憲法ゼロから憲法#35

検閲の禁止と、検閲以外の事前抑制——出す前に止めるのは、なぜ特別に危ないのか

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第3章 人権各論 ㉟/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

事前と事後は、何が違うのか——思想の自由市場の払い戻し

事前抑制と事後抑制の違い(自前設例=近所の情報交換サイトの運営方針)+パターンA事前抑制=投稿はいったん審査キューに入り承認されるまで誰にも表示されない・見送られた投稿は書いた本人以外誰も知らない/パターンB事後抑制=投稿はすぐ表示され名誉毀損にあたれば後から訴えられる+事前抑制は"やめた人・消された投稿"が統計に出てこない=萎縮の総量を誰も測れない 図:事前抑制と事後抑制の違い

  • 自前設例=近所の情報交換サイトの運営方針
  • パターンA事前抑制=投稿はいったん審査キューに入り承認されるまで誰にも表示されない・見送られた投稿は書いた本人以外誰も知らない
  • パターンB事後抑制=投稿はすぐ表示され名誉毀損にあたれば後から訴えられる+事前抑制は”やめた人・消された投稿”が統計に出てこない=萎縮の総量を誰も測れない

まず、言葉の整理からです。表現行為が行われる前に、あらかじめ制限・禁止することを、事前抑制と呼びます。逆に、いったん世の中に出た後で、制裁を加えることを、事後抑制と呼びます。書いてしまった後で、罪に問われる。これが事後抑制です。そして、事前抑制のほうが、事後抑制よりも、厳しく審査されます。そこを、具体例で見てみましょう。近所の情報交換サイトを、想像してください。この運営方針を、二つのパターンで比べます。パターンAです。投稿すると、いったん運営の審査キューに入ります。承認されるまで、誰の目にも触れません。ここで、審査に時間がかかったり、運営が迷って承認を見送ったりすると、その投稿は、誰の目にも触れないまま、消えます。

書いた本人以外、そんな投稿があったことすら、誰も知りません。パターンBです。投稿は、すぐに表示されます。ただし、名誉毀損にあたれば、後から訴えられます。この二つを、比べてみてください。パターンBで、もし訴えられた人がいたら、どうなりますか。争いになった、という事実そのものが、外から見えます。では、パターンAで、承認を見送られた投稿は、どうですか。ここが、事前抑制の質的な怖さです。やめさせられた表現、消された投稿は、統計に出てこない。萎縮の総量を、誰も測れないんです。事前抑制は、争いにすらならず、静かに消えていきます。この違いが、事前抑制をより厳しく審査すべき理由になります。以前、表現の自由の価値を見た回で、思想の自由市場という考え方が出てきましたね。

事前抑制は、その競争の場に、そもそも出場すらさせません。市場に出る前に、消してしまうからです。だから、事後抑制より危険度が高いと扱われます。そして、事前抑制の中でも、いちばん強く警戒されているのが、検閲です。ここから、その検閲の話に入っていきます。

憲法はなぜ「検閲」だけを名指しで禁じたのか

二十一条一項と二項前段の関係(1項=表現の自由を包括的に保障/2項前段=検閲だけを名指しで特に禁止)+なぜあえて2項を置くのか=1項から当然に導かれる広い事前抑制の禁止と2項が禁止する検閲とを区別する趣旨+税関検査事件が語る歴史的背景=旧憲法下の出版法・新聞紙法による発売頒布禁止・映画法による検閲の経験 図:二十一条一項と二項前段の関係

  • 1項=表現の自由を包括的に保障
  • 2項前段=検閲だけを名指しで特に禁止
  • なぜあえて2項を置くのか=1項から当然に導かれる広い事前抑制の禁止と2項が禁止する検閲とを区別する趣旨
  • 税関検査事件が語る歴史的背景=旧憲法下の出版法・新聞紙法による発売頒布禁止・映画法による検閲の経験

事前抑制は、いま見たとおり、事後抑制より厳しく審査されます。でも、憲法は、それとは別に、もう一段、強い言葉を用意しています。二十一条二項前段です。「検閲」という言葉を、わざわざ名指しで使っています。

条文日本国憲法 21条2項

日本国憲法 第二十一条二項 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

要件も、例外も、書かれていません。ここで、素朴な疑問が出てきます。二十一条一項が、すでに表現の自由を保障しているのに、なぜ、わざわざ二項で、もう一度、検閲だけを禁止しているんでしょうか。いい疑問です。実は、そこに、この条文の設計思想があります。一項からは、当然に、広い意味での事前抑制の禁止が導かれます。でも、それとは別に、二項前段が特に禁止する「検閲」という概念があり、これを区別するのが妥当だと考えられています。二項でわざわざ検閲だけを取り出しているのは、検閲には、他の事前抑制とは違う、特別に強い扱いを与えるためです。

税関検査事件という判例が、その理由を、歴史から説明しています。旧憲法のもとでは、出版法や新聞紙法という法律があり、内務大臣に、出版物の発売や頒布を禁止する権限が与えられていました。実質的な検閲が、実際に行われていました。映画についても、映画法という法律で、典型的な検閲が行われた経験があります。この歴史的な経験を踏まえて、判例は、検閲については、公共の福祉を理由とする例外すら認めない趣旨だと解しています。他の人権制約なら、公共の福祉を理由に調整されることがあります。でも、検閲だけは、それすら認めません。検閲の絶対的禁止を宣言した趣旨だと解されています。

違憲審査の道筋を組み立てた回で、その代表として、検閲の名前だけ出しました。中身は表現の自由の回で、とお伝えしていました。ここが、その回です。では、その「検閲」が、具体的に何を指すのか。判例の言葉を、正確に見ていきましょう。

判例の検閲の定義——逐語で押さえる

ここから判例の言葉そのものを見る+検閲の定義は税関検査事件が示した+この定義の4つの要素を、次のセクションで1つずつ分解する

  • ここから判例の言葉そのものを見る
  • 検閲の定義は税関検査事件が示した
  • この定義の4つの要素を、次のセクションで1つずつ分解する

「検閲」という言葉、最高裁は、どう定義しているか。正確に見てみましょう。

判例最大判昭和59年12月12日(大法廷)

税関検査事件——検閲の定義 「憲法二一条二項にいう『検閲』とは、行政権が主体となつて、思想内容等の表現物を対象とし、その全部又は一部の発表の禁止を目的として、対象とされる一定の表現物につき網羅的一般的に、発表前にその内容を審査した上、不適当と認めるものの発表を禁止することを、その特質として備えるものを指すと解すべきである」

ここは、逐語で覚えてください。要素ごとに、分解して見ていきます。この四つの要素が、全部そろって、初めて「検閲」にあたります。ここが、次のセクションで、いちばん効いてきます。その前に、もう一つ、確認しておきたいことがあります。この検閲は、さっき見たとおり、例外を認めない、絶対的な禁止です。ここで、素朴な疑問が浮かびませんか。そこがまさに、今日いちばん大事なところです。次に、正面から扱います。

なぜ「狭く」と「絶対に」がセットなのか

狭く定義するほど絶対的に禁止できる、という交換関係+広く定義した場合=多くの正当な規制まで一律違憲になり機能しなくなる/狭く定義した場合=入り口を通過したものは例外なく許さないという強い効果を持たせられる+箱の中身の実例=旧憲法下の映画法による検閲(主体が行政権・作品の内容そのものが対象・公開前に一律に審査・不適当なものは世に出させない=4要素すべてを満たす)

  • 狭く定義するほど絶対的に禁止できる、という交換関係+広く定義した場合=多くの正当な規制まで一律違憲になり機能しなくなる
  • 狭く定義した場合=入り口を通過したものは例外なく許さないという強い効果を持たせられる+箱の中身の実例=旧憲法下の映画法による検閲(主体が行政権・作品の内容そのものが対象・公開前に一律に審査・不適当なものは世に出させない=4要素すべてを満たす)

検閲は、なぜ、こんなに狭く定義されているんでしょうか?ゆるく定義したほうが、色々なものを検閲として厳しく取り締まれて、良さそうな気もしませんか。多くの人が、そう感じます。でも、実際には、逆です。想像してみてください。検閲を、広く定義したとします。「行政が発表前に、表現の中身をチェックすること全般」、としましょう。あらゆる許認可の窓口業務まで、ほとんど何でも入ってしまいます。そして、そのすべてに、いま見た絶対的禁止——例外を一切認めない扱いを、当てはめたら、どうなりますか。そうなると、社会が回らなくなります。だから、広い定義のまま、絶対禁止を維持することは、できません。どこかで、「でも、この場合は許される」という例外を、作らざるをえなくなります。

では、逆に、定義を極端に狭くしたら、どうなるか。さっきの四つの要素、全部そろって初めて検閲になる、という絞り方です。行政権が、思想内容そのものを狙い、発表そのものを禁止する目的で、対象を漏れなく一律に、発表前に審査し、ダメなものは一切世に出さない。この特質をフルセットで備えるものだけに、絞り込みます。ここまで絞り込むと、この箱に入るものは、現代の民主的な国家で正当化できる規制が、ほとんど考えられないくらい極端な形になります。さっき見た、旧憲法のもとでの映画の検閲が、まさにそれです。一つ目、主体は行政権。二つ目、見ているのは、作品の中身そのものです。三つ目、公開されるものを、もれなく一律に審査して、四つ目、世に出る前に、不適当と判断したものを止める。

これが、箱の中身です。つまり最高裁は、検閲の入口を極端に狭くする代わりに、「入ったら絶対に許さない」という強い効果を、手に入れたわけです。広さと強さを交換した、という言い方が、まさにこの定義の正体です。だから、税関検査や教科書検定が「検閲でない」とされるのは、判例が甘いから、ではありません。この箱に入れてしまうと、「絶対禁止」がおかしなことになってしまう規制だから、そもそも、箱の外に置かれている、というだけのことです。この交換関係が、今日いちばん効いてくる考え方です。では、実際に、四つの絞りが、どんなものを箱の外に出しているのか。一つずつ見ていきましょう。

4つの絞りと、そこから外れるもの

4つの絞り→外れるものの対応(①主体が行政権→裁判所の事前差止めは外れる/②対象が思想内容等→誤字脱字のチェックは外れる/③網羅的一般的な審査で発表禁止が目的→個別具体的な犯罪捜査での押収は外れる/④発表前→発表済みの表現物は受領前でも外れる) 図:4つの絞り→外れるものの対応

  • ①主体が行政権→裁判所の事前差止めは外れる
  • ②対象が思想内容等→誤字脱字のチェックは外れる
  • ③網羅的一般的な審査で発表禁止が目的→個別具体的な犯罪捜査での押収は外れる
  • ④発表前→発表済みの表現物は受領前でも外れる

では、四つの絞りを、一つずつ見ていきます。それぞれ、「だから何が外れるのか」を、対にして押さえてください。一つ目。主体が、行政権であること。たとえば、裁判所が出版物の発表を差し止める場合、主体は裁判所——司法権です。だから、それだけで、検閲の定義から外れます。するどいですね。裁判所による差止めは、今日の後半で、正面から扱います。二つ目。対象が、思想内容等であること。逆に言えば、思想内容とは関係のないチェックは、外れます。単なる誤字脱字のチェックです。内容の当否を、見ているわけではありませんから。三つ目。網羅的・一般的な審査で、発表の禁止を目的としていること。

対象になる表現物を、もれなく、一律に審査する、ということです。これに対して、具体的な犯罪の捜査で、特定の表現物を押収するような場合は、個別的・特定的な検査であって、網羅的一般的な審査ではありません。だから、外れます。四つ目。発表前であること。これは、逆に言えば、すでに発表済みの表現物なら、外れます。国内外で、すでに世に出ている表現物なら、日本国民が実際に受け取る前であっても、検閲にはあたりません。ここは、次に見る事件で、実際に効いてきます。この四つの絞りを、頭に入れたうえで、実際の事件を見ていきましょう。まずは、この定義を作った、税関検査事件そのものです。

税関検査事件——なぜ検閲でないのか

税関検査事件の事案(A=書籍などを輸入しようとした者/B=税関長)+Aが書籍などを輸入申告→Bが「公安又は風俗を害すべき物品」にあたると認定・通知→Aがこの税関検査は検閲にあたると主張して争った 図:税関検査事件の事案

  • A=書籍などを輸入しようとした者
  • B=税関長
  • Aが書籍などを輸入申告→Bが「公安又は風俗を害すべき物品」にあたると認定・通知→Aがこの税関検査は検閲にあたると主張して争った

事案から、確認しましょう。当時の関税定率法には、「公安又は風俗を害すべき書籍、図画、彫刻物その他の物品」の輸入を禁止する規定がありました。ある人が、書籍などを輸入しようとしたところ、税関長が、この規定に該当すると認定し、通知しました。輸入しようとした人が、この税関検査こそ、二十一条二項の「検閲」にあたると主張して、争いました。最高裁は、検閲にはあたらない、と判断しました。さっきの四つの絞りに、当てはめてみましょう。まず、絞り四つ目の発表前、です。判決文は、こう述べています。

判例最大判昭和59年12月12日(大法廷)

税関検査事件——検閲該当性を否定する理由① 「輸入が禁止される表現物は、一般に、国外においては既に発表済みのものであつて、その輸入を禁止したからといつて、それは、当該表現物につき、事前に発表そのものを一切禁止するというものではない。(略)その意味において、税関検査は、事前規制そのものということはできない。」

国内で発表されていなくても、国外ですでに世に出ている表現物です。日本国民が実際に受け取る前でも、「発表前」とは扱われません。だから、絞りに、当てはまらないんです。次に、三つ目の絞りです。網羅的・一般的な審査で、発表の禁止が目的か、という点です。

判例最大判昭和59年12月12日(大法廷)

税関検査事件——検閲該当性を否定する理由② 「税関検査は、関税徴収手続の一環として、これに付随して行われるもので、思想内容等の表現物に限らず、広く輸入される貨物(略)の全般を対象とし、(略)思想内容等それ自体を網羅的に審査し規制することを目的とするものではない。」

表現物だけを、狙い撃ちにしているわけではありません。輸入される貨物の全般を対象にした、関税徴収手続の一部にすぎません。だから、思想内容そのものを、網羅的に審査し規制する目的ではない、とされました。だから、税関検査は「検閲」にあたらない、という結論になりました。ただ、ここで、絶対に見落としてほしくない一文があります。

判例最大判昭和59年12月12日(大法廷)

税関検査事件——事前規制の側面は否定できない 「税関検査が表現の事前規制たる側面を有することを否定することはできない。」

検閲ではない。でも、事前に規制する側面が、まったくないわけでもない。言葉づかいが、判決ごとに違うだけです。どちらも、世に出る前に止める、という話です。大事なのは、規制か抑制かではなく、「そのもの」なのか、「側面にとどまる」のか、です。この一文、頭の片隅に置いておいてください。この回の最後で、もう一度回収します。税関検査事件は、検閲の定義を作った事件でもあり、その定義を、実際に当てはめた事件でもある、ということが分かりました。

同じ税関でも別の事件がある

税関検査事件と第2次メイプルソープ事件の1行対比(同じ税関の輸入規制が舞台でも争点が違う)+税関検査事件=検閲該当性(税関検査という制度そのものが憲法上の検閲にあたるか)+第2次メイプルソープ事件=わいせつ性(この写真集が風俗を害すべき物にあたるほど猥褻か) 図:税関検査事件と第2次メイプルソープ事件の1行対比

  • 同じ税関の輸入規制が舞台でも争点が違う
  • 税関検査事件=検閲該当性(税関検査という制度そのものが憲法上の検閲にあたるか)
  • 第2次メイプルソープ事件=わいせつ性(この写真集が風俗を害すべき物にあたるほど猥褻か)

ここで、一つだけ弁別しておきます。以前、わいせつ表現の回で、第2次メイプルソープ事件という判例を、扱いましたね。でも、争っている次元が、まったく違います。あちらは、写真集が「風俗を害すべき物」にあたるほどわいせつか、という問題。こちらは、税関検査という制度そのものが、検閲にあたるか、という問題です。同じ法律の、同じ文言をめぐる事件だからです。「風俗を害すべき」という言葉は、どちらにも出てきます。だから、混ざりやすい。答案でも、聞かれているのが制度そのものの合憲性なのか、目の前の物がわいせつかなのかで、使う枠組みが変わります。というわけで、今日は、わいせつ性の中身には、踏み込みません。では、次に、同じ絞りが、もう一度使われる事件を見てみましょう。

第1次家永教科書訴訟——同じ形の2回目

第1次家永教科書訴訟の事案(A=家永三郎氏/B=国)+Aの著書「新日本史」が教科書検定で不合格→Aが検定制度・不合格処分は検閲にあたるとして国に国家賠償を求めた 図:第1次家永教科書訴訟の事案

  • A=家永三郎氏
  • B=国
  • Aの著書「新日本史」が教科書検定で不合格→Aが検定制度・不合格処分は検閲にあたるとして国に国家賠償を求めた

次の事件です。ある教科書の話です。家永三郎さんという方が書いた「新日本史」という著書が、教科書検定で不合格になりました。家永さんは、この検定制度そのものと、不合格処分が、二十一条二項の検閲にあたるとして、国に国家賠償を求めました。最高裁は、税関検査事件の判決を引用したうえで、判断しています。判旨を、確認しましょう。

判例最判平成5年3月16日(第三小法廷)

第1次家永教科書訴訟 最高裁は、税関検査事件の判示を引用しつつ、①本件検定は一般図書としての発行を何ら妨げるものではないこと、②発表禁止目的や発表前の審査などの特質がないことを理由に、教科書検定は憲法二一条二項にいう検閲にあたらないと判示した。

特に①が、大事です。さっき見た、四つ目の絞りを思い出してください。不合格になっても、教科書としては出せなくても、一般の図書としてなら、出版できます。これは、税関検査事件のときと、同じ形です。「発表そのものを禁止していない」から、絞りに当てはまらない。だから検閲ではない。この定義、税関検査だけの特殊な理屈ではなく、汎用的な物差しとして、繰り返し使われている、ということが分かります。なお、不合格処分そのものが適法だったか、という論点も別にありますが、今日の主題である、検閲にあたるかどうかとは、別の判断枠組みで争われた話です。

では、ここまでの判例を踏まえて、学説と比べてみましょう。

学説と比べる——広義説・狭義説・判例

5軸比較表(広義説=主体は公権力・対象は表現内容・時期は受領前・例外あり・検閲=事前抑制/狭義説=主体は行政権・対象は思想内容・時期は発表前・例外なし・検閲⊂事前抑制/判例=最狭義説・狭義説の4軸に加え網羅的一般的審査という限定を追加・検閲⊂事前抑制) 図:5軸比較表

  • 広義説=主体は公権力・対象は表現内容・時期は受領前・例外あり・検閲=事前抑制
  • 狭義説=主体は行政権・対象は思想内容・時期は発表前・例外なし・検閲⊂事前抑制
  • 判例=最狭義説・狭義説の4軸に加え網羅的一般的審査という限定を追加・検閲⊂事前抑制

ここで、学説とも、比べておきましょう。検閲の定義には、学説上、いくつかの立場があります。広義説と、狭義説です。五つの軸で、比べてみます。主体、対象、時期、例外の有無、事前抑制との関係です。広義説は、主体を公権力全般とし、対象は表現内容、時期は受領前まで含め、例外もありうる、とします。国民が実際に受け取る前まで、含める、ということです。この立場だと、検閲の範囲は、事前抑制の範囲とぴったり重なります。一方、狭義説は、主体を行政権に絞り、対象は思想内容、時期は発表前に限り、例外は認めません。似ていますが、実は、判例は、この狭義説よりも、さらに狭いんです。

いま比べている四つの欄——主体・対象・時期・例外の有無は、判例も狭義説と同じです。そのうえで判例は、もう一つ、「網羅的・一般的な審査で、発表の禁止が目的であること」という限定を、さらに要求します。これが加わる分だけ、判例の検閲は、狭義説の検閲よりも、さらに範囲が狭くなります。四つの要素は定義そのものの中身、四つの欄は説どうしを比べるための項目です。ですから、判例は狭義説よりもさらに範囲を絞っていて、いわば「最狭義」の立場だと言えます。判例の検閲は、事前抑制の中の、ごく一部だけを指すことになります。だから、検閲は事前抑制に含まれる、という関係になります。

答案では、判例の立場——最狭義説で書けば十分です。ただ、短答では、広義説・狭義説との違いも、問われることがあります。この五軸表を、頭に入れておいてください。さて、ここまでは、「検閲にあたるか」という話でした。次は、視点を変えます。

北方ジャーナル事件——5つに分けて読む

北方ジャーナル事件の事案(A=雑誌「北方ジャーナル」の発行人/B=北海道知事選の立候補予定者/C=札幌地方裁判所)+Bを批判・攻撃する記事を掲載予定→CがBの名誉毀損を理由に発売前の印刷・製本・販売・頒布を差し止める仮処分決定を発した→Aがこの仮処分は違憲・違法として国およびBに損害賠償を求めた 図:北方ジャーナル事件の事案

  • A=雑誌「北方ジャーナル」の発行人
  • B=北海道知事選の立候補予定者
  • C=札幌地方裁判所
  • Bを批判・攻撃する記事を掲載予定→CがBの名誉毀損を理由に発売前の印刷・製本・販売・頒布を差し止める仮処分決定を発した→Aがこの仮処分は違憲・違法として国およびBに損害賠償を求めた

事案から、確認しましょう。北海道知事選挙に、立候補を予定していた人物がいました。この人物を、批判・攻撃する記事を掲載する予定の雑誌がありました。そこがポイントです。掲載される前に、事件が起きました。札幌地方裁判所が、この立候補予定者の名誉を毀損するとして、発売前の印刷・製本・販売・頒布を、差し止める仮処分決定を出したんです。雑誌の発行人が、この仮処分は違憲・違法だとして、国と、その立候補予定者に対して、損害賠償を求めました。この事件、判決の中身を、五つの柱に分けて見ていきます。まずは、そのうちの、最初の三つを見ていきます。一つ目の柱です。この裁判所による事前差止めは、検閲にあたるのか。

最高裁も、税関検査事件の検閲の定義を引用したうえで、裁判所による事前差止めは、検閲にはあたらない、としました。ただし、ここで終わりません。二つ目の柱です。検閲でなくても、なお「事前抑制」にはあたる、として、その事前抑制一般が満たすべき要件を、示しました。ここは、逐語で押さえてください。

判例最大判昭和61年6月11日(大法廷)

北方ジャーナル事件——事前抑制の一般的要件 「表現行為に対する事前抑制は、新聞、雑誌その他の出版物や放送等の表現物がその自由市場に出る前に抑止してその内容を読者ないし聴視者の側に到達させる途を閉ざし又はその到達を遅らせてその意義を失わせ、公の批判の機会を減少させるものであり、また、事前抑制たることの性質上、予測に基づくものとならざるをえないこと等から事後制裁の場合よりも広汎にわたり易く、濫用の虞があるうえ、実際上の抑止的効果が事後制裁の場合より大きいと考えられるのであつて、表現行為に対する事前抑制は、表現の自由を保障し検閲を禁止する憲法二一条の趣旨に照らし、厳格かつ明確な要件のもとにおいてのみ許容されうるものといわなければならない。」

分解しましょう。まず、市場に出る前に抑止して、読者への到達を閉ざしたり遅らせたりして、公の批判の機会を減らしてしまう。これは、さっき、掲示板の例で見た、萎縮効果の話と、同じ理屈です。もう一つの理由。事前抑制は、予測に基づかざるをえないので、事後の制裁より、広い範囲に及びやすく、濫用のおそれがある。まだ発表されていない段階で、「これは問題になりそうだ」と、先読みして止める、ということです。先読みである以上、判断を誤りやすく、必要以上に広く止めてしまいがちです。最後に、実際の抑止効果も、事後制裁より大きい、とされています。この三つの理由から、事前抑制は、「厳格かつ明確な要件のもとにおいてのみ許容されうる」、とされました。

「絶対禁止」ではなく、「厳しい条件つきで、例外的に許容されうる」。ここが、検閲との、大事な違いです。別のものです。あちらは、目的と手段を、どのくらい厳しく確かめるか、という物差しの段階。こちらは、事前抑制が許される場合を、どこまで絞るか、という要件の話です。そして、三つ目の柱です。裁判所による出版物の事前差止めは、この「事前抑制」に、まさに該当する、とされました。

判例最大判昭和61年6月11日(大法廷)

北方ジャーナル事件——事前抑制への該当性 「出版物の頒布等の事前差止めは、このような事前抑制に該当するものであつて」

ここまでで、三つの柱が終わりました。一つ目、検閲にはあたらない。二つ目、事前抑制は厳格かつ明確な要件でのみ許容される。三つ目、裁判所の差止めは、その事前抑制にあたる。そこが、次のセクションです。今日、いちばんの採点キーワードが出てきます。

公職の候補者への批判は原則禁止——例外の2要件

dの例外2要件の論理構造(原則=公務員・公職選挙の候補者への評価・批判等は事前差止め原則として許されない)+例外は2要件が両方そろって初めて成立(①表現内容が真実でなく、又は専ら公益目的でないことが明白/②被害者が重大にして著しく回復困難な損害を被る虞があるとき)+①の内部は"又は"/①と②の間は"かつ"+明白性は①の両枝にかかる(「真実でない」側にも要る) 図:dの例外2要件の論理構造

  • 原則=公務員・公職選挙の候補者への評価・批判等は事前差止め原則として許されない
  • 例外は2要件が両方そろって初めて成立(①表現内容が真実でなく、又は専ら公益目的でないことが明白/②被害者が重大にして著しく回復困難な損害を被る虞があるとき)+①の内部は”又は”
  • ①と②の間は”かつ”+明白性は①の両枝にかかる(「真実でない」側にも要る)

四つ目の柱です。北方ジャーナル事件は、対象が、公務員や、公職選挙の候補者への評価・批判である場合について、特別な規範を示しています。ここが、この事件の核心です。逐語で、正確に見ましょう。

判例最大判昭和61年6月11日(大法廷)

北方ジャーナル事件——公務員・公職の候補者に対する評価等と事前差止め その対象が公務員又は公職選挙の候補者に対する評価、批判等の表現行為に関するものである場合には、(略)当該表現行為に対する事前差止めは、原則として許されないものといわなければならない。 ただ、右のような場合においても、その表現内容が真実でなく又はそれが専ら公益を図る目的のものでないことが明白であつて、かつ、被害者が重大にして著しく回復困難な損害を被る虞があるときは、(略)例外的に事前差止めが許されるものというべきである。

公務員や候補者への評価・批判は、公共の利害にかかわる事項です。前々回、名誉毀損のところで、公共の利害という言葉が出てきましたね。公共的な事項だからこそ、事前差止めは、原則として許されない、と扱われます。ただし、例外があります。ここの読み方を、絶対に間違えないでください。例外が成り立つのは、二つの要件が、両方そろったときだけです。一つ目。表現内容が真実でないこと。または、それが専ら公益を図る目的のものでないこと。そのどちらかが、明白であること。ここまでが、一つ目の要件です。そこ、大事です。真実でない、という側にも、同じように明白性が要ります。

そして、二つ目。被害者が、重大で、著しく回復困難な損害を、被るおそれがあること。この一つ目と二つ目は、「かつ」でつながっています。ここの係り方を、絶対に崩さないでください。答案の採点で、ここが見られます。もう一度、整理します。①真実でない、または専ら公益目的でない——そのどちらかが明白。かつ、②重大で回復困難な損害のおそれ。この①と②が、両方そろって、初めて、例外的に事前差止めが許されます。では、実際のこの事件では、どうなったのか。結論を、正確に見ておきましょう。

判例最大判昭和61年6月11日(大法廷)

北方ジャーナル事件——この事件の結論 本件記事は、公職の候補者に対する評価という公共的事項に関するものであっても、その記事内容や記述方法から、専ら公益を図る目的のものとは認められず、真実性にも欠けることが明らかであり、かつ、立候補予定者にとって事後回復が困難な重大な損失を受ける虞があった。本件仮処分は適法とされ、上告は棄却された。

「事前差止めは原則として許されない」という規範と、この事件そのものが、どうなったか、は、別の話です。この事件では、①と②の要件が、両方そろっていると判断され、例外にあたるとして、仮処分は適法とされました。ここを、取り違えないでください。「北方ジャーナル事件は差止めを禁じた判例だ」と覚えてしまうと、間違いです。正しくは、「差止めには、厳しい要件がある。」「この事件は、その要件を満たしたので、差止めが認められた」です。そして、ここで、前々回から預かっていた話を、回収します。北方ジャーナル事件は、事前差止めが認められることもある、という道を、実際に切り開きました。この道のうえで、実際に差止めが認められた、別の実例があります。

前々回、覚えていますか。ここで、一つ、正確に押さえてほしいことがあります。石に泳ぐ魚事件は、いま見た北方ジャーナルの二つの要件を、そのまま満たして、差止めが認められたわけではありません。あの事件は、対象が公的立場にない人物だったこともあり、名誉毀損の場面とは違う、独自の比較衡量によって、差止めまで認められました。対象人物の社会的地位や、侵害行為の性質に留意しながら、被害者側の不利益と、侵害者側の不利益を比較して、重大な損失があり、事後の回復が不可能または著しく困難なら、差止めを認める、という判断です。

「北方ジャーナルと同じ二要件を満たしたから」ではなく、「北方ジャーナルが切り開いた、事前差止めが認められる場合がある、という道筋のうえで、別のルートから、実際に差止めまで認められた実例」として、位置づけてください。これで、前々回からの預かりを、回収できました。では、最後に、北方ジャーナル事件の、残りの一つの柱を見て、今日全体をまとめましょう。

相手方の手続保障と、「事前」の三つの扱い

北方ジャーナル事件——五つ目の柱=相手方の手続保障+事前差止めを命ずる前は原則として口頭弁論又は債務者の審尋を行うべき+例外=債権者側の資料でd①②の要件が明白なとき+判決当時の法制にはこの保障が明文で無く、現在は民事保全法(平成元年制定)に明文化 図:北方ジャーナル事件——五つ目の柱

  • 相手方の手続保障
  • 事前差止めを命ずる前は原則として口頭弁論又は債務者の審尋を行うべき
  • 例外=債権者側の資料でd①②の要件が明白なとき
  • 判決当時の法制にはこの保障が明文で無く、現在は民事保全法(平成元年制定)に明文化

五つ目、最後の柱です。この事件では、もう一つ、大事な指摘がありました。差止めの仮処分を出す前には、原則として、相手方——雑誌の発行人の側にも、言い分を述べる機会を与えるべきだ、としました。判決は、口頭弁論、または、債務者の審尋を、原則として行うべきだとしました。裁判所が、当事者の言い分を、聞く手続のことです。債務者といっても、お金の貸し借りの話ではありません。差止めを求めた側を債権者、止められる側を債務者と呼びます。ここでは、雑誌の発行人が、債務者です。ただし、例外もあります。さっきの二つの要件が、債権者側が提出した資料だけで、明らかな場合は、この手続を経なくてもよい、とされています。

この判決が出た当時は、こうした保障が、制度としては、はっきり用意されていなかったからです。今の民事保全法では、こうした手続保障が、条文として明文化されています。中身は、民事訴訟のシリーズで、正面から扱います。今日は、名前だけ、押さえておいてください。さて、これで、北方ジャーナル事件の、五つの柱が、全部そろいました。検閲にはあたらない。事前抑制の一般要件を満たす。裁判所の差止めはそれにあたる。公職の候補者への批判は原則禁止・例外二要件。そして、相手方の手続保障です。

「事前」の三つの扱い(①検閲=税関検査・第1次家永教科書訴訟はここにあたらない/②事前抑制そのもの=裁判所による事前差止め・北方ジャーナル事件はここにあたる/③事前規制たる側面をもつもの=税関検査は検閲でも事前抑制そのものでもないが、その側面は否定できないと判決自身が述べる)+この3事件を並べて三つに整理するのは、体系的な理解のための整理であり判例自身がそう分類しているわけではない 図:「事前」の三つの扱い

  • ①検閲=税関検査・第1次家永教科書訴訟はここにあたらない
  • ②事前抑制そのもの=裁判所による事前差止め・北方ジャーナル事件はここにあたる
  • ③事前規制たる側面をもつもの=税関検査は検閲でも事前抑制そのものでもないが、その側面は否定できないと判決自身が述べる
  • この3事件を並べて三つに整理するのは、体系的な理解のための整理であり判例自身がそう分類しているわけではない

ここまで見てきた三つの事件を、並べてみると、最高裁の扱いは、三つに分かれます。一つ目は、検閲です。税関検査事件も、家永教科書訴訟も、ここにはあたりません。二つ目は、事前抑制そのものです。裁判所による事前差止め——北方ジャーナル事件は、ここにあたります。三つ目にあたるのが、税関検査事件です。検閲でもなければ、事前抑制そのものでもない。でも、「事前規制たる側面を有することを否定することはできない」と、判決文自身が述べています。このように三つに整理できる、というのは、判決文がそのまま宣言している分類ではなく、こうした事件を並べて見ると、そう整理できる、という理解の仕方です。

でも、この整理を頭に入れておくと、「検閲じゃないなら安全」と、単純化してしまう間違いを、防げます。今日の一問に、戻りましょう。「検閲を、例外なしで禁止している。では、税関検査も教科書検定も、なぜ検閲でないのか」。絞りが極端に狭いからこそ、「入ったら例外なく許さない」と言い切れました。狭さと強さは、セットでしたね。では、もう一つ。「検閲でないなら、出す前に止めてよいのか」。今日は、法律が「いつ表現を止めるか」で、規制を測りました。次は、法律が「何に着目して」表現を規制しているかを、見ていきます。楽しみにしていてください。

参照条文

  • 日本国憲法 21条2項

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