公共の福祉
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「公共の福祉」の条文(12条・13条・22条1項・29条2項)
問題の出発点
「公共の福祉で制限できる」の一言で済むなら、どんな人権もその一言で消せてしまいます。
憲法は国家権力を縛る法なのに、縛られる側が使える万能の言い訳になってしまいます。
「公共の福祉」という言葉は、それ自体では、制限の程度について何も教えてくれないからです。
そこで、学説がこの言葉にどう中身を与えてきたかが問題になります。
12条・13条
12条の「濫用してはならない」とは、自分の権利を好き放題に使ってはいけない、ということです。
「公共の福祉」が最初に出てくるのが、12条です。
- 12条:国民は、自由や権利を濫用してはならず、常に公共の福祉のために利用する責任を負います。
- 13条:一人ひとりを、集団の一部としてではなく、個人として扱うことが柱です。生命・自由・幸福追求の権利は、公共の福祉に反しない限り、国政の上で最大の尊重を必要とします。
📍 第三章 国民の権利及び義務(10〜40条)📜 12条この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
📍 第三章 国民の権利及び義務(10〜40条)📜 13条すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
4か所に重ねて書かれている

12条・13条だけですべての人権を制限できるなら、22条・29条に重ねて書く必要は無いはずです。
なぜ重ねて書かれているのかが、学説対立の出発点です。
📍 第三章 国民の権利及び義務(10〜40条)📜 22条1項:何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。
📍 第三章 国民の権利及び義務(10〜40条)📜 29条2項:財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。
一元的外在制約説
「公共の福祉」は、12条・13条のほか、22条1項・29条2項にも書かれています。
最初に登場した説は、12条・13条の「公共の福祉」をどう読んだのでしょうか。
一元的外在制約説とは
一元的外在制約説は、12条・13条の「公共の福祉」を、すべての人権に対する外側からの一般的な制約と読む説です。
- 外在:人権の外側から加わる制約という意味です。
- 一元的:その制約の根拠が一つという意味です。
難点(法律の留保への逆戻り)
法律の留保とは、人権を「法律の範囲内」でしか認めないしくみです。
明治憲法下では、法律さえ作れば、国はいくらでも人権を制限できました。
一元的外在制約説は、今では支持されていません。
「公共の福祉のため」と言って法律を作れば、どんな人権も無限定に制限できてしまうからです。
結局、明治憲法の法律の留保に逆戻りしてしまいます。
政府に批判的な新聞記事を、「公共の福祉を害する」という理由だけで禁止する場合です。
法律を作れば、こうした禁止さえ理屈のうえでは許されてしまいます。
内在外在二元的制約説
一元的外在制約説は、法律の留保に逆戻りしてしまう説でした。
次の説は、外在制約が働く場面をどのように絞ったのでしょうか。
外在制約と内在制約の振り分け
内在外在二元的制約説は、外在制約が働く人権を限定する説です。
- 外在制約:22条の職業選択の自由、29条の財産権、それに社会権だけが受けます。
- 内在制約:それ以外の人権は、他の人権とぶつかる場面だけで制約されます(人権それ自体に内在する制約)。
- 社会権:国に「積極的に手を貸してくれ」と求める権利です。
12条・13条の「公共の福祉」は、個別の人権を制限する根拠ではなく、人権全体にかかる一般的な規定だと読みます。
外在制約が働く場面を狭くすれば、一元的外在制約説の難点をある程度は避けられるからです。
13条にも「公共の福祉」と書いてありますが、この説では外在制約の根拠になりません。
外在制約が働くのは、経済的自由権と社会権の2つに限られます。
2つの難点
この説には、2つの難点があります。
- 13条の訓示規定化:13条を、裁判で使えない訓示規定(政治的な指針)に落としてしまいます。13条は、プライバシー権のように憲法に個別の条文が無い新しい人権の根拠になる条文です。13条が裁判で使えなくなると、その根拠が無くなります。
- 分類の相対性:人権の分類は、そんなにきれいに分けられません。22条の職業選択の自由や29条の財産権を、表現や信仰といった精神的自由と完全に切り離すのは単純ではありません。
ある思想を掲げる出版社が、営業そのものを制限された場合です。
職業選択の自由の問題であると同時に、何を世に出すかという表現の自由の問題でもあります。
どちらの箱に入れるかで、制限の許され方が変わってしまいます。
一元的内在制約説(従来の通説)
内在外在二元的制約説には、13条の訓示規定化と分類の相対性という2つの難点がありました。
通説は、「公共の福祉」をどう定義して、この難点を克服したのでしょうか。
実質的公平の原理
一元的内在制約説は、「公共の福祉」を、人権相互の矛盾・衝突を調整するための実質的公平の原理と定義します。
外在制約をそもそも認めず、「公共の福祉」はすべての人権に内在する制約だと考えます。
この説が、従来の通説とされてきました。
この定義は、条文のどこにも書かれていません。
通説が「公共の福祉」という言葉に与えた、解釈上の定義です。
人権相互の調整

「実質的」とは、中身を見て、両方の人権が実際に立つように調整するという意味です。
形のうえでは、どちらの人権も等しく保障されています。
しかし、そのままぶつければ片方が潰れます。
Aが表現の自由を使って、Bの評判を落とすような発言をした場合です。
- Aを無制限に認める:Bの名誉は守られません。
- Bだけを優先する:Aの表現の自由が消えてしまいます。
「公共の福祉」は、この両者をできるだけ両方生かすための、調整の原理です。
自由国家的公共の福祉と社会国家的公共の福祉
この説は、「公共の福祉」の働きを2つに区分します。
- 自由国家的公共の福祉:他人の自由権を守るために働く制約です。すべての人権に及びます。
- 社会国家的公共の福祉:他人の社会権を守るために働く制約です。経済的自由権に対してだけ働きます。
働く人の生活を守るために、労働時間の上限を法律で決める場合です。
雇う側の経済活動の自由(経済的自由権)が、働く側の社会権を守るために制限されます。
これは、社会国家的公共の福祉の働きです。
22条・29条に重ねて書かれている理由
22条・29条の「公共の福祉」は、社会国家的公共の福祉が働くことを確認的に明記したものと説明します。
22条と29条は、まとめて経済的自由と呼ばれます。
社会国家的公共の福祉が働くのは、この経済的自由権に対してだけだからです。
2つの難点の克服
この説では、13条を訓示規定に落とすことも、人権の分類を厳密に分ける必要もありません。
この2つの難点を克服したことで、長く通説の位置を占めてきました。
人権は法律によっても「侵せない」といっても、まったく制限されないという意味ではありません。
他人の人権とぶつかる場面で、両方を立てるために調整します。
そこまでが、この説の認める制限です。
一元的内在制約説の残る難点
一元的内在制約説は、「公共の福祉とは何か」という定義を与えました。
では、目の前の規制がどこまで許されるかも、この定義から分かるのでしょうか。
この説は、目の前の規制がどこまで許されるかを判定するものさしまでは与えてくれません。
Aの発言をどこまで抑えられるかは、次のどちらもありえます。
- 事後の制裁:発言した後に、損害賠償を負わせるところまでにとどめます。
- 事前の禁止:発言そのものを、前もって禁止するところまで進みます。
どちらも「人権相互の調整だ」と説明できてしまい、どちらを選ぶべきかは定義から出てきません。
この空白を埋めるための道具が、違憲審査の基準という考え方です。
近時の有力説(「公共の福祉」の中身を広げる)
一元的内在制約説は、他者の人権と衝突する場合だけ制約を認める発想でした。
では、他者の人権とは言いがたい理由による規制は、どう説明するのでしょうか。
一元的内在制約説で説明しにくい規制
本人自身を、本人の危険な行動から守るための制約を、パターナリスティックな制約といいます。
実際の規制には、他者の人権とは言いがたい理由によるものが少なくありません。
次の2つです。
- 景観を守るための建物の高さ規制:特定の誰かの人権ではなく、街全体の景観という利益のための規制です。
- バイクに乗るときのヘルメット着用義務:本人以外の誰かの人権ではなく、本人自身を守るための規制です(パターナリスティックな制約)。
近時の有力説
近時の有力説は、「公共の福祉」という言葉の枠組みは保ちながら、その中身を広げて捉える説です。
- ①他者の人権との調整:一元的内在制約説の基本形です。
- ②社会全体の利益:景観の維持がその例です。
- ③本人の利益:ヘルメット着用義務がその例です。
「公共の福祉」という枠組みを捨てたのではなく、中身を広げた説です。
比較衡量論とその限界
「公共の福祉」の中身が広がっても、実際の場面でどう使うかは別の問題です。
実際に裁判で使われてきた比較衡量論には、どのような限界があるのでしょうか。
比較衡量論
比較衡量論とは、規制によって得られる利益と、規制しない場合に維持される利益を、天秤に乗せて比べる手法です。
前者の方が重ければ、規制は許されます。
多くの判例が、実際にこの手法を使っています。
限界(構造的な偏り)
比較衡量論は、国家の利益は個人の利益より重視されやすいという構造的な偏りを持つ、と批判されています。
並べた瞬間に、天秤の皿の大きさが、比べる前から違って見えてしまうからです。
これは、利益の中身に入る前の、比べ方そのものの問題です。
深夜のライブハウスの音出しに苦情が出て、市が深夜の営業を制限する条例を作ろうとする場合です。
- 市の側:「地域全体の生活環境を守るため」と主張できます。
- ライブハウス側:「この一軒の営業の自由」としか主張できません。
ものさしを先に決める
天秤に乗せる前に、比べるための基準(ものさし)を先に決めておく必要があります。
第5節の学説の道筋も、比較衡量の道筋も、同じ結論にたどり着きます。