公務員の政治活動——猿払と堀越、最高裁はどこで向きを変えたか
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第3章 人権各論 ㊶/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。
どこまで禁止されているのか——勤務時間外・職場の外・私人としての活動まで
図:選挙ポスターの境界ペア
- 隣人が貼っても何も起きないが、郵便局員が勤務時間外・私人として貼れば起訴される
- 行為は同一・違うのは身分だけという異常さ
では、本題に入ります。まず、体感してほしいことがあります。選挙のとき、支持する候補者のポスターを、自宅の前に貼ったとします。では、同じポスターを、郵便局に勤める職員が、勤務時間外に、私人として、貼ったとします。ところが、公務員がやると、起訴されることがあります。刑罰の対象になるんです。行為はまったく同じ。違うのは、身分だけです。まず、この異常さを、条文で確認しましょう。
条文国家公務員法102条1項
国家公務員法102条1項 職員は、政党又は政治的目的のために、寄附金その他の利益を求め、若しくは受領し、又は何らの方法を以てするを問わず、これらの行為に関与し、あるいは選挙権の行使を除く外、人事院規則で定める政治的行為をしてはならない。
そこが、この条文の作りの核心です。百二条一項は、政治的行為を禁止する、という骨組みだけを定めて、何が「政治的行為」に当たるかという中身は、人事院規則に委ねられています。行政機関が作る規則に、丸ごと委任している、ということです。国民の自由を制限する中身を、法律ではなく規則が決めている、という構造です。犯罪と刑罰の中身は、法律自身が定めておくべきだ、という要請があります。この要請と、緊張関係にあるんです。この緊張関係の中身は、行政法の分野で、別に深く問われる話になります。今日は、この構造がある、という事実だけ、押さえておいてください。
もう一つ、正確に見ておきたいことがあります。この条文、実は「選挙権の行使を除く外」という言葉が、入っています。投票行為は、この禁止の対象から、外れています。だから、「一律・全面禁止」と言い切ってしまうと、少しだけ、正確さを欠きます。それでも、投票以外の政治的な行為は、非常に広く、規則の対象に入ります。実際に、規則がどんな行為を挙げているか、見てみましょう。
図:人事院規則、十四の七が定める政治的行為の類型を自前で整理した一覧板
- 政治団体の結成・運営への関与
- 特定の政党や候補者のための人事・資金活動
- 文書図画の掲示・配布
- 署名運動の企画・主宰
- 政治的目的をもつ集会での演説
- 一つの規則の下に広い禁止の実体が並んでいるという構造
たとえば、政党を作ったり、その運営に関わったりすること。特定の政党や候補者のために、人を動かしたり、お金を集めたりすること。政治的な目的を持つ文書や図画を、掲示したり、配布したりすること。署名運動を企画したり、中心になって進めたりすること。政治的な目的を持つ集会で、演説をすること。たとえば、休日に、駅前で、特定の政党のためにビラを配る——これも、対象に入り得ます。しかも、これは職務の時間の内外を、問いません。私人としての行為も、含まれます。だから、勤務時間外に、私人として貼ったポスターでも、対象になり得るんです。
そして、これは刑罰の対象になります。
条文国家公務員法110条1項18号
国家公務員法110条1項18号(現行) 次の各号のいずれかに該当する者は、三年以下の拘禁刑又は百万円以下の罰金に処する。 十八 第百二条第一項に規定する政治的行為の制限に違反した者
行政上の注意や、処分ではありません。刑事罰です。ここまでの水準——勤務時間外・職場の外・私人としての活動にまで及び、しかも刑罰がつく——これは、他の人権が制限される場面とは、水準が違います。表現の自由の規制としては、普通なら、かなり厳しい目で見られるはずです。だからこそ、「なぜ公務員だと、ここまで制限できるのか」を——きちんと詰める必要があるんです。ここで、もう一つ、対比しておきたいことがあります。同じ「公務員」でも、地方公務員は、少し違います。
図:国家公務員と地方公務員の対比表
- 根拠条文=国公法102条1項
- 地公法36条・禁止の広さ=ほぼ同水準・違反の効果=国は刑罰あり、地方は懲戒処分のみ
- 同じ「公務員」でも刑罰の有無が分かれるという事実
地方公務員法三十六条も、政治的行為を制限しています。中身は、国家公務員と、かなり近いものです。ところが、違反したときの効果が、違うんです。地方公務員が違反しても、刑罰の規定はありません。効果は、戒告や減給、停職、免職といった、懲戒処分にとどまります。同じ「公務員」という言葉で括られていても、刑罰の有無が分かれる。そこは、はっきりした答えが出ている問いではありません。確かめられるのは、条文の作りです。国のほうには罰則があり、地方のほうには、この違反を処罰する規定が置かれていません。
ただ、はっきり言えるのは——「公務員だから刑罰」という説明では、この違いを説明できない、ということです。この事実だけでも、「公務員だから」という説明では、割り切れないことが見えてきます。そこを、次から見ていきます。
なぜそこまで制限できるのか、一つ目——全体の奉仕者説と、その背後に残っていたもの
図:全体の奉仕者説の骨子
- 根拠=憲法15条2項「全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」
- 公務員を一括りにして一律の制約を認める考え方
では、この強い制約は、何を根拠にしているんでしょうか。学説は、大きく三つの考え方を、たどってきました。今日は、その一つ目からです。最初の考え方は、全体の奉仕者説と呼ばれます。根拠は、憲法十五条二項です。
条文日本国憲法15条2項
日本国憲法15条2項 すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。
この考え方は、公務員を、一つの身分として、括ります。公務員である以上、特定の政党や候補者を応援する活動は、その中立性にそぐわない——だから、一律に制約してよい、という説明です。さっきの郵便局員に、当てはめてみましょう。勤務時間外に、私人として貼った、あのポスターです。この説では、「公務員だから」の一言で、制約してよい、ということになります。公務員という身分だけで、線が引かれます。
図:全体の奉仕者説の背後にあるもの
ただ、この説には、大きな難点があります。「全体の奉仕者」という言葉、抽象的すぎませんか。そして、公務員を、一つの身分として一括りにする——この発想。実は、以前に、一度出てきています。特別権力関係論——あの、否定されたはずの理論と、同じ構造です。思い出してください。あの理論には、三つの柱がありました。法律の根拠が無くても、人権を制限できる。広い範囲で、人権を制限できる。そして、裁判所の審査が、及ばない——この三つです。全部ではありません。ただ、「公務員だから」という一括りの理由づけだけで——広い制約を正当化してしまう発想そのものは、共通しています。
否定したはずの発想が、姿を変えて——公務員の政治活動の根拠づけの中に、まだ残っていたんです。これが、全体の奉仕者説の、いちばんの弱点です。だから、次の説が、この一括りを、やめようとします。
なぜそこまで制限できるのか、二つ目——職務の性質説
図:職務の性質説の自前具体例
- 同じ役所の中で、住民票を発行する窓口業務の職員と、政策の意思決定に関わる職員を対比
- 一括りをやめて職務の性質ごとに個別具体的に考える発想
二つ目の考え方は、職務の性質説です。公務員を一括りにするのをやめます。担当する職務の性質ごとに、個別に考えよう、という発想です。具体例で考えてみましょう。同じ役所の中でも——住民票を発行するだけの、窓口業務の職員がいます。そして、政策の意思決定に深く関わる職員も、いますよね。窓口業務の職員が、休日にどんな政治活動をしても——行政の中立性への影響は、小さいかもしれません。でも、政策決定に関わる職員が、特定の政党のために動けば、話は変わってきます。窓口業務の職員なら何をしても絶対に問題にならない、そこまでは、言えません。あくまで、職務の性質に応じて、程度の差が出てくる、という話です。窓口業務の職員でも、公務員という立場を強く利用すれば、話は変わります。
一括りをやめた点は、前進です。ただ、この説にも、難点があります。「職務の性質」という物差し、憲法のどこかに、書いてありますか。憲法上の根拠を持たない物差しで、人権を制約することになってしまうんです。一括りをやめた良さと、憲法上の根拠——この両方を、まだ両立できていません。
なぜそこまで制限できるのか、三つ目——憲法秩序の構成要素説
図:同じ十五条でも見ている項が違う、という謎かけ
- 全体の奉仕者説が使うのは第二項=公務員はどういう存在かを述べた項
- 三つ目の説が使うのは第一項=国民が公務員を選び罷免する=公務員という仕組みの存在を憲法が前提にしている
そこで、三つ目の考え方が出てきます。憲法秩序の構成要素説——現在の通説です。中身を見れば、そんなに難しくありません。この説は、こう考えます。憲法自身が、公務員という関係が存在することを、前提にしている、と。
条文日本国憲法15条1項
日本国憲法15条1項 公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。
条文日本国憲法73条柱書・4号
日本国憲法73条(柱書・第4号) 内閣は、他の一般行政事務の外、左の事務を行ふ。 (略) 四 法律の定める基準に従ひ、官吏に関する事務を掌理すること。
公務員の任免や、身分の取り扱いなど、公務員という制度そのものを、整えていく仕事です。十五条一項は、公務員を選び、やめさせるのは国民の権利だ、と定めています。選び、やめさせる相手がいる——公務員という仕組みが在ることが、前提になっています。七十三条四号は、内閣の仕事として、官吏に関する事務を掌理する、と定めています。憲法が、公務員関係とその自律性を、自ら予定している——ここに、根拠を求めるんです。奉仕者説が使ったのは、第二項——公務員はどういう存在か、を述べた項でした。この説が寄りかかっているのは、第一項のほうです。国民が公務員を選び、やめさせる。つまり「公務員という関係を、憲法が予定している」という根拠です。そして、その根拠のうえで——職務の性質説が持っていた「個別具体的に考える」という発想を、そのまま引き継ぎます。
憲法が、公務員関係と、その自律性を予定している以上——その関係が成り立つために必要な限度では、制約も正当化される。こう考えます。逆にいえば、正当化されるのは、その限度までです。さきほど並べた二つの立場で、考えてみましょう。政策の意思決定に深く関わる職員が、特定の政党のために動けば——行政の中立性は、直接ゆらぎます。住民票を発行する窓口業務の職員が、休日に同じことをしても、ゆらぎ方は小さい。だから、制約してよい範囲も、違ってきます。ここで、一度、以前の回を、思い出してください。国家と特別な関係に立つ人たちについて、こう教えましたね。
一括りの身分としてではなく、関係ごとに根拠と限度を個別に問い直す。今、まさにその形が、公務員の政治活動という場面で、実際に組み立てられたところです。ここで、三つの説を並べて、整理しておきましょう。
図:3説の乗り越え表
- 全体の奉仕者説=15条2項・一括りで一律の制約・難点=抽象的すぎ特別権力関係論の残影
- 職務の性質説=個別具体的・難点=憲法上の根拠なし
- 憲法秩序の構成要素説=15条1項・73条4号・両説の長所を両取り=通説
- 「難点」の列が次の説を生む連鎖
こうして見ると、三つの説は、ばらばらに並んでいるんじゃありません。前の説の難点を、次の説が一つずつ埋めていく——そういう連鎖に、なっているんです。
猿払事件——最高裁はまず「保障は及ぶ」と認めた
図:猿払事件の関係図
- A=北海道の郵便局に勤める郵政事務官・非管理職
- B=労働組合協議会・所属先の選挙管理
- C=検察・裁判所という一続きの線
- 勤務時間外に選挙ポスターを掲示・配布依頼→起訴→罰則規定の合憲性が争点
ここまでが、一つ目の筋——根拠の話でした。ここからは、二つ目の筋、道具の話に入ります。では、実際の判例を、見ていきましょう。まず、猿払事件です。ここで、以前の回で作った見分け方を、思い出してください。法律そのものが憲法に反するかを、あらかじめ立てた物差しで測るのが、目盛り。目の前の一つの処分や、条文の要件のあてはめを、その場で決めるのが、天秤でした。あの見分け方でいうと、ここは、目盛りを立てた側です。ただし、いちばん緩い目盛りを、立てました。では、事案です。北海道の郵便局に勤める、郵政事務官がいました。管理職ではありません。労働組合協議会の、事務局長も務めていました。衆議院議員選挙のとき、協議会の決定に従いました。支持する候補者の選挙用ポスターを、自ら公営掲示場に六枚掲示し、そのころ四回にわたって、合計およそ百八十四枚の掲示を、他の人に依頼しました。
しかも、これは勤務時間外の行為でした。この行為が、百二条一項と、人事院規則、十四の七に違反するとして、起訴されました。第一審は、無罪でした。労働組合活動の一環で、しかも機械的な労務にとどまる職務だから、と。控訴審も、無罪を維持しました。ところが、最高裁は、第一審・控訴審の判決を破棄して、自ら判決を下し——罰金五千円の有罪としました。しかも、この判決には、複数の裁判官による反対意見も、付いています。全員一致の結論では、ありませんでした。ここで、大事な順序があります。最高裁は、いきなり合憲と結論づけたわけではありません。まず、こう述べて、審査に入りました。
判例最大判昭和四十九年十一月六日(大法廷)
猿払事件——政治的行為への21条の保障 政治的行為は、行動としての面をもつほかに、政治的意見の表明としての面をも有するものであるから、その限りにおいて、憲法二一条による保障を受ける。
ここが、大事な順番です。「公務員の行為だから、保障の対象外」という切り方を、していません。まず保障が及ぶと認めたうえで、そのあとに、制約が許されるかどうかを、審査しています。取材源をめぐる事件を扱った回では、保障の対象に含まれるかどうかで、あっさり切られた場面がありました。猿払は、逆です。保障は及ぶと認めたうえで、審査に進みます。では、その審査で、最高裁は、どんな目盛りを立てたのか——次に見ていきましょう。
立てられた目盛りは、いちばん緩いものだった
図:猿払基準3要素とその緩さの注記
- 目的=正当と言えれば足りる
- 手段=一応のつながりがあれば足りる
- 均衡=得られる利益は失われる利益に比してさらに重要
- いちばん緩いダイヤルを当てた、という位置づけ
では、最高裁が立てた目盛りを、見ていきましょう。合憲性の判断は、三つの要素で行われました。一つ目は、禁止の目的が正当かどうか。二つ目は、目的と、禁止される行為との関連性。三つ目は、禁止によって得られる利益と、失われる利益との均衡です。
判例最大判昭和四十九年十一月六日(大法廷)
猿払事件——目的・関連性・均衡の三要素 合憲性は、三つの要素によって判断される。一つは、禁止の目的。二つは、目的と禁止される行為との関連性。三つは、禁止により得られる利益と失われる利益との均衡である。 目的については、「行政の中立的運営とこれに対する国民の信頼を確保する」ことにあるとし、正当と認めた。 均衡については、「得られる利益は、失われる利益に比してさらに重要なものというべき」とした。
実際に、この事件の事実に、当てはめてみましょう。目的は、行政の中立的運営と、国民の信頼の確保です。この目的自体は、正当と言えそうです。次に、手段です。一律・全面禁止という、かなり強い手段です。ですが、目的との間に、一応のつながりはある、と評価されました。最後に、均衡です。行政の中立性という利益は、この職員の政治活動の自由よりも、さらに重要だと評価されました。これが、実際のあてはめです。この「目的と手段の合理的関連性」という言葉、以前の回で、もう作りましたね。目的は、正当と言えれば足りる。手段は、一応のつながりがあれば足りる——合理性の基準です。三層の目盛りのうち、いちばん緩いダイヤルを、ここで当てたんです。
しかも、この「猿払基準」「合理的関連性の基準」という呼び方——実は、判決文が自分でそう名乗ったわけではありません。判決文は、三つの要素を、具体的に述べているだけです。この呼び方は、後から、学界が付けた名前です。中身を体感してみましょう。目的は、行政の中立性と、国民の信頼の確保——正当だと言えれば、それで足ります。手段は、一律・全面禁止という、かなり強い規制でも——目的との間に、一応のつながりがあれば、それで足ります。いちばん緩い目盛りを当てた時点で——一律・全面禁止という強い規制でも、合憲という結論に、たどり着いてしまうんです。
どんな規制でも合理性の基準を当てれば通る、そこまでは、言えません。目的そのものが正当と言えない場合や、手段が目的と全く無関係な場合は——さすがに合理性の基準でも、落ちます。ただ、今回のように、目的が正当で——手段に一応のつながりさえあれば、たとえ一律・全面禁止という強い規制でも——生き残ってしまう。ここが、緩さの実態です。では、なぜ、これほど緩い目盛りで済んでしまったのか——そこに、もう一つの仕掛けがあります。
「間接的・付随的」の謎解き——預かった宿題の払い戻し
図:猿払事件の「間接的・付随的」という言葉の同音異義
- 最高裁の用法=ねらい〔目的〕だけで線を引く
- 学説の用法=主軸はねらいだが、規制される行為の大半が表現行為なら実質で見て直接的規制として上書きする
- 以前の回で預けた宿題を、今日払い戻すという整理
ここで、以前の回に、預けていた宿題を、払い戻します。以前の回で、猿払事件の「間接的・付随的」という言葉を、同音異義の罠として扱いましたね。理由の説明は、公務員の政治活動を正面から扱う回に預ける、と言っていました。今日が、その回です。最高裁は、こう述べています。
判例最大判昭和四十九年十一月六日(大法廷)
猿払事件——間接的、付随的な制約 意見表明そのものの制約をねらいとしてではなく、その行動のもたらす弊害の防止をねらいとして禁止するときは……単に行動の禁止に伴う限度での間接的、付随的な制約に過ぎず……。
この禁止は、政治的な意見の表明そのものを、狙ったものではない。行動がもたらす弊害を防ぐことを、狙ったものだ——と述べているんです。最高裁は、ねらい(目的)で、線を引いています。具体例で、考えてみましょう。夜十時以降の騒音を禁止する条例が、あったとします。この条例は、政治的な演説を、狙って作られたものではありません。でも、深夜に街頭演説をする人にも、結果として、及びます。これが、ねらいで見る、という発想です。対象で見れば、演説という表現行為に、規制が及んでいる、と言えてしまいますが。一方、学説の分け方は、以前の回で作りました。主軸は、その規制が何を狙っているか——ねらいのほうです。ただし、学説には、もう一つ、上書きのルールがあります。形の上では別の行動を狙った規制でも、規制される行為の大半が表現行為なら——実質を見て、直接的規制として扱う。この上書きです。
判例は、ねらいだけで「間接的・付随的」と言い切ります。学説には、そのあとに実質で見直す上書きがある。同じ言葉なのに、届く範囲が違う。だから、同音異義なんです。
⭐ 論文で書く規範:「間接的・付随的」というひとつの言葉、ふたつの意味 最高裁が猿払事件で言う「間接的、付随的な制約」は、規制のねらい(目的)に着目した言い方である。政治的意見の表明そのものを封じることをねらったのではなく、行動のもたらす弊害を防ぐことをねらった結果、意見表明にも制約が及んでしまう——この「ねらいの外にある効果」を指して、間接的・付随的と呼んでいる。 学説の分け方も、主軸は規制の目的(何を狙っているか)である。人権行使の規制それ自体を直接の目的とすれば直接的規制、別の目的の規制がたまたま表現に及んだだけなら間接的・付随的規制。ただし学説には実質で見る上書きがあり、形の上では間接的でも、規制される行為の大半が表現行為であれば直接的規制として扱う。猿払の一律禁止はこの上書きに当たるのではないか——これが学説の見方であり、ねらいだけで「間接的・付随的」と言い切る判例とは、同じ言葉でも届く範囲が違う。 (整理(判例はねらいで止まり、学説は実質で上書きする))
そして、もう一段、大事な接続があります。「間接的・付随的だ」と言えれば、審査は緩くてよい、という発想です。「表現そのものを狙っていない」という一段があるからこそ——さっきの三つの要素が、効いてくるんです。
学説の反撃——直接的規制ではないか・なぜいちばん下の段を当てたのか
図:学説からの二つの批判
- ①この規制は本当に間接的・付随的なのか、直接的規制ではないか
- ②表現の自由の規制である以上、いちばん緩い合理性の基準ではなく中間審査基準を使うべきではないか
この判断には、学説から、強い批判があります。二つ、見ておきましょう。一つ目は、さっきの謎解きの裏返しです。この規制は、本当に「間接的・付随的」なんでしょうか。学説の物差しで見れば、政治的な表現行為そのものを、広く対象にしています。直接的規制にあたるのではないか、という批判です。二つ目は、審査の厳しさそのものへの批判です。表現の自由の規制である以上——いちばん緩い合理性の基準ではなく——中間審査基準を使うべきではないか、というものです。おそらく、もっと制限的でない手段が、あると判断されます。たとえば、職務との関連性が強い行為だけに絞る、といった方法です。全面禁止のままでは、通らない可能性があります。
表現の自由という、重い人権を制約する以上——真ん中の段——以前の回で作った、もっと制限の少ない手段があるなら——そちらを、というLRAの基準です。それを、使うべきだったのではないか。ここまでが、猿払事件をめぐる、学説からの反撃です。
堀越事件——条文の読み方を絞って、結論が変わった
図:堀越事件の関係図
- A=社会保険庁の年金審査官・非管理職
- B=居住地周辺の他人の住居・郵便受け
- C=検察・裁判所という一続きの線
- 休日に政党機関紙等を投函配布→起訴→限定解釈により無罪、猿払と同じ配置で構造の同一性を示す
では、次に、堀越事件を見ていきます。今日、最高裁の向きが変わる場面です。まず、あの見分け方の続きを、確認しておきます。猿払は、目盛りを立てました。堀越は、目盛りを立てず、よど号事件で使われた天秤の枠組みに、載せました。あのときの、天秤の枠組みが、ここでも使われます。ただ、その前に、一つだけ、整理しておきたいことがあります。以前作った、目盛りと天秤の見分け方は、原則の整理でした。判例が必ずそう動く、という保証ではありません。堀越がしたことは、二つあります。条文の要件を絞り込むことと、罰則規定そのものが合憲かを測ることです。前のほうは、見分け方どおりです。条文の要件のあてはめですから、天秤の側の場面です。例外は、後のほう——法律そのものを測る場面なのに、目盛りを立てず、天秤で決めました。だから、ここが「向きが変わった」と言われるんです。
では、事案から見ていきましょう。被告人は、社会保険庁の、ある社会保険事務所に、年金審査官として勤めていた、厚生労働事務官でした。非管理職です。年金の支給を決める権限も、保険料を徴収する権限もありません。相談業務だけを、担当していました。この人が、日本共産党を支持する目的で、休日に、勤務先や職務とは関わりなく、自分が住む地域の、他人の住居や事務所の郵便受けに、同党の機関紙などを、投函しました。公務員であることは、明らかにしていません。以前ふれたときの「ビラを配った」は、ざっくりした言い方でした。正確には、政党の機関紙などを、郵便受けに投函した行為です。判決が使う呼び方でいうと、「機関紙等の配布行為」——これが、正確な言い方です。この行為が、百二条一項に違反するとして、起訴されました。第一審は、有罪でした。罰金十万円、執行猶予二年です。ところが、控訴審は、原判決を破棄して、無罪としました。
そして、検察官が上告しましたが、最高裁は上告を棄却——無罪が維持されました。ここで、少し、予想してみてください。天秤にかけるとして、最高裁は、どんな絞り方をすると思いますか。実際に、確認してみましょう。ここからの最高裁の判断は、大きく二つに分かれます。禁止される「政治的行為」の意味を絞り込むほうと、その規定が合憲かどうかを測るほうです。まず、意味を絞り込むほうから。最高裁は、禁止される「政治的行為」を、こう絞り込みました。
判例最判平成24年12月7日(第二小法廷)
堀越事件——限定解釈の定式 (国家公務員法にいう)政治的行為とは、公務員の職務の遂行の政治的中立性を損なうおそれが、観念的なものにとどまらず、現実的に起こり得るものとして実質的に認められるものを指す。
まず、観念的な——つまり、頭の中だけの、抽象的なおそれでは足りません。そのうえで、現実に起こり得ると、実質的に認められることが、必要です。抽象的な心配だけでは足りません。具体的な事情のもとで、放置できない程度の危険が必要。よど号事件の「相当の蓋然性」という絞り方と、同じ形です。では、合憲かどうかを測るほうです。この限定解釈のうえで——最高裁は、合憲性そのものの判断枠組みを、示しています。
判例最判平成24年12月7日(第二小法廷)
堀越事件——合憲性の判断枠組み 規制が必要かつ合理的なものとして是認されるかどうかは、本件罰則規定の目的のために規制が必要とされる程度と、規制される自由の内容及び性質、具体的な規制の態様及び程度等を較量して決せられるべきものである。
これは、比較して、釣り合いを見る、という意味です。規制がどれだけ必要か、という程度と——制限される自由の中身・性質、規制のやり方や程度。これらを、その場で天秤にかけて、決めています。目盛りを、あらかじめ固定するのではなく、その場で、天秤にかけて決めています。実際に、この事件で、何が量られたのか、見てみましょう。規制の必要性——本件被告人は、非管理職で、権限もありません。しかも、休日に、職務とは関わりなく、目立たない形で投函しています。行政の中立性が損なわれる具体的な危険は、小さいと評価されました。
規制される自由の内容も、考慮されます。政治的な意見を、私人として伝える行為ですから、軽いものでは、ありません。天秤にかけた結果——この被告人については、規制の必要性が、自由の重みに、負けたんです。
図:堀越事件の結論の二段構え
- ①限定解釈された「政治的行為」を前提にすれば罰則規定自体は合憲
- ②本件被告人の行為はその「政治的行為」に当たらない、だから無罪
- 条文を違憲にしたのではなく射程を絞っただけ、という整理
では、この枠組みで、最高裁は、どんな結論に至ったのか。ここが、崩してはいけない、二段構えです。一つ目。限定解釈された「政治的行為」を前提にすれば、罰則規定そのものは、合憲です。目的は正当で、対象は、実質的なおそれのある行為に限られています。必要やむを得ない限度に、とどまっている、と。二つ目。しかし、この被告人の行為は、その絞られた「政治的行為」には当たらない——だから、無罪です。ここを、絶対に取り違えないでください。「堀越で、公務員の政治活動が自由になった」わけではありません。罰則規定は、生きたままです。絞られた範囲に当たれば、今でも、処罰されます。
道具が入れ替わった——猿払と堀越を横に並べる
図:猿払と堀越の4行対比板
- 誰が=猿払は非管理職の郵便局員・堀越は非管理職の年金審査官
- 何をして=猿払は選挙ポスターの掲示と配布依頼・堀越は政党機関紙等の投函
- どの道具で測って=猿払は猿払基準と間接的付随的制約論・堀越は限定解釈とよど号の較量枠組み
- どうなったか=猿払は有罪・堀越は無罪〔罰則規定自体は合憲〕
- 道具の欄だけが入れ替わっている
ここで、猿払と堀越を、横に並べてみましょう。行為の形も、そう遠くありません。ポスターの掲示・配布か、機関紙の投函か、という違いはありますが。猿払は、猿払基準——目的・関連性・均衡という目盛りを使いました。そして、間接的・付随的制約論も、使いました。堀越は、その道具を、使いませんでした。限定解釈と、よど号の天秤の枠組みに、持ち替えたんです。しかも、堀越判決の全文を通しで見ても、「間接的」も「付随的」も、一度も出てきません。使わなかった、というのは、事実として確認できています。ここで、もう一つだけ、確認しておきたい事件があります。堀越事件と、同じ日、同じ枠組みで、判断されたもう一つの事件です。そちらの被告人は、管理職的な地位にありました。結論は——有罪でした。
管理職的な地位にあれば、行政の中立性が損なわれる危険は、大きく評価されます。堀越のケースより、危険が大きい、ということです。部下を指揮する立場にある人が、政治的な行動を取れば、影響は、それだけ大きくなるからです。身分によって、規制の必要性の評価が変わる——これが、二つの事件を分けた理由です。堀越の限定解釈は、公務員の政治活動を、全面的に解禁したわけではありません。身分や、地位によって、結論は今も分かれます。ここを、押さえておいてください。では、最後に、いちばん深いところに、入ります。なぜ、「実質的」な判例変更、としか言えないんでしょうか。
最高裁自身は、堀越判決の中で、「判例を変更する」とは、一言も述べていません。学説のほうが、実質的には変更だ、と読んでいるだけなんです。ここに、手がかりがあります。猿払は、大法廷の判決。堀越は、第二小法廷の判決です。
図:大法廷と小法廷
- 猿払=大法廷判決
- 堀越=第二小法廷判決
- 判例を変更するには大法廷によらなければならない、という決まり
条文裁判所法10条3号
裁判所法10条3号 事件を大法廷又は小法廷のいずれで取り扱うかについては、最高裁判所の定めるところによる。但し、左の場合においては、小法廷では裁判をすることができない。 (略) 三 憲法その他の法令の解釈適用について、意見が前に最高裁判所のした裁判に反するとき。
判例を変更するには、大法廷によらなければなりません。堀越は、第二小法廷の判決です。小法廷である以上、形式的には、判例を変更することはできません。「実質的」は、あいまいな言葉じゃありません。大法廷・小法廷という、審理の形式的な枠組みから——出てくる言葉なんです。そして、もう一つだけ、正確に押さえておきたいことがあります。堀越判決には、千葉勝美裁判官の補足意見があります。そこでは、猿払判決との整合性が、論じられています。補足意見の位置づけは、正確に押さえる必要があります。補足意見は、法廷意見ではありません。裁判所そのものの判断ではないんです。
ここまで整理しておきましょう。
⭐ 論文で書く規範:なぜ「実質的」としか言えないのか 最高裁自身は、堀越判決で「判例を変更する」とは述べていない。判例の変更は、憲法その他の法令の解釈適用について前の最高裁の裁判と意見が反するとき、大法廷でなければ行うことができない(裁判所法10条3号)。猿払事件は大法廷判決、堀越事件は第二小法廷の判決である。小法廷である以上、形式的には判例を変更することはできない——だから、学説は「実質的な判例変更」としか言えない。 なお、堀越判決には千葉勝美裁判官の補足意見があり、猿払判決との整合性を説く。ただし補足意見は法廷意見ではなく、裁判所の判断そのものではない。 (整理(大法廷・小法廷と補足意見の位置づけ))
呪文のように暗記する言葉じゃなく、理由まで、たどり着けましたね。ここで、今日の一問の後半に、答えが出ました。最高裁が向きを変えたのは、条文を書き換えたところではありません。同じ罰則規定のまま、測る道具を持ち替えた——ここです。
今日の地図(保存版)
図:今日の1問への回答
- 公務員だと処罰されるのは憲法秩序の構成要素説が根拠
- 最高裁は猿払の目盛りから堀越の限定解釈と天秤の枠組みへ道具を持ち替えた
- 次への橋(この基準は他のどこまで広がっていたのか)
では、今日の一問に、戻りましょう。同じ行為でも、公務員だと処罰されるのは、なぜか。憲法自身が、公務員という関係と、その自律性を、予定しているからです。そこから、制約の根拠が出てきます。憲法秩序の構成要素説でしたね。そして、もう一つの問い。最高裁は、どこで向きを変えたのか。目盛りを使った猿払から、条文の読み方を絞る堀越へ——最高裁は、道具を、持ち替えたんです。今日、立てた地図を、確認しておきましょう。全体の奉仕者説から、職務の性質説、そして憲法秩序の構成要素説へ——根拠は、乗り越えの連鎖でした。猿払の目盛りから、堀越の限定解釈と天秤の枠組みへ——道具も、持ち替わりました。
公務員では、この猿払基準が使われ、そして、やがて使われなくなりました。ではこの基準は、他のどこまで広がっていたのか。楽しみにしていてください。
参照条文
- 国家公務員法102条1項
- 国家公務員法110条1項18号
- 日本国憲法15条2項
- 日本国憲法15条1項
- 日本国憲法73条柱書・4号
- 裁判所法10条3号