明確性の原則——曖昧な法律は、それだけで違憲か
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第3章 人権各論 ㉞/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。
曖昧な法律は、なぜそれだけで問題になるのか——萎縮効果の払い戻し
図:曖昧な規制が生む害
- 萎縮効果(本来やってよい表現までやめてしまう)
- やめた人は誰にも見えない=事後の裁判では救えない
- 自前設例=商店街の掲示条例「地域の品位を損なう表現の掲示を禁止する」で環境保護ビラ・風刺ポスターまで取り下げられる
表現の自由の回で、萎縮効果という言葉を、確認しましたね。今日は、それを、そのまま武器として使います。想像してください。ある商店街が、掲示条例を作ったとします。「地域の品位を損なう表現の掲示を禁止する」——それだけの条例です。この条例のもとで、環境保護を訴えるビラを貼りたい人がいたとします。行政を風刺する似顔絵ポスターを貼りたい人も、いたとします。でも、どうなると思いますか。それが、萎縮効果です。そして、ここが、いちばん大事なところです。取り下げた人は、誰にも見えません。貼るのをやめた人は、統計にも出てきませんし、裁判にもなりません。訴えを起こす人自体が、そもそも現れないからです。
「私のこの行為に適用するのはおかしい」という、事後の個別救済の形では、この萎縮を、絶対に治せません。起きる前に、条文そのものを、丸ごと止めるしかありません。これが、明確性の原則という、強い武器が必要になる理由です。
明確性の原則——文面上無効と適用違憲
図:適用違憲と文面上無効の対比
- 自前設例=駅構内条例「公衆に迷惑を及ぼすおそれのある方法で物を配布してはならない」
- 適用違憲=私の行為への適用が違憲・条文は残る
- 文面上無効(=漠然性のゆえに無効の法理)=条文の書きぶりが曖昧・条文が丸ごと死ぬ+取り締まられた人でも主張できる(裁判所は行為の当否を見ない)
では、その武器の名前を、正式に確認しましょう。表現規制立法の内容が不明確だと、いま見た萎縮効果を生みます。だから、規制する法律には、明確性が要求される。これが、明確性の原則です。形式的審査のところで、表現の自由を制限する法律と、刑罰を科す法律は、内容が明確でなければならない、と置きましたね。今日は、あのとき置いた引き出しの、中身を開けます。「漠然性のゆえに無効の法理」と呼ばれます。ここで、今日いちばんの驚きを、正面から見ておきましょう。ふつう、違憲だと主張するときは、どういう形を思い浮かべますか。
それを、適用違憲と呼びます。ところが、明確性の原則は、まったく違う形をとります。事案に当てはめる前に、条文の書きぶりだけを見て、丸ごと殺すんです。この考え方を、文面上無効と呼びます。さっき名前だけ出した「漠然性のゆえに無効の法理」は、この文面上無効の扱いのことです。具体例で、比べてみましょう。架空の条例です。「駅構内で、公衆に迷惑を及ぼすおそれのある方法で物を配布してはならない」まず、一つ目のパターンです。ある人が、こう主張したとします。「静かに、一人一人へ手渡ししただけだ。迷惑ではない」「私のこの行為に、適用するのは違憲だ」——これが、適用違憲です。
この主張が認められても、条文自体は残ります。この人の行為だけが、救われます。二つ目のパターンです。いまの人が、今度は、こう主張します。「『迷惑を及ぼすおそれ』が、誰にも予測できないほど曖昧だ」「私の行為がどうだったかを言う前に、条文そのものが違憲で無効だ」これが、文面上無効です。この主張が通ると、条文が、丸ごと死にます。誰にでも効きます。まだ誰にも適用されていない段階で、条文ごと葬れる。これが、明確性の原則の強さです。そこが大事なところです。文面上無効は、自分が取り締まられた事件でも、主張できます。そのときも、裁判所は、自分の行為の当否を見ません。条文の書きぶりだけで決めます。
理由は、さっき見た萎縮効果です。曖昧な条文が生きている限り、萎縮は、ずっと続きます。だから、個別に救うのではなく、条文そのものを、根っこから絶つ必要があるんです。
ルートは二本ある——二十一条一項と三十一条
図:明確性のルートは二本
- 21条1項ルート=表現規制立法一般・根拠は萎縮効果
- 31条ルート=刑罰法規・根拠は罪刑法定主義
- 罰則の有無で入口が変わる(掲示条例に罰金が付けば31条ルートも重なる)
- この二本立てが後のねじれを説明する前提
この武器には、実は、二本の入り口があります。一つは、二十一条一項ルート。表現規制立法一般に、使います。根拠は、さっき見た、萎縮効果です。もう一つは、三十一条ルート。刑罰法規に、使います。中身を、確認しておきましょう。
条文日本国憲法 21条1項
日本国憲法 第二十一条一項 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
まず、二十一条一項です。表現の自由を、保障する条文でしたね。
条文日本国憲法 31条
日本国憲法 第三十一条 何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。
刑罰を科すには、法律で定めた手続によらなければならない、という条文です。ここから、罪刑法定主義という原則が、導かれます。どんな行為が犯罪になるのか、あらかじめ、はっきり告知されていなければならない。この原則です。告知するはずの条文が曖昧だったら、この原則そのものが、成り立ちません。だから、刑罰法規には、三十一条の側からも、明確性が要求されます。この二本は、さっきの商店街の掲示条例で、そのまま比べられます。あの条例は、掲示を禁止するだけで、罰則はありませんでした。この形なら、効くのは二十一条一項ルートだけです。では、同じ条例に「違反した者は罰金」と書いてあったら、どうなるか。
同じ曖昧さでも、罰則が付くと、入り口が二つになります。この二本立てを、いま、立てておいてください。この先、大事な”ねじれ”を説明するときに、必ず効いてきます。
判断基準を作った事件——徳島市公安条例事件の事案
図:徳島市公安条例事件の事案
- 条例は届出制→行う人が守るべき事項の一つ「交通秩序を維持すること」→違反した集団行進の主催者・指導者・せん動者を処罰→だ行進をあおった人が起訴→文言の明確性が争点
- この事件は刑事事件——このあと効いてくる
では、この明確性の判断基準を作った事件を、見ていきましょう。徳島市公安条例事件です。表現の自由の明確性の話では、必ずと言っていいほど、引かれる事件です。事案から、確認しましょう。徳島市の条例は、集団行進などをするときは、市に届け出ることとしたうえで、行う人が守るべき事項を並べていました。その一つが、「交通秩序を維持すること」です。そして、これに違反した集団行進の、主催者・指導者・せん動者を、処罰する規定も、置かれていました。あおった人、という意味です。ここが、この事件では効いてきます。実際に起訴されたのは、行進の先頭のあたりで笛を吹くなどして、だ行進——蛇のようにうねって進むことを、あおった人でした。
ただ、この人は、自分でも一緒にうねって歩いています。そちらは、別の法律——道路交通法の違反として、別に処罰されています。今日、明確性が争われたのは、条例のほうです。ここ、しっかり覚えておいてください。この事件は、刑事事件です。「交通秩序を維持すること」という文言が、明確かどうか。これが、争点になりました。では、最高裁は、どういう物差しで、この明確性を測ったのか。次に、見ていきましょう。
誰の理解で測るのか——通常の判断能力を有する一般人
図:なぜ一般人基準で測るのか
- 理由①萎縮するのは一般人だから本人が理解していたと言えても解消しない
- 理由②明確性は条文そのものを測る話=本人の理解で測ると条文でなくその人を測ることになる
最高裁が示した判断基準を、正確に見ましょう。
判例最大判昭和50・9・10(大法廷)
徳島市公安条例事件——明確性の判断基準 「通常の判断能力を有する一般人の理解において、具体的場合に当該行為がその適用を受けるものかどうかの判断を可能ならしめるような基準が読みとれるかどうかによってこれを決定すべき」
ここは、逐語で覚えてください。答案の採点キーワードです。「通常人」でも、「平均的な国民」でもありません。「一般人」という言葉、そのままです。理由は、二つあります。一つ目。萎縮するのは、一般人だからです。本人が、法廷で「自分は分かっていた」と言えたとしても、他の一般人が萎縮していれば、明確性の問題は、解消されません。二つ目の理由が、もっと大事です。もし、本人の理解を基準にしたら、どうなるでしょうか。でも、もっと根っこの理由があります。明確性は、条文そのものを測る話でした。文面上無効の話です。行為をした本人の理解で測ってしまうと、条文ではなく、その人を測ることになります。
それでは、条文の明確性を問う意味が、なくなってしまいます。ここまでが、判断基準です。
それで、結論はどうなったのか——三十一条に反しないと判示したねじれ
図:31条ねじれ図
- 一般人基準という同じ物差し→徳島市公安条例事件は刑事事件だから31条ルートで判断
- 同じ基準は21条1項ルートでも共通に使われる
- 判決文の結論条文は31条+物差しが共通な理由=どちらのルートでも読み手は一般人(萎縮するのも告知される相手も一般人)
- 税関検査事件が徳島市判決を引いて21条1項の場面で同じ基準を使う+あてはめ=殊更な交通秩序の阻害かを考えれば通常判断に困難はない(だ行進・すわり込み)
ここで、皆さんに、一つ質問します。徳島市公安条例事件は、表現の自由の判例として、よく引かれますよね。でも、判決文の中で、実際に判断されたのは、何条だったか、覚えていますか?実は、違います。ここが、今日いちばんの弁別です。
判例最大判昭和50・9・10(大法廷)
徳島市公安条例事件——結論 「犯罪構成要件の内容をなすものとして明確性を欠き憲法三一条に違反するものとはいえない」
この判決が、実際に判断したのは、憲法三十一条に反するかどうか、です。どんな行為が犯罪になるかを定めた部分のことです。ここが曖昧だと、告知になりません。さっき、伏線を張っておきましたね。この事件は、刑事事件でした。刑事事件だから、明確性の問題は、三十一条ルートで判断されました。でも、ここで、もう一つ大事なことがあります。この判決が示した「一般人基準」という物差しそのものは、表現規制立法一般——二十一条一項ルートでも、共通に使われます。事件の性質によって、三十一条の看板で使うか、二十一条一項の看板で使うか、変わるだけです。
根拠が別なのに物差しが同じでいいのには、理由があります。どちらのルートでも、条文を読むのは、一般の人だからです。萎縮するのも一般人、何が犯罪になるかを告知される相手も、一般人。読み手が同じなら、明確かどうかを測る物差しも、同じでいいわけです。だから、「表現の自由の判例です」と言われるのは、間違いではありません。でも、判決文そのものが判断したのは、三十一条だった。ここを、正確に押さえてください。ここが、受験生が最初に誤解しやすい場所です。「表現の自由の判例です」と流さず、判決文の結論条文を、正確に覚えてください。
そこも見ておきましょう。最高裁は、こう考えました。秩序正しく平穏な集団行進に伴う程度の、交通秩序の阻害にとどまるのか。それとも、殊更な交通秩序の阻害をもたらすものなのか。そこを考えれば、通常、判断にさほどの困難は感じない。だから、この文言は明確性を欠かない、とされました。曖昧に見える言葉でも、核になる部分が読み取れれば、明確とされる。この線引きが、次に見る逃げ道に、そのままつながります。
過度の広汎性——似ているが、別の次元
図:過度の広汎性
- 規制してはならない行為が規制対象に含まれている問題
- 例=刑法175条1項「わいせつ」が本来許される性表現まで含んでいないか
- 過度の広汎性ゆえに無効の法理=文面上無効と解される
ここまでが、明確性の原則です。次に、似ているけれど、別の道具を、見ておきましょう。過度の広汎性、と呼ばれる問題です。でも、中身は、はっきり別です。過度の広汎性は、規制してはならない行為まで、規制対象に含まれている場合の問題です。例で、確認しましょう。刑法百七十五条一項、わいせつ物頒布等罪です。
条文刑法 175条1項
刑法 第百七十五条一項 わいせつな文書、図画、電磁的記録に係る記録媒体その他の物を頒布し、又は公然と陳列した者は、二年以下の拘禁刑若しくは二百五十万円以下の罰金若しくは科料に処し、又は拘禁刑及び罰金を併科する。電気通信の送信によりわいせつな電磁的記録その他の記録を頒布した者も、同様とする。
あのときは、わいせつ表現が、そもそも表現の自由に含まれるか、を見ました。今日は、別の角度です。「わいせつ」という文言が、本来は許されるはずの性表現まで、その対象に含んでいるのではないか。そういう問題です。実は、「わいせつ」という文言は、明確性の点でも、問題になりえます。両方の顔を、持つ言葉です。でも、過度の広汎性が問題にしているのは、文言が読めるかどうかとは、別の軸です。読めたとしても、その範囲が、広すぎないか。ここを問題にします。この違いは、次に、もう一段はっきりさせます。過度の広汎性を持つ規制も、本来は許される表現行為に、萎縮効果を生じさせます。だから、こちらも、文面上無効と解されます。
形式面と実質面——観念的には別
図:明確性
- 立法の形式面(文書が読めるか)
- 過度の広汎性=立法の実質面(読めた範囲が広すぎないか)+当てはめ=「交通秩序を維持すること」は形式面
- 「わいせつ」は実質面
- 「品位を損なう」は両方+実際には同時に問題になることが多いが答案では別の軸として書き分ける+審査基準回の「実質的審査」(検閲・審査基準を当てる段)とは別物
明確性の問題は、立法の形式面——文書として読めるか、という問題です。過度の広汎性の問題は、立法の実質面——読めた範囲が、広すぎないか、という問題です。文書として、きちんと読める——形式面はクリアしていても、読んだ結果、規制の範囲が広すぎる、ということは、起こりえます。理屈のうえでは、この二つは、別の軸です。今日出てきた言葉で、当てはめてみましょう。「交通秩序を維持すること」。ここで争われたのは、書きぶりが読めるかどうか——形式面でした。「わいせつ」。明確性の点でも問題になりえますが、過度の広汎性が見ているのは、読めた範囲が広すぎないか——実質面の側です。
そして、最初に見た商店街の「品位を損なう」は、読めないうえに、どこまで入るかも分かりません。両方が同時に出ている形です。ただし、現実には、この二つは、たいてい一緒に出てきます。書きぶりが曖昧な条文は、結局、どこまで入るのか分からない。どこまで入るのか分からない、ということは、本来なら入らないはずのものまで、網にかかりうる、ということです。だから実務では、この二つは、セットで問題になりがちです。でも、答案では、この二つを、別の軸として、書き分ける必要があります。明確性は、さっき触れた形式的審査のところに、そのまま入ります。過度の広汎性は、中身に踏み込む問題なので、実質面の側です。
そこは分けてください。あちらは、検閲や、審査基準を当てる段の話でした。ここでの実質面は、規制の範囲が広すぎないか、という意味です。ここは、正確に押さえておいてください。
判例が使う逃げ道——合憲限定解釈と「風俗を害すべき」
図:合憲限定解釈のビフォーアフター
- 税関検査事件=関税定率法「風俗を害すべき」→専ら性的な風俗に限定解釈→明確で合憲
- 限定の根拠=旧刑法
- 現行刑法で「風俗を害する」表現物の規制はわいせつ物の罪だけ+社会通念
- 一般人基準は「絞ってよいかの条件」として登場(絞る理由ではない)+この事件の本体=検閲該当性は次回+武器は強いが判例はめったに抜かない現実
ここまで、明確性の原則は、強い武器だと、お話ししてきました。でも、実際の判例は、この武器を、めったに抜きません。なぜだと思いますか。判例は、文言上、過度に広汎に見える規制についても、違憲となる部分だけを切り取って、限定的に解釈することで、合憲性を保つ手法を、よく使います。実例を、見てみましょう。税関検査事件という事件があります。当時の関税定率法に、「風俗を害すべき」という文言がありました。最高裁自身、この言葉は、性的な風俗・社会的な風俗・宗教的な風俗など、多義にわたり、文言そのものからは、一つに決まらない、と認めています。でも、最高裁は、この「風俗」を、専ら性的な風俗に限定して読める、としました。
最高裁は、この言葉を、法律の作りから読み解きました。昔の刑法でも、いまの刑法でも、表現物で「風俗を害する」として取り締まられてきたのは、わいせつ物の罪だけだったんです。そこに、いまの社会通念も重ねて、ここでの「風俗」は、専ら性的な風俗を指す、と読んだわけです。出てきます。ただし、使われ方が違います。最高裁は、徳島市公安条例事件を引いたうえで、こう述べています。そうやって限定して読むことが許されるのは、一般の人の理解において、何が規制されるのかを読み取れる場合だけだ、と。そこを取り違えないでください。ここが、この事件の読みどころです。さて、この事件の本体は、別のところにあります。税関検査が、事前に表現を止める検閲にあたるかどうか。そこが、この事件の中心の争いでした。なお、合憲限定解釈という手法そのものは、違憲審査のしくみを扱う回で、正面から取り上げます。今日、使うのは、明確性の側面だけです。
この「限定して読めば、明確」という逃げ道を、判例は、繰り返し使います。だから、「明確性の原則で違憲を勝ち取るのは、実際には難しい」。これが、現実の温度です。答案で、振りかざすだけの武器にしないでください。強い武器だからこそ、判例は、慎重に、限定解釈で、逃げ道を作っておく。この温度感まで、覚えておいてほしいところです。
今日の地図(保存版)
図:まとめ
- 今日の一問への答え(文面上無効=条文の書きぶりだけで丸ごと殺せる・武器は萎縮効果・ルートは二本・一般人基準・徳島市公安条例事件は31条判例というねじれ・過度の広汎性は別次元・判例は合憲限定解釈で逃げる)
- 次回への橋=法律がいつ表現を止めるか(差止めの預かりもここで回収)
今日の内容を、まとめましょう。今日の一問は、これでした。「この法律は曖昧だ」というだけで、まだ誰にも適用されていない法律を、丸ごと憲法違反にできるのか。できる、です。これが、文面上無効という考え方でした。適用違憲とは違って、事案に当てはめる前に、条文の書きぶりだけで、丸ごと殺せます。やめた人は誰にも見えない——事後の裁判では、絶対に救えない害でした。ルートは二本。表現規制立法一般には、二十一条一項。刑罰法規には、三十一条。判断基準の主語は、通常の判断能力を有する一般人。本人基準ではありませんでした。
表現の自由の判例として引かれますが、判決文が判断したのは、三十一条です。過度の広汎性は、別の次元でした。明確性は形式面、過度の広汎性は実質面です。そして、武器は強いのに、判例は、合憲限定解釈で、めったに抜きません。今日は、法律が「曖昧かどうか」で、測りました。次は、法律が「いつ表現を止めるか」——出す前に止めることは、なぜ、特別に危ないのか。前回の最後に出た、石に泳ぐ魚事件の差止めの話も、そこで一緒に扱います。そこを、正面から扱います。楽しみにしていてください。
参照条文
- 日本国憲法 21条1項
- 日本国憲法 31条
- 刑法 175条1項