憲法ゼロから憲法#3

何を宣言し、誰が決めるのか——前文・国民主権・天皇制

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第1章 憲法総論 ③/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

前文は何を宣言しているか

前文4項要点表(1項:国民主権・人類普遍の原理/2項:平和主義・平和的生存権/3項:国際協調主義/4項:理念実現の決意)

まず、前文そのものを読んでいきましょう。前文は4つの段落でできています。この憲法を作った側が、何を目指したのかを残すためです。個々の条文を読むだけでは、その目的までは見えてきませんから。中身を丸暗記する必要はありません。何を宣言しているかを掴めば十分です。1項では、まず「主権が国民に存することを宣言し」とあります。これが国民主権の宣言です。あわせて人権の保障と平和への願いが結び付けられ、これらは「人類普遍の原理」だと述べられます。2項では平和主義の理念が述べられ、「平和のうちに生存する権利」——冒頭で触れた平和的生存権が登場します。この権利が裁判で使えるかどうかは、このあとすぐ扱います。3項は、自国のことだけを考えず、国際協調主義の立場に立つという宣言です。4項は、これらの理念を実現する決意を、結びとして述べています。では、その「看板」が実際どこまでの力を持つのかを見ていきましょう。

前文は裁判で使えるのか——法規範性と裁判規範性

法規範性と裁判規範性の対比(共通点:憲法の一部・改正手続の対象/相違点:単独で権利主張できるか)

ここで、さっきの問いに戻ります。前文を根拠に、国を訴えて勝てるのか。そこを分けて考える必要があります。二つの言葉を並べましょう。法規範性裁判規範性です。会社の文書で考えてみましょう。経営理念就業規則です。経営理念は、会社の正式な文書の一部として認められています。勝手に無視してよいものではありません。しかし「誠実な顧客対応を重んじる」という経営理念だけを根拠に、「この対応は理念に反する」と会社を訴えて、賠償を勝ち取れるでしょうか。理念は抽象的すぎて、そこから具体的な権利義務を導けません。前文もこれと同じ構造です。前文は憲法の一部として拘束力を持ちます。これが法規範性——だから前文を変えるにも、96条の重い改正手続が必要です。96条の重さは、以前に確認したとおり、憲法全体が法律より強い理由でした。ここでは、その重い手続が前文にもかかる、という点を言いたいんです。つまり、前文も憲法の一部だ、ということです。それが裁判規範性の話です。前文は原則として、これを持たないとされます。抽象的すぎて、前文の文言だけからは、具体的な権利内容を導けないからです。一方、就業規則のように具体的な中身が書かれた規程なら、それを根拠に主張できます。憲法でいえば、前文ではなく1条以下の条文がこれにあたります。いいえ、使い道はあります。条文の解釈にあたって、指針にはなります。たとえば、平和主義の条文の解釈をするときに、前文の趣旨を参照する。これは前文が解釈の物差しとして働く場面——法規範性がちゃんと生きています。以前に確認したとおり、理念に反する決定は無効にできるという話がありました。理念は物差しとしては効くけれど、請求の根拠にはできません。効く場面が違うんです。そこが、裁判規範性が無い、という場面です。実際に、平和的生存権を根拠にした裁判がありました。長沼訴訟です。高裁は、この権利に裁判規範性は無いという立場をとりました。最高裁は、代わりの施設ができて訴えの利益が失われたとして、憲法判断そのものに踏み込まないまま、訴えを退けました。そこが大事な点です。答えていないことも、判例を読む上での情報です。前文は看板であり、それ自体が武器にはならない。でも、看板の中身を無視してよいわけでもない——この両方を押さえてください。なお、憲法がどう戦争と向き合っているか、この憲法がどうやって生まれたかは、この後すぐの回で扱います。

国民主権の意義

国民主権の定義(国の政治のあり方を最終的に決定する力または権威が国民に存すること)

前文が宣言する基本原理の一つが、国民主権でした。国民主権とは、国の政治のあり方を最終的に決定する力、または権威が、国民に存することをいいます。実は、この「力」の面と「権威」の面のズレが、このあと出てくる論点の種です。そもそも「主権」という言葉自体が、一つの意味では済まないんです。

「主権」という言葉の3つの顔

主権の3義×条文対応(①統治権=41条国権/②最高独立性=前文3項/③最高決定権=1条国民主権)

「主権」という言葉、実は3つの違う場面で使われています。どれも「国家の一番強い力」を指す言葉として使われてきたからです。ただ、その力を国の内側で見るか、外に向けて見るか、誰が最終的に決めるかで見るかで、指すものが変わります。だから、条文ごとにどの意味かを読み分ける必要があります。会社の「経営権」という言葉で考えてみましょう。「経営権」と言うとき、指すものは文脈で変わりますよね。一つ目、「経営権」=会社の意思決定権そのもの。憲法でいえば①統治権——国家権力そのものを指します。41条の「国権」は、この意味の主権にあたります。この「国権」という言葉の中身は、国会のしくみを扱う回で見ていきます。二つ目、「経営権」=他社の子会社ではなく、独立した会社であること。憲法でいえば②最高独立性——独立国家であるという意味です。前文3項の「自国の主権を維持し」は、この意味です。三つ目、「経営権」=株主総会で最終的に会社の方向性を決める権利。誰にあるか、という意味です。憲法でいえば③最高決定権。1条の「主権の存する日本国民」——国民主権の「主権」は、この意味です。条文を見るたびに、どの意味かを当てはめてください。41条は①、前文3項は②、1条は③です。そこが短答の勝負どころです。単語だけ見て混同しないでください。

主権はどこから生まれ、どこへ向かうか

3段フロー(憲法制定権力〔権力性の契機〕→正当性の契機の誕生→憲法改正権への転化)

さきほどの③最高決定権には、実はさらに二つの側面があります。まず、憲法を実際に作る力——憲法制定権力があります。これを権力性の契機と呼びます。力そのものの側面です。団地で言えば、住民が集まって規約を作った、その力にあたります。しかし、憲法が一度作られると、話が変わります。今度は、あらゆる国家権力の行使を正当化する根拠として、国民の意思そのものが働くようになります。これを正当性の契機と呼びます。さきほどの「力」が権力性の契機、「権威」が正当性の契機にあたります。定義に両方書いてあったのは、このためです。団地なら、規約ができた後は「みんなで決めたから従う」が根拠になります。憲法は、権力を作り出す法であると同時に、それを縛る法でもありました。だから、憲法を作った力も、憲法の外には置きっぱなしにしません。実は、憲法制定権力そのものも、憲法の中に閉じ込められます。どういう形かというと——憲法改正権に姿を変えるんです。団地でいえば、規約の改正手続という条項に姿を変えて残ります。権力性の契機、正当性の契機の誕生、そして憲法改正権への転化——この3段の流れが、主権という一つの言葉の中に詰まっています。まさに次の論点の土台になります。国民主権の「国民」って誰なのか、です。

主権者「国民」とは誰か

「国民」の3説対比(有権者説=権力性の契機重視/全国民説=正当性の契機重視/折衷説=通説)

そう思いますよね。でも、範囲をめぐって学説が対立しています。生徒会選挙で考えてみましょう。「学校の主人公は誰か」という問いです。一つの考え方は、実際に投票できる現役生徒に絞る立場です。これが有権者説——権力性の契機、実際に力を行使できる主体を重視します。もう一つの考え方は、卒業生も含め、学校に関わるすべての人と考える立場です。これが全国民説——正当性の契機、みんなの総意という建前を重視します。有権者説だけだと、投票権を持たない人まで含めた「国民の総意」が説明できません。逆に全国民説だけだと、実際に票を投じているのは有権者だという現実が説明できません。どちらか一方では、片方の場面が説明できません。だから通説は、両方を場面で使い分けます。これが、通説である折衷説です。投票する力の話をするときは有権者、権力行使を正当づける話をするときは全国民、という具合です。ただし、この二つには範囲のズレがあります。だから通説は、できるだけ両者を同じものとみなす工夫をします。これを自同性の原則と呼びます。細かくは扱いませんが、名前だけ押さえてください。折衷説です。ここは誤りやすいので、はっきり押さえておいてください。

主権者はどう決定するか——間接民主制と例外

民主制の原則・例外一覧(原則:間接民主制/例外:国民審査・改正国民投票・地方特別法住民投票)

主権者である国民は、実際にどう国のあり方を決めるんでしょうか。ただ、全部を国民が直接決めるのは、規模の点で現実的ではありません。だから、代表を選んで決めさせるのが原則で、国のかたちに関わる場面だけ、例外的に直接決めます。この原則を間接民主制、または代表民主制と呼びます。日本国憲法が採用しているのは、この間接民主制です。ただし、例外的に直接民主制的な制度も、3つ用意されています。最高裁判所の裁判官を、国民が直接審査する制度。憲法改正を、国民投票にかける制度。そして、特定の地域だけに適用される法律を、住民投票にかける制度です。それぞれの中身は、統治のしくみを扱う回でじっくり見ていきます。とだけ押さえてください。

主権者ではない天皇——象徴という地位

天皇の地位(1条:日本国と日本国民統合の象徴・根拠は国民の総意/2条:皇位は世襲=14条平等原則の例外)

主権者ではない天皇に、憲法はどんな地位と役割を与えているのか、見ていきましょう。まず、天皇の地位を定める条文を確認します。

条文日本国憲法 1条

日本国憲法 第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

天皇は、日本国と日本国民統合の象徴である。そして、この地位は主権の存する国民の総意に基づく、とあります。天皇の地位の根拠は、天皇自身にあるのではなく、主権者である国民の総意にある——この主従関係が、1条の核心です。皇位は世襲によって受け継がれます。2条が定めています。14条は、生まれや家柄で人を別扱いしてはならないと定める条文です。世襲はその平等原則からすると、正面からの例外にあたります。なぜこの例外が許されるのかは、平等を扱う回で詳しく見ていきます。

天皇は裁判にかけられるのか

天皇と裁判権の対比(民事:判例=象徴たる地位を理由に及ばない/刑事:皇室典範21条〔摂政の不訴追〕から通説で及ばない)

まず、民事裁判について確認しましょう。

判例最判平1・11・20

天皇の民事裁判権 天皇には、その象徴たる地位に鑑み、日本国憲法上、民事裁判権が及ばないと解される。

結論として、天皇には民事裁判権が及ばない、というのが判例の立場です。天皇は国政に関与せず、国民統合の象徴という特殊な地位にあります。その天皇を、通常の民事訴訟の当事者として法廷に立たせることは、この特殊な地位の性質になじまない、というのが理由づけです。では、刑事裁判はどうでしょうか。ここには直接の条文がありません。ただ、皇室典範21条に手がかりがあります。摂政とは、天皇が自分で国事行為を行えないときに、代わってそれを行う人のことです。「摂政は、その在任中、訴追されない」と定めています。その摂政ですら在任中は訴追されないのだから、本人である天皇はなおさらです。この規定から類推して、天皇にも刑事裁判権は及ばないと解するのが通説です。直接の条文があるわけではなく、類推だという点に注意してください。なお、天皇のこの特殊な地位が、裁判所の審査権限そのものにどう関わるか、という枠組みの話は、統治のしくみを扱う回でじっくり扱います。

天皇にできること、できないこと

天皇の行為の可否一覧(前提:純粋な私的行為は自由/①国政行為=不可/②国事行為=内閣の助言承認のもとで可/③国事行為以外の公的行為=学説対立)

天皇が行う行為は、公の場面に限ると大きく3つに仕分けられます。学問研究のような純粋な私的行為が自由なのは当然の前提だからです。争いになるのは、公の顔で行う行為のほうです。一つ目、国政行為——国の実質的な意思決定に関わる行為です。これは、天皇には一切できません。二つ目、国事行為——政治性のない、形式的・儀礼的な行為です。これは内閣の助言と承認のもとで行えます。三つ目、国事行為以外の公的行為——お言葉や式典への出席など、憲法に明記されていない、儀礼的な行為です。だから、この3つ目の根拠づけをめぐって学説が対立します。まず、①と②を条文で確認してから、③に入っていきましょう。

内閣の管理のもとで——国事行為の中身

国事行為のしくみ(内閣が決める→助言と承認→天皇は形式的・儀礼的に行うだけ→責任は内閣が負う)

まず、①国政行為ができないと定める条文を見ましょう。

条文日本国憲法 4条1項

日本国憲法 第四条 1項 天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない

「この憲法の定める国事に関する行為のみ」——この「のみ」が肝心です。そして「国政に関する権能を有しない」——実質的な決定権は一切持たない、と明言されています。国会や内閣には、権限を与える条文がありました。天皇にはそれが無く、逆に持たないと書いてあるんです。ここが決定的な違いです。では、その②国事行為は、どういう仕組みで行われるのか。次の条文です。

条文日本国憲法 3条

日本国憲法 第三条 天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ

実務上は、事前と事後の2回ではなく、1回で足りるとされています。そして大事なのは、天皇の側から言い出して閣議にかけることはできない点です。あくまで内閣が決めた行為を、天皇が形式的に行います。だからこそ、結果の責任は天皇ではなく、内閣が負います。これが3条後段の意味です。内閣がどう責任を負うのかの中身は、内閣のしくみを扱う回で見ていきます。では、実際の国事行為の中身を見ましょう。

6条・7条・4条2項の一覧(6条1項:総理任命/6条2項:最高裁長官任命/7条1〜10号:公布・召集・解散等/4条2項:委任〔臨時代行〕)

6条は二つの任命行為を定めます。1項、国会の指名に基づいて内閣総理大臣を任命すること。2項、内閣の指名に基づいて最高裁判所長官を任命すること。そこが重要な構図です。誰にするかを実質的に決めるのは国会・内閣で、天皇はその結果を形式として確認するだけです。7条は10個の国事行為を列挙します。憲法改正・法律・政令・条約の公布。国会の召集。衆議院の解散。総選挙施行の公示。国務大臣などの任免、全権委任状や信任状の認証。恩赦の認証。栄典の授与。批准書などの認証。外国の大使・公使を迎え入れること。そして儀式を行うことです。ここが短答の罠です。7条5号の「認証」は、国務大臣などの任免そのものを天皇が行う、という意味ではありません。すでに内閣総理大臣が決めた任免を、事後的に確認する行為です。任免の効力に影響しない確認行為、それが「認証」です。6条1項の任命——天皇が総理を任命する行為そのものは国事行為ですが、7条5号の認証は、もう決まったことの追認にすぎません。この二つを混同しないでください。最後に4条2項です。天皇は、法律の定めるところにより、その国事に関する行為を委任することができる、と定めます。これが臨時代行の根拠になります。なお、摂政は成年に達しない場合などに置かれる制度です。

憲法に書かれていない行為——国事行為以外の公的行為

国事行為以外の公的行為・4学説対比(象徴行為説/公人行為説/国事行為説/準国事行為説)

でも、それは6条にも7条にも書かれていません。そこで出てくるのが、③国事行為以外の公的行為です。会社の「名誉会長」制度で考えてみましょう。名誉会長は、経営判断——国政行為にあたる仕事は、一切行いません。しかし、社長の指示のもとで契約書に押印したり、式典で挨拶したりする、儀礼的な仕事は行います。ただ、名誉会長は時に、会社の規程には明記されていない、対外的な表敬訪問や来賓対応も担います。この役割の根拠をどう説明するかで、4つの学説が対立します。一つ目、象徴行為説——象徴という地位そのものから当然に出てくる、とする説。二つ目、公人行為説——天皇が公人として行う行為だ、とする説。三つ目、国事行為説——実質的には国事行為の一種だ、とする説。四つ目、準国事行為説——国事行為に準じるものとして、内閣の関与を及ぼすべきだ、とする説です。分かれ目は、根拠を天皇の地位そのものに求めるか、内閣の関与に求めるかです。どちらを採るかで、内閣がこの行為にどこまで口を出せるかが変わります。決着はついていません。共通しているのは、どの説でも、天皇が自らの意思で自由に行ってよいとはしない——何らかの形で、内閣の関与や地位の枠組みを及ぼす、という点です。

皇室の財産と費用——なぜ国会が管理するのか

皇室の財産と費用(8条:皇室への譲渡・皇室の譲受・皇室からの賜与=国会の議決/皇室からの有償譲渡=議決不要/88条:皇室財産は国に属し費用は予算に計上/趣旨:戦前の財産集積の防止+特定の者との結合の回避)

まず、財産のやり取りそのものを見てみましょう。

条文日本国憲法 8条

日本国憲法 第八条 皇室に財産を譲り渡し、又は皇室が、財産を譲り受け、若しくは賜与することは、国会の議決に基かなければならない。

国会の議決が要るのは、この3つの場面です。そこが引っかけどころです。条文をもう一度見てください。皇室から外へ出ていく側は、「賜与」と書かれています。ただで与えること、つまり無償の贈与です。有償で売るだけなら、8条の3つのどれにも当たりません。この場合、国会の議決は不要です。ここは短答で必要・不要が問われます。そこが8条の非対称なところです。理由は、このあとまとめて説明します。そして、皇室そのものの財産と費用については、こちらです。

条文日本国憲法 88条

日本国憲法 第八十八条 すべて皇室財産は、国に属する。すべて皇室の費用は、予算に計上して国会の議決を経なければならない。

皇室財産は国に属し、皇室の費用は予算に計上して、国会の議決が必要です。戦前、皇室が独自の莫大な財産を持ち、それが政治的な影響力の背景になっていたという反省があります。それが一つ目の理由です。もう一つ、財産のやり取りを通じて皇室が特定の人や団体と強く結び付くことも防いでいます。だから8条は、財産が皇室に集まる方向と、ただで与えて縁が生まれる方向の、両方に議決をかけています。8条も88条も、根っこにある理由は同じです。天皇・皇室が、お金の力で政治に影響を及ぼすことを防ぐ——この一本の理由で、二つの条文はつながっています。

今日の地図(保存版)

今日の全体像(前文の法規範性/裁判規範性→主権の3義→権力性/正当性の契機→国民の3説→民主制→天皇=象徴→国事行為/公的行為→皇室財産)

前文は、憲法の一部として法規範性を持ちますが、それだけを根拠に裁判で権利を主張する裁判規範性は、原則ありませんでした。「主権」という言葉には、統治権、最高独立性、最高決定権という3つの顔がありました。国民主権の主権は、この最高決定権にあたります。この最高決定権には、権力性の契機と正当性の契機があり、権力性の契機は、憲法改正権へと転化していました。「国民」の範囲をめぐっては、有権者説・全国民説が対立し、通説はこの二つを場面で使い分ける折衷説でした。主権者ではない天皇は、国政行為を一切できず、内閣の助言と承認のもとで、国事行為だけを行います。それ以外の公的行為の根拠は、今も学説が対立しています。そして皇室の財産と費用は、いずれも国会の管理下に置かれていました。では、自分の理解を確かめる5つの質問です。声に出さなくてもいいので、頭の中で答えてみてください。一つ目。前文が持つのはどちらで、原則として持たないのはどちらですか?二つ目。41条・前文3項・国民主権は、それぞれどの意味の主権ですか?三つ目。国民主権の「国民」について、通説はどの説を採りますか?四つ目。天皇が「できること」と「およそできないこと」の線はどこですか?五つ目。前文の平和的生存権を根拠に、裁判で勝つことはできますか?

参照条文

  • 日本国憲法 1条
  • 日本国憲法 4条1項
  • 日本国憲法 3条
  • 日本国憲法 8条
  • 日本国憲法 88条

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