憲法ゼロから憲法#48

適正手続とは何か——三十一条と「告知と聴聞」

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第3章 人権各論 ㊽/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

十八条前段——奴隷的拘束からの自由

十八条前段の構造(奴隷的拘束=人が人として扱われているとは言えないほどの身体拘束/絶対的禁止=処罰の場合でも許されない) 図:十八条前段の構造

  • 奴隷的拘束=人が人として扱われているとは言えないほどの身体拘束
  • 絶対的禁止=処罰の場合でも許されない

まず、条文を、読んでみましょう。

条文日本国憲法 18条

日本国憲法 第十八条 何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。

まず、前段の「奴隷的拘束」から見ましょう。人が人として扱われているとは言えないほど、身体の自由を奪われている状態のことです。人を狭い場所に閉じ込め、逃げられないようにして、意思に関わりなく働かせ続ける状態です。一方で、厳しい仕事や訓練でも、本人が納得して選んだものなら、話は別です。自由な意思を、奪っているかどうかが、境目になります。そして、ここが、大事な点です。前段の禁止には、例外が、一切ありません。どんな重い犯罪の処罰であっても、奴隷的拘束は、許されません。奴隷的拘束は、人を、人格を持つ主体としてではなく、単なる道具として扱う状態です。どんな理由があっても、人を道具として扱ってよい場合は、ありません。

だから、例外を一切、認めない書き方になっています。この重みは、このあと見る、三十一条にも、つながっていきます。絶対的な禁止、と呼ばれる理由です。ここが、次に見る後段と、決定的に違う点です。

十八条後段——意に反する苦役、そして拘禁刑

前段と後段の非対称性(前段=絶対的禁止・例外なし/後段=相対的禁止・犯罪に因る処罰の場合は許されうる) 図:前段と後段の非対称性

  • 前段=絶対的禁止・例外なし
  • 後段=相対的禁止・犯罪に因る処罰の場合は許されうる

続いて、後段です。苦役、というのは、本人が望んでいなくても、無理やり働かされる場面を、幅広く指す言葉です。たとえば、徴兵制のもとで、戦地に送られることも、これにあたります。ここで、条文を、もう一度、よく見てください。後段には、「犯罪に因る処罰の場合を除いては」という言葉が、あります。この一言があるかないかで、保障の強さが、まるで違います。後段は、犯罪による処罰の場合には、意に反する苦役を、科してよいと読めます。相対的な禁止、と呼ばれます。前段は例外なし、後段には「犯罪に因る処罰の場合」という例外がある。この非対称性が、条文の文言そのものから、出ています。

では、「犯罪に因る処罰の場合」とは、具体的に、何を指すのでしょうか。ここで、注意してほしいことが、あります。この話をするとき、よく、刑事施設で作業をさせる刑罰の例が、挙げられます。ですが、その刑罰の名前と中身は、近年、大きく変わりました。かつては、懲役と、禁錮という、二つの刑罰に分かれていました。懲役は作業を義務づける刑罰、禁錮は作業を義務づけない刑罰でした。ですが今は、この二つが、一つに統合されています。条文を、見てみましょう。

条文刑法 12条(現行・令和4年法律第67号による改正)

刑法 第十二条 1項 拘禁刑は、無期及び有期とし、有期拘禁刑は、一月以上二十年以下とする。 2項 拘禁刑は、刑事施設に拘置する。 3項 拘禁刑に処せられた者には、改善更生を図るため、必要な作業を行わせ、又は必要な指導を行うことができる

ですが、大事なのは、名前が変わったことでは、ありません。条文の作りそのものが、変わりました。

拘禁刑は単なる名称変更ではない(旧・懲役=拘置と作業が一体の刑罰だった/現行・拘禁刑=二項は拘置のみ、作業は三項の裁量的な処遇へ) 図:拘禁刑は単なる名称変更ではない

  • 旧・懲役=拘置と作業が一体の刑罰だった
  • 現行・拘禁刑=二項は拘置のみ、作業は三項の裁量的な処遇へ

かつては、刑事施設に拘置したうえで、所定の作業を行わせること自体が、刑罰の中身でした。ところが、今の二項を、見てください。「刑事施設に拘置する」——ここまでしか、書いていません。「拘置する」——つまり、自由を奪って、刑事施設に留め置くことだけが、二項の内容です。作業は、三項に、移っています。しかも、三項の言葉は、「行わせ……ることができる」です。誰に、どの作業を行わせるかを、改善更生の観点から判断する、という作りに変わりました。決まった作業を、受刑者が勝手に拒めるわけでは、ありません。そして、これは、今日の話にとって、意味があります。後段は、「意に反する苦役」を、犯罪の処罰として科してよいか、という条文です。もし作業が刑罰の中身そのものなら、その強制は、まさに、苦役の許容そのものです。

苦役性を論じる、前提そのものが、変わってくるのです。単なる名称の変更ではない、というのは、この構造の変化を、指しています。以前は、作業をすること自体が、刑の内容として、当然に、ついてきました。今は、改善更生に必要かどうかを、個別に判断して、作業をさせるかどうかを決めます。正当な理由なく拒めば、遵守すべき事項に反した、扱いを受けます。位置づけは変わっても、強制されること自体は、なお残っています。だからこそ、苦役性は、いまも問題であり続けるのです。拘禁刑は、この「犯罪に因る処罰の場合」に、あたります。有罪判決にもとづいて執行される刑ですから、作業を行わせても、後段の例外の中の話です。ここで押さえるのは、条文の作りが変わった、という事実までです。もう一つ、確認しておきましょう。「犯罪に因る処罰の場合」ではないのに、労役を強制されても、後段に違反しない場面もあります。

非常災害のとき、救援活動への従事を、命じられる場合です。消防法や、災害対策基本法、災害救助法などが、こうした従事命令を、定めています。それでも、通説は、これを、後段違反とは、考えません。差し迫った人命救助という、公益上の必要性が、強く働くからです。緊急性の高さが、例外を正当化する理由になります。そのような、差し迫った必要のない労役の強制は、話が別です。意に反する苦役として、後段の問題になりえます。この場面は、犯罪処罰による例外とは、別の理由づけによる許容だと理解してください。

三十一条の保障内容——なぜ、四つなのか

三十一条の四つの保障(実体×手続/法定×適正の掛け合わせ=①実体の法定②実体の適正③手続の法定④手続の適正) 図:三十一条の四つの保障

  • 実体×手続
  • 法定×適正の掛け合わせ=①実体の法定②実体の適正③手続の法定④手続の適正

ここから、今日、最も重要な条文に入ります。三十一条です。条文を、読んでみましょう。

条文日本国憲法 31条

日本国憲法 第三十一条 何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。

文言のうえでは、そのとおりです。手続が、法律で定まっていること——これしか、要求していないように読めます。通説は、この条文から、四つのことが保障されている、と読みます。そこに、飛躍を感じるのは、当然です。順番に、理由から考えましょう。三十一条の趣旨は、何でしょうか。国家が、人の生命や自由を奪う場面で、権力が、勝手気ままに振る舞うのを防ぐことです。この一点から、考えてみてください。手続が、法律で定まっているだけで、恣意は防げるでしょうか。たとえば、告知も弁解の機会もなく、一方的に処罰を決めてよい、という手続があるとします。それが、法律で定まっていたとします。

だから、手続は、法律で定まっているだけでなく、その中身も適正でなければなりません。これが、③手続の法定に加えて、④手続の適正が要求される理由です。同じ理屈は、手続だけでなく、実体にも当てはまります。実体、つまり、何を犯罪とし、どんな刑罰を科すか、という中身のことです。手続が、どれだけ適正でも、何が犯罪かが法律で決まっていなければ、どうなりますか。だから、実体も、法律で、あらかじめ定まっていなければなりません。これが、①実体の法定——罪刑法定主義です。そして、実体が法律で定まっていても、中身が曖昧でよいなら、どうなりますか。たとえば、「けしからぬ行為をした者は罰する」という規定が、あったとします。

結局、権力の、都合のいいように使われてしまいます。だから、実体の中身も、適正——つまり、明確でなければなりません。これが、②実体の適正です。「法定か、適正か」という軸と、「実体か、手続か」という軸を、掛け合わせてください。四つのマスが、自然に埋まります。この四つのうち、どれか一つでも欠ければ、権力の恣意を防ぐという、三十一条の目的そのものが、達成できなくなります。四つは、互いに補い合って、初めて機能する仕組みなのです。この四つが、三十一条が保障している中身の全体です。

「③だけ説」でも結論に争いは無い(③手続の法定だけを三十一条の保障と見る見解でも、①②④は憲法の他の条項が保障していると解される) 図:「③だけ説」でも結論に争いは無い

  • ③手続の法定だけを三十一条の保障と見る見解でも、
  • ①②④は憲法の他の条項が保障していると解される

ただし、一つ、正確に伝えておきたいことが、あります。三十一条の文言は、たしかに、手続についてしか、語っていません。だから、条文の言葉に忠実に読めば、直接保障するのは、③だけだ、という理屈です。三十一条が、直接、保障しているのは、③手続の法定だけだ、と読む見解も、あります。その見解でも、1つ目・2つ目・4つ目が保障されていない、とは言いません。三十一条以外の、憲法の他の条項が、それぞれ保障している、と解しているのです。四つとも、憲法上、保障されているという結論そのものには、争いがありません。この構造を、隠さずに、覚えておいてください。なお、この明確さの要求を、明確性の原則と呼びます。①実体の法定——罪刑法定主義と、②実体の適正の、両方から出てくる原則です。

どこまで明確なら足りるのか。その判断基準は、別の回で扱っています。今日は、名前だけ、押さえておいてください。さあ、ここからは、三十一条が直接要求している、手続の適正の中身に入っていきます。

三十一条が直接要求するもの——告知と聴聞

事案の構造(被告人=密輸出で起訴された当事者/第三者=貨物の所有者だが訴訟に呼ばれていない/国=起訴し、付加刑として没収を科す側) 図:事案の構造

  • 被告人=密輸出で起訴された当事者
  • 第三者=貨物の所有者だが訴訟に呼ばれていない
  • 国=起訴し、付加刑として没収を科す側

冒頭で話した、あの、貨物没収の話に、戻りましょう。事案を、もう少し、詳しく見ていきます。被告人は、韓国向けに、衣料品などを、密輸出しようとしていました。積んでいた船は、被告人自身の所有物だったので、船の没収は、問題になりません。貨物は、被告人ではない、第三者の所有物でした。それでも、関税法の規定によって、被告人への付加刑として、この貨物は没収されます。主となる刑に、付け加えて科される刑のことです。この第三者は、訴訟の当事者ではありません。告知も、弁解の機会も、一切ありませんでした。この判決には、大事な判断が、二つあります。一つ目は、機会を与えないままの没収が、許されるのか。二つ目は、他人の物の没収を、被告人自身が、争えるのか。まず、一つ目から見ましょう。

判例最大判昭和三十七年十一月二十八日(第三者所有物没収事件)

第三者所有物没収事件——告知と聴聞の機会 第三者の所有物を没収する場合において、その没収に関して当該所有者に対し、何ら告知、弁解、防禦の機会を与えることなく、その所有権を奪うことは、著しく不合理であつて、憲法の容認しないところであるといわなければならない。……所有物を没収せられる第三者についても、告知、弁解、防禦の機会を与えることが必要であつて、これなくして第三者の所有物を没収することは、適正な法律手続によらないで、財産権を侵害する制裁を科するに外ならないからである。……前記関税法一一八条一項によつて第三者の所有物を没収することは、憲法三一条、二九条に違反するものと断ぜざるをえない。

三十一条が直接要求する、適正な手続の中核が、これです。何をしようとしているかを、知らせること——告知。言い分を聞くこと——弁解、防禦。あわせて、聴聞と呼びます。さっき見た、④手続の適正の、中核部分にあたります。この最低限の機会さえあれば、恣意的な没収は防げます。知らされていなければ、そもそも、反論のしようがありません。反論の機会がなければ、間違った処分でも、誰も気づけないまま、確定してしまいます。それが、なかった。だから、著しく不合理だ、と判断されました。正当な手続なく財産を奪う制裁は、財産権の侵害でも、あるからです。

手続の不備という一つの欠陥が、二つの条文に、同時に触れてしまう、ということです。この点は、前回までの財産権の話と、つながる、唯一の接点です。深入りはしません。

もう一つの争点——被告人は、第三者の物についても上告できるか 図:もう一つの争点——被告人は、第三者の物についても上告できるか

では、二つ目の判断です。没収されたのは、第三者の物です。ここでいう上告とは、最高裁に、判決が憲法や法律に反していないかを、審査してもらうことです。では、被告人自身は、この点について、違憲を主張して、上告できるのでしょうか。被告人自身が争えるのか——この点について、最高裁は、こう答えました。

判例最大判昭和三十七年十一月二十八日(第三者所有物没収事件)

第三者所有物没収事件——被告人の上告適格 かかる没収の言渡を受けた被告人は、たとえ第三者の所有物に関する場合であつても、被告人に対する附加刑である以上、没収の裁判の違憲を理由として上告をなしうることは、当然である。のみならず、被告人としても没収に係る物の占有権を剥奪され、またはこれが使用、収益をなしえない状態におかれ、更には所有権を剥奪された第三者から賠償請求権等を行使される危険に曝される等、利害関係を有することが明らかであるから、上告によりこれが救済を求めることができるものと解すべきである。これと矛盾する……判例は、これを変更するを相当と認める。

まず、没収は、被告人への刑罰の一部——付加刑です。だから、被告人自身が、違憲を争えるのは、当然だとしています。それだけでは、ありません。もう一つ、理由があります。被告人は、没収された物の占有を、奪われます。さらに、あとで、その第三者から、損害賠償を、請求されるかもしれません。被告人自身にも、無視できない利害関係が、あります。第三者は、そもそも、訴訟の当事者ではありません。被告人も争えないなら、誰も、この没収の違憲を、主張できなくなってしまいます。だからこそ、最高裁は、被告人の上告適格を、認めたのです。だから、上告して、救済を求めることができる、としました。そして、これと矛盾する、それまでの先例は、変更する、と述べています。

結論として、最高裁は、この貨物の没収を、取り消しました。被告人自身の船だけが、没収されています。持ち主に、機会を与えなかったことが、決め手でした。

行政手続にも及ぶのか——成田新法事件・入口

成田新法事件の事案(空港建設反対派が所有する建物に、大臣が使用禁止命令を発した/告知・弁解・防禦の機会を与える規定がない) 図:成田新法事件の事案

  • 空港建設反対派が所有する建物に、大臣が使用禁止命令を発した
  • 告知・弁解・防禦の機会を与える規定がない

ここまでは、刑事事件の中の話でした。三十一条は、文言のうえで、「刑罰」を科す手続に関する規定です。では、行政手続には、一切、及ばないのでしょうか。この問いが、争われた事件が、あります。空港の建設に反対する団体が、所有する建物がありました。法律の言葉では、工作物にあたります。この建物が、破壊活動などに使われる恐れがあるとして、大臣が、使用禁止の命令を出しました。具体的には、三つの使われ方が、禁止の対象になりました。多数の破壊活動者が集まる場所として、使うこと。爆発物や火炎びんなどを、製造したり、保管したりする場所として、使うこと。そして、航空機の航行を、妨害するために、使うこと。

この命令を定めた法律には、事前に告知や弁解の機会を与える規定が、ありませんでした。この団体は、集会の自由や、財産権など、いくつもの条文とあわせて、この点も、三十一条違反だと主張しました。集会の自由の回で借りたのは、この判決のうち、集会の自由が重要な人権だ、と述べた部分だけでした。今日は、三十一条の側を、正面から見ていきます。最高裁は、まず、こう述べました。

判例最大判平成4年7月1日(成田新法事件)

成田新法事件——行政手続への入口 憲法三一条の定める法定手続の保障は、直接には刑事手続に関するものであるが、行政手続については、それが刑事手続ではないとの理由のみで、そのすべてが当然に同条による保障の枠外にあると判断することは相当ではない

刑事手続でないという理由だけでは、三十一条の保障から締め出せません。行政手続にも及びうる——入口を、開いたわけです。三十一条が防ごうとしているのは、権力の恣意でした。恣意の危険は、刑事手続の中だけに、あるものではありません。国や役所が、国民の権利を、一方的に制限する場面にも、同じ危険があります。この事件が違憲になったと決めるのは、まだ早計です。「及びうる」ことと、「実際に何を要求するか」は、別の問題です。この先を、見ていきましょう。

及ぶとして、何を要求するのか——総合較量と、結論

入口・中身・結論の三段(①枠外ではない→②告知等の要否は総合較量→③この事案では機会不要で合憲) 図:入口・中身・結論の三段

ここで、一度、立ち止まってみましょう。三十一条は、「枠外ではない」——つまり、及びうる、と言いました。それなのに、この事件は、なぜ、合憲になったと思いますか?及ぶなら機会がないと違憲になりそうだ、という直感——そこが、詰まりやすいところです。鍵は、「及ぶ/及ばない」の二択では、ないことです。最高裁は、続けて、こう述べています。

判例最大判平成4年7月1日(成田新法事件)

成田新法事件——総合較量と結論 しかしながら、同条による保障が及ぶと解すべき場合であっても、一般に、行政手続は、刑事手続とその性質においておのずから差異があり、また、行政目的に応じて多種多様であるから、行政処分の相手方に事前の告知、弁解、防御の機会を与えるかどうかは、行政処分により制限を受ける権利利益の内容、性質、制限の程度、行政処分により達成しようとする公益の内容、程度、緊急性等を総合較量して決定されるべきものであって、常に必ずそのような機会を与えることを必要とするものではないと解するのが相当である。……を総合較量すれば、右命令をするに当たり、その相手方に対し事前に告知、弁解、防御の機会を与える旨の規定がなくても、本法三条一項が憲法三一条の法意に反するものということはできない。

天秤のように、両方を乗せて、比べるイメージです。片方に乗るのは、建物を使えなくなる、という、この団体の不利益です。もう片方に乗るのは、新しい空港の安全を確保する、という、国家的な必要性です。しかも、この必要性は、高度で緊急なものだ、と評価されました。この天秤を比べた結果、公益のほうが、優越すると判断されました。公益の必要性が、それほど高くなければ、天秤が、逆に傾くこともありえます。その場合には、事前の機会を与えないと、違憲になる可能性も出てきます。だから、これは、暗記する結論ではなく、天秤の使い方そのものを、理解する論点です。ここで、今日の話を、一枚の図で整理しましょう。一段目、入口。刑事手続でないという理由だけでは、枠外にならない。二段目、中身。及ぶ場合でも、機会を与えるかは、総合較量で決める。三段目、結論。この事件では、機会がなくても、三十一条の法意に反しない。

「及ぶ」は、入口が開いた、というだけの話です。実際に、何を要求するかは、また別の、中身の判断だったのです。なお、この二段構えは、前回見た、二十九条二項と三項の二段構えとは、別物です。あちらは、制限の可否と、補償の要否という、別々の問いでした。こちらは、一つの問い——保障が及ぶか——の中で、入口と中身を分けている、という違いです。ここまでで、今日の論証の骨格が、そろいました。

その後の立法——行政手続法、そして、なお残る問題

行政手続法の制定(十三条一項=聴聞・弁明の機会付与を原則化/なお適用除外の手続では三十一条が及ぶかが問題として残る) 図:行政手続法の制定

  • 十三条一項=聴聞・弁明の機会付与を原則化
  • なお適用除外の手続では三十一条が及ぶかが問題として残る

この成田新法事件のあと、大事な立法が、行われました。行政手続法という、法律が、制定されました。不利益な処分をするときは、原則として、聴聞、または、弁明の機会を与えなければなりません。行政手続法は、そう定めています。たとえば、営業の許可を取り消すような場面でも、原則として、この機会が必要になります。判例が突きつけた課題が、立法によって埋められた形です。ただし、この法律には、適用が除外される手続も、定められています。他の法律に、特別の定めがある場合や、一定の手続の類型は、この法律の対象外です。分野ごとの事情に応じて、既に、別のルールが用意されている場合があるからです。たとえば、犯罪の捜査として行われる処分は、この法律の対象から、外されています。

刑事訴訟法という、専用の手続が、すでに用意されています。そうした、適用除外の手続では、なお、三十一条の保障が及ぶかどうかが問題です。その問題は、そのまま残っています。この問題は、今も、答えが一つに定まっていません。

今日のまとめ、そして次回へ

今日の完成地図(十八条=絶対的禁止と相対的禁止/三十一条の四つ/告知と聴聞/行政手続への入口と中身と結論) 図:今日の完成地図

  • 十八条=絶対的禁止と相対的禁止
  • 三十一条の四つ
  • 告知と聴聞
  • 行政手続への入口と中身と結論

それでは、今日の内容を、まとめましょう。今日は、二つの問いを立てました。一つは、冒頭の——「あの人には、何が、足りなかったのか」。もう一つは、途中で立った——「文言は一つなのに、なぜ、三十一条は、四つを要求するのか」。二つ目から答えましょう。三十一条の趣旨——恣意的な権力行使を防ぐこと、にありました。この一点を、法定と適正、実体と手続の、二つの軸に当てはめると、四つのマスが自然に埋まります。そして、三十一条が直接要求する適正な手続の中核は、告知と聴聞でした。持ち主に知らせ、言い分を聞く——この最低限の機会が、なかった。だから、著しく不合理だ、とされたのです。

三十一条は、いつも、「どう決めるか」というプロセスを、問う条文です。そして、この保障は、行政手続にも及びうる——けれど、常に同じ機会を要求するわけではない。権利利益と公益を、総合較量して決まります。今日、扱ったのは、十八条と、三十一条という、身体の自由の入口でした。十八条は、身体拘束と労役という、特定の場面を、直接、絶対的または相対的に禁止する条文でした。三十一条は、生命や自由を奪う場面全般について、手続と実体の両面から、恣意を防ぐ条文です。ですが、憲法自身が、この三十一条の中身を、もっと具体的な形で書き込んでいる場所が、あります。

令状主義、弁護人依頼権、住居の不可侵——拷問と残虐な刑罰の禁止、公平な裁判所を受ける権利——これらは、すべて、三十一条が求める適正な手続を、より具体的にした規定です。

参照条文

  • 日本国憲法 18条
  • 刑法 12条(現行・令和4年法律第67号による改正)
  • 日本国憲法 31条

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