憲法ゼロから憲法#20

自分で決める自由はどこにあるか——輸血拒否と人格権

⬇ 印刷用PDF

第3章 人権各論 ⑳/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

自己決定権とは何か——三つの型と、決めきれなかったもの

自己決定権の3類型の一覧(①家族のあり方②生命の処分③ライフスタイル)+定義(自分の人生に関わる私的な事柄を、公権力に干渉されずに自ら決定する権利)

ここから、自分で決める自由の中身に入ります。まず、自己決定権と呼ばれるものを、大きく3つに分けて考えます。一つ目は、誰と家族になるか、という型です。結婚するかどうか、子を持つかどうか、といった場面です。二つ目は、自分の命や体を、どう扱うかという型です。今日、深く見る事件も、この型に入ります。三つ目は、髪型や服装のような、日々の生き方の型です。そこが、実は一枚岩ではありません。一つ目と二つ目は、人格的生存に不可欠だ、という見方で、ほぼ一致します。その人が、その人として生きていくのに、欠かせない、ということです。ですが、三つ目は、争いがあります。

髪型・服装の学説対立(有力な見解=人格的生存に不可欠とはいえない/これに対する見解=人格形成に重要な要素)+修徳高校事件(私立学校の校則・私人間効力で受ける)

学校が、髪型や服装を制限する校則を作ったとします。それは、憲法上の権利を制限したことに、なるのでしょうか。有力な見解は、それだけでは、人格的生存に不可欠とまでは言えないとします。幸福追求権の回で、通説の物差しとして出した言葉です。これに対して、髪型や服装も、人格を形づくる大事な要素だ、という見方もあります。ここは、決着していません。ただ、実際の事件を見ると、最高裁は、この対立に立ち入らずに、事件を解決しています。ある私立高校が、自動車の運転免許の取得やパーマを禁止する校則を作り、無断で免許を取った生徒が、パーマもかけて、退学を勧告された事件です。最高裁は、憲法の条文を、直接の物差しには、しませんでした。私立学校と生徒という、私人同士の関係だからです。国と個人の関係を、直接縛る規定は、私人同士のあいだに、そのまま持ち込めません。最高裁が言ったのは、社会通念上、不合理とはいえない、ということでした。そこは、区別してください。最高裁が判断したのは、校則の中身が、社会通念上、不合理といえるかどうかです。髪型の自由が憲法上の権利かどうかには、答えていません。

輸血拒否——意思決定する権利は、人格権の一内容

輸血拒否事件の関係図。A=患者/B=病院/C=医師ら。辺=A→(宗教上の信念から)輸血拒否の明確な意思をB・Cに伝達/C⇒(方針を説明せず)手術と輸血を実施/A→(説明義務違反・人格権侵害)損害賠償請求

最初に見るのは、命と体に関わる、自己決定の事件です。Aさんという患者がいます。ある宗教の信仰を持ち、輸血を受けることは、自分の信仰に反すると、考えていました。Aさんは、B病院に入院した際、輸血をしない治療をするよう求める書面を、渡していました。B病院は、輸血をしないで済むよう最善は尽くす、ただし、必要になれば輸血する、という方針を、実は持っていました。そこが、この事件の核心です。C医師らは、その方針を説明しないまま、手術を行い、実際に輸血をしました。手術自体は、成功しています。Aさんが訴えたのは、輸血をされたことそのものでは、ありません。そこで、少し考えてみてください。最高裁は、輸血を拒否するという、この意思決定を、何という言葉で、呼んだと思いますか。多くの人が、自己決定権だと思います。ですが、実際の言葉は、違います。

判例最高裁判所第三小法廷判決 平成12年2月29日

エホバの証人輸血拒否事件——意思決定する権利は、人格権の一内容 患者が、輸血を受けることは自己の宗教上の信念に反するとして、輸血を伴う医療行為を拒否するとの明確な意思を有している場合、このような意思決定をする権利は、人格権の一内容として尊重されなければならない。 B病院としてはそのような事態に至ったときには輸血するとの方針を採っていることを説明して、B病院への入院を継続した上、C医師らの下で……意思決定にゆだねるべきであった。 ……右説明を怠ったことにより、Aの人格権を侵害したものとして、慰謝すべき責任を負う。

判旨の核=「意思決定をする権利は、人格権の一内容として尊重されなければならない」(自己決定権とは言っていない)/責任の中身=説明義務違反による人格権侵害(輸血自体は違法でない)

自己決定権という言葉は、判決文の全体を見ても、一度も出てきません。最高裁が使ったのは、「人格権の一内容」という言葉です。ここが、今日の背骨に、つながります。もう一つ、大事な区別があります。輸血という医療行為そのものが、違法だと言われたわけでは、ありません。例えるなら、材料にアレルギーの原因があると知りながら、それを伝えずに、料理を出してしまった場面に近いです。問題は、食べるかどうかを、客自身に選ばせなかったこと、にあります。この事件でも、方針を説明して、受けるかどうかを、Aさん自身に選ばせるべきだった。それを怠ったことが、人格権の侵害とされました。認められたのは、慰謝料でした。手術のやり直しや、輸血の無効を求めたのでは、ありません。この言葉が、今日、何度も出てきます。判例の言葉を、正確に押さえておいてください。

人格権という「器」——広義と狭義

人格権という器の図(広義の外枠にプライバシー・自己決定も含まれ、狭義の内側に名誉・生命健康が入る同心円)

ここで、いったん、「人格権」という言葉自体を、整理します。実は、前にも、この言葉は出てきています。検索結果の削除を求める根拠が、人格権でした。あのときは、人格に結びついた利益を守る権利、とだけ言って、中身は後の回で、と送っています。それが、今日です。人格権には、広い意味と、狭い意味があります。広い意味では、プライバシーや、今見た自己決定も、人格権に含まれます。イメージとしては、道具箱です。新しい道具が増えるたびに、新しい道具箱を作るのではなく、もとからある道具箱に、しまっていく。ただ、道具箱の中には、決まった仕切りもあります。狭い意味の人格権は、その仕切りの一つで、主に、名誉と、生命・健康を指します。この後、その二つの仕切りを、順番に見ていきます。そのうえで、器に載らなかった例と、器に載って、法律を動かした例も、見ていきます。

名誉という中身——北方ジャーナルの一句

北方ジャーナルの一句「人格権としての個人の名誉の保護(憲法13条)」+送り先の明示(事前抑制・検閲の3要件は別の回であらためて扱う)

まず、名誉のほうから、見ていきます。ある雑誌が、選挙に立候補する予定の人物を、激しく批判する記事を、出版しようとしました。当人は、出版そのものを、止めようとしました。この事件で、最高裁は、名誉について、こう位置づけています。「人格権としての個人の名誉の保護」。名誉は、憲法13条が保障する、人格権の中身の一つだと、位置づけられています。人格権に入ると、大きく変わります。お金で償ってもらう話に、とどまりません。出る前に止めてくれ、と言える土台になります。一度出てしまえば、傷ついた評判は、元には戻らないからです。出版を止めることが、どこまで許されるかという中身は、表現の自由を扱う回で、あらためて見ていきます。

生命・健康という中身——とらわれの聞き手

とらわれの聞き手の一覧(法廷意見=不法行為の成立を否定/伊藤正己裁判官の補足意見=「とらわれの聞き手」という語を使用)

もう一つの仕切り、生命・健康にも、触れておきます。電車の中で、商業放送が流れ続ける事件が、争われたことがあります。最高裁の結論としては、放送を、違法とは認めませんでした。請求は、認められていません。乗り物の中で、多少の音を聞かされることは、お互いさまとして、我慢すべき範囲を、超えていない。不快だというだけでは、法が動く線には、届きませんでした。ただ、一人の裁判官が、補足の意見の中で、「とらわれの聞き手」という、言葉を使っています。よく「とらわれの聴衆」と呼ばれますが、判決が使っている言葉は、「聞き手」のほうです。逃げ場のない場所で、情報を、一方的に受け取らされる人。そういう状況が、生命・健康という、人格権の一角に、関わってくる、という位置づけです。そこは分けてください。中に入るかどうかと、勝つかどうかは、別です。

合祀拒否——器に載らなかった利益

合祀拒否事件の関係図。A=原告(妻)/B=地連・隊友会/D=護国神社。辺=①B⇒(共同で合祀申請)D/②A→(宗教上の人格権侵害を主張して損害賠償を請求)B。妻が訴えたのは申請をした地連と隊友会で、護国神社は被告ではない

ここから、載らなかった例を、見ていきます。ある自衛官が、亡くなりました。妻は、キリスト教の信者でした。亡くなった自衛官を、地元の団体と、退職自衛官の団体が、共同で、護国神社に、まつるよう申請しました。妻は、自分の信仰と違う形で、まつられることに、強く反対していました。そこで、少し考えてみてください。夫を亡くした妻が、宗教上の人格権を、侵害されたと訴えました。最高裁は、これを、認めたと思いますか。実は、最初の二つの審級では、妻の訴えが、認められています。ですが、最高裁は、その判断を、両方とも取り消しました。まず、合祀を申請したこと自体は、地連や隊友会が、自由に行えることで、誰の法的な利益も、侵害しない、という前提があります。そのうえで、最高裁は、こう言っています。

判例最高裁判所大法廷判決 昭和63年6月1日

自衛官合祀拒否事件——宗教上の人格権は「認められない」 かかる宗教上の感情を被侵害利益として、直ちに損害賠償を請求し、又は差止めを請求するなどの法的救済を求めることができるとするならば、かえって相手方の信教の自由を妨げる結果となるに至ることは、見易いところである。 信教の自由の保障は、何人も自己の信仰と相容れない信仰をもつ者の信仰に基づく行為に対して、それが強制や不利益の付与を伴うことにより自己の信教の自由を妨害するものでない限り寛容であることを要請しているものというべきである。 原審が宗教上の人格権であるとする静謐な宗教的環境の下で信仰生活を送るべき利益なるものは、これを直ちに法的利益として認めることができない性質のものである。

審級の向き(下級審=認容/最高裁=棄却)+宗教的寛容論の骨子+「直ちに法的利益として認めることができない」

かみ砕くと、こうなります。自分の信仰と違う行いを、不快に感じたからといって、それを、法的に止めさせられるとしたら、どうなるでしょうか。近所で、自分とは違う宗教の行事があって、それを不快に思っても、やめさせられるとしたら、あらゆる宗教が、互いを、止め合う結果になりかねません。この理由づけのうえで、最高裁は、「静謐な宗教的環境で、信仰生活を送るべき利益」について、直ちに法的利益として、認めることができない、と言っています。「認めたが、負けた」のではありません。「入り口の時点で、入らなかった」という結論です。前に渡した、判例を読む三つの欄で言えば、この事件は、一つ目の欄が、埋まっていません。そこを、混同しないでください。もう一つ、付け加えると、そもそも合祀という行為自体が、護国神社の自由な判断で、行われたことも、理由の土台にあります。では、どこまで行けば、争えるのでしょうか。そこも、判旨に書いてあります。相手の信仰にもとづく行いが、強制や、不利益の押しつけを伴うとき。そこまで来れば、寛容を求められる範囲を、超えます。その線です。今日の事件は、手前側にありました。もう一つの争点、政教分離については、別の回で、あらためて扱います。

性別変更の要件——動かなかった三つ、動いた一つ

特例法3条1項5要件の一覧(年齢・婚姻・子・生殖腺・外観)+注記(生殖腺の要件は令和5年の最高裁大法廷決定で憲法13条に違反すると判断されたが、条文はまだ改正されていない)

ここから、この回で、一番大事な話に入ります。戸籍上の性別を変更するには、法律で、要件が定められています。

条文性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律(平成十五年法律第百十一号)

性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律 第三条第一項 家庭裁判所は、性同一性障害者であって次の各号のいずれにも該当するものについて、その者の請求により、性別の取扱いの変更の審判をすることができる。 一 十八歳以上であること。 二 現に婚姻をしていないこと。 三 現に未成年の子がいないこと。 四 生殖腺がないこと又は生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあること。 五 その身体について他の性別に係る身体の性器に係る部分に近似する外観を備えていること。

実は、この要件は、以前は20歳以上でした。民法の成年年齢が、18歳に引き下げられたのに、合わせた改正です。これから見ていく判断とは、別の理由による改正です。この五つのうち、三つは、これまでの裁判で、合憲だと判断されています。婚姻していないこと、未成年の子がいないこと、そして年齢の要件です。条文を、もう一度見てください。この三つは、年齢や、家族の関係を問う要件です。体には、何も求めていません。残りの二つは、体そのものに、手を加えることを求めます。分かれ目は、そこにあります。

子なし要件・非婚要件の一覧。現に子がいないこと(合憲)→改正で現に未成年の子がいないことに変更→同じ結論を維持/現に婚姻していないこと(合憲)。要件・結論・注記の3列

一つだけ、注意してください。子がいないことという要件は、途中の改正で、未成年の子がいないこと、に変わっています。改正の前後を、混同しないでください。残りの二つ、生殖腺の要件と、外観の要件。体の見た目が、変更後の性別に近い状態であることを、求める要件です。この二つが、今日、最も動いた部分です。生殖腺の要件は、性別を変えるには、生殖腺を、除去していなければならない、という条件です。これが、体への侵襲を、自分の意思に反して、受けない自由と、関わってきます。この要件が、これから見ていく判断で、全く違う結論を、迎えることになります。

判例は動く——平成31年から令和5年へ

一つ前の決定の核=「身体への侵襲を受けない自由」を制約する面は否定できない/「現時点では」合憲/「不断の検討を要する」

生殖腺の要件について、まず、一つ前の判断を見ます。これから見る二つは、どちらも、同じ形で最高裁まで来ています。性別の取扱いを変えてほしい、と家庭裁判所に申し立てて、認められなかった。その判断を争って、上の裁判所へ、上がっていった事件です。最高裁は、この要件について、自分の意思に反して、体への侵襲を受けない自由を、制約する面が、あることは、否定できないとしました。そのうえで、最高裁は、結論を出します。

判例最高裁判所第二小法廷決定 平成31年1月23日

性別変更の生殖腺要件——平成31年決定 「その意思に反して身体への侵襲を受けない自由を制約する面もあることは否定できない」 「現時点では、憲法13条、14条1項に違反するものとはいえない」 「その憲法適合性については、不断の検討を要する」

そこに、注目してください。ずっと合憲だ、とは言っていません。しかも、最高裁自身が、「不断の検討を要する」と、自分の判断に、宿題を残しています。ここで、考えてみてください。この宿題を、最高裁は、その後、どうしたと思いますか。同じ要件について、最高裁は、どんな判断を、下したでしょうか。

新しい決定の核=「必要かつ合理的とはいえない」+「憲法13条に違反する」+「前の決定は変更する」+主文(原決定破棄・広島高裁へ差戻し)/生殖腺の要件のみ違憲、外観の要件は判断せず

その後、最高裁は、同じ生殖腺の要件について、判断を、変更しました。

判例最高裁判所大法廷決定 令和5年10月25日

性別変更の生殖腺要件——令和5年大法廷決定 憲法13条は、『すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。』と規定しているところ、自己の意思に反して身体への侵襲を受けない自由(以下、単に「身体への侵襲を受けない自由」という。)が、人格的生存に関わる重要な権利として、同条によって保障されていることは明らかである。 本件規定は……身体への侵襲を受けない自由を制約するものということができ……身体への侵襲を受けない自由の重要性に照らし、必要かつ合理的なものということができない限り、許されないというべきである。 本件規定による身体への侵襲を受けない自由に対する制約は……身体への侵襲を受けない自由を放棄して強度な身体的侵襲である生殖腺除去手術を受けることを甘受するか、又は性自認に従った法令上の性別の取扱いを受けるという重要な法的利益を放棄して性別変更審判を受けることを断念するかという過酷な二者択一を迫るものになったということができる。 以上を踏まえると、本件規定による身体への侵襲を受けない自由の制約については、現時点において、その必要性が低減しており、その程度が重大なものとなっていることなどを総合的に較量すれば、必要かつ合理的なものということはできない。よって、本件規定は憲法13条に違反するものというべきである。 これと異なる結論を採る最高裁平成31年1月23日第二小法廷決定は、変更することとする。 主文 原決定を破棄する。本件を広島高等裁判所に差し戻す

気づいてほしいのは、二枚のカードの、裁判所の名前です。前の判断は、第二小法廷。今回は、大法廷。最高裁が、自分の出した判断を変えるときは、裁判官が全員そろう大法廷でなければ、できません。だから、判例を変えるときは、必ずこの名前になります。そして、変更すること自体、そう多くはありません。「制約は否定できない」という、前の判断を土台に、新しい判断は、「必要かつ合理的とは言えない」と、踏み込みました。最高裁は、二つを並べて、比べています。一つは、この要件を置いておく必要が、どれだけ残っているか。もう一つは、この要件を満たすために、その人が負う負担が、どれだけ重いか。もともとこの要件は、性別を変えた人に子が生まれると、親子の関係で混乱が起きかねない、という心配から置かれました。ですが最高裁は、そうした事態は極めてまれだ、としています。起きても、法律の解釈や立法で解ける、とも言っています。反対側も、見てください。この要件を満たすには、望まない手術を受け入れるか、性別を変えることを、諦めるか。どちらかしかありません。最高裁は、これを「過酷な二者択一」と呼びました。前の判断では、必要のほうが、まだ上回ると見ました。今回は、負担のほうが重い、と見ています。カードの言葉で言えば、「必要性が低減し、その程度が重大なものとなっている」。この二つです。たとえるなら、点検の話に近いです。ある時点の点検で基準を満たしていた橋が、通る車の量や、技術の変化を踏まえた、次の点検で、これ以上は無理だ、と判断が変わることがあります。そういう構造です。ここで、一つ、確認してください。この新しい判断は、違憲だとした条文の根拠を、憲法13条だけに、絞っています。違憲だとした理由は、13条だけです。14条の平等については、判断が示されていません。そこも、正確に押さえてください。もう一つ、大事な範囲の限定があります。違憲とされたのは、五つの要件のうち、生殖腺の要件、一つだけです。外観の要件は、高等裁判所の段階で、判断されていませんでした。そのため、今回も判断せず、高等裁判所に、審理を差し戻しています。そこを、丸めないでください。そして、もう一つ、大事な事実があります。違憲だと判断されたのは、あくまで司法の判断です。条文そのものは、この判断の後も、国会によって、書き換えられてはいません。判断と、条文の改正は、別のことです。人権を制約する場面では、よく使われる考え方です。

今日の地図(保存版)

まとめ=載った(輸血拒否)/載らなかった(合祀拒否)/載って違憲まで行った(性別変更)の3段の背骨図+回収(令和5年の決定の「人格的生存に関わる重要な権利」=幸福追求権の回で立てた13条の物差しが、法律を違憲にするところまで来た)+送り一覧(事前抑制と検閲/政教分離/法の下の平等)

最後に、今日の内容を、一本の線に、戻します。最高裁は、新しい権利の名前を、ほとんど作りません。13条の「人格権」という、もとからある器に、新しい主張が、載るかどうかを、判定してきました。輸血拒否は、載りました。合祀拒否は、載りませんでした。性別変更の生殖腺の要件は、載ったうえで、法律を動かしました。13条の話の、最初の回、幸福追求権のところで見たとおりです。名前をむやみに増やすと、人権という言葉の重みが、薄れてしまいます。今日、最後に見た判断は、その器を、「人格的生存に関わる重要な権利」と呼び、法律を、違憲にしました。ここで、13条から生まれる権利の話は、一区切りです。守る自由も、決める自由も、見てきました。名誉の話の続きや、宗教上の対立の話、そして、今日出てきた「法律を、違憲にできるか」という判断の型は、それぞれ、別の回で、あらためて扱います。次は、人と人を、別々に扱ってよいのは、どんなときか、という話に、進みます。そこへ、話をつなげていきます。

参照条文

  • 性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律(平成十五年法律第百十一号)

憲法 全体ロードマップへ →