憲法ゼロから憲法#81

予算——「法律」ではないものが、なぜ国を縛るのか

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第4章 統治 #81/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

歳出面の具体化——85条

83条のもう一方の足(前回=83条は歳入と歳出の2方向に具体化される/84条=歳入面(取る側)/85条=歳出面(使う側)/なぜ歳出にも議決が要るのか=取る側だけ縛っても、使い道が自由なら国民のコントロールは半分しか効かない) 図:83条のもう一方の足

  • 前回=83条は歳入と歳出の2方向に具体化される
  • 84条=歳入面(取る側)
  • 85条=歳出面(使う側)
  • なぜ歳出にも議決が要るのか=取る側だけ縛っても、使い道が自由なら国民のコントロールは半分しか効かない

前回、83条という財政の基本原則は、2つの方向に具体化される、という話をしました。集める側の具体化が、前回見た84条でした。今日は、使う側の具体化から入ります。

条文日本国憲法 85条

日本国憲法 第八十五条 国費を支出し、又は国が債務を負担するには、国会の議決に基くことを必要とする。

「債務を負担する」とは、国が、その年度を超えて、「将来、これだけの金額を支払います」と約束する行為のことです。国庫債務負担行為といいます。複数年かかる工事を契約するときなど、1年では払いきれない支出を、先に約束する場面ですね。3年かけて完成させる橋を建設する契約を結ぶとき、初年度に全額を払いきれるわけではありませんよね。「3年間で総額いくら払います」と国が約束しておく必要があります。この約束そのものにも、国会の議決が要る、ということです。国費を支出するにも、債務を負担するにも、国会の議決が要る。これが83条の、歳出面での具体化です。

取る側だけを縛っても、使い道がまったく自由なら、国民のコントロールは半分しか効かないからです。集める側と使う側、両方が国会の議決で縛られて、はじめて財政国会中心主義——財政は国会の議決で決める、という原則——が完結します。

予算とは何か——86条

予算の手続きの流れ(全文=内閣は、毎会計年度の予算を作成し、国会に提出して、その審議を受け議決を経なければならない。/定義=一会計年度についての歳出歳入の予定的見積りを、その内容とする財政行為上の準則/手続=作成・提出は内閣/審議・議決は国会/国会側には衆議院の先議権・優越(60条)がある) 図:予算の手続きの流れ

  • 全文=内閣は、毎会計年度の予算を作成し、国会に提出して、その審議を受け議決を経なければならない。
  • 定義=一会計年度についての歳出歳入の予定的見積りを、その内容とする財政行為上の準則
  • 手続=作成・提出は内閣
  • 審議・議決は国会
  • 国会側には衆議院の先議権・優越(60条)がある

では、今日の主役になる条文を見ましょう。

条文日本国憲法 86条

日本国憲法 第八十六条 内閣は、毎会計年度の予算を作成し、国会に提出して、その審議を受け議決を経なければならない。

条文そのものには、定義は書かれていません。学説上の定義を確認しておきましょう。予算とは、国の財政運営の基準となる準則の一つで、一会計年度における歳出歳入の予定的見積りを、その内容とするものをいいます。一つずつ言い換えましょう。「一会計年度」は、ふつう4月1日から翌年3月31日までの1年間のことです。実は、一会計年度が1年である、ということ自体、憲法に明文はありません。通説として、そう理解されています。当たり前に見えることほど、根拠を聞かれると答えられない。そこを潰しておきましょう。次に「予定的見積り」。まだ実際には使っていないけれど、これだけ集めてこれだけ使う予定です、という計画のことです。

「準則」は、聞き慣れない言葉ですね。言い換えると、みんなが従うべき基準、ルールのことです。まとめると、予算とは、1年間の国の収入と支出について、あらかじめ立てた計画を内容とする、国が財政を進めるうえで従うべきルール、ということです。来年度の部活の年間計画表を先に立てておくのに近い感覚です。ただし予算は、立てた側——ここでは内閣——が、自分でそのとおり使わなければならない、という縛りまで生む点が違います。予算を誰が作り、誰が決めるのか。そこが、必ず覚えてほしい手続きの流れです。条文をもう一度見てください。「内閣は……予算を作成し、国会に提出して」とあります。

作成と提出は、内閣の仕事です。そのうえで、「審議を受け議決を経なければならない」。審議と議決は、国会の仕事です。そこを取り違えると、「国会が予算を作る」という誤りに落ちます。作るのは内閣、審議して決めるのは国会。そして、国会での審議には、衆議院に先議権があります。予算は、必ず衆議院が先に審議します。両院の議決が割れたときは、衆議院の議決が国会の議決になります。衆議院の先議権と優越の中身自体は、別の回で扱いました。ここでは、その仕組みが予算にもそのまま働く、という1点だけ押さえておいてください。

予算の法的性格・第1段——拘束力はあるか

今日の一問の前半へ(84条は取る側を法律で縛っていた/では使う側を縛る文書=予算は、法律という形をとっているだろうか/明治憲法下=予算行政説(見積もりにすぎず、拘束力なし)/日本国憲法下=法規範(拘束力あり)) 図:今日の一問の前半へ

  • 84条は取る側を法律で縛っていた
  • では使う側を縛る文書=予算は、法律という形をとっているだろうか
  • 明治憲法下=予算行政説(見積もりにすぎず、拘束力なし)
  • 日本国憲法下=法規範(拘束力あり)

前の回を思い出してください。国が取るお金は、84条が「法律で定めろ」と縛っていましたね?では、使う側を縛る予算は、法律という形をとっているでしょうか。さっき、予算は法律ではない、と聞きました。ここからが、今日いちばんの核心——予算の法的性格という論点です。この論点は、このあと見る予算修正権の話にも、そのまま直結します。ここで立てる結論が、あとの全部の前提になります。まず、話を2段に分けます。第1段は、予算にそもそも法的な拘束力があるのか。第2段は、拘束力があるとして、その形式は何なのか。2段、ですか。分けて考えるんですね。ここを1段で済ませると、あとで必ず混乱します。まず、第1段から見ましょう。明治憲法の時代には、予算は歳入と歳出をただ見積もっただけの文書であって、政府を法的に縛る力は無い、という考え方が主流でした。これを予算行政説といいます。

明治憲法下の予算は、あくまで政府の財政計画に対する承認にすぎませんでした。国を法的に縛る規範として作られていなかったからです。日本国憲法の下では、話が変わります。予算は、政府を法的に拘束する力を持つ法規範だ、と理解されています。さっき見た86条を思い出してください。「国会の議決を経なければならない」という強い手続きを要求していましたね。予算が、単なる行政の内部計画にすぎないなら、こんなに重い手続きを課す必要はありません。国会という民主的な機関の議決を経て、国を法的に縛る規範として設計されているから、この重さがあるんです。

予算の法的性格・第2段——法律か独自の法形式か

予算法律説 vs 予算法形式説(拘束力がある点は共通=争いは「法律か、独自の形式か」/予算法律説=予算を法律の一種とみる/予算法形式説=予算を法律とは異なる独自の法形式とみる(妥当)) 図:予算法律説 vs 予算法形式説

  • 拘束力がある点は共通=争いは「法律か、独自の形式か」
  • 予算法律説=予算を法律の一種とみる
  • 予算法形式説=予算を法律とは異なる独自の法形式とみる(妥当)

では、第2段です。拘束力がある、というところまでは、争いがありません。争いは、その先です。予算は法律の一種なのか、それとも法律とは別の、独自の形式なのか。ここが割れています。ここを混同しないでください。予算法律説と予算法形式説は、拘束力の有無を争っているのではありません。拘束力がある点は同じで、その形式の名前を争っています。一つは、予算を法律の一種とみる予算法律説。もう一つは、予算を法律とは異なる独自の法形式とみる予算法形式説です。

論文で書く規範:予算の法的性格——予算法形式説 予算は、法律とは異なる、独自の法形式による国法の一つである。政府に対して法的拘束力を有する法規範であるが、法律そのものではない。 (規範(通説で立てる))

妥当なのは、予算法形式説です。理由は、内容面と手続面、2本立てで見ていきましょう。それぞれ、なぜ法律と違うと言えるのか、まで詰めます。

法形式説が妥当な理由(内容面=①政府のみ拘束し国民は拘束しない②効力は一会計年度限り/手続面=③提出権は内閣に専属④衆議院の先議権・再議決制なし/たとえ=学園祭実行委員会が企画表を作り生徒会が審議する構造) 図:法形式説が妥当な理由

  • 内容面=①政府のみ拘束し国民は拘束しない②効力は一会計年度限り
  • 手続面=③提出権は内閣に専属④衆議院の先議権・再議決制なし
  • たとえ=学園祭実行委員会が企画表を作り生徒会が審議する構造

まず内容面の1点目。予算は、政府を拘束するだけで、一般国民を拘束しません。ふつうの法律は、国民に義務を課したり、権利を制限したりします。国民に向けられているんです。ところが予算は、「政府がこう使います」という予定を定めるだけで、国民に何かを命じたり禁じたりしません。内容面の2点目。予算の効力は、一会計年度に限られます。法律は、改廃されない限りずっと効力を持ち続けます。ところが予算は、最初から「今年度だけ」という時限つきで作られます。効力の続く期間の設計自体が違うんです。続いて、手続面です。1点目、予算の提出権は、内閣に専属します。73条5号と86条が根拠です。73条5号は、内閣のところで一度出てきた条文ですね——予算を作って出すのは内閣の仕事だ、と定めた条文でした。

法律案は、内閣も国会議員も提出できます。内閣の専属ではありません。ところが予算は、内閣だけが作成・提出できます。誰が原案を作れるか、という入口の設計が違います。手続面の2点目。衆議院に先議権があり、衆議院の再議決制が認められていません。法律案なら、衆議院が可決した法律案を参議院が否決しても、衆議院が3分の2以上の多数で再可決すれば、法律になります。予算では、両院の議決が異なり、両院協議会でも一致しないとき、衆議院の議決がそのまま国会の議決になります。再議決という手続き自体が存在しません。手続きの作りそのものが、法律とは別物なんです。内容が2点、手続きが2点。この4点から、予算法形式説が妥当だ、と言えます。

たとえば、こう考えると具体的にイメージできます。学園祭の実行委員会を思い浮かべてください。実行委員会が、来年度の企画表を作って、生徒会に提出するとします。生徒会は、その企画表の中身を検討して、承認したり、金額を削ったりはできますが、まっさらな白紙から企画表そのものを一から作り直す権限までは持っていません。誰かが原案を作り、別の誰かがそれを審議する。この構造をあらかじめ定めているのが、予算という法形式です。法律のように、国会だけで一から書ける文書とは、成り立ちがそもそも違うんです。ここで、今日の一問の前半に答えられます。法律でないものが、どうして内閣を縛れるのか。答えは、法律という形式でなくても、法規範でありうるからです。形式の名前と、縛る力の有無は、別の問題なんです。

国会の予算修正権・減額修正

減額修正——できる・限界なし(結論=できる、かつ限界もない/根拠①=明治憲法67条のような制限規定が日本国憲法にはない/根拠②=財政国会中心主義(83条)の趣旨/根拠③=「承認」(条約)より強い表現である「議決」(60条2項・86条)という文言) 図:減額修正——できる・限界なし

  • 結論=できる、かつ限界もない
  • 根拠①=明治憲法67条のような制限規定が日本国憲法にはない
  • 根拠②=財政国会中心主義(83条)の趣旨
  • 根拠③=「承認」(条約)より強い表現である「議決」(60条2項・86条)という文言

さて、予算は独自の法形式による法規範だ、と結論づけました。この答えが、次の論点にそのまま効いてきます。国会は、内閣が出してきた予算に対して、修正権を持つのか。持つとして、限界はあるのか。この問題を、減額修正と増額修正に分けて見ていきましょう。減らす方と増やす方では、大きく違います。まず、減額修正から見ましょう。結論は、できる。しかも限界もありません。根拠は3本あります。1本だけで済ませないでください。

論文で書く規範:国会の予算修正権——減額修正 国会は、内閣の作成した予算を減額修正することができ、その修正権に限界はない。 (規範(通説で立てる))

たとえば、内閣が提出した予算案の中に、ある広報活動のための予算として3億円が計上されていたとします。国会が審議の中で、「この広報活動は1億円で十分ではないか」と判断すれば、3億円を1億円に減らす修正をすることができます。修正するのに、内閣の同意はいりません。それを支えているのが、3本の根拠です。1本目。明治憲法67条は、政府の同意なく既定の歳出を廃除・削減できない、と定めていました。日本国憲法には、これに相当する制限規定がありません。あえて置かなかった、と読めるわけです。根拠の2本目。83条の財政国会中心主義の趣旨です。国の財政を処理する権限は、国会の議決に基づきます。国会が「この予算では多すぎる」と判断して削ることは、財政に対する民主的コントロールを、そのまま働かせているにすぎません。

根拠の3本目。条文の文言です。条約の承認は、61条や73条3号ただし書で「承認」という言葉が使われています。ところが、予算については、60条2項——さっき見た衆議院の先議権・優越を定めた条文——や86条で「議決」というより強い言葉が使われています。条約の承認は、単なるイエス・ノーの可否判断にとどまります。これに対して「議決」という言葉は、より主体的・実質的な決定権を国会に認めた表現です。内容に手を入れる修正権まで、読み込める言葉なんです。この3本の根拠で、減額修正はできる、かつ限界もない、と言えます。

国会の予算修正権・増額修正

増額修正——できるか(予算法律説からは自由にできる(が妥当でない)/予算法形式説からもできる=83条・「議決」の強い表現に照らす) 図:増額修正——できるか

  • 予算法律説からは自由にできる(が妥当でない)
  • 予算法形式説からもできる=83条・「議決」の強い表現に照らす

増やす方は、そうはいきません。ここが、今日いちばん厚く見るところです。増額修正は、さっき立てた予算の法的性格と、直接連動します。まず、予算法律説から考えるとどうなるか。予算を法律の一種とみるなら、国会は増額修正を自由にでき、その修正権に限界もない、ということになります。ですが、予算法律説は妥当でないと、さっき結論づけましたね。では、その予算法形式説からは、どうなるでしょうか。そこが、誤解しやすいところです。予算法形式説からも、増額修正はできます。「法形式説だから増額修正はできない」ではありません。

論文で書く規範:国会の予算修正権——増額修正 国会は、予算法形式説からも増額修正をすることができる。ただし、内閣の予算作成・提出権を損なうような、予算の同一性を失わせる大きな増額修正はできない。 (規範(通説で立てる))

まず、できる理由。財政国会中心主義や、「議決」という強い表現に照らせば、国会が増額を求めることも、その決定権の範囲内です。

増額修正の限界(限界=73条5号の趣旨・内閣の予算作成提出権を損なう増額は不可/金額例=10億円→11億円は同一性を損なわない増額・10億円→50億円+新制度は不可) 図:増額修正の限界

  • 限界=73条5号の趣旨・内閣の予算作成提出権を損なう増額は不可
  • 金額例=10億円→11億円は同一性を損なわない増額・10億円→50億円+新制度は不可

ただし、限界があります。73条5号は、専門性や技術性が求められる予算づくりを、内閣だけに任せる仕組みにしています。この趣旨からすると、内閣が作った予算の枠組みを壊してしまうほどの増額——つまり、予算の同一性が失われるほどの大きな増額修正は、できません。政府の見解も、同じ立場です。たとえば、金額の感覚で具体的に確かめましょう。内閣が提出した予算案で、奨学金の予算が10億円だったとします。国会が審議の中で「もう1億円積み増そう」と修正するのは、内閣が作った奨学金制度という枠組みの中で規模を調整しているだけなので、同一性を損なわない範囲の増額として許されます。

ところが、その10億円を一気に50億円に増やしたうえで、内閣がまったく想定していなかった新しい奨学金制度をゼロから作り出すような修正だったら、どうでしょうか。それは、もう内閣が出した予算とは、別物になっていますね。それはもはや、内閣の予算編成をなぞる範囲を超えて、実質的に国会が新しい予算を作ったのと同じになってしまいます。ここが、できる増額と、できない増額の境目です。

減額と増額、非対称の理由(非対称の理由=大きすぎる増額は実質的に新予算の作成、減額はそもそも否決してゼロにできる) 図:減額と増額、非対称の理由

今の疑問に、正面から答えましょう。減額には限界がなくて、増額には限界がある。一貫性に欠けるように見えませんか。減額と増額で扱いが違うことへの違和感は、もっともなものです。ですが、両者を分ける理由があります。そのような大きな増額修正を国会に認めてしまうと、専門性や技術性が要る予算づくりを、内閣という専門の行政機関に委ねた——その狙いそのものを壊すことになります。他方、減額修正はどうでしょうか。そもそも国会には、内閣が作った予算そのものを、否決するという手段があります。否決してしまえば、予算はゼロです。

使うお金を減らすことは、財政に対する民主的コントロールを重視する財政国会中心主義の趣旨に、そのまま合致します。ゼロにする権限がある側と、内閣の専属領域に踏み込む側。この非対称の理由が言えるかどうかが、暗記と理解の分かれ目です。ここで一度、自分の言葉で言えるか確かめてみてください。減額修正には限界が無いのに、増額修正には限界があるのは、なぜだったでしょうか。ええと……大きすぎる増額は、実質的に新しい予算を作るのと同じになって、内閣の予算作成・提出権を専属させた趣旨を壊してしまうから。減額は、そもそも国会が予算を否決してゼロにできるから、削ることは財政国会中心主義の趣旨に合っている、という話でした。予算は法律ではないが独自の法形式による法規範だ——この今日の答えが、修正権の非対称まで決めていました。この理屈は、このあと見る不一致の話にも、形を変えて出てきます。

予算と法律の不一致

2つの場面(なぜ食い違うのか=予算と法律は、成立までの手続きが別々だから/①法律成立・予算不成立=内閣に73条1号の誠実執行義務。補正予算・予備費の支出・施行延期などで対処/②予算成立・法律不成立=内閣は支出できず法律案を提出。ただし国会に法律を成立させる義務はない(通説)) 図:2つの場面

  • なぜ食い違うのか=予算と法律は、成立までの手続きが別々だから
  • ①法律成立・予算不成立=内閣に73条1号の誠実執行義務。補正予算・予備費の支出・施行延期などで対処
  • ②予算成立・法律不成立=内閣は支出できず法律案を提出。ただし国会に法律を成立させる義務はない(通説)

予算法形式説の話を、もう一つ別の論点に活かしましょう。予算と法律の不一致です。予算は法律とは別の法形式でしたね。別の法形式である以上、予算と法律は、成立までの手続きも別々です。手続きが違えば、片方だけ成立して、もう片方が成立しない、という場面がありえます。例えば、ある被災者支援の給付制度を始めることを定める法律を、国会が作ったとします。ところが、それを実施するための予算は、別の手続きで審議され、否決されてしまうことがありえます。逆の場合もあります。ある事業のための予算だけが先に成立して、それを実施するために必要な法律の改正は、まだ国会を通っていない、という場面です。

この2つの場面を、それぞれ「誰に、何の義務があるか」で見ていきましょう。1つ目。法律は成立している、でも予算が不成立の場合。予算が無いなら法律を実行しなくてよいのか。ここが、今日の一問への答えです。「実行しなくてよい」ではありません。内閣には、73条1号にもとづいて、法律を誠実に執行する義務があります。予算が無くても、誠実執行義務は消えません。義務がある以上、内閣は補正予算を組んだり、予備費を支出したり、施行の時期を延期したりして、対処しなければなりません。補正予算とは、いったん成立した予算を、年度の途中で追加したり変更したりするために、あらためて組む予算のことです。当初の予算に不足があるとき、この手続きで足りない分を後から補います。

2つ目の場面。予算は成立している、でもそれを実施するための法律が不成立の場合です。予算だけがある場合は、1つ目とは逆になります。内閣は、法律が無い以上、支出できません。法律案を作成して、国会に提出することになります。ここが、もう一つの罠です。国会に、法律を成立させる義務はありません。これが通説です。法律を作るかどうかを決めるのは、国会の権限です。内閣から強制することはできません。国会単独立法の原則の、裏返しです。法律を作る権限は、国会だけが持っていて、内閣など他の機関の関与なしに、国会だけで完結する、という原則です。法律を作るかどうか自体、国会にしか決められません。

誰に、何の義務があるか。この場面ごとの違いを、丁寧に押さえておいてください。

予備費——87条

予備費の3段構造(全文=①予見し難い予算の不足に充てるため、国会の議決に基いて予備費を設け、内閣の責任でこれを支出することができる。②すべて予備費の支出については、内閣は、事後に国会の承諾を得なければならない。/設ける=国会の議決(1項前段)/支出する=内閣の責任(1項後段)/承諾する=事後に国会(2項)/事後承諾が得られなくても、既にした支出の効果は覆らない(通説)) 図:予備費の3段構造

  • 全文=①予見し難い予算の不足に充てるため、国会の議決に基いて予備費を設け、内閣の責任でこれを支出することができる。②すべて予備費の支出については、内閣は、事後に国会の承諾を得なければならない。
  • 設ける=国会の議決(1項前段)
  • 支出する=内閣の責任(1項後段)
  • 承諾する=事後に国会(2項)
  • 事後承諾が得られなくても、既にした支出の効果は覆らない(通説)

さっき、予算が足りない場面で予備費を支出するという手が出てきましたね。その予備費そのものを、最後に条文で見ておきましょう。

条文日本国憲法 87条

日本国憲法 第八十七条 ① 予見し難い予算の不足に充てるため、国会の議決に基いて予備費を設け、内閣の責任でこれを支出することができる。 ② すべて予備費の支出については、内閣は、事後に国会の承諾を得なければならない。

「予見し難い」とは、あらかじめ予算を組む段階では、想定できなかった、という意味です。たとえば、予算を組んだあとで、大きな地震が起きて、急いで被災地に支援物資を届けるお金が必要になったとします。この支出は、去年の予算を組む段階では、誰にも予測できませんでした。この条文は、役割を3段に分けて見ると、分かりやすくなります。1段目は、設ける場面です。予備費を設けるかどうかは、国会の議決で決まります。1項の前段です。2段目。設けられた予備費を、実際にいつ、いくら支出するかは、内閣の責任です。1項の後段です。3段目。支出したあと、それでよかったかを、国会が事後にチェックします。2項の、事後承諾です。

作るのは国会。使うのは内閣。あとから国会が確認する。この3段の役割分担を覚えておいてください。事後の承諾が得られなかったとしても、支出が無かったことになる、とはなりません。事後承諾が得られなくても、すでにされた支出の法的効果に影響はありません。内閣の政治責任の問題が生じるにとどまります。これが通説です。なぜだと思いますか。予備費は、予見できない事態に、即座に対応するための制度です。いったん支出したあとで、国会の不承諾によって支出そのものが無効になる——さかのぼって取り消される——としてしまうと、緊急の場面で迅速に対応するという、この制度の意味そのものが失われてしまいます。

設ける権限は国会に残しつつ、いざというときの迅速さは、内閣の責任にゆだねる。よくできた役割分担です。

今日の地図(保存版)

まとめ(①予算は法律ではないが法規範——だから内閣を縛る/②その形式の答えが修正権の答えを決める——減額は限界なし・増額はできるが同一性を損なうほどは不可/③法律と予算は食い違いうる——どちらの場面も「誰に、何の義務があるか」で答える/予算は、使う前の縛りだった) 図:まとめ

  • ①予算は法律ではないが法規範——だから内閣を縛る
  • ②その形式の答えが修正権の答えを決める——減額は限界なし・増額はできるが同一性を損なうほどは不可
  • ③法律と予算は食い違いうる——どちらの場面も「誰に、何の義務があるか」で答える/予算は、使う前の縛りだった

今日の内容を、一度まとめましょう。1つ目。予算は法律ではありません。でも、法規範です。だから、内閣を縛ります。2つ目。予算は何者か、という答えが、修正権の答えも決めていました。減額修正には、限界がありません。増額修正はできますが、予算の同一性を損なうような大きな増額はできません。3つ目。予算と法律は、成立の手続きが別だから、食い違うことがあります。法律だけ成立して予算がない場合、内閣には誠実執行義務があり、実行しなくてよいわけではありません。予算だけ成立して法律がない場合、内閣は支出できませんが、国会には法律を成立させる義務はありません。

そして、予見しがたい不足に備える予備費も、設ける・支出する・事後にチェックするという、同じ財政国会中心主義の骨格の上に乗っていました。増額が大きすぎると、実質的に新しい予算を作ったのと同じになり、内閣の予算作成・提出権を専属させた趣旨を壊してしまうからでした。他方、減額はそもそも国会が予算を否決してゼロにできる以上、削ることは財政国会中心主義の趣旨に合っている、という理由でしたね。予算は、使う前の縛りでした。では——使ったあとは、誰が検証するのでしょうか。そして、そもそも出してはいけない先は、あるのでしょうか。

そこは、また、じっくり見ていきましょう。

参照条文

  • 日本国憲法 85条
  • 日本国憲法 86条
  • 日本国憲法 87条

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