不法領得の意思
印刷のコツ
プリンターでは次の設定がおすすめです。
- 用紙:A4 / 向き:縦
- 拡大縮小:「実際のサイズ」(フィット縮小しない)
- 両面印刷:オン、とじ方は「長辺をとじる」(左綴じ)
- モノクロ印刷OK(強調は色でなく太字なので白黒でも読めます)
第15章 個人的法益④|財産に対する罪①(総論・窃盗・強盗) ⑦/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。
前回の受けから
図:2つの問い
前回、窃取の中身と始まりと終わりを見ました。客観的な要件は、これで揃いました。今日は、行為者の心の側に入ります。まず、1つ考えてみてください。友だちの自転車を、黙って借りたとします。10分後に、元の場所に戻しました。それでも、これは窃盗罪になりません。もう1つ、別の場面も考えましょう。嫌いな人を困らせたくて、その人の大事な物を持ち出したとします。そして、隠しました。それでも、これは窃盗罪より軽い罪になります。どちらも、窃盗の条件は揃っているように見えます。この2つの「それでも」が、今日の2つの要素になります。
故意だけでは足りない理由
図:故意だけでは、この2つを分けられない
窃盗罪には、当然、故意が要ります。他人の物だと分かって、その意思に反して占有を移す認識です。自転車を借りた人も、他人の物だと分かっています。物を隠した人も、同じです。まず、条文を確認しましょう。
条文刑法38条1項
刑法38条1項 罪を犯す意思がない行為は、罰しない。ただし、法律に特別の規定がある場合は、この限りでない。
この条文には、使用窃盗を外す仕組みはありません。毀棄・隠匿罪を外す仕組みも、ありません。窃盗罪には、隣り合う場面が2つあります。軽すぎて罰しない使用窃盗と、壊す・隠すだけで、窃盗より軽い罪になる場合です。線を引く相手が2つあるので、要素も2つ要ります。2つを合わせた名前を、不法領得の意思と言います。ただ、名前を先に覚えても意味がありません。なぜ要るのか、1つずつ理由から見ていきましょう。
使用窃盗との境界——権利者排除意思
図:使用窃盗——被害が軽いから、罰しない
他人の物を、無断で少しだけ使って、すぐ返す行為があります。これを、使用窃盗と呼びます。冒頭の自転車が、まさにこれです。これは、なぜ罰しないんですか。被害が軽いからです。少し使われて戻ってきただけなら、財産的な損害はほとんどありません。故意だけを要件にすると、使用窃盗も235条に当たってしまいます。だから、これを外すための要素が要ります。
⭐ 論文で書く規範:権利者排除意思 権利者を排除して、他人の物を自己の所有物として振る舞う意思。 (規範(判例・通説で立てる))
これが、権利者排除意思です。借りるだけの人は、持ち主が許しそうな範囲で、少し使って返すつもりです。権利者を押しのけて、自分の物として使うつもりではありません。たとえば同じ自転車でも、そのまま自分の家で使い続けるつもりなら、話は別です。持ち主を押しのけて、自分の物として使っているからです。この意思があるかどうかで、使用窃盗と窃盗罪を分けます。
毀棄・隠匿罪との境界——利用処分意思
図:壊すほうが重いはずなのに、法定刑は逆
思い出してください。領得罪と毀棄・隠匿罪を分ける物差しは、何でしたか?私腹を肥やす意思があるかどうか、という見立てでした。今日は、その中身を開けます。もう1つの場面、嫌いな人の物を隠した場合です。まず、法定刑を並べて見てください。
条文刑法235条・261条
刑法235条・261条(窃盗罪と器物損壊等) 235条:他人の財物を窃取した者は、窃盗の罪とし、十年以下の拘禁刑又は五十万円以下の罰金に処する。 261条:前三条に規定するもののほか、他人の物を損壊し、又は傷害した者は、三年以下の拘禁刑又は三十万円以下の罰金若しくは科料に処する。
隠すだけでも、持ち主はその物を使えなくなります。だから隠す行為も、壊す行為と同じく、毀棄・隠匿の側に置かれます。器物損壊罪のほうが、ずっと軽くなっています。でも、少し不思議じゃないですか。壊された物は、取り戻しても元どおりになりません。窃盗された物は、取り戻せば元どおりです。それでも、法定刑は窃盗罪のほうが重いんです。なぜですか。窃盗罪には、利欲犯的な性格があるからです。利益を得ようとする動機のことです。冒頭で思い出した、私腹を肥やす意思というのは、この動機を平たく言ったものです。奪って自分の得にしようとする分だけ、強く非難されます。ただ壊す、ただ隠すだけの行為には、この動機がありません。だから、この動機の無い、ただ壊す・隠すだけの行為を外すための要素が要ります。
⭐ 論文で書く規範:利用処分意思 財物の経済的用法に従って、利用または処分する意思。 (規範(判例・通説で立てる))
これが、利用処分意思です。私腹を肥やす意思を、答案で使える形に言い直したものです。経済的用法とは、その物の使い道や価値を、何かの形で活かすことです。もっぱら壊す、もっぱら隠すだけの目的なら、この意思はありません。たとえば、持ち出した物を売ってお金にするつもりなら、処分する意思があります。自分で使うつもりでも、同じです。冒頭の、嫌いな人の物を隠した場合はどうでしょう。もっぱら隠す目的だけなので、利用処分意思が認められません。だから、窃盗罪ではなく、もっと軽い罪になります。
2つの要素を合わせた定式
図:判例・通説の定式
この2つを合わせたものが、不法領得の意思です。
⭐ 論文で書く規範:不法領得の意思の定式 権利者を排除して、他人の物を自己の所有物として、その経済的用法に従い利用・処分する意思。 (判例・通説の定式(大判大4・5・21 刑録21輯663頁ほか・結論において同旨))
判例も、大審院の時代から、この2つを合わせた意思を求めてきました。ある事案では、恨みを持った小学校の教員がいました。この教員は、校長を失脚させる目的で、教育勅語の写しを持ち出しました。そして、自分の教室の天井裏に隠しました。もっぱら隠す目的なので、利用処分意思が認められません。だから、窃盗罪は不成立とされました。この事案も、同じ2つの要素で判断されています。
不法領得の意思をめぐる学説
図:学説の比較——道具で線を引けるか
不法領得の意思の要否は、実は学説が分かれています。判例・通説は、両方必要という立場です。ただ、他の立場も見ておきましょう。1つ目は、不法領得の意思そのものを不要とする説です。この説は、窃盗罪が守るものを、占有そのものと考えます。以前、保護法益のところで見た占有説と同じ発想です。守るものが占有なら、占有を奪うと分かって奪った時点で、もう十分に悪い。だから、故意のほかに、何のために奪ったかという意思は要らない、という立場です。2つ目は、権利者排除意思だけで足りるとする説です。使用窃盗との区別を重視する説です。窃盗罪が最終的に守るのは、所有権のような本権、つまり占有を正当化する権利なので、占有を侵すだけでなく、所有者として振る舞う意思まで要る、という理由づけです。3つ目は、利用処分意思だけで足りるとする説です。毀棄・隠匿罪との区別を重視し、利欲犯的な性格ゆえに強く非難できる、という理由づけです。4つ目が、両方必要とする、判例・通説の立場です。
どちらの区別を諦めているかで整理すると、分かりやすいです。不要説は、両方の区別を諦めます。使用窃盗も、毀棄目的の奪取、つまり壊す・隠すつもりで持ち出すことも、この道具では外せません。冒頭の2人で言えば、自転車を借りた人も、物を隠した人も、不法領得の意思を理由には窃盗罪から外せません。この表は、不法領得の意思という道具で線が引けるかどうかの比較です。権利者排除意思だけで足りるとする説は、使用窃盗は外せます。でも、毀棄目的の奪取は外せません。すぐ返すつもりの人は持ち主として振る舞っていませんが、隠して使えなくする人は、持ち主を押しのけているからです。利用処分意思だけで足りるとする説は、逆です。毀棄目的の奪取は外せますが、使用窃盗は外せません。
隠すだけでは物を活かしていませんが、自転車に乗るのは、まさに経済的用法に従った利用だからです。使用窃盗は罰しない、壊す・隠すだけなら窃盗より軽い。この2つの前提を両方守れるのは、両方必要説だけです。線を引く相手が2つあるから、要素も2つ要る。これが決め手です。
あてはめ ① 権利者排除意思の有無
図:元に戻すつもりでも、使い方そのものが持ち主にしか許されない振る舞いか
では、権利者排除意思の物差しを、具体的な場面で確認しましょう。物差しはこうです。社会通念上、借りるだけでは許されない形で、財物を利用する意思があるか。使用貸借はただで借りる約束、賃貸借はお金を払って借りる約束です。そうした約束をしなければ、そもそも使えないような使い方か、ということです。冒頭の自転車、短時間使って戻すつもりなら、権利者排除意思は否定されます。自転車を少し借りてすぐ戻すくらいなら、普通は、貸し借りの約束までは要らないと考えられるからです。では、同じ自転車を、乗り捨てるつもりだったらどうでしょうか。
乗り捨てるのは、さすがに違う気がします。乗り捨てるつもりなら、短時間でも権利者排除意思が肯定されます。乗り捨てるという振る舞い自体が、自分の物にしか許されないからです。では、実際の判例を見てみましょう。
判例最高裁判所第二小法廷決定(昭和55年10月30日・刑集34巻5号357頁)
最高裁判所決定——自動車を深夜に無断で持ち出し、約4時間乗り回した事案 たとえ、使用後に、これを元の場所に戻しておくつもりであつたとしても、被告人には右自動車に対する不正領得の意思があつたというべきである。
他人所有の自動車を、深夜に無断で持ち出した事案です。そして、約4時間にわたって乗り回しました。この決定は、元に戻すつもりだったとしても、不正領得の意思があったと判断しました。使用窃盗との境界、つまり権利者排除意思が問われた場面です。決定文の言葉そのものは「不正領得の意思」です。ですが、中身は今日見てきた不法領得の意思と同じです。では、なぜ権利者排除意思があると言えるのでしょうか。時間の長さだけで決まるわけではありません。深夜に約4時間、他人の自動車を乗り回すのは、貸し借りの約束なしには許されない使い方です。自転車を10分借りるのとは、使い方の重さが違います。
あてはめ ② 利用処分意思の有無
図:もっぱら壊す・隠す目的でなければ、肯定してよい
今度は、利用処分意思の物差しです。この要素は、毀棄・隠匿罪との区別のための要素です。だから、もっぱら壊す・隠す目的である場合を除けば、肯定してよいとされます。経済的用法が示す範囲は、実は広いんです。性的な目的で、女性の下着を持ち出した事案があります。性的な目的なら経済的な用法とは言えない、と感じるかもしれません。それでも、判例は利用処分意思を認めました。もっぱら壊す・隠す目的ではない以上、肯定されます。次は、コピーが絡む事案です。
判例東京地方裁判所判決(昭和59年6月28日・刑月16巻5=6号476頁)
東京地方裁判所判決——コピーする目的で機密資料のファイルを持ち出し、複写後に返却した事案 本件フアイルの財物としての価値は、……情報が化体されているところにあるとともに、権利者以外の者の利用が排除されていることにより維持されているのであるから、複写という方法によりこの情報を他の媒体に転記・化体して、この媒体を手許に残すことは、原媒体ともいうべき本件フアイルそのものを窃かに権利者と共有し、ひいては自己の所有物とするのと同様の効果を挙げることができる。これは正に権利者でなければ許容されないことである。しかも、本件フアイルが権利者に返還されるとしても、同様のものが他に存在することにより、権利者の独占的・排他的利用は阻害され、本件フアイルの財物としての価値は大きく減耗するといわなければならない。
抗生物質に関する資料のファイルを持ち帰った事案です。コピーを作ってから、原本は返却しました。それでも、判決は窃盗罪の成立を認めました。写しを手元に残すのは、ファイルを権利者とひそかに共有するのと同じ効果を持ちます。それは権利者でなければ許されないことで、しかもファイルの価値が大きく減耗します。これが判決の理由づけです。判決が直接言っているのは、この排除の側です。利用処分意思のほうは、単純です。中身を写して使うつもりなので、もっぱら壊す・隠す目的ではありません。ここでは、同じ事実から、2つの要素をそれぞれ当てはめられます。最後に、否定された例を見ましょう。さっきの、教育勅語の写しを天井裏に隠した事案です。
校長を失脚させることだけが目的でした。その写しを、何かに利用するつもりはありませんでした。だから、利用処分意思が否定され、窃盗罪は不成立でした。
図:いったん止めて考えてみましょう
ここで、少し考えてみてください。嫌がらせのために、隣人の家の表札を持ち出したとします。そして、川に投げ捨てました。この場合、2つの要素は、どうなるでしょうか?権利者排除意思は、あるかもしれません。自分の物のように、勝手に持ち出しています。では、利用処分意思はどうですか。もっぱら捨てる目的だけなので、無い気がします。権利者排除意思はあっても、利用処分意思がありません。だから、窃盗罪ではなく、器物損壊罪の範囲に落ちます。
データのみのコピーと横領罪の予告
図:物を持ち出すか、情報だけを写すか
さっきのコピー事件は、資料のファイルという「物」を持ち出した点が出発点でした。その場合は、話が変わります。コピー機を使わず、記憶したり、写真を撮ったりする場合です。財物の占有を移していない以上、窃盗罪の問題にはなりません。以前確認したとおり、情報そのものは、財物ではないからです。最後に、1つだけ予告しておきます。横領罪にも、不法領得の意思が要求されます。ただし、中身は窃盗罪と同じではありません。判例は、横領罪の不法領得の意思については、利用処分意思を要求しません。なぜ変わるのかは、横領罪の回で扱います。論文でも、よく問われる場面です。
今日の地図(保存版)
図:今日のまとめ
今日の内容を整理しましょう。窃盗罪には、故意だけでは分けられない、2つの隣接領域がありました。使用窃盗を外すための要素が、権利者排除意思。毀棄・隠匿罪を外すための要素が、利用処分意思でした。権利者排除意思が欠ければ、使用窃盗に落ちる。利用処分意思が欠ければ、毀棄・隠匿罪に落ちる。冒頭の2つの問いにも、これで答えが出ましたね。自転車を10分後に戻したのは、権利者排除意思が無かったからです。嫌いな人の物を隠したのは、利用処分意思が無かったからです。2つの要素は、それぞれ別の隣り合う場面との境界線だったんですね。
参照条文
- 刑法38条1項
- 刑法235条・261条