憲法ゼロから憲法#17

プライバシー権は何を守るか——「宴のあと」から自己情報コントロール権へ

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第3章 人権各論 ⑰/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

プライバシー権の出発点——「宴のあと」事件

「宴のあと」事件の事案(A=小説のモデルとされた原告/B=小説を書いた作家・出版社の被告)+東京地裁の定義+侵害3要件(私事性・秘匿性・非公然性)+結論(プライバシー侵害を認容・控訴審で和解のため確定判決ではない)

まず、出発点となった事件を見ましょう。「宴のあと」事件と呼ばれています。ある作家が、実在の人物をモデルに、小説を発表しました。登場人物を、AとBの二人で見ていきます。Aは、都知事選挙に立候補して、落選した経験を持つ人物です。この小説のモデルとされ、原告として、訴えを起こしました。Bです。小説を書いた作家と、出版社です。私生活の細部まで書かれたことが、公開されたくない内容だった、という理由です。ここで、大事な確認があります。判断を下したのは、東京地方裁判所です。第一審の判決です。最高裁まで争われて確定した判決ではありません。正確には、下級審の判決です。最高裁判決だと思い込むと、短答で足をすくわれます。

判例東京地判昭39・9・28(民事事件・第一審判決)

「宴のあと」事件第一審——プライバシー権、最初の定義 私生活をみだりに公開されないという法的保障ないし権利。侵害が認められるには、公開された内容が、私生活上の事実または事実らしく受けとられるおそれのあることがら(私事性)、一般人の感受性を基準にして当該私人の立場に立った場合、公開を欲しないであろうと認められることがら(秘匿性)、一般の人々に未だ知られていないことがら(非公然性)であることを要する。

この判決は、プライバシー権を、こう定義しました。私生活を、みだりに公開されない、という法的な保障ないし権利。これが、出発点の定義です。そして、侵害があったと言えるには、三つの条件が必要だとしました。一つ目、私事性。私生活上の事実、または、そう受け取られるおそれのある事柄であること。二つ目、秘匿性。一般人の感覚を基準に、その人の立場に立てば、公開されたくないと考えるであろう事柄であること。三つ目、非公然性。まだ世間に知られていない事柄であること。三つそろって初めて、公開はプライバシーの侵害になります。公開された「内容」そのものの性質から、法が乗り出す場面を切り出すためです。私生活のことで、知られたくない性質を持ち、まだ知られていない。この三つがそろって初めて、公開が本人に与える不利益が、裁判で救うに値する重さになる、という切り分けです。なぜですか。するどい指摘です。そのとおりです。一度、世の中に知られてしまった情報は、この物差しでは、もう守りにくくなります。この限界は、覚えておいてください。後の話に、つながってきます。この事件では、三つとも認められ、プライバシー侵害が認められました。損害賠償の支払いが、命じられています。実は、そうとも言い切れません。判決の後、Bの側が控訴しています。ただ、争いの途中でAが亡くなり、最終的に、双方の間で和解が成立しました。上級審の判断が示されないまま、和解で終わっています。だから、この定義を上書きする上級審の判断が無いまま、第一審が示した定義が、今もプライバシー権の出発点として参照され続けています。

足りなくなった理由①——公開するだけが問題ではない

足りなくなった理由①=公開だけでなく取得・利用も本人の意思に反してはならない(守る行為の広がり)

この「私生活を公開されない権利」という定義、これで十分でしょうか。一つ、考えてみてください。公開さえされなければ、それでよいでしょうか。たとえば、あなたの買い物の履歴や、通院の記録が、知らないところで集められているとします。でも、まだ誰にも公開されていません。さっきの定義に照らすと、どうなりますか。「宴のあと」事件の時代は、公開さえ止められれば、十分だと考えられていました。しかし、社会が変わり、大量の個人情報が、集められ、利用される時代になりました。公開の前の段階、つまり取得や利用の段階から、本人の意思に反してはならない。そう考えないと、守りきれなくなってきたんです。これが、一つ目の理由です。守るべき行為の種類が、公開だけでなく、取得や利用にまで広がった、ということです。

足りなくなった理由②——止めさせるだけでは足りない

足りなくなった理由②=やめさせるだけでなく閲読・訂正・抹消も求められる(自由権的・消極的→社会権的・積極的)+自己情報コントロール権の定義(自己に関する情報をコントロールする権利)

もう一つ、別の方向からも、足りない場面が出てきます。もし、あなたについての、間違った情報が、すでに広まっていたとします。何を求めたいですか。ただ、「公開されない権利」は、公開を、やめさせる権利にすぎません。行政機関などに、個人情報が集中管理される時代になると、「やめさせる」という、自由権的で消極的な働きだけでは足りません。自分の情報を読ませてもらい、間違っていれば訂正させ、必要なら消させる。社会権的で積極的な側面も、必要になってきます。この二つの理由を、統合してみましょう。公開だけでなく取得・利用も、やめさせるだけでなく訂正・抹消も。この両方を満たす権利として、プライバシー権は、こう定義し直されます。自己に関する情報を、コントロールする権利。これを、自己情報コントロール権と呼びます。取得も利用も含めて、消極的にも積極的にも、自分の情報を自分でコントロールする。これが、今の通説の到達点です。知らないうちに集められる、買い物の履歴や通院の記録。それに、すでに広まった、間違った情報。どちらも、この新しい定義なら、保障の入口に入ります。片方は、まだ公開されていないから。もう片方は、やめさせることしかできなかったからです。ただし、入口に入ることと、実際に守られることは別です。どこまで制限してよいかは、この先の話です。理由を知らずに結論だけ覚えると、なぜこの言葉なのかが、答案で説明できません。

具体化のかたち——個人情報保護法とレセプト訴訟

個人情報保護法による具体化(訂正等を求める権利を法律レベルで規定)+レセプト訴訟(個人情報保護制度が未制定だった当時、情報公開制度で開示請求を認めた)

この自己情報コントロール権という考え方は、法律のレベルでも、形になっています。個人情報保護法です。自分の情報について、訂正などを求める権利が、定められています。憲法上の権利は、それだけでは、手続きが決まっていません。個人情報保護法が、その手続きを整え、憲法上のプライバシー権を、実際に使える形にしている。そういう位置づけです。以前は、そうでした。ただ、今は、一本の法律にまとめられています。二つの法律があると考えると、いまは正確ではありません。もう一つ、この流れで触れておきたい判断があります。レセプト訴訟です。最高裁は、個人情報保護の制度が、まだ整っていなかった時期に、情報公開の制度を使って、自分についての情報の開示を求めることを、認めました。国や自治体に、持っている文書を出させる、開示請求の仕組みです。自分に関する情報も、行政が持つ文書の中にあるからです。個人情報のための制度が無くても、文書を開かせる一般の仕組みに乗せれば、取り出せた、ということです。今は制度が整っていますので、位置づけが違う点に、注意してください。

保障範囲——固有情報とはどこまでか

プライバシー固有情報(政治・宗教的信条、心身の基本情報、犯罪歴等=当然に保障)とプライバシー外延情報(氏名・生年月日・住所・税情報等)の対比

さて、プライバシー権が「何を目指す権利か」は、定まりました。次は、実際にどこまでの情報を、保障の対象にするのか、を見ましょう。そこで、自分に関する情報を、大きく二つに分けます。一つ目。政治的な信条や宗教的な信条、心身の基本的な情報、犯罪の経歴など。個人の道徳的な自律に、直接かかわる情報です。これを、プライバシー固有情報と呼びます。当然に、保障の対象に含まれます。人格の核心に、直接かかわる情報だからです。同じ発想を、二つの段で使っています。まず、そもそも権利として認めるかどうかの入口で。次に、認めた権利の中で、どの情報が中心かを分けるところで。二つ目。氏名や生年月日、住所、税に関する情報など。道徳的な自律には、直接かかわらない個別的な情報です。プライバシー外延情報と呼びます。そこが、今日、もう一つの山場です。

外延情報も含める理由——マスターキー・索引情報論

マスターキー・索引情報論(外延情報は単体では要保護性が低くても、固有情報の束に到達する鍵として機能する)+自前の具体例(忘年会名簿の氏名と生年月日)

通説は、外延情報も、保障の対象に含めます。理由を、具体例で見てみましょう。ある会社の、忘年会の参加者名簿を思い浮かべてください。名前と、生年月日だけです。そう見えますよね。ですが、たとえば、この二つの情報だけを手がかりに、外部のいろいろなデータベースを、横断的に検索にかけると、どうなるでしょうか。名前と生年月日の組み合わせは、他のデータベースで、本人を特定する鍵として使われています。その鍵を使えば、通院の記録や、借り入れの状況のような、本来もっと守られるべき情報の束に、次々とたどり着けてしまいます。この働きを、マスターキー、あるいは索引情報と呼びます。単体では、要保護性が低く見えても、それが、固有情報の束にたどり着く鍵として機能する以上、保障の対象から外すわけにはいきません。会場の名前や、参加人数です。そこは、誰か一人に結びつきません。だれの情報でもない以上、そもそも「自分に関する情報」ではなく、プライバシー権の外側です。個人に結びつくかどうかが、内と外の線です。そこが、この論点でいちばん、間違えやすいところです。単体の要保護性の低さは、保障の対象外になる理由には、なりません。

審査基準のセレクト

審査基準のセレクト=人格的関連性の程度+情報システムが構築される可能性の2要素で選ぶ

保障の範囲が決まったところで、最後に、審査の強さを、どう選ぶかを見ておきます。制限をどれくらい厳しく疑うか、その目盛りでした。プライバシー権が制限された場面でも、この3つのどれを当てるかを選びます。どの人権でも、制限する側に、どれだけ重い説明を求めるかを決める場面だからです。あれは、人権を大きな束に分けて振り分ける道具でした。この権利では、もう一段細かく、情報そのものの性質で選びます。ここで重要になる要素は、二つです。一つ目。その情報が、個人の道徳的自律に、どれだけ強くかかわるか。人格的関連性の程度です。もう一つ。その情報をもとに、情報システムが構築される可能性が、どれだけあるか。この二つの要素で、審査の強さを選びます。たとえば、さっきの名簿の、氏名と生年月日。人格的関連性は、低いほうです。ですが、鍵として使われる以上、情報システムが作られる可能性は高い。そちらは、人格的関連性そのものが高い。同じ「自分の情報」でも、二つの要素は別々に動きます。ここは、あの物差しの、具体的な使い方として、押さえておいてください。

今日の地図(保存版)

まとめ(定義の変遷+保障範囲+審査基準)+問い(学説の到達点と判例の到達点はズレているのか)+送り一覧

それでは、今日の内容を、まとめましょう。プライバシー権は、最初、私生活を公開されない権利として、出発しました。そこから、二つの理由で、定義が組み替えられます。この二つを統合して、自己情報コントロール権という考え方に、たどり着きます。そして、保障の範囲は、固有情報だけでなく、外延情報にも及びます。審査の強さは、人格的関連性の程度と、情報システムが構築される可能性で選びます。ここまでが、今日、たどってきた道筋です。ただ、一つ、はっきりさせておきたいことがあります。今日見てきたのは、学説の到達点です。そこは、慎重に見る必要があります。最高裁が、この言葉を正面から使ったとまでは、言い切れません。学説は、ここまで来ました。では、判例は、どこまで来ているのか。そこを、次に、判例を一つひとつ確かめながら、見ていきます。一度、世の中に知られてしまった情報は、この物差しでは、救いにくくなる、という限界がありました。その先にある問題も、これから扱っていきます。プライバシー権が、どこまで広がるのか。その続きを、一緒に見ていきましょう。

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