憲法ゼロから憲法#42

裁判官の表現の自由と選挙運動の自由——あの物差しは、どこまで歩いて行ったのか

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第3章 人権各論 ㊷/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

裁判官は、なぜ「特別の中の特別」なのか

憲法76条3項の文言(すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される)から、外見上も中立・公正を害さないという要請へ降りる道筋 図:憲法76条3項の文言

  • すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される
  • から、外見上も中立・公正を害さないという要請へ降りる道筋

まずは、裁判官から見ていきます。公務員の中でも、裁判官は「特別の中の特別」と言われます。そこで止めてしまうと、暗記になります。なぜ厳しくなるのかを、条文から降ろしましょう。出発点は、憲法七十六条三項です。裁判官は、良心に従って独立して職権を行い、憲法と法律にのみ拘束される。ここでいう独立は、誰からも指図されない、という意味です。内閣からも、国会からも、上司にあたる裁判官からもです。ただ、ここから先が、今日の勘所です。独立が求められるからこそ、最高裁は、もう一段、要求します。外見上も、中立・公正を害さないように、自律・自制すべきだ、と。

判例最大決平成10年12月1日(大法廷)

寺西判事補事件——外見上も、中立・公正を害さない ……裁判官は、独立して中立・公正な立場に立ってその職務を行わなければならないのであるが、外見上も中立・公正を害さないように自律、自制すべきことが要請される。司法に対する国民の信頼は、具体的な裁判の内容の公正、裁判運営の適正はもとより当然のこととして、外見的にも中立・公正な裁判官の態度によって支えられるからである。 ……身分を保障され政治的責任を負わない裁判官が政治の方向に影響を与えるような行動に及ぶことは、右のような意味において裁判の存立する基礎を崩し、裁判官の中立・公正に対する国民の信頼を揺るがすばかりでなく、立法権や行政権に対する不当な干渉、侵害にもつながることになるということができる……。

そこ、引っかかりますよね。具体例で考えてみましょう。ある法案に反対する運動の集会に、裁判官が出ていたとします。後日、その法案に関わる事件で、その裁判官が判決を書きます。負けた側は、判決の中身を読む前に、そう思ってしまう。判断が実際に歪んでいたかどうかとは、別のところで、信頼が落ちます。そして最高裁は、そこからもう一段、踏み込みます。

信頼が失われると何が起きるか(判決が受け入れられるのは、最後は裁判への信頼があるから/信頼が崩れると「裁判の存立する基礎」が崩れる)+裁判官は違憲立法審査権を持ち、立法府や行政府の行為の適否を判断する権限を持つから特に要請が強い 図:信頼が失われると何が起きるか

  • 判決が受け入れられるのは、最後は裁判への信頼があるから
  • 信頼が崩れると「裁判の存立する基礎」が崩れる
  • 裁判官は違憲立法審査権を持ち、立法府や行政府の行為の適否を判断する権限を持つから特に要請が強い

判決には、強制力があります。でも、その強制力を最後に支えているのは、国民が裁判を受け入れていることです。信頼が崩れれば、判決という仕組みそのものが、機能しなくなる。最高裁は、これを「裁判の存立する基礎を崩す」と表現しています。強いです。そして、もう一つ、理由が挙げられています。裁判官は、違憲立法審査権を持っています。法律や処分が憲法に適合するかどうかを、審査できる立場です。行政事件や国家賠償の事件も扱い、立法府や行政府の行為の適否を判断します。その裁判官が、政治の方向に影響を与える行動に出れば——立法権や行政権への、不当な干渉にもなりかねません。

判例最大決平成10年12月1日(大法廷)

寺西判事補事件——裁判官への要請は、なぜ特に強いのか(決定の二か所から) ……現行憲法下における我が国の裁判官は、違憲立法審査権を有し、法令や処分の憲法適合性を審査することができ、また、行政事件や国家賠償請求事件などを取り扱い、立法府や行政府の行為の適否を判断する権限を有しているのであるから、特にその要請が強い……。 ……右目的の重要性及び裁判官は単独で又は合議体の一員として司法権を行使する主体であることにかんがみれば、裁判官に対する政治運動禁止の要請は、一般職の国家公務員に対する政治的行為禁止の要請より強いものというべきである。

そこが結論です。前回見た公務員より、さらに強い要請が働きます。理由も、二つ挙げられています。一つは、今言った、目的そのものの重要性です。もう一つは、裁判官が、単独で、または合議体の一員として——司法権を行使する主体である、ということです。ここで、ずっと前の回に作った道具を、思い出してください。国家と特別な関係に立つ人については、一括りの身分として扱うのをやめて——関係ごとに、根拠と限度を個別に問い直す、という話でした。今、同じことを、裁判官という関係について、やっています。根拠のほうは、いま見たとおりです。では、限度のほうは、どうなっているか。ここに、意外な捻れがあります。

禁止はいちばん強いのに、制裁はいちばん軽い

三段の対比表(国家公務員=国公法102条1項と人事院規則・禁止行為は限定列挙・違反は懲戒に加えて刑罰/地方公務員=地公法36条・ほぼ同水準の禁止・刑罰なし懲戒処分のみ/裁判官=裁判所法52条1号・列挙なしの一行・刑罰なし、制裁は分限裁判の懲戒だけ) 図:三段の対比表

  • 国家公務員=国公法102条1項と人事院規則・禁止行為は限定列挙・違反は懲戒に加えて刑罰
  • 地方公務員=地公法36条・ほぼ同水準の禁止・刑罰なし懲戒処分のみ
  • 裁判官=裁判所法52条1号・列挙なしの一行・刑罰なし、制裁は分限裁判の懲戒だけ

前回、国家公務員と地方公務員を、並べましたね。今日は、そこに三段目を足します。裁判官です。裁判官の政治運動を禁じているのは、裁判所法五十二条一号です。そして、この禁止に、罰則はありません。ありません。裁判所法を通しで見ても、五十二条違反を処罰する規定は、置かれていません。では、違反したら何が起きるのか。分限裁判という手続で、懲戒されます。裁判官の身分について、裁判所が、裁判の形で決める手続です。そこで科される懲戒の中身が、これです。

条文裁判官分限法2条

裁判官分限法2条 裁判官の懲戒は、戒告又は一万円以下の過料とする。

それだけです。減給も、停職も、免職も、ありません。違います。過料は、刑罰ではありません。前科もつきません。だから、さっき言った、罰則はありません、という話と、矛盾しないんです。そこに引っかかれたなら、今日の半分は取れています。禁止はいちばん強く、制裁はいちばん軽い。これが、三段目に出てくる捻れです。

捻れの答え(国公法と人事院規則が禁止行為を限定列挙しているのは、違反が刑罰の対象にもなるため、懲戒権者の恣意的な解釈運用を排する必要があるから/裁判所法52条1号に列挙が無いのは、強い身分保障の下で懲戒は裁判によってのみ行われ、しかも刑罰を科する規定が設けられていないから) 図:捻れの答え

  • 国公法と人事院規則が禁止行為を限定列挙しているのは、違反が刑罰の対象にもなるため、懲戒権者の恣意的な解釈運用を排する必要があるから
  • 裁判所法52条1号に列挙が無いのは、強い身分保障の下で懲戒は裁判によってのみ行われ、しかも刑罰を科する規定が設けられていないから

矛盾に見えますよね。でも、決定の文章そのものが、答えを書いています。まず、国家公務員のほうを見てください。前回見たとおり、禁止される政治的行為は、人事院規則が細かく並べていました。なぜ、あそこまで細かく並べてあるのか。理由があります。違反が、懲戒だけでなく、刑罰の対象にもなるからです。処分する側の、恣意的な解釈や運用を防ぐために、あえて限定列挙にしてある。では、裁判官のほうを見てください。裁判所法五十二条一号は、「積極的に政治運動をすること」とだけ書いています。なぜ列挙しなくてよいのか。決定は、二つ挙げています。一つは、裁判官には強い身分保障があり、懲戒は裁判によってのみ行われること。もう一つは、違反行為に刑罰を科する規定が、置かれていないことです。

懲戒するには、裁判所が、裁判の形で判断しなければなりません。しかも、その先に刑罰はありません。だから、恣意的な運用で表現の自由が事実上狭められる事態は、考えにくい。捻れは、矛盾ではありません。噛み合っているんです。この一段は、あとでもう一度、効いてきます。覚えておいてください。なお、身分保障のほうには、憲法七十八条という条文があります。裁判官の懲戒処分は、行政機関が行うことはできない、と定めています。身分保障そのものは、裁判所の仕組みを扱う回で、正面から見ます。

寺西判事補事件——これは、刑事事件ではない

寺西判事補事件の関係図(A=仙台地方裁判所の判事補/B=法案に反対する運動を担う団体の集会実行委員会/C=Aが所属する裁判所の所長/D=仙台高等裁判所の分限裁判/BがAにパネリストとしての参加を依頼し、Aが承諾、Bが事前にビラとネット告知でAの参加を広く周知、CがAに警告、Aは当日パネリスト席ではなく一般参加者席から発言、Dが戒告、最高裁大法廷が抗告棄却) 図:寺西判事補事件の関係図

  • A=仙台地方裁判所の判事補
  • B=法案に反対する運動を担う団体の集会実行委員会
  • C=Aが所属する裁判所の所長
  • D=仙台高等裁判所の分限裁判
  • BがAにパネリストとしての参加を依頼し、Aが承諾、Bが事前にビラとネット告知でAの参加を広く周知、CがAに警告、Aは当日パネリスト席ではなく一般参加者席から発言、Dが戒告、最高裁大法廷が抗告棄却

では、一つ目の事件です。寺西判事補事件を見ていきましょう。舞台は、仙台です。Aは、仙台地方裁判所と家庭裁判所の判事補で、簡易裁判所の判事も兼ねていました。この人は、その前の年に、新聞に投書をしています。裁判官であることを明らかにしたうえで、令状審査の実態を批判する内容でした。翌年、三つの法案が、国会にかかっていました。組織的な犯罪を処罰する法案、通信を傍受する法案、刑事訴訟法の一部改正案です。この法案に反対する運動を担う団体が、Bとして、集会を企画しました。Aは、その集会のパネリストとして参加することを、いったん承諾します。そして、Aが参加することを知らせるビラと、ネット上の告知が、事前に広く配られました。

ここで、集会の九日前に、動きがあります。Aが所属する裁判所の所長、Cが、そのビラを示して、事実を確認しました。そのときAは、懲戒もあり得るというなら再考する、と述べています。そして集会の当日、Aは、パネリストの席には座りませんでした。ただ、パネルディスカッションの直前に——会場の、一般参加者の席から、数分間、発言しました。判事補であることを明らかにしたうえで、こういう趣旨のことを述べます。当初はパネリストとして参加する予定だった。しかし、事前に所長から懲戒処分もあり得るとの警告を受けたので、参加は取りやめた。仮に法案に反対の立場で発言しても、積極的な政治運動に当たるとは考えないが——パネリストとしての発言は辞退する。こう述べたんです。

よく読めましたね。反対だ、とは言っていません。ところが、最高裁は、この発言を、こう評価しました。参加者に対して、法案には令状主義に照らして問題があり——廃案を求めることは正当だ、という意見を伝えたものだ、と。そして、廃案を求める運動を、支援し推進する役割を果たした、と評価しました。そう読まれました。そしてこの行為が、五十二条一号に当たるとされます。

条文裁判所法52条柱書・1号

裁判所法52条(柱書・第1号) 裁判官は、在任中、左の行為をすることができない。 一 国会若しくは地方公共団体の議会の議員となり、又は積極的に政治運動をすること。 (略)

ちなみに、この条文の見出しは、政治運動等の禁止、です。柱書の「左の行為」という言い方、少し不思議に見えませんか。もともと縦書きを前提にした言い回しで、今でいう「次に掲げる行為」のことです。古い法律には、こういう言い方が、そのまま残っています。手続の流れも、確認しておきましょう。まず、仙台高等裁判所が、分限裁判で、Aを戒告としました。Aは、これを不服として即時抗告し、最高裁が判断することになります。結論は、抗告棄却。戒告が、そのまま確定しました。

刑事事件と分限裁判の弁別(前回の猿払・堀越=刑事事件・起訴されて有罪か無罪かが争われ、罰金や拘禁刑が問題になる/今回の裁判官の二件=分限裁判・懲戒であって、起訴も有罪もなく、制裁は戒告か過料にとどまる) 図:刑事事件と分限裁判の弁別

  • 前回の猿払・堀越=刑事事件・起訴されて有罪か無罪かが争われ、罰金や拘禁刑が問題になる
  • 今回の裁判官の二件=分限裁判・懲戒であって、起訴も有罪もなく、制裁は戒告か過料にとどまる

そこが、いちばん取り違えやすいところです。前回の二つの事件は、刑事事件でした。起訴されて、有罪か無罪かが争われました。今日の裁判官の事件は、刑事事件ではありません。起訴もされていませんし、有罪とされたわけでもありません。同じ物差しが使われても、当たっている先が違います。ここは、混ぜないでください。もう一つ、押さえておきましょう。この決定には、反対意見が付いています。十五人の裁判官のうち、五人が反対しました。最高裁の中でも、割れた事件でした。反対意見の一つは、この事件を「限界事例」と呼んでいます。多数意見の評価は、いわばぎりぎりの解釈による、とも述べています。ただし、これは法廷意見ではありません。裁判所そのものの判断ではない点は、正確に。

寺西の判旨——同じ三つの要素が、そのまま出てくる

寺西決定のあてはめ(一つ目の目的=裁判官の独立と中立・公正の確保/裁判に対する国民の信頼の維持/三権分立の下での司法と立法・行政のあるべき関係の規律=もとより正当/二つ目の関連性=明らかである/三つ目の均衡=単に行動の禁止に伴う限度での間接的、付随的な制約にすぎず、得られる利益は失われる利益に比して更に重要) 図:寺西決定のあてはめ

  • 一つ目の目的=裁判官の独立と中立・公正の確保
  • 裁判に対する国民の信頼の維持
  • 三権分立の下での司法と立法・行政のあるべき関係の規律=もとより正当
  • 二つ目の関連性=明らかである
  • 三つ目の均衡=単に行動の禁止に伴う限度での間接的、付随的な制約にすぎず、得られる利益は失われる利益に比して更に重要

では、最高裁が使った物差しを、見ていきましょう。先に、一つだけ言っておきます。この決定の全文に、「猿払」という言葉は、一度も出てきません。出てきません。あの判決を、事件番号で引いているだけです。前回、あの呼び方は、後から学界が付けた名前だ、と言いましたね。ですから、正確にはこう言います。同じ三つの要素が、そのまま出てくる、と。

判例最大決平成10年12月1日(大法廷)

寺西判事補事件——同じ三つの要素と、文言の明確性 ……右の禁止の目的が正当であって、その目的と禁止との間に合理的関連性があり、禁止により得られる利益と失われる利益との均衡を失するものでないなら、憲法二一条一項に違反しないというべきである。 目的については、裁判官の独立及び中立・公正の確保、裁判に対する国民の信頼の維持、三権分立の下での司法と立法・行政のあるべき関係の規律にあるとして「もとより正当」とし、関連性は「明らかである」とした。均衡については、「単に行動の禁止に伴う限度での間接的、付随的な制約にすぎず」、得られる利益は失われる利益に比して「更に重要」なものというべきであるとした。 「積極的に政治運動をすること」という文言が文面上不明確であるともいえないことは、前記1に示したところから明らかである。

一つ目は、禁止の目的が正当かどうか。二つ目は、目的と禁止との間の、合理的関連性。三つ目は、禁止によって得られる利益と、失われる利益との均衡です。あてはめも、見ておきましょう。目的は、三つ挙げられています。裁判官の独立と、中立・公正の確保。裁判に対する国民の信頼の維持。そして、三権分立の下での、司法と立法・行政のあるべき関係の規律です。これを、もとより正当だ、としました。関連性のほうは、明らかである、の一言です。済んでいます。そして、均衡のところに、あの言葉が出てきます。単に行動の禁止に伴う限度での、間接的、付随的な制約にすぎない、と。

ねらいで線を引く、あの論法が、ここでも同じ形で出てきます。そのうえで、得られる利益は、失われる利益に比して更に重要だ、としました。通りました。ここまでは、前回の形と、そっくりです。

明確性の争点が、ここで一緒に処理されている(「積極的に政治運動をすること」は文面上不明確であるともいえない/判文が先に定義を与えている=組織的、計画的又は継続的な政治上の活動を能動的に行う行為であって、裁判官の独立及び中立・公正を害するおそれがあるもの/該当性は行為の内容・経緯・場所などの客観的な事情のほか、その裁判官の意図等の主観的な事情も総合して決する) 図:明確性の争点が、ここで一緒に処理されている

  • 「積極的に政治運動をすること」は文面上不明確であるともいえない
  • 判文が先に定義を与えている=組織的、計画的又は継続的な政治上の活動を能動的に行う行為であって、裁判官の独立及び中立・公正を害するおそれがあるもの
  • 該当性は行為の内容・経緯・場所などの客観的な事情のほか、その裁判官の意図等の主観的な事情も総合して決する

ここで、もう一つの争点が、一緒に処理されています。「積極的に政治運動をすること」という文言は、曖昧すぎないか、という争点です。不明確な規定は、それ自体で問題になる、というあの話です。最高裁は、文面上不明確であるともいえない、と答えました。理由は、順序にあります。最高裁は、この判断をする前に、自分で定義を与えているんです。組織的、計画的、または継続的な政治上の活動を、能動的に行う行為。しかも、裁判官の独立と中立・公正を害するおそれがあるもの。これが、「積極的に政治運動をすること」の中身だ、と。そして、その定義を与えてよい理由が、さっきの捻れです。

処分する側が勝手に広げられる仕組みなら、定義だけでは足りません。法律の側で、細かく限定列挙しておく必要が出てきます。裁判で判断する仕組みだからこそ、解釈で定義を与える形で足りる、と。あの捻れは、この明確性の判断まで、一本の線でつながっています。なお、当たるかどうかは、行為の内容や、その経緯、場所といった客観的な事情。それに加えて、その裁判官の意図といった主観的な事情も、総合して決める、とされました。

岡口判事の事件——条文が違う、そして物差しが出てこない

岡口判事の事件の骨格(現職の東京高等裁判所判事・実名の付いたアカウントで、裁判官であることが不特定多数に知られている状況/本件の投稿の前に二度の厳重注意を受けており、二度目のわずか二か月後の投稿/自己の担当外の、すでに確定した民事訴訟について、報道記事にアクセスできるようにしたうえで、提訴行為を不当と評価し揶揄するともとれる表現を用い、当事者の感情を傷つけた) 図:岡口判事の事件の骨格

  • 現職の東京高等裁判所判事・実名の付いたアカウントで、裁判官であることが不特定多数に知られている状況
  • 本件の投稿の前に二度の厳重注意を受けており、二度目のわずか二か月後の投稿
  • 自己の担当外の、すでに確定した民事訴訟について、報道記事にアクセスできるようにしたうえで、提訴行為を不当と評価し揶揄するともとれる表現を用い、当事者の感情を傷つけた

二つ目の事件に行く前に、少し、予想してみてください。寺西では、三つの要素が出てきました。次の事件では、どの物差しが出てくると思いますか?普通は、そう考えますよね。実際に、確かめてみましょう。岡口判事の事件です。舞台は、東京高等裁判所です。現職の判事が、実名の付いたアカウントで、投稿をしていました。裁判官であることは、不特定多数に知られている状況です。まず、押さえておきたい事実があります。本件の投稿の前に、この人は二度、厳重注意を受けています。一度目は口頭で、二度目は書面でした。二度目は、ある事件の判決についての投稿で、被害者の遺族の感情を傷つけたものです。そして、その二度目の、わずか二か月後に、本件の投稿がありました。

そこは、正確に押さえてください。積み重ねの上での処分です。本件の投稿の中身も、確認しましょう。自分が担当していない、しかも、すでに確定した民事訴訟についてでした。犬の返還などを求めた事件です。その報道記事にアクセスできるようにしたうえで、投稿しました。訴訟を起こした当事者の、提訴という行為を、不当だと評価し——からかうともとれる表現を使って、その当事者の感情を傷つけました。そこです。ここで、条文が変わります。

条文裁判所法49条

裁判所法49条 裁判官は、職務上の義務に違反し、若しくは職務を怠り、又は品位を辱める行状があつたときは、別に法律で定めるところにより裁判によつて懲戒される。

別です。ここは、絶対に混ぜないでください。寺西は、五十二条一号の「積極的に政治運動をすること」でした。岡口判事の事件は、四十九条の「品位を辱める行状」です。参照された条文にも、五十二条は入っていません。論点が、政治活動から、品位のほうへスライドしています。

判例最大決平成30年10月17日(大法廷)

岡口判事の事件——私生活にも及ぶ義務と、「品位を辱める行状」 裁判官は、職務を遂行するに際してはもとより、職務を離れた私人としての生活においても、その職責と相いれないような行為をしてはならず、また、裁判所や裁判官に対する国民の信頼を傷つけることのないように、慎重に行動すべき義務を負っているものというべきである……。 ……同条にいう「品位を辱める行状」とは、職務上の行為であると、純然たる私的行為であるとを問わず、およそ裁判官に対する国民の信頼を損ね、又は裁判の公正を疑わせるような言動をいうものと解するのが相当である。

最高裁は、まず、一般論を述べます。裁判官は、職務を遂行するときはもちろん——職務を離れた私人としての生活においても、職責と相いれない行為をしてはならない。裁判所や裁判官への国民の信頼を傷つけないよう、慎重に行動すべき義務を負う、と。よく繋がりましたね。同じ根から出ています。そのうえで、「品位を辱める行状」の中身を、定義しました。職務上の行為であるか、純然たる私的行為であるかを問わず——およそ裁判官への国民の信頼を損ね、または裁判の公正を疑わせるような言動をいう、と。広いです。そして、憲法の話は、ここで一度だけ出てきます。

判例最大決平成30年10月17日(大法廷)

岡口判事の事件——憲法に触れた、ただ一文 なお、憲法上の表現の自由の保障は裁判官にも及び、裁判官も一市民としてその自由を有することは当然であるが、被申立人の上記行為は、表現の自由として裁判官に許容される限度を逸脱したものといわざるを得ないものであって、これが懲戒の対象となることは明らかである。

これだけです。表現の自由の保障は裁判官にも及ぶ、とは認めています。そのうえで、許容される限度を逸脱した、と述べて、終わります。書いてありません。ここが、この事件のいちばんの特徴です。

この決定に出てこない言葉の一覧(目的・合理的関連性・均衡・間接的・付随的・審査基準・比較衡量=いずれも法廷意見に一度も出てこない/憲法21条という条数も出てこない/出てくるのは裁判所法49条「品位を辱める行状」の解釈だけ) 図:この決定に出てこない言葉の一覧

  • 目的・合理的関連性・均衡・間接的・付随的・審査基準・比較衡量=いずれも法廷意見に一度も出てこない
  • 憲法21条という条数も出てこない
  • 出てくるのは裁判所法49条「品位を辱める行状」の解釈だけ

この決定の、裁判所としての判断——法廷意見を、通しで見てみましょう。「目的」という言葉、出てきません。「合理的関連性」も、出てきません。「均衡」も、「間接的」も、「付随的」も、出てきません。「審査基準」も、「比較衡量」も、ありません。ありません。憲法二十一条という条数すら、出てきません。外れて、正解です。ここを体感してほしかったんです。寺西は、緩い物差しではあっても、物差しを示していました。この事件は、そもそも物差しを示さないまま、結論に着いています。決着したのは、四十九条の「品位を辱める行状」の解釈です。憲法上の枠組みの問題としては、処理されていません。

ただ、その理由は、決定のどこにも示されていません。分かるのは、さっき見たとおり、物差しの言葉が一つも無い、という事実までです。違います。今日の二つ目の問いに、一つ目の答えが出ました。

枠組みが示されないことへの批判と、補足意見が置いた歯止め(批判=確定した判決の情報を示して吟味を求めたにとどまり、司法についての国民の理解を助ける働きだから、むしろ職責に適合するのではないか/三裁判官の補足意見=現役裁判官の表現も憲法の保障する表現の自由によって保護されるべきことはいうまでもなく、本件のような事例で一国民としての裁判官の発信が無用に萎縮することのないように、と念のため申し添える) 図:枠組みが示されないことへの批判と、補足意見が置いた歯止め

  • 批判=確定した判決の情報を示して吟味を求めたにとどまり、司法についての国民の理解を助ける働きだから、むしろ職責に適合するのではないか
  • 三裁判官の補足意見=現役裁判官の表現も憲法の保障する表現の自由によって保護されるべきことはいうまでもなく、本件のような事例で一国民としての裁判官の発信が無用に萎縮することのないように、と念のため申し添える

この決定には、学説から批判があります。この投稿がやったのは、もう決着した裁判の中身を、人目に触れるところへ出した——それだけではないか。裁判所の仕事が世の中に見えるようになるなら、裁判官の役目から、むしろ外れていない。そういう言い方で、戒告は行きすぎだ、と批判されています。そういう見方です。もちろん、当事者の感情を傷つけた点は、別に評価が要ります。そして、この決定には、三人の裁判官の補足意見が付いています。法廷意見そのものは、全員一致でした。補足意見は、法廷意見ではありません。そこは正確に押さえてください。

そのうえで、補足意見は、こう書いています。現役の裁判官が、その思うところを表現することは——憲法の保障する表現の自由によって保護されるべきことは、いうまでもない、と。そして、こういう事例によって、一国民としての裁判官の発信が——無用に萎縮することのないように、念のため申し添える、と。そう読めます。枠組みが示されなかった穴を、補足意見が埋めにいっている。なお、この人は、その後、別の投稿も含めて罷免の訴追を受け——最終的には、弾劾裁判所の判決で、罷免されています。国会が設ける、別の裁判所です。懲戒ではなく、辞めさせるかどうかを決めます。

別の手続です。そこは、裁判官の身分保障を扱う回で、正面から見ます。

選挙運動の自由——条文の主語を、読んでみる

選挙運動の自由の位置づけ(誰に投票してほしいかを訴えることは政治的意見の表明そのもの=21条1項の保障を受ける/その制約として合憲性が長く争われてきたのが、公職選挙法138条1項の戸別訪問の禁止) 図:選挙運動の自由の位置づけ

  • 誰に投票してほしいかを訴えることは政治的意見の表明そのもの=21条1項の保障を受ける
  • その制約として合憲性が長く争われてきたのが、公職選挙法138条1項の戸別訪問の禁止

ここから、場面が変わります。選挙運動です。終わりです。ここからは、身分の話ではなくなります。まず、入口を確認します。選挙運動をする自由も、二十一条一項で保障されます。誰に投票してほしいかを訴えるのは、政治的な意見の表明そのものですから。ところが、選挙運動には、細かい規制が山のようにあります。選挙制度そのものや、立候補の自由の話は、選挙権を扱う回で、まとめて見ます。今日は、その中の一つだけを取り上げます。戸別訪問の禁止です。有権者の家を訪ねて、投票を頼む行為が、禁止されています。条文を、見てみましょう。

条文公職選挙法138条1項

公職選挙法138条1項 何人も、選挙に関し、投票を得若しくは得しめ又は得しめない目的をもつて戸別訪問をすることができない

ここで、一つ、聞かせてください。この条文の主語、誰になっていますか?「何人も」。誰でも、です。書いていません。運動員とも、公務員とも、書いていません。それも、この条文に当たります。関係ありません。「何人も」ですから。この一語、今日いちばん大事な言葉です。忘れないでください。そして、さっき触れた刑罰です。根拠の条文も、見ておきましょう。公職選挙法二百三十九条一項三号で、一年以下の拘禁刑または三十万円以下の罰金です。誰にでも及ぶ禁止に、刑罰が付いている、ということです。

学説による代替手段の検討(弊害ごとに、より制限の少ない手段があるかを当てる/買収や利害誘導のおそれ→買収そのものを後から重く処罰すれば足りる/選挙人の生活の平穏→訪問できる時間帯を区切れば守れる/候補者側の負担と投票の情実化→そもそも戸別訪問に限った問題ではない) 図:学説による代替手段の検討

  • 弊害ごとに、より制限の少ない手段があるかを当てる
  • 買収や利害誘導のおそれ→買収そのものを後から重く処罰すれば足りる
  • 選挙人の生活の平穏→訪問できる時間帯を区切れば守れる
  • 候補者側の負担と投票の情実化→そもそも戸別訪問に限った問題ではない

この禁止について、違憲だという見解が、学説では有力です。以前の回で作った、真ん中の段の物差しを使います。この事案で、実際に当ててみましょう。まず、買収や、利害誘導のおそれ。これは、買収そのものを、後から重く処罰すれば足りるのではないか。次に、訪ねられる側の、生活の平穏。これは、訪問してよい時間帯を区切れば、かなり守れるのではないか。そういう形です。最後に、候補者側の負担や、投票が情実に流れること。義理や人づきあいで、投票先を決めてしまうことです。これは、そもそも戸別訪問に限った問題ではありません。

こう並べると、全面的に禁じなくても、目的は達せられそうに見えます。だから、より制限の少ない手段がある、として違憲だ。これが学説の筋です。そこが、この物差しの使いやすいところです。論文でも、あてはめを厚く書ける形になっています。では、最高裁は、どう判断したのか。ここからが、今日の山場です。

最高裁は同じ三つの要素で合憲とした——ここで物差しは身分を離れた

戸別訪問禁止規定事件の関係図(A=ある候補者に投票を得させる目的で選挙人の家を訪ねて投票を依頼した二人・候補者ではなく、公務員だという記載も判文には無い/B=訪問を受けた選挙人の家・一人は五戸、もう一人は七戸/C=検察と裁判所の一続きの線/第一審・原審はいずれも138条1項を憲法21条違反として無罪、最高裁は破棄差戻) 図:戸別訪問禁止規定事件の関係図

  • A=ある候補者に投票を得させる目的で選挙人の家を訪ねて投票を依頼した二人・候補者ではなく、公務員だという記載も判文には無い
  • B=訪問を受けた選挙人の家・一人は五戸、もう一人は七戸
  • C=検察と裁判所の一続きの線
  • 第一審・原審はいずれも138条1項を憲法21条違反として無罪、最高裁は破棄差戻

事案から、見ていきましょう。ある衆議院議員の総選挙のときのことです。島根県の選挙区から立候補した候補者に、投票を得させる目的で——Aとして図に置いた二人が、選挙人の家を、一軒ずつ訪ねて投票を依頼しました。一人は五戸、もう一人は七戸です。ここで、Aについて、一つ確認させてください。この二人、候補者本人ですか。候補者ではありません。そして、判決文には、公務員だという記載も、どこにもありません。そこです。ここが、今日の分かれ目です。裁判の経過も、押さえておきましょう。第一審は、この規定を憲法二十一条違反として、無罪としました。控訴審も、その無罪を維持しています。

前回の猿払と、同じ形ですね。最高裁は、原判決を破棄して、差し戻しました。違います。そこは正確に。最高裁がしたのは、破棄して差し戻すところまでです。では、最高裁は、どんな理由で、この規定を合憲としたのか。

戸別訪問の禁止が防ごうとしている弊害(買収や利害誘導の温床になりやすい/選挙人の生活の平穏を害する/候補者側も訪問回数などを競うことになり多額の出費を余儀なくされる/投票が情実に支配されやすくなる)+ねらいは意見表明そのものではなく、手段方法のもたらす弊害の防止に置かれている 図:戸別訪問の禁止が防ごうとしている弊害

  • 買収や利害誘導の温床になりやすい
  • 選挙人の生活の平穏を害する
  • 候補者側も訪問回数などを競うことになり多額の出費を余儀なくされる
  • 投票が情実に支配されやすくなる
  • ねらいは意見表明そのものではなく、手段方法のもたらす弊害の防止に置かれている

少し長いですが、大事なところなので、判決文をそのまま見てみましょう。並んでいます。順に、ほどいていきます。

判例最判昭和五十六年六月十五日(第二小法廷)

戸別訪問禁止規定事件——ねらいは、手段方法のもたらす弊害の防止 戸別訪問の禁止は、意見表明そのものの制約を目的とするものではなく、意見表明の手段方法のもたらす弊害、すなわち、戸別訪問が買収、利害誘導等の温床になり易く、選挙人の生活の平穏を害するほか、これが放任されれば、候補者側も訪問回数等を競う煩に耐えられなくなるうえに多額の出費を余儀なくされ、投票も情実に支配され易くなるなどの弊害を防止し、もつて選挙の自由と公正を確保することを目的としているところ……。 右の目的は正当であり、それらの弊害を総体としてみるときには、戸別訪問を一律に禁止することと禁止目的との間に合理的な関連性があるということができる。

最高裁は、まず、この禁止が何をねらったものかを、述べます。意見表明そのものの制約を目的とするものではない、と。ねらっているのは、意見表明の手段方法がもたらす弊害の防止だ、と。気づきましたか。どこかで、聞いた形ですよね。まったく同じ形が、ここで出てきます。弊害の中身も、四つ挙げられています。一つ、買収や利害誘導の温床になりやすいこと。二つ、選挙人の生活の平穏を害すること。三つ、候補者の側も訪問の回数を競わされ、多額の出費を強いられること。四つ、投票が、情実に支配されやすくなることです。同じ弊害を見ているのに、結論が逆になります。最高裁は、この目的は正当だ、としました。そして、弊害を総体としてみるときには——一律に禁止することと、禁止の目的との間に、合理的な関連性がある、と。

一つ一つを取り出して、代わりの手段があるかは、問いません。まとめて見れば、つながりはある。それで足りてしまいます。

判例最判昭和五十六年六月十五日(第二小法廷)

戸別訪問禁止規定事件——間接的、付随的な制約と、立法政策の問題 ……戸別訪問の禁止によつて失われる利益は、それにより戸別訪問という手段方法による意見表明の自由が制約されることではあるが、それは、もとより戸別訪問以外の手段方法による意見表明の自由を制約するものではなく、単に手段方法の禁止に伴う限度での間接的、付随的な制約にすぎない反面……得られる利益は失われる利益に比してはるかに大きいということができる。以上によれば、戸別訪問を一律に禁止している公職選挙法一三八条一項の規定は、合理的で必要やむをえない限度を超えるものとは認められず、憲法二一条に違反するものではない。 したがつて、戸別訪問を一律に禁止するかどうかは、専ら選挙の自由と公正を確保する見地からする立法政策の問題であつて、国会がその裁量の範囲内で決定した政策は尊重されなければならないのである。

そして、最後の一段です。この禁止は、戸別訪問以外の手段方法による意見表明の自由を、制約するものではない。単に手段方法の禁止に伴う限度での、間接的、付随的な制約にすぎない、と。出てきます。そのうえで、得られる利益は、失われる利益に比してはるかに大きい、と。結論として、この規定は、合理的で必要やむをえない限度を超えるとは認められない。だから、憲法二十一条に違反しない、としました。ここで、今日の一問に、正面から答えます。

ここで物差しは身分を離れた(猿払で立てられた三つの要素は「公務員という特別な関係」を理由に生まれた/戸別訪問の被告人は候補者ではなく、公務員だという記載も判文には無い/それでも同じ三つの要素がそのまま出てくる)+切り離せた理由は、ねらいで線を引く論法が、行為者が誰であるかを一言も必要としない形をしていたこと 図:ここで物差しは身分を離れた

  • 猿払で立てられた三つの要素は「公務員という特別な関係」を理由に生まれた
  • 戸別訪問の被告人は候補者ではなく、公務員だという記載も判文には無い
  • それでも同じ三つの要素がそのまま出てくる
  • 切り離せた理由は、ねらいで線を引く論法が、行為者が誰であるかを一言も必要としない形をしていたこと

少し、立ち止まってください。この物差しは、もともと、どこで生まれましたか。理由も、公務員という特別な関係にありました。憲法が、公務員という関係とその自律性を予定している。前回、そう詰めましたね。では、今日の被告人に、公務員という身分の話は、出てきますか。候補者でもありません。それでも、同じ三つの要素が、そのまま出てきました。そこに気づけたら、今日の山は越えました。物差しは、生まれた理由から、切り離されています。一緒に考えましょう。もう一度、あの論法を見てください。意見表明そのものをねらったのではなく、手段方法の弊害をねらった。この一文のどこかに、公務員という言葉、出てきますか。

そこです。ねらいで線を引く、という論法は——行為者が誰であるかを、まったく必要としない形をしています。だから、公務員の外へ、持ち出せたんです。

論文で書く規範:物差しが、身分を離れて歩けた理由 猿払事件で立てられた三つの要素は、公務員という特別な関係を理由に持ち出されたものだった。ところが戸別訪問の禁止をめぐる判断では、被告人は候補者ではなく、公務員だという記載も判決文には無いのに、同じ三つの要素がそのまま用いられている。 切り離せた理由は、その手前に置かれた一段の形にある。「意見表明そのものをねらったのではなく、手段方法のもたらす弊害をねらった」という線の引き方は、行為者が誰であるかを一言も必要としない。身分を使わずに組み立てられた論法だからこそ、身分のない場面へ、そのまま持ち出せた。 裏を返せば、表現の「方法」に向けられた規制は、ねらいさえ言い換えれば、ほとんどがこの一段を通ってしまう。通れば緩い物差しで測ってよくなる——ここが学説の批判の的である。逆に、意見の中身そのものをねらった規制は、この一段を通らない(「ねらいは弊害の防止だ」と言い換えられないからである)。入るか入らないかが、当たる物差しを決める。 (整理(ねらいで線を引く論法は、行為者を問わない))

そして、ここから、学説の批判の中身が出てきます。別の角度です。この論法を、そのまま当ててみてください。表現の「方法」を規制するものは、どうなりますか。そうなります。ビラの配り方、看板の立て方、拡声器の使い方。ねらいは弊害の防止だ、と言えてしまえば、全部この箱に入ります。そこが、批判の核心です。緩さが、際限なく広がってしまう。もう一つ、緩さの実態を示す一文があります。戸別訪問を一律に禁止するかどうかは、専ら立法政策の問題である、と。国会が裁量の範囲内で決めた政策は、尊重されなければならない、と述べています。

投げています。これが、いちばん緩いダイヤルの、正体です。なお、この禁止を、表現の内容ではなく方法への規制と位置づける読み方もあります。以前の回で作った、内容中立規制という枠です。効いてきます。ここで、線の外側も、一度だけ見ておきましょう。この箱に、入らない規制もあります。言いました。ただ、入らないものが一つあります。意見の中身そのものをねらった規制——以前の回でいう、内容規制です。たとえば、特定の政党を支持する言論だけを禁じる、という規制。そう言い換えるのは、さすがに無理があります。ねらいが、意見そのものに向いているからです。だからこの一段は通れず、いちばん緩い物差しにも、降りてこられません。

そこが、争いどころです。前回見た学説の上書きも、ここに効いてきます。形の上では方法への規制でも、規制される行為の大半が表現行為なら——実質で見て、直接的規制として扱う。あの上書きです。もう一度、今日の一問に戻ります。物差しは、公務員という生まれの理由から、切り離されました。切り離せたのは、ねらいで線を引く一段が、身分を一言も必要としない形だったから。そして、その一段に入るかどうかが、どの物差しで測られるかを決めています。

政見放送削除事件——天秤に載る前に、切られる

政見放送削除事件の骨格(参議院比例代表選出議員の選挙/候補者が政見の録画を行い、放送事業者が発言の一部の音声を削除して放送した/候補者側は、そのまま放送される権利を侵害されたとして損害賠償を請求した=争点は不法行為の成否)+公職選挙法150条の2は政見放送の品位を保持すべきことを定めている 図:政見放送削除事件の骨格

  • 参議院比例代表選出議員の選挙
  • 候補者が政見の録画を行い、放送事業者が発言の一部の音声を削除して放送した
  • 候補者側は、そのまま放送される権利を侵害されたとして損害賠償を請求した=争点は不法行為の成否
  • 公職選挙法150条の2は政見放送の品位を保持すべきことを定めている

選挙運動の場面から、もう一つ、見ておきましょう。参議院の、比例代表で選ばれる議員の選挙のときのことです。ある候補者が、政見放送のために、ある政治団体の政見の録画を行いました。ところが放送事業者が、発言の一部の音声を削除して、放送します。削除されたのは、当時、社会的に許容されないとされていた表現が——用いられた部分でした。中身には、立ち入りません。候補者側は、これを訴えます。そのまま放送される権利を侵害された、として、損害賠償を請求しました。これは、損害賠償の請求です。不法行為が成立するかどうかが、正面から問われた事件です。背景には、公職選挙法百五十条の二という条文があります。政見放送では、他人の名誉を傷つけたり、善良な風俗を害したりする、などの——そういう、品位を損なう言動をしてはならない、と定めた条文です。

あります。ここで、名宛人を確かめておいてください。この条文が「してはならない」と言っている相手は、候補者や政党の側です。放送する側ではなく、話す側に課された決まり、ということです。そのうえで、最高裁の答えを見てください。

判例最判平成2年4月17日(第三小法廷)

政見放送削除事件——法的に保護された利益とはいえない ……(当該部分は)……他人の名誉を傷つけ善良な風俗を害する等政見放送としての品位を損なう言動を禁止した公職選挙法一五〇条の二の規定に違反するものである。 右規定は……そのような言動が放送されることによる弊害を防止する目的で政見放送の品位を損なう言動を禁止したものであるから、右規定に違反する言動がそのまま放送される利益は、法的に保護された利益とはいえず、したがつて、右言動がそのまま放送されなかつたとしても、不法行為法上、法的利益の侵害があったとはいえないと解すべきである

ここが、今日のもう一つの負け方です。載せていません。表現の自由の重さと、他の利益を比べた、という話ではありません。品位を損なう言動を禁じた規定に違反する言動が——そのまま放送される利益は、そもそも法的に保護された利益ではない。だから、そのまま放送されなくても、法的利益の侵害は無い。こういう順序です。これ、以前の回で、同じ形を見ています。記者の主張を、天秤に載せる前に切った形でしたね。同じ「入口で切る」でも、切られている物は違います。あちらは、証言を拒める権利があるか、という主張でした。こちらは、そのまま放送される利益がある、という主張です。

この判決が答えた問いの範囲(答えたのは、削除が不法行為になるかどうか/「放送事業者は削除してよい」と述べた判決ではない/品位を保てと定めた条文そのものが表現の自由に反するか、という法令の合憲性には立ち入っていない)+補足意見は、法廷意見が削除行為の適否に全く触れていないと明言し、一般論としては削除は放送に関する規定に違反する行為と見ざるを得ないと述べている 図:この判決が答えた問いの範囲

  • 答えたのは、削除が不法行為になるかどうか
  • 「放送事業者は削除してよい」と述べた判決ではない
  • 品位を保てと定めた条文そのものが表現の自由に反するか、という法令の合憲性には立ち入っていない
  • 補足意見は、法廷意見が削除行為の適否に全く触れていないと明言し、一般論としては削除は放送に関する規定に違反する行為と見ざるを得ないと述べている

ここで、限定を一つ、必ず置いてください。この判決は、「削除してよい」と言った判決では、ありません。取り消されていません。ただ、判決が答えたのは、不法行為になるかどうかです。削除という行為そのものが、放送に関する規定に違反しないか——そこには、法廷意見は答えていません。しかも、これは判決の中から、直接言えます。この判決には、補足意見が付いています。もちろん、法廷意見ではありません。そこでは、法廷意見はその点に全く触れていない、と明言されています。そのうえで、一般論としては、候補者の政見を放送の前に削除したり修正したりすることは——放送に関する規定に違反する行為と見ざるを得ない、とまで述べています。

補足意見としては、そう述べています。法廷意見では、ありませんが。だからこそ、「不法行為にならない」と「削除してよい」を、混ぜてはいけません。この読み方は、他の判例でも、そのまま使えます。

四つを、横に並べる——負け方には種類がある

四つの場面の対比表(誰が/何をして/どの道具で測って/どう負けたか)=寺西は現職の判事補・集会の客席から裁判官と名乗って発言・三つの要素と間接的付随的・分限裁判で戒告/岡口判事の事件は現職の判事・担当外の確定事件について投稿・物差しは示されない・分限裁判で戒告/戸別訪問は候補者ではなく公務員だという記載も判文には無い人・選挙人の家を訪ねて投票を依頼・三つの要素と間接的付随的・合憲とされ破棄差戻/政見放送は候補者・削除された政見について損害賠償を請求・入口で切る・不法行為にならない

では、今日の四つを、横に並べましょう。そうしましょう。一つ目と二つ目は、現職の裁判官です。三つ目は、候補者ではなく、公務員だという記載も判決文には無い人。四つ目は、候補者です。次に、何をしたか。法案に反対する集会で、裁判官と名乗って発言した。担当していない、確定した事件について投稿した。選挙人の家を訪ねて、投票を頼んだ。削除された政見について、損害賠償を求めた。ここまでは、揃わなくて当然です。見てほしいのは、三つ目の列です。どの道具で測ったか。揃っていませんね。そこが、今日いちばん持ち帰ってほしいところです。

負け方の三つの型と、答案で争う場所(緩い物差しを当てられて負ける→物差しの選択そのものを争う/枠組みが示されないまま結論だけで負ける→どの基準で測ったのかをまず示させることを争う/そもそも保護される利益として認めてもらえない→保護に値する利益であることを立てるところから始める) 図:負け方の三つの型と、答案で争う場所

  • 緩い物差しを当てられて負ける→物差しの選択そのものを争う
  • 枠組みが示されないまま結論だけで負ける→どの基準で測ったのかをまず示させることを争う
  • そもそも保護される利益として認めてもらえない→保護に値する利益であることを立てるところから始める

表現の自由が負けるとき、負け方には、種類があります。一つ目。緩い物差しを当てられて、負ける。二つ目。枠組みが示されないまま、結論だけで負ける。三つ目。そもそも、保護される利益として認めてもらえない。そして、ここが答案に直結します。負け方が違えば、争う場所が変わります。一つ目の型なら、物差しの選択そのものを争います。表現の自由の規制なのに、いちばん緩い物差しでよいのか、と。二つ目の型なら、まず、どの基準で測ったのかを示させることを争います。結論だけが出ていて、枠組みが決定に無いからです。三つ目の型なら、順番が一つ手前に戻ります。保護に値する利益であることを、まず立てなければなりません。

ここを分けておくと、書き出しから迷わなくなります。

論文で書く規範:負け方には三つの型がある——だから、争う場所が変わる 表現の自由の主張が退けられるとき、退け方は同じではない。一つ目は、緩い物差しで測られて負ける型(裁判官の政治運動・戸別訪問の禁止)。二つ目は、枠組みが示されないまま、結論だけで負ける型(品位を辱める行状の解釈で決着した事例)。三つ目は、そもそも保護される利益として認めてもらえない型(政見放送の削除)。 型が違えば、争う場所が変わる。一つ目なら、物差しの選択そのものを争う(表現の自由の規制なのに、いちばん緩い物差しでよいのか)。二つ目なら、どの基準で測ったのかを、まず示させることを争う。三つ目なら、順序が一つ手前に戻り、保護に値する利益であることを立てるところから始めなければならない。 (整理(負け方の型と、答案で争う場所))

一つ、たとえを置いておきます。大会で負けるにも、三通りあります。採点で負ける。しかも、その採点の基準が、かなり甘い。採点表が出てこないまま、負けを告げられる。そして、そもそも出場の登録を、受け付けてもらえない。同じ「負け」でも、次に何を言うべきかは、まるで違います。

大法廷の二つの意味と、この物差しの現在地

大法廷になる二つの理由(判例を変更するときは小法廷では裁判をすることができない=裁判所法10条3号・事件の重さを示す大法廷/分限事件は最高裁では大法廷で取り扱うと法律が定めている=裁判官分限法4条・手続の種類で自動的に決まる大法廷)+裁判官の分限事件が大法廷の決定になっているのは後者の理由 図:大法廷になる二つの理由

  • 判例を変更するときは小法廷では裁判をすることができない=裁判所法10条3号・事件の重さを示す大法廷
  • 分限事件は最高裁では大法廷で取り扱うと法律が定めている=裁判官分限法4条・手続の種類で自動的に決まる大法廷
  • 裁判官の分限事件が大法廷の決定になっているのは後者の理由

ここで、取り違えを一つ、潰しておきます。今日の裁判官の二つの事件、どちらも大法廷の決定です。前回、判例を変更するには大法廷によらなければならない、と教えました。そう考えたくなりますよね。でも、違います。前回の話が誤りだった、という意味では、ありません。大法廷になる理由が、二つある、ということです。

条文裁判官分限法4条

裁判官分限法4条 分限事件は、高等裁判所においては、五人の裁判官の合議体で、最高裁判所においては、大法廷で、これを取り扱う

法律が、最初からそう決めています。事件の重さで大法廷になったのではなく、手続の種類で決まっています。なります。だから、今日の二つが大法廷なのは、当たり前のことなんです。前回の道具は、生きています。使う場所が違うだけです。判例を変更するときは、大法廷でなければならない。これは裁判所法の話。分限事件は最高裁では大法廷で取り扱う。これは分限法の話です。判決文が大法廷だと気づいたら、なぜ大法廷なのかを、一度確かめてください。

論文で書く規範:「大法廷」には二つの意味がある 最高裁が大法廷で取り扱う理由は、一つではない。判例を変更するときは、小法廷では裁判をすることができない(裁判所法10条3号)。この意味の大法廷は、事件の重さを示している。これに対し、分限事件であるときは、最高裁では大法廷で取り扱うと法律が定めている(裁判官分限法4条)。この意味の大法廷は、手続の種類によって自動的に決まるだけで、判例を変更したことを意味しない。 裁判官の分限事件が大法廷の決定になっているのは、後者による。判決文が大法廷であることに気づいたら、どちらの意味かをまず確かめる。 (整理(判例変更の大法廷と、分限事件の大法廷))

この物差しの現在地(公務員の場面では、後から出た判決が道具を持ち替えた/裁判官の場面と戸別訪問の場面については、これを変更する旨の判示は出ていない)+だから「猿払基準は否定された」とひとまとめに覚えない 図:この物差しの現在地

  • 公務員の場面では、後から出た判決が道具を持ち替えた
  • 裁判官の場面と戸別訪問の場面については、これを変更する旨の判示は出ていない
  • だから「猿払基準は否定された」とひとまとめに覚えない

では、最後に、いちばん知りたいところを詰めましょう。この三つの要素の物差しは、今、どうなっているのか。後から出た判決は、この物差しを使いませんでした。寺西の場面も、戸別訪問の場面も——これを変更する、という判示は、出ていません。そこが、言える限界です。今も通用する立派な基準だ、と評価するのではなく——変更する判示が出ていない、という事実として押さえてください。公務員の場面では、道具が持ち替えられた。裁判官と戸別訪問の場面では、変更されていない。「猿払基準は否定された」と、ひとまとめに覚えないでください。

今日の地図(保存版)

今日の一問への回答(物差しは公務員という理由から切り離され、誰にでも及ぶ選挙運動の場面まで歩いて行った/切り離せたのは、ねらいで線を引く論法が身分を一言も必要としない形をしていたから/さらに、物差しが出てこない負け方と、天秤に載る前に切られる負け方がある)+表現の自由の三本立て(保障の範囲・規制の枠組み・その物差しが新しい場面へ運ばれていく) 図:今日の一問への回答

  • 物差しは公務員という理由から切り離され、誰にでも及ぶ選挙運動の場面まで歩いて行った
  • 切り離せたのは、ねらいで線を引く論法が身分を一言も必要としない形をしていたから
  • さらに、物差しが出てこない負け方と、天秤に載る前に切られる負け方がある
  • 表現の自由の三本立て(保障の範囲・規制の枠組み・その物差しが新しい場面へ運ばれていく)

今日の一問に、戻りましょう。あの緩い物差しは、生まれた場所の外へ、どこまで歩いて行ったのか。裁判官では、理由がむしろ上乗せされました。一般職の国家公務員よりも、要請は強い、と言われましたね。そこです。誰にでも及ぶ「何人も」の条文にまで、同じ物差しが歩いて行きました。覚えていますか。よく通りましたね。それが、今日の答えです。そして、もう一つの問い。物差しすら出てこない負け方が、なぜあるのか。負け方が三種類ある。だから、争う場所も三種類ある。ここまで降ろせたら、今日は十分です。最後に、少し引いて、地図を見ておきましょう。表現の自由の話を、ずっと続けてきました。三本立てで整理できます。一本目は、保障の範囲です。何が二十一条に入るのか。知る権利、報道の自由、通信の秘密——ここを詰めてきました。二本目は、規制の枠組みです。どの物差しで測るのか。検閲、事前抑制、明確性、内容規制と内容中立規制——ここが二本目でした。三本目が、前回と今日の二回です。その物差しが、誰が語るかという新しい場面へ、運ばれていく話でした。

今日で、表現の自由は、ひと区切りです。ここまでは、一人で発信する自由の話でした。次は、集まる自由に入ります。人が集まって、はじめて成り立つ自由が、二十一条には、もう一つ書かれています。楽しみにしていてください。

参照条文

  • 裁判官分限法2条
  • 裁判所法52条柱書・1号
  • 裁判所法49条
  • 公職選挙法138条1項
  • 裁判官分限法4条

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