憲法ゼロから憲法#36

内容規制と内容中立規制——審査の厳しさは、何で決まるのか

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第3章 人権各論 ㊱/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

分かれ目は「何に着目しているか」

サークル掲示板ルールAとルールBの対比(ルールA=部活動の勧誘以外の政治的・宗教的な主張の掲示禁止/ルールB=A4サイズ1枚まで・貼り替えは週1回まで)+Aは中身を見て選別・Bは中身と無関係に一律にかかる 図:サークル掲示板ルールAとルールBの対比

  • ルールA=部活動の勧誘以外の政治的・宗教的な主張の掲示禁止
  • ルールB=A4サイズ1枚まで・貼り替えは週1回まで
  • Aは中身を見て選別・Bは中身と無関係に一律にかかる

まず、言葉の整理からです。二つの種類の規制があります。一つは、表現内容規制。表現の中身そのものに、着目した規制です。もう一つは、表現内容中立規制。中身とは関係なく、手段や方法を規制するものです。具体例で、体感してみましょう。大学のサークルが、学生自治会が管理する、共用の掲示板を使っているとします。この掲示板について、自治会が、二つのルールを作ったとします。ルールAです。「部活動の勧誘以外の、政治的・宗教的な主張を、掲示してはならない」。ルールBです。「掲示物はA4サイズ1枚まで。貼り替えは、週に1回まで」。

この二つ、どちらも「掲示を制限する」という点は、同じです。でも、決定的に、違うところがあります。そこを、言葉にしてみましょう。ルールAは、貼ろうとしているビラの中身を、読んでから判断します。「これは政治的主張だ」「これは部活の勧誘だ」と、内容を見て、選別しています。一方、ルールBは、どうでしょうか。政治的な主張でも、部活の勧誘でも、猫の写真でも、サイズと頻度の制限は、まったく同じようにかかります。これが、二つの規制を分ける、いちばんの軸です。中身を見て選別しているか中身に関係なく一律にかかっているか

同じ「掲示を制限する」ルールでも、何に着目しているかで、性質がまったく違う、ということが、見えてきましたね。

内容規制——見解規制と主題規制

見解規制と主題規制(見解規制=様々な見解のうち特定の見解の表明のみ禁止/主題規制=どの見解かと関係なく特定の主題についての表現を禁止・原則として内容規制)+ルールAは主題規制/自治会批判だけ禁止を加えると見解規制になる段差 図:見解規制と主題規制

  • 見解規制=様々な見解のうち特定の見解の表明のみ禁止
  • 主題規制=どの見解かと関係なく特定の主題についての表現を禁止・原則として内容規制
  • ルールAは主題規制
  • 自治会批判だけ禁止を加えると見解規制になる段差

内容規制には、実は、二つの型があります。見解規制と、主題規制です。見解規制は、さまざまな見解のうち、特定の見解の表明だけを禁止するものです。たとえば、「賛成派の意見だけ禁止」という規制なら、これです。主題規制は、どの見解かとは関係なく、特定の主題についての表現を、丸ごと禁止するものです。ここで、さっきのルールAを、見直してみましょう。「部活動の勧誘以外の、政治的・宗教的な主張を、掲示してはならない」。賛成派の意見も、反対派の意見も、両方とも禁止されています。だから、これは、主題規制です。

ここで、もう一つ、注意してほしいことがあります。見解規制のほうが、いかにも悪質に見えますが、主題規制も、原則として内容規制にあたる、と扱われます。感覚としては、そう見えるかもしれません。でも、中身に着目している、という点では、見解規制と、根っこは同じです。だから、原則は、同じ内容規制の枠に入ります。たとえば、自治会が、こう付け加えたとします。「特に、自治会執行部を批判する内容は、禁止する」。ここまで絞り込むと、見解規制になります。なお、この見解規制・主題規制という分け方自体は、判例が使っている呼び方ではありません。

学説上、広く支持されている整理として、扱われています。この段差を、頭に入れておいてください。

なぜ内容規制は厳しく審査されるのか

厳格審査基準(目的=やむにやまれぬ必要不可欠な公共的利益/手段=必要最小限度)+内容規制が厳格審査になじむ理由=思想の自由市場に反するきわめて強度な制約 図:厳格審査基準

  • 目的=やむにやまれぬ必要不可欠な公共的利益
  • 手段=必要最小限度
  • 内容規制が厳格審査になじむ理由=思想の自由市場に反するきわめて強度な制約

では、なぜ、内容規制は、厳しく審査されるのか。ここで、表現の自由の価値を見た回で作った、あの考え方を、また使います。また、出てきましたね。内容規制は、この市場そのものに、直接、手を突っ込みます。特定の主題や、特定の見解を、市場から締め出すからです。市場が正しく機能するには、あらゆる意見が、出そろう必要があります。特定の意見を締め出す時点で、市場そのものを壊しかねない、とりわけ重たい規制だと考えます。この理由づけから、厳格審査基準が、原則として使われます。目的は、やむにやまれぬ、必要不可欠な、公共的利益。手段は、必要最小限度。

ここで、新しく定義し直しません。あの道具を、そのまま使います。ルールAのような、政治的・宗教的な主張を丸ごと禁止する規制は、原則として、この厳格審査にかけられる、ということになります。

内容中立規制——時・場所・方法の規制

中間審査基準(目的=十分に重要/手段=実質的関連性)+内容中立規制が緩められる理由=他の時・場所・方法による表現活動の余地が残るため必ずしも思想の自由市場に反しない 図:中間審査基準

  • 目的=十分に重要
  • 手段=実質的関連性
  • 内容中立規制が緩められる理由=他の時・場所・方法による表現活動の余地が残るため必ずしも思想の自由市場に反しない

次は、もう一方——表現内容中立規制です。さっきのルールBを、思い出してください。中身とは関係なく、手段・方法を規制するのが、内容中立規制です。典型は、時・場所・方法の規制です。ルールBも、まさに、この型です。もう一つ、覚えておいてほしい型があります。行動を伴う言論の規制も、一般に、内容中立規制にあたります。ここは象徴的言論と混同しやすいところですが、別の問いです。あちらは、「その行動が、そもそも表現に含まれるか」という、入口の話でした。こちらは、「表現に含まれると分かったうえで、規制の性質は何か」という、別の問いです。

今日、この先で、もう一度、この整理を使います。一つ、像を持っておきましょう。象徴的言論の回で見た、無言で同じ色の服をそろえて並ぶ、あの抗議です。あの並びに、「並ぶ場所は中庭に限ること」「二十人までにすること」という制限をかけたら、どうでしょう。行動の側面だけを区切っています。だから、行動を伴う言論の規制も、内容中立規制にあたります。さて、では、なぜ、内容中立規制は、内容規制よりも、緩やかに審査されるんでしょうか。そこです。別の掲示板を使ってもいいし、SNSで発信してもいい。口頭で伝えてもいい。他の時・場所・方法による表現活動の余地が、残っているんです。

市場そのものから締め出されるわけではなく、別の入り口から、市場に参加できます。だから、内容規制ほど、厳しく見る必要はない、とされます。そこで使われるのが、中間審査基準です。目的は、十分に重要であること。手段は、目的との間に、実質的関連性があること。ルールBのような、サイズ・頻度の制限は、原則として、この中間審査で足りる、ということになります。

法文の形ではなく、現実に何が起きているか

大学祭ビラ配布ルールの構造(ルール=午前8時から12時はビラ配布を一律禁止・時間帯だけを区切った形は中立)+現実=学生集会・討論会がほぼ毎回この時間帯に開かれる慣行+効果=集会に合わせた抗議ビラだけが事実上機能しなくなる+法文の形式でなく現実の効果で決まる 図:大学祭ビラ配布ルールの構造

  • ルール=午前8時から12時はビラ配布を一律禁止・時間帯だけを区切った形は中立
  • 現実=学生集会・討論会がほぼ毎回この時間帯に開かれる慣行
  • 効果=集会に合わせた抗議ビラだけが事実上機能しなくなる
  • 法文の形式でなく現実の効果で決まる

ここまでで、内容規制は厳しく、内容中立規制は緩やかに、という基本形が、できました。でも、ここからが、今日いちばんの勝負どころです。次の設例を、聞いてみてください。ある大学祭の実行委員会が、こんなルールを作ったとします。「キャンパス内でのビラ配布は、午前の授業時間帯——8時から12時までは、一律に禁止する」。一見すると、そうです。何を書いたビラかは、問われていません。8時から12時、という時間だけが、条件です。普通なら、そうです。でも、もう一つの事実を、付け加えます。この大学では、学生集会や、討論会、抗議活動が、ほぼ毎回、この8時から12時の時間帯に、開かれる慣行がありました。

午後や夕方に、ビラを配っても、その頃には、集会はもう終わっています。誰にも、届きません。今のルール、時間帯だけを区切った、中立な規制に見えますよね。でも、この大学の集会が、いつも午前中に開かれる、という事実を知ったら、どう見えますか?他の時間なら配ってもいい、というのは、建前だけです。現実には、この規制のせいで、特定のタイプの表現——集会に合わせた、抗議のビラだけが、事実上、市場から締め出されています。ここが、今日、いちばん伝えたいことです。法文上は、内容中立規制の形をしていても、効果として、ある種類の意見だけが、市場から追い出されてしまうことが起きます。そのときは、思想の自由市場の観点から、厳格に審査します。

ここで、大事なことを、はっきり言葉にしておきます。「法文がどう書いてあるか」ではなく、「現実に何が起きるか」で、決まるんです。ここを落とすと、今日の内容は、ただ規制を二種類に分ける、暗記で終わってしまいます。法文の形式ではなく、実際の効果を見る。この目線を、必ず持って帰ってください。

もう一つの軸——直接的規制と間接的・付随的規制

直接的規制と間接的・付随的規制(直接的規制=人権行使の規制を直接の目的とする規制/間接的・付随的規制=人権行使の規制を目的とせず効果として負担を与える規制)+例=道路交通法上の道路で交通の妨害となる方法ですわり込むことの禁止(目的は交通の安全・抗議の座り込みに適用されれば結果として表現の自由の制約)+ただし実質的に表現規制が目的、または対象の多くが表現行為なら直接的規制と解する 図:直接的規制と間接的・付随的規制

  • 直接的規制=人権行使の規制を直接の目的とする規制
  • 間接的・付随的規制=人権行使の規制を目的とせず効果として負担を与える規制
  • 例=道路交通法上の道路で交通の妨害となる方法ですわり込むことの禁止(目的は交通の安全・抗議の座り込みに適用されれば結果として表現の自由の制約)
  • ただし実質的に表現規制が目的、または対象の多くが表現行為なら直接的規制と解する

さて、ここまでは、「何に着目しているか」という、一つ目の軸でした。ここから、もう一つの軸に入ります。直接的規制と、間接的・付随的規制です。違憲審査の物差しをまとめて作った回で、制約の「強さ」として、一度出しています。あのとき、この強さが、あとで物差しの選び方に効いてくる、と言いました。今日が、その払い戻しです。見ている場所が、違います。こちらは、「その規制が、何を狙っているか」という軸です。直接的規制は、人権の行使——ここでは、表現行為ですが——それを規制することを、直接の目的とする規制です。さっきまで見てきた、内容規制も、内容中立規制のうち時・場所・方法の規制も、どちらも、表現行為を狙って、規制しているので、直接的規制にあたります。

この軸は、内容規制/内容中立規制の軸と、別の切り口です。行動を伴う言論の規制も、その規制が何を狙っているかで決まります。並ぶ場所や人数を狙っていれば直接的規制。別の目的の規制が、たまたま及んだだけなら、間接的・付随的規制です。もう一つ、大事なことがあります。直接的規制と分かっても、それだけでは、審査の厳しさは決まりません。直接的規制の中身が、内容規制なら厳格審査。時・場所・方法の規制なら、中間審査です。厳しさは、一つ目の軸に戻って、決めます。一方、間接的・付随的規制は、人権行使の規制を、目的としていません。別の目的で規制しているのに、たまたま、間接的・付随的な効果として、表現の自由に、負担がかかってしまう、という場合です。

道路交通法に、こういう規定があります。道路で、交通の妨害となるような方法で、すわり込むことを禁止する規定です。この規定の目的は、交通の安全を確保することです。表現を狙ったものではありません。でも、たとえば、抗議のための座り込みに、この規定が適用されたら、どうなりますか。目的は交通の安全でも、結果として、表現の自由への制約になる。これが、間接的・付随的規制です。あちらは、「その行動が、そもそも表現に含まれるか」という問いでした。こちらは、「表現に含まれると分かったうえで、この規制はどんな性質か」という、別の問いです。

では、この間接的・付随的規制は、どのくらい厳しく審査されるんでしょうか。そこは、感覚としては自然です。原則として、間接的・付随的規制には、中間審査基準が使われます。表現そのものを狙っていない分、緩やかになる、というわけです。ただし、ここにも、さっきと同じ形の、例外があります。形式上は、間接的・付随的規制に見えても、実際には、表現規制そのものが目的であったり、規制される行為の大半が、表現行為であったりする場合には、直接的規制と解釈します。さっきの大学祭で、実行委員会が「通路をふさぐ行為を禁止する」というルールを作ったとします。目的は、通行の安全です。

でも、実際に止められているのが、立ち止まってビラを配る人たちだけだったら、どうでしょう。そのときは、形が間接的・付随的でも、直接的規制として扱います。そうなると、「表現そのものを狙っていないから緩やかに」という理由は、もう使えません。厳しさは、一つ目の軸に戻って、決めることになります。今日、この「形式でなく実質」という目線が、二回、出てきました。一回目は、内容中立規制が、現実には特定の内容を締め出す場合。二回目は、間接的・付随的規制の形をした規制が、実は表現規制そのものを狙っている場合。この「形式でなく実質」という目線こそ、今日、いちばん持ち帰ってほしい、通底する考え方です。

同じ言葉で意味が違う①——思想・良心の制約との違い

表現の自由の直接的規制/間接的付随的規制と、思想・良心の自由の直接的制約/間接的制約の対比(前者=人権行使の規制が目的か効果にすぎないか/後者=歴史観・世界観そのものへの介入かそこから派生した行動の制限か)+用語は同じだが軸が違う 図:表現の自由の直接的規制/間接的付随的規制と、思想・良心の自由の直接的制約/間接的制約の対比

  • 前者=人権行使の規制が目的か効果にすぎないか
  • 後者=歴史観・世界観そのものへの介入かそこから派生した行動の制限か
  • 用語は同じだが軸が違う

ここで、一つ、注意しておきたいことがあります。「直接的」「間接的」という言葉、実は、もう一つ、別の場面でも、出てきていました。あちらでは、直接的制約と、間接的制約という、分け方をしていました。あちらの軸は、「歴史観・世界観そのものを否定しているか」、それとも、「そこから派生した、行動の制限にとどまるか」、という軸でした。歴史観や世界観を否定するものとはいえない、つまり直接的制約ではない。ただし、間接的制約となる面は否定し難い、という置き方でした。さて、今日の、表現の自由の軸は、まったく違います。「人権行使——表現そのものを、規制の目的にしているか」、それとも、「目的にはしていないが、効果として負担がかかるだけか」、という軸です。

ここは、はっきり分けておいてください。用語は同じでも、意味が違う。この一点だけ、頭に入れておいてください。

同じ言葉で意味が違う②——猿払事件の罠

猿払事件の「間接的・付随的」の同音異義(最高裁の用法=単に行動の禁止に伴う限度での間接的、付随的な制約に過ぎずと判示/学説の通常の用法=対象の多くが表現行為なら直接的規制)+堀越事件は猿払の間接的・付随的規制論に言及しなかった 図:猿払事件の「間接的・付随的」の同音異義

  • 最高裁の用法=単に行動の禁止に伴う限度での間接的、付随的な制約に過ぎずと判示
  • 学説の通常の用法=対象の多くが表現行為なら直接的規制
  • 堀越事件は猿払の間接的・付随的規制論に言及しなかった

もう一つ、今日いちばんの罠が、待っています。猿払事件という、有名な判例があります。国家公務員の、政治的行為の禁止が、争われた事件です。公務員の政治活動が、どこまで制限できるか、という論点そのものは、別の回で、正面から扱います。今日は、用語の罠としてだけ、触れます。この事件で、最高裁は、政治的行為の禁止について、こう述べました。「単に行動の禁止に伴う限度での、間接的、付随的な制約に過ぎず」——こう述べています。でも、ここに、大きな罠があります。学説は、この最高裁の言い方に、強く反発しました。

公務員の政治的行為の禁止は、国家公務員全体に対して、政治的な意見表明そのものを、広く禁止する規制です。これは、学説の通常の考え方に照らせば、表現そのものを狙った、直接的規制にあたります。にもかかわらず、最高裁は、これを「間接的・付随的」と呼びました。つまり、最高裁のこの言葉は、学説の通常の概念とは、別の意味で使われているんです。ここは、同音異義として、はっきり切り分けてください。一般的な意味での「間接的・付随的規制」——道路交通法の座り込みのような話と、猿払事件がいう「間接的・付随的」は、別物だと思って、扱ってください。

そこは、公務員の政治活動そのものの合憲性を、正面から扱う回に、預けます。今日は、この言葉の罠だけを、押さえておいてください。もう一つ、付け加えておきます。堀越事件という、もっと後の判例があります。社会保険事務所の職員が、ビラを配った行為が問われた事件です。この事件で、最高裁は、猿払事件の「間接的・付随的規制論」に、一度も、触れませんでした。判決文の全体を見ても、「間接的」も「付随的」も、一度も出てきません。少なくとも、正面から持ち出すことは、しませんでした。この事件の中身も、公務員の政治活動を扱う回に、預けます。今日は、「同じ言葉が、判例のなかでも、独自の意味で使われることがある」。この一点を、持ち帰ってください。

判例の現実——ビラ貼り三つの事件

間接的・付随的規制の実例——ビラ貼り・ビラ配りをめぐる三つの事件(電柱へのビラ貼り/私鉄駅構内でのビラ配り/自衛隊官舎への立ち入り)+いずれも規制の目的は財産権・管理権の保護(立川は私生活の平穏も)であり表現そのものではない 図:間接的・付随的規制の実例——ビラ貼り・ビラ配りをめぐる三つの事件

  • 電柱へのビラ貼り
  • 私鉄駅構内でのビラ配り
  • 自衛隊官舎への立ち入り
  • いずれも規制の目的は財産権・管理権の保護(立川は私生活の平穏も)であり表現そのものではない

さて、ここから、実際の判例を、見ていきます。ビラ貼り・ビラ配りをめぐる、三つの判例です。どれも、さっき見た、間接的・付随的規制の、実例です。まず、一つ目です。他人の家屋などに、ビラを貼る行為を、処罰する法律があります。

条文軽犯罪法 1条33号

軽犯罪法 第一条三十三号 左の各号の一に該当する者は、これを拘留又は科料に処する。 三十三 みだりに他人の家屋その他の工作物にはり札をし、若しくは他人の看板、禁札その他の標示物を取り除き、又はこれらの工作物若しくは標示物を汚した者

そこ、注意してください。軽犯罪法は、拘禁刑ではなく、拘留又は科料です。拘禁刑は、刑務所に入れて自由を奪う刑で、何年にもわたることがあります。軽犯罪法の刑は、それよりずっと短いものです。ここでの拘留は、刑罰の一種です。1日以上30日未満、身柄を拘束する刑です。刑事訴訟で、被疑者・被告人の身柄を確保するための勾留とは、まったく別のものです。さて、この条文の、「はり札をし」の部分——前段が、問題になった事件があります。二人が共謀して、電柱37本に、ビラを、貼り付けました。承諾は、得ていません。

この行為が、いま見た条文に、あたるとして、罰せられました。この二人は、この規制が、表現の自由を侵害する、違憲だと、主張しました。

判例最大判昭和45年6月17日(大法廷)

軽犯罪法違反事件——ビラ貼り 「たとい思想を外部に発表するための手段であつても、その手段が他人の財産権、管理権を不当に害するごときものは、もとより許されないところであるといわなければならない。したがつて、この程度の規制は、公共の福祉のため、表現の自由に対し許された必要かつ合理的な制限であつて、右法条を憲法二一条一項に違反するものということはできず」

とても、あっさりした論証です。「表現の手段だとしても、他人の財産権や管理権を不当に害するなら、許されない」。これだけで、合憲、という結論に至っています。厳格審査や中間審査のような物差しは、出てきません。ここが、今日、いちばん実感してほしいところです。この規制、電柱に無断でビラを貼ることの禁止は、表現そのものを狙っていません。狙っているのは、他人の財産権・管理権の保護です。だから、審査は、緩やかになります。二つ目の判例も、見てみましょう。私鉄の駅の構内で、ビラを配った事件です。

私鉄駅構内ビラ配布事件の事案(A=ビラを配布・演説した4名/B=駅長)+Aが駅係員の許諾なくビラを配布・演説→Bが退去を要求→Aが応じず約20分間滞留→鉄道営業法・刑法130条後段(不退去罪)で処罰 図:私鉄駅構内ビラ配布事件の事案

  • A=ビラを配布・演説した4名
  • B=駅長
  • Aが駅係員の許諾なくビラを配布・演説→Bが退去を要求→Aが応じず約20分間滞留→鉄道営業法・刑法130条後段(不退去罪)で処罰

京王帝都、吉祥寺駅の構内で、乗降客に、ビラを配り、演説していた人たちがいました。駅長から、退去するよう求められましたが、応じず、約20分間、とどまりました。不退去罪、刑法百三十条後段が、適用されました。

条文刑法 130条

刑法 第百三十条 正当な理由がないのに、人の住居若しくは人の看守する邸宅、建造物若しくは艦船に侵入し、又は要求を受けたにもかかわらずこれらの場所から退去しなかった者は、三年以下の拘禁刑又は十万円以下の罰金に処する。

ここは、しっかり整理しましょう。前段が、住居侵入・邸宅侵入。後段が、不退去です。駅構内の事件は、退去しなかった、という話なので、後段——不退去罪です。

判例最判昭和59年12月18日(第三小法廷)

私鉄駅構内ビラ配布事件 「憲法二一条一項は、表現の自由を絶対無制限に保障したものではなく、公共の福祉のため必要かつ合理的な制限を是認するものであつて、たとえ思想を外部に発表するための手段であつても、その手段が他人の財産権、管理権を不当に害するごときものは許されない」

「表現の手段でも、他人の財産権・管理権を不当に害するなら、許されない」。まったく同じ論理で、不退去罪の適用も、合憲とされました。三つ目です。自衛隊の官舎に、ビラを配るために、立ち入った事件があります。自衛隊員の宿舎です。政治的な意見を書いたビラを配るために、各号棟の、共用部分に、管理する側の意思に反して、立ち入りました。

判例最判平成20年4月11日(第二小法廷)

自衛隊官舎ビラ配布事件 「確かに、表現の自由は、民主主義社会において特に重要な権利として尊重されなければならず、被告人らによるその政治的意見を記載したビラの配布は、表現の自由の行使ということができる。しかしながら、憲法21条1項も、表現の自由を絶対無制限に保障したものではなく、公共の福祉のため必要かつ合理的な制限を是認するものであって、たとえ思想を外部に発表するための手段であっても、その手段が他人の権利を不当に害するようなものは許されないというべきである」 「本件では、表現そのものを処罰することの憲法適合性が問われているのではなく、表現の手段すなわちビラの配布のために「人の看守する邸宅」に管理権者の承諾なく立ち入ったことを処罰することの憲法適合性が問われている」

人が管理している場所への立ち入りなので、前段——邸宅侵入罪、刑法百三十条前段です。三つの事件を、並べてみましょう。

ビラ貼り3判例の対応(電柱へのビラ貼り=軽犯罪法1条33号前段/私鉄駅構内でのビラ配り=刑法130条後段・不退去罪/自衛隊官舎への立ち入り=刑法130条前段・邸宅侵入罪)+いずれも規制の目的は財産権・管理権の保護(立川は私生活の平穏も) 図:ビラ貼り3判例の対応

  • 電柱へのビラ貼り=軽犯罪法1条33号前段
  • 私鉄駅構内でのビラ配り=刑法130条後段・不退去罪
  • 自衛隊官舎への立ち入り=刑法130条前段・邸宅侵入罪
  • いずれも規制の目的は財産権・管理権の保護(立川は私生活の平穏も)

一つ目、電柱へのビラ貼り。軽犯罪法一条三十三号、前段。二つ目、私鉄駅構内のビラ配り。刑法百三十条、後段——不退去罪。三つ目、自衛隊官舎への立ち入り。刑法百三十条、前段——邸宅侵入罪。三つとも、規制が狙っているのは、財産権や管理権の保護であって、表現そのものではありません。だから、間接的・付随的規制として、きわめて簡単な論証で、合憲とされました。もし、ビラの中身そのものを理由に禁止していたら、それはまったく別の話になります。さっきの官舎の判決も、「表現そのものを処罰することの憲法適合性が問われているのではない」と、わざわざ断っていました。

中身を理由にした規制なら、内容規制として、厳格審査に戻ります。この三つは、そこまでは判断していません。実は、そこは、学説からも、指摘されています。審査が緩やかにすぎる、という批判が、強くあります。さっき見たとおりです。目的が十分に重要か、手段が行き過ぎていないか——物差しを一つも当てないまま、合憲だ、と結論しています。ただし、ここは、正確に言葉を選びたいところです。間接的・付随的規制である以上、結論そのもの——合憲だという結論は、妥当だろう、という評価が、有力です。「判例は緩い。でも、間違っているとまでは言えない」。この、微妙な距離感を、覚えておいてください。

パブリック・フォーラム論

パブリック・フォーラム論の帰属(伊藤正己裁判官の補足意見・私鉄駅構内ビラ配布事件)+道路・公園・広場など一般公衆が自由に出入りできる場所は本来の利用目的を備えつつ表現の場としても役立つ+所有権・管理権の制約を受けつつも表現の自由への配慮が必要+通説も基本的に支持+法廷意見ではなく補足意見であることに注意 図:パブリック・フォーラム論の帰属

  • 伊藤正己裁判官の補足意見・私鉄駅構内ビラ配布事件
  • 道路・公園・広場など一般公衆が自由に出入りできる場所は本来の利用目的を備えつつ表現の場としても役立つ
  • 所有権・管理権の制約を受けつつも表現の自由への配慮が必要
  • 通説も基本的に支持
  • 法廷意見ではなく補足意見であることに注意

さて、いま見た、二つ目の判例——私鉄駅構内のビラ配りの事件、覚えていますか。実は、この事件には、もう一つ、論点があります。同じ判決のなかに、伊藤正己裁判官の補足意見として、もう一つ、大事な考え方が、示されています。法廷意見——裁判官全員一致の、判決そのものの結論とは、別のものです。一人の裁判官が、個人の見解として、付け加えた意見のことです。そこ、今日、いちばん正確に扱いたいところです。伊藤裁判官は、この補足意見で、パブリック・フォーラムという考え方を、示しました。

論文で書く規範:パブリック・フォーラム論 「一般公衆が自由に出入りできる場所は、それぞれその本来の利用目的を備えているが、それは同時に、表現のための場として役立つことが少なくない。道路、公園、広場などは、その例である。これを『パブリツク・フオーラム』と呼ぶことができよう。このパブリツク・フオーラムが表現の場所として用いられるときには、所有権や、本来の利用目的のための管理権に基づく制約を受けざるをえないとしても、その機能にかんがみ、表現の自由の保障を可能な限り配慮する必要があると考えられる。」 (最判昭和59年12月18日(第三小法廷・伊藤正己裁判官補足意見))

道路や公園のような場所は、通行や休憩という、本来の目的を持ちながら、同時に、表現の場としても、役立ちます。こうした場所を、パブリック・フォーラムと呼びます。この場所が、表現の場として使われるときは、所有権や、本来の目的のための管理権に基づく制約を、受けざるをえません。でも、その機能を考えれば、表現の自由への配慮が必要だ、という考え方です。そして、ここが、大事なところです。この考え方、通説も、基本的に支持しています。これを「判例が採用した考え方」と呼ぶのは誤りです。そこが、注意してほしいところです。この考え方が出てくるのは、補足意見だけです。法廷意見——判決そのものの、結論部分には、この言葉は、出てきません。

「補足意見が示し、通説も支持している考え方」、という言い方が、正確です。ここは、答案でも、帰属を、間違えないでください。

公立図書館と著作者の表現の自由

船橋市西図書館事件の事案(A=図書館司書/B=著作者ら/C=船橋市)+Aが特定団体への反感から著作者らの著書を含む合計107冊を独断で除籍・廃棄→B(著作者ら)が国家賠償を請求→最高裁はBの請求を認める方向で高裁に差し戻し 図:船橋市西図書館事件の事案

  • A=図書館司書
  • B=著作者ら
  • C=船橋市
  • Aが特定団体への反感から著作者らの著書を含む合計107冊を独断で除籍・廃棄→B(著作者ら)が国家賠償を請求→最高裁はBの請求を認める方向で高裁に差し戻し

もう一つ、パブリック・フォーラムに似た発想が、応用された場面を、見てみましょう。公立図書館です。直接そう呼ばれてはいませんが、似た発想が、使われています。ある事件を、紹介します。船橋市西図書館の、司書がいました。この司書は、ある団体とその関係者に対して、反感を持っていました。そして、独断で、その関係者の著書を含む、合計107冊を、除籍・廃棄しました。除籍の基準にも、あたっていなかったのに、です。本を書いた著作者たちが、船橋市に、損害賠償を求めました。最高裁は、まず、公立図書館の位置づけから、見ています。

判例最判平成17年7月14日(第一小法廷)

船橋市西図書館事件——公立図書館の位置づけ 「公立図書館は、住民に対して思想,意見その他の種々の情報を含む図書館資料を提供してその教養を高めること等を目的とする公的な場ということができる。」 「公立図書館が(略)住民に図書館資料を提供するための公的な場であるということは、そこで閲覧に供された図書の著作者にとって、その思想,意見等を公衆に伝達する公的な場でもあるということができる。」

ここ、「著作者」という言葉、正確に押さえておいてください。判旨——法律判断の部分は、一貫して「著作者」です。ここは、逐語で覚えるところなので、正確に。この位置づけを踏まえて、最高裁は、こう続けます。

判例最判平成17年7月14日(第一小法廷)

船橋市西図書館事件——人格的利益と国家賠償法上の違法 「公立図書館において、その著作物が閲覧に供されている著作者が有する上記利益は、法的保護に値する人格的利益であると解するのが相当であり、公立図書館の図書館職員である公務員が、図書の廃棄について、基本的な職務上の義務に反し、著作者又は著作物に対する独断的な評価個人的な好みによって不公正な取扱いをしたときは、当該図書の著作者の上記人格的利益を侵害するものとして国家賠償法上違法となるというべきである」

そして、職員が、独断的な評価や、個人的な好みで、不公正に扱ったら、国家賠償法上、違法になる。ここまでが、判旨です。「図書の廃棄について」という限定は、大事なところです。この判断は、具体的な行為に即しています。蔵書に加えるかどうかの判断——つまり、購入するかどうかや、閲覧させるかどうかの判断とは、場面が違います。この事件は、今日は、著作者の側からだけ、扱いました。読者の側——「知りたい情報にアクセスできる」という、知る権利の側面は、別の回で、正面から扱います。この事件、実際には、市が負けている部分——著作者側の請求が認められる方向で、高等裁判所に、差し戻されています。

今日の地図(保存版)

四つの軸の地図・完成版(①不明確か明確か/②事前か事後か/③内容規制か内容中立規制か/④直接的規制か間接的付随的規制か)+今日で全て埋まった 図:四つの軸の地図・完成版

  • ①不明確か明確か
  • ②事前か事後か
  • ③内容規制か内容中立規制か
  • ④直接的規制か間接的付随的規制か
  • 今日で全て埋まった

では、今日のまとめです。今日、はじめに示した地図を、思い出してください。①と②は、前回までで、終わっていました。今日、③と④を扱ったことで、四つとも、揃いました。今日の一問に、戻りましょう。「同じ表現の規制なのに、厳しく審査されるものと、緩めに審査されるものがある。分かれ目は、どこか」。一つ、何に着目しているか——内容そのものか、手段・方法か。もう一つ、何を狙っているか——人権行使の規制が目的か、それとも、効果にすぎないか。ただし、直接的規制のほうは、ひとくくりにできませんでした。そして、どちらの軸にも、共通する、大事な例外がありましたね。

ここを、今日、いちばん持ち帰ってほしいところです。そして、もう一つ。違憲審査の物差しをまとめて作った回で、宿題を一つ、預かっていましたね。今日、表現の自由については、その答えを返しました。何に着目した規制か、何を狙った規制か。そこから、使う物差しが決まります。今日で、規制する側の物差しは、全部、揃いました。次は、規制される側——知る権利から、見ていきます。楽しみにしていてください。

参照条文

  • 軽犯罪法 1条33号
  • 刑法 130条

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