憲法ゼロから憲法#53

受益権と国家賠償——「法律の定めるところにより」の限界

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第3章 人権各論 #53/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

請願権①——内容と「入口の広さ・出口の軽さ」

請願権の入口と出口(入口=何人も・広い事項・平穏にのみ/出口=受理し誠実に処理する義務にとどまる・調査や審判や報告の義務は無い) 図:請願権の入口と出口

  • 入口=何人も・広い事項・平穏にのみ
  • 出口=受理し誠実に処理する義務にとどまる・調査や審判や報告の義務は無い

それでは、一段目——請願権から見ていきます。条文を読んでみましょう。

条文日本国憲法 16条

日本国憲法 第十六条 何人も、損害の救済、公務員の罷免、法律、命令又は規則の制定、廃止又は改正その他の事項に関し、平穏に請願する権利を有し、何人も、かかる請願をしたためにいかなる差別待遇も受けない。

日本国民に限りません。外国人にも、未成年者にも保障されます。対象になる事項も、損害の救済、公務員の罷免、法律や命令の制定・廃止・改正——さらにその他の事項まで、広く並んでいます。要件らしい要件は、「平穏に」——これだけです。ところが、国が負う義務のほうは、実はかなり軽いんです。適法な請願を受理して、誠実に処理する義務——ここまでにとどまります。この「誠実に処理する義務」は、請願法という法律に根拠があります。

条文請願法 5条

請願法 第五条 この法律に適合する請願は、官公署において、これを受理し誠実に処理しなければならない。

調査や審判、処理の結果を報告する法的な義務までは、この条文にもありません。ここを「弱い権利だ」で終わらせないでください。なぜ弱いのか、構造で説明できます。想像してみてください。役所の窓口が「何でも相談してください」と、間口を目一杯開けたとします。そのうえで、来た相談すべてに必ず調査して、必ず結論を報告する義務まで負わせたら、どうなりますか。入口を誰にでも開けたまま出口まで重くすると、機関はその処理だけで埋まってしまいます。だから、入口の広さと出口の軽さは、セットになっています。この道具——入口と出口を分けて見る視点は、後でもう一度使います。三十二条・裁判を受ける権利のところで、今度は逆向きに効いてきます。

請願権②——もう一つの顔と、明治憲法との比較

請願権のもう一つの顔(受益権としての性格/国民の政治的意思表明という参政権的役割=分類の限界) 図:請願権のもう一つの顔

  • 受益権としての性格
  • 国民の政治的意思表明という参政権的役割=分類の限界

請願権には、実は、もう一つの顔があります。国民が政治的な意思を表明する手段——参政権的な役割です。たとえば、選挙権を持たない人——外国人や、まだ十八歳になっていない人を思い浮かべてください。投票はできません。でも「この交差点に信号を付けてほしい」と市に請願することはできます。請願権は、その道の一つです。だから参政権的な働きも持つと言われます。一つの権利に二つの側面がある——分類には限界がある、という例です。請願権は受益権に分類されますが、参政権の働きもあわせ持ちます。では、明治憲法と比べてみましょう。

明治憲法三十条の逐語(相当ノ敬礼ヲ守リという条件付き=権利というよりお目こぼし/別ニ定ムル所ノ規程ニ従ヒ=請願のやり方は憲法の外の規程に預けられていた=法律の留保の形) 図:明治憲法三十条の逐語

  • 相当ノ敬礼ヲ守リという条件付き=権利というよりお目こぼし
  • 別ニ定ムル所ノ規程ニ従ヒ=請願のやり方は憲法の外の規程に預けられていた=法律の留保の形

実は、請願権も明治憲法に一応ありました。ただし、こう書いてあります。相当の敬礼を守り——敬意を払って願い出よ、という条件です。権利というより、お目こぼしに近い建前でした。以前、憲法の歴史を扱った回で、明治憲法の権利には法律の留保が付いていたと話しましたね。請願も同じです。請願のやり方そのものが、憲法の外にある規程に預けられていました。中身は法律の側で決められる——これが法律の留保の形です。だから「一応、保障されていた」という言い方が、実感として分かると思います。

裁判を受ける権利①——意義と「奪はれない」の重み

裁判を受ける権利の意義と明治憲法との比較(個人の基本的人権保障に不可欠/明治憲法下は行政裁判所が別系列で出訴事項も限定=国を訴えられなかった) 図:裁判を受ける権利の意義と明治憲法との比較

  • 個人の基本的人権保障に不可欠
  • 明治憲法下は行政裁判所が別系列で出訴事項も限定=国を訴えられなかった

二段目に進みます。裁判を受ける権利です。この権利は、人権が絵に描いた餅で終わらないための、最後の砦です。他のすべての人権は、争いになったとき、裁判所が判断してくれなければ、紙の上の言葉で終わってしまいます。ここでも、明治憲法と比べてみましょう。

明治憲法二十四条の逐語(法律ニ定メタル裁判官ノ裁判ヲ受クルノ権ヲ奪ハルヽコトナシ) 図:明治憲法二十四条の逐語

裁判を受ける権利も、明治憲法に一応ありました。ただし、実質的な保障は、きわめて不十分でした。行政に関わる事件の裁判は、通常の裁判所ではなく、行政裁判所という別の系列が扱いました。しかも、その行政裁判所に訴え出られる事項は、厳しく限定されていました。「国を訴えられなかった」——この一点で、実感してください。では、現在の三十二条を見てみましょう。

条文日本国憲法 32条

日本国憲法 第三十二条 何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない

裁判所は、裁判を拒めません。ここに、一度立ち止まってください。ただし、注意してほしいことがあります。「却下」はできます。訴えの要件を満たしていない、という判断も、判断のうちだからです。この権利は、「必ず勝てる」権利でも、「必ず本案の判断が出る」権利でもありません。「一度も判断されないこと」自体を、禁じる権利です。刑事手続の回で出てきた「公開裁判を受ける権利」は、三十七条一項です。あちらは刑事被告人だけに、公平な裁判所・迅速な裁判・公開までを加えたものでした。三十二条は、民事も刑事も含めた土台です。三十七条一項は、そのうち刑事の場面だけに足された特則、と押さえてください。

裁判を受ける権利②——三十二条の「裁判」の範囲

訴訟事件と非訟事件の対比(訴訟事件=公開・対審・判決/非訟事件=非公開・対審によらない・決定) 図:訴訟事件と非訟事件の対比

  • 訴訟事件=公開・対審・判決
  • 非訟事件=非公開・対審によらない・決定

さて、三十二条には、実は、もう一つ大事な論点があります。ここでいう「裁判」は、どこまでを指すのか、という問題です。裁判なら何でも含まれる、と思いたくなりますが、実は含まれません。ここで、八十二条という条文が出てきます。八十二条は、裁判を公開の法廷で行うことを求めた条文です。裁判の公開の原則ですね。条文そのものは、裁判所を扱う章で開きます。判例は、三十二条の「裁判」を、その八十二条の「裁判」と同じ意味だとしたうえで——

判例最大決昭和三十五年七月六日

三十二条の「裁判」の範囲——非訟事件の裁判が三十二条の裁判にあたるかが争われた大法廷決定 憲法は三二条において、何人も裁判所において裁判を受ける権利を奪われないと規定し、八二条において、裁判の対審及び判決は、対審についての同条二項の例外の場合を除き、公開の法廷でこれを行う旨を定めている。即ち、憲法は一方において、基本的人権として裁判請求権を認め、何人も裁判所に対し裁判を請求して司法権による権利、利益の救済を求めることができることとすると共に、他方において、純然たる訴訟事件の裁判については、前記のごとき公開の原則の下における対審及び判決によるべき旨を定めたのであつて、これにより、近代民主社会における人権の保障が全うされるのである。 従つて、若し性質上純然たる訴訟事件につき、当事者の意思いかんに拘わらず終局的に、事実を確定し当事者の主張する権利義務の存否を確定するような裁判が、憲法所定の例外の場合を除き、公開の法廷における対審及び判決によつてなされないとするならば、それは憲法八二条に違反すると共に、同三二条が基本的人権として裁判請求権を認めた趣旨をも没却するものといわねばならない。

非訟事件の裁判を受ける権利は、あくまで法律上の権利であって、三十二条が保障した人権ではない、ということになります。この対立を暗記にせずに、帰結で読んでみましょう。板を見てください。訴訟事件は、公開の法廷で、対審——両当事者が向き合って主張を戦わせる形式を経て、判決という厳格な形式で結論が出ます。非訟事件は、非公開で、対審によらず、決定という、より緩やかな形式で結論が出ます。たとえば、亡くなった人の遺産を相続人どうしでどう分けるか、話し合いがまとまらないとき、家庭裁判所に決めてもらう手続きがあります。これは、非訟事件の典型です。

その「性質が違う」というところが、決め手です。公開の法廷で対審を経るという重い手続は、権利義務を終局的に確定する場面のために用意されたもの。だから、そこまでの裁判だけが三十二条の「裁判」だ——これが判例の筋です。ただし学説は、これに対して有力に反対しています。非訟事件の裁判も三十二条の「裁判」にあたるとする見解です。ここに、この論点のいちばん怖いところがあります。判例の立場を突き詰めると——立法者は、法律で事件を非訟事件として扱うと決めるだけで、その事件を三十二条の保障の外に出せることになります。

これが、冒頭で立てた問い——「法律の定めるところにより」の、一つ目の現れです。条文にその一句が書いていなくても、法律が保障の範囲を動かしてしまう場面があるんです。

論文で書く規範:三十二条の「裁判」の範囲——純然たる訴訟事件に限る 三十二条にいう「裁判」がどこまでを指すかは、条文に書かれていない。 判例は、三十二条の「裁判」を憲法八十二条の「裁判」と同一意義とし、性質上純然たる訴訟事件につき、その権利義務の存否を確定するような裁判をいう、と解している。非訟事件の裁判を受ける権利は、法律上の権利にとどまる。 (規範(最大決昭和三十五年七月六日)。答案の書き方は論文シリーズで扱う)

裁判を受ける権利③——訴訟の非訟化という怖さ

訴訟の非訟化という怖さ(従来訴訟事件だった事件を法律で非訟事件として扱う動き/判例の立場を突き詰めると立法者は非訟化するだけで三十二条の外に出せる/学説が有力に反対) 図:訴訟の非訟化という怖さ

  • 従来訴訟事件だった事件を法律で非訟事件として扱う動き
  • 判例の立場を突き詰めると立法者は非訟化するだけで三十二条の外に出せる
  • 学説が有力に反対

実は、この論点は、さらに一歩進んだ形でも問題になっています。従来は訴訟事件として扱われてきた事件を、法律の改正によって非訟事件として扱い直す動きです。訴訟の非訟化と呼ばれています。たとえば、貸した土地の地代の金額をめぐる争いのような場面で、法律の定め方によって、訴訟ではなく非訟の手続で扱われることがあります。判例の立場のままだと、立法者は事件を非訟化するだけで、三十二条の外側に出し続けられることになります。だからこそ、学説は、この流れに有力に反対しているんです。「法律の作り方一つで、保障の範囲が動く」——この危うさこそ、持ち帰ってほしいところです。

三審制——「どこまでが憲法か」を測る

三審制と三十二条の射程(三十二条が保障するもの=裁判所で裁判を受けられること/保障しないもの=審級の数は立法政策) 図:三審制と三十二条の射程

  • 三十二条が保障するもの=裁判所で裁判を受けられること
  • 保障しないもの=審級の数は立法政策

もう一つ、三十二条がらみで、短答によく出る論点があります。三審制です。三審制が三十二条の保障かが問題になった判例は、三審制を立法政策の問題だとしていて、三十二条による保障を否定しているものと解されています。ただし、ここでも「三審制は憲法上の権利ではない」の一言で終わらせないでください。さっき、請願権のところで渡した道具を、思い出してください。入口と出口です。請願権は、入口が誰にでも開いている代わりに、出口——国が負う義務は「受理して誠実に処理する」までで軽いものでした。三十二条は、その逆向きです。出口が重い。裁判所は、裁判を拒めません。その代わり、入口が狭い。さっき見たとおり「純然たる訴訟事件」に絞られています。

そのうえで、三審制です。三十二条が保障しているのは、入口——「裁判所で裁判を受けられること」です。そこを一度くぐったあと、「何回受けられるか」までは、保障していません。射程を正確に切り分けてください。

国家賠償請求権①——「新しい権利」の始まり

明治憲法から十七条への転換(明治憲法=国家賠償の規定なし・限られた民法七〇九条以下のみ=国家無答責/十七条=新しい権利・具体化する法律があって初めて動く抽象的権利) 図:明治憲法から十七条への転換

  • 明治憲法=国家賠償の規定なし・限られた民法七〇九条以下のみ=国家無答責
  • 十七条=新しい権利・具体化する法律があって初めて動く抽象的権利

三段目です。国家賠償請求権に進みます。まず、明治憲法の時代を、振り返ってみましょう。明治憲法には、国家賠償請求権の規定はありませんでした。これを認める独立した法律もありませんでした。ごく限られた場合に、民法の不法行為の規定で損害賠償を求められるにとどまりました。「国は間違えても責任を負わない」——これが当時の建前です。国家無答責と呼ばれます。だからこそ、十七条は「新しい権利」なんです。条文を読んでみましょう。

条文日本国憲法 17条

日本国憲法 第十七条 何人も、公務員の不法行為により、損害を受けたときは、法律の定めるところにより、国又は公共団体に、その賠償を求めることができる。

冒頭で見た、あの一句が、ここにもあります。この一句のもとで、十七条はどんな性格の権利とされているのか——ここが大事な論点です。有力な見解では、十七条だけでは、まだ裁判規範性が認められません。具体化する法律の制定があって初めて、裁判所を動かせる、抽象的権利だと考えられています。権利の強さを三段階で整理した回を、覚えていますか。具体的権利・抽象的権利・プログラム規定の三つでしたね。具体的権利は、それだけで裁判所を動かせるもの。プログラム規定は、国の目標を示すだけのものでした。この三段階と、さきほどの階段は、別の物差しです。階段のほうは、四つの条文を並べて、国に何を義務づけるかの重さを比べたもの。こちらは、一つの権利がそれだけで裁判所を動かせるかどうかの強さです。十七条は、その真ん中——抽象的権利に位置づけられます。この具体化する法律こそが、次に見る国家賠償法です。

国家賠償請求権②——要件と、あの谷間の正体

国家賠償法一条の要件と公務員個人の責任(要件=故意又は過失・違法/公務員個人は直接の賠償責任を負わない・理由=職務の萎縮を避ける+資力ある国からの救済が厚い/二項の求償は残る) 図:国家賠償法一条の要件と公務員個人の責任

  • 要件=故意又は過失・違法
  • 公務員個人は直接の賠償責任を負わない・理由=職務の萎縮を避ける+資力ある国からの救済が厚い
  • 二項の求償は残る

国家賠償法一条一項を見てみましょう。

条文国家賠償法 1条1項・2項

国家賠償法 第一条第一項・第二項 国又は公共団体の公権力の行使に当る公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によつて違法に他人に損害を加えたときは、国又は公共団体が、これを賠償する責に任ずる。 前項の場合において、公務員に故意又は重大な過失があつたときは、国又は公共団体は、その公務員に対して求償権を有する。

ここで、一度立ち止まってください。以前、損失補償を扱った回で、ある事件の話をしましたね。あの回で、こう話しました。「十七条・国家賠償法は、公務員の故意や過失を要件とします。」「ところが、予防接種を実施した公務員に故意や過失があったと言えるかは、簡単ではありません」と。あのとき谷間を作っていたのは、この二つの言葉——「故意又は過失」と「違法」です。条文を見てもらえれば、あのときの話がそのままつながります。続けて、公務員個人の責任も見ておきましょう。

判例最判昭和三十年四月十九日(第三小法廷)

公務員個人の責任——公務員個人の責任が争われた判例 右請求は、被上告人等の職務行為を理由とする国家賠償の請求と解すべきであるから、国または公共団体が賠償の責に任ずるのであつて、公務員が行政機関としての地位において賠償の責任を負うものではなく、また公務員個人もその責任を負うものではない

ただし、国や公共団体から、その公務員に対して求償される場合はあります。さっき見た二項です。大きく二つ、理由があります。一つは、負わせると公務員が萎縮して職務ができなくなること。違法かどうか際どい判断を迫られる仕事ほど、動けなくなってしまいます。もう一つは、被害者にとっても、資力のある国から確実に取れるほうが、救済が厚いということです。被害者の救済と公務の遂行——この両方を両立させるための設計です。だからこそ、求償という形で二項が残っています。

郵便法違憲判決①——白紙委任ではない

郵便法違憲判決の事案(差押命令を特別送達で届けるはずが私書箱に投かんされ送達が遅れた/差押えの目的を達せられず国に損害賠償を求めた民事事件/郵政民営化前の郵便法が国の賠償責任をほとんど負わない仕組みにしていた/十七条に違反するかが争われた) 図:郵便法違憲判決の事案

  • 差押命令を特別送達で届けるはずが私書箱に投かんされ送達が遅れた
  • 差押えの目的を達せられず国に損害賠償を求めた民事事件
  • 郵政民営化前の郵便法が国の賠償責任をほとんど負わない仕組みにしていた
  • 十七条に違反するかが争われた

ここから、この回いちばんの山——郵便法違憲判決に入ります。舞台は、郵政民営化より前の時代です。当時の郵便法は、郵便物が届かなかったり壊れたりしたときの国の損害賠償責任を、制限したり免除したりしていました。では、この事件で実際に何が起きたのかを見ておきましょう。お金を貸していた人が、相手の財産を差し押さえるために、裁判所から差押命令を出してもらいました。その命令書は、特別送達という方法で、相手のお金を預かっている側に届けられるはずでした。ところが、郵便局の職員が、それを郵便局内に置かれた私書箱に入れてしまいました。そのために送達が遅れ、差押えの目的を達することができなくなりました。

そこで、この人が国に損害賠償を求めました。民事の事件です。そして、賠償責任を制限・免除するこの制度が十七条に違反しないか——これが争われました。郵便法違憲判決は、まず十七条が立法府に何を委ねているのかを整理しました。公務員の行為が国民にどう関わるかには、いろいろな形がありえます。窓口での誤った説明から、許可を出すか出さないかの判断、警察官の現場の対応まで——性質も被害の大きさもばらばらです。どんな場合にどこまで責任を負わせるかを、憲法が一つの物差しで決め切るのは無理があります。だから、不法行為責任を負うことを原則としたうえで、どんな行為に、どんな要件で賠償責任を負わせるかは、立法府の政策判断に委ねられている——ここまでは、いいですね。

ところが、判決はこう続けます。

判例最大判平成14年9月11日(郵便法違憲判決)

郵便法違憲判決——白紙委任ではない 憲法17条は、「何人も、公務員の不法行為により、損害を受けたときは、法律の定めるところにより、国又は公共団体に、その賠償を求めることができる。」と規定し、その保障する国又は公共団体に対し損害賠償を求める権利については、法律による具体化を予定している。 これは、公務員の行為が権力的な作用に属するものから非権力的な作用に属するものにまで及び、公務員の行為の国民へのかかわり方には種々多様なものがあり得ることから、国又は公共団体が公務員の行為による不法行為責任を負うことを原則とした上、公務員のどのような行為によりいかなる要件で損害賠償責任を負うかを立法府の政策判断にゆだねたものであって、立法府に無制限の裁量権を付与するといった法律に対する白紙委任を認めているものではない

ここに、今日いちばん大事な言葉が出てきました。「委任」と「白紙委任」は違います。法律に制度設計の中身を任せることはできます。でも、責任をほとんどゼロにしてよいという判断まで、任せられているわけではありません。家のリフォームを工務店に「お任せします」と頼む場面を、想像してください。工事の細かい手順や、資材の選び方まで任せるのは委任です。でも、「窓を全部潰していい」「玄関を無くしていい」という判断まで、施主に確認せず決めてよいという話には、なりません。任せるという言葉の中に、家の中核的な機能——採光や出入りまで壊してよいという、白紙の許可は含まれていません。では、この「白紙委任ではない」という原則を、どう具体的に判定するのか。判決は、判断枠組みを示しました。

郵便法違憲判決の判断枠組み(行為の態様/侵害される法的利益の種類及び侵害の程度/免責又は責任制限の範囲及び程度等に応じ/目的の正当性と手段の合理性・必要性を総合的に考慮) 図:郵便法違憲判決の判断枠組み

  • 行為の態様
  • 侵害される法的利益の種類及び侵害の程度
  • 免責又は責任制限の範囲及び程度等に応じ
  • 目的の正当性と手段の合理性・必要性を総合的に考慮

免責や責任制限の規定が、十七条に適合するかどうかは——当該行為の態様、これによって侵害される法的利益の種類及び侵害の程度、免責又は責任制限の範囲及び程度等に応じて——規定の目的の正当性と、その目的を達成する手段として免責や責任制限を認めることの、合理性及び必要性を総合的に考慮して判断すべきだとしました。覚え方は、シンプルにできます。「目的は正しいか」「手段は、その目的に見合っているか」——この二段構えです。では、実際のあてはめを見ていきましょう。

論文で書く規範:郵便法違憲判決の判断枠組み——白紙委任ではないことの判定基準 免責・責任制限の規定が十七条に適合するかどうかは、次の要素に応じて、目的の正当性と手段の合理性・必要性を総合的に考慮して判断する。 当該行為の態様これによって侵害される法的利益の種類及び侵害の程度免責又は責任制限の範囲及び程度等。 (規範(郵便法違憲判決・最大判平成14年9月11日)。答案の書き方は論文シリーズで扱う)

郵便法違憲判決②——書留と特別送達、線の違い

書留と特別送達のあてはめ(書留=故意・重過失により損害が生じるのは例外的=違憲/特別送達=軽過失による賠償責任まで認めても目的達成は害されない=違憲/どちらも違憲だが免責が許される幅が違う) 図:書留と特別送達のあてはめ

  • 書留=故意・重過失により損害が生じるのは例外的=違憲
  • 特別送達=軽過失による賠償責任まで認めても目的達成は害されない=違憲
  • どちらも違憲だが免責が許される幅が違う

まず目的を確認しましょう。安い料金であまねく公平に郵便の役務を提供するため——賠償責任が過大になって料金の値上げにつながることを防ぐ。これが目的です。判決も、目的の正当性は認めています。問題は手段です。ここで、一つ考えてみてください。郵便がもし届かなかったとしたら——困るのは、料金の高さでしょうか。それとも、別の何かでしょうか?うーん……料金より、届くはずのものが届かなかったこと、そのものが困る気がします。ここから、あてはめが変わってきます。まず、書留郵便物について見ます。郵便業務に従事する人が故意や重大な過失で損害を与えることは、例外的にしか起きません。だとすれば、その例外的な場合まで責任を制限しなければ目的を達成できない、とまでは言えません。だから——違憲です。

次に、特別送達郵便物について見ます。書留郵便物の一種で、民事訴訟法上の送達の方法として使われます。こちらは、軽い過失による賠償責任まで認めても、目的の達成は害されません。だから——こちらも違憲です。

判例最大判平成14年9月11日(郵便法違憲判決)

郵便法違憲判決——あてはめ(書留・特別送達) 【要旨1】法68条、73条の規定のうち、書留郵便物について、郵便業務従事者の故意又は重大な過失によって損害が生じた場合に、不法行為に基づく国の損害賠償責任を免除し、又は制限している部分は、憲法17条が立法府に付与した裁量の範囲を逸脱したものであるといわざるを得ず、同条に違反し、無効であるというべきである。 【要旨2】(2)に説示したところに加え、法68条、73条の規定のうち、特別送達郵便物について、郵便業務従事者の軽過失による不法行為に基づき損害が生じた場合に、国家賠償法に基づく国の損害賠償責任を免除し、又は制限している部分は、憲法17条に違反し、無効であるというべきである。

ただし注目してほしいのは、免責が許される幅が、書留と特別送達で違うことです。判決の後に残る幅で比べてください。書留は、軽い過失までなら、なお免責してよい。特別送達は、その軽い過失すら免責できません。なぜだと思いますか。

特別送達と裁判を受ける権利のつながり(特別送達=裁判の手続そのものを担う郵便/届かなければ訴訟の存在を知らないまま権利を失う/だから免責の許される幅が狭い=三十二条と十七条がつながる) 図:特別送達と裁判を受ける権利のつながり

  • 特別送達=裁判の手続そのものを担う郵便
  • 届かなければ訴訟の存在を知らないまま権利を失う
  • だから免責の許される幅が狭い=三十二条と十七条がつながる

特別送達郵便物は、裁判の手続そのものを担う郵便です。訴状や判決の正本を、当事者に確実に届けるための仕組みです。当事者は、自分に訴訟が起きていることすら知らないまま、権利を失うかもしれません。判断枠組みの言葉を思い出してください。「侵害される法的利益の種類及び程度」——これが実際に働いた場面です。同じ郵便でも、失われる利益の重さが違う。だから、免責が許される幅も違うんです。逆に言うと、この判決が違憲としたのは、書留と特別送達についての部分だけです。ふつうの郵便まで、責任を制限すること自体が違憲だと言ったわけではありません。

失われる利益が重い順に、免責してよい幅が狭くなっていく——そこが、この判決の射程です。そして、ここで、今日扱ってきた条文どうしがつながります。特別送達が失敗するということは、裁判を受ける権利——三十二条が事実上奪われることに直結します。そして、これが、冒頭の問いの二つ目の現れです。一つ目は、非訟事件や三審制——法律に多くを委ねてよい領域でした。二つ目は、ここ。法律が越えてはいけない一線がある領域です。「法律の定めるところにより」という一句への答えが、ここで出ました。法律に委ねられた領域があっても、その法律のほうが憲法の下限を割ってしまえば、法律のほうが倒れます。

刑事補償請求権①——落ち度が無くても、償う

十七条と四十条の対比(十七条=故意又は過失+違法が要る/四十条=要らない・適法な手続でも拘束の事実は消えないから社会全体で負担を分かち合う) 図:十七条と四十条の対比

  • 十七条=故意又は過失+違法が要る
  • 四十条=要らない・適法な手続でも拘束の事実は消えないから社会全体で負担を分かち合う

最後の段——四段目、刑事補償請求権に進みます。条文を読んでみましょう。

条文日本国憲法 40条

日本国憲法 第四十条 何人も、抑留又は拘禁された後、無罪の裁判を受けたときは、法律の定めるところにより、国にその補償を求めることができる。

この一句を具体化する法律が、刑事補償法です。ここで、十七条との対比を押さえてください。十七条は、公務員の故意・過失と違法という要件が要りました。四十条には、それが要りません。適法に逮捕・勾留し、適法に起訴して、それでも無罪だった——誰も間違えていなくても、身柄を拘束された事実は消えません。その負担を社会全体で引き受けるのが、四十条です。以前、財産権の回で見た、正当な補償と同じ発想です。「特別の犠牲」を社会で分かち合う——あのときの発想が、ここでも同じ形で働きます。次に、「無罪の裁判」という言葉の意味を確認しましょう。

「無罪の裁判」にあたる・あたらない(あたらない=少年審判の保護処分に付さない旨の決定・免訴・公訴棄却/それでも法律上は補償が及びうる=刑事補償法二十五条等/憲法は下限であって上限ではない) 図:「無罪の裁判」にあたる・あたらない

  • あたらない=少年審判の保護処分に付さない旨の決定・免訴・公訴棄却
  • それでも法律上は補償が及びうる=刑事補償法二十五条等
  • 憲法は下限であって上限ではない

「無罪の裁判」とは、刑事訴訟の手続きのなかで、無罪が確定した裁判のことです。ここで、無罪の裁判にあたらないとされた例が、いくつかあります。まず、少年審判で「保護処分に付さない」という決定が出た場合です。判例が判断したのは、四十条を具体化した刑事補償法一条一項の「無罪の裁判」にあたるか、という形でした。七日間、身柄を拘束された人が、非行の事実は認められないという理由で不処分になった事案です。

判例最決平成3年3月29日(第三小法廷)。……は先例の書誌の引用を省略した箇所

少年審判の決定——非行事実が認められないことを理由とする不処分決定と刑事補償 刑事補償法一条一項にいう「無罪の裁判」とは、同項及び関係の諸規定から明らかなとおり、刑訴法上の手続における無罪の確定裁判をいうところ、不処分決定は、刑訴法上の手続とは性質を異にする少年審判の手続における決定である上、右決定を経た事件について、刑事訴追をし、又は家庭裁判所の審判に付することを妨げる効力を有しないから、非行事実が認められないことを理由とするものであっても、刑事補償法一条一項にいう「無罪の裁判」には当たらないと解すべきであり、 このように解しても憲法四〇条及び一四条に違反しないことは、当裁判所大法廷の判例……の趣旨に徴して明らかである……。

ほかにも、免訴の判決や、公訴棄却の判決・決定も、「無罪の裁判」にはあたりません。免訴は、時効が完成したときなどに、有罪か無罪かに立ち入らないまま手続を打ち切るものです。公訴棄却は、起訴の手続そのものに不備があったときなど、代表的にはそうした場合に、やはり中身に入らずに打ち切るものです。罪に問われずに終わるという点では似ている——そこが、この論点の落とし穴です。ただし、ここで大事な但し書きがあります。これらの場合についても、法律のうえでは補償が及びうるんです。刑事補償法に、その規定があります。四十条の権利ではないのに補償はされる——ここが、冒頭の問いの、三つ目の現れです。これまでは、法律が憲法の保障を下回ったり外したりする場面でした。非訟化、三審制、郵便法——どれも、法律が憲法の保障を削る方向でした。でも、ここでは逆です。法律が、憲法の保障の外側にまで、救済を広げているんです。

憲法は下限であって、上限ではありません。クラスの規則で、「テストで八十点以上取れば表彰する」と決まっているとします。八十点に届かなかった生徒に、担任が「よく頑張ったで賞」を独自に出すことは、禁止されません。規則は「ここまでは保障する」と言っているだけで、「ここまでしか救ってはいけない」とは言っていません。短答では、「四十条の権利ではない」と「補償されない」を、取り違えないように注意してください。

刑事補償請求権②——「抑留又は拘禁」の判定

抑留又は拘禁の実質判断(窃盗の方=抑留拘禁あり・無罪の裁判なし/殺人の方=抑留拘禁なし・無罪の裁判あり/殺人の方の取調べが窃盗の方の拘束を利用してなされたときは抑留又は拘禁にあたる) 図:抑留又は拘禁の実質判断

  • 窃盗の方=抑留拘禁あり・無罪の裁判なし
  • 殺人の方=抑留拘禁なし・無罪の裁判あり
  • 殺人の方の取調べが窃盗の方の拘束を利用してなされたときは抑留又は拘禁にあたる

最後に、「抑留又は拘禁」という言葉の意味を、確認しておきます。逮捕に引き続く、身柄拘束のことです。ここで、少し込み入った事例を見てみましょう。窃盗の方と、殺人の方——二つの被疑事実が出てきます。まず、窃盗の方を理由に、逮捕・勾留されました。その拘束の最中に、逮捕・勾留の理由になっていない、殺人の方についても取調べが行われました。そして、殺人の方について公訴が提起され、窃盗の方は不起訴になりました。そのまま、殺人の方について、無罪の確定裁判を受けたとします。板を見てください。窃盗の方は、抑留・拘禁はありますが、無罪の裁判はありません。不起訴で終わっているからです。殺人の方は、無罪の裁判はありますが、抑留・拘禁はありません。逮捕・勾留の理由には、なっていないからです。

どちらの事実も、単独では四十条の要件を満たしません。窃盗の方は無罪の裁判が無い。殺人の方は抑留・拘禁が無い。形式どおりなら受けられない——しかし判例は、そうはしませんでした。

判例最大決昭和三十一年十二月二十四日(大法廷・刑集十巻十二号一六九二頁)

憲法四十条の「抑留又は拘禁」——不起訴事実による拘束が、無罪事実の取調べに利用された場合 或る被疑事実により逮捕または勾留中、その逮捕状または勾留状に記載されていない他の被疑事実につき取り調べ、前者の事実は不起訴となつたが、後者の事実につき公訴が提起され後無罪の裁判を受けた場合において、その無罪となつた事実についての取調が、右不起訴となつた事実に対する逮捕勾留を利用してなされたものと認められる場合においては、これを実質的に考察するときは、各事実につき各別に逮捕勾留して取り調べた場合と何ら区別すべき理由がないものといわなければならない。 そうだとすると、憲法四〇条にいう「抑留又は拘禁」中には、無罪となつた公訴事実に基く抑留または拘禁はもとより、たとえ不起訴となつた事実に基く抑留または拘禁であつても、そのうちに実質上は、無罪となつた事実についての抑留または拘禁であると認められるものがあるときは、その部分の抑留及び拘禁もまたこれを包含するものと解するを相当とする。

形式だけで切り分けると、この人はどちらの事実でも補償を受けられません。でも、実質を見てください。窃盗の方のための拘束は、同時に殺人の方の捜査のためにも使われていました。その拘束は、殺人の方のための拘束でもあった、と評価できるわけです。形式的な要件のあてはめが、救済されるべき人を落としてしまうとき、実質で読み直す——この作法自体が、持ち帰ってほしいものです。枠組みの言葉が、実際の場面でどう働くかを見る——同じ筋です。

論文で書く規範:「抑留又は拘禁」の実質判断——利用してなされたとき 不起訴になった被疑事実による逮捕・勾留であっても、その最中に取り調べられた別の被疑事実について無罪の裁判を受け、かつその取調べが不起訴事実の逮捕・勾留を利用してなされたと認められるときは、その部分の逮捕・勾留も、四十条の「抑留又は拘禁」に含まれる。 (規範(最大決昭和三十一年十二月二十四日)。答案の書き方は論文シリーズで扱う)

今日の地図(保存版)

章の完成図(四つの階段の再掲/法律に譲る領域・法律が倒れる領域・法律が広げる領域の三つの現れ/次章は社会権へ) 図:章の完成図

  • 四つの階段の再掲
  • 法律に譲る領域・法律が倒れる領域・法律が広げる領域の三つの現れ
  • 次章は社会権へ

それでは、今日の内容をまとめましょう。今日の問いは、これでした。「法律の定めるところにより」と書かれた権利は、法律に負けるのか。答えは、一言では済みませんでしたね。四つの階段を、もう一度並べてみます。十六条・請願権は、聞いてもらう権利でした。三十二条の非訟事件や三審制も含めて、法律に多くを委ねられる領域でした。十七条・国家賠償請求権では、郵便法違憲判決が、法律の越えてはいけない一線を示しました。委任と白紙委任は違います。四十条・刑事補償請求権では、逆に、法律が憲法の下限より広く救済を広げていました。

そして、郵便法違憲判決のところで、十七条と三十二条がつながりました。最後に、一つだけ対比をしておきます。前回までの参政権は、「書いていない」のに権利でした。今日の受益権は、「書いてある」のに法律次第でした。次は、社会権に進みます。生存権——健康で文化的な最低限度の生活を営む権利です。受益権と社会権は、どちらも国家に動いてもらう権利という点で共通します。ただし、社会権は生活そのものを支えさせる権利——今日の受益権とは違う方向を向いています。それでは、また、お会いしましょう。

参照条文

  • 日本国憲法 16条
  • 請願法 5条
  • 日本国憲法 32条
  • 日本国憲法 17条
  • 国家賠償法 1条1項・2項
  • 日本国憲法 40条

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