意思表示の構造
印刷のコツ
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第1章 民法総則 ㉘/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。
同じ「売ります」なのに、行き先が全部違う
図:自分の車を売るという同じ言葉を五つの場面に並べた問いかけ板
- ①冗談半分で「売るよ」と言ったら本気にされた
- ②差押えを逃れるため友人と示し合わせて「売った」ことにした
- ③値段を言い間違えた・転勤が決まったと思い込んで売ると決めてしまった
- ④走行距離を偽られて信じて売った
- ⑤脅されて売ると言わされた
- どれが契約から抜けやすいかという問い
今日は、同じ言葉を五つ並べるところから始めます。自分の車を持っているとします。この車について「売ります」と言った場面を、五つ用意しました。一つ目です。飲み会の席で、冗談半分に「この車、売るよ」と言ったら、友人が本気にしました。二つ目です。差押えを逃れるため、友人と示し合わせて「売った」ことにしました。二人とも、最初から分かってやっています。三つ目です。値段を言い間違えた。あるいは、転勤が決まったと思い込んで、売ると決めてしまいました。四つ目です。走行距離を偽られて、それを信じて売りました。五つ目です。脅されて、売ると言わされました。
どれも、口から出た言葉は「売ります」の一言です。この五つのうち、契約から抜けやすいのはどれでしょうか。実際に、考えてみてください。多くの人が、そう感じます。ところが、五つのうち原則のルールが『有効』なのは、一つ目の冗談だけなんです。相手が本気にしていて、冗談だと気づけるような場面でもなければ、言った言葉のとおりに効いてしまいます。なぜ、扱いがここまで分かれるのか。今日一日かけて、その理由をたどります。
空欄だった、人の側の関門
図:有効要件のうち中身の側は済み人の側だけが空欄として残っていることを示す最小限の板
- 確定性・適法性・社会的妥当性=済
- 人の側=空欄
- 今日はその空欄を開けるという一言
この答えを出す前に、一つだけ確認させてください。契約が効くまでの関門のうち、確定性・適法性・社会的妥当性という中身の側は、以前の回で終わっています。思い出してください。あのとき、まだ空欄だと言った関門があります。それは何でしたか?だまされた・勘違いした・脅された、という、人の側の関門です。今日から、その空欄を一つずつ開けていきます。まず、その手前に必要な土台を、一つ作ります。
意思表示とは何か
図:契約は二つの意思表示でできているという定義板
- 意思表示=法律上の効果を発生させようという意思を外部に表す行為
- 契約=申込みという意思表示と承諾という意思表示の組み合わせ
契約は、実は一つのかたまりではありません。「売ります」という申込みと、「買います」という承諾。この二つの意思表示でできています。例えば、売る側の言葉と本当の気持ちだけがずれることがあります。二つに割っておけば、そのズレが申込み側で起きたのか、承諾側で起きたのかを、あとで言えるからです。改めて定義します。意思表示とは、法律上の効果を発生させようという意思を、外部に表す行為です。「意思」と「表示」、その二つが、実はぴったり同じではないことが、今日いちばんの中身です。
山場——心の中は、四つの段でできている
図:意思表示の4段階を自転車の売却で通す板
- 動機
- 効果意思
- 表示意思
- 表示行為
- 効果意思の枠だけを内心的効果意思と表示上の効果意思の二段書きにする
心の中で何が起きているかを、四つの段に割ってみます。引っ越しで、荷物を減らしたいと思ったとします。これが動機です。次に、自転車を売ろう、と決めます。これが効果意思です。それから、「売ります」と言おう、と思います。これが表示意思です。最後に、実際に「三万円で売ります」と言います。これが表示行為です。ここで、法が受け取っているのは、効果意思から先だけです。動機は、相手には見えません。今日は、その効果意思の中に、もう一段深く入ります。実は、本当は三万円で売るつもりでした。ところが、口が滑って「二万円で売ります」と言ってしまいました。
この場合、心の中で本当に決めていた三万円を、内心的効果意思と呼びます。一方、外から見て言葉のとおりに読み取れば、二万円で売ろうと決めたとしか読めない意思を、表示上の効果意思と呼びます。さっきの四段階の効果意思は、ふだんはこの二つが一致しているので、一語で効果意思と呼んでいます。今のように、言い間違えてズレた場面でだけ、二つに割って呼び分けます。では、友人に対して、この意思表示はいくらで成立したでしょうか?意思表示が成立するのに要るのは、表示上の効果意思と、それを実際に言った表示行為の二つだけです。四段階のうち、表示意思も、この二つには入りません。
内心的効果意思も表示意思も、どちらも要りません。意思表示の成立要件ではないんです。相手は、他人の心の中を確かめる手段を持たないからです。『売ると言おう』と思ったかどうかも、本当はいくらのつもりだったかも、どちらも心の中の出来事です。もし内心を成立の条件にしてしまうと、本人が後から「本当は三万円のつもりだった」と言うだけで、契約が最初から無かったことにできてしまいます。だから法は、表示から読み取れる意思だけを見て、成立を判断します。消えるわけではありません。行き先が変わるだけです。ズレは、成立の問題ではなく、有効性——効くかどうか——の問題として、後段で扱われます。
有効性という言葉自体は、前に見た中身の関門と同じです。ただし今日から扱うのは、中身の側ではなく、人の側の有効性です。この先、心裡留保・虚偽表示・錯誤・詐欺・強迫という条文が出てきますが、どれもこの有効性の段に立っています。
言葉にならなくても伝わる
図:明示・黙示・挙動の三つの伝え方を示す板
- 明示=はっきり言葉にする
- 黙示=態度から読み取れる・定食屋のうなずき
- 挙動=動作そのものが意思表示・自動販売機
- 沈黙は原則として意思表示にならない
五つの条文に入る前に、成立の側をもう一つだけ片づけます。表示から読み取れる意思の、その表示は、言葉でなくてもかまいません。はっきり言葉にする場合を、明示と呼びます。「売ります」と言うのが、これです。定食屋で「ライス大盛りにしますか」と聞かれて、黙ってうなずいたとします。それでも、承諾の意思表示になります。これを黙示と呼びます。態度から、意思が読み取れるからです。もう一つあります。自動販売機にお金を入れて、ボタンを押します。なります。動作そのものが意思表示になる場合を、挙動による意思表示と呼びます。
明示も黙示も挙動も、扱いは同じです。どれも、表示から読み取れる意思さえあれば、それで成立します。さっきの自転車の例で見た理屈と、まったく同じです。沈黙は、少し違います。長期間音信不通だった相手から「値上げに同意しないなら返信してください」という手紙が届いたとします。これに返信しなかったとして、それだけで値上げに同意したことになるでしょうか。何も言っていないだけなので、同意したとは言えない気がします。沈黙は、原則として意思表示になりません。黙示には、うなずきという態度がありました。沈黙には、それすらありません。ただし、法律が、黙っていれば承諾したとみなすと特に定めている場面などでは、例外的に意味を持つことがあります。この先は、必要になった回で扱います。
山場——二つのズレ方、気づいているか、いないか
図:二系統の板
- 意思の不存在=内心的効果意思がそもそも無い・93条94条95条1項1号
- 瑕疵ある意思表示=内心的効果意思はあるが作られる過程に傷・95条1項2号96条
- 錯誤だけが両方にまたがる矢印
ここまでで、ズレが成立ではなく有効性の問題だと分かりました。今日は、そのズレを二種類に分けます。一つ目は、内心的効果意思がそもそも無いパターンです。これを、意思の不存在と呼びます。二万円と言ってしまった、あの例です。二万円という言葉しか出ていませんが、実際には三万円のつもりでした。つまり、二万円で売ろうという内心的効果意思そのものが、存在していません。二つ目は、内心的効果意思はちゃんとあるけれど、その作られ方に傷があるパターンです。これを、瑕疵ある意思表示と呼びます。だまされた・脅されたことで、本来なら決めなかったはずの決断をしてしまった、という意味です。決めたこと自体は、本人の意思です。
この二つの系統に、冒頭の五つの場面を当てはめてみます。冗談で「売るよ」と言った場合は、どちらでしょうか。本人は、売る気が無いのに、言葉だけ「売ります」と出しています。内心的効果意思が無いほうです。示し合わせて嘘の契約書を作った場合も、同じです。だまされた場合と、脅された場合は、どうでしょうか。「売ります」と決めたこと自体は、本人がやっています。決め方が汚されているほうです。では、値段を言い間違えた場合と、転勤を思い込んだ場合は、どちらでしょうか。実は、この二つは、どちらも法律上は同じ「錯誤」という一つの条文の中に入っています。錯誤だけが、二つの系統にまたがるんです。中身は、次の機会に扱います。
五類型の位置——効果は結果として出る
図:5類型比較板
- 心裡留保93条=本人が知っている・原則有効
- 虚偽表示94条=相手方と通じて・無効
- 錯誤95条=本人が気づいていない・取消し
- 詐欺96条=だまされて・取消し
- 強迫96条=脅されて・取消し
ここで、五つの条文を、一枚の表に並べます。心裡留保、九十三条。虚偽表示、九十四条。錯誤、九十五条。詐欺と強迫、九十六条です。どこでズレたか、原因は何か、という二つの問いで並べると、効果は結果として出てきます。心裡留保は、本人が自分で分かっていて、一人で「売るよ」と言った場合です。虚偽表示は、相手と通じて、示し合わせた場合です。錯誤は、本人が気づかないまま、思い違いをしていた場合です。詐欺は、だまされた場合。強迫は、脅された場合です。ここで、原則の効果だけを見ておきます。心裡留保は、原則として有効です。
条文を見てみましょう。
条文民法93条1項
民法 第九十三条(心裡留保)第1項 意思表示は、表意者がその真意ではないことを知ってしたときであっても、そのためにその効力を妨げられない。ただし、相手方がその意思表示が表意者の真意ではないことを知り、又は知ることができたときは、その意思表示は、無効とする。
表意者というのは、意思表示をした本人のことです。冗談だと自分で分かっていて言った以上、原則として、その言葉どおりの効果が生じます。ただし、ただし書きを見てください。相手が、真意ではないと知っていたか、知ることができたときは、無効になります。そのときは、ただし書きが働いて、無効です。笑ってはいなくても、冗談だと気づけたはずの場面なら、同じく無効です。同じ冗談でも、相手の側から見て真意が分かったかどうかで、結論が逆になります。自分でわかって言った人を守る必要は小さいので、原則は有効。相手も分かっていたのなら話は別、という組み立てです。細かな要件は、この条文が主役になる回で扱います。
図:無効と取消しの整理板
- 虚偽表示は無効・錯誤詐欺強迫は取消し
- 改正前は錯誤の効果は無効だったが今は取消しに変更
- 二系統と効果の対応は崩れた
残る四つも、同じように見ておきます。虚偽表示は、無効です。二人で最初から嘘だと分かってやっているので、守る理由がありません。錯誤と、詐欺・強迫は、いずれも取り消すことができる、という効果です。ここで、一つだけ歴史の話をします。改正の前は、錯誤の効果は無効でした。本人の意思にかかわらず、契約は最初から死んでいました。今は違います。今の条文では、取消しに変わっています。取消しは、抜けるか続けるかを、本人が選べます。守られる側に、選択権を渡す形に変わりました。ここで、さっきの二系統を思い出してください。昔は、意思の不存在なら無効、瑕疵ある意思表示なら取消し、ときれいに対応していました。
意思の不存在の側にいる言い間違いの錯誤も、今は取消しになりました。二系統と効果の対応は、崩れています。違います。意味は残っています。二系統は、効果を暗記するための表ではなく、ズレの性質を見分けるための地図として持ってください。どこでズレたかが分かれば、そのあと、どの条文を見ればいいかが分かります。効果は、そのつど条文で確認すればよいのです。
山場——表意者を守るか、言葉を信じた相手を守るか
図:意思主義・表示主義の軸板
- 意思主義=表意者の内心を重く見る・93条1項ただし書94条1項95条1項96条1項
- 表示主義=外に出た表示を重く見る・93条1項本文93条2項94条2項95条4項96条3項
- 条文ごとにこの軸のどこかに立つ
最後に、今日見てきた条文を、一本の軸の上に並べます。片方の端に、意思主義を置きます。意思表示をした本人、つまり表意者の心の中を重く見て、本人を守る考え方です。もう片方の端に、表示主義を置きます。外に出た表示を重く見て、それを信じた相手を守る考え方です。どちらか一方ではありません。条文ごとに、この軸のどこかに立っています。九十三条を、もう一度見てください。本文は、真意でなくても効力を妨げられない、でした。本文は、表示主義側に立っています。ところが、ただし書きは違います。相手が知っていた、または知ることができたときは無効、という部分です。
ただし書きは、意思主義側に立っています。同じ一つの条文の中でも、本文とただし書きで、立つ位置が逆になっています。虚偽表示も、同じ構造です。一項は無効。売る気の無い二人の内心どおりに扱い、言葉を信じた人がいないので効かせません。だから意思主義側です。二項は、示し合わせて名義を移した車を、事情を知らずに買った人には、無効だと言えない、という規定です。こちらは表示主義側に立っています。あります。そして、並べてみると、もう一つ見えてきます。本人の落ち度が大きいほど、言葉を信じた第三者が守られやすくなっているんです。
錯誤と詐欺は、取り消して本人を守るのが本則で、ここは意思主義側です。ただ、たとえばだまされて売った車を、取り消す前に相手が転売していて、買った人が事情を知らず、知らなかったことに落ち度も無ければ、その人には取消しを主張できません。ここは表示主義側です。脅された場合には、この守り方がありません。本人に落ち度を問う余地が、ほとんど無いからです。中身は、それぞれの条文が主役になる回で扱います。今日、持ち帰ってほしいのは、この見方そのものです。これから条文が出てくるたびに、本人の救済と取引の安全の綱引きで、この条文はどちら寄りか、なぜそちら側に立っているのかを、問うてみてください。
心の中とのズレを、一枚の地図にする
図:到達点まとめ板
- 言葉から読み取れる意思があれば成立する
- 心の中とのズレは効くかどうかの段で扱う
- ズレには二系統と五つの型がある
- どの条文も本人の救済と取引の安全の綱引きのどこかに立つ
- 次は心裡留保から
今日の道のりを、一本にまとめます。意思表示は、言葉から読み取れる意思と、それを言った行為があれば、それだけで成立します。心の中とのズレは、成立ではなく、効くかどうかの段で処理されます。内心的効果意思がそもそも無い、意思の不存在。決めたことはあるけれど、決め方に傷がある、瑕疵ある意思表示。そして、五つの条文は、どこでズレたか、原因は何かで並び、効果は結果として出てきました。この地図を持って、次からは一つずつの条文に入っていきます。最初は、冗談で言ってしまった場合、心裡留保からです。
参照条文
- 民法93条1項