なぜ縛るのか——立憲主義と法の支配
印刷のコツ
プリンターでは次の設定がおすすめです。
- 用紙:A4 / 向き:縦
- 拡大縮小:「実際のサイズ」(フィット縮小しない)
- 両面印刷:オン、とじ方は「長辺をとじる」(左綴じ)
- モノクロ印刷OK(強調は色でなく太字なので白黒でも読めます)
第1章 憲法総論 ②/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。
なぜ縛る必要が生まれたか——社会契約説と近代立憲主義

権力は、最初から無ければよかった、と思いませんか。実は逆なんです。権力が無い状態のほうが、ずっと危険です。管理人のいない団地を、想像してください。力の強い住民が押し切る、弱肉強食になってしまいます。これが自然状態です。誰もが自然権を持ちますが守れません。そこで住民たちは話し合い、管理組合を作ることに合意します。これが社会契約です。ただし全権委任はしません。管理組合の権限を、あらかじめ規約で限定しておきます。そのとおりです。もし管理組合が規約を無視して暴走したら。住民はその決定に従う義務を失います。これが抵抗権です。憲法に基づいて政治を行う、という原理そのものを立憲主義と呼びます。そのうち、人権を守るために権力を縛るものが近代立憲主義です。憲法は、後から付け足された制約ではありません。権力を設立する契約に、最初から組み込まれた縛りなんです。
各国における立憲主義

立憲主義の育ち方は、国によって違いました。薄く触れます。フランスは、法律による人権保障と、議会への信頼が強い国です。アメリカは逆に、憲法による人権保障と、議会への不信が強い国です。戦前のドイツや日本は、統治のしくみはあっても中身が伴わない、外見的立憲主義と呼ばれる状態でした。そのとおりです。人権を守る思想を欠いていました。前回の言葉なら、固有の意味の憲法はあるのに立憲的意味の憲法ではない状態です。この明治憲法との対比は、この先の回で詳しく扱います。
国家像の変遷——自由国家から行政国家現象へ

そこが変わってきました。次に見るのは、国家がどこまで個人の生活に手を出すか、という軸です。学級運営で考えてみましょう。担任が喧嘩の仲裁だけをする、見回り係だったとします。これが自由国家です。消極国家、夜警国家とも呼ばれます。やがて担任が、成績不振の生徒への補習や給食費の補助まで、積極的に手を回すようになります。世話焼き係です。これが社会国家です。積極国家、福祉国家とも呼ばれます。20世紀に入り、ワイマール憲法が最初にこの理念を明文化しました。さらに進むと、補習の割り振りや予算配分の決定権が、学級会よりも担任に集中していきます。それが行政国家現象です。担任の裁量が大きくなるほど、公平にやっているか、誰かがチェックする必要が増えます。これが現代で、行政権への監視が重くなる理由です。そこが罠です。行政国家現象が生じても、国家が個人の領域に立ち入るのは、あくまで補完・例外です。原則は今もなお、自由国家のままです。
立憲主義と民主主義の結合

そこが次の論点です。多数決で決めれば、それだけで正しいのでしょうか。まず聞かせてください。「自由」と「多数決」は、対立するものだと思いますか。実は、互いを支え合う関係にあります。個人の自由を守るべきだ、という考え方を自由主義と呼びます。さきほどの「自由国家」は国家の役割の広さの話で、こちらは考え方の名前です。憲法で権力を縛る立憲主義は、この自由主義を土台にしています。生徒会選挙で考えてみましょう。特定の候補への批判が許されない状況だったら、どうでしょう。投票結果が、操作されたものになってしまいます。自由主義が、民主主義を実質的に機能させているんです。逆に、いくら自由に意見を言えても、それを決定に落とし込む投票の仕組みがなければどうですか。そのとおりです。民主主義が、自由の意味を支えています。二つは互いを要求し合う、循環の関係にあります。これを立憲民主主義と呼びます。そして、ここに大事な前提があります。多数決でも奪えないものがある、という前提です。その中身は、この先の人権の話で見ていきます。
法の支配とは——4要素と条文対応

ここから、「法で縛る」という中身そのものに入ります。キーワードは法の支配です。英米法の根幹をなす考え方です。対になる言葉が人の支配です。特定の誰か、王や独裁者の意思で決まる状態です。法の支配は、この人の支配を否定します。権力者個人ではなく、法によって権力を縛るという考え方です。4つの要素が、条文に対応しています。順に見ましょう。一つ目、憲法の最高法規性です。第10章に定められています。98条1項は、既に確認済みの条文です。二つ目、侵すことのできない人権の保障です。11条と97条が定めます。97条も既に確認済みですね。三つ目、適正手続の保障です。ここは条文を確認しましょう。
条文憲法31条
日本国憲法 第三十一条 何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。
これが31条です。国民の生命や自由を奪うには、法律で定めた手続によらなければならない、という条文です。法律の中身・手続そのものの正しさまで問う条文です。四つ目、裁判所の役割の尊重です。第6章、特に81条が定めます。この違憲審査の中身は、統治の回でじっくり扱います。この法の支配、論文で規範として使う場面もあります。詳しい書き方は、論文シリーズで扱います。
法の支配 vs 形式的法治主義

さて、ここで冒頭の問いに戻ります。全員が賛成して成立した法律なら、何をしてもいいのか。これを考えるために、もう一つの言葉を並べます。形式的法治主義です。まず共通点です。どちらも、法によって権力を制限する点は同じです。違いは2つあります。1つずつ見ましょう。

会社の決裁フローで考えてみます。形式的法治主義は、ハンコが全部揃っていれば、中身がどれだけ理不尽な人事でも、正式な決定として通します。そのとおりです。だから「悪法も法なり」が成立しえます。一方法の支配は、ハンコが全部揃っていても、決定の中身が会社の基本理念に反していれば、無効にします。これが違い①です。法の支配は「正しい法」を要求します。形式的法治主義は、内容の合理性を要求しません。違い②に進みます。もう一つ大事な軸があります。法の支配は、民主主義と結びつく考え方です。一方形式的法治主義は、どんな政治体制とも結びつきます。独裁制でも民主制でも、採用されうるということです。つまり、政治的に中立な考え方なんです。そこが短答の罠です。それは誤りです。法治主義は特定の体制を選びません。中立だからこそ、独裁の下でも「法治主義を採っている」と言えてしまうんです。第2次世界大戦後のドイツは、この反省から、実質的法治主義という考え方に転換しました。内容の正しさまで求める、法の支配とほぼ同じ中身です。そのとおりです。では、冒頭の問いに答えましょう。全員が賛成して成立した法律なら、何をしてもいいのか。完璧です。手続と中身、どちらも見て初めて「正しい法」です。
シリーズの歩き方——人権と統治の全体地図

ここまでで、総論の土台が揃いました。この先、二つの地図を歩いていきます。一つは人権の地図です。国家にどこまで踏み込まれないか、を一つずつ見ていきます。もう一つは統治の地図です。誰がどう決めるか、国会・内閣・裁判所のしくみを見ていきます。そのとおりです。人権も統治も、
今日の地図(保存版)

権力は、無くすのではなく、作りながら縛りました。これが社会契約説と近代立憲主義でした。縛る相手と範囲は、自由国家から社会国家、行政国家現象へと広がってきました。それでも原則は、今もなお自由国家のままでした。自由主義と民主主義は、互いを支え合う関係にありました。多数決でも奪えないものがある、という前提です。法の支配は4つの要素で、条文に対応していました。そして、法の支配と形式的法治主義の違いは2つでした。内容の正しさを要求するかどうか、民主主義と結びつくか、それとも中立かどうかです。そのとおりです。では、自分の理解を確かめる4つの質問です。声に出さなくてもいいので、頭の中で答えてみてください。一つ目。法の支配と形式的法治主義の決定的な違いは何でしょうか?二つの点で答えてみてください。そのうえで、法の支配は憲法のどの4つの要素に現れていましたか?二つ目。立憲主義はなぜ生まれたのでしょうか?何を防ぐ設計ですか。三つ目。自由国家から社会国家、行政国家現象へ移ると、なぜ権力への監視の必要が増すのでしょうか?四つ目。憲法が義務を負わせるのは誰でしょうか?完璧です。
参照条文
- 憲法31条