憲法ゼロから憲法#8

人でない団体にも人権はあるか——八幡製鉄事件と両面性

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第2章 人権総論 ⑧/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

団体の人権享有主体性——法人にも人権はあるか

法人・権利能力なき社団の位置づけ(人権は本来自然人のもの→性質上可能な限り団体にも及ぶ)

会社が典型ですが、権利能力なき社団と呼ばれる団体も含みます。法律上は人ではないけれど、実質は法人と変わらない団体のことです。サークルのような団体が、その典型です。ここでは、代表して「会社」を念頭に置いて考えましょう。人権は、本来、生身の人間である自然人が持つ権利です。法人という、法律が作った”人”にも、人権はあるのでしょうか。人間じゃないのに、人権があるのは、変な感じがします。実は、法人などの団体は、社会の中で、自然人と同じように活動する実体です。現代社会にとって、欠かせない存在でもあります。もし法人にまったく人権が無いとしたら、契約を結ぶ自由も、財産を持つ自由も、法人の名では主張できなくなってしまいます。それでは、法人が社会で担っている役割そのものが、成り立たなくなります。もう一つ、理由があります。法人の権利の効果は、最終的に、そこに集まる自然人自身の活動を、守ることでもあるのです。だから、法人などの団体にも、その権利の性質が許すところまで、人権の保障を及ぼすべきだ、というのが学界の一致した理解です。この考え方を示した、代表的な判例があります。ある製鉄会社が、特定の政党に、政治資金を寄付しました。会社の目的の範囲内かどうかが、争われた事件です。

判例最大判昭45・6・24

八幡製鉄事件——性質上可能な限り 憲法第三章に定める国民の権利および義務の各条項は、性質上可能なかぎり、内国の法人にも適用される。

この判示が、法人の人権享有主体性を認めた根拠として、引用され続けています。争点の結論も見ておきましょう。この寄付は、会社の目的の範囲内だと認められました。会社も社会の中で活動する存在である以上、政治にかかわることも、その活動の一つだという理解です。「性質上可能な限り」——外国人のときと、同じ言い回しですね。良いところに気づきました。外国人のときは「日本国民のみを対象とするものを除き」、団体のときは「性質上可能な限り」。表現は違いますが、同じ発想です。その権利の性質が、対象を限定しているかどうかで判定する、では、法人には、具体的にどんな人権が、どこまで保障されるでしょうか。

団体に保障される人権と、保障の程度

団体に保障される/されない人権の一覧(精神的自由の内面/外面・経済的自由・社会権・人身の自由)

まず、精神的自由権から見ましょう。ここは、内面と外面で分かれます。信仰そのもの、心の中で何を信じるかという内面的な精神活動の自由は、法人には保障されません。会社が、何かを信じる、というのは、たしかに変ですね。一方、宗教的な行為をする自由や、宗教団体を作る自由——外面的な精神活動の自由は、法人にも保障されます。表現の自由も外面的な活動なので、保障されます。政党の政治活動や、報道機関の報道の自由が、その典型です。次に、経済的自由権です。これは、権利の性質上、法人にも保障されます。ただし、保障の程度には差があります。国が国民の暮らしに積極的に関わる社会国家——以前に見た国家像ですね——そこから、自然人よりも広い範囲の規制が許される、自然人の経済的自由は、その人の生活そのもの、人格の発展に直結しています。職業を選ぶことも、財産を持つことも、その人がどう生きるかという話と、切り離せません。これに対して、法人の経済活動は、多くの場合、大きな経済力を背景にしています。一つの会社が値段や仕入れ先を決めるだけで、その街の小さな店が立ち行かなくなる、ということも起こります。社会全体の公正さを保つために、その活動を調整する必要が、自然人よりも大きい、というのが理由です。会社だからこそ、規制が強くてもいい、ということですね。他方、社会権や、一定の人身の自由——住居の不可侵や、逮捕・抑留に関する権利などは、生身の個人であることを前提とする権利なので、法人には保障されません。さて、最後に、政治活動の自由の保障の程度を、八幡製鉄事件で確認しましょう。政治活動の自由自体は、法人にも保障される、というところまでは、もう見たとおりです。問題は、その程度が、自然人と同じかどうかです。

判例最大判昭45・6・24

八幡製鉄事件——自然人と同程度 会社は、自然人たる国民と同様、国や政党の特定の政策を支持、推進しまたは反対するなどの政治的行為をなす自由を有する。政治資金の寄附もまさにその自由の一環であり、会社によってそれがなされた場合、政治の動向に影響を与えることがあったとしても、これを自然人たる国民による寄附と別異に扱うべき憲法上の要請があるものではない

判例は、そう判断しました。会社が政治資金を寄付することで、政治の動向に影響を与えることがあっても、それだけを理由に、自然人による寄付と区別する憲法上の理由は無い、でも、会社って、個人よりずっと大きなお金を動かせますよね。そこが、この判例に対する、いちばん強い批判です。強大な経済力を持つ法人が、政治献金を自由に行えることを、全面的に認めると、自然人の政治的な影響力が埋もれてしまうのではないか、この批判は、次の話に、そのままつながっていきます。

団体の両面性——守る主体であり、脅かす主体でもある

団体の両面性の反転図(守られる主体⇔構成員の人権を侵害しうる主体)

団体は、これまで見てきたように、それ自体が人権の主体です。しかし同時に、その団体の中にいる人、つまり構成員から見ると、団体は、「守られる主体」であると同時に、構成員に対しては、「人権を侵害しうる主体」にもなりうる、ということです。たとえば、ある業界団体が、特定の候補者を全面的に支援する方針を打ち出し、所属する会員にも、その候補者への支持を、暗に求めたとします。それだと、会員は本音では嫌でも、従わざるを得ない空気になりそうです。団体の政治的な自由が強く認められれば認められるほど、一人ひとりの構成員が、誰を支持するかを自分で決める自由が、押しつぶされる危険も、大きくなります。さっきの八幡製鉄事件を、もう一度思い出してください。会社が、政治献金の自由を、自然人と同程度に認められました。ただ、この結論には、一つの前提があります。その会社に、自分の意思で自由に加入した株主を前提にしている、嫌なら株を売って、辞めることもできる。そういう関係だからこそ、会社の政治活動が自然人と同程度に自由でも、構成員である株主の思想の自由と、正面から衝突しない、と言えるわけです。逆に言うと、辞められない団体だったら、話が変わってきますね。加入するかどうかを、そもそも選べない団体——強制加入団体と呼ばれる団体があります。税理士として働くには税理士会に、司法書士として働くには司法書士会に、必ず加入しなければならない、という制度です。嫌でも入らないといけないんですね。そういう団体が、政治的な活動をしたとき、構成員の思想の自由との緊張は、八幡製鉄よりずっと強く出ます。この緊張をどう扱うかは、私人間の人権保障を扱う回で、じっくり見ます。両面性だけ、持ち帰ってください。

今日の地図(保存版)

団体の人権保障まとめ(性質上可能な限り→精神的自由外面/経済的自由=あり・内面/社会権=なし→政治活動の自由=自然人と同程度→両面性)

人ではない団体にも、権利の性質上可能な限り、人権が及びます。精神的自由は、外面的な活動——表現や信仰の実践は保障され、内面そのものは保障されません。経済的自由は保障されますが、自然人よりも広い規制が許容されます。社会権や、選挙権・被選挙権、一定の人身の自由は、保障されません。そして、政治活動の自由は、判例上、自然人と同程度に保障されます。でも、それだけ広く認めると、会社は個人よりずっと大きな力を持っているから、心配になります。そのとおりです。そこで見えてきたのが、団体の両面性でした。団体は、それ自体が人権の主体として守られる存在であると同時に、構成員に対しては、その人権を脅かしうる存在にもなります。加入を選べる団体か、選べない強制加入団体かで、この緊張の強さは変わります。外国人にも、団体にも、人権が及ぶことが分かりました。人権があるとわかったところで、次に問われるのは、その人権が、どこまで制限できるか、という問題です。「公共の福祉」という言葉が、実際に何を意味するのか——その枠組みは、次にたどっていきます。

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