憲法ゼロから憲法#12

なぜ物差しを使い分けるのか——二重の基準論

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第2章 人権総論 ⑫/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

想起:物差しは作った。では、いつ使うのか

想起ボード(三段階審査=順番/3層の物差し=厳しさ/同じ規制でも物差しで結論が変わる)→今日の問い=どの物差しをいつ使うのか

始める前に、確かめておきましょう。合憲か違憲かを確かめる順番——保障の有無、制約の有無、そして正当性、この道筋を、前回、何と呼んでいましたか?そして、正当性を確かめる場面では、もう一つ、別の軸がありましたね。どれくらい厳しく疑うか、という物差しです。この3つの物差しを、同じ一つの規制に当てはめてみると、物差しによって、結論そのものが変わってしまいました。同じ規制なのに、合憲にも、違憲にもなり得る。物差し自体は、もう手に入っています。ただし、二回続けて持ち越したまま、まだ返せていない宿題が残っています。では、今日の問いです。この3つのうち、どれを、いつ使えばいいのでしょうか。その選び方に、恣意的でない理由は、あるのでしょうか。先に、答えの形だけ言っておきます。人権を大きく二つに分けて、片方は厳しく、もう片方は緩やかに測る——その振り分けには、二つの理由があります。その理由と、理由が届かない場面まで見たあとで、これまで作ってきた道具の置き場所を地図にして、最後に、まったく別の型も一つ、のぞいてみます。

二重の基準論——精神的自由と経済的自由で物差しを変える

二重の基準論の定義+精神的自由(禁止条例=21条1項)vs経済的自由(許可条例=22条1項)の対比

物差しの選び方には、大きな枠組みがあります。二重の基準論と呼ばれる考え方です。人権を、大きく二つの束に分けて、別々の物差しを当てるという意味です。一つ目の束が、精神的自由権です。表現の自由をはじめとする、心の働きに関わる自由です。ここには、厳格審査基準、または、中間審査基準が使われます。二つ目の束が、経済的自由権です。職業を選ぶ自由——22条1項や、財産権——29条2項が、その代表です。

条文日本国憲法 22条1項

日本国憲法 第二十二条 1項 何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。

ここには、中間審査基準、または、合理性の基準が使われます。ここで、もう一つ、条例を用意しましょう。同じ市が、同じ駅前広場で、キッチンカーなどの移動販売の営業を、許可制にする条例も、定めたとします。この許可条例は、職業選択の自由——22条1項の問題です。禁止条例は、精神的自由の規制なので、厳格か中間という、厳しい物差しで測られます。一方、許可条例は、経済的自由の規制なので、中間か合理性という、緩やかな物差しで測られます。場所も、規制する市も同じなのに、対象が変わるだけで、疑いの強さが変わるんです。前回の禁止条例は、厳格か中間で測る——つまり、どちらの物差しでも違憲になります。物差しが決まれば、前回、宙に浮いていた結論も、決まります。

二重の基準論の2つの理由と、その反論

2つの論拠(民主的政治過程論・裁判所の審査能力)+反論(少数者を狙う経済規制の例)

そこには、二つの論拠があります。一つ目の論拠が、民主的政治過程論です。かみ砕きます。経済活動が規制されて、不利益を受けた人たちがいたとします。この人たちは、選挙で投票したり、議会に働きかけたりして、規制を是正できます。つまり、民主政の過程を使って、自分たちで、立て直す力があります。さきほどの許可条例なら、キッチンカーの人たちが、市議会に働きかける、という形です。数が足りれば、条例は変えられます。ところが、精神的自由——とりわけ、政治的な意見を言う自由が規制されると、話は変わってきます。意見を言う自由、人に伝える自由こそが、まさに、選挙や議会を動かすための手段だからです。禁止条例の側で考えてみてください。広場で演説も署名もできないなら、条例を変えようという声を、そもそも集められません。民主政の過程を使って、直そうにも、その過程を動かす手段自体が、壊されてしまっている。だから、民主政の中では、直しようがなくなる可能性があります。裁判所が、早めに、厳しく介入する必要があるのは、このためです。二つ目の論拠が、裁判所の審査能力です。経済政策が正しいかどうかを判断するには、専門的な、社会経済の分析が必要です。市場への影響や、業界の状況など、裁判所には、不得手な領域です。広場の混雑や、周りのお店への影響——数字と見通しの世界で、議会や内閣の方が、詳しい領域です。一方、精神的自由の規制が正当かどうかは、そうした専門的な分析を、必ずしも必要としません。裁判所でも、十分に判断できる領域です。表現を封じることが人にとってどれだけ痛いか——これは市場の予測ではなく、価値の重さの判断です。そこは、裁判所が本来やっている仕事です。だから、精神的自由には、厳しい基準を、裁判所自身が、使うことができます。そこが、大事な点です。優劣の話ではなく、規制されたときに、自分で立て直せるか、裁判所が判断できるか、という、機能の違いです。ただ、一つ目の理由は、いつでも、当てはまるでしょうか。当てはまらない場面があります。たとえば、特定の少数の業種だけを、狙い撃ちにするような、経済規制を考えてみましょう。この業種の関係者は、少数派です。選挙や議会という、多数決の世界では、自分たちの声を、通しにくい立場にあります。この場合、経済的自由だからという理由だけで、機械的に、緩やかな基準を当てはめてよいのか、疑問が出てきます。二重の基準論は、あくまで出発点です。個別の場面では、この理屈が本当に届いているか、確かめ直す必要が、残っています。振り分けの理由は、どちらが尊いかではなく、自分で立て直せるか、裁判所が判断できるか——この二つでした。そのうえで、一つ目の理由が届かない場面もあります。

論証パターンの地図

論証パターンの5ステップ地図(享有主体→人権の確定→制約→審査基準の定立→あてはめ)+三段階審査との対応

さて、ここまで作ってきた道具を、一度、地図の形にまとめておきましょう。人権の問題を答案で書くときの、道筋です。順番は決まっています。前の答えが出ないと、次に進めないからです。誰の人権かが決まらなければ、そもそも憲法の問題になりません。どの人権かが決まらなければ、何が制約かも、どの物差しで測るかも、決められません。一番目、誰の人権かを確認します。これは、外国人や団体の人権のところで、すでに作った道具です。二番目、どんな人権かを確定します。前回見た、一番ぴったりの条文を選ぶ作業です。三番目、何によって制約されているかを見ます。ここで使うのが、前に作った、二つの道具です。一つは、公共の福祉——人権どうしがぶつかったときに調整する、実質的公平の原理でした。もう一つは、公務員や被収容者のように、国と特別な関係にある人に使う、枠と絞りです。収容の目的という枠の中にあるか、相当の蓋然性という絞りを通っているか、で見ます。四番目、審査基準を定立します。今日、メインで作った道具です。そして五番目、あてはめ。この五つが、答案を書くときの道筋です。さきほどの禁止条例でなぞってみると、一番目は、演説をしようとした人。二番目は、表現の自由。三番目は、市の条例による全面禁止。四番目が、今日やった振り分けです。精神的自由だから、厳格か中間。そして五番目で、その物差しに当てはめる。三段階審査との関係で言えば、実は、同じ地図を、粒度を変えて見ているだけです。三段階審査の、保障の有無は、誰の人権か、どんな人権か、この二つに対応します。制約の有無は、何によって制約されているかに対応します。正当性は、前回見た形式的審査——法律の根拠があるか、言葉が明確か、を通したうえで、審査基準の定立と、あてはめ、この二つに対応します。実際に、答案でどう書くか——規範の覚え方や、あてはめの細かい型は、別のシリーズで、じっくり扱います。今日は、道具の置き場所を、地図として持ち帰ってください。

ドイツの比例原則との異同

ドイツの比例原則(適合性・必要性・均衡性)+アメリカ型基準との対応+批判(結局また利益衡量に戻る)

最後に、少し視点を変えてみましょう。ここまで見てきたのは、アメリカ発祥の、三段階の審査基準でした。この二重の基準論が、今も通説の位置づけです。実は、ドイツには、別の型があります。比例原則と呼ばれる考え方です。近時注目されている、もう一つの視点です。三つの要素でできています。一つ目、適合性——手段が、目的を達成するのに、適した方法かどうか。二つ目、必要性——目的を達成するために、必要な限度にとどまっているかどうか。全面禁止は必要な限度を超えている——同じことを、前回、手段の側で確かめました。三つ目、均衡性——規制によって得られる利益と、失われる利益との、バランスが取れているかどうか。一つ目と二つ目は、どちらも、手段が目的に見合っているかを見ています。だから、アメリカ型の、手段の審査と、ほぼ重なります。三つ目だけは、その目的が、失うものに見合うほど重いのかを問う——だから、目的の審査に対応します。ただ、ここで一つ、皮肉な話があります。三つ目の均衡性は、結局、規制で得る利益と、失う利益を、比べる作業に、戻ってしまっています。得る利益と失う利益を、その場で比べる——目盛りを先に決めたのは、それを避けるためでした。なのに、ドイツ型は、最後の最後で、また利益を比べる作業に、戻ってきてしまう。この弱点は、まだ、完全には解決されていません。

今日の地図(保存版)

まとめ(二重の基準論の2つの論拠・反論/論証パターンの地図/比例原則)+三段階審査・3層の物差しと合わせて宿題回収完了を明示+次回接続(私人間効力へ)

それでは、今日の内容を、まとめましょう。前回、確かめる順番と、確かめる厳しさという、物差しそのものを、作りました。今日は、その物差しを、いつ、どちらに使うのか、という問いに答えました。精神的自由権には、厳格か中間という、厳しい物差し。経済的自由権には、中間か合理性という、緩やかな物差し。これが、二重の基準論でした。なぜ、そう振り分けるのか。民主政の過程で、自分たちで立て直せるかどうか、そして、裁判所に、判断する能力があるかどうか——この二つの理由でした。ただし、少数の業種だけを狙い撃ちにする規制のように、一つ目の理由が届かない場面もある、という限定つきでしたね。もう一つ。前回見た、制約が直接的か、付随的かという強さも、物差しを選ぶときの材料になります。どう効いてくるかは、人権の一つひとつを見る回で確かめます。これまでの道具の置き場所を示す、論証パターンの地図もありました。誰の人権か、どんな人権か、何によって制約されているか、審査基準の定立、そして、あてはめ——この五つの道筋でした。ドイツの比例原則という、別の型も見ましたね。適合性・必要性・均衡性——ただ、最後の均衡性は、結局また、利益を比べる作業に戻ってしまう、という弱点も、確認しました。合憲か違憲かを、どんな順番で、どんな厳しさで確かめるのか——この宿題は、物差しを作るところまでは前回進みましたが、その物差しを、いつ、どちらに使うかは、まだ残っていました。今日、その使い分けの理由まで、そろいました。この宿題は、これで、完全に返し終えました。物差しの選び方そのものは、これで出そろいました。あとは、一つひとつの人権で、実際に使っていくだけです。今まで、国家が人権を制限する場面を、ずっと見てきました。では、国家ではなく、私人同士の間で、人権が問題になったら、どうなるでしょうか。次は、その場面を見ていきましょう。

参照条文

  • 日本国憲法 22条1項

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