憲法ゼロから憲法#11

合憲か違憲かをどう決めるか——三段階審査と違憲審査基準

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第2章 人権総論 ⑪/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

想起:二つの宿題を受け取る

想起ボード(前々回=実質的公平の原理・宿題未回収/前回=枠と絞り・同じ宿題持ち越し)→今日、宿題を返す

始める前に、二つ、確かめておきたいことがあります。一つ目です。前々回、「公共の福祉」とは何か、学説の歩みをたどりました。たどり着いた答えは、覚えていますか?ただ、そこには宿題が残っていましたね。二つ目です。前回は、国家と特別な関係にある人——公務員や被収容者の人権を見ました。「特別な身分だから制限されて当然」ではなく、何で決まっていましたか。ですが、ここでも、同じ宿題が残ったままでした。「どんな順番で、どんな厳しさで確かめるのか」——あらゆる人権制限に共通する、判定のものさしです。今日、その宿題の、いちばん大きな部分を返します。目の前の規制が、合憲か違憲かを、どうやって決めるのか——今日の主役です。

三段階審査①:保障の有無——その行為は人権の「箱」に入るか

三段階審査の全体像(①保障の有無→②制約の有無→③正当性〔形式的審査+実質的審査〕)をフローで提示

最初のステップです。目の前の行為が、そもそも、人権という「箱」に入るかどうかを確かめます。ある行為が、憲法の定める、どの人権として保障されるか、ということです。ここで、一つコツがあります。一つの行為が、複数の人権の候補にまたがって見えても、できるだけ、一番ぴったり合う条文を探すことです。労働組合を結成する行為は、団体を作るという点では、結社の自由の問題にも見えます。ですが、勤労者の団結を保障する、より的を絞った、28条という条文が、憲法には別にあります。この場合は、その、的を絞った条文の方を選びます。その条文が、その場面を名指しして、より手厚い保障を用意しているからです。なお、その行為をした人が、そもそも人権を持つ主体と言えるかどうかも、このレベルで確認します。外国人や団体の人権のところで、すでに見た道具です。今日は、深入りしません。

保障の有無の判定+[law]21条1項カード+自前設例(駅前広場の禁止条例)導入

では、今日使う設例を、一つ用意します。ある市が、市営の駅前広場での、政治的な意見表明を目的とした、演説や署名活動を、一律に禁止する条例を、定めたとします。この禁止条例を、今日、最後まで一本の筋で追いかけます。まず、この行為が保障されるかを、確認しましょう。

条文日本国憲法 21条1項

日本国憲法 第二十一条 1項 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。

演説も、署名活動も、自分の考えを、他人に伝えようとする行為です。21条1項が保障する、表現の自由に、そのまま当てはまります。人権という箱には、確かに入っています。次に、本当に制約されているかを見ていきましょう。

三段階審査②:制約の有無

制約の有無(直接的かつ強度/間接的・付随的の対比)+禁止条例は直接的かつ強度の制約と確認

二つ目のステップです。保障された行為に、実際に、制約がかかっているかを確認します。保障されていても、何の制約も受けていなければ、憲法上の争いには、そもそもなりません。ここで、もう一つ、見ておきたいことがあります。制約には、強さの違いがあるということです。行為そのものを、名指しで禁止するような制約は、直接的かつ強度な制約と呼ばれます。一方、別の目的の規制が、たまたま副次的に、その行為にも影響する場合は、間接的・付随的な制約と呼ばれます。たとえば、道路工事のために、たまたま集会の場所が、一時的に使えなくなる——これは、間接的で、付随的な制約です。今日の禁止条例は、演説や署名活動そのものを、名指しして、全面的に禁止しています。これは、直接的かつ強度な制約に当たります。この強さが、あとで見る、目盛りの選び方に、効いてきます。覚えておいてください。では、制約は確かにある——次は、その制約が、正当化できるかどうかを、確認していきましょう。

三段階審査③-1:制約の正当性・形式的審査

形式的審査(法律の留保・明確性)+禁止条例は適法な条例・文言も明確でパス

三つ目のステップ、制約の正当性です。この検討全体を、合憲性審査、あるいは違憲審査と呼びます。裁判所が81条で持つ、あの違憲審査の権限を、実際に働かせるのが、このステップです。ここは、二段構えになっています。まず、外側の形から見る、形式的審査です。一番目に、法律の根拠があるかどうかです。前回、法律の根拠が無いのに人権を制限することは、法治主義に反する、という話をしました。ここでも、同じ考え方を使います。法律の根拠が無ければ、それだけで、その制約は違憲です。これを、法律の留保と呼びます。あのときの2つの顔のうち、「法律の根拠が無ければ制限できない」という、良い方の顔だけを、ここでは使います。二番目に、もう一つ条件があります。表現の自由を制限する法律や、刑罰を科す法律は、内容が、明確でなければなりません。規制の中身が、あいまいだと、どこまでが禁止されるか、誰にも分かりません。すると、本当は自由なはずの行為まで、念のため控えてしまう——萎縮効果が起きます。だから、条文の言葉は、はっきりしている必要があります。今日の禁止条例を見てみましょう。市の議会が定めた、条例です。条例は法律とは違いますが、条例も、住民が選んだ議員の議会が、憲法と法律の範囲内で定めるルールです。だから、法律の根拠が要る、というときの根拠には、条例も含まれます。何を禁止するかも、はっきり書かれています。形の審査を通過したら、次は、中身の審査に進みます。

三段階審査③-2:制約の正当性・実質的審査

実質的審査の2分岐(①絶対的禁止=検閲・名前のみ/②一定の制約を許容→違憲審査基準へ)

形をパスしたら、次は中身です。さきほどの合憲性審査のうち、中身を見る場面——これが、実質的審査です。ここで、道は二つに分かれます。一つ目は、理由のいかんを問わず、憲法が、絶対的に禁止している場合です。その代表例が、検閲です。21条2項が定めています。検閲が具体的に何を指すのか、その中身は、表現の自由を扱う回で、じっくり見ていきます。今日は、「例外なく絶対にダメ、というカテゴリーがある」ということだけ、押さえてください。いえ、検閲には当たりません。検閲は、おおまかに言うと、発表される前の中身を、行政があらかじめ審査して止めるようなものです。今日の禁止条例は、場所を決めて、行為そのものを、一律に禁止しているだけで、性質が異なります。ですので、道は、もう一つの方に進みます。二つ目——一定の制約は、許容されている場合です。この場合は、絶対にダメとまでは言えないので、どこまでの制約なら許されるか、程度の問題になります。そこが、今日、いちばん時間をかけたいところです。ここからは、三つ目のステップの中——厳しさの話に入ります。

なぜ、目盛りを先に決めておくのか

なぜ目盛りを先に決めるのか(比較衡量の限界の完成=裁判官の主観的判断を拘束し得ない・公益優先に陥りやすい)

「どこまで許されるか」を決める、一番シンプルな方法は、規制で得られる利益と、失われる利益を、天秤に乗せて比べることです。前々回、比較衡量として見ました。前々回、深夜営業の規制を例に、弱点を見ましたね。「地域全体の生活環境」と、「一軒の営業の自由」を並べると、比べる前から、皿の大きさが違って見えてしまう、という話でした。ここに、もう一つ、弱点を足します。天秤の使い方は、事案ごとに、裁判官が、そのつど判断することになります。すると、同じような事案でも、裁判官によって、判断がぶれてしまいます。同じ駅前広場の事件でも、ある裁判官は「秩序の方が重い」と言い、別の裁判官は「表現の方が重い」と言う——天秤の上では、どちらも成り立ってしまいます。裁判官の主観的な判断を、拘束する仕組みが、天秤にはありません。すると、さきほどの、公益の皿が大きく見えるという傾向が、そのまま結論に出てしまいます。そして、結果として、公益を優先する判断に、陥りやすくなります。この二つの弱点——判断がぶれることと、公益に偏りやすいこと、この両方を避けるには、どうすればいいでしょうか。事案の中身を見る前に、どれくらい厳しく疑うか、その目盛りを、あらかじめ固定しておく——これが、違憲審査基準という発想の出発点です。目盛りを先に決めておけば、裁判官が変わっても、同じ目盛りで測ることになり、判断がぶれにくくなります。そして、目盛りそのものを、あらかじめ厳しく設定しておけば、公益に偏りやすいという弱点も、抑えられます。

違憲審査基準の3層——目的と手段の物差し

違憲審査基準の3層比較表(厳格/中間/合理性×目的/手段、別名も併記)

では、その目盛りを、具体的に見ていきましょう。違憲審査基準は、大きく三段階に分かれています。どの段階でも、見るポイントは同じ二つです。規制の目的と、その目的を達成する手段です。人権を制限する以上、それに見合うだけの理由があるか——目的です。そして、その理由のために、本当に必要な範囲か——手段です。この二つが揃わなければ、正当化できないからです。厳しさが変わると、目的と手段、両方の要求レベルが、同じ向きに変わっていきます。厳しく疑うというのは、国の側に、より重い説明を求めるということです。だから目的も手段も、同時に重くなります。一番厳しいのが、厳格審査基準です。目的は、やむにやまれぬ、必要不可欠な、公共的利益。手段は、必要最小限度——これ以上ないというくらい、絞り込んだ方法でなければなりません。目安としては、人の生命や身体を守る、といったレベルの利益です。真ん中が、中間審査基準です。別名、LRAの基準とも呼ばれます。目的は、必要不可欠とまでは言えなくても、十分に重要と言えれば足ります。たとえば、交通の安全を保つ、といった利益なら、十分に重要と言えます。手段は、実質的関連性——目的との間に、しっかりとしたつながりがあれば足ります。ただし、もっと制限の少ない、代わりの手段があるなら、そちらを使うべきだった、と判断されます。より制限的でない、他の選びうる手段——その頭文字を取って、LRAの基準と呼ばれます。一番緩やかなのが、合理性の基準です。明白性の基準、明白性の原則とも呼ばれます。目的は、正当と言えれば足ります。目的そのものがおかしい、と言えなければ通る、という緩さです。手段も、合理的関連性——一応のつながりがあれば足ります。裁判所は、明らかに不合理だと言えない限り、口を出さない、という緩やかな姿勢を取ります。一つのダイヤルを、強めるか緩めるか、というイメージで捉えてください。

1つの規制を、3つの物差しで測る

禁止条例を3つの基準に当てはめた結果の対比表(厳格→違憲/中間→違憲/合理性→合憲)

では、今日の禁止条例を、この三つの目盛りに、実際に当てはめてみましょう。市が掲げる目的は、広場の秩序を維持することです。手段は、演説・署名活動の全面禁止です。まず、厳格審査基準を使ったら、この規制は、生き残ると思いますか。広場の秩序維持という目的が、やむにやまれぬ必要不可欠なレベルまで、達しているとは、言い難いところがあります。仮に目的を認めたとしても、手段が全面禁止では、必要最小限度とは言えません。時間や場所を区切るなど、もっと絞った方法があるからです。結論は、違憲です。次に、中間審査基準を使ったら、どうでしょうか。ここでも「もっと絞った方法があるか」という、厳格審査のときと同じ問いを使います。違うのは、目的にどこまでの重さを求めるかと、代わりの手をどこまで探すか——その厳しさです。目的は、十分に重要、とは認められるかもしれません。ですが、手段を見ると、許可制にする、時間帯を区切るといった、もっと制限の少ない方法、つまりLRAがあります。全面禁止でなくても、目的は達成できてしまう以上、実質的関連性は認められません。結論は、やはり違憲です。最後に、合理性の基準を使ったら、どうでしょうか。広場の秩序維持は、正当な目的です。全面禁止という手段も、秩序維持と、一応のつながりはあると言えます。明らかに不合理だとまでは、言い切れません。結論は、合憲です。ここが、今日、一番体感してほしいところです。どの物差しを選ぶかで、結論が変わってしまう。だからこそ、物差しを選ぶこと自体に、恣意的でない、きちんとした理由が必要になります。その理由づけが、次に見る、二重の基準論です。

今日の到達点と、残る問い

まとめ(三段階審査=順番と3層の物差し=厳しさは別軸/同じ規制でも物差しで結論が変わる)+残る問い(どの物差しをいつ使うのか)

それでは、ここまでを、いったん整理しましょう。確かめる順番——三段階審査と、確かめる厳しさ——3層の物差しは、別の軸でした。つまり3層の物差しは、三段階審査の外にあるのではなく、三つ目のステップの中身でした。そして、同じ禁止条例でも、使う物差しが変われば、結論そのものが、変わってしまうことも見ました。ただ、一つ、大事な問いが、まだ残っています。「どこまで制限できるかを判定するものさし」——物差し自体は、確かに手に入りました。ですが、この三つのうち、どれを、いつ使えばいいのか、その選び方は、まだ、手にしていません。そこに理由が無ければ、都合のいい物差しを、あとから選んでいるだけ、と言われても、反論できなくなってしまいます。今日見た、制約が直接的か、付随的かという強さも、その判断の材料になります。宿題は、まだ、完全には返せていません。残っているのは、いつ、どちらの物差しを使うか——その判断の理由です。

参照条文

  • 日本国憲法 21条1項

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