憲法ゼロから憲法#29

政教分離——目的効果基準で、国家と宗教の距離を測る

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第3章 人権各論 ㉙/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

政教分離の意義——三本柱と、日本が選んだ型

政教分離を支える三本柱=20条1項後段(特権付与・政治上の権力行使の禁止)/20条3項(宗教的活動の禁止)/89条(公金支出の禁止)+各国の型=イギリス型(国教を持ちつつ他宗教も許容)/政教条約型(イタリア・ドイツ)/完全分離を志向する型(アメリカ)+日本国憲法は完全分離を志向する型に近い立場 図:政教分離の三本柱と、各国の型

  • 三本柱=20条1項後段(特権付与・政治上の権力行使の禁止)/20条3項(宗教的活動の禁止)/89条(公金支出の禁止)
  • 各国の型=イギリス型(国教を持ちつつ他宗教も許容)/政教条約型(イタリア・ドイツ)/完全分離を志向する型(アメリカ)
  • 日本国憲法は、完全分離を志向する型に近い立場

まず、政教分離を支えている条文を、確認しておきましょう。

条文日本国憲法 20条

日本国憲法 第二十条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

前回は、一項の前段と、二項を扱いました。今日、主役になるのは、一項の後段と、三項です。国が、宗教教育や、宗教的な活動をしてはいけない、という部分です。この二つが、政教分離そのものを定めた条文です。もう一つ、政教分離を支える条文があります。八十九条です。

条文日本国憲法 89条

日本国憲法 第八十九条 公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。

財布のひもの側から、政教分離を裏付けている条文です。宗教上の組織や団体のために、公金を使ってはいけない、と定めています。そちらは、私立学校への助成という、別の問題に関わる部分です。今日は、宗教上の組織・団体への支出のところだけを扱います。この三つ——一項後段、三項、八十九条——が、政教分離の三本柱です。世界を見渡すと、国家と宗教の距離の取り方には、いくつかの型があります。イギリスのように、国教を持ちながら、他の宗教も許容する型。イタリアや、ドイツのように、政教条約で、個別に取り決める型。そして、アメリカのように、国家と宗教を、完全に分離しようとする型です。

日本国憲法は、この中では、アメリカに近い、完全な分離を目指す型を採っています。

趣旨——信教の自由の確保と、歴史の反省

趣旨は2つ=信教の自由の確保(国家が特定宗教と一体化すると異なる宗教への弾圧につながりかねないため間接的に保障)/歴史的反省(明治憲法下で神道が事実上国教的地位を得て国家主義の精神的支柱として利用された)+前回の反省(法律の留保が無く命令で制限できたこと)とは別の軸 図:政教分離の趣旨は2つ

  • 信教の自由の確保=国家が特定の宗教と一体化すると、異なる宗教への弾圧につながりかねない(=間接的に一人ひとりの信教の自由を守る)
  • 歴史的反省=明治憲法下で神道が事実上の国教的地位を得て、国家主義の精神的支柱として利用された
  • 前回の反省(法律の留保が無く命令で制限できたこと)とは別の軸

なぜ、これほど厳格に、国家と宗教を分けようとするのか。理由は、二つあります。一つ目は、信教の自由の確保です。国家が、特定の宗教と一体化してしまうと、その宗教は優遇され、異なる宗教は、弾圧される側に回りかねません。国家と宗教を分けておくことで、間接的に、一人ひとりの信教の自由を確保しているんです。二つ目は、歴史の反省です。明治憲法のもとで、神道は、事実上、国教のような地位を与えられていました。国家主義や、軍国主義の、精神的な支柱として利用された過去があります。ただ、軸が違います。前回見たのは、法律による限定すら無かったせいで、命令だけで信仰を制限できてしまった、という、個人の自由の弱さの側の反省でした。今日の反省は、そこではありません。神道という、特定の宗教が、国家そのものと一体化していたこと自体が、問題だったという反省です。

この二つの反省が、自由権と、政教分離という、二本立ての条文を生みました。

限界——完全な分離はできない

完全な分離は理想だが実際上不可能で無理に貫くとかえって不都合+自前の例=国宝や重要文化財である寺社の修復費用への公的補助/受刑者が希望すれば僧侶や牧師と面会できる制度+どちらも一切禁止すれば不都合が生じる+だから関わりの有無ではなく距離が問題になる

ここで、大事な出発点を、一つ、宣言しておきます。国家と宗教は、完全に分離するべきだ、と考えたくなりますが、実は、それは、実際上、不可能に近いんです。終わりません。無理に、完全な分離を貫こうとすると、かえって、不都合が生じる場面があります。例えば、国宝や、重要文化財に指定されている、古い寺社があります。老朽化した建物を直すのに、国や自治体が、修復費用の一部を補助することがあります。もう一つ、刑務所に入っている人が、希望すれば、僧侶や牧師と面会できる制度もあります。どちらも、国と宗教が、関わり合っています。でも、これを一切禁止したらどうなるでしょう。

完全に断ち切ろうとすると、かえって、不都合が生じてしまう。だから、政教分離には、限界があります。関わったかどうか、というゼロか百かの話ではなく、どこまで踏み込んだか、という、程度の問題として、考える必要があります。この「どこまでの踏み込みなら許されるか」を測るために、裁判所は、一つの物差しを、使っています。

測る道具①——目的効果基準

20条3項の宗教的活動とは何かを判例が定義した規範=目的効果基準+①行為の目的が宗教的意義をもつか②その効果が宗教への援助助長促進または圧迫干渉になるか+①で結論が出ても②も必ずあてはめる+自前の設例=市立郷土資料館の神輿常設展示で①②を動かす

二十条三項は、国が「宗教的活動」をしてはならない、と定めています。でも、この「宗教的活動」という言葉、条文を読むだけでは、どこまでを指すのか、はっきりしません。そこで、判例が、この言葉の中身を、具体的な物差しに、していきました。この物差しを、目的効果基準と呼びます。

論文で書く規範:目的効果基準 二十条三項にいう「宗教的活動」とは、①当該行為の目的が宗教的意義をもち②その効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるような行為をいう。 (規範(判例型))

この物差しは、条文を音読しても出てきません。判例が、解釈で立てた規範です。だから、ここは、逐語で覚える対象になります。大事な注意点があります。目的の点で、結論が見えたとしても、効果の点も、必ず、あてはめてください。この物差しを作った判例自身が、目的と効果、両方を検討する形で、判断を組み立てているからです。片方だけで済ませると、答案としても、物差しの半分しか使っていないことになります。実際に、この物差しを、動かしてみましょう。ある市が運営する郷土資料館が、地域で昔から続くお祭りで使われてきた神輿を、常設のコーナーで展示している、という場面を考えてみます。

まず、目的です。この展示の目的は、地域の伝統文化を、市民に紹介することにあります。宗教を広めることが目的ではなく、専ら世俗的な目的だと言えます。次に、効果です。歴史的な資料として、由来や作りを紹介しているにとどまるなら、特定の宗教を援助したり、助長したりする効果があるとは、言えません。目的も、効果も、援助や圧迫にあたらない。だから、この展示は、宗教的活動にはあたらない、という結論になります。たとえば、同じ展示でも、そのコーナーの一角に賽銭箱が置かれ、参拝できるようになっていたら、どうでしょう。特定の神社を後押しすることになります。目的だけで切ってしまうと、この違いが拾えません。だから、効果の点も、必ずあてはめます。

津地鎮祭事件——目的効果基準の生まれた場所

事案=市が市体育館の起工式を公金を使い神主による神道式の地鎮祭として挙行した行為の合憲性が争われた住民訴訟+さきほどの物差しは実はこの事件から生まれた+基準の定立→考慮要素→あてはめ・結論(合憲)の3段

さきほどの物差しが、実は、どこから生まれたのか、確認しておきましょう。ある市が、市の体育館を建てる起工式を、公金を使って、神主による、神道式の地鎮祭として行いました。この行為の合憲性が、住民が自治体のお金の使い方を裁判で正す、住民訴訟という形で争われました。工事を始める前に、土地の神様に、工事の無事を祈る、伝統的な儀式です。最高裁の判断を、見てみましょう。

判例最高裁判所大法廷判決・昭和52年7月13日(民集31巻4号533頁)

津地鎮祭事件①——基準の定立 「憲法二〇条三項……にいう宗教的活動とは……当該行為の目的が宗教的意義をもちその効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるような行為をいうものと解すべきである。」

この判例が、目的効果基準、その物差し自体の出どころです。

判例最高裁判所大法廷判決・昭和52年7月13日(民集31巻4号533頁)

津地鎮祭事件②——考慮要素 「当該行為の外形的側面のみにとらわれることなく、当該行為の行われる場所、当該行為に対する一般人の宗教的評価、当該行為者が当該行為を行うについての意図、目的及び宗教的意識の有無、程度、当該行為の一般人に与える効果、影響等、諸般の事情を考慮し、社会通念に従つて、客観的に判断しなければならない。」

どう判断するかも、示されています。式の見た目だけで判断せず、行われた場所、一般の人がどう評価するか、行った人の意図や宗教的な意識、一般人への影響——こうした事情を、社会通念に従って、客観的に判断する、としています。

判例最高裁判所大法廷判決・昭和52年7月13日(民集31巻4号533頁)

津地鎮祭事件③——あてはめ・結論(合憲) 「本件起工式は、宗教とかかわり合いをもつものであることを否定しえないが、その目的は建築着工に際し土地の平安堅固、工事の無事安全を願い、社会の一般的慣習に従つた儀礼を行うという専ら世俗的なものと認められ、その効果は神道を援助、助長、促進し又は他の宗教に圧迫、干渉を加えるものとは認められないのであるから、憲法二〇条三項により禁止される宗教的活動にはあたらないと解するのが、相当である。」

目的は、専ら世俗的なもの——土地の平安や、工事の安全を願う、社会の慣習に従った儀礼です。効果も、神道を援助するとは、認められない。だから、目的の点でも、効果の点でも、宗教的活動にはあたらない、として、合憲と判断されました。物差しの動かし方は、同じです。

愛媛玉串料訴訟——同じ物差しで、なぜ違憲になったのか

事案=愛媛県知事が靖国神社の例大祭に玉串料を護国神社の慰霊大祭に供物料等を公金から複数回支出した行為の合憲性が争われた住民訴訟+同じ目的効果基準を使いながら結論は違憲+対比軸=宗教的意義の希薄化の程度/特定の宗教団体だけへの関わりか

もう一件、見てみましょう。愛媛県の知事が、靖国神社の例大祭に玉串料を、護国神社の慰霊大祭に供物料などを、公金から、複数回にわたって支出していました。この支出の合憲性が、住民訴訟で争われました。最高裁は、この事件でも、津地鎮祭事件で立てた基準を、そのまま使う、と明言しています。そう思いますよね。ところが、結論は、違いました。

判例最高裁判所大法廷判決・平成9年4月2日(民集51巻4号1673頁)

愛媛玉串料訴訟①——目的(宗教的意義の希薄化なし) 例大祭・慰霊大祭は「各神社の挙行する恒例の祭祀中でも重要な意義を有するもの」であり、玉串料等の奉納は「時代の推移によって既にその宗教的意義が希薄化し、慣習化した社会的儀礼にすぎないものになっているとまでは到底いうことができず

この後、対比の軸として使いますので、覚えておいてください。玉串料の奉納は、時代とともに宗教的な意味合いが薄れて、単なる社会的な儀礼になった、とまでは言えない、としています。

判例最高裁判所大法廷判決・平成9年4月2日(民集51巻4号1673頁)

愛媛玉串料訴訟②——効果・結論(違憲) 「地方公共団体が特定の宗教団体に対してのみ本件のような形で特別のかかわり合いを持つことは、一般人に対して、県が当該特定の宗教団体を特別に支援しており、それらの宗教団体が他の宗教団体とは異なる特別のものであるとの印象を与え、特定の宗教への関心を呼び起こすものといわざるを得ない。」 その目的が宗教的意義を持つことを免れず、その効果が特定の宗教に対する援助、助長、促進になると認めるべきであり……宗教的活動に当たると解するのが相当である。

なお、この支出は、公金から出ています。八十九条の側からも、同じ理由で、違反があるとされました。ここが、地鎮祭との、大きな違いです。対比を、整理しましょう。一つ目の軸は、宗教的意義の強さです。起工式は、慣習化が進んだ、儀礼的な行事でした。玉串料等の奉納は、神社にとって、恒例の、重要な祭祀そのものです。二つ目の軸は、対象が特定の宗教団体だけかどうかです。地鎮祭は、どの宗教でも行われうる、汎用的な儀式でした。玉串料等は、特定の神社だけを対象にしています。同じ基準を使いながら、結論が分かれた理由は、この二つの軸に、集約されます。

前回の宿題を回収——代替措置は、なぜ政教分離に違反しないのか

前回の宿題=剣道実技の代替措置は目的において宗教的意義を有し特定の宗教を援助助長促進する効果を有するとはいえず圧迫干渉を加える効果があるともいえないと判断された+今の物差しで見ると目的は配慮という世俗的なもの効果も特定宗教の援助助長にあたらない

ここで、前回の宿題を、回収しておきましょう。今の物差しで見れば、あの判断が、どうしてそうなったのか、説明できます。学校が、信仰を理由に剣道を拒否した学生に、代わりのレポート課題などを用意したとします。目的の点では、信仰への配慮と、公平な取り扱いという、世俗的なものです。効果の点でも、特定の宗教を援助したり、助長したりする効果は、認められません。他の宗教の学生や、無宗教の学生に、圧迫や干渉を加える効果があるとも、言えません。だから、代替措置を用意すること自体は、政教分離には違反しない、と判断されました。前回は、結論だけをお伝えしましたが、その中身は、今、確認した物差しそのものです。

自衛官合祀拒否事件——政教分離の側から見る

事案=殉職した自衛官の妻の意思に反し隊友会が地方連絡部(地連)の協力を得て護国神社に合祀申請した事件+今回の争点=地連(国)の協力行為が宗教的活動にあたるか+協力したにすぎないとして合憲

もう一件、確認しておきます。自衛官合祀拒否事件です。そうかもしれません。ある殉職した自衛官の妻の意思に反して、隊友会という団体が、護国神社に、夫を合祀するよう申請しました。隊友会は、退職した自衛官などでつくる、民間の団体です。この申請に、自衛隊の地方連絡部——地連と呼びます——が、協力していました。この事件には、実は、二つの争点がありました。一つは、妻の宗教上の人格権が、侵害されたか。こちらは、別の回で、扱い済みです。今日は、扱いません。もう一つの争点です。地連が、隊友会の申請に、協力した行為が、政教分離、つまり、二十条三項の「宗教的活動」にあたるかどうかです。

判例最高裁判所大法廷判決・昭和63年6月1日(民集42巻5号277頁)

自衛官合祀拒否事件——政教分離側 地連は、隊友会が単独で行った申請行為に協力したにすぎないのであって、その協力行為が「宗教的活動」にあたるとまでいうことはできない

申請の主体は、あくまで、隊友会です。友人の引っ越しを、荷物運びだけ手伝った人は、引っ越しをした本人には、なりません。地連の関わりは、薄いものにとどまる、と評価されました。だから、目的効果基準にあてはめても、宗教的活動にはあたらず、合憲、と判断されています。一つだけ、射程を、はっきりさせておきます。ここで判断されたのは、地連の、協力という関わり方までです。国の側が、みずから申請する立場に立っていた場合まで、あたらないと言われたわけではありません。この事件でも、物差しの動かし方は、変わりません。

今日の地図(保存版)

今日の1問への答え=完全分離は不可能だから目的効果基準という物差しで目的と効果を測る+判例3件の位置づけ=津地鎮祭(合憲・基準の出どころ)/愛媛玉串料(違憲・意義の強さと特定団体への関わりで分かれた)/自衛官合祀(合憲・協力したにすぎない)+末尾は次回への問いだけを投げる=実はこの基準を使わなかった事件がある

今日の一問に、答えを出しておきましょう。国家と宗教を、完全に切り離すことはできません。では、どこまでの関わりなら許されるのか。目的効果基準という物差しで、関わりの目的と効果を、それぞれ測ります。目的が世俗的で、効果も宗教への援助や圧迫にあたらなければ、許される。そう測っていくんです。津地鎮祭事件は、目的も効果も、宗教的活動にはあたらないとされ、合憲でした。この物差し自体の出どころです。愛媛玉串料訴訟は、同じ物差しを使いながら、宗教的意義の強さと、特定の宗教団体だけへの関わりという、二つの軸で、違憲と判断されました。自衛官合祀拒否事件は、国の関わりが、協力したにすぎないという薄さにとどまり、合憲と判断されました。

ただ、一つだけ、お伝えしておきたいことがあります。実は、この目的効果基準を、使わずに判断した事件が、あります。

参照条文

  • 日本国憲法 20条
  • 日本国憲法 89条

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