名誉毀損とプライバシー——「真実」の意味が逆になる
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第3章 人権各論 ㉝/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。
名誉毀損は、なぜ「表現」に入るのか——無価値表現論を、もう一度捨てる
図:名誉毀損の入口
- 前提=刑法230条で処罰される名誉毀損
- かつての無価値表現論=無価値な表現だから21条の外という考え方
- 捨てられた理由=①法律の解釈が憲法の範囲を決めてしまう転倒②萎縮効果③政治家批判が名誉毀損の名目で規制されうる
まず、名誉毀損です。他人の名誉を傷つける発言、あなたなら、どう思いますか。そう感じるのが、自然です。でも、ここでも、前回と同じ問いを立てます。入口では、二十一条の「表現」に含まれるのか、という問いです。名誉毀損についても、かつて、有力な見解がありました。
条文刑法 230条
刑法 第二百三十条 公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損した者は、その事実の有無にかかわらず、三年以下の拘禁刑又は五十万円以下の罰金に処する。 死者の名誉を毀損した者は、虚偽の事実を摘示することによってした場合でなければ、罰しない。
この処罰の重さから、こう考える見解もありました。名誉を傷つける表現は、無価値な表現だから、そもそも二十一条の保障範囲の外にある、という考え方です。無価値表現論です。しかし、この考え方も否定されています。捨てた理由も、わいせつ表現のときと同じです。一つ目。法律が処罰しているという理由だけで、憲法の保障の外に置いてしまうと、法律の規定や解釈が、憲法の範囲を勝手に決めてしまいます。二つ目は、萎縮効果です。名誉毀損という理由で法律の外に置かれると、本来なら守られるべき正当な批判まで、発表をためらってしまいます。そして、名誉毀損には、この場面だけの理由が、もう一つあります。
政治家個人への名誉毀損だ、という名目で、実は、政府や政策への批判が、規制されうるからです。個人への攻撃を装って、実際には、政治的な言論を封じ込める道具に、使われかねません。この三つの理由から、名誉毀損にあたる表現も、入口では、二十一条の「表現」に含まれる、というのが、今の到達点です。入口に入ることと、何をしても自由なことは、別です。ここでも、出口での調整が必要です。ちなみに、名誉毀損は、刑事責任だけの話ではありません。民事でも、民法七百九条の不法行為として、損害賠償が問題になります。私人間効力の回で見たとおり、憲法は直接には当たりません。民法七百九条のような一般条項を通して、憲法上の価値が読み込まれます。中身は、民法のほうで扱います。今日は、憲法上の調整に絞りましょう。名誉毀損では、この調整を、利益衡量で行います。
前に見た、比較衡量と同じ、天秤にかける発想です。ただし、名誉毀損では、その天秤が、条文の形になっています。具体的には、刑法二百三十条の二という条文の解釈です。
調整の道具——刑法二百三十条の二という装置
図:刑法230条の2の三要件
- 公共の利害に関する事実
- 専ら公益を図る目的
- 真実であることの証明
- この三つがそろえば罰しない
- 2項=未起訴の犯罪行為は公共の利害とみなす
- 3項=公務員・候補者は公益目的を問わない
ここで、面白い体験をしてもらいます。二十一条だけを、いくら読んでも、名誉毀損との調整のしかたは、書いてありません。この調整を実際に担っているのは、憲法ではなく、刑法の条文です。入口を狭めるのではなく、出口を精密にする、という発想です。前回は、判例が「わいせつ」という言葉の意味を絞り込んでいました。今日の名誉毀損では、その細かい網の目を、条文そのものが書いています。
条文刑法 230条の2
刑法 第二百三十条の二 前条第一項の行為が公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的が専ら公益を図ることにあったと認める場合には、事実の真否を判断し、真実であることの証明があったときは、これを罰しない。 前項の規定の適用については、公訴が提起されるに至っていない人の犯罪行為に関する事実は、公共の利害に関する事実とみなす。 前条第一項の行為が公務員又は公選による公務員の候補者に関する事実に係る場合には、事実の真否を判断し、真実であることの証明があったときは、これを罰しない。
中身を、分解してみましょう。一項には、三つの要件が並んでいます。一つ、その事実が、公共の利害に関する事実であること。二つ、目的が、専ら公益を図ることにあったこと。三つ、その事実が、真実であることの証明があったこと。この三つがそろえば、名誉毀損の罪には、なりません。政治家の汚職や企業の不正のように、社会が知るべき事柄、というイメージです。一方、ある人の恋愛関係のような、純粋に私的な事柄は、あたりません。二項は、まだ起訴されていない犯罪行為についての事実は、公共の利害に関する事実とみなす、という特則です。三項は、公務員や公職選挙の候補者についての事実なら、公益目的の要件を問わず、真実の証明だけで足りる、という特則です。
憲法が要請する調整を、この条文が具体的に引き受けている。ここが、大事なところです。憲法が関係ない、という意味では、まったくありません。憲法が求める調整の中身を、下位の法律が組み立てている、という関係です。では、この三要件が、実際の事件でどう使われたのか。見ていきましょう。
「夕刊和歌山時事」事件——証明がなくても救われる道
図:夕刊和歌山時事事件が開けた抜け道
- 三要件のうち真実性の証明が無くても
- 確実な資料・根拠に照らし相当の理由があれば誤信でも犯罪の故意がなく不成立
- 条文の要件を緩めたのではなく故意の側で救った構造
- なぜこの道を開いたか=真実性の証明を厳格に求めると正当な批判まで萎縮するから
最初の事件です。新聞記事が、ある人の名誉を傷つけたとして、刑事事件になりました。この事件で大きな問題になったのが、真実性の証明でした。もし、書いた内容が実は真実ではなかったら、どうなるでしょうか。三要件がそろわなければ、条文の文言どおりなら、名誉毀損が成立してしまいます。しかし、最高裁は、ここで別の道を開きました。
判例最大判昭和44・6・25(大法廷)
「夕刊和歌山時事」事件——証明がなくても救われる道 行為者がその事実を真実であると誤信し、その誤信したことについて、確実な資料、根拠に照らし相当の理由があるときは、犯罪の故意がなく、名誉毀損の罪は成立しない。
本当は違ったけれど、行為者が真実だと思い込んでいた、ということです。ただし、ただ思い込んでいただけでは、足りません。確実な資料や根拠に照らして、相当な理由があった場合に限られます。裏付け取材をきちんとした上で、それでも間違えた、という場合です。考えてみてください。証明できなければ必ず処罰される、という扱いだと、どうなりますか。処罰を恐れて、記事そのものが世に出なくなる。また、萎縮効果です。真実性の証明を厳しく求めるほど、本来は世に出るべき批判まで、出てこなくなります。だからこそ、確実な資料に基づいて信じた人までは罰しない、という線が引かれました。ここで、正確に押さえてほしいことがあります。この判例は、三つ目の要件——真実であることの証明——を、緩めたわけではありません。
真実性の証明という要件は、そのままです。証明できなければ、条文の上では成立してしまいます。でも、この判例は、別の場所で救いを作りました。犯罪が成立するには、故意も必要です。わざと、名誉を傷つけてやろう、という認識のことです。確実な根拠のもとに真実だと信じていたなら、その人には、名誉を傷つける認識——つまり故意が、なかったと扱う。ここが、この事件のいちばん大事なところです。条文の要件を、直接緩めたのではなく、犯罪の別の成立要素である故意の側から、抜け道を作った。ここは、暗記だけで済ませず、この構造を正確に押さえてください。
「月刊ペン」事件——「公共の利害」の入口を広げる

- 月刊ペン事件——公共の利害の入口を広げる
- 私生活上の行状でも社会的活動の性質・社会に及ぼす影響力の程度によっては公共の利害に関する事実にあたる場合がある
- 誰でも該当するわけではなく条件つきの判断
次の事件です。ある雑誌の記事が、宗教団体で指導者的な立場にある人物の私生活について書きました。私生活と公共の利害の関係が、この事件では正面から争われました。問題になったのは、恋愛関係のような、私生活上の出来事でした。さっき見た、公共の利害に関する事実の要件を思い出してください。私生活上の出来事は、原則として、これにあたりません。しかし、最高裁は、こう述べました。
判例最判昭和56・4・16(第一小法廷)
「月刊ペン」事件——「公共の利害」の入口を広げる 私人の私生活上の行状であっても、そのたずさわる社会的活動の性質及びこれを通じて社会に及ぼす影響力の程度などのいかんによっては、その社会的活動に対する批判ないし評価の一資料として、刑法二三〇条ノ二第一項にいう「公共ノ利害ニ関スル事実」にあたる場合がある。
判決文は、当時のカタカナ表記のままです。現代の言葉で言えば、公共の利害に関する事実です。ただし、条件つきです。その人が、どんな社会的活動に携わっているか。その活動が、社会にどれだけの影響力を及ぼしているか。この二つの事情によっては、あたる場合がある、という判断です。社会的な影響力の大きい立場の人物ほど、私生活上の行いも、批判や評価の材料になりうる、ということです。逆に、社会的な影響力を持たない、普通の私人の私生活は、この判断の対象には、なりません。私生活だから絶対にあたらない、と決めつけるのではなく、活動の性質と影響力しだいで判断する、という枠組みを示した事件です。この判断の背後には、国民の知る権利や、報道機関の取材の自由という、大きな論点もあります。
それは、別の回で正面から扱います。
プライバシーへ——真実性のベクトルが、逆になる
図:真実性のベクトル逆転
- 名誉毀損=真実であれば表現の自由が勝ちやすい
- プライバシー=真実であるからこそ保護の必要が高い
- 自前設例=病歴を暴露する記事・借金完済記録を暴露する記事(嘘なら生活の実態は暴かれない、真実だからこそ実態がさらされる)
ここから、プライバシーの話に移ります。プライバシーにかかわる表現も、基本的には、名誉毀損と同じように扱われます。二十一条一項の「表現」に含めたうえで、利益衡量で調整する、という構造です。構造は同じです。でも、ここに、この回でいちばん大事な逆転があります。名誉毀損を思い出してください。真実であることの証明があれば、罰しない、という条文でしたね。名誉毀損では、「真実だから」、表現の自由を重く見ます。本当のことを言っているのだから、社会にとって必要な情報だ、という考え方です。では、プライバシーでは、どうでしょうか。たとえ話をします。ある会社員の、過去の病歴を暴露する記事があったとします。
もし、その記事の内容が嘘だったとします。実際には、病気にかかっていなかった。この場合、名誉毀損の問題には、なりえます。事実でないことを、事実であるかのように公表したからです。でも、プライバシーの問題としては、どうでしょうか。嘘の情報が広まっても、本人の本当の姿は、誰にも知られていません。逆に、その記事の内容が真実だったとします。本当に、その病気にかかっていた。本当のことを書いているので、名誉毀損の理屈からは、むしろ保護されやすくなります。しかし、プライバシーの理屈からは、逆です。本当のことだからこそ、その人の生活の実態が、そのまま世間にさらされます。
もう一つ、例を挙げましょう。個人の借金を、すべて完済した記録を暴露する記事があったとします。悪い話ではありません。でも、知られたくない人も、当然います。この記事も、嘘なら、その人の実際の資産状況は、暴かれていません。でも、真実なら、その人の家計や資産の実態が、そのまま世間に知られます。ここで、この回いちばんの弁別を、整理しておきましょう。名誉毀損は、「真実であれば」、表現の自由が勝ちやすくなります。プライバシーは、「真実であるからこそ」、保護の必要が高まります。「本当のことを言っただけ」という同じ反論が、名誉毀損では盾になり、プライバシーでは盾になりません。
ここは、この回でいちばん正確に押さえてほしい場所です。
ノンフィクション「逆転」事件——公表する利益と、公表されない利益

- ノンフィクション「逆転」事件——公表する利益と公表されない利益を比べる
- 生活状況・事件の意義・当事者の重要性・実名使用の必要性など複数の事情を総合考慮
- 前科等にかかわる事実を公表されない法的利益が優越する場合は精神的苦痛の賠償を求めうる
- 結論=著者の不法行為責任を認めた
- 前科照会事件(行政の場面)との違い=著作物での実名公表という私人間の場面
では、実際の判例で、プライバシーの調整がどう行われたか、見ていきましょう。ある著作物が、過去の刑事事件を、実名で取り上げました。かつて、ある事件にかかわり、有罪判決を受けた人物の実名を出した、ノンフィクション作品です。この人物が、著者を訴えました。プライバシー侵害を理由とする損害賠償請求です。民事の事件です。ここは、混同しやすいので先に場面をはっきりさせます。前に見たのは、弁護士会からの照会に対して、区長が前科をそのまま回答してしまった事件でした。あちらは、行政の場面です。こちらは、著作物で実名を公表した、私人間の場面です。
では、この事件で、最高裁はどう判断したか。
判例最判平成6・2・8(第三小法廷)
ノンフィクション「逆転」事件——公表する利益と、公表されない利益 要するに、前科等にかかわる事実については、これを公表されない利益が法的保護に値する場合があると同時に、その公表が許されるべき場合もあるのであって、ある者の前科等にかかわる事実を実名を使用して著作物で公表したことが不法行為を構成するか否かは、その者のその後の生活状況のみならず、事件それ自体の歴史的又は社会的な意義、その当事者の重要性、その者の社会的活動及びその影響力について、その著作物の目的、性格等に照らした実名使用の意義及び必要性をも併せて判断すべきもので、その結果、前科等にかかわる事実を公表されない法的利益が優越するとされる場合には、その公表によって被った精神的苦痛の賠償を求めることができるものといわなければならない。
分解してみましょう。まず、その人の、その後の生活状況。次に、事件そのものの、歴史的または社会的な意義。当事者の重要性。そして、その人の社会的活動と、影響力。最後に、実名を使う、意義と必要性です。これらをすべて見たうえで、公表されない側の利益のほうが優るなら、賠償を求められる、という判断です。プライバシーには、二百三十条の二にあたる条文が、ないんです。だから、要件をそろえる形ではなく、天秤そのもので量ります。公表されない利益が優越する、と判断され、著者の不法行為責任が、認められました。有罪判決を受けたあと、その人は社会に戻り、新しい生活を積み上げていました。実名を出されれば、その積み上げた生活の平穏が、壊れてしまいます。前科は、時間がたつほど、公表されない側の利益が重くなっていく。だから、この事件では、天秤が公表されない側に傾きました。
この判例が、プライバシーの調整の出発点になります。何を比較して、何を衡量するのか。この枠組みが、この先の判例でも、繰り返し使われていきます。
小説「石に泳ぐ魚」事件——公人と非公人の軸、その一

- 小説「石に泳ぐ魚」事件——公人と非公人の軸その一
- 公共の利益に係わらない事項・公的立場にない人物という二つの限定
- 対象が非公人だったからこそ出版の差止めまで認められた
- 差止め=事前抑制の枠組みは次回
次の判例は、実は、前にも一度、登場しています。実在の人物をモデルにした小説が、問題になった事件です。あのときは、判決文に、名誉、プライバシー、名誉感情という、三つの言葉が並んでいる、という目印として見ました。今日は、表現の自由の側から、もう一度この判例を見ます。
判例最判平成14・9・24(第三小法廷)
小説「石に泳ぐ魚」事件——公人と非公人の軸、その一 原審の確定した事実関係によれば、公共の利益に係わらない被上告人のプライバシーにわたる事項を表現内容に含む本件小説の公表により公的立場にない被上告人の名誉、プライバシー、名誉感情が侵害されたものであって、本件小説の出版等により被上告人に重大で回復困難な損害を被らせるおそれがあるというべきである。
ここで、注目してほしいのは、二つの限定です。「公共の利益に係わらない」事項であること。そして、「公的立場にない」人物であること。この人物は、公的な立場にない、普通の人でした。だからこそ、名誉やプライバシー、名誉感情の保護が、重く見られたのです。そして、この事件では、単なる損害賠償ではなく、出版そのものの、差止めまで認められました。命じたのは高等裁判所で、最高裁は、それを是認しています。判決文の最後を、もう一度見てください。重大で回復困難な損害を被らせるおそれ、と書かれています。いったん世に出てしまえば、あとからお金で埋め合わせても、取り返しがつきません。だからこそ、出す前に止める、という強い手段まで届きました。差止めが許されるかどうかは、事前に表現を止めることが許されるか、という、表現の自由の側からの大きな論点にかかわります。今日は、一つだけ押さえてください。対象が、公的立場にない人だったからこそ、差止めという強い手段まで、認められた、という点です。
これが、公人と非公人という、軸の一方の端です。
長良川事件——衡量の中身を、具体的な要素にまで落とす

- 長良川事件の事案——殺人等で起訴された18歳当時の少年、週刊誌が仮名を用いたが本人と推認できる記事を掲載
- プライバシー侵害を理由に損害賠償を請求
もう一つ、事件を見ましょう。ある少年が、殺人などの罪で起訴されました。事件当時、十八歳でした。この少年について、週刊誌が記事を書きました。名前は、仮名が使われていました。本当に誰だか分からないのか。そこが、この事件の争点です。生まれた年や月、生まれた場所、それまでの経歴などが詳しく書かれていて、周囲の人が読めば、本人だと推測できてしまう内容でした。
図:長良川事件の関係図
- A=週刊誌の記事を書いた側
- B=記事の対象になった少年
- Aが仮名を用いたが本人と推認できる記事を掲載
- Bがプライバシー侵害を理由に損害賠償を請求
この少年が、プライバシー侵害を理由に、損害賠償を求めました。最高裁は、こう述べています。
判例最判平成15・3・14(第二小法廷)
長良川事件——比較衡量の考慮要素を並べる 本件記事が週刊誌に掲載された当時の被上告人の年齢や社会的地位、当該犯罪行為の内容、これらが公表されることによって被上告人のプライバシーに属する情報が伝達される範囲と被上告人が被る具体的被害の程度、本件記事の目的や意義、公表時の社会的状況、本件記事において当該情報を公表する必要性など、その事実を公表されない法的利益とこれを公表する理由に関する諸事情を個別具体的に審理し、これらを比較衡量して判断することが必要である。
年齢や社会的地位、犯罪行為の内容、情報が伝わる範囲、被る被害の程度、記事の目的、公表時の社会状況、公表する必要性。これらを、個別に具体的に見て、比較衡量する、という判断です。この並びは、忘れられる権利の回で見た、検索結果削除の決定と同じです。あの決定にも、ほとんど同じ要素が並んでいました。これだけ細かく並べたのは、少年だから、という一点で、公表してよい・悪いが決まるわけではないからです。年齢も、被害の広がりも、記事の目的も、事件ごとに違います。だから、一律の線を引かず、事案ごとに個別具体的に量りなさい、という命じ方をしました。もう一つ、押さえてください。最高裁は、この事件の結論そのものは出していません。いま並べた要素で審理し直すように、と、高等裁判所に差し戻しています。
この判決が示したのは、量り方であって、答えではありません。この判決は、逆転事件が作った、公表する利益と公表されない利益を比べる枠組みを、引き継いでいます。ただし、逆転事件が挙げた事情は、生活状況や実名使用の必要性など、公表する側の理屈に、重心がありました。この判決は、そこに、情報が伝わる範囲や、被る具体的被害の程度という、書かれた本人の被害の大きさまで、並べてみせました。そのうえで、この量り方全体に、「比較衡量」という言葉を与えています。実は、ここまでの三つの判例は、一本の線の上に並んでいます。
図:プライバシー3判例の比較表
- 逆転事件=前科等を公表する利益と公表されない利益を比べる枠組みを作った
- 石に泳ぐ魚事件=公人か非公人かという対象の軸を追加
- 長良川事件=その枠組みを比較衡量という言葉で受け止め、考慮要素を具体化
- 衡量の中身が具体化していく一本の線
ここで、三つの判例を、一枚の表に整理しておきましょう。逆転事件が、公表する利益と公表されない利益を比べる、という枠組みを作りました。石に泳ぐ魚事件が、対象が公人か非公人かという軸を、加えました。長良川事件が、この枠組みを「比較衡量」という言葉で受け止め、衡量の中身を、具体的な要素にまで、具体化しました。もう一つ、触れておきたいことがあります。月刊ペン事件も、長良川事件も、報道機関が書いた記事が、問題になった事件でした。知る権利や取材の自由との関係は、別の回で正面から扱います。今日は、対象が誰かという軸だけ、押さえておいてください。
公人と非公人の軸を、仕上げる
図:公人と非公人の軸
- 左=非公人・石に泳ぐ魚事件・差止めまで認められた
- 右=公人に近い・月刊ペン事件・私生活も公共の利害にあたりうる
- 対象が誰かで結論の重みが変わる、この軸は名誉毀損にもプライバシーにも共通して働く
ここで、一度、確認しておきましょう。月刊ペン事件と、石に泳ぐ魚事件。対象が誰かという点で、どう違っていたか、覚えていますか。この二つを、一本の軸に並べてみましょう。月刊ペン事件は、社会的な影響力を持つ、公人に近い人物でした。だからこそ、私生活の一部が、公共の利害に関する事実にあたりうるとされました。石に泳ぐ魚事件は、公的立場にない、非公人でした。だからこそ、差止めという強い保護まで、認められました。同じプライバシーや名誉の調整でも、対象が誰かによって、結論の出方が変わってきます。この軸は、名誉毀損でも、プライバシーでも、共通して働きます。
ヘイトスピーチ——傷つける相手が、「集団」になる
図:ヘイトスピーチの3つの特徴
- ①尊厳を傷つける②差別意識を助長する③マイノリティの反論を封じ込める
- ③に重心=思想の自由市場は反論する側が対等に声を上げられることが前提だが、その前提自体が壊される
- ヘイトスピーチ解消法=平成28年・罰則なしの理念法
ここから、傷つける相手が変わります。特定の個人ではなく、集団です。人種や、民族、性別、性的指向など、特定の属性を持つ、少数者の集団に向けられた、敵意や憎悪、嫌悪を表す表現。ヘイトスピーチと呼ばれます。これについても、かつて、こう考える見解がありました。ヘイトスピーチも保障範囲の外だ、という主張です。もう、気づきましたね。捨てる理由も同じです。法律や規制の解釈が、憲法の範囲を勝手に決めてしまう転倒。そして、萎縮効果です。この形、覚えておいてください。今後も繰り返し使う形です。ヘイトスピーチには、名誉毀損やプライバシーとは違う、特有の性質があります。三つ、挙げられます。一つ、対象となる人の尊厳を傷つけること。二つ、差別意識を社会に広め、助長すること。三つ、そして、これがいちばん重要です。マイノリティの側からの反論を、封じ込めてしまうこと。
前回、思想の自由市場という考え方を、見ましたね。この市場が機能するには、反論する側が対等な立場で声を上げられることが、前提になります。しかし、ヘイトスピーチは、しばしば、「お前たちは、この社会にいるべきではない」という、メッセージそのものです。討論の土俵に上がろうとしても、その土俵に立つ資格自体を、奪われてしまいます。声を上げれば上げるほど、かえって憎悪の対象にされる場合すらあります。前回作った、思想の自由市場という道具が、ここでは、効かなくなります。だからこそ、ヘイトスピーチには、他の表現とは、少し違った扱いが必要だ、と考えられています。もし、ヘイトスピーチを直接処罰する法律を作るとしたら、規制のやり方そのものが、問題になります。
内容に着目した規制なのか、中立的な規制なのか。検閲にあたらないか。日本でも、法律が一つ作られています。罰則はありません。理念を示す法律です。平成二十八年に成立した法律で、差別的な言動の解消に向けた取り組みを推進するものです。具体的にどんな基準で審査するのか、という審査基準そのものの中身は、以前、専用の回で確認しましたね。ここでは、その物差しを、ヘイトスピーチにどう当てはめるか、方向だけ示します。いちばん厳しい基準を、やや緩和した基準で審査する、という考え方が有力です。物差しの回で見た、厳格審査基準です。目的は、やむにやまれぬほど重い利益であること。手段は、必要最小限度であること。ここまで求める物差しです。
通常の表現規制よりは厳しく見るけれど、いちばん厳しい基準ほどではない、という位置づけです。具体的にどの要件をどう緩めるのか、という細部は、論文向けの回に譲ります。
せん動——判例は範囲外、学説は「明白かつ現在の危険」

次は、傷つける相手が、社会全体になる場面です。犯罪や、違法な行為をするように、あおったり、そそのかしたりする表現があります。たとえば、「今すぐ、あの建物に火をつけろ」と大声で呼びかけるような表現です。この、あおる・そそのかす表現のことを、法律上は「せん動」と呼びます。破壊活動防止法や国家公務員法など、いくつかの法律で処罰の対象です。ここで、刑法によく似た概念があります。教唆犯です。人をそそのかして、犯罪を実行させた場合の責任です。教唆犯は、実際に相手が犯罪を実行しないと、成立しません。でも、せん動は、聞き手が実際に行動しなくても、あおること自体を、処罰できます。
せん動を処罰する法律が、あまりに曖昧に書かれていたら、どうなるでしょう。ここでも萎縮効果です。規制の言葉が、どこまで具体的でなければならないか。では、この、せん動という表現、二十一条の入口には入るんでしょうか。判例は、せん動について、言論の自由の限界を超えている、あるいは、表現の自由としての保護には値しない、という言い方をしています。保障の範囲外にある、と解しているように読めます。ただし、断定できない言い方に、注意してください。判例が、はっきり「範囲外だ」と言い切っているわけではありません。「そう扱っているようだ」という温度で、受け止めておいてください。一方で、学説には、違う考え方もあります。
せん動も、二十一条一項によって保障されるべきだ、とする有力な見解があります。今日、二度出てきた形を思い出してください。三度目ですね。しかも、あおる表現の処罰は、政治的な主張と紙一重です。入口で外してしまえば、政府に批判的な言論まで、まとめて外に置かれかねません。だから、入口には入れたうえで、規制の側を厳しく審査する、という組み立てにします。その基準の名前が、「明白かつ現在の危険」です。三つの要素があります。重大な害悪が発生する蓋然性が、明白であること。時間的に、切迫していること。そして、その害悪を防ぐ手段として、規制することが必要不可欠であること。
名前と骨子だけ、押さえておいてください。実際の当てはめは、また別の機会に扱います。ここで大事なのは、同じ「せん動」というテーマについて、判例と学説の立場が、食い違っている、という点です。
政府言論——そもそも主体が、表現の自由の主体ではない

- 政府言論——政府が自らの政策を国民に説明し推進する行為
- 21条の保障範囲に入らない理由は価値が低いからではなく主体が国家だから(人権の享有主体ではない)
- 政府が私人の表現活動を秘密裏に援助する場合は別途人権問題が生じうる
最後に、傷つける相手が社会全体どころか、そもそも表現する主体自体が変わる場面です。政府自身が、発言する場合です。政府が、自分の政策を国民に説明し、推し進める行為を政府言論と呼びます。民主主義のもとでは、政府が政策をきちんと説明することは、積極的に評価されるべきです。しかし、この政府言論、二十一条の保障の範囲には入りません。ここが、大事なところです。理由は、「価値が低いから」ではありません。そもそも、表現の自由という人権を主張する主体が、国家だからです。前に、人権の享有主体という話をしましたね。国家は、人権を持つ側ではなく、人権を保障する側です。
だから、政府言論は、二十一条の入口に、そもそも立てません。ただし、一つだけ、注意点があります。政府が、自分の政策に賛同する私人の表現活動を、こっそり、裏から援助する場合には、人権問題が生じることがあります。ここは、深くは立ち入りません。政府が自分で語る場面は、そもそも範囲外。でも、私人に語らせる場面では、表現しているのは私人です。だから、そこは別の人権問題になる。この区別だけ、押さえてください。
「範囲外の二つ」を比べる
図:範囲外の二つを比べる
- せん動=判例はそう扱っているようだが学説は入れて厳格審査という争いがある範囲外
- 政府言論=主体が国家だから当然に範囲外という争いようがない範囲外
- 同じ「範囲外」でも理由の重みが違う
ここまでで、二十一条の入口に入らないものが、二つ出てきました。せん動と、政府言論です。でも、この二つ、外れ方がまったく違います。「今すぐ、あの建物に火をつけろ」という呼びかけと、政府の政策の広報。この二つを、並べてみてください。せん動は、判例がそう扱っているようだ、というだけで、学説は、入れたうえで厳格に審査すべきだ、と考えています。せん動は、「争いがある」範囲外です。一方、政府言論は、そもそも主体が国家だから、範囲外です。国家が人権の主体になれない、という前提自体は、争いようがありません。政府言論は、「争いようがない」範囲外です。火をつけろ、という呼びかけも、人がした表現ではあります。だから、入れるべきだ、という主張が成り立ちます。政府の広報には、そもそも人権を主張する側がいません。だから、争いようがないのです。
答案で「保障範囲外」と書くとき、この違いを意識できているかどうかで、解像度が変わります。
今日の地図(保存版)
図:まとめ——今日の一問への答え
- 出口の道具は傷つける相手で変わる:名誉毀損=230条の2の解釈・プライバシー=利益衡量・真実性のベクトルは逆・公人非公人で結論が動く・範囲外の二つは理由が違う
- 次回への橋=規制のしかたそのもの(明確性・事前抑制)を測る
今日の内容を、まとめましょう。今日の一問は、これでした。他人を傷つける表現も、二十一条に入れる。では、入れたうえで、傷つけられた側の権利と、どう折り合いをつけるのか。出口の道具が、傷つける相手によって、違いました。特定の個人が相手のとき——名誉毀損では、刑法二百三十条の二の解釈。プライバシーでは、利益衡量そのものでした。名誉毀損は、真実だから、表現の自由が勝ちやすい。プライバシーは、真実だからこそ、保護の必要が高い。そして、対象が公人か非公人かで、結論の重みが変わることも見ました。集団が相手のとき——ヘイトスピーチでは、思想の自由市場が効かなくなる、という特有の事情がありました。社会全体が相手のとき——せん動は、判例と学説で扱いが割れる、争いのある範囲外でした。そして、主体そのものが国家のとき——政府言論は、争いようのない範囲外でした。
それが、今日、一本、通した軸です。今日は、入るか入らないかを見てきました。次は、規制のしかたそのものを測る道具を見ていきます。どこまで曖昧な法律なら、許されるのか。表現を、事前に止めることは、許されるのか。石に泳ぐ魚事件で見た差止めの話も、そこで正面から扱います。
参照条文
- 刑法 230条
- 刑法 230条の2