憲法を「翻訳して使う」——私人間効力
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第2章 人権総論 ⑬/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。
問題の所在——国に匹敵する私人が現れた

人権規定は、もともと誰に向けて書かれたのでしょうか。理由は二つあります。一つは、人権という考え方が生まれた歴史です。人権は、国王や国家の力から個人を守るために勝ち取られてきました。もう一つは、条文の書きぶりです。憲法を守る義務を負う人を名指しで並べた条文には、天皇や摂政、大臣、国会議員、裁判官といった国の側の人たちが並び、そこに私人は入っていません。だから人権規定は、国と個人の間で使う道具として作られています。法が誰に向けて書かれているか——この向け先を、名宛人と呼びます。
では、なぜ私人どうしの話が出てくるのか。社会の側が変わったからです。資本主義が高度に発展して、私人でありながら国に匹敵する力を持つ存在が現れました。大きな会社もそうですし、全国に情報を流すメディアもそうです。こうした存在を社会的権力と呼びます。形のうえではただの私人ですが、できることは国に近い。何万人という人の働く場所を左右できますし、ある人の過去を全国に知らせて生活を壊すこともできます。国がやれば人権侵害と呼ばれることです。
ここが核心です。気の毒だから助ける、という話ではありません。一方が他方を実際に押さえ込める——その力の差が、国と個人の関係に似てきたから問題になるのです。相手が国でないだけで、起きていることは同じ。だから、人権規定を私人どうしの間でも使えないかという問いが立ちます。これが私人間効力の問題です。
素朴な答え——直接適用説と、その代償

いちばん素朴な答えは、憲法をそのまま当てればよい、というものです。これが直接適用説です。論拠ははっきりしています。人権の規定は、この国の実体法秩序の中で最も高い価値を定めたものだ。だとすれば、その価値は法のあらゆる領域に届いているはずだ。だから私人どうしの間でも、そのまま当てればよい、と考えます。
この説なら、思想を理由に人を切り捨てた会社の行為を、そのまま憲法違反だと言えます。結論だけ見れば、いちばん頼もしい説です。ところが、この説は通説になりませんでした。なぜでしょうか。その道具を、自分自身に向けてみると分かります。

使わなくなった自転車を、ネットで売りに出したとします。買いたいという連絡が三人から来ました。誰に売るかは自由です。その自由を、法律の言葉で私的自治の原則と呼びます。私人どうしの関係は、私人が自分の意思で決めてよい、という原則です。
そこに憲法をそのまま当ててみます。断られた人が「信条を理由に外された、これは差別だ」と言えば、あなたは、なぜその人を選ばなかったのかを、憲法の物差しで説明しなければならなくなります。自分の自転車を誰に売るかまで、です。
そこが、この説の代償です。強い私人を縛るために作った道具は、普通の個人にも同じように当たります。守るための道具が、そのまま自分の自由を刈り取るのです。
ただし、批判の形は正確に押さえてください。「私人の間に憲法を持ち込むな」という批判ではありません。場面によっては、持ち込むべきこともあるでしょう。問題は、直接適用説だとそれが常に起きることです。会社の採用も、自転車の売り買いも、同じ扱いになる。一律に持ち込むと私的自治の原則を広く害してしまう。だから、この説は行き過ぎだと批判されました。
逆の極——無適用説

反対の極が無適用説です。憲法は国家と国民の関係を規律する法である。だから人権規定は、私人どうしの間には適用されない、と考えます。名宛人の話をそのまま貫いた形です。
ただし、落としてはいけない留保が一つあります。「憲法に特段の定めがある場合を除いて」という一言です。憲法自身が私人にも向けて書いている規定なら話は別だ、という意味です(その中身は後の節で見ます)。
この説は筋は通っていますが、支持をほとんど失いました。会社が思想を理由に人を切っても、憲法の側からは何も言えないことになるからです。ただし、消えたわけではありません。近時、これを見直そうという有力な見解が現れています(この回の終盤で扱います)。
間接適用説——憲法を「翻訳して使う」

ここでいったん立ち止まります。弱い側は守りたい。でも、私的自治も残したい。この両方をかなえる方法はあるでしょうか。どちらかを選ぶしかないように見えますが、発想を一つ変えると道が開けます。
憲法を当てるのを、やめるのです。守るのをあきらめるという意味ではありません。当てる先を、憲法から民法に変えます。私人どうしの関係を決めているのは、もともと民法だからです。その民法の中に、とても幅の広い条文があります。
条文民法 90条
民法 第九十条(公序良俗) 公の秩序又は善良の風俗に反する法律行為は、無効とする。
公の秩序、または善良の風俗に反する法律行為は、無効になる。注目してほしいのは書きぶりです。何が公序良俗に反するのか、条文は何も言っていません。空っぽというより、幅が広いのです。時代や場面に合わせて中身を入れられるように作られています。こういう条文を一般条項と呼びます。
その幅の中に、憲法の考え方を入れる。憲法そのものを当てるのではなく、民法の一般条項を解釈するときに憲法の趣旨を取り込み、その一般条項のほうを私人の行為に適用する。これが間接適用説であり、従来の通説の立場です。

ここが、いちばん取り違えやすいところです。私人の行為に直接あてはめられるのは、憲法ではありません。民法の一般条項のほうです。憲法は、その条項の中身を決めるときに、背後から流れ込みます。憲法をそのまま渡すのではなく、公序良俗という民法の言葉に翻訳して渡す。だから、憲法を使わない説ではありません。
なぜ、わざわざ二段にするのか。二つの困りごとを同時に避けられるからです。
まず、直接適用説の困りごと——自転車を誰に売るかまで憲法の問題になる、という話。間接適用説なら、そうはなりません。憲法違反かどうかではなく、公序良俗に反するほどひどいかを問うからです。売り先を選んだだけで公序良俗に反するとは言えませんから、私的自治はそのまま残ります。一方、会社が思想を理由に人を切った場合は、公序良俗に反すると評価する余地が出てきます。憲法が大切にしている価値を正面から踏んでいるからです。同じ道具なのに、効き方が変わるのです。
次に、無適用説の困りごと——弱い側が救われない、という話。民法という私人に向けた法を使うので、私人どうしの争いでもきちんと結論を出せます。さらに、公法と私法という法の分類を壊さずにすむ利点もあります。国と個人の関係は公法、私人どうしの関係は私法——この整理を保ったまま、憲法の価値を届けられます。
最高裁も、三菱樹脂事件と呼ばれる大法廷の判決でこの立場に立っていると理解されています。そこで最高裁は、私人どうしの対立の調整は、原則として私的自治に委ねられるという筋を示しました。同時にそれは、あくまで「原則」にとどまることも意味しています(事件の中身は次回扱います)。
それでも直接使われる規定がある——一つ目の注意点

注意点を二つ足します。一つ目は例外の話です。
間接適用説に立つと、憲法は直接には当たらない——原則はそうです。ただ、そう言い切ると足をすくわれます。人権規定の中には、私人による侵害を想定したものがあるからです。無適用説の留保にあった「特段の定め」がこれにあたります。四つ見ておきましょう。四つとも、私人による侵害を憲法自身が見込んで置いた規定です。
- 15条4項後段:選挙人は、誰に投票したかについて、公的にも私的にも責任を問われない。「私的にも」と憲法自身が書いているのが決め手です。
- 18条前段:奴隷的な拘束を受けない。国だけでなく、私人による拘束も禁じています。
- 27条3項:児童を酷使してはならない。酷使する側は使用者=私人です。
- 28条:働く人が団結し、団体で交渉し、団体で行動する権利(団結権・団体交渉権・団体行動権)。雇う側が私人であることを前提にした権利です。
こうした規定が私法上の効力を直接もつのは、私人による侵害を正面から想定した規定だからです。「間接適用説だから憲法は絶対に直接適用されない」という覚え方をすると間違えます。それぞれの中身は、その権利を扱う回で詳しく見ます。
保障の強さは相手で変わる——二つ目の注意点

二つ目の注意点は、答案でいちばん効くところです。どこまで憲法の趣旨を取り込むかは、あらかじめ決まっていません。仕組みそのものがそうなっています。憲法の趣旨は、一般条項を解釈するときの考慮事由の一つにとどまり、私的自治を尊重すべきだという要請と並べて考えるからです。
二つ並べてみます。一方は、全国に読者を持つ巨大なニュースサイトが、ある個人の過去を名前つきで記事にした場面。もう一方は、隣どうしの二人が、同じ内容を立ち話で口にした場面。中身は同じでも、力の差がまるで違います。前者には逃げ場がありません。だから人権を守れという要請が強く働き、その分だけ憲法の趣旨を強く取り込むことになります。実質的には、直接適用説に近い結論です。反対に、対等な私人どうしなら、私的自治を尊重せよという要請のほうが勝ちます。実質的には、無適用説に近い結論になります。
この動き方を、私人間の人権保障は相対化すると言います。守られる強さが、相手との関係の性質で変わるという意味です。だから答案で書くべきは、説の名前ではなく、どういう関係なのかを具体的に検討することです。
条文日本国憲法 19条
日本国憲法 第十九条 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。
一つ例を挙げます。思想や良心の自由には、自分の考えを言わずにいられる沈黙の自由が含まれます。短いぶん、例外を認めていない書きぶりです。国が「思想を述べよ」と迫ることは絶対に許されません。では、会社が就職希望者にどんな考えを持っているかを尋ねたら——こちらは、当然には違法にならない場合があります。相手が国か私人かで違い、私人の中でも関係の質でまた違う。この自由そのものの中身は専用の回で扱います。今日押さえるのは、答えが関係の性質で動くという一点です。
新無適用説——判例の読み方が割れる

先に伏せておいた話を開きます。近時、あの無適用説を別の理屈で立て直す見解が現れました。新無適用説と呼ばれる、近時の有力説です。
出発点は、人権という言葉の捉え方にあります。この説は、人権を憲法ができる前からある権利だと考えます。人が生まれながらに持つ自然の権利で、憲法より前にある。だから超実定法的な権利と呼びます。
そこからが眼目です。その権利が憲法に書き込まれた瞬間、憲法の性質を背負う。憲法は公権力を名宛人とする法でした。だから憲法上の権利になった時点で、相手は公権力に限られ、私人どうしにはおよそ適用され得ない。これが一つ目の柱です(先に見た四つの規定は憲法自身が置いた例外なので、ここでは脇に置きます)。

では、私人の間には何も残らないのか。残ります。同じ人権は、民法の中にも取り込まれているからです。私人間で使えるのは、その民法に取り込まれた権利だけ——これが二つ目の柱です。
間接適用説も、直接使うのは民法でした。ですからこの説から入っても、行き着く答えはほとんど同じです。思想を理由に人を切った会社の行為は、やはり許されないと評価する余地が出てきますし、自転車の売り先を選んだだけではとがめられません。具体的な結論はほとんど変わらないので、答案は間接適用説で書けば足ります。
では、なぜこの説を知っておくのか。判例の読み方が変わるからです。従来の通説は「最高裁は間接適用説を採った」と読み、近時の有力説は「最高裁は無適用説を採った」と読みます。同じ判決なのに割れるのは、判決文がどちらにも読める書きぶりだからです。どの言葉がそう読めるのかは、判決そのものを読むときに確かめます。
契約でないふるまいと、国家同視説

最後に、短答向けの補足を二つ入れます。
一つ目——間接適用説にも、手が届かない場面があります。民法90条で無効になるのは「法律行為」でした。私人の行為のうち、意思表示を中身にもつものです。雇う契約、辞めさせる意思表示、部屋を貸す契約とその解除がこれにあたります。ところが、人を言葉で侮辱する、勝手に撮った写真をネットに上げる——こうした行為は契約ではありません。これを純然たる事実行為と呼びます。契約ではないので、無効にする対象がそもそもないのです。そこで実務は、不法行為の規定(民法709条)で受けます。故意か過失で、他人の権利や法律上保護される利益を侵害したら賠償する、という規定です。その侵害が違法といえるかを考えるところで、憲法の趣旨を取り込みます。
二つ目——海外には、まったく別の解き方があります。アメリカのステイト・アクションの理論です。この理論は無適用説を前提にします。憲法は国家にしか当たらない。ならば、その私人の行為を国家の行為と同視できないか、と考えるのです。型は二つ。①公権力がその私的な行為にきわめて重要な程度までかかわっている場合(たとえば、国から特別の財政的な援助を受けて営まれている事業)。②私人が、国に準ずるほど公的な機能を果たしている場合(会社が町ごと所有して運営しているような場合)。国家と同じに見るので国家同視説とも呼ばれます。
ただし、日本の答案でこれを展開する場面はほとんどありません。最高裁は、力の優劣がある場合に限って憲法の規定を当てはめる、という考え方を明示的に排斥しているからです。
その道が要らない理由は、この回の話の中にあります。力の差があるときだけ憲法を当てると決めれば、どこからが差なのかを憲法の物差しで線引きすることになります。自転車のときの息苦しさが戻ってくるのです。その線引きを、公序良俗という民法の言葉の中でやる——それが間接適用説でした。前の節で「力の差で重みが変わる」と言ったのも、公序良俗の中での話です。
二本の柱と、次への宿題

今日の話は、二本の柱にまとめられます。
一本目。私人の行為に直接あてはめられるのは、憲法ではなく、私法の一般条項です。 二本目。憲法の趣旨をどこまで流れ込ませるかは、相手との関係の性質で変わります。
この二本を持っていれば、四つの説がなぜそう言うのかまで見えます。ただし、二本目にはまだ答えが入っていません。実際にどこで線が引かれるのかは、判例を見るまで分からないからです。
そこで、問いを三つ預けます。
- 会社が「この人は雇わない」と決めるのと、いったん雇った人に「やめてもらう」と決めるのとで、答えは同じになるでしょうか。同じ会社の同じ判断に見えますが、その人の立場はまったく違います。
- 入らないと仕事ができない団体——強制加入団体があります。その団体が、会員から集めたお金を政治団体に寄付しました。会員はそれに従わなければならないでしょうか。では、お金の使いみちが変わったら、答えも変わるでしょうか。
- ここまでは私人どうしの行為の話でした。では、契約の相手が国だったらどうでしょう。相手が国なら憲法は当然に及ぶ——本当にそうでしょうか。国が土地を買うとき、国は公権力として振る舞っているでしょうか。
三つとも、最高裁が実際に答えを出しています。答えは、判決文の中にあります。
参照条文
- 民法 90条
- 日本国憲法 19条