「忘れられる権利」——検索結果は消せるか
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第3章 人権各論 ⑲/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。
なぜ今「消せるか」が問題になるのか

まず、なぜ今、これが問題になるのかを、短く見ておきます。昔なら、新聞の縮刷版を、図書館で探さない限り、出てこなかった記事があります。ところが今は、名前を打ち込むだけで、一番上に、出てくることがあります。ただ、探す手間がなくなったぶん、消える手間も、なくなりました。検索の仕組みが、変わらない限りは、そうです。元の書き込みをした人を、特定するのが難しいことも、多いんです。それに、書き込みが残っていても、検索でヒットしなければ、実際には、見つかりにくくなります。では、今日の事案を、見てみましょう。

Aさんという人がいます。児童買春の被疑事実で、逮捕されました。罰金刑を受け、逮捕の当日には、報道もされています。ところが、Bという検索事業者を使って、Aさんが住む県の名前と、Aさんの氏名を入れて検索すると、当時の書き込みのURLなどの情報が、今も出てきます。Bに対して、この検索結果を削除するよう求めました。人格権、または人格的な利益に基づく、仮の処分の申立てです。名誉やプライバシーのように、その人の人格に結びついた利益を守る権利です。中身は、後の回でまとめて扱います。では、最高裁の判断に入ります。
検索事業者の皿に積まれる、二つの重り(ア・イ)

最高裁の判断は、実は、一つの流れでつながっています。性質、制約の意味、要件、あてはめ。四つの段階です。この四つを、順番に見ていきます。覚える必要は、ありません。前の段階が、次の段階を導きます。そのつながりだけを、追いかけてください。まず、考えてみてください。検索結果は、プログラムが自動で出しているだけだと、思いますか。そこが、最初の分かれ道です。決定文を、通しで見てみましょう。
判例最決平成29・1・31(平成28年(許)第45号・第三小法廷)
検索結果削除仮処分事件——性質・制約・要件・あてはめ ア 情報の収集,整理及び提供はプログラムにより自動的に行われるものの,同プログラムは検索結果の提供に関する検索事業者の方針に沿った結果を得ることができるように作成されたものであるから,検索結果の提供は検索事業者自身による表現行為という側面を有する。 イ 現代社会においてインターネット上の情報流通の基盤として大きな役割を果たしている。 ウ 以上のような検索事業者による検索結果の提供行為の性質等を踏まえると……①当該事実の性質及び内容,②プライバシーに属する事実が伝達される範囲と被る具体的被害の程度,③社会的地位や影響力,④記事等の目的や意義,⑤記事等が掲載された時の社会的状況とその後の変化,⑥当該事実を記載する必要性など……諸事情を比較衡量して……当該事実を公表されない法的利益が優越することが明らかな場合には……削除することを求めることができる。 エ 「今なお公共の利害に関する事項であるといえる」「本件事実が伝達される範囲はある程度限られたもの」「本件事実を公表されない法的利益が優越することが明らかであるとはいえない」
今日一日で、ここに書かれていることを、順番に腑に落としていきます。まず、アの部分です。「自動的に行われるものの」というところに、注目してください。自動で処理している。けれども、と続きます。

「機械が勝手にやっていることです」と言えば、責任を逃れられそうな気が、しますよね。ですが、決定文は、そこで止まりません。そのプログラム自体が、検索事業者の方針に沿った結果が出るように、作られている。だから、自動だから関係ない、とはならないんです。だから、検索結果の提供は、検索事業者自身による、表現行為という側面を持つ。これが一つ目の重りです。次に、イです。検索は、単なる一企業のサービスではありません。公衆が情報を発信したり、必要な情報を探し出したりするのを、支える仕組みです。だから、特定の検索結果を削除させるということは、その表現行為を制約するだけでなく、インフラとしての役割そのものへの、制約にもなります。これが二つ目の重りです。もし、検索結果が簡単に削除されるようになれば、事業者側は、争いを避けるために、まず削除する方向へ、動きやすくなります。そう考えると分かりやすいと思います。その萎縮が、インターネット全体の情報流通を、痩せさせてしまう。だからこそ、削除を命じることは、この役割そのものへの制約にもなる、と言えるわけです。ここまでが、ア・イの中身です。この二つの重りが、次の段階で、そのまま効いてきます。
「明らか」というハードル——比較衡量の中身(ウ)

ここから、ウの部分に入ります。検索事業者の皿には、たった今、二つの重りが乗りました。表現行為という重りと、インフラという重りです。その二つが乗っているからこそ、ここから見る要件は、ただの比較衡量では、終わりません。考えてみてください。事業者側の皿と、請求者側の皿。どちらか一方が、少しでも重ければ、削除できると思いますか。普通の比較衡量なら、そうです。ですが、決定文は、そこに、もう一段、条件を足しています。

比較する材料は、六つあります。一つ目、事実の性質や内容。二つ目、伝達される範囲と、被る被害の程度。三つ目、社会的な地位や影響力。四つ目、記事の目的や意義。五つ目、記事が載った時の社会的な状況と、その後の変化。六つ目、その事実を書く必要性です。ただし、丸暗記する必要は、ありません。どちらの皿に効くかで束ねれば、覚えやすくなります。事実の中身、伝達の範囲、書く必要性。これは、検索結果を残す理由に効きます。一方、被る被害の程度や、社会的な地位。これは、消してほしい側の理由に効きます。ちなみに、記事の目的や意義は、両方に効きえます。社会に必要な情報を伝える目的なら、事業者側の皿に。単なる興味本位で書かれたものなら、請求者側の皿に、効くこともあります。残る五つ目、記事が載った時の社会的な状況と、その後の変化も、両方に効きえます。今も同じだけ問題視されているなら残す側に、状況が変わって関心が薄れていれば、消してほしい側に効きます。そして、この六つを比較衡量した結果、請求者側の利益が優越することが「明らかな場合」に、初めて、削除を求めることができる。これが、決定文の言い方です。そこが、決め手です。単に、少しでも上回ればよい、ではありません。なぜなら、検索事業者の側には、さっきの二つの重り、表現行為とインフラという役割が、すでに乗っているからです。決定文は「以上のような……性質等を踏まえると」と書いて、アとイを受けています。ただ、なぜ重さ比べに足すのではなく、ハードルを上げる形にしたのか。そこは書かれていません。ここから先は、こう読めます。一件ごとの重さ比べにすると、迷えば削除へ流れ、さっき見た萎縮が起きる。だから、勝ち負けを比べる手前で、削除できる場面のほうを狭くしておく。そう読めます。履かせてある、と言うと言い過ぎですが、近い発想です。事業者側に、最初から積まれているものがある以上、請求者側は、単に上回るだけでなく、はっきりと上回らないと、崩せない。そういう設計です。少しでも請求者側が重ければ、ではなく、誰の目にも、はっきり請求者側が重いと分かる場合だけ、削除できる。そういう設計です。次は、実際の事件に、当てはめてみましょう。
どちらの皿に効いたか——あてはめ(エ)

では、この事件では、どちらの皿が重くなったのか。決定文の言葉で、確認していきます。まず、Aさんが児童買春をしたという事実。プライバシーに属する事実では、あります。ただし、児童買春は、児童に対する性的な搾取や虐待と位置づけられ、社会的に強い非難の対象で、罰則もあります。だから、時間が経った今もなお、公共の利害に関する事項だといえる。五つ目の要素が、事業者側に効いた形です。もう一つ。この検索結果は、Aさんが住む県の名前と、氏名を条件にした場合の結果です。だから、事実が伝達される範囲は、ある程度限られている。あらかじめ、県名と氏名を、知っている人でないと、たどり着けません。これも、事業者側の皿に効きます。乗ります。妻子と一緒に暮らし、罰金刑のあとは、一定期間犯罪を犯すことなく、民間企業で働いていること。これは、請求者側の事情です。決定文は、その事情を考慮しても、と続けます。公表されない法的利益が、優越することが明らかであるとは、いえない。削除は、認められませんでした。ただし、一つ、覚えておいてください。この事実がプライバシーに属することは、決定文自身が認めています。前に渡した、判例を読む三つの欄。その二つ目と三つ目です。そこを分けて読むのが、今日の一番の勘所です。
「忘れられる権利」——誰が使い、誰が使わなかったか

ここで、今日のタイトルに、戻ります。「忘れられる権利」という言葉を、最高裁は使ったと思いますか。実は、使っていません。決定文の全文を確かめても、この言葉は、一度も出てきません。この事件には、実は、いくつかの審級があります。最初に、仮の処分を認めた裁判所への、異議の審理がありました。そこで、「忘れられる権利」という言葉が、一度使われています。違います。その次の段階で、高等裁判所が、判断を覆しました。そして、その高等裁判所の判断を、最高裁が是認しました。それが、今日見てきた決定です。さっき見た決定文の言葉、覚えていますか。プライバシーに属する事実を、公表されない法的利益。その言い方で、処理しています。そこを、混同しないでください。最高裁は、この言葉を採りませんでした。なぜ採らなかったのかは、決定文に、書かれていません。明言はされていません。ただ、こう読むことはできます。情報をみだりに公表されない利益という、既にある枠組みで、処理できるなら、新しい名前を、わざわざ立てる必要はない。名前を一つ増やすたびに、重みは薄れ、制限される場面も、増えていく。そういう危うさが、ありました。最高裁は、13条から、これまでいくつもの自由を読み込んできましたが、この決定では、新しい名前を立てず、既にある枠組みで処理した。それが、実際に起きたことです。
検索事業者とSNS事業者で、枠組みが違う

もう一つ、確認しておきたいことがあります。今日見た決定は、検索事業者を相手にしたものでした。実は、SNS事業者を相手にした、別の判決があります。ある人が、あるSNSに投稿された、自分の逮捕についての記事の転載を、削除するよう求めた事件です。比較衡量を使うところまでは、同じです。判決文を見てみましょう。
判例最判令和4・6・24(令和2年(受)第1442号・第二小法廷)
ツイッター投稿削除請求事件——「明らか」は消えた 原審(東京高等裁判所) 優越することが明らかな場合に限られると解するのが相当であるとして、請求を棄却した。 最高裁 そのように解することはできない。……上告人の本件事実を公表されない法的利益が、本件各ツイートを一般の閲覧に供し続ける理由に優越する場合には,本件各ツイートの削除を求めることができる(明らかの限定なし)。 結論 原判決を破棄する。被上告人の控訴を棄却する。=削除認容が確定。
原審は、検索事業者のときと同じ、「明らかな場合」という基準を、使っていました。ですが最高裁は、そう解することはできない、と否定しました。そこは、はっきりとは述べられていません。ただ、こう読むことはできます。今日見た二つの重り、表現行為という側面と、インターネットの基盤という役割。これは、検索事業者だからこそ、あてはまる事情でした。アの理由を、思い出してください。事業者の方針に沿った結果が出るように、プログラムが作られている。だから、事業者自身の表現行為だ、という理屈でした。という読み方が、できます。ここが、今日の判断の一番のつながりです。ここで、前に見た比較衡量の話を、思い出してください。今日の決定は、その限界を承知の上で、比較衡量を使い、「明らか」という限定を、上乗せしました。そこが大事な点です。相手は国ではなく、一つの事業者です。だから「明らか」は、前に見た、厳しさの目盛りとは別物です。国の行為をどれくらい厳しく審査するか、という話ではありません。この限定は、請求者に有利な言葉に、見えるかもしれません。そこです。「明らか」は、表現の自由の側に、寄せる装置です。だから、それが外れたということは、天秤が、少しだけ、請求者側に、傾いたことを意味します。ただし、「SNSだから緩い」と一般化はしません。あくまで、この二つの判断の、書きぶりの違いとして、受け取ってください。
今日の地図(保存版)

最後に、今日の内容を、一本の線に戻します。検索事業者の皿に、二つの重りが乗ります。表現行為という側面と、インフラとしての役割です。その二つが乗っているからこそ、比較衡量に、「明らか」という上乗せされたハードルが、加わります。そして、あてはめでは、どちらの皿に何が乗ったかを、一つずつ確認しました。結論を暗記するのではなく、この流れを、追いかけてください。「忘れられる権利」という言葉は、最高裁は使いませんでした。既にある枠組みで、処理できたからです。そして、検索事業者とSNS事業者とでは、「明らか」という限定の有無が、違いました。一つだけ、開いたままにしておくものがあります。今日の決定が使ったのは、人格権に基づいて、公表されない法的利益を比べる枠組みでした。今日の決定も、あとで見た判決も、そこには答えていません。開いたままです。次は、自分の生き方や体のことを、自分で決める自由について見ていきます。プライバシーを正面から扱うのは、今日で、一区切りです。