決算と公金支出の制限——出したあとの検証と、出してはいけない先
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第4章 統治 #82/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。
決算審査——90条
図:90条の3段
- 定義=確定的計数書のことで、一会計年度に生じた国の収入支出が実際にどうであったかを確定させたもの
- ①会計検査院が全て毎年検査②内閣が次年度に決算と検査報告の両方を国会に提出③国会が審査
使ったあとを検証する制度が、決算です。条文を見ましょう。
条文日本国憲法 90条
日本国憲法 第九十条 ① 国の収入支出の決算は、すべて毎年会計検査院がこれを検査し、内閣は、次の年度に、その検査報告とともに、これを国会に提出しなければならない。 ② 会計検査院の組織及び権限は、法律でこれを定める。
決算とは、確定的計数書のことで、一会計年度に生じた国の収入支出が実際にどうであったかを確定させたものです。言い換えましょう。予算が「これから、これだけ入ってこれだけ使います」という予定の書面だったのに対して、決算は「実際に、これだけ入ってこれだけ使いました」と、あとから数字を確定させた書面です。予定と実績、この対比で覚えてください。予算の答え合わせ、という感覚に近いものです。この決算をめぐる流れが、条文には3段で書かれています。1段目は、検査する主体です。決算は、すべて毎年、会計検査院がこれを検査します。
お金を使った本人が、自分でそのお金の使い方を検査したのでは、チェックになりませんよね。だからこそ、内閣から独立した会計検査院という機関が、あいだに入って検査します。この機関の組織や権限の細かい中身は、条文が「法律でこれを定める」と定めています。細かい制度設計は、別の分野で扱います。ここでは、内閣から独立した第三者が検査する、という位置づけだけ押さえてください。「すべて毎年」は、当たり前のことではなく、押さえてほしい点です。すべての支出を、毎年、検査するとあります。一部を抜き取って検査する制度ではありません。
もし1年でも検査を飛ばせたら、その年に何にいくら使ったかは、誰の目にも触れないまま確定してしまいます。毎年、すべてを見るからこそ、抜け穴が生まれません。2段目です。内閣は、次の年度に、決算とその検査報告の両方を、国会に提出しなければなりません。なぜ両方が必要なのか、考えてみてください。決算だけを提出したとしたら、それは誰の言い分でしょうか。内閣が、自分でこう使いましたと言っているだけ、ということになりますね。内閣の自己申告だけでは、本当に正しく使われたのか分かりません。そこに、会計検査院という第三者が検査した結果である検査報告が加わって初めて、国会は「内閣の言い分」と「独立した機関の検査結果」を突き合わせて確認できます。片方だけでは足りません。そして3段目です。この2つを受け取った国会が、決算を審査します。
検査、提出、審査。この3つの主体を、取り違えないでください。この決算という書面をめぐって、3つの機関がそれぞれの役割を果たします。
決算不承認の効果——予備費と同じ構造
図:決算不承認と予備費の事後不承諾
- 左=決算・国会が承認しない
- 右=予備費87条2項・国会が事後に承諾しない
- 共通の結論=支出の効力には影響がなく内閣の政治責任の問題が生じるにとどまる
ここで、ひとつ思い出してほしい話があります。前回、予備費の事後承諾が得られなかったら、支出はどうなりましたか?予見しにくい支出のために、内閣の責任で先にお金を使って、あとから国会の承諾を得る制度でした。支出の効力には影響がなくて、内閣の政治責任の問題が生じるにとどまる、という結論でした。今日の決算にも、まったく同じ形が出てきます。国会が決算を承認しなかったとします。この場合、決算の効力、つまりすでにされた支出の効力には影響がなく、内閣の政治責任の問題が生じるにとどまります。これが通説です。使ったお金が戻ってくることも、支出が無かったことになることも、起きません。そこを取り違えないでください。「国会が決算を否決すれば、支出が無効になる」ではありません。
理由は2つあります。1つ目。事後のチェックは、内閣の政治責任を追及する仕組みです。すでにされた支出そのものを、遡って無効にする仕組みではありません。2つ目の理由は、遡って無効にできるとしてしまった場合に起きる問題です。決算が国会に否決されるたびに、すでにされた支出そのものが無効になるとしたら、どうなるでしょうか。その支出を受け取った側は、困りますね。委託先の業者や、補助金を受け取った国民の地位が、いつまでも確定しなくなってしまいます。あとから議決一つで覆るかもしれないお金を、誰も安心して受け取れません。
この2つの理由から、決算の不承認は、支出の効力そのものには影響しません。町内会の総会にたとえると、感覚がつかみやすくなります。会計係が、今年度はこう使いましたと決算を報告したとき、住民が納得できないとして、その決算を認めなかったとします。それでも、すでに炊き出しに使って配ってしまったお金が、住民の手元に戻ってくるわけではありませんよね。認められなかった会計係が、来年また会計係を任されるかどうか。事後の承認・不承認が意味を持つのは、そこです。次に誰に任せるかを判断する材料であって、すでに使われたお金を巻き戻すボタンではありません。
図:不承認に何の意味があるか
- 疑問=支出の効力に影響しないなら決算の不承認は無意味なのか
- 答え=政治責任という形で効く
- 中身=内閣不信任の議論・次年度予算審議・選挙を通じた責任追及
同じ形をしています。ここで、当然の疑問が出てきます。支出の効力に影響しないなら、決算の不承認には、いったい何の意味があるんでしょうか。無意味ではありません。政治責任という形で、ちゃんと効いてきます。決算が認められないほどの問題が見つかれば、それは内閣不信任の議論につながりますし、次の年度の予算審議で厳しく問われる材料にもなります。最終的には、選挙を通じて国民が責任を問うことにもつながります。法的な安定性を保つために、効力そのものは覆さず、政治責任だけを問う。決算の不承認と、予備費で事後の承諾が得られない場合。この2つは、同じ一つの理屈でつながっています。
支出の効力は覆らない——ここは変わりません。ですが、それを認めなかった内閣への信頼は、覆ります。覆らないものと、それでも内閣が負い続けるもの。この2つを、分けて覚えておいてください。
財政状況の報告——91条
図:91条カード
- 全文=内閣は、国会及び国民に対し、定期に、少くとも毎年一回、国の財政状況について報告しなければならない
- 報告先=国会だけでなく国民
- なぜ国民にも=83条・財政民主主義の最終的な受け手は国民
もう一つ、報告の制度を見ておきましょう。
条文日本国憲法 91条
日本国憲法 第九十一条 内閣は、国会及び国民に対し、定期に、少くとも毎年一回、国の財政状況について報告しなければならない。
ここが、この条文でいちばん覚えてほしい点です。報告先は、国会だけでなく、国民です。以前見た83条を思い出してください。国の財政は、国会の議決に基づいて処理するという原則でしたね。あの原則の一番奥にあるのは、最後には主権者である国民が判断する、という建前です。国民が判断するためには、判断のための材料が要ります。財政の状況が、国民に届かなければ、その建前は空っぽになってしまいます。そして「定期に、少くとも毎年一回」という言葉にも、意味があります。そこを、少し取り違えないでください。「年に1回でよい」ではなく、「年に1回は必ず」という最低ラインを定めた言葉です。
もっと頻繁に報告してもかまいません。ですが、それより間隔を空けることは許されない、という最低ラインです。国会にだけ、たまに知らせておけばよい制度ではありません。
出してはいけない先——89条
図:89条全文
- 全文=公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない
- 前段=宗教上の組織・団体への支出禁止
- 後段=公の支配に属しない慈善・教育・博愛の事業への支出禁止
ここまでは、使ったあとの検証でした。ここからは、まったく違う種類の縛りに移ります。手続きが正しくても、そもそも出してはいけない先がある、という話です。
条文日本国憲法 89条
日本国憲法 第八十九条 公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。
実は、この条文には、2つの禁止が並んでいます。読点の前と後ろで、割って読んでみましょう。前段は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、の部分です。後段は、公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、の部分です。1つずつ、見ていきましょう。
前段——政教分離の財政面
図:前段の位置づけ
- 前段=宗教上の組織・団体への公金支出の禁止
- 政教分離の原則の財政面におけるあらわれ
- なぜ財政の章に=制度として分離を宣言してもカネが流れ続ければ結びつきは切れない、だから財政の面から流れそのものを断つ
まず前段です。宗教上の組織や団体に、公金を支出してはいけません。これは、政教分離の原則が、財政の面にあらわれたものです。その中身は、以前の政教分離の回で見たとおりです。ここで押さえてほしいのは、なぜ財政の章に、政教分離の話が出てくるのか、という一点です。考えてみてください。国が、宗教とは関わりませんと制度の上で宣言していても、実際にはその宗教団体にお金を渡し続けていたら、どうなるでしょうか。言葉では分離していても、お金でつながっている、ということになりますね。制度として分離を宣言するだけでは、実質的な結びつきは切れません。だからこそ、財政の面から、お金の流れそのものを断つ必要があります。お金の流れを断つのが、分離をいちばん実効的に担保する手段だからです。
前段は、それだけ押さえておいてください。
後段——私立大学への当てはめ
図:後段の当てはめフロー
- 後段=公の支配に属しない慈善・教育・博愛の事業への支出禁止
- 私立大学は「教育……の事業」にあたる
- 要件の構造=①客体(慈善・教育・博愛の事業か)②限定(公の支配に属しないか)③行為(支出・利用に供したか)
- 争点は②だけ
今日の本題は、こちらです。後段は、公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対する支出を禁じています。多くの私立大学は、毎年、国から助成金という形で税金を受け取っています。そして私立大学は、教育の事業にあたります。ここには、ほとんど争いがありません。条文の文言が、そのまま届くからです。「教育……の事業」という言葉に、私立大学を当てはめるのに、特別な解釈を挟む余地がほとんどありません。そこを、要件として整理してみましょう。後段は、3つの要素でできています。1つ目は、慈善、教育若しくは博愛の事業にあたるかという客体の要素。2つ目は、公の支配に属していないかという限定の要素。3つ目は、支出したか、あるいはその利用に供したかという行為の要素です。
1つ目の客体は、もう見たとおり争いがありません。私立大学は教育の事業です。3つ目の行為も、助成金を支出している以上、争いはありません。争点になるのは、2つ目、公の支配に属していないか、そこだけです。そして、ここで一度、条文をよく読み直してみてください。この条文は「支出し、又はその利用に供してはならない」という禁止の条文です。「原則として支出してよい」という条文ではありません。公の支配に属していない事業には、支出してはならない、と書いてあります。私立大学は、公権力の直接の支配下にはありません。素直に条文を読めば、私立大学への助成金は、違憲に見えてもおかしくありません。
条文をそのまま読んだ結論と、現実に行われていることのあいだに、はっきりとした落差があります。この落差こそが、論点を生んでいます。私立大学が公の支配に属していないなら、助成金の支出は89条後段に反し、許されません。反対に、属しているなら、許されます。結論は、公の支配という一語で決まってしまいます。その「公の支配」がどの程度の支配を指すのかが、今日いちばんの核心です。
「公の支配」とは、どの程度の支配か
図:対立の軸
- 争いの本体=89条後段の趣旨をどう解するかの1点
- 語の語感の問題ではない
- 趣旨が違えば「公の支配」の意味が違い、意味が違えば私立大学への当てはめの結論が違う
まず、何を争っているのか、その1点をはっきりさせましょう。正確には、少し違います。争いの本体は、語の語感の問題ではありません。89条後段が何のためにある条文なのか——その趣旨をどう解するかの1点です。趣旨が違えば、公の支配という言葉に込めるべき意味が変わります。そして意味が変われば、私立大学への当てはめの結論も変わります。趣旨、意味、当てはめ。この3段が、一本の鎖でつながっています。
図:自主性確保説
- 趣旨=団体の自主性を守ること
- 発想=金を出したら口も出したくなる→口を出さないために、そもそも金を出さない
- 「公の支配」の意味=団体が独自に意思決定できなくなるほど強い支配(人事権など)
- 私立大学への結論=そこまでの支配は及んでいない→私学助成は違憲
まず、1つ目の考え方です。自主性確保説といいます。
⭐ 論文で書く規範:「公の支配」の意義——自主性確保説 89条後段は、公金を受け取る団体の自主性を守るための規定だと理解する。そう考えると、「公の支配」と呼べるのは、その団体がもはや独自の意思決定をできないほど強く支配されている場合に限られ、たとえば組織の人事権を公権力に握られているケースがこれにあたる。 (規範(学説対立の一方))
発想を、順を追って説明します。お金を出す側は、出したお金がどう使われるか、口を出したくなるものです。「金を出したら口も出したくなる」。この前提から出発します。では、団体の自主性を守るには、どうすればよいでしょうか。そして、口を出させないための一番確実な方法は、そもそも金を出さないことです。だから89条後段は、公の支配に属さない団体には、あらかじめ金を出すこと自体を禁じている——そう読むわけです。この読み方に立つと、公の支配とは、団体がもはや独自の意思決定をできないほど強く支配されている状態のことになります。どの程度、強ければよいでしょうか。
相当、強くないといけない気がします。具体的には、人事権を公権力が持っていることが挙げられます。組織のトップを、公権力が選んだり解任したりできるくらいの支配です。ここで、一度立ち止まって考えてみてください。この考え方でいくと、私立大学に、そこまでの支配は及んでいるでしょうか。人事権のような強い支配は及んでいません。だとすると、この説に立てば、結論はどうなりますか。私立大学は公の支配に属していない、ということになって……私学助成は、89条後段に反して、許されない。つまり違憲、ということになります。自主性確保説からは、私学助成は違憲になります。
図:自主性確保説への批判
- 公の支配をあまりに厳格に見ると福祉国家の理念〔25条以下〕とぶつかる
- 福祉国家の理念とは=国が国民の生存・福祉のために積極的に関わるべきだという理念
- 帰結=強い支配を受け入れない限り公金の支援を受けられない団体が増える
- 積極的理由=公共性の高い目的ほど公費の濫用を招きやすい
では、2つ目の考え方に移りましょう。公費濫用防止説といいます。こちらが妥当な考え方です。
⭐ 論文で書く規範:「公の支配」の意義——公費濫用防止説 89条後段が防ごうとしているのは、公金が濫用されることである。この趣旨に立てば、「公の支配」と言うためには、業務や会計の状況について報告を求めたり、予算の変更を勧告したりできる程度の監督権があれば十分であり、それ以上に強い支配までは求められない。 (規範(通説))
まず、批判から入りましょう。自主性確保説の立場を取ると、公の支配をあまりに厳格に見ることになり、その帰結として福祉国家の理念とぶつかってしまいます。25条以下に書かれている、国が国民の生存や福祉のために積極的に関わっていくべきだ、という理念です。公の支配をそこまで厳しく要求すると、強い支配を受け入れない限り、公金による支援を受けられない団体が増えてしまいます。もう一つ、積極的な理由もあります。教育や博愛のように、公共性が高い目的を掲げる事業は、むしろ公費の濫用が起きやすい面があります。「良いことをしているのだから、お金をもらって当然だ」という理屈が通りやすくなるからです。目的の立派さが、逆に、お金の使い道への甘さを生んでしまう危険があります。
図:濫用防止説の規範
- 趣旨=公金が濫用されることを防ぐこと
- 「公の支配」の意味=濫用を防げる程度の関与で足りる
- 具体例=業務・会計の報告を求める、予算の変更を勧告する
- 不要なもの=人事権のような組織の中枢を握る支配
89条後段が防ごうとしているのは、公金が濫用されることでした。この趣旨に立てば、公の支配とは、濫用を防げる程度の関与で足りることになります。業務や会計の状況について、報告を求めることができる。予算について、必要な変更をすべきだと勧告できる。この程度の監督権があれば、足ります。人事権のような、組織の中枢を握る支配までは要りません。
図:私立大学への当てはめ
- 私立大学に及んでいるもの=会計の報告義務・補助金についての行政指導
- 結論=公の支配に属する→私学助成は合憲
- 逆に足りない例=報告も勧告もできず中身を確かめられない事業は濫用防止説からも89条後段違反
- 境目=濫用を防げる最低ライン
では、また立ち止まって考えてみてください。この考え方でいくと、私立大学には、この程度の監督権は及んでいるでしょうか。報告を求められ、必要な勧告を受ける。その程度の監督は及んでいます。逆に、どの程度なら足りないのかも見ておきましょう。業務や会計の報告を求めることもできず、予算の使い方に勧告することもできない——公の側が中身をまったく確かめられない事業であれば、この説に立っても「公の支配」には属していません。そこへの支出は、濫用防止説からも89条後段に反します。だとすると、私立大学の結論はどうなりますか。
私立大学は公の支配に属している、ということになって……私学助成は、89条後段に反しない。つまり合憲、ということになります。同じ89条後段、同じ私立大学という素材から、趣旨の読み方ひとつで、違憲と合憲、正反対の結論が出てきます。
図:篤志家のたとえ
- 渡し方1=理事として人事に加われるなら渡す→自主性確保説の発想
- 渡し方2=使い道の報告書だけ出せば渡す→公費濫用防止説の発想
- 同じ「渡す」でも目的が違えば必要な条件の重さが変わる
感覚をつかむために、身近な場面に置き換えてみましょう。ある篤志家が、苦学生に奨学金を渡すとします。渡し方は2通りあります。一つは、「私が理事として学校の人事に加われるなら渡す」という渡し方。もう一つは、「使い道の報告書だけ出してくれれば渡す」という渡し方。この2つです。前者は、そこまで口を出せないなら初めから渡さない、という発想——自主性確保説です。後者は、報告を求めて使い込みだけ防げれば足りる、という発想——公費濫用防止説です。同じ「お金を渡す」でも、何のために条件をつけるのかで、必要な条件の重さが変わります。
図:2説の対比表
- 自主性確保説の趣旨=団体の自主性の確保
- 自主性確保説の「公の支配」=人事権など強度の支配
- 自主性確保説の具体例=組織トップの選解任
- 自主性確保説の結論=私学助成は違憲
- 公費濫用防止説の趣旨=公費の濫用防止
- 公費濫用防止説の「公の支配」=報告徴収・予算変更の勧告
- 公費濫用防止説の具体例=会計報告・行政指導
- 公費濫用防止説の結論=私学助成は合憲
片方の説しか知らないと、答案で、もう一方の説にどう応じればいいか分からなくなります。だから、両方とも、趣旨から当てはめまで、順を追って言えるようにしておいてください。通説・実務は、公費濫用防止説の立場に立っています。
今日の地図(保存版)
図:まとめ
- ①事後のチェックは政治責任を問う仕組み――決算の不承認も予備費の事後不承諾も支出の効力は覆らない②91条の報告先は国会だけでなく国民③「公の支配」の答えは89条後段の趣旨で決まり、趣旨が変われば私学助成の結論が逆になる
- 国のお金の縛りは、取るとき・使う前・使ったあと・出してはいけない先の4つで完結した
今日の内容を、まとめましょう。1つ目。使ったあとの事後チェックは、内閣の政治責任を問う仕組みです。決算の不承認も、前回見た、予備費で事後の承諾が得られない場合も、すでにされた支出の効力を覆すことはありません。2つ目。91条の報告先は、国会だけでなく国民です。財政民主主義の、最後の受け手は国民だからでした。3つ目。89条後段の「公の支配」の答えは、条文の趣旨で決まります。自主性確保説なら私学助成は違憲、公費濫用防止説なら合憲。趣旨が変われば、結論が逆になります。自主性確保説では、人事権を公権力が持っているくらいの、強度の支配でした。公費濫用防止説では、業務や会計の報告を求める、予算の変更を勧告する程度の、監督権でした。
今日で、国が持つお金の縛りが、すべて出そろいました。取るとき、使う前、使ったあと、そして出してはいけない先。国のお金の縛りは、ここまでです。……では——国ではなく、地方は。市や県が、自分で決められる範囲は、憲法のどこにあるのでしょうか。そこは、また、じっくり見ていきましょう。
参照条文
- 日本国憲法 90条
- 日本国憲法 91条
- 日本国憲法 89条