述 咄嗟に自然反応的になされた供述は 記憶・叙述の真摯性の誤りの入る危険が小さいが 知覚の正確性は別に確かめる必要がある | この点を類型的に低いとみて非伝聞とする立場があり 知覚の誤りが残る以上伝聞として例外を検討する立場もある (規範(非伝聞とみる立場で立てる)——判例が一般論として示したものではない・立場が分かれる)

出どころを区別します。この規範は、判例の一般論ではありません。自然反応的な供述を、現在の精神状態の供述に近いものとして非伝聞とみる立場の整理です。伝聞とみる立場もあるので、答案では、立場が分かれることを前提にして書きます。ここも、論文で論点になりうる場面です。

直後の反応の裁判例と設例の当てはめ

下級審の裁判例と設例Iの違いを対比した表。裁判例は6歳の女児が体に触れられたとされる事案で被害の直後から2〜3日の言動を母親が証言し供述だけでなく様子や態度も含むのに対し、設例Iは襲われる瞬間の叫びで供述のみとし、数日たてば記憶や表現に誤りが入る余地が出るので数日経過した供述を非伝聞とするには特殊事情が要ることを添えた板 図:下級審の裁判例と設例Iの違いを対比した表

咄嗟の一言を考える手がかりになる、下級審の裁判例があります。被害の直後の反応を、どう扱ったかを見ます。6歳の女児が、体に触れられたとされる事件です。被害の直後と、その後2、3日の間の女児の様子を、母親が法廷で証言しました。弁護人は伝聞だと主張しましたが、裁判所は、伝聞証拠に当たらないとしました。理由の要旨は、こうです。警察の捜査のような目的的な意識が入り込む前に、母親が子どもから感じ取った言動であり、その大部分は、再構成を経た観念の伝達ではなく、被害に対する子どもの原始的な身体的反応が続いているものそのものを、母親が体験したのだ、というものです。

再構成とは、あとで思い返して、話の筋を、組み立て直すことです。組み立て直す過程で、記憶や表現の誤りが入ります。第三者が介入する前の反応なら、意識して事実を曲げることは考えにくく、記憶も大きくは変わらない、という理解を表した判断と読めます。この裁判例と設例Iとでは、事案が違います。設例Iは、襲われる瞬間の叫びです。この裁判例は、被害の直後から2、3日にわたる言動で、言葉だけでなく、様子や態度も含んでいます。数日たてば、記憶や表現に誤りが入る余地が出ます。だから、数日たった供述まで非伝聞とするには、誤りが入っていないと言えるだけの特殊な事情が要る、という指摘があります。これは裁判例自身の言葉ではありません。設例Iに当てはめます。犯行の瞬間の叫びなので、自然反応的な供述を非伝聞とみる立場からは、この裁判例よりも、非伝聞と評価しやすい場面です。ただし、見る、の関所は、当時の明るさや距離から個別に確かめます。伝聞とみる立場なら、321条1項3号の検討に進みます。

今日の地図(保存版)

前回の判定手順の4つ目である誤りの入る危険が類型的に低いかの検討に、現在の精神状態の供述と咄嗟の一言の2類型を並べ、混ざった発言はまず部分に割って使う部分の真実性を見ること、伝聞なら例外の検討へ進むことを示した板

前回の判定手順の4つ目に戻します。4つ目は、誤りの入る危険が、類型的に低いかを見る段階でした。今日は、ここに2つの類型を並べます。現在の精神状態の供述と、咄嗟の一言です。現在の精神状態は、見る、覚える、を通らず、残るのは真摯性だけ。咄嗟の一言は、見るが残るので、そこを類型的に低いとみてよいかが分かれ目です。どちらも、低いとみれば非伝聞、低くないとみれば伝聞で、例外の検討へ進みます。手順の前に、もう1つ。混ざった発言は、まず部分に割って、使う部分の真実性を見ます。

今日の内容を1枚に整理した保存版のまとめ板。混ざった発言は使う部分の真実性で伝聞性が入れ替わること、米子事件は動機の認定との関係で伝聞であることは明らかとされ理由は示されておらず2通りの読みがあること、咄嗟の一言は見るが残り立場が分かれること、下級審の裁判例は数日経過や態度を含む点で設例と違うことを整理した板 図:今日の内容を1枚に整理した保存版のまとめ板

まとめます。1つ目。1つの発言に、気持ちと過去の出来事が混ざるときは、部分に割ります。過去の出来事の真実性を使うなら伝聞、気持ちを使うなら、通説は非伝聞です。2つ目。米子強姦致死事件で、最高裁は、動機の認定との関係で、証言が伝聞証拠であることは明らかだとしました。理由は示していません。読み方は2通りで、1つは、気持ちとして捉えず過去の言動の叙述と見る読み。もう1つは、気持ちとして見つつ、根拠の体験事実がないと真摯性を担保できないとする読みです。控訴審の説示は、退けられた側でした。3つ目。咄嗟の一言は、見るの関所が残ります。その誤りを、咄嗟という状況で類型的に低いとみて非伝聞とする立場と、伝聞として例外を検討する立場に分かれます。直後の反応の裁判例は、数日にわたる言動で、様子や態度も含む点が、設例と違います。

仲間内の謀議の発言や、犯行計画のメモを、今日の道具で、どう分けるかを見ます。今日の1問を、そのまま持って行きましょう。

参照条文

  • 刑事訴訟法第320条第1項
  • 刑事訴訟法第324条第2項
  • 刑事訴訟法第321条第1項

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