憲法ゼロから憲法#6

人権とは何か——性質・分類・制度的保障

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第2章 人権総論 ⑥/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

人権とは何か——固有性・不可侵性・普遍性

人権の性質3点表(固有性/不可侵性/普遍性——定義と根拠条文)

人権って、憲法に書いてある権利のことですよね。半分正解で、半分足りません。ここに今日いちばん大事な区別があります。人権には、実は3つの性質があります。順に見ていきましょう。一つ目、固有性です。人間であることに当然に伴う権利で、国家から恵んでもらったものではない、という性質です。国が「あげます」と決めたものじゃない、ということですね。生まれながらに、当然に持っている、という発想です。明治憲法では、権利は天皇が「与えた」ものでした。与えた側は、いつでも取り上げられます。固有性は、その「与える・取り上げる」の外にある、ということですね。二つ目、不可侵性です。国家権力によっても、法律によっても、侵すことができない、という性質です。法律を作れば制限できる、というものじゃないんですね。そこがポイントです。後で、もう一度使います。明治憲法の下では、権利は法律で簡単に制限できました。冒頭で確認したとおりです。今の憲法は、その「法律で制限できる」という仕組み自体を、外したんですね。三つ目、普遍性です。人種や性別、身分に関係なく、すべての人間に、当然に及ぶ、という性質です。「臣民」は、天皇との関係で決まる立場でした。その立場から外れた人には、そもそも及びません。人間であることだけで足りる、というのが普遍性なんですね。この3つの性質を定めているのが、11条です。

条文日本国憲法 11条

日本国憲法 第十一条 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。

「侵すことのできない永久の権利」——さっきの不可侵性そのものですね。よく見つけました。「現在及び将来の国民」は、普遍性・固有性を裏づけます。別の回で読んだ97条も、同じ発想を「信託された」という言葉で表していました。「侵すことのできない永久の権利として信託された」——同じ3つの性質を、別の角度から言い直した条文だったんです。この3性質があるからこそ、人権は「国家が与える恩恵」ではなく、「人間であることから当然に生まれる権利」だと言えるんです。では、なぜ人はこうした権利を当然に持つのでしょうか。その根拠は、個人の尊重という考え方にあります。一人ひとりの人間を、かけがえのない存在として尊重する発想です。個人の尊厳と呼ぶ基本書もあります。同じものの別の呼び名です。全体のために個人を犠牲にする全体主義とは、正反対です。この個人の尊重は、13条にも表れています。「すべて国民は、個人として尊重される」。個人の尊重が具体的に何を守るかは、幸福追求権の回で扱います。もう一つ、11条・12条・13条の3つは、人権総則の入り口にあたる条文です。12条には、こうあります。「国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない」。権利は、黙っていても守られるわけではない、という条文です。人権がどこまで制約できるかという枠組みは、この先の回で扱います。

「人権」と「憲法上の権利」——同じ言葉の二つの使われ方

「人権」と「憲法上の権利」の対比表(近時の有力説は区別する/多くの基本書は両方とも人権と呼ぶ)

ここで、もう一段、言葉の整理をしておきます。実は、「人権」という言葉自体、使う人によって範囲が違うんです。近時の有力な学説は、こう考えます。「人権」は、国家ができる前から人が当然に持つ、前国家的な権利だけを指す。一方、憲法が条文として書き込んだ権利は、「憲法上の権利」と呼んで区別する。生まれつきの権利と、憲法に書かれた権利を、別の言葉で呼ぶんですね。これに対して、多くの基本書は、両方とも「人権」と呼びます。実は、試験との関係では、実益はあまり大きくありません。大事なのは、ラベルを揃えることより、「人権」という言葉には、複数の段階があると知っておくことです。ここから先は、基本的に広い意味で「人権」という言葉を使っていきます。

人権の分類——自由権・参政権・社会権・受益権

人権の分類5類型表(自由権/参政権/社会権/受益権/総則的権利——性質・具体的条文)

では、その人権を、いったん整理してみましょう。人権は、性質によって、いくつかに分類できます。一つ目、自由権です。国家に「余計な口出しをするな」と求める権利です。何かをしてもらう権利じゃなくて、放っておいてもらう権利ですね。そのとおりです。国家からの自由、と呼ばれます。精神的自由・経済的自由・人身の自由が、ここに含まれます。それぞれの中身は、各論の回でじっくり扱っていきます。二つ目、参政権です。政治に参加する権利で、選挙権・被選挙権が代表例です。国家への自由、と呼ばれます。三つ目、社会権です。国家に「積極的に手を貸してくれ」と求める権利です。さっきの自由権と、方向が逆ですね。国家による自由、と呼ばれます。生存権などがここに入ります。四つ目、受益権です。国務請求権とも呼ばれ、裁判を受ける権利などが含まれます。国家の仕組みを使って、自分の権利を実現してもらう権利です。最後に、総則的権利です。個人の尊重や法の下の平等など、人権全体を貫く、包括的な権利です。5つ、それぞれ違う方向を向いているんですね。そう見えますよね。でも実は、ここに大事な罠があります。

分類は絶対じゃない——傘の比喩と知る権利

一つの道具が、場面で役割を変える(1本の傘が雨具にも日傘にも杖にもなる)

今の5分類、実は「絶対に1つに決まる」ものではありません。身近な道具で考えてみましょう。1本のがあります。雨の日には、雨具として使いますね。日差しの強い日には、日傘として使うこともできます。荷物で両手がふさがっているときは、杖代わりにもなります。傘という道具そのものは、変わっていないですよね。場面によって、果たす役割が変わるんです。人権の分類も、同じ構造です。「この人権は自由権だ」と1つに固定するより、その場面でどの側面が働いているかを見る必要があります。

知る権利の3側面表(自由権的側面/参政権的側面/受益権・社会権的側面——具体例)

典型例が、知る権利です。表現の自由から導かれる権利です。知る権利そのものの中身は、表現の自由の回でじっくり扱います。場面①。自治体が、ある集会についての情報の公表を止めようとしてきたとします。ここでは、知る権利は「余計な口出しをするな」という自由権として働きます。場面②。選挙で誰に投票するか決めるには、候補者の経歴や政策を知る必要があります。意味のある一票を投じるための、前提ということですね。ここでは、知る権利は参政権を支える役割を果たします。場面③。情報公開請求のように、国や自治体に「開示せよ」と積極的に求める場面。ここでは、受益権・社会権的な性格を帯びます。同じ「知る権利」が、場面によって3つの顔を見せているんです。じゃあ、試験では何を聞かれるんですか。分類の暗記じゃないなら。「知る権利は何権に分類されるか」を覚えることではありません。問題文の中で、どの側面が問題になっているかを見分けることが問われます。この見分ける視点こそが、今日持って帰ってほしい道具です。

権利があることと、裁判で勝てることは別

生徒手帳の3段階(プログラム規定/抽象的権利/具体的権利)

ここで、冒頭の問いに戻ります。25条は「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を保障しています。生活が苦しい人が、裁判所に行けば、必ず救済してもらえるでしょうか。さっき、答えはNoだと聞きました。理由が気になります。実は、憲法に書いてある権利には、強さの段階があるんです。学校の校則、生徒手帳で考えてみましょう。3段階に分けます。一段階目。「思いやりを持って行動しよう」とだけ書いてあるとします。これに違反したからといって、生徒が何かを請求できる仕組みはありません。これがプログラム規定に相当します。国の目標を示すだけで、それ自体は、具体的な請求の根拠にはなりません。二段階目。「遅刻をしないように努める」という記載があるとします。でも、遅刻したときに誰が・どんな手続で・何を判断するのかが、決まっていません。権利のようなものはあるけど、使い道が無い感じですね。そのとおりです。これが抽象的権利に相当します。権利として存在はしますが、それだけでは、生徒は何も請求できません。三段階目。「遅刻が月3回を超えたら、生徒は担任に事情説明の機会を求められる」。条件と手続まで、具体的に決まっています。これなら、生徒はその規定どおりに、説明の機会を求められますね。これが具体的権利——それだけで、裁判所に救済を求められる権利です。

権利の強さ3段階表(具体的権利/抽象的権利/プログラム規定——定義・裁判規範性・生存権の位置づけ)

この3段階を、表で整理しておきます。具体的権利は、裁判規範性があります。それだけで裁判所を動かせます。抽象的権利は、権利としては存在しますが、具体化する法律があって初めて、裁判所を動かせます。プログラム規定は、国政の目標を示すだけで、人権そのものではありません。裁判規範性もありません。25条は、条文としては、たしかに存在します。ですが、それだけを根拠に裁判所へ行っても、直ちに救済されるわけではありません。抽象的な権利にとどまり、生活保護法のような具体化する法律があって、初めて、具体的な請求として機能する、という位置づけです。憲法に書いてあることと、勝てることは、やっぱり別なんですね。そのとおりです。この差を生むのが、具体化の有無——法律が、間にあるかどうかなんです。前に出た平和的生存権とは別のこの生存権は、社会権の回で扱います。

制度的保障——使う場面より、警戒する場面のほうが大事

制度的保障の理論フロー(形式的法治主義下の臣民権→制度的保障による歯止め→法の支配下では不要・むしろ危険→2要件)

次に、少し毛色の違う理論を見ます。制度的保障です。ある制度そのものを、客観的に保障する規定があります。例えば、20条の政教分離です。国家と宗教を分離する、という制度です。政教分離の中身は、信教の自由の回でじっくり扱います。制度的保障の考え方では、この制度の核心部分は、法律の改廃では変えられず、憲法改正が必要になります。中身を守る人権とは、少し違う守り方ですね。人権そのものでなく、それを支える”入れ物”を守る発想です。なぜ、こんな理論が生まれたのでしょうか。ここで、少し前に触れた臣民権の話を思い出してください。明治憲法のもとでの権利は、天皇からの恩恵で、法律で簡単に制限できました。さっき、冒頭で確認した話ですね。形式的法治主義の時代——手続さえ踏めば、中身がどうであれ通ってしまう時代——憲法史の回の外見的立憲主義、あの状態です。そういう時代に、「権利」とは別に「制度」を憲法上保障し、その核心だけは立法でも侵せない、と解することで、一定の歯止めをかけることができたんです。権利そのものが弱かった時代に、生まれた発想なんですね。ここが今日、いちばん注意してほしいところです。法の支配は、法律の中身まで問う考え方——以前の回で見たとおりです。さっきの形式的法治主義と、逆ですね。では、今の法の支配を採る日本国憲法の下で、この理論は必要でしょうか。もう権利自体が守られているので、いらない気もします。そのとおりです。採用の必要性は、乏しいとされています。それどころか、むしろ人権保障を弱めてしまうことがあります。

建物は残る。中身は残らない(制度の核心を守ることと、中身の充実を守ることは別)

ある自治体の図書館で考えてみましょう。条例で「この図書館という施設そのものは、廃止しない」と決めていたとします。建物は残る、ということですね。でも、蔵書の充実度や、開館時間、司書の人数といった中身は、法律や条例の運用しだいで、いくらでも削られてしまいます。そこが核心です。核心=建物そのものの存在さえ守られていれば、利用者は、法的には文句を言えません。制度そのものを守ることと、その中身の充実を守ることは、別なんです。政教分離にこの理論を当てはめると、国家と宗教の結びつきが、かなりの程度、許容されうることになります。それって、少数者の信教の自由が、かえって害される可能性がありますね。そのとおりです。政教分離がどう判断されるかの中身は、信教の自由の回で扱います。この先、混乱するということだけ、押さえておいてください。最後に、この理論を採用するための、2つの要件です。一つ、制度の核心が明確であること。もう一つ、制度と人権との関係が密接であること。逆に、満たさない側も見ておきましょう。たとえば「地域の文化」を制度として保障せよ、と言われたらどうでしょうか。守るべき核心が、どこまでなのか決まりませんね。核心が決まらないまま持ち出すと、「核心だから法律では動かせない」という結論だけが一人歩きします。だから一つ目の要件が要るんです。その文化が誰のどの人権を支えているかも、はっきりしません。これが二つ目の要件の理由です。この2つを満たさない限り、安易に制度的保障を持ち出すべきではありません。なぜ生まれ、なぜ今は警戒されるのか——両方知っておく必要があるんですね。そのとおりです。「制度的保障が使われている、イコール人権が守られている」ではありません。

誰が人権を持つのか——国民・天皇皇族・未成年者

国民の享有主体性表(10条・国籍法の血統主義・22条2項の国籍離脱・「憲法上の国民」概念)

ここまでは、人権の中身の話でした。ここからは、視点を変えます。そもそも、誰が人権を持つのか、という問いです。国民なら、みんな持っていますよね。まず、その「国民」から確認しましょう。

条文日本国憲法 10条

日本国憲法 第十条 日本国民たる要件は、法律でこれを定める。

「法律でこれを定める」——国籍って、憲法に直接書いてないんですね。日本国民の要件は、憲法ではなく、国籍法という法律が定めます。国籍法は、血統主義を採っています。父母のどちらかが日本国民なら、子は出生によって日本国籍を取得します。生まれた場所ではなく、親のほうを見るんですね。そのとおりです。生まれた場所で国籍を決める出生地主義を採る国もあります。アメリカなどが代表例です。ここは、対比で押さえてください。もう一つ、22条2項に大事な規定があります。「何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない。」国籍を捨てる自由も、保障されているんですね。ただし、無国籍になる自由まではありません。国籍法が、その手続に一定の制限を置いています。

天皇皇族・未成年者の特例表(原則は国民として人権享有主体・ただし地位と発達過程を理由とする特例)

天皇や皇族、未成年者はどうでしょうか。原則として、天皇も皇族も、国民として人権の享有主体です。あります。ただし、象徴という特別な地位を理由に、必要最小限度の特例が認められます。例えば、選挙権や政治活動の自由。特定の政党に肩入れしては、国民統合の象徴になれません。未成年者も、当然に人権の享有主体です。ただし、心身の発達過程にあることを理由に、一定の限定的な制約が認められています。これを限定的なパターナリスティックな制約と呼びます。本人自身を守るために、本人の自由のほうを制限する、という発想です。詳しい枠組みは、この先の回で扱います。

今日の地図(保存版)

今日の全体像(人権の3性質→言葉の3段階→分類の相対性→権利の強さ3段階→制度的保障の功罪→誰が人権を持つか)

人権には、固有性・不可侵性・普遍性という3つの性質がありました。「人権」という言葉は、前国家的な権利から、憲法上の権利、さらに具体的権利まで、複数の段階で使われていました。分類は、自由権・参政権・社会権・受益権・総則的権利に分けられますが、知る権利が示すように、この分類は絶対的ではなく、相対的でした。権利には、具体的権利・抽象的権利・プログラム規定という、強さの段階がありました。憲法に書いてあることと、裁判で勝てることは、別だったんです。制度的保障は、臣民権の時代の歯止めとして生まれましたが、今の法の支配のもとでは、むしろ人権保障を弱めうる理論でした。そして、国民、天皇や皇族、未成年者は、いずれも人権の享有主体でした。ただし、それぞれに固有の事情による特例がありました。書いてあることと勝てることが別、という答えが、今日でしっかり分かりました。では、日本国民でない人はどうでしょうか。人ではない団体はどうでしょうか。そこを、次にたどっていきます。

参照条文

  • 日本国憲法 11条
  • 日本国憲法 10条

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