権利能力は、能力ではない——出生と、胎児のための、四本の橋
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第1章 民法総則 ⑫/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。
今日の地図——前回のブレーキと、今日開く問い
図:今日の地図
- 前回のブレーキ=権利濫用を一言で振り返り
- 人には自然人と法人の2種類があり今日は自然人を扱うと予告
- 今日配るのは権利を持てるための線とその手前の橋
少し、前回の話を、振り返っておきます。前回、権利があっても通らなくなる——あのブレーキ、覚えていますか?今日は、そこから、もう一段、手前に、戻ります。前回、見たのは、権利が「通るかどうか」でした。今日は、そもそも、権利を「持てる」のは、どんな存在なのか、という、出発点の話です。まず、一つ、確認しておきます。民法が扱う「人」には、二種類、あります。わたしたちのような、生きた人間——これを自然人といいます——と、会社のような、法律が作り上げた組織、つまり法人です。今日、扱うのは、前者——生きた人間のほうです。組織の話は、また、別の回で扱います。
今日、配るものは、これです。権利を持てるための”線”と、その線の手前に架かる”橋”。順番に、見ていきましょう。
山場——能力なのに、能力が要らない
図:資格と力のズレの板
- 権利能力は誰でも持つ資格
- 意思能力は判断できる力
- 行為能力は一人で契約できる資格
- 今日は三つのうち一つ目で残り二つはこの先の回で
実は、以前、一度、この言葉を、お伝えしました。権利能力——誰でも持っている、権利を持てる資格そのものです。あのときは、三つの能力の、名前だけを、預けました。今日は、その一つ目——権利能力の、中身に、入ります。意思能力と、行為能力は、この先の回で、扱います。今日は、権利能力だけに、絞ります。権利能力とは、権利や義務を持てる、資格そのものです。実は、そこが、今日、最初の山場です。この権利能力だけは、能力が要りません。たとえば、生まれた翌日の、赤ちゃん名義の、預金口座は、作れます。
その赤ちゃんは、お金の意味を、分かっていません。判断する力は、ゼロです。それでも、その子の名義で、財産を持つことが、できます。もう一つ、例を、見てみましょう。認知症が進んで、判断が、ほとんどできなくなった人がいます。それでも、その人名義の不動産は、そのまま、その人のものです。賢さも、判断力も、財産の管理能力も、一切、必要ありません。生まれたての赤ちゃんも、認知症が進んだ人も、まったく同じ立場です。基準は、たった一つです。人として、生きて、この世に存在しているかどうか。それだけです。
3条1項が挙げている基準は、出生だけで、判断力のことは、書かれていません。「持てるかどうか」と「自分で動かせるかどうか」は、別の話だからです。持てるほうまで、能力があるかどうかで、線を引いてしまうと——赤ちゃんや、判断が難しい人の財産が、また、誰のものか、決まらなくなってしまいます。では逆に、権利能力を持たない存在も、見てみましょう。どれだけよく訓練された、盲導犬でも、その犬自身の名前で、土地は買えません。どれだけ賢くても、です。では、仮に、飼い主が、遺言で、その犬に、財産を残そうとしたら、どうでしょうか。
犬は、権利能力を持たないので、財産を受け取る側には、なれません。犬のために財産を残す別の方法はありますが、中身は、また別の回で扱います。「能力」という名前に、騙されないでください。権利能力は、力ではなく、資格です。意思能力のほうは、逆に、正真正銘、力です。判断できる力があるか、を見ます。中身は、この先の回で。もう一つの行為能力は、こちらは資格ですが、「権利を持てるか」ではなく、「一人で、確定的に、契約できるか」の資格です。中身は、この先の回で。今日は、その対比だけ、覚えておいてください。
持つか持たないかしかない——だから、線引きが、すべてになる
図:二択と線引きの板
- 権利能力は持つか持たないかの二択で中間がない
- だから民法はどこで線を引くかで勝負するという一言
もう一つ、大事な性質が、あります。権利能力には、強い・弱いという、段階が、ありません。意思能力なら、「少し分かる」「だいたい分かる」という、程度の差が、あります。でも、権利能力は、持っているか、持っていないか、その二択だけです。たとえば、赤ちゃんと、大人とで、持てる権利の「量」が、半分だけ違う——ということは、起きません。なぜ、あえて、段階を、設けなかったのか。理由は、はっきりしています。もし、「半分だけ権利能力がある」という状態を、認めてしまうと——その財産が、誰のものか、きっちり決まらない場面が、生まれてしまいます。
たとえば、さっきの、赤ちゃん名義の、預金口座で、考えてみましょう。権利能力が半分だけなら、その預金は、半分だけ、その子のもの——残りの半分は、誰のものでしょうか。だから、民法にとって、勝負どころは、一つに絞られます。どこで、その線を引くか。この一言が、今日、この先、ずっと、この回を貫きます。持つか、持たないか。線をどこに引くか。この視点で、見ていきましょう。
権利能力の始まり——出生
図:始期は出生という板
- 権利能力はいつ始まるかという問い
- 出生届の有無は無関係という一言
では、その線を、実際に、引いてみましょう。権利能力が始まる、その瞬間は、いつでしょうか。条文が、それを、はっきり定めています。
条文民法3条1項
民法 第3条 私権の享有は、出生に始まる。
「私権」は、財産に関する財産権や、親子・夫婦といった関係に関する身分権など、民法が扱う権利、全般のことです。「享有」は、権利を、自分のものとして持つこと、と読み替えてください。ここで、一つ、注意があります。「出生」とは、役所に、出生届を出すことでは、ありません。出生届は、あくまで、行政上の手続きです。届けを出す前でも、生まれた瞬間に、権利能力は、発生します。そこが、大事な点です。通説は、「生まれた」とは、赤ちゃんの体が、母体から全部出た瞬間だと考えます。この考え方を、全部露出説と呼びます。頭も、体も、手足も、すべてが、母体の外に、出て初めて、「出生」になります。
山場——同じ「出生」なのに、民法と刑法で答えが違う
図:民法と刑法で分かれる出生の弁別板
- 民法は全部露出
- 刑法は一部露出の2本の線を同じ分娩の場面に引く
- 線の置き方の理由が違うという対比
ここで、一つ、面白い話を、しておきます。実は、同じ「出生」という言葉が、刑法では、違う意味で使われています。分娩の途中、赤ちゃんの、頭と肩までが、外に出た瞬間を、想像してください。この瞬間、民法では、まだ、権利能力は、ありません。全部露出説なので、体が完全に外に出るまでは、「出生」に、なりません。ところが、刑法は、違う答えを出します。刑法では、体の一部でも出ていれば、もう「人」として扱います。この考え方を、一部露出説と呼びます。民法では、まだ権利能力が無く、刑法では、もう保護の対象になっている。同じ瞬間に、二つの、違う答えが、あるんです。
おかしくは、ありません。理由は、それぞれの法律が、線を、どこに置くかを、違う事情で決めているからです。まず、刑法から、見てみましょう。体の一部でも、外に出た瞬間から、赤ちゃんは、母体を通さずに、直接、危害を受けうる存在になります。だから、刑法は、その瞬間から、もう、人として、保護するのです。では、民法は、なぜ、そこまで、待つのでしょうか。実は、生まれる前の子の利益は、この後、見ていく、別の仕組みで、個別に、手当てされています。だから、権利能力が始まる線そのものは、急がず、いちばんはっきりした瞬間に、置いておけるのです。
同じ「出生」という言葉でも、何を優先するかで、線の位置は変わります。これは、民法と刑法を、両方、学ぶうえで、ずっと役に立つ視点です。刑法の、一部露出説の詳しい中身は、刑法のシリーズで扱います。
では、生まれる前は?——3条1項を、逆から読む
図:反対解釈と不公平の板
- 条文には出生としか書いていない
- 書いていない以上原則は認めない
- 兄と弟の設例で数日の差が結論を分けるという不公平
では、生まれる前——胎児の段階では、権利能力は、どうなるでしょうか。この条文の言葉を、もう一度、よく見てください。出生に始まる、としか、書いていません。その前に、以前お渡しした、三つの手順を、当ててみましょう。一つ目——条文の趣旨を言う。この3条1項は、何のための条文でしょうか。二つ目——その趣旨が、目の前の場面にも、及ぶかを確かめる。この趣旨は、まだ生まれていない胎児の場面まで、届くでしょうか。では、三つ目の手順——及ぶなら、適用する。及ばないなら、適用しない。いまは、届かない側でしたね。この条文を、逆から、読んでみましょう。「出生に始まる」ということは、出生より前には、まだ始まっていない、ことになります。
条文が「こうである」としか書いていないときに、「そうでなければ成り立たない」を導く読み方——3条1項の反対解釈により、原則として、出生前の胎児には、権利能力が認められません。冒頭の子は、お父さんが亡くなった、その瞬間、まだ、生まれていませんでした。この原則のままだと——一つ、具体例を、考えてみましょう。ある家庭で、同じ日に、お父さんを、亡くしました。この家には、兄と弟が、いたとします。兄は、すでに、生まれていました。弟は、まだ、お母さんのお腹にいました。原則のままだと、兄は、財産を受け継げます。生まれているからです。でも、弟は、何も受け継げません。生まれていないからです。
その不公平さこそが、この先の話の出発点です。生まれるタイミングという、本人にはどうにもならない偶然で結論が変わります。これでは、あまりに不公平です。民法は、この不公平を、放置しませんでした。原則の、すぐ外側に、例外の橋を、架けています。
山場——例外は、四つ架かっている
図:四つの橋の板
- 損害賠償
- 相続
- 遺贈
- 認知の四本
- 共通の仕掛けはすでに生まれたものとみなすという出生擬制
民法が架けた橋は、全部で、四つあります。一つ目の橋は、不法行為に基づく、損害賠償請求権です。不法行為——故意や過失で、他人の権利を侵害したときに、損害を賠償させる、あの枠組みです。前に、一度、見ましたね。
条文民法721条
民法 第721条(損害賠償請求権に関する胎児の権利能力) 胎児は、損害賠償の請求権については、既に生まれたものとみなす。
これが、四つの橋、すべてに共通する、仕掛けです。本当は、まだ、生まれていません。それでも、この場面についてだけ、法律上、もう生まれた、ということにする——この考え方を、出生擬制と呼びます。冒頭の事故に、責任を負うべき相手がいたのなら——この721条があるおかげで、冒頭の子は、損害賠償を、請求できます。二つ目の橋は、相続です。
条文民法886条
民法 第886条(相続に関する胎児の権利能力) 胎児は、相続については、既に生まれたものとみなす。 2 前項の規定は、胎児が死体で生まれたときは、適用しない。
相続についても、同じ仕掛けが、使われています。この886条1項があるおかげで、冒頭の子は、お父さんの財産を、相続できます。2項も、見ておきましょう。「胎児が、死体で、生まれたときは、適用しない」。残念ながら、死産の場合には、この橋は、無かったことになる、という意味です。橋が架かるのは、あくまで、生きて生まれた場合、という条件が付いています。この条件が、いつから効くのか——実は、そこが、この先の大きな問題になります。今日の最後に、もう一度、触れます。三つ目の橋は、遺贈です。
遺言によって、財産を、譲る場面です。この橋の根拠は、965条という条文です。965条は、886条の規定を、受遺者について、準用しています。遺言で、財産を受け取る人のことです。886条の「相続については、既に生まれたものとみなす」という仕組みを——そのまま、遺贈の場面にも、当てはめる、という意味です。おかげで、遺言によって、胎児に、財産を残すことも、できます。たとえば、お父さんが、生前に、「生まれてくる子に、この家を残す」と、遺言に書いていたとします。この場合も、886条を借りて、胎児のうちから、受け取る側になれます。四つ目の橋は、認知です。
父親が、自分の子だと、法律上、認める手続きです。本来は、生まれた後に、行いますが——783条1項が、胎児のうちからの認知を、認めています。条文の中身は、母の承諾があれば、胎児でも認知できる、という一点だけです。認知の詳しい要件は、また、別の回で扱います。この四つの場面では、原則を破って、胎児にも権利能力が認められます。この四つは、そのまま、覚えてしまってください。ただ、丸暗記する必要は、ありません。共通しているのは、たった一つ——すでに生まれたものと、みなす、という仕掛けです。この一言さえ、押さえておけば、四つとも、同じ形をしています。
冒頭の答え、その途中まで
図:前半の決着板
- 出生の線とその手前の四本の橋を重ねて描く
- 橋がいつ架かるのかはまだ分からないという開いた問い
さて、ここで、冒頭の問いに、一度、戻りましょう。お父さんが亡くなったとき、まだ生まれていなかった、あの子です。今日、見てきたことを、順番に、当てはめてみます。まず、一段階目——原則。3条1項の反対解釈により、出生前の胎児には、権利能力が、ありません。つまり、原則では、取れません。でも、そこで、終わりでは、ありませんでした。民法は、原則の、すぐ外側に、四本の橋を、架けていました。二段階目——721条や、886条があるので、生まれてくれば、この子は、取れます。ここまでで、取れるか、取れないか、という問いには、答えが出ました。
実は、四つの橋には、共通して、「すでに生まれたものとみなす」という言い回しが、ありました。この「みなす」が、いつから、みなされるのかは、実は、まだ、触れていません。この点は、今日の、最後に、もう一度、触れます。
今日の地図(保存版)
図:今日のまとめ
- 権利能力は資格で能力不要
- 出生は民法と刑法で線が違う
- 原則は反対解釈で胎児に権利能力なし
- 例外は四つの橋=出生擬制
- 橋がいつ架かるのかは次に開く問いという送り
今日、配ったものを、まとめましょう。権利能力は、能力ではなく、資格でした。賢さも、判断力も、要りません。出生という線は、民法と刑法で、位置が、違いました。原則は、出生前の胎児に、権利能力は無い、でした。でも、それでは、あまりに不公平な場面が、出てきます。だから、民法は、その原則の、すぐ外側に、四本の橋を、架けていました。今日、名前だけ、置いていったものも、並べておきます。意思能力——判断できる力。行為能力——一人で、確定的に、契約できる資格。この二つは、この先の回で、扱います。
ほかにも、法人の中身、認知の要件、相続や遺贈の本体、不法行為の本体——今日、名前だけ触れたものは、それぞれ、いずれかの回で扱います。すべて、「権利を持てるかどうかは、資格の話であり、だからこそ、線の引き方がすべてを決める」——一つの発見に、つながっています。ただ、実は、今日の話には、まだ、片づいていない、宿題が、一つ、残っています。四つの橋は、「すでに生まれたものと、みなす」という、仕掛けで、動いていました。では、その「みなす」は、いつから、効くのでしょうか。生まれる前に、お母さんは、この子の代わりに、動けるのでしょうか。
この続きは、また、次に、見ていきましょう。
参照条文
- 民法3条1項
- 民法721条
- 民法886条