憲法ゼロから憲法#7

外国人にも人権はあるか——性質説とマクリーン事件

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第2章 人権総論 ⑦/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

外国人の人権享有主体性——否定説・文言説・性質説

否定説 vs 肯定説(肯定説=文言説/性質説)の2層対比表(論拠と帰結の違い・判例通説の立場)

国民じゃなくても、人ってだけで人権があるのが当然だと思ってました。実は、そこにも争いがあります。まず、及ぶか及ばないかで2つ。及ぶ側が、さらに2つに分かれます。憲法第3章の表題が「国民の権利及び義務」となっていることを重視し、外国人には人権規定は適用されない、とする見解です。表題の言葉どおりに読む、ということですね。ただ、この説は少数説です。理由が2つあります。人権は、本来、国家ができる前から人が当然に持つ、前国家的な権利です。これは、以前見た11条や97条の発想でしたね。もう一つ、憲法は国際協調主義を採っています。前文や98条2項です。国際的な人権の考え方を、無視できないということですね。この2つから、外国人にも一定の範囲で人権は及ぶ、と解されます。これが二つ目、肯定説です。その肯定説の中で、どの人権がどこまで及ぶかで、二つに割れます。まず文言説。「何人も」と「国民は」という条文の書き分けに着目し、「何人も」の権利だけが、外国人にも保障される、とする見解です。さっきの、書き分けの予想どおりですね。でも、この見解には、致命的な弱点があります。22条2項を見てください。「何人も、……国籍を離脱する自由を侵されない」。「何人も」と書いてありますね。文言説だと、この国籍離脱の自由まで、外国人に保障されることになります。でも、外国人はそもそも日本国籍を持っていないですよね。そこが決め手です。文言だけを基準にすると、こういう矛盾が起きてしまいます。だから、多数説は文言説を採りません。そこで登場するのが、肯定説のもう一方、性質説です。判例・通説の立場です。権利の性質に着目し、日本国民のみを対象としていると解されるものを除き、外国人にも人権規定が適用される、とする見解です。文言ではなく、その権利が何のためにあるかで決める、ということですね。そのとおりです。この性質説を、最高裁自身の言葉で示した判例があります。次は、その判例を見ていきましょう。

マクリーン事件——保障されているのに、不利益に扱われることがある

マクリーン事件の事案要約(アメリカ国籍・在留中に政治活動に参加→在留期間更新を法務大臣が拒否→提訴)

性質説を実際に使った、最も重要な判例です。ある事件を見てみましょう。アメリカ国籍の人物が、日本に一定期間、在留する許可を得ていました。在留中、ベトナム戦争に反対するデモ行進や、日米安全保障条約に反対する運動に参加していました。在留期間が切れる前に更新を申請したところ、法務大臣はこれを拒否しました。まさに、その政治活動でした。この人物は、それを不服として裁判を起こしました。最高裁まで争われました。最高裁は、大きく3つのことを言いました。順番に見ていきます。

判例最大判昭53・10・4

マクリーン事件——性質説の定式と、在留の許否 基本的人権の保障は、権利の性質上日本国民のみをその対象としていると解されるものを除き、わが国に在留する外国人に対しても等しく及ぶ。外国人の在留の許否は国の裁量にゆだねられ、わが国に在留する外国人は、憲法上わが国に在留する権利ないし引き続き在留することを要求することができる権利を保障されているものではない。

一つ目。今見た性質説を、最高裁自身の言葉で定式化しました。さっきの学説の話が、そのまま判決文になっているんですね。ただ、ここで終わりだと思ったら、まだ半分です。二つ目。外国人の在留の許否は、国の広い裁量に委ねられる、としました。更新するかどうかも含めて、法務大臣の裁量に委ねられます。さて、ここで一度、立ち止まって考えてみてください。最高裁は、政治活動の自由は外国人にも保障される、と言いました。では、その活動をしたことを理由に、日本にいられなくなることは、うーん……保障されているなら、それを理由に不利益を受けるのは、実は、ここに三つ目の、最も重要な部分があります。

判例最大判昭53・10・4

マクリーン事件——保障されているのに、考慮されうる 外国人に対する憲法の基本的人権の保障は、外国人在留制度のわく内で与えられているにすぎないものと解するのが相当である。在留期間中の憲法の基本的人権の保障を受ける行為を、在留期間の更新の際に消極的な事情としてしんしゃくされないことまでの保障が与えられているものと解することはできない。

え……。政治活動の自由は保障される、と言ったのに、「保障される」と「不利益抜きで自由にできる」は、同じではないんです。保障されている以上、政治活動そのものの禁止や処罰はできません。できるのは、在留の判断材料にすることだけ——ここが境目です。なぜ、こんな結論になるのか。決め手は二つ目です。外国人の人権は、在留制度という枠の中でのみ保障されている、在留を続けるかどうかは、そもそも国の裁量です。だから、政治活動の自由を行使したという事実を、その裁量を行使する際の一つの事情として考慮することも、違法ではない。権利は無くしていないけど、その権利を使ったことが、別の場面で不利になることがある、ということですね。「保障される」「保障されない」の二択では、説明できません。外国人の人権は、在留制度という枠の中で保障される——これが、今日いちばん深いところです。ここまでで、性質説が実際にどう使われるかが見えました。ここから先は、この性質説を、一つひとつの人権に当てはめていきます。

保障の有無マップの骨組み(選挙権/公務就任権/社会権/入国出国/自由権……人権名の見出しだけ・結論欄は空欄)

この表を、これから少しずつ埋めていきます。まず、選挙権から見ていきましょう。

保障されない人権①:選挙権——国政と地方で結論が変わる

国政選挙権/地方選挙権の対比表(憲法上の保障・法律による付与の可否・根拠・判例)

選挙権です。国政レベルと地方レベルで、話が分かれます。まず、国政レベルの選挙権から見ましょう。選挙権も、人権の一つですよね。ただ、憲法は国民主権という原理を採っています。主権者は国民である、という原理です。前文と1条に定められています。政治の最終的な決定権は、国民にある、ということですね。国政選挙は、この国民主権を具体化する場面です。だから、国政レベルの選挙権は、性質上、日本国民のみを対象とします。憲法上、無いというだけでなく、法律を作って与えることすら許されない、と解されています。え、法律があれば何でも与えられる、というわけじゃないんですね。国民主権原理そのものに反してしまうからです。では、地方の選挙権はどうでしょうか。実は、ここは判断が分かれるところです。条文を見てみましょう。

条文日本国憲法 93条2項

日本国憲法 第九十三条 2項 地方公共団体の長、その議会の議員及び法律の定めるその他の吏員は、その地方公共団体の住民が、直接これを選挙する。

外国人も、その地域に住んでいれば「住民」ではないか、という指摘があります。「住民」なら、外国人も含まれそうですね。そう考える見解もあります。ただ、地方公共団体も日本の統治機構の一部です。だから通説は、ここでの「住民」も、日本国民である住民を指す、と解します。判例も同じ立場です。つまり、地方選挙権も、憲法上は保障されていません。国政と同じ結論になるんですね。ただし、ここが国政と違うところです。法律で与えることまで禁止されているか、という問題が、もう一段あります。ここでも二つの見解が対立します。禁止説は、国政と同じに考え、法律による付与も許されない、とします。許容説は、法律による付与は許される、とします。決め手は、地域の違いです。外交や国防は国政の仕事ですが、住民の暮らしに関わる公共的な事務は、その地域の住民自身が担うべきだ、という考え方が、地方自治の規定にはあります。国民主権との関わりの深さが、国政と地方で違う、ということですね。だから、法律で永住者などに地方選挙権を与えることは、憲法上禁止されていない、というのが通説——許容説の立場です。判例も、この点については、直接の争点ではない部分——傍論と呼ばれる箇所ですが、同じ趣旨を述べています。この対立の細かい中身は、選挙権そのものを扱う回で、この違いだけ押さえてください。

保障されない人権②:公務就任権——公務員になる資格

公務就任権の通説3分類×保障の有無(東京都管理職選考事件・公権力行使等地方公務員との対応)

次は、公務員になる資格、公務就任権です。14条1項の平等権、あるいは22条1項の職業選択の自由から、これも、外国人に保障されるでしょうか。通説は、公務を3つに分けます。一つ目。公権力の行使や、公の意思の形成に直接関わる管理職。二つ目。専門的・技術的な分野で、統治作用への関わりが弱い管理職。三つ目。それ以外の、補佐的・補助的な事務や専門的な事務です。一つ目だけは、国民主権原理から、日本国民のみを対象とします。二つ目と三つ目は、外国人にも保障される、というのが通説です。全部ダメというわけじゃないんですね。この分類を実際に使った、重要な判例があります。ある地方公共団体の職員だった外国人——特別永住者の方でした——が、管理職への昇任試験を受けようとしたところ、日本国籍が無いことを理由に、受験を認められませんでした。受けさせてもらえなかったんですね。この方は、受験資格の確認を求めて、裁判を起こしました。最高裁は、まず、住民の権利義務を直接形成したり、地方公共団体の重要な施策を決定したりする職——これを「公権力行使等地方公務員」と呼びますが——この職については、国民主権原理に照らして、原則として日本国籍を持つ人が就くことが想定されている、としました。さっきの通説の一つ目に近い話ですね。ただ、判決は、もう一段踏み込みます。地方公共団体が、この「公権力行使等地方公務員」の職と、その職に昇任するために経るべき職とを、一体のものとして扱う、人事制度を作ることも、認められる、としました。さっきの通説では、二つ目・三つ目の職には、外国人にも保障されるはずでは。良い指摘です。通説からすれば、その手前の職には、本来、保障が及びます。決め手は、一体の任用制度を作ること自体を、地方公共団体の判断でできる、とした点です。その制度を適正に運営する必要がある以上、日本国民に限る区別には合理的な理由がある、という評価になります。管理職に必要な職務経験を積ませる仕組みである以上、国籍で分けても14条1項に反しない、という筋です。だから結論として、管理職試験全体を、外国籍の職員に受けさせなくても違憲ではない、となったわけです。理屈のどこで広がったのか、はっきりしていますね。「日本国籍が無いから一律にダメ」ではなく、「一体的な人事制度を組むことが許される」という、もう一段深い理屈です。

保障されない人権③:社会権——前回の道具が、もう一度出てくる

塩見訴訟と前回の道具の接続(社会権は保障されないが、法律による保障は可=法律という橋の再登場)

次は、社会権です。ここで、前回学んだ道具が、もう一度出てきます。社会権は、国に「積極的に手を貸してくれ」と求める権利でした。この社会権は、誰が保障すべきでしょうか。ただし、どこの国が、という問題があります。通説は、社会権は各人が所属する国によって保障されるべき権利だから、性質上、日本国民のみを対象とする、と解します。憲法上は、保障されません。ただし、財政上の支障が無い限り、法律で外国人にも及ぼすことは、気づきましたね。憲法に書いてあるだけでは動かない権利が、法律という橋が架かって初めて機能する——前回、生存権で見た構造と同じです。外国人の社会権は、その橋が最初から架かっていない状態だと考えると、この立場を確認した、重要な判例があります。ある方が、障害を負ったことを理由に、障害福祉年金を請求しました。しかし、国民年金法は、その受給資格を日本国民に限っていました。外国人だから、もらえなかったんですね。最高裁は、社会保障で在留外国人をどう扱うかは、国の政治的な判断に委ねられるとし、限られた財源の中で、自国民を外国人より優先的に扱うことも、許される、としました。「優先」までは、許されるんですね。同じ理屈は、生活保護法が不法に滞在する人を対象外と、していた事件でも確認されています。どちらも、外国人の処遇をどうするかは、立法府の判断に委ねられる、という同じ原理です。社会権は、この先、生存権そのものを扱う回でじっくり見ます。持ち帰ってください。

入国・在留・出国・再入国——同じ「行き来」でも結論が逆になる

ホテルの宿泊の比喩ボード(チェックイン=入国/延泊=在留/チェックアウト=出国/再チェックイン=再入国)

次は、外国人の出入国に関わる、4つの自由です。入国、在留、出国、再入国。似た言葉が並びますが、結論はバラバラです。全部まとめて「自由」か「不自由」か、じゃないんですね。ホテルの宿泊に例えると、分かりやすいので見ていきましょう。チェックイン、つまり入国です。ホテル側が、泊めるかどうかを決めます。誰の入国を認めるかは、国家の自由な裁量に委ねられる、入りたい人が、自由に入れるわけじゃないんですね。だから、外国人が日本に入る自由そのものは、憲法では守られていない、という結論になります。次に、延泊、つまり在留です。一度チェックインできても、泊まり続ける自由はあるでしょうか。さっきのマクリーン事件を思い出してください。入る自由が無い以上、居続ける自由も無い——これがマクリーン事件の理屈でした。さっきの話が、ここにもつながるんですね。在留を続けさせるかどうかも、国の裁量です。では、チェックアウト、つまり出国はどうでしょうか。出て行くのは、自由な気がします。そのとおりです。ここで、前回も一度見た条文を、今度は違う角度から見てみましょう。

条文日本国憲法 22条2項

日本国憲法 第二十二条 2項 何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない。

前回は、この条文を国籍離脱の自由の根拠として見ました。同じ条文が、二つの自由の根拠になっているんですね。日本から出て行く自由は、外国人にも保障されている、入国は国家の管理下にありますが、出国は、その管理と関わりません。出て行く人を、国が引き止める理由が無いからです。入るときは国の裁量、出るときは自由——ちょうど逆になるんですね。そこが、今日おさえてほしい弁別です。「出入国」とひとまとめにすると、この違いが見えなくなります。最後に、再チェックイン、つまり再入国です。一度日本を出た外国人が、もう一度日本に戻る自由です。出るのは自由なんだから、戻るのも自由な気がしますが。実は、判例はここでも、保障されない、としています。外国人は、憲法上、外国へ一時旅行する自由を保障されているものでない——というのが判例の言葉です。入国や在留の自由が保障されない以上、再入国も同じだ、という理屈です。でも、生活の本拠がこっちにある人が、一時的に外国へ行って、良いところに気づきました。実は、この判例には、学説から強い批判があります。一時的な入国とは違って、生活の本拠に戻る権利である以上、再入国の自由は人権として保障されるべきだ、という指摘です。判例と通説が一致しない、数少ない場面の一つです。

入国/在留/出国/再入国の一覧表(可否・根拠・判例)

ここで、4つを一覧にしておきます。入国はNo、在留もNo、出国はYes、再入国は判例上No。ただし、再入国については学説が割れています。「行き来」に関する自由は、一つひとつ性質が違う、と覚えておいてください。

保障される人権——政治活動の自由は、あの結論に戻る

保障される人権の一覧(自由権一般=あり/政治活動の自由=あり・在留制度の枠内/その他)

ここまで、外国人に保障されない人権を見てきました。ここからは、保障される人権です。まず、自由権一般です。自由権は、社会権と違って、前国家的・自然権的な権利です。だから、原則として外国人にも保障されます。お金に関わる自由については、外国籍であることを理由にした制限が認められています。公証人になれない、無線局を開設できない、といった制限が、法律上あります。次に、政治活動の自由です。これは表現の自由の一部にあたります。精神的自由権は前国家的な権利ですし、外国人の政治的な意見も、日本の民主主義にとって有益です。だから、政治活動の自由は、性質上、外国人にも保障されうる、さっきのマクリーン事件は、政治活動の自由が問題になった事件でしたよね。政治活動の自由は、外国人にも保障されます。ただし、さっき見た選挙権のような参政権は、国民主権原理から国民だけのものなので、政治活動の自由は、日本の政治のゆくえに行き過ぎて口を出す形にならない範囲で認められる、とされています。そして、保障されるとしても——マクリーン事件で見たとおり、それを行使したことを、在留期間更新の際に、不利益な事情として考慮されることは、ありえます。「保障される」で終わらない、というあの話ですね。政治活動の自由は、保障されるかどうかという入り口の問題と、保障されたとしても在留制度の枠の中にあるという、もう一段の問題が、セットになっている、と覚えてください。最後に、その他の権利を確認しておきます。平等権、請願権、裁判を受ける権利、刑事補償請求権は、いずれも外国人に保障されます。ただし、程度が弱まる場合はあります。国家賠償請求権だけは、少し特殊です。性質上は及びますが、相互主義が採られています。相手の国が、日本人に賠償請求権を認めているなら、日本もその国の人に賠償請求権を認める、という考え方です。国家賠償法にも、この考え方が定められています。ここまでで、外国人の人権については、ひとまず一区切りです。

今日の地図(保存版)

保障の有無マップ完成版(選挙権/公務就任権/社会権/入国在留出国再入国/自由権/政治活動の自由——結論と決め手を全部埋めた最終形)

「外国人には人権があるか」という問いの立て方自体が、雑だという話から始めました。正しくは、「どの人権が、どの範囲で及ぶか」を、一つひとつ確かめる必要があります。性質説は、その考え方の枠組みにすぎません。中身を埋めるのは、一つひとつの人権ごとの理由づけです。この表を、完成させておきます。国民主権に関わる権利は、否定される傾向にありました。前国家的な自由権は、原則として保障されました。出入国に関わる自由は、入るときと出るときで、真逆でした。そして、マクリーン事件が示したのは、「保障される」で話が終わらない場合がある、ということでした。外国人の人権は、在留制度という枠の中で、保障されているんです。冒頭の、「何人も」「国民は」の書き分けの話に戻ると——結局、文言で決まるわけじゃなくて、権利の性質と、対象がそれを必要とするかどうかで決まる、ということですね。ここまでは、生身の人間である外国人に、人権が及ぶかどうかを見てきました。では、人ではない団体——会社のような存在にも、同じように人権はあるでしょうか。人間じゃないのに人権があるなんて、ちょっと変な感じがします。そこを、次にたどっていきます。

参照条文

  • 日本国憲法 93条2項
  • 日本国憲法 22条2項

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