思想・良心の自由
印刷のコツ
プリンターでは次の設定がおすすめです。
- 用紙:A4 / 向き:縦
- 拡大縮小:「実際のサイズ」(フィット縮小しない)
- 両面印刷:オン、とじ方は「長辺をとじる」(左綴じ)
- モノクロ印刷OK(強調は色でなく太字なので白黒でも読めます)
19条はなぜ独立の条文なのか

独立の条文を置いた理由
結論日本国憲法は、思想・良心の自由を、あえて独立の条文で保障しています。
条文19条には、「公共の福祉に反しない限り」のようなただし書きが一切ありません。
理由かつて、特定の考え方そのものを取り締まった歴史への反省があるからです。
国家が頭の中身をチェックし、危険だと判断した考え方を弾圧しました。
注意諸外国の憲法では、思想・良心の自由を独立の条文で保障する例は多くありません。
信教の自由や表現の自由を保障すれば、頭の中の自由も当然に含まれると考えるからです。
ただし、独立の条文を置く国が日本だけというわけではありません。
19条|第三章 国民の権利及び義務(10〜40条)思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。
明治憲法の法律の留保との違い
定義法律の留保とは、法律さえ作れば権利を制限できる、という明治憲法の仕組みです。
結論日本国憲法は、思想の自由を制限する法律すら作らせない立場です。
19条の存在そのものが、二度と頭の中身に手を出させない、という宣言です。
理由明治憲法のもとでは、思想の自由も、法律による制限の対象になりえたからです。
「絶対的に自由」の意味
19条には、ただし書きが一つもありません。
では、思想・良心の自由が「絶対的に自由」だというのは、何を意味しているのでしょうか。

「絶対」の中身
定義公共の福祉とは、人権どうしがぶつかったときに調整する仕組みです(人権相互の調整)。
結論「絶対的に自由」とは、どんな制約にも勝つ無敵の権利という意味ではありません。
内心にとどまっている限り、調整という土俵にすら乗らない、という意味です。
条文19条にただし書きが要らないのは、このためです。
理由内心にとどまっている限り、他人の目に触れず、他人の権利と衝突しようがありません。
衝突が起きなければ、調整するという発想自体が出てくる余地がないからです。
注意精神的自由は特に手厚く守られるべきだとされますが、19条はその物差しを厳しくする話ではありません。
内心にとどまる限り、物差しを当てる場面にすら入らない、という話です。
「内心にとどまる限り」という条件
結論保障が絶対的なのは、内心にとどまっている限りです。
理由考えが行動として外に現れた瞬間、他人や社会との接触が始まるからです。
注意外に現れた場面をどう扱うかは、第5節の4つの型で整理します。
保障の範囲(内心説と信条説)
「絶対」とは、内心にとどまる限り調整の土俵に乗らない、という意味でした。
では、「思想及び良心」は、どこまでの内心を指すのでしょうか。

内心説と信条説
定義「思想及び良心」の範囲について、2つの立場があります。
- 内心説:ものの見方や考え方一般を、限定なく含める立場です。
- 信条説:世界観や人生観など、人格の形成に関わる内心の活動に範囲を絞る立場です。
結論実務や多くの学説が採るのは信条説で、これが通説です。
具体例「どんなことがあっても暴力には加担しない」という信念は、生き方の芯にあるものとして信条説の対象になります。
なぜ範囲を絞るのか
結論範囲を絞るのは、守りを弱くするためではありません。
残った部分の「絶対」を、本物のまま守り切るためです。
理由2つの立場の違いは、次のとおりです。
- 内心説:対象を広く取るほど、「大した話ではないから多少の制約は仕方ない」という暗黙のただし書きが要ります。ただし書きの無い条文にただし書きを作ると、「絶対」は本物ではなくなります。
- 信条説:先に対象を人格の土台をなす考え方に絞り、その代わり、対象に入ったものには例外なく絶対を貫きます。
具体例給食で嫌いな野菜が出たときの「食べたくない」という気持ちも、頭の中の考えです。
内心説を押し通すと、この気持ちも19条の絶対的な保護の対象に含まれかねません。
謝罪広告事件(範囲の対立が結論の説明に表れる場面)
内心説と信条説は、保障の範囲をめぐる対立でした。
では、謝る気の無い人に謝罪広告を強制することは、良心の自由を侵害するのでしょうか。
謝罪広告事件
定義代替作為とは、本人でなくても代わりにできる行為です。
事案選挙運動の中で、ある候補者が、他人の名誉を傷つける発言をしました。
裁判所は、傷つけられた側の名誉を回復するため、発言をした側(上告人)に新聞への謝罪広告の掲載を命じました。
- 広告の中身:「放送や記事の内容は真相と違っており、ご迷惑をおかけしました。ここに陳謝の意を表します」という程度のものでした。
- 争われた点:謝る意思の無い者に謝罪広告を強制するのは、19条(良心の自由)に反するのではないか、という点です。
結論この種の謝罪広告の掲載を命じることは、良心の自由を侵害することを要求するものとは解せられないとされました。
- 広告の程度:単に事態の真相を告白し、陳謝の意を表明するに止まる程度のものです。
- 強制の方法:この程度の広告であれば、代替作為として強制執行もできる、としています。
注意最高裁は、謝罪広告なら何でも許される、とは言っていません。
「止まる程度のもの」という限定が、この判決でいちばん大事な一句です。
心からの反省や内心の転向を宣言させる内容なら、結論は変わりうる、という含みが残っています。
謝罪広告事件最高裁判所大法廷判決単に事態の真相を告白し陳謝の意を表明するに止まる程度のものにあつては、これが強制執行も代替作為として民訴七三三条の手続によることを得るものといわなければならない。この種の謝罪広告を新聞紙に掲載すべきことを命ずる原判決は、上告人に屈辱的若くは苦役的労苦を科し、又は上告人の有する倫理的な意思、良心の自由を侵害することを要求するものとは解せられない。
内心説・信条説からの説明
結論多くの学説は、この判決の結論を信条説の立場から説明します。
- 内心説から:「謝りたくない」という一時的な気持ちも19条の対象に含まれ、程度を問わず謝罪の強制は許されない、という結論になりやすいはずです。
- 信条説から:単なる事実の陳謝は、そもそも19条が絶対的に守る領域の外にある、と素直に説明できます。
注意判決文自体は、「良心」の中身(内心説か信条説か)にまでは立ち入っていません。
制約の4つの型(①〜③と④の非対称)
第4節までは、保障される内心そのものの中身の話でした。
では、国家が内心に働きかける形にはどんな型があり、その扱いはどう違うのでしょうか。

4つの型
定義国家が内心に働きかける形は、次の4つの型に整理できます。
- ①思想の強制:特定の考えを持て、あるいは持つな、と国家が迫る型です。
- ②思想に基づく不利益処遇:どんな考えを持っているかを理由に、扱いに差をつける型です。
- ③思想の告白の強制:どんな考えを持っているか言え、と迫る型です。
- ④思想に反する行為の強制:内心の考えとは違う行動を、外に対してとるよう求める型です。
具体例謝罪広告事件の場面に当てはめると、次のとおりです。
- ①:「その考えそのものを改めよ」と命じる場合です。
- ②:「その考えの持ち主だから」という理由で、別のところで不利に扱う場合です。
- ③:「本心ではどう思っているのか、述べよ」と命じる場合です。
- ④:「陳謝の広告を出しなさい」と命じる場合です(実際に命じられたのはこれです)。
注意4つの型は、いずれも国家と個人の関係を前提にしています。
私人どうしの間で、思想を理由に扱いに差がつく場面とは区別します。
①〜③と④の非対称
結論4つの型の扱いは、同じではありません。
- ①〜③:例外なく、絶対的に禁止されます。
- ④:場合によっては許容されうる型です。
理由扱いの違いは、内心そのものに手を突っ込むかどうかから生まれます。
- ①〜③:思想を書き換えさせる、思想を理由に差をつける、思想を暴かせる、という内心そのものへの直接の干渉です。公共の福祉による調整という発想が、そもそも入る余地がありません。
- ④:内心そのものではなく、外部の行動を求める型です。行動は他人の目に触れ、社会と接触するので、無条件に絶対とはいきません。
具体例謝罪広告事件では、事実を認めて遺憾の意を示す程度の広告なら、命じてよいとされました。
第4節の結論を、保障の範囲からではなく、働きかけの型から見たものです。
注意同じ場面でも、心からの反省を宣言させるところまで求めれば、③の告白の強制に近づきます。
ただし、この4つの型への当てはめは解釈上の整理で、判決文がそう述べているわけではありません。
④では、行動と内心がどこまで結びついているとみなせるかが、問題になります。