刑法 復習ノート全文

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第1章刑法の基本原理

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刑法とは何か

199条の形(犯罪と刑罰の対応)

199条の構造(①犯罪=人を殺した者は/②刑罰=死刑又は無期若しくは五年以上の拘禁刑に処する)

条文の2つの部分

結論199条は「殺すな」という命令ではなく、行為と刑罰の対応で書かれています。

  • 前半「人を殺した者は」:どんな行為が犯罪になるかを示します。
  • 後半「〜に処する」:その犯罪にどんな刑罰が科されるかを示します。

理由命令だけでは、破ったらどうなるかが分かりません。

行為と結果を1セットで示すので、何をすればどうなるかを誰もが読めます。

つまり、刑法は予測できる法になっています。

199条(殺人)|刑法 第二編 罪 第二十六章 殺人の罪(199〜203条)人を殺した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の拘禁刑に処する。

拘禁刑

定義拘禁刑とは、身体の自由を奪う刑です。

実質的意義の刑法

199条は、犯罪と刑罰の対応を定めた条文です。
では、この形をした法規は、何と呼ばれるのでしょうか。

実質的意義の刑法

定義次の2つを定めた法規を、実質的意義の刑法といいます。

  • 犯罪の内容:何が犯罪になるかです。
  • 刑罰の内容:その犯罪にどんな刑罰が科されるかです。

注意法律のタイトルは関係ありません。

この2つの中身を持っていれば、実質的な意味での刑法にあたります。

1条(どこで適用されるか)

条文刑法が「どこで」適用されるかは、199条とは別に、1条が定めています。

1条1項は、日本国内において罪を犯したすべての者に適用すると定めています。

注意「何が犯罪か」と「どこで効くか」は、別の条文が定めています。

1条(国内犯)(抜粋)|刑法 第一編 総則 第一章 通則(1〜8条)1項:この法律は、日本国内において罪を犯したすべての者に適用する。

形式的意義の刑法と特別刑法

実質的意義の刑法は、法律のタイトルではなく中身で決まります。
では、「刑法」という名前の法律とは、どういう関係にあるのでしょうか。

形式的意義の刑法(『刑法』という名前の法律=刑法典)と実質的意義の刑法(①犯罪と②刑罰を定めたすべての法規・特別刑法も含む)の対比表

形式的意義の刑法

定義「刑法」という名前が付いた法律そのもの(六法に載る刑法典)を、形式的意義の刑法といいます。

注意実質的意義の刑法とは、多くは重なりますが、ズレることがあります。

特別刑法

定義タイトルは「刑法」でなくても、中身が実質的意義の刑法にあたる法律を、特別刑法といいます。

結論刑法という科目は、刑法典だけでなく、特別刑法もすべて射程に入ります。

具体例軽犯罪法や道路交通法です。

「こういう行為をした者は、こういう刑罰に処する」という、199条と同じ構造の条文が並んでいます。

実体法と手続法

刑法が決めるのは、何が犯罪で、どんな刑罰が科されるかという中身です。
では、刑法と刑事訴訟法は、どう役割を分けているのでしょうか。

実体法(刑法=何が犯罪か・どんな刑罰か)と手続法(刑事訴訟法=どう捜査するか・どう裁くか)の役割分担

定義中身を決める法律と、手続を決める法律に分かれます。

  • 実体法:何が犯罪で、どんな刑罰が科されるかを決めます(刑法)。
  • 手続法:逮捕・取調べ・裁判の進め方など、どう捕まえ、どう裁くかを決めます(刑事訴訟法)。

理由刑法が決めるのは中身だけなので、刑法だけでは事件は裁けないからです。

注意同じ役割分担は、民法と民事訴訟法の関係にも当てはまります。

自然犯と法定犯

ここまでは、何が実質的意義の刑法にあたるかを見ました。
では、刑法が犯罪とする行為には、どのような性質の違いがあるのでしょうか。

自然犯(法律がなくても道徳的に悪いとされる行為・例:詐欺、殺人)と法定犯(制度が犯罪と定めたことで初めて悪くなる行為・例:路上喫煙禁止条例違反)の対比表

自然犯

定義自然犯とは、法律がなくても、道徳的に悪いとされる行為です。

具体例詐欺(人をだまして財物を得る行為)です。

「人をだますのは悪い」という感覚は、法律より前からあります。

199条の殺人も、典型的な自然犯です。

法定犯

定義法定犯とは、制度が犯罪と定めたことで、初めて悪くなる行為です。

行為自体は、道徳的に無色か、無色に近いものです。

具体例路上喫煙を禁止する条例の違反です。

条例のない街での歩きタバコは、それだけで強く道徳的に非難されるわけではありません。

条例がある街では、した瞬間に「してはいけないこと」になります。

区別の相対性

自然犯は法律より前から悪い行為、法定犯は制度が定めて初めて悪くなる行為です。
では、ある行為がどちらにあたるかは、固定されているのでしょうか。

結論自然犯と法定犯の区別は、固定ではなく相対的です。

社会の受け止めが変われば、境界線は動きます。

具体例喫煙の扱いは、次のように変わってきました。

  • かつて:個人の自由やマナーの問題として、行政的にゆるく扱われていました。
  • 現在:受動喫煙による健康被害の認識が広がり、周囲への配慮を欠く行為として、道徳的な非難の対象になってきています。

注意覚えるべきは、個々の行為の分類ではなく、区別は動きうるという命題です。

ある行為が制度的な規制にとどまるか、道徳的な非難にまで踏み込んでいるかを論じるとき、理由づけの土台になります。

区別の実益(38条3項)

自然犯と法定犯の区別は、相対的です。
では、この区別には、どのような実益があるのでしょうか。

38条3項の読み方

結論法律を知らなかったことは、原則として、罪を犯す意思(故意)を否定しません。

条文38条3項は、本文が原則、ただし書が例外の入口です。

  • 本文:法律を知らなかったとしても、罪を犯す意思がなかったことにはなりません。
  • ただし書:情状により、その人の事情しだいで刑を軽くできます。

38条(故意)(抜粋)|刑法 第一編 総則 第七章 犯罪の不成立及び刑の減免(35〜42条)3項:法律を知らなかったとしても、そのことによって、罪を犯す意思がなかったとすることはできない。ただし、情状により、その刑を減軽することができる。

自然犯と法定犯での違い

結論「その規制自体を知らなかった」という場面は、法定犯のほうがずっと起きやすいです。

  • 自然犯:殺人や詐欺は、法律を知らなくても悪いと分かるので、まず起きません。
  • 法定犯:制度が先にあって初めて悪くなるので、制度を知らなければ悪いと気づけません。

具体例路上喫煙を禁止している街に、引っ越してきたばかりの人です。

吸ってから初めて、「ここは禁止だったのか」と知る場面が起こりえます。

注意押さえるのは、知らずにやってしまう場面の起きやすさが違うというところまでです。

行政刑法

法定犯では、38条3項の「知らなかった」が起きやすくなります。
では、法定犯は、どのような事情から作られるのでしょうか。

定義行政上の目的を実現するために作られた刑罰規定のまとまりを、行政刑法と呼ぶこともあります。

結論法定犯は、行政上の目的を実現するため、行政的な必要から作られることが多いです。

目にした罰則が行政刑法だと分かれば、法定犯寄りだと見当がつきます。

38条3項の「知らなかった」が起きやすい領域です。

具体例路上喫煙禁止条例は、「まちを清潔・快適に保ちたい」という行政目的から作られています。

注意特別刑法と行政刑法は、分け方の軸が違います。

  • 特別刑法:名前での分け方です。
  • 行政刑法:何のために作られたかでの分け方です。

法益保護機能

ここまでは、刑法の中身を見てきました。
では、刑法は何のためにあるのでしょうか。

法益と保護法益

定義2つの言葉の意味は、次のとおりです。

  • 法益:法によって保護される利益です。生命・身体・自由・名誉・財産などが代表例です。
  • 保護法益:ある条文が守ろうとしている利益です。同じ「法益」を、条文の側から見た言い方です。

具体例199条の保護法益は、人の生命です。

注意保護法益は、その条文の趣旨にほぼ重なります。

個々の犯罪を見るときは、毎回ここが出発点になります。

法益保護機能

定義法益保護機能とは、刑罰を通じて法益を保護する刑法の働きです。

  • 威嚇:罰があるとあらかじめ示して、犯罪を防ぎます。
  • 制裁:実際に犯した人に、刑罰を科します。

具体例「人を殺した者は、重い刑罰に処する」と定めることで、人の生命という法益を守っています。

自由保障機能

法益保護機能は、刑罰を通じて法益を守る働きです。
では、刑法にはほかに、どのような機能があるのでしょうか。

定義自由保障機能とは、犯罪になる行為をあらかじめ明示することで、それ以外の行為は自由だと保障する働きです。

理由刑法がなければ、国家はどんな行為でも、後から「それは悪いことだった」と処罰できてしまいます。

何が犯罪かを条文で先に示すので、国民は安心して残りの行動をとれます。

注意法益保護機能とは、逆向きの働きです。

2つの機能の綱引き

法益保護機能と自由保障機能は、逆向きの働きです。
では、2つの機能は、犯罪の範囲にどう作用するのでしょうか。

犯罪の輪を法益保護機能が広げ、自由保障機能が絞る綱引きの図(輪が広い=取りこぼしは減るが際どい行為も巻き込む/輪が狭い=無実・軽微は守れるが本来罰すべき行為を見逃す)

犯罪の輪

定義「犯罪にあたる行為」の集まりを、1つの輪と考えます。

輪の中に入れば犯罪、外なら犯罪ではありません。

結論2つの機能は、輪を反対方向に引っ張り合います。

  • 法益保護機能:輪を広げます。悪質な行為を取りこぼさずに済む代わりに、処罰に値しない際どい行為まで巻き込むリスクが増えます。
  • 自由保障機能:輪を絞ります。無実の人や軽微な行為を守れる代わりに、本来罰すべき行為を見逃すおそれが増えます。

具体例詐欺で、輪の内と外を分けます。

  • 輪の中:はっきり嘘をついて、相手にお金を出させた場合です。
  • 輪のすぐ外:店で「これは良い品ですよ」と、少し大げさに褒めて売った場合です。輪を広げれば巻き込まれかねませんが、絞ればただのセールストークとして外に出ます。

注意どこに線を引くかは、綱引きの結果しだいで動きます。

両機能の調整

定義法益保護機能と自由保障機能のバランスを取ることを、両機能の調整といいます。

結論どちらか片方に決め切らず、両方の力を働かせたまま、決着点を探り続けます。

理由どちらに振り切っても、困る社会になるからです。

  • 広げすぎ:無実の人まで処罰される社会になります。
  • 絞りすぎ:悪質な行為が野放しになる社会になります。

総論と各論

結論刑法の解釈の対立は、根っこをたどれば、輪を広げたい主張と絞りたい主張のぶつかり合いです。

  • 総論:犯罪が成立するための共通ルールを扱います。輪の線引きは、構成要件・違法性・責任という3つの関門で具体的に問題になります。
  • 各論:殺人罪や窃盗罪など、個別の犯罪類型を扱います。

刑罰の種類(9条)

刑法の条文は、犯罪と刑罰の対応で書かれています。
では、刑法が定める刑罰には、どのような種類があるのでしょうか。

定義9条は、刑罰を主刑と付加刑に分けています。

  • 主刑:それ単独で科せる刑です。死刑・拘禁刑・罰金・拘留・科料の5つです。
  • 付加刑:主刑に付け加えるときだけ科せる刑です。没収の1つです。

注意拘禁刑は、2025年6月に呼び方が一本化されたものです。

それより前は、「懲役」「禁錮」と呼ばれていました。

9条(刑の種類)|刑法 第一編 総則 第二章 刑(9〜21条)死刑、拘禁刑、罰金、拘留及び科料を主刑とし、没収を付加刑とする。

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#2単独ページ動画

犯罪の本質と刑罰の正当化根拠

第1章 刑法の基礎 ②/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

同じ万引きなのに、刑の重さは同じでいいのか

はい、聞かせてください。行為の外形も、被害額も、ほぼ同じなんですね。実は、答えは「なぜ罰するのか」という理由づけ次第で変わります。少し進んだところで、はっきりさせます。

同じ万引きなのに、刑は同じであるべきか

犯罪という行為を、そもそも国家がなぜ罰してよいのか。この問いへの答え方によって、犯罪の何を見るべきかが変わります。それが、①犯罪の本質という論点です。そこから、②刑罰の正当化根拠、③学派の対立、の順で見ていきましょう。

犯罪の本質①:決定論と主観主義

まず、犯罪の本質——犯罪の”何が悪いのか”を考える出発点は、人間観です。人はどこまで自分の行動を自分で選べるのか、という見方です。一方の立場が、決定論です。人の行動は、生まれ持った素質と、置かれた環境で、すべて事前に決まっている、という考え方です。たとえば、貧困や虐待の中で育ち、盗みをせざるを得ない環境にいた人は、そうでない人より、犯罪に至る可能性が最初から高い、と考えます。この考え方をとると、犯罪者と非犯罪者は、そもそも別の種類の人間だ、という話になります。犯罪者は、社会にとって危険な性質を、もともと抱えている人だ、という見方です。評価の的が、その人の内面の社会的な危険性に向く——これが主観主義です。

決定論と主観主義――内面の危険性を見る

実際に何をしたかより、その人がどれだけ危険な性質を持っているか、が重要になります。この見方が、次に見る立場と、はっきり対比されます。

犯罪の本質②:非決定論と客観主義

もう一方の立場が、非決定論です。人は、自分の意思で自由に行動を選べる、という考え方です。たとえば、同じように貧困の中にいても、盗まないという選択をした人は、大勢います。この考え方をとると、犯罪者と非犯罪者を、そもそも別種の人間として区別しません。犯罪者も一般人も、危険性において変わらない。だとすれば、見るべきは何でしょうか。実際にどんな行為をして、どんな結果を生んだか——この外部の行為および結果に評価の的が向く——これが客観主義です。

非決定論と客観主義――行為と結果を見る

では、2つを並べて、一気に整理しましょう。

犯罪の本質の対比――主観主義と客観主義

決定論なら主観主義、非決定論なら客観主義、という組み合わせが、ここでの基本です。では次に、この人間観が、刑罰そのものの理由づけにどうつながるかを見ていきましょう。

刑罰の正当化根拠①:応報刑主義

ここからは、「なぜ刑罰を科してよいのか」という、もう一つの問いに移ります。はい、別の問いです。刑罰の正当化根拠——刑罰理論と呼びます。大きく3つの考え方があります。まず1つ目、応報刑主義からいきましょう。刑罰とは、悪事を働いたことへの当然の報いだ、という考え方です。この考え方には、大事な縛りが1つ付いてきます。科す刑は、起きたことの重さに見合う範囲までしか許されない、という縛りです。たとえば、軽い万引きに、死刑を科したらどうでしょう。応報刑主義では、犯した罪の重さに見合った刑でなければならない、と考えます。

応報刑主義――害悪への当然の報い

刑の重さの限界を考えるとき、いつも顔を出す考え方です。では、次に残り2つの考え方を見ていきましょう。

刑罰の正当化根拠②:一般予防主義と特別予防主義

応報刑主義とは、発想がまったく違う2つの考え方があります。どちらも、刑罰の目的を、これから先の犯罪を防ぐことに置きます。1つ目が、一般予防主義です。刑罰を科すことを社会に示して、一般の人々が同じ罪を犯さないよう、威嚇する考え方です。交通違反の取り締まりが強化されたと報じられると、多くの人が一時的に運転に気をつけますよね。はい、それが一般予防のはたらきです。2つ目が、特別予防主義です。犯人その人自身が、二度と同じ罪を犯さないよう、教育や更生を通じて防ぐ考え方です。たとえば、言い渡した刑の執行を一定期間待つ、執行猶予という制度があります。その期間に、更生プログラムを受けさせるのは、特別予防の発想です。これが、刑罰の正当化根拠をめぐる3つの考え方です。

一般予防主義と特別予防主義――未来に向けた予防

実は、深くつながっています。3つの刑罰理論は、それぞれ相性のいい相手が決まっています。再犯を防ぐ立場は内面を見る側と、報いと威嚇の立場は行為を見る側と、対になるんです。特別予防主義は、その人がまた罪を犯すかどうか——つまり、すでに行った行為だけからは分かりません。性格や、生活環境や、反省の度合い——その人の側の事情を見るしかないんです。だから、特別予防主義は、その人の内面の危険性を、どうしても見ることになります。逆に、応報刑主義と一般予防主義は、実際に生じた行為と結果を出発点にします。ここで一つだけ、触れておきたいことがあります。“何を悪と見るか”には、実はもう一つ、別の対立軸があります。結果無価値論と行為無価値論という対立です。主観主義・客観主義の対立とは、これは別物です。本拠地で、じっくり扱いますので、今は名前だけ、頭の片隅に置いておいてください。

結論が変わる:Aさん・Bさんの答え

では、冒頭のAさんとBさんに戻りましょう。まず、応報刑主義で考えてみます。盗んだ金額や、行為の悪質さがほぼ同じなら、AさんもBさんも、ほぼ同じ重さの刑になりやすいんです。本質的な考慮要素ではありません。行為者の事情は、脇に置かれます。特別予防主義は、「この人が将来また盗むか」で刑の重さを決めます。執行猶予など、軽い処分になりやすいです。長期の隔離や、処遇が必要だ、という判断になりやすいです。最後に、一般予防主義です。たとえば、同種の万引きが社会問題化している時期なら、AさんもBさんも、個々の事情に関わらず、重めの刑にする、という判断もありえます。「なぜ罰するか」という理由づけの違いが、同じ行為・同じ被害額でも、量刑の理由と結論を変えるんです。

Aさん・Bさんの結論――3つの考え方で答えが分かれる

ここが、「なぜ罰するか」を学ぶ実益です。

学派の対照表①:古典学派と近代学派

ここまでで、犯罪の本質と、刑罰の正当化根拠、2つの対立を見てきました。実は、この2つの組み合わせには、それぞれ名前が付いています。特別予防主義と主観主義が結びつく立場を、近代学派——または新派と呼びます。一方、応報刑主義・一般予防主義と客観主義が結びつく立場を、古典学派——または旧派と呼びます。整理すると、こうなります。

古典学派と近代学派――2つの立場の結びつき

この線は、実はまだ続きがあります。この対立は、責任という論点にも、姿を変えて出てきます。そこは、対照表を仕上げるところで、もう一度触れます。

客観主義と主観主義で結論が変わる:未遂の例

この対立、実は昔の話では終わりません。もう一つ、別の事例で確かめてみましょう。Cさんが、他社のサーバーから、顧客の決済情報を盗もうとしました。ところが、その脆弱性は前日に、別の理由で修正されていました。客観的には、情報が漏れる危険は一切ありませんでした。その場合は、現実に情報が漏れる危険があった以上、実行に着手して遂げなかった場合——未遂として、どちらの立場でも処罰されます。ここでは、争いになりません。ここで、客観主義と主観主義で、答えが分かれます。まず客観主義です。実際に情報を盗める可能性が、最初からなかった以上、前回出てきた法益——刑法が守ろうとする利益ですが、その法益への現実の危険はなかった、という点を重視します。そもそも結果が起こりえない行為だとして処罰から外す、不能犯という扱いもありえます。はい、専用の回で扱います。Cさんが「盗めるはずだ」と信じて実行に踏み切った、その内面の危険性は、現実に存在していました。処罰の範囲を、広げる方向に働きます。

客観主義と主観主義――未遂の処罰範囲が変わる

同じ行為でも、罰せられるかどうかが変わってしまうんです。犯罪の実行に着手して遂げなかった場合の扱いは、43条に定めがあります。中身は、未遂を学ぶ回で本格的に扱います。

なぜ主観主義が退いたのか:自由保障との衝突

今の例、主観主義を徹底すると、どこまで処罰が広がるでしょうか。突き詰めると、「まだ何もしていないが、危険な人だ」という段階まで、処罰の対象になりかねません。はい、ここで、前回お話しした綱引きを思い出してください。「危険な人だから罰する」という理由づけは、内面の危険性だけを根拠にしています。行為という、外から見える出口がなければ、どこまでも輪を広げられてしまいます。あらかじめ何が犯罪かを、条文で示しておく——これを罪刑法定主義と呼びます。その保障が、内面基準では成り立たなくなります。行為と結果という、外から見える手がかりを重視する客観主義の方が、自由保障としっかり両立できる——これが、主観主義が退いた理由です。

輪を止める歯止めがない――主観主義の限界

ここまでの流れを踏まえて、通説の到達点を見ましょう。

通説の到達点:相対的意思自由論

決定論と非決定論、どちらか一方に決め切るのは、実は難しい話です。完全な自由意思を認めると、素質や環境の影響を無視することになります。逆に、完全に決定されているとすると、誰も自分の行動に責任を負えないことになってしまいます。そこで通説は、両方の折衷を取ります。人は、素質や環境の影響を受けながらも、その範囲内で、自分の意思で行動を選べる、という考え方です。この折衷的な立場を、相対的意思自由論と呼びます。環境の影響を受けていたことは、確かに認めます。でも、その環境の中でも、「盗まない」という選択の幅は残っていた——そう見るんです。両極端の、どちらでもない着地点です。そして、この立場からは、犯罪の本質は客観主義が妥当だ、という結論になります。刑罰の理由づけについても、通説は1つに決め切りません。応報刑主義を基礎にしながら、一般予防的な配慮や、特別予防的な配慮も、あわせて取り入れる立場を取ります。予防だけを理由にすると、刑の重さに上限がなくなるからです。社会への見せしめを徹底すれば、軽い罪でもいくらでも重くできます。その人の危険性が消えるまで、と考えれば、いつまでも閉じ込めておけます。だから応報を土台に置いたうえで、予防の配慮を乗せる形になります。均衡という縛りを土台にしつつ、社会への抑止効果や、犯人自身の更生も考慮する——これが、通説の到達点です。

通説の到達点――相対的意思自由論

曖昧というより、両極端の弱点を、お互いに補い合う立場です。

学派の対照表②:人間観から処罰対象までの1本の線

では、今日見てきた対立を、1枚の対照表にまとめましょう。出発点は、人間観でした。近代学派は決定論、古典学派は非決定論です。近代学派は主観主義、古典学派は客観主義でした。

対照表①:人間観から犯罪の本質へ

人間観の違いは、実は責任の捉え方にも、姿を変えて表れます。近代学派は、社会的責任論という立場を取ります。古典学派は、道義的責任論という立場を取ります。はい、責任を学ぶ回で本格的に扱います。この人間観の違いは、最後に、処罰の対象そのものにも表れます。近代学派は、行為者の危険性という、人そのものに向きます。古典学派は、行為そのものに向きます。ここまでをまとめると、こうなります。

対照表②:責任の捉え方から処罰対象へ

直接ではありませんが、責任をどう捉えるかという議論の中で、この41条が出てきます。中身は、責任の回で扱います。

この対立の行き先――まとめ

今日見てきた学派の対立は、決して終わった論争ではありません。まず、“何を悪と見るか”のもう一つの対立軸——行為の結果に着目する結果無価値論と、規範への違反に着目する行為無価値論の対立が、後ほど出てきます。そこで、正しい対応関係とあわせて、本格的に扱います。未遂をどこから処罰するかという技術的な基準も、専用の回で扱います。不能犯として、専用の回で扱います。応報刑主義を突き詰めると、死刑の是非という論点にもぶつかりますが、憲法との関係は、また別の回です。人間観がどう責任の捉え方につながるかは、責任を学ぶ回で本格的に扱います。

この対立が、この先どこで顔を出すか

まとめ:なぜ罰するのか

犯罪の本質は、決定論なら主観主義、非決定論なら客観主義でした。刑罰の正当化根拠は、応報刑主義、一般予防主義、特別予防主義の3つ。そして、主観主義が退いた理由は、内面の危険性だけを根拠にすると、自由保障の歯止めが効かなくなるからでした。

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#3単独ページ動画

罪刑法定主義(前編)

第1章 刑法の基本原理 ③/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

この回では、罪刑法定主義がどのような原則であり、なぜここまで国家を縛るのかを確認したうえで、根拠となる憲法の3条文を押さえ、そこから伸びる6つの派生原則のうち前半3つ――法律主義、遡及処罰の禁止、類推解釈の禁止――を「何が禁止で、何は許されるか」まで確認します。

もし「けしからん行為は罰する」だけの条文だったら

「けしからん行為は罰する」の世界

ある国の刑法を想像してみます。その国には、条文がたった一つしかありません。「公共の秩序に反する行為をした者は、これを罰する。」これだけで、国の刑法が成り立っているとします。

ある夜、一人の男性が、誰もいない公園で大声で歌っていました。誰にも迷惑をかけていなさそうですが、通りかかった人の一人が「秩序に反する」と通報しました。来た警察官が「けしからん」と思えば罰せられるかもしれませんし、別の警察官なら「元気があっていいね」で終わるかもしれません。つまり、罰せられるかどうかは、その場に来た人しだいであり、歌う前に自分では全く予測できません。極端な話、政府への批判発言も「秩序に反する」とされかねません。「けしからん」の中身を、誰も先に決めていないからです。

この予測できなさの対極にあるのが、罪刑法定主義という原則です。そこからは、6つの派生原則が枝分かれします。前編では、そのうち前半の3つを見ていきます。

意義:あらかじめ・成文の法律で

罪刑法定主義の意義――3つの言葉

罪刑法定主義とは、どんな行為が犯罪で、どんな刑罰が科されるかを、あらかじめ、成文の法律で決めておく原則です。「あらかじめ」「成文の」「法律で」――この3つの言葉に、それぞれ意味があります。

「あらかじめ」は、行為をする前に、という意味です。罰せられるかどうかを、行為の後で決めるのではありません。「成文の」は、書かれた文章であることを指します。ただし、さきほどの「けしからん条文」も、一応は書かれていました。あの条文は「何が秩序に反するか」を具体的に書いていなかった点が問題であり、「成文の」には、中身が読み取れるという意味まで含まれます。書いてあれば何でもいいわけではなく、この点は後編で明確性の原則として扱います。

最後が「法律で」です。裁判官の一存や、行政の通達で決めていい話ではなく、誰が決めるかという話につながります。

なぜここまで国家を縛るのか

なぜ国家を縛るのか――2つの理由

「悪いことをした人を罰する」というだけでも良さそうに思えますが、なぜここまで国家を縛る必要があるのでしょうか。

はじめの回で見た、法益保護機能と自由保障機能の綱引きを思い出します。広げる力が法益保護、絞る力が自由保障でした。罪刑法定主義は、この自由保障機能を制度として形にしたものです。あらかじめ何が犯罪かを決めておけば、書かれていない行為は自由だと保障されます。さきほどの「けしからん条文」の世界には、その保障がなく、どんな行為も後から「けしからん」と言われかねません。それでは、誰も安心して行動できません。

理由は、それだけではありません。前回見た、「危険な人だから罰する」という主観主義の考え方も関係します。前回は考え方の話でしたが、今日はそれを条文の形にした制度の話です。もう一つの理由は、民主的正統性です。何が犯罪かを決めるのは、国民の代表――つまり国会でなければならない、という考え方であり、裁判官や役所が勝手に決めていい話ではありません。国民の代表が、国民自身を縛るルールを作る。これなら、まだ納得ができます。

たとえば、さきほどの一文「公共の秩序に反する行為をした者は、これを罰する」を、選挙で選ばれた国会が議論して定めた場合と、その場の役所や警察官が自分たちだけで決めた場合とで比べてみます。同じ一文でも、誰が書いたかで受け入れられるかが変わり、一部の権力者が思いつきで決めるのとは大違いです。

自由保障機能の制度化と、民主的正統性。この2つが、罪刑法定主義がここまで国家を縛る理由です。さきほどの「けしからん条文」の世界は、この2つが両方とも欠けていました。誰が決めたかも分からず、何が犯罪かも予測できない、両方が欠けた最悪の状態だったのです。

では、この罪刑法定主義は、実際にどの条文が根拠になっているのでしょうか。3つあり、それぞれ担当が違います。

憲法の3本の柱:31条・39条・73条6号ただし書

憲法3条文の役割分担

1本目です。

条文日本国憲法第31条(法定手続の保障)

何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。

これが、罪刑法定主義の一番大きな土台になる条文です。手続きだけでなく、内容の面でも、この条文が根拠になります。後編で扱う、明確性の原則と、内容の適正、この2つの根拠にもなります。

次の条文です。

条文日本国憲法第39条前段

何人も、実行の時に適法であつた行為又は既に無罪とされた行為については、刑事上の責任を問はれない。

行為をした時点で合法だった行為を、後から「違法だった」として罰することはできない、という条文です。これが遡及処罰の禁止です。「既に無罪とされた行為については」の部分は、同じ事件を蒸し返さないという別の原則の話であり、遡及処罰の禁止とは別物として扱います。この条文は、31条と違い、担当がはっきり一つに絞られています。時間の流れに関するルールです。

最後の1本です。

条文日本国憲法第73条6号ただし書

但し、政令には、特にその法律の委任がある場合を除いては、罰則を設けることができない。

政令とは、内閣が制定する命令のことです。73条6号は、本来、内閣が法律を実施するために政令を作ってよい、という条文ですが、ただし書がついています。政令に罰則――つまり刑罰を科す規定を置くには、法律による個別の委任が必要だという縛りです。委任がなければ、内閣が勝手に「これは犯罪だ」と決めることはできません。政令だけでなく、条例に罰則を置く場合にも、同じ発想が及びます。

3つ、それぞれ役割が違います。ここで一度整理しておくと、それぞれの持ち場がはっきり見えてきます。この地図を頭に入れておけば、この後6つの原則を見ていくときに迷いません。

派生原則①法律主義:慣習刑法はなぜダメか

①法律主義の対――禁止と許される

1つ目は、法律主義――成文法主義とも呼ばれます。「法律で」の部分の具体化であり、中身はシンプルです。慣習を、処罰の直接の根拠にしてはならない、という原則です。

慣習とは、たとえば地域の言い伝えのようなものです。「この地域では昔からこういう行為は罰せられてきた」というものを根拠に、罰することはできません。慣習は、誰が決めたのか、はっきりしませんし、文章にもなっていません。誰が、いつ、何を決めたのかが不明確で、しかも国会を通っていない以上、「あらかじめ」も「成文の」も「法律で」も、全部満たさないことになります。だから、慣習を根拠に処罰することは、罪刑法定主義に反します。

ただし、裁判で「この業界の慣習では」という話が出てくることもあります。ここは区別が必要です。慣習を処罰の直接の根拠にすることと、条文の言葉の意味を解釈する材料にすることは、別の話です。たとえば、「水利権」という言葉が条文に出てきたとき、その地域に昔からある水の使用慣行を参考にする場合です。これは、慣習そのものを処罰の根拠にしているわけではなく、あくまで条文にすでにある言葉の意味を確かめているだけです。ここは、断定的に「一切ダメ」と言い切れる話ではありません。直接の根拠にするのはダメ、解釈の材料に使うのは別、ということです。

もう一つ、法律主義には大事な論点があります。委任立法の限界です。さきほどの憲法73条6号ただし書――政令に罰則を置くには法律の委任が必要、というルールを思い出してください。実は、条例にも同じ発想があります。条例に違反した人に罰則を科す規定を置くこと自体は認められており、地方自治法という法律に根拠があります。これは73条6号ただし書と矛盾しません。地方自治法という「法律」が、条例に罰則を置くことをあらかじめ委任しているからです。

個別の委任が要求されないのはなぜでしょうか。条例は、住民の代表である地方議会が作るという点で、国会に準じる民主的正統性を持っています。だから、政令ほど厳格な個別委任までは要求されないと理解されています。深入りはしませんが、地方自治法14条3項という条文があることだけ、名前を押さえておいてください。

慣習の話と、条例の話。法律主義の中には、この2つの側面がありました。「誰が決めるか」という一点を、2つの角度から縛っているのが、法律主義です。

派生原則②遡及処罰の禁止:あとから作った法律で罰せない

②遡及処罰の禁止の対――禁止と許される

2つ目は、遡及処罰の禁止です。根拠は、さきほど見た憲法39条前段――「実行の時に適法であつた行為」は罰せられない、という規定でした。ある行為をした時点では適法だったのに、その後に法律が変わって犯罪とされたとき、変わった法律を、行為をした時点まで遡って適用してはいけない、ということです。行為の時点で予測できなかった処罰を、後出しで科すことになってしまうからです。これも、「あらかじめ」の話につながっています。

ここにも、対になる話があります。禁止されているのは、不利益な方向への遡及だけです。犯人にとって有利な方向の遡及は、むしろ許されます。ある行為をした後で、法律が改正されてその行為への刑が軽くなった場合、重い刑のままではなく、軽くなったほうを適用するということです。これは、刑法6条にはっきり定めがあります。条文の中身は、次回、時間的適用範囲を扱う回でじっくり見ることにして、今日は「有利な方向は許される」という対の関係だけ押さえておきます。

不利益はダメ、有利はOK――当たり前のようにも聞こえますが、シンプルであるだけに、ここを取り違えると答案では致命的な間違いになります。「遡及処罰は全面禁止」と書いてしまう人が、実は多いのです。

この禁止は、時効のようなルールにも関係してきます。事件を起訴できる期間――公訴時効を、後から延長したり、なくしたりする法律が問題になったことがあります。最高裁は、行為時点の違法性の評価や責任の重さを変えるものではない、として、合憲と判断しました。中身の重さは変えず、手続きの期間だけを扱っている、ということです。ここは訴訟法の話まで踏み込む論点なので、名前だけ知っておけば十分です。

派生原則③類推解釈の禁止:不利なほうだけがダメ

拡張解釈と類推解釈の境界

次は、類推解釈の禁止です。名前からして難しそうに見えますが、この原則は、法律主義や遡及処罰の禁止とは違って、特定の条文からは来ません。31条を土台にした、罪刑法定主義の考え方全体から出てくるものです。条文ができたあと、それをどう読むかという段階を縛ります。

先に、誤解を1つ正しておきます。「類推解釈の禁止」と聞くと、「解釈すること自体がダメ」だと思ってしまう人が、とても多いのですが、そうではありません。禁止されているのは、被告人に不利益な方向への類推解釈だけです。不利益な方向だけ、というのは、さきほどの遡及処罰の禁止と似た構造であり、ここが今日いちばんの本番です。

そもそも類推解釈とは、条文の言葉が持つ本来の意味の外側にある事柄に、その条文を当てはめることです。言葉の意味には、ある程度、伸び縮みできる範囲があります。ゴムひもを思い浮かべてください。ゴムひもは、ある程度までなら伸ばしても切れませんが、伸ばしすぎると、ぷつっと切れて、別の物になってしまいます。言葉の意味も、これと同じです。伸ばしても切れない範囲で、条文を広げて使うことを拡張解釈と呼び、これは許されます。一方、伸ばしきって、ゴムひもが切れてしまうところまで条文を広げるのが類推解釈です。こちらは、不利益な方向なら禁止されます。同じ「広げる」のに、切れる前と後で扱いが違うのです。

ここで、実際の事件で確認します。

判例大審院判決昭和15年8月22日(過失往来危険罪・刑法129条「汽車」の解釈)

往来の安全を守るという124条から129条までの趣旨からみて、動力の種類が違うだけで、線路上を走り多数の乗客・貨物を運ぶ点は汽車や電車と性質を同じくする。よって「汽車」に含めて処罰することは是認できる。

ガソリンカー事件と呼ばれるこの判例は、「汽車」にガソリンカーは含まれるかが争われたものです。拡張解釈が許された例であり、動力の種類という言葉そのものではなく、条文の趣旨――交通の安全を守るという目的から見て、汽車と同じ性質を持つと判断されました。言葉の意味の範囲内で、目一杯まで広げた、という判断です。

では、ここからさらに広げてみます。たとえば、「バイクを運転して人にケガをさせた者は、これこれの刑に処する」という規定があるとして、これを自転車を運転して人にケガをさせた人にまで当てはめることはできるでしょうか。バイクと自転車は、どちらも二輪車ですが、動力を持つ乗り物か、人の力で走る乗り物か、そこが本質的に違います。「バイク」という言葉を、どう頑張って伸ばしても、自転車までは届きません。ゴムひもが切れてしまう位置です。これを自転車の運転者に当てはめれば、拡張解釈ではなく類推解釈であり、不利益な方向なので禁止されます。ガソリンカーはOKで、自転車はダメ――大事なのは、「言葉の可能な意味の範囲内かどうか」という、一つの物差しです。

では、有利な方向の類推解釈はあるのでしょうか。あります。被告人に有利な方向であれば、類推解釈をしても、罪刑法定主義には反しません。たとえば、さきほどのバイクの規定に、「やむを得ない事情があったときは、刑を軽くすることができる」というただし書があったとします。似た事情にまで、条文の言葉を超えて及ぼす場合でも、有利な方向であれば、条文の言葉の外まで及ぼしても構いません。有利な方向に広げるぶんには、誰も困らないからです。罪刑法定主義が守ろうとしているのは、あくまで被告人の自由です。

③類推解釈の禁止の対――禁止と許される

整理すると、不利益な類推解釈だけがダメであり、有利な類推解釈と拡張解釈は、どちらも許されます。「類推解釈は全部禁止」と覚えてしまうと、試験で確実に失点します。今日、いちばん持ち帰ってほしい対比です。

前編のまとめ:3条文の上に3つの原則を置く

前編のまとめ――3条文と3つの原則

前編で見た3つを、憲法3条文の地図の上に、もう一度置いてみます。31条からは、慣習を排除する法律主義が伸びていました。誰が決めるか、という縛りです。39条前段からは、遡及処罰の禁止が伸びていました。不利益な方向だけが禁止で、有利な方向は許される、という対でした。73条6号ただし書からは、委任立法の限界――法律主義のもう一つの側面が伸びていました。類推解釈の禁止は、特定の1条文というより、31条を土台にした、罪刑法定主義の考え方全体から導かれるものでした。不利益な方向だけがダメで、拡張解釈は許される、という対です。

冒頭の「けしからん条文の国」も、これで説明がつきます。あの国には、この3つの縛りが、どれもありませんでした。だから、罰せられるかどうかを、誰も予測できなかったのです。

残り3つ――明確性の原則、刑罰法規の実体的適正、そして絶対的不定期刑の禁止――と、6つ全部をつなぐ系図は、後編で扱います。

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#4単独ページ動画

罪刑法定主義(後編)

第1章 刑法の基本原理 ③/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

この回では、前編で見た罪刑法定主義の3条文・3原則を振り返ったうえで、残り3つの派生原則――明確性の原則、刑罰法規の実体的適正、絶対的不定期刑の禁止――を確認します。そのうえで、6原則全体を1枚の系図につなぎ、この先どの回でまた登場するかまで見通します。

「街の美観を損なう行為」は罰せられるか

曖昧な条文――美観を損なう行為とは

ある条例に、こんな規定があるとします。「街の美観を損なう行為をした者は、10万円以下の罰金に処する」美観という言葉は、ふわっとした基準です。たとえば、道端にゴミを1つ置いた場合はさすがに美観を損なう気がしますが、派手な色の看板を出した場合は、人によっては「おしゃれ」で済ませてしまいそうです。大声で客引きをした場合も微妙です。このように、どの行為も「美観を損なう」と言われれば、そんな気もしてしまいますが、どこからが処罰の対象になるのか、誰にも分かりません。行為をする前に、自分では全く予測できないのです。

これは、前編の冒頭で見た「けしからん条文」と、実は同じ構造です。書かれてはいるけれど、中身が読み取れない。「成文の」には、読み取れるという意味も含まれることを前編で確認しました。この曖昧さを許さない原則の名前を、次に確かめます。

前編を受けて:3条文の上の3つ

前編のまとめ――3条文と3つの原則

前編で見た3条文を思い出します。31条・39条前段・73条6号ただし書でした。31条からは、慣習を根拠にしない法律主義が伸びていました。39条前段からは、遡及処罰の禁止でした。73条6号ただし書は、委任立法の限界でした。類推解釈の禁止も前編で見た原則で、31条を土台にしたものでした。

後編では、残り3つを片付けます。文言、内容、そして宣告――この3つです。

派生原則④明確性の原則:曖昧な条文はなぜダメか

明確性の基準――誰が・何を読み取れるか

この、曖昧さを許さない原則を、明確性の原則と呼びます。今日の3つの原則は、いずれも憲法31条に戻ってきます。

条文日本国憲法第31条(法定手続の保障)

何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。

31条は、手続きの適正だけを求めているのではありません。この点は、このあと5つ目の原則で正面から扱います。

基準がどう判断されるかは、実際の判例で確認します。集団行進の規制が争われた、徳島市公安条例事件です。

判例最大判昭和50年9月10日(大法廷判決・刑集29巻8号489頁)

ある刑罰法規があいまい不明確のゆえに憲法三一条に違反するものと認めるべきかどうかは、通常の判断能力を有する一般人の理解において、具体的場合に当該行為がその適用を受けるものかどうかの判断を可能ならしめるような基準が読みとれるかどうかによつてこれを決定すべきである。

「通常の判断能力を有する一般人」とは、専門家でも、極端に鈍感な人でもなく、普通の判断能力を持った人を指します。専門家を基準にすると、法律家しか予測できない条文でも通ってしまいます。守ろうとしているのは、これから行為をする普通の人の予測であり、基準もその人に合わせます。その人が読んで、処罰されるかどうかを判断できるか、ということです。

徳島市公安条例事件では、「交通秩序を維持すること」という条例の文言が、漠然として不明確だと争われました。結論としては、条例全体の趣旨や、他の規定との関係から、一般人にも読み取れる基準がある、と判断され、明確性は肯定されています。文言だけを見るのではなく、条例全体から読み解けるかどうかで判断するということです。文言単体で見れば漠然としていても、周囲の文脈から基準が浮かび上がることがあれば、明確性は満たされます。

さきほどの「美観条例」に当てはめると、「美観」だけでは、一般人には、どこからが対象か読み取れません。仮に、他の条文で「ゴミの投棄」「屋外広告物の色や大きさ」のように対象が具体的に書かれていれば、話が変わってきます。書き方しだいで、明確性を満たすかどうかが分かれるのです。

派生原則⑤刑罰法規の実体的適正:内容そのものの適正

刑罰法規の実体的適正――禁止と許される

5つ目は、刑罰法規の実体的適正です。31条は、手続きの適正だけを求めているのではなく、内容そのものが適正であることも要求している、と理解されています。

大きく2つの要求があります。1つ目は、罪と刑の均衡です。罪の重さと、刑の重さが釣り合っていなければなりません。軽い万引きに死刑を科すような法律があれば、いくら手続きが正しくても、内容がおかしいことになります。窃盗に「10年以下の拘禁刑、または50万円以下の罰金」のように幅のある刑を定めておけば、事案の重さに応じて釣り合いを取ることができます。均衡は、一点でなく、幅で取るものです。

2つ目が、残虐な刑罰の禁止です。どんなに重い罪でも、体を長く苦しめるような執行方法は、許されないと考えられています。今の刑罰の執行方法がこの基準をどう満たすかについては、憲法36条が扱う、死刑の合憲性の専用回でじっくり見ていきます。ここでは、「内容そのものも適正でなければならない」という、名前と趣旨だけ押さえておきます。

派生原則⑥絶対的不定期刑の禁止:4つの言葉を混ぜない

4語の整理――不確定刑と不定期刑

最後、6つ目です。似た言葉が4つ出てきますが、軸は1本だけです。「不確定刑」は法定刑の話、「不定期刑」は宣告刑の話です。法定刑は、条文があらかじめ定めている、刑の範囲そのものです。宣告刑は、裁判所が実際の事件で言い渡す、具体的な刑です。条文に書いてある段階の話と、裁判所が言い渡す段階の話、ということになります。それぞれに、「絶対的」と「相対的」があります。

まず、法定刑の側です。絶対的不確定刑は、条文が刑の種類や量をまったく定めない状態を指します。「罪を犯した者は、これを罰する」とだけ書いてあり、罰金なのか拘禁刑なのか一切書いていない条文です。それでは、また「けしからん条文」の世界に戻ってしまうため、絶対的不確定刑は禁止されます。

相対的不確定刑は、上限と下限を決めて、その範囲の中で幅を持たせるものです。「一年以上十年以下の拘禁刑」のような書き方であり、実は、刑法典に載っている条文は、ほぼすべてこの相対的不確定刑です。範囲の中で、裁判所が事件ごとの事情を考慮できるようにするためであり、幅があるのは、むしろ普通のことです。ここまでが、法定刑――条文の話です。

次は、宣告刑――裁判所が言い渡す段階です。絶対的不定期刑は、裁判所が刑の期間をまったく定めずに言い渡すことです。「反省するまで、施設に入れる」というような、期間の定まらない言い渡し方であり、行為をする前に予測できない話である以上、いつまで刑を受けるか分からないという点で禁止されます。

相対的不定期刑は、許されます。「3年以上5年以下に処する」というように、幅を持たせて宣告する方法です。上限が決まっていれば、最長でいつまでかは、行為の前に予測できるため、幅があっても許されるのです。相対的不確定刑と似ていますが、段階が違います。片方は条文の書き方、片方は裁判所の言い渡し方です。

こう並べると、絶対的はどちらも禁止、相対的はどちらも許される、という一本の軸になります。「確定」は法定刑、「定期」は宣告刑、と覚えると区別しやすくなります。

系図でつなぐ:3条文から6原則、そしてこの先へ

系図――3条文から6原則へ

今日見てきた全体を、1枚の地図につなげます。出発点は、憲法の3条文でした。31条、39条前段、73条6号ただし書です。31条は、いちばん幅広い担当であり、法律主義、明確性の原則、実体的適正の3つが、ここから枝分かれします。39条前段からは、遡及処罰の禁止が、まっすぐ1本伸びています。73条6号ただし書は、法律主義の中の、委任立法の限界という部分の根拠になっています。類推解釈の禁止と、絶対的不定期刑の禁止は、特定の1条文というより、31条を土台にした罪刑法定主義の考え方全体から導かれます。すべて、31条につながっているのです。

実は、もう1本、別の軸でも並べられます。31条・39条前段・73条6号ただし書は、“誰が縛られるか”という軸でした。もう1本は、“国家のどの動きを止めるか”という軸で、立法の形式、時間、解釈、文言、内容、そして宣告――この順に並びます。国家が刑罰権を振るう流れに、そのまま沿っているのです。前編で見た3つの原則も、ここに並びます。法律主義が立法、遡及処罰の禁止が時間、類推解釈の禁止が解釈です。冒頭で触れた「文言・内容・宣告」も、ここに出てきます。明確性が文言、実体的適正が内容、そして不定期刑の禁止が宣告を縛っていました。どちらの軸で見ても、国家の後出しの動きを、狙い撃ちで塞いでいることになります。

最後に、この6つの原則が、この先どの回でまた顔を出すかを確認しておきます。今日で終わりではありません。遡及処罰の禁止の続き――刑法6条の中身は、次回、時間的適用範囲の回で扱います。前編で、「有利な方向は許される」で止めていた話です。罪刑法定主義は、“しなかったこと”を罰する不真正不作為犯という論点とも、緊張関係にあります。これは、実行行為を学ぶ章で扱います。実体的適正で名前だけ触れた、残虐な刑罰の禁止と、死刑の合憲性は、専用の回で本格的に扱います。不定期刑は、少年法という、少年事件を扱う法律の中で、実際に使われる場面があり、そこも専用の回で扱います。最後に、明確性の話の中で気になるのが、条文の言葉の意味をどこまで知っていれば罪になるか、という論点です。これは、故意の回で扱う、規範的構成要件要素の話につながります。

今日渡された地図は、この先ずっと使うことになります。どの論点を見ても、「これは、罪刑法定主義のどの原則の問題か」と考える癖をつけておくとよいでしょう。

今日の地図(保存版)

まとめ①:意義と3条文・①②③

罪刑法定主義とは、何が犯罪で、どんな刑罰が科されるかを決める原則でした。それを、あらかじめ、成文の法律で決めておく、というものです。根拠は、憲法31条、39条前段、73条6号ただし書の3本でした。法律主義は、慣習を直接の根拠にすることを禁止します。遡及処罰の禁止は、不利益な方向だけが禁止で、有利な方向は許されます。類推解釈の禁止は、不利益な方向だけがダメで、拡張解釈は許される、というものでした。

まとめ②:④⑤⑥と全体像

明確性の原則は、一般人が読んで判断できる基準が必要でした。実体的適正は、罪と刑の均衡と、残虐な刑罰の禁止です。不定期刑の禁止は、絶対的なものが禁止で、相対的なものは許される、というものでした。

今日いちばん印象に残るのは、「禁止と許される」が、6つとも必ずペアになっていたことです。罪刑法定主義は、「全部禁止」の原則ではありません。国家の後出しの動きだけを、狙い撃ちで塞いでいく原則です。「書いていなければ罰せない」というのは、国民を縛る話ではなく、国家を縛る話だったのです。

「不確定と不定期は、それぞれ条文と裁判所のどちらの話だったか」、そして「曖昧な条文は、どういうときなら明確性を満たすか」。この2つを、自分の言葉で説明できるか確かめてみてください。前編の「書いていなければ罰せない理由」も、あわせて振り返っておくと万全です。

次回は、いよいよ、有利な方向の遡及処罰――刑法6条の中身を、詳しく見ていきます。今日、名前だけ出した論点を、正面から扱います。

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#5単独ページ動画

刑法の適用範囲(前編)

第1章 刑法の基本原理 ④/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

この回では、刑法が「いつ」「どこで」の行為に届くのかを扱います。行為時法主義とその唯一の例外である6条、属地主義・旗国主義、そして遍在説による国内犯の判定を、順に確認していきます。

その法律は、いつ・どこ・誰に届くのか

ある行為をした後、法律が変わったら

ある人が、ある行為をした後で、その行為に対する法律が変わったとき、行為の時点の法律と、裁判の時点の法律、どちらで裁かれるのでしょうか。直感では「今の法律」のような気もしますが、前回見た罪刑法定主義を思い出すと、答えは違ってきます。

罪刑法定主義は、何が犯罪にあたるかをあらかじめ、成文の法律で決めておくという原則でした。「あらかじめ」ということは、行為の時点で、何が犯罪かがすでに決まっていなければなりません。行為の後になって決まった法律で裁くのだとすれば、それは「あらかじめ」の要請に反してしまいます。

今日は、この「法律がいつ・どこ・誰に届くのか」という境界線を、時間、場所、そして人、この順番で確認していきます。

時間の原則:行為時法主義

行為時法主義――原則は行為の時点

刑法の原則は、行為時法主義です。行為の時点で施行されていた法律だけを適用し、施行前の行為には及ばない、という原則です。

これは、前回見た遡及処罰の禁止——実行の時に適法だった行為は、あとから罰せられない、という原則——の裏返しにあたります。新しい独立した原則ではなく、遡及処罰の禁止を、刑法を適用する側から言い直したものです。行為の時点でまだ無かった法律で、あとから遡って罰することはできません。

たとえば、Aさんがある行為をした後で、その行為を新しく罰する法律ができたとしても、Aさんは遡って罰せられません。行為をした時点で予測できないことは罰せられない、という考え方です。

6条:唯一の例外――なぜ有利な変更だけ遡ってよいのか

原則と例外――行為時法主義と6条

ただし、この行為時法主義には、1つだけ例外があります。

条文刑法第6条(刑の変更)

犯罪後の法律によって刑の変更があったときは、その軽いものによる。

犯罪が終わったあとに法律が変わって刑が変わったとき、変更前と変更後で軽いほうの刑が適用される、という規定です。たとえば、Aさんが器物損壊にあたる行為をした後に、法改正でその罪の法定刑が軽くなったとします。この場合、Aさんは軽いほうの刑で裁かれます。重いままの法律を、律儀に適用する必要はありません。

逆に、あとから刑が重くなった場合は、6条の出番ではありません。行為の時点の、軽いほうの刑のままです。6条が動くのは、変更が被告人に有利な方向のときだけです。

なぜ、この場合だけ例外が許されるのでしょうか。遡及処罰の禁止は、国家が恣意的に処罰するのを防ぐため——国民を国家の「後出し」から守るための原則でした。では、被告人にとって有利な方向の変更まで拒む理由があるかといえば、それはありません。有利な変更は、後出しであっても被告人の自由を害さないからです。罪刑法定主義の自由保障機能——国家の手を縛って国民の自由を守るはたらき——を、有利な変更は害しません。原則を縛っている理由そのものが、そこでは働かないのです。原則の「なぜ縛るのか」を裏返すと、例外の輪郭が見えてきます。これが、6条が唯一の例外として許される理由です。「軽ければ何でもよい」のではなく、この理由づけを答案でも書けると強くなります。

「犯罪後」はいつからか:実行行為後

実行行為の前・途中・後

「犯罪後」とは、具体的にいつからを指すのでしょうか。実行行為が終わった後、というのが通説です。実行行為とは、その犯罪を実現する行為そのものを指します。人を殺す罪であれば、人を殺す行為そのものです。

実行行為の途中で法律が変わった場合は、6条の出番ではありません。行為の途中である以上、そもそも「行為の時点の法律」という発想自体が、まだ確定していないからです。終わった後でなければ、「犯罪後」とは呼べません。

ここは、長く続く犯罪——たとえば、人を監禁し続ける行為——で特に問題になります。監禁の途中で法律が変わったら、どちらが適用されるかで争いが生じます。この点は、実行行為そのものを学ぶ回で扱います。

刑が廃止されたら:原則は処罰できない、例外は経過規定

行為から裁判まで――刑の廃止の扱い

さきほどの6条は、刑が軽くなった場合でした。では、刑そのものが丸ごと廃止されたら、どうなるのでしょうか。この場合、原則として、もう処罰できません。

たとえば、ある行為を罰していた条文が、裁判の途中で、改正によって丸ごと削除されたとします。この場合、裁判所は有罪も無罪も判断せずに、手続を打ち切ります。罰する根拠が無くなってしまうからです。手続の上では、免訴という扱いになります。免訴とは、裁判を打ち切って、有罪も無罪も判断しないまま終わらせる手続で、根拠は刑事訴訟法にあります。

これには例外があります。廃止した法律の中に、「罰則の適用については、なお従前の例による」という一文——経過規定——が入っていれば、廃止した後でも、その行為はなお処罰できます。経過規定がある範囲では、廃止が無かったことになる、という扱いです。改正の実務では、よく使われる手当てです。逆に、経過規定がなければ、その行為は本当にもう罰せられません。

限時法の理論:通説は否定

限時法の理論――肯定説と通説の対立

ただ、経過規定は、いつも用意されているとは限りません。ここで、限時法の理論という考え方が出てきます。限時法とは、あらかじめ有効期間が決まっている法律のことです。たとえば、大規模なイベントの警備のために、期間限定で立入禁止区域を設け、そこに入った人を罰する、という法律があったとします。イベントが終われば、その法律も失効します。

ここで、イベント終了の直前に、駆け込みで立入禁止区域に入った人がいたとします。経過規定が無ければ、原則として、この人はもう罰せられなくなります。これは不都合な感じがするため、「限時法だから、経過規定が無くても処罰できる」という理論が主張されてきました。

しかし、通説はこの理論を否定します。刑の廃止は、6条が想定する「刑が軽く変更された場合」の、いちばん極端なかたちにすぎません。軽くなるどころか、ゼロになったということです。6条は、経過規定が無ければ廃止後は処罰できないという建て付けであり、限時法の理論は、経過規定なしにこれを覆すことになるため、6条の趣旨に反します。「不都合だから」という理由で、原則を曲げてはいけません。不都合を解消したいのであれば、あらかじめ経過規定を用意しておくべきだ、というのが通説の立場です。

場所の原則:属地主義と旗国主義

属地主義と旗国主義――1条1項・2項

ここからは、場所の話に移ります。なぜ場所の線は、属地主義を原則にするのでしょうか。属地主義とは、その行為が行われた場所——国の領域——を基準にして決める、という考え方です。その国の領域の中の秩序は、その国が守るのが筋であり、証拠も関係者も現地にあるため裁判が現実的だという点にも理由があります。だから、場所の原則は属地主義です。

条文刑法第1条(国内犯)

1項 この法律は、日本国内において罪を犯したすべての者に適用する。 2項 日本国外にある日本船舶又は日本航空機内において罪を犯した者についても、前項と同様とする。

犯人の国籍も、被害者の国籍も、罪の内容も問いません。外国人同士が日本国内で犯罪を起こしても、日本の刑法が適用されます。これが1項、属地主義です。

2項には、間違えやすいポイントがあります。国外にある日本船舶や日本航空機の中は、国内と同じ扱いを受けます。国内にある船が国内犯になるのは1項で当然であり、わざわざ2項があるのは、国外にある船や航空機の中を国内扱いにするためです。公海上を航行中の日本籍の船の中で事件が起きた場合を考えてください。公海の上には、どの国の主権も及びません。日本籍の船の中を国内扱いにしておかないと、誰も裁けない空白ができてしまいます。これを旗国主義と呼びます。

国内犯の意義:遍在説

遍在説――どちらか一方が国内なら国内犯

「日本国内で罪を犯した」とは、どういう意味でしょうか。実は、条文の中には、この「国内」の意味を定めた規定はありません。ここは、通説によって立てられた考え方——規範です。実行行為地でも結果発生地でも、どちらか一方が日本国内にあれば、国内犯として扱われます。これを遍在説と呼びます。

このような定義が必要になるのは、国境をまたぐ犯罪があるからです。たとえば、国外にいる人物が、日本国内の相手に嘘の情報を送り、それを信じた相手が日本国内で財産を渡してしまった、という場合を考えてみます。この場合、実行行為そのものは国外で行われていますが、被害という結果は日本国内で起きています。遍在説によれば、結果発生地が国内である以上、これは国内犯であり、1条1項がそのまま適用できます。

では、実行行為も結果も、両方とも国外で起きた場合はどうでしょうか。この場合は、国内犯には当たりません。どちらも国内に無い以上、1条1項では拾えないのです。だからこそ、そのような場合のために、別の規定——これから見る国外犯——が必要になります。

時間の線・場所の原則――ここまでで分かったこと

ここまでで分かったこと――時間の線と場所の原則

ここまでで、時間の線と、場所の線の原則を見てきました。時間は、行為時法主義が原則で、有利な変更のときだけ6条が例外を認めます。場所は、属地主義と旗国主義が原則で、遍在説によって「日本の中で起きたかどうか」を判定できるようになりました。これで、日本の中で起きたことについては、いつの法律で・どこの事件なのかを決められるようになりました。

ただ、大事な問いが1つ残っています。属地主義は、あくまで「日本の中」の出来事を拾う原則でした。日本の外で起きたことは、まだ何も見ていません。日本の外で起きたことに、日本の刑法は届くのか。

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#6単独ページ動画

刑法の適用範囲(後編)

第1章 刑法の基本原理 ④/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

この回では、前編の問い——日本の外で起きたことに、日本の刑法は届くのか——に答えます。属地主義の外側を埋める4つの主義を、6つの事件から確認したうえで、「誰に」届くのかという人的適用範囲、そして外国判決との調整までを扱います。

なぜ属地主義だけでは足りないのか

属地主義の外側――4つの主義で穴を埋める

前回は、日本の刑法が「いつ」届くのか、そして「日本の中で起きたのか」をどう決めるのかを見ました。今日は、その続きとして、「日本の外で起きたことに、日本の刑法は届くのか」という問いから始めます。

前回確認した道具を、一言だけおさらいしておきます。時間の線は、行為の時点の法律で裁く行為時法主義が原則で、刑が軽くなったときだけ、6条によって軽いほうの刑によります。場所の線は、1条1項の属地主義——日本国内で起きたことなら、国籍を問わず適用する——と、1条2項の旗国主義——国外にある日本の船や航空機の中も、国内と同じに扱う——でした。

しかし、属地主義は、日本国内の出来事しか拾えません。国外で起きた事件の中にも、日本が関わるべきものがあります。日本という国そのものの重大な利益が侵された場合、日本国民が海外で罪を犯した場合、日本国民が海外で被害に遭った場合、そして国際社会全体で処罰すべきだと約束した場合——それぞれ理由が違います。この4つの理由に対応して、4つの主義があります。名前と条文番号を先に並べても実感が湧きにくいため、まず具体的な事件から見ていきます。

国外犯の事件から①:2条――すべての者の国外犯

事件1――日本の通貨を国外で偽造する

1つめの事件です。ある外国人が、日本国外で、日本円の偽札を大量に製造しました。通貨偽造です。この人は日本国籍ではなく、行為地も国外のため、属地主義——1条1項——では拾えません。

しかし、日本の通貨制度に対する信用は、犯人の国籍がどこであっても守る必要があります。誰が偽造しても、日本円の信用が傷つくのは同じだからです。これを拾うのが2条、「すべての者の国外犯」と呼ばれる規定です。日本という国そのものの利益を守るために手を伸ばすこの考え方を、保護主義と呼びます。犯人の国籍を問わず、日本という国の重大な利益を守るために適用されます。

条文は、共通の1文のあとに罪名が号で並ぶ形になっており、この共通の1文を柱書と呼びます。2条の柱書は、「日本国外において次に掲げる罪を犯したすべての者に適用する」です。通貨偽造のほかにも、内乱など、日本という国そのものへの攻撃にあたる罪が列挙されています。

国外犯の事件から②:3条――国民の国外犯

事件2――日本人が海外で人を殺害する

2つめの事件です。ある日本人が、海外旅行中に、現地の人とトラブルになり、殺害してしまいました。行為地は国外、被害者も日本人ではありません。それでも、日本の刑法は適用されます。犯人が日本国民である以上、日本は自国民を野放しにできないからです。

日本は、原則として、自国民を外国に引き渡さない運用を取っています。だから、国外で重大な罪を犯した自国民を裁く手段を、自国で確保しておく必要があります。引き渡さない代わりに、自分の国で裁くということです。これを拾うのが3条、「国民の国外犯」、属人主義です。着目点は、犯人の国籍です。柱書は、「日本国外において次に掲げる罪を犯した日本国民に適用する」であり、殺人、強盗、放火、詐欺など、重い罪が列挙されています。

ここには罠があります。3条には、過失犯と、単純な横領罪が入っていません。単純な横領とは、業務上ではない普通の横領罪のことで、業務上横領のほうだけが列挙されています。重い罪だけを、選んで列挙しているのです。

国外犯の事件から③:3条の2――国民以外の者の国外犯

事件3――日本人旅行者が海外で強盗被害に遭う

3つめの事件です。ある外国人が、海外で、日本人旅行者を殴って、金品を奪いました。強盗です。今度は、犯人も行為地も国外であり、2条にも3条にも当たりません。しかし、被害者は日本人です。日本は、自国民が被害に遭ったことを放置できません。

これを拾うのが3条の2、消極的属人主義です。着目点は、被害者の国籍です。ここに、この回いちばんの罠があります。条文の見出しは「国民以外の者」の国外犯という名前——加害者側の呼び方——ですが、実質は、被害者が日本国民である場合を拾う規定です。見出しと、主義の名前の向きが、逆に見えるのです。

柱書をよく読むと、「日本国外において日本国民に対して次に掲げる罪を犯した日本国民以外の者に適用する」とあります。「日本国民に対して」の部分が、被害者のことです。ここを見落とすと、条文の意味を取り違えます。

国外犯の事件から④:どの主義にも当たらない「穴」

事件4――同じ場面なのに、日本の刑法では拾えない

場面を少し変えてみます。同じ外国人が、海外で、同じ日本人旅行者に対して、今度は暴行や脅迫を使わずに、財布だけをすり取りました。単純な窃盗です。犯人は外国人、行為地も国外、被害者は日本人——さっきの強盗の事件と、条件は同じに見えます。

しかし、3条の2に列挙された罪の中に、単純な窃盗は入っていません。強盗だけが列挙されていて、窃盗はないのです。つまり、この事件は、2条にも、3条にも、3条の2にも当たらず、日本の刑法では拾えません。

ここで、1つ誤解を正しておく必要があります。「4つの主義があるから、国外の事件は何でも拾える」と思ってしまいがちですが、これは違います。さきほどの3条にも、過失犯と単純な横領は入っていませんでした。国外犯として処罰される罪は、条文に列挙された重大な犯罪に限られており、すべての犯罪を無条件に拾うわけではないのです。

国外犯の事件から⑤⑥:4条と4条の2

事件5――在外公務員が赴任先で賄賂を受け取る

5つめの事件です。在外日本大使館に勤務する日本の公務員が、赴任先の国で、職務に関して賄賂を受け取りました。収賄です。公務員の職務に対する国民の信頼は、勤務地が国外でも守る必要があります。これを拾うのが4条、「公務員の国外犯」です。柱書は、「日本国外において次に掲げる罪を犯した日本国の公務員に適用する」です。

2条も国益を守るための規定であり、どちらも守りたい利益に着目する点は共通しています。4条も、2条と同じ保護主義ですが、着目するのは「日本国の公務員」という身分であり、着目する対象が少し違います。

事件6――外国人が第三国の外交官を襲撃する

もう1つ、6つめの事件です。ある外国人が、海外で、第三国の外交官を襲撃して、負傷させました。一見、日本と関係のない話に見えますが、この犯人は、その後、日本に入国しました。行為地は国外、犯人も外国人、被害者も日本人ではありません。

傷害は、国そのものへの攻撃にあたる罪を列挙した2条には入っていません。犯人は日本国民ではないので3条にも当たらず、日本の公務員でもないので4条にも当たりません。被害者が日本人ではないため、3条の2でも拾えません。

しかし、拾うことができます。国際的に保護される人への攻撃を締約国が処罰する、という条約があるからです。これを拾うのが4条の2、「条約による国外犯」、世界主義です。国際社会全体で協調して処罰する、という発想から来ています。

ただし、条約を結べば、それだけで日本でも裁けるというわけではありません。条約は国どうしの約束にすぎず、罪刑法定主義で見たとおり、人を処罰するには国内の法律に定めが要ります。条約を結んだだけでは、日本の刑法に受け皿が無ければ、日本は裁けません。しかも、この条約は、容疑者が自国の領域内にいて、他国に引き渡さない場合には、自国で裁判権を行使する義務を、締約国に負わせています。さきほどの事件では、犯人が日本に入国していました。犯人が日本にいて他国に引き渡さない場合、日本は自分で裁く義務を負います。どの国も裁かないまま逃げ切られることが無いようにするためです。この条文が対象にするのは、条約が個別に指定した犯罪だけであり、無制限に世界中の犯罪を拾うわけではありません。ここも、限定列挙という発想は共通しています。

答え合わせ:5つの主義の一覧表

5つの主義――答え合わせ

ここまで、6つの事件を見てきました。ここで一度、全部まとめておきます。属地主義と旗国主義が原則の部分にあたり、そこに、保護主義の2条、属人主義の3条、消極的属人主義の3条の2、もう1つの保護主義である4条、そして世界主義の4条の2が、穴を埋めていました。

こう並べると、それぞれの着目点の違いがはっきりします。名前を先に覚えるより、事件から先に理解したほうが忘れにくいはずです。事件4で見た「穴」——単純な窃盗がどの主義にも当たらないこと——も、この表にはちゃんと残っています。主義があるからといって、何でも拾えるわけではないという感覚を、持ち続けてください。

誰に届くのか:人的適用範囲

適用されないのか、訴追できないのか

時間、場所ときて、最後は人です。ここには、大事な区別があります。「刑法が適用されない」のか「訴追ができない」のか、この2つは別の話だという点です。

まず、国会議員の話です。

条文日本国憲法第51条

両議院の議員は、議院で行つた演説、討論又は表決について、院外で責任を問はれない。

これは、国会議員が、議院での発言や採決について、院の外で法的責任を追及されない、という条文です。ここは誤解しやすいところですが、この条文は、その発言が犯罪にあたるかどうかを定めたものではありません。発言が犯罪の型にあてはまること自体は、否定されないのです。否定されるのは、訴追や責任追及ができるかどうかという局面であり、院内での発言である限り、院外で訴追されることはありません。なぜ議員だけにこの特権があるのかといえば、院の中の討論が、あとで刑事責任を問われる心配で萎縮しては、議会が議会として働けなくなるからです。

次に、外交官の話です。外交関係に関する条約により、外交官は接受国——つまり滞在先の国——の刑事裁判権から免除されます。日本の警察や検察は、その外交官を起訴できません。ただし、これも「日本の刑法が適用されない」わけではなく、接受国である日本が裁判権を行使できないという国際法上の話です。外交官が免除される理由は、使節の職務が滞在先の国の圧力で止められないようにするためであり、本国に送還されて本国で裁かれることはあり得ます。刑法が消えるわけではなく、裁く権利が及ばないだけです。

最後に、天皇の扱いです。明文の規定はありませんが、通説は、天皇は訴追されないと解しています。理由づけには複数の説があり、象徴という地位と刑事訴追が相容れないとする説と、摂政との均衡から考える説があります。摂政とは、天皇が幼いときや重い病気のときに、天皇に代わって国事行為を行う人のことで、摂政については在任中は訴追されないという規定があるため、天皇も同じに考えるという筋です。理由の説明の仕方は分かれていますが、結論は一致しています。ここは深追いせず、結論と、争いがあることの2点だけ押さえておいてください。

二重処罰の調整:外国判決の効力

外国で裁かれても、日本でまた裁ける

最後に、二重処罰の調整という話をします。ここで、場所の話に1つだけ戻ります。国外犯として日本で裁けるとき、その人がすでに外国で裁かれていたら、どうなるでしょうか。

条文刑法第5条(外国判決の効力)

外国において確定裁判を受けた者であっても、同一の行為について更に処罰することを妨げない。 ただし、犯人が既に外国において言い渡された刑の全部又は一部の執行を受けたときは、 刑の執行を減軽し、又は免除する。

外国で既に確定した判決を受けた人でも、日本で更に処罰できる——日本では二重に処罰することができてしまう、という規定です。同じ事件を2回裁くのは奇妙にも思えますが、ここには理由があります。

遡及処罰の禁止を学んだ回で、「同じ事件を蒸し返さない、これとは別の原則がある」とだけ触れました。それが一事不再理——同じ事件を繰り返し裁かないという原則——です。この原則があるのに、なぜ外国の判決には及ばないのでしょうか。一事不再理は、日本の刑事司法権の行使に内在する原則だからです。外国の確定判決は、別の主権のもとで行われた、別の裁判権の行使にすぎません。日本の裁判所を拘束する理由が無いのです。

だからこそ、ただし書が重要になります。「刑の全部又は一部の執行を受けたとき」の部分です。外国で実際に刑の執行を受けていた場合には、刑の執行を減軽するか、免除します。二重に処罰すること自体は許しつつ、実際に受けた不利益は調整する、という仕組みです。たとえば、外国で言い渡された刑の一部を実際に服役した後、日本に送還され、同じ行為について日本でも有罪とされた場合、外国で服役した分は、日本での刑の執行にあたって考慮されます。処罰そのものが免除されるわけではありません。減軽・免除の対象は、あくまで刑の執行であり、処罰そのものを免除するわけではないのです。

第1章の締め:法律がある、法律が届く、では犯罪とは何か

3つの線――時間・場所・人

時間、場所、人の順に、刑法の届く範囲を見てきました。時間の線は、原則が行為時法主義、例外が6条でした。6条が例外として許されるのは、有利な変更が被告人の自由を害さないからです。場所の線は、属地主義が原則で、そこに4つの主義が穴を埋めていました。ただし、どの主義も、列挙された罪だけを拾う限定列挙であり、何でも拾えるわけではないという感覚は忘れてはいけません。

人の線は、少し違う話でした。「適用されないか」ではなく、「訴追・裁判権が及ぶか」という、別の次元の話です。次元の違う3つの話を、無理やり1つにまとめる必要はありません。ただ、共通する問いはあります。時間と場所は、「日本の刑法がそもそも届くか」という線であり、人は、届いたうえで「実際に訴追し、裁判ができるか」という別の線です。次元は違いますが、3つとも突き詰めれば、「刑罰権が、どこまで及ぶか」という同じ問いの、3つの面にあたります。

なお、共犯者の一部が国外にいる場合の扱いは共犯を学ぶ回で、刑罰の種類そのものが変わった場合の細かい経過措置は別の回で、それぞれ改めて扱います。

この章では、法律で決めておかないと国家を縛れないという話をしました。今日は、その法律が、いつ・どこ・誰に届くのかを見てきました。「法律がある」の次は「法律が届く」——次は、いよいよ「犯罪とは何か」を学びます。

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第2章構成要件と実行行為

#7単独ページ動画

犯罪の成立要件

第2章 構成要件と実行行為 ①/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

ある事件——Aは、罪に問われるのか

事件の始まり 図:事件の始まり

はい、お願いします。……なるほど。即答は、できません。気持ちは分かりますが、今の情報だけでは、まだ何も決まらないんです。これから、事情を1つずつ、足したり引いたりしていきます。すると、同じAとBの出来事なのに、結論が変わっていきます。今日は、この1つの出来事を、最後まで一緒に追いかけましょう。

犯罪とは何か——3つの関門

犯罪の定義と、3つの関門 図:犯罪の定義と、3つの関門

この出来事を判定するには、実は、確認することが3つあります。その前に、そもそも「犯罪」とは何か、定義から確認しましょう。犯罪とは、構成要件に該当する、違法で有責な行為のことです。大丈夫です。「有責」は、責任があるという意味です。この3つを、1つずつ見ていきましょう。この定義は、判例や実務も、おおむね同じ考え方に立っています。この定義の中に、3つの関門が隠れています。第一の関門が、構成要件該当性。第二の関門が、違法性。第三の関門が、責任です。名前だけだとピンとこなくて当然です。中身はこれから、さっきの出来事で確かめていきます。

はい、では第一の関門から見ていきましょう。

第一の関門——構成要件該当性

構成要件とは、条文が定める「型」 図:構成要件とは、条文が定める「型」

構成要件とは、条文が定めている「型」のことです。刑法という法律の、第2編「罪」に並ぶ、それぞれの条文です。たとえば77条は内乱罪、そこから殺人、窃盗、詐欺……と並びます。そこ、呼び方に注意が必要です。「刑法各論」は大学の科目の名前で、条文そのものの名前ではありません。この各条文が、普通は違法で、普通は責任がある行為を、あらかじめ型にしたものです。そこは、あとで効いてきます。まずは、さっきの出来事に当てはめてみましょう。

条文刑法199条

刑法199条(殺人) 人を殺した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の拘禁刑に処する。

Aは、包丁でBを刺し、Bは死亡しました。これは、「人を殺した」という型に、文言のうえで当てはまります。構成要件該当性は、ありです。ただ、注意してください。構成要件に該当しただけでは、まだ何も終わっていません。違法性も、責任も、まだ分かっていない段階です。では、なぜ、まずこの型への当てはめを確認するんでしょうか。そう見えますよね。でも、ここに、大きな意味があります。型に当てはまらない限り、その行為がどれだけ悪質でも、処罰できません。たとえば、返すつもりで借りたお金を、結局返せなかった場合。約束は破っていますが、刑法のどの型にも当てはまりません。

以前、法律で先に決めておかないと、国家を縛れない、という話をしましたね。憲法31条が土台でしたね。手続きの適正だけでなく、内容の適正まで求める条文でした。構成要件は、その罪刑法定主義から生まれる、最初のフィルターです。この働きを、保障機能と呼びます。国民の自由を守るための、最初の関門です。これは、以前学んだ自由保障機能が、構成要件のレベルで現れた形です。「型に当たらなければ、それ以上は検討さえしない」。これが、構成要件が一番手に来る理由です。

第二の関門——違法性は「あるか」でなく「阻却されないか」

違法性は、あるかではなく、阻却されないかで見る 図:違法性は、あるかではなく、阻却されないかで見る

第二の関門は、違法性です。もう少し正確には、その行為に価値が無い、という評価のことです。ここで、多くの人が誤解しやすい点があります。「違法性がある」ことを、1から積極的に証明しないといけない、という誤解です。実は、そうではありません。構成要件は、さっき見たとおり、普通は違法な行為を集めた型でしたね。だから、型に当てはまった時点で、その行為は通常はもう違法なんです。これを、違法性推定機能と呼びます。さっきのAとBの出来事も、199条の型に当てはまった時点で、もう違法だと扱われています。

だから、違法性が「あるか」を、1から積極的に認定する必要はありません。確認するのは、違法性阻却事由があるかどうか、これだけです。ここが、今日いちばんの勝負どころです。逆に、阻却事由が見つかれば、その時点で違法性は否定されます。刑事訴訟法の、有罪が証明されるまでは無罪として扱う、という考え方ですね。出発点があって、覆す事情だけを見る点は似ていますが、向きは逆です。こちらは、「違法である」側が出発点なんです。では、この阻却事由の代表格を、さっきの出来事で確かめましょう。

正当防衛という壁——36条1項

事情を1つ足す 図:事情を1つ足す

では、さっきの出来事に、事情を1つ足してみます。実は、AはBから、先に包丁で切りつけられていました。とっさに反撃して、Bを刺した、という事情があったとします。はい、構成要件該当性は、変わらず「あり」です。ここで、正当防衛が問題になります。

条文刑法36条1項

刑法36条1項(正当防衛) 急迫不正の侵害に対して、自己又は他人の権利を防衛するため、やむを得ずにした行為は、罰しない。

急に迫った不正な侵害に対して、権利を守るため、やむを得ずにやった行為は、罰しない、という条文です。高いレベルで見れば、そう言えそうですね。やむを得ない反撃、とも言えます。はい、要件を1つずつ詰めるのは、正当防衛だけを扱う回でやります。今日のところは、感覚だけ掴んでください。阻却事由が認められるので、違法性は否定されます。この時点で、Aに犯罪は成立しません。逆に、Aが先に喧嘩を仕掛けていたら、どうでしょう。その場合は、急迫性や防衛の意思が認められず、阻却されません。違法性は「あり」のまま、次の関門へ進みます。

違法性阻却事由は、正当防衛だけではありません。35条の正当行為、37条1項の緊急避難、というものもあります。はい、名前と場所だけ覚えておいてください。中身や根っこの考え方は、違法性を学ぶ回で、まとめて扱います。はい、少し事情を戻して、責任の話に進みましょう。

第三の関門——責任、なぜ2段階に分けるのか

責任とは何か——行為者への評価という、もう1つの軸 図:責任とは何か——行為者への評価という、もう1つの軸

続いて、第三の関門、責任です。大事な質問です。責任とは、その行為者に対する、非難可能性のことです。行為そのものではなく、その行為をした「人」への評価なんです。ここにも、同じ構造の推定が働きます。構成要件は、違法かつ有責な行為を集めた型でしたね。だから、違法な行為は、通常は責任もあると推定されます。これを、有責性推定機能と呼びます。ここでも確認するのは、責任阻却事由の有無、これだけです。そこが、今日2つめの、大事なポイントです。違法性は行為への評価、責任は行為者への評価です。

同じ行為でも、誰がやったかによって、責任だけが否定されることがあります。たとえば、13歳の子どもが、人を刺してしまった場合を考えてください。その行為自体が許されないことは、変わりません。でも、その子を大人と同じように非難できるかは、別の問題です。この区別は、あとの回でも、何度か効いてきます。たとえば、責任無能力者に対する正当防衛や、共犯の成立を考えるときです。はい、今日は「行為と行為者は別」ということだけ、持ち帰ってください。では、実際に、責任の関門を、さっきの出来事に通してみましょう。

13歳と、心の病——責任が消える2つの場合

事情を戻し、責任の関門へ 図:事情を戻し、責任の関門へ

ここで、さっきの正当防衛の事情は、いったん外します。基本形に戻りましょう。Bは何もしていなくて、Aが一方的に刺した、という話でしたね。構成要件該当性は「あり」、違法性も、阻却事由がないので「あり」です。まず、Aが13歳だった場合を考えてみましょう。

条文刑法41条

刑法41条(責任年齢) 十四歳に満たない者の行為は、罰しない。

はい、14歳という年齢に、線が引かれています。Aが13歳なら、この条文に、そのまま当てはまります。責任が阻却されるので、この場合も、犯罪は成立しません。36条も、41条も、条文の言葉は同じ「罰しない」です。でも、落ちている関門が違います。正当防衛は第二の関門、13歳は第三の関門です。では、もう1つの変奏を見てみましょう。Aが、重い精神の障害により、物事の善悪を判断する能力を欠いていた場合です。

条文刑法39条

刑法39条(心神喪失及び心神耗弱) 1 心神喪失者の行為は、罰しない。 2 心神耗弱者の行為は、その刑を減軽する。

はい、ここが、試験でいちばん間違えられる境目です。善悪の判断能力を、完全に欠いた状態を、心神喪失と呼びます。善悪の判断そのものができない人を、「やめておくべきだった」と非難することはできません。だから、1項が適用され、責任が阻却されます。はい、この場合も、犯罪は成立しません。そこで、2項の心神耗弱が出てきます。判断能力が、著しく低下していたにとどまる場合です。はい、ここを混同する人が、とても多いんです。心神耗弱は、責任が阻却されるのではなく、刑が減軽されるだけです。犯罪そのものは、成立します。

完全に欠けば1項で不成立、著しく低下しただけなら2項で成立・減軽です。この境目を、しっかり分けて覚えてください。最後に、1つだけ触れておきます。そもそも、構成要件に当てはめる対象である「行為」とは何か、という議論があります。ただ、この定義そのものを、覚える必要はありません。ポイントは、故意の行為だけでなく、過失の行為や不作為も、「行為」に含まれることです。不作為というのは、やるべきことをやらない形のことです。この絞り込みをもっと厳密にやる話は、別の回で扱います。はい、次は、両方の場合を、もう一度きちんと整理しましょう。

事件の結末と、答案の書き方

5つの分岐——答え合わせ 図:5つの分岐——答え合わせ

では、最後の場合です。Aが14歳以上の、健康な大人だったとします。正当防衛の事情もなく、一方的にBを刺した、という基本形のままです。そして、責任も、阻却事由が見当たりません。この場合は、3つの関門をすべて通過し、犯罪が成立します。正当防衛が成立するパターン、13歳のパターン、心神喪失のパターン。この3つは、いずれも不成立でした。心神耗弱のパターンは、成立するけれど、刑は減軽されます。そして、今の健康な大人のパターンは、そのまま成立です。最後に、これを答案でどう書くか、という点にも触れておきます。

答案では、それぞれの関門を、「阻却事由が無いので、違法である」と書きます。責任についても、「阻却事由が無いので、責任も認められる」と書きます。積極的に認定するのではなく、阻却事由の不存在を確認する、という書き方です。この事件は、これでいったん決着です。ただ、犯罪の成立要件には、実は、もう少し先があります。

犯罪は成立するのに、罰せられない——親族間の窃盗

犯罪の成立と、処罰は別の話 図:犯罪の成立と、処罰は別の話

はい、少し違う出来事で、成立要件の外側にある話をします。Aが、同居している親のBの財布から、現金を盗んだ、とします。構成要件該当性、違法性、責任、この3つとも認められます。つまり、窃盗罪は、いったん成立しています。

条文刑法244条1項

刑法244条1項(親族間の犯罪に関する特例) 配偶者、直系血族又は同居の親族との間で第二百三十五条の罪、第二百三十五条の二の罪 又はこれらの罪の未遂罪を犯した者は、その刑を免除する。

配偶者や、直系血族、同居の親族の間で起きた窃盗は、刑が免除されます。AとBは親子、つまり直系血族ですから、この特例に当たります。なお、「同居の」という条件が付いているのは、3つ目の親族だけです。そこが、この話の注意点です。無罪ではありません。犯罪はきちんと成立していて、有罪の判断はできます。ただ、家庭の中で起きた財産のもめごとにまで、国家が刑罰で立ち入るのは適当でない。そういう政策判断から、刑だけを科さないんです。これを、処罰阻却事由と呼びます。答案でも、まず3つの関門を満たすと述べてから、この話に入ります。

似た仕組みは、未遂を学ぶ回にも、また出てきます。どこまでが「親族」にあたるか、という細かい範囲は、財産犯を学ぶ回で扱います。はい、次に見てみましょう。

まだ起きていない未来が条件になる——事前収賄

処罰阻却事由と、向きが逆の話 図:処罰阻却事由と、向きが逆の話

まだ、公務員ではないCがいたとします。将来、有利な取り計らいをするという約束で、Dから請託を受けました。具体的な頼みごとを、引き受けるということです。そして、金銭を受け取りました。

条文刑法197条2項

刑法197条2項(事前収賄) 公務員になろうとする者が、その担当すべき職務に関し、請託を受けて、賄賂を収受し、 又はその要求若しくは約束をしたときは、公務員となった場合において、五年以下の拘禁刑に処する。

事前収賄罪、197条2項の構成要件に、当てはまります。違法性も責任も、阻却する事情はありません。犯罪自体は、成立しています。ただ、ここが、さっきとは向きが違います。この条文には、「公務員となった場合において」という条件が付いています。Cが実際に公務員に就任しない限り、処罰できません。もし、Cが公務員に一生ならなければ、この罪では一生処罰されないんです。さっきは、犯罪はもう成立していて、刑だけが免除される話でした。今回は、「公務員となった事実」が無いと、そもそも処罰できないんです。はい、これを、処罰条件、正確には客観的処罰条件と呼びます。あると処罰できなくなるのが処罰阻却事由、無いと処罰できないのが処罰条件です。

はい、3つの関門のあとに書きます。ただ、1つだけ言っておきます。この「公務員となった場合」には、争いがあります。処罰条件ではなく、構成要件の要素そのものだと見る立場もあるんです。構成要件の要素なら、公務員になるまでは、そもそも犯罪が成立していないことになります。どちらで見るかは、賄賂の罪を扱う回で立ち止まります。今日は、成立の外側に処罰の条件が置かれる形がある、という枠組みだけ持ち帰ってください。

なぜこの順番なのか——構成要件の2つの機能

保障機能から始まる、1本の因果 図:保障機能から始まる、1本の因果

今日、確認してきた順番を、もう一度、振り返ってみましょう。この順番には、理由があります。まず、型に当たらなければ、それ以上の検討自体が始まりません。これが、保障機能でしたね。すべての土台です。型に当たれば、次に、違法性が推定されます。これが、違法性推定機能。だから、阻却事由の有無だけを見ます。そして、違法であれば、責任も推定されます。これが、有責性推定機能。だから、責任阻却事由の有無だけを見ます。この②と③をまとめて、違法性・有責性推定機能と呼びます。1つの型が、自由を守りながら、判断の道すじも作っています。それが、今日いちばん伝えたかったことです。

この3階建てが、総論全部の目次になる

総論全体の地図 図:総論全体の地図

今日学んだ3つの関門は、実は、これから学ぶ総論全部の目次になっています。第3章から第5章、因果関係、故意と錯誤、過失は、すべて第一関門の中身です。第6章の違法性は、第二関門の中身。第7章の責任は、第三関門の中身です。第8章の未遂と、第9章の共犯は、少し違います。この2つは、修正された構成要件、つまり第一関門の応用形です。たとえば、Aが殺すつもりでBを刺したけれど、Bが助かった場合を考えてください。199条の型は「人を殺した」ですから、そのままでは当たりません。そこを、未遂の規定で修正して拾います。そして第10章の罪数と、第11章の刑罰で、総論を締めます。そのあと第12章から、犯罪ごとに、この型を1つずつ確認していきます。

客観的な部分と、主観的な部分に分けて、型の作りを分解していきます。

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#8単独ページ動画

構成要件要素

第2章 構成要件と実行行為 ②/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

事実無根のうわさ話に、部品はいくつ隠れているか

駅前で起きたこと

前回の第一関門は、構成要件該当性でした。条文の型に、必要な部品が全部そろっているか——その判定です。今日は、その中身(部品)を1つずつ拾っていきます。Aは、駅前の広場で、大勢が行き交う中、Bの話をしました。「Bは過去に横領で捕まった」という、事実無根の話です。この出来事を、ある条文に当てはめてみます。

条文刑法230条1項

刑法230条1項(名誉毀損) 公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損した者は、その事実の有無にかかわらず、 三年以下の拘禁刑又は五十万円以下の罰金に処する。

今日は、まずこれを数えてみましょう。「公然と」「事実を摘示し」「名誉を毀損した」——3つか4つに区切れそうです。「摘示」は、具体的な事実を示す、という意味です。この部品を、これから名前つきで整理していきます。はい、まずは存在だけを、確認してもらいました。先に言っておくと、部品の種類は、全部で8つです。しかも、そのうち半分は、目には見えません。ここから、部品を2つのグループに分けていきます。

客観と主観——分かれ目はただ1つ

他人が見て分かるか、それだけの基準

さっき数えた部品は、実は全部、同じグループです。はい、どれも、外から見て、他人にも分かるものです。これを、客観的構成要件要素と呼びます。ただ、これだけで、処罰が決まるとは限りません。犯人の頭の中に、何があったかを、聞かれることもあります。駅前の話でいえば、Aが「大勢に聞かれている」と分かっていたかどうか。これを、主観的構成要件要素と呼びます。分かれ目は、たった1つの基準です。他人が見て分かるか、本人の頭の中か。それだけです。ただ、ここは注意が必要です。「客観=事実、主観=評価」ではありません。条文の言葉には、評価が要るものもあります。それは別の回で。なお、刑法の理論の回で出てきた客観主義・主観主義は、犯罪の何に評価の的を向けるか、という立場の対立でした。今日の客観・主観は、部品を置く場所の話です。別物として持ってください。今日は、この基準だけ、持ち帰ってください。

客観の主役3つ——行為・結果・因果関係が並ぶ理由

行為、結果、そしてその2つをつなぐもの

客観側の要素の中でも、特に重要なものが3つあります。1つ目が、実行行為です。2つ目が、構成要件的結果です。そして3つ目が、その2つをつなぐ、因果関係です。はい、この順番のまま、一直線に並んでいます。行為が無ければ、結果は生まれません。だから、行為が先頭に来ます。そして、行為と結果がつながっているかが、最後です。駅前の話でいうと、Aが大声で言いふらした——まず、この行為があります。そして、その2つがつながっているか。答案でも、この順で検討します。はい、これから1つずつ、見ていきましょう。

実行行為——定義を3つに割って持ち帰る

事件その2——Aが、Bを金属バットで殴った

新しい出来事です。Aは、かねてから恨んでいたBを殴りました。金属のバットで、後頭部を、思い切り殴打しました。Bは、それによって脳挫傷を負い、死亡しました。「人を殺した」、あの型です。前回、全文を見ましたね。まず、Aがバットで殴った、この行為に注目しましょう。実行行為には、正確な定義があります。

実行行為の定義——3つのブロック

この定義、一息で覚えようとすると、つまずきます。だから、3つのブロックに分けて説明します。1つ目のブロックは、「特定の構成要件に該当する」です。その犯罪の条文の型に、当たっているという意味です。前回の「第一関門=構成要件該当性」も同じ言葉ですが、あちらは全体の判定、こちらは部品を1つ選ぶときの目印です。2つ目のブロックが、いちばん大事です。「法益侵害の現実的危険性を有する」です。はじめの回で出てきた、法律が守ろうとしている利益のことです。ここでは、Bの命ですね。ここで、注意してほしいことがあります。これは、「結果が起きる危険」ではありません。「法益そのものが害される危険」です。バットで殴った時点では、まだBは死んでいません。でも、その行為自体が、命という利益を害する危険を持っています。この違いは、あとの回で決定的に効いてきます。「結果発生の危険」と縮めると、崩れる場面が出てきます。最後、3つ目のブロックが、「行為」です。前回、故意だけでなく、過失も、しないことも「行為」に入る、と見ましたね。その「行為」を、そのまま入れておいてください。この3つを合わせたものが、実行行為の定義です。事件でいえば、バットで後頭部を殴打する行為が、命という法益を侵す、現実的な危険を持つ行為です。だから、この行為は、実行行為に当たります。なぜ結果ではなく法益侵害で定義するのか。世の中には、結果の無い犯罪もあるからです。結果に頼らない定義でないと、それを説明できません。はい、この絞り込みの中身は、別の回で扱います。今日は、この定義そのものを、正確に持ち帰ってください。

結果と因果関係——条文になくても要る理由

Bの死亡という結果

バットで殴られたBは、そのあと脳挫傷で死亡しました。この「Bの死亡」が、2つ目の部品です。正確には、構成要件的結果と呼びます。199条という型の中で、要求されている結果だからです。では、3つ目の部品を見ましょう。殴った行為と、死亡という結果をつなぐ関係のことです。

条文に書かれていないのに要る要素

199条を見返しても「因果関係」という言葉はありません。実は、条文には直接、書かれていません。それでも、結果犯という種類の犯罪では、解釈によって必要とされます。結果犯とは、結果の発生を要件にしている犯罪のことです(分け方そのものは次回まとめて扱います)。「よって死亡させた」のような言葉が無くても、例外なく要求されます。行為と結果がつながっていなければ、その結果はその行為のせいだとは言えないからです。だから、明文が無くても、当然に要求されます。これは構成要件の中身を詰める回にもつながる話です。因果関係の判定の中身は、別の回で扱います。今日は「書かれていないのに要る」という事実だけ、覚えておけば十分です。

「その他」も部品——主体・客体・状況

230条1項に戻る——部品の答え合わせ

さっきの、駅前の出来事に戻りましょう。230条1項に残っていた部品を、名前つきで回収します。「人の」は、行為の対象、客体と呼びます。そして「公然と」、これが行為の状況です。主体・客体・状況、これらを「その他」の要素と呼びます。名前は軽くても、立派な構成要件要素です。ここで、試しに事情を変えてみましょう。もし、誰もいない部屋で、AがBに1対1で言っただけだったら。その場合、「公然と」という状況が欠けている可能性があります。そもそも、230条という型に当たらないかもしれません。この判定の厳密な中身は、また別の回で扱います。今日は、状況も部品の1つだ、という感覚だけ持ち帰ってください。行為の主体についても、ひとつだけ触れておきます。犯罪には、誰でもできるものと、一定の身分が要るものがあります。はい、その中身も、別の回で扱います。今日は名前だけです。

主観へ——構成要件的故意は「認識・認容」

客観の部品表が完成——次は主観へ

ここまでで、客観側の部品は、全部そろいました。全部、他人から見て分かるものでした。ここから、主観側に移ります。はい、こちらは4つあります。1つ目が、構成要件的故意。2つ目が、構成要件的過失。3つ目が、目的犯の目的。4つ目が、傾向犯の傾向です。まずは、1つ目の故意から見ていきましょう。定義は、こうです。客観的構成要件要素の認識・認容。事件で確かめましょう。Aは、バットで殴れば、Bが死ぬかもしれないと分かっていました。「死ぬかもしれない、それでもいい」、こう思っていたとします。死ぬかもしれないと認識しています。それでもいいと認容している状態です。ここが大事な注意点で、「絶対に殺してやる」と強く思う必要はありません。積極的な意欲までは、要りません。認識して、それでも構わないと思っていれば足ります。望んでいたかどうかで線を引くと、こうなります。「死ぬかもしれない、それでもいい」と思って殴った人が、故意から外れてしまいます。ここを取り違えると、あとの回で必ずつまずきます。故意の中身をもっと詳しく扱う回で、また戻ってきます。それと、これは構成要件レベルの故意だという点も大事です。前回の地図では、故意は第一関門の中身、と置きましたね。今日見ているのは、その第一関門の中の故意です。置き場所を混ぜないために、そこだけ区切っておきます。

構成要件的過失——予見可能性を前提とした義務違反

事件その4——工場での事故

主観の2つ目、構成要件的過失を見ましょう。工場で働くAが、機械の安全装置を確認せずに稼働させました。その結果、同僚のBが、大怪我を負いました。わざとではありません。ここで問われるのが、過失です。過失の定義は、2つに分けて説明します。1つ目は、「予見可能性を前提とした」です。危険を予測できたはずだ、ということが前提になります。そして2つ目が、「結果回避義務に違反する行為」です。危険を避けるために、確認する義務があったのに怠りました。この、義務に違反する行為そのものを、過失と呼びます。ここが大事なポイントで、「うっかり」「不注意」とは言い換えません。過失は、「義務に違反する行為」という、行為の話だからです。判断の対象が変わります。「うっかり」だと、心の中をのぞく話になります。行為で捉えるなら、「安全装置を確認すべきだったのに、しなかった」。ここを見れば足ります。単なる心の緩みではなく、やるべきことを怠った、という行為で捉えます。なぜこの定義になるのかは、別の回でじっくり扱います。

目的犯——故意だけでは足りない場面

事件その3——闇市場で使う偽の一万円札

3つ目の事件です。Aは、精巧な偽の一万円紙幣を大量に刷りました。しかも、闇市場で使うためでした。

条文刑法148条1項

刑法148条1項(通貨偽造及び行使等) 行使の目的で、通用する貨幣、紙幣又は銀行券を偽造し、又は変造した者は、 無期又は三年以上の拘禁刑に処する。

まず、Aが「偽造した」という行為があります。そして、Aは自分が偽造していることを、認識・認容していました。行為と故意、両方そろっています。ここが、今日いちばんの注意点です。それだけでは足りません。条文には、もう1つ、独立した要件があります。「行使の目的で」、この部分です。これは、故意の認識・認容とは別に必要な要件です。「偽造していると分かっていた」だけでは、足りません。「使うつもりだった」という、もう1段の意欲が要ります。同じ偽の一万円札でも、精巧さを試したいだけで刷って、手元に置いたままだったとします。認識も認容もあります。でも「行使の目的」はありません。そうなると、148条1項という型には当たりません。

故意の枠から、はみ出す主観

故意の枠からはみ出す主観を、主観的超過要素と呼びます。こういう目的が要件になっている犯罪を、目的犯と呼びます。この「行使の目的」を「動機」と呼ぶのは、よくある間違いです。「動機」ではありません。動機は、原則として構成要件要素ではありません。でも「行使の目的」は、条文に明記された独立の要件です。「動機」と呼んでしまうと、主張・認定すべき要件を、丸ごと落としてしまいます。故意だけを確認して、目的を見落とす。これが、今日いちばんの落とし穴です。238条、事後強盗罪も同じ構造を持っています。ここでは名前と場所だけ、覚えておいてください。通貨偽造と、事後強盗、それぞれの回でまた扱います。目的犯では、故意の外に、もう1つの主観が要ります。

傾向犯——教材が古くなっている場所

かつての理解と、今の理解

主観、最後の4つ目、傾向犯の傾向を見ましょう。犯人の心の中にある、特定の傾き。それが要件になっている犯罪を、傾向犯と呼びます。ここでは具体的な事案には立ち入りません。今日は、この名前だけ持ち帰ってください。ただ、ここで、大事な話をします。かつて、傾向犯の代表例として、ある犯罪が挙げられていました。現在の176条に当たる犯罪です。わいせつな心情、これが要件だとする、昔の判例(最判昭45・1・29)がありました。ここで2つ、現行法の話をします。1つ目、176条は今、罪名も要件も作り直されています。現在の見出しは、「不同意わいせつ」です。そして2つ目。さっきの、心情を必要とした判例です。これは、最高裁が後になって、大法廷で判断を変更しました(最大判平29・11・29)。大法廷は、通常より大きな会議体で、判例を変えるときなどに開かれます。故意のほかに、行為者の性的な意図まで一律に要件とするのは相当でない。こう判断が変わったんです。傾向犯という考え方自体は、今も残っています。でも、「176条が今もそのままの代表例だ」というのは危ういんです。罪名も、判例も変わったことに、気づかないままになります。参照した教材が古いまま、答案に書いてしまう。これが、いちばん損をするパターンです。176条の今の中身(8つの類型や詳しい要件)は、別の回で扱います。参照は、更新されるまで待ってくれません。

部品表で答え合わせ

客観4つ、主観4つ——今日の部品表

では、今日拾った部品を、1枚の表にまとめましょう。客観側は、4つです。実行行為、構成要件的結果、因果関係、そして「その他」です。主観側も、4つです。構成要件的故意と、構成要件的過失。それから、目的犯の目的と、傾向犯の傾向です。このうち目的と傾向は、故意の枠からはみ出す主観=主観的超過要素でした。今日は、この8つの名前と、位置を持ち帰ってください。冒頭の230条1項に戻ると、全部説明が付きます。「人の」が客体、「公然と」が状況です。「事実を摘示し、名誉を毀損した」の部分に、実行行為が含まれます。次回は、この部品のうち「結果」に着目します。結果の有無や種類によって、犯罪がいくつかのグループに分かれます。

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#9単独ページ動画

犯罪の分類

第2章 構成要件と実行行為 ③/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

住居に無断で立ち入る——結果は書いてあるか

敷地に無断で立ち入る 図:敷地に無断で立ち入る

客観的構成要件要素が、実行行為・結果・因果関係・その他。主観が、故意・過失・目的・傾向。この8つでしたね。今日は、そのうち「構成要件的結果」という部品に着目します。この部品に着目すると、犯罪がいくつかの型に分かれます。まず、1つの出来事から見ていきましょう。Aは、正当な理由がないのに、Bの自宅の敷地に無断で立ち入りました。この出来事を、条文に当てはめてみましょう。

条文刑法130条

刑法130条(住居侵入等) 正当な理由がないのに、人の住居若しくは人の看守する邸宅、建造物若しくは艦船に侵入し、 又は要求を受けたにもかかわらずこれらの場所から退去しなかった者は、三年以下の拘禁刑又は 十万円以下の罰金に処する。

はい、そこだけ見てください。何が足りないと思いますか。「侵入した結果、どうなったか」が、書いていません。「侵入した」という行為だけが、書かれています。何か結果が起きたことは、要求されていません。結果が要るかどうか、そこに、今日の1つ目の分かれ方があります。

結果犯と挙動犯——名前が決まる瞬間

結果を要件にしているか、いないか 図:結果を要件にしているか、いないか

さっきの130条前段には、名前が付いています。結果の発生を要件にしていない犯罪を、挙動犯と呼びます。行為者の一定の身体的動静だけが、要件になっている犯罪です。では、逆のパターンも見ましょう。前回見た、殺人罪を思い出してください。あちらは、人の死亡という結果の発生が、要件です。こういう犯罪を、結果犯と呼びます。気づきましたね。まず条文を見て、それから名前を渡しました。刑法の多くの犯罪は、結果犯です。挙動犯は、少数派です。部品に着目して、条文を開いて、名前がつく。この順番を、これから何度もくり返します。

結果的加重犯——「よって」という目印

暴行から死亡へ 図:暴行から死亡へ

結果犯には、少し特殊な形があります。新しい出来事です。Aは、口論の末にBを殴打しました。Bは、その暴行によって死亡しました。Aに殺すつもりは無く、殴るつもりだけで、死なせるつもりはなかったとします。この条文を見てみましょう。

条文刑法205条

刑法205条(傷害致死) 身体を傷害し、よって人を死亡させた者は、三年以上の有期拘禁刑に処する。

そこが目印です。まず「身体を傷害し」、これが基本犯です。その基本犯に「よって」、故意を超えた重い結果が加わっています。こういう犯罪を、結果的加重犯と呼びます。基本犯より、重い刑が定められています。この「よって」という文言、覚えておいてください。同じ「よって」を持つ条文は、他にもあります。181条、219条、221条。名前だけ、覚えておいてください。はい、重い結果に故意が要るかという論点は、別の回で扱います。

240条には、「よって」が無い

「よって」を並べてみる 図:「よって」を並べてみる

ここで、今日いちばんの注意点を扱います。この条文を見てください。

条文刑法240条

刑法240条(強盗致死傷) 強盗が、人を負傷させたときは無期又は六年以上の拘禁刑に処し、死亡させたときは 死刑又は無期拘禁刑に処する。

はい、よく見つけましたね。目印が無くても、240条も、結果的加重犯です。中身を見てみましょう。「強盗」、これが基本犯です。そこに、負傷や死亡という、故意を超えた重い結果が加わって、刑が重くなっています。基本犯プラス重い結果、という構造は、まったく同じです。「よって」という文言があるかどうかでは、判定してはいけません。目印は、あくまで補助です。判定の基準は、いつも同じです。「基本犯に、故意を超える重い結果が加わって、刑が加重されているか」、この構造です。それが、今日いちばんの注意点です。

侵害犯と危険犯——法益に着目する

何に着目するかが変わる 図:何に着目するかが変わる

ここから、着目する部品が変わります。ここまでは「結果」という部品に着目していました。ここからは、保護法益という部品に着目します。法が守る利益のことです。条文の側から見た言い方が、保護法益です。まず、殺人罪を思い出してください。この結果の背後には、被害者の生命という保護法益があります。殺人罪は、この生命という法益が、現実に侵害されたことを要件にしています。こういう犯罪を、侵害犯と呼びます。では、別の犯罪を見てみましょう。内乱罪という犯罪があります。国家の存立を害する行為を処罰する犯罪です。条文番号は、77条です。内乱罪は、保護法益侵害の危険が生じれば、それで足ります。

こういう犯罪を、危険犯と呼びます。重いから、ではありません。国家の存立が、現実に侵害された状態を、想像してみてください。その場合、その内乱を裁く主体、つまり国家そのものが、もう存在しません。だから、内乱罪は、侵害犯として作りようがありません。必然的に、危険犯にしかなり得ないんです。ここは正確に持ち帰ってください。

危険犯の内訳——「公共の危険」はあるか、ないか

公共の危険という4文字を探す 図:公共の危険という4文字を探す

危険犯の分類を、もう一段細かく見ましょう。危険犯は「現実の危険が発生したか」という部品で、2つに割れます。条文を見てみましょう。

条文刑法110条1項

刑法110条1項(建造物等以外放火) 放火して、前二条に規定する物以外の物を焼損し、よって公共の危険を生じさせた者は、 一年以上十年以下の拘禁刑に処する。

この条文は、公共の危険が実際に発生したことを、要件にしています。こういう危険犯を、具体的危険犯と呼びます。ここの「よって」は、焼損したことと、公共の危険とを、つないでいる言葉です。目印は補助でしかない、とお伝えしましたね。この分かれ方の判定に使うのは、「公共の危険」という言葉のほうです。文言そのものではなく、何を要件にしているかを見ます。

条文刑法108条

刑法108条(現住建造物等放火) 放火して、現に人が住居に使用し又は現に人がいる建造物、汽車、電車、艦船又は鉱坑を 焼損した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の拘禁刑に処する。

はい、よく探しましたね。書かれていません。この条文は、焼損したという事実だけで、犯罪が成立します。公共の危険が実際に発生したことは、要件にされていません。こういう危険犯を、抽象的危険犯と呼びます。はい、108条は死刑もある、重い犯罪です。そこが、今日いちばんの引っかけです。直感では、そう思ってしまいますよね。はい、逆です。110条1項が具体的危険犯、108条が抽象的危険犯です。判定基準は、罪の重さではありません。条文が「公共の危険」の発生を、要件にしているかどうか、それだけです。

ここは、向きを逆に覚えやすいので、正確に持ち帰ってください。

焼損しても、安全は壊れていない——108条という1つの条文

結果は起きた、でも法益は無事 図:結果は起きた、でも法益は無事

ここで、今日いちばん大事な話をします。さっき、結果犯と危険犯を、別々に見ましたね。実は、この2つは、普段はぴったり重なります。殺人罪を思い出してください。結果は、人の死亡でしたね。そして、この結果は、生命という法益の現実の侵害、そのものです。多くの犯罪では、結果と法益侵害は、重なって見えます。では、108条を、もう一度見てみましょう。108条の構成要件的結果は、何でしたか。「焼損」、建物を燃やすことです。焼損という結果が起きれば、108条は結果犯として成立します。では、108条は、そもそも何を守るための条文だと思いますか。

建物そのものより、もっと広いものです。不特定または多数人の、生命・身体・財産の安全。これが、放火罪の保護法益です。だから、周りにいる人たちの安全までが、守るべき利益になります。ここで、考えてみてください。1つの建物を焼損しただけで、この安全は、現実に侵害されるでしょうか。うーん……焼けた建物の周りにいる人が、危ないだけで……「不特定多数の安全」そのものが、壊れたとまでは、言えない気がします。安全が害される「おそれ」、つまり危険が生じるだけです。現実に、侵害されたわけではありません。焼損という結果だけで、犯罪は成立します。つまり、108条は、結果犯でありながら、なお危険犯なんです。

ここが、2つの分類軸が、独立しているという証拠です。「構成要件的結果」という部品と、「法益侵害」という部品は、別物です。普段は重なって見えるだけで、イコールではありません。その思い込みは、108条という1つの条文で、崩れます。ここが、今日いちばん「分かった」が起きる場所です。ここでも、名前を覚えたのではなく、どの部品を見ているかで分かれました。ここを正確に持ち帰ってください。

犯罪はいつ終わるのか——即成犯と状態犯

犯罪が終わったあと、何が起きるか 図:犯罪が終わったあと、何が起きるか

ここから、着目する部品が、また変わります。法益侵害が、いつまで続くか、という時間軸です。最初に、釘を刺しておきます。この分類は、法益侵害の重さや、悪質さの話ではありません。はい、そこが罠です。まず、事例で見ましょう。Aは、口論の末にBを殴打し、全治2週間の傷害を負わせました。そのあと、Aは逃げる途中、腹いせに隣家の窓ガラスを割りました。器物損壊罪という、独立した別の犯罪になります。なぜだと思いますか。傷害罪という犯罪の中に、この新しい行為は予定されていません。だから、独立した別罪として成立します。こういう犯罪を、即成犯と呼びます。

構成要件的結果が発生した時点で、法益侵害も、犯罪も、終わります。その後の行為者の関与は、また新しい別の話になります。Aは、Bの自転車を盗みました。窃盗罪です。そのあと、Aはこの自転車を、中古買取店に売却して、換金しました。換金しても、別の犯罪にはなりません。原則として、別罪を構成しません。換金するという行為は、窃盗罪という犯罪の中に、予定された行為だからです。盗んだものをどう扱うかは、窃盗罪の評価に、すでに含まれています。こういう、別罪にならない事後の行為を、不可罰的事後行為と呼びます。そして、この犯罪を、状態犯と呼びます。

構成要件的結果が発生した時点で、既遂になる点は、同じです。条文の型を、すべて満たし終えた状態です。2つが同じなのは、そこまでです。違うのは、そのあとの、法益侵害の続き方です。新しい行為を、行為者本人がすることになっているかどうか、これだけです。予定されていなければ即成犯、予定されていれば状態犯です。この分かれ方だけは、「よって」や「公共の危険」のような、条文の目印がありません。だから、条文の文言ではなく、いまの基準で見分けます。窃盗のほうが軽いから状態犯、ではありません。犯罪がいつ終わるかという、時間軸の話だと、正確に持ち帰ってください。

継続犯——分類が答案でどう効くか

監禁が続いているあいだ 図:監禁が続いているあいだ

もう1つ、時間軸に着目した犯罪があります。この条文を見てください。

条文刑法220条

刑法220条(逮捕及び監禁) 不法に人を逮捕し、又は監禁した者は、三月以上七年以下の拘禁刑に処する。

Aが、Bを不法に監禁したとします。はい、構成要件的結果の発生とともに、既遂にはなります。でも、さっきの2つとは、決定的に違う点があります。監禁が続いている間、法益侵害の状態も、ずっと続きます。こういう犯罪を、継続犯と呼びます。法益侵害の重さの話ではないと、もう一度確認しておきます。では、この継続犯という分類、何の役に立つと思いますか。名前が付くだけではなく、答案で実際に効く実益が、2つあります。1つ目です。前回に見た実行行為、法益を侵す現実的な危険を持つ行為が、まだ続いています。だから、既遂のあとから加功しても、共犯が成立しえます。

2つ目が、もっと実務で効きます。時効の時計が動き始めるのは、犯罪行為そのものが終わったあとです。一定の期間が過ぎると、起訴できなくなる制度です。刑事訴訟法253条1項です。はい、条文番号を混ぜないでください。中身は、その回で扱います。監禁が続いているかぎり、時効のカウントは、始まらないということです。分類は、暗記表ではありません。

故意犯と過失犯——条文の文言が決める原則と例外

本文とただし書、どちらが原則か 図:本文とただし書、どちらが原則か

最後は、着目する部品が、また変わります。主観的構成要件要素です。前回、部品表の後半で拾いましたね。この条文を見てください。

条文刑法38条1項

刑法38条1項(故意) 罪を犯す意思がない行為は、罰しない。ただし、法律に特別の規定がある場合は、この限りでない。

本文から見ましょう。「罪を犯す意思がない行為は、罰しない」。これは裏返すと、故意犯が原則だということです。「法律に特別の規定がある場合は、この限りでない」。つまり、法律に特別の規定がある場合に限って、過失犯も処罰されます。前回の、工場で安全装置を確認せずに同僚に大怪我をさせた例を思い出してください。ああした過失を罰する規定は、別に用意されています。規定が置かれていない犯罪は、過失で結果を起こしても、罪には問われません。ここが、今日の最後のポイントです。過失犯が例外だということは、誰かがそう言っているのではありません。ただし書という条文の形式そのものが、それを決めています。

故意犯と過失犯、それぞれの中身は、前回すでに見ました。今日は、この「原則・例外」という配置だけを、確認しました。

5つの分かれ方、1枚の地図

今日拾った5つの分かれ方 図:今日拾った5つの分かれ方

今日拾った分かれ方を、1枚の表にまとめましょう。すべて、同じ手つきで作られていましたね。1つ目は、構成要件的結果への着目でした。ここから、結果犯・挙動犯、そして結果的加重犯が生まれました。2つ目は、保護法益への着目です。侵害犯・危険犯、そしてその内訳の具体的・抽象的危険犯が生まれました。そして、108条では、この2つの軸が独立していることも見ましたね。3つ目は、法益侵害の続き方への着目です。即成犯・状態犯・継続犯、220条が典型でしたね。最後、4つ目は、主観への着目です。故意犯が原則、過失犯が例外、38条1項が根拠でした。

どの部品を見ているか、それさえ言えれば、名前は自分で出てきます。はい、お楽しみに。

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#10単独ページ動画

構成要件の確定と実行行為

第2章 構成要件と実行行為 ④/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

窃盗罪の条文を、そのまま開いてみる

コンビニで起きたこと 図:コンビニで起きたこと

六法の丸暗記だけでは足りません。条文を最後まで読んでも、構成要件は決まりません。出来事を1つ、見てください。Aは、コンビニで、陳列棚の商品を上着の内側に入れました。そのまま、レジを通らずに店を出ています。その窃盗罪の条文を、そのまま開いてみましょう。

条文刑法235条

刑法235条(窃盗) 他人の財物を窃取した者は、窃盗の罪とし、十年以下の拘禁刑又は五十万円以下の罰金に処する。

しかも、罪の中身を決めているのは、前半だけです。「他人の財物を窃取した者は」、この12文字です。犯罪が成り立つかどうかとは、別の話です。そこで、今日の1つ目の問いです。この12文字が、窃盗罪の構成要件の全部でしょうか。全部ではない気がします。故意とか、要りそうです。足りない部分を、出どころごとに拾っていきます。ここで1つ、思い出していただきたいことがあります。実行行為の定義を、3つのブロックに分けてお渡ししましたね。真ん中のブロックは、何だったか思い出せますか?それが、今日の2つ目の問いです。なぜ、わざわざ現実的な危険性で絞るのでしょうか。

この2つを、窃盗罪ひとつで、最後まで追いかけます。

基本的構成要件——各本条が1つずつ持っている型

各本条が1つずつ持っている型 図:各本条が1つずつ持っている型

まず、言葉を1つお渡しします。刑法各本条が、個別に定めている構成要件を、基本的構成要件と呼びます。235条が窃盗罪、199条が殺人罪、246条が詐欺罪です。罪の数だけ、型が1つずつ用意されています。ただ、名前に引っかかりませんか。そこです。基本的と付くからには、基本でないものがあります。今日の後半で回収します。いまは、名前だけ置いておいてください。

235条の分解①——条文に書いてあるもの

条文の言葉を、3つに割る 図:条文の言葉を、3つに割る

では、235条の言葉を割っていきましょう。まず「他人の」と「財物」。これは何を指していますか。さっきの、陳列棚に並んでいた商品ですね。行為が向けられる対象なので、行為の客体と呼びます。次に「窃取した」。これが実行行為です。そこは、成立したあとに何が起きるかを書いた部分です。罪の名前と法定刑は、構成要件の要素ではありません。答案で要素を並べるときは、前半だけを見てください。さて、ここからが本題です。「窃取した」とは、どういう意味でしょうか。もう少し正確には、占有者の意思に反して、財物の占有を移すことです。さっきのAで言えば、店の意思に反して、商品の占有を自分に移したことです。

今日は、その理解で十分です。問題は、その中身が、条文のどこに書いてあるかです。「窃取」の中身は、条文に一言も書かれていません。誰の占有か、どこまでが占有かという議論は、窃盗罪の回で扱います。ここが、2つ目の層への入口です。

235条の分解②——書いていないのに要るもの

構成要件は、3つの層でできている 図:構成要件は、3つの層でできている

235条には、書いていないのに要る要素があります。それを、どこから来たのかで分けて、積んでいきます。まず、他の条文から来るものです。235条に、「故意に」という言葉はありましたか。では、傘立ての傘を、自分のものだと思って持ち帰った人はどうでしょう。故意が要ります。それは、どこから来るのか。

条文刑法38条1項

刑法38条1項(故意) 罪を犯す意思がない行為は、罰しない。ただし、法律に特別の規定がある場合は、この限りでない。

この条文、前回も見ましたね。前回は、本文から故意犯が原則だと確認しました。今日は、その本文を、235条に足される条文として見ます。故意は、条文にそのまま書いてある成立要件です。根拠は38条1項本文。言葉として暗記せず、条文から取り出してください。次の層は、解釈が取り出すものです。2つあります。1つ目が、結果。占有が現実に移ったことです。条文の言葉に、含み込まれています。商品が、店の手元からAの手元へ、現実に移りました。2つ目が、因果関係です。こちらは条文に一言もありません。

中身は、因果関係の回で扱います。そして同じ層に、判例が要求するものがあります。窃盗罪では、不法領得の意思というものが要ります。ざっくり言えば、他人の物を、自分の物のように使うつもりです。どこにも書いてありません。それでも、判例は要求しています。中身は窃盗罪の回です。今日は、こういうものまで足される、という事実だけです。

勝手に足していいのか——解釈と類推のあいだ

枠の内側か、枠の外か 図:枠の内側か、枠の外か

とてもいい引っかかりです。そこを通らないと、先へ行けません。答えは2つあります。1つ目は、作業の向きが違う、ということです。以前、言葉の可能な意味の範囲を、ゴムひもにたとえましたね。今日やっているのは、その枠の内側で、中身を詰める作業です。「窃取した」という言葉が、もともと予定している中身を確定しています。そこが分かれ目です。枠の外へ出せば、それは類推になります。類推解釈の禁止は、憲法31条を土台にした罪刑法定主義から出てくる原則でしたね。枠の外まで及ぼすことは、その禁止に正面からぶつかります。

2つ目の答えは、足す方向です。さっきの不法領得の意思を、思い出してください。あれが要求されると、窃盗罪は成立しやすくなりますか。条件が1つ増えるので……しにくくなります。不法領得の意思については、処罰の範囲が狭まる方向です。禁止されているのは、被告人に不利益な方向へ及ぼす類推でした。ただ、こうして足す要素が、いつも狭める方向だ、とまでは言えません。不法領得の意思については、そう言える。そこまでで押さえてください。故意は38条という別の条文から来るので、枠を広げてすらいません。因果関係も、不法領得の意思と同じく、要求されるほど処罰は狭まります。

修正された構成要件——1人で、やり遂げた形しか書いていない

235条だけでは拾えない2つの場合 図:235条だけでは拾えない2つの場合

さっき置いておいた「基本的」という言葉を、ここで回収します。235条には、「窃取した者」と書いてありましたね。盗もうとして、財布に手が届かなかった人は、この言葉に入りますか。では、2人で組んで、1人が見張りをしていた場合はどうでしょう。刑法各本条は、通常、1人でやり遂げた形でしか書かれていません。なぜ「通常」なのかは、最後に1行だけ触れます。まず、やり遂げなかった場合の条文です。

条文刑法43条

刑法43条(未遂減免) 犯罪の実行に着手してこれを遂げなかった者は、その刑を減軽することができる。ただし、自己の意思により犯罪を中止したときは、その刑を減軽し、又は免除する。

減軽するかどうかは、裁判所が決めます。そこは間違えやすいところです。ただし書は、自分の意思でやめた場合です。こちらは減軽か免除になります。中止未遂という名前だけ、置いておきます。次は、2人でやった場合の条文です。

条文刑法60条

刑法60条(共同正犯) 二人以上共同して犯罪を実行した者は、すべて正犯とする。

これが共同正犯です。成立の条件は、共犯の回で扱います。なお、そそのかす側が61条の教唆、手助けする側が62条の幇助です。どちらも60条とは別の条文です。「共犯は60条以下」の「以下」には、今日は入りません。

235条に、総則の条文が掛かる 図:235条に、総則の条文が掛かる

ここまでを、掛け算の形にしてみましょう。235条に43条が掛かると、窃盗未遂という型ができます。235条に60条が掛かると、窃盗の共同正犯という型ができます。これを修正された構成要件と呼びます。199条でも同じです。「人を殺した者」だけでは、未遂も共犯も拾えません。各本条に書いていないので、総則側で作るしかありません。最後に1行だけ。「通常」と言ったのには、理由があります。以前、危険犯の例で出た内乱罪、77条です。あの条文は、首謀者と、付和随行した者とで、刑を書き分けています。各本条が自分で書いている場合もある、と頭の隅に置いてください。

43条だけでは、未遂は処罰されない

43条と44条は、別の仕事をしている 図:43条と44条は、別の仕事をしている

ここで、43条だけを見た人が、必ずする誤解があります。「未遂は、どの罪でも処罰される」という誤解です。この条文を見てください。

条文刑法44条

刑法44条(未遂罪) 未遂を罰する場合は、各本条で定める。

この1行が、大きな仕事をしています。43条は、未遂だったときに刑をどうするかを決めているだけです。その罪の未遂を処罰するかどうかは、各本条が決めます。243条が、罰すると定めています。だから、窃盗未遂は処罰されます。どの罪の未遂を罰するかも、あらかじめ法律が決めてあります。答案でも、未遂を論じる前に、処罰規定を確認してください。

235条の中に、2種類の要素がある

見れば分かるか、評価が要るか 図:見れば分かるか、評価が要るか

もう一度、235条に戻ります。同じ条文の中に、性質の違う要素が入っているからです。まず「財物」。それが目の前にあるかどうかは、どう決めますか。見れば、分かります。見れば分かる要素を、記述的構成要件要素と呼びます。では「他人の」はどうでしょう。見れば分かりますか。……分かりません。誰の物かは、見ても書いてありません。誰の所有かは、法律のうえの評価を経ないと決まりません。こういう要素を、規範的構成要件要素と呼びます。評価を経なければ、当てはまるかどうかが決まらない要素です。そして、規範的な要素には、2つのタイプがあります。1つは、いまの「他人の」のように、法律のうえの評価が要るもの。もう1つは、社会の常識や価値観による評価が要るものです。

そこが問題になります。代表例が、この条文です。

条文刑法175条1項前段

刑法175条1項前段(わいせつ物頒布等) わいせつな文書、図画、電磁的記録に係る記録媒体その他の物を頒布し、又は公然と陳列した者は、二年以下の拘禁刑若しくは二百五十万円以下の罰金若しくは科料に処し、又は拘禁刑及び罰金を併科する。

この罪の中身は各論で扱います。今日は、この言葉だけを借ります。最後に、混ぜてはいけない軸を1つ。記述的か規範的かは、評価が要るかどうかの軸です。客観的か主観的かは、外から見えるかどうかの軸でした。

意味が動くとはどういうことか——決めるのは誰か

わいせつかどうかは、誰が決めるのか 図:わいせつかどうかは、誰が決めるのか

判例が、正面から答えています。この判決は、4つのことを言っています。順に見ていきましょう。

判例最大判昭和32年3月13日(大法廷判決・刑集11巻3号997頁)

チャタレー事件——わいせつ性を判断するのは誰か この判断が法解釈すなわち法的価値判断に関係しており事実認定の問題でないということである。 裁判所が右の判断をなす場合の規準は、一般社会において行われている良識すなわち社会通念である。 かような社会通念が如何なるものであるかの判断は、現制度の下においては裁判官に委ねられているのである。 なお性一般に関する社会通念が時と所とによつて同一でなく、同一の社会においても変遷があることである。

そこが1つ目です。証拠で決まる、事実の話ではありません。法律の解釈、つまり法的な価値判断だと言っています。2つ目。基準は社会通念、世の中の常識だとしています。3つ目。裁判官に委ねられている、と書かれています。社会通念は、一人ひとりの感覚の平均値ではありません。それに、誰かが最後に確定しなければ、有罪か無罪かが決まりません。その役割を、制度として裁判所に置いている、ということです。そして4つ目。いちばん見ていただきたいのが、最後の一文です。社会通念は、時と所によって同じではなく、変わっていく。判決文そのものに、書き込まれています。現に、20年以上あとの判例では、「その時代の」という言葉が枠組みに入りました。その判断の枠組みを、見てください。

判例最判昭和55年11月28日(第二小法廷判決・刑集34巻6号433頁)/〔 〕は省略した部分

四畳半襖の下張事件——わいせつ性の判断枠組み 文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、〔わいせつ文書の定義部分は省略〕といえるか否かを決すべきである。

そこを見ていただきたかったんです。明確性の原則ですね。通常の判断能力を有する一般人が基準でした。実は、いまの判例が、そこにも答えています。175条の構成要件は、不明確であるとはいえない、としています。いま見た判断枠組みが、示されているからです。何を見て決めるのかが分かれば、一般人にも基準が読み取れます。ただし、この2つの判例が答えたのは、社会の常識で測るタイプの言葉についてです。もう1つ、評価が要る要素は、別の問題も生みます。どの程度まで意味が分かっていれば、故意があるといえるのか。これは、故意の回で扱います。今日は、名前だけ置いておきます。

実行行為——最初に検討する部品

抽象的な型に、具体的な行為を当てる 図:抽象的な型に、具体的な行為を当てる

ここから、話が一段変わります。ここまでは、型そのものを確定する話でした。ここからは、確定した型の部品を、1つずつ詳しく見ていきます。実行行為です。いちばん最初に検討する部品です。定義を、正確に置きます。

⭐ 論文で書く規範:実行行為の定義(3つのブロック) ① 特定の構成要件に該当する ② 法益侵害の現実的危険性を有する ③ 行為 一文にすると「特定の構成要件に該当する法益侵害の現実的危険性を有する行為」 (規範(通説で立てる))

一字も動かさないでください。とくに、「結果発生の現実的危険性」と縮めてはいけません。なぜそうなのかは、今日の後半で見ます。もう1つ、この定義を使うときの前提があります。条文の側は、抽象的に書かれています。「窃取した」「人を殺した」。一方、実行行為かどうかを判断するのは、目の前の具体的な行為です。陳列棚の商品を上着に入れて、レジを通らずに店を出る。あるいは、相手に向けて銃を撃つ。この具体的な行為のほうです。この往復が、実行行為についての構成要件該当性の判断です。

なぜ現実的危険性で絞るのか——絞らなかった世界

原因をたどると、どこまでも遡れる 図:原因をたどると、どこまでも遡れる

では、今日の2つ目の問いに答えます。絞らなかったらどうなるかを見るのが、いちばん早いです。実行行為とは、結果に結びついた行為だ。そう決めたとします。Aは金物店の店員です。客のBに、包丁を1本売りました。Bは、その包丁でCを刺し、Cは亡くなりました。結果への寄与は、確かにあります。では、Aは殺人の実行行為をした人でしょうか。しかも、もっと遠くまで遡れます。Bを駅まで乗せた運転手はどうでしょう。Bを産み育てた親は。これが1つ目のこぼれ方です。原因の糸は、どこまでもたぐれます。では、2つ目のこぼれ方です。逆に、「殺そうとして何かをしたか」で決めたら、どうでしょう。今度は別の人が、恨んでいる相手を殺そうとして、毎晩、呪いをかけたとします。

この物差しなら、呪いも入ってしまいます。殺すつもりで、毎晩、何かをしているからです。そこで、物差しを入れます。

物差しを入れる前と、入れた後 図:物差しを入れる前と、入れた後

その行為に、法益侵害の現実的な危険性があるか、で見ます。包丁を売る行為そのものに、Cの生命を害する現実的な危険はありますか。ありません。危険を作ったのは、刺したBのほうです。その行為だけで法益が害されうるか、で見分けます。では、呪いに、人の生命を害する現実的な危険はありますか。どちらも、ここで落ちます。これが、この絞りの働きです。包丁を売る行為と、包丁で刺す行為。線は、ここに引かれています。今日話しているのは、その一段手前です。原因として寄与しただけでは実行行為とは言えない、という話です。因果関係そのものの判断は、因果関係の回で扱います。なお、呪いのような行為の理論的な扱いは、不能犯という論点です。名前だけ置いておきます。中身は、未遂の章です。

どの関門で切るかで、効き目が変わる 図:どの関門で切るかで、効き目が変わる

そして、ここからが、いちばん大事なところです。この絞りは、どの段階で効いていますか。3つの関門の、1つ目……構成要件該当性ですね。構成要件該当性・違法性・責任、この3つの関門でしたね。では、もしここで切らなかったら、どうなるでしょう。でも、その人はいったん「構成要件に該当する」と言われます。捜査や起訴の対象になりうる、ということです。構成要件の段階で切れば、そもそも犯罪の入り口に立ちません。そこです。この絞りは、暗記のための定義ではありません。国民の自由を守るための線です。型に当たらなければ、検討さえ始まらない。以前見た保障機能と、同じ線の上です。

特定の構成要件に該当する——実行行為は罪ごとに違う

同じ行為でも、罪ごとに答えが変わる 図:同じ行為でも、罪ごとに答えが変わる

先に進む前に、1つ確かめさせてください。なぜ実行行為を、現実的な危険性で絞るのか。ご自分の言葉で言えますか?絞らないと、原因として寄与しただけの人まで入ってしまうから。そして、構成要件の段階で切らないと、自由が守られないから、です。それが言えれば、今日の山は越えています。では、定義の残りのブロックに戻ります。出来事で見ましょう。Aが、平らな場所で立っているBの腕を、強く引いて転倒させました。これは、傷害罪の実行行為でしょうか。では、同じ行為は、殺人罪の実行行為でしょうか。死ぬかもしれない、と言われると……それは無理があります。平地で腕を引く行為に、人の生命を害する現実的な危険は、通常ありません。

そこです。「危険な行為一般」というカテゴリーは、ありません。危険は、罪ごとの型に照らして測ります。答案でも、何罪の実行行為にあたるか、と書き出してください。もう1つ、「法益侵害の」という言い方についてです。結果の発生を要件にしない罪も、ありましたね。構成要件的結果の発生を、要件にしない罪でしたね。たとえば、住居に無断で立ち入る行為です。条文は、その先に何か結果が起きたことまでは求めていませんでした。そこにも実行行為はあります。「結果発生の危険」では、届きません。ただ、結果が要る罪でも、話は終わりません。この言い回し自体に、学説上の議論があります。抽象的危険犯だった、建物を燃やす罪を思い出してください。

焼損という結果は起きても、まわりの人たちの安全は、まだ壊れていません。法益侵害と、構成要件的結果は、必ずしも一致しないんです。答案では、判例・通説どおりの語順で書けば、それで足ります。

実行行為が決まって、はじめて言えること

ここから先に進むための、出発点 図:ここから先に進むための、出発点

最後に、今日の位置を確認します。実行行為は、起点です。これが決まってはじめて、いつ着手したと言えるのかを語れます。その行為と結果が結びつくか、も語れます。順番を逆にすると、答案が崩れます。そして、この実行行為には、引っかかる場面が2つあります。1つ目。何もしていないのに、実行行為があると言えるでしょうか。2つ目。前半で足したことも、後半で絞ったことも、やっていることは同じです。処罰される範囲を、法律があらかじめ決めた線の内側に確定する。それだけです。今日は、2つだけ持ち帰ってください。構成要件は、条文そのものではありません。そして、実行行為の絞りは、自由を守るための線です。

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#11単独ページ動画

不真正不作為犯(前編)

第2章 構成要件と実行行為 ⑤/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

気づいていたのに、動かなかった二人

気づいていたのに、動かなかった二人 図:気づいていたのに、動かなかった二人

淡々と、法律の目で見ていきます。庭の小さなビニールプールで、子どものCが溺れかけていました。Aは、近くを配達で通りかかった宅配業者です。フェンス越しに気づきましたが、配達を優先してそのまま通り過ぎました。Bは、Cの父親です。すぐ近くの部屋の窓から気づきましたが、すぐには動きませんでした。うっかり見落としたのではありません。気づいた上で、動かなかった。そして、Cは亡くなりました。ここで、1つ目の問いです。AもBも、何もしなかった点では同じです。でも、殺人罪に問われうるのは、どちらでしょうか。なぜ、そう思いますか。

その感覚を、法律の言葉に翻訳するのが、今日の作業です。その前に、1つ思い出してください。前回、実行行為の定義を3つのブロックでお渡ししました。真ん中のブロックは、何だったか思い出せますか?覚えていましたね。それが、今日の2つ目の問いにつながります。Bが動かなかったことを、「殺した」と呼べるとして。それは、199条の実行行為だと言えるのでしょうか。この2つの問いを、最後まで一緒に追いかけます。

条文の形で見分ける——作為犯と不作為犯

何もしないことで犯罪になる型 図:何もしないことで犯罪になる型

まず、言葉を整理しましょう。積極的に何かをして犯罪を実現する類型を、作為犯と呼びます。反対に、積極的な動作をしないことで犯罪を実現する類型を、不作為犯と呼びます。たとえば、刃物で刺して死なせる。これが作為犯です。ただ、不作為犯は、さらに2つに分かれます。それを見分ける基準は、罪の重さでも、法益の重さでもありません。条文の書き方です。実物を見たほうが早いですね。

条文刑法130条

刑法130条(住居侵入等) 正当な理由がないのに、人の住居若しくは人の看守する邸宅、建造物若しくは艦船に侵入し、又は要求を受けたにもかかわらずこれらの場所から退去しなかった者は、三年以下の拘禁刑又は十万円以下の罰金に処する。

この条文の後段に、「要求を受けたにもかかわらずこれらの場所から退去しなかった者は」とあります。条文が、最初から「しないこと」を罰の対象にしています。これが、真正不作為犯です。もう1つ、見てみましょう。

条文刑法107条

刑法107条(多衆不解散) 暴行又は脅迫をするため多衆が集合した場合において、権限のある公務員から解散の命令を三回以上受けたにもかかわらず、なお解散しなかったときは、首謀者は三年以下の拘禁刑に処し、その他の者は十万円以下の罰金に処する。

多衆不解散罪も、真正不作為犯のもう1つの実例です。では、199条はどうでしょうか。「人を殺した者」……こちらは、何かをした形ですね。199条は、作為の形で書かれています。Bの不作為は、この作為の形の条文を、不作為で実現しようとしている場合です。これを、不真正不作為犯と呼びます。

論点が立つのは、どちらか 図:論点が立つのは、どちらか

ここで、大事な整理をします。真正不作為犯には、実は、論点がありません。条文が最初から不作為を名指ししているので、疑う余地がないんです。論点になるのは、不真正のほうだけです。ここから先、ずっとBの話をしていきます。

「殺した」に含めてよいのか——罪刑法定主義との整合

「殺す」という言葉の範囲 図:「殺す」という言葉の範囲

何でしょう。動かなかっただけのBを「殺した」と呼ぶのは類推解釈ではないか——するどい引っかかりです。ここを通らないと、先に進めません。以前、言葉の可能な意味の範囲を、ゴムひもにたとえましたね。「殺す」という日常の言葉づかいを、思い出してください。刃物で刺すことだけを、指すでしょうか。いえ、助けられたのに助けなかったせいで死なせた、とも言う気がします。日常の言葉づかいそのものが、不作為による死なせ方を含んでいます。だとすれば、「殺した」という言葉の枠の内側です。枠を外へ広げてはいません。解釈の範囲内です。

枠の内側にとどまる限り、その禁止にはぶつかりません。ここで、Aを使って確かめてみましょう。Aも、Cが溺れかけているのに気づいて、通り過ぎました。Aが立ち去ったことを、日常の言葉で「Aがその子を殺した」と言うでしょうか。普通は、言いません。同じ「動かなかった」でも、「殺した」に含められるかどうかには、違いがあるんです。そこが、これから見ていく線です。名前だけ先に言うと、構成要件的同価値性という絞りです。中身は、あとで丁寧に渡します。今日はまだ、その手前の話を1つ片付けます。

総則に、まとめの規定が無い 図:総則に、まとめの規定が無い

実は、日本の刑法には、不作為犯を一般的に処罰すると定めた条文——総則の規定が、ありません。総則にまとめて書いている国も、あります。たとえば、ドイツの刑法典には、不作為犯についての一般規定——13条が置かれています。条文で解決していない以上、線は解釈で引くしかない、という構図です。

不作為にも、現実的な危険はあるか

前回の物差しを、Bに当てる 図:前回の物差しを、Bに当てる

前回の最後に、実行行為には引っかかる場面が2つある、と言いました。今日はその1つ目です。実行行為の定義を、思い出してください。特定の構成要件に該当する法益侵害の現実的危険性を有する行為——この定義は、一字も動かしません。構成要件は、条文をもとに、解釈も入れて決まる犯罪の型でしたね。この物差しを、Bの不作為に当ててみましょう。Bが動かなかったこと自体に、Cの生命という法益への、現実的な危険はあるでしょうか。あります。つまり、不作為も実行行為たりうるんです。前回渡した物差しを、そのまま当てただけです。ただし、ここまでは、まだ絞りの話が出ていません。

絞らないとどうなるか——自由保障

同じ物差しを、Aにも当てると 図:同じ物差しを、Aにも当てると

では、いまの物差しを、Aにも当ててみましょう。Aも、Cが溺れかけているのに気づいて、動きませんでした。Aの不作為にも、Cの生命への現実的な危険は、ありますよね。同じ物差しを当てるなら、Aも実行行為者になってしまうのでしょうか。どこがおかしいか、言葉にしてみましょう。しかも、この物差しのままだと、こぼれ方はAだけでは済みません。その場に居合わせて助けなかった人は、誰でも実行行為者になってしまいます。さらに広げれば、ニュースで危機を知って動かなかった人まで、際限なく広がります。そこで、絞りを1段、重ねます。作為と同じ重さと言える不作為だけに絞るんです。この絞りの名前を、構成要件的同価値性と言います。

同価値性が認められない不作為——Aのようなケースは、実行行為の段階で、そもそも切り落とされます。

どの関門で切るかで、Aの扱いが変わる 図:どの関門で切るかで、Aの扱いが変わる

なぜ、わざわざこの段階で切るのか。以前見た、3つの関門を思い出してください。この絞りは、いちばん最初の関門——構成要件該当性で、Aを切り落とします。もし、ここでAを切らずに、違法性や責任の段階まで進めてから外すと、どうなるでしょう。通りかかっただけのAが、いったん殺人の構成要件に当たる人として扱われる、ということです。同じ不処罰でも、効き目がまるで違います。この絞りは、暗記させるための定義ではありません。Aのような人の自由を守るための線です。

同価値性の中身——階層と、用語の混乱

同価値性の中身——階層 図:同価値性の中身——階層

この絞りに、正式な名前と定義を与えます。まず、階層を先に見てください。構成要件的同価値性が、上位の判断です。その下に、①法的な作為義務の存在、②作為の可能性・容易性、この2つがあります。そこが、今日いちばん間違えやすいところです。①と②が独立の要件として3つ並ぶのではありません。①と②は、同価値性という1つの判断を支える、2つの物差しです。作為と同じ重さだと言うには、動くべき立場にあったか——①、実際に動けたか、どれだけ簡単にできたか——②、その両方が要るからです。どちらかが欠けたままでは、自分の手を下した場合と同じだ、とは言えません。定義そのものは、こう置きます。

⭐ 論文で書く規範:構成要件的同価値性 その不作為を、作為による実行行為と同じものとして扱ってよいといえるだけの実質があること。 (規範(通説で立てる))

その中身を、①と②で具体化していく、という組み立てです。なお、判例も、①と②が必要と解しているようです。判例が、この2つをはっきり定式化して言っているわけではないからです。断定は避けます。もう1つ、大事な警告があります。本によっては、「作為義務」という言葉が、いま言った同価値性全体を指すことがあります。他の教材に移ったときに、ここで混乱する人がとても多いんです。この動画では、同価値性=上位、作為義務=その一部、という呼び方で統一します。

「法的な」とは何か——道徳では足りない

『法的な』とは、どういう意味か 図:『法的な』とは、どういう意味か

①の法的な作為義務、その「法的な」の意味を、正確に押さえておきましょう。まず、道徳上の義務では足りない、という意味です。ただ、ここで裏返して読んでしまう人がいます。「法的な」だからといって、法令に規定されていることを要する、という意味ではありません。そう取ってしまうと、この先の話が崩れます。その①の作為義務は、どこから生まれるのか。原因は3つあります。法令、契約・事務管理、そして慣習・条理です。そこは区別が要ります。慣習を処罰の直接の根拠にしてはならないという原則が禁じたのは、慣習で犯罪と刑罰そのものを作ることです。ここは、199条という条文がすでにある上で、義務があったかどうかを判断する場面——別の話です。事務管理は、頼まれていないのに、他人のために世話を始めることです。条理は、ものの道理、という意味です。法令はその1つにすぎません。契約・事務管理と、慣習・条理は、法令に書いていなくても、法的な義務になりえます。

ここまでに立てた枠組み 図:ここまでに立てた枠組み

それでは、ここまでの話を、冒頭の二人に一度、戻してみましょう。Aは、通りかかっただけの人でした。Bは、Cの父親でした。その違いを分ける線の名前は、作為との構成要件的同価値性でしたね。Bの不作為は、作為と同じ重さだと言えそうです。Aの不作為は、そうは言えなさそうです。感覚で「言えそう」と言うだけでは、答案では通用しません。なぜBに重さがあり、Aには無いと言えるのか——それを条文と判例で示す道具が、まだ2つ残っています。1つは、作為義務がどこから生まれるのか。もう1つは、どこで線が引かれるのか、です。

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#12単独ページ動画

不真正不作為犯(後編)

第2章 構成要件と実行行為 ⑤/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

前編の骨組みを、1分で確認する

ここまでに立てた枠組み 図:ここまでに立てた枠組み

前編の内容を、駆け足で確認しておきます。作為の形——自分から動く形——で書かれた条文を、不作為——動かないまま——で実現するのが、不真正不作為犯でした。「殺す」という言葉づかいは不作為も含むので、類推解釈にはならない。不作為にも、法益——法が守ろうとする利益——を侵害する現実的な危険性はある。ただし、それを全部認めると自由保障が壊れるので、絞りが要る——ここまでは、大丈夫ですね。では、1つ聞きます。前編で、その絞りに付けた名前を、思い出せますか?構成要件的同価値性——その下に、①法的な作為義務と、②作為の可能性・容易性がある、という階層でしたね。

では、前編の冒頭に出てきた二人にも、戻っておきましょう。Aは通りかかっただけの人で、Bは、プールで溺れかけていたCの父親でした。今日の問いは、その先です。作為義務は、どこから生まれるのか。そして、どこで線が引かれるのか、です。今日は、その2つの道具を、じっくり渡していきます。

発生原因①法令——民法が、刑法の教科書に出てくる理由

刑法の教科書に、民法の条文が出てくる理由 図:刑法の教科書に、民法の条文が出てくる理由

まず、①法令から見ていきます。Bには、法令に基づく作為義務があります。この条文です。

条文民法820条

民法820条(監護及び教育の権利義務) 親権を行う者は、子の利益のために子の監護及び教育をする権利を有し、義務を負う。

Bは、Cの親権者です。監護義務が、そのまま作為義務の根拠になります。同じ理屈で、もう1つ見ておきましょう。

条文民法752条

民法752条(同居、協力及び扶助の義務) 夫婦は同居し、互いに協力し扶助しなければならない。

夫婦にも、扶助義務があります。自宅で倒れている配偶者に、同居する相手が何もしなければ、同じように問題になりえます。そこに気づいてもらいたかったんです。さっきの「法的な」の意味を、思い出してください。法令に書いてあることを要する、という意味ではないと言いましたね。その法令は、刑法典の中にあるとは限りません。作為義務は、刑法典の外からもやって来ます。ちなみに、Aには、対応する根拠がありません。Aに法令上の根拠が無いことは、あとでもう一度、確認します。

発生原因②契約・事務管理/③慣習・条理と先行行為

契約や事務管理から生まれる義務 図:契約や事務管理から生まれる義務

次は、②契約・事務管理です。ペットシッターとして、動物の世話を契約で引き受けたとします。この場合、世話をする法的な義務が生じます。もう1つ、契約がなくても義務が生じる場合があります。倒れている人を見つけて、自宅に運び入れ、介抱を始めたとします。でも、そこで投げ出せば、新たな義務違反になりえます。これを事務管理と呼びます。次は、③慣習・条理——ものの道理、という意味でしたね。ここは、判例を2つ見ていきます。まず1つ目。銀行口座への、誤った振り込みの事案です。誤った振り込みがあると知りながら、そのことを黙って払い戻しを受けた人がいました。この判決文を、そのまま見てみましょう。

判例最高裁判所第二小法廷決定(刑集57巻3号322頁)

最決平成15年3月12日——誤って振り込まれたと知りながら、黙って払戻しを請求した行為 ……自己の口座に誤った振込みがあることを知った場合には、銀行に上記の措置を講じさせるため、誤った振込みがあった旨を銀行に告知すべき信義則上の義務があると解される。社会生活上の条理からしても、……上記の告知義務があることは当然というべきである。

「上記の措置」というのは、銀行の側が取れる手続のことです。振込みを元に戻したり、間違いがないかを問い合わせたりする手続ですね。詳しくは、深追いしません。判決文は、「作為義務」という言葉を、一度も使っていません。「信義則上の義務」「社会生活上の条理」という、判決文自身の言葉で、義務を導いています。信義則は、相手の信頼を裏切らない、という民法の原則です。これを「条理に基づく作為義務」の例と呼ぶのは、判決文の「条理」という言葉を手がかりにした、教科書側の再構成です。それから、これは詐欺罪の事案です。

殺人の不作為犯の判例では、ありません。告知せずに払戻しを請求した行為を、人をだます行為——詐欺罪の欺罔行為だと判断した判決です。「義務」という発想が、財産犯でも問題になる、という広がりとして見てください。Bの話とは、混ぜないでください。2つ目です。自分の不注意で、火を出してしまった人の事案です。炭火の後始末を怠って、書類や机を燃やしてしまいました。消すのは簡単だったのに、消さずに立ち去り、建物が全焼しました。

判例最高裁判所第三小法廷判決(刑集12巻13号2882頁)

最判昭和33年9月9日——自分の火の不始末を、消さずに立ち去った行為 被告人は自己の過失行為により右物件を燃焼させた者(また、残業職員)として、……建物に燃え移らないようこれを消火すべき義務あるものといわなければならない。 ……その既発の火力により右建物が焼燬せられるべきことを認容する意思をもつてあえて被告人の義務である必要かつ容易な消火措置をとらない不作為により建物についての放火行為をなし、よつてこれを焼燬したものであるということができる。

判決文の「右物件」「右建物」の「右」は、「前に書いた」という意味の、古い言い回しです。この判決も、「消火すべき義務」とだけ言っていて、「作為義務」とは言っていません。「自己の過失行為により、右物件を燃焼させた者として」という、事実の描写だけで義務を導いています。先行行為に基づく作為義務、と呼びます。自分で危険を作った以上、それを片付ける義務がある、という理屈です。これも、教科書側が付けた名前です。判決文自体には、「先行行為」という言葉は出てきません。「残業職員として」——ここも重要です。判決文は、先行行為だけでなく、その場での立場にも触れています。教科書は、これを省いて、先行行為だけに絞って説明することが多いんです。簡略化されている、と頭の隅に置いてください。

発生原因の整理——2つの見かけ方 図:発生原因の整理——2つの見かけ方

最後に、整理の仕方について、1つ触れておきます。先行行為を、③慣習・条理の中の一事例として説明する教科書もあります。一方で、①から③までと並ぶ独立の4番目として並べる教科書もあります。どちらも見かける整理です。どちらも知っておく価値があります。

排他的依存——答案の勝負どころ

発生原因が揃えば、それで十分か 図:発生原因が揃えば、それで十分か

ここで、もう1段、踏み込んだ問いを立てます。法令や契約、慣習・条理といった原因が揃えば、それだけでBの作為義務は認められるでしょうか。実は、それだけでは足りないことがあります。その法益の保護が、行為者にだけ懸かっている状況でなければ、義務は認めにくいんです。これを、排他的依存と呼びます。同じ状況を、排他的支配と呼ぶ本もあります。考えてみましょう。ほかに助けられる人がいる状況での「放置」は、作為と同じ重さでしょうか。ほかに誰かいるなら、少し、重さが違う気がします。これも、独立の新しい要件ではありません。同価値性という、上位の判断に戻って説明できるんです。

排他的依存——該当する例、しない例 図:排他的依存——該当する例、しない例

自前の例で、確かめてみましょう。Dさんは、同居する家族です。要介護のEさんが、自室で倒れているのに気づきましたが、放置しました。この状況では、Dに作為義務が認められえます。ほかに気づいている人は、いないからです。では、条件を1つ変えます。ちょうどその時間、訪問介護のヘルパーが部屋にいたとします。すでにEさんの容体に対応していたら、どうでしょう。Eさんの安全は、ヘルパーに委ねられています。この場合、Dの排他的依存は否定されえます。これが、該当する例と、該当しない例の境目です。では、背骨に戻りましょう。Bのプールには、B以外に助けられる人はいませんでした。

この考え方が、いちばんはっきり出ている判例を見てみましょう。独自の治療をすると称する施術者が、信奉者の依頼で、重篤な患者を運び出させた事案です。病院からホテルへ移し、医師の警告に反して、必要な医療措置を受けさせないまま放置しました。淡々と、法的な構造だけを見ていきます。判決文です。

判例最高裁判所第二小法廷決定(刑集59巻6号403頁)

最決平成17年7月4日——独自の治療を理由に、必要な医療を受けさせなかった行為 被告人は、自己の責めに帰すべき事由により患者の生命に具体的な危険を生じさせた上、患者が運び込まれたホテルにおいて、被告人を信奉する患者の親族から、重篤な患者に対する手当てを全面的にゆだねられた立場にあったものと認められる。……直ちに患者の生命を維持するために必要な医療措置を受けさせる義務を負っていたものというべきである。 それにもかかわらず、未必的な殺意をもって、……放置して患者を死亡させた被告人には、不作為による殺人罪が成立し、殺意のない患者の親族との間では保護責任者遺棄致死罪の限度で共同正犯となると解するのが相当である。

同じ事件でも、故意の中身によって、罪名が分かれる実例です。ここは、名前だけ触れておきます。それより、見てほしいのは、義務を導いた理由です。「自己の責めに帰すべき事由により、危険を生じさせた」——これが、先行行為に近い理屈です。「手当てを全面的にゆだねられた立場」——これが、排他的依存に近い理屈です。そこです。判決文は、次の言葉を一つも使っていません。「排他的支配」「排他的依存」「作為義務」「先行行為」「事実上の引受け」。事実を描写して、「義務を負っていた」と結論しているだけです。これらの言葉でカテゴリーを作るのは、判決文そのものではなく、学説が理論化した作業なんです。なお、学説の中には、作為義務の発生根拠を、この排他的支配に一元化して説明する立場があります。これを、排他的支配説と呼びます。名前は似ていますが、さっきの排他的依存は「状況」の名前、排他的支配説は「その状況ひとつで作為義務を説明する立場」の名前です。

①から③までを総合考慮し、そこに排他性を加味する説明とは、組み立て方が違います。一元化は、していません。ここまでで、1つ確認させてください。なぜ、法的な作為義務が揃っているだけでは足りず、排他的依存も必要なのか。ご自分の言葉で言えますか。ほかに助けられる人がいるなら、放置しても。自分から手を下すのと同じ重さとは言えないから、です。ほかに助けられる人がいるなら、その放置は、自分から手を下すのと同じ重さとは言えません。だからこそ、発生原因が揃っているかに加えて、排他的依存を見る必要があります。AとBを分けたのは、結局この一点です。作為と同じ重さと言えるだけの、法的な作為義務があったかどうか。

作為の可能性・容易性——できたか、どれだけ簡単だったか

作為の可能性・容易性 図:作為の可能性・容易性

同価値性を支える、もう1つの物差しです。②作為の可能性・容易性を見ていきます。「法は、人に不可能を強いることはない」という考え方があります。ここで、同価値性の意味に、いったん戻ります。同価値性とは、その不作為を、作為と同じ重さだと言えることでしたね。同じ重さと言うには、結果を防ぐ道が開かれている必要があります。防ぐ道が無かったなら、動かなかったことを、手を下したことと同じ重さだとは言えません。だから、作為の可能性が無ければ、作為との同価値性は否定されます。しかも、可能性があっても、極めて困難であれば、同じく否定されます。

Bに当ててみましょう。浅い庭のプールで、Bはすぐそばの部屋にいました。では、条件を変えてみます。もし溺れていたのが、川の急流で、Bが泳げなかったら、どうでしょう。しかも、周囲に助けを呼べる人が誰もいなかったとしたら。その場合、Bにその場での救助を強制することはできません。

2つの物差しは、独立ではない——相関のシーソー

2つの物差しは、独立ではない 図:2つの物差しは、独立ではない

①法的な作為義務と、②作為の可能性・容易性、この2つは、実は独立のチェックリストではありません。作為が極めて容易であれば、作為義務が多少弱くても、同価値性は認められやすくなります。逆に、作為が困難であれば、それだけ強い作為義務がなければ、同価値性は認められません。たとえば、さっき見た川の急流。Bは父親ですから、義務としては強いほうです。それでも救助が極めて困難なら、同価値性は認められません。逆に、さっきの、倒れている人を介抱し始めた人。契約も法令もない、始めたことから生まれた義務です。それでも、電話1本で助けを呼べたのなら、認められる方向に傾きえます。

ここで、注意です。①を満たし、②も満たす、だから足りる——という機械的な足し算で覚えると、答案で破綻します。常に、総合して同価値性を判断するという、上位の視点に戻ってください。Bは、①作為義務があり、②容易さも高い。シーソーの両端が揃った、典型例です。

既発の危険を利用する意思は要るか

既発の危険を利用する意思は要るか 図:既発の危険を利用する意思は要るか

最後に、主観面の論点に、1つ触れます。客観面の絞り——同価値性に加えて、主観面でも何か特別な絞りが要るのでしょうか。故意とは別に、「既発の危険を利用する意思」という主観的要件が必要だ、とする見解があります。これを、必要説と呼びます。もう一方が、不要説です。作為との同価値性を要求することで、成立範囲は十分に絞れています。だから、それに加えて、主観面からさらに絞る必要はない、という立場です。さっきの、火の不始末の判例を、思い出してください。義務を導いた、あの判決です。あの判決文には、主観面についても、こう書いてありました。「その既発の火力により、右建物が焼燬せられるべきことを、認容する意思をもつてあえて」。

そこが、大事なところです。「利用する」という言葉は、あの判決文のどこにも登場しません。求めているのは、結果の発生を認容するという、通常の故意の水準だけです。つまり、この判決を不要説の根拠に引くのは、判決文と整合しています。この点は、断定してかまいません。ただし、1点だけ弱めておきます。「利用する意思を要求すべきか」という論点そのものは、この判決1つで決着する話ではありません。必要説を採る学説は、この判例とは別に、理論的な根拠から主張しています。

あてはめの手順——二人の分かれ道

あてはめの手順 図:あてはめの手順

ここまでの話を、1枚の手順にまとめます。まず、条文は作為の形か。次に、不作為に、法益侵害の現実的危険性があるか。そのうえで、法的な作為義務はあるか——発生原因と、排他的依存を見ます。さらに、作為は可能で、容易だったか。最後に、ここまでを総合して、作為と同価値かを見ます。Bは、この手順のどの段階も満たします。不真正不作為犯としての、殺人罪が成立しえます。Aには、そもそも法的な作為義務がありません。だから、殺人の実行行為が無いことになり——罪の入口の段階で絞られ、殺人罪には問われません。

最後に、1行だけ送っておきます。もしBに、死なせるつもりまでは無く、必要な世話を怠っただけだったら。保護責任者遺棄致死罪が、問題になることもあります。中身は、別の回に譲ります。

論文で書くときの流れ 図:論文で書くときの流れ

今日見た同価値性は、論文でも書く規範です。事案から問題提起、規範、あてはめまでの流れは、専用の論文動画で、丁寧に渡します。最後に、今日の結論を、1行で確認します。同じ「動かなかった」でも、法的な作為義務があるかどうかで、線が引かれます。

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#13単独ページ動画

間接正犯

第2章 構成要件と実行行為 ⑥/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

他人にやらせた人は、教唆犯なのか

店の前で起きたこと 図:店の前で起きたこと

他人にやらせたなら教唆犯だ——そう思いますよね。でも、教唆犯にすらならないことがあります。そこを、今日ほどいていきます。まず、出来事を1つ見てください。Aは、店の前で、通りがかりの4歳の子どもBに声をかけました。「あのワゴンのお菓子を取ってきて」。Bは、そのとおりにしました。Bが罰せられることは、ありません。Aは、店の商品に、指1本触れていません。そこが、今日の問いです。

実行行為の回が置いた、2つの宿題 図:実行行為の回が置いた、2つの宿題

ここで、思い出していただきたいことがあります。実行行為の定義を渡した回の最後に、宿題を2つ置いたのを思い出せますか?それは、不作為を扱った2回でお答えしました。もう1つが、自分で手を下していないのに、実行行為をしたと言えるか。今日その宿題に答えて、この章を閉じます。追いかける問いは、2つです。1つ目。なぜ、教唆犯ではなく、正犯なのか。2つ目。教科書が並べる6つの類型を、どう見分けるのか。

石や機械と、同じように見る——道具理論

道具にできるのは、物だけではない 図:道具にできるのは、物だけではない

人が犯罪を行うとき、たいてい何かを使っています。石を投げて窓を割る。スイッチを入れて、機械に物を壊させる。法律は、石や機械を「行為をした者」とは見ません。行為をしたのは、投げた人であり、スイッチを入れた人です。その当たり前の見方を、人にも当てはめる場面があります。これを道具理論と呼びます。ここから、定義が出てきます。他人を道具として利用し、実行行為を行う場合を、間接正犯と呼びます。そこだけ、言い方をひっくり返してください。「他人にやらせた」ではなく、「他人という道具を使って、自分がやった」。

この読み替えが、今日ずっと効いてきます。

なぜ、教唆犯では届かないのか

他人を巻き込んだ人を捕まえる条文は、もうある 図:他人を巻き込んだ人を捕まえる条文は、もうある

教唆犯でいいのでは、というのはとても自然な発想です。条文を、実際に開いてみましょう。

条文刑法61条1項

刑法61条1項(教唆) 人を教唆して犯罪を実行させた者には、正犯の刑を科する。

真ん中の言葉だけ、見てください。「犯罪を実行させた」。そこです。条文は、頼まれた側に犯罪の実行があることを前提にしています。隣の条文も、見ておきましょう。

条文刑法62条1項

刑法62条1項(幇助) 正犯を幇助した者は、従犯とする。

幇助というのは、手助けのことです。条文の従犯が、ふつう幇助犯と呼ばれるものです。こちらも「正犯を幇助した」=正犯がいることが前提です。では、4歳のBに当ててみましょう。Bには、犯罪が成立しません。教唆犯は、成り立ちません。幇助犯も、正犯がいないので同じです。そこを放っておくのは、いかにも不自然です。結果を作ったのは、Aですから。そこで、こう評価します。他人を道具として使った者は、自分で実行したのと同じだ。これが、間接正犯という概念の出どころです。

教唆犯で届く場合と、届かない場合 図:教唆犯で届く場合と、届かない場合

同じなのは、刑の重さだけです。分かれるのは、成り立つかどうかです。ここが、この概念が要る理由の芯です。なお、頼まれた側にどこまで犯罪が成立していれば共犯が成り立つのか。その理屈そのものは、共犯の章で扱います。今日は、条文の言葉だけで足ります。

では、なぜ「正犯」と言えるのか

人と人のあいだには、ふつうゲートが1つある 図:人と人のあいだには、ふつうゲートが1つある

なぜ、他人を使った人を「正犯」と呼べるのか。ここを詰めます。ふつう、人に何かを頼んでも、あいだにゲートが1つあります。頼まれた人自身が「これはやってはいけない」と気づいて、断る。このゲートを、法律の言葉では、規範に直面すると言います。規範とは、「やってはいけない」という命令のことです。それを受け止めて、思いとどまる機会を持つ、ということです。ところが4歳のBには、その機会がありません。言われても、意味そのものが届かないからです。すると、BはAの前に立ちはだかる障害物になりません。Aから見れば、石や機械と同じで、抵抗なく結果まで届いてしまう。

そこが、正犯だと言える理由です。答案では、この状態を「規範的障害がない」と書くこともあります。言葉は2つですが、指しているものは同じです。境目も、はっきりさせておきましょう。Aが、事情を分かっている大人のDに、同じことを頼んだとします。Dはゲートの前に立ち、それでも通り抜けました。このときAは、間接正犯ではありません。教唆犯です。

同じことを、二つの側から言う 図:同じことを、二つの側から言う

もう1つ、別の角度からの言い方も置いておきます。いま見たのは、頼まれた側を見る言い方でした。反対に、利用した側を見て、結果に至る流れを握っていた、と説明する立場もあります。これを行為支配説と呼びます。どちらかが誤り、という関係ではありません。今日は、頼まれた側を見る言い方を、物差しとして持ち歩きます。

2つの要件——客観と主観

「間接正犯」という条文は、無い 図:「間接正犯」という条文は、無い

間接正犯の条文は、ありません。刑法に「間接正犯」という言葉は、一度も出てきません。ですからこの先の2つは、条文から取り出した成立要件ではありません。解釈で立てた規範です。条文を音読しても、出てきません。だからこそ、丸暗記せず、趣旨から戻せるようにしてください。

⭐ 論文で書く規範:間接正犯の2つの要件 ① 客観=他人を、意思のある道具のように一方的に動かしていたこと(一方的な支配・利用) ② 主観=その犯罪を、「自己の犯罪」として実現する意思(正犯意思) (規範(通説で立てる))

Aに当ててみましょう。まず客観。4歳のBは、断る力を持たないまま、Aの言うとおりに動きました。次に主観。Aは、人の犯罪に手を貸すつもりではなく、自分の犯罪として、これをやっています。どちらも満たします。Aには、窃盗罪の間接正犯が成立しえます。手を動かしたのはBですが、法律が見るのは、Bを使ったAです。

なぜ、主観まで要るのか

自分の犯罪か、人の犯罪か 図:自分の犯罪か、人の犯罪か

そこを詰めておきましょう。客観だけで足りるとすると、困ることが起きます。他人の犯罪に、強く関与しただけの人まで、正犯になってしまうんです。段取りを全部整え、道具まで用意して、実行だけを友人に任せた人がいたとします。相手の動きを、事実上、握っているとも言えます。その人が、あくまで友人の犯罪を実現させるつもりだったのなら、間接正犯とは呼びません。自分の犯罪としてやったのか、人の犯罪に手を貸したのか。この分かれ目が、正犯と共犯の境です。だから、主観まで見ます。境の引き方そのものは、共犯の章で正面から扱います。

6つの類型に入る前に、物差しを1本だけ渡す

今日の物差しは、これ1本 図:今日の物差しは、これ1本

ここから、教科書が並べる6つの類型に入ります。この6つは、覚えません。覚えると、試験場で当てはめられなくなります。先に、物差しを1本だけ渡します。頼まれた側は、思いとどまる機会を持っていたか。これだけです。6つは、その機会がどう消えたかの違いにすぎません。1つ当ててみます。事情を分かっていた大人のDは、この機会を持っていました。だからAは、教唆犯でした。4歳のBは、持っていませんでした。だからAは、Bを道具として使った側です。1つ、確かめさせてください。この6つは、何が違うだけでしょうか?

それが言えていれば、あとは変奏を聞くだけです。

思いとどまる機会は、どう消えたか 図:思いとどまる機会は、どう消えたか

一覧にすると、こうなります。今は眺めるだけで結構です。これから、1つずつ順番に見ていきます。出てくる設例は、どれも同じ形にしてあります。Aが背後の人、Bが手を下す人、Cがやられる側です。見る順番も、毎回同じです。設例、規範に直面したか、結論。

1つ目と2つ目の変奏——受け取れない、従えない

受け取れない場合と、従えない場合 図:受け取れない場合と、従えない場合

まず、意思能力を欠く場合です。ここは、もう見ました。4歳のBです。「やってはいけない」という命令を、そもそも受け取れません。重い精神の障害で、善悪を判断できない人を使った場合も、同じです。そこは、正確に言うと大事です。理由は「4歳だから」ではありません。「規範を受け取る力が無いから」です。そこは、次の節で徹底的にやります。覚えておいてください。次が、意思を抑圧されている場合です。こちらは、規範を受け取ることが、できます。受け取っても、従えないんです。判例を見ましょう。12歳の養女に、窃盗をさせた事案です。養親である被告人は、日頃から暴行を加え、自分の言うとおりに従わせていました。そのうえで、窃盗を命じています。

判例最高裁判所第一小法廷決定(刑集37巻7号1070頁)

最決昭和58年9月21日——日頃の暴行で意のままに従わせていた養女に、窃盗をさせた事案 被告人が、自己の日頃の言動に畏怖し意思を抑圧されている同女を利用して右各窃盗を行つたと認められるのであるから、たとえ……同女が是非善悪の判断能力を有する者であつたとしても、被告人については本件各窃盗の間接正犯が成立すると認めるべきである。

「同女」というのは、12歳の養女のことです。判決文の言い方ですね。いちばん見てほしいのは、後半です。「たとえ、是非善悪の判断能力を有する者であったとしても」。判決は、その区別がついていたとしても、と言っています。それでも、間接正犯を認めました。判断はできても、従えなかったからです。決め手は、意思の抑圧です。

「12歳だから道具」ではない

同じ12歳前後で、結論が割れる 図:同じ12歳前後で、結論が割れる

ここが、この論点でいちばん間違えやすいところです。いまの判例が12歳だったからといって、「12歳なら道具だ」と覚えると、必ず外します。もう1つ、判例を見てください。12歳10か月の子に、指示命令した事案です。

判例最高裁判所第一小法廷決定(刑集55巻6号519頁)

最決平成13年10月25日——12歳10か月の子に指示命令したが、間接正犯は認められなかった事案 本件当時Bには是非弁別の能力があり、被告人の指示命令はBの意思を抑圧するに足る程度のものではなく、Bは自らの意思により本件強盗の実行を決意した上、臨機応変に対処して本件強盗を完遂した……。

判決文の「B」は、この子どものことです。「是非弁別の能力」は、さっきの是非善悪の判断能力と同じで、良し悪しが分かる力のことです。そこです。年齢は、ほとんど変わりません。違ったのは、意思が抑圧されていたかどうか、その一点です。しかもこの子は、自分の判断で、その場に応じた動き方までしています。背後の人が結局どうなったかは、共犯の章の話です。もう1つ、混ぜてはいけない条文があります。

条文刑法41条

刑法41条(責任年齢) 十四歳に満たない者の行為は、罰しない。

14歳未満なら、罰しない。これは条文にそのまま書いてあります。そこが、混ぜてはいけないところです。この条文が働くのは、3つの関門のうち、いちばん奥の責任です。道具かどうかは、いちばん手前の構成要件、実行行為の話です。別の階の話を、そのまま持ち込まないでください。

3つ目の変奏——何をしているか、知らない

知らない人は、規範の前に立っていない 図:知らない人は、規範の前に立っていない

3つ目の変奏です。今度は、頼まれた人が大人で、判断力もあります。Aが、駐輪場でBに声をかけます。「私の自転車を持ってきて」。そう言って、鍵を渡しました。ところが、その自転車はCのものでした。Bの頭の中に、「他人の物を盗む」という認識はありません。これを、構成要件的故意を欠くと言います。窃盗罪は、他人の財物を窃取した者を罰する罪です。「他人の物だ」と分かっていなければ、その故意はありません。Bに窃盗罪は成立しません。そして、ここが物差しの当てどころです。Bは、「他人の物を盗むな」という規範の前に、そもそも立っていません。

だからAは、Bを使って自分で盗ったのと同じ。窃盗罪の間接正犯です。

壊す気はあった。殺す気は、無かった 図:壊す気はあった。殺す気は、無かった

同じ「知らない」でも、少しややこしい形があります。Aは、Cを殺すつもりでいました。Cは、資材置き場で、積み上がった資材の陰にいます。Aは、それを知っています。Aは、重機を動かしていた作業員Bに、こう頼みました。「あの資材はCさんの物だけど、邪魔だから上から押し潰しておいて」。そして、「あのあたりに人はいないから大丈夫」と言い添えました。Bは資材を押し潰し、陰にいたCは、下敷きになって亡くなりました。殺意は、ありません。では、Bは何も分かっていなかったのでしょうか。そこです。他人の物を壊す罪は、この条文です。

条文刑法261条

刑法261条(器物損壊等) 前三条に規定するもののほか、他人の物を損壊し、又は傷害した者は、三年以下の拘禁刑又は三十万円以下の罰金若しくは科料に処する。

Bは、「他人の物を壊すな」という規範には、直面しています。ですからBは、器物損壊罪の責任を負いえます。でも、「人を殺すな」という規範には、一度も直面していません。だからAは、殺人罪の間接正犯です。大事なのは、規範は罪ごとに別だ、ということです。別の罪の規範に直面していても、その罪の規範に直面していなければ、道具です。

同じ「知らない」でも、Bの罪責は違う 図:同じ「知らない」でも、Bの罪責は違う

もう1つ、派生があります。建設現場です。Aは、下の区画にCがいることを知っていました。Aは、上で作業していたBに「その鉄骨、そこから下ろしておいて」と言いました。Bは、下を確認しないまま鉄骨を落とし、当たったCは亡くなりました。人を殺す故意は、ありません。そこを突けるのが大事です。Bには、業務上過失致死罪が成立しえます。ここで、1つ壊しておきたい思い込みがあります。道具にされた人は必ず無罪になる——そう覚えると、外します。さっきの重機のBも、器物損壊罪の責任を負いえました。鉄骨のBも、過失で問われはしますが、「人を殺すな」という故意の規範には直面していません。だからAは、やはり殺人罪の間接正犯です。ここで、名前だけ触れておきます。事情を知りつつ、まったく主体性なく指示に従っただけの人を、どう扱うか。故意ある幇助的道具と呼ぶ議論があります。ただ、この呼び名を使わなくても、正犯と共犯の区別で処理できます。ですから深入りせず、共犯の章に送ります。

4つ目と5つ目の変奏——目的がない、適法に動いている

知っていても、要件のどれかが欠ける 図:知っていても、要件のどれかが欠ける

ここから、少し形が変わります。Bは、自分のしていることを知っています。罪が成り立つための要件が、Bの側で1つ欠けている場合があります。まず、目的犯です。Aは、偽の一万円札を手に入れたいと考えました。デザイン会社のBに、こう頼みます。「舞台の小道具に使うので、精巧な一万円札の複製を作ってほしい」。Bは、そのつもりで作りました。お札を作っている自覚は、あります。ただ、通貨偽造の条文には、冒頭に条件が付いています。構成要件の部品を並べた回で見た、目的犯の目的です。「行使の目的で」——本物として使うつもり、でした。

目的が無いので、Bに通貨偽造罪は成立しません。逆に、Aにはその目的があります。だからAが、通貨偽造罪の間接正犯です。そこが変奏です。目的の規範の前に、Bは立っていません。次が、違法性が阻却される場合です。成立要件の回で見た、3つの関門の2つ目ですね。阻却事由が無いかだけを見る階でした。警察官のAが、Cを閉じ込めようと考えました。そこで、適法な職務行為であるかのように装い、別の警察官Bを欺きます。そして、Cの留置を依頼して、留置させました。Bの行為は、つもりの問題にとどまりません。職務行為として、実際に適法だと評価されます。適法に動いている人には、「やってはいけない」という規範が向いていません。

そこです。この形は、古い判例で実際に問題になっています。この判例については、判決文ではなく、事案と結論だけをお伝えします。

判例大審院判決(刑集18巻497頁)

大判昭和14年11月4日——適法な職務行為を装って別の警察官を欺き、留置させた事案 不法な監禁を企てた者が、適法な職務行為であるかのように装って別の警察官を欺き、その警察官に相手方を留置させた。 → 監禁罪の間接正犯が成立する(事案の骨子と結論。判決文の引用ではない)。

「不法に人を逮捕し、又は監禁した者」のうち、監禁の側です。なお、公務員でない人が、公務員を使って中身の嘘の公文書を作らせる場合。これも同じ形の問題で、文書偽造の回で扱います。

6つ目の変奏——被害者自身を、道具にする

道具にされたのが、被害者だったら 図:道具にされたのが、被害者だったら

最後の変奏です。ここだけ、少し毛色が違います。これまでは、道具にされたのは第三者でした。ところが、被害者自身が道具にされる形があります。判例です。Aは、Cに、後を追って自分も死ぬ、と嘘をつきました。Cはそれを信じ、自ら死を選びました。Aに、後を追うつもりはありません。そこが核心です。まず、判決が指している条文を見てください。

判例最高裁判所第二小法廷判決(刑集12巻15号3519頁)

最判昭和33年11月21日——後を追うと偽って被害者を欺き、自ら死を選ばせた事案 要するに被害者の自由な真意に基かない場合は刑法二〇二条にいう被殺者の嘱託承諾としては認め得られない。 → 本件は通常の殺人罪に該当する。

その202条が、これです。

条文刑法202条

刑法202条(自殺関与及び同意殺人) 人を教唆し若しくは幇助して自殺させ、又は人をその嘱託を受け若しくはその承諾を得て殺した者は、六月以上七年以下の拘禁刑に処する。

本人が頼んだ場合などを、殺人より軽く扱う条文です。軽く扱う理由は、本人が自分の生命について自分で決めた、という一点にあります。判決は、そこを「自由な真意に基かない」と切りました。嘘で作られた決断は、本人が自分で決めたとは言えません。軽く扱う理由が消えますから、Cの承諾は無効で、通常の殺人罪になります。ここだけ、1段ずれます。あいだに立つBがいないので、見る先はC自身に移ります。見るのは、Cの意思決定が自由だったかです。そこは正直に言っておきます。物差しの当て方が、少し変わります。もう1つ、大事な注意です。この判決文に「間接正犯」という言葉はありません。

判決は、承諾が有効かという形で論じています。整理したのは、学説の側です。

物差しが効かない場所——自手犯

他人を道具にできない罪がある 図:他人を道具にできない罪がある

最後に、物差しが効かない場所を見ておきます。どれだけ相手を思いどおりに動かしても、成り立たない罪があります。無免許運転の罪です。Aも、頼まれたBも、免許を持っていないとします。Aが、Bに運転させました。Aは、無免許運転の罪になるでしょうか。正犯には、なりません。この罪は、自分がハンドルを握らなければ成り立ちません。人に頼んだこと自体の責任は、共犯の章の話です。こういう罪を、自手犯と呼びます。条文が、行為の主体と行為を、密接に結びつけているからです。免許証の不携帯も同じです。自分が持っていないことが、罪の中身ですから。

ここで、聞き覚えのある物差しが戻ってきます。不作為の前編で、真正か不真正かを分けるのは何だとお伝えしましたか。答えは、条文の書き方でした。ここでも、同じところを見ます。罪の重さでも、法益の重さでもありません。なお、その人の身分が問われる罪では、また別の限界が出ます。そこは、共犯の章に送ります。

三者の地図と、宿題への答え

他人を巻き込んで犯罪を実現する、3つの形 図:他人を巻き込んで犯罪を実現する、3つの形

今日の位置を、地図で確認します。他人を巻き込んで犯罪を実現する形は、大きく3つあります。1つ目が、今日の間接正犯。他人を道具として使う形です。2つ目が、教唆犯。相手に決意させて、実行させる形です。3つ目が、共謀共同正犯。一緒に計画して、分担する形です。3つの名前と、形の違いだけ持ち帰ってください。基準は共犯の章です。間接正犯と共犯の錯誤、身分が問われる罪での限界も、同じところで扱います。もう1つ、今日は開けずに置いておく問いがあります。Aが指示した時点で、もう実行に着手したと言えるのか。それとも、Bが動き出した時点なのか。

そこは、未遂の章で正面から扱います。今日は、問いだけ置いておきます。

論文で書くときの流れ 図:論文で書くときの流れ

今日の2つの要件は、論文でも書く規範です。事案から問題提起、規範、あてはめまでの流れは、専用の論文動画で渡します。では、最後に宿題へ答えます。自分で手を下していないのに、実行行為をしたと言えるか。実行行為とは、特定の構成要件に該当する法益侵害の現実的危険性を有する行為でした。言えます。相手が思いとどまる機会を持っていなかったときです。そして、機会が消えても届かない罪が、自手犯でした。実行行為の話は、これで一区切りです。今日で、この章が閉じます。

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第3章因果関係

#14単独ページ動画

因果関係の意義と条件関係

第3章 因果関係 ①/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

実行行為も、故意も、結果もある。それでも、罪に問えないことがある

3つとも揃っているのに、それでも? 図:3つとも揃っているのに、それでも?

不作為も、間接正犯も、あの章で答えを出しました。今日からは、その先へ進みます。実行行為は、決まりました。では、結果に責任を負うと言うには、まだ何が要るでしょうか?そう思いますよね。でも、この3つが全部揃っていても、罪に問えないことがあります。今日は、そこをほどいていきます。まず、具体的な場面を1つ見てください。

因果関係の意義——結果を、行為者のせいにしてよいかの絞り

Aがしたことと、Bに起きたこと 図:Aがしたことと、Bに起きたこと

Aは、殺意でBに危害を加えようとしました。でも抵抗されて、Bは無傷で逃げています。ところが、その帰り道です。Bは、工事現場から落下してきた資材に当たって、死亡してしまいました。Aから見れば、実行行為はした、殺意もあった、そしてBは死んでいる。でも、Bの死は、Aの行為から生まれたものではありません。その直感が、今日の出発点です。この直感を、法律の言葉にすると何と呼ぶか。実行行為と結果のあいだに、つながりが要ります。これを因果関係と呼びます。結果を、行為者のせいにしてよいかを絞る道具、と言ってもいいです。因果関係が無ければ、結果は行為者のせいにはなりません。

なお、この絞りは2段構えになっています。今日扱うのは1段目、条件関係です。2段目もあります。相当因果関係、あるいは危険の現実化と呼ばれる絞りです。中身は、次回に回します。もう1つ、覚えておいてほしいことがあります。因果関係が問題になるのは、結果の発生が要る犯罪——結果犯だけです。行為さえあれば成立する挙動犯には、そもそも出番がありません。今日から、その道具を実戦で使っていきます。

因果関係が無いと、どうなるか——「無罪」ではなく「未遂」

欠けているのは、つながりだけ 図:欠けているのは、つながりだけ

そこが、多くの人が最初に間違えるところです。無罪ではありません。実行行為はある。故意もある。欠けているのは、因果関係だけです。つまり、既遂にはならないというだけです。既遂にならないということは、未遂です。Aには、殺人未遂罪が成立します。数字で見てみましょう。まず、既遂の場合の条文です。

条文刑法199条(c2-1で既出)

刑法199条(殺人) 人を殺した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の拘禁刑に処する。

殺人罪の法定刑は、死刑か無期、それでなければ5年以上の拘禁刑です。では、未遂のほうです。

条文刑法203条

刑法203条(未遂罪) 第百九十九条及び前条の罪の未遂は、罰する。

この条文だけでは、刑の重さが分かりません。未遂の刑を定める条文と、セットで読みます。

条文刑法43条(c2-3で既出)

刑法43条(未遂減免) 犯罪の実行に着手してこれを遂げなかった者は、その刑を減軽することができる。ただし、自己の意思により犯罪を中止したときは、その刑を減軽し、又は免除する。

前に見た条文です。ここで効くのは前半、「その刑を減軽することができる」の部分です。必ず減るわけではなく、減らせるという任意的な減軽です。「因果関係が無い」と判断されても、殺人罪の枠から出るわけではありません。203条が、その未遂を罰しているからです。変わるのは、刑を減軽できる余地が生まれるかどうか、それだけです。だから「つながりがあるか」の一言は、有罪か無罪かではなく。どの重さで問われるかを、動かすんです。「因果関係の一言」で、刑が大きく動く。これが、この回に時間を使う理由です。ただし、未遂が成立する要件そのもの——実行の着手がいつ認められるか——は、別の回で扱います。

では、その”つながり”をどう測るか、道具を渡します。

「あれなければこれなし」——引き算の思考実験

つながりを測る、最初の道具 図:つながりを測る、最初の道具

因果関係の1段目、条件関係の考え方は、引き算の思考実験です。「あれなければこれなし」。実行行為が無かったなら、結果も無かったと言えるか、を問います。

⭐ 論文で書く規範:条件関係の意義 実行行為と結果のあいだに、「あれなければこれなし」の関係が認められること (規範(通説で立てる))

Aの実行行為を取り除いても、Bは資材に当たって死んでいます。取り除いても、結果は変わりません。だから、条件関係は否定されます。単純な例なら、これで済みます。「あれ」とは何を指すのか、「これ」とは何を指すのか。そして、引き算のやり方そのもの。この公式には、3つの難所があります。1つずつ、見ていきましょう。

1つ目の難所——「あれ」は、実行行為でなければならない

まだ、Bに近づいてすらいない 図:まだ、Bに近づいてすらいない

別の場面を見てください。Aは、同僚のBを害するつもりで、凶器を職場のロッカーに準備しました。まだ、Bに近づいてすらいません。その晩、Bは持病が急変し、搬送される前に亡くなりました。1つ、確かめさせてください。この行為者の準備は、実行行為と言えるでしょうか?そこで、以前渡した定義を思い出してください。実行行為とは何でしたか。特定の構成要件に該当する法益侵害の現実的危険性を有する行為、でした。準備段階の行為は、この現実的な危険性を、まだ持っていません。そして、「あれ」に当たるのは、実行行為でなければなりません。「あれなければこれなし」を問う前に、話が終わっているんです。条件関係の出番が、そもそも来ません。

これが、1つ目の難所です。なお、予備罪や実行の着手そのものの細かい線引きは、別の回で扱います。

2つ目の難所——「これ」は、現に発生した具体的な結果

どうせ、というだけでは終わらない 図:どうせ、というだけでは終わらない

もう1つの場面です。Aは強盗目的で、Bに暴行を加え、瀕死の重傷を負わせました。これが第1行為です。そこでAは、こう考えます。「このままでも助からないだろう。それなら口封じのために」。そして、別の行為で、確実にBを死亡させました。これが第2行為です。ここで、Aがこう主張したとします。「第2行為が無くても、Bはいずれ死亡していたはずだ」。一見、成り立ちそうな主張に聞こえます。でも、これを認めると、困ったことが起きます。「結果」を抽象的に「死」とだけ捉えると、人はいつか必ず死にます。だから、「これ」は結果一般ではなく、現に発生した具体的な結果として見ます。

いつ・どのように死んだか、まで込みで「その結果」を特定する、ということです。第2行為が無ければ、Bはその時点で死んではいません。だから、条件関係は認められます。実際に、同じ形の事件で、最高裁がこの考え方を示しています。

判例最高裁判所 決定(刑集32巻2号381頁)

最決昭和53年3月22日——先行する行為で瀕死の重傷を負わせた後、別の行為で死亡させた事案 Aは、先行する行為でBに瀕死の重傷を負わせた後、後行する行為でBを死亡させた。「後行する行為がなくても、Bはいずれ死亡していたはずだ」という主張は退けられ、後行する行為とBの死亡との間に条件関係が認められた。(事案の骨子と結論。判決文の引用ではない)

決め手は、結果を具体的に見るということです。抽象的な結果では、絞りになりません。なお、「どこまで早めたら結果が変わるのか」という、より細かい限界の問題があります。そこは、この回では踏み込みません。絞りの2段目が、まさにそこを扱います。

3つ目の難所——付加の禁止

引く以外のことを、してはいけない 図:引く以外のことを、してはいけない

もう1つ、逆方向の落とし穴があります。Aは、老朽化した設備を悪用して、X社の重要データを消去しました。ところがAは、こう弁解します。「自分が消さなくても、その設備は今にも故障して、データは失われる寸前だった」。でも、現実には、その設備は故障していませんでした。「あれなければこれなし」を検討するとき、引いてよいのは実行行為だけです。引く以外のこと——現実に無かった事実を、勝手に足してはいけません。足してよいことにすると、困ったことが起きます。現実にはやっていない別の原因のせいにできてしまうんです。

全員が「別の何かがやったはず」で逃げられる。処罰の空白ができてしまいます。難所アが「何を引くか」の話なら、難所ウは「引く以外はしない」という話です。1対のものとして、持ち帰ってください。

3つの難所を、1つの手順にまとめ直す

引き算の、4つの手順 図:引き算の、4つの手順

ここまで見た3つの難所を、1つの手順として、まとめ直します。3つの難所は、それぞれ手順のどこで起きていたのか。まず、①実行行為を特定する。ここが、難所アでした。次に、②その行為だけを現実から取り除く。ここが、難所ウです。ここで注意してほしいのは、難所を見た順番と、手順の順番は違うということです。③残った世界で、現に発生したその結果が起きるかを問う。ここが、難所イでした。そして、④起きないなら、条件関係あり。ここには、対応する難所はありません。では、さっきのデータ消去の場面を、この4ステップに通してみましょう。①実行行為を特定する。Aがデータを消去した行為です。②その行為だけを取り除く。「設備が故障していたはず」は、足しません。

③残った世界で、そのデータが、あのとき失われたか。④起きない。だから、条件関係あり、です。この4ステップを持ち歩けば、どんな事例が来ても、迷わず引き算ができます。ここまでが、原則の形です。ここから先は、この手順が形を変える場面、あるいは壊れる場面を見ていきます。

特殊型①——不作為犯だけ、公式が裏返る

引くべき行為が、そもそも無い 図:引くべき行為が、そもそも無い

まず1つ目、不真正不作為犯の因果関係です。作為の形で書かれた条文を、不作為で実現する型でしたね。不作為犯だけ、この公式が裏返ります。あれ、あればこれなし。作為があったなら、結果は発生しなかった、と仮定的に足して考えます。考えてみてください。不作為には、引くべき行為がそもそも無いんです。何もしていないんですから。引き算ができない以上、足し算で測るしかないんです。立証が、とても難しくなります。実際、こんな事件がありました。

判例最高裁判所 第三小法廷 決定(刑集43巻13号879頁)

最決平成1年12月15日——注射後に容体が急変した被害者を、救急医療を要請せず放置した事案 原判決の認定によれば、直ちに救急医療を要請していれば十中八九救命が可能であった。最高裁は、そうすると救命は合理的な疑いを超える程度に確実であったと認められるとして、放置行為と死亡結果との間に刑法上の因果関係があると認めた。(事案の骨子。判決文そのものの引用ではない)

では、「十中八九」というのは、誰の言葉なのか。そこが、今回の核心です。これは原判決が認定した事実の言葉です。最高裁自身が置いた物差しは、別にあります。「合理的な疑いを超える程度に確実」。これが、最高裁の基準です。だから、「判例が十中八九説を採った」とは言えません。最高裁は、その基準を満たすとして、刑法上の因果関係を認めました。そこが、この決定の効きどころです。「絶対に助かった」まで示す必要は無い、ということです。だから教材は、十中八九でよいと解しているようである、と書きます。答案でも、判例が数値の基準を立てた、とは書かないでください。

特殊型②——合義務的な択一的挙動は、条件関係の”手前”で切れる

法を守っていても、同じ結果だった 図:法を守っていても、同じ結果だった

もう1つの特殊型です。Aは、制限速度を大きく超える速度で走行中、突然飛び出してきたBをはねてしまいました。ところが、こう認定されたとします。Aが制限速度を守っていたとしても、Bの飛び出しのタイミングでは急ブレーキは間に合わなかった。ここで、「条件関係が否定される」と考えたくなりますが、それは違います。過失の定義を渡した回で、2つに分けて見ましたね。予見可能性を前提とした、結果回避義務に違反する行為、でした。2つで1組——「うっかり」には縮めない、とも申し上げました。そこで大事なのが、過失は行為の話だ、という点です。過失犯では、結果回避義務に違反した行為そのものが、実行行為に当たります。

ところが、回避できない結果に、回避すべき義務は立ちません。義務が立たなければ、それに違反した行為も、ありません。だから、結果を回避できる可能性が無い以上——過失犯としての実行行為性を欠くんです。そこで、さっきの難所アを思い出してください。実行行為が無ければ、条件関係の出番は来ません。この形を、合義務的な択一的挙動と呼びます。合義務的代替行為と呼ぶ教材もあります。中身は同じです。ここでは、合義務的な択一的挙動という呼び方に統一します。なお、この処理には争いもありますが、その理屈そのものは、過失の回で正面から扱います。

特殊型③④——重畳的因果関係と択一的競合は、セットで理解する

意思の連絡なしに、それぞれが仕掛けた 図:意思の連絡なしに、それぞれが仕掛けた

最後の特殊型です。AとBが、意思の連絡なしに、それぞれ独立に、Cが握る手すりに電流を流す装置を仕掛けました。ここで2つの場合を考えます。まず、各自の電流が、単独では致死量に届かない強さだった場合です。合わさって、致死量に達しました。これを重畳的因果関係と呼びます。

重畳と択一的競合——分かれ目は致死量 図:重畳と択一的競合——分かれ目は致死量

この場合、条件関係は争いなく肯定されます。AかBか、どちらか一方を引けば、致死量に届きません。では、次です。各自の電流が、それぞれ単独で致死量に達する強さだった場合。これを択一的競合と呼びます。ここで、機械的に公式を当てはめるとどうなるか、考えてみてください。「あれ(A)が無くてもこれ(死)はある」。Bについても、同じことが言えます。ここで、大事な不均衡が生まれます。弱い電流を仕掛けた2人——さっきの重畳の場合——は、条件関係が肯定されます。なのに、強い電流を仕掛けた、より危険な2人は、条件関係が否定される。

だから、これはそのままにはできません。修正が要ります。なお、AとBがお互いに示し合わせていた場合は、当然に条件関係が肯定されます。ここは先に片づきます。この場合の処理として、AとBの行為を一括して除去して検討する考え方があります。

⭐ 論文で書く規範:択一的競合の処理——一括除去 各自が単独で致死量に達する場合は、A・B双方の行為をまとめて取り除いて検討する。なお結果が生じると言えれば、そこに「あれなければこれなし」の関係が認められる (規範(通説で立てる))

まとめて引けば、電流はゼロになり、Cは死亡しません。だから、条件関係が肯定されます。なお、別の道から同じ結論に届く考え方も、名前だけ触れておきます。公式そのものを、条件関係を判断するための補助的な道具と位置づけ直す立場です。その行為の作用によって結果が発生したと言えるかを、直接に問います。こういう考え方を、合法則的条件説と呼びます。どちらが正しいと、ここで決めることはしません。同じ結論に、別の道で届く考え方がある、とだけ覚えておいてください。

条件関係だけでは、まだ広すぎる

Aがしたことと、遠くの電車事故 図:Aがしたことと、遠くの電車事故

最後に、今日の道具の限界を見ておきます。Aが、Bを軽く突き飛ばして、軽いケガをさせたとします。Bは驚いて、その日は仕事を早退し、いつもと違う電車に乗りました。その電車が、事故を起こし、Bは死亡してしまいました。「あれなければこれなし」を、機械的に当てはめてみましょう。Aが突き飛ばさなければ、Bはこの電車に乗らなかった。条件関係だけを見ると、成り立ってしまいます。「あれなければこれなし」は、因果の鎖をどこまでも遡れてしまいます。条件関係は、必要条件であって、十分条件ではありません。通っただけでは、まだ足りないんです。

相当因果関係、あるいは危険の現実化と呼ばれる、2段目の絞りです。今日は、「なぜそれが要るか」という問いだけ、持ち帰ってください。

1つの手順と、4つの位置づけ

今日、持ち帰るもの 図:今日、持ち帰るもの

今日の内容を、まとめます。条件関係は、あれなければこれなしという引き算の思考実験でした。①実行行為を特定する。②その行為だけを取り除く。③現に発生した結果が起きるか問う。④起きなければ条件関係あり。そして、その手順が形を変える・壊れる4つの場面がありました。不作為犯だけ、公式が裏返ります。合義務的な択一的挙動は、公式の手前で切れます。重畳的因果関係は、公式がそのまま効きます。択一的競合は、公式が壊れ、一括除去で修正します。そして、いちばん大事なことを、もう一度。因果関係が無くても、無罪にはなりません。

そして、条件関係を通っても、それだけではまだ足りません。なぜなら、引き算はどこまでも遡れてしまうからです。だから、2段目の絞りが要ります。今日は、ここまでにしましょう。

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#15単独ページ動画

相当因果関係説の登場

第3章 因果関係 ②/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

前回の宿題——条件関係だけでは、まだ足りない

前回の宿題——2段目の絞り 図:前回の宿題——2段目の絞り

前回の、軽く突き飛ばしただけの相手が、遠くの電車事故で亡くなってしまう例、思い出せますか?引き算は、どこまでも遡れてしまう。だから、条件関係を通っただけでは、まだ足りません。今日は、その2段目に、正面から取り組みます。

ひとつの事案から——鉄パイプと、夜の救急外来

鉄パイプの事案——Aがしたことと、Bに起きたこと 図:鉄パイプの事案——Aがしたことと、Bに起きたこと

Aは、殺意をもって、資材置き場にあった鉄パイプでBに殴りかかりました。ところがBは、とっさに身をかわしました。負ったのは、腕の軽い打撲だけです。それでも念のため、Bはその晩、夜間の救急外来を受診しました。当直の医師は、疲労と混雑のなか、別の患者のカルテと取り違えてしまいます。Bに、アレルギーの既往がある薬剤——禁忌薬を、投与してしまいました。Bは重篤な急性アレルギー反応を起こし、死亡しました。ここで、1つ確かめさせてください。Aが殴りかからなければ、Bは病院に行きましたか。条件関係は、成立しているでしょうか。

Aが殴りかからなければ、Bはその晩、病院に行きませんでした。禁忌薬を投与されることもなかった。だから、条件関係は文句なく成立します。この事案、これから何度か戻ってきます。「鉄パイプの事案」と呼ぶことにしましょう。

条件関係だけで足りるとする見解——条件説

条件説——言い分と、批判 図:条件説——言い分と、批判

この、鉄パイプの事案で、Aは何罪になるでしょうか。条件関係が成立している以上、殺人罪の既遂だ——もし、「条件関係があれば、それだけで刑法上の因果関係も認めてよい」と考える見解に立てば、そうなります。この見解には、名前があります。条件説と呼びます。ここで、条件関係と条件説を区別してください。条件関係は、実行行為と結果のあいだの、事実としてのつながりです。法益侵害の現実的危険性を有する行為——前の章で渡した定義でしたね。条件説は、その条件関係だけで、刑法上の因果関係を認めてよいとする見解です。条件説にも、言い分があります。因果関係の有無を、判断者の価値判断を挟まず、純粋に事実の問題として扱えるんです。

誰が判断しても結論がぶれない、ということです。ではなぜ、ぶれないのか。条件関係は、引き算の手順だけで決まるからです。「その行為が無かったら、その結果は起きなかったか」——これを引くだけです。事実の問題として扱える——これが、条件説の言い分です。ただ、それには裏があります。条件関係は、どこまでも遡れるんでしたね。そこが裏です。引き算そのものには、止まる場所が無いからです。ですから条件説に立つと、その連鎖の先まで、因果関係が認められてしまいます。処罰される範囲が、広すぎるんです。次は、そこを確かめましょう。

行きすぎの確定——既遂のままでよいか

既遂のままでよいか——数字で見る落差 図:既遂のままでよいか——数字で見る落差

鉄パイプの事案に戻りましょう。条件説に立つと、Aは殺人罪の既遂です。しかしAがしたのは、鉄パイプで殴りかかって、軽い打撲を負わせただけです。死亡という重い結果は、医師の重大な過誤が挟まって、初めて起きています。それでも既遂だというのは、さすがに行きすぎな気がする——その直感を、大事にしてください。数字で見ても、その落差は分かります。殺人罪の既遂は、前回見たとおり、死刑や無期を含む重い法定刑でした。未遂であれば、刑を減軽できます。必ず減るのではなく、減らせる、という意味です。罪名は殺人罪のままで、減軽できる余地が生まれるかどうか——前回、そこまで見ました。ここまでが、前回の確認です。Aを既遂として問うのは、行きすぎだ——これが、この回の出発点です。

ただし、ここで急いで確認しておきたいことがあります。未遂止まりというのは、無罪という意味ではありません。実行行為も、故意もある。欠けるのは、既遂の結果とのつながりだけです。だから、殺人未遂罪として、責任を問われます。そこに、答えを出すのが、これからの話です。

なぜ社会通念で絞るのか——4段の導出

なぜ社会通念で絞るのか——4段の導出 図:なぜ社会通念で絞るのか——4段の導出

では、その答えを、体系から組み立てていきます。4つの段階を、順番に見てください。まず1段目。因果関係は、構成要件要素のひとつです。構成要件は、成立要件の回で渡した、条文が定めている「型」です。実行行為、故意、そして結果とのつながり——これらはすべて、その型の一部です。では2段目です。だから、因果関係があるかどうかは、構成要件に当たるかどうかの問題になります。——「構成要件要素だから、構成要件該当性の問題」。これは当たり前のことを言っているだけに聞こえるかもしれません。そう感じたなら、いいところを突いています。そこで、いったん止まりましょう。ここで言いたいのは、同じ言葉を裏返しただけの言い換えではありません。犯罪の成立要件は、3階建てでしたね。構成要件該当性、違法性、責任、でした。

因果関係を切るかどうかは、そのうちの1階の話だ——ここが、2段目の実質です。違法性の話でも、責任の話でもありません。鉄パイプの事案で、確かめてみましょう。わたしたちがいま迷っているのは、Aを責められるかどうか、でしたか。迷っているのは、そこではありません。Aが殴りかかったことと、Bの死を、つないでよいかどうかでした。Aを責められるかは責任の階、その行為が許されるかは違法性の階。因果関係は、そのどちらでもない——1階で、つなぐか切るかを決めています。どの階で切っているかの宣言——それが2段目の中身です。では、3段目です。さっきの「条文が定めている型」を、もう一段、踏み込んで言い直します。社会通念に基づいて、当罰的行為を類型化したもの——それが、構成要件です。

噛み砕きましょう。「罰するに値する行為とは、こういうものだ」という型を、条文はあらかじめ作っています。そして、その型を切り出す物差しは、法律家だけの特殊な感覚ではありません。社会一般の常識、社会通念です。外から見れば「条文が定めている型」。中身から言えば「社会通念による類型」。同じものの、別の言い方です。これが、構成要件の意義です。そして、いよいよ4段目です。だから、社会通念上相当といえる場合にのみ、因果関係を認めます。——3段目から4段目に、どうしてつながるのか。ここでも、止めましょう。ここが、相当因果関係説の全体重です。考えてみてください。類型化の基準が社会通念なら、その型に当たるかどうかを判断する基準も、何であるべきでしょうか。

答えは、同じ社会通念です。物差しと目盛りを揃える、という発想です。構成要件という型を切り出したのが、社会通念だったからです。だとすれば、ある事案がその型に当てはまるかを測るのも、同じ社会通念でなければ、筋が通りません。だから、因果関係も——社会通念で測ります。この4段が、今日いちばん大事な背骨です。

相当因果関係説の結論——社会通念上相当

条件説 vs 相当因果関係説 図:条件説 vs 相当因果関係説

この4段の結論に、名前をつけましょう。相当因果関係説です。条件関係に加えて、行為から結果が生じることが社会通念上相当といえる場合。そのときにのみ、因果関係を認める見解です。条件説は、条件関係だけで足ります。相当因果関係説は、条件関係に加えて、もう1つのフィルター——社会通念上の相当性を通します。

⭐ 論文で書く規範:相当因果関係説の結論 条件関係があることに加えて、その行為からその結果が生じることが社会通念上相当といえるときに限り、刑法上の因果関係を認める (規範(通説で立てる))

整理すると、こうなります。条件説は、結論=条件関係だけで因果関係を認める。理由=判断者の価値判断を挟まない、純粋な事実の問題として扱えること。批判=どこまでも遡れて、処罰範囲が広すぎること。

相当因果関係説は、結論=社会通念上相当な場合にのみ認める。理由=構成要件が社会通念に基づく類型だから——さっきの4段です。そして、この説にも批判があります。「社会通念上相当」がどれくらいのことを指すのか、まだ曖昧だ、という批判です。

まず、その「相当」がどれくらいのことなのか。それを、このあとすぐ確かめます。その前に、鉄パイプの事案です。相当因果関係説なら、Aはどうなるでしょうか。

その判断は、「相当」の意味を決めてから、この事案に戻って着けます。結論だけ先に言うと、未遂です。だから、この絞りに意味があるんです。

「相当」の意味を取り違えない——高度の蓋然性ではない

「相当」の意味を取り違えない 図:「相当」の意味を取り違えない

ここで、確認しておきたいことがあります。「相当」という言葉を聞いて、どんなイメージを持ったでしょうか。日常の感覚だと「かなりの」とか「よくあること」——そこが、まさに引っかかるところです。法律用語の「相当」は、日常語の「相当」とは違います。「相当」の中身は、当然にその結果が生ずる、あるいは通常その結果が生ずるという、高度の蓋然性のことではありません。ここが肝心です。「通常起きること」だと考えるのは、誤りです。求められるのは、もっと低いハードルです。ある程度の可能性——「ありうることだ」「異常でない」「稀有でない」といえる程度で足ります。

鉄パイプの事案に、この目盛りを当ててみましょう。もしBが、殴られた勢いで転んで、頭を打って亡くなっていたら、どうでしょうか。よくあることではありませんが、異常でもない。だから、相当性は認められます。では、実際に起きたほうです。当直の医師が、別の患者のカルテと取り違え、禁忌薬を投与した。そこまで来ると、異常です。だから相当性が否定され、Aは未遂にとどまります。

なぜハードルを低くするのか

なぜハードルを低くするのか 図:なぜハードルを低くするのか

では、なぜそんなに、ハードルを低くするのか。そこが、この説のいちばん誤解されやすいところです。もし、「相当」のハードルを高く設定したらどうなるでしょうか。少しでも珍しい経過が挟まれば、その時点で因果関係が切れてしまいます。考えてみてください。現実に起きる事件は、ほとんど何かしら珍しいんです。まったくの想定どおりに進む事件のほうが、むしろ稀です。さきほどの、殴られた勢いで転んで頭を打つ——あれも、狙ってできることではありません。ハードルを高くすると、そういう経過まで「珍しい」として切れてしまいます。異常とまでは言えないのに、切れてしまう。絞りが、効きすぎるんです。それでは、フィルターとして機能しません。相当性は、「よくあることだけを通す」フィルターではなく、「異常でなければ通す」フィルターなんです。

ただし、具体的にどこまでが異常か、というあてはめは、別の回で扱います。まずは、意味を取り違えないことが、いちばん大事です。

条件説を”敵”にしない——学説対立の読み方

良いところの裏返しが、弱点になる 図:良いところの裏返しが、弱点になる

ここで、少し立ち止まって、学説の見方を確認しておきます。条件説は、批判されて、退けられる見解でした。でも、条件説を”間違った説”のように扱うのは、正確ではありません。条件説には、条件説なりの言い分がありました。判断者の価値判断を挟まず、純粋に事実の問題として扱える、というものでしたね。その長所があるからこそ——批判は「広すぎる」という、たった1点に集中するんです。そういう読み方をしてください。学説の対立は、いつもこの形です。どちらの説にも言い分があり、その言い分の裏返しとして、弱点が出ます。

相当因果関係説が残した2つの宿題——基準と材料

相当因果関係説が残した、2つの宿題 図:相当因果関係説が残した、2つの宿題

では、今日の内容を、閉じていきます。相当因果関係説は、条件説の”広すぎる”という弱点を、社会通念という物差しで絞りました。ただ、この絞りには、2つの宿題が残っています。1つ目。「ありうる」「異常でない」も、突き詰めれば程度問題です。まだ、測る道具として十分ではありません。だから近時は、行為の危険性が結果として現実化したといえるかで判断する見解が、有力になっています。これを、危険の現実化と呼びます。前回、2段目の絞りを「相当因果関係、あるいは危険の現実化」と呼んでいました。あのときは、名前を2つ並べただけでした。この2つの関係には、2通りの見方があります。1つは、相当因果関係説に立ちつつ、その物差しをより具体的にする——内側からの深掘りだ、という見方。

ただ、もう1つあります。危険の現実化を、相当因果関係説とは別の判断枠組みとして使う見方です。そこが、次々回の中心です。判例が実際に何をしているのかを見ると、答えが出ます。今日は、「危険の現実化という名前がある」「相当因果関係説との関係は、まだ決着していない」——ここまでにします。2つ目の宿題です。相当性を判断するとき、何を前提に置くか——つまり、判断の材料です。同じ事案でも、何を前提として見るかで、結論が変わることがあります。この、相当性判断の基礎事情——判断の材料は、まだ決めていません。

相当性を測る前提——材料が決まらないと、基準の話も、具体的になりません。だから、材料が先です。

今日の地図(保存版)

今日、持ち帰るもの 図:今日、持ち帰るもの

今日の内容を、まとめます。条件関係だけでは、まだ広すぎました。だから、因果関係は構成要件要素、構成要件該当性の問題。構成要件は社会通念に基づく類型、社会通念上相当——この4段で、絞りを立てました。そして、「相当」の中身は、高度の蓋然性ではありません。「ありうる」「異常でない」「稀有でない」で足りる、低いハードルでした。そして、相当因果関係説には、まだ2つの宿題が残っています。基準の曖昧さは次々回、判断の材料は次回です。次回は、その材料——相当性判断の基礎事情から、扱っていきます。

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#16単独ページ動画

相当因果関係の基礎事情

第3章 因果関係 ②/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

前回の宿題——2つのうち、材料のほう

前回の宿題——2つのうち、材料のほう 図:前回の宿題——2つのうち、材料のほう

相当性——その結果が起きても「ありうる」「異常でない」といえるか、という絞りでしたね。残った宿題は2つ。1つは基準の曖昧さ、もう1つは判断の材料でした。前回の宿題ですが、そもそもなぜ材料が問題になるのでしょうか?

材料で結論が反転する——エレベーターの事案

エレベーターの事案 図:エレベーターの事案

Aは、エレベーターの中で、ふざけてBの肩を軽く小突きました。Bはその場でよろけて、壁に軽くぶつかっただけです。ここで、1つ聞かせてください。この行為、危険でしょうか?では、続きをお伝えします。実はBは、重度の骨粗鬆症を患っていました。この程度の衝撃でも、骨折することがある身体だったんです。実際、Bはこの衝撃で肋骨を骨折し、療養中に生じた合併症により、死亡しました。では、もう一度聞きます。この行為、危険な行為だったでしょうか?骨粗鬆症のことを聞いたあとだと、危険な行為だった、と感じます。行為そのものは、何も変わっていません。変わったのは、皆さんが前提に置いた事実、材料のほうです。

これが、今日いちばん体験してほしいことです。危険性の判断は、判断者が何を知っているかに、依存します。同じ動作でも、前提に入れる事実が変われば——別の行為に見えるんです。ここから先の3つの学説は、実はこの一点だけを争っています。材料に入れてよい範囲は、どこまでか。それだけです。材料の範囲の対立です。

材料を2つに分ける——行為時の事情と、行為後の事情

2つの軸——行為時の事情/行為後の事情 図:2つの軸——行為時の事情/行為後の事情

材料には、実は2種類あります。まず、行為の時点で、すでに存在している事情。そして、もう1つ。行為のあとに起きる事情——介在事情です。覚えていますか。前回の、鉄パイプの事案です。カルテの取り違えは、殴りかかったという行為の、あとに起きた出来事でした。骨粗鬆症は行為時の事情、カルテの取り違えは行為後の事情——2つの実例が、これでそろいました。この2つ、材料としての性質が違います。行為時の事情は、行為の瞬間に、もう存在しています。問うべきは、それを知っていたかどうか——認識です。行為後の事情は、行為の時点では、まだ起きていません。問うべきは、それを読めたかどうか——予見です。

ここで使う言葉が変わるのは、日本語の綾ではありません。既にある事実は”見えたか”の問題、まだ無い事実は”読めたか”の問題です。判断の構造そのものが違うからです。この2つの軸が、あとで出てくる比較表の、縦軸になります。先に軸を作っておけば、あとでマスを埋めるのは、そう難しくありません。

1つめの見解——主観説

主観説——結論と批判 図:主観説——結論と批判

では、材料の範囲について、3つの見解を順番に見ていきます。まず1つめ、主観説です。主観説は、行為者が現に知っていた事情と、行為者が知りえた事情、この2つだけを材料にします。言い分もあります。行為者が知りようもなかった事情で処罰するのは、おかしい。これは、責任主義の感覚に近い言い分です。ですが、批判もあります。処罰範囲が狭くなりすぎるんです。はい、狭くなりすぎる、です。ここ、逆に覚えている受験生が多いので、注意してください。エレベーターの事案で考えてみましょう。もしBの骨粗鬆症を、Aがまったく知らず、しかも一般人が見ても分からないほど、外見に兆候もなかったとします。

この場合、主観説では、骨粗鬆症は材料に入りません。深いところを、1つ足しておきます。主観説は、責任の話——行為者個人が非難できるかどうかという話です。それを丸ごと、構成要件の段階に持ち込んでいます。犯罪の成立要件は、3階建てでしたね。構成要件該当性、違法性、責任。前回、因果関係を切るかどうかは1階の話だ、と確かめましたね。主観説は、1階の判断のはずの因果関係に、3階の物差しを、そのまま使っています。その物差しとは、非難できるかどうか、です。だから、一般人なら誰でも気づく事情まで、行為者次第で落ちてしまう。これが、主観説が狭くなりすぎる、理由です。

2つめの見解——客観説

客観説——結論と批判2つ 図:客観説——結論と批判2つ

続いて2つめ、客観説です。客観説は、行為の時点に存在した客観的な事情を、すべて材料にします。行為のあとの事情については、一般人が予見しえた事情に、絞ります。あとで、その理由にも触れます。まず、言い分から。因果関係は、客観的構成要件要素の1つでしたよね。客観的な要素なら、材料も客観的な事実で揃えるべきだ、という言い分です。この見解、軽く扱ってはいけません。答案でも紹介される可能性が高い見解です。ただ、批判は2つあります。1つめ。処罰範囲が、不当に拡張されるおそれがあります。行為時に存在した客観的事情を、全部入れてしまうと——あとから判明した、どんな特殊な事情も、常に材料になってしまいます。

だから、ほとんど何でも「危険な行為だった」と、言えてしまいます。前回、相当因果関係説が立てた”2段目の絞り”、覚えていますか。条件関係だけでは広すぎるから、社会通念上相当かどうかで、もう一段絞る、という話でした。行為時の事情を無制限に取り込むと、その絞りが、効かなくなってしまうんです。結果的に、条件関係さえあれば何でも通ってしまう——それが、2つめの批判です。結論的に、条件説とほとんど変わらなくなります。だから、客観説には、この2つの批判が向けられます。はい、それも説明しておきます。行為後の事情まで、無制限に取り込んだらどうなるでしょうか。

結果は、もう実際に起きています。行為後に何が起きたかを、全部材料にしていいなら——結果から逆算するだけの話になってしまいます。それでは、判断が空っぽになってしまいます。だから、客観説でも、行為後だけは一般人が予見しえた事情に、絞りがかかっているんです。

3つめの見解——折衷説、結論だけ先に

3説を1本の軸に 図:3説を1本の軸に

では、3つめです。折衷説——これが、従来の通説です。結論だけ、先にお伝えします。一般人が認識・予見しえた事情に、行為者が現に認識・予見していた事情を、上乗せします。イメージとしては、一般人基準に、行為者基準を足す形です。ここまでの3つの見解を、1本の軸に並べてみましょう。狭い側に主観説、広い側に客観説、その真ん中に折衷説が来ます。主観説は狭すぎる、客観説は広すぎて条件説に戻ってしまいます。折衷説はその中間——だから通説なんです。そこは、これから正面から見ていきます。

折衷説はなぜ二階建てなのか——構成要件の2つの顔

折衷説の二階建て 図:折衷説の二階建て

「なぜこの形になるのか」——答えを、体系から組み立てます。鍵は、構成要件が、2つの顔を持っている、ということです。1階の顔から見ていきましょう。前回、構成要件をこう定義しましたね。社会通念に基づいて、当罰的行為を類型化したもの。この顔から出てくる基準は、一般人です。型を切り出したのが社会通念なら、その型に当たるかを測る基準も、社会通念——つまり一般人の感覚でなければ、筋が通りません。これが、1階です。では、これだけで止めてよいでしょうか。エレベーターの事案で、AだけがBから骨粗鬆症のことを聞いていた、としましょう。Bの外見に兆候はなく、一般人には分かりません。この事情は、1階の基準だけだと、どうなるでしょうか?

そこで、2階です。構成要件には、もう1つの顔があります。犯罪の成立要件を学んだ回のことを、思い出してください。各条文は、こう定義しましたね。普通は違法で、普通は責任がある行為を、あらかじめ型にしたもの。その「普通は」が、ここで効いてきます。「普通は責任がある行為」の型——この部分に、名前をつけます。責任類型です。構成要件は、責任類型でもあるんです。はい、今日はじめて使う言葉です。中身は、いま渡した「普通は責任がある行為の型」、それだけです。犯罪の3階建てとは、別の数え方です。3階建ては、犯罪が成立するまでの順番でした。こちらは、その1階にあたる構成要件の中を、2つの顔で見ています。では、責任とは何だったか、覚えていますか。

責任とは、その行為者に対する、非難可能性のことでした。行為者を非難できるかどうか——それが責任でした。だから、責任類型の顔から出てくる基準は、行為者になります。なぜ2階を足すのか、その理由も、もう見えていますね。1階だけだと、行為者だけが知っていた事情が、丸ごと捨てられてしまいます。責任——非難可能性という土台があるからこそ、2階の上乗せが、正当化されます。1階は社会通念に基づく類型だから一般人。2階は責任類型だから行為者。この2つの顔が、折衷説の二階建ての、正体です。責任能力や、故意責任の本質まで踏み込むと、長くなります。それは、責任そのものを扱う回で、正面から見ていきましょう。

⭐ 論文で書く規範:折衷説の基礎事情 一般人が認識・予見しえた事情に、行為者が現に認識・予見していた事情を加えたものを、相当性判断の基礎事情とする (規範(通説で立てる))

いちばんの落とし穴——「しえた」と「現に していた」

折衷説の非対称 図:折衷説の非対称

ここで、この回いちばんの落とし穴を、確認しておきます。一般人側の基準と、行為者側の基準、実は同じ形をしていません。一般人側は、「認識・予見しえた」——可能性があれば、足ります。ですが行為者側は、「現に認識・予見していた」——現実に、知っていたことが要ります。ここを対称に覚えてしまう受験生が、とても多いんです。「行為者が気づけたはずだ」というだけの事情は、基礎事情にはなりません。「気づけたはず」で足りるとしてしまうと、折衷説ではなくなります。そこにも、理由があります。根拠が違うからです。1階の根拠は、社会通念に基づく類型——一般人ならどう見えるか、という客観的な可能性の話でした。2階の根拠は、責任——非難可能性です。現に知っていたからこそ、非難できる。

根拠が違えば、基準も違います。丸暗記ではなく、導き出せるんです。

確かめてみましょう——「認識しえたが、現には認識していなかった」場合

非対称を確かめる 図:非対称を確かめる

では、確かめてみましょう。次の場合、どの説で基礎事情になるでしょうか。「行為者が認識しえたが、現には認識していなかった事情」——これは、どうでしょうか?うーん……主観説では、認識しえた事情も含みますよね。だから、入ります。客観説では、どうでしょうか。客観説は、行為時の客観的事情を、全部含みます。これも、入りますね。では、折衷説は?折衷説は……行為者側は、「現に」認識していないと、駄目でしたよね。「しえた」だけでは、足りない……だから、入らない、です。主観説では入る、客観説でも入る、折衷説だけが入らない。一般人が認識しえた場合は別ですが、行為者本人が認識しえただけでは、折衷説では基礎事情になりません。

3説×2軸——1枚で復元する

3説×2軸の比較表 図:3説×2軸の比較表

では、ここまでの内容を、1枚の表にまとめます。縦の軸は、さっき作った2つ——行為時の事情と、行為後の事情。横の軸は、3つの学説です。ただ、これは暗記する表ではありません。縦は時制の違いから、横は基準となる人の違いから、それぞれ導けます。主観説の欄は、行為時も行為後も、行為者が知っていた事情に、知りえた事情を加えます。客観説の欄は、行為時はすべての客観的事情、行為後は一般人が予見しえた事情です。折衷説の欄は、一般人が認識・予見しえた事情に、行為者が現に認識・予見していた事情を、上乗せします。ここが、いちばん混ざりやすいところなので、表でも色を分けています。

暗記ではなく、生成してください。

もう一度、1本の軸に戻る

3説を1本の軸に(振り返り) 図:3説を1本の軸に(振り返り)

さっきの、狭い側に主観説、広い側に客観説、この軸に、もう一度戻ります。では、言葉にしてみてください。1階で客観説の広さを絞り、2階で主観説の狭さを補う——だから真ん中に来ます。ただし、注意してほしいことがあります。「真ん中だから正しい」わけではありません。理由は、二階建てそのものにあります。位置は、結果にすぎません。

あてはめ——エレベーターの事案で、結論はどう割れるか

あてはめ——4つの場合分け 図:あてはめ——4つの場合分け

では、エレベーターの事案に、3つの学説を、あてはめてみましょう。場合を、4つに分けます。1つめ。Aが事前に、Bから骨粗鬆症のことを、直接聞いていた場合。この場合、3つの学説とも、骨粗鬆症を材料に取り込めます。3つの説の違いが、見えてきません。2つめ。Aは知らず、しかも外見にも、何の兆候もなかった場合。主観説は、認識も認識可能性も無いので、材料に取り込めません。客観説は、行為時の客観的事情として、無制限に取り込みます。折衷説は、一般人も気づけないので、取り込めません。3つめ。Aは知らないけれど、Bが杖をついていて、周囲にも骨粗鬆症だと分かる状態だった場合。

主観説は、Aが認識・認識可能でない限り、取り込めません。客観説は、当然に取り込みます。折衷説は——一般人が認識しえた場合にあたるので、取り込みます。そして4つめ。さっき確かめた場合を、もう一度この事案でやってみましょう。Aは、以前Bから「骨が弱くて」と聞いていたのに、聞き流していて、行為の時点では頭にありませんでした。Bの外見にも兆候はなく、一般人には分かりません。主観説は、認識しえた事情を含むので、取り込みます。折衷説は——一般人が認識しえた場合は別として、行為者本人が認識しえただけでは、足りません。だから、取り込めません。

では、材料が取り込めない場合、結論はどうなるでしょうか。ここで、大事な確認をしておきます。この事案、Aには殺意がありません。ふざけて肩を小突いただけです。だから、骨粗鬆症を材料に取り込めず、死亡までの相当性が否定されても——「無罪」にはなりませんし、「未遂」にもなりません。前回の鉄パイプの事案は殺意があったので、死亡が否定されれば、未遂が成立しました。でも、殺意のない事案で、死亡についての罪だけが未遂になる、ということは起きません。ここで、考え方を1つ渡しておきます。因果関係は、結果ごとに判断します。死亡について切れても、その手前の結果まで、当然にまとめて消えるわけではありません。

骨折の分も、残りません。ここが、今回の怖いところです。骨折そのものが、骨粗鬆症という材料の上に、初めて成り立っています。材料から骨粗鬆症を外すと、Bは健常な人として扱われます。そうなると、肩を軽く小突いて骨折させることは、もう「ありうる」とは言えません。骨折という結果自体が、危険性を失うんです。手前の結果が、死亡とは別の材料で成り立っているなら、そこだけ残ります。でも今回は、骨折も死亡も、同じ材料に丸ごと乗っています。だから、材料が取り込めない場合、骨折という結果も、Aの責任にはなりません。残るのは、肩を軽く小突いたという、暴行そのものだけです。

材料が取り込めれば重い結果まで、取り込めなければ暴行の限度まで——この違いを生むのが、今日見てきた3つの学説の対立です。

材料の問題は、片付いた

材料は片付いた。残るのは基準の曖昧さ 図:材料は片付いた。残るのは基準の曖昧さ

では、今日の内容を、閉じていきます。前回の宿題、2つのうちの1つ——判断の材料は、これで片付きました。ただ、もう1つの宿題、基準の曖昧さは、まだ残っています。そこは、判断の枠組みそのものを見る、次の回で扱います。そのあと、実際の判例が、材料と基準をどう使っているのかを、見ていきます。材料が決まらないと、基準を当てる相手が決まらないからです。何を前提に置くかが動いたままでは、「異常でない」といえるかどうかも、動いてしまいます。順番に、積み上げていきましょう。

今日の地図(保存版)

今日、持ち帰るもの 図:今日、持ち帰るもの

今日の内容を、まとめます。危険性の判断は、材料に依存する——これが、出発点でした。主観説は狭くなりすぎ、客観説は広すぎて条件説に近づき、折衷説がその中間として、通説になっています。1階は、社会通念に基づく類型——だから一般人。2階は、責任類型——だから行為者。責任とは、非難可能性のことでした。行為者が認識しえただけでは、足りません。材料が取り込めれば重い結果まで、取り込めなければ、暴行の限度まで——エレベーターの事案でも、それを確かめました。

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#17単独ページ動画

危険の現実化

第3章 因果関係 ②/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

前回の宿題——残っていたのは、基準のほう

前回の宿題——残っていたのは、基準のほう 図:前回の宿題——残っていたのは、基準のほう

1つは、判断の材料。もう1つは、基準の曖昧さでした。材料のほうは、前回、片付きました。行為時の事情と行為後の事情——主観説、客観説、折衷説の違いを確認しましたね。では、前回の宿題——その基準を、判例はどう使うのでしょうか?ここからは、視点を変えます。学説ではなく、実際の裁判所が何を見て判断しているかを見ていきます。先に、今日の結論を置いておきます。違いは、たった2つだけです。判断の材料を限定するか、判断の時点を行為時に固定するか——この2つしかありません。しかも、その2つは、1つの根から出ています。その根まで見えたら、今日の内容は、自分のものです。

判例は、“説”を宣言しない——個別的判断の集積

判例は、"説"を宣言しない 図:判例は、“説”を宣言しない

まず、大事な前提を、確認させてください。因果関係についての判例は、数多くあります。ですが、そのどの判決も——「私はこの学説をとります」と、理論的な立場を直接に述べたことは、ありません。「判例は危険の現実化説だ」と言われがちですが、判例が学説の1つを選んだ、という意味では、正確ではありません。それぞれの判決は、目の前の事件を解決するために——必要な範囲で、個別の判断を示しているだけなんです。なぜそうなるのか、考えてみましょう。裁判所は、学説の論争に決着をつける場ではありません。目の前の事件を、解決する場です。

だから、必要な範囲を超えて、わざわざ理論を宣言する必要が、ないんです。ここは、法学の一般的な考え方として、そう言われることが多い、という程度に留めておいてください。ただ、個別の判断を、たくさん集めて見ていくと——次第に、共通する考え方が浮かび上がってきます。判例の「立場」は、宣言された言葉ではなく、積み重なった判断から読み取るものなんです。だから、正確に言うなら「判例は、こういう立場をとっているようだ」としか言えません。その歯切れの悪さこそ、正確さです。宣言していないことを言い切るほうが、かえって不正確なんです。

「判例は危険の現実化説をとる」と書くと——判例が、並んでいる学説の中から1つを選んだ、という話になります。でも、判例は説を選んでいません。目の前の事件を、解決しただけです。「判例は◯◯説をとる」と書くのと——「判例は◯◯と判断していると読める」とでは、引用の正確さが違います。そこを、次に見ていきましょう。

判例が見ている物差し——寄与度、そして言いかえ

寄与度の物差し、そして言いかえ 図:寄与度の物差し、そして言いかえ

判例が、個別の判断の中で、繰り返し見ているものがあります。行為が結果にどれだけ効いたか——これです。専門的には、事実的影響力、あるいは因果的寄与度と言います。行為が結果を生み出すのに、どれくらいの力を持っていたか、ということです。行為の”効き目”というイメージで、近いです。ただ、行為だけを単独で見るのではありません。行為の後に、介在事情が挟まっていれば、それとも比べます。前々回の鉄パイプの事案です。軽い打撲のはずのBが、医師の取り違えで禁忌薬を投与され、亡くなりました。あの投与が介在事情です。行為の寄与度と、介在事情の寄与度、どちらが結果に大きく効いたかを比べるんです。

綱引きのイメージで合っています。そして、行為のほうが——一定程度の重みをもって結果に寄与していたと言えれば、肯定します。「一定程度の重み」が曖昧だという点は、正直に認めなければなりません。これも、程度問題として残ります。ただ、前回の「相当」の曖昧さとは、質が変わっています。相当因果関係説の「相当」は、「ありうる」「異常でない」といえるか、という事前の予測でした。今回の寄与度は、実際にどれだけ効いたか、という、もっと事実に近い問いです。そして、この判例の立場には、もう1つ言い方があります。行為の危険性が、結果として現実化したといえるか——これを基準にしている、と言いかえることができます。

ただ、ここで1つ注意してほしいことがあります。「危険の現実化」という言葉が、先にあるわけではありません。先にあるのは、寄与度を比べるという手順です。「危険の現実化」は、その手順の結果を、後から言い表した標語にすぎません。標語だけを覚えると、答案で何を書けばいいか分からなくなります。書くべきは、寄与度の比較です。行為が結果に大きく効いた、ということは——その行為がもともと持っていた危険が、そのまま結果になった、ということだからです。しかも、この「危険」は、今日はじめて出てきた言葉ではありません。実行行為とは、法益侵害の現実的危険性を有する行為——前の章で渡した定義でしたね。

そのつながりで読んでください。

⭐ 論文で書く規範:判例の基本的立場 因果関係を認めるかどうかは、行為がどれだけ結果に効いたか(因果的寄与度)を、介在事情の寄与度と比べて判断する。行為の寄与が軽視できない重みを持つといえれば、因果関係を肯定してよい——これを言いかえると、「行為の危険性が結果として現実化したといえるか」となる (規範(集積型/個別の判断の積み重ねから読み取る))

「寄与度」が中身、「危険の現実化」が呼び名——このセットで持ち帰ってください。

相当因果関係説とは、敵対しない

相当因果関係説とは、敵対しない 図:相当因果関係説とは、敵対しない

ここで、1つ確認しておきたいことがあります。判例のこの物差しと、相当因果関係説は、敵対する関係ではありません。前々回に見た相当因果関係説は、条件関係に加えて、結果が起きるのは「ありうる」といえるか——相当性という絞りを求める説でしたね。前々回、鉄パイプの事案の最後にこう言ったのを、覚えていますか。「近時は、行為の危険性が結果として現実化したといえるかで判断する見解が、有力になっている」と。あのとき置いておいた一言を、ここで回収します。相当因果関係説の立場に立っても——相当性の有無を「危険性が現実化したか」で判断する見解が、実は有力なんです。

だから、この点については、判例と相当因果関係説は、実質的に異なりません。どこで対立しているのか——そこが、大事なところです。対立は「危険の現実化 対 相当因果関係説」ではありません。同じ物差しを、共有しながら使っている。争っているのは、別の場所です。今日は、その一歩先です。言い分が分かれる場所——争点そのものを、先に特定します。

折衷説との相違点は、2つだけ

折衷説との相違点は、2つだけ 図:折衷説との相違点は、2つだけ

では、争点を、具体的に見ていきましょう。判例と、前回学んだ折衷説には、相違点があります。折衷説は、そうやって材料を限定する説でした。判例は、そこが違います。判例は、材料を限定しません。行為時の事情も、行為後の事情も、あとから分かったどんな事情でも、材料として使えます。一般人が知っていたか、行為者が知っていたかは、問いません。それが1つ目の相違点です。相違点は、実はもう1つあります。折衷説は、行為の時点に立って、相当性を判断します。判断時点を、行為時に固定しているんです。判例は、そこも固定しません。判断時点を、行為時にしばりません。

これが、判例と折衷説の、最大の相違点です。実は、たった2つだけです。もっと根本的に違うはずだ——そう思う受験生が多いところです。ここは、正確に2つと覚えてください。実は、この2つは、1つの根から出ています。折衷説の問いを、もう一度見てみましょう。行為の時点に立って「そういう結果はありうるか」——これは事前の予測です。予測という問題を成り立たせるには、決めなければならないことが、2つあります。誰が予測するのか、そして、いつの時点の情報で予測するのか、です。天気予報と同じです。予測である以上、その2つを決めないと、そもそも問いが立ちません。だから、折衷説は、材料と時点を、両方しばらざるを得ないんです。

判例が見ているのは、実際にどれだけ効いたか、という事後の測定でした。測定するだけなら、誰の目で見るかも、いつ判明した情報かも、関係ありません。実際に効いた、という事実そのものを見ればいいからです。台風のあとに、壊れた家を調べる人を、思い浮かべてください。強い風がどれだけ効いたのか、もともとの造りがどれだけ効いたのか——それを、あとから測ります。その人は、台風の前に何を知っていたかを、問われません。あとから出てきた資料を使っても、かまいません。予報士と査定人、という対比がぴったりです。予報は事前の予測、査定は事後の測定——判例がやっているのは、査定のほうです。

材料も時点もしばる必要が消える——そう理解すると、筋が通ります。2つの相違点は、別々の2つの主張というより——「問いの立て方が、予測から測定に変わった」ということの、2つの現れだと言えそうです。1つの根から2つの枝、そのイメージで持ち帰ってください。後付けで判断していい、という意味ではありません。そこは、注意が必要です。測っているのは、あくまで、行為が持っていた危険性が、結果に現実化したかどうかです。結果が起きたという事実から、逆算して理由をこじつけるのではありません。使える情報が、行為のあとまで広がる、というだけです。判断の中身まで、都合よく作ってよいわけではありません。

前回学んだことが無駄になるわけでは、まったくありません。「材料の範囲」という発想自体は、ここでも生きています。例えば、答案でどちらの立場に立つか、という話にもつながります。原則としては、判例の立場のほうが書きやすいことが多いです。材料を限定しないので、拾える事実が多いからです。あてはめで使える材料が多いほど、答案は厚く書けます。ただし、例外もあります。行為時の特殊な事情だけが問題の事案では——折衷説のほうが、かえって書きやすいことがあります。もう1つ、注意点があります。不能犯の論点が、同じ答案で同時に出ることがあります。

そもそも結果が起きる危険が無かったのではないか——それが問題になる論点です。中身は、また別の回で扱いますが——不能犯では、基礎事情を限定する考え方が使われることが多いんです。その場合は、因果関係のほうも、基礎事情を限定する折衷説で書いておくほうが、筋が揃って安全です。結局のところ、どちらの立場でも書けるように準備しておけば、困りません。そのうえで、今日の結論を、もう一度置きます。判例と折衷説が違うのは、材料と時点の2つだけ——その2つは、問いが予測から測定に変わったことの、2つの現れです。そこが、今日いちばん持ち帰ってほしいところです。

今日はここまで——あてはめの手順は次回

判例の枠組みは揃った。次は、あてはめの手順へ 図:判例の枠組みは揃った。次は、あてはめの手順へ

では、今日の内容を、いったん、ここで区切ります。判例が何を見ているか——その物差しは、これで揃いました。その2つが、1つの根から出ていることも、いま確かめたとおりです。次は、この枠組みを、実際の事案にどう当てるのか——あてはめの手順を見る回です。今日そろえた道具を、次の回で、実際に使ってみましょう。

今日の地図(保存版)

今日、持ち帰るもの 図:今日、持ち帰るもの

今日の内容を、まとめます。判例は、理論的な立場を、直接には宣言していません。個別の判断の積み重ねから、基本的な立場が見えてきます。だから「…と読める」という言い方をします。行為の寄与度と、介在事情の寄与度を比べて——一定程度の重みで寄与していれば、肯定する。これを言いかえたのが、「危険の現実化」でした。材料を限定しないこと、判断時点を固定しないこと——この2つです。根っこは、問いが予測から測定に変わったこと、でした。

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#18単独ページ動画

因果関係のあてはめ

第3章 因果関係 ②/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

前回の道具を、実際に使ってみる

前回の道具——寄与度という物差し 図:前回の道具——寄与度という物差し

前回学んだ、寄与度という物差しを、今日は実際に使ってみましょうか?「危険の現実化」は、その言いかえでしたね。今日は、実際の事案に当てていきます。

あてはめ方——3つの事案を、判例の枠組みに置き直す

あてはめ方——3つの事案を置き直す 図:あてはめ方——3つの事案を置き直す

では、いよいよ本題です。判例の立場から、具体的にどう判断するのか、類型ごとに見ていきましょう。まず、行為時の事情だけが存在して、行為の後に何も起きていない場合です。この場合、生じた結果は、行為が持っていた危険性が、そのまま現実化したものと言えます。はい、因果関係は、肯定されます。次に、行為の後に、介在事情が挟まった場合です。この場合は、基本的に、介在事情の寄与度の大小で判断します。はい、ここ、主語を間違えやすいので、丁寧に言います。介在事情の寄与度が小さければ——なお、行為の危険性が現実化したと言えるので、肯定されます。

逆に、介在事情の寄与度が大きければ——行為の危険性が現実化したとは言えないので、原則として否定されます。そこ、とても間違えやすいところです。もう一度言います。介在事情の寄与度が大きい——だから、行為のほうの危険性が現実化したとは言えない。否定です。ただ、この「原則」には、例外があります。それは、あとで、事案を使って確かめましょう。まず、エレベーターの事案を、この枠組みで、もう一度見てみましょう。あの回で見た3つの学説では、Aが骨粗鬆症を知っていたかどうかで、結論が割れましたよね。では、判例の枠組みでは、どうなるでしょうか?

骨粗鬆症は、行為の時点で存在していた事情です。行為後の介在事情ではありません。判例の枠組みでは、これは、迷わず肯定されます。誰が知っていたか、という問いすら立ちません。はい、材料を限定しないことの意味が分かる瞬間です。骨粗鬆症は、当然に前提に入ります。次は、鉄パイプの事案です。これは、行為の後に、介在事情——医師の重大な過誤が挟まっています。寄与度は、大きいですか、小さいですか?カルテの取り違えで、本来と全く違う薬を投与された……これは、かなり大きく効いている気がします。介在事情の寄与度は、大きいと判断されます。だから——

Aの行為の危険性が、Bの死亡という結果に、現実化したとは言えません。Aには、殺意がありましたから——無罪ではありません。実行行為も故意もある、欠けるのは死亡結果とのつながりだけです。では、ここで、同じ舞台を、少しだけ動かしてみましょう。鉄パイプで殴りかかって、Bが、今度はもっと重い傷害を負ったとします。搬送先の病院では、標準的な治療が行われましたが、それでも、Bは亡くなってしまいました。はい、ミスはありません。ごく普通の治療です。この場合、介在事情——治療行為の寄与度は、大きいでしょうか、小さいでしょうか?

うーん……標準的な治療なら、特に大きな影響を与えたわけじゃないですよね。むしろ、重い傷害そのものが、死亡の主な原因な気がします。標準的な治療は、介在事情としての寄与度が、小さいと判断されます。因果関係は、肯定されます。Aの行為の危険性が、そのまま現実化したものと言えます。同じ舞台、同じ凶器、同じ殺意。傷害を重くしたのは、わざとです。行為そのものが死亡に効いた部分が大きくなれば、そのぶん、介在事情の寄与度は小さくなります。動かしたのは、結局、その一つの量だけ——それだけで、未遂と既遂が分かれます。

資材置き場の事案——原則の例外を確かめる

資材置き場の事案 図:資材置き場の事案

最後に、原則の例外を、確かめましょう。Aが、資材置き場で、殺意をもって、鉄パイプでBを殴りかかり、昏倒させました。Aは、Bが動かなくなったのを見て、犯行が発覚することを恐れました。そして、Bを、置き場の奥の資材の陰まで運んで、そのまま放置して立ち去りました。冬の夜、屋外の低い気温にさらされ続けたBは、低体温症で死亡しました。介在事情は、Aが自分で行った、運搬と放置という後の行動です。低体温症という死因は、殴打そのものではなく、その後の放置から生じています。はい、介在事情の寄与度は大きいです。原則どおりなら、因果関係は否定されるはずです。

ここで、考えてみてください。人を昏倒させた者が、発覚を恐れて、被害者を人目につかない場所へ移して立ち去る。これは、珍しいことでしょうか。いえ……正直、よくある展開だと思います。しばしば起きることなんです。だとすれば、Aの殴打という行為の中には——その後の放置を経由して——Bを死なせてしまう危険性が、もともと含まれていた、と評価できます。この「しばしば起きる」という結びつきを、行為と介在事情の間の関連性、と呼びます。だから、例外的に、因果関係は肯定されます。Aには殺意がありましたから——行為から死因までの間に、Aの後行行為が挟まっていても——それが行為の危険性の”経由地”にすぎないなら、つながりは切れません。

放置したこと自体が別の罪にならないか、というのは良い疑問です。人を放置する行為そのものの責任は、別の論点です。今日は、因果関係だけを見ます。では、ここまでの4つを、まとめておきましょう。行為時の事情だけのエレベーターの事案は、肯定。行為後に医師の過誤が挟まった鉄パイプの事案は、原則どおり否定。標準的な治療に変えた変奏は、肯定。資材置き場で、自分の放置が挟まった事案は、例外的に肯定。はい、介在事情の寄与度と、行為との関連性——つまり、その介在事情が起きるのが珍しくないかどうか。この2つを見れば、機械的に暗記しなくても、その場で判断できます。

「死因を作ったのはどの行為か」

「死因を作ったのはどの行為か」 図:「死因を作ったのはどの行為か」

ここで、寄与度の大小を、もっと現場で使いやすい形に、翻訳しておきましょう。「寄与度が大きいか小さいか」は、抽象的で、そのままだと当てるのが難しいですよね。そこで、実務でよく使われる問いがあります。被害者が死亡した事案では——当該行為によって、死因が形成されたかどうか、がしばしばポイントになります。鉄パイプの事案で、確かめてみましょう。Bの死因は、何でしたか。禁忌薬の投与……つまり、医師のミスです。死因を作ったのは、Aの打撲ではなく、医師の投与行為です。だから、Aの行為の危険性は死亡に現実化していない——否定、という結論に、すぐたどり着けます。

はい、この問い、持ち帰ってください。ただし、1つ、大事な限定があります。この問いが使えるのは、被害者が死亡した事案に限られます。傷害や、それ以外の結果には広げて使わないでください。死因、という言葉自体が、死亡を前提にした言葉だからです。骨折や財産的な損害には、死因という物差しが当てはまりません。では、死亡以外の事案では、何を見ればいいのか。そういう事案では、元の物差しに戻ります。結果を主に作ったのは、行為の側なのか、介在事情の側なのか。そこを比べて、介在事情の寄与度が大きいか小さいかを決める。出発点は、いつもこちらです。それから、もう1つ。さっきの、資材置き場の事案を、思い出してください。

あの事案の死因は、何でしたか。はい、低体温症でしたね。死因だけを見れば、Aの殴打は、直接の死因を作っていません。それでも、結論は、肯定でした。死因を作った行為かという問いと、さっきの結論は、矛盾しません。「死因の問い」は、原則を素早く判断するための、入口です。でも、例外まで、消してしまうわけではありません。死因の問いで「否定に傾きそうだ」と分かったら、そこで——行為と介在事情の間に、関連性があるかどうかを、もう一段、確認する。この手順を、忘れないでください。

見取り図で、全体を一枚に

見取り図——判断の分岐 図:見取り図——判断の分岐

では、ここまでの判断の流れを、1枚の見取り図にまとめておきます。まず、行為の後に、介在事情はあるか。無ければ——肯定です。あるなら、次に、その介在事情の寄与度は、大きいか小さいか。小さければ——肯定。大きければ——原則、否定。ただし、行為と介在事情の間に関連性があり——行為に経由する危険性が含まれていたなら——例外的に、肯定。介在事情が無ければ寄与度を比べる相手がいないので、有無を先に問うんです。この分岐を、頭の中で、その場で作れるようになれば、暗記に頼らずに済みます。

送り——次は、実際の判例へ

枠組みも、あてはめの手順も揃った。次は、実際の判例へ 図:枠組みも、あてはめの手順も揃った。次は、実際の判例へ

では、今日の内容を、閉じていきましょう。介在事情があるかどうか、あるなら寄与度の大小、そして例外——この手順で、あてはめができるようになりました。枠組みも、あてはめの手順も、これで揃いました。次は、実際の判例がこれをどう当てているのかを読んでいきます。今日の手順は、判例の積み重ねを言葉にしたものだからです。実物に当てて、線引きが分かります。今日学んだ、寄与度と、死因の問いを持って、実際の事案を読み解いていきましょう。

今日の地図(保存版)

今日、持ち帰るもの 図:今日、持ち帰るもの

今日の内容を、まとめます。あてはめの手順は、3つのステップでした。まず、行為時の事情のみか、行為後に介在事情があるか。介在事情があるなら、その寄与度の大小——小さければ肯定、大きければ原則、否定。ただし、行為と介在事情の間に関連性があり、その介在事情を経由する危険性が行為に含まれていれば、例外的に肯定します。そして、死亡事案では、「死因を作ったのはどの行為か」が、判断の近道になります。次は、この手順を使って、実際の判例を読んでいきます。

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#19単独ページ動画

因果関係の重要判例

第3章 因果関係 ③/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

前回の道具を、1枚で受ける

前回の道具——あてはめの手順と、死因の問い 図:前回の道具——あてはめの手順と、死因の問い

前回の道具を、今日は判例に当てて確かめてみましょうか?今日は、具体的に、有名な事件を3つ、扱います。なぜこの3つを選んだかというと、今日の道具が、実際にどう動くかを——一番はっきり確かめられる事件だからです。この3つのうち、実は1つだけ、結論が違います。因果関係が、否定された事件です。ただ、実際の判例で、因果関係が否定されたものは、ほとんどありません。まずは、その珍しい否定の事件から見ていきましょう。

米兵ひき逃げ事件——唯一の否定例を、先に見る

米兵ひき逃げ事件——2つの経路、どちらが死因を作ったか 図:米兵ひき逃げ事件——2つの経路、どちらが死因を作ったか

被告人が、自動車を運転していました。過失で、Bさんを跳ね飛ばしてしまいます。はい、わざとではありません。Bさんは、車の屋根に跳ね上げられて、意識を失いました。被告人は、それに気づかず、そのまま運転を続けました。そこに気づいたのが、同乗していた人です。同乗者は、走行中の車の屋根の上から、Bさんの体を引きずり降ろしました。Bさんは、車体にぶつかったり、道路や道路上の物に衝突したりして、多数の打撲傷を負いました。そして、頭部の打撲がもとになった、脳の出血で、亡くなりました。ここで、前回の道具を使ってみましょう。死因を作ったのは、どちらの行為でしょうか?

実は、そこが、この事件のいちばんの急所なんです。頭部の打撲が、被告人の車との衝突で生じたのか、それとも——同乗者が引きずり降ろした際に生じたのか、記録を見ても確定できなかったんです。死因を作ったのがどちらか分からないまま、答えを出さないといけない——それが、今日の1件目の特殊さです。実は、異常性の高さそのものが、決め手ではないんです。決め手は、死因の所在が確定できなかったこと、その一点です。判例が、実際にどう言っているか、見てみましょう。

判例最決昭和42年10月24日(刑集21巻8号1116頁)

米兵ひき逃げ事件 同乗者が進行中の自動車の屋根の上から被害者をさかさまに引きずり降ろし、アスフアルト舖装道路上に転落させるというがごときことは、経験上、普通、予想しえられるところではなく、 ことに、本件においては、被害者の死因となつた頭部の傷害が最初の被告人の自動車との衝突の際に生じたものか、同乗者が被害者を自動車の屋根から引きずり降ろし路上に転落させた際に生じたものか確定しがたいというのであつて、このような場合に被告人の前記過失行為から被害者の前記死の結果の発生することが、われわれの経験則上当然予想しえられるところであるとは到底いえない。

引きずり降ろすという行動は、普通、予想できることではない、と言っています。そのうえで、死因となった頭部の傷害が、衝突で生じたのか、引きずり降ろしで生じたのか——確定しがたい、と続きます。この場合に、被告人の過失行為から、死の結果が生じることが——経験則上、当然予想できるとは、到底言えない、としています。そこは、鋭いところです。ただ、この一文だけ読むと、誤解しやすいんです。刑事裁判では、被告人に有利なほうを前提にします。だから、こう考えていきます。仮に、同乗者が引きずり降ろして死因が生じた、という経過を前提にすると——死因を作ったのは、被告人の衝突ではなく、同乗者の行動になります。

だから、被告人の行為の危険性が、死亡という結果に現実化した、とは言えません。「引きずり降ろしが異常だから」ではなく——「死因の所在が被告人の行為にあると言い切れないから」です。これが、この事件の否定の理由です。もう一つ、覚えておいてほしい事実があります。大審院からこれまでの最高裁まで、最上級審の判例で——因果関係が否定されたのは、実はこの事件だけなんです。だからこそ、「なぜこの事件だけ否定されたのか」を、正確に理解することが大切です。

大阪南港事件——死因の所在で読む

大阪南港事件——死因を作ったのはどちらの暴行か 図:大阪南港事件——死因を作ったのはどちらの暴行か

2つ目は、大阪南港事件です。被告人が、Bさんの頭部などを、何度も殴打しました。Bさんは、脳出血を起こして、意識を失います。被告人は、Bさんを車に乗せ、暴行のあった場所から遠く離れた、建材会社の資材置き場まで運びました。前回の設例と、同じ資材置き場です。舞台がそっくりなので、後で正面から比べます。まずは、この事件の事実だけを、先に追いましょう。被告人は、Bさんを放置して、立ち去りました。そして、Bさんは、脳出血によって、亡くなりました。ただ、Bさんが亡くなるまでの間に、もう一つ、出来事がありました。Bさんが生きている間に、何者かが、角材で、Bさんの頭頂部を、数回殴打したんです。

この第三者の暴行によって、Bさんの死期は、幾分か早まりました。そこが、今日、いちばん確かめてほしいところです。判例の判断を、見てみましょう。

判例最高裁判所第三小法廷決定・平成2年11月20日

大阪南港事件 犯人の暴行により被害者の死因となった傷害が形成された場合には、仮にその後第三者により加えられた暴行によって死期が早められたとしても、 犯人の暴行と被害者の死亡との間の因果関係を肯定することができ、本件において傷害致死罪の成立を認めた原判断は、正当である。

犯人の暴行によって、被害者の死因となった傷害が、すでに形成されていた場合には——その後、第三者が暴行を加えて、死期が早まったとしても、因果関係は肯定できる、としています。ここで、死因の中身を、正確に確認しておきます。実は、そこが、誤解しやすいところなんです。この事件の死因は、内因性の、高血圧性橋脳出血です。恐怖や心理的な圧迫によって、血圧が上がり——脳の中で出血が起きた、という経過です。殴打という暴行がきっかけになって——被害者自身の血圧が、脳出血を引き起こした、そう理解してください。では、死因の所在で、整理しましょう。死因を作ったのは、被告人の暴行です。第三者の角材による暴行は、その後に加わって、死期を幾分早めただけ——つまり——行為のあとに起きる事情、この章で介在事情と呼んだものですね。その介在事情の寄与度は、小さいと評価されます。

結論は、原則どおり、因果関係の肯定です。前回の「原則、否定」は、寄与度が大きいときの話です。南港は小さい側なので、そこに進む前に、肯定で決まります。傷害致死罪です。殺す意図までは認めず、暴行の結果、死なせてしまった罪、という扱いです。

資材置き場の弁別——舞台は同じでも、構造は逆

大阪南港と、前回の資材置き場設例——4つの違い 図:大阪南港と、前回の資材置き場設例——4つの違い

さっき、資材置き場という言葉が、前回の設例と同じだと気づきましたよね。ここで、正面から比べてみましょう。表を開く前に、1つだけ考えてみてください。この2つ、死因を作ったのは、それぞれ誰の行為でしょうか。そこが分かれ目です。では、表で、4つとも確かめましょう。まず、介在事情の主体です。南港は、第三者——何者かが、角材で殴りました。前回の設例は、行為者自身です。本人が、自分でBさんを運んで、放置しました。次に、死因を作ったのはどちらか。南港は、被告人の暴行——内因性の脳出血でした。前回の設例は、行為者自身の後の行動——放置による低体温症です。

3つ目は、介在事情の寄与度。南港は、小さい——死期を幾分早めただけでした。前回の設例は、大きい——低体温症という死因そのものを、作ってしまっています。そして、結論です。南港は、寄与度が小さいので、原則どおり、肯定。前回の設例は、寄与度は大きいのに、例外で、肯定でした。同じ「肯定」でも、たどっている理屈は、まったく別です。なぜなら、南港は原則の型で、前回の設例は例外の型だからです。舞台の共通点に引っ張られず——死因の所在と、介在事情の寄与度を、そのつど自分で当てる。それが、今日いちばん伝えたいことの一つです。

トランク事件——経由地としての介在事情

トランク事件——直接の死因が第三者でも肯定される 図:トランク事件——直接の死因が第三者でも肯定される

3つ目は、トランク事件です。ここまでの2件は、死因を作ったのが誰か、という問いだけで決まりました。この事件は、死因を直接作ったのが、被告人ではありません。それでも肯定される型です。被告人が、Bさんを、自動車後部のトランクの中に、押し込みました。トランクカバーを閉めて、車は発進します。そして、知人と合流するために、道路上で停車しました。車道の幅がおよそ7.5メートル、片側1車線の、見通しの良い、ほぼ直線の道路です。停車してから数分後、後方を走っていた車が——前方をよく見ていなくて、ほとんど真後ろから、トランクに追突しました。

トランクの中央部分が、へこむほどの衝撃でした。Bさんは、頸髄を損傷し、まもなく亡くなりました。直接の死因は、その第三者の、過失行為です。そこを、判例がどう判断したか、見てみましょう。

判例最高裁判所第一小法廷決定・平成18年3月27日(事件番号 平成17年(あ)第2091号)

トランク事件 被害者の死亡原因が直接的には追突事故を起こした第三者の甚だしい過失行為にあるとしても、 道路上で停車中の普通乗用自動車後部のトランク内に被害者を監禁した本件監禁行為と被害者の死亡との間の因果関係を肯定することができる。

直接には、第三者の甚だしい過失行為に、死亡の原因があるとしても——道路上で停車中の車の後部トランクに、被害者を監禁した行為と——死亡との間の因果関係は、肯定できる、としています。ここで、決め手になった2つの要素を、確認しましょう。1つ目は、自動車が後ろから追突される、という事態です。しばしば起きることです。2つ目は、トランクという場所そのものです。座席のように、シートやシートベルトに守られる場所ではなく——後ろから衝撃を受けたときに、身を守るものが何もない空間です。人を、守りのないトランクに押し込む行為には——「後ろから衝突されて、死傷結果が起きる」という危険が、もともと含まれていた、と評価できます。

だから、追突という第三者の行為は——被告人の行為が持っていた危険性の、“経由地”にすぎません。直接手を下したのが誰かではなく——その行為のなかに、もともとどんな危険が含まれていたか。同じ物差しが、ここでも使われています。逮捕監禁致死罪です。閉じ込める行為そのものが、死亡という重い結果を、引き起こしています。

決め手は2つに畳める

決め手は2つ 図:決め手は2つ

では、3つの事件を、まとめましょう。実は、たった2つの問いで、全部読み切れます。1つ目は、死因を形成したのは、誰の行為か。2つ目は、その介在事情を経由する危険性が、行為に含まれていたか。そして、この2つには、順番があります。必ず、1つ目から問います。死因を作ったのが行為者だとはっきりすれば、そこで肯定。死因の所在そのものが確定できなければ、2つ目に進む前に、止まります。2つ目を問うのは、死因を直接作ったのが他人だったとき——それが行為の危険の延長線上にあるか、を確かめる段です。

3つの事件を、2つの決め手で並べる 図:3つの事件を、2つの決め手で並べる

米兵ひき逃げ事件は、死因を形成したのが、どちらの行為か、確定できませんでした。だから、経由する危険があったかどうかも、判断できません。結論は、否定です。大阪南港事件は、死因を形成したのは、被告人の暴行です。第三者の暴行は、寄与度が小さいので、経由する危険の話にすら、なりません。結論は、肯定です。トランク事件は、直接には第三者の過失ですが、行為の危険性の延長線上にあります。追突はしばしば起きる事態で、トランクは守りのない場所——経由する危険が、あったと言えます。結論は、肯定です。判例が個別に述べていることを、1つの物差しに、まとめ直しただけです。

手順は、そのまま使います。介在事情の有無と、寄与度の大小は——1つ目の問い、「死因を形成したのは誰の行為か」に、畳まれています。例外の「経由する危険性」が、2つ目の問いです。手順を捨てたわけではありません。この2つを持ち帰れば、初めて見る事件でも、自分で結論を、組み立てられます。

否定されたら何が残るか——場合を分ける

否定されたら何が残るか——故意犯と過失犯で分ける 図:否定されたら何が残るか——故意犯と過失犯で分ける

前回、因果関係が否定されても、無罪にはならない、と学びました。実行行為は、前の章で「法益侵害の現実的危険性を有する行為」と定義しましたね。法益とは、法が守る利益です。その行為はもう終わっている——だから、未遂が残ります。ただ、これは、故意犯の場合に限られる話なんです。米兵ひき逃げ事件は、故意犯ではありません。過失犯として、起訴された事件です。過失犯に、未遂はありません。未遂は、犯罪を実現しようとして遂げなかった場合の話——つまり、故意犯だけの概念です。では、因果関係が否定された結果、この事件では、何が残ったんでしょうか。

被告人は、道路交通法違反——救護義務違反など——と、業務上過失致死として、起訴されていました。ただ、因果関係が否定されたので——死亡という結果への責任は、問えなくなりました。傷害を負わせたことについての、過失責任は、残ります。だから、最高裁は、被告人の刑事責任は業務上過失傷害にとどまる、と言っています。そこは違います。最高裁は、量刑は不当ではないとして——原判決を破棄せず、上告を棄却しました。因果関係の判断が変わっても、刑が動くとは限らない——そこは分けて見てください。故意犯なら、実行行為も故意も残るので、未遂。過失犯なら、死亡という重い結果への責任が落ちて、より軽い結果への責任だけが残る。

「否定されたら、その先どうなるか」まで、セットで押さえておいてください。

今日の地図(保存版)

今日、持ち帰るもの 図:今日、持ち帰るもの

今日の内容を、まとめます。米兵ひき逃げ事件は、死因の所在が確定できず、否定。大阪南港事件は、死因は被告人の暴行にあり、肯定。トランク事件は、直接の死因は第三者でも、経由する危険があり、肯定。死因を形成したのは誰の行為か。介在事情を経由する危険性が、行為に含まれていたか。この2つを、持ち帰ってください。舞台の見た目に引っ張られず、そのつど自分で当てる。それが、今日の到達点です。次は、この判例たちを型で整理して、どの型が当たるかを、選べるようにします。

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#20単独ページ動画

因果関係の判例4類型

第3章 因果関係 ③/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

前回の2つの決め手を、1枚で受ける

前回の2つの決め手——今日は、これを型に仕分ける 図:前回の2つの決め手——今日は、これを型に仕分ける

前回の2つの決め手、覚えていますか?死因を作ったのは誰か、というのと……その先の危険性が、行為の中にあったか、でしたっけ。1つ目は、死因を形成したのは誰の行為か。答案に書くときは、形成した、を使ってください。2つ目は、その介在事情を経由する危険性が、行為に含まれていたか。その2つで、3つの事件、全部説明できましたね。今日は、その道具を使う準備をします。判例を、4つの型に、仕分けていきましょう。初めて見る事件でも、どの型かが分かれば、決め手にすぐ届きます。型は、「行為のあとに、誰の何が挟まったか」で分かれているからです。たとえば、被害者に持病があっただけの事案なら、挟まった行動はありません。そのときは、1つ目の決め手だけで決まる——と、見る前から分かります。

だから型は、答えではなく、探す場所の目印になります。

4つの型の地図——判例を仕分ける引き出し

4つの型の地図——判例を仕分ける引き出し 図:4つの型の地図——判例を仕分ける引き出し

判例を仕分ける、4つの型を確認しましょう。この4つは、私が作った言葉ではありません。教科書が、そのまま使っている言葉です。①被害者の特異体質・隠れた病変が存在する場合。骨粗鬆症の事案が、これでした。②被害者の行為が介在する場合。この型には、代表的な判例が複数あります。柔道整復師の事件や、治療ミスの事件も、ここに入ります。治療する側の話に見えても、②に入ります。治療の事件がなぜ②なのかは、あとで似た設例で確かめましょう。この型のいちばん分かりやすい形は——暴行から逃げようとした被害者が、自分で危険な場所に入ってしまう場合です。③行為者の事後行為が介在する場合。

資材置き場の設例が、これでした。④第三者の行為が介在する場合。前回見た、大阪南港事件と、米兵ひき逃げ事件が、ここに入ります。ただし、米兵ひき逃げ事件だけは、④の中で唯一の否定例です。④に挙がる判例のうち、否定は米兵ひき逃げ事件だけです。実は、面白いところなんです。トランク事件は、この一覧に、一度も出てきません。②③④のどこにも、名前が挙がっていません。分類はできます。ただし、自分で位置づける前提です。直接手を下したのは、追突した第三者でしたよね。だから、④に置くのが自然だと、私は考えます。型を自分で選べるようになることが、今日の目標の一つです。では、②の型を、実際の判例で確かめましょう。

ただし、④ではなく、②の実物です。被害者の行為が介在する型を、いちばんはっきり教えてくれます。

高速道路侵入事件——②の物差しを実物で確かめる

高速道路侵入事件——暴行から高速道路への進入まで 図:高速道路侵入事件——暴行から高速道路への進入まで

では、②の実物です。事案から見ていきましょう。被告人4名が、他の2名と共謀して、暴行を加えました。公園で、深夜、約2時間10分。間断なく、激しい暴行を、繰り返しました。そのあと、マンションの居室で、約45分間。断続的に、同じような暴行を、続けています。被害者は、すきをみて、逃げ出しました。靴下を履いたまま、部屋から逃走したんです。被告人らに、極度の恐怖を抱いていました。逃げ出してから、約10分後——追跡から逃れるため、高速道路に進入しました。マンションから、約763メートルないし——約810メートル、離れた場所です。そこを、疾走してきた自動車に、衝突されました。

後続の自動車にも、ひかれて、亡くなりました。ここで、1つ目の決め手を、聞きます。直接、被害者を死なせたのは、追突した車ですよね。では、死因を形成したのは、誰の行為でしょうか。死因を直接作ったのは、運転者——つまり他人の行為です。死因を作ったのが行為者なら、そこで肯定——でも、ここはそうではありません。だから、1つ目では決まりません。死因を直接作ったのが他人のときは、2つ目の決め手に進みます。被害者が高速道路に入ったのは、逃げるためでした。その行動が、暴行の危険の延長線上にあるか——2つ目の決め手で見ます。判旨を、見てみましょう。

判例最高裁判所第二小法廷決定・平成15年7月16日(刑集57巻7号950頁)

高速道路侵入事件 以上の事実関係の下においては,被害者が逃走しようとして高速道路に進入したことは,それ自体極めて危険な行為であるというほかないが,被害者は,被告人らから長時間激しくかつ執ような暴行を受け,被告人らに対し極度の恐怖感を抱き,必死に逃走を図る過程で,とっさにそのような行動を選択したものと認められ,その行動が,被告人らの暴行から逃れる方法として,著しく不自然,不相当であったとはいえない。 そうすると,被害者が高速道路に進入して死亡したのは,被告人らの暴行に起因するものと評価することができるから,被告人らの暴行と被害者の死亡との間の因果関係を肯定した原判決は,正当として是認することができる。

高速道路への進入は、それ自体、極めて危険な行為だとしています。ただ、そのうえで、長時間、激しい暴行を受けたとも言っています。極度の恐怖の中、必死に逃げる過程で、とっさに選んだ行動だ、と、そして、暴行から逃れる方法として、著しく不自然、不相当ではない。前回の3つの事件では、出てこなかった言い方です。2つ目の決め手を、被害者の行動というかたちで問うときの、言い方です。逆に、逃げ方が著しく不自然、不相当だったときは、結論は逆になります。結論として、被害者の死亡は、被告人らの暴行に起因する、とされました。

傷害致死罪です。暴行の結果、死なせてしまった罪、という扱いです。この言い方を、次のセクションで、他の型とも比べましょう。

型は答えではない——結論は2つの決め手に戻る

型は答えではない——決め手②は形を変えて同じ問いをする 図:型は答えではない——決め手②は形を変えて同じ問いをする

ここまでで、②の実物を確かめました。今日、いちばん伝えたいことを、話します。4つの型は、答えを教えてくれるものではありません。そこが、誤解しやすいところです。型は、どこを見ればいいかを教える、引き出しのラベルです。結論を決めるのは、いつも、2つの決め手です。2つ目の決め手の、聞き方が、型によって変わるからです。中身は同じでも、聞き方が違います。例えば、③の型——資材置き場の設例でしたね。2つ目の決め手を、どう問いましたか。「発覚を恐れて運んで放置するのは、しばしば起きることか」です。「発覚を恐れて運んで放置するのは——」「しばしば起きることか」でしたね。では、④の型——南港やトランクでは、どうでしたか。

「追突される、さらに暴行を加えられるのは、しばしば生じる事態か」でした。「追突される、さらに暴行を加えられるのは——」「しばしば生じる事態か」でしたね。ここで1つ、大事なことがあります。③と④は、聞く形が同じです。変わるのは、当てはめる事実——行為者自身の行動か、第三者の行動か、だけです。では、②の型では、同じ問いを、どう言い換えられますか。今日見た、判旨の言葉を、思い出してください。「被害者の行動が、行為から逃れる方法として——」「著しく不自然・不相当であったとはいえないか」。それが、②の型での、2つ目の決め手です。

どちらも、介在事情が、行為の延長線上にあるかを、問うています。①は、2つ目の決め手を、そもそも問いません。行為の後に、何も介在していないからです。1つ目の決め手だけで、肯定に決まります。2つ目に進んだときは、前回の手順どおり、原則は否定です。2つ目を満たせば、例外的に肯定になります。では、いくつかの事例で、練習してみましょう。

混合ミニ事例で選ばせる

混合ミニ事例——8問、型を混ぜて出す 図:混合ミニ事例——8問、型を混ぜて出す

では、8問の、混合ミニ事例です。既出の4問と、初めて見る自前の設例4問を、混ぜて出します。答えるのは、2つです。どの型か。そして、1つ目と2つ目、どちらの決め手で決まるか。目的は、正解の数ではありません。迷ったときに、2つの決め手に戻る——その姿勢が、大事です。Q1です。エレベーターで、AがBさんの肩を軽く小突きました。Bさんは骨粗鬆症で、骨折し、亡くなりました。①特異体質・隠れた病変が存在する場合です。決め手は、どちらで決まりますか。行為の後に、何も介在していないから、1つ目の決め手だけです。骨粗鬆症は、行為の時点で、すでにあった事情です。誰が知っていたかも、関係ありません。結論は、肯定です。Q2です。Aが殺意で、鉄パイプでBさんを殴りました。傷は、軽い打撲で済みました。ところが、夜間救急でカルテを取り違えられ、禁忌薬を投与されました。Bさんは、それで亡くなりました。

④第三者の行為が介在する場合です。決め手は。死因を作ったのは、医師の投薬です。寄与度も、大きいですね。前回の物差しです。介在事情が、結果にどれだけ効いたか、を見ます。では、カルテを取り違えて禁忌薬を投与されることは、しばしば起きる事態でしょうか。病院で薬を取り違えるなんて……しばしば起きるとは、言えない気がします。経由する危険は、行為に含まれていません。原則どおり、否定です。Aは、殺人未遂にとどまります。Q3です。これは、初めて見る設例です。Aの暴行で負傷したBさんが、病院に行きませんでした。無資格の民間療法師に、通い続けたんです。施術の影響もあって、Bさんは、亡くなりました。

そう見えますよね。ただ、よく考えてほしいんです。手を下したのは、たしかに療法師です。でも、評価すべき介在行為は、何でしょうか。型は、挟まった行動が誰のものかで決まります。施術は、その選択の先に起きています。実は、評価されるのは、「誰に治療してもらうか」を選んだ行動です。それは、被害者自身の行動です。だから、②被害者の行為が介在する場合、になります。治療の中身を評価するなら、③④です。でも、通院先を選んだ行動を評価するなら、②になります。この問題は、型を見極めるところまでが、到達点です。決め手のあてはめは、判例の中身に踏み込む話になるので、ここでは置いておきます。Q4です。Aの暴行で、Bさんが倒れました。そこに、通りすがりの、見ず知らずのCが通りかかりました。Cは、悪ふざけで、Bさんを蹴り上げ、道路に転がしました。そこを、通行中の車にはねられ、Bさんは亡くなりました。

④第三者の行為が介在する場合です。決め手は。死因を作ったのは、Cの行為です。経由する危険は、あったと言えるでしょうか。見ず知らずの人が、通りすがりに暴行するのって……そんなに、しばしば起きることじゃない気がします。関連性は、弱いと言わざるを得ません。原則どおり、否定に傾く方向で、考えられます。同じ④でも、しばしば生じる事態かどうかで、結論が変わります。Q5です。Aが殺意で、鉄パイプでBさんを殴打しました。Bさんは、昏倒しました。発覚を恐れたAは、Bさんを資材の陰まで運び、放置しました。冬の夜、屋外にさらされたBさんは、低体温症で亡くなりました。

③行為者の事後行為が介在する場合です。決め手は。死因は、Aの放置です。経由する危険は、あったと言えます。例外的に、肯定です。Aは、殺人罪の既遂になります。Q6です。強盗目的で、Bさんを昏倒させたAがいます。発覚を恐れたAは、今度は、資材の陰ではありません。増水した川に、Bさんを投げ込んで、逃走しました。Bさんは、溺死しました。はい、Q5と、同じ③行為者の事後行為が介在する型です。決め手は。死因は、Aが投げ込んだことです。しばしば起きることと言えますか。Q5と、比べてみてください。Q5より、行為との関連性は、弱いと言えます。原則どおり、否定に傾く方向で、考えられます。

関連性の強さで、結論は、変わります。Q7です。Aの暴行で、Bさんが転倒しました。実は、Bさんは血友病で、出血が止まりませんでした。そのまま、亡くなりました。①特異体質・隠れた病変が存在する場合です。決め手は。結論は、肯定です。最後、Q8です。大阪南港事件です。被告人が暴行を加え、資材置き場に放置しました。生きている間に、何者かが角材で頭部を殴打しました。Bさんは、脳出血で亡くなりました。④第三者の行為が介在する場合です。決め手は。死因は、被告人の暴行です。第三者の暴行は、寄与度が小さいんです。2つ目の決め手の話にすら、なりません。結論は、肯定です。

Q5とQ8は舞台が同じでも、型も決め手も逆——前回、その2つを1枚で比べました。型は、舞台では決まりません。大事なのは、型を当てることより——その中で、決め手を、自分で使えることです。

混合ミニ事例——答え合わせ 図:混合ミニ事例——答え合わせ

では、8問を、1枚にまとめておきます。型が同じでも、結論が割れることがある。それが、今日、いちばん体感してほしかったことです。

あてはめフレーズ集

あてはめフレーズ集——答案でそのまま使える言い方 図:あてはめフレーズ集——答案でそのまま使える言い方

締めくくりに、答案でそのまま使える言い方をまとめます。まず、1つ目の決め手を立てるとき。「死因を形成したのは、〜の行為である」。死亡以外の結果なら、寄与度の大小に戻ります。次に、2つ目の決め手で肯定する場合です。行為者自身や、第三者の、事後の行動が介在する型です。「〜という事態は、しばしば起きることであり——」「その介在事情を経由する危険性が、行為に含まれていた」。次は、被害者自身の行動が介在する型です。今日の②の実物、高速道路侵入事件で使った言い方です。「被害者の行動は、〜から逃れる方法として——」「著しく不自然、不相当であったとはいえない」。

最後に、2つ目の決め手で否定する場合です。「経験則上、当然予想しえられるところであるとは——」「到底いえない」。この4つを、持ち帰ってください。初めて見る事件でも、答案の骨格を、自分で組み立てられます。

第3章の1枚地図で閉じる

第3章 因果関係——ここまでの1本の流れ 図:第3章 因果関係——ここまでの1本の流れ

では、この章の全体を、1本の流れで振り返りましょう。まず、条件関係——あれなければこれなし、という出発点でした。そこから、条件関係だけでは足りない、という批判が出ました。そのうえで、相当性を判断する材料をめぐって、3つの説が対立しました。主観説・客観説・折衷説の3つです。そして、判例の立場は、危険の現実化です。あてはめの手順として、寄与度という物差しを持ちました。そして今日、その判例たちを、4つの型に仕分けました。新しい枠組みは、1つも増えていません。これまでの道具を、仕分けて、検索しやすくしただけです。

今日の地図(保存版)

今日、持ち帰るもの 図:今日、持ち帰るもの

今日の内容を、まとめます。判例を仕分ける、4つの型でした。①特異体質・隠れた病変、②被害者の行為が介在。③行為者の事後行為が介在、④第三者の行為が介在。そして、②の実物として、高速道路侵入事件を読みました。そして、いちばん伝えたかったことです。型は答えではなく、結論は、いつも2つの決め手に戻ります。死因を形成したのは誰の行為か。経由する危険が、行為に含まれていたか。8問の演習で、実際に、選ぶ練習もしました。最後に、答案でそのまま使える、フレーズ集も持ち帰りました。はい、これで、因果関係の話は、終わりです。次は、第4章、故意と錯誤に進みます。

認識とのズレは、因果関係の錯誤という論点として、次の章で扱います。

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第4章故意と錯誤

#21単独ページ動画

故意とは何か

第4章 故意と錯誤 ①/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

前回の想起と、今日の問い

前回の2つの決め手——今日から、章が変わります 図:前回の2つの決め手——今日から、章が変わります

前回、因果関係の章の最後に学んだことを、覚えていますか?1つは、死因を形成したのは誰の行為か。もう1つは、その介在事情を経由する危険性が、行為に含まれていたか。因果関係は、行為と結果の”外側”の関係を見る道具でした。今日から始まる第4章は、行為者の”内側”を見ていきます。頭の中で、何を分かっていたか——そこを見ていくのが、故意と錯誤の章です。今日の問いを、先に置いておきます。人が一人死んでいるのは同じなのに——なぜ、罰金五十万円で済む場合と、死刑まである場合とに、分かれるのでしょうか。この違いの正体を、今日、一緒に見ていきます。先に、答えの在りかだけ言っておきます。違いは、結果の側ではなく、行為者の頭の中にあります。今日は、条文の骨格を確認し、その頭の中を言葉にして、最後に、3つの説を実際の場面に当てはめます。

38条1項を読む——原則と例外の条文構造

今日、開く3つの条文 図:今日、開く3つの条文

今日は、条文を3つ、開いていきます。この3つが、今日の落差を作る条文です。まず、1つ目——刑法38条です。この条文は、犯罪の分類を扱った回で一度開いています。そのときは、故意犯が原則、過失犯が例外、という配置だけを確認しました。今日は、その本文にある「罪を犯す意思」そのものを、正面から見ます。ここに、故意とは何かの、いちばんの土台があります。

条文刑法38条

刑法38条(故意) 罪を犯す意思がない行為は、罰しない。ただし、法律に特別の規定がある場合は、この限りでない。 2 重い罪に当たるべき行為をしたのに、行為の時にその重い罪に当たることとなる事実を知らなかった者は、その重い罪によって処断することはできない。 3 法律を知らなかったとしても、そのことによって、罪を犯す意思がなかったとすることはできない。ただし、情状により、その刑を減軽することができる。

今日、じっくり読むのは、1項だけです。2項・3項は、名前だけ、先に見ておきます。「罪を犯す意思がない行為は、罰しない」。ここまでが、本文です。故意が無ければ、原則として、犯罪は成立しません。続きを、見てください。「ただし、法律に特別の規定がある場合は、この限りでない」。ただし書は、例外です。故意が無くても、特別な規定さえあれば、罰せられる場合がある。1つの文の中に、原則と例外が、同居しています。過失犯は、条文がわざわざ用意されているときだけ、成立します。分類の回で見た、工場で安全装置を確認せずに同僚に大怪我をさせた例を、思い出してください。ああした過失を罰する条文は、別に用意されています。

うっかり結果を起こしても、その罪では処罰されません。では、2項と3項を、簡単に触れておきます。2項は、重い罪の事実を知らなかったときの話。3項は、法律を知らなかった、という言い分の話です。2項は、事実の錯誤を扱う回で、あらためて扱います。3項は、責任を学ぶ章で、あらためて扱います。今日は、1項——原則と例外の骨格だけ、持って帰ってください。

落差の実物——199条と210条を並べる

同じ『人の死』なのに、この差 図:同じ『人の死』なのに、この差

では、199条と210条を、並べてみましょう。まず、199条から見てみましょう。

条文刑法199条

刑法199条(殺人) 人を殺した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の拘禁刑に処する。

日本の刑罰の中で、いちばん重い枠が、そのまま用意されています。では、隣の条文も、見てください。

条文刑法210条

刑法210条(過失致死) 過失により人を死亡させた者は、五十万円以下の罰金に処する。

210条には、拘禁刑の定めが、そもそもありません。そこです。今日の問いに、戻ってきました。同じように人が一人死んでいるのに、なぜ、これほど刑が違うのでしょうか?結果の重さだけを見ていたら、この差は、説明がつきません。この落差こそが、この章のすべての問いの、出発点になります。

山場①:故意の本質——反対動機

反対動機の4段——この章のものさし 図:反対動機の4段——この章のものさし

では、その落差の正体に、迫っていきます。今日、いちばんの山場です。先ほどの問いを、もう一度、言葉にします。その”強い非難”の正体は、何でしょうか。結果の大きさではなく、行為者の”心の中”の、何を見ているのでしょうか?「気持ちの強さ」と言いたくなるところですが、それでは少し足りません。刑法の言葉で、正確に言ってみましょう。故意を持つ人は、こう説明されます。

⭐ 論文で書く規範:故意の本質とは 規範に直面し反対動機の形成が可能であったにもかかわらず、あえて犯罪行為に及んだ。 だから、強い道義的非難が可能。 (規範(通説で立てる))

1つずつ、ほどいていきましょう。「規範」とは、「やってはいけない」という決まりのことです。この決まりに突き当たることを、「規範に直面する」と言います。これは、人を道具のように使う間接正犯の回で使った物差しと同じものです。そのときは、頼まれた側に、その機会があったかを見ました。今日は、機会がありながら、あえてやった側を見ます。頭の中で、「あ、これは、やってはいけないことだ」と、気づく瞬間のことです。気づいた以上、思いとどまる機会が、生まれます。これが、「反対動機の形成が可能」の意味です。そして、そのチャンスがあったのに——それでも、やった。気づく機会があり、思いとどまる機会もあったのに、あえてやった人には——強い道義的非難が、可能になります。

この4段が、これから第4章の全部を貫く、1本のものさしになります。認容説も、これから先の論点も、全部この4段から出てきます。今日は、その入口です。もう1つ、大事な接続があります。「規範に直面する」——これが言えるのは、あらかじめ、その決まりが示されているからです。罪刑法定主義です。あらかじめ、「これはやってはいけない」と示されているからこそ——「気づけたはずだ」と、言えるんです。ここで、今日の問いに、一度、答えを返しておきます。199条と210条、結果は同じ、人が一人亡くなっています。でも、行為者が、規範に直面していたかどうかが、違います。

だから、刑の重さも、これほど違うんです。

故意の二段構造——構成要件的故意と責任故意

故意は、2つの関門にそれぞれ登場する 図:故意は、2つの関門にそれぞれ登場する

故意の本質が分かったところで、もう1つ、整理しておきたいことがあります。犯罪が成立するかどうかは、いつも、3段階で判断していましたね。実は、故意は、この3段階のうち——2つの関門に、それぞれ別の顔で登場します。なぜ2つに分かれるのか、先に言っておきます。関門ごとに、聞いていることが違うからです。第一関門は、「その行為が、犯罪の型に当たるか」を見ます。だから、ここでの故意は、「型に当たる事実を、分かっていたか」です。第三関門は、「この人を、非難できるか」を見ます。同じ「故意」でも、どの関門で問われるかで、中身が変わる——だから、名前を分けて呼びます。第一関門のほうが、構成要件的故意。第三関門のほうが、責任故意です。

そして、今日扱うのは——構成要件的故意、第一関門のほうだけです。責任故意の中身は、責任を学ぶ章で、あらためて扱います。ここを取り違えると、第一関門の話をしているのに、責任の話を持ち込んでしまいます。

故意責任と責任故意——似ている名前ほど注意

似ている名前ほど、注意が要る 図:似ている名前ほど、注意が要る

ここで、1つ、問題を出します。似た2つの言葉が出てきます。「故意」が先に来る、故意責任。「責任」が先に来る、責任故意。まず、「故意」が先のほう——故意責任です。この言葉には、構成要件的故意と責任故意——両方が含まれるでしょうか。それとも、責任故意だけでしょうか?名前からすると責任故意だけのようにも見えますが、実は、そこが、よく間違えられるところなんです。

⭐ 論文で書く規範:似ている2つの言葉 故意責任は、構成要件的故意と責任故意の両方を含む、強い道義的非難可能性。 責任故意は、そのうち、構成要件的故意ではないほうの故意。

「故意」が先の、故意責任は、構成要件的故意と責任故意、両方を含む——強い道義的非難可能性のことです。それに対して、「責任」が先の、責任故意は、そのうちの一部だけを指します。構成要件的故意ではないほうの故意——それだけを、責任故意と呼びます。中身は責任の章で扱いますが、働き方だけ言っておきます。第一関門の故意はあるのに、責任のレベルで故意が否定される——そういう場面で使う道具です。片方は大きい概念、片方は小さい概念。答案で取り違えると、論じる範囲を間違えてしまいます。

認識だけで足りるか——三説の対立

認識だけで足りるか——3つの説 図:認識だけで足りるか——3つの説

では、構成要件的故意の中身に、入っていきます。この言葉は、構成要件の部品表を作った回で「認識・認容」として一度出てきました。そのときは名前だけ渡しました。今日は、その「認容」がなぜ要るのかを、作ります。まず、争いのないところから、確認します。犯罪事実の認識——つまり、頭で分かっていたこと。これが必要な点は、誰も争いません。問題は、その先です。認識さえあれば、それで足りるのか。それとも、もう一段、心の関わりが必要なのか。そこで、3つの説が対立します。1つ目、認識説。犯罪事実を認識していれば、それで足ります。2つ目、意欲説。認識に加えて、結果を積極的に望むことまで必要です。やりたいと思っていなければ故意ではない——意欲説では、そうなります。3つ目、認容説。認識に加えて、結果を仕方ないと受け入れることが必要です。

そこが、今日の核心です。この3つ、実際の事件に当てはめると、本当に結論が変わるのでしょうか——それとも、言葉が違うだけで、同じことを言っているのでしょうか?では、実際に、試してみましょう。

山場②:解体工事現場——3説を当ててみる

解体工事の現場——Aは何を知っていたか 図:解体工事の現場——Aは何を知っていたか

ここで、1つの場面を、一緒に考えてみましょう。解体工事の現場責任者Aは、老朽化したビルの外壁を、重機で崩す作業をしています。本来、真下の歩道は、通行止めのはずです。でも、この現場では、警備員が持ち場を離れることが、たびたびありました。Aは、そのことを、以前から知っていました。ある日、Aは作業を始める直前、ふと真下の歩道に目をやりました。「もしかしたら、人がいるかもしれない」——一瞬、そう思ったんです。作業を中断せず、外壁を崩しました。落下したコンクリート片が、たまたま柵をすり抜けて通りかかった歩行者Bに直撃し——Bは、死亡しました。

同じ出来事、Aの心の中だけが違う2パターン 図:同じ出来事、Aの心の中だけが違う2パターン

ここで、Aの心の中だけが違う、2つのパターンを考えます。パターン①。Aは、「まあ、もし本当に人がいたとしても、それは仕方ない」と考えて——そのまま、作業を続けました。このAは、故意でしょうか、過失でしょうか。3つの説で、順番に当てはめてみましょう。まず、認識説。Aは、人がいるかもしれないと、認識していました。それで足りるので——認識説では、故意です。次に、意欲説。Aは、Bを死なせたいと、積極的に望んでいたでしょうか。意欲説では、積極的な意欲が無い以上——過失になります。では、認容説です。Aは、「仕方ない」と考えていました。これは、結果を受け入れている、と言えます。

認容説でも——故意です。では、パターン②です。Aは、「さすがに、今この瞬間は誰もいないだろう」と考えて、作業を続けました。まず、認識説から。Aは、さっきと同じく、人がいるかもしれないと、一瞬、認識していました。だから、認識説では——こちらも、故意です。認識説は、「頭で分かっていたか」しか見ません。だから、2つのパターンを、区別できないんです。次に、意欲説。Aは、こちらでも、積極的に死なせたいとは、望んでいません。意欲説でも——こちらも、過失です。では、認容説です。「いないだろう」と考えていた、というのは——結果を、受け入れているでしょうか。

受け入れているというより、起きないと思い込んでいるだけです。「仕方ない」と受け入れたわけではありません。だから、認容説では——過失になります。

3説の結果を並べる——弁別できるのは認容説だけ 図:3説の結果を並べる——弁別できるのは認容説だけ

ここまでの結果を、1枚にまとめます。認識説は、パターン①も②も、両方とも故意にしてしまいます。認識説は、結論が広すぎるんです。意欲説は、逆に、パターン①も②も、両方とも過失にしてしまいます。意欲説は、結論が狭すぎます。積極的な意欲を、要求しすぎているんです。認容説だけが——パターン①は故意、パターン②は過失、と分けられます。ここが、「意欲は要らない」と言い切れる理由です。意欲説のように、積極的に望むことまでは、求められていません。認容と、意欲を、混同しないでください。

認容説の理由——故意の本質に、もう一度戻る

認容説の結論を、もう一度4段に当てはめる 図:認容説の結論を、もう一度4段に当てはめる

では、なぜ、認容説が、正しい線引きだと言えるのか。理由づけを、詰めておきましょう。なぜ、ただ『まあ仕方ない』と思っただけで——故意と言えるほどの強い非難に値するのでしょうか。4段のプロセスに、戻って考えてみましょう。パターン①のAに、当てはめてみましょう。Aは、「人がいるかもしれない」と、一瞬、気づきました。これが、規範に直面した瞬間です。ここでの規範は、「人を巻き込んではいけない」というものです。気づいた以上、思いとどまる機会も、ありました。それなのに、Aは「まあ、仕方ない」と受け入れて、作業を続けました。だから、強い道義的非難が、可能になります。だから、故意なんです。

パターン②のAも、規範に直面してはいます。一瞬、気づいてはいるからです。でも、「いないだろう」と、思い込んでいました。規範を軽視してはいますが、「あえて」やったとまでは、言い切れません。認容説の結論は、暗記した答えではありません。故意の本質から、導いた答えなんです。

認容の有無が、故意と過失の分水嶺

認容の有無が、故意と過失の分水嶺 図:認容の有無が、故意と過失の分水嶺

今日見てきたことを、1つの言葉にまとめます。認容の有無が、故意と過失の分水嶺となります。認識があるという前提のうえで——認容があれば故意、無ければ過失、という大きな向きです。ただし、今日は、この向きだけです。実際の事件で、この線を、具体的にどこで引くのか——そこには、まだ踏み込んでいません。「仕方ない」と「いないだろう」の境目が、いつも、今日ほどはっきりしているとは限りません。可能性が低くても認容があれば故意になる場合、可能性が高くても認容が無ければ過失になる場合——そうした、実際のあてはめの手順だけを扱う回を、この先に用意しています。

今日は、その向きだけを、持って帰ってください。

今日の地図(保存版)

今日の地図 図:今日の地図

では、今日の内容を、1本の地図にして振り返りましょう。まず、38条1項——原則と例外の条文構造でした。次に、199条と210条の落差を見て——その正体、故意の本質にたどり着きました。そこから、二段構造——構成要件的故意と、責任故意の区別も見ました。そして、認識だけで足りるかを、3つの説で当てはめました。認容説が、2パターンを弁別できることも、確かめましたね。最後に、認容の有無が——故意と過失の分水嶺だと、確認しました。それが、これから第4章の全部を貫く、ものさしになります。言葉の意味をどこまで分かっていればよいか、という問題も、この章の中で扱います。その分水嶺を、実際にどこで引くのか——その作業だけを扱う回も、用意しています。思っていたことと起きたことがズレたとき、の話は、錯誤の回で扱います。法律を知らなかった、という言い分の話は、責任の章で、あらためて扱います。

1つずつ、順番に、積み上げていきましょう。では過失とは何か、は次の章で扱います。

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#22単独ページ動画

故意の認識対象と認容

第4章 故意と錯誤 ①/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

前回の想起と、今日の問い

前回の到達点——今日は、その形に何を入れるのか 図:前回の到達点——今日は、その形に何を入れるのか

前回、故意と過失のあいだに、1本の線を引きましたね。その線は、前回、何の有無で引くと決めたか、思い出せますか?認容の有無で引くと決めた、よく覚えていますね。ただ、前回作ったのは、あくまで判定の”形”です。「認容があれば故意」までは、決まりました。では、いったい”何を”認容していれば、故意と言えるのでしょうか。今日は、その中身を確定する回です。先に、答えの在りかだけ言っておきます。分かっていなければならないのは、行為者の心の中の評価ではなく、犯罪の”客観的な部品”のほうです。今日は、その部品を並べたうえで、因果関係も入るのか、どこまで細かく分かっていれば足りるのか。そして、逆に、要らないものは何か——この順で見ていきます。

⭐ 論文で書く規範:前回の到達点と、今日の問い 認容があれば故意、無ければ過失——これが前回作った判定の形。 今日は、いったい何を認容していれば足りるのか、その対象を確定する。 (今日の出発点)

38条1項を、もう一度開く

38条1項——今日は「意思」の中身に入る 図:38条1項——今日は「意思」の中身に入る

出発点は、今日も同じです。刑法38条1項を、もう一度開きます。

条文刑法38条1項

刑法38条1項(故意) 罪を犯す意思がない行為は、罰しない。ただし、法律に特別の規定がある場合は、この限りでない。

今日は、この「意思」の中身に、正面から入っていきます。では、いったい”何を”分かっていれば、故意と言えるのでしょうか。行為者の頭の中身か、それとも……そう単純でもないんです。一緒に見ていきましょう。

対象の答え——客観的構成要件要素に該当する事実

認識・認容の対象——主観でも評価でもない 図:認識・認容の対象——主観でも評価でもない

認識・認容の対象は、客観的構成要件要素に該当する事実です。分解しましょう。構成要件要素は、犯罪成立の部品のことでしたね。その部品のうち、“客観的な”もの——行為者の頭の中身ではなく。外側に現れる事実のことです。そこが、つまずきやすい点です。「故意そのものを分かっていたか」を対象にすると、話が堂々巡りになります。「故意があるかを判定するために、故意を分かっていたかを見る」。これでは、答えになりません。前回の、解体工事現場の場面で考えてみましょう。あのとき見たのは、現場責任者が「下に人がいるかもしれない」と分かっていたか、でした。下に人がいるかどうかは、その人の外側にある事実です。

だから、対象は、あくまで客観的な事実です。「違法だ」「悪いことだ」という評価でもありません。

部品に分けてみる——実行行為・客体・結果・因果関係

客観的な事実を、4つに分ける 図:客観的な事実を、4つに分ける

では、その”客観的な事実”を、部品に分解してみましょう。実行行為、行為の客体、結果、そして因果関係——この4つです。構成要件要素を勉強した回で、客観側の部品表を作りましたね。そこに並んでいた4つを、言えますか?「その他」——主体・客体・状況を、まとめて置いた枠です。今日の事案で効くのは、その中の客体です。だから、この4つで並べます。あのとき作った部品表を、今日の事案に合わせて開いたのが、この4つです。主体や状況が効く事案なら、そちらも対象になります。1つの舞台で、確認しましょう。

AとB——ブレーキワイヤーの1本の筋 図:AとB——ブレーキワイヤーの1本の筋

宅配の仕事で、Bと競っていたAは、Bを仕事から排除したいと考えました。前の晩、Bの自転車のブレーキワイヤーを、こっそり切断しておきました。翌日、Bはいつもの坂道を下り、ブレーキが利かず、転倒して死亡しました。

客観的構成要件要素の部品表 図:客観的構成要件要素の部品表

この事実を、4つの部品に分けてみます。実行行為は、前の晩、ワイヤーを切断した行為。行為の客体は、Bの自転車——そして、その先にいるB自身。結果は、翌日の、Bの死亡。そして因果関係は、ワイヤーを切ったことから死亡に至るつながりです。

認識と予見——実行行為の時点で必要

認識と予見——でも、あわせて認識と呼ぶ 図:認識と予見——でも、あわせて認識と呼ぶ

もう1つ、押さえておきたい注釈があります。実行行為や行為の客体は、Aがワイヤーを切る、その瞬間には、もう目の前にあります。だから、行為と客体については、「分かっていた」がぴったりです。結果——Bの死亡は、まだ起きていません。因果関係も、これから展開する経過です。だから、厳密には、「あらかじめ思い描いていたか」。この言葉のほうが、正確です。学界では、これを「予見」と呼びます。言葉が増えるわけでは、ないんです。そこがポイントです。多くの本は、この2つを区別せず、両方まとめて「認識」と呼びます。この先も、私たちは「認識」という言葉で、両方をまとめて扱います。

もう1つ、大事な確認があります。この「分かっていた」状態は、いつの時点で必要でしょうか。Aが、実際にワイヤーを切る、その瞬間です。構成要件的故意——前回、第一関門の故意を、そう呼びましたね。その構成要件的故意が、実行行為の時点で必要です。もしAが、前の晩は何も考えなかったとします。翌日、事故のニュースを見て初めて「実は危ないと分かっていた」。そう言い出しても、それでは遅いんです。行為の瞬間に、分かっていなければなりません。

山場①:因果関係も対象か——必要説と不要説

因果関係も対象か——必要説と不要説 図:因果関係も対象か——必要説と不要説

では、今日、いちばん大事な問いに入ります。先ほどの4つの部品のうち、因果関係だけ、少し特殊です。因果関係も、故意の対象に入るのでしょうか。それとも、行為と結果さえ分かっていれば、それで十分なのでしょうか?そこで、2つの説が対立します。1つ目、不要説。実行行為と結果さえ分かっていれば十分だ、という考えです。もう1つが、必要説——こちらが通説です。理由は、シンプルです。先ほどの部品表を、思い出してください。因果関係も、客観的構成要件要素の1つである以上。対象から外す理由が、ありません。

パターン①とパターン③——理論の違いを見る 図:パターン①とパターン③——理論の違いを見る

では、実際に、確かめてみましょう。Aの心の中身が違うパターンを、3つ用意しました。まずは、いちばん詳しい①と、いちばんぼんやりした③——両端の2つから見ます。パターン①。Aは、ワイヤーを切ればブレーキが利かなくなる。あの坂で制御を失い、転倒して頭を打って死ぬ——ここまで具体的に思い描いていました。パターン③。Aは、「ワイヤーを切れば、Bは死ぬかもしれない」。「それでもかまわない」とは、思っていました。でも、どういう道筋でそうなるのかは、まったく考えていませんでした。この2つに、それぞれの説を当ててみましょう。まず、不要説。実行行為と結果の認識さえあれば十分ですから——どちらも故意ありです。

不要説は、経路への理解を問わないので、そうなります。次に、必要説です。パターン①は、因果の筋も思い描いていました。故意あり——これは、争いがありません。パターン③は、因果関係についての認識が、事実上ゼロです。必要説だと、対象の1つを欠くのではないか、という問題が立ちます。そこが、この2つの説の、理論的な違いです。パターン③が、結局、故意ありなのか無いのか——次の物差しで確定させましょう。

山場②:大筋の認識で足りる

どこまで細かく分かっていれば足りるのか 図:どこまで細かく分かっていれば足りるのか

⭐ 論文で書く規範:大筋の認識という物差し 因果の経過を具体的・詳細に認識することは実際上不可能であり、また不要。 だから、因果関係の大筋の認識で足りる。 (因果関係の認識の程度(通説))

必要説を採ると、当然、反論が来ます。「経路まで正確に思い描いていないと故意にならないなら、誰も故意犯にならないのでは」。答えは、こうです。因果の経過を、具体的・詳細に認識することは、実際上不可能です。そして、できないことを要求すれば、故意犯は、ほとんど成立しなくなってしまいます。だから、大筋——ラフな筋書きの認識で足ります。細部の解像度は問いません。骨格さえ思い描いていれば、十分なんです。

パターン①②③——大筋の認識はあるか 図:パターン①②③——大筋の認識はあるか

では、3つのパターン、それぞれに、この物差しを当ててみましょう。皆さんも、一緒に考えてみてください。パターン①は、坂で制御を失い転倒して頭を打って死ぬ、という細部まで思い描いていました。大筋の認識は、あるでしょうか?それは、当然、ありそうです。細部まで思い描いている以上、大筋も、当然満たされます。次に、残しておいたパターン②です。Aは、「ブレーキが利かなくなって坂道で事故になり、死ぬかもしれない」。とは思っていましたが、転倒するのか、何かにぶつかるのかまでは、考えていませんでした。どうでしょう。少し、考えてみてください。

ここが、まさに「大筋で足りる」の実質です。転倒か衝突かという細部が分からなくても、骨格さえ思い描いていれば。大筋の認識あり、と言えます。では、パターン③です。パターン③は、ブレーキが利かなくなって坂で事故になる、という道筋を、まったく思い描いていませんでした。パターン③には、大筋の認識が、ありません。これで、山場①の宿題に、答えが出ました。パターン③は、因果関係という、対象の1つを欠くことになります。故意の成立が、危うくなるんです。ここに、2つの説の、はっきりした違いが出ます。もう1つ、この「大筋」という物差しには、まだ続きがあります。パターン②は、大筋を思い描いていました。でも、もし実際に起きたことが、その大筋とすらズレていたら、どう扱うのでしょうか。

思っていた道筋と、実際の道筋がズレたとき、どう処理するのか。それだけを扱う回を、この先に用意しています。今日作った、この大筋の物差しが、そこでそのまま使われます。

山場③:結果的加重犯の重い結果は、認識・認容が要らない

逆に、認識・認容が要らないものはあるか 図:逆に、認識・認容が要らないものはあるか

では、話の向きを、少し変えます。ここまでは、対象に”入るもの”を見てきました。実行行為、客体、結果、因果関係——これらは全部、対象でした。では逆に、認識・認容が全く要らないものは、あるでしょうか。あります。結果的加重犯の、重い結果です。基本の犯罪に、故意を超えた重い結果が加わる型でした。あのとき、「重い結果に故意が要るかは、別の回で」と送りました。その回が、今日です。まず、傷害罪の条文から見てみましょう。

条文刑法204条

刑法204条(傷害): 人の身体を傷害した者は、十五年以下の拘禁刑又は五十万円以下の罰金に処する。

口論の末、相手を突き飛ばして殴った、とします。殴る意図——傷害の故意はありました。でも、相手が死ぬとは、考えていませんでした。そのときに開くのが、次の条文です。

条文刑法205条

刑法205条(傷害致死) 身体を傷害し、よって人を死亡させた者は、三年以上の有期拘禁刑に処する。

予期せず死亡すれば、205条、傷害致死罪です。死んでしまうとまでは分かっていなかったけれど、それでも重い罪になります。では、質問です。もし205条の”重い結果”、つまり死亡について。初めから、死ぬと分かっていて、それでもかまわないと思っていたとしたら。この人は何罪になるでしょうか?傷害致死が重くなる、ではありません。答えは、こちらです。

条文刑法199条

刑法199条(殺人) 人を殺した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の拘禁刑に処する。

死ぬと分かっていて、それでもかまわないと思っていたなら。それはもう傷害致死罪ではなく、端的に殺人罪です。罪名そのものが、変わります。

204条・205条・199条——重い結果の認識で罪名が変わる 図:204条・205条・199条——重い結果の認識で罪名が変わる

この3つを、並べてみましょう。引っかかったのは、どこでしょう。死亡も205条の部品である以上、今日の原則からは、対象に入るはずに見えます。

⭐ 論文で書く規範:なぜ、重い結果の認識は要らないのか 認識・認容がある事案は、その時点で端的に199条(殺人)になる。 だから、結果的加重犯の箱に入ってくる事案は、性質上、重い結果の認識・認容が無い事案しかない。 (結果的加重犯と重い結果)

では、なぜ、重い結果の認識・認容は「要らない」と言えるのでしょうか。その理由を、前回のものさしに戻って、考えてみましょう。死ぬと分かっていて、それでもかまわないと思っていた事案は、その時点で、もう199条、殺人罪の話になります。結果的加重犯、205条の箱の中に入ってくる事案は、そもそも、重い結果について、そう思っていない事案しか、ありえません。だから、「重い結果の認識は要らない」というのは、例外的な緩和ではなく、箱の作りから見て、当然のことなんです。前回のものさしを、思い出してください。反対動機を形成する機会があったのに、あえてやった人は、どう扱われましたか。

強い道義的非難が、可能でしたね。死ぬと分かっていて、それでもかまわないと思っていた人には、その機会がありました。だから、殺人罪の強い非難に値します。その機会が無かった人は、加重はされますが、殺人罪ほどの非難までは、及びません。前回のものさしが、今日の結論も、導いているんです。今日の答えは、最初に置いたとおりです。見るべきは、心の中の評価ではなく、客観的な部品のほう。因果関係も部品だから対象に入り、重い結果は、認識していたら別の箱に行ってしまう——死ぬと分かっていた人が認識していたのは、もう、殺人罪の客観面の部品です。どの犯罪の部品を認識していたか——そこで、入る箱が決まります。どちらも、同じ1つの物差しから出てきた答えです。

今日の地図(保存版)

今日の地図 図:今日の地図

では、今日の内容を、1本の地図にして振り返りましょう。対象の確定から、始まりました。認識・認容の対象は、客観的構成要件要素に該当する事実でした。それを、部品表に分解しました。実行行為、客体、結果、そして因果関係。そして、因果関係も対象か、という山場①。答えは、対象になる——必要説が通説でした。細部までは要らない、骨格さえ思い描いていれば足りる。これが山場②でした。最後に、山場③。結果的加重犯の重い結果は、認識・認容が要らない。理由は、認識が要るなら、そもそも別の罪になるから、でした。今日、確定した対象のリストを、これから先も繰り返し使います。言葉の意味をどこまで分かっていればよいか、という別の問題が、この章には、まだ残っています。

それから、どこまでの心持ちなら「認容した」と言えるのか。その線の引き方だけを扱う回も、この先にあります。結果的加重犯そのものを正面から扱う回は、各論に入ってからです。1つずつ、積み上げていきましょう。

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#23単独ページ動画

意味の認識

第4章 故意と錯誤 ①/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

前回・前々回の想起と、今日の問い

前回・前々回の到達点——今日の問いは、その中身について 図:前回・前々回の到達点——今日の問いは、その中身について

前々回、故意と過失のあいだに、認容の有無で線を引きましたね。前回は、その形に、何を入れるかを確定しました。認識・認容の対象は、客観的構成要件要素に該当する事実だと確認しましたね。では、前回確定したその対象は、いつも同じ性質のものでしょうか?実は、対象の中に、性質のちがう部品が混じっています。今日は、そこを扱います。物は見えているのに、その意味が分かっていない——そんな状態を、故意はどう評価するのか。今日の問いは、そこにあります。

⭐ 論文で書く規範:前回・前々回の到達点と、今日の問い 認容があれば故意——前々回、判定の形を作った。 対象は客観的構成要件要素に該当する事実——前回、その中身を確定した。 今日の問い:見えているのに、意味が分かっていない。それでも、故意と言えるのか。 (今日の出発点)

38条1項を、もう一度開く

38条1項——今日も、ここから出発する 図:38条1項——今日も、ここから出発する

出発点は、今日も同じです。刑法38条1項を、もう一度開きます。

条文刑法38条1項

刑法38条1項(故意) 罪を犯す意思がない行為は、罰しない。ただし、法律に特別の規定がある場合は、この限りでない。

今日は、この「意思」の中でも、意味を分かっていたかどうか、という部分に入っていきます。一緒に見ていきましょう。

部品の中の異物——記述的要素と規範的要素

2種類の部品——記述的要素と規範的要素の違い 図:2種類の部品——記述的要素と規範的要素の違い

ここで、少しだけ、前に作った道具を思い出してください。構成要件要素——犯罪成立の部品のことでしたね。それを、評価が要るかどうかで仕分けた回で、2種類に分けましたね。記述的要素は、見れば分かる部品——人、物、行為です。規範的要素は、評価を経ないと、当てはまるかどうかが決まらない部品でした。わいせつ性のように、裁判官の価値判断が要るものが、その代表です。たとえば、人を殺した、という条文の「人」。これは、見れば分かる要素の代表格で、目の前の相手が人かどうかは、ふつう、その場で決まります。ところが「わいせつな」は、物を見ただけでは決まりません。誰かが評価して、はじめて決まります。

見分け方そのものは、前に作った回に譲ります。今日は、あのとき仕分けた部品が、故意の側で、特別な扱いを受ける——ということだけ、押さえてください。

175条1項の実物——「わいせつな」という言葉が条文にある

175条1項——「わいせつな」という言葉の実物 図:175条1項——「わいせつな」という言葉の実物

では、規範的構成要件要素の実物を、条文で見てみましょう。

条文刑法175条1項

刑法175条1項(わいせつ物頒布等) わいせつな文書、図画、電磁的記録に係る記録媒体その他の物を頒布し、又は公然と陳列した者は、二年以下の拘禁刑若しくは二百五十万円以下の罰金若しくは科料に処し、又は拘禁刑及び罰金を併科する。電気通信の送信によりわいせつな電磁的記録その他の記録を頒布した者も、同様とする。

この罪の名前は、わいせつ物頒布等です。現行の条文に、販売という言葉はありません。以前は「販売」という言い方をしていましたが、法律の改正で「頒布」に統合されました。有償で頒布する目的で持っているだけの場合は、2項が別に用意されています。今日は、1項だけを見ます。では、この175条を使って、1つの場面を考えてみましょう。Xは、海外のオークションサイトで、古い版画100枚のセットを落札しました。届いた段ボールの中身を仕分けずに、そのまま国内のフリマアプリで、海外アンティーク版画セットとして出品しました。

実は、その中に、性的な描写を含む版画が、数枚混じっていました。この設定を使って、次から、Xの頭の中身だけを変えた、何人かのXを見ていきます。

特殊性——物体を認識していても、意味の認識に結びつかない

特殊性——見えているのに、意味は分からない 図:特殊性——見えているのに、意味は分からない

まず、規範的構成要件要素の特殊性を、確認します。

⭐ 論文で書く規範:規範的構成要件要素の特殊性 記述的要素は、その物を認識すれば、意味も一緒に分かる。 しかし規範的構成要件要素は、物体を認識していても、意味の認識に結びつかないことがある。 だから、規範的構成要件要素については、特に意味の認識が必要になる。 (規範的構成要件要素の特殊性)

1人目のXで、確かめてみましょう。X〔a〕は、梱包を開けて中身を一枚も確認せず、届いた箱をそのまま出品しました。版画という物は、認識しています。でも、それがわいせつな内容だという意味は、まったく認識していません。では、Xは、いったい何を認識していれば、故意があると言えるのでしょうか。版画という”物”を認識していれば、それで十分でしょうか?うーん……それだけでは、足りない気がします。

山場①:程度の物差し——X〔a〕〔b〕〔c〕で選ぶ

X〔a〕〔b〕〔c〕——どこから故意か 図:X〔a〕〔b〕〔c〕——どこから故意か

では、Xの頭の中身だけを、3段階に分けてみます。一緒に、考えてみてください。X〔a〕は、さっき見たとおり、梱包を開けずに出品した人でした。物体の認識だけ、です。X〔b〕は、梱包を開けて中身を確認し、性的な描写のある版画が混じっていることは分かっていました。でも、「これは芸術性の高いアンティーク版画だから、わいせつ物には当たらない」と、思っていました。そしてX〔c〕は、中身を確認した上で、判例が定めるわいせつの3要件を、実際に検討しました。その結果、「これはわいせつ物に当たる」という、正確な法的結論に達していました。

さて、この3人のうち、どこから故意があると言えるでしょうか——考えてみてください。実は、答えは、〔b〕からです。

なぜ〔b〕からなのか——故意の本質に戻る

なぜ〔b〕からか——反対動機のものさし 図:なぜ〔b〕からか——反対動機のものさし

なぜ、〔b〕から故意があると言えるのか——理由を、前々回のものさしに戻って考えましょう。故意の本質は、規範に直面して、反対動機の形成が可能だったのに、あえて行為に及んだことへの、強い道義的非難でした。X〔b〕は、性的な描写があると分かっていました。それだけで、規範に直面したと言えます。気づいていた以上、思いとどまる機会も、あったはずです。だから、X〔b〕には、強い道義的非難が可能——故意ありです。〔a〕は、意味が、まったく分かっていません。だから、やってはいけない、という規範に、そもそも直面できていない。気づく材料が無い以上、思いとどまる機会も、ありません。だから、強い道義的非難ができない——故意なしです。

X〔c〕まで求めなくていい理由も、同じものさしです。裁判官レベルの正確な評価まで求めなくても、反対動機を形成することは、もう十分に可能でした。それ以上を要求する理由が、ありません。最後に決めるのは裁判官です。ただ、行為者に、その裁判官と同じ判断まで求めているわけではありません。素人的認識があれば、それで足ります。

通説の定式——素人的認識で足りる

通説の定式——素人的認識で足りる 図:通説の定式——素人的認識で足りる

ここで、今日の核心を、1つの言葉にまとめます。

⭐ 論文で書く規範:意味の認識の程度(通説) 反対動機の形成には、裁判官レベルの認識は要らない。 一般通常人が知っているような意味・性質の認識、すなわち素人的認識で足りると解するのが、通説である。 (意味の認識の程度)

X〔b〕は、性的な描写があると、一般の人が分かる程度には、分かっていました。それで、十分なんです。

山場②:「芸術だと思っていた」は通用するか

「芸術だと思っていた」は通用するか 図:「芸術だと思っていた」は通用するか

では、ここで、少し意地悪な質問をします。X〔b〕は、“芸術だ”と思い込んでいました。それでも、Xに故意は認められるでしょうか?実は、その言い分は通用しません。理由を、部品ごとに、指差してみましょう。Xが持っていた”勝手な評価”は、「芸術性の高いアンティーク版画だ」という、Xなりの法的な結論です。でも、その評価をしていたとしても、性的な描写があると分かっていた、という素人的な意味の認識そのものは、消えていません。故意の対象は、Xの法的な評価が正しいかどうかではなく、素人的な意味の認識が有ったかどうかです。なお、ここでいう故意は、前々回に分けた2つのうち、型に当たる事実を分かっていたか——構成要件的故意のほうです。もう一方は、責任故意です。そちらは、責任を学ぶ章で、あらためて扱います。だから、“芸術だと思っていた”という言い分があっても、構成要件的故意は、問題なく認められます。

山場③:1つの言葉が、3つの問いに答えている

1つの言葉が、3つの問いに答えている 図:1つの言葉が、3つの問いに答えている

ここまで来ると、“素人的認識で足りる”という一言が、実は、3つの別々の質問への答えを、一度に言っている、と気づきます。どんな3つの質問だと思いますか?1つ目は、そもそも意味の認識は要るのか、という質問です。X〔a〕がアウトだった理由——意味の認識は必要、という答えです。2つ目は、程度は裁判官レベルまで不要、という答えです。X〔c〕まで求めない理由でした。3つ目の質問は——意味は分かっていたけれど、自分では違う評価をしていた。そういうときは、どうなるのか、です。答えは、勝手な解釈をしているだけなら、故意は認められる。X〔b〕の”芸術だ”という言い分が、通用しなかった理由です。

ここは、受験生が実際に、つまずきやすいところです。3つに分けて理解しておくと、随分とすっきりします。

一線を引いて帰る——意味の認識と、してはいけないと知っていたか

意味の認識と、してはいけないと知っていたか 図:意味の認識と、してはいけないと知っていたか

もう1つ、ここではっきりさせておきたいことがあります。もし、X〔b〕が、さらにこう言い出したら、どうでしょうか。「そもそも、こういう版画を配っても、罪になるとは思わなかった」。実は、別の話なんです。今日ずっと見てきたのは、「わいせつな内容だと分かっていたか」という、意味の認識の問題でした。それに対して、いまの言い分は、「配ってはいけないと知っていたかどうか」——別の問題です。これは、法律の世界で、違法性の意識と呼ばれる問題です。犯罪は、型に当たるか、違法か、責任があるか——3つの関門で順に見ましたね。今日の意味の認識とは、別の階層——責任という段階で、扱われます。

今日の話に、その先の話が混ざらないように、条文だけ、先に見ておきましょう。

条文刑法38条3項(違法性の意識・予告)

刑法38条3項(故意) 法律を知らなかったとしても、そのことによって、罪を犯す意思がなかったとすることはできない。ただし、情状により、その刑を減軽することができる。

この条文の扱い方だけを、正面から扱う回を、この先に用意しています。今日は、階層が違うと分かれば十分です。

山場④:同じ物差しが作為義務にも効く——体系的地位

作為義務は、どの箱か——違法性説と保障人説 図:作為義務は、どの箱か——違法性説と保障人説

では、話題を変えます。同じ物差しが、まったく別に見える論点にも、そのまま効くことを、見てもらいます。不真正不作為犯の、作為義務です。今日扱うのは、その義務がどうやって発生するかではありません。作為義務は、そもそも構成要件要素なのでしょうか、それとも違法要素なのでしょうか——この位置づけの違いが、何を変えるのでしょうか?まず、1つの場面で考えます。登山初心者3人を誘って山に入った、リーダー格のYがいます。同行者の1人が、高山病で動けなくなりました。Yは、「自分は雇われたガイドではないから、助ける義務は無い」と思って、その人を残したまま、先に下山しました。

法的には、Yが率先して仲間を誘い、山に連れて入った、という経緯から、作為義務が認められうる事案です。義務がどう発生するかは、前に扱った回に譲ります。今日は、この作為義務が、どの箱に入るのか、を考えます。1つ目の考え方——違法性説です。作為義務は、違法要素だとする考え方です。犯罪の型に当たるかを見る、第一の関門ではなく——その次の、違法性の関門で見る要素だ、という意味です。すると、型の側には、義務という絞りが、残らなくなります。この考え方を採ると、どうなるか、実際に見てみましょう。たとえば、この場に、たまたま居合わせた見ず知らずの通行人がいたとします。その人が何もしなかったとしても——作為義務を違法要素だと考えると、その人の不作為まで、構成要件に該当してしまいます。

それでは、構成要件というふるいが、機能しなくなってしまいます。構成要件に該当すれば、違法性は推定される——これが、構成要件の違法性推定機能でした。誰の不作為でも構成要件に当たってしまうなら、この推定機能が、意味をなさなくなります。そこで、通説は、こう考えます。作為義務は、構成要件要素である。

⭐ 論文で書く規範:作為義務の体系的地位(保障人説・通説) 作為義務を違法要素とすると、すべての者の不作為が構成要件に該当し、構成要件の違法性推定機能を害する。 だから、作為義務は構成要件要素であると解する(保障人説・通説)。 作為義務を負う者(保障人)の不作為だけが、構成要件に該当しうる。 (作為義務の体系的地位)

保障人とは、作為義務を負う人のことです。Yのように、自分から仲間を誘って山に連れて入った人が、まさに保障人です。保障人の不作為だけが、構成要件に該当します。だから、Yの不作為は構成要件に当たりますが、通りすがりの人の不作為は、当たりません。

三段の落ち——理論の位置づけが、答えを決めていた

三段の落ち——位置づけが、故意の結論を決める 図:三段の落ち——位置づけが、故意の結論を決める

では、Yに、今日の物差しを当ててみましょう。Yは、“自分には義務が無い”と思っていました。それでも、Yに故意は認められるでしょうか——今日の物差しを、もう一度使ってみましょう。構成要件要素である以上、作為義務は、構成要件的故意の対象になります。Yは作為義務の認識を欠いていた——ここまでなら、構成要件的故意は無い、という結論になりそうです。もっとも、ここで、今日ずっと見てきた物差しが、もう一度、効いてきます。作為義務があるかどうかは、見て分かることではありません。その人の立場や経緯を、法的に評価して、はじめて決まります。

だから、素人的認識があれば、構成要件的故意は認められます。Yは、自分がリーダー格として仲間を連れてきた以上、何かしなければならない責任があるかもしれない——その程度の認識は、持っていました。だから、Yには、構成要件的故意が認められます。作為義務を構成要件要素と位置づけたからこそ、故意の対象になり、そこに今日の同じ物差しが、効いてくる。理論の位置づけが、答えを決めていたんです。

今日の地図(保存版)

今日の地図 図:今日の地図

では、今日の内容を、1本の地図にして振り返りましょう。出発点は、規範的構成要件要素の特殊性でした。だから、特に意味の認識が必要でした。ただし、これは、認識・認容という要件が、新しく増えたわけではありません。認識の中身の解像度を、上げただけです。その程度は、山場①で確かめました。物体の認識だけでは足りず、裁判官レベルまでも要らない。次に、山場②。勝手な解釈をしていても、素人的な意味の認識は消えない——だから、“芸術だと思っていた”は、通用しませんでした。そして、山場③。“素人的認識で足りる”という一言は、意味の認識の要否・程度・錯誤の処理という、3つの答えを一度に言っている、多義的な命題でした。

そのあと、意味の認識と、違法性の意識を、はっきり分けました。今日は、あくまで意味の認識のほうです。そして、山場④。同じ物差しが、作為義務の錯誤にも、そのまま効きました。それが、理論の位置づけが答えを決めていた、という今日の締めです。この先、いくつか、送っておく話があります。“知らなかった”という言い分には、もう一段、別の階層があります。それだけを扱う回を、この先に用意しています。正当防衛だと思い込んでいた、というタイプの思い違いも、また別の場所で扱います。どこからがわいせつなのか、という中身の線引きは、各論に入ってから、正面から扱います。どこまでの心持ちなら「認容した」と言えるのか——その線の引き方だけを扱う回も、この先にあります。

思っていたことと、実際に起きたことがズレたとき、どう処理するのか——ここから先は、その話が続きます。1つずつ、積み上げていきましょう。

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#24単独ページ動画

故意の種類

第4章 故意と錯誤 ②/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

前回までの想起と、今日の問い

これまでの到達点——今日の問いは、その先にある 図:これまでの到達点——今日の問いは、その先にある

ここまで3回にわたって、故意の判定の仕組みを組み立ててきました。認識・認容の対象は、客観的構成要件要素に該当する事実だと確認しました。物体を認識していても、意味の認識に結びつかないことがありました。だから、素人的な認識で足りる、という話でしたね。今日は、視点を変えます。故意が消えるぎりぎりの線は、どこにあるのでしょうか。前回までに組み立てた「認容があれば故意」——その故意が消えるのは、どこからでしょうか?「まだ故意」と「もう故意ではない」の境目です。今日は、その境目を2か所で引きます。

⭐ 論文で書く規範:今日の問い これまでの3回で、認容があれば故意、という判定の形を組み立てた。 今日の問い:その故意が消えるぎりぎりの線は、どこにあるのか。①結果を受け入れる態度が消える線、②対象が何かの認識が消える線——2か所で引く。 (今日の出発点)

この問いを、2つの場面で確かめていきます。1つは、結果を受け入れる態度そのものが薄くなる場面。もう1つは、対象が何であるかの認識が、薄くなる場面です。どちらの場面でも、見るところは1つだけです。前に渡した、反対動機のものさし——思いとどまる火種が、まだ残っているかどうか。今日は、その火種が消える、ぎりぎりの場所を2つ、確かめにいきます。まず、足場から作っていきましょう。

分類の全体像——確定的故意と不確定的故意

故意は、まず2つに分かれる 図:故意は、まず2つに分かれる

故意には、大きく分けて2種類あります。一言でいうと、「はっきり決まっているか、まだぼんやりしているか」の違いです。はっきり決まっている方を、確定的故意と呼びます。犯罪の実現を確定的なものとして認識し、認容している場合です。たとえば、目の前にいる相手ひとりをねらって、その人に石を投げつける。誰に、どんな結果が起きるか——投げる側の頭の中では、はじめから1つに決まっています。もう一方、まだぼんやりしている方を、不確定的故意と呼びます。犯罪の実現を不確定なものとして認識し、認容している場合です。実は、この不確定的故意は、さらに3つに分かれます。概括的故意、択一的故意、未必的故意——この3つです。

3つとも「不確定」という同じ箱に入っていますが——実は、何が不確定なのかという軸が、2つのグループで違います。そこを、次から具体的な場面で確かめていきましょう。

概括的故意・択一的故意——設例Pで確かめる

Pの2つの場面——概括的故意と択一的故意 図:Pの2つの場面——概括的故意と択一的故意

文化祭の実行委員Pを、主人公にしましょう。後夜祭で、Pが観客の密集する広場に、火薬量の多い爆竹の束を投げ込みました。誰かが火傷を負うことは、ほぼ確実です。でも、広場のどのあたりの、何人が被害に遭うかは、Pには分かりません。これが、概括的故意です。一定範囲内のどれかの客体に、結果が発生することは確実だが、個数や対象を不確定なものと認識し、認容している場合をいいます。では、打ち上げの場面です。Pは、自分をのけ者にした同級生QとRの、どちらかの飲み物に下剤を混ぜようとしました。暗い中で作業したため、QとRのどちらのコップに入れたか、Pにも分からなくなってしまいました。

QかRのどちらかが体調を崩すことは、ほぼ確実です。でも、どちらに起こるかは、不確定です。これが、択一的故意です。数個の客体のうちどれかに、結果が発生することは確実だが、どれに発生するかを不確定なものと認識し、認容している場合をいいます。そこが、大事なポイントです。この2つの共通点を、覚えておいてください。

弁別——結果発生自体の確定性で区別する

弁別——確定なのは結果か、それとも結果が起きること自体か 図:弁別——確定なのは結果か、それとも結果が起きること自体か

では、ここで質問です。今の2つの場面、「結果が起きること」自体は、確実でしょうか、不確実でしょうか。さっき確認しました。誰かに結果が起きること自体は、確実でした。概括的故意も択一的故意も、結果発生そのものは確定しています。不確定なのは、客体の個数や、どちらに起きるか、という部分だけです。それが、3つ目の未必的故意です。未必的故意だけは、犯罪的結果の発生それ自体が不確定です。だから、未必的故意は「純粋な不確定的故意」と呼ばれます。概括的故意・択一的故意は、結果発生そのものは確定していて、客体側だけが不確定でした。未必的故意は、結果発生それ自体が、不確定なんです。

ここを取り違えると、3つの違いが全部ぼやけてしまいます。

未必的故意の定義

未必的故意の定義——結果が起きるかどうか自体、不確定 図:未必的故意の定義——結果が起きるかどうか自体、不確定

では、その未必的故意を、定義の言葉で確認しましょう。

⭐ 論文で書く規範:未必的故意(未必の故意)の定義 犯罪的結果の発生自体を不確定なものとして認識し、認容している場合をいう。 (規範(通説で立てる))

「定義は分かるが、実際の場面でどう見分けるか」——まさにそこが、今日いちばんの山場です。

山場①:未必の故意と認識ある過失の分水嶺——設例Cで選ぶ

運転者Cの2つの心の中——どちらが故意か 図:運転者Cの2つの心の中——どちらが故意か

見通しの悪いカーブに差し掛かった、運転者Cを考えます。後続車に追い立てられて苛立ったCは、対向車線にはみ出して、無理な追い越しをかけました。ここで、Cの心の中だけが違う、2つのパターンを考えます。パターンCaは、こう考えていました。「対向車が来るかもしれないが、来なければラッキーだし、万一来てぶつかっても、それは仕方ない」。パターンCbは、「対向車が来るかもしれないが、自分の運転技術なら間に合わせられる」と思っていました。さて、CaとCbは、どちらも「対向車が来るかもしれない」と気づいています。それでも、一方だけが故意になるとしたら——その違いは、どこにあるでしょうか。

うーん……認識している中身は、同じですよね。だとすると、認識だけでは、区別できない気がします。答えは、認容の有無だけにあります。Caは、故意——未必の故意です。Cbは、故意にならず、認識ある過失として扱われます。ここでは、実際にどんな罪名になるかには、立ち入りません。認容の有無という考え方そのものだけを、確認してください。

なぜ認容の有無だけで分かれるのか——故意の本質に立ち返る

なぜ、Caだけが故意なのか——反対動機のものさし 図:なぜ、Caだけが故意なのか——反対動機のものさし

なぜ、認容の有無だけで結論が分かれるのか——理由を、最初に立てたものさしに戻って考えましょう。規範に直面し、反対動機の形成が可能だったのに、あえて行為に及んだ——それが、故意の本質でした。Caは、「対向車が来るかもしれない」と気づいていました。それだけで、規範に直面したと言えます。気づいていた以上、思いとどまる機会も、あったはずです。それなのにCaは、「仕方ない」と受け入れて、追い越しを続けました。だから、強い道義的非難が可能——未必の故意です。Cbも、同じように「対向車が来るかもしれない」と気づいてはいます。でも、「自分の技術なら間に合う」と考えて、結果そのものを拒んでいます。

規範に直面してはいますが、それを「受け入れて、あえてやった」とまでは言えません。だから、認識ある過失にとどまります。前に見た、解体工事の現場の、二つ目のパターンを覚えていますか。あちらは、結果が起きること自体を、「いないだろう」と否定する型でした。今日のCbは、起きるかもしれないと認めたうえで、「自分の技術なら避けられる」と信じる型です。Caには火種が残っていて、Cbでは消えていた。今日の山場①は、これで決着です。

山場②:ヘルマンの概括的故意——設例W、問題の所在

設例W——具体的な中身は知らなくても、故意はあるか 図:設例W——具体的な中身は知らなくても、故意はあるか

では、話題を変えます。もう1つの山場に入りましょう。今度は、対象が何であるかについての認識が、薄くなる場面です。Wは、知人からこう頼まれました。「詳しい種類は分からないが、輸入が禁止されている、希少な猛禽類の卵を運んでほしい」。Wは、海外からその卵を持ち帰りました。Wは、それが具体的にどの絶滅危惧種かまでは、知りませんでした。たとえば、イヌワシなのか、別の種類なのか、ということです。でも、「何らかの規制対象になっている猛禽類の卵らしい」ということは、分かっていました。ここで、問題が生まれます。具体的な中身の認識が無ければ、いつも故意を否定してよいのでしょうか。

もし、それで良いとすると、どうなるでしょう。密輸する側は、「詳しくは知らない」とさえ言えば、いつでも故意を否定できてしまいます。それでは、法律が守ろうとしているものが、守れなくなってしまいます。この問題を、故意の本質から、もう一度考えてみましょう。

「類」の認識で足りる理由と限界

「類」の認識で足りる理由——反対動機の火種は消えていない 図:「類」の認識で足りる理由——反対動機の火種は消えていない

この問題も、結局は故意の有無の問題です。だから、故意の本質から考えます。Wは、具体的な種——イヌワシなのか別の鳥なのか——までは、認識していません。でも、「規制対象になっている猛禽類らしい」という、上位カテゴリの認識はあります。猛禽類という大きなグループの中に、イヌワシという具体的な種が含まれています。この大きな箱、つまり類の認識さえあれば、小さな箱、つまり種の認識も、その中に含まれていると言えます。だから、それだけで、規範に直面し、反対動機を形成する契機は、十分にありました。だから、類の認識で足ります。これが、ヘルマンの概括的故意と呼ばれる考え方です。

限界——「これだけは違うはずだ」と考えていたら 図:限界——「これだけは違うはずだ」と考えていたら

ただし、ここには、大事な限界があります。もし、Wが、こう考えていたら、どうでしょう。「これは規制対象の猛禽類の卵ではあるかもしれないが、まさか一番規制の厳しいイヌワシの卵ではないはずだ」。この場合、イヌワシの卵についての認識だけが、空白になります。積極的に「これだけは違うはずだ」と排除している以上、その部分については、規範に直面する材料そのものが欠けています。だから、イヌワシの卵についての構成要件的故意は、否定されます。今日の冒頭で確認しましたね。認識・認容の対象は、客観的構成要件要素に該当する事実でした。それがそろっているか、を見る段階の故意です。3回前に二段に分けた、その一段目——第一関門のほうです。

この限界を外すと、「類の認識さえあれば何でも故意になる」という、誤った理解になってしまいます。類の認識で足りる、ただし、特定の種を積極的に排除する認識があれば否定される——この2つは、必ずセットです。類の認識があるうちは、火種はまだ残っています。その種だけを排除した瞬間に、火種が消える——山場②も、同じ一点で決まりました。

⭐ 論文で書く規範:ヘルマンの概括的故意 具体的な種の認識が無くても、上位カテゴリである類の認識があれば、構成要件的故意は認められる。 ただし、特定の種を積極的に排除する認識がある場合は、その部分の認識が空白になり、故意は認められない。 (規範(学説=ヘルマンの概括的故意。「足りる」側は最決平成2・2・9も同旨))

実際の判例——最高裁の判断

実際にあった事件——同じ構造の判断 図:実際にあった事件——同じ構造の判断

今の考え方は、学説の中だけの話ではありません。実際にあった事件でも、最高裁が、同じ構造の判断をしています。海外で、「何らかの違法薬物らしい白い粉」の運搬を依頼され、それを日本へ持ち込んだ事件がありました。持ち込んだ本人は、それが覚せい剤だとは、はっきりとは知りませんでした。そこで、覚せい剤の輸入罪や所持罪の、故意が争われました。

⭐ 論文で書く規範:最高裁の判断(判旨・要旨) 被告人には、覚せい剤を含む身体に有害で違法な薬物類であるとの認識があった。 だから、覚せい剤輸入罪、同所持罪の故意に欠けるところはない。 (最高裁判所第二小法廷・決定(判例時報1341号157頁))

具体的に覚せい剤だと分かっていなくても、それで故意に欠けるところはない、という判断です。設例Wは、この実際の事件と同じ形で作ってあります。学説の考え方が、実際の裁判所の判断とも一致していることを、確認できました。ひとつ、押さえておきましょう。この事件で争われたのは、「何の薬物かまでは知らなかった」という側です。「これだけは違うはずだ」と積極的に排除していた場合まで、この事件が答えているわけではありません。

今日の地図(保存版)

今日の地図 図:今日の地図

では、今日の内容を、1本の地図にして振り返りましょう。まず、故意は、確定的故意と不確定的故意に分かれました。概括的故意、択一的故意、未必的故意——3つの弁別軸は、結果発生自体の確定性でした。「純粋な不確定的故意」でしたね。そして、山場①。未必の故意と、認識ある過失の分水嶺は、認容の有無だけでした。そして、山場②。ヘルマンの概括的故意です。具体的な種の認識が無くても、上位カテゴリの類の認識があれば、構成要件的故意は認められました。特定の種を積極的に排除する認識があれば、その部分の故意は否定されます。この2つは、必ずセットで押さえてください。

今日は、その火種が消えるぎりぎりの場所を、2つ確かめました。この先、いくつか、送っておく話があります。今日は「認容の有無」という向きだけを扱いましたが、行為者が思っていたことと、実際に起きたことがズレる場面もあります。そのズレをどう処理するのか——ここから先は、その話が続きます。それから、過失として扱われる場合の、過失そのものの中身は、この先まとまった回で扱います。今日出てきた「概括的故意」という言葉、実はもう一つ別の文脈でも登場します。それは、事実の錯誤のところで、あらためて扱います。1つずつ、積み上げていきましょう。

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#25単独ページ動画

事実の錯誤の全体像と符合説

第4章 故意と錯誤 ③/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

前回までの想起と、今日の問い

前回までの到達点——今日の問いは、その先にある 図:前回までの到達点——今日の問いは、その先にある

ここまで4回にわたって、故意の判定の仕組みを組み立ててきました。前回は、その認容が消える、ぎりぎりの線を確認しました。ここまでで、故意の判定の形は、ひととおり固まりました。では、前回までに固めた「認容があれば故意」——その認容の対象が、実際に起きたこととズレていたら、故意はどうなるのでしょうか?今日から数回にわたって、そのズレをどう処理するかという話に入ります。

⭐ 論文で書く規範:今日の問い これまでの4回で、認容があれば故意、という判定の形を組み立てた。 今日の問い:思っていたことと、実際に起きたこととがズレたとき、故意はどうなるのか。 (今日の出発点)

この先、数回にわたって扱う、大きなテーマの入口です。だからこそ、最初に地図を渡します。

事実の錯誤の意義

事実の錯誤とは——認識と現実の食い違い 図:事実の錯誤とは——認識と現実の食い違い

今日のテーマは、事実の錯誤です。一言でいうと、頭の中で思っていたことと、実際に起きたことが、食い違う場面です。

⭐ 論文で書く規範:事実の錯誤の意義 頭の中で認識していた犯罪事実。そして、現実に発生した犯罪事実。 この2つが一致しない場合をいう。 (定義(学説上の概念))

狙った相手と違う人にケガをさせてしまった、というような場面です。構成要件的故意をめぐる論点の中で、いちばん重い山だと言われています。故意論の総仕上げ、と考えてください。故意を二段に分けた回の、第一関門のほうです。構成要件に当たる事実の、認識・認容を見る段階の故意ですね。もう片方は、第三関門——この人を非難できるか、を見る段階の責任故意です。そちらは、責任を学ぶ章で扱います。

2軸の地図——今日1本の目次を先に渡す

2軸の地図——事実の錯誤の置き場所は、掛け算で決まる 図:2軸の地図——事実の錯誤の置き場所は、掛け算で決まる

事実の錯誤は、2つの軸で整理できます。1つ目の軸は、認識と発生が、同じ犯罪の中でズレたのか、別の犯罪にまたがってズレたのか。2つ目の軸は、相手そのものを取り違えたのか、結果だけが別の相手に生じたのか。掛け合わせると、4つの箱ができます。今日は、この4つのうち、上の段の2つ——同じ犯罪の中でズレた場合を掘り下げます。下の段——別の犯罪にまたがってズレた場合は、また別の回で扱います。この地図さえ覚えておけば、この先の回でも迷いません。そのうえで、今日たどり着きたい場所を、先に言っておきます。この上の段では、故意を認めるかどうかをめぐって、2つの立場が対立します。ところが、その2つの結論が実際に割れる場面は、たった一つしかありません。

そこを自分の言葉で言えるようになる——それが、今日の到達点です。

山場①:具体的事実の錯誤と抽象的事実の錯誤

同一構成要件内か、構成要件をまたぐか 図:同一構成要件内か、構成要件をまたぐか

まず、1つ目の軸——同じ犯罪の中か、別の犯罪にまたがるか、を区別します。ここは、特に重要だと繰り返し念押しされる区別です。2つの場面を比べてみましょう。1つ目。夜道で、Xが、恨みを持つ元同僚Aに殺意を抱き、背後から殴りかかりました。ところが、殴った相手は、Aだと思い込んでいた、別人の通行人Bでした。Xの頭の中にあったのも「人を殺す」、実際に起きたのも「人が死ぬ」でした。これが、同一構成要件内で食い違った場合です。もう1つの場面です。帰り道の暗がりで、人影を見て、誰かがいると思い込みました。そこに向かって、石を投げつけたとします。

ところが、それは人ではなく、実は等身大の広告パネルでした。頭の中にあったのは「人にケガをさせる」、実際に起きたのは「物を壊す」でした。これが、構成要件をまたいで食い違った場合です。同じ”人だと思っていた”状況でも——構成要件が同じままなのか、それともまたいでしまうのか。何を見れば、区別できるでしょうか?うーん……最終的に何が起きたか、その中身を見るしかなさそうです。認識と発生が、同じ犯罪の枠に収まっているかどうか、それだけを見ます。

⭐ 論文で書く規範:具体的事実の錯誤/抽象的事実の錯誤 具体的事実の錯誤=認識と発生が同一構成要件内で食い違った場合。 抽象的事実の錯誤=認識と発生が構成要件をまたいで食い違った場合。 (定義(学説上の分類・山場①))

この区別を間違えると、この先の処理の入口自体を間違えます。しっかり押さえておいてください。

客体の錯誤と方法の錯誤——用語と具体例

設例P——客体の錯誤 図:設例P——客体の錯誤

では、2つ目の軸に進みます。相手を取り違えたのか、結果だけがズレたのか、という軸です。まず、さっきの人違いの場面を、もう一度見てみましょう。Xは、元同僚Aに殺意を抱いて、背後から殴りかかりました。しかし、殴った相手は、実はAではなく、別人の通行人Bでした。Xは「この人だ」と思って、その思ったとおりの相手を殴っています。ただ、その「この人」の中身が、AだったつもりがBだった、という点で取り違えています。これを、客体の錯誤と呼びます。

設例Q——方法の錯誤 図:設例Q——方法の錯誤

次に、別の場面です。今度は、Xは、元同僚Aを、はっきりと正しく見分けていました。Xは、Aに向かって石を投げました。ところが、手元が狂ってしまい……隣にいた、Aの連れのCに当たってしまいました。この場合、Xは、誰を狙っているかについて、最初から最後まで間違えていません。ズレたのは、結果が生じた場所だけです。これを、方法の錯誤と呼びます。

客体の錯誤と方法の錯誤——見るのはどこか 図:客体の錯誤と方法の錯誤——見るのはどこか

ここで、正確な定義の言葉を確認しておきましょう。

⭐ 論文で書く規範:客体の錯誤/方法の錯誤 客体の錯誤=攻撃する相手そのものを取り違えた場合。狙った相手と当てた相手は同一人物で、その人が誰かを間違えている。 方法の錯誤=相手の見分けは間違っていないのに、結果だけが別の客体に生じてしまった場合。 (定義(学説上の分類))

実は「弾が外れたかどうか」で区別する、というのはよくある誤解です。設例Pでは、狙った「その人」に、ちゃんと当たっています。外れてはいません。それでも、客体の錯誤です。見るべきは、相手を取り違えたかどうか、その一点だけです。ここを取り違えると、この先の処理がまるごと崩れます。

中間まとめ——4象限が埋まった

4象限が埋まった——今日はどこを深掘りするか 図:4象限が埋まった——今日はどこを深掘りするか

さて、これで2つの軸が、両方そろいました。同一構成要件内か構成要件をまたぐか。客体を取り違えたか、結果だけがズレたか。この2つの掛け算で、事実の錯誤の置き場所が、必ず決まります。今日は、上の段——具体的事実の錯誤の処理を、深掘りします。客体の錯誤であれ、方法の錯誤であれ、故意が認められるのか、という話です。構成要件をまたぐ下の段は、38条という条文が絡む、また別の処理です。そこは、別の回で扱います。

具体的符合説の定義

符合とは——ぴったり一致するという意味 図:符合とは——ぴったり一致するという意味

では、具体的事実の錯誤が起きたとき、故意は認められるのか、を判断する立場を見ていきます。2つの立場があります。分かれ目は、たった一点——認識と発生を、どのレベルで見比べるか、です。まず、符合という言葉の意味から確認しましょう。符合とは、ぴったり一致する、揃う、という意味の言葉です。1つ目の立場は、具体的符合説と呼ばれます。紛らわしいので、先に切り分けます。「具体的事実の錯誤」の”具体的”は、同じ構成要件の中かどうか、という置き場所の話でした。こちらの「具体的符合説」の”具体的”は、認識と発生を、どのレベルで見比べるかの話です。細かい事実のレベルまで一致を求める、という意味です。

⭐ 論文で書く規範:具体的符合説の定義 見比べるレベルを具体的な事実に置く立場。 そのレベルで一致していなければ、実際に起きた事実について構成要件的故意は認めない。 (規範(学説=具体的符合説=有力説))

頭の中で思い描いていたことと、実際に起きたことが揃っていないと。故意は認められない、という考え方です。この立場を、設例Pと設例Qに、実際に当てはめてみましょう。

具体的符合説を方法の錯誤に当てはめる

設例Qへのあてはめ——具体的には一致しない 図:設例Qへのあてはめ——具体的には一致しない

まず、設例Qです。Xは、Aに向かって石を投げ、隣にいたCに当たりました。Xが具体的に認識していたのは、「Aを殺す」という事実だけです。この「Aを殺す」という認識と、実際に起きた「Cが死亡する」を比べます。AとCは、別人です。具体的には、一致していません。Cについての、構成要件的故意は、認められません。正確には、Cについての殺人罪の故意犯としては、成立しない、ということです。この結論を、覚えておいてください。方法の錯誤では、具体的符合説は故意を認めません。

具体的符合説を客体の錯誤に当てはめる

設例Pへのあてはめ——"その人"のレベルでは一致する 図:設例Pへのあてはめ——“その人”のレベルでは一致する

次に、設例Pです。ここで、質問です。「具体的符合説は、いつも故意を否定する」——このイメージ、正しいでしょうか?実は、そうではありません。設例Pに当てはめてみましょう。Xは、殺意を抱いて殴りかかりました。狙っていたのは「この人」——つまり、Aのつもりの人です。そして、実際に殴ったのも、まさにその「この人」——Bでした。「その人」を殺す意思で、「その人」を殺している。ここには、なお一致があります。だから、客体の錯誤では、具体的符合説でも、構成要件的故意が認められます。方法の錯誤では否定、客体の錯誤では肯定。この違いを、セットで覚えてください。

具体的符合説への批判①②

批判①②——受け皿の無さと、区別の難しさ 図:批判①②——受け皿の無さと、区別の難しさ

この具体的符合説には、2つの批判があります。1つ目を、具体的な場面で見てみましょう。自宅の庭先で、隣の家の犬を狙って、石を投げたとします。ここでは、器物損壊の話として聞いてください。狙いが外れて、別の家の窓ガラスに当たりました。具体的符合説に立つと、窓ガラスについての故意は認められません。では、犬についてはどうでしょう。犬には、結局、当たっていません。丸ごと、不可罰になってしまいます。

条文刑法261条(器物損壊等)

刑法261条 前三条に規定するもののほか、他人の物を損壊し、又は傷害した者は、三年以下の拘禁刑又は三十万円以下の罰金若しくは科料に処する。

261条を見てください。器物損壊罪には、未遂を処罰する規定がありません。過失を処罰する規定も、ありません。方法の錯誤で故意が否定されると、受け皿が無く、行為者は無罪になります。

⭐ 論文で書く規範:具体的符合説への批判 批判① 受け皿の無い罪では処罰の穴が開く——器物損壊のように未遂も過失も罰する規定が無い罪だと、方法の錯誤の場面で丸ごと不可罰になってしまう。 批判② 入口の線引きが揺れる——客体を取り違えたのか、狙いが外れただけなのか、決められない事案がある。 (批判(対立の材料))

ただし、注意してほしいことがあります。この批判①が効くのは、受け皿となる処罰規定が無い犯罪類型だけです。たとえば、今日の設例Pや設例Qのような、殺人であれば話は別です。Cについての殺人罪の故意が否定されても、過失致死罪や、殺人未遂罪という受け皿が残ります。「方法の錯誤はいつも不可罰」ではありません。受け皿が無い類型でだけ、穴が開くんです。もう1つ、批判②も見ておきましょう。暗闇の中に、人影が2つ並んでいます。Xは、左のほうが狙った相手だと思い込み、左に向けて撃ちました。ところが、左にいたのは別人でした。狙った”位置”には当たっていますが、狙った”相手”には当たっていません。

客体の錯誤か方法の錯誤か、線引きが難しい事案も、実際にはあります。

山場②:法定的符合説の導出

故意の本質から、3段で導く 図:故意の本質から、3段で導く

では、もう1つの立場——法定的符合説を見ていきましょう。はい、紛らわしいので先に言うと、こちらは、判例・多数説が採る立場です。ただし、結論だけでなく、なぜそうなるのか、順番に導いていきましょう。出発点は、これまで確認してきた、故意の本質です。規範に直面し、反対動機の形成が可能だったのに、あえて行為に及んだ。だから強い道義的非難が可能——これが、故意の本質でした。もう一度、故意の本質に戻ります。規範は、何というかたちで、私たちに与えられているのでしょうか?私たちに示されている規範は、「Aさんを殺すな」というような、個人名の規範ではありません。「人を殺すな」という、構成要件のかたちで、一般国民に与えられています。

とすれば、認識していた犯罪事実のほうと、発生した犯罪事実のほうが——構成要件的な評価として一致していれば。その時点で、行為者は規範に直面していた、と言えます。だから、実際に発生したほうの事実についても。構成要件的故意を認める——これが、法定的符合説です。

⭐ 論文で書く規範:法定的符合説の結論 見比べるレベルを構成要件的評価まで引き上げる立場。 そのレベルで一致している限度では、起きた事実の側にも構成要件的故意が認められる。 (規範(判例・多数説))

法律で定められた——法定された、構成要件のレベルで一致すればよい。そう考える見解だから、法定的符合説と呼びます。この名前の由来が言えれば、理解できている証拠です。

法定的符合説のあてはめ

2段構えのあてはめ——具体的事実と、構成要件的評価 図:2段構えのあてはめ——具体的事実と、構成要件的評価

では、法定的符合説を、設例Pと設例Qの両方に当てはめてみましょう。まず、細かい事実のレベルで見てみます。設例Pでは、認識はA、発生はB。設例Qでは、認識はA、発生はCでした。名前という細かいレベルで見れば、どちらも不一致です。ここで具体的符合説なら、設例Pだけは「その人」というレベルでの一致を見つけて、故意を認めていましたね。でも、法定的符合説は、ここで終わりません。構成要件的評価のレベルまで、視点を上げます。

条文刑法199条

刑法199条(殺人) 人を殺した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の拘禁刑に処する。

199条を見てください。書かれているのは、「人を殺した者は」という言葉だけです。条文が求めているのは、「人」という構成要件のレベルでの一致だけです。設例Pでは、認識も「人」、発生も「人」。設例Qでも、認識は「人」、発生は「人」です。だから、法定的符合説に立てば、客体の錯誤であれ方法の錯誤であれ、故意が認められます。しかも、具体的符合説のような、ひとひねりも要りません。最初から、構成要件のレベルでしか見ていないので、話がシンプルになります。

到達点:両説の結論比較

割れるのは、方法の錯誤のときだけ 図:割れるのは、方法の錯誤のときだけ

では、ここまでの内容を、1つの表にまとめてみましょう。質問です。2つの説が、実際に結論を違えるのは、この表の4つの組み合わせのうち、どこでしょうか?設例P——客体の錯誤では、具体的符合説も法定的符合説も、故意を肯定します。設例Q——方法の錯誤でだけ、2つの説の結論が割れます。試験で問われるのも、実質的には方法の錯誤です。どちらの説を採るか、という場面が中心です。ここまで来れば、今日の到達点に着きました。

今日の地図(保存版)

今日の地図 図:今日の地図

では、今日の内容を、1本の地図にして振り返りましょう。まず、事実の錯誤とは、認識していた犯罪事実のほうと、現実に発生したほうとが、一致しない場合でした。同一構成要件内か構成要件をまたぐか。客体を取り違えたか、結果だけがズレたか。今日は、同一構成要件内で食い違った場合——具体的事実の錯誤の処理を、深掘りしました。それから、2つの立場を見ました。具体的符合説は、方法の錯誤では故意を否定、客体の錯誤では故意を肯定。法定的符合説は、故意の本質から、構成要件的評価のレベルでの一致で足りると導きました。だから、客体の錯誤でも方法の錯誤でも、故意を肯定します。

今日は、その一点を、自分の言葉で言えるようになった、というのが到達点です。この先、いくつか、送っておく話があります。今日の設例で、もし弾が、Aにも、Cにも、両方当たっていたら——成立する故意の犯罪は、いくつになるのか。ここは、それだけで1本かかる話です。それから、構成要件をまたいでしまった場合の処理は、条文が別に用意されています。そちらも、別の回で扱います。法律のほうの勘違いは、まったく別の枠組みで処理します。1つずつ、積み上げていきましょう。

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#26単独ページ動画

事実の錯誤と故意犯の個数

第4章 故意と錯誤 ④/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

前回の想起と、今日の問い

前回の到達点——今日の問いは、その先にある 図:前回の到達点——今日の問いは、その先にある

前回、事実の錯誤の全体像と、法定的符合説を確認しました。構成要件のレベルで一致していれば、それで足りる、という話でした。前回の設例を思い出してください。Xが、恨みを持つ元同僚Aに向けて、石を投げました。狙いが外れて、隣にいたCに当たった、という場面です。もし、あの石が、Aにも、Cにも、両方当たっていたら——前回の枠組みのまま考えると、成立する故意の犯罪は、いくつになるでしょうか?今日は、その問いから、じっくり片付けます。なお、思っていた経路と実際の経路がズレたときにどうなるか、という話は、次の回で扱います。

⭐ 論文で書く規範:今日の問い 1つの行為で複数の客体に結果が生じたとき、成立する故意犯はいくつになるのか。 (今日の出発点)

法定的符合説を運用したときに出てくる問題です。Cにも故意を認めるかどうか——前回の対立軸は、もう動かしません。前回固めた枠組みを、そのまま使います。

併発事例——1つの行為から、2つの結果

併発事例——石は2人に届いた 図:併発事例——石は2人に届いた

では、前回の設例Qを、少しだけ発展させます。Xは、元同僚Aに向けて、恨みを込めて石を投げました。石はAに当たり、そこで止まらず、跳ねました。そして、隣にいたCにも、当たってしまいました。結果は、Aが死亡、Cが負傷、という形を基本にします。行為は1つ、結果は2つ生じました。前回の結論なら、Aへの故意は、もちろん認められます。ここで、問題が生まれます。Xは「1人の人」しか殺そうとしていませんでした。それなのに、AとC、両方に故意犯を認めてよいのか、という問題です。

⭐ 論文で書く規範:併発事例 1個の行為から、複数の客体に結果が生じる場合をいう。 Aへの故意だけでなく、法定的符合説を貫けばCへの故意も認められそうだが、Xは「1人の人」しか殺そうとしていない。 (問題の所在)

2個の故意犯は重すぎる、という感覚は、よく分かります。次は、その感覚を大事にする立場から、見ていきましょう。

一故意犯説——1人しか狙っていない、という感覚

一故意犯説——基本形へのあてはめ 図:一故意犯説——基本形へのあてはめ

1つ目の立場は、一故意犯説と呼ばれます。発想はシンプルです。Xは、1人の人しか殺そうと思っていませんでした。だったら、故意犯も1個だけ認めれば十分ではないか——という考え方です。

⭐ 論文で書く規範:一故意犯説 複数の結果が生じても、もっとも重い結果にだけ1個の故意犯を認める。残りの結果は、原則として過失犯にとどまる。 (学説(大塚仁))

基本形で確かめましょう。Aが死亡、Cが負傷、というあの場面です。重い結果は、どちらでしょうか?死亡のほうが、重いです。一故意犯説なら、Aに殺人既遂の故意犯を認めます。そして、Cについては、原則として過失犯です。過失傷害にとどまります。この結論を支える理由も、確認しておきましょう。Xの意思は、あくまで「1人の人」を殺すことだけでした。それなのに故意犯をいくつも認めるのは、責任主義に反する——というのが理由です。責任主義とは、実際に非難できる範囲を超えて罰しない、という原則です。責任主義そのものは、責任を正面から扱う回で、もう一度組み立てます。

一故意犯説の逆転——狙った相手のほうが、故意を失う

並びを入れ替えると——A負傷・C死亡 図:並びを入れ替えると——A負傷・C死亡

では、今度は、結果の組み合わせを入れ替えてみます。Aは軽い怪我にとどまり、隣にいたCが、死亡してしまったとします。ここで、質問です。一故意犯説だと、故意犯はどちらに成立するでしょうか?Cに、殺人既遂の故意犯が認められます。Aは、過失傷害にとどまります。狙った相手のほうが、故意を失う——これが逆転です。

⭐ 論文で書く規範:一故意犯説への批判 逆転が起きるたびに、狙っていなかったCに故意犯が認められ、狙っていたAからは故意が外れる。これはAの故意をCへ転用するのと同じで、故意が心理的事実であることを見落としている。 (批判(対立の材料))

故意は、行為者の頭の中にある、心の状態です。Aへの故意を、別人のCへ勝手に移すのは、その実体を無視することになります。この逆転こそが、一故意犯説の弱点です。

数故意犯説——結果の数だけ、故意犯を認める

数故意犯説——基本形へのあてはめ 図:数故意犯説——基本形へのあてはめ

もう1つの立場を見ていきましょう。Aだけでなく、Cについても、それぞれ独立に故意犯を認める考え方です。これを、数故意犯説と呼びます。判例や、多くの学説が採る立場です。

⭐ 論文で書く規範:数故意犯説 発生した犯罪事実の数だけ、故意犯が成立する。 (判例・通説(団藤・大谷・前田))

基本形で確かめましょう。Aが死亡、Cが負傷、という場面です。Aについては、死亡していますから、殺人既遂です。ここが、注意すべき点です。殺人罪との関係では、傷害は、死亡しなかったのと同じ扱いです。だから、Cには、殺人未遂の故意犯が成立します。傷害罪ではないか——ここが、いちばん誤解しやすいところです。殺人の故意で石を投げて、傷害にとどまった以上、傷害罪ではありません。殺人未遂です。基本形では、Aに殺人既遂、Cに殺人未遂です。逆転例——A負傷・C死亡のときも、数故意犯説なら逆転しません。数故意犯説には、一故意犯説のような転用の問題が、そもそも生じません。では、なぜ複数の故意犯を認めても大丈夫なのか、理由を見ていきましょう。複数の故意犯が成立しても、観念的競合として、科刑上一罪になります。

条文刑法54条1項(観念的競合・牽連犯)

刑法54条1項 一個の行為が二個以上の罪名に触れ、又は犯罪の手段若しくは結果である行為が他の罪名に触れるときは、その最も重い刑により処断する。

54条1項を見てください。前段と後段、2つの内容が入っています。前段は「一個の行為が二個以上の罪名に触れ」る場合です。これが、観念的競合です。今日、使うのはこちらだけです。後段は牽連犯といって、また別の場面の話です。今日は立ち入りません。今日の場面は、石を1回投げたという1個の行為から——AとC、2個の罪名に触れています。だから、観念的競合として、もっとも重い刑で処断されます。複数の故意犯を認めても、処断のうえで不都合は生じません。罪は複数のまま、刑を科すときだけ1個にまとまる——だから、科刑上一罪と呼びます。この考え方を、実際に採用した判例もあります。

判例最高裁判所第三小法廷判決(びょう打銃事件)

最高裁判所第三小法廷 昭和五十三年七月二十八日判決 ……犯人が認識した罪となるべき事実と現実に発生した事実とが必ずしも具体的に一致することを要するものではなく、両者が法定の範囲内において一致することをもつて足りるものと解すべきである……から、人を殺す意思のもとに殺害行為に出た以上、犯人の認識しなかつた人に対してその結果が発生した場合にも、右の結果について殺人の故意があるものというべきである。

警ら中の巡査から、拳銃を奪おうとした事件です。犯人は、巡査の背後から、建設用の道具を改造した手製の銃を発射しました。撃ち出されたびょう——建材に打ち込む太い釘が、巡査の体を貫通しました。そして、そのまま遠くにいた通行人にも当たりました。判例は、狙った巡査にも、予期しなかった通行人にも、それぞれ殺人未遂罪が成立するとしました。今日の設例と、同じ構造の判断です。これで、数故意犯説が妥当だと言える、理由の②までそろいました。①は、まだ話していません。①の理由は、故意の個数は、そもそも数えられない、という話です。ここが、今日いちばんの山場です。

山場①:故意の個数と、故意犯の個数を分ける

なぜ、故意の個数は観念できないのか 図:なぜ、故意の個数は観念できないのか

ここで、1つ、たとえ話をします。ハンコ屋が、1本の判子を彫ったとします。彫られているのは「Aさん」でも「Cさん」でもありません。ただ「人」という文字だけです。この判子は、1本しかありません。でも、紙に押せば、押した回数だけ跡が残ります。これが、今日の山場①の答えそのものです。199条を、もう一度思い出してください。この条文が与える規範は、名前の付いていない、抽象的な形をしています。だから、構成要件的故意も、「人を殺す」という、抽象化された1個の塊です。数える単位そのものが、個数を持たない抽象物なんです。

ここが、今日の核心です。

⭐ 論文で書く規範:故意の個数と、故意犯の個数 故意は構成要件のレベルまで抽象化されるため、いくつあるかを数える対象にならない。 これに対し、故意犯は現実に生じた犯罪事実に対応するので、その数だけ成立する。 数えられないのは前者だけ——この2つを切り分けて押さえる。 (弁別(山場①の核心))

発生した結果——Aの死亡、Cの負傷は、現実に起きた出来事です。現実の出来事は、当然、数えられます。数えられない物差しで、数えられる出来事を測る——まさに、そのとおりの言い方です。さっきの判子でいえば、同じ1本の判子を、AとCの紙に押すのと同じことです。数えられない物差し——つまり故意を、AとC、それぞれの結果に当てはめます。すると、結果の数だけ、その物差しが独立に当てられる、という形になります。「故意は1個しかない」のに「故意犯は2個成立する」——矛盾しないのでしょうか?数えられないのは故意のほうで、故意犯は数えられる——だから矛盾しません。今日いちばんの到達点に、たどり着きました。

9パターンの帰結表——3つの説を、自分の手で組む

9パターンの帰結表——3つの説の導出ルール 図:9パターンの帰結表——3つの説の導出ルール

ここからは、9つのパターンを、自分の手で組み立ててみましょう。Aの結果と、Cの結果、それぞれ死亡・傷害・無傷の3通りです。組み合わせると、3かける3で、9パターンです。9パターンを丸暗記する必要は、ありません。3つの説の導出ルールを、1文で押さえれば大丈夫です。それだけで、9パターン全部を、自分で組み立てられます。まず、数故意犯説のルールです。AとCを、それぞれ独立に評価します。死亡なら既遂、傷害と無傷は、どちらも殺人未遂です。実行行為はすでにありますから、既遂は認められなくても、未遂は成立します。もっとも、狙っていなかったCがまったくの無傷なら、Cの罪責は問わないのが通常の扱いです。

狙った相手Aが無傷のときは、話が違います。狙って外した——これは殺人未遂そのものなので、当然に問われます。なお、未遂がどの時点から成立するか——実行の着手の線引きそのものは、未遂だけを扱う回で組み立てます。次に、一故意犯説のルールです。重いほうにだけ故意犯を認め、もう一方は過失犯です。故意犯が既遂か未遂かは、さっきと同じで、その相手の結果で決まります。結果の重さが同点のときは、狙った相手Aに故意犯を認めます。差があれば重いほうへ、差が無ければ狙った相手へ、です。最後に、前回出てきた具体的符合説のルールです。

狙った相手Aだけに、実際の結果に応じた故意犯を認めます。Cについては、結果がどれほど重くても、常に過失犯です。この3つのルールで、たとえばAもCも死亡した場合を組み立てましょう。数故意犯説なら、両方とも独立に評価するので、両方とも殺人既遂です。一故意犯説なら、Aに殺人既遂、Cは過失致死です。では、AもCも無傷だったら、どうなるでしょうか。一故意犯説は、また同点なので、狙った相手Aに故意犯——殺人未遂です。Cは、過失犯の未遂になります。過失犯には、未遂を処罰する規定が、そもそもありません。9パターン表では、必ず不可罰として扱ってください。残りのパターンも、今のルールをそのまま当てはめれば、自分で導けます。板に、9パターンすべてをまとめておきました。ぜひ、自分の手でも、検算してみてください。

今日の地図(保存版)

今日の答え 図:今日の答え

では、冒頭の問いに、答えましょう。石がAにもCにも当たっていたら、故意の犯罪はいくつになるか、という問いでした。Aに殺人既遂、Cに殺人未遂——2個の故意犯が成立します。答案での並べ方も、確認しておきましょう。まず、法定的符合説で、AにもCにも構成要件的故意を認めます。次に、発生した結果の数だけ、故意犯が成立すると示します。そして、複数の故意犯は、54条1項前段の観念的競合として処理します。今日の問いは、これで決着です。

今日の地図 図:今日の地図

今日の内容を、1本の地図にして振り返りましょう。まず、併発事例です。1つの行為から、2つの結果が生じました。ただし、狙った相手の故意が、逆転して消えることがありました。だから、判例・通説は、数故意犯説を採ります。結果の数だけ、独立に故意犯が成立します。故意の個数は、そもそも観念できません。でも、故意犯は、結果の数だけ数えられます。9パターン表も、3つのルールで、自分の手で導出できましたね。複数の故意犯が成立しても、処断は重いほうの1個にまとまります。この先、いくつか、送っておく話があります。今日、54条1項前段で触れた観念的競合の処理は、罪数だけを扱う回で、正面から組み立てます。1個の行為で複数の罪が成立したとき、刑をどう決めるのか——そこで扱います。

今日は、故意が無ければ過失を検討するとだけ言いました。その過失の中身は、過失だけを扱う回で組み立てます。そして、思っていた経路と実際の経路がズレる話——これは次の回で扱います。1つずつ、積み上げていきましょう。

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#27単独ページ動画

因果関係の錯誤

第4章 故意と錯誤 ④/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

因果関係の錯誤——経路がズレたら、どうなるか

前編のおさらい——故意犯の個数は片付いた 図:前編のおさらい——故意犯の個数は片付いた

前回、法定的符合説から、成立する故意犯の個数まで、片付けました。前回、数故意犯説なら、発生した結果の数だけ故意犯が成立する、と確認しましたね?そして、複数の故意犯は、54条1項前段の観念的競合として、処断は重いほうの1個にまとまる、という結論でした。今日は、もう1つの問いに移ります。以前、因果関係も客観的構成要件要素だと確認しましたね。その「大筋」が、今日、実際に効いてくる場面です。

設例——溺れさせるつもりが、橋脚に 図:設例——溺れさせるつもりが、橋脚に

設例です。Xは、元同僚のAを、橋の上から川に落とそうとしました。溺れさせるつもりで、突き落としたんです。ところが、Aは水面に届く前に、橋脚に頭を打ってしまいました。それが原因で、死亡しました。Xが認識していた因果経過は「溺れて死ぬ」でした。でも、実際に生じた因果経過は「橋脚にぶつかって死ぬ」でした。この違いを、因果関係の錯誤と呼びます。構成要件的故意は、認められるのでしょうか?

⭐ 論文で書く規範:因果関係の錯誤 実際に生じた因果経過が、Xの認識していた因果経過と食い違う場合をいう。この食い違いを抱えたまま、構成要件的故意を認めてよいかが問題となる。 (問題の所在)

故意が無いように思える——その感覚が正しいかを、これから確かめていきましょう。

山場②:法定的符合説から、3段で導く

3段で導く——因果関係の錯誤も、法定的符合説で処理する 図:3段で導く——因果関係の錯誤も、法定的符合説で処理する

ここで、1つ、たとえ話をします。依頼主が、配達員にこう頼んだとします。「この荷物を、渋谷駅まで届けてほしい」と。国道を通るか、裏道を通るかは、指定していません。配達員は、最短ルートのつもりで裏道に入りました。でも工事中で通れず、遠回りの国道を通って届けました。求められていたのは「渋谷駅に届くこと」でした。経由地点まで含めた、具体的な経路ではありません。ここから、3段階で考え方を導いていきましょう。1段階目です。因果関係も、客観的構成要件要素です。だから、構成要件的故意の対象となります。とすれば、2段階目です。因果関係の錯誤も、具体的事実の錯誤の一種です。

だから、法定的符合説によって処理すべきことになります。3段階目です。殺人罪の構成要件は「溺れて死ぬ」と指定しているでしょうか?言われてみると……199条には「人を殺した者は」としか書いていませんでした。条文が求めているのは、経由地点ではありません。「刑法上の因果関係があること」という、抽象的な一致だけです。だから、認識と発生の因果経過が符合していれば、構成要件的故意が認められます。これが、はじめに触れた「大筋の認識で足りる」の、中身です。危険の現実化として認められるかどうかで判定します。行為の危険性が、結果として現実化したといえるか——という判定でしたね。相当性という言葉には、ここでは戻りません。

⭐ 論文で書く規範:法定的符合説からの処理(因果関係の錯誤) 見比べるレベルを、経路の具体的な中身ではなく刑法上の因果関係まで引き上げる立場。認識していた経路と、実際に生じた経路が刑法上の因果関係の範囲内で符合している限り、構成要件的故意が認められる。 (規範(判例・多数説の到達点))

宅配便の話と、まったく同じ構造です。

設例へのあてはめ——2段構えで確かめる

2段構えのあてはめ——具体的には不一致、構成要件では一致 図:2段構えのあてはめ——具体的には不一致、構成要件では一致

では、実際にXの設例へ、あてはめてみましょう。まず、具体的な事実のレベルです。認識していたのは「溺れて死ぬ」でした。発生したのは「橋脚にぶつかって死ぬ」でした。ここで終われば、故意は認められません。でも、構成要件的評価のレベルまで、視点を上げます。どちらも、Xの突き落とし行為から、Aの死亡に至っています。どちらも、刑法上の因果関係が認められます。危険の現実化として、どちらも認められます。だから、構成要件的故意は認められます。

どこまでズレてよいか——境目は刑法上の因果関係

該当例と非該当例——範囲の内と外 図:該当例と非該当例——範囲の内と外

実は、そこに1つ、限界があります。境目は、刑法上の因果関係のところにあります。もし、Aが川から自力で岸に上がって、その帰り道に、無関係な車にはねられて死亡していたら——認識していた経路は、まったく同じです。でも、この場合は、Xが突き落とした行為の危険が、車にはねられたことの中に現実化した、とは言えません。はい、範囲の外です。ここで、順序が大事になります。因果関係の錯誤は、構成要件的故意が認められるかどうかの話でした。でも、範囲の外に出たときは、その故意の話に、そもそも入りません。客観的な構成要件要素である因果関係が、先に欠けてしまうからです。

だから、Xは、殺人未遂にとどまります。範囲の内側でズレる限り、故意は揺らぎません。でも、範囲の外に出た瞬間、話は故意より手前の、因果関係の段階で終わってしまいます。気づきましたね。前回の問いと、今日の問いは、双子のような関係なんです。

認識必要説と認識不要説——結論は同じ

認識必要説と認識不要説の対比——道筋は違うが、結論は同じ 図:認識必要説と認識不要説の対比——道筋は違うが、結論は同じ

法定的符合説によるこの処理をめぐっては、もう1つ、細かい対立があります。安心してください。今回は、結論は割れません。しかも、初めて見る対立ではありません。以前「因果関係も対象か」で見た、必要説と不要説が、そのまま出てきます。1つ目は、因果関係の認識必要説と呼ばれます。法定的符合説の枠組みの中で、因果関係の認識も必要だと考えます。もう1つは、因果関係の認識不要説です。因果関係についての認識自体、そもそも不要だと考えます。でも、どちらの説でも、結論は同じです。溺れて死ぬはずが橋脚だった——このズレは、どちらの道筋をたどっても、Xの故意を消しません。認識必要説は、因果関係も故意の対象だ、と考える側です。でも、その認識は、刑法上の因果関係の範囲内で符合していれば足ります。認識不要説なら、認識を問わない以上、ズレても故意は消えません。

⭐ 論文で書く規範:認識必要説と認識不要説の結論 因果関係の認識必要説・因果関係の認識不要説——理由づけの道筋は異なるが、結論はどちらも構成要件的故意は阻却されない、で一致する。 (結論の一致(道筋だけが違う))

「割れる論点」として身構える必要はありません。この処理の仕方も、あとで答案の書き方として確認しましょう。

答案での書き分け——因果関係の錯誤は長く書かない

答案での書き分け——因果関係の錯誤の位置づけ 図:答案での書き分け——因果関係の錯誤の位置づけ

今日の答えを、答案の書き方に落とし込みましょう。因果関係の錯誤は、どちらの説でも結論が同じなので、答案では長く書きません。争いが無いところに、紙面を使いすぎないことも大事です。今日は、因果関係の錯誤の扱いだけ、押さえておけば十分です。

今日の地図(保存版)

今日の地図 図:今日の地図

では、今日の内容を、1本の地図にして振り返りましょう。まず、因果関係の錯誤です。認識していた因果経過と、実際の因果経過が食い違う場面でした。山場②では、因果関係も客観的構成要件要素だから、法定的符合説で処理する、という3段階で導きました。あてはめでは、具体的な事実のレベルでは不一致でも、構成要件的評価のレベルでは一致していれば、故意が認められると確かめました。そして、認識必要説と認識不要説——道筋は違っても、結論はどちらも故意を阻却しませんでした。だから、答案では、この点を長く書きません。構成要件というレベルでしか見ない——法定的符合説の性質そのものです。

この先、いくつか、送っておく話があります。今日は、同じ構成要件の中でのズレだけを扱いました。構成要件をまたいでしまった場合には、別の条文が用意されています。そちらは、また別の回で扱います。「経路がズレても、構成要件レベルでは一致する」という今日の考え方は、この先の2つの大きな論点で、そのまま部品として使います。錯誤の話は、これで一区切りです。1つずつ、積み上げていきましょう。

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#28単独ページ動画

事実の錯誤(前編)

第4章 故意と錯誤 ⑤/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

前回までの想起と、今日の問い

2つの予告——今日、両方を回収する 図:2つの予告——今日、両方を回収する

前回まで、法定的符合説を使って、成立する故意犯の個数や、因果関係のズレまで片付けました。以前、2つの軸で地図を整理して、こう予告しました。構成要件をまたいで食い違う場合は、38条という条文で、別の回に処理する、と。その約束、今日、両方とも回収します。構成要件をまたいでしまったとき、故意はどうなるのか。それが、今日の問いです。

⭐ 論文で書く規範:今日の問い 前回までは、認識と発生が同一構成要件内でズレた場合を扱った。 今日の問い:認識と発生が構成要件をまたいで食い違ったとき、故意はどうなるのか。 (今日の出発点)

以前、名前だけ付けて、送っておいた場面があります。今日は、そこから出発しましょう。

抽象的事実の錯誤の処理——今日、その下段を開ける

2軸の地図——今日は、下の段を開ける 図:2軸の地図——今日は、下の段を開ける

2つの軸で地図を整理した回で確かめました。客体の錯誤は、相手そのものの取り違え。方法の錯誤は、見分けは正しいのに、結果だけが別の対象に生じた場合です。では、地図の下の段——抽象的事実の錯誤を、開いていきましょう。以前出した設例を、思い出してください。帰り道の暗がりで、人影を見て、石を投げつけた場面です。頭の中にあったのは「人にケガをさせる」。実際に起きたのは「物が壊れる」でした。今日は、この場面を——設例Rと呼んで、正面から開いていきます。

⭐ 論文で書く規範:抽象的事実の錯誤とは 抽象的事実の錯誤=認識と発生が構成要件をまたいで食い違った場合。 今日は、この場合の処理を定める条文——38条2項——から出発する。 (定義)

この場面を処理する条文が、刑法38条2項です。今日は、その2項に、しっかり向き合います。その前に、先に言っておきたいことがあります。

3つの"符合説"——違いを最初に仕分けておく 図:3つの”符合説”——違いを最初に仕分けておく

この先、似た名前の学説が3つ出てきます。「具体的符合説」「抽象的符合説」「法定的符合説」です。「具体的符合説」と「法定的符合説」は前に学んだ、同一構成要件内での話でした。今日、新しく出てくるのは「抽象的符合説」です。そこも紛らわしいところです。「抽象的事実の錯誤」の”抽象的”は、構成要件をまたぐかどうかという置き場所の話。「抽象的符合説」の”抽象的”は、犯罪というより抽象的なレベルでの一致で足りる、という見比べ方の話です。今日は、法定的符合説を、構成要件をまたぐ場面で使い直します。その対抗馬として、抽象的符合説が登場します。

山場①:38条2項に向き合う

38条2項——重い罪と軽い罪のあいだ 図:38条2項——重い罪と軽い罪のあいだ

では、38条2項を、実際に読んでみましょう。ゆっくり、言葉ごとに分解していきます。

条文刑法38条2項(見出し=故意)

刑法38条2項 重い罪に当たるべき行為をしたのに、行為の時にその重い罪に当たることとなる事実を知らなかった者は、その重い罪によって処断することはできない。

「重い罪に当たるべき行為をしたのに」——行為そのものは、重いほうの罪に当てはまっている、という意味です。でも「行為の時に、その重い罪に当たることとなる事実を知らなかった」——つまり、思っていたことよりも、実際に起きたことのほうが重かった、という場面です。この場合、38条2項はこう言います。重い罪では、処断することはできない、と。「処断する」というのは、その罪として刑を科す、という意味です。重い罪の刑は科せない、ということですね。物を壊すつもりで投げた石が、たまたま人に当たって、ケガをさせてしまった——そんな場面です。

設例Rがどちらのパターンなのかは、次で確かめましょう。

山場①:条文の”空欄”——言っていること、言っていないこと

38条2項の"空欄"——書いてあること、書いていないこと 図:38条2項の”空欄”——書いてあること、書いていないこと

では、38条2項を、もう一度、じっくり見てみましょう。この条文が、実際に答えている問いは、たった1つだけです。主観のほうが軽くて、客観のほうが重い場合——重い罪では処断できない、という一点だけです。ここで、質問です。重い罪では処断できないとき、軽いほうの罪は、成立するのでしょうか?条文は、それについて何と言っているでしょうか?言われてみると……何も、書いていない気がします。38条2項は、重い罪の話しかしていません。軽い罪の成否には、いっさい触れていません。これが、空欄の1つ目です。今度は、逆のパターンを考えてみましょう。主観のほうが重くて、客観のほうが軽かった場合です。

この場合、38条2項は何と言っているでしょうか。38条2項は「重い罪に当たるべき行為をしたのに」と書いていますから、この場合は、条文の入り口にすら当てはまりません。主観のほうが重い場合について、38条2項は、いっさい何も述べていません。主観のほうが重い場合に条文が黙っていること——これが、2つ目の空欄です。そして、その場合の軽いほうの罪がどうなるかも、当然、書かれていません。これが、3つ目の空欄です。この3つの空欄——ここが、これから学ぶ学説対立の生まれる場所です。「38条2項があるから解決する」ではなく「38条2項だけでは解決しない」。ここが、今日いちばん大事な気づきです。

抽象的符合説——一度は魅力的、しかし退く

抽象的符合説——一度は魅力的、しかし退く理由 図:抽象的符合説——一度は魅力的、しかし退く理由

この3つの空欄を、埋めようとした学説の1つが、抽象的符合説です。まず、この立場の言い分を、素直に聞いてみましょう。設例Rを思い出してください。Xは、人にケガをさせるつもりで、石を投げました。抽象的符合説は、こう考えます。悪意をもって、何らかの犯罪の結果を出している以上、何かの罪には問えるべきだ、と。悪いことをして、何か結果が起きた以上——無罪放免はおかしい、という直感は、自然なものです。この立場を、正確な定義で確認しましょう。

⭐ 論文で書く規範:抽象的符合説の定義 およそ犯罪の意思で犯罪の結果が生じた以上は、38条2項の範囲内で、すなわち少なくとも軽いほうの罪については故意犯の成立(既遂)が認められる。 立脚点=主観主義刑法理論(処罰の根拠を行為そのものではなく行為者の危険な人格に求め、故意もその危険さを測る目盛りとして扱う立場)。 (定義(学説=抽象的符合説・少数説))

抽象的符合説に立てば、設例Rのパネルについても、故意犯が認められる余地が出てきます。だから、この立場は、法定的符合説とは違う結論を出す、対抗馬なんです。ただし、この立場には、大きな批判があります。1つ目は、土台の主観主義刑法理論——「危険な人だから罰する」という考え方への批判です。内面の危険性だけを処罰の根拠にすると、歯止めが効かなくなる。刑法の理論の回で確かめたところです。そして、もっと重要なのが2つ目です。この立場は、構成要件を無視するものである、という批判です。思い出してください。刑法は、あらかじめ「これが犯罪だ」という型——構成要件を、条文で定めています。これは、権力が思いつきで人を罰することを防ぐ、罪刑法定主義の土台です。

ところが抽象的符合説は——「犯罪の意思があって、犯罪の結果が出た」というだけで、罪を認めようとします。これは「どの構成要件に当たるか」という、型そのものを素通りしています。あらかじめ型を決めておく意味が、失われてしまいます。

⭐ 論文で書く規範:抽象的符合説への批判 批判① 立脚点である主観主義刑法理論にそもそも問題がある。 批判② 構成要件を無視するものである——罪刑法定主義が要求する”あらかじめ定めた型”を離れて、処罰の範囲を広げてしまう。 (批判(法定的符合説が優位とされる理由))

魅力的に見えた直感も、構成要件という型の前では、退かざるを得ません。では、判例・通説が実際に採る、法定的符合説のほうを見ていきましょう。

山場②:法定的符合説の原則を、同じ理屈で導く

法定的符合説の原則を、同じ理屈で4段に導く 図:法定的符合説の原則を、同じ理屈で4段に導く

ここで、たとえ話をします。病院を想像してください。「内科」と「整形外科」、2つの受付窓口が並んでいます。内科の受付には、こんな貼り紙があります。「38度以上の熱がある人は、優先的に呼びます」。この貼り紙——いわば規範は「内科を受診する人」というくくりに向けられています。Aさんの名前を呼んだつもりで、実は同じ内科の待合室にいたBさんが返事をして、内科を受診したとします。だから、発熱優先のルールは、ちゃんと機能しています。では、内科の受付のつもりで呼んだ声に、隣の整形外科の患者が反応して、そのまま受診してしまったら?

それは……内科の発熱ルールとは、もう関係ない話になっている気がします。発熱優先という規範は、そもそも整形外科という別のくくりには向けられていません。くくり——今日の言葉でいえば構成要件——が違えば——同じ”呼びかけ”でも、規範に向き合ったとは言えないんです。では、この直感を、正式な理屈に組み立て直しましょう。前に使った理屈を、そのまま持ってきます。1段階目。故意の本質は、何だったでしょうか。規範に直面して、反対動機の形成が可能だったのに——あえて行為に及んだことへの、強い道義的非難、でしたね。2段階目です。その規範は、どんなかたちで、私たちに与えられているのでしょうか。

「人を殺すな」というような、構成要件のかたちで、一般国民に与えられている、でしたね。3段階目です。とすれば、認識していた犯罪事実と、発生した犯罪事実とが——構成要件的評価として一致する場合にのみ、規範に直面していたといえます。そのとき初めて、構成要件的故意が認められます。問題は、4段階目です。前は、客体の錯誤でも方法の錯誤でも「人」という構成要件のレベルで、認識と発生が一致していました。では、今日のように——認識と発生が、異なる構成要件にまたがって食い違っている場合は、どうなるでしょうか?行為者は、規範に直面していたとはいえません。よって、原則として、発生した犯罪事実に対する構成要件的故意は、認められません。

前と今日で逆の結論が出た——ここが、今日いちばん伝えたいことです。使っている理屈は、前も今日も、1つも変わっていません。「構成要件的評価として一致する限度でのみ規範に直面した」——この1本の物差しを、そのまま当てているだけです。構成要件の中でズレれば「一致」を映し出して故意を認め、構成要件をまたげば同じ物差しが「不一致」を映し出して故意を否定する。同じ理屈が場面によって違う答えを出す——これが、法定的符合説という1つの立場の、正体です。

⭐ 論文で書く規範:法定的符合説の原則(構成要件をまたぐ場合) 認識していた犯罪事実と、発生した犯罪事実とが構成要件的評価として一致する場合にのみ、規範に直面していたといえる。 構成要件をまたいで食い違う場合、行為者は規範に直面していたとはいえず、原則として、発生した犯罪事実に対する構成要件的故意は認められない。 (規範(判例・多数説の原則))

この原則を、実際の設例にあてはめてみましょう。

客体の錯誤にあてはめる——設例R・設例S

あてはめ①②——設例R・設例S 図:あてはめ①②——設例R・設例S

では、山場②で確定した原則を、実際にあてはめてみましょう。まず、設例Rです。Xは、人にケガをさせるつもりで、暗がりの人影に石を投げました。まず、パネルの側から見ていきます。Xの認識は「人にケガをさせる」——傷害罪の構成要件でした。実際に起きたのは「物が壊れる」——器物損壊罪の構成要件でした。原則どおり、構成要件的故意は認められません。器物損壊罪は成立しません。

条文刑法261条

刑法261条(器物損壊等) 前三条に規定するもののほか、他人の物を損壊し、又は傷害した者は、三年以下の拘禁刑又は三十万円以下の罰金若しくは科料に処する。

261条には、過失を処罰する規定がありません。未遂を処罰する規定もありません。

条文刑法38条1項

刑法38条1項 罪を犯す意思がない行為は、罰しない。ただし、法律に特別の規定がある場合は、この限りでない。

38条1項です。罪を犯す意思がない行為は、罰しない。これが原則です。ただし書きに、特別の規定がある場合は別、とあります。261条には、その特別の規定が無いので、パネルの側は、丸ごと不可罰です。人の側については、ここは慎重に言葉を選ぶ必要があります。傷害罪にも、暴行罪にも、未遂を処罰する規定がありません。だから「未遂か既遂か」は、この場面では結論を左右しません。そもそも、そこには人がいませんでした。誰もいないところに向けた行為を、どう評価するか——これは、独立した論点です。不能犯と呼ばれる話で、未遂を正面から扱う回で、線を引きます。

今日、確定できるのは、パネルの側が構成要件的故意なしで不可罰、というところまでです。次に、設例Sです。38条2項を読んだところで、かたちだけ触れた場面——ここで、正式にあてはめます。Xは、シートをかぶせた荷物を壊すつもりで、石を投げました。シートの下には人——Bがいて、そのBが負傷しました。まず、荷物の側から見ましょう。Xが投げた石は、実際には、荷物ではなくBに当たっています。壊れた荷物が存在しない以上、器物損壊罪の客観的な要件自体がありません。仮に荷物があったとしても、未遂の処罰規定はありません。いずれにせよ、荷物の側は不可罰です。

Bの側は、ここで38条2項の出番になります。Xの認識は「物を壊す」——器物損壊罪でした。実際に起きたのは、Bの負傷——傷害罪でした。主観のほうが軽くて、実際に起きたほうが重い場合——まさに、38条2項が正面から扱っている場面です。だから、傷害罪では処断できません。では、38条2項が答えていない、あの空欄——軽い罪は成立するのか、という問いはどうでしょう。今回は、器物損壊罪という軽い罪自体が、そもそも成り立ちません。Bに向けて石を投げている以上、物を壊してはいないからです。故意犯がまったく成立しないとしたら、Bの側は、どうなるでしょうか。

Bの側は、過失傷害罪——209条の成否を、検討することになります。

方法の錯誤にあてはめる——設例T・設例U

あてはめ③④——設例T・設例U 図:あてはめ③④——設例T・設例U

次は、方法の錯誤です。設例Tを見てみましょう。Xは、Aを殺す意思で、重い石を投げました。ところが手元が狂って、石はAの後ろにあった店のガラス戸に当たり、ガラスが割れました。まず、Aの側から見ましょう。Aに向けて殺意をもって石を投げてはいますが、結果が発生していない以上、既遂にはなりません。

条文刑法199条

刑法199条(殺人) 人を殺した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の拘禁刑に処する。

条文刑法203条

刑法203条(未遂罪) 第百九十九条及び前条の罪の未遂は、罰する。

199条には、未遂を処罰する203条が、ちゃんと用意されています。だから、Aについては、殺人未遂罪が成立します。では、ガラス戸の側はどうでしょうか。さっきと同じパターンな気がします。Xの認識は「人を殺す」——殺人罪の構成要件でした。実際に起きたのは「ガラスが割れる」——器物損壊罪の構成要件でした。構成要件的故意は認められません。器物損壊罪は成立しません。だから、ガラス戸の側は、丸ごと不可罰です。ただし、狙った相手の側は違います。設例Rには、そもそも人がいませんでした。設例Tは、Aが現にそこにいて、殺意もAに向いている。だから、殺人未遂が成立します。次に、設例Uです。Xは、ガラス戸を壊すつもりで、石を投げました。ところが手元が狂って、石は前を歩いていたCに当たり、Cは死亡しました。

まず、ガラス戸の側から見ましょう。器物損壊罪の客観的な要件自体が、そもそもありません。仮に割れていたとしても、未遂の処罰規定はありません。いずれにせよ、ガラス戸の側は不可罰です。ここも、38条2項の出番です。Xの認識は「物を壊す」——軽い罪でした。実際に起きたのは、Cの死亡——殺人罪という、重い罪でした。だから、殺人罪では処断できません。そして、殺人罪という故意犯が成立しない以上、次に検討するのは——Cの側は、過失致死罪——210条の成否を、検討することになります。故意犯の個数を数えた回で確かめた「過失犯の未遂は処罰規定が無く不可罰」も、思い出してください。

過失致死は、既遂か不成立か、その二択で考えます。

4パターンのまとめ——共通するかたち

4パターンのまとめ——共通するかたち 図:4パターンのまとめ——共通するかたち

では、4つの設例を、板にまとめてみましょう。縦の軸が客体の錯誤か方法の錯誤か、横の軸が、人のつもりで物だったか、物のつもりで人だったか、です。1つ目。パネル・荷物・ガラス戸——物の側は、4つとも不可罰でした。ただし、理由は2つに分かれます。設例RとTは、構成要件をまたいで故意が否定されるから、不成立。設例SとUは、そもそも物が壊れておらず、客観的な要件が最初からありません。どちらも261条に未遂も過失も規定が無いので、結局は丸ごと不可罰です。人のほうに向いた側は、それぞれ違う顔をします。対象が実在しなかった設例Rは不能犯の問題として送り、設例S・T・Uは、過失犯か未遂犯として、別の検討に進みます。

2つ目。設例Rと設例Tの「人のつもりで物」は、38条2項が触れていない空欄のパターン。逆に、設例Sと設例Uの「物のつもりで人」は、38条2項が正面から触れている場面でした。条文が触れていようといまいと、答えの出し方は、まったく同じでした。38条2項は、その理屈のごく一部だけを、明文にしたものにすぎません。

今日の地図(保存版)

今日の地図 図:今日の地図

では、今日の内容を振り返りましょう。到達点は3つです。1つ目。抽象的事実の錯誤を処理する38条2項は、実は「主観が軽く、客観が重い」場面にしか答えておらず、3つの空欄が残っていました。でも、その空欄を埋めようとした抽象的符合説は、構成要件を無視するという批判で退けられました。2つ目。代わりに使ったのは、法定的符合説と同じ理屈です。規範は構成要件のかたちで与えられている以上、構成要件をまたぐと、原則として構成要件的故意は認められません。3つ目。あてはめでは、4つの設例すべてで、構成要件をまたいだほうが、故意犯としては不成立になりました。261条に未遂・過失の処罰規定が無いことも、効いていましたね。ただし、これは「原則」です。構成要件が重なり合っているときだけ、故意が認められる例外があります。

次で「構成要件の実質的な重なり合い」として組み立てます。試験で問われるのは、むしろこの例外の側です。この先、送っておく話が3つ。設例Rの不能犯、過失の中身、第1・第2の行為がズレる型は、別の回で扱います。今日は、原則を組み立てるところまでです。1つずつ、積み上げていきましょう。

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#29単独ページ動画

事実の錯誤と実質的符合説(中編)

第4章 故意と錯誤 ⑤/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

前回想起——2つの予告、今日どちらも回収する

前編からの2つの宿題 図:前編からの2つの宿題

前回は、構成要件をまたぐと、原則として故意は認められない、という結論でしたね。構成要件が重なり合っているときだけ、故意が認められる例外がある、とお伝えしました。今日、その問いに、正面から答えます。試験で問われるのは、むしろこの例外の側です。

⭐ 論文で書く規範:今日の問い 前編の原則:構成要件をまたぐと、原則として構成要件的故意は認められない。 今日の問い:例外的に故意が認められる「重なり合い」とは、いったい何を指すのか。 (今日の出発点)

条文を、もう一度確認しておきましょう。

条文刑法38条2項(前編からの再掲)

刑法38条2項 重い罪に当たるべき行為をしたのに、行為の時にその重い罪に当たることとなる事実を知らなかった者は、その重い罪によって処断することはできない。

前編の板に、まだ埋まっていない場所がありましたよね。今日は、その空欄を、1つずつ埋めていきます。

山場①:前編の空欄が、今日埋まる——例外の3段導出

38条2項の空欄——今日の答え 図:38条2項の空欄——今日の答え

空欄の1つ目です。主観が軽く客観が重い場合、軽いほうの罪は成立するのか——38条2項は何も書いていませんでした。今日の答えを、先に言ってしまいます。重なり合いの限度で、成立します。空欄の2つ目、3つ目も先に答えます。主観が重い場合、重い罪はそもそも成立せず、理由は38条2項ではありません。そこは、いちばん誤解しやすい点で、次でじっくり扱います。その場合の軽い罪は、構成要件的故意の有無が問題になります。この答えを支える理屈——今日の背骨を、3段階で組み立てます。まず、1段階目です。法定的符合説は、構成要件をまたぐと、常に構成要件的故意を否定するのでしょうか?

実は違います。法定的符合説が構成要件的故意を否定するのは、「常に」ではなく「原則として」です。2段階目。例外とは、認識していた犯罪事実と発生した犯罪事実——この2つの構成要件が重なり合う場合です。良い例です。占有離脱物横領罪は、持ち主の手を離れた物を自分のものにする罪。窃盗罪との違いは、持ち主の占有の有無だけです。どちらも他人の財物を自分のものにする罪で、重なり合う部分があります。だから、その限度で規範に直面していた、と言えます。前回は、まったく違う構成要件にまたがったので、規範に直面していない、と結論づけました。今日は重なり合う部分がある限り、その部分は規範に直面していた、と言えるんです。

故意とは何かの回の言葉です。決まりに気づき思いとどまれたのに、あえてやった——それが故意の本質でした。そして3段階目。よって、その重なり合いの限度で、構成要件的故意が認められます。

⭐ 論文で書く規範:例外の3段導出 法定的符合説は、構成要件をまたぐ場合、常に構成要件的故意を否定するわけではない。認識していた犯罪事実と発生した犯罪事実の構成要件が重なり合う場合には、その重なり合いの限度で規範に直面していたといえる。よって、その重なり合いの限度で構成要件的故意が認められる。 (規範(実質的符合説による例外の導出))

両方とも他人の財物を自分のものにする、という枠にあります。だから占有離脱物横領罪の限度では、規範に直面していた、と言えます。たとえば、錠前を思い浮かべてください。外から見える鍵穴の形——つまり名前が違っても、内側のピンの並びが同じなら、1本の鍵で、どちらの錠も回ります。逆に、内側の並びがまったく違えば、その鍵は、どちらの錠も回しません。ただし「重なり合う」とは、なんとなく似ている、という意味ではありません。どこまで似れば重なり合うのか——次はその判断基準です。

判断基準はなぜ保護法益と行為態様か

重なり合いの判断基準——導出 図:重なり合いの判断基準——導出

「重なり合う」を暗記ではなく導き出しましょう。構成要件とは、そもそも何を条文の形にしたものでしたか?法律が守りたい利益を、侵害する行為を、型にしたもの、でしたっけ。構成要件は法益を侵害する行為を類型化したものです。つまり構成要件は「法益」と「行為の型」という2つの要素でできています。これが判断基準です。保護法益と行為態様の共通性を基礎に、実質的な重なり合いを判断します。これが実質的符合説、判例・通説の立場です。名前は似ていますが、答えている問いが違います。法定的符合説は、認識と発生が構成要件として一致するかを問う立場。実質的符合説は、その例外——どこまで重なれば故意を認めるか——の線を引く基準です。

⭐ 論文で書く規範:重なり合いの判断基準 理由:構成要件は法益侵害行為を類型化したものである。 結論:保護法益や行為態様の共通性などを基礎として、実質的な重なり合いがあるか否かで判断する(実質的符合説=判例・通説)。 (規範(重なり合いの判断基準))

例えば窃盗罪と占有離脱物横領罪です。どちらも他人の財物を自分のものにする、という点で保護法益も行為態様も共通しています。だから重なり合います。判例で認められているかは、この先で確認しましょう。この基準に、対立する見解もあります。形式的符合説——香川説と呼ばれる、重なり合いを形式的に判断する立場です。構成要件の上で、形式的に重なり合う場合にのみ認める立場です。条文の文言だけで機械的に判定でき、一度は魅力的に聞こえます。ただ、厳密に使うと似た罪同士でもほとんど重なり合わなくなり、処罰の穴が空きます。だから判例・通説は実質的符合説を採ります。

重なり合いを認めた判例を、見分け方にする

重なり合いの判断——2軸マトリクス 図:重なり合いの判断——2軸マトリクス

では、実際に重なり合いを認めた判例を見ていきましょう。代表的な例として、6件、確認します。ただし1件だけ、性質の違うものが混ざっています。この6件を暗記するのが目的ではありません。判断基準——保護法益と行為態様の共通性——で、どの組み合わせも説明がつくことを確かめるのが目的です。

重なり合いを認めた判例6件 図:重なり合いを認めた判例6件

表を見てください。殺人罪と同意殺人罪、強盗罪と窃盗罪、強盗罪と恐喝罪、窃盗罪と占有離脱物横領罪、公文書偽造罪と虚偽公文書作成罪、そして覚醒剤所持罪と麻薬所持罪。窃盗罪と占有離脱物横領罪の組み合わせは、覚えていますか。さっき話した、財物を自分のものにする組み合わせですね。判例が挙げる、定番の組み合わせです。もう1つ、注意したい組み合わせがあります。公文書偽造罪と虚偽公文書作成罪のペアです。実は、重い軽いの差そのものがありません。156条は「前二条の例による」と定めていて、155条の刑をそのまま使います——法定刑が同一なんです。

重なり合いを認めた組み合わせであることは変わりませんが、軽重のペアとしては語れません。法定刑が同じ場合の扱いは、次に、3類型のうち3つ目としてあらためて扱います。最後は、覚醒剤所持罪と麻薬所持罪のペアです……気になる点があります。この判例は、覚醒剤を麻薬だと誤認して、所持していた事案です。

判例最高裁判所第一小法廷決定(覚醒剤を麻薬コカインと誤認して所持した事案)

最高裁判所 昭和六十一年六月九日決定 両罪は、その目的物が麻薬か覚せい剤かの差異があり、後者につき前者に比し重い刑が定められているだけで、その余の犯罪構成要件要素は同一であるところ、麻薬と覚せい剤との類似性にかんがみると、この場合、両罪の構成要件は、軽い前者の罪の限度において、実質的に重なり合っているものと解するのが相当である。

軽い前者の罪は麻薬所持罪です。ここに注意点があります。この事案は、思っていたのが麻薬、実際に持っていたのが覚醒剤——覚醒剤所持罪のほうが法定刑は重いんです。この判例は、次に扱う3類型のうち実際のほうが重いパターンです。まずは「重なり合いを認めた判例」として確認しておいてください。では、その基準がうまく働かない側——重なり合いが否定される、頻出の場面を見てみましょう。

頻出:重なり合いが否定される場合——死体遺棄罪と保護責任者遺棄罪

死体遺棄罪と保護責任者遺棄罪——重ならない 図:死体遺棄罪と保護責任者遺棄罪——重ならない

ここで、設例をもう1つ用意しました。Xは、同居して介護していた家族が息をしていないので死んだと思い込み、遺体を始末するつもりで山中に置き去りにしました。

設例Z——その家族はまだ生きていた 図:設例Z——その家族はまだ生きていた

Xの認識は、死体を遺棄する罪です。実際に起きたのは、生きている人を遺棄する罪でした。まず、条文を確認しましょう。

条文刑法190条(見出し=死体損壊等)

刑法190条(死体損壊等) 死体、遺骨、遺髪又は棺に納めてある物を損壊し、遺棄し、又は領得した者は、三年以下の拘禁刑に処する。

190条の見出しは「死体損壊等」ですが、遺棄の部分だけを取り出して、講学上「死体遺棄罪」と呼びます。今日は、こちらの呼び方で進めます。

条文刑法218条(見出し=保護責任者遺棄等)

刑法218条(保護責任者遺棄等) 老年者、幼年者、身体障害者又は病者を保護する責任のある者がこれらの者を遺棄し、又はその生存に必要な保護をしなかったときは、三月以上五年以下の拘禁刑に処する。

218条です。Xは同居して介護していた——保護する責任のある者にあたります。要件の中身は別の回に譲り、今日は客観面が埋まるところで止めます。190条は3年以下、218条は3か月以上5年以下です。比べるのは、上限です。5年と3年——218条のほうが重い罪になります。下限だけを見ると重そうに見えますが、比べるのは上限です。思っていたほうが軽く、実際のほうが重い場面ですね。前編の38条2項——重い罪では処断できない、あの規定を、もう一度使います。では190条の死体遺棄罪は成立するでしょうか。さっきの判断基準——保護法益と行為態様の共通性——をそのまま使います。

⭐ 論文で書く規範:重なり合いが否定される場合 190条(死体遺棄罪)と218条(保護責任者遺棄罪)は、保護法益(国民の宗教的感情/被遺棄者の生命・身体)も行為態様(死体の遺棄/生きている人間の遺棄)もまったく異にする。だから、実質的符合説から導かれる帰結として、重なり合いが否定される(試験で繰り返し問われる項目)。

(規範(重なり合いの否定例))

国民の宗教的な感情——死者を敬う気持ちです。一方、218条が守るのは被遺棄者本人の生命・身体です。行為態様も違います。死体を遺棄する行為と生きている人間を遺棄する行為は、まったく別のものです。だから190条と218条は重なり合いません。190条の客観——死体を遺棄した、という事実が、この事案にはありません。その家族は生きていたからです。重なり合いが認められれば、218条の側の事実をその限度で使えました。否定された以上、使えません。だから故意犯は、どちらも成立しません。故意犯だけでなく過失犯も成立しません。218条には過失犯を処罰する規定がそもそも無いんです。38条1項のただし書——過失犯の処罰は例外だと確認しましたね。過失犯の受け皿になりうるのは210条や211条の過失致死傷罪です。ですがこれらは死亡や傷害という結果が発生していることが構成要件要素です。この事案には、その結果がありません。だから故意犯も過失犯も成立せず、この設例は不可罰です。過失犯の仕組み自体は、また別の回で扱います。

実は、ここは判例名を挙げません。この結論を明確に示した最高裁の判例は見当たらないからです。だから「実質的符合説から導かれる帰結として否定される」——理屈で押さえてください。試験では、繰り返し問われる場面です。

今日の地図(保存版)

今日の地図 図:今日の地図

では、今日の内容を振り返りましょう。前編は、38条2項に3つの空欄を見つけたところで終わりました。埋めた道具は、1つの理屈でした。重なり合いの限度で、規範に直面していた。この一文が、今日の背骨です。判例6件もこの2つで説明がつきました。死体遺棄罪と保護責任者遺棄罪は、この2つが異なるので重なり合いません。次は、主観のほうが重い場合、軽い場合、同じ重さの場合——3つの型に分けて、この基準を実際に使う番です。答案の書き方まで仕上げます。今日は、例外がどこまでなぜ認められるかを積み上げました。次は、その道具を実際に使いましょう。

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#30単独ページ動画

事実の錯誤の3類型(後編)

第4章 故意と錯誤 ⑤/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

前回想起——重なり合いの道具箱

前回の道具箱 図:前回の道具箱

前回は、38条2項の3つの空欄のうち、重なり合いという例外を、正面から組み立てました。「重なり合いの限度で規範に直面していた」という前回の背骨を、よく覚えていますね。では、前回の確認です。その重なり合いは、何を基準に判断するのでしたか?保護法益と行為態様の共通性で実質的に判断する——それが実質的符合説でしたね。前回は、この基準で説明がつく判例を6件、確認しました。そして、基準が働かない側——重なり合いが否定される場面も、1つ見ましたね。道具はもう1つ、3つの空欄が出てきた条文です。今日も何度も戻るので、もう一度出しておきます。

条文刑法38条2項(前編・中編からの再掲)

刑法38条2項 重い罪に当たるべき行為をしたのに、行為の時にその重い罪に当たることとなる事実を知らなかった者は、その重い罪によって処断することはできない。

前回は、3つの空欄のうち2つ目と3つ目——主観のほうが重い場合の話——を、答えだけ先に出して、理屈は今日に持ち越しました。今日は、この道具箱をフルに使って、実際に答案を書く型を組み立てます。

3類型①:主観のほうが重い場合

答案の型①——設例V(主観のほうが重い場合) 図:答案の型①——設例V(主観のほうが重い場合)

ここからは判断基準を使い、実際に処理する型を組み立てます。まず設例を見ていきましょう。設例Vと呼びます。Xは、隣に座るDの持ち物だと思って、カバンを持ち去りました。実際には、30分前に別の客が置き忘れていて、誰の占有も及んでいませんでした。条文を、確認しておきましょう。

条文刑法235条

刑法235条(窃盗) 他人の財物を窃取した者は、窃盗の罪とし、十年以下の拘禁刑又は五十万円以下の罰金に処する。

条文刑法254条(見出し=遺失物等横領)

刑法254条(遺失物等横領) 遺失物、漂流物その他占有を離れた他人の物を横領した者は、一年以下の拘禁刑又は十万円以下の罰金若しくは科料に処する。

254条の見出しは「遺失物等横領」ですが、講学上は「占有離脱物横領罪」と呼びます。重い罪——窃盗罪が成立しない理由は、何だと思いますか?38条2項が使えるからではありません。「38条2項が使えるから」というのは、よくある誤解です。今回は、他人の占有という窃盗罪の客観的要件そのものが最初から存在せず、38条2項の出番ですらありません。こちらには、客観的な要件があります。持ち主のいない物を、Xが自分のものにしています。だから、問題になるのは、構成要件的故意の有無です。

⭐ 論文で書く規範:答案の型①(類型①・主観のほうが重い場合の処理) 重い罪(窃盗罪)は、客観的構成要件に該当する事実が存在しないから不成立(38条2項とは無関係)。軽い罪(占有離脱物横領罪)は、構成要件的故意の有無が問題となり、故意の本質から論じる。保護法益・行為態様の共通性により重なり合いの限度で故意があるので、軽い罪が成立する。 (答案の型(類型①))

故意の本質から論じます。窃盗罪と占有離脱物横領罪は、財物という保護法益、財物を得るという行為態様が、共通していましたね。占有離脱物横領罪の限度で、規範に直面していたと言えます。だから、構成要件的故意が認められます。主観のほうが重い場合、重い罪は客観が無くて不成立、軽い罪は故意の本質から成立する——これが1つ目の型です。

山場②:3類型②・主観のほうが軽い場合——①との対比

答案の型②——設例W(主観のほうが軽い場合) 図:答案の型②——設例W(主観のほうが軽い場合)

設例Vでは占有離脱物横領罪が成立しました。ここで問題です。重い罪の意思ではなく、重い罪の事実のほうが起きていたら、結論は変わるでしょうか、変わらないでしょうか?では確かめてみましょう。設例Wです。条件を1つだけ変えます。Xは、誰かの置き忘れだと思ってカバンを持ち去りました。実際には、持ち主のDが数メートル先の売店にいて、すぐ戻るつもりでした。Xの認識は占有離脱物横領罪、実際に起きたのは窃盗罪——思っていたほうが軽く、実際のほうが重い場面です。もう一度聞きます。重い罪——窃盗罪が成立しない理由は、何でしょうか。

今度は逆です。窃盗罪が処断できないのは、まさに38条2項が適用される結果です。では、軽いほうの占有離脱物横領罪はどうでしょう。構成要件的故意は、ありますか。構成要件的故意は当然あります。問題は、対応する軽い客観——占有離脱物横領罪の客観的要件が実際に存在するかどうかです。しかも故意の本質からは論じられません。故意はすでにあるからです。客観的構成要件該当性の判断を実質的に行うべき、という視点から論じます。

⭐ 論文で書く規範:答案の型②(類型②・主観のほうが軽い場合の処理) 重い罪(窃盗罪)は、38条2項が適用される結果として不成立となる。軽い罪(占有離脱物横領罪)の構成要件的故意は当然ある——問題は客観的構成要件該当性の有無であり(故意の本質からは論じられない)、その判断は実質的に行うべきという視点から、保護法益・行為態様の共通性を見る。その結果、軽い罪が成立する。 (答案の型(類型②))

財物という保護法益、財物を得る行為態様が共通しています。重なり合いの限度で、占有離脱物横領罪の客観的構成要件該当性が認められます。ただし、成立するのは、重なり合いが認められたからです。たとえば、前回の設例Z——介護していた家族を山中に置き去りにした場面では、保護法益も行為態様も違っていました。だから、軽いほうの死体遺棄罪まで、成立しませんでした。ここで、設例Vと設例Wを、並べてみましょう。

設例V・設例W対比——結論は同じ、理由が違う 図:設例V・設例W対比——結論は同じ、理由が違う

設例Vも、設例Wも、最終的な結論は、まったく同じです。占有離脱物横領罪が成立します。設例Vは「客観が無いから重い罪が落ち、故意の有無を問う」道。設例Wは「38条2項で重い罪が落ち、客観の有無を実質的に問う」道。この2つを答案で取り違えると、論理が破綻します。軽重を比べた結果、どちらが重いかで決まります。思っていたほうが重ければ設例Vの型、実際のほうが重ければ設例Wの型です。同じ舞台、同じ財産犯なのに、条件を1つ変えただけで、書き出しの理由づけが変わる——ここが、今日いちばんの到達点です。

3類型③:同じ重さの場合

答案の型③——設例Y(同じ重さの場合) 図:答案の型③——設例Y(同じ重さの場合)

最後の類型です。設例Yを見てみましょう。Xは運び屋として、袋を1つ国外から持ち込みました。中身は覚醒剤だと聞かされていましたが、実際に入っていたのはヘロイン——麻薬でした。まず軽重を比べます。覚醒剤輸入罪も麻薬輸入罪も、法定刑は1年以上の有期拘禁刑です。3つ目の特徴です。1つめと2つめの類型は、どちらが重いかで理由づけが分かれますが、今回は軽重そのものに差がありません。重い罪を先に落とす、というその手順自体が要りません。38条2項は「重い罪に当たるべき行為をしたのに」と書いていました。軽重に差が無ければ、出番がないんです。覚醒剤輸入罪のほうは、実際に持ち込んでいないので客観がありません。残るのは、麻薬輸入罪が成立するかどうか、その一点です。

⭐ 論文で書く規範:答案の型③(同じ重さの場合の処理) 覚醒剤輸入罪と麻薬輸入罪の法定刑は同一(いずれも1年以上の有期拘禁刑)=軽重の差が無い。重なり合いが認められれば、客観に対応した犯罪の成立を認める。 (答案の型(類型③))

実際に起きたほう、つまり麻薬輸入罪です。保護法益は、どちらも保健衛生——規制薬物の濫用防止です。行為態様も、規制薬物を輸入する行為で共通しています。同じ考え方を採ったのが、最高裁のある決定です。

判例最高裁判所第一小法廷決定(刑集三三巻二号一四〇頁)

最高裁判所 昭和五十四年三月二十七日決定 両罪は、その目的物が覚せい剤か麻薬かの差異があるだけで、その余の犯罪構成要件要素は同一であり、その法定刑も全く同一であるところ、前記のような麻薬と覚せい剤との類似性にかんがみると、この場合、両罪の構成要件は実質的に全く重なり合っているものとみるのが相当であるから、麻薬を覚せい剤と誤認した錯誤は、生じた結果である麻薬輸入の罪についての故意を阻却するものではないと解すべきである。

成立する罪名だけでなく、科される刑も麻薬輸入罪の刑によります。法定刑は同じでも、犯情の軽い覚醒剤輸入罪の刑で処断するのは誤りだと、最高裁は明言しています。薬物ならいつも同じ結論になるわけではありません。そこが注意点です。同じ重さになるのは覚醒剤とヘロインのような特定の組み合わせだけです。麻薬の種類によっては法定刑がもっと軽く、同じ重さにならない場合もあります。設例で薬物名を出すときは、そこまで確認する必要があります。今日は、ヘロインで固定しています。

3類型の処理フロー——まとめ図

3類型の処理フロー 図:3類型の処理フロー

今日組み立てた処理を、1本のフローにまとめます。まず軽重を比べ、どちらが重いか、同じ重さかに分かれます。軽重に差があれば、重い罪が落ちる理由を選びます。思っていたほうが重ければ客観が無いから、実際のほうが重ければ38条2項の適用の結果です。軽い罪について何を問うかも、それに応じて決まります。構成要件的故意の有無か、客観的構成要件該当性の有無か。最後に保護法益と行為態様で、重なり合いを実質的に判断します。同じフローを通っても、判断基準を満たさなければ、重なり合いは認められません。結論は、事案ごとに変わります。

軽重を比べる、理由を選ぶ、問いを立てる、実質的に判断する——このフローがあれば、初めて見る罪名の組み合わせでも、自分で処理できます。

今日の地図(保存版)

今日の地図 図:今日の地図

では、今日の内容を振り返りましょう。今日は、3類型の処理を仕上げました。①は客観が無くて重い罪が落ち、故意の本質で軽い罪を認める。②は38条2項で重い罪が落ち、客観の実質判断で軽い罪を認める。同じ重さの③は、重い罪を先に落とす手順そのものが要らず、客観に対応した罪を認めます。前編で見つけた38条2項の3つの空欄、中編で組み立てた重なり合いの3段導出と判断基準——この2つが無ければ、今日の型は組み立てられませんでした。錯誤4部作の3本目、前編・中編・後編、これで閉じます。次は、大きな山をもう1つ越えます。第1の行為で終わったと思って、第2の行為に移る——そのとき、2つの行為のあいだで何が起きているのか。次で、錯誤シリーズを閉じます。

今日は、道具を実際に使って、答案の型まで組み立てました。次も、1つずつ進みましょう。

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#31単独ページ動画

ウェーバーの概括的故意(前編)

第4章 故意と錯誤 ⑥/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

前回の続き、そして——概括的故意、3回目の登場

前回までの続き 図:前回までの続き

前回は、事実の錯誤の3類型の処理を仕上げ、これで錯誤シリーズを閉じると予告しました。ただ、実際に組み立ててみると、その山には2つの型があることが分かりました。今日はその1つ目です。今日の型を見たあとで、逆の型を見ると、錯誤シリーズがきれいに閉じます。本題に入る前に、もっと前の宿題を1つ、片付けておきます。以前、概括的故意という言葉には、まだ扱っていない意味がもう一つあると予告しました。覚えていますか?大丈夫です。ここで一度、3つ並べて整理しましょう。

概括的故意、3つの弁別 図:概括的故意、3つの弁別

1つ目は、客体の個数が不確定な場合の概括的故意でした。誰かは分からないが、誰かには当たる、という認識のことでしたね。2つ目は、ヘルマンの概括的故意でした。具体的にどの種類かまで分かっていなくても、上位の類の認識があれば構成要件的故意を認めてよいか、という故意の中身の精度の問題でした。そして3つ目が、今日の話です。今日のウェーバーの概括的故意は、故意の種類の話ですらありません。第1の行為から第2の行為までを、1つの故意でつなげて評価できるかという、まったく別の問題の呼び名です。以前、そう言って気をつけると約束してもらいましたが、まさにその瞬間です。それから、ウェーバーという呼び方は人名ですが、誰かの意見に従うという話ではありません。この問題類型そのものの名前です。

問題の所在——どちらも足りないように見える

設例K——行き止まりの正体 図:設例K——行き止まりの正体

設例を見てみましょう。設例Kと呼びます。たとえば、Xは、Aを殺すつもりで、深夜、解体作業中の空き家で、木製の角材でAの頭部を殴りつけました。殴ったほうの行為、第1の行為です。この時点では、Aはまだ死んでいません。Aが動かなくなったので、XはAが死んだと思い込み、犯行の発覚をおそれて、Aを解体済みの壁材のがれきの下に押し込んで隠しました。隠したほうの行為、第2の行為です。Aは殴られた時点ではまだ生きていました。がれきの重みで胸部を圧迫され、窒息して死亡します。これが、今日の論点の定義そのものです。行為者が第1の行為で結果を発生させたと思い、第2の行為を行ったところ、実は第2の行為によりはじめて結果が生じた場合——これが今日、扱う場面です。

迷って当然です。整理してみましょう。殴ったほうの行為には、殺す故意があります。しかし、その時点でAは死んでいません。結果が、足りません。故意があるほうには結果がなく、結果があるほうには故意がない。どちらの行為も、単独では殺人罪が完成しないように見えます。今日は、この一見の行き止まりを、順番に処理していきます。

処理①行為の個数——2個か、1個か

行為の個数——従来の有力説と本書 図:行為の個数——従来の有力説と本書

まず、行為をいくつと数えるかを決めます。従来の有力な考え方は、原則として2個としながら、時間的・場所的に接着していれば、例外的に全体を1個の行為とみることができる、というものでした。ただし、本書が採る通説は、そもそも接着しているかどうかを問いません。常に2個の行為とみます。理由は、故意の中身にあります。殴ったほうの行為の故意は、殺す故意です。隠したほうの行為の故意は、死体を処理する故意です。第1行為と第2行為とでは、故意の内容が大きく異なります。だからこそ、いくら時間的・場所的に接着していても、分断して2個の行為とみるのが妥当です。

⭐ 論文で書く規範:答案の型①(行為の個数) 通説(本書)の結論は、行為を2個とみる。理由は、第1行為と第2行為とでは、行為者の有する故意の内容が大きく異なる以上、いくら時間的・場所的に接着していようとも、分断して2個の行為とみるのが妥当であるから。 (答案の型(行為の個数))

この理由づけは、そのまま覚えてください。故意の内容が大きく異なる——この一言が、通説の理由です。実は、時間的・場所的に接着している、という言葉が要らなくなった理由こそ、次に見る内容です。

なぜ、かつては「1個の行為」が必要だったのか

旧処理の系譜——迂回路だった理由 図:旧処理の系譜——迂回路だった理由

かつての考え方を、順番にたどってみます。まず、行為を2個に分けたまま考える前提に立ちます。ただ、当時の因果関係の判断は、折衷的相当因果関係説という立場でした。一般人が予見できず、行為者も現に知らなかった事情は、判断の材料から外れる、という考え方です。はい、詳しい中身はそちらに譲ります。ここで必要なのは一言だけです。一般人が予見できず、行為者も現に知らなかった事情は、判断の材料から除かれます。当時の発想では、一般人にも予見できず、行為者も現に知らなかった出来事とされました。すると「殴った結果、隠されて窒息死した」という流れは、通常あり得る展開として説明できない、つまり相当とはいえないことになります。

結論として、殴ったほうの行為は殺人未遂にとどまり、隠したほうの行為は過失致死にとどまる、とされていました。そこで登場するのが、「時間的・場所的に接着していれば、全体を1個の行為とみる」という例外です。行為を1個とみてしまえば、殺す故意で始まり死亡結果まで出た、1つの行為として、まとめて殺人既遂を導けます。行為を分けたままでは因果関係が切れてしまうから、無理にでも1個にまとめる必要があった——それが、かつての処理でした。因果関係の判断そのものが広がったからです。今の判例の立場は、危険の現実化と呼ばれます。この立場は、犯行の発覚をおそれて死体を隠す、あるいは運ぶという展開を、誰の目にも十分ありうると評価します。決して異常な出来事ではありません。

だから、行為を分断したままでも、因果関係を肯定できます。迂回路そのものが、要らなくなったんです。次は、その因果関係の判断を、設例Kに当てはめてみましょう。

処理②因果関係——危険はどこにあったか

因果関係のあてはめ——否定に振ってから肯定に戻る 図:因果関係のあてはめ——否定に振ってから肯定に戻る

因果関係の判断枠組みそのものは、因果関係の回で組み立てたものを、そのまま使います。ここでは再説明せず、あてはめだけをやります。まず、否定に振る事情から見てみましょう。Aの死因を直接作ったのは、殴ったほうの行為ではなく、隠したほうの行為です。がれきの重みで胸部が圧迫されて窒息した、という経過です。そう見えます。行為の寄与度と、介在事情の寄与度、どちらが結果に大きく効いたか——その物差しでいうと、ここだけ見れば、因果関係は否定に傾きそうです。ここで、決め手になる一文があります。殺害行為に及んだ者が、犯行の発覚をおそれて被害者を遺棄することは、十分にありうる。

殴ったほうの行為をした時点で、隠された末に死ぬという結果を発生させる危険性が、すでに含まれていたと評価できます。この振れ幅こそが、この場面の面白いところです。介在事情だけを見れば寄与度が大きく見えても、その介在事情自体が、第1行為から自然に続く展開なら、危険は途切れていません。

⭐ 論文で書く規範:答案の型②(因果関係のあてはめ) 第2行為(隠す行為)の介在事情としての寄与度は大きく見えるが、殺害行為に及んだ者が犯行の発覚をおそれて被害者を遺棄することは十分にありうる以上、第1行為には結果を発生させる危険性が含まれていた。よって第1行為と死亡結果との間に因果関係が認められる。 (答案の型(因果関係))

処理③故意の有無——因果関係の錯誤

因果関係の錯誤——3段でそのまま当てる 図:因果関係の錯誤——3段でそのまま当てる

因果関係が認められても、まだ足りません。次は故意です。Xは、殴ってすぐに死ぬところを思い描いていました。実際には、隠されたあとで窒息して死んでいます。この食い違いを、因果関係の錯誤と呼びます。あのときの結論を、そのまま持ってきます。因果関係も、構成要件的故意が対象とする事実の一つです。ただし、認識していた因果経過と実際に生じた因果経過が、ともに刑法上の因果関係の範囲内にあるかぎり、構成要件的故意を認めてよい、という結論でした。設例Kに当てはめます。Xが認識していた経過は、殴って即死させる、というものです。実際に生じた経過は、殴って隠して窒息死させる、というものです。

どちらの経過も、刑法上の因果関係が認められる経過です。だから、客観と主観が、ともに刑法上の因果関係の範囲内にあります。

⭐ 論文で書く規範:答案の型③(因果関係の錯誤) 因果関係も構成要件的故意の対象となるが、客観と主観がともに刑法上の因果関係の範囲内にあるかぎり、構成要件的故意を認めるべきである。設例Kでは、認識していた経過(殴打による死亡)も、実際の経過(殴打から隠匿を経た窒息死)も、ともに刑法上の因果関係の範囲内にある。 (答案の型(因果関係の錯誤))

殴ったほうの行為には、Aを殺す故意があり、Aの死亡との間に因果関係があり、その因果関係の錯誤も故意を妨げません。殴ったほうの行為だけで、すでに殺人罪の既遂が成立しています。結果が足りないように見えた殴ったほうの行為は、実は最初から、結果まで届く危険を抱えていたんです。ただ、これで話が終わるわけではありません。隠したほうの行為が、何も残さないのかどうか、まだ確認していません。

処理④第2行為の評価——死体遺棄のつもりが、殺人だった

隠したほうの行為——主観と客観がまるごとズレる 図:隠したほうの行為——主観と客観がまるごとズレる

続いて、隠したほうの行為を見ていきます。ここで、Xの頭の中身を思い出してください。主観は、死体遺棄の故意です。ところが客観的には、Aはまだ生きていました。実際にXがしていたのは、生きている人間を死なせる行為です。1つの死亡結果を二重に数えているわけではありません。死因を直接作ったのは、隠したほうの行為でした。それでも、その展開は殴ったほうの行為から自然に続くものだったので、殴ったほうの行為の危険も途切れていない——という関係でした。そのうえで、隠したほうの行為そのものを、もう一度見ます。主観は死体遺棄、客観は人を死なせた行為です。

主観が死体遺棄、客観が殺人——これは、前回まで扱ってきた、抽象的事実の錯誤の場面です。まず、重いほうの罪、殺人罪から見ていきます。条文を確認しましょう。

条文刑法199条

刑法199条(殺人) 人を殺した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の拘禁刑に処する。

ですが、Xには殺す故意がありません。ここで、以前組み立てた道具を思い出してください。

条文刑法38条2項

刑法38条2項 重い罪に当たるべき行為をしたのに、行為の時にその重い罪に当たることとなる事実を知らなかった者は、その重い罪によって処断することはできない。

殺人罪は、この条文によって、Xを処断する罪としては使えません。殺人罪は不成立です。殺意の認定そのものは、殺人罪を正面から扱う回に譲りますが、今日は成立要件がそろわないという結論だけ押さえてください。死体遺棄罪が成立するかどうかが、今日いちばん見落としやすいところです。条文を見てみましょう。

条文刑法190条(見出し=死体損壊等)

刑法190条(死体損壊等) 死体、遺骨、遺髪又は棺に納めてある物を損壊し、遺棄し、又は領得した者は、三年以下の拘禁刑に処する。

条文の見出しは「死体損壊等」ですが、講学上は「死体遺棄罪」と呼びます。この呼び方の対応は、この先も同じです。ここで問題です。死体遺棄罪は、成立すると思いますか。実は、成立しません。理由は、死体遺棄罪と殺人罪とでは、両罪は保護法益がまったく異なるからです。殺人罪が守っているのは、生きている人の命です。死体遺棄罪が守っているのは、国民の宗教的感情——死者を敬う気持ちです。Aは隠された時点で、まだ生きていました。生きている人に対して、死体遺棄罪は成立しようがありません。前々回は、死体遺棄罪と保護責任者遺棄罪でした。今日は、殺人罪と死体遺棄罪です。どちらも死体遺棄罪が顔を出しますが、組み合わせる相手が違います。混同しないでください。死体遺棄罪そのものの詳しい中身は、また別の回に譲ります。

故意犯としては、何も残りません。ただし、過失は別です。Xは、Aが本当に死んでいるかどうかを確認せずに隠しています。ここに、過失致死罪が成立する余地があります。

条文刑法210条

刑法210条(過失致死) 過失により人を死亡させた者は、五十万円以下の罰金に処する。

事情によっては、重過失致死罪が成立することもあります。ほんのわずかな注意を払えば結果を避けられたのに、それすら怠った、という場合です。刑法211条の後段にあたる罪で、法定刑は業務上過失致死傷と同じ、五年以下の拘禁刑または百万円以下の罰金です。中身は別の回に譲りますが、今日は名前だけ覚えておいてください。

法定刑の並置——210条だけ拘禁刑がない 図:法定刑の並置——210条だけ拘禁刑がない

だから、隠したほうの行為だけを取り出して処罰しても、せいぜい罰金で終わってしまいます。隠したほうの行為についての結論は、こうなります。過失致死罪、あるいは重過失致死罪は、成立する余地はあります。ですが、これはすでに成立している殺人罪と保護法益が同じで、しかも時間的・場所的に近接しています。だから独立に処罰せず、重い殺人罪の包括一罪として扱われます。

⭐ 論文で書く規範:答案の型④(第2行為の評価) 隠したほうの行為は、主観(死体遺棄の故意)と客観(殺人)が食い違う抽象的事実の錯誤である。まず殺人罪は38条2項により不成立。次に死体遺棄罪も、両罪は保護法益がまったく異なるため不成立。過失致死罪・重過失致死罪は成立しうるが、第1行為の殺人罪と保護法益が同一かつ時間的・場所的に近接するため、重い殺人罪の包括一罪となる。 (答案の型(第2行為の評価))

違います。観念的競合は、1個の行為が2つ以上の罪名に触れる場面の処理でした。包括一罪は、それとは別の、複数の犯罪を1個として評価する場面の名前です。今日は、名前だけ覚えておいてください。中身は、罪数を正面から扱う回に譲ります。今、大事なのは、罪の名前が1つに畳まれる、ということだけです。

離れていても結論は変わらない——設例L

設例L——距離を離してみると 図:設例L——距離を離してみると

最後に、条件を1つ変えた設例を見ておきます。設例Lと呼びます。設例Kと同じ事案で、Aを隠した場所が、空き家から車で40分離れた山中だった場合を考えます。かつての考え方なら、接着していない以上、1個の行為とみることはできません。折衷説の枠組みでも、隠す行為は基礎事情から外れて、殴ったほうの行為は殺人未遂、隠したほうの行為は過失致死にとどまっていました。通説は、そもそも接着しているかどうかを見ていません。どちらにせよ、行為は2個です。因果関係の判断も変わりません。犯行の発覚をおそれて被害者を遺棄することは、車で40分の距離であっても、十分にありうる展開です。

かつての考え方だけが、距離に振り回されていたんです。通説は、距離を見ずに、故意の中身と因果関係の実質だけで判断します。

今日の地図(保存版)

今日の地図 図:今日の地図

では、今日の内容を振り返りましょう。でも実際には、行き止まりではありませんでした。まず、行為を2個と数えます。理由は、故意の内容が大きく異なるからでした。犯行の発覚をおそれて被害者を遺棄することは十分にありうる——だから、殴ったほうの行為には、すでに結果を発生させる危険が含まれていました。認識していた経過も、実際の経過も、ともに刑法上の因果関係の範囲内にありました。だから、構成要件的故意が認められ、殴ったほうの行為だけで、殺人罪の既遂が完成していました。抽象的事実の錯誤として処理すると、殺人罪も死体遺棄罪も成立せず、残るのは過失犯だけでした。その過失犯は独立に処罰されず、重い殺人罪に包括されます。過失そのものの中身は、次の章で正面から扱います。

分けたからこそ、それぞれを正確に評価でき、結果として1個の罪にたどり着けたんです。答えは、つなげる必要はなかった、です。行為を2個に分けたまま、因果関係と故意を別々に確かめれば、殴ったほうの行為だけで殺人罪は完成しました。ウェーバーの概括的故意という名前は、この問題そのものの呼び名として覚えておけば足ります。行為の個数の考え方だけが、新しい道具でした。因果関係の判断は因果関係の回で、因果関係の錯誤の処理は因果関係の錯誤の回で、第2行為の評価は事実の錯誤の3類型の回で、それぞれ組み立てたものです。

次は、今日の裏返しの型を見ます。第2の行為で殺すつもりだったのに、実は第1の行為の時点で、すでに死んでしまっていた場合です。次で、錯誤シリーズを閉じます。

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#32単独ページ動画

早すぎた構成要件の実現(後編)

第4章 故意と錯誤 ⑥/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

前回の受け——今日は、裏返しの型

裏返し板——前編と今日の2×2 図:裏返し板——前編と今日の2×2

前回、次はこの回の裏返しの型を見ると予告しました。第2の行為で殺すつもりだったのに、実は第1の行為の時点で、すでに死んでしまっていた場合です——覚えていますか?前回の最後に、そうおっしゃっていましたね。同じ2つの行為なのに、何が問われるかが入れ替わるんですね、とも言いました。今日は、まさにそこを確かめていきます。まず、前回の板を並べてみましょう。左が前回、右が今日です。前回は、殴ったほうの行為に殺す故意があって、結果はまだ出ていませんでした。結果は、隠したほうの行為で、初めて出ました。今日は、第1の行為の時点で、もう結果が出てしまっています。殺す故意があるのは、まだ実行していない、第2の行為のほうです。

「先に結果、あとで殺意」——これが、今日の型の正体です。早すぎた構成要件の実現、と呼びます。

早すぎた構成要件の実現とは——先に結果、あとで殺意

問題の所在——設例Mと、2つの問い 図:問題の所在——設例Mと、2つの問い

定義を確認しましょう。行為者は第2行為で結果を発生させるつもりでした。ところが実際には第1行為の段階で、結果がすでに発生していた場合——これが、今日の場面です。設例で見てみましょう。設例Mと呼びます。Xは、Aを殺すつもりでした。まず、睡眠薬入りの飲み物を飲ませて、深く眠らせます。第1の行為です。Xの計画では、この段階は準備です。そのうえで、人けのない用水路までAを運び、転落させて溺れさせ、殺そうと考えていました。第2の行為です。計画どおり、Aは眠り込みました。ところが実は、この時点で、Aは薬物の作用によって、すでに死亡していたんです。

Xは、それに気づかないまま、Aを用水路に転落させました。ここで、問いが2つ立ちます。1つ目、第1の行為の時点で殺人罪の実行の着手があったといえるか。2つ目、第1の行為の時点で構成要件的故意があったといえるか。どちらも、第1の行為の時点、なんですね。ここで、43条を見ておきましょう。

条文刑法43条

刑法43条(未遂減免) 犯罪の実行に着手してこれを遂げなかった者は、その刑を減軽することができる。ただし、自己の意思により犯罪を中止したときは、その刑を減軽し、又は免除する。

犯罪が、やり遂げたほうになるか、やり遂げなかったほうになるかは、どこから実行に着手したと見るかで決まります。だからこそ、着手の時点をいつと見るかが、今日いちばんの争いどころになります。前回はあえて出しませんでした。前回の争いどころは、着手の時点ではなく、因果関係だったからです。今回は、着手そのものが問われる場面です。

実行の着手——密接性の3要素

実質的客観説と、密接性の3要素 図:実質的客観説と、密接性の3要素

まず、実行の着手そのものの考え方を確認します。実質的客観説——通説の立場です。構成要件的結果発生の現実的危険性を含む行為を開始した時点で、実行の着手を認めます。似ていますが、別物です。あちらは実行行為の話で、法益侵害の現実的危険性がある行為かどうか——行為そのものを見ました。今日は実行の着手の話で、その危険がいつ動き出したのか——時点を見ます。言葉は似ていますが、混ぜないでください。この定式の一般論や、対立する考え方は、実行の着手を正面から扱う回に譲ります。今日は、早すぎた構成要件の実現という場面で必要な限りで使います。

問題は、いつその危険な行為が開始されたと見るか、です。ここで使う物差しが、これです。第1行為が第2行為と密接な行為であるといえる場合には、第1行為の時点で実行の着手があったといってよい。3つの要素で決めます。1つ目、第2行為を確実かつ容易に行うために、第1行為が必要不可欠だったか。2つ目、第1行為に成功したあと、第2行為を遂行するうえで障害となるような特殊の事情がなかったか。3つ目、第1行為と第2行為が、時間的場所的に近接しているか。3つとも満たせば、着手は第1行為までさかのぼる、ということですね。設例Mに当てはめてみましょう。

設例Mへのあてはめ——計画と、実際に起きたこと 図:設例Mへのあてはめ——計画と、実際に起きたこと

1つ目、必要不可欠かを確かめます。Aに抵抗されずに用水路まで運ぶには、あらかじめ眠らせておく必要がありました。満たしています。深夜で、人けのない場所への移動です。眠らせたあとの搬送を妨げる事情は、特にありません。ここも満たしています。睡眠薬を飲ませた同じ晩のうちに、車で十数分の距離にある用水路まで運んでいます。これも満たしています。第1行為は、第2行為と密接な行為だといえます。だから、第1の行為を開始した時点で、もう殺人罪の実行の着手があった、と評価できます。

⭐ 論文で書く規範:答案の型①(実行の着手) 実行の着手は、構成要件的結果発生の現実的危険性を含む行為を開始した時点で認める(実質的客観説)。第1行為が第2行為と密接な行為であるといえる場合には、第1行為の時点で実行の着手があったといってよい。 密接性は、①確実かつ容易に行うために必要不可欠であったか、②第2行為を遂行するうえで障害となるような特殊の事情が存したか否か、③時間的場所的に近接しているか否か、で判断する。 (答案の型(実行の着手))

着手は、Xの頭の中の区切りではなく、計画全体を通した客観的な危険性で判断するからです。

構成要件的故意と、もう一度の因果関係の錯誤

故意も、同じ基準で繰り上がる 図:故意も、同じ基準で繰り上がる

実行の着手が、第1行為まで繰り上がりました。でも、それだけでは足りません。次は、故意です。第1の行為の時点で殺す故意があったといえるか——そこが、初学者のいちばん引っかかるところです。Xの頭の中では、第1行為は準備のつもりでした。それなのに、なぜそこに殺す故意があると言えるのか。答えはこうです。実行の着手と同様の基準により、判断しうる。つまり、第1行為が第2行為と密接な行為であるといえる場合には、第1行為の時点で殺人の故意があったといってよい。着手を判定した3要素が、そのまま故意の物差しになります。密接な行為だと評価できた以上、第1行為の時点で、もう殺す故意があったと見てよいことになります。

行為の時点で故意がなければ、その行為を理由に処罰できないからです。着手だけ繰り上げて、故意はそのままだと、辻褄が合いません。だから、同じ基準で両方とも繰り上げます。

もう一度の因果関係の錯誤——前回と同じ道具 図:もう一度の因果関係の錯誤——前回と同じ道具

もう一つ、確認することがあります。Xが思い描いていた死に方と、実際の死に方は、違いますよね。この食い違いは、前回やった、因果関係の錯誤です。あのときの結論を、そのまま持ってきます。認識していた経過と実際に生じた経過が、ともに刑法上の因果関係の範囲内で符合している場合には、構成要件的故意が認められる。当てはめだけします。Xが認識していた経過は、眠らせたあと用水路で溺れさせる、というものです。実際に生じた経過は、眠らせるための薬物そのもので死亡した、というものです。物差しは、前に因果関係のところで使ったものと同じです。その行為がもっていた危険が、そのまま結果になったといえるか——危険の現実化と呼ばれる見方でした。どちらの経過もそう言えるので、刑法上の因果関係の範囲内にあります。だから、この食い違いは、故意を否定する理由になりません。

条文刑法199条

刑法199条(殺人) 人を殺した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の拘禁刑に処する。

第1の行為の時点で実行の着手があり、殺人の故意があり、その故意と実際の経過の食い違いも、構成要件的故意を妨げません。第1の行為だけで、もう殺人罪の、やり遂げたほう——既遂です。殺意の認定そのものの中身は、殺人罪を正面から扱う回に譲ります。

⭐ 論文で書く規範:答案の型②(構成要件的故意・因果関係の錯誤) 構成要件的故意も、実行の着手と同様の基準により判断しうる。密接な行為といえる場合には、第1行為の時点で殺人の故意があったといってよい。 さらに、認識していた因果経過と実際の因果経過とがズレていても、刑法上の因果関係の範囲内で符合している場合には、構成要件的故意が認められる。 (答案の型(構成要件的故意))

ここまでが、この論点の骨格です。ここからは、この骨格を、実際の最高裁の事件で確かめてみましょう。

クロロホルム事件——事案と判旨

クロロホルム事件——事案の要約 図:クロロホルム事件——事案の要約

実際にあった事件を見てみましょう。クロロホルム事件と呼ばれる事件です。実行犯3名は、Aにクロロホルムを吸引させて、失神させました。第1の行為です。そのうえで、約2キロ離れた港まで運び、Aが運転していた自動車に乗せて、自動車ごと海中に転落させて沈めました。第2の行為です。ところが、クロロホルムを吸引した時点で、Aはすでに死亡していた可能性があることが、あとで分かりました。この事件で、最高裁は殺人罪の成立を認めました。判旨を、実際の言葉で見てみましょう。

判例最高裁判所第一小法廷決定・平成16年3月22日(刑集58巻3号187頁)

クロロホルム事件——実行の着手について 第1行為は第2行為を確実かつ容易に行うために必要不可欠なものであったといえること、第1行為に成功した場合、それ以降の殺害計画を遂行する上で障害となるような特段の事情が存しなかったと認められることや、第1行為と第2行為との間の時間的場所的近接性などに照らすと、 第1行為は第2行為に密接な行為であり、実行犯3名が第1行為を開始した時点で既に殺人に至る客観的な危険性が明らかに認められるから、その時点において殺人罪の実行の着手があったものと解するのが相当である。

1つだけ、気をつけてほしい言葉があります。判旨は、「障害となるような特段の事情」と言っています。規範を説明するときの言い方は「特殊の事情」、判例の実際の言葉は「特段の事情」です。中身は同じですが、混ぜずに使い分けてください。判例は特段の事情と言っています、と覚えておけば十分です。その前に一つだけ確認します。ここから引用する判旨の中に出てくる「V」は、この事件の被害者のことです。設例のAと同じ立場だと思って読んでください。

判例最高裁判所第一小法廷決定・平成16年3月22日(刑集58巻3号187頁)

クロロホルム事件——故意について 実行犯3名は、クロロホルムを吸引させてVを失神させた上自動車ごと海中に転落させるという一連の殺人行為に着手して、その目的を遂げたのであるから、 たとえ、実行犯3名の認識と異なり、第2行為の前の時点でVが第1行為により死亡していたとしても、殺人の故意に欠けるところはなく、実行犯3名については殺人既遂の共同正犯が成立するものと認められる。

一連の殺人行為に着手して、その目的を遂げた——だから、途中で死亡の時点がズレていても、殺人の故意に欠けるところはない、としています。

判旨の3段構造——答案の書き順がここにある 図:判旨の3段構造——答案の書き順がここにある

実行の着手のほうは、3要素から密接な行為だと認め、そこから客観的な危険性が明らかだと認め、最後に実行の着手があったと結論づけています。3段です。一連の殺人行為に着手して目的を遂げた、だから故意に欠けるところはない、だから殺人既遂の共同正犯——こちらも3段です。「共同正犯」という言葉が出てきましたね。3人で計画し、実行したので、全員が正犯として扱われます。共同正犯そのものの中身は、共犯を正面から扱う回に譲ります。今日は、条文だけ確認しましょう。

条文刑法60条

刑法60条(共同正犯) 二人以上共同して犯罪を実行した者は、すべて正犯とする。

未遂にとどまる、ではありません。殺人既遂の共同正犯が成立する、という結論です。3つの要素をそろって満たすときに、着手を第1行為まで繰り上げてよい——決めたのは、そこまでです。どれかを欠くときに第1行為をどう評価するかまでは、この判例は答えていません。

密接性3要素の判定——設例Mとクロロホルム事件を並べる 図:密接性3要素の判定——設例Mとクロロホルム事件を並べる

ここで、1つ確認しておきたいことがあります。クロロホルム事件は、第1行為の場所から第2行為の場所まで、約2キロ離れていました。それでも、判例は時間的場所的近接性を満たすと判断しました。近接性は、直線距離の近さで測るものではありません。一つの計画の流れの中で、途切れずにつながっているかどうかで見ます。それでも、失神させてから港まで運び、海に沈めるまでが、一連の計画として途切れずに続いています。距離の絶対値ではなく、計画としての連続性が決め手です。実は、前編にも、距離を離した設例がありました。空き家から車で40分の山中に、Aを隠す場合でしたね。

でも、あれは因果関係を確かめるための設例でした。結果までの流れが、途中の行動を挟んでもつながっているか、という話です。今日は、実行に着手したと言える範囲が、どこまで及ぶかを測っています。同じ「距離」という言葉が出てきても、確かめている中身は別物です。

2つの型の弁別——決め手は、結果がどちらの行為か

2つの型の弁別表 図:2つの型の弁別表

ここまでの2回で、2つの型を処理しました。1枚の表にまとめてみましょう。1行目、故意はどちらの行為にあるか。前編は第1行為、今日は第2行為です。2行目、結果はどちらの行為に出るか。前編は第2行為、今日は第1行為です。故意と結果が、ちょうど入れ替わっています。前編は因果関係——危険の現実化が認められるか。今日は実行の着手——密接な行為といえるか。壊れている場所が違うからです。前編は、殴ったほうの行為と死の間に、隠すという別の行動が挟まっていました。だから、その流れが途切れていないかを確かめる必要がありました。これが因果関係です。

設例Mでは、睡眠薬を飲ませたその行為から、そのまま死が生じています。流れは初めからつながっているので、因果関係は争いになりません。代わりに、まだ準備のつもりだったその行為から、もう実行に着手したといえるのか——そこが問われます。前編は、行為2個から始めて因果関係を肯定し、因果関係の錯誤で故意を肯定し、第1行為に殺人既遂。今日は、密接性3要素で着手を肯定し、同じ基準で故意を肯定し、因果関係の錯誤で符合を確かめて、第1行為に殺人既遂です。ここに、決め手を1つだけ置いておきます。結果が出たのは、第1行為か、第2行為か。この1問で、型が決まります。

争点は違っても、見分け方はたった1問です。

ミニ事例で見分ける

ミニ事例——どちらの型か 図:ミニ事例——どちらの型か

では、2つのミニ事例で練習してみましょう。1問目です。Xは、Aを殺すつもりで毒を飲ませました。第1の行為です。Aは動かなくなりました。Xは死んだと思い込み、発覚をおそれて、車で運び出し、真冬の郊外にある、使われていない屋外駐車場まで運んで放置しました。第2の行為です。実は、Aは毒では死んでおらず、深夜の寒さにさらされて凍死しました。どちらの型でしょうか。ウェーバーの概括的故意です。第1の行為には殺す故意があるのに結果がなく、第2の行為には結果が出ているけれど、放置した時点では殺す故意はありません。では、2問目です。Xは、Aを殺すつもりで、まずスタンガンで気絶させました。第1の行為です。

そのうえで、橋から突き落とす計画でした。第2の行為です。ところが、Aはスタンガンの電流で死亡していました。結果は第1の行為から出ているので、こちらは早すぎた構成要件の実現です。決め手はいつも同じです。結果が出たのは、第1行為か、第2行為か。結論が同じでも、答案で使う道具がまったく違います。ウェーバー型なら因果関係の判断枠組みを使います。早すぎた型なら密接性の3要素を使います。型を間違えると、正しい結論にたどり着けても、その道筋——論証が的外れになってしまいます。だからこそ、この1問で型を見分ける癖をつけてください。

今日の地図(保存版)

今日の地図 図:今日の地図

では、今日の内容を振り返りましょう。冒頭は、前編の2×2を裏返すところから始まりました。今日は、第1行為で結果が出て、殺す故意は第2行為にあるはずだった、という型でした。まず、実行の着手を見ました。次に、故意です。着手と同じ基準で、故意も第1行為まで繰り上がりました。認識していた経過と実際の経過が、刑法上の因果関係の範囲内で符合していれば、故意は否定されません。最後に、クロロホルム事件で同じ論理を確かめました。そして、この2回を通して、2つの型の弁別が、いちばんの到達点でした。決め手は、結果が第1行為か第2行為か——この1問です。

錯誤4部作の総括 図:錯誤4部作の総括

法定的符合説から始まって、故意の個数、抽象的事実の錯誤、そして今日の2つの型まで——すべて、故意の本質は何か、規範は構成要件のかたちで決まる、という1本の理屈で動いていました。事実の錯誤は、これで閉じます。次の章では、故意が認められなかったとき、次に何を検討するのかを見ていきます。過失だけを扱う章です。

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第5章過失

#33単独ページ動画

過失犯の構造

第5章 過失 ①/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

前回までの受け——過失は「故意の否定」では足りない

今日の問い——認容が無ければ、それで終わりか 図:今日の問い——認容が無ければ、それで終わりか

前回、事実の錯誤の回の最後に予告しました。次は、過失を扱う章に入ります。今日から、その過失に入っていきます。前回の到達点を踏まえると、「過失がある」と言うには何が必要でしょうか?実は、その先こそが、今日組み立てる中身です。認容が無ければ過失も決まった——そう思ってしまうのが、いちばん多いつまずきです。「故意ではない」ことと「過失がある」ことは、イコールではありません。今日の終わりに、その違いを確かめましょう。まず、過失犯を処罰する条文から確認します。

過失犯処罰は例外——38条1項と8か条の現実

今日、開く条文——38条1項から211条まで 図:今日、開く条文——38条1項から211条まで

今日、開く条文は大きく3つです。38条1項、過失犯処罰規定の一覧、そして211条です。あとで詳しく開きます。まずは38条からです。38条1項は、第4章の入り口で一度開きましたね。今日は、ただし書の中身を正面から見ます。

条文刑法38条1項

刑法38条1項 罪を犯す意思がない行為は、罰しない。ただし、法律に特別の規定がある場合は、この限りでない。

ただし書が、過失犯の入り口です。「特別の規定」——過失を処罰する条文が用意されている場合だけ、過失は処罰されます。うっかり結果を起こしても、処罰されません。ここで、過失の定義を確認しましょう。過失とは、注意義務違反のことをいいます。中身は、これから組み立てます。まずは「特別の規定」が、実際にいくつあるか数えましょう。

過失犯処罰規定①——公共の危険にかかわる5か条 図:過失犯処罰規定①——公共の危険にかかわる5か条

刑法の全条文を、機械的に洗い出しました。「過失」または「失火」が出てくる条文は、8か条しかありません。まず、公共の危険にかかわる5か条です。116条の失火、117条2項の激発物破裂、117条の2の業務上失火等です。激発物破裂は、ボイラーなどを破裂させて建物や乗り物などを壊してしまう場合です。それに、122条の過失建造物等浸害、129条の過失往来危険です。浸害は、水を出して建物などを水浸しにしてしまう場合です。往来危険は、汽車や電車、船の通行を危なくしてしまう場合ですね。多くの人を巻き込みかねないから、条文が用意されています。

過失犯処罰規定②——人の生命身体にかかわる3か条 図:過失犯処罰規定②——人の生命身体にかかわる3か条

残る3か条は、人の生命身体にかかわるものです。209条の過失傷害、210条の過失致死、そして211条です。この8か条が、刑法典で過失を処罰する条文の全部です。自動車運転など、特別法には別の規定があります。あくまで、刑法典の中では8か条だけ、という意味です。

過失版が用意されていない罪——261条の対比 図:過失版が用意されていない罪——261条の対比

逆の場合も、見ておきましょう。Xが、隣の家の塀に自転車を立てかけました。それが倒れて、隣家の花瓶が割れてしまいました。民事の賠償責任は、また別に生じます。刑法の話としては、器物損壊罪、261条の対象になりそうですよね。ところが、261条には、過失犯の規定がありません。刑法では不可罰です。「特別の規定」が無い罪では、うっかり壊しても、それで終わりです。過失犯処罰は、あくまで例外なんです。

「過失がある」と言うには何が要るか

消極的な事実と、積極的な中身 図:消極的な事実と、積極的な中身

ここまで、過失犯の入り口が、条文でどう用意されているかを見ました。ここからが、今日いちばんの起点です。過失とは注意義務違反、と言いました。では「注意義務違反がある」とは、何を指すんでしょうか。認容が無かったこと、と答えたくなるのが自然です。でも、違います。認容が無い、というのは、故意ではなかったという事実です。故意ではなかったからといって、注意義務に違反していたとは、まだ言えません。積極的に立てなければならない中身、それが注意義務違反です。今日組み立てるのは、その積極的な中身です。まずは、同じ道を走る2つの場面——設例Pと設例Q——で、この違いを体感してもらいます。

設例P・設例Q——同じ「予見できた」なのに

事案の骨格——Xの運転するバスと、Aの飛び出し 図:事案の骨格——Xの運転するバスと、Aの飛び出し

2つに共通する場面を用意しました。Xは、夕方の住宅街を走る、路線バスの運転手です。この道は子どもの飛び出しが多いと、社内でも共有されていました。ある日、小学生のAが路地から飛び出しました。Xのバスにはねられ、Aは死亡しました。前に見た追い越しの場面は、対向車が来るかどうかの話でした。認容の有無——受け入れる態度があったか——を測っていましたね。今日は、認容そのものは問題になりません。Xに、Aを死なせる認容は無いからです。では何を測るのか。2つの場面で確かめましょう。

設例P・設例Q——予見できたことは同じ 図:設例P・設例Q——予見できたことは同じ

設例Pです。Xは、制限速度を守っていました。前方をよく見て、雨の日はいつもより手前から減速していました。それでも、Aの飛び出しには間に合いませんでした。次に、設例Qです。Xは、同じ道を、スマートフォンの画面を見ながら走っていました。制限速度も、超えていました。1つ確認してください。PもQも、Xは同じことを知っていました。「この道では子どもが飛び出すことがある」——これです。違うのは、結果を避けるために何をしたか、それだけです。では、問いを立てます。予見できたかどうかだけで過失を判断するなら、設例Pの結果は過失になってしまうでしょうか?

もし、そうなるとしたら、どうでしょう。Xは、危険を承知のうえで、それでも毎日バスを走らせています。「知っていたのに走らせた」だけで過失になるなら、どうなるでしょうか。バスも電車も、危険物を扱う仕事も、ほとんどが過失犯だらけになってしまいます。この不都合の解決が、ここからの本題です。まず、素直に「予見できたか」だけを見る考え方から確かめましょう。

旧過失論——過失は心理状態

旧過失論——過失の実体は、心の中にある 図:旧過失論——過失の実体は、心の中にある

1つ目の考え方です。過失を「心理状態」と見ます。旧過失論と呼ばれます。精神を緊張させれば予見できたのに、その緊張を欠いて予見しなかった。この心の在り方こそが、過失の実体だと考えます。一言で言えば「うっかりしていた」ことです。「うっかり」に縮めるな、というのは、過失の定義を渡した回の話です。あの注意は、この旧過失論の理解を指していました。なぜあの定義の形になるのか——その理由を、今日組み立てています。この考え方には、2つの帰結があります。1つ目、過失は責任の要素です。心理状態は、行為者への非難のところで問題になるからです。

2つ目、注意義務の中心は予見義務に置かれます。予見できたかどうかが、いちばん重要な物差しになります。Pは、子どもの飛び出しを予見できました。それでも運転を続けました。予見義務を尽くさなかったと見れば、過失になりかねません。この不都合を解決するのが、次の考え方です。

新過失論——過失は行為そのもののあり方

新過失論へ——物差しを変える 図:新過失論へ——物差しを変える

もう1つの考え方があります。新過失論です。過失を、行為そのもののあり方として見ます。

⭐ 論文で書く規範:新過失論——過失の中心をどこに置くか 過失は、行為そのもののあり方である。したがって、過失は構成要件要素かつ責任要素であり、注意義務は結果回避義務を中心にとらえるべきである。 理由は、法益侵害の危険を伴うが社会的に有用な行為についての過失犯の成立を否定すべきであるという点にある。中心となる物差しは、結果の発生を回避するため必要かつ適切な行動をとったか否かである。 (規範(通説で立てる))

1つ目、過失は構成要件要素であり、かつ責任要素です。実行行為——前の章で渡した、法益侵害の現実的危険性を有する行為——として、構成要件のところで検討します。そのうえで、責任のところでも問題になります。注意義務の中心は「予見できたか」ではなく「必要かつ適切な行動をとったか」に移ります。なぜこの物差しに変えるのか。理由は、こうです。危険を伴うけれど、社会的に有用な行為についてまで、安易に過失犯を認めるべきではない。具体的に言えば、路線バスも、電車も、工事も、危険をゼロにはできません。それでも社会に必要だから、走らせています。

なぜ新過失論か——理由の3段 図:なぜ新過失論か——理由の3段

整理すると、3段の流れです。1段目、危険は伴うけれど、社会的に有用な行為がある。バスの運行は、その典型です。予見できたか否かだけで測ると、この種の行為が全部過失犯になります。実際、予見できたかどうかでは、設例Pと設例Qを分けられませんでした。だから3段目、必要かつ適切な行動をとったか否かを中心に見ます。この3段が、新過失論の理由そのものです。

旧過失論と新過失論——設例Pの結論が分かれる 図:旧過失論と新過失論——設例Pの結論が分かれる

新過失論で、設例Pを見てみましょう。Pは、制限速度を守り、前方をよく見ていました。雨の日はいつもより手前から減速していました。必要かつ適切な行動をとっていたと言えます。だから、過失はありません。では、設例Qはどうでしょう。設例Qは、旧過失論でも新過失論でも過失ありです。分かれるのは、設例Pのほうだけです。これが、今日いちばんの推進力です。この動画でも、これから先、新過失論を土台に考えていきます。

体系的地位が答案の書く場所を変える

3つの関門を、思い出す 図:3つの関門を、思い出す

少し前に学んだ、犯罪の成立要件を思い出してください。今日の対立は、実は、この3段階のどこで過失を検討するか、という対立でもあります。

答案の書く場所——旧過失論と新過失論 図:答案の書く場所——旧過失論と新過失論

旧過失論は、過失を責任要素だと見ました。だから、答案でも、責任のところでだけ過失を検討します。心理状態は、行為者への評価の問題だからです。新過失論は、違います。過失は構成要件要素であり、かつ責任要素でもあると見ました。まず、構成要件該当性のところで、実行行為として検討します。そして、責任のところでも、あらためて問題になります。ここが、今日いちばん伝えたかったことです。体系的地位のこの違いは、もう一段上の対立の結果なんです。かつての刑法学の主流の考え方は、こうでした。主観的な事情は、責任の段階で問題にすればよい、という考え方です。

この前提に立てば、旧過失論は、当然に責任要素になります。過失を心理状態と見ているからです。ところが、今日の多数の考え方は違います。構成要件の段階でも、すでに主観面を問題にします。現に、故意は前の章で構成要件的故意として扱いました。新過失論は、過失を行為そのもののあり方だと見ます。だから、なおさら構成要件の話になります。実行行為の話に直結する——だからこそ、過失は構成要件の問題になります。物差しの置き場所が変わると、答案の目次まで、同時に変わってしまうんです。

211条——「注意」という言葉が条文に現れる

空白のまま残された言葉——業務上必要な注意 図:空白のまま残された言葉——業務上必要な注意

もう1つ、条文を開きましょう。211条です。

条文刑法211条

刑法211条(業務上過失致死傷等) 業務上必要な注意を怠り、よって人を死傷させた者は、五年以下の拘禁刑又は百万円以下の罰金に処する。重大な過失により人を死傷させた者も、同様とする。

「業務上必要な注意を怠り」——注意という言葉がそのまま出てくる、数少ない条文です。でも、その中身は、条文のどこにも書かれていません。その空白の埋め方が、今日ずっと見てきた対立の正体です。予見義務を中心に埋めるのか、結果回避義務を中心に埋めるのか。「業務」の意味や、業務上過失致死傷罪そのものは、各論の回で扱います。

到達点——過失の定義を組み立てで持ち帰る

到達点——注意義務は、前提と中心でできている 図:到達点——注意義務は、前提と中心でできている

今日の内容を、1つの定式にまとめます。過失とは、注意義務違反の行為をいいます。注意義務とは、予見可能性を前提とした、結果回避義務のことです。ここが、今日いちばん間違えやすいところです。予見可能性は、あくまで前提です。中心ではありません。土台として要りますが、物差しそのものではありません。過失の有無を決める中心は、結果回避義務です。結果を避けるため、必要かつ適切な行動をとったかどうか、です。設例Pの X も予見はできていた——土台は満たしていました。それでも、必要かつ適切な行動をとっていたから、過失にならなかったんです。

ここを取り違えると、新過失論のつもりで、実は旧過失論を話していることになります。前提と中心、必ず分けて覚えてください。

三説の地図——旧・新・そして新新過失論

三説の地図 図:三説の地図

最後に、地図を少し広げます。今日見てきたのは、旧過失論と新過失論の2つでした。新新過失論、または危惧感説と呼ばれる説があります。漠然とした不安感があれば足りる、とする説です。名前と位置づけだけ、今日は渡しておきます。危惧感説は、通説でも判例でもありません。処罰の範囲が広くなりすぎる、という批判があります。

今日の地図(保存版)

今日の地図 図:今日の地図

では、今日を振り返りましょう。出発点は、認容が無いだけでは過失は証明されていない、ということでした。過失犯を処罰する条文は8か条だけ。261条のように、条文が無い罪では不可罰でした。旧過失論は、過失を心理状態と見て、予見義務を中心に置きました。新過失論は、行為そのもののあり方と見て、結果回避義務を中心に置きました。そして、体系的地位が変わると、答案の書く場所まで変わる。これが、今日いちばんの到達点でした。211条の「業務」の意味は、業務上過失致死傷罪そのものとあわせて、各論の回で扱います。失火罪や過失の共同正犯についても、それぞれの回で扱います。過失による教唆や幇助、危険運転致死傷も、同じように出てきます。責任の中身については、責任を学ぶ章で、あらためて扱います。

1つずつ、積み上げていきましょう。

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#34単独ページ動画

予見可能性の対象と程度

予見可能性に隠れている3つの問い

結論予見可能性という一言には、3つの問いが隠れています。

  • 誰を基準に:一般人か、行為者個人かです。
  • 何について:結果か、因果関係かです。
  • どこまで:どの程度まで予見できていれば足りるかです。

注意注意義務の中心は結果回避義務で、予見可能性はその前提です。

なぜ予見可能性が要るのか

予見可能性は、注意義務の中心ではなく前提です。
では、中心でないのに、なぜ必要なのでしょうか。

結論予見可能性がゼロなら、結果回避義務そのものが立ちません。

理由結果を予見する可能性がまったく無い人に、その結果を回避せよという義務は負わせられないからです。

避けようがないことを義務にはできません。

注意中心ではないけれど、無ければ中心そのものが成り立ちません。

これが、予見可能性が前提として要る理由です。

誰を基準に測るか(基準者)

予見可能性は、結果回避義務が立つための前提です。
では、その予見可能性は、誰の目で測るのでしょうか。

予見可能性は誰を基準に測るかの表(構成要件該当性=構成要件的過失〈客観的注意義務違反〉は一般人、責任=責任過失〈主観的注意義務違反〉は行為者個人)

2つの基準者

定義過失を問う場所によって、基準者が変わります。

  • 構成要件的過失:一般人を基準に測ります(客観的注意義務)。
  • 責任過失:行為者個人を基準に測ります(主観的注意義務)。

注意ここでの客観・主観は、誰の目で測るかの話です。

他人から見て分かるか、本人の頭の中か、という部品の置き場所の話とは別物です。

なぜ基準者が2つに分かれるのか

基準者が2つに分かれる理由の図(構成要件=社会通念を基礎とした当罰的行為の類型→一般人が基準/責任=行為者に対する非難可能性→行為者個人が基準)

理由関門ごとに、問うていることが違うからです。

  • 構成要件:社会通念を基礎とした当罰的行為の類型です。だから、一般人という物差しで測ります。
  • 責任:行為者に対する非難可能性です。だから、その行為者自身を物差しにします。

何について予見するか(対象)

基準者は、構成要件と責任で分かれます。
では、予見の対象になるのは、何なのでしょうか。

結論対象は2つです。

  • 結果
  • 因果関係

注意因果関係があるかどうかの判断と、その因果の経過を予見できたかは別の問題です。

ここは混同しやすいので、意識して切り分けます。

設例S:問うのは「Aだったか」ではなく「人だったか」

対象のうち、まず結果のほうを設例で確かめます。
被害者がそこにいることを知らなければ、過失は無いのでしょうか。

設例Sの関係図(作業員Xが投げた鉄パイプの束が被害者Aに当たる。柵には破れ目があり、人が通り抜けることは現場で知られていた)

事案

事案建物の解体現場で、Xが2階から不要な鉄パイプの束を下の集積場所へ投げ落としていました。

下は立入禁止の柵で囲ってありましたが、柵には人が通り抜けられる破れ目がありました。

近道としてそこを通り抜ける人がいることは、現場の作業員のあいだで知られており、Xも知っていました。

ある日、Xが下を見ずに束を投げたところ、破れ目から入り込んでいたAに当たり、Aが死亡しました。

注意Aがそこにいることを、Xはまったく知りませんでした。

予見の対象を1段上げる

予見の対象による判定の違いの表(Aという特定の人がそこにいること=予見不可能/柵の内側に人がいて束が当たって死ぬこと〈構成要件レベルの結果〉=予見可能→結果回避義務あり→過失あり)

結論Xには過失があります。

  • Aという、その人がそこにいること:予見できませんでした。
  • 柵の内側に人がいて、束が当たって死ぬこと:予見できました。

理由後者は構成要件レベルの結果であり、これが予見できた以上、「下を見てから投げる」という結果回避義務があったからです。

Xは、それを怠りました。

注意結論を決めたのは、「Aだったか」ではなく「人だったか」です。

条文も「人」と書いている

条文自動車運転処罰法5条は、「人を死傷させた」と定めています。

「Aを死傷させた」とは書いていません。

注意これは覚えるべき規範ではなく、条文の文言そのものです。

5条(過失運転致死傷)|自動車の運転により人を死傷させる行為等の処罰に関する法律自動車の運転上必要な注意を怠り、よって人を死傷させた者は、七年以下の拘禁刑又は百万円以下の罰金に処する。ただし、その傷害が軽いときは、情状により、その刑を免除することができる。

設例T:予見可能性そのものがゼロのとき

設例Sでは、構成要件レベルの結果が予見できました。
では、その対象すら予見できない現場では、どうなるのでしょうか。

設例Sと設例Tの対比表(設例S=破れ目があり通り抜ける人がいることは現場で知られていた・予見できる・過失あり/設例T=破れ目は無く侵入の形跡も一度も無かった・予見できない・過失なし)

事案同じ現場ですが、柵に破れ目は無く、人が入り込んだ形跡も一度もありませんでした。

その日に限って、Aが高い塀を乗り越えて侵入し、束が当たりました。

結論設例Tでは、過失はありません。

理由柵の内側に人がいるという構成要件レベルの結果すら予見できず、結果回避義務が立たないからです。

注意設例Sとの違いは「どのくらい予見できたか」という程度の差ではありません。

「予見可能性そのものがあるか無いか」という一線です。

結果の予見可能性の程度(危惧感説と通説)

予見できるか、できないかの一線は引けました。
では、どのくらい具体的に予見できていれば足りるのでしょうか。

危惧感説

定義危惧感説とは、何が起こるか分からないという漠然とした不安感で足りるとする考え方です。

理由公害事件などで、過失犯の処罰を広げる必要があるという理由によります。

注意危惧感説は、通説でも判例でもありません。

通説の規範

結論構成要件レベルの結果についての予見可能性が必要であり、それで足ります。

理由予見可能性は結果回避義務を導くものです。

だから、一般人を結果回避へと動機づける程度の具体的予見可能性が必要です(下限)。

そして、動機づける程度があれば足りるので、法定的符合説にみられる程度の抽象的な認識可能性で十分です(上限)。

1つの理由が下限と上限の両方を決めている

予見可能性はどこまで必要かの図(予見可能性は結果回避義務を導く→下限=一般人を結果回避へ動機づける程度の具体的予見可能性は要る/上限=動機づけられる程度があれば足りる・細部の予見までは要らない)

具体例設例Sで、下限と上限は次のところにあります。

  • 下限:「柵の内側に人がいて、束が当たる」まで見えていたことです。ここまで見えたから、下を見てから投げようと動機づけられます。
  • 上限:「Aという人が、その日、破れ目から入ってくる」ことまでは要りません。

注意危惧感説は、この下限を割っています。

漠然とした不安感だけでは、下を見ようとまでは動機づけられないからです。

判例:後部荷台の同乗者事件

設例Sの論理は、実際の裁判でも使われています。
同乗者がいることを知らなかった運転者に、過失は認められるのでしょうか。

後部荷台の同乗者事件の関係図(運転者が信号柱に激突し同乗者2人が死亡。運転者は後部荷台に2人が乗っていることを知らなかった)

事案貨物自動車を運転していた被告人が、指定速度を大きく超えて走行し、ハンドル操作を誤って道路脇の信号柱に車の左側後部を激突させました。

後部の荷台に同乗していた2人が、この衝撃で死亡し、助手席の1人も負傷しました。

注意被告人は、荷台に2人が乗っていることを知りませんでした。

後部荷台の同乗者事件最高裁判所第二小法廷決定被告人において、右のような無謀ともいうべき自動車運転をすれば人の死傷を伴ういかなる事故を惹起するかもしれないことは、当然認識しえたものというべきであるから、たとえ被告人が自車の後部荷台に前記両名が乗車している事実を認識していなかつたとしても、右両名に関する業務上過失致死罪の成立を妨げないと解すべきであり、これと同旨の原判断は正当である。

結論荷台の2人を認識していなくても、業務上過失致死罪の成立は妨げられません。

理由無謀な運転をすれば人の死傷を伴う事故を起こしかねないことは、当然認識できたからです。

注意この事件は、当時の刑法211条(業務上過失致死傷)で処理されたもので、第5節の自動車運転処罰法5条とは別の事件です。

211条(業務上過失致死傷等)|刑法 第二編 罪 第二十八章 過失傷害の罪(209〜211条)業務上必要な注意を怠り、よって人を死傷させた者は、五年以下の拘禁刑又は百万円以下の罰金に処する。重大な過失により人を死傷させた者も、同様とする。

設例U:基準者が2つあることの実益

基準者は一般人と行為者個人の2つでした。
同じ事案で、この2つを当てると何が起きるのでしょうか。

設例Uの表(構成要件的過失=基準は一般人〈現場の通常の作業員〉・予見できた→過失あり/責任過失=基準はX個人・知りようがなかった→過失なし。構成要件では引っかかるが責任で落ちる→犯罪不成立)

事案設例Sと同じ現場で、Xがその日初めての新人だったとします。

柵の破れ目のことも、人が通り抜けることも、Xは誰からも知らされていませんでした。

結論犯罪は成立しません。

  • 構成要件的過失:現場の通常の作業員なら破れ目も人の通り抜けも知っているので、予見できました。過失ありです。
  • 責任過失:X個人は知りようがありませんでした。過失なしです。

注意構成要件では引っかかるのに、責任で落ちます。

基準者が2つあることが、結論そのものを変えます。

因果経過の予見可能性の程度

結果については、下限と上限が決まりました。
もう1つの対象である因果関係でも、同じ発想が使えるのでしょうか。

因果経過はどこまで予見できればよいかの図(結果のときと同じ発想=予見可能性は結果回避義務を導く。具体的な機序まで予見できる必要はない/因果経過の基本的部分が予見できれば結果回避への動機づけとして十分)

結論因果経過については、因果経過の基本的部分を予見できていれば足ります。

理由一般人を結果回避へと動機づけるのに、細部の機序まで見えている必要はないからです。

結果の予見可能性と同じ発想が、そのまま妥当します。

注意基本的部分とは、細かい経路のすべてではなく、大きな筋道という意味です。

判例:生駒トンネル火災事件

因果経過は、基本的部分が予見できれば足ります。
裁判所は、どこまでの予見を求めたのでしょうか。

事案近畿日本鉄道東大阪線の生駒トンネル内で、電力ケーブルの接続工事が行われました。

施工資格を持つ被告人が、誘起電流を大地に流すための接地銅板の取り付けを怠りました。

その結果、誘起電流が本来流れるべきでない部分に長期間流れ続け、炭化導電路が形成されて火災が発生しました。

生駒トンネル火災事件最高裁判所第二小法廷決定被告人は、右のような炭化導電路が形成されるという経過を具体的に予見することはできなかったとしても、右誘起電流が大地に流されずに本来流れるべきでない部分に長期間にわたり流れ続けることによって火災の発生に至る可能性があることを予見することはできたものというべきである。したがって、本件火災発生の予見可能性を認めた原判決は、相当である。

結論火災発生の予見可能性は認められます。

  • 具体的な機序(炭化導電路が形成されるという経過):予見できなくてもかまいません。
  • 火災に至る可能性(誘起電流が長期間流れ続けること):予見できました。

注意判旨に「基本的部分」という言葉は1度も出てきません。

これは学説がこの判断を整理するために使う言葉なので、判例が述べた言葉として引かないでください。

3つの問いの順序

予見可能性は、3つの問いに畳めます。
では、なぜこの順番で問うのでしょうか。

結論誰を基準に → 何について → どこまでの順です。

理由前の問いの答えが決まらないと、次の問いが立たないからです。

誰の目で測るかが決まらなければ、何を予見できたのかも決まりません。

何について問うかが決まらなければ、どこまで、も測れません。

具体例設例Sなら、一般人の目で、結果について、構成要件レベルまで予見できたので、過失ありとなります。

注意「予見できませんでした」だけでは、まだ何も答えていません。

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#35単独ページ動画

許された危険・信頼の原則・監督過失

第5章 過失 ③/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

前回の到達点を受ける——今日の問い

今日の問い——予見できても、義務が無いことがある 図:今日の問い——予見できても、義務が無いことがある

前回、予見可能性を3つの問いに畳みました。ここが、今日の出発点です。前回のとおり3問とも埋まったとして、それなら、必ず過失になるんでしょうか?多くの人が、そう感じます。でも、答えは否です。予見できたことと、義務を負うことは、実は別の話なんです。今日は、そこを正面から扱います。もう1つ、この章の1本目で渡した宿題があります。交通事故と、工場の事故。今日は、その典型の2つで見ていきます。第5章の締めくくりです。今日で、この章の宿題を全部返します。

許された危険——予見できても、義務が無いことがある

設例V——食品工場の加熱殺菌装置 図:設例V——食品工場の加熱殺菌装置

設例で考えてみましょう。舞台は、食品工場です。Xは、この工場の工場長です。加熱殺菌のために、高温高圧の装置を使っています。この装置は、法令の基準も、業界の安全基準も、すべて満たしています。それでも、年に一度あるかないかの確率で、蒸気が噴き出す事故が起こりうることは知られていました。原因は、内部の部品が破損することです。ある日、実際に破損が起き、近くにいた作業員Aが火傷を負いました。知っていました。「誰かが火傷するかもしれない」という結果の予見可能性は、ありました。誰を基準にしても、何について問うても、どこまでの水準で見ても、この予見可能性は肯定されます。3問とも、埋まります。それでも、Xに過失はあるでしょうか?

では、少し考えてみてください。装置は、基準をすべて満たしています。それでも、いつか事故は起こりうると分かっていました。それでも、Xに過失はあるでしょうか?結果を避けるための行動を求める義務——前回まで見てきた、あれです。「この装置を使わない」という結果回避義務が、Xに課されるかどうか。それが、今日最初の山場です。

許された危険——予見できても、結果回避義務が否定される 図:許された危険——予見できても、結果回避義務が否定される

答えを、先に言います。Xには、「装置を使わない」という義務は、課されません。これを、許された危険と呼びます。

⭐ 論文で書く規範:許された危険の定式 予見可能性が肯定されたとしても、それだけで結果回避義務が生じるとは限らない。行為そのものに社会的な有用性などが認められるときは、なお結果回避義務が否定される場合がある。 (規範(通説で立てる))

予見可能性は、あります。でも、その行為そのものに社会的な有用性があれば、結果回避義務が否定されることがあります。装置を使わなければ、殺菌が不十分になり、別の危険が生まれます。これが、許された危険という考え方の中身です。決め手は、その行為をやめさせることが、社会全体で見て割に合うかどうかです。予見可能性は、義務の入り口にすぎません。義務がどこまで及ぶかは、もう一段の判断が要ります。どんな行為でも基準さえ満たせば許されるのか、そこが、次の山場です。実は、許されるかどうかを決める考慮要素が、あらかじめ4つに決まっています。

考慮要素は4つ——設例Vで名指しに拾う

考慮要素4つ——設例Vへのあてはめ 図:考慮要素4つ——設例Vへのあてはめ

許された危険の法理を使ってよいかどうかは、総合的に考慮して決めます。どう書けばいいか、そこです。「総合考慮」とだけ書いて答案を終わらせると、何も書いていないのと同じです。

⭐ 論文で書く規範:許された危険の考慮要素 ①社会的有用性、役に立つか。②社会的必要性、無いと立ちゆかないか。③予想される危険の蓋然性、どれくらいの確率で起きるか。④侵害されるべき法益の価値、失われる利益の重さ。この4つを総合的に考慮する。 (規範(通説で立てる))

考慮する中身は、4つに決まっています。答案では、この4つを、名指しで拾ってください。1つ目は、社会的有用性。加熱殺菌は、食品を安全にするために役立つ作業です。2つ目は、社会的必要性です。有用性と似ていますが、別の項目です。加熱殺菌という工程自体が、食品を出荷するために欠かせません。近いです。有用性は「あると良い」という側面、必要性は「これが無いと立ちゆかない」という側面です。3つ目は、予想される危険の蓋然性です。今回は、年に一度あるかないかという、低い確率でした。4つ目は、侵害されるべき法益の価値です。失われるのが命なのか、火傷程度の傷害なのか。その重さを見ます。

だから、Xの装置は、許された危険として、結果回避義務が否定されます。もしこの装置が月に一度は事故を起こしているとしたら、そのときは③予想される危険の蓋然性が跳ね上がります。蓋然性が高くなれば、結果回避義務は、むしろ肯定される方向に傾きます。基準を満たしているかどうかだけでなく、この4つのバランスで、結論が変わります。

信頼の原則——許された危険の一類型

設例W——点検業者Cへの信頼 図:設例W——点検業者Cへの信頼

もう1つ、変奏を見てもらいます。設例Wです。同じ工場です。装置の点検は、資格を持つ専門業者Cが、毎月行う契約になっています。Xは今月も点検を依頼し、Cから「異常なし」という報告を受けました。ところが実際には、Cは所定の点検項目のうち、一部を省略していました。その省略した箇所が原因で破損が起き、作業員Aが火傷を負いました。Xは、Cが契約と資格に従って点検するだろうと、信じて任せていました。そこが、今日2つ目の山場です。

信頼の原則——許された危険の一類型 図:信頼の原則——許された危険の一類型

⭐ 論文で書く規範:信頼の原則の定式 相手が、通常なら取るはずの適切な行動に出るだろうと信じてよい——そう言える場合には、たとえ相手が実際には不適切な行動を取り、それが自分の行動と重なって法益侵害の結果が生じたとしても、結果回避義務が否定され、過失責任は問われない。 要件は2つです。①信頼の存在、②信頼の相当性。 (規範(通説で立てる))

これを、信頼の原則と呼びます。ただし、許された危険とは別の、新しい法理ではありません。信頼の原則は、許された危険の中の、1つの類型です。設例Vでは、4つの考慮要素を、直接あてはめました。設例Wでは、その考慮の中身が「他人を信頼してよいか」という形を取っています。要件は2つです。1つ目は、信頼の存在。Xは、実際にCを信頼していました。2つ目は、信頼の相当性です。その信頼が、法律的に見て、筋の通ったものかどうかです。Cは、資格を持ち、契約でその点検を引き受けていました。だから、相当な信頼です。Xが、専門業者の点検結果を疑って、いちいち自分で点検し直す義務は、否定されます。だから、Xに過失はありません。

Xの過失とCの過失は、別に判断します。もしCが無資格の、素人同然の業者だったとしたら、そのときは要件②の信頼の相当性が崩れます。無資格の業者に任せきりにしたこと自体、Xの落ち度になりえます。信頼するのが相当かどうかが、いつも境界線になります。

判例で確かめる——追越し事故の最高裁判断

事案の骨格——右折した運転者と、追い越した運転者 図:事案の骨格——右折した運転者と、追い越した運転者

設例Wの論理が、絵空事でないことを、実際の最高裁判断で確かめてみましょう。舞台は、直線道路です。運転していた人が、右折を始めました。この運転者も、右折を待たれる側の相手も、どちらも原動機付自転車でした。原動機付自転車どうしの事故です。後方から、もう1台の原動機付自転車が、時速60キロから70キロほどで近づいていました。その運転者は、センターラインの右側にまではみ出して、右折しようとする車両を追い越そうとしていました。追い越された側は、後方の安全を確認しないまま右折を始め、衝突しました。追い越そうとしていた側の運転者は、頭部を負傷し、翌日亡くなりました。

右折した運転者が、後方の安全を確認しなかったことに、過失はあるでしょうか。後方から違反して追い越してくる車両まで想定して確認する義務が、あったかどうか。これが、この裁判の争点でした。判決の言葉を、そのまま見てみましょう。

条文道路交通法28条4項

道路交通法28条4項(追越しの方法) 前三項の場合においては、追越しをしようとする車両(次条において「後車」という。)は、反対の方向又は後方からの交通及び前車又は路面電車の前方の交通にも十分に注意し、かつ、前車又は路面電車の速度及び進路並びに道路の状況に応じて、できる限り安全な速度と方法で進行しなければならない。

この条文は、追い越す側の車両に、安全確認の義務を課しています。判決が実際に引用したのは、当時の条文番号で28条3項でした。番号は違いますが、中身はほぼ同じです。道路交通法が、その後に改正されて、条文の位置がずれたからです。中身の規律そのものは、当時から変わっていません。この判決を支えている中心の条文は、28条4項です。この条文があるから、追い越す側が義務を守るはずだと言えます。だから、右折した側はそれを信頼してよいことになります。

判例最高裁判所第二小法廷判決・昭和四十二年十月十三日

原動機付自転車どうしの追越し事故 車両の運転者は、互に他の運転者が交通法規に従つて適切な行動に出るであろうことを信頼して運転すべきものであり、そのような信頼がなければ、一時といえども安心して運転をすることはできないものである。 後方からくる他の車両の運転者が、交通法規を守り、速度をおとして自車の右折を待つて進行する等、安全な速度と方法で進行するであろうことを信頼して運転すれば足り、本件Aのように、あえて交通法規に違反して、高速度で、センターラインの右側にはみ出してまで自車を追越そうとする車両のありうることまでも予想して、右後方に対する安全を確認し、もつて事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務はないものと解するのが相当である

運転者どうしは、互いに交通法規を守って行動するだろうと、信頼してよいと言っています。そのうえで、違反して高速で追い越してくる車両まで予想して確認する義務は、無いとしました。原判決を破棄して、被告人は無罪となりました。ただし、この判決は、同時に別のことも述べています。右折した被告人自身も、当時の道路交通法に違反していた、とも述べています。ここが、大事な切り分けです。違反があったことと、過失があることは、別の話です。被告人には、道路交通法違反の罪が、別に成立します。でも、後方の安全を確認しなかったことについて、業務上過失致死罪の過失は、無いとされました。

信頼の相当性は、交通法規に違反していたかどうかではなく、注意義務の中身で判断されます。

名前は学説が付けた——判決文に出てこない3つの言葉

法理名は、判決文に何回出てくるか 図:法理名は、判決文に何回出てくるか

実は、「信頼の原則」という言葉自体は、1回も言っていません。「信頼して運転すべきものであり」という、当てはめの言葉は出てきます。でも、「信頼の原則」という名前そのものは、1度も出てきません。「信頼の原則」という名前を付けたのは、学説です。「許された危険」「監督過失」「管理過失」も、同じです。今日出てくる法理名は、いずれも判決文に0回です。ここは、前回の生駒トンネルの決定と、まったく同じ形です。判決文に無い名前は、前回は1語、今日は3語。同じ型が、繰り返し出てきています。教科書の見出し語と、判決が実際に使った言葉は、別物です。ここは、答案でも意識してください。

判例が信頼の原則という考え方を採っていないかといえば、そこは、違います。名前が無いだけで、中身の判断は、判例が現に示しています。「判例が『信頼の原則』と言った」とは書けません。でも「判例は、信頼してよいという理由づけで、注意義務を否定した」とは書けます。ここを、混同しないでください。

向きが反転する——監督過失は広げる法理

ここまでは絞る、ここからは広げる 図:ここまでは絞る、ここからは広げる

ここまでは、義務を絞る法理でした。ここから、向きが変わります。監督過失です。これは、直接手を下していない、上の立場の者にまで、過失を広げる法理です。工場で言えば、実際に装置を操作した人ではありません。その人を配置した工場長のほうに、過失が及ぶことがあります。危険な仕事を、誰にどう任せるか。その決定そのものに、落ち度があるからです。監督過失は、狭義の監督過失と、管理過失の2つに分かれます。この2つの違いを、設例で確かめましょう。

狭義の監督過失と管理過失——間に人が入るか

設例Y——単独操作させた新人B 図:設例Y——単独操作させた新人B

設例Yです。同じ工場で、Xは、入社2週間で装置の操作を教わっていない新人Bがいました。人手不足のため、Xはこの新人を単独で操作につかせました。Bは操作を誤り、蒸気が噴き出して、作業員Aが火傷を負いました。でも、Xにも過失があります。Xは、「教わっていないBを単独で操作させれば、Bが誤操作をして事故が起きる」ことを、予見できました。この予見を、怠っていたことが、Xの過失になります。

設例Z——放置された安全弁 図:設例Z——放置された安全弁

もう1つ、設例Zです。同じ工場で、Xは、装置の安全弁が壊れていることを知りながら、交換せずに放置していました。そのまま通常どおり運転させたところ、蒸気が噴き出して、作業員Aが火傷を負いました。でも、設例Yとは、性質が違います。設例Zには、Bのような、間に立つ人がいません。Xの不作為が、直接、事故につながっています。

狭義の監督過失と管理過失——間に人が入るか 図:狭義の監督過失と管理過失——間に人が入るか

違いは、たった1つです。間に、人の行為が入るかどうかです。設例Yは、Xの過失、Bの過失、結果という順番です。Xの過失は、Bを介して結果に及びます。だから間接的です。これを、狭義の監督過失と呼びます。一方、設例Zでは、Xの過失が、直接、結果につながっています。間に誰も入りません。これを、管理過失と呼びます。中身は、通常の過失と変わりません。ここは、判例が言葉にした規範ではなく、学説が整理した区別として、押さえてください。

二重の予見可能性——予見すべきは事故ではない 図:二重の予見可能性——予見すべきは事故ではない

もう1つ、狭義の監督過失だけに、追加で要る要素があります。直接行為者の過失による結果発生についての、予見可能性です。かみ砕くと、Xが予見すべきなのは「事故」そのものではありません。「Bが過失をおかすことによる事故」です。「教わっていないBが、誤操作をして事故を起こすかもしれない」。そこまで予見できたかが、問われます。整理して言えば、二重の予見可能性です。ちなみに、この呼び方自体も、判決の言葉ではありません。学習用に整理された、呼び名の1つです。設例Zには、この要素は要りません。設例Zには、間に立つ人がいないからです。Xの不作為そのものが過失なので、二重に見る必要が無いんです。

狭義の監督過失は、間に人が入る分だけ、見るべき予見可能性が1段増えます。

絞る法理が戻ってくる——監督者にも及ぶ信頼の原則

事案の骨格——液体塩素の漏出事故 図:事案の骨格——液体塩素の漏出事故

もう1つ、実際の最高裁判断を見てみましょう。舞台は、アエロジルという薬品を作る工場です。液体塩素を、貯蔵タンクへ受け入れる作業中に、事故が起きました。採用から約3か月半、技術班に配属されて4日目の、未熟練の技術員でした。受入れバルブと、隣のバルブを取り違えて開けてしまいました。塩素ガスが、大量に漏出しました。タンクローリーの運転手2名と、付近住民44名が、負傷しています。幸い、死者はいません。罪名は、業務上過失傷害です。この工場でも、製造課長など、監督する立場の人が起訴されました。判決の言葉を見てみましょう。

判例最高裁判所第一小法廷判決・昭和六十三年十月二十七日

液体塩素の漏出事故 右の安全教育又は指示を徹底しておきさえすれば、通常、熟練技術員らの側においてこれを順守するものと信頼することが許されるのであり、それでもなお信頼することができない特別の事情があるときは、そもそも未熟練技術員を技術班に配置すること自体が許されないということになるからである

安全教育や指示を徹底しておきさえすれば、現場は守るはずだと言っています。熟練した技術員たちを、信頼してよいということです。教えても守らない相手だと分かっているなら、そもそもその作業に付けてはいけない、ということです。付けてよいと言えるからには、教育を徹底した先は、任せてよい。判決は、そう理由づけています。信頼の原則は、運転者どうしだけでなく、監督者と現場との間にも、及びます。

設例Yの変奏——安全教育を徹底していたら 図:設例Yの変奏——安全教育を徹底していたら

ここで、設例Yを、少し変えてみます。同じ場面です。ただし今回のXは、新人には必ず熟練者の立会いのもとで操作させると、全員に繰り返し教育していました。配属のときにも、本人と熟練者の双方に、念を押していました。それでも、Bは独断で単独操作をしてしまいました。ここで問いたいのは、Xに「作業現場を巡回して、常時監視する義務」まであったか、です。教育と指示を徹底していたなら、現場がそれを守ると、信頼してよいはずです。だから、常時の巡回監視義務までは、課されません。そこが、大事な注意点です。信頼の原則が消したのは、巡回監視義務という義務の一部だけです。この変えたほうのXは、教育と指示を果たしているので、過失は否定されます。ただしそれは、信頼の原則が過失を消したからではなく、Xが義務を果たしていたからです。現に、実際の判決は、監督者を無罪にはしていません。

安全教育や指示を怠った過失は、認めたままです。判決が削ったのは、巡回して常時監視する義務と、事故のあとすぐに点検する義務、この2つだけです。この2つは、監督者に求めるには、行き過ぎた義務だと判断されました。業務上過失傷害罪そのものは、成立しています。信頼の原則は、過失そのものを消す道具ではありません。義務の輪郭、どこまでを義務とするかを決める道具です。もし、この変えたほうの場合でも、Xが教育や指示すら怠っていたら、そこはそのまま、Xの過失として残ります。

到達点——広げる、絞るの2方向

到達点——広げる、絞るの2方向 図:到達点——広げる、絞るの2方向

今日見てきたことを、1つの図に畳んでみましょう。まず、①予見可能性で、入口を作ります。前回組み立てた、3つの問いです。②入口を通ったあと、結果回避義務の有無を、許された危険が絞ります。信頼の原則も、その中の1つです。③一方で、監督過失と管理過失は、義務を上へ広げます。直接手を下していない者にも、過失が及びます。そして④、広げた先で、もう一度絞る場面が出てきます。監督者にも、信頼の原則が及ぶ場面です。過失は、1本の線でできているのではありません。広げる方向と、絞る方向、この2つの力で、義務の範囲が決まります。

これが、第5章の締めくくりです。

今日の地図(保存版)

今日の地図 図:今日の地図

では、今日を振り返りましょう。許された危険から始めました。予見可能性があっても、社会的有用性などを考えて、結果回避義務が否定されることがあります。社会的有用性と、社会的必要性。予想される危険の蓋然性と、侵害されるべき法益の価値。この4つを、名指しで拾ってください。信頼の原則は、その一類型でした。要件は、信頼の存在と、信頼の相当性でした。信頼の原則、許された危険、監督過失、管理過失。いずれも、判決文には0回です。名前は、学説が付けました。監督過失は、直接手を下していない者にも、過失を広げる法理でした。間に人が入るかどうかで、狭義の監督過失と管理過失に分かれます。

安全教育を徹底していれば、監督者にも、信頼の原則が及びます。ただし、過失が全部消えるわけではない、ということも確認しましたね。第一の関門、構成要件の話は、これで終わりです。犯罪の成立は3つの関門で見ると、以前にやりました。次はその2つ目——違法性です。社会的相当性説や法益衡量説は、許された危険と混同しやすいところです。許された危険は、構成要件段階の話。社会的相当性説や法益衡量説は、次の関門の話です。過失犯の共同正犯として、あとの回で扱います。業務上過失致死傷罪の「業務」の意味や、危険運転致死傷は、各論の回で扱います。業務上失火、過失による教唆や幇助も、それぞれの回で扱います。責任能力や期待可能性は、責任を学ぶ章で。結果的加重犯も、別の回で扱います。

1つずつ、積み上げていきましょう。

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第6章違法性

#36単独ページ動画

結果無価値と行為無価値

第6章 違法性 ①/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

前回の到達点を受ける——今日の問い

今日の問い——第一の関門から、第二の関門へ 図:今日の問い——第一の関門から、第二の関門へ

前回、犯罪の成立要件は3つの関門で見ると言いました。1つ目は何だったか、覚えていますか?構成要件該当性、でしたね。構成要件該当性、違法性、責任。この3つでした。第一の関門、構成要件の話は、前回で終わりました。違法性です。多くの人が、そう感じます。でも、そう単純ではありません。実は、条文を読むと、ある奇妙な空欄に気づきます。先に言っておくと、その埋め方は、答案で使う道具の出所です。今日は、埋め方が2つに分かれること、そこから帰結が2つ出てくること。この順で見ます。

35条の空欄——形式的違法性と実質的違法性

35条の空欄——結論しか書いていない条文 図:35条の空欄——結論しか書いていない条文

条文刑法35条

刑法35条(正当行為) 法令又は正当な業務による行為は、罰しない。

刑法35条を見てみましょう。「正当な」行為は、罰しない。それだけです。「正当な」の中身こそが、空欄です。条文は「正当なら罰しない」という結論だけを置いて、何が正当かは書いていません。そこを埋めるのが、これから第6章でやることです。前に見た199条は、人を殺せば、それだけで犯罪の形式に当てはまります。でも35条は、「正当なら、この限りでない」という留保を、条文自身が持っています。ここから先、夜道を歩く2人の人物を、ずっと使います。行為者をX、その相手方をAと呼びます。夜道で、AがXに殴りかかってきました。XはAを突き飛ばし、Aは転んで手首を折りました。

図でも、確認しておきましょう。

事案の骨格——夜道のXとA 図:事案の骨格——夜道のXとA

形式と実質——なぜかは条文に書いていない 図:形式と実質——なぜかは条文に書いていない

この行為だけを、条文の言葉に当てはめると、どうなるでしょう。形式的には、刑法の行為規範に反しています。前に、規範とは「やってはいけない」という命令だと見ましたね。刑法が示す、その命令のことです。ここに、落差があります。条文の言葉には形式的に当たるのに、罰されない。条文は、書いていません。形式的に行為規範に違反することを、形式的違法性と呼びます。そして、その奥にある「なぜ罰しないのか」を問うことを、実質的違法性と呼びます。この落差を埋める作業を、実質的違法性を問う、と言います。その中身のことを、これから「違法性の実質」と呼びます。これが、第6章という関門が存在する理由そのものです。

対立の正体——結果無価値論と行為無価値論

対立の正体——空欄を埋める2つの考え方 図:対立の正体——空欄を埋める2つの考え方

この空欄を埋める考え方が、大きく2つあります。結果無価値論と、行為無価値論です。先に、その言葉の壁を、崩しておきましょう。

「無価値」の壁——価値がない、望ましくない 図:「無価値」の壁——価値がない、望ましくない

「無価値」は、価値がない、という意味です。かみ砕くと、望ましくない、ということです。犯罪という出来事には、行為と、結果という、2つの場面があります。Xが突き飛ばす、という行為。Aが骨折する、という結果。行為が望ましくないと見るか、結果が望ましくないと見るかで、2つの説が分かれているだけです。主観主義と客観主義の対立とは、別ものです。あちらは、3つの関門の全体にかかわる立場の話。こちらは、2つ目の関門、違法性の中だけの話です。まず、結果無価値論です。この考え方は、刑法の役割を、法益の保護に尽きる、と見ます。

社会の道徳や秩序を守ることまでは、刑法の役割に含めません。道徳の先生ではない、という言い方は、近いです。だから、違法性の実質は、結果の側に置かれます。法益侵害、またはその危険。これが、結果無価値論の答えです。刑法が道徳の面倒まで見はじめると、罰せられる範囲が、どこまでも広がりかねないからです。Xの反撃で守られたXの身体と、犠牲になったAの身体を比べます。釣り合っているから、違法性が阻却される、という説明になります。次に、行為無価値論です。この考え方は、刑法の役割を、法益の保護に加えて、社会の秩序だった行動のあり方を守ることにも見ます。この「秩序だった行動のあり方」を、法律の言葉では、社会倫理秩序と言います。

だから、違法性の実質は、結果だけでなく、行為の側にも置かれます。法益侵害やその危険のうち、社会的相当性を逸脱したもの。これが、行為無価値論の答えです。Xの反撃という行為そのものが、社会的に相当だったかどうかを見ます。殴りかかられて、とっさに突き飛ばした行為だから、社会的に相当だ、という説明になります。結論は同じ。理由の通り道が違うんです。まだ半分です。もう1つ、事案を並べてみましょう。同じ夜道です。ただし、今度はAは何もしていません。Xが面白半分に、Aを突き飛ばしただけです。Aは転んで、手首を折りました。

Aの手首の骨折という結果は、1ミリも変わりません。今度のXは、罰されます。結果は同じなのに答えが逆になる、そこが、今日いちばん大事な問いです。結果だけを見ていたのでは、この差を説明できません。結果無価値論も、ちゃんと説明できます。最初の事案には、Aの攻撃という、Aの側の落ち度がありました。だから、XとAの法益を、天秤にかけられます。今度は、Aに落ち度がありません。天秤の反対側に、乗せるものが無いんです。だから、Aの法益が一方的に失われるだけになり、違法性は阻却されません。行為無価値論は、もっと直接に説明します。殴りかかられての反撃と、面白半分の一撃とでは、行為そのものの社会的な相当性が違う。

これが、行為の側も見ようとする理由です。同じ結果の事案を並べて、行為の側の違いを指摘する。それが、行為無価値論の書き方です。

両説の対比——同じ事案を、どう説明するか 図:両説の対比——同じ事案を、どう説明するか

ここまでを、1枚の表に整理します。刑法は何のための法律か。結果無価値論は法益保護に尽きる、行為無価値論は社会倫理秩序の維持も含む、と考えます。何が望ましくないのか。結果無価値論は結果、行為無価値論は行為も、と考えます。違法性の実質。結果無価値論は、法益侵害とその危険と考えます。行為無価値論は、法益侵害やその危険のうち、社会的相当性を逸脱したものと考えます。そして事案の説明。結果無価値論は法益の均衡、行為無価値論は行為の社会的相当性で説明します。この講義は、行為無価値論の立場を採ります。刑法は、起きた結果を数えるだけの法律ではなく、どう行動すべきかも示している。この講義は、そう見るからです。

通説かどうかは、慎重に言う必要があります。この講義はこの立場を採りますが、学説全体では、今も対立が続いています。実務は、行為無価値論的な傾向にあると言われます。どちらが正しいかを覚える話ではありません。自分がどちらの道具を握っているかを自覚して書く。それが、この対立の使い方です。

行為無価値論は、結果を捨てる説ではない

行為無価値論だから、結果は関係ない? 図:行為無価値論だから、結果は関係ない?

行為無価値論だから結果は関係ない、というのは誤解です。この講義が採る行為無価値論は、結果無価値も違法性の実質に含めます。これを、行為無価値二元論と呼びます。行為無価値と結果無価値、2つを両方とも実質に含める、という意味です。それは、一元的行為無価値論という、また別の立場です。行為無価値だけに実質を求める説です。Aの手首が折れた、という結果です。この講義の二元論は、これも違法性の実質に数えます。一元論は、数えません。ここが、この論点でいちばん間違えやすいところです。

二元論と一元論——違法性の実質に何を含めるか 図:二元論と一元論——違法性の実質に何を含めるか

表で、整理しましょう。行為無価値二元論は、結果無価値と行為無価値の両方を、実質に含めます。この講義が立つのは、こちらです。一元的行為無価値論は、行為無価値だけを実質に含めます。「行為無価値論だから結果は関係ない」と書くと、答案では誤りになります。二元論と一元論を混同しないこと、それ自体が得点ポイントです。

払い戻しその1——①違法性阻却の一般的な根拠

払い戻し1——阻却の一般的な根拠 図:払い戻し1——阻却の一般的な根拠

この対立からは、2つの理論的帰結が、自動的に出てきます。1つ目は、違法性を阻却する一般的な根拠です。結果無価値論は、違法性の実質を結果に置きました。だから、阻却の根拠も、結果の側から立てます。大きい法益を守るためなら、同じか、それより小さい法益を犠牲にしてもよい。これが、法益権衡説です。法益衡量説とも呼ばれます。一方、行為無価値論は、違法性の実質を行為にも置きました。だから、阻却の根拠は、行為が社会的に相当だったかどうかで立てます。これが、社会的相当性説です。今日は、行為無価値論からはこの説が出てくる、という対応関係だけを押さえてください。

守られたXの身体と、失われたAの手首。この2つを比べるのが、法益権衡説です。殴りかかられて、とっさに突き飛ばした。この行為の中身を見るのが、社会的相当性説です。さっき見た説明が、そのまま2つの説の名前になっています。前回、許された危険という考え方を見ました。あのとき、社会的相当性説や法益衡量説と、混同しやすいと予告しました。

許された危険との切り分け——どの関門の話か 図:許された危険との切り分け——どの関門の話か

許された危険は、第一の関門、構成要件段階の話です。結果を避けるための義務が、そもそもあるかどうかを決めます。一方、社会的相当性説や法益権衡説は、第二の関門、違法性の話です。義務があることを前提に、それでも違法性が阻却されるかどうかを決めます。言葉は似ていても、答えるべき問いが違います。

払い戻しその2——②主観的違法要素と36条1項

払い戻しその2——もう1つの帰結 図:払い戻しその2——もう1つの帰結

条文刑法36条1項

刑法36条1項(正当防衛) 急迫不正の侵害に対して、自己又は他人の権利を防衛するため、やむを得ずにした行為は、罰しない。

もう1つの理論的帰結を見るために、36条1項を見てみましょう。中身には、まだ入りません。今日見たいのは、1つの言葉だけです。「防衛するため」です。行為者の頭の中にある、目的や意図です。つまり、条文には、行為者の主観を表す言葉が、書き込まれています。この「ため」を、違法性を判断する要素として読むか、読まないか。これが、もう1つの理論的帰結、②主観的違法要素という論点です。

払い戻し2——主観的違法要素への態度 図:払い戻し2——主観的違法要素への態度

結果無価値論は、否定的です。違法性の実質は、結果の有無だけで決まる、という立場だからです。行為者の主観は、関係しません。一方、行為無価値論は、肯定的です。行為無価値論が守ろうとしているのは、秩序だった行動のあり方でした。同じように突き飛ばしても、身を守るためか、腹いせかで、行動としての意味は変わります。だから、違法性を判断する中で、相当性に主観も入ってきます。同じ1つの価値判断から、2つの帰結が両方とも出てきます。ここで、事案を少しだけ変えてみましょう。外から見た光景は、さっきとまったく同じです。Xが突き飛ばし、Aが手首を折りました。

Xの内心です。今度のXは、Aが殴りかかってきたことに、気づいていませんでした。別のことに腹を立てていて、たまたま目の前にいたAを、突き飛ばしただけでした。

事案を変えると——外形は同じ、内心だけが違う 図:事案を変えると——外形は同じ、内心だけが違う

表で、並べてみます。外から見える光景は、どちらも同じです。違うのは、Xの内心だけです。結果無価値論の向きは、結果はさっきと同じだから、違法性に影響しない、という方向に傾きます。行為無価値論の向きは、「防衛のため」という主観が無いことが、効いてくる方向に傾きます。そこが、この論点の核心です。この事案の結論は、今日は決めません。この事案をどちらの説がどう扱うかは、正当防衛の回で、正面から扱います。基本書も、ここでは踏み込まず、結果無価値論の側では防衛の意思不要説に立つ論者が多い、という傾向を挙げているだけです。

到達点——3段の連鎖

到達点——学説の趣味ではなく、道具の出所 図:到達点——学説の趣味ではなく、道具の出所

今日、見てきたことを、1つの連鎖にまとめます。まず、①刑法を何のための法律と見るか。法益保護だけか、社会倫理秩序の維持も含むか。出発点の価値判断ですね。②その答えが、違法性の実質を何に求めるかを決めます。結果無価値論か、行為無価値論か。そして、そこから、2つの帰結が自動的に決まります。③違法性を阻却する一般的な根拠。これは、違法性阻却事由を扱う回の中心になります。④主観的違法要素。これは、正当防衛の回の中心です。③と④は、同じ段から枝分かれした、2つの帰結という意味です。この連鎖が言えるようになることが、今日のゴールです。

答案で使う道具の出所です。未遂犯の処罰根拠や、不能犯の学説でも、また出てきます。

今日の地図(保存版)

今日の地図 図:今日の地図

今日を、振り返りましょう。「正当な行為は罰しない」としか書いていない。「正当な」の中身は、条文の外にありました。結果無価値論は、刑法の役割を法益保護に尽きると見て、違法性の実質を結果に置きます。行為無価値論は、社会倫理秩序の維持も刑法の役割と見て、違法性の実質を行為にも置きます。結果無価値も見る二元論です。行為無価値だけの一元論とは、別の立場でした。阻却の一般根拠と、主観的違法要素です。阻却の一般根拠の詳論は、違法性阻却事由を扱う回で行います。主観的違法要素、防衛の意思の要否は、正当防衛の回で正面から扱います。

35条の「正当な業務」の中身は、正当行為を扱う回で。緊急避難、37条も、その先の回で扱います。1つずつ、積み上げていきましょう。

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#37単独ページ動画

違法性阻却事由

第6章 違法性 ②/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

前回の到達点を受ける——今日の問い

今日の問い——推定を覆す事情を、どう探すか 図:今日の問い——推定を覆す事情を、どう探すか

前回、行為無価値論から出てきた説を、覚えていますか?社会的相当性説、でしたね。今日は、違法性阻却事由の全体像を組み立てます。構成要件に当たった行為について、実際の答案で何をするか。その手順です。今日を見終えると、答案の書き出し方が変わります。

違法性阻却事由の意義——推定を覆すもの

推定を覆す——構成要件の違法性推定機能 図:推定を覆す——構成要件の違法性推定機能

前に、夜道でAがXに殴りかかり、Xが突き飛ばした事案を見ましたね。この事案を、違法性という第二の関門の入口から、もう一度見てみましょう。Xの行為は、傷害罪の構成要件に当たります。ここで、構成要件には大事な性質があります。構成要件は、違法で責任のある行為の典型的な型として作られています。なぜ、そう言えるのか、少し立ち止まってみましょう。構成要件は、これまでの事件から、違法で責任のある行為の型を、抜き出して作られています。だから、この型に当たれば、多くの場合、本当に違法で責任がある行為です。

だから、構成要件に当たった時点で、違法性はすでに推定されています。まだ確定はしていないけれど、いったんそう扱ってよい、という状態です。あの回でも、構成要件の働きの1つとして出てきました。今日は、そこから答案の手順を作ります。ゼロから「これは違法だ」と証明することではありません。やることは1つだけです。この推定を覆す特別な事情が無いかを探すことです。違法性阻却事由です。今日、これを詳しく見ていきます。そこは、言い方に注意が要ります。阻却事由が無くても、違法性を新しく認定するわけではありません。最初からあった推定が、覆らずに残るだけです。

「新しく認定する」と「推定が残る」は、同じではありません。積極的に理由を挙げて違法性を基礎づける作業は、最初から要りません。答案でも、やることは、阻却事由の有無を検討することだけです。悪い例から、見てみましょう。「構成要件に該当し、違法性も認められる」と、先に言い切ってしまう書き方です。この書き方は、違法性を基礎づける理由が、どこにも示されていません。正しい順番は、こうです。「構成要件に該当し、違法性阻却事由も見当たらないから、違法性が認められる」。この手続きの有無が、採点でも見られています。

「阻却」の意味——そもそも違法ではなかった

「阻却」の意味——取り消しではない 図:「阻却」の意味——取り消しではない

多くの人が、そこでつまずきます。「後から取り消す」という理解は、よくある勘違いです。「違法性を阻却する」というのは、後から違法性を消すことではありません。そもそも、その行為は違法の側に立っていなかった、という意味です。たとえば、健康診断を想像してみてください。検査の結果、「要精密検査」の通知が来ました。ここまでは、何かに引っかかった状態です。そして、詳しく調べてもらったら。実は、最初から病気ではなかったと分かりました。治ったのではありません。最初から、病気ではなかったんです。Xの行為も、いったん違法になってから治るのではありません。阻却事由があると分かった瞬間に、そもそも違法でなかったと評価し直されることになります。

ここを取り違えると、違法性の説明が、時間の順番でおかしくなります。

違法性阻却の一般的根拠——なぜそう言えるか

一般的根拠の詳論——なぜその説が出てくるのか 図:一般的根拠の詳論——なぜその説が出てくるのか

前回、法益権衡説と、社会的相当性説という、2つの説の名前を見ました。今日は、なぜその説が出てくるのかを、詳しく見ます。前回の言葉を1つ、確かめます。「違法性の実質」。結果無価値論は、違法性の実質を、法益侵害という結果に置きました。だから、阻却するかどうかも、結果の中身だけで決めます。大きい法益を守るためなら、それと同じか、より小さい法益を犠牲にしてもよい。これが、法益権衡説の中身です。守られたXの身体と、犠牲になったAの身体を、天秤に乗せて比べます。釣り合っている、つまり犠牲になったほうが大きくない。だから阻却される、という説明です。

一方、行為無価値論は、違法性の実質を、行為にも置きました。行為の中身が要ります。行為が、社会的に見て相当な範囲内であれば、阻却される。これが、社会的相当性説です。Xの反撃という行為そのものが、社会的に見て相当だったかを見ます。殴りかかられて、とっさに突き飛ばした。その行為の中身が、相当性の判断材料になります。その具体的な中身は、これから見る条文の4つと、それぞれを扱う回で、正面から出てきます。今日は、その理由づけがどこから出てくるかまでを押さえてください。そこが今日の核心です。違法性の実質をどこに置いたかが、阻却の理由づけの形を、そのまま決めています。

同じ説の、別の呼び方です。結果だけを実質と見れば、結果の量だけで判断が決まります。行為も実質に含めれば、行為の中身までが、判断に加わります。それを確かめたのが、前回のもう1つの事案でした。Aの手首が折れる結果は同じで、Xは罰される事案でしたね。これが、一般的根拠を「なぜそう言えるか」まで持つ意味です。

法益権衡説と社会的相当性説の違い——比べるのは結果か、行為も含めるか 図:法益権衡説と社会的相当性説の違い——比べるのは結果か、行為も含めるか

ここまでの違いを、比べる材料という切り口で、もう一度整理しましょう。法益権衡説が比べるのは、守られた法益と、犠牲になった法益。結果だけです。行為そのものの中身まで、比べる材料に含めます。この違いが、今後の各論点でも、効いてきます。

違法性阻却事由の種類——法定4つと、その外

法定の違法性阻却事由——刑法が定める4つ 図:法定の違法性阻却事由——刑法が定める4つ

ここからは、この一般的根拠が、実際にどこで使われるかを見ます。刑法は、違法性阻却事由として、条文の中に4つを規定しています。3か条なのに4つある、というのが今日いちばん間違えやすいところです。前回、35条を見ましたね。この条文は、実は2つに分かれます。法令行為が前段、正当業務行為が後段です。法令行為は、法令が「やってよい」と認めている行為です。正当業務行為は、仕事としてされる行為のうち、正当と認められるものです。それから、36条1項の正当防衛。そして、今日はじめて条文を見る、緊急避難があります。

条文刑法37条1項

刑法37条1項(緊急避難) 自己又は他人の生命、身体、自由又は財産に対する現在の危難を避けるため、やむを得ずにした行為は、これによって生じた害が避けようとした害の程度を超えなかった場合に限り、罰しない。ただし、その程度を超えた行為は、情状により、その刑を減軽し、又は免除することができる。

今日、見てほしいのは、「罰しない」までの本文の部分だけです。行き過ぎた避難行為をどう扱うか、という別の論点です。緊急避難そのものを扱う回で、正面から見ます。危難を避けるため、やむを得ずにした行為が。生じた害の程度を超えなければ、罰しない。ここまでで十分です。これで、法定の違法性阻却事由が、揃いました。35条が前段と後段で2つ、36条1項で1つ、37条1項本文で1つ。合わせて4つです。板でも、条項まではっきり書いておきます。

超法規的違法性阻却事由——条文の外にも道はある 図:超法規的違法性阻却事由——条文の外にも道はある

実際、収まりません。ここで、さっきの一般的根拠が効いてきます。条文の4つのどれにも当てはまらなくても。違法性阻却の一般的根拠、法益権衡説や社会的相当性説の考え方をみたすなら。違法性は阻却されえます。これを、超法規的違法性阻却事由と呼びます。一般的根拠の議論は、趣味で学説を並べていたわけではありません。条文の外へ出るための足場だったんです。ここが、今日いちばん大事な背骨です。根拠を満たすかどうかの吟味こそが、重要な歯止めです。一般的根拠を満たさなければ、超法規的にも阻却されません。

たとえば、Xが、通行人と肩がぶつかっただけの相手に、殴りかかって反撃したとします。法益権衡で見ても、肩がぶつかった程度の不利益と。殴られてケガをする不利益は、釣り合いません。社会的相当性で見ても、この反撃は、社会が許容する範囲を超えています。だから、この行為は、超法規的にも阻却されません。根拠を満たすかどうかの吟味があってはじめて、条文の外へ出られます。

条文の外の一例——追いかけて取り返す 図:条文の外の一例——追いかけて取り返す

たとえば、こんな場面を考えてみましょう。Aが、何者かに財布をひったくられました。犯人は、そのまま走って逃げていきます。たまたま近くにいたXが、追いかけて、財布を取り返しました。Xの行為は、法定の4つ、どれにも当てはまりません。でも、一般的根拠に照らせば、阻却される余地があります。今日は、枠があるということだけを示します。自救行為のように、条文の外にある枠の中身は、正当行為を扱う回の続きで、正面から扱います。楽しみにしていてください。

違法の客観性——視点と対象の区別

違法の客観性——視点と対象の区別 図:違法の客観性——視点と対象の区別

もう1つだけ、短く見ておきたい話があります。違法性の判断は、客観的に行われる、と言われます。行為者の人格から、いちおう離れて、行為それ自体を対象に判断する、という意味です。「この人は、普段どういう人柄か」までは見ません。あくまで、その行為そのものを見ます。責任の判断は、行為を行為者の人格と結びつけて、責められるかを問います。ここが、違いです。責任の中身は、責任を扱う回で正面から見ます。ここまでは、素直に分かると思います。どこがですか。前回、行為者の主観も見ました。そこが、まさに今日の弁別ポイントです。「客観的に判断する」というのは、判断対象が客観一色だという意味ではありません。

判断する視点が、客観的だ、という意味です。行為者の主観面や身分も、違法性の実質に影響するかぎり、判断の対象にはなります。Xが、身を守るつもりで突き飛ばしたのか、面白半分だったのか。そのつもりの違いが、行為が相当だったかの判断に入ってきます。この二段構えを押さえれば、前回の最後に見た主観的違法要素の話とも、矛盾しません。理論的には、やや抽象的な議論です。試験との関係では、重要度は高くありません。「視点と対象は別」、この一点だけ、押さえておいてください。

可罰的違法性の理論——超法規的阻却の実例

可罰的違法性——罰するに値する重さがあるか 図:可罰的違法性——罰するに値する重さがあるか

最後に、もう1つだけ、超法規的違法性阻却事由の実例を見ておきましょう。別の実例です。可罰的違法性という考え方を見ます。処罰に値する程度、という意味です。可罰的違法性とは、罰するに値する、違法性の重さのことです。具体的に、見てみましょう。ある人が、スーパーの試食コーナーに置かれた爪楊枝を、1本だけ持ち帰りました。爪楊枝は、店の所有物です。無断で持ち帰れば、窃盗罪の構成要件には、形式的に当たります。窃盗罪の中身は、窃盗罪を扱う回で見ます。今日は条文番号だけ触れます。この行為が、構成要件には当たっている。ここまでは、動きません。

処罰されません。爪楊枝1本を持ち帰った程度では、処罰に値する程度の違法性が無いからです。法定の4つには、もちろん当てはまりません。処罰に値する程度の違法性を欠く行為は、構成要件に該当しても、違法性が阻却される。こう考えておけば、試験対応としては十分だ、というこの講義の割り切りです。超法規的阻却事由という同じ枠の、別の中身です。そうとは限りません。ここに、境界線があります。たとえば、持ち帰ったのが爪楊枝ではなく、店の高級な万年筆だったら、話は変わります。実害の大きさが変われば、処罰に値する程度の違法性は、あると判断されます。

程度の問題である以上、線引きは、対象の実害次第です。

到達点——第二の関門の作業手順

到達点——第二の関門を、5つの手順で 図:到達点——第二の関門を、5つの手順で

今日、見てきたことを、1つの手順にまとめます。①構成要件該当性が、違法性を推定する。②違法性の段階では、推定を覆す事情だけを探す。③まず、条文に定められた4つに当たるかを見ます。35条前段、35条後段、36条1項、37条1項本文です。④当たらなくても、違法性阻却の一般的根拠をみたせば。この講義では社会的相当性説をみたせば、超法規的違法性阻却事由として阻却されえます。⑤その一例が、処罰に値する程度の違法性を欠く場合。つまり、可罰的違法性の理論です。この5つが言えれば、第二の関門の入口は通れます。第6章の残りは、今日作った地図の④の中身を、1つずつ埋めていく作業になります。

今日の地図さえ持っていれば、迷子になりません。

今日の地図(保存版)

今日の地図 図:今日の地図

今日を、振り返りましょう。構成要件に当たれば、違法性はいったん推定されます。やることは、推定を覆す事情を探すことだけでした。そもそも、違法の側に立っていなかった、という意味でした。この根拠論が、条文の外へ出るための足場になっていました。当たらなくても、一般的根拠をみたせば、超法規的違法性阻却事由として阻却されえます。そして最後に、違法の客観性。判断の視点は客観的でも、判断の対象には主観も入りうる、という二段構えでした。第6章の残りは、この地図の中身を、1つずつ埋める作業になります。まずは、法令行為と正当業務行為、35条の中身から始めます。

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#38単独ページ動画

正当行為と被害者の承諾

第6章 違法性 ③/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

前回の到達点を受ける——今日の問い

今日の問い——35条には、書いていない道がある 図:今日の問い——35条には、書いていない道がある

前回、違法性阻却事由には、法定のものがいくつあると学びましたか?4つです。法令行為、正当業務行為、正当防衛、緊急避難、でしたね。35条には、そのうち何個が入っていましたか。2個です。前段と後段で、法令行為と正当業務行為でした。今日は、その35条の中身に入ります。ところが、35条には、条文に書いていない道が、もう1本あります。

35条には「直接適用」と「準用」の2つのルートがある

35条の2つのルート——条文にあるのは2つだけ 図:35条の2つのルート——条文にあるのは2つだけ

35条を、もう一度見てみましょう。

条文刑法35条

刑法35条(正当行為) 法令又は正当な業務による行為は、罰しない。

今日は、この条文そのものを、正面から扱います。条文が挙げているのは、この2つだけです。実は、そこに、この論点の面白さがあります。被害者の承諾をはじめ、推定的承諾、治療行為、義務の衝突。推定的承諾は、本人に聞けないけれど、聞けば承諾したはずだ、という場合です。治療行為は、手術のように、治すために体を傷つける場合。義務の衝突は、2つの義務が同時にあって、両方は果たせない場合です。この4つは、条文には、一文字も書かれていません。通説は、この4つにも、35条を準用します。直接は書いていなくても、35条の理由づけを借りて、当てはめることです。

35条が置いているのは、正当な行為だから罰しない、という理由です。社会の中で正当なものとして許される行為を、まとめて正当行為と呼びます。条文が名前を挙げていない4つも、この正当行為の仲間だ、というのが通説の見方です。35条が担当する場面は、実は2つではありません。直接の2つと、借りてくる4つで、合わせて6つあります。答案で、根拠条文を間違えてしまいます。準用と超法規的を混同すると、痛い目を見ます。準用には、35条という条文に、足場があります。前回見た超法規的違法性阻却事由には、条文の足場がありません。

足場があるかどうかが、決定的な違いです。

前回の地図に、中間層を1つ足す 図:前回の地図に、中間層を1つ足す

前回の地図を、思い出してください。今日は、その2段の間に、もう1段を足します。直接適用と、超法規的の間に、35条の準用があります。間違っていたのではありません。地図を、精緻にするだけです。前回は、そこまで踏み込まなくても、全体像はつかめました。まずは、直接適用の2つから始めます。

法令行為——「その人だから」ではなく「法令が許すから」

法令行為——逮捕状による逮捕を例に 図:法令行為——逮捕状による逮捕を例に

法令行為とは、法律や命令などの成文法規が、してよいと認めている行為です。警察官Xが、裁判官の出した逮捕状で、Aを逮捕する場面です。この行為、実は、逮捕罪の構成要件には該当しています。人を不法に逮捕すれば、220条の構成要件に当たります。Xの行為も、形式的には、当てはまっています。消えるのは、構成要件該当性ではありません。消えるのは、違法性です。構成要件は、条文が定めている犯罪の「型」です。その型に当たった時点で、違法性はあるものとして扱われます。だから第二の関門で見るのは、阻却事由があるかどうかだけです。

刑事訴訟法199条が、逮捕状による逮捕を、法令として許容しているからです。そこは、言い方に注意が要ります。効いているのは、警察官という身分ではありません。効いているのは、逮捕を許容する法令があること、そのものです。

身分ではなく法令——一般人の現行犯逮捕 図:身分ではなく法令——一般人の現行犯逮捕

一般の人が、現行犯人を、その場で捕まえる場合を見てみましょう。刑事訴訟法213条は、現行犯人なら、誰でも逮捕状なしに捕まえてよいと定めています。ひったくり犯を、その場で取り押さえた一般人も、逮捕罪の構成要件には当たります。でも、213条という法令が許容しているから、違法性が阻却されます。効いているのは、身分ではなく、根拠になる法令です。

正当業務行為——「業務」は日常語と意味が違う

「業務」とは何か——日常語との違い 図:「業務」とは何か——日常語との違い

続いて、35条後段の正当業務行為です。「業務」を仕事のことだと思う人は、多いです。でも、法律上の意味は、日常語と違います。「業務」とは、社会の中で、同じ種類の行為として、くり返し行われ続ける性格を持つ事務のことです。見るのは、その行為自体が、繰り返される種類のものかどうか、という点です。ボクシングジムに通うXが、公式ルールの試合で、Aを殴って怪我をさせました。204条の構成要件には、当たっています。でも、公式ルールに則った試合なら、正当業務行為として、違法性が阻却されます。趣味のイメージでも構いません。①職業である必要はありません。

もう1つ、大事な弁別ポイントがあります。もし、今日がXのデビュー戦だったら、結論は変わるでしょうか。「初めてだから業務にあたらない」というのは、よくある誤解です。②”性格”を見るので、その1回目でもよいんです。プロかどうか、初めてかどうかは、関係ありません。ケンカは、業務になりません。くり返される種類の行為ではないからです。答案では、「くり返し行われる性格の事務であるから」と、性格に着目して書きます。

被害者の承諾の意義——ここから4つの効果に分かれる

被害者の承諾——定義と、その先 図:被害者の承諾——定義と、その先

ここまでが、条文に直接書いてある2つでした。ここからは、準用される側に入ります。今日扱うのは、そのうちの被害者の承諾です。「承諾があれば無罪」というイメージは、半分は正しくて、半分は正確ではありません。まず、定義から確認しましょう。被害者の承諾とは、法益を持つ本人が、自分の法益を手放すことです。そのうえで、その侵害に同意を与えることを言います。法が守る利益のことです。刑法が何を守るのかを見た回で確認しましたね。「承諾ある者に不法はない」と、古くから言われてきた考え方です。ただし、今日大事なのは、その先です。

承諾の効果は、一様に違法性阻却ではありません。「承諾があれば無罪」が半分しか正しくないのは、まさにそこです。犯罪の特性に応じて、承諾の効果は分かれます。これから、4つに分けて見ていきます。

被害者の承諾の4類型——承諾が条文のどこに置かれているか

4つの効果——承諾は条文のどこに置かれているか 図:4つの効果——承諾は条文のどこに置かれているか

承諾の効果を決める鍵は、たった1つです。その承諾が、条文のどこに置かれているか、です。犯罪の構成要件が、承諾の有無をどう扱っているか。ここを見ます。その前に、1つ聞かせてください。被害者の承諾があれば、いつも、違法性が阻却されるでしょうか。一度、そこで、立ち止まってみましょう。板を見てください。少し身近な例で、会社員の「了解しました」という一言を考えてみましょう。配置転換は、その一言が無ければ、そもそも話が始まりません。懲戒の場面で自分から認めると、罰の重さが変わります。安全研修は、何と言おうと、受講の必要には関係ありません。飲み会の一気飲みでは、その一言だけでは決まらず、そこから判断が始まります。同じ発想で、4つのパターンを見ていきましょう。1つ目は、承諾が無いことが、構成要件要素になっている犯罪です。

たとえば、住居侵入罪です。人の家に、無断で入れば犯罪になります。家の人が許していれば、その時点で、そもそも侵入にあたりません。窃盗罪も、同じ構造です。持ち主が持って行っていいよと言えば、それは窃取ではなく譲り受けになります。承諾が無いことが要件だから、承諾があれば構成要件該当性が阻却されます。2つ目は、逆です。承諾があることが、構成要件要素になっている犯罪です。人を殺せば、通常は殺人罪、199条です。でも、被害者本人が、殺してくれと頼んだ場合は、話が変わります。

条文刑法202条

刑法202条(自殺関与及び同意殺人) 人を教唆し若しくは幇助して自殺させ、又は人をその嘱託を受け若しくはその承諾を得て殺した者は、六月以上七年以下の拘禁刑に処する。

承諾があることが、条文の要件に組み込まれています。無罪にはなりません。別の犯罪、同意殺人罪として処罰されます。ただし、通常の殺人罪より、法定刑は軽くなります。つまり、承諾が違法性を軽減して、法定刑を軽くする効果を持っています。嘱託と承諾の違いや、自殺関与との区別は、各論の回で正面から見ます。今日は、承諾が条文に書き込まれている、という事実だけで十分です。ここで、204条を確認してみましょう。204条には、「その承諾を得て」というような文言は、どこにもありません。この違いが、これから見るパターンの手がかりになります。3つ目は、構成要件の性質上、そもそも承諾の有無が問われない場合です。

16歳未満の者に対する性犯罪が、その例です。不同意わいせつ罪の176条3項、不同意性交等罪の177条3項です。相手が13歳未満なら、本人の同意があっても、犯罪の成否に影響しません。13歳以上16歳未満のときも同じ扱いですが、行為者との年齢差という条件が別に付きます。詳しい要件は、各論の性犯罪を扱う回で、正面から見ます。今日は、承諾が効かない構成要件がある、という事実だけを押さえてください。4つ目は、①から③のどれにも当たらない場合です。傷害罪です。承諾が無いことも、あることも、条文の要件ではありません。

無関係ではありません。ここでは、違法性阻却の問題として検討されます。Aが、Xに本気で殴ってみてくれと頼み、Xが殴って、Aが軽い怪我をしました。Xの行為は、204条の構成要件に当たります。でも、承諾は条文に書かれていないので、①でも②でもありません。違法性阻却の問題になります。ただし、注意してください。「違法性阻却の問題になる」は、「必ず阻却される」という意味ではありません。ここから先は、なぜ阻却されるのか。そして、本当にいつも阻却されるのか、という話に進みます。

承諾が違法性を阻却する根拠——前回の払い戻し

阻却根拠——一般論が承諾の場面でどう具体化するか 図:阻却根拠——一般論が承諾の場面でどう具体化するか

では、④のケースは、なぜ違法性が阻却されるんでしょうか。前回、違法性阻却の一般的な根拠を、習いましたね。それを使います。この一般論が、承諾の場面では、別の名前で具体化されます。結果無価値論からは、法益性欠如説が出てきます。被害者が自分の法益を処分した結果、保護すべき法益そのものが無くなる、という考え方です。Aが身体への侵害を承諾した時点で、保護すべき法益は、もう無いという説明です。一般論の名前と、承諾の場面の名前は、別物です。混ぜないでください。行為無価値論からは、社会的相当性説が出てきます。ここは、同じ名前が2回出てきます。承諾によって、行為が社会的に相当だと認められる場合がある、という説明です。殴ってくれと頼まれた例なら、Aが自分から頼んだという事情も含めて、Xの殴り方が社会的に見て相当な範囲かを見ます。

前回の議論が、ここでも、そのまま効いてきます。

「必ず阻却されるわけではない」——両方の立場から独立に出る限界

「必ず」ではない——両方の立場から出る歯止め 図:「必ず」ではない——両方の立場から出る歯止め

さっき予告した、「必ず阻却されるわけではない」に入ります。「承諾があれば違法性が阻却される」という言い方は、正確ではありません。正しくは、「阻却される場合がある」です。言い切るのと、場合があると言うのとでは、大きく違います。理由は、両方の立場から、独立に出てきます。まず、行為無価値論から見ます。承諾は、違法性阻却を判断するときの、一資料にすぎません。動機や目的、手段や態様、程度まで総合的に考慮して、初めて結論が出ます。もう1つ、結果無価値論からも、別の理由が出てきます。法益には、個人のものだけでなく、国のはたらきや、社会全体の安全にかかわるものもあります。国家的法益や、社会的法益は、個人が勝手に放棄できません。

承諾さえあれば結論が出ると考えて、あてはめを省略するのが、いちばんの誤りです。

到達点——承諾を見たときの手順

到達点——承諾を見たときの5つの手順 図:到達点——承諾を見たときの5つの手順

今日の内容を、1つの手順にまとめます。①まず、条文を開いて、承諾がどこに置かれているかを見ます。②違法性阻却の類型、さっきの④に落ちたときだけ、根拠論に乗せます。③根拠は、法益性欠如説か、社会的相当性説です。この講義は、行為無価値論、つまり社会的相当性説の立場です。④承諾があっても、必ず阻却されるわけではありません。⑤その具体的な要件は、この続きの回で扱います。この5つが言えれば、承諾の入口は通れます。

今日の地図(保存版)

今日の地図 図:今日の地図

今日を、振り返りましょう。法令行為と正当業務行為、直接適用の2つです。被害者の承諾、推定的承諾のほかにも、治療行為、義務の衝突です。逮捕状による逮捕も、一般人の現行犯逮捕も、根拠は法令でした。職業性も要りません。承諾が無いことが要件なら、構成要件該当性が阻却されます。承諾があることが要件なら、違法性が軽減されます。有無を問わない類型なら、成否に影響しません。どれにも当たらなければ、違法性阻却の問題になります。でも、承諾があっても、必ず阻却されるわけではありません。法令行為、正当業務行為、被害者の承諾です。

推定的承諾、治療行為、義務の衝突です。その3つの要件、そして被害者の承諾そのものの有効要件も、この続きの回で扱います。

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#39単独ページ動画

被害者の承諾の有効要件

第6章 違法性 ④/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

前回の到達点を受ける——今日の問い

今日の問い——④に落ちたとき、何を検討するのか 図:今日の問い——④に落ちたとき、何を検討するのか

前回、被害者の承諾には、4つの効き方があると学びました。では、前回の4つのうち、どれを検討するのが今日の続きでしょうか?違法性阻却の類型に落ちたときだけ、根拠論に乗せる、という話でしたね。今日は、その根拠論の中身に入ります。根拠論が正しいとして、具体的に何を検討すれば違法性が阻却されるのか、です。今日はそこを、要件として取り出します。

要件は6つ、ただし立場で数が変わる

要件は3つか6つか——立場で数が変わる 図:要件は3つか6つか——立場で数が変わる

被害者の承諾で違法性が阻却されるには、いくつかの要件を満たす必要があります。その要件の数は、立場によって変わります。法益性欠如説は、承諾があれば守るべき法益が無くなる、という結果無価値論からの説でしたね。社会的相当性説は、行為無価値論から出てきた説です。板を見てください。左の3つは、両方の立場に共通する要件です。本人が自分で手放せる利益か、その承諾がちゃんとしたものか、行為より前にあったか、です。この3つは、どちらの立場でも欠かせません。行為者が承諾を認識していること、承諾が外部的に表示されていること。そして、行為態様が社会的に相当であることです。相手がその承諾を知っていたか、承諾が外から見える形だったか、やり方が行き過ぎでないか、です。この3つは、行為無価値論からだけ加わります。

結果無価値論の答案なら3つ、行為無価値論の答案なら6つになります。立場を言わずに数だけ書くと、根拠を分かっていないと思われます。冒頭で立場を宣言してから、その立場が要求する数の要件を順番に検討します。4つ目から6つ目を見るときに、まとめてお話しします。

①個人的法益であること

①個人的法益であること——効いているのは処分権の有無 図:①個人的法益であること——効いているのは処分権の有無

まず1つ目、個人的法益であることです。承諾が意味を持つのは、被害者本人が処分できる法益に限られます。自分の物として手放すかどうかを、自分で決められる利益のことです。国家的法益や社会的法益は、本人が承諾しても意味を持ちません。保健所の監視員Xが、飲食店を営むAの店に立入検査に入ろうとしました。面倒に思ったAは、Xに「多少手荒くしてもいいから、帰ってほしい」と言いました。根負けしたXは、「まあ、いいですよ」と答えてしまいました。そこで、Aは、Xの体を押して外に出しました。では、Aの行為は公務執行妨害罪に問われないでしょうか。

条文刑法95条1項

刑法95条1項(公務執行妨害及び職務強要) 公務員が職務を執行するに当たり、これに対して暴行又は脅迫を加えた者は、三年以下の拘禁刑又は五十万円以下の罰金に処する。

条文を確認しましょう。守っているのは、公務員個人の気持ちではありません。公務が円滑に行われるという、国の利益です。Xには、この利益を手放す権限がありません。やめると言った点も、結論は変わりません。条文が守るのは、始めようとする場面から終わるまでの職務です。しかも検査を中断させたのは、A自身の行為です。だから押されたその瞬間も、Xはまだ職務を執行している最中だと評価されます。Aの行為は、Xの同意の有無にかかわらず、公務執行妨害罪の構成要件に当たります。まず法益の性質を確認する視点が、答案でも欠かせません。

「本罪の保護法益は個人的法益ではないから、承諾は意味を持たない」と位置づけます。逆に、個人的法益であれば、承諾は意味を持ちえます。次の要件に進みましょう。

②承諾自体が有効であること——承諾能力・真意・動機の錯誤

②承諾が有効であること——3つの視点 図:②承諾が有効であること——3つの視点

2つ目は、承諾自体が有効であることです。まず、承諾能力が要ります。その承諾が何を意味するかを、理解して判断できる力のことです。小学生のAが、深く考えずに高価なゲーム機をXに「あげるよ」と言った場合です。次に、真意も要ります。本心からの承諾かどうか、です。Aが寝ぼけたまま、「いいよ、持ってって」と口走った場合です。承諾能力と真意、この2つは比較的分かりやすいと思います。3つ目の、動機に錯誤がないことが、今日いちばん重い山場です。動機の錯誤とは、承諾した理由、つまり動機の部分に、勘違いがある場合のことです。

夜、空き巣を働くつもりのXが、A宅の玄関で「こんばんは」と声をかけました。Aは近所の顔見知りだと思い込み、「どうぞ、お上がりください」と答えました。Xは、そのまま家に上がり込みました。Aの返事は、有効な承諾でしょうか。「上がっていい」という言葉自体はありますが、Aは、Xが泥棒だとは思っていません。ここで、前に間接正犯のところで見た判例に戻ります。

判例最判昭和33年11月21日・刑集12巻15号3519頁(第二小法廷・昭和31年(あ)第2220号)

同意殺人罪の承諾の有効性が問われた事件 要するに被害者の自由な真意に基かない場合は刑法二〇二条にいう被殺者の嘱託承諾としては認め得られない。 → 本件は通常の殺人罪に該当する。

判決の言葉そのものは、そうなっています。「動機の錯誤」という言葉は、判決には出てきません。整理するのは学説の側です。この判例は、同意殺人罪の成立要件としての承諾について判断したものです。この考え方を違法性阻却の場面にも及ぼすべきだ、という見方は有力です。ただ、判例そのものがそう述べたわけではありません。ちなみに今の空き巣の例は、前回の4つのパターンの、1つ目に当たる場面です。承諾が有効かどうかは、どのパターンでも先に問われます。そして、動機の錯誤で承諾が常に無効になるかも、実は争いがあります。

動機の錯誤——承諾は無効になるか 図:動機の錯誤——承諾は無効になるか

さっきの、Xが「こんばんは」と声をかけた例に戻りましょう。有効説は、文字どおり有効と考えます。Aは、家に人を入れるという行為そのものには、同意しています。だから、動機に錯誤があっても承諾の有効性には影響しない、という理由です。無効説は、逆に無効と考えます。Xの欺く行為によって引き出された承諾は、本心からのものとはいえない、とします。どちらの説を採るかで結論が変わります。答案では立場を明示して結論を出します。「侵入」の意味は各論の回で扱います。今日は、この論点があることだけ押さえてください。有力な教科書も、動機に錯誤がないことは必要というべきだろう、と留保つきで述べています。

争いがある論点だと知っておくことが大事です。

③承諾が行為の前に存在すること

③承諾は行為の前に——時間は戻らない 図:③承諾は行為の前に——時間は戻らない

3つ目は、承諾が行為より前に存在していることです。当たり前のようですが、ここでつまずく人が意外と多いんです。Xがふざけて、Aの背中を後ろから強くたたきました。Aは振り返りましたが、少し笑って「別に怒ってないよ、痛かったけど」と言いました。では、Xの行為は最初から適法だったことになるでしょうか。そこが、よくある誤解です。違法性があるかどうかは、行為の時点で決まります。Xが叩いた、その瞬間です。その時点で、Aの承諾はありませんでした。事後の許しは、量刑を考えるときの有利な事情にとどまります。答案では、承諾がいつ存在したかをはっきり認定してください。

④認識・⑤外部的表示——行為無価値論から加わる2つ

承諾があることを、行為者が知らなかったら 図:承諾があることを、行為者が知らなかったら

さっき、要件は6つか3つか、という話をしましたね。ここから、その理由に入ります。まず、具体例を見てください。Aは、実は「今日は本気で殴ってきてほしい」と思っていました。一言も、口に出しませんでした。XはそんなAの胸の内を知らないまま、いつもの喧嘩の延長で本気でAを殴りました。ここに、行為無価値論と結果無価値論の分かれ目があります。

社会的相当性は、行為者の主観も見る 図:社会的相当性は、行為者の主観も見る

行為無価値論は、行為が違法かを、結果だけでなく行為そのものの相当性で判断します。違法性の実質を見た回で、行為無価値論は主観も判断に入れる、と押さえました。だから、行為の相当性を判断するときは、行為者が何を認識していたかも見ます。Xの立場で考えてみましょう。Xは、Aの胸の内を知りません。その主観から見れば、Xの行為は社会的に相当だとは言いにくいです。だから、行為者が承諾を認識していることが、行為無価値論からの要件になります。さらに、行為者が認識できるには、承諾が外に見える形になっていないといけません。

だから、承諾が外部的に表示されていることも要件になります。ここで、前回の例を思い出してください。

2つの立場の対比——④⑤は要るのか、要らないのか 図:2つの立場の対比——④⑤は要るのか、要らないのか

Aが、Xに本気で殴ってみてくれと、口に出して頼んでいた例です。あの場合は、Xも承諾をはっきり認識していて、承諾も外部に表示されています。だから、行為無価値論からも、この2つはクリアできます。外から見えるか、見えないか。それが分かれ目です。結果無価値論は、行為の相当性ではなく、現に法益が失われたかだけを見ます。だから、Xがそれを知っていたかどうかは関係ありません。結果無価値論からは、この2つとも不要になります。行為無価値論からは、Xは条件を満たさないので違法性は阻却されません。結果無価値論からは、Aが現に承諾している以上、違法性は阻却されます。

これが、前回見た対立が、今日、答案の結論として現れる場面です。だからこそ、答案の冒頭で自分の立場をはっきり宣言する必要があります。

⑥行為態様の相当性——同意傷害の限界

承諾があるだけで、足りるのか 図:承諾があるだけで、足りるのか

最後の要件、行為態様の相当性に入ります。⑥も、行為無価値論から加わる3つ目です。前回、行為無価値論からは承諾は一資料にすぎない、と押さえました。承諾だけでは結論が出ず、他の材料も見る、という意味でしたね。一資料である以上、行為のやり方そのものを、独立の要件として見ることになります。結果無価値論からは、法益が現に放棄されていれば足りるので、この要件は出てきません。そして、この要件は同意傷害の限界を画す、いちばん実務的な要件です。承諾を得たうえで、体を傷つける行為のことです。前回の、Aが本気で殴ってみてくれと頼んだ例を、少し変えてみましょう。Aが本気で殴ってくれと頼んだところ、Xは加減せず何発も殴り続けました。Aは、大けがを負いました。

承諾があるからといって、常に違法性が阻却されるわけではありません。

条文刑法204条

刑法204条(傷害) 人の身体を傷害した者は、十五年以下の拘禁刑又は五十万円以下の罰金に処する。

傷害罪の条文には、承諾についての記述がどこにもありません。だから承諾があっても、条文が直接、結論を出してくれるわけではないんです。承諾を得た動機や目的、手段や方法、そして部位や程度、この3系統を総合考慮します。加減せず何発も殴り続けたのは、手段・方法の点で行き過ぎと評価されるでしょう。実際にあった事件を見てみましょう。

判例最決昭和55年11月13日・刑集34巻6号396頁(第二小法廷・昭和55年(し)第91号)

保険金詐欺目的の承諾と、傷害罪の成否 被害者が身体傷害を承諾したばあいに傷害罪が成立するか否かは、単に承諾が存在するという事実だけでなく、右承諾を得た動機、目的、身体傷害の手段、方法、損傷の部位、程度など諸般の事情を照らし合せて決すべきものであるが、本件のように、過失による自動車衝突事故であるかのように装い保険金を騙取する目的をもつて、被害者の承諾を得てその者に故意に自己の運転する自動車を衝突させて傷害を負わせたばあいには、右承諾は、保険金を騙取するという違法な目的に利用するために得られた違法なものであつて、これによつて当該傷害行為の違法性を阻却するものではないと解するのが相当である。 → 再審請求に対する特別抗告を棄却する決定。承諾があっても違法性は阻却されないから、原判決の業務上過失傷害罪ではなく、より重い傷害罪が成立することになり、再審事由(無罪または軽い罪を認めるべき場合)にはあたらないとした。

共謀した仲間どうしで承諾のうえ、自動車を衝突させました。承諾があっても、違法性は阻却されませんでした。最高裁は、より重い傷害罪が成立することになる、と判断しました。承諾を得た目的そのものが違法だったことです。この判断は、後から裁判をやり直せるかが争われた場面で示されたものです。今日は、承諾の効力の部分だけ押さえてください。この事件では、下級審が共謀者の傷害はかなり軽かったと認定していたようです。でも、最高裁の判断は、傷害の軽さを理由にはしていません。理由は、あくまで承諾を得た目的の違法性です。目的が違法なら、傷害の程度が軽くても阻却は認められません。

承諾の存在を認定したあとに、動機・目的、手段・方法、部位・程度を順番に考慮します。①から⑥まで、揃いました。

到達点——①〜⑥のチェックリストとまとめ・送り

到達点——①〜⑥の検討手順 図:到達点——①〜⑥の検討手順

今日の内容を、1つの手順にまとめます。まず、①個人的法益であることを確認します。次に、②承諾自体が有効であることです。承諾能力、真意、そして動機に錯誤がないかを見ます。続いて、③承諾が行為の前に存在していたかを確認します。行為無価値論では、さらに3つ検討します。④行為者が承諾を認識していたかです。⑤その承諾が外部的に表示されていたかです。そして、⑥行為態様が社会的に相当だったかです。動機・目的、手段・方法、部位・程度から判断します。前回の5つの手順の、最後の1つが今日埋まりました。承諾を検討するときは、この手順で答案を組み立ててください。

今日の地図 図:今日の地図

今日を、振り返りましょう。結果無価値論なら3つ、行為無価値論ならさらに3つ加わって6つです。社会的相当性は、行為者の主観も込みで判断します。だから認識と表示が要ります。前回の対立が、要件の数という形で今日、目に見えましたね。承諾は一資料にすぎないので、行為のやり方そのものも要件になります。個人的法益であることと、行為の前に存在することも、忘れないでください。承諾の有効性では、動機の錯誤という論点があることも押さえてください。承諾があれば終わり、ではありません。まだ続きがあります。35条に準用される、残り3つが控えています。

それは、この続きの回で扱います。それが、今日いちばん大事な到達点です。

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#40単独ページ動画

推定的承諾・治療行為・義務の衝突

第6章 違法性 ⑤/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

前回・前々回の地図を受ける——今日の問い

今日の問い——残り3つに入る 図:今日の問い——残り3つに入る

前回、被害者の承諾の有効要件①から⑥までを見ました。確認です。前回の①から⑥のうち、行為無価値論から加わるのはどれでしたか?⑥行為態様の相当性も、忘れないでくださいね。35条に準用される4つのうち、これで1つ目が終わりました。今日は、その残り3つに入ります。3つとも、舞台が少し変わります。今日扱う場面は、現実の承諾が無い、または承諾では説明できない場面です。山あいの集落で、隣の家から火が出ました。住人は、旅行中で留守でした。近所に住むXは、燃え移りを心配しました。そして、隣家の窓を割って中に入りました。

仏壇の位牌と、実印の入った金庫を運び出しました。家主の承諾は、一つもありません。Xの行為が住居侵入罪にあたるかどうか——それが、今日の入口です。

今日の地図(保存版)

直接適用の2つと、準用される4つ 図:直接適用の2つと、準用される4つ

前々回に見た、35条の地図を思い出してください。法令行為と、正当業務行為です。通説は、被害者の承諾のほか、推定的承諾・治療行為・義務の衝突も準用します。今日は、残りの3つに入ります。

条文刑法35条

刑法35条(正当行為) 法令又は正当な業務による行為は、罰しない。

条文の言葉は、法令と正当な業務の2つしか挙げていません。この準用の構造を、今日は具体的に埋めていきます。微妙に違います。推定的承諾は、承諾に似ています。でも治療行為と義務の衝突は、少し違う理由で正当化されます。まず1つ目、推定的承諾からいきましょう。

推定的承諾①——「聞けなかった」を埋める論理

現実にあるかどうかで仕分ける 図:現実にあるかどうかで仕分ける

冒頭のXの例、覚えていますか。隣の家が火事で、Xが窓を割って入った話ですね。家主に、事前に確認する時間はありませんでした。では、家主がその場にいたら、何と言うと思いますか。「早く運び出してほしい」と、言いそうです。この「言ったに決まっている」という発想が、推定的承諾です。明示にも黙示にも、現実の承諾はありません。しかし、事情を知っていれば当然に承諾したであろうと考えられる場合をいいます。ここで、注意してほしい区別があります。黙示の承諾と、推定的承諾です。黙示の承諾は、現実に承諾があります。言葉にしていないだけで、態度や状況から読み取れます。

推定的承諾は、現実の承諾そのものがありません。本人に確認しようがない場面です。この違いが、次の山場に直結します。

推定的承諾②——ここが一番間違えられる

効果はどこまで届くのか 図:効果はどこまで届くのか

では、Xの行為は住居侵入罪にあたるでしょうか。

条文刑法130条

刑法130条(住居侵入等) 正当な理由がないのに、人の住居若しくは人の看守する邸宅、建造物若しくは艦船に侵入し、又は要求を受けたにもかかわらずこれらの場所から退去しなかった者は、三年以下の拘禁刑又は十万円以下の罰金に処する。

条文を見てください。「正当な理由がないのに」とあります。前々回の4つの型を思い出してください。現実の承諾があれば、構成要件該当性そのものが失われる場合があります。推定的承諾に基づく行為は、もっぱら違法性を阻却するにすぎない、というのが通説です。承諾が無いことが構成要件要素になっている罪でも、構成要件該当性を阻却する効果は持ちません。現実に法益が放棄された、という事実が無いからです。推定的承諾は、あくまで「したであろう」という評価にすぎません。事実が無い以上、構成要件該当性という事実レベルの判断は動かせません。

評価でカバーできる、違法性のレベルだけです。

推定的承諾が届くのは違法性まで 図:推定的承諾が届くのは違法性まで

整理しましょう。板を見てください。現実の承諾があれば、構成要件該当性が消える場合があります。推定的承諾は、構成要件該当性を消しません。違法性のところで初めて効いてきます。Xの行為は、住居侵入罪の構成要件には該当します。ただ、推定的承諾によって違法性が阻却されるので、犯罪は成立しません。まず構成要件該当性を認めて、そのあとで違法性阻却を検討します。

推定的承諾③——3つの要件と、事後の不承諾

3つの要件 図:3つの要件

推定的承諾で違法性が阻却されるには、3つの要件が要ります。1つ目は、承諾が客観的かつ合理的に推定されることです。「いい人そうだから」だけでは足りません。そのときは、①の客観的な合理性を欠きます。推定的承諾は認められません。2つ目は、推定の向かう先が、本人の判断だけで手放せる法益、つまり個人的法益であることです。国家的・社会的法益は、本人が処分できないので、推定にも意味がありません。3つ目は、やり方そのものが、世の中の常識に照らして受け入れられる、相当なものであることです。前回見たとおり、承諾は一資料——それだけでは結論が出ず、他の材料も見る、という意味でした。推定であっても同じです。手段が行き過ぎれば、阻却されません。

家財を運び出すという行為は、社会的に相当な範囲だと考えられます。だから、Xは違法性が阻却されます。

判断の基準時は行為の時 図:判断の基準時は行為の時

もう一つ、覚えておいてほしいことがあります。もし後日、家主が「あんなことしてほしくなかった」と言ったらどうなると思いますか?取り消しにはなりません。3要件をみたした以上、事後に不承諾の意思を示しても効果に影響はありません。判断の基準時は、行為の時だからです。行為の時点で3要件がそろっていれば、あとから覆りません。

治療行為①——手術はなぜ話題になるのか

メスで切るという事実 図:メスで切るという事実

2つ目のテーマ、治療行為に入ります。治療行為とは、手術のように、病気やけがを治すために体へ加える医療上の処置のことです。

条文刑法204条

刑法204条(傷害) 人の身体を傷害した者は、十五年以下の拘禁刑又は五十万円以下の罰金に処する。

条文を見てください。「人の身体を傷害した者」とあります。治療行為は、その多くが、傷害罪をはじめとする罪の構成要件に当てはまります。治療のためかどうかは、ここでは関係ありません。そこが、初学者の迷うところです。治療目的なら犯罪でない、と考えてしまうと、違法性阻却の段階が要る理由を説明できなくなります。構成要件該当性は認めたうえで、違法性阻却で救います。204条の構成要件には該当するが、要件をみたすかぎり違法性が阻却される、と書きます。事実は事実として認めて、評価で救う、という構造は共通しています。

治療行為②——要件の対立、A説とB説

A説とB説、専断的治療行為の帰結 図:A説とB説、専断的治療行為の帰結

ここで、少し考えてみてください。治療目的で、医学的にも正しい方法で手術をしたら、それだけでいつも違法性は阻却されるでしょうか?うーん……足りる気もしますけど、何か引っかかります。ここに、争いがあります。第6章の最初に見たとおり、行為無価値論は、行為が社会的に相当かどうかで阻却を決めましたね。治療行為で、どこまでそろえば社会的に相当といえるのか。A説とB説は、そこで分かれます。A説は、①治療目的、②医学上一般に承認された手段・方法です。この2つがあれば、それで足りるとします。B説は多数説で、①と②に加えて、③患者等の承諾または推定的承諾が必要です。

患者の自己決定権を、尊重する必要があるからです。自分の体に何をされるかを、自分で決める権利のことです。憲法13条を根拠にする考え方です。専断的治療行為の扱いが、正反対になります。患者の同意を得ず、同意が推定もされない状況で行われる治療行為のことです。美容外科医Yが、患者Bから二重まぶたの手術だけという同意を得ました。ところが、麻酔で意識のないBに無断で、当初説明していない鼻の施術まで追加で行いました。追加の部分について、Bの承諾も推定的承諾もありません。A説は、①と②さえみたせば足ります。専断的治療行為でも、阻却されます。

B説は、③を欠く以上、専断的治療行為は原則として違法になります。答案では、立場を明示したうえで、専断的治療行為の結論がどちらに転ぶかまで書きます。多数説の存在を見落とした答案、と評価されてしまいます。

治療行為③——医師免許は要件ではない

医師免許は要件ではない 図:医師免許は要件ではない

もう一つ、考えてみてください。本物の医者が手術をすれば、それだけで正当業務行為として当然に違法性は阻却されるでしょうか?資格があれば足りると考えるのが、答案でよく指摘される典型的な誤りです。以上の議論は、治療行為をした人が本物の医者か偽者かを問いません。阻却の根拠は、行為が社会的に相当だといえることです。それを決めるのは、採る説の要件の中身です。免許は、治療目的でも、正しい方法でも、患者の同意でもない。要件のどこにも入っていません。要件をみたすかぎり、医師の資格のないニセ医者による治療行為でも、違法性は阻却されます。

医師法違反の点は、別の問題として残ります。ただ、傷害罪の違法性は阻却されます。本物の医者であっても、要件をみたさなければ、原則として違法性は阻却されません。具体例を、2つ見てみましょう。無資格者Zが、災害現場で応急手当の心得に従って、正しい手順で処置をしました。同意を得たうえで、止血処置をしました。でも、要件はみたしています。だから、違法性は阻却されます。医師法違反は別問題です。さっきの美容外科医Yです。Bの同意なく、麻酔中に、無断で鼻の施術まで行いました。でも、B説の③を欠いています。要件をみたしていません。

板を見てください。本物の医者×要件充足は、阻却されます。本物の医者×要件不充足は、原則として阻却されません。ニセ医者×要件充足は、阻却されます。医師法違反は別問題です。ニセ医者×要件不充足は、阻却されません。要件の充足だけです。

⭐ 論文で書く規範:医師免許は要件ではない 要件(採る説の①〜③)をみたすかぎり、行為者が医師であるかどうかを問わず、違法性は阻却される。 医師であっても、要件を欠けば、原則として違法性は阻却されない。 (規範(通説で立てる))

資格だけで足りると考える書き方が、その典型的な誤りです。資格ではなく、要件で決まります。今日の地図のとおり、治療行為は正当業務行為そのものではなく、35条が準用される側でした。前々回に見たとおり、「業務」は行為の種類を見る言葉でしたね。資格を見る言葉ではありません。採る説の要件充足を、淡々と認定してください。

義務の衝突①——両立しない義務

2人同時に危険な場面 図:2人同時に危険な場面

最後のテーマ、義務の衝突に入ります。ここまでの2つは、1つの行為を、どこまで正当化できるかという話でした。最後は、果たすべき義務が2つあって、片方しか選べない場面です。承諾は、もう出てきません。義務の衝突というのは、法律上の義務が複数あって両立せず、片方を果たせば他方を怠るしかない場合です。海水浴場で、ライフセーバーのIが、同時に溺れた2人を見つけました。見知らぬ、10歳の少年と70代の男性です。不作為犯で見た、法的な作為義務です。Iには監視業務上、遊泳客を保護する義務があります。Iは、まず少年を救助しました。男性は、間に合わず亡くなりました。

義務の衝突②——緊急避難37条との違い

義務の衝突と37条の対比 図:義務の衝突と37条の対比

Iの行為は、違法になるでしょうか。義務の衝突がある場合、義務の軽重を比較します。果たしたほうの義務が、見捨てたほうの義務と比べて、少なくとも同じ重さであるとき、違法性が阻却される、というのが通説です。同等でも足ります。義務の衝突は、行為者がどちらの義務も履行する物理的な手段を持たない、という限界状況が前提です。優越まで要求すると、同格の義務が競合した場面で、誰も救われない結論になりかねません。同じ重さの義務を選んで果たしたのなら、その行為は社会的に相当だといえる。だから阻却されます。どちらも、遊泳客の生命を守る義務です。年齢だけで、優劣はつきません。

逆に、履行した義務の方が明らかに軽ければ、阻却は認められません。ここで、似ている制度と比べてみましょう。

条文刑法37条1項

刑法37条1項(緊急避難) 自己又は他人の生命、身体、自由又は財産に対する現在の危難を避けるため、やむを得ずにした行為は、これによって生じた害が避けようとした害の程度を超えなかった場合に限り、罰しない。ただし、その程度を超えた行為は、情状により、その刑を減軽し、又は免除することができる。

義務の衝突と緊急避難は、どちらも「両方は守れない」場面です。ただ、比べている対象が違います。緊急避難は、生じた害と避けようとした害という、害と害のつり合いを見ます。義務の衝突は、履行した義務と放置した義務という、義務と義務の軽重を見ます。緊急避難は、現在の危難を避けるための積極的な回避行為が問題になります。義務の衝突は、複数の義務のうちどれを履行するかという選択が問題になります。緊急避難には、ほかにも要件があります。ほかに方法が無かったといえるか——補充性です。守った利益と壊した利益がつり合っているか——法益権衡です。この2つの詳しい話は、第6章の締めにある、緊急避難だけを正面から扱う回でまとめて見ます。

到達点——3つを見分ける手順とまとめ

承諾が無い場面に出会ったら 図:承諾が無い場面に出会ったら

今日の内容を、1つの手順にまとめます。承諾が無い場面に出会ったら、まず本人に聞く機会が無かっただけか、を考えます。3要件で検討します。次に、治すために体を切る必要があったのか、を考えます。採る説の要件で検討します。医師免許は無関係です。最後に、複数の義務のうちどちらかしか果たせなかったのか、を考えます。同等以上かどうかで検討します。いずれにも当たらない場合は、35条準用の外に出ます。その他の正当行為や自救行為ですが、それはこの続きの回で扱います。

今日の到達点 図:今日の到達点

今日を振り返りましょう。推定的承諾は、聞けなかった場面を拾う制度でした。ただし、構成要件該当性までは消せません。現実に法益が放棄された事実が無いからです。そのうえで、治療行為は、採る説の要件をみたせば違法性が阻却されます。そして、医師免許は要件ではありません。答案でよく指摘される、その典型的な誤りを覚えておいてください。今日で、35条に準用される4つが、全部埋まりました。この続きの回では、35条の外に出て、その他の正当行為や自救行為に進みます。この3つを自力で見分けられることこそ、今日いちばん大事な到達点です。

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#41単独ページ動画

労働争議行為・安楽死・自救行為

第6章 違法性 ⑥/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

導入——構成要件には当たるのに、罰されない

今日の問い——工場のストライキ 図:今日の問い——工場のストライキ

前回、35条に準用される4つが、全部埋まりました。確認です。前回、推定的承諾は、どこまで届きましたか?うーん……違法性阻却まで、でしたっけ。構成要件該当性までは、消えませんでしたね。今日は、35条準用の、さらに外に出ます。今日扱う4つは、35条が直接定める2つにも、準用される4つにも、乗りません。まず、具体的な場面から見てみましょう。ある工場で、ストライキが起きました。組合員たちが、工場の出入口に並びました。荷物の搬出を、実力で止めるためです。威力を用いて人の業務を妨害した——これは、234条の構成要件です。

でも、正当な争議行為である限り、罰されません。そこを、条文からの距離という視点で、今日は解きほぐします。

今日の地図(保存版)

条文からの距離、3段階 図:条文からの距離、3段階

35条の地図を作った回を、思い出してください。準用されるのは、被害者の承諾、推定的承諾、それに治療行為と義務の衝突でした。今日は、その準用のさらに外に出ます。今日見る4つを、条文からの距離で並べてみましょう。1つ目は、労働争議行為です。労働組合法という別の法律に、刑法35条を呼び込む条文があります。条文が別の条文を呼び込むこの形を、明文の橋と呼ぶことにします。安楽死と、尊厳死です。こちらには、明文の橋がありません。個別の裁判所が、具体的な要件を組み立てました。3つ目は、自救行為です。これは、超法規的違法性阻却事由と呼ばれます。

地図を、もう一段細かくします。この講義でこの言葉を当てるのは、根拠になる条文が無い、3つ目です。右へ行くほど、条文から遠くなります。まずは、労働争議行為から見ていきましょう。

労働争議行為①——意義と、35条につながる明文の橋

労組法1条2項という橋 図:労組法1条2項という橋

労働争議行為というのは、労働組合が行う団体交渉と、その他の行動のことです。労働者の地位を高めたり、労働組合を作ったりする目的でされる行為です。労働契約を結ぶ目的も、含まれます。まず、構成要件のほうから確認しましょう。

条文刑法234条

刑法234条(威力業務妨害) 威力を用いて人の業務を妨害した者も、前条の例による。

233条と、同じ刑になる、という意味です。3年以下の拘禁刑、又は50万円以下の罰金です。234条の詳しい中身は、各論で業務妨害罪を扱う回に譲ります。ストライキの場面は、この構成要件に、形の上で当てはまります。その理由が、この条文です。

条文労働組合法1条2項

労働組合法1条2項 刑法(明治四十年法律第四十五号)第三十五条の規定は、労働組合の団体交渉その他の行為であつて前項に掲げる目的を達成するためにした正当なものについて適用があるものとする。但し、いかなる場合においても、暴力の行使は、労働組合の正当な行為と解釈されてはならない。

労働組合法という、別の法律の条文です。刑法35条の規定が、正当な争議行為にも適用される、と直接定めているんです。労働争議行為は、その2つに乗っかるわけではありません。労働組合法1条2項という、別の条文が橋を架けて、35条の効果を呼び込みます。準用とは違います。準用は、35条の理由づけを借りてくるものでした。借りてよい、と書いた条文は、どこにもありません。労働争議行為のほうは、労働組合法という条文自身が、35条の適用を宣言しています。だから、「争議行為は法令行為そのものだ」と言い切るのは、言い過ぎです。

労働組合法1条2項が、刑法35条の適用を定めている、というところまでです。憲法28条ですね。名前だけ、触れておきます。中身は憲法の講義に譲ります。

労働争議行為②——どこまでが「正当」か/可罰的違法性との弁別

正当性の限界 図:正当性の限界

労組法1条2項には、続きがあります。

⭐ 論文で書く規範:労働組合法1条2項ただし書 いかなる場合においても、暴力の行使は、労働組合の正当な行為と解釈されてはならない。 (労働組合法1条2項ただし書)

暴力の行使は、いかなる場合も正当な行為とは解釈されません。目的が正しくても、事情がどうであっても、例外はありません。賃上げを求める組合員Aが、仲間と集団で職場を離れたとします。使用者の説得にも応じず、数時間、業務を止めました。でも、正当な争議行為の範囲内なら、阻却されえます。同じAが、説得に来た上司の胸ぐらをつかんで、殴ったとします。ただし書により、暴力の行使は、いかなる場合も正当な行為とは解釈されません。正当な争議行為が違法性を阻却するのは、234条だけではありません。脅迫罪や、強要罪等も含まれます。

脅迫罪や強要罪の詳しい中身は、各論の該当回で見ていきます。ここで、もう1つ大事な区別があります。前に見た、可罰的違法性です。あれは、実害が小さすぎて処罰に値しない、という話でした。

可罰的違法性との対比——何を問うているか 図:可罰的違法性との対比——何を問うているか

争議行為が罰されないのは、軽微だからではありません。争議行為が罰されないのは、正当だからです。可罰的違法性とは、別のルートです。可罰的違法性は、行為の重さを問います。労働争議行為は、目的と手段の正当性を問います。実害の大小だけで、労働争議行為を説明してはいけません。態様の分類は、労働法の各論に譲ります。今日は、条文からの距離に集中します。

安楽死①——意義と、積極的安楽死

安楽死の意義 図:安楽死の意義

2つ目のテーマ、安楽死に入ります。安楽死というのは、病気やけがで激しい体の痛みに苦しむ人が、自然に死を迎える時期を目前にしているときの措置です。本人から頼まれて、その痛みを取り除き、穏やかに最期を迎えさせる。これが安楽死です。毒薬を飲ませたり、首を絞めたりして、作為によって直接に生命を短縮する場合を、積極的安楽死と呼びます。

条文刑法202条

刑法202条(自殺関与及び同意殺人) 人を教唆し若しくは幇助して自殺させ、又は人をその嘱託を受け若しくはその承諾を得て殺した者は、六月以上七年以下の拘禁刑に処する。

積極的安楽死は、形の上で、この条文に当てはまる場面です。嘱託というのは、本人から頼まれることです。もし嘱託が無ければ、話は変わります。199条、つまり通常の殺人罪の問題になります。死刑又は無期若しくは5年以上の拘禁刑です。202条の詳しい中身も、各論で同意殺人罪を扱う回に譲ります。積極的安楽死の要件は、判例ではなく裁判例が組み立てました。最高裁の判例ではなく、高等裁判所や地方裁判所の裁判例です。よくある取り違えです。35条は、正当な行為は罰しない、としか書いていません。何が正当かは、空欄のままです。その空欄を、事件を裁く裁判所が、この場面ではこういう条件だ、と具体的な言葉で埋めました。だから、これから見る2つの裁判例が、注目されてきました。

安楽死②——名古屋高等裁判所の6要件

名古屋高裁の6要件 図:名古屋高裁の6要件

まずは、名古屋高裁の裁判例を見てみましょう。

判例名古屋高等裁判所 昭和三十七年十二月二十二日判決

名古屋高等裁判所判決——積極的安楽死の6要件 ……(1) 病者が現代医学の知識と技術からみて不治の病に冒され、しかもその死が目前に迫っていること、(2) 病者の苦痛が甚しく、何人も真にこれを見るに忍びない程度のものなること、(3) もっぱら病者の死苦の緩和の目的でなされたこと、(4) 病者の意識がなお明瞭であつて意思を表明できる場合には、本人の真摯な嘱託又は承諾のあること、(5) 医師の手によることを本則とし、これによりえない場合には医師によりえない首肯するに足る特別な事情があること、(6) その方法が倫理的にも妥当なものとして認容しうるものなること。

「甚しく」「首肯するに足る」など、いまの文章では見かけない言い回しです。1つ目は、治る見込みが無く、死が目前に迫っていることです。2つ目は、苦痛が甚だしく、誰が見ても耐えられない程度であることです。3つ目は、もっぱら苦痛を和らげる目的でされたことです。4つ目は、意識があるなら、本人の真剣な嘱託か承諾があることです。5つ目は、医師の手によることを原則とし、それが無理なら特別な事情があることです。6つ目は、方法そのものが、倫理的にも妥当だと認められることです。1つでも欠ければ、違法性は阻却されません。

安楽死③——横浜地方裁判所の4要件

横浜地裁の4要件 図:横浜地裁の4要件

次に、横浜地裁の裁判例です。

判例横浜地方裁判所 平成7年3月28日判決

横浜地方裁判所判決——積極的安楽死の4要件 ……〔1〕患者が耐えがたい肉体的苦痛に苦しんでいること、〔2〕患者は死が避けられず、その死期が迫っていること、〔3〕患者の肉体的苦痛を除去・緩和するために方法を尽くし他に代替手段がないこと、〔4〕生命の短縮を承諾する患者の明示の意思表示があること、ということになる。

4つに絞られています。1つ目は、耐えがたい肉体的苦痛があることです。2つ目は、死期が迫っていることです。3つ目は、苦痛を取り除くために方法を尽くし、ほかに代わる手段が無いことです。4つ目は、生命を縮めることを承諾する、明示の意思表示があることです。ここから先が、今日いちばんの見どころです。

安楽死④——何が落ち、何が残ったか

6要件と4要件の比較——何が落ち、何が残ったか 図:6要件と4要件の比較——何が落ち、何が残ったか

6要件と、4要件を、1つずつ対応させてみましょう。まず、残った要件があります。苦痛が甚だしいことと、耐えがたい肉体的苦痛。これは、同じことです。死が目前に迫っていることと、死期が迫っていること。これも同じです。次に、落ちた要件があります。医師の手によることを本則とする要件と、方法が倫理的に妥当という要件です。ここだけ見ると、要件は緩くなったように見えます。要件が6つから4つに減りました。安楽死は、認められやすくなったのでしょうか?答えは、そう単純ではありません。厳しくなった要件も、あります。名古屋高裁は「本人の真摯な嘱託又は承諾」でした。横浜地裁は「生命の短縮を承諾する、明示の意思表示」です。

「真摯」は、心の中の評価です。「明示」は、形に出ているかどうかの話です。曖昧な本気度の判断より、明示された意思表示のほうが、要求水準は上がります。ただ、厳しさの中身は、形に出ているかどうかだけではありません。患者が「もう楽にしてほしい」と繰り返し訴えていた場面を考えてください。名古屋高裁の「真摯な嘱託又は承諾」なら、本気の訴えだったと評価する余地があります。ですが横浜地裁が求めるのは、生命の短縮を承諾する明示の意思表示です。苦痛を取ってほしいという訴えとは、指している中身が違います。さらに、新しく入った要件もあります。

「他に代替手段がないこと」——補充性の要件です。名古屋高裁には、明記がありませんでした。落ちた要件も、厳しくなった要件も、新しく入った要件も、同時に起きています。条文が無い分野では、複数の裁判例を比較する場面が、必ず出てきます。要件の数が減った、それだけでハードルが下がったと考えるのは、短絡です。この読み方を、今日は身につけてください。

尊厳死——延命措置の中止

安楽死と尊厳死の違い 図:安楽死と尊厳死の違い

もう1つ、近い言葉があります。尊厳死です。尊厳死とは、回復の見込みの無い末期状態の患者に対して、生命維持治療、つまり延命措置を中止し、尊厳を保たせながら死を迎えさせることです。積極的安楽死は、作為によって直接、生命を縮めます。尊厳死は、すでに始めている治療を、やめるんです。具体的な場面で見ておきましょう。意識が戻らないまま、人工呼吸器で呼吸を保っている患者がいるとします。回復の見込みは無いと医師が判断しました。ここで呼吸器を外す。これが尊厳死の場面です。そこが難問です。元気なうちに本人が書き残していれば、手がかりがあります。何も残していなければ、家族の言葉だけで決めてよいのか。ここで説が割れます。

⭐ 論文で書く規範:尊厳死の難問 尊厳死で違法性が阻却されるかどうかは、否定説と肯定説が対立したままである。肯定説に立っても、患者が自分で延命措置を拒む意思を示せないとき、家族や第三者がその意思を代わりに表示できるのかという難問が残る。 (尊厳死をめぐる学説状況)

否定説と、肯定説があります。どちらが通説とも、断定できません。本人が意思を示せないとき、家族や第三者が代わりに意思表示できるか——ここが難問です。対立があることまでを、押さえておいてください。

自救行為①——決めるのは「時間」

半年前の自転車 図:半年前の自転車

3つ目のテーマ、自救行為に入ります。具体例から、いきましょう。会社員Pは、半年前に、自転車を盗まれました。ある日、駅前の駐輪場で、その自転車に乗っているQを見かけました。Pは、その場でQを呼び止めて、自転車を取り戻しました。そこを、条文で確かめてみましょう。

条文刑法36条1項

刑法36条1項(正当防衛) 急迫不正の侵害に対して、自己又は他人の権利を防衛するため、やむを得ずにした行為は、罰しない。

Qが自転車を盗んだ行為そのものは、半年前に終わっています。「急迫」は、侵害が現にあるか、間近に押し迫っていることを求める言葉です。前回見た、37条1項の「現在の危難」も、過ぎ去った話には使えません。正当防衛と、緊急避難、両方の入口が閉じています。

時間軸で見る 図:時間軸で見る

いえ、条文の外に、まだ道があります。ひったくりの財布を、その場で追いかけて取り返す場面でしたね。35条の2つと、正当防衛と、緊急避難。この4つでしたね。あの場面は、実は微妙な位置にあります。犯人が、まだその場で逃げている最中なら、侵害はなお続いているとみる余地があります。正当防衛の検討対象になりえます。境界線の判定は、正当防衛を正面から扱う回に譲ります。Pの場合は、盗まれてから半年です。侵害が終わっているのは、一義的にはっきりしています。今日は、はっきり終わっている場合に絞って、この先を見ていきます。

自救行為②——要件と、なぜ極めて厳格か

自救行為の4要件 図:自救行為の4要件

刑法は、自救行為について、規定を設けていません。違法性の実質は、法益侵害やその危険のうち、社会的相当性を逸脱したもの。そう見てきましたね。自救行為が、社会的に相当だといえるなら、違法性を阻却できます。ただ、なぜ極めて厳格なのか、考えてみてください。広く認めると、私人による実力行使が横行してしまうからです。だから、一定のきわめて限定された場合にのみ、認められます。4つの要件があります。1つ目は、権利に対する侵害があったことです。2つ目は、被害回復の緊急性です。正規の手続を待っていては、時期を失して、回復が事実上不可能か、著しく困難になることです。

3つ目は、自救の意思です。権利を保全する目的があることです。4つ目は、行為自体の相当性です。補充の原則と、法益権衡の原則が、ここに入ってきます。法益権衡は、守った利益と壊した利益がつり合っているか、という物差しでしたね。前回、緊急避難の要件として見たものです。

⭐ 論文で書く規範:「等」の一字が意味すること 権利に対する侵害、被害回復の緊急性、自救の意思、行為自体の相当性。この4つをすべて満たすことが要る。しかも学説は、ここに「等」の一字を添えている。この4つで打ち止めだ、とは言っていない。 (自救行為の要件)

この4つで全部、と言い切ってはいけません。ただし、限定列挙でないからといって、緩いわけでもありません。1つ目、自転車という財産権への侵害はあります。2つ目、時間が経つほど、自転車の所在は分からなくなります。緊急性は、事案次第です。3つ目、盗まれた自転車を取り戻す意思そのものは、自救の意思にあたります。ここが、相当性の分かれ目です。声をかけて、任意に取り戻す程度なら、相当性を満たしえます。実力で奪えば、相当性を欠く方向に傾きます。条文から遠いほど、根拠づけに要る作業は増えて、認められる場面は狭くなります。なお、Qの行為が窃盗罪にあたるかどうかは、各論の領分です。今日は深追いしません。窃盗罪を扱う回で、受け止めます。

Pの暴行罪の成否も、各論に譲ります。今日は、違法性阻却の枠組みに集中します。

到達点——4つを条文からの距離で並べ直す・まとめ・送り

条文からの距離・完成版 図:条文からの距離・完成版

今日見た4つを、条文からの距離で並べ直しましょう。1つ目は、労働争議行為です。労働組合法1条2項という、明文の橋がありました。2つ目は、安楽死と尊厳死です。明文の橋はありませんが、裁判例が要件を組みました。数が減っても、緩くなったとは限りませんでしたね。3つ目は、自救行為です。条文の外に、完全に出ます。侵害がすでに過去のものになっているかどうかで、道が分かれます。今日は、その枠に具体的な中身が入りました。

今日の到達点 図:今日の到達点

今日を、振り返りましょう。労働争議行為は、労働組合法1条2項という、明文の橋を持っていました。数の増減だけで、厳しいか緩いかを判断してはいけない。それが今日の払い戻しでした。そして、自救行為は、時間で決まりました。4要件を満たして、初めて例外的に阻却されます。権利行使と恐喝罪の関係は、各論で恐喝罪を扱う回に譲ります。窃盗罪との関係は、各論で窃盗罪を扱う回で受け止めます。正当防衛を正面から扱う回で、急迫性の終期まで、正面から見ていきます。緊急避難だけを正面から扱う回、つまり第6章の締めで扱います。

この距離感を持っていれば、条文の外に出ても、迷子になりません。

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#42単独ページ動画

正当防衛の急迫性

第6章 違法性 ⑦/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

導入——時間の条件

今日の問い 図:今日の問い

先週殴られたことを根に持って、今日殴りかかった。それは、正当防衛にはなりません。その理由を、今日は説明できるようにします。正当防衛には、時間の条件があります。その条件を1つ立てて、最後まで詰めます。労働争議行為、安楽死、自救行為。明文の橋から、条文の外側までを見ました。今日から、条文にはっきり書いてある話に入ります。刑法36条1項、正当防衛です。

緊急行為という枠組み

緊急行為の3分岐 図:緊急行為の3分岐

国家の取り締まりが、間に合わない場面があります。そこで、私人が実力を使ってよい場面を、緊急行為と呼びます。緊急行為が認められる場面は、もちろん限定されています。刑法に明文があるのは、2つです。正当防衛と、緊急避難です。もう1つ、明文の無い自救行為もあります。これは前回、時間で区切りました。明文のある2つのうち、正当防衛の入口から見ていきます。緊急避難を正面から扱う回で、あらためて渡します。今日は、正当防衛に絞ります。

36条1項と6つの要件

36条1項の6つの要件 図:36条1項の6つの要件

前回、少しだけこの条文を見ましたね。

条文刑法36条1項

刑法36条1項(正当防衛) 急迫不正の侵害に対して、自己又は他人の権利を防衛するため、やむを得ずにした行為は、罰しない。

今日は、この一文を要件ごとに切り分けます。条文の並びどおりに割ると、6つです。1つ目は急迫、2つ目は不正、3つ目は侵害、4つ目は自己または他人の権利、5つ目は防衛するため、6つ目はやむを得ずにした行為です。ただし、1つ目から3つ目は、条文では「急迫不正の侵害」と一続きに書かれている言葉です。今日は、1つ目の「急迫」だけを、最後まで詰めます。「急迫」は、正当防衛でいちばんつまづきやすい要件だからです。不正と侵害、自己または他人の権利は、次の回で扱います。防衛するためと、やむを得ずにした行為、つまり相当性は、正当防衛の相当性を扱う回に譲ります。

もう1つ、この条文の考え方も押さえておきましょう。正当防衛は、正しい側が不正な側に譲歩する必要はない、という考え方の上に立っています。答案に書く根拠は、もう一段先にあります。正当防衛は、法秩序の保全に積極的に協力する行為だから、社会的に相当だと評価され、違法性が阻却されます。阻却事由があると分かった瞬間に、そもそも違法でなかったと評価し直される、ということでした。駅のホームで、絡んできた相手を突き飛ばして助かったとします。そんな人に、「逃げるべきだった」とは、誰も言いません。緊急避難とは、ここが違います。

緊急避難は、無関係な第三者を巻き込むことがある、正対正の関係です。正当防衛は、正対不正の関係です。だから、正当防衛のほうが広く認められます。

「急迫」の定義——過去と将来

急迫の時間軸 図:急迫の時間軸

「急迫」には、条文に定義がありません。「急迫」の意味は、判例が言葉にしました。

判例最判昭46・11・16 刑集25巻8号996頁

最高裁判所——「急迫」の定義 「刑法三六条にいう『急迫』とは、法益の侵害が現に存在しているか、または間近に押し迫つていることを意味し、その侵害があらかじめ予期されていたものであるとしても、そのことからただちに急迫性を失うものと解すべきではない。」

かみ砕きます。侵害が今まさに起きているか、もう目の前まで来ていること。この2つだけが、「急迫」です。実は、緊急避難の条文が使う「現在」も、同じ意味です。中身は、緊急避難を正面から扱う回で、あらためて渡します。前回は一言でしたが、今日は判例の言葉として、正面から立てます。イメージで言うと、急迫はシャッターチャンスのようなものです。侵害が起きている、その一瞬だけシャッターを切れます。早すぎても、遅すぎても、写真は撮れません。では、質問です。冒頭のAさん、先週殴られたことは、急迫と言えますか。今まさに起きても、目の前に迫ってもいません。過去の侵害は、急迫ではありません。

もう1つ、逆から考えましょう。侵害が起きる前、つまり将来はどうでしょう。Aが、来週の会合でBと揉めて殴られそうだと予想したとします。それなら先にと、今日Bを呼び出して殴りました。これは急迫と言えますか。将来の侵害も、急迫ではありません。定義の外側は、機械的にすべて「急迫でない」になります。

いつ終わるのか——終期

終期の目安と例外 図:終期の目安と例外

ここで、前回の話を、少し思い出してください。前回の自転車の話、なぜ正当防衛にならなかったでしょうか?盗まれたのが半年前で、もう過去だからでした。半年前に盗まれた自転車を、駅前で見つけて取り戻した会社員の話でしたね。あの行為は、自救行為の話でした。半年前は、誰が見ても、もう過去です。ここで、質問です。殴りかかってきた相手から、刃物を奪い取った直後は、まだ「今」でしょうか。それとも、もう「過去」でしょうか。そこが、今日の本題です。過去がだめだとして、いつから過去になるのか。正直、総合的に考えるしかありません。ただ、目安はあります。目安は、凶器を奪った時点です。多くの場合、そこで急迫性は終わります。

ただ、この目安が破れる場合があります。例えば、刃物を振り回すBを、Aが取り押さえて刃物を奪ったとします。Bが、そのまま踵を返して走り去りました。この時点では、もう急迫ではありません。攻撃の意思も体勢も、消えているからです。では、走り去らずに、なお組みついてきたらどうでしょう。実際に、そういう事件があります。

昭和26年の事案 図:昭和26年の事案

判例最判昭26・3・9 刑集5巻4号500頁/判旨の要旨

最高裁判所——なお組みつく気勢を見せたとき 生木で殴りかかってきた相手からその生木を奪い取った後も、相手がなお素手で組みつこうとする気勢を示したときは、特段の事情のないかぎり急迫不正の侵害はなお続いているといえる。反撃として奪い取った生木で相手を殴打する行為も、防衛行為としてやむを得ない場合があり得るとして、最高裁はこれと異なる原判決を破棄し、名古屋高等裁判所に差し戻した。

奪われた後も、なお襲いかかる意思と体勢が続いていました。だから、急迫性はまだ続いている、と判断されました。道具を持っているかどうかではなく、なお向かってくる意思と体勢が続いているかどうかです。物差しは1つです。「侵害を続ける能力」が消えたかではなく、「侵害を続ける意思と体勢」が続いているかを見ます。実際の行為が激しく見えたとしても、それだけで急迫性の判断が変わるわけではありません。決め手は、あくまで意思と体勢です。

将来の侵害と防衛設備

防衛設備は、いつ効くか 図:防衛設備は、いつ効くか

もう1つ、将来の話で迷いやすい場面があります。あらかじめ、侵入者に備えて設備を作っておく場合です。もう少し踏み込んだ例で考えましょう。ある店主が、閉店後に窓を割って侵入しようとした者にだけ反応する、防犯スプレーを入口に取り付けました。深夜、実際に窓を割ろうとした侵入者に、スプレーが噴射されました。まだ何も起きていないうちに、用意していますし。そう思っちゃいますよね。ここで、さっきの定義に戻りましょう。この設備が、実際に効果を持つのは、いつでしょうか。設置した日には、何も起きていません。だから、設置した日は、「現に存在」にも「間近に押し迫っている」にも当たりません。スプレーが噴射されるのは、侵入者が窓を割ろうとした瞬間です。その瞬間こそ、「現に存在している」に当たります。

さっきのシャッターチャンスで言うと、シャッターが切れるのは、設置した日ではありません。侵害が現に起きている瞬間です。急迫性は、否定されません。これは丸暗記する結論ではなく、定義をそのまま当てはめた結果です。

待ち構えていた場合

待ち構えていた2つの場合 図:待ち構えていた2つの場合

ここからが、今日いちばんの山場です。侵害を、事前に予測していた場合です。「予測していたなら不意打ちではないから急迫ではない」という直感は、よく出てきます。でも、判例はそう考えません。まず判例は、予期しているだけでは、急迫性は失われない、とします。もし予期しただけで急迫性が消えるなら、察知した人は逃げるしかなくなります。条文が急迫性を求めているのは、危険を避ける義務を課すためではありません。シャッターチャンスで考えてみましょう。チャンスが来るタイミング自体は、知っていても変わりません。問題は、そのタイミングをどう使ったかです。

Aは、以前トラブルになった相手Cから、「今夜押しかける」と脅されました。恐怖のあまり、Aは身を守る棒を用意して、息をひそめて待っていました。実際にCが押し入ってきたので、Aはその棒で殴って撃退しました。この場合、急迫性はあります。予期していただけで、防御のために備えていたにすぎません。ここからです。

判例最決昭52・7・21 刑集31巻4号747頁

最高裁判所——積極的加害意思の判断 「刑法三六条が正当防衛について侵害の急迫性を要件としているのは、予期された侵害を避けるべき義務を課する趣旨ではないから、当然又はほとんど確実に侵害が予期されたとしても、そのことからただちに侵害の急迫性が失われるわけではないと解するのが相当であり、……しかし、同条が侵害の急迫性を要件としている趣旨から考えて、単に予期された侵害を避けなかつたというにとどまらず、その機会を利用し積極的に相手に対して加害行為をする意思で侵害に臨んだときは、もはや侵害の急迫性の要件を充たさないものと解するのが相当である。」

後半が核心です。予期を避けなかっただけでなく、その機会を利用して、積極的に加害する意思で臨んだとき。ここまでいくと、急迫性は失われます。この意思を、積極的加害意思と呼びます。心のうちが違います。もう1つの例で、比べてみましょう。Aは、金を貸しているBが、返済の督促のたびに怒鳴ってくるのに、腹を立てていました。「今夜Bが取り立てに怒鳴り込んでくる」との情報を得たAは、「ちょうどいい」と考えました。鉄パイプを用意して待ち構え、実際に怒鳴り込んできたBに、殴りかかりました。でも、結論は逆になります。最初のAは、身を守るために待っていました。今のAは、積極的に痛めつけるために待っていました。

今のAには、急迫性が認められません。

判例と学説、置き場所の違い 図:判例と学説、置き場所の違い

ここで、もう1つ大事な視点があります。学説は、この場面を、判例とは違う場所で処理します。学説は、急迫性そのものは、語義からそのまま認めます。急迫かどうかは、侵害する側の事情が、時間的に迫っているかどうかの問題です。防衛する側の内心で、侵害の切迫そのものを消してしまうのは、要件の置き場所が違う。これが学説の言い分です。その代わり、「防衛するためにやったのか」という、別の要件で処理します。中身は、正当防衛の相当性を扱う回で、あらためて渡します。答案を書くときは、自分がどの立場で、どの要件で落としているのか、はっきりさせる必要があります。

論文で書くときの流れ 図:論文で書くときの流れ

この場面は、論文でよく問われます。事案から、問題提起、規範、あてはめまでの流れは、専用の論文動画で渡します。今日は、判例と学説の対立の中身までにします。

事情を並べて判断する

行為全般の状況 図:行為全般の状況

もう1つ、新しい判例があります。

判例最決平29・4・26 刑集71巻4号275頁

最高裁判所——行為全般の状況からの判断 「刑法36条は、急迫不正の侵害という緊急状況の下で公的機関による法的保護を求めることが期待できないときに、侵害を排除するための私人による対抗行為を例外的に許容したものである。……対抗行為に先行する事情を含めた行為全般の状況に照らして検討すべきである。」

核心は後半です。対抗行為より前の事情も含めて、行為全般の状況から見る、という言い方です。積極的加害意思の有無だけを、単独では聞きません。例えば、それまでの二人の関係です。どれくらい確実に、侵害を見込んでいたかも見ます。その場を離れられたかどうか、凶器を準備していたかどうかも入ります。積極的加害意思は、この中の、有力な一例という位置づけに変わっています。具体で見てみましょう。Aは、近所のDと以前から揉めていて、Dが酔うと絡んでくるのを知っていました。その晩も、Dが向かってくるのが窓から見えました。Aは家の中にいて、鍵をかけて待つこともできました。

ですがAは、庭にあった鉄の棒を持って、外に出て待ちました。そこまでの気持ちは無かったとしましょう。違うのは2つです。あのときのAは、家に踏み込まれる側で、逃げ場がありませんでした。この場面のAは、鍵をかけて中にいれば済んだのに、わざわざ外へ出ています。逃げる義務が無いのは、侵害が始まってからの話です。そこは逃げずに戦ってかまいません。ここで見ているのは、侵害が始まる前の身の置き方です。時点が違います。用意したものも、身を守る棒ではなく鉄の棒で、そこも違います。前から揉めていたことと、来ると分かっていたことは、たしかに同じです。この2つは、それだけでは不利に働きません。ただ、確実に来ると分かっていたからこそ、鍵をかければ済んだのに外へ出たことと、鉄の棒を選んだことの意味が重くなります。従前の関係、見込みの確かさ、避けられたのに留まったこと、持ち出したものの性質。この4つを並べると、許されない側に傾きます。

そこが大事です。一つ一つでは決まりません。並べて、全体で見ます。答案でも、積極的加害意思という一語だけに当てはめません。事情を並べたうえで、36条の趣旨に照らします。私人の対抗行為を、例外的に許した趣旨です。それに照らして、許されるかを論じます。侵害が、今なのかどうかです。予期していた場合も、結局は今日の時間の条件に戻ってきます。

今日の地図(保存版)

今日の到達点 図:今日の到達点

今日を、振り返りましょう。「急迫」は、侵害が今まさに起きているか、目の前まで来ていることでした。この定義1つから、4つの場面が動きました。将来の侵害は、まだ始まっていません。ここで、最後に1問だけ確認します。相手から刃物を奪った直後、相手がなお組みついてこようとしていたら、これはまだ「急迫」でしょうか?意思と体勢が続いているので、まだ急迫です。道具の有無ではなく、意思と体勢でしたね。防衛設備は、設置した時点ではなく、発動した時点で見ます。防御目的なら、急迫性はあります。積極的に利用する意思なら、判例はそこで急迫性を否定します。

今日の答えを、冒頭のAさんにも返せますね。理由まで、説明できるようになりました。「不正」と「侵害」、そして「自己または他人の権利」を見ていきます。

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#43単独ページ動画

対物防衛と「不正」の侵害

第6章 違法性 ⑧/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

導入——前回の到達点

今日の問い 図:今日の問い

散歩中に見知らぬ家の飼い犬にいきなり飛びかかられて、とっさに傘で叩いて追い払った——よくある場面ですね。実は、この問い、答えが割れます。正当防衛だと考える説と、緊急避難だと考える説の、両方があります。今日、その理由を説明します。前回は「急迫」、つまり時間の条件を詰めました。今日は、時間の条件の続きです。相手の側の条件、「不正」と「侵害」を見ていきます。そして、守られる側の条件、「自己または他人の権利」も見ます。この4つが揃えば、正当防衛の「侵害の側」の条件は、全部です。

残りの3つを取りに行く

6つの要件、残りはここ 図:6つの要件、残りはここ

前回、36条1項を6つに割りましたね。前回は、そのうち急迫だけを詰めました。今日は、不正と侵害、自己または他人の権利を、まとめて片づけます。侵害と自己または他人の権利は、実は軽いんです。この2つは、争いがほとんどありません。定義を確認すれば、それで終わります。「不正」です。これが今日、いちばん深いところまで潜ります。

「不正」=違法

「不正」の中身 図:「不正」の中身

「不正」の意味は、実は一語で言えます。「不正」の意味は、違法、それだけです。構成要件に該当していて、違法性阻却事由も無い行為。ある行為が、その犯罪の型に当てはまることです。今は、それだけ分かれば十分です。これが違法な行為、つまり「不正」です。具体で考えましょう。帰り道、Aがいきなり見知らぬBに殴りかかられたとします。理由なく殴る行為は、暴行罪の構成要件に該当します。殴られたAには落ち度が無く、Bの側にも違法性を消す事情がありません。違法な行為だから、「不正の侵害」に当たります。必要な範囲でなら、はい。

正対不正、正対正 図:正対不正、正対正

ここで、前回少し触れた対比を、もう一度使います。Bのように不正な側から侵害を受けたとき、正の側が反撃するのが正当防衛です。一方、無関係な第三者を巻き込んで危難を避けるのが、緊急避難です。だから、正当防衛のほうが広く認められます。

「不正」は責任まで要らない

違法性と責任、別の関門 図:違法性と責任、別の関門

ここで、以前学んだことを、思い出してください。違法性の判断と、責任の判断は、別の関門でしたね。何が違ったか、思い出せますか?違法性は、行為そのものを見る話で、責任は、その人を責められるか、という話でした。違法性は、法益、つまり法律が守ろうとしている利益を、侵害しているかを客観的に見ます。行為者を非難できるかは、まだ関係ありません。「不正」は、違法性の話でしたね。「不正」かどうかを見るときも、責任は問いません。歩道で、まだ是非の分別がつかない幼い子どもがいました。遊びのつもりで振り回した棒が、通りがかりのAの顔に当たりそうになりました。

Aは、とっさにその棒を払いのけました。幼い子どもは責任無能力者ですから、非難はできません。「だから不正の侵害とは言えない」、そう思いますよね。でも、そこが今日の軸です。「不正」は、責任の話ではなく、違法性の話でした。子どもの行為も、客観的に見れば、Aの身体という法益を侵害する危険を生じさせています。責任を問えるかどうかとは、別の関門で判断します。責任無能力者による侵害でも、「不正の侵害」たりえます。正当防衛の相手になります。ただし、どんな場面でも払いのけていいわけではありません。同じ子どもでも、Aから離れた場所で棒を振り回していただけなら、Aの身体に危険は生じていません。責任は要りません。でも、客観的に法益を侵害していることは、やはり要ります。

この軸は、この先も繰り返し出てきます。

対物防衛①——2つの前提

対物防衛、2つの前提 図:対物防衛、2つの前提

冒頭の問いに、戻りましょう。動物は、刑法上は「物」です。刑法の扱いとしては、物です。だから、動物の攻撃が「不正」と言えるかが、正面から問題になります。ただ、この対立に入る前に、必ず潰しておく前提が2つあります。1つ目は、その動物が、飼われている動物かどうかです。

条文刑法261条

刑法261条(器物損壊等) 前三条に規定するもののほか、他人の物を損壊し、又は傷害した者は、三年以下の拘禁刑又は三十万円以下の罰金若しくは科料に処する。

もし野良犬のような、誰の所有物でもない動物だったら、どうなるでしょう。この条文の「他人の物」に当たりません。傷つけても、そもそも器物損壊の構成要件に該当しないんです。違法性を阻却するかどうかという議論に、入る余地自体がありません。2つ目は、飼い主に故意・過失があるかどうかです。例えば、飼い主が目を離した隙に、犬が飛びかかってきたとします。犬を放し飼いにしないよう見張る注意義務を、飼い主が怠っていた、ということです。その不注意自体が、Aへの侵害を作り出したと評価できます。だから、犬への反撃は、実質的には飼い主自身の不正の侵害への反撃なんです。

対物防衛を持ち出す必要すらありません。飼い主がきちんと管理していた飼い犬が、突然暴れて襲いかかった場合です。この2つの前提を両方クリアして、はじめて対物防衛の対立が問題になります。この2つの前提を押さえて整理できるかどうかが、答案の実力差になります。

対物防衛②——2つの説

「不正」をどう読むか 図:「不正」をどう読むか

では、本題です。動物の攻撃は、「不正」と言えるでしょうか。「犯罪をするのは人間だけで、動物には無理」——その直感を、そのまま説にしたのが否定説です。「不正」は、犯罪が成立するときの違法性を意味します。そして、法規範というルールは、人間にだけ向けられています。イメージで言うと、そうです。ルールブックは、人間の選手にだけ配られています。動物の行動には、ルール違反という発想が成り立ちません。動物の攻撃は「不正」ではないので、緊急避難として処理します。ただ、この否定説には、弱点があります。

緊急避難は、正当防衛より要件が厳しくなります。義務の衝突を扱った回で、少し触れましたね。あの回で、名前だけ渡した2つです。ほかに方法が無かったといえるか——補充性。守った利益と壊した利益がつり合っているか——法益権衡。だから、否定説を採ると、襲われた側の保護が薄くなります。そこで出てくるのが肯定説です。肯定説は、「不正」を犯罪成立要件としての違法性とは考えません。正当防衛の入口を開くための、もっと一般的な違法性で足りると考えます。イメージで言うと、審判は選手じゃなくても、反則かどうかを判定できますよね。動物の攻撃も、その性質自体を客観的に見れば、危険な行為です。

動物の攻撃も「不正」たりうるので、正当防衛として処理します。ただ、2つの説が争っているのは、違法という言葉をどこまで広く読むか、それだけです。責任無能力者の話は、違法から責任を外して読みました。こちらは、犯罪の成立要件の外まで広げて読みます。学説が2つあるから覚える、ではありません。1本の物差しの、当てる範囲が割れているだけです。ここで、1つ考えてみてください。Aが、その場を離れる余地があったのに、傘で犬を叩いて撃退したとします。否定説と肯定説、どちらのほうが、正当防衛の成立に有利だと思いますか?

緊急避難のほうが要件が厳しいので、逃げられたなら、そちらのほうが不利だと思います。答え合わせをしましょう。

同じ事実、割れる展開 図:同じ事実、割れる展開

否定説を採ると、この場面は緊急避難として処理されます。緊急避難には、補充性が要ります。ほかに方法が無かったか、が問われます。成立しにくくなります。肯定説を採ると、この場面は正当防衛として処理されます。正当防衛に要るのは、相当性です。必要最小限度だったか、が問われます。逃げられたという一事だけで、崩れることはあまりありません。だから答案では、どちらの説に立つかを、まず宣言します。否定説のほうが、説明はやや短く済みます。「不正」をそのまま使えるからです。肯定説なら、この説特有の言葉を、まず説明する必要があります。

どちらの説でも書けます。ただ、その先の展開が変わることを、覚えておいてください。

論文で書くときの流れ 図:論文で書くときの流れ

この対立、論文でもよく問われます。事案から問題提起・規範・あてはめまでの流れは、専用の論文動画にまとめてあります。今日は、対立の中身が分かれば十分です。

「侵害」と「自己または他人の権利」

「権利」の意味と広がり 図:「権利」の意味と広がり

次は「侵害」です。ここは、争いがほとんどありません。

⭐ 論文で書く規範:「侵害」の意味 現実に法益を害する行為はもちろん、まだ実害が生じていなくても、その危険を生み出す行為も含まれる。 (規範(通説で立てる))

実際に傷つける行為も、傷つける危険を生じさせる行為も、「侵害」です。当たれば実害、当たる前でも身体への危険が生じています。どちらも「侵害」です。ここは、これで十分です。最後は、「自己または他人の権利」です。条文には、「自己又は他人の権利」とあります。正当防衛は、自分の身を守るためだけの制度ではありません。誰かが襲われているのを見て助けに入る場合も、正当防衛として成立します。ここでいう「権利」は、狭い意味の権利には限りません。法律上保護に値する利益、つまり法益を意味する、と広く読みます。

個人の法益はもちろんです。

判例最判昭24・8・18 刑集3巻9号1465頁/判旨の要旨

最高裁判所——「権利」の意味と、法益の広がり 「権利」とは、狭い意味の権利に限らず、法律上保護に値する利益、つまり法益を意味する。判例は、個人の法益だけでなく、国家や社会全体の利益のためにも正当防衛が問題となりうるとしつつ、それは国家・公共団体の機関による有効な対応を期待できないほど、極めて差し迫った場合に限られる例外であり、原則は公的機関の役割だと釘を刺している。

国家や社会のためなら、いつでも正当防衛できるわけではありません。判例は、ここに厳しい歯止めをかけています。国家や社会の利益を守るのは本来、警察など公的機関の仕事です。だから、公的機関に頼れないほど差し迫った場面でなければ、この理屈は使えません。実際にこの事件でも、その例外には当たらないとして、正当防衛も緊急避難も認められませんでした。たとえば、冒頭の犬が、Aだけでなく、通りかかった大勢の人にも襲いかかろうとしていたとします。警察を呼ぶ余裕もないほど差し迫っていれば、犬を追い払う行為はその場の人たちの安全、つまり社会の利益を守る行為だと言えます。

前回、正当防衛は法秩序の保全に積極的に協力する行為だから違法性が阻却される、という話をしましたね。その考え方どおり、正当防衛は不正な侵害から法秩序そのものを守らせる制度でもあるんです。ただし、公的機関に代わって動けるのはあくまで例外的な場面に限られます。

今日の地図(保存版)

今日の到達点 図:今日の到達点

今日を、振り返りましょう。「不正」は一語で言えば、違法でした。違法性は責任とは別の関門なので、責任無能力者による侵害でも、「不正」たりえます。対物防衛は、前提を2つ確認したあとで、説が分かれるんでしたね。同じ事実でも、採った説で展開が変わりました。「侵害」は、法益への実害か、その危険を生じさせる行為でした。「権利」は法益を意味し、他人のためでも成立します。ここで、1つ確認しましょう。責任無能力者が刃物を振り回し、通りかかったAに切りつけようとしていたとします。これは「不正の侵害」と言えますか?

客観的に見て、Aの身体への危険が生じていれば、責任能力の有無に関わらず「不正の侵害」と言えます。冒頭の問いにも、答えが出せますね。どちらの説でも書けますが、その先の展開が変わることを、覚えておいてください。「防衛するため」、つまり防衛の意思と、「やむを得ずにした」、相当性を見ていきます。

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#44単独ページ動画

偶然防衛と防衛の意思

第6章 違法性 ⑨/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

導入——助けるつもりはなかった

今日の問い 図:今日の問い

助ける気が無いのに、結果として命が助かったんです。実は、この問いへの答えは割れます。「守る気が無いのだから、正当防衛にはならない」。そう考える立場があります。一方で「結果として法益が守られたのだから、正当防衛になる」。そう考える立場もあります。今日は、その理由を説明できるようにします。「急迫」「不正」「侵害」、そして「自己または他人の権利」。前回までで、この4つを終えました。残りは2つです。今日は、そのうち1つだけを詰めます。

5つ目の要件へ

5つ目の要件、ここだけ 図:5つ目の要件、ここだけ

36条1項を、6つに割ったのを覚えていますか。急迫、不正、侵害、自己または他人の権利。防衛するため、やむを得ずにした行為でしたね。前回までで、最初の4つを終えました。今日は、5つ目の「防衛するため」だけを詰めます。6つ目の「やむを得ずにした行為」は、別の回に譲ります。もう一度、条文を見てみましょう。

条文刑法36条1項

刑法36条1項(正当防衛) 急迫不正の侵害に対して、自己又は他人の権利を防衛するため、やむを得ずにした行為は、罰しない。

「防衛するため」、この一言が今日の主役です。目的を表す言葉です。だから条文は、防衛するためにした行為を求めているように読めます。実は、この一言をめぐって大きな対立が起きます。次で、その入り口を見せます。

偶然防衛——なぜ試薬になるのか

偶然防衛の構造 図:偶然防衛の構造

具体で考えましょう。深夜の路上で、Aは以前からのいざこざの相手Bを見つけました。恨みを晴らしたい一心で、Aはいきなり背後からBを殴りつけました。Aには、誰かを助ける気などまったく無いんです。ただ、暴力を振るいたかっただけです。ところが実際には、その瞬間Bはナイフを取り出していました。少し先を歩いていた通行人Cに、切りつけようとしていたんです。Aの一撃でBは体勢を崩し、Cは無傷で済みました。客観的には、法益が守られています。そこです。客観と主観が、真っ二つに食い違っています。この作り話を、偶然防衛と呼びます。

この食い違いを、どちらで重く見るかで答えが割れるからです。客観と主観、どちらを重く見る立場なのか。それをあぶり出す、試薬のような役目です。

結果無価値論と行為無価値論の対立 図:結果無価値論と行為無価値論の対立

ここで、前に見た対立を思い出してください。違法性を、どこで見るかという対立です。法益が侵害されたかどうかで見る考え方。行為が社会的にふさわしいかどうかで見る考え方。この2つが、ありましたね。この対立が、そのまま今日の入り口になります。Aの頭の中身を重く見るかどうかは、まさにこの続きです。主観的違法要素、という名前でした。行為者の主観が、違法性の判断に影響するか。この回に預けた論点です。

要否——2つの説と、条文の文言

不要説と必要説――結論の対立 図:不要説と必要説――結論の対立

冒頭のAに、正当防衛は成立するでしょうか。答えは、2つの説で真っ二つに割れます。まず不要説です。結果無価値論を徹底する立場です。違法性が阻却されるかは、法益の権衡、つまり守られた法益と失われた法益の釣り合いだけで決まります。行為者の主観は、この権衡に影響を与えない、と考えます。だからAの行為は、客観的には法益を守っています。だから、正当防衛として不可罰になります。この説を採ると、そうなります。もう一方は必要説です。行為無価値論から導かれる立場です。違法性が阻却されるかは、行為の社会的相当性で決まります。行為者の主観は、この相当性に影響を与える、と考えます。

加えて、決め手がもう1つあります。さっき見た、条文の文言です。「防衛するため」という言葉は、防衛の意思が必要であることを素直に表しています。だから、必要説を採ります。恨みを晴らすためだけの一撃は、社会的に相当な行為とは言えません。Aには、防衛の意思が欠けます。だから、正当防衛は成立しません。結果が生じている以上、犯罪が成立します。そして判例も、防衛の意思の存否を正面から問題にします。この一貫した立場は、必要説と整合的です。結果無価値論に立てば必ず不要説になる、というわけではありません。結果無価値論に立つ論者に不要説が多い、という傾向です。違法性の実質をどこに置いたかで、説の向きがそちらへ傾く。そういうつながりです。

防衛の意思の中身が、次の話です。

内容——ゆるやかに解する

「消える」と「消えない」の区別 図:「消える」と「消えない」の区別

防衛の意思が必要だとして、その中身はどこまで厳しいでしょうか。「明確で積極的な防衛目的」を要求すると、困ったことが起きます。正当防衛は、とっさに反射的に行われることが少なくありません。そこまで求めると、身を守ったはずの人が、正当防衛から外れてしまいます。傘を差していた人が、急に強い風にあおられたとします。深く考えずに、とっさに傘を体の前に傾けますよね。そこには「絶対に風から守り抜く」という強い決意はありません。ただ「まずい」と思って、とっさに避けただけです。防衛の意思も、これと同じ程度の意識で足ります。

そこで、防衛の意思の中身はゆるやかに解します。

⭐ 論文で書く規範:防衛の意思の内容 急迫不正の侵害を意識しつつ、これを避けようとする単純な心理状態で足りる。 (規範(通説で立てる/判例が一般論として言明した定式ではない))

難しい目的意識は要りません。侵害に気づいて、それを避けようとする。その程度で足ります。ここから、3つの場面で確認しましょう。1つ目、殴られてカッとなって、殴り返した場合です。カッとなったというだけでは、実は消えません。

判例最判昭46・11・16 刑集25巻8号996頁

最高裁判所——憤激・逆上と防衛の意思 「刑法三六条の防衛行為は、防衛の意思をもつてなされることが必要であるが、相手の加害行為に対し憤激または逆上して反撃を加えたからといつて、ただちに防衛の意思を欠くものと解すべきではない。」

急迫の定義を立てたあの判決には、もう1つの顔があります。今の一文が、その2つ目です。2つ目、攻撃の意思を併有していた場合です。

判例最判昭50・11・28 刑集29巻10号983頁/判旨の要旨

最高裁判所——攻撃的な意思を併有していても 急迫不正の侵害に対し自己又は他人の権利を防衛するためにした行為と認められる限り、その行為が同時に侵害者に対して攻撃的な意思に出たものであっても、刑法36条の防衛行為に当たる。

暴行を受けている友人を、助けに駆けつけた事案です。加害者に、攻撃的な意思を伴う行為に出ています。それでも、防衛のためにした行為と認められる限り。防衛行為に当たります。3つ目、もっぱら攻撃の意思で反撃した場合です。少しでも、ではありません。ほかの要素を実質的に押しのけるくらい、攻撃だけになっている状態です。「避けようとする」とは言えません。防衛の意思は否定されます。この3行を、覚えておいてください。

弁別——急迫性が消える場合との違い

弁別――急迫性か、防衛の意思か 図:弁別――急迫性か、防衛の意思か

ここで、1つ確認させてください。急迫を詰めた回を思い出してください。待ち構えていて「ちょうどいい」と思った場合、これは何という要件が否定されるんでしたか?急迫性です。積極的加害意思があると、否定されるんでした。ここからが、今日いちばんの山場です。「もっぱら攻撃の意思」は、実は「積極的加害意思」と同じ心のうちです。同じ心理状態でも、いつ生まれたかで扱いが変わります。1つ目、侵害を事前に予期していた場合です。その機会を利用して、積極的に加害する意思で臨んだ場合です。これは急迫の回で学んだ、急迫性の問題でしたね。

急迫性は、行為全般の状況から判断して、積極的加害意思はその中の有力な一例、という位置づけでしたね。2つ目です。侵害を予期していなかった場合です。不意打ちで襲われた場面の途中で、気持ちが変わった場合です。

途中で、心が変わる 図:途中で、心が変わる

具体で考えましょう。Aは、何の前触れもなく、通りすがりのBに殴りかかられました。とっさに腕を上げて防ごうとしました。その瞬間、Bの姿勢が崩れているのが見えました。Aは「これはやり返せる」と考えました。防御をやめて、AはもっぱらBを痛めつける目的で殴り続けました。急迫性は、そのまま認められます。Aは、事前に予期していなかったからです。反撃行為そのものが、「避けようとする」意思を欠きます。だから、防衛の意思が否定されます。急迫性は、侵害の側が時間的に迫っているかを見る要件でした。防衛の意思は、反撃する側の心のうちを見る要件です。

弁別――急迫性か、防衛の意思か(再掲) 図:弁別――急迫性か、防衛の意思か(再掲)

その心のうちが生まれるのが、反撃より前か、反撃の最中かで違うからです。予期していれば、その心は反撃より前からあります。さっき見た「行為全般の状況」、つまり反撃に先行する事情の中に入るので、侵害の側の要件、急迫性が動きます。予期していなければ、その心が生まれるのは、反撃を始めたあとです。先行する事情は、何も変わりません。だから予期があれば急迫性の側で、予期が無ければ防衛の意思の側で、同じ心理状態が効きます。答案でも、どちらで落としているのか、はっきりさせます。ここで、短答式で気をつけてほしい点があります。

急迫性を客観的な要件と考える立場もあります。防衛する側の内心では、急迫性は動かないと考える立場です。予期していて、積極的に加害する意思があったとします。その場合は、結局は防衛の意思の段階で否定されます。正当防衛が成立しないという結論は、変わりません。

過失行為と防衛の意思・まとめ

誤信から、なお防衛の意思 図:誤信から、なお防衛の意思

防衛の意思の中身を、心理状態として緩やかに捉えました。この帰結として、過失行為にも防衛の意思を認めうるんです。具体で考えましょう。夜間警備員のAは、巡回中に倉庫の暗がりで影に気づきました。以前から出没していた、獰猛な野良犬だと思い込みました。持っていた警棒で、強く殴りつけました。ところが実際には、それは侵入者Bでした。倉庫に忍び込み、Aを刃物で刺そうと近づいていたんです。

条文刑法211条

刑法211条(業務上過失致死傷等) 業務上必要な注意を怠り、よって人を死傷させた者は、五年以下の拘禁刑又は百万円以下の罰金に処する。重大な過失により人を死傷させた者も、同様とする。

Aの行為は、この条文の構成要件に該当します。ここで主語にするのは、Aが主観的に置かれていたと信じた状況です。動物の攻撃を「不正」と言えるかには争いがありましたが、ここで見るのは、侵害を意識して避けようとしていたか、その心理状態です。Aは、急迫不正の侵害を意識しつつ。これを避けようとする、単純な心理状態にあったと言えます。だから、防衛の意思は認められます。相手が実際に自分を害する意思で近づいていたのであれば、正当防衛が成立しえます。心理状態として緩やかに捉えた、自然な帰結です。

今日の到達点 図:今日の到達点

今日を、振り返りましょう。防衛の意思は必要でした。決め手は、行為者の主観が社会的相当性に影響すること。そして、「ため」という条文の文言でしたね。憤激・逆上していても、攻撃の意思を併有していても、消えません。もっぱら攻撃の意思なら、消えます。同じ「もっぱら攻撃したい」という心理状態でも、生まれるタイミングで結論が変わります。では、ここで1つ確認させてください。待ち構えていたのではなく、殴られている最中に気持ちが変わった場合です。これは急迫性の問題でしょうか、それとも防衛の意思の問題でしょうか?

予期していなかったので、急迫性はそのまま認められます。反撃行為そのものが避けようとする意思を欠くので、防衛の意思の問題です。急迫性は残ったまま、防衛の意思のほうで落ちる。ここが今日の要点です。最後に、過失行為にも防衛の意思を認めうることも確認しました。要否と内容は、ワンセットの論点です。これで、36条1項の前半、5つの言葉が揃いました。残るは、「やむを得ずにした行為」、つまり相当性です。次は、そこを見ていきます。

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#45単独ページ動画

相当性と反撃行為

第6章 違法性 ⑩/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

導入——6つ目にして最後の言葉

今日の問い 図:今日の問い

今日は、その続きからです。まず、具体で考えましょう。言い合いになった相手に、いきなり指をつかまれました。そのまま、ぐいっとねじり上げられました。痛みのあまり、振りほどこうとしました。相手の胸を、1回強く突き飛ばしました。ところが相手は、たまたま近くの車に頭を打ちつけました。45日の治療を要する、重いけがでした。この場合、正当防衛は成立するでしょうか。実は、結果の大きさだけでは決まりません。何で決まるのかを、今日は最後まで詰めます。

6要件の地図、最後の1つ

6要件、最後の1つ 図:6要件、最後の1つ

36条1項を、6つに割ったのを覚えていますか。急迫、不正、侵害、自己または他人の権利。防衛するため、やむを得ずにした行為でしたね。前回までで、最初の5つを終えました。今日で、6つ全部が揃います。ここで、1つ注意してください。この6つ目だけ、「行為」という言葉まで含んでいます。だから、中身が2つ入っています。

条文刑法36条1項

刑法36条1項(正当防衛) 急迫不正の侵害に対して、自己又は他人の権利を防衛するため、やむを得ずにした行為は、罰しない。

1つ目は「やむを得ずに」、つまり相当性です。どこまでやれるかを、測ります。2つ目は「した行為」、つまり防衛行為そのものです。誰に向けた行為か、を問います。

今日の2本立て 図:今日の2本立て

前半は相当性、後半は行為の向け先です。冒頭の話は、前半の相当性です。まず、そこから見ていきましょう。

相当性とは何か

事案——押し問答から、突き飛ばしまで 図:事案——押し問答から、突き飛ばしまで

冒頭の話は、実際にあった裁判がもとです。勤務先の事務所の入口付近で、いさかいになりました。相手が突然、指をつかんでねじり上げてきました。痛みのあまり、振りほどこうとしました。相手の胸を、1回強く突き飛ばしました。相手は仰向けに倒れました。たまたま近くにあった車に、後頭部を打ちつけました。この裁判所は、こう言いました。

判例最判昭44・12・4 刑集23巻12号1573頁

最高裁判所——反撃行為の相当性 「刑法三六条一項にいう『已ムコトヲ得サルニ出テタル行為』とは、反撃行為が急迫不正の侵害に対する防衛手段として相当性を有することを意味し、右行為によつて生じた結果がたまたま侵害されようとした法益より大であつても、正当防衛行為でなくなるものではない。」

この当時の条文の言葉づかいで、いまの「やむを得ずにした行為」のことです。「やむを得ずにした行為」とは、防衛の手段として相当かどうかです。そして、結果がたまたま大きくても、それだけでは消えない、と言っています。決め手にはなりません。決め手は、あくまで行為のほうです。前々回の対物防衛では、相当性という言葉を「必要最小限度」の一言だけで済ませました。反撃行為が、防衛の手段として相当性を有すること。これが、相当性の定義です。認めた、とまでは言っていません。結果の大きさだけを見て、有罪とした原判決があります。その判断のしかたが誤っている、と最高裁は指摘しました。そして、行為そのものの相当性を、あらためて審理させました。

正当防衛が確定したわけではありません。確定したのは、この判断基準です。「結果が大きくても、それだけでは消えない」という中身です。結果の大きさは、決め手ではありません。では、何が決め手なのか。次で、正面から詰めます。

山場①——測るのは「行為」であって「結果」ではない

「行為」と「結果」——測る基準の違い 図:「行為」と「結果」——測る基準の違い

なぜ、結果の大きさが決め手にならないのか。理由は、条文そのものにあります。緊急避難の条文を、並べてみましょう。

条文刑法37条1項本文

刑法37条1項本文(緊急避難) 自己又は他人の生命、身体、自由又は財産に対する現在の危難を避けるため、やむを得ずにした行為は、これによって生じた害が避けようとした害の程度を超えなかった場合に限り、罰しない。

そこがポイントです。ですが、そのあとの続きが違います。緊急避難は、生じた害と避けようとした害を比べます。生じた害のほうが大きければ、罰しない扱いを受けられません。これを、法益権衡と呼びます。

条文刑法36条1項

刑法36条1項(正当防衛) 急迫不正の侵害に対して、自己又は他人の権利を防衛するため、やむを得ずにした行為は、罰しない。

では、ここで1つ確認させてください。37条1項本文にあって、この36条1項に無いもの。何でしょうか?「これによって生じた害が避けようとした害の程度を超えなかった場合に限り」、という条件です。この条件節が、36条1項には存在しません。2つの条文を並べれば、それだけで分かります。正当防衛には、法益権衡の原則は適用されません。測っているのは、行為です。結果ではありません。正当防衛は、消えません。身近な例で、考えましょう。例えば、満員電車で、足を踏まれたとします。反射的に、相手の肩を軽く押し返しました。

すると相手がよろけました。たまたま近くのガラスケースにぶつかり、割れてしまいました。ここで測るべきは、肩を押し返すという行為だけです。足を踏まれたことへの反応として、大げさでなかったか。関係ありません。行為が相当なら、壊れた結果の大きさは、評価をひっくり返しません。逆に、押し返すのではなく殴り倒していたら、行為自体が相当性を欠きます。行為の強さで、範囲の外に出ます。突き飛ばすという行為そのものが相当なら、頭を打ちつけたという結果の大きさは、行為の評価を変えません。

では行為の相当性は何で決まるか

行為の相当性、4つの物差し 図:行為の相当性、4つの物差し

「行為が相当かどうか」、これはどう決めるのでしょうか。1つの物差しだけでは、決まりません。いくつかの事情を、総合的に考慮して判断します。1つずつ、なぜ効くのか見ましょう。1つ目、侵害されている法益の種類です。守る利益が、生命や身体のように重ければ、強めの反撃も、相当性の範囲に入りやすくなります。2つ目、侵害行為の態様と激しさです。侵害がどれだけ強く、速く迫っているか。それで、必要な防御の強さが変わります。3つ目、侵害者の凶悪性・危険性です。一時的な小競り合いか、執拗に襲い続ける相手か。

相手が、どれだけ危険な人か、ですね。4つ目、被害の事後回復可能性です。財産のように取り返しがつくか。身体や生命のように、取り返しがつかないか。この4つを、並べて見ます。1つだけで決めず、全体を見て判断します。

⭐ 論文で書く規範:行為の相当性の判断 侵害された法益の種類、侵害行為の態様と激しさ、侵害者の凶悪性・危険性、被害の事後回復可能性などを、総合的に考慮して判断する。 (規範(通説で立てる))

この4つの物差しは、学説の整理から立てます。例えば、いきなり指をねじり上げられて、とっさに1回突き飛ばしただけでした。行為自体は、相当だと言えます。行為の相当性と、結果の大きさは、別の話です。

武器対等は「目安」にすぎない

事案——体格差から、包丁を構えるまで 図:事案——体格差から、包丁を構えるまで

もう1つ、よく出てくる場面があります。素手で殴りかかられたのに、武器で反撃する場面です。武器の非対等があると、相当性が否定される方向に働きやすくなります。この直感は、間違っていません。ただ、あくまで目安にすぎません。絶対の線引きではない、ということです。実際に、こんな事案があります。年齢も若く、体力にも優れた相手がいました。「殴られたいのか」と言って、手拳を突き出しました。足を蹴り上げる動作をしながら、迫ってきました。後ずさりして、逃げようとしました。ですが、逃げ切れませんでした。

たまたま車内にあった、菜切包丁を取り出しました。腰の高さに構えて、牽制しました。この行為に、最高裁は相当性を認めています。

判例最判平元・11・13 刑集43巻10号823頁

最高裁判所——武器の対等性と相当性の範囲 「年齢も若く体力にも優れた相手方が、『お前、殴られたいのか。』と言って手拳を前に突き出し、足を蹴り上げる動作をしながら目前に迫ってきたなど判示のような状況の下において、危害を免れるため、菜切包丁を手に取ったうえ腰のあたりに構えて脅迫した本件行為は、いまだ防衛手段として相当性の範囲を超えたものとはいえない。」

体格の差がありました。逃げようとしても、逃げ切れませんでした。そして、構えただけで、実際には切りつけていません。相当性の範囲を、まだ超えていない。そう判断されました。ただ、この判例が認めたのは、構えて牽制した行為までです。実際に切りつけた場合まで、相当性の範囲だと言ったわけではありません。

武器の対等性は、この中の一事情 図:武器の対等性は、この中の一事情

通称として、そう呼ばれることがあります。名前を覚えるだけでは、足りません。武器の対等性は、独立した基準ではありません。さっきの4つの物差しに顔を出す、一事情です。体格差や、逃げ場の無さといった事情が重なれば、素手と刃物という非対等があっても、なお範囲に収まります。4つの物差し全体の中で、位置づけを見てください。

相当性を欠いたら何が起きるか

相当性を欠いた場合の行き先 図:相当性を欠いた場合の行き先

では逆に、行為の相当性が認められなかったら。相当性を欠くと、違法性は阻却されません。責任があれば、そうなります。ただし、他の5つの要件を満たしていれば、過剰防衛という別の箱に移ります。36条2項に、規定があります。刑を任意的に、減軽したり免除したりできます。過剰防衛の中身は、別の回で扱います。後半は、防衛「行為」そのものを見ていきます。

山場②——防衛「行為」は誰に向けたか

誰に向けたかの振り分け 図:誰に向けたかの振り分け

後半に入る前に、1つ思い出してください。前々回、対物防衛の話をしましたね。否定説なら緊急避難、肯定説なら正当防衛でした。あのとき、否定説が緊急避難の側に落ちたのは、どんな理由からだったか、思い出せますか?動物には、法規範というルールが向けられていないから。だから「不正」とは言えない、という理由でした。実は、あのとき使った振り分けが、今日また出てきます。防衛「行為」は、条文上、誰に向けられなければならないでしょうか。防衛行為は、不正の侵害をしている本人に向けられていなければなりません。

⭐ 論文で書く規範:防衛「行為」の向け先 防衛「行為」は、不正の侵害をしている本人に向けられていなければならない。 (規範(通説で立てる))

例えば、こんな場面を考えましょう。刃物を持ったBに、Aが襲われました。Aは、逃げようとしました。ところが逃げようとした先に、通行人Cが立っていました。Cを突き飛ばして、怪我をさせてしまいました。ここで、AとBの関係、AとCの関係を分けます。不正の侵害をする側と、対抗する側です。正対不正の関係です。どちらも、不正なことをしていません。正対正の関係です。無関係な第三者に向けられている以上、正当防衛の枠には入りません。緊急避難の問題になります。あのときの振り分けと、同じ理屈です。

この1本の軸で、これから見る3つの場面が、全部説明できます。

反撃したつもりが第三者に当たった

狙いはB、当たったのはC 図:狙いはB、当たったのはC

次は、少し込み入った場面です。刃物を持って襲ってきたBに対し、Aが椅子を投げつけました。狙いはBでした。ところが椅子はBに当たらず、通行人Cに当たってしまいました。さっきは、Aが自分からCに向けて行為をしました。今回、Aが向けたのは、あくまでBです。この場面には、3つの立場があります。

3つの立場、どこで切れるか 図:3つの立場、どこで切れるか

1つ目、正当防衛説です。その直感、よく分かります。ですが、この説は成り立ちません。さっきの軸を、思い出してください。防衛行為が正当防衛になるのは、不正の侵害者に向けられているときだけです。Cとの関係では、不正の侵害がどこにもありません。軸に照らして、機械的に排除されます。暗記ではなく、軸からそのまま出てくる結論です。2つ目、緊急避難説です。Cとの関係は、正対正です。だとすれば、緊急避難の枠組みで見るのが、いちばん軸と合います。ただし、この先は緊急避難そのものの要件を、あらためて確認する必要があります。

現在の危難、補充性、法益権衡、避難の意思です。現在の危難は、危険が今まさに迫っていること。補充性は、ほかに避ける方法が無かったこと。法益権衡は、さっき見た、生じた害が避けようとした害を超えないこと。避難の意思は、その危難を避けるためにやったこと。中身の詰めは、緊急避難を正面から扱う回に譲ります。3つ目、誤想防衛説です。Aの頭の中では、正当防衛のつもりでした。客観的な要件、不正の侵害者に向けるという条件を欠いています。主観と客観がずれる、という構造です。ずれの向きが、逆なんです。偶然防衛は、主観に防衛の意思が無い場合でした。こちらは、防衛のつもりはあって、向け先がずれています。

狙った対象と、結果が生じた対象がずれる形は同じです。ただ、錯誤論そのものは、繰り返しません。本論は、別の回に譲ります。今日は、この構造だけ押さえてください。実は、この対立を正面から裁いた最高裁の判例は、見当たりません。だから、学説の対立として押さえてください。Cとの関係が正対正である以上、緊急避難の枠がいちばん軸に合います。

第三者の物を使ったのは誰か

借りた自転車を、盾にする 図:借りた自転車を、盾にする

もう1つ、似たような場面があります。今度は、人ではなく、物が関わってきます。刃物を持ったBに襲われたAが、自転車をつかみました。近くにあった、見知らぬCの自転車です。とっさに盾にしたところ、壊れてしまいました。Cは、何ら不正の侵害をしていません。Aの行為は、Cに向けられています。Cとの関係は、正対正です。緊急避難として処理します。ここは、断定していい場面です。逆の場面も、見てみましょう。

傘を振り回してきたのは、相手 図:傘を振り回してきたのは、相手

今度は、襲ってきたBのほうが、傘を振り回してきました。たまたま近くにあった、Cの傘です。凶器代わりに使ってきました。身を守るため、その傘を蹴り上げました。折ってしまいました。この場合、その傘はBの不正な侵害行為の一部と見られます。Bが凶器として使っている以上、そう見る考え方があります。その考え方に立てば、傘を壊す行為も正当防衛として処理できます。

使ったのが防衛者か侵害者かの違い 図:使ったのが防衛者か侵害者かの違い

断定の強さは、2つで違います。防衛者が利用する場合は、断定できます。ですが、侵害者が利用する場合は、条件付きです。傘はCの物ですから、壊れた結果だけを見れば、Cの法益が失われています。ですが、行為の向け先を見れば、Bの侵害の一部です。結果と行為の、どちらを見るかで、結論が割れうる場面なんです。結果無価値論は実質を結果に置き、行為無価値論は行為にも置く、でしたね。どちらに立つかで割れる以上、確立した結論としては断定できません。今日は、条件付きの言い方で押さえておいてください。防衛者が利用した場合は、何もしていないCに向けた行為だから、緊急避難。侵害者が利用した場合は、その傘がBの侵害の一部になっている。だから、不正に向けた反撃として、正当防衛。

今日の地図(保存版)

今日の到達点 図:今日の到達点

今日を、振り返りましょう。まず、相当性の定義を確認しました。反撃行為が、防衛の手段として相当かどうか、です。36条1項には、37条1項本文にある法益権衡の要求がありません。この条文の対比が、根拠でした。相当性は、法益の種類、態様と激しさ、凶悪性・危険性、事後回復可能性。この4つを、総合して判断します。絶対の線引きではありませんでしたね。違法性は阻却されず、他の要件を満たせば過剰防衛に移ります。防衛「行為」は、不正の侵害者に向けられていなければなりません。この1本の軸で、3つの場面が全部説明できました。

急迫、不正、侵害、自己または他人の権利。防衛するため、そしてやむを得ずにした行為。正当防衛の骨組みが、これで完成しました。では、ここで1問、振り返ってみましょう。今日の2本の軸のうち、正当防衛と緊急避難を分けたのは、何を見る軸でしたか?誰に向けたか、です。侵害者に向ければ正当防衛、第三者に向ければ緊急避難でしたね。自分から招いた侵害と、行き過ぎてしまった防衛を見ていきます。

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#46単独ページ動画

自招侵害と過剰防衛

第6章 違法性 ⑪/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

導入——枠からはみ出したとき

今日の問い 図:今日の問い

殴りかかられたので、殴り返しました。相手は倒れました。もう、動きません。それでも、あと一度だけ、踏みつけました。この一続きの出来事を、1個の行為と見るか、2つに切るか。1個と見れば、全体が過剰防衛で、刑が減るかもしれません。2つに切れば、前半は罪に問われず、後半は言い訳のきかない犯罪になります。では、何が切り方を決めているのか。今日は、そこを最後まで詰めます。

骨組みは完成した。今日ははみ出したとき

6要件の地図、今日はこの外側 図:6要件の地図、今日はこの外側

36条1項を、6つに割ったのを覚えていますか。急迫、不正、侵害、自己または他人の権利。防衛するため、やむを得ずにした行為でしたね。前回までで、この6つが全部揃いました。今日は、その骨組みの外側を見ていきます。はみ出し方には、2つあります。

はみ出し方の2つ 図:はみ出し方の2つ

1つ目は入口です。そもそも、土俵に乗らない場合です。自分から侵害を招いた場合や、けんかの場合です。その前半が、この入口です。2つ目は出口です。土俵には乗ったけれど、程度を超えた場合です。過剰防衛です。相当性を欠くと、違法性は阻却されません。ただし、他の要件を満たせば、過剰防衛という別の箱に移ります。まず、入口から見ていきましょう。

入口①——自分で招いた侵害

自招侵害とは 図:自招侵害とは

1つ目、自分で招いた侵害です。自招侵害と呼びます。例えば、AがBの新しい自転車を見て、「ずいぶんみっともないな」とけなしたとします。Bが激怒して、Aに殴りかかってきました。ここでAが殴り返した場合、正当防衛になるでしょうか。Bの攻撃だけを見れば、急迫不正の侵害に見えます。ですが、原則として正当防衛は否定されます。覚えていますか。正当防衛が違法性を阻却する理由は、何でしたか。行為無価値論からは、社会的相当性でした。出てきた一撃だけでなく、そこに至る経緯まで含めて、社会生活のうえで許された行為と言えるかを見ます。正当防衛が特別に許されるのは、落ち度なく突然に侵害を受けて、警察などの公の助けを待っていられない場面に置かれたからです。ところがAは、その場面を自分で作っています。自分で侵害を招いておいて、その反撃をするのは、原則として社会的相当性を欠くんです。

だから、Aの反撃は、原則として正当防衛になりません。

⭐ 論文で書く規範:自招侵害の扱い みずから不正の侵害を招いた者が、その侵害に対して行った反撃には、原則として社会的相当性が認められず、正当防衛は成立しない。 (規範(通説で立てる))

この原則は、学説の整理から立てます。社会的相当性は、前回の相当性とは別のものです。前回の相当性は、枠に乗ったうえで、反撃の程度が釣り合っているかを見ました。今の社会的相当性は、そもそもこの枠に乗せてよい場面かを見ています。入口の話です。

誰が誰に何をしたか 図:誰が誰に何をしたか

図で整理しましょう。Aが先に、Bをけなしています。この順番があるから、Bの攻撃だけを取り出して評価できないんです。例外もあります。

例外——予想を超えた反撃 図:例外——予想を超えた反撃

今度は、Aが軽い調子でBをからかっただけだったとします。ところがBが激高して、近くにあった包丁を持ち出し、Aに切りつけようとしてきました。この場合は、Aの反撃についても、社会的相当性がなお認められる可能性が残ります。招いた責任は、自分がまいた種の大きさまでです。けなしただけの人に、命に関わる反撃まで甘受しろとは言えません。ここから先は、もう「自分で招いた」とは呼べないんです。その部分では、落ち度なく突然襲われた人と、同じ場面に戻ります。軽い挑発に対して、相手が予想を超えて重大な法益を侵害してきた場合です。

「自招侵害は常に正当防衛が成立しない」と言い切ってはいけません。

山場①——判例は「枠を前へ伸ばした」

事案——先に殴って、逃げて、追いつかれて 図:事案——先に殴って、逃げて、追いつかれて

ここで、実際にあった裁判を見ましょう。ごみ集積所で、ごみを捨てていたAに、被告人が声を掛けました。口論になり、被告人がAの左ほおを手拳で1回殴打して、そのまま逃げ出しました。Aは「待て」と言いながら、自転車で追い掛けました。追いついた地点で、自転車に乗ったまま腕を伸ばし、被告人の背中から首のあたりを強く殴打しました。被告人はこれで倒れましたが、起き上がりました。護身用に持っていた特殊警棒で、Aの顔面や、防御しようとした左手を数回殴打しました。Aは顔面のけがと、左手の指の骨折を負いました。Aの攻撃だけを取り出せば、たしかに被告人にとっての急迫不正の侵害に見えます。被告人も、この反撃について正当防衛を主張しました。

最高裁は、正当防衛の成立を否定しました。

判例最決平20・5・20 刑集62巻6号1786頁

最高裁判所——自招侵害と「一連、一体の事態」 「被告人は、Aから攻撃されるに先立ち、Aに対して暴行を加えているのであって、Aの攻撃は、被告人の暴行に触発された、その直後における近接した場所での一連、一体の事態ということができ、被告人は不正の行為により自ら侵害を招いたものといえるから、Aの攻撃が被告人の前記暴行の程度を大きく超えるものでないなどの本件の事実関係の下においては、被告人の本件傷害行為は、被告人において何らかの反撃行為に出ることが正当とされる状況における行為とはいえないというべきである。」

読みどころは、結論そのものではありません。枠の取り方です。Aの反撃だけを取り出して、「急迫不正の侵害への防衛」と評価する。それが自然に見えますよね。最高裁は、そうしませんでした。被告人が先に殴った出来事と、Aが追いついて殴り返した出来事を、切り離しませんでした。「被告人の暴行に触発された、その直後における近接した場所」だと言っています。この関係を、一連、一体の事態と呼んでいます。だから、1つの出来事として、1つの枠に入れました。反撃だけを切り出して、正当と評価することができなくなります。

反撃の場面だけを切り出してよいことにすると、先に手を出して相手を怒らせ、返ってきたところを叩く。それが「正当防衛」になってしまいます。正当防衛が、攻撃の道具に使えてしまうんです。そもそも、反撃してよい状況ではなかった、という言い方をしています。どこですか。「Aの攻撃が被告人の前記暴行の程度を大きく超えるものでないなどの」というところです。ここも、必ず押さえてください。

限定句——どこまでも否定するわけではない 図:限定句——どこまでも否定するわけではない

この一言は、限定句です。Aの攻撃が、被告人の暴行の程度を大きく超えるものでないという前提が、付いています。招いた側が、自分の行為よりも桁違いに重い反撃を受けた場合まで、一律に、反撃を正当と評価できないと言っているわけではありません。自招侵害の例外と、この限定句は、同じ発想でつながっています。だからこそ、枠の取り方と一緒に、この限定句もセットで覚えてください。

入口②——けんか

誰が誰に何をしたか——けんかの成り行き 図:誰が誰に何をしたか——けんかの成り行き

もう1つ、同じ考え方が当てはまる場面があります。その場面が、いわゆるけんかです。AとBが、素手で殴り合っていたとします。ところが途中で、Bが突然、近くにあった金属パイプを振り回して襲いかかってきました。ここでAが身を守るために反撃したら、どうなるでしょうか。けんかにも、自招侵害と同じ道具を使います。一撃だけを取り出さず、成り行き全体を見るという道具です。けんかそれ自体が、社会的相当性を欠く行為だからです。さっきの見方を当てはめてください。殴り合いは、お互いが攻撃と防御を繰り返している状態です。どちらも、自分の側から侵害を作り出しています。落ち度なく突然襲われて、公の助けを待っていられない。正当防衛が特別に許される、あの場面ではないんです。

だから原則として、正当防衛は成立しません。

例外——対等な条件が、突然崩れる 図:例外——対等な条件が、突然崩れる

例外は、さきほどの金属パイプの場面です。当初は対等な条件で始まったのに、相手が突然、著しく危険性の高い凶器を持ち出して襲いかかってきた場合です。この場合は、反撃を社会的に相当と評価できる余地が、なお残ります。Aが引き受けたのは、素手の殴り合いまでです。金属パイプで襲われるところまでは、引き受けていません。その瞬間からは、突然襲われた側と同じ場面に立っています。ここでも、一撃だけを見ません。けんかの成り行き全体を見て、対等な条件が崩れた瞬間があったかどうかを見ます。一撃だけを切り出さず、全体を見る。この道具は、共通しています。

出口——36条2項という別の箱

36条2項という別の箱 図:36条2項という別の箱

では、入口から出口へ移りましょう。まず、条文を見てください。

条文刑法36条2項

刑法36条2項(過剰防衛) 防衛の程度を超えた行為は、情状により、その刑を減軽し、又は免除することができる。

「することができる」に注目してください。減軽・免除は、しなければならないのではなく、裁判所ができる。これを任意的減免と呼びます。必ず刑が軽くなるとは限りません。過剰防衛とは、急迫不正の侵害に対して、防衛の意思で反撃した場合です。ただし、防衛の程度を超えた場合をいいます。正当防衛の行き過ぎ版、というイメージです。ですが、ここに大きな落とし穴があります。「行き過ぎたら、とりあえず過剰防衛」と思っていませんか。それは、誤りです。

過剰防衛にすらならない場合 図:過剰防衛にすらならない場合

過剰防衛と言えるためには、正当防衛の要件のうち、相当性以外はすべて満たしている必要があります。急迫、不正、侵害、自己または他人の権利、防衛の意思。この5つです。だから、急迫不正の侵害が無い場合や、防衛の意思が無い場合は、過剰防衛にすら、なりません。「とりあえず過剰防衛」という逃げ道は、ありません。もう1つ、位置づけも押さえておきましょう。過剰防衛は、犯罪の成立を否定する要件ではありません。構成要件、違法性、責任がいずれも認められたうえで、量刑の場面で刑を減免する制度です。この位置づけを、まず押さえてください。

2つの過剰——質と量

質的過剰と量的過剰 図:質的過剰と量的過剰

過剰防衛には、2つの種類があります。質的過剰と量的過剰です。まず、質的過剰は、必要以上に、強い反撃を加えた場合です。例えば、Bが素手で殴りかかってきたのに、Aがいきなり金属バットで殴り返した場合です。ここは、過剰防衛が成立しうることに、特に争いがありません。もう1つが、量的過剰です。当初は、防衛の程度の範囲内にある反撃だったのに、反撃を続けるうちに、相手の侵害がすでに収まった、あるいは目に見えて弱まっているのに、それでも同じ強さの反撃をやめずに続けた場合です。強さではなく、いつまで続けたかがキーになります。

そして、ここが今日の軸につながります。質的過剰は、1つの行為が強すぎただけ。切る場所がありません。量的過剰は、時間が延びている。だから、どこで切るかを決めないといけないんです。そして、量的過剰のほうには、処理のしかたに大きな論点があります。ここからが、今日いちばんの山場です。

山場②——枠を後ろで切るかどうかで結論が3通りに割れる

1個と見るか、分断するか 図:1個と見るか、分断するか

量的過剰を、どう処理するか。冒頭の、踏みつけの話ですね。侵害がやんだ時点を境に、行為を分断するかどうかで、結論が変わります。分断しなければ、全体を1個の行為ととらえます。この場合、全体として過剰防衛が成立します。犯罪は成立しますが、任意的減免の余地があります。分断すると、第1行為と、第2行為に分かれます。侵害がやむ前の第1行為は、正当防衛として不可罰です。侵害がやんだあとの第2行為は、もはや防衛行為ではありません。正当防衛としても過剰防衛としても、扱われません。さっきの落とし穴を思い出してください。過剰防衛は、相当性以外の要件が全部そろっていないと使えません。侵害がやんだ後は、急迫不正の侵害がもう無い。しかも、それを分かったうえで続けているなら、防衛の意思もない。だから、過剰防衛の箱にすら入らないんです。

結果として、第2行為は、完全な犯罪として処罰されます。切り方ひとつで、この3つに割れます。自招侵害は、枠を前へ伸ばして、自分が招いた出来事まで取り込みました。量的過剰は、逆に、枠を後ろで切るかどうかを問題にしています。行為をどこで切り取るかという、同じ1本の道具の裏表です。この一連の行為を、1個と見れば、全体が過剰防衛です。刑が減るかもしれません。ですが、倒れて動かなくなった時点で分断すれば、踏みつけた行為だけは、正当防衛としても過剰防衛としても扱われない、独立した犯罪になります。

同じ事実なのに、結論がここまで動きます。判例が、どこで切っているかを見ましょう。

判例はどこで切っているか

事案①——机を押し返し、殴打まで 図:事案①——机を押し返し、殴打まで

まず、1つ目の事案です。勾留中の、同じ部屋の人どうしのトラブルでした。被害者が、折り畳み机を被告人に向けて押し倒してきました。その机を、押し返しました。これが第1行為です。単独で見れば、防衛の手段として相当な範囲でした。ところが、机が当たって転倒し、反撃も抵抗も難しくなった被害者の顔面を、被告人が、手拳で数回殴打しました。これが第2行為です。相当性の範囲を、明らかに逸脱しています。実は、傷害は第1行為から直接生じたものでした。もし分断すれば、けがを生じさせた第1行為は正当防衛で不可罰、けがを生じさせていない第2行為だけが残ります。1個と見るか分断するかで、この傷害を誰の責任にするかまで変わるんです。

判例最決平21・2・24 刑集63巻2号1頁

最高裁判所——一連一体の1個の過剰防衛 「被告人が被害者に対して加えた暴行は、急迫不正の侵害に対する一連一体のものであり、同一の防衛の意思に基づく1個の行為と認めることができるから、全体的に考察して1個の過剰防衛としての傷害罪の成立を認めるのが相当であり」

第1行為と第2行為を、切り離しませんでした。同一の防衛の意思に基づく、1個の行為だと認めました。全体的に考察して、1個の過剰防衛が成立する、としました。任意的減免の対象になります。

事案②——灰皿を投げられ、動かなくなるまで 図:事案②——灰皿を投げられ、動かなくなるまで

もう1つ、別の事案を見ましょう。呼び止められた被告人が、相手方からいきなり殴りかかられ、もみ合いになりました。そのうちに相手方が、アルミ製の灰皿を被告人に投げつけました。相手方は当時76歳、被告人は当時64歳でした。その反動で体勢を崩した相手の顔面を、被告人が殴打しました。これが第1行為です。すると相手は転倒して、後頭部を打ちました。意識を失ったように、動かなくなりました。被告人は、その状態を十分に認識しながら、憤激のあまり、動かない相手の腹部を足蹴りし、踏みつけ、ひざを落としました。これが第2行為です。

最高裁は、この事案をどう見たと思いますか。この灰皿の事案では、最高裁は一体とは見ずに、行為を分断しました。

判例最決平20・6・25 刑集62巻6号1859頁

最高裁判所——分断された第2行為 「第1暴行により転倒した甲が、被告人に対し更なる侵害行為に出る可能性はなかったのであり、被告人は、そのことを認識した上で、専ら攻撃の意思に基づいて第2暴行に及んでいるのであるから、第2暴行が正当防衛の要件を満たさないことは明らかである。……両暴行を全体的に考察して、1個の過剰防衛の成立を認めるのは相当でなく、正当防衛に当たる第1暴行については、罪に問うことはできないが、第2暴行については、正当防衛はもとより過剰防衛を論ずる余地もない」

ここが、今日いちばんの分かれ目です。

対照——一体か、分断か 図:対照——一体か、分断か

判断の要素を、3つ並べましょう。1つ目、第2行為の時点で、防衛の意思が続いていたか、それとも専ら攻撃の意思だったか。2つ目、行為者が、相手がもう侵害してこないと認識していたかどうか。3つ目、第2行為の態様・程度です。3つとも、同じことを測っています。第2行為の時点で、それがまだ「身を守るための行為」だったか。3つは、その目印です。机の事案では、第2行為も、同一の防衛の意思に基づく行為だと認められました。これに対して灰皿の事案では、相手が更なる侵害行為に出る可能性が無いことを、被告人は認識していました。そのうえで、専ら攻撃の意思に基づいて、第2行為に及んでいます。

だから、分断されました。答案では、この3つを、事実に当てはめて書きます。

⭐ 論文で書く規範:量的過剰の判断要素 第2行為の時点で防衛の意思が継続していたか、行為者が更なる侵害行為に出る可能性がないことを認識していたか、第2行為の態様・程度を総合的に考慮して、行為を1個ととらえるか分断するかを判断する。 (規範(判例の集積から・最決平21・2・24、最決平20・6・25ほか参照))

机の事案は、第2行為でも防衛の意思が続いていて、態様も机を押し返した延長にとどまっていました。だから、一体と判断されました。灰皿の事案は、相手がもう侵害してこないと認識したうえで、専ら攻撃の意思に転じ、態様も踏みつけやひざ落としへと重くなっていました。だから、分断されました。ここで、1つ思い出してください。「もっぱら攻撃の意思」という心のうちは、前回までに、別の名前も含めて何度か出てきました。今日で何回目の登場か、思い出せますか?1つは、前々回、防衛の意思を否定する場面で出てきました。もう1つは、急迫性を否定する、積極的加害意思のところです。

今日で、3回目です。ただし、時点が違います。

もっぱら攻撃の意思——時点が違えば、効く場所が変わる

「もっぱら攻撃の意思」、3つの場面 図:「もっぱら攻撃の意思」、3つの場面

心の中身は同じでも、それが生まれた時点が違うので、壊れる要件が変わります。1つ目は、侵害を予期して、待ち構えていた局面です。来ると分かったうえで、鉄パイプを用意して待ち、その機会に痛めつけてやろうと考えて臨んだ、あの人ですね。急迫性は、失われません。備えていただけだからです。失われるのは、その機会を利用して、積極的に加害する意思まで進んだときでした。急迫という要件があるのは、突然に侵害を受けて、公の助けを待っていられない人を守るためです。機会として待ち構えた人は、その場面に追い込まれた人ではありません。だから、急迫性が否定されました。2つ目は、不意打ちの反撃の最中に、気持ちが変わった局面です。いきなり殴りかかられて、殴り返した。相手はまだ向かってきている。ところが途中で守る気持ちが消えて、この際だから痛めつけてやろう、という気持ちだけになった。

予期していないので、急迫性のほうは残ります。だから、こちらで落ちるのは防衛の意思でした。そして3つ目が、今日の場面です。侵害が終わったあとも、反撃を続けた局面です。予期していた時点、反撃の最中、そして終わったあと。同じ心理状態でも、生まれた時点によって、効く場所が変わります。時点さえ区別できれば、同じ道具として、迷わず使えます。

山場③——なぜ減免されるのかが、切り方の理由になる

任意的減免の根拠、3つの説 図:任意的減免の根拠、3つの説

過剰防衛は、なぜ刑が軽くなったり、免除されたりするのでしょうか。もう少し、正確に見ましょう。根拠として、3つの考え方があります。1つ目、違法性減少説です。防衛の効果が生じている以上、違法性が軽くなる、という説明です。2つ目、責任減少説です。急迫不正の侵害という緊急事態では、恐怖、驚愕、興奮、狼狽のせいで、多少の行き過ぎを犯します。それでも、行為者を強く非難できない、という説明です。3つ目、併合説です。違法性と責任、両方の減少を組み合わせます。責任減少説が通説です。

違法性減少説は、行為者の心のうちを見ません。防衛の効果が生じている以上、違法性が軽くなる、という説明だからです。それだと、このあと見る「恐怖の延長で行き過ぎたのか、もっぱら攻撃したいだけだったのか」という分かれ目を拾えません。併合説は、その2つを積み上げる立場です。今日の判例の分かれ方に効いてくるのは、責任減少説の側です。そして、ここからが、今日いちばんの核心です。責任減少説に立つと、さっきの判例の分かれ方が、導き出せるんです。机の事案を思い出してください。第2行為は、同一の防衛の意思に基づいていました。まだ、恐怖や動揺の延長で、行き過ぎてしまった、と説明できます。

非難を弱める理由が、まだあります。だから、全体が1個の過剰防衛として、任意的減免の対象になります。これに対して灰皿の事案では、相手が、もう侵害してこないと分かっていながら、恐怖や興奮からではなく、もっぱら攻撃したいという気持ちだけで、殴り続けました。恐怖や興奮のせいで行き過ぎた、とは言えません。非難を弱める理由が、そもそも無いんです。だから、分断されて、第2行為は過剰防衛にすらなりません。判例の結論は、暗記事項ではありません。責任減少説という根拠から、そのまま出てくる結論なんです。理由がつながれば、覚えることは、むしろ減ります。最後に、1つだけ触れておきます。今日見た場面には、行為者が客観的な要件を誤って思い込んで反撃する場合も、理屈のうえでは考えられます。これを、誤想防衛・誤想過剰防衛と呼びます。

前回は、防衛のつもりで第三者に当ててしまった場合の学説の1つとして出ました。あちらは向け先がずれる形、こちらは侵害があると思い込む形。どちらも、主観と客観がずれるという同じ構造です。誤想防衛・誤想過剰防衛は、責任のレベルの問題なので、違法性を扱う今日は踏み込みません。

今日の地図(保存版)

今日の到達点 図:今日の到達点

今日を、振り返りましょう。まず、正当防衛の枠にそもそも乗らない、入口の話をしました。自招侵害は、原則、正当防衛が成立しません。ただし、相手の反撃が予想を超えて重すぎる場合は例外です。一撃だけを取り出さず、成り行き全体を見る、という道具でした。さっき見た判例は、自分が招いた出来事まで含めて、反撃を1つの枠に入れました。枠を、前へ伸ばしたんです。相当性以外の要件は、すべて満たしている必要がありました。「とりあえず過剰防衛」はありません。質的過剰は強さ、量的過剰はいつまで続けたかで見分けます。

量的過剰を、1個の行為と見るか、分断するかでした。分断すれば、第2行為は正当防衛としても過剰防衛としても扱われず、完全な犯罪になります。そして、その分かれ方は、責任減少説という根拠から、導き出せるものでした。もっぱら攻撃したいだけなら、その理由が無い。だから、分断される。行為をどこで切り取るか。この1本の軸で、今日は全部説明できました。なお、量的過剰と共犯の関係や、罪数の問題は、別の回で扱います。正当防衛は、これで全体像が完成しました。36条1項の6要件と、36条2項の過剰防衛。すべて出そろいました。

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#47単独ページ動画

緊急避難の成立要件

第6章 違法性 ⑫/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

導入——同じ「逃げ込む」なのに

今日の問い 図:今日の問い

これまでは、殴りかかってきた相手を、殴り返す場面を見てきました。今日は、少し違う場面です。凶暴化した野良犬に追いかけられて、逃げ込むために、通りがかりの店のシャッターを壊したとします。犬も、店の人も、Aに対して何一つ悪いことをしていません。この場合に当たるのが、正当防衛ではなく緊急避難です。削られる相手が悪いかどうかで、実は要件が大きく変わります。厳しくなる部分と、逆に広くなる部分の、両方が出てきます。今日は、そこを最後まで詰めます。

今日の位置と条文

違法性阻却事由の地図、今日はここ 図:違法性阻却事由の地図、今日はここ

違法性阻却事由の地図を、思い出してください。今日から、緊急避難に入ります。条文を見ましょう。

条文刑法37条1項

刑法37条1項 自己又は他人の生命、身体、自由又は財産に対する現在の危難を避けるため、やむを得ずにした行為は、これによって生じた害が避けようとした害の程度を超えなかった場合に限り、罰しない。ただし、その程度を超えた行為は、情状により、その刑を減軽し、又は免除することができる。

本文の中に、要件が4つ詰まっています。「現在の危難を避けるため」「やむを得ずにした行為」「これによって生じた害が避けようとした害の程度を超えなかった場合に限り」。ただし書きは、程度を超えたときの扱いです。今日は、本文の4要件だけを詰めます。2項もあります。業務上特別の義務がある者には、この規定を適用しないという条文です。今日は、条番号があるとだけ覚えておいてください。

条文の分解 図:条文の分解

もう一段、条文を分解しておきましょう。「自己又は他人の」とあります。正当防衛と同じで、他人を助けるために行うことも認められます。守られる法益も「生命、身体、自由又は財産」と並んでいますが、これは限定列挙ではありません。もし限定列挙だと読むと、名誉のように条文に挙がっていない法益を守るための避難だけが罰せられることになり、危難から法益を守らせるという37条の狙いと合わなくなるからです。この後、4つの要件をひとつずつ、条文の言葉を指しながら確認していきます。

軸——正対正

正対不正、正対正 図:正対不正、正対正

ここで、正当防衛との違いを、根っこから見ておきましょう。正当防衛は、正対不正の関係でした。危険を作り出したのは、まさに削られる相手自身です。だから、自業自得と言えました。ところが緊急避難は、正対正の関係です。危険を作り出したのは犬や自然現象、あるいは第三者ですが、法が守ってよいと言うのは、それとは無関係の、何も悪くない人の法益です。この一点から、正反対の2つの結論が同時に出てきます。

入口は広く、出口は狭く 図:入口は広く、出口は狭く

1つ目は、入口が広がることです。相手が悪い必要が無いので、危険の原因は人の違法行為に限られません。2つ目は、出口が狭まることです。何も悪くない人を犠牲にする以上、それしか方法が無かったのか、犠牲にした分より守った分が大きいか、両方が要ります。この後見る4つの要件は、すべてこの1点の展開です。暗記事項ではなく、必然的に出てくる帰結として見てください。

要件①「現在の危難」——入口が広がる

「現在」と「危難」 図:「現在」と「危難」

要件①、現在の危難です。「現在」は、正当防衛の「急迫」と同じ意味です。危難が現に存在するか、間近に迫っていることを言います。中身は同じですが、対象が広がるので、呼び方を変えています。「危難」は、法益に対する侵害、またはその侵害の危険がある状態を言います。現在性にも、もちろん終わりはあります。急迫にも始まりと終わりがあったのと同じで、現在の危難にも始期と終期があります。危難が去ってしまえば、その時点で現在性は無くなります。犬が立ち去った後に追いかけ返すことは、できません。危難が過ぎ去った後の行為は、もう緊急避難の話ではなくなります。

「危難」と正当防衛の「侵害」の違いが、今日の山場です。正当防衛の「侵害」は、不正の侵害でした。人の違法な行為に限られます。ところが、緊急避難の「危難」には、不正であることが要件になっていません。人の行為であれば、適法でも違法でも構いません。それだけでなく、動物の動作や、自然現象も含まれます。冒頭の野犬は、まさにこれです。前に見たのは、見知らぬ家の犬にいきなり飛びかかられて、傘で打ち払った回です。あの場面では、動物の攻撃を「不正の侵害」と言えるかどうかで説が分かれ、否定説に立つと、緊急避難として処理するという整理でした。

あの回では、ほかに方法が無かったか、という一言までで止めました。今日は、その規範の中身を埋めます。前に見た回の犬は飼い主のいる犬で、飼い主自身に落ち度が無いかが論点でした。今日の冒頭の野犬は、誰の物でもない野良犬が相手なので、そこは考えなくてよい場面です。犬という共通点はありますが、別の設例だと思ってください。

現在の危難と急迫不正の侵害 図:現在の危難と急迫不正の侵害

急迫不正の侵害は、現在の危難という広い枠の一部分にすぎません。急迫不正の侵害があれば、現在の危難は必ずありますが、逆は成り立ちません。犬に「不正」という評価を当てはめること自体が、そもそもできません。だから、正当防衛ではなく緊急避難の話になります。理屈から言うと、正当防衛は「不正な側が譲るべきだ」という発想でできています。侵害してくる側に落ち度があるから、反撃されても仕方ないという理屈でした。緊急避難は、そもそも誰も悪くない場面を想定した制度です。危険を作り出したのが人でも動物でも自然現象でも構わないのは、最初から「悪い側」を探す発想を採っていないからです。

遠くで吠えているだけなら、危険の程度に達していないので、そもそも現在の危難とは言えません。実際に飛びかかろうとしている距離まで来て、はじめて現在の危難になります。もう1つ、この包摂関係から出てくる大事な帰結があります。急迫不正の侵害があれば、現在の危難は必ずありますよね。そうすると理屈のうえでは、正当防衛が使える場面で、緊急避難を使ってもよいことになります。理由は単純で、要件が緩いほうが、行為者に有利だからです。正当防衛には、補充性も法益権衡もいりません。緊急避難を選ぶ理由が無いんです。

この一言が、答案でどちらを使うかを判断するときに、そのまま直結します。

要件②「避けるため」——避難の意思

避難の意思 図:避難の意思

要件②は、「避けるため」です。これは、避難の意思と呼ばれます。現在の危難を意識しつつ、これを避けようとする単純な心理状態です。防衛の意思の定義と、同じ発想です。あちらは急迫不正の侵害を意識してこれを避けようとする心理状態でした。今日は、その「急迫不正の侵害」の部分が「現在の危難」に変わっただけです。中身を作り直す必要はありません。避難の意思が全く無いのに、結果として危難を避けていた場合は、偶然避難と呼ばれます。防衛の意思のところで決着させた考え方を、そのまま当てはめます。あちらでは、防衛の意思は必要だと決めました。意思が無ければ、正当防衛にはなりません。

条文の言葉です。36条は「防衛するため」と書いていました。37条も「避けるため」です。「ため」と書いてある以上、その気持ちで行為したことが要る、と読むわけです。避難の意思が無い以上、要件②を満たしません。

山場——要件③「やむを得ずにした」補充の原則

振り返り——回避の容易性は何だったか 図:振り返り——回避の容易性は何だったか

ここで、1つ思い出してほしいことがあります。正当防衛の急迫性を判断するとき、その場を離れられたかどうかは、成立要件そのものでしたか。それとも、総合判断の中の材料の1つでしたか?答えは、材料の1つでした。成立要件そのものか、判断材料の1つか。この違いが、今日の要件③に直結します。

「やむを得ずにした」——同じ文言、違う意味 図:「やむを得ずにした」——同じ文言、違う意味

要件③は、「やむを得ずにした」です。正当防衛にも、同じ文言がありました。あちらは、行為の相当性でした。反撃の程度が釣り合っているかを見る言葉でした。ところが緊急避難の「やむを得ずにした」は、意味が違います。補充の原則です。当該避難行為をする以外に方法が無く、そのような行動に出たことが、条理上肯定できることを言います。これは、最高裁が、この文言について示した理解です。

⭐ 論文で書く規範:補充の原則 当該避難行為をすること以外に方法が無く、そのような行動に出たことを条理上肯定しうること。 (規範(最大判昭24・5・18))

判例最大判昭24・5・18 刑集3巻6号772頁

緊急避難の「やむを得ずにした」の意味 「已ムコトヲ得ザルニ出デタル」というのは当該避難行為をする以外には他に方法がなく、かかる行動に出たことが条理上肯定し得る場合を意味するのである。

例えば、冒頭の野犬の場面で、Aの隣に誰もいない空き地があって、そちらへ走り込めば安全だったのに、あえてシャッターを壊した場合はどうでしょう。その場合、緊急避難は成立しません。「他に方法が無い」というだけだと、理屈のうえで唯一の手段でありさえすれば、何でも通ってしまいます。そこで、社会通念に照らして是認できるかという評価を、もう一段重ねています。方法が他に無くても、行為の中身が常識から外れていれば、条理上肯定できないことになります。例えば、逃げ込む先が他に無かったとしても、扉を開けてもらえるよう声をかける余地が十分あったのに、いきなり壊しにかかった場合です。

他に方法が無いという形だけを見るのではなく、その行動の取り方まで含めて是認できるかを見る、ということです。

補充性 vs 回避の容易性——弁別 図:補充性 vs 回避の容易性——弁別

ここで、さっき思い出してもらった話——その場を離れられたか、という要素です。急迫性の判断材料として、回避の容易性と呼ばれていました。ここと対比します。緊急避難の補充性は、成立要件そのものです。他に方法があれば、その時点で緊急避難は成立しません。回避の容易性は、急迫性を総合判断する中の一要素にすぎません。しかも、見ている時点も違います。回避の容易性が見ているのは、侵害が始まる前の身の置き方です。侵害が始まってからは、逃げなくてよいんです。正当防衛に、逃げる義務はありません。要件の重さも、見ている時点も、両方違います。混ぜないでください。

正当防衛では、「逃げられたか」は決め手になりません。侵害が始まった以上、立ち向かってよいからです。ところが緊急避難では、逃げられるなら逃げなければなりません。この差が、さっきの弁別板の中身そのものです。この差の出どころも、結局は同じ1点です。悪くない相手を犠牲にするからこそ、緊急避難だけが、先に逃げ道を探させるんです。

要件④法益権衡——出口が狭まる

条文の条件節 図:条文の条件節

要件④は、この条件節です。「これによって生じた害が、避けようとした害の程度を超えなかった場合に限り」。この条件節が36条1項には無いという対比は、相当性の回で、すでに並べて見ました。あの条件節が、これです。今日の新しい話は、3つあります。

何と何を比べるか 図:何と何を比べるか

1つ目は、何と何を比べるか、です。比べるのは、Aが避けようとした害と、実際に生じてしまった害です。基準になるのは、守ろうとした法益の大きさそのものではありません。守ろうとした法益が大きくても、実際の危難が軽ければ、比べる基準はその軽いほうです。危難が現実化していたら生じたはずの害を基準にします。あくまで、その場で避けようとした害の中身次第です。

「超えなかった」で足りる 図:「超えなかった」で足りる

2つ目は、「超えなかった」で足りるということです。守った法益の方が大きい場合はもちろんですが、同じ価値の場合も、権衡は認められます。例えば、崖から落ちかけた自分の自転車を支えるために、隣の家の物干し竿を折って使ったとします。命と財産のように、価値の差がはっきりしている組み合わせでなくても、価値が釣り合っていれば、法益権衡は満たされます。生命・身体・自由・財産という並びが、一応の目安になります。ただ、同じ種類の法益どうしを比べるときは、金額や程度といった重さで比べます。自転車と物干し竿は、どちらも財産なので、実害の大きさで釣り合いを見ることになります。

行為だけでなく、結果まで 図:行為だけでなく、結果まで

3つ目は、正当防衛と違って、行為だけでなく結果まで測られるということです。緊急避難は、避けようとした害と、実際に生じた害の両方を見て、程度を超えていないかを判断します。冒頭の例で言えば、シャッターを壊した程度で収まっていれば問題ありません。逃げ込む過程で店の人に重傷を負わせた場合は、生じた害が、避けようとした害である命の危険と釣り合わない大きさに達したことになり、法益権衡を欠く可能性が出てきます。

今日の地図(保存版)

4要件を1枚に 図:4要件を1枚に

今日を、振り返りましょう。すべての出発点は、「相手が悪いか、悪くないか」の1点でした。何も悪くない相手を犠牲にするからこそ、入口が広がり、出口が狭まりました。入口の現在の危難は、不正であることが要件ではありません。動物の動作や自然現象も含まれ、急迫不正の侵害は、その中の一部分にすぎませんでした。「避けるため」は、避難の意思です。防衛の意思と同じ発想で、そのまま使えました。「やむを得ずにした」は、補充の原則です。他に方法が無いことが、成立要件そのものでした。正当防衛の回避の容易性とは、重さも見る時点も違いましたね。

「程度を超えない」は、「超えなかった」で足りるので、同じ価値でも権衡は認められます。そして、行為だけでなく結果まで測られます。その2つを合わせて、避難行為の相当性と呼びます。ただ、指しているものが違います。正当防衛の相当性は、反撃の程度が釣り合っているかという、行為そのものの評価でした。緊急避難の避難行為の相当性は、補充の原則と法益権衡を合わせた、要件2つ分の呼び名です。同じ言葉でも、指す範囲が違うと押さえてください。4つの要件は、暗記項目ではなく、正対正という1点から出てくる帰結だったんです。

通しであてはめる 図:通しであてはめる

最後に、新しい場面で、4つの要件を最初から順番に、通しで確認しましょう。大雨で川が増水し、Bは逃げ場を失いました。橋はすでに水没し、後ろは崖です。目の前に誰もいない小屋があり、Bはその戸を壊して中へ入りました。増水した川に取り残された状態は、生命に対する危険が現に迫っています。危険を作り出したのは自然現象なので、「不正」は問題になりません。要件①は満たされます。Bは、増水から逃れるために戸を壊しています。危難を意識して、これを避けようとしているので、避難の意思も認められます。橋は水没し、後ろは崖という状況では、小屋に入る以外に方法がありません。しかも小屋には誰もおらず、開けてくれと声をかける相手もいません。戸を壊すという行動の取り方も、条理上肯定できます。補充性も満たされます。

守ろうとしたのはBの生命、生じたのは小屋の戸という財産の損壊です。生命は財産より重い法益なので、生じた害は避けようとした害の程度を超えていません。法益権衡も満たされます。ここで、1つだけ条件を変えてみます。すぐ隣に、誰もいない東屋があって、そちらでも十分に水を避けられたとしたら、どうなりますか?他に方法があった以上、要件③の補充性で、もう先へ進めません。結論は反転して、緊急避難は成立しません。

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#48単独ページ動画

緊急避難の法的性質と過剰避難

第6章 違法性 ⑬/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

導入——反転する結論

今日の問い 図:今日の問い

前回、大雨で増水した川から逃げるために、Bが他人の小屋の戸を壊して中へ入った場面を扱いました。今日は、その先です。Bが戸を壊して入った、まさにその瞬間、小屋の持ち主が飛び出してきて、Bを突き飛ばしたとします。持ち主の行為は、正当防衛になるでしょうか。実はこの答え、学説の名前を並べただけに見える論点で、きれいに反転します。今日はそこまで含めて、緊急避難を完成させます。

今日の地図——通り切った先、外れた先

一本道と、4つの分かれ道 図:一本道と、4つの分かれ道

前編で作ったのは、現在の危難、避けるため、やむを得ずにした、程度を超えない、この4要件を全部満たして罰しないまで通り切る一本道でした。定義は繰り返しません。今日は、その道を通り切ったとき何が起きているかと、通り切れなかったときどこへ落ちるかを見ます。4つに分かれます。自招危難は入口の手前、業務上特別の義務がある者は入口そのものが閉じている、過剰避難は出口からはみ出す、誤想避難はそもそも道が無い場合です。今日はこの地図を、順番に埋めていきます。

山場——緊急避難の法的性質

「罰しない」としか書いていない 図:「罰しない」としか書いていない

まず、条文をもう一度見てください。37条1項は「罰しない」としか書いていません。ここから、緊急避難の法的性質という論点が立ちます。3つの見解を見ていきましょう。1つ目は、責任阻却事由説です。危難に直面していて、適法な行為を期待できない、という考え方に立ちます。この「期待できない」は、責任、つまり非難できるかどうかを判断する場面で使う言葉です。中身の詳しい要件は、後の章の本拠地で扱います。今日はここまでの橋渡しで十分です。この説には、批判があります。緊急避難は「自己又は他人の」法益を守るためにできる、という条文の文言を思い出してください。

他人の法益を守るために避難した場合まで、行為者本人に期待可能性が無いとは言えません。自分の命ではなく、赤の他人の命を守るために動いた人に、動揺していて仕方なかったという理屈は当てはまりにくいからです。2つ目は、違法性阻却事由説です。今の学界で広く支持されている考え方で、要件を満たす避難行為は社会的相当性を有するとして、違法性そのものが阻却されるとします。37条1項が、生じた害と避けようとした害の権衡を要件にしていること自体が、根拠になります。法益全体で見れば、失われるものの方が小さい、あるいは同じ大きさに収まる行為だから、法はあらかじめこれを許容している、という読み方です。

許容していることと違法性が消えることのつながりが、この説の芯です。法が許容している行為は、法秩序に反していない。違法性の実質は法秩序に反することにあるので、その実質を欠く以上、違法性そのものが無くなる、という筋道です。3つ目は、二分説です。守った法益が、犠牲にした法益と同じか、それより大きい場合は違法性阻却。逆に、守った法益の方が小さいのに、より大きい法益を犠牲にした場合は責任阻却、という場合分けをします。こういう折衷の発想もあるという程度で押さえてください。試験で問われるのは、①と②の対立構造と、この後見る実益です。

3説の対照 図:3説の対照

この3つ、答案で問われうる論点でもあります。ただ今日は、暗記の対象としてではなく、次の実益で「何が変わるのか」を体で確認しましょう。

実益——避難された側は反撃できるか

危難の連鎖 図:危難の連鎖

Aが崖崩れなどの危難を作り出し、Bがそれを避けるためにCの法益を害する避難行為をしたとします。ここでCが、Bに反撃したらどうなるでしょう。ここが実益です。

説によって、反撃の行き先が変わる 図:説によって、反撃の行き先が変わる

責任阻却事由説に立てば、Bの行為は違法性を失いません。だからCの反撃は、急迫不正の侵害への反撃として、正当防衛になりえます。冒頭の小屋の例で言えば、この説に立つ限り、持ち主がBを突き飛ばした行為も、正当防衛として説明できることになります。違法性阻却事由説なら、逆になります。Bの行為は社会的相当性を有し、違法性が阻却されます。すると「不正の侵害」ではなくなるので、Cの反撃は正当防衛として正当化されません。Cの側も、自分で緊急避難の要件を満たすかどうかを、別途検討することになります。通説である違法性阻却事由説に立てば、Bの避難行為は適法なので、小屋の持ち主がBを突き飛ばした行為は、正当防衛として正当化されません。持ち主の側も、自分の反撃行為が緊急避難として許されるかを、別に考える必要が出てきます。なお二分説だと、守った法益が犠牲にした法益より小さかった場合だけ責任阻却なので、その場面ではCの反撃が正当防衛になりえます。表の左右のどちらに振れるかが場面で決まる、ということです。

学説の名前を覚える論点ではなく、隣の人が36条を使えるかどうかを決める、実際の分岐なんです。なお、Bの避難行為が別の人と一緒に行われていた場合の共犯の成立にも影響しますが、これは別の回で扱います。

自招危難

自分で招いた危難 図:自分で招いた危難

通り切れなかった1つ目、自招危難です。避難行為者が自分で招いた危難には、正当防衛の自招侵害で見た考え方が、そのまま妥当します。要件論はもう詰めているので繰り返しません。結論だけ言うと、自分で招いた危難については、原則として社会的相当性が否定され、緊急避難は成立しません。例外はあります。予想以上に重大な危難が生じた場合です。自招侵害の回で、みずから侵害を招いた者の反撃には原則として正当防衛が成立しないと立てたうえで、判例が「招いた行為の程度を大きく超えない攻撃であること」という限定を置いていましたね。招いた大きさを超える危難まで自分の責任に押し込む理由は無い——だから例外の入口が開きます。例えば、面白半分でハチの巣を軽くつついただけなのに、想定をはるかに超える規模の大群に追われて、隣家の窓を割って逃げ込んだとします。

ただ、招いた危難の大きさと、実際に生じた危難の大きさが、あまりにかけ離れている場合には、例外の入口が開きます。逆に、つついた程度と、追いかけられた程度が釣り合っている場合、例えばハチが数匹だけ怒って飛んできた、という程度なら、例外は開きません。自分で招いた範囲の中に収まっているからです。

業務上特別の義務がある者

入口が、範囲内で閉じている 図:入口が、範囲内で閉じている

条文刑法37条2項

刑法37条2項 前項の規定は、業務上特別の義務がある者には、適用しない。

通り切れなかった2つ目、37条2項です。業務上特別の義務がある者には、前項、つまり1項が適用されません。業務の性質上、一定の危険にみずから身をさらさなければならない義務を言います。例えば、警察官や消防士、自衛官がこれに当たります。危険と隣り合わせであること自体が、職務の中身に組み込まれているからです。その危険に身をさらすこと自体を、業務として引き受けているからです。危険を避けることを理由に他人の法益を犠牲にしてよいとすると、引き受けた義務がその場で消えてしまいます。だから、条文は入口そのものを閉じています。

「適用しない」の射程 図:「適用しない」の射程

そこは、誤読しやすいところです。適用されないのは、業務として引き受けた危険の範囲内で、自分の身を守るために避難する場合に限られる、と解されています。消防士や警察官が、勤務を終えて帰宅する途中、業務と無関係な通り魔的な危難に遭った場合には、普通に37条1項を主張できると解されています。一切保護されない、という制度ではありません。

過剰避難——意義と効果

過剰避難——意義・効果・根拠 図:過剰避難——意義・効果・根拠

前回、緊急避難の4要件を確定させましたね。それを踏まえて、少し前の回で見た過剰防衛の効果を思い出してください。犯罪が成立しなくなることでしたか、それとも犯罪が成立したうえで刑が軽くなることでしたか?今日見る過剰避難も、同じ根拠で作られています。通り切れなかった3つ目、過剰避難です。意義は、他の要件は満たしたうえで、避難行為がその程度を超えた場合を言います。前編で確定した補充の原則——その避難行為をする以外に方法が無いこと——に反した場合と、法益権衡の原則——生じた害が避けようとした害を超えないこと——に反した場合の、どちらかです。新しい要件を立てるわけではなく、あの2つの原則のどちらかが崩れた場合を指します。

どちらが崩れたのかで扱いが変わるので、ここは注意が必要です。他に方法がまったく無かったとは言えない、という形で補充性そのものが欠けてしまうと、緊急避難の枠に入れず、過剰避難にも進めません。次の判例が、まさにそこで切っています。ここは、誤読を招きやすいところなので、はっきり言います。過剰避難は、犯罪の成立を否定しません。あくまで犯罪が成立したうえで、情状により刑を減軽または免除できる、任意的減免にとどまります。前編で、増水から逃げ込む過程で店の人に重傷を負わせた場合を見ましたね。逃げ込む以外に方法が無かったのなら、入口を通っています。それでも、生じた害が、避けようとした自分の命の危険と釣り合わない大きさに達していれば——これが、前の節で見た任意的減免が効く場面です。

根拠は、恐怖や興奮などで多少の行き過ぎを犯しても、強く非難できないという責任減少説です。過剰防衛と、同じ根拠がそのまま効きます。条文の位置だけが違って、こちらは37条1項のただし書です。

過剰避難——吊り橋事件

過剰避難の手前で切られる 図:過剰避難の手前で切られる

ある判例を見ましょう。腐って朽ちかけた吊り橋が、崩れそうな危険な状態にあったため、地元の住民らが、橋の危険を除くためだとして、ダイナマイトを使って橋を爆破した事案です。1審・2審は、これを過剰避難と認めて、有罪ではあるものの執行猶予をつけました。ところが、最高裁の判断は違いました。

判例最判昭35・2・4 刑集14巻1号61頁

緊急避難と過剰避難の関係 仮に本件吊橋が原審認定のように切迫した危険な状態にあつたとしても、その危険を防止するためには、通行制限の強化その他適当な手段、方法を講ずる余地のないことはなく、本件におけるようにダイナマイトを使用してこれを爆破しなければ右危険を防止しえないものであつたとは到底認められない。しからば被告人等の本件所為については、緊急避難を認める余地なく、従つてまた過剰避難も成立しえないものといわなければならない。

そこが今日の核心です。通行制限の強化など、他に取りうる手段があった以上、そもそも補充性が欠けています。過剰避難は、他の要件が満たされていることが前提の議論です。「程度を超えたかどうか」という出口の議論にすら、進めません。過剰避難とは、結果が大きすぎた場合だけを指す言葉ではなく、他の要件を満たしたうえで初めて問題になる、という前提を、この判例が裏づけています。他に方法が無かった場合は、入口を通っているので、今度こそ「程度を超えたか」の議論に進みます。この判例が言っているのは、補充性を欠く事案では過剰避難に進めない、ということまでです。補充性を満たしたうえで害の権衡だけを超えた場合まで否定したものではありません。

誤想避難・誤想過剰避難

客観的な危難が、そもそも無い 図:客観的な危難が、そもそも無い

通り切れなかった最後、誤想避難と誤想過剰避難です。誤想避難は、客観的には危難が無いのに、あると誤信して避難行為をした場合。誤想過剰避難は、誤信した危難に対する避難行為として、過剰だった場合を言います。ここまでの話は、現実に危難が存在することを前提にしていました。でも誤想避難は、そもそも危難が実在しません。行為者が思い違いをしていただけです。だから、違法性の話ではなく、事実の誤認、つまり故意があったと言えるかどうかの話になります。例えば、夜道で友人が持っていた傘を刃物だと思い込んで、危難を避けるつもりで友人を突き飛ばしたとします。実際には危難など無かったのに、あると誤信して行為に出た、これが誤想避難です。

今日は要件までは詰めません。ここでは、箱の名前と、行き先だけ押さえてください。客観的な要件が無い以上、違法性阻却の話はもう終わっています。処理は、責任のレベルの問題として、別の章で扱います。前に見た誤想防衛・誤想過剰防衛と並びは同じで、あの枠がそのままここにも当てはまります。

第6章の締め——弁別

第6章、2つの制度を並べる 図:第6章、2つの制度を並べる

ここまでで、正当防衛5本と緊急避難2本、第6章の違法性阻却事由を一通り見ました。最後に、混ぜた事例で、36条か37条か、あるいは別の箱かを振り分けます。

正当防衛・緊急避難・義務の衝突——比べているものの違い 図:正当防衛・緊急避難・義務の衝突——比べているものの違い

振り分ける前に、この3つの違いを1枚にしておきます。正当防衛は、不正な侵害と、それへの反撃を比べます。緊急避難は、生じた害と避けようとした害、つまり害と害の権衡を比べます。義務の衝突は、履行した義務と放置した義務、義務と義務の軽重を比べます。この違いを頭に置いたうえで、事例を見ていきましょう。

4つの事例を振り分ける 図:4つの事例を振り分ける

1つ目、殴りかかってきた相手を殴り返した。その決め手はどこにありましたか。あの判例が、行為の相当性さえ保たれていれば、生じた結果の大小だけでは正当防衛は否定されないと示しました。加えて、36条1項には、37条1項のような法益権衡の条件節がありません。守った利益と失われた利益が釣り合っているかどうかは、条文の構造上、そもそも問われていないんです。2つ目、増水した川から逃げるために、他人の小屋の戸を壊した。危険の原因は自然現象で、犠牲になったのは何も悪くない小屋の持ち主でした。3つ目です。川で人が溺れているのを見て、助けに向かう途中、通行の妨げになっていた他人の自転車を川岸へ突き落として道を空けました。

義務の衝突に見えますが、違います。ここで比べているのは何と何ですか。守ろうとした法益と、犠牲にした法益です。守ったのは溺れている人の生命、壊したのは自転車という財産。これは害と害の権衡を見る話なので、緊急避難です。最後、4つ目です。同時に2人が溺れているのに、浮き輪が1つしかありません。ここで比べているのは、履行した義務と放置した義務、義務と義務の軽重です。害と害の権衡ではありません。義務どうしが本当に両立しない、これが義務の衝突の中核の場面です。義務の衝突の要件そのものは、別の回ですでに詰めています。今日はその対比の仕上げとして、緊急避難の側の具体例を完成させました。

今日の地図(保存版)

通り切った先、外れた先 図:通り切った先、外れた先

今日を振り返りましょう。37条1項は「罰しない」としか言っていませんでした。だから、何が消えているかを決める法的性質の議論が必要で、それが避難された側の反撃の可否に直結していました。確認です。もし緊急避難を責任阻却事由と解いていたら、小屋の持ち主の反撃は、正当防衛になったでしょうか、ならなかったでしょうか?今日の通説の結論とは逆になる、という点を持ち帰ってください。そして、通り切れなかった場合は、4つの地点で外れることも見ました。自招危難は入口の手前、37条2項は入口が範囲内で閉じている、過剰避難は出口からのはみ出し、誤想避難はそもそも道が無い場合でした。

比べているものが、義務と義務なのか、害と害なのか。この一点で、緊急避難と義務の衝突は、きれいに分かれます。誤想避難の処理と、責任・期待可能性の中身は、責任の章で改めて扱います。共犯への影響も、別の回で扱います。

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第7章責任

#49単独ページ動画

責任主義

第7章 責任 ①/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

導入——向き直る瞬間

同じ行為、違う結末 図:同じ行為、違う結末

2人の運転手が、同じ交差点で信号を無視しました。どちらも同じように赤信号を無視して、通行人にけがをさせています。構成要件に当たるのも同じ、正当防衛や緊急避難のような事情が無いのも同じです。それでも、一方は罪に問われて、もう一方は罪に問われませんでした。行為の外側には、答えがありません。刑法は最後にもう一度、行為をした本人のほうに向き直ります。行為者に向き直って見るもの、それが今日から始まる第7章のテーマです。

今日の位置

三段の関門、第三の入口 図:三段の関門、第三の入口

犯罪とは、構成要件に該当する、違法で、有責な行為でした。そして今日から、第三の関門、責任に入ります。行為そのものの評価は、違法性の関門で終わっています。行為が悪いと決まっても、それをした人を罰してよいかは、別の問いだからです。第一と第二は行為そのものを測り、第三だけが行為者に向き直って測ります。まとめてしまうと、行為の悪さと、その人への非難が、同じ物差しで測られてしまいます。行為がどれだけ悪くても、その人に選べる余地が無かった場合まで、同じように罰することになってしまいます。だから刑法は、行為の評価と行為者への評価を、あえて2つの関門に分けています。

有責性推定機能という言葉も、以前触れましたね。違法だと推定された行為は、責任もあると推定される。二段構えです。阻却事由というのは、その推定を打ち消す例外的な事情のことで、責任の側では責任阻却事由と呼びます。責任能力があり、故意や過失もあり、期待可能性もある、という状態が普通なので、通常はそのまま推定が働きます。今日は、その土台になる考え方を組み立てます。責任能力の中身は、次の回で詰めます。

軸——責任とは何か

非難可能性という一点 図:非難可能性という一点

責任とは、行為が構成要件に当たり、違法だと分かったうえで、それでも行為者本人に道義的な非難を向けられること、つまり非難可能性を言います。一つ、橋の話で考えてみましょう。構成要件該当性は、「この道が橋か」を見ています。形の話です。違法性は、「その橋は、渡ってよい橋か」を見ています。許されるかどうかの話です。違法性の関門を渡り切っても、そこで終わりません。責任は、渡り切った後で、もう一度渡った人に向き直ります。「あなたは、この橋を渡らない道を選べたか」です。選べたのに渡ったなら、非難できます。選べなかったなら、非難できません。

選べなかった、というのは次の場合です。ほかに道が無かった場合、渡っていることに気づいていなかった場合、渡らないという選択肢が現実に閉ざされていた場合です。渡っていることに気づいていなかった、というのは、自分が今、何をしているか、内側で認識できていない場合を言います。ここは、次の要素で詳しく扱います。その、内側で認識できていない状態に対応する要素の名前は、責任故意、または責任過失です。まずは、この一点だけ押さえてください。その場面で、この人には違うようにする力とチャンスがあった、と言えるときだけ非難できます。

力かチャンスのどちらかが欠けていれば、非難できません。責任が無いことになります。責任がある場合にだけ犯罪が成立するとする原則を、責任主義と言います。「責任なければ刑罰なし」です。今日はこの一点から、責任にまつわる話を全部、組み立て直していきます。この後の章でも、非難可能性という言葉が何度も出てきます。今日確定させた意味を、そのまま使い回します。だから、「選べたか」という問い方まで下ろして、輪郭をはっきりさせました。

責任主義の内容①——主観的責任

主観的責任と客観的責任の対比 図:主観的責任と客観的責任の対比

非難するには、行為者の内側、つまり責任能力と、故意または過失を見る必要があります。対になるのが客観的責任です。結果として法益侵害を引き起こした以上、内側を見なくても常に非難できる、という考え方です。具体的に動かしてみましょう。橋の上で大きな地震が起きて、通行人の体がぶつかり合い、Aが将棋倒しで倒れてBにけがをさせたとします。客観的責任に立つと、Bがけがをしたという結果が起きた以上、それだけでAを非難できることになります。客観的責任では、関係ありません。結果さえ起きれば、非難は成立します。

客観的責任のこの帰結は、おかしな結論です。Aには、避ける力もチャンスも、最初から無かったからです。主観的責任に立てば、Aの内側、つまり地震の中で他にどうしようもなかったという事情を見て、非難できないと判断します。だから刑法は、客観的責任を採らず、主観的責任を採ります。Aが、腹を立てて意図的にBを突き飛ばした場合を考えてください。主観的責任に立っても、この場合は内側の要件を満たすので、非難できます。内側を見ることで、罰すべき人と、罰すべきでない人を、正確に分けられます。名前の似た主観主義・客観主義とは、別ものです。前に見た主観主義・客観主義は、3つの関門の全体にかかわる立場の話。こちらは、責任の関門の中で、行為者の内側を見るかどうかという話です。

責任主義の内容②——個人的責任

個人的責任と団体責任の対比 図:個人的責任と団体責任の対比

もう1つの内容が、個人的責任です。個人は、自分が犯した犯罪についてのみ責任を負う、という原則です。対になるのが団体責任です。動かしてみましょう。ある村で、1人の住民が罪を犯したとします。団体責任を採ると、その人が属する村全体が、同じ罪で罰せられることになります。隣に住んでいただけの人も、生まれたばかりの子どもも、同じ集団に属するという理由だけで罰せられます。ですが、団体責任という考え方自体は、歴史的にはめずらしくありません。刑法は、そこから意識的に離れた立場を採っています。団体責任のもとでは、罰せられる人たちが違うようにできたかは、一度も問われていません。非難は、あなたが違うようにできたか、を問うものです。

だから団体責任は採りません。個人主義・自由主義を前提にした社会だから、というのも理由の1つです。罰は、行為をした本人にしか及びません。自分がした行為については、当然、非難を免れません。個人的責任が守っているのは、「自分がしていないことでは、非難されない」という一点です。個人的責任は、罰の届く範囲を正確に区切るための原則です。

責任主義、2つの内容 図:責任主義、2つの内容

主観的責任と個人的責任、この2つで責任主義の中身が揃いました。この2つを外すと、責任という言葉の意味そのものが崩れます。

責任主義の緊張

責任主義が試される場所 図:責任主義が試される場所

ここまでは、きれいに筋が通った話でした。ところが、責任主義を本気で貫こうとすると、説明に困る制度が実定法の中にあります。1つ目は結果的加重犯です。具体的に見てみましょう。Aが、Bを軽くこづくつもりで押したとします。ところがBは、予想外に転倒して、打ちどころが悪く死亡しました。それでも法律上、死亡という重い結果について、Aへの非難が重くなる構造がありえます。重い結果について行為者の内側を問わない、という点が緊張です。主観的責任の観点からは、内側に無いものについて非難を重くすることに、説明が要ります。

重い結果に何を要求すべきかについては、議論があります。重い結果についても、最低限の内心の状態を求めるべきだという指摘もあります。重い結果に何を求めるかの結論は、まだ出ていません。この先どちらの立場を採るにせよ、責任主義という物差しに照らして議論されている、という点だけ押さえてください。

条文刑法38条1項

刑法38条1項 罪を犯す意思がない行為は、罰しない。ただし、法律に特別の規定がある場合は、この限りでない。

この条文が示すとおり、罪を犯す意思が無い行為は原則として罰しません。内心の状態を要求するのが、刑法の原則です。2つ目は客観的処罰条件です。こちらも具体的に見てみましょう。ある行為をした、その時点では、処罰されるかどうかがまだ決まりません。行為者の外側で、後日、ある事実が確定して、初めて処罰の可否が決まります。ある競技で、選手のきわどい動きが、その場では何の処分にもならず、後日、本人のいないところで開かれた委員会が、ある事実があったと認定したときにだけ処分の対象になる、という形です。選手には、その委員会に出て結論を動かす手立てがありません。

行為者は、その事実をコントロールできません。知ってさえいないことも多いです。行為者の意思とは無関係に確定した事実の有無だけで、結論がひっくり返ります。行為者からすれば、あとになって突然、処罰の扉が開く形になります。この2つが、それぞれどこまで責任主義と両立するのかは、別の回で個別に検討します。今日は、責任主義がこういう場所で試される、という地図だけ持ち帰ってください。結果的加重犯も客観的処罰条件も、非難可能性という一点から見ると、居心地が悪い制度です。

責任の本質

何を非難しているのか、3つの立場 図:何を非難しているのか、3つの立場

いま見た緊張も、突き詰めれば非難可能性という一点に戻ってきます。非難可能性の実体、つまり責任の本質を何に見るかについては、3つの立場があります。1つ目、道義的責任論です。悪い意思決定をしたこと自体を非難します。2つ目、社会的責任論です。非難の対象は、個々の意思決定ではありません。行為者が持つ性格が、社会にとってどれほど危ういか、その点を非難します。3つ目は、人格責任論です。行為者が自ら主体的に形成した人格が、その行為として現実化したことを非難します。人が自由な意思を持つと考えるか、持たないと考えるかによって、立場が分かれます。

試験との関係では、それぞれが何を非難しているかを比較表で押さえておけば十分です。

責任の要素

非難可能性を潰す、3つの穴 図:非難可能性を潰す、3つの穴

非難できるかどうかを決める、責任の要素を見ていきます。主観的責任の観点から、まず必要なのが、1つ目の責任能力です。ここが欠けると、そもそも判断する土台が無いので、非難は最初から成り立ちません。中身は次の回で詰めますが、今日は「非難の土台になる」という位置づけだけ押さえてください。次に、2つ目の責任故意または責任過失です。行為者の内側に、非難の材料となる故意または過失があったか、を見ます。この段階で問題になる故意・過失の中身は、別の回で詰めます。材料が無ければ、非難できません。自分が何をしているか、まったく気づいていなかった場合が典型です。

力と材料がそろっただけでは、まだ足りません。ここが山場です。現在の通説は、これに加えて、3つ目の期待可能性まで要求します。その中身がここです。期待可能性とは、その場面で適法行為に出ることを期待できたか、ということです。1つ目も2つ目もクリアしているのに、これが無いせいで非難できない場合があります。拳銃を突きつけられて、家族を人質に取られた店員が、犯人の指示どおり金庫を開けたとします。判断する力はあります。責任能力は問題ありません。1つ目はクリアです。何をしているかも分かっています。故意もあります。2つ目もクリアです。

それでも、非難できません。その場で「開けない」という道を選ぶことは、現実には閉ざされていました。適法行為に出ることを期待できなかった以上、「違うようにできたはずだ」とは言えません。命令が軽く、断る余地が十分あったのに従った場合は、適法行為に出るチャンスが現実にあったので、期待可能性が認められます。怖かったかどうかという感覚の強さでは、判断しません。基準は、その場に現実の選択肢があったかどうかです。怖くても、選べる道が残っていれば、期待可能性はあります。1つ目から3つ目まで、順番に確かめていく手順だと考えてください。3つを並べて覚えるのではなく、非難可能性という一つの問いを、順番に潰していくものです。

責任能力の中身は、次の回で扱います。責任故意・責任過失の中身と、期待可能性の判断基準は、それぞれ別の回で扱います。

責任判断の性質

違法性判断と責任判断の違い 図:違法性判断と責任判断の違い

違法性は、行為を、客観的な見地から測っていましたね。行為そのものを、外から見て評価しました。責任の測り方は違います。同じ事案を、両方の目線で測ってみましょう。拳銃を突きつけられた店員の例を、もう一度使いましょう。店員が金庫を開けた行為を、違法性の目線で見るとどうなりますか。金庫を開ける行為そのものは、財産を害する行為で、正当化事由もありません。行為そのものは、客観的に見て違法のままです。次に、責任の目線で見てみましょう。店員を基準に、その人にどんな事情があったかを、主観的に見ます。同じ1つの行為が、違法性の目線では違法、責任の目線では非難できない、という別々の答えを返しています。

立ち位置も違います。違法性は行為を客観的見地から判断しますが、責任は、その人がどういう人格を持っているかとひもづけて、行為者本人を基準に主観的に見ます。共通点はあります。どちらも、具体的・実質的になされます。類型化された判断基準が無いので、非類型的にもなります。この点は共通です。そして、要件が揃えば責任は推定され、責任阻却事由があれば覆ります。構成要件該当性が違法性を推定する構造と、同じ形です。冒頭の運転手の話も、同じように整理できます。行為だけを見れば、2人とも同じく違法です。責任の目線で見て初めて、それぞれの内側とチャンスの違いが見えてきます。

2人の運転手の答えが分かれた理由は、責任の目線でしか見えませんでした。

今日の地図(保存版)

非難可能性という一点から 図:非難可能性という一点から

今日を振り返ります。責任とは、行為者を道義的に非難しうること、つまり非難可能性でした。そこから、責任主義の2つの内容が出てきました。内側を見る主観的責任と、自分の行為だけを見る個人的責任です。同じ一点から、責任の3つの要素も出てきます。責任能力、責任故意・責任過失、そして期待可能性です。責任能力があって故意もあるのに罰せない、という場合に欠けているのは、3つ目の期待可能性です。力と材料があっても、その場にチャンスが無ければ、非難は成り立ちません。冒頭の、2人の運転手の話に戻りましょう。行為の外側ではなく、行為者の内側とチャンスに、答えがありました。

責任主義が試される場所というのは、結果的加重犯と客観的処罰条件でしたね。あちらは、別の回でまた深く扱います。期待可能性の判断基準や、責任故意の中身も、それぞれ別の回で扱います。責任という関門を組み立て終えたので、次はその中身を1つずつ、詰めていきます。

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#50単独ページ動画

責任能力

第7章 責任 ②/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

導入——止められなかった、その先

分かっていた、でも止められなかった 図:分かっていた、でも止められなかった

夜、コンビニのレジ前に立っている人を思い浮かべてください。もうすぐ閉店という時間で、店員も他のお客さんもいません。その人は、目の前の商品を代金も払わずに持ち去ってはいけないと分かっていました。でも、精神の障害によって、その衝動を止める力が、まったく無かったとします。この人は、心神耗弱でしょうか、心神喪失でしょうか。あなたなら、どう答えますか。多くの人が、心神耗弱と答えます。でも、それは外れます。多くの人の直感は外れます。どちらが答えで、なぜそうなるのかは、このあと表で確かめます。

今日の位置

3つの穴の1つ目 図:3つの穴の1つ目

前回、非難可能性を潰す3つの穴の名前を並べました。1つ目は何でしたか?責任能力です。非難可能性とは、その人を責められるかどうか、という物差しでした。今日はその責任能力の中身だけを、底まで掘ります。責任故意・責任過失と、期待可能性は、それぞれ別の回で詰めます。今日は触れません。判断する土台そのものでしたね。ここが欠けると、その先の話に進めません。今日、決着させることが4つあります。1つ目は、責任能力を作る2つの力、弁識する力と制御する力の関係です。この2つが、どう組み合わさると責任能力が崩れるのか、今日はっきりさせます。

2つ目は、39条と41条の効果の違いです。不可罰になる場合と、刑が減るだけの場合を、条文で区別します。3つ目は、その区別を、誰がどうやって決めるのかです。そこも、今日はっきりさせます。4つ目は、14歳未満を一律に不可罰とするのは、なぜかです。この4つが今日の地図です。1つずつ、順番に開いていきます。別物ではありません。4つとも、1つ目の穴、責任能力の中の話です。

弁識能力と制御能力

責任能力を作る2つの力 図:責任能力を作る2つの力

責任能力とは、行為の違法性を弁識する能力のことです。かつ、弁識に従って行動を制御する能力、この両方を言います。1つ目が弁識能力です。目の前の行為が、違法かどうかを判断できる力です。2つ目が制御能力です。弁識した内容に従って、自分の行動を抑えられる力です。片方だけでは、非難の理由になりません。具体例で確かめましょう。Aは、目の前の商品を無断で持ち去ってはいけないと、はっきり分かっていました。ところが、精神の障害によって、その衝動を抑える力を完全に失っていました。分かっていても、止める力がゼロなら、非難のしようがありません。

「分かっていたのだから、防げたはずだ」とは言えません。前編の言葉を借りれば、違うようにする力、つまり、そうしないでいられたという力そのものが無いからです。その場合も、非難できません。中身は、後の表でまとめて確認しましょう。弁識能力は見えること、制御能力はブレーキが利くことです。見えているだけでは、安全には運転できません。ブレーキが利いて初めて、止まれます。責任能力も同じで、2つの力がそろって初めて、非難の土台になります。Aがどちらに当たるかは、今日いちばん間違えやすいところです。答えは、後の表で、理由ごと出します。

責任無能力と限定責任能力

力の欠け方で分かれる2つの区分 図:力の欠け方で分かれる2つの区分

この2つの力を、まったく欠く場合を責任無能力と言います。当然に犯罪不成立です。刑法は、責任無能力者として、心神喪失者と刑事未成年者を規定しています。心神喪失者は39条1項、刑事未成年者は41条です。中身は、この後で1つずつ見ていきます。力を欠くまでいかないけれど、著しく低い場合を限定責任能力と言います。Bは危険性を、完全に分からないわけではなく、うっすらと分かっている状態でした。抑える力は、普通に保たれていた、ということですね。その場合、Bは弁識能力が著しく減退、制御能力はあり、という組み合わせになります。

限定責任能力者として、刑法は心神耗弱者を、39条2項に規定しています。限定責任能力の場合も、犯罪は成立します。ただし、扱いが変わります。中身は次の論点で詰めます。Aは、責任無能力なので、そもそも犯罪が成立せず、無罪です。Bは、限定責任能力なので、有罪にはなりますが、刑は必ず軽くなります。有罪か無罪かという判決の結論そのものが変わります。この差が、無能力と限定責任能力を分ける実益です。入り口の分類が、そのまま結論を決めます。非難の土台がゼロなら、責めようがありません。だから犯罪自体が成り立ちません。土台が残っていて弱いだけなら、責められます。だから成立させて、刑の側で調整します。

この理由は、次の論点で条文の文言そのものから確かめます。中身、つまり弁識と制御のどちらが欠けるかは、この後の論点でまとめて開きます。

行為・責任能力同時存在の原則

責任能力は、いつ有ればいいのか 図:責任能力は、いつ有ればいいのか

責任能力を見る時点について、先に片付けます。責任能力は、いつの時点に有ればよいと思いますか。結果が出た瞬間ではありません。責任能力は、実行行為の時点に有ることを要します。前編を思い出してください。非難の対象は、何でしたか。行為者が、その行為をしたことでした。非難できるかは、行為をした瞬間の行為者を見て決まります。逆に言えば、結果発生の時点で責任能力を欠いていても構いません。実行行為の時点で有していれば、それで足ります。Cが、正常な判断力のもとで、人を刃物で刺したとします。ところがその後、搬送先で被害者が亡くなるまでの間に、Cは精神に異常をきたしたとします。

それでも問題ありません。刺した瞬間、つまり実行行為の時点で責任能力があったからです。これを、行為・責任能力同時存在の原則と呼びます。Dが、先に大量に飲酒して責任能力を失ったとします。実行行為の時点で、Dにはすでに責任能力がありません。原則をそのまま当てはめると、Dは心神喪失として、不可罰になってしまいます。自分で招いた状態を理由に、処罰を免れるのは、不都合に見えます。ここに、原則をそのまま使えない場面が出てきます。自分でその状態を招いた場合の話です。名前だけ、持ち帰ってください。今日は、原則のほうだけ、まず固めます。

心神喪失・心神耗弱の定義と効果

心神喪失と心神耗弱の違い 図:心神喪失と心神耗弱の違い

心神喪失とは、精神の障害による状態です。精神の障害とは、精神の働きに異常がある状態を言います。病気に限らず、一時的な状態も含みます。弁識能力か制御能力の、どちらかがまったく無い状態を言います。効果は不可罰です。犯罪自体が成立しません。たとえば、大量に飲酒した状態を考えてください。判断する力も抑える力も、著しく損なわれています。酩酊や催眠状態のような一時的な精神状態の異常も、精神の障害に入ります。心神耗弱は、精神の障害により、弁識能力か制御能力の、どちらかが著しく減退している状態です。

心神耗弱者は、責任能力自体はあります。だから犯罪は成立します。ただ、非難できる程度が弱いので、刑が減ります。減らすかどうかを裁判所が選べるかは、要注意です。条文を見てみましょう。

条文刑法39条

刑法39条 心神喪失者の行為は、罰しない。 2 心神耗弱者の行為は、その刑を減軽する。

2項は「減軽する」と書いてあり、「減軽することができる」ではありません。「できる」と「する」は違います。「できる」なら裁判所の裁量です。「する」は必要的、つまり必ず減軽されます。心神耗弱者は、非難できる程度が、量的に減っている人です。力が半分だけ働いている、というイメージです。ゼロにはなっていません。減っている以上は必ず減軽する、と決めてしまいます。そうすることで、量刑のばらつきを防いでいます。条文の文言が、そのまま結論を決めています。はっきりと線引きできるわけではなく、実は量の問題です。境界線上の事案では、争いになります。

ゼロなのか、ゼロに近いだけなのか、その評価が分かれます。その評価を誰がどう決めるのかが、次の論点です。

弁識×制御の2軸表——冒頭の答え合わせ

力の組み合わせで見る5パターン 図:力の組み合わせで見る5パターン

冒頭の問いに戻ります。弁識能力と制御能力を、表に組み合わせてみましょう。まだ何か引っかかっているようですね。どこがですか。「半分持っているなら半分だけの扱い」という発想ですね。その考え方は、責任能力が成立する条件を思い出すと、崩れます。では、責任能力が崩れる条件は、その裏返しです。「かつ」の否定は、どちらか一方だけで成り立ちますか。弁識能力が無い、または制御能力が無い。そのどちらかで、責任能力は崩れます。「著しく減退」の場合も同じ考え方です。弁識能力が著しく減退、または制御能力が著しく減退。そのどちらかで、心神耗弱になります。

冒頭の人は、制御能力が「なし」に当たります。もう一方の弁識能力があるかどうかは、関係ありません。答えは心神喪失です。責任無能力として、不可罰になります。「分かっていたのに止められない」は、制御能力の「なし」でした。どう違いましたか、自分の言葉で言ってみてください。弁識と制御の関係は、足し算ではなく最悪値で決まります。この表で見えるとおり、著しく減退は片方だけで足ります。「なし」も同じで、片方だけで心神喪失に決まります。どちらの力も、単独で責任能力の生命線になっています。

判断の性質——法律判断と鑑定

誰が、どう決めるのか 図:誰が、どう決めるのか

誰が決めるかについて、まず1点目です。この判断は、法律判断とされています。専門家の意見の土台になる事情も含めて、裁判所が判断します。決めているのは、病気の診断そのものではありません。その状態で非難できるかという、法的な評価です。だから、判断権者は裁判所になります。

⭐ 論文で書く規範:心神喪失・心神耗弱の該当性は法律判断 被告人の精神状態が心神喪失・心神耗弱のいずれにあたるかは、専門家の意見の基礎となる事情も含め、最終的には裁判所が判断する法律判断である。 (規範(最決昭和58年9月13日))

医師の意見が基礎になりますが、最終的に決めるのは裁判所です。だからこそ、2点目が出てきます。

⭐ 論文で書く規範:鑑定は必須ではない 法律判断である以上、必ずしも医師などの鑑定を経る必要はなく、鑑定の結論と異なる認定をしても違法ではない。 (規範(最決昭和59年7月3日))

鑑定が無くても、裁判所だけで判断できます。鑑定と違う結論を出しても、それだけでは違法になりません。鑑定を全部無視して進めることは、多くありません。むしろ、多くの事件で鑑定は行われ、判断の重要な手がかりになります。そう単純ではありません。3点目が、その歯止めです。

⭐ 論文で書く規範:鑑定意見の尊重 鑑定人の公正さや能力への疑い、鑑定の前提条件の問題など、これを採用しえない合理的な事情がない限り、裁判所は鑑定意見を十分に尊重しなければならない。 (規範(最判平成20年4月25日))

「必須ではない」と「尊重すべき」は矛盾しません。判断権者は裁判所、という1点がまずあります。そのうえで、専門家の意見をどう扱うかに、段階的に答えているだけです。採用しえない合理的な事情は、大きく3つあります。1つ目は、鑑定人の公正さへの疑いです。2つ目は、鑑定人の能力への疑いです。専門性が不足している場合です。3つ目は、鑑定の前提条件の問題です。事実を誤って前提にした鑑定などです。裁判所が決めるといっても、その前提になる精神の状態を見立てる力は、専門家の側にあります。だから、疑う理由が無いのに、見立てを捨てることは許されません。

合理的な事情も無いのに、鑑定と違う結論を出せば、その判断は崩れます。その判断は、上級審で見直される可能性が高くなります。鑑定意見の重みは、この3つの歯止めによって支えられています。3つの規範は、1本の線でつながっています。

刑事未成年——14歳未満という一線

14歳未満は、なぜ一律に不可罰か 図:14歳未満は、なぜ一律に不可罰か

最後に、今日の地図の4つ目です。ここだけは、これまでと理由の立て方が変わります。刑法上の刑事未成年者は、14歳に満たない者を言います。刑法の刑事未成年は、民法の未成年とは違います。民法の未成年は18歳未満、刑法の刑事未成年は14歳未満です。基準がそもそも別物です。

条文刑法41条

刑法41条 十四歳に満たない者の行為は、罰しない。

なぜ、そう思いますか。「幼いほど分別がつかない」という考え方には、大きな見落としがあります。能力の有無は、1人ひとり違います。14歳に近い子と、遠い子とでは、実際の能力に差があります。もし「一般に能力を欠くから」が理由なら、能力がある子には例外を認めるべきになります。41条に例外規定はありません。全員一律に、14歳未満というだけで不可罰です。「精神発達が未熟で、一般に弁識・制御の能力を欠くから」は誤りです。41条は、年少者の可塑性にかんがみた政策的な観点からの規定です。可塑性とは、この先、大きく成長し、変わっていく余地のことです。

一律に扱うのは、能力の個人差を無視してでも、利益があるからです。工事中の建物の話で考えてもいいですか。建物1棟ごとに「もう自立できるか」を検査するのではなく、工事期間中は一律に足場を外さない、というルールに似ています。見誤るリスクのほうが、大きいからです。1棟ずつ強度を見誤れば取り返しがつきません。審査を誤って、可塑性のある子を処罰してしまえば、取り返しがつきません。だから、一律の年齢という、誤りにくい基準を選んでいます。可塑性のある年少者を、能力の見誤りで刑罰の対象にしないためです。14という数字自体は、立法が引いた線です。可塑性という理由は、一律ルールを支えますが、数字までは導きません。

ここまでの論点は「この人に力があったか」を見る話でした。刑事未成年だけは、政策による一律ルールという違いを押さえてください。

今日の地図(保存版)

責任能力の全体像 図:責任能力の全体像

今日を振り返ります。責任能力とは、弁識能力かつ制御能力のことでした。どちらか一方が完全に無ければ、心神喪失でした。どちらか一方が著しく減退すれば、心神耗弱でした。答えは心神喪失です。弁識能力があっても、制御能力が「なし」に当たれば、それで決まります。Aは制御能力がゼロで心神喪失、Bは弁識能力が著しく減退で心神耗弱でしたね。心神喪失は不可罰、心神耗弱は必要的減軽です。「できる」ではなく「する」だと、条文で確認しましたね。非難が量的に減るからでした。専ら裁判所の法律判断です。鑑定は必須ではありません。ただ、公正さや能力への疑い、前提条件の問題が無い限り、尊重しなければなりません。

刑事未成年は、能力を個別に見るのではありません。年少者の可塑性への配慮という政策から、一律に線を引いた規定でした。責任能力の中身、39条の効果、判断権者、14歳の線、全部が1本の線でした。「違うようにする力とチャンスがあったか」という問いを、今日は責任能力の面から掘り下げました。責任能力は、実行行為の時点に有ればよい、という原則も確認しました。

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#51単独ページ動画

原因において自由な行為

第7章 責任 ③/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

導入——Dは、なぜ得をしてしまうのか

自分で招いたのに、不可罰 図:自分で招いたのに、不可罰

前回の終わりに、Dの話をしました。覚えていますか。Dが、先に大量に飲酒して責任能力を失って、その状態のまま人を刺した人ですね。責任能力は、実行行為の時点に有ればよい、という原則を確認しました。原則をそのまま当てはめると、Dは責任無能力、つまり心神喪失として、不可罰になってしまいます。どこが引っかかりますか。自分で招いた状態のほうが、得をしてしまいます。多くの人が、同じように感じます。原則そのものは、正しいままです。問題は、原則を使う場面のほうにあります。今日は、この不都合をどう防ぐかを見ていきます。

今日の位置

原則の唯一の修正場面 図:原則の唯一の修正場面

前回、行為・責任能力同時存在の原則を固めました。そして、この原則には唯一の修正場面がある、と予告しました。これを、原因において自由な行為と呼びます。今日は、その名前の中身に入ります。今日決着させるのは、根拠論だけです。なぜ完全な責任を問えるのか、という理屈の対立を固めます。まず2つの大きな立場から始まり、そのうちの片方の弱点をきっかけに、もう1つの考え方が出てきます。前回、責任能力は弁識能力と制御能力の2つで組み立てられる、と整理しました。そして、その責任能力は実行行為の時点に有ればよい、というのが原則でした。

この原則をそのまま貫くと、Dのように自分で責任無能力状態を招いた者が不可罰になってしまいます。誰もが酔えば得をしてしまう、ということです。ここから、今日の中身に入ります。

問題の所在——不都合の正体

2つの理由で許されない 図:2つの理由で許されない

原則を機械的に貫くと、なぜ許されないのか。理由は2つあります。1つ目は、国民の法感情に反することです。自分で招いた状態を理由に処罰を免れることは、素朴な正義感覚に反します。2つ目は、法益保護の要請に反することです。刑法が、生命や身体、財産を守るという役割のことです。もし原則どおり不可罰になるなら、どうなると思いますか。酔えば何をしても許されるとなれば、刑法が守るべきものが守られなくなります。しかも、この抜け道は誰でも使えます。飲酒なら、事前に準備しておくことすらできます。国民の感覚にも反し、守るべき法益も守れない。だから、完全な責任を問うための法律構成が必要になります。

まず、この法理の骨組みを、名前から確認しましょう。

原因行為と結果行為——名前を分ける意味

時間軸で見る原因行為と結果行為 図:時間軸で見る原因行為と結果行為

原因において自由な行為とは、違法な行為が責任無能力、または限定責任能力の状態でなされた場合でも、その状態を、行為者自身が責任能力ある状態のもとでみずから招いたときは、完全な責任を問えるとする法理です。判断する力や抑える力が、完全に失われてはいないけれど、著しく低い状態です。責任無能力の状態を招いた最初の行為には、原因行為という名前があります。たとえば、Dの例では飲酒がこれに当たります。原因行為の時点では、責任能力があります。まだ正常な判断力を持っています。これに対して、責任無能力の状態でなされた違法な行為のほうは、結果行為と呼びます。Dの例では、人を刺した行為がこれに当たります。

時間軸で並べると、原因行為が先、境目があって、結果行為があと、という順番になります。1つの行為として見てしまうと、責任能力を「いつ」の時点で測るかが、あいまいになってしまいます。名前を分けておけば、どちらの時点の責任能力を問題にしているかが、はっきりします。これから見る学説は、この原因行為と結果行為のどちらを実行行為と見るかで、立場が分かれます。ここからは、その1本の軸を追いかけていきます。

間接正犯類似説——自分自身を道具にする

原因行為を実行行為に置く考え方 図:原因行為を実行行為に置く考え方

1つ目の考え方は、間接正犯類似説です。かつての通説で、実行行為をどこに置くか——つまり構成要件のレベルで説明する立場です。人を道具のように利用して犯罪を実現する場合を、間接正犯と呼びます。中身は、以前の章で扱いました。この説は、Dが責任無能力状態になった自分自身を、道具のように利用したと捉えます。他人を道具にするのと同じ理屈で、自分自身を道具にする場合を考えます。たとえば、遠隔操作のロボットを思い浮かべてください。操縦者が、ロボットの腕を動かして人を刺させたとします。操縦者の操作こそが、実行行為です。この説は、Dの飲酒を、その操作に見立てます。

操縦者であるDが、酔った自分という道具を用意して、犯行を実現させたと見ます。だから、この説では、原因行為が実行行為であると解します。飲酒の時点が実行行為だとすると、その時点でDに責任能力はありますか。ありますね。まだ正常な判断力がありました。だから、実行行為と責任能力の同時存在の原則が、修正せずにそのまま満たされます。この説の強みは、そこにあります。ただ、この説には弱点が2つあります。

弱点①——早すぎる未遂 図:弱点①——早すぎる未遂

1つ目は、実行の着手が早すぎることです。実行行為が飲酒だとすると、飲み始めた時点で、もう実行の着手になってしまいます。たとえば、犯行を決意してグラスに口を付けた瞬間、そこですでに未遂犯が成立してしまいます。着手の時期そのものの細部は、また別の回で扱いますが、この違和感だけ、今は押さえてください。

弱点②——限定責任能力に使えない 図:弱点②——限定責任能力に使えない

2つ目は、限定責任能力、つまり心神耗弱の場合に、うまく説明できないことです。心神耗弱者は、判断する力も抑える力も、完全に失っているわけではありません。さっきのロボットの例えで考えてみてください。完全に他人の意のままに動くのが、ロボットです。ところが心神耗弱者は、半分は自分の意思で動いています。半分は自分の判断で動いている以上、それはもう、純粋な「道具」とは呼べません。道具と言えない以上、この説では、限定責任能力の場合に、原因において自由な行為を認めがたくなります。責任無能力の場合には認められるのに、それより軽い限定責任能力の場合に認めがたいのは、明らかに均衡を失います。

弱点①には、克服する方法があります。その弱点①を外すために、もう1つの考え方が登場します。

二元説——実行行為と着手の時期を切り離す

実行行為の場所は動かさない、着手だけをずらす 図:実行行為の場所は動かさない、着手だけをずらす

この考え方は、二元説、または因果責任連関説と呼ばれます。二元説は、間接正犯類似説と同じく、原因行為が実行行為であるという立場自体は変えません。動かさない代わりに、1つだけ工夫します。未遂犯を基礎づける実行の着手の時期を、実行行為とは切り離すんです。実行行為は原因行為の時点にあるとしても、未遂になるかどうかを決める着手の判定だけは、結果行為の時点で行います。その段階では、まだ実行の着手が認められません。だから、未遂犯は成立しません。これで、弱点①の「飲んだだけで未遂」という違和感が消えます。

なぜ両立できるのか——因果連関と責任連関 図:なぜ両立できるのか——因果連関と責任連関

二元説は、完全な責任を問える理由を、道具理論とは別のところに置きます。道具理論は使いません。理由は2つです。1つ目は、原因行為・結果行為・結果の間に因果関係があること。これを因果連関と呼びます。2つ目は、原因行為の時点で抱いていた故意や過失が、結果行為にそのまま実現されていること。これを責任連関と呼びます。この2つの連関さえあれば、道具と言えるかどうかに関係なく、完全な責任を問えると考えます。同時存在の原則が本当に求めているのは、結果を招いた選択が、責任能力のある状態でされていたことです。因果連関は、結果が原因行為から出たことを示します。責任連関は、その結果が、原因行為の時点の故意がそのまま実現したものであることを示します。

だから二元説は、この2つの連関がそろう限り、責任能力を測る時点は原因行為でよいと考えます。これが、間接正犯類似説の弱点①を外すための、二元説の工夫です。同時存在の原則は、実行行為と責任能力の同時存在のままです。ただし、その実行行為は、未遂の成立を認めるだけの実行行為である必要はない、と考えます。ここまでで、間接正犯類似説とその弱点、そしてそれを補う二元説が出そろいました。もう1つの考え方に移りましょう。

同時存在の原則修正説——非難は意思決定に向けられる

結果行為を実行行為に置いたまま説明する考え方 図:結果行為を実行行為に置いたまま説明する考え方

もう1つの考え方は、同時存在の原則修正説です。今日、有力とされている立場で、実行行為の場所は動かさず、非難が成り立つか——つまり責任のレベルで説明します。この説は、実行行為は結果行為のまま動かしません。Dの例なら、刺した行為が実行行為です。刺した瞬間の責任能力が無くても問えるようにするのが、この説の工夫です。まず、非難とは何に向けられるものか、考え直します。この説は、責任非難は、違法な行為をなす最終的な意思決定に対して向けられる、と考えます。刺すという最終的な決定そのものに、非難の焦点を置きます。

結果行為が、責任能力ある状態での意思決定の実現過程にほかならないと言えるなら、実行行為の時点に責任能力がなくても、完全な責任を問える、と考えます。たとえば、予約タイマーを思い浮かべてください。夜、正常な状態のときに、翌朝の時刻をセットしておくとします。それでも、作動した中身は、セットしたときの意思そのものです。作動した瞬間に自分が寝ぼけていたかどうかは、関係ありません。セットした意思が、そのまま実現されただけだからです。Dが、飲む前の正常な判断力があるうちに、刺すという方向へ心を固めていたとします。

だとすれば、刺すという最終行為は、酔う前の自由な意思が、そのまま実現されたものだと言えます。だから、実行行為の瞬間に責任能力が無くても、非難は成り立つと考えます。同時存在の原則は、捨てません。「実行行為、またはそれと一定の関係にある原因行為と、責任能力の同時存在」というふうに、原則の理解のほうを緩めます。ただ、この説にも弱点があります。

修正説の弱点——責任主義に跳ね返る批判 図:修正説の弱点——責任主義に跳ね返る批判

責任能力と実行行為との同時存在を不要とする点は、責任主義に反するのではないか、という批判があります。責任主義は、違うようにする力とチャンスがあったときだけ非難できる、という考え方です。この批判は、その力とチャンスを、実行行為をするその瞬間について問うべきだと見ます。過去の意思決定だけで足りるとすると、行為の瞬間の主体性を、軽く見すぎているのではないか。それがこの批判の中身です。責任主義という、この章の出発点そのものに跳ね返ってくる批判だと言えます。

なお、修正説に立っても、この法理が及ばない場面はあります。飲む前には何も決めておらず、酔ってから初めてその気になった場合、結果行為は、責任能力ある状態での意思決定の実現過程とは言えません。だから、この法理は、そもそも及びません。

ここまでで、3つの学説の中身と弱点が出そろいました。1度、並べて整理しましょう。

3つの説を並べる——実行行為をどこに置くか

実行行為の置き場所で3説を対比する 図:実行行為の置き場所で3説を対比する

表にすると、対立の軸がはっきり見えます。間接正犯類似説は、実行行為を原因行為に置きます。だから、原則はそのまま満たされます。二元説は、原則の言葉自体は変えずに、実行行為に求める中身の水準だけを緩めます。修正説では、原則の理解そのものを、修正する必要が出てきます。この1本の軸から、着手の早さの違いも、限定責任能力への適用の違いも、全部説明が付きます。この対立が最もはっきり現れる場面を、次に見ます。

限定責任能力という分水嶺

心神耗弱で犯行に及んだら、どちらの説が使えるか 図:心神耗弱で犯行に及んだら、どちらの説が使えるか

そこで、Dとは少し違う人物を考えます。Eという人がいたとします。Eは、Dほど大量には飲みませんでした。飲む前の正常な状態のとき、あらかじめ刺す決意を固めていました。ただし、飲んだあとのEは、判断する力も抑える力も、著しく鈍っていただけで、完全には無くなっていませんでした。このEに、間接正犯類似説からは、完全な責任を問えますか。さっきの弱点②のところですね。心神耗弱者は道具と言えない、という話でした。この説からは、適用を否定するのが素直という結論になります。素直に考えれば、そうです。ただ、この説の内部にも、まったく逃げ道が無いわけではありません。

間接正犯には、対象者に意思や認識が残っていても、なお道具として扱う場面が別にあります。名前だけ触れると、故意ある道具——以前、故意ある幇助的道具という名前で触れた、主体性なく指示に従っただけの人を道具と見る議論です。その考え方をEにも当てはめれば、心神耗弱者であっても、道具に準じて扱えるという説明の余地は残ります。ただし、詳しくは間接正犯の回に譲ります。

では、修正説からはどうでしょうか。修正説にとっては、Eであっても、飲む前に固めた意思が、結果行為でそのまま実現されたと言えれば十分です。相手が道具と言えるかどうかは、関係ありません。だから修正説からは、Eのような限定責任能力の場合であっても、問題なく適用できるという結論になります。

二元説では、ここは実は争いがあります。道具と言えるかどうかを問わず責任連関だけで足りると見る考え方もあれば、原因行為のときの責任と、限定責任能力のもとでの責任とを、あわせて一本として説明する考え方もあります。ここは、覚える対象ではありません。Dのような責任無能力の場合には差が出なかった学説が、Eのような限定責任能力の場合に初めて、はっきり枝分かれします。実行行為をどこに置くか——この1本の軸の違いが、Eのような場面で初めて結論の差となってはっきり現れます。だから、完全な責任を問える理屈を先に固めておくことに意味があります。ここは、論文で論点になりうる場面です。

今日はここまでにします。

今日の地図(保存版)

今日の1本の軸 図:今日の1本の軸

今日を振り返ります。原則を貫くと、Dは不可罰になってしまうのでした。そこで、原因行為と結果行為という2つの言葉を分けました。そして、実行行為をどこに置くかで、学説が対立していました。間接正犯類似説の弱点は、着手が早すぎることと、限定責任能力にうまく使えないことでした。二元説は、理由に、因果連関と責任連関という2つの連関を置きました。修正説の弱点は、責任主義に反するのではないか、という批判でした。今日は、根拠論という土台を固めました。

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#52単独ページ動画

原因において自由な行為の当てはめ

第7章 責任 ④/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

導入——酔ったあとで決めた場合はどうなるのか

同じ結果、正反対の結論 図:同じ結果、正反対の結論

前回の最後に、Dの話を保留にしました。覚えていますか。前回は、根拠論、つまりなぜ完全な責任を問えるのかという理屈までを固めました。今日、それも含めて全部回収します。ただ、その前に、もう1人の人物を考えてみましょう。酒を飲む前には何も決めておらず、酔ってから初めて「殺してやる」という気持ちが芽生えた人がいたとします。結果だけを見れば、同じです。ですが、この2人には、決定的な違いがあります。それが分かれば、今日の中身の半分は終わったようなものです。順番に見ていきましょう。

今日の位置

根拠論の上に積む5本の柱 図:根拠論の上に積む5本の柱

前回、原因において自由な行為には、3つの説の対立がある、と整理しました。ただ、今日はその対立を、もう一度説明することはしません。今日は、修正説を足場にします。適用の要件を説明するときは、「修正説に立った場合」という前提から入ります。修正説がいちばん広く適用を認める立場だからです。適用の範囲を測る要件を学ぶには、いちばん見晴らしのいい場所に立つのが早いんです。要件のほかに、要件が及ぶ限界、二重の故意の要否、過失犯の場合、そして実行行為の途中から責任能力を失った場合、これを全部見ます。ですが、背骨は1本だけです。今日は、その1本を最初に渡しておきます。

原因行為の時点の故意と、結果行為の時点の故意が、どこまで重なっているか。今日は、この1本だけで全部を測ります。

適用の要件——ものさしは「故意の連続」

要件は2つ、中心は故意の連続 図:要件は2つ、中心は故意の連続

前回、修正説では何を根拠に完全な責任を問えると説明しましたっけ?結果行為が、責任能力ある状態での意思決定の実現過程だと言えれば、完全な責任を問える、という話でした。今日は、その「実現過程だと言えるか」を、具体的にどう判定するかに入ります。修正説に立った場合、要件は2つです。1つ目は、原因行為・結果行為・結果の間の因果関係。2つ目は、原因行為の時点の故意と、結果行為の時点の故意が一致していること。これを故意の連続と呼びます。二元説の責任連関と、近い発想です。前回の二元説は、原因行為の時点に抱いていた故意や過失が、結果行為でそのまま実現されていることを責任連関と呼びました。今日は、この2要件を、修正説の当てはめとして使います。この2つの要件をどう書くかは、論文で問われる場面になりえます。

今日の中心は、ほとんど故意の連続です。因果関係は、通常の犯罪と同じ判定なので、今日は深入りしません。

Dで確認する故意の連続 図:Dで確認する故意の連続

Dの例で確認しましょう。Dは、飲む前、正常な判断力があるうちに、何を決めていましたか。刺す、という決意でした。つまり、原因行為の時点で、Dにはすでに殺人の故意がありました。刺した瞬間も、Dは殺意を持って刺しています。これが、故意の連続がある、という状態です。だから、Dには殺人罪の完全な責任を問えます。冒頭のDは、ここで決着しました。飲む前に刺す決意を固めていた以上、Dは殺人罪の完全な責任を負います。酔ってから初めて殺意を持った人は、原因行為の時点、つまり飲み始めた時点で、何も決めていませんでした。

故意が無い以上、結果行為でどれだけ強い殺意があっても、比べる相手がありません。この場合、原因において自由な行為は、そもそも及びません。責任無能力の原則どおり、心神喪失なら不可罰、心神耗弱なら刑が減軽される、という結論に戻ります。冒頭で渡したものさしは、これでした。原因行為時の故意と結果行為時の故意が、どこまで重なっているか。重なり方には、いくつかパターンがあります。順番に見ていきましょう。

故意の連続が無い場合——法理は万能ではない

重ならなければ、法理は届かない 図:重ならなければ、法理は届かない

ここで、Fという人物を考えます。Fは、コンビニで万引きをするつもりで、景気づけに酒を飲みました。ところが、飲み過ぎて心神喪失の状態になり、そのまま通りがかりの人を刺し殺してしまいました。ここで、原因において自由な行為を使って、Fに殺人罪の完全な責任を問えますか。結果行為の時点には、殺意があります。ただ、原因行為の時点、つまり飲み始めた時点の故意は、何でしたか。万引き、つまり窃盗の故意です。窃盗の故意と、殺人の故意。この2つは、一致していますか。窃盗の故意と殺人の故意は一致しませんから、故意の連続が認められません。原因において自由な行為は、殺人については適用できません。

責任無能力の原則どおり、心神喪失下でなされた殺人行為として、不可罰になります。

なぜ、不都合に見えても法理は届かないのか 図:なぜ、不都合に見えても法理は届かないのか

その納得できない気持ちを、もう少し掘ってみましょう。なぜ、納得できないんですか。その疑問は、実は前編で立てた責任主義に、いちばん近いところにあります。覚えていますか。責任主義とは、行為者を非難できるのは、違うようにする力とチャンスがあったときだけ、という考え方でした。では、Fに、殺人について非難できますか。飲み始めた瞬間のFに、「人を殺すという選択を、止められたはずだ」とは言えません。殺すという選択自体が、まだ存在していなかったからです。もし、ここで無理に殺人罪の完全な責任を問うと、何が壊れると思いますか。

「本人が選んでいなかったことについても、結果が重ければ重い罪を負わせる」ということになってしまいます。それは、責任主義が禁じている結果責任そのものです。この法理は、責任主義を破ってまで、国民の感覚に応えるための道具ではありません。だからこそ、故意の連続というものさしで、厳格に線を引きます。この法理は、「自分で招いた責任無能力を理由に、何でも重い罪を問える」という万能の道具ではありません。原因行為の時点で決めていなかったことについてまで、酔ったあとの結果を全部背負わせるのは、筋が違います。思い出してください。今日のものさしは何でしたか。

原因行為時の故意と、結果行為時の故意が、どこまで重なっているか、でした。重なりがゼロなら、ものさしの目盛りもゼロです。国民の感覚に反するように見えても、法理が届く範囲には限界があります。では、重なりが「一部だけ」ある場合は、どうなるでしょうか。

部分的な故意の連続——重なった限度でだけ

一部だけ重なれば、その限度で 図:一部だけ重なれば、その限度で

今度は、Gという人物を考えます。Gは、相手を殴ってやろうと思って酒を飲みました。殴る程度のつもりで、殺すつもりはありませんでした。ところが、酔い過ぎて心神喪失の状態になり、殴っているうちに殺意が芽生えて、そのまま刺し殺してしまいました。結果行為の時点には、殺人の故意があります。ここで、原因行為時の故意と、結果行為時の故意を比べてみましょう。完全には一致していません。ですが、さっきのFの場合と、決定的に違う点があります。暴行の故意は、殺人の故意に、含まれていますか。殺人の故意は、暴行の故意を、中に含んでいます。

ここでは、重なっている部分、つまり暴行の限度でだけ、故意の連続を認めます。重なった限度でだけ、法理を適用してよい、という考え方です。暴行の限度で故意の連続が認められるので、暴行罪の結果的加重犯である、傷害致死罪が成立します。殺人罪にはなりません。結果行為時の殺意は、心神喪失下で初めて生まれたものなので、そこには連続がありません。実は、これと同じ考え方を取った裁判例があります。

実際にあった裁判例 図:実際にあった裁判例

判例名古屋高等裁判所 昭和31年4月19日判決(高等裁判所刑事判例集9巻5号411頁)

暴行の限度で故意の連続を認めた裁判例 原因行為の前に、それによって暴行を加えるかもしれないと予見しながら容認していたが、結果行為の時点の殺意は心神喪失下で形成されたため法律上認定できないとして、暴行の限度で故意の連続を認め、暴行罪の結果的加重犯である傷害致死罪の成立を認めた。

この事件は、あえて「判例」ではなく「裁判例」と呼びます。最高裁の判例ではなく、高等裁判所の裁判例だからです。骨格は同じです。原因行為の前に、暴行を加えるかもしれないと分かっていながら、それでもよいと考えていた。故意の種類を見た回のとおり、結果が起きるかもしれないと認識したうえで、それでもかまわないと認容している場合ですね。そして、結果行為の時点の殺意は、心神喪失の状態で初めて生まれたので、法律上、認定できないとされました。裁判所の実務でも、同じ発想が採用されています。

完全に重なる場合——対象がずれても

相手が違っても、中身は同じ 図:相手が違っても、中身は同じ

最後にもう1パターン、確認します。原因行為の時点でAさんを殺そうと決めて飲酒を始めたのに、酔って心神喪失の状態になり、実際にはBさんを殺してしまった場合です。ここで、故意の連続は認められますか。思い出してください。人を狙って攻撃したら、狙っていない別の人に当たってしまった場合、故意はどう扱いましたか。法定的符合説では、「人を殺す」という認識があれば、相手が誰であっても、故意は認められる、という話でしたね。法定的符合説に立つ限り、Aさんを殺す故意と、Bさんを殺す故意は、どちらも「人を殺す」という中身では同じです。

だから、この場合も、故意の連続は認められます。Bさんへの殺人罪について、完全な責任を問えます。ここで1度、整理しましょう。

5類型のまとめ

故意の連続のまとめ 図:故意の連続のまとめ

表にする前に、1つ確認します。窃盗の故意で酒を飲み、酔った勢いで人を殺してしまった場合、この法理は使えますか。少し考えてみてください。では、今日出てきたパターンを、まとめて表にします。表を見てください。原因行為時の故意が「なし」でも「窃盗」でも、結果行為時が「殺人」なら、故意の連続は×です。1行目が冒頭の、酔ってから初めて殺意を持った人、2行目がFです。どちらも結果行為時の殺人と重ならないので、結論は同じく不可罰です。次に、原因行為時も結果行為時も「殺人」なら、故意の連続は○です。原因行為時がAさんを殺す故意、結果行為時がBさんを殺す故意の場合も、法定的符合説に立てば○。

そして、原因行為時が「暴行」、結果行為時が「殺人」の場合は、暴行の限度で○。この表さえ持っていれば、原因行為時と結果行為時の故意を当てはめるだけで、結論が出せます。

二重の故意の要否

酔うこと自体にも故意が要るか 図:酔うこと自体にも故意が要るか

ここまでは、「結果についての故意」の連続だけを見てきました。ですが、もう1つ、争いのある論点があります。「自分がこれから心神喪失や心神耗弱に陥ること」自体についても、故意が必要か、という論点です。酔うこと自体についての故意を、二重の故意と呼びます。Dが、「酔えば刺すかもしれない」と分かっていて飲酒したとしても、酔うこと自体は、成り行きで、深く考えていなかったとします。ここには、2つの立場があります。必要説は、結果についての故意だけでなく、自分が酔うこと自体についての故意も必要だとします。

この法理は、責任能力を失った状態でした行為に、完全な責任を問う場面です。原則の例外を認める以上、入口は絞るべきだ、という発想です。酔うこと自体まで分かっていて飲んだ人に限れば、自分で自分の判断力を壊したという非難が、はっきり立ちます。もう1つは、不要説です。結果行為が、責任能力ある状態での自由な意思決定に基づいていればそれで足りる、とします。不要説のほうが有力です。修正説が完全な責任を問える理由は、結果行為が責任能力ある状態での意思決定の実現過程だという点にありました。その理屈から出てくるのは、結果についての故意の連続だけです。酔うこと自体の故意は、その理屈のどこからも出てきません。

不要説からは、酔うこと自体を意図していなくても、飲む前に刺す決意さえ固めていれば、完全な責任を問えます。必要説からは、酔うこと自体まで計算していないと、法理が使えなくなります。ここは、覚える対象というより、対立の構造を押さえておいてください。

過失犯の場合——法理はほとんど要らない

飲酒すること自体が、もう不注意 図:飲酒すること自体が、もう不注意

ここまでは、故意犯の場合でした。過失犯の場合は、少し事情が変わります。Hという人物を考えます。Hは、酒を飲めば正常な判断ができなくなり、誰かを傷つけるかもしれないと分かっていました。それでも飲酒し、心神喪失の状態になって、人を死なせてしまいました。殺すつもりは無かったので、過失犯として考えます。過失犯は、ここが故意犯と違います。過失犯では、この法理を持ち出す必要が、ほとんどありません。過失犯の成立要件を、思い出してください。何が必要でしたか。注意義務違反ですね。過失の構造を見た回で、注意義務とは、予見可能性を前提とした結果回避義務のことだ、と整理しました。予見できたかは前提で、中心は、結果を避ける行動をとったかどうかでしたね。Hの場合では、「酒を飲めば人を傷つけるかもしれない」と分かっていたのに飲んだこと、それ自体が結果回避義務に違反しています。

原因行為と結果行為を分けて、故意の連続を調べる必要もなく、普通の過失犯の枠組みだけで処理できてしまいます。だから、過失犯の場合には、原因において自由な行為の法理の出番は、ほとんど無いんです。故意犯では原因行為時の故意を探す必要がありますが、過失犯では、飲酒という行為自体を注意義務違反として直接評価できてしまうからです。

実行行為の途中から心神喪失になった場合

途中から責任能力を失うと、境目が溶ける 図:途中から責任能力を失うと、境目が溶ける

最後に、もう1つのパターンを見ます。実行行為の途中で、責任能力を失った場合です。さっきまでは、原因行為(飲酒)と結果行為(刺す)が、はっきり分かれていました。たとえば、Iが素面で相手を殴り始め、殴っている途中で酩酊が進み、心神喪失になっても、なお殴り続けた場合です。原因行為と結果行為の境目そのものが、あいまいになります。暴行についての故意の連続は、容易に肯定できます。殴るという同じ動作が、責任能力があるうちも無くなってからも、途切れずに続いているからです。別々の行為として、故意を比べ直す必要がありません。

殴っている途中で、殺意が芽生えた場合を考えます。ここで、時間軸が2パターンに分かれます。実は、ここで使っているものさしも、今日ずっと使ってきたものと同じです。殺意が生まれた瞬間に、責任能力があったかどうか。それによって、「その殺意が、責任能力ある状態での意思決定と言えるか」が決まります。責任能力がある状態で生まれた殺意は、酔う前のDの決意と、扱いは変わりません。だから、そのまま連続を認められます。心神喪失になったあとで生まれた殺意は、責任能力を失った状態で初めて抱いたものです。原因行為の時点には存在していなかった故意を、あとから足しているのと同じことになります。

結局、実行行為の途中から責任能力を失う場合も、特別な新しいルールが要るわけではありません。故意の連続という同じものさしを、あてる場所が変わるだけです。

殺意が生じたのは、心神喪失の前か後か——2つの場合の違い 図:殺意が生じたのは、心神喪失の前か後か——2つの場合の違い

表で見比べてみましょう。まず、パターン①です。

時間軸①——殺意が心神喪失の前 図:時間軸①——殺意が心神喪失の前

1つ目は、心神喪失になる前に、殺意が芽生えたパターンです。暴行の故意で殴り始め、まだ正常なうちに殺意が芽生え、そのあと心神喪失になり、死亡、という順番です。だから、この殺意も、責任能力ある状態での意思決定です。この場合は、殺人罪が成立します。

時間軸②——殺意が心神喪失の後 図:時間軸②——殺意が心神喪失の後

2つ目は、心神喪失になったあとで、初めて殺意が芽生えたパターンです。暴行の故意で殴り始め、心神喪失になり、その状態で初めて殺意が生まれ、死亡、という順番です。この殺意は、責任能力を失った状態で、初めて生まれています。責任能力ある状態での意思決定とは言えません。だから、この殺意については、法理は及びません。連続が認められるのは、暴行の限度までです。この場合は、暴行罪の結果的加重犯である、傷害致死罪にとどまります。殺意がどちら側で生まれたか、その一点が、この2つの時間軸を分けます。ものさしは、今日ずっと1つのままでした。

今日の地図(保存版)

今日の1本のものさし 図:今日の1本のものさし

今日を振り返ります。冒頭のDは、飲む前にすでに刺す決意を固めていたので、殺人罪の完全な責任を負います。適用の要件は、因果関係と故意の連続の2つ。特に故意の連続が、今日の中心でした。暴行の故意で殺人に至った場合は、暴行の限度で傷害致死罪。これは実際の裁判例にもある考え方でした。過失犯では、飲酒すること自体を結果回避義務違反として構成できるので、法理の出番はほとんどありません。これで、原因において自由な行為の根拠論と適用論が、両方そろいました。原因行為時の故意と、結果行為時の故意が、どこまで重なっているか。それだけ覚えておいてください。

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#53単独ページ動画

違法性の意識の要否

第7章 責任 ⑤/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

導入——「知らなかった」は、どこまで通用しないのか

刑法38条3項——本文とただし書 図:刑法38条3項——本文とただし書

刑法38条3項には、こう書いてあります。

条文刑法38条3項

刑法38条3項 法律を知らなかったとしても、そのことによって、罪を犯す意思がなかったとすることはできない。ただし、情状により、その刑を減軽することができる。

法律を知らなかったとしても、そのことによって、罪を犯す意思が無かったとすることはできない。ここで、Tさんという人を考えます。

「知らなかった」は、どこまで通用しないのか 図:「知らなかった」は、どこまで通用しないのか

Tさんは、ある仕事を始める前に、専門家に確認までしました。それなのに、実際には、その確認では分からない範囲で法に触れていた、という場合です。そういう人まで、法律を知らなかったというだけで、故意犯として重く罰していいのでしょうか。この納得できなさを、今日は最後まで、1本の物差しで解いていきます。

責任故意という3つ目の要素

責任故意という3つ目の要素 図:責任故意という3つ目の要素

前回までに、責任能力、責任故意、期待可能性という3本柱を確認したのを、覚えていますか?今日から入るのは、3本柱の2つ目、責任故意です。構成要件の段階で問われる故意とは別に、責任の段階でもう一度問われる故意、という位置づけでした。そこは今日の中心ではないので、一言だけ言っておきます。構成要件段階の故意は、事実をどう認識していたかを見ます。責任段階の故意は、その事実を認識したうえで、行為者を道義的に非難できるかを見ます。故意の回で見た、第一関門と第三関門の区別を、別の言い方でもう一度使っています。さて、責任故意で問題になる論点は、2つあります。1つは、今日扱う、違法性の意識の要否です。もう1つは、違法性阻却事由に当たる事実の認識で、これは別の回に回します。

今日、最初から最後まで使う物差しは、1つだけです。非難できるか。この一点を、両端から中央へ寄せていきます。順番に見ていきましょう。

違法性の意識とは・厳格故意説

違法性の意識とは・厳格故意説 図:違法性の意識とは・厳格故意説

まず、違法性の意識とは何かを、定義しておきます。自分のしていることが、法に触れると分かっていること。それだけです。この意識が、責任故意の要件として必要かどうかで、学説が対立します。まず、一方の端にある立場からです。違法性の意識そのものが無ければ、絶対に非難できない、とする立場です。これを、厳格故意説と呼びます。責任主義を、とことん徹底した立場と言えます。第7章の入口で見た、責任なければ刑罰なし、責任がある場合にだけ犯罪が成立する、という原則ですね。違うようにできたはずだ、と言うためには、行為者が違法だと分かっていた、ということが欠かせない、と考えます。

とても一貫しています。ですが、この立場を貫くと、説明のつかない場面が出てきます。

批判①確信犯を処罰できない

批判①確信犯を処罰できない 図:批判①確信犯を処罰できない

1つ目の場面は、確信犯です。日常での使い方とは、少し違います。ここでの確信犯とは、自分の行為が、今の法律よりも正しい価値基準に合致していると、心の底から確信して行う人のことです。この人には、違法性の意識がありません。自分の行為が違法だとは、まったく思っていないからです。たとえば、自分の信念のためなら法を破ってもかまわない、と考えて活動する人です。自覚はあっても、違法だとは思っていません。だから、違法性の意識がありません。ここで、厳格故意説の理屈を、そのまま当てはめてみましょう。違法性の意識が無い以上、この人を、故意犯として処罰することはできません。

むしろ、いちばん重く処罰したいはずの人です。悪いと分かっていながら開き直る人より、正しいと信じ切っている人のほうが、かえって処罰しにくくなります。この逆転こそが、厳格故意説がいちばん説明に困る場面です。

批判②常習賭博を重く罰する条文

批判②常習賭博を重く罰する条文 図:批判②常習賭博を重く罰する条文

2つ目の場面は、条文そのものの中にあります。刑法186条1項です。常習として賭博をした者は、三年以下の拘禁刑に処する、という条文です。単純な賭博は、185条により、五十万円以下の罰金又は科料にとどまります。ここから、段階を追って考えましょう。まず、賭博を繰り返している常習者を、想像してみてください。その人は、違法性への感覚が、鈍っていると思いませんか。慣れてしまって、悪いことをしているという意識が、薄くなっていそうです。繰り返すうちに、違法性の意識は、だんだん薄れていきます。ここで、条文がどう扱っているかを見てください。条文は、その意識が薄くなっている人を、単純に1回だけ賭博をした人より、軽くではなく重く罰しています。

もし、厳格故意説のように、違法性の意識そのものが責任の重さを決めるなら、意識が薄い人ほど、責任は軽くなるはずです。条文の建て付けは、厳格故意説の理屈と、正面からぶつかります。1つ目の批判が理屈の問題だとすれば、2つ目の批判は、条文自体が突きつけてくる事実です。そして、3つ目は、条文の外にある、もっと実際的な批判です。厳格故意説に立つと、一人ひとりについて、違法だと分かっていたかを、裁判で厳密に確かめなければなりません。法律を知らなかった、という弁解をいちいち認めていては、取締りそのものが成り立たなくなります。とくに、行政上の規制のように、日々作られては変わっていく決まりでは、知らなかったという人ばかりになりかねません。

厳格故意説は、この現実の要請にも応えきれません。

違法性の意識不要説とその批判

違法性の意識不要説 図:違法性の意識不要説

では、もう一方の端に行きましょう。違法性の意識不要説です。法の不知は許さず、として、違法性の意識の有無を、犯罪の成否と切り離します。みんな、法律の中身くらいは知っているはずだ、という考え方です。そして、厳格故意説だと確信犯や常習犯を処罰できなくなる、という、さきほど見た批判も、この説を支える理由になります。はい、この説には1つ、気をつけたい点があります。この不要説は、かつての判例の建前です。現在の判例が、この立場だと言い切ることはできません。これは、今日の終盤で、もう一度確認します。

不要説への批判——責任主義との抵触 図:不要説への批判——責任主義との抵触

不要説にも、批判があります。冒頭のTさんを思い出してください。もう少し具体的に、Tさんの状況を見てみましょう。例えば、新しい分野の商品を扱う仕事を始めるとします。Tさんは、始める前に、専門家に相談して、大丈夫だという回答をもらっていました。ところが、その分野には、専門家の間でもまだ見解が固まっていない、新しい規制がありました。これが、違法性の意識の可能性が無い、という状態です。不要説に立つと、Tさんも、法律を知らなかっただけだ、として、故意犯として処罰されます。責任主義を思い出してください。非難できるのは、違うようにできたはずだ、と言えるときだけでした。

不要説は、違法性の意識を欠いたことが、どれだけ注意しても気づけなかった場合まで、故意犯として重く処罰することになります。だから、責任主義に抵触します。片方は確信犯と常習犯を、もう片方はTさんのような人を、うまく扱えません。この両端の不都合を、同時に解く場所はないのでしょうか。

中央=可能性必要説へ

両端の不都合を、同時に解く 図:両端の不都合を、同時に解く

ここで、故意の本質を思い出してください。規範に直面し、反対動機の形成が可能であったにもかかわらず、あえて犯罪行為に及んだこと。だから、強い道義的非難が可能でした。反対動機の形成というのは、やめておこう、と思い直せる機会のことでしたね。この物差しを、違法性の意識の話に、もう一度当ててみます。違法性の意識を持って悪事に及んだ人と、持たずに悪事に及んだ人を比べてみましょう。意識を持っていた人のほうが重い、と思えますか。ですが、どちらも、規範に無関心な人格態度、という一点では、同じではありませんか。意識を持っていた人は、規範を分かっていながら踏みにじりました。意識を持っていなかった人も、規範に向き合う機会があったのに、向き合わなかった、という点では変わりません。

だから、違法性の意識そのものは、責任故意の要件でなくてよい、ということになります。ここで、もう1つ条件を付けます。違法性の意識の可能性すら無かった人には、この非難を向けようがありません。だから、違法性の意識の可能性は、責任故意の要件として、なお必要になります。両端の不都合は、これで両方とも解けます。確信犯や常習犯は、違法性の意識を持っていたか、少なくともその可能性はあったので、非難できます。Tさんのように、可能性そのものが無かった人だけが、非難を免れます。この立場を、制限故意説と呼びます。上位の括りとして、違法性の意識の可能性必要説という言い方もあります。

⭐ 論文で書く規範:制限故意説の中身 違法性の意識そのものは責任故意の要件ではない。もっとも、違法性の意識の可能性は、責任故意の要件として必要である。 (規範(通説型・自説=制限故意説))

Tさんには、専門家に相談しても分からなかった、という事情がありました。つまり、違法性の意識の可能性そのものが、無かったことになります。可能性が無い以上、Tさんを非難することはできません。ただ、この立場の呼び方には、注意が要ります。可能性必要説という括り自体は、広く支持されています。ですが、この括りの中が、実はもう一段割れています。

制限故意説と責任説——差はどこか

可能性が無い場合、結論が分かれる 図:可能性が無い場合、結論が分かれる

可能性必要説の中は、制限故意説と、責任説の2つに割れます。ただ、2つの差が現れるのは、たった1つの場面だけです。違法性の意識の可能性が、無い場合です。可能性がある場合は、どちらの立場でも、結論は同じです。責任故意があるので、犯罪は成立します。差が出るのは、可能性そのものが無い場合、つまりTさんのような場合だけです。制限故意説は、可能性の有無を、故意という要件の内部に置きます。だから、可能性が無いと、故意だけが崩れます。故意が崩れても、注意義務違反があれば、過失犯は別に成立する余地が残ります。責任説は、可能性の有無を、故意から切り離して、責任そのものを支える独立の要素として置きます。

責任説は、故意を、構成要件に当たる事実を認識していたか、という一点で捉えます。違法かどうかの評価は、その事実の認識とは別の話だ、と考えるわけです。そして、可能性が無いと、責任そのものが崩れます。故意も過失も、両方とも道連れで崩れます。過失犯すら、成立しません。ここは、逆に覚えると、答案の結論がひっくり返る、いちばん危ない場所です。

渡る前の判断を、どこまで問うか 図:渡る前の判断を、どこまで問うか

責任の入口で見た、赤信号を無視した場面を、もう一度だけ使います。今度は、渡る前の判断のほうを見てください。制限故意説は、可能性が無かった場合を、その足を踏み出す判断が、そもそも成立していなかった、という扱いにします。信号のある交差点だと気づく努力を怠っていれば、その不注意の責任は、別に残ります。責任説は、その交差点に来たこと自体を、その人の行為として評価しません。判断も、周囲を見る責任も、まとめて免除されます。Uさんという人を考えましょう。Uさんには、違法性の意識の可能性が、まったくありませんでした。

故意犯としての責任は、否定されます。ただ、不注意で気づけなかった部分があれば、過失犯として処罰される可能性が残ります。責任説では、Uさんの責任そのものが否定されます。過失犯としても、処罰されません。ここが、2つの説の分かれ道です。制限故意説からは、故意犯は不成立でも、過失犯の規定があれば、その罪であらためて処罰される可能性があります。責任説からは、その過失犯の規定も使えません。責任そのものが無い以上、過失犯としての処罰にも及びません。同じUさんの同じ事実なのに、立つ説だけで、有罪か無罪かが変わります。

可能性が無い場合の結論の違い 図:可能性が無い場合の結論の違い

表で確認しましょう。故意犯としての責任は、どちらの立場でも、否定されます。ここまでは同じです。制限故意説では、過失犯の余地が残ります。責任説では、責任自体が無いので、過失犯も残りません。この動画が立つのは、制限故意説です。この回も、制限故意説の立場で進めます。責任説は、対立する立場として、名前と結論の違いだけ押さえておいてください。制限故意説と責任説のどちらに立つかは、論文で論点になりうる場所です。分かれ道の正体も、結局は同じ物差しです。可能性の無い人を、どこまで非難から外すか、という一点だけです。ここまでで、学説の対立は出そろいました。最後に、条文そのものに戻ります。

38条3項は結論ではなく試験紙

同じ条文が、説で読み方を変える 図:同じ条文が、説で読み方を変える

冒頭で見た、刑法38条3項をもう一度開きます。今度は、違う読み方をしてみます。実は、同じ一つの条文が、立つ説によって、読み方ごとまったく変わります。

条文刑法38条3項

刑法38条3項 法律を知らなかったとしても、そのことによって、罪を犯す意思がなかったとすることはできない。ただし、情状により、その刑を減軽することができる。

「法律を知らなかった」という本文の意味から見てみましょう。厳格故意説では、個々の条文を知らなかった、という意味になります。不要説では、違法性の意識が無かった、という意味になります。制限故意説では、違法性の意識は無かったが、可能性はあった、という意味になります。可能性まで含めて、条文を読むわけです。ただし書は、減軽が働く場面です。厳格故意説では、個々の条文を知らなかったことに、宥恕すべき点がある場合です。汲むべき事情がある、くらいの意味です。不要説では、違法性の意識が無かったことに、宥恕すべき点がある場合です。

制限故意説では、可能性はあったのに、違法性の意識を欠いてしまったことに、宥恕すべき点がある場合です。38条3項は、答えを決める条文ではなく、ここまでの学説対立を映す、試験紙のようなものです。

判例の現在地——百円札模造事件

判例の現在地——百円札模造事件 図:判例の現在地——百円札模造事件

最後に、判例の現在地を確認します。先ほど、不要説はかつての判例の建前だ、と言いました。では、現在はどうなっているのでしょうか。ある事件を紹介します。宣伝のために、百円紙幣に酷似したサービス券を作った人がいました。この人は、事前に警察官に相談していました。警察官からは、具体的な助言を受けていました。紙幣と紛らわしくならないよう寸法を変えること、見本という文字を入れること、という助言です。ところが、警察官の態度が好意的だったことなどから、この人は助言を軽く見て、作成を続けてしまいました。完成品を警察署に持って行っても、格別の注意を受けなかったので、ますます安心しました。そして、ほぼ同じ物をもう一種類作ってしまいます。

ここで、最高裁がどう言ったかに注目してください。

判例最高裁判所第一小法廷決定 昭和62年7月16日(刑集41巻5号237頁)

百円札模造事件——見解の採否を留保したうえでの判断 違法性の意識を欠くにつき相当の理由があれば犯罪は成立しないとの見解の採否についての立ち入った検討をまつまでもなく、本件では違法性の意識を欠いていたとしても相当の理由があるとはいえないとして、有罪を維持した。

可能性必要説を採るかどうか、という点について、最高裁は判断そのものを保留したんです。もし可能性必要説に立ったとしても、この被告人には、可能性を欠いたことに相当な理由が無い。だから、その見解を採るかどうかを決めなくても、結論は有罪で変わらない、という言い方です。Tさんは、専門家の助言に従い、それでも知りようがなかった人でした。ですが、この事件の被告人は、具体的な助言を受けながら、それを自己都合よく軽く見て、押し切っています。だから、この決定を、可能性必要説が確定した証拠として使うことはできません。ですが、不要説のように、意識の有無を最初から無関係とする立場でもありません。

不要説から離れつつ、可能性必要説だとも言い切らない。これが、要否論の現在地です。この先の細かい事実の当てはめは、別の回で扱います。

今日の地図(保存版)

今日の1本の物差し 図:今日の1本の物差し

今日を振り返ります。厳格故意説は、確信犯と、186条1項の常習賭博を説明できませんでした。そこで、両端の不都合を解く中央として、可能性必要説を立てました。違法性の意識そのものは不要、でも可能性は必要、という立場です。制限故意説なら過失犯が残り、責任説なら過失犯も残りません。この回は、制限故意説の立場で進めました。そして、最高裁は、可能性必要説の採否そのものを留保しつつ、不要説からは離れつつある、というのが現在地でした。非難できるか、という一点さえ押さえておけば、学説の名前は、あとから自然に付いてきます。

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#54単独ページ動画

法律の錯誤

第7章 責任 ⑥/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

導入——同じ取り違えなのに、なぜ結論が分かれるのか

同じ「名前の取り違え」、結論は真逆 図:同じ「名前の取り違え」、結論は真逆

今日は、2つの事件を並べるところから始めます。どちらも、捕獲が禁じられている動物を、別の名前だと思い込んで捕まえた、という事件です。片方は、有罪になりました。もう片方は、無罪になりました。しかも、裁判所は、この2つは矛盾していない、と言っています。この納得できなさを、今日は最後まで、1本のものさしで解いていきます。答えを先に言っておきます。分かれ目は、当時の一般人がその動物を見て、何と判断したはずか——事実認識の水準、この一点だけです。

前回の受け——法律の錯誤とは

法律の錯誤とは 図:法律の錯誤とは

前回、違法性の意識そのものは要らないが、その可能性は要る、というところまで来ましたが、覚えていますか?制限故意説でしたね。今日は、その可能性が問題になる典型的な場面、法律の錯誤に入ります。行為者が、事実は正しく認識しているのに、それが法に触れるとは気づかなかった場合です。事実は正しく認識している、というこの一点が、あとで事実の錯誤との区別のところで効いてきます。忘れないでください。なお、違法性の錯誤、禁止の錯誤ともよばれます。

法律の錯誤の原因——法の不知とあてはめの錯誤

法律の錯誤の原因は2つ 図:法律の錯誤の原因は2つ

法律の錯誤には、原因が2つあります。1つ目は、法の不知です。その行為を禁止する法律があること自体を、知らない、あるいは忘れていた場合です。たとえば、Pさんという人を考えます。Pさんの住む街で、新しくドローンの飛行を規制する条例が施行されました。Pさんは、そんな条例ができたことをまったく知らないまま、いつもどおり公園でドローンを飛ばしました。これが、法の不知です。2つ目は、あてはめの錯誤です。法律の解釈を誤って、自分の行為はその条文に当たらないと思い込む場合です。Qさんという人を考えましょう。Qさんは、ある条例が「飲食店」の営業に許可を求めていることは知っていました。ですが、自分がやっているのは移動式の販売車だから、この条例の「飲食店」には当たらないだろう、と考えました。実際には、その条例の「飲食店」には、移動販売車も含まれる、という解釈が確立していました。

法の不知と、あてはめの錯誤。原因は、この2つに分かれます。なお、外し方は、条文の言葉の意味を読み違える場合だけとは限りません。目の前の対象が、その条文の言葉に当たるかどうかを見誤った場合も、同じあてはめの錯誤です。Pさんは、規制する条例があること自体を知りませんでした。何を知らなかったか、と言えば、条例の存在そのものです。Qさんは、条例の存在は知っていました。何を誤解したか、と言えば、自分の移動販売車がその条文の対象に含まれるかどうかという、あてはめの部分です。この違いは、あとで可能性の有無を判定するときにも、効いてきます。

落とし穴——原因があれば法律の錯誤になる、わけではない

落とし穴——原因だけでは足りない 図:落とし穴——原因だけでは足りない

ここで、1つ、注意しておきたい落とし穴があります。法の不知や、あてはめの錯誤があれば、それだけで法律の錯誤になる、と思ってしまいがちです。原因があるだけでは、まだ法律の錯誤にはなりません。具体的な条文を知らなくても、なお自分が「悪いことをしている」という意識を持つことは、十分にありえるからです。もう一度、Pさんに戻りましょう。Pさんは、条例の存在は知りませんでした。ですが、住宅街の真上で低空飛行させれば、人に危害が及びうる、危ないことをしている、という意識は持っていたかもしれません。この場合、Pさんには、なお違法性の意識があった、といえてしまいます。だから、①法の不知やあてはめの錯誤という原因があり、かつ、②それゆえに違法性の意識そのものを欠いたとき、はじめて法律の錯誤を論じる必要が出てきます。

もう少し、処理まで踏み込んでおきましょう。もし、Pさんが本当に、危ないことをしているという意識まで持っていたなら、どうなりますか。だとすると、Pさんは、そもそも法律の錯誤の入口にすら立っていません。違法性の意識がある以上、責任故意は普通に認められます。条文を知らなかったのに故意犯になる、というこの結論が、初学者のいちばん誤解しやすい場所です。「条文を知らなかった」と聞くと、反射的に責任故意が落ちると思ってしまいますが、違法性の意識さえ残っていれば、法律の錯誤の議論に進む必要そのものが無いんです。

「条文を知らなかった、だから法律の錯誤だ」と機械的に貼ってしまうと、この2段構えを見落とします。

処理の出発点——制限故意説から原則阻却されない

処理の出発点 図:処理の出発点

ここで一度、思い出してほしい問いがあります。前回、違法性の意識そのものは要らないが、その可能性は要る、という結論に至ったのは、どんな説でしたか。制限故意説です。両端の不都合を解く、中央の立場でした。この回も、その制限故意説の立場で進めます。制限故意説からは、法律の錯誤が生じても、原則として責任故意は阻却されません。違法性の意識そのものは、もともと要件ではないからです。阻却されるのは、違法性の意識の可能性すら無かった場合だけです。そこを、原因の種類ごとに、見ていきましょう。

可能性すら無い場合①——法の不知による場合

法の不知による場合の可能性 図:法の不知による場合の可能性

まず、法の不知による場合です。法律は、官報への掲載など、合理的な方法で公示されているのが原則です。だから、法の不知による場合には、原則として、違法性の意識の可能性を肯定してよいことになります。可能性がある、ということですから、阻却されにくい、という方向です。Pさんの街の条例も、条例として公布されている以上、調べようと思えば調べられる状態にはありました。だから、Pさんについても、原則として、可能性は肯定されます。可能性を否定するには、よほど特殊な事情、たとえば、周知の手段自体に重大な欠陥があった、というような事情が要ります。

可能性すら無い場合②——あてはめの錯誤による場合

あてはめの錯誤——信頼した相手で分かれる 図:あてはめの錯誤——信頼した相手で分かれる

次に、あてはめの錯誤による場合です。ここは、誰の意見を信頼したかで、場合分けします。まず、確立していると考えられる判例や、所管官庁の公式見解を信じた場合です。この場合は、原則として、違法性の意識の可能性を否定してよいことになります。可能性が無い、ということですから、阻却されやすい、という方向です。Qさんの例で考えるなら、もし所管官庁が公式に「移動販売車はこの条例の対象外だ」という見解を示していて、Qさんがそれを信じていたなら、可能性は否定されやすくなります。ところが、これに対して、公務員の個人的な意見を信じたにすぎない場合は、扱いが変わります。

窓口の担当者が、正式な見解としてではなく、自分の判断で「大丈夫だと思いますよ」と答えたような場合です。この場合には、違法性の意識の可能性は、肯定されるのが通常です。公的な確立した見解なら否定されやすく、個人の意見にすぎないなら肯定されやすい。ここは逆に覚えると、答案の結論がひっくり返る場所です。考えてみましょう。所管官庁の公式見解や、確立した判例は、国家がいわば公式に示した基準です。その基準どおりに動いた人を、あとから非難するのは、酷ではありませんか。国のお墨付きに従っただけなのに、責められるのは筋が違う気がします。だから、可能性は否定されやすくなります。これに対して、公務員の個人的な意見や、私人、法学者や弁護士の意見は、あくまで私的な判断にすぎません。

私的な判断に頼った以上、それが外れたときの危険は、最終的には自分で引き受けるべきだ、という考え方です。「誰の言葉か」ではなく、「その言葉に、国家の基準としての重みがあるかどうか」が、分かれ目の理由です。実は、前回見た判例が、まさにこの場面でした。百円札模造事件は、警察官から、紛らわしいものを作れば法律に触れると告げられ、助言まで受けていたのに、その態度が好意的だったことを頼りに、助言のほうを重大視しなかった事案でした。あれは、公務員の個人的な意見を信じたにすぎない場合の、典型でした。

私人の意見を信頼した場合 図:私人の意見を信頼した場合

最後に、私人の意見を信頼した場合です。法律の専門家でない一私人の意見を信じたにすぎない場合は、当然、違法性の意識の可能性は肯定されます。では、法学者や弁護士のような、専門家の意見を信頼した場合はどうでしょうか。この場合も、違法性の意識の可能性を肯定するのが通説です。法学者や弁護士の意見は、あくまで私的な見解にとどまります。確立した判例や、所管官庁の公式見解とは、重みが違う、と見るわけです。

あてはめの錯誤——信頼した相手で分かれる(まとめ) 図:あてはめの錯誤——信頼した相手で分かれる(まとめ)

まとめると、法律そのものの公示、確立した判例や所管官庁の公式見解は、可能性を否定する方向。公務員の個人的な意見、私人の意見、法学者や弁護士の意見は、可能性を肯定する方向です。可能性が否定される、つまり本当に責任故意まで阻却される場面は、実はかなり狭いんです。

視点の切り替え——そもそもどちらの箱か

そもそも、どちらの箱に入れるのか 図:そもそも、どちらの箱に入れるのか

ここまでは、法律の錯誤という箱に、すでに入っていることを前提に話してきました。ですが、ここで視点を切り替えます。そもそも、その箱に入れていいのか、という話です。冒頭で、法律の錯誤とは、事実は正しく認識しているのに違法性に気づかなかった場合だ、と言いました。覚えていますか。事実は分かっている、というところがポイントだと言われました。もし、その事実の認識自体が欠けていたら、それはもう法律の錯誤ではなく、事実の錯誤になります。事実の錯誤の一般論は、別の回で扱っていますので、ここでは結論だけ確認します。客観的な構成要件に該当する事実の認識を欠く場合、それは事実の錯誤で、原則として構成要件的故意が阻却されます。

しかも、法律の錯誤は原則阻却されないのに対して、事実の錯誤は原則阻却される。結論が真逆です。事実の認識は、故意そのものの中身だからです。中身が欠ければ、故意は、構成要件のいちばん手前の段階で消えます。これに対して、その事実が法に触れるかどうかの評価に気づけたかは、故意の中身ではなく、どこまで非難できるかの問題です。だから効くのは責任の段階だけで、しかも原則としては故意を落としません。しかも、その違いは、罪名のレベルにまで響きます。事実の錯誤なら、構成要件的故意が、いちばん手前の段階で落ちます。可能性がどうこう、という議論に進む前に、故意犯としての検討自体が終わります。

これに対して、法律の錯誤なら、責任故意の段階まで進んだうえで、しかも原則としては落ちません。つまり、同じ「取り違え」でも、事実の錯誤なら故意犯はほぼ確実に不成立、法律の錯誤なら故意犯がほぼ確実に成立する、というくらい、到達点が違います。この線引きの基準が、今日いちばん大事な場所です。

区別の一般的基準——故意の本質から導く

区別の一般的基準——故意の本質から導く 図:区別の一般的基準——故意の本質から導く

この線引きは、故意の本質から導きます。覚えていますか。故意の本質は、規範に直面し、反対動機の形成が可能であったにもかかわらず、あえて犯罪行為に及んだことへの、強い道義的非難でした。ここで、規範に直面する、というのが、どういうことかを考えます。一般人ならば、違法性を意識しうる程度の事実認識を持っている場合、その人は、規範に直面する機会を、ちゃんと与えられていたといえます。この「一般人なら」という測り方は、規範的構成要件要素のところで見た、素人的認識で足りる、という考え方と同じ形です。だとすれば、一般人ならば違法性を意識しうる程度の事実認識を有する場合が、法律の錯誤。その事実認識すら、錯誤によって欠いている場合が、事実の錯誤。と解するのが妥当です。

このものさしは、暗記すべき定型文ではありません。故意の本質という道具から、当然に出てくる帰結です。

⭐ 論文で書く規範:法律の錯誤と事実の錯誤の区別 故意の本質は、規範に直面し、反対動機の形成が可能であったにもかかわらず、あえて犯罪行為に及んだことへの強い道義的非難にある。一般人ならば違法性を意識しうる程度の事実認識を有する場合には、原則として規範に直面し反対動機の形成が可能であったといいうる。とすれば、一般人ならば違法性を意識しうる程度の事実認識を有する場合が法律の錯誤であり、この事実認識すら錯誤によって欠いている場合が事実の錯誤であると解する。 (規範(学説からの帰結・故意の本質からの導出))

ここで、たとえば、という形で、2つの事例を並べて確かめておきましょう。まず、ある河川で、体長20センチほどの、誰が見ても魚だと分かる生き物の採取が禁じられているとします。Rさんは、その生き物を採って持ち帰りました。Rさんも、それが魚であることは、はっきり認識していました。ただ、この種類の採取が禁止されているとまでは知りませんでした。事実認識は足りています。だから、これは法律の錯誤です。一方で、Sさんという人を考えます。ある地域で、稚魚によく似た、体長3センチほどの生物の採取が禁じられていました。専門家以外には、その生物が稚魚とは別の、希少な生き物だとは、ほとんど知られていませんでした。

Sさんも、一般人も、それをただの稚魚だと思って採ります。一般人でも、稚魚ではなく規制対象の生物だと見分けるだけの事実認識は、持ちようがありません。事実の錯誤です。同じ「採取した生き物の名前を知らなかった」でも、一般人に見分けがつくかどうかで、結論が変わります。いいでしょう。では、行為者が捕った動物を、地方でだけ別の名前で呼んでいた場合と、そもそも一般に、別の動物だと信じられていた場合とで、結論は同じだと思いますか。地方だけの呼び方の違いなら、その動物自体は見た目で分かりますよね。でも、そもそも別の動物だと思われていたら、見た目だけでは判断できない気がします。その違いが、今日の後半で扱う2つの事件の分かれ目そのものです。実際の判例で、確かめてみましょう。

むささび・もま事件——事実認識はあった

むささび・もま事件 図:むささび・もま事件

1つ目の事件です。捕獲が禁じられている、むささびという動物がいます。被告人は、自分の捕った動物を「もま」と呼び、もまなら捕っても問題ないと信じていました。むささびを、その地方だけ「もま」と俗称していたにすぎませんでした。ここで、当時の事情を見てください。むささびという動物の形状自体は、広く一般に知られていました。今日のものさしを当ててみましょう。一般人が、この動物を見たら、どう判断したはずですか。見た目からして、むささびだと分かったはずです。一般人ならば違法性を意識しうる程度の事実認識は、あったといえます。

「もま」という呼び方を知らなくても、むささびという動物の姿形そのものは、広く知られていました。つまり、方言を知っているかどうかとは関係なく、その動物を見れば、一般人は「むささびだ」と判断できたはずです。だから、事実の錯誤ではなく。

判例大審院判決(大正13年4月25日)

むささび・もま事件——事実の認識に欠けるところはない むささびと「もま」とが同一であることを知らず、「もま」なら捕獲しても罪にならないと信じて捕獲したにすぎない場合は、犯罪の成立に必要な事実の認識に欠けるところはなく、ただその行為が違法であることを知らなかったにとどまるとして、故意の阻却を認めなかった。

法律の錯誤です。事実認識は足りている以上、これは箱としては法律の錯誤に入ります。そのうえで、法律の錯誤の中の処理に進みます。今日の前半で見た枠組みです。あてはめの錯誤のほうです。被告人は、目の前の動物が、捕獲を禁じる規定のいう「むささび」には当たらない、と判断していました。条文の言葉の読み方を誤ったのではなく、目の前の対象がその言葉に当てはまるかを見誤った。どちらも、条文と自分の行為を突き合わせるところでの取り違えです。そして、公的機関の見解を信頼したというような特殊事情も見当たりません。原則どおり、違法性の意識の可能性は肯定され、責任故意も阻却されません。

たぬき・むじな事件——事実認識が届いていない

たぬき・むじな事件 図:たぬき・むじな事件

2つ目の事件です。捕獲が禁じられている、たぬきという動物がいます。被告人は、自分の捕った動物を「むじな」と呼び、むじななら捕っても問題ないと信じていました。生物としては、同じ動物です。ですが、ここが、むささびの事件と決定的に違います。大審院の認定によれば、当時、一般に、たぬきとは別に、むじなという動物がいると信じられていました。両者が同一の動物だということは、専門家以外には、ほとんど知られていなかったんです。今日のものさしを、もう一度当ててみましょう。事件当時、一般人が、この動物を見たら、どう判断したはずですか。

一般には、たぬきとは別の、むじなという動物だと信じられていたわけですから。一般人が見ても、これはむじなだ、捕獲禁止のたぬきではない、としか判断できません。一般人ならば違法性を意識しうる程度の事実認識、これが届いていません。名前は知っていても、目の前の生き物が「たぬき」だと結びつけられるかどうかは、別問題です。当時の一般常識では、たぬきとむじなは、見た目も生態も違う、別々の動物だと考えられていました。むささびの事件とは逆に、名前を知っているかどうかではなく、その動物とたぬきという規制対象を結びつけられるかどうか、という水準で、一般人にも届かなかったんです。

判例大審院判決(大正14年6月9日)

たぬき・むじな事件——別の動物と信じられていた 当時、一般に「たぬき」のほかに「むじな」という別の動物がいると信じられており、両者が同一であることは専門家以外にはほとんど知られていなかったものと認め、故意の阻却を認めた。

事実の錯誤です。一般人でも到達できない水準の事実認識しか無かった以上、箱そのものが違います。はい、その手前で終わります。構成要件的故意そのものが阻却され、故意犯としては成立しません。

2つの判例は矛盾しない——分かれ目は事実認識の水準

2つの判例は矛盾しない 図:2つの判例は矛盾しない

ここまでで、2つの判例を、それぞれ見ました。今度は、並べて確認します。むささび・もま事件も、たぬき・むじな事件も、捕った動物を別の名前だと信じていた、という構図は同じです。もう一度、表で並べましょう。どちらの事件でも、実際に捕った動物は、法律上、同一の動物です。ここまでは同じです。違うのは、当時の一般人が、その動物を見たら、何と判断したはずか、という一点です。むささび・もまでは、一般人が見れば、むささびだと分かりました。だから、事実認識は足りていて、法律の錯誤です。たぬき・むじなでは、一般人が見ても、むじなだとしか判断できませんでした。だから、事実認識が届かず、事実の錯誤です。

同じものさしを、2つの事案に当てて、事案の事情の違いから、結論が分かれただけです。今日の冒頭の疑問が、ここでつながりました。

今日の地図(保存版)

答案の処理順 図:答案の処理順

今日を振り返ります。まず、法律の錯誤の原因は、法の不知と、あてはめの錯誤の2つでした。処理の出発点は、制限故意説から、原則として責任故意は阻却されない。阻却されるのは、可能性すら無い場合だけで、それは信頼した相手によって、肯定されやすいか否定されやすいかが変わりました。そして、視点を切り替えて、そもそも法律の錯誤と事実の錯誤、どちらの箱に入れるか。その基準は、一般人ならば違法性を意識しうる程度の事実認識があったかどうか、でした。むささび・もま事件は、事実認識があったので法律の錯誤、たぬき・むじな事件は、それが無かったので事実の錯誤。

答案を書くときの順番も、これで決まります。まず、事実認識を欠くかを判定する。欠けば事実の錯誤で、そこで終了です。欠かなければ法律の錯誤に進み、違法性の意識の可能性すら無いかを判定する。この3段構えで、今日の話をすべて答案に落とし込めます。さきほどのSさんの事例で、やってみましょう。まず、①事実認識を欠くかを見ます。Sさんは、規制対象の生き物を、ただの稚魚だと思っていました。一般人でも見分けがつかない以上、事実認識を欠いています。次に、Rさんの事例です。①事実認識を欠くか。Rさんは、対象の生き物が何であるかは、正しく認識していました。欠いていません。

②事実認識を欠かない以上、Rさんは法律の錯誤に進みます。そこで、③違法性の意識の可能性すら無いかを見ます。Rさんは、採取禁止という規制の存在自体を知らなかっただけで、公的機関の見解を信頼したような事情もありません。だから、責任故意は阻却されず、故意犯として成立します。この3段構えが、今日学んだすべての結論を、そのまま答案の形にしてくれます。それぞれ、次の回以降で扱います。今日の1本のものさしを、まず自分の手で使えるようにしておいてください。

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#55単独ページ動画

誤想防衛

第7章 責任 ⑦/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

導入——事実が違っていただけで、なぜ無罪になるのか

駐輪場の夜、Aが見たもの 図:駐輪場の夜、Aが見たもの

夜の駐輪場を、想像してください。Aが自分の自転車を探していると、少し離れた暗がりで、Bが自転車の鍵をいじっているのが見えました。Aは、それを見て「自分の自転車が盗まれかけている」と思い込み、とっさにBの手を払いのけて、突き飛ばしてしまいました。ところが、実際には、その自転車はBの自転車でした。Bは、自分の鍵を外そうとしていただけだったんです。Aの行為は、Bへの暴行として、構成要件に該当します。正当防衛も成立しません。本当に自転車を盗まれかけていたわけではないからです。ところが、この人は、無罪になります。

この納得できなさを、今日は最後まで、1本の道具で解いていきます。何度も出てきた、規範に直面できたかどうか、という故意の本質です。やってはいけないという線が、目の前にはっきり見えていて、それでも思いとどまる機会が、本人に与えられていた、ということです。今日は、この一言を道具にします。責任の章で、違法性の意識と法律の錯誤まで来ました。今日は、その道具を、正当防衛の場面にそのまま当てていきます。

違法性阻却事由の錯誤とは——誤想防衛・誤想避難

違法性阻却事由の錯誤とは 図:違法性阻却事由の錯誤とは

まず、名前を確認します。正当防衛や緊急避難のような、違法性阻却事由が本当は存在しないのに、行為者がそれがあると誤って信じて行為することを、違法性阻却事由の錯誤といいます。今日は、その代表格である、誤想防衛を主役にします。そこが、今日いちばん最初に押さえてほしいところです。犯罪の成立は、構成要件に当たるか、違法性が阻却されないか、最後に責任を問えるか、この3段階で審査します。前にやった構成要件的事実の錯誤は、1段階目、構成要件そのものの事実を取り違える場面でした。何を殴ったか、誰を殴ったか、というレベルの誤りです。たとえば、暗がりで人形を人だと見間違えて殴った場合、殴る対象そのものについての認識が、最初からずれています。

今日のAは、誰を突き飛ばすかは、分かっていましたよね。Aは、目の前の人を突き飛ばすという構成要件の中身は、正しく認識していました。だから、1段階目の錯誤ではありません。Aが誤ったのは、2段階目、違法性を阻却してくれる事実、つまり「本当に襲われているか」という部分です。構成要件の中身が正しく認識されたあとに問題になる、独立の場所です。だから、違法性阻却事由の錯誤という、独立の名前がついています。3段階目の責任の話ではないか、という疑問も出るところです。前回までの違法性の意識の話は、事実は正しく分かったうえで、それが法に触れると気づけたか、という3段階目の責任の話でした。今日のAは、そもそも2段階目の事実を取り違えています。順番として、その手前で止まっているんです。

誤想避難も、まったく同じ理屈で、この真ん中の場所に入ります。

誤想防衛の定義——どこが欠けているか 図:誤想防衛の定義——どこが欠けているか

正当防衛が成立するには、客観的要件として急迫不正の侵害があること、行為が相当な範囲にとどまること、そして主観的要件として防衛の意思をもつことが要ります。

条文刑法36条1項

刑法36条1項(正当防衛) 急迫不正の侵害に対して、自己又は他人の権利を防衛するため、やむを得ずにした行為は、罰しない。

各要件の中身そのものは前に扱ったので、ここでは条文を、もう一度、正面から確認しておきます。正当防衛が罰しないとするのは、急迫不正の侵害に対して、やむを得ずにした行為です。今日、注目してほしいのは、この条文の要件のうち、どれが欠けるかです。誤想防衛とは、客観的要件のうち、急迫不正の侵害という事実が、現実には無いのに、あると誤信して、防衛の意思をもって、相当な範囲で反撃した場合をいいます。主観的要件の防衛の意思も、客観的要件の相当性も、ちゃんと備わっています。欠けているのは、客観的要件のうち、急迫不正の侵害という事実、その一点だけです。

Aには、防衛の意思も、突き飛ばすという行為の相当性もありました。欠けていたのは、本当に侵害があったかどうか、その事実だけです。

誤想避難——並行する構造 図:誤想避難——並行する構造

同じことは、緊急避難でも起こります。緊急避難が成立するには、自己または他人の生命、身体、自由または財産に対する、現在の危難を避けるため、やむを得ずにした行為であり、これによって生じた害が、避けようとした害の程度を超えないことが要ります。この現在の危難という事実が、本当は無いのに、あると誤信して避難行為をした場合を、誤想避難といいます。正当防衛でも、緊急避難でも、違法性を阻却してくれる客観的な事実だけを誤認した、という構造が共通しています。だから、同じ違法性阻却事由の錯誤という1つの枠で処理できるんです。

以下では、誤想防衛を中心に見ていきますが、話の骨格はそのまま誤想避難にも当てはまります。

法律の錯誤との弁別——事実を誤ったか、解釈を誤ったか

前回のものさしを、もう一度 図:前回のものさしを、もう一度

本題に入る前に、前回のものさしを、一度だけ思い出しておきましょう。前回、法律の錯誤かどうかを見分けるとき、何を基準にしましたか?一般人ならば、違法性を意識しうる程度の事実認識があったかどうか、でした。今日は、その同じ基準を、別の関門の事実に当てていきます。どこが違ってくるのかを、最後まで追いかけましょう。

もう1つのAを考える 図:もう1つのAを考える

ここで、もう1人、別のAを考えてみます。今度のAも、同じ駐輪場にいます。ただし今度のAは、目の前の自転車がBのもので、自分のものではない、ということは、はじめから正しく分かっていました。ただ、このAは、他人の自転車の鍵に誰かが触れていたら、居合わせた人間が実力で取り返してもかまわない、という誤った理解を持っていました。この誤った理解のまま、Bを突き飛ばしてしまいました。前のAは、目の前で起きている事実を取り違えていました。今度のAは、事実は正しく分かっていて、それに対して自分がどこまで許されるか、という法解釈だけを誤りました。

弁別の一線——誤認識の対象はどちらか 図:弁別の一線——誤認識の対象はどちらか

この2つを分ける一線は、はっきりしています。誤って認識したのが、事実そのものか、それとも、その事実に対する評価かです。最初のAは、急迫不正の侵害という事実そのものを、無いのにあると誤って認識しました。これが、誤想防衛です。今のAは、侵害の事実は正しく分かっていて、自分の対応が正当防衛として許される範囲だ、という解釈だけを誤りました。これは、単なる法律の錯誤です。法律の錯誤が、事実は正しく分かっているのを前提にしている、という点は、事実の錯誤との区別のところでも効いてくると言いました。ここでも、まったく同じ形で効いてきます。この一線が引かれる理由も、実ははっきりしています。後で確かめる故意の本質、つまり規範に直面できたかどうか、という物差しから出てくるものです。

事実そのものを取り違えていれば、その人の頭の中には、規範に直面する場面そのものが存在しません。侵害があると思い込んでいる以上、自分は正当な防衛をしているとしか見えないからです。今度のAは、事実は正しく認識していて、規範にはちゃんと直面したうえで、自分がどこまで許されるかという、その先の判断だけを誤りました。だから、規範に直面できたかどうかで見ると、扱いが変わって当然なんです。

同じ道具、違う関門 図:同じ道具、違う関門

もう1つ、注意しておきたいことがあります。使っている道具は、今日も前回も、実はまったく同じです。前回も、故意の本質、つまり規範に直面できたかどうかから、ものさしを導きました。一般人ならば違法性を意識しうる程度の事実認識があったか、というあの基準も、根っこはそこから出ています。違うのは、誤って認識した先が、どの関門の事実か、という点だけです。前回は、構成要件に当たる事実の認識が足りていたかどうかが問題でした。今日は、正当防衛や緊急避難という、違法性阻却事由の要件にあたる事実の認識が問題になります。

今日の、事実を誤ったか解釈だけを誤ったか、という切り口も、同じ道具を、違法性阻却事由という場面に当てたときの現れ方にすぎません。この2つの関門を混ぜて答案に書くと、当てはめが崩れます。

境界の例——思い込んだのか、割り切ったのか 図:境界の例——思い込んだのか、割り切ったのか

最後に、境界に近い例で確かめておきましょう。今度のAは、暗がりで自転車の色や形がよく見えず、目の前の自転車が本当に自分のものかどうか確信が持てないまま、念のためBを突き飛ばした、としたらどうでしょう。この場合でも、見るべきところは変わりません。Aの頭の中で、急迫不正の侵害という事実があると認識していたかどうか、それだけです。確信が薄くても、Aが侵害があると思い込んで行動していれば、事実の誤認、誤想防衛です。逆に、もしAが「本当に盗まれているかは分からないが、疑わしい以上は実力で排除してよいはずだ」というように、侵害の有無についての評価や判断のレベルで動いていたなら、それはもう事実の誤認ではなく、法律の錯誤の側に入ります。

思い込んだのか、それとも割り切ったのか。この一点が、誤想防衛と法律の錯誤を見分ける決め手になります。

前提事実の錯誤と限界の錯誤——次回への橋

もう1つの誤り方——程度を見誤る場合 図:もう1つの誤り方——程度を見誤る場合

ここで、今日の話がどこまでの範囲か、はっきりさせておきます。今日のAが誤ったのは、正当防衛の成立に必要な事実、いわば前提となる事実です。これに対して、侵害の事実そのものは正しく認識していたのに、防衛としてどこまでやってよいか、その程度を見誤る、という誤り方もありえます。たとえば、侵害があったこと自体は正しく分かっていたのに、必要な範囲を超えて反撃してしまった場合を考えてみてください。これは、今日とは別の場所で起きる誤りです。この、程度のほうを見誤る場面は、正当防衛として許される限界のほうを誤る、という意味で、限界の錯誤と呼ばれます。今日の主役とは別の話なので、深入りはしません。正当防衛なら誤想過剰防衛、緊急避難なら誤想過剰避難という場面です。

訂正(2026-09-13) #55 の最後で『侵害があることは分かっていて防衛の程度を見誤る場面』を誤想過剰防衛として紹介しましたが、誤想過剰防衛は、侵害が無いのに誤信し、その誤信した侵害に対しても過剰だった場合を指します。侵害が実在して反撃が過剰な場合はまず過剰防衛で、やりすぎに当たる事実そのものを見誤っていたときは誤想防衛の一種として故意が問題になる、という整理が一般的です。詳しくは #56 で扱います。

今日は、前提となる事実を誤った場面だけを扱います。

効果の学説対立①——法律の錯誤説

効果をどう考えるか——2つの入口 図:効果をどう考えるか——2つの入口

さて、Aが誤想防衛にあたる、というところまでは分かりました。問題は、ここから先です。この人を、故意犯として処罰してよいのか。学説が対立します。ですが、今日も、道具は1つだけです。まず、一方の立場から見ましょう。

法律の錯誤説 図:法律の錯誤説

1つ目は、法律の錯誤説です。違法性阻却事由の錯誤も、結局は行為の違法性についての誤解にすぎない、法律の錯誤と同じ問題だ、と考える立場です。だから、この立場からは、厳格故意説に立たない限り、原則として、責任故意は認められます。前回、法律の錯誤は、原則として責任故意が阻却されない、という結論でしたよね。この立場だと、誤想防衛のAにも、その同じ枠組みがそのまま適用されます。事実そのものを取り違えた人を、事実は正しく分かっている人と同じ枠で扱ってよいのか。この疑問こそ、法律の錯誤説がいちばん説明に困る場所です。法律の錯誤は、事実は正しく分かっている人の話でした。誤想防衛は、事実そのものを取り違えている人の話です。出発点がまるで違う人を、同じ枠に押し込めてよいのか、という疑問が残ります。

それでも、この立場が成り立つのは、違法性に関する誤解であれば、事実の誤りか評価の誤りかを問わず一括りに扱うほうが、判断基準がぶれずに済む、という一貫性を重視しているからです。この違和感が、もう一方の事実の錯誤説につながっていきます。

効果の学説対立②——事実の錯誤説(自説)

事実の錯誤説(自説)——故意の本質から導く 図:事実の錯誤説(自説)——故意の本質から導く

もう一方が、事実の錯誤説です。この動画が立つのは、こちらの立場です。故意の本質を、もう一度思い出してください。規範に直面し、反対動機の形成が可能だったのに、あえて行為に出たことへの、強い道義的非難でした。この定式を、誤想防衛にそのまま当てます。Aは、違法性を否定する事実、つまり急迫不正の侵害があるという事実を、誤って認識していました。Aの頭の中では、自分は正当な防衛をしている、としか見えていません。だとすれば、規範に直面する場面そのものが、その人の認識の中に存在しないことになります。これは、構成要件的事実の錯誤で、故意が落ちるのと、まったく同じ理屈です。だから、事実の錯誤と同じように扱い、責任故意を阻却する、と考えます。

⭐ 論文で書く規範:誤想防衛の処理(事実の錯誤説) 責任故意とは、違法性阻却事由が存在しないとの認識をいう。行為者が違法性阻却事由(急迫不正の侵害等)は存在すると誤信していた場合、違法性を基礎づける事実の認識に欠け、規範の問題を与えられず反対動機を形成する機会がなかったといえる。したがって、責任故意を欠き、故意犯は成立しない。 (規範(学説からの帰結・自説=事実の錯誤説))

構成要件的故意と責任故意——消える場所の違い 図:構成要件的故意と責任故意——消える場所の違い

Aには、目の前の人を突き飛ばす、という認識自体はありました。Bを叩く、という構成要件的な事実の認識は、欠けていません。欠けているのは、その行為が正当化されるかどうかを基礎づける事実、つまり急迫不正の侵害があるかどうか、という部分です。ここは、構成要件の話ではなく、責任の話です。構成要件的な事実の錯誤とは、消える場所が違います。あちらは、構成要件の中身そのものが欠ける場合でした。今日は、構成要件はすべて満たしたうえで、責任の段階で非難できなくなる場合です。

責任故意阻却の3段あてはめ——駐輪場のAに当てる 図:責任故意阻却の3段あてはめ——駐輪場のAに当てる

この規範を、駐輪場のAに具体的に当ててみましょう。順番に、1つずつ確かめます。まず①、責任故意が阻却されるには、違法性を基礎づける事実の認識を欠いていることが要ります。Aが認識すべきだった事実は、急迫不正の侵害があるかどうか、その一点です。それが②です。Aは「侵害がある」と誤信していた、つまり侵害が無いという正しい認識には、たどり着けていませんでした。③、その結果、Aは、規範に直面する機会そのものを与えられていません。侵害があると思い込んでいる人に、「侵害の無い相手を殴るな」という規範は、届きようがないからです。

①事実の認識を欠く、②誤信の中身、③規範に直面できない、この3つがそろって、はじめて責任故意の阻却にたどり着きます。ただし、これで話が終わるわけではありません。誤信したこと自体に、不注意があったかどうかは、別に問題になります。規範に直面できず、故意犯としての強い非難は向けられないとしても、そもそも侵害の有無を見極める注意義務は、行為者に残っています。そこを怠っていれば、不注意による結果として、別の罪責が問題になります。では、この人は、どんな罪でなら、なお処罰されうると思いますか。ここで検討することになるのが、過失犯です。過失犯の成否を、あらためて検討する必要があります。過失犯の中身そのものは、別の回で見た構造がそのまま使えるので、ここでは踏み込みません。

今日のAは、暗いうえに一瞬の出来事で、注意を尽くしてもなお誤信を避けられなかった、という前提です。だから、誤信に不注意はなく、過失犯も成立しません。冒頭で無罪と言ったのは、この前提があってのことです。

採用しない学説の地図——責任説の系列

もう1つの前提——責任説という系列 図:もう1つの前提——責任説という系列

ここまでは、自説の道筋でした。ここからは、視野を広げて、別の前提に立つ学説を、地図として眺めておきます。名前と、結論の違いだけ押さえてください。まず、前提の違いから確認します。前回、可能性必要説の中が、制限故意説と、責任説に割れる、という話をしたのを覚えていますか。今日の自説は、その制限故意説と同じ、故意説の系列に立っています。これから見る3つの学説は、すべて、もう一方の責任説の系列に立ちます。

学説の地図——採用しない3つの立場 図:学説の地図——採用しない3つの立場

まず、厳格責任説です。この立場は、構成要件的な故意そのものは否定しません。違法性阻却事由の錯誤も、あくまで違法性の意識の可能性の問題として処理します。なぜそうなるかというと、責任説は、違法性にかかわる判断を、はじめから故意の外に出して、独立の責任要素として置く立場だからです。違法性阻却事由の錯誤も違法性にかかわる誤りである以上、故意の成否には関係させず、責任要素の側だけで受け止める、という筋になります。だから、原則として故意犯は成立し、可能性が無い場合だけ、例外的に責任が阻却されます。次に、制限責任説です。こちらは、違法性阻却事由が存在しないという認識の欠如を、構成要件的な事実の錯誤に準じるものとして、責任要素の側で扱います。こう扱う理由は、行為者が事実を誤っているという構造そのものが、構成要件的な事実の錯誤とそっくりだからです。同じ形をしている以上、責任の段階でも、それに準じた扱いをそろえるべきだ、と考えるわけです。

事実の錯誤に近い形で、責任故意が阻却される、という結論に近づけるわけです。ここから、責任故意が阻却され、過失犯の検討に進みます。結論は近づきますが、そこに至る前提、つまり故意説に立つか、責任説に立つかが、根本的に違います。ここを混ぜて書くと、答案が矛盾します。

法効果制限的責任説——不法は故意犯のまま、法効果は過失犯 図:法効果制限的責任説——不法は故意犯のまま、法効果は過失犯

最後に、法効果制限的責任説です。これは、制限責任説と同じ考え方に立ちながら、故意を否定する場所を、構成要件から責任の段階へずらした立場です。構成要件的故意そのものは、否定しません。ただし、責任の段階まで行くと、故意犯として責める前提である責任故意は、やはり阻却されます。そのうえで、過失犯と同じ法効果を認める、という考え方です。構成要件の段階の故意は認めるけれども、最後に適用されるのは過失犯のほうだ、という構成です。Aには、目の前の人を突き飛ばすという、事実の認識そのものはありました。この部分まで否定するのは行きすぎだ、という発想が出発点です。ただ、故意犯として重く罰するに値するだけの、規範に直面したうえでの非難までは向けられません。

不法の段階の評価と、責任の段階の評価を切り離す、という2段構えの処理です。共通しているのは、責任説という前提に立っている、という一点だけです。今日は、この地図があることだけ知っておいてください。自説は、あくまで事実の錯誤説です。

駐輪場のAに当てると、結論はどう変わるか 図:駐輪場のAに当てると、結論はどう変わるか

厳格責任説なら、故意そのものは否定されず、可能性が無い場合だけ責任が阻却されるので、Aは、多くの場合、故意犯として扱われやすくなります。制限責任説なら、責任故意は阻却され、過失犯の検討に進みます。結論だけ見れば、自説と同じ形になります。構成要件的な故意は認めたうえで、責任の段階で過失犯と同じ扱いに落とします。ですから、最後に科される刑は、自説と同じく過失犯の限度にとどまります。この違いを答案で明示できるかどうかが、そのまま得点の分かれ目になります。

答案の手つきで確認——別の場面で当てはめる

別の場面——Cの場合 図:別の場面——Cの場合

最後に、今日の型を、別の場面で確かめておきましょう。夜道を歩いていたCが、後ろから駆け寄ってくる足音を聞き、襲われると思い込んで、振り向きざま、近づいてきたDを突き飛ばしました。実際には、Dは、バスに乗り遅れまいと、急いで走っていただけでした。①誤ったのは事実か、解釈かを見ます。Cは、襲われているという事実そのものを、誤って認識していました。だから、これは誤想防衛です。次に、②効果です。自説の事実の錯誤説からは、Cは、違法性を基礎づける事実、つまり侵害があるという事実の認識を欠いています。だから、規範に直面する余地が無く、責任故意が阻却されます。

最後に、③誤信に過失があったかです。もし、周囲をよく確認すれば足音の主が分かった状況だったなら、不注意があったとして、過失犯の検討に進みます。逆に、どれだけ注意しても足音だけでは判別できない状況だったなら、不注意も無かったことになりますから、過失犯としても処罰されません。無罪です。今日の型は、この3段だけです。事実か解釈か、効果、そして過失の有無。この順で当てはめれば、今日の話はすべて答案になります。

まとめ——弁別のフローと次回予告

今日の弁別と結論のフロー 図:今日の弁別と結論のフロー

今日を振り返ります。まず、違法性阻却事由の錯誤とは、正当防衛や緊急避難が無いのに、あると誤信して行為することでした。そして、今日いちばん大事だったのは、前回の法律の錯誤との弁別でした。誤ったのが、事実そのものか、それとも解釈だけか、この一点で箱が分かれます。誤想防衛だと分かったら、次は効果です。自説である事実の錯誤説からは、違法性を基礎づける事実の認識を欠く以上、規範に直面する余地が無く、責任故意が阻却されて、故意犯は不成立になります。ただし、誤信につき不注意があれば、過失犯の成否は、別途検討します。

法律の錯誤説は前回の枠組みをそのまま使い、原則故意犯が成立する立場でした。自説の事実の錯誤説は、責任故意を阻却する立場でした。そして、厳格責任説・制限責任説・法効果制限的責任説は、どれも責任説という別の前提に立つ地図で、自説とは根っこから違う道筋でした。今日は、事実そのものを誤った場面だけを見ました。ですが、事実は正しく認識していて、防衛の程度だけをやりすぎてしまう場面も、実際にはあります。さきほど名前だけ出した、正当防衛のほうの誤想過剰防衛と、緊急避難のほうの誤想過剰避難です。今日のところは、事実か解釈か、その一点の見分け方を、まず自分の手で使えるようにしておいてください。

訂正(2026-09-13) 誤想過剰防衛・誤想過剰避難の位置づけは、上の「前提事実の錯誤と限界の錯誤」の節の訂正を参照してください(詳しくは #56 で扱います)。

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#56単独ページ動画

誤想過剰防衛

第7章 責任 ⑧/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

導入——同じ勘違いなのに、なぜ結論が割れるのか

夜道で、思い込んだ相手にすら、やりすぎた 図:夜道で、思い込んだ相手にすら、やりすぎた

前回、駐輪場のAを見ました。勘違いだけで、暴行罪の構成要件に当たる行為をして、それでも無罪になる、という話でしたね。今日は、同じ勘違いから始まる、もう1つの夜道の場面を考えてみます。今度は、少し違う道具立てにしましょう。Aが、終電を逃して、暗い路地を1人で歩いています。街灯はほとんど無く、足音が響くだけの道です。そこへ、前方からBが歩いてきて、いきなり手に持っていた傘を振り上げました。Aは、殴りかかられると思い込み、とっさに、護身用に持ち歩いていた金属バットで、Bの頭部を思い切り殴りました。実際には、Bはただ、閉じていた傘を開こうとして、振り上げただけでした。殴りかかる意思など、まったくありませんでした。

そこまでは、まったく同じです。ですが、今日のAには、もう1つ引っかかる点があります。仮に、Aが誤信したとおり、本当にBが殴りかかってきていたとしても、金属バットで頭部を狙う反撃は、行き過ぎではありませんか。言われてみれば、誤想した侵害に対してすら、やりすぎている気がします。素手で払いのけるとか、逃げるとか、他にも手段はありそうです。今日は、この「誤想した侵害に対してすら、やりすぎた」場合を扱います。今日は、故意犯が成立する場合と、成立しない場合の、両方があります。今日は、なぜ割れるのかを、前回と同じ1本の道具だけで解いていきます。

誤想過剰防衛・誤想過剰避難の意義

誤想過剰防衛の定義——もう一段の過剰性 図:誤想過剰防衛の定義——もう一段の過剰性

まず、名前を正確に確認します。前回の誤想防衛は、急迫不正の侵害という事実が無いのに、あると誤信して防衛行為に出た場合でした。今日の誤想過剰防衛は、そこにもう一段が乗ります。侵害が無いのに誤信したうえ、その誤信した侵害に対する防衛としても、なお過剰だった場合をいいます。一部というより、前回の形に、もう1つ条件が乗ったもの、と考えてください。分解すると、2つの要素が重なっています。①侵害が無いのに、あると誤信したこと。②その誤信した侵害を基準にしてもなお、反撃の程度が相当性を超えていること。この2つが両方そろって、はじめて誤想過剰防衛です。

②が乗ってはじめて、今日の話に変わります。ここで大事なのは、②の物差しです。やりすぎかどうかを測る基準は、現実に何が起きていたかではなく、本人が思い込んだ侵害です。今日のAで言えば、現実にはBは傘を開こうとしていただけです。でも、その現実と比べて「やりすぎ」を測るのではありません。Aが思い込んだ「Bが殴りかかってくる」という侵害と比べて、金属バットで頭部を殴る反撃が、なお行き過ぎかどうかを見ます。誤想防衛の場面では、そもそも現実の侵害が存在しません。存在しないものを基準にはできませんよね。行為者が実際に防衛の意思で動いた対象は、あくまで自分が思い込んだ侵害です。だから、やりすぎかどうかも、その思い込んだ侵害との対比で測るしかないのです。

4つの場面の見分け方——侵害の実在と反撃の程度 図:4つの場面の見分け方——侵害の実在と反撃の程度

ここで、これまで見てきた場面を、いったん整理しておきます。軸は2つです。1つは、侵害が実際に存在するかどうか。もう1つは、反撃の程度が相当か、過剰かです。侵害が実在して、反撃も相当なら、正当防衛。侵害が実在するのに、反撃が過剰なら、過剰防衛でした。ここまでは、以前見た話です。侵害が実在しないのに、反撃が誤想した侵害との関係で相当なら、前回見た誤想防衛。侵害が実在しないのに、反撃が誤想した侵害との関係でも過剰なら、今日の誤想過剰防衛です。ただ、前回の最後に、侵害があったこと自体は分かっていたのに、防衛の程度を見誤る場面を、この名前で紹介しました。今日の誤想過剰防衛が指すのは、右下のマス、つまり侵害が無いのに誤信し、そのうえ誤信した侵害に対しても過剰だった場合です。侵害が実在していて、反撃が過剰だった場合は、まず過剰防衛のマスに入ります。ただ、やりすぎに当たる事実そのものを見誤っていたときは、誤想防衛の一種として故意が問題になる、という整理が一般的です。

誤想避難も、まったく同じ形です。現在の危難が無いのに誤信し避難行為に出たが、誤想した危難に対する避難としても、なお過剰だった場合を、誤想過剰避難といいます。たとえば、Cが、深夜、自宅の1階から聞こえた物音を強盗だと誤信し、家族を逃がすため、隣家の窓ガラスを割って中に踏み込み、たまたま居合わせた住人を突き飛ばして怪我をさせたとします。実際には、物音は飼い猫が物を落としただけの音でした。しかも、仮に本当に強盗がいたとしても、窓を割って踏み込み、住人を突き飛ばすところまでは、避難として行き過ぎです。危難の誤信と、避難行為の過剰性が、両方そろっています。

今日はここから先、誤想過剰防衛のAを中心に、この2要素がどう扱われるかを見ていきます。

効果——過剰性の基礎となる事実の認識で二分する

前回の道具、もう一度 図:前回の道具、もう一度

本題に入る前に、前回のものさしを、一度だけ思い出しておきましょう。前回、誤想防衛で責任故意が阻却された理由は、規範に直面していなかったからでしたね。では、誤想した相手にすら殴りすぎてしまった場合は、どうなるでしょうか?実は、今日は、故意犯が成立する場合と、成立しない場合の両方があります。使う道具は、前回とまったく同じです。規範に直面し、反対動機の形成が可能だったのに、あえて行為に出たことへの非難、これだけです。侵害があるかどうかという場所には、前回と同じように当てます。それに加えて、今日はもう1か所、反撃の中身、つまり過剰性の部分にも、同じ道具を当てます。

2か所独立判定——侵害の点と、過剰性の点 図:2か所独立判定——侵害の点と、過剰性の点

順番に見ましょう。まず①、侵害があるかどうかの点です。Aは、Bが殴りかかってくると誤信していました。この点は、前回とまったく同じで、規範に直面していません。次に②、反撃がやりすぎかどうかの点です。Aは、自分が今、何を持って、どこを、どれくらいの強さで殴っているか、その事実そのものは、正しく分かっていました。これが分かっているなら、「これはやりすぎだ」という規範の前に、Aはちゃんと立っていたことになります。見えているのに、それでも振り下ろした、ということです。だから、この②の点についてだけは、規範に直面し、反対動機を形成する機会があった、と評価できます。①の点は落ちても、②の点は残る。だから、責任故意は、②の限度で認められます。

ここが今日、いちばん大事な骨格です。

「過剰性の基礎となる事実」とは何か 図:「過剰性の基礎となる事実」とは何か

ここで、言葉の中身を確認しておきます。過剰性の基礎となる事実、というのは、「やりすぎだ」という評価に気づいていたかどうか、ではありません。見るのは、やりすぎを形づくる事実そのもの、つまり何を使ったか、どこを、どれくらいの強さで、という部分の認識です。評価ではなく、事実です。Aは、この事実自体を、はっきり認識していました。だから、過剰性の基礎事実の認識あり、責任故意あり、傷害罪等の故意犯が成立します。

もう1つの設例——事実そのものを取り違えた場合 図:もう1つの設例——事実そのものを取り違えた場合

対比のために、もう1つ、設例を考えます。今度は、Gが、暗がりで足元にあった物を、確認せずに拾い上げて振り回したところ、実はそれは鉄パイプでした。Gは、軽い棒切れだと思い込んでいました。Gは、自分が今、鉄パイプを振り回している、という事実自体を認識していませんでした。反撃の中身そのものについて、ブラインドがかかっている状態です。Aは、金属バットで頭部を殴るという事実を、ちゃんと見えていました。Gは、鉄パイプだという事実そのものが、見えていません。過剰性の点でも、規範に直面する材料がありません。だから、過剰性の基礎事実の認識なし、責任故意阻却、過失犯の成否を検討する、という結論になります。

たとえば、暗がりで足元の物を確認もせずに拾って振り回す、という行為自体に、不注意があったと言えれば、過失傷害罪などの成立を検討することになります。責任故意が落ちても、責任がまるごと消えるわけではありません。

評価だけの誤り——法律の錯誤への橋渡し 図:評価だけの誤り——法律の錯誤への橋渡し

ここで、少し考えてみてください。鉄パイプのGが、もし、鉄パイプだと最初から分かっていて、「これくらいの反撃なら許されるはずだ」と思って振り回していたとしたら、事実の誤認と評価の誤り、どちらに当たると思いますか。分かっているのに、許される範囲だという評価だけを誤っています。事実は分かっていて評価だけを誤った場合は、誤想過剰防衛の話ではなく、法律の錯誤の箱に入ります。この区別の視点は、前々回、法律の錯誤と事実の錯誤を分けたときと、まったく同じです。法律の錯誤なら、前々回見たとおり、原則として責任故意は阻却されません。まとめると、同じ誤想過剰防衛でも、反撃の中身という事実が見えていれば故意犯、見えていなければ責任故意阻却です。同じ勘違いから結論が割れるのは、この点があるからです。

36条2項・37条1項ただし書の準用

準用が問題になる場面 図:準用が問題になる場面

過剰性の基礎事実を認識していて、故意犯が成立する場合には、もう1つ論点が残ります。過剰防衛の36条2項、過剰避難の37条1項ただし書、それぞれの任意的減免を、誤想の場合にも準用できないか、という問題です。ある条文を、本来その条文が想定していない別の場面にも、条文の趣旨が同じように及ぶことを理由にして、当てはめて使うことです。ここでは、まさにその手続きが問題になります。

条文刑法36条2項

刑法36条2項(過剰防衛) 防衛の程度を超えた行為は、情状により、その刑を減軽し、又は免除することができる。

条文刑法37条1項

刑法37条1項(緊急避難) 自己又は他人の生命、身体、自由又は財産に対する現在の危難を避けるため、やむを得ずにした行為は、これによって生じた害が避けようとした害の程度を超えなかった場合に限り、罰しない。ただし、その程度を超えた行為は、情状により、その刑を減軽し、又は免除することができる。

どちらも、条文の文言そのものは、正当防衛や緊急避難が現実に存在する場面を前提にしています。誤想の場合に、そのまま使ってよいのか、という疑問が出ます。36条2項は、現実に急迫不正の侵害があったことを前提に、「防衛の程度を超えた」場合を減免する規定です。誤想過剰防衛では、そもそも現実の侵害がありませんから、条文の文字どおりの場面には当たりません。そして、ここで言う任意的減免というのは、要件を満たせば必ず減軽・免除されるという意味ではありません。裁判所が、情状によって、減軽・免除してもよい、という扱いです。準用が肯定されても、自動的に刑が軽くなるとは限りません。

準用を支える理由——責任減少説からの1段 図:準用を支える理由——責任減少説からの1段

ここで使うのは、1段の理屈だけです。以前、過剰防衛の任意的減免の根拠を、責任減少説から説明しました。恐怖や興奮による多少の行き過ぎは、強く非難できない、というものでしたね。侵害が現実にあろうと、誤想であろうと、行為者が恐怖や興奮のなかで反撃している、という心理状態そのものは変わりません。だから、多数説は、36条2項・37条1項ただし書の準用を肯定します。なお、免除まで認めると、同じ結果を過失で生じさせた場合との刑の均衡を欠く、として、減軽の限度にとどめるべきだ、という見解もあります。

判例——勘違い騎士道事件

判例の事実——回し蹴りに至るまで 図:判例の事実——回し蹴りに至るまで

判例を見ましょう。勘違い騎士道事件と呼ばれる、最高裁の決定です。事実は、いくつかの段階に分けて読むと、追いやすくなります。空手三段の腕前を持つ行為者が、夜間、酩酊した女性が男性ともみ合ううちに転倒するのを目撃しました。ここで行為者は、男性が女性に暴行を加えていると誤解します。これが、1つ目の誤りです。行為者が女性を助けようと男性の方を振り向いた際、男性は防御のため両手を上げただけでした。それを、行為者は「殴りかかってくる」と誤信しました。これが、2つ目の誤りです。この誤信を受けて、行為者は回し蹴りを浴びせて男性を転倒させ、男性は8日後、脳の損傷により死亡しました。

それに対する反撃が、回し蹴りでした。

判例最決昭62・3・26 刑集41巻2号182頁

勘違い騎士道事件——誤想過剰防衛の判例 本件回し蹴り行為は、行為者が誤信した急迫不正の侵害に対する防衛手段として相当性を逸脱していることが明らかであるとし、傷害致死罪が成立し、いわゆる誤想過剰防衛にあたるとして刑法36条2項により刑を減軽した原判断は、正当である。

決定は、この回し蹴りが、誤信した侵害に対する防衛手段として、相当性を逸脱していることが明らかだとし、傷害致死罪が成立するとしました。そのうえで、36条2項による減軽を認めた原判断を、正当としています。今日の二分処理に当てはめてみましょう。行為者の2つの誤りは、どちらも、男性からの侵害があるかどうかについてのものです。回し蹴りをする、という反撃の中身そのものは、行為者自身がはっきり認識していました。だから、過剰性の点では規範に直面しており、責任故意あり、傷害致死罪という故意犯が成立します。殺すつもりが無くても、なぜ傷害致死罪になるのか、そこは、大事な点です。行為者にあったのは、暴行や傷害の故意です。傷害致死罪は、以前見た結果的加重犯でした。205条は、身体を傷害し、「よって」人を死亡させた場合を定めていて、故意は、暴行か傷害の部分にあれば足ります。死亡という重い結果そのものについては、故意は要りません。暴行や傷害には、人の命を奪う危険がもともと含まれているので、その危険が現実になったとき、基本犯より重く処罰する、という作りです。だから、殺すつもりが無くても、傷害致死罪が成立します。

決定文自体は、二分処理や準用という言葉を使っていませんが、事実関係を追うと、この型にきれいに当てはまります。

区別フロー——第7章の錯誤4枠を1枚に束ねる

区別フロー——過剰性の有無、そして事実の認識の有無 図:区別フロー——過剰性の有無、そして事実の認識の有無

今日の話を、1つのフローにまとめます。まず①、過剰性があるかどうかを見ます。無ければ、前回の誤想防衛・誤想避難です。有れば、今日の誤想過剰防衛・誤想過剰避難に進みます。②、過剰性を基礎づける事実の認識があるかどうかです。無ければ、責任故意阻却、過失犯の成否を検討します。有れば、責任故意を阻却しません。③、故意犯が成立し、さらに36条2項等の準用が問題になります。準用は、責任減少説を根拠に、多数説は肯定します。

錯誤4枠——弁別演習 図:錯誤4枠——弁別演習

ここまで、第7章では、4つの枠を見てきました。事実の錯誤、法律の錯誤、誤想防衛・誤想避難、そして今日の誤想過剰防衛・誤想過剰避難です。最後に、ミニ事例を、この4枠に振り分ける練習をしましょう。振り分ける手順は、こうです。まず、間違えたのは事実そのものか、それとも解釈のほうか。事実なら、次に、侵害・危難の誤信か。誤信なら、次に、過剰性があるか。過剰性があるなら、最後に、その過剰性の基礎事実を認識していたか。4段階、順番に確かめていくんですね。1つ目。Cが、暗がりで、人を人形だと見間違えて蹴りました。

構成要件に当たる事実そのものの錯誤です。事実の錯誤に入ります。Dが、自転車の鍵を外している相手が持ち主かどうか分からないと分かったうえで、疑わしい以上は実力で排除してよいはずだと考え、相手を突き飛ばしました。法律の錯誤です。Eが、殴りかかられると誤信して、相当な範囲で軽く相手の腕を払いのけました。誤想防衛です。過剰性はありません。4つ目は、さっきのGです。暗がりで拾った物を軽い棒切れだと思い込んで、相手を殴りました。実は、鉄パイプでした。鉄パイプだという事実が見えていないので、認識なしです。誤想過剰防衛ですが、責任故意は阻却され、過失犯の検討に回ります。金属バットのAなら、同じ最後の問いで認識あり、故意犯でした。

では、Fが、暗い駐車場で、見知らぬ人物に肩を強くつかまれ、殺されると誤信して、とっさに持っていたバッグで相手の顔を1回だけ強く叩いた、という場面を考えてみましょう。実際には、相手は道を尋ねようとしただけでした。Fが取り違えたのは、相手が自分を殺そうとしている、という事実です。解釈ではなく事実の誤りで、その中身は侵害の誤信ですね。バッグで顔を1回叩く、という反撃は、誤想した「殺されかける」ほどの侵害と比べれば、むしろ抑えた反撃です。過剰性は認められません。この4枠と、②の事実認識の有無まで押さえれば、責任の章の錯誤の論点は、答案でひととおり使えるようになります。

今日の地図(保存版)

今日の到達点 図:今日の到達点

今日を振り返ります。誤想過剰防衛・誤想過剰避難とは、侵害・危難が無いのに誤信し、誤信した侵害・危難に対してすら過剰だった場合でした。効果は、過剰性を基礎づける事実の認識の有無で分かれます。事実そのものを認識していれば、責任故意あり、故意犯が成立します。認識していなければ、責任故意阻却、過失犯の成否を検討します。そして、故意犯が成立する場合には、責任減少説を根拠に、36条2項・37条1項ただし書の任意的減免を、多数説は準用します。判例も、傷害致死罪の成立を認めたうえで36条2項による減軽を是認しており、この構造で読むことができます。

事実の錯誤、法律の錯誤、誤想防衛、誤想過剰防衛。この4枠を、規範に直面できたかという1本の道具だけで、すべて説明できます。

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#57単独ページ動画

期待可能性

第7章 責任 ⑨/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

導入——条文の無い理由で、なぜ罪が消えるのか

拳銃を突きつけられた店員、もう一度 図:拳銃を突きつけられた店員、もう一度

責任の章も、いよいよ最後の要素です。以前、拳銃を突きつけられ、家族を人質に取られた店員の話をしましたね。3つ目の要素、期待可能性が無かったからでした。今日は、その中身を詰めます。実は、期待可能性という言葉そのものを正面から定めた条文は、刑法にありません。今日は、まずそこから見ます。条文が無いのに、なぜ責任を消せるのか。答えを先に言うと、根拠は条文ではなく、責任という考え方そのものです。そして、その力が強すぎることへの、裁判所の警戒までを、1本の線でつなぎます。そのうえで、最後に、これまで見てきた事実の錯誤・法律の錯誤・誤想防衛・誤想過剰防衛・緊急避難を、期待可能性という新しい軸も混ぜて、選び分ける練習をします。

期待可能性の意義——責任主義からの導出

期待可能性の定義 図:期待可能性の定義

まず、定義を固めます。行為者本人に、その場の具体的な事情を前提として、違法な行為を思いとどまり、適法な行為を選ぶよう期待できること。これを期待可能性といいます。明文の規定はありませんが、責任能力、責任故意・責任過失に次ぐ第3の責任要素であり、その不存在は超法規的責任阻却事由と解するのが通説です。法律の規定によって認められる責任阻却事由ではなく、条文の外側から、解釈によって認められる責任阻却事由、という意味です。

非難可能性からの1本道 図:非難可能性からの1本道

責任とは、非難可能性でした。非難できるのは「違うようにできたはずだ」と言えるときだけです。だとすれば「違うようにできたはずだ」と言えない以上、非難はできません。これは条文が定めているからではありません。責任という概念そのものから、論理的に導かれる帰結です。

非常口の喩え——考え方は正しい、でも危うい 図:非常口の喩え——考え方は正しい、でも危うい

消防法は、非常口の基準を建物ごとに細かく定めています。でも、条文がどれだけ細かくても、想定外の形の建物は必ず出てきます。そのとき「本当に出口が無かったのなら、逃げなかった人を責められない」という考え方自体は、消防法に書いていなくても当然に成り立ちます。これが、責任主義から期待可能性を導く部分です。消防法そのものが骨抜きになります。同じ危うさが、期待可能性にもあります。だからこそ、①本当に他の道が無かったかを誰の目で判定するか、②その判定を裁判所がどれだけ慎重に扱うか、という2つの問題が出てきます。

まず①、判断基準の争いから見ていきましょう。

判断基準——3説の比較とあてはめ

判断基準3説の比較 図:判断基準3説の比較

その前に、1つ思い出してもらいます。以前、店員の話で、期待可能性は何を見て判断すると言いましたか。怖さの感覚の強さでしたか、それとも現実の選択肢の有無でしたか?現実の選択肢の有無だったと思います。怖さの感覚の強さでは判断しない、という話でした。何を見るかは、そこで決まっています。今日の3つの説が争うのは、その選択肢の有無を、誰の目で見るか、です。行為者標準説、平均人標準説、国家標準説の3つです。まず、自説である行為者標準説です。行為者本人の能力や、置かれた具体的な事情を基準に、その人に現実の選択肢があったかを見る立場です。

そこが強みです。ただし弱点もあります。行為者の能力を下げて見るほど、期待可能性は否定されやすくなり、基準が緩みすぎる恐れがあります。次に平均人標準説です。行為者の置かれた具体的な状況に、通常人・平均人を置いた場合に、適法行為が期待できたかを基準にします。基準が客観化され、恣意的な拡大を防げるのが強みです。ただし、非難されるのは行為者本人なのに、平均人に何ができたかで判断するのは、責任判断の本質、つまり行為者個人への非難とずれる、という弱点があります。国家標準説です。国家、つまり法秩序が、行為者にどこまで適法行為を期待していたかを基準にします。法秩序の側から線を引きやすいのが強みですが、基準が抽象的で、実質的に国家が処罰したいかどうかで結論が左右されかねない、という弱点があり、支持は多くありません。

同一設例へのあてはめ 図:同一設例へのあてはめ

同じ場面に、3つの基準を当ててみます。Aは、持病で通院中の経理担当者で、以前から同じ組織に脅されてきました。今回、代表者から「帳簿を書き換えろ、断れば分かっているな」と一度だけ告げられ、帳簿を改ざんしました。行為者標準説なら、Aが持病で通院を続けなければならず、その土地を離れにくいこと、以前から同じ組織に脅され続けてきたこと、というA本人の事情のもとで、Aに現実に選べる道が残っていたかを見ます。そこまで数えれば、Aには実質的に他の道が無かった、と評価されやすくなります。平均人標準説だと、Aの持病という個人的な事情は基準から外れ、Aと同じ立場に置かれた平均的な人なら、警察に相談するなど、他の道を探せたはずだ、と評価されやすくなります。

国家標準説だと、経理担当者という立場に国家が期待する適法行為の水準を基準に、脅されたという理由だけで帳簿の改ざんを免れさせるべきではない、という結論に傾きやすくなります。

行為者標準説との接続 図:行為者標準説との接続

矛盾しません。むしろ、行為者標準説はその言い方と地続きです。行為者本人の能力や具体的事情を基準にするというのは、本人がどれだけ怖がっていたかという主観の強さを直接測ることではありません。その人の立場に立ったときに、現実に選べる道が本当にあったかを、客観的に見るということです。ここを取り違えると「怖ければ何でも許される説」に聞こえてしまいますが、そうではありません。さっきのAでも、以前から脅され続けてきた事情が無く、組織の手が日常に及んでいなければ、どれほど怖がっていても、相談する道は残っています。そのときは、行為者標準説でも期待可能性は認められます。これが、さっきの「緩みすぎる」という弱点への答えにもなります。

実定法上の現れ——4つの条文に、指をさす

条文の中の期待可能性 図:条文の中の期待可能性

判断基準の争いは、条文が無い場面で「本当に他の道が無かったか」を測る話でした。一方で、期待可能性そのものを正面から定めた条文はありませんが、その考え方が、個別の条文の中に類型化されて現れている場面がいくつかあります。1つずつ、文言のどこが効いているかを見ていきましょう。

条文刑法104条

刑法104条(証拠隠滅等) 他人の刑事事件に関する証拠を隠滅し、偽造し、若しくは変造し、又は偽造若しくは変造の証拠を使用した者は、三年以下の拘禁刑又は三十万円以下の罰金に処する。

まず104条です。証拠隠滅等の罪ですが、条文をよく見てください。そこが要です。他人の証拠を隠滅すれば処罰されますが、自分自身の刑事事件の証拠を、自分で隠滅しても、この条文では処罰されません。自分が処罰されそうな場面で、証拠を残しておけと期待するのは酷だ、という考え方が「他人の」という一語に現れています。ここは、自分の事件については、そもそも構成要件の対象から外れているので、成立の余地自体がありません。

条文刑法105条

刑法105条(親族による犯罪に関する特例) 前二条の罪については、犯人又は逃走した者の親族がこれらの者の利益のために犯したときは、その刑を免除することができる。

次に105条です。親族による犯罪に関する特例で、犯人やその親族が、犯人の利益のために証拠隠滅などをしたときに、刑を免除できる、という規定です。親族間の情の深さから、通報したり隠さずにいたりすることを期待しにくい、という考え方の現れと読めます。そこが大事な違いです。104条は「他人の」という限定で、自分の事件はそもそも罪自体が成立しません。これに対して105条は、犯罪はいったん成立したうえで、裁判所が刑を免除できる、という任意的な規定です。期待可能性が完全にゼロとまでは言い切れず、乏しい、という程度にとどめているからこそ、免除するかどうかを裁判所の判断に委ねる書き方になっています。

条文刑法36条2項

刑法36条2項(過剰防衛) 防衛の程度を超えた行為は、情状により、その刑を減軽し、又は免除することができる。

次に36条2項です。以前、過剰防衛の減免根拠を、恐怖や興奮による多少の行き過ぎは強く非難できない、という責任減少説で説明しましたね。その「強く非難できない」という部分が、まさに期待可能性が乏しいことの表れです。

条文刑法37条1項

刑法37条1項(緊急避難) 自己又は他人の生命、身体、自由又は財産に対する現在の危難を避けるため、やむを得ずにした行為は、これによって生じた害が避けようとした害の程度を超えなかった場合に限り、罰しない。ただし、その程度を超えた行為は、情状により、その刑を減軽し、又は免除することができる。

37条1項のただし書も、同じです。過剰避難の任意的減免も、期待可能性の乏しさと結びつけて理解できます。よく見ましたね。105条には減軽という選択肢が無く、免除するかしないかの二択です。これに対して過剰防衛・過剰避難は、期待可能性がゼロではなく減っている場面なので、免除まで届かなくても、刑を軽くするという中間の答えを持てるようにしてあります。同じ期待可能性の考え方でも、条文の作り方によって、消え方の強さが変わっています。

第五柏島丸事件と最高裁の姿勢

第五柏島丸事件——圧力の構造 図:第五柏島丸事件——圧力の構造

ここまでの4つは、立法者が先に条文へ落としてくれた場面でした。では、どの条文にも当たらない場面を、裁判所はどう扱うのか。非常口の喩えの、2つ目の問題です。まず、第五柏島丸事件です。小型の発動機船に、定員を大きく超える乗客が乗り込み、転覆・沈没して、多数の死傷者が出ました。船長Aは、定員を超える乗船に抗議していましたが、船主はこれを聞き入れず、定員超過での乗船を命じていました。そこに、乗客が殺到する事情も重なりました。

判例大判昭8・11・21

第五柏島丸事件——過失責任を認めたうえでの減軽 過失責任自体は認めたうえで、乗客殺到の実情、船主が船長の抗議を容れず多数乗船を命じていた事情、船長個人には避けがたかった事情を考慮し、刑を軽くした。

大審院は、船長Aの過失責任自体は認めました。そのうえで、乗客が殺到した実情や、船主が抗議を聞かなかった事情、船長個人には避けがたかった事情を考慮して、刑を軽くしました。そこが大事な点です。「期待可能性を理由に無罪にした事件」ではありません。過失は認めたうえで、刑を軽くする、という方向の結論です。大審院自身が、判決文の中で期待可能性という言葉を使って理論を展開したわけでもありません。責任を認めた以上、船長にはまだ選べる道が残っていた、という評価です。ただ、その道は、船主の命令と乗客の殺到で大きく狭められていました。だから非難はできるけれど、その程度は下がる。さっき条文で見た過剰防衛・過剰避難と同じ、期待可能性がゼロではなく乏しい場面の扱いです。

最高裁の姿勢——理論の当否には、踏み込まない 図:最高裁の姿勢——理論の当否には、踏み込まない

もう1つ、最高裁の判例も見ておきます。三友炭鉱事件と呼ばれる、炭鉱の労働争議の中で、線路に座り込んで石炭の運搬を止めたことが、威力業務妨害罪に問われた事件です。原審は、被告人には期待可能性が無かったとして無罪にしました。検察官は、期待可能性が無いとなぜ責任が無くなるのか、その法律上の根拠を原判決が示していない、と主張して上告しました。

判例最判昭31・12・11 刑集10巻12号1605頁

期待可能性の性質づけ——超法規的責任阻却事由 期待可能性の不存在を理由として刑事責任を否定する理論は、刑法上の明文に基くものではなく、いわゆる超法規的責任阻却事由と解すべきものである。従つて、原判決がその法文上の根拠を示すことなく、その根拠を条理に求めたことは、その理論の当否は別としても、なんら所論のような違法があるものとはいえない。

最高裁は、期待可能性の不存在で責任を否定する理論を、刑法上の明文に基づくものではなく、超法規的責任阻却事由と性質づけました。そのうえで、原審が根拠を条文ではなく条理に求めたことは、違法ではないとしました。理論を認めて無罪にしたわけではありません、そこが違います。最高裁は「その理論の当否は別としても」と述べて、理論そのものが正しいかどうかには立ち入りませんでした。上告を退けた結果、無罪は維持されましたが、最高裁が理論を正面から採用して無罪にした、とは言えません。最高裁は別の点で、この行為は、違法に威力を用いて業務を妨害したとまではいえない、と判断したからです。

「本当に出口が無かった、という考え方自体が正しいかどうか」には、最高裁は答えを出さなかった、ということです。無罪は残しても、その考え方にお墨付きを与えることは、しなかったわけです。明文の無い制度に、正面からお墨付きを与えると、刑法の規範性が弱まりかねないからです。誰もが「自分には無理だった」と言えば罪を免れる、という状態になれば、刑法の言葉自体が意味を失います。条文が無いのに責任を消せる理由と、その力が強すぎることへの2つの歯止め。冒頭で言った1本の線が、ここでつながりました。

期待可能性の錯誤——誤想防衛と同じパターン

期待可能性の錯誤——誤想防衛との対比 図:期待可能性の錯誤——誤想防衛との対比

最後にもう1つ、期待可能性の錯誤を見ておきます。はい、でも新しい枠組みではありません。誤想防衛は、侵害という事実が無いのに、あると誤信して防衛行為に出た場合でしたね。期待可能性の錯誤も、同じパターンです。期待可能性を否定する事情、つまり他に道が無い状況が、現実には無いのに、あると誤信した場合をいいます。経理担当のJを考えます。Jの職場には、実際には社内の相談窓口があり、通報しても不利益を受けない仕組みが整っていました。ですが、Jは以前どこかで聞いた別の会社の噂話から、通報すれば自分の家族に危害が及ぶはずだと思い込み、通報せず不正経理に加担しました。

誤想防衛が、現実には無い侵害をあると誤信するのと同じ形で、Jは、現実には無い「道が無い状況」をあると誤信しています。多数説は、その誤信が真にやむを得ないものだったと言えるなら、期待可能性の判断の一部として責任が阻却されうる、と解しています。ただし、Jの場合は、噂話という不確かな情報だけを根拠にしており、社内の窓口という現実の道を確かめてすらいません。これでは「真にやむを得ない誤信」とは言いにくく、簡単には責任は阻却されません。ただ、誤想防衛と違うところが1つあります。誤想防衛では、思い込みに落ち度があっても責任故意は消え、過失犯の検討に移りました。期待可能性の錯誤では、思い込みが真にやむを得ないときに限って責任が消えます。

誤想防衛の回の物差しを思い出してください。侵害があると思い込んだ人には、悪いことをしている場面が見えず、規範に直面しない。だから責任故意が消えました。Jは違います。不正経理に加担していることは、はっきり分かっています。規範には直面しているので、責任故意は残ります。見誤ったのは、他に道があったかどうか、という期待可能性の判断の材料だけです。だから、故意の問題にはせず、期待可能性の判断の中で、その誤信が真にやむを得なかったかを問うことになります。誤信の形は同じでも、責任が消える線は、こちらのほうが絞られています。

弁別演習——第7章の枠を、選び分ける

選び分けの4つの問い 図:選び分けの4つの問い

第7章の締めです。ここまで見てきた枠を、事例を使って選び分けます。今日は、まずあなたに答えてもらいましょう。見るべき問いは4つです。①何を見誤ったか。人か物か、のような構成要件に当たる事実そのものか、それとも許されるかという評価か。②侵害・危難は現実にあったか。あると思い込んだだけなら誤信の系列へ、そもそも侵害・危難の場面でなければ④へ進みます。③侵害・危難を前提にして、反撃や避難の程度は相当か過剰か。④全部分かっていて、それでも他の道が無かったか。この順番で確認していきます。

1問目・2問目——何を見誤ったか 図:1問目・2問目——何を見誤ったか

1問目です。Cが、暗がりで、人を人形だと見間違えて蹴りました。構成要件に当たる事実そのものを誤信しているので、①の入口で事実の錯誤に入ります。侵害の有無を見るまでもありません。目印は「人形だと思った」という、事実そのものの取り違えです。評価や解釈は一切出てきていません。2問目です。Dが、自転車の鍵を外している相手が持ち主かどうか分からないと分かったうえで、疑わしい以上は実力で排除してよいはずだと考え、相手を突き飛ばしました。惜しいですが違います。Dは、相手が持ち主かどうか分からないと自分でも分かったうえで動いています。侵害があるとかないとか、事実を誤信してはいません。誤っているのは「疑わしければ実力で排除してよい」という考え方のほうです。

事実の認識に誤りは無く、評価だけを誤っているので、①の入口で法律の錯誤に入ります。1問目との違いは、事実そのものを取り違えたか、事実は合っていて規範の理解を取り違えたか、という1点です。

3問目・4問目——夜道と路地 図:3問目・4問目——夜道と路地

3問目です。Eが、夜道で、道を尋ねようと手を上げて近づいてきた人を、殴りかかってきたと思い込み、その腕を軽く払いのけました。②で侵害が無いと分かり、③で過剰性も無いので、誤想防衛にとどまります。目印は「軽く払いのけた」という、反撃の程度が相当な範囲に収まっている点です。4問目です。Fが、暗い路地で、傘を振り上げただけの相手を、殴りかかってきたと誤信し、金属バットで頭部を殴りました。さっきと同じ誤想防衛ではありません、そこが分かれ目です。侵害を誤信したところまでは同じですが、傘を振り上げただけの相手を、金属バットで頭部を殴るという反撃は、誤信した侵害を前提にしても程度が超えています。

②で侵害が無く、③で過剰性がある、誤想過剰防衛です。3問目との違いは、反撃の程度が相当か過剰か、その1点だけです。

5問目・6問目——隣家の火事 図:5問目・6問目——隣家の火事

5問目です。Gの隣の家から深夜に火が出て、中から助けを求める声が聞こえました。玄関は炎でふさがっていたので、Gは隣家の窓ガラスを1枚割って中に入り、住人を助け出しました。②で危難が現実にあり、③で程度も相当なので、緊急避難が成立します。目印は、玄関が使えず窓を割るしかなかったこと、そして、壊した窓1枚と助けた命の釣り合いです。6問目です。同じ火事で、炎がHの家にも迫ってきました。Hは自分の家の古い家財を運び出そうとしましたが、通り道はそこしか無く、そこに置かれていた隣人の高価な美術品を、どかす余裕も無いまま外へ放り投げて壊しました。

②で危難が現実にあり、③で程度が過剰なので、37条1項ただし書の過剰避難です。5問目との違いは、守ったものと壊したものの釣り合いが取れているか、その1点です。

7問目——社長の命令と、荷崩れ 図:7問目——社長の命令と、荷崩れ

最後、7問目です。運送会社の運転手Iは、社長から、荷台に積める量を大きく超えて荷を積み、そのまま出発するよう命じられました。Iは危ないと抗議しましたが聞き入れられず、代わりの運転手もいないまま出発し、途中で荷崩れを起こして、通行人にけがをさせました。社長に追い込まれていても、それだけで緊急避難とは言えません。そこが今日のヤマです。この順番で見ます。まず①、事実も、許されるかの評価も、Iは取り違えていません。次に②。緊急避難は、生命・身体・自由・財産に対する現在の危難を避けるための行為でした。Iが受けていたのは社長の命令で、差し迫った危難ではありません。侵害・危難の場面に、そもそも当たらないんです。

緊急避難なら、行為そのものが許され、違法性が消えます。期待可能性の不存在は、行為は違法のまま、その人を責められるかという、責任の側の話です。違法性か責任か、はここで分かれます。ただし、第五柏島丸事件と同じく、道が狭められていても残っていたなら、無罪ではなく刑を軽くする方向になりますし、最高裁がこれを正面から採用して無罪とした例は無い、ということも忘れないでください。

判断順序フロー——第7章の総まとめ 図:判断順序フロー——第7章の総まとめ

最後に、今日使った判断の順序を、1枚のフローにまとめます。①何を見誤ったか。構成要件に当たる事実そのものなら事実の錯誤、許されるかの評価なら法律の錯誤です。②現実に侵害・危難があったか。あると思い込んだだけなら誤信の系列に、そもそも侵害・危難の場面でなければ④に進みます。③侵害・危難を前提にして、程度は相当か過剰か。誤信の系列なら、過剰で誤想過剰防衛・誤想過剰避難、相当で誤想防衛・誤想避難です。現実に侵害・危難があった場合は、相当なら正当防衛・緊急避難、過剰なら過剰防衛・過剰避難です。④そして最後、全部分かっていて、それでも他の道が無かったか。無ければ、期待可能性の不存在です。

今日の地図(保存版)

今日の到達点 図:今日の到達点

今日を振り返ります。期待可能性は、責任=非難可能性という定義から、条文が無くても導かれる考え方でした。「違うようにできたはずだ」と言えなければ、非難できません。その考え方が強すぎるからこそ、誰の目線で判断するかという3説の対立と、最高裁が理論の当否には踏み込まない慎重な姿勢が、同じ危うさへの2つの応答として存在していました。そして最後は、事実の錯誤・法律の錯誤・誤想防衛・誤想過剰防衛・緊急避難・過剰防衛・過剰避難・期待可能性の不存在を、1本のフローで選び分けました。これで、第7章は締めくくりです。

次章では、未遂、つまり修正された構成要件を見ていきます。

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第8章未遂

#58単独ページ動画

未遂犯と予備・陰謀

第8章 未遂 ①/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

導入——結果ゼロでも、なぜ処罰できるのか

未遂と予備、2つの場面 図:未遂と予備、2つの場面

第7章の最後で、次は未遂、つまり修正された構成要件を見ると言いました。今日から第8章です。Aが、Bを殺すと決めて、深夜Bの部屋に忍び込み、刃物を振り上げました。Bは物音で目を覚まし、逃げ出しました。刃物は振り下ろされていません。Bは無傷です。それでも、刑法はAを罰します。結果が出ていないのに、何を理由に罰するのか。今日は、まずそこから見ます。では、Aが1週間前にこの刃物を買った時点でも、もう罰せられるのか。答えは場合によります。同じ「結果が出ていない」場面でも、刃物を振り上げた瞬間と、刃物を買った瞬間では扱いがまったく違います。今日は、この2つの違いを、危険がどれだけ濃いか、という1つの物差しで説明します。

未遂犯の意義と既遂との関係

未遂犯の意義——時間的に修正された構成要件 図:未遂犯の意義——時間的に修正された構成要件

未遂犯とは、犯罪の実行に着手して、これを遂げなかった場合をいいます。ここで大事なのは、各本条の条文が、もともと何を想定して書かれているかです。殺人罪の条文は「人を殺した」場合を定めています。既遂、つまり成功した殺人を想定した条文です。未遂という言葉は、その条文には出てきません。殺人罪の条文自体は、既遂だけを定めた基本的構成要件です。未遂犯は、この基本的構成要件を、時間の軸で手前にずらして修正したものと理解します。だから答案でも、殺人未遂を論じるときは、未遂を罰する規定だけでなく、大本の殺人罪の199条も、未遂を罰する203条と併せて挙げます。

既遂の中身——結果犯と挙動犯 図:既遂の中身——結果犯と挙動犯

既遂がいつも結果発生の時点とは限りません、そこは犯罪の型によります。以前見た結果犯と挙動犯を思い出してください。結果犯なら、構成要件的結果が現実に発生した時点が既遂です。挙動犯なら、構成要件的行為が完全に遂行された時点が既遂になります。たとえば殺人なら人が死んだ時点、住居侵入なら家の中に入った時点です。この違いは、あとで未遂犯の処罰根拠を考えるときにも効いてきます。

43条・44条——未遂を罰する条文

未遂処罰の全体像 図:未遂処罰の全体像

では条文を確認します。43条と44条は、第2章で、窃盗の例と一緒に一度見ました。今日は未遂そのものの話として、改めて読みます。まず43条です。

条文刑法43条本文

刑法43条本文(未遂減軽) 犯罪の実行に着手してこれを遂げなかった者は、その刑を減軽することができる。

今のAが、まさにこの条文の対象です。43条には、自分の意思でやめた場合のただし書が続きます。前に全文を見たとき、中止未遂という名前だけ出てきた部分です。中身は中止未遂を扱う回で見ます。今日はこの本文だけを押さえてください。刑を軽くできるだけで、処罰そのものはできる、というのが本文の内容です。43条だけでは処罰できるとは限りません、そこが44条です。

条文刑法44条

刑法44条(未遂罪) 未遂を罰する場合は、各本条で定める。

この条文があるので、43条という総則の規定があっても、それだけで全部の罪の未遂が自動的に処罰されるわけではありません。殺人罪なら203条に未遂を罰する規定があるので、殺人未遂は処罰されます。

条文刑法203条

刑法203条(未遂罪) 第百九十九条及び前条の罪の未遂は、罰する。

反対に、たとえば他人の窓ガラスを割ろうとして石を投げ、外れた場合です。器物損壊罪には未遂を罰する規定が無いので、未遂としては罰されません。危険が濃い未遂でも、壊れるのが物1つのような軽い罪にまで罰を広げる必要は無い、と法律が罪ごとに選んでいるわけです。

未遂犯の処罰根拠

処罰根拠という問い 図:処罰根拠という問い

ここからが今日の核心です。構成要件的結果も、法益侵害も、まだ現実には生じていないのに、なぜ未遂犯を処罰できるのか。この問いへの答え方は、犯罪の本質をどう考えるかによって変わります。第1章で見たことを思い出してください。犯罪の本質を人の内面に求める説と、外部の行為・結果に求める説、それぞれ何と呼びましたか?

主観主義からの説明 図:主観主義からの説明

人の内面に求める説が主観主義、外部の行為・結果に求める説が客観主義でした。主観主義からは、犯罪を実現しようとする行為者の意思や、その性格の危険性に処罰根拠を求めます。Aの中に、Bを殺そうとする意思そのものが現れた時点で、処罰に値する危険がある、という説明です。ただ、主観主義を突き詰めると、Aが刃物を買った時点でも、殺そうとする意思はもう表れています。第1章で見たとおり、内面の危険だけを理由にすると、罰を止める歯止めが外側に無くなります。43条も「実行に着手して」と、外から見える行為で線を引いています。

客観主義内の対立——①と② 図:客観主義内の対立——①と②

これに対して客観主義は、行為者の内心ではなく、外部に現れた行為や結果に根拠を求めます。ただ、客観主義の内部でも、どんな危険を見るかで2つに分かれます。①法益侵害の具体的な危険が生じたことに根拠を求める説と、②構成要件的結果が現実に発生する危険が生じたことに根拠を求める説です。①は、被害者の生命や財産といった法益そのものに、具体的な危険が及んだかを見ます。②は、条文が定める結果、つまり構成要件的結果が現実に発生しそうだったかを見ます。似ていますが、次の場面で違いがはっきりします。

独自設例——放火のねじれ 図:独自設例——放火のねじれ

場面を変えます。たとえば、Aが、家族が出かけている間に、Cたちが住む家に火を付けました。前に見たとおり、現住建造物等放火罪は抽象的危険犯です。家が焼損すれば、周りの人たちの生命や財産に危険が実際に及んだかどうかに関係なく、既遂になります。この罪が守っているのは、その家だけでなく、不特定または多数の人の生命・身体・財産です。そして放火罪には、112条に、この罪の未遂を罰する規定もあります。たとえば、家は焼損したけれど、隣の家に火が及ぶ気配はまったく無かった場合でも、既遂です。

①説だと起きるねじれ 図:①説だと起きるねじれ

ここで①説を、言葉どおりに当てはめてみます。①説だと、放火罪の未遂が成立するには、この罪が守っている法益、つまり周りの人たちの安全に、具体的な危険が要ることになります。そこです。言葉どおりに読むと、既遂には要らない危険が、手前の段階の未遂には要る、という逆転が起きてしまいます。①説をそのまま当てはめると、112条がこの罪の未遂を罰していることと、かみ合いにくくなります。これが①説に向けられる批判です。手前で止まった場面でも確かめます。たとえば、Aが柱に灯油をまいて火を付けたものの、柱に燃え移る前にCが消し止めた場合です。隣の家には、火が及ぶ気配はありませんでした。

①説を言葉どおりに当てはめると、隣の家への具体的な危険が無いので、未遂にもならない、ということになりかねません。独立して燃え始めていれば、隣の家への危険が無くても既遂なのに、手前で止まると未遂にすらならない。軽いはずの未遂のほうが、成立しにくくなってしまうんです。もっとも①説の側からは、未遂で見る危険は、焼損という既遂に至る危険のことだ、と読み直す応答もありえます。②説なら、火を付けた時点で、柱が焼損に至る現実的な危険はもう生じているので、消し止められても未遂です。反対に、灯油を買って家の前まで来ただけなら、まだその危険は無いので、未遂ではありません。

②説を挙動犯に当てはめる 図:②説を挙動犯に当てはめる

②説の「構成要件的結果発生の現実的危険性」という言い方は、結果が生じる犯罪を思い浮かべた表現に見えます。ですが、住居侵入のような挙動犯にも未遂はあります。たとえば、他人の家の窓の鍵を壊している最中に、家の人に見つかった場合です。挙動犯まで含めて考えるなら、「構成要件が実現される現実的な危険」と読めばよいのです。結果犯なら結果の発生、挙動犯なら構成要件的行為をやり遂げること、どちらも構成要件の実現ととらえれば、②説は挙動犯にも同じ形で当てはまります。

同じ言葉が効く2つの場面 図:同じ言葉が効く2つの場面

この言葉は、前に早すぎた構成要件の実現を見たとき、実行の着手の説明でも出てきました。未遂を罰する理由がこの危険なら、どこから未遂になるかも、この危険が現実になった時点で線を引くことになります。

もう1つの対立軸との関係 図:もう1つの対立軸との関係

もう1つだけ、軸の名前に触れておきます。第6章で見た、結果無価値論と行為無価値論を覚えていますか。結果を重視するか、行為も重視するか、という対立でしたね。結果無価値論に立つと、未遂を罰する根拠を結果としての危険に求めやすく、行為無価値論に立つと、行為そのものの危険性に求めやすくなります。

予備罪——危険の物差しを手前に延ばす

予備の意義 図:予備の意義

次は、Aが1週間前に刃物を買っていた場面です。これが予備の話です。予備とは、犯罪の実行を目的としてなされる、犯罪の準備行為をいいます。実行に着手する前の段階なので、法益侵害の危険性は未遂よりもなお乏しいのが普通です。刃物を買う行為だけを見れば、料理に使うためかもしれず、誰かを襲うためとは限りません。危険が薄いところまで処罰を広げると、日常の行為まで巻き込んでしまいます。だから刑法は、放っておいた場合の被害があまりに大きい、ごく一部の重大な犯罪に限って、予備の段階から処罰します。

刑法典の予備・陰謀規定一覧 図:刑法典の予備・陰謀規定一覧

刑法典で、予備・準備・陰謀を罰する規定は、この9か条です。内乱、外患誘致・外患援助、私戦、放火、通貨偽造等、支払用カード電磁的記録不正作出、殺人、身の代金目的略取等、強盗。刑法典に定められた罪の数からすれば、ごく一部です。それだけ、予備の段階まで処罰を広げるのは例外的な扱いだ、ということです。丸暗記するより、被害の重大さと結びつけて理解するほうが確実です。たとえば、人の命や自由に関わる殺人・身の代金目的略取・強盗、国の存立に関わる内乱・外患・私戦、社会全体の安全や信用に関わる放火・通貨偽造・支払用カードの不正作出、という3つのまとまりです。

このうち、通貨偽造等準備と支払用カード電磁的記録不正作出準備の2つだけは、名前に「準備」と付いています。この2つは、罰する対象を「器械又は原料」の準備行為に限っています。それ以外の規定は、罪を犯す目的で行う準備行為であれば、対象がもっと広くなります。詳しくは次に見ます。

予備罪の分類と陰謀罪

予備罪の2つの作り方——従属予備罪と独立予備罪 図:予備罪の2つの作り方——従属予備罪と独立予備罪

予備罪の条文は、作り方で2つに分かれます。それぞれ1本ずつ、条文で見ます。

条文刑法201条

刑法201条(殺人予備) 第百九十九条の罪を犯す目的で、その予備をした者は、二年以下の拘禁刑に処する。ただし、情状により、その刑を免除することができる。

まず201条です。さっきのAが刃物を買った時点は、殺意を持って準備をしているので、この条文の対象になりえます。ポイントは、「第百九十九条の罪を犯す目的で」という書き方が、殺人罪の条文にぶら下がっていることです。201条は、それ自体で独立した犯罪の中身を定めているのではなく、199条の殺人罪という基本犯に従属する形で書かれています。このように、基本犯の構成要件に従属する形の予備罪を、従属予備罪と呼びます。237条の強盗予備なども同じ形です。

条文刑法153条

刑法153条(通貨偽造等準備) 貨幣、紙幣又は銀行券の偽造又は変造の用に供する目的で、器械又は原料を準備した者は、三月以上五年以下の拘禁刑に処する。

もう1つ、153条を見てください。これは、通貨偽造罪という基本犯の条文にぶら下がる書き方ではなく、それ自体で「準備」という独立した構成要件を持っています。こういう形の予備罪を、独立予備罪と呼びます。そして153条は、処罰する対象を「器械又は原料」の準備に絞っています。こうした規定を準備罪と呼びます。163条の4第3項も同じ限定です。

目的犯としての予備罪——目的の中身 図:目的犯としての予備罪——目的の中身

予備罪は「その罪を犯す目的で」という文言を持つ目的犯です。目的犯とは、故意に加えて、条文が定める目的まで要る犯罪でした。第2章で見た、故意の枠からはみ出す主観、主観的超過要素の一種です。この「目的」の中身をめぐって争いがあります。自分で実行する目的で準備することを自己予備、他人に実行させる目的で準備することを他人予備と呼びます。自己予備で予備罪が成立することに争いはありません。争いがあるのは、他人予備でも予備罪が成立するか、です。条文の書き方を見てください。201条は「第百九十九条の罪を犯す目的で」、つまり自分が殺人罪を犯す目的と読むのが自然です。だから、201条のように「〜の罪を犯す目的で」と書かれた予備罪は、自己予備に限るとする見方が多数で、Aが自分以外の誰かにBを殺させるつもりで刃物を用意していた場合のように、他人に殺させるつもりなら、201条の予備そのものには当たらないことになります。これに対して153条は「偽造又は変造の用に供する目的で」とだけ書いていて、誰が偽造するかを限っていません。だから独立予備罪の一部では、他人予備も含みうるとされています。今日は、この対立があることまでを押さえてください。

陰謀罪 図:陰謀罪

最後に陰謀にも触れておきます。陰謀とは、2人以上の者が、特定の犯罪を実行することについて話し合い、謀議することをいいます。たとえば、国の統治のしくみを壊そうと数人が集まり、いつどこを襲うか計画を練った段階です。危険性は予備よりさらに薄いので、内乱、外患誘致・外患援助、私戦の3つだけが処罰の対象です。試験で問われることはまずありませんが、危険の物差しが一番手前まで来ると、対象がここまで絞られる、ということだけ押さえておいてください。予備罪の共同正犯や教唆・幇助と、予備をやめた場合の扱いは、別の回でまとめて扱います。殺人予備・強盗予備の中身も、それぞれの罪を扱う回で改めて見ます。

未遂と予備・陰謀、規定の仕方の違い

規定の仕方の対比 図:規定の仕方の対比

最後に、今日の背骨を条文の作り方に戻します。未遂は、実行の着手があるので、法益侵害の現実的な危険が濃いと評価できます。だから、総則に43条・44条という一般規定を置いたうえで、各本条にも個別に規定を置く、二重の網になっています。条文の文字で比べてみます。203条は「未遂は、罰する」の一言だけです。未遂とは何か、刑をどう軽くできるかは、43条がまとめて引き受けているからです。予備には総則のまとめ規定が無いので、罪ごとに一から書くしかない。これが規定の仕方の違いです。予備・陰謀は、実行に着手する前の段階で、危険がなお薄いので、原則は不処罰です。だから、重大な罪の各本条にだけ規定を置くにとどめています。

同じ危険の物差しで、未遂も、予備・陰謀も、条文の作り方まで一貫して説明できます。

予備と未遂の境目 図:予備と未遂の境目

刃物を買った段階と、刃物を振り上げた段階。その境目には名前がついています。実行の着手です。今日は名前だけ覚えてください。

今日の地図(保存版)

今日の到達点 図:今日の到達点

今日を振り返ります。未遂犯は、既遂を想定した基本的構成要件を、時間的に修正したものでした。43条で減軽でき、44条で各本条に規定がある罪だけが対象です。抽象的危険犯に当てはめたときのねじれから、②の構成要件的結果発生の現実的危険性説が妥当でした。挙動犯まで含めるなら、構成要件が実現される現実的な危険と読めばよい、という話もしましたね。刑法典で処罰される予備・準備・陰謀は、限られた重大犯罪だけです。だからこそ、総則に一般規定を置かず、各本条にだけ個別の規定を置いています。どちらも結果は出ていませんが、振り上げた時点では危険が濃いので未遂、買った時点では危険は薄いけれど、殺人という重大な罪なので予備として罰されうる。1つの物差しで、2つの答えが出ました。Aがどの時点で、もう後戻りできない危険な段階に入ったと言えるのか、その判断基準を見ていきます。

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#59単独ページ動画

実行の着手(前編)

第8章 未遂 ②/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

導入——同じ一歩なのに、結論が変わる

同じ一歩、違う結末 図:同じ一歩、違う結末

Aは日曜の夜、誰もいない会社の事務所に窓から入り込みました。金庫のある部屋のドアノブに手をかけたところで、警備員に取り押さえられました。まだ何も手に取っていないこの段階で、窃盗の未遂になるのか、建物に入っただけの罪にとどまるのか。今日はまさにそこを決めます。では、同じAが家族の寝ている自宅に忍び込み、同じようにドアノブに手をかけたらどうなるか。結論が変わる可能性があります。事務所と自宅、何が違うと思いますか。今日は、この「人がいるかどうか」を含めた事情の重なりで、着手の時点が動くことを見ていきます。

未遂犯の成立要件——今日は着手のほうを扱う

今日の位置——2つの成立要件のうち片方 図:今日の位置——2つの成立要件のうち片方

未遂犯が成立するには、2つの要件が要ります。1つは実行の着手、もう1つは構成要件的結果が発生しなかったことです。前回は、未遂をなぜ罰するのかという理由と、予備・陰謀との違いを扱いました。予備と未遂を分ける境目には、実行の着手という名前があると言いましたね。今日がその回です。43条をもう一度見てください。

条文刑法43条本文

刑法43条本文(未遂減軽) 犯罪の実行に着手してこれを遂げなかった者は、その刑を減軽することができる。

「実行に着手して」という言葉が、今日のテーマにそのまま対応します。もう1つの「遂げなかった」は、構成要件的結果が発生しなかったことを意味します。今日は深入りしません。未遂の効果を扱う回で、あらためて関わってきます。

今日の地図 図:今日の地図

今日はこの4つを見ます。着手時期の学説3つ、判断基準の中身、判例5件へのあてはめ、そして主観的要素の扱いです。丸暗記はしません。1つの物差しで説明できることを、最後まで見れば分かります。

着手時期の学説3つ

主観説 図:主観説

まず主観説です。犯意が外部的に明らかになった時点で、実行の着手を認めます。犯罪の本質を、行為者の意思や性格の危険性に求める主観主義刑法理論から、そのまま導かれます。ただ、この説だと処罰の時期が早くなりすぎるという批判があります。前回、内面の危険だけを理由にすると、外側に歯止めが無くなると話しましたね。着手の場面でも同じ問題が起きます。

形式的客観説 図:形式的客観説

次に形式的客観説です。構成要件に該当する行為そのものを開始した時点で、実行の着手を認めます。この説の長所は、条文の文字に忠実な点です。罪刑法定主義の要請に合っています。ただ、実際に当てはめると大きな不都合が出ます。窃盗罪の条文が定める行為は「窃取」です。形式的客観説を徹底すると、財物に手が触れるまで着手はないことになります。住居に入り込んで物色しているだけでは、まだ着手にはならないことになってしまいます。物色中に取り押さえられても、住居侵入だけになってしまう。これは常識に合いません。形式的客観説を徹底すると、Aは窃盗未遂にすらならないことになります。この不都合が、次の説へつながります。

実質的客観説(通説) 図:実質的客観説(通説)

そこで実質的客観説です。構成要件的結果発生の現実的危険性を含む行為を開始した時点で、実行の着手を認めます。前回、未遂を罰する理由を、②の構成要件的結果発生の現実的危険性説で立てました。処罰根拠をこの危険に求める以上、着手もこの危険が現実になった時点で線を引くのが筋です。理由も着手の基準も、同じ1本の言葉でつながっています。物色している時点で、財物が盗まれる現実的な危険はもう生じています。危険の中身を見れば着手を認められます。これが現在の通説です。では判例もこの説なのか。判例がこの説だと言い切るには、そこは少し慎重に言う必要があります。判例の多くは、実質的客観説によっていると言われています。ただ、判例自身がこの立場を名乗っているわけではありません。危険が現実になった時点という発想で判断していると読める、という言い方が正確です。

3つの学説の違い——同じ一歩に当てはめると 図:3つの学説の違い——同じ一歩に当てはめると

ここで、3つの学説を同じ場面に当てはめて比べてみましょう。冒頭のAです。主観説なら、Aが金庫の現金を狙う意思を外に見せた時点で着手を認めます。事務所に侵入する前、家を出た時点でも構いません。事務所に侵入する前でも着手を認めてしまう点が早すぎる、そこが批判でした。形式的客観説なら、条文の「窃取」という行為そのもの、つまり財物に手が触れた時点です。形式的客観説では、まだ着手が無いことになります。常識に合いません。実質的客観説なら、金庫のある部屋のドアノブに手をかけ、財物に向かう危険が生じた時点です。

だからこそ、通説である実質的客観説の中身を、この先さらに具体的に見ていく必要があります。

実質的客観説の内側にある向き 図:実質的客観説の内側にある向き

実質的客観説の内側にも、説明の向きの違いがあります。結果が発生する危険そのものを見る向きと、行為の危険な性質を見る向きです。どちらかに決着しているわけではなく、どちらも通説の枠の中の考え方です。今日は、同じ通説の中に2つの向きがある、とだけ押さえてください。

判断基準の中身——危険性と密接性の役割分担

密接性の3要素、覚えていますか 図:密接性の3要素、覚えていますか

皆さん、前の回で見た道具を思い出せますか?早すぎた構成要件の実現の回で見た、密接性の3要素です。①必要不可欠だったか、②障害となる特殊の事情がないか、③時間的場所的に近いか、の3つでした。今日は、この道具がどこで役に立つのかを説明します。

⭐ 論文で書く規範:判断基準の役割分担 実行の着手は、構成要件的結果発生の現実的危険性を含む行為を開始した時点で認める(実質的客観説)。ただし「危険性」という言葉だけでは、複数の行為にまたがる事案で、いつその危険が生じたのかが決まらない。 そこで密接性(①必要不可欠か ②障害となる特殊の事情がないか ③時間的場所的に近接しているか)が、複数行為が絡む事案で時点を固定する道具として役割を持つ。 (判断基準の役割分担(危険性=中身/密接性=時点の固定))

危険性という言葉は、着手の判断で何を見るかという中身を示します。密接性は、複数の行為にまたがる事案で、時点をどこまでさかのぼれるか固定する道具です。今日の窃盗3件は、1つの行為の中で危険が濃くなっていく事案です。ここでは密接性の出番は小さい。ただ、性犯罪と放火の判例では、先の行為と後の行為が分かれています。そこで密接性の考え方が効いてきます。この危険性が、事案ごとにどんな事情で濃くなるのか、判例5件で具体的に見ていきます。

判例①窃盗罪の実行の着手

窃盗3判例、同じ物差しで違う時点 図:窃盗3判例、同じ物差しで違う時点

窃盗罪の判例を3つ見ます。3件とも、他人の住居や店舗、土蔵に入り込もうとする場面の事件です。ですが、着手が認められる時点はそれぞれ違います。入り込むかどうかだけで決まるわけではありません。3件とも、財物に向けて何をしたかが結論を分けています。まず1件目です。

判例最高裁判決 昭和23年4月17日(第二小法廷)

窃盗罪の着手——住居に侵入して物色した段階 被告人らは共謀のうえ食料品等を窃取しようとA方に侵入し、懐中電灯で照らしながら食料品等を物色中に警察官等に発見され、目的を遂げなかった。 「窃盗の目的で他人の屋内に侵入し、財物を物色したというのであるから、このとき既に、窃盗の着手があつたとみるのは当然である。」

財物を物色している以上、財物が盗まれる現実的な危険はもう発生しています。だから物色した時点で着手が認められました。次は少し違う事案です。

判例名古屋高等裁判所判決 昭和25年11月14日

窃盗罪の着手——土蔵の外扉の錠を破壊した段階 窃盗の目的で土蔵に侵入しようとして、土蔵の外扉の錠を破壊してこれを開いた。この時点で、既に窃盗の着手があったと認められた。

2件目は、まだ物色すらしていません。土蔵の外扉の錠を壊して開いた時点で、着手が認められています。住居の事案より手前の段階で着手を認めた、そこが今日の核心です。土蔵は、住居と違って中に普段人がいません。判決は、土蔵には普段、盗む対象になる物だけがあって人は住んでいないから、入ろうとすれば盗むつもりが外からも分かる、と述べています。実質的客観説の目で言い直せば、錠を壊した時点で、財物が盗まれる現実的な危険が生じているということです。人が住んでいる家は、どこに何があるかも分からず、住人に止められることもあります。だから物色したり、金品のありそうな場所に近づいたりして、はじめて危険が濃くなります。人のいない土蔵なら、外扉さえ突破すればあとは財物にほぼ自由にたどり着けます。土蔵はそもそも物をしまっておくための建物なので、扉を破ることが、そのまま財物に近づくことになるんです。この違いが時点を分けています。

判例最高裁決定 昭和40年3月9日(第二小法廷)

窃盗罪の着手——深夜の店舗で煙草売場に向かいかけた段階 深夜、電気器具商の店舗内に忍び込み、懐中電灯で店内を照らして電気器具類があることは分かったが、なるべく現金を盗りたいので、煙草売場の方に行きかけた際に、被害者らが帰宅した。窃盗の着手行為があったものと認められた。

3件目です。深夜、真っ暗な店に忍び込んだ犯人は、電気器具があることを確認しました。ですが現金を狙って、煙草売場の方に向かいかけました。この時点で着手が認められています。深夜の店舗で、目当ての現金に動き出した時点で危険が生じています。侵入しただけの段階では、まだ何を盗るかも決まっていません。目当ての物に向けて動き出したことが、危険を濃くしています。この事件には、もう1つ知っておいてほしい背景があります。煙草売場に向かいかけたところで被害者らが帰宅し、犯人は逮捕を免れるために暴行を加えました。事後強盗の成否が争われた事件です。

事後強盗とは、窃盗犯人が、逮捕を免れるために暴行や脅迫をした場合の罪です。238条に定めがあります。事後強盗として処罰するには、その前提として「窃盗の犯人」でなければなりません。238条の中身そのものは、また別の回で扱います。今日は、窃盗の着手がどの時点で認められたかという部分だけを見てください。

窃盗3判例の比較——人・時間帯・距離・時点 図:窃盗3判例の比較——人・時間帯・距離・時点

3件を一度、表にして並べてみます。物色型は住居で、人がいる可能性があります。この事案では、物色した時点で着手が認められました。錠破壊型は土蔵で、通常人がいません。だから外扉を破っただけで、もう危険は生じています。煙草売場接近型は深夜の真っ暗な店舗です。目当ての財物に向けて動き出したことが、危険を濃くしました。次に、この重なり方から見えてくる共通の物差しを取り出します。

3件に共通する物差し 図:3件に共通する物差し

3件を並べると、共通の物差しが見えてきます。1つ目、その場に人がいるか。人がいない事情は時点を前倒しします。2つ目、目当ての財物にどれだけ近づいたか。3つ目、次の一歩で財物に手が届くか。この重なり具合で危険の濃さを判断しています。3件とも、財物に向けて何をしたかが結論を分けています。この物差しを使って、少し考えてみてください。

考えてみてください 図:考えてみてください

深夜の住宅に忍び込んだAが、まだ何も物色していない段階で家の人に見つかったとします。窃盗の着手はあるでしょうか。ヒントは、住居と土蔵の違いです。住居は人がいる可能性が高い分、物色したり、金品のありそうな場所に近づいたりして、はじめて危険が濃くなります。土蔵の事案と同じ結論にはなりません。実際の事案でも、住居侵入型は物色の段階で着手を認めています。同じ「侵入」でも、対象が住居か土蔵かで必要な次の一歩の重さが変わるということです。この物差しは、判例の結論をそのまま丸暗記する道具ではありません。事情が変われば時点も動く、という使い方をする道具です。

判例②性犯罪の実行の着手

一連の流れに向かう危険 図:一連の流れに向かう危険

次は性犯罪の判例です。今の法律でいえば、不同意性交等罪、177条にあたる場面です。名前は変わっていますが、着手の考え方そのものは変わりません。まずは事案を見てください。

判例最高裁決定 昭和45年7月28日(第三小法廷)

性犯罪の着手——被害者を車に引きずり込もうとした段階 抵抗する被害者女性を、ダンプカーの運転席に引きずり込み、発進して約5.8キロメートル離れた場所まで移動し、その場で反抗を抑圧して姦淫した。引きずり込む際の暴行により、被害者は負傷した。 「被告人が同女をダンプカーの運転席に引きずり込もうとした段階においてすでに強姦に至る客観的な危険性が明らかに認められるから、その時点において強姦行為の着手があつたと解するのが相当であり、……」

引きずり込もうとした段階で、姦淫そのものにはまだ何も手をつけていません。それでも、その先に続く一連の行為に向かう危険性が明らかだ、という判断です。発進して移動して、抵抗を抑圧して姦淫するという流れ全体を見ています。引きずり込むことと、その後の行為は、別々の行為です。ですが、運転席に入れてしまえば、被害者には逃げる手立てがほとんどありません。引きずり込むことは、後の行為に欠かせない一歩で、止めるものも無い。前に見た密接性の目で見ても、後の行為と密接だといえます。だから、引きずり込もうとした時点までさかのぼって、危険が明らかだと判断できるわけです。けがをさせた重い罪、つまり致傷の罪が成立するには、実行行為の中でけがをさせたと言える必要があります。

事案では、引きずり込むときの暴行で被害者がけがをしていました。引きずり込もうとした時点で既に着手があったと言えなければ、その負傷を致傷として評価できません。着手の時点がどこかが、まさにここで勝負を分けました。着手を引きずり込もうとした段階に認めたことで、そこでの負傷が一貫して致傷として評価できます。窃盗の物色型と似ています。あの事案も、物色という行為より先で財物が盗まれる危険を見ていました。罪名が変わっても、着手を決めるのは43条の同じ物差しです。危険が明らかになった時点で線を引く発想は動きません。177条の要件そのものは、また別の回で扱います。

判例③放火罪の実行の着手

点火の前でも、危険は完成している 図:点火の前でも、危険は完成している

最後は放火罪です。自宅で焼身自殺を図ろうとした行為者が、ガソリンを撒きました。その後、タバコを吸おうとライターに火をつけたところ、蒸気に引火して全焼した事案です。

判例横浜地方裁判所判決 昭和58年7月20日

放火罪の着手——ガソリンを撒布した段階 自宅で焼身自殺を図ろうとした被告人が、ガソリンを撒布した後、ライターに火をつけたところ、撒布したガソリンの蒸気に引火・爆発し、家屋を全焼させた。 「ガソリンの強い引火性を考慮すると、そこに何らかの火気が発すれば本件家屋に撒布されたガソリンに引火し、火災が起こることは必定の状況にあったのであるから、被告人はガソリンを撒布することによって放火について企図したところの大半を終えたものといってよく、この段階において法益の侵害即ち本件家屋の焼燬を惹起する切迫した危険が生じるに至った」として、ガソリンを撒布した時点で実行の着手を認めた。

ガソリンを撒いた時点で、着手が認められました。理由は、ガソリンという物質の強い引火性です。点火という別の行為を待たなくても、既に切迫した危険は生じています。危険性の発生は、いつも行為者の次の動作を待つとは限りません。物の性質そのものが、危険を前倒しすることがあります。撒くことと火をつけることは、別々の行為です。ですが撒いてしまえば、火をつけるのはライター1つですぐにできる一歩です。判決が「企図したところの大半を終えた」と言うのは、この近さのことです。

条文刑法108条

刑法108条(現住建造物等放火) 放火して、現に人が住居に使用し又は現に人がいる建造物、汽車、電車、艦船又は鉱坑を焼損した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の拘禁刑に処する。

条文の言葉も確認しておきます。108条は、結果を「焼損」と定めています。判決の言う「焼燬を惹起する切迫した危険」は、今の条文でいう焼損に向かう危険のことです。今日見ているのは、焼損がいつ起きるかではなく、その手前で危険が生じた時点です。人の不在、目的物への接近、行為の先に続く危険、物の性質。理由は事案ごとに違って見えますが、すべて危険がいつ濃くなったかへの答えです。

着手時期と主観的要素

主観をどこまで考慮するか 図:主観をどこまで考慮するか

実質的客観説は、危険性という客観的な事情を見る立場です。ただ、その判断材料として主観をどこまで考慮してよいかは、また別の対立があります。客観説でも、主観を判断材料に持ち出すことがあります。そこが論点です。3つの考え方があります。A説は、行為者の意図や計画、性格の危険性まで考慮します。B説は、故意または過失だけを考慮します。C説は、主観的要素はいっさい考慮しません。

3説の違い——同じ行為に当てはめると 図:3説の違い——同じ行為に当てはめると

3つの説を、同じ行為に当てはめて比べてみましょう。盗る目的か、確かめるだけの目的か分からない場面で、ポケットの外側に手が触れたとします。A説なら、盗る目的だと分かれば着手を認め、確かめるだけの目的だと分かれば着手を否定できます。B説なら、窃盗の故意さえあれば足ります。盗る目的でも確かめる目的でも、盗るつもりがあれば着手の方向です。C説なら、主観を見ないので、ポケットに触れたという外側の事実だけで判断します。盗る目的でも確かめる目的でも、同じ結論になります。だからこそ、主観をどこまで考慮するかが、独立の論点になっています。

主観を考慮するA説やB説でも、主観は、あくまで判断材料にとどまります。主観だけで着手が決まるわけではありません。理由は、危険の濃さが、その行為の次の一歩に何が続くかで決まるからです。同じようにポケットの外側に触れても、盗る目的なら、次の一歩は手を入れて財布を抜くことです。確かめるだけの目的なら、その先に盗る動作はありません。外から見れば同じ行為でも、目的次第で、結果に向かう危険の濃さが変わります。主観を考慮する立場が、目的を判断材料にするのはこのためです。

判例最高裁決定 昭和29年5月6日(第一小法廷)

あたり行為——ポケットの外側に触れた段階 被害者のズボン右ポケットから現金をすり取ろうとして、同ポケットに手を差しのべ、その外側に触れた。 「同ポケツトに手を差しのべその外側に触れた以上窃盗の実行に着手したものと解すべきこというまでもない。」

短答でよく問われる判例です。盗る目的でポケットの外側に触れた時点で、着手が認められました。この判例が判示したのは、この肯定の判断だけです。確かめるだけの目的なら着手にならない、とよく対比で紹介されますが、判例自身の判断ではありません。主観を考慮する立場から、目的によって次の一歩があるかどうかが変わる、という見方を当てはめた帰結です。主観が、行為の危険性の濃さを判断する材料になっている一例です。

今日の地図(保存版)

今日の到達点 図:今日の到達点

今日を振り返ります。着手時期の学説は3つありました。主観説、形式的客観説、実質的客観説です。処罰根拠を現実的危険性に求めた以上、着手もこの危険が現実になった時点で線を引きます。これが実質的客観説の一本道でした。冒頭のAをそれぞれの学説に当てはめただけで、結論がばらばらでした。窃盗3件は、1つの行為の中で危険が濃くなる事案でした。性犯罪と放火は、先の行為が後の行為と近いから、先の行為の時点で線を引けた事案でした。人がその場にいるか、目当ての物にどれだけ近づいたか、次の一歩で手が届くか。この重なり具合で、時点が決まっていました。

3つの説を同じ行為に当てはめただけでも、結論が割れることが分かりましたね。最初のAに戻ります。事務所の金庫のドアノブに手をかけた時点、まだ財物には触れていません。ですが、無人の建物で、金庫のある部屋という目当ての場所に手をかけています。土蔵の事案に近く、着手を認める方向に傾きます。家族が寝ている自宅だったら、部屋のドアノブに手をかけただけでは、まだ着手とは言いにくい方向に傾きます。住居は、入り込んだだけでは、着手とは言いにくいです。物色したり、金品を探して目当ての場所に近づいたりするところまで進んで、危険が濃くなります。事情が1つ変わるだけで、同じ一歩でも評価が変わる。これが今日の背骨でした。行為者と結果のあいだに他人や距離、時間が挟まる場面(間接正犯や離隔犯、特殊詐欺、不作為犯の着手)と、未遂の効果は、別の回で扱います。

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#60単独ページ動画

実行の着手(後編)

第8章 未遂 ③/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

導入——手の届かないところで起きること

Bは、まだ何も渡していない 図:Bは、まだ何も渡していない

Aは、警察官を名乗り、Bに電話をかけました。「犯人がBの名前を言っている」「今すぐ預金を全部下ろした方がいい」といった作り話を重ねました。Bはこれを信じて、言われたとおりに預金の払戻しに向かいました。警察官を装ってBのもとへ現金を受け取りに向かっていたAの仲間Cは、その途中で発見されて確保されました。「渡してください」とも、まだ言われていません。それでも、詐欺は始まっていたと言えるのか。先に答えを言うと、始まっていました。なぜそう言えるのかを、今日見ます。前回は、行為者自身の一歩で完結する場面、窃盗や放火を見ました。今日は、行為者の手と結果のあいだに、他人・距離・不作為が挟まる場面を見ます。同じ物差しを使いますが、今日はもう1つ、問いを付け加えます。「行為者がもう何もしなくても、結果に向かって進む状態になったのは、いつか」。この問いで、4つの場面を1本につなぎます。

間接正犯の着手時期——学説3つ

間接正犯、覚えていますか 図:間接正犯、覚えていますか

間接正犯を覚えていますか。他人を道具として利用し、実行行為を行う場合でしたね。今日は、その間接正犯で、いつ着手が認められるかを扱います。行為者が道具を使い始めた時点か、道具が実際に動いた時点か、まさにそこが割れています。3つの学説があります。

間接正犯3説と、同一設例への当てはめ 図:間接正犯3説と、同一設例への当てはめ

まず利用者標準説です。利用者が被利用者を犯罪に誘い込む行為を始めた時点で、着手を認めます。被利用者は道具のような存在だから、利用行為そのものに、もう結果発生の現実的な危険が認められる、という考え方です。次に、判例が採っているとされる被利用者標準説です。被利用者が実行行為を開始した時点で、着手を認めます。被利用行為は、被利用者自身の意思に基づいて行われます。だから利用行為の時点では、まだ危険は現実になっていない、という批判が利用者標準説に向けられます。最後に個別化説です。間接正犯にはいろいろな態様があり、利用行為の開始で危険が生じる場合もあれば、被利用者の行為開始で初めて危険が生じる場合もある。だから一律にどちらかを基準にするのは不当で、個々の具体的な事案に照らして、現実的な危険が生じた時点で着手を認めます。

1つの設例に3説を当てはめて、違いを見てみましょう。Aが、事情を知らないBに毒入りの菓子を渡し、Bを介してCに食べさせようとしたとします。Bは、菓子に毒が入っていることを知りません。だから客観面・主観面の要件はAだけが満たし、間接正犯が成立しうる場面です。利用者標準説なら、AがBに菓子を渡した時点で着手です。被利用者標準説なら、BがCに菓子を渡す、つまりBが実行行為を始めた時点です。個別化説は、この設例だけでは時点を1つに決めません。Bがどういう立場かで変わります。

なぜ一律に決められないか 図:なぜ一律に決められないか

なぜ個別化説が説得力を持つのか、考えてみます。間接正犯には、被利用者が善意でそのままほぼ確実に実行してしまう型があります。この型なら、利用者が道具を使い始めた時点で、もう危険は現実的です。一方で、被利用者が途中で気づいて捨ててしまうかもしれない、被利用者の行動しだいで結果に届くかどうかが変わる型もあります。間接正犯という1つの概念のなかに、性質の違うこの2つの型が両方含まれています。だから、どちらか一方の行為を機械的に基準にするのは、うまくいきません。菓子の設例に戻します。Bが何も疑わず、受け取ったらそのままCに渡すしかない立場なら、Aが菓子を渡した時点で、Aがもう何もしなくても結果に向かって進む状態です。個別化説では、そこが着手です。反対に、Bが途中で怪しんで捨てるかもしれない立場なら、Aが渡しただけではまだ進むとは言えません。BがCに菓子を差し出す時点まで待ちます。個別化説は、前回の物差し、現実的な危険が生じた時点で線を引く、を間接正犯にそのまま当てた考え方です。判例は被利用者標準説の言い方をとることが多いとされますが、個別化説の発想は、その背後にある考え方として押さえておく必要があります。

実行行為性と着手時期——問う次元が違う

実行行為になりうることと、危険が現実になったこと 図:実行行為になりうることと、危険が現実になったこと

ここは、問う次元が違うと整理すると分かりやすくなります。他人を一方的に支配・利用し、正犯意思を持って実行する、これが満たされれば、間接正犯という実行行為になりうる、という一般論でした。ですが、実行行為になりうることと、もう危険が現実になったことは、別の問いです。結果が発生していれば、間接正犯として実行行為性が認められれば、既遂として処理できます。ですが、結果が発生していない、つまり未遂が問題になる事案では、別に、いつ危険が現実になったかという着手時期も検討する必要があります。だから、未遂の事案では2段階の検討があります。さっきの菓子で言えば、Cが食べて亡くなったなら、どの説でも既遂で、着手の時点は争いになりません。Cが口にせずに済んだとき初めて、3説のどれで時点を決めるかが答えを分けます。

1段目は実行行為になりうるか、2段目はいつ危険が現実になったかです。

離隔犯——郵送された毒物は、いつ着手か

発送時点か、到達時点か 図:発送時点か、到達時点か

次は離隔犯です。行為者と結果のあいだに、距離が挟まる場面を見ます。Aが、毒物を混ぜた砂糖をBに郵送しました。Bはそれを受け取りましたが、食べなかったため、死亡という結果は生じませんでした。着手の時点の候補は、Aが郵送の手続を終えた発送の時点、Bのもとに届いた到達の時点、この2つです。発送してしまえば、あとは郵便が運ぶだけで、行為者はもう何もしていないので、発送時点で着手にしてもよさそうに見えます。そう考えたくなりますが、判例はそう判断しませんでした。

判例大審院判決 大正7年11月16日(要旨)

離隔犯——郵送された毒物、到達した段階 行為者が、毒物を混ぜた砂糖を、郵便で名宛人のもとへ送った。名宛人はこれを受け取ったが、食べなかったため、死亡結果は生じなかった。この事案で、名宛人が毒物入りの砂糖を受け取った時点、つまり到達した時点で、殺人罪の実行の着手が認められた。

判例は、Bのもとに毒物入りの砂糖が届いた時点で、殺人罪の実行の着手を認めました。発送しただけでは、砂糖が確実に相手に届くとは限りません。郵便の途中で事故が起きて届かないこともありえます。また、届いたとしても、相手がすぐに口にするとは限りません。届いた時点でいつでも口にできる状態になっていること、そこが決め手です。相手の手元に届き、いつでも口にできる状態に置かれて初めて、死亡結果に向かう現実的な危険が具体化する、という判断です。発送しただけの段階では、その危険はまだ仮定の話にとどまっています。郵便を、Aの意思どおりに動く道具のように見れば、受け取る側の動きで時点を選んだ点が、被利用者標準説と同じ発想になります。ただ、この事案で挟まっているのは、道具にされた他人ではなく、郵便による距離です。離隔犯の到達時点の先例として押さえてください。

特殊詐欺の着手——電話のうそだけで、もう始まっているか

一連のうそが、結果に向かう道筋になる 図:一連のうそが、結果に向かう道筋になる

続いて特殊詐欺です。冒頭のAとBの場面、覚えていますか。Bは前日、別の作り話にだまされて、現金100万円を渡していました。その翌日、警察官を名乗る人物から電話がありました。「犯人がBの名前を言っている」「今すぐ預金を全部下ろした方がいい」「前日の100万円を取り返すので協力してほしい」——そう告げられました。Bはこれを信じて、預金の払戻しに向かいました。さらに別の電話で、同じく警察官を名乗る人物から、「僕、向かいますから」と、訪ねてくることを告げられました。そして、警察官を装って現金を受け取る役のCが、Bの自宅へ向かいました。

Cは、自宅に着く前に、本物の警察官の職務質問を受けて確保されました。この事案で、詐欺罪の実行の着手が認められるかが争われました。

判決が見た3つの点 図:判決が見た3つの点

判例最高裁判所第一小法廷判決 平成30年3月22日

詐欺罪の着手——現金交付を求める文言が無い段階 このような事実関係の下においては、本件嘘を一連のものとして被害者に対して述べた段階において、被害者に現金の交付を求める文言を述べていないとしても、詐欺罪の実行の着手があったと認められる。

判決は、こう述べました。本件のうそを一連のものとして被害者に対して述べた段階において、被害者に現金の交付を求める文言を述べていないとしても、詐欺罪の実行の着手があったと認められる、というものです。理由をたどってみましょう。前回、密接性という道具を見ました。必要不可欠か、障害となる特殊の事情がないか、時間的場所的に近接しているか、でしたね。前回は、性犯罪や放火のように、先の行為と後の行為が分かれる場面で、密接性の考え方が効いてくると言いました。ただ、この判決の法廷意見は、密接という言葉を一度も使っていません。次の3つの点から判断しています。1つ目、うその内容です。預金を引き出させるうそは、Bが現金を渡すかどうか決める前提として、計画のうえで用意されたものでした。2つ目、うそは段階を踏んで重ねられ、預金を下ろして自宅に置かせる文言や、間もなく警察官が訪ねるという予告のように、現金を求める行為に直接つながるうそが含まれていました。3つ目、Bはすでに前日の100万円の被害に遭っていました。この状態でうそを信じさせることは、Cが着けばすぐに現金を渡してしまう危険を、著しく高めるものでした。

うそを言った段階で、もう結果に向かう道筋ができあがっていました。残っているのは、訪ねてきたCが求めるだけ、という段階まで来ていました。だから、渡してくださいという文言が無くても、着手が認められました。では、渡してくださいと言うまで着手を認めずに待つと、どうなるか。待つと、Cが玄関で一言言う直前に確保された場合、ここまでBを動かし切っていても、詐欺としては未遂にもなりません。危険はもうそこまで来ているのに、文言の有無だけで処罰が決まってしまう、そこが困る点です。電話でうそをつけば、いつでも詐欺の着手になるとまでは言えません、そこは注意が必要です。この事案のうそは、現金を交付させるという結果に直接つながる内容で、しかも一連のものとして重ねられていました。条件抜きに、うそをつけば常に着手になる、という話ではありません。なお、この判決には、密接性という観点に触れた補足意見も付いています。これは法廷意見とは別の、1人の裁判官の考え方です。法廷意見と混ぜて覚えないようにしてください。

不作為犯における実行の着手時期

不作為犯の回で見た絞り、覚えていますか 図:不作為犯の回で見た絞り、覚えていますか

不作為犯の回で見た、不真正不作為犯が成立するための絞り、覚えていますか?構成要件的同価値性です。上位の判断で、中身は、①法的な作為義務の存在と、②作為の可能性・容易性でした。着手の前に、まずこれが要ります。この同価値性が認められて、初めて実行行為性が認められます。今日は、その先の着手の話です。不作為には、2つの場合分けがあります。

危険はいつ生じたか——2つの場合分け 図:危険はいつ生じたか——2つの場合分け

1つ目は、不作為によって初めて、結果発生の現実的な危険が生じる場合です。Aが、日々の世話が必要な、同居している高齢のBへの食事の提供をやめたとします。では、やめた直後に、もう着手になるか。やめた直後は、まだ着手にはなりません。やめた直後は、まだBの体力はある程度保たれています。危険はまだ現実的ではありません。何日かたってBが衰弱し、自分で食べ物を取りに行けなくなった、そのように生命の危険が具体化した時点で、初めて着手が認められます。2つ目は逆に、不作為より前から、既に危険が生じている場合です。Aが、火の手が回り始めた自室にいる同居のBを見つけたのに、消火も通報も避難誘導もせずに立ち去ったとします。

この場面では、火が既に、Bに向かう危険を生じさせています。Aが何もしなかった、その不作為の時点で、速やかに着手が認められます。Bが弱るまで待つ、とはなりません。Aが立ち去った時点で、Aがもう何もしなくても、火はBに向かって進んでいます。そこでまだ着手ではないとすると、既に始まっている危険を見逃すことになります。作為の場合と同じ物差し、現実的な危険がいつ生じたかを使っていますが、不作為の場合は、危険の発生源が不作為そのものにあるか、不作為より前からあるかで、探す場所が変わります。

構成要件的結果の不発生と、未遂犯の効果

結果が出なくても、因果関係が無くても未遂 図:結果が出なくても、因果関係が無くても未遂

未遂が成立するには、もう1つ要件があります。43条の「これを遂げなかった」、構成要件的結果が発生しなかったことです。では、結果が出なければ、それだけで未遂か。結果犯では、そう考えてよい場面が多いです。ただし、因果関係が否定される場合も、忘れないでください。以前、実行行為と結果のあいだに因果関係が認められて、初めて既遂になると言いました。だから、結果が現に生じていても、因果関係が否定されれば、未遂として扱います。因果関係の回で、Aに襲われて逃げたBが、帰り道に落ちてきた資材で亡くなった例を見ました。Aは殺人未遂でしたね。住居侵入のような、結果という要素の無い挙動犯では、構成要件的行為をやり遂げなかったことが、これにあたります。結果の不発生の話は、ここまでにします。

44条・43条本文を、もう一度 図:44条・43条本文を、もう一度

では未遂犯の効果を、条文で確認します。44条から見ましょう。

条文刑法44条

刑法44条(未遂罪) 未遂を罰する場合は、各本条で定める。

未遂の全体を見た回で読みましたね。未遂を罰するのは、各本条に規定がある罪だけです。

条文刑法43条本文

刑法43条本文(未遂減軽) 犯罪の実行に着手してこれを遂げなかった者は、その刑を減軽することができる。

「減軽することができる」、この言葉が今日の核心です。裁判所の裁量に委ねる、任意的減軽です。今日、着手が認められた場面はすべて、この43条本文の対象、障害未遂、つまり自分の意思でやめたのではなく、邪魔が入るなどして遂げられなかった未遂にあたります。43条には、ただし書があります。

本文とただし書、言い方の違い 図:本文とただし書、言い方の違い

「ただし、自己の意思により犯罪を中止したときは、その刑を減軽し、又は免除する。」これがただし書です。本文の「減軽することができる」ではなく、「減軽し、又は免除する」。言い方が違う、そこが重要です。本文は裁判所の裁量、ただし書は、要件を満たせば確定的に効果が生じる、必要的減免です。今日は、本文とただし書で、条文の言い方がこれだけ違うことだけ、押さえておいてください。

今日の地図(保存版)

今日の到達点 図:今日の到達点

今日を振り返ります。行為者がもう何もしなくても、結果に向かって進む状態になったのは、いつか。この問いで、4つの場面を見ました。間接正犯には、利用者標準説・被利用者標準説・個別化説の3つがあり、判例は被利用者標準説をとるとされますが、背後には、事案ごとに危険の生じた時点を探す個別化説の発想がありました。離隔犯は、発送時点ではなく、届いていつでも口にできる状態になった時点でした。特殊詐欺は、現金の交付を求める前でも、この事案のうその内容と重ね方、そして前日の被害のあとで現金を渡してしまう危険が高まっていたことから、着手が認められました。不作為犯は、危険が不作為によって生じるか、それより前から生じているかで、着手の時点の探し場所が変わりました。最後に、43条本文が任意的減軽、ただし書が必要的減免という違いも見ました。冒頭のAとBに戻ります。現金を求める文言はまだ無くても、一連のうそがBを動かし切っていました。だから、詐欺は既に始まっていました。

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#61単独ページ動画

中止未遂①

第8章 未遂 ④/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

導入——怖くてやめたのは、自分の意思か

Aは、手を止めて逃げた 図:Aは、手を止めて逃げた

Aは、Bを刃物で刺しました。まだ致命傷ではありません。Bの傷口から血が流れるのを見て、Aは手を止めて、逃げました。やめた理由が「かわいそうになった」なら、どうでしょう。「怖くなった」なら、どうでしょう。「人が来たから」なら、どうでしょう。先に答えの方向を言っておきます。どんなやめ方が「自分の意思」と言えるかは、なぜ中止未遂を必ず軽くするのか、その根拠の選び方で決まります。今日は、この「自分の意思により」の中身を見ます。その前に1つ、前回の確認です。43条の本文とただし書、条文の言い方はどう違いましたか?

本文は「減軽することができる」で任意的減軽、ただし書は「減軽し、又は免除する」で必要的減免でしたね。本文の対象は、前回見たとおり、邪魔が入るなどして遂げられなかった障害未遂でした。今日は、ただし書の側、自分でやめた中止未遂そのものに入ります。

今日の地図——中止未遂の成立要件

中止未遂が成立するための4つの要素 図:中止未遂が成立するための4つの要素

43条ただし書によって中止未遂が成立するには、4つの要素が要ります。1つ目、犯罪の実行に着手していること。2つ目、自己の意思により、つまり任意性があること。3つ目、犯罪を中止したこと、中止行為です。4つ目、結果が発生しなかったことです。中止行為と、結果が発生しなかったこととの間に、因果関係まで要求する見解もあります。今日は、2つ目の任意性までです。「自己の意思により」とは何かを、じっくり見ていきます。そのために、まず考えなければいけないことがあります。なぜ、中止未遂だけがこれほど強い効果を受けるのか、という根拠の話です。

なぜ必ず軽くするのか——中止未遂の法的性格

必要的減免の根拠、3つの説と組み合わせる見解 図:必要的減免の根拠、3つの説と組み合わせる見解

条文刑法43条

刑法43条(未遂減軽) 犯罪の実行に着手してこれを遂げなかった者は、その刑を減軽することができる。ただし、自己の意思により犯罪を中止したときは、その刑を減軽し、又は免除する。

もう一度、条文を見てください。ただし書は、「減軽し、又は免除する」です。要件を満たせば、裁判所の裁量ではなく、必ずこの効果が生じます。なぜ中止未遂にだけ、必ずこの効果が生じるのか。そこに答えるのが、中止未遂の法的性格という議論です。ここでの選び方が、この先の任意性の物差しをそのまま決めます。1つ目、刑事政策説です。中止を寛大に扱うことで、犯罪の完成を未然に防ぐ政策的な考慮に根拠を置きます。「後戻りのための橋を用意する」という言い方をされることもあります。中止すれば得になると教える発想に見えますが、条文をもう一度見てください。「減軽し、又は免除する」であって、「刑を免除する」だけではありません。不可罰にはしていないんです。行為者に「戻れば無罪になる」というほど強い動機を与える設計にはなっていません。

そもそも中止未遂の規定を知らない人には、寛大に扱うという動機づけが働かない、という点も刑事政策説への批判として指摘されます。2つ目、違法性減少説です。中止によって結果発生の具体的な危険性が減る、つまり違法性が減少する点に根拠を置きます。この説には批判があります。行為者が結果を防ごうと真摯に努力したのに、第三者の救助など別の原因で結果が防がれた場合は、行為者の中止で危険が減ったとは言いにくくなります。だから、違法性減少説だと、こういう場合に中止未遂の成立を認めにくくなるんです。3つ目、責任減少説です。自己の意思により中止したことで、行為者に対する非難可能性が減少する点に根拠を置きます。

過剰防衛の回では、恐怖や興奮で行き過ぎたことを強く非難できない、という話でした。こちらは、自分でやめたことで非難が減る、という話です。名前は同じでも、減る理由の中身が違います。4つ目、1つ目から3つ目の説は互いに排斥し合うものではなく、複数の根拠を組み合わせて理解する見解も有力に主張されています。刑事政策説と違法性減少説には、今見た弱点がありました。それに、条文がわざわざ「自己の意思により」と、やめた人の内心を要件にしているのは、その人を責める程度が下がることに目を向けている、と読むと素直です。だから、責任減少説を軸に据えると説明がつきやすいんです。ただ、過剰防衛の回で責任減少説が通説だと見たのは、過剰防衛の減免根拠についての話でした。中止未遂の減免根拠は別の議論で、どの説が多いかも別に数えます。こちらでは、4つ目に見た組み合わせる見解も有力です。今日は、この責任減少説を軸に、次の任意性の話を進めます。

根拠が、物差しを決める 図:根拠が、物差しを決める

そして、ここが今日の核心です。責任減少説を選ぶと、任意性の基準もそのまま決まってきます。非難可能性が減ったと言えるやめ方かどうか、これが物差しになるんです。図書館で考えてみます。「自分から返しに来たら延滞金を免除する」というルールがあるとします。免除の理由が「本が早く戻れば、他の人が困らないから」なら、督促状を見て渋々返しに来た人も免除してよいことになります。理由が「自分から反省して返しに来たのだから、責めるまでもない」なら、督促状を見て渋々返した人は外れます。理由を変えると、「自分から」に当たる範囲も一緒に動くんです。中止未遂でも同じで、なぜ必ず軽くするのかを決めないと、どんなやめ方が「自分の意思」かは決まりません。

「自己の意思により」——任意性の判断基準

「自己の意思により」、4つの学説の比較 図:「自己の意思により」、4つの学説の比較

では、責任減少説を選ぶと、任意性の基準は具体的にどう決まるのか。非難は、その場にいた行為者本人に向けられるものです。だから、非難可能性が減ったかどうかを見るなら、世間から見てどうかではなく、行為者本人が、その事情にどれだけ強く追い詰められたかを見る方向に流れます。この方向を軸に、4つの学説を見ていきます。まず主観説です。犯罪の完成を妨げる外部的な事情が、やめる動機に影響していないかどうかを基準にします。影響を受けずにやめた場合にだけ、任意性を認めます。人の意思決定は、たいてい何らかの外界の刺激をきっかけに生まれます。だから、この基準は狭すぎるという批判があります。次に限定主観説です。責任減少説を徹底して、悔悟・同情・憐憫といった、広い意味での後悔に基づいてやめた場合にだけ、任意性を認めます。

広義の後悔とは、悔い改める気持ちだけでなく、相手を気の毒に思う気持ちも含めた、犯行をやめる方向へ自分から向かう心の動きのことです。ただ、条文は「自己の意思により」としか書いていないのに、後悔という中身まで求めるのは、文言から離れすぎているという批判があります。3つ目、客観説です。行為者が認識した外部的な事情が、一般人にとって通常やめさせる障害になる性質のものかどうかを基準にします。ですが、「自己の意思により」という、行為者本人を基準にする文言と、一般人基準は相容れない、という批判があります。最後に折衷説です。外部的な事情を、行為者本人がどう受け止めたかを基準にします。その事情が、行為者にある程度必然的・強制的にやめる決意をさせたと言えるかどうかで判断します。

行為者本人を基準にする点で主観説に近く、外部的な事情の影響を無視しない点で客観説にも近いので、折衷説と呼ばれます。法的性格を責任減少説に置くと、見るべきは一般人ではなく行為者本人なので、客観説とは向きが合いません。行為者本人を見る説のうち、主観説は狭すぎ、限定主観説は条文の文言から離れすぎます。残る折衷説がこの筋にいちばん素直に乗るので、有力と考えられています。

フランクの公式

フランクの公式——できたのに、しなかったか 図:フランクの公式——できたのに、しなかったか

⭐ 論文で書く規範:フランクの公式 「しようと思えばできたが、しなかった」場合は中止未遂、「したかったが、できなかった」場合は障害未遂。 (1つの説の別名ではなく、主観説・折衷説と親和的な見分け方の目安)

中止未遂と障害未遂を見分ける、もう1つの物差しです。「しようと思えばできたが、しなかった」なら中止未遂、「したかったが、できなかった」なら障害未遂とする考え方です。どれか1つの説の別名ではありません。行為者本人が「まだできた」と思っていたかどうかを見る道具なので、行為者本人を見る主観説とも折衷説とも相性がよく、どちらの説明にも使われます。だから、独立した見分け方の目安として覚えておいてください。冒頭のAの場面で、やめた理由だけを変えて考えます。刺し続けようと思えば続けられたのに、「もうやめよう」と自分で手を止めたなら、「しようと思えばできたが、しなかった」の側です。逆に、人が来て「続けたいのに、このままでは続けられない」と思って手を止めたなら、「したかったが、できなかった」の側、障害未遂です。

同じ事案に4説を当てる

設例①——流血を見て、怖くなってやめた 図:設例①——流血を見て、怖くなってやめた

ここまでの4つの説を、同じ設例に当てて、結論がどう分かれるか見てみましょう。設例①です。Aは、Bを刃物で刺しましたが、致命傷ではありません。Bの傷口から血が流れるのを見て、Aは驚き、怖くなって手を止め、逃げました。主観説なら、流血という外部的な事情の影響を受けているので、任意性は否定です。限定主観説なら、悔悟や同情のような広義の後悔ではなく、恐怖による中止なので、これも否定です。客観説なら、流血は一般人にとって通常の障害となる事情と言えるので、否定です。折衷説なら、流血という事情が行為者にある程度強制的にやめさせたと言えるので、これも否定です。

この設例は4説とも一致します。ですが、次の設例は違います。

設例②——泣いて頼まれて、かわいそうになってやめた 図:設例②——泣いて頼まれて、かわいそうになってやめた

設例②です。Aは、Bを刃物で刺そうとしたところ、Bが「やめて、許して」と泣いて頼んだのを見て、かわいそうになり、犯行をやめました。主観説は、外部的な事情の影響を受けた時点で一律に否定するので、ここでも否定です。ですが、限定主観説だと、同情という広義の後悔に基づいているので、肯定になります。客観説はどうでしょう。一般人にとって、泣いて頼まれることが「通常の障害」と言えるかは評価が割れます。一般に、犯行を諦めさせるほどの強い障害とまでは言えないと見るなら、肯定に傾きます。折衷説なら、Bの様子を行為者がどう受け止めたか次第ですが、必然的・強制的にやめさせられたとまでは言えず、同情という動機で自発的にやめたと評価できるので、肯定に傾きます。

主観説は、外部的な事情の影響を受けた時点で一律に否定してしまうので、こういう場面まで拾えなくなる、というのが「狭すぎる」という批判の中身です。

設例③——サイレンが聞こえて、捕まるのを恐れて逃げた 図:設例③——サイレンが聞こえて、捕まるのを恐れて逃げた

最後に、設例③です。Aは、Bを刃物で刺そうと構えたところで、遠くからパトカーのサイレンが聞こえ、捕まるのを恐れて逃げました。4説とも任意性は否定です。フランクの公式で言えば、「したかったが、できなかった」に当たり、障害未遂の場面です。

3つの設例、結論の一覧 図:3つの設例、結論の一覧

こうして並べると、説によって答えが変わるのは設例②だけです。外部的な事情がはっきり強制的な場面や、逆に、外からのきっかけが何もなく自分から思い直した場面では、説による違いが表に出にくいんです。設例②のように、外部的な事情と本人の心の動きが両方絡む場面で、説の違いがはっきり出てきます。では、今日の軸だった責任減少説とはどうつながるのか。責任減少説は、やめたことで行為者を責める程度が下がったかを見ます。設例②のように、相手を気の毒に思って自分から手を止めた人は、責める程度が下がったと言いやすい。設例①や③のように、流血への恐怖や捕まる不安に押されてやめた人は、そうは言いにくい。根拠が、そのまま線の引き方を決めているんです。

判例ではどう扱われたか

判例も、同じ場面を扱う 図:判例も、同じ場面を扱う

判例大審院判決 昭和12年3月6日(要旨)

中止未遂の任意性が争われた事案(流血を見た場面) 人を殺そうとして短刀で相手の胸を刺したが、血がほとばしるのを見て、それ以上の実行をやめた。大審院は、流血を見てやめるのは思いがけない障害によるものだとして、中止未遂を認めなかった。

判例も見ておきます。人を殺そうとして短刀で相手の胸を刺したものの、血がほとばしるのを見て、それ以上の実行をやめた、という事案です。設例①とよく似た場面です。大審院は、流血を見てやめるのは思いがけない障害によるものだとして、中止未遂を認めませんでした。ただし、判決は学説の名前を挙げてはいません。判決が示したのは、外からの障害がないのに、内側の理由で自分からやめた場合が中止未遂だ、という物差しです。流血という外の出来事がきっかけでやめたので、任意性を否定したんです。この物差しが今日のどの説に当たるかは、学者の間でも評価が分かれています。設例①のように、流血を見て怖くなってやめた場面は、今日の4説でも任意性の否定に傾きやすい場面です。ただ、この判決は行為者の恐怖には触れず、流血そのものを障害と見ています。そこは設例①と分けて覚えておいてください。

今日の地図(保存版)

今日の到達点 図:今日の到達点

今日を振り返ります。中止未遂の成立要件のうち、任意性までを見ました。法的性格は、刑事政策説、違法性減少説、責任減少説、組み合わせる見解の4つでした。責任減少説を軸にすると、説明がつきやすいという評価が有力でした。その責任減少説の筋から、任意性の基準も行為者本人を見る折衷説が有力になる、という流れでした。同じ設例でも、選ぶ説によって結論が変わることも、3つの設例で確認しました。フランクの公式は、「できたのにしなかった」かを見る目安で、特定の1つの説の別名ではありません。冒頭のAとBに戻ります。流血を見て怖くなってやめた、という設例①のような場面は、実は4説とも任意性を否定する場面でした。かわいそうになってやめた設例②だと、説によって結論が変わります。

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#62単独ページ動画

中止未遂②

第8章 未遂 ⑤/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

導入——立ち去る前に、救急車を呼んでいたら

Aは、その場を立ち去った 図:Aは、その場を立ち去った

今日は、こんな場面から始めます。Aは、Bの胸を刃物で刺しました。倒れたBを前に、誰にも邪魔されていないのに、Aは自分のしたことを悔いて「もうやめよう」と思い、その場を立ち去りました。流血に怖くなったのでも、人が来たのでもなく、自分から悔いてやめています。前回の4つの説のどれに照らしても、自分の意思でやめたと言えます。ですが、それでも中止未遂にならないとしたら、なぜでしょうか。「やめよう」と思っただけでは、足りないのでしょうか。先に答えを言うと、放っておけば結果が起きる状態を自分でつくった人ほど、たくさんのことをしなければ「やめた」とは言えないからです。では、立ち去る前に、救急車を呼んでいたらどうでしょうか。今日は、この違いを見ていきます。

今日の地図——③④⑤に入る

中止未遂が成立するための4つの要素、今日は③から 図:中止未遂が成立するための4つの要素、今日は③から

条文刑法43条

刑法43条(未遂減軽) 犯罪の実行に着手してこれを遂げなかった者は、その刑を減軽することができる。ただし、自己の意思により犯罪を中止したときは、その刑を減軽し、又は免除する。

43条ただし書をもう一度見てください。「実行に着手して」「自己の意思により」「犯罪を中止した」「遂げなかった」、ここから4つの要素を読み取りました。前回は、①着手と②任意性まで見ました。今日は、③犯罪を中止したこと、④結果が発生しなかったことに進みます。見解によっては、さらに因果関係も要求されます。もう1つあります。そもそも実行に着手していない段階、つまり予備の段階でやめた場合はどうなるか、という別の問題です。これを予備の中止と呼びます。それぞれ、前回見た根拠の選び方から線がつながっています。1つずつ見ていきましょう。

中止行為の区別——従来の通説

着手未遂と実行未遂——従来の通説 図:着手未遂と実行未遂——従来の通説

43条ただし書は「犯罪を中止した」ことを要求しています。この中止行為の中身は、実行行為が終わったかどうかで2つに分かれます。実行には着手したけれど、実行行為をやり切る前に手を止めた場合を着手未遂と呼びます。この場合は、その先の実行を放棄する不作為があれば、中止行為として足ります。これに対して、実行行為は終わったけれど結果が発生しなかった場合を実行未遂と呼びます。この場合は、結果を防ぐための行動、つまり作為が必要になります。この作為を、真摯な努力と呼びます。では、なぜ実行未遂だけ行動が必要になるのでしょうか。ここで、今日の軸に戻ります。中止未遂は、結果が起きないようにした人へのごほうびです。実行行為が終わった人は、放っておけば結果が起きる状態を、自分でつくってしまっています。だから、その危険を自分で取り除かなければ、「やめた」とは評価されないんです。

火のついた導火線にたとえると、火をつける前に気が変わったなら、手を離すだけでいい。でも、火をつけて導火線が燃え進んでいるなら、自分で踏み消すところまでやらないといけない。このたとえは、まさにその感覚です。では、着手未遂と実行未遂は、どこで線を引くんでしょうか。従来の通説は、実行行為を続ける必要性や可能性が客観的にあるかを見ます。そのうえで、本人がそれを認識しているかどうかで振り分けます。必要性、可能性、認識の3つです。この3つをまず判定してから、中止行為の中身を決める構造なので、答案では重くなりやすい、という評価があります。

中止行為の区別——近時の有力説

放置すれば結果が起きる危険が、もう生じているか 図:放置すれば結果が起きる危険が、もう生じているか

3つも見るのが重いなら、もっと簡単な方法はないのでしょうか。そこで近時、有力に主張されている見解があります。放っておけば結果が発生する危険が、すでに生じているかどうかを、直接1つの問いとして見るんです。危険がまだ生じていなければ、不作為で足ります。危険がすでに生じていれば、真摯な努力が必要になります。従来の通説のように、必要性・可能性・認識の3つを判定してから振り分ける、という手順を経ません。答案では、この見解の方が書きやすいという評価が一致しています。ただ、通説とまでは言えず、近時の有力説という位置づけです。そして大事なのは、従来の通説でも、この有力説でも、行き着く先は同じだということです。放っておけば結果が起きる状態を自分でつくった人ほど、たくさんのことをしなければ「やめた」とは言えない。入り口の問い方が違うだけで、結論の軸は変わりません。

真摯な努力の有無——他人の助けを借りた場合

自分にできる限りのことをしたと言えるか 図:自分にできる限りのことをしたと言えるか

実行未遂の場合、結果を防ぐための行動、真摯な努力が要ります。ここで、他人の助けを借りた場合はどうなるでしょうか。自分で全部やることまでは求められません。他人の助けを借りてもよいとされています。ただし、行為者本人が「自分にできる限りのことをした」と評価できることが必要です。例えば、他の人に医者を呼ぶことだけを頼んで、自分はそれ以上関与しなかった場合は、真摯な努力が否定される方向に傾きます。これに対して、自ら救急車の手配を頼み、被害者を運び込むところまで自分も関わった場合は、真摯な努力が肯定される方向に傾きます。同じように他人の助けを借りていても、本人がどこまで関わり続けたかで、評価が変わるんです。

これも、危険をつくった本人が最後まで責任を持つべきだ、という今日の軸と同じです。他人に丸投げして終わりでは、危険をつくった本人が果たすべき役割を果たしたとは言えません。

結果が発生した場合

結果が起きたら、中止未遂の入り口に立てない 図:結果が起きたら、中止未遂の入り口に立てない

真摯な努力をしたのに結果が発生してしまった場合は、中止未遂は成立しません。既遂になります。43条ただし書の4つ目の要素、結果が発生しなかったことを、そもそも欠いてしまうからです。真摯な努力があったかどうかは、その前の話で、結果が発生してしまえば入り口にすら立てません。ここは間違えやすいので、念を押しておきます。次に進む前に、少し前回を思い出してください。43条ただし書が必ず刑を軽くする理由として、どの説を軸にすると説明がつきやすいと言いましたか?

中止行為と結果不発生との因果関係

根拠が、物差しを決める(2度目) 図:根拠が、物差しを決める(2度目)

答えは責任減少説です。この軸を持ったまま進みます。ここで、もう1つ問題があります。真摯な努力をしたのに、結果が発生しなかったのが、実はその努力のおかげではなかった場合です。例えば、本当は致命傷ではなかったから結果が発生しなかった、という場合です。この場合でも、中止未遂は成立するでしょうか。努力はしたけど、その努力が効いたわけではないんですね。ここで、中止行為と結果不発生との間の因果関係を要求するかどうかが問題になります。これは、構成要件の因果関係と同じ話ではありません。向きが違います。構成要件の因果関係は、行為者の行為と、発生した結果とのつながりです。今日の因果関係は、行為者の中止行為と、結果が発生しなかったこととのつながりです。混同しないでください。

違法性減少説は、刑を軽くする理由を、中止によって結果発生の危険性が実際に減ったことに置きます。そうすると、軽くするには、その危険を減らしたのが本人の中止行為だったと言えなければなりません。別の理由で結果が起きなかったなら、本人は何も減らしていないからです。だから、中止行為と結果不発生との因果関係が必要だ、という結論になります。これを必要説と呼びます。責任減少説は、刑を軽くする理由を、行為者を責める程度、つまり非難可能性が下がったことに置きます。見ているのは本人のやめ方です。真摯な努力をしたという本人の側の事実があれば、非難可能性はもう下がっています。結果が防げたのが別の理由だったとしても、その評価は変わりません。だから因果関係は要らない、という結論になります。これを不要説と呼びます。

前回の図書館の延滞金のたとえを、もう一度思い出してください。「自分から反省して返しに来たから免除する」というルールなら、返却が実際に図書館を助けたかどうかは関係なく、反省して持ってきたという事実だけで免除してよいはずです。これが不要説の感覚に近いです。さっき確認した、責任減少説を軸にする説明が有力だという筋に乗るなら、それと整合する不要説が、答案でも書きやすいという評価が有力です。学説の対立として押さえておいてください。

独自の事案で、着手未遂から既遂まで動かしてみる

設例①——刺そうとして、思いとどまった 図:設例①——刺そうとして、思いとどまった

ここまでの内容を、1つの事案を少しずつ動かしながら、まとめて確認します。設例①です。Aは、Bの胸を刃物で刺そうとしましたが、思いとどまって手を止めました。実行行為の途中でやめた場面なので、着手未遂です。実行を放棄する不作為があれば、中止行為として足ります。

設例②——刺した後、何もせず立ち去った 図:設例②——刺した後、何もせず立ち去った

設例②です。Aは、Bを刺したあと、自分のしたことを悔いて、何もせずその場を立ち去りました。冒頭の場面そのものです。放っておけば結果が起きる危険が、すでに生じています。ですが、Aは真摯な努力をしていません。中止行為はありません。自分の意思でやめていても、中止行為が欠ければ中止未遂にはなりません。Bが助かったとしても、43条本文の障害未遂にとどまり、刑を減軽するかどうかは裁判所の裁量になります。

設例③——救急車を呼んで、その場を離れた 図:設例③——救急車を呼んで、その場を離れた

設例③です。Aは、Bを刺したあと、自ら救急車を呼んで、その場を離れました。冒頭の場面よりは進んでいます。ですが、呼んだだけで自分は関わり続けていません。さっきの、他人に任せきりの場面と近く、真摯な努力と言えるかは、評価が分かれる場面として位置づけられます。

設例④——自分で止血し、付き添った 図:設例④——自分で止血し、付き添った

4つ目の設例です。Aは、Bを刺したあと、自分で止血をしながら救急車を呼び、搬送されるまで付き添いました。自分にできる限りのことをしたと評価できます。真摯な努力があり、中止行為もあります。

設例⑤——実は、致命傷ではなかった 図:設例⑤——実は、致命傷ではなかった

設例⑤です。4つ目の設例のケースで、実はそもそも致命傷ではなかった、という事情が分かったとします。Aの努力がなくても、結果は発生しなかったわけです。ここで、さっきの因果関係の要否が効いてきます。不要説に立てば、Aの努力自体で非難可能性が減っていますから、中止未遂の余地があります。必要説に立てば、努力と結果不発生との間に因果関係がありませんから、中止未遂は否定されます。

設例⑥——結果が発生してしまった 図:設例⑥——結果が発生してしまった

最後に、6つ目の設例です。4つ目の設例のケースで、結果としてBが死亡してしまったとします。真摯な努力があっても、結果が発生すれば既遂です。中止未遂の余地はありません。ここまで6つの設例を通して、中止行為・真摯な努力・因果関係のつながりを確認しました。

6つの設例、結論の一覧 図:6つの設例、結論の一覧

この6つを、一覧にまとめておきます。こうして並べると、危険をつくった人ほど、たくさんのことをしなければ「やめた」と言えない、という今日の軸がよく見えます。

予備の中止——「言葉の誤解」から入る

予備の中止とは、何のことか 図:予備の中止とは、何のことか

ここからは、また別の問題です。実行に着手していない段階、つまり予備の段階でやめた場合を考えます。予備の中止と呼ばれます。凶器を買おうとしたけれどやめた、という場面を思い浮かべがちですが、それは予備の中止ではありません。凶器を用意しようとしたけれど、やめた場合は、そもそも予備罪自体が成立していません。単に不可罰なだけです。本当の予備の中止は、予備罪がすでに成立した後、実行の着手を任意にやめた場合です。例えば、強盗を実行する目的で凶器を用意した時点で、予備罪は成立しています。その後、翻意して実行の着手をやめた場合が、予備の中止です。

マラソンで例えてみます。レースを走り切った後に途中棄権すれば、記録は残りません。これが中止未遂の効果です。ですが、スタートラインに立つ準備をしただけでレースに出ないと決めた人には、そもそも「棄権」という概念自体がありません。予備の中止は、この準備の段階の話です。まず、争いのない前提を確認します。犯罪の実行に着手していない以上、43条ただし書を直接適用することはできません。ここに争いはありません。争点は2つです。1つ目、43条ただし書を準用できるかどうか。2つ目、準用できるとして、減免の基準となる刑は何か。この2つを順に見ていきます。

準用の可否——判例と学説の対立

準用の可否——判例(否定)と学説(肯定) 図:準用の可否——判例(否定)と学説(肯定)

判例最高裁大法廷判決(要旨)

予備罪への中止未遂の準用が争われた事案(強盗予備罪) 強盗を実行する目的で予備行為をした事案。最高裁大法廷は「予備罪には中止未遂の観念を容れる余地のないものである」として、中止未遂の規定の準用を否定した。

まず、判例の立場です。強盗を実行する目的で予備行為をした事案で、最高裁の大法廷は、準用を否定しました。「予備罪には中止未遂の観念を容れる余地のないものである」というのが、その言い方です。判決が示した理由は、いま読んだ1文だけです。それ以上の説明はしていません。ただ、条文の作りからも、否定の根拠は言えます。43条ただし書は、犯罪の実行に着手したことを前提にした規定です。着手していない予備罪には、そもそも当てはめる場面がない、という考え方です。有力な学説は、準用を肯定します。理由は2つあります。1つ目、実行に着手した後にやめれば中止未遂として刑の免除まであり得るのに、着手する前にやめた人には、免除の余地が全くないのは均衡を欠くという考え方です。

2つ目、任意に実行の着手をやめた以上、その人には責任の減少が認められる、という理由づけです。今日の軸である責任減少説の考え方が、ここでも顔を出しています。

予備罪によって、実益が違う理由

予備罪ただし書の有無、3つの比較 図:予備罪ただし書の有無、3つの比較

条文刑法201条

刑法201条(殺人予備) 第百九十九条の罪を犯す目的で、その予備をした者は、二年以下の拘禁刑に処する。ただし、情状により、その刑を免除することができる。

条文刑法113条

刑法113条(放火予備) 第百八条又は第百九条第一項の罪を犯す目的で、その予備をした者は、二年以下の拘禁刑に処する。ただし、情状により、その刑を免除することができる。

条文刑法237条

刑法237条(強盗予備) 強盗の罪を犯す目的で、その予備をした者は、二年以下の拘禁刑に処する。

この準用論、実は罪ごとに実益が違います。3つの条文を見比べてください。殺人予備の201条にも、放火予備の113条にも、情状により刑を免除することができる、という任意的な免除の規定が、もともと備わっています。この2つは、準用を認めなくても、免除される余地があるわけです。だから、これらの罪については、準用論を厚く書く必要は薄いんです。237条を見てください。ただし書がありません。強盗予備には、もともと免除の余地が用意されていないんです。だから、強盗予備の中止では、43条ただし書を準用できるかどうかが、結論を直接左右します。この論点が実際に効いてくるのは、主に強盗予備なんです。

準用を肯定した場合——基準となる刑

減免の基準となる刑、3つの説 図:減免の基準となる刑、3つの説

準用を肯定するとして、次に問題になるのが、減免の基準となる刑です。既遂犯の刑を基準に減軽するのか、予備罪の刑そのものを基準にするのか。68条は、法律上の減軽は1回しかできないと定めています。予備罪の刑は、すでに既遂の法定刑を減軽したものと理解されていますから、これをもう一度減軽してよいのか、という問題が出てきます。3つの考え方があります。1つ目、既遂罪基準説です。既遂犯の刑を基準に減免しますが、減軽してもなお予備罪の刑より重い場合は、予備罪の刑を科します。2つ目、予備罪基準説です。予備罪の刑そのものを基準にします。3つ目、免除説です。減軽は認めず、免除のみを認めます。

1つ目の既遂罪基準説が有力です。既遂の刑を出発点に1回だけ減軽するので、法律上の減軽は1回という68条の制約とぶつからないからです。そのうえで、中止した人が、中止しなかった予備罪の人より重くならないよう、予備罪の刑を上限にします。

強盗予備で、実際に計算してみる 図:強盗予備で、実際に計算してみる

条文刑法68条3号

刑法68条3号(法律上の減軽) 有期拘禁刑を減軽するときは、その長期及び短期の二分の一を減ずる。

条文刑法236条1項

刑法236条1項(強盗) 暴行又は脅迫を用いて他人の財物を強取した者は、強盗の罪とし、五年以上の有期拘禁刑に処する。

条文刑法12条1項

刑法12条1項(拘禁刑の期間) 拘禁刑は、無期及び有期とし、有期拘禁刑は、一月以上二十年以下とする。

条文刑法10条2項

刑法10条2項(主刑の軽重の比較) 同種の刑は、長期の長いもの又は多額の多いものを重い刑とし、長期又は多額が同じであるときは、短期の長いもの又は寡額の多いものを重い刑とする。

では、強盗予備を例に、実際に計算してみましょう。まず236条1項です。強盗は、5年以上の有期拘禁刑です。12条1項が、有期拘禁刑の上限を20年と定めています。ですから、強盗の刑は5年以上20年以下です。この刑を、68条3号で減軽します。長期及び短期を、それぞれ2分の1にするという規定です。長期20年の2分の1が10年、短期5年の2分の1が2年6か月です。減軽後は、2年6か月以上10年以下の拘禁刑になります。10条2項は、同種の刑は長期の長い方を重い刑とすると定めています。長期20年から減軽した長期10年の刑と、長期2年の237条の刑を比べれば、237条の方が明らかに軽くなります。

既遂犯の減軽刑、2年6か月以上10年以下は、予備罪の刑、2年以下より重いままです。だから既遂罪基準説の立場でも、結論としては、より軽い237条の刑、2年以下の拘禁刑を科すことになります。予備罪基準説なら、237条の刑そのものを出発点に減軽しますから、既遂罪基準説より軽くなることもあります。免除説なら、減軽はせず免除だけです。ただ、どの説を採っても、43条ただし書の準用を認める以上、刑の免除の余地はあります。

今日の地図(保存版)

今日の到達点 図:今日の到達点

今日を振り返ります。中止行為は、着手未遂なら不作為で足り、実行未遂なら真摯な努力という作為が必要でした。他人の助けを借りてもいいけれど、自分にできる限りのことをしたと言えることが必要でした。結果が発生してしまえば、真摯な努力があっても既遂で、中止未遂の余地はありませんでした。因果関係は、違法性減少説なら必要説、責任減少説なら不要説でした。今日の軸である責任減少説の筋に乗るなら、不要説が書きやすいのでした。最後に、予備の中止です。判例は準用を否定していますが、学説は有力に肯定しています。とくに、ただし書のない強盗予備で、この対立の実益が大きくなります。冒頭で、ただ立ち去ったAには、中止行為すら認められませんでした。立ち去る前に救急車を呼び、付き添うところまでやっていれば、話は変わってきます。放っておけば結果が起きる状態をつくった人ほど、たくさんのことをしなければ「やめた」とは言えない。これが、今日通してきた1本の線です。

次回は、第8章の締めの不能犯です。楽しみにしていてください。

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#63単独ページ動画

不能犯

第8章 未遂 ⑥/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

導入——死んでいた相手に向けて撃った

Aは、Bの寝室に向けて撃った 図:Aは、Bの寝室に向けて撃った

今日は、こんな場面から始めます。Aは、Bを殺そうと、Bの寝室に向けて拳銃を撃ちました。ところがBは、その少し前に、心臓の発作で亡くなっていました。Aは、Bがまだ生きていると信じきって発砲しました。ですが、客観的には、その瞬間にはもう、Bという「人」はいませんでした。これは、殺人未遂でしょうか。それとも、はじめから何も起こりえなかった、不能犯でしょうか。答えは、見る人が「何を知っているか」「いつの時点で見るか」「誰の目で見るか」によって変わります。今日は、この3つを分けて考えていきます。

今日の地図——第8章の締め

これまで着手後の話、今日は着手そのものが認められるかの話 図:これまで着手後の話、今日は着手そのものが認められるかの話

これまでは、実行に着手した後の話、つまり着手と中止を見てきました。今日は視点を変えて、そもそも実行の着手が認められるのか、という入口の問題を見ます。これを不能犯と呼びます。着手する前にやめた場合と今日の不能犯は、区別が必要です。着手前にやめた場合は、そもそも行為を進めていないので、未遂かどうかを論じる前の話です。今日の不能犯は、行為は最後までやりきったのに、行為の性質上、結果が起きる危険がそもそも無かった、という場面です。混同しないでください。前に見た回から、今日につながる話が2つあります。1つ目、思い出してください。相当因果関係の折衷説で、危険性の判断材料を決めるとき、何を基礎にすると言いましたか?

一般人が認識・予見しえた事情に、行為者が現に認識・予見していた事情を加える、でした。材料をどう選ぶかが対立の中心になる、という形は、今日もそのまま出てきます。2つ目、未遂犯の処罰根拠を考えたとき、行為者の内面の危険を見る主観主義と、外に現れた危険を見る客観主義に分かれました。この対立も、今日もう一度、別の形で現れます。

不能犯の意義と3類型

不能犯の意義と3類型(全体像) 図:不能犯の意義と3類型(全体像)

条文刑法43条

刑法43条(未遂減免) 犯罪の実行に着手してこれを遂げなかった者は、その刑を減軽することができる。ただし、自己の意思により犯罪を中止したときは、その刑を減軽し、又は免除する。

43条本文をもう一度見てください。未遂犯が成立するには、実行に着手していることが前提になります。行為の性質上、結果が起きる現実的な危険性がきわめて薄いために、実行の着手そのものが認められない場合があります。これを不能犯と呼びます。不能犯は不可罰です。ただし、別の罪、たとえば予備罪や陰謀罪が成立する余地は残ります。不能犯かどうかは、構成要件該当性、つまり犯罪の型にそもそも当てはまるかどうかの問題として位置づけられます。

不能犯の3類型 図:不能犯の3類型

不能犯には、3つの類型があります。行為の方法、つまり手段の性質上、結果発生が不可能な場合を方法の不能と呼びます。行為の客体が存在しないために、結果発生が不可能な場合を客体の不能と呼びます。一定の身分や資格が無いとその犯罪を犯せない罪で、その身分や資格が無いのにあると誤信して行為した場合を、主体の不能と呼びます。これは後ほど、独立して見ます。危険性の有無をどう判断するか——それを決めるのが、次に見る学説の対立です。

危険性の判断を分解する——3つのつまみ

危険性を測るための3つのつまみ 図:危険性を測るための3つのつまみ

ここが、今日いちばん大事なところです。危険性の有無をどう判断するかについて、学説は対立しています。ですが、その対立は、3つのつまみの設定の違いに整理できます。1つ目は、判断基底、つまり材料です。どの事実を基礎にして判断するか。2つ目は、判断時点です。いつの時点に立って判断するか。3つ目は、判断主体です。誰の目で危険性を判断するか。これから見る学説は、名前がバラバラに見えても、このつまみをどこに合わせたかの違いにすぎません。1つずつ、つまみの位置を確認しながら見ていきましょう。

両極端の学説——純粋主観説・純粋客観説

材料を極端に絞る説、極端に広げる説 図:材料を極端に絞る説、極端に広げる説

まず、両極端に位置する2つの学説を見ます。純粋主観説は、行為者が認識した事情だけを材料にし、行為者自身を基準に危険性を判断します。犯罪を実現しようとする意思を表す行為があれば、危険性の有無を問わず未遂犯になります。ここに、大きな不都合があります。たとえば、人を呪う儀式のような、科学的にはおよそ結果が起きようのない手段を使った場合でも、行為者が本気で信じていれば未遂犯になってしまいます。この不都合のため、純粋主観説を徹底すると、不能犯という概念そのものが事実上なくなってしまう、と評価されます。未遂犯の処罰根拠の回で、内面の危険だけを理由にすると、罰を止める歯止めが外側に無くなる、と見ました。純粋主観説の不都合は、それと同じ形です。

純粋客観説は、行為時に存在したすべての客観的な事実を材料にし、事後的に、科学的に危険性を判断します。純粋客観説では、Bはもう死んでいたという事実も、そのまま材料にします。ただ、客観的な事実をそのまま使う純粋客観説にも、大きな不都合があります。事後的に見れば、結果が発生しなかった理由は、必ずと言っていいほど見つかります。角度がずれていた、量が足りなかった、身体的な条件が違った。その理由は、事後にどれだけでも遡って説明できてしまうため、この物差しを貫くと未遂が成立する余地がほとんど残らなくなってしまいます。

この難点を修正しようとして登場するのが、後で見る客観的危険説です。「実際に起きた事実」をそのまま材料にするのではなく、材料の中身を組み替える、という発想の転換が起きます。ここは、伏線として覚えておいてください。

中間の3説——抽象的危険説・具体的危険説・客観的危険説

3つのつまみの一覧 図:3つのつまみの一覧

両極端の間に、3つの学説があります。まず抽象的危険説です。行為者が認識した事情を材料にする点は純粋主観説と同じですが、判断する主体を一般人に変えます。材料は行為者が認識した事情、判断する主体は一般人になります。行為者が認識した事情それ自体を材料にする点で、行為者の認識が客観的な事情と一致しているかは問いません。行為が行われたその瞬間に身を置いて、ふつうの人の目で危ないかどうかを測ります。純粋主観説との違いは、判断する主体が、行為者本人ではなく一般人になる点です。1つのつまみだけを動かすと、どう変わるかを確かめる例だと思ってください。

次に見る、伝統的に通説とされてきた説が具体的危険説です。行為者が特に認識していた事情に、一般人が認識しえた事情を加えたものを材料にし、行為が行われたその場に身を置き、ふつうの人が感じるであろう危険の有無で判断します。抽象的危険説と具体的危険説の違いは、材料の絞り込み方にあります。抽象的危険説は、行為者の認識をそのまま材料にしますが、具体的危険説は、行為者が知っていた事情でも、実際にあった事情に限って材料にし、そこに一般人が認識しえた事情を加えます。この絞り込みの有無が、後で見る事例で結論の違いになって現れます。この材料の選び方は、冒頭で思い出した、相当因果関係の折衷説と同じ形です。具体的危険説で言う「特に認識していた」は、折衷説の「現に認識・予見していた」と同じで、行為者が実際に知っていた、という意味です。具体的危険説の根拠は、実行行為性、つまり構成要件に当てはまるかどうかの判断だという理解にあります。構成要件は、社会通念に基づく違法で有責な行為の型、つまり一般人に向けた行為規範だと考えるので、危険性も一般人の見地から測るべきだ、という説明です。

具体的危険説は、伝統的には通説とされてきました。ただ、近時は、これから見る客観的危険説を有力な説明とする見方も広がっています。もう1つ、危険の現実化の回で、不能犯と因果関係が同じ答案に出たら、因果関係も折衷説で書くと筋が揃う、と言いました。その理由がここにあります。具体的危険説のように材料を限定する考え方で不能犯を書くなら、因果関係も、同じように材料を限定する折衷説にしておけば、1通の答案の中で材料の選び方が食い違いません。

具体的危険説と客観的危険説の違い(比較) 図:具体的危険説と客観的危険説の違い(比較)

客観的危険説、または修正された客観的危険説と呼ばれる説です。純粋客観説の「結果不発生の場合がすべて不能犯になりかねない」という不都合を避けるため、判断の対象を組み替えます。まず、行為の時点に存在した客観的な事実から、なぜ結果が発生しなかったのかを科学的に解明します。そのうえで、「もしこの事情が無ければ結果が発生していたはずだ」という、仮定の事実を想定します。この仮定の事実が、行為の時点でどの程度あり得たかを、経験則、つまり一般人が事後的に感じる危険感を基準にして、事後的に判断します。あり得たと言えるなら未遂、あり得ないなら不能犯です。たとえば、弾の入っていない拳銃で撃った場合なら、解明される理由は「弾が入っていなかったこと」、想定する仮定の事実は「弾が入っていたこと」です。その仮定が、撃った時点でどの程度あり得たかを見るわけです。

純粋客観説は「実際に起きた事実」をそのまま材料にしましたが、客観的危険説は「結果が発生しえたはずの、あり得た事実」に材料を組み替えます。この組み替えが、さっきの伏線の答えです。客観的危険説の側からは、一般人がどう感じたかで決めると、法益には現実に何の危険も無かった場合まで未遂にしてしまう、と具体的危険説は批判されます。近時この説が有力になってきたのは、この批判のためです。もう1つ、古くからある考え方も紹介しておきます。裁判で明らかになったすべての事情を材料にし、結果発生がおよそ不可能なら絶対的不能、可能だったのにたまたま発生しなかっただけなら相対的不能とする見方です。これを絶対的不能・相対的不能の区別と呼びます。この考え方は、客観的危険説の原型にあたる、古い形の客観説だと位置づけられます。

同じ設例に5つの説を当てる

発砲の場面に、5つの説を当ててみる 図:発砲の場面に、5つの説を当ててみる

冒頭の場面に戻りましょう。Aは、Bを殺そうとBの寝室に向けて発砲しましたが、実はBはその直前に病死していました。この1つの事案に、5つの説を順番に当てはめます。まず、純粋主観説です。Aは「Bが生きている」と認識していました。この認識を材料に、A自身を基準に判断すると、危険性ありとなり、殺人未遂です。純粋客観説では、逆になります。客観的には「Bは死んでいた」わけですから、死体への発砲を材料に、事後的・科学的に判断すると、危険性なし、不能犯です。抽象的危険説は、Aが「Bは生きている」と認識していたこと自体を材料にします。この認識が客観的な事実と一致するかは問いません。一般人の見地から見ても、行為者がそう思い込んで発砲する行為には、常に危険性があると評価されます。だから、殺人未遂です。

抽象的危険説は、一般人が死亡を認識しえたかどうかによる場合分けが生じません。次に見る具体的危険説では、ここで場合分けが起きます。具体的危険説では、Aの「Bが生きている」という認識は、客観的な事実と一致していないので、そのままでは材料にできません。ここで問うのは、一般人ならどう認識しえたかです。一般人が「Bは生きている」と認識しえた場合とは、たとえば、日常的な寝室で、発作が起きた直後のような状況です。この場合は、「生きているBに発砲する」ことを材料に、行為時・一般人の見地から見て危険性あり、殺人未遂になります。逆に、一般人も「Bは死んでいる」と分かる状況とは、たとえば、Bがすでに死体安置所に横たわっているような状況です。この場合は、危険性なし、不能犯になります。同じ「Aが生きていると思い込んでいた」という事案でも、周りの状況次第で結論が動くんです。

最後に、客観的危険説です。客観的な事実は「Bはすでに死亡していた」ことです。なぜ発砲の時点でBが死の結果を迎えなかったのかを解明すると、答えは「すでに死亡していたから」です。ここから、「発砲の時点でBがまだ生きていた」という仮定の事実が、行為の時点でどの程度あり得たかを、経験則で判断します。死亡した直後で、外から見て生死の判別が難しい状況なら、「まだ生きていた」という仮定はあり得たと評価されやすく、殺人未遂に近づきます。死亡から時間が経ち、死亡が誰の目にも明らかな状況なら、あり得ないと評価され、不能犯に近づきます。似た場合分けの構造になりやすいのですが、理論的な違いは残ります。具体的危険説は「一般人が認識しえたか」で決めるのに対して、客観的危険説は「科学的・経験則上あり得たか」で決めます。問うている中身が違う、という位置づけにとどめておいてください。ここまでの5つを、一言でまとめます。学説の対立は、材料をどこまで広げるか、いつの時点で見るか、誰の目で見るかという、3つのつまみの設定の違いに還元できます。名前を覚えるのではなく、このつまみの動かし方を覚えてください。

判断を止めて、考えてみましょう

抽象的危険説で、死体安置所の場合はどうなるでしょうか 図:抽象的危険説で、死体安置所の場合はどうなるでしょうか

では、あなたに聞きます。抽象的危険説に立つと、Bが死体安置所に横たわっていた場合、結論はどうなると思いますか?答えは、殺人未遂です。抽象的危険説は、Aが生きていると思い込んだこと自体を材料にするからです。誰の目にも死体と分かる相手への発砲まで、未遂になります。具体的危険説なら、材料は一般人が認識しえた事情に絞られるので、ここは不能犯です。構成要件を一般人に向けた行為規範と見るなら、一般人が死体と分かる相手への発砲を危険とは見ない。これが、2つの説を分ける決め手です。

判例の立場

判例が扱ってきた事案の型 図:判例が扱ってきた事案の型

ここからは、判例がどんな結論を出してきたかを見ます。まず、判例の理論的な立場は、明確には宣言されていません。ここは前提として押さえておいてください。どの説に近い結論を出しているかを、事案ごとに見ていきます。その前に、あなたに聞きます。これまでの学説を踏まえると、判例はどの説に近い結論を出しそうだと思いますか?危険性がゼロでなければ未遂を認める、という予想は当たっています。実際に見ていきましょう。まず、窃盗目的で物置の中を物色したものの、目的物がそもそも存在しなかった事案で、窃盗未遂罪の成立が認められています。

判例大審院判決

窃盗目的で物色したが、目的物が存在しなかった事案 窃盗の目的で物置内を物色したが、目的物が存在しなかったため窃取に至らなかった事案。窃盗未遂罪の成立が認められた。

物置を物色する行為は、一般に見れば、中に物があれば盗まれる危険のある行為だからです。

静脈に空気を注射した事案 図:静脈に空気を注射した事案

静脈に空気を注射した事案です。保険金を目的に、静脈へ空気を注射しましたが、注射した量は致死量に達していませんでした。

判例最高裁判所判決・刑集16巻3号305頁

静脈への空気注射で、殺人未遂罪の成立が問われた事案 静脈内に注射された空気の量が致死量以下であつても被注射者の身体的条件その他の事情の如何によつては死の結果発生の危険が絶対にないとはいえないとの原判示を相当とし、殺人未遂罪の成立を認めた。

最高裁は、原判決の判断を相当と認め、殺人未遂を認めました。原判決は、身体的条件その他の事情によっては死の危険が絶対に無いとは言えない、という言い方をしています。「絶対に無いとは言えない」という言い回しに注目してください。これは、事後的・科学的な観点から見て、危険が無かったとは言い切れない、という判断です。具体的危険説の言い方とは、違いがあります。具体的危険説は、行為の時点に立って、一般人の目で見ます。この原判示は、被注射者の身体的条件まで含めた事実を材料に、事後から見ています。つまみの位置が違うんです。

硫黄の粉末を飲食物に混入させた事案 図:硫黄の粉末を飲食物に混入させた事案

反対に、不能犯とされた事案もあります。人を殺害するために、硫黄の粉末を2回にわたり飲食物に混入させましたが、死には至らず、その後、別の方法で殺害した事案です。

判例大審院判決

硫黄の粉末を飲食物に混入させたが、死に至らなかった事案 殺害の結果を惹起することは絶対に不能であったとして、殺人については不能犯とされた(飲食物に混入させた行為については、傷害罪の限度で処罰された)。

混ぜたのは硫黄の粉末でした。裁判所は、これを飲ませても人を死なせることはおよそできず、ただ体を傷つけるにとどまる、と見ました。だから、殺人については絶対に不能、つまり不能犯としたんです。これは、さっき紹介した、絶対的不能・相対的不能の区別を使った言い方です。一方は「絶対に無いとは言えない」、もう一方は「絶対に不能」。似た言い回しを使いながら、結論の向きが逆になっています。判例は一枚岩ではなく、事案ごとに評価が分かれる、ということがよく分かる例です。残る2件は、下級審の裁判例として紹介します。1件目は、拳銃で撃たれてすでに死亡していた被害者を、まだ生きていると信じて、とどめを刺すために刃物で刺した事案です。専門家の間でも生死の判断が分かれるほど、医学的に微妙な状況だったとして、殺人未遂罪の成立が認められました。2件目は、無理心中の目的で室内にガスを充満させたものの、発見されて未遂に終わった事案です。中毒死の危険は無くても、爆発や酸素欠乏症の危険があったとして、殺人未遂罪の成立が認められました。どちらも、下級審の裁判例であることを押さえておいてください。

危険性がゼロでない限り未遂を認める傾向が多く、結論の幅は、一般人が危険と感じうる行為を広く未遂とする具体的危険説と重なる、と説明されます。ただ、使うつまみは事案ごとに違い、粉末の事案のように、古い客観説の言い回しを使う判断も残っています。

主体の不能

身分・資格を誤信した場合 図:身分・資格を誤信した場合

最後に、3類型の3つ目、主体の不能を見ます。一定の身分や資格が無いと犯せない罪で、その身分や資格が無いのに、あると誤信して行為した場合です。典型例は、公務員でない人が、自分は公務員だと誤信して、職務に関して金品を受け取った場合です。公務員という身分が、そもそもありません。方法の不能・客体の不能とまったく同じ、3つのつまみの枠組みで処理できます。定義と典型例を押さえておけば十分です。

弁別のミニ事例——第8章の地図

未遂か、不能犯か、着手前か 図:未遂か、不能犯か、着手前か

最後に、第8章のまとめとして、混ぜたミニ事例を見ます。3つの事案について、未遂か、不能犯か、それとも実行の着手前かを判定してください。Aが、Bを殺そうと刃物を買いに行っただけで、まだ実行行為に出ていない場合は、実行の着手すら認められません。今日の不能犯の話とは違う、着手前の場面です。未遂かどうかを論じる手前で終わります。Aが、致死量に届かない毒をBに飲ませ、一般人には致死量かどうか区別がつかない状況だった場合は、具体的危険説なら、一般人が危険と認識しえた事情を材料に、殺人未遂と判断されます。Aが、Bのポケットに財布があると思って手を入れたが財布が最初から存在しなかった場合は、客体の不能の典型例です。財布という客体が無くても、他人のポケットに手を入れて金品を奪おうとする行為には、一般に窃取しうる危険性が認められるため、窃盗未遂とされます。

第8章の地図(締め) 図:第8章の地図(締め)

これで、第8章の全体が1枚の地図になりました。未遂犯の処罰根拠から始まり、実行の着手、中止未遂、そして不能犯へ。すべて、「危険性をどう見るか」という同じ問いの、違う場面での現れでした。

今日の地図(保存版)

今日の到達点 図:今日の到達点

今日を振り返ります。不能犯とは、実行の着手が認められず、未遂犯にもならない場合でした。方法の不能、客体の不能、主体の不能という3類型がありました。純粋主観説と純粋客観説という両極端の間に、抽象的危険説、具体的危険説、客観的危険説という3つの説があり、同じ設例でも、つまみの設定次第で結論が動くことを確認しました。冒頭のAとBに戻ります。Aは、Bが生きていると信じて発砲しました。Bが病死していたことを、一般人が気づけたはずの状況だったのか、それとも気づきようがなかった状況だったのか。そこが分かれ道でした。

ここで、もう一度考えてみてください。もし冒頭の場面で、Bの死亡が発砲の1週間前だったとしたら、具体的危険説に立つと結論はどうなると思いますか?1週間前なら、誰の目にも明らかに死んでいると分かるはずだから、危険性なし、不能犯になる、ということですね。不能犯の学説には、論文で論点になりうる場面もあります。今日は、それを見分けるための土台を作りました。未遂の処罰根拠から不能犯まで、第8章はこれで締めくくりです。

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第9章共犯

#64単独ページ動画

共犯の全体像

第9章 共犯 ①/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

導入——書いていないのは、うっかりか、わざとか

違法な物を売った人は罰せられる。頼んで買った人は 図:違法な物を売った人は罰せられる。頼んで買った人は

今日は、こんな問いから始めます。違法な物を売った人は、条文で処罰されます。では、それを「売ってくれ」と頼んで買った人は、どうなるでしょうか。頼まなければ、そもそも売買は起きなかったはずです。それなのに、条文は買った人を罰するとは書いていません。書いていないのは、うっかりか。それとも、あえて外したのか。先に答えを言うと、あえて外した、と読みます。なぜそう読めるのかは、最後にもう一度確かめます。まずは、共犯という制度の全体を、1本の軸で見通せるようにしましょう。

今日の地図——共犯の3つの広さ

最広義から必要的共犯・任意的共犯へ 図:最広義から必要的共犯・任意的共犯へ

第9章は、共犯を扱います。まず、共犯という言葉には、広さの違う3段階があります。いちばん広い呼び方が、最広義の共犯です。これは、2人以上で犯罪にかかわる場合を、まとめて指す言葉にすぎません。ここから2つに分かれます。1つが必要的共犯、もう1つが任意的共犯です。この任意的共犯を、広義の共犯と呼びます。これが2段目の広さです。共同正犯、教唆犯、幇助犯の3つです。このうち、教唆犯と幇助犯を、狭義の共犯と呼びます。たとえば、2人で一緒に殴れば共同正犯。殴る気の無かった人をそそのかして殴らせれば教唆犯。殴ろうとしている人に棒を貸せば幇助犯、というイメージです。

共同正犯は、狭義の共犯には入りません。教唆犯・幇助犯は、自分では実行行為をしない点で、共同正犯とは区別されるからです。共同正犯は、あくまで正犯の一種です。60条自身が「すべて正犯とする」と書いています。正犯とは、自ら実行する者のことです。正犯と、狭義の共犯である教唆・幇助との境目をどこで引くかは、実は難しい論点で、これは別の回で正面から扱います。

各則の条文は1人用の型紙 図:各則の条文は1人用の型紙

ここで、たとえで整理します。各則の条文は、いわば1人用に裁断された型紙です。「人を殺した者」という条文は、1人が実行する場面を型にして書かれています。そのままでは当てはまりません。だから、60条以下という追加ルール集を用意して、1人用の型紙を、2人以上で仕立てられるように広げるんです。任意的共犯とは、この「型紙を広げる規定」のことだと思ってください。

なぜ「修正された構成要件」なのか

型を時間で広げるか、人数で広げるか 図:型を時間で広げるか、人数で広げるか

未遂と共犯には、共通点があります。どちらも、各則の条文をそのままでは使えない場面に、型を修正して対応する、という点です。未遂は、各本条が1つずつ持っている型、つまり既遂を想定した基本的構成要件を、時間的に修正したものでした。共犯は、1人でやる型を、2人以上でも使えるように、人数の面で修正したものです。どちらも、修正された構成要件と呼ばれます。235条の窃盗罪は、1人が窃取する場面を型にしています。235条に60条が掛かることで、初めて「窃盗の共同正犯」という型ができました。元の条文の型を土台にしたまま、足りない部分だけを補うからです。たとえば、見張りだけをした人は、自分では何も盗っていないので、235条の「窃取した」には、そのままでは当てはまりません。そこに60条が掛かって、初めて窃盗罪の型で処罰できるわけです。罪名は窃盗罪のままで、答案でも235条と60条を並べて挙げるのは、そのためです。今日は、この60条以下の位置づけを見ていきます。

60条・61条・62条・63条の全文カード

共同正犯(60条) 図:共同正犯(60条)

条文刑法60条

刑法60条(共同正犯) 二人以上共同して犯罪を実行した者は、すべて正犯とする。

まず60条です。「二人以上共同して犯罪を実行した者は、すべて正犯とする。」これが、共同正犯の根拠条文です。ただし、「共同して」がどういう場合を指すのか、実行行為をどこまで分担すれば足りるのか、といった中身は、共同正犯の要件を扱う回に送ります。

教唆犯(61条) 図:教唆犯(61条)

条文刑法61条

刑法61条(教唆) 1項 人を教唆して犯罪を実行させた者には、正犯の刑を科する。 2項 教唆者を教唆した者についても、前項と同様とする。

次に61条、教唆犯です。1項は、人を教唆して犯罪を実行させた者には、正犯の刑を科する、としています。刑の重さは正犯と同じ扱いになります。ただし、あくまで自分では実行しないので、位置づけとしては狭義の共犯です。2項は、教唆者をさらに教唆した者、いわゆる間接教唆も、同じ扱いにすると定めています。

幇助犯(62条) 図:幇助犯(62条)

条文刑法62条

刑法62条(幇助) 1項 正犯を幇助した者は、従犯とする。 2項 従犯を教唆した者には、従犯の刑を科する。

続いて62条、幇助犯です。1項、正犯を幇助した者は、従犯とする。ここで「従犯」という言葉が出てきますが、これは幇助犯と同じものを指す、条文上の呼び方です。幇助犯と従犯は、別の制度ではなく同じものです。2項は、従犯をさらに教唆した者も、従犯として扱うとしています。

従犯の刑の減軽(63条) 図:従犯の刑の減軽(63条)

条文刑法63条

刑法63条(従犯減軽) 従犯の刑は、正犯の刑を減軽する。

最後に63条です。従犯の刑は、正犯の刑を減軽する。教唆犯が正犯と同じ刑だったのに対して、幇助犯、つまり従犯は、正犯より軽い刑になります。違いの理由はこうです。教唆は、その気の無かった人に犯罪を決意させる、つまり犯罪そのものを生み出す関与です。幇助は、すでに決意している人の手助けにとどまります。この差が、刑の差になっています。ここまでが、任意的共犯の4か条です。

必要的共犯の2分類——集団犯と対向犯

集団犯と対向犯——同じ向きか、向き合うか 図:集団犯と対向犯——同じ向きか、向き合うか

ここからは、もう一方の道、必要的共犯です。必要的共犯は、各則の条文それ自体が、最初から2人以上を前提に組み立てられている型で、60条以下は経由しません。最初から2人用に裁断された型紙、ということです。必要的というのは、2人以上いないと、そもそもその罪が成り立たない、という意味です。強さの差ではなく、型が最初から何人を必要としているかの差です。必要的共犯は、2つに分かれます。1つが集団犯、もう1つが対向犯です。同じ目的に向かう多数人の集団的行為を、それ自体で1つの型にしたものです。集合犯、多衆犯とも呼ばれますが、これは呼び方の違いにすぎません。例は、内乱罪と騒乱罪です。騒乱罪なら、大勢が集まって暴れ、その地域の平穏を乱す場面で、1人では成り立ちません。

2人以上の、互いに向き合う行為を要件にする型です。例は、収賄罪・贈賄罪、それに、わいせつ物頒布等罪です。集団犯が同じ方向を向いた矢印だとすれば、対向犯は、向かい合う2本の矢印になります。ここに注目してください。収賄罪・贈賄罪は、賄賂を受け取る側にも、贈る側にも、どちらにも処罰規定があります。ところが、わいせつ物頒布等罪は、わいせつな物を頒布する側、つまり送り手にしか処罰規定がありません。同じ対向犯なのに、両方に型紙がある場合と、片方にしか型紙が無い場合がある。ここから、今日いちばん大事な論点に入ります。

片面的対向犯——書いていないことの意味

受け手用の型紙が無い理由は 図:受け手用の型紙が無い理由は

わいせつ物頒布等罪は、送り手だけを処罰する条文です。買った側、つまり受け手には、処罰規定がありません。この受け手を、総則の共犯規定、60条から63条を使って、教唆犯や幇助犯として処罰できないでしょうか。総則を経由すれば、各則が書いていない部分を補えそうにも見えます。そこが問われる論点です。この問いに対する原則的な答えが、立法者意思説と呼ばれる考え方です。

立法者意思説——原則不可罰と例外 図:立法者意思説——原則不可罰と例外

立法者意思説は、こう考えます。受け手の行為は、わいせつ物頒布等罪が成立する場面で、当然予想される行為です。それなのに、各則があえて処罰規定を置いていない以上、これを総則の共犯規定で処罰するのは、法が意図しないところだ、と。買い手は、この罪が起きるたびに、必ず登場する相手です。立法者がその存在に気づかなかったとは、考えにくいですよね。気づいていて書かなかったのなら、それは書き忘れではなく、処罰しないという判断だ、と読むわけです。ですから、原則として、受け手には共犯規定を適用しません。原則、不可罰です。

例外はあります。当然予想される範囲を大きく超える、積極的で執拗な働きかけを行った場合には、例外的に共犯規定の適用がありうる、と整理されています。立法者が見込んで外したのは、普通に買いに来る程度の関与までです。渋る相手を押し切って、犯罪そのものを引き起こすほどの関与は、見込んだ範囲の外なので、外した理由がそこまでは及ばない、というわけです。

AとBの働きかけの違い 図:AとBの働きかけの違い

設例で確かめましょう。Aは、店にあったわいせつな物を、普通に「売ってください」と頼んで買っただけです。当然予想される範囲の関与にとどまるからです。では、Bはどうでしょうか。Bは、渋る売り手に対して、繰り返し、執拗に「売ってくれ」と働きかけ、根負けさせて売らせました。

Bは、Aと同じように不可罰でしょうか 図:Bは、Aと同じように不可罰でしょうか

では、あなたに聞きます。Bは、Aと同じように、不可罰でしょうか?Bのような、当然予想される範囲を大きく超えた積極的・執拗な働きかけは、例外の対象になりうる場面として位置づけられます。同じ「買った」という結果でも、関与の程度によって扱いが動くんです。この考え方の元になった判例を見ましょう。ただし、この判例が扱った事件は、わいせつ物頒布等罪ではありません。弁護士法72条という、刑法典の外の罪です。

判例最高裁判所判決・刑集22巻13号1625頁

依頼者による教唆の成否が問われた事案 弁護士でない者に、報酬を支払う約束で、自分の法律事件の示談解決を依頼し、実際に報酬を支払った者が、非弁護士による法律事件の取扱いを禁じる規定(弁護士法72条・77条)違反の教唆犯として起訴された。同条は、依頼して報酬を与える者の関与を当然予想しており、その関与なしにはこの罪は成立しない。それなのに、依頼者を罰する規定を置いていない以上、これを教唆・幇助として処罰することは、原則として法の意図しないところであるとして、依頼者は教唆犯として処罰できないとされた。

混ぜないでください。わいせつ物頒布等罪は、あくまで問題の所在を示すための例で、この判例が扱ったのは、弁護士法違反の事件です。ただ、条文が当然予想される関与をあえて処罰していない以上、総則の共犯規定を適用しないという理屈そのものは、共通しています。この判例も、例外を認めたわけではありません。判例が言っているのは、「原則として法の意図しないところ」というところまでで、例外の具体的な線までは示していません。さっき見た例外は、あくまで学説の整理です。刑法8条によって、総則の規定は、他の法令の罪にも適用されます。だから、弁護士法違反の事件でも、総則の共犯規定を使うかどうかが問題になったわけです。片面的対向犯のこの扱いは、論文で論点になりうるところです。書いていないのは、当然予想される関与をあえて外したから。だから原則は不可罰です。

共犯者の一部が国外にいる場合

正犯行為地か、共犯行為地か、どちらかが国内なら 図:正犯行為地か、共犯行為地か、どちらかが国内なら

共犯者が何人もいると、居場所が国をまたぐこともあります。以前、場所的適用範囲を扱った回で、「共犯を学ぶ回で改めて扱う」と約束した論点があります。共犯者の一部が国外にいる場合の扱いです。これを遍在説と呼びました。共犯についても、同じ発想を使います。共犯の側から見れば、自分の教唆や幇助が「行為」、それを受けた正犯の実行が「結果」にあたる、と整理できるからです。正犯の実行行為地と、教唆や幇助といった共犯行為が行われた地、このどちらかが国内であれば、日本の刑法を適用できます。たとえば、海外にいる人が、日本にいる知人にメッセージを送って空き巣をそそのかし、知人が国内で盗んだ。この場合、教唆は国外ですが、正犯の実行行為地が国内なので、日本の刑法が及びます。

その場合も、共犯行為が国内で行われている以上、国内犯として扱われます。共犯者の一部が国外にいても、他方の関与が国内で行われていれば、日本の刑法が及ぶ、と押さえてください。

共犯論で問う3つの問い——第9章の地図

第9章で問う3つの問い 図:第9章で問う3つの問い

最後に、これから第9章で扱っていく問いを、地図にしておきます。共犯論は、大きく3つの問いを持っています。1つ目は、処罰根拠です。なぜ、自分で実行していない人を罰せるのか、という問いです。従属性です。共犯が成立するには、正犯側にどこまでの成立が必要か、という問いです。共犯の本質、そして共同正犯の要件です。何を「共同」すれば共同正犯になるのか、という問いです。

今日の地図(保存版)

今日の到達点 図:今日の到達点

今日を振り返ります。共犯には、最広義、広義、狭義という3つの広さがありました。最広義は必要的共犯と任意的共犯に分かれ、任意的共犯が広義の共犯、つまり共同正犯、教唆犯、幇助犯の3つ。うち教唆犯と幇助犯が狭義の共犯でした。60条が共同正犯、61条が教唆犯、62条と63条が幇助犯、つまり従犯です。もう一方の道が、必要的共犯でした。同じ方向を向く集団犯と、向き合う対向犯の2分類でしたね。対向犯の中に、片方にしか処罰規定が無い場合がありました。それが片面的対向犯です。当然予想される関与を、あえて処罰規定から外したと読むのが原則で、原則は不可罰。ただし、積極的で執拗な働きかけは、例外の対象になりうる、というところまで見ました。ここで、思い出しながら答えてみてください。片面的対向犯で、原則として不可罰とされるのは、どのような関与でしょうか?

片面的対向犯で原則として不可罰とされるのは、当然予想される範囲の関与です。当然予想される関与だからこそ、立法者があえて処罰規定を置かなかった、という読み方でしたね。冒頭の問いに戻ります。違法な物を売った人は罰せられるのに、買った人を罰する規定は無い。書いていないのは、うっかりか、わざとか——今日の答えは、あえて外した、です。必ず登場する相手なのに、条文はあえて書かなかった。それが立法者の判断だと読むわけです。

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#65単独ページ動画

共犯の処罰根拠

第9章 共犯 ②/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

導入——貸しただけの人が、なぜ罰せられるのか

貸しただけの人が、なぜ罰せられるのか 図:貸しただけの人が、なぜ罰せられるのか

刃物を「貸しただけ」の人がいます。刺したのは別の人で、貸した人は現場にもいません。それでも、その人は殺人の共犯として罰されます。今日は、なぜそれで罰せられるのか、という問いに正面から答えます。前回は、共犯の全体の地図を見ました。その中で、教唆犯と幇助犯は「自分では実行行為をしていない」という共通点を持つ、狭義の共犯だと確認しましたね。今日は、その先です。実行行為をしていない人間を罰する以上、そこには正当化の理屈が要ります。その理屈を、共犯の処罰根拠と呼びます。先に答えを言っておくと、鍵は「結果を引き起こした」という因果性です。そして、その違法性をどこから持ってくるかで、結論が変わります。

教唆犯・幇助犯は、何をしていないのか

教唆・幇助は、実行行為をしていない 図:教唆・幇助は、実行行為をしていない

条文刑法61条1項

刑法61条1項(教唆) 人を教唆して犯罪を実行させた者には、正犯の刑を科する。

条文刑法62条1項

刑法62条1項(幇助) 正犯を幇助した者は、従犯とする。

教唆は61条1項、幇助は62条1項です。実行行為そのものをしていない、という点が今日の出発点です。教唆は唆しただけ、幇助は容易にしただけ。実行行為は、あくまで正犯がやっています。それなのに、教唆には正犯と同じ刑まで科されます。共同正犯にも、もちろん処罰根拠の議論はありますが、それは共同正犯の要件を扱う回に送ります。今日の主役は、あくまで狭義の共犯、つまり教唆犯と幇助犯です。

責任共犯論——「堕落させた」という発想

責任共犯論——正犯を堕落させたから、罰する 図:責任共犯論——正犯を堕落させたから、罰する

処罰根拠として、まず出てくる考え方が責任共犯論です。正犯に犯意を生じさせて、いわば堕落させたこと、あるいは、すでに堕落した心情に同調したことに、共犯の責任の根拠を置く見解です。直感的には、分かりやすい発想ですよね。唆した側が悪い、というのは、素朴な感覚に合います。ここで、以前見た話を思い出してください。刑法は、法益の侵害を離れて、人の心の中だけを罰するでしょうか?罰しませんでしたよね。行為無価値論でも、結果を捨てるわけではない、と習いました。この講義が採る行為無価値論も、法益の侵害やその危険を違法性の中身に含めます。刑法は、法益の侵害を離れて、内心や人格そのものを罰するわけではありません。ところが責任共犯論は、「堕落させたか」という、正犯の内心の変化を根拠にしています。これでは、法益の侵害から離れてしまいます。

もう一つ理由があります。「堕落させたかどうか」は、あくまで正犯の主観の問題です。共犯自身の行為に、どんな違法性があるのかを、これでは説明できていません。誰の、何を罰しているのかが、ぼやけてしまうんです。だから、責任共犯論は通説にはなりません。

因果的共犯論(惹起説)への転換——「引き起こした」から罰する

内心を見るか、結果への因果性を見るか 図:内心を見るか、結果への因果性を見るか

そこで、発想を切り替えます。共犯も、正犯と一緒に、法益侵害という結果を引き起こしたから罰せられるんだ、という考え方です。これを、因果的共犯論、または惹起説と呼びます。これが通説です。教唆も幇助も、正犯の実行行為を介して、最終的には法益侵害という結果に因果的につながっています。その因果のつながりこそが、共犯を罰する根拠だ、というわけです。刃物を貸した人は、自分では刺していません。でも、その刃物が実際に使われて人が死んだのなら、貸すという行為から結果まで、因果のつながりがあります。惹起説は、そのつながりに罰する理由を見出します。

物理的因果性と心理的因果性

AがBに解錠道具を渡す——2つの因果性 図:AがBに解錠道具を渡す——2つの因果性

惹起説の中身をもう少し掘ります。「因果性」と一口に言っても、その中身は2種類あります。物理的因果性と、心理的因果性です。惹起説は、共犯の行為が結果に対して現実に因果性を持ったことを求めます。物理的な経路だけしか因果性として数えないと、実際には結果に影響を与えているのに、その因果性を見落としてしまう場合が出てくるからです。心理的な後押しも因果性の一種として認めることで、その見落としを防いでいます。たとえばこうです。Aが、特殊な解錠道具をBに渡します。Bが実際にその道具を使って、他人の家に侵入して盗みを働いたとします。この場合、Aの提供が、Bの実行行為に物理的に寄与しています。これが物理的因果性です。

Aが道具を渡すと申し出たけれど、Bは結局、その道具を使わずに、別の方法で侵入したとします。物理的な経路には乗っていません。それでも、「いざとなれば、あの道具に頼れる」という安心感が、Bの決意を後押ししていたとしたら、どうでしょうか。実行経路には乗らなくても、心理面での後押しという形で、結果に対する寄与が残ります。結果につながる経路が、物理的な経路である必要はありません。心理面での後押しが結果に働いているなら、それも因果性として数えます。これが心理的因果性です。物理的因果性は幇助、心理的因果性は教唆と機械的に1対1で対応させないでください。因果性の中身の話であって、教唆・幇助という行為の型を決める話ではありません。教唆にも幇助にも、どちらの因果性が働く場面もありえます。

惹起説の3つの立場——違法性を、どこから借りてくるか

違法性の出どころを比較する——共犯側スイッチと正犯側スイッチ 図:違法性の出どころを比較する——共犯側スイッチと正犯側スイッチ

ただし、「結果を引き起こしたから罰する」という発想は、一枚岩ではありません。共犯の違法性を、どこから持ってくるのかで、3つの立場に分かれます。これは、違法性の回で見た「違法性の中身は何か」とは別の軸で、「誰の行為の違法性を根拠にするか」という話です。ここが、今日いちばん大事な軸です。違法性の出どころに、2つのスイッチがあると考えてください。1つは共犯側スイッチ、共犯行為それ自体に独自の違法性を認めるかどうか。もう1つは正犯側スイッチ、正犯行為の違法性を、共犯の違法性の根拠として借りてくるかどうか。この2つのスイッチの、どちらを入れるかで、立場が分かれます。たとえば、こんな設例で考えてみましょう。Aが、窃盗をする気の無かったBに「あの家は今、留守だ」と唆し、Bが実際にその家に侵入して窃盗を実行したとします。この設例を、3つの立場それぞれに当てはめてみます。

⭐ 論文で書く規範:純粋惹起説 共犯の違法性は、共犯行為それ自体の違法性にもとづく。 (惹起説の一類型・共犯側スイッチのみ)

1つ目、純粋惹起説です。共犯の違法性は、共犯行為それ自体の違法性にもとづく、と考えます。共犯側スイッチだけを入れる立場です。さっきの設例なら、Aが唆した行為自体に独自の違法性があると見て、Bの実行行為とは切り離してAを処罰できると考えます。正犯側のスイッチは使いません。共犯行為そのものに、もう違法性が備わっていると考えるので、正犯行為がどうであるかは、共犯の違法性を左右しません。

⭐ 論文で書く規範:修正惹起説 共犯の違法性は、正犯行為の違法性にもとづく。 (惹起説の一類型・正犯側スイッチのみ)

2つ目、修正惹起説です。共犯の違法性は、正犯行為の違法性にもとづく、と考えます。正犯側スイッチだけを入れる立場です。共犯行為それ自体には、独自の違法性を認めません。さっきの設例なら、Bの窃盗という実行行為に違法性があるので、その違法性をそのままAに借りてきて処罰する、と考えます。共犯の違法性を、正犯からまるごと借りてくる、というイメージです。

⭐ 論文で書く規範:混合惹起説(通説) 共犯を処罰するには、自分の関与そのものの違法性と、正犯が実行した行為の違法性が、ともに必要になる。 (惹起説の一類型・通説・両方のスイッチ)

3つ目、混合惹起説です。これが通説です。共犯を処罰するには、自分の関与そのものに違法性があることと、正犯が実行した行為に違法性があることの、どちらも欠かせない、と考えます。2つのスイッチを、両方とも入れる立場です。なぜこれが通説なのかは、このあと2つの場面で確かめます。さっきの設例なら、Aが唆した行為自体の違法性と、Bの窃盗という実行行為の違法性、その両方があってはじめてAを処罰できる、と考えます。この軸さえ持てば、あとの場合分けは、暗記ではなく、その場で導けるようになります。

山場——正犯なき共犯・共犯なき正犯で3説を試す

2つの問題設定——スイッチのどちらかが欠ける場面 図:2つの問題設定——スイッチのどちらかが欠ける場面

ここからが、今日の山場です。3つの立場が、本当に違いを生むのかを、2つの場面で試します。1つ目は正犯なき共犯、正犯行為に違法性がない場面。2つ目は共犯なき正犯、共犯行為自体に独自の違法性がない場面です。片方ずつスイッチを欠けさせて確かめます。まず1つ目の設例です。Aが、Bに対して、自分で自分を傷つける行為、つまり、自傷行為を唆したとします。

設例①——Aが、Bに自傷行為を唆す 図:設例①——Aが、Bに自傷行為を唆す

Bが自分で自分を傷つける行為そのものは、他人の法益を侵害するものではないので、違法性がありません。つまり、正犯行為に違法性がない場面です。これが正犯なき共犯です。Aが唆したこと自体の違法性をどう扱うかが、まさに3説の分かれ目です。ここで、あなたに聞きます。純粋惹起説は、共犯側スイッチだけを見る立場でしたね。この場面で、純粋惹起説はAを処罰できると考えるでしょうか、できないと考えるでしょうか?純粋惹起説は、共犯側スイッチだけで決まるので、正犯行為に違法性が無くても関係ありません。Aの共犯行為自体に違法性がある以上、結論は肯定です。

修正惹起説は、正犯側スイッチだけを見る立場でした。この場面では、正犯行為、つまりBの自傷行為に違法性がありません。正犯側スイッチが入らないので、結論は否定です。混合惹起説は、両方のスイッチが要る立場です。正犯側スイッチが欠けている以上、共犯側スイッチがどれだけ入っていても、結論は否定です。

設例②——被害者A自身が、Bに傷害を頼む 図:設例②——被害者A自身が、Bに傷害を頼む

2つ目の設例です。被害者本人であるAが、Bに対して「自分に重い傷害を加えてほしい」と頼み、Bがその頼みどおりに実行したとします。Bの実行行為には、重い傷害という結果が伴い、違法性があります。重い傷害については、本人の頼みがあっても違法性は失われないと考えるのが一般的です。承諾があれば必ず許されるのではなく、傷つける部位や程度、やり方まで見て判断する、と承諾の回で見ましたね。一方、Aは、自分自身の法益を差し出す形で関与しているにすぎません。Aの行為自体に、独自の違法性はあるでしょうか。自分の体のことだから、Aが独自に何か悪いことをしたようには見えませんね。Aの行為自体には、独自の違法性がないと評価される場面です。これが共犯なき正犯です。もう一度、3つの立場に当てはめてみましょう。純粋惹起説は、共犯行為自体の違法性で決まりましたね。Aの行為自体に、独自の違法性が無いとすると、結論はどうなりますか?

純粋惹起説は、共犯側スイッチが入らない以上、結論は否定です。では、修正惹起説はどうでしょうか。修正惹起説は、正犯側だけを見る立場でした。Bの実行行為には違法性があるので、正犯側スイッチは入ります。修正惹起説は、正犯行為の違法性をそのまま借りてくるので、Bに違法性がある以上、Aも処罰できるという結論になります。では、混合惹起説は。両方のスイッチが必要な説なので、共犯側スイッチが欠けている以上、こちらの場面でも否定という結論になります。

3説を比較する——6マスの結論表 図:3説を比較する——6マスの結論表

整理すると、こうなります。正犯なき共犯では、純粋惹起説が肯定、修正惹起説が否定、混合惹起説が否定。共犯なき正犯では、純粋惹起説が否定、修正惹起説が肯定、混合惹起説が否定です。混合惹起説だけが、両方とも否定になります。混合惹起説は、共犯側スイッチと正犯側スイッチの、両方が入っていないと処罰を認めません。つまり、どちらか一方が欠ける場面では、必ず否定側に転びます。両側から絞る説だということが、この2つの場面ではっきり見えます。6マスを、そのまま読み替えてみてください。純粋惹起説だと、自分を傷つけること自体は罰しないのに、唆した人だけは罰することになります。正犯の側が違法でないのに、共犯だけが違法、という食い違いです。修正惹起説だと、自分の行為には悪さが無い人まで、正犯の違法性だけを理由に罰することになります。どちらも、片側に行き過ぎています。両方のスイッチを要求して、その行き過ぎを両側から止める。だから、混合惹起説が通説なんです。共犯を罰する根拠は結果を引き起こした因果性にあり、その違法性をどこから持ってくるかで、結論が変わる。今日の答えは、ここに集まります。

6マスの結論そのものを、答案に正面から書く機会は、それほど多くありません。ただ、この6マスは、それぞれの説の中身を本当に理解できているかを試す、いい試験紙になります。軸さえ持っていれば、暗記しなくても、その場で導けるはずです。

見通し——因果性は、この先の共犯論の土台になる

因果性は、この先の共犯論の土台になる 図:因果性は、この先の共犯論の土台になる

今日見た「因果性」という発想は、この先の共犯論全体の土台になります。たとえば、共犯関係をいったん結んだあと、それを解消できるかという問題は、因果性を途中で切れるかという形で問われます。幇助が結果に対してどこまで因果性を持つか、共謀の内容が実行行為のどこまで及ぶか、といった論点も、同じ因果性の発想の応用です。今日の話に加えて、もう一つだけ触れておきます。混合惹起説は、正犯行為の違法性が要ると言いました。この考え方は、共犯が成立するために、正犯側にどこまでの成立が必要かという、次の問いにそのままつながります。

今日の地図(保存版)

今日の到達点 図:今日の到達点

今日を振り返ります。責任共犯論は、正犯の内心に着目する見解でしたが、法益の侵害から離れてしまうため、通説にはなりませんでした。通説は因果的共犯論、つまり惹起説で、共犯も正犯と一緒に、法益侵害という結果を引き起こしたから罰せられる、という発想でした。その惹起説も、違法性の出どころで、純粋・修正・混合の3つに分かれ、両方のスイッチを要求する混合惹起説が通説でした。正犯なき共犯・共犯なき正犯では、混合惹起説だけが両方とも否定でした。軸さえ持っていれば、その結論はその場で導けます。ここで、もう一度聞きます。混合惹起説が、正犯なき共犯でも共犯なき正犯でも否定という結論になるのは、なぜでしょうか?

両方のスイッチが必要な説なので、どちらの場面でも、片方のスイッチが欠けてしまうからです。冒頭の問いに戻ります。刃物を貸しただけの人が、なぜ罰せられるのか。答えは、正犯と一緒に、法益侵害という結果を引き起こした、その因果性にあります。ただし、その因果性を、共犯側から見るか、正犯側から見るか、両方から見るかで、学説の立場が分かれるんです。

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#66単独ページ動画

共犯の従属性

第9章 共犯 ③/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

導入——正犯に、何が起きていればよいのか

唆した相手が、何もしなかったら 図:唆した相手が、何もしなかったら

友人Bに、「あの家は今、留守だから盗みに入ろう」と唆したとします。ところが、Bは結局、何もしませんでした。唆した人は、それでも罰せられるでしょうか。前回、共犯が罰せられる理由を見ましたね。混合惹起説では、共犯を処罰するには、共犯自身の関与の違法性と、正犯が実行した行為の違法性の、両方が要るのでした。今日は、その「正犯の側」を掘り下げます。共犯は正犯を前提にしている、という性質を、共犯の従属性と呼びます。ここから2つの問いが生まれます。「いつから」正犯に寄りかかれるのか、そして「どこまで」正犯に寄りかかる必要があるのか。この2つです。先に答えの形だけ言っておくと、共犯が正犯から借りるのは違法性だけで、責任までは借りません。では、前回の混合惹起説を思い出してください。正犯がまだ何も実行に出ていない段階では、共犯は成立すると言えるでしょうか?

実行従属性——「いつから」寄りかかれるか

唆しただけで、共犯は成立するか 図:唆しただけで、共犯は成立するか

狭義の共犯は、教唆・幇助行為があって、それを受けて正犯が実行行為に出て、その結果として法益侵害が起きる、という流れをたどります。1つ目の問いは、教唆・幇助行為はあったのに、正犯が実行に出なかったとき、共犯は成立するか、というものです。これを実行従属性の問題と呼びます。そこで意見が分かれます。まず共犯独立性説です。犯罪とは行為者の危険な性格が表れたものだ、という発想に立って、唆した時点、あるいは手伝おうとした時点で、もうその危険性は表れていると考えます。だから、正犯が実際に実行したかどうかとは関係なく、教唆・幇助それ自体で未遂・既遂という概念が成り立つ、という立場です。

もう一方が共犯従属性説で、これが通説です。正犯が実行に着手して初めて共犯が成立する、つまり唆しただけの段階では共犯は成立しない、という立場です。

通説の根拠——混合惹起説と条文の文言

共犯従属性説の根拠——混合惹起説と条文の文言 図:共犯従属性説の根拠——混合惹起説と条文の文言

条文刑法61条1項

刑法61条1項(教唆) 人を教唆して犯罪を実行させた者には、正犯の刑を科する。

条文刑法62条1項

刑法62条1項(幇助) 正犯を幇助した者は、従犯とする。

なぜ共犯従属性説が通説なのか。理由は2つあります。1つ目は、前回の混合惹起説そのものです。共犯を処罰するには、正犯が実行した行為の違法性を借りてくる必要がありました。だとすれば、正犯がまだ実行に出ていない段階では、借りる先そのものが存在しません。2つ目は条文の文言です。61条1項は「犯罪を実行させた者」、62条1項は「正犯を幇助した者」と書いています。どちらも、正犯の実行行為が存在することを前提にした書き方です。唆しただけ、手伝おうとしただけの段階を処罰する条文にはなっていません。

時間軸で比較する——独立性説と従属性説の分かれ道

教唆→実行の着手→結果発生を、2つの説で追う 図:教唆→実行の着手→結果発生を、2つの説で追う

ここで、2つの説の違いを時間軸に乗せて確かめます。AがBを唆して、駅のホームでCのかばんから財布をすり取らせようとした、という設例です。3つの時点を置きます。1つ目は、Aが唆した時点。2つ目は、Bがすり取ろうとしてCのかばんに手を伸ばしてさわり、窃盗の実行に着手した時点。3つ目は、Bが財布を抜き取って結果が発生した時点です。まず共犯独立性説から考えましょう。この説の出発点は、犯罪とは行為者の危険な性格の表れだ、という発想でした。だとすれば、Aの危険性は、唆した1つ目の時点でもう外に表れています。正犯Bがその後どう動くかは、Aの危険性の有無とは関係がありません。だから、1つ目の時点でもう「教唆未遂」に相当するものが成立し、3つ目まで進めば「教唆既遂」に相当するものが成立する、という説明になります。

では通説の共犯従属性説はどうか。こちらの出発点は、前回の混合惹起説でした。共犯を処罰するには、正犯が実行した行為の違法性を借りる必要がある。借りる先が無ければ、共犯という制度そのものが空回りします。1つ目の段階では、Bはまだ何も実行していません。だから借りる先が無く、Aは不可罰です。2つ目でBがCのかばんに手を伸ばしてさわり、実行に着手すれば、そこで初めて借りる先ができるので、未遂犯の教唆犯が成立します。そして3つ目でBが財布を抜き取るという結果まで出せば、既遂犯の教唆犯が成立します。ここで1つ、考えてほしい分岐を出します。もし2つ目の手前、BがCに近づいたところで怖くなって引き返してしまい、実行に着手する一歩手前で終わったとしたら、共犯従属性説の下でAはどうなるでしょうか?

着手の一歩手前なら、借りる先がまだ無いので、Aも不可罰です。逆に、共犯独立性説だと、この場合でも1つ目の時点でもう危険性は表れているので、教唆未遂に相当するものが成立します。同じ「Bが結局実行に出なかった」という結果でも、2つの説では結論がまったく違うわけです。冒頭の問いに戻ると、共犯従属性説の下では、唆しただけで正犯が何もしなかった場合、Aは不可罰です。61条1項が「実行させた者」と書いている以上、実行に出ていない段階を処罰する条文は、そもそも存在しないんです。

要素従属性——「どこまで」寄りかかる必要があるか

正犯は、成立要件のどこまで満たせばよいか 図:正犯は、成立要件のどこまで満たせばよいか

実行従属性を認めるとして、次の問いに進みます。正犯は実行に出さえすればいいのか、それとも、犯罪の成立要件をどこまで満たしている必要があるのか。以前見た、構成要件該当性、違法性、責任という3段を覚えていますか。構成要件に当てはまって、違法で、責任もある。この3つがそろって初めて犯罪が成立する、という話でしたね。正犯が、この3段のうちどこまで満たしていれば共犯が成立するのか、という問いを、要素従属性と呼びます。

4つの学説——階段で線を引く

構成要件・違法性・責任・処罰条件——4段の階段 図:構成要件・違法性・責任・処罰条件——4段の階段

正犯の成立要件を、下から積み木のように4段に並べます。構成要件該当性、違法性、責任、そして一定の処罰条件です。4段目の処罰条件は、ここでは、犯罪が成立したあとで、処罰できるかどうかを左右する事情をまとめて指します。犯罪の成立要件の回では、無いと処罰できない処罰条件と、あると処罰できなくなる処罰阻却事由を、向きが逆の別物として分けましたね。この4段目には、その両方が入ります。親族の間の窃盗で刑が免除されるのは、あとのほう、処罰阻却事由です。この4段のどこまで正犯が満たしていれば共犯が成立するか、という基準の違いで、学説が4つに分かれます。

最小従属性説は、いちばん下の構成要件該当性だけで足りるとします。制限従属性説は、これが通説ですが、構成要件該当性に加えて違法性まで要るとします。極端従属性説は、さらに責任まで要るとします。誇張従属性説は、責任に加えて処罰条件まで要るとします。

各説を試す——線を引きすぎるとどうなるか

現行犯を取り押さえる——最小従属性説を試す設例 図:現行犯を取り押さえる——最小従属性説を試す設例

まず、考えてほしい問題です。AがBに、「あの男が今、店の品物を盗んで逃げようとしている、取り押さえてくれ」と頼み、Bがその男Cを取り押さえる際に、Cに軽い怪我を負わせたとします。Bの行為は、以前、正当行為の回で見たとおり、刑事訴訟法213条が誰にでも許している現行犯逮捕であり、逮捕のために必要かつ相当な限度にとどまっていれば、法令にもとづく正当行為として、違法性が阻却されます。では、正犯が構成要件に該当しさえすれば足りるとする最小従属性説だと、Aはどうなるでしょうか?最小従属性説だと、Aは傷害罪の教唆犯になってしまいます。Bの行為は正当な逮捕行為として許されるのに、それを頼んだAだけが教唆犯として処罰される、という行き過ぎた結論になります。これが最小従属性説への批判です。正犯が違法でない以上、共犯だけを罰する理由がありません。

極端従属性説を試す——責任は誰の話か 図:極端従属性説を試す——責任は誰の話か

次に極端従属性説です。この説は、正犯に責任まで要求します。61条1項が「犯罪を実行させた」の「犯罪」という言葉を根拠にする説です。ここでもう一問、考えてみてください。AがBに、Cの家に侵入して盗みをするよう唆したところ、Bは、物事の善し悪しは分かっているものの、14歳に満たない13歳だったとします。刑法では、14歳未満の人には一律に責任が認められません。極端従属性説だと、Bに責任が無い以上、Aはどうなるでしょうか?極端従属性説の論理をそのまま当てはめると、Aも教唆犯にならない、という結論になります。ですが、それでいいのでしょうか。責任とは何だったか覚えていますか。

責任は、行為者一人ひとりについて判断されるべきものです。それなのに、正犯に責任があるかどうかで共犯自身の成否まで決めてしまうのは、共犯の責任判断を正犯に丸投げすることになります。今の設例でいえば、唆したAには唆した時点でAなりの非難可能性があるはずなのに、Bが13歳だったという事情だけでAの責任まで消えてしまうのは、おかしいですよね。文言の解釈だけでは、この行き過ぎを正当化できません。最後に誇張従属性説です。この説は、正犯に一定の処罰条件まで要求します。もう一問、考えてみましょう。AがBに、「Bの父親の家から現金を盗んでこい」と唆し、Bが実行したとします。244条1項は、直系血族・配偶者・同居の親族の間の窃盗罪について、刑を免除すると定めています。Bにはこの特例が及ぶとして、処罰条件まで正犯に従属させる誇張従属性説だと、唆したAはどうなるでしょうか?

条文刑法244条3項

刑法244条3項(親族間の特例) 前二項の規定は、親族でない共犯については、適用しない。

誇張従属性説の筋を通すと、Bの刑の免除がAにも及んで、Aも処罰されないことになりますが、ここで244条3項を見てください。「前二項の規定は、親族でない共犯については、適用しない」と定めています。親族であることにもとづく刑の免除、つまり処罰阻却事由ですが、これは共犯には及ばない、と条文自身が明示しています。処罰条件まで正犯に従属させる誇張従属性説は、この条文の建て付けと真っ向からぶつかります。

3説の行き過ぎを比較する 図:3説の行き過ぎを比較する

こうして見ると、最小従属性説は下に寄りすぎ、極端従属性説と誇張従属性説は上に寄りすぎです。残るのは、構成要件該当性と違法性のところで線を引く説、つまり制限従属性説です。

制限従属性説の根拠——違法性は借りる、責任は借りない

なぜ違法性までは要り、責任までは要らないのか 図:なぜ違法性までは要り、責任までは要らないのか

なぜ、制限従属性説がちょうどいい線なのか、理由をまとめます。前回、共犯が処罰されるには、共犯自身の関与の違法性というスイッチと、正犯側の違法性というスイッチ、この2つが同時に入っている必要がある、という話をしましたね。違法性が要る理由は、まさにその正犯側のスイッチです。混合惹起説の下では、共犯は正犯側の違法性を借りて処罰されます。正犯が違法でなければ、借りるものがそもそも無いんです。一方、責任が要らない理由は、借りる中身の違いにあります。違法性は、行為が法益を侵害したという、出来事の側への評価なので、同じ出来事に関わった人の間で共有できます。これに対して責任は、その人を責められるかという、一人ひとりへの評価です。Aの共犯としての責任はA自身について判断されるべきもので、Bに責任があるかどうかに左右される筋合いがありません。

61条1項も、「犯罪を実行させた」とは書いていますが、「犯罪が成立した」とまでは書いていません。実行に出たことは要求していますが、正犯に責任まで具わることは要求していないんです。混合惹起説というたった1つの発想から、実行従属性も、要素従属性のちょうどよい線も、両方とも導けます。

違法は連帯的に、責任は個別的に

違法は連帯、責任は個別——2つの分岐 図:違法は連帯、責任は個別——2つの分岐

ここまでの結論を、標語にまとめます。「違法は連帯的に、責任は個別的に」。これが今日の到達点です。さっきの現行犯逮捕の設例では、Bの行為が違法でなかったから、Aも不成立になりました。それが違法の連帯性です。正犯の行為の違法性が阻却されるなら、正犯はもとより、共犯も成立しません。正犯の違法性が無ければ、共犯が借りるものが無いからです。では、責任の個別性の方を見ます。今度は、さっきの13歳のBに戻ります。Bは善し悪しを分かったうえで、自分で決めて、Cの家に侵入して盗みを働きました。Bの行為は、構成要件に該当し、違法でもありますが、責任だけが認められません。

この場合、正犯Bの行為は構成要件該当性・違法性という、共犯が借りるべきラインまでは満たしています。責任が無いことは、Bにとっての個別の事情にすぎません。だから、Aには教唆犯が成立します。さっきの極端従属性説の批判で、13歳のBに責任が無いからAも教唆犯にならない、という結論がおかしいと言ったのは、まさにこの理由です。違法性の有無は、正犯と共犯の間で連帯して効きますが、責任の有無は、それぞれ個別に判断される。この非対称こそが、制限従属性説の中身です。

間接正犯との境に一言

責任のない者を「道具」として使う場合との違い 図:責任のない者を「道具」として使う場合との違い

1つだけ付け加えます。責任のない者を、いわば「道具」として利用する場合は、教唆犯ではなく、それ自体が正犯になります。これを間接正犯と呼びます。以前、間接正犯の回で、4歳の子どもを使った人は、教唆犯ではなく正犯になると見ました。4歳の子は善し悪しの判断もつかず、言われるままに動く、いわば道具だからです。そのとき、正犯側にどこまでそろえば共犯になるのかは、この章に送っていました。その答えが今日の制限従属性説です。善し悪しを分かったうえで自分で決めた13歳のBなら、Aは道具を使ったのではなく唆したことになり、Bに責任が無くても教唆犯が成り立ちます。

見通し

次の問い——共同正犯にも、同じ発想は効くか 図:次の問い——共同正犯にも、同じ発想は効くか

今日は、教唆犯と幇助犯、つまり狭義の共犯を念頭に話してきました。共同正犯でも同じように考えてよいかは、次の問いになります。共同正犯を考えるときには、共犯とは何かという、もう1つの根本問題も絡んできます。

今日の地図(保存版)

今日の到達点 図:今日の到達点

今日を振り返ります。実行従属性では、唆した時点で成立するとする共犯独立性説と、正犯の実行に従属するとする共犯従属性説(通説)が対立していました。最小従属性説は構成要件該当性だけ、制限従属性説は構成要件該当性と違法性、極端従属性説はそれに責任、誇張従属性説はさらに処罰条件まで。通説は制限従属性説でした。共犯を処罰するには正犯側の違法性を借りる、という前回の発想からそのまま、実行に出ていることと、違法であることの2つが導けます。ここで、もう一度聞きます。制限従属性説が、正犯の違法性は要求するのに、責任までは要求しないのはなぜでしょうか?

違法性は借りるものですが、責任は行為者ごとに個別に判断されるべきものだからです。冒頭の問いに戻ります。唆しただけで正犯が何もしなかった場合、共犯は不可罰です。そして、正犯が実行に出ていれば、正犯に責任が無くても共犯は成立しうる。違法は連帯的に、責任は個別的に。これが今日の結論です。

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#67単独ページ動画

共同正犯と従属性

第9章 共犯 ④/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

前回の標語は、共同正犯でも効くか

2人で一緒に反撃した。もう1人の心のうちは 図:2人で一緒に反撃した。もう1人の心のうちは

前回、狭義の共犯について「違法は連帯的に、責任は個別的に」という標語を立てました。今日はこれを、共同正犯に持ち込みます。共同正犯は共犯であると同時に、60条が「すべて正犯とする」と定める正犯でもあります。この二面性のせいで、前回の標語をそのまま輸入していいかは、実は自明ではありません。加えて、前回の最後で約束したもう1つの問いもあります。共犯とは何かという根本問題、つまり共同正犯が成立するために何を「共同」する必要があるのか、という問いです。先に見通しを言うと、責任は共同正犯でも個別のまま、違法の連帯は、心のうちの要件のところで割れます。今日は、この2つを順番に見ていきます。本題に入る前に、前回の内容を1つ思い出してください。教唆した相手が13歳の刑事未成年で、責任を阻却されたとしても、教唆犯は成立しましたか?

責任は行為者ごとに個別に判断されるから、正犯に責任が無くても、教唆犯は成立する、という話でした。今日はこの前提の上に立ちます。

違法の連帯性の有無

AとBが一緒に取り押さえた。心のうちは別だった 図:AとBが一緒に取り押さえた。心のうちは別だった

設例です。深夜、AとBが働く店に、酔った客Cが刃物を持って暴れ出し、Aに向かって振り回してきました。Aは身を守るため、Cの腕を押さえつけます。Bも一緒にCを押さえつけましたが、Bには、以前Cに万引きをされた恨みがあり、この機会にやり返してやろうという気持ちしかありませんでした。Aには正当防衛が成立するとして、この効果はBにも及ぶでしょうか?ここで、正当防衛の要件を客観的なものと主観的なものに分けて考えます。急迫不正の侵害があったこと、これは客観的な事実で、その場にいたAにもBにも共通して存在します。ですが、防衛の意思、つまり防衛するためという主観的な要件は、AとBそれぞれの心のうちにあるものです。

有力な見解では、違法性阻却の要件のうち、客観的要件は連帯するが、主観的要件は個別に判断するとされます。Bにはもっぱら攻撃の意思しかなく、防衛の意思を欠くので、Bには正当防衛は成立しません。

責任の連帯性の有無

責任は、いつも1人ずつ 図:責任は、いつも1人ずつ

もう1つ、責任のほうも確認しておきます。以前見たとおり、責任とは行為者ごとの非難可能性で、人によってあったり無かったりする個別の判断でした。責任は行為者一人ひとりへの評価なので、共同正犯であっても、この個別性は変わりません。前回、狭義の共犯について確認したのと同じ結論が、共同正犯にもそのまま当てはまります。たとえば、一緒に殴りかかった2人のうち1人が13歳でも、責任が無くなるのはその1人だけです。ここまでをまとめると、「違法は連帯的に、責任は個別的に」は共同正犯でも基本的に生きています。ただし、違法の連帯のほうには、実は主観的要件のところで割れ目があった、というのが今の設例で見えたことです。冒頭の二面性でいえば、その場に共通する出来事は共犯として連帯し、一人ひとりの心のうちは、自分の犯罪を実行する正犯として各人ごとに見る、ということです。

判例——過剰防衛は共同正犯者ごとに

一方には要件がそろい、もう一方にはそろわなかった 図:一方には要件がそろい、もう一方にはそろわなかった

ここで判例を見ます。共同正犯とされた2人がいた事案です。一方には過剰防衛の要件がそろっていましたが、もう一方は、以前、急迫性の回で見た積極的加害意思、つまり侵害の機会を利用して積極的に加害しようとする意思を持っていたために、急迫性の要件がそろっていませんでした。ここで最高裁は、次のように述べました。

判例最決平4・6・5 刑集46巻4号245頁

最高裁判所——共同正犯者ごとの過剰防衛判断 「共同正犯が成立する場合における過剰防衛の成否は、共同正犯者の各人につきそれぞれその要件を満たすかどうかを検討して決するべきであって、共同正犯者の一人について過剰防衛が成立したとしても、その結果当然に他の共同正犯者についても過剰防衛が成立することになるものではない。」

過剰防衛の成否は、共同正犯者の各人について、それぞれ要件を満たすかを検討して決める、という立場です。

弁別——欠けたのは、防衛の意思か、急迫性か

同じ「効果が及ぶか」でも、欠けた要件は違う 図:同じ「効果が及ぶか」でも、欠けた要件は違う

ここで、さっきのA・Bの設例と、今の判例を混同しないよう、一言はさみます。さっきの設例では、防衛の意思という主観的要件がBに欠けていました。ですが今の判例の事案では、積極的加害意思によって、急迫性という要件のほうが否定されています。ここで1つ気をつけてください。急迫性は、形のうえでは客観的要件です。ですが判例は、以前見たとおり、その人が侵害を待ち構えて積極的に加害しようとしていたかという、その人の心のうちを理由に急迫性を否定しました。だから欠けた場所は違っても、決め手になったのは設例と同じく、もう一方とは共有できない、その人の心のうちでした。判例は、そのうえで、過剰防衛の成否を共同正犯者の各人について検討しています。

山場——過剰防衛の根拠と違法の連帯を組み合わせる

責任減少説なら、及ぶ、及ばない、どちらでしょう 図:責任減少説なら、及ぶ、及ばない、どちらでしょう

ここが今日の山場です。過剰防衛の任意的減免、36条2項の根拠には、過剰防衛の回で見たとおり、違法性減少説、責任減少説、その2つを積み上げる併合説がありました。今日は、土台になる違法性減少説と責任減少説の2つで考えます。通説は責任減少説です。恐怖や興奮で、多少行き過ぎても強く非難できない、という理由でした。この根拠論と、さっき見た「共同正犯の一方の違法の減少を、もう一方にも連帯させるか」を組み合わせると、判例の結論を支持できるかどうかが決まります。まず予想してみてください。責任減少説に立つ場合、一方の過剰防衛の効果は、もう一方に及ぶでしょうか、及ばないでしょうか?

組合せを埋める——4通りのうち、3通りは判例と一致 図:組合せを埋める——4通りのうち、3通りは判例と一致

答えは「及ばない」です。責任減少説に立つ場合、過剰防衛の効果は責任の問題ですから、責任は常に個別に判断されます。だから、及びません。これは判例と整合します。過剰防衛の減免は、恐怖や興奮の中で行き過ぎた人を強く責められない、という理由でした。判例のもう一方は、その機会に積極的に加害するつもりで臨んでいました。その人に、他人の恐怖を借りて減免を与える理由はありません。違法性減少説は、防衛の効果によって違法性が軽くなる、という説明でした。ここで、一方の違法の減少をもう一方にも連帯させるかどうかで、結論が割れます。連帯を否定すれば、及びません。判例と整合します。ですが、連帯を肯定してしまうと、及ぶ、という結論になり、判例とは衝突してしまいます。

責任減少説という通説の立場に立てば、判例の結論は素直に導けます。違法性減少説を採る場合は、共同正犯の間で違法の減少を連帯させないことが、判例を支持するために必要になります。

共犯の本質——何を「共同」するのか

二人以上共同して犯罪を実行した者は、すべて正犯とする 図:二人以上共同して犯罪を実行した者は、すべて正犯とする

条文刑法60条

刑法60条(共同正犯) 二人以上共同して犯罪を実行した者は、すべて正犯とする。

ここからは、もう1つの根本問題です。60条は「二人以上共同して犯罪を実行した者は、すべて正犯とする」と定めています。2人が同じ故意で同じ構成要件を実現したなら、何の問題もありません。では、1人は殺すつもりで、もう1人は怪我をさせるつもりだった場合、つまり故意にしたがう構成要件が違う場合はどうでしょうか。これも「共同して犯罪を実行した」と言えるでしょうか?ここで問われているのが、共犯の本質、つまり共同正犯が成立するために何を「共同」すればよいか、という問題です。60条の「犯罪」を、事実としての行為と読むか、殺人罪や傷害罪といった構成要件の枠と読むか。この読み方の違いが、2つの説に分かれます。

行為共同説

行為共同説——構成要件を離れた事実の共同で足りる 図:行為共同説——構成要件を離れた事実の共同で足りる

1つ目が行為共同説です。この説では、構成要件を離れた、事実としての行為さえ共同していれば足りるとします。60条の「犯罪」を、構成要件の枠ではなく、事実としての行為と読むからです。行為共同説では、行為者ごとに、それぞれの故意に応じた罪名で共同正犯が別々に成立することになります。つまり、罪名が2人の間でそろっていなくてもよい、という立場です。前回は、共犯が正犯に、いつから、どこまで寄りかかるかを見ました。ここで問うのは3つ目、一緒に関与した者どうしで罪名がそろう必要があるか、です。これを、罪名従属性を否定する立場と言います。

犯罪共同説——完全犯罪共同説と部分的犯罪共同説

犯罪共同説——特定の構成要件の共同が必要 図:犯罪共同説——特定の構成要件の共同が必要

もう1つが犯罪共同説です。こちらは、2人が同じ構成要件を実現していることを、共同正犯の条件とします。根拠は罪刑法定主義です。犯罪は構成要件という枠組みで捉えるべきだから、構成要件を離れた事実の共同だけでは足りない、という発想です。犯罪共同説の立場では、行為者は同じ構成要件を共同して実現していなければ、共同正犯にはなりません。罪名従属性を肯定する立場です。この犯罪共同説は、さらに2つに分かれます。1つ目は完全犯罪共同説で、2人の狙った構成要件が寸分違わず重なることを求める、より厳格な立場です。2つ目は部分的犯罪共同説で、これが通説です。各行為者の狙いが完全に重ならなくても、同質的で重なり合う構成要件であれば、その重なり合う限度で共同正犯の成立を認めます。なぜこれで足りるかというと、殺人と傷害の故意がぶつかっても、けがをさせるという部分は、2人が現に一緒に実現した構成要件そのものだからです。その重なり合う限度で共同を認めても、構成要件の枠からは外れません。

では、行為共同説と部分的犯罪共同説で、2人の罪名がどう変わるか、設例で確かめましょう。

故意が違う2人——2説で罪名はどう変わるか

AとBが一緒に攻撃した。Cはけがをした 図:AとBが一緒に攻撃した。Cはけがをした

設例で、2説の帰結を比べます。AとBが一緒にCに襲いかかりました。Aは殺すつもりで金属パイプを振るい、Bはそのとき、日頃の口論への仕返しとして怪我をさせるつもりで殴りかかりました。Cはけがを負いましたが、死亡はしませんでした。行為共同説なら、どうなるでしょうか?行為共同説では、Aには殺人未遂罪の共同正犯、Bには傷害罪の共同正犯が成立します。では、部分的犯罪共同説ならどうなるでしょうか。

2説を1枚に並べる 図:2説を1枚に並べる

部分的犯罪共同説では、殺人罪と傷害罪は、人を傷つけるという点で同質的で、重なり合う構成要件だと考えます。だから、重なり合う傷害罪の限度で、共同正犯が成立します。Aには殺人未遂罪が単独で成立したうえで、傷害罪の限度でBとの共同正犯にもなります。Bには傷害罪の共同正犯が成立します。違いが出るのは、Aの殺意の部分です。行為共同説では、殺人未遂そのものをBと一緒に実現したと見るので、Aは殺人未遂罪の共同正犯になります。部分的犯罪共同説では、2人が共同したのは重なり合う傷害の部分だけです。殺意の部分はA一人のものなので、殺人未遂罪はA単独で成立します。何を共同したと見るかで、共同正犯になる範囲が変わるわけです。

今日の地図(保存版)

今日の到達点 図:今日の到達点

今日を振り返ります。「違法は連帯的に、責任は個別的に」は、共同正犯でも基本的に生きています。ただし、違法性阻却の客観的要件は連帯しますが、主観的要件は個別に判断されます。この個別性から、さっきの判例の結論、つまり過剰防衛の成否は共同正犯者の各人について検討する、という立場が、責任減少説を通せば素直に導けました。もう一度聞きます。責任減少説に立つとき、一方の過剰防衛の効果は、もう一方に及ぶでしょうか、及ばないでしょうか?責任は個別だから、及ばない、です。後半は、共犯の本質という問題でした。何を共同するかで、行為共同説と犯罪共同説が対立し、犯罪共同説はさらに完全犯罪共同説と部分的犯罪共同説に分かれました。通説は部分的犯罪共同説です。

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#68単独ページ動画

共同正犯

第9章 共犯 ⑤/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

受け直し——外した方も、なぜ殺人なのか

命中したのは、片方の毒だけだった 図:命中したのは、片方の毒だけだった

前回は、共同正犯の本質、つまり何を「共同」すれば共同正犯になるのかという根本問題を見ました。今日は、60条の成立要件そのものに入っていきます。設例から始めます。AとBは、Cを殺そうと相談し、それぞれ別の毒をCのグラスに仕込みました。パーティーの席で、Cは2つのグラスのうち片方だけを手に取って飲み、そのまま死亡しました。もう片方のグラスは、結局誰も口をつけませんでした。ここで、あなたに聞きます。共同で計画したことは考えずに、AとBそれぞれを単独犯として見た場合、2人の結論はどうなるでしょうか?

単独犯として見れば、毒が飲まれた側は殺人既遂、飲まれなかった側は殺人未遂です。ところが、共同正犯として見ると、この結論がひっくり返ります。カギは、2人が互いの行為を頼りにし、足りない所を補い合っていたという点です。今日は、そこから60条の要件まで順に見ていきます。

60条の全文と共同正犯の分類

二人以上共同して犯罪を実行した者は、すべて正犯とする 図:二人以上共同して犯罪を実行した者は、すべて正犯とする

条文刑法60条

刑法60条(共同正犯) 二人以上共同して犯罪を実行した者は、すべて正犯とする。

60条をもう一度、全文で確認します。「二人以上共同して犯罪を実行した者は、すべて正犯とする。」今日は、この中の3つの言葉、「共同して」「実行した」「すべて正犯」を、順番に掘っていきます。まず、共同正犯には2つの型があります。1つは実行共同正犯、全員が実際に実行行為を分担する型です。もう1つは共謀共同正犯、相談だけをして、実行行為そのものは一部の者しか行わない型です。相談しただけの人まで正犯になるか、つまり共謀共同正犯が成立するかどうか自体が、大きな論点です。ただし、今日はそこには立ち入りません。今日は実行共同正犯を念頭に置いて、共同正犯の効果と要件を見ていきます。共謀共同正犯は、名前とこの一言の定義だけ覚えておいてください。

効果——一部実行の全部責任

単独では届かない結果に、60条が橋を架ける 図:単独では届かない結果に、60条が橋を架ける

冒頭の設例に戻ります。AとBは、Cを殺そうと相談したうえで、それぞれ別の毒をグラスに仕込みました。Cが飲んで死亡したのは、Bの毒が入ったグラスだけでした。単独で見れば、Bは殺人既遂、Aは殺人未遂です。ですが、AとBには、Cを殺すという共同の計画がありました。60条を適用すると、Aの行為にも、Bの毒によって生じた死亡結果まで含めて、責任が及びます。結論として、AもBも、殺人既遂の共同正犯になります。Aが自分では引き起こしていない結果まで、共同正犯であることを理由に背負うことになります。この効果を、一部実行の全部責任と呼びます。一部だけを実行した者にも、全部の結果について責任が及ぶ、という意味です。では、なぜそこまで責任を負わせてよいのか。答えの手がかりは、Aが加わっていたこと自体が、飲まれたBの毒の側にも届いていたという点にあります。次で、その理屈を確かめます。

根拠——相互利用補充関係と因果性

なぜ、自分の力が及んでいない結果まで背負えるのか 図:なぜ、自分の力が及んでいない結果まで背負えるのか

刑法には、自分がやったことにしか責任を負わないという、個人責任の原則があります。一部実行の全部責任は、この原則の大きな例外です。例外である以上、なぜそれが許されるのか、正当化する理屈が要ります。これを共同正犯の処罰根拠と呼びます。共犯の処罰根拠の話につながります。共犯の処罰根拠の回で、狭義の共犯の処罰根拠として、因果的共犯論、つまり惹起説を見ました。ここで思い出してください。刃物を貸しただけの人が、正犯と一緒に処罰される理由は、何に対する因果性でしたか?結果を引き起こしたという因果性、でした。物理的因果性と心理的因果性の2種類がある、という話でした。この発想を、そのまま共同正犯に持ち込みます。共同正犯の各人は、相互利用補充関係のもとにあります。

相互利用補充関係——利用し合い、足りない所を埋め合う 図:相互利用補充関係——利用し合い、足りない所を埋め合う

互いに、相手の行為を自分の計画の中に組み込み(利用)、自分1人では足りない部分を、相手に埋めてもらっている(補充)、という関係のことです。さっきの設例で言えば、AとBは、それぞれ別の毒を仕込むことで、互いにCを殺すという計画を成功させやすくしていました。片方の毒が失敗しても、もう片方が成功する可能性を、お互いに高め合っていたわけです。AとBは、互いの計画に相手を組み込み、自分1人では足りない部分を相手に埋めてもらう形で、力を合わせてCの死亡という結果を作り出しています。Aの毒そのものは飲まれませんでしたが、Aが仲間として計画に加わっていたこと自体が、Bを心理的に後押しし、心理的因果性という形で、結果に因果性を及ぼしています。

ここが、一部実行の全部責任を正当化する根拠です。各人が、相互利用補充関係のもとで、結果に対して物理的または心理的な因果性を及ぼしている。だから、実際に自分の行為が結果を引き起こしていなくても、責任を負わせることが正当化されます。

要件の導出——根拠から要件が出てくる

根拠が2つの経路なら、要件も2つに割れる 図:根拠が2つの経路なら、要件も2つに割れる

ここが、今日いちばん大事な折り返しです。もう一度、根拠を振り返ってください。一部実行の全部責任を正当化する根拠は、何でしたか。相互利用補充関係のもとで、結果に物理的または心理的な因果性を及ぼしている、ということでした。この根拠が本当にあることを示すのが、成立要件のはずです。根拠が心理的因果性と物理的因果性という、2つの経路を挙げていたので、要件もその2つの経路に対応して、2つに割れます。心理的因果性の入口にあたる要件を、共同実行の意思と呼びます。物理的因果性の入口にあたる要件を、共同実行の事実と呼びます。この2つが、共同正犯の成立要件です。

ここから先は、この2つの要件を、それぞれ見ていきます。

要件①共同実行の意思

共同実行の意思——利用し合い、補充し合う意思 図:共同実行の意思——利用し合い、補充し合う意思

共同実行の意思とは、各行為者が、自分の実行行為を持ち寄りながら、互いの行為を自分の計画に組み込んで、犯罪を実現しようとする、共同での意思をいいます。さっきの設例でいえば、AとBが「一緒にCを殺す」という計画を共有し、互いの毒に頼り合っていた、あの心のうちのことです。共同実行の意思が、根拠の「心理的因果性」に対応する要件です。では、この意思が無かったら、どうなるでしょうか。

同時犯との対比

同じ2つの毒でも、示し合わせていなかったら 図:同じ2つの毒でも、示し合わせていなかったら

さっきの設例を、少し変えます。AとBは、互いにまったく面識が無く、それぞれ別の理由でCを恨んでいました。2人はお互いの計画を知らないまま、たまたま同じパーティーの日に、それぞれ別のグラスに毒を仕込みました。Cが飲んで死亡したのは、やはりBの毒の方だけでした。外から見える行動はほとんど同じです。ただし、AとBの間には、意思の連絡がありません。ここで、あなたに聞きます。この場合、Aは殺人既遂の責任を負うでしょうか、負わないでしょうか?意思の連絡が無く、たまたま同じ客体に、ほぼ同じ時期に犯罪を実現しようとする場合を、同時犯と呼びます。同時犯には、一部実行の全部責任は働きません。各自は、自分の行為と因果関係のある結果についてしか、責任を負いません。Aは殺人未遂、Bだけが殺人既遂です。個人責任の原則どおりの結論に戻るわけです。

意思の有無だけで、一部実行の全部責任が働くかどうかのスイッチが切り替わる。これが、共同実行の意思の役割です。なお、2人以上が暴行を加えて人を傷害したのに、誰の暴行でけがをしたか分からない場合には、同時犯でも207条という特例があります。今日は中身には立ち入りませんが、そういう例外があるとだけ覚えておいてください。

要件②共同実行の事実

共同実行の事実——共同して構成要件を実現した事実 図:共同実行の事実——共同して構成要件を実現した事実

もう1つの要件、共同実行の事実です。これは、各行為者が力を合わせて、ある構成要件に当たる事実を実際に作り出したという、客観面の事実をいいます。さっきの毒の設例でいえば、AもBも、自分の手でグラスに毒を仕込んでいます。2人とも、殺人の実行行為を自分で行っている。これが、共同実行の事実です。根拠の「物理的因果性」に対応する要件です。ただし、共同実行の事実というのは、必ずしも「全員が実行行為の全部をやる」ことを求めているわけではありません。ここを、具体的な場面で確かめます。

3類型のあてはめと2軸の振り分け

Aが刃物を突きつけ、Bがレジから現金を奪った 図:Aが刃物を突きつけ、Bがレジから現金を奪った

新しい設例です。閉店後の店で、AとBは強盗をしようと相談しました。Aが店員に刃物を突きつけて動けなくしている間に、Bがレジから現金を取り出しました。ここで、共同実行の事実が問題になる場面を、3つの型に整理します。1つ目は、各人が実行行為の全部を行う場合です。例えば、AとBの2人とも、それぞれ別の店員を刃物で脅しながら、自分でレジの現金も取っていくような場合です。2つ目は、今の設例のように、実行行為を一部ずつ分担する場合。3つ目は、一部の者が実行行為を全く分担しない場合です。今の設例は、2つ目の型です。Aは脅すという行為だけ、Bは奪うという行為だけを行っていて、どちらか一方だけでは、強盗罪の実行行為を完成させられません。ですが、2人合わせれば、強盗罪の実行行為を実現しています。

共同実行の事実は、あります。実行行為を分担していても、2人合わせて特定の構成要件を実現していれば、共同実行の事実は認められます。これが、一部実行の全部責任の典型的な現れ方です。Aは、現金を取る行為そのものはしていませんが、強盗罪の共同正犯として、強盗罪の既遂の責任を負います。

Bは店の外の車で待っているだけだった。この場合は 図:Bは店の外の車で待っているだけだった。この場合は

もう1つの型も見ておきます。AとBが強盗を相談し、Aが1人で店員を脅して現金を奪いました。Bは、その間、店の外に停めた車の中で、Aが戻ってくるのをただ待っていただけで、店員には一切接触していません。この場合、Bについては、強盗罪の実行行為を、全く分担していません。実行共同正犯としては、Bに共同実行の事実は認められません。では、Bはおとがめなしかというと、そう単純ではありません。今日のところは、実行共同正犯の枠内では、Bに共同実行の事実が無い、というところまでにしておきます。

意思の有無×実行分担の有無——4つの場面を並べる 図:意思の有無×実行分担の有無——4つの場面を並べる

ここまでの場面を、1枚の表に並べます。縦軸が、共同実行の意思の有無。横軸が、実行行為をどこまで分担しているか、です。まず、自分で振り分けてみてください。意思があって、2人とも実行行為の全部を行った場合は、どうなりますか。当然、共同実行の事実もあるので、共同正犯です。意思があって全員が全部を行えば、共同正犯です。では、意思があって、さっきのAとBのように、実行行為を一部ずつ分担した場合は。一部ずつの分担でも、共同実行の事実があるので共同正犯です。では、意思はあるけれど、車で待っていたBのように、実行行為を全く分担しなかった場合は。

実行を全く分担しなければ、実行共同正犯としては成立せず、共謀共同正犯の問題になります。最後に、そもそも意思の連絡が無い場合は。意思の連絡が無ければ同時犯で、各自が自分の行為と因果関係のある結果にしか責任を負いません。これで4つとも振り分けられました。この2軸さえ持てば、場面ごとの結論を暗記しなくても、その場で導けます。

本質論を受けたあてはめ

Aは殺すつもりで、Bは怪我をさせるつもりだった 図:Aは殺すつもりで、Bは怪我をさせるつもりだった

最後に、前回の話を1つ使います。前回、共同正犯の本質、つまり何を「共同」すれば共同正犯になるのかという問題で、行為共同説と部分的犯罪共同説を見ましたね。工事現場の屋上で、AとBが、下を歩くCに向けて一緒に資材を落とそうと示し合わせ、それぞれ資材を落としました。Aは殺すつもりで重い鉄材を、Bは日頃の恨みから怪我をさせるつもりで木材の切れ端を、同時に落としたとします。Cは負傷しましたが、死亡はしませんでした。ここで、共同実行の事実を考えるとき、行為共同説と部分的犯罪共同説とでは、答えが変わります。行為共同説なら、構成要件を離れた事実としての行為さえ共同していれば足りるので、Aには殺人未遂罪の、Bには傷害罪の、それぞれ別の罪名で共同実行の事実が認められます。部分的犯罪共同説なら、殺人罪と傷害罪が重なり合う限度、つまり傷害罪の限度でしか、共同実行の事実は認められません。

部分的犯罪共同説では、殺意の部分はAだけのものとして扱われ、Aには殺人未遂罪が単独で成立したうえで、傷害罪の限度でBとの共同正犯にもなります。要件②を、何と結びつけて見るかで、共同正犯として認められる範囲が変わってくるわけです。前回見たとおり、通説は部分的犯罪共同説です。答案では、傷害罪の限度で共同実行の事実を認めることになります。

今日の地図(保存版)

今日の到達点 図:今日の到達点

今日を振り返ります。60条の効果は、一部実行の全部責任でした。単独犯としては未遂にとどまるはずの行為者にも、共同者が引き起こした結果の責任が及びます。この根拠が2つの経路を持っていたから、成立要件も、共同実行の意思と共同実行の事実の2つに割れました。ここで、もう一度聞きます。共同実行の意思と共同実行の事実は、それぞれ、どちらの因果性に対応していましたか?共同実行の意思が心理的因果性、共同実行の事実が物理的因果性でした。意思が無ければ同時犯に戻り、意思があっても実行を全く分担しなければ、実行共同正犯としては成立しません。今日の2つの要件は、この先も何度も問い直されます。過失犯や結果的加重犯で意思の連絡をどう考えるか、身分犯の場合はどうなるか、そして共謀共同正犯、承継的共同正犯といった論点でも、今日の考え方が土台になります。

冒頭の問いに戻ります。毒を仕込んだのに、誰にも飲まれなかった方も、なぜ殺人既遂なのか。答えは、相互利用補充関係のもとで、心理的因果性という形で、結果に因果性を及ぼしていたからです。

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#69単独ページ動画

共謀共同正犯

第9章 共犯 ⑥/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

受け直し——分担しなかった側は、どうなるのか

意思あり×分担なし、空欄のマス 図:意思あり×分担なし、空欄のマス

前回、共同正犯の成立要件を、意思の有無と実行分担の有無という2つの軸で整理しました。そのとき、1つだけ結論を保留にしたマスがありましたね。あのとき、実行共同正犯としては成立しない、共謀共同正犯という別の問題になる、とだけ言って先送りにしました。今日は、そこに正面から入ります。計画を立て、指示を出したけれど、自分の手では犯罪の実行行為を一度もしていない人。この人を、60条の「共同して犯罪を実行した者」、つまり正犯として扱ってよいのでしょうか。手を下していないのに正犯というのは、少し違和感があります。

問題の所在——定義と条文のズレ

60条に、誰が当てはまるのか 図:60条に、誰が当てはまるのか

条文刑法60条

刑法60条(共同正犯) 二人以上共同して犯罪を実行した者は、すべて正犯とする。

もう一度、60条の全文です。「二人以上共同して犯罪を実行した者は、すべて正犯とする。」この文言をそのまま素直に読むと、正犯といえるのは、自分で実行行為をした人だけのように見えます。ここで、共謀共同正犯を定義します。複数人で犯罪の計画を相談して決め、実際に手を下すのはそのうちの一部だけ、という場合を、共謀共同正犯といいます。この、実行していない側の人を、60条の「実行した者」に含めてよいのか。これが今日の出発点です。文言を素直に読むなら、含まれないはずです。

否定したら何が起きるか——支配型

Aは指示を出しただけで、現場には一度も行かなかった 図:Aは指示を出しただけで、現場には一度も行かなかった

まず、共謀共同正犯を認めなかった場合に、何が起きるかを見ます。1つ目の設例です。Aは、特殊詐欺グループの指示役です。事務所から、実行役のBに細かい手順を指示し、Bは指示どおりに高齢者宅を訪ね、噓の話を信じ込ませて現金を受け取りました。Aは、Bと一度も顔を合わせていません。ここで、あなたに聞きます。共謀共同正犯を認めない、つまり否定説に立った場合、Aはどう扱われることになるでしょうか?否定説に立てば、Aは自分で実行行為をしていない以上、正犯にはなれません。人を唆して犯罪を実行させた、という形で、教唆犯にとどまります。

では、Bを道具として使ったとみて、Aを間接正犯にできるでしょうか。この道も塞がれています。Bは、自分の意思で高齢者に噓をつくかどうかを判断できる、事情を分かった大人です。「これはいけない」と気づいて断る自由、つまり規範的障害があります。規範的障害のある人を、一方的に道具として支配したとは言えません。結局、否定説に立つと、Aは教唆犯にとどまります。ですが、これで本当によいでしょうか。詐欺グループ全体を仕切り、手順まで細かく指示していた黒幕を、実行犯と同じ「正犯」として処断できない。これは、かなり具合の悪い結論に見えます。

否定したら何が起きるか——対等型

忍び込んだのはAだけ。でも、分け前は半分ずつだった 図:忍び込んだのはAだけ。でも、分け前は半分ずつだった

もう1つ、別の型の設例です。幼なじみのAとBが、ある倉庫から荷物を盗み出す計画を立てました。Bは、事前にその倉庫がいつ無人になるかを調べてAに教え、盗んだ荷物は半分ずつ分ける約束をしました。当日、実際に倉庫に忍び込んで荷物を持ち出したのはAだけで、Bは現場には近づいていません。ここでも、同じことを聞きます。否定説に立った場合、Bはどう扱われることになるでしょうか?否定説では、Bは実行の手助けをしただけの幇助犯にとどまります。盗んだ物を半分ずつ分ける約束をしていたという点が、この設例の引っかかる点です。幇助犯というのは、他人の犯罪に加担しただけの立場を指す評価です。ですが、AとBは、成果を均等に分け合う対等な関係にあります。一方だけを「他人の犯罪の手伝い」として軽く評価するのは、実態に合っていないように見えます。

この2つの不都合が、共謀共同正犯を正犯として認めたくなる、実質的な理由です。

否定説の理由

それでも、正犯は実行行為をした者に限る、という発想 図:それでも、正犯は実行行為をした者に限る、という発想

ただし、否定説にも、それなりの理由があります。フェアに見ておきましょう。正犯とは、みずから実行行為を行う者をいう。60条の「実行した」という文言も、実行行為そのものを共同する場合と読むのが、条文としていちばん素直だ、という考え方です。条文の文言に忠実であろうとすれば、否定説には強い説得力があります。ただし、この理屈を貫くと、さっき見た支配型の黒幕を、正犯として処断できなくなるという弱点を抱えたままになります。

肯定説の理論的根拠——共同意思主体説

共謀した全員を、1つの団体として見る発想 図:共謀した全員を、1つの団体として見る発想

⭐ 論文で書く規範:共同意思主体説 共謀した者どうしが「同心一体」の関係になり、そのうちの誰かが実行行為に及べば、共謀に加わった全員が正犯といえる、とする考え方。 (批判=個人責任の原則に反する(個人を超えた団体という主体の仕業を、一人ひとりの責任として扱うことになる))

そこで、正犯と認める側、つまり肯定説の理屈を見ていきます。1つ目は、共同意思主体説です。共謀によって、AとBが「同心一体」の関係にある1つの団体のようなものになり、その団体が実行行為を行った以上、実際に手を下していない共謀者も正犯といえる、とする考え方です。ですが、これには強い批判があります。刑法は、あくまで個人の行為を個人に問う建前です。それなのに、共謀した者を1つの団体として扱い、その仕業の責任を一人ひとりに負わせるのでは、結局、団体だから責任を負えと言っているのと変わらず、個人責任の原則とぶつかってしまいます。

ただ、その団体の意思を、そのまま個人の責任に置き換えられるかが、批判の分かれ目です。

肯定説の理論的根拠——間接正犯類似説

互いを道具として使い合っている、という発想 図:互いを道具として使い合っている、という発想

⭐ 論文で書く規範:間接正犯類似説 共謀者どうしは、互いに他人を道具として利用し合っている関係にあるから、実行を分担しない者も正犯といえる、とする考え方。 (批判=①規範的障害のある者を道具として支配することはできない②互いに道具として利用し合う関係は一般に認めがたい)

2つ目は、間接正犯類似説です。共謀者どうしは、互いに他人を道具のように利用し合っている関係にあるから、実行を分担しない者も正犯といえる、とする考え方です。ですが、この理屈は、さっきの支配型のところで見た壁に、そのままぶつかります。Bには、これはいけないと気づいて断る自由、つまり規範的障害があります。規範的障害のある人を、道具として一方的に支配することはできません。さらに、そもそも「互いに道具として利用し合う」という関係自体、一般的には認めがたいという批判もあります。ここまでの2つの説は、正犯と認めたい結論には近づきますが、理屈の立て方に無理があります。

肯定説の理論的根拠——通説、前回の根拠がそのまま効く

実行を分担しなくても、因果性は及ぼせる 図:実行を分担しなくても、因果性は及ぼせる

ここが、今日いちばん大事な折り返しです。前回、共同正犯の処罰根拠を確認しましたね。もう一度聞きます。一部実行の全部責任を正当化する根拠は、何でしたか?相互利用補充関係のもとで、物理的な因果性や心理的な因果性を、結果に及ぼしていることでした。相互利用補充関係とは、互いに相手の行為を自分の計画に組み込み、自分1人では足りない部分を相手に埋めてもらう関係でしたね。ここで、あなたに聞きます。この根拠は、実行行為を分担することによってしか満たされないものでしょうか。心理的因果性について、前回の毒の設例を思い出してください。自分の毒が実際には飲まれなかった側でも、仲間として計画に加わっていたこと自体が相手を心理的に後押しする、という話でした。だとすると、実行行為をしていなくても、心理的因果性は及ぼせそうです。見張りをする、計画を立てる、犯行の手順を指示する。こうした行為も、実行を担当する仲間を心理的に後押しし、ときには物理的にも実行をしやすくします。さっきの倉庫の設例で言えば、Bが調べて渡した情報が、Aの実行を後押ししていますね。

前回確かめたのは、一部実行の全部責任を負わせる決め手が、実行行為を分け持ったことではなく、相互利用補充関係のもとで因果性を及ぼしたことだ、という点でした。だとすれば、この根拠は、実行を分担しない共謀者にも、そのまま及びます。これが、通説の理屈です。実行行為を分担していなくても、相互利用補充関係のもとで因果性を及ぼしていると言える限り、共謀共同正犯を正犯として説明できます。詐欺の設例の指示役Aも、倉庫の設例で情報を渡しただけのBも、この理屈で正犯といえることになります。反対に、倉庫の近くで働くDが、何も知らずに、世間話として「あの倉庫は日曜は誰もいない」と、忍び込んだAに話していた場合はどうでしょう。Dの話も、結果として盗みをやりやすくしています。

Dは、Aと計画を組み合わせてもいないし、Aに足りない部分を埋めてもらうつもりもありません。だから、相互利用補充関係の外にいます。ですから、情報が役に立っていても、正犯とは言えません。例えば同じ情報でも、分け前を約束して渡したBとは、ここが分かれ目です。

間接正犯との境

断る自由があるか。そこで間接正犯と共謀共同正犯が分かれる 図:断る自由があるか。そこで間接正犯と共謀共同正犯が分かれる

ここで、間接正犯とのすみ分けを、もう一度整理しておきます。前に間接正犯を見たときに、間接正犯が成立するために欠けてはいけないものは何だったでしょうか?間接正犯が成立するために欠けてはいけないのは、実行役に規範的障害が無いことでした。さっきの詐欺の設例のBのように、実行役が事情を分かった大人で、断る自由を持っている場合は、規範的障害があるので、間接正犯にはなりません。この場合は、共謀共同正犯という形で、正犯性を説明することになります。反対に、Aが自分で高齢者に電話をかけて噓を信じ込ませ、現金の受け取りだけを、事情を何も知らせずにBに「荷物を受け取ってきて」と頼んでいたらどうでしょう。Bは、断るきっかけそのものを持っていません。この場合、BはAの道具にすぎず、Aを間接正犯として考えることになります。

境目は、実行役の側に、断る自由があったかどうかです。

判例の立場

判例は、一貫して肯定してきた 図:判例は、一貫して肯定してきた

⭐ 論文で書く規範:判例の結論 共謀共同正犯を肯定する(通称:練馬事件)。 (最大判昭33・5・28)

最後に、判例の立場です。判例は、古くから一貫して、共謀共同正犯を正犯として認めてきました。中でも有名なのが、練馬事件と呼ばれる事件です。この事件で、最高裁は、実行行為を分担しない共謀者についても、共謀共同正犯として正犯性を認めました。ただし、練馬事件で示された「共謀」の中身、つまりどこまで話し合えば共謀と言えるのかという定義は、共謀共同正犯の成立要件の問題として別に扱います。

今日の地図(保存版)

今日の到達点 図:今日の到達点

今日を振り返ります。60条は「実行した者」としか書いていませんが、実行行為を分担しない共謀者を正犯と扱わないと、支配型では黒幕を捕まえられず、対等型では均等な仲間を過小評価してしまう、という不都合がありました。共同意思主体説は個人責任の原則に反するという批判を、間接正犯類似説は規範的障害の壁にぶつかるという批判を、それぞれ受けます。最後に残ったのが、前回立てた共同正犯の処罰根拠、相互利用補充関係のもとでの因果性が、実行行為の分担以外でも満たされうる、という通説の理屈でした。ここで、1つだけ注意しておきます。因果性を根拠にする以上、「相談さえすれば、いつでも正犯になる」わけではありません。どこまで関与すれば正犯といえるのか――その線引きが、成立要件(共謀・共謀に基づく実行・正犯意思)の問題です。

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#70単独ページ動画

共謀共同正犯の成立要件

第9章 共犯 ⑦/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

受け直し——相談に加わった全員が、正犯になるのか

盛り上がっただけの人も、正犯なのか 図:盛り上がっただけの人も、正犯なのか

前回、共謀共同正犯を正犯として認める理屈、つまり相互利用補充関係のもとで結果に因果性を及ぼしているという通説の根拠を確認しました。ただし、最後にこう注意しましたね。相談さえすれば、いつでも正犯になるわけではない、と。ここで、あなたに聞きます。飲み会で、A・B・Cが「あいつ、痛い目にあえばいいのに」と盛り上がっただけだったとします。翌日、そのうちCが、本当に相手を殴ってけがをさせました。A・Bも、Cと一緒に、傷害の共同正犯になるでしょうか?その線引きになるのが、今日見ていく3つの成立要件です。共謀、共謀に基づく実行、正犯意思。この3つを通せば、この飲み会の問いにも、自分で答えを出せるようになります。

要件の全体像——根拠から3つが出てくる

前回の根拠が本当にあったと言えるための、3つの確認 図:前回の根拠が本当にあったと言えるための、3つの確認

ここで一度、前回に戻ります。共謀共同正犯の各人を正犯として認める、理論的な根拠は何だったか、覚えていますか?相互利用補充関係のもとで、結果に物理的または心理的な因果性を及ぼしている、ということでした。3つの成立要件は、この根拠が本当に成り立っていると言えるかを確認する、3つの視点にすぎません。共謀の事実は、利用し合い補充し合う土台、つまり心理的なつながりがあったかの確認です。共謀に基づく実行は、その土台の上で起きた実行行為が、確認した共謀の中身とちゃんと結びついているかの確認です。そして正犯意思は、因果性を及ぼしたその関与が、自分の犯罪としての関与だったかの確認です。

前に実行共同正犯の要件を見たときの言葉と並べると、対応がはっきりします。ここでもう一度聞きます。あのとき、共同実行の意思と共同実行の事実は、それぞれ根拠のどちらの因果性に対応していましたか?共同実行の意思が心理的因果性、共同実行の事実が物理的因果性でした。今日の共謀の事実は同じく心理的因果性の入口、共謀に基づく実行は同じく物理的因果性の入口に当たります。違いは、実行を分担しない者にもこの2つが及ぶ形になっている点です。正犯意思は、実は実行共同正犯でも本来必要なものです。ただ、自分の手で実行行為をした事実そのものが、通常はこれを推認させるので、独立の争点になりにくいだけです。前回、実行共同正犯の要件を2つと整理したのは、間違いではありません。自分の手で実行を分担した人は、共同実行の事実を確かめた時点で正犯意思も事実上読み取れるので、2つを確かめれば足りていた、ということです。実行を分担しない共謀共同正犯では、この推認が働かないので、正犯意思が独立の争点として前面に出てきます。さっきの飲み会の例で言えば、A・Bに欠けていたのは、まさにこの3つのどれかです。3つを順番に見ていけば、はっきりします。

共謀の意義——判例の定義

判例が示した、共謀の定義 図:判例が示した、共謀の定義

判例最大判昭33・5・28(通称:練馬事件)

共謀の意義 2人以上の者が、特定の犯罪を行うため、共同意思のもとに一体となって、互に他人の行為を利用し、各自の意思を実行に移すことを内容とする謀議をいう。

まず、1つ目の要件である共謀そのものの意味を、判例の定義で確認します。「2人以上の者が、特定の犯罪を行うため、共同意思のもとに一体となって互に他人の行為を利用し、各自の意思を実行に移すことを内容とする謀議」。この定義を、前回立てた相互利用補充関係と結びつけて読んでみます。「共同意思のもとに一体となって」が、相互利用補充関係の心理面そのものです。そして「互に他人の行為を利用し」が、まさに相互利用補充関係の言葉そのものです。自分1人では足りない部分を、相手の行為に頼って埋め合う関係が、この一言に表れています。

そして「各自の意思を実行に移す」とは、相談で終わらせず、実際に犯罪の実現へ向けて動き出す意思がある、という意味です。つまり共謀とは、単なる雑談ではなく、特定の犯罪を実現するために、互いを頼りにし合う意思のつながりのことです。定義そのものが、前回の理屈をそのまま言葉にしたものだと分かります。冒頭の飲み会のやりとりは、この定義には当たりません。誰が、どの犯罪を、どう実行に移すかという中身が無く、互いの行為を当てにし合ってもいません。気持ちを口にしただけでは、特定の犯罪を実行に移す謀議とは言えず、まず共謀そのものが欠けます。

共謀の認定——どこまで具体的である必要があるか

事前でなくていい。明示でなくていい。細部が無くていい 図:事前でなくていい。明示でなくていい。細部が無くていい

次に、共謀がどこまで具体的でなければならないかを見ます。実務では、大きく3つの点が争点になります。まず時期です。共謀は、事前にじっくり話し合っていなくてもかまいません。犯行の現場で、その場の様子を見て瞬間的に意思が通じ合う場合、これを現場共謀と呼びますが、これでも共謀は成立します。次に方法です。共謀は、明示の話し合いでなくてもかまいません。これは、後で黙示の共謀として詳しく見ます。そして、内容の具体性です。共謀は、犯罪計画の重要な部分について意思連絡があれば足り、実行の日時や具体的な手段まで細かく決めていなくても、成立しえます。

例えば、留守中の別荘に忍び込んで金品を盗もうと、AとBが相談したとします。いつ盗みに入るか、正確な日にちまでは決めていなかったとしても、別荘の金品を盗むという計画の重要な部分について意思が通じ合っていれば、共謀は成立します。逆に、その重要な部分についてすら意思が通じ合っていなければ、共謀は成立しません。

面識のない者どうしにも、共謀は及びうる 図:面識のない者どうしにも、共謀は及びうる

方法についても、もう一歩踏み込みます。共謀は、全員が顔をそろえて話し合う必要はありません。例えば別荘の計画で、BがさらにCに見張りを頼み、CはAと面識が無かったとします。AはBを通じて人手が加わることを当てにし、CもBの向こうに計画を立てた者がいると分かって加わるなら、互いを当てにし合うつながりは、Bを介してAとCの間にも及びえます。これを順次共謀と呼びます。ここまでをまとめると、共謀は、事前でなくても、明示でなくても、細部まで詰めていなくても成立しえます。求められているのは、重要な部分についての意思のつながりだけです。なぜここまで緩いのか。共謀が確かめているのは、互いの行為を当てにし合う心理的なつながりでした。そのつながりは、その場の目配せでも、日にちが決まっていなくても、できあがるからです。

黙示の共謀

指示していなくても、認識しながら受け入れていた 図:指示していなくても、認識しながら受け入れていた

判例最決平15・5・1(通称:スワット事件)

黙示の共謀(要旨) 護衛役が武器を所持していることを確定的に認識しながら、これを当然のこととして受け入れて認容していたことに加え、団体の長には護衛役を指揮命令する権限があり、長は護衛役に警護される立場にあって、護衛役は終始、団体の長と行動を共にしていたことも併せると、実質的には長が護衛役に所持させていたと評しうるとして、共謀共同正犯が成立する。

明示の話し合いが無くても共謀が認められた、有名な決定があります。ある団体の長が、複数の護衛役を連れて移動していました。護衛役が拳銃などの武器を持って警護に当たることは、いつものことになっていました。長は、その場で「武器を持て」と指示したわけではありません。そこがポイントです。長は、護衛役が武器を持っていることを、確定的に分かっていました。そして、それを当然のこととして受け入れ、認めていました。何も言わなくても、分かっていて受け入れているなら、そこに黙示の意思の連絡があったと言える、というのが判断の骨子です。なぜ無言で足りるのか。長は護衛役の武器に守られることを当てにし、護衛役も長がそれを受け入れていると分かって武器を持っています。言葉が無くても、互いを当てにし合う心理的なつながりが、そこにあるからです。

ただし、この決定が認めたのは、武器の所持を確定的に分かったうえで当然のこととして受け入れていた場合です。しかも、長には護衛役を指揮命令する権限があり、長自身は護衛役に警護される立場にあって、護衛役は終始、団体の長と行動を共にしていました。こうした事情も合わせて、実質的には長が持たせていたと評価できる、という判断です。何となく知っていたというだけで、いつでも黙示の共謀になるとまでは言っていません。共謀は、口に出した約束事だけを指すのではなく、こうした無言の了解も含みます。ここまでで、共謀という要件が、思っていたよりずっと柔軟に成立することが分かったと思います。だからこそ、次の要件が重要になります。共謀さえ成立すれば、あとはどこまで責任が及ぶのか、という歯止めです。

共謀に基づく実行——計画とズレたとき

侵入口が違っても、狙いは同じ別荘の金品だった 図:侵入口が違っても、狙いは同じ別荘の金品だった

ここからは、2つ目の要件である共謀に基づく実行です。実際に実行を担当した者が、共謀の内容と少し違うことをする場合があります。まず、さっきの別荘の設例で考えます。AとBは、鍵のかかっていない窓から侵入する計画を立てていました。ところが当日、Bは、たまたま開いていたバルコニーの扉から侵入し、金品を持ち出しました。ここで、あなたに聞きます。Aは、Bが持ち出した金品について、窃盗罪の共同正犯としての責任を負うでしょうか?侵入口という手段の細部は違っていても、別荘の金品を盗むという計画の基本的な部分は、共通しています。基本的な部分が共通していれば、細部のズレがあっても、共謀に基づく実行があったと言えます。Aも、窃盗罪の共同正犯としての責任を負います。

財産を狙う計画が、対人的な暴力にすり替わった 図:財産を狙う計画が、対人的な暴力にすり替わった

もう1つの場面です。同じAとBの計画のまま進みます。ただし当日、盗みの最中に、予定より早く所有者が帰ってきて、Bと鉢合わせしてしまいました。Bはとっさに、所有者に暴行を加え、けがをさせました。Aは、現場にはいません。ここでも、同じことを聞きます。Aは、Bが所有者に負わせたけがについて、共同正犯としての責任を負うでしょうか?AとBが共謀していたのは、留守中の財産を狙う計画であって、対人的な暴力は含まれていません。基本的な部分が、財産犯から対人的な犯罪へと、別のものにすり替わっています。この場合、その部分については共謀に基づく実行があったとは言えず、Aには傷害罪の責任は及びません。所有者への暴行とけがの責任は、実行したBだけが負い、Aは共謀した窃盗の限度で責任を負うことになります。

責任が及ぶ範囲は、共謀の基本的な内容の範囲までです。なお、実行行為がずれても、当初の計画とずれた後の内容とが、構成要件として重なり合う限度でなお成立する余地がある、という考え方もありますが、これは共犯の錯誤という別の論点で本格的に扱います。今日は、基本的な部分が共通か、別のものにすり替わったかという場合分けだけ押さえてください。

正犯意思——幇助犯との分かれ道

正犯意思——自分の犯罪として関与する意思 図:正犯意思——自分の犯罪として関与する意思

⭐ 論文で書く規範:正犯意思 共謀共同正犯として処罰するには、共謀・共謀に基づく実行に加えて、その関与を自己の犯罪として行う意思が必要である。これを欠けば、狭義の共犯(教唆犯・幇助犯)の問題にとどまる。 (主観的要件)

1つ目の共謀と、2つ目の共謀に基づく実行を満たしても、それだけでは共謀共同正犯は成立しません。最後の要件、正犯意思です。正犯意思とは、共謀に加わり因果性を及ぼしたその関与を、自分の犯罪として行う意思のことです。これが欠ければ、他人の犯罪を手伝っただけ、つまり狭義の共犯、教唆犯や幇助犯の問題にとどまります。因果性を及ぼしたことと、それが自分の犯罪としての関与だったことは、別の問題です。冒頭の飲み会の例で言えば、盛り上がっただけのA・Bは、さっき見たとおり、まず共謀そのものが欠けます。仮にA・Bも本当に一緒になって計画していて、共謀が認められたとしても、それが自分の犯罪としての関与でなければ、正犯にはなりません。

正犯意思をどう見分けるか——5つの視点 図:正犯意思をどう見分けるか——5つの視点

正犯意思の有無は、いくつかの視点を総合して判断します。1つ目は、犯罪から生じる結果に、自分自身の利害があったか。2つ目は、得られた利益の分配を受けたか、受けたとすればその割合。3つ目は、実行の計画を決める話し合いに、どれだけ意見が通ったか、つまり影響力です。4つ目は、自分自身が実行担当者になる可能性が、どれだけあったか。5つ目は、自分が担当した行為が、実行行為の実現にとって、どれだけ不可欠で密接な行為だったかです。1つずつ暗記するより、実際の場面に当てはめて練習した方が身につきます。設例で確かめましょう。

標的を選んだDと、頼まれて見張っただけのE 図:標的を選んだDと、頼まれて見張っただけのE

DとEが、宝石店を狙う窃盗を計画しました。Dは、その宝石店を標的に選び、計画の中身を決め、盗んだ品物の売り先まで手配しました。Eは、Dに頼まれて、見張り役だけを引き受けました。実行の当日、盗んだ品物のうち、Dは取り分として4割を受け取りましたが、Eは分け前を受け取っていません。計画についても、Eは特に意見していません。ここで、あなたに聞きます。DとEは、それぞれ正犯意思があると言えるでしょうか?Dは、犯罪の結果に自分の利害があり、利益の配分も受け、計画への影響力もありました。実行担当者になる可能性もあり、盗品の売り先の手配という役割も、犯罪の実現にとって重要です。正犯意思が認められ、共謀共同正犯として窃盗罪の責任を負います。

Eには、利害関係も利益の配分もなく、計画への影響力もありませんでした。見張りという行為自体は実行に密接な行為で、5つ目の視点だけを見れば正犯寄りの事情です。ですが、Eが自分自身で実行担当者になる可能性はほとんど無く、利害関係も利益の配分も影響力も伴っていません。これらを総合すると、見張り役という関与は結果に因果性を及ぼしていても、自分の犯罪としての関与とまでは言えず、Eは正犯意思を欠き、窃盗罪の幇助犯にとどまります。見張りだからといって、常に幇助にとどまると決まっているわけではありません。共謀に加わって因果性を及ぼしただけでは、まだ正犯とは限らない。相談さえすれば正犯になるわけではない、という歯止めの最後の1つが、ここです。

実行共同正犯と共謀共同正犯をまとめて見る見解

実行共同正犯と共謀共同正犯を、1つの枠で比べる 図:実行共同正犯と共謀共同正犯を、1つの枠で比べる

最後に、少しだけ発展的な見方に触れておきます。ここまで、実行共同正犯と共謀共同正犯を、別の型として見てきました。ですが、両方をまとめて、共同正犯一般の成立要件として、共謀と、共謀に基づく実行という2つの要件で捉え直す有力な見解もあります。もっとも、正犯意思が要らなくなるわけではありません。共同正犯である以上、正犯意思が必要なのは、どちらの型でも同じです。まとめ直すのは、共謀と実行の部分です。例えば、さっきの別荘で、AとBが2人とも忍び込み、手分けして、Aは居間の金品を、Bは寝室の金品を運び出したとします。その場で分担を決めたこと自体が、互いを当てにし合う共謀の中身になり、2人がそれぞれ運び出したことが、共謀に基づく実行になります。こう見れば、実行共同正犯も、共謀共同正犯と同じ枠で説明できます。今日は、実行共同正犯と共謀共同正犯を、共謀と実行の2つで統一的にとらえる見解もある、という一言だけ覚えておいてください。

今日の地図(保存版)

今日の到達点 図:今日の到達点

今日を振り返ります。共謀共同正犯の成立要件は、共謀の事実、共謀に基づく実行、正犯意思の3つでした。これは、前回の根拠、相互利用補充関係のもとでの因果性が、本当に成り立っていると言えるかを確認する3つの視点でした。共謀に基づく実行は、計画の基本的な部分が共通していれば成立し、別の犯罪にすり替われば、その部分には及びませんでした。そして正犯意思は、因果性を及ぼした関与が、自分の犯罪としての関与だったかを、5つの視点で総合的に見るものでした。相談さえすれば、いつでも正犯になるわけではない。この3つの要件が、そこに歯止めをかけています。

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#71単独ページ動画

片面的共同正犯と承継的共同正犯

第9章 共犯 ⑧/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

受け直し——途中から加わった人は、何を背負うのか

途中から来た人は、脅したことまで背負うのか 図:途中から来た人は、脅したことまで背負うのか

前回は、共謀共同正犯の成立要件を見ました。3つ、思い出せますか?共謀、共謀に基づく実行、正犯意思の3つでした。相談に加わっただけでは、正犯にはならない、という話でしたね。前回の最後で予告したとおり、今日は少し変わった形の共同正犯を2つ見ていきます。まず1つ目です。仲間が相手を脅して怖がらせたあと、その現場に途中から来た人が、一緒にお金を受け取ったとします。途中から来た人は、脅したことまで背負うのでしょうか。もう1つ、別の問いも置いておきます。相手にまったく気づかれないまま、こっそり手を貸した人は、一緒にやった正犯と言えるでしょうか。

途中から加わった人の問いと、気づかれないまま手を貸した人の問い。この2つは、実はどちらも同じ原因から出てきます。前回までで固めた共同正犯の2要件、共同実行の意思と共同実行の事実のうち、どちらかが欠けて見える場面だからです。先に答えの形だけ言っておきます。気づかれないまま手を貸した人は、正犯にはなりません。途中から来た人は、原則として前の部分までは責任を負わず、ある条件を満たしたときだけ背負います。今日は、この2つの場面を順番に見ていきます。

片面的共同正犯の意義——気づかれないまま手を貸す

Vを取り押さえたのは、AとB。ただしAは、Bに気づいていない 図:Vを取り押さえたのは、AとB。ただしAは、Bに気づいていない

設例で考えます。Aは、Vを刃物で脅して金品を奪おうとしていました。ちょうどそのとき、たまたま近くにいたBが、Aの犯行に気づきました。Bは、Aの犯行をうまくいかせてやろうと考え、暗がりからVを背後で取り押さえ、動けなくしました。Aは、自分の背後にBがいることに、まったく気づいていません。ここで、AとVの間の脅す行為、BとVの間の取り押さえる行為、どちらも強盗罪の実行行為の一部です。客観的に見れば、AとBが力を合わせて、強盗罪の実行行為を実現しています。共同実行の事実は認められます。問題は、共同実行の意思です。Bは「Aを手伝おう」という意思を持っていますが、Aは、Bの存在にすら気づいていません。共同実行の意思が、Bの側にしかありません。このように、共同実行の事実はあるのに、共同実行の意思が一方の者にだけあり、他方には無い場合を、片面的共同正犯と呼びます。

この場合、Bは強盗罪の共同正犯になるでしょうか。それとも、ならないのでしょうか。

片面的共同正犯の肯否——なぜ「相互」でなければならないか

片面的共同正犯をめぐる2つの立場 図:片面的共同正犯をめぐる2つの立場

学説は2つに分かれます。A説、肯定説です。共同正犯の本質について、前に見た行為共同説の立場に立てば、Bは相手方であるAの行為を利用して、結果を惹起しています。それなら、責任を問うべきだ、という考え方です。片面的共同正犯をめぐるもう1つの立場が、B説、否定説です。こちらは判例・通説の立場です。共同実行の意思が、各共同者にそれぞれ認められない限り、共同正犯は成立しない、という考え方です。ここで、前回までの根拠に戻ります。共同正犯を正犯として扱えるのは、各人が相互利用補充関係のもとで、結果に因果性を及ぼしているからでした。「相互」という言葉に、注目してください。

相互利用補充関係とは、互いに相手の行為を自分の計画に組み込み、自分だけでは足りない部分を、相手に埋めてもらう関係のことでした。Bは、Aの行為を自分の計画に組み込んでいますが、Aは、Bの行為を自分の計画に組み込んでいません。組み込みようがないからです。Aにとって、Bは存在しないのと同じです。心理的因果性は、Bの側からAの側へは流れていても、Aの側からBの側へは流れていません。相互性が欠けている以上、共同正犯の処罰根拠そのものが半分しか成り立っていません。だから、否定説が結論として妥当です。Bは、強盗罪の共同正犯にはなりません。

正犯でなくても、幇助犯という受け皿がある 図:正犯でなくても、幇助犯という受け皿がある

条文刑法62条1項

刑法62条1項(幇助) 正犯を幇助した者は、従犯とする。

では、Bは何の罪にもならないのかというと、そういうわけではありません。Bは、Aに気づかれていなくても、Aの犯行を手伝う意思のもとで、実際にVを取り押さえるという形で手を貸しています。この行為が、幇助犯、つまり62条1項の従犯として評価される余地は残ります。片方からしか意思の連絡が無い幇助を、片面的幇助と呼びます。片面的共同正犯は否定されますが、処罰の空白にはなりません。否定された理由は、意思の連絡の「向き」が一方通行だったことでした。もう1つの場面は、向きではなく「時間」の問題です。

承継的共同正犯の意義——途中から加わるとは

先に脅したのはA。金を受け取ったのは、Aと後から来たB 図:先に脅したのはA。金を受け取ったのは、Aと後から来たB

次の設例です。Aは、Vに対して、金を出さなければ痛い目にあわせると告げ、Vを怖がらせました。まだVが金を渡す前の段階で、Bが現れます。Bは、Aがそれまでにどんな脅し方をしたのか、一部始終を聞いて知ったうえで、Aと意思を通じ合いました。そのあと、AとBは一緒になって、怖がったままのVから現金を受け取りました。人を脅して怖がらせ、お金などを出させる犯罪を、恐喝罪と言います。この設例は、恐喝罪の場面です。そして、この設例のように、ある者、先行者が、特定の犯罪の実行に着手し、まだ実行行為の全部を終えないうちに、別の者、後行者が、その事情を知りながら関与し、先行者と意思を通じて、残りの実行行為を一緒に、または単独で行う場合を、承継的共同正犯と呼びます。

3つの型を、意思の連絡が「いつ」「どちら向きか」で並べる 図:3つの型を、意思の連絡が「いつ」「どちら向きか」で並べる

ここで、3つの型を並べてみます。通常の共同正犯は、実行行為が始まる前に、双方向で意思が形成されています。さっきの片面的共同正犯は、実行行為の最初から最後まで、意思の連絡が一方通行のままでした。そして承継的共同正犯は、実行行為の当初には意思の連絡が無く、途中になってはじめて、双方向の意思が形成されます。この「途中から」という時間のズレが、次の問題を生みます。

問題の所在——過去の分まで、責任を負うのか

Bは、Aの脅しの分まで背負うのか 図:Bは、Aの脅しの分まで背負うのか

条文刑法60条

刑法60条(共同正犯) 二人以上共同して犯罪を実行した者は、すべて正犯とする。

問題は、途中から来たBが、60条の「共同して犯罪を実行した者」にあたるか、です。承継的共同正犯を「共同正犯にあたらない」とすれば、Bは、自分が関与したあとの行為、つまり現金を受け取った行為についてのみ、責任を負います。Aの脅迫によってVが怖がっていたという効果は、Bが自分で作り出したものではないので、その部分の責任までは負いません。「共同正犯にあたる」とすれば、話が変わります。前に見た、一部実行の全部責任です。Bは、自分が実行していないAの脅迫の効果まで含めて、恐喝罪が既遂に至ったことについて、責任を負うことになります。

問題は、後行者は、先行者の行為やその効果を承継するか、しないか。この一点に尽きます。承継すれば、途中から来ただけなのに、既に出来上がっていた被害者の畏怖状態まで、自分の犯罪として引き受けたことになります。

承継的共同正犯の肯否——因果性は、過去にさかのぼれない

関与する前の行為に、後行者の因果性は及ぶか 図:関与する前の行為に、後行者の因果性は及ぶか

ここで、もう一度、根拠に戻ります。共同正犯を正犯として扱えるのは、各人が相互利用補充関係のもとで、結果に物理的または心理的な因果性を及ぼしているからでした。Bが関与する前に、Aが1人でVを脅していた時点では、Bはまだ存在すらしていません。因果的共犯論、つまり惹起説に立つ限り、因果性は過去にさかのぼりません。共同実行の意思に基づいて成立するのは、あくまで意思が形成されたあとの行為だけです。だから、原則としては、承継的共同正犯は共同正犯にあたりません。Bが背負うのは、自分が関与したあとの部分だけ、というのが原則の結論です。

原則をそのまま押し通してよいのか、ここで例外が問題になります。

前の部分を、自分の犯罪の道具として使ったなら 図:前の部分を、自分の犯罪の道具として使ったなら

⭐ 論文で書く規範:積極的利用の規範 後行者が、先行者の行為及びこれによって生じた結果を、自己の犯罪遂行の手段として積極的に利用する意思のもと、現にこれを利用した場合には、実質的に先行行為に関与したのと同視できる。 (規範(通説で立てる))

例外はこうです。後行者が、先行者の行為やその結果を、自分の犯罪をやり遂げる道具として、積極的に利用する意思のもとで、実際にそれを利用した場合には、実質的に、後行者が先行行為に関与したのと同じだと評価できます。Bは、Aの脅しでVが既に怖がっている状態を、そのまま利用しています。改めて自分で脅し直す必要すらありません。Vが怖がっているという、Aが作り出した状態を、自分の犯罪を実現する道具として、積極的に使い切っています。この場合には、Bも承継的共同正犯として、恐喝既遂の責任を負います。単に事情を知っていた、認識していたというだけでは足りません。積極的に利用する意思を持ち、現に利用したと言えるかどうかが、分かれ目です。

設例を少し変えます。Bは、Aの脅しの一部始終を聞いて知っていました。ですが、Vが怖がっていることは当てにせず、Vが目を離したすきに、Vのかばんから財布をこっそり抜き取っただけだとします。Bは事情を知っていますが、Vの怖がっている状態を、自分の犯罪の道具としては使っていません。この場合、Bは、Aの脅しの分までは背負いません。背負うのは、自分でした抜き取りの分だけです。

3つの説を、結論・理由・批判で並べる 図:3つの説を、結論・理由・批判で並べる

ここまでの話を、3つの説として整理します。1つ目、全面否定説です。有力説の立場です。承継的共同正犯を、一切、共同正犯として認めません。理由は、さっき見たとおり、関与前の行為に後行者の行為が因果性を持つことはありえない、因果的共犯論に立つ限り認められない、というものです。ただし、この説には批判もあります。因果性は、あくまで1つの視点にすぎません。それに、刑法には207条という規定があります。

因果性を欠く結果にも、共犯の例によるという規定がある 図:因果性を欠く結果にも、共犯の例によるという規定がある

条文刑法207条

刑法207条(同時傷害の特例) 二人以上で暴行を加えて人を傷害した場合において、それぞれの暴行による傷害の軽重を知ることができず、又はその傷害を生じさせた者を知ることができないときは、共同して実行した者でなくても、共犯の例による。

この規定は、207条、同時傷害の特例と呼ばれる規定です。これは、誰の暴行でけがをさせたのか分からない場合に、因果関係の証明が無くても、共犯として扱ってよいと定めています。刑法自身が、因果性を欠く結果についてまで、共犯の例によることを認めているわけです。だとすると、因果性だけを唯一の物差しにする全面否定説には、この規定との整合性という宿題が残ります。2つ目、全面肯定説です。承継的共同正犯を、全面的に共同正犯として認める立場です。理由は、1個の犯罪は一罪として不可分であり、共同実行の意思のもとで一罪の一部に関与した以上、共同正犯として認めるべきだ、というものです。今日の設例で言えば、AがVを脅して怖がらせ、Vからお金を受け取るまでが、1個の恐喝罪です。脅す部分と受け取る部分は、別々の犯罪ではなく、ひとかたまりです。だから、受け取る部分に意思を通じて加わったBは、そのひとかたまりの恐喝罪全体に加わったことになり、脅しの部分まで含めて責任を負う、という理屈です。

ただし、この説にも批判があります。単に犯罪が不可分だというだけでは、自分がやったことにしか責任を負わないという、個人責任の原則との抵触を、完全には避けられません。Bは、Vを脅してはいません。それなのに、1個の犯罪だからというだけで、脅しの分まで自分の責任にされてしまうからです。そこで、3つ目、限定的肯定説です。これが多数説であり、今日の結論です。後行者が、自己の犯罪遂行の手段として積極的に利用する意思のもとで、現にこれを利用した場合に限り、共同正犯として認める立場です。理由は、この場合には、先行者の行為やその結果を、実質的に後行者自身の行為と同視してよい、というものです。

全面否定説と全面肯定説の間を取った、というより、因果性の原則は保ったまま、積極的な利用という一点でだけ、例外を開ける説です。Bが背負うのは、Aが過去に脅した行為そのものではありません。Vが今も怖がっているという、まだ続いている状態を、B自身が道具として使い、現金の受け取りという結果に結びつけました。その使った部分には、B自身の因果性がある。だから、因果性を過去にさかのぼらせなくても、責任を問えるわけです。全面否定説の言う「因果性は過去にさかのぼれない」という筋は保ちながら、207条のような規定とも矛盾しない結論を導けます。だからこそ、多数説として支持されています。今日の設例のBは、この限定的肯定説のもとで、承継的共同正犯として恐喝罪の責任を負います。

関与後の実行行為の共同の要否——一緒にやらなくてもよいのか

Aが姿を消したあと、残りをBだけがやった場合 図:Aが姿を消したあと、残りをBだけがやった場合

限定的肯定説に立ったとして、もう一歩踏み込みます。さっきの設例を少し変えます。Aは、Vを脅したあと、その場をすぐに立ち去りました。Vが怖がったままの状態を、Bが1人で見つけ、Aの脅しの効果を積極的に利用する意思のもとで、単独でVから現金を受け取ったとします。ここで、あなたに聞きます。Bは、承継的共同正犯として、恐喝罪の責任を負うでしょうか。それとも、関与したあとに、AとBが一緒に実行行為をしていない以上、負わないのでしょうか。この点、要すると解する見解もあります。先行行為は共同していない以上、関与後の実行行為まで共同してはじめて、共同実行の事実が認められる、という考え方です。

もっとも、通説はこう考えます。後行者が、先行者の行為やその結果を、積極的に利用する意思のもとで、これを利用した以上、それだけで既に、共同して犯罪を実現したと言える、というものです。関与後に一緒に実行行為をしたことまでは、要りません。結論として、後行者だけが、関与後の行為を単独で行った場合であっても、承継的共同正犯は成立しえます。積極的な利用という規範の中身が、既に「共同実行の事実」の代わりを果たしているからです。今日の設例のBも、単独で現金を受け取っていますが、それだけを理由に責任を免れることはありません。

今日の地図(保存版)

今日の到達点 図:今日の到達点

今日を振り返ります。片面的共同正犯は、共同実行の事実はあっても、意思の連絡が一方通行にとどまる場合でした。相互利用補充関係の「相互」が欠けるため、判例・通説は否定します。ただし、片面的な意思を持っていた側について、幇助犯が成立する余地は残ります。承継的共同正犯は、原則として、因果性が過去にさかのぼらない以上、否定です。ただし、後行者が先行者の行為や結果を、自己の犯罪遂行の手段として積極的に利用する意思のもとで、現にこれを利用した場合には、限定的肯定説によって例外的に肯定されます。さらに、関与したあとに一緒に実行行為をしたことまでは要りません。

片面的も、承継的も、根っこにあるのは同じ相互利用補充関係と因果性という物差しでした。

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#72単独ページ動画

承継的共同正犯の類型別検討

第9章 共犯 ⑨/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

受け直し——後行者が背負うのは、状態か結果か

途中から加わった人は、けがまで背負うのか。だました後に受け取っただけの人は 図:途中から加わった人は、けがまで背負うのか。だました後に受け取っただけの人は

前回、承継的共同正犯が認められるのはどんな場合だと言いましたか?後行者が、先行者の行為やその結果を、自分の犯罪をやり遂げる道具として積極的に利用する意思のもとで、実際にそれを利用した場合でした。設例は、脅されて怖がっているVのところへBが途中から来て、一緒に現金を受け取る場面でしたね。前回の最後で、この規範を犯罪の種類ごとに当てはめると予告しました。今日はその続きです。まず2つ、問いを置きます。1つ目。仲間が既に相手を殴ってけがをさせていました。そこへ途中から加わって、一緒に殴った人は、そのけがまで背負うのでしょうか。

もう1つの問いとして、だます電話が済んだあと、荷物を受け取りに行っただけの人は、詐欺をした一人になるのでしょうか。どちらも「途中から加わった」という点は同じです。ですが、これから見る最高裁の答えは、逆になります。1つは否定され、もう1つは肯定されます。同じ規範を使っているのに、なぜ結論が分かれるのか。今日はこの理由を、1つの物差しで説明します。

物差しを1つ立てる——利用できるのは、状態か結果か

状態はまだそこにある。結果はもう固定されている 図:状態はまだそこにある。結果はもう固定されている

⭐ 論文で書く規範:積極的利用の規範(前回の受け直し) 後行者が、先行者の行為及びこれによって生じた結果を、自己の犯罪遂行の手段として積極的に利用する意思のもと、現にこれを利用した場合には、承継的共同正犯が成立する。 (規範(限定的肯定説))

もう一度、前回の規範を確認します。ポイントは「現にこれを利用した」の部分です。利用するためには、利用する対象が、後行者が関与した時点でまだそこに残っていなければなりません。ここで、先行者が作り出すものを2種類に分けます。1つは、今も続いている状態です。だまされて財産を渡そうとしている状態、暴行によって抵抗できなくなっている状態、監禁されている状態。これらは、後行者が関与した時点でも、まだそこにあります。もう1つは、既に発生し終わった結果そのものです。相手が既に死亡した、既に傷を負わされた。これらは、後行者が関与した時点で、もう固定されています。後行者がこれから手を加えて、自分の犯罪の材料として使う余地がありません。

リレーで言えば、状態は、まだ手の中にあるバトンです。途中で受け取った走者も、それを使って最後まで走り切れます。結果は、前の走者が転んでできた骨折です。後から合流した人が、その骨折を自分の走りの材料に使うことはできません。今日はこの1本の問いを物差しにします。後行者が現に利用できるのは、今も続いている状態か、それとも既に終わった結果か。状態なら、承継肯定に傾く。終わった結果そのものなら、承継否定に傾く。これから見る全ての犯罪類型は、この物差しの上に乗ります。

詐欺(246条1項)——だまされている状態は、まだ続いている

詐欺は2段構え。交付の段階だけに関与しても 図:詐欺は2段構え。交付の段階だけに関与しても

条文刑法246条1項

刑法246条1項(詐欺) 人を欺いて財物を交付させた者は、十年以下の拘禁刑に処する。

まず、詐欺です。詐欺罪は、人をだます場面と、それによって財物を渡させる場面という、条文上2つの段階に分かれています。設例で考えます。Aは、Vに電話をかけ、還付金があるという嘘を告げ、Vを誤信させました。Vが、誤信したまま現金を用意した段階で、Bが現れます。Bは、Aがどんな嘘をついたのか経緯を全部知ったうえで、Aと意思を通じ、誤信したままのVから現金を受け取りました。ここで、さっきの物差しを当てます。Bが関与した時点で、Vはまだ誤信したまま、現金を渡そうとしています。この「誤信して渡そうとしている状態」は、Bが関与した時点でも、まだ続いています。

Bは、Aが作り出したVの誤信状態を、自分の犯罪の道具として、現に利用しています。この場合、通常は積極的利用が認められ、Bは詐欺罪の承継的共同正犯として、詐欺既遂の責任を負います。しかも、詐欺罪はもともと交付という後半の行為がまだ構成要件上残っている段階での関与です。この点でも、Bは詐欺という1個の犯罪の、まだ終わっていない部分そのものに関与しています。

強盗(236条)——反抗を抑えた状態を、そのまま使う

抵抗できない状態は、後から来た人にも使える 図:抵抗できない状態は、後から来た人にも使える

条文刑法236条1項

刑法236条1項(強盗) 暴行又は脅迫を用いて他人の財物を強取した者は、強盗の罪とし、五年以上の有期拘禁刑に処する。

次は強盗です。強盗罪は、それぞれ単独でも罪になる暴行・脅迫という行為と、財物を奪う行為とを、1つに結びつけた犯罪です。このように、独立して罪となる複数の行為を結びつけて1個の犯罪にしたものを、結合犯と呼びます。設例で考えます。Aは、Vに刃物を示して脅し、Vを恐怖で動けなくさせました。Vがまだ動けずにいる段階で、Bが加わり、Aの脅しの経緯を知ったうえで、一緒に金品を持ち去りました。ここでも同じ物差しを当てます。Bが関与した時点で、Vはまだ抵抗できない状態のままです。この抵抗できない状態は、Bが金品を持ち去るための道具として、そのまま使えます。多くの場合、積極的利用が認められ、Bは強盗罪の承継的共同正犯として責任を負います。前回見た恐喝も、脅されて怖がっている状態を利用する、まったく同じ構造でした。強盗は、それに財物の強取という行為が結びついた、いわば恐喝の親戚です。

強盗殺人・強盗傷害(240条)——奪ったのは、状態だけ

Bが利用したのは、抵抗できない状態。死亡結果には届かない 図:Bが利用したのは、抵抗できない状態。死亡結果には届かない

条文刑法240条

刑法240条(強盗致死傷) 強盗が、人を負傷させたときは無期又は六年以上の拘禁刑に処し、死亡させたときは死刑又は無期拘禁刑に処する。

ここで、条文を1つ整理します。240条は、財物奪取の意図で人を殺害・傷害した場合の強盗殺人罪・強盗傷害罪と、殺意までは無かったのに結果として死傷させてしまった場合の強盗致死罪・強盗致傷罪の、両方をこの一つの条文が引き受けている、というのが多数の理解です。名前だけ、押さえておいてください。では設例です。Aは、財物を奪う意図で、Vに暴行を加え、死亡させました。その後、Bが現れ、経緯を知ったうえで、財物の持ち去りにのみ関与しました。ここでも物差しを当てます。Bが関与した時点で、Vは既に死亡しています。

Bが利用できるのは、抵抗する者が既にいなくなっている状態、せいぜいそれだけです。Vの死亡という結果そのものは、Bが関与する前に既に固定されており、Bがこれから手を加えて利用する余地がありません。この点をめぐって、2つの立場があります。

結合犯だから承継する、という考え方と、そうでない考え方 図:結合犯だから承継する、という考え方と、そうでない考え方

1つ目は、承継を認める立場です。下級審には、これを認めた裁判例もあります。強盗殺人罪・強盗傷害罪も結合犯であることに変わりはない、という理由です。もう1つは、承継を認めない立場です。今日の結論はこちらです。理由は2つあります。1つ目、後行者が利用したのは、あくまで反抗抑圧状態、つまり抵抗できない状態にすぎず、死亡や傷害という結果そのものを利用したわけではありません。2つ目、強盗殺人罪・強盗傷害罪は法定刑がきわめて重く、これほど重い罪の承継を、安易に認めるべきではありません。結論として、Bには強盗殺人罪・強盗傷害罪の承継的共同正犯は成立せず、財物の持ち去りに関与した限度で、強盗罪の共同正犯が成立するにとどまります。

結果的加重犯と傷害罪(204条)——一個の暴行に途中で加わっただけでは

加わる前に既にできていた傷は、後行者から見ればもう固定されている 図:加わる前に既にできていた傷は、後行者から見ればもう固定されている

条文刑法204条

刑法204条(傷害) 人の身体を傷害した者は、十五年以下の拘禁刑又は五十万円以下の罰金に処する。

さきほどの240条は、殺意の無い強盗致死傷罪の場合も、終わった結果は利用できないという同じ理由で、承継的共同正犯は否定されます。もう1つ、暴行の結果的加重犯としての傷害罪も見ておきます。傷害罪は、暴行の故意しかなくても、実際に傷害という結果が生じれば成立する、結果的加重犯の1つです。暴行の設例で考えます。Aは、Vに暴行を加えていました。その暴行だけで、既にVに傷害が生じていました。そこへ、Bが途中から加わり、Aと意思を通じて、一緒にVを殴りました。Bには、Aの暴行を手伝う以外の目的はありません。

Vの傷害は、Bが関与する前に既に発生し終わった結果です。Bから見れば、これはもう固定された過去の出来事であって、自分の犯罪の道具として使えるものではありません。強盗のときのように、まだ続いている状態を使い切っているわけでもありません。この点は、高等裁判所の裁判例が、次のような筋で整理しています。承継的共同正犯が認められる実質的な理由は、後行者が先行者の行為やその結果を、自分の犯罪をやり遂げる道具として積極的に利用したことにあります。強盗や殺人のように、一連の行為が特定の結果に向かって組み立てられている犯罪類型では、多くの場合これが認められ、全面肯定説と結論が変わりません。ここで認められると言っているのは、先行者が作った状態を使って犯罪をやり遂げる場面のことで、加わる前に既に生じた死亡や傷害という結果まで引き継ぐ、という意味ではありません。さきほどの強盗殺人の結論とは、ぶつかりません。しかし、一個の暴行に途中から加わっただけで、暴行以外の目的が無い場合には、他に特別な事情がない限り、積極的利用があったとは認められません。

結論として、Bには、加わる前にAが生じさせた傷害についての承継的共同正犯は成立しません。Bが責任を負うのは、自分が関与した後の暴行によって生じた分だけです。

傷害の発生時点が分からない場合——3つに割って判定する

いつできた傷か分からなくても、判定はできる 図:いつできた傷か分からなくても、判定はできる

もう1つ、難しい場面を見ます。Aの暴行の途中からBが加わり、一緒に殴りました。ところが、Vの傷害がいつ生じたのか、証拠上はっきりしません。関与する前のAの単独暴行によるものかもしれませんし、関与した後のAの単独暴行によるものかもしれませんし、関与した後のAとBの共同暴行によるものかもしれません。この場合、Bに傷害罪の共同正犯は成立するでしょうか。ここで、自分で考えてみてください。3つの場合に分けます。1つ目、関与した後にAとBが共同で暴行して生じさせた場合。2つ目、関与した後にAが単独で暴行して生じさせた場合。3つ目、関与する前にAが単独で暴行して生じさせた場合。それぞれで、Bに傷害罪が成立するかどうか、判定してみてください。

1つ目、関与後の共同暴行で生じた場合は、当然に共同正犯として成立します。2つ目、関与後のAの単独暴行で生じた場合は、Bは、その暴行そのものをAと共同しています。共同した暴行から傷害という重い結果が生じたので、Bにも傷害罪の共同正犯が成立しうる場面です。3つ目、関与前のAの単独暴行で生じた場合は、今見たとおり、承継が否定される以上、Bには成立しません。証拠上、どの場合に当たるか特定できない以上、3つ目の場合である可能性を排除できません。つまり、全ての場合でBに傷害罪の共同正犯が成立するとは言えません。刑事裁判では、成立すると証明しきれない犯罪で有罪にはできません。したがって、Bには傷害罪の共同正犯が成立しないという判定になります。

さらに、207条の適用が問題になる 図:さらに、207条の適用が問題になる

ただし、これで終わりではありません。前回、全面否定説への批判のところで条文を見た、207条、同時傷害の特例の適用が、ここでさらに問題になります。誰の暴行による傷害か分からない場合に、共犯として扱ってよいとする特例でした。この特例が、今の場面にどこまで及ぶのかは、別の回で扱います。今日は、承継的共同正犯としては成立しない、というところまでにしておきます。

継続犯・監禁(220条)——加わった後の部分は、それ自体で共同

監禁は継続犯。加わった後の部分は、それ自体で共同 図:監禁は継続犯。加わった後の部分は、それ自体で共同

条文刑法220条

刑法220条(逮捕及び監禁) 不法に人を逮捕し、又は監禁した者は、三月以上七年以下の拘禁刑に処する。

最後にもう1つ、監禁罪です。以前見たとおり、監禁のように、実行行為とそれによる法益侵害の状態が続いている犯罪を、継続犯と呼びます。監禁の設例で考えます。Aは、Vを不法に監禁しました。Vがまだ監禁され続けている段階で、Bが加わり、経緯を知ったうえで、監禁の継続に加担しました。この場合、物差しで言えば、残っているのは状態どころではありません。監禁という実行行為そのものが、まだ続いています。監禁が続いている以上、Bが関与した後の部分については、Bにもそれ自体で、共同正犯の2つの要件である、共同実行の意思と共同実行の事実が認められます。だから、他の犯罪のように「利用したかどうか」を持ち出すまでもなく、当然に共同正犯となります。仮に、Bが関与する前に、既に重い結果、たとえばVがけがをするような出来事が起きていたとすれば、そこはさっき見た傷害罪と同じ処理になります。

中間まとめ——同じ物差しから、逆の答えが出た

同じ物差しから、逆の答えが出ている 図:同じ物差しから、逆の答えが出ている

ここまでを整理します。詐欺、強盗、監禁は、後行者が関与した時点でも、利用できるものがまだ残っていたので、肯定に傾きました。強盗殺人・強盗傷害と、暴行から生じた傷害は、後行者が利用しようとしたものが、既に固定された結果だったので、否定に傾きました。ここからは、この同じ物差しを、実際の最高裁決定に当ててみます。

最高裁決定①(傷害)——加わる前のけがには、届かない

加わる前に既に生じていたけがには、被告人の共謀は届かない 図:加わる前に既に生じていたけがには、被告人の共謀は届かない

判例最高裁決定 平成24年11月6日

最決(傷害の承継) 先行者らが被害者に暴行を加えて傷害を負わせた後、被告人が現場で先行者らと共謀のうえ、先行者らと一緒に、共謀以前より強い暴行を加えたところ、既に生じていた傷害の一部が相当程度重篤化した、という事案。

ここで、実際の最高裁の決定を見ます。事案はこうです。先行者らが被害者に暴行を加え、既に傷害を負わせていました。そこへ被告人が現場に加わり、先行者らと共謀のうえ、共謀する前よりも強い暴行を一緒に加えました。その結果、既に生じていた傷害の一部が、相当程度重篤化しました。原審は、前回の限定的肯定説と同じ考え方で、被告人が先行者らの暴行と、それによって生じた結果を、自分の暴行の手段として積極的に利用したと認め、共謀に加わる前の傷害も含めた全体について、被告人が承継的共同正犯としての責任を負うと判断しました。

ところが、最高裁の判断は違いました。判断は2つあります。1つ目は、加わる前の傷害に責任を負うか。2つ目は、原審が重く見た、利用する事情をどう見るか、です。まず1つ目。共謀に加わる前に、先行者らが既に生じさせていた傷害の結果については、被告人の共謀やそれに基づく行為が、その結果と因果関係を持つことはない。だから、被告人はその部分の傷害罪の共同正犯としての責任を負わない、としたのです。責任を負うのは、共謀に加わった後の暴行によって、傷害の発生に寄与した部分についてだけです。2つ目です。原審は、被告人に、既に生じていた傷害を制裁の目的で利用する事情があったと見ていましたが、最高裁は、その事情があったとしても、それは共謀に加わった後にさらに暴行を加えた動機やきっかけにすぎず、加わる前の傷害について責任を問う理由にはならない、としました。

利用する事情があっても足りない理由を、今日の物差しに置き換えると、加わる前に生じていたけがは、被告人から見て既に固定された結果であり、そこに被告人の行為が因果関係を持つことはない。だから承継が否定される、という筋です。なお、この決定が、限定的肯定説という学説の立場そのものを採ったとまでは明言していません。無限定の全面肯定説を採っていないことは明らかです。答案では、限定的肯定説に立って書けば足りる、という評価にとどめておきます。

最高裁決定②(詐欺の受け子)——受け取りは、まだ終わっていない計画の続き

電話は済んでいた。だが受け取りは、詐欺を完遂するために予定されていた部分 図:電話は済んでいた。だが受け取りは、詐欺を完遂するために予定されていた部分

傷害の承継は、否定されました。では、冒頭の2つ目の問い、だます電話が済んだあとに荷物を受け取りに行っただけの人は、詐欺の一人になるでしょうか。

判例最高裁決定 平成29年12月11日

最決(詐欺の受け子) 欺く行為がされた後、被害者側が嘘に気づき、警察と協力して欺かれたふりを続けていた段階で、被告人がそれを知らずに共謀のうえ、現金の入っていない荷物の受け取りに加わった、という事案。

事案はこうです。仲間が、特別な抽選の当選金を受け取れると思い込んでいたVに、その抽選に参加するには違約金を払う必要がある、という嘘をつき、現金を送らせようとしました。ところが、Vの側は嘘だと気づき、警察と協力して、欺かれたふりを続けることにしました。この段階で、被告人が、そうした事情を知らないまま、共謀のうえ、荷物の受け取りに加わりました。届いた荷物に、現金は入っていませんでした。だまされている状態は、実はもう無くなっています。それでも最高裁は、加わる前の欺く行為も含めた詐欺全体について、被告人に詐欺未遂罪の共同正犯が成立するとしました。理由は、荷物の受け取りという行為が、詐欺を完遂するうえで、欺く行為と一体のものとして、もともと予定されていたことにあります。

この決定は、「積極的に利用した」という言葉は使っていません。使っているのは、受け取りが欺く行為と一体として予定されていたか、そして共謀のうえそれに関与したか、という理由です。Vはだまされて現金を渡したわけではないので、詐欺は完成しておらず、既遂ではなく未遂です。それでも、加わる前の欺く行為を含めた詐欺全体について、被告人は共同正犯になる。ここが、傷害の場合との決定的な違いです。傷害は、もう終わった結果だから利用できませんでした。これに対して詐欺は、欺く行為と受け取る行為が、もともと1つの計画としてつながっている、まだ終わっていない犯罪です。受け取りに関与した時点で、Bはその計画の、まだ残っていた後半部分そのものを担っています。だから、加わる前の欺く行為の分も含めて、詐欺全体の共同正犯になります。今日の物差しに戻すと、ここで残っていたのは、だまされている状態ではなく、詐欺という犯罪のまだ終わっていない後半部分でした。状態でも、続いている実行行為でも、まだ終わっていない犯罪の残りでも、残っているものは利用できる側。終わった結果は利用できない側。物差しの2つの側は、変わりません。ただし、これは学説から見た評価であって、決定自身がそう述べているわけではありません。

罪名の結論表——同じ問いから、5つの答えが出る

5つの類型を、1枚の表で並べる 図:5つの類型を、1枚の表で並べる

ここで、今日見た全ての類型を、1枚の表にまとめます。詐欺は、欺く行為と一体として予定された受け取り、つまりまだ終わっていない計画の残りを利用し、詐欺罪の共同正犯、だまされたふり作戦の事案では詐欺未遂罪の共同正犯になります。強盗は、反抗抑圧状態、つまり抵抗できない状態を利用し、強盗罪の共同正犯になります。強盗殺人・強盗傷害は、反抗抑圧状態しか利用できず、強盗罪の共同正犯にとどまります。傷害は、関与前の分については利用できる状態が残っておらず、関与後の暴行による寄与分だけが傷害罪の共同正犯になり、さらに207条の適用が問題になります。監禁は、継続する実行行為そのものを共同し、監禁罪の共同正犯になります。

今日の地図(保存版)

今日の到達点 図:今日の到達点

今日を振り返ります。全ての類型に共通する物差しは、後行者が現に利用できるのは、今も続いているものか、それとも既に終わった結果かという1点でした。続いているものは、状態のこともあれば、監禁のような実行行為や、詐欺の受け取りのような犯罪の残りのこともあります。それが残っていれば肯定に傾き、結果そのものはもう利用しようがないので否定に傾きます。2つの最高裁決定も、この物差しの上に乗ります。傷害についての決定は、加わる前に既に生じていた傷害には、被告人の行為が因果関係を持ちようがないとして、承継を否定しました。詐欺の受け子についての決定は、受け取りが欺く行為と一体として予定された、まだ終わっていない計画の残りの部分だとして、詐欺未遂罪の共同正犯を認めました。

なお、強盗殺人罪・強盗傷害罪の承継を認めるかどうかの対立は、論文で論点になりうる場面です。

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#73単独ページ動画

過失犯の共同正犯

第9章 共犯 ⑩/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

受け直し——うっかり同士でも「一緒にやった」と言えるか

2人とも点検を怠った。でも原因がどちらか分からない 図:2人とも点検を怠った。でも原因がどちらか分からない

今日のテーマは、過失犯の共同正犯です。こんな場面を考えます。工場の同じ持ち場で、ボイラーの安全弁の点検を、AとBが担当していました。2人とも、所定の確認を怠ったまま作業を終えたところ、ボイラーが爆発し、火災が起きました。ところが、爆発の原因を作った確認漏れが、Aの担当分だったのか、Bの担当分だったのかは、記録からは分かりません。このままだと、どうなると思いますか。AとBそれぞれの過失と結果の因果関係は、証明できません。しかも、過失犯には未遂を罰する規定がありません。個々の過失と結果の因果関係が証明できない以上、2人とも不可罰になってしまいます。

この落差を埋められないか、というのが今日のテーマです。故意犯の共同正犯と同じように、AとBを「一緒にやった」として扱えないか。過失犯の共同正犯という論点です。

論じる実益——認めないと、2人とも不可罰になる

一部実行の全部責任は、共同正犯にどんな効果を与えていましたか 図:一部実行の全部責任は、共同正犯にどんな効果を与えていましたか

ここで、少し前に戻ります。共同正犯には、一部実行の全部責任という効果がありました。これは、どんな効果でしたか。自分では引き起こしていない結果まで、共同正犯であることを理由に背負う、という効果でした。この効果を、さっきのAとBの場面に及ぼせないか、というのが最初の問いです。もし、AとBに過失犯の共同正犯が成立するなら、一部実行の全部責任によって、どちらの確認漏れが原因だったかにかかわらず、2人とも火災という結果について責任を負います。

条文刑法38条1項

刑法38条1項(故意) 罪を犯す意思がない行為は、罰しない。ただし、法律に特別の規定がある場合は、この限りでない。

ここで条文を確認します。38条1項は、罪を犯す意思、つまり故意がない行為は原則として罰しない、と定めています。過失犯が罰せられるのは、この条文のただし書、法律に特別の規定がある場合に限られます。しかも、その特別の規定である過失犯の条文には、未遂を罰する規定がありません。故意犯なら、途中で結果が生じなくても未遂として処罰できますが、過失犯にはその仕組みがそもそも無いんです。過失犯の共同正犯を否定すれば、Aの過失とBの過失、それぞれについて、単独で火災という結果との因果関係を証明しなければなりません。今日の設例のように、どちらの確認漏れが原因か分からない場合、その証明はできません。結果、AもBも不可罰になります。

この不都合を避けられないか、というのが、過失犯の共同正犯を論じる実益です。

肯否——過失をどこに見るかで、共同できるかが決まる

新過失論では、過失はどんなものとして捉えられていましたか 図:新過失論では、過失はどんなものとして捉えられていましたか

ここで、以前見た過失の構造論を思い出してください。新過失論では、過失は何として捉えられていましたか?実は、過失犯の共同正犯を認めるかどうかは、この過失の捉え方によって決まります。過失の本質をどこに見るかで、共同正犯の結論はどちらに転ぶと思いますか。

過失をどこに見るかで、結論が変わる 図:過失をどこに見るかで、結論が変わる

1つ目、否定説です。旧過失論のように、過失の本質を、結果を予見しなかったという無意識の部分に見る立場です。無意識の部分は、他人と共有しようがありません。だから、過失犯の共同正犯は成立しない、と考えます。2つ目、肯定説です。新過失論のように、過失の本質を、基準となる行動から外れた行為そのものに見る立場です。行為であれば、複数人で分担することも、共同して行うこともできます。だから、過失犯の共同正犯も成立しうる、と考えます。この動画では、肯定説を取ります。過失の構造を見た回で、この動画は新過失論を土台に考えると決めました。過失を行為として見る以上、行為の共同も認めるのが筋です。しかも否定すれば、さきほど見たとおり、2人とも不可罰という不都合が残ります。ボイラーの点検という行為は、AとBが共同して行った、あるいは共同して怠った行為として捉えられます。無意識の部分ではなく、行為として捉えるからこそ、共同正犯の話に乗せられるわけです。

成立要件——共同の注意義務に、共同して違反したこと

共同正犯の要件を、過失犯でどう満たすか 図:共同正犯の要件を、過失犯でどう満たすか

肯定説を取っても、まだ話は終わりません。共同正犯の根拠の回で見たとおり、共同正犯が成立するには、相互利用補充関係、つまり互いに利用し合い、足りない所を埋め合う関係のもとで、結果への因果性が認められる必要がありました。行為が物理的に結果につながる物理的因果性と、心理的に後押しする心理的因果性の2つです。過失犯でこれをどう満たすのか、が次の問題です。過失犯では、故意による計画の共有はありません。その代わりに、互いに注意するだけでなく、相手にも注意義務を守らせるよう、互いに監視し合う義務を負う、という形でこれを満たします。この義務を、共同の注意義務と呼びます。

相互監視義務とも呼ばれます。設例で言えば、Aは自分の担当分を確認するだけでなく、Bがきちんと確認しているかにも注意を払うべき立場にあり、Bも同じ立場にあります。さきほどの相互利用補充関係に、設例を当てはめます。AがBの分まで見ていれば、Bの確認漏れはその場で止められました。Aが見なかったことは、Bの確認漏れを通って、爆発につながっています。Bの側から見ても同じです。これが物理的因果性です。しかも、相手も見ているはずだという意識が、互いの手抜きを後押しします。これが心理的因果性です。

⭐ 論文で書く規範:過失犯の共同正犯の成立要件 業務上過失致死傷罪の共同正犯が成立するには、共同の業務上の注意義務に共同して違反したことが必要である。 (規範(最決平成28年7月12日))

この共同の注意義務に、AとBが共同して違反したときに、共同正犯の要件である相互利用補充関係、そして物理的心理的因果性が認められます。学説は、この整理を共同義務の共同違反説と呼びます。今日の設例に当てはめると、AとBは、互いに相手の点検が済んでいるかを確認し合う義務を負っていたのに、2人とも自分の分だけでなく、相手の分にも注意を払わないまま作業を終えました。この共同の注意義務への共同違反が認められれば、どちらの確認漏れが直接の原因かを問わず、AとBに、業務上必要な注意を怠って火災を起こした罪、つまり業務上失火の共同正犯が成立します。

相互監視義務が成り立つ条件——対等な立場どうしか

対等な2人と、指示する側・される側の2人 図:対等な2人と、指示する側・される側の2人

ただし、この相互監視義務は、誰にでも成り立つわけではありません。監視し合うには、互いに相手を見る、対等な立場であることが前提です。対比のために、もう1つ設例を置きます。建設現場で、現場を指揮するCと、その指示に従って作業するDが、同じ足場の点検を担当していました。Cは、Dに対して、この足場は簡易な確認だけでいいと指示し、Dはその指示に従って、詳しい点検をしないまま作業を終えました。足場が崩れ、通行人のVが転落して負傷しました。

条文刑法211条

刑法211条(業務上過失致死傷等) 業務上必要な注意を怠り、よって人を死傷させた者は、五年以下の拘禁刑又は百万円以下の罰金に処する。重大な過失により人を死傷させた者も、同様とする。

似ていますが、決定的に違う点があります。CとDは、指揮する側とされる側という、上下の関係にあります。Dには、Cの指示を確認し、間違っていれば指摘する立場がありません。相互監視義務が成り立つのは、互いに相手を監視できる、同一の法的地位にある者どうしに限られます。上下主従の関係にある者の間には、相互監視義務があるとはいえません。この場合、CとDは、それぞれ単独犯として過失を検討します。Cについては、過失の回で見た狭義の監督過失、つまりあいだに部下の行為が入る過失の問題として、部下への指示や監督のあり方に注意義務違反があったかを、Dについては、自分の点検そのものに注意義務違反があったかを、それぞれ別々に判断します。共同正犯として一括りにはしません。

この線引きが、今日いちばん押さえてほしいポイントです。

責任過失は各自で個別に

共同にできるのは、構成要件レベルまで 図:共同にできるのは、構成要件レベルまで

もう1つ、忘れてはいけない点があります。以前、構成要件的過失と責任過失を区別しました。構成要件的過失は一般人を基準に、責任過失は行為者個人を基準に判断する、という話でした。ここまで見てきた共同の注意義務、そしてその共同違反は、構成要件レベルの過失の話です。ここが共同で認められても、責任過失は行為者ごとに個別に検討します。Aには責任過失があっても、Bには無い、ということはありえます。たとえば、Bだけが体調不良で、確認漏れに気づく可能性が個人的に無かった、という事情があれば、Bの責任過失は否定されます。構成要件レベルでは共同でも、責任のレベルでは、必ず一人ずつ確認する。答案でも、この一言認定を忘れないでください。

判例——要件を示しつつ、結論では共同正犯を否定した決定

現場を指揮する立場と、署内で補佐する立場。役割が違えば、注意義務も違う 図:現場を指揮する立場と、署内で補佐する立場。役割が違えば、注意義務も違う

ここで、実際の最高裁の決定を見ます。雑踏事故で多数の死傷者が出た事件で、現場の警備を指揮する立場の人物と、署内で署長を補佐する立場の人物、この2人の過失犯の共同正犯が問題になりました。

判例最高裁決定 平成28年7月12日(第三小法廷)

過失犯の共同正犯の成立要件を示した最高裁決定 業務上過失致死傷罪の共同正犯が成立するためには、共同の業務上の注意義務に共同して違反したことが必要であると解される。……本件事故を回避するために両者が負うべき具体的注意義務が共同のものであったということはできない。

最高裁は、まず一般論として、業務上過失致死傷罪の共同正犯が成立するためには、共同の業務上の注意義務に共同して違反したことが必要だ、と示しました。学説は、これを共同義務の共同違反説と呼びますが、この決定自体が、その学説名を使ったわけではありません。要件を「共同の業務上の注意義務に共同して違反したこと」という言葉で示した、というのが正確なところです。最高裁は、現場を指揮する立場の人物と、署内で補佐する立場の人物とでは、事故を回避するために負うべき具体的注意義務の内容が、基本的に異なっていたと認定しました。その上で、両者が負うべき具体的注意義務が共同のものであったとはいえない、として、共同正犯の成立を否定しました。

ここで、1つ注意してください。最高裁は、2人が指揮する側とされる側の上下関係だったから否定した、とは言っていません。理由にしたのは、分担する役割が基本的に異なり、事故を防ぐために負うべき具体的な注意義務の中身が違っていた、という点です。CとDの話とは理由の立て方が違いますが、根っこは同じです。共同の注意義務とは、同じ義務を2人で守り合うことでした。守るべき義務の中身がそもそも違えば、2人で共同して違反する対象がありません。だから共同正犯にならない。要件を立てても、常に肯定されるわけではない、という好例です。今日の設例のような火災の事案では、117条の2、業務上失火等の罪が問題になります。

条文刑法117条の2

刑法117条の2(業務上失火等) 第百十六条又は前条第一項の行為が業務上必要な注意を怠ったことによるとき、又は重大な過失によるときは、三年以下の拘禁刑又は百五十万円以下の罰金に処する。

では、どんな場面なら肯定に傾くのか。答えは、今日の要件から出てきます。最高裁決定で否定されたのは、守るべき注意義務の中身が2人で違っていたからでした。今日の設例のように、対等な立場の2人が、同じ確認作業という同じ義務を怠った場面なら、2人で共同して違反する対象があります。だから、共同の注意義務への共同違反が認められやすく、共同正犯が成立する方向に傾きます。

今日の地図(保存版)

今日の到達点 図:今日の到達点

今日を振り返ります。過失犯の共同正犯を認めないと、個々の過失と結果の因果関係が証明できないうえ、過失犯には未遂処罰も無いので、2人とも不可罰になってしまいます。この不都合を避けるのが、認める実益でした。この動画は、行為として見る肯定説を取りました。その上で、共同正犯の要件を満たす形として、共同の注意義務に、共同して違反したこと、という要件を立てました。最高裁は、要件そのものは示しましたが、2人の分担する役割が基本的に異なり、負うべき具体的注意義務が共同のものとはいえない、という理由で、実際の事件では共同正犯を否定しました。上下関係だったから、という理由ではありません。

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#74単独ページ動画

結果的加重犯の共同正犯

第9章 共犯 ⑪/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

受け直し——前回の結論と、今日の謎

過失犯でも、共同の注意義務に共同して違反すれば共同正犯になる。では今日は 図:過失犯でも、共同の注意義務に共同して違反すれば共同正犯になる。では今日は

前回、過失犯の共同正犯は、どんな場合に認められると言いましたか?共同の注意義務があって、それに共同して違反したと言えれば、過失犯でも共同正犯になりうる、という結論でした。今日は、この結論が別の場面で顔を出します。設例から始めます。AとBが、強盗をしようと共謀しました。かわるがわるVに暴行を加え、財布を奪いました。ところが、Vは思いがけず死亡しました。しかも、致命傷となった暴行が、Aのものか、Bのものか、証拠上分かりません。先に答えだけ言うと、判例の考え方では、この設例の2人は、ともに強盗致死罪の共同正犯になります。ただ、なぜそう言えるかを確かめるには、共同正犯の話だけでは足りません。結果的加重犯という犯罪そのものの本質に、一度立ち戻る必要があります。

問題の所在——強盗の共同正犯は成立するが

交互の暴行。どちらの一撃が致命傷か、証拠上分からない 図:交互の暴行。どちらの一撃が致命傷か、証拠上分からない

前々回、途中から加わったBでも、加わった後にAがひとりで振るった暴行でけがが生じたなら、Bにも傷害罪の共同正犯が成立しうる、という話が出ていました。なぜそう言えるのか。その答えは、今日の筋から出てきます。最後に、そこへ戻ります。

条文刑法236条1項

刑法236条1項(強盗) 暴行又は脅迫を用いて他人の財物を強取した者は、強盗の罪とし、五年以上の有期拘禁刑に処する。

もう一度、設例を整理します。AとBは、強盗をしようと共謀しました。共謀した内容どおりに、2人で財布を奪っています。この限りでは、強盗罪の共同正犯が成立することに問題はありません。一部だけを実行した者にも、全部の結果について責任が及ぶ、という効果でした。ただし、及ぶのは、2人が共同して実行したと言える範囲の結果です。ここに、当初の意図には無かった死亡という結果が加わります。しかも、致命傷となった暴行が、Aのものか、Bのものか、証拠上分かりません。

条文刑法240条

刑法240条(強盗致死傷) 強盗が、人を負傷させたときは無期又は六年以上の拘禁刑に処し、死亡させたときは死刑又は無期拘禁刑に処する。

もし、A・Bの誰も強盗致死罪の共同正犯を負わないとすれば、2人とも強盗罪の共同正犯にとどまります。反対に、死亡についても共同正犯と認められるなら、一部実行の全部責任によって、A・Bともに240条後段の強盗致死罪の共同正犯を負います。自分の暴行で死なせたと証明できなくても、共同正犯なら重い結果まで責任を負うのか。そこが今日の核心です。1つだけ、先に区別しておきます。今日の場面は、最初から2人が意思を通じて一緒に始めている場面です。以前見た、実行行為の途中から加わる場合の共同正犯とは、前提が違います。今日考えるのは、あくまで最初から一緒にいる2人の話です。

鍵の問い——結果的加重犯に過失は要るか

重い結果に、行為者の過失は要るのか 図:重い結果に、行為者の過失は要るのか

鍵になるのは、この問いです。以前見た傷害致死のように、故意の対象を超えた重い結果が生じれば成立するのが、結果的加重犯でした。この重い結果について、行為者に過失、つまり予見できたのに予見しなかったという事情は必要でしょうか。過失が必要だとすると、前回見た形の問題に戻ってくるのか。この後、それを確かめます。まず、学説と判例の立場を整理します。

3つの立場。何を要求し、何を根拠にするか 図:3つの立場。何を要求し、何を根拠にするか

1つ目は必要説、いわば通説です。重い結果についても、過失、つまり予見できたのに予見しなかったという事情を要求します。根拠は責任主義です。故意か過失、どちらかが無ければ、非難することはできないという考え方です。2つ目は不要説の1つで、これが判例の伝統的な立場です。基本行為と重い結果との間に、条件関係、つまり、その行為が無ければその結果も無かったという関係があれば、それで足りるとします。この立場には、批判が2つあります。1つ、責任主義に反すること。もう1つ、処罰の範囲が広くなりすぎることです。

判例最高裁判所判決 昭和26年9月20日

判例(結果的加重犯の因果関係) 傷害致死罪の成立には、傷害と死亡との間の因果関係の存在を必要とするにとどまり、致死の結果についての予見は必要としない。

ある判例は、はっきりとこの立場を示しています。傷害致死罪の成立には、傷害と死亡との間に因果関係があれば足り、死亡についての予見は必要としない、という判示です。ただし、この判示自体は、複数人が絡む共犯の事案についてのものではありません。同じ立場を示す判例は、他にも古くからあります。3つ目は、不要説のもう1つの理由づけです。基本行為は、もともとその性質上、重い結果を生む高い危険を含んでいます。行為者は、その危険を含む行為そのものには故意を持っています。だから、その危険が現実化した結果と言える範囲、つまり刑法上の因果関係が認められる範囲であれば、あらためて過失を要求しなくても、責任主義に反しません。

基本行為に含まれていた危険が、そのまま現実化して重い結果になったのなら、その結果は、もともとの故意の届く範囲の中にある、という説明です。

本質論が共同正犯の結論を分ける

2つの道。行き先は同じでも、通る場所が違う 図:2つの道。行き先は同じでも、通る場所が違う

ここが、今日いちばん大事な場所です。必要説に立つと、どうなるでしょうか。強盗罪の共同正犯が成立している状態から先、死亡という重い結果について、A・Bに共同の注意義務があり、それに共同して違反したと言えるかを検討します。これは、まさに前回学んだ、過失犯の共同正犯の問題そのものです。前回のように過失犯の共同正犯を認める立場をとり、設例で、かわるがわる暴行を加えるという強盗の共同から、相手の死亡を予見し避けるべき共同の注意義務と、それへの共同の違反が認められるなら、必要説からも結論は肯定に至ります。逆に、過失犯の共同正犯を認めない立場や、共同の注意義務を認めない場合には、強盗罪の共同正犯にとどまります。

では、不要説に立つと、どうなるでしょうか。不要説に立てば、過失犯の共同正犯を論じるまでもありません。強盗罪の共同正犯と死亡という結果との間に、刑法上の因果関係、つまり危険の現実化と言える関係があるかどうかだけを見ます。かわるがわる暴行を加えるという基本行為自体が、もともと死亡を生む高い危険を含んでおり、実際にその危険が現実化して死亡したのですから、過失を別に問うまでもなく、結論は肯定に至ります。その場合、行き先は同じです。ただ、いつも同じとは限りません。たとえば、Vが外からは分からない重い持病を抱えていて、ふつうなら死ぬことのない程度の暴行で亡くなった、という場面を考えます。必要説では、この死亡について、共同の注意義務と、それに共同して違反したことが認められるかがあらためて問われ、認められなければ、2人は強盗罪の共同正犯にとどまります。そして、肯定に至る場面でも、必要説を選んだ答案は、共同の注意義務という、もう1つの検討を通らなければなりません。不要説を選んだ答案は、因果関係の検討だけで、そこにたどり着けます。同じ肯定という結論でも、答案で書く道筋の長さが変わる、ということです。

判例——基本犯の共同正犯なら、重い結果の責任も及ぶ

強盗の機会になされた行為なら、他の共犯者にも及ぶ 図:強盗の機会になされた行為なら、他の共犯者にも及ぶ

結果的加重犯の共同正犯を肯定した、実際の判例を見ます。事案はこうです。強盗の共犯者の一人が、強盗に着手した後、家人に騒がれて逃走し、追跡されて巡査に発見されました。この者は、逮捕を免れるため、その巡査に切りつけ、死亡させました。

判例最高裁判所判決 昭和26年3月27日

判例(強盗の機会になされた行為と共犯者の責任) 強盗について共謀した共犯者等はその一人が強盗の機会において為した行為については他の共犯者も責任を負うべきものである。

判例は、この行為につき、他の共犯者も責任を負うとしました。理由は、この行為が、強盗の機会になされた行為だから、というものです。判例が述べているのは、ここまでです。今日の筋に引きつけて読むなら、強盗を共謀した全員が、その機会に重い結果が生じうる危険を一緒に作り出していた、と整理することができます。ただし、この判例の事案は、逮捕を免れる目的という、もう1つの事情が絡んだ場面です。冒頭の設例のように、致命傷を与えたのがどちらの暴行か分からない、という場面とは、事案の型が少し違います。ただ、共通する筋は取り出せます。基本犯の共同正犯が成立していれば、その機会に共犯者の一人が重い結果を引き起こしたときでも、他の共犯者にも結果的加重犯としての責任が及びうる、という筋です。冒頭の設例も、この筋の上にあります。

設例の結論——2つの道、同じ行き先

条件が満たされれば、どちらの説からもA・Bは強盗致死罪の共同正犯 図:条件が満たされれば、どちらの説からもA・Bは強盗致死罪の共同正犯

冒頭の設例に戻ります。A・Bは、強盗を共謀し、かわるがわる暴行を加え、Vが死亡しました。致命傷がどちらの暴行によるものかは、証拠上分かりません。必要説からは、前回の過失犯の共同正犯を認める立場をとり、かわるがわる暴行するという強盗の共同から、相手の死亡についての共同の注意義務と、その共同の違反が認められるなら、結果的加重犯の共同正犯が肯定されます。不要説からは、かわるがわるの暴行という基本行為が、もともと死亡を生む高い危険を含んでおり、その危険がそのまま現実化して死亡したと言えるので、同じく肯定されます。

一部実行の全部責任により、致命傷を与えたのがAかBか分からなくても、2人とも240条後段の責任を負います。なお、この論点は、論文で論点になりうる場面です。前々回の、途中から加わったBの話も、同じ筋で答えられます。Bが加わった後の暴行については、AとBは暴行を共同しています。傷害罪は、前々回見たとおり、暴行の結果的加重犯です。だから、加わった後にAがひとりで振るった暴行からけがが生じても、基本犯である暴行の共同正犯から重い結果が生じたとして、Bにも傷害罪の共同正犯が成立しうるのです。加わる前の暴行によるけがは、前々回見たとおり、承継的共同正犯としては、Bには及びません。

今日の地図(保存版)

今日の到達点 図:今日の到達点

今日を振り返ります。結果的加重犯という犯罪類型で、重い結果に過失を要求するかどうかが、今日の本質論でした。必要説は責任主義から過失を要求し、判例が伝統的に採る不要説は条件関係があれば足りるとし、もう1つの不要説は危険の現実化という考え方で説明します。基本犯の共同正犯が成立していれば、重い結果を引き起こした者以外の共犯者にも、結果的加重犯としての責任が及びうる。これが、判例からも読み取れる筋でした。

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#75単独ページ動画

共犯関係の解消

第9章 共犯 ⑫/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

受け直し——今日は解消から

前回の結論と、今日・次回の順番 図:前回の結論と、今日・次回の順番

前回、致命傷を与えたのがA・Bどちらの暴行によるものか分からなくても、一部実行の全部責任によって、2人とも強盗致死罪の共同正犯になりうる、という話をしました。今日扱うのは共犯関係の解消、つまり、一部実行の全部責任という効果が及ぶのを、途中で止められるか、という話です。設例から入ります。

問題の所在——翻意した者は、実行された罪を負うのか

2人で強盗を共謀し、住居に侵入したところで1人が離れた 図:2人で強盗を共謀し、住居に侵入したところで1人が離れた

設例です。AとBが、強盗をしようと共謀しました。2人で被害者の住居に侵入したところで、Aが怖くなって「もうやめる、先に帰る」と言い、その場を離れました。残ったBは、そのまま住人から金品を奪いました。帰ったAが、Bの実行した強盗の罪まで負うのか。これが、今日の問いです。もし共犯関係の解消が認められれば、Aはその後にBが実行した強盗の罪までは負いません。認められなければ、一部実行の全部責任によって、Aも強盗の共同正犯です。この落差があるからこそ、どんな場合に解消が認められるのかが、真剣に問題になります。先に答えの形だけ言っておくと、決め手は「やめる」と言ったかどうかではなく、Aが作り出した因果性が実際に切れたかどうかです。まず、その要件の根っこにある考え方から確認します。

解消の要件の根っこ——因果性を、途中で切れるか

共同正犯が責任を負う理由は、何でしたか? 図:共同正犯が責任を負う理由は、何でしたか?

ここで1つ、一部実行の全部責任を扱った回で確認したことを思い出してください。共同正犯が、自分がやっていない結果まで責任を負う理由は、何でしたか?相互利用補充関係のもとで、結果に対して物理的または心理的な因果性を及ぼしているから、でした。共同正犯は、結果への因果性があるからこそ責任を負います。だとすれば、その因果性が実際に切れているなら、それ以後の結果について責任を負ういわれはありません。共犯関係の解消とは、この因果性を途中で断ち切れるか、という問題なんです。「もうやめる」という言葉そのものに効果があるのではなく、その言葉によって、実際に因果性が断たれたと言えるかどうかが問題になります。この後、実行の着手の前と後に分けて、その中身を見ていきます。

着手前の解消(原則)——表明と了承

着手前は、表明と了承で足りるのが原則 図:着手前は、表明と了承で足りるのが原則

⭐ 論文で書く規範:着手前の解消(原則) 実行の着手より前であれば、①他の共謀者へ離脱の意思を表明し、②相手がそれを了承したという2点がそろうだけで、共犯関係の解消は原則として肯定される。 (規範(通説で立てる))

実行の着手より前であれば、原則として、2つが揃えば解消が認められます。1つは、他の共謀者に対して、離脱する意思を表明すること。もう1つは、他の共謀者がそれを了承することです。たとえば、まだ実行に着手する前の段階では、共謀者どうしを結びつけているのは、主に「一緒にやろう」という心理的なつながりです。1人が離れる意思をはっきり示し、残りの者もそれを受け止めて自分たちだけで続ける意思を固め直したのなら、その時点で、心理的なつながりはいったん切れたと見てよい、という理屈です。表明も了承も、はっきり言葉にする必要はありません。明示でなくてよく、黙示でもよいとされています。下級審には、黙示でもよいとしたものがあります。たとえば、はっきり「抜ける」と言わずに姿を消した者について、残りの者がそれに気づき、自分たちだけでやると決めて続けたなら、黙って離れ、黙って受け止めた、と評価できる余地がある、ということです。

着手前の解消(例外)——凶器提供者・首謀者

表明と了承だけでは足りない者 図:表明と了承だけでは足りない者

⭐ 論文で書く規範:着手前の解消(例外) 凶器の提供など物理的な影響を及ぼした者や犯罪の首謀者は、表明・了承だけでは足りず、その後の犯行を防止する措置まで取らない限り、解消は認められない。 (規範(通説で立てる))

ただし、この表明・了承だけでは足りない者もいます。犯行に使う凶器を提供した者と、犯罪の首謀者です。たとえば、凶器を提供した者は、心理的なつながりだけでなく、道具という形で物理的な因果性も及ぼしています。凶器がそのまま現場に残っている以上、口で「やめる」と言っただけでは、その物理的な影響は消えません。首謀者は、計画を持ちかけ、他の共謀者を巻き込んだ張本人です。首謀者が生んだ心理的な後押しは、本人が黙ったくらいでは他の共謀者の中から消えないほど強い、と考えられます。凶器を提供した者と首謀者に課される、表明・了承より重い要件が、それ以後の犯行を防止する措置です。凶器を提供した者なら、その凶器を回収すること。首謀者なら、他の共謀者を強く説得して思いとどまらせることが、その例です。表明し、了承されるだけでなく、自分が生んだ因果性を、自分の手で断ち切る行動まで求められるということです。

実は、防止する措置まで求められるのは、凶器を提供した者と首謀者だけではありません。心理的な影響がそれほど強くない、ごく平均的な共謀者であっても、状況次第では、この防止する措置まで必要になることがあります。 では、住居侵入まで済ませたうえで、電話1本で「やめる、先に帰る」とだけ伝えて離れた場合、因果性は遮断されているといえるでしょうか?表明はしていて、相手もそれを聞いています。しかし、住居侵入まで済ませている以上、表明と了承だけでは足りないのではないか、と考えるのが正しい方向です。実際に、この場面が最高裁で争われました。

山場——住居侵入後・強盗着手前の解消

見張り役の電話1本と、その後に残った物理的因果性 図:見張り役の電話1本と、その後に残った物理的因果性

事案はこうです。被告人を含む共犯者数名が、住居に侵入して強盗をすることを共謀しました。共犯者の一部が、家人の在宅する住居に実際に侵入した後、見張り役の共犯者が、住居内にいた共犯者に電話をかけ、「犯行をやめた方がよい、先に帰る」と一方的に伝えました。被告人は、それ以上、それ以後の犯行を防止する措置を取ることなく、見張り役らと一緒にその場を離れました。残された共犯者らは、そのまま強盗を実行しました。強盗の実行、つまり暴行や財物の奪取に着手する前の離脱です。表明もされていますし、住居内の共犯者もその内容を知っています。それでも、最高裁は共犯関係の解消を認めませんでした。

判例最決平21・6・30

決定(住居侵入後・強盗着手前の解消) 被告人が離脱したのは強盗行為に着手する前であり、たとえ被告人も見張り役の上記電話内容を認識した上で離脱し、残された共犯者らが被告人の離脱をその後知るに至ったという事情があったとしても、当初の共謀関係が解消したということはできず、その後の共犯者らの強盗も当初の共謀に基づいて行われたものと認めるのが相当である。

決定文が指摘しているのは、被告人が「格別それ以後の犯行を防止する措置を講ずることなく」離脱した、という点です。因果性の物差しで読み解くと、こう考えられます。仲間の一部がすでに住居に入り込み、侵入口まで確保された状態は、そのまま現場に残っています。電話で伝えて立ち去っただけでは、その状態を作った因果性は断ち切られていない、ということです。住居侵入まで実行済みという具体的な事情があったために、電話で伝えて離れるだけでは足りず、防止する措置まで求められた、と読むことができます。逆に、冒頭の設例で、AとBがまだ住居に入る前、計画を話し合っただけの段階でAが「もうやめる」と伝え、Bもそれを受け止めて自分だけでやると決めたのなら、残っているのは心理的なつながりだけなので、表明と了承で足りるのが原則です。要件は、立場の種類で機械的に決まるのではなく、その時点でどれだけの因果性が残っているかで決まる、ということがよく分かる事案です。

着手前の要件まとめ

着手前の解消の要件 図:着手前の解消の要件

着手前の解消の要件を整理します。原則は、離脱の意思の表明と、他の共謀者による了承の2つです。ただし、凶器を提供した者や首謀者はもちろん、心理的な影響がそれほど強くない、ごく平均的な共謀者であっても、状況次第では、3つ目として、それ以後の犯行を防止する措置まで必要になります。原則2つ、場合によっては3つ目まで、という形です。次は、実行の着手より後に離脱した場合を見ます。

着手後の解消——原則、認めない

着手後は、防止する措置まで要る 図:着手後は、防止する措置まで要る

⭐ 論文で書く規範:着手後の解消 実行の着手後は、表明・了承だけでは足りず、それ以後の犯行を防止する措置まで取ったときに限り、例外的に解消が認められる。 (規範(通説で立てる))

実行に着手した後は、話が変わります。実行の着手により、法益侵害の現実的な危険が、すでに発生しています。ですから、原則として、共犯関係の解消は認められません。着手後は、常に、表明・了承に加えて、それ以後の犯行を防止する措置を講じてはじめて、例外的に解消が認められます。なぜかと言えば、実行に着手した以上、その行為が生んだ危険は、口で「やめる」と言うだけでは消えないからです。凶器提供者や首謀者に求められていたのと同じ、防止する措置が、着手後は全員に求められることになります。着手前の例外が、着手後は原則になる、という関係です。実際に、着手後の解消が争われた判例を見てみます。

判例——実行に着手した後の離脱

「おれ帰る」とだけ言って、防止措置を取らずに立ち去った 図:「おれ帰る」とだけ言って、防止措置を取らずに立ち去った

事案はこうです。AとBは、Vの態度に憤慨し、Vに対して暴行を加える意思を通じ合ったうえで、1時間から1時間半ほどにわたり、竹刀や木刀でVの顔面等に暴行を加えました。Bは現場を立ち去りましたが、その際、「おれ帰る」とだけ言い、それ以上、それ以後の暴行を防止する措置は取りませんでした。その後、Aが単独でさらに暴行を加え、Vは死亡しました。致命傷が、Bが帰る前の暴行によるものか、帰った後のAの暴行によるものかは、証拠上断定できませんでした。決定文の中の「被告人」が、このBです。暴行はすでに始まっていたので、実行の着手後の離脱です。最高裁は、ここでも解消を認めませんでした。

判例最決平1・6・26

決定(実行の着手後の解消) 被告人が帰った時点では、Aにおいてなお制裁を加えるおそれが消滅していなかったのに、被告人において格別これを防止する措置を講ずることなく、成り行きに任せて現場を去ったに過ぎないのであるから、Aとの間の当初の共犯関係が右の時点で解消したということはできず、その後のAの暴行も右の共謀に基づくものと認めるのが相当である。

決定文は、Aによる制裁のおそれが、Bが帰った時点でもまだ消えていなかったことを指摘しています。Bは、そのおそれを取り除く措置を何も取らずに、成り行き任せで立ち去っただけです。実行に着手した後は、これでは足りません。ただし、この決定が判断したのは、防止する措置を何も取らなかった場合です。仮にBが、帰る前にAを押しとどめて暴行をやめさせるなど、制裁のおそれそのものを取り除いていたなら、着手後でも例外的に解消が認められる余地が残る、というのが先ほどの原則と例外の関係です。致命傷がどちらの暴行によるものか分からなくても、結論は変わりません。最高裁は、致命傷がどちらの暴行によるものであっても、結論は同じだと述べています。共犯関係が解消していない以上、Bにも、Aの暴行を含めた結果全体についての責任が及ぶからです。

着手前と着手後を比べる

着手前と着手後の違い——残っている因果性の量で要件が重くなる 図:着手前と着手後の違い——残っている因果性の量で要件が重くなる

着手前と着手後を、まとめて比べます。着手前は、原則として、表明と了承の2つで足ります。防止する措置まで要るのは、凶器提供者や首謀者、または今見たような具体的な事情がある場合だけです。着手後は、これが逆転し、常に、表明・了承に加えて防止する措置まで必要です。そして、この違いを生んでいるのは、要件の種類ではなく、その時点で残っている因果性の量です。着手前の平均的な共謀者は、まだ心理的なつながりだけが残っている段階なので、それを断てば足ります。凶器提供者・首謀者、住居侵入まで済ませていた先ほどの事案、それに着手後は、物理的な因果性や、強い心理的な因果性、あるいは現実の危険がすでに生まれてしまっているので、それを自分の手で断ち切る行動まで要るのです。

解消を認めた後に残る罪

不帰責になっても、不可罰とは限らない 図:不帰責になっても、不可罰とは限らない

共犯関係の解消が認められると、それ以後に他の共謀者がおこなったことや、その結果は、離脱者に帰責されません。ただし、それで離脱者が何の罪にも問われない、とは限りません。なぜなら、解消が断ち切るのは、離れた時点より後の因果性だけだからです。離れる前に自分がしたこと、たとえば一緒に準備したことや、実行に着手したことは、なかったことにはなりません。着手前に解消が認められた場合、離脱者に、実行された犯罪の未遂犯や既遂犯は成立しません。しかし、その犯罪に予備罪の処罰規定があるなら、離脱者について予備罪、またはその共同正犯が成立しないかが、別途問題になります。成立するなら、さらに、未遂の章で見た予備の中止、つまり予備罪が成立した後に実行の着手を任意にやめた場合の扱い、という論点に進みます。この中身は、別の回で扱います。

着手後に解消が認められた場合は、実行の着手がすでにある以上、離脱者には未遂罪の共同正犯が成立するにとどまります。そのうえで、共同正犯の中止未遂が成立しないかが問題になります。これも、別の回で扱います。今日押さえてほしいのは、解消が認められても、それで話が終わるとは限らない、という一点です。

設例の結論——2つのパターン

着手前パターンと着手後パターン、それぞれの結論 図:着手前パターンと着手後パターン、それぞれの結論

冒頭の設例に戻ります。AとBが強盗を共謀し、住居に侵入したところで、Aが「もうやめる、先に帰る」と言って離れ、Bがそのまま強盗を実行したという場面です。まず、Aが実行の着手より前、つまり暴行や財物の奪取に着手する前に離れたパターンを考えます。住居侵入という物理的因果性がすでに現場に残っている以上、表明と了承だけでは因果性は遮断されません。防止する措置を取っていない以上、解消は認められず、Aにも強盗の共同正犯が及びます。実行に着手した後で離れた場合は、なおのこと重い結論になります。実行の着手によって、すでに現実の危険が発生しています。原則として解消は認められず、Aが防止する措置を取らない限り、実行された結果まで責任を負います。

表明し、了承されるだけでは十分でない場面がある、という今日の筋が、この設例にもそのまま当てはまります。なお、この論点は、論文で論点になりうる場面です。

今日の地図(保存版)

今日の到達点 図:今日の到達点

今日を振り返ります。共犯関係の解消は、共同正犯の処罰根拠である因果性を、途中で断ち切れるかという問題でした。着手前は、原則として表明と了承で足りますが、凶器提供者・首謀者、それに具体的な事情によっては、それ以後の犯行を防止する措置まで必要です。実行の着手によって現実の危険がすでに発生している以上、防止する措置を講じない限り、解消は認められません。そして、解消が認められた場合でも、予備罪や、未遂罪の共同正犯といった形で、なお検討すべきことが残ります。すべては、どれだけ因果性が残っているか、という1つの物差しから出てきます。最後に1つ、確かめてください。凶器を仲間に渡した者が、実行の着手前に「抜ける」と伝え、仲間も了承しました。これで共犯関係の解消は認められるでしょうか?

凶器が仲間の手に残っているので、表明と了承だけでは足りません。凶器を回収するなど、防止する措置まで要ります。

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#76単独ページ動画

共謀の射程

第9章 共犯 ⑬/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

受け直し——今日は解消の続きではない

前回の解消と、今日の入口 図:前回の解消と、今日の入口

前回、共犯関係の解消を扱いました。着手前は原則として表明と了承で足り、着手後は防止する措置まで必要になる、という話でした。今日は、共謀の射程を扱います。実は、続きというより、もっと手前に立つ問題です。その前に、1つ確かめます。前回の共犯関係の解消で、着手前に解消が認められるために、最低限必要だった2つの要素は、何だったでしょうか?離脱の意思の表明と、他の共謀者による了承です。今日は、この解消とは別の入口から、似たような場面を見ていきます。設例から入ります。

問題の所在——止めなかった者は、後の行為まで負うのか

AとBは、殴りかかったXに共同で反撃した 図:AとBは、殴りかかったXに共同で反撃した

設例です。AとBは、Xに突然殴りかかられました。2人は身を守るため、共同でXに暴行を加えて反撃しました。

Xが倒れたあとは、Aだけが暴行を続けた 図:Xが倒れたあとは、Aだけが暴行を続けた

やがてXが転倒して、抵抗する様子がなくなりました。侵害は、そこで終了したと見てよい状況です。ところが、Aだけが、恐怖や怒りから、なおもXへの暴行を続けました。Bは、それを止めもせず、ただ見ていました。Aのその部分は、量的過剰防衛になりうる暴行罪です。過剰防衛の回で見た、侵害が収まったのに反撃をやめずに続けた、量的過剰の場面です。なぜ、ここでBまで問題になるんでしょうか。侵害が終わったあと、Bがしたのは、Aを止めなかった、ということだけです。これが、今日の問いにつながります。Bは、Aが続けた暴行について、共同正犯になるのでしょうか。

解消の枠組みで処理すると——違和感

Bに解消の要件を当てはめると 図:Bに解消の要件を当てはめると

Bが取った行動を、前回学んだ解消の枠組みに当てはめてみます。Bは、Aに対して離脱の意思を表明したわけでもなく、防止する措置も何も取っていません。このまま解消の枠組みで押し通すと、Bにも、Aが続けた暴行の共同正犯が成立しそうに見えます。なぜ、これに違和感を覚えるんでしょうか。Bは、Xへの反撃には協力したけれど、そのあとAが1人で続けた暴行までは話し合っていない。その感覚が、今日の出発点です。

鍵の問い——そもそも最初の合意に入っていたか

解消という考え方の前提を問い直す 図:解消という考え方の前提を問い直す

実は、解消という考え方は、ある前提のうえに成り立っています。解消は、いったん成立した共犯関係から、あとで抜けることです。だとすれば、抜ける前提として、その範囲の共犯関係が、最初から成立していたことが必要です。Bは、そもそもその範囲の共犯関係に入っていなかったのではないか。そこを、ABの最初の合意の中身に戻って確かめます。ABが話し合ったのは、何だったでしょうか。Xの侵害から身を守るために、2人で反撃しようという話です。ABが合意したのは、Xの侵害に対する防衛行為という、適法な行為についてだけです。侵害が終わったあとにAが続けた暴行は、防衛にあたらない、違法な行為です。

⭐ 論文で書く規範:適法行為の共謀と違法行為の共謀 共同で行う防衛行為という適法な行為についての共謀と、共同で行う暴行という違法な行為についての共謀とは、規範的にまったく異なるものとして扱われる。 (規範(通説で立てる))

規範的に異なる、というのは、見た目の動作が同じでも、法的な評価としては別物だ、という意味です。たとえば、2人が、暴れる野良犬から近所の子供を守るために、一緒に犬を追い払うことに決めたとします。犬は逃げていき、子供はもう危なくありません。それなのに、1人が頭に血が上って、逃げていく犬をさらに追いかけて棒で叩き続けたとします。もう1人は、追いかけませんでした。なぜ、追いかけなかったほうの人にまで、叩いた責任があるとは言えないのでしょうか。最初に決めたのは、子供を守るために犬を追い払うことだけで、犬が逃げたあとに追いかけて叩くことなんて、話し合いに出ていないからです。これは、途中で抜けた話ではありません。そもそも、最初からその話に入っていなかったんです。

ABの設例も、同じ形をしています。Xの侵害に対する防衛行為についての共謀と、侵害終了後の暴行についての共謀は、規範的に別物ですから、Bの共謀は、後者には及んでいなかった、というべきです。この、共謀がどこまで及ぶかという問題を、共謀の射程と呼びます。ただし、これはあくまで一般論としての整理です。実際に、この場面がどう判断されたか、判例を見てみます。

山場——侵害終了後の暴行と新たな共謀

反撃行為と追撃行為、4人のうち何が起きたか 図:反撃行為と追撃行為、4人のうち何が起きたか

事案はこうです。深夜の路上で、酒に酔った男性Vが、被告人らの仲間の女性の長い髪をつかみ、幹線道路を横断した先の駐車場入口まで引きずり回しました。被告人を含む男性4人は、髪を放させようとして、Vを殴ったり蹴ったりしました。この反撃行為が、最初の場面です。Vは髪を放したあとも悪態をつきながら、なお応戦する気勢を見せて、駐車場の奥へ下がりました。4人は、ほぼ一団となって、Vを追いました。Vはまだ応戦する構えを見せていました。4人のうちの1人を、Cと呼びます。Cは、仲間の殴りかかりを2度、制止しました。ところが、その直後、別の1人であるDが、Vの顔を殴りました。Vは転倒して、頭を打ち、重傷を負いました。これが、追撃行為です。

被告人は、自分では暴行しておらず、制止もしていません。反撃行為には加わりましたが、追撃行為には、ただその場にいただけです。原審は、反撃行為から追撃行為までを一連の行為とみて、被告人にも、過剰防衛による傷害罪の共同正犯を認めました。しかし、最高裁は、これを破棄しました。判断は、2段に分かれます。1段目は、侵害が続いていた間と、侵害が終わったあとを、分けて考えることです。判決は、侵害が続いていた間を、侵害現在時と呼んでいます。2段目は、侵害が終わったあとの暴行について、何を問うかです。

判例最判平6・12・6

侵害現在時と侵害終了後——新たな共謀の要否 相手方の侵害に対し、複数人が共同して防衛行為としての暴行に及び、相手方からの侵害が終了した後に、なおも一部の者が暴行を続けた場合において、後の暴行を加えていない者について正当防衛の成否を検討するに当たっては、侵害現在時と侵害終了後とに分けて考察するのが相当であり、侵害現在時における暴行が正当防衛と認められる場合には、侵害終了後の暴行については、侵害現在時における防衛行為としての暴行の共同意思から離脱したかどうかではなく、新たに共謀が成立したかどうかを検討すべきであって、共謀の成立が認められるときに初めて、侵害現在時及び侵害終了後の一連の行為を全体として考察し、防衛行為としての相当性を検討すべきである。

離脱ではなく、新たな共謀を問う——2段の判断 図:離脱ではなく、新たな共謀を問う——2段の判断

なぜ、離脱ではなく新たな共謀を見るんでしょうか。離脱は、いったん入った関係から抜けたかを見る発想です。判例は、侵害現在時の暴行と、侵害終了後の暴行を、はじめから分けて考えています。そう分ける理由は、さきほどの鍵の問いで見たとおりです。侵害現在時に共にしていたのは、防衛行為という適法な行為についての意思で、侵害終了後の暴行は違法な行為ですから、その意思の中にはもともと入っていません。入っていなかった関係からは、抜けるということ自体が考えられないんです。後者について問うべきは、抜けたかどうかではなく、新たにその暴行についての合意ができたかどうかです。

この事案では、新たな共謀は認められませんでした。共謀共同正犯の成立要件の回で見たとおり、共謀は、現場での瞬間的な意思の連絡でも、言葉にしない黙示のものでも足ります。ただ、この事案では、4人が一団となってVを追ってはいますが、それだけでは、追撃という具体的な暴行についての意思の連絡があったとまでは言い切れません。Cが2度も制止していたことからも、全員が追撃に同意していたとは断定できません。被告人が、追撃のきっかけになったVの罵声を聞いていたという証拠もありません。新たな共謀が認められない以上、被告人は、侵害現在時の反撃行為についてだけ責任を負います。反撃行為は正当防衛ですから、被告人は無罪です。

もし新たな共謀が認められていたら、そのときに初めて、反撃行為から追撃行為までを一連の行為として全体でとらえ、防衛行為として相当だったかを検討します。原審のように全体を一連でとらえるのは、新たな共謀が認められた場合の話、ということです。この判断が使えるのには、前提があります。侵害現在時の暴行が正当防衛と認められる場合、という限定です。最初から違法な暴行を一緒に始めていた場面は、この判断の外にあります。そちらは、このあと整理する順番で考えます。

射程の判断要素——総合考慮

共謀の射程を見分ける4つの物差し 図:共謀の射程を見分ける4つの物差し

今の判例は、この事案に即した判断でした。もう少し一般化して、共謀の射程が及ぶかどうかを、どう見分けるかを整理します。公式というより、物差しです。次の4つを、総合的に考慮して判断する見解があります。

⭐ 論文で書く規範:共謀の射程の判断要素(総合考慮) 当初の共謀と実際の行為との共通性(被害者・行為態様・侵害法益)、関連性(機会の同一性・時間的場所的近接性)、犯意の継続性、動機や目的の共通性などを、総合的に考慮して判断する見解がある。 (規範(有力な見解で立てる))

共謀共同正犯の成立要件の回で、計画の基本的な部分が共通していれば責任が及び、別の犯罪にすり替われば及ばない、と見ました。4つの物差しは、その基本的な部分が共通しているかを、事実から細かく言うための道具です。たとえば、PとQが、空き家に忍び込んで金品を盗むことだけを共謀したとします。現場で、Pが、予想外に家人と鉢合わせして、驚いた家人に暴れられたことに腹を立て、家人に暴行を加えたとします。Qは、離れた場所で見張りをしていて、そのことを知りませんでした。なぜ、この場合は射程が及びにくいと言えるんでしょうか。4つの物差しを、順に当ててみます。まず共通性です。被害者は同じ家人ですが、行為の中身は窃盗と暴行でまったく違います。侵害法益、つまりその罪で侵される利益も、窃盗は財産、暴行は身体の安全で、違います。次に関連性です。同じ家の中の出来事ではありますが、Pが暴行に出たのは、鉢合わせという予想外の出来事がきっかけで、最初の計画とのつながりは薄いといえます。3つ目は犯意の継続性です。金品を盗もうという当初の犯意がそのまま続いたのではなく、暴れられて腹を立てたことで、暴行の犯意が新しく生まれています。4つ目は動機や目的です。当初の目的は金品でしたが、暴行の動機は怒りで、重なっていません。この場合、Qの共謀の射程は窃盗にとどまり、暴行にまでは及ばない、と判断されやすい事案です。被害者が同じでも、それだけでは射程に入りません。1つの要素だけでなく、全体を見て判断します。

振り分けフロー——射程・解消・錯誤

3つの入口を、どの順番で確かめるか 図:3つの入口を、どの順番で確かめるか

ここまでの話を、実際に使える手順として整理します。他の共犯者が、当初と違うことをした、あるいは途中でやめなかった、という場面に出会ったら、どう考えればいいでしょうか。今日と前回で、2つの道具を学びました。まず問うのは、その行為が共謀の射程内かどうかです。射程外なら、その部分については、そもそも共同正犯は成立しません。あとは、新たな共謀が成立していないかだけを確かめます。射程内なら、そこで初めて、前回学んだ共犯関係の解消があるかを問います。射程内であっても、途中で因果性を遮断していれば、その後の結果は帰責されません。

射程内で、解消も認められないときに残るのは、認識と実際に起きたことが食い違う場面、つまり共犯の錯誤の問題です。これは、別の回で扱います。なぜ、この順番を守る必要があるんでしょうか。射程は、最初の共謀による因果性が、どの行為にまで及んでいるかという問題であって、認識のズレを扱う錯誤の問題ではないからです。ここで、解消の枠組みと射程の枠組みを、並べて比べておきます。

解消の枠組みと射程の枠組みの違い 図:解消の枠組みと射程の枠組みの違い

解消の枠組みは、共犯関係がいったん成立していたことを前提に、そこから抜けられたかを問います。射程の枠組みは、そもそも、その行為が最初の合意に含まれていたかを問います。同じ「止めなかった」という事実でも、どちらから問うかで、答えが変わります。だからこそ、他の共犯者がやめなかった場面では、まず射程から確かめる必要があるんです。

設例の結論

Bは無罪、Aだけが暴行罪 図:Bは無罪、Aだけが暴行罪

冒頭の設例に戻ります。AとBがXの侵害に共同で反撃し、侵害が終わったあとにAだけが暴行を続け、Bは何もしなかった、という場面です。ABが最初に合意したのは、Xの侵害に対する防衛行為だけです。侵害終了後の暴行について、Aとあらためて意思を通じ合った事情がない限り、新たな共謀は認められません。なぜ、Bは無罪になるんでしょうか。Bは、Xへの反撃についてだけ責任を負い、それは正当防衛にあたるので不可罰だからです。Aだけが、侵害終了後の暴行について、量的過剰防衛になりうる暴行罪を負います。解消の要件を持ち出す前に、そもそもその行為が共謀に含まれていたかを確かめる。この順番が、今日の核心です。なお、この論点は、論文で論点になりうる場面です。

今日の地図(保存版)

今日の到達点 図:今日の到達点

今日を振り返ります。共犯関係の解消と、共謀の射程は、問う順番が逆でした。解消は、いったん成立した共犯関係から抜けられるかという問題です。射程は、そもそも、その行為が最初の合意に含まれていたかという問題です。判例は、侵害現在時と侵害終了後を分けて、後者については新たな共謀の有無を検討する。今日の言葉で言い直すと、新たな共謀が無い限り、後の行為は当初の共謀の射程外にとどまる、ということです。共通性・関連性・犯意の継続性・動機目的の共通性を総合的に見て射程を判断し、射程内なら解消、それでも帰責されるなら錯誤という順で考えます。最後に1つ、確かめてください。二人が窃盗だけを共謀していて、一方が現場で予想外に被害者へ暴行を加えました。もう一方は、そのことを知りません。もう一方の共謀の射程は、暴行にまで及ぶでしょうか?

被害者は同じでも、行為の中身も、暴行に出たきっかけも違います。ですから、射程は暴行までは及ばないと判断されやすい場面です。

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#77単独ページ動画

共同正犯の中止未遂と身分犯

第9章 共犯 ⑭/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

導入——今日は中止未遂と身分犯の基礎

今日と次回の順番 図:今日と次回の順番

ここからは、共同正犯の中止未遂と、身分犯と共同正犯を見ていきます。身分犯と共同正犯については、65条という条文があります。ただ、65条の中身に入る前に、今日は2つの土台を作ります。1つは共同正犯の中止未遂、もう1つは身分犯の基礎です。中止未遂と身分犯には、実は共通の問いがあります。ある事情が1人の人に生じたとき、その事情は、一緒に犯罪をした他の人にも及ぶのか。今日は、この問いを軸に進めます。先に1つ答えを言っておくと、中止未遂の効果は、やめた本人にしか及びません。身分のほうは、そう簡単には決まらない、というところまで今日見ます。

設例——2人で盗みに入り、1人が翻意した

AとBが空き巣を共謀し、家の中を物色し始めたところで1人が翻意した 図:AとBが空き巣を共謀し、家の中を物色し始めたところで1人が翻意した

設例です。AとBが、空き巣をしようと共謀しました。2人で留守中の住居に侵入し、家の中を物色し始めたところで、Aが怖くなって「もうやめる、先に帰る」と言い、その場を離れました。残ったBは、1人で家の中を探して、金品を持ち去りました。帰ったAが自分の意思でやめたのだから中止未遂になるのではないか——それが、今日の1つ目の問いです。Aは自分の意思でやめています。ですが、中止未遂として扱われるには、もう1つ足りない条件があります。

復習——着手未遂と実行未遂、どちらがより重い行動が必要でしたか

着手未遂と実行未遂の復習 図:着手未遂と実行未遂の復習

以前、中止行為には2つの段階があると学びました。実行行為をやり切る前に手を止めた着手未遂と、実行行為は終えたけれど結果が起きなかった実行未遂です。中止行為として、より重い行動が必要だったのは、どちらでしたか?実行未遂です。中止未遂の回で見たように、実行未遂は放っておけば結果が起きる状態をつくったので、自ら被害者を病院へ運ぶような、結果を防ぐ作為、つまり真摯な努力が必要でした。今日は、この真摯な努力という考え方が、共同正犯だとどう修正されるかを見ます。鍵は、共同正犯では、自分のほかにも実行する人がいる、という点です。

⭐ 論文で書く規範:共同正犯の中止未遂・要件の修正 共同正犯の一人が中止未遂として扱われるには、自己の行為を止めるだけでは足りず、他の共同者の実行行為を阻止し、又は結果の発生を防止しなければならない。 (規範(通説で立てる))

共同正犯の一人が中止未遂として扱われるには、自分の行為を止めるだけでは足りません。他の共同者の実行行為を阻止するか、結果の発生そのものを防がなければなりません。単独犯なら、実行行為をやり切る前に自分の手を止めれば、それで中止行為として足りる場面があります。ですが共同正犯には、他の実行者がいます。自分だけが手を止めても、他の者が実行を続ける限り、結果は起きてしまいます。冒頭の設例に戻ります。Aは「もうやめる」と言って立ち去っただけで、Bが金品を持ち去るのを止めようとはしていません。Bの実行を阻止していませんし、結果の発生も防いでいません。

Aが立ち去らずにBの腕をつかんで家の外へ連れ出し、何も盗まれずに終わった場合は、Bの実行を阻止し、結果の発生も防いでいます。自分の意思でやめたといえれば、Aは中止未遂になりえます。さっきとの違いは、自分がやめたかではなく、仲間の実行まで止めたかです。

中止未遂と、共犯関係の解消は何が違うのか

中止未遂と共犯関係の解消の違い 図:中止未遂と共犯関係の解消の違い

前に学んだ共犯関係の解消と、今日の中止未遂は、何が違うのでしょうか。共犯関係の解消は、実行の着手より前からでも問題になりえます。因果性がまだ及んでいなければ、構成要件に該当する行為そのものが認められなくなる、という問題でした。中止未遂は、実行の着手より後にしか問題になりません。犯罪はいったん成立していて、そのうえで刑を減免してもらえるか、という問題です。根っこにある考え方も、解消は因果性の遮断、中止未遂は責任の減少と、別のものです。冒頭の設例でいえば、物色が始まる前に抜けたなら、問題になるのは解消で、中止未遂の出番はありません。

効果は誰に及ぶか——責任は、人ごとに測る

必要的減免の効果は誰に及ぶか 図:必要的減免の効果は誰に及ぶか

もし、Aが実際にBの実行を阻止するか、結果の発生を防いで、中止未遂として扱われたとします。この場合、必要的減免の効果は、Bにも及ぶでしょうか。中止未遂で刑が必ず減免される根拠は、以前学んだとおり、責任の減少にあります。自分の意思でやめたことで、その人を責める程度が下がる、という理屈です。責任は、1人ずつ個別に判断するものです。だとすれば、責任が減少したと言えるのは、実際に実行を阻止するか結果を防いだ、その本人だけです。

⭐ 論文で書く規範:中止未遂の効果の人的範囲 共同正犯で中止未遂の要件を満たしても、必要的減免という効果は、実際に阻止または結果防止をした本人にだけ生じる。ともに実行した他の者には及ばず、その者は障害未遂にとどまる。 (規範(通説で立てる))

共同正犯で中止未遂が認められても、必要的減免の効果は、中止した者にしか生じません。他の共同者は、実行された犯罪の障害未遂にとどまります。一部実行の全部責任は、結果への責任の話でした。効果の範囲は、それとは別に考えます。結果への因果性は連帯的に及びますが、責任の減少は個別的にしか判断されません。では、自分だけ手を引いて、仲間を止めなかった人はどう扱われるのか。判例を見ておきます。

判例最判昭24・12・17

中止未遂の効果(共同正犯) その共謀者……が……金員を強取することを阻止せず放任した以上、……被告人のみを中止犯として論ずることはできないのであつて、被告人としても……本件強盗既遂の罪責を免れることを得ないのである。

仲間の実行を阻止せず放っておいた以上、自分だけを中止犯として扱うことはできず、仲間が遂げた強盗既遂の責任まで負う、という判断です。止めなければならないのは、自分の行為だけではない、ということです。そして、仲間を止めて中止未遂になれたとしても、刑の減免を受けるのは、止めた本人だけです。

身分犯とは何か——真正身分犯と不真正身分犯

身分犯の分類 図:身分犯の分類

人に付く事情は、中止未遂のほかにもあります。それが身分です。身分犯とは、行為者に一定の身分があることが、構成要件の要素になっている犯罪のことです。ここでいう身分は、職業や地位、あるいは一定の状態のことだと考えてください。例えば、ある施設の会員だけが使える専用ロッカーがあるとします。会員でない人は、そのロッカーを不正に使うという場面自体に、そもそも立てません。身分犯にも、これと同じ発想のものがあります。身分犯は、2つに分かれます。1つは真正身分犯です。身分があってはじめて成立し、身分がなければその犯罪自体が成立しません。もう1つは不真正身分犯です。身分がなくても犯罪は成立しますが、身分があることで刑が重くなったり軽くなったりします。

誰でも入れる公園でゴミを放置すればそれだけの話でも、清掃と管理を任された管理人が同じことをすると管理者としての責任も重なって重くなる、というのに近いイメージです。不真正身分犯は、行為そのものは誰にでもできますが、身分があることで、責任の重さが変わってくる犯罪です。別の呼び方もあります。身分があってはじめて成立する方を構成的身分犯、刑の重さだけを左右する方を加減的身分犯と呼ぶ流儀です。呼び名が変わるだけで、中身は今の定義のままです。

具体例で確かめる——収賄罪・常習賭博罪・保護責任者遺棄罪

真正身分犯と不真正身分犯の比較 図:真正身分犯と不真正身分犯の比較

条文刑法197条1項

収賄罪(197条1項) 公務員が、その職務に関し、賄賂を収受し、又はその要求若しくは約束をしたときは、五年以下の拘禁刑に処する。この場合において、請託を受けたときは、七年以下の拘禁刑に処する。

まず、真正身分犯の例です。収賄罪は、公務員がその職務に関して賄賂を収受したときに成立します。公務員という身分がなければ、収賄罪そのものが成立しません。公務員でない人が同じことをしても、収賄罪にはなりません。収賄罪という枠組み自体に、公務員でない人は入れません。

条文刑法185条・186条1項

賭博罪の基本形と加重形(185条・186条1項) 185条(賭博):賭博をした者は、五十万円以下の罰金又は科料に処する。ただし、一時の娯楽に供する物を賭けたにとどまるときは、この限りでない。 186条1項(常習賭博):常習として賭博をした者は、三年以下の拘禁刑に処する。

次に、不真正身分犯の例です。賭博をした者は、身分がなくても185条の賭博罪が成立します。ですが、賭博の常習者という身分があると、186条1項の常習賭博罪になり、刑が重くなります。

条文刑法217条・218条

遺棄罪の基本形と加重形(217条・218条) 217条(遺棄):老年、幼年、身体障害又は疾病のために扶助を必要とする者を遺棄した者は、一年以下の拘禁刑に処する。 218条(保護責任者遺棄):老年者、幼年者、身体障害者又は病者を保護する責任のある者がこれらの者を遺棄し、又はその生存に必要な保護をしなかったときは、三月以上五年以下の拘禁刑に処する。

もう1つ、同じ形の例があります。要扶助者を遺棄すれば、身分がなくても217条の遺棄罪が成立します。ですが、その人を保護する責任のある者が遺棄すれば、218条の保護責任者遺棄罪になり、刑が重くなります。この違いが、真正身分犯と不真正身分犯を分ける線です。

「身分」の意義——判例の定義

身分の意義 図:身分の意義

ここで、身分という言葉そのものの意味を確認します。日常の感覚だと、身分というと、性別や国籍、公務員という資格くらいをイメージしませんか。ですが、判例・通説は、身分という言葉を、もっと広く解しています。

判例最判昭27・9・19

身分の意義 刑法六五条にいわゆる身分は、男女の性別内外国人の別、親族の関係、公務員たるの資格のような関係のみに限らず、総て一定の犯罪行為に関する犯人の人的関係である特殊の地位又は状態を指称するもの……

判決は、身分を、性別や公務員の資格のような関係に限らず、その犯罪行為に関して犯人が置かれている、特殊の地位または状態のすべてだ、と言っています。公務員という資格のような地位だけでなく、常習者であるとか、保護する責任があるといった状態も、この身分に含まれます。だからこそ、常習賭博罪や保護責任者遺棄罪も、身分犯として扱われます。

目的は身分に含まれるか

目的は身分に含まれるか 図:目的は身分に含まれるか

目的犯の目的がこの身分に含まれるかについては、争いがあります。否定説は、目的のような一時的な主観的事情は身分に含まれない、身分はある程度の継続性を要する事情に限られるべきだ、と考えます。肯定説は、営利目的のような主観的な事情も、犯人の特殊な状態の一つとして身分にあたる、と考えます。判例はこの肯定説の立場を採っています。

判例最判昭42・3・7

営利の目的と身分 ……犯人が営利の目的をもつていたか否かという犯人の特殊な状態の差異によつて、各犯人に科すべき刑に軽重の区別をしているものであつて、刑法六五条二項にいう「身分ニ因リ特ニ刑ノ軽重アルトキ」に当るものと解するのが相当である。

麻薬を輸入した罪で、営利の目的があると刑が重くなる規定について、判例は、営利の目的があるかどうかという犯人の特殊な状態で刑に差を付けているのだから、身分によって刑に軽重がある場合にあたる、としました。判例の定義は、身分に継続性を求めていません。一時的な目的でも、犯人ごとに刑の重さを分けているなら、地位や状態と同じ働きをしているので、身分として扱えるわけです。

問題の所在——身分のない人と共同したら、どうなるか

身分者と非身分者が共同した場合の問い 図:身分者と非身分者が共同した場合の問い

最後に、今日の身分犯の話を、共同正犯とつなげます。身分のある者どうしが共同したときは、特に問題はありません。では、身分のある者と、身分のない者が共同したときは、どうなるでしょうか。つまり、2人のうち1人しか身分を持っていない場合です。例えば、公務員のXと、公務員でないYが、共同して賄賂を収受したとします。Yにも、収賄罪の共同正犯が成立するでしょうか。もう1つ、不真正身分犯の場面もあります。要扶助者を保護する責任のあるXと、責任のないYが、共同してその人を遺棄したとします。Yにも、保護責任者遺棄罪の共同正犯が成立するでしょうか。

この問いに答えるのが65条です。今日のところは、身分という事情が、共同したときに他の人へ及ぶのかどうかが問題になる、という所在だけ押さえてください。

今日の地図(保存版)

今日の到達点 図:今日の到達点

今日を振り返ります。共同正犯の一人が中止未遂として扱われるには、他の共同者の実行行為を阻止するか、結果の発生を防止しなければなりません。その効果は、中止した者についてだけ生じ、他の共同者には及びません。責任は、1人ずつ個別に判断するからです。身分犯は、真正身分犯と不真正身分犯に分かれ、身分という言葉は、判例上、地位だけでなく状態や目的まで含む広い意味で使われていました。最後に、身分のある人とない人が共同したらどうなるか、という問いを立てました。

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#78単独ページ動画

身分犯と共犯

第9章 共犯 ⑮/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

受け——前回の2つの設例をもう一度

前回の2つの設例と、答えを持つ条文 図:前回の2つの設例と、答えを持つ条文

前の回(#77)で、身分犯には2種類あるという話をしました。身分が無いとそもそも成立しない真正身分犯と、身分が無くても成立するが刑だけ動く不真正身分犯です。設例も2つありました。1つは、公務員Xと、公務員でないYが共同で収賄を行った場合。もう1つは、要扶助者を保護する責任のあるXと、責任のないYが共同で遺棄した場合です。どちらの設例でも問題になるのは、身分の無いYがどう扱われるかです。その答えを持っているのが65条です。ただ、この条文、素直に読むと妙なことを言っています。1項は「身分がなくても共犯とする」、2項は「身分がない者には通常の刑を科する」。一方は身分をYにも及ぼし、もう一方は及ぼさない。及ぼす・及ぼさないで、一見すると正反対のこと=矛盾したことを言っているように見えます。

65条の全文——連帯と個別

65条=及ぼす身分と及ぼさない身分 図:65条=及ぼす身分と及ぼさない身分

条文刑法65条

65条 1項「犯人の身分によって構成すべき犯罪行為に加功したときは、身分のない者であっても、共犯とする。」 2項「身分によって特に刑の軽重があるときは、身分のない者には通常の刑を科する。」

これが65条の全文です。1項の「加功」は、犯罪に手を貸して加わることです。1項は身分を及ぼし、2項は及ぼさない——この正反対に見える食い違いを、条文の言葉じたいから解いていきます。1項がわざわざ「構成すべき犯罪行為」と言い、2項がわざわざ「刑の軽重があるとき」と言っている。この言葉の違いに、答えの手がかりがあります。

矛盾をほどく軸——罪を作る身分か、刑を動かす身分か

身分には2つの働き方がある 図:身分には2つの働き方がある

身分には、性質の違う2つの働き方があります。1つは、その身分が無ければ犯罪自体が成立しない、罪を作る身分。これが真正身分犯です。もう1つは、身分が無くても罪は成立するけれど、身分があると刑だけ重く、または軽くなる、刑を動かす身分。これが不真正身分犯です。公務員でなければ収賄罪という犯罪自体が存在しません。これは罪を作る身分です。一方、遺棄は誰がやっても罪になりますが、保護する責任のある人がやると刑が重くなるだけです。これは刑を動かす身分です。この2種類を思い出したうえで、65条を見直してください。1項の「構成すべき犯罪行為」という言葉は、罪を作る身分の話をしています。2項の「刑の軽重があるとき」という言葉は、刑を動かす身分の話をしています。

罪を作る身分は、共同でその罪を実現した以上、身分の無い人にも及びます。刑を動かす身分は、罪の成立そのものには関係ない事情なので、身分の無い人には及びません。ここまでは、1つの喩えで整理できます。ある施設は会員証を持つ人しか入場できません。会員が、会員証を持たない友人を連れて一緒に入ってしまえば、友人も一緒に入場した扱いになります。入場資格が無いことは、共同で実現した事実そのものを消せません。これが1項の連帯です。正社員と、時給制のアルバイトが、一緒に同じ残業をしたとします。正社員が残業すると割増賃金が上乗せされますが、アルバイトには割増が付きません。残業をしたという行為自体は、アルバイトにも起きています。しかし割増、つまり刑の重さの部分は、正社員という身分に紐づいた事情なので、アルバイトには及びません。アルバイトに起きているのは、割増の無い、基本の残業です。これが2項の個別です。

ただし、これは1つの読み方で、1項が不真正身分犯にも及ぶと読む見解もあります。とくに不真正身分犯の設例に当てはめたとき、Yに何罪が成立し、どの刑が科されるか、という具体的な結論の出し方で見解が割れます。

第1の見解——成立と科刑を分けて読む

1項=成立全般、2項=不真正の科刑だけ、と読む見解 図:1項=成立全般、2項=不真正の科刑だけ、と読む見解

1つ目の見解です。1項は、真正身分犯と不真正身分犯を通じて、共犯が「成立」することを定めたもの。2項は、そのうち不真正身分犯について、「科される刑」だけを定めたもの、と読みます。Yには、1項によって、Xと同じ保護責任者遺棄罪の共犯が成立します。そのうえで、2項によって、科される刑だけが軽い方、つまり単純遺棄罪の刑になります。この見解には、批判があります。共犯の成立と、実際に科される刑を、条文の別々の項に分けて決めるという発想自体が、不自然だという批判です。罪の名前は、本来その罪の刑とセットで決まるはずなので、重い罪の名前に軽い罪の刑だけを付けると、罪と刑の結びつきが切れてしまう、という理由です。この批判を踏まえて、次の見解が出てきます。

では、1項と2項、それぞれの言葉はどちらの身分犯を指すと読むのが自然でしょうか? 図:では、1項と2項、それぞれの言葉はどちらの身分犯を指すと読むのが自然でしょうか?

ここで1つ、考えてみてください。1項の「構成すべき犯罪行為」という言葉と、2項の「刑の軽重があるとき」という言葉。それぞれ、真正身分犯と不真正身分犯のうち、どちらの姿を書いていると見るのが素直でしょうか?

「構成すべき犯罪行為」は罪を作る身分の話だから、真正身分犯。「刑の軽重があるとき」は刑を動かす身分の話だから、不真正身分犯。この読み方が、そのまま判例・通説の立場になります。

判例・通説——1項は真正、2項は不真正、で通す見解

1項=真正身分犯、2項=不真正身分犯、で分ける見解 図:1項=真正身分犯、2項=不真正身分犯、で分ける見解

⭐ 論文で書く規範:65条の趣旨——1項と2項の関係 65条1項は真正身分犯について、身分のない者も共犯としてこれに加功しうること(共犯の成立と科刑)を定めたものであり、2項は不真正身分犯について、身分のない者には通常の刑を科すること(共犯の成立と科刑)を定めたものと解する。1項が言う「身分によって構成すべき犯罪行為」は真正身分犯の場面を、2項が言う「身分によって特に刑の軽重があるとき」は不真正身分犯の場面を指しており、条文の言葉づかいに沿えばそう読むのが素直だからである。 (規範(判例・通説で立てる))

判例・通説の見解です。1項は真正身分犯について、成立と科刑をまとめて定めたもの。2項は不真正身分犯について、成立と科刑をまとめて定めたもの、と読みます。理由は、上の問いで確かめたとおり、条文の言葉が文言上そう読むのが自然だからです。不真正身分犯の設例では、結論が変わります。この見解では、Yに最初から成立するのは、単純遺棄罪です。重い方の罪がいったん成立して刑だけ軽くなる、という中間状態を経ません。そのうえで、その刑が科されます。真正身分犯の設例では、1つ目の見解と結論は変わりません。Yにも、1項によって収賄罪の共犯が成立します。結論が割れるのは、不真正身分犯のほうだけです。少なくとも、不真正身分犯の身分のない共犯者には2項を当てる、という点で、この読み方に沿う判例があります。

ある不真正身分犯について、最高裁が示した判断 図:ある不真正身分犯について、最高裁が示した判断

ある不真正身分犯が問題になった事件です。身分のある者と、身分のない共犯者が一緒にその罪を行い、第一審は、身分のない共犯者についても、加重された罪の規定と1項を適用条文として示していました。つまり第一審は1項を使ったわけですが、最高裁は、第一審が1項を使ったことを違法だとしました。判断の中身を見ます。

判例最判昭31・5・24

判断(不真正身分犯の共犯に適用すべき項) ……の罪は犯人の身分により特に構成すべき犯罪ではなく単に……身分あるがため特にその刑を加重するに過ぎないものであるから……共犯者に対しては刑法六五条二項によつて処断すべきものと解するを相当とする。

この罪は、身分によって特に構成される犯罪、つまり罪を作る身分の犯罪ではなく、単に刑を加重するに過ぎない、つまり刑を動かす身分の犯罪だ、と最高裁は言っています。だから、身分のない共犯者には1項ではなく、2項を適用して処断すべき、つまり2項に従って処罰を決めるべきだ、という判断です。今日整理してきた、罪を作る身分か、刑を動かす身分か、という軸そのものが、この判断の物差しになっています。

違法身分・責任身分の見解——連帯と個別の原理から説明する

前回までの標語を思い出してください 図:前回までの標語を思い出してください

ここで、共犯の従属性を学んだ回の標語を思い出してください。制限従属性説では、違法性と責任、共犯者の間でどちらが連帯し、どちらが個別に判断されるのでしたか?「違法は連帯的に、責任は個別的に」でした。違法性は連帯して、責任は個別に判断する、という原理です。3つ目の見解は、この原理を身分にそのまま当てはめ直します。

1項=違法身分、2項=責任身分、で分ける見解 図:1項=違法身分、2項=責任身分、で分ける見解

この見解では、1項は違法身分、つまり違法性が連帯する身分を定めたもの。2項は責任身分、つまり責任が個別に判断される身分を定めたもの、と読みます。「違法は連帯的に、責任は個別的に」という、共犯の従属性の回で立てた原理と整合するのが魅力です。多くの場面では、真正身分犯の身分は違法身分、不真正身分犯の身分は責任身分、と重なって、結論も同じになります。ただし、この見解には課題があります。ある身分が、違法身分なのか責任身分なのか、判定自体が難しい場面があるからです。常習として賭博を行うと刑が加重される、前の回(#77)で不真正身分犯の例として出した常習賭博罪を思い出してください。この「常習性」という身分は、賭博を繰り返す危険な性格を通じて、法益侵害の可能性そのものを高める事情だと見れば、違法身分です。一方で、常習性は行為者本人の非難の程度、つまり責任の重さに関わる事情だと見れば、責任身分です。同じ常習性という1つの身分でも、見る角度によって、違法身分にも責任身分にも読めてしまいます。

ここまで聞くと、真正身分犯か不真正身分犯かという区別のほうがまだ分かりやすい、と感じるかもしれません。その感覚は、この見解への批判の中身とよく合っています。違法身分・責任身分という切り口は、原理としては筋が通っていますが、実際の当てはめでは、真正/不真正という切り口ほど、答えが一意に決まりにくい場合がある、ということです。

山場——同じ2設例に3つの見解を当てる

結論が割れるのは、どこか1点だけ 図:結論が割れるのは、どこか1点だけ

今日見た3つの見解を、冒頭の2つの設例に並べて当ててみます。真正身分犯の設例、公務員Xと非公務員Yが共同で収賄を行った場合、3つの見解のどれでも、Yには収賄罪の共犯が成立し、収賄罪の刑が科されます。ここは割れません。要扶助者を保護する責任のあるXと、責任のないYが共同で遺棄した場合、第1の見解では、Yに保護責任者遺棄罪が成立しつつ、単純遺棄罪の刑が科されます。判例・通説と、違法身分・責任身分の見解では、Yに成立するのは最初から単純遺棄罪であり、その刑も単純遺棄罪の刑です。刑の重さという結果は、どの見解でも同じ、単純遺棄罪の刑です。割れているのは、成立する罪の名前が、保護責任者遺棄罪なのか、単純遺棄罪なのか、という1点だけです。今日の軸に戻ると、これは、成立と科刑を条文の別々の項に分けて読むか、分けずに読むか、という出発点の違いから生まれています。

次への橋

今日の前提の中に、まだ争いがある 図:今日の前提の中に、まだ争いがある

今日は、65条1項の「共犯」に共同正犯も含まれることを前提に話してきました。実は、この前提自体にも争いがあります。それに、業務上横領のように、身分を2つ重ねて持つ罪と共犯の関係も、別に問題になります。

今日の地図(保存版)

今日の到達点 図:今日の到達点

今日を振り返ります。65条は、矛盾しているのではなく、罪を作る身分の話(1項)と、刑を動かす身分の話(2項)を書き分けていました。第1の見解は、成立と科刑を分けて読みますが、この分離が不自然だという批判があります。判例・通説は、1項を真正身分犯、2項を不真正身分犯にきっちり分けて、成立と科刑をずらさない読み方で、条文の言葉に最も素直な読み方です。違法身分・責任身分の見解は、これまでの連帯・個別の原理と重なる魅力がありますが、常習性のように、違法身分か責任身分か判定が難しい身分もあります。結局、3つの見解で結論が割れるのは、不真正身分犯でYに成立する罪の名前、という1点だけでした。

最後に1つ確かめてください。ある不真正身分犯で、判例・通説に立つとき、身分のない共犯者に最初から成立するのは、身分者と同じ重い罪でしょうか、それとも身分の無い方の軽い罪でしょうか?

判例・通説では、成立と科刑を分けないので、最初から軽い方の罪が成立します。

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#79単独ページ動画

身分犯の共同正犯と業務上横領

第9章 共犯 ⑯/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

前回の結論と、今日の2つの問い

前回の結論と、今日の2つの問い 図:前回の結論と、今日の2つの問い

前提の確認です。65条1項は真正身分犯の共犯の成立と科刑を、2項は不真正身分犯の共犯の成立と科刑を定めたものと読みます(判例・通説)。そう読める理由は条文の言葉の違いにあります。1項は「身分によって構成すべき犯罪行為」、つまり身分が罪そのものを作る場合を書き、2項は「身分によって特に刑の軽重があるとき」、つまり身分が刑の重さだけを動かす場合を書いている、からです。この回では、ここまで当然のように使ってきた「1項は共同正犯にも使える」という前提そのものを問い直します。

会社の経理を任されている人が、部外者の友人と組んで、預かっているお金を使い込んだ場合、友人のほうは何の罪になるのか——まさにそれが、今日の後半のテーマです。経理担当者のように会社のお金を預かっている人は、業務上横領罪という重い罪になります。では、お金を預かってすらいない友人は、どうなるのか。先に答えの形だけ言うと、友人に科される刑は、どの考え方でも単純横領罪の刑です。割れるのは、成立する罪の名前のほうです。答えを出すには、まず1項の「共犯」という言葉の中身を確定させる必要があります。

問題の所在——65条1項の「共犯」に共同正犯は含まれるか

65条の全文と、今日の争点 図:65条の全文と、今日の争点

条文刑法65条

65条 1項「犯人の身分によって構成すべき犯罪行為に加功したときは、身分のない者であっても、共犯とする。」 2項「身分によって特に刑の軽重があるときは、身分のない者には通常の刑を科する。」

これまで、1項は共同正犯にも使えるという前提で話を進めてきました。ですが、1項の条文をよく見ると、そこにあるのは「共犯とする」という言葉だけです。「共犯」を、教唆犯・幇助犯だけを指す狭い意味で読むのか、共同正犯まで含む広い意味で読むのかで、結論が変わります。ここに、否定説と肯定説の対立があります。

否定説——「共犯」は教唆・幇助に限る

否定説の理由——無身分者は実行行為をなしえない 図:否定説の理由——無身分者は実行行為をなしえない

否定説は、65条1項の「共犯」を、教唆犯・幇助犯に限定します。理由は、真正身分犯の実行行為は、身分のある者にしかできないという点にあります。身分のない者が、身分犯の実行行為そのものを行ったとは言えない以上、正犯である共同正犯にはなれない、という発想です。

肯定説(判例・多数説)——利用による因果性

肯定説の理由——利用して因果性を及ぼす 図:肯定説の理由——利用して因果性を及ぼす

これに対して、判例・多数説である肯定説は、1項の「共犯」の範囲に共同正犯も入ると考えます。根拠は、身分のない者であっても、身分のある者の行為を通じて、真正身分犯が守ろうとする利益を侵害することはできる、という点にあります。たとえば、公道を走れるのは、運転免許を持つ人だけです。免許のない人が、免許を持つ人の隣に座り、一緒にハンドルを握って危険な運転をしたとします。免許のない人は、自分では「免許を持つ者による運転」という行為そのものはできませんが、免許を持つ人の運転を利用して、危険という結果を一緒に作り出しています。だから、免許のない人も、その運転に加わった者として扱ってよいはずです。

この発想は、共同正犯の処罰根拠と同じです。共同正犯が自分ではやっていない結果まで責任を負うのは、相互利用補充関係のもとで、結果に物理的または心理的な因果性を及ぼしているからです。相互利用補充関係とは、互いに相手の行為を自分の計画に組み込み、自分1人では足りない部分を相手に埋めてもらう関係をいいます。共同正犯として責任を負う根拠が、自分の手で実行行為をやることではなく、この関係を通じて結果に因果性を及ぼすことにあるなら、身分のない者が身分のある者を利用して因果性を及ぼしている以上、共同正犯として扱わない理由がありません。

⭐ 論文で書く規範:肯定説(判例・多数説) 身分のない者であっても、身分のある者の行為を通じて、真正身分犯が守ろうとする利益を侵害することはできる。だとすれば、65条1項の「共犯」は、教唆犯・幇助犯に限られず共同正犯まで含むと解すべきである。 (規範(判例で立てる))

判例——旧強姦罪と身分のない共犯者

当時の強姦罪は、行為の主体が男性に限られていた 図:当時の強姦罪は、行為の主体が男性に限られていた

この肯定説を採ったのが、次の判例です。当時の強姦罪は、行為の主体が男性に限られる真正身分犯でした。現行の177条、不同意性交等罪は主体の限定がなく、身分犯ではありません。今日扱う判例は、あくまで当時の規定についての判断です。女性が男性と共謀して、被害者に強姦行為に及んだという事案で、女性に共同正犯が成立するかが争われました。

判例最決昭40・3・30

決定(65条1項の「共犯」と共同正犯) 強姦罪は、その行為の主体が男性に限られるから、刑法六五条一項にいわゆる犯人の身分に因り構成すべき犯罪に該当するものであるが、身分のない者も、身分のある者の行為を利用することによつて、強姦罪の保護法益を侵害することができるから、身分のない者が、身分のある者と共謀して、その犯罪行為に加功すれば、同法六五条一項により、強姦罪の共同正犯が成立すると解すべきである。

身分のある者の行為を利用して保護法益を侵害できる、という理由をそのまま述べたうえで、身分のない者にも65条1項によって共同正犯が成立すると結論づけています。1項の「共犯」には共同正犯が含まれる——以下は、この結論を前提にした業務上横領罪の場面です。

業務上横領罪の構造——二重の身分

253条には、2つの身分が重なっている 図:253条には、2つの身分が重なっている

条文刑法252条1項

横領(252条1項) 自己の占有する他人の物を横領した者は、五年以下の拘禁刑に処する。

条文刑法253条

業務上横領(253条) 業務上自己の占有する他人の物を横領した者は、十年以下の拘禁刑に処する。

舞台を変えます。会社の経理担当者が、預かっているお金を使い込んだ場面です。単純横領罪、252条1項は、自分が占有している他人の物を横領した者を処罰します。占有者でなければ、そもそもこの罪は成立しません。占有者であることは真正身分です。253条は、その占有が業務上のものであれば、刑を10年以下に引き上げます。業務者であることは、なくても252条は成立するので、刑を加重するだけの不真正身分です。253条には、占有者という真正身分と、業務者という不真正身分が、1つの条文の中に重なっています。

非占有者の罪責——判例の考え方

経理担当者と、部外者の友人 図:経理担当者と、部外者の友人

冒頭の問い(経理担当者と部外者の友人)に戻ります。経理担当者を、業務上の占有者としてF、お金を預かってすらいない部外者の友人をCと置きます。CがFと共謀して、Fが保管するお金を一緒に使い込んだ場合、Cの罪責はどうなるでしょうか。Cは占有者でも業務者でもないのだから単純横領罪の共同正犯になる、と考えるのは、後で見る「対する考え方」の結論です。これに対し、判例はもう少し込み入った処理をします。判例は、65条の一般論、成立と科刑を分けないという建前を保ちながら、業務上横領罪の場面についてだけ、成立と科刑をあえて分離します。理由は、業務上の占有者という身分を、253条という1つの罪を作る1つの身分としてまとめて扱うからです。まとめた身分で罪名を決めるので1項で253条が成立し、253条は業務者の刑を重くする規定でもあるので、刑だけを2項で動かします。

⭐ 論文で書く規範:判例の考え方(業務上の占有者に加功した非占有者) 非占有者が業務上の占有者と共同して横領した場合、65条1項により業務上横領罪(253条)の共同正犯が成立する。しかし、業務者たる身分のない者に対しては、同条2項により単純横領罪(252条1項)の刑を科すべきである。 (規範(最判で立てる))

Cには、業務上横領罪の共同正犯という罪名が成立しますが、実際に科される刑は、単純横領罪の刑にとどまります。

判例——村長・助役と収入役の横領

村長と助役が、収入役の保管する寄附金を横領した 図:村長と助役が、収入役の保管する寄附金を横領した

この処理を示したのが、次の判例です。村長Cと助役D、どちらも占有者でも業務者でもない立場の2人が、学校建設資金の寄附金を業務上保管していた収入役Fと共謀し、その保管金を一緒に使い込んで横領しました。

判例最判昭32・11・19

判決(業務上の占有者に加功した非占有者の罪責) 被告人両名はかかる業務に従事していたことは認められないから、刑法六五条一項により同法二五三条に該当する業務上横領罪の共同正犯として論ずべきものである。しかし、同法二五三条は横領罪の犯人が業務上物を占有する場合において、とくに重い刑を科することを規定したものであるから、業務上物の占有者たる身分のない被告人両名に対しては同法六五条二項により同法二五二条一項の通常の横領罪の刑を科すべきものである。

判例は、先ほど見たとおり、業務上の占有者という身分を、253条という1つの罪を作る1つの身分としてまとめて扱います。だから、身分のない村長と助役にも、まず1項で業務上横領罪の共同正犯という罪名を成立させます。そのうえで、判決が述べるとおり253条は業務者について刑を重くする規定でもあるので、刑の部分だけを2項で単純横領罪の刑に落とすのです。

対する考え方——身分を分けて当てはめる

占有者と業務者を、最初から2つに割る 図:占有者と業務者を、最初から2つに割る

対する考え方は、業務上横領罪について判例のような特殊な扱いをする必要はないと考えます。占有者という身分と、業務者という身分を最初から2つに分け、真正身分である占有者の点でのみ1項を適用し、不真正身分である業務者の点は2項を適用します。占有者という真正身分の点は、1項でCにも及びます。一方、業務者という不真正身分の点は、2項でCには及びません。だから、Cには端的に単純横領罪の共同正犯が成立し、業務上横領罪の成立自体は認めません。

判例と対する考え方の緊張関係

一般論では分けないのに、ここだけ分けている 図:一般論では分けないのに、ここだけ分けている

ここが試験でのひっかけどころです。判例は、一般論としては成立と科刑を分離しないという建前を保ちながら、業務上横領罪という二重の身分の場面についてだけ、成立と科刑を分離しています。対する考え方は、この緊張を、身分を占有者・業務者の2つに割って個別に65条を当てはめれば、そもそも分離という特殊な操作をしなくて済む、という形で解消します。

山場——3人の登場人物を同じ物差しで処理する

占有者だが業務者でない者は、どちらの考え方でも結論は同じか 図:占有者だが業務者でない者は、どちらの考え方でも結論は同じか

ここで、もう1人登場させます。知人から、旅行の間だけ私物のカメラを個人的に預かった隣人Gです。Gは占有者ですが、仕事として他人のものを預かる業務者ではありません。Gが、そのカメラを一人で売ってしまった場合、判例と対する考え方とで、罪名・刑は同じになるかを確かめます。

F(業務上の占有者)・G(占有者のみ)・C(非占有者)の3段表 図:F(業務上の占有者)・G(占有者のみ)・C(非占有者)の3段表

Gについては、判例でも対する考え方でも、253条は成立せず、252条1項の単独正犯で一致します。Gは一人で横領しているので、身分のない者が加わったときに働く65条の出番がそもそも無く、業務者でないGには253条の重い刑の要件が欠けるだけだからです。考え方が割れるのは、身分のない者が加わったときだけです。Cについては、判例では253条の共同正犯が成立し、刑は252条1項の刑。対する考え方では、最初から252条1項の共同正犯が成立し、刑も252条1項の刑です。罪名だけが違い、科される刑はどちらも単純横領罪の刑で同じになります。

ここが、業務上横領罪をめぐる論点の核心です。1つの身分としてまとめて扱うか、2つに割って当てはめるかで、成立する罪名は変わりますが、非占有者が実際に受ける刑は、どちらの考え方でも変わりません。

今日の地図(保存版)

今日の到達点——身分犯の振り分けフロー 図:今日の到達点——身分犯の振り分けフロー

今日を振り返ります。65条1項の「共犯」には、共同正犯も含まれます。身分のない者も、身分のある者の行為を利用して、結果に因果性を及ぼしているからです。非占有者の罪責をめぐっては、判例が成立と科刑をあえて分ける考え方を採り、対する考え方は身分を2つに割って個別に当てはめます。どちらの考え方でも、非占有者が実際に受ける刑は、単純横領罪の刑で変わりません。身分犯と共同正犯については、これで一区切りです。

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#80単独ページ動画

予備罪の共同正犯

第9章 共犯 ⑰/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

前回の受けと、今日の問い

前回の予告と、今日の問い 図:前回の予告と、今日の問い

この回は、予備罪の共同正犯を扱います(不作為犯の共同正犯は次回)。2人がそれぞれ殺人の目的で一緒に準備をしただけで、まだ誰も実行に着手していないとき、2人は「共同して犯罪を実行した」と言えるのか——これがこの回の問いです。結論は、2人とも殺人予備罪の共同正犯になります。以下、予備罪とは何だったかを確認したうえで、その理由を1本の筋でたどります。

予備罪の受け——自己予備と他人予備

自己予備と他人予備 図:自己予備と他人予備

予備罪は、特定の犯罪を実行する目的で、その準備行為をすることを罰する犯罪です。自分で実行する目的で準備することを自己予備、他人に実行させる目的で準備することを他人予備と呼びます。他人予備も予備罪になるかには対立があり、以下でその結論を示します。

条文刑法201条

刑法201条(殺人予備) 第百九十九条の罪を犯す目的で、その予備をした者は、二年以下の拘禁刑に処する。ただし、情状により、その刑を免除することができる。

結論を決めるのは、「第百九十九条の罪を犯す目的で」という書き方です。

他人予備は原則として不成立——結論

他人予備は原則として予備罪不成立 図:他人予備は原則として予備罪不成立

201条の「その罪を犯す目的で」は、文理上、自分が殺人罪を犯す目的、と読むのが自然です。だから、多数説は、他人予備の場合には予備罪はいっさい成立しないと考えます。他人に人を殺させるつもりで凶器を用意しただけの人は、201条の予備には当たらない、ということです。自分では実行しないというだけで、201条の予備罪にはならない。条文がそう書かれている以上、そう読むことになります。ただし、すべての予備罪が同じ書き方ではありません。内乱予備罪や外患予備罪のように、「〜の罪を犯す目的で」という限定が付いていない予備罪については、他人予備も含みうるとする見解もあります。

問題の所在——予備行為は60条の「実行」か

一部実行の全部責任の根拠は、何だったか 図:一部実行の全部責任の根拠は、何だったか

前提として、共同正犯が一部実行の全部責任という重い効果を負わされる根拠を確認しておきます。それは、相互利用補充関係のもとで、結果に物理的または心理的な因果性を及ぼしていることです。この根拠を踏まえて、次の設例を考えます。

AとBが、それぞれ殺人の目的で、一緒に刃物を買った 図:AとBが、それぞれ殺人の目的で、一緒に刃物を買った

AもBも、自分の手でその人を殺すつもりで、2人そろって刃物を買いに行ったとします。AにもBにも、1人ずつ見ても殺人予備罪が成立することに、争いはありません。問題は、この2つの予備罪が、共同正犯の関係に立つかです。このように全員に単独犯として予備罪が成立する場面では、共同正犯を認めても結論の重さはあまり変わりません。それでも、共同正犯になるかどうかの理屈そのものが、後で述べる実益の場面の前提になります。

条文刑法60条

刑法60条 二人以上共同して犯罪を実行した者は、すべて正犯とする。

この2つの予備罪が共同正犯の関係に立つかは、60条の「実行」に、予備行為が含まれるかという問題に置き換わります。ここに、否定説と肯定説の対立があります。

否定説——予備行為は実行行為ではない

否定説の理由——実行行為の概念が空疎になる 図:否定説の理由——実行行為の概念が空疎になる

否定説は、予備行為は実行行為ではないので、予備罪の共同正犯は成立しないと考えます。理由は、実行行為という概念が、殺人罪や窃盗罪のような基本的構成要件、つまり本来の犯罪行為の類型に裏打ちされて初めて中身を持つ、という点にあります。予備のように定型性が希薄な行為、つまり刃物を買う、下見に行くといった、それだけ見ても殺人の形をしていない行為まで実行行為に含めてしまうと、実行行為という概念そのものが空っぽになってしまいます。

条文刑法43条

刑法43条 犯罪の実行に着手してこれを遂げなかった者は、その刑を減軽することができる。ただし、自己の意思により犯罪を中止したときは、その刑を減軽し、又は免除する。

条文刑法44条

刑法44条 未遂を罰する場合は、各本条で定める。

否定説の根っこは、43条にも「実行」という言葉が使われていることです。43条の「実行」が指すのは、199条の殺人罪のような、本来の構成要件に当たる行為だけです。もし予備行為まで実行行為に含めてよいなら、同じ理屈で43条の「実行」にも予備行為が含まれることになり、「予備罪の未遂」という、体系上ありえないものが出てきてしまいます。だから、条文の言葉の読み方を法律全体でそろえるなら、60条の「実行」も、43条の「実行」と同じ意味に絞るべきだ、というのが否定説の発想です。

肯定説——予備罪も条文に置かれた1つの犯罪

肯定説の理由——予備罪も条文に置かれた1つの犯罪 図:肯定説の理由——予備罪も条文に置かれた1つの犯罪

これに対して肯定説は、予備罪の共同正犯を認めます。否定説は、実行行為の中身を支えられるのは、殺人罪のような基本的構成要件だけだと考えました。肯定説は、そこを考え直します。201条は、未遂の章で見たとおり、199条にぶら下がる形の従属予備罪です。それでも201条は、殺人の目的で準備をする、という行為の型を条文に書き込み、刑罰を定めています。条文が行為の型を定めて罰している以上、その型に当たる行為は、殺人予備罪という罪の実行行為と見てよいはずです。ここで言っているのは、153条のような独立予備罪だという意味ではありません。従属予備罪でも、処罰規定として置かれた1つの犯罪だ、という意味です。

肯定説でも、予備罪の未遂は認めません。予備行為を、60条の「実行」には入れても、43条の「実行」には入れないからです。この読み分けが許される理由は、次の節で説明します。

山場——同じ「実行」でも、条文の役割が違う

43条の「実行」と60条の「実行」、同じ意味だと思いますか? 図:43条の「実行」と60条の「実行」、同じ意味だと思いますか?

鍵になるのは、43条の「実行」と60条の「実行」が同じ意味でなければならないか、という問いです。答えは、同じ意味である必要はない、です。

43条と60条——同じ「実行」でも、担っている仕事が違う 図:43条と60条——同じ「実行」でも、担っている仕事が違う

同じ漢字が使われているので、同じ意味にそろえたくなります。しかし、2つの条文で「実行」が担っている仕事を比べると、違いが見えてきます。43条の「実行」の仕事は、予備と未遂の間に線を引くことです。この線を予備の側にずらして、予備行為まで含めてしまうと、否定説が心配したとおり、予備罪にまで未遂が生まれるという、体系の壊れた話になります。だから、43条の「実行」は、本来の構成要件に当たる行為だけに絞っておく必要があります。60条の「実行」の仕事は、共同正犯として全部の責任を負わせてよい根拠を示すことです。その根拠は、相互利用補充関係のもとで結果に因果性を及ぼしたことにありました。予備罪も条文に書き込まれた1つの犯罪である以上、それを共同で実現する行為は、この因果性の物差しに乗ります。43条と60条は、そもそも別の質問に答えている言葉です。「予備と未遂の境界はどこか」と、「共同正犯になるための行為とは何か」は、別の問いですから、答えがそろう必要はありません。学校の「出席」で考えてみてください。遅刻かどうかを決めるときは、チャイムの瞬間に教室にいたかで線を引くので、1分遅れた人は入りません。一方、文化祭の準備に何人来てくれたかを数えるときは、途中から来た人も出席に数えます。同じ「出席」でも、線を引く仕事と、人数をそろえる仕事とでは、数える範囲が違います。

だから肯定説は、43条の「実行」は本来の構成要件に当たる行為に絞りつつ、60条の「実行」には、条文に1つの犯罪として置かれた予備罪に当たる行為も入れてよい、と考えます。冒頭のAとBは、それぞれ殺人罪を犯す目的で一緒に刃物を購入していて、これは共同で行われた予備行為なので、60条の「実行」にあたります。したがって、AB2人には、殺人予備罪の共同正犯が成立します。ただし、同じ刃物の購入でも、43条の「実行」には当たりません。ですから、2人がこの段階で捕まっても、殺人未遂にはならず、殺人予備罪の共同正犯にとどまります。

⭐ 論文で書く規範:肯定説(予備罪の共同正犯の成否) 予備罪は、201条のように各本条が1つの犯罪として定めている以上、その予備行為も、その罪の構成要件を実現する実行行為と見てよい。43条の「実行」は予備と未遂の間に線を引く言葉、60条の「実行」は共同正犯として全部の責任を負わせる根拠を示す言葉で、役割が違うから範囲をそろえる必要はない。よって、予備行為も60条の「実行」にあたり、予備罪の共同正犯は成立する。 (規範(対立型・肯定説/最決昭37・11・8参照))

実益はどこに出るか

実益が出るのは、目的を持たない者が加わったとき 図:実益が出るのは、目的を持たない者が加わったとき

この回の設例のように、AもBも自分で実行する目的を持っている場面では、共同正犯を認めても、各自が予備罪の責任を負うという結論の重さ自体は、あまり変わりません。実益が出るのは、自分では実行せず、他人に実行させる目的で、準備行為だけに加わった人がいる場合です。単独犯としては他人予備、つまり原則不成立のはずのその人に、共同正犯という形で予備罪の責任を負わせられないか、という問題になります。また、共謀した仲間から実行の着手より前に抜ける場面(着手前の共犯関係の解消)では、抜けた人(離脱者)には仲間が実行した犯罪の未遂や既遂は成立しないが、その犯罪に予備罪の処罰規定があるなら、予備罪、またはその共同正犯が成立しないかを別途検討します。この検討も、「予備罪の共同正犯はありうる」という結論を前提にしています。

今日の地図(保存版)

今日の到達点 図:今日の到達点

他人予備は、原則として予備罪が成立しません。201条のように「〜の罪を犯す目的で」と書かれた予備罪は、文理上、自己予備の場合に限られるからです。各自に単独で予備罪が成立する場合、予備罪の共同正犯は成立します(肯定説)。予備罪も条文に書き込まれた1つの犯罪である以上、その予備行為も実行行為と見てよいからです。ポイントは、「同じ言葉だから同じ意味のはず」という思い込みを外して、条文ごとの役割から読むことです。

43条の「実行」と60条の「実行」が同じ意味である必要はありません。43条の「実行」は予備と未遂の間に線を引く言葉、60条の「実行」は全部の責任を負わせる根拠を示す言葉で、そもそも別の質問に答えているからです。答える問いが違う以上、範囲がそろわなくても、何もおかしくありません。

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#81単独ページ動画

目的のない者と予備罪・不作為犯の共同正犯

第9章 共犯 ⑱/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

前回の受けと今日の問い

前回の結論と、今日の問い 図:前回の結論と、今日の問い

前回、予備罪の共同正犯はそもそも成立しうると結論づけました。ただしその設例は、AもBも、それぞれ自分で殺す目的を持って一緒に準備していた場合でした。この回は、自分では目的を持たない者が準備行為に加わった場合を扱います。予備罪の共同正犯を認める実益が出るのは、この場面です。

設例——目的を持たない者が準備行為に加わる

Aは目的を持たず、Bは殺す目的を持つ 図:Aは目的を持たず、Bは殺す目的を持つ

自分では人を殺す目的を持たないAが、殺す目的を持つBと相談したうえで、Bのために拳銃を渡したとします。Bには、単独でも殺人予備罪が成立します。201条の「その罪を犯す目的で」は、自分が殺人罪を犯す目的と読むのが自然なので、他人予備には予備罪が成立しないと考えるのが多数説です。だから、Aに単独犯としての殺人予備罪は成立しません。問題は、それでもAに、共同正犯という形で予備罪の責任を負わせられないかです。

第1段——予備罪の共同正犯はそもそも成立するか

第1段——予備罪の共同正犯は成立しうる 図:第1段——予備罪の共同正犯は成立しうる

まず前提を確認します。予備行為は60条の「実行」にあたるので、予備罪の共同正犯は、そもそも成立しえます。43条の「実行」は予備と未遂の境界線を引く言葉、60条の「実行」は共同正犯を基礎付ける言葉で、別の仕事をしているからです。ここは前回の結論をそのまま使います。

第2段——Aに目的が無い、目的は身分に含まれる

目的も身分に含まれる 図:目的も身分に含まれる

ここで問題になるのは、Aには「目的」が無いという点です。目的犯の「目的」が身分に含まれるかには争いがありますが、判例は含まれるとする立場です。目的も、犯人の特殊な状態の一つだから、身分にあたるという立場です。以前見た判例の定義では、身分は、犯罪行為に関する犯人の特殊な地位または状態のすべてで、継続性までは求められていませんでした。Aに当ててみます。拳銃を用意して渡すという外から見える行為は、Aが自分で使うつもりでも、Bに使わせるつもりでも、同じです。違うのは、自分で殺す目的を持っているかどうかという、その人の内側の状態だけで、それによって、この罪がその人に成り立つかどうかが分かれます。公務員という資格があるかどうかで収賄罪が成り立つかが分かれたのと、同じ働き方です。だから、目的を身分と見てよいわけです。目的が身分に含まれるなら、Aの問題は「目的が無い」という個別の問題ではなく、「身分犯の共同正犯が成立するか」という、すでに扱ったことのある問題に置き換わります。

第3段——殺人予備罪は真正身分犯、65条1項でAにも共同正犯

第3段——殺人予備罪は真正身分犯 図:第3段——殺人予備罪は真正身分犯

条文刑法199条

刑法199条 人を殺した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の拘禁刑に処する。

条文刑法201条

刑法201条 第百九十九条の罪を犯す目的で、その予備をした者は、二年以下の拘禁刑に処する。ただし、情状により、その刑を免除することができる。

条文刑法65条

刑法65条 1項「犯人の身分によって構成すべき犯罪行為に加功したときは、身分のない者であっても、共犯とする。」 2項「身分によって特に刑の軽重があるときは、身分のない者には通常の刑を科する。」

殺人予備罪は、201条を見れば分かるとおり、殺人罪を犯す目的を持つ者にしか成立しません。目的を持たない者には、そもそもこの罪が成立の入口にすら立ちません。目的があるかどうかで罪の成立そのものが決まる以上、殺人予備罪は真正身分犯にあたります。65条1項の「共犯」には、共同正犯も含まれるという結論を、以前確定させました。身分のない者も、身分のある者の行為を利用して、結果に因果性を及ぼしているからです。この理屈をそのまま持ち込めば、Aは、Bの殺人予備罪という真正身分犯に加功、つまり手を貸して加わっているので、65条1項によって、Aにも殺人予備罪の共同正犯が成立します。

2項は、身分が刑の重さだけを動かす場合の規定です。以前見た、営利の目的があると麻薬輸入の刑が重くなる規定が、そちら側でした。営利の目的が無くても輸入の罪自体は成り立ち、目的は重さだけを動かします。これに対して殺人予備罪では、殺す目的が無ければ、罪そのものが成り立ちません。同じ「目的」でも、成立を決めるなら1項、重さだけを動かすなら2項です。この場面は前者なので、1項の話になります。

⭐ 論文で書く規範:肯定(目的を持たない者と予備罪の共同正犯) 予備行為も60条の「実行」にあたるので、予備罪の共同正犯は成立しうる。Aに欠けている「目的」は、判例によれば65条の身分に含まれる。201条の罪は殺す目的を持つ者でなければ成り立たないので真正身分犯であり、65条1項の「共犯」には共同正犯も入る。よって、目的を持たないAにも、65条1項により殺人予備罪の共同正犯が成立する。 (規範(集積型・最判昭42・3・7、最決昭37・11・8参照))

判例——目的を持たない者に共同正犯を認めた例

毒物を用意して手渡した者の責任 図:毒物を用意して手渡した者の責任

同じ型を、実際に共同正犯と認めた最高裁の決定があります。道具立てはAとBの場面とは違って毒物ですが、法律構成は同じです。

判例最決昭37・11・8(裁判要旨)

決定(目的を持たない者と殺人予備罪の共同正犯) 殺人の目的を有する者から、これに使用する毒物の入手を依頼され、その使途を認識しながら、右毒物を入手して依頼者に手交した者は、右毒物による殺人が予備に終つた場合に、殺人予備罪の共同正犯としての責任を負うものと解すべきである。

この人自身は自分で殺す目的を持っていませんが、殺す目的を持つ依頼者のために毒物を手渡した点で、AがBに拳銃を渡した場面と同じ構造です。だから、殺人予備罪の共同正犯という同じ結論になります。ここまでで、場面1は決着です。

場面2への橋——不作為犯の共同正犯

同じ道具は、別の場面にも当てられるか 図:同じ道具は、別の場面にも当てられるか

今使った道具は、「足りない要素を身分と見て、65条1項に乗せる」というものでした。次に、この道具が目的以外の場面、すなわち不作為犯の共同正犯にも当てはまるかを見ます。

各自が作為義務を持つ場合——争いなし

CとDが、そろって作為義務を持つ 図:CとDが、そろって作為義務を持つ

乳児の親であるCとDが、殺意を持って、そろってミルクを与えず餓死させたとします。CにもDにも、以前確認した法的な作為義務があります。この場合、CとDの両方に不作為犯の共同正犯が成立することに、ほとんど異論はありません。各自がそもそも作為義務を持っている以上、これまでどおりの共同正犯の枠組みで足ります。

一部の者のみが作為義務を持つ場合——問題の所在

Eは作為義務があるが、Fには無い 図:Eは作為義務があるが、Fには無い

では、母親Eと、同居しているだけで法的な作為義務を持たない第三者Fが、共同して乳児にミルクを与えなかったとします。このとき、Fにも不作為犯の共同正犯が成立するかが、ここでの問題です。

否定説と肯定説

否定説——実行行為の観念が広がりすぎる 図:否定説——実行行為の観念が広がりすぎる

否定説は、作為義務の無い人にまで「一緒に実行した」と認めてしまうと、実行行為という枠がどこまでも広がってしまう、と心配します。Fには、そもそも動かなかったことを「実行」と呼べるだけの立場が無い、という発想です。たとえば、母親と示し合わせてミルクをやらないことにうなずいただけの同居している人が、自分では何の義務も負っていないのに、母親と並んで殺人を実行した者として扱われることになります。義務を負う人に限って「実行」を認めてきた枠が、義務の無い人にまで広がる、というのが否定説の心配です。

肯定説——不作為犯も真正身分犯と見る 図:肯定説——不作為犯も真正身分犯と見る

これに対して肯定説は、不作為犯は作為義務を持つ者にしか成立しない以上、これも真正身分犯だと見ます。真正身分犯だと見れば、あとは65条1項に乗せるだけです。作為義務を持たないFも、作為義務を持つEの行為を通じて、乳児の生命に因果性を及ぼしているので、65条1項によって、Fにも不作為犯の共同正犯が成立する、と考えます。

⭐ 論文で書く規範:肯定(作為義務を持たない者と不作為犯の共同正犯) 不作為犯は、作為義務を持つ者でなければ成り立たない真正身分犯と見ることができる。そう見れば、作為義務を持たない者が、作為義務を持つ者と共同して不作為犯を実現したときも、65条1項により不作為犯の共同正犯が成立する。これに対しては、義務の無い者にまで共同の実行を認めるのは実行行為を広げすぎる、という反対がある。 (規範(判例なし・学説対立=自説は肯定説))

肯定説を支えるのは、共同正犯の責任の根拠です。以前、65条1項の「共犯」に共同正犯が入る理由として、根拠は自分の手で実行行為をやることではなく、結果に因果性を及ぼすことにある、と確認しました。そうであれば、F自身に実行と呼べる立場が無くても、それは責任を否定する理由にならない、というのが肯定説の答えです。

山場——2つの場面を同じ道具で処理する

場面1と場面2を並べる 図:場面1と場面2を並べる

場面1と場面2を表に並べます。場面1では欠けている要素が目的、場面2では作為義務です。目的は判例により、作為義務は肯定説に立てば、どちらも身分に含まれると解され、その身分が無ければ罪が成立しない点で、どちらも真正身分犯にあたります。だから、どちらも65条1項に乗り、欠けている要素を持たない者にも共同正犯が成立します。ただし、この「身分と見る」こと自体を疑う見方も残っています。身分といえば、通常は公務員のような、ある程度続く資格が想定されます。これに対して目的や作為義務は、その場かぎりの心の中の事情や立場なので、それまで身分と呼ぶのは言葉を広げすぎではないか、という疑いです。それでも、以前見た判例の定義は、身分に継続性までは求めていませんでした。この立場に立てば、2つの場面の答え方は同じです。足りない要素を身分と見て、65条1項に乗せる、ということです。なお、作為義務を持たない者の関与が、共同正犯にまでは至らず、幇助にとどまる場合や、不作為による幇助という論点は、この回の対象外です。

今日の地図(保存版)

今日の到達点 図:今日の到達点

目的を持たない者にも、殺人予備罪の共同正犯が成立します。作為義務を持たない者についても、肯定説に立てば不作為犯の共同正犯になります。目的の場面も作為義務の場面も、足りない要素を身分と見て、65条1項に乗せるという、同じ道具で処理しました。目的を持たないAに殺人予備罪の共同正犯が成立するまでには、3つの段がありました。1つ目は、予備行為も60条の「実行」にあたるので、予備罪の共同正犯はそもそも成立しうること。2つ目は、目的は身分に含まれるので、身分犯の共同正犯の問題になること。3つ目は、殺人予備罪は真正身分犯なので、65条1項の「共犯」に入る共同正犯として、Aにも成立すること、です。

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#82単独ページ動画

教唆犯

第9章 共犯 ⑲/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

前回の受けと今日の問い

自分では手を出していないのに、正犯と同じ刑を科される 図:自分では手を出していないのに、正犯と同じ刑を科される

共同正犯に続いて、ここからは自分では実行を分担しない側、狭義の共犯に入ります。その1本目が教唆犯です。61条の文言をそのまま分解すると、成立の条件と、処罰の仕方が、両方とも見えてきます。今日はそこまでを1本で通します。

教唆犯の意義——61条の出発点

教唆とは何か——61条の出発点 図:教唆とは何か——61条の出発点

条文刑法61条

刑法61条 1項「人を教唆して犯罪を実行させた者には、正犯の刑を科する。」 2項「教唆者を教唆した者についても、前項と同様とする。」

今日いちばん最初に置くのが、この条文です。人を教唆して犯罪を実行させた者には、正犯の刑を科する。今日話すことは、すべてこの1文から出てきます。教唆とは、他人を唆して、犯罪を実行する決意を生じさせることです。ポイントは「決意を生じさせる」の部分です。もともとその人がすでに実行する気になっていたのなら、いくら後押ししても教唆にはなりません。比べてみましょう。友人Aが「あの店、万引きしようかな」とすでに半分決めていたBに「やれよ」と言っても、Bの決意はAが生じさせたものではないので、これは教唆ではありません。これに対して、何も考えていなかったBに「あの店、レジに誰もいないから今のうちに何か盗んでこいよ」と持ちかけ、Bがそこで初めて盗む気になったのなら、決意を生じさせているので教唆にあたります。何も考えていない人に火をつけるのが教唆で、もう燃えている火をあおるだけなのが幇助です。今日はまず教唆だけを見ます。

成立要件の全体像——「実行させた」を分解する

61条「犯罪を実行させた」を4つに割る 図:61条「犯罪を実行させた」を4つに割る

「犯罪を実行させた」という言葉を割ると、4つの要素が出てきます。客観的な要素が3つ、主観的な要素が1つです。客観①教唆行為があったこと、客観②その教唆に基づいて正犯が実行行為に出たこと、客観③既遂罪の教唆犯として問うなら正犯の結果まで発生したこと。主観④は教唆犯の故意です。4つとも、条文の文言をそのまま並べ直しただけです。61条の解釈で新しく足した基準ではなく、条文どおりの成立要件です。だから「覚える規範」として暗記するものではなく、条文を分解すれば誰でも導けるものだと思ってください。今日は①から③まで、この順番で見ていきます。

要件①——教唆行為

「一定の」犯罪を決意させれば足りる 図:「一定の」犯罪を決意させれば足りる

要件①の教唆行為から見ます。まず方法は問いません。はっきり言葉で指示してもいいですし、それとなくほのめかしてもかまいません。難しいのは、どこまで具体的に言えば教唆行為にあたるかです。「悪いことしてこいよ」くらいの軽口では、それだけでは足りません。「何か悪いことをしてこい」というのは、犯罪一般を漠然と唆しているだけで、どの犯罪の決意を生じさせたのかが特定できないからです。これに対して「あの店、レジに誰もいないから何か盗んでこいよ」なら、窃盗という一定の犯罪を決意させています。日時や、具体的にどう盗むかまでは特定していなくても、それで足ります。

判例も、一定の犯罪を決意させれば足り、日時・場所・方法までの特定は不要だという立場を採っています。

要件②ア——正犯の実行行為への従属性

従属性は前回までの結論をそのまま使う 図:従属性は前回までの結論をそのまま使う

要件②の従属性は、共犯従属性説と制限従属性説の話そのものです。いくら教唆行為があっても、被教唆者が実際に実行に移していなければ、教唆犯は成立しません。正犯がどこまで犯罪の成立要件を満たしている必要があるかは、制限従属性説のとおり、構成要件該当性と違法性で足ります。責任まで要らないのは、違法性が、法益が侵害されたという出来事の側の評価なので関与者どうしで共有できるのに対し、責任は一人ひとりへの非難なので共有できないからです。従属性の回で、違法は連帯的に、責任は個別的に、とまとめたとおりです。たとえば、Aに唆されて盗む気にはなったBが、結局店に行かなかったなら、Aは教唆犯になりません。

要件②イ——教唆行為と実行行為の因果関係

AがBを唆すが、Bはいったん犯意を捨てて無関係に実行する 図:AがBを唆すが、Bはいったん犯意を捨てて無関係に実行する

要件②には、もう1つ大事な中身があります。教唆行為と正犯の実行行為の間には、因果関係が必要です。共犯の処罰根拠の回で見た因果性を、教唆に当てはめる話です。教唆は言葉で決意を生じさせるので、ここで問うのは主に、Aの言葉がBの決意に働いたかという心理面の経路です。設例で見てみましょう。AがBに「あの店で万引きしてこい」と唆しましたが、Bは一度は断って帰りました。ところがその後、Bは生活が苦しくなり、Aの教唆とは無関係に、自分の判断だけで「もう我慢できない、盗もう」と考え直し、別の日に実行したとします。

この場合、Aに教唆犯は成立しません。Bの実行は、Aの教唆行為から生まれたものではなく、Aの教唆とは切り離された、Bの独自の決意から生まれたものだからです。教唆行為と実行行為の間の因果関係が切れているので、Aに教唆犯は不成立です。判例も、この因果関係を要求する立場を採っています。Bが一度断った後もAの言葉が心のどこかに引っかかっていて、それがきっかけで実行した場合は、Aの教唆行為がBの決意の形成に影響を及ぼしたと言えるかどうかという事実認定の問題になります。今日は、因果関係が完全に切れている場合と、そうでない場合の違いがあるということだけ押さえてください。

要件③——正犯結果の発生

実行の着手で未遂、結果発生で既遂 図:実行の着手で未遂、結果発生で既遂

要件③に進みます。正犯が実行に着手した時点で、教唆者には未遂罪の教唆犯が成立します。そこからさらに正犯が結果まで発生させれば、教唆者には既遂罪の教唆犯が成立します。万引きで言えば、Bが売り場で商品に手を伸ばしたところで店員に止められれば、Aは窃盗未遂罪の教唆犯。商品を自分のかばんに入れてしまえば、Aは窃盗罪の教唆犯です。教唆行為は1回だけでも、正犯の進み具合次第で、教唆者に問われる罪名の段階が変わります。ここまでが、61条の「犯罪を実行させた」を分解した要件①から③です。

山場——「正犯の刑を科する」の意味

「正犯の刑を科する」=正犯の法定刑の幅で決める 図:「正犯の刑を科する」=正犯の法定刑の幅で決める

ここからが今日の山場です。61条は、唆しただけの人に「正犯の刑を科する」と書いています。まず、なぜ手を出していない人を正犯と同じ扱いにするのか、から見ます。さっきの万引きで言うと、Bの中には、盗む決意がもともとありませんでした。それをAがゼロから生み出し、その決意がBの手を通って、店の商品が盗まれるという結果にまでつながっています。共犯の処罰根拠の回で見たとおり、共犯も、正犯と一緒に結果を引き起こしたから罰せられます。結果の源をつくったという点で、Aは自分で盗んだBと変わらない。だから61条は、刑の扱いを正犯とそろえたのです。

ただし、「正犯の刑を科する」は、教唆者に正犯とまったく同じ刑を言い渡す、という意味ではありません。判例は、正犯の罪に定められた法定刑の範囲内で、教唆者の刑を決めるという意味だと読んでいます。

法定刑と宣告刑——ひっかけの正体 図:法定刑と宣告刑——ひっかけの正体

法定刑は、条文が定める刑の幅のことです。たとえば窃盗罪なら、10年以下の拘禁刑または50万円以下の罰金、というレンジそのものです。これに対して宣告刑は、裁判官がその幅の中から選んで実際に言い渡す、1つの具体的な刑です。「正犯の刑を科する」というのは、この法定刑という幅の中で処罰するという意味であって、宣告刑という具体的な数字まで正犯に揃える、という意味ではありません。宣告刑が正犯と食い違うことはあります。幅の中でどこに落ち着くかは、個別の事情次第です。だから、正犯が現実に捕まらなかったり、正犯には責任が無くて不処罰に終わったりしても、教唆犯だけを独立に処罰できます。逆に、唆した側であるAの方が、実行したBより重い宣告刑を受けることもあります。

たとえば、Bは初めてで深く反省していて、罰金で済んだとします。一方でAは、乗り気でないBに何度もしつこく持ちかけていた。それなら、Aに拘禁刑が言い渡されてもかまいません。どちらも窃盗罪の幅の中だからです。逆に、Aの方がどれだけ悪質でも、窃盗罪の幅を超えて、10年を超える拘禁刑をAに言い渡すことはできません。そろえるのは、あくまで幅です。理由は、さっき確認した要件②の従属性とつながっています。違法は出来事の評価として関与者どうしで共有され、責任は一人ひとりへの非難として共有されない。要件②アで見た、違法は連帯的に、責任は個別的に、という整理です。だから、正犯が個別の事情で処罰を免れても、それは違法性の判断を揺るがさず、教唆犯の処罰には響かないんです。非難の重さも一人ひとり違うので、同じ幅の中で、唆した側の方が重く言い渡されることもありえます。「正犯の刑を科する」を法定刑の幅の話だと読むことで、この責任の個別性がそのまま活きてきます。

条文刑法64条

刑法64条 「拘留又は科料のみに処すべき罪の教唆者及び従犯は、特別の規定がなければ、罰しない。」

もう1つ、処分に関わる条文があります。64条です。拘留・科料しか法定刑に無いような、ごく軽い罪については、教唆・幇助を処罰する特別の規定が無ければ、教唆者・従犯を罰しません。あまりに軽い罪にまで、教唆や幇助の処罰を広げすぎないための歯止めです。ここまでをまとめます。手を出していなくても、結果の源をつくった教唆者は、正犯と同じ幅で罰せられる。ただし、そろうのは法定刑という幅であって、言い渡される刑ではない。これが「正犯の刑を科する」の意味です。

諸類型——間接教唆・再間接教唆・従犯の教唆

条文刑法62条2項

刑法62条2項 「従犯を教唆した者には、従犯の刑を科する。」

3つの類型と、条文の対応 図:3つの類型と、条文の対応

最後に、教唆に似た形の3つの類型を並べます。1つ目は間接教唆です。教唆した相手が、さらに別の人を教唆した場合、その最初の教唆者も61条2項によって処罰されます。教唆者を教唆した者についても、前項と同様とする、という条文どおりです。2つ目は再間接教唆です。間接教唆者を、さらにもう一段教唆した場合です。条文には直接の規定がありませんが、判例は、これも教唆犯として処罰する立場を採っています。間接教唆者も、61条2項で罰される「教唆者」の1人なので、その人を唆した者も、2項の「教唆者を教唆した者」に入ると読めるからです。

3つ目は従犯の教唆です。幇助犯を教唆した者、つまり「お前は手伝う側に回れ」と唆した者は、62条2項によって、従犯の刑を科されます。ここで気をつけてほしいのは、62条2項は従犯の教唆の根拠であって、間接教唆の根拠ではないということです。間接教唆は61条2項、従犯の教唆は62条2項。条番号と類型を、正しく対応させてください。

今日の地図(保存版)

今日の到達点——61条の2つの部品 図:今日の到達点——61条の2つの部品

教唆とは、他人を唆して犯罪を実行する決意を生じさせることです。成立要件は、①教唆行為、②教唆に基づく正犯の実行行為、既遂罪なら③正犯結果の発生です。②には、正犯の実行への従属性と、教唆行為との因果関係の両方が必要です。処分については、「正犯の刑を科する」とは、正犯の罪に定められた法定刑の範囲内で、教唆者の刑を決めるという意味です。Aがいくら唆していても、Bの実行がその教唆とは無関係な独自の決意から生まれたものであれば、Aに教唆犯は成立しません。因果関係が切れているからです。

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#83単独ページ動画

未遂の教唆と教唆犯の故意

第9章 共犯 ⑳/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

前回の受けと、今日の問い

前回の受けと、今日残った1つの要件 図:前回の受けと、今日残った1つの要件

前編(#82)で、教唆犯の客観的な成立要件を確認しました。①教唆行為、②教唆に基づいて正犯が実行行為に出ること、既遂罪の教唆犯なら③正犯結果が発生すること、の3段階です。この回は、そこに残った主観面、④教唆犯の故意を扱います。教唆犯の故意が何を認識していればいいかが、今日の核心です。先に、こんな場面を考えてみてください。ある人のポケットが空っぽだと知っていながら、Aが「あいつの財布、抜いてこいよ」とBを唆したとします。盗めるはずがありません。Aは最初から失敗させるつもりでした。それでも、Aは罰せられるでしょうか。

問題の所在——故意はどこまで届くか

故意はどこまで届いていればよいか 図:故意はどこまで届いていればよいか

教唆行為をする段階で、Aには、自分が唆していることの認識はあります。問題は、その先です。②Bが実行行為に出ることまで分かっていれば足りるのか、それとも③結果が実際に発生することまで分かっていなければならないのか。ここで説が分かれます。

条文刑法38条1項本文

刑法38条1項 罪を犯す意思がない行為は、罰しない。ただし、法律に特別の規定がある場合は、この限りでない。

犯罪を犯す意思、つまり故意がなければ、原則として罰しないというこの一般原則は、教唆犯にも及びます。だから、教唆犯が成立するには、単に①教唆行為をしただけでは足りず、その故意の中身をどう見るかが問われるんです。ここに、実行認識説と結果認識説という、2つの立場が対立します。

実行認識説

実行認識説——②まで届けば足りる 図:実行認識説——②まで届けば足りる

実行認識説は、②正犯が違法な実行行為に出ることまでの認識・認容があれば、教唆犯の故意として足りると考えます。ポイントは、教唆犯がそもそもなぜ処罰されるのか、という出発点にあります。教唆犯は、他人をそそのかして犯罪をする気にさせ、実行に向かわせたことをとらえて処罰される類型です。つまり教唆行為は、殺人罪のように結果発生までを内容とする基本的構成要件そのものではなく、他人に違法な実行行為をさせるという、修正された構成要件に当たる行為なのです。だとすれば、故意が及ぶべき範囲も、基本的構成要件が求める内容、つまり結果の発生にまで広がっている必要はない、ということになります。

実行行為までしか見ていなくても、結果はどうなってもいいという話にはなりません。この点は誤解されやすい所です。実行認識説も、結果が起きてよいとまでは言っていません。この説は、教唆犯の故意として何を要求するかの線を、②で引いているだけです。結果が実際に起きるかどうかは、あくまで正犯の側の問題として切り離しているんです。

結果認識説

共犯の処罰根拠、何だったか 図:共犯の処罰根拠、何だったか

もう1つの説の前提として、共犯を罰してよい根拠は、因果的共犯論、惹起説です。共犯も、正犯の実行行為を通じて、法益侵害という結果を引き起こしたから罰せられる、という考え方です。この根拠を、教唆犯の故意にもそのまま当てはめるのが、結果認識説です。

結果認識説——③まで要る 図:結果認識説——③まで要る

結果認識説は、共犯の処罰根拠が、正犯の実行行為を通じて法益侵害という結果を引き起こしたことにある以上、教唆犯の故意も、その結果についての認識・認容にまで及んでいなければ一貫しないと考えます。だから、②実行行為までの認識では足りず、③結果発生までの認識・認容を要求します。具体的には、Aが唆した結果、Bが実際にどんな結果を引き起こすかまでAの認識が届いていなければ、Aの行為とBが引き起こした結果とのあいだの結びつきを、Aの故意の側から説明できません。共犯の処罰根拠を結果への因果性に置く以上、その因果性の届く先まで、故意も届いていなければならない、という一貫性の要求です。

山場1:未遂の教唆の可罰性

Aは、相手のポケットが空だと知っていながら唆した 図:Aは、相手のポケットが空だと知っていながら唆した

冒頭の場面に戻ります。Aは、狙う相手が少し前にコンビニで支払いをして、財布をポケットに入れ忘れているのを見ていました。ポケットが空だと知ったうえで、Aは「財布、抜いてこいよ」とBを唆します。Bは実際にポケットへ手を入れました。これは窃盗罪の実行の着手にあたります。でも、何も入っていないので、何も取れません。この、教唆者が最初から未遂に終わらせるつもりで唆す場面は、一般に、アジャン・プロヴォカトゥールと呼ばれます。おとり捜査との関わりが議論されることもありますが、今日はそこには踏み込みません。ここで問われているのは、Bに窃盗未遂罪が成立するとして、Aにその教唆犯、つまり窃盗未遂罪の教唆犯が成立するかです。答えは、実行認識説と結果認識説のどちらを採るかで、真っ二つに分かれます。

実行認識説では、②実行行為までの認識で足ります。Aは、Bが実行に着手するところまでは、はっきり望んでいました。だから、実行認識説では教唆犯の故意がそろい、Aには窃盗未遂罪の教唆犯が成立します。

実行認識説と結果認識説の対比——未遂の教唆の結論 図:実行認識説と結果認識説の対比——未遂の教唆の結論

結果認識説では、Aの認識は②までしかなく、③結果発生までの認識・認容がありません。だから、教唆犯としての故意を欠きます。では、故意がなくても、不注意で他人に犯罪を決意させた、つまり過失による教唆犯として罰する余地はないか。そこは、過失による教唆犯の成立を認めないのが通説です。詳しい理由は別の回に譲りますが、この通説を前提にする限り、故意を欠くAには、教唆犯は成立しません。つまり不可罰です。整理すると、実行認識説なら可罰、結果認識説なら不可罰。2つの論点のように見えますが、実は同じ物差しの目盛りを、Aの事例に当てはめているだけです。

Aが財布は入っていると思って本気で盗ませるつもりで唆していた場合は、Aの認識は③結果発生まで届いています。実行認識説でも結果認識説でも故意はそろうので、Bが空振りに終わっても、Aには窃盗未遂罪の教唆犯が成立します。説が分かれるのは、Aが最初から③を望んでいなかった、今日の場面だけなんです。表で見ると分かるとおり、違いはたった1点です。②実行行為までの認識で線を引くか、③結果発生まで線を引くか。その線引きの位置が、そのままAへの評価を裏返しています。

山場2:意外にも結果が発生してしまった場合

故障していたカメラ——結果が出てしまった場合 図:故障していたカメラ——結果が出てしまった場合

もう1つ、場面を変えます。ここで検討するのは、窃盗罪の教唆犯が成立するかどうかだけです。窓を割ることや家に立ち入ることは、Aも実現を望んでいたので、この山場では問題にしません。Aは、空き家の管理会社のチラシで防犯カメラの設置を知り、そのカメラが今も作動していると思い込んでいました。「窓を割って中の物を持ち出せ。カメラに映って、どうせ捕まる。持ち出せやしない」とBを唆します。ところが、そのカメラは半年前から故障していました。Bは窓を割って侵入し、誰にも見つからないまま、金品を持ち去ってしまいます。Aが望んでいたのは、窃盗未遂どまりだったのに、現実には窃盗が既遂に達してしまいました。

この場合も、どちらの説でも同じ結論になるわけではありません。ここでも説によって道が分かれます。結果認識説、つまりさっきの不可罰説の側に立てば、答えは単純です。Aには、もともと③結果発生の認識・認容がありません。結果が現実に生じたかどうかは関係なく、教唆犯としての故意はもとから欠けています。だから、ここでも窃盗罪の教唆犯は成立しません。過失犯を罰する規定があれば、その成否を別途検討するだけです。実行認識説の側では、Aには②までの認識、つまり教唆犯としての故意がすでに認められています。問題は、その故意の中身と、実際に起きた結果とのあいだにズレがあることです。未遂の教唆のつもりだった故意で、既遂の結果が生じてしまった。共犯者が思い描いていた事実と、正犯が実際に実現した事実とが食い違う場面を、共犯の錯誤と呼びます。有力な見解は、このズレを共犯の錯誤の一種として扱います。事実の錯誤で見たとおり、故意は、認識していた事実と実際に起きた事実とが、構成要件として重なり合う限度でしか認められません。Aが認識していたのは窃盗の未遂まで、実際に起きたのは窃盗の既遂です。重なり合うのは未遂罪の部分だけなので、未遂罪の限度でだけ、教唆犯の成立を認めるという処理になります。共犯の錯誤そのものの詳しい扱いは、別の回に譲ります。

ここには、決まった正解があるわけではなく、自分で考えてほしい論点として残しておきます。見方の1つは、結果の認識はいらないと言っておきながら、結果が出た途端に錯誤の理屈で帳尻を合わせているようにも映る、というものです。もう1つの見方は、実行認識説は最初から教唆犯の故意を②までと線引きしているのだから、その線の外側、つまり③で現実に起きたことは、Aの故意が届いていない出来事として扱うのが理屈として一貫している、というものです。窓のケースに当てはめて、自分ならどちらの見方を取るか、考えてみてください。

帰結・選び方の基準

どちらの説でも書けるが、選び方の基準はある 図:どちらの説でも書けるが、選び方の基準はある

実行認識説、結果認識説、どちらの立場でも答案は書けます。ただ、選ぶときの基準は示せます。共犯の処罰根拠を惹起説、つまり正犯の実行行為を通じて結果を引き起こしたことに求めるなら、故意の中身もその根拠と揃えた結果認識説のほうが、一貫した筋になります。ただし、結果認識説のほうが正しいとまでは言い切れません。2つの説の違いは、出発点にあります。実行認識説は、教唆という行為の定義から出発しているので、それ自体は筋が通っています。結果認識説は、共犯をなぜ罰してよいかという根拠から出発し、その根拠と故意の範囲を最初から揃えています。だから、惹起説から出発するなら、今日見た2つの場面を同じ理屈で説明できる結果認識説のほうが、答案の筋が通りやすい、ということです。

今日の地図(保存版)

今日の到達点 図:今日の到達点

教唆犯の故意は、②正犯の実行行為までの認識で足りるとする実行認識説と、③正犯結果の発生までの認識・認容を要するとする結果認識説に分かれます。そして、最初から失敗させるつもりの未遂の教唆は、実行認識説なら可罰、結果認識説なら不可罰です。さらに、未遂の教唆のつもりで意外にも結果が発生してしまった場合、不可罰説の側では、ここでも教唆犯は成立しません。可罰説の側では、共犯の錯誤として処理する見解が有力で、重なり合う限度で未遂罪の教唆犯が認められます。教唆犯の故意の対立が未遂の教唆の可罰性にそのまま写るのは、教唆犯の故意がどこまで届くかという1本の物差しで、未遂の教唆の場面を測っているからです。物差しの目盛りを②に置くか③に置くかを決めた時点で、Aの事例がその目盛りに届いているかどうかも、自動的に決まります。3つの論点のように見えても、実は1本の物差しの延長にすぎません。

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#84単独ページ動画

幇助犯の成立要件

第9章 共犯 ㉑/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

前回の受けと今日の問い

すでに殺す気になっている友人に、ピストルを差し出しただけ 図:すでに殺す気になっている友人に、ピストルを差し出しただけ

今日扱うのは幇助犯です。まず、こんな場面を考えてください。Aが、すでに人を殺す気になっている友人に、頼まれてピストルを差し出しただけ。決意させたわけではありません。もとから殺す気だった相手に、道具を渡しただけです。それでも罰せられるとしたら、なぜでしょうか。決意させていないのに罰せられる理由が無いように思える、そこが今日の出発点です。先に答えを言っておきます。共犯の処罰根拠の回で見たとおり、共犯も、自分で手を下してはいなくても、正犯の実行を通じて、法益侵害という結果を正犯と一緒に引き起こしたから罰せられます。刑法が守ろうとする利益を傷つけた点では、正犯と変わらないからです。ピストルを渡したAも、その道具で友人の実行を容易にし、結果に手を貸しています。ただ、決意まで生み出した教唆より関与が一段軽いので、刑は減軽されます。62条・63条の文言をそのまま分解すると、どんな条件で成立し、どう罰せられるのかが、順番に見えてきます。

幇助犯の意義——教唆との区別

幇助とは何か——62条1項の出発点 図:幇助とは何か——62条1項の出発点

その前に、前々回見た教唆の意味を確認しておきます。

条文刑法62条1項

刑法62条1項 「正犯を幇助した者は、従犯とする。」

他人を唆して、犯罪を実行する決意を生じさせること、でした。もともと決意していた人を後押ししても、教唆にはならない、という話でした。今日いちばん最初に置くのが、この条文です。正犯を幇助した者は、従犯とする。幇助犯は、条文上は「従犯」と呼ばれます。幇助とは、自分では手を下さず、正犯の実行行為をやりやすくすることです。区別基準は1点だけ、正犯者にすでに決意させたか否かです。教唆はいまだ決意を有しない者に決意を生じさせる場合、幇助はすでに決意を有する者を援助する場合です。冒頭の場面で言えば、友人はすでに殺す気になっていました。Aがピストルを渡したのは、その決意を後押しした、つまり実行を容易にしただけです。何も考えていない人に火をつけるのが教唆で、もう燃えている火をあおるだけなのが幇助でした。今日は、その「あおる」側を見ていきます。

成立要件の全体像——「幇助した」を、分解する

62条1項「幇助した」を4つに割る 図:62条1項「幇助した」を4つに割る

「幇助した」という言葉を割ると、教唆犯のときとまったく同じ並びの4つの要素が出てきます。客観①幇助行為があったこと、客観②その正犯が実行行為に出たこと、客観③既遂罪の幇助犯として問うなら正犯の結果まで発生したこと、主観④幇助犯の故意です。62条1項の解釈で新しく足した基準ではなく、条文どおりの成立要件です。「覚える規範」として暗記するものではありません。今日は①から④まで、この順番で見ていきます。

要件①——幇助行為

物質的幇助と精神的幇助 図:物質的幇助と精神的幇助

要件①の幇助行為から見ます。幇助行為は、大きく2つに分かれます。1つは物質的幇助です。金銭の貸与、凶器の提供、犯行現場への案内など、形のある援助です。冒頭のピストルを渡す行為も、これにあたります。もう1つは精神的幇助です。助言や奨励など、形のない援助です。「大丈夫、うまくいくよ」と背中を押す言葉をかけるようなケースが典型です。ただし精神的幇助が成立するには、正犯者の側が、その声かけを幇助行為として認識している必要があります。誰にも届かない独り言で応援しても、実行を容易にしたとは言えないからです。

実行行為が終わった後の援助は、幇助にあたらない 図:実行行為が終わった後の援助は、幇助にあたらない

もう1つ、幇助行為には大事な限界があります。実行行為が終了した後になされた援助は、「幇助」にはあたりません。これを事後従犯と呼びます。幇助は、正犯の実行行為を容易にする行為でした。実行行為がもう終わっているなら、これから容易にすべき実行行為自体が残っていません。だから幇助犯の枠には入らないんです。たとえば、Bが窃盗を終えて逃げているところをAが車で送ってあげても、その援助は窃盗罪の幇助にはなりません。窃盗罪の幇助犯にはなりませんが、それで何も問われないわけではありません。逃げるBをかくまえば犯人蔵匿罪、Bが盗んだ物だと知りながら引き取れば盗品等罪という、別の構成要件のもとで、今度はAがその罪の正犯として問われる余地があります。中身はそれぞれ別の回に譲りますが、「事後従犯は幇助にならない」で終わりではなく、別の罪の正犯になりうる、という着地だけ覚えておいてください。

要件②——正犯の実行行為(従属性)

従属性は、教唆犯の回の結論をそのまま使う 図:従属性は、教唆犯の回の結論をそのまま使う

要件②に進みます。ここは、従属性の回で確立し、前々回の教唆犯の回でもそのまま当てはめた話が、ここでも当てはまります。いくら幇助行為があっても、被幇助者が実際に実行に移していなければ、幇助犯は成立しません。冒頭の例で言えば、ピストルを受け取った友人が結局実行しなかったなら、Aは幇助犯になりません。なお、幇助行為と正犯の実行行為との間に因果関係が要るか、要るとしてどの程度かという論点も残っています。今日は、従属性、つまり正犯が実行に着手していることが必要だという点だけ押さえてください。

要件③——正犯結果の発生

実行の着手で未遂、結果発生で既遂 図:実行の着手で未遂、結果発生で既遂

要件③です。正犯が実行に着手した時点で、幇助者には未遂罪の幇助犯が成立します。そこからさらに正犯が結果まで発生させれば、幇助者には既遂罪の幇助犯が成立します。教唆犯のときとまったく同じ段階構造です。冒頭の例で言えば、友人がピストルを撃ったが外れたなら、Aは殺人未遂罪の幇助犯、命中して相手が死亡したなら殺人罪の幇助犯です。幇助行為は1回だけでも、正犯の進み具合次第で、幇助者に問われる罪名の段階が変わります。ここまでが、62条1項の「幇助した」を分解した要件①から③です。

要件④——幇助犯の故意

故意の考え方は、教唆犯の回とそろえる 図:故意の考え方は、教唆犯の回とそろえる

要件④、幇助犯の故意です。故意の内容や、最初から未遂に終わらせるつもりで手を貸す、いわゆる未遂の幇助の可罰性は、前回見た教唆犯の故意、実行認識説と結果認識説の対立と、同じ考え方で処理します。実行認識説は、正犯が実行行為に出ることまで分かっていれば故意として足りるとし、結果認識説は、結果が発生することまでの認識・認容を要求します。冒頭の例で言えば、友人は引き金に指をかけたところで張り込み中の警察官に必ず取り押さえられると知りながら、失敗に終わらせるつもりでAがピストルを渡した場合、実行認識説なら幇助犯の故意があり、結果認識説なら故意が欠けます。ここを丸ごと繰り返しはしません。今日は、その物差しが実際にどう使われるか、現代的な応用例を1つ見ておきます。

中立的な技術・道具の提供と幇助犯の故意 図:中立的な技術・道具の提供と幇助犯の故意

ピストルや凶器のような、悪用のために作られた道具ならまだ分かります。でも、誰でも使える普通の技術や道具を提供しただけの人にも、幇助犯が成立することがあるんですか。あります。ファイルを共有できるソフトウェアを開発して公開した人が、利用者の一部による著作権侵害の幇助犯にあたるかが争われた事件で、最高裁が判断を示しています。

判例最決平23・12・19

ソフトの提供と幇助犯の故意 ①「当該ソフトを利用して現に行われようとしている具体的な著作権侵害を認識、認容しながら、その公開、提供を行い、実際に当該著作権侵害が行われた場合」 ②「当該ソフトの性質、その客観的利用状況、提供方法などに照らし、同ソフトを入手する者のうち例外的とはいえない範囲の者が同ソフトを著作権侵害に利用する蓋然性が高いと認められる場合で、提供者もそのことを認識、認容しながら同ソフトの公開、提供を行い、実際にそれを用いて著作権侵害(正犯行為)が行われたとき」 →①・②のいずれかに限り、当該ソフトの公開、提供行為が幇助行為に当たる

この判断では、二つの場合があります。一つは、具体的な著作権侵害が行われようとしていると分かっていながら提供し、実際に侵害が起きた場合。もう一つは、そのソフトの性質や利用状況、それにどう提供したかといった事情から見て、例外的とはいえない範囲の人が侵害に使うだろうという高い蓋然性があり、提供者もそれを認識、認容しながら提供して、実際に侵害が起きた場合です。この事件では、後者の場合について、提供者にその認識、認容があったとは言えないとして、幇助の故意が否定されました。こうした限定を付けている理由は、ほとんどの人が適法に使う技術なのに、誰かが悪用しうると知っていただけで提供者を罰すると、技術を開発して世に出すこと自体が止まってしまうからです。要件④の幇助犯の故意を、こういう現代的な場面に当てはめると、二つの場合がある、という応用例として押さえておいてください。深入りはここまでにします。

山場——「正犯の刑を減軽する」の意味

「正犯の刑を減軽する」=正犯の法定刑を減軽した幅で決める 図:「正犯の刑を減軽する」=正犯の法定刑を減軽した幅で決める

条文刑法63条

刑法63条 「従犯の刑は、正犯の刑を減軽する。」

ここからが今日の山場です。従犯の刑は、正犯の刑を減軽する。教唆犯は正犯と同じ幅の法定刑で処罰されましたが、幇助犯はそこからさらに減軽されます。しかも、これは裁判官が減軽するかどうかを選べる裁量的減軽ではなく、必ず減軽しなければならない必要的減軽です。「正犯の刑を減軽する」が正犯の宣告刑より必ず軽くなるという意味かどうか、そこが誤解しやすいところです。教唆犯の意義を扱った前々回、法定刑と宣告刑の違いを見ました。法定刑は条文が定める刑の幅、宣告刑は裁判官が実際に言い渡す1つの刑でした。63条が言っているのは、正犯に本来あてはまる法定刑の幅そのものを、軽くした範囲で処断するという意味です。つまり幅の話であって、宣告刑どうしの大小を直接決めているわけではありません。

幅を減軽するだけなら、幇助犯の宣告刑が正犯より重くなることもあるんですか。あります。窃盗罪の法定刑は10年以下の拘禁刑、または50万円以下の罰金でした。これを法律上の減軽、つまり68条が決めた割合で刑の幅を引き下げるルールにかけると、上限が半分になり、5年以下の拘禁刑、または25万円以下の罰金という幅にずれます。でも、その減軽された幅の中でどこに落ち着くかは、また個別の事情次第です。だから、正犯が反省して罰金で済み、幇助者の方が悪質さから減軽後の幅の中でも重い拘禁刑を言い渡される、ということもありえます。そろうのは減軽された幅であって、宣告刑の大小関係ではありません。この読み方からは、もう1つ帰結が出てきます。減軽の出発点は、正犯に適用すべき法定刑、つまり条文の幅であって、正犯に実際に言い渡された刑ではありません。だから、正犯が現実に処罰されなくても、幇助犯は独立に処罰できます。冒頭の例で言えば、友人が逃げたまま捕まらなくても、Aは幇助犯として処罰されます。これは、従属性の回でまとめた「違法は連帯的に、責任は個別的に」ともつながっています。

教唆犯との対比——61条・62条・63条 図:教唆犯との対比——61条・62条・63条

教唆犯と並べると、対比がはっきりします。教唆犯は、決意そのものを生み出したので、正犯と同じ法定刑の範囲で処罰されました。幇助犯は、すでにある決意を後押ししただけなので、正犯の法定刑を減軽した範囲で処罰されます。関与の重さの違いが、そのまま処分の重さの違いに表れているわけです。もう1つ、処分に関わる条文があります。64条です。拘留・科料しか法定刑に無いような、ごく軽い罪については、教唆・幇助を処罰する特別の規定が無ければ、幇助者を罰しません。教唆犯のときと同じ、あまりに軽い罪にまで処罰を広げすぎないための歯止めです。ここまでをまとめます。すでに決意している者を後押ししても、それは正犯と一緒に結果をつくり出した関与にあたるので罰せられる。ただし、教唆より関与が一段軽いので、正犯の法定刑を減軽した幅で処罰される。これが「正犯の刑を減軽する」の意味です。

諸類型——間接幇助・再間接幇助

間接幇助・再間接幇助——明文の有無で対比する 図:間接幇助・再間接幇助——明文の有無で対比する

最後に、幇助に似た形の2つの類型を並べます。1つ目は間接幇助です。幇助犯を幇助すること、つまり幇助している人をさらに後押しする関与です。間接教唆は61条2項に明文がありますが、幇助にはそういう条文があるかどうか、そこが対比のポイントです。幇助には、間接幇助を処罰する明文の規定がありません。たとえば、CがAに頼まれてピストルの入手先を教え、Aがそのピストルを友人に渡した場合です。Cが直接手伝ったのはAですが、その援助はAを通じて、結局は友人の実行を容易にしています。だから、正犯の実行を容易にしたと認められる場合は、62条1項の「正犯を幇助した」にあたり、本来の幇助犯として処罰してよいというのが、判例・通説の立場です。2つ目は再間接幇助です。間接幇助者を、さらにもう一段幇助することです。理論上は処罰しうると考えられていますが、関与が正犯の結果までどれだけ影響したかという因果関係の証明が難しく、成立を認めた判例は無いとされています。教唆犯では間接教唆が条文に明記されていたのに対して、幇助では明文が無いまま解釈で処罰範囲を広げている、という違いも、あわせて押さえておいてください。

今日の地図(保存版)

今日の到達点——62条・63条の2つの部品 図:今日の到達点——62条・63条の2つの部品

今日を振り返ります。幇助とは、自分では手を下さず、正犯が実行行為をやりやすくする関与のことでした。教唆との違いは、すでにある決意を後押ししたか、決意そのものを生み出したかの1点でした。成立要件は、①幇助行為、②正犯の実行行為への従属性、既遂罪なら③正犯結果の発生、④幇助犯の故意でした。①には物質的幇助と精神的幇助の分類があって、実行行為が終わった後の援助は幇助にあたらない、というのが事後従犯でした。処分については、「正犯の刑を減軽する」とは、正犯にあてはまる法定刑の幅を軽くした範囲で刑を決めるという意味でした。決意を生み出していなくても、正犯と一緒に結果を引き起こしたから罰せられ、教唆より関与が一段軽いから刑が減軽される。これが、冒頭の問いへの答えです。

減軽されるのは正犯の宣告刑ではなく法定刑です。正犯に適用すべき法定刑を減軽した幅で、幇助者の刑が決まります。だから、幇助者の宣告刑が正犯の宣告刑より重くなることもありえます。

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#85単独ページ動画

幇助の因果関係

第9章 共犯 ㉒/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

前回の受けと、今日の問い

前回の受けと、今日残った1つの中身 図:前回の受けと、今日残った1つの中身

前回、幇助犯の成立要件を4つ確認しました。①幇助行為、②正犯が実行行為に出ること、既遂罪の幇助犯なら③正犯結果が発生すること、そして主観面の④幇助犯の故意です。②の正犯の実行行為については、共犯従属性説や制限従属性説といった従属性の話を前回済ませました。今日は、②の中に残っていたもう1つの中身、幇助行為と正犯との因果関係を扱います。共犯関係の解消の話とは別の話です。あとで一言だけ整理しますが、今日の因果関係は「幇助犯がそもそも成立するか」という場面の話です。先に、こんな場面を考えてみてください。すでに店の金庫を狙って窃盗をすると決めていたBに、Aが金庫のダイヤル錠の番号を書いたメモを渡します。ところが実際には、金庫は店員の閉め忘れで半開きになっていて、Bはメモを使わずに金庫を開けてしまいました。渡したメモは、一度も使われていません。それでも、Aは幇助犯になるでしょうか。

問題の所在——何と、どれだけ

何と、どれだけつながっていればよいか 図:何と、どれだけつながっていればよいか

幇助犯が成立するには、幇助行為と正犯との間に、何らかのつながりが要ります。ここで2つの問いが立ちます。1つは、何とつながっていればよいかという問い。幇助行為から②正犯の実行行為までのつながりで足りるのか、それとも③正犯の結果までのつながりが必要なのか。もう1つは、そのつながりはどれだけ強いものでなければならないか、という問いです。この2つは別々の対立軸なので、順番に見ていきます。まず、何とつながっていればよいかから始めます。

不要説——正犯の実行行為までで足りる

不要説——結果までは要らない 図:不要説——結果までは要らない

不要説は、幇助行為が、正犯の②実行行為とつながっていれば、それで足りるとする見解です。正犯の③結果とまでつながっている必要はない、と考えます。根拠は2つあります。1つは、幇助の定義そのものです。幇助は、自分で手を下すのではなく、正犯の実行行為をやりやすくする関与でした。定義の文言が「実行行為を容易にすること」までしか言っていない以上、要求される因果関係もそこまでで足りる、という理屈です。もう1つは、62条1項の条文です。62条1項は「正犯を幇助した者は、従犯とする」としか規定していません。結果との因果関係を条文上の要件として書き込んでいないんです。

冒頭のメモで言えば、不要説が問うのは、メモがBの実行行為を容易にしたかどうかまでです。金品が持ち去られたという結果とのつながりまでは問いません。

必要説——正犯の結果まで要る

共犯の処罰根拠、何だったか 図:共犯の処罰根拠、何だったか

もう1つの説を見る前に、共犯を罰してよい根拠を確認しておきます。因果的共犯論、つまり惹起説です。共犯も、正犯の実行行為を通じて、法益侵害という結果を引き起こしたから罰せられる、という考え方です。この根拠を、幇助の因果関係にもそのまま当てはめるのが、必要説です。

必要説——結果まで要る 図:必要説——結果まで要る

必要説は、共犯の処罰根拠が、正犯の実行行為を通じて法益侵害という結果を引き起こしたことにある以上、幇助行為も、その結果との因果関係が無ければ、そもそも処罰する理由を満たさないと考えます。だから、②実行行為までのつながりでは足りず、③結果までのつながりを要求します。処罰根拠と、要求する因果関係の範囲を、ぴったり揃えたいという発想です。冒頭のメモで言えば、必要説は、メモの影響が、金品が持ち去られたという結果にまで届いているかを問う、ということです。

橋渡し——実務上の差は小さいが、選び方の基準はある

2説の差はどこに出るか 図:2説の差はどこに出るか

不要説と必要説は、理屈のうえでは対立していますが、実務上の帰結はあまり変わりません。幇助が正犯の実行行為とつながっているなら、その実行行為が結果を引き起こしているのが通常なので、結果との因果関係も、たいてい併せて認められるからです。冒頭のメモで言えば、メモがBの実行行為を後押ししていたなら、その実行行為がそのまま金品を持ち去る結果を生んでいるので、結果とのつながりもたいてい認められます。2つの説の結論が割れる場面は、実は限られています。同じとまでは言えません。ただ、選ぶときの基準は示せます。共犯の処罰根拠を惹起説、つまり正犯の実行行為を通じて結果を引き起こしたことに求めるなら、要求する因果関係の範囲もその根拠と揃えた必要説のほうが、一貫した筋になります。不要説が誤りというわけではありませんが、答案の筋としては、必要説のほうが通しやすいということです。

因果関係の程度——どれだけつながっていればよいか

どちらの説に立っても、なお残る問い 図:どちらの説に立っても、なお残る問い

ここまでで、幇助行為が何とつながっていればよいか、という1つ目の物差しを見ました。でも、これだけでは終わりません。不要説・必要説のどちらに立っても、その「因果関係」が、具体的にどれだけの強さのものでなければならないかは、まだ決まっていないんです。ここからが2つ目の物差しです。冒頭のメモで言えば、メモが無ければBは犯行に出られなかった、とまで言える必要があるのか、それとも、Bの背中を押した程度でよいのか、という違いです。

条件関係説

条件関係説——あれなければこれなし 図:条件関係説——あれなければこれなし

条件関係説は、因果関係の回で見た「あれなければこれなし」の公式を、幇助行為にもそのまま使う見解です。幇助行為がこの関係で、正犯とつながっていることを要求します。幇助行為が無かったとしても、正犯が同じように実行行為に出て、結果も同じように生じていたと言えるなら、条件関係は否定され、幇助の因果関係も否定されます。

山場——渡した物が結局使われなかった場面

Aは、金庫の番号を書いたメモをBに渡した 図:Aは、金庫の番号を書いたメモをBに渡した

冒頭の場面に戻ります。Bは、店の金庫を狙って窃盗をすると、すでに決意していました。Aはそれを知りながら、金庫のダイヤル錠の番号を書いたメモをBに渡します。ところが、実際には店員の閉め忘れで金庫は半開きになっていて、Bはメモを一度も使わずに金庫を開け、中の金品を持ち去りました。渡したメモは、犯行に一切使われていません。Aは幇助犯になるでしょうか。条件関係説に立つと、メモが無くてもBは同じように実行できた以上、条件関係が否定され、Aには幇助の因果関係が認められません。つまり、幇助犯は成立しない、という結論になります。

Bの犯行を手伝うつもりで実際にメモまで渡したのに、たまたま使われなかっただけで何も問われないのは変ではないか、その違和感が、条件関係説への批判そのものです。渡した物がたまたま使われなかっただけで一律に不成立とするのは、成立範囲が狭すぎるという評価につながります。ここで、もう1つの説が出てきます。

促進的因果関係説——有力説

促進的因果関係説——後押ししていれば足りる 図:促進的因果関係説——後押ししていれば足りる

促進的因果関係説は、条件関係までは要求しません。正犯の実行行為などを、物理的にであれ心理的にであれ、容易にし促進すれば、それで幇助の因果関係として足りるとする見解です。この物理的・心理的というのは、共犯の処罰根拠の回で見た、物理的因果性と心理的因果性の2つの経路のことです。幇助だから物理的、と決めつけないという、あのときの注意が、ここで効いてきます。同じ場面で考えてみます。Bは、Aがメモを用意してくれたことで、金庫を開ける手段が確保できている、と感じて犯行に踏み切りやすくなったかもしれません。実際には使わなかったとしても、渡されたこと自体が心理的にBの実行を後押ししたと評価できれば、幇助の因果関係を肯定できます。

船に例えると分かりやすいかもしれません。ロープでつながれた2そうの舟のうち、片方の舟がもう片方を物理的に引っぱっているなら、それは条件関係にあたる強い結びつきです。でも、ロープが多少たるんでいても、並走してくれる舟があるというだけで、船頭が安心して漕ぐ手を緩めないなら、それも1つの推進力です。促進的因果関係説が見ているのは、この後者の後押しなんです。逆に、後押しすら無い場合は別です。たとえば、AがメモをBの上着のポケットに黙って入れておき、Bはそれに気づかないまま金庫を開けていた、としましょう。これでは、メモはBの行動にも気持ちにも、何の影響も与えていません。促進的因果関係説に立っても、この場合は幇助の因果関係が否定されます。

条件関係説と促進的因果関係説の対比——金庫の設例の結論 図:条件関係説と促進的因果関係説の対比——金庫の設例の結論

表で見ると分かるとおり、違いはつながり方の強さをどこに置くかです。あれなければこれなし、まで要求するか、後押しがあれば足りるとするか。この線引きの違いが、そのままAへの評価を裏返しています。条件関係説では、物理的に役立たなかった手助けがすべて外れてしまい、成立範囲が狭すぎるという批判から、促進的因果関係説が妥当とされています。だから、必要説と促進的因果関係説を組み合わせれば、メモが使われなくても、渡したことがBの背中を押したと言えれば、Aは幇助犯になりえます。

帰結——2つの物差しの組み合わせ

答案で書きやすい組み合わせ 図:答案で書きやすい組み合わせ

ここまでの2つの物差しを組み合わせると、答案で書きやすい型が見えてきます。共犯の処罰根拠を惹起説に置くと、それと一貫するのは必要説でした。そして、条件関係説では成立範囲が狭すぎるという批判から、促進的因果関係説が妥当とされます。この必要説と促進的因果関係説を組み合わせると、惹起説から一本の筋で最後まで説明がつながります。冒頭のメモなら、最後のあてはめは、メモを渡したことがBの実行を心理的に後押ししたと言えるか、になります。この組み合わせは、論文でも論点になりうる型です。

区別の一言——共犯関係の解消とは別物

同じ「因果性」でも、場面が違う 図:同じ「因果性」でも、場面が違う

今日見た因果関係は、幇助犯がそもそも成立するかどうかの場面の話です。それに対して、共犯関係の解消は、いったん成立した共犯関係から途中で抜けられるか、つまり、自分が及ぼした因果性を途中で断ち切れるかどうかの場面の話でした。同じ「因果性」という言葉が出てきますが、問題にしている場面がまったく別です。混同しないように、この1点だけ押さえておいてください。

今日の地図(保存版)

今日の到達点 図:今日の到達点

今日を振り返ります。幇助の因果関係には2つの物差しがありました。何とつながるかについては、正犯の実行行為までで足りるとする不要説と、正犯の結果までのつながりを要する必要説が対立します。どれだけつながるかについては、あれなければこれなしを要求する条件関係説と、物理的・心理的な促進で足りるとする促進的因果関係説が対立していました。共犯の処罰根拠である惹起説と一貫させるなら必要説、条件関係説では狭すぎるという批判から促進的因果関係説、この組み合わせが答案で書きやすい型です。金庫のメモを渡したAが、結局メモを使われなかったのに幇助犯になりうるのは、促進的因果関係説に立てば、物理的に使われたかどうかではなく、渡されたこと自体がBの実行を心理的に後押ししたかどうかで判断するからです。渡した物が実際に使われるかどうかは、幇助犯の成否を決める唯一の分かれ目ではありません。

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#86単独ページ動画

片面的教唆・幇助と過失・結果的加重犯

第9章 共犯 ㉓/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

前回の受けと、今日の4つの問い

決意を生じさせるか、後押しするか 図:決意を生じさせるか、後押しするか

これまで、教唆犯と幇助犯の意義と成立要件を見てきました。教唆はいまだ決意を有しない者に決意を生じさせること、幇助はすでに決意を有する者を後押しすることでした。正犯の実行を、物理的または心理的に促進していれば足りる、つまり因果的に促進していれば足りる、というのが前回の到達点でした。凶器を渡すのも、勇気づける声をかけるのも、実行を後押しする力があれば、どちらも幇助にあたります。その「促進していれば足りる」という物差し、今日も使います。今日は、教唆・幇助の定義と、いま確認した促進という物差しを、4つの特殊な場面に当てはめて、成立するかどうかを確かめていきます。定義と物差しさえ手元にあれば、結論は自分で導けるはずです。

こんな場面を考えてみてください。Aは、Bが夜中に塀を越えて倉庫へ忍び込もうとしていることに気づき、塀の脇にこっそり脚立を立てかけておきました。Bはそれを「作業の人の置き忘れだろう」と考え、それを使って塀を越え、窃盗をしました。AがBを手伝ったことを、Bはまったく知りません。それでも、Aは幇助犯になるでしょうか。唆したり手伝ったりしたことが相手に伝わっていなければならない、というその思い込みを、今日最初にほどきます。結論を先に言うと、Aは幇助犯になります。脚立という物が、Bに気づかれないまま実行を客観的に促進しているからです。なぜ気づかれていなくてもよいのかを、この後じっくり見ていきます。

場面1:片面的教唆・幇助——共同正犯とどう違うか

片面的共同正犯は否定 図:片面的共同正犯は否定

以前、片面的共同正犯を見ました。共同実行の事実はあるのに、意思の連絡が一方通行だった場合です。結論は否定でした。共同正犯には相互の意思連絡が要るから、片方しか気づいていないなら、共同正犯にはならない、という話でした。では、教唆や幇助でも、同じように否定になるのでしょうか。ここからが今日の1つ目の場面です。

片面的教唆——気づかれなくても、決意は生じている 図:片面的教唆——気づかれなくても、決意は生じている

片面的教唆とは、教唆者が教唆行為を行ったのに、被教唆者はそれと気づかないまま実行を決意することです。結論から言うと、通説はこれを肯定します。教唆の定義をもう一度思い出してください。決意を生じさせること、でした。「決意を生じさせたと相手に気づかせること」とは書いてありません。相手が気づいていなくても、教唆行為によって現に決意が生じていれば、定義にそのまま当てはまります。

片面的幇助——物質的幇助と精神的幇助で分かれる 図:片面的幇助——物質的幇助と精神的幇助で分かれる

では片面的幇助はどうでしょうか。幇助者が幇助行為を行ったのに、被幇助者はそれと気づかずに実行する場合です。こちらは、幇助行為の性質によって結論が分かれます。物質的幇助、凶器の提供などの形のある援助であれば、肯定されます。被幇助者に認識が無くても、その物が客観的に実行行為を容易にしているからです。これに対して、精神的幇助、助言や激励などの形のない援助は、否定されます。相手がその声かけを認識してはじめて、実行行為が容易になったと言えるからです。誰にも届かない言葉は、後押しとして働きません。物として残る手助けは、気づかれなくても効きます。言葉や合図だけの手助けは、届いてはじめて効くんです。実際に、片面的な物質的幇助を肯定した大審院(戦前の最上級の裁判所)の判例もあります。認識のない相手に対する物質的な援助でも、幇助犯の成立が認められています。

Aが置いた脚立は、物質的幇助にあたる 図:Aが置いた脚立は、物質的幇助にあたる

冒頭の場面に戻ります。Aは、Bが夜中に塀を越えて倉庫へ忍び込もうとしていることに気づき、塀の脇にこっそり脚立を立てかけておきました。Bは誰かが用意したとは気づかないまま、それを使って塀を越え、窃盗をしました。もし、Aが脚立を置かず、Bに聞こえない離れた場所から「頑張れ」と励ましていただけだったなら、それは精神的幇助の形をとっていても、Bに届いていない以上、幇助犯にはなりません。同じ「気づかれていない手助け」でも、物質的か精神的かで結論が裏返るんです。脚立は実際に使われて、塀を越えて忍び込むという実行を物理的に容易にしています。前回のメモは、気づかれず使われもしなかったので、Bの行動にも気持ちにも何の影響も与えていませんでした。分かれ目は、気づかれたかどうかではなく、実行を現に後押ししたかどうかです。

片面的な3類型、なぜ共同正犯だけ常に否定か 図:片面的な3類型、なぜ共同正犯だけ常に否定か

ここで3つを並べてみます。片面的共同正犯は常に否定、片面的教唆は肯定、片面的幇助は物質的幇助が肯定・精神的幇助が否定でした。共同正犯だけが常に否定される理由は、共同正犯が相互の意思連絡、つまり双方向のつながりを要求するのに対し、教唆・幇助は一方向のつながりで足りるという、構造そのものの違いにあります。この一本の違いが、共同正犯と、教唆・幇助の結論を分けています。幇助の中で物質的か精神的かが分かれるのは、さっき見た、届かなくても実行を容易にするかどうかの違いでした。

場面2:過失による教唆・幇助——唆す側・手伝う側に故意がない

過失による教唆・幇助、罰せられるか 図:過失による教唆・幇助、罰せられるか

2つ目の場面です。唆すつもりも手伝うつもりもなかったのに、不注意な一言が相手を決意させてしまった。あるいは、不注意な行為が実行を容易にしてしまった。こういう、過失による教唆・幇助を考えます。結論はどちらも成立しません。

条文刑法38条1項

刑法38条1項(故意) 罪を犯す意思がない行為は、罰しない。ただし、法律に特別の規定がある場合は、この限りでない。

そこで効いてくるのが、この38条1項です。罪を犯す意思がない行為は、罰しない。ただし、法律に特別の規定がある場合は、この限りでない。過失犯を処罰するには、特別の規定が必要だという条文です。ところが、過失による教唆や、過失による幇助を処罰する特別の規定は、刑法のどこにもありません。これは定義に当てはまるかどうかという話ですらなく、条文の骨組みの段階で、処罰の対象から外れているということです。たとえば、Aが友人Bとの雑談で、「隣の家、平日の昼はいつも留守らしいよ」と何気なく話した。Aに唆すつもりはまったくなかったのに、Bはそれを聞いて空き巣を決意してしまった。こういう場面です。

場面3の前に、場面2との違いを一言で

同じ「過失」でも、どこの過失かが違う 図:同じ「過失」でも、どこの過失かが違う

次の場面3に入る前に、1つだけ区別しておきます。さっきの場面2は、唆す側・手伝う側の行為が過失であるかどうかの問題でした。これから見る場面3は、唆される側・手伝われる側がやった犯罪そのものが過失犯であるかどうかの問題です。過失という言葉が、教唆・幇助する側とされる側のどちらにあるかで話が変わる、その点が混同しやすいところです。過失の位置が、教唆・幇助する側にあるか、される側にあるか、その違いだけ押さえて次に進んでください。

場面3:過失犯に対する教唆・幇助——唆される側の犯罪が過失犯

過失犯に対する教唆——否定。間接正犯で埋まる 図:過失犯に対する教唆——否定。間接正犯で埋まる

場面3は、唆される側・手伝われる側に成立するのが過失犯である場合です。まず教唆から見ます。通説の結論は否定です。「教唆」という日常語の意味に立ち返ってください。教唆とは、決意、つまり故意を生じさせることでした。過失犯には、そもそも決意=故意がありません。だから、教唆という言葉が指している事態そのものが起きていないんです。たとえば、Aが、前方の水面で人が泳いでいると知りながら、モーターボートを操縦するBに「このまま全速でまっすぐ進んで」と声をかけ、Bが前方の確認を怠ってそのまま進み、泳いでいた人にけがをさせた場面。Bは不注意だっただけで、人を傷つけようという決意はどこにも生まれていません。

過失犯を利用してしまった側が何の罪にもならない、というわけではありません。要件を満たせば、以前見た間接正犯として処理されます。さっきのAのように、相手の不注意な行為を、道具のように一方的に利用していたと言えれば、自分がその犯罪を実現した者として扱われます。教唆という形では処罰できませんが、間接正犯という別の枠で、処罰の空白は生じません。

過失犯に対する幇助——肯定。語のズレが無い 図:過失犯に対する幇助——肯定。語のズレが無い

では幇助はどうでしょうか。こちらは肯定です。同じ「過失犯に対する」なのに教唆と結論が割れるのは、「幇助」という言葉には、教唆のような語のズレが無いからです。幇助は、すでにある決意や実行を後押しすることでした。過失で走っている人の背中を押して、その人が転びやすくすることは、日常語としてそのまま成り立ちます。故意を持って走っているか、うっかり走っているかは、後押しという言葉の意味を変えません。

場面2・場面3のまとめ、4行 図:場面2・場面3のまとめ、4行

ここで場面2と場面3をまとめます。過失による教唆・幇助は、どちらも38条1項ただし書、特別の規定が無いという条文の骨の話で否定されました。過失犯に対する教唆・幇助は、「教唆」「幇助」という言葉そのものの意味に当てはまるかという語義の話で、教唆は否定・幇助は肯定に分かれました。

場面4:結果的加重犯に対する教唆・幇助——重い結果まで生じたら

基本犯を教唆・幇助したら、重い結果まで生じた 図:基本犯を教唆・幇助したら、重い結果まで生じた

最後の場面です。基本犯、たとえば傷害をAがBに教唆・幇助したところ、Bが実際に暴行を加えたら、被害者が死亡してしまい、傷害致死という結果的加重犯が成立してしまった。こういう場面です。なお、Aが死亡まで考えて唆していた場合は、そもそも傷害致死そのものを教唆・幇助した話になるので、今日の場面の外です。今日考えるのは、Aは基本犯しか考えていなかったのに、重い結果まで生じてしまった場合に限ります。

鍵になるのは、重い結果に過失が要るか 図:鍵になるのは、重い結果に過失が要るか

ここで鍵になるのは、以前見た問いです。結果的加重犯の重い結果について、行為者に過失、つまり予見可能性は必要でしょうか。以前、結果的加重犯の共同正犯のところで見ました。必要説と不要説で対立していて、必要説は責任主義(責任が無ければ処罰しない、という考え方)から過失を要求する通説、不要説は基本行為と重い結果の因果関係があれば足りるとする、判例の伝統的な立場でした。この対立軸が、今日の教唆・幇助にもそのまま使われます。

必要説なら場面3に帰着、不要説なら教唆・幇助とも肯定 図:必要説なら場面3に帰着、不要説なら教唆・幇助とも肯定

必要説では、結果的加重犯を、故意でやった基本犯に、正犯者自身の過失で生じた重い結果が乗ったものと捉えます。たとえば、Aが「殴ってやれ」とBを唆し、Bが殴ったところ、相手が思いがけず転倒して頭を打ち死亡したとします。死亡という部分だけを取り出すと、Bにとってこれは過失で生じさせた結果です。重い結果の部分だけを切り出せば、さっき見た場面3、過失犯に対する教唆・幇助と同じ問いになります。必要説に立つときは、まず場面3に戻って考える、という筋です。一方、不要説に立てば、基本行為と重い結果との間に因果関係があれば足り、過失は問いません。この立場からは、教唆・幇助とも問題なく肯定されます。

ドミノに例えるなら、最初の牌を倒すよう唆した・手伝ったら、連鎖が起きて思っていたより遠くの牌まで倒れてしまった場面です。不要説は、最初の牌を倒せば連鎖が起きること自体は見えていたはずだと考え、必要説は、遠くの牌が倒れることまで予見できたかをあらためて問います。連鎖の距離をどこまで自分の予見の範囲に含めるかで、必要説と不要説が分かれる、という構造は共通しています。

共同正犯との違いは、主体の立ち位置だけ 図:共同正犯との違いは、主体の立ち位置だけ

最後に1点だけ整理します。以前見た結果的加重犯の共同正犯は、正犯どうしが一緒に実行した関係でした。今日の結果的加重犯に対する教唆・幇助は、唆した・手伝っただけの関係です。主体の立ち位置は違いますが、使っている本質論、必要説と不要説の対立そのものは、同じものを使い回しています。

山場——4つの場面の可否マトリクス

ここまでの4つの場面、結論だけ思い出せますか 図:ここまでの4つの場面、結論だけ思い出せますか

ここまでの4つの場面、結論だけを思い出せますか?答え合わせの前に、一度自分の中で言葉にしてみてください。答え合わせです。片面的教唆は肯定、片面的幇助は物質的なら肯定・精神的なら否定。過失による教唆・幇助はどちらも否定。過失犯に対する教唆は否定、幇助は肯定。結果的加重犯に対する教唆・幇助は、必要説なら場面3に戻って考える、不要説ならどちらも肯定。1つずつ、なぜその結論になるのかも、言えましたか。理由も確認します。片面的な場合は、教唆にも幇助にも、定義の中に「相手が気づくこと」が入っていないから。ただ、励ましのような精神的幇助は、届かなければ後押しにならない。過失による場合は、38条1項ただし書の特別の規定が無いから。過失犯に対する場合は、「決意を生じさせる」という教唆の言葉に、決意の無い過失犯が当てはまらないから。幇助にはその引っかかりが無い。結果的加重犯に対する場合は、重い結果に過失が要るかで、場面3に戻るかどうかが決まるから。4つとも、やったことは同じでした。教唆・幇助の定義の言葉か、38条1項の条文に、その場面の事情を当ててみる。当てはまれば肯定、はみ出せば否定。場面4だけは、その前に重い結果に過失が要るかという本質論を1つ挟む。これが今日の結論です。

4場面×教唆・幇助の可否マトリクス 図:4場面×教唆・幇助の可否マトリクス

この表にまとめます。片面的、過失による、過失犯に対する、結果的加重犯に対する、この4つの場面で、教唆と幇助それぞれの可否と理由を並べています。覚える必要はありません。どのマスも、教唆・幇助の定義、そして61条1項・62条1項・38条1項ただし書のどれかに立ち返れば、その場で導き出せます。表は、あなたが自分で導けることを確かめるための地図であって、暗記の対象ではありません。

今日の地図(保存版)

今日の到達点 図:今日の到達点

今日を振り返ります。片面的教唆・幇助は、教唆が肯定、幇助は物質的なら肯定、精神的なら否定でした。共同正犯だけが常に否定されるのは、双方向の意思連絡を要求するかどうかの違いでした。過失による教唆・幇助は、どちらも否定。38条1項ただし書に、特別の規定が無いからでした。過失犯に対する教唆・幇助は、教唆が否定、幇助が肯定。言葉の意味に当てはまるかどうかの違いでした。そして結果的加重犯に対する教唆・幇助は、重い結果に過失が要るかという本質論次第で、必要説なら過失犯に対する教唆・幇助の問題に戻り、不要説なら教唆・幇助とも肯定される、という結論でした。

冒頭のAが、Bが気づかないまま脚立を使って窃盗をしたのに幇助犯になるのは、脚立が物質的幇助にあたり、相手の認識が無くても客観的に実行行為を容易にしているからです。相手に気づかれていたかどうかではなく、幇助行為の性質が、実行を容易にする力を持っていたかどうかで決まる、ということでした。

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#87単独ページ動画

不作為・身分犯と教唆・幇助

第9章 共犯 ㉔/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

見ていて止めなかった人は、何の共犯になるか

何もしなかった人が、共犯になる 図:何もしなかった人が、共犯になる

前回まで、教唆犯と幇助犯の意義と成立要件、そして片面的・過失による、といった特殊な場面を見てきました。今日はその第2弾です。前回は、唆す側・手伝う側の主観、つまり故意があるかどうかが軸でした。今日は軸が変わります。関与の形、不作為かどうか、そして身分があるかどうかです。こんな場面を考えてみてください。夜間の倉庫警備を契約で任されている人が、同僚が商品を盗み出そうとしているのに気づきながら、門の鍵をかけないまま持ち場を離れました。何も手を出していないのに、この人は窃盗の共犯になるでしょうか。

なることがあります。何もしないことでも、唆したり手伝ったりしたことになる場合があるんです。今日はその境目を、教唆・幇助の定義に立ち返って確かめていきます。

不作為による教唆・幇助——する側が動いていない場合

教唆は否定、幇助は肯定——なぜ割れるか 図:教唆は否定、幇助は肯定——なぜ割れるか

まず、教唆・幇助という行為そのものが不作為である場合です。何もしないことで唆した、何もしないことで手伝った、という場面ですね。教唆は否定が有力、幇助は肯定が通説です。「教唆」という言葉の意味に立ち返ってください。教唆とは、唆して決意を生じさせることでした。何もしないことは、この「唆す」という言葉の中身に当てはまりません。だから、不作為による教唆は否定が有力です。幇助とは、正犯の実行を容易にすることでした。教唆より広い言葉です。法的な作為義務を負う人が、何もしないことで正犯の実行を容易にすることは、現にありえます。だから不作為による幇助は肯定が通説です。ただし、何もしなければ何でも幇助になるわけではありません。構成要件的同価値性、つまり作為義務と、作為の可能性・容易性が必要です。以前、不真正不作為犯のところで見た物差しを、そのまま使います。

警備員は、義務があって何もしなかった 図:警備員は、義務があって何もしなかった

冒頭の場面に戻ります。この人は、契約で倉庫の施錠を任された、法的な作為義務を負う立場でした。同僚が盗み出そうとしているのに気づきながら、鍵をかけずに持ち場を離れています。鍵をかけないという不作為が、実行を容易にしたと言えれば、構成要件的同価値性が認められ、不作為による幇助犯が成立します。仮に、たまたま倉庫の前を通りかかっただけの通行人が同じ場面を見ても、その人には施錠する法的な作為義務が無いので、何もしなくても幇助犯にはなりません。義務があるかどうかが分かれ目です。判例にも、似た場面を扱ったものがあります。選挙の管理を任された立場の人が、違法な投票が行われているのを目撃しながら制止しなかった事案で、不作為による幇助犯が認められています。

不作為犯に対する教唆・幇助——される側の犯罪が不作為犯

今度は、正犯の犯罪自体が不作為犯 図:今度は、正犯の犯罪自体が不作為犯

今度は逆です。唆す側・手伝う側の行為は普通に作為でも、唆される側・手伝われる側がやっている犯罪そのものが、不作為犯である場合です。ここで効いてくるのが、以前見た65条の考え方です。不真正不作為犯は、法的な作為義務を負う人しか犯せない犯罪、つまり真正身分犯だと捉える筋があります。作為義務という身分が無ければ、その犯罪自体が成立しないからです。65条1項のその筋をそのまま使うと、作為義務を持たない人でも、その不作為犯を唆したり手伝ったりすれば、教唆犯・幇助犯になります。教唆・幇助とも同じ処理で、結論は肯定です。

不作為犯を真正身分犯として扱うことに、争いが無いわけではありません。有力に唱えられている筋ですが、断定はできません。不作為犯を身分犯と見るかどうか自体に議論の余地があるので、「妥当な考え方」として押さえておいてください。

唆した側に義務が無くても、教唆犯になる 図:唆した側に義務が無くても、教唆犯になる

別の場面で確かめます。入院患者の栄養剤の投与を担当する看護師には、法令や契約上の作為義務があります。相続で利益を得たい人が、その看護師に「今日は投与しなくていい、様子を見よう」と持ちかけ、看護師がそれに従って投与をやめ、患者が死亡しました。看護師には作為義務がありますけど、持ちかけた側には無いですよね。それでも教唆犯になるんですか。なります。持ちかけた側に作為義務は無くても、看護師の不作為による殺人を、真正身分犯だと捉えるなら、65条1項によって、義務の無い人でも教唆犯として成立します。

山場①——「する側」か「される側」か

名前は似ているが、何が違うか 図:名前は似ているが、何が違うか

ここで一度、聞いてみます。不作為による教唆・幇助と、不作為犯に対する教唆・幇助、名前は似ていますが何が違うと思いますか?やってみます。不作為による、のほうは、唆す側・手伝う側の行為が不作為かどうかの問題。不作為犯に対する、のほうは、唆される側・手伝われる側がやっている犯罪が不作為犯かどうかの問題。不作為が、どちらの立場にあるかの違いです。1本の軸、不作為なのは「する側」か「される側」か、これだけで名前の混同は解けます。

する側/される側——4マスの弁別板 図:する側/される側——4マスの弁別板

この4マスを見てください。不作為による教唆は否定、不作為による幇助は肯定、不作為犯に対する教唆は肯定、不作為犯に対する幇助も肯定です。否定になるのは、この4マスのうち1つだけです。否定されるマスを、さっきの警備員で確かめておきましょう。まだ盗む気のなかった同僚に、警備員が鍵をかけずに立ち去って見せることで、盗もうという決意を新しく生じさせた——これを「唆した」と呼べるでしょうか。決意を生じさせる働きかけが無い以上、唆したとは呼べない——そこが、不作為による教唆が否定される理由です。同じ警備員でも、すでに盗む決意を固めている同僚の実行を鍵をかけないことで容易にした場合は、幇助として肯定されます。決意を生じさせる側に回った瞬間、何もしないことでは足りなくなるんです。

なぜ、そこだけ否定なんですか。「教唆」という言葉の意味が、もともと狭いからです。それは、する側の行為そのものの問題であって、される側、つまり正犯の犯罪が不作為かどうかとは、まったく関係ありません。だから、する側が不作為の場面でだけ、教唆という言葉の狭さが効いてきて、そこだけ否定になります。される側が不作為の場面では、語義の話ではなく身分犯の話にすり替わるので、教唆でも幇助でも同じように肯定されます。

身分犯と教唆・幇助——65条の4パターン

65条、もう一度使う 図:65条、もう一度使う

ここからは、教唆・幇助という関与の形ではなく、身分そのものが絡む場面です。65条1項は真正身分犯について、身分の無い者も共犯としてこれに加功しうることを定め、2項は不真正身分犯、つまり以前見たとおり、身分が無くても犯罪自体は成立するけれど、身分があると刑が重くなったり軽くなったりする犯罪ですね、これについて、身分の無い者には通常の刑を科することを定めていました。この役割は前に立てたとおりなので、ここでは受けて使います。

条文刑法65条

刑法65条 1項「犯人の身分によって構成すべき犯罪行為に加功したときは、身分のない者であっても、共犯とする。」 2項「身分によって特に刑の軽重があるときは、身分のない者には通常の刑を科する。」

これを、教唆する側・幇助する側に身分があるかどうか、問題となる身分が真正身分か不真正身分か、この組み合わせに当てはめると、4つのパターンに分かれます。

(1) 非身分者が不真正身分者を唆す 図:(1) 非身分者が不真正身分者を唆す

(1)です。賭博をたまに打つだけの人が、常習的に賭博を行っている人を賭場に誘いました。誘った側には常習性という身分が無く、誘われた側にはあります。65条のどちらが効くんですか。2項です。身分の無い者には通常の刑を科する、とありました。誘った側は身分が無いので、通常の刑、つまり単純賭博罪の教唆犯として扱われます。誘われた側自身は、身分があるので常習賭博罪です。

(2) 不真正身分者が非身分者を唆す 図:(2) 不真正身分者が非身分者を唆す

(2)です。今度は逆に、常習的に賭博を行っている人が、賭博をしたことの無い人を初めて賭場に誘いました。ここも2項が効きます。ただし今度は、誘った側自身が身分を持っているので、誘った側には不真正身分犯、つまり常習賭博罪の教唆犯が成立します。誘われた側は身分が無いので、単純賭博罪です。2項は、身分の無い者には通常の刑、と言っているだけなので、身分がどちら側にあるかによって、誰が軽くて誰が重いかが入れ替わります。この結論自体は、判例・多数説として確立しています。この後、その据わりの悪さを一段深く見ますが、結論そのものは動きません。

(3) 非身分者が真正身分者を唆す 図:(3) 非身分者が真正身分者を唆す

(3)です。たとえば、公務員の権限を持たない民間人が、審査の権限を持つ税関職員に、賄賂を受け取るよう持ちかけました。収賄罪は真正身分犯です。ここでは1項が効きます。身分の無い者であっても共犯とする、とあるので、持ちかけた民間人にも、身分が無いまま、収賄罪の教唆犯が成立します。

(4) 真正身分者が非身分者を唆す——不成立 図:(4) 真正身分者が非身分者を唆す——不成立

最後に(4)です。審査の権限を持つ税関職員Xが、権限を持たない知人Yに、輸入業者からの謝礼を代わりに受け取ってXへ渡すよう頼みました。Yが金を受け取るという行為は、公務員でなければ成立しない収賄罪の構成要件に、そもそも当てはまりません。正犯にあたるはずのYの行為が、犯罪として成立していないんです。だとすると、Xは教唆犯になれないんですか。なれません。共犯が成立するには、正犯の行為が構成要件に当てはまり、かつ違法であることまで必要でした。制限従属性説ですね。Yの行為はそもそも収賄罪の構成要件に当たらないので、Xが従属する先が無いんです。

Xが何の罪にも問われないわけではありません。Yが事情を知ったうえで一緒に受け取りに協力していたなら、Xは、以前65条と共同正犯を見た回で扱った真正身分犯の共同正犯として処理されます。Yが何も知らない道具として利用されただけなら、以前見た間接正犯です。教唆犯・幇助犯という形では処罰できませんが、共同正犯か間接正犯という別の枠で、処罰の空白は生じません。

山場②——4パターン表

(4)だけが不成立になるのはなぜか 図:(4)だけが不成立になるのはなぜか

共犯従属性説は、共犯は正犯に寄りかかって成立する、という考え方でしたね。そのうち、正犯がどこまで犯罪の要件を満たしている必要があるかを要素従属性と呼び、通説の制限従属性説は、構成要件該当性と違法性まで要る、としていました。(4)で効いているのは、こちらの要素従属性のほうです。ここでもう一度聞きます。(1)から(4)のうち、(4)だけが不成立になるのはなぜだと思いますか。65条を読めば分かることでしょうか。考えてみます。65条自体は、身分の無い者に共犯が成立するとして、その扱いをどう決めるかの条文ですよね。でも(4)は、そもそも共犯が成立するかどうかの手前で止まっている。だから65条の問題じゃなくて、共犯従属性説の問題だと思います。65条は「共犯が成立するとして、どう扱うか」を決める条文であって、「そもそも共犯が成立するか」を決める条文ではありません。(4)だけが不成立になる理由は、65条ではなく従属性から出ています。

では、さっきの税関職員Xと知人Yで考えてみてください。Yが実は同じ審査部署の職員だったらどうなるでしょう。Yにも公務員という身分があれば、Yの受け取り自体が収賄罪になり、Xが従属する先ができるので、Xは普通に教唆犯になります。Yに身分があるかどうかだけで、成立と不成立が入れ替わります。(4)が不成立になるのは、Xの身分の話でも65条の話でもなく、相手側の行為が犯罪として成立しているかという手前の話だからです。

縦=身分の有無、横=真正/不真正——4パターン表 図:縦=身分の有無、横=真正/不真正——4パターン表

この表にまとめます。縦軸が、教唆・幇助する側に身分があるかどうか、横軸が、問題となる身分が真正身分か不真正身分かです。(1)から(3)までは、身分の組み合わせに応じて1項か2項がそのまま適用されます。(4)だけは、適用する条文そのものが無く、従属性の問題として処理されます。

深さの一押し——(2)への批判

(2)の処理、本当にそれでいいのか 図:(2)の処理、本当にそれでいいのか

最後に、(2)の処理には、以前から指摘されている据わりの悪さがあります。試験では判例・多数説の処理で足りますが、なぜ据わりが悪いのか、一度見ておくと2項の理解が深まります。65条2項の文言をもう一度見てください。「身分の無い者には通常の刑を科する」、これは非身分者側の扱いを定めた言葉です。ところが(2)では、この条文を使って、身分のある常習者自身の扱いを決めています。2項が書いているのは「身分の無い者には通常の刑」だけですよね。そこからどうして、常習者の側の刑が出てくるんですか。そこが一歩目です。2項は名宛人を「身分の無い者」と書くだけで、身分のある者をどう扱うかは何も書いていません。それでも(2)で常習者を常習賭博罪の教唆犯として重く扱うには、「通常の刑で済むのは非常習の側だ」という線引きを引いて、その残りとして常習者の扱いを決めるしかありません。つまり、暗に「非常習性」という状態そのものを、裏返しの身分として扱っていることになります。身分が、常習性という性質そのものではなく、重く罰したいかどうかで決まってしまいかねない、という指摘です。

反論するのが難しい指摘でもあります。かといって、常習者を非常習者と同じ通常の刑で済ませるのも、実態にそぐいません。試験では判例・多数説に従って処理してよいですが、この据わりの悪さを知っておくと、論文でも一段深い論証が書けます。

今日の地図(保存版)

今日の到達点——2本の軸 図:今日の到達点——2本の軸

今日を振り返ります。不作為なのが「する側」か「される側」かで、名前が似た2つの場面を区別しました。する側が不作為なら、教唆は否定、幇助は肯定でしたね。される側が不作為、つまり正犯の犯罪自体が不作為犯なら、不作為犯を真正身分犯と捉えて、65条1項で教唆も幇助も肯定でした。もう1本の軸、65条の4パターンでは、(1)と(2)は2項、(3)は1項、そして(4)だけは適用する条文そのものが無く、従属性の問題として不成立になりました。冒頭の警備員は、なぜ鍵をかけなかっただけで幇助犯になるんでしたか?契約上、施錠する法的な作為義務を負っていたからです。義務がある人が、その義務を果たさないことで、実行を容易にすれば、構成要件的同価値性が認められて、不作為による幇助犯が成立します。義務が無い通行人なら、同じことをしても幇助犯にはなりません。

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#88単独ページ動画

予備罪の教唆・幇助と正犯・共犯の区別

第9章 共犯 ㉕/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

見張り役は、共犯者か、それとも正犯か

見張り役は、共犯者か、正犯か 図:見張り役は、共犯者か、正犯か

前回まで、教唆・幇助の関与の形、不作為かどうか、身分があるかどうかを見てきました。今日は、教唆・幇助のシリーズの最後、そして共犯論全体の締めくくりです。角度が変わります。「その関与は、そもそも正犯なのか、それとも共犯なのか」という問いです。実は、これだけでは決まりません。同じ「見張り役」でも、共謀共同正犯と呼ばれることもあれば、幇助犯にとどまることもあります。今日はその分かれ目を確かめます。あわせて、唆した相手が実行にすら至らず予備で終わった場合、教唆犯や幇助犯は成立するのかという問題も見ます。

予備罪の教唆

予備で終わっても、教唆犯は成立するか 図:予備で終わっても、教唆犯は成立するか

こんな場面を考えてください。Aが、Bに殺人を教唆しました。ところがBは、実行に着手することなく、凶器を買っただけで終わりました。この場合、Aに殺人予備罪の教唆犯は成立するでしょうか。

条文刑法61条1項

刑法61条1項 「人を教唆して犯罪を実行させた者には、正犯の刑を科する。」

61条1項は「犯罪を実行させた者」と定めています。Bは実行に着手すらしていません。だとすると、Aは教唆犯にならないようにも見えます。ここで問題になるのは、予備行為が61条の「実行」にあたるか、つまり予備行為を実行行為と呼んでよいかです。以前、予備罪の共同正犯の回で見た筋を、ここでもう一度使います。

各本条が独立に定めた犯罪なら、予備行為もその罪の実行行為 図:各本条が独立に定めた犯罪なら、予備行為もその罪の実行行為

予備罪の共同正犯の回で確かめたとおり、201条は199条にぶら下がる従属予備罪ですが、それでも条文は「殺人の目的で準備をする」という行為の型を独立に定めて処罰しています。条文が行為の型を定めて罰している以上、その型にあたる行為は、殺人予備罪という罪の実行行為と見てよい——この筋を、ここでもそのまま使います。Aが唆した先の犯罪は、結果として殺人予備罪でした。その殺人予備罪の「実行」は、凶器を買うなどの準備行為であり、Bはすでにその実行行為に出ています。したがって、殺人予備罪の教唆犯がAに成立すると解するのが妥当です。

予備罪の幇助

同じロジックが、幇助犯にもそのまま効く 図:同じロジックが、幇助犯にもそのまま効く

条文刑法62条1項

刑法62条1項 「正犯を幇助した者は、従犯とする。」

同じ問題は、幇助犯にも生じます。62条1項は「正犯を幇助した者」と定めていますが、正犯の実行行為が予備行為にとどまった場合はどうなるでしょうか。さっきと同じ理屈が、そのまま使えそうですね。予備罪も条文が独立に定めた犯罪である以上、その実行行為である予備行為を手伝えば、62条1項の「正犯を幇助した」にあたります。論証をもう一度組み立て直す必要はありません。同じロジックがもう一度効くだけです。予備罪の幇助犯も成立すると解するのが妥当です。

取り違え注意——問題になるのは予備で終わった場合だけ

実行に着手したなら、話は単純な教唆・幇助に戻る 図:実行に着手したなら、話は単純な教唆・幇助に戻る

ここで1つ、取り違えないよう確認しておきます。今見た予備罪の教唆・幇助が問題になるのは、唆された側・手伝われた側が、実行に着手せず予備行為にとどまった場合だけです。もし正犯が実行に着手していたなら、それはもう予備罪の話ではなく、単純な殺人罪の教唆犯・幇助犯の問題です。教唆犯の回・幇助犯の回で見た、ふつうの成立要件をそのまま使えば足ります。

正犯と狭義の共犯の区別

「正犯」と「共犯」の境目は、どこにあるか 図:「正犯」と「共犯」の境目は、どこにあるか

ここからが、今日の中心です。間接正犯や共同正犯を含めた「正犯」と、教唆犯・幇助犯という狭い意味の「共犯」との境界は、実は曖昧なことが多いんです。典型的に問題になるのが、冒頭で聞いた見張り役です。見張りは実行行為そのものをしていないから幇助犯止まり——そう単純には決まらないんです。同じ見張り役でも、結論が変わることがあります。なぜ変わるのか、まず区別の物差しから見ていきましょう。

学説は3つ、物差しをどこに置くかが違う 図:学説は3つ、物差しをどこに置くかが違う

正犯と狭義の共犯をどこで分けるか、学説は大きく3つに分かれます。1つ目は主観説、自己のためにする意思、つまり正犯意思があるかどうかで区別します。2つ目は形式的客観説、構成要件に該当する行為の全部または一部を、自分の体でおこなったかどうかで区別します。3つ目は実質的客観説、犯罪の実現にどれだけ重要な役割を果たしたか、つまり因果的寄与の大きさで区別します。見張り役のように、実行行為そのものには手を出していない人は、形式的客観説で測るかぎり共犯止まりになります。ですが、形式的客観説だけで押し切ると、計画の中心にいて全部を仕切っていた人が、たまたま自分の手を実行行為に下さなかったというだけで、共犯止まりになってしまいます。それでは実態に合わないことが多いんです。

試験で使う帰結——自己の犯罪か、他人の犯罪への加担か 図:試験で使う帰結——自己の犯罪か、他人の犯罪への加担か

⭐ 論文で書く規範:試験対応の帰結 自分の犯罪としてやったといえるかどうかが分かれ目であり、そう言えるなら正犯、他人の犯罪に手を貸しただけなら共犯にとどまる。 (正犯と狭義の共犯の区別)

試験で使うのは、自分の犯罪としてやったといえるかどうかを分かれ目にする整理です。そう言えるなら正犯、他人の犯罪に手を貸しただけなら共犯にとどまります。3つの学説のうち、主軸に据えるのは実質的客観説です。いま見たとおり、形式的客観説では、計画の中心にいたのに手を下さなかった人を取りこぼしてしまいますが、役割の重要性で測る実質的客観説なら、その人も拾えるからです。ただ、重要な役割を果たしていても、頼まれて仕方なく従っただけの人まで正犯にするのは行き過ぎです。そこで、自分の犯罪としてやる気だったか、という主観説の視点も判断材料に足します。

見分ける2つのポイント——役割の重要性と正犯意思 図:見分ける2つのポイント——役割の重要性と正犯意思

⭐ 論文で書く規範:正犯・共犯の区別の規範 自己の犯罪といえるかを分けるのは、犯罪行為全体でどれだけ重い役割を担ったか、そして正犯意思を持っていたか、この2点である。 (正犯と狭義の共犯の区別)

自己の犯罪といえるかどうかを分けるのは、2つの物差しです。犯罪行為全体の中で、その人の役割がどれだけ重かったか。そして、正犯意思を持っていたかどうかです。正犯意思は、共謀共同正犯の回で押さえたものです。共謀に基づく実行によって因果性を及ぼした、その関与を、自己の犯罪として行う意思のことでした。そこでは、利害関係・利益配分・影響力・実行担当者となる可能性・密接性、この5つの視点で見分けると整理しました。ここでも、その5つの視点をそのまま道具として使います。ただ、使う場面が少し違います。共謀共同正犯の回は、共謀と、その共謀に基づく実行という外側の条件を先に確かめたうえでの話でしたから、残るのは正犯意思1つで足りました。今日は、その外側の条件を別立てにせず、正犯か共犯かを正面から分けます。だから、外側にあたる部分を役割の重要性という柱として据えて、正犯意思と合わせて2つで見るわけです。5つの視点は、どちらか一方の柱だけに属するものではありません。たとえば実行担当者となる可能性は、役割の重要性の裏付けにもなりますし、正犯意思の裏付けにもなります。役割の重要性と正犯意思、この2つがどちらも強ければ正犯、どちらも弱ければ共犯に近づきます。なお、犯罪から得られる利益の大小を補助的に見る考え方もありますが、これは断定的な決め手にはしません。あくまで役割の重要性と正犯意思、この2つを中心に見ていきます。

あてはめ——見張り役、2パターンの対比

特殊詐欺の見張り役、2つのパターン 図:特殊詐欺の見張り役、2つのパターン

ここからは、独自の設例で確かめます。特殊詐欺のグループに、見張り役として関わったAがいます。役割の重さを変えた2つのパターンで、正犯と共犯、それぞれ結論がどう変わるか見ていきましょう。このうちパターンAは、共謀共同正犯の回で見た見張り役と、よく似た場面です。同じような場面を、今日の物差しで測り直してみましょう。

パターンA——言われた場所に立つだけ 図:パターンA——言われた場所に立つだけ

パターンAです。この特殊詐欺は、Bが標的を選び、受け子の手配もすべて行い、計画を立てました。Aは、Bに頼まれて、決まった時間に決まった場所に立ち、周囲を見ているだけの役です。標的の選定にも実行の日時にも関わっておらず、報酬は定額、計画への発言権もありません。役割の重要性も低く、正犯意思も認めにくい事案です。この場合、Aは自分の犯罪としてやったとは言えず、Bの犯罪に加担したにすぎません。Aは幇助犯にとどまります。

パターンB——標的も、実行日も、自分で決めた 図:パターンB——標的も、実行日も、自分で決めた

パターンBです。今度は同じ「見張り役」でも、Aが標的の選定や実行日時の決定にも関わっていました。報酬は定額ではなく、成果に応じた分け前で受け取ります。しかも、実行を担当する人が欠けた場合には、自分がその場で代わる想定でした。Aは計画の立案段階から食い込み、利益の配分も受け、実行担当者になる可能性もありました。役割の重要性は高く、正犯意思も認められます。Aは自分の犯罪としてやったと言え、共謀共同正犯です。肩書きそのものは、正犯と共犯を分ける物差しではないからです。見張っているという外形の行為が同じでも、その人が計画にどれだけ食い込み、どれだけの取り分を得る立場だったかという中身が違えば、実質的に自己の犯罪と言えるかどうかも変わります。「見張り役だから一律に幇助犯」という思い込みを、まず崩してください。

パターンAとパターンBの違いは、どこにあったか 図:パターンAとパターンBの違いは、どこにあったか

この対比を表にまとめます。役割の重要性と正犯意思、この2つの物差しをそれぞれのパターンに当てると、結論の違いがそのまま説明できます。実際の試験では、学説の名前を並べることより、目の前の設例で役割の重要性と正犯意思をどう評価するかが、点差の付くところです。

今日の地図(保存版)

今日の到達点——2本の柱 図:今日の到達点——2本の柱

今日を振り返ります。予備罪の教唆・幇助は、予備罪も独立に構成要件化された犯罪である以上、その実行行為である予備行為を唆し、あるいは手伝えば、それぞれ成立すると解するのが妥当でした。ただし、これが問題になるのは、正犯が予備行為にとどまった場合だけでしたね。実行に着手していたら、単純な教唆犯・幇助犯の問題に戻る、という注意点でした。そして今日の中心、正犯と狭義の共犯の区別は、自分の犯罪としてやったといえるかどうかを、役割の重要性と正犯意思の2つで判断する、という規範でした。パターンAとパターンBは、同じ見張り役なのに結論が分かれました。見張っているという行為の外形が同じでも、標的の選定や実行日時の決定にどれだけ関わり、どれだけの取り分を得る立場だったか、という中身が違えば、役割の重要性も正犯意思も変わるからです。肩書きではなく、中身を見る、これが今日の答えです。これで、教唆犯・幇助犯をめぐる一連の論点は終わりです。

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#89単独ページ動画

共犯の錯誤

第9章 共犯 ㉖/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

“傷害でいこう”と決めた2人。片方が刺して、相手が死んだ

"傷害でいこう"と決めた2人。片方が刺して、相手が死んだ 図:“傷害でいこう”と決めた2人。片方が刺して、相手が死んだ

会社員のAとBは、取引先とのトラブルで揉めた相手Xに「痛い目に遭わせよう」と示し合わせました。傷害でいこう、というつもりです。当日、Aがひとりで現場に行き、Xと接触したところ、予想外の反撃を受けました。Aはかっとなり、殺意を抱いてXを刃物で刺し、死亡させてしまいます。現場にいなかったBが何罪になるのか——そこが今日の一番の問いです。殺すつもりが無かったほうは、何罪になるのか。今日はこの問いに、最後まで正面から向き合います。

共犯の錯誤とは、何がズレることか

認識と実行のあいだのズレ 図:認識と実行のあいだのズレ

まず、言葉の意味を確認します。共犯の錯誤とは、教唆犯・幇助犯・共同正犯といった広い意味の共犯者が、頭の中で認識していた犯罪事実と、実際に正犯者が実行した犯罪事実とのあいだに、食い違いがある場合をいいます。認識と実行、この2つのあいだのズレが共犯の錯誤です。

原則は変わらない。ただし例外がある

原則は法定的符合説。ただし例外がある 図:原則は法定的符合説。ただし例外がある

では、このズレをどう処理するか。先に考えてほしいのは、共犯になったからといって、比べるものが増えたわけではない、ということです。単独犯の事実の錯誤で比べていたのは、頭の中で認識していたことと、実際に起きたこと、この2つでした。共犯の錯誤で比べるのも、共犯者が認識していたことと、正犯者が実際にやったこと、やはり2つです。冒頭のBも、頭の中は傷害、実際に起きたのは殺人——比べている形は、単独犯のときとまったく同じです。比べる構造が同じなら、使う道具も同じで足ります。だから出発点は、単独犯と同じ法定的符合説です。

ただし、1つだけ注意が要ります。共犯の錯誤には、法定的符合説だけでは片づかない、共犯特有の処理が必要になる場面があります。今日の後半、山場になるのがそこです。

3つの場面に分けて見ていく

共犯の錯誤、3つの場面 図:共犯の錯誤、3つの場面

共犯の錯誤は、大きく3つの場面に分けられます。1つ目は、共同正犯は共同正犯どうし、教唆犯は教唆犯どうしというように、同じ共犯の形の中で認識と実行がズレる場合。これが今日のテーマです。2つ目は、異なる共犯の形のあいだでズレる場合。3つ目は、間接正犯と共犯のあいだでズレる場合です。今日は、共同正犯・教唆犯・幇助犯、それぞれの内部で起きるズレを、順番に見ていきます。

共同正犯の具体的事実の錯誤——速く抜ける場面

客体を取り違えただけなら、道具はそのまま使える 図:客体を取り違えただけなら、道具はそのまま使える

まず、軽いところから確認します。AとBが、Xの殺害を共謀したとします。ところが実行を担当したAが、暗がりでXと人違いをして、Yを殺害してしまいました。法定的符合説では、殺人罪という構成要件のレベルで見れば、認識と発生は一致しています。だから、単独犯で使った道具をそのまま使えば足ります。A・Bともに、Yに対する殺人罪の共同正犯が成立します。共犯だからといって、ここで新しいことは何も起きていません。

共同正犯の抽象的事実の錯誤

共謀段階と実行段階、AとBの立場のズレ 図:共謀段階と実行段階、AとBの立場のズレ

ここからが今日の本題です。冒頭のAとBの話に戻ります。AとBは、Xへの傷害を共謀しました。ところが実行を担当したAは、殺意を抱いてXを刺し、死亡させています。Aについては、単独で見ても殺人罪が成立します。問題は、殺意を持たなかったBの罪責です。殺人罪は成立するでしょうか。それとも、別の何かでしょうか。少し考えてみてください。ここは、さっきの客体の取り違えと違って、傷害罪と殺人罪という、別々の構成要件のあいだのズレです。法定的符合説の問題として、そのまま処理することはできません。ここでは、2つの問いを順番に立てる必要があります。1つ目は、そもそも共同正犯とは何を共同することなのか、という共犯の本質の問題。2つ目は、被害者が死亡したという重い結果を、どう扱うかという結果的加重犯の問題です。結果的加重犯とは、軽い罪を犯すつもりで行為した結果、意図しない重い結果が生じた場合に重く処罰される犯罪類型をいいます。

問い①——殺人罪の共同正犯は成立するか 図:問い①——殺人罪の共同正犯は成立するか

まず1つ目、共犯の本質から考えます。あらかじめ法律で定められた行為でなければ犯罪にならない、という罪刑法定主義から、犯罪は構成要件というかたちで定められています。

条文刑法60条

刑法60条(共同正犯) 「二人以上共同して犯罪を実行した者は、すべて正犯とする。」

60条は、二人以上共同して犯罪を実行した者は、すべて正犯とする、と定めています。ここでいう「犯罪」とは、特定の構成要件のことです。だから、共同正犯として認められるには、その特定の構成要件を共同して実現していなければならない、という考え方が出発点になります。前に、共犯の本質のところで、部分的犯罪共同説という規範を習いましたね。思い出せますか?やってみます……各行為者の狙いが完全に重ならなくても、同質的で重なり合う構成要件であれば、その重なり合う限度で共同正犯の成立を認める、でした。この規範を、今回の場面に当てはめます。A・Bのあいだに、殺人罪についての共謀はありません。だから、殺人罪の共同正犯は成立しません。では、傷害罪と殺人罪は、重なり合うでしょうか。

たとえば、殺人罪って、人を傷つけたうえで死なせる罪、とも言えますよね。傷害罪は、人を傷つける罪。だとすると、人を傷つけるという部分では、重なっている気がします。傷害罪と殺人罪は、人の身体を害するという点で同質的で、傷害罪の限度で重なり合っています。したがって、少なくとも、A・Bのあいだには傷害罪の共同正犯が成立します。

問い②——死亡という重い結果を、どう扱うか 図:問い②——死亡という重い結果を、どう扱うか

ここまでで、Bには傷害罪の共同正犯が成立することが分かりました。でも、これで終わりではありません。Xは実際に死亡しています。この重い結果を、Bにどう跳ね返らせるか、というのが2つ目の問いです。ここで、結果的加重犯の共同正犯の本質論をもう一度使います。重い結果についての過失を不要とする立場からは、過失犯の共同正犯——本来なら、過失犯にも共同正犯が成立するかどうか自体が議論になりうる論点です——の成否をわざわざ問題にするまでもなく、結果的加重犯の共同正犯の成立を認められます。傷害罪は暴行の結果的加重犯であり、傷害致死罪は傷害罪の結果的加重犯です。もっとも、不要説でも自動的に成立するわけではありません。基本となる傷害罪の共同正犯と死亡結果とのあいだに、危険の現実化と言える因果関係があるかは見ます。これは、以前、因果関係のところで見た考え方で、行為に含まれていた危険が、そのまま結果として現れたと言えるかを確かめるものです。冒頭のBも、死亡について過失はありませんが、共謀した傷害の危険がそのまま現実化して死亡に至ったと言えるので、傷害致死罪の共同正犯が認められます。

結論——Aは殺人罪、Bは傷害致死罪の限度で共同正犯 図:結論——Aは殺人罪、Bは傷害致死罪の限度で共同正犯

以上をまとめます。Aには、単独で殺人罪が成立します。Bには、傷害致死罪が成立します。そして、A・Bの2人は、傷害致死罪の限度で共同正犯となります。

条文刑法205条

刑法205条(傷害致死) 「身体を傷害し、よって人を死亡させた者は、三年以上の有期拘禁刑に処する。」

この結論を導く条文が、傷害致死罪を定めた205条です。身体を傷害し、よって人を死亡させた者は、三年以上の有期拘禁刑に処する。この条文が、Bの罪責の着地点になります。だから、結論を丸暗記するのではなく、2つの問いを順番に立てる、という手順を覚えてください。1つ目、共同正犯として何を共同したと言えるか——共犯の本質、部分的犯罪共同説で、重なり合う限度の罪名を確定する。2つ目、その罪の結果的加重犯として、重い結果まで責任を負わせられるか——結果的加重犯の共同正犯の本質論を当てる。この2つの問いさえ立てられれば、場面がどう変わっても、自分で結論を導けます。

教唆犯の錯誤——具体的から抽象的へ

教唆犯の具体的事実の錯誤も、速く抜ける 図:教唆犯の具体的事実の錯誤も、速く抜ける

次は、教唆犯の錯誤です。まず、軽いところから。AがBにXの殺害を教唆したところ、Bが暗がりでXと人違いをしてYを殺害した場合です。法定的符合説から、Bには殺人罪、Aには殺人罪の教唆犯が成立します。ここも速く抜けて構いません。

Aは窃盗を教唆したのに、Bは強盗を実行した 図:Aは窃盗を教唆したのに、Bは強盗を実行した

次が、今日2つ目の山場です。金に困っている後輩Bに、先輩Aが「あの店の商品を持ち出してこい」と持ちかけます。窃盗の教唆です。ところが当日、Bは店員に見つかり、逃げるために店員を突き飛ばして商品を奪って逃走しました。ここで、答案の流れに1つ注意が要ります。これは、前に、単独犯の錯誤のところで組み立てた手順と同じで、いきなり主観と客観のズレから始めるのではなく、まず客観を確定します。Bが実際にやったのは、暴行または脅迫を用いて財物を奪う行為ですから、客観的には強盗にあたります。そのうえで、Aの主観は窃盗の教唆だったから、客観と主観がズレている、抽象的事実の錯誤が問題になる、という順番で組み立てます。たとえば、今回のBは、店員を突き飛ばして商品を奪っているので、暴行または脅迫を用いて財物を奪う、という強盗の客観にそのまま当てはまります。

ここでも、単純に法定的符合説を使うのではなく、実質的な重なり合いの限度で考えます。名前は違いますが、考え方の中身は同じです。共同正犯は、AとBが同じ罪を一緒にやったと言えるかを問うので、共犯の本質——共同正犯として何を共同したかという問題——として、部分的犯罪共同説を使いました。これに対して教唆犯は、正犯者であるBとは別に、教唆者Aに何罪の故意があったかを問えば足りるので、単独犯の錯誤で使った道具、実質的符合説がそのまま効きます。

条文刑法38条2項(既出の再掲)

刑法38条2項(重い罪と軽い罪) 「重い罪に当たるべき行為をしたのに、行為の時にその重い罪に当たることとなる事実を知らなかった者は、その重い罪によって処断することはできない。」

38条2項は、重い罪に当たるべき行為をしたのに、行為の時にその重い罪に当たることとなる事実を知らなかった者は、その重い罪によって処断することはできない、と定めています。この条文の先にあるのが、保護法益や行為態様の共通性を基礎に、実質的な重なり合いがあるかどうかで判断する、実質的符合説でしたね。窃盗の限度で、実質的な重なり合いが認められます。だから、Bには強盗罪が成立し、Aには窃盗罪の教唆犯が成立します。

客観と主観、どちらが重いか——2つの入口の違い 図:客観と主観、どちらが重いか——2つの入口の違い

ここでもう1つ、押さえておきたいことがあります。今回の場面は、客観のほうが重く、主観のほうが軽い場合でした。この場合、厳密には、故意があるかどうかの問題ではなく、軽い故意に対応した軽い客観が存在するか、という問題として論じます。強盗という客観の中に、窃盗という軽い客観が含まれているかを見る、というイメージです。今回は、暴行・脅迫を用いて財物を奪うという行為の中に、財物を奪うという窃盗の要素がそのまま含まれているので、問題なく認められます。では逆に、Aが強盗を教唆したのに、Bが窃盗にとどまった場合はどうでしょうか。

客観のほうが軽くて、主観のほうが重い場合ですね。この場合は、まず客観を、Bが実際にやった窃盗の教唆と認定します。そのうえで、それに対応する故意がAにあるかを論じます。Aは強盗を教唆したのですから、その中には窃盗という軽い行為の認識も含まれています。だから、Aには窃盗罪の教唆犯が成立します。どちらのパターンでも、先に客観を固定してから、対応する故意や客観を探しに行く、という順番は共通しています。

結果的加重犯の場合——そもそも錯誤にならない

傷害を教唆したら、傷害致死になった 図:傷害を教唆したら、傷害致死になった

ここで、もう1つ場面を見ます。AがBに傷害を教唆したところ、Bが実際に暴行を加え、被害者が死亡してしまい、傷害致死が成立したとします。よく似ています。でも、結論はまったく違います。この場合、錯誤はそもそも問題になりません。錯誤が問題になるのは、発生した犯罪事実について、行為者に故意が無かった場合です。ところが、結果的加重犯の重い結果については、そもそも故意は不要でした。故意が要らない以上、故意が無かったことを問題にする必要そのものがありません。だから、これは錯誤の問題ではなく、そもそも結果的加重犯に対する教唆犯が成立するかどうかという、別の問題になります。

2つの場面の比較——分かれ目はどこにあるか 図:2つの場面の比較——分かれ目はどこにあるか

ここで、さっきの、傷害を共謀して殺意で実行された場面と、いま見た、傷害を教唆して死亡結果が出た場面を並べて比較してみます。前者は、AとBが共同正犯という関係でした。実行担当者のAが殺意を持ったことで、認識していた構成要件そのものが、傷害罪から殺人罪へと移動しています。だから、錯誤の問題として処理しました。Bの行為は、最初から最後まで、1つの構成要件の中にとどまっています。ではなぜ、ここでは構成要件をまたぐ移動が起きないのか。傷害致死罪の死亡結果には、はじめから故意が要求されていないからです。要求されていない以上、Bの認識は傷害罪の枠から動きようがありません。だから分かれ目は、重い結果についての故意がそもそも要求されているかどうか——これが、構成要件をまたぐ移動が起きているかを決める1本の物差しです。

幇助犯の錯誤——同じロジックがもう一度効く

教唆犯で組み立てた筋が、そのまま効く 図:教唆犯で組み立てた筋が、そのまま効く

最後に、幇助犯の錯誤です。ここまで教唆犯で見てきた処理が、そのまま使えます。論証を新しく立てる必要はありません。教唆犯のところで組み立てた筋が、もう一度そのまま効くだけです。

今日の地図(保存版)

今日の到達点 図:今日の到達点

今日を振り返ります。共犯の錯誤は、原則として法定的符合説で処理します。ただし、共同正犯の抽象的事実の錯誤だけは例外で、共犯の本質と結果的加重犯という、2つの問いに置き換えて処理しました。部分的犯罪共同説で重なり合う罪名を確定して、そのうえで、結果的加重犯の本質論で重い結果まで届かせる、という2段構えでしたね。そして、同じように「重い結果が出た」場面でも、結果的加重犯として一貫した構成要件の中にとどまっている場合は、そもそも錯誤の問題にはなりません。重い結果についての故意が要求されているかどうかが、分かれ目でした。

A・Bのあいだに殺人罪の共謀はなく、傷害罪の限度でしか重なり合っていません。だから、まず傷害罪の共同正犯が成立します。そのうえで、重い結果についての過失を不要とする立場からは、その傷害罪が死亡という結果に至った以上、傷害致死罪の共同正犯として扱われます。

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#90単独ページ動画

共犯の錯誤②

第9章 共犯 ㉗/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

迷っていると思って声をかけたら、相手はもう決めていた

迷っていると思って声をかけたら、相手はもう決めていた 図:迷っていると思って声をかけたら、相手はもう決めていた

同僚のBは、会社の倉庫にある備品を持ち出すことを、前の晩、すでに一人で決めていました。そのことを知らないAは、Bがまだ迷っていると思い込み、「今夜なら警備が手薄だから、やってしまえ」と声をかけます。Aの主観は教唆のつもりですが、客観的に見ると、様子が違います。今日は、共犯の形そのものがズレる場面と、間接正犯とのあいだでズレる場面を、まとめて片づけます。

異なる共犯形式のあいだで起きるズレ

声をかけたAは、何罪か 図:声をかけたAは、何罪か

条文刑法61条1項(既出の再掲)

刑法61条1項(教唆) 「人を教唆して犯罪を実行させた者には、正犯の刑を科する。」

条文刑法62条1項(既出の再掲)

刑法62条1項(幇助) 「正犯を幇助した者は、従犯とする。」

この先の話の前提になるので、共犯の形の重さを、まず条文から確認します。教唆犯は、61条1項により、正犯と同じ刑を科されます。これに対して幇助犯は、62条1項により従犯とされ、さらに次の条文が効きます。

条文刑法63条

刑法63条(従犯減軽) 「従犯の刑は、正犯の刑を減軽する。」

63条により、従犯の刑は正犯の刑より軽くなります。教唆犯は正犯と同じ重さ、幇助犯はそこから減軽される軽さ——幇助犯が一段軽いことは、条文そのものから出てきます。その上で、自ら実行に加わる共同正犯と、他人に決意させるだけの教唆犯とでは、関与の深さから前者が重いと評価されます。あわせて、共同正犯・教唆犯・幇助犯という重さの順に並びます。冒頭の場面に戻ります。Aは、Bを唆して決意させようとしましたが、Bはすでに決意していました。教唆とは、まだ犯意の無い相手に、犯意を生じさせる行為をいいます。Bにはすでに犯意があったのですから、客観的に見ると、Aの声かけは、すでに決意している者の実行を後押ししたにすぎません。

主観と客観が、教唆犯と幇助犯という異なる共犯形式のあいだでズレています。教唆犯と幇助犯は、61条と62条という別々の枠です。ここでズレているのは、殺人罪や窃盗罪といった犯罪の種類ではなく、共犯の形という、いわば修正された構成要件のほうです。同じ枠の中で揺れているだけの錯誤とは違い、枠そのものをまたいでいるので、抽象的事実の錯誤として扱い、単独犯のときと同じ法定的符合説の考え方に乗せます。共同正犯・教唆犯・幇助犯は、さきほど確認した順で重く、前回は、保護法益や行為態様の共通性を基礎に、実質的な重なり合いが認められる限度で成立を認めましたね。教唆も幇助も、他人の犯罪の実行に関わって、それを促すという点では共通します。違うのは、犯意を生じさせたのか、すでにある犯意の実行を後押ししただけなのか、という関与の深さだけです。共通する土台があるからこそ、浅い方の限度でなら、重なり合いを認めることができます。

⭐ 論文で書く規範:【論文で書く規範】共犯形式が異なる主観と客観のあいだでズレた場合、共同正犯・教唆犯・幇助犯のうち軽い方の限度で重なり合いが認められ、その限度で犯罪が成立する。 (規範(通説で立てる))

教唆と幇助を比べると、幇助のほうが軽い共犯形式です。したがって、軽い方である幇助犯の限度で重なり合いが認められます。

結論——Aには幇助犯が成立する 図:結論——Aには幇助犯が成立する

結論として、Bには窃盗罪の単独正犯、Aには窃盗罪の幇助犯が成立します。逆に、Aが幇助のつもりで声をかけたのに、実はBがまだ決意していなかった、という場合も考えられますが、同じ理屈で、軽い方である幇助犯の限度にとどまります。共同正犯とのあいだでズレる場合も同じです。主観と客観、どちらが重くても、軽い方の限度で認める——この一言に尽きます。

間接正犯と教唆との錯誤

意思の無い道具のつもりだったが、相手は自分の意思で動いた 図:意思の無い道具のつもりだったが、相手は自分の意思で動いた

ここからが、今日いちばんの山場です。Aは、幼い子どものように振る舞うBを見て、意思疎通ができない者だと誤って思い込みました。Aは、Bを自分の手足のように使うだけの道具のつもりで、「あの家に火をつけてこい」と指示します。ところが実際のBは、指示の意味を十分に理解したうえで、自分の意思で放火を実行しました。間接正犯のつもりだったのに相手に意思があった——たしかに、教唆と幇助のズレとは種類が違います。以前、間接正犯を扱った回で見たとおり、間接正犯という形自体は、条文に直接書かれていません。他人を、意思の無い道具として利用し、自分の手を汚さずに結果を実現する場合を、正犯として扱う考え方です。これに対して教唆犯は、意思のある他人に働きかけ、その他人自身の意思によって実行させる場合でした。荷物の配達で考えてみましょう。中身を理解したうえで自分の意思で運んでもらったなら、それは「お願いして運んでもらった」。中身が分からないまま渡された物をただ運ばせたなら、それは「自分の手足として運ばせた」。頼む側が相手のタイプを見誤っても、起きたことは「他人に荷物を届けさせた」という1つの絵のままです。

「他人を利用する」点で、2つは重なる 図:「他人を利用する」点で、2つは重なる

どちらも、自分では直接手を下さず、他人を介して犯罪を実現する、という点では、同じ絵の中にいます。この「他人を利用する」という共通の性質のところで、間接正犯と教唆犯は法定的に重なり合っていると考えます。

⭐ 論文で書く規範:【論文で書く規範】間接正犯と教唆犯は、他人を利用して犯罪を実現する点で法定的に符合しており、その重なり合う限度である教唆犯が成立する。 (規範(通説で立てる))

通説は、この重なり合いを根拠に、教唆犯の限度で成立を認めます。これに対して、少数説は、間接正犯として処理すべきだと主張しますが、実際にはBが自分の意思で行動している以上、Aが道具のように一方的に支配していたとは言えない、と批判されます。結論として、Aには放火罪の教唆犯が成立します。

逆に、教唆のつもりが、実は道具だった場合も同じ 図:逆に、教唆のつもりが、実は道具だった場合も同じ

この逆の場合も考えられます。Aは、Bが自分の意思で判断してくれると思い、放火を教唆するつもりで指示しました。ところが実際のBは、重い知的障害により、指示の意味を理解しないまま、言われるがまま実行していました。主観が教唆犯で客観が間接正犯という、さきほどとは逆向きのズレですが、使う道具はまったく同じです。他人を利用する点で符合しているので、重なり合う限度である教唆犯が成立します。主観と客観、どちらが間接正犯でどちらが教唆犯でも、結論は変わりません。

途中で、相手が気づいてしまったら

最初は道具のつもり、途中から自分の意思で動いた 図:最初は道具のつもり、途中から自分の意思で動いた

もう1つ、今日の山場を見ます。医師のAは、実は毒物であるものを治療薬と偽って、看護師のBに渡し、患者に注射するよう指示しました。Bは、注射の途中で、渡されたものが毒物だと気づきましたが、患者への日頃の恨みから、そのまま注射を続け、患者を死亡させてしまいます。Bが情を知る前は、Aの行為は間接正犯的な性質を持ちます。Bが情を知った後は、教唆犯的な性質を持ちます。1つの行為の中で、性質が入れ替わってしまう——では、Aの行為は、全体として、どちらと評価すべきでしょうか。

客観的にみれば、教唆行為があったと言えるか 図:客観的にみれば、教唆行為があったと言えるか

少数説である間接正犯説は、毒物を渡した誘致行為そのものが実行行為であり、途中で情を知ったことは、因果関係の中の軽微な錯誤にすぎない、と考えます。ですが、この立場には弱点があります。Bが情を知ってなお注射を続けたことは、Aの誘致行為から通常予想される経過とは言えません。相当因果関係の範囲を逸脱していると評価すると、間接正犯としての実行行為性が、途中で切れてしまいます。それでは、患者が実際に死亡した結果を、うまく説明できません。

⭐ 論文で書く規範:【論文で書く規範】利用者と被利用者の行為を全体としてみれば、客観的に教唆行為があったと評価できる。 (規範(通説で立てる))

そこで通説は、Aの行為を、渡した瞬間だけで切り取らず、Bが情を知って以降も含めて、全体として通しで評価します。全体としてみれば、客観的に教唆行為があったと評価できる——この規範から、これは、さきほど見た、間接正犯のつもりが客観は教唆だった場面として処理します。Aの主観は間接正犯、行為を通しでみた客観は教唆犯だからです。結論として、Aには殺人罪の教唆犯が成立します。Bが最初から毒物だと見抜いていた場合は、そもそも「途中で気づいた」という時間差の問題ではなく、最初から、さきほどの、間接正犯のつもりが客観は教唆だった場面として処理すれば足ります。時間差があるかどうかだけが、2つを分ける違いです。

間接正犯と幇助犯との錯誤

同じ道具が、もう一度そのまま効く 図:同じ道具が、もう一度そのまま効く

最後に、間接正犯と幇助犯とのあいだのズレです。Aが間接正犯のつもりで動かしたら、客観的には幇助犯にあたる行為だった、という場合も考えられます。その逆も同じです。たとえば、さきほどの放火の場面で、Aが、意思の無い道具として使うつもりでライターを黙って置いてきただけで、Bは自分の意思で、その火種を使って火をつけた——Aの客観的な行為は、実行を容易にしただけの幇助です。他人を利用する点で重なり合うという物差しは、相手が教唆犯でも幇助犯でも変わりません。重なり合う限度である幇助犯が成立します。論証を新しく立てる必要はなく、さきほどの筋がもう一度そのまま効くだけです。

第9章の締め——ズレて見えたら、何から確認するか

「思っていたことと起きたことがズレている」——さて、何から確認する? 図:「思っていたことと起きたことがズレている」——さて、何から確認する?

ここまで、共犯のズレをいろいろ見てきました。ここで第9章の最後に、答案でこの手の場面に出会ったとき、何から確認すればいいのか、1つの手順にまとめます。前回の内容で、共謀の射程は、何を基準に判断しましたか?たしか、結果が、当初の共謀の範囲内といえるかどうか、という物差しでした。では、共犯関係の解消は、何を基準に判断しましたか。

3つの入口を、問う順番で並べる 図:3つの入口を、問う順番で並べる

共謀の射程は、結果が当初の共謀の範囲内といえるか。共犯関係の解消は、因果性が遮断されたか。この2つの物差しを使って、問う順番を作ります。まず①、結果は、当初の共謀の範囲内といえるか。範囲の外に、新たな決意や別の機会が挟まっていれば、共謀の射程の問題です。次に②、範囲内だったとして、共犯関係はその後も抜けずに維持されていたか。ここに疑わしい形跡があれば、共犯関係の解消の問題です。そして③、共謀の範囲内で、共犯関係も維持されていたとして、単に認識した犯罪事実と実現した犯罪事実が、形式や構成要件のレベルだけでズレている——ここまで来て初めて、共犯の錯誤の問題になります。

この順番には、理由があります。③の錯誤は、共犯関係が生きていて、結果も当初の共謀の範囲内にある——その前提のうえで、形だけがズレている場面です。前提のほうを先に確かめないと、そもそも共犯として問えない場面なのに、形のズレだけを論じてしまいます。では、実際に振り分けてみましょう。1つめ。共謀の射程を見た回の場面です。二人が窃盗だけを共謀していたのに、一方が現場で被害者に暴行を加えました。もう一方は、そのことを知りません。これは、3つのどれですか。範囲の外に新たな決意が入り込んでいるので、問い①で止まります。共謀の射程の問題ですね。2つめ。共犯関係の解消を見た回で使った場面です。凶器を仲間に渡した者が、実行の着手前に「抜ける」と伝え、仲間も了承しましたが、仲間はそのまま実行しました。

抜けた形跡があるので、共犯関係の解消の問題になります。3つめ。今日の冒頭のAです。Bはすでに決意していたのに、Aはまだ迷っていると誤信して声をかけました。範囲も抜けも問題なく、形だけがズレている——共犯の錯誤の問題です。共謀の射程・共犯関係の解消・共犯の錯誤——この3つは、どれか1つに排他的に切り分けるものではなく、この順番でチェックしていく手順そのものが答案の入口になります。

今日の地図(保存版)

今日の到達点 図:今日の到達点

今日を振り返ります。異なる共犯形式のあいだでズレた場合は、軽い方の限度で重なり合いを認めます。間接正犯と教唆・幇助とのあいだでズレた場合は、他人を利用する点で符合し、やはり軽い方、あるいは重なり合う形式の限度で成立します。そして、似た見た目を持つ3つの論点に出会ったら、範囲内か、抜けたか、形式だけズレたかの順で確認していきます。Bはすでに窃盗を決意していました。Aの主観は教唆のつもりでしたが、客観的には、すでに決意している者の実行を後押ししたにすぎません。教唆と幇助のうち、軽い方である幇助犯の限度で重なり合い、Aには窃盗罪の幇助犯が成立します。

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第10章罪数

#91単独ページ動画

罪数論の基礎と評価上一罪

第10章 罪数 ①/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

人を1人殺した。これは何個の犯罪か

服も破れ、凶器も用意され、未遂の瞬間もあった 図:服も破れ、凶器も用意され、未遂の瞬間もあった

Aは殺意を持ってBに日本刀で切りかかり、Bは死亡しました。切りかかった際にBの服も切り裂かれて破れ、その刀は事前に用意したもの、切りかかった瞬間には未遂の状態もありました。Aが犯した罪は、何個でしょうか。条文の文言だけを追うと、たしかに全部当てはまるように見えます。ですが実際にAが処罰されるのは、殺人罪1つです。今日は、なぜそうなるのか、その理由を1つずつほどいていきます。

なぜ罪数を数えるのか

数える理由は2つしかない 図:数える理由は2つしかない

冒頭のAの例に戻ります。仮に殺人罪・器物損壊罪・殺人予備罪・殺人未遂罪の4つが独立に成立するなら、刑を合算するのか、いちばん重い罪だけで処断するのか、その決め方が変わってきます。これが1つめの理由、処断刑の形成です。今日の裁判で殺人罪として裁かれたなら、その裁判の対象になった事実については、後からもう一度別の裁判にかけられることはありません。これを一事不再理といいます。器物損壊の部分だけ切り離して、後日改めて訴追できるのか——この範囲を画するためにも、罪数を決める必要があります。処断刑の形成と一事不再理の範囲、この2つの実益があるからこそ、「1罪か数罪か」を機械的にではなく、評価を交えて決めなければなりません。

前回の確認——幇助犯の刑は条文でどう扱われたか 図:前回の確認——幇助犯の刑は条文でどう扱われたか

本題に入る前に、1つ思い出してください。前回まで見てきた共犯のうち、幇助犯の刑は、条文の上でどう扱われていましたか?63条で、正犯の刑を減軽する。しかも、裁判官が選べる減軽ではなく、必ず減軽しなければならない必要的減軽でした。教唆犯のほうは、61条で、正犯と同じ法定刑の幅の中で処罰されました。刑の重さは、言い渡された刑ではなく、条文が定める幅で比べる——この感覚は、今日「重いほうの罪の刑で処断する」という場面でもう一度使いますので、覚えておいてください。

全体地図と罪数決定の基準

一罪から併合罪まで、4つの層 図:一罪から併合罪まで、4つの層

罪数の全体像を、地図として渡します。いちばんうえの層が一罪です。一罪の中にも、構成要件を明確に1回だけ充足する単純一罪と、複数回充足したように見えて1回だけと評価される評価上一罪があります。評価上一罪の中には、今日扱う法条競合と包括一罪の2つがあります。その下の層に、1個の行為から複数の結果が出る場合などをまとめる科刑上一罪、さらにその下に、まったく別の機会に犯された複数の罪をまとめる併合罪という層が続きます。今日歩くのは、いちばんうえの一罪の層までです。ここで、数える単位そのものを決める基準を確認します。何をもって「1個の犯罪」と数えるかについては、いくつかの考え方が対立してきました。行為の個数で数える行為標準説、侵害された法益の個数で数える法益標準説、犯人の意思の個数で数える意思標準説などです。ですが、これらはいずれも基準として不安定です。1個の行為から複数の法益が侵害されることもあれば、1個の意思のもとで複数の行為が積み重なることもあるからです。

⭐ 論文で書く規範:【犯罪の個数を数える基準】犯罪の個数は、構成要件を充足した回数によって数える。 (規範(通説で立てる))

そこで通説は、構成要件を充足した回数によって犯罪の個数を数えます。これを構成要件標準説といいます。構成要件は、立法者が「これだけの行為・結果・意思があれば1個の犯罪として処罰する」と定めた単位そのものです。だからこそ、構成要件を何回充足したかを数えることが、犯罪の個数を数えることと同じ意味を持ちます。ただし、この基準だけでは話が終わりません。条文の文言だけを追うと構成要件を複数回充足して見えるのに、実際には評価としては1回しか働かない場面が出てきます。冒頭のAの例がまさにそれです。この先の法条競合と包括一罪は、その「見た目は複数回、評価としては1回」がなぜ起きるのかを説明する議論です。

法条競合——条文が重なって見えるだけ

入口は複数あっても、行き着く部屋は1つ 図:入口は複数あっても、行き着く部屋は1つ

1つめの理由が、法条競合です。法条競合とは、1個の行為が条文の文言上は複数の構成要件に当たって見えるものの、構成要件どうしの関係から、結局1個の条文しか適用されないと評価される場合をいいます。適用される条文が、最初から1個しかないのです。

4類型の違いを具体例で比較する 図:4類型の違いを具体例で比較する

法条競合には、4つの類型が挙げられます。1つめが特別関係です。特別法は一般法を排斥するという原則で、業務上横領罪と単純横領罪の関係がその例です。業務上、他人の物を占有する者がこれを横領すれば、業務上横領罪だけが成立し、単純横領罪は重ねて成立しません。2つめが補充関係です。基本となる法が、補充的な法を排斥するという原則です。冒頭のAの例に戻ると、殺人罪が既遂に達した以上、その手前の段階である殺人予備罪や殺人未遂罪は、殺人既遂罪に排斥されて重ねて成立しません。基本の犯罪が成立する以上、その完成に至る前段階の犯罪は、もはや独立に評価する必要が無いという考え方です。

3つめが択一関係です。どちらか一方が成立すれば他方は成立しない関係をいい、横領罪と背任罪の関係がその例に挙げられます。横領罪は、自分が占有する他人の物を、自分の物のように扱う罪です。背任罪は、他人のために事務を処理する者が、自分または第三者の利益を図る目的、あるいは本人に損害を加える目的で、その任務に背いて本人に財産上の損害を与える罪です。どちらも、他人のために財産を管理し、または処理する立場の者が、本人の利益を害する点で似ているので、1つの事件がどちらの入口にも見えます。ですが、占有する物そのものを不法に処分したなら横領罪、それ以外の方法で本人に財産上の損害を生じさせたなら背任罪と、行為の型によってどちらか一方に決まるため、択一関係とされます。4つめが吸収関係です。ある行為が他の行為を通常伴う場合をいい、既遂行為が未遂行為を通常伴う関係がその例です。ただし、この2つは、特別関係や補充関係との境目がはっきりせず、独立の類型として立てる実益は乏しいといえます。たとえば冒頭のAの例で、切りかかった際にBの服が破れた点は、殺人罪が器物損壊罪を通常伴うという意味で、吸収関係の例に挙げられることがあります。ですが、殺人罪が守っているのは人の生命、器物損壊罪が守っているのは物の財産的価値で、保護している法益がそもそも別です。適用条文が最初から1個しかないという法条競合の説明にはなじまず、服が破れたという被害は、殺人罪という重大な結果に対する評価の中に、軽微な付随事情として包み込まれている、と理解するのが的確です。

冒頭のAについて、殺人予備罪・殺人未遂罪が成立しない理由は、この補充関係で説明がつきます。

包括一罪(1)——同種の行為をまとめて評価する

実際に複数の行為があっても、1個の構成要件で評価し尽くされる 図:実際に複数の行為があっても、1個の構成要件で評価し尽くされる

2つめの理由が、包括一罪です。法条競合との違いを、はっきりさせておきます。法条競合は、適用される条文が最初から1個しかありませんでした。これに対して包括一罪は、行為も、構成要件への該当も、現実には複数回あります。それでもなお、すべてが1個の構成要件によって包括的に評価されるのです。入口が最初から1個なのが法条競合、複数の部屋を通っても1棟として数えるのが包括一罪です。包括一罪には、いくつかの型があります。まず、同種の行為が繰り返される場合から見ていきます。1つめは、常習犯や営業犯です。常習賭博罪のように、構成要件そのものが最初から行為の反復を予定している場合は、反復された賭博行為の全体で包括一罪となります。営業犯は、反復して行うことが収益を得る活動として構成要件に織り込まれている場合をいい、わいせつ物頒布等罪がその例です。常習犯が「繰り返す」こと自体を捉えているのに対して、営業犯は「繰り返して稼ぐ」ところまでを1個の罪の中身にしている、という違いです。どちらも、反復すること自体を立法者が1個の罪として処罰すると決めた構成要件です。だから、繰り返した回数で数え直す必要が無く、全体で1個に数えます。

米俵9俵、3回の窃取行為 図:米俵9俵、3回の窃取行為

2つめが接続犯です。同一の犯意に基づいて、時間的にも場所的にも近接した状況で、数個の同種の行為が行われ、それらが事実上切り離せないほど密接に関連している場合をいいます。実際にあった事案では、夜間の約2時間のあいだに、同じ倉庫から3回にわたって米俵を3俵ずつ、合計9俵を持ち出したという事案があります。

判例最高裁判所第二小法廷 昭和24年7月23日判決・刑集3巻8号1373頁

接続犯の判例(米俵の事案) 同一の機会を利用し、同一の犯意に基づいて行われた一連の同種の動作であるとして、原審の併合罪の認定を破棄し、窃盗罪の包括一罪と認めた。

3回に分けているので併合罪になりそうに見えますが、実際の判断は違いました。同一の機会を利用し、同一の犯意に基づいて行われた一連の同種の動作であるとして、3回の持ち出しをまとめて、窃盗罪の包括一罪と認めています。同じ機会に、同じ意思で、同じ種類の行為を繰り返しているなら、法律の目から見れば、9俵を1回で持ち出したのと変わらない、という評価です。

逮捕して、引き続き監禁したら 図:逮捕して、引き続き監禁したら

3つめが、狭義の包括一罪です。1個の構成要件が、同一の法益に向けた複数の行為態様を、最初から規定している場合をいいます。人を縄で縛って身動きを取れなくする逮捕行為と、そのまま引き続き部屋に閉じ込める監禁行為を考えてください。

条文刑法220条

刑法220条(逮捕及び監禁) 「不法に人を逮捕し、又は監禁した者は、三月以上七年以下の拘禁刑に処する。」

220条は、逮捕と監禁という2つの行為態様を、最初から1個の条文の中に並べて規定しています。人を逮捕し、引き続き監禁したときも、逮捕罪と監禁罪の2罪が成立するのではありません。

判例最高裁判所大法廷 昭和28年6月17日判決・刑集7巻6号1289頁

包括一罪の判例(逮捕監禁の事案) 人を、逮捕し監禁したときは、論旨も指摘するように、逮捕罪と監禁罪との各別の二罪が成立し、牽連犯又は連続犯となるものではなく、これを包括的に観察して刑法二二〇条一項の単純な一罪が成立するものと解すべきものである。

引用に出てくる牽連犯・連続犯は、どちらも複数の罪をまとめて扱うための別の枠組みの名前です。ここではそのどちらでもなく、逮捕と監禁を包括的に観察して、220条の単純な一罪が成立すると判断されています。逮捕と監禁、2つの行為態様がありますが、220条という1個の条文が、最初からその両方を1個の罪の中身として用意しているからです。

包括一罪(2)——異なる罪がまとまる場合

異なる構成要件でも、まとまることがある 図:異なる構成要件でも、まとまることがある

ここまでは、同じ種類の罪がまとまる場合でした。ここからは、異なる種類の罪がまとまる場合、混合包括一罪を見ます。見た目には別々の構成要件に当たる複数の行為でも、①被害法益の実質的な同一性と、②時間的・場所的な近接性という2つの要件がそろえば、包括一罪として評価されます。具体例で考えます。無銭飲食をする意図を隠して料理を注文し、受け取った後、発覚を恐れて強い暴行を加え、代金の支払いを免れたとします。料理をだまし取った点は詐欺罪に、代金の支払いを暴行で免れた点は強盗利得罪に、それぞれ当たるように見えます。

条文刑法236条2項

刑法236条2項(強盗利得) 「前項の方法により、財産上不法の利益を得、又は他人にこれを得させた者も、同項と同様とする。」

ですが、だまし取った料理と、暴行で免れた代金は、実質的には同じ経済的利益を指しています。しかも、料理を受け取った時点と、暴行で支払いを免れた時点は、時間的にも場所的にも近接しています。被害法益の実質的な同一性と、時間・場所の近接性の両方がそろうため、詐欺罪と強盗利得罪は別々に成立するのではなく、より重い強盗利得罪の包括一罪として処理されます。

判例最高裁判所第一小法廷 昭和61年11月18日決定・刑集40巻7号523頁

混合包括一罪の判例 先行する本件覚せい剤取得行為がそれ自体としては、窃盗罪又は詐欺罪のいずれに当たるにせよ、前記事実関係にかんがみ、本件は、その罪と(二項)強盗殺人未遂罪のいわゆる包括一罪として重い後者の刑で処断すべきものと解するのが相当である。

この判例の事案は、覚せい剤を盗むか、だまし取るかして手に入れたうえで、その相手を殺そうとしたというものです。先行する取得行為が窃盗罪と詐欺罪のどちらに当たるかは確定できませんでしたが、実際の判断でも、そのいずれに当たるとしても、その後に続いた強盗殺人未遂罪と合わせて、重いほうの刑で処断すべきだと判断されています。異なる構成要件であっても、法益の同一性と時間・場所の近接性が認められれば、重いほうの罪の包括一罪として1個にまとまるのです。

今日の山場——盗んだ物を、どう扱うと別罪になるか

壊しても罪にならないのに、払戻しを受けると罪になる? 図:壊しても罪にならないのに、払戻しを受けると罪になる?

ここからが、今日いちばんの山場です。窃盗犯が、盗んだ物を後から壊しても、器物損壊罪は別に成立しません。盗んだ物を売り払っても、横領罪は別に成立しません。ところが、盗んだ通帳を使って銀行から払戻しを受けると、今度は詐欺罪が別に成立します。この違いは、どこから生まれるのでしょうか。犯罪の分類を学んだときに、状態犯の話でも少し触れましたが、ここで改めて掘り下げます。犯罪が完成した後、その犯罪に伴う違法な状態が続いている中で、通常含まれていると考えられる行為は、すでにその構成要件によって評価し尽くされている、という考え方があります。これを不可罰的事後行為といいます。

条文刑法261条

刑法261条(器物損壊等) 「前三条に規定するもののほか、他人の物を損壊し、又は傷害した者は、三年以下の拘禁刑又は三十万円以下の罰金若しくは科料に処する。」

窃盗犯が盗んだ物を壊す行為を考えます。窃盗罪は、他人の財物に対する占有を奪うことで、被害者の財産権を侵害する罪です。盗んだ物をその後壊す行為は、被害者の財産権をさらに一段深く害しているだけで、窃盗罪がすでに評価した被害の範囲を出ていません。窃盗罪の評価がすでに及んでいる以上、261条をあらためて適用する必要が無いのです。

銀行への払戻し請求は、窃盗の評価の外に出る 図:銀行への払戻し請求は、窃盗の評価の外に出る

一方、盗んだ通帳を使って銀行から払戻しを受ける行為は違います。窃盗罪が保護しているのは、通帳の元の持ち主の財産権です。これに対して、銀行から払戻しを受ける行為は、通帳の名義人本人が請求していると誤信した銀行の窓口係員をだまして、銀行の財産を交付させています。ここで害されているのは、窃盗の被害者とは別の、銀行という新たな法益です。

条文刑法246条1項

刑法246条1項(詐欺) 「人を欺いて財物を交付させた者は、十年以下の拘禁刑に処する。」

判例最高裁判所第二小法廷 昭和25年2月24日判決・刑集4巻2号255頁

不可罰的事後行為の限界判例(通帳払戻しの事案) 窃取または騙取した郵便貯金通帳を利用して郵便局係員を欺罔し、真実名義人において貯金の払戻を請求するものと誤信させて貯金の払戻名義の下に金員を騙取することは、更に新法益を侵害する行為であるから、ここにまた犯罪の成立を認めるべきであって、これをもって賍物の単なる事後処分と同視することはできない。

判断でも、盗んだ通帳を使って係員をだまし、払戻しを受ける行為は、更に新たな法益を侵害する行為であるから、あらためて犯罪の成立を認めるべきであり、これを盗品の単なる事後処分と同じに扱うことはできない、とされています。窃盗の評価が及ぶ範囲の外に出ているからこそ、別に詐欺罪が成立するのです。判例の事案は郵便局の貯金通帳ですが、いまの銀行預金でも筋は同じです。

⭐ 論文で書く規範:【不可罰的事後行為の弁別】先行する犯罪によって、その構成要件が予定する法益の射程内にとどまる行為は、すでにその犯罪の評価に含まれ、別罪を構成しない。先行する犯罪とは別の新たな法益を侵害する行為は、その射程を超えており、別罪が成立する。 (規範(判例で立てる))

たとえば、盗んだ自転車のフレーム番号を削って誰の物か分からなくした場合は、被害者の財産権に対する侵害の範囲内にとどまるため器物損壊罪は別に成立しませんが、盗んだ通帳を使って銀行から払戻しを受けた場合は、詐欺罪が別に成立します。同じ「盗んだ後の扱い」なのに、結論が分かれるのはなぜでしょうか。この2つの結論を分けている軸は1つです。侵害した法益が、先行する犯罪の構成要件が予定している法益の射程内に収まっているか、それとも、その射程の外に出て、新たな法益を侵害しているか。盗んだ物を壊す・売る行為は、窃盗罪が最初から予定している被害者の財産権の範囲に収まっているので、射程内。銀行への払戻し請求は、窃盗の被害者ではなく銀行という、窃盗罪の射程には入っていない別の法益を侵害しているので、射程外です。

最後に、犯罪が完成する前の段階にも、似た発想があることに触れておきます。殺人予備罪が、殺人罪が成立すれば重ねて成立しないのは、さきほど法条競合の補充関係で見たとおりです。準備段階の行為が、完成した犯罪の中にすでに含まれていると考える点で、発想は共通しています。冒頭のAが結局殺人罪1つで処断されるのも、同じ理由です。予備・未遂の段階も、服が破れた被害も、殺人罪という1個の評価の内側に収まっているからです。

弁別の総ざらい

これは法条競合か、包括一罪か 図:これは法条競合か、包括一罪か

今日見てきた内容を、2つの問いにまとめます。①適用される条文は、最初から1個しかなかったか。はいなら法条競合です。②複数の行為・複数の構成要件該当が現実にあったが、法益の同一性や条文の作り、評価の射程から、1個に評価し尽くされるか。はいなら包括一罪です。この2つの問いで、ほとんどの場面を振り分けられます。試しに、いくつか振り分けてみましょう。1つめ、業務上、他人の物を占有する者が、これを横領した場合です。業務上横領罪だけが成立する法条競合です。2つめ、夜のうちに、同じ倉庫から3回に分けて米俵を持ち出した場合です。

同一の機会・同一の犯意による包括一罪です。3つめ、盗んだ通帳を使って、銀行の窓口で払戻しを受けた場合です。法条競合でも包括一罪でもなく、別罪として2つの罪が別々に成立する場面です。②の問いに「いいえ」で答えが出たなら、それはもう評価上一罪の話ではありません。1個の行為から複数の結果が出る場合や、手段と目的の関係にある場合にも、また別の理由で罪数がまとまることがありますが、それは次に扱います。

今日の地図(保存版)

今日の到達点 図:今日の到達点

今日を振り返ります。罪数を数えるのは、処断刑の形成と一事不再理の範囲、この2つの実益のためでした。数える単位は、構成要件を充足した回数、構成要件標準説です。そのうえで、数罪に見えて1罪に落ちる理由には2つあり、適用される条文が最初から1個しかない法条競合と、複数の行為・複数の構成要件該当があっても1個に評価し尽くされる包括一罪でした。そして今日の山場、不可罰的事後行為は、侵害した法益が先行する犯罪の射程内に収まっているか、外に出ているかで結論が分かれます。殺人予備罪・殺人未遂罪は、殺人既遂罪との補充関係により、法条競合として排斥されます。服が破れた点は、法条競合ではなく、殺人罪という重い評価の中に軽微な被害として包み込まれていると考えられるため、器物損壊罪を重ねて立てる必要がありません。だからAは、殺人罪1つで処断されます。

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#92単独ページ動画

科刑上一罪

第10章 罪数 ②/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

罪は2つ成立しているのに、刑は片方分

殴ってケガをさせた。罪は2つ、刑は1つ分 図:殴ってケガをさせた。罪は2つ、刑は1つ分

職務執行中の警察官に殴りかかり、その拍子にケガをさせたとします。公務執行妨害罪と傷害罪、2つの罪が成立します。ですがこの人に実際に科される刑は、重いほうの罪の1罪分だけです。犯罪の成立自体は、数罪のまま動きません。動くのは、刑を決めるときの数え方だけです。今日は、この一見矛盾した扱いがなぜ起こるのかを、1つずつほどいていきます。

前回の受けと原則・例外

前回の道具は、今日も使うが役割が違う 図:前回の道具は、今日も使うが役割が違う

罪数の全体地図を、もう1度出します。いちばんうえが一罪の層で、前回はここまで歩きました。単純一罪は、構成要件を1回だけ充足する場合。評価上一罪は、複数回充足したように見えて1回だけと評価される場合です。その中の法条競合と包括一罪、この道具はすでに渡してあります。包括一罪は、行為も構成要件への該当も現実に複数あっても、1個の構成要件で評価し尽くされる場合でした。今日はその下、数罪のまま処理の仕方が変わる層、科刑上一罪に降ります。呼び戻すのは、ここまでです。今日の科刑上一罪は、構成要件標準説で数えた結果、すでに複数罪だと確定したあとの話です。数え方の道具ではなく、数えたあとの刑の科し方の道具だという違いを、まず押さえてください。

原則は併合罪、科刑上一罪はその例外 図:原則は併合罪、科刑上一罪はその例外

数罪が成立したときの扱いの原則は、併合罪です。45条は、確定裁判を経ていない複数の罪について、それぞれの刑を基礎にしながら合算する方向で処理すると定めています。なぜ原則が合算なのかといえば、別々の機会に成立した罪は、それぞれが独立した被害を生んでいて、行為者もその都度あらためて犯意を固めているからです。1つの罪を犯したことが、もう1つの罪の責任を軽くする理由にはなりません。Aは月曜日にBを殴ってケガをさせ、翌週の日曜日にCの家に忍び込んで物を盗んだとします。傷害罪と窃盗罪、この2つはまったく別の機会に、別の被害者に対して成立していて、行為を1個にまとめる理由がどこにもありません。だからこの場合は、それぞれの刑を基礎に合算する併合罪で処理されます。今日学ぶ科刑上一罪は、この原則に対する例外にあたります。

54条1項を読む

前段は観念的競合、後段は牽連犯 図:前段は観念的競合、後段は牽連犯

その例外を定めているのが、54条1項です。全文を読みます。

条文刑法54条1項

刑法54条1項 「一個の行為が二個以上の罪名に触れ、又は犯罪の手段若しくは結果である行為が他の罪名に触れるときは、その最も重い刑により処断する。」

1つ1つ言葉を追います。「一個の行為が」——まず前段の入口です。行為が複数ではなく、1個であることが前提になります。「二個以上の罪名に触れ」——その1個の行為が、条文の文言上、複数の犯罪に当てはまるときです。ここまでが前段、観念的競合です。続いて「又は」で場面が切り替わります。「犯罪の手段若しくは結果である行為が」——ある犯罪をおこなうための手段として、あるいはその犯罪から生じた結果として、別の行為がある場合です。「他の罪名に触れるとき」——その手段や結果の行為が、また別の罪名に当てはまるときです。ここが後段、牽連犯です。前段と後段、どちらに転んでも、結論は同じ「その最も重い刑により処断する」です。

前段は行為の個数の話、後段は複数の行為のあいだの関係の話。同じ条文の中に、性質の違う2つの場面が並んでいます。

科刑上一罪は何に効くのか 図:科刑上一罪は何に効くのか

では、科刑上一罪は何に効くのでしょうか。3つ確認します。1つめ、処断刑です。それぞれの罪の刑を足し合わせる併合罪加重をせず、最も重い刑1つで処断刑を組み立てます。2つめ、一事不再理の範囲です。1罪として扱われる以上、一方が確定した裁判の中でもう一方も審理され尽くしたことになり、あとから別に訴追することはできません。3つめ、公訴時効です。これも1罪として扱われます。刑を科す場面の話か、犯罪が何個成立しているかの話か。そこが今日いちばん大事な区別です。冒頭の例に戻ると、公務執行妨害罪と傷害罪は、2罪として成立したまま動きません。動くのは、処断刑の組み立て方と、一事不再理・公訴時効の範囲だけです。罪の数は減らない、減るのは刑を決めるときの数え方だけです。

観念的競合——行為が1個か

行為が1個だから、一罪に近い 図:行為が1個だから、一罪に近い

まず前段、観念的競合です。一個の行為が二個以上の罪名に触れる場合をいいます。行為が1個である点で、数罪でありながら1罪に近い、という趣旨で、重いほうの刑1つにまとめられます。1個の爆弾で複数人を殺害すれば、被害者の数だけ殺人罪が成立しますが、行為は1個の爆破行為だけなので観念的競合です。職務執行中の警察官に暴行を加えてケガをさせれば、公務執行妨害罪と傷害罪の観念的競合になります。冒頭の例は、まさにこれです。

山場①「1個の行為」をどう判断するか

「1個の行為」は何を基準に決まるのか 図:「1個の行為」は何を基準に決まるのか

では、その「1個の行為」は何を基準に判断するのでしょうか。ここが今日1つめの山場です。実は、「1個の行為」を構成要件を基準に数えると、前段が意味を持たなくなってしまいます。構成要件を基準にすると、罪名の数だけ「行為」を数え直すことになり、公務執行妨害罪と傷害罪が同時に成立する場面では、常に行為が2個あることになってしまいます。それでは、行為が1個の場合に限って刑をまとめる、という前段の存在理由が失われます。だからこそ判例は、構成要件を離れた自然な見方、つまり法的評価をはなれ構成要件的観点を捨象した自然的観察という言葉を使い、日常の感覚で1個の動きに見えるかどうかを基準にしています。

判例最大判昭49・5・29

「1個の行為」の判断基準の判例 刑法五四条一項前段の規定は、一個の行為が同時に数個の犯罪構成要件に該当して数個の犯罪が競合する場合において、これを処断上の一罪として刑を科する趣旨のものであるところ、右規定にいう一個の行為とは、法的評価をはなれ構成要件的観点を捨象した自然的観察のもとで、行為者の動態が社会的見解上一個のものとの評価をうける場合をいうと解すべきである。

判例は、一個の行為とは、法的評価をはなれ構成要件的観点を捨象した自然的観察のもとで、行為者の動態が社会的見解上一個のものとの評価をうける場合をいう、と述べています。なお、判例が言う「処断上の一罪」は、今日の科刑上一罪と同じものを指しています。

⭐ 論文で書く規範:【観念的競合における「1個の行為」の判断】法的評価をはなれ構成要件的観点を捨象した自然的観察のもとで、行為者の動態が社会的見解上一個のものとの評価をうける場合をいう。 (規範(判例で立てる))

境界を、具体例で確認します。片方の手で拳銃を撃ち、同時にもう片方の手でナイフを振るって、1人の被害者に両方が命中した場合、2つの動作は時間的にも場所的にも一体で、日常の感覚では1個の攻撃動作として見えます。これは1個の行為と評価できる側です。反対に、1人を殴ってケガをさせたあと、いったん立ち去り、数分後に戻ってきて別の凶器で同じ被害者をもう1度襲った場合、動作のあいだに区切りがあり、日常の感覚でも2つの動きとして見えます。これは1個の行為と評価できない側です。

山場②点と線で振り分ける

点と点、線と線、点と線 図:点と点、線と線、点と線

この基準を実際の判例にあてはめると、「点」と「線」という言葉で整理できます。一瞬で終わる行為を点、一定の時間続く行為を線と呼ぶことにします。1つめ、無免許運転の罪と酒酔い運転の罪です。無免許運転は、免許なく運転している時間じゅうずっと成立していますし、酒酔い運転も、酒に酔った状態で運転している時間じゅうずっと成立しています。どちらも運転が続くあいだじゅう続く線の行為で、しかも同じ1回の運転という動作の中に完全に重なっています。だから観念的競合です。2つめ、業務上過失傷害の罪と信号無視の罪です。信号無視は交差点を通過する一瞬で終わる点の行為、業務上過失傷害もその交差点で事故を起こした一瞬で終わる点の行為です。2つの点が、同じ瞬間、同じ場所で重なっているので、これも観念的競合です。

3つめ、業務上過失致死の罪と酒酔い運転の罪です。酒酔い運転は運転している間じゅう続く線の行為、業務上過失致死はその途中の一瞬に起きた事故という点の行為です。線の行為と点の行為とでは、そもそも動作の性質が違い、線の中のどの瞬間を切り取っても点の行為と等しいとはいえません。だから自然な見方でも1個の動きとはいえず、併合罪です。実は、さきほど一般論を示した判例そのものが、この業務上過失致死と酒酔い運転の組み合わせの事案です。4つめ、2地点で起きた速度違反の罪です。どちらも一瞬で終わる点の行為で、性質は同じです。ですが、1つめの地点での違反と、2つめの地点での違反は、場所も時間も別々に起きています。点と点でも、重なっていなければ、そもそも1個の行為とは評価できません。これも併合罪です。

線と線、点と点が同じ場所・同じ瞬間に重なっているときだけ観念的競合。性質が違うか、重なっていなければ併合罪です。どちらに転んでも、成立している罪の数そのものは動きません。動くのは、刑を決めるときの数え方だけです。

牽連犯——手段目的の関係

手段・目的、または原因・結果の関係 図:手段・目的、または原因・結果の関係

続いて後段、牽連犯です。数個の犯罪が、手段・目的、または原因・結果の関係にある場合をいいます。手段となる犯罪に随伴して、目的となる犯罪が行われることが経験則上通常だといえる場合に、重いほうの刑1つで処断します。住居に侵入して人の物を盗めば、住居侵入罪が手段、窃盗罪が目的で牽連犯です。文書を偽造して、それを使えば、偽造罪が手段、行使罪が目的で、これも牽連犯です。

山場③「たまたま」では足りない

放火して保険金を得た。なぜ牽連犯にならないのか 図:放火して保険金を得た。なぜ牽連犯にならないのか

では、手段と目的の関係さえあれば、何でも牽連犯になるのでしょうか。ここが今日2つめの山場です。たとえば、保険金をだまし取る目的で自分の家に放火した、という場合を考えてください。手段・目的の関係に見えますが、実は、保険金詐欺目的の放火は牽連犯になりません。

⭐ 論文で書く規範:【牽連犯の成否の判断】牽連犯にあたるかどうかは、その事件でたまたま手段・目的または原因・結果の関係が認められるかではなく、犯罪の性質上、類型的にその関係にあるといえるかで判断する。具体的な事件でたまたまその関係が認められても、牽連犯にはならない。 (規範(最判昭24・7・12))

判例は、牽連犯にあたるかどうかは、その事件でたまたま手段・目的の関係が認められるかではなく、犯罪の性質上、類型的にその関係にあるといえるかで判断する、としています。放火という行為は、性質上、必ず保険金詐欺につながるわけではありません。ほとんどの放火は、保険金とは無関係に行われます。この事件ではたまたま保険金目的だっただけで、放火という犯罪の性質そのものに、保険金詐欺が組み込まれているわけではないのです。だから牽連犯にならないのです。

肯定例と否定例を並べる 図:肯定例と否定例を並べる

肯定例と否定例を並べて、この線引きを確認します。たとえば肯定されるのは、住居侵入と、その後の窃盗・強盗・殺人・不同意性交等です。住居に侵入しなければ、家の中で盗んだり人を傷つけたりすることができません。住居侵入は、その中で行われる犯罪の、いわば通り道です。犯罪の性質上、類型的に手段・目的の関係にあるといえます。文書や有価証券を偽造して、それを行使する場合も同じです。偽造した文書を使ってだまし取る場合も、偽造・行使・詐欺という一連の流れが、性質上、通り道として結びついています。さきほどの放火と保険金詐欺のほかに、窃盗を教唆しておいて、その盗品を有償で譲り受ける場合、人を殺したあとに死体を遺棄する場合、強盗殺人の発覚を防ぐために放火する場合です。人を殺した者が、必ず死体を遺棄するとは限りません。その場に放置して立ち去ることもできます。強盗殺人の犯人が、必ず放火で証拠を隠すとも限りません。手段・目的に見える組み合わせでも、その犯罪の性質そのものに次の行為が組み込まれているとまではいえない場合は、たまたまの結びつきにとどまり、牽連犯にはなりません。牽連犯にならなければ、原則どおり、それぞれの罪の併合罪として処理されます。

「最も重い刑」の下限

重いほうの罪で決めても、下限だけは軽くできない 図:重いほうの罪で決めても、下限だけは軽くできない

54条1項の「その最も重い刑により処断する」には、もう1つ押さえておくことがあります。最も重い刑を定めている罪の法定刑を基準にしますが、その処断刑の下限は、ほかの罪の法定刑の下限より軽くすることはできません。なぜなら、下限まで重いほうの罪に合わせてしまうと、軽いほうの罪について法律が定めた最低限の処罰を下回ることになり、その軽い罪だけを犯した場合より、かえって軽く済んでしまうからです。処断刑を組み立てる細かい順序は、加重や減軽を扱う回で改めて扱います。ここでは54条1項の読み方として、この下限の縛りがあることだけ押さえてください。

弁別の総ざらい

評価上一罪、観念的競合、牽連犯、併合罪 図:評価上一罪、観念的競合、牽連犯、併合罪

今日の内容を、ミニ事例で振り分けてみましょう。まず、業務上、他人のものを占有する者がこれを横領した場合です。評価上一罪でしょうか、観念的競合でしょうか、それとも別の答えでしょうか。……業務上横領罪が成立すれば、単純横領罪はそもそも出番がありません。行為が重なっているかどうかを見るまでもなく、適用される条文が最初から1個です。評価上一罪、前回の法条競合ですね。観念的競合や牽連犯は、複数の罪が現に成立していることが前提でした。ここでは単純横領罪が最初から出番を失っているので、その前提にすら乗りません。次に、無免許運転をしながら酒酔い運転もした場合です。

運転している間じゅう続く線どうしが、まるごと重なっているので観念的競合です。次に、住居に侵入して人の物を盗んだ場合です。行為は2個で、住居侵入が手段、窃盗が目的という類型的な関係にあるので牽連犯です。最後に、まったく別の機会に、別の被害者に対して2回、窃盗を行った場合です。行為の重なりも手段・目的の関係もないので、それぞれ独立した罪として併合罪です。評価上一罪、観念的競合、牽連犯、併合罪、この4つの選択肢のうち、どれから消えていくかまで言えれば、今日の内容は身についています。かすがい現象と、狭義の共犯の罪数処理という、もう2つの発展的な論点が残っています。

今日の地図(保存版)

罪の数は減らない、減るのは数え方だけ 図:罪の数は減らない、減るのは数え方だけ

今日を振り返ります。数罪が成立したときの原則は併合罪で、科刑上一罪はその例外でした。54条1項は、一個の行為が二個以上の罪名に触れる観念的競合と、手段・目的または原因・結果の関係にある牽連犯を定め、どちらも最も重い刑1つで処断します。ただし、犯罪の成立そのものは数罪のまま動きません。動くのは、処断刑・一事不再理・公訴時効という、刑を科す場面での数え方だけです。殴りかかるという1個の行為が、公務執行妨害罪と傷害罪、2つの罪名に触れています。法的評価をはなれた自然的観察のもとで1個の動きと評価できるため、観念的競合です。だから、成立している罪は2つのまま、処断される刑だけが重いほうの1罪分にまとまります。

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#93単独ページ動画

併合罪とかすがい現象

第10章 罪数 ③/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

3年の罪、2年の罪、1年の罪

足すのではなく、作り直す 図:足すのではなく、作り直す

3年の罪、2年の罪、1年の罪を1人が犯したとします。3つやったのだから、刑は合計6年でしょうか。素朴に考えると、そうなりそうです。罪の数だけ刑も積み上がるんじゃないんですか。実はそうなりません。日本の刑法は、複数の罪から刑を足し算しません。いくつもの罪をひとつのグループにまとめて、そのグループから刑をひとつ作り直します。今日はその作り方を、条文の手順どおりに1つずつ見ていきます。

なぜ「併合罪」という枠が要るか

4層の地図に、原則の枠を書き込む 図:4層の地図に、原則の枠を書き込む

罪数の全体地図を、もう一度出します。いちばん上が一罪の層、その下が科刑上一罪の層でした。今日はその下、いちばん下の層、併合罪に入ります。数罪が成立したとき、刑の言い渡し方には2つの考え方があります。1つは併科主義、罪ごとに刑を定めて、数個の刑をそのまま言い渡す考え方です。もう1つは単一刑主義、数罪をグループに分けて、グループごとに1つの刑を言い渡す考え方です。日本の刑法は単一刑主義を採っていて、そのグループの名前が併合罪です。単一刑主義を採る以上、まずグループという単位を決めないと、刑の作りようがありません。だから今日の問いは自動的に2つに割れます。1つめがグループの線引き、2つめがそのグループからの刑の作り方です。

山場①・45条の分断効

45条は、グループの線引きを決める条文 図:45条は、グループの線引きを決める条文

グループの線引きを決めているのが、45条です。全文を読みます。

条文刑法45条

刑法45条(併合罪) 「確定裁判を経ていない二個以上の罪を併合罪とする。ある罪について拘禁刑以上の刑に処する確定裁判があったときは、その罪とその裁判が確定する前に犯した罪とに限り、併合罪とする。」

前段は、確定裁判を経ていない二個以上の罪を併合罪とする、というだけです。まだ裁判で決着がついていない罪は、全部まとめて1つのグループになります。後段が例外です。ある罪について拘禁刑以上の刑に処する確定裁判があったときは、その罪と、その裁判が確定する前に犯した罪とに限り、併合罪とする、と定めています。確定裁判があっても、その中身が拘禁刑未満、つまり罰金などにとどまるなら、後段は働きません。前段のまま、グループは割れません。拘禁刑以上の重い裁判が確定したときだけ、グループが割れます。なぜ拘禁刑以上だけが境目になるかというと、拘禁刑以上の刑が確定すると、身柄を拘束されて生活がいったん断ち切られると理解されています。罰金を払って済む場合と違って、そこで生活に区切りができるので、その前の罪とあとの罪は同じグループにはまとめないと考えられます。

A・B・C・D・Eの時系列で、割れ方を見る 図:A・B・C・D・Eの時系列で、割れ方を見る

この分断の効き方を、時間の流れで確認します。AからEまで、5つの罪を順番に犯したとします。1つめのパターン、確定裁判がまだ無い場合です。この場合はAからEまで全部が、1つの併合罪です。前段どおりです。Cについて、拘禁刑以上の刑に処する確定裁判があった場合です。この場合、AとBとCが1つの併合罪、DとEが別の併合罪になります。1つのグループが、2つに割れます。ではCの確定裁判が、拘禁刑未満、たとえば罰金だった場合はどうなるでしょうか。この場合は、A・B・D・Eが1つの併合罪のままです。Cはすでに別に裁判が確定していますが、その確定が拘禁刑未満だったので、グループを割る力を持ちません。

何のために分断するのか 図:何のために分断するのか

なぜこの分断を気にするかというと、同じグループなら、これから見る47条によって1つの刑にまとめられ、加重に上限が効きます。別のグループに分かれると、それぞれ別々に刑が作られて、あとで併せて執行されます。分断の有無で、被告人に来る結果が変わるのです。確定した裁判の対象になった事実について、あとから別に訴えられるかという問題は、一事不再理として、刑事訴訟法で扱います。

46条・死刑と無期の吸収

重い刑が、軽い刑を飲み込む 図:重い刑が、軽い刑を飲み込む

問い②、刑の作り方に進みます。まず46条です。全文を読みます。

条文刑法46条

刑法46条(併科の制限) 1項「併合罪のうちの一個の罪について死刑に処するときは、他の刑を科さない。ただし、没収は、この限りでない。」 2項「併合罪のうちの一個の罪について無期拘禁刑に処するときも、他の刑を科さない。ただし、罰金、科料及び没収は、この限りでない。」

グループの中に死刑や無期拘禁刑を科す罪があるときは、重い刑が軽い刑を飲み込みます。これを吸収と呼びます。ただし書で残るものが1項と2項で違う、というのがポイントです。死刑のときは没収だけが残り、無期拘禁刑のときは罰金・科料・没収の3つが残ります。なぜかというと、死刑や無期拘禁刑はどちらも自由や生命を奪う刑で、その中に罰金や科料のような財産刑を無理に混ぜる必要がありません。ですが財産刑は自由を奪う刑とは性質がまったく別の制裁です。だから命や自由を奪う刑がどれだけ重くても、財産刑だけは別枠で残るのです。

死刑には、罰金や科料のような比較的軽い財産刑まで併せて科す実益に乏しいという判断です。没収だけは、犯罪に使われた物や得た利益を手元に残さないという別の目的があるので、死刑でも残ります。無期拘禁刑のほうは、本人が生き続ける以上、財産について罰金や科料を科す意味が残ると説明されます。死刑よりも、残るものが多くなるわけです。

山場②・47条の有期の加重

有期の加重は、長期を1.5倍する 図:有期の加重は、長期を1.5倍する

グループの中身が有期拘禁刑どうしのときは、47条が働きます。全文を読みます。

条文刑法47条

刑法47条(有期拘禁刑の加重) 「併合罪のうちの二個以上の罪について有期拘禁刑に処するときは、その最も重い罪について定めた刑の長期にその二分の一を加えたものを長期とする。ただし、それぞれの罪について定めた刑の長期の合計を超えることはできない。」

本文が定めているのは、最も重い罪の長期に、その2分の1を加えたものを新しい長期とする、というルールです。つまり長期が1.5倍になります。さっきの3年・2年・1年の例だと、いちばん重い3年を1.5倍して4年6月、ということですか。そこは、この後の実演で確かめます。まず数字で体を動かしてみましょう。

実演①・殺人罪2罪なら30年 図:実演①・殺人罪2罪なら30年

殺人罪が2罪、どちらも有期拘禁刑を選ぶべき場合を考えます。殺人罪の有期拘禁刑は5年以上で、有期の上限は20年です。だから最も重い罪の長期は20年、これを1.5倍すると30年になります。有期拘禁刑を加重できる上限は30年と定められていて、殺人罪2罪の併合罪は、ちょうどその上限にぴったり届く計算になります。ここまでが本文です。ただし書はどう効くのでしょうか。ここからが、47条でいちばん理解が要るところです。

実演②③・ただし書が効く場合と効かない場合 図:実演②③・ただし書が効く場合と効かない場合

実演②です。長期3年の罪と長期2年の罪の併合罪を考えます。本文だけなら、最も重い罪の長期3年を1.5倍して4年6月です。ただし書の上限は、それぞれの罪の長期の合計、3年足す2年で5年です。4年6月は5年を超えていないので、ただし書は働かず、本文どおり4年6月が処断刑の長期になります。処断刑とは、前回出てきた、実際に量刑をする前提として組み立てる刑の枠のことです。合計を超えていなければ、そのまま本文が使われるんですね。実演③はどう違うんですか。実演③です。長期10年の罪と長期1年の罪の併合罪を考えます。本文だけなら、最も重い罪の長期10年を1.5倍して15年です。ですがただし書の上限は、それぞれの罪の長期の合計、10年足す1年で11年です。15年は11年を超えてしまうので、ここでただし書が効いて、11年が処断刑の長期になります。

軽い罪をいくら足しても、その合計は本文の1.5倍にはなかなか届きません。ただし書は、そういう場合に、加重の計算が実際の罪の重さから離れすぎないようにする歯止めです。これが、ただし書がある意味です。

動くのは長期だけ、短期は動かない 図:動くのは長期だけ、短期は動かない

もう1つ、47条で押さえておくことがあります。47条の文言をよく見ると、出てくるのは「長期」という言葉だけです。短期を加重する規定は、条文のどこにも書かれていません。条文に規定が無い以上、短期は加重されません。前回は、最も重い刑で処断しても、処断刑の下限は軽い罪の法定刑の下限より軽くできない、という話でした。どちらも、条文に書いていない向きには下限を動かさない、という共通の筋です。

48条・罰金の併科

罰金は、吸収ではなく併科 図:罰金は、吸収ではなく併科

続いて48条です。全文を読みます。

条文刑法48条

刑法48条(罰金の併科等) 1項「罰金と他の刑とは、併科する。ただし、第四十六条第一項の場合は、この限りでない。」 2項「併合罪のうちの二個以上の罪について罰金に処するときは、それぞれの罪について定めた罰金の多額の合計以下で処断する。」

1項は、罰金と他の刑は併科する、つまり両方とも科す、と定めています。さっきの46条は、重い刑が軽い刑を飲み込む吸収でしたが、48条は逆に、両方を科す方向です。ただし書で、46条1項の場合、つまり死刑を科すときだけは、この併科をしません。2項は、罰金どうしが2つ以上あるときのルールです。それぞれの罪の罰金の多額を合計して、その合計以下で処断します。罰金は合計以下であって、1.5倍という発想がそもそもありません。ここが47条と48条の違いです。

残りの条文——49条・50条・51条・53条

一覧で押さえる4つの条文 図:一覧で押さえる4つの条文

残りの条文は、一覧で押さえます。49条は没収の付加です。没収は、主刑に付け加えて科す付加刑です。ですから、重い罪について没収を科さない場合でも、他の罪に没収の理由があれば、そちらから付加できます。2個以上の没収があれば、それも併科です。53条は拘留と科料の併科です。拘留・科料と他の刑は併科しますが、46条の場合、死刑や無期拘禁刑のときは併科しません。2個以上の拘留・科料も併科です。拘留と科料は軽い刑なので、48条の罰金と同じ、併科の側です。ただし46条の場合だけは、重い刑に飲み込まれる吸収の側に回ります。

50条は余罪の処理です。併合罪のうちに、すでに確定裁判を経た罪と、まだ経ていない罪があるときは、経ていない罪について、あらためて処断します。これは、45条後段でグループが割れたときの後始末です。すでに裁判が終わった側はそのままにして、まだ裁判を経ていない側だけを、あらためて処断します。51条は刑の執行です。2個以上の裁判があったときは、その刑を併せて執行します。死刑を執行するときは没収を除いて他の刑を執行せず、無期拘禁刑を執行するときは罰金・科料・没収を除いて他の刑を執行しません。51条2項が、45条で分断が起きた場合の話に、まさにつながります。有期拘禁刑の執行も、最も重い罪の長期の1.5倍を超えられないと定めています。つまり、分断されて別々に裁判を受けても、実際に執行される段階で、加重の枠の外に完全に出るわけではないのです。分断すると何が変わるか、という問いへの答えが、ここで閉じます。たとえば、さきほどの長期3年の罪と長期2年の罪が、分断されて別々に裁かれたとしても、執行の段階では4年6月という枠を超えられません。

山場③・狭義の共犯の罪数処理

前回の物差しを、もう一度思い出す 図:前回の物差しを、もう一度思い出す

続いて、前回から持ち越した論点に入ります。その前に1つ思い出してください。観念的競合で「1個の行為」かどうかを判断するとき、何を基準にすると習いましたか?法的評価をはなれて、構成要件的観点を捨象した、自然的観察で判断する、という基準でした。日常の感覚で1個の動きに見えるかどうか、でした。今日は、この物差しを、共犯者側の行為に当てはめる場面を見ます。

頼んだ人と実行した人で、数える基準がズレる 図:頼んだ人と実行した人で、数える基準がズレる

判例の物差しは、2本立てになっています。まず行為の個数は、共犯者本人がした行為を基準に数えます。他方で、成立する共犯の罪の個数のほうは、正犯側に成立した罪の個数を基準に数えます。数える場所が、この2つで別々だということです。共犯には教唆者と正犯という2人の主体がいるので、数える基準の置き場が、罪と行為でズレます。ここが今日の躓きどころなので、同じような事案を2通りに振って、表で対照します。

まとめて1回か、日を改めて2回かの対比 図:まとめて1回か、日を改めて2回かの対比

設例①です。頼んだ人が1回の電話で、2人を殺してくれと頼み、実行した人がそのとおり2人を殺害したとします。まず実行した人、つまり正犯には、殺人罪が2個成立します。ですから頼んだ人、つまり教唆者にも、殺人教唆が2個成立します。正犯の行為が1個だったか2個だったかは、ここでは影響しません。他方、教唆者がした行為は、1回の電話ですから1個です。行為は1個で、触れている罪名は2個。ですから観念的競合になります。設例②はどう違うんですか。設例②です。今度は、頼んだ人が、ある日に1人めを殺すよう頼み、日を改めてもう1人を殺すよう頼んだとします。正犯に殺人罪が2個成立する点は、①と同じです。教唆者に殺人教唆が2個成立する点も、①と同じです。違うのは、教唆者がした行為が2個あることです。日を分けて2回頼んでいるからです。行為が2個ありますから、こちらは併合罪になります。

ここが今日いちばん見てほしい構造です。片方だけが動きます。行為が1個の場合の判断は、前回渡した自然的観察の基準を、そのまま共犯者側の行為に当てるだけです。新しい暗記は要りません。

山場④・かすがい現象

家に上がり込んで2人殺すと、どうなるか 図:家に上がり込んで2人殺すと、どうなるか

今日最後の論点です。AがXとYを順次殺害したとします。ふつうなら、殺人罪2個の併合罪です。では、XとYが同じ家に住んでいて、Aがその住居に侵入して2人を殺した場合はどうなるでしょうか。ただ、殺人罪が2個ある以上、話はそう単純ではありません。考えうる処理を3つ並べて、比較します。

3つの案を、全部並べる 図:3つの案を、全部並べる

案1、住居侵入と片方の殺人だけを牽連犯として、残るもう片方の殺人と併合罪にする案です。案2、住居侵入がそれぞれの殺人と牽連犯になり、その2つの牽連犯どうしを併合罪にする案です。案3、住居侵入と2つの殺人、全体をまとめて1個の牽連犯にする案です。順に見ていきます。案1には無理があります。住居侵入によって家に入り、2人とも同じように殺されているのに、なぜ片方の殺人とだけ牽連犯になるのか、説明ができません。案2にも無理があります。住居侵入罪は1個しか成立していないのに、その1個を、Xとの関係とYとの関係とで、2回使って罪数評価することになってしまいます。1個しかない罪を二重に働かせることになり、理論的に妥当ではありません。

案1にも案2にも無理がある以上、残るのは案3です。全体を1個の牽連犯とする、つまり科刑上一罪として扱います。判例もこれを認めています。

⭐ 論文で書く規範:【かすがい現象の処理】住居侵入罪と、その住居内で行われた複数の殺人罪は、全体を1個の牽連犯として扱い、最も重い刑1つで処断する。 (規範(最決昭29・5・27))

材木をつなぎ止める、コの字型の金具のことを、かすがいと呼びます。この事案では、軽い罪である住居侵入が、2つの重い殺人罪をつなぎ止めて、全体を1個にまとめてしまいます。この現象を、かすがい現象と呼びます。

路上でなら併合罪、家に上がればまとまる 図:路上でなら併合罪、家に上がればまとまる

ここに残る不当さを、正面から言います。路上で2人を順次殺害すれば、殺人罪2個の併合罪として、47条により、長期が30年まで加重されることがあります。ところが、家に上がり込んで2人を殺害すれば、全体が1個の牽連犯として、最も重い刑1つ分の枠で処断されます。住居侵入という軽い罪が挟まっただけで、刑の枠がかえって軽くなるのです。それでも判例が案3を採るのには、理由があります。1つは、さっき見たとおり、案1にも案2にもそれぞれ理論的な難点があり、乗り換える先として優れていないことです。もう1つは、殺人罪は法定刑の幅が広く、死刑や無期拘禁刑まで含んでいるので、処断刑の枠が1つ分になっても、実際に何年にするかという量刑の段階で、不当さを回避できるという考え方です。

枠、つまり処断刑の話と、実際に何年にするかという量刑の話は別です。この区別を言葉にできることが、今日いちばんの到達点です。量刑をどう考慮するかという中身そのものは、また別の回で扱います。

締め——第10章の総ざらい

4層のどれかに、ミニ事例を振り分ける 図:4層のどれかに、ミニ事例を振り分ける

第10章の締めくくりに、3回分の内容をミニ事例で振り分けます。業務上横領罪が成立する場合の単純横領罪は、どうなるでしょうか。業務上横領罪の条文が、単純横領罪の場合をまるごと中に含んでいるので、業務上横領罪だけが成立して、単純横領罪はそもそも出番がありません。評価上一罪、法条競合ですね。次に、無免許運転をしながら酒酔い運転もした場合です。1個の運転行為が、無免許と酒酔いという2つの罪名に同時に触れていて、運転している間じゅう重なり続けているので、科刑上一罪、観念的競合です。次に、住居に侵入して1人を殺した場合です。

住居侵入が手段、殺人が目的の関係で、科刑上一罪、牽連犯です。最後に、まったく別の機会に、別の被害者に対して2回、窃盗を行った場合です。行為の重なりも手段・目的の関係も無く、それぞれ独立した罪として扱われるので、併合罪です。単純一罪、評価上一罪、科刑上一罪、併合罪、この4つの層のどれに当たるか判断できれば、罪数論はひととおり身についています。

今日の地図(保存版)

刑は足すのではなく、作り直す 図:刑は足すのではなく、作り直す

今日を振り返ります。45条は、確定裁判が拘禁刑以上のときだけ、グループを2つに割ります。46条は死刑・無期拘禁刑の吸収、47条は有期拘禁刑の長期だけを1.5倍にし合計は超えない加重、48条は罰金の合計以下での併科でした。発展として、狭義の共犯の罪数処理は、罪の個数は正犯を基準に、行為の個数は共犯行為を基準に数え、この2つの基準がズレることで結論が分かれました。そしてかすがい現象は、軽い罪が重い罪をつなぎ止めて、全体が1個の牽連犯になってしまう現象で、その不当さは、枠の話と量刑の話を分けることで説明されます。

3つの罪が同じグループなら、最も重い罪の長期3年に2分の1を加えて、4年6月です。ただし各罪の長期の合計、3年足す2年足す1年で6年を超えることはできません。4年6月は6年を超えていないので、そのまま4年6月が処断刑の長期になります。合計の6年ではなく、条文の手順で作り直した4年6月です。

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第11章刑罰

#94単独ページ動画

刑罰の種類と拘禁刑への一本化

第11章 刑罰 ①/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

懲役・禁錮が消えた日

条文を開いても、その言葉が見つからない 図:条文を開いても、その言葉が見つからない

「懲役3年」「禁錮1年」という言葉を、何度も見たことがあると思います。では今、条文で「懲役」という言葉を探してみてください。懲役と禁錮は、もう現行法のどこにもありません。この2つは統合されて、「拘禁刑」という1つの刑になりました。今日は、この統合が何を変えたのかを中心に、刑罰の全体像を条文どおりに見ていきます。

6種類の刑罰と軽重(9条・10条)

主刑5種+付加刑1種=6種類 図:主刑5種+付加刑1種=6種類

まず9条です。全文を読みます。

条文刑法9条

刑法9条(刑の種類) 「死刑、拘禁刑、罰金、拘留及び科料を主刑とし、没収を付加刑とする。」

主刑が5つ、死刑・拘禁刑・罰金・拘留・科料です。付加刑が1つ、没収です。主刑は、それだけで単独に言い渡せる刑です。付加刑である没収は、単独では言い渡せません。必ず、主刑の言い渡しとセットになります。この順序、死刑・拘禁刑・罰金・拘留・科料という並びは、そのまま軽重の並びにもなっています。この並びには理由があります。国家が犯人から何を奪うかで並んでいるんです。いちばん上が生命を奪う死刑。次が身体の自由を奪う拘禁刑。そして財産を奪う罰金です。奪うものが重いほど、刑も重い、というのが土台です。拘留が罰金より下に置かれている理由は、条文には書かれていません。説明としてよく挙げられるのは、拘留が1日以上30日未満という極めて短い拘束で、自由を奪う刑ではあるものの拘束の程度がごく小さいから、というものです。いずれにしても、試験で問われるのは順序そのものです。

そして、この9条の順番がそのまま刑の軽重になることは、10条1項が定めています。罰金と拘留のどちらが重いかは短答で入れ替えられやすいので、9条の並びのまま正確に覚えてください。

死刑(11条)と憲法36条

いちばん重い刑、死刑の執行方法 図:いちばん重い刑、死刑の執行方法

死刑は、命を奪う刑です。9条の並びどおり、いちばん重い刑になります。11条を読みます。

条文刑法11条

刑法11条(死刑) 1項「死刑は、刑事施設内において、絞首して執行する。」 2項「死刑の言渡しを受けた者は、その執行に至るまで刑事施設に拘置する。」

執行の方法は、絞首と定められています。死刑を言い渡された人は、実際に執行されるまでの間、刑事施設に拘置されます。典型は、殺人罪や、強盗殺人罪、それに現住建造物放火罪のように、人の命に重大な危険がおよぶ犯罪です。死刑が「残虐な刑罰」にあたらないかは、まさに問題になる点です。憲法36条は、残虐な刑罰を絶対に禁止しています。死刑という制度そのものが、この36条に違反しないかが、実際に裁判で争われたことがあります。

判例最大判昭和23年3月12日(刑集2巻3号191頁)

死刑の合憲性 刑罰としての死刑そのものが、一般に直ちに同条にいわゆる残虐な刑罰に該当するとは考えられない。ただ死刑といえども、他の刑罰の場合におけると同様に、その執行の方法等がその時代と環境とにおいて人道上の見地から一般に残虐性を有するものと認められる場合には、勿論これを残虐な刑罰といわねばならぬ。

判例は、死刑という制度自体は直ちに36条違反にはならない、としています。ただし、その執行方法が、その時代と環境の中で人道上残虐だと認められる場合には、36条に違反すると述べています。判例は例として、火あぶり、はりつけ、さらし首、釜ゆでのような方法を挙げています。判例の理由はこうです。憲法31条は、法律の定める手続によれば生命を奪う刑罰もありうることを前提にしています。憲法自身が死刑の存在を織り込んでいる以上、制度そのものを36条の残虐な刑罰とは言えない、という筋です。だから今の絞首という執行方法は、死刑という制度が違憲かどうかとは別の問題として、残虐にあたらないと扱われています。制度の合憲性と、執行方法の残虐性は、別の物差しで判断されるということです。

死刑の存廃については、廃止すべきだという議論もあります。存置する側は、重大な結果には生命で償わせるべきだという応報の考え方と、重大犯罪の抑止を理由にします。廃止する側は、誤って死刑にしてしまったときに取り返しがつかないこと、抑止の効果が実証されていないことを理由にします。判例が答えたのは「現行憲法のもとで違憲か」までで、制度として置き続けるかは立法政策の問題として残っています。

山場①・拘禁刑への一本化(12条・13条)

建物は同じ、中のメニューが変わった 図:建物は同じ、中のメニューが変わった

ここからが、今日いちばんの山場です。冒頭で見たとおり、懲役と禁錮は無くなり、拘禁刑に一本化されました。ここで大事なのは、名前が変わったことそのものではありません。旧法では、刑務作業をさせる懲役と、作業をさせない禁錮という、2つの箱しかありませんでした。どちらの箱に入れるかは、罪名で機械的に決まっていました。改正後は、拘禁刑という1つの箱にして、その中で、その人に必要な作業をさせるか、必要な指導を行うかを、個別に選べるようにしました。たとえば、高齢で体が思うように動かない受刑者に一律の作業をさせるより、生活を立て直す指導に時間を使ったほうが、出たあとに再び罪を犯さずに済むことがあります。逆に、出所後に手に職が要る若い受刑者には作業を厚くしたほうがいい。旧法の2つの箱では、この振り分けが罪名だけで決まってしまい、その人に何が必要かを問えませんでした。

画一的に作業を義務づける仕組みから、受刑者ごとに更生に必要な中身を組み立てる仕組みへと変わりました。これが改正の核心です。条文を読みます。

条文刑法12条

刑法12条(拘禁刑) 1項「拘禁刑は、無期及び有期とし、有期拘禁刑は、一月以上二十年以下とする。」 2項「拘禁刑は、刑事施設に拘置する。」 3項「拘禁刑に処せられた者には、改善更生を図るため、必要な作業を行わせ、又は必要な指導を行うことができる。」

1項は、期間の定めです。無期か有期か、有期なら1か月以上20年以下です。2項は、刑事施設に拘置するという、身柄の扱いです。ここまでは、旧法の懲役・禁錮と共通します。3項が、いちばんの変化です。「必要な作業を行わせ、又は必要な指導を行うことができる」とあります。ここに「義務」という言葉はありません。「できる」、つまり個別の判断で選べる仕組みになっています。13条は、削除されました。

13条は削除、条文の番号だけが残る 図:13条は削除、条文の番号だけが残る

かつて禁錮を定めていた13条は、削除という扱いになっていて、中身はもうありません。条文番号だけが空席として残っています。どちらも、拘禁刑に読み替えてください。作業をさせるかどうかという区別も、もう罪名で決まっているのではなく、拘禁刑の中の個別の判断に変わっています。今の条文で刑罰を考えるときは、常に拘禁刑という1つの言葉で通してください。施行日より前にした行為をどう扱うかは、経過措置で手当てされています。この改正法は、施行前にした行為に対する罰則の適用については、なお従前の例による、と定めています。

条文の言葉が拘禁刑に一本化されたあとも、施行前の行為については、しばらくの間、懲役や禁錮という刑名の判決が出続けます。行為をした時点であった法律を、そのまま使うという考え方です。犯罪のあとで法律が変わったら軽いほうを使うという原則との関係では、経過措置が優先します。経過措置が、施行前の行為には従前の例による、とはっきり定めている以上、そちらが適用されます。拘禁刑と懲役・禁錮のどちらが軽いかという比較に立ち入る必要は、ここでは生じません。

有期刑の加重減軽と拘留(14条・16条)

加重は30年、減軽は1月未満まで 図:加重は30年、減軽は1月未満まで

続いて、14条です。刑を重くする方向に動かすのが加重、軽くする方向に動かすのが減軽です。どんな場合に動かすかは次の回で扱うので、今日は動かせる幅だけ押さえます。これは有期の拘禁刑を加重したり減軽したりするときの、上限と下限を定めた条文です。ここは条文の逐語よりも、数字を正確に押さえることが大事なので、表で確認します。死刑や無期拘禁刑を減軽して有期にする場合、長期は30年です。有期拘禁刑そのものを加重する場合も、上限は30年まで。減軽する場合は、1か月未満まで下げられます。12条の20年は、もともとの法定刑としての有期拘禁刑の上限です。14条の30年は、そこを超えてよい場面の上限で、出どころが2つあります。死刑や無期を減軽して有期にするときの長期が30年、有期を加重するときの上限も30年です。どちらの向きから来ても行き先は30年だと押さえてください。両方とも短答で問われる数字なので、12条の20年と混同しないでください。

拘留も、作業は義務ではない 図:拘留も、作業は義務ではない

もう1つ、期間の短い自由刑があります。拘留です。16条を読みます。

条文刑法16条

刑法16条(拘留) 1項「拘留は、一日以上三十日未満とし、刑事施設に拘置する。」 2項「拘留に処せられた者には、改善更生を図るため、必要な作業を行わせ、又は必要な指導を行うことができる。」

期間は、1日以上30日未満です。作業や指導について、「行うことができる」という書きぶりも、さっき見た拘禁刑の3項とまったく同じ型です。拘禁刑と拘留は、期間の長さが違うだけで、作業を義務にしないという考え方は共通しています。

罰金・科料・労役場留置(15条・17条・18条)

罰金と科料の違いは、一万円の線 図:罰金と科料の違いは、一万円の線

財産を奪う刑に入ります。罰金と科料です。まず15条を読みます。

条文刑法15条

刑法15条(罰金) 「罰金は、一万円以上とする。ただし、これを減軽する場合においては、一万円未満に下げることができる。」

罰金は1万円以上です。ただし、減軽する場合は、1万円未満に下げられます。次に17条です。

条文刑法17条

刑法17条(科料) 「科料は、千円以上一万円未満とする。」

1万円以上が罰金、千円以上1万円未満が科料と、金額で分かれます。この境目は、短答で数字を入れ替えた選択肢がよく作られるので、正確に覚えてください。

払えないときは、労役場に留め置かれる 図:払えないときは、労役場に留め置かれる

罰金や科料を完納できないときの後始末を定めた条文が、18条です。ここは条文全体が細かいので、数字だけ表で押さえます。労役場というのは、刑事施設の中に置かれた、作業をさせるための場所です。お金で払えない分を、身体を拘束して働くことで埋める仕組みだと考えてください。罰金を完納できない場合、労役場に留め置かれる期間は、1日以上2年以下です。科料の場合は、1日以上30日以下です。罰金自体の金額が科料より大きいので、完納できないときの留置期間も長くなります。裁判では、言い渡しと同時にこの留置期間をあらかじめ定めておく必要があり、一部だけ納付したときは、その納付額に応じて日数を計算します。

罰金や科料は、お金を払わせることで初めて制裁として機能します。もし払わなければそれで終わりだとすると、お金の無い人には事実上、罰が科せないことになってしまいます。労役場留置は、そうならないように、財産刑の実効性を最後まで確保するための仕組みです。

没収の意義と付加刑性(19条冒頭)

犯罪と関わった"物そのもの"を取り上げる 図:犯罪と関わった”物そのもの”を取り上げる

ここから、没収と追徴に入ります。まず没収の意味です。没収は、犯罪に関係する特定の物の所有権を奪って、国のものにする財産刑です。さっき9条で見たとおり、没収は付加刑なので、主刑の言い渡しとセットでなければ科せません。没収するかどうかは、原則として裁判官の裁量に任されています。これを任意的没収と呼びます。例外として、賄賂罪の賄賂だけは、裁判官の裁量ではなく必ず没収しなければならない、必要的没収とされています。この賄賂罪の中身は、別の回で扱います。今日は、任意的没収の一般ルールを押さえます。

没収の対象4類型(19条1項)

犯罪との結びつき方で、4つに分かれる 図:犯罪との結びつき方で、4つに分かれる

何を没収できるかを定めているのが、19条1項です。全文を読みます。

条文刑法19条1項

刑法19条1項(没収) 「次に掲げる物は、没収することができる。 一 犯罪行為を組成した物 二 犯罪行為の用に供し、又は供しようとした物 三 犯罪行為によって生じ、若しくはこれによって得た物又は犯罪行為の報酬として得た物 四 前号に掲げる物の対価として得た物」

4つの号は、犯罪とどう結びついているかで分かれます。1号は組成物件です。犯罪行為そのものを成り立たせている物、たとえば偽造私文書行使罪でいう、その偽造私文書です。2号は供用物件、犯罪行為に現に使った物、または使おうとした物です。詐欺に使った偽造文書などが典型です。3号は、犯罪によって新しくできた物、犯罪の当時すでにあって取得した物、それに犯罪の報酬として得た物です。私文書偽造罪でできあがった偽造文書や、窃盗で得た財物、犯罪を手伝った謝礼などが当たります。4号は、その3号の物を売るなどして得た対価です。窃盗で得た財物を売った代金が、これに当たります。

犯罪の中身そのものから、道具、儲け、そしてその儲けを換えたもの、という順に、犯罪との距離が少しずつ離れていきます。号の振り分けは、物そのものの性質だけで決まるのではありません。同じ物でも、どの罪について没収を考えるかによって、入る号が変わります。たとえば、同じ偽造文書でも、文書を使うこと自体が犯罪になる偽造私文書行使罪で見れば、その文書は犯罪を成り立たせた1号の組成物件です。だます道具として使った詐欺罪で見れば、2号の供用物件になります。1つの事件で複数の号が出てくることはあります。偽造した契約書を見せて相手をだまし、100万円を受け取って、その金で中古車を買った——という例で考えてみてください。この中に、没収の対象になりうる物が3つあります。それぞれ何号か、当ててみてください。

だますのに使った偽造契約書は、犯罪に現に使った物だから2号の供用物件。だまし取った100万円は、犯罪によって得た物だから3号の取得物件。その100万円で買った中古車は、3号の物の対価だから4号の対価物件です。号の見分け方は、犯罪の前からある道具か、犯罪の後にできた儲けか、その儲けを換えたものか、という順序で考えると整理しやすくなります。

山場②・没収の要件と第三者保護(19条2項)

物として取り上げるには、2つの条件がある 図:物として取り上げるには、2つの条件がある

19条1項の4類型に当たれば、いつでも没収できるのでしょうか。実は、そうではありません。2項に、さらに条件があります。条件は大きく2つあります。1つは、その物が裁判の時にまだ現存していること。消費したり、壊れたり、加工されて別の物になっていれば、没収できません。19条2項の文言そのものに「現存」という言葉はありません。ただ、没収は、その物そのものを取り上げて国のものにする処分です。裁判のときにその物がもう無ければ、取り上げようがありません。だからこそ、19条の2は「没収することができないときは、その価額を追徴することができる」と定めています。物が無くて没収できない場面があることを、19条の2自身が前提にしているんです。

もう1つは、その物が犯人以外の者に属していないこと、です。全文を読みます。

条文刑法19条2項

刑法19条2項(没収) 「没収は、犯人以外の者に属しない物に限り、これをすることができる。ただし、犯人以外の者に属する物であっても、犯罪の後にその者が情を知って取得したものであるときは、これを没収することができる。」

犯罪に関わった物だと知りながら、あとから手に入れたという意味です。原則は、犯人以外の者の物は没収できません。ただし、その第三者が、犯罪に関わった物だと知ったうえで取得していれば、例外として没収できます。

借りた車で密輸すると、持ち主はどうなるか 図:借りた車で密輸すると、持ち主はどうなるか

具体例で考えます。Aが、友人Bから借りた車を使って、密輸をしたとします。Bは、その車が密輸に使われることを知りませんでした。事情を知らないBから、いきなり車の所有権を奪うのは、Bの財産権に対する不意打ちになります。だから19条2項は、原則として、犯人以外の者の物は没収の対象から外しています。逆に、Bが密輸に使われると知りながら車を貸していたなら、もう不意打ちとはいえません。この場合はただし書が働いて、没収できます。

告知なしの没収は、憲法の適正手続に反する 図:告知なしの没収は、憲法の適正手続に反する

この考え方を、裁判所が正面から認めた判例があります。関税法違反の事件で、密輸に使われた船に積んであった、第三者所有の貨物が没収された事案です。

判例最大判昭和37年11月28日(刑集16巻11号1593頁)

第三者所有物没収事件 第三者の所有物を没収する場合において、その没収に関して当該所有者に対し、何ら告知、弁解、防禦の機会を与えることなく、その所有権を奪うことは、著しく不合理であつて、憲法の容認しないところであるといわなければならない。

判例は続けて、告知や弁解、防禦の機会を与えないまま第三者の所有物を没収することは、適正な法律手続によらないで財産権を侵害する制裁を科することにほかならない、とも述べています。19条2項が「犯人以外の者に属しない物」に対象を限っているのは、まさにこの考え方を条文の形で反映したものだといえます。条文の限定は、単なる技術的なルールではなく、無関係な第三者を守るための、憲法上の裏づけを持った限定なのです。

追徴(19条の2)

物が無ければ、代わりにお金を取る 図:物が無ければ、代わりにお金を取る

最後に、追徴です。さっき見た没収の対象のうち、3号の生成・取得・報酬物件と、4号の対価物件について、全部または一部を没収できないことがあります。すでに使ってしまった、売ってしまった、というような場合です。そういうときのために、19条の2があります。全文を読みます。

条文刑法19条の2

刑法19条の2(追徴) 「前条第一項第三号又は第四号に掲げる物の全部又は一部を没収することができないときは、その価額を追徴することができる。」

3号か4号の物を没収できないときに、その物の価額を、金銭で取り上げるのが追徴です。19条の2は、3号と4号に限定しています。1号・2号については、追徴の規定がありません。理由は、追徴が何のための制度かにあります。3号・4号は、犯人が犯罪で手に入れた「もうけ」です。もうけなら、物でも金でも価値は同じですから、物が無いなら値段で取り上げれば目的を果たせます。これに対して1号・2号は、犯罪そのものを成り立たせた物や、犯罪の道具です。取り上げる意味はその物を社会から無くすことにあるので、値段を払わせても代わりになりません。だから1号・2号には追徴の規定が置かれていないのです。たとえば、盗んだ本が手元に残っていればその本そのものを没収、すでに売ってしまって手元に無ければ、売った代金の分を追徴する、という形になります。没収と追徴は、現物か、それが無理なときの価額かという、一対の制度です。

賄賂罪については、没収と同じく追徴も必要的とされています。この中身は、賄賂罪を扱う回で見ます。

今日の地図(保存版)

6種類の刑罰を、条文のまま並べ直す 図:6種類の刑罰を、条文のまま並べ直す

今日を振り返ります。9条は、刑罰を6種類に分けました。死刑・拘禁刑・罰金・拘留・科料が主刑、没収が付加刑です。いちばんの山場は、懲役と禁錮が拘禁刑に統合されたことでした。有期は1か月以上20年以下、そして作業や指導は義務ではなく、個別に判断される仕組みに変わりました。罰金は1万円以上、科料は千円以上1万円未満で、完納できないと労役場に留め置かれます。没収は、19条1項の4類型に当たり、かつ裁判の時に現存し、犯人以外の者に属していない物が対象です。没収できないときは、その価額を追徴します。懲役3年、禁錮1年は、今の条文ではどちらも拘禁刑3年、拘禁刑1年です。作業をさせるかどうかという違いは、もう罪名では決まりません。個別の判断に委ねられています。ここまでで、刑罰という箱の中身がそろいました。この先は、その箱の中からどの刑をどれだけ科すのかという、刑の組み立ての話に入っていきます。

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#95単独ページ動画

法定刑・処断刑・宣告刑と72条の順序

第11章 刑罰 ②/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

選べる幅は、どこからどこまでか

未遂、従犯、自首、しかも別に窃盗も 図:未遂、従犯、自首、しかも別に窃盗も

ある罪の法定刑が「1年以上20年以下の拘禁刑」だったとします。この罪について、被告人は未遂で、しかも正犯を手伝った従犯で、さらに自首もしていました。そのうえ、別に窃盗罪も犯していたとします。この場合、裁判所が実際に選べる刑期の幅は、どこからどこまでになるでしょうか。うーん……未遂だから軽くなって、従犯だからさらに軽くなって、でも窃盗もあるから重くなって……順番によって答えが変わりそうな気がします。加重する事情と減軽する事情が同時にあるとき、どの順番で計算するかは、裁判所の自由ではありません。刑法72条が、順序をきっちり定めています。今日はその順序を使って、この問いに実際に数字で答えを出します。今日は「計算の回」です。

法定刑とは何か(9条・10条・12条の復習と拡張)

各本条の「上限」と、総則の「下限」が組み合わさる 図:各本条の「上限」と、総則の「下限」が組み合わさる

前回、拘禁刑の中身や9条の主刑の種類を見ました。今日はその続きとして、条文に書かれた刑が、どうやって判決の具体的な数字に変わっていくかという手続きに入ります。まず法定刑です。法定刑とは、235条の窃盗罪のように、各本条に定められている刑そのものです。235条を見ると、「10年以下の拘禁刑又は50万円以下の罰金」とあります。多くの各本条は、上限だけを定めています。その場合、下限は前回見た12条が埋めます。12条1項は、有期拘禁刑を1か月以上20年以下と定めていました。235条に下限の指定が無い以上、窃盗罪の法定刑は「1か月以上10年以下の拘禁刑」になります。

法定刑の幅は、各本条の規定と、9条・10条・12条のような総則の規定が組み合わさって、初めて確定します。

同種の刑どうしは、長期→短期の順で比べる 図:同種の刑どうしは、長期→短期の順で比べる

もう1つ、今日何度も使う条文があります。10条です。1項はすでに前回、9条の並びがそのまま軽重の並びになる、という形で見ました。今日はその続きの2項・3項を使います。全文を読みます。

条文刑法10条

刑法10条(刑の軽重) 1項「主刑の軽重は、前条に規定する順序による。」 2項「同種の刑は、長期の長いもの又は多額の多いものを重い刑とし、長期又は多額が同じであるときは、短期の長いもの又は寡額の多いものを重い刑とする。」 3項「二個以上の死刑又は長期若しくは多額及び短期若しくは寡額が同じである同種の刑は、犯情によってその軽重を定める。」

1項は、死刑・拘禁刑・罰金・拘留・科料という9条の並び順が、そのまま軽重の順になるという規定でした。2項は、拘禁刑どうし、罰金どうしのように、同じ種類の刑どうしを比べるときの基準です。まず長期、つまり上限が長い方が重い。長期が同じなら、次は短期、つまり下限が長い方が重いと判断します。3項は、長期も短期もまったく同じだった場合の最後の基準で、犯情、つまり事件の中身で軽重を決めます。この2項・3項の基準を、このあと何度も使います。

処断刑の形成——6ステップの全体像

6つの手続きを経て、判決の枠ができる 図:6つの手続きを経て、判決の枠ができる

ここからが処断刑です。処断刑とは、法定刑に加重や減軽を施して、裁判所が実際に刑を選べる幅として確定させたものをいいます。法定刑から処断刑を作る手続きは、実務上6つのステップに分かれます。1つめが科刑上一罪の処理、2つめが刑種の選択、3つめが累犯加重、4つめが法律上の減軽、5つめが併合罪の加重、6つめが酌量減軽です。72条が順序を定めているのは、3つめから6つめまでの4つだけです。1つめの科刑上一罪の処理と、2つめの刑種の選択は、その手前で行う前処理にあたります。1つめと2つめは、まだ「1つの罪について1つの法定刑」を確定させる段階です。1つの行為が複数の罪名にあたる場合にどの法定刑を使うか、法定刑に選択の余地があるときにどちらの刑種にするかを、ここで先に決めてしまいます。法定刑がまだ複数の候補を抱えたままでは、3つめ以降の加重・減軽の計算に入れません。だから1つめと2つめを先に済ませてから、72条の4段階に進む、という順番になっています。

ここで、順番がなぜ大事なのか、身近な例で確かめておきます。上限の目盛りがある水槽を思い浮かべてください。水を倍に増やすポンプが1つ、半分に抜くバルブが2つあります。ポンプは1回しか使えません。バルブも、それぞれ1回ずつしか使えません。先にポンプで倍にしてから、バルブで半分に抜くと、上限を超えた分はあふれて戻ってきません。逆に、先にバルブで半分に抜いてから、あとでポンプで倍にすると、上限に余裕があるぶん、そのまま倍になります。同じ組み合わせでも、順番によって残る水位が変わるんです。今日の処断刑の計算も、同じ理屈で動きます。このあと1つめから順番に1つずつ見ていきます。

科刑上一罪の処理(54条1項)

一個の行為が、二個の罪名に触れるとき 図:一個の行為が、二個の罪名に触れるとき

科刑上一罪は、第10章で見たとおり、犯罪の成立は数罪のまま、刑を科す場面だけを1罪として扱うものでした。まず1つめの科刑上一罪の処理から始めます。54条1項を読みます。

条文刑法54条1項

刑法54条1項(一個の行為が二個以上の罪名に触れる場合等の処理) 「一個の行為が二個以上の罪名に触れ、又は犯罪の手段若しくは結果である行為が他の罪名に触れるときは、その最も重い刑により処断する。」

1個の行為が2個以上の罪名にあたる場合、それに、犯罪の手段や結果である行為が別の罪名にあたる場合、どちらも「最も重い刑」で処断すると定めています。ここで「最も重い刑」をどう判断するかが、さっき見た10条の出番です。例で考えます。窃盗罪、235条で10年以下の拘禁刑、そして公用文書等毀棄罪、258条で3か月以上7年以下の拘禁刑という、2つの罪が観念的競合になったとします。たとえば、市役所の事務室に忍び込み、机の鍵のかかった引き出しをこじ開けて、中の現金を、一緒に入っていた公用文書ごと、破れてもかまわないと思ってつかみ出し、実際に文書が破れた。つかみ出すという1個の行為が、現金の窃盗と、公用文書の毀棄という、この2罪に触れる場面です。

長期で比べると窃盗、でも下限は公用文書毀棄の3月 図:長期で比べると窃盗、でも下限は公用文書毀棄の3月

窃盗罪は、長期10年、短期は指定が無いので12条の下限で1か月。公用文書等毀棄罪は、長期7年、短期3か月です。10条2項で長期どうしを比べると、10年の窃盗罪の方が重いと判断されます。重い方の罪の法定刑をそのまま丸ごと使う、とはなりません。ここに、この論点のいちばんの注意点があります。

判例最判昭和28年4月14日(刑集7巻4号850頁)

「最も重い刑」の意味 最も重い刑により処断するとは、最も重い罪の法定刑によって処断することをいうが、その他の罪について定めた刑の最下限より軽い刑を科することはできない、という趣旨を含む。

判例は、「最も重い刑」とは最も重い罪の法定刑によるという意味だが、それでも、他の罪について定めた刑の下限より軽く処断することはできない、という考え方を示しています。今の例で言うと、上限は窃盗罪の10年をそのまま使いますが、下限は窃盗罪の1か月ではなく、公用文書等毀棄罪の下限である3か月を使います。窃盗罪の下限である1か月のままにしてしまうと、公用文書等毀棄罪だけを犯した場合よりも軽い刑になりかねないからです。だから、この例の処断刑は「3か月以上10年以下の拘禁刑」になります。上限は重い罪から、下限はもう一方の罪の下限を下回らないように、という2段構えで決まる点を押さえてください。

刑種の選択

選択刑があれば、裁判所が刑の種類を選ぶ 図:選択刑があれば、裁判所が刑の種類を選ぶ

2つめは、刑種の選択です。235条の窃盗罪のように、拘禁刑か罰金かという選択の余地がある法定刑では、どちらの刑種にするかを裁判所が選びます。刑の種類そのものが決まらないと、長期何年、短期何か月という加重減軽の計算に入れません。なお、拘禁刑への一本化によって、懲役にするか禁錮にするかという選択の論点は無くなりました。これで、1つめと2つめの前処理が終わり、法定刑が1つに絞られました。ここから、72条の4段階に入ります。

累犯加重(56条〜59条)

5年以内に再び罪を犯すと、長期が2倍以下まで上がる 図:5年以内に再び罪を犯すと、長期が2倍以下まで上がる

72条の1つめ、再犯加重です。56条1項を読みます。

条文刑法56条1項

刑法56条1項(再犯) 「拘禁刑に処せられた者がその執行を終わった日又はその執行の免除を得た日から五年以内に更に罪を犯した場合において、その者を有期拘禁刑に処するときは、再犯とする。」

拘禁刑に処せられた人が、その執行が終わった日、または執行の免除を得た日から5年以内に、さらに罪を犯し、有期拘禁刑に処せられるときを、再犯と呼びます。効果は57条に定められています。

条文刑法57条

刑法57条(再犯加重) 「再犯の刑は、その罪について定めた拘禁刑の長期の二倍以下とする。」

再犯の刑は、その罪の拘禁刑の長期の2倍以下です。ここで注意してほしいのは、「2倍にする」のではなく「2倍以下」だという点です。「2倍にする」なら、機械的に長期が2倍に固定されます。しかし条文は「2倍以下」としているので、2倍を上限として、その範囲でどこまで引き上げるかは裁判所の量刑判断に委ねられています。短答では、この「以下」という言葉が落とされていないか、正確に見てください。そして短期は動きません。加重されるのは長期だけです。累犯加重は、水槽でいえば水を増やすポンプにあたる操作で、しかも1回しか使えません。

条文刑法59条

刑法59条(三犯以上の累犯) 「三犯以上の者についても、再犯の例による。」

3犯目以降も、同じ再犯のルールがそのまま適用されます。何回繰り返しても、加重の基準は変わりません。なお、長期をどれだけ引き上げても、前回見た14条2項により、30年を超えることはできません。ここで1つ確認です。第10章で学んだ併合罪、成立要件は何だったか覚えていますか。確定判決を経ていない数個の罪が、同時に裁判できる関係にあること、でした。今日出てくる併合罪の加重は、このあと5つめで扱いますが、この累犯とは別の場面ですので、混同しないようにしてください。

法律上の減軽(68条・70条)

必要的減軽・必要的減免・任意的減軽の区別 図:必要的減軽・必要的減免・任意的減軽の区別

72条の2つめ、法律上の減軽です。各本条や総則の規定によって、裁判所の裁量ではなく法律上当然に減軽される事由を、必要的減軽・必要的減免・任意的減軽の3つに分けて一覧にしました。心神耗弱と従犯は、必ず減軽される必要的減軽です。中止犯だけは少し違って、43条ただし書が「その刑を減軽し、又は免除する」と定めています。減軽か免除かのどちらかを必ずしなければならない、いわば必要的減免です。減軽で止まるとは限らず、刑をまるごと免除する可能性まで条文が用意している点が、ほかの必要的減軽と違います。障害未遂、過剰防衛、過剰避難、法律の錯誤、自首・首服は、減軽してもしなくてもよい任意的減軽です。それぞれの成立要件は、もうそれぞれの回で扱いましたので、今日は「法律上の減軽の一員である」という位置づけだけ押さえてください。

ここで、今日いちばん間違えやすい点に入ります。減軽事由が3つも重なったら、3回減軽するのでしょうか。3つあるのだから、3回では駄目なんですか。1回だけです。根拠は、これから読む68条の文言そのものにあります。条文は「一個又は二個以上の事由があるときは、次の例による」と書いています。事由が1個でも2個以上でも、使う物差しは「次の例」1つだけ、という書き方です。未遂・従犯・自首の3つがそろっていても、2分の1にするのは1回きりです。3回繰り返して8分の1にする、ということにはなりません。法律上の減軽は、水槽でいえば1つめのバルブにあたります。事由がいくつ重なっても、このバルブは1回しか使えません。

減軽事由が多いほど刑が限りなく軽くなっていく仕組みにしてしまうと、事情を積み増すほど刑が際限なく縮んでしまい、処罰の実効性が失われてしまいます。だから法は、どれだけ事由が重なっても、減軽の効果は1回分に固定しています。減軽の具体的な中身は、68条が定めています。全文を読みます。

条文刑法68条

刑法68条(法律上の減軽の方法) 「法律上刑を減軽すべき一個又は二個以上の事由があるときは、次の例による。 一 死刑を減軽するときは、無期又は十年以上の拘禁刑とする。 二 無期拘禁刑を減軽するときは、七年以上の有期拘禁刑とする。 三 有期拘禁刑を減軽するときは、その長期及び短期の二分の一を減ずる。 四 罰金を減軽するときは、その多額及び寡額の二分の一を減ずる。 五 拘留を減軽するときは、その長期の二分の一を減ずる。 六 科料を減軽するときは、その多額の二分の一を減ずる。」

条文の柱書に「一個又は二個以上の事由があるときは」とあります。ここが、いま確認した「1回きり」の根拠です。事由が1個でも2個以上でも、適用する効果は同じ「次の例による」の内容1つだけです。今日いちばん使うのは3号、有期拘禁刑の場合です。長期・短期とも、2分の1を減じます。表現としては「2分の1を減ずる」ですが、結果としては、もとの数字が半分になります。長期20年なら、2分の1を減じて10年。短期1年なら、2分の1を減じて6か月です。最後に、端数処理の規定も見ておきます。

条文刑法70条

刑法70条(端数の切捨て) 「拘禁刑又は拘留を減軽することにより一日に満たない端数が生じたときは、これを切り捨てる。」

2分の1にした結果、1日に満たない端数が出た場合は、切り捨てます。実際の事件では、この端数処理が必要になる場面もある、ということは覚えておいてください。

併合罪の加重(47条)

最も重い罪の長期に、2分の1を加える 図:最も重い罪の長期に、2分の1を加える

72条の3つめ、併合罪の加重です。根拠は47条ですが、47条自身の見出しは「有期拘禁刑の加重」です。「併合罪の加重」というのは72条三号が並べている項目名の方で、条文の見出しとは別の言葉だと分けておいてください。47条を読みます。

条文刑法47条

刑法47条(有期拘禁刑の加重) 「併合罪のうちの二個以上の罪について有期拘禁刑に処するときは、その最も重い罪について定めた刑の長期にその二分の一を加えたものを長期とする。ただし、それぞれの罪について定めた刑の長期の合計を超えることはできない。」

併合罪の関係にある2個以上の罪について、有期拘禁刑にするときは、その中でいちばん重い罪の長期に、その2分の1を加えて、新しい長期にします。ただし、それぞれの罪の長期を全部足した数字を超えることはできません。併合罪の加重は、水槽のポンプやバルブとは別物です。長期に新しく数字を足す操作なので、倍にする・半分にするだけの水槽の喩えでは表せません。この操作だけは別物だと考えてください。「最も重い罪」の判定は、さっき見た10条の基準をそのまま使います。長期で比べて、同じなら短期で比べます。なお、併合罪という関係そのものの成立要件、確定判決を経ていない数個の罪という要件は、第10章の回で扱いましたので、今日は加重の計算式だけを扱います。

短期は動きません。長期だけが加重される点は、さっきの累犯加重と同じ形です。並べて比べてみましょう。

累犯加重と併合罪加重の比較 図:累犯加重と併合罪加重の比較

累犯加重は57条が根拠で、長期を2倍以下にします。上限の歯止めは条文自体には無く、前回見た14条2項の30年で頭打ちになるだけです。併合罪の加重は47条が根拠で、最も重い罪の長期に2分の1を加えます。しかも、それぞれの罪の長期を合計した数字を超えられない、というただし書の歯止めが付いています。72条の中での位置も、累犯加重が1番目、併合罪の加重が3番目と別の段階です。

酌量減軽(66条・67条・71条)

情状に酌量すべきものがあれば、裁判所の裁量で減軽する 図:情状に酌量すべきものがあれば、裁判所の裁量で減軽する

72条の4つめ、最後の酌量減軽です。66条を読みます。

条文刑法66条

刑法66条(酌量減軽) 「犯罪の情状に酌量すべきものがあるときは、その刑を減軽することができる。」

犯罪の情状に酌量すべきものがあるとき、裁判所は裁量で刑を減軽できます。法律上の減軽は、未遂や従犯のように、条文が定める事由に該当すれば当然に働きます。酌量減軽は、そういう決まった事由が無くても、事件の情状を見て裁判所が独自の判断で減軽できる、という制度です。「できる」という書きぶりに、裁量であることが表れています。

条文刑法67条

刑法67条(法律上の加減と酌量減軽) 「法律上刑を加重し、又は減軽する場合であっても、酌量減軽をすることができる。」

法律上の加重や減軽をした場合でも、それとは別に、酌量減軽をすることができます。つまり、1つめから3つめまでの処理をすでに行ったあとの処断刑に対しても、さらに酌量減軽を重ねられる、ということです。

条文刑法71条

刑法71条(酌量減軽の方法) 「酌量減軽をするときも、第六十八条及び前条の例による。」

酌量減軽の具体的な計算方法は、法律上の減軽と同じ、さっきの68条・70条のとおりです。有期拘禁刑なら、長期・短期とも2分の1にします。ただし酌量減軽は、水槽でいえば2つめのバルブにあたります。1つめのバルブ、つまり法律上の減軽とは別に、裁判所の裁量でもう一段階かけられます。

冒頭の問いを解く——72条の順序で計算する

再犯加重→法律上の減軽→併合罪の加重→酌量減軽 図:再犯加重→法律上の減軽→併合罪の加重→酌量減軽

ここからが今日の山場です。ここまでの、1つめの再犯加重、2つめの法律上の減軽、3つめの併合罪の加重、4つめの酌量減軽、この4つを、同時に行うときの順番を定めているのが72条です。この4つの並びには筋があります。1つめと2つめは、その罪1つ、その被告人1人だけの事情を反映する段階。3つめは、そこまでで確定した枠を土台に、複数の罪をまとめて扱う段階。4つめは、最後に裁判所の裁量で一段階だけ緩める段階です。狭い範囲から広い範囲へ、法律上の処理から裁量の処理へ、という順番になっています。全文を読みます。

条文刑法72条

刑法72条(加重減軽の順序) 「同時に刑を加重し、又は減軽するときは、次の順序による。 一 再犯加重 二 法律上の減軽 三 併合罪の加重 四 酌量減軽」

これで、冒頭の問いに答える準備がそろいました。もう一度整理します。法定刑は「1年以上20年以下の拘禁刑」。未遂・従犯・自首が成立していて、累犯はありません。そして別に窃盗罪、10年以下の拘禁刑が併合罪の関係にあります。1つめの再犯加重は、累犯にあたる事情が無いので、該当なし。ここはスキップします。

未遂・従犯・自首がそろっても、2分の1は1回だけ 図:未遂・従犯・自首がそろっても、2分の1は1回だけ

次は2つめ、法律上の減軽です。未遂、従犯、自首と3つの事由がありますが、さっき確認したとおり、68条の文言から、減軽処理は1回だけです。68条3号により、長期・短期とも2分の1にします。長期は20年から10年、短期は1年から6か月です。この段階での処断刑は、暫定的に「6か月以上10年以下の拘禁刑」になります。ここで3つめ、併合罪の加重に入ります。その前に、ここから先ずっと効く原則を1つ置きます。併合罪の加重は、いくつもの罪をまとめて扱う段階です。そこに入ってくる各罪は、それぞれが自分に固有の加重減軽を済ませた状態で並びます。

本罪には未遂・従犯・自首という本罪だけの事情があり、さっき2分の1にしました。窃盗罪にはそういう事情が無いので、窃盗罪は法定刑のままここに来ます。だから、このあとの「最も重い罪」の比較も、47条本文の2分の1を加える計算も、ただし書の合計の上限も、全部この処理を済ませた長期どうしで行います。では、本罪と窃盗罪、どちらが「最も重い罪」になるか、10条の基準で考えてみてください。窃盗罪の法定刑は、10年以下の拘禁刑、下限は12条により1か月です。10条2項で長期を比べると、本罪の10年と窃盗罪の10年で、同じです。

長期が同じなら短期を比べる——短期が長い方が重い 図:長期が同じなら短期を比べる——短期が長い方が重い

10条2項の後段、長期が同じなら短期の長い方が重いという基準を使います。本罪の短期は6か月、窃盗罪の短期は1か月です。6か月の方が長いので、本罪が「最も重い罪」と判定されます。

長期10年に5年を加えて15年、短期は動かない 図:長期10年に5年を加えて15年、短期は動かない

47条により、本罪の長期10年に、その2分の1である5年を加えて、長期15年にします。合計の上限、本罪と窃盗罪それぞれの長期を足した20年を超えていないか確認すると、15年は20年以内なので問題ありません。短期は加重されないので、6か月のままです。この段階の処断刑は、「6か月以上15年以下の拘禁刑」になります。酌量減軽をするかどうかは、裁判所の裁量です。しない場合は、ここまでの「6か月以上15年以下の拘禁刑」が、裁判所が選べる幅になります。これが、冒頭の問いに対する基本の答えです。今の設問には累犯はありませんが、仮にこの事件に累犯もあったとして確かめてみましょう。72条どおりの順番、1つめの再犯加重からだと、長期20年を57条の上限いっぱいまで、つまり2倍に引き上げたとして40年。でも14条2項の上限30年を超えられないので、30年に頭打ちになります。そこから2つめの法律上の減軽、68条3号で2分の1にして、長期15年です。

逆に、2つめの法律上の減軽を先にやると、長期20年を2分の1にして10年。そこから1つめの再犯加重、57条で2倍にすると、長期20年です。同じ2つのルールでも、順番だけで長期が15年と20年に分かれます。先に2倍にすると、40年のうち30年という頭打ちを超えた10年分が、その場で切り落とされます。あとで半分にしても、この切り落とされた分は戻ってきません。さっきの水槽と同じです。先にポンプで倍にすると、上限からあふれた分は取り返せない。だから72条は、再犯加重を法律上の減軽より先に置いて、この順番を条文の側で固定しているんです。

酌量減軽まで行うと、幅はさらに半分になる 図:酌量減軽まで行うと、幅はさらに半分になる

仮に、裁判所がさらに4つめの酌量減軽まで行う場合も見ておきます。71条により、68条3号の例で、長期・短期ともまた2分の1にします。長期15年は7年6か月、短期6か月は3か月です。酌量減軽まで行った場合の処断刑は、「3か月以上7年6か月以下の拘禁刑」になります。酌量減軽は裁判所の裁量なので、必ず行われるとは限りません。冒頭の問いの答えは、酌量減軽をしない場合で「6か月以上15年以下」、酌量減軽まで行った場合で「3か月以上7年6か月以下」です。いずれにしても、1つめから4つめまで、72条の順番どおりに、1つずつ数字を動かしていけば、答えは一意に決まります。

宣告刑と量刑

枠の中から、一点を選ぶ 図:枠の中から、一点を選ぶ

最後に、宣告刑です。ここまでで作ってきた処断刑という枠の中から、裁判所が具体的に言い渡す刑が、宣告刑です。宣告刑を決めることを、刑の量定、量刑と呼びます。大きく2つの要素があります。1つは犯情、結果の重さや動機、計画性のような、その行為自体に関する事情です。もう1つは一般情状、前科や生活状況のような、行為以外の事情です。これらを総合して裁判所が判断しますが、恣意的に決めてよいわけではなく、合理性が求められます。今日見てきた法定刑から処断刑までの計算は、答えが一意に決まる作業でした。宣告刑は、その決まった枠の中で、裁判所がどこを選ぶかという判断の話になります。

処断刑という枠は、いわば水槽の目盛りの範囲が確定した状態です。宣告刑は、その範囲の中のどこに実際の水位を合わせるかを、裁判所が決める段階にあたります。

今日の地図(保存版)

3段階と、6つの手続きを、条文のまま並べ直す 図:3段階と、6つの手続きを、条文のまま並べ直す

今日を振り返ります。判決の刑は、法定刑、処断刑、宣告刑という3段階で決まります。処断刑を作る手続きは6つ、そのうち54条1項の科刑上一罪の処理と刑種の選択が前処理、そして72条が定める4段階、再犯加重、法律上の減軽、併合罪の加重、酌量減軽が本体です。再犯加重は長期を2倍以下に、法律上の減軽は事由がいくつあっても1回だけ長期・短期を2分の1に、併合罪の加重は最も重い罪の長期に2分の1を加え、酌量減軽は最後に裁量で長期・短期をまた2分の1にする。この順番を守れば、どんな事情の組み合わせでも、答えは一意に決まります。

冒頭の問いの答えは、酌量減軽をしない場合で「6か月以上15年以下の拘禁刑」、酌量減軽まで行った場合で「3か月以上7年6か月以下の拘禁刑」でした。

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#96単独ページ動画

執行猶予の効果と取消し・仮釈放

第11章 刑罰 ③/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

猶予期間を終えると、判決はどうなるか

なかったことになるのに、不利に考慮されるのは矛盾では 図:なかったことになるのに、不利に考慮されるのは矛盾では

前回、法定刑から処断刑、そして宣告刑という3段階を経て、判決の刑が決まるところまで見ました。今日はその続きです。宣告刑が決まっても、それがそのまま執行されるとは限りません。執行されないこともあるんですか。あります。今日はまず、刑の言渡しを受けても実際には刑務所に入らずに済む制度、執行猶予を見ます。ここで、少し奇妙に見える話をします。刑法27条1項は、執行猶予の期間を無事に終えると、「刑の言渡しは、効力を失う」と定めています。効力を失う、だから判決は無かったことになる——そう読めそうですよね。でも、もしそうだとしたら、おかしなことが起きます。この人が、猶予期間が終わったあとに、また別の罪を犯したとします。そのとき裁判官が、「この人は以前にも有罪判決を受けている」という事実を、量刑の判断材料にすることは、許されるのでしょうか。

この、どちらも正しく感じられる2つの直感、実は両立します。今日はまず、この矛盾を解くところから始めます。

執行猶予の意義

刑の言渡しをしたうえで、執行を猶予する 図:刑の言渡しをしたうえで、執行を猶予する

執行猶予とは、刑の言渡しをしたうえで、一定期間その刑の全部または一部の執行を猶予し、猶予期間を無事に経過したときは、その効果が生じる制度です。2種類あります。全部の執行猶予と、一部の執行猶予です。名前のとおり、全部を猶予するか一部だけ猶予するかの違いではあります。ただ、違いはそれだけではありません。この2つは、猶予期間がいつから始まるか、そして猶予期間を終えたときに何が起きるかまで、仕組みが違います。まず全部の執行猶予から見ていきます。

全部の執行猶予①——27条の効果から逆算する

効力を失うのは、刑の言渡しという法律関係だけ 図:効力を失うのは、刑の言渡しという法律関係だけ

今日は、要件を先に並べるのではなく、まず効果から見ます。全部の執行猶予でいちばん大事なのは、この効果だからです。27条1項を読みます。

条文刑法27条1項

刑法27条1項(刑の全部の執行猶予の期間経過の効果) 「刑の全部の執行猶予の言渡しを取り消されることなくその猶予の期間を経過したときは、刑の言渡しは、効力を失う。」

猶予の言渡しを取り消されることなく、猶予期間を無事に経過したときは、刑の言渡しは効力を失います。効力を失うとは、たとえば将来また罪を犯した場合、25条1項1号の「前に拘禁刑以上の刑に処せられたことがない者」に、この人はあたる、ということです。前回見た累犯加重、つまり57条で刑の長期を2倍以下に引き上げるあの加重も生じませんし、この判決によって生じていた職業資格などの制限も消滅します。だからこそ、冒頭の矛盾に戻ります。ここで整理しておきたいのは、条文が失わせているのは「刑の言渡し」という法律上の効力であって、「刑の言渡しがあったという事実」ではない、という点です。

身近な例で考えます。友人にお金を借りて、期日どおりに全額返済したとします。返済が終われば、借用証書は効力を失います。もう「返す義務がある」という法律関係はありません。しかし、友人の記憶からは、「あのとき一度お金を借りた」という事実そのものは消えません。次にまた大きな金額を貸してほしいと頼んだとき、友人が過去の貸し借りを思い出して慎重になるとしても、それは証書が生きているからではなく、そういう事実があったことを覚えているからです。証書の効力と、借りたという記憶は、そもそも別のレイヤーにあります。27条1項も同じ構造です。猶予期間を無事に終えると、刑の言渡しという法律関係は効力を失います。次に罪を犯したとき、前科者として扱われることはありません。しかし、有罪判決を受けたという事実そのものが、記録の上から否定されるわけではありません。将来の量刑でその事実がどこまで考慮されるかは別の論点ですが、効力が消えることと、あったという事実自体は否定されないことは、矛盾しません。

効力が消えるのは、あくまで将来の法律上の扱いの部分だけです。

全部の執行猶予②——猶予期間中の公訴提起

猶予期間が過ぎても、公訴提起中は効力が続くことがある 図:猶予期間が過ぎても、公訴提起中は効力が続くことがある

ただし、猶予期間さえ過ぎればそれで確実に逃げ切れる、という制度ではありません。27条2項から4項が、この点を定めています。

条文刑法27条2項

刑法27条2項(猶予期間内の公訴提起と効力継続期間) 「前項の規定にかかわらず、刑の全部の執行猶予の期間内に更に犯した罪(罰金以上の刑に当たるものに限る。)について公訴の提起がされているときは、同項の刑の言渡しは、当該期間が経過した日から第四項又は第五項の規定によりこの項後段の規定による刑の全部の執行猶予の言渡しが取り消されることがなくなるまでの間(以下この項及び次項において「効力継続期間」という。)、引き続きその効力を有するものとする。この場合においては、当該刑については、当該効力継続期間はその全部の執行猶予の言渡しがされているものとみなす。」

猶予期間内に更に犯した罪、しかも罰金以上の刑に当たる罪について、公訴が提起されているときは、話が変わります。この場合、その罪の取消しの可否が決まらなくなるまでの間——これを条文は「効力継続期間」と呼びます——刑の言渡しは、なお効力を持ち続けます。しかも、この効力継続期間中は、あたかもまだ執行猶予の言渡しがされているもの、として扱われます。たとえば、3年の猶予期間があと1か月で終わるという時期に更に罪を犯し、起訴されたまま最終日を迎えた場合です。このときは、最終日が来ても言渡しの効力は消えず、その裁判の決着を待つことになります。では、その効力継続期間のあいだ、その人はずっと前科者として不利益を負い続けるのか。そこを定めたのが3項と4項です。

条文刑法27条3項・4項

刑法27条3項・4項(効力継続期間中の適用除外と必要的取消し) 3項「前項前段の規定にかかわらず、効力継続期間における次に掲げる規定の適用については、同項の刑の言渡しは、効力を失っているものとみなす。 一 第二十五条、第二十六条、第二十六条の二、次条第一項及び第三項、第二十七条の四(第三号に係る部分に限る。)並びに第三十四条の二の規定 二 人の資格に関する法令の規定」 4項「第二項前段の場合において、当該罪について拘禁刑以上の刑に処せられ、その刑の全部について執行猶予の言渡しがないときは、同項後段の規定による刑の全部の執行猶予の言渡しを取り消さなければならない。ただし、当該罪が同項前段の猶予の期間の経過後に犯した罪と併合罪として処断された場合において、犯情その他の情状を考慮して相当でないと認めるときは、この限りでない。」

3項によって、その効力継続期間中も、25条や26条、26条の2、27条の2の一部、27条の4の一部、それに34条の2の適用や、資格に関する法令の適用については、効力を失ったものとみなされます。つまり、実際上の不利益はできる限り生じさせない形で、決着を待つ、という設計です。そして4項、その新しい罪について拘禁刑以上の刑に処せられ、しかもその刑の全部について執行猶予が付かなかったときは、もとの猶予の言渡しは必ず取り消されます。5項・6項にも規定がありますが、深入りはせず、ここでは「猶予期間さえ過ぎれば逃げ切れる制度ではない」という骨格を押さえてください。

全部の執行猶予③——初度と再度で要件が変わる理由

効果が強いからこそ、初度と再度で入口が違う 図:効果が強いからこそ、初度と再度で入口が違う

ここまでの効果の強さを踏まえて、要件を見ます。だからこそ、初度の執行猶予と再度の執行猶予とで、要件が変わります。25条1項を読みます。

条文刑法25条1項

刑法25条1項(刑の全部の執行猶予・初度) 「次に掲げる者が三年以下の拘禁刑又は五十万円以下の罰金の言渡しを受けたときは、情状により、裁判が確定した日から一年以上五年以下の期間、その刑の全部の執行を猶予することができる。 一 前に拘禁刑以上の刑に処せられたことがない者 二 前に拘禁刑以上の刑に処せられたことがあっても、その執行を終わった日又はその執行の免除を得た日から五年以内に拘禁刑以上の刑に処せられたことがない者」

前に拘禁刑以上の刑に処せられたことがない人、または処せられたことがあっても、その刑の執行を終えた日や執行の免除を得た日から5年以内に拘禁刑以上の刑を受けていなければ、3年以下の拘禁刑、または50万円以下の罰金の言渡しを受けたとき、情状により、裁判が確定した日から1年以上5年以下の期間、刑の全部の執行を猶予できます。ここは、あとで一部の執行猶予と比べるときの重要なポイントなので、覚えておいてください。次に、再度の執行猶予です。25条2項を読みます。

条文刑法25条2項

刑法25条2項(刑の全部の執行猶予・再度) 「前に拘禁刑に処せられたことがあってもその刑の全部の執行を猶予された者が二年以下の拘禁刑の言渡しを受け、情状に特に酌量すべきものがあるときも、前項と同様とする。ただし、この項本文の規定により刑の全部の執行を猶予されて、次条第一項の規定により保護観察に付せられ、その期間内に更に罪を犯した者については、この限りでない。」

前に拘禁刑に処せられ、その刑の全部の執行を猶予されていた人が、さらに罪を犯し、2年以下の拘禁刑の言渡しを受けた場合です。この場合も、情状に「特に」酌量すべきものがあるときは、もう一度、執行猶予を付けられます。すでに1回、執行猶予という恩恵を受けている人が、さらにもう一度猶予を得るわけですから、対象となる刑も2年以下に絞られ、情状の要求も重くなります。ただし書もあります。この2項の規定で執行猶予を受け、保護観察に付された人が、その保護観察の期間内にさらに罪を犯していた場合は、この2項の対象から外れます。つまり、再度の猶予をすでに使い、しかも保護観察という見守りの期間中にまた罪を犯していた人には、もう一度は認めない、という歯止めです。

拘留や科料の言渡しには、執行猶予は付けられないんですか。付けられません。25条1項も2項も、対象を拘禁刑と罰金の言渡し、もっと言えば2項は拘禁刑の言渡しだけに限っています。拘留・科料の言渡しにはそもそも執行猶予を付ける規定がありませんし、再度の執行猶予は罰金にも付けられません。

全部の執行猶予④——保護観察

初度は裁量、再度は必ず付ける 図:初度は裁量、再度は必ず付ける

執行猶予には、保護観察という制度が組み合わさることがあります。25条の2を読みます。

条文刑法25条の2

刑法25条の2(刑の全部の執行猶予中の保護観察) 1項「前条第一項の場合においては猶予の期間中保護観察に付することができ、同条第二項の場合においては猶予の期間中保護観察に付する。」 2項「前項の規定により付せられた保護観察は、行政官庁の処分によって仮に解除することができる。」 3項「前項の規定により保護観察を仮に解除されたときは、前条第二項ただし書及び第二十六条の二第二号の規定の適用については、その処分を取り消されるまでの間は、保護観察に付せられなかったものとみなす。」

初度の執行猶予、25条1項の場合は、保護観察に付するかどうかは裁量です。付けても付けなくてもかまいません。これに対して、再度の執行猶予、25条2項の場合は、必ず保護観察に付されます。再度の執行猶予は、すでに一度猶予を受けた人に、もう一度チャンスを与える場面です。それだけ再犯のリスクが高いと見られるので、行政官庁による見守り、つまり保護観察を必ず組み合わせることにしています。付けられた保護観察は、行政官庁の処分によって途中で仮に解除することもできます。3項は、その仮解除の効果を定めていて、仮解除されている間は、さっき見た25条2項のただし書や、このあと見る26条の2の判断にあたっては、保護観察に付されていなかったものとして扱われます。

全部の執行猶予⑤——取消し

必要的取消しと裁量的取消しの区別 図:必要的取消しと裁量的取消しの区別

効果が強い制度だからこそ、取消しの仕組みも用意されています。まず、必ず取り消される場合、26条です。

条文刑法26条

刑法26条(刑の全部の執行猶予の必要的取消し) 「次に掲げる場合においては、刑の全部の執行猶予の言渡しを取り消さなければならない。ただし、第三号の場合において、猶予の言渡しを受けた者が第二十五条第一項第二号に掲げる者であるとき、又は次条第三号に該当するときは、この限りでない。 一 猶予の期間内に更に罪を犯して拘禁刑以上の刑に処せられ、その刑の全部について執行猶予の言渡しがないとき。 二 猶予の言渡し前に犯した他の罪について拘禁刑以上の刑に処せられ、その刑の全部について執行猶予の言渡しがないとき。 三 猶予の言渡し前に他の罪について拘禁刑以上の刑に処せられたことが発覚したとき。」

猶予期間中に更に罪を犯し、拘禁刑以上の実刑を受けたとき、猶予の言渡し前に犯していた別の罪で実刑を受けたとき、そして猶予の言渡し前の実刑が後から発覚したとき、この3つは必ず取り消されます。いずれも「実刑になった、または実刑だったことが分かった」という、猶予に値しなかったことが確定した場面です。なお、ただし書もあり、3号にあたる場合でも、猶予の言渡しを受けた人が25条1項2号にあたる人であるとき、または次に見る26条の2の3号にあたるときは、この必要的取消しの対象から外れます。26条の2を読みます。

条文刑法26条の2

刑法26条の2(刑の全部の執行猶予の裁量的取消し) 「次に掲げる場合においては、刑の全部の執行猶予の言渡しを取り消すことができる。 一 猶予の期間内に更に罪を犯し、罰金に処せられたとき。 二 第二十五条の二第一項の規定により保護観察に付せられた者が遵守すべき事項を遵守せず、その情状が重いとき。 三 猶予の言渡し前に他の罪について拘禁刑に処せられ、その刑の全部の執行を猶予されたことが発覚したとき。」

猶予期間中に再犯があっても罰金にとどまったとき、保護観察の遵守事項に違反し、しかも情状が重いとき、そして猶予の言渡し前の別の罪が、これも執行猶予付きだったと後から発覚したとき、この3つは裁量です。26条の実刑になった場合に比べて、事情が軽い場面が並んでいます。

一部の執行猶予①——要件

実刑部分と猶予部分に、二階建てで分ける 図:実刑部分と猶予部分に、二階建てで分ける

ここから、一部の執行猶予です。全部の執行猶予は、刑務所に入らずに済む制度でした。一部の執行猶予は、これとは違います。まず刑期の一部を実際に執行してから、残りの執行を猶予する、いわば実刑と猶予の二階建てです。27条の2第1項を読みます。

条文刑法27条の2第1項

刑法27条の2第1項(刑の一部の執行猶予・要件) 「次に掲げる者が三年以下の拘禁刑の言渡しを受けた場合において、犯情の軽重及び犯人の境遇その他の情状を考慮して、再び犯罪をすることを防ぐために必要であり、かつ、相当であると認められるときは、一年以上五年以下の期間、その刑の一部の執行を猶予することができる。 一 前に拘禁刑以上の刑に処せられたことがない者 二 前に拘禁刑に処せられたことがあっても、その刑の全部の執行を猶予された者 三 前に拘禁刑以上の刑に処せられたことがあっても、その執行を終わった日又はその執行の免除を得た日から五年以内に拘禁刑以上の刑に処せられたことがない者」

対象は3年以下の拘禁刑だけです。全部猶予にあった「50万円以下の罰金」という選択肢は、一部猶予にはありません。要件も、犯情の軽重や犯人の境遇その他の情状を考慮して、再犯防止のために必要かつ相当と認められるとき、という書きぶりです。認められれば、1年以上5年以下の期間、刑の一部の執行を猶予できます。全部猶予が「そもそも入らない」という強い効果なのに対し、一部猶予は「一部だけ実際に執行する」制度なので、判断の物差しがより具体的に条文化されています。なお、薬物使用等の罪については、これとは別に特別法で一部執行猶予の制度が用意されています。

一部の執行猶予②——保護観察・取消し

保護観察は裁量、取消しは全部猶予と型が同じ 図:保護観察は裁量、取消しは全部猶予と型が同じ

一部の執行猶予にも、保護観察の規定があります。27条の3第1項を読みます。

条文刑法27条の3第1項

刑法27条の3第1項(刑の一部の執行猶予中の保護観察) 「前条第一項の場合においては、猶予の期間中保護観察に付することができる。」

一部猶予の保護観察は、常に裁量です。全部猶予の「初度は裁量、再度は必要的」という区分がありましたが、一部猶予にはそもそも「再度」という区分がありません。取消しは、全部猶予の26条・26条の2と同じ型で、必要的と裁量的に分かれます。

条文刑法27条の4

刑法27条の4(刑の一部の執行猶予の必要的取消し) 「次に掲げる場合においては、刑の一部の執行猶予の言渡しを取り消さなければならない。ただし、第三号の場合において、猶予の言渡しを受けた者が第二十七条の二第一項第三号に掲げる者であるときは、この限りでない。 一 猶予の言渡し後に更に罪を犯し、拘禁刑以上の刑に処せられたとき。 二 猶予の言渡し前に犯した他の罪について拘禁刑以上の刑に処せられたとき。 三 猶予の言渡し前に他の罪について拘禁刑以上の刑に処せられ、その刑の全部について執行猶予の言渡しがないことが発覚したとき。」

条文刑法27条の5

刑法27条の5(刑の一部の執行猶予の裁量的取消し) 「次に掲げる場合においては、刑の一部の執行猶予の言渡しを取り消すことができる。 一 猶予の言渡し後に更に罪を犯し、罰金に処せられたとき。 二 第二十七条の三第一項の規定により保護観察に付せられた者が遵守すべき事項を遵守しなかったとき。」

全部猶予の必要的取消しは、「実刑になり、かつ、その全部について猶予が付かなかったとき」でしたが、一部猶予の必要的取消しは、「更に罪を犯し拘禁刑以上の刑に処せられたとき」とだけ定められています。つまり、新しい罪について、たとえ執行猶予の言渡しがあったとしても、拘禁刑以上の刑に処せられさえすれば取り消される、という違いがあります。文言はよく似ていますが、細部まで同じではありません。なお、ただし書もあり、3号にあたる場合でも、猶予の言渡しを受けた人が27条の2第1項3号にあたる人であるときは、この必要的取消しの対象から外れます。

全部猶予の裁量的取消しは、保護観察の遵守事項違反に加えて、情状が重いことまで求めていました。一部猶予の裁量的取消しは、遵守事項を守らなかったという事実だけで足ります。全部猶予より一部猶予のほうが、取消しのハードルが低いんです。これは、一部猶予が、更なる犯罪を防ぐために猶予が必要であり、かつ、相当であると積極的に認めて、刑期の残りをあえて執行しないでおく制度だからです。その前提が崩れた事実が出てきた以上、情状の重さを問わずに猶予を外せる、という組み立てになっています。

一部の執行猶予③——起算日と効果

起算日は、実刑部分の執行が終わった日 図:起算日は、実刑部分の執行が終わった日

ここが、今日いちばんの弁別ポイントです。猶予期間はいつから数えるのか。27条の2第2項を読みます。

条文刑法27条の2第2項

刑法27条の2第2項(刑の一部の執行猶予・猶予期間の起算) 「前項の規定によりその一部の執行を猶予された刑については、そのうち執行が猶予されなかった部分の期間を執行し、当該部分の期間の執行を終わった日又はその執行を受けることがなくなった日から、その猶予の期間を起算する。」

一部猶予は、まず執行が猶予されなかった部分、つまり実刑部分を実際に執行します。そして、その執行が終わった日、または執行を受けることがなくなった日から、猶予期間のカウントが始まります。全部猶予は、判決が確定したその日から、猶予期間がすぐ始まります。刑務所には最初から入りません。これに対して一部猶予は、いったん刑務所に入り、実刑部分の執行を終えて出所した日から、ようやく猶予期間のカウントが始まります。期間の長さは同じでも、いつから始まるかが違うんです。ここを混同しないようにしてください。では、猶予期間を無事に終えたら、何が起きるのか。効果を見ます。27条の7第1項を読みます。

条文刑法27条の7第1項

刑法27条の7第1項(刑の一部の執行猶予・猶予期間経過の効果) 「刑の一部の執行猶予の言渡しを取り消されることなくその猶予の期間を経過したときは、その拘禁刑を執行が猶予されなかった部分の期間を刑期とする拘禁刑に減軽する。この場合においては、当該部分の期間の執行を終わった日又はその執行を受けることがなくなった日において、刑の執行を受け終わったものとする。」

猶予期間を無事に終えると、言い渡された拘禁刑を、実刑部分の期間だけを刑期とする拘禁刑に、減軽します。しかもこの場合、実刑部分の執行を終えた日、またはその執行を受けることがなくなった日において、刑の執行をすでに受け終わったものとして扱われます。ここが対比の核心です。同じ「猶予を無事に終える」でも、全部猶予は「言渡しの効力を失う」、一部猶予は「減軽する」と、効果の書き方が違います。全部猶予は、そもそも刑務所に入っていないので、猶予期間を終えると言渡しそのものの効力が消えます。一部猶予は、すでに実刑部分を執行してしまっているので、言渡し自体は消えません。その代わり、残っていた猶予部分が実行されずに済んだことを踏まえて、刑を実刑部分だけに作り直す、つまり減軽するという形を取ります。

拘禁刑2年6か月、うち8か月の執行を4年間猶予 図:拘禁刑2年6か月、うち8か月の執行を4年間猶予

独自の数値で確かめます。拘禁刑2年6か月、そのうち8か月分の執行を4年間猶予する、という言渡しがあったとします。2年6か月引く8か月で、1年10か月を実際に服役します。出所した日から、4年間の猶予期間が始まります。取消しなくこの4年間が経過すれば、27条の7第1項によって、拘禁刑は1年10か月だったものとして扱われることになります。

全部猶予と一部猶予の対比

起算日と効果が、いちばんの弁別点 図:起算日と効果が、いちばんの弁別点

ここまでを、対比表にまとめます。根拠条文、対象となる刑、保護観察の要否、期間、そして起算日と効果です。期間の長さそのものは、どちらも1年以上5年以下で共通しています。違うのは、いつから数えるかと、猶予を終えたあとに何が起きるかです。言渡しの効力が消えるのは全部猶予、実刑部分だけを刑期とする刑に減軽されるのは一部猶予でした。起算日は、全部猶予が裁判確定の日、一部猶予が実刑部分の執行が終わった日でしたね。

仮釈放——「入らない」と「早く出る」の違い

いったん収容されたあと、刑期満了前に釈放する 図:いったん収容されたあと、刑期満了前に釈放する

次は仮釈放です。ここまでの執行猶予は、刑の言渡しの段階で、そもそも刑務所に入らない、または一部だけ入る制度でした。仮釈放は、これとは位置づけが違います。いったん拘禁刑の執行として刑務所に入った人を、刑期が満了する前に釈放する制度です。28条を読みます。

条文刑法28条

刑法28条(仮釈放) 「拘禁刑に処せられた者に改悛の状があるときは、有期刑についてはその刑期の三分の一を、無期刑については十年を経過した後、行政官庁の処分によって仮に釈放することができる。」

拘禁刑に処せられた人に改悛の状、つまり反省して行いを改めたと見られる様子があるとき、有期刑なら刑期の3分の1を、無期刑なら10年を経過したあと、行政官庁の処分によって仮に釈放できます。執行猶予は裁判所が判決の時点で決めるんでしたよね。仮釈放も、裁判所が決めるんですか。違います。そこが位置づけの違いを表しています。仮釈放を決めるのは、裁判所ではなく行政官庁です。収容されたあと、刑務所での様子を見て、行政の側が判断します。取消しもあるんですか。あります。29条1項を読みます。

条文刑法29条1項

刑法29条1項(仮釈放の取消し) 「次に掲げる場合においては、仮釈放の処分を取り消すことができる。 一 仮釈放中に更に罪を犯し、罰金以上の刑に処せられたとき。 二 仮釈放前に犯した他の罪について罰金以上の刑に処せられたとき。 三 仮釈放前に他の罪について罰金以上の刑に処せられた者に対し、その刑の執行をすべきとき。 四 仮釈放中に遵守すべき事項を遵守しなかったとき。」

仮釈放中に更に罪を犯して罰金以上の刑に処せられたときなど、4つの場合に取り消せます。取り消されると、仮に釈放されていた間の日数は、刑期に算入されません。なお、拘留や労役場留置については、仮出場という別の制度が30条にあります。

執行猶予と仮釈放の対比

判決の段階か、収容後の段階か 図:判決の段階か、収容後の段階か

執行猶予と仮釈放を並べます。執行猶予は刑の言渡しの段階で効く、判断するのは裁判所。仮釈放は刑の執行の段階、収容されたあとに効く、判断するのは行政官庁です。執行猶予と仮釈放、先に効くのはどちらでしたか?執行猶予です。判決の時点で、刑務所に入るかどうかがまず決まります。刑務所に入った場合に、その中でさらに早く出られるかどうかを判断するのが、あとから効く仮釈放です。

刑の時効と刑の消滅

執行を受けずに一定期間が過ぎると、執行を免れる 図:執行を受けずに一定期間が過ぎると、執行を免れる

最後に、刑の執行をめぐる制度をもう2つ見ます。まず刑の時効です。31条は、刑の言渡しを受けた人が、時効によってその執行の免除を得る、と定めています。時効の期間は32条にあり、刑の種類・重さごとに区分されています。執行猶予・仮釈放は、これから刑をどう執行するかという話でしたが、時効は、執行を受けないまま一定期間が過ぎると、その執行そのものを免れる、という制度です。

27条とは別の制度——刑の消滅(34条の2) 図:27条とは別の制度——刑の消滅(34条の2)

もう1つ、刑の消滅です。34条の2の1項を読みます。

条文刑法34条の2第1項

刑法34条の2第1項(刑の消滅) 「拘禁刑以上の刑の執行を終わり又はその執行の免除を得た者が罰金以上の刑に処せられないで十年を経過したときは、刑の言渡しは、効力を失う。罰金以下の刑の執行を終わり又はその執行の免除を得た者が罰金以上の刑に処せられないで五年を経過したときも、同様とする。」

拘禁刑以上の刑の執行を終えた人、または執行の免除を得た人が、罰金以上の刑に処せられないまま10年経過すれば、刑の言渡しは効力を失います。それより軽い、罰金以下の刑の執行を終えた場合は、5年の経過で同じことが起きます。混同しやすいところですが、別の制度です。27条は、執行猶予が付いた人が、猶予期間を無事に終えた場合の効果でした。34条の2は、そもそも執行猶予が付かなかった人、または執行猶予が取り消された人が、刑の執行そのものを終えたあと、さらに一定期間、再犯なく過ごした場合の制度です。入口が違います。猶予とは別の道からも、言渡しの効力は失われる——この対比で押さえてください。

総論の総復習——今日のミニ事例

今日のミニ事例——A・B・Cの1つの事案で、道具を使い分ける 図:今日のミニ事例——A・B・Cの1つの事案で、道具を使い分ける

ここから、総論の総復習です。新しい定義は足しません。これまでの回で固めてきた言葉を、そのまま思い出しながら、1つの事例で「今どの関門の、どの論点の話か」を当てていきます。事例はこうです。Aは、Bに「Cの倉庫に、壊してでも入って商品を取ってこい。気づかれたら殴ってでも逃げろ」と頼みました。Bは倉庫の窓を割って中に入り、商品を物色しましたが、警報が鳴ったため、何も持ち出せないまま逃げようとしたところをCに見つかり、Cを殴って逃走しました。

場面1——Bが商品を物色したが、何も取れなかった 図:場面1——Bが商品を物色したが、何も取れなかった

まず1つめの場面です。Bは、窃盗罪の実行に着手して商品を物色しましたが、警報が鳴ったため、何も持ち出せないまま終わりました。これは、43条のどちら側の話だったか、思い出せますか?惜しいですが、43条ただし書の中止未遂ではありません。Bがやめたのは、警報が鳴ったからです。自己の意思によるものではありません。自分の意思とは関係なく遂げられなかった場合は、43条本文、障害未遂です。窃盗罪という基本的構成要件を、時間的に修正した形が問われている場面です。

場面2——Bが、逃げるためにCを殴った 図:場面2——Bが、逃げるためにCを殴った

2つめの場面です。BはCに見つかり、逃げるためにCを殴りました。まず、Bの行為が暴行罪の構成要件に該当するかどうかを確認したあと、次に何を検討しますか。構成要件に該当した行為は、通常は違法だと推定されるから……違法性阻却事由があるかどうかだけを確認する、でした。構成要件に該当した行為は原則として違法だと推定され、確認するのは違法性阻却事由の有無だけになる——これが違法性推定機能です。今回、Cは倉庫の持ち主として何もしていない立場ですから、Bに正当防衛のような阻却事由は認められません。違法性も「あり」となります。

Bに責任能力があり、他に責任を阻却する事情も無ければ、責任も認められます。構成要件該当性、違法性、責任、この3つの関門がすべて認められて、初めて犯罪が成立するのでしたね。

場面3——Aは、Bに何を頼んだか 図:場面3——Aは、Bに何を頼んだか

3つめの場面です。Aは、自分では倉庫に入っていません。Bに頼んだだけです。これは、どの論点でしたか。自分では実行行為をしない点で共同正犯と区別される、狭義の共犯……教唆犯ですよね。61条でした。Aは、Bに犯罪の実行を決意させ、実行させた立場にあたります。

場面4——建造物侵入・器物損壊・窃盗未遂・暴行、いくつの罪か 図:場面4——建造物侵入・器物損壊・窃盗未遂・暴行、いくつの罪か

4つめの場面です。Bの行為は、建造物侵入、器物損壊、窃盗未遂、暴行と、複数の構成要件に触れています。これをいくつの罪として扱うかは、どの章の話でしたか。4つの層の並びを先に確かめておきましょう。単純一罪、評価上一罪、科刑上一罪、併合罪の4つでしたね。今回のように、手段と結果の関係にある複数の行為が、それぞれ別の構成要件に触れる場合、科刑上一罪の中の牽連犯として扱われる可能性がある、というのが罪数の考え方でした。今回でいえば、倉庫に入った侵入の罪が手段で、その中で商品を取ろうとした窃盗未遂が結果にあたります。この手段と結果の関係があるからこそ、牽連犯の候補になります。それぞれの構成要件が成立するかどうかは別に検討したうえで、最後に「何個の罪として処断するか」を、この道具で決めます。

新しく覚えることは何もありませんでした。今日やったのは、これまでに作ってきた道具箱の中から、場面ごとにどれを取り出すかを選ぶ練習です。

今日の地図(保存版)

今日の到達点——言渡し、執行、そして総論の道具箱 図:今日の到達点——言渡し、執行、そして総論の道具箱

今日を振り返ります。全部の執行猶予は、27条1項により、猶予期間を無事に終えると、刑の言渡しの効力が失われます。ただしそれは、言渡しがあったという事実そのものを消すわけではありませんでした。要件は25条、初度と再度で対象や情状の要求が変わります。一部の執行猶予は、実刑部分を執行してから、残りを猶予する二階建ての制度で、起算日は実刑部分の執行が終わった日、効果は言渡しの効力喪失ではなく減軽でした。仮釈放は、刑の執行段階で、行政官庁が判断する制度です。そして最後の総論の総復習では、構成要件該当性、違法性、責任の3つの関門、未遂、共犯、罪数という、これまで作ってきた道具を、1つの事例の中で使い分けました。

第11章「刑罰」がこれで終わり、総論もいったんここまでです。今日まで作ってきた道具、構成要件・違法性・責任・未遂・共犯・罪数・刑罰の適用と執行を使って、次からは実際の犯罪類型を1つずつ見ていきます。

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第12章個人的法益①|生命・身体に対する罪

#97単独ページ動画

殺人罪と「人」の始期・終期

第12章 個人的法益①|生命・身体に対する罪 ①/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

「人を殺した者は」の「人」とは誰か

条文が一文字も書いていない語に、線を引く 図:条文が一文字も書いていない語に、線を引く

前回で、刑を言い渡し、その刑をどう執行するかまで見終えました。今日から各論に入ります。今日扱う最初の犯罪は殺人罪です。その殺人罪の条文は、驚くほど短い一文から始まります。「人を殺した者は」。では、1つだけ伺います。ここでいう「人」は、いつから人で、いつまで人なのでしょうか。いつ……生まれたときから、亡くなるときまで、ではないんですか。そう答えたくなりますよね。ところが、「生まれた」のはどの瞬間なのか、「亡くなった」のはどの瞬間なのか、条文には一文字も書いてありません。解釈で決めます。しかも、ただの言葉遊びではありません。線をどこに引くかで、成立する罪そのものが入れ替わります。

今日の結論を先に言ってしまいます。「人」は、母体から体の一部でも外に出た時点で始まり、心拍・呼吸・瞳孔反射の3つが元に戻らない形で止まった時点で終わります。この線の手前にある攻撃は別の罪、線の向こう側にある行為もまた別の罪になります。そしてこの「生命をどこまで守るか」という発想は、既遂の手前にも伸びていきます。準備しただけの段階、着手したけれど死ななかった段階にも、刑法は網をかけています。今日はその全体を、1本の時間軸の上に並べます。

総論から各論へ——読み方が変わる

個人的法益・社会的法益・国家的法益(各論の3層) 図:個人的法益・社会的法益・国家的法益(各論の3層)

本題に入る前に、読み方が変わることだけ確認しておきます。これまでの総論は、どんな犯罪にも共通する問いを扱ってきました。構成要件に当たるか、違法か、責任があるか。着手したのか、共犯か、何罪として処断するか。どの犯罪にも使える道具箱を作ってきた、という感じでしたね。総論はどんな犯罪にも使える道具箱を作ってきました。各論の仕事は、その道具箱の中の「構成要件該当性」という引き出しを、条文ごとに具体的に埋めていくことです。この条文は何を守っているのか、誰に対する、どんな行為を、どこまで禁じているのか。それを1つずつ読みます。

そして各論の条文は、何を守っているかによって大きく3つの層に分かれます。一人ひとりの利益を守る個人的法益に対する罪、社会全体の安全や信用を守る社会的法益に対する罪、国家の働きを守る国家的法益に対する罪です。しかも個人的法益の中でも、生命はいちばん基本的な利益です。命が失われれば、自由も財産も意味を持ちません。だから各論は、生命に対する罪から始まります。

条文を割る6つの問い(保護法益/客体/行為/結果/主観/未遂・予備) 図:条文を割る6つの問い(保護法益/客体/行為/結果/主観/未遂・予備)

読み方の型も先に示しておきます。各論の条文は、この6つの問いに割って読みます。守っているものは何か。向けられる相手は誰か。どんな行為か。何が起きたら完成するか。主観は何が要るか。そして完成の手前をどこまで罰するか。この順に埋めていけば、条文が1つ読めたことになるんですね。今日は殺人罪という最初の条文で、この型を実際に動かしてみます。特に2つめの客体で、大きく立ち止まることになります。

殺人罪の条文と、法定刑の幅

死刑から5年の拘禁刑まで——選べる幅がとても広い 図:死刑から5年の拘禁刑まで——選べる幅がとても広い

では199条を読みます。

条文刑法199条

刑法199条(殺人) 「人を殺した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の拘禁刑に処する。」

はい、199条は本当に一文だけです。禁じている行為は「人を殺した」こと。それしか書いていません。まずは法定刑を見てください。上は死刑、その下に無期拘禁刑、そして有期の拘禁刑は5年以上です。そのままではできません。有期拘禁刑の上限は20年ですから、法定刑の幅は5年から20年、それに無期と死刑が加わります。ここまで広い幅を持つ条文は、そう多くありません。なぜそんなに広いんですか。同じ「人を殺した」の一語に、まるで性質の違う事案が全部入ってくるからです。金銭目的で計画的に殺した事案も、長年の介護に疲れ果てた末の事案も、条文の上では同じ199条です。条文が要件を一言しか書かない代わりに、その幅を量刑の側で吸収している、と考えてください。

殺人罪で執行猶予がつくことはないんですか。そこを考える前に1つ、前回の復習です。執行猶予をつけられるのは、言い渡される刑がどこまでのときでしたか?たしか、3年以下の拘禁刑のときでした。そしてこの回答が、そのまま今の問いの答えになります。刑の適用の回で見た酌量減軽——条文の定める減軽事由が無くても、事件の情状を見て裁判所が独自に刑を下げられる仕組みです——を使うと、有期拘禁刑の下限は2分の1になります。5年が2年6か月まで下がりますから、3年以下という執行猶予の枠に届きます。はい、下限が5年でも、酌量減軽まで含めれば執行猶予の余地が残る、という設計です。ただし、そこまで下げるにはよほどの事情が要ります。下限が5年という数字そのものが、この条文の守っている利益の重さを表しています。

生命は、本人が投げ出しても保護がなくならない 図:生命は、本人が投げ出しても保護がなくならない

次に、6つの問いの1つめ、保護法益です。199条が守っているのは、人の生命です。これは個人的法益、つまり一人ひとりの利益です。財産ならそのとおりです。ところが生命は違います。本人が「殺してほしい」と真剣に頼んだとしても、頼まれて殺した者が不可罰になることはありません。違います。財産は、持ち主が自由に処分してよいものとして扱われます。売ることも、捨てることも、譲ることもできます。しかし生命は、失えば取り返しがつかず、それ以後その人が何かを決める余地そのものが消えてしまいます。だから刑法は、本人の同意があってもなお、保護を手放しません。

頼まれて殺した場合も、まったく同じ199条なんですか。そこは同じではありません。同意があった場合には202条という別の条文が用意されていて、刑がぐっと軽くなります。軽くはなるが、犯罪でなくなるわけではない——この形が「生命は処分できない」という考え方の現れです。202条の中身は別の回で扱います。

「人」はいつから人になるか

3つの候補——一部露出・全部露出・独立呼吸 図:3つの候補——一部露出・全部露出・独立呼吸

ここからが今日の山場です。6つの問いの2つめ、客体です。199条の客体は「人」。では、その人は、いつから人なのでしょうか。生まれた瞬間、としか言いようがない気がします。でも「生まれた瞬間」って、どこですか。そこが問題です。出産は一瞬の出来事ではありません。頭が出て、肩が出て、体が出て、へその緒が切られて、泣き声を上げる。この一連の流れのどこかに線を引かなければ、条文は動きません。大きく3つあります。体の一部でも母体の外に出た時点とする一部露出説。体が全部外に出た時点とする全部露出説。そして、自分の肺で呼吸を始めた時点とする独立呼吸説です。判例も通説も、いちばん早い一部露出説を採っています。

「攻撃できるかどうか」で考えると腑に落ちます。母体の中に完全に収まっている間、外の誰かがその子だけを狙って直接手を下すことはできません。手を出そうとすれば、必ず母体を通ることになります。ところが、体の一部でも外に出た瞬間、その部分は母体という壁の外側に置かれます。

扉の外に出た手は、もう扉の内側の守りにはいない 図:扉の外に出た手は、もう扉の内側の守りにはいない

エレベーターで考えてみてください。扉が閉じている間、中にいる人を外の誰かが直接殴ることはできません。扉という壁が守っているからです。ところが、扉が開いて手が一本だけ外に出た瞬間、その手は外にいる人間から直接つかまれうる状態になります。体の残りがまだ中にあっても、ですか。関係ありません。外に出た部分については、もう扉の内側の守りは届いていないからです。母体と胎児の関係も同じ構造です。一部でも露出すれば、そこは母体を介さずに攻撃が届く場所になります。だからその時点から、母体とは別の、独立した生命として守る必要が生じる——これが一部露出説の理由です。

判例大判大正8年12月13日 刑録25輯1367頁(判示事項「一部露出したる胎児と殺人罪の客体」)

一部露出した胎児は、殺人罪の客体たる「人」か 胎児が母体から一部露出した後は、これに対する侵害は、殺人罪の客体である「人」に対する侵害となる。

判例も、一部が露出した時点で人になるという立場を古くから採っています。決め手は今の点です。残りの2説を採ると、まだ外から直接殺せる状態になっているのに、殺人罪の客体ではない、という空白が生まれてしまいます。そういう帰結になります。独立呼吸説だと、その空白はさらに長くなります。生まれてすぐ呼吸を始められない子もいますから、いちばん保護が必要な瞬間に保護が届かないことになりかねません。民法の「出生」とは基準が違います。民法で権利能力が認められる出生は、全部露出した時点と解するのが通説です。同じ「生まれる」でも、問うていることが違うからです。民法が知りたいのは、誰がいつから権利や義務の主体になるかで、相続や財産の帰属をはっきりさせる必要があります。

これに対して刑法が知りたいのは、いつから直接の生命侵害がありうるかです。守るべき対象が攻撃にさらされた瞬間を捉えたい。目的が違うので、答えも違ってよい。他の科目と食い違っているように見えたら、問いの中身を比べてみてください。

線の手前は堕胎罪、線の向こうは殺人罪 図:線の手前は堕胎罪、線の向こうは殺人罪

この線を引くと、すぐ隣の罪との境界が同時に決まります。ここで一度立ち止まります。分娩がまだ始まらず、胎児が完全に母体の中にいる段階で薬物を用いて死亡させた場合と、頭が出た直後にその頭部を殴って死亡させた場合とで、問題になる罪はどう変わると思いますか?前は「人」になる前だから殺人罪ではなくて……堕胎罪の問題ですか。あとは「人」になったあとだから、殺人罪ですね。同じ子に向けた行為でも、線の手前なら堕胎罪の問題にとどまり、線の向こうなら殺人罪の客体になります。堕胎罪は212条以下に置かれていて、法定刑は殺人罪よりずっと軽い。つまりこの線は、罪名だけでなく刑の重さまで動かします。

変わります。だからこそ、どの説を採るかを言い切るだけでなく、なぜその時点なのかを説明できる必要があります。ここは論文で論点になりうるところです。堕胎罪そのものの中身は、別の回で扱います。

「人」はいつまで人であり続けるか

3つがそろって、元に戻らなくなった時点 図:3つがそろって、元に戻らなくなった時点

次は終わりの線です。人は、いつまで「人」であり続けるのでしょうか。亡くなるまで、ですよね。でもまた同じ話で、「亡くなる」がどの瞬間かという問題になりそうです。ここでも条文は何も書いていません。従来から通説とされ、実務の基本になっているのが三徴候説です。挙げるのは3つ。心拍の停止、呼吸の停止、そして瞳孔反射の喪失です。目に光を当てると瞳孔が小さくなる反応のことです。これが失われ、瞳孔が開いたまま戻らない状態を指します。大事なのはここからです。この3つが、そろって、しかも元に戻らない形で止まった時点を死とします。

そろって、というのは、3つ全部ということですか。全部です。1つが止まっただけでは足りません。総合判定説とも呼ばれるのは、3つを合わせて判定するという意味です。

3系統の非常電源——1系統落ちただけでは、まだ止まっていない 図:3系統の非常電源——1系統落ちただけでは、まだ止まっていない

建物の非常電源で考えると分かりやすくなります。独立した電源が3系統あるとします。1系統が落ちても、残りの2つが生きていれば、建物の機能はまだ取り戻せます。3系統すべてが落ちて、しかも二度と復旧しないと分かって初めて、その建物は止まったと扱われます。心臓が止まっても、処置によって再び動き出すことは現にあります。そこで死と決めてしまえば、まだ助かるはずの人を法律上いないことにしてしまいます。だから、3つがそろって、しかも不可逆であることを要求します。この「元に戻らない」という部分が、三徴候説のいちばん効いている条件です。

3つのうち1つで足りると覚えるのは危ないです。そこは正確に押さえてください。

脳死は、臓器移植の場面のために置かれた取扱い 図:脳死は、臓器移植の場面のために置かれた取扱い

脳死という言葉をよく聞きますが、あれは死ではないんですか。待っていました。脳死を人の死と解すべきだ、という主張は学説として存在します。脳の機能が元に戻らない形で失われれば、その人らしい働きはもう戻らない、という考え方です。ただ、刑法の解釈として一般に採用されているわけではありません。あります。臓器の移植に関する法律です。この法律の6条2項は、「脳死した者の身体」とは、脳幹を含む全脳の機能が不可逆的に停止するに至ったと判定された者の身体をいう、と定義しています。それなら、法律が脳死を死と認めていることになりませんか。ここが大事なところです。この定義は、臓器の移植という限られた場面のためのものです。本人が生存中に書面で意思を表示していたことや、遺族が拒まないことなど、法律が定める要件を満たした場合に、臓器を摘出できるようにするために置かれています。

刑法上の「人の死」の定義を、一般的に脳死へ置き換えたものではありません。この限定を外して覚えてしまうと、「脳死になった人に何をしても殺人罪にはならない」という誤った結論に行き着きます。そこは切り離してください。決め手は、死の時点を判定しなければならない場面の広さです。殺人罪か死体損壊罪かという問いは、いつ、どの人の身体について起きるか分かりません。ところが脳死の判定は、本人が書面で意思を示していたことや遺族が拒まないことといった要件がそろった、限られた場面でしか行われません。そこでしか下されない判定を、刑法全体の死の基準に据えることはできない。だから刑法は、心拍・呼吸・瞳孔反射という、その場で誰にでも確かめられる3つの徴候を基準に使い続けています。

終わりの線の向こう側は、死体損壊罪の領分 図:終わりの線の向こう側は、死体損壊罪の領分

始まりの線と同じで、終わりの線も、引いた瞬間に隣の罪との境界になります。線の向こう側、つまり死亡後の行為は、もう「人」に向けられた行為ではありません。死体に向けられた行為として、190条の死体損壊罪の問題になります。変わります。呼吸がほぼ止まっていても心拍が残っている段階で首を絞めれば、客体はまだ「人」ですから殺人罪の問題です。死亡を確認したうえで遺体を傷つけたのなら、死体損壊罪の問題になります。190条の法定刑は3年以下の拘禁刑ですから、重さもまるで違います。

胎児・人・死体——1本の時間軸で並べ直す 図:胎児・人・死体——1本の時間軸で並べ直す

ここまでを1本の時間軸にまとめます。母体の中にいる間は胎児で、堕胎罪の領分です。体の一部が露出した時点から「人」が始まり、199条の客体になります。そして心拍・呼吸・瞳孔反射がそろって不可逆的に止まった時点で「人」が終わり、その先は死体として扱われます。殺人罪の客体を決める作業は、そのまま隣の罪との境界を決める作業でもある。各論の条文は、こうして互いの領分を分け合っています。

今日の地図(保存版)

今日の到達点——条文を割る型と、2本の線 図:今日の到達点——条文を割る型と、2本の線

今日を振り返ります。まず各論の読み方でした。条文は、保護法益、客体、行為、結果、主観、そして未遂・予備という6つの問いに割って読む。今日はその型を、最初の条文の上で動かしました。総論で作った道具箱は手元に置いたまま、条文ごとの中身を埋めていく作業でしたね。199条は「人を殺した者は」の一文だけでしたが、守っているのは人の生命で、法定刑は死刑、無期、または5年以上の拘禁刑。本人が同意していても、犯罪でなくなることはありませんでした。個人の利益でありながら本人が手放せない、そこが生命の特徴です。そして客体である「人」には、2本の線が引かれていました。始まりは、母体から体の一部が露出した時点。理由は、その瞬間から母体を介さずに直接攻撃が届くようになるからでした。

終わりは、心拍、呼吸、瞳孔反射の3つがそろって、しかも元に戻らない形で止まった時点です。1つ止まっただけでは足りない。ここは正確に押さえてください。脳死については、臓器の移植に関する法律が定義を置いていますが、それは移植の場面に限った取扱いで、刑法上の死の定義を一般的に置き換えたものではありませんでした。そして、この2本の線を引くと、その手前と向こう側に別の罪が現れました。手前は堕胎罪、向こうは死体損壊罪です。客体の範囲を決める作業は、そのまま隣の罪との境界を決める作業でもある——これが各論の条文の並び方そのものでした。

出てきます。ただし、今日埋まったのは6つの問いのうち、保護法益と客体までです。残りはまだ手つかずです。「殺した」という行為にはどんな形があるのか。本人が語らない殺意を、どうやって認定するのか。そして、人が死ぬ前の段階、準備しただけの段階と、着手したけれど死ななかった段階を、刑法がどこまで捉えているのか。ここまで進めば、殺人罪の条文が一通り読めたことになります。

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#98単独ページ動画

殺意の認定と殺人予備・未遂

第12章 個人的法益①|生命・身体に対する罪 ②/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

この3つは、どれも「人を殺した」といえるか

手を下していない人と、何もしなかった人と、当たらなかった人 図:手を下していない人と、何もしなかった人と、当たらなかった人

続けてください。いい3つを並べましたね。199条は「人を殺した者は」としか書いていません。そのままの言葉を当てると、3つとも外れそうに見えます。結論を先に言います。3つとも、刑法は捕まえています。1つめと2つめは199条の「殺した」の中に入り、3つめは、その手前に置かれた別の条文が受け止めます。広いというより、形を問うていない、と言ったほうが近いです。今日はそこを見ます。母体から体の一部が露出した時点で始まり、心拍・呼吸・瞳孔反射の3つがそろって元に戻らない形で止まった時点で終わる。誰に向けた行為かは、これで決まりました。

前回は、条文を保護法益・客体・行為・結果・主観・未遂予備の6つに割って読み、最初の2つを埋めました。今日はその続きで、3つめの行為、5つめの主観、6つめの未遂・予備を埋めます。4つめの結果は、人の死そのものですから、行為のところで一緒に片づきます。さきほどの1つめと2つめの質問は行為のところ、3つめの質問は未遂のところで答えが出ます。順番に潰していきましょう。

「殺した」——やり方は限定されていない

結果だけを書き、手段は問わない 図:結果だけを書き、手段は問わない

6つの問いの3つめ、行為に進みます。199条が書いているのは「人を殺した」の一言だけです。どんなやり方かは、一言も書いていません。書いていないということは、どんなやり方でもいい、ということですか。そう読みます。人の死という結果を、自分の行為によって引き起こしたといえるなら、手段は問いません。典型は作為です。刺す、撃つ、毒を盛る。このあたりは迷いません。何もしないことによっても、殺人罪は成立しえます。ただし誰でもよいわけではありません。結果の発生を防ぐべき立場にあった人が、あえてそれをしなかった場合に限られます。総論の不作為犯で立てた枠組みでいえば、1つめに法的な作為義務があること、2つめにその場で結果を防ぐことが可能で容易だったこと、この2つがそろって初めて、作為で殺したのと同じに見られる、という話でした。

2つ並べてみましょう。自分の乳児にミルクを与えず、死なせる目的で放置した親は、防ぐべき立場にある人が、あえてしなかった場合にあたります。一方、道で倒れている見ず知らずの人を、助けずに通り過ぎただけの通行人は、そもそも防ぐべき立場に立っていません。同じ「助けなかった」という結果でも、防ぐべき立場に立っていたかどうかが分かれ目です。なお、防ぐべき立場にある人が放置した場合に、殺人罪になるのか、それとも人を保護すべき者が遺棄した場合の罪にとどまるのか、という切り分けがあります。これは遺棄の罪を扱う回で正面から比べます。

事情を知らない他人を、道具のように使う 図:事情を知らない他人を、道具のように使う

もう1つ、自分の手を下さない形があります。事情を知らない他人を、道具のように利用する場合です。Aが、毒を入れたカプセルを、いつもの薬だと偽ってBに手渡したとします。Bはそれを本当に薬だと信じて、CにCの服用時刻に飲ませ、Cが死亡しました。BはCを殺すつもりなどまったく持っていません。分かっていないBは、Aの手の延長として動いたにすぎません。ですからAは、自分でCに毒を飲ませたのと同じように評価されます。これが総論で見た間接正犯の形です。殺人罪でも、この形はそのまま使えます。含みます。作為でも、不作為でも、他人を道具にした形でも、人の死という結果を自分の行為によって引き起こしたといえるなら、199条の行為にあたります。

殺意は、どうやって認定するのか

殺意と傷害の故意の区別 図:殺意と傷害の故意の区別

6つの問いの5つめ、主観に入ります。殺人罪の故意、つまり殺意です。ここで最初に確認しておきたいのは、必要とされる強さです。「必ず殺してやる」というほどの強い決意までは要りません。結果の発生を確定的に望んでいなくても、死ぬかもしれないと分かったうえで、それでもかまわないと受け入れていれば足ります。総論で見た未必の故意です。足ります。境目を2つ並べます。刃物で相手の胸を強く刺せば死ぬかもしれない、と思いながら、それでも刺した場合は殺意ありです。これに対し、肩を殴ればけがはするだろうが、まさか死ぬとは考えていなかった場合は、殺意はなく、傷害の故意にとどまります。

同じ暴力でも、行為者が頭の中で何を受け入れていたかが分かれ目です。そして、殺意が無いまま人を死なせた場合には、傷害致死という別の条文が受け皿になります。その比較は、傷害の罪を扱う回で行います。

内心は語らせるのではなく、外に出た事実から読む 図:内心は語らせるのではなく、外に出た事実から読む

頭の中のことですよね。本人が「殺すつもりはなかった」と言い続けたら、どうやって決めるんですか。そこが実務でいちばん争われる点です。内心は直接見えませんから、外に出た事実を積み上げて読み取ります。よく使われる手がかりは、大きく5つあります。1つめは、凶器の種類と使い方です。鋭利な刃物を使ったのか、素手だったのか。どれだけの力で振るったのか。2つめは、傷の部位と深さです。頭、首、胸、腹といった、命に直結する部位を狙っているかどうか。傷が深いほど、殺すつもりはなかったとは言いにくくなります。3つめは、攻撃の回数と執拗さです。一度きりか、相手が倒れた後も繰り返したのか。4つめは、動機と経緯。そこに至るまでにどれだけの対立があり、どれだけの準備があったか。5つめは、犯行の前後の言動です。凶器を前もって用意していたのか、倒れた相手を救おうとしたのか、それとも放置して立ち去ったのか。

見ます。ただし注意していただきたいのは、どれか1つで決まるわけではない、という点です。首を狙っていれば必ず殺意あり、というような単純な公式にはなりません。全部を合わせて、その人がその瞬間に何を受け入れていたかを読み取ります。そしてこの読み方は、総論で学んだ故意の中身を、具体的な事案の上で動かしているだけです。新しい規範が増えたわけではありません。殺人罪では、この認定が事実上いちばんの勝負どころになる、と押さえておいてください。

準備の段階——殺人予備罪

準備しただけの段階にも、網がかかっている 図:準備しただけの段階にも、網がかかっている

最後に、6つの問いの6つめ、既遂の手前です。まず、着手よりさらに前の段階から見ます。201条を読みます。

条文刑法201条

刑法201条(予備) 「第百九十九条の罪を犯す目的で、その予備をした者は、二年以下の拘禁刑に処する。ただし、情状により、その刑を免除することができる。」

罰せられます。予備というのは、実行の着手より前の、犯罪の実現に向けた準備行為のことです。殺すつもりで包丁を買いに行く、相手の帰宅時間を調べて下見をする。こうした段階です。どこまでが予備なんですか。頭の中で考えているだけでも、ですか。そこは線が引かれています。心の中で計画しているだけでは予備になりません。外に現れた準備行為が必要です。殺す目的で凶器を買い、被害者の自宅を下見したのなら予備にあたりますが、殺してやりたいと思い続けているだけでは、まだ201条は動きません。刑法は、心の中そのものを裁く仕組みを持っていません。外に出た行為を捉えます。さて、ここで1つ確認です。総論で予備罪を見たときに出てきた、自己予備と他人予備という区別、思い出せますか?

自分が実行するつもりで準備するのが自己予備、他人に実行させるつもりで準備するのが他人予備、でした。では201条は、そのどちらを捕まえているでしょうか。

「第199条の罪を犯す目的で」——誰が犯す目的か 図:「第199条の罪を犯す目的で」——誰が犯す目的か

条文の言葉に戻ります。「第199条の罪を犯す目的で」。ここでいう目的は、誰が199条の罪を犯す目的でしょうか。条文の目的を素直に読めば、その準備をしている本人が犯す目的だと読むのが自然です。ですから201条は自己予備に限る、とするのが多数説です。Aが、自分でCを殺すつもりで凶器を買い、Cの自宅を下見した。これは201条にあたります。その場合、201条の予備そのものには当たらない、というのが多数説からの帰結です。条文が求めているのは自分が犯す目的だからです。それだと、けしかけた側がすり抜けてしまいませんか。そこは別の道具で拾います。Bが自分でCを殺すつもりを持っていて、Aがそれを知ったうえでBと一緒に準備をしたのなら、話は変わります。総論の共犯で確定させたとおり、殺す目的は65条の身分にあたります。そして201条は、その目的が無ければそもそも罪が成り立たない類型——身分の有無が罪の成立そのものを決める、真正身分犯です。65条1項の「共犯」には共同正犯も入りますから、目的を持たないAにも、殺人予備罪の共同正犯が成立しえます。

予備罪そのものには当たらなくても、65条1項の共同正犯の道から捕まえられます。ここは、条文の読み方と共犯の道具が組み合わさる場面なので、自己予備に限るという結論と、それでも65条1項の道が残るという結論を、セットで覚えてください。

刑を免除できる——思いとどまる余地を残す 図:刑を免除できる——思いとどまる余地を残す

201条のただし書も見てください。情状により、その刑を免除することができる、とあります。「できる」という文言が大事な読みどころです。必ず免除されるのではなく、免除するかどうかは裁判所の判断に委ねられています。必ず免除される仕組みではありません。なぜ、こういう規定が置かれているんですか。予備の段階は、幅がとても広いからです。凶器を買っただけの者と、もう相手の家の前まで行っている者とでは、既遂までの距離も、生み出している危険もまるで違います。そのうえ、準備したあとで思いとどまる人もいます。その全部を一律に扱うと、重すぎる場合が出てきます。だから、免除という出口を残しました。

準備したあとでやめた場合は、中止未遂の話にはならないんですか。そこは注意が要ります。中止未遂の規定は、犯罪の実行に着手した者を前提にしています。まだ着手していない予備の段階には、文言の上では届きません。判例も、中止未遂の規定を予備罪に準用することを認めていません。学説には準用を認めるべきだという立場もありますが、判例の立場を前提にすれば、やめた事情は201条ただし書の免除で考慮する、という受け止め方になります。やめた人の受け皿は、この201条ただし書に用意されています。そう理解しておくと、ただし書が置かれている意味がつながります。

着手した段階——殺人未遂罪

死ななくても罰する。その入口が「着手」 図:死ななくても罰する。その入口が「着手」

予備の次は未遂です。203条を読みます。

条文刑法203条

刑法203条(未遂罪) 「第百九十九条及び前条の罪の未遂は、罰する。」

203条は、199条の未遂と、202条の未遂の両方を罰しています。202条は、自殺に関与する行為と、本人の同意を得て殺す行為を定めた条文です。その中身は次の回で扱います。未遂というのは、実行に着手したけれども結果が発生しなかった場合です。ですから、どこからが未遂かという問いは、どこから着手といえるか、という問いになります。同じ物差しを使います。その行為によって、結果が発生する現実的な危険が生じたといえる時点が着手です。これを殺人罪で当ててみましょう。

拳銃を買った段階と、狙いを定めた段階 図:拳銃を買った段階と、狙いを定めた段階

殺すつもりで拳銃を手に入れ、相手の行動パターンを調べた。この段階はどちらでしょうか。準備は整っていますが、死という結果に向けた現実的な危険は、まだ生じていません。では、その相手を物陰から見つけ、照準を合わせて引き金に指をかけた。この段階はどうですか。もう、あとは指を動かすだけですよね。これは着手だと思います。あとは引くだけという状態になれば、結果に向けた危険は現実のものになっています。ここから先は未遂です。そして弾が外れて相手が無事だったなら、殺人未遂罪が成立します。撃つ前と撃つ直前とで、201条の予備と203条の未遂に分かれます。もう1つ、手元を離れる形も見ておきましょう。毒を入れた食品を相手の家に送った場合です。この場合、相手のもとに届いて、口にしうる状態になった時点で、危険が現実のものになったと評価されます。

自分の手を離れてから危険が生まれる場合もあります。共通しているのは、行為者の手元で何をしたかではなく、結果に向けた現実的な危険がいつ生じたか、を見ている点です。この物差しは各論のどの条文でも変わりません。今日はそれを殺人罪で1回動かした、ということです。43条本文により、刑を減軽することができます。ここも「できる」です。必ず軽くなるわけではありません。

準備・着手・結果——3つの段階と、それぞれの条文 図:準備・着手・結果——3つの段階と、それぞれの条文

段階を並べておきます。外に現れた準備をした段階が201条の予備で、2年以下の拘禁刑。実行に着手して結果が生じなかった段階が203条の未遂で、43条本文により減軽できます。人が死ねば199条の既遂で、死刑、無期、または5年以上の拘禁刑です。段階が上がるにつれて刑がはっきり重くなっていくこと自体が見どころです。どの犯罪にも予備罪があるわけではありません。予備を罰する条文が置かれているのは、生命に向けられた罪のように、守るべき利益が特に重い場面に限られます。完成の手前から段階的に網をかける、という設計そのものが、この法益の重さを表しています。

今日の地図(保存版)

今日の到達点 図:今日の到達点

今日を振り返ります。前回引いた2本の線で、199条の客体は決まっていました。今日埋めたのは、その先の行為と主観、そして完成の手前です。並んでいます。まず行為です。199条は「人を殺した」としか書いていません。ですから形は問いません。刺す、撃つ、毒を盛るといった作為はもちろん、何もしないことによっても成立しえます。誰の不作為でもよいわけではない、という点が要点です。結果の発生を防ぐべき立場にあった人が、あえてしなかった場合に限られます。乳児を放置した親と、道で倒れている人の横を通り過ぎた通行人とでは、立っている位置が違いました。

薬だと信じている介助者に毒入りのカプセルを渡した場合、飲ませた本人には何の故意もありません。渡した側は、自分の手で飲ませたのと同じように評価されます。自分の手でなくてもよい、というところまで「殺した」は届きます。殺意は、未必の故意で足ります。「必ず殺してやる」という確定的な意欲は要りません。死ぬかもしれないと分かったうえで、それでもかまわないと受け入れていれば足ります。逆に、まさか死ぬとは考えていなかったのなら、傷害の故意にとどまります。内心は直接見えませんから、外に出た事実から読み取ります。凶器の種類と使い方、傷の部位と深さ、攻撃の回数と執拗さ、動機と経緯、そして犯行の前後の言動。この5つが主な手がかりでした。

どれか1つの事情だけで決まる公式ではない、という点が大事な注意です。首を狙っていれば必ず殺意あり、という単純な当てはめにはなりません。最後が、完成の手前の2段階です。201条の予備は、外に現れた準備行為を捉えます。頭の中で考えているだけでは足りません。法定刑は2年以下の拘禁刑で、情状により刑を免除することが「できる」。必ず免除されるわけではありませんでした。「第199条の罪を犯す目的で」を素直に読めば、自分が犯す目的だからです。ただし、殺人の目的を持つ者と共同して準備した場合には、目的を持たない者も65条1項によって殺人予備罪の共同正犯となりえます。この2つはセットで覚えてください。

結果に向けた現実的な危険が生じた時点からです。拳銃を手に入れて下見をした段階はまだ予備、照準を合わせて引き金に指をかけた段階から未遂。生命という重い法益は、完成の手前から段階的に守られている——これが今日の背骨です。

同意があった場合の条文——202条へ 図:同意があった場合の条文——202条へ

最後に1つだけ、残していた宿題があります。本人が同意していた場合です。そこには202条という別の条文が用意されていて、刑は199条よりずっと軽くなります。軽くはなっても犯罪であることに変わりはありません。そうすると、次の問いが出てきます。どこまでが「同意した」といえるのか。死ぬということの意味を分かっていなかった場合はどうか。追い詰められた末に頷いただけの場合はどうか。同意の中身によって202条にあたるか199条にあたるかが変わる、そこが分かれ目になります。

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#99単独ページ動画

自殺関与罪と同意殺人罪の4類型

第12章 個人的法益①|生命・身体に対する罪 ③/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

同じ「受け取って飲んだ」でも、結論が割れる

3つの場面、どれが軽い罪で、どれが普通の殺人罪か 図:3つの場面、どれが軽い罪で、どれが普通の殺人罪か

本人が同意していても犯罪は消えず、刑が軽くなるだけ、というところでしたね。今日はその202条を正面から扱います。まず3つの場面を並べます。どれも、本人か、本人に見える相手が、自分の意思で受け取って飲んでいます。形はよく似ています。同じにはなりません。ここには、199条とは別に、202条というもっと軽い犯罪類型が用意されています。ただし、3つの場面のうちどれが202条にあたるのかは、今の時点ではまだ言いません。まずは、202条という枠そのものの形を、今日1本かけて作ります。この枠がどこまで広がり、どこで区切られるのかが分かって初めて、3つの場面がどちらに落ちるのか、理由も込みではっきり言えるようになります。同意は、刑を軽くすることはできますが、犯罪そのものを消すことはできません。そこが今日1本の背骨です。

202条を読む——4つの類型

条文刑法202条

刑法202条(自殺関与及び同意殺人) 「人を教唆し若しくは幇助して自殺させ、又は人をその嘱託を受け若しくはその承諾を得て殺した者は、六月以上七年以下の拘禁刑に処する。」

関与の形×手を下す主体——4つの類型 図:関与の形×手を下す主体——4つの類型

202条を読みます。1つの文の中に、実は4つの類型が入っています。「教唆し」「幇助して」「自殺させ」という前半と、「嘱託を受け」「承諾を得て」「殺した」という後半に分かれます。前半は、本人がそそのかされて、あるいは手を貸されて、自分の手で死ぬ形です。後半は、本人の依頼や同意を得て、行為者が手を下す形です。関与の形が2つ、手を下す主体が2つ、掛け合わせて4つの類型になります。

自殺関与罪と同意殺人罪の対比 図:自殺関与罪と同意殺人罪の対比

1つめと2つめをまとめて自殺関与罪、3つめと4つめをまとめて同意殺人罪と呼びます。この先も、この2つのグループ名を使って話を進めます。自殺関与罪は本人が自分の手で死に、同意殺人罪は行為者が手を下す——手を下す主体は違いますが、どちらも被害者の意思に関与した行為だという点で共通し、法定刑も同じ6か月以上7年以下です。後半でまとめて扱います。まずは、この4つが入っているという骨格だけ押さえてください。

199条との落差——数字で見る「軽さ」

死刑・無期・5年以上、対、6月以上7年以下 図:死刑・無期・5年以上、対、6月以上7年以下

数字を並べて見てください。199条は死刑、無期、または5年以上の拘禁刑でした。202条は6か月以上7年以下の拘禁刑です。下限で言えば5年以上と6か月以上、上限で言えば無期・死刑まであるものと7年以下。同意という一言が、これだけの落差を生みます。なぜ、ここまで差が開くんですか。理由を一言でいえば、本人が望んだという事情が、行為の違法性をそれだけ大きく減らすからです。たとえば、見ず知らずの相手を無理やり殺す場合と、本人が心から望んで頼んだ場合とでは、結果としては同じ「人が死んだ」でも、行為の悪質さはまるで違います。この差が、6か月以上7年以下という軽さに表れています。

軽くなるならいっそ無罪にしてもいいのでは、という疑問はもっともです。そこが今日いちばん大事な分かれ道です。次に進みましょう。

なぜ罰せられるのか——自殺関与罪の処罰根拠

自殺は違法ではない。では、なぜその手助けは罰せられるのか 図:自殺は違法ではない。では、なぜその手助けは罰せられるのか

自殺そのものは罰せられません。犯罪ではないからです。総論で立てた制限従属性説では、共犯が成立するには、正犯の行為が違法であることが必要でした。ところが自殺そのものには違法性がありません。だとすると、素直に考えれば、自殺への関与も処罰できないはずです。ここに理屈の谷間があります。2つの埋め方があります。1つは、自殺という行為自体を違法だとみてしまう考え方です。これなら、正犯の行為に違法性があることになるので、共犯の理屈をそのまま持ってこられます。自殺そのものは処罰されないのに、正犯の違法性に従属させて説明するのは、たしかに座りが悪い。そこが弱点です。もう1つの考え方は、自殺そのものは違法とみないまま、関与する行為自体に独自の違法性を認める、というものです。他人の生命の存在を、その意思に働きかけて否定する方向へ関与する行為自体が、正犯の違法性とは別に、独自の法益侵害を持つと考えます。

202条は、共犯の従属性の理屈からではなく、独立した犯罪類型として置かれている、と読みます。結論はこちらで通します。

⭐ 論文で書く規範:【論文で書く規範】自殺に関与する行為は、正犯である自殺行為の違法性に従属するのではなく、関与行為自体が独自に他人の生命侵害という違法性を持つことから処罰される。 (規範(通説で立てる))

たとえば、自殺を望むBに、Aが「死ぬなら今のうちだ」と繰り返しそそのかし、ナイフを渡した場面を考えてください。Bの自殺そのものは違法ではありませんが、Aがそうやって他人の生命の存在を否定する方向へ働きかけた行為自体に、独自の悪さがある、と説明します。総論で作った制限従属性説の射程が、ここでは働きません。202条は、共犯類型ではなく独立の犯罪類型として理解する——この結論を持って、次の話に進みます。

どこからが未遂か——自殺関与罪の着手

関与した時点か、本人が死のうとし始めた時点か 図:関与した時点か、本人が死のうとし始めた時点か

もう1つ、論文でよく問われる論点があります。自殺関与罪の実行の着手は、どこにあるでしょうか。着手というのは、総論で見た、結果発生の現実的な危険が生じた時点、という話でした。候補は2つあります。1つは、Aがそそのかした、あるいは道具を渡した——関与行為そのものが始まった時点。もう1つは、渡された本人であるBが、実際に自殺行為を始めた時点です。関与行為が始まった時点ではなく、本人が自殺行為を開始した時点に着手が認められます。理由は2つ重なります。1つは、未遂犯の処罰根拠から。結果発生の現実的な危険が生じたといえるのは、Aが道具を渡しただけの段階ではなく、Bが実際に毒を飲もうとした、あるいは崖から飛び降りようとした段階です。

もう1つの理由は、同じ202条の中にある釣り合いから来ます。202条には、自殺関与罪だけでなく同意殺人罪も並んで置かれています。同意殺人罪の着手は、行為者が現実に殺害行為を始めた時点で認められます。もし自殺関与罪だけ、それより手前の、関与行為が始まった段階で着手を認めてしまうと、同じ条文の中に並ぶ2つの罪のあいだで、着手の重さの釣り合いが崩れてしまいます。2つの理由が、同じ結論を指しています。

⭐ 論文で書く規範:【論文で書く規範】自殺関与罪の実行の着手は、関与行為が開始された時点ではなく、これを受けた本人が自殺行為を開始した時点に認められる。 (規範(通説で立てる))

たとえば、Aが毒薬をBに手渡しただけの段階では、まだ着手ではなく予備です。Bがその毒薬を実際に口に運ぼうとした瞬間から、着手にあたります。Aが道具を渡しただけでBがまだ動いていない段階では、自殺関与罪の予備にとどまります。そして202条には、予備を処罰する規定が置かれていません。つまり、Aが道具を渡しただけの段階では、そもそも処罰されないということです。Bが実際に自殺行為に出て初めて、203条の未遂の話に入ります。覚えておいてください。

軽くなる理由、消えない理由

「減る」理由と「消えない」理由は、別の問いへの答え 図:「減る」理由と「消えない」理由は、別の問いへの答え

ここで、さきほどの「いっそ無罪でもいいのでは」という疑問に戻ります。同意があると、なぜ刑は軽くなるのに、消えてなくならないのか。この2つは、実は別の問いに対する、別々の答えです。まず、軽くなる理由。被害者本人が同意している分だけ、行為の悪さ、つまり違法性が小さくなります。本人の意思をまったく無視して命を奪う場合に比べれば、悪質さが下がる——これが被害者の同意による違法性減少です。以前、同意が違法性に与える影響という一般の枠組みを見た回を思い出してください。ただし、そこで見た枠組みは、財産のような処分できる利益であれば、同意によって違法性がゼロになる場合もある、という話でした。生命では、そうはなりません。

生命という利益は、本人が同意したからといって他人に奪わせてよいものとして、刑法は扱っていません。たとえるなら、生命は、名義は本人にあっても、本人の一存だけで他人に壊させることはできない共有名義の財産のようなものです。町内会が管理する共有の倉庫を思い浮かべてください。鍵の名義人は本人だとしても、他人がその倉庫を壊す行為が適法かどうかは、本人1人の意思だけでは決まりません。これが自分ひとりで持っている物置なら、本人が「壊していい」と言った以上、頼まれた人が壊しても問題にはなりません。共有の倉庫は、そうはいかない——生命はこちら側です。

共有の倉庫を、本人の一存だけで他人が壊せないのと同じで、そのたとえのとおりです。生命も、誰の命かという名義は本人にあっても、本人が同意していても、他人がそれを断つ行為そのものが適法になるわけではありません。だから同意は、刑の重さを動かす材料にはなっても、犯罪そのものを消す鍵にはなりません。これが、202条という条文がわざわざ用意されている理由です。無罪ではなく、軽い犯罪類型として置かれている——そこにこの2つの理由が両方効いています。安楽死や尊厳死という言葉が出てくるのも、生命という利益だからこそです。そこは今日は深入りしません。安楽死・尊厳死が問題になる場面も、この202条の枠の中で違法性が阻却されうるかどうかが争われます。その要件は、別の回で正面から扱います。今日はまず、202条という枠そのものの形を作ることに集中しましょう。

嘱託・承諾とは何か、気づかずに殺していたら

頼まれたのか、申し出に同意しただけなのか 図:頼まれたのか、申し出に同意しただけなのか

後回しにしていた「嘱託」と「承諾」の意味です。嘱託は、被害者の側から、殺害してほしいと依頼することです。承諾は、行為者の側からの殺害の申し込みに、被害者が同意することです。Aが「私を殺してほしい」とBに頼めば嘱託、Bが「殺してあげようか」と持ちかけてAが同意すれば承諾です。言い出した側が違うだけで、成立するのはどちらも同意殺人罪です。行為者の側に、殺してほしいと頼まれたことへの認識は必要ですか。必要です。同意殺人罪の故意には、嘱託・承諾があったことの認識が要ります。ここで1つ、気になる場面が出てきます。

気づかずに殺したら、何罪になるのか 図:気づかずに殺したら、何罪になるのか

Aの主観は、普通殺人罪の故意です。ところが客観的に実現したのは、嘱託を受けての殺害、つまり同意殺人罪の中身です。主観と客観がずれています。あのときは、保護法益と行為態様が実質的に重なり合う限度で、軽い方の罪の成立を認める、という考え方でした。ここでも一から組み立て直す必要はありません。同じ枠組みをそのまま当てはめます。殺人罪と同意殺人罪は、重なり合うんですか。重なり合います。判例も、殺人罪と同意殺人罪が重なり合うこと自体は認めています。保護法益はどちらも人の生命で共通していますし、行為態様も殺害という点で共通しています。そのうえで、どちらの罪が成立するかという先の当てはめは、重い方の殺人罪ではなく、軽い方である同意殺人罪の限度で認められる、という処理になります。

⭐ 論文で書く規範:【論文で書く規範】嘱託・承諾の認識を欠いたまま殺害した場合は、殺人罪と同意殺人罪が構成要件的に重なり合う限度で、軽い同意殺人罪の限度で犯罪の成立が認められる。 (規範(通説で立てる/重なり合うこと自体を認めた判例=最決昭28・9・30))

判例が認めているのは重なり合うこと自体で、どちらの罪が成立するかの処理は一般論の当てはめです。そこは分けて覚えてください。殺人罪と同意殺人罪が重なり合うこと自体は判例が認めています。そのうえでどちらの罪が成立するかという処理は、重なり合いの限度で軽い罪を認めるという一般の考え方を当てはめた帰結です。

今日の地図(保存版)

今日の到達点——202条という枠 図:今日の到達点——202条という枠

今日を振り返ります。202条には4つの類型がありました。教唆と幇助で本人が自分の手で死ぬ自殺関与罪、嘱託と承諾で行為者が手を下す同意殺人罪。法定刑は6か月以上7年以下の拘禁刑で、199条よりはるかに軽いものでした。自殺そのものは違法ではありませんが、関与する行為自体が独自の違法性を持つ独立の犯罪類型として、202条は処罰しています。着手は、本人が自殺行為を開始した時点でした。軽くなるのは、被害者の同意による違法性の減少。消えないのは、本人が同意していても、他人が命を奪う行為そのものが適法にならないからです。同意は刑を軽くすることはできても、犯罪そのものを消すことはできません。嘱託・承諾に気づかずに殺した場合も、重なり合う限度で同意殺人罪が成立する、というところまで見ました。

今日で、202条という枠の形はできました。では、どこまでが「同意した」といえるのか。

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#100単独ページ動画

同意殺人と普通殺人罪の区別

第12章 個人的法益①|生命・身体に対する罪 ④/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

前回までの確認——202条という枠

前回の到達点 図:前回の到達点

同意は刑を軽くすることはできますが、犯罪そのものを消すことはできません。生命は、失われれば取り返しがつかず、本人の意思も二度と働きません。だから同意があっても、他人が命を奪う行為は適法になりません——前回そう見ましたね。今日はその続きです。前回の冒頭で出した3つの場面、覚えていますか?覚えています。1つめ、不治の病の友人に頼まれて薬を飲ませた場面。2つめ、追死する気がないのに「一緒に死のう」と言って毒を渡した場面。3つめ、何も分かっていない幼い子に毒を飲ませた場面でしたね。前回は「202条という枠がある」というところまでしか答えていません。今日は、この3つのどれが202条にとどまり、どれが199条に戻るのかを、はっきりさせます。

普通殺人罪との境目——どこまでが同意か

3つの視点、どれか1つ欠けても、同意ではなくなる(4つめはその裏返し) 図:3つの視点、どれか1つ欠けても、同意ではなくなる(4つめはその裏返し)

ここからが今日の山場です。普通殺人罪との境目は、自殺関与罪なら被害者による自殺の決意があったか、同意殺人罪なら殺人への同意があったか、で引かれます。では、その決意や同意が認められるには、何が要るでしょうか。今から見る4つの視点を使えば、その理由がはっきり言えるようになります。1つずつ潰していきましょう。

①死の意味を分かっていたか

分かっていなければ、それは「自殺」ではない 図:分かっていなければ、それは「自殺」ではない

1つめの視点は、死ぬということの意味を、本人が分かっていたかどうかです。死ぬということの意味を理解していない幼児や、判断能力を欠く人を、言葉巧みに誘って死なせた場合、それはそもそも「自殺」とはいえません。判例も、古くからこの立場を示しています。この場合、死の意味を理解していない相手は、行為者にとって道具のようなものです。本人が自分の手で飲んだという形をとっていても、実際には行為者自身が手を下したのと同じに評価されます。総論で見た間接正犯の考え方が、ここでそのまま働きます。冒頭の3つめの場面は、これで199条だと言えます。死の意味を理解していない子どもを利用して死なせているので、殺人罪の間接正犯として、199条にあたります。この視点を1つ外すだけで、6か月以上7年以下だった刑が、死刑を含む刑にまで跳ね上がります。

②自由に決めたか——任意性

判例最決平16・1・20(刑集58巻1号1頁)

命令に応じるほかない状態に置いて飛び込ませた事案 命令に応じる以外の行動を選べない精神状態に置いたうえで、死亡の現実的危険性の高い行為に及ばせた

命令に従う以外の選択肢を奪われた状態 図:命令に従う以外の選択肢を奪われた状態

2つめの視点は、自由な状態で決めたかどうか、任意性です。ある判例を見てみましょう。行為者が、自殺させて保険金を取得する目的で、極度に服従させていた被害者に、車ごと海に飛び込むよう命じた事案です。被害者は命令に従い車ごと海に転落しましたが、途中で漁船に這い上がり、一命を取り留めました。被害者は、自分の意思で車を運転して飛び込んでいますよね。それでも、行為者が手を下したことになるんですか。なります。ここが大事なところです。判例は、単に「自殺の決意が本人の自由な意思に基づいていなかったから同意にならない」という消極的な言い方をしているのではありません。命令に応じる以外の行動を選べない精神状態に被害者を置いたうえで、死亡の現実的な危険性の高い行為に及ばせたことをもって、行為者自身の殺人罪の実行行為だと構成しています。

1つめの視点で見た間接正犯の型が、ここでもう一度出てきます。被害者の身体は、行為者の道具として動いたにすぎない、という構成です。単なる意思決定の自由の話ではなく、殺人罪の実行行為そのものが行為者の側にある、という点を落とさないでください。保険金を得る目的で被害者を死なせようとしていたことも、この結果を「自己の犯罪」として実現する意思があったことを示しています。この構成を採るからこそ、被害者が自分で車を運転していても、行為者自身の殺人罪として結果を評価できます。だからこの事案は、被害者が生き延びたことで殺人未遂になります。同意が無効だというだけの説明では、行為者自身の殺人罪だ、という結論までは出てきません。

この事案では被害者が生存したので、殺人未遂罪にあたります。任意性という視点を外すだけで、やはり199条の領域に戻ります。

③本当にそう思っていたか——真意

判例最判昭33・11・21(刑集12巻15号3519頁)

追死を誤信させた心中と嘱託・承諾の効力 要するに被害者の自由な真意に基かない場合は刑法二〇二条にいう被殺者の嘱託承諾としては認め得られない。 → 本件は通常の殺人罪に該当する。

一緒に死ぬと信じさせて、毒を渡す 図:一緒に死ぬと信じさせて、毒を渡す

3つめの視点は、真意です。この判例は、総論で間接正犯を見たときと、承諾の有効要件を見たときに、一度ずつ出てきたものです。判例は、決意や同意が本人の真意に基づいていること、つまり動機に錯誤がないことまで要求しています。判例で扱われた事案も、追死する気がないのに追死すると誤信させて、毒物を飲ませた偽装心中でした。判旨の要旨は、被害者の自由な真意に基づかない場合は、202条にいう嘱託・承諾としては認められない、というものです。Bが受け入れていたのは「2人で死ぬ」という前提です。ところが実際には、Aは最初から死ぬ気がありませんでした。前提となる動機の部分に、重大な食い違いがあります。

動機に食い違いがあれば常にそうなるわけではありません。そこは注意してください。判例が普通殺人罪だと判断したのは、追死すると誤信させたという、この事案の場面に限っての判断です。動機のどんな食い違いでも一律に同意が無効になる、というほど広い話ではありません。ここでは、一緒に死ぬという前提そのものが偽りだった、という重さを見てください。真意に基づかない同意は、同意として扱われません。冒頭の2つめの場面は、これで普通殺人罪だと言えます。

④欺いて、あるいは脅して

欺罔・威迫——3つの視点を裏から見る 図:欺罔・威迫——3つの視点を裏から見る

最後に4つめですが、これは新しい視点というより、1つめから3つめを裏側から見ただけの整理です。欺いて得た「はい」も、脅して得た「はい」も、同意とは扱いません。死の意味を誤解させる、自由を奪う、動機を誤信させる——どれも、欺罔や威迫という一言でまとめて言い表せます。3つの視点を裏から見た言い方として、覚えておいてください。

3つの問いを1枚に畳む

入口は同じ「はい」。出口は視点の数だけ分かれる 図:入口は同じ「はい」。出口は視点の数だけ分かれる

4つめは1つめから3つめの裏返しでしたから、判定で使うのは3つです。その3つを、1枚に畳みます。入口は同じです。本人が「死んでもいい」「殺してほしい」と言った。そこから3回、問いを重ねます。死の意味を理解していたか。自由な状態で決めたか。本当にそう思っていたか。どれか1つでもノーなら、普通殺人罪に戻るんですね。3つとも、イエスで通り抜けて初めて、202条にたどり着きます。冒頭の3つの場面をもう一度見てください。1つめ、不治の病の友人に頼まれた場面は、死の意味を理解し、自由な状態で、真意に基づいて頼んでいます。3つとも通り抜けます。

2つめは、真意のところで止まります。3つめは、死の意味のところで止まります。同じ「本人が受け取って飲んだ」という形でも、この3つの問いをどこまで通り抜けられるかで、結論がはっきり分かれます。

202条にとどまる場合と199条に戻る場合の対比 図:202条にとどまる場合と199条に戻る場合の対比

そして199条に戻る場合は、その形によっては、殺人罪の間接正犯として構成されます。

死ななくても罰する——未遂203

199条と202条、両方を1本の条文が受け止める 図:199条と202条、両方を1本の条文が受け止める

条文刑法203条

刑法203条(未遂罪) 「第百九十九条及び前条の罪の未遂は、罰する。」

最後に203条です。殺人罪の回で、未遂のところで読んだ条文ですが、覚えていますか。「前条」というのは、202条のことでしたね。203条は、199条の未遂だけでなく、202条の未遂も罰しています。自殺関与罪であれば、Bが自殺行為を開始したのに死ななかった場合、同意殺人罪であれば、Aが手を下したのに死ななかった場合、どちらも未遂として処罰されます。例えば、Bの嘱託を受けたAが毒物を渡したのに、Bが結局それを飲まなかった場合。あるいは、Aが手を下そうとしたものの、Bが死ななかった場合。どちらも、202条の未遂として203条が受け止めます。

前回見た着手の話が、ここにつながります。自殺関与罪の着手は、Bが自殺行為を開始した時点でした。その時点を過ぎて、結果が生じなかった場合が未遂です。刑の減軽についても、未遂は刑を減軽することができるという43条本文の扱いが、199条のときと同じように働きます。

今日の地図(保存版)

今日の到達点 図:今日の到達点

今日を振り返ります。202条には4つの類型がありました。教唆と幇助で本人が自分の手で死ぬ自殺関与罪、嘱託と承諾で行為者が手を下す同意殺人罪。法定刑は6か月以上7年以下の拘禁刑で、199条よりはるかに軽いものでした。軽くなるのは、被害者の同意による違法性の減少。消えないのは、本人が同意していても、他人が命を奪う行為そのものが適法にならないからです。同意は刑を軽くすることはできても、犯罪そのものを消すことはできません。3つの視点で見ましたね。死の意味を理解していたか、自由な状態で決めたか、本当にそう思っていたか。この3つのどれか1つを欠くだけで、6か月以上7年以下だった刑が、死刑を含む199条の刑へ跳ね上がります。冒頭の3つの場面は、この3つの視点でそれぞれ理由が説明できるようになりました。

203条が、199条と202条の両方の未遂を受け止めています。今日の背骨をもう一度言います。同意は、刑を軽くすることはできても、犯罪を消すことはできません。

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#101単独ページ動画

暴行罪と「暴行」概念の4分類

第12章 個人的法益①|生命・身体に対する罪 ⑤/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

生命から身体へ

身体侵害の3段階の地図 図:身体侵害の3段階の地図

前回、202条という枠を確定させて、生命に対する罪の話をひと区切りつけました。今日からは身体に対する罪に入ります。同意は刑を軽くすることはできても、犯罪を消すことはできませんでした。そこで生命の話は一区切りです。さて、傷害の罪は、実は1段の犯罪ではありません。同じ「殴る」という行為でも、結果がどこまで出たかによって、条文が段々に上がっていく構造になっています。傷害結果が出なければ暴行罪、傷害結果が出れば傷害罪、死亡結果まで出れば傷害致死罪です。今日は、いちばん下の段。暴行罪です。

4つの場面、どれが「暴行」か

4つの場面——どれが「暴行」にあたるか 図:4つの場面——どれが「暴行」にあたるか

その暴行罪に入る前に、4つの場面を並べてみます。①相手を殴ったが、よけられて当たらなかった。②相手の身辺近くで、大太鼓を思い切り連打した。③誰もいない建物のガラスをたたき割った。④警察官の目の前で、その警察官が乗ってきたパトカーを蹴った。この4つのうちどれが暴行罪の「暴行」にあたるかを、考えながら聞いてください。先に言っておくと、答えは1つではありません。同じ「暴行」という2文字なのに、条文が違うと答えが変わるものが混じっています。今日はその理由をはっきりさせます。先に答えの方向だけ言っておきます。暴行の広さは、その条文が何を守っているかで決まります。今日はそれを、4つの広さとして取り出します。

208条の確定——条文と保護法益

条文刑法208条

刑法208条(暴行) 「暴行を加えた者が人を傷害するに至らなかったときは、二年以下の拘禁刑若しくは三十万円以下の罰金又は拘留若しくは科料に処する。」

208条が守っているもの 図:208条が守っているもの

これが刑法208条です。「暴行を加えた者が人を傷害するに至らなかったときは、二年以下の拘禁刑若しくは三十万円以下の罰金又は拘留若しくは科料に処する」。ここでの科料は、刑法にある刑罰の一種です。似た音の過料とは別物なので、条文どおり刑罰として理解してください。法定刑を見ると、拘禁刑・罰金・拘留・科料と、4本も用意されています。199条や202条と比べると、ずっと軽い刑まで受け皿になっているのが分かります。軽い刑まで用意されているのは、この条文が守っているものが「人の身体の安全」だからです。生命ほど重くはないけれど、確かに守るべき利益がある。ここが今日の全ての出発点です。この後、暴行の中身を3つに割っていきますが、迷ったら必ずこの1点、人の身体の安全に戻ってきてください。

「暴行」を3つに割る

「暴行」の定義を3つに割る 図:「暴行」の定義を3つに割る

208条の「暴行」は、人の身体に対する不法な有形力の行使と定義されます。これを暗記して終わりにすると、すぐ忘れます。3つの部品に割って、1つずつ潰していきましょう。有形力の行使、不法性、対人性です。定義文をそのまま区切っただけです。「人の身体に対する」が対人性、「不法な」が不法性、「有形力の行使」がそのまま有形力の行使です。3つとも定義文の中に書いてあります。だから、この3つを潰せば、定義全体を潰したことになります。

①有形力の行使

有形力の行使——物理的な力に限らない 図:有形力の行使——物理的な力に限らない

まず有形力の行使です。殴る・蹴るが有形力にあたるのは当然として、それだけではありません。音や光、熱や電気といったエネルギー作用も、有形力の行使に含まれます。ある判例を見てみましょう。

判例最判昭29・8・20

身辺での大太鼓連打 被害者の身辺近くで、ブラスバンド用の大太鼓を思い切り連打した行為

太鼓の音というエネルギーを浴びせる 図:太鼓の音というエネルギーを浴びせる

被害者の身辺近くで、ブラスバンド用の大太鼓を思い切り連打した事案です。太鼓の音というエネルギーを、相手の身体に直接浴びせています。これが暴行にあたるとされました。2つめの場面は、これで暴行罪の暴行にあたります。ただし気をつけてください。侮辱するような言葉や、催眠術のような心理的な作用だけでは、有形力の行使にはあたりません。物理的なエネルギーが相手の身体に及んでいるかどうか、がポイントです。では、そうした言葉だけの場合に刑法が何も言わないのかというと、そうではありません。言葉で怖がらせる場合は脅迫罪、公然と見下す場合は侮辱罪という、別の犯罪の問題になります。そちらは、のちの回でまとめて扱います。

有形力の行使は、力が現実に身体に触れることまでは求めていません。相手の身体に向けて、危険な力を放った時点で、有形力の行使があったと評価されるからです。もう1つ判例を見てみましょう。

判例最決昭39・1・28

振り回した抜き身の日本刀 狭い四畳半の室内で、脅す目的で日本刀の抜き身を数回振り回した行為

脅す目的の振り回しそのものが、有形力の行使になる 図:脅す目的の振り回しそのものが、有形力の行使になる

狭い四畳半ほどの室内で、脅す目的で日本刀の抜き身を数回振り回した行為それ自体が、暴行罪の暴行にあたるとされました。触れていなくても暴行になることがあります。相手をヒヤッとさせる程度に危険な力を及ぼした時点で、有形力の行使があったと評価されるからです。仮に石を投げつけて、それが外れて当たらなかったとしても、同じ理屈で有形力の行使にあたると考えられます。当てるところまでは要りません。①も、暴行罪の暴行にあたります。208条は、傷害という重い結果が出る手前、相手をヒヤッとさせた段階で、もう捕まえにいく作りになっているんです。

②不法性

不法性——日常生活で許される力は外す 図:不法性——日常生活で許される力は外す

2つめは不法性です。有形力の行使があっても、日常生活の中で当然に許される範囲のものまで犯罪にしてしまうと、生活が成り立ちません。道を歩いていて、落とし物をした歩行者に追いつき、肩に軽く手をかけて呼び止める。これは有形力の行使ではありますが、日常生活として許される行為です。不法性を欠くので、暴行にはあたりません。見知らぬ相手を強く突き飛ばす行為には、その許容の余地がありません。同じ「相手に触れる」という行為でも、不法性の有無で線が引かれます。

③対人性

対人性——「人」に向いているか 図:対人性——「人」に向いているか

3つめは対人性です。208条の「暴行」は、「人の身体に対する」ものに限られます。冒頭の③、誰もいない建物のガラスをたたき割る行為は、不法な有形力の行使ではあります。でも、向けられているのは建物というものであって、人ではありません。対人性を欠くので、208条の暴行にはあたりません。人の身体に対するものに絞られているから、208条の暴行は「狭義の暴行」と呼ばれます。ここまでで、有形力の行使、不法性、対人性という3つの要素が全部そろって、初めて208条の暴行になる、ということが分かりました。

刑法の中の「暴行」——4つの広さ

保護法益が変われば、暴行の広さも変わる 図:保護法益が変われば、暴行の広さも変わる

ここで③のガラスをたたき割る行為に戻ります。208条の暴行にはあたらない、と言いました。でもこれは、刑法の中でこの行為が全く無関係になる、という意味ではありません。刑法には「暴行」という言葉を使う条文が他にもあります。そして、その条文ごとに、暴行の広さが違います。ここからが今日の山場です。理由はただ1つ、その条文が何を守っているかで、暴行の広さが決まるからです。

①最広義の暴行——騒乱罪

最広義——物に対するものでもよい 図:最広義——物に対するものでもよい

1つめ、いちばん広い意味の暴行です。騒乱罪という条文があります。多くの人が集まって暴行や脅迫をした場合の罪です。中身は別の回で扱いますが、今日はこの条文が守っているものだけ見てください。守っているのは、公共の静けさや平穏です。この条文が守っているのは人の身体そのものではなく、社会の平穏ですから、建物のガラスを壊す行為でも害されます。だから、物に対する有形力の行使でも、暴行にあたります。対人性すら要求されません。これが最も広い意味の暴行、最広義の暴行です。冒頭の③、誰もいない建物のガラスをたたき割る行為は、208条の暴行ではありませんが、この最広義の暴行にはあたります。

②広義の暴行——公務執行妨害罪・強要罪

広義——人に対するものであれば足りる 図:広義——人に対するものであれば足りる

2つめは広義の暴行です。公務員に対して暴行や脅迫を加えると、公務執行妨害罪が成立します。守っているのは、公務員が仕事を円滑に行えること。人に対するものであれば足り、身体に対するものである必要まではありません。冒頭の④、警察官の目の前でパトカーを蹴った場面です。蹴られているのはパトカーという物です。ここで効く基準は、力を加えられた物と人とのつながりです。その警察官が職務のために現に使っている物に力を加えれば、その力は、その警察官の職務に向けられたものと評価できます。だから、蹴った先が物であっても、人に対して向けられたものと評価できます。身体に接触していなくても成立しえます。同じ理屈が、人に義務のないことを行わせる強要罪でも働きます。人に対するものであれば足りる、という広さが、広義の暴行です。

③は、誰もいない建物のガラスでした。その場に人がいないので、力が及ぶ先の人がいません。人とのつながりが無い力は、人に向けられたとは言えず、広義の暴行には届きません。それでも最広義には乗る、というのがさっきの1つめでした。

③狭義の暴行・④最狭義の暴行

狭義と最狭義の違い——暴行罪と強盗罪 図:狭義と最狭義の違い——暴行罪と強盗罪

3つめは、今日ずっと見てきた狭義の暴行です。人の身体に対するものに絞られる、暴行罪208条の暴行です。冒頭の①と②が、まさにこれでした。4つめがあります。最狭義の暴行です。強盗罪という条文があります。財物を実力で奪う罪です。ここでの暴行は、狭義の暴行であるだけでは足りません。相手の反抗を抑圧する程度の強さまで要求されます。強盗罪が守っているのは、財物の占有という財産です。そのうえで、奪う手段が暴行・脅迫なので、人の身体や意思の自由も併せて守られています。ただ触れる程度の力では、財物を奪う手段としては軽すぎます。相手の反抗を抑圧できる強さがあって初めて、財物を実力で奪う行為として評価されるからです。

たとえば、刃物を突きつけて金を要求すれば、相手は抵抗できません。これは最狭義の暴行にあたります。反対に、すれ違いざまに肩を軽く押して財布をひったくるだけなら、相手の反抗を抑圧する程度には届きません。この場合の力は、狭義の暴行ではあっても、強盗罪の「暴行」にはあたりません。性的な自由を守る罪については、今の条文の作りでは、暴行や脅迫は独立の要件ではありません。相手が同意しない意思を持つことや、それを言葉にすることを難しくする原因が条文にいくつか並べられていて、暴行や脅迫はそのうちの1つとして書かれています。だから、強盗のように「反抗を抑圧する程度」という強さを暴行そのものに求める作りにはなっていません。詳しくは、性的な自由を扱う回で改めます。

4つを1枚に畳む——入れ子構造

①⊃②⊃③⊃④——1本の階段 図:①⊃②⊃③⊃④——1本の階段

この4つは、別々の4つの基準ではありません。1つの図に畳むことができます。最広義の中に広義があり、広義の中に狭義があり、狭義の中に最狭義がある。入れ子の構造です。まず、不法な有形力の行使であること。そこに「人に対するもの」という条件が足されると広義になる。さらに「身体に対するもの」という条件が足されると狭義になる。さらに「反抗を抑圧する程度」という条件が足されると最狭義になる。覚えるべきは4つの基準ではなく、この1本の階段だけです。そして、なぜ階段の高さが変わるのかといえば、理由はただ1つ。その条文が何を守っているか、保護法益の重さで決まります。守るものが社会の平穏なら低い段でよく、財物の占有という財産を実力で奪われないようにする場面のように、実力行使そのものを封じ込める必要がある場面では、いちばん高い段まで要求される。ここが今日の1行の持ち帰りです。

傷害結果の不発生——次回への受け渡し

傷害するに至らなかったとき 図:傷害するに至らなかったとき

最後に、208条のもう1つの文言を確認します。条文は「傷害するに至らなかったとき」と書いています。傷害結果が生じれば、暴行罪ではなく傷害罪、204条の話に移ります。暴行罪は、傷害という重い結果の手前で、行為そのものを受け止める罪だという位置づけがここではっきりします。

今日の地図(保存版)

今日の到達点 図:今日の到達点

今日を振り返ります。208条の暴行罪、法定刑は拘禁刑・罰金・拘留・科料の4本立てで、守っているのは人の身体の安全でした。「暴行」の定義は、有形力の行使・不法性・対人性の3つでしたね。有形力の行使は、殴る蹴るだけでなく、音や光といったエネルギー作用も含みますし、接触している必要もありません。3つがそろって初めて、208条の暴行になります。「暴行」という言葉は、208条以外の条文にも出てきます。最広義の騒乱罪、広義の公務執行妨害罪と強要罪、狭義の暴行罪、最狭義の強盗罪。この4つは①が②を含み、②が③を含み、③が④を含む、1本の階段でした。

冒頭の4つの場面は、これで全部答えが出ました。①と②は208条の暴行、③は最広義の暴行、④は広義の暴行にあたります。同じ「暴行」という2文字でも、条文が違えば答えが変わる。その理由は、条文が何を守っているかでした。今日の背骨をもう一度言います。暴行の広さは、保護法益で決まります。

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#102単独ページ動画

傷害罪・傷害致死罪と故意の2分岐

第12章 個人的法益①|生命・身体に対する罪 ⑥/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

前回の受け——その先の2段へ

身体侵害の3段階の地図(続き) 図:身体侵害の3段階の地図(続き)

前回、暴行罪、208条を確定させました。守っているのは人の身体の安全で、有形力の行使・不法性・対人性の3つがそろって、初めて暴行になるという話でした。今日はその2段、傷害罪204条と傷害致死罪205条に入ります。前回の3段階の地図で言うと、最初の段、暴行罪はもう固まっていて、今日はその先の2段を積み上げます。条文の字面はシンプルです。でも、この回の山場は要件そのものではなく、傷害罪の「故意」がいつ必要になるかという1点です。ここが今日いちばん頭を使うところです。

3つの場面、どれが傷害罪か

3つの場面——どれが傷害罪か 図:3つの場面——どれが傷害罪か

傷害罪に入る前に、3つの場面を並べます。①怪我をさせるつもりはなかったが、腹が立って相手を突き飛ばした。相手は転んで骨を折った。②相手を追い詰めてやろうと思って、毎晩無言電話をかけ続けた。相手はうつ状態になった。③うつ状態にするつもりはなかったが、嫌がらせのつもりで毎晩無言電話をかけ続けた。相手はうつ状態になった。先に答えだけ言っておきます。①と②は傷害罪が成立します。③は成立しません。待ってください。①も③も、「そのつもりは無かった」という場面ですよね。なぜ結論が逆になるんですか。そこが今日の1本の筋です。①は怪我をさせるつもりが無いのに成立し、③はうつ状態にするつもりが無いのに不成立になる。同じ「そのつもりが無い」なのに、なぜ結論が割れるのか。これを今日はっきりさせます。

204条の確定——208条との対比

条文刑法204条

刑法204条(傷害) 「人の身体を傷害した者は、十五年以下の拘禁刑又は五十万円以下の罰金に処する。」

204条と208条を並べる 図:204条と208条を並べる

これが刑法204条です。「人の身体を傷害した者は、十五年以下の拘禁刑又は五十万円以下の罰金に処する」。208条は拘禁刑・罰金・拘留・科料の4本立てでした。204条は拘禁刑と罰金の2本だけです。その代わり、上限が一気に重くなります。208条の拘禁刑は2年以下でしたが、204条は15年以下です。傷害結果が出た瞬間に、受け皿が208条から204条に切り替わって、法定刑の重さもぐっと跳ね上がる。刑の重さのジャンプ幅で、傷害という結果の重みを感じてください。

「傷害」とは何か——生理的機能障害説

「傷害」の意義——生理的機能障害説 図:「傷害」の意義——生理的機能障害説

まず、「傷害」とは何かを確定させます。判例・通説は、人の生理的機能に障害を加えること、または健康状態を不良にすることをいうとしています。生理的機能障害説と呼ばれます。具体例で見ましょう。含まれるものとして、長時間の失神、病気のもとになるものを感染させる行為、キスマークのような皮下出血、そして外傷後ストレス障害、いわゆるPTSDです。含まれないものとして、頭髪を切り取る行為があります。ショックは受けるでしょうが、それだけでは直ちに健康状態を悪化させたとまでは言えない、というのが判例の考え方です。ここで、なぜPTSDは含まれて、頭髪の切断は含まれないのか、線の引き方をもう少し掘り下げます。

判例大判明治45・6・20

頭髪の切断(生理的機能障害説の定義判例) 被害者の頭髪を切り取った行為について、直ちに健康状態の悪化をもたらすものではないとして傷害にあたらないとした

PTSDが入る意味——外から見えない不調まで射程に入る 図:PTSDが入る意味——外から見えない不調まで射程に入る

PTSDが刑法上の傷害にあたるとされたのは、監禁によって被害者にPTSDを生じさせた事案です。PTSDって、目に見える傷じゃないですよね。それでも傷害になるんですか。なります。ここが「傷害」という言葉のイメージを一段広げるところです。傷害は、外から見える傷に限られません。生理的機能という基準は、体の機能だけでなく、精神の機能まで射程に入れています。目に見えなくても、生理的機能に障害が生じていれば傷害にあたる、ということです。

判例最決平24・7・24

PTSDと傷害(監禁によるPTSD発症) 不法に監禁して被害者に外傷後ストレス障害(PTSD)を発症させた事案で、PTSDは刑法にいう傷害にあたるとして、監禁致傷罪の成立を認めた

3説を1つの事案で弁別する——頭髪切断

頭髪切断という1つの事案に、3つの説をあてる 図:頭髪切断という1つの事案に、3つの説をあてる

実は、「傷害」の意義については、判例・通説の生理的機能障害説のほかに、対立する見解があります。3つとも、同じ頭髪切断という事案に当ててみると、結論がどう割れるかがよく分かります。生理的機能障害説は、頭髪切断を傷害にあたらないとします。理由は、「傷害」という言葉の日常の使われ方からしても、髪を切る行為までは含まれない、というものです。これに対して、身体完全性侵害説という見解は、人の身体の完全性を害することをいうとして、頭髪切断も傷害にあたるとします。3つ目の見解が、折衷説です。体の働きを害することに、体の見た目が大きく変わることまで加えて「傷害」とみる見解です。これも、頭髪切断は傷害にあたるという結論になります。1つの事案に3つの物差しを当てると、判例・通説だけがバツで、あとの2つはマルになる。分かれ目は、204条を何を守る罪と見るかです。判例・通説は身体の働きを守る罪と見るので、働きが落ちていない髪の切断は外に出る。残りの2つは、身体をあるがままの形で保つことまで守ると見るので、髪の切断も中に入る。同じ事案で結論が逆になるのは、守る対象の置き方が違うからです。

傷害の方法——限定なし

傷害の方法——204条は限定していない 図:傷害の方法——204条は限定していない

次に、傷害に至る方法を見ます。204条の条文をもう一度見てください。「人の身体を傷害した者は」としか書いていません。どんな方法で傷害したかは、何も限定していません。殴って怪我をさせるのは有形的方法、つまり暴行による場合です。でも、暴行を経由しない方法もあります。無形的方法と呼びます。

判例名古屋地判平6・1・18

いやがらせによる不安・抑うつ状態 いやがらせの行為を続けることで、被害者を不安・抑うつ状態に陥れた

暴行をしていなくても、傷害になります。いやがらせの行為を続けて、被害者を不安な状態や抑うつ状態に陥れた事案で、傷害罪の成立が認められています。相手の体に触れてすらいません。②も③も、方法としては無形的方法にあたります。204条が方法を限定していないという、この条文の読み方が、次の話の入口になります。

故意の2分岐——傷害の故意はいつ要るか

208条の文言をもう一度——「至らなかったとき」の裏側 図:208条の文言をもう一度——「至らなかったとき」の裏側

ここで、208条の文言をもう一度見ます。208条は「暴行を加えた者が人を傷害するに至らなかったとき」に暴行罪だと書いていました。前回も読んだ条文ですが、「至らなかったとき」しか書いていないということは、至ったときのことはどこにも書いていないんでしょうか?そこです。至らなかったときの規定しかないなら、至ったときはどう解釈すべきか。これが今日の山場を開く鍵です。

突き飛ばして骨折させた場合、傷害罪は成立するか 図:突き飛ばして骨折させた場合、傷害罪は成立するか

ここで1つ考えてみてください。怪我をさせるつもりはなく、ただ突き飛ばしただけで、相手が転んで骨を折った。傷害罪は成立するでしょうか。怪我をさせるつもりが無いなら故意が無く、不成立ではないかと多くの人が考えます。ですが、結論から言うと、これは傷害罪が成立します。

改札の喩え——暴行罪という手前の受け皿 図:改札の喩え——暴行罪という手前の受け皿

暴行罪、208条を、傷害という目的地の手前に立つ改札だと考えてみてください。改札を通るとき、駅員はすでに切符を確認しています。これが暴行の故意です。改札を通ったあと、電車が遅れて目的地への到着が遅れても、つまり傷害という結果が余分に出ても、駅員はもう一度切符を見せろとは言いません。改札を通った時点のチェックで足りるからです。これが、暴行による場合は暴行の故意で足りる、という結論の中身です。裏返して言えば、暴行を経由しない無形的方法には、この改札がありません。改札の無い裏口からホームに入るようなものです。裏口には駅員がいないので、切符の確認をしてくれる人がいません。だから、入る本人が自分で「目的地、つまり傷害という結果に行くつもりだ」という意思を、最初から持っていなければならないんです。

故意の2分岐——方法によって答えが変わる 図:故意の2分岐——方法によって答えが変わる

改札の喩えを条文の言葉に戻します。無形的方法による場合は、傷害の故意が必要です。純粋な故意犯です。傷害の故意が無ければ、傷害罪は成立しません。暴行による場合は、暴行の故意で足ります。傷害の故意までは要りません。根拠は、さっき見た208条の反対解釈です。208条が「傷害するに至らなかったとき」に暴行罪だと書いているということは、裏を返せば、至ったときは暴行の故意があれば傷害罪になる、と読めるからです。暴行の故意すら無かったときは、改札を通っていないのと同じです。よそ見をしていてぶつかり、相手を転ばせて骨を折らせたような場合は、204条には乗りません。不注意で人を傷つけた場合を受け止める、過失傷害罪という別の条文に移ります。

204条の二重の顔——故意犯であり、結果的加重犯でもある 図:204条の二重の顔——故意犯であり、結果的加重犯でもある

ここまでをまとめると、204条は、傷害の故意犯であると同時に、暴行罪の結果的加重犯でもある、という二重の顔を持っています。結果的加重犯は、基本になる犯罪に重い結果が乗る型で、ここでは暴行罪が基本になる犯罪、そこに乗る重い結果が傷害です。故意の無い結果まで負わせてよいのか、という引っかかりは残りますが、それはこのあとの学説の対立でそのまま出てきます。204条自体の文言には、結果的加重犯特有の「よって」という書き方はありません。それなのに結果的加重犯として扱われるのは、208条という別の条文の反対解釈から、その性質が導かれるからです。204条だけを読んでも出てこない結論が、208条と組み合わせることで出てくる。ここが204条のユニークなところです。総論で結果的加重犯という型を習いましたし、共犯のところでも、傷害罪は暴行罪の結果的加重犯だから、という形で一度使いました。その根拠を今日ここで作った、ということです。

学説の対立——純故意犯説と折衷説 図:学説の対立——純故意犯説と折衷説

この結論をめぐって、学説の対立があります。純故意犯説は、傷害罪はあくまで故意犯であって、暴行罪の結果的加重犯という性質は含まれないと考えます。理由は、責任が無いところに重い結果を負わせるべきではない、という責任主義の考え方です。これに対して折衷説、こちらが通説ですが、傷害罪を故意犯だとしつつ、暴行罪の側から見ると結果的加重犯の性質も併せ持つと説明します。根拠は、今見た208条の反対解釈です。重い結果に過失まで要るか、という議論とは別の話です。あちらは、結果的加重犯だと決まった後で、重い結果に過失が要るかを問います。こちらはその手前で、204条がそもそも結果的加重犯の顔を持つかを問うています。

ここまでを一言に畳むと、傷害の故意が要るかどうかは、手前で暴行という改札を通ったかどうかで決まる。今日の1本の筋は、これだけです。

4つの場合分けに畳む

4つの場合分け——導出の結果として畳む 図:4つの場合分け——導出の結果として畳む

ここまでの話を、4つの場合分けとして1枚にまとめます。①暴行による、暴行の故意あり、傷害の故意もあり、これは成立します。故意犯としての成立です。②暴行による、暴行の故意はあるが、傷害の故意は無い、これも成立します。ただし結果的加重犯としての成立です。①は初めから怪我をさせるつもりだった場合、②は暴行のつもりしかないのに重い結果が出てしまった場合で、成立することは同じでも、背負い方が違います。③無形的方法による、傷害の故意がある、これは成立します。故意犯としての成立です。④無形的方法による、傷害の故意が無い、これは不成立です。

暗記しなくて大丈夫です。この4行は、「方法は暴行か」「故意はどこまであるか」という2つの問いに順番に答えれば、自分で導ける結果です。さっきの改札の喩えに戻れば、①と②は改札を通っている、つまり暴行の故意があるので、傷害の故意の有無にかかわらず成立します。③と④は改札の無い裏口ですから、傷害の故意そのものがあるかどうかだけが決め手になります。冒頭の①は②の型、②の場面は③の型、③の場面は④の型にあたります。

未遂の扱い——受け皿の有無

未遂の扱い——暴行には受け皿があり、無形的方法には無い 図:未遂の扱い——暴行には受け皿があり、無形的方法には無い

傷害罪には、未遂を処罰する規定がありません。ここも改札の喩えで説明がつきます。暴行による傷害が未遂に終わった場合、改札、つまり208条が受け止めます。暴行罪として処罰されるということです。無形的方法による傷害が未遂に終わった場合は、不可罰です。誰も拾いません。抜け穴ではなく、設計だと考えてください。暴行という方法については、208条が手前でしっかり受け止めているので、別に未遂の規定を置く必要が無いんです。無形的方法だけが受け皿を持たない、つまりそこは処罰しないという選択がされている、ということです。

205条——二重の結果的加重犯

条文刑法205条

刑法205条(傷害致死) 「身体を傷害し、よって人を死亡させた者は、三年以上の有期拘禁刑に処する。」

205条——傷害罪の結果的加重犯 図:205条——傷害罪の結果的加重犯

これが刑法205条です。「身体を傷害し、よって人を死亡させた者は、三年以上の有期拘禁刑に処する」。傷害罪の結果的加重犯です。死亡の故意があれば、それは殺人罪です。199条の話に移ります。205条は、死亡の故意が無い場合に問題になります。

二重の結果的加重犯——暴行→傷害→死亡の2段重ね 図:二重の結果的加重犯——暴行→傷害→死亡の2段重ね

ここで、今日ずっと見てきた構造がもう一段重なります。傷害罪は、暴行による場合、暴行罪の結果的加重犯でもあるという話をしました。そこに205条が乗ると、暴行罪から見て、傷害致死罪は結果的加重犯のさらに結果的加重犯、つまり二重の結果的加重犯になります。前回の3段階の地図が、これで完成します。暴行罪、傷害罪、傷害致死罪という3段は、結果が1段出るごとに、結果的加重犯という形で重さが積み上がっていく構造だったんです。結果的加重犯である以上、基本になる行為と死亡結果との間に、因果関係が必要です。この因果関係の判断枠組みは、総論で扱った危険の現実化という考え方がそのまま働きます。

冒頭の①をもう一度使いましょう。腹が立って突き飛ばし、相手が転んで骨を折った。その転倒で頭を強く打って、そのまま亡くなったとします。突き飛ばすという暴行の故意しかなくても、傷害の結果が出れば204条、死亡の結果まで出れば205条です。死ぬかもしれないとすら思っていないので殺人罪にはならない。そして、突き飛ばすという行為が作り出した転倒の危険が、そのまま死亡という結果に現れています。だから因果関係も認められます。

今日の地図(保存版)

今日の到達点 図:今日の到達点

今日を振り返ります。204条は、拘禁刑または罰金の2本立てで、上限は15年でした。「傷害」の意義は生理的機能障害説で、失神・病毒の感染・キスマーク・PTSDは含まれ、頭髪の切断は含まれません。傷害の方法は限定されていなくて、有形的方法と無形的方法の両方があるんでしたね。そして今日の山場、故意の2分岐です。暴行による場合は、暴行の故意で足ります。根拠は208条の反対解釈でした。無形的方法による場合は、傷害の故意そのものが必要でした。改札の喩え、分かりやすかったです。改札を通っていれば、その先はもう一度チェックされない。改札を通っていなければ、自分で目的地に行くつもりを持っていないといけない。そして205条は、傷害罪の結果的加重犯であると同時に、暴行罪から見れば二重の結果的加重犯でもある。暴行から傷害、傷害から死亡へと、2段ぶん重くなる構造でした。

冒頭の①は、暴行による、傷害の故意が無い場面でした。暴行の故意で足りるので成立します。②は、無形的方法で、傷害の故意がある場面でした。故意犯として成立します。③は、無形的方法で、傷害の故意が無い場面でした。だから不成立でした。同じ「そのつもりが無い」でも、暴行という改札を通っているかどうかで、結論が正反対になる。これが今日の1本の筋です。

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#103単独ページ動画

同時傷害の特例207条

第12章 個人的法益①|生命・身体に対する罪 ⑦/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

前回の受け——複数人が絡んだら

A・BがそれぞれXに暴行——どちらの一撃で傷害が生じたかは不明 図:A・BがそれぞれXに暴行——どちらの一撃で傷害が生じたかは不明

前回、傷害罪と傷害致死罪を、1人の加害者を前提に確定させました。今日は複数人が絡んだ場合の話です。場面を1つ置きます。AとBが、共謀せず、たまたま同じ場所で別々にXに暴行を加えました。Xは傷害を負いましたが、Aの暴行とBの暴行、どちらが原因で傷害が生じたのかは分かりません。この場合、A・Bはそれぞれ何罪になるでしょうか。先に結論だけ言っておきます。刑事裁判の大原則からすると、実は誰も傷害罪にならないはずです。でも、それをひっくり返す条文があります。207条です。最終的な答えを言うと、A・Bとも、自分の暴行が傷害の原因ではないと証明しない限り、傷害罪の責任を負います。今日はこの結論を、1本の筋で持ち帰ってもらいます。

原則の帰結——疑わしきは被告人の利益に

原則を機械的に適用すると 図:原則を機械的に適用すると

刑事訴訟には、疑わしきは被告人の利益に、という大原則があります。検察官が、Aの暴行とXの傷害の間に因果関係があると証明できなければ、その利益は被告人であるAに帰属します。Bについても同じです。原則を機械的に適用すると、Aとの因果関係は不明、Bとの因果関係も不明、ということになります。結果として、AもBも傷害罪は成立せず、暴行罪にとどまります。2人がかりで殴って怪我をさせているのに暴行罪にとどまるのは、たしかに座りが悪く感じます。2人以上が暴行を加えた事案では、そもそも、どの暴行が傷害の原因かを特定すること自体が難しい場合が多いんです。にもかかわらず、原因が不明というだけで傷害罪が成立しないのは、妥当ではない。これが207条の立法趣旨、立証の困難を避けるという発想です。

共同正犯との切り分け——207条の出番はどこか

共同正犯の場合と同時犯の場合——違いはここ 図:共同正犯の場合と同時犯の場合——違いはここ

話を先に進める前に、1つ切り分けをします。A・Bに、最初から共同実行の意思があった場合はどうなるでしょうか。共同実行の意思があれば、60条の共同正犯が成立します。一部実行の全部責任という原則で、A・Bとも当然に傷害罪です。この場合、207条の出番はありません。207条がもともと想定しているのは、A・Bに共同実行の意思が無い、単なる同時犯の場合です。さっきの場面のように、共謀せず、たまたま同じ場所で別々に殴った、という場合です。しばらくはこの前提で話を進め、途中から意思を持って加わる場面は、あとの応用で扱います。

207条の全文カード

207条の全文をここで確認する 図:207条の全文をここで確認する

条文刑法207条

刑法207条(同時傷害の特例) 「二人以上で暴行を加えて人を傷害した場合において、それぞれの暴行による傷害の軽重を知ることができず、又はその傷害を生じさせた者を知ることができないときは、共同して実行した者でなくても、共犯の例による。」

これが刑法207条です。「二人以上で暴行を加えて人を傷害した場合において、それぞれの暴行による傷害の軽重を知ることができず、又はその傷害を生じさせた者を知ることができないときは、共同して実行した者でなくても、共犯の例による」。そして結論を作っているのは、最後の「共犯の例による」という一言です。ここの意味が、今日いちばんの山場です。

効果——推定と挙証責任の転換

共同正犯と207条——同じ結論に見えて、法的性質が違う 図:共同正犯と207条——同じ結論に見えて、法的性質が違う

「共犯の例による」を、通説・判例はこう読みます。まず、個々の暴行と傷害結果との間に因果関係があるものとして扱う。そのうえで、それを覆す責任、つまり挙証責任を、被告人の側に負わせるのです。普通、犯罪が成立するかどうかを証明する責任は検察官にあります。でも207条の場面では、この向きが逆になります。暴行を加えた者が、自分の暴行とXの傷害の間に因果関係が無いことを、自分で立証しない限り、傷害罪の責任を免れません。結論だけを見ると同じに見えますが、性質はまったく違います。共同正犯は、一部実行の全部責任という原則で、たとえ自分の暴行と結果の間に因果関係が無いと立証できても、結果を帰責されます。反証を一切許しません。207条はそうではなく、あくまで因果関係を推定しているだけです。だから、被告人の側が反証に成功すれば、責任を免れます。

看板破損の喩え——潔白を証明できれば免れる 図:看板破損の喩え——潔白を証明できれば免れる

イメージをつかむために、1つ喩えを置きます。商店街の的当てで、AとBがそれぞれ看板めがけてボールを投げました。共謀はしていません。看板にはひびが1つ入りましたが、どちらのボールが当てたのかは分かりません。それが原則の帰結です。でも、この商店街には特別ルールがあります。的を狙って投げた者が複数いて、どちらのボールで割れたか分からないときは、投げた全員が弁償する。ただし、自分のボールが看板に当たっていないと証明できた者は免れる、というルールです。これが、示し合わせて2人で看板を割ろうとした場合とは違うところです。示し合わせていたなら、たとえ自分のボールが外れたと証明できても、弁償を免れません。共同正犯はこちらです。207条は、潔白を証明できれば免れる、あくまで推定にとどまる制度です。

⭐ 論文で書く規範:207条の効果 各行為者は、自己の関与した暴行がその傷害を生じさせていないことを立証しない限り、傷害についての責任を免れない。 (規範(最決平28・3・24))

判例も同じ立場です。各行為者は、自己の関与した暴行がその傷害を生じさせていないことを立証しない限り、傷害についての責任を免れない、としています。この一文が、今日の山場の答えです。例えば、Aは、自分の暴行とXの傷害の間に因果関係が無いことを立証しない限り、傷害罪の責任を負います。Bも同じです。どちらも立証できなければ、A・Bとも傷害罪。もし一方だけが自分の暴行が原因でないと立証できれば、その一方だけが責任を免れます。

207条の合憲性

なぜ問題になるのか——「疑わしきは被告人の利益に」の例外 図:なぜ問題になるのか——「疑わしきは被告人の利益に」の例外

ここまでの話を聞いて、疑問に思う人もいるはずです。207条は、挙証責任を被告人側に転換する条文です。これは、疑わしきは被告人の利益にという、憲法上の要請の例外にあたります。だから、207条が合憲かどうかが問題になります。207条は、責任主義とも緊張関係に立ちます。自分の暴行が原因ではなかったかもしれない傷害についてまで、傷害罪で罰することになりうるからです。それでも207条がかろうじて合憲とされているのは、次の均衡があるからです。検察官の側からすると、傷害を引き起こした本人を特定するのはきわめて困難です。これに対して、暴行をした側であれば、自分の暴行が原因でないことを反証で示せます。この不均衡を埋め合わせる形で、かろうじて許容されている、と理解してください。

要件——危険性と同一の機会

推定が働く前に、検察官が立証する2つの要件 図:推定が働く前に、検察官が立証する2つの要件

「共犯の例による」で因果関係が推定されると言っても、無条件に推定が働くわけではありません。判例は、2つの要件を立てました。1つ目は、各暴行が、その傷害を生じさせうる危険性を持っていること。2つ目は、各暴行が同一の機会、つまり外形的に共同実行に等しいと評価できる状況で行われたこと、です。いえ、ここは逆です。推定が働くのは、この2要件が立証された後の因果関係の部分だけです。危険性と同一の機会という2要件自体は、これまでどおり検察官が立証します。看板の喩えで言えば、店主の側が「AもBも、看板を割りかねない勢いで、同じタイミングで投げた」ということまでは示す必要がある、ということです。

そして、この2つが要る理由もはっきりしています。どちらの暴行からもその傷害が生じえた、しかも外から見れば共同実行と変わらない状況だった。ここまで言えて初めて、共犯と同じに扱う、つまり共犯の例によることに理由が立ちます。その場合は同一の機会という要件が欠けるので、推定は働きません。

傷害致死罪への適用

死亡結果まで出た場合はどうなるか 図:死亡結果まで出た場合はどうなるか

次は応用の1つ目です。A・Bの暴行によって、傷害だけでなく死亡結果まで生じた場合、207条は傷害致死罪にも適用されるでしょうか。207条の文言は「人を傷害した場合」としか書いていませんよね。死亡までは書いていない気がします。そこが議論の分かれ目です。まず判例の立場を見ます。

判例最決平28・3・24(先例=最判昭26・9・20)

傷害致死罪への207条の適用 「各行為者は、同条により、自己の関与した暴行が死因となった傷害を生じさせていないことを立証しない限り、当該傷害について責任を負い、更に同傷害を原因として発生した死亡の結果についても責任を負う」として、傷害致死罪の成立を肯定した

判例は、傷害致死罪への適用を肯定しています。各行為者は、自己の関与した暴行が死因となった傷害を生じさせていないことを立証しない限り、その傷害について責任を負い、さらにその傷害から生じた死亡結果についても責任を負う、としました。この立場には先例があり、以前から同じ結論が示されてきました。理由はシンプルです。立証の困難を避けるという207条の趣旨は、傷害の場合と傷害致死の場合とで、何も変わりません。だから、傷害致死罪にも同じように適用してよい、というのが判例の立場です。さっきの文言の指摘、あれはどうなるんですか。そこを重く見る有力説もあります。207条は「人を傷害した場合」としか書いておらず、207条自体が例外規定である以上、条文どおり厳格に読んで、傷害罪にのみ適用を限定すべきだ、という立場です。文言に忠実な有力説と、趣旨を重視する判例、この対立を押さえておいてください。この論点は論文でも問題になりうる論点です。

承継的共同正犯の場面への適用

途中から加わったBにも、207条を使えるか 図:途中から加わったBにも、207条を使えるか

応用の2つ目です。今度は、Aが単独で暴行を続けている途中から、Bが共同実行の意思を持って加わったとします。傷害結果が、Aの暴行とBの暴行、どちらによるものかは不明です。Aは、傷害結果がA自身の暴行で生じた場合はもちろん、Bの暴行で生じた場合でも、共同正犯としてBの暴行による結果まで帰責されます。どちらに転んでもAには傷害罪が成立するので、Aについては207条を持ち出すまでもありません。そこで一度、刑法総論を思い出してください。承継的共同正犯の限定的肯定説・全面否定説を前提にすると、途中から加わったBは、先行者Aの行為を承継するでしょうか?

傷害については、限定的肯定説でも全面否定説でも、承継しない、という結論でした。加わる前に生じていた傷害に、Bの行為が因果関係を持ちようがないからです。今回のような、Bが単に共同実行の意思を持って加わっただけの場面でも、Bは暴行罪にとどまるのが原則です。そのまま終わりそうに見えますが、ここでもう1つの手があります。承継的共同正犯の回では、207条がこの場面にどこまで及ぶかを、答えを出さずに残していました。今日、その答えを出します。共同正犯として承継しないとしても、別途207条を適用して、Bにも傷害罪を認められないか、という問題が立ちます。

判例最高裁令和2年9月30日決定

承継的共同正犯の場面への207条の適用 先行者が暴行を加え、同一の機会に後行者が途中から共謀加担した事案において、後行者の加えた暴行が傷害を生じさせうる危険性を有する限り、207条の適用は妨げられないとした

結論から言うと、判例は適用を肯定しています。先行者が暴行を加え、同一の機会に後行者が途中から共謀に加わった事案で、後行者の暴行が傷害を生じさせうる危険性を持っている限り、207条の適用は妨げられない、としました。

207条は生きる——判例の理由 図:207条は生きる——判例の理由

なぜ、共同実行の意思があるのに、207条が使えるんですか。207条はそもそも共同実行の意思が無い場合の規定じゃなかったんですか。そこが今日いちばん頭を使うところです。まず、207条の適用を否定する立場を見ておきます。207条は、そもそも誰も傷害結果について責任を負わなくなってしまう場合を救う例外規定です。先行者Aは、さっき見たとおり、共同正犯としてすでに傷害罪の責任を負っています。だから、Bとの関係でわざわざ207条を持ち出す必要が無い、という考え方です。判例の立場はこうです。まず、さっきの否定する立場への答えです。207条が問うのは、一人ひとりの暴行と傷害の因果関係です。Aが責任を負うかどうかとは関係なく、Bの暴行が傷害の原因かどうかは、やはり証明できません。しかもBの暴行は、Aの暴行と同一の機会に加えられ、傷害を生じさせうる危険性も持っています。だから、Bとの関係で207条の要件はそろっています。そのうえで、207条は、そもそも共同実行の意思が全く無い場合にすら適用される規定です。共同実行の意思が全く無い、いちばん弱いつながりの場合にすら適用されるのに、途中からでも意思を形成した場合にだけ適用を否定する理由はありません。むしろ、意思を形成した分だけ、つながりはより強くなっています。適用を認めないと、共謀関係が無い場合との間で、かえって均衡を失してしまいます。

これが、承継的共同正犯の場面でも207条が生き続ける理由です。Bは、承継的共同正犯としては暴行罪にとどまるのが原則でも、別ルートの207条によって、自分の暴行がXの傷害の原因でないと立証しない限り、傷害罪の責任を負うことになります。

その他の傷害の罪——現場助勢罪・凶器準備集合罪

その他の傷害の罪——2つだけ軽く確認する 図:その他の傷害の罪——2つだけ軽く確認する

条文刑法206条

刑法206条(現場助勢) 「前二条の犯罪が行われるに当たり、現場において勢いを助けた者は、自ら人を傷害しなくても、一年以下の拘禁刑又は十万円以下の罰金若しくは科料に処する。」

条文刑法208条の2

刑法208条の2(凶器準備集合及び結集) 「二人以上の者が他人の生命、身体又は財産に対し共同して害を加える目的で集合した場合において、凶器を準備して又はその準備があることを知って集合した者は、二年以下の拘禁刑又は三十万円以下の罰金に処する。」 「前項の場合において、凶器を準備して又はその準備があることを知って人を集合させた者は、三年以下の拘禁刑に処する。」

最後に、傷害罪・傷害致死罪の周辺にある条文を2つだけ、軽く確認しておきます。まず206条、現場助勢罪です。傷害罪・傷害致死罪の現場で、自分では手を出さずに勢いを助けただけの者も、処罰の対象になります。例えば、喧嘩の現場で、周りから「やれ、やれ」とはやし立てる野次馬がこれにあたります。次に208条の2、凶器準備集合罪です。2人以上が、他人の生命・身体・財産に共同で害を加える目的で、凶器を準備して、または準備があると知って集合すること自体が処罰されます。人を集合させた側は、さらに重く処罰されます。例えば、対立するグループとの乱闘に備えて、木刀を持ち寄って集まる場面です。この2つは、試験との関係では、条文を一読しておけば足りる程度の扱いで十分です。

今日の地図(保存版)

今日の到達点 図:今日の到達点

今日を振り返ります。原則のままなら、複数人が別々に暴行して、どちらが原因か分からないとき、誰も傷害罪を負いません。207条は、この不合理を、因果関係の推定と挙証責任の転換で埋める特例規定でした。共同正犯は一部実行の全部責任で反証を許しません。207条は推定にとどまるので、自分の暴行と結果の間に因果関係が無いと立証すれば、責任を免れます。要件は、各暴行の危険性と同一の機会、この2つを検察官が立証します。傷害致死罪への適用は判例が肯定し、有力説は文言に忠実に否定します。承継的共同正犯の場面でも、判例は207条の適用を肯定しました。理由づけはそれぞれ違いますが、根っこにある発想はいつも同じです。誰の暴行が原因か分からないという立証の困難を、推定という道具で埋め合わせる。この1本の筋で持ち帰ってください。

A・Bは、それぞれ自分の暴行とXの傷害の間に因果関係が無いことを立証しない限り、傷害罪の責任を負います。

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#104単独ページ動画

過失致死傷罪・業務上過失致死傷罪

第12章 個人的法益①|生命・身体に対する罪 ⑧/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

前回の受け——故意が一切無い場合

AもBも人を死なせているのに、刑の重さがまるで違う 図:AもBも人を死なせているのに、刑の重さがまるで違う

前回まで、暴行の故意や傷害の故意がある場合を扱ってきました。今回は逆に、故意が一切無い、ただの不注意の場合です。傷害罪の回で、暴行の故意すら無いときは、過失傷害罪という別の条文に移る、と触れました。今日はその中身です。故意が無くても、不注意で人を死傷させれば犯罪になります。場面を2つ置きます。Aはタクシー運転手で、前方不注意で歩行者をはねて死なせました。Bは散歩中の人で、よそ見をして自転車と衝突し、相手を死なせました。どちらも、不注意で人を死なせたという点は同じです。ところが違います。先に数字だけ言うと、Bは50万円以下の罰金で終わります。Aは、実は今は別の法律に移っているのですが、条文の並びだけ見ると、拘禁刑まである重い刑に乗りかねない立場です。同じ「不注意で人を死なせた」のに、なぜここまで扱いが違うのか。今日はこの理由を、1本の筋で持ち帰ってもらいます。先に答えだけ言っておきます。刑の重さを決めるのは、結果の重さではありません。その人にどれだけ高い注意義務が課されていたか、そしてその義務にどれだけ著しく違反したか、です。

刑の落差を数字で見る

故意の有無で、刑の重さがどれだけ変わるか 図:故意の有無で、刑の重さがどれだけ変わるか

数字で見ると差がはっきりします。204条、傷害罪は拘禁刑15年以下。205条、傷害致死罪は3年以上の有期拘禁刑。これに対して、今日扱う209条、過失傷害罪は30万円以下の罰金又は科料。210条、過失致死罪は50万円以下の罰金です。過失の一般理論、なぜ過失が処罰されるのか、予見可能性や結果回避義務といった中身は、以前にまとめて扱いました。今日はその前提の上で、209条から211条までの3つの条文が、どう積み上がっていくかに絞って進めます。

209条・210条の全文カード

まずは出発点、過失致死傷の基本形 図:まずは出発点、過失致死傷の基本形

条文刑法209条

刑法209条(過失傷害) 「過失により人を傷害した者は、三十万円以下の罰金又は科料に処する。 2 前項の罪は、告訴がなければ公訴を提起することができない。」

条文刑法210条

刑法210条(過失致死) 「過失により人を死亡させた者は、五十万円以下の罰金に処する。」

これが2つの条文です。209条の2項、告訴が無ければ公訴を提起できない、というのは何ですか。親告罪です。被害者側の告訴が無ければ、検察官は起訴できません。ここで注意してほしいのは、この2項は「前項の罪」、つまり209条1項の過失傷害罪だけを指しているという点です。210条の過失致死罪には、この親告罪の規定はありません。傷害なら被害者本人の意思で決着をつける余地を残しますが、死亡してしまえば被害者本人による告訴という選択肢自体が失われます。条文の作りの違いには、こうした理由があります。

205条との切り分け——暴行の故意の有無

暴行の故意の有無——205条と209条・210条の区別 図:暴行の故意の有無——205条と209条・210条の区別

ここで1つ、復習を挟みます。傷害罪の回で確認した205条、傷害致死罪が成立するために必要だった故意は、何の故意でしたか?暴行の故意です。傷害結果まで故意である必要はなくて、暴行さえ故意なら、死亡結果は過失でもよかったはずです。205条は、暴行の故意があることを前提にした結果的加重犯でした。これに対して、今日の209条・210条は、暴行の故意すら無い場合です。よそ見をしていて偶然ぶつかった、というように、殴ろうという意思そのものが無い場面を指します。この一線を確認したうえで、先に進みます。

211条前段の全文カード

ここから刑が跳ね上がる——業務上過失致死傷 図:ここから刑が跳ね上がる——業務上過失致死傷

条文刑法211条前段

刑法211条前段(業務上過失致死傷) 「業務上必要な注意を怠り、よって人を死傷させた者は、五年以下の拘禁刑又は百万円以下の罰金に処する。」

これが211条前段です。209条・210条が罰金・科料だけだったのに対して、いきなり拘禁刑まで視野に入ってきます。「業務上」という一言が入っただけです。この一言が付くだけで、刑の重さが大きく変わります。なぜ業務者だけ、これほど重くなるのか。ここが今日いちばんの山場です。

主体——業務者という不真正身分犯

211条前段の主体——業務者という身分 図:211条前段の主体——業務者という身分

その理由に入る前に、1つだけ位置づけを確認しておきます。211条前段は、過失傷害罪・過失致死罪を基本形として、業務者という身分によって刑が加重される類型です。このように、身分があることで刑が重くなったり軽くなったりする犯罪を、不真正身分犯と呼びます。211条前段は、そのうち重くなる側です。65条の身分犯・共犯の一般理論は、別の回で扱っています。今日は、211条前段が不真正身分犯にあたる、という位置づけだけ押さえておいてください。

加重の根拠——なぜ業務者だけ重いのか

なぜ業務者だけ重いのか——加重の根拠 図:なぜ業務者だけ重いのか——加重の根拠

なぜ業務者だけ、これほど刑が重くなるのか。判例・通説はこう説明します。業務者は、その立場ゆえに、法益侵害の結果を引き起こしやすい立場にあります。だからこそ、通常人、つまり業務者ではない普通の人よりも、特に重い注意義務が課されている、と考えるのです。

⭐ 論文で書く規範:加重根拠 業務者は法益侵害の結果を惹起しやすい立場にあり、それを防止するために通常人より特に重い注意義務が課されている。 (規範(最判昭26・6・7))

例えば、車を運転する人、機械を操作する人、危険物を扱う人は、日常的にその危険と隣り合わせにいます。だからこそ、通常人よりも一段高い注意を払うことが期待されている。その高い期待に違反したからこそ、非難の度合いが重くなり、刑も重くなるわけです。この加重根拠を押さえておくと、次の「業務」の3要素が、なぜその3要素なのかまで含めて分かるようになります。

「業務」の3要素——社会的地位

「業務」の定義——判例の3要素 図:「業務」の定義——判例の3要素

⭐ 論文で書く規範:「業務」の定義 社会生活上の地位に基づき、反復継続して行う行為であって、かつ、他人の生命・身体等に危害を加えるおそれのあるものをいう。 (規範(最判昭33・4・18))

判例はこう定義しています。社会生活上の地位に基づき、反復継続して行う行為であって、かつ、他人の生命・身体等に危害を加えるおそれのあるもの。3つの要素に分けて、順番に見ていきます。1つ目、社会生活上の地位に基づくこと、からです。

社会的地位に基づく行為——マンション管理人の設例 図:社会的地位に基づく行為——マンション管理人の設例

1つ喩えを置きます。あるマンションで、住民から委託されて、共用部のガス給湯設備を定期的に点検する係を任された管理人がいるとします。この人が点検を怠り、ガス漏れで住民が死傷したとします。管理人の点検は、自分の暮らしを回すための営みではなく、社会の中で引き受けた役目として続けるものです。ここがポイントです。これに対して、自分の家の給湯器を、自分のためだけに点検するのは、地位に基づく行為ではありません。誰にでもある日常的な行為だからです。炊事や育児と同じで、万人共通の日常行為は、この要素を満たしません。

同じ子どもの世話でも、扱いは違います。母親の育児は地位に基づかないので除外されますが、保育士が職務として複数の子どもを預かるのは、地位に基づく行為として該当しえます。同じ行為の中身でも、地位に基づくかどうかで扱いが変わるのが、この1つ目の要素です。娯楽でやっていることでも、業務にあたることはあるんですか。あります。判例には、娯楽目的の狩猟行為も業務にあたるとしたものがあります。ポイントは、誰かに頼まれたかどうかでも、給料をもらっているかどうかでもありません。炊事や育児のように、誰もが自分の暮らしを回すためにしている営みか、それを超えて、社会の中で自分から引き受けて繰り返す活動か、です。狩猟は、免許を受けて行う活動で、誰もが暮らしの中でしている営みではありません。だから、娯楽のためでも、地位に基づく行為にあたります。

「業務」の3要素——反復継続性

反復継続性——1回目でも該当しうる 図:反復継続性——1回目でも該当しうる

2つ目の要素、反復継続性です。これは、実際に何度も繰り返した実績が無ければならない、という意味ではありません。何度も繰り返した実績が要る、と考えるのは誤解です。管理人の例で言えば、着任してまだ1回しか点検をしていなくても、これから継続して点検を続けていく意思があれば、その1回目の時点で、もう業務にあたります。反復継続の意思さえあれば足りる、というのがポイントです。

「業務」の3要素——生命・身体への危険性

生命・身体への危険性——①②を満たしても、これが無ければ除外 図:生命・身体への危険性——①②を満たしても、これが無ければ除外

3つ目、生命・身体への危険性です。1つめの社会的地位に基づくことと、2つめの反復継続を満たしていても、この3つめが無ければ「業務」にはあたりません。では、自転車の運転は業務にあたるでしょうか。少し考えてみてください。通説では、あたらないとされています。自転車の運転自体に、他人の生命・身体に危害を加える危険性が乏しいと見られているからです。自動車と比べると、速度も車体の重さもずっと小さく、ふつうに走らせる限り、運転という行為そのものが人の命を奪う危険を帯びているとまではいえない、という評価です。もっとも、乗り方しだいで危険になることはあります。その場合の扱いは、このあと211条の後半で見ます。

逆に、直接人に触れる行為でなくても、業務にあたることはあるんですか。あります。人の生命・身体の危険防止そのものを義務内容とする管理業務、例えば可燃物などの管理業務です。自分の手で直接、人の身体を害するわけではなくても、その管理を怠れば火災などで人の生命・身体に重大な危険が及ぶ。こうした管理業務も「業務」に含まれる、とされています。自分の手で直接危険を生み出す仕事でなくても、危険を防ぐ役割を担っていれば、3つ目の要素は満たされます。こうして3つの要素がそろって初めて、211条前段の「業務」にあたります。3つをばらばらに覚えるのではなく、なぜこの3つが要るのかは、さっきの加重根拠に戻れば説明がつきます。業務者だから重い注意義務が課される、その「業務者」の中身を絞り込む3つの物差しが、これらの要素だということです。

211条後段の全文カード——重過失致死傷

業務者でなくても、不注意が著しければ同じ重さ 図:業務者でなくても、不注意が著しければ同じ重さ

条文刑法211条後段

刑法211条後段(重過失致死傷) 「重大な過失により人を死傷させた者も、同様とする。」

211条には、実はもう1つ文が続いています。重大な過失により人を死傷させた者も、同様とする。この「同様とする」は、直前の業務上過失致死傷と同じ刑、五年以下の拘禁刑又は百万円以下の罰金、という意味です。業務者じゃなくても、この重い刑になるんですか。なります。ここが2つ目の入口です。業務者ではない、通常人であっても、不注意の程度が「重大」であれば、業務上過失致死傷と同じ重さに引き上げられます。注意義務違反の程度が著しいことを言います。わずかな注意さえ払えば簡単に結果を防げたのに、それすら怠った、というレベルの不注意です。業務者としての高い注意義務があったから重いのではなく、注意義務違反そのものの程度が著しいから重い、という理由づけです。

冒頭のBで比べます。散歩中によそ見をして、自転車とぶつかってしまった。これは誰にでも起こりうる通常の不注意なので、210条の50万円以下の罰金にとどまります。今度は同じ人が、人通りの多い歩道で、スマートフォンの画面を見たまま自転車で猛スピードを出し、歩行者をはねて死なせた、としましょう。少し前を見て速度を落とすだけで簡単に防げたのに、それすら怠っています。こういう場面は、重大な過失として211条後段に乗りえます。業務者という「立場」のルートと、著しい不注意という「程度」のルート、この2つの入口が、同じ211条の重さに合流します。

自動車運転者は本罪の外

自動車運転者は、現在は211条の外にいる 図:自動車運転者は、現在は211条の外にいる

最後に1つ、注意しておきたい点があります。自動車の運転者が起こした死傷事故は、現在、211条ではなく、自動車運転死傷行為処罰法という特別法で処断されています。業務者にあたりそうなのに、211条は使わないんですか。使いません。自動車運転による死傷は、かつては211条の範囲でしたが、現在は特別法に移されています。

今日の地図(保存版)

今日の到達点——1本の階段 図:今日の到達点——1本の階段

今日を振り返ります。209条・210条が出発点で、通常人が通常の不注意で人を死傷させた場合、罰金・科料にとどまります。そこから、2つのルートで刑が重くなります。1つは、業務者という立場が加わるルート、211条前段。もう1つは、業務者でなくても、不注意の程度が重大であるルート、211条後段。どちらも、同じ重さの刑に合流します。「業務」の3要素は、社会的地位に基づくこと、反復継続性、生命・身体への危険性、の3つでしたね。そしてこの3つは、暗記のための道具ではありません。業務者は法益侵害を惹起しやすい立場にあり、通常人より重い注意義務が課される、という加重根拠から導かれた物差しです。

Bは、業務者ではなく、通常の不注意である限り、210条の過失致死罪、50万円以下の罰金にとどまります。Aは、本来なら業務者にあたりうる立場ですが、自動車の運転者である以上、今は211条ではなく、特別法で処断されます。同じ「不注意で人を死なせた」でも、立場と義務の高さによって、これだけの違いが生まれるということです。

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#105単独ページ動画

危険運転致死傷罪

第12章 個人的法益①|生命・身体に対する罪 ⑨/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

前回の受け——自動車運転者は211条の外へ

同じ人身事故なのに、Aに適用される条文が2つに分かれる 図:同じ人身事故なのに、Aに適用される条文が2つに分かれる

前回、業務上過失致死傷罪を扱った最後に、タクシー運転手のAが起こした事故は、本来なら業務者にあたりうるけれど、自動車の運転者である以上、今は211条ではなく別の法律で処断される、と触れました。今日はその中身です。自動車運転死傷行為処罰法という法律です。正式名称は長いのですが、中身はシンプルで、自動車の運転によって人を死傷させた場合の刑を、まとめて定めています。ここでAの事故を、もう一度使います。Aが前方をよく見ずに歩行者をはねて死なせたなら、この法律のある条文が適用されます。ところが、もしAが飲酒していて、正常な運転ができない状態で同じ事故を起こしていたなら、適用される条文が丸ごと変わり、法定刑も大きく跳ね上がります。

今日は、この特別法が何を軸に条文を振り分けているのか、1本の筋で持ち帰ってもらいます。

なぜ刑法典を出たのか

かつては211条だけで処理されていた 図:かつては211条だけで処理されていた

本題に入る前に、少しだけ沿革を確認します。前回確認した211条前段、業務上過失致死傷罪の法定刑は、何年以下の拘禁刑でしたか?5年以下でした。かつて、自動車運転による死傷事故も、すべてこの211条前段、5年以下の拘禁刑で処理されていました。ところが、悪質な飲酒運転などによる重大な事故が相次ぎ、この法定刑では実態に見合わないという批判が高まりました。そこでまず、特に悪質な運転を重く処罰する規定が刑法典の中に新設され、その後、自動車運転による過失致死傷までを含めて、刑法典から切り離し、専用の特別法として独立させました。以後も、悪質な妨害運転による重大事故などを受けて、この法律は繰り返し改正され、処罰の対象が広げられてきています。

この特別法は、事故の結果の重さでなく、行為者が事故の直前にどんな運転を選んでいたかで、条文を振り分けています。大きく2つの入口があります。1つは、通常の不注意という入口。もう1つは、あえての危険な運転行為という入口です。この2つを、順番に見ていきます。

5条——過失運転致死傷罪

出発点は、通常の不注意という入口 図:出発点は、通常の不注意という入口

条文自動車運転死傷行為処罰法5条

自動車運転死傷行為処罰法5条(過失運転致死傷) 「自動車の運転上必要な注意を怠り、よって人を死傷させた者は、七年以下の拘禁刑又は百万円以下の罰金に処する。ただし、その傷害が軽いときは、情状により、その刑を免除することができる。」

これが5条です。自動車の運転上必要な注意を怠り、よって人を死傷させた者は、7年以下の拘禁刑又は100万円以下の罰金に処する。中身は、211条前段の業務上過失致死傷罪とほとんど同じ発想です。通常の不注意で人を死傷させた、という骨格は変わりません。「運転上必要な注意を怠り」とは、過失の一般理論で見た注意義務違反、つまり結果を予見できたのに、それを回避する義務を果たさなかったことを指します。前回の業務者を思い出してください。業務者は、その立場ゆえに人を傷つける結果を引き起こしやすいから、通常人より重い注意義務を負い、211条前段で重く処罰されました。5条は、この発想を自動車の運転に切り出したものです。ただし5条は、業務者かどうかを問いません。業務の3つの要素を検討するまでもなく、自動車を運転していれば5条です。自動車は、ほんの少しの不注意で人の命を奪いうる道具です。その死傷事故の実態からみて、211条前段の5年以下では足りないと考えられたため、5条は7年以下に引き上げられているのです。

ただし書もありますね。傷害が軽いときは、情状により、その刑を免除することができる、とあります。これは、軽い怪我なら罪にならない、ということですか。そこが短答でよく狙われる点です。条文は「免除することができる」であって、「免除する」ではありません。「できる」は、裁判所が情状を見て免除してもよい、という任意的な免除です。必ず免除されるわけではありません。しかも、免除の余地があるのは、傷害が軽い場合だけです。死亡結果や重い傷害には、そもそも免除の余地がありません。「傷害が軽ければ絶対に不処罰になる」と丸暗記すると、この条文の作りを取り違えます。例えば、駐車場でバックしていて歩行者の足に軽く当たり、打撲で済んだという場合なら、免除の余地があります。同じ不注意でも、相手が骨折して長く入院したなら、傷害が軽いとは言えず、免除の余地はありません。

4条——発覚免脱罪

事故の"後"の逃げ得を許さない規定 図:事故の”後”の逃げ得を許さない規定

条文自動車運転死傷行為処罰法4条

自動車運転死傷行為処罰法4条(過失運転致死傷アルコール等影響発覚免脱) 「アルコール又は薬物の影響によりその走行中に正常な運転に支障が生じるおそれがある状態で自動車を運転した者が、運転上必要な注意を怠り、よって人を死傷させた場合において、その運転の時のアルコール又は薬物の影響の有無又は程度が発覚することを免れる目的で、更にアルコール又は薬物を摂取すること、その場を離れて身体に保有するアルコール又は薬物の濃度を減少させることその他その影響の有無又は程度が発覚することを免れるべき行為をしたときは、十二年以下の拘禁刑に処する。」

これが4条です。少し長いので、流れで捉えてください。まず、アルコールや薬物の影響で、走行中に正常な運転に支障が生じるおそれがある状態で運転していた人が——つまり、運転できなくなるほどではないものの、その手前の段階で運転していた人が——不注意で人を死傷させたとします。その人が、事故の後、自分がアルコールや薬物の影響を受けていたことの発覚を免れる目的で、さらに酒を飲んだり、その場を離れて体内の濃度を下げようとしたりすると、この4条が成立します。俗にいう「逃げ得」を許さないための規定です。もし発覚免脱の行為だけを別に処罰しなければ、事故直後に飲酒の影響を隠してしまえば、この後で見る、危険な運転そのものを罰する、より重い2条や3条の適用を免れられることになりかねません。それを防ぐために、隠す行為そのものを独立に、重く処罰しているのです。

4条の12年以下の拘禁刑は重いです。証拠を隠す行為をそのままにしておくと、危険運転致死傷罪の実効性そのものが失われてしまう、という判断があります。

6条——無免許運転による加重

どの罪も、無免許なら重さが変わる 図:どの罪も、無免許なら重さが変わる

条文自動車運転死傷行為処罰法6条

自動車運転死傷行為処罰法6条(無免許運転による加重) 「1 第二条(第五号を除く。)の罪を犯した者(人を負傷させた者に限る。)が、その罪を犯した時に無免許運転をしたものであるときは、六月以上の有期拘禁刑に処する。 2 第三条の罪を犯した者が、その罪を犯した時に無免許運転をしたものであるときは、人を負傷させた者は十五年以下の拘禁刑に処し、人を死亡させた者は六月以上の有期拘禁刑に処する。 3 第四条の罪を犯した者が、その罪を犯した時に無免許運転をしたものであるときは、十五年以下の拘禁刑に処する。 4 前条の罪を犯した者が、その罪を犯した時に無免許運転をしたものであるときは、十年以下の拘禁刑に処する。」

もう1つ、5条とセットで押さえておきたいのが6条です。6条は4つの項に分かれていますが、共通する形は同じです。その罪を犯した時に無免許運転をしていたなら、法定刑がさらに引き上げられます。順に見ていきます。1項は、2条の罪のうち5号を除いたもので、しかも人を負傷させた場合に限って、無免許なら6か月以上の有期拘禁刑になる、と定めています。2条の罪で人を負傷させた場合は、無免許でなければ15年以下の拘禁刑です。この後で詳しく見ます。無免許だと6か月以上の有期拘禁刑になるので、15年という上限のしばりが外れます。有期拘禁刑の上限は原則20年ですから、上限が外れて幅がぐっと広がる形の加重です。ここで2つ、注意しておきたい点があります。1つは、1項の対象は人を負傷させた場合だけで、人を死亡させた場合には、この無免許加重の規定自体がありません。2条の死亡はもともと1年以上の有期拘禁刑という重い法定刑になっているため、というのが条文の作りから読める理由づけです。もう1つは、5号、この後で見る未熟運転類型だけが、この加重の対象から外れているということです。理由は、この後もう一度触れます。

2項は3条です。3条の罪を犯した者が無免許運転だったときは、人を負傷させた場合は15年以下の拘禁刑、人を死亡させた場合は6か月以上の有期拘禁刑になります。3条はもともと、負傷が12年以下、死亡が15年以下ですから、どちらも引き上げられています。3項は4条です。4条の12年以下の拘禁刑が、無免許なら15年以下に引き上げられます。4項は5条です。5条の7年以下の拘禁刑、または100万円以下の罰金というところから、無免許なら10年以下の拘禁刑に引き上げられます。無免許運転は、2条の類型の1つではなく、どの条文が適用された場合でも、その上に乗ってくる加重要因として別枠で扱われている、ということを押さえてください。ここまでが、通常の不注意という入口の側です。5条を基本形として、4条が事故後の逃げ得を防ぎ、6条がどの罪にも無免許という要因を上乗せする。ここから先は、もう1つの入口、あえての危険な運転行為の側に進みます。

2条の全体像——11の類型を7つの性質グループで掴む

危険な運転を、あえて選んで走った場合 図:危険な運転を、あえて選んで走った場合

ここからが今日いちばんの山場です。2条、危険運転致死傷罪。法定刑は、人を負傷させれば15年以下の拘禁刑、死亡させれば1年以上の有期拘禁刑です。5条と比べると、けた違いに重くなっています。条文は、危険な運転のパターンを11通り列挙していますが、丸暗記しようとすると必ず崩れます。性質で束ねると、7つのグループに整理できます。酩酊・薬物影響、高速度走行、未熟運転、異常操作、妨害運転、信号無視、通行禁止道路の7つです。ここで、料理人を2人思い浮かべてください。1人目は、集中を欠いて手元がずれ、隣の見習いの手を傷つけた。これはただの不注意で、5条の側です。2人目は、周りに人がいる厨房で、目隠しをしたまま包丁を振り続けた。人を切るつもりはありません。でも、危ないと分かっている振り方を、自分で選んでいます。7つのグループは、この2人目の『選んだ危ない振り方』の種類が違うだけです。自分の運転が危険だと分かっていながら、法律が危険だと類型化した運転を、あえて選んだ、という1点に、7つとも合流します。入口が7通りあるだけで、出口は1つです。この後、7つを順番に見ていきますが、この1点だけは見失わないでください。

①酩酊・薬物影響類型

アルコール・薬物の影響で、正常な運転が困難な状態 図:アルコール・薬物の影響で、正常な運転が困難な状態

条文自動車運転死傷行為処罰法2条1号・2号

自動車運転死傷行為処罰法2条1号・2号(酩酊・薬物影響類型) 「一 アルコール影響正常運転困難状態(身体に血液一ミリリットルにつき一・〇ミリグラム以上又は呼気一リットルにつき〇・五ミリグラム以上のアルコールを保有する状態その他アルコールの影響により正常な運転が困難な状態をいう。次条第一項において同じ。)で自動車を走行させる行為 二 薬物影響正常運転困難状態(薬物の影響により正常な運転が困難な状態をいう。次条第一項において同じ。)で自動車を走行させる行為」

1号がアルコール、2号が薬物です。1号には、数字による基準が書き込まれています。血液1ミリリットルにつき1.0ミリグラム以上、または呼気1リットルにつき0.5ミリグラム以上のアルコールを保有している状態は、それだけで正常な運転が困難な状態にあたります。数値さえ超えていれば、もうそれで決まりということですか。そこは決まりです。立証しやすいように、数値で足切りする作りになっています。ただし条文は、それだけでは終わっていません。「その他アルコールの影響により正常な運転が困難な状態」という受け皿が、同じ1号の中に置かれています。数値に届かない場合でも、実質的に判断して、正常な運転が困難な状態と言えることがあります。

この実質判断の場面で効いてくるのが、次の規範です。

⭐ 論文で書く規範:「正常な運転が困難な状態」の判断 アルコールの影響により道路交通の状況等に応じた運転操作を行うことが困難な心身の状態をいい、前方を注視してそこにある危険を的確に把握して対処することができない状態もこれに当たる。判断は、事故の態様、事故前の飲酒量・酩酊状況、事故前の運転状況、事故後の言動、飲酒検知結果等を総合的に考慮する。 (規範(最決平23・10・31))

判例は、アルコールの影響により道路交通の状況等に応じた運転操作を行うことが困難な心身の状態をいうとし、前方を注視して危険を的確に把握し、対処できない状態もこれにあたるとしています。判断にあたっては、事故の態様や、事故前の飲酒量・酩酊状況、事故前の運転状況、事故後の言動、飲酒検知結果などを総合的に考慮するとしています。例えば、数値上は1.0ミリグラムに届いていなくても、車線をふらふらと越え続け、前方の歩行者に気づくのが遅れて急ブレーキを繰り返しているなら、実質判断であたる可能性が高いです。これに対して、少し飲酒はしているものの、数値にも届かず、車線も保ち、歩行者や信号にもきちんと反応できているなら、正常な運転が困難な状態とは言えません。その段階は、この後見る3条の対象になってきます。

②高速度走行類型

数値基準と、その受け皿 図:数値基準と、その受け皿

2つ目のグループ、高速度走行です。ここには2つの号があります。1つは、進行を制御することが困難な高速度で走行する行為。これは、その場その場の道路状況にあわせて、実質的に制御できていたかどうかで判断されます。もう1つは、違う判断の仕方をするんですか。します。もう1つは、道路の法定最高速度を、一定の幅を超えて上回る速度で走行する行為です。こちらは基本的に、数値そのもので判断できる類型です。道路の最高速度が時速60キロメートル以下なら、その最高速度に時速50キロメートルを上乗せした速度以上、時速60キロメートルを超える道路なら、最高速度に時速60キロメートルを上乗せした速度以上です。例えば、最高速度が時速40キロメートルの道路なら、時速90キロメートル以上で走れば、この類型にあたります。

数値さえ超えていなければ、絶対にこの類型にはならないんですか。そこは言い切れません。この号には、もう1段受け皿があります。数値そのものにわずかに届かない速度でも、道路や交通の状況からみて、重大な交通の危険を回避することが著しく困難な高速度であり、かつ、その数値に準ずる速度だといえるなら、やはりこの類型にあたります。数値基準を置くことで立証をしやすくしつつ、その数値のすぐ手前で同じように危険な走行がすり抜けないよう、受け皿を用意している、という作りになっています。

③未熟運転類型

無免許そのものではなく、技能不足自体を捉える 図:無免許そのものではなく、技能不足自体を捉える

3つ目、未熟運転類型です。進行を制御する技能を有しないで走行する行為を捉えています。無免許運転そのものではありません。免許を持っているかどうかは関係なく、その運転行為を実際に安全にコントロールできる技能を持っていたかどうかが問題になります。さっき6条のところで、この類型だけ無免許加重の対象から外れる、と触れましたが、理由はここにあります。技能を欠いていたという事実自体に、無免許運転に近い実質がすでに含まれているからです。

④異常操作類型

あえて制御を失わせる操作 図:あえて制御を失わせる操作

4つ目、異常操作類型です。殊更にタイヤを滑らせたり浮かせたりすることで、あえて進行の制御を困難にした状態で走行する行為です。曲芸のように車体を滑らせたり、前輪を浮かせたりする走行が典型です。酩酊や速度と違い、行為者は自分の操作で、意図的に車の制御が効かない状態を作り出しています。危険な運転を、直接その操作自体で作り出している類型です。

⑤妨害運転類型

あおり運転を、要件の違いで書き分ける 図:あおり運転を、要件の違いで書き分ける

5つ目、妨害運転類型です。いわゆるあおり運転にあたる類型で、3つの号に分かれています。7号は、人の通行や車の通行を妨害する目的で、走行中の自動車の直前に進入したり、著しく接近したりしたうえで、重大な交通の危険を生じさせる速度で運転する行為です。7号の速度の要件は、実際に危険な結果が起きたことを求めるものではありません。重大な交通の危険を生じさせるような性質の速度で運転すること自体が要件で、この号の中で、それとは別に具体的な危険が発生したことまで求めているわけではありません。8号は少し違います。車の通行を妨害する目的で、相手の車が、すでに重大な危険が生じることとなる速度で走行しているときに、その車の前方で停止したり、著しく接近することとなる方法で運転する行為です。ここでは、危険な速度で走っているのは相手の車です。

7号も8号も、道路の種類は限定されていません。通常の道路でも高速道路でも成立します。ところが9号は違います。9号は場所が高速自動車国道や自動車専用道路に限定されたうえで、妨害目的で前方に停止するなどの方法で運転することにより、走行中の相手の車を実際に停止させたり、徐行させたりした場合に成立します。7号と8号は、自分がどう運転したかという行為の中身で決まります。9号だけは、それによって相手を実際に止めた、あるいは徐行させた、という結果が生じたことまで要件に入っています。高速道路上で停止や徐行をさせられることの危険は、通常の道路よりもはるかに大きいので、結果まで組み込んだ規定になっているのです。

⑥信号無視類型

「殊更に無視」の中身 図:「殊更に無視」の中身

条文自動車運転死傷行為処罰法2条10号

自動車運転死傷行為処罰法2条10号(信号無視類型) 「十 赤色信号又はこれに相当する信号を殊更に無視し、かつ、重大な交通の危険を生じさせる速度で自動車を運転する行為」

6つ目、信号無視類型です。赤色信号などを殊更に無視し、かつ重大な交通の危険を生じさせる速度で走行する行為です。

⭐ 論文で書く規範:「殊更に無視」の判断 「殊更に無視し」とは、およそ赤色信号に従う意思のないものをいい、赤色信号であることの確定的な認識がない場合であっても、信号の規制自体に従うつもりがないため、その表示を意に介することなく、たとえ赤色信号であったとしてもこれを無視する意思で進行する行為も、これに含まれる。 (規範(最決平20・10・16))

そこまでは要求されていません。判例は、殊更に無視したといえるのは、およそ赤色信号に従う意思のない場合をいい、赤色信号であることの確定的な認識がない場合でも、信号の規制自体に従うつもりがないなら含まれる、としています。例えば、急いでいて信号をよく見ないまま、たぶん赤だろうと思いつつ、どの色であっても止まる気は無く交差点に進入したなら、殊更に無視したといえます。青だと思い込んで進んでしまった、うっかりのケースはどうなりますか。そこが境界線です。前方の信号表示を見誤り、青だと思い込んだまま進んでしまった、という単なる見落としや誤認であれば、信号の規制自体に従う意思を放棄しているとまでは言えず、この類型にはあたりません。信号を守るつもりが最初からない、という規範に対する姿勢の違反が問われています。

⑦通行禁止道路類型

禁止された道路を、危険な速度で進む 図:禁止された道路を、危険な速度で進む

最後、7つ目、通行禁止道路類型です。通行が禁止されている道路を、重大な交通の危険を生じさせる速度で進行する行為です。歩行者専用の道路や、一方通行の逆走など、そもそも自動車が通ってはいけない場所を、危険な速度で走る行為を捉えています。これで7グループ、確認できました。

2条・3条の法的性質——結果的加重犯

故意が必要なのは、危険な運転行為そのものだけ 図:故意が必要なのは、危険な運転行為そのものだけ

ここまで見た7つの類型は、それぞれ道路交通法の上でも、犯罪として定められている行為です。2条・3条は、この道路交通法上の危険な運転行為をあえて行い、その上で死傷結果まで生じさせた場合を処罰する規定です。この構造を何と呼ぶか、覚えていますか。基本の行為に故意があって、重い結果は過失でもよい、というのは、結果的加重犯でした。結果的加重犯の一般理論そのものは、以前に別の回でまとめています。今日は、この一般論を2条・3条にそのまま当てはめます。故意が必要なのは、7つの類型のどれかにあたる危険な運転行為そのものです。死傷結果まで意図していたかどうかは問われません。

「自分は今、正常な運転が困難な状態だ」とまで自覚している必要はありません。ハンドル操作がうまくいかない、思うように車を制御できない、というレベルの事実を認識していれば足ります。目隠しをして包丁を振っていた料理人が、「目隠しのせいで刃先の狙いが定まらない」と自覚しながらあえて振り続けていれば、それで基本行為の故意はそろいます。「誰かを切ってしまうだろう」とまで思っている必要は無い、というのと同じ発想です。例えば、ノンアルコールだと言われて出された飲み物に、実は酒が混ぜられていて、本人は飲酒した自覚がまったく無いまま運転した場合です。危険の元になる事実を知らないので、あえて選んだとは言えず、2条は成立しません。前方への注意を怠っていれば、残るのは5条です。

3条——準危険運転致死傷罪

2条と3条を比較する——時間の流れが1段階違う 図:2条と3条を比較する——時間の流れが1段階違う

条文自動車運転死傷行為処罰法3条1項

自動車運転死傷行為処罰法3条1項(準危険運転致死傷) 「アルコールの影響により、その走行中に正常な運転に支障が生じるおそれがある状態で、自動車を運転し、よって、アルコール影響正常運転困難状態に陥り、人を負傷させた者は十二年以下の拘禁刑に処し、人を死亡させた者は十五年以下の拘禁刑に処する。薬物の影響により、その走行中に正常な運転に支障が生じるおそれがある状態で、自動車を運転し、よって、薬物影響正常運転困難状態に陥り、人を死傷させた者も、同様とする。」

最後に、3条、準危険運転致死傷罪です。アルコールや薬物の影響で、走行中に正常な運転に支障が生じるおそれがある状態で運転を始め、その影響で走行中に、アルコール影響正常運転困難状態、あるいは薬物影響正常運転困難状態に陥り、人を死傷させた場合に成立します。負傷なら12年以下、死亡なら15年以下の拘禁刑です。出発点の重さが1段階違います。2条1号は、走り出した時点ですでに、数値基準を満たすか、実質的に見て正常な運転が困難な状態にありました。これに対して3条は、走り出した時点では、まだ支障が生じるおそれがある、という、1号の数値にも届かない低い段階にとどまっていれば足ります。その低い段階から走行を始め、走っているうちに、その影響で本当に困難な状態へ落ちていった場合が3条です。Aで言えば、店を出た時点ですでに千鳥足で、まっすぐ歩けないほど酔っていたなら2条1号です。これに対して、酒気帯びにあたる程度の酒を飲んで『これくらいなら』と走り出し、30分ほど走るうちに酔いが回って、蛇行するようになってから歩行者をはねたなら3条です。

だからこそ、法定刑も2条より一段軽く設定されています。2条は15年以下・死亡なら1年以上の有期拘禁刑、3条は12年以下・死亡なら15年以下の拘禁刑です。最初から自覚的に危険な状態で走り出した2条の方が、行為者の非難としては重い、という評価です。

今日の地図(保存版)

通常の不注意か、あえての危険行為か——出口はここで分かれる 図:通常の不注意か、あえての危険行為か——出口はここで分かれる

今日の内容を、冒頭のAの事故に戻して振り分けます。もしAが、単に前方をよく見ておらず、よそ見をしていただけなら、それは通常の不注意です。5条、過失運転致死傷罪が適用され、7年以下の拘禁刑又は100万円以下の罰金にとどまります。Aが飲酒していて正常な運転が困難な状態だったなら、あえての危険な運転行為という、もう1つの入口に切り替わります。2条1号、危険運転致死傷罪が適用され、15年以下の拘禁刑、死亡させていれば1年以上の有期拘禁刑という、けた違いに重い刑に乗ります。同じ「人身事故を起こした」という結果は変わらないのに、運転行為の中身しだいで、適用条文も法定刑も丸ごと変わるんですね。今日の筋を、もう一度だけ確認します。この特別法は、事故の重さでなく、行為者が事故の直前にどんな運転を選んでいたかで条文を振り分けています。通常の不注意という入口が5条、あえての危険な運転行為という入口が2条・3条。2条の7グループは、入口の形こそ違いますが、行き着く先はすべて同じ、危険だと分かっている運転をあえて選んだ、という1点です。この1本の軸さえ持ち帰れば、11の号を丸暗記する必要はありません。

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#106単独ページ動画

遺棄の罪

第12章 個人的法益①|生命・身体に対する罪 ⑩/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

殺人罪の回の宿題——遺棄の罪への入口

同じ「見捨てた」でも、扱いが違う2つの場面 図:同じ「見捨てた」でも、扱いが違う2つの場面

殺人罪の回を思い出してください。不作為犯が成立するために何が必要だったか、覚えていますか?結果を防ぐべき立場、つまり法律上の作為義務が必要でした。そしてその回で、もう1つの問いを残しました。防ぐべき立場にある人が放置した場合、それは殺人罪になるのか、それとも人を保護すべき者が遺棄した場合の罪にとどまるのか、という切り分けです。境目そのものの当てはめは、遺棄の罪の中身が固まってからでないと意味を持ちません。今日はまず、殺人罪との境目には踏み込まず、遺棄の罪そのものの中身を固めます。例えば、登山ガイドのAが、料金をもらって客のBを案内しているとします。Aは契約でBの安全を引き受けている立場です。標高の高い場所で、Bが体調を崩して動けなくなりました。

ここで、Aが取りうる行動は大きく2つに分かれます。1つは、動けなくなったBをその場に残したまま、A一人で下山してしまうこと。もう1つは、Bを無理やり動かして、誰にも見つからない崖の下まで引きずり下ろし、そこに放置してしまうことです。どちらもBを見捨てている点では同じですが、法律上の扱いは違ってきます。同じように見捨てているのに、何が違うんですか。そこを今日、1本の筋で持ち帰ってもらいます。遺棄の罪には217条、218条、219条の3つがありますが、丸暗記する必要はありません。2つの軸を立てれば、どの条文がどの場面に対応するか、導き出せるようになります。先に答えを言っておきます。軸は、相手との間に距離ができたかどうか、そして相手を自分の手で動かしたかどうか、の2つです。この2つで、その場に残して立ち去るのを罰せるのは218条だけ、という結論まで導けます。

217〜219条の地図

まず、3つの罪の役割だけを見ておく 図:まず、3つの罪の役割だけを見ておく

遺棄の罪には、217条から219条まで、3つの罪があります。217条は単純遺棄罪。主体を問わず、誰であっても、要扶助者、つまり年齢や病気のために、人の助けが無ければ生きていけない人を、遺棄すれば成立しうる罪です。218条は保護責任者遺棄等罪。こちらは主体が、要扶助者を保護する責任のある者に限られます。その代わり、遺棄だけでなく、必要な保護をしないことも処罰の対象に入ります。そして219条は遺棄等致死傷罪。217条・218条の罪を犯し、それによって人を死傷させた場合に、重く処罰する規定です。今日はこの3つの役割だけを頭に入れてください。今日固めるのは、この3つの条文がどう住み分けられているのか、という土台の部分です。

保護法益——生命・身体の安全

遺棄の罪が守っているのは、生命だけか、身体もか 図:遺棄の罪が守っているのは、生命だけか、身体もか

まず、遺棄の罪がそもそも何を守るために存在するのか、保護法益を確認します。ここには対立があります。判例・通説は、要扶助者の生命及び身体の安全を守る罪だと解しています。これに対して、生命の安全に限られるという見解もあります。違いが出るのは、命までは危なくないが、体が傷つくおそれはある、という場面です。たとえば山で、動けないBを、命に別状はないが凍傷になりかねない場所に置いていく場合。生命に限る見解なら対象外になりえ、生命・身体説なら対象に入ります。生命に限定する見解は、218条が「生存に必要な保護」という言葉を使っていることや、身体の安全まで含めると成立する範囲が無限定に広がってしまうことを理由にしています。ですが、219条を見てください。219条は、遺棄によって人を死亡させた場合だけでなく、負傷させた場合も遺棄等致死傷罪として規定しています。死亡だけでなく傷害という結果まで条文に置かれているということは、この罪が身体への危険も想定していることの表れだと考えられます。

219条が傷害の結果まで規定していることを根拠に、判例・通説である生命・身体説が妥当だとされています。今日はこの結論だけ押さえてください。

危険犯——抽象的危険犯

結果が出る前の行為だけで、罪になる 図:結果が出る前の行為だけで、罪になる

次に、遺棄の罪の法的な性質です。遺棄の罪は、要扶助者が実際に死傷するという結果の発生を必要としない危険犯だ、という点には争いがありません。問題はその先で、現実に具体的な危険が生じたことまで要求する具体的危険犯と見るか、それを要求しない抽象的危険犯と見るか、というところで見解が分かれます。遺棄の罪の条文には、危険が発生したことを書く一文があるんですか。ありません。条文の文言上、具体的な危険の発生が要求されていないことから、判例・通説は抽象的危険犯だと解しています。要扶助者を遺棄したという行為があれば、それだけで一律に危険が認められる、という立場です。冒頭の登山の例で言えば、Aが動けなくなったBを崖の下に放置した時点で、Bがまだ死んでも怪我をしてもいなくても、危険は生じたと評価されます。

準抽象的危険犯説

荷物で非常口を塞ぐ行為と同じ発想 図:荷物で非常口を塞ぐ行為と同じ発想

ただし、抽象的危険犯だからといって、遺棄したという事実さえあれば機械的に危険を認めてよいわけではありません。ここで1つ、喩えを挟みます。建物の非常口の前に荷物を積み上げて塞ぐ行為は、実際にまだ火事が起きていなくても、それ自体が消防法上の規制の対象になります。荷物を置いたという行為そのものが、いざというときに命に関わる危険を生みうるからです。遺棄の罪も同じ発想で、遺棄した時点で処罰の対象になります。遺棄の罪でも同じことが起きます。例えば、母親が乳児を道に捨てたものの、木の陰から見守り続け、すぐに第三者に保護されるのを見届けてから立ち去った場合や、新生児を産院のベッドに置いて逃げた場合のように、生命・身体への具体的な危険が実質的に生じなかったと言える事案にまで、一律に処罰を及ぼすのは行き過ぎだと考えられています。

決め手は、この罪を罰する理由そのものです。遺棄の罪を罰するのは、生命・身体を危険にさらすからでした。危険が生じようのない事案では、罰する理由がありません。一方で、条文に危険の発生は書かれていないので、検察官が毎回、現実の具体的な危険を証明しなければならない具体的危険犯には戻りません。そこで、危険は通常あるものとして扱いつつ、ある程度の具体的な危険すら無いと言える事案だけを外に出す。これが準抽象的危険犯説です。純粋な抽象的危険犯説なら、遺棄した時点で成立が確定し、見守っていた事実は関係ありません。準抽象的危険犯説なら、具体的な危険すら生じなかったと言えるので、不成立になります。

「遺棄」と「不保護」の区別——場所的離隔

距離ができるかどうかで、「遺棄」と「不保護」が区別される 図:距離ができるかどうかで、「遺棄」と「不保護」が区別される

条文刑法217条

刑法217条(遺棄) 「老年、幼年、身体障害又は疾病のために扶助を必要とする者を遺棄した者は、一年以下の拘禁刑に処する。」

条文刑法218条

刑法218条(保護責任者遺棄等) 「老年者、幼年者、身体障害者又は病者を保護する責任のある者がこれらの者を遺棄し、又はその生存に必要な保護をしなかったときは、三月以上五年以下の拘禁刑に処する。」

ここからが本題です。2つの条文の文言を、実際に比べてみましょう。217条が定めているのは、「遺棄した者は」という一文だけです。これに対して218条は、「遺棄し、又はその生存に必要な保護をしなかったとき」と、2つの行為を並べています。この「又は」の前半が「遺棄」、後半が「生存に必要な保護をしなかった」、つまり不保護です。217条と218条前段が「遺棄」、218条後段が「不保護」にあたります。両者を分けるのは、行為者と要扶助者のあいだに、場所的な距離、つまり場所的離隔ができるかどうかです。遺棄という言葉は、もともと相手を置いて離れること、つまり距離を作ることを指すからです。そばにいて世話だけしない場合は、後段の『保護しなかった』で受け止める、という役割分担になっています。

もう一度、登山の場面を思い出してください。冒頭の2つのパターンは、どちらもAがBのもとを離れています。場所的離隔があるので、どちらも「遺棄」の側に入ります。ここに3つ目のパターンを加えます。例えば、Aは下山も移動もせず、Bのそばに留まり続けたまま、一晩一緒に過ごしたとします。ただし、Aは水も防寒具も与えず、体温が下がっていくBを、ただ見ているだけで、必要な手当てを一切しませんでした。Aは終始Bのそばにいるので、場所的離隔はありません。この場合は「遺棄」ではなく、「不保護」にあたります。218条の言葉で言えば、後段の「生存に必要な保護をしなかった」場合です。

感覚としては近いです。そばにいながら、必要な世話をしないという不作為が、不保護の中身です。そして、217条には不保護に対応する文言がありません。不保護が成立しうるのは、218条後段だけです。

遺棄の2類型——移置と置去り

「遺棄」はさらに、動かしたか動かさなかったかの違いで分かれる 図:「遺棄」はさらに、動かしたか動かさなかったかの違いで分かれる

「遺棄」の側は、実はさらに2つに分かれます。要扶助者を場所的に動かすことで、新しい危険を作り出す「移置」と、要扶助者を動かさずにその場に残して立ち去る「置去り」です。移置は作為、置去りは不作為にあたります。整理しましょう。Aが動けなくなったBを無理やり崖の下まで引きずり下ろして放置したパターンは、Bを実際に動かしています。これが移置です。一方、Aが動けなくなったBをその場に残し、自分だけ下山したパターンは、Bの場所は変わっていません。Aが離れることで場所的な距離ができただけです。これが置去りです。

移置は行為者が能動的に危険な状況を作り出す作為、置去りは行為者が何もしないことで危険を放置する不作為です。ここでの物差しは、Bの側を動かしたかどうかです。刑法が問題にしているのは、Bを守る手当てをしなかったことのほうなので、立ち去ること自体は作為として数えません。ここまでで、遺棄の罪の行為は、移置・置去り・不保護という3パターンに整理できました。あとは、この3パターンが217条から219条のどこに対応するのかを見れば、地図が完成します。

条文対応の導出——なぜ217条の「遺棄」は移置に限られるのか

保護する責任のある者が、218条の主体そのものになる 図:保護する責任のある者が、218条の主体そのものになる

ここが今日の核心です。なぜ、217条の「遺棄」は移置しか含まず、218条の「遺棄」は移置と置去りの両方を含むのか。この違いは、条文の主体の限定にあります。217条は、遺棄する者を誰であるかで限定していません。これに対して218条は、主体を「保護する責任のある者」に限っています。主体の範囲が違うのは分かります。でも、それがなぜ、遺棄の中身、つまり移置か置去りかという話につながるんですか。そこが導出のポイントです。置去り、つまり不作為によって「遺棄した」と言えるためには、不作為犯の回で学んだ、法的な作為義務が必要になります。あの回では、法的な作為義務と、作為の可能性・容易性とを総合して、作為と同じに見られるかという同価値性を判断する、という枠組みでした。今日の導出で効いてくるのは、このうち作為義務のほう、つまり、その人に結果を防ぐべき法律上の立場があるかどうかです。

ここで、置去りで問われる作為義務が、何を守る義務なのかを考えてください。目の前の要扶助者の生命・身体を、危険から守るために手を尽くすべき法律上の義務です。218条が「保護する責任」と呼んでいるのは、まさにこの義務のことです。守る相手も、守るべき中身も同じなので、置去りが「遺棄」にあたるために必要な作為義務を持つ人と、218条が主体として限定している「保護する責任のある者」は、同じ人を指すことになるのです。

ガイドのAと通りすがりのA——同じ置去りでも結論の違いが出る 図:ガイドのAと通りすがりのA——同じ置去りでも結論の違いが出る

まず、本来のAはガイドで、契約によってBの安全を引き受けていました。つまり保護する責任のある者です。だから、AがBを残して下山した置去りは、218条前段の遺棄にあたります。ここで、もう一段考えてみましょう。もしAが、Bとは契約も関係もない、通りすがりの登山者だったとします。この場合、Aには法的な作為義務がありません。Aがその場を離れて下山しただけなら——つまり置去りの形なら——法的な作為義務が無い以上、遺棄にはあたらず、犯罪は成立しません。道徳的には見捨てていても、通りすがりのAがその場に残して立ち去るだけなら、遺棄の罪にはなりません。ですが、もしその通りすがりのAが、Bを自分の手で崖の下まで引きずり下ろして放置したなら、話は別です。これは移置であり、契約や関係の有無にかかわらず、Aが自分の行為で新しい危険を作り出しています。移置は、保護する責任の有無を問わず、誰がおこなっても217条の対象になりうる作為だからです。

つまり、置去りで処罰できる者は、全員が218条の主体に入ってしまいます。217条に置去りを読み込んでも、217条だけで処罰できる者は一人も残らないのです。ここから、217条の「遺棄」は移置だけを意味し、218条前段の「遺棄」は移置と置去りの両方を意味する、という帰結が導き出せます。217条は主体を限定しない代わりに、行為を作為である移置に絞り、218条は主体を保護責任者に限定する代わりに、不作為である置去りまで取り込んでいるのです。丸暗記ではなく、作為義務の所在から論理的に出てくる結論だと理解してください。

判例の到達点

判例も、この立場に沿って積み上がっている 図:判例も、この立場に沿って積み上がっている

この帰結は、判例の積み重ねとも一致しています。218条の「遺棄」に、置去りという不作為が含まれるとした判例はあります。一方で、217条の不作為による単純遺棄を認めた判例は存在しません。このことから、判例も、先ほど導いた通説と同じ立場に立っていると解されています。今日はこの判例を、「218条の遺棄には置去りが含まれる」という一点だけで押さえてください。

今日の地図(保存版)

2つの軸で、条文の守備範囲が決まる 図:2つの軸で、条文の守備範囲が決まる

今日の内容を、冒頭の登山の場面に戻して整理します。場所的離隔の有無で「遺棄」か「不保護」かが決まり、遺棄はさらに、作為か不作為かで「移置」か「置去り」かに分かれます。Bを崖の下まで動かして放置すれば移置、Bをその場に残して立ち去れば置去り、Bのそばに留まりながら世話をしなければ不保護です。そして、置去りが「遺棄」にあたるには法的な作為義務が必要で、その作為義務を持つ人こそが、218条の言う保護する責任のある者だった、という話でしたね。だからこそ、主体を限定しない217条の「遺棄」は移置だけを意味し、主体を保護責任者に限る218条前段の「遺棄」は移置と置去りの両方を意味します。217〜219条を個別に丸暗記するのではなく、この2つの軸から条文の守備範囲を導き出せるようになれば、今日の目的は達成です。そして、殺人罪の回で残した、殺人罪と遺棄の罪の境目という問いにも、そこで初めて答えが出せるようになります。

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#107単独ページ動画

保護責任者遺棄罪

第12章 個人的法益①|生命・身体に対する罪 ⑪/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

前回の地図を、具体的な条文にあてはめる

同じ「逃げた」でも、扱いが違う2つの場面 図:同じ「逃げた」でも、扱いが違う2つの場面

前回、217条から219条までの3つの条文の役割を、2つの軸で整理しました。場所的な距離ができたかどうか、そして要扶助者を自分の手で動かしたかどうか。この2つの軸を立てると、217条は移置のみ、218条前段は移置と置去りの両方、218条後段は不保護、という条文の守備範囲が導けるという結論でしたね。今日はその地図の上に、具体的な要件を積み上げていきます。Aが自動車を運転していて、不注意でBをひいてしまい、Bは自力で動けないほどの重傷を負ったとします。Aは事態が発覚するのを恐れて、その場を離れることにしました。

ここで、Aの行動を2パターン考えてみます。1つは、Aが車から降りることもなく、そのままアクセルを踏んで走り去る場合。もう1つは、Aが一度車から降りてBを抱え、病院に運ぼうと自分の車の後部座席に乗せたものの、途中で怖くなり、人通りのない道端でBを降ろして走り去る場合です。先に答えを言うと、分かれ目は、AがBを一度でも、自分だけが助けられる状態に置いたかどうかです。その理由を、今日は条文の中身とあわせて固めていきます。本題に入る前に、前回の到達点を1つ確認させてください。前回、217条の「遺棄」は、作為・不作為のどちらに限られると学びましたか?

作為、つまり移置だけでした。ここから今日は、217条・218条の客体、218条の身分としての性質、保護責任がどう発生するか、ひき逃げ事案での保護責任の有無、そして219条の法定刑の決め方まで、順番に見ていきます。

217条・218条の客体——限定列挙

217条の客体は、限定列挙 図:217条の客体は、限定列挙

条文刑法217条

刑法217条(単純遺棄) 「老年、幼年、身体障害又は疾病のために扶助を必要とする者を遺棄した者は、一年以下の拘禁刑に処する。」

まず217条の全文です。「老年、幼年、身体障害又は疾病のために扶助を必要とする者を遺棄した者は、一年以下の拘禁刑に処する。」客体の書き方に注目してください。老年、幼年、身体障害、疾病という4つの原因が並んでいますが、これは限定列挙です。例えば、山で道に迷って動けなくなった人は、病気でも老年でも幼年でもありません。単に道に迷っているだけなら、217条の客体にはあたりません。同じように、手足を縛られて身動きが取れない人も、身体障害があるわけではないので、客体にはあたりません。感覚的にはそうですが、条文が挙げている原因に該当しない以上、217条の対象外です。他方で、判例が客体にあたると認めた例があります。高度の酩酊者、つまりひどく酔って自分では動けない人です。

お酒に酔っているだけなのに、客体に入るんですか。そこがポイントです。高度の酩酊は、一時的であっても身体の自由な運動ができなくなっている状態であり、「疾病」による病者に含まれると判断されています。

判例最決昭和43年11月7日(集刑169号355頁)

高度の酩酊者と病者 高度の酩酊者は、218条1項の病者にあたる。

列挙されている原因そのものは限定されていますが、その原因にあたるかどうかの当てはめは、実質的に判断されます。218条も客体の書き方はほぼ同じで、表現が少し変わるだけで、実質は同じだと考えて構いません。

218条の客体・行為・主体

218条は、客体は217条とほぼ同じ、行為は2つ 図:218条は、客体は217条とほぼ同じ、行為は2つ

条文刑法218条

刑法218条(保護責任者遺棄等) 「老年者、幼年者、身体障害者又は病者を保護する責任のある者がこれらの者を遺棄し、又はその生存に必要な保護をしなかったときは、三月以上五年以下の拘禁刑に処する。」

218条の全文です。「老年者、幼年者、身体障害者又は病者を保護する責任のある者がこれらの者を遺棄し、又はその生存に必要な保護をしなかったときは、三月以上五年以下の拘禁刑に処する。」客体は217条とほぼ同じです。行為は、前回確定した広義の遺棄、つまり移置と置去りの両方に加えて、生存に必要な保護をしなかったこと、つまり不保護も含まれます。217条より重い刑になっているのは、なぜですか。218条の主体が「保護する責任のある者」、つまり保護責任者に限られているからです。守るべき立場にある人が、その責任を裏切って見捨てる。だから、誰がやっても成り立つ217条より重く罰せられます。そしてこの主体の限定は、行為の範囲にも効いています。217条は誰でも主体になれる代わりに行為が移置に限られましたが、218条は主体を絞る代わりに行為の範囲を広げているわけです。なぜ広げてよいのか。その場を離れるだけの置去りや、保護をしないだけの不保護まで誰にでも処罰を及ぼすと、たまたま居合わせた人まで罰することになります。助けるべき立場にある保護責任者に絞ったからこそ、見捨てるという不作為まで処罰の対象にできるのです。

218条の身分犯としての重層構造

同じ「遺棄」でも、身分の働き方が違う 図:同じ「遺棄」でも、身分の働き方が違う

ここが今日の1つ目の核心です。218条の主体は保護責任者に限られる身分犯ですが、この身分の働き方は行為の型によって変わります。大きく2つに分かれます。身分が無くても別の条文で処罰できる場合、身分は刑を重くするだけの不真正身分犯。身分が無ければそもそも誰も処罰できない場合、身分こそが犯罪を成り立たせる真正身分犯です。この区別を、218条の3つの行為型にあてはめてみます。まず移置、つまり作為による遺棄です。移置は、保護責任者でなくても217条で処罰できる行為でした。だから、保護責任者が移置を行った場合、保護責任者という身分は、刑を217条より重くするだけの意味しか持ちません。これは不真正身分犯です。前回の通りすがりの登山者でも、Bを崖の下へ引きずり下ろせば217条で処罰されます。

次に置去り、つまり不作為による遺棄です。前回確定したとおり、217条には置去りに対応する規定がありません。保護責任者でなければ、置去りを処罰する条文自体が存在しないのです。だから、保護責任者という身分が無ければ、そもそも誰も処罰できません。これが真正身分犯です。前回の通りすがりの登山者が、Bをその場に残して下山しただけなら、どの条文にも当たりません。不保護も同じ理屈で、218条にしか規定がないので真正身分犯にあたります。この重層構造は暗記するものではなく、前回導いた「217条は移置のみ」という帰結の当然の帰結として出てきます。身分犯の回では、218条を、身分があると刑が重くなる不真正身分犯の例として見ました。あれは、217条でも処罰できる遺棄、つまり移置の場面を取り上げたものです。217条との関係で保護責任を刑を重くする身分とみる整理は、この移置の場面にそのまま当てはまります。今日は、それに加えて、217条に受け皿のない置去りと不保護では、同じ身分が犯罪を成り立たせる側に回る、というところまで、行為の型ごとに分けて見ました。なお、保護責任者でない者が置去りに関与した場合をどう処理するかという、身分犯と共犯の一般論は、別の回に委ねます。

保護責任は、どうやって発生するか

保護責任は、作為義務と同じ発想で発生する 図:保護責任は、作為義務と同じ発想で発生する

では、218条の主体である「保護する責任のある者」は、どうやって決まるのでしょうか。この発生原因は、法的な作為義務の発生原因と同じ枠組みで考えられています。①法令に規定されている場合、②契約や事務管理に基づく場合、③慣習や条理に基づく場合の3つです。不作為犯を扱った回で学んだ作為義務の枠組みを、そのまま持ってきています。法令に基づく例なら、親が幼い子を保護する義務。契約に基づく例なら、報酬をもらって人を案内するガイドの契約。事務管理、つまり頼まれていないのに他人の世話を始めた場合なら、倒れている人を自分の家に運び込んで介抱を始めた人です。慣習や条理に基づく例なら、明文の契約が無くても、事実上その人しか助けられる状況が続いていたような場合です。

ただし、1つだけ留保があります。不真正不作為犯の作為義務は、不作為の場合にだけ問題になる概念でした。ところが保護責任は、移置、つまり作為による遺棄の場合にも必要とされます。218条は移置についても、主体を保護責任者に限っているからです。ですから保護責任という概念は、作為義務とまったく同じものというより、作為義務と同じ発生原因で説明される、より広い概念だと理解してください。

ひき逃げ事案——Aに保護責任はあるか

Aに保護責任はあるか 図:Aに保護責任はあるか

ここで、冒頭のひき逃げの場面に戻ります。Aが不注意でBをひき、事態を恐れてBを放置して逃げました。1つ問いかけます。Aの逃走によって、AとBのあいだに場所的な距離ができています。この時点で、Aの行為は「遺棄」と「不保護」、どちらにあたるでしょうか。前回の、場所的な距離ができたかどうかという物差しで考えると、距離ができているので遺棄の側だと思います。場所的離隔が生じている以上、Aの行為は不保護ではなく、広義の遺棄、それも不作為による置去りにあたります。ここでもう1つ質問です。Aの行為が置去りだとすると、Aに保護責任者遺棄罪が成立するために、あと何が必要でしょうか。

さっき学んだばかりです。保護責任という身分、つまりAに保護責任があるかどうかですね。Aに保護責任があれば、218条の保護責任者遺棄罪が成立します。保護責任が無ければ、置去りは真正身分犯なので218条は成立せず、しかも217条は移置のみなので、こちらも成立しません。Aに保護責任があるかどうかで、犯罪の成否がまるごと変わるのです。

保護責任の根拠をめぐる3つの立場

保護責任の根拠——3つの立場の比較 図:保護責任の根拠——3つの立場の比較

Aに保護責任があるかどうかをめぐって、3つの立場があります。1つ目は先行行為説です。過失でBをひいてしまったこと自体が先行行為となり、そこから保護責任が発生するという考え方です。ただ、この立場には弱点があります。単純にひき逃げしただけの場合まで常に保護責任者遺棄罪が成立することになってしまい、広すぎるという批判です。不注意でけがをさせた運転者は、逃げた瞬間に全員が、保護責任者遺棄罪という故意の重い罪の主体になってしまいます。ひいたこと自体は不注意にすぎないのに、それだけで重い責任を一律に負わせるのは行き過ぎだ、というわけです。2つ目は、道路交通法上の救護義務に基づくとする立場です。運転者には道路交通法で、事故を起こしたら負傷者を助ける義務が課されています。この法令上の義務から保護責任も発生するという考え方で、判例はこの立場に立っています。

先行行為説と同じ、広すぎるという批判に加えて、もう1つあります。道路交通法上の義務は、交通の安全という行政目的のために課された義務です。行政目的のための義務から、直ちに刑法上の重い犯罪を基礎づける保護責任まで導いてよいのか、という批判です。3つ目が排他的支配説です。不作為犯の回で名前だけ出た、作為義務を排他的支配ひとつで説明する立場を、ひき逃げに当てたものです。冒頭のパターン2のように、被害者を自分の車に乗せるなどして、その人の安全を自分だけが左右できる状態、つまり排他的支配を得た場合に限って、保護責任が発生するという考え方です。

この立場なら、単純に走り去っただけのパターン1では保護責任は発生せず、いったん車に乗せてから放置したパターン2でだけ保護責任が発生します。車に乗せた時点で、Bは通りがかった人に見つけてもらう道を断たれ、助かるかどうかがAの手だけに握られます。自分でそういう状態を作った以上、最後まで面倒を見る責任がある、というのがこの説の決め手です。しかも処罰範囲が絞られるので、先の2つの立場が抱える「広すぎる」という批判も避けられます。この排他的支配説が妥当と解されています。

判例の到達点——事案と判旨の根拠を分けて読む

「事案」と「判旨の根拠」は別の層 図:「事案」と「判旨の根拠」は別の層

判例最判昭和34年7月24日(刑集13巻8号1163頁)

ひき逃げと保護責任の発生根拠 道路交通取締法(今の道路交通法)上の救護義務を負う運転者は、保護責任者にあたる。

ここで判例を見てみます。判例は、当時の道路交通取締法、今の道路交通法にあたる法律上の救護義務に基づいて保護責任が発生するという立場、つまり2つ目の立場に立つとされています。判例が採っているのは道交法の立場ですが、ここに注意が要ります。この判例の事案そのものは、行為者が被害者をいったん自分の車に乗せて、排他的支配を獲得していた事案なんです。判旨の理屈は、たしかに道交法の立場です。ただ、事案がどちらの説でも同じ結論になる以上、この判例は、車に乗せてすらいない単純なひき逃げについてまでは判断していません。

道交法の立場に立てば、事故を起こした運転者には、車に乗せたかどうかに関係なく救護義務がありますから、走り去っただけの単純なひき逃げでも、保護責任が認められるはずです。ところが実務上は、単純にひき逃げしただけの事案のほとんど全部について、保護責任者遺棄罪では起訴されていません。この実務の運用は、道交法の立場ではなく、車に乗せたかどうかで線を引く排他的支配説の考え方と整合的です。だからこそ、単純なひき逃げの処理は判例からは決まらず、排他的支配説の方が妥当だと解されているのです。なお、前回、218条の「遺棄」に置去りが含まれるとした判例がある、とだけ触れて、事案の中身は今回に回しました。それがこの判例です。今日は同じ判例を、保護責任の発生根拠という別の角度から読みました。

219条——結果的加重犯と法定刑の決め方

上限・下限を別々に、重い方を採る 図:上限・下限を別々に、重い方を採る

条文刑法219条

刑法219条(遺棄等致死傷) 「前二条の罪を犯し、よって人を死傷させた者は、傷害の罪と比較して、重い刑により処断する。」

最後に219条です。「前二条の罪を犯し、よって人を死傷させた者は、傷害の罪と比較して、重い刑により処断する。」217条や218条の罪を犯して、人を死傷させた場合の規定です。217条・218条自体は、死傷という結果を必要としない危険犯でした。219条は、その結果として実際に死傷が生じた場合を重く処罰する、結果的加重犯です。219条は結果的加重犯ですから、因果関係の考え方が絡みます。ただ、その因果関係論の一般的な議論は、また別の回に委ねます。今日押さえるのは、219条の法定刑の決め方です。なぜ傷害の罪と比べるのか。遺棄の結果として人がけがをしたり亡くなったりしたのに、同じ結果を直接生じさせた傷害罪や傷害致死罪より軽く済んでしまっては、釣り合わないからです。「傷害の罪と比較して、重い刑」という言葉の意味を、具体的に見ていきましょう。

傷害罪の方が重ければ傷害罪、遺棄の罪の方が重ければ遺棄の罪、という単純な比較ではないんですか。そこが引っかかりやすいところです。実際には、上限と下限を別々に比較して、それぞれ重い方を組み合わせます。単純遺棄致傷罪を考えてみましょう。217条の法定刑は1か月以上1年以下の拘禁刑、傷害罪の法定刑は1か月以上15年以下の拘禁刑です。下限を比べると、どちらも1か月で同じ。上限を比べると、217条の1年より傷害罪の15年の方が重い。だから上限は傷害罪の15年を採用して、単純遺棄致傷罪の法定刑は1か月以上15年以下の拘禁刑になります。

同じ計算を、死亡結果の場合にもやってみます。傷害致死罪の法定刑は3年以上の有期拘禁刑です。217条の下限1か月と傷害致死罪の下限3年を比べると、傷害致死罪の3年の方が重い。上限も、217条の1年と、傷害致死罪の上限である20年を比べると、傷害致死罪の20年の方が重い。結局、下限も上限も傷害致死罪の数字がそのまま採用されて、単純遺棄致死罪の法定刑は3年以上の有期拘禁刑になります。218条の法定刑は3か月以上5年以下の拘禁刑でした。傷害罪と比較すると、下限は218条の3か月の方が傷害罪の1か月より重いのでそのまま3か月、上限は傷害罪の15年の方が重いので15年が採用されます。保護責任者遺棄致傷罪は、3か月以上15年以下の拘禁刑です。傷害致死罪と比較する場合は、下限・上限とも傷害致死罪の数字がそのまま重いので、保護責任者遺棄致死罪も、3年以上の有期拘禁刑になります。

殺人罪か、保護責任者遺棄致死罪か 図:殺人罪か、保護責任者遺棄致死罪か

最後に、殺人罪の回から持ち越してきた問いに答えます。パターン2で、道端に降ろされたBが亡くなったとしましょう。Aは、助けるべき立場にありながら、助けずに死なせています。この立場は、不作為による殺人罪で求められる作為義務と重なります。では、殺人罪と保護責任者遺棄致死罪を分けるものは何か。分かれ目は殺意です。死んでもかまわないという未必的なものも含めて殺意があれば殺人罪、なければ保護責任者遺棄致死罪です。殺意の有無の当てはめそのものは、殺人罪の回で学んだ枠組みで行います。

今日の地図(保存版)

遺棄の罪、2部作の到達点 図:遺棄の罪、2部作の到達点

今日の内容を、冒頭のひき逃げの場面に戻して整理します。単純に走り去っただけのパターン1は、Aに保護責任が発生していないので、保護責任者遺棄罪も単純遺棄罪も成立しません。一方、いったん車に乗せてから道端に降ろしたパターン2は、Aが排他的支配を得た時点で保護責任が発生しているので、その後の置去りは保護責任者遺棄罪にあたりえます。同じ「見捨てた」でも、途中で一度でも支配下に置いたかどうかで結論が変わる、ということでしたね。前回の2つの軸に、今回積み上げた客体の限定列挙、218条の身分の重層構造、保護責任の発生原因、ひき逃げ事案の学説対立と判例の読み方、そして219条の法定刑の比較ルールを合わせて、遺棄の罪、217条から219条までの全体像が完成しました。そして生命・身体に対する罪の章の締めくくりとして、殺人・堕胎・遺棄などを混ぜた事例で、どの罪の規範があたるのかを見分ける練習をします。

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#108単独ページ動画

堕胎罪と胎児性傷害

第12章 個人的法益①|生命・身体に対する罪 ⑫/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

中絶はなぜ処罰されないのか

刑法典の外に、もう1つの窓口がある 図:刑法典の外に、もう1つの窓口がある

前回、遺棄の罪を締めくくったところで、次は堕胎の罪に進む、そして章の締めくくりとして、殺人・堕胎・遺棄などを混ぜた事例で、どの罪の規範があたるのかを見分ける練習をする、と予告しました。本題に入る前に、前回の到達点を1つ確認させてください。前回、Aに保護責任があるかどうかを分けたポイントは何だったか、覚えていますか?排他的支配です。Aが、Bを自分だけが助けられる状態に置いたかどうか、でした。今日は遺棄の罪から堕胎の罪という別の罪型に移りますが、条文の文言から境界線を導くという姿勢は同じです。まず1つ、矛盾に見える話から入りましょう。刑法212条以下は、妊娠中の女子の堕胎を全面的に処罰の対象としています。ところが、人工妊娠中絶は、日本で年間十数万件行われています。

妊娠中絶が罪に問われないのは、刑法典の外側に、もう1つ別の法律が建っているからです。今日はまず、この矛盾の種明かしから入ります。これが、堕胎罪の条文の外側にある1つ目の境界線です。そのあとで、212条から216条までの5つの罪を、条文の全文で固めます。最後に、外側に残る2つの境界線——殺人罪との境界、そして胎児性傷害という論点——を押さえて、第12章全体を締めくくる弁別の練習をします。

堕胎の罪の保護法益と客体

守っているのは、胎児だけではない 図:守っているのは、胎児だけではない

堕胎の罪が守っているものは、第一次的には胎児の生命・身体の安全です。ただし、それだけではありません。堕胎という行為は、妊婦本人の身体にも危険を及ぼしますから、第二次的に妊婦の生命・身体の安全も保護法益に含まれると解するのが通説です。客体は妊娠中の女子、つまり妊婦と、胎児の両方です。あとで見る213条以下が、堕胎によって女子を死傷させた場合を重く処罰しているのも、妊婦の身体そのものが保護の対象に入っていることの表れです。

「堕胎」の意義と既遂時期

排出行為そのものが実行行為——死亡結果はいらない 図:排出行為そのものが実行行為——死亡結果はいらない

「堕胎」の意義を確認します。一般に、堕胎とは、①母体の中で胎児の命を絶つこと、または②自然の分娩期より前に、人の手で胎児を母体の外へ出してしまうことをいいます。判例は、この人の手による分離について、胎児が死んだかどうかは罪の成否に関係しない、と述べています。

判例大判明治42・10・19

堕胎の意義 「堕胎」とは、自然の分娩期に先立って、人為的に胎児を母体から分離させることをいう。その結果として胎児が死亡したかどうかは、犯罪の成否に影響しない。

排出しただけで、胎児が生きていても成立するんですか。そこが殺人罪との大きな違いです。殺人罪は人が死ぬという結果まで生じて初めて既遂になる結果犯でした。ところが堕胎罪は、人為的な排出行為そのものが実行行為であって、死亡という結果は要件になっていません。ですから、早産させた結果、胎児が未熟なまま生きて生まれてきたとしても、堕胎罪はすでに既遂に達しています。

中絶が処罰されない理由——母体保護法14条

指定医師が、要件を確認して許可する 図:指定医師が、要件を確認して許可する

冒頭の矛盾に戻ります。刑法212条以下は堕胎を全面的に禁止していますが、刑法典の外側に母体保護法という別の法律があり、その14条が一定の要件のもとで人工妊娠中絶を適法なものと認めています。まず、母体保護法が「人工妊娠中絶」をどう定義しているかを見ます。

条文母体保護法2条2項

母体保護法2条2項 「この法律で人工妊娠中絶とは、胎児が、母体外において、生命を保続することのできない時期に、人工的に、胎児及びその附属物を母体外に排出することをいう。」

母体外に出しても生きていけない時期、つまり生育可能性がない段階での人工的な排出を、人工妊娠中絶と定義しています。そのうえで、14条が許可の要件を定めています。

条文母体保護法14条1項

母体保護法14条1項 「都道府県の区域を単位として設立された公益社団法人たる医師会の指定する医師(以下「指定医師」という。)は、次の各号の一に該当する者に対して、本人及び配偶者の同意を得て、人工妊娠中絶を行うことができる。 一 妊娠の継続又は分娩が身体的又は経済的理由により母体の健康を著しく害するおそれのあるもの 二 暴行若しくは脅迫によつて又は抵抗若しくは拒絶することができない間に姦淫されて妊娠したもの」

条文母体保護法14条2項

母体保護法14条2項 「前項の同意は、配偶者が知れないとき若しくはその意思を表示することができないとき又は妊娠後に配偶者がなくなつたときには本人の同意だけで足りる。」

まず主体は、都道府県の医師会が指定する医師、指定医師に限られます。次に要件です。1号は、妊娠の継続や分娩が、身体的または経済的な理由で母体の健康を著しく害するおそれがあること。2号は、暴行・脅迫によって、または抵抗・拒絶できない間に、意に反して性交されて妊娠したことです。そして、本人及び配偶者の同意が必要ですが、配偶者が誰か分からないとき、意思を表示できないとき、あるいは妊娠後に配偶者が亡くなったときは、本人の同意だけで足ります。指定医師が、1号か2号のどちらかの要件のもとで、必要な同意を得て中絶を行えば、母体保護法によって適法とされ、刑法から見て違法性が阻却されます。だから堕胎罪は成立しません。刑法典という本館の入口には堕胎禁止の看板が掲げられていますが、その外側にある母体保護法という別棟の窓口で、指定医師が要件を確認して許可印を押せば、本館の禁止は及ばなくなる。そういう二層構造になっています。ここでの違法性阻却は、違法性阻却の一般論そのものではなく、母体保護法14条という個別の条文が根拠になっているという点だけ押さえてください。これが、堕胎罪の外側にある1つ目の境界線です。

たとえば、経済的に苦しい妊婦Xが、本人と夫の同意のうえで中絶を頼んだとします。指定医師が行えば、別棟で許可印が押されるので適法です。ところが、頼んだ相手が指定を受けていない医師だったら、許可印はありません。本館の禁止がそのまま及び、このあと見る214条、業務上堕胎罪の問題になります。

212条から216条までの5類型

誰が・頼まれたかどうかで、刑の重さが決まる 図:誰が・頼まれたかどうかで、刑の重さが決まる

ここから、212条から216条までの5つの罪を、条文の全文で見ていきます。先に結論を言うと、同意の有無と、誰が行うかという2つの軸で、刑の重さが段階的に決まっています。まず212条です。

条文刑法212条

刑法212条(自己堕胎罪) 「妊娠中の女子が薬物を用い、又はその他の方法により、堕胎したときは、一年以下の拘禁刑に処する。」

妊娠中の女子自身が、自分で堕胎した場合です。自分の身体に対する行為なので、5類型の中でいちばん軽く処罰されます。次に213条です。

条文刑法213条

刑法213条(同意堕胎罪・同致死傷罪) 「女子の嘱託を受け、又はその承諾を得て堕胎させた者は、二年以下の拘禁刑に処する。よって女子を死傷させた者は、三月以上五年以下の拘禁刑に処する。」

女子の嘱託を受けるか、承諾を得て、第三者が堕胎させた場合です。女子本人ではなく他人が手を下す分、212条より重くなります。よって女子を死傷させた場合は、結果的加重犯として、さらに重くなります。214条を見てください。

条文刑法214条

刑法214条(業務上堕胎罪・同致死傷罪) 「医師、助産師、薬剤師又は医薬品販売業者が女子の嘱託を受け、又はその承諾を得て堕胎させたときは、三月以上五年以下の拘禁刑に処する。よって女子を死傷させたときは、六月以上七年以下の拘禁刑に処する。」

214条は、医師・助産師・薬剤師・医薬品販売業者という、一定の業務者に主体を限定しています。213条とほとんど同じ構造ですが、主体が業務者という身分に絞られる分、刑が重くなっています。これは213条の不真正身分犯にあたります。業務者でなくても213条で処罰できる行為を、業務者という身分によってさらに刑を重くしているからです。前回、保護責任者が移置をした場合を、217条でも処罰できるから不真正身分犯だと見ました。214条と213条の関係も、それと同じ形です。業務者のほうが、専門知識があるのに、なぜ重いんですか。専門知識と設備を持つ業務者が堕胎に関与することで、より確実に、より広く行われてしまう危険が高いと考えられているからです。続いて215条です。

条文刑法215条1項

刑法215条1項(不同意堕胎罪) 「女子の嘱託を受けないで、又はその承諾を得ないで堕胎させた者は、六月以上七年以下の拘禁刑に処する。」

条文刑法215条2項

刑法215条2項(不同意堕胎未遂) 「前項の罪の未遂は、罰する。」

215条は、女子の嘱託も承諾も得ずに堕胎させた場合です。本人の意思に反している分、5類型の中でもっとも重く処罰され、未遂犯を処罰する規定もあります。最後に216条です。

条文刑法216条

刑法216条(不同意堕胎致死傷罪) 「前条の罪を犯し、よって女子を死傷させた者は、傷害の罪と比較して、重い刑により処断する。」

216条は215条の結果的加重犯です。「傷害の罪と比較して、重い刑により処断する」という文言は、前回219条で見た計算方式とまったく同じ形です。上限と下限をそれぞれ傷害の罪と比べて、重いほうを採るという、あの計算方式をそのまま使います。自己堕胎がいちばん軽くて、不同意堕胎がいちばん重い、という並びです。本人がやったか、頼まれてやったか、頼まれてもいないのにやったか。この段階のどこにいるかで、条文と刑の重さが決まります。同じ妊婦Xで並べてみます。Xが自分で薬を飲んで堕胎すれば212条。Xに頼まれた友人Yが手を下して堕胎させれば213条。頼まれたのが医師なら214条。Xに黙って、Yが飲み物に薬を混ぜて堕胎させれば215条で、それでXが体を壊せば216条です。

堕胎罪と殺人罪の境界

排出されたあと、胎児が生きていたら 図:排出されたあと、胎児が生きていたら

ここで、堕胎罪の外側にある2つ目の境界線に入ります。自然の分娩期に先立って人工的に母体から排出されたが、生命機能を持ち独立して呼吸している胎児を、その後に殺害した場合、どう処理するかという問題です。排出行為で堕胎罪は既遂に達しています。問題は、そのあとに生きている胎児を殺した行為をどう評価するかです。ここで効いてくるのが、殺人罪の回で確定した「人」の始期、一部露出説です。体の一部でも母体の外に出た時点から「人」になる、という考え方でした。体がすっかり母体の外に出た以上、生育可能性の有無にかかわらず、それはもう胎児ではなく、殺人罪が守る「人」として扱われます。生育可能性があった場合は、作為でも不作為でも殺人罪が成立します。生育可能性がなかった場合、作為で殺害すれば、死期が切迫していても「人」であることに変わりはないので殺人罪が成立します。しかし、不作為、つまりただ放置した場合は話が変わります。

不作為犯が成立するには、法的な作為義務が必要でした。生育可能性がない、つまり助けようとしても生存させられない胎児について、結果を防ぐべき法律上の義務を認めることはできません。だから、生育可能性がない場合の不作為による放置には、殺人罪が成立しないのです。作為か不作為かで結論が割れるのは、殺人罪そのものではなく、この作為義務の有無によるものです。

胎児性傷害——堕胎にすら当たらない場合

傷ついたのは「人」か、それとも別の何かか 図:傷ついたのは「人」か、それとも別の何かか

堕胎罪の外側にある、3つ目の境界線です。たとえば、Aが自転車で前をよく見ずに走り、妊婦にぶつかってお腹を強く打たせたとします。胎児Bは、母体内で死亡もせず、分娩の時期が早まることもなかったのですが、母体内で傷害を負い、その傷害が出生後もそのまま残っていました。これは堕胎罪になるんですか。なりません。母体内で胎児を殺してもいませんし、人為的に排出してもいません。さっき確認した堕胎の意義、どちらの要件にも当てはまらないからです。堕胎罪はそもそも成立しません。Aは何の罪にもならないんですか。そこが問題です。出生後のBには傷害が残っています。傷害罪や過失傷害罪が成立しないか、という形で問題になります。ここで壁になるのが、客体です。Aが危害を加えた時点で、Bはまだ胎児であって「人」ではありません。傷害罪の客体は「人」の身体でした。「人」でないものを傷つけても、傷害罪にあたるといえるのか。これをめぐって3つの立場があります。

3つの立場——判例と通説がずれている 図:3つの立場——判例と通説がずれている

1つ目は母体傷害説です。判例が採る立場で、胎児は母体の一部であるとみて、母体という「人」に対する傷害だと構成します。

判例最決昭和63・2・29(熊本水俣病事件)

胎児性傷害と母体傷害説 胎児に病変を生じさせることは、母体という「人」の一部に病変を生じさせることにあたる。その子が出生して「人」となった後、その病変がもとで死亡すれば、人に病変を生じさせ人に死の結果をもたらしたものとして、業務上過失致死罪が成立する。

判例がこの構成を採る根拠は、今の刑法は胎児を、堕胎の罪で特別に独立の客体としている場面を除けば、母体の一部として扱っている、という読み方です。その背景には、胎児のときの侵害がもとで生まれてから重い障害を負ったり亡くなったりした子について、刑法が何も手当てできないのは不当だ、という処罰の必要性の考慮がある、と評されています。ただ、この立場には弱点があります。刑法は212条で、妊娠中の女子が自分で堕胎することを、自己堕胎罪として処罰しています。もし胎児が本当に母体の一部にすぎないなら、自分の身体の一部を処分しただけの自傷行為であって、本来は不可罰のはずです。ところが212条は現に自己堕胎を処罰している。この点で、母体傷害説は刑法典の建て付けと整合しないという批判を受けます。

生まれてきた「人」に対する傷害説です。胎児の段階で加えられた傷害が、出生してBが「人」になった時点で、その「人」に対する傷害として成立する、と構成する立場です。ただ、これにも批判があります。「人」という言葉に「胎児」の段階まで含めてしまうことになり、罪刑法定主義に反する類推解釈になりかねません。加えて、実行行為の侵害作用が及んだ時点で、客体がまだ存在していなかったという問題も残ります。3つ目は、否定説です。傷害罪も過失傷害罪も成立しないとする立場で、通説です。侵害を加えた時点でBはまだ「人」ではなかった以上、傷害罪の客体にあたらない、と割り切ります。出生後にBが死亡しても、傷害致死罪や過失致死罪は成立しません。

判例と通説の結論がずれているという事実そのものが、この論点の核心です。さっきの自転車の事例なら、母体傷害説では母体の一部への侵害を足場にして、生まれたBに対する過失傷害罪、生まれてきた「人」に対する傷害説では生まれたBへの過失傷害罪、否定説ではBの傷害についてAは罪に問われない、と3つとも答えが変わります。論文でも論点になりうるところです。

第12章の総仕上げ——5つの罪を見分ける

客体・同意・場所的離隔で、罪が決まる 図:客体・同意・場所的離隔で、罪が決まる

最後に、第12章で学んだ殺人罪・同意殺人罪・堕胎罪・遺棄の罪・傷害致死罪を混ぜたミニ事例で、どの罪の規範があたるのかを見分ける練習をします。使う物差しは3つです。客体は「胎児」か「人」か。同意はあるか。場所的離隔や保護責任はあるか。この3つを事例に当てて、条文を選んでみましょう。1問目です。妊婦Aが、自分で薬物を用いて堕胎しました。2問目。自然の分娩期に先立って人工的に母体から排出されたBが、生育可能性のある状態で生きていました。Aはその後、Bの首を絞めて殺害しました。3問目。末期の病に苦しむBが、Aに「自分を殺してほしい」と頼み、Aが手を下してBを殺害しました。

4問目。出産直後の新生児B、すでに「人」です。保護責任のあるAが、寒さの厳しい場所にBを置いて立ち去りました。4問目の答えは保護責任者遺棄罪です。最後の5問目です。妊婦ではない、通常の成人であるBに対して、Aが暴行を加えたところ、Aの予期に反してBが死亡してしまいました。5問とも、客体・同意・場所的離隔という3つの軸だけで振り分けられます。今日新しく学んだ堕胎罪と、これまでに学んだ4つの罪は、この3つの軸の上で、隣り合う条文として並んでいるのです。

今日の地図(保存版)

第12章の全体地図が完成した 図:第12章の全体地図が完成した

今日の内容を整理します。212条から216条までは、同意の有無と主体によって刑の重さが段階的に決まる5類型でした。その外側に、母体保護法14条による違法性阻却、一部露出説を介した殺人罪との境界、そして判例と通説がずれる胎児性傷害という、3つの境界線がありました。条文の中身を固めることと、条文の外側にある境界線を分けて考える、という今日の筋でしたね。これで、殺人の罪、遺棄の罪、そして堕胎の罪を合わせて、第12章、生命・身体に対する罪が完成しました。次章では、自由に対する罪に進みます。

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第13章個人的法益②|自由に対する罪

#109単独ページ動画

逮捕罪・監禁罪

第13章 個人的法益②|自由に対する罪 ①/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

発進した瞬間、監禁は成立するのか

Bはまだ気づいていない 図:Bはまだ気づいていない

前回、殺人の罪・遺棄の罪・堕胎の罪を合わせて、第12章、生命・身体に対する罪が完成しました。今日からは次の第13章、自由に対する罪に進みます。本題に入る前に、1つ事例を出します。Aが、Bに「家まで送る」と嘘をついて車に乗せ、Bが嘘に気づかないまま発進させました。この時点で、監禁罪はもう成立しているのでしょうか。それとも、Bが嘘に気づいて「降ろして」と言った時点で、初めて成立するのでしょうか。気づいていなければまだ何も起きていない気もしますが、この1問への答えは、「自由」という言葉をどう理解するかで、真っ二つに分かれます。答えは本編の中で出しますので、少しだけ覚えておいてください。まず、この章がどんな並びで進んでいくかを、地図で確認しておきます。

保護している自由が、少しずつ広がっていく 図:保護している自由が、少しずつ広がっていく

第13章、自由に対する罪は、まず身体を直接動かす自由を守る逮捕罪・監禁罪から始まり、次に意思決定の自由を守る脅迫罪・強要罪、そこから場所的な移動や保護関係を守る略取誘拐の罪、性的自由を守る不同意性交等の罪、そして私生活の平穏を守る住居侵入罪へと、保護している自由の範囲を少しずつ広げながら並んでいます。まず条文の全文を確認してから、中身に入ります。

220条・221条——逮捕罪・監禁罪の条文

基本形と、それが重くなる場合 図:基本形と、それが重くなる場合

まず220条と221条、2つの条文を見ておきます。220条が基本の形で、221条は、その結果、人が死傷した場合に刑が重くなる規定です。この2段構えを頭に入れたうえで、全文を確認しましょう。

条文刑法220条

刑法220条(逮捕罪・監禁罪) 「不法に人を逮捕し、又は監禁した者は、三月以上七年以下の拘禁刑に処する。」

220条が、逮捕罪・監禁罪の条文です。不法に人を逮捕し、または監禁した者を処罰します。逮捕と監禁は、同じ1つの条文の中に並んでいます。ここでいう逮捕は、警察が犯人を捕まえるという一般的なイメージとは意味が違います。後で見るとおり、人の身体を直接押さえつけて動けなくすることを広く指します。条文の頭の「不法に」は、警察官の逮捕を外すための言葉ですか。そこは注意が要ります。警察官が逮捕状で人を逮捕する場面も、220条の構成要件には当たります。罰されないのは、正当行為の回で見たとおり、法令行為として違法性が消えるからです。「不法に」は、違法な拘束だけが処罰されるという当然のことを、念のため書いた言葉だと理解されています。

条文刑法221条

刑法221条(逮捕監禁致死傷罪) 「前条の罪を犯し、よって人を死傷させた者は、傷害の罪と比較して、重い刑により処断する。」

221条は、220条の罪を犯して、その結果、人を死傷させた場合の規定です。「傷害の罪と比較して、重い刑により処断する」という文言、見覚えがありませんか。あっ、前回、堕胎罪の216条で見た形と同じですね。この計算方式は、後ほど221条を詳しく見るときに、もう一度使います。まずは、220条の中身を固めていきましょう。

保護法益——身体活動の自由

守っているのは、動こうと思えば動ける状態そのもの 図:守っているのは、動こうと思えば動ける状態そのもの

逮捕罪・監禁罪が守っているのは、身体活動、つまり移動する自由です。ですから、客体は自然人に限られます。会社のような法人には、そもそも身体活動というものが観念できませんし、生まれたばかりの嬰児も同じ理由で客体になりません。生まれたばかりの嬰児は、まだ自分の力で移動できません。奪われる身体活動そのものが、観念できないのです。少し育って、はいはいで動けるようになれば、閉じ込めて動けなくすることができますから、客体になります。これに対して、眠っている人や、意識を失っている人はどうでしょうか。目を覚ませば自分で動ける存在ですから、移動する自由を観念することはできます。

「そもそも動けない」か「使えないだけ」か 図:「そもそも動けない」か「使えないだけ」か

ここで区別しておきたいのが、「そもそも身体活動を観念できない存在」と、「移動する自由は持っているけれど、今は意思能力を欠いていて使えていないだけの存在」の違いです。法人や生まれたばかりの嬰児は前者、眠っている人や、お酒に酔って意識を失っている人は後者にあたります。たとえるなら、法人や嬰児は、そもそも「アカウント」を持っていない状態です。これに対して、眠っている人や泥酔している人は、アカウントは持っているけれど、今は一時的にログインできない状態にすぎません。この「アカウントを持っているかどうか」という区別を踏まえたうえで、次は、意思能力を欠く人を客体にできるかどうかが、実際にどう争われるのかを見ていきます。

「自由」の意味をめぐる対立——可能的自由説と現実的自由説

「試していない」段階から問題にするか、しないか 図:「試していない」段階から問題にするか、しないか

「自由」の中身をめぐって、2つの立場があります。1つ目は可能的自由説です。移動しようと思えば移動できる、という可能性自体に意義があるとする見解で、判例・通説の立場です。たとえるなら、オンラインサービスに勝手にパスワードを変更されてログインできなくなったとき、本人がまだそのサービスを開こうとすらしていなくても、「もうログインできない状態」に置かれています。可能的自由説は、この「試してもいないのに、試せば必ず弾かれる状態」自体を問題にします。もう1つは何ですか。現実的自由説です。現実に移動しようと思ったときに、移動できることが必要だとする見解で、有力説です。この立場では、本人が実際にログインボタンを押して、初めて「入れない」と気づいたときに、問題が生じたことになります。

移動の自由というのは、つまるところ「移動しようという意思」の自由であって、本人が現実に移動したいと思ったときに守れば足りる、と考えるからです。

判例最決昭和33年3月19日

偽計による監禁 刑法220条1項にいう「監禁」とは、人を一定の区域場所から脱出できないようにしてその自由を拘束することをいい、その方法は、必ずしも所論のように暴行又は脅迫による場合のみに限らず、偽計によつて被害者の錯誤を利用する場合をも含むものと解するを相当とする。

⭐ 論文で書く規範:可能的自由説を規範として立てる 「監禁罪における『自由』の侵害とは、被害者が現実に移動しようとしたことを要せず、移動しようと思えばできたであろう可能性が奪われれば足りる。」 (規範(判例・通説=可能的自由説))

この決定は、欺かれて本人が気づかないうちに連れ去られた場面でも監禁を認めたことから、判例は可能的自由説に立つと理解されています。決め手は、移動できるという選択肢を持っていること自体に価値がある、という点です。出て行こうと思えばいつでも出て行ける、その状態が奪われた時点で、自由はもう損なわれている、と考えるわけです。論文でも、この規範を立てたうえで事案に当てはめる場面が問題になりえます。では、この規範を1つの場面に落としてみましょう。たとえば、Bが会議室で1人、資料を読んでいる間に、Aが廊下側から鍵をかけました。内側からは開けられない鍵です。Bは資料に夢中で、まだ気づいていません。

試せば必ず弾かれる状態ですから、可能的自由説からは、鍵をかけた時点で移動の可能性が奪われ、監禁にあたります。では、同じように廊下側から鍵をかけたけれど、内側のつまみを回せばすぐ開く鍵だったら、どうでしょう。外から鍵をかけたという行為は同じでも、移動の可能性は奪われていないので、監禁にはあたりません。規範が問うているのは、本人が試したかどうかではなく、試せば出られるかどうかです。本人が気づいていなくても成立する、という点が直感に反するところです。だからこそ、この対立が実際にどう効いてくるのか、2つの場面で確かめてみましょう。

対立が効いてくる2つの場面

発進した瞬間か、気づいた瞬間か 図:発進した瞬間か、気づいた瞬間か

冒頭の事例に戻ります。Aが「家まで送る」と嘘をついてBを車に乗せ、Bが気づかないまま発進させました。可能的自由説と現実的自由説、それぞれの立場に立つと、いつ監禁罪が成立するか、予測してみてください。身体活動の可能性は、発進した瞬間に奪われていますから、可能的自由説からは発進時点で監禁罪が成立します。現実的自由説からは、Bが嘘に気づいて「移動したい」と思った、その時点で初めて監禁罪が成立します。同じ1つの事例で、成立する時点が数十分、場合によってはそれ以上ズレることもあります。最初からBが「降ろして」と言っているのにAがそのまま車を出した場合は、Bが現実に移動しようとしているのを妨げていますから、どちらの説でも、発進した時点で監禁罪が成立します。争いにはなりません。説が分かれるのは、被害者がまだ気づいていない、あるいは眠っている、という場面だけです。

眠っている間に、外から鍵をかけたら 図:眠っている間に、外から鍵をかけたら

では、もう1つ試してみましょう。Bが熟睡している部屋に、Aが外から鍵をかけました。Bは眠っていて、何も気づいていません。同じ理屈で考えると、可能的自由説と現実的自由説、それぞれいつ成立するでしょうか。さっきと同じ考え方でいいなら、可能的自由説は鍵をかけた時点、現実的自由説はBが目を覚ました時点、です。可能的自由説からは、Bに意思能力があるかどうかに関係なく、鍵をかけた時点で身体活動の可能性が奪われていますから、監禁罪が成立します。現実的自由説からは、Bがそもそも「移動しよう」という意思すら持っていなかった以上、目を覚ますまでは監禁罪が成立しないことになります。

軸は1本、可能的自由説か現実的自由説かだけです。それが2つの場面に、同じように効いてくるだけなのです。冒頭の問いに戻ると、判例の可能的自由説に立つ以上、Bがまだ気づいていなくても、発進した時点で監禁罪は成立しています。

逮捕と監禁の区別、そして監禁の手段

直接つかむか、間接的に閉じ込めるか 図:直接つかむか、間接的に閉じ込めるか

ここからは、220条の中の言葉を1つずつ固めていきます。まず、逮捕と監禁の区別です。逮捕は、人の身体を直接拘束して、身体活動の自由を奪うことをいいます。後ろから羽交い締めにするのが典型です。監禁は、人の身体を間接的に拘束して、身体活動の自由を奪うことをいいます。部屋に鍵をかけて閉じ込めるのが典型です。ここで、もう2つ、見落としやすい要素を押さえておきます。1つは、時間の長さです。逮捕といえるためには、拘束がある程度の時間続いている必要があります。たとえば、すれ違いざまに一瞬だけ肩をつかんで、すぐ手を離した、という場合は、逮捕ではなく暴行にとどまることがあります。

もう1つは、監禁でいう間接的な拘束の程度です。一定の場所から脱出できない状態にすることが必要ですが、脱出が絶対に不可能である必要はありません。たとえば、鍵をかけられた部屋の窓から飛び降りれば、理論上は脱出できるかもしれません。でも、それが命の危険を伴うようなら、現実的には脱出できないのと同じです。判断は、脱出することが著しく困難かどうかで決まります。どちらも同じ220条だから、区別しても、処罰の重さは変わりません。ただ、間接的な拘束でよいという監禁の性質を押さえておかないと、次に見る無形力による監禁を見落としてしまいます。

壁で囲うことだけが、閉じ込めではない 図:壁で囲うことだけが、閉じ込めではない

監禁の手段は、部屋に施錠するような有形力に限られません。無形力でも監禁にあたります。1つは、走行中の乗り物に乗せて、容易に降りられない状態にする場合です。走り出した絶叫マシーンの安全バーを思い浮かべてください。物理的な壁は無くても、自分の意思だけでは途中で降りられません。走行中の乗り物に乗せることも、同じ「閉じ込め」にあたるのです。

四輪でも、二輪でも、同じ理屈 図:四輪でも、二輪でも、同じ理屈

判例でも、この考え方が繰り返し示されています。自動車に人を乗せて走行させ、容易に降りられない状態にした事案でも、原動機付自転車の荷台に相当な距離乗せて走行させた事案でも、いずれも監禁罪の成立が認められています。乗り物の種類が違っても、「走行中は自分の意思だけでは降りられない」という状態を作り出している点は共通しているからです。もう1つは、脅迫等によって、被害者が心理的に脱出を困難な状態に置かれる場合です。裁判例でも、このような心理的な圧迫による監禁が認められています。たとえば、ドアに鍵はかかっていなくても、「動いたら痛い目に遭わせる」と脅され続けていれば、体は自由でも、心理的には出られません。この状態も監禁にあたります。

逮捕に引き続く監禁、そして継続犯という性質

2つの罪ではなく、1つの罪の一場面 図:2つの罪ではなく、1つの罪の一場面

もう1つ、押さえておきたい場面があります。AがBを羽交い締めにして逮捕し、そのまま物置に押し込めて監禁した、という場合です。逮捕もして監禁もしたのだから2つの罪が成立しそうにも見えますが、判例はそう考えません。逮捕に引き続いて監禁した場合、全体として220条の一罪、包括一罪にとどまります。

判例最大判昭和28年6月17日

逮捕に引き続く監禁の一罪性 人を不法に逮捕し引き続き監禁した場合には、刑法第220条第1項の一罪が成立する。

逮捕という直接拘束から監禁という間接拘束へと続いた一連の行為を、逮捕罪・監禁罪という各別の二罪ではなく、包括的に観察して220条の一罪と評価する、という考え方です。

行為が続いている間、ずっと実行行為も続いている 図:行為が続いている間、ずっと実行行為も続いている

逮捕・監禁罪には、もう1つ性質があります。継続犯です。逮捕・監禁行為が続いている間、実行行為もずっと続いていると評価される犯罪類型です。継続犯であることから、2つの帰結が導かれます。1つは、公訴時効の起算点が、逮捕・監禁行為が終了した時点になること。もう1つは、犯罪の途中から関与した者にも、関与した後の行為について、当然に共犯が成立しうることです。継続犯という分類そのものは、犯罪の分類を整理した回で、220条を典型として見ました。今日は、その典型を中身から確かめたことになります。たとえば、Aが部屋にBを監禁した翌日から、Cが事情を知ったうえで、見張りだけを引き受けたとします。監禁が続いている間は実行行為も続いていますから、Cが加わった時点でも、犯罪はまだ終わっていません。だからCにも、見張りを引き受けた後の監禁について、共犯が成立しえます。そして公訴時効は、犯罪行為が終わった時から数え始める決まりです。監禁という犯罪行為は、Bが解放されるまで終わりませんから、時効を数え始めるのも、Bが解放された時点からです。

220条と221条、それぞれの法的性質 図:220条と221条、それぞれの法的性質

ここで、220条と221条、それぞれの法的性質を並べておきます。220条の逮捕罪・監禁罪は、今見た継続犯です。これに対して、これから見る221条は、また別の性質を持っています。基本の行為に、重い結果が加わることで刑が重くなる、という性質です。名前は似ていますが、継続犯と結果的加重犯は、まったく別の切り口の分類だと意識しておいてください。

221条——逮捕監禁致死傷罪

220条の結果的加重犯 図:220条の結果的加重犯

最後に、221条を詳しく見ます。221条は、220条の逮捕・監禁罪を犯して、その結果、人を死傷させた場合の結果的加重犯です。遺棄の罪の219条や、前回の堕胎罪の216条で、法定刑を計算したときのルールを覚えていますか?上限と下限をそれぞれ、傷害の罪と比べて、重いほうを採用する、というルールでした。逮捕・監禁の途中で被害者を負傷させてしまった場合や、拘束の状態が続いたことで被害者が死亡してしまった場合に、この221条があてはまります。実際に計算してみます。220条の法定刑は3か月以上7年以下の拘禁刑です。けがをさせた場合は、傷害罪の1か月以上15年以下と比べます。下限は220条の3か月の方が重く、上限は傷害罪の15年の方が重いので、逮捕監禁致傷罪は3か月以上15年以下の拘禁刑になります。

傷害致死罪は3年以上の有期拘禁刑で、上限は20年です。下限も上限も傷害致死罪の方が重いので、逮捕監禁致死罪は3年以上20年以下の拘禁刑です。なお、死傷の結果は、逮捕・監禁との間に因果関係があることが必要です。たとえば、監禁されていたBが、監禁とは無関係な持病の発作で死亡した場合は、221条ではなく220条にとどまります。監禁行為と死傷結果の間に、原因と結果の関係が必要です。

今日の地図(保存版)

1本の対立軸から、条文の各要素が積み上がった 図:1本の対立軸から、条文の各要素が積み上がった

今日の内容を整理します。逮捕罪・監禁罪は、身体活動の自由を守る罪でした。「自由」の意味をめぐって、判例・通説は可能的自由説に立ち、被害者の認識や意思能力の有無を問わず、可能性が侵害された時点で監禁罪の成立を認めます。その1本の軸から、発進した事例も、熟睡していた事例も、同じ理屈で答えが出ましたね。そのうえで、直接拘束と間接拘束の区別、無形力でもよい監禁、逮捕に引き続く監禁は一罪にとどまること、継続犯という性質を積み上げ、最後に221条で結果的加重犯の計算方式を確認しました。これで、自由に対する罪、第13章の1本目が完成しました。

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#110単独ページ動画

脅迫罪

第13章 個人的法益②|自由に対する罪 ②/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

殴るぞと言われただけで、犯罪は成立するのか

実際には何もされていない 図:実際には何もされていない

前回、逮捕罪・監禁罪を見て、第13章、自由に対する罪の1本目が完成しました。今日はその2本目、脅迫罪です。本題に入る前に、1つ問いを出します。Aが、Bに向かって「殴るぞ」と言いました。Bは怖くなって身構えましたが、Aはそれ以上何もせず、そのまま立ち去りました。それでも、この時点で犯罪は成立しているのでしょうか。それとも、何も実害が起きていない以上、犯罪にはならないのでしょうか。先に答えを言うと、Aが「殴るぞ」と言っただけで実際には何もされていなくても、この時点で、脅迫罪は成立します。実害が無いのに、なぜ成立するのか。その理由は、今日学ぶ罪の性質から出てきます。前回、逮捕罪・監禁罪が守っていたのは、身体活動の自由でした。今日からは、守っている自由の中身が変わります。

体そのものではなく、自分の意思で判断できる状態を守る 図:体そのものではなく、自分の意思で判断できる状態を守る

逮捕罪・監禁罪が守っていたのは、体を動かせるかどうかという身体活動の自由でした。これに対して、今日学ぶ脅迫罪が守るのは、意思決定の自由です。自分の意思で、誰にも脅されずに判断できる状態、そのものを守る罪です。この違いを頭に入れたうえで、まず222条の全文を確認しましょう。

222条——脅迫罪の条文

相手方本人と、その親族 図:相手方本人と、その親族

まず222条の全文を見ておきます。1項が相手方本人に対する加害の告知、2項が相手方の親族に対する加害の告知です。刑の重さは、1項も2項も同じです。

条文刑法222条

刑法222条(脅迫罪) 「生命、身体、自由、名誉又は財産に対し害を加える旨を告知して人を脅迫した者は、二年以下の拘禁刑又は三十万円以下の罰金に処する。」 「親族の生命、身体、自由、名誉又は財産に対し害を加える旨を告知して人を脅迫した者も、前項と同様とする。」

これが222条です。生命、身体、自由、名誉、財産という5つの利益に対して害を加える旨を告げて、人を脅迫すると成立します。生命・身体・自由・名誉・財産という、この5つの中身と、告げる相手の範囲は、後の節で丁寧に見ていきます。まずは、この罪がどういう性質を持つ罪なのかを固めましょう。

保護法益と法的性質——抽象的危険犯

現実に怖がらなくても、成立する 図:現実に怖がらなくても、成立する

脅迫罪が守っている保護法益は、意思決定の自由です。私生活の平穏や安全感を守っていると説明する少数説もありますが、通説はこの意思決定の自由で押さえます。犯罪の分類を整理した回で、侵害犯と危険犯、それに危険犯の中の具体的危険犯と抽象的危険犯を扱いました。どう分かれていたか、思い出せますか?保護法益が現実に侵害されて初めて成立するのが侵害犯、侵害の危険があれば足りるのが危険犯でした。危険犯のうち、危険が現実に生じたことまで条文が求めるのが具体的危険犯、それも求めないのが抽象的危険犯でした。脅迫罪は、このうち抽象的危険犯にあたります。

抽象的危険犯だと、脅迫罪ではどういうことになるんですか。ここが今日いちばん大事なところです。意思決定の自由が現実に侵害されたこと、つまり相手が現実に怖がったことは必要ありません。害を加える旨を告げるという行為があれば、それだけで、意思決定の自由を脅かす危険があるとされ、成立します。たとえるなら、意思決定の自由というのは、自分の判断だけで押せる非常ボタンのようなものです。誰かが「押したら痛い目に遭わせるぞ」と言った瞬間、実際にボタンを押そうとしていなくても、そのボタンはもう脅された状態に置かれています。脅迫罪が問題にしているのは、この「脅された状態に置かれたかどうか」であって、実際に押そうとしたかどうかではありません。ここで冒頭の問いに戻ります。Aが「殴るぞ」と言っただけで、実際には何もしなかった場合です。

「殴るぞ」という言葉が、脅迫の要件を満たす害悪の告知であれば、Bが実際に怖がったかどうかに関係なく、Bに伝わった時点で脅迫罪は成立します。犯罪の型としては、現実の被害の発生を待たずに完成する、という点を押さえておいてください。逆に、Aが「殴るぞ」と書いた手紙を出したのに、宛先を間違えてBに届かなかった場合は、脅迫罪は成立しません。怖がったかどうかは問いませんが、告げた内容を相手が知ることまでは必要だからです。Bが何も知らないままなら、意思決定の自由が脅かされる場面そのものがありません。脅迫罪には未遂を罰する規定も無いので、処罰されずに終わります。

これが、冒頭の問いへの答えです。

「脅迫」の意義——一般人畏怖基準

相手が現実に怖がったかどうかは関係ない 図:相手が現実に怖がったかどうかは関係ない

では、条文にいう「脅迫」とは、具体的にどういう害悪の告知を指すのでしょうか。判例は、一般の人なら怖がるに足りる程度の害悪を告げること、を脅迫としています。これを一般人畏怖基準と呼びます。「一般人」を基準にする、ということは、Bが人一倍気が強くて、全然怖がらなかった場合はどうなるんですか。そこが抽象的危険犯という性質の効き目です。相手方が現実に畏怖したことまでは必要ありません。大審院の古い判例でも、この点は明確にされています。一般人であれば畏怖するであろう程度の害悪であれば、Bが実際には動じなかったとしても、脅迫罪は成立します。

告知の内容、相手方の性別や年齢、周囲の状況などを総合的に考慮して判断します。同じ言葉でも、状況次第で害悪の程度は変わりうる、ということです。

火事が無いのに送られてきた葉書 図:火事が無いのに送られてきた葉書

一般人畏怖基準の当てはめとして、有名な事案があります。Aが、Bの家で火事なんて起きていないと分かっているのに、「出火お見舞い申し上げます」という葉書を、敵対しているBに送りつけたという事案です。火事が起きていないのに、あえてこの言葉を送るのは、これから放火するぞ、という害悪の告知だと読めるからです。最高裁は、この葉書について、脅迫罪の成立を認めています。言葉そのものの表面上の意味ではなく、その状況の中でどう受け取られるかで、害悪の告知にあたるかどうかが決まる、という点がよく分かる事案です。ここまでで、「脅迫」がどのくらいの範囲の告知を指すかは分かりました。次は、告げている中身、告知内容そのものに、どういう限定がかかるかを見ていきます。

告知内容の要件——加害(告知者が支配しうる害悪)

自分でコントロールできる害悪かどうかの違い 図:自分でコントロールできる害悪かどうかの違い

告げる中身にも、限定があります。222条は「害を加える旨を告知して」と書いていますが、この「加害」といえるためには、告知者自身が、その害悪の発生を支配できることが必要です。「殴るぞ」「火をつけるぞ」という告知は、Aが自分の手で実現できる害悪ですから、加害にあたります。これに対して、「天罰が下るぞ」というような、告知者自身にはどうにもできない害悪を告げても、脅迫にはあたりません。意思決定の自由が脅かされる危険が生じるのは、相手が「この人は本当にこの害を実現しにくるかもしれない」と受け止めるからです。告知者自身にコントロールできない天災や天罰は、告知者の意思ひとつでどうこうできるものではありませんから、相手の意思決定を脅かす力を持たないのです。もう1つ、この害悪は将来のものでなければなりません。「今度、お前の自転車を壊すぞ」は将来の害悪の告知です。これに対して、「先週、お前の自転車を壊したのは俺だ」とだけ告げても、既に起きてしまった過去の害悪を告げるだけで、これから何かをするという危険が無いので、脅迫にはあたりません。

適法行為の告知は「脅迫」にあたるか

万引き犯に「性交に応じなければ告訴する」と告げた 図:万引き犯に「性交に応じなければ告訴する」と告げた

ここで、少し難しい場面を考えます。Bが万引きをしたのをAが知っていて、Aが、Bに対して「性交に応じなければ告訴する」と告げた場合です。告訴という行為自体は、適法な権利の行使ですよね。ここに、適法行為の告知が「脅迫」にあたるか、という論点が出てきます。判例・通説は、あたるとする肯定説、有力説は、あたらないとする否定説です。肯定説、つまり判例・通説は、適法行為の告知であっても脅迫にあたるとします。告訴するという行為自体は適法でも、それを条件に相手に何かを強いるような形で告げれば、相手の意思決定の自由を脅かす危険は、十分に生じるからです。大審院の判例も、この立場に立っています。

否定説、つまり有力説は、脅迫にあたらないとします。実行しても処罰されない適法な行為の告知までが処罰の対象になるのは、均衡を失する、という理由づけです。告訴という、それ自体は誰でもしてよい行為を告げただけで処罰するのは行き過ぎだ、という考え方です。

権利行使としての正当性で、もう一段階しぼる 図:権利行使としての正当性で、もう一段階しぼる

判例・通説の肯定説に立った場合、もう1つ押さえておくべき場面があります。権利行使として正当だといえる範囲内であれば、構成要件には該当しても、正当行為として違法性が阻却され、結局は不成立になる、という場面です。たとえば、正当な代金の支払いを求めて、「払わなければ法的手段に訴える」と告げるだけなら、社会通念上相当な権利行使の範囲内として、正当行為で不成立になりえます。これに対して、さきほどの万引きと引き換えに性的な行為を要求する場合は、告訴という手段と要求している内容との間に釣り合いが無く、正当な権利行使とはいえません。ですから、構成要件に該当したうえで、違法性阻却も認められず、脅迫罪が成立します。

構成要件の話と、違法性阻却の話、2段階で考えるんです。1段階目は、適法行為の告知でも脅迫罪の構成要件に該当するか。2段階目は、該当したとしても、権利行使として正当だから違法性が阻却されないか。この2段構えは、論文でも問題になりうる場面ですから、意識しておいてください。否定説が心配していた、処罰が行き過ぎるという点は、どうなるんですか。そこを受け止めているのが、この2段目です。正当な権利の行使は2段目で外れますから、処罰が行き過ぎることはありません。そのうえで、告訴を取引の材料にして、関係の無いことを相手に迫るような告知は、1段目で捕まえられます。ですから、肯定説に立っても、否定説が心配するような処罰の行き過ぎは起きない、と説明できるわけです。

加害の対象——制限列挙

本人・親族と、それ以外との違い 図:本人・親族と、それ以外との違い

加害を告げる対象、つまり「誰に対する害悪を告げれば脅迫になるか」にも、限定があります。222条は、相手方本人の生命、身体、自由、名誉、財産(1項)と、相手方の親族の同じ5つの利益(2項)に限っています。罪刑法定主義の見地から、この2つに制限列挙されていると理解されています。ですから、恋人や友人、内縁の配偶者への加害を告げても、222条の脅迫にはあたりません。恋人や内縁の配偶者は、法律上の親族にはあたらないので、対象外になります。感覚としては、恋人や内縁の配偶者への加害を告げられれば、本人も十分に怖いはずですが、条文が「親族」という言葉で対象を区切っている以上、そこに含まれない関係は対象外になります。これは、条文の文言に忠実に線を引く、という罪刑法定主義の要請から来ています。

客体「人」に法人を含むか

意思決定の自由を持つのは自然人だけか 図:意思決定の自由を持つのは自然人だけか

もう1つ、論点があります。222条の「人」に、会社のような法人が含まれるか、という問題です。通説は、含まれないとする否定説です。意思決定の自由を享受できるのは自然人に限られる、という理由づけです。法人そのものが心理的に畏怖する、ということは観念できません。少数説の肯定説は、含まれるとします。法人も、代表者のような機関を媒介として意思決定をなしうるので、含まれる、という理由づけです。ただ、今日のところは、通説の否定説、法人は含まれない、という結論で押さえておいてください。

告知の方法と故意

文書でも、口頭でも、態度でもよい 図:文書でも、口頭でも、態度でもよい

告げる方法にも、制限はありません。文書でも、口頭でも、態度によるものでもかまいません。たとえば、何も言わずに、ポケットからナイフを取り出して、相手に見せつけるような場合です。暴行罪の回で、脅す目的で日本刀の抜き身を振り回した行為は、それ自体が暴行にあたるとされたのを見ました。ここでは、振り回したり、体に触れたりはしていないので、暴行ではありません。それでも、ナイフを見せつけるという態度そのものが、これから害を加えるぞ、という告知になっています。最後に、脅迫罪の故意です。告知する内容についての認識と、相手方がそれを認識するであろうことの予見があれば、それで足ります。告げた害悪を、実際に実現しようという意思までは要りません。

「殴るぞ」と告げて、相手を怖がらせるつもりで言っただけで、実際に殴る気が無くても、脅迫罪の故意は認められます。ここでも、現実に何かを実現する意思ではなく、告げるという行為そのものに焦点があたっている点が、抽象的危険犯という性質と一貫しています。

今日の地図(保存版)

抽象的危険犯という1本の軸から、要件が積み上がった 図:抽象的危険犯という1本の軸から、要件が積み上がった

今日の内容を整理します。脅迫罪が守るのは意思決定の自由で、抽象的危険犯という性質を持つため、相手が現実に畏怖したことは要りません。だから、冒頭の「殴るぞ」と言っただけの事例でも、Bが実際には怖がらなかったとしても、Bに伝わった時点で成立するんですね。この1本の軸から、一般人畏怖基準という「脅迫」の意義、加害という告知内容の限定、適法行為の告知の論点、本人・親族に限られる対象の制限列挙、法人を含まないという客体の限定と、順番に要件が積み上がっていきました。これで、脅迫罪の骨格が固まりました。

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#111単独ページ動画

強要罪

第13章 個人的法益②|自由に対する罪 ③/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

実際に土下座までさせられたら

実際に、土下座までさせられた 図:実際に、土下座までさせられた

前回、脅迫罪の骨格が固まりました。意思決定の自由を守る罪で、相手が現実に怖がらなくても、害を加える旨が伝わった時点で成立する、抽象的危険犯でした。今日は、まずその3段階を整理してから、もう1つの罪、強要罪に進みます。先に1つ、問いを出しておきます。Aが、Bに向かって「殴るぞ」と言って脅し、実際にBに土下座までさせたとします。これは、前回学んだ脅迫罪だけで説明がつくでしょうか。脅迫罪は、怖がらせた時点で成立するんでした。だったら、土下座までさせなくても、もう脅迫罪は成立しているはずです。ですが、Bは実際に土下座までさせられています。この「実際にさせられた」という部分は、脅迫罪の説明の中には出てきません。今日学ぶ強要罪は、まさにこの部分を扱う罪です。先に答えの形だけ言っておくと、強要罪は、脅した結果、相手が実際に何かをさせられて初めて成立する罪です。

「脅迫」という言葉の3つの広さ

同じ2文字でも、罪によって広さが違う 図:同じ2文字でも、罪によって広さが違う

まず、「脅迫」という言葉の広さを整理します。実は、刑法の中で「脅迫」という言葉は、条文によって指している範囲が違います。暴行という言葉が、罪によって広さを変えていたのと同じ発想です。ただし、段の数は違います。脅迫のほうは3段階です。いちばん広いのが広義の脅迫で、誰に害を加えると告げるか、どんな害かを問いません。公務執行妨害罪や騒乱罪の脅迫がこれにあたります。暴行の回では、騒乱罪は最広義、公務執行妨害罪は広義と、別の段に置きました。暴行は、人に向いているかどうかで段が分かれたからです。脅迫は、相手に告げるものなので、いつも人に向いています。だから、その分け目が無く、2つの罪が同じ広義にまとまります。次が狭義の脅迫で、相手方本人か、その親族の生命・身体・自由・名誉・財産に対する加害の告知に限られます。これが、前回学んだ脅迫罪の「脅迫」、そして今日学ぶ強要罪の「脅迫」です。

そしていちばん狭いのが最狭義の脅迫で、相手の反抗を抑圧する程度の脅迫に限られます。強盗罪の脅迫がこれにあたります。暴行の回と同じ理屈です。暴行の広さは、その条文が何を守っているかで決まりました。脅迫も同じです。公務執行妨害罪が守るのは、公務員が仕事を円滑に進めることです。ですから、警察官に「逮捕したら、通りすがりのあの人を殴るぞ」と告げるような、本人とも親族とも関係の無い人への加害の告知でも、仕事を妨げるに足りる脅しであれば足ります。実際に仕事が止まったかどうかは問いません。脅迫罪と強要罪が守るのは、その人自身の意思決定の自由で、条文も本人か親族の、生命・身体・自由・名誉・財産に絞っています。反対に強盗罪は、法定刑がずっと重い罪です。重く罰する以上、ただ怖がらせるだけでは足りず、夜道で刃物を突きつけて「お金をよこせ」と迫るような、相手が抵抗できなくなるほどの脅迫が要ります。守るものが公務なら広く、重く罰する犯罪なら狭く、というわけです。今日はこの3段階のうち、真ん中の狭義の脅迫を使う罪、強要罪に入ります。

223条——強要罪の条文

脅迫または暴行で、義務のないことをさせる 図:脅迫または暴行で、義務のないことをさせる

では、223条の全文を確認しましょう。

条文刑法223条

刑法223条(強要罪) 「生命、身体、自由、名誉若しくは財産に対し害を加える旨を告知して脅迫し、又は暴行を用いて、人に義務のないことを行わせ、又は権利の行使を妨害した者は、三年以下の拘禁刑に処する。」 「親族の生命、身体、自由、名誉又は財産に対し害を加える旨を告知して脅迫し、人に義務のないことを行わせ、又は権利の行使を妨害した者も、前項と同様とする。」 「前二項の罪の未遂は、罰する。」

1項が相手方本人への加害の告知、2項が親族への加害の告知、3項が未遂処罰の規定です。まず手段に注目してください。脅迫だけでなく、暴行も含まれています。そしてもう1つ、条文の後半にも注目してください。「義務のないことを行わせ」「権利の行使を妨害した」という結果が、条文の中に書き込まれています。脅迫罪には無かった部分です。

保護法益——意思決定の自由

守っているものは、脅迫罪と同じ 図:守っているものは、脅迫罪と同じ

強要罪が守っている保護法益は、脅迫罪と同じ、意思決定の自由です。ここは、脅迫罪のときと違って、学説上の争いはほとんどありません。同じ意思決定の自由を、どういう形で守るか、その守り方が脅迫罪と強要罪で違います。ここからが今日の本題です。

法的性質——侵害犯

現実に法益が侵害されないと、成立しない 図:現実に法益が侵害されないと、成立しない

ここで、前回の復習を1つ挟みます。脅迫罪は、相手が現実に怖がらなくても成立する犯罪でした。これは、犯罪のどういう性質だったか、覚えていますか?抽象的危険犯です。意思決定の自由が現実に侵害されたことまでは要らなくて、危険があれば足りる、という性質でした。ここが、強要罪との決定的な違いです。強要罪は、侵害犯です。強要罪が既遂になるためには、意思決定の自由という法益が、現実に侵害された結果、つまり「義務のないことを実際に行わせた」、または「権利の行使を実際に妨害した」という結果まで発生していることが必要です。脅迫罪は、害を加える旨を告げて相手に伝わった時点で、もう成立していました。強要罪は、それだけでは足りません。

土下座の場面に入る前に、1つたとえ話をします。ドミノ倒しを思い浮かべてください。1枚目のドミノを指で倒す動作、これが脅迫や暴行にあたります。脅迫罪は、この1枚目を倒した時点で、もう成立する罪です。1枚目が倒れれば、あとは連鎖して最後まで倒れていくだろう、という危険があれば十分だからです。これに対して強要罪は、最後の1枚まで実際に倒れきるのを見届けないと成立しない罪です。1枚目を倒しても、途中で連鎖が止まってしまえば、強要罪はまだ成立していません。ここで1つ、自分で考えてみてください。Aが「殴るぞ」と言ってBを脅しただけで、Bがまだ土下座していない段階では、強要罪は成立しているでしょうか。

ドミノでいえば、1枚目を倒しただけで、最後まで倒れきっていない状態です。この場合は、強要罪の未遂にとどまります。既遂になるかどうかの分かれ目は、ドミノが最後まで倒れきったかどうか、つまり結果が実際に発生したかどうかです。

行為——脅迫または暴行

脅迫は前回のまま、暴行は身体に触れなくてもよい 図:脅迫は前回のまま、暴行は身体に触れなくてもよい

では、ドミノでいう「1枚目を倒す動作」、つまり強要罪の実行行為を見ていきます。1つは脅迫です。ここでの脅迫は、前回学んだ脅迫罪の脅迫と同じ内容、狭義の脅迫です。相手方本人か親族の生命・身体・自由・名誉・財産に対する加害の告知に限られます。もう1つの実行行為が暴行です。ここでの暴行は、広義の暴行です。人に対するものであれば足り、身体に対するものである必要はない、という定義でした。人に対するものであれば足りるという広さは、公務執行妨害罪と強要罪で共通していました。なぜ、身体に触れていなくても意思決定の自由が害されうるかというと、相手が現実に恐怖や困惑を感じて、判断がゆがめられるのに、直接体に触れる必要は無いからです。たとえば、Bの目の前で、Bが大事にしている物を叩き壊す行為でも、意思決定の自由を脅かす力を持ちえます。

結果——義務のないことを行わせた/権利の行使を妨害した

「させた」か「妨げた」かの、どちらかが現実に起きている 図:「させた」か「妨げた」かの、どちらかが現実に起きている

次は、結果です。強要罪が既遂になるには、「義務のないことを行わせた」こと、または「権利の行使を妨害した」ことのどちらかが、現実に発生していなければなりません。まず、「義務のないことを行わせた」の具体例です。使用人に、水の入ったバケツを何時間も頭の上に持たせ続けた事案で、強要罪の成立が認められています。バケツを頭上に掲げ続ける義務など、そもそもありませんから、これは義務のないことを行わせたにあたります。暴行罪ではなく強要罪で捉えるのは、罰しているものが違うからです。暴行罪は、体に力を加えたこと自体を罰する罪です。この事案で問題になっているのは、脅しや力を使って、何時間もバケツを持たせ続けた、つまり義務のないことを現実にさせたという結果のほうです。その結果まで起きているので、強要罪の枠組みで捉えられます。もう1つの例が、理由もないのに謝罪文を書かせた事案です。謝る義務が無いのに書かせているので、これも義務のないことを行わせたにあたります。

次に、「権利の行使を妨害した」の具体例です。告訴するという正当な権利を持っていた人に、その告訴を中止させた事案で、強要罪の成立が認められています。告訴は、被害者に認められた適法な権利ですから、それを行使させないようにする行為は、権利の行使の妨害にあたります。前回見たのは、告訴のように、それ自体は適法な行為でも、「告訴するぞ」と告げて何かを要求すれば脅迫にあたる、という話でした。つまり、脅す手段の側の話です。今日のこの場面は、その脅迫や暴行によって、実際に告訴という権利の行使が妨げられた、という結果の側の話です。もう1つの例が、競技大会への出場を、脅されてやめさせられた事案です。大会に出場する権利を、現実に行使できなくなっているので、権利の行使の妨害にあたります。

因果関係——現実の畏怖とその結果としての行為

脅されて怖がったから、その行為に出た、という流れが必要 図:脅されて怖がったから、その行為に出た、という流れが必要

次は、因果関係です。強要罪が既遂になるには、脅迫や暴行によって、相手方が現実に畏怖し、その畏怖の結果として、義務のない行為をした、または権利の行使を妨害された、という流れが必要です。先ほどのドミノでいえば、1枚目を倒した力が、途中で途切れずに最後の1枚まで伝わっている必要があります。たとえば、Aが「謝罪文を書け。書かないと殴るぞ」とBを脅したのに、Bは全く怖がらず、むしろAを気の毒に思って、謝罪文を書いてあげたとします。この場合は、強要罪は未遂にとどまります。謝罪文は書かれていますが、それはAの脅迫が怖くて書いたのではなく、Bの同情心から出た行動です。脅迫という行為はありますが、それが現実の畏怖を通じて結果につながっていない以上、ドミノの連鎖が途中で切れているのと同じだからです。義務のない行為をさせたという外形が同じでも、その行為に至った原因が脅迫による畏怖でなければ、強要罪の既遂は認められません。ここは、論文でも因果関係の論点として問われうる場面です。今日は、この2段階の因果関係が必要だ、という点だけ押さえておいてください。

未遂罪——223条3項

脅迫罪には無い、未遂処罰の規定 図:脅迫罪には無い、未遂処罰の規定

最後に、未遂罪です。223条3項は、1項・2項の罪の未遂を罰すると定めています。前回、Aが「殴るぞ」と書いた手紙を出したのに、宛先を間違えてBに届かなかった場合は、脅迫罪は成立しない、という話をしました。脅迫罪には未遂処罰規定が無いので、未完成のまま終わったら、それだけで不処罰です。ところが強要罪は違います。侵害犯である以上、結果が発生しなければ既遂にはなりませんが、その代わり、未遂処罰の規定があるので、結果が発生しなくても、脅迫や暴行という実行行為に着手していれば、未遂罪として処罰されます。侵害犯である強要罪は、脅してから結果が出るまでの間に、途中で止まる段階がありえます。3項は、その止まった段階も処罰の対象にしています。

脅迫罪との関係

手段の脅迫は、強要罪の中で評価し尽くされる 図:手段の脅迫は、強要罪の中で評価し尽くされる

ここで、冒頭の問いに戻ります。Aが「殴るぞ」と言って脅し、実際にBに土下座までさせた場合、脅迫罪だけで説明がつくかという問いでした。脅迫という行為も、義務のないことを行わせたという結果も、両方そろっていますから、強要罪が成立します。では、その手段として使った脅迫について、脅迫罪も別に成立するのでしょうか。確かに、脅迫罪の要件も満たしてはいます。それでも、手段として使った脅迫は、強要罪の中で評価し尽くされるので、脅迫罪は別に成立しません。強要罪だけが成立する、という結論になります。強要罪という、より重い評価の中に、脅迫の悪質性もすでに織り込まれていると考えるからです。これが、冒頭の問いへの答えです。

今日の地図(保存版)

1枚目で足りる罪と、最後まで倒れきって足りる罪 図:1枚目で足りる罪と、最後まで倒れきって足りる罪

今日の内容を整理します。脅迫罪は抽象的危険犯で、脅迫という行為だけで成立し、未遂処罰の規定はありません。強要罪は侵害犯で、脅迫または暴行という行為に加えて、義務のないことを行わせた、または権利の行使を妨害したという結果、そしてその結果が現実の畏怖から生じたという因果関係まで必要です。そのかわり、未遂処罰の規定があります。ドミノでいうと、脅迫罪は1枚目を倒せば成立、強要罪は最後まで倒れきって初めて成立、ということでしたね。この対比の軸1本から、今日学んだ要件のほとんどが説明できます。これで、前後編を通して、意思決定の自由を守る2つの罪、脅迫罪と強要罪が固まりました。

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#112単独ページ動画

未成年者略取誘拐罪と営利目的等略取誘拐罪

第13章 個人的法益②|自由に対する罪 ④/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

実の父親が子を連れ去ったら

実の父親が、無理やり連れ去ったら 図:実の父親が、無理やり連れ去ったら

前回で、意思決定の自由を守る2つの罪、脅迫罪と強要罪が固まりました。今日からは、場所的な移動と、保護される関係を守る罪、略取・誘拐の罪に進みます。身の代金目的の事件は、この分野のごく一部です。まず先に、身近な場面を1つ考えてみましょう。離婚係争中の父親と母親がいて、子どもは母親のもとで暮らしているとします。ある日、父親が、無理やりその子を連れ去ったとします。これは、略取誘拐罪になるでしょうか。先に答えを言っておきます。実の父親でも、略取の罪の入り口には当たりえます。鍵は、224条が守っているものが、1つではなく2つある、という点です。なぜそうなるのかを、今日の内容を一通り見たあとで、この場面に戻って確かめます。

略取と誘拐——2つの手段

暴行・脅迫で連れて行くか、だまして連れて行くか 図:暴行・脅迫で連れて行くか、だまして連れて行くか

略取・誘拐の罪は、条文の中で「略取」と「誘拐」という2つの言葉が出てきます。まず、この2つの区別を押さえておきます。略取は、暴行または脅迫を手段として、誘拐は、欺罔または誘惑を手段として、人を、それまでの生活環境から離脱させ、自分または第三者の事実的な支配下に置く行為です。事実的な支配下に置くとは、法律上の権利とは関係なく、現実に、自分の思いどおりにできる状態に置くことです。力ずくで連れて行けば略取、だまして連れて行けば誘拐です。たとえば、腕をつかんで無理やり車に押し込めば略取、「お菓子を買ってあげる」とうそをついてついてこさせれば誘拐にあたります。この2つを合わせて、「拐取」と呼びます。今日学ぶ224条・225条は、どちらも略取と誘拐の両方を処罰の対象にしています。以前学んだ監禁罪との違いも、ここで確認しておきます。監禁罪が見ているのは、一定の場所から出られなくすることでした。子どもを、その子の自宅の部屋に鍵をかけて閉じ込めるだけなら、監禁罪の問題にとどまります。拐取の罪が見ているのは、それまでの生活の場から引き離して、自分の支配下に置くことです。その子を車に乗せて自分の家へ連れて行けば、こちらの問題になります。車の中で出られなくしていれば、監禁罪にもあたりえます。

224条——未成年者略取誘拐罪の条文

客体は、18歳未満の未成年者 図:客体は、18歳未満の未成年者

では、224条の全文を確認しましょう。

条文刑法224条

刑法224条(未成年者略取及び誘拐) 「未成年者を略取し、又は誘拐した者は、三月以上七年以下の拘禁刑に処する。」

客体は「未成年者」です。未成年者かどうかは、現行の民法4条によって決まります。成年年齢は18歳ですから、224条の未成年者も18歳未満の者を指します。2022年4月に改正民法が施行されて、成年年齢が20歳から18歳に引き下げられました。それにともなって、224条の「未成年者」が指す範囲も、18歳未満に変わっています。試験でも、この現行の基準で押さえておいてください。たとえば、17歳の高校生を連れ去れば224条の客体ですが、18歳の誕生日を過ぎた高校3年生は、同じ高校生でも、もう224条の客体ではありません。

保護法益は2つある

自由と、監護権の、2階建て 図:自由と、監護権の、2階建て

ここが、今日いちばん大事なところです。224条が守っているものは、1つではありません。保護法益は2つあります。1つは、被拐取者本人の自由です。連れ去られた本人にとって、それまでの生活環境から引き離されること自体が、自由の侵害です。もう1つは、親権者など、その未成年者を監護している人の監護権です。監護権とは、子どもを手元に置いて世話をし、守り育てる権利のことです。たとえ話で考えてみます。子どもは、親権者という管理人がいる、家の中で暮らしているようなものだと思ってください。誰かがその子を家の外に連れ出して、自分の手のうちに置いてしまうと、2つのことが同時に起きます。1つは、子ども自身が、自分の生活の場を奪われること。これが自由の侵害です。もう1つは、管理人である親権者が、自分の管理下から子どもが消えるという事態です。これが監護権の侵害です。この2つは、別々のダメージなので、片方だけを消しても、罪は消えません。なぜ、監護権まで守る必要があるのか。生まれたばかりの赤ちゃんを考えてみてください。赤ちゃんは、自分でどこかへ行こうという自由を、まだほとんど使えません。守るものが本人の自由だけだとすると、眠っている赤ちゃんを抱えて連れ去っても、何が侵害されたのかが説明しにくくなります。監護権も守っているからこそ、自分では動けない幼い子どもも、この罪の客体になるのです。

未成年者本人が同意していても

本人の同意だけでは、管理人の管理は消せない 図:本人の同意だけでは、管理人の管理は消せない

この「2つある」ということの、いちばん直接の帰結が、これです。未成年者本人が、ついて行くことに同意していたとしても、224条は成立しえます。たとえば、15歳の中学生が、SNSで知り合った大人に「うちに来ない?」と誘われ、自分から「行く」と言って、親に黙ってその大人の家へついて行った場面です。本人の同意は、自由の侵害のほうは確かに消します。ですが、監護権の侵害のほうは、本人の同意では消えません。監護権は、親権者のものだからです。以前、被害者の承諾を見たときに、承諾とは、法益を持つ本人が、自分の法益を手放すことだと確認しましたね。自由は本人の法益なので本人が手放せますが、監護権は本人の法益ではないので、本人には手放せません。管理人に無断で、子ども自身が「ついて行っていいよ」と言っても、管理人の管理を、子ども本人が勝手に打ち切ることはできません。ですから、未成年者本人が同意していても、親権者に無断で連れて行けば、224条は成立します。境界線をもう1つ確認しておきます。逆に、親が了承したうえで、本人も喜んで、親戚の家に泊まりに連れて行く場合は、自由の侵害も監護権の侵害も、どちらも起きていませんから、224条は成立しません。

別居中の親による連れ去り——最高裁の判断

親権者の1人であることは、入り口の話ではない 図:親権者の1人であることは、入り口の話ではない

ここまでの帰結が、さらに一歩進んだ場面が、判例で問題になっています。共同親権者の1人である父親が、もう1人の共同親権者である母親のもとで暮らしていた子どもを、無理やり連れ去った事案です。最高裁の判断は、2つの段階に分かれます。1つ目は、構成要件に当たるか。2つ目は、親権者であることで、違法性が阻却されるか、です。犯罪かどうかは、まず条文の型に当てはまるかを見て、当てはまれば原則として違法、特別な事情があるときだけ例外的に違法性が阻却される、という順番で判断するのでしたね。224条の条文は、誰が連れ去ったかを限定していません。ですから、親権者であることは、1つ目の型の段階では効かず、2つ目の例外の段階で初めて問題になります。

判例最高裁第二小法廷決定・刑集59巻10号1901頁

別居中の共同親権者による子の連れ去り 「保護されている環境から引き離して自分の事実的支配下に置いたのであるから、その行為が未成年者略取罪の構成要件に該当することは明らかであり、被告人が親権者の1人であることは、その行為の違法性が例外的に阻却されるかどうかの判断において考慮されるべき事情であると解される。」

判決文が構成要件に当たる理由として挙げているのは、平穏に暮らしていた子どもを、有形力を用いて連れ去り、保護されている環境から引き離して、自分の事実的支配下に置いた、という点です。これを、先ほどのたとえ話で読み解いてみます。この事案では、子どもは、もう1人の管理人である母親のもとで、平穏に暮らしていました。父親が、その保護されている環境から子どもを引き離して、自分の支配下に置いた以上、母親という、もう1人の管理人の管理は破られています。自分自身も、管理人の1人であることは、この「連れ出したかどうか」という入り口の場面では効いてきません。

親権者でも、違法性は阻却されなかった 図:親権者でも、違法性は阻却されなかった

構成要件に該当したあとの、違法性が阻却されるかどうかという、別の段階です。最高裁は、この事案で、監護養育のうえでその行動が現に必要だったといえるような特段の事情は無く、連れ去りの態様も粗暴で強引であり、子どもはまだ2歳の幼児で、連れ去ったあとの監護についても確かな見通しが無かった、という事情から、違法性は阻却されないと判断しました。親権者であることは、違法性が「例外的に」阻却されるかどうかを考える材料にすぎません。ここで、冒頭の問いに戻ります。離婚係争中の父親が、母親のもとで暮らしていた子どもを無理やり連れ去った場合、どうなるでしょうか。

母親という管理人のもとから、子どもを引き離して自分の支配下に置いているので、構成要件には該当する。父親も親権者だという事情は、違法性が例外的に阻却されるかどうかの判断で考慮されるだけ、ということです。無理やり連れ去ったという事情そのものからは、監護上の必要性のような特段の事情がうかがえない限り、違法性が阻却されることは考えにくく、未成年者略取罪が成立しうる場面になります。ただし、この決定が判断したのは、特段の事情が無く、連れ去りの態様も粗暴だった事案についてです。たとえば、母親のもとで子どもが暴力を受けていて、父親が守るために連れ出したような場面は、監護養育のうえで現に必要だったといえるかという、特段の事情の問題として、別に検討されることになります。

225条——営利目的等略取誘拐罪の条文

客体は「人」——未成年者にも成年者にも及ぶ 図:客体は「人」——未成年者にも成年者にも及ぶ

次は225条です。全文を確認しましょう。

条文刑法225条

刑法225条(営利目的等略取及び誘拐) 「営利、わいせつ、結婚又は生命若しくは身体に対する加害の目的で、人を略取し、又は誘拐した者は、一年以上十年以下の拘禁刑に処する。」

225条の客体は「人」ですから、未成年者だけでなく、成年者も含みます。もう1つの違いが、条文の冒頭にある「営利、わいせつ、結婚又は生命若しくは身体に対する加害の目的で」という部分です。

225条の保護法益と目的犯

目的が無ければ、225条は成立しない 図:目的が無ければ、225条は成立しない

225条の客体が未成年者である場合、保護法益は224条と同じで、被拐取者の自由と、親権者等の監護権の2つです。客体が成年者である場合は、監護権という発想がそもそも成り立ちませんから、自由だけが保護法益になります。225条は、故意のほかに、一定の目的を持っていることが要件になる、目的犯です。この目的が無ければ、225条は成立しません。条文に並んでいる目的は4つです。営利の目的は、自分が財産上の利益を得る、または第三者に得させる目的です。わいせつの目的は、被拐取者を、性的な行為の相手にする目的です。試験で特に重要なのが、この2つです。残る2つは、結婚の目的、被拐取者と婚姻関係を結ぶ目的と、生命または身体に対する加害の目的、被拐取者の生命・身体を害する目的です。たとえば、自分の店でただ働きさせて儲けるために、20歳の女性をだまして連れて行けば、営利の目的による誘拐として225条にあたります。同じ20歳の女性を、特にこうした目的も無く連れ回しただけなら、客体が成年者なので224条にもあたらず、今日の2つの条文の外になります。相手が16歳なら、目的が無くても224条は成立します。この4つの目的のどれかがあるかどうかが、225条の分かれ目です。

224条と225条の関係

目的があれば、225条の一罪だけが成立する 図:目的があれば、225条の一罪だけが成立する

よいところに気づきました。未成年者を、225条に定める目的で拐取した場合、224条と225条を別々の罪として重ねて成立させるのではなく、225条の営利目的等略取・誘拐罪の一罪だけが成立します。理由は、先ほど見たとおり、未成年者が客体のとき、225条はもともと自由と監護権の2つを守っているからです。224条が守るものは、重い225条の中ですでに全部評価されているので、224条を別に数えると、同じ侵害を二重に罰することになります。

未遂罪・親告罪の一言

224条だけが、親告罪 図:224条だけが、親告罪

最後に2点、一言だけ触れておきます。224条・225条とも、未遂罪を罰する規定があります。もう1つ、224条の罪は親告罪です。被害者側の告訴が無ければ起訴できません。これに対して、225条は親告罪ではありません。

今日の地図(保存版)

224条に、目的が1つ加わると225条になる 図:224条に、目的が1つ加わると225条になる

今日の内容を整理します。224条は、未成年者を客体とし、被拐取者の自由と、親権者等の監護権という2つの保護法益を持つ罪でした。この「2つある」という1点から、未成年者本人の同意だけでは足りないこと、親権者自身の行為でも構成要件に該当しうることの両方が導かれました。225条は、客体が人一般に広がり、営利・わいせつ・結婚・生命身体加害という4つの目的を要件とする、目的犯でした。224条に、一定の目的が加わって、客体も広がったものが225条、というイメージですね。この対比の軸1本から、今日学んだ要件のほとんどが説明できます。

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#113単独ページ動画

身の代金目的略取誘拐罪と解放減軽

第13章 個人的法益②|自由に対する罪 ⑤/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

銀行の社長が連れ去られたら

家族じゃない人も、安否を憂慮する者にあたるか 図:家族じゃない人も、安否を憂慮する者にあたるか

前回で、未成年者略取誘拐罪と営利目的等略取誘拐罪を見ました。今日は、その延長線上にある、身の代金目的略取誘拐罪に進みます。先に、1つ問いを立てておきます。ある銀行の社長が連れ去られて、犯人が、社長の家族ではなく、銀行の幹部に身の代金を要求したとします。家族ではない銀行の幹部は、法律が守っている「安否を憂慮する者」にあたるでしょうか。もう1つ、問いを立てておきます。犯人が、身の代金を受け取る前に、怖くなって被害者を解放したとします。この場合、罪は軽くなるのでしょうか、それとも、消えてしまうのでしょうか。

冒頭に立てたこの2つの問いの答えを、今日の内容の中で確かめていきます。鍵になるのは、たった1つの事情です。身の代金目的の拐取は、被害者の命が、他の類型よりも特に危ない、ということです。この1点から、今日出てくる条文のほとんどが説明できます。本題に入る前に、前回のおさらいをさせてください。224条は、未成年者ならどんな目的でも成立するんでしたよね。その224条に、営利やわいせつなどの目的が1つ加わると、何条になるんでしたっけ?225条でした。今日は、その225条に、身の代金目的という特別な目的がもう1つ加わったとき、何が起きるかを見ていきます。

225条の2第1項——身の代金目的略取誘拐罪

225条に、身の代金目的が加わると225条の2 図:225条に、身の代金目的が加わると225条の2

まず、225条の2第1項の全文を確認します。

条文刑法225条の2第1項

刑法225条の2(身の代金目的略取等) 「近親者その他略取され又は誘拐された者の安否を憂慮する者の憂慮に乗じてその財物を交付させる目的で、人を略取し、又は誘拐した者は、無期又は三年以上の拘禁刑に処する。」

これが、いわゆる身の代金目的です。近親者など、被拐取者の安否を心配する人の、その心配する気持ちにつけこんで、財物を交付させる目的、という意味です。225条と同じ目的犯ですが、目的の中身が身の代金になると、法定刑がぐっと重くなります。225条は1年以上10年以下でしたが、225条の2は無期又は3年以上です。上限が無期に達する重さで、224条・225条よりも重い、この分野で最も重い罪になります。なぜ、ここまで重くなるんですか。そこが、今日いちばん大事なところです。身の代金目的の拐取は、犯人が被害者を長時間手元に置き続けます。被害者は、犯人の顔や居場所を知っている人でもありますから、生きて帰せば、そこから正体が割れるおそれがあります。そのため、被害者を消してしまうという最悪の結果に傾きやすい。解放減軽のところで見る最高裁の決定も、身の代金目的の誘拐は、被害者が殺される事例も少なくない、と述べています。だからこそ、被害者の命がとりわけ危ない類型として、法定刑も特に重く、そして、今日見ていく特別なルールがいくつも用意されているのです。客体は、224条と違って「人」ですから、未成年者・成年者を問いません。

「安否を憂慮する者」の範囲——最高裁の判断

親族に限らない、特別な関係にある者 図:親族に限らない、特別な関係にある者

冒頭の問いに戻ります。「安否を憂慮する者」の範囲が、まさに最高裁で問題になった事案があります。

判例最高裁第二小法廷決定

「安否を憂慮する者」の範囲 「刑法二二五条の二にいう「近親其他被拐取者の安否を憂慮する者」には、単なる同情から被拐取者の安否を気づかうにすぎないとみられる第三者は含まれないが、被拐取者の近親でなくとも、被拐取者の安否を親身になつて憂慮するのが社会通念上当然とみられる特別な関係にある者はこれに含まれるものと解するのが相当である。」

まず除かれるのは、単なる同情から心配しているだけの第三者です。近所の人がニュースを見て心配する、というだけでは足りません。含まれるのは、近親者でなくても、安否を親身になって憂慮するのが社会通念上当然と見られる、特別な関係にある者です。この事案は、まさに、A銀行の代表取締役社長が拐取された場合における、同銀行の幹部らが問題になりました。最高裁は、この銀行の幹部らも、被拐取者の安否を親身になって憂慮するのが社会通念上当然とみられる特別な関係にある者にあたるとした原判断を、正当としました。会社の代表者と、その会社の幹部という関係は、家族ではなくても、社会通念上、安否を親身に心配するのが当然だと言える特別な関係にあたります。条文も「近親者その他」と書いていて、近親者は例に挙がっているだけです。それに、身の代金を出させる相手が家族でも会社でも、手元に置かれた被害者の命が危ないことに変わりはありません。ここで1つ、注意しておきたい点があります。「安否を憂慮する者」というのは、あくまで犯人の目的の中身です。目的犯である以上、犯人がその人物の憂慮につけこもうとしていれば足り、その人物が実際に心配していたかどうかは問題になりません。たとえば、被拐取者が周囲から嫌われていて、現実には誰も心配していなかったとしても、犯人が「あの人なら財物を出すはずだ」と考えて拐取した目的犯であれば、225条の2は成立します。

225条の2第2項——身の代金要求罪

後から要求しても、同じ重さで罰する 図:後から要求しても、同じ重さで罰する

225条の2には、第2項もあります。

条文刑法225条の2第2項

刑法225条の2第2項(身の代金要求) 「人を略取し又は誘拐した者が近親者その他略取され又は誘拐された者の安否を憂慮する者の憂慮に乗じて、その財物を交付させ、又はこれを要求する行為をしたときも、前項と同様とする。」

1項は、拐取した時点で、すでに身の代金目的を持っていた場合でした。2項は違います。拐取した時点では身の代金目的が無かった人が、後になってから、身の代金を交付させ、または要求する行為をした場合です。たとえば、最初は未成年者略取のつもりで子どもを連れ去った犯人が、連れ去ったあとで気が変わり、「金を払わなければ帰さない」と要求した場合です。1項と同じ、無期又は3年以上の拘禁刑です。理由は、さきほどの1点に戻ります。被害者が犯人の手元にある限り、身の代金を要求された時点で、被害者の命の危険は、最初から身の代金目的だった場合とまったく同じだからです。「拐取した時点では違う目的だった」という言い訳で、刑を軽くさせるわけにはいきません。もう1つ、この2項には特徴があります。「交付させ、又はこれを要求する行為をしたとき」とありますから、要求の意思表示が、相手に届いたかどうかは問いません。要求する行為をした時点で、この罪は完成します。

227条——被略取者引渡し等罪

略取誘拐を助ける、事後従犯 図:略取誘拐を助ける、事後従犯

次は227条です。ここまでは、拐取そのものを罰する条文でしたが、227条は違います。拐取された状態が始まったあとで、それを助ける人を罰する条文です。以前、共犯のところで学んだとおり、実行行為が終わった後の援助は、62条の幇助犯にはなりません。これを事後従犯と呼びました。そこで法律は、略取や誘拐をした者を後から助ける行為を、227条という別の罪として罰しています。条文に出てくる「幇助する目的で」は、この罪の目的の中身、つまり、罪を犯した者を助けるつもりで、という意味で、62条の幇助犯が成立するという意味ではありません。まず1項・2項・3項を見てみます。

条文刑法227条1〜3項

刑法227条第1項〜第3項(被略取者引渡し等) 「第二百二十四条、第二百二十五条又は前三条の罪を犯した者を幇助する目的で、略取され、誘拐され、又は売買された者を引き渡し、収受し、輸送し、蔵匿し、又は隠避させた者は、三月以上五年以下の拘禁刑に処する。 第二百二十五条の二第一項の罪を犯した者を幇助する目的で、略取され又は誘拐された者を引き渡し、収受し、輸送し、蔵匿し、又は隠避させた者は、一年以上十年以下の拘禁刑に処する。 営利、わいせつ又は生命若しくは身体に対する加害の目的で、略取され、誘拐され、又は売買された者を引き渡し、収受し、輸送し、又は蔵匿した者は、六月以上七年以下の拘禁刑に処する。」

3つとも、行為は共通です。引き渡し、収受、輸送、蔵匿、隠避のいずれかをすることです。「引き渡し」は被害者の支配を他人に移すこと、「収受」は受け取って自分の支配下に置くこと、「輸送」は場所から場所へ移すこと、「蔵匿」は発見されにくい場所を提供すること、「隠避」は蔵匿以外の方法で発見を妨げることです。違うのは、その行為をする側の目的です。1項は、224条・225条・後で見る226条から226条の3までの罪を犯した者を助ける目的で、3か月以上5年以下。2項は、225条の2第1項、つまり身の代金目的略取誘拐罪を助ける目的で、1年以上10年以下と重くなります。3項は、営利・わいせつ・生命身体加害の目的そのものを自分が持っている場合で、6か月以上7年以下です。たとえば、連れ去られた子どもを、頼まれて自分のアパートの一室にかくまった人がいるとします。頼んできた相手が営利目的の誘拐犯なら1項、身の代金目的の誘拐犯なら2項です。かくまうという行為は同じでも、誰を助けるつもりだったかで重さが変わります。

ここでも、命の危険という同じ理由です。身の代金目的の拐取に手を貸す行為は、被害者が危険な状態に置かれる時間を延ばすことになるので、重く罰せられます。続けて、4項を見ます。

条文刑法227条4項

刑法227条第4項(身の代金目的での収受・身の代金要求) 「第二百二十五条の二第一項の目的で、略取され又は誘拐された者を収受した者は、二年以上の有期拘禁刑に処する。略取され又は誘拐された者を収受した者が近親者その他略取され又は誘拐された者の安否を憂慮する者の憂慮に乗じて、その財物を交付させ、又はこれを要求する行為をしたときも、同様とする。」

4項は前段と後段に分かれます。前段は、身の代金目的で、被拐取者を収受した場合。後段は、収受した者自身が、後から身の代金を交付させ、または要求する行為をした場合です。さきほどの225条の2第2項と、構造がそっくりですね。この後段も、要求の意思表示が相手に届く必要はありません。

226条から226条の3——国外移送・人身売買の骨格

国外移送・人身売買は、骨格だけ押さえる 図:国外移送・人身売買は、骨格だけ押さえる

ここで少し外側の条文にも触れておきます。226条は、所在国外に移送する目的で人を略取・誘拐する罪で、2年以上の有期拘禁刑です。226条の2は人身売買の罪で、単純な買受け、未成年者の買受け、営利やわいせつなど一定の目的での買受けと売渡し、所在国外移送目的の売買と、項ごとに刑の重さが変わります。226条の3は、略取・誘拐・売買された者を実際に所在国外へ移送する罪です。ここは深入りしません。試験対策上の重要性はきわめて低い分野です。今日は、224から225、225の2という重さの階段の、さらに外側に、国外移送と人身売買という別の枝が伸びている、という位置づけだけ押さえておけば十分です。

未遂と予備——228条・228条の3

未遂は列挙、予備は身の代金目的だけ 図:未遂は列挙、予備は身の代金目的だけ

続けて、未遂と予備です。まず未遂の条文です。

条文刑法228条

刑法228条(未遂罪) 「第二百二十四条、第二百二十五条、第二百二十五条の二第一項、第二百二十六条から第二百二十六条の三まで並びに前条第一項から第三項まで及び第四項前段の罪の未遂は、罰する。」

逆に、この列挙に「入っていないもの」に注目してください。225条の2第2項と、227条4項後段が入っていません。つまり、後から身の代金を要求する罪には、未遂処罰規定がありません。さっき確認したとおり、要求する行為をした時点で完成するので、そもそも未遂という段階を観念する必要が無いのです。次に、予備の条文です。

条文刑法228条の3

刑法228条の3(身の代金目的略取等予備) 「第二百二十五条の二第一項の罪を犯す目的で、その予備をした者は、二年以下の拘禁刑に処する。ただし、実行に着手する前に自首した者は、その刑を減軽し、又は免除する。」

この章の中で、予備を罰しているのは、225条の2第1項、つまり身の代金目的略取誘拐罪だけです。たとえば、子どもを連れ去って身の代金を取ろうと考え、下校の道を下見し、閉じ込めておく部屋を借りた、という段階です。まだ拐取すら始まっていない、この準備の段階から刑罰の対象にするということは、それだけ、この類型の危険性が特別に高いと法律が見ている、ということです。ただし書に注目してください。実行に着手する前に自首した場合は、刑を減軽し、又は免除する、必要的な減免です。準備をやめて自首すれば、必ず刑が軽くなるか、消えるということです。

228条の2——解放による刑の減軽

犯人に、後戻りの道を用意する 図:犯人に、後戻りの道を用意する

ここで、冒頭のもう1つの問いに答えます。身の代金を受け取る前に、犯人が被害者を解放したら、罪はどうなるでしょうか。

条文刑法228条の2

刑法228条の2(解放による刑の減軽) 「第二百二十五条の二又は第二百二十七条第二項若しくは第四項の罪を犯した者が、公訴が提起される前に、略取され又は誘拐された者を安全な場所に解放したときは、その刑を減軽する。」

「刑を減軽する」と書いてありますね。犯罪自体が無くなる、というわけではなさそうです。まず、この条文が対象にしているのは、225条の2、そして227条2項と4項、つまり身の代金がらみの罪に限られます。224条や225条には、この減軽はありません。要件は2つです。1つ目は、公訴が提起される前に、つまり検察官が起訴する前に。2つ目は、安全な場所に解放したこと。この両方を満たせば、刑は必ず軽くなります。減軽する、であって、無かったことにする、ではありません。なぜ、こんな規定があるのか。ここで、たとえ話を挟みます。立てこもり事件で、警察が「今すぐ人質を解放して投降すれば、量刑で有利に扱う」と呼びかける場面を思い浮かべてください。228条の2も、これと同じ発想です。犯人に、「これ以上事態を悪化させるより、今引き返した方が得だ」という道を用意することで、被害者の命を守ろうとしているのです。ボーナスをもらっても、人質を取ったという犯罪そのものは消えません。ただ、命を守るための行動を取ったぶん、刑という代償は必ず軽くなります。そして、このボーナス制度が用意されているのは、身の代金がらみの罪だけです。命の危険がとりわけ高い場面にだけ、引き返す道が特別に用意されているのです。

「安全な場所」は、救出される場所かどうか 図:「安全な場所」は、救出される場所かどうか

刑法228条の2の『安全な場所』の意味は、最高裁の決定が示しています。

判例最高裁第三小法廷決定

「安全な場所」の意味 「同条にいう「安全ナル場所」というのは、被拐取者が安全に救出されると認められる場所を意味するものであり、解放場所の位置、状況、解放の時刻、方法、被拐取者をその自宅などに復帰させるため犯人の講じた措置の内容、その他被拐取者の年齢、知能程度、健康状態など諸般の要素を考慮して判断しなければならないものである。……前述の「安全に救出される」という場合の「安全」の意義も余りに狭く解すべきではなく、被拐取者が近親者及び警察当局などによつて救出されるまでの間に、具体的かつ実質的な危険にさらされるおそれのないことを意味し、漠然とした抽象的な危険や単なる不安感ないし危惧感を伴うということだけで、ただちに、安全性に欠けるものがあるとすることはできない、と解するのが相当である。」

1段目は、被拐取者が安全に救出されると認められる場所かどうか、位置や時刻、方法、犯人がとった措置、被拐取者本人の年齢や健康状態などを、総合して考える、という判断枠組みです。2段目は、「安全」の意味そのものが、あまりに狭く解すべきではない、という点です。近親者や警察に救出されるまでの間、具体的かつ実質的な危険にさらされなければ足り、漠然とした不安感や危惧感があるというだけでは、安全性に欠けるとは言えません。この事案は、小学1年生の女児が、身の代金目的で誘拐された事件です。犯人は、要求を断念して、女児を両親のもとへ返そうと決意し、自宅から数キロ離れた、人通りの少ない場所に女児を降ろして立ち去りました。安否を見守らずに立ち去った点は、必ずしも適切ではありません。ですが、解放地点は民家が散在する場所で、通行人に救出される可能性が見込めたこと、そして犯人が、解放前に自宅へ電話で予告し、解放後も繰り返し電話で通知しようと努力したことから、最高裁は、228条の2の要件を満たすと判断しました。

通常の犯人に期待できないほどの、細心の配慮までは求められません。ハードルを上げすぎると、解放しても刑が軽くならないと考えた犯人が引き返さなくなり、後戻りの道を用意した意味がなくなるからです。もっとも、真冬の夜に、人の通らない山の中へ幼い子どもを置き去りにしたような場合は、救出されるまでの間に具体的で実質的な危険がありますから、安全な場所に解放したとは言えません。ここで、冒頭のもう1つの問いに戻ります。犯人が、身の代金を受け取る前に被害者を解放した場合、公訴提起前に、安全な場所に解放したと言えるなら、罪は消えず、成立したまま、刑が必ず軽くなります。最後に1点だけ、以前学んだ中止未遂との違いに触れておきます。中止未遂は、43条ただし書で、実行行為の途中で、結果が発生する前に、自分の意思でやめた場合の減免でした。228条の2は、それとは違う点が2つあります。1つは、既遂に達した後でも効くこと。拐取そのものはすでに完成していても、解放すれば減軽されます。もう1つは、効果の違いです。中止未遂は、刑を減軽するだけでなく、免除することもあります。228条の2は、要件を満たせば必ず刑が軽くなりますが、免除までは無く、減軽にとどまります。1つ目の違いは、冒頭で挙げた1つの事情、被害者の命が特に危ないということから出てきます。命が特に危ない罪だからこそ、既遂の後でも、被害者を生きて帰すこと、つまり解放そのものに、刑の減軽を約束しているのです。

229条——親告罪

親告罪なのは、224条系だけ 図:親告罪なのは、224条系だけ

最後に、229条の親告罪です。

条文刑法229条

刑法229条(親告罪) 「第二百二十四条の罪及び同条の罪を幇助する目的で犯した第二百二十七条第一項の罪並びにこれらの罪の未遂罪は、告訴がなければ公訴を提起することができない。」

今日改めて確認すると、親告罪になるのは、224条の罪、224条の罪を幇助する目的で犯した227条1項の罪、そして、この2つの未遂罪、この3つだけです。225条以下、つまり営利目的等・身の代金目的の罪は、親告罪ではありません。前回、224条の性格として確認したとおり、224条は、実の親が犯人になりうる罪でした。家庭内の事情に配慮して、告訴の判断を被害者側に委ねる必要がある。これに対して、225条以下は、営利や身の代金といった目的を持つ、より重大な事件です。告訴の有無にかかわらず、訴追すべき類型だと考えられているのです。

今日の地図(保存版)

命が危ないという1点から、すべてが出てくる 図:命が危ないという1点から、すべてが出てくる

今日の内容を整理します。224、225、225の2という重さの階段の、いちばん上に身の代金目的略取誘拐罪があります。そして、身の代金目的の拐取は被害者の命がとりわけ危ない、という1つの理由から、予備の段階から罰する228条の3、後から要求しても同じ重さで罰する225条の2第2項・227条4項後段、そして、解放すれば刑が必ず軽くなる228条の2という、3つの特別なルールが出てきます。227条は事後従犯として、この重さの階段を目的ごとに引き継ぎ、226条から226条の3は、国外移送・人身売買という、少し外側の枝でした。229条の親告罪だけは、身の代金がらみではなく、224条の性格から説明される例外です。

条文がたくさんありましたけど、根っこは1つだった、ということですね。今日で、略取・誘拐の罪の全体像が固まりました。

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#114単独ページ動画

不同意わいせつ罪と2023年改正

第13章 個人的法益②|自由に対する罪 ⑥/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

性的自由の区画へ

暴行も脅迫も無いのに、罪になるのか 図:暴行も脅迫も無いのに、罪になるのか

前回で、身の代金目的略取誘拐罪を見ました。今日から、自由に対する罪の中でも、性的自由に対する罪に入ります。今日は、教育に必要な範囲で、条文と判例の中身に絞って進めます。先に、2つ問いを立てておきます。1つ目、暴行も脅迫も無く、相手が驚いて固まってしまっただけの場合、罪になるでしょうか。2つ目です。行為者が、自分には性的な目的が無かったと言い張ったら、わいせつの罪を免れるでしょうか。この2つの答えは、今日いちばん大事な1つの考え方から出てきます。罪の成否を決める中心が、「暴行・脅迫があったか」という行為そのものの物差しから、「同意しない意思を持ち、示し、貫くことが困難な状態だったか」という、被害者の状態の物差しに移った、ということです。この1点から、今日見ていく条文のほとんどが説明できます。

保護法益——性的自由

性的な事柄を、自分で決める自由 図:性的な事柄を、自分で決める自由

この罪が守っているのは、性的自由です。性的な事柄について、自分で決める自由のことです。考え方は近いです。性的な事柄について自分で決める自由は、性的自己決定権とも呼ばれます。そして、この罪の主体と客体は、どちらも性別を問いません。男性が被害者になることもありますし、女性が加害者になることもあります。

2023年改正の全体像

要件の中心が、行為から状態へ 図:要件の中心が、行為から状態へ

性的自由に対する罪は、令和5年の法律で大きく改正されました。この改正は、令和5年のうちに成立し、その年のうちに施行されています。まず、罪名が変わりました。改正前の強制わいせつ罪は、不同意わいせつ罪という名前になっています。名前だけではありません。いちばん大きいのは、要件の中心が変わったことです。改正前は、暴行・脅迫を手段として用いたかどうかが、罪の成否を決める中心でした。改正後は、暴行・脅迫を用いたかどうかという行為の話ではなく、それによって被害者が、同意しない意思を形成し、表明し、または全うすることが困難な状態にあったかどうかという、被害者の状態が中心になっています。あわせて、改正前にあった準強制わいせつ罪という別の条文が、176条の中に統合されて、元の条文自体は削除されました。それから、年齢の基準も、改正前の13歳未満から、16歳未満に引き上げられています。法定刑の長さは、6か月以上10年以下で、改正の前後で変わっていません。名称が懲役から拘禁刑になっているのは、第11章で見た、懲役と禁錮を1つにまとめた別の改正によるもので、この罪に限った変化ではありません。

今日はこのあと、176条という1つの条文を3段の骨格で読み解いていきます。骨格さえつかめば、細部は自然についてきます。

176条1項——3段の骨格

原因、困難な状態、わいせつな行為 図:原因、困難な状態、わいせつな行為

条文刑法176条1項柱書

刑法176条第1項(不同意わいせつ) 「次に掲げる行為又は事由その他これらに類する行為又は事由により、同意しない意思を形成し、表明し若しくは全うすることが困難な状態にさせ又はその状態にあることに乗じて、わいせつな行為をした者は、婚姻関係の有無にかかわらず、六月以上十年以下の拘禁刑に処する。」

まず、176条1項の柱書を確認します。長い条文ですが、実は3段でできています。1段目は、これから見ていく8つの類型その他これらに類する行為・事由という、いわば原因です。2段目は、その原因によって、同意しない意思を形成し、表明し、または全うすることが困難な状態にさせること、または、既にその状態にあることに乗じること。そして3段目が、わいせつな行為をしたことです。ここで1つ、たとえを挟みます。同意しない意思を持ち、それを示し、それを貫き通すというのは、いざというときに自分の意思でブレーキを踏める状態のことだと考えてください。これから見る8つの類型は、どれも、このブレーキを踏めなくする原因になります。殴られて怖くて踏めない、薬の影響で足がすくんで踏めない、寝ていて気づかず踏めない、予想外の展開に固まって踏めない。原因はいろいろでも、結果はいつも同じ、ブレーキが利かない状態です。176条が処罰しているのは、このブレーキが利かない状態につけこんで、あるいは自分でブレーキを壊してから、わいせつな行為に及ぶことです。

だからこそ、8つの類型のうち1つを思い出せなくても、原因、困難な状態、わいせつな行為という骨格から立て直すことができます。それから、条文の最後に「婚姻関係の有無にかかわらず」と明記されています。夫婦の間でも、この罪は成立するということです。

8つの類型(1号〜4号)

暴行・脅迫は、程度ではなく状態で見る 図:暴行・脅迫は、程度ではなく状態で見る

ここから、1号〜8号を見ていきます。1号は、暴行若しくは脅迫を用いること、またはそれらを受けたこと、です。改正前の強制わいせつ罪も、暴行・脅迫が要件でしたよね。何が違うんですか。そこが、今日いちばん注意してほしい点です。改正前は、暴行・脅迫がどの程度のものか、ということ自体が、罪の成否を決める中心でした。ところが現行法の1号は、暴行・脅迫を用いたこと、または受けたこと、としか書いていません。程度の強い弱いを、条文は要求していないんです。柱書に戻ります。その暴行・脅迫によって、同意しない意思を形成し、表明し、または全うすることが困難な状態になったかどうかです。暴行・脅迫という原因があって、それがブレーキを踏めない状態を生んだかどうかを見る。程度そのものを測るのではなく、状態を見るという発想の転換です。例えば、AがBを大声で怒鳴りつけて脅したものの、手は出していない場合。改正前なら、その脅しがどの程度強かったかが争いの中心になりえました。今は、Bがその脅しで身がすくみ、拒む言葉が出なくなったか、つまりブレーキが利かない状態になったかを見ます。この改正は、処罰される範囲を新たに広げるものではなく、これまでも処罰されるべきだった行為を、より的確に処罰できるように、要件を明確にしたものだと説明されています。続けて、2号から4号です。2号は、心身の障害を生じさせること、またはそれがあること。3号は、アルコールもしくは薬物を摂取させること、またはそれらの影響があること。4号は、睡眠その他の意識が明瞭でない状態にさせること、またはその状態にあること。この3つは、改正前にあった準強制わいせつ罪、つまり、心神喪失や抗拒不能、つまり、正常な判断ができない状態や、抵抗することが著しく難しい状態につけこむ類型に、ほぼ対応するものです。

削除された条文が、176条の中に生きている 図:削除された条文が、176条の中に生きている

条文刑法178条

刑法178条 「削除」

178条は、条文の中身が「削除」の一文だけになっています。改正前にここにあった準強制わいせつ罪は、なくなったわけではなく、176条1項の中の類型として、姿を変えて引き継がれています。

8つの類型(5号〜8号)

不意打ち、恐怖、立場の弱さも原因になる 図:不意打ち、恐怖、立場の弱さも原因になる

5号は、同意しない意思を形成し、表明し、または全うするいとまがないこと。考える間も無く行為に及ばれてしまう、不意打ちの場合です。6号は、予想と異なる事態に直面させて恐怖させ、もしくは驚愕させること、またはその事態に直面して恐怖し、もしくは驚愕していること。これが、冒頭の1つ目の問いの答えです。暴行も脅迫も無くても、予想と異なる事態に直面して恐怖し、または驚愕して、ブレーキを踏めない状態になっていれば、6号にあたります。暴行・脅迫という原因が無くても、困難な状態という結果に至る道は、他にもあるということです。続けて、7号は、虐待に起因する心理的反応を生じさせること、またはそれがあること。継続的な虐待の影響で、逆らえない心理状態になっている場合です。8号は、経済的または社会的関係上の地位に基づく影響力によって受ける不利益を憂慮させること、またはそれを憂慮していること。職場や生活上の立場の弱さにつけこまれて、拒めば不利益を受けると考えてしまう場合です。例えば、職場の上司Aが、部下のBに、断れば評価を下げると匂わせていて、Bが不利益を恐れて、口では「はい」と答えた場合。外から見れば同意に見えても、ブレーキは利いていません。8号にあたります。

その場合は、ブレーキが利いています。困難な状態が無いので、1項にはあたりません。分かれ目は、口で何と答えたかではなく、被害者のブレーキが利いていたかどうかです。柱書にある「その他これらに類する行為又は事由」という言葉も重要です。1号から8号は、あくまで例として挙げられているだけで、この8つに文字どおり一致しなくても、同じ性質を持つ原因であれば、同じように処罰の対象になります。つまり、見るべきなのは行為の強さではなく、被害者のブレーキが利いていたかという状態です。

2項——誤信・人違い

別のものだと、思い込まされている 図:別のものだと、思い込まされている

条文刑法176条2項

刑法176条第2項(不同意わいせつ) 「行為がわいせつなものではないとの誤信をさせ、若しくは行為をする者について人違いをさせ、又はそれらの誤信若しくは人違いをしていることに乗じて、わいせつな行為をした者も、前項と同様とする。」

2項は、少し違うタイプの原因です。行為がわいせつなものではないという誤信をさせること、または、行為をする者について人違いをさせること、あるいは、その誤信や人違いをしていることに、既に乗じることです。誤信や人違いも、ブレーキが利かない状態を生む原因の1つと理解できます。行為の性質そのものについて、または、行為をしている相手が誰なのかについて、誤って認識していれば、正しい判断のもとで意思を形成することができません。例えば、Aが、これは治療のための行為だとBに思い込ませる場合が、行為の性質についての誤信です。Bが相手を自分の交際相手だと思い込んでいることに乗じる場合が、人違いです。1項の8類型とは違う切り口ですが、行き着く先は同じで、正しい意思決定ができない状態を利用して、わいせつな行為に及んでいる点は変わりません。法定刑も、1項と同じです。

3項——16歳未満の者に対する行為

16歳未満は、同意の有無を問わない 図:16歳未満は、同意の有無を問わない

条文刑法176条3項

刑法176条第3項(不同意わいせつ) 「十六歳未満の者に対し、わいせつな行為をした者(当該十六歳未満の者が十三歳以上である場合については、その者が生まれた日より五年以上前の日に生まれた者に限る。)も、第一項と同様とする。」

3項は、年齢に着目した規定です。16歳未満の者に対して、わいせつな行為をした者は、1項と同じ刑になります。ここでは、被害者が同意していたかどうかは問いません。第6章の被害者の承諾の回で、承諾の有無を問わない例として挙げたのが、この3項です。ただし、条文にかっこ書きがあります。その16歳未満の者が13歳以上である場合は、行為者が、その者より5年以上前に生まれた者、つまり、5歳以上年上でなければ、この3項の対象になりません。なぜ、こんな年齢差の条件がつくんですか。中学生どうしのような、近い年齢の間で行われる、合意に基づいた行為にまで刑罰が及ばないようにするためです。年齢が近ければ近いほど、成熟の度合いも近くなりますから、一律に処罰するのは行き過ぎだと考えられています。これに対して、13歳未満の者に対する行為には、この年齢差の条件がつきません。年齢差を問わず、一律に本項の対象になります。改正前は、13歳未満かどうかだけで区別していましたが、改正後は、16歳未満まで対象を広げたうえで、13歳以上16歳未満の部分にだけ、年齢差というフィルターをかけている、という構造です。

「わいせつな行為」の意味と性的意図の要否

わいせつな行為とは、社会通念で判断する 図:わいせつな行為とは、社会通念で判断する

ここまでで、176条の3段構造、原因、困難な状態、わいせつな行為のうち、原因と困難な状態を見てきました。最後に、3段目の「わいせつな行為」そのものの意味に進みます。条文自体に、わいせつな行為とは何かという定義はありません。一般に、被害者の性的羞恥心を害する行為と理解されています。この文言自体は、改正の前後で変わっていません。ここで一度、確認です。今日の冒頭で見た、この罪の中心は、何から何に移ったでしょうか?暴行・脅迫があったかという行為の物差しから、同意しない意思を形成し、表明し、全うすることが困難な状態だったかという、被害者の状態の物差しに、ですね。この1点を踏まえて、わいせつな行為の意味の判断に入ります。

性的な意味があるかは、行為そのものと状況で決まる 図:性的な意味があるかは、行為そのものと状況で決まる

ここで、冒頭のもう1つの問いに答えます。行為者が、自分には性的な目的が無かったと言い張れば、わいせつの罪を免れるでしょうか。この問題に答えたのが、最高裁判所大法廷の判決です。第2章で少し触れた判決です。大法廷は、最高裁の裁判官全員でつくる法廷で、判例を変えるときなどに開かれます。この事件で、行為者は、自分の性的な欲求を満たすためではなく、お金を得るためだったと主張していました。最高裁の判断は、大きく2つに分かれます。1つ目は、わいせつな行為かどうかを、どう判断するか。2つ目は、そのうえで、行為者の性的な目的を一律の要件にするかどうか、です。

判例最高裁判所大法廷判決(刑集71巻9号467頁)

行為者の性的意図は、わいせつな行為の一律の成立要件か 「刑法176条にいうわいせつな行為に当たるか否かの判断を行うためには、行為そのものが持つ性的性質の有無及び程度を十分に踏まえた上で、事案によっては、当該行為が行われた際の具体的状況等の諸般の事情をも総合考慮し、社会通念に照らし、その行為に性的な意味があるといえるか否かや、その性的な意味合いの強さを個別事案に応じた具体的事実関係に基づいて判断せざるを得ないことになる。したがって、そのような個別具体的な事情の一つとして、行為者の目的等の主観的事情を判断要素として考慮すべき場合があり得ることは否定し難い。」 「そのような場合があるとしても、故意以外の行為者の性的意図を一律に強制わいせつ罪の成立要件とすることは相当でなく、昭和45年判例の解釈は変更されるべきである。」

1つ目の文は、判断の方法です。行為そのものが持つ性的な性質がはっきりしている場合には、それだけでわいせつな行為と評価できます。性的な性質がはっきりしない事案では、行われたときの具体的な状況など、さまざまな事情を合わせて考える必要があり、その事情の1つとして、行為者の目的といった主観的な事情を考慮すべき場合もありうる、としています。やはり性的な目的が要る、ということですか。そこが2つ目の文です。そういう場合があるとしても、行為者の性的な目的を一律に成立要件とはしない、ということです。以前は、行為者本人の性的な意図が無ければこの罪は成立しないとする判例がありましたが、この大法廷判決はそれを変更しました。理由は、性的な被害の罪で目を向けるべきなのは、被害者が受けた性的な被害の有無や、その内容と程度であって、行為者の内心ではない、という点です。発想としては、今日の軸と同じ向きです。

この判決の考え方によれば、そのとおりです。冒頭の2つ目の問いへの答えは、こうなります。行為者が、性的な目的が無かったと言い張っても、それだけで罪を免れることはありません。行為そのものの性的な性質が明確であれば、その主張自体が意味を持たないこともあります。なお、この判決が扱っているのは、この改正よりも前の、改正前の強制わいせつ罪の下での事件です。現行の176条にそのままあてはまるとは限らない点には、注意しておいてください。ただ、わいせつな行為という文言そのものは、改正の前後で変わっていないことは、さきほど見たとおりです。もう1つ触れておくと、性的な意図が要件になるかという問題は、論文式でも問われうる論点です。

未遂——180条

未遂も、罰する対象に含まれる 図:未遂も、罰する対象に含まれる

条文刑法180条

刑法180条(未遂罪) 「第百七十六条、第百七十七条及び前条の罪の未遂は、罰する。」

最後に、未遂の条文を確認します。180条は、176条の罪、177条の罪、そして前条の監護者わいせつ及び監護者性交等の罪、この3つの未遂を罰すると定めています。176条にも、未遂処罰があるということです。

今日の地図(保存版)

8つの入口は、1つの状態に通じている 図:8つの入口は、1つの状態に通じている

今日の内容を整理します。176条は、原因、困難な状態、わいせつな行為という3段の骨格でできています。1号から8号は、困難な状態という1つの結果に向かう、8つの入口にすぎません。暴行・脅迫の程度そのものではなく、それによって同意しない意思を形成し、表明し、全うすることが困難な状態になったかどうかが問われます。2項は誤信・人違い、3項は16歳未満という、それぞれ違う角度から困難な状態を捉えた規定でした。そして、わいせつな行為にあたるかどうかは、行為そのものの性的な性質と、状況全体から判断され、行為者の性的な目的は、一律の要件ではありません。

冒頭の2つの問い、どちらも答えが出ましたね。暴行・脅迫が無くても6号にあたりますし、性的な目的が無かったと言っても、それだけでは罪を免れません。今日で、不同意わいせつ罪の全体像が固まりました。

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#115単独ページ動画

不同意性交等罪と致死傷罪

第13章 個人的法益②|自由に対する罪 ⑦/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

性的自由の区画、2本目へ

暴行も脅迫も無く、同意もあるように見えるのに、罪になる場合がある 図:暴行も脅迫も無く、同意もあるように見えるのに、罪になる場合がある

前回は、不同意わいせつ罪を見ました。今日は、不同意性交等罪、監護者わいせつ及び監護者性交等罪、それに致死傷罪という3つの条文に進みます。実は、前回作った176条の骨格をそのまま使い回すだけなので、身構えなくて大丈夫です。先に2つ問いを立てておきます。1つ目、暴行も脅迫も無く、同意しているようにも見える関係で、それでも処罰される場面があります。どういう関係のときでしょうか。2つ目です。わいせつな行為をしたあと、行為者が逃げようとして、相手にけがをさせてしまいました。これは、致傷罪になるでしょうか。

177条——行為の差し替え

177条は、176条の8類型を条文の言葉で引用している 図:177条は、176条の8類型を条文の言葉で引用している

まず条文を確認する前に、1つ思い出してほしいことがあります。前回見た176条の3段のうち、177条が変えているのはどの段でしたか?さっきの話だと、最後の行為の段です。それを、条文自体が言葉で示しています。177条1項の柱書を見てください。

条文刑法177条1項柱書

刑法177条第1項(不同意性交等) 「前条第一項各号に掲げる行為又は事由その他これらに類する行為又は事由により、同意しない意思を形成し、表明し若しくは全うすることが困難な状態にさせ又はその状態にあることに乗じて、性交、肛門性交、口腔性交又は膣若しくは肛門に身体の一部(陰茎を除く。)若しくは物を挿入する行為であってわいせつなもの(以下この条及び第百七十九条第二項において「性交等」という。)をした者は、婚姻関係の有無にかかわらず、五年以上の有期拘禁刑に処する。」

177条は、原因の部分(8類型)を自分で書き直さず、176条1項各号を指し示す形で済ませています。書き手自身が、ここは176条と同じだと条文の文言で示しているとも言えます。困難な状態にさせる、または、その状態にあることに乗じるという2段目の書き方も、176条とまったく同じです。違うのは、最後の行為の部分だけ。わいせつな行為ではなく、性交、肛門性交、口腔性交、または、膣もしくは肛門に身体の一部、陰茎を除きますが、もしくは物を挿入する行為であってわいせつなもの、と定義されています。これをまとめて「性交等」と呼びます。

わいせつな行為が、より限定された行為に置き換わった、ということですか。そう考えて大丈夫です。それから、条文の最後には、176条と同じく「婚姻関係の有無にかかわらず」とあります。夫婦の間でも成立するということです。続けて、2項と3項です。

条文刑法177条2項

刑法177条第2項(不同意性交等) 「行為がわいせつなものではないとの誤信をさせ、若しくは行為をする者について人違いをさせ、又はそれらの誤信若しくは人違いをしていることに乗じて、性交等をした者も、前項と同様とする。」

条文刑法177条3項

刑法177条第3項(不同意性交等) 「十六歳未満の者に対し、性交等をした者(当該十六歳未満の者が十三歳以上である場合については、その者が生まれた日より五年以上前の日に生まれた者に限る。)も、第一項と同様とする。」

2項は、誤信や人違いにさせること、または乗じること。3項は、16歳未満の者に対する行為で、13歳以上の場合には5歳以上年上であることを要する、という規定です。文言の作りは、176条の2項、3項と、行為の部分を除いてまったく同じです。

176条と共通する部分

前回すでに解説した部分は、そのまま使い回す 図:前回すでに解説した部分は、そのまま使い回す

8つの類型の中身、困難な状態の意味、婚姻関係の有無を問わないこと、2項の誤信・人違い、3項の年齢差の読み方は、前回の176条とまったく同じです。ここは、前回見た中身を、そのまま当てはめてください。

「性交等」の意味

「性交等」とは、条文がこう定義している行為をいう 図:「性交等」とは、条文がこう定義している行為をいう

もう少し、性交等の中身を見ておきます。改正で加わったのが、膣または肛門への、身体の一部、陰茎は除きますが、または物を挿入する行為です。これが加わったことで、対象になる行為の幅が広がりました。それから、この罪の主体と客体も、176条と同じく、どちらも性別を問いません。陰茎を除く、というかっこ書きがあるのは、なぜですか。陰茎による挿入行為は、性交、肛門性交、口腔性交という、それより前の部分ですでに対象になっているからです。かっこ書きは、条文の中で行為が重ならないように、書き分けているだけです。

176条との関係・法定刑

176条と177条の比較——「行為」の段だけが違う 図:176条と177条の比較——「行為」の段だけが違う

法定刑を確認します。176条は6か月以上10年以下の拘禁刑、177条は5年以上の有期拘禁刑です。有期拘禁刑の上限は、第11章で見たとおり20年ですから、177条は5年から20年の間、ということになります。それから、同じ機会に、わいせつな行為と性交等の両方に及んだ場合はどうなるか。この場合は、軽い176条が、重い177条に吸収される一罪として扱われます。2つの罪が別々に成立して足し合わされる、ということにはなりません。同じ機会に、同じ相手の性的自由を侵害している以上、重い177条で1回評価すれば、わいせつな行為の分も評価し尽くせるからです。

実行の着手

現実の行為が始まっていなくても、着手が認められることがある 図:現実の行為が始まっていなくても、着手が認められることがある

177条にも、176条と同じく未遂処罰がありますが、どの時点で着手を認めるかは、判例が示した基準を見ておく必要があります。

判例最高裁判所決定(刑集24巻7号585頁)

実行の着手の判断基準 「引きずり込もうとした段階においてすでに強姦に至る客観的な危険性が明らかに認められるから、その時点において強姦行為の着手があつた。」

性交等そのものの動作、つまり直接の手段が、まだ現実に始まっていなくても、性交等に至る客観的な危険性が明らかに認められる時点で、着手が認められる、という考え方です。

移動の手段を講じた時点で、着手が認められる 図:移動の手段を講じた時点で、着手が認められる

例えば、行為者Aが、抵抗するBを、性交等をするために別の場所へ移動させようとして、車に引きずり込んだとします。この時点では、まだ性交等そのものの動作には入っていません。それでも、この判例の考え方によれば、移動の手段を講じたその時点で、すでに性交等に至る客観的な危険性が明らかに認められるとして、着手が認められることになります。車に引きずり込んでしまえば、Bが自分で逃げ出す余地はほとんど無くなり、移動した先で性交等に進むまでに、大きな障害が残っていないからです。ただし、この判例は、暴行・脅迫を手段とすることを要件としていた、改正前の177条の下でのものです。現行の177条、8類型による困難な状態にさせる、または乗じるという類型に、そのままあてはまるとは限らない点には注意してください。

179条——原因の別入口

176・177条との違い——8類型を経由しない、もう1つの入口 図:176・177条との違い——8類型を経由しない、もう1つの入口

ここで、冒頭の1つ目の問いに答えます。暴行も脅迫も無く、同意もあるように見えるのに、それでも処罰される関係とはどんな関係だったか、覚えていますか。実は、8類型のどれにも当たらなくても、処罰される関係がもう1つあります。それが、179条の監護者わいせつ及び監護者性交等の罪です。

条文刑法179条1項

刑法179条第1項(監護者わいせつ) 「十八歳未満の者に対し、その者を現に監護する者であることによる影響力があることに乗じてわいせつな行為をした者は、第百七十六条第一項の例による。」

条文刑法179条2項

刑法179条第2項(監護者性交等) 「十八歳未満の者に対し、その者を現に監護する者であることによる影響力があることに乗じて性交等をした者は、第百七十七条第一項の例による。」

条文には、176条の8類型も、困難な状態という言葉も出てきません。そこが179条の特徴です。要件は、18歳未満であること、その者を現に監護する者であること、そして、その影響力があることに乗じたこと、この3つだけです。「現に監護する者」とは、親権のような法律上の立場があるかどうかではなく、実際にその子の生活全般の面倒を見て、監督し保護している人のことです。典型は、一緒に暮らしている実親や養親です。「乗じて」は、影響力を使うために特別な働きかけをすることまでは要らず、その影響力が及んでいる状態のもとで行為をすれば足りる、という意味です。暴行・脅迫も、心神喪失や抗拒不能につけこむことも要りません。

176条や177条が処罰しているのは、8類型のような原因によって、意思決定の自由そのものが失われた状態につけこむ行為です。これに対して179条は、監護する立場そのものが持つ影響力を利用したこと自体を、処罰の根拠にしています。18歳未満という年齢も、176条や177条の16歳未満より広く取られているのは、監護関係にある未成年者は、より広い年齢層で、この影響力にさらされていると考えられるからです。1項は「176条第1項の例による」、2項は「177条第1項の例による」とありますから、法定刑もそれぞれ176条、177条と同じです。

前回見た8号では、上司の影響力があるだけでは足りず、断れば不利益を受けると恐れて、断れない状態、つまり困難な状態になっていることまで必要でした。179条は、その状態を一つ一つ確かめることを求めていません。例えば、Aが、一緒に暮らして生活の面倒を見ている17歳のBに対して、その立場のまま行為に及べば、Bが嫌だと言わず、抵抗もしなかったとしても、179条にあたります。18歳未満の子は、衣食住を監護者に頼って暮らしているので、その人の求めを断る自由が、はじめから乏しいと考えられるからです。逆に、同じ17歳のBに対して、部活動のコーチのCが、その立場を使って行為に及んだ場合はどうでしょう。コーチは、Bの生活全般の面倒を見て、監督し保護しているわけではないので、通常は現に監護する者にはあたりません。この場合は179条ではなく、8号のような類型によって困難な状態になっていたかを、176条や177条で確かめることになります。

181条——結果の継ぎ足し

罪を犯し、それによって人を死傷させた場合の規定 図:罪を犯し、それによって人を死傷させた場合の規定

続いて、181条です。これは、176条・177条・179条の罪やその未遂罪を犯し、それによって人を死傷させた場合を定める規定です。第12章で見た、結果的加重犯という枠組みの1つになります。

条文刑法181条1項

刑法181条第1項(不同意わいせつ等致死傷) 「第百七十六条若しくは第百七十九条第一項の罪又はこれらの罪の未遂罪を犯し、よって人を死傷させた者は、無期又は三年以上の拘禁刑に処する。」

条文刑法181条2項

刑法181条第2項(不同意わいせつ等致死傷) 「第百七十七条若しくは第百七十九条第二項の罪又はこれらの罪の未遂罪を犯し、よって人を死傷させた者は、無期又は六年以上の拘禁刑に処する。」

1項は、わいせつな行為の系統、176条と179条1項の罪について。2項は、性交等の系統、177条と179条2項の罪について定めています。法定刑は、無期または3年以上と、無期または6年以上で、性交等の系統のほうが重くなっています。

死傷の結果に故意がある場合

死亡結果に故意があるときは、殺人罪との観念的競合になる 図:死亡結果に故意があるときは、殺人罪との観念的競合になる

ここから少し複雑な話をします。181条は、死傷させることについて、故意が無い場合、つまり結果的加重犯としての場合を想定した規定です。では、行為者が最初から殺すつもりだった場合、あるいは、けがをさせるつもりだった場合はどうなるでしょうか。

判例最高裁判所判決(刑集10巻10号1455頁)

死亡結果に故意がある場合の処理(改正前の判例) 改正前の強姦致死罪と殺人罪は、刑法54条1項前段の観念的競合となり、重い殺人罪の刑で処断される、と判断された。

死亡結果について故意がある場合、判例は、改正前の強姦致死罪と殺人罪の、観念的競合として扱いました。観念的競合は、第10章で見たとおり、1つの行為が2つ以上の罪名に触れるときに、最も重い刑で処断する、という扱いです。ここでは、重い殺人罪の刑で処断されました。この判例は、改正前の強姦致死罪についてのものですから、現行の不同意性交等致死罪にそのままあてはまると言い切ることはできません。もっとも、致死罪と殺人罪の観念的競合とすると、死亡結果を2回評価することになってしまうという指摘もあり、不同意性交等罪そのものと殺人罪の観念的競合とする見解も有力です。ただし、どちらの見解を採っても、結局は重い殺人罪の刑で処断される、という結論は変わりません。

刑の均衡と、二重評価を避けることを、両方満たす見解 図:刑の均衡と、二重評価を避けることを、両方満たす見解

続いて、けがをさせることについて故意がある場合です。例えば、Aが、Bがけがをしてもかまわないと思いながら、不同意性交等罪にあたる行為に及び、実際にBにけがをさせたとします。ここでは3つの見解が対立します。1つ目のA説は、不同意性交等罪と傷害罪の観念的競合とする見解です。先ほどの死亡の場面で有力だった見解と同じ形ですが、けがの場面ではうまくいきません。死亡なら、殺人罪の刑が死刑まであるので問題は起きませんでした。ところが、傷害罪の刑の上限は15年、177条の上限は20年ですから、重いほうをとっても上限は20年です。一方、けがをさせるつもりが無く、うっかりけがをさせた人は、181条2項で無期まであり得ます。わざとけがをさせた人のほうが軽くなってしまう。これが、刑の均衡を欠くということです。2つ目のB説は、不同意性交等致傷罪と傷害罪の観念的競合とする見解ですが、これでは、Bのけがという1つの結果を、致傷罪と傷害罪で2回数えることになってしまいます。

そこで、3つ目のC説、不同意性交等致傷罪のみが成立するとする見解が、妥当とされています。181条2項の、無期まである重い枠を使うので、わざとけがをさせた人が軽くなることはありません。しかも、けがを1回しか数えません。刑の均衡と、二重評価を避けること、この2つを両方満たす答えだからです。

死傷の原因

手段そのものでなくても、随伴する行為から生じればよい 図:手段そのものでなくても、随伴する行為から生じればよい

ここで、冒頭の2つ目の問いに答えます。わいせつな行為の後、逃げようとして相手にけがをさせた場合、致傷罪になるでしょうか。

判例最高裁判所決定(刑集62巻1号1頁)

死傷の原因は、手段そのものに限らない 行為をする意思をすでに失っていた後の、逃走のための暴行であっても、その暴行がわいせつな行為に随伴するものであるといえるときは、致傷罪が成立する。

判例は、けがの原因が、わいせつな行為や性交等の、手段そのものである必要はない、としています。手段そのものから生じた場合に限らず、その行為に随伴する行為から生じた場合も含まれる、という考え方です。

行為をする意思を失った後の暴行でも、随伴するものにあたる 図:行為をする意思を失った後の暴行でも、随伴するものにあたる

例えば、Aが、Bに対してわいせつな行為をしたあと、Bに気づかれて、行為を続ける意思を失ったとします。それでも、その場から逃げるためにBに暴行を加えてけがを負わせれば、その暴行は、わいせつな行為に随伴するものとして、致傷罪の対象になります。一連の流れがまだ続いている間の出来事だ、と考えてください。学説では、この考え方を、手段としての行為そのものだけでなく、それと密接に関連する行為も含めて考える、と整理しています。この判例も、改正前の準強制わいせつ罪、当時の178条についてのものですから、現行法への射程を断定はできませんが、考え方としては押さえておいてください。

非親告罪

告訴が無くても、起訴できる罪になった 図:告訴が無くても、起訴できる罪になった

ここからは、手続の話に少しだけ触れておきます。以前は、性的自由に対する罪の多くは、被害者などによる告訴が無ければ起訴できない、親告罪とされていました。しかし、告訴を求めることは、被害者に大きな精神的負担を課すという指摘を受けて、平成29年の法律改正で、性的自由に対する罪はおよそ非親告罪とされました。告訴が無くても、起訴できるようになったということです。この改正は、令和5年の改正とは別のものですから、混同しないよう注意してください。

周辺の規定

前段階や周辺を捕捉する規定も、いくつかある 図:前段階や周辺を捕捉する規定も、いくつかある

今日扱った条文の周辺には、いくつか関連する規定があります。182条は、16歳未満の者に対する面会要求等を処罰する規定で、性犯罪の前段階を捕捉するものです。それから、刑法典の外に、性的姿態撮影等処罰法という特別法があり、無断撮影などを独自に処罰しています。公訴時効、つまり起訴できる期限も、延ばされています。これらは、名前と位置づけだけ押さえておいてください。

未遂——180条

未遂も、罰する対象に含まれる 図:未遂も、罰する対象に含まれる

条文刑法180条

刑法180条(未遂罪) 「第百七十六条、第百七十七条及び前条の罪の未遂は、罰する。」

前回も触れた180条を、もう一度確認します。176条、177条、そして前条、179条の罪の未遂を罰する、という規定です。177条にも、179条にも、未遂処罰があります。

今日の地図(保存版)

176条の骨格に、差し替え・入口の追加・継ぎ足しをしたもの 図:176条の骨格に、差し替え・入口の追加・継ぎ足しをしたもの

今日の内容を整理します。176条は、原因、困難な状態、行為という3段のレシピでした。177条は、その最後の行為の段を、性交等に差し替えたもの。179条は、最初の原因の段に、監護する者であることによる影響力という別の入口を足したもの。181条は、レシピが出来上がった後に、死傷結果というもしもの場合を継ぎ足したものです。冒頭の2つの問い、どちらも答えが出ましたね。8類型のどれにも当たらなくても、監護関係にあれば179条にあたりますし、行為をする気を失った後の暴行でも、随伴するものとして致傷罪になります。今日で、性的自由に対する罪の全体像が固まりました。

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#116単独ページ動画

住居侵入罪の保護法益と「侵入」

第13章 個人的法益②|自由に対する罪 ⑧/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

自由に対する罪、最後の区画へ

誰にも迷惑をかけず、静かに入ってすぐ出た。それでも「侵入」になるのか 図:誰にも迷惑をかけず、静かに入ってすぐ出た。それでも「侵入」になるのか

前回は、不同意性交等罪と致死傷罪を見て、性的自由に対する罪の全体像が固まりました。今日から、第13章の最後の区画、住居侵入罪に進みます。身体、意思決定、性的自由の次は、住居に誰を立ち入らせるかという場面の自由です。今日はここに、2つ問いを立てておきます。1つ目、扉は開いていて、誰にも迷惑をかけず、静かに入ってすぐ出た。それでも「侵入」になるでしょうか。2つ目の問いを立てておきます。建物の中には一歩も入っていない、塀の上に上っただけ。それでも罪になるでしょうか。

130条の全文

130条は、正当な理由の無い立入りと、居座りの両方を禁じる 図:130条は、正当な理由の無い立入りと、居座りの両方を禁じる

条文刑法130条

刑法130条(住居侵入等) 「正当な理由がないのに、人の住居若しくは人の看守する邸宅、建造物若しくは艦船に侵入し、又は要求を受けたにもかかわらずこれらの場所から退去しなかった者は、三年以下の拘禁刑又は十万円以下の罰金に処する。」

130条を確認します。前段が「侵入」、後段が「退去しなかった」、つまり不退去です。今日は前段だけを扱います。住居、人の看守する邸宅、建造物、艦船という4つの客体は、後ほどまとめて整理します。まず先に、条文の頭にある「正当な理由がないのに」を片づけておきます。これは、逮捕罪・監禁罪の条文の「不法に」と同じ型の言葉で、正当行為の回で見たような違法性阻却事由があれば、この罪は成立しないという当然のことを、条文が注意的に書いているだけです。例えば、消防士が火災現場に立ち入る場合は、違法性が消えるので、この罪は成立しません。

客体①——住居

「住居」とは、起臥寝食に使われている場所をいう 図:「住居」とは、起臥寝食に使われている場所をいう

まず「住居」です。日常的に寝起きし、食事をする場所、起臥寝食に使用されている場所、と定義されます。持ち家である必要はありません。使用は一時的でもかまいませんから、ホテルや旅館の一室のように、その日だけ使う場所でも住居にあたります。誰が所有しているかではなく、実際にそこで生活しているかどうかで決まる、ということです。

客体②〜④——邸宅・建造物・艦船

住居以外の3つの客体に共通する条件は「人の看守」 図:住居以外の3つの客体に共通する条件は「人の看守」

残る3つの客体です。「人の看守する邸宅」は、居住用の建物で、住居にあたらないもの、空き家や閉鎖中の別荘がこれにあたります。「建造物」は、住居にも邸宅にもあたらない建物、庁舎や学校、工場や物置です。「艦船」は、軍艦や船舶です。邸宅・建造物・艦船の3つには、「人の看守する」という共通の条件が付いています。「人の看守する」とは、管理権者、つまりその場所を管理する権限を持つ者が、人や設備を使って、事実上その場所を管理・支配していることをいいます。守衛を置いている、鍵をかけている、というのが典型です。逆に、立入禁止という札を立てているだけでは、それだけでは足りません。

「人」というのは、守衛さんのことですか。違います。ここでいう「人」は、管理権者本人を指します。守衛や管理人は、その管理権者のために事実上の管理をしている立場であって、条文上の「人」そのものではありません。

どこまでが客体か——囲繞地・共用部分・塀

塀や柵で囲われ、建物の利用に供されている土地も、客体に含まれる 図:塀や柵で囲われ、建物の利用に供されている土地も、客体に含まれる

ここで、冒頭の2つ目の問い、塀の上に上っただけで罪になるのか、という話に入ります。まず押さえておきたいのは、客体は建物の内部だけに限られない、ということです。塀や金網で囲われ、外から見て、建物の利用に供されていると分かる土地は、囲繞地と呼ばれ、建物本体と同じように客体に含まれます。共同住宅の廊下やエレベーターホールのような共用部分も同じです。

判例最高裁判所判決(刑集30巻2号79頁)

建造物の囲繞地 刑法一三〇条にいう「人の看守する建造物」とは、単に建物を指すばかりでなく、その囲繞地を含むものであつて、その建物の附属地として門塀を設けるなどして外部との交通を制限し、外来者がみだりに出入りすることを禁止している場所に故なく侵入すれば、建造物侵入罪が成立するものであることは、当裁判所の判例(……)の示すところである。……建物の囲繞地を刑法一三〇条の客体とするゆえんは、まさに右部分への侵入によつて建造物自体への侵入若しくはこれに準ずる程度に建造物利用の平穏が害され又は脅かされることからこれを保護しようとする趣旨にほかならないと解されるからである。

この事案は、国立大学の附置研究所の建物をめぐるもので、周囲が門や塀、金網の柵で囲まれ、建物の利用に供されていることがはっきりしている土地は、建造物の一部として扱われる、と判断されました。なぜ建物の外の土地まで含めるのか。門や塀で囲って、ここから先は勝手に入るなと示している土地に踏み込めば、建物そのものに踏み込むのとほとんど変わらないからです。逆に、道路からそのまま歩いて入れてしまう、囲いの無い庭や空き地は、囲繞地にはあたりません。判決の中の「建造物利用の平穏」という言葉は、この、どこまでを客体に含めるかの理由として使われたものです。この罪が全体として何を守っているかは、このあと改めて整理します。

判例最高裁判所判決(刑集62巻5号1217頁)

邸宅の囲繞地 各号棟の敷地のうち建築物が建築されている部分を除く部分は、各号棟の建物に接してその周辺に存在し、かつ、管理者が外部との境界に門塀等の囲障を設置することにより、これが各号棟の建物の付属地として建物利用のために供されるものであることを明示していると認められるから、上記部分は、「人の看守する邸宅」の囲にょう地として、邸宅侵入罪の客体になるものというべきである(……)。

邸宅の場合も、同じように囲繞地が認められるんですか。認められます。この事案は、公務員宿舎の共用部分と敷地に、政治的な内容のビラを投函する目的で立ち入ったというもので、住居ではなく、人の看守する邸宅の囲繞地として扱われました。住居に限らず、邸宅でも建造物でも、塀などで囲われた付属地は、同じように客体になりうるということです。

塀の上部も、建造物の一部にあたる 図:塀の上部も、建造物の一部にあたる

さらに一歩進んだ事案もあります。ある警察署では、高さ約2.4メートルの塀が、庁舎や中庭への立入りを制限する設備として設けられていました。行為者Aが、中庭に止められた捜査車両を確認する目的で、この塀によじ登り、塀の上部に達したという事案です。

判例最高裁判所決定(刑集63巻6号590頁)

塀の上部への到達と建造物の一部性 本件塀は、本件庁舎建物とその敷地を他から明確に画するとともに、外部からの干渉を排除する作用を果たしており、正に本件庁舎建物の利用のために供されている工作物であって、刑法130条にいう「建造物」の一部を構成するものとして、建造物侵入罪の客体に当たると解するのが相当であり……建造物侵入罪の成立を認めた原判断は正当である。

判断はこうです。この塀は、庁舎や中庭への立入りを制限するために設けられた設備ですから、建造物の一部にあたります。ですから、庁舎の建物内部には一歩も入っていなくても、塀の上部という「建造物の一部」に上った時点で、建造物侵入罪が成立します。冒頭の2つ目の問いへの答えはここにあります。客体がどこまで広がるかという問題であって、既遂の時期そのものが変わったわけではありません。この区別は、後ほど既遂時期を扱うときに、もう一度整理します。

この罪は何を守るのか——保護法益の対立

住居権説と平穏説、この罪が何を守っているかで対立する 図:住居権説と平穏説、この罪が何を守っているかで対立する

ここからが今日の核心です。住居侵入罪は、いったい何を守っている罪でしょうか。ここには、大きく2つの考え方があります。1つは住居権説。住居に誰を立ち入らせるかを、住居権者、つまりそこに住んでいる人自身が決める自由を、この罪の保護法益と見る考え方です。もう1つは平穏説。住居の事実上の平穏、つまり、家の中の静かな生活状態そのものを、保護法益と見る考え方です。家の入口に立つ門番にたとえると分かりやすいです。住居権説の門番は、住んでいる人が「この人は入れてよい」と言ったかどうかだけを見ます。平穏説の門番は、入ってくる人が、家の中の静かな暮らしを乱すかどうかを見ます。ただ、平穏説には弱点があります。この罪は、個人の自由や利益を守る、個人的法益に対する罪として位置づけられています。ところが「平穏」という言葉は、どうしても社会全体の平穏、つまり社会的法益のイメージに寄りやすい。個人的法益の罪であることと、うまく整合しないという批判があるんです。

住居権説のほうには、弱点は無いんですか。あります。住居権説の門番は、住んでいる人の意思に反しさえすれば、態様がどれだけ穏やかでも侵入と判断します。冒頭の1つ目の問いは、まさにこの弱点が表に出る場面です。処罰される範囲が広がりすぎるのではないか、という批判があり、これが平穏説が主張される理由でもあります。

判例最高裁判所判決(刑集37巻3号215頁)

「侵入」の意味の判断基準 刑法一三〇条前段にいう「侵入シ」とは、他人の看守する建造物等に管理権者の意思に反して立ち入ることをいうと解すべきであるから、……

この事案は、郵便局にビラを貼る目的で、夜間に立ち入ったというものです。判例は、「侵入」とは、管理権者の意思に反して立ち入ることをいう、と定義しました。誰を立ち入らせるかを管理権者が決める、という考え方と整合する定義ですから、住居権説の立場に立つものと整理されています。先ほどの囲繞地の判決に出てきた「平穏」という言葉は、どこまでを客体に含めるかの理由づけでした。「侵入」とは何かを正面から定義したのは、この判例のほうです。第13章の入口で、この罪を「私生活の平穏」を守る罪と紹介したのも、守られる範囲を大まかに言った言い方で、平穏説を採るという意味ではありません。

「侵入」の意味を導く

保護法益が決まれば、「侵入」の意味も決まる 図:保護法益が決まれば、「侵入」の意味も決まる

ここで、冒頭の1つ目の問いに戻ります。扉は開いていて、誰にも迷惑をかけず、静かに入ってすぐ出た。それでも「侵入」になるでしょうか。住居権説と平穏説、それぞれで考えるとどうなりますか。住居権説だと、住居権者が入ってほしくないと思っている限り、静かに入ろうが何をしようが、その意思に反していることに変わりないから、侵入になりそうです。住居権説では、「意思に反する立入り」であれば、それだけで侵入にあたります。態様がどれだけ穏やかでも関係ありません。平穏説では、平穏を害するような態様でなければ侵入にあたらないので、静かに入っただけなら侵入にならない、という結論もありえます。同じ事実でも、どちらの説に立つかで結論が分かれます。判例の定義は、住居権者、住居以外の客体では管理権者の意思に反する立入りかどうかを見るものですから、これに当てはめれば、静かに入っただけでも侵入にあたることになります。

窓を割って押し入った場合は、住居権者の意思に反していますし、平穏も害していますから、どちらの説でも侵入です。逆に、住んでいる人に招かれて静かに上がった客は、どちらの説でも侵入ではありません。説が分かれるのは、意思には反しているのに、態様は穏やかという、冒頭の問いのような場面です。何を守る罪と見るかが、まさにそこで答えを決めるわけです。

次回への橋

同じ2つの説が、次回はもっと難しい場面で問われる 図:同じ2つの説が、次回はもっと難しい場面で問われる

誰でも入ってよいはずの、一般に公開されている建物に、万引きのような違法な目的で入った場合はどうなるのか。あるいは、動機について錯誤があった状態で承諾を得ていた場合はどうなるのか。どちらも、住居権説と平穏説のどちらに立つかで結論が変わる応用問題です。

既遂時期と未遂

身体の全部が入って、初めて既遂になる 図:身体の全部が入って、初めて既遂になる

ここからは、今日の侵入の罪について、短答で問われる残りの点を確認します。まず、既遂の時期です。通説は、身体の全部が客体の中に入った時点で既遂になる、という全部説です。身体の一部だけが入った段階では、未遂にとどまります。

条文刑法132条

刑法132条(未遂罪) 「第百三十条の罪の未遂は、罰する。」

132条が、130条の罪の未遂を罰する、と定めています。例えば、塀を乗り越えようとしている途中で発見された場合は、未遂にとどまります。さっきの、塀の上部に上った時点で建造物侵入罪が成立した事案は、身体の一部しか入っていないのに、既遂になっていましたよね。全部説と矛盾しませんか。矛盾しません。あの事案は、塀そのものが独立した「建造物の一部」と評価されたので、塀の上部に上がった行為が、そのまま客体への立入りとして扱われたのです。既遂時期の基準が緩んだのではなく、客体の範囲がどこまで広いかという、別の問題だったわけです。

他の罪との関係

住居侵入は、他の罪の手段として牽連犯になる 図:住居侵入は、他の罪の手段として牽連犯になる

最後に、他の罪との関係です。第10章の罪数の回で見た牽連犯を、思い出せますか? 手段と目的の関係にある2つの罪を、どう処理するのでしたか。2つの罪は成立するけれど、そのうち最も重い刑で処断する、という処理だったと思います。住居侵入罪は、窃盗や強盗、殺人、放火などの手段として行われることが多く、その場合、住居侵入罪とそれらの罪は、54条1項後段の牽連犯の関係に立ちます。前回の不同意性交等罪も同じ型で、住居に侵入して不同意性交等に及んだ場合は、この牽連犯の関係になります。

今日の地図(保存版)

何を守る罪かが決まれば、「侵入」の意味が決まる 図:何を守る罪かが決まれば、「侵入」の意味が決まる

今日の内容を整理します。130条の前段は、住居、人の看守する邸宅、建造物、艦船への侵入を禁じ、囲繞地や共用部分も客体に含まれます。この罪が何を守っているのか、住居権説に立つか平穏説に立つかで、「侵入」の意味が変わります。判例は、管理権者の意思に反する立入りを侵入と定義していて、これは住居権説の立場と整理されています。冒頭の2つの問い、どちらも答えが出ましたね。静かに入ってすぐ出ても、意思に反していれば侵入にあたりますし、塀の上に上っただけでも、塀が建造物の一部なら、それだけで既遂になります。

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#117単独ページ動画

違法目的の立入りと不退去罪

第13章 個人的法益②|自由に対する罪 ⑨/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

前回の結びから

開いている入口を、悪いことを考えて通っただけでも「侵入」になるのか 図:開いている入口を、悪いことを考えて通っただけでも「侵入」になるのか

前回は、住居侵入罪の1本目として、130条前段の「侵入」の意味を、住居権説と平穏説という2つの保護法益の対立から導きました。今日はその続きで、この対立を、もっと難しい場面に当てていきます。まず1つ目の問いです。営業中のデパートに、万引きをするつもりで、開いている正面入口から入りました。店員の誰にも止められていません。それでも「侵入」になるでしょうか。もう1つ、問いを立てておきます。強盗をするつもりで、家の玄関先で「こんばんは」と挨拶したところ、家の人が「どうぞ」と言って迎え入れてくれました。家の人は入ってよいと言っています。それでも「侵入」でしょうか。

相手が「どうぞ」と言っているのに、犯罪になるんですか。それはさすがに変な気がします。

前回の受け——「侵入」の定義

誰の意思に反したか(住居権説)、どんな態様か(平穏説) 図:誰の意思に反したか(住居権説)、どんな態様か(平穏説)

前回、「侵入」の定義、覚えていますか? 住居権説なら、誰の意思に反した立入りが「侵入」でしたか。たしか、住居権者、住居以外の客体だと管理権者の、意思に反する立入りが「侵入」でした。平穏説だと、態様が平穏を害するものかどうかで決まる、でした。今日はこの2つの物差しを、そのまま新しい場面に当てていきます。答案はどちらの説に立ってもかまいません。理由を保護法益からきちんと言えることが大事、というのも前回と同じです。

公開建物への違法目的の立入り

通常の許可の範囲に入っているか、それとも外れているか 図:通常の許可の範囲に入っているか、それとも外れているか

デパートやホテルのロビー、官公庁の窓口のように、一般に立入りが許容されている場所は、原則として「侵入」にあたりません。管理権者が、来る人ひとりひとりに尋ねる代わりに、前もってまとめて「どうぞ」と許可しているからです。この、前もってまとめて与えている許可を、包括的な同意と言います。問題は、その場所に、万引きのような違法な目的で入った場合です。ここには3つの割れ方があります。1つ目、住居権説に立ちながら、違法目的での立入りは管理権者の意思に反するものに他ならないから侵入にあたるとする立場。2つ目、同じ住居権説に立ちながら、通常の態様の立入りである限り、管理権者の包括的な同意の範囲内だから侵入にあたらないとする立場。3つ目、平穏説に立って、通常の態様である限り平穏を害していないから侵入にあたらないとする立場です。

割れます。焼肉の食べ放題のお店を思い浮かべてください。お店は「好きなだけ食べてよい」という許可を客に与えています。ですが、その許可は「店で食べる客」に与えたものであって、「大きな容器を持ち込んで、持ち帰り用に肉を詰め込みに来た人」にまで与えたものではありません。1つ目の立場は、目的そのものが許可の外にあると考える立場です。これに対して2つ目と3つ目は、入口を通る姿が外から見て普通の客と変わらない以上、その立入りは許可の範囲内、あるいは平穏なままだ、と見る立場になります。1つ目の立場なら、目的そのものが管理権者の意思に反しますから、正面入口から堂々と入っていても侵入にあたります。2つ目と3つ目の立場なら、入口を通った時点では侵入にはあたりません。なお、実際に商品を持ち去れば窃盗罪の問題になりますが、それは立入りとは別の話です。答案では、どの立場に立ってもかまいません。

判例最高裁判所決定(刑集61巻5号379頁)

違法目的による立入りと管理権者の意思 以上の事実関係によれば、被告人らは、現金自動預払機利用客のカードの暗証番号等を盗撮する目的で、現金自動預払機が設置された銀行支店出張所に営業中に立ち入ったものであり、そのような立入りが同所の管理権者である銀行支店長の意思に反するものであることは明らかであるから、その立入りの外観が一般の現金自動預払機利用客のそれと特に異なるものでなくても、建造物侵入罪が成立するものというべきである。

判例を見ておきます。この事案は、ATM利用客のカードの暗証番号などを盗撮する目的で、行員が常駐しない銀行の出張所に、営業中に立ち入ったというものです。立入りの外観は、普通にATMを使いに来た客と何も変わりません。それでも判断は、この目的での立入りは管理権者の意思に反することが明らかだから、建造物侵入罪が成立する、というものでした。判決は学説の名前を名乗っているわけではありませんが、外観が普通でも意思に反すれば侵入にあたる、という筋道は、先ほどの1つ目の立場と同じ結論です。

マンション共用部分への立入り

前回(邸宅とその囲繞地)と今回(住宅の共用部分)、どちらも管理者の意思が物差し 図:前回(邸宅とその囲繞地)と今回(住宅の共用部分)、どちらも管理者の意思が物差し

続いて、集合住宅の共用部分です。前回、公務員宿舎の共用部分と敷地に、政治的なビラを投函する目的で立ち入った事案を見ました。あれは、共用部分は「人の看守する邸宅」そのものとして、敷地はその囲繞地として扱われましたね。今日見るのは、分譲マンションのケースです。管理組合が、玄関ホールの掲示板に「チラシ、パンフレット等広告の投函は固く禁じます」という張り紙を出していたにもかかわらず、政党のビラを各戸のポストに入れる目的で、玄関ホールから廊下やエレベーターホールといった共用部分に立ち入った、という事案です。

判例最高裁判所判決(刑集63巻9号1765頁)

マンション共用部分への立入りと管理組合の意思 以上の事実関係によれば、本件マンションの構造及び管理状況、玄関ホール内の状況、上記はり紙の記載内容、本件立入りの目的などからみて、本件立入り行為が本件管理組合の意思に反するものであることは明らかであり……本件立入り行為について刑法130条前段の罪が成立するというべきである。

判断は、マンションの構造や管理状況、張り紙の内容、立入りの目的などからみて、管理組合の意思に反することが明らかだから、130条前段の罪が成立する、というものでした。判決は、立ち入った場所を、住人が私的生活を営む場所である「住宅の共用部分」と呼んでいます。表現の自由との関係についても一言だけ触れておくと、判決は、政党のビラの配布という表現行為そのものを処罰しているのではなく、管理組合の承諾なくマンション内に立ち入ったことを問題にしているのだから、憲法21条1項には違反しない、としています。前回は邸宅とその囲繞地、今回は住人が暮らす住宅の共用部分という違いはありますが、どちらも管理者の意思に反する立入りという、同じ物差しで判断されています。判決が挙げた事情のうち、管理組合の意思を外に示していたのが、あの張り紙です。ビラやチラシを配りに入ってくることを前もってはっきり断っていたからこそ、その目的での立入りが許可の外だということは、外から見ても明らかだったわけです。

錯誤に基づく承諾——「今晩は」事件

承諾していたのは「誰」に対してだったのか 図:承諾していたのは「誰」に対してだったのか

ここで、冒頭2つ目の問いに戻ります。強盗をするつもりで「こんばんは」と挨拶し、家の人が「どうぞ」と答えて迎え入れた場合です。住居権説を前提にすると、有効な承諾に基づく立入りは、そもそも「侵入」にあたりません。ですから問題は、この承諾が有効なものだったかどうか、という一点に絞られます。この問題は、被害者の承諾の回で、空き巣が「こんばんは」と声をかける例として一度見ましたね。動機に錯誤があっても承諾は有効か、有効説と無効説に分かれる、という話でした。今日はその答えを、住居侵入罪の「侵入」に当てはめます。

ここで、たとえ話をします。玄関のインターホンが鳴り、「宅配便です」という声を聞いて、荷物を受け取るつもりで鍵を開けたところ、実は空き巣だった、という場面を考えてください。この人は「鍵を開けて中に入れる」という行為自体には、確かに納得ずくで応じています。ですが、納得していたのは「宅配便の配達員」に対してであって、「空き巣」に対してではありません。相手の本当の姿を知っていれば、鍵など開けなかったはずです。「今晩は」事件も、これと同じ構造です。家の人は「今晩は、おはいり」というやり取りには納得して応じていますが、納得していたのは「普通の来客」に対してであって、「強盗」に対してではありません。

判例最高裁判所大法廷判決(刑集3巻8号1363頁)

「今晩は」事件——承諾の有効性 強盗の意図を隠して「今晩は」と挨拶し、家人が「おはいり」と答えたのに応じて住居にはいつた場合には、外見上家人の承諾があつたように見えても、真実においてはその承諾を欠くものであることは、言うまでもないことである。

判決の言葉は、外見上は承諾があったように見えても、真実にはその承諾を欠く、というものです。承諾の有効性をめぐる考え方を整理すると、判例・多数説は、承諾が有効であるためには、任意であることに加えて、真意によるものであること、つまり動機に錯誤がないことが必要だとします。承諾の回で見た、無効説の側です。この立場からは、家の人が誤解していた以上、承諾は無効で、侵入にあたります。逆の立場もあるんですか。あります。少数説は、住居に立ち入らせること自体、つまり法益の処分そのものについて錯誤がなければ、承諾は有効だとします。承諾の回で見た、有効説の側です。宅配便のたとえで言えば、「鍵を開けて中に入れる」という行為そのものへの納得さえあれば、相手の正体を見誤っていても承諾は有効、という考え方です。この立場からは、家の人は確かに「中に入れる」ことに納得していたのですから、侵入にはあたりません。平穏説からは、態様そのものが平穏である以上、そもそも侵入にはあたらない、という結論になります。

判例最高裁判所判決(刑集2巻5号489頁)

顧客を装った立入りと承諾の範囲 住居権者の承諾ある場合は違法を阻却すること勿論であるけれども被害者において顧客を装い来店した犯人の申出を信じ店内に入ることを許容したからと言つて、強盗殺人の目的を以て店内に入ることの承諾を与えたとは言い得ない。

承諾の範囲——誰に対して、何を許可したか 図:承諾の範囲——誰に対して、何を許可したか

もう1つ、関連する判例です。強盗殺人の目的で、客のふりをして店に入った事案です。判断は、こうでした。住居権者が承諾していれば違法性が阻却されるのはもちろんだが、客を装って来店した犯人の申出を信じて店内に入ることを許容したからといって、強盗殺人の目的で店内に入ることへの承諾を与えたとは言えない、というものです。これは、誰でも入れるはずの店舗でも、承諾していた相手は「普通の客」であって「強盗殺人犯」ではない、という構造で、先ほどの公開建物の論点と、この承諾の論点の、両方の考え方をつなぐ事案です。この、承諾が有効であるための要件をどう立てるかという議論は、論文で正面から問われる論点になりえます。冒頭の2つの問いは、実は同じ1問でした。開いている正面入口も、「どうぞ」という言葉も、外から見える形にすぎません。判例の筋は、その形ではなく、管理権者や家の人が実際に何を許可していたかで測り直し、その外にある立入りを侵入とします。使った道具は、前回の「意思に反する立入り」という定義だけです。

不退去罪——130条後段

一度は適法に入った人が、要求を受けても居座り続ける罪 図:一度は適法に入った人が、要求を受けても居座り続ける罪

ここまでは、入る瞬間に承諾があったかどうかの話でした。では、承諾を得て適法に入った人が、あとで帰ってほしいと言われても出ていかなかったら、どうなるか。ここからは、130条後段、不退去罪です。復習の意味も込めて、条文をもう一度見ておきます。

条文刑法130条

刑法130条(住居侵入等) 「正当な理由がないのに、人の住居若しくは人の看守する邸宅、建造物若しくは艦船に侵入し、又は要求を受けたにもかかわらずこれらの場所から退去しなかった者は、三年以下の拘禁刑又は十万円以下の罰金に処する。」

前段が今日まで扱ってきた「侵入」、後段が今日の本題、「要求を受けたにもかかわらず……退去しなかった」という不退去罪です。喫茶店に入ること自体は誰でも自由で、適法な立入りです。ですが、店員に「そろそろお会計をお願いします、席を空けてください」と言われても、そのまま座り続ければ、それは新しい問題になります。入った瞬間の話ではなく、言われてからも居続けたという、時間の経過そのものが問題になる場面です。これが不退去罪の構造です。退去すべき義務があるのに退去しないという不作為そのものが実行行為になる、真正不作為犯です。既遂の時期は、要求を受けたことを認識し、退去に必要な合理的な時間が経過したのに立ち退かない、その時点です。

未遂を観念できるだけの隙間が無い 図:未遂を観念できるだけの隙間が無い

132条は、130条の罪の未遂も罰すると規定していますが、不退去罪については、未遂は観念できないと解するのが通説です。理由はこうです。要求を受けてから、合理的な時間が経過するまでの間は、まだ退去する猶予の範囲内ですから、そもそも罰する必要がありません。そして、合理的な時間が経過した瞬間、直ちに既遂になってしまいます。未遂として処罰する隙間が、時間軸の上に無いんです。

判例最高裁判所決定(刑集10巻8号1237頁)

侵入後の居座りと不退去罪の関係 建造物侵入罪は故なく建造物に侵入した場合に成立し退去するまで継続する犯罪であるから、同罪の成立する以上退去しない場合においても不退去罪は成立しないものと解するを相当とする。

判断はこうです。建造物侵入罪は、正当な理由なく建造物に侵入した場合に成立し、退去するまで継続する犯罪だから、その罪が成立する以上、退去しない場合であっても不退去罪は別に成立しない、というものです。住居侵入罪は、入った瞬間だけの罪ではなく、退去するまでずっと続いている継続犯なんです。ですから、不退去罪は、あくまで適法に、つまり承諾を得て入った人が、要求を受けたのに出ていかない、という場面のための条文です。無理やり入った人には、そもそも侵入罪がずっと成立し続けているので、不退去罪の出番はありません。

第13章の締め——自由に対する罪の見分け方

決め手の1語を先に言えれば、条文は自動的に決まる 図:決め手の1語を先に言えれば、条文は自動的に決まる

ここまでで、住居侵入罪と不退去罪が終わりました。第13章、自由に対する罪の最後に、これまで見てきた罪を全部混ぜて、区別する練習をしておきます。ルールはシンプルです。私が事例を出しますので、まず決め手になる1語を答えてから、条文を確定してください。

Aが、Bの部屋のドアに外から鍵をかけて、Bを閉じ込めた 図:Aが、Bの部屋のドアに外から鍵をかけて、Bを閉じ込めた

では、1問目です。Aが、Bの部屋のドアに外から鍵をかけて、Bを閉じ込めました。何罪で、決め手は何ですか。体を直接つかんでいるわけではないので、監禁罪だと思います。決め手は、身体活動の自由です。身体活動の自由とは、体を動かして移動する自由のことです。鍵をかけて閉じ込めるのは、この身体活動の自由を、身体を間接的に拘束して奪う典型的な監禁罪です。

Aが、Bに「今夜、お前の家に火をつけてやる」と告げた。実際には何もしていない 図:Aが、Bに「今夜、お前の家に火をつけてやる」と告げた。実際には何もしていない

2問目です。Aが、Bに「今夜、お前の家に火をつけてやる」と告げました。実際には何もしていません。何罪で、決め手は何ですか。実際に何もしていないので、脅迫罪だと思います。害を告げただけで、現実に怖がらせる必要は無いんでしたよね。決め手は、自分の意思で決める自由、つまり意思決定の自由です。脅迫罪は、害悪を告げて意思決定の自由を脅かす罪で、脅迫という行為だけで成立する抽象的危険犯、つまり害悪の告知が伝わっただけで、結果の発生を待たずに成立する犯罪類型ですから、Bが現実に畏怖したかどうかは関係ありません。害悪の告知が伝わった時点で、脅迫罪は成立しています。

Aが、Bを脅して、罪もないのに土下座をさせ、実際にBは土下座をした 図:Aが、Bを脅して、罪もないのに土下座をさせ、実際にBは土下座をした

3問目です。Aが、Bを脅して、罪もないのに土下座をさせ、実際にBは土下座をしました。何罪で、決め手は何ですか。脅すだけじゃなくて、実際にさせているので、強要罪だと思います。決め手は、現実に義務のないことを行わせたこと、という結果です。脅迫罪は行為だけで成立する抽象的危険犯でしたが、強要罪は、義務のないことを行わせたという結果まで現実に発生して初めて既遂になる、侵害犯でした。侵害犯とは、保護法益が現実に侵害されて初めて成立する犯罪類型のことです。

Aが、親に無断で、小学生のBに「お菓子をあげる」と声をかけて車に乗せ、自分の家に連れて行った

4問目です。Aが、親に無断で、小学生のBに「お菓子をあげる」と声をかけて車に乗せ、自分の家に連れて行きました。何罪で、決め手は何ですか。未成年者略取誘拐罪だと思います。決め手は、生活環境からの離脱と、親が子どもを手元に置いて世話をし、守り育てる権利、つまり監護権です。お菓子で誘って連れて行っていますから、誘惑による誘拐にあたり、Bを生活環境から離脱させて自分の事実的支配の下に置いていますし、親権者に無断ですから、監護権の侵害もあります。

場面1と場面2——それぞれ何罪か 図:場面1と場面2——それぞれ何罪か

最後、5問目です。2つの場面を続けて出します。場面1、Aが、Bの家の窓を割って中に入りました。場面2、Aは、友人として招かれて部屋に上がりましたが、Bに「そろそろ帰って」と言われても、部屋に座り続けました。それぞれ何罪で、決め手は何ですか。同じ130条の中の、前段と後段の違いが、そのままここに出ています。場面1は、窓を割って入っているので、意思に反する立入りとして住居侵入罪です。場面2は、入るとき自体は適法だったので、要求を受けても退去しないことが決め手になって、不退去罪です。どちらも正解です。

今日の地図(保存版)

「誰の意思に反するか」「動機に錯誤があるか」の2問に還元できる 図:「誰の意思に反するか」「動機に錯誤があるか」の2問に還元できる

今日の内容を整理します。公開建物への違法目的の立入りも、動機の錯誤に基づく承諾も、新しい定義を覚え直す必要はありませんでした。前回決めた「侵入」の定義、誰の意思に反するかという物差しを、そのまま当てはめただけです。そこに、承諾はその動機まで含めて有効だったか、という1問が加わっただけです。冒頭の2つの問い、どちらも答えが出ましたね。デパートへの万引き目的の立入りは、立場によって結論が分かれますが、目的そのものが管理権者の意思に反すると見る立場からは侵入にあたります。「今晩は」事件のほうは、判例・多数説なら、外見上の承諾はあっても真実には承諾を欠くので、侵入にあたります。そして130条後段の不退去罪は、一度は適法に入った人が、要求を受けても居座り続ける場面のための条文でした。これで、住居侵入罪と不退去罪、そして第13章、自由に対する罪の全体が終わりました。

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第14章個人的法益③|秘密・名誉・信用・業務

#118単独ページ動画

信書開封罪と秘密漏示罪

第14章 個人的法益③|秘密・名誉・信用・業務 ①/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

前回の結びから

中身を読まずに開けてすぐ閉じても、犯罪になるのか 図:中身を読まずに開けてすぐ閉じても、犯罪になるのか

前回まで、自由に対する罪を見てきました。今日からは、秘密や名誉、信用や業務といった、社会生活の中の利益を守る罪に入ります。まず1つ目の問いです。家族あての封筒を、中身は一切読まずに、開けてすぐ閉じました。誰の秘密も知らないままです。それでも犯罪になるでしょうか。もう1つ問いを立てておきます。ある人の病名を、担当の医師がしゃべれば犯罪になりうるのに、たまたま病院の廊下で聞いた見舞客がしゃべっても、何の罪にもなりません。漏らした事実は同じなのに、なぜでしょうか。確かに、同じことをしゃべっているのに扱いが違うのは、変な感じがします。

第14章の地図——秘密・名誉・信用・業務

秘密・名誉・信用・業務、3つの人格的利益と条文の置き場 図:秘密・名誉・信用・業務、3つの人格的利益と条文の置き場

これまで、生命・身体を守る罪、それから自由を守る罪と進んできました。今日から入る第14章は、その次の段階です。人が社会の中で生きていくうえで大事な、3つの利益を守ります。1つ目が秘密、知られたくないことを知られない利益です。133条から135条がここに入ります。2つ目が名誉、社会の中での評価です。3つ目が信用と業務、経済活動や社会活動が円滑に営まれる利益で、233条から234条の2に入ります。体そのものを守る段階、動く自由を守る段階の次に、他人にどう見られるか、他人にどう知られるかという、社会生活の中での利益を守る段階に進みます。今日はその入口、秘密を守る2本の条文を見ていきます。

133条 信書開封罪

133条は3つの部品——封をしてある信書・開けた・正当な理由がないのに 図:133条は3つの部品——封をしてある信書・開けた・正当な理由がないのに

条文刑法133条

刑法133条(信書開封) 「正当な理由がないのに、封をしてある信書を開けた者は、一年以下の拘禁刑又は二十万円以下の罰金に処する。」

133条を全文で読みます。「正当な理由がないのに、封をしてある信書を開けた者は、一年以下の拘禁刑又は二十万円以下の罰金に処する」。まず客体、「封をしてある信書」から見ていきます。「封」とは、信書の内容を外から認識できないように、信書と一体になった形で施す仕組みのことです。封筒に糊付けをするのが典型です。逆に、鍵付きの引き出しに手紙を入れて施錠しても、信書そのものと一体になっているわけではないので、これは「封」にあたりません。「信書」とは、特定の人から特定の人に対して、自分の意思を伝える文書のことです。特定の人には、個人だけでなく会社のような法人も含みます。ただし、単なる図面や写真だけのものは、意思を伝える文書とは言えないので「信書」にはあたりません。

開けた瞬間に、もう秘密は危険にさらされている 図:開けた瞬間に、もう秘密は危険にさらされている

行為は「開けた」、つまり開封です。ここが今日の1つ目の問いに関わる部分です。条文には「開けた」としか書かれていません。中身を読んだことは要件になっていないんです。さっきの問い、封筒を開けてすぐ閉じただけの場合ですね。読んでいないのに、それでも成立するんですか。成立します。開封という行為があった時点で、もう既遂です。宅配便の集荷所を思い浮かべてください。伝票を見ただけでは中の商品は分かりません。それでも、封をしたままの箱を勝手に開けて中を覗くこと自体を、集荷所のルールは禁じています。中の商品が実際に何であったかは関係ありません。「開けた」という一点だけで、ルール違反は成立します。信書の開封も同じで、中身を実際に読んだかどうかではなく、封という「知られないための仕組み」を破った時点で、秘密はもう危険にさらされている、と考えるんです。

結果を待たずに、行為だけで成立する、ということですか。これを抽象的危険犯と呼びます。前に、脅迫罪のところで一度出てきた考え方です。害悪の告知が伝わっただけで成立し、相手が実際に怖がったかどうかは問わない、というのが脅迫罪でした。133条も同じ設計で、実際に秘密が漏れたという結果までは要求せず、開封という行為だけで処罰します。だから、冒頭の1つ目の問いの答えは、開けてすぐ閉じただけでも、133条は成立する、ということになります。読んでいないから何も知らない、という言い分は、この条文の前では通用しません。

「正当な理由がないのに」という文言は、正当な理由があれば違法性が阻却される、つまり犯罪にならないことを、条文がはっきり示したものです。例えば、法令上の権限に基づいて開封する場合です。大事なのは、開封という行為があっても、正当な理由があれば犯罪にならない、という構造だけです。保護法益は、信書の秘密、つまり中身を知られない利益です。

133条と263条(信書隠匿)の弁別

133条と263条の違い——開けたか、隠したか 図:133条と263条の違い——開けたか、隠したか

ここで、隣にある条文と1つ比べておきます。263条、信書隠匿罪です。「他人の信書を隠匿した者は、六月以下の拘禁刑又は十万円以下の罰金若しくは科料に処する」。133条と同じく信書に関わる罪ですが、守っているものと行為が違います。133条が守るのは、信書の秘密、つまり中身を知られない利益で、行為は「開封」です。263条が守るのは、信書という物の効用、つまり送った人や受け取る人がその信書を使える状態、そのものです。行為は「隠匿」、隠すことです。届いた手紙を、開けもせず、ただ宛先の人に渡さず自分の机に隠しておいた場合、中身は誰にも知られていませんから133条にはなりません。でも、受け取るはずの人が使えない状態にしていますから、263条にあたります。決め手はシンプルで、開けたか、隠したかの1点です。隠匿罪の細かい要件や当てはめは、あとの回で改めて扱います。今日は、この1問だけ切り分けられれば十分です。

134条 秘密漏示罪

誰が主体になれるかを、条文が最初から絞っている 図:誰が主体になれるかを、条文が最初から絞っている

ここで、共犯と身分のところで出てきた区別を1つ思い出してください。真正身分犯と不真正身分犯の違い、覚えていますか?真正身分犯は、身分が無いとそもそも犯罪が成立しない類型で、不真正身分犯は、身分が無くても犯罪自体は成立するけれど、身分があることで刑が重くなったり軽くなったりする類型でした。134条は、この真正身分犯の実例です。全文を読みます。

条文刑法134条1項・2項

刑法134条(秘密漏示) 第1項「医師、薬剤師、医薬品販売業者、助産師、弁護士、弁護人、公証人又はこれらの職にあった者が、正当な理由がないのに、その業務上取り扱ったことについて知り得た人の秘密を漏らしたときは、六月以下の拘禁刑又は十万円以下の罰金に処する。」 第2項「宗教、祈祷若しくは祭祀の職にある者又はこれらの職にあった者が、正当な理由がないのに、その業務上取り扱ったことについて知り得た人の秘密を漏らしたときも、前項と同様とする。」

1項を読みます。「医師、薬剤師、医薬品販売業者、助産師、弁護士、弁護人、公証人又はこれらの職にあった者が、正当な理由がないのに、その業務上取り扱ったことについて知り得た人の秘密を漏らしたときは、六月以下の拘禁刑又は十万円以下の罰金に処する」。2項は、宗教、祈祷、祭祀の職にある者、あった者について、同じ扱いを定めています。条文に職業が並んでいること、そこが今日の一番の対比です。133条は「開けた者」としか書いてなくて、誰でも主体になれました。134条は違います。主体が、条文に列挙された職業の人と、その職にあった者に、はっきり限定されています。身分の無い人は、単独ではこの罪の主体になれません。

なぜ職業を限定するのか——信頼して秘密を打ち明ける関係 図:なぜ職業を限定するのか——信頼して秘密を打ち明ける関係

合鍵を思い浮かべてください。合鍵を渡すのは、家族や、信頼している特定の業者、例えば警備会社の技術者くらいで、通りすがりの人には渡しません。合鍵を持っている人が、その鍵を使って知った家の中の様子を言いふらせば、信頼を裏切ったことになります。医師や弁護士も同じです。患者は症状を、依頼者は事情を、それぞれ打ち明けなければ、診察も弁護もできません。打ち明ける側は、相手を信頼して秘密を明かしているわけです。134条は、この信頼関係を裏切って秘密を漏らす行為を罰する条文です。合鍵をそもそも持っていない人、つまり134条に列挙された職業についていない人が、同じことを言いふらしても、「合鍵を悪用した」という話にはなりません。見舞客は、たまたま知っただけで、134条が対象にしている職業のどれにもあたりません。だから、134条の主体にそもそもなれず、この条文では処罰されないんです。ただし、これは134条の話であって、名誉毀損など他の罪が別に成立するかどうかは、また別の問題です。

「秘密」とは、一般に知られていない事実のことです。「業務上取り扱ったことについて知り得た」は、その職業としての仕事に関連して知った秘密に限る、という意味です。医師が友人として偶然聞いた話は、業務上知った秘密ではありませんから、134条の客体にはなりません。行為は「漏らした」、つまり、まだその秘密を知らない他人に告知することです。こうして見ると、134条も、誰が=列挙された職業の人、何を=業務上知った秘密、どうした=漏らした、の3問で読み切れます。133条との違いは、1問目の『誰が』で最初から絞っているところです。

鑑定人と134条

家庭裁判所→鑑定命令→医師→鑑定資料の閲覧・鑑定結果→第三者への開示 図:家庭裁判所→鑑定命令→医師→鑑定資料の閲覧・鑑定結果→第三者への開示

ここで、134条をめぐって争われた判例を見ます。判断は3つあります。1つは、医師が裁判所に頼まれて鑑定をした場合も、134条の『医師』の業務にあたるか。もう1つは、誰の秘密までが『人の秘密』に入るか。そしてもう1つは、その秘密を漏らされた本人以外の人が、告訴できるか、です。まず事案です。精神科の医師が、少年事件について家庭裁判所から精神鑑定を命じられました。鑑定資料として、少年らの供述調書の写しの貸出しを受けていたのですが、正当な理由なく、その鑑定資料や鑑定結果を書いた書面を第三者に見せてしまい、少年とその実父の秘密を漏らした、という事案です。

弁護人は、鑑定人としての仕事はあくまで「鑑定人の業務」であって「医師の業務」ではないから、134条1項の「医師」にはあたらない、と主張しました。裁判所から頼まれた鑑定であって、患者を診察したわけではない、という理屈です。

判例最高裁判所第二小法廷決定 平成24年2月13日 刑集66巻4号405頁

鑑定人と秘密漏示罪 本件のように、医師が、医師としての知識、経験に基づく、診断を含む医学的判断を内容とする鑑定を命じられた場合には、その鑑定の実施は、医師がその業務として行うものといえるから、医師が当該鑑定を行う過程で知り得た人の秘密を正当な理由なく漏らす行為は、医師がその業務上取り扱ったことについて知り得た人の秘密を漏示するものとして刑法134条1項の秘密漏示罪に該当すると解するのが相当である。

判断はこうでした。医師としての知識や経験に基づいて、診断を含む医学的判断を内容とする鑑定を命じられた場合には、その鑑定の実施は、医師がその業務として行うものだと言える。だから、その鑑定を行う過程で知った秘密を正当な理由なく漏らせば、134条1項の秘密漏示罪にあたる、という判断です。決め手は、頼んだのが患者か裁判所かではなく、仕事の中身です。134条は「業務上」としか書いておらず、誰から頼まれた仕事かを問いません。そして、この鑑定は、診断を含む医学的判断、つまり医師の知識と経験そのものを使う仕事でした。さっきの合鍵で言えば、鍵を渡したのが家の持ち主ではなく管理会社だったとしても、その鍵で入った家の中で見たことに変わりはありません。だから、裁判所からの依頼による鑑定でも、そこで知った秘密は「医師がその業務上知り得た秘密」に含まれる、と判断されました。

「人の秘密」は本人だけか——実父の秘密と告訴権 図:「人の秘密」は本人だけか——実父の秘密と告訴権

判例最高裁判所第二小法廷決定 平成24年2月13日 刑集66巻4号405頁

「人の秘密」の範囲 このような場合、「人の秘密」には、鑑定対象者本人の秘密のほか、同鑑定を行う過程で知り得た鑑定対象者本人以外の者の秘密も含まれるというべきである。したがって、これらの秘密を漏示された者は刑訴法230条にいう「犯罪により害を被った者」に当たり、告訴権を有すると解される。

2つ目の判断は、「人の秘密」には、鑑定を受けた本人だけでなく、鑑定を行う過程で知った、本人以外の人の秘密も含まれる、というものです。この事案では、少年本人の秘密だけでなく、その実父の秘密まで漏らされていました。条文も『人の秘密』と書くだけで、本人の秘密に限る言葉はありません。3つ目の判断は、その実父も、刑事訴訟法にいう「犯罪により害を被った者」にあたり、告訴する権利を持つ、というものです。告訴というのは、被害を受けた人が、捜査機関に犯罪を申告して、処罰を求めることです。これが大事な理由は、このあと見る135条で、この章の罪は、告訴がなければ起訴できないとされているからです。実父に告訴する権利が無ければ、自分の秘密を漏らされても、実父の側からは処罰を求めることができません。135条と合わせて見ると、実父にも、自分の意思で処罰を求める道が開かれている、ということです。

鑑定人が医師でなければ——判例の射程 図:鑑定人が医師でなければ——判例の射程

例えば行動心理学の専門家が鑑定人に選ばれ、同じように秘密を漏らしても、134条には列挙されていない職業ですから、この罪にはなりません。この判例が判断したのは、あくまで医師が医学的判断を内容とする鑑定をした場合です。この決定には千葉勝美裁判官の補足意見が付いていて、まさにこの差に触れています。補足意見は、法廷全員の判断そのものではなく、1人の裁判官が個人として付け加えた説明です。秘密を患者との信頼関係の中で知ったものに限って読む解釈も考えられるが、「文理上の手掛かりはなく、解釈論としては無理であろう」とし、134条は医師という身分そのものに着目した構成要件だ、と説明しています。

135条 親告罪

告訴がなければ起訴できない——裁判で秘密がさらに広まるのを防ぐ 図:告訴がなければ起訴できない——裁判で秘密がさらに広まるのを防ぐ

条文刑法135条

刑法135条(親告罪) 「この章の罪は、告訴がなければ公訴を提起することができない。」

最後の条文、135条です。「この章の罪は、告訴がなければ公訴を提起することができない」。133条から134条までの罪はすべて親告罪で、告訴が無ければ起訴できません。訴追、つまり起訴という手続が始まると、裁判の過程で、信書の内容や漏らされた秘密が公に取り上げられることになります。せっかく秘密を守るための条文なのに、訴追されることでかえって秘密が広く知られてしまっては本末転倒です。だから、秘密の主体が望まない限り起訴されないように、告訴を要件にしているんです。さきほどの判例で、実父に告訴権があると判断されたのも、この135条があるからこそ意味を持つ話です。

弁別ミニ事例

決め手の1語を先に言えれば、条文は自動的に決まる 図:決め手の1語を先に言えれば、条文は自動的に決まる

ここまでの内容を、事例で確認します。私が事例を出すので、まず決め手になる1語を答えてから、条文を確定してください。

Aが、Bあての手紙を、中身を見ずに開けてすぐ閉じた 図:Aが、Bあての手紙を、中身を見ずに開けてすぐ閉じた

1問目です。Aが、Bあての手紙を、中身を見ずに開けて、すぐ閉じました。何罪で、決め手は何ですか。中身は読んでいませんが、開けているので133条、信書開封罪だと思います。決め手は、開封という行為があったことです。中身を読んだかどうかは要件になっていません。開封という行為があった時点で、抽象的危険犯として既遂です。

病院の廊下でBの病名をたまたま聞いたAが、それを言いふらした 図:病院の廊下でBの病名をたまたま聞いたAが、それを言いふらした

2問目です。病院の廊下で、Bの病名をたまたま聞いたAが、それを言いふらしました。何罪で、決め手は何ですか。Aは医師でも何でもなく、たまたま知っただけなので、134条の主体にはあたらず、この罪では不成立だと思います。決め手は、134条に列挙された職業の身分を持っているかどうかです。134条は真正身分犯ですから、身分の無いAは、単独では主体になれません。名誉毀損など他の罪の成否は別に考える必要がありますが、少なくとも秘密漏示罪では不成立です。

届いたBあての手紙を、Aが宛先人に渡さず自分の机に隠した 図:届いたBあての手紙を、Aが宛先人に渡さず自分の机に隠した

3問目です。届いたBあての手紙を、Aが宛先人に渡さず、自分の机に隠しました。何罪で、決め手は何ですか。開けてはいないので133条ではなく、隠しているので263条、信書隠匿罪だと思います。決め手は、開けたのではなく隠したことです。中身を知られる危険は生じていませんが、Bが手紙を使える状態を奪っているので、263条にあたります。

弁護士のAが、受任事件で聞いたBの秘密を、正当な理由なく話した 図:弁護士のAが、受任事件で聞いたBの秘密を、正当な理由なく話した

最後、4問目です。弁護士のAが、受任した事件でBから聞いた秘密を、正当な理由なく第三者に話しました。何罪で、決め手は何ですか。弁護士は134条1項に列挙された職業なので、134条、秘密漏示罪だと思います。決め手は、業務上知り得た秘密を、身分のある者が漏らしたことです。弁護士は134条1項の主体にあたり、受任事件を通じて業務上知った秘密を漏らしていますから、秘密漏示罪が成立します。今日の4問はどれも、誰が、何を、どうしたかの3問だけで答えが出ましたね。

今日の地図(保存版)

入口(133・誰でも)と出口(134・特定の職業)、2本の条文で秘密を守る 図:入口(133・誰でも)と出口(134・特定の職業)、2本の条文で秘密を守る

今日の内容を整理します。秘密を守る条文は2本でした。133条は、誰でも主体になれる代わりに、開封という行為だけで既遂になる抽象的危険犯です。134条は、条文に列挙された職業の人だけが主体になれる真正身分犯で、業務上知り得た秘密を漏らす行為を罰します。そして135条が、この章全体を親告罪として、訴追によってかえって秘密が広まることを防いでいます。冒頭の2つの問い、どちらも答えが出ましたね。封筒を開けてすぐ閉じただけでも、開封という行為があった時点で133条は成立します。医師がしゃべれば犯罪になるのに見舞客がしゃべってもならないのは、134条が真正身分犯で、見舞客には主体としての身分が無いからでした。誰が、何を、どうしたか。この3問さえ立てられれば、133条、134条、そして隣の263条まで、すぐに切り分けられます。

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#119単独ページ動画

名誉毀損罪の成立要件

第14章 個人的法益③|秘密・名誉・信用・業務 ②/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

前回の結びから

2人しかいない部屋での悪口は、名誉毀損罪になるか 図:2人しかいない部屋での悪口は、名誉毀損罪になるか

前回は、秘密を守る罪を見ました。今日からは、同じ第14章の中の、名誉を守る罪に入ります。まず問いです。AとBの2人しかいない部屋で、AがBの悪口を言いました。それでも、名誉毀損罪になるでしょうか。もう1つ問いを立てておきます。Aが、少人数の友人にだけ「Bは以前、万引きをした」と、本当のことを話しました。真実なのに、それでも名誉毀損罪になりうるでしょうか。本当のことを言っただけなのに、犯罪になるとしたら、それは変な感じがします。

第14章の地図——名誉の位置

秘密の次は、社会の中での評価を守る条文に進む 図:秘密の次は、社会の中での評価を守る条文に進む

前回、第14章は3つの利益を守っていると整理しました。秘密、名誉、そして信用・業務です。前回は1つ目の秘密を、133条から135条で見ました。今日は2つ目、名誉に入ります。230条から232条が対象です。秘密と名誉は、別の利益です。秘密は、自分の情報を自分でコントロールする利益でした。名誉は、社会がその人にどういう評価を与えるか、という利益です。自分の情報を隠す話ではなく、他人からの評価そのものを守る話に変わります。この違いが、今日の一番大事な論点、保護法益の話に直結します。

230条 名誉毀損罪

230条1項は3つの部品——公然と・事実を摘示し・人の名誉を毀損した 図:230条1項は3つの部品——公然と・事実を摘示し・人の名誉を毀損した

230条1項は、3つの部品に分けて読めます。「公然と」、「事実を摘示し」、「人の名誉を毀損した」。摘示というのは、事実をはっきり示す、つまり具体的に述べることです。この3つを、今日は1つずつ順番に確かめていきます。

条文刑法230条

刑法230条(名誉毀損) 第1項「公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損した者は、その事実の有無にかかわらず、三年以下の拘禁刑又は五十万円以下の罰金に処する。」 第2項「死者の名誉を毀損した者は、虚偽の事実を摘示することによってした場合でなければ、罰しない。」

230条を全文で読みます。1項、「公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損した者は、その事実の有無にかかわらず、三年以下の拘禁刑又は五十万円以下の罰金に処する」。ここに、今日の問いの答えがすべて詰まっています。事実が本当であるかどうかは、成立を左右しません。冒頭の問いの答えは、あとで丁寧に組み立てますが、先に結論だけ言うと、本当のことでも成立しうる、が正解です。ただし、それが常に処罰されてよいかという別の問題があり、そこは230条の2という条文が受け持ちます。今日はその手前、230条そのものの成立要件だけに絞ります。

亡くなった人にも名誉毀損罪は成立しうるのですが、条件が絞られています。2項は、虚偽の事実を摘示した場合でなければ罰しない、としています。つまり、死者について本当のことを言っただけでは、この罪は成立しません。生きている人については真偽を問わないのに、死者については嘘であることが要件になる。この差は、あとで客体のところで改めて扱います。

名誉の3分類と保護法益

名誉は1つではなく、3つの層に分かれる 図:名誉は1つではなく、3つの層に分かれる

230条の保護法益を考えるために、まず「名誉」という言葉を3つに分けます。1つ目は内部的名誉、他人の評価とは無関係に、その人に客観的に備わっている価値そのものです。これは、誰かに悪口を言われたくらいでは減りも増えもしないので、保護法益から外れることに争いはありません。2つ目は外部的名誉、社会がその人に与えている評価です。3つ目は名誉感情、本人が自分自身に対して持っている価値意識、つまりプライドのようなものです。

「公然と」という要件が、保護法益を外部的名誉に絞り込む 図:「公然と」という要件が、保護法益を外部的名誉に絞り込む

ここは判例・通説と、少数説とで立場が分かれています。判例・通説は、外部的名誉説と呼ばれる立場で、230条が守るのは外部的名誉だけだと考えます。決め手は、230条が「公然と」という要件を置いていることです。もし名誉感情まで守るなら、密室で2人だけのときでも名誉感情は傷つきうるのに、それでも条文がわざわざ公然性を要求しているのは説明がつきません。公然性を要求しているという条文の作り自体が、社会に伝わって初めて害される利益、つまり外部的名誉だけを想定している証拠だ、と読むわけです。名誉感情包含説は、外部的名誉に加えて名誉感情も保護法益に含めるべきだ、という立場です。ただ、この立場に対しては、判例・通説と同じ理由づけがそのまま突き刺さります。名誉感情も守るなら、なぜ密室での発言まで公然性の要件で除外されるのか、説明が難しいんです。単なる感情は法律で守るべき利益とまでは言えない、という批判も加わります。だから、外部的名誉説が判例・通説になっています。

外部的名誉説に立つ限り、230条が守っているのは社会からの評価です。社会からの評価が下がるには、その話が社会に届く経路に乗る必要があります。密室で2人だけの会話は、外に一切つながっていない専用の回線のようなもので、栓を開けても水は外に漏れません。230条の「公然と」、つまり公然性は、ひとことで言えば、話が世の中に伝わりうる状態を求める要件です。密室の会話はその状態に無いので、公然性を欠き、230条は不成立です。ただし、これはあくまで名誉毀損罪の話であって、他の罪の成否はまた別の問題です。

公然性と伝播可能性の理論

公然性=不特定または多数人が認識しうる状態 図:公然性=不特定または多数人が認識しうる状態

「公然と」の中身に入ります。判例は、公然性を、不特定または多数人が認識しうる状態、と定義しています。不特定というのは、相手が誰であるか限定されていないこと、多数人というのは、相手は特定されているが人数が多いことです。このどちらか一方を満たせば足ります。例えば、駅前で通りがかりの人たちに向かって話せば、相手が誰か決まっていないので不特定です。社員二百人が集まる全体会議なら、相手は決まっていても多数です。どちらでも公然性を満たします。

特定少数への発言でも、そこから広がる可能性があれば公然性を満たす 図:特定少数への発言でも、そこから広がる可能性があれば公然性を満たす

ここで、実際にあった最高裁判所の判断を見てみましょう。ある人が、確証もないのに、別の人が放火をしたと思い込み、その人の身内や、火事の見舞いに来た人、近所の人たちなど、特定かつ少数の相手に、聞かれるままに「放火を見た」と話しました。特定少数にしか話していないのに、そこから村中に噂が相当広まった、という事案です。

判例最高裁判所第一小法廷判決 昭和34年5月7日 刑集13巻5号641頁

特定少数への摘示と公然性 原判決は第一審判決の認定を維持し、被告人は不定多数の人の視聴に達せしめ得る状態において事実を摘示したものであり、その摘示が質問に対する答としてなされたものであるかどうかというようなことは、犯罪の成否に影響がないとしているのである。そして、このような事実認定の下においては、被告人は刑法二三〇条一項にいう公然事実を摘示したものということができるのであり、……

判決はこう言っています。不定多数、つまり数の決まっていない多くの人が見聞きできる状態において事実を述べたのであれば、それで足りる。そして、聞かれて答える形で話したのかどうかは、犯罪の成否には関係が無い、としました。この判断を、学問上の呼び名で「伝播可能性の理論」と呼びます。共同の水道管をイメージしてください。特定の友人数名にだけ話した場合でも、その友人たちが共同の水道管につながっているなら、蛇口をひねった瞬間に、水はいずれ管を通って周囲に届きます。今その瞬間に何人が水を飲んでいるかは関係なく、管がつながっている、つまり広がる経路が開いているという一点で、もう公然性は満たされるんです。守っているのが社会からの評価である以上、話が社会へ流れ出る経路が開いた時点で、その評価はもう危険にさらされているからです。

Aが少人数の友人にだけ「Bは以前、万引きをした」と話した場合、その事実が本当であっても、真偽は230条1項の「その事実の有無にかかわらず」という文言で問わないとされています。そして、友人たちからさらに他の人へ伝わっていく可能性があるなら、公然性の要件も満たされます。本当のことを言っただけだから安全、という発想は、少なくとも230条の成立の場面では通用しません。もっとも、あとの回で扱う230条の2の要件を満たせば、処罰されない道が別に用意されています。今日はそこまでは踏み込みません。

事実の摘示

具体的な事実であること、公知でもよく、真偽は問わない 図:具体的な事実であること、公知でもよく、真偽は問わない

次に、事実の摘示です。摘示される事実は、人の社会的評価を下げるだけの、具体的なものでなければなりません。単に「お前は嫌なやつだ」という抽象的な悪口だけでは、この要件を満たしません。反対に、「Bは会社のお金を横領した」と言えば、いつ、何をしたかを思い描ける具体的な事実になるので、この要件を満たします。すでに世間に知られている事実であっても、それを公然と摘示すれば、事実の摘示にあたります。判例も、公知の事実でよいとしています。すでに知られている話でも、改めて公然と言いふらせば、その人の悪い評価がさらに広がり、固まっていく危険があるからです。そして、さっきから出ている真偽の問題ですが、230条1項は「その事実の有無にかかわらず」と、はっきり条文に書いています。事実が本当であっても嘘であっても、成立を左右しません。社会的評価を下げる力があるかどうかに、事実の真偽は関係がない、という考え方です。

抽象的危険犯

評価が実際に下がったかどうかは問わない 図:評価が実際に下がったかどうかは問わない

ここで1つ、前に出てきた言葉を思い出してください。抽象的危険犯って、どういう意味でしたか。前回の133条のところで出てきましたよね。結果が実際に起きたかどうかは問わず、危険な行為があった時点で、それだけで成立する、という考え方だったと思います。230条の「毀損した」も、同じ設計です。人の社会的評価が、実際にどれだけ下がったかを裁判所が正確に測るのは、ほとんど不可能です。だから判例は、現実に評価が下がったことまでは要求せず、評価を下げる危険のある行為、つまり公然と事実を摘示する行為があった時点で、既遂だと考えています。例えば、Aが職場の掲示板に「Bは会社のお金を横領した」と貼り出したとします。見た人がたまたま誰も信じなかったとしても、貼り出した時点で成立します。さっきの水道管の話でいえば、蛇口をひねって水を管に流した時点で処罰の対象になり、その水を実際に何人が飲んだかまでは問わない、ということです。この点は、前回の133条や、もっと前に犯罪の分類を扱った回で見た抽象的危険犯の考え方と、まったく同じ骨組みです。

客体——死者の名誉

死者の名誉は、虚偽の事実の摘示に限って成立する 図:死者の名誉は、虚偽の事実の摘示に限って成立する

230条の客体、つまり誰の名誉が守られるかにも触れておきます。「人」には自然人だけでなく、法人や団体も含まれます。社会的な評価の主体になりうる限り、会社にも名誉毀損罪は成立しえます。問題は、亡くなった人です。生きている人については、事実の有無にかかわらず、つまり真実でも虚偽でも成立しえます。ところが死者については、虚偽の事実を摘示した場合でなければ罰しない、と条文が限定しています。裏を返せば、死者について本当のことを言っただけでは、名誉毀損罪は成立しません。亡くなった人にはもう反論する手立てがないので、事実であれば歴史や記録として残す利益のほうを優先し、虚偽で名誉を汚す場合だけを処罰する、という設計です。

232条 親告罪

名誉毀損罪は親告罪——告訴がなければ起訴できない 図:名誉毀損罪は親告罪——告訴がなければ起訴できない

成立要件を確かめ終えたので、最後に、手続の面の決まりを1つだけ見ておきます。

条文刑法232条

刑法232条(親告罪) 第1項「この章の罪は、告訴がなければ公訴を提起することができない。」 第2項「告訴をすることができる者が天皇、皇后、太皇太后、皇太后又は皇嗣であるときは内閣総理大臣が、外国の君主又は大統領であるときはその国の代表者がそれぞれ代わって告訴を行う。」

最後に232条です。「この章の罪は、告訴がなければ公訴を提起することができない」。親告罪という考え方は、前に別の回でも出てきましたね。名誉毀損罪も含め、この章の罪は親告罪です。ここでいう「この章」は、今日の地図の第14章ではなく、刑法典の中の名誉に対する罪の章のことで、230条から232条までを指します。信用や業務を守る233条以下は、ここに入りません。趣旨は前回の133条から135条のところと同じで、起訴されて裁判になれば、かえってその内容が公に取り上げられ、被害者の名誉が広く知られてしまいます。それを避けるため、被害者自身が訴追するかどうかを選べるようにしているんです。2項は、告訴できる人が天皇や皇后といった皇室の方、あるいは外国の君主や大統領である場合に、内閣総理大臣やその国の代表者が代わって告訴を行う、という特則です。

弁別ミニ事例

4つの問いを順番に立てて、成立・不成立を判定する 図:4つの問いを順番に立てて、成立・不成立を判定する

ここまでの内容を、事例で確認します。

Aが、密室でBにだけ、Bの具体的な悪事を話した 図:Aが、密室でBにだけ、Bの具体的な悪事を話した

1問目です。Aが、外部に伝わる見込みのない密室で、Bにだけ、Bの具体的な悪事を話しました。230条は成立するでしょうか。事実は具体的ですが、外に伝わる見込みが無いので、公然性を欠くと思います。230条は不成立です。事実の摘示という要件は満たしていても、公然性という手前の要件で止まります。外部的名誉説に立つ限り、社会に伝わる経路が無い以上、230条の名誉毀損罪は成立しません。

Aが、ほかへ伝わりうる友人数名にだけ、Bについての本当の事実を話した 図:Aが、ほかへ伝わりうる友人数名にだけ、Bについての本当の事実を話した

2問目です。Aが、そこから他の人へ伝わる可能性のある友人数名にだけ、Bについての具体的で、しかも真実の事実を話しました。230条は成立するでしょうか。伝播する可能性があるので公然性を満たし、事実は具体的で、真偽は問わないので真実でも構いません。230条は成立しうると思います。伝播可能性の理論により公然性を満たし、事実の摘示も具体的です。真実であることは、成立を妨げません。ここまでで、保護法益、公然性、事実の摘示、抽象的危険犯の4問がすべて満たされています。

Aが、亡くなったBについて、本当にあった出来事を、大勢の前で話した 図:Aが、亡くなったBについて、本当にあった出来事を、大勢の前で話した

3問目です。Aが、亡くなったBについて、生前に実際にあった出来事を、大勢の前で話しました。230条は成立するでしょうか。公然性は満たしていますが、Bは亡くなっているので230条2項が関わりますよね。話した内容は真実なので、2項の要件を満たさず、不成立だと思います。死者については、虚偽の事実の摘示に限って成立します。今回は真実の事実ですから、大勢の前で話していても、230条は成立しません。

今日の地図(保存版)

4つの問いで、230条の成立・不成立はすべて切り分けられる 図:4つの問いで、230条の成立・不成立はすべて切り分けられる

今日の内容を整理します。230条が守っているのは外部的名誉、つまり社会からの評価です。だから、社会に伝わる経路があるかどうかを問う公然性が要件になり、特定少数への発言でも、伝播する可能性があれば足ります。摘示する事実は具体的であればよく、公知の事実でもよく、真偽は問いません。そして、評価が現実に下がったことまでは要求しない抽象的危険犯です。この4つの問いは、すべて外部的名誉という保護法益から出てきた帰結でした。冒頭の2つの問い、どちらも答えが出ましたね。密室での悪口は、公然性を欠くので230条は不成立でした。少人数の友人にだけ本当のことを話した場合は、伝播可能性があれば公然性を満たし、真偽も問わないので、成立しうるということでした。ただ、事実の有無にかかわらず成立してしまうと、今度は表現の自由や、正当な報道との間で緊張関係が生じます。

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#120単独ページ動画

真実性の証明による不処罰

第14章 個人的法益③|秘密・名誉・信用・業務 ③/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

前回の結びから

本当のことを取材して報じても、名誉毀損罪になるのか 図:本当のことを取材して報じても、名誉毀損罪になるのか

前回は、230条が事実の有無にかかわらず成立するということを見ました。本当のことを言っただけでも、名誉毀損罪になりうるということでしたね。そこで今日の問いです。新聞記者が、ある政治家の汚職について、取材を尽くして真実だと確認したうえで報道しました。この記者は、名誉毀損罪になるでしょうか。もう1つ問いを立てておきます。同じ政治家について、汚職ではなく、その人の持病について書いた場合はどうでしょうか。

230条の2は、3つの検問をすべて通って初めて抜けられる関所 図:230条の2は、3つの検問をすべて通って初めて抜けられる関所

230条の2の1項には、罰せられずに済むための要件が3つ並んでいます。230条の2は、いわば1つの関所だと考えてください。3つの検問があり、そのすべてを通り抜けて初めて、罰せられずに済みます。1つでも通れなければ、その場で原則どおり230条が適用される側に戻されます。

趣旨——表現の自由と名誉の保護の調和

真実を述べる行為まで一律に処罰してよいのか 図:真実を述べる行為まで一律に処罰してよいのか

前回読んだ230条1項には、事実の真偽についての一言がありました。どんな文言だったか、覚えていますか?この原則を貫くと、困ったことが起きます。政治家の汚職を暴く報道も、社会の問題を告発する言論も、事実であれば社会的評価を下げる以上、すべて名誉毀損罪にあたってしまうからです。しかし、憲法21条1項は表現の自由を保障しています。真実を述べる正当な言論まで一律に処罰するのは、この保障と真正面からぶつかります。そこで刑法は230条の2という規定を置き、表現の自由による正当な言論の保障と、名誉の保護との調和を図っています。ただし、真実でさえあれば無条件で許されるわけではありません。次に見る3つの要件をすべて満たして、初めて不処罰になります。

230条の2 全文

1項は原則、2項と3項は要件の一部が最初から開いている特則 図:1項は原則、2項と3項は要件の一部が最初から開いている特則

230条の2を、まず全文で読みます。

条文刑法230条の2

刑法230条の2(公共の利害に関する場合の特例) 第1項「前条第一項の行為が公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的が専ら公益を図ることにあったと認める場合には、事実の真否を判断し、真実であることの証明があったときは、これを罰しない。」 第2項「前項の規定の適用については、公訴が提起されるに至っていない人の犯罪行為に関する事実は、公共の利害に関する事実とみなす。」 第3項「前条第一項の行為が公務員又は公選による公務員の候補者に関する事実に係る場合には、事実の真否を判断し、真実であることの証明があったときは、これを罰しない。」

1項は、公共の利害に関する事実に係り、目的が専ら公益を図ることにあったと認める場合に、事実の真否を判断して、真実であることの証明があったときは、これを罰しない、としています。ここに3つの要件が並んでいますね。2項は、起訴前の犯罪行為に関する事実について、公共の利害に関する事実とみなす、としています。3項は、公務員や公選による公務員の候補者に関する事実について、1項と同じ形で不処罰を認めています。まずは1項の3つの要件を、1つずつ確かめていきましょう。

要件①——公共の利害に関する事実

単なる好奇心の対象ではなく、社会が知る必要のある事実か 図:単なる好奇心の対象ではなく、社会が知る必要のある事実か

1つ目の要件は、公共の利害に関する事実です。これは、市民が民主的な自治を行ううえで知る必要がある事実をいいます。単に世間の興味や好奇心を引くというだけでは足りません。一方で、身体的な障害や病気、血統、性生活といった事実は、原則としてこの要件にあたりません。冒頭の2つ目の問いに関わる話です。同じ政治家について、汚職ではなく持病について書いた場合、その持病が職務を遂行する能力に直接関わるのでない限り、公共の利害に関する事実とは言いにくいのです。

私人の私生活でも、社会的な影響力次第では公共の利害にあたる 図:私人の私生活でも、社会的な影響力次第では公共の利害にあたる

私人の私生活だからといって、絶対にこの要件を満たさないとは限りません。実際にあった裁判で、こういう判断が示されています。

判例最高裁判所第一小法廷判決 刑集35巻3号84頁(月刊ペン事件)

私人の私生活と公共の利害の判断 「私人の私生活上の行状であつても、そのたずさわる社会的活動の性質及びこれを通じて社会に及ぼす影響力の程度などのいかんによつては、その社会的活動に対する批判ないし評価の一資料として、刑法二三〇条ノ二第一項にいう「公共ノ利害ニ関スル事実」にあたる場合があると解すべきである。」

この事件は、大規模な宗教団体を率い、政治的にも大きな影響力を持つ人物の女性関係について報じたものでした。私生活上の出来事であっても、その人が持つ地位や社会への影響力の大きさから、公共の利害に関する事実にあたると判断されました。単なる有名人の恋愛話であれば、多くの場合は好奇心の対象に過ぎませんが、宗教団体の指導者や大企業の経営者のように、その私生活が社会的な活動の評価に直結する立場であれば、公共の利害に関する事実にあたりうるのです。だから冒頭の持病の問いも、その政治家の職務遂行能力に関わるかどうかで評価が分かれる、微妙な領域だと考えてください。

要件②——専ら公益を図る目的

唯一の動機でなくても、主たる動機が公益にあればよい 図:唯一の動機でなくても、主たる動機が公益にあればよい

2つ目の要件は、専ら公益を図る目的です。ここでつまずきやすいのが、「専ら」という言葉です。少しでも他の動機が混じれば要件を満たさない、という字義どおりの読み方はされていません。専らという言葉は、ここでは主たる動機を意味すると解するのが裁判例です。唯一の動機だけで行動することを人間に期待するのは、実際には難しいからです。休日に運動のためジョギングに出た人が、途中でコンビニに寄ってお菓子を買ったとしても、運動のためという主たる目的は崩れません。それと同じで、主たる目的がそこにあれば足りるのであって、目的が1つに限定されている必要はありません。ですから、報道機関の報道に、部数や視聴率を伸ばしたいという営利的な側面が混じっていても、それだけで専ら公益を図る目的が否定されるわけではありません。

例えば、政治家への個人的な恨みから、公共性のある事実を持ち出しつつも、実際の狙いはその人を陥れることそのものにある、という場合です。この場合は、主たる動機が公益ではなく私怨にあるといえるので、専ら公益を図る目的を欠くことになります。

要件③——真実であることの証明

通常の刑事裁判との対比——証明できなければ被告人の不利益になる 図:通常の刑事裁判との対比——証明できなければ被告人の不利益になる

3つ目の要件は、摘示した事実が真実であることの証明です。ここは、通常の刑事裁判の常識とは向きが逆になる要件です。ところが230条の2の場面では、不処罰を得たいのは被告人の側なので、被告人の側が真実であることを証明しなければなりません。裁判官に真実だという確信が生じなければ、その不利益は被告人が負います。関所にたとえるなら、通してほしい側が、自分で通行手形を用意しなければならない、という向きの逆転です。この仕組みを、証明責任の転換と呼びます。なぜこの向きが許されるのか。条文が「真実であることの証明があったときは、これを罰しない」と、証明があったことそのものを不処罰の条件にしているからです。原則は真偽を問わず成立する以上、例外の側に乗りたい者がその事実を示す、という組み立てです。207条の同時傷害で見た挙証責任の転換と、同じ仕組みです。証明責任と挙証責任は、同じものを指す言い方です。

あの記者の場合、政治家の汚職という公共の利害に関する事実にあたり、取材を尽くした報道という点で専ら公益を図る目的も認められ、しかも真実であることを証明できています。3つの要件をすべて満たしているので、230条の2により罰せられません。

好奇心本位の見出しは、公共の利害と専ら公益の両方でつまずく 図:好奇心本位の見出しは、公共の利害と専ら公益の両方でつまずく

ここで1つ、事例で確認しましょう。ある芸能人の不倫について、興味本位の見出しで報じた場合、230条の2は適用されるでしょうか。芸能人の私生活は、社会に大きな影響力を及ぼす立場とまでは言いにくいので、公共の利害に関する事実にあたらない気がします。それに、興味本位という時点で、専ら公益を図る目的とも言いにくいです。単なる好奇心を満たすための報道は、要件①でも要件②でもつまずきやすく、230条の2による不処罰は認められにくいケースです。ただし、その芸能人が社会的な地位や影響力を持つ活動をしていて、その活動の評価に関わる事実であれば、月刊ペン事件のように扱いが変わる余地はあります。あくまで、事実の性質と、その人の社会的な影響力の程度で判断が変わる、ということです。

2項・3項——要件の擬制

1項・2項・3項の比較——要件の一部が最初から開いている事実 図:1項・2項・3項の比較——要件の一部が最初から開いている事実

次に、2項と3項です。この2つは、1項の要件を減らす規定ではなく、特定の事実については、一部の要件が最初から満たされているとみなす規定です。2項は、起訴前の犯罪行為に関する事実について、事実の公共性が擬制されます。例えば、まだ起訴されていない人物の横領の疑いを報じる場合がこれにあたります。起訴前の犯罪行為を報じることは、捜査のきっかけになりうるほか、捜査に対する国民からの監視にも役立つからです。ただし、専ら公益を図る目的と、真実であることの証明は、依然として必要です。3項は、公務員や公選による公務員の候補者に関する事実について、事実の公共性と、目的の公益性の両方が擬制されます。公務員やその候補者は、その職務や適性が広く社会の関心事だからです。とはいえ、真実であることの証明だけは、2項でも3項でも、常に自分で満たさなければなりません。ここだけは、どの検問でも開いていない、ということです。

あの記者の事案は、3項の場面でもあります。政治家は公務員にあたるので、事実の公共性と目的の公益性は、あらためて示さなくても満たされていることになります。公務員だからといって、3項でまるごと公共性が認められるとは限りません。3項も、公務員としての職務や資質と関係のない私事、例えば職務と関係のない病気や身体の障害といった事実にまでは及ばないと解されています。実際に、町議会議員の政治姿勢を批判する記事が、その議員の身体の障害をことさらに持ち出して結びつけた事件で、最高裁判所はこう述べています。

判例最高裁判所第三小法廷判決 刑集7巻12号2436頁

公務と関係のない事実の摘示 「……凡そ公務と何等の関係のないことを執筆掲載することは……」

身体の障害は、議員の職務とは関係がありません。この部分について名誉毀損罪の成立を認めた判断が、そのまま維持されました。ですから、政治家についての事実でも、職務や資質と関係のない持病は3項の対象から外れ、1項に戻ります。そして1項では、要件①で見たとおり、職務を遂行する能力に直接関わるのでない限り、公共の利害に関する事実にあたりにくい。3項、次に1項、という順で答えが出るわけです。

効果——230条の2の法的性質

3つの要件を満たしたとき、230条の2は何を消しているのか 図:3つの要件を満たしたとき、230条の2は何を消しているのか

ここまでで、3つの要件を満たせば罰しない、という結論は分かりました。ですが、230条の2はいったい何を阻却しているのでしょうか。犯罪の成立そのものを消すのか、それとも成立は認めたうえで処罰だけを消すのか。ここは学説が3つに分かれています。

犯罪は成立するが処罰だけ消える、構成要件から外れる、違法性が無くなる——3つの立場

1つ目は、処罰阻却事由説です。230条が、事実の有無にかかわらず成立するとしている建前を重視して、犯罪の成立自体は認めたうえで、処罰だけを阻却すると考えます。この立場には、表現の自由との調和という230条の2の性格に適合しにくいこと、そして真実を述べる言論がなぜ処罰だけを阻却するのかが説明しにくいこと、という批判があります。2つ目は、構成要件該当性阻却事由説です。表現の自由の保障を重視して、真実性の証明があれば、構成要件該当性そのものが阻却されると考えます。ただ、事実の有無にかかわらず成立するとしている230条との関係が、うまく説明しにくいという批判があります。

3つ目は、違法性阻却事由説です。表現の自由と名誉の保護の調和という230条の2の趣旨から、真実性の証明があれば違法性が阻却されると考えます。この立場は、真実で公益に役立つ言論を、法秩序全体から見て許される行為だと評価します。230条の構成要件には当たるという建前を崩さないので2つ目の立場への批判を避けられ、表現の自由との調和という趣旨にも合うので1つ目の立場への批判も避けられます。通説はこの立場です。構成要件該当性阻却事由説なら、1つ目の関門で外れます。同じ不処罰でも、どこで外れるかが違うのです。ここでいう3つの関門は、犯罪が成り立つかを確かめる順番のことで、さきほどの関所の3つの検問とは別のものです。判例がどの立場を採っているかは、少し注意して読む必要があります。実際にあった裁判で、こう述べられています。

判例最高裁判所大法廷判決 刑集23巻7号975頁(夕刊和歌山時事事件)

表現の自由と名誉保護の調和(判旨) 「刑法二三〇条ノ二の規定は、人格権としての個人の名誉の保護と、憲法二一条による正当な言論の保障との調和をはかつたものというべきであり……」

判決が述べたことと、学説による読み方は分けて理解する 図:判決が述べたことと、学説による読み方は分けて理解する

この判決自体は、違法性阻却事由説を採るとはっきり言っているわけではありません。230条の2の趣旨を、人格権としての名誉の保護と、正当な言論の保障との調和だと述べているだけで、違法性阻却事由という言葉を使ってはいません。それでも判例が違法性阻却事由説に立つと理解されている手がかりは、いま読んだ趣旨の言い回しです。名誉の保護と正当な言論の保障との調和を図る規定だと言うなら、真実で公益に役立つ言論は、正当な言論として法秩序が許す行為になります。3つ目の立場が拠りどころにしたのも、この趣旨でした。反対に、犯罪は成立していて罰だけが外れる、という1つ目の立場は、この趣旨に合いにくいのでした。判決の明言と、学説による読み方は、分けて理解しておいてください。

ここでは、230条の2の法的性質をどう理解するかによって、その処理の組み立て方が変わってくる、という一言に留めておきます。なお、この学説対立を答案でどう書くかは、論文で論点になりうる箇所です。

今日の地図(保存版)

3つの検問をすべて通れば不処罰、1つでも欠ければ230条の原則に戻る 図:3つの検問をすべて通れば不処罰、1つでも欠ければ230条の原則に戻る

今日の内容を整理します。230条は事実の有無にかかわらず成立しますが、それでは表現の自由と衝突するため、230条の2が例外への通路を用意しています。この通路には、公共の利害に関する事実、専ら公益を図る目的、真実であることの証明という3つの検問があり、すべてを通り抜けて初めて不処罰になります。2項と3項は、起訴前の犯罪行為や、公務員・公選候補者に関する事実について、一部の検問を最初から開いておく特則でした。そして、この不処罰が何を阻却しているのかは、処罰阻却事由説、構成要件該当性阻却事由説、違法性阻却事由説という3つの立場に分かれます。

冒頭の2つの問いにも、答えが出ましたね。政治家の汚職を取材して報道した記者は、3つの要件をすべて満たすので、罰せられません。同じ政治家の持病については、職務遂行能力に関わらない限り3項の対象から外れ、1項でも公共の利害に関する事実にあたりにくい、ということでした。ただ、実際の裁判では、真実であることを証明しようとしたものの、証明にまでは至らなかった、という場面が起こりえます。

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#121単独ページ動画

真実性の錯誤と侮辱罪

第14章 個人的法益③|秘密・名誉・信用・業務 ④/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

前回の結びから

真実だと信じていたのに証明できなかったら、どうなるのか 図:真実だと信じていたのに証明できなかったら、どうなるのか

前回は、230条の2の3つの要件をすべて満たせば、名誉毀損罪は成立しないという話をしました。最後に1つ、宿題を残しましたね。そこで今日の問いです。新聞記者が、政治家の汚職について、確実な資料に基づいて取材しました。ところが裁判になってみると、真実であることを完全には証明しきれませんでした。この記者に、名誉毀損罪は成立するでしょうか。もう1つ、別の問いも立てておきます。Aが、Bについて「Bは頭が悪い」とだけ言いました。具体的な事実は何も示していません。この場合、名誉毀損罪と侮辱罪、どちらが成立しうるでしょうか。

真実性の錯誤——問題の所在

230条の2は使えなくても、誤信していたことが故意に影響しないか 図:230条の2は使えなくても、誤信していたことが故意に影響しないか

230条の2を使って不処罰になるには、真実であることの証明が必要でした。証明できなかった以上、230条の2はそのままでは使えません。230条の2という関所そのものは通れません。ただ、ここで別の問いが立ちます。記者は、確実な資料に基づいて、真実だと信じて書いていました。この誤信していたという事実が、名誉毀損罪の成立に何の影響も及ぼさないのか。これが真実性の錯誤とよばれる問題です。分かれ目は、230条の2を何を消す規定だと捉えるかにあります。違法性を消すと捉えるか、処罰だけを消すと捉えるかで、誤信の扱いが変わってくるのです。試験対策上は、2つの立場からの処理を押さえておけば十分です。前回扱った230条の2の法的性質のうち、判例・通説にあたる違法性阻却事由説からの処理と、もう1つ、処罰阻却事由説からの処理です。結論を先取りすると、記者のように確実な資料に基づいていた場合、どちらの立場に立っても不処罰に近づきます。違うのは、そこにたどり着くまでの道筋です。まずは違法性阻却事由説から見ていきます。

違法性阻却事由説からの処理——3つのステップ

①錯誤の種類を決める→②誤認識の対象を引き直す→③政策的な歯止めをかける 図:①錯誤の種類を決める→②誤認識の対象を引き直す→③政策的な歯止めをかける

前回見た3つの立場のうち、230条の2を「違法性を消す規定」と読む、判例・通説の立場からは、真実性の錯誤を3つのステップで処理します。①のポイントは、性質決定の連動です。230条の2が違法性を消す規定だと解釈した以上、そこで生じる錯誤も、違法性阻却事由の錯誤という同じ引き出しに入ることになります。ここで思い出してほしいのですが、以前、誤想防衛のところで、違法性阻却事由の錯誤が起きたとき、責任故意はどうなると学びましたか?違法性を消す事実に気づけなかった場合には、責任故意が阻却される、という自説でした。事実の錯誤説です。以前学んだとおり、違法性を消す事実に気づけなかった以上、そこに向けるべき責任非難自体が成り立たない、というのが事実の錯誤説の理屈でした。真実性の錯誤でも、この同じ枠組みを流用するのが、①のステップです。

「証明があった」は裁判の事由なので、行為時には誤認識できない 図:「証明があった」は裁判の事由なので、行為時には誤認識できない

②誤認識の対象です。ここで少しつまずきやすいところに入ります。230条の2は「真実であることの証明があったときは」と規定しています。これは、裁判が終わって初めて確定する事由です。行為の時点で、行為者は「証明があった」という裁判の事由を誤認識しようがありません。正当防衛の「急迫不正の侵害」のような、行為の時点で存在する事由とは違うのです。そこで行うのが、読み替えです。230条の2にある「真実であることの証明があった」という条文の文言を、行為の時点でも存在しうる実体面の事実に読み替えます。読み替えた先にあるのが、「事実が証明可能な程度に真実であること」です。問われるのは、裁判で証明されたかどうかではなく、行為の時点でその事実が、裁判になれば証明できるだけの確かさを備えていたかどうかです。記者に即して言えば、行為のときに問題になるのは「裁判で証明できた」かではなく、「手元の資料に、裁判になれば証明できるだけの確かさがあったか」だけになります。

誤信していれば常に許すと、調べもせず軽信した者まで救ってしまう 図:誤信していれば常に許すと、調べもせず軽信した者まで救ってしまう

③最後に、政策的な制限です。②までの理屈だけを貫くと、証明可能な程度に真実だと誤信さえしていれば、いつでも責任故意が阻却されることになります。調べもせずうわさを鵜呑みにしただけの軽信でも、誤信でさえあれば救われることになってしまいます。これでは、名誉の保護という230条の2の趣旨が崩れます。そのため、政策的な観点から要件を積み増し、確実な資料・根拠に基づく誤信であった場合に限って、責任故意の阻却を認めます。ここで、実際の裁判所がどう判断したのかを見てみましょう。

判例最高裁判所大法廷判決 刑集23巻7号975頁(夕刊和歌山時事事件)

真実性の誤信と故意(判旨) 「たとい刑法二三〇条ノ二第一項にいう事実が真実であることの証明がない場合でも、行為者がその事実を真実であると誤信し、その誤信したことについて、確実な資料、根拠に照らし相当の理由があるときは、犯罪の故意がなく、名誉毀損の罪は成立しないものと解するのが相当である。」

前回、この事件の趣旨説示の部分、230条の2は人格権としての名誉の保護と、憲法21条による正当な言論の保障との調和を図ったものだ、という部分を読みました。今日読んだのは、その調和の趣旨から導かれる、真実性の錯誤についての判示そのものです。この判決自体が「違法性阻却事由の錯誤だから」と理屈を明言しているわけではありません。前回お話ししたとおり、判例が違法性阻却事由説に立つと理解されているのは、あくまで趣旨からの読み方でした。判決が示したのは「確実な資料、根拠に照らし相当の理由があるときは故意がない」という基準そのものです。①から③は、この基準を学説の側から説明する筋道です。

発展——インターネット個人利用者にも基準は緩まない

新聞記者でなくても、個人の発信でも、基準は同じまま緩まない 図:新聞記者でなくても、個人の発信でも、基準は同じまま緩まない

ここで1つ、発展として押さえておきたい判例があります。今読んだ夕刊和歌山時事事件は、新聞記者による報道が舞台でした。では、個人が自分のホームページで発信した場合はどうでしょうか。個人だと確実な調査は難しいのではないか、という点がまさに争われた事件があります。ある人が、自分のホームページで、あるフランチャイズ展開の会社について、その会社が虚偽の広告をしているかのような内容を掲載しました。この人は、一市民としてインターネットの個人利用者に求められる水準の調査はしたと主張し、個人の発信なら基準を緩めるべきだと争いました。

判例最高裁判所第一小法廷決定 刑集64巻2号1頁

インターネット個人利用者の表現と相当の理由(判旨) 「インターネットの個人利用者による表現行為の場合においても、他の場合と同様に、行為者が摘示した事実を真実であると誤信したことについて、確実な資料、根拠に照らして相当の理由があると認められるときに限り、名誉毀損罪は成立しないものと解するのが相当であって、より緩やかな要件で同罪の成立を否定すべきものとは解されない。」

この決定は、先ほどの夕刊和歌山時事事件を明示的に引用したうえで、インターネットの個人利用者による発信であっても、他の場合と同じ基準がそのまま及ぶとしました。より緩やかな要件で足りるとはしなかったのです。インターネット上の情報は、不特定多数がすぐに見られ、被害が一気に広がりうる場所です。個人の発信だからといって、見る側が一律に信頼性の低い情報として受け取るとも限りません。だからこそ、確実な資料・根拠という歯止めは、誰の発信であっても変わらないのです。この人は、有罪のままでした。登記簿や雑誌記事、ネットの書き込みなど資料は集めていましたが、一方の立場から作られた資料が混じり、会社の側に事実を一度も確かめていませんでした。これでは確実な資料、根拠に照らした相当の理由があるとはいえない、とされたのです。裏を返せば、個人の発信でも、相手方に確かめるなどの確かな裏付けがあれば、記者と同じように故意が否定されうるということです。

処罰阻却事由説からの処理——原則と例外

原則は不阻却、例外として35条の正当行為で違法性が阻却される 図:原則は不阻却、例外として35条の正当行為で違法性が阻却される

もう1つの立場、230条の2を「処罰だけを外す規定」と読む見解からは、まったく違う道筋になります。原則側の結論から言うと、真実だと思い込んでいたという事情は、故意の有無には響きません。故意が向けられるべき対象は、構成要件に該当する事実と、違法性を否定する事実だけです。処罰阻却事由は、犯罪の成立を認めたあとで刑だけを外す事情であり、以前見た親族間の窃盗の刑の免除と同種のものなので、そもそも故意の対象になりません。確実な資料に基づいて真実だと信じていたとしても、原則の枠内では処罰されてしまいます。ただし、例外が用意されています。確実または相当な資料・根拠に基づく言論であれば、真実性の証明に至らなくても、35条の正当行為——第6章で扱った、社会の中で正当なものとして許容される行為——にあたるとして、違法性が阻却されるのです。十分な調査を尽くした言論は、真実の証明までいかなくても、表現の自由のもとで社会が許容すべき正当な言論活動だと評価できる、という理屈です。230条の2という専用の通路は使えなくても、正当行為という別の入り口から不処罰にたどり着く組み立てになっています。

230条の2の性質決定は、故意阻却の余地を認める見解と違法性阻却の余地を認める見解に呼び分けられる

そうではなく、呼び方の整理です。ここまで見てきた、230条の2を違法性阻却事由と解する判例・通説の立場と、処罰阻却事由と解する前田などの立場、この2つを、錯誤が起きたときに何が消えるかという観点から呼び直すと、故意阻却の余地を認める見解と、違法性阻却の余地を認める見解になります。違法性阻却の余地を認める見解は、230条の2を処罰阻却事由と解したうえで、確実または相当な根拠に基づく言論を35条正当行為に乗せる、先ほど見た考え方そのものです。もう一方の、故意阻却の余地を認める見解は、判例や旧団藤説が採るもので、230条の2を構成要件該当性阻却事由か違法性阻却事由と解したうえで、「真実であることの証明があった」という文言を、「事実が証明可能な程度に真実であったこと」という実体面の要件に引き直します。この証明可能な程度の資料・根拠という要件は、政策的に加えられたものだと説明されます。この根拠づけが分かりにくいという批判もありますが、政策的な観点から必要だという反論もあります。

証明可能な程度に真実だと誤信した以上、その人は犯罪を基礎づける事実そのものを認識していないことになる、という理屈です。この位置づけを構成要件の側に置くのが旧団藤説で、構成要件的故意が欠けることになります。違法性の側に置くのが判例の立場で、責任故意が欠けることになります。実は、この判例の置き方こそ、さきほど3つのステップで見た違法性阻却事由説そのものです。記者に当てはめると、確実な取材によって証明できるだけの確かさがあると信じていた以上、故意が欠けることになります。混同しないでください。厳格責任説・制限責任説・法効果制限的責任説は、違法性阻却事由の錯誤一般について、責任説という前提に立ったときの学説地図でした。今ここで見ているのは、230条の2という個別の規定の性質決定をめぐる、別の対立です。名前が似た議論が出てきますが、土俵が違います。

2つの見解の差異——頭の体操

阻却される中身が違う——責任故意か、違法性か 図:阻却される中身が違う——責任故意か、違法性か

ここまでで、2つの見解の処理を見てきました。答案で長く展開する機会は多くありませんが、頭の体操として、両者の違いを2点だけ整理しておきます。阻却される中身が違います。違法性阻却事由説からは責任故意が阻却され、処罰阻却事由説、つまり違法性阻却の余地を認める見解からは、違法性が阻却されます。同じ不処罰でも、消えているものが違うのです。2点目は、確実な資料・根拠に基づいていたと誤信していたが、実は客観的にはそこまで確実ではなかった、という場合の処理です。違法性阻却事由説からは、確実な資料・根拠という要件は、責任故意阻却のための政策的な歯止めであって、それ自体は故意の対象ではありません。ですから、この点の誤信は犯罪の成否に影響しません。処罰阻却事由説からは、確実な資料・根拠に基づくことは、35条正当行為による違法性阻却の要件そのものです。だから、この誤信は改めて違法性阻却事由の錯誤として問題になり、事実の錯誤説に立てば、そこでも責任故意が阻却されます。

違法性阻却事由説からは、3つのステップを経て責任故意が阻却され、名誉毀損罪は成立しません。処罰阻却事由説、つまり違法性阻却の余地を認める見解からは、35条の正当行為として違法性が阻却されます。理論構成はそれぞれ違いますが、確実な資料に基づいていたという前提がある限り、どちらの見解に立っても、記者は不処罰に近づきます。

侮辱罪へ——橋渡し

事実を摘示せずに人を侮辱した場合は、侮辱罪の出番になる 図:事実を摘示せずに人を侮辱した場合は、侮辱罪の出番になる

ここまでは、具体的な事実を摘示した場合、つまり名誉毀損罪の枠の中の話でした。では、事実をいっさい示さずに、人を侮辱した場合はどうなるでしょうか。冒頭のもう1つの問いですね。「Bは頭が悪い」とだけ言った場合です。そこで扱う規定が、231条の侮辱罪です。名誉に対する罪の最後の1つとして見ていきましょう。

231条 侮辱罪 全文

事実を摘示しなくても成立するので、名誉毀損罪とは別の受け皿になる 図:事実を摘示しなくても成立するので、名誉毀損罪とは別の受け皿になる

まず、231条を全文で読みます。

条文刑法231条

刑法231条(侮辱) 「事実を摘示しなくても、公然と人を侮辱した者は、一年以下の拘禁刑若しくは三十万円以下の罰金又は拘留若しくは科料に処する。」

この条文は、名誉毀損罪の230条とよく似た作りをしています。成立には「公然と」人を侮辱すれば足り、名誉毀損罪とは違って「事実を摘示」する必要がありません。親告罪にあたる点は、あとでまとめて確認します。インターネット上の誹謗中傷が深刻化したことを背景に、2022年、令和4年6月に公布された刑法の改正で法定刑が引き上げられ、この部分は同じ年の7月から施行されました。いま見えている「拘禁刑」という表記は、同じ改正で懲役と禁錮を一本化した部分が、2025年、令和7年6月に施行されたことによるものです。一つの改正でも、部分ごとに施行の時期が違うことがあります。

公訴時効は法定刑の重さで区分が決まるので、法定刑が拘留・科料だけだったころは1年でしたが、改正後は3年に伸びています。インターネット上の匿名の発信では、発信者を特定するだけでも時間がかかります。時効が短いままでは、特定できたころには手遅れになりかねません。時効が伸びたことで、そうした事案にも対応しやすくなっています。この改正前の法定刑の軽さが、あとで見る保護法益の対立にも関わってきます。

保護法益をどう見るかで、名誉感情のない存在への成否が変わる 図:保護法益をどう見るかで、名誉感情のない存在への成否が変わる

231条が守っているものは何か、ここにも学説の分かれ目があります。外部的名誉説は、前々回230条のところで確認した外部的名誉——社会がその人に与えている評価——を、名誉毀損罪と侮辱罪のどちらの保護法益とも考える立場で、判例・通説がこれにあたります。この立場が根拠に挙げるのは、どちらの条文も「公然と」という同じ要件を掲げている、という点です。法定刑の差について、外部的名誉説は、事実を摘示するほうが社会的評価をより確実に傷つけるからだ、と説明します。一方、有力な二元説は違う見方をとり、名誉毀損罪の保護法益は外部的名誉、侮辱罪の保護法益は名誉感情——本人が自分自身に対して抱く評価——だと考えます。この見解を支えていたのが、改正前の侮辱罪の法定刑が拘留・科料だけという極端な軽さだった、という事実です。保護される利益の重さ自体が違うからこそ、法定刑もそこまで軽かったのだ、という説明が成り立っていました。改正によって法定刑が引き上げられ、名誉毀損罪との差は縮まりましたが、この二元説には、どちらの条文も公然性を要求している以上、公衆の前での評価という点は共通するはずだという批判、そして単なる主観的な感情は法的保護に値しないという批判が向けられています。3つ目の総合説は、名誉毀損罪も侮辱罪も、外部的名誉と名誉感情の両方を保護していると考える立場です。前々回、230条について、名誉感情も保護法益に含めるべきだという少数説を見ましたが、その考え方を侮辱罪にも同じように当てはめる立場です。

他人がつける通知表と、自分の自己採点――どちらを保護しているのか 図:他人がつける通知表と、自分の自己採点――どちらを保護しているのか

イメージをつかむために、たとえておきます。外部的名誉は、周囲がその人に対して実際につける通知表のようなものです。名誉感情は、本人が自分自身につける自己採点だと考えてください。この違いが、次に見る場面で効いてきます。幼児や精神障害者、あるいは会社のような法人には、自分自身をどう評価するかという名誉感情があるといえるでしょうか。

名誉感情をもたない存在に、侮辱罪は成立するか 図:名誉感情をもたない存在に、侮辱罪は成立するか

学説の違いがはっきり表れるのが、名誉感情をもたない幼児や精神障害者、あるいは法人に侮辱罪が成立するかどうかという場面です。外部的名誉を保護法益に含む外部的名誉説と総合説では、名誉感情をもたない存在への侮辱罪も成立の余地があります。それに対して、侮辱罪の保護法益を名誉感情だけに絞り込む二元説では、名誉感情をもたない存在に対する侮辱罪は成立しないことになります。

判例最高裁判所第一小法廷決定 刑集37巻9号1341頁

法人に対する侮辱罪 「刑法二三一条にいう『人』には法人も含まれると解すべきであり……本件B株式会社を被害者とする侮辱罪の成立を認めたのは、相当である。」

この決定で最高裁は、法人を被害者とする侮辱罪の成立を認めました。231条にいう「人」に法人も含まれる、という判断です。外部的名誉説とこの結論はうまくかみ合います。法人に自己採点にあたる名誉感情を想定するのは難しくても、社会からの評価——通知表にあたる外部的名誉——であれば、法人にも観念しうるからです。

行為——名誉毀損罪との区別

判例・通説では、具体的な事実を摘示したかどうかが区別基準 図:判例・通説では、具体的な事実を摘示したかどうかが区別基準

侮辱罪の行為内容は、事実を摘示せずに、公然と人を侮辱することです。具体的な事実の摘示があれば、それは侮辱罪ではなく名誉毀損罪の領域になります。判例・通説である外部的名誉説に立つ限り、両罪を分けるのはこの一点、具体的な事実の摘示の有無だけです。「事実を摘示しなくても」という文言をどう読むかも、学説によって分かれます。外部的名誉説では、両罪の保護法益が同じである以上、区別は行為態様の違いに求めることになり、この文言は「事実を摘示しない場合には」という意味で読まれます。事実を摘示すれば名誉毀損罪、摘示しなければ侮辱罪、という振り分けになります。これに対して二元説は、保護法益そのものが違う以上、この文言を「摘示の有無を問わない」という意味に読みます。事実を摘示していてもいなくても、名誉感情が害されていれば侮辱罪の成立を認める、という立場です。

「頭が悪い」というのは、具体的な事実ではなく、評価そのものの表明です。日時や場所を伴う具体的な出来事を何も示していません。ですから、名誉毀損罪ではなく、侮辱罪が成立しうる場面です。

親告罪

侮辱罪も親告罪、告訴がなければ公訴を提起できない 図:侮辱罪も親告罪、告訴がなければ公訴を提起できない

最後に、手続の面です。前々回の232条で見たとおり、名誉に対する罪の章の罪は親告罪なので、侮辱罪も、告訴がなければ起訴できません。

今日の地図(保存版)

性質決定が処理の分岐点、区別基準は事実摘示の有無の一点 図:性質決定が処理の分岐点、区別基準は事実摘示の有無の一点

今日の内容を整理します。真実性の錯誤は、230条の2をどう性質決定するかで処理が分かれる問題でした。判例・通説である違法性阻却事由説からは、違法性阻却事由の錯誤にあたると位置づけたうえで、誤認識の対象を実体法的表現に引き直し、確実な資料・根拠に基づく誤信だけを政策的に保護し、責任故意を阻却します。処罰阻却事由説からは、原則として故意は阻却されず、確実または相当な資料・根拠に基づく言論だけが、35条の正当行為として違法性阻却にたどり着きます。インターネットの個人利用者であっても、確実な資料・根拠に照らし相当の理由があるという基準は、緩まないんでしたね。そして、事実を摘示せずに人を侮辱した場合は、侮辱罪が受け皿になります。保護法益をめぐって外部的名誉説・二元説・総合説の対立があり、名誉毀損罪との区別は、判例・通説からは、具体的な事実の摘示があったかどうか、この一点でした。これで第14章のうち、名誉に対する罪の3本立てが終わりました。なお、この学説対立を答案でどう展開するかは、論文で論点になりうる箇所です。

冒頭の記者は、確実な資料に基づいていたので、どの見解でも不処罰に近づく。Bについて「頭が悪い」とだけ言った場合は、事実の摘示がないので侮辱罪が成立しうる。両方とも、今日の話で答えが出ましたね。

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#122単独ページ動画

信用毀損罪と業務妨害罪の「業務」

第14章 個人的法益③|秘密・名誉・信用・業務 ⑤/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

前回の結びから

支払能力の話は一切していないのに、なぜ信用を毀損したことになるのか 図:支払能力の話は一切していないのに、なぜ信用を毀損したことになるのか

前回までで、名誉に対する罪を見終えました。今日は、名誉と並ぶもう1つの罪、信用毀損罪に進みます。そこで、今日の問いです。ある人物が、コンビニエンスストアで買った紙パック入りのジュースに異物が混入していたと警察に嘘の通報をし、報道機関にそれを報道させました。この人物は、コンビニの支払能力や支払意思について、何ひとつ嘘をついていません。それでも、信用毀損罪は成立するでしょうか。

233条は1つの条文に2つの罪が同居している 図:233条は1つの条文に2つの罪が同居している

この問いを解く舞台が、233条です。1つの条文の中に、2つの罪が同居しています。前段が信用毀損罪、後段が偽計業務妨害罪です。さらに234条が、威力、つまり人の意思を押さえつけるような勢いを使った業務妨害を、233条と同じ扱いにしています。今日は、前段の「信用」と、後段・234条の「業務」、この2つの言葉の中身を押さえます。

233条 全文

まず233条を全文で確認する 図:まず233条を全文で確認する

まず条文を確認します。

条文刑法233条

刑法233条(信用毀損及び業務妨害) 「虚偽の風説を流布し、又は偽計を用いて、人の信用を毀損し、又はその業務を妨害した者は、三年以下の拘禁刑又は五十万円以下の罰金に処する。」

「虚偽の風説を流布し、又は偽計を用いて」という同じ手段のあとに、「人の信用を毀損し」という前段と、「又はその業務を妨害した」という後段が続きます。手段はどちらも、嘘を広めるか、だましの手口を使うか、です。今日は前段の「信用」から見ていきます。

信用毀損罪の保護法益

名誉に対する罪と財産犯の中間に位置する罪 図:名誉に対する罪と財産犯の中間に位置する罪

信用毀損罪の保護法益は、経済的な側面における人の社会的な評価です。名誉に対する罪が人格的な評価を守るのに対して、こちらは経済活動における評価を守ります。財産そのものを守る財産犯とも違う、ちょうど中間に位置する罪だとイメージしてください。たとえば、「あの店の店長は性格が悪い」という嘘は、人柄への評価を下げる話なので、名誉の側の問題です。これに対して、「あの店はもうすぐ潰れる」という嘘は、取引の相手として信頼できるかという評価を下げるので、信用の問題になります。

「信用」の意義——支払能力から商品の品質へ

従来は支払能力・支払意思だけだったが、判例は商品の品質にまで広げた 図:従来は支払能力・支払意思だけだったが、判例は商品の品質にまで広げた

「信用」の中身は、どこまで含まれるのでしょうか。従来の理解では、人の支払能力、つまりお金を払う力があるか、そして支払意思、つまり払う気があるか、この2つに対する社会的な信頼だけを指すとされてきました。取引の相手が踏み倒しそうだ、倒産しそうだ、という嘘を広めれば、この意味での信用毀損にあたります。そこで判例が示したのが、もう一段広い理解です。これを支える説明はこうです。現代の経済活動では、企業は広告や宣伝を通じて「この商品は品質が良い」という評価を積み重ねて信頼を得ています。だから、この商品の品質に対する社会的な信頼も、支払能力・支払意思と同じように、経済的な側面における社会的評価の一部だ、というわけです。お店の入口の看板にたとえると、昔の看板には「代金を踏み倒さない店です」という1行しか書かれていませんでした。今の看板には、「売っている商品は確かです」という2行目も書かれている、というイメージです。実際の事件を見てみましょう。

判例最高裁判所第三小法廷判決 刑集57巻3号293頁

「信用」の意義(判旨) 「刑法233条が定める信用毀損罪は、経済的な側面における人の社会的な評価を保護するものであり、同条にいう『信用』は、人の支払能力又は支払意思に対する社会的な信頼に限定されるべきものではなく、販売される商品の品質に対する社会的な信頼も含むと解するのが相当であるから、……」

この事件は、コンビニで買ったオレンジジュースに洗剤を混ぜたうえで、異物が混入していたと嘘の通報をし、報道させたという事案でした。冒頭の問いと同じ構図です。最高裁は、支払能力や支払意思に触れていなくても、商品の品質に対する信頼を傷つけていれば「信用」の毀損にあたる、としました。冒頭の問いに戻ると、この人物は、コンビニの支払能力にも支払意思にも触れていませんが、商品の品質に対する社会的な信頼を傷つける嘘を広めています。だから、信用毀損罪が成立します。

行為——虚偽の風説の流布・偽計、伝播可能性

相手が1人でも、そこから広がる可能性があれば「流布」にあたる 図:相手が1人でも、そこから広がる可能性があれば「流布」にあたる

行為の面を見ます。233条前段は「虚偽の風説を流布し、又は偽計を用いて」信用を毀損する罪です。「虚偽の風説を流布」は、客観的な真実に反する事実を、不特定または多数の人に伝えることですが、ここで重要になるのが伝播可能性の理論です。最初から大勢に伝える必要はありません。判例・多数説は、直接伝えた相手が特定の1人だけであっても、そこからさらに不特定または多数の人に伝わっていく可能性があれば、それで「流布」にあたるとしています。たとえば、ある人物が、特定の知人1人にだけあるお店について根も葉もないうわさを伝えたとします。その知人が誰かに話したり、SNSに書き込んだりして広まっていく可能性があれば、この時点でもう「流布」です。

守られているのは、世間からの評価でした。世間に伝わっていく経路ができた時点で、評価が下がる危険はもう生じています。だから、現実に広まったことまでは要求されません。名誉毀損罪の公然性のところで見た伝播可能性の理論と、同じ考え方です。あちらは名誉毀損罪の公然性についての判例でしたが、信用毀損罪の「流布」についても、別の判例が同じ考え方をとっています。逆に、他言しないと固く約束した相手にだけ打ち明け、そこから外へ伝わる可能性が無いといえるなら、「流布」にはあたりません。もう1つの行為態様、「偽計を用いる」は、人を欺いたり誘惑したりすること、あるいは相手の錯誤や不知につけ込むことをいいます。冒頭の事案でいえば、警察官に嘘の通報をした行為は、まさに偽計にあたります。

抽象的危険犯

現実に信用が害されたことの証明は要らない 図:現実に信用が害されたことの証明は要らない

233条前段は「信用を毀損し」という文言なので、現実に信用が傷ついたことまで要求する罪のようにも見えます。ですが、そう解するのが妥当でしょうか。実際に売り上げが落ちたことまで立証を要求すると、証明がとても難しくなります。信用が現実に害されたかどうかの認定は極めて困難なので、そのような危険が生じれば足りると解するのが妥当です。以前、名誉毀損罪のところで見た理由づけと同じです。信用毀損罪も、現実の侵害を要しない抽象的危険犯だと理解してください。

業務妨害罪へ——233条後段・234条

同じ233条の後段は、評価ではなく活動そのものを守る 図:同じ233条の後段は、評価ではなく活動そのものを守る

ここまでは、人に対する評価を傷つける罪でした。冒頭の事案で、嘘の通報のせいで、お店が商品を棚から下ろし、警察への対応に追われて、しばらく営業できなくなったとしましょう。傷ついたのは評価だけではありません。お店が毎日続けている営業という活動そのものが止まっています。これを捉えるのが、233条の後段と、それを受けて置かれた234条です。

条文刑法234条

刑法234条(威力業務妨害) 「威力を用いて人の業務を妨害した者も、前条の例による。」

先ほど読んだ233条の後段は、「虚偽の風説を流布し、又は偽計を用いて、その業務を妨害した者」を、前段と同じ刑で処罰します。これが偽計業務妨害罪です。そして234条は、威力、つまり人の意思を押さえつけるような勢いを用いて業務を妨害した場合も、「前条の例による」、つまり233条と同じ刑で処罰すると定めています。たとえば、店先で大声で怒鳴り続けて客を追い返すような場合です。これが威力業務妨害罪です。手段は違っても、どちらも「業務を妨害した」という結果は共通しています。

業務妨害罪の保護法益・「業務」の意義

保護法益は業務活動そのもの 図:保護法益は業務活動そのもの

業務妨害罪の保護法益は、判例によれば業務活動そのものです。信用毀損罪が「評価」を守るのに対して、業務妨害罪は「活動」を守る、という違いを押さえておいてください。冒頭の事案でいえば、お店の評価が下がるのが信用毀損、お店の営業が止まるのが業務妨害です。

「業務」とは、社会生活上の地位に基づき継続して行う事務 図:「業務」とは、社会生活上の地位に基づき継続して行う事務

では、「業務」とは何か。判例は、社会生活上の地位に基づき継続して行う事務、と解していると言われています。過失致死傷罪のところで、業務上過失致死傷罪の「業務」を扱いました。その定義を思い出せますか?

211条と233条・234条の「業務」の違い——危険性の要素の有無 図:211条と233条・234条の「業務」の違い——危険性の要素の有無

社会生活上の地位に基づき、反復継続して行う行為であって、他人の生命・身体等に危害を加えるおそれのあるもの、という3つの要素でした。211条の「業務」には、生命・身体への危険性という3つ目の要素が必要でした。これに対して、233条・234条の「業務」には、この危険性の要素はありません。経済的な活動に限らず、社会の中で継続して行われている事務であれば、幅広く「業務」にあたります。店を構えて毎日お客さんに料理を出す営業はもちろん、会社の事務や、営利を目的としない団体が続けている活動でも構いません。家で家事をすることは「業務」には入りません。同じ料理でも、店を構えてお客さんに出すなら「業務」ですが、自分や家族のためだけに台所で作るような私的な行為は、そもそも社会生活上の地位に基づく行為とはいえないので、その入口の時点で外れます。加えて、週末に趣味で楽しむ釣りのような、単なる娯楽にすぎない行為も「業務」には含まれない、と解されています。なぜなら、211条の「業務」はあくまで刑を重くするための加重要件にすぎないのに対して、233条・234条の「業務」は、この条文が保護しようとしている対象そのものだからです。保護に値する活動といえるためには、社会の中で継続的に行われている仕事・活動だと認められる必要がある、ということです。

今日の地図(保存版)

「業務」を継続して行う事務と定義したが、公務員の仕事もこれにあたるのか 図:「業務」を継続して行う事務と定義したが、公務員の仕事もこれにあたるのか

今日の内容を整理しておきます。233条には、信用毀損罪と業務妨害罪という2つの罪が同居していました。信用毀損罪の保護法益は経済的な側面における人の社会的な評価で、「信用」には支払能力・支払意思に加えて商品の品質への信頼も含まれます。行為は虚偽の風説の流布か偽計で、特定少数への伝達でも広まる可能性があれば足り、現実の侵害を要しない抽象的危険犯でした。業務妨害罪は、評価ではなく活動そのものを守る罪で、「業務」は社会生活上の地位に基づき継続して行う事務。211条の「業務」と違って、生命・身体への危険性は要らないけれど、娯楽は含まれない、ということでしたね。ここで、1つ問いを立てておきます。「業務」を、社会生活上の地位に基づき継続して行う事務、と定義しました。では、公務員が行う仕事、たとえば警察官の仕事や、役所の窓口業務も、この定義にあてはまりそうに見えませんか。

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#123単独ページ動画

業務妨害罪と公務

第14章 個人的法益③|秘密・名誉・信用・業務 ⑥/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

前回の結びから

公務員の仕事も「業務」にあたるのか 図:公務員の仕事も「業務」にあたるのか

前回、『業務』をどう定義したか、覚えていますか?社会生活上の地位に基づき継続して行う事務、でした。そして前回の最後に、1つ問いを立てました。警察官の仕事や、役所の窓口業務も、この定義にあてはまりそうに見える、という話です。今日は、この問いに正面から答えます。公務員が行う仕事、つまり公務は、233条・234条の『業務』に含まれるのでしょうか。公務員も決まった仕事を毎日続けているという点だけを見れば、文言上はあてはまりそうに見えます。先に答えの形だけ言っておくと、判例は、公務をひとまとめにせず、2種類に分けて、一方だけを『業務』に含めています。どこで線を引くのか、なぜそこなのかが、今日の中身です。

業務と公務——問題の所在

暴行・脅迫が無ければ、公務執行妨害罪は成立しない 図:暴行・脅迫が無ければ、公務執行妨害罪は成立しない

具体的な場面で考えます。警察官が、捜索差押えの令状に基づいて、ある人物の自宅を捜索していたとします。令状の対象になっている人物が、これを妨害しようとしましたが、暴行や脅迫は一切用いず、嘘の証言や書類の偽造といった偽計だけで妨害したとしましょう。この警察官の捜索は、公務員が行う職務にあたります。そこで問題になるのが、95条1項です。

条文刑法95条1項

刑法95条1項(公務執行妨害) 「公務員が職務を執行するに当たり、これに対して暴行又は脅迫を加えた者は、三年以下の拘禁刑又は五十万円以下の罰金に処する。」

95条1項が処罰しているのは、公務員の職務執行に対して、暴行または脅迫を加える行為です。ところが、今の事案では、暴行も脅迫も用いていません。ですから、この行為には公務執行妨害罪は成立しません。そこで出てくるのが、業務妨害罪です。前回、233条と234条を確認しました。もう一度、内容を見ておきましょう。

条文刑法233条

刑法233条(信用毀損及び業務妨害) 「虚偽の風説を流布し、又は偽計を用いて、人の信用を毀損し、又はその業務を妨害した者は、三年以下の拘禁刑又は五十万円以下の罰金に処する。」

条文刑法234条

刑法234条(威力業務妨害) 「威力を用いて人の業務を妨害した者も、前条の例による。」

233条後段の偽計業務妨害罪は、偽計を用いて人の業務を妨害すれば成立し、暴行・脅迫を要件にしていません。今の事案の行為は、まさに偽計にあたります。234条の威力業務妨害罪も同じで、こちらは暴行・脅迫ではなく威力、つまり相手の意思を押さえつけるような勢いを要件にしています。前回見た、店先で大声で怒鳴り続けて客を追い返す、といった妨害です。公務が業務妨害罪の『業務』に含まれるのであれば、95条では処罰できない偽計による妨害も、業務妨害罪で処罰できることになります。逆に、公務が『業務』に含まれないのであれば、この人物は不処罰ということになってしまいます。ここに、業務と公務の関係という論点が現れます。

判例の枠組み——権力的公務か否かで区分

公務を、権力的公務とそれ以外に分けて考える 図:公務を、権力的公務とそれ以外に分けて考える

この論点について、判例は1つの枠組みを示しています。公務を2種類に分けて考える枠組みです。1つは、強制力を行使する権力的公務。もう1つは、それ以外の公務です。ここでいう強制力とは、相手の抵抗を排除するための、物理的な実力のことです。たとえば逮捕は、相手が抵抗しても、警察官が実力でその抵抗を排除して身柄を確保できます。捜索や差押えも同じで、相手の意思に反してでも、実力で執行できる権限が法律上与えられています。後で判旨そのものを見ますが、判旨は、強制力を行使する権力的公務かどうか、という線を引くだけで、理由までは書いていません。この線がどこから来るのかは、こう考えると分かります。権力的公務には、もともと自力で妨害を排除できる実力の裏付けがあります。ですから、業務妨害罪まで持ち出さなくても、暴行または脅迫を用いた妨害があった場合に限って、95条の公務執行妨害罪で保護すれば十分だ、という発想です。

実力で押し返せるだけの権限を、もともと持っているという点は、そのとおりのイメージです。これに対して、権力的公務にあたらない、それ以外の公務には、そうした実力の裏付けがありません。偽計や威力によって妨害されても、自力でそれを排除する権限は与えられていないので、業務妨害罪による保護が必要になります。この理由づけで、判例の線引き、つまり、強制力を使う公務は業務妨害罪では守らず、それ以外の公務は守る、という区分が説明できます。

学説の整理

4つの立場を、結論と理由で整理する 図:4つの立場を、結論と理由で整理する

この論点をめぐっては、判例の立場のほかにも、いくつかの学説が主張されています。整理しておきましょう。まず、消極説。これは、公務は一切業務に含まれない、とする立場です。業務妨害罪と公務執行妨害罪とでは、そもそも罪質、つまり、その罪がどういう性質の犯罪なのかが違うので、刑法は公務と業務をはっきり分けて扱っている、という理由からです。ただ、この立場には、公務であるというだけで、偽計や威力による妨害から一切保護されなくなってしまう、という批判があります。次に、正反対の立場が積極説です。公務も業務に含まれる、とする立場で、公務も『社会生活上の地位に基づき継続して行う事務』という定義に、文言上あてはまることを理由にします。ただこちらにも批判があって、逮捕や強制執行のように、もともと自力で抵抗を排除できる権限を与えられている公務まで、一律に業務妨害罪で保護する必要はないだろう、というものです。

判例と同じ結論をとる立場を、学説では限定積極説と呼びます。消極説と積極説それぞれへの批判を踏まえた、折衷的な立場です。限定積極説をさらに一歩進めた、有力な学説です。同じ権力的公務でも、邪魔の手口が威力なら業務妨害罪では守らず、偽計なら守る、という立場です。理由はこうです。強制力、つまり物理的な実力の裏付けというのは、大声で怒鳴り続けて作業を止めさせるような威力による妨害なら、実力で排除して押し返せますが、嘘や欺きの手口である偽計に対しては、無力だという発想です。実力で押し返せる権限を持っていても、書類を偽造されたり、嘘の情報を信じ込まされたりする妨害までは、防ぎようがありません。今日のところは、こういう立場もある、という名前と結論だけ押さえておいてください。

具体例——権力的公務にあたるか、あたらないか

権力的公務にあたる例 図:権力的公務にあたる例

では、この区分を、具体例で確認していきます。まず、権力的公務にあたる例です。刑事の場面では、逮捕、勾留、捜索、差押え。民事の場面では、執行官が行う強制執行。行政の場面では、即時強制や行政代執行が挙げられます。いずれも、相手の意思に反してでも、実力で押し切ることが法律上認められている仕事です。強制力を行使する権力的公務にあたる以上、暴行・脅迫による妨害は95条で対応し、業務妨害罪の『業務』には含まれません。これに対して、権力的公務にあたらない例、つまり『業務』に含まれる例を、実際の事件で見てみましょう。

権力的公務にあたらない例(事件ごと) 図:権力的公務にあたらない例(事件ごと)

まず1つ目は、県議会の事件です。委員会が、条例案の採決などの審議を行っていたところ、被告人らが委員会室に入り込んで騒ぎ立て、採決などの進行を妨げた、という事案でした。

判例最高裁判所第一小法廷決定 刑集41巻2号140頁

業務妨害罪の「業務」と公務(判旨) — 新潟県議会事件 「本件において妨害の対象となつた職務は、新潟県議会総務文教委員会の条例案採決等の事務であり、なんら被告人らに対して強制力を行使する権力的公務ではないのであるから、右職務が威力業務妨害罪にいう『業務』に当たるとした原判断は、正当である」

最高裁は、この条例案採決等の事務は、被告人らに対して強制力を行使する権力的公務ではない、として、威力業務妨害罪にいう『業務』にあたると判断しています。ただ、注意してほしいのは、委員会に何の権限も無いわけではないということです。議長や委員長には、騒ぎ立てる者を制止したり退場させたりする、秩序を保つための権限はあります。判旨が『強制力を行使する権力的公務ではない』と言っているのは、その権限のことではなく、条例案の採決という仕事そのものが、相手に強制力を向けて行う仕事ではない、という点です。だからこそ、業務妨害罪による保護が必要になる、というわけです。同じ理由で、国立大学で行われる講義も、権力的公務にはあたらず、業務妨害罪の保護対象になると解されています。もう1つ、別の事件も見ておきましょう。

動く歩道事件——決め手は、工事そのものの性質 図:動く歩道事件——決め手は、工事そのものの性質

東京都が、新宿駅西口の地下通路に動く歩道を設置する計画に伴って、環境整備工事を行うことになりました。この工事は、通路で生活していた路上生活者に対して自主的に退去するよう説得し、これらの者が自主的に退去した後に残された段ボール小屋などを撤去する、という内容のものでした。最高裁は、この工事の中身を次のようにまとめています。判旨を見てみましょう。

判例最高裁判所第一小法廷決定 刑集56巻7号395頁

動く歩道事件——業務妨害罪の「業務」と公務(判旨) 「本件において妨害の対象となった職務は、動く歩道を設置するため、本件通路上に起居する路上生活者に対して自主的に退去するよう説得し、これらの者が自主的に退去した後、本件通路上に残された段ボール小屋等を撤去することなどを内容とする環境整備工事であって、強制力を行使する権力的公務ではないから、刑法234条にいう「業務」に当たると解するのが相当であり」

最高裁は、この工事は、説得して退去してもらい、残った物を片付けることなどを内容とする工事であって、強制力を行使する権力的公務ではない、と判断しました。さらに、自分から出て行かなかった人が警察官に連れ出され、その人の段ボール小屋が本人の意思に反して撤去された場合であっても、結論は変わらない、とまで述べています。ここまでの2つの事件で、権力的公務にあたる例とあたらない例の線引きが、具体的にイメージできたと思います。逮捕や捜索のように、実力での妨害排除が法律上組み込まれている仕事だけが、権力的公務として『業務』から外れる。議会の審議や、説得による退去を前提とした撤去作業のように、そうした実力の裏付けを欠く公務は、『業務』に含まれ、業務妨害罪で保護される。これが判例の到達点です。

冒頭の事案に戻る——権力的公務を偽計で妨害したら 図:冒頭の事案に戻る——権力的公務を偽計で妨害したら

令状に基づく捜索は、まさに強制力を行使する権力的公務にあたります。ですから、暴行・脅迫が無い以上、公務執行妨害罪は成立しません。限定積極説の立場では、権力的公務は業務妨害罪の『業務』にもあたらないため、偽計による妨害も処罰できない、ということになります。ただし、これはあくまで限定積極説からの帰結であって、権力的公務を偽計で妨害した場合の結論には、見解の対立があります。先ほど見た修正積極説は、権力的公務であっても、偽計による妨害であれば業務妨害罪が成立しうる、という立場でした。

95条『職務』との対応

業務(233・234条)と職務(95条)の対応——対比 図:業務(233・234条)と職務(95条)の対応——対比

もう1つ、隣接する論点を押さえておきます。今見た県議会の審議のような、権力的公務にあたらない公務は、業務妨害罪の『業務』に含まれることが分かりました。では、この公務は、公務執行妨害罪95条1項の『職務』には、あたるのでしょうか。そういう見解も主張されています。すでに業務妨害罪が守っている公務を、公務執行妨害罪がもう一度守るのは重複だ、という考え方です。ですが、判例はこの立場を採っていません。

判例最高裁判所第一小法廷判決 刑集32巻4号816頁

公務執行妨害罪95条の「職務」の範囲(判旨) 「同項にいう職務には、ひろく公務員が取り扱う各種各様の事務のすべてが含まれるものである」

判例は、95条1項の『職務』には、公務員が取り扱うありとあらゆる事務のすべてが含まれる、としています。つまり、権力的公務にあたるかどうかにかかわらず、およそすべての公務が『職務』にあたる、という立場です。判旨は理由を述べていませんが、条文から筋が通ります。95条は『職務』という言葉に、何の限定も付けていません。それに、権力的公務を『業務』から外したのは、自力で妨害を排除できる実力の裏付けがあるから、でした。その裏付けを持たない公務を、暴行・脅迫からは守らない、とする理由はありません。この結果、権力的公務にあたらない公務は、業務妨害罪の『業務』にも、公務執行妨害罪の『職務』にも、どちらにもあたることになります。暴行・脅迫を用いて妨害すれば、95条の公務執行妨害罪が成立します。暴行・脅迫を用いずに、偽計や威力で妨害すれば、業務妨害罪が成立します。条文でいえば、233条と234条です。このように、二重に保護されているわけです。

なお、公務執行妨害罪がどのような場面で成立するかについては、職務執行中といえる時間的な範囲や、暴行・脅迫の程度といった細かい要件があります。これらは、公務執行妨害罪そのものを扱う回で、あらためて詳しく検討します。今日のところは、業務妨害罪との対応関係、つまり、権力的公務以外の公務は両方の条文で保護されうる、という位置関係を押さえておいてください。

今日の地図(保存版)

業務と公務の境界線 図:業務と公務の境界線

今日の内容を整理します。公務が業務妨害罪の『業務』に含まれるか、という論点で、判例は、公務を強制力を行使する権力的公務と、それ以外の公務とに分けて考えています。権力的公務には、自力で妨害を排除しうる実力の裏付けがあるので、業務妨害罪までは必要とされず、『業務』に含まれません。それ以外の公務には、そうした裏付けが無いので、『業務』に含まれます。学説では、公務は一切含まれないとする消極説、逆に公務も含まれるとする積極説、そして判例と同じ結論をとる限定積極説、さらに一歩進めて偽計と威力とで結論を分ける修正積極説がありましたね。具体例としては、逮捕・捜索・差押えのような公務が権力的公務にあたり、県議会の審議や、国立大学の講義、説得による退去を前提とした撤去作業のような公務は、権力的公務にあたらず『業務』に含まれるのでした。そして、こうした権力的公務にあたらない公務は、公務執行妨害罪の『職務』にも該当するため、暴行・脅迫による妨害と、それ以外の妨害の、両方から保護されることになります。

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#124単独ページ動画

偽計と威力・電子計算機損壊等業務妨害罪

第14章 個人的法益③|秘密・名誉・信用・業務 ⑦/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

前回の結びから

見える妨害と、見えない妨害 図:見える妨害と、見えない妨害

前回は、業務妨害罪の『業務』に、公務が含まれるかどうかという境界線を見ました。今日は、業務妨害罪そのものの行為に戻ります。まず、2つの行為を比べてみましょう。ライバル店の水道の元栓を、こっそり締めて営業できなくする行為があります。もう1つは、店の前で怒鳴り散らして客を追い返す行為です。結論から言うと、この2つは、同じ業務妨害罪のなかでも、条文上は別の類型に分かれます。今日は、この違いがどこから来るのかを固めます。そのうえで、業務が実際に止まらなくても罪になるのか、という点を見ます。最後に、コンピューターを使った妨害を処罰する専用の条文も見ていきます。

業務妨害罪の行為を仕分ける

業務妨害罪の行為は3つ 図:業務妨害罪の行為は3つ

233条と234条を、もう一度思い出してください。業務妨害罪の行為は、虚偽の風説を流布すること、偽計を用いること、威力を用いることの、3つです。このうち、虚偽の風説の流布と偽計は、まとめて偽計業務妨害と呼びます。威力を用いることは、威力業務妨害です。条文の作りも違います。233条後段は、虚偽の風説の流布と偽計をまとめて規定しています。234条は、威力を用いることだけを独立に規定しています。さきほどの水道の元栓の例は、こっそり工作をする行為なので偽計にあたり、偽計業務妨害です。店先で怒鳴り散らす例は威力にあたり、威力業務妨害です。

客観的な真実に反する事実を、不特定または多数の人に伝わる可能性がある形で広める行為です。これは、信用毀損罪のときと全く同じ意味です。実際に伝わったことまでは要らず、伝わる可能性があれば足ります。信用を落とせば信用毀損罪、業務を止めれば業務妨害罪、という違いです。ここは前回より前の内容の確認なので、今日はこのあと、偽計と威力を詳しく見ていきます。

偽計を用いる

偽計を用いる 図:偽計を用いる

『偽計を用いる』とは、人を欺いたり誘い込んだりすることです。または、人の錯誤や不知を利用することです。これは、信用毀損罪のところで見た偽計と、全く同じ概念です。判例で認められてきた例を、3つ挙げます。1つ目は、嘘の電話注文で配達をさせる行為です。2つ目は、漁場の海の底に、こっそり障害物を沈めておいて、網を破らせる行為です。3つ目は、有線放送のケーブルを、こっそり切って放送を止めてしまう行為です。相手に気づかれない形で、だましたり工作したりしている点が共通しています。電話で嘘の注文をしただけで、何かを壊していなくても『業務を妨害した』と言えるのは、そこが偽計のポイントだからです。店は、存在しない注文を本物だと信じ込みます。材料をそろえたり、配達員を手配したりして、実際に労力や時間を使ってしまいます。事実と違う思い込みのまま行動させられて、業務の運営が乱される。これが、偽計にあたる理由です。

そこで効くのが、定義の後半、人の不知を利用する、です。元栓の例でいえば、店は、元栓が締められたことを知りません。相手が知らないうちに工作して、その知らないことにつけこむ。だます言葉が無くても、これも偽計です。現代なら、もっと身近な例があります。1つ目は、無言電話をかけ続けて、電話回線を麻痺させる行為です。2つ目は、予約サイトに架空の予約を大量に入れる行為です。他の客が予約できなくなります。3つ目は、SNSに虚偽の情報を投稿して、営業そのものを妨害する行為です。いずれも、相手をだましたり、気づかれない形でつけこんだりして業務を止めている点が共通します。

威力を用いる

威力を用いる 図:威力を用いる

『威力を用いる』とは、人の意思を制圧するに足りる勢力を示すことをいいます。この定義は、言葉どおり覚えてください。暴力そのものだけを指すわけではありません。この定義を立てた判例そのものを見てみましょう。

判例最高裁判所第二小法廷判決 刑集7巻1号128頁

威力の意義(判旨) 「同条の『威力』とは犯人の威勢、人数及び四囲の状勢よりみて、被害者の自由意思を制圧するに足る犯人側の勢力と解するを相当とするものであり、且つ右勢力は客観的にみて被害者の自由意思を制圧するに足るものであればよいのであつて、現実に被害者が自由意思を制圧されたことを要するものではないと解すべきものである」

この判例は、威力の中身を2点で明らかにしています。1点目は、勢力は客観的に見て足りればよいという点。2点目は、現実に被害者の自由意思が制圧されたことまでは要らないという点です。犯人の勢い、人数、周りの状況から見て、客観的に自由意思を制圧するだけの力があれば足ります。被害者本人が、たまたま気が強くて怖がらなかった場合でも、威力業務妨害罪は成立します。もし実際に怖がったことまで必要だとすると、同じ脅し方をしても、相手の性格しだいで、罪になったりならなかったりしてしまいます。だから、犯人側の勢力を客観的に見るのです。威力は、暴行や脅迫に限られません。社会的な地位や経済的な優位を利用して押さえつけることも含まれます。大人数で取り囲んで威圧することも同じです。

ここでは、もう1つ判例を見ておきます。

相手に直接ぶつけなくても、威力になる 図:相手に直接ぶつけなくても、威力になる

ある消防本部の話です。消防長を困らせようとした部下が、ロッカーの中に犬のふんを入れました。机の引き出しには、赤く染めた猫の死がいも、ひそかに入れておきました。翌朝、出勤した消防長がこれを見つけます。恐怖や嫌悪を感じ、その日予定されていた決裁の仕事ができなくなりました。相手の目に触れる場所に、気味の悪いものを仕込んでおきます。相手自身に発見させて、畏怖させる間接的な手口です。判旨を見てみましょう。

判例最高裁判所第二小法廷決定 刑集46巻8号623頁

猫の死骸事件(威力の該当例・判旨) 「被害者が執務に際して目にすることが予想される場所に猫の死がいなどを入れておき、被害者にこれを発見させ、畏怖させるに足りる状態においた一連の行為は、被害者の行為を利用する形態でその意思を制圧するような勢力を用いたものということができるから、刑法二三四条にいう『威力ヲ用ヒ』た場合に当たると解するのが相当であり」

最高裁は、被害者自身の行動を利用する形でも、意思を制圧する勢力にあたるとしました。威力業務妨害罪の成立を認めています。ほかにも、威力業務妨害罪にあたる例があります。1つは、総会屋が株主総会の会場で、怒号を上げ続けて議事を妨げる行為です。もう1つは、いけすのイルカを囲うロープを切断して、逃がしてしまう行為です。共通しているのは、事情を知る人であれば、妨害されていると分かる形で行われている、という点です。

偽計と威力の区別

偽計と威力の区別——見えるか、見えないか 図:偽計と威力の区別——見えるか、見えないか

同じ業務妨害でも、なぜ偽計と威力とで条文が分かれているのでしょうか。手口の性質が違うからです。威力は、力を見せつけて、相手の意思を押し切る手口です。偽計は、だましたり、相手が知らないことにつけこんだりする手口です。力は相手に見せてこそ効き、だましやつけこみは相手に気づかれないからこそ効きます。そこで、2つを見分ける判断の切り口は、妨害行為が被害者に知覚される形で行われたかどうか、です。目に見える形で妨害すれば威力です。こっそり見えない形で妨害すれば偽計です。ラーメン店の給水管を壊すという、同じ結果で考えてみましょう。営業中に、店の前で堂々と目に見える形で給水管を壊せば、それは威力業務妨害です。相手の目の前で実力を示して押し切っているからです。深夜にひそかに店の裏から給水管を壊せば、それは偽計業務妨害です。店が知らないうちに工作して、その知らないことにつけこんでいるからです。

さきほどの猫の死骸の事件も、この基準で考えると分かりやすくなります。犯人は、消防長の目の前で何かをしたわけではありません。ですが、消防長に発見させることを狙っていました。最終的に、被害者は妨害の存在を知覚しています。これは見える形での妨害だと評価できるので、対面していなくても威力にあたる、と判断されたわけです。では、こんな場合はどうでしょうか。閉店後の夜中に、飲食店の看板の照明を、店の外からこっそり壊して真っ暗にしました。これは、偽計と威力のどちらにあたるでしょうか?夜中に誰にも気づかれずに壊しているので、店は妨害に気づいていません。見えない形なので、偽計業務妨害ですね。営業中の看板を客の目の前で堂々と壊せば威力、閉店後にひそかに壊せば偽計、という違いです。

前回の修正積極説が、同じ権力的公務でも、偽計による妨害なら業務妨害罪で守る、としていたのも、この違いと関係がありますか。あります。前回見たとおり、捜索のような、強制力を行使する権力的公務は、『業務』に含まれません。自力で妨害を排除しうる実力の裏付けがあるからです。ですが、強制力で押し返せるのは、見える形で向かってくる妨害です。気づかないうちに仕掛けられる偽計は、押し返そうにも、妨害があることにさえ気づけません。だから、強制力は偽計に対しては無力だ、と考えるのです。

業務妨害罪は危険犯

業務を止める危険があれば足りる 図:業務を止める危険があれば足りる

もう1つ、業務妨害罪の重要な性質を確認しておきます。業務を妨害したという条文だけ見ると、実際に業務が止まる罪のようにも読めます。実際に営業がストップしたり、仕事ができなくなったりしないと罪にならないのでは、と思うかもしれません。ですが、判例は、業務妨害罪を抽象的危険犯だと解しています。現実に業務が妨害されたことは、要りません。業務を妨害するに足りる行為があれば、それで成立します。なぜ、現実に止まったかどうかを要件にしないんですか。業務が現実に妨害されたかどうかは、認定がとても難しいからです。無言電話を何十件もかけられた会社があります。その日の売り上げが落ちたかどうかを、後から立証するのは簡単ではありません。売り上げが落ちなかったからといって、妨害行為そのものが無かったことにはなりません。そこで、危険のある行為があった時点で、罪の成立を認める考え方が取られています。前々回、信用毀損罪のところで見た理由づけと同じです。

給水管を壊す行為自体が、業務を妨害するに足りる行為です。結果として、営業に支障が出なかったとしても、業務妨害罪は成立します。

電子計算機損壊等業務妨害罪——電子計算機とは何か

コンピューターへの妨害は、より重く罰する 図:コンピューターへの妨害は、より重く罰する

他人の会社のコンピューターに嘘のデータを送り込んで業務を止める行為が、偽計業務妨害罪や威力業務妨害罪で足りるかどうかを考える前に、まず1つ思い出しておきましょう。前々回確認した、業務妨害罪の『業務』の定義は、何でしたか?社会生活上の地位に基づき継続して行う事務、でした。今日、これまで人の手で行われていた業務の多くは、コンピューターに置き換わっています。コンピューターそのものへの加害行為があると、業務が止まる被害はきわめて深刻になります。そこで、専用の条文が設けられました。コンピューターへの攻撃を手段とする業務妨害に、偽計業務妨害罪や威力業務妨害罪よりも重い刑を科すためです。それが234条の2、電子計算機損壊等業務妨害罪です。保護しているのは、コンピューターによって遂行される業務が、円滑に動き続けることです。条文の全文を見てみましょう。

条文刑法234条の2

刑法234条の2(電子計算機損壊等業務妨害) 1項「人の業務に使用する電子計算機若しくはその用に供する電磁的記録を損壊し、若しくは人の業務に使用する電子計算機に虚偽の情報若しくは不正な指令を与え、又はその他の方法により、電子計算機に使用目的に沿うべき動作をさせず、又は使用目的に反する動作をさせて、人の業務を妨害した者は、五年以下の拘禁刑又は百万円以下の罰金に処する。」 2項「前項の罪の未遂は、罰する。」

法定刑を比べてみると、233条と234条は、3年以下の拘禁刑または50万円以下の罰金でした。234条の2は、5年以下の拘禁刑または100万円以下の罰金です。コンピューターへの加害行為の方が、重く処罰されていることが分かります。パソコンは含まれますが、電子計算機にあたる範囲には線引きがあります。判例が示した定義を見てみましょう。

「電子計算機」にあたるもの、あたらないもの 図:「電子計算機」にあたるもの、あたらないもの

判例は、電子計算機にあたるものを次のように定義しています。

判例福岡高等裁判所判決

「電子計算機」の意義(判旨) 「それ自体が情報を集積してこれを処理し、あるいは、外部からの情報を採り入れながらこれに対応してある程度複雑、高度もしくは広範な業務を制御するような機能を備えたもの」

この定義にあてはまるのは、情報を集めて処理する機器です。あるいは、外部の情報に応じて、複雑で高度な業務を制御する機器です。パソコンや、企業の業務用サーバーは、これにあたります。逆に、あたらないものの例は、家電製品や自動販売機に組み込まれているマイクロコンピューターです。これらは、あらかじめ決められた条件で、決まった動作をするだけです。情報を集めて処理する機能は持っていません。この判例自身も、パチンコ台のマイクロコンピューターは電子計算機にあたらない、と判断しています。決められた動作を繰り返すだけの単純な装置は、『電子計算機』にはあたりません。こうした装置を狙った妨害は、前半で見た偽計や威力の業務妨害罪の問題になり、234条の2の対象にはなりません。

電子計算機損壊等業務妨害罪——加害行為と未遂

3つの加害行為 図:3つの加害行為

234条の2が定める加害行為は、3つの類型に分かれます。1つ目は、電子計算機、またはその用に使われる電磁的記録、つまりコンピューターで処理されるデータを損壊すること。2つ目は、電子計算機に虚偽の情報、または不正な指令を与えること。3つ目は、その他の方法です。その他の方法の例には、電源の切断があります。温度や湿度など、動作環境の破壊もあたります。通信回線の切断も同様です。コンピューターウイルスを送り込む行為は、通常、2つ目の、虚偽の情報または不正な指令を与える行為にあたります。ウイルスによってデータそのものが消去されるような場合には、1つ目の、電磁的記録の損壊にもあたります。

加害行為があっただけで、罪になるんですか。違います。加害行為だけでは足りません。条文は、さらに要件を求めています。加害行為によって、電子計算機に、使用目的に沿わない動作をさせることです。または、使用目的に反する動作をさせることです。電子計算機を設置した人が実現しようとしていた目的に、動作が沿わなくなる状態のことです。この動作の阻害があって初めて、人の業務を妨害したと言えます。

未遂も処罰される 図:未遂も処罰される

234条の2にも、業務妨害罪と同じ、抽象的危険犯としての性質があります。コンピューターに加害行為をした結果、現実に業務が妨害されたことまでは要りません。加えて、234条の2には、233条や234条には無い規定があります。さきほど見た条文の2項、未遂処罰です。偽計業務妨害罪や威力業務妨害罪には、未遂を罰する規定はなかったんですか。ありません。233条にも234条にも、未遂処罰の規定はありません。これに対して234条の2は、未遂の段階から処罰します。コンピューターへの加害行為は、いったん実行されると、業務への影響が重大かつ広範囲に及びかねません。そのため、既遂の前の段階から処罰する必要がある、と考えられています。

隣接する条文との違い

業務の妨害か、財産の取得か、記録そのものの毀棄か 図:業務の妨害か、財産の取得か、記録そのものの毀棄か

234条の2の近くには、似た場面で登場する条文がいくつかあります。位置関係だけ押さえておきましょう。たとえば、他人の口座の残高データを書き換えて、自分に送金させる行為があります。こうした、コンピューターを使った財産的な不正利得は、電子計算機使用詐欺罪の領域です。業務の妨害ではなく、財産の取得そのものを処罰する点で、234条の2とは異なります。こちらは別の回で扱います。記録そのものを守る罪としては、文書毀棄罪があります。文書毀棄罪が対象にするのは、紙の文書だけではありません。まず258条は、公務所の用に供する文書や電磁的記録を対象にしています。259条は、権利や義務に関する他人の文書や電磁的記録を対象にしています。234条の2との違いは、紙かデータかではありません。記録そのものを使えなくする行為を罰するのが、文書毀棄罪です。コンピューターへの加害によって業務を妨害する行為を罰するのが、この234条の2です。同じデータの消去でも、業務に使うコンピューターを動かなくして業務を妨害すれば、234条の2の問題になります。文書毀棄罪も、別の回で扱います。

第14章の総まとめ——6つの罪を見分ける

どの条文が成立するか、考えてみよう 図:どの条文が成立するか、考えてみよう

ここまでで、第14章「秘密・名誉・信用・業務」で学んだ罪が、一通りそろいました。最後に、学んだ罪を混ぜたミニ事例で、どの条文が成立するかを考えてみましょう。1つ目。食品会社の元従業員が、取引先に「あの会社の商品には異物が混入している」という嘘の情報を伝えました。これは、経済的な信用を害する虚偽の風説なので、信用毀損罪ですね。233条前段の信用毀損罪にあたります。2つ目。ライバル店への嫌がらせで、予約サイトに架空の予約を大量に入れ、ほかの客が予約できない状態にしました。233条後段にあたります。3つ目。来店客の前で店員に対して怒鳴り散らし、周囲の客を怖がらせて営業を妨げました。

234条にあたります。4つ目。逮捕しようとした警察官を突き飛ばして抵抗しました。これは業務妨害罪ではなく、公務執行妨害罪だと思います。逮捕は強制力を行使する権力的公務で、自力で妨害を排除しうる実力の裏付けがあります。だから、前回見たとおり、業務妨害罪までは必要とされず、『業務』には含まれません。暴行で職務を妨害しているので、95条1項ですね。95条1項の公務執行妨害罪にあたります。5つ目。市役所の住民票発行システムに、虚偽のデータを入力して、発行処理ができない状態にしました。住民票の発行は、強制力を行使する権力的公務ではないので、前回見たとおり『業務』に含まれます。そのうえで、コンピューターへの加害行為なので、電子計算機損壊等業務妨害罪です。234条の2にあたります。最後、6つ目。隣人の自転車を蹴って壊しました。

261条の器物損壊罪にあたります。この6つ目だけ、保護しているものが違います。ここまでの5つは、いずれも人の信用や業務、公務という、経済的・活動的な利益を保護するものでした。器物損壊罪は、物そのものに対する財産権を保護する罪で、次の章、財産に対する罪の1つです。

6つの事例の答え合わせ 図:6つの事例の答え合わせ

並べてみると、条文を選ぶときに見るべきポイントが分かります。何が害されているか。信用か、業務か、公務か、物か。公務なら、強制力を行使する権力的公務かどうかも見ます。そして手段は何か。虚偽の風説か、偽計か、威力か、暴行・脅迫か、コンピューターへの加害か。この2点です。

今日の地図(保存版)

今日のまとめ 図:今日のまとめ

今日の内容を整理します。業務妨害罪の行為は、見える形なら威力業務妨害、見えない形なら偽計業務妨害に分かれます。そして、業務妨害罪は、現実に業務が妨害されたことを要しない抽象的危険犯です。さらに、この234条の2は、コンピューターへの加害行為による業務妨害を、より重く処罰します。未遂の段階からも処罰されます。これで、第14章「秘密・名誉・信用・業務」がすべて終わりました。秘密という人格的な利益から始まり、名誉、信用、業務へと話が進みました。保護される利益が、人格的なものから経済的・活動的なものへ移っていく章でした。

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第15章個人的法益④|財産に対する罪①(総論・窃盗・強盗)

#125単独ページ動画

財物の意義と財産上の利益

第15章 個人的法益④|財産に対する罪①(総論・窃盗・強盗) ①/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

前回の結びから

財産犯の顔ぶれ 図:財産犯の顔ぶれ

前回、第14章「秘密・名誉・信用・業務」が終わりました。人格的な利益から、経済的・活動的な利益へと話が進んだ、そんな章でした。今日から、いよいよ第15章「財産に対する罪」に入ります。窃盗、強盗、詐欺、恐喝、横領、背任、盗品等に関する罪、器物損壊。第15章と、次の章で、これだけの罪を学んでいきます。財産犯は、司法試験でもっとも出題頻度の高い分野の1つです。だからこそ、個別の罪に入る前に、今日はその全部に共通する土台を固めます。財産犯は、どれも憲法が保障する財産権に関わる罪です。財産権を奪う行為を、刑法が処罰しています。そして、どの財産犯にも、必ず奪われる対象があります。これを客体と呼びます。今日固めるのは、この客体です。

たとえば、次の3つの問いに答えられるようになります。1つ目。覚醒剤や拳銃のように、持つこと自体が禁じられている物を盗んだら、窃盗罪になるでしょうか。2つ目。自分の家や土地を、法律上「盗まれる」ことはあるでしょうか。3つ目。お店で食事をしたのに、代金を踏み倒して逃げたら、これも「盗んだ」ことになるでしょうか。3つとも、答えを分けるのは「何を奪ったのか」、つまり客体です。客体には、どこまでが入るかを測る定規があります。ただ、どの問いも、定規を当てただけでは決まりません。定規と、そこからはみ出す場面の扱い方を、1つずつ見ていけば答えが出ます。

財産犯の客体は2つだけ

客体は2つだけ 図:客体は2つだけ

財産犯が奪う対象、つまり客体は、実は2種類しかありません。1つ目は財物です。たとえば235条の窃盗罪は、「他人の財物を窃取した者」と規定しています。2つ目は財産上の利益です。たとえば246条2項の詐欺罪は、「財産上不法の利益」を得ることを処罰しています。横領罪や器物損壊罪は「他人の物」と書いています。ですが、これも財物と同じ意味だと解されています。ここで、1つだけ先に予告しておきます。財物は、背任罪を除くすべての財産犯で客体になります。ところが、財産上の利益は、一部の罪でしか客体になりません。この非対称な扱いは、あとで回収します。

財物の意義——有体性説

財物の意義:3つの説 図:財物の意義:3つの説

まず、財物とは何かを固めます。ここは通説の理由づけまで押さえておいてください。司法試験でもよく問われる場所です。「財物」が日常語の「物」と同じ意味かどうかには、実は争いがあります。通説は、財物を有体物、つまり固体・液体・気体に限ると考えます。有体性説と呼びます。これに対して、管理可能性説もあります。有体物でなくても、管理できる対象なら財物にあたるとする説です。さらに、物理的に管理できる無体物まで含める、物理的管理可能性説もあります。争いの中心は、電気のようなエネルギーや、債権や情報のような無体物を、財物に含めるかどうかです。有体性説は通説の結論として、まず覚えてください。固体か、液体か、気体か。これが、財物かどうかを測る定規になります。理由は、この後すぐ見る245条の読み方に表れます。

分かりやすい例で考えてみましょう。近所の家の無線LANの電波を、パスワードを盗み見て無断で使い続けたとします。有体性説で考えると、電波の無断使用は窃盗罪になりません。電波は、固体でも液体でも気体でもありません。有体物ではないので、財物にあたらないんです。

⭐ 論文で書く規範:有体性説を財物の定義として立てる 「刑法上の財物とは、固体・液体・気体という有体物をいう。」 (規範(通説で立てる))

245条「電気は財物とみなす」:: 短答

電気は有体性説の例外 図:電気は有体性説の例外

では、電気はどう扱われるんでしょうか。ここで245条を見てみましょう。

条文刑法245条

刑法245条(電気の財物みなし規定) 「この章の罪については、電気は、財物とみなす。」

「みなす」という言葉が決め手です。有体性説からは、電気は本来、財物にあたりません。だから特別に、みなす規定を置いて財物として扱うことにした。245条は、有体性説にとっての例外規定です。管理可能性説や物理的管理可能性説からは、電気はもともと財物に含まれるはずのものです。245条は、それを確認しているだけの注意規定と読みます。ただ、法律の言葉で「みなす」は、本来は違うものを、同じものとして扱うときに使います。確認するだけの注意規定なら、この言葉を選ぶ必要がありません。だから、245条の文言そのものが、有体性説側の決め手になるんです。

もう1点、適用範囲も見ておきましょう。245条は、窃盗罪・強盗罪の章にだけ、直接は適用されます。ただし、251条という条文によって、詐欺罪・恐喝罪にも準用されます。窃盗・強盗・詐欺・恐喝の4罪では、電気は財物として扱われます。横領罪には、この準用が及びません。だから横領罪では、電気を客体にできません。財産上の利益としても、横領罪では成立しないと考えられています。この点は、また別の機会に扱います。

3説の違いを表で見る 図:3説の違いを表で見る

3つの説の違いを、表でも整理しておきましょう。有体物は、どの説でも財物に含まれます。争いになるのは、電気や、その他のエネルギー、それに債権や情報のような無体物です。電気以外のエネルギー、たとえば熱や光についても、同じように扱いが分かれます。債権や情報はどうなんですか。そこが、管理可能性説のもう1つの弱点です。管理可能性説を徹底すると、債権や情報のような無体物まで、財物に含めてしまいかねません。そこまで広げると、財物という言葉の意味が際限なく広がってしまいます。物理的に管理できる範囲に絞る物理的管理可能性説も唱えられています。ですが、これも通説の座は得ていません。

ここで1つ、考えてみてください。隣の家の水道から、勝手にホースを引いて水を汲み続けたら、これは窃盗罪になるでしょうか。水は、固体でも気体でもなく、液体ですよね。液体も有体物に入るはずです。水は、最初から有体物にあたります。電気のような特別な規定が無くても、もともと財物にあたるんです。これが、有体性説という定規の使い方です。定規に当てはまる有体物は、そのまま財物。当てはまらない物は、電気のように特別な規定があるときだけ、財物になります。さっきの無線LANの電波には、そういう規定がありません。

法禁物は財物か

法禁物も財物にあたる 図:法禁物も財物にあたる

次は、法禁物です。覚醒剤や拳銃のように、法律上持っていること自体が禁止されている物のことです。どちらも有体物なので、定規には当てはまります。引っかかるのは、持つこと自体が違法だという点です。結論から言うと、財物にあたります。持つこと自体が違法な物が保護されるかどうかには、争いの種があります。ですが、財物にあたると考えられています。理由は、没収という制度です。覚醒剤や拳銃のような法禁物でも、国が取り上げるには、没収という決まった手続きを踏まなければなりません。国でさえ、勝手には取り上げられない。まして、他人が勝手に奪ってよい物ではありません。

だから、覚醒剤や拳銃を盗んだとしても、窃盗罪の対象になります。「持っていること自体が違法だから、盗んでもお咎めなし」とはならないんです。

不動産は財物に含まれるか

不動産は財物に含まれるか 図:不動産は財物に含まれるか

次は、不動産の話です。土地や建物のような不動産は、財物に含まれるんでしょうか。実は、財産犯ごとに答えが変わります。通説によれば、窃盗罪・強盗罪の財物には、不動産は含まれません。有体物である不動産が除かれるのには理由があります。他人の不動産を奪う行為に対しては、235条の2の不動産侵奪罪という、窃盗に対応する専用の罪があるからです。この罪の中身は、また別の回で扱います。窃盗罪については、この専用の罪がある以上、わざわざ財物に不動産を含める必要がありません。強盗罪については、暴行や脅迫で不動産を手に入れる場面を、この後で見る財産上の利益の問題として扱います。

詐欺罪、恐喝罪、横領罪、盗品等に関する罪、器物損壊罪では、財物に不動産が含まれると解されています。他人の土地を勝手に柵で囲って自分の物にすれば不動産侵奪罪、人をだまして名義を移させれば詐欺罪です。奪い方の違いに応じて、条文が使い分けられています。

財物に財産的価値は必要か

財産的価値は主観的価値でよい 図:財産的価値は主観的価値でよい

定規には当てはまるのに、財物と言えるか迷う物が、もう1つあります。ほとんど値打ちの無い物です。財物であるためには、財産的な価値が必要なのでしょうか。通説は、財産的価値が必要だと考えます。ただし、その価値は、客観的な交換価値でなくてもかまいません。持ち主にとっての主観的な価値があれば、それで足ります。財産犯が守っているのは、市場での値段ではなく、持ち主が現に持っている利益だからです。たとえば、もう使えなくなった古い定期入れを考えてみましょう。フリマアプリに出しても、値はほとんどつかないかもしれません。でも、持ち主が長年使い込んで大切にしていた物なら、財物にあたります。子どもが描いてくれた似顔絵も同じです。市場で売っても値はつきませんが、持ち主にとってかけがえのない物なら、財物として保護されます。

さらに、古い大審院の判例には、もっと踏み込んだ基準を採ったものもあります。無効な約束手形や、わずかな値段の石ころのような物でも、財産権の対象になりうるなら財物にあたる、としたものです。経済的な価値があるかどうかは、問わない考え方です。通説の主観的価値説よりも、さらに緩やかな基準です。この判例は、結論の方向だけ知っておけば十分です。

財産上の利益の意義

財産上の利益とは 図:財産上の利益とは

財物の話は、ここまでです。もう1つの客体に入る前に、思い出してみましょう。前の章で見た業務妨害罪や信用毀損罪は、何を守る罪でしたか?業務活動そのものや、人の社会的な評価そのものではなく、財産としての利益を指します。財物にはあたらない財産的な利益を、まとめて財産上の利益と呼びます。具体的には、4つの類型に整理できます。1つ目は、債権や担保権を新たに取得すること。たとえば、他人にお金を貸す約束をさせることです。2つ目は、役務、つまりサービスの提供を受けること。タクシーに乗って目的地まで運んでもらうような場合です。3つ目は、抱えている債務を免除してもらうこと。借金をチャラにしてもらう場合です。4つ目は、支払を待ってもらうこと、支払の猶予です。今日払うはずの代金を、来月でいいと言わせる場合です。

ここで、さきほど予告した非対称な扱いを回収します。財物は、背任罪以外のすべての財産犯で客体になっていました。ところが、財産上の利益を客体にできる罪は、ごく一部に限られています。

2項犯罪という呼び名

財産上の利益を客体にできる罪 図:財産上の利益を客体にできる罪

財産上の利益を客体にできるのは、強盗罪、詐欺罪、恐喝罪、背任罪の4罪だけです。ここでいう詐欺罪には、246条の2にある電子計算機使用詐欺罪と、248条の準詐欺罪という仲間も含みます。窃盗罪や横領罪は含まれません。この4罪のうち、強盗・詐欺・恐喝は、財産上の利益を得る場合を、それぞれの条文の2項に規定しています。236条2項、246条2項、249条2項です。だから、この3つの罪は、まとめて「2項犯罪」と呼ばれることがあります。背任罪、247条は、財産上の利益だけを客体にする罪です。そもそも1項・2項という条文の作りを持っていません。だから、背任罪を機械的に「2項犯罪の1つ」と呼ぶのは不正確です。ここは暗記のときに間違えやすいので、注意しておいてください。それぞれの罪の細かい成立要件は、各罪を学ぶ回で扱います。

サービスを踏み倒したら、盗んだことになるのか 図:サービスを踏み倒したら、盗んだことになるのか

ここで、財産上の利益が一部の罪でしか客体にならないことの、裏返しが効いてきます。最初は払うつもりでラーメンを注文して、食べ終えてから、店員の隙を見て黙って逃げたとします。代金を払わずに済んだという利益を得てはいますが、それは財産上の利益であって、財物ではありません。ラーメンという食べ物そのものは、もう食べ終えています。窃盗罪は、財物しか客体にできません。だから、このケースでは窃盗罪は成立しません。代金を踏み倒しても、何も罪にならないんですか。そこは場合によります。最初から払う気がない場合は違います。それを隠して「お会計は後で」と言い、店員をだまして料理を出させたとします。この場合は、食事という財物そのものを、だまし取ったことになります。詐欺罪が成立しうる場面です。この違いの細かい成立要件は、詐欺罪を学ぶ回で扱います。

法禁物の返還請求権も財産上の利益か

法禁物の返還請求権も財産上の利益 図:法禁物の返還請求権も財産上の利益

最後に、もう1つの財産上の利益の論点を見ておきます。法禁物の返還請求権です。法禁物であっても財物にあたる、というのはさきほど見たとおりです。では、その法禁物を返したり、代金を支払ったりしなければならない立場から、事実上逃れることは、財産上の利益にあたるでしょうか。覚醒剤の取引そのものが違法なので、法律上は、返還や支払いを求める権利が認められません。そこが問題になります。ある事件を見てみましょう。この被害者をBとします。被告人の共犯者が、覚醒剤の取引を装って、Bから覚醒剤をだまして受け取り、そのまま持ち逃げしてしまいます。

被害者は、共犯者が買い手と話をつけて戻ってくると信じて、部屋で待っていました。共犯者が出ていってから少し時間を置いて、被告人がその部屋に入り、被害者に向けて拳銃を発射しました。覚醒剤の返還や代金の支払いを免れるためだったと、のちに認定されています。被害者は重傷を負いましたが、一命はとりとめました。ただの殺人未遂罪で終わるのか。それとも、財産上の利益を得るための発砲として、より重い強盗殺人未遂罪になるのか。返還を免れる利益が財産上の利益かどうかで、ここが分かれます。最高裁の判断を見てみましょう。

判例最高裁判所第一小法廷決定

法禁物の返還請求権(判旨) 「Bを殺害して同人に対する本件覚せい剤の返還ないし買主が支払うべきものとされていたその代金の支払を免れるという財産上不法の利益を得るためになされたことが明らかであるから、右行為はいわゆる二項強盗による強盗殺人未遂罪に当たるというべきであり」

⭐ 論文で書く規範:法禁物の返還請求権も財産上の利益と解する 「法禁物の返還や代金の支払を免れる利益も、財産上の利益にあたる。」 (規範(判例))

覚醒剤の返還、あるいは代金の支払いを免れるという、財産上不法の利益を得るためになされた。だから、この行為は2項強盗を基礎とする強盗殺人未遂罪にあたる、としました。持つこと自体が違法な覚醒剤でも、財物として守られました。それと同じで、法律上は通らない請求でも、返したり払ったりしなければならない立場から事実上逃れることは、財産上の利益になります。たとえば、恨みだけから撃ったのなら、免れる目的がないので、殺人未遂罪の問題にとどまります。ほかの動機が混じっていても、免れる目的があれば結論は変わりません。なお、先に覚醒剤を手に入れた行為があります。窃盗か詐欺かは、最高裁も決めきっていません。この行為と、強盗殺人未遂罪は、まとめて1つの罪として扱われます。重いほうの刑で処罰されることになりました。この考え方や、事件の細かい背景までは、今日は深入りしません。ここでは、法禁物の財物性と、返還や支払いを免れる利益の話を、同じ考え方として、セットで覚えておいてください。論文でもよく問われる論点です。

今日の地図(保存版)

今日のまとめ 図:今日のまとめ

今日の内容を整理します。財産犯の客体は、財物と財産上の利益の2つだけでした。財物は、有体性説という定規で固めました。電気、法禁物、不動産、財産的価値という、定規からはみ出しそうな境界を、1つずつ確認しました。財産上の利益は、財物以外の財産的利益の一切です。強盗・詐欺・恐喝・背任の4罪だけが客体にできる、という非対称な扱いでした。

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#126単独ページ動画

財産犯の3つの分類軸

第15章 個人的法益④|財産に対する罪①(総論・窃盗・強盗) ②/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

前回の結びから

どちらも盗んでいる、のか 図:どちらも盗んでいる、のか

前回、財産犯に共通する客体を固めました。今日は、その客体をどう仕分けるかに進みます。まず、2つの場面を比べてみましょう。友人から預かっている自転車を、こっそり売り払う場面です。もう1つは、駐輪場に停めてある見知らぬ人の自転車を、無断で持ち去る場面です。どちらも『盗む』ように聞こえますが、法律上は別の顔をしています。何が違うんですか。そこが、今日の1つ目のテーマです。もう1つ、こんな問いも考えてみてください。価値が変わらない取引に見えても、財産犯になることがあるのか。損も得もしていないのに罪になるのかも、今日のテーマです。この2つの問いを、3つの物差しで解いていきます。1つ目は、何を奪ったかという物差しです。2つ目は、どういうつもりで、どう手に入れたかという物差しです。3つ目は、奪われたあと、財産全体がどうなったかという物差しです。

3つの物差しは、判例ではなく、通説が積み上げてきた分類です。最後に、3本の物差しを同時に当てます。財産犯の全部を、1枚の地図に落とします。

分類軸①財物罪と利得罪

財物罪と利得罪 図:財物罪と利得罪

まず、1つ目の物差しです。何を奪ったか、という物差しです。前回、財物と財産上の利益の違いを学びましたが、覚えていますか?財物は有体物で、財産上の利益はそれ以外の財産的利益、でした。この2つの客体をもとに、財産犯は3つに仕分けられます。財物を客体にする罪が、財物罪です。財物だけを客体にするのは、窃盗罪、不動産侵奪罪、横領罪、盗品等に関する罪、毀棄・隠匿の罪です。財物と財産上の利益の両方を客体にできる罪もあります。強盗罪、詐欺罪、恐喝罪です。そして、財産上の利益だけを客体にする罪が、背任罪です。ここでは罪名の単位で数えていて、246条の2のように詐欺罪の仲間として財産上の利益だけを客体にする規定は、詐欺罪の側に数えています。

⭐ 論文で書く規範:客体で財物罪と利得罪を分ける 「財物を客体とする罪が財物罪、財産上の利益を客体とする罪が利得罪である。両方を客体とする罪は、その両方にあたる。」 (規範(通説で立てる))

ここで、1つ気づいてほしいことがあります。窃盗罪には、財産上の利益を客体にする規定がありません。前回、ラーメンを食べ終えてから代金を踏み倒した例が、窃盗罪にならなかったのも、235条に財物としか書いていないからでした。もし、財物を客体とする条文しかなかったら、どうなるでしょうか。他人のサービスや権利を、だましたり脅したりして手に入れても、不可罰になってしまいます。だからこそ、利得罪という受け皿が必要になります。強盗・詐欺・恐喝・背任が、財産上の利益の侵害まで拾えるのは、そのためです。

コインパーキングで何が起きたか 図:コインパーキングで何が起きたか

実際の場面で考えてみましょう。無人のコインパーキングです。精算機の中の硬貨を、こじ開けて盗み出したとします。では、精算機を壊して、料金を払わずに車を出したら、どうでしょうか。駐車という利益は得ていますが、財物は盗んでいません。だから、この行為だけでは、窃盗罪になりません。器物損壊などの限度にとどまります。詳しい成立要件は、それぞれの罪を学ぶ回で扱います。

分類軸②領得罪と毀棄・隠匿罪

領得罪と毀棄・隠匿罪 図:領得罪と毀棄・隠匿罪

2つ目の物差しは、どういうつもりで手に入れたかです。同じ『他人の物を奪う』行為でも、法律は2つに分けます。自分の物として使ったり売ったりするつもりがある罪と、ただ壊したり隠したりするだけの罪です。

⭐ 論文で書く規範:不法領得の意思の要否で領得罪と毀棄・隠匿罪を分ける 「不法領得の意思を要する罪が領得罪、要しない罪が毀棄・隠匿罪である。」 (規範(通説で立てる))

前者を領得罪、後者を毀棄・隠匿罪と呼びます。私腹を肥やす意思があるかどうか、というくらいの見立てで、今日は十分です。たとえば、駐輪場の自転車を、自分の物にするつもりで持ち去れば、窃盗罪です。嫌がらせで、その自転車のタイヤを切り裂けば、器物損壊罪です。詳しい中身は、また別の回で扱います。この差は、法定刑にも表れます。刑の上限で比べると、窃盗罪は、10年の拘禁刑です。器物損壊罪は、3年の拘禁刑です。私利私欲のために他人の財産権を奪う行為の方が、社会的な非難が大きいからです。ただし、盗品等に関する罪と背任罪は、この2択には入れません。理由は、最後の地図のところで確かめます。

領得罪の内側——奪取罪と横領罪

奪取罪と横領罪 図:奪取罪と横領罪

冒頭の2つの場面に戻りましょう。友人から預かっている自転車を、こっそり売り払う場面。駐輪場の見知らぬ人の自転車を、持ち去る場面です。そこで効くのが、占有移転の有無です。

⭐ 論文で書く規範:占有移転の有無で奪取罪と横領罪を分ける 「占有移転を伴う領得罪が奪取罪、占有移転を伴わない領得罪が横領罪である。」 (規範(通説で立てる))

友人の自転車は、すでにあなたが預かっています。占有は、売り払う前から、もうあなたにあります。他人の占有を奪ってはいないので、これは横領罪の話です。駐輪場の自転車は、まだ持ち主の占有下にあります。それを持ち去ると、占有が移転します。これは奪取罪の話です。窃盗、不動産侵奪、強盗、詐欺、恐喝は、いずれも奪取罪です。横領罪と占有離脱物横領罪は、占有移転を伴わない側です。占有離脱物横領罪は、落とし物のように、誰の占有からも離れた物を自分のものにする罪です。奪われる占有が、そもそもありません。この線引きが、横領罪の成立要件の根っこを決めます。友人の自転車のように、横領罪は、占有を奪うのではなく、物を預けてくれた持ち主の信頼を裏切る罪だからです。この、預けた・預かったという信頼の関係を、委託信任関係と呼びます。詳しくは、横領罪を学ぶ回で扱います。

奪取罪の内側——盗取罪と交付罪

盗取罪と交付罪 図:盗取罪と交付罪

奪取罪の内側にも、もう1本、物差しがあります。占有移転が、相手の意思に反しているか、意思に基づいているかです。

⭐ 論文で書く規範:意思に反するか基づくかで盗取罪と交付罪を分ける 「占有移転が相手方の意思に反するなら盗取罪、相手方の意思に基づくなら交付罪である。」 (規範(通説で立てる))

無理やりに限りません。窃盗、不動産侵奪、強盗は、盗取罪です。相手が気づかないうちに、あるいは実力で押し切って、占有を奪います。詐欺と恐喝は、交付罪です。被害者自身が『渡す』という行為、処分行為をしています。被害者が自分から渡しているのに、なぜ財産犯になるんですか。渡すという判断そのものが、だまされたり脅されたりして、ゆがめられているからです。具体的に考えてみましょう。店員の目を盗んで商品を持ち去れば、窃盗です。店員を騙して『どうぞ』と渡させれば、詐欺です。この処分行為の有無が、詐欺罪と窃盗罪の分水嶺になります。この先、何度も出てくる見分け方です。

分類軸③個別財産と全体財産

個別財産と全体財産 図:個別財産と全体財産

3つ目の物差しは、奪われたあと、財産全体がどうなったかです。個別の財産が失われれば足りる罪と、財産全体が減ったことまで必要な罪に分かれます。冒頭のもう1つの問い、価値が変わらない取引でも財産犯になるのかを、考えてみましょう。

フリマアプリで起きたこと 図:フリマアプリで起きたこと

フリマアプリで、出品者Bが『最新モデル』と偽ったとします。中古のゲーム機を、3万円で購入者Aに売りました。実際は型落ちの旧モデルでしたが、旧モデルにも中古市場で3万円の相場価値がありました。Aの財布からは3万円が消えて、代わりに3万円相当の物を得ています。財産全体で見れば、差し引きゼロです。ですが、『最新モデルだと思って、払った3万円』という、特定の財産が欺かれて手放された。この事実そのものが、損害になります。

⭐ 論文で書く規範:財産全体の減少要否で個別財産犯と全体財産犯を分ける 「個別の財産が失われれば足りるのが個別財産に対する罪、財産全体が減少したことを要するのが全体財産に対する罪である。」 (規範(通説で立てる))

詐欺罪は、個別財産に対する罪だからです。この行為だけで、詐欺罪は成立しえます。

会社の資金が目減りするとき 図:会社の資金が目減りするとき

これに対して、財産全体まで見なければならない罪が、1つだけあります。背任罪です。会社の資金運用を任されている経理担当者Cがいます。取引先Dから、個人的なリベートを受け取ったとします。その見返りに、会社の資金を、市場価値より明らかに割高な資産に投資させました。ところが、背任罪ではそれでは足りません。財産構成が入れ替わっただけでなく、財産全体の価値が実際に目減りしていることまで必要です。理由は、条文の作りにあります。財産犯の中で、財産上の損害を加えたことを条文に書き込んでいるのは、背任罪だけです。損害が出たかどうかを確かめるには、財産全体を見ることになります。

全体財産に対する罪に当たるのは、背任罪だけです。背任罪を除く財産犯は、すべて個別財産に対する罪に当たります。この区別は、答案の結論を左右する土台になります。ここは論文で論点になりうるところなので、名前だけ押さえておいてください。詳しい中身は、詐欺罪や背任罪を学ぶ回で扱います。

一覧板——第15章・16章の地図

強盗罪は、どこに乗るか 図:強盗罪は、どこに乗るか

ここまでで、3つの物差しがそろいました。一覧板を見る前に、1つ、自分で考えてみてください。強盗罪は、この3つの物差しのどこに乗るでしょうか?財物と財産上の利益、両方を客体にできるので、財物罪かつ利得罪です。占有移転が相手の意思に反するので、奪取罪の中の盗取罪です。個別の財産を奪えば足りるので、個別財産に対する罪です。3つとも、自分で導けましたね。

第15・16章の地図 図:第15・16章の地図

財物罪と利得罪の軸、領得罪と毀棄・隠匿罪の軸、個別財産と全体財産の軸です。この3本を、全部の罪に同時に当てると、こういう地図になります。盗品等に関する罪と背任罪の2つは、領得罪か毀棄・隠匿罪かの2択に入れず、枠の外に置きました。背任罪は、任された仕事に背いて、仕事を任せた本人に、財産上の損害を与える罪です。条文が求める心の要件は、自分や第三者の利益を図るか、本人に損害を加える目的です。不法領得の意思とは、別の要件です。自分の利益を図る目的は、私腹を肥やす意思と似て聞こえます。ですが、本人に損害を加える目的だけでも、この要件は満たされます。たとえば、さっきの経理担当者Cが、リベートを受け取らず、会社に損をさせるためだけに、割高な資産に投資させた場合です。盗品等に関する罪は、ほかの人が財産犯で手に入れた物に、あとから関わる罪です。

駐輪場から持ち去られた、あの自転車で考えます。盗まれた物だと知りながら、持ち去った人から買い取れば、この罪にあたります。自転車を持ち主から奪ったのは、持ち去った人です。買った人が関わったのは、そのあとです。この罪は、持ち主の物を、直接、自分のものにしたり壊したりする罪を仕分ける2択には、そのままは乗りません。どちらも、その罪を学ぶ回で、条文の要件から確かめます。この一覧が、これから第15章、第16章で学ぶすべての罪の地図になります。

今日の地図(保存版)

今日のまとめ 図:今日のまとめ

今日の内容を整理します。財産犯を仕分ける物差しは、3つでした。1つ目は、何を奪ったかという物差し。財物罪と利得罪でした。2つ目は、どういうつもりで、どう手に入れたかという物差しです。領得罪と毀棄・隠匿罪、その内側の奪取罪と横領罪、盗取罪と交付罪でした。3つ目は、奪われたあと財産全体がどうなったかという物差し。個別財産に対する罪と、全体財産に対する罪でした。

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#127単独ページ動画

窃盗罪の保護法益

第15章 個人的法益④|財産に対する罪①(総論・窃盗・強盗) ③/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

前回の受けから

自分の物のはず、なのに 図:自分の物のはず、なのに

前回、財産犯の地図が完成しました。今日から、その1マス目に入ります。まず、2つの場面を見てください。会社員Pは、半年前に自転車をQに盗まれました。ある日、駅前の駐輪場でQを見つけて、その場で取り戻しました。もう1つ、こんな場面もあります。お金を貸した見返りに、車の所有権を得ていた人がいます。その人が、借りた側のところから、車を黙って引き揚げます。どちらも「自分の物」のはずです。この2つが窃盗罪になりうるのか、今日はそこを考えます。なるかもしれません。答えは、窃盗罪が何を守っているかで決まります。それが、今日のテーマ、保護法益です。

235条——窃盗罪の入り口

235条—まず2語だけ 図:235条—まず2語だけ

まず、窃盗罪の条文を確認しましょう。

条文刑法235条

刑法235条(窃盗罪) 他人の財物を窃取した者は、窃盗の罪とし、十年以下の拘禁刑又は五十万円以下の罰金に処する。

今日、指を差すのはこの2語だけです。今日は、「他人の」という2文字に注目してください。この2文字の読み方をめぐって、大きな対立があります。

問題の所在——自分の物を取り返す場面

自分の物を取り返したら 図:自分の物を取り返したら

もう一度、Pの場面に戻りましょう。Pは、自転車の所有者です。でも、半年前にQに盗まれてから、実際に持っているのはQです。そこでPが、実力でQから取り戻します。235条は、「他人の財物」を「窃取」した者を罰します。Pから見れば自分の物ですが、Qから見れば、さっきまで自分が持っていた物です。この場面が「他人の財物」に当たるかは、実は自明ではありません。どうしてですか。「他人の」が何を指すかで、答えが変わるからです。所有者のような、本権を持つ人を指すのか。それとも、今、現実に持っている人を指すのか。その2つで、答えが逆になりそうですね。この違いが、窃盗罪の保護法益の対立になります。

本権説

本権説の中身 図:本権説の中身

1つ目は、本権説です。窃盗罪が守るのは、所有権や賃借権のような、本権だと考えます。占有を正当化する権利のことです。所有権が代表です。根拠は、さっきの235条の文言そのものです。「他人の」財物という以上、他人に本権がある物を守る規定だ、と読みます。この説だと、Pの取戻しはどうなるでしょうか。Pには所有権がありますから、窃盗罪にはならない、です。自分の権利を実現しているだけなので、窃盗罪になりません。ただ、この説には批判もあります。本権さえあれば、実力で取り返してよいことになると、どうなるでしょうか。

力ずくで取り返す人が、増えそうです。財産の秩序が、混乱してしまいます。この批判が、次の説につながります。

占有説(判例)

占有説の中身(判例) 図:占有説の中身(判例)

ここで、1つ考えてみてください。窃盗罪が、本権ではなく、占有そのものを守っていたら、どうでしょうか。占有そのものを守るなら、Qが持っている状態を守ることになります。だとすると、Pの取戻しはどうなりますか。Qの占有を破ることになるので、窃盗になってしまう気がします。これが、2つ目の説、占有説です。占有説は、事実上の占有そのものを守ると考えます。今、現実に持っている、という事実だけを守ります。

自力救済の禁止 図:自力救済の禁止

なぜ、そう考えるのか、身近な例で見てみましょう。飲食店の行列を、想像してください。後から来た人が「本当は自分が先に並んでいた」と言い出したとします。その言い分が正しくても、実力で列から引きずり出してよいでしょうか。それは、さすがに駄目な気がします。まず店の人に言う、それでも駄目なら警察に相談する。それが筋です。「今、その場所を占めている」状態が、いったんは尊重されます。民法にも、この発想があります。民法200条には、占有回収の訴えという制度があります。占有者が物を奪われたら、占有を理由に返還を求められる制度です。しかも202条2項は、この訴えで本権を理由にした反論を許しません。

この訴えの中では通りません。まず、今の占有状態を尊重させる作りです。この発想を、自力救済の禁止と言います。占有説は、これを借りています。もう1つ、理由があります。複雑な社会では、現に占有されている状態そのものを守る必要がある。そういう考え方です。誰が本当の権利者か、その場で見極めるのは簡単ではありません。たとえば、駐輪場の自転車が、持ち主の物か、借り物か、盗品かは、見ただけでは分かりませんよね。だから、まず「今の状態」を守っておくんです。この説だと、Pの取戻しはどうなるでしょうか。さっき、予想したとおりですね。窃盗罪の構成要件に、当たってしまいます。占有説では、Pの取戻しも構成要件に当たります。

占有説にも、批判があります。処罰範囲が、広すぎるという批判です。ここで、占有説からの応答があります。構成要件に当たることと、実際に処罰されることは、別の段の話です。構成要件は、成立要件の回で見た、条文が定めている「型」です。それでも正当防衛で、処罰されませんでした。当たったあとに、違法性阻却という、もう1つの関門があります。処罰範囲の広さは、違法性阻却の段階で、個別に絞れます。この2段構えが、占有説の強さです。

⭐ 論文で書く規範:窃盗罪の保護法益は占有そのもの 「窃盗罪の保護法益は、本権ではなく、事実上の占有そのものである。自己の物であっても、他人が占有していれば、窃盗罪の構成要件に該当しうる。」 (規範(判例=占有説))

そして、この占有説が、判例の立場です。あとで、実際の判例を2件、確認します。

平穏占有説(中間説)

平穏占有説の中身(中間説) 図:平穏占有説の中身(中間説)

3つ目は、中間の立場、平穏占有説です。占有説ほど広くはなく、本権説ほど狭くもない、という考え方です。守られるのは、平穏な占有だけだと考えます。盗んでまもない、泥棒の占有は、まだ平穏とは言えません。だから、盗まれてすぐの取戻しは、窃盗罪になりません。半年が経っています。占有が平穏になっていれば、この取戻しも窃盗罪に当たりえます。ただ、この説にも批判があります。1つ目。平穏かどうかの判断は、行為の時点では簡単につきません。半年という時間が十分かどうか、その場で見分けるのは難しいですよね。2つ目。占有説でも、処罰範囲の広さは違法性阻却で調整できます。わざわざ、保護法益の段階で絞る理由は、実はありません。

だから判例は、平穏占有説を採っていません。

3説の比較

3説の比較 図:3説の比較

ここで、3つの説を、一度に並べてみましょう。守るものは、本権説が本権、占有説が事実上の占有です。平穏占有説は、平穏な占有でした。Pの取戻しは、本権説が不成立、占有説が成立です。平穏占有説は、時間次第で分かれます。3つの説は、どんな場面でも答えが割れるんですか。違います。たとえば、Pが自転車を、お金を取って友人に1か月貸していたとします。期限の前に黙って持ち帰れば、本権説でも窃盗罪に当たりえます。友人には、借りて使う権利、つまり本権があるからです。占有説と平穏占有説も、同じ結論です。割れるのは、Qのように、権限の無い人が持っている場面なんです。

窃盗罪は、本権を守るのか、占有を守るのか。この1点です。ここは、論文で論点になりうるところです。

⭐ 論文で書く規範:保護法益をめぐる対立の軸 「窃盗罪が何を守っているかで、本権説(本権)・占有説(事実上の占有)・平穏占有説(平穏な占有)の3説が対立する。」 (学説状況(通説なし・判例は占有説))

242条——「他人が占有」をどう読むか

242条—「他人が占有」の意味 図:242条—「他人が占有」の意味

この対立が、もう1つの条文にも、そのまま映ります。242条です。

条文刑法242条

刑法242条(他人の占有等に係る自己の財物) 自己の財物であっても、他人が占有し、又は公務所の命令により他人が看守するものであるときは、この章の罪については、他人の財物とみなす。

自分の物でも、他人が占有していれば、「他人の財物」として扱う規定です。ただ、「他人が占有」の意味が、また3説で変わります。

242条の3つの読み方 図:242条の3つの読み方

本権説は、他人の占有が、権利に裏付けられている場合に限って、「他人が占有」に当たると読みます。賃借権や質権に基づいて、他人が占有している場合です。さっきの、自転車を友人に1か月貸していた場面が、これです。占有説は、本権の有無を問わず、文字どおり占有している場合、と読みます。はい、Qのような、権限の無い人の占有も含まれます。平穏占有説は、他人が平穏に占有している場合、と読みます。もう1つ、気づいてほしいことがあります。242条には、続きがあります。「公務所の命令により他人が看守するものであるとき」という部分です。

差押えを受けて、国の機関が保管している自分の物、という場面です。この部分は、占有の解釈問題ではありません。公務所の命令があったかという、客観的な事実で決まります。あとで、一覧にして確認します。

判例——占有説の立場

担保の車を、無断で持ち去る 図:担保の車を、無断で持ち去る

では、実際の判例を見てみましょう。まず、1件目です。貸したお金の担保として、貨物自動車の所有権を得た人がいます。ただ、その車は、引き続き、借りた側の会社が使っていました。その会社が更生手続に入り、会社の財産を管理する管財人が、運転手に運搬を任せていました。貸した側は、運転手がいない隙に車を無断で運び去りました。

判例最高裁判所第三小法廷判決(刑集14巻6号748頁)

最高裁判所第三小法廷判決——譲渡担保の貨物自動車を無断で持ち去った事案 被告人に所有権があったとしても、他人の事実上の支配内にある物を無断で持ち去る行為は、窃盗罪に当たる。

それでも、最高裁は窃盗罪の成立を認めました。理由は、車が管財人らの事実上の支配の中にあったからです。実際にその物を、自分の管理のもとに置いている状態です。判例は、この状態を、占有と見ています。占有説の考え方です。

買戻約款付きの車を、無断で引き揚げる 図:買戻約款付きの車を、無断で引き揚げる

もう1件、見てみましょう。「自動車金融」と呼ばれる、高利の貸付です。契約の形では、車の所有権と占有権を借主から貸主に移します。期限までに買戻権を使わなければ、貸主が自由に処分できる建付けです。ただ実際には、契約のあとも、借主が車を使い続けることが前提でした。貸主は、合鍵やレッカー車を使い、無断で車を引き揚げ、転売し、または転売しようとしました。

判例最高裁判所第三小法廷決定(刑集43巻7号607頁)

最高裁判所第三小法廷決定——買戻約款付き自動車を無断で引き揚げた事案 借主の事実上の支配内にあった以上、かりに被告人に所有権があっても、242条にいう他人の占有に属する物を窃取したものとして窃盗罪を構成する。その引揚行為は、社会通念上、借主に受忍を求める限度を超えた違法なものである。

買戻権が無くなったあとの、正当な権利行使だ、と主張しました。引き揚げの時点で、車は借主の支配内にありました。だから、所有権があっても窃盗罪が成立する、と判断しました。さらに、その引き揚げ方は我慢の限度を超えているとも述べています。ここが、その2段構えの、2つ目の関門にあたる部分です。2件とも、論理は同じです。自分に権利があっても、事実上支配していた物を持ち去れば窃盗罪です。これが、判例の立場、占有説そのものです。

Pの例への当てはめ

Pの例への当てはめ 図:Pの例への当てはめ

ここで、Pの場面に、判例の考え方を当ててみましょう。占有説に立つと、Pの取戻しは構成要件に当たります。ここで、前に見た道具を使います。自救行為の4要件、思い出せますか?落ち着いて、1つずつ確認しましょう。1つ目は、権利に対する侵害があったことです。2つ目は、被害回復の緊急性です。正規の手続を待っていては、時期を失して、回復が事実上不可能か、著しく困難になることです。3つ目は、自救の意思、つまり権利を保全する目的があることです。4つ目は、行為自体の相当性です。「等」の一字もあったとおり、この4つで打ち止めだ、とは言っていません。Pの場面にも、前に一度、当てはめましたね。順に、確かめましょう。1つ目、自転車という財産権への侵害は、あります。2つ目、時間が経つほど、自転車の所在は分からなくなります。緊急性は、事案次第です。

たとえば、Qが今にも走り去りそうで、警察を待つ間に見失いそうなら、緊急性に傾きます。Qの住所が分かっていて、後から警察に頼めるなら、認められにくくなります。3つ目、取り戻す意思そのものは、自救の意思にあたります。4つ目、声をかけて任意に取り戻す程度なら、相当性を満たしえます。実力で押し倒せば、相当性を欠く方向に傾きます。

⭐ 論文で書く規範:構成要件該当性と、処罰されることは別の段 「占有説に立てば、自己物の取戻しも窃盗罪の構成要件に該当する。そのうえで、自救行為などの違法性阻却事由があれば、違法性が阻却されうる。該当することと、処罰されることは別である。」 (二段構造の整理)

占有説は、この2段構えで、処罰範囲を調整しているんです。

保護法益論が結論を変える場面

保護法益論が結論を変える場面 図:保護法益論が結論を変える場面

最後に、保護法益の違いが結論を変える場面を一覧で見ましょう。1つ目は、Pの場面のような、盗品を元の所有者が取り戻す場面です。本権説は不成立、占有説は構成要件レベルで成立です。平穏占有説は、占有が平穏になっていれば成立です。2つ目は、譲渡担保に供した物を債権者が引き揚げる場面です。1件目の判例の型ですね。占有説と平穏占有説は、成立です。本権説は、相手の占有に、法律上の裏付けがあるかどうかで分かれます。1件目は、会社の更生手続の最中で、車は、法律に基づいて管財人が管理していました。しかも、車の所有権がどちらにあるかは、民事の裁判でなければ決まらない状態でした。ですから、本権説からも、成立と説明する余地があります。3つ目は、買戻約款付きの売買で、借主が買戻権を失ったあと、貸主が車を引き揚げる場面です。2件目の判例の型です。所有権が貸主に確定したあとなら、借主の占有には裏付けがありません。ですから、本権説は不成立、あとの2説は成立です。4つ目は、差押えを受け、公務所の命令で看守されている自分の物です。

ここだけは、3説とも成立です。最後に、もう1つだけ触れておきます。覚醒剤や拳銃のような、法禁物です。占有説に立てば、その所持そのものが保護法益になります。だから、法禁物を盗んでも窃盗罪の対象になる、という結論とつながります。

今日の地図(保存版)

今日のまとめ 図:今日のまとめ

今日の内容を整理します。窃盗罪が守っているものをめぐって、3つの説が対立していました。判例は、占有説に立っています。自分の物でも、他人が現に占有していれば、構成要件に当たりうる立場です。冒頭の2つの問いも、これで答えが出ました。Pの自転車も、担保の車も、まず窃盗罪の構成要件に当たります。

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#128単独ページ動画

窃盗罪の客体と占有の意義

第15章 個人的法益④|財産に対する罪①(総論・窃盗・強盗) ④/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

前回の受けから

持ち去られたのは、いつなのか 図:持ち去られたのは、いつなのか

前回、窃盗罪の保護法益を固めました。今日は、そこから先に進みます。235条の残り2つの言葉、「他人の財物」と「窃取」の中身です。まず、2つの場面を見てください。公園のベンチに、ポシェットを置き忘れて歩き出した人がいます。置き忘れに気づく前に、別の人がそのポシェットを持ち去りました。もう1つ、こんな場面もあります。レジ打ちを任されたアルバイトの店員が、店の商品をこっそり持ち帰ります。どちらの問いも、答えを決める鍵は同じです。「これは、誰が占有しているのか」という1つの問いです。今日は、この問いを実際に判定できるところまで進みます。

客体——「他人の財物」の残り

235条—今日は残り2語に入る 図:235条—今日は残り2語に入る

条文刑法235条

刑法235条(窃盗罪) 他人の財物を窃取した者は、窃盗の罪とし、十年以下の拘禁刑又は五十万円以下の罰金に処する。

「他人の財物」の方から、片づけましょう。財物とは、固体・液体・気体という有体物をいう。有体性説という定規でした。今日は、その先の3つを確認します。1つ目、電気は有体物ではないので、本来は財物にあたりません。だから245条が、特別に財物とみなしています。2つ目、財産上の利益は窃盗罪の客体になりません。ここから、面白い帰結が出ます。データそのものを盗んでも、窃盗罪にならないという帰結です。データにも財産的な価値はありますが、有体物ではないので財物にあたりません。そして、窃盗罪は財物しか客体にできません。財産的な価値があっても、財物でなければ、窃盗罪の客体になりようがないんです。

データそのものを盗んでも窃盗罪にならない 図:データそのものを盗んでも窃盗罪にならない

たとえば、会社の設計データを、こっそりコピーして持ち出したとします。それは窃盗罪になりませんか。なりません。情報そのものを盗む行為は、情報窃盗と呼ばれ、窃盗罪としては不可罰です。ただし、データの入ったDVDそのものを持ち去れば話は別です。その場合はDVDという財物を盗んだとして、窃盗罪が成立しえます。盗んだのが情報そのものか、情報を運ぶ有体物かで結論が変わるんです。3つ目、不動産は財物に含まれません。専用の罪がある以上、財物に含める必要がありません。この中身は、別の回で扱います。「他人の財物」の確認は、ここまでです。ここで、1つ思い出してください。前回、窃盗罪の保護法益は、どちらの説でしたか?

判例は、占有説でした。占有説は、事実上の占有そのものを守る立場でした。今日の「占有」の話は、まさにその土台の上に乗っています。

「窃取」の定義

「窃取」とは 図:「窃取」とは

次は「窃取」という行為の中身です。中身はもう少し細かく決まっています。ここは、そのまま覚えてください。

⭐ 論文で書く規範:「窃取」の意義 「窃取とは、他人の占有する財物を、その占有者の意思に反して、自己または第三者の占有に移転することをいう。」 (規範(通説で立てる))

3つの部品に分けて確認しましょう。1つ目、他人の占有する財物であること。2つ目、占有者の意思に反していること。3つ目、自分か第三者の占有に移すことです。たとえば、ベンチに座っている人のすぐ横から、ポシェットを黙って持ち去る場面です。持ち主が占有しているポシェットを、持ち主の意思に反して、自分の占有に移しています。これが窃取の典型です。実は、この3つとも「占有」という言葉が絡んでいます。そこが、今日いちばん伝えたいところです。「窃取」の定義そのものに、「他人の占有」という言葉が組み込まれています。

他人の占有という分水嶺

占有があるかないかで罪名が変わる 図:占有があるかないかで罪名が変わる

もし、財物に他人の占有が認められなかったら、どうなるでしょうか。窃取の定義に他人の占有が入っているので、あてはまらない気がします。あてはまらなければ、そもそも「窃取」にならないんです。その場合は、別の罪、横領罪の問題になります。占有移転を伴わない領得罪が、横領罪でしたね。今日の話は、その手前です。占有が認められるかどうかが、そもそもの入口を決めます。

⭐ 論文で書く規範:他人の占有は、窃盗罪と横領罪を分ける 「他人の占有が認められる財物を奪えば窃盗罪、認められなければ横領罪(委託関係があれば委託物横領、なければ占有離脱物横領)の問題になる。」 (窃盗罪と横領罪を分ける基準)

横領罪の中身、委託物横領と占有離脱物横領の違いは別の回で扱います。今日は「占有の有無が罪名の入口を決める」というところまでで十分です。ここから、占有そのものの中身に入ります。

占有の意義

占有をどう判定するか 図:占有をどう判定するか

占有があるかどうかは、どうやって決めるんでしょうか。実際にその物を持っているかどうかだけでは足りません。占有には2つの要件があります。

⭐ 論文で書く規範:占有の意義 「刑法上の占有が認められるには、事実上の支配(客観的要件)と、財物を支配する意思(主観的要件)が必要であり、その有無は社会通念にしたがって総合的に判断する。」 (規範(通説で立てる))

1つ目は事実上の支配です。客観的に見て、誰の管理下にあるかです。2つ目は支配する意思です。持ち主の側に管理しようとする気持ちがあるかです。常識、つまり社会通念に照らして総合的に判断します。イメージしやすいように、たとえで考えましょう。「この物は誰の陣地に置いてあるか」を、外から判定するゲームだと考えてください。判定材料は2つだけです。その場所が、誰の管理下にあるとひと目で分かるか。これが客観的支配の強さです。もう1つは、持ち主の側に見張っておこう、なくしたら困るという意識があるか。これが、支配する意思です。

支配する意思まで、なぜ必要なんですか。物がどこにあるかだけでは、その物を、誰が押さえているのかまでは決まらないからです。その物を管理しようとする意思を持つ人がいて、初めてその人の占有と言えます。まず、占有が認められる例を5つ見ていきましょう。

占有の有無・肯定例

①自宅内で見失った財物 図:①自宅内で見失った財物

1つ目です。自宅の中に置いたはずが、どこに置いたか忘れてしまった財物です。自宅の中という場所そのものが、強い客観的支配を示しています。忘れていても、自分の家の中に置いておくつもりだった意思はあります。だから、占有はまだ自分の陣地の中にある、と評価されます。

②店の前の公道に置き忘れた自転車 図:②店の前の公道に置き忘れた自転車

2つ目です。写真材料店の店員が、閉店のときに、店主の自転車を店の中に入れ忘れました。店の前の公道に立てかけたままになり、翌朝までに持ち去られました。公道に置きっぱなしなら誰でも持っていけそうにも見えますが、裁判所は違う判断をしました。

判例福岡高等裁判所判決(昭和30年4月25日)/判旨の要旨

高等裁判所判決——閉店後、店の前の公道に置き忘れた自転車が持ち去られた事案 所有者がその所在を意識し、客観的に見てその物件が所有者を推知できる場所に存するときは、その物件は常に所有者の占有に属する。

この自転車は、店に属する場所と分かる公道の上にありました。だから、店主の占有はまだ及んでいる、と判断されたんです。ここで、少し考えてみてください。公園のベンチに置き忘れたポシェットは、誰でも近づける場所にあります。置き忘れに気づく前に持ち去られたら、占有はもう無くなっているでしょうか。予想は、いったん覚えておいてください。実際の判例を見てみましょう。

③ポシェット事件のタイムライン 図:③ポシェット事件のタイムライン

被害者は、公園のベンチにポシェットを置いたまま友人と話していました。そのまま、友人を駅まで送るためにベンチを離れます。被告人は、被害者がベンチから約27メートル離れた地点まで来たのを見て持ち去りました。その時点では、まだ被害者は近くにいましたが、そのあとも被害者本人は歩き続けます。駅の改札口付近、約200メートルの地点で置き忘れに気付きます。ここで、注意してほしいことがあります。占有が失われていなかったと判断された理由に使われた距離は27メートルの方です。200メートルは、被害者が気付いた地点にすぎません。最高裁が見ているのは、被告人が持ち去った、まさにその瞬間です。

判例最高裁判所第三小法廷決定(平成16年8月25日・刑集58巻6号515頁)/判旨の要旨

最高裁判所決定——公園のベンチに置き忘れたポシェットを持ち去った事案 被告人が領得したのは、被害者がこれを置き忘れて、ベンチから約27メートルしか離れていない場所まで歩いて行った時点であったことなど本件の事実関係のもとでは、被害者の占有はなお失われておらず、その時点での領得行為は窃盗罪にあたる。

さっきの予想は、当たっていましたか。外れました。誰でも近づける場所でも、占有が残っていたんですね。理由は、時間と距離の近さです。まだ27メートルしか離れていない時点では、被害者の陣地はすぐそこにあったと評価されました。事案次第ですが、時間と距離が開くほど、占有は失われたと評価されやすくなります。

④旅館のトイレに忘れた財布 図:④旅館のトイレに忘れた財布

4つ目です。旅館に泊まった客が、館内のトイレに財布を忘れました。お客さん本人の占有は、もう失われています。ただ、このトイレは誰でも自由に出入りできる場所ではありません。宿泊している客しか、基本的には立ち入りません。旅館の主人には、忘れ物を見つけたら保管しようという意思があります。だから、財布の占有は旅館の主人に移った、と評価されます。

⑤ゴルフ場の池のロストボール 図:⑤ゴルフ場の池のロストボール

5つ目です。ゴルフ場の人工池の底に、打ち損じたボールが沈んでいます。ゴルフ場の管理者は、そのボールを回収して再利用する予定でした。だから、誰の物でもない無主物ではありません。

判例最高裁判所第三小法廷決定(昭和62年4月10日)/判旨の要旨

最高裁判所決定——ゴルフ場の人工池のロストボールを持ち去った事案 ゴルフボールは、いずれにせよゴルフ場側の所有に帰していたのであって無主物ではなく、かつ、ゴルフ場の管理者においてこれを占有していたものというべきである。

池の底にあっても、管理者に回収の意思がある以上、占有は失われていません。5つの例を、まとめて見てみましょう。

占有が認められる5つの場面 図:占有が認められる5つの場面

5つとも共通点があります。誰でも出入りできるわけではない場所、持ち主の物だと分かる場所、そして時間と距離の近さ。このどれかで、誰かの支配がまだ及んでいます。そのうえで、その人に、見張っておこう、回収しようという意思があります。では、逆に占有が否定される場面も見てみましょう。

占有の有無・否定例

誰でも入れる場所に置き忘れたら 図:誰でも入れる場所に置き忘れたら

1つ目です。役場の窓口スペースに、紙幣を置き忘れた場面です。このスペースは、来庁した人なら誰でも自由に出入りできます。旅館のトイレは宿泊客しか入りません。ここは違います。係員の事実上の支配も、そこまでは及びません。置き忘れた本人の占有も、係員の占有も認められません。ただ、あのときは、持ち主がまだ27メートル先にいる瞬間でした。時間と距離の近さが、支配を支えていたんです。時間がたち、持ち主が遠く離れてしまえば、誰でも出入りできて、誰の物かも分からない場所には、支配を支えるものが何も残りません。2つ目も、同じ構造です。列車の客車で、網棚に荷物を置き忘れた場面です。客車も、乗客なら誰でも自由に出入りできる空間です。

乗客が自由に乗り降りする車内は、車掌が一つ一つの忘れ物まで押さえている空間ではありません。だから、どちらの例も占有は否定されます。この場合は窃盗罪ではなく、占有を離れた物を対象にする罪の問題になります。占有離脱物横領罪です。ここで、1つだけ比較しておきます。もし、この列車が車庫に入ったあとだったら、どうでしょうか。車庫なら、誰でも出入りできる場所じゃなさそうです。車庫の中は、旅館のトイレと同じように閉じた空間になります。その場合は、車掌や鉄道会社の占有を認めてよくなります。ここまでが、1人の占有の有無を判定する場面でした。

占有の帰属という、別の問い

今度は、誰の占有かを判定する 図:今度は、誰の占有かを判定する

ここまでは、占有が「あるか、ないか」の話でした。ここからは、占有が認められる物について「誰にあるか」を考えます。複数の人が関わっている場面で、誰の陣地なのかを決める作業です。これを、占有の帰属と呼びます。冒頭で聞いた、アルバイトの店員の問いを覚えていますか。レジ打ちの店員が、商品を持ち帰った場面です。あの問いも、占有の帰属で答えが出ます。パターンは3つあります。

対等者間の占有

対等な2人が共同で管理する 図:対等な2人が共同で管理する

1つ目のパターンです。複数の保管者が対等な関係にある場合です。会社の倉庫を、係長Xと係長Yの2人が対等な立場で共同管理しているとします。どちらも鍵を持っていて、どちらも出し入れができます。対等な関係にある場合は、それぞれに占有が認められます。もし、Xが、Yに無断で倉庫の商品を持ち出したら、どうなるでしょうか。ここが、短答で狙われる引っかけです。Yとの関係では窃盗罪が成立します。Xの占有だけでなく、Yの占有も同時に侵害しているからです。

判例最高裁判所第三小法廷判決(昭和25年6月6日)/判旨の要旨

最高裁判所判決——共同で占有していた物を、一方が単独の占有に移した事案 共同占有の場合、共同占有者の占有を奪って自己単独の占有に移す行為は、窃盗にあたる。

対等な共同占有を、一方的に単独の占有へ変える行為は窃盗罪にあたる、という判断です。ここは短答でよく問われるので、覚えておいてください。

上下主従関係にある場合の占有

店主とアルバイト店員 図:店主とアルバイト店員

2つ目のパターンです。複数の保管者の間に上下・主従の関係がある場合です。小さな雑貨店を思い浮かべてください。店主が経営していて、レジ打ちだけを任されたアルバイトの店員がいます。商品を持っているのは実際にはレジにいる店員のようにも見えますが、法律上の答えは違います。占有は上位者である店主に帰属し、下位者である店員は占有補助者にすぎません。手足として商品を扱っているだけで、自分の判断で処分する立場にはありません。この店員が商品をこっそり持ち帰れば、店主という他人の占有を奪ったことになります。これが原則の形です。

例外——古参の従業員 図:例外——古参の従業員

ただ、原則には例外があります。同じ店で、長年働いている古参の従業員を考えてみましょう。仕入れも在庫の管理も、顧客への掛け売りの判断も任されているとします。店主の目が届かない場面でも、商品を動かす裁量を持っています。上位者との間に、高度の信頼関係があります。財物について、ある程度の処分権も委ねられています。この場合、下位者であるこの従業員に、例外的に単独の占有が認められます。自分が占有している物を、自分のものにした形になります。窃盗罪ではなく、横領罪です。分かれ目は、任された裁量の重さです。

⭐ 論文で書く規範:上下主従関係がある場合の占有 「複数人が財物の保管に関与し、上下・主従関係が認められる場合、占有は上位者に帰属し、下位者は占有補助者にとどまるのが原則である。もっとも、下位者が上位者との間に高度の信頼関係を有し、財物についてある程度の処分権を委ねられているときは、例外的に下位者の単独の占有を認めるべきである。」 (規範(通説で立てる))

ここは、論文でも問われうるところです。冒頭の、アルバイトの店員の問いに戻りましょう。レジ打ちだけなら、原則どおり占有補助者にとどまります。だから、あの店員が商品を持ち帰れば、答えは窃盗罪です。答えを決めたのは、「これは、誰が占有しているのか」でした。店主の占有なら窃盗罪、店員自身の占有なら横領罪です。

封をした荷物の占有

封をした荷物を預ける 図:封をした荷物を預ける

3つ目のパターンです。封をした荷物を預ける場面を考えます。法律では、これを封緘物と呼びます。寄託者Aが、衣類を入れて封をした荷物を、受託者Bに預けたとします。封をした荷物は、どういう占有になるんですか。ここは、2つに分けて考える必要があります。荷物そのものの占有と、中に入っている衣類そのものの占有です。荷物そのものを、実際に手元に置いて管理しているのは受託者Bです。だから、荷物そのものの占有はBにあります。ただ、封がしてある以上、中を見ることはBには許されていません。中身については、なおAの支配が残っている、と考えます。

これが判例の立場です。

判例最高裁判所第一小法廷決定(昭和32年4月25日)/判旨の要旨

最高裁判所決定——寄託された、封をした荷物から中身の衣類を取り出した事案 寄託者は、荷物の中にある衣類に対する所持を失っていないのであるから、受託者が勝手に梱包を解いて中の衣類を取り出したときは、その行為は窃盗罪を構成し、横領罪は構成しない。

決定の言う「所持」は、今日の「占有」と同じ意味です。ここから、2段階の帰結が出ます。まず、Bが、中身を質屋に入れるつもりで封を開けた時点です。Bは、自分が占有している荷物を、持ち主でなければできない形で扱ったことになります。自分が占有している他人の物ですから、この考え方からは、ここで荷物についての横領罪が成立すると考えられます。中身を自分の物にするつもりで開けたのなら、そうなります。さらに、Bが中身の衣類を取り出せば、Aが占有する中身を奪ったことになります。そこで窃盗罪が成立します。決定が横領罪にならないとしたのは、中身の衣類についてです。先に成立していた横領罪は、あとの窃盗罪に吸収されます。どちらも、Aが預けた同じ荷物をめぐる、一続きの行為だからです。

より重い窃盗罪で1回評価すれば、封を開けた分も、その中で評価し尽くせます。

封緘物の占有——3つの考え方 図:封緘物の占有——3つの考え方

この判例の立場を、A説と呼びましょう。他にも考え方があります。B説は、荷物も中身も、両方とも受託者の占有だとします。C説は逆に、荷物も中身も、両方とも寄託者の占有だとします。全体を丸ごと自分の物にすれば軽い横領罪、中身だけ抜き取れば重い窃盗罪になるのは不均衡だ、という批判です。ただ、反論もあります。業務として物を預かる場面では、より重い業務上横領罪が適用されます。だから、実際の処罰の重さで見れば、それほど不合理ではありません。ここは、論文でも書きうる対立です。

今日の地図(保存版)

今日のまとめ 図:今日のまとめ

今日の内容を整理しましょう。「他人の財物」の残りと、「窃取」の定義を固めました。窃取の定義には、「他人の占有」という言葉が組み込まれていました。この言葉が、窃盗罪と横領罪を分ける分水嶺でした。占有の意義である事実上の支配と支配する意思、その2つを社会通念にしたがって総合的に判断します。占有の有無を、5つの肯定例と、2つの否定例で確かめました。そのあと、占有の帰属という別の問いに進みました。対等者間、上下主従の原則と例外、そして封をした荷物です。「これは、誰が占有しているのか」。この1つの問いで、今日の内容はつながっています。

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#129単独ページ動画

死者の占有

第15章 個人的法益④|財産に対する罪①(総論・窃盗・強盗) ⑤/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

前回の受けから

腕時計に気づいたのは、殺す前か、後か 図:腕時計に気づいたのは、殺す前か、後か

前回、占有の意義と、占有の帰属を固めました。今日は、その占有の考え方を、特殊な場面に当てます。被害者が、すでに死亡している場面です。1つ、考えてみてください。Qが、Pを殺害してしまいました。そのあとになって初めて、Pの腕時計に気づき、持ち去りました。これは、窃盗罪になるでしょうか。死んだ人からはもう盗めない、落ちている物を拾うのと同じではないか。多くの人が、最初はそう感じます。実は、答えは、誰が、いつ奪ったかで変わります。今日は、そこを一緒に確かめていきます。

死者の占有という論点の所在

死者にも「占有」はあるのか 図:死者にも「占有」はあるのか

前回の2つの要件は、何でしたか?占有には、事実上の支配と、支配する意思が要りました。では、死んでしまった人には、その2つが成り立つでしょうか?死んでいたら、支配する意思なんて、持ちようがない気がします。そこが今日の入り口です。もう一度、235条を確認しましょう。

条文刑法235条

刑法235条(窃盗罪) 他人の財物を窃取した者は、窃盗の罪とし、十年以下の拘禁刑又は五十万円以下の罰金に処する。

前回見たとおり、「窃取」の定義には「他人の占有」が組み込まれていました。ここが今日の出発点です。人が死亡したあと、生前占有していた財物を持ち去る行為を、どう扱うか。これが、今日のテーマです。実は、この問いは3つの場合に分けて考える必要があります。1つ目、最初から奪うつもりで殺した場合。2つ目、殺したあとになって初めて奪う気になった場合。3つ目、殺した本人ではない第三者が奪う場合です。冒頭のQとPの例は、2つ目にあたります。順番に見ていきましょう。

場合分け ①——最初から奪うつもりだった場合

最初から奪うつもりなら、争いはない 図:最初から奪うつもりなら、争いはない

まず1つ目、最初から奪うつもりで人を殺し、財物を奪った場合です。この場合は、強盗殺人罪が成立します。財物を奪う意思で人を殺害する罪です。殺す時点で、もう奪う意思があるので、この定義にそのまま当てはまります。ここに争いはありません。どの学説を採っても、結論が変わらないという意味です。強盗殺人罪の中身は、また別の回でじっくり扱います。今日は、これが中心ではない、ということだけ押さえてください。冒頭のQとPのように、殺したあとで奪う気になった場合です。ここから、対立が始まります。

場合分け ②——殺害後に奪う気になった場合

なぜ強盗殺人罪にならないのか 図:なぜ強盗殺人罪にならないのか

冒頭のQとPの例に戻りましょう。Qは、殺害の時点では、財物を奪うつもりはありませんでした。強盗殺人罪は、財物を奪う意思で人を殺害する罪でした。Qには、殺害の時点でその意思がありませんでした。だから、強盗殺人罪は成立しません。何の罪にもならないわけではありません。窃盗罪が成立するかが、次の問題です。ただ、Pはすでに死亡しています。窃取には、「他人の占有」が必要でした。死亡したPに、事実上の支配と支配する意思が、なお認められるのか。これが、今日の中心です。死者の占有をどう扱うかで、学説が分かれます。3つの考え方を、順番に見ていきましょう。

占有離脱物横領罪説

死者の占有はゼロ 図:死者の占有はゼロ

1つ目は、占有離脱物横領罪説です。結論が、そのまま名前になっています。この説は、シンプルです。死者には、財物への事実上の支配も、支配する意思も、もう存在しません。だから、死者の占有は一切認められない、と考えます。占有がゼロなら、窃取の前提になる「他人の占有」がありません。235条の要件を満たさない以上、窃盗罪は成立しません。Qの行為は無罪になるんですか。違います。窃盗罪ではなく、別の罪が成立します。占有を離れた財物を横領する、占有離脱物横領罪です。

条文刑法254条

刑法254条(遺失物等横領) 遺失物、漂流物その他占有を離れた他人の物を横領した者は、一年以下の拘禁刑又は十万円以下の罰金若しくは科料に処する。

条文にある「占有を離れた他人の物」、ここが今日の対立の分かれ目です。イメージとしては、道に落ちている財布を拾うのと、法律上は同じ扱いです。この説は、まさにその直感を、そのまま法律の言葉にした考え方なんです。

判例・多数説——生前の占有をなお保護する

出発点は同じ、そのあとが違う 図:出発点は同じ、そのあとが違う

ところが、判例と多数の学説は、違う結論を採ります。出発点は、実は同じです。死者に事実上の支配も意思も無い、死者の占有そのものは否定する。ここまでは、占有離脱物横領罪説とまったく同じです。判例・多数説はここでもう1歩、踏み込みます。死者の占有ではなく、被害者が生きていたときの占有に注目するんです。死亡した瞬間に、占有はいったん消えます。ここは同じです。ただ、一定の条件のもとでなら、その生前の占有をなお保護してよい。判例・多数説は、そう考えます。

規制線が、まだ揺れているうちに 図:規制線が、まだ揺れているうちに

イメージしやすいように、たとえで考えましょう。占有を、立入禁止のテープが張られた陣地だと考えてください。Pが死亡した瞬間、そのテープはいったん切れます。もう、誰の陣地でもなくなるのが原則です。ただ、そのテープを自分で切った本人がいます。Q自身が、揺れがおさまる前に内側へ踏み込んだら、どうでしょうか。切った本人が、切った直後に、ということですね。この場合だけは、法はまだ「侵入」があったとみなします。自分がたった今切った規制線の内側に、そのまま踏み込んでいるからです。もし、しばらく経ってから踏み込んだのなら、もう保護されません。テープはすっかり外れ、そこはただの空き地になっています。この2つの条件を、判例・多数説は明確に示しています。1つ目、財物を奪ったのが、被害者を死亡させた犯人自身であること。2つ目、その死亡と、時間的にも場所的にも近い範囲内であること。

両方を満たす場合を考えましょう。犯人が、被害者を死亡させたことを利用して財物を奪う。その一連の行為を、1つのまとまりとして見ます。そして、生前の占有を侵害したと考えます。

⭐ 論文で書く規範:死者の占有——判例・多数説の規範 「死者の占有それ自体は否定されるが、被害者が生前有していた占有は、①被害者を死亡させた犯人との関係では、②死亡と時間的・場所的に近接する範囲内にある限り、なお刑法的保護に値する。犯人が被害者を死亡させたことを利用して財物を奪取した一連の行為を全体的に観察して、生前の占有を侵害したと解し、窃盗罪が成立する。」 (規範(判例・多数説))

例えば、冒頭のQとPの例で確認しましょう。Qは、Pを死亡させた本人で、犯行直後、その場で奪っています。1つめも2つめも満たすので、窃盗罪が成立します。一方、奪ったのが、まったく無関係の別の人だったらどうでしょうか。それなら、1つめの条件を欠きます。その場合は、窃盗罪は成立しません。この考え方の決め手は、法益の保護です。犯人自身が、自分の作り出した状況を利用して、その場で財物まで奪う。これを、落ちている財布を拾ったのと同じ軽い罪で済ませてよいか。それでは、財産を守るという窃盗罪の役割にそぐいません。

だから、判例と多数の学説は、この場合に窃盗罪を認めるんです。

死者の占有肯定説

死者にも占有を認める 図:死者にも占有を認める

もう1つ、少数説も紹介しておきます。死者の占有肯定説です。この説は、そもそも死者にも占有を認めてしまいます。死者にも占有を認めれば、端的に窃盗罪が成立する、という考え方です。ここまでの2つの説が共有する出発点、その前提そのものを否定しているわけです。ここが、肯定説への一番の批判になります。人が死亡すれば、意思能力そのものが失われます。占有の要件である支配する意思を、死者に認めるのは無理があります。だから、肯定説は少数にとどまっています。

3つの説を並べる

3説の比較——分かれ目は、生前の占有の残し方 図:3説の比較——分かれ目は、生前の占有の残し方

ここで、3つの説を並べてみましょう。死者の占有そのものは、占有離脱物横領罪説と判例・多数説が否定し、肯定説だけが認めます。冒頭のQの行為は、占有離脱物横領罪説なら占有離脱物横領罪。判例・多数説と肯定説なら、窃盗罪です。分かれ目は、死者の占有そのものではなく、生前の占有をなお保護するかどうかです。判例・多数説は、①犯人との関係、②時間的・場所的近接。この2つの条件でだけ、生前の占有を残します。この2条件が、今日いちばんの軸です。しっかり押さえてください。

判例の確認——腕時計を奪った事案

冒頭の例そのものの判例です 図:冒頭の例そのものの判例です

実は、この考え方は、実際の最高裁の判決から来ています。野外で人を殺害したあと、その場で初めて奪う気になった。犯行直後、その現場で、被害者が身につけていた時計を奪い取った。そういう事案です。最高裁は、この行為に、窃盗罪が成立すると判断しました。

判例最高裁判所第二小法廷判決(昭和41年4月8日・刑集20巻4号207頁)

最高裁判所判決——野外で人を殺害した直後、その現場で被害者の時計を奪った事案 被告人は、当初から財物を領得する意思は有していなかつたが、野外において、人を殺害した後、領得の意思を生じ、右犯行直後、その現場において、被害者が身につけていた時計を奪取したのであつて、このような場合には、被害者が生前有していた財物の所持はその死亡直後においてもなお継続して保護するのが法の目的にかなうものというべきである。そうすると、被害者からその財物の占有を離脱させた自己の行為を利用して右財物を奪取した一連の被告人の行為は、これを全体的に考察して、他人の財物に対する所持を侵害したものというべきであるから、右奪取行為は、占有離脱物横領ではなく、窃盗罪を構成するものと解するのが相当である。

この判決の言う「所持」は、今日の「占有」と同じ意味です。判決の言葉をたどってみましょう。①占有を離脱させた自分の行為を利用して、②犯行直後、その現場で、その占有を離脱させた行為とは、殺害のことです。この2つの条件が、ちょうど重なっているのが分かります。理由も、はっきり書かれています。生前の占有を、死亡直後もなお保護するのが法の目的にかなう。そういう一文です。そして、一連の行為を全体として見て、所持を侵害したと結論づけています。だから、冒頭のQには窃盗罪が成立します。ここで、少し考えてみてください。もし、Qが殺害する場面を、物陰から偶然見ていたRという人がいたとします。Qが立ち去ったあと、Rが、遺体から腕時計を持ち去りました。

この場合、①と②のどちらの条件が欠けるでしょうか。考えてから、答え合わせをしましょう。①の条件は、被害者を死亡させた犯人自身であることでした。

場合分け ③——無関係の第三者が奪う場合

犯人ではない者が奪うと 図:犯人ではない者が奪うと

Rは、Pを死亡させた犯人ではありません。ですから、①の条件を満たしません。判例・多数説の2つの条件は、両方そろって初めて、生前の占有をなお保護します。1つでも欠ければ、保護は及びません。判例・多数説からも、Rには窃盗罪は成立しません。占有離脱物横領罪が成立するにとどまります。Rの持ち去りは、Qの殺害とは別の行為です。一連の行為として見られないので、生前の占有を侵害したとは言えないんです。

時間・場所が離れている場合

半年後に戻ってきたら 図:半年後に戻ってきたら

もう1つ、別の場合も考えてみましょう。今度は、Qが犯人自身だとします。ただし、その場ですぐには奪わず、半年経ってから改めて戻って持ち去ったとします。①は満たします。では、②はどうでしょうか。半年も経っていたら、時間的に近いとは言えない気がします。②の時間的・場所的近接を欠きます。生前の占有を保護できるのは、死亡の直後だけです。テープは、もうすっかり外れています。①だけを満たしても、②を欠けば、生前の占有は保護されません。この場合も、占有離脱物横領罪にとどまります。2つの条件は、どちらも欠かせません。

欠ける条件は違っても、結論は同じ 図:欠ける条件は違っても、結論は同じ

2つの場合を、並べてみましょう。第三者Rが奪う場合は、①の条件を欠きます。犯人Q自身が、時間を置いて奪う場合は、②の条件を欠きます。Rの場合も、半年後のQの場合も、殺害と一連の行為として奪った、とは言えません。この2つの条件を両方満たすときだけ、例外的に窃盗罪が成立する。これが、判例・多数説の骨格です。

今日の地図(保存版)

今日のまとめ 図:今日のまとめ

今日の内容を整理しましょう。死者の占有をめぐっては、3つの場合分けがありました。最初から奪う意思があった場合は、強盗殺人罪で争いなし。殺害後に奪う意思を生じた場合が、今日の中心でした。無関係の第三者が奪う場合は、また別の帰結でしたね。死者の占有そのものは、どちらの説も否定します。分かれ目は、生前の占有をなお保護するかどうかでした。判例・多数説は、①犯人自身であること、②時間的・場所的近接。この2条件がそろったときだけ、生前の占有を保護し、窃盗罪の成立を認めます。1つでも欠ければ、占有離脱物横領罪にとどまる。冒頭の問いにも、これで答えが出ましたね。QとPの例は、①も②も満たしていたので、窃盗罪が成立します。

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#130単独ページ動画

窃盗罪の着手・既遂時期

第15章 個人的法益④|財産に対する罪①(総論・窃盗・強盗) ⑥/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

前回の受けから

窃取は、いつ始まり、いつ終わるのか 図:窃取は、いつ始まり、いつ終わるのか

前回、死者の占有を固めました。今日は、そこからさらに先に進みます。まず、1つ考えてみてください。お店の人に見つからないように、特殊な機械を使ってスロットのメダルをたくさん取ったとします。もう1つ、別の場面も考えてみましょう。誰かの家に忍び込んで、まだ何も盗っていない段階で、取り押さえられたとします。実は、窃盗罪になるかという問いと、窃盗の未遂と言えるかという問い、この2つは、同じ1つの行為の違う断面を見ています。今日は、その1つの行為を、最初から最後までたどっていきます。

窃取という1つの行為の3つの節目

窃取という1つの行為の3つの節目 図:窃取という1つの行為の3つの節目

窃盗罪の235条にある「窃取」の意味、以前の回で確かめました。覚えていますか。他人の占有する財物を、占有者の意思に反して、自分や第三者の占有に移すこと、でした。実は、この「窃取」は、一瞬の出来事ではありません。始まりがあって、終わりがある、1つの過程です。今日は、その過程を3つの節目でたどります。1つ目、この過程の中身。占有移転が、どんな条件を満たせば「窃取」と言えるか。2つ目、この過程の始点。いつから、この行為は始まったと言えるか。実行の着手です。3つ目、この過程の終点。いつ、この行為は完成したと言えるか。既遂です。

1つ目から順に見ていきましょう。まずは中身からです。

意思に反する占有移転(原則)

無人直売所——方法が、意思に反しているかどうか 図:無人直売所——方法が、意思に反しているかどうか

235条を、もう一度確認しましょう。

条文刑法235条

刑法235条(窃盗罪) 他人の財物を窃取した者は、窃盗の罪とし、十年以下の拘禁刑又は五十万円以下の罰金に処する。

この「窃取」とは何か、から始めます。「窃取」と言えるためには、占有者の意思に反して占有が移ったこと、これだけが必要です。そして、実は、これだけで足ります。移し方が乱暴か穏当か、それ以上の条件は問わない、という意味です。無人の野菜の直売所を思い浮かべてください。「1つ100円、代金は箱へ」と書いてあります。では、代金を払わずに持ち去ったらどうでしょうか。それは、直売所が許した方法の外にあります。乱暴に持ち去ったわけでも、鍵を壊したわけでもありません。それでも、意思に反しています。

⭐ 論文で書く規範:「窃取」——意思に反する占有移転 占有者の意思に反して占有が移りさえすれば、それだけで「窃取」にあたる。移し方が乱暴か穏当かは問わず、それ以外の条件は要らない。 (規範(通説で立てる))

この物差しを、3つの判例で確認していきましょう。

肯定例①:パチスロ体感器

体感器を使った遊戯は、通常の方法の外 図:体感器を使った遊戯は、通常の方法の外

1つ目です。パチスロの台で、体感器と呼ばれる電子機器を身体に装着して遊ぶ行為が問題になりました。機械そのものには、直接、不正な工作や影響を与えません。タイミングを読み取るための機器を身に着けて、不正にメダルを取得する機会をうかがいながら遊ぶだけです。

判例最高裁判所第二小法廷決定(平成19年4月13日・刑集61巻3号340頁)

最高裁判所決定——体感器を身体に装着してパチスロで遊戯した事案 本件機器がパチスロ機に直接には不正の工作ないし影響を与えないものであるとしても,専らメダルの不正取得を目的として上記のような機能を有する本件機器を使用する意図のもと,これを身体に装着し不正取得の機会をうかがいながらパチスロ機で遊戯すること自体,通常の遊戯方法の範囲を逸脱するものであり,パチスロ機を設置している店舗がおよそそのような態様による遊戯を許容していないことは明らかである。そうすると,……取得したメダルについては,それが本件機器の操作の結果取得されたものであるか否かを問わず,被害店舗のメダル管理者の意思に反してその占有を侵害し自己の占有に移したものというべきである。

この決定は、大きく2つのことを言っています。1つ目。機械を壊したかどうかではなく、遊び方そのものが通常の範囲をはみ出しているかを見ています。さっきの直売所のたとえで言えば、代金箱に触れずに持ち去るのと同じです。そして、2つ目です。取得したメダルが、機器の操作の結果かどうかを問わない、という部分です。機器を使わなくても取れたメダルまで含め、全て窃盗になります。その台で遊ぶこと自体が、もう通常の方法の外にあるからです。だから、1枚1枚のメダルが機器のおかげで出たかどうかを、いちいち選り分ける必要はありません。取得したメダル全てについて、窃盗罪が成立します。ただし、この決定が判断したのは、体感器を身に着けて遊んだ場面です。店が認める普通の遊び方なら、話は変わります。

否定例:共犯者隠ぺい目的の通常遊戯

隣の台では、自分は通常の方法で遊んでいた 図:隣の台では、自分は通常の方法で遊んでいた

2つ目の判例です。今度は、手口がまったく違います。ある共犯者が、パチスロ機に針金を差し込んで誤動作させる方法で、メダルを不正に取得しました。問題は、その隣の台にいた被告人です。この被告人は、共犯者の不正行為を隠すという目的を持ちながら、自分は隣の台で、ごく普通の方法で遊んでいました。共犯者が針金で取ったメダルについては、そのとおりです。決定も、この窃盗については、被告人が共同正犯であることを前提にしています。自分で針金に触れていなくても、共謀して役割を分けていれば、共同正犯になりえます。以前、共犯の回で見たとおりです。残るのは、被告人が自分の台で、普通に遊んで取ったメダルです。

判例最高裁判所第一小法廷決定(平成21年6月29日・刑集63巻5号461頁)

最高裁判所決定——共犯者の不正行為を隠ぺいする目的で、隣の台で通常の方法により遊戯した事案 被告人が自ら取得したメダルについては,被害店舗が容認している通常の遊戯方法により取得したものであるから,窃盗罪が成立するとはいえない。

決定が見ているのは、目的ではなく、被告人自身の取得の仕方です。被告人が実際にしたのは、店が認めている、ごく普通の遊び方だけです。隣の人が代金箱を壊していても、自分がきちんと払っていれば、自分の行為は意思に反しません。被告人が自ら取得したメダルには、窃盗罪は成立しません。物差しは同じです。行為者自身の取得の方法が、通常の方法の範囲を出ているかどうかです。体感器の事案は、行為者自身の方法が範囲を出ていました。この事案は、出ていません。だから、結論が分かれます。

肯定例②:振り込め詐欺のATM引き出し

今度は、店ではなく銀行の意思 図:今度は、店ではなく銀行の意思

3つ目です。ここまでの2つは、店の意思でした。今度は、銀行の意思です。振り込め詐欺で、被害者がお金を振り込んでしまったとします。そのお金を、正当な払戻しの権限を持たない人が、ATMから引き出す場面です。

⭐ 論文で書く規範:正当な権限のない引き出しも「窃取」にあたる 金融機関は、口座の正当な名義人など、払戻しを受ける権限のある者にだけ引き出しを認めている。正当な払戻し権限を有さない者がATMから金員を引き出す行為は、金融機関が許容していない方法での取得であり、その意思に反して占有を取得する行為として「窃取」にあたる。 (東京高判平成17年12月15日を一般化)

引き出しの操作そのものは、機械の指示どおりです。でも、その操作をしてよいと銀行が認めているのは、正当な権限を持つ人だけです。ここで、3つの判例をまとめて振り返りましょう。体感器の店、隣の台の被告人、そしてATMの銀行。誰の意思に反しているかは、そのつど変わります。ただ、見ている物差しはいつも同じです。行為者自身の取得の方法が、その占有者が許した方法の範囲内かどうかです。次は、この窃取という行為の、始まりの時点です。

実行の着手

思い出してください 図:思い出してください

ここで、1つ思い出してほしいことがあります。以前に学んだ未遂のおさらいです。実行の着手は、どんな基準で認められるのでしたか?構成要件的結果が発生する現実的な危険性を含む行為を、開始した時点でした。実質的客観説でしたね。窃盗なら、その結果とは、財物の占有が移ることです。3つの節目で言えば、終点です。その終点に届く、現実的な危険を含む行為を始めた時点が、始点、つまり着手です。今日は、この基準を、窃盗のいろいろな場面に当てはめていきます。もう1つ、以前見たとおり、未遂を罰するのは、罪ごとの条文に規定がある場合だけでした。窃盗には、未遂を罰する条文があります。

条文刑法243条

刑法243条(未遂罪) 第二百三十五条から第二百三十六条まで、第二百三十八条から第二百四十条まで及び第二百四十一条第三項の罪の未遂は、罰する。

この中に、第二百三十五条、窃盗罪が入っています。だから、冒頭の家に忍び込んだ場面も、着手さえあれば、何も盗らないうちに捕まっても、窃盗未遂として罰せられます。

着手の各論——住居と土蔵

窃盗の着手——住居と土蔵で時点が違う理由 図:窃盗の着手——住居と土蔵で時点が違う理由

窃盗の着手が問題になった判例を、4つ見ていきます。4つとも、以前、実行の着手の基準を学んだときに詳しく確認しています。今日は、窃盗という各論ならではの急所に絞って見ていきます。まず、他人の住居に忍び込んで、財物を物色した事案です。住居に忍び込んだだけでは、まだ着手とは言えません。財物を物色したり、金品のありそうな場所に近づいたりする、もう一歩が要ります。この事案では、物色した時点で着手が認められました。一方、こちらの事案は違います。窃盗の目的で土蔵に侵入しようとして、外扉の錠を破壊して開けた事案です。

中に入る前、外扉を破った時点で、もう着手が認められています。住居より手前の段階で着手が認められる、ここが今日いちばんの急所です。土蔵には、普段、人が住んでいません。住居は、人がいる可能性があるぶん、どこに何があるかも分からず、住人に止められる恐れもあります。だから、物色したり、金品のありそうな場所に近づいたりして、はじめて危険が濃くなります。一方、土蔵には人がいません。外側の壁さえ突破すれば、あとは財物にほぼ自由にたどり着けます。人がその場にいる可能性、たった1つの事情の違いが、着手の時点を前に引き寄せています。

深夜の店舗で、現金を狙って煙草売場のほうへ向かいかけた事案。それから、窃取の意思で、他人のポケットの外側に触れた事案です。どちらも、以前見たとおり、着手が認められています。目当ての財物へ、具体的に近づいたことが決め手でした。

いったん止めて考えてみましょう 図:いったん止めて考えてみましょう

ここで、少し考えてみてください。深夜、まだ誰も来ていない無人のオフィスビルの一室に忍び込みました。机の引き出しには、まだ手をつけていません。この段階で、窃盗の着手はあるでしょうか。ヒントは、土蔵の理由づけです。オフィスビルは住居ではありませんが、それだけで、土蔵と同じに扱えるとは限りません。大事なのは、建物の呼び名ではなく、中に何があって、人がいる可能性がどれだけ低いかという事情です。この場面は、深夜で、まだ誰も来ていない部屋です。人がいる可能性は、土蔵と同じように低いと言えます。しかも、目当ての机の引き出しは、もう目の前です。次の一歩で、財物に手が届きます。ですから、土蔵の事案に近く、着手を認める方向に傾きます。この物差しは、判例の結論をそのまま丸暗記する道具ではありません。事情が変われば、時点も動く。そういう使い方をする道具です。冒頭の2つ目の問いも、この始まりの断面の問いでした。1つの過程のどこを見るかで、問いが変わるんです。

既遂時期——取得説

友人の部屋の、消しゴムと本棚 図:友人の部屋の、消しゴムと本棚

ここからは、窃取という行為の終点、既遂の時期です。財物を手に取っただけで、既遂になるとは限りません。友人の部屋を思い浮かべてください。机の上にある小さな消しゴムを、こっそりポケットにしまいました。その時点で、もう友人の目には見えなくなっています。一方、部屋にある大きな本棚を、丸ごと運び出そうとしたらどうでしょうか。まだ部屋の中にある限り、友人はいつでも取り戻せます。財物の大きさと、置かれていた場所の支配の強さで、「もう自分の物」と言える瞬間は変わります。これを、法律の言葉で確認しましょう。

⭐ 論文で書く規範:既遂時期——取得説 窃盗罪が既遂になるのは、相手の占有を破って、財物が自分または第三者の占有下に移った時点である(取得説)。移ったと言えるかどうかは、財物の大きさ、持ち出しやすさ、相手の支配が及ぶ場所の中かどうか、などを合わせて判断する。 (規範(判例・通説))

消しゴムの例は、財物が小さく、隠すのも簡単でした。本棚の例は、財物が大きく、部屋という他人の支配領域の中にまだとどまっていました。4つの判例と、1つの限界例で見ていきましょう。

既遂・未遂の判例対比

既遂・未遂の分かれ目——3つの要素 図:既遂・未遂の分かれ目——3つの要素

1つ目、店頭で靴下1足をこっそりポケットにしまった事案です。小さく、隠すだけで持ち出せます。この時点で、既遂が認められました。ポケットの中にしまった時点で、もう店の目からは見えなくなっています。2つ目、他人の家の風呂場の中で見つけた指輪を、発見されにくい場所に隠した事案です。ポケットにしまうのと、実質的に同じことです。これも既遂です。3つ目、他人の車のエンジンを始動させた事案です。ただ、エンジンをかけた時点で、いつでも自由に動かせる状態になっています。もう持ち主の支配は及ばず、この時点で占有を取得したと判断されました。一方、既遂にならなかった例もあります。周囲を障壁で囲まれ、守衛もいる敷地の中の資材小屋から、重量物を運び出した事案です。

敷地の外までは出ていません。敷地の中を運んでいる途中で、見つかってしまいました。敷地の中は、まだ他人の支配領域の中です。大きく重い物は、外へ運び出すか、少なくとも覆いをかけて隠すなどして確保するまでは、既遂とは言えません。最後に、1つ限界の例を見ておきましょう。これは判例ではなく、あくまでイメージのための例です。電気店の中で、大きなテレビを持ち上げただけの場面です。まだ店の中にあります。店外へ持ち出すところまで進まないと、占有を取得したとは言えません。小さい物ならポケットにしまうだけで足りるのに、大きい物ならなぜ店の外まで要るのか。理由は同じです。奪い返されにくい状態になったかどうかを見ています。

今日の地図(保存版)

今日のまとめ 図:今日のまとめ

今日の内容を整理しましょう。窃取という1つの行為を、3つの節目でたどりました。中身は、占有移転が占有者の意思に反していれば足りる、ということでした。体感器、共犯者の隠ぺい、ATMの3つの判例、物差しはいつも同じでしたね。行為者自身の取得の方法が、許された範囲の内か外かでした。始点は、実行の着手でした。住居は物色などの一歩が必要でも、土蔵は外扉を破った時点で着手が認められます。終点は、既遂の時期でした。財物の大小、搬出の容易性、支配領域内かどうか。この3つなどを合わせて、既遂か未遂かが決まります。

特殊な機械を身に着けて遊べば、遊び方そのものが店の意思に反します。取ったメダルは全部、窃取にあたります。忍び込んだだけでは、対象が住居なら、まだ着手とは言えません。窃取が始まってから完成するまでの流れを、今日1本で見てきました。

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#131単独ページ動画

不法領得の意思

第15章 個人的法益④|財産に対する罪①(総論・窃盗・強盗) ⑦/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

前回の受けから

2つの問い 図:2つの問い

前回、窃取の中身と始まりと終わりを見ました。客観的な要件は、これで揃いました。今日は、行為者の心の側に入ります。まず、1つ考えてみてください。友だちの自転車を、黙って借りたとします。10分後に、元の場所に戻しました。それでも、これは窃盗罪になりません。もう1つ、別の場面も考えましょう。嫌いな人を困らせたくて、その人の大事な物を持ち出したとします。そして、隠しました。それでも、これは窃盗罪より軽い罪になります。どちらも、窃盗の条件は揃っているように見えます。この2つの「それでも」が、今日の2つの要素になります。

故意だけでは足りない理由

故意だけでは、この2つを分けられない 図:故意だけでは、この2つを分けられない

窃盗罪には、当然、故意が要ります。他人の物だと分かって、その意思に反して占有を移す認識です。自転車を借りた人も、他人の物だと分かっています。物を隠した人も、同じです。まず、条文を確認しましょう。

条文刑法38条1項

刑法38条1項 罪を犯す意思がない行為は、罰しない。ただし、法律に特別の規定がある場合は、この限りでない。

この条文には、使用窃盗を外す仕組みはありません。毀棄・隠匿罪を外す仕組みも、ありません。窃盗罪には、隣り合う場面が2つあります。軽すぎて罰しない使用窃盗と、壊す・隠すだけで、窃盗より軽い罪になる場合です。線を引く相手が2つあるので、要素も2つ要ります。2つを合わせた名前を、不法領得の意思と言います。ただ、名前を先に覚えても意味がありません。なぜ要るのか、1つずつ理由から見ていきましょう。

使用窃盗との境界——権利者排除意思

使用窃盗——被害が軽いから、罰しない 図:使用窃盗——被害が軽いから、罰しない

他人の物を、無断で少しだけ使って、すぐ返す行為があります。これを、使用窃盗と呼びます。冒頭の自転車が、まさにこれです。これは、なぜ罰しないんですか。被害が軽いからです。少し使われて戻ってきただけなら、財産的な損害はほとんどありません。故意だけを要件にすると、使用窃盗も235条に当たってしまいます。だから、これを外すための要素が要ります。

⭐ 論文で書く規範:権利者排除意思 権利者を排除して、他人の物を自己の所有物として振る舞う意思。 (規範(判例・通説で立てる))

これが、権利者排除意思です。借りるだけの人は、持ち主が許しそうな範囲で、少し使って返すつもりです。権利者を押しのけて、自分の物として使うつもりではありません。たとえば同じ自転車でも、そのまま自分の家で使い続けるつもりなら、話は別です。持ち主を押しのけて、自分の物として使っているからです。この意思があるかどうかで、使用窃盗と窃盗罪を分けます。

毀棄・隠匿罪との境界——利用処分意思

壊すほうが重いはずなのに、法定刑は逆 図:壊すほうが重いはずなのに、法定刑は逆

思い出してください。領得罪と毀棄・隠匿罪を分ける物差しは、何でしたか?私腹を肥やす意思があるかどうか、という見立てでした。今日は、その中身を開けます。もう1つの場面、嫌いな人の物を隠した場合です。まず、法定刑を並べて見てください。

条文刑法235条・261条

刑法235条・261条(窃盗罪と器物損壊等) 235条:他人の財物を窃取した者は、窃盗の罪とし、十年以下の拘禁刑又は五十万円以下の罰金に処する。 261条:前三条に規定するもののほか、他人の物を損壊し、又は傷害した者は、三年以下の拘禁刑又は三十万円以下の罰金若しくは科料に処する。

隠すだけでも、持ち主はその物を使えなくなります。だから隠す行為も、壊す行為と同じく、毀棄・隠匿の側に置かれます。器物損壊罪のほうが、ずっと軽くなっています。でも、少し不思議じゃないですか。壊された物は、取り戻しても元どおりになりません。窃盗された物は、取り戻せば元どおりです。それでも、法定刑は窃盗罪のほうが重いんです。なぜですか。窃盗罪には、利欲犯的な性格があるからです。利益を得ようとする動機のことです。冒頭で思い出した、私腹を肥やす意思というのは、この動機を平たく言ったものです。奪って自分の得にしようとする分だけ、強く非難されます。ただ壊す、ただ隠すだけの行為には、この動機がありません。だから、この動機の無い、ただ壊す・隠すだけの行為を外すための要素が要ります。

⭐ 論文で書く規範:利用処分意思 財物の経済的用法に従って、利用または処分する意思。 (規範(判例・通説で立てる))

これが、利用処分意思です。私腹を肥やす意思を、答案で使える形に言い直したものです。経済的用法とは、その物の使い道や価値を、何かの形で活かすことです。もっぱら壊す、もっぱら隠すだけの目的なら、この意思はありません。たとえば、持ち出した物を売ってお金にするつもりなら、処分する意思があります。自分で使うつもりでも、同じです。冒頭の、嫌いな人の物を隠した場合はどうでしょう。もっぱら隠す目的だけなので、利用処分意思が認められません。だから、窃盗罪ではなく、もっと軽い罪になります。

2つの要素を合わせた定式

判例・通説の定式 図:判例・通説の定式

この2つを合わせたものが、不法領得の意思です。

⭐ 論文で書く規範:不法領得の意思の定式 権利者を排除して、他人の物を自己の所有物として、その経済的用法に従い利用・処分する意思。 (判例・通説の定式(大判大4・5・21 刑録21輯663頁ほか・結論において同旨))

判例も、大審院の時代から、この2つを合わせた意思を求めてきました。ある事案では、恨みを持った小学校の教員がいました。この教員は、校長を失脚させる目的で、教育勅語の写しを持ち出しました。そして、自分の教室の天井裏に隠しました。もっぱら隠す目的なので、利用処分意思が認められません。だから、窃盗罪は不成立とされました。この事案も、同じ2つの要素で判断されています。

不法領得の意思をめぐる学説

学説の比較——道具で線を引けるか 図:学説の比較——道具で線を引けるか

不法領得の意思の要否は、実は学説が分かれています。判例・通説は、両方必要という立場です。ただ、他の立場も見ておきましょう。1つ目は、不法領得の意思そのものを不要とする説です。この説は、窃盗罪が守るものを、占有そのものと考えます。以前、保護法益のところで見た占有説と同じ発想です。守るものが占有なら、占有を奪うと分かって奪った時点で、もう十分に悪い。だから、故意のほかに、何のために奪ったかという意思は要らない、という立場です。2つ目は、権利者排除意思だけで足りるとする説です。使用窃盗との区別を重視する説です。窃盗罪が最終的に守るのは、所有権のような本権、つまり占有を正当化する権利なので、占有を侵すだけでなく、所有者として振る舞う意思まで要る、という理由づけです。3つ目は、利用処分意思だけで足りるとする説です。毀棄・隠匿罪との区別を重視し、利欲犯的な性格ゆえに強く非難できる、という理由づけです。4つ目が、両方必要とする、判例・通説の立場です。

どちらの区別を諦めているかで整理すると、分かりやすいです。不要説は、両方の区別を諦めます。使用窃盗も、毀棄目的の奪取、つまり壊す・隠すつもりで持ち出すことも、この道具では外せません。冒頭の2人で言えば、自転車を借りた人も、物を隠した人も、不法領得の意思を理由には窃盗罪から外せません。この表は、不法領得の意思という道具で線が引けるかどうかの比較です。権利者排除意思だけで足りるとする説は、使用窃盗は外せます。でも、毀棄目的の奪取は外せません。すぐ返すつもりの人は持ち主として振る舞っていませんが、隠して使えなくする人は、持ち主を押しのけているからです。利用処分意思だけで足りるとする説は、逆です。毀棄目的の奪取は外せますが、使用窃盗は外せません。

隠すだけでは物を活かしていませんが、自転車に乗るのは、まさに経済的用法に従った利用だからです。使用窃盗は罰しない、壊す・隠すだけなら窃盗より軽い。この2つの前提を両方守れるのは、両方必要説だけです。線を引く相手が2つあるから、要素も2つ要る。これが決め手です。

あてはめ ① 権利者排除意思の有無

元に戻すつもりでも、使い方そのものが持ち主にしか許されない振る舞いか 図:元に戻すつもりでも、使い方そのものが持ち主にしか許されない振る舞いか

では、権利者排除意思の物差しを、具体的な場面で確認しましょう。物差しはこうです。社会通念上、借りるだけでは許されない形で、財物を利用する意思があるか。使用貸借はただで借りる約束、賃貸借はお金を払って借りる約束です。そうした約束をしなければ、そもそも使えないような使い方か、ということです。冒頭の自転車、短時間使って戻すつもりなら、権利者排除意思は否定されます。自転車を少し借りてすぐ戻すくらいなら、普通は、貸し借りの約束までは要らないと考えられるからです。では、同じ自転車を、乗り捨てるつもりだったらどうでしょうか。

乗り捨てるのは、さすがに違う気がします。乗り捨てるつもりなら、短時間でも権利者排除意思が肯定されます。乗り捨てるという振る舞い自体が、自分の物にしか許されないからです。では、実際の判例を見てみましょう。

判例最高裁判所第二小法廷決定(昭和55年10月30日・刑集34巻5号357頁)

最高裁判所決定——自動車を深夜に無断で持ち出し、約4時間乗り回した事案 たとえ、使用後に、これを元の場所に戻しておくつもりであつたとしても、被告人には右自動車に対する不正領得の意思があつたというべきである。

他人所有の自動車を、深夜に無断で持ち出した事案です。そして、約4時間にわたって乗り回しました。この決定は、元に戻すつもりだったとしても、不正領得の意思があったと判断しました。使用窃盗との境界、つまり権利者排除意思が問われた場面です。決定文の言葉そのものは「不正領得の意思」です。ですが、中身は今日見てきた不法領得の意思と同じです。では、なぜ権利者排除意思があると言えるのでしょうか。時間の長さだけで決まるわけではありません。深夜に約4時間、他人の自動車を乗り回すのは、貸し借りの約束なしには許されない使い方です。自転車を10分借りるのとは、使い方の重さが違います。

あてはめ ② 利用処分意思の有無

もっぱら壊す・隠す目的でなければ、肯定してよい 図:もっぱら壊す・隠す目的でなければ、肯定してよい

今度は、利用処分意思の物差しです。この要素は、毀棄・隠匿罪との区別のための要素です。だから、もっぱら壊す・隠す目的である場合を除けば、肯定してよいとされます。経済的用法が示す範囲は、実は広いんです。性的な目的で、女性の下着を持ち出した事案があります。性的な目的なら経済的な用法とは言えない、と感じるかもしれません。それでも、判例は利用処分意思を認めました。もっぱら壊す・隠す目的ではない以上、肯定されます。次は、コピーが絡む事案です。

判例東京地方裁判所判決(昭和59年6月28日・刑月16巻5=6号476頁)

東京地方裁判所判決——コピーする目的で機密資料のファイルを持ち出し、複写後に返却した事案 本件フアイルの財物としての価値は、……情報が化体されているところにあるとともに、権利者以外の者の利用が排除されていることにより維持されているのであるから、複写という方法によりこの情報を他の媒体に転記・化体して、この媒体を手許に残すことは、原媒体ともいうべき本件フアイルそのものを窃かに権利者と共有し、ひいては自己の所有物とするのと同様の効果を挙げることができる。これは正に権利者でなければ許容されないことである。しかも、本件フアイルが権利者に返還されるとしても、同様のものが他に存在することにより、権利者の独占的・排他的利用は阻害され、本件フアイルの財物としての価値は大きく減耗するといわなければならない。

抗生物質に関する資料のファイルを持ち帰った事案です。コピーを作ってから、原本は返却しました。それでも、判決は窃盗罪の成立を認めました。写しを手元に残すのは、ファイルを権利者とひそかに共有するのと同じ効果を持ちます。それは権利者でなければ許されないことで、しかもファイルの価値が大きく減耗します。これが判決の理由づけです。判決が直接言っているのは、この排除の側です。利用処分意思のほうは、単純です。中身を写して使うつもりなので、もっぱら壊す・隠す目的ではありません。ここでは、同じ事実から、2つの要素をそれぞれ当てはめられます。最後に、否定された例を見ましょう。さっきの、教育勅語の写しを天井裏に隠した事案です。

校長を失脚させることだけが目的でした。その写しを、何かに利用するつもりはありませんでした。だから、利用処分意思が否定され、窃盗罪は不成立でした。

いったん止めて考えてみましょう 図:いったん止めて考えてみましょう

ここで、少し考えてみてください。嫌がらせのために、隣人の家の表札を持ち出したとします。そして、川に投げ捨てました。この場合、2つの要素は、どうなるでしょうか?権利者排除意思は、あるかもしれません。自分の物のように、勝手に持ち出しています。では、利用処分意思はどうですか。もっぱら捨てる目的だけなので、無い気がします。権利者排除意思はあっても、利用処分意思がありません。だから、窃盗罪ではなく、器物損壊罪の範囲に落ちます。

データのみのコピーと横領罪の予告

物を持ち出すか、情報だけを写すか 図:物を持ち出すか、情報だけを写すか

さっきのコピー事件は、資料のファイルという「物」を持ち出した点が出発点でした。その場合は、話が変わります。コピー機を使わず、記憶したり、写真を撮ったりする場合です。財物の占有を移していない以上、窃盗罪の問題にはなりません。以前確認したとおり、情報そのものは、財物ではないからです。最後に、1つだけ予告しておきます。横領罪にも、不法領得の意思が要求されます。ただし、中身は窃盗罪と同じではありません。判例は、横領罪の不法領得の意思については、利用処分意思を要求しません。なぜ変わるのかは、横領罪の回で扱います。論文でも、よく問われる場面です。

今日の地図(保存版)

今日のまとめ 図:今日のまとめ

今日の内容を整理しましょう。窃盗罪には、故意だけでは分けられない、2つの隣接領域がありました。使用窃盗を外すための要素が、権利者排除意思。毀棄・隠匿罪を外すための要素が、利用処分意思でした。権利者排除意思が欠ければ、使用窃盗に落ちる。利用処分意思が欠ければ、毀棄・隠匿罪に落ちる。冒頭の2つの問いにも、これで答えが出ましたね。自転車を10分後に戻したのは、権利者排除意思が無かったからです。嫌いな人の物を隠したのは、利用処分意思が無かったからです。2つの要素は、それぞれ別の隣り合う場面との境界線だったんですね。

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#132単独ページ動画

不動産侵奪罪・親族相盗例

第15章 個人的法益④|財産に対する罪①(総論・窃盗・強盗) ⑧/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

前回の受けから

2つの問い 図:2つの問い

前回は、窃盗罪の心の側、不法領得の意思を見ました。権利者排除意思と、利用処分意思。この2つで、窃盗罪の主観面は固まりました。今日は、窃盗罪の「外側」にある、2つの条文を見ていきます。まず、1つ考えてみてください。他人の土地に、勝手に家を建てたとします。それでも、これは犯罪になります。もう1つ、別の場面も考えましょう。実家に住む息子が、親の財布からお金を盗んだとします。はい、窃盗罪になります。ただ、もう1つ聞きます。警察は、すぐに捜査に動くでしょうか。うーん、家族の中の話ですし、少し違う気がします。今日は、この2つの疑問に答える2つの条文を見ます。1つは、窃盗罪の対象を広げる条文。もう1つは、窃盗罪の処罰を狭める条文です。しかも2つ目の条文は、細かい決まりまで、たった1つの考え方から説明がつきます。そこを確かめていきます。

235条の2——窃盗罪の客体を広げる

動産を持ち去るか、置き場所ごと奪うか 図:動産を持ち去るか、置き場所ごと奪うか

まず、条文を確認しましょう。

条文刑法235条の2

刑法235条の2(不動産侵奪) 他人の不動産を侵奪した者は、十年以下の拘禁刑に処する。

窃盗罪の「窃取」の、不動産版だと考えてください。窃取とは、占有者の意思に反して、財物の占有を自分や第三者に移すことでした。侵奪も、中身は同じです。占有者の意思に反して、不動産の占有を排除し、自分や第三者の占有を新たに設定することです。窃盗罪が動産という「持ち運べる荷物」を対象にするなら、235条の2はその荷物の「置き場所」ごと奪う条文だと考えると、イメージしやすいはずです。そもそも、235条とは別に条文が要るのは、なぜですか。235条の「財物」には、不動産は含まれないと考えられているからです。その隙間を埋めるために置かれたのが、235条の2です。

主観的な要件も、同じです。故意に加えて、不法領得の意思が必要です。前回学んだ、あの2つの要素です。未遂も罰せられます。243条という条文が、235条の2を含めて未遂を罰する罪を列挙しています。

「侵奪」のあてはめ

占有の態様が、質的に変わったか 図:占有の態様が、質的に変わったか

「侵奪」にあたるかは、1つの物差しで判断します。占有の態様が、質的に変わったといえるか、です。肯定される例から見ましょう。他人の土地に、無断で建物を建てる場合です。他人の農地を、無断で耕して種をまく場合も同じです。判例にも、こういう事案があります。土地の所有者から、屋台のような簡単な施設に限って無償で借りていた人がいて、その人から借りた人から、さらに借りた人が、内壁や床、天井を作り、シャワーや便器まで備えた本格的な店舗に改造しました。

判例最高裁判所決定(平成12年12月15日・刑集54巻9号1049頁)

最高裁判所決定——所有者から無償で借りた人を経て借りた土地に、簡易な施設を本格的な店舗へ無断で改造した事案 被告人は、本件建物の構築により、所有者であるA不動産の本件土地に対する占有を新たに排除したものというべきである。したがって、被告人の行為について不動産侵奪罪が成立するとした原判断は、正当である。

取り壊すのも、元に戻すのも、著しく難しくなっています。だから、占有の態様が質的に変わった、と判断されました。賃貸借が終わった後に、そのまま居座り続けるだけの場合です。この場合、占有の中身は変わっていません。もう1つ、借りた用途のまま使い続けて、内部を少し改装しただけの場合も同じです。占有の質が変わったかどうかが、常に決め手になります。判例は、この判断を、不動産の種類や、占有を侵害した方法、占有していた期間、原状回復の難しさなど、複数の事情を総合して、社会通念に従って決める、と述べています。

⭐ 論文で書く規範:「侵奪」の定義 「侵奪」とは、不法領得の意思をもって、不動産に対する他人の占有を排除し、これを自己又は第三者の占有に移すことをいう。当該行為が侵奪行為に当たるかどうかは、具体的事案に応じて、不動産の種類、占有侵害の方法、態様、占有期間の長短、原状回復の難易、占有排除及び占有設定の意思の強弱、相手方に与えた損害の有無などを総合的に判断し、社会通念に従って決定すべきものである。 (判例の定式(最判平12・12・15))

1つに絞るなら、占有の態様が質的に変わったか、という物差しだけで足ります。235条の2は、ここまでです。次は、もう1つの条文に移ります。

なぜ親族間の窃盗は処罰が緩むのか

家庭の中のもめごとに、国家は立ち入らない 図:家庭の中のもめごとに、国家は立ち入らない

冒頭の、息子が親の財布からお金を盗んだ場面を思い出してください。この感覚には、名前が付いています。「法は家庭に入らず」という考え方です。家庭の中で起きた財産のもめごとは、国家が刑罰を持ち出して立ち入るより、家庭の中で解決させるほうが妥当だ、という法政策です。この1つの趣旨から、これから見る244条の細部が、すべて説明できます。まず、条文そのものを見てみましょう。

244条の3段構え

244条の3段構え 図:244条の3段構え

条文刑法244条

刑法244条(親族間の犯罪に関する特例) 1項 配偶者、直系血族又は同居の親族との間で第二百三十五条の罪、第二百三十五条の二の罪又はこれらの罪の未遂罪を犯した者は、その刑を免除する。 2項 前項に規定する親族以外の親族との間で犯した同項に規定する罪は、告訴がなければ公訴を提起することができない。 3項 前二項の規定は、親族でない共犯については、適用しない。

244条は、3段構えになっています。1項は、配偶者、直系血族、同居の親族との間の窃盗、それに不動産侵奪です。これらは、刑が免除されます。同居していれば、これに当たります。2項は、それ以外の親族です。この場合は、刑の免除まではいきませんが、親告罪になります。被害者側からの告訴が無ければ、起訴できない、という扱いです。1項と2項で、扱いが違うのはなぜですか。趣旨の効き方の強さが違うからです。夫婦や親子・祖父母、それに同居の家族のような近い関係なら、国家は立ち入りません。少し離れた親族なら、国家を呼ぶかどうかを、被害者の側に選ばせる、という発想です。3項は、親族でない共犯者には、この特例が適用されない、という規定です。

息子には1項が適用されますが、友人には適用されません。友人は通常どおり処罰されます。なお、「親族」の範囲は、民法の725条によります。6親等内の血族、配偶者、3親等内の姻族のことです。244条は、配偶者と直系血族をあえて別に挙げているので、残りが「親族」にあたる、と理解してください。たとえば、別々に暮らす兄弟姉妹や、叔父・叔母、いとこです。この人たちとの間なら2項、同じ家で暮らしていれば1項です。

免除の法的性質——一身的処罰阻却事由

犯罪の成立と、処罰は別の話 図:犯罪の成立と、処罰は別の話

ここで、少し立ち止まります。犯罪の成立と処罰、この2つを切り分ける発想、以前にも出てきました。思い出せますか?たしか……処罰阻却事由、でした。今日は、その実例を見ます。1項の刑の免除は、犯罪の成立自体は否定しません。処罰だけを、個別に阻却します。この性質を、学説では「一身的処罰阻却事由」と呼びます。その人だけに関わる事情だから、という意味です。3項で、親族でない共犯者には適用されないのも、この性質から来ています。この立場は、判例にも表れています。ある事件は、244条所定の親族間で行われた窃盗の未遂によって奪われた物を、買い受けた人が問われた事件でした。

買い受けた人は、「244条で窃盗犯人の刑が免除されるなら、その物はもう盗品ではないはずだ」と争ったんです。判決は「刑法二四四条は、同条所定の者の間において行われた窃盗罪及びその未遂罪に関しその犯人の処罰につき特例を設けたに過ぎないのであって、その犯罪の成立を否定したものではない」と述べました。だから、奪われた物は、盗品としての性質を失いません。

適用の要件——誰と誰の間に親族関係が必要か

占有者だけでなく、所有者との親族関係も要る 図:占有者だけでなく、所有者との親族関係も要る

ここまでは、盗んだ物の持ち主が1人であることを前提にしていました。持ち主が、複数に分かれることもあるんですか。あります。物を占有している人と、その物を所有している人が、別人である場合です。たとえば、こう考えてください。Aが、同居する母Bの部屋にあった、Bの友人Cから借りていたノートパソコンを盗んだとします。占有者Bとは親族ですが、所有者Cとは親族ではありません。判例は、両方との間に親族関係が必要だ、という立場です。実際の事件では、被告人が、ある会社が所有し、被告人と6親等の血族にあたる人が保管していた現金を盗んだ、という事案がありました。

判例最高裁判所決定(平成6年7月19日・刑集48巻5号190頁)

最高裁判所決定——会社所有の現金を、親族が保管していた場合に窃取した事案 窃盗犯人が所有者以外の者の占有する財物を窃取した場合において、刑法二四四条一項が適用されるためには、同条一項所定の親族関係は、窃盗犯人と財物の占有者との間のみならず、所有者との間にも存することを要するものと解するのが相当である。

先ほどのAとBとCの例なら、Aは処罰されます。刑の免除は受けられません。逆に、そのパソコンがB自身の物だったら、占有者も所有者もBで、Aの親族です。この場合は1項が適用され、刑は免除されます。趣旨に立ち返ってみてください。「法は家庭に入らず」という考え方は、関与するすべての人が家庭の中にいる場合に、初めて妥当します。所有者Cが家庭の外にいる以上、その財産のもめごとは、もう家庭の中だけの問題ではありません。なお、所有者との関係だけで足りるとする見解や、占有者との関係だけで足りるとする見解も、学説には存在します。ただ、判例・通説は、占有者・所有者の両方との親族関係が必要、という立場を採っています。

要件が否定される実例①——内縁

「配偶者」に、内縁は含まれない 図:「配偶者」に、内縁は含まれない

続いて、244条が適用されない実例を、2つ見ていきます。1つ目は、内縁の配偶者です。244条1項の「配偶者」に、内縁の相手は含まれません。

判例最高裁判所決定(平成18年8月30日・刑集60巻6号479頁)

最高裁判所決定——内縁の配偶者との間の窃盗が問題になった事案 刑法244条1項は,刑の必要的免除を定めるものであって,免除を受ける者の範囲は明確に定める必要があることなどからして,内縁の配偶者に適用又は類推適用されることはないと解するのが相当である。

類推適用とは、条文の言葉には当たらなくても、よく似た関係に同じルールを当てはめることです。内縁は夫婦によく似ていますが、それでも244条は使えない、ということです。244条1項は、刑を必ず免除する、という強い効果を持っています。だから、免除を受けられる人の範囲は、はっきり決めておく必要があるんです。内縁も他の法分野では保護されることがあるので、この結論に違和感を持つ人もいます。ですが、244条の効果の強さを考えると、範囲を広げにくい、という理由づけです。

要件が否定される実例②——未成年後見人

後見の事務は、公的な性格を持つ 図:後見の事務は、公的な性格を持つ

2つ目は、未成年後見人です。こう考えてください。未成年者Aの祖母Bが、Aの未成年後見人になっていました。親に代わって、未成年者の財産などを管理する立場のことです。家庭裁判所が選びます。そのBが、後見の事務として預かっていたAの貯金を、勝手に引き出しました。1項の「直系血族」には、当たります。実際の事件では、そうはなりませんでした。

判例最高裁判所決定(平成20年2月18日・刑集62巻2号37頁)

最高裁判所決定——未成年後見人が、後見の事務として預かる財産を業務上横領した事案 刑法255条が準用する同法244条1項は,親族間の一定の財産犯罪については,国家が刑罰権の行使を差し控え,親族間の自律にゆだねる方が望ましいという政策的な考慮に基づき,その犯人の処罰につき特例を設けたにすぎず,その犯罪の成立を否定したものではない……。そうすると,未成年後見人の後見の事務は公的性格を有するものであって,家庭裁判所から選任された未成年後見人が,業務上占有する未成年被後見人所有の財物を横領した場合に,上記のような趣旨で定められた刑法244条1項を準用して刑法上の処罰を免れるものと解する余地はないというべきである。

未成年後見人の仕事は、家庭裁判所から選ばれて行う、公的な職務だからです。単なる家族としての付き合いではありません。「法は家庭に入らず」という趣旨は、家庭の中だけの、私的なもめごとを対象にしています。ですから、刑法244条を準用する余地はない、と判断されました。ここで、少し止めて考えてみましょう。

内縁と未成年後見人、共通する理由は 図:内縁と未成年後見人、共通する理由は

内縁の配偶者と、未成年後見人。この2つに244条が適用されない理由は、実は同じ言葉で説明できます。何でしょうか?「法は家庭に入らず」という趣旨が、その場面には妥当しない、という理由づけです。内縁のほうは、少し橋渡しが要ります。1項は、刑を必ず免除する強い効果を持ちます。だから、国家が立ち入らない「家庭」の線は、婚姻届のように、外からはっきり見える形で引くしかありません。内縁は、その線の外側です。未成年後見人は、公的な職務なので、そもそも家庭の中だけの話ではありません。どちらも、趣旨がその場面に及ばない、という点で同じなんです。

親族関係の錯誤と共犯への不適用

処罰阻却事由は、故意の対象ではない 図:処罰阻却事由は、故意の対象ではない

先ほどの、AがBの部屋にあったCのノートパソコンを盗んだ例に戻ります。もし、Aが「これも母Bの持ち物だ」と誤信していたら、どうなるでしょうか。所有者はCだと知らなかった、ということです。ですが、一身的処罰阻却事由と考える立場からは、結論は変わりません。なぜですか。親族関係は、犯罪が成立するかどうかを決める事情ではないからです。先ほど見たとおり、1項の刑の免除は、犯罪の成立は認めたうえで、刑だけを外す事情でした。一身的処罰阻却事由です。故意が向けられるのは、犯罪の成立を決める事実、たとえば構成要件に該当する事実です。刑だけを外す事情は、故意の対象に入りません。ですから、この立場からは、Aの認識がどうであれ、免除されるかどうかは、実際の親族関係で決まります。

この立場からは、そうです。ただ、高等裁判所には、同居の親族の物だと誤信した事案で、刑の免除を認めた例もあります。最後に、3項の共犯の話に戻ります。親族でない共犯者には、244条は適用されません。1項の免除も、2項の親告罪も及びません。その人だけに関わる事情なので、他の共犯者には影響しません。

244条を準用する罪

準用される罪、準用されない罪 図:準用される罪、準用されない罪

244条は、窃盗罪と不動産侵奪罪だけの規定ではありません。詐欺罪、恐喝罪、背任罪、それに横領罪にも準用されます。ただし、強盗罪には準用されません。強盗は、財産だけでなく、暴行や脅迫で人の体や自由まで傷つけます。家庭の中で片づけさせてよい範囲を超えている、という価値判断です。もう1つ、盗品を買い取ったりする罪、盗品等に関する罪にも、244条は準用されません。そこは、また別の条文で、独自の親族特例が定められています。中身は、別の回で扱います。

今日の地図(保存版)

今日のまとめ 図:今日のまとめ

今日の内容を整理しましょう。235条の2は、窃盗罪の客体を、動産から不動産に広げる条文でした。判断の物差しは、占有の態様が質的に変わったか、でした。244条は、窃盗罪、それに不動産侵奪罪の処罰を、家族間で緩める条文でした。そして、この条文のすべての細部は、「法は家庭に入らず」という趣旨から説明がつきました。占有者と所有者の両方との親族関係が必要な理由も、内縁や未成年後見人に適用されない理由も、同じ趣旨でしたね。235条の2は客体を広げる条文、244条は処罰を狭める条文。どちらも、235条という中心の条文の「外側」を扱う特則でした。これで、窃盗罪をめぐる話は、一区切りです。

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#133単独ページ動画

強盗罪の暴行・脅迫と反抗抑圧

第15章 個人的法益④|財産に対する罪①(総論・窃盗・強盗) ⑨/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

前回の受けから

2つの問い 図:2つの問い

前回で、窃盗罪の話は一区切りしました。今日からは、強盗罪に入ります。財産犯の中でも、最重要の構成要件です。1つ、考えてみてください。刃物を突きつけて、「金を出せ」と言う。これなら、強盗だとすぐに分かります。では、夜道ですれ違いざまに紐を引っ張っただけなら、どうでしょうか。うーん、ひったくりという感じがします。ひったくりは、強盗になる場合と、窃盗にとどまる場合があります。実は、暴行罪と脅迫罪の回で、予告してきたことがあります。「強盗罪の暴行・脅迫は、最も狭い意味のものだ」という話です。今日は、その”程度”の中身を開けます。どこまでの強さがあれば強盗で、どこからが窃盗や恐喝にとどまるのか。この物差しを、条文と判例で確かめていきます。

236条1項——暴行・脅迫から強取までの1本の道

暴行・脅迫、反抗抑圧、強取という3段階 図:暴行・脅迫、反抗抑圧、強取という3段階

まず、条文を確認しましょう。

条文刑法236条1項

刑法236条1項(強盗) 暴行又は脅迫を用いて他人の財物を強取した者は、強盗の罪とし、五年以上の有期拘禁刑に処する。

財産上の利益を奪う場合は、236条2項の話になります。3段階の流れとして見てください。まず、暴行・脅迫を加える。それによって、被害者の反抗が抑圧される。その状態に乗じて、財物を強取する。この3段階が、1本の条文にあらかじめ仕組まれています。3つの罪をあわせた性質を持つ罪だと、理解してください。今日はこの先、3段階の”どこ”に着目するかで、論点が説明できることを見ていきます。

暴行・脅迫の程度——客観的基準

一般人を基準にした、客観的な物差し 図:一般人を基準にした、客観的な物差し

思い出してください。暴行罪・脅迫罪の回で見た「最狭義」、覚えていますか?相手の反抗を抑圧する程度、というものでしたね。問題は、その”程度”を、何を基準に測るかです。実は、被害者本人を基準にするという発想が、直感に反するところです。判例は、被害者の主観ではなく、客観的な基準で決めています。

判例最高裁判所判決(昭和24年2月8日・刑集3巻2号75頁)

最高裁判所判決——匕首を示して脅迫し、現金と財布を強取した事案 他人に暴行又は脅迫を加えて財物を奪取した場合に、それが恐喝罪となるか強盗罪となるかは、その暴行又は脅迫が、社会通念上一般に被害者の反抗を抑圧するに足る程度のものであるかどうかと云う客観的基準によつて決せられるのであつて、具体的事案の被害者の主観を基準としてその被害者の反抗を抑圧する程度であつたかどうかと云うことによつて決せられるものではない。

本人を基準にすると、力の強さが同じでも、相手が臆病なら強盗、肝が据わっていれば恐喝になってしまいます。罪の重さが、たまたま出会った相手の性格で変わるのはおかしい。だから、その場の状況に置かれた一般の人を基準に測るんです。ここで、1つ考えてみてください。友人と手を組んで、相手の手首を机に押さえつけたとします。相手が本気を出しても振りほどけない、強い力だったとします。そのあとで、机の上のスマホを持っていく。これは「力で動きを封じてから、持っていった」という1つの筋の話です。逆に、押さえた力が弱かったとします。相手が本気を出せば、簡単に振りほどける程度です。

たとえ相手が驚いて動かなかったとしても、“封じた”とは呼べません。一般的に見て、その力では反抗を抑圧できないからです。この「一般的に見た力の強さ」という物差しが、この先も効いてきます。その場合は、恐喝罪の話になります。恐喝罪との詳しい境界線は、また別の回で扱います。今日は、236条の程度要件そのものが、この境界線だと理解しておいてください。

ひったくりの限界——3つの場面

力の強さで見る、3つの場面 図:力の強さで見る、3つの場面

この物差しで、ひったくりの場面を見ていきましょう。1つ目は、スリが軽くぶつかって、財物を盗む場合です。反抗を抑圧する程度の暴行とはいえません。相手を怖がらせる程度でもないので、恐喝罪にもあたりません。その後に財物をすり取れば、窃盗罪にとどまります。2つ目は、不意に、通行人を後方から突き倒して奪う場合です。反抗を抑圧する程度の暴行といえ、強盗の暴行にあたります。3つ目は、自動車の窓から、紐をつかんで引っ張る場面です。つかんで引っ張った段階では、強盗の暴行とはいいがたいところです。ただし、被害者が紐を離さなかったとします。そのまま、つかんだ状態で自動車を進行させたら、どうでしょうか。

それは、引きずられる危険が生まれます。最高裁も、手を離さなければ引きずられる段階になれば、強盗の暴行にあたる、と判断しています。力の強さという物差しが、行為の途中で変わっていく、と見るのがポイントです。

手段性——暴行・脅迫は何に向けられていなければならないか

力は、財物を奪う手段でなければならない 図:力は、財物を奪う手段でなければならない

ここまでは、暴行・脅迫の”強さ”を見てきました。もう1つ、忘れてはいけない要件があります。強盗罪の暴行・脅迫は、財物を奪う手段でなければなりません。なぜ、そんな要件が要るのでしょうか。暴行・脅迫と、財物の奪取が、たまたま重なっただけでは足りません。236条1項が定めているのは、暴行・脅迫を「用いて」強取した、という1本のつながりです。そのつながりが無ければ、暴行罪と、別の罪が並んでいるだけになってしまいます。たとえば、AがBと口論になり、腹を立ててBを殴って立ち去ったとします。そのあと、Bが落とした財布に、たまたま気づいて持ち去った場合です。

だから、強盗罪の暴行にはあたりません。暴行罪と、占有離脱物横領罪、あるいは窃盗罪が別々に成立するにとどまります。逆に、Aが最初からBの財布を奪う目的で、Bを殴り倒したとします。抵抗できなくなったBから、財布を奪った場合はどうでしょうか。こちらは、暴行が財布を奪うために向けられていますね。この場合は、強盗罪の暴行にあたります。力の強さと、財物奪取に向けられていること。この2つがそろって、初めて強盗罪の暴行・脅迫といえます。この”向けられているか”という視点は、この後、とても重要になります。今日の前半は、力の強さという物差しを見てきました。後半は、この力が財物を奪う結果に、どうつながるかを見ていきます。

強取の意義と反抗抑圧の要否

反抗抑圧が現実になくても、強盗は成立するか 図:反抗抑圧が現実になくても、強盗は成立するか

まず、「強取」という言葉の意味を確認します。強取とは、暴行・脅迫で被害者の反抗を抑圧すること。その状態に乗じて、財物を奪取することをいいます。ここで、1つ難しい問題が出てきます。反抗を抑圧するに足りる暴行・脅迫を、客観的には加えたとします。ですが、その被害者は、現実には反抗を抑圧されなかった場合です。怖がって財物は渡したけれど、抵抗しようと思えばできた場合ですか。そういう場面です。この場合、強盗罪は成立するでしょうか。

判例最高裁判所判決(昭和24年2月8日・刑集3巻2号75頁)

最高裁判所判決——反抗抑圧が現実になくても強盗罪は成立するか 従つて右認定事実は強盗罪に該当するものであつて、仮りに所論の如く被害者Aに対しては偶々同人の反抗を抑圧する程度に至らなかつたとしても恐喝罪となるものではない。

匕首の事件と同じ判決です。客観的基準を貫くと、当然にこの結論になります。現実に反抗が抑圧されたかどうかは、問わないということです。これに対して、通説は違う立場を採ります。通説は、①暴行・脅迫、②反抗抑圧、③財物の奪取。この因果の流れが、236条1項に予定されていると考えます。根拠は、手段性のところで見た、条文の「用いて」強取した、という言葉です。暴行・脅迫が、現実に反抗を抑圧し、その結果として財物を奪えたとき、はじめて「用いて」奪ったといえる、と読むんです。だから、②の反抗抑圧は、現実に必要だとするんです。

通説からは、強盗罪の未遂にとどまります。判例と通説で結論が違うのは、出発点が違うからです。判例は、客観的基準を貫くことを重視します。通説は、因果の流れが現実に貫徹することを重視します。

事後的奪取意思——順番が変わると、結論も変わる

先に封じたか、あとで封じたか 図:先に封じたか、あとで封じたか

もう1つ、超頻出の論点があります。暴行・脅迫のあとに、初めて財物を奪う気持ちが生まれた場合です。場面を1つ、考えてみましょう。Aが、恨みを晴らす目的で、Bを殴り倒したとします。財物を奪う気持ちは、この時点ではありません。Bが恐怖で身動きできなくなったあと、あることが起きます。Aが、Bの高価な腕時計に気づき、その時計を持ち去りました。実は、原則として強盗罪は成立しません。少し前に見た「手段性」、覚えていますか?強盗罪の暴行・脅迫は、財物を奪う手段でなければなりませんでした。Aが最初にBを殴った行為は、恨みを晴らすためのものです。財物を奪うために向けられたものでは、ありません。

先に財物を持っていって、あとで喧嘩になって押さえつけた場合。これと、実質的には同じ筋の話になってしまいます。どちらも、“押さえつける力”と”財物を取る”行為が、つながっていません。なお、取り返されないための暴行なら、事後強盗という別の罪になります。これは、別の回で扱います。窃盗罪にとどまります。ただし、ここには例外があります。Aが財物を奪う意思を生じたあと、あることをしたとします。反抗抑圧の状態を続けさせる、新たな暴行・脅迫です。その新たな暴行・脅迫を手段として、強盗罪が成立します。具体的に見てみましょう。Bが時計を取り返そうと、腕を動かしたとします。そこで、Aが改めてBの腕を強く押さえつけました。

腕を押さえ直したその力が新たな暴行にあたり、強盗罪の成立を肯定しやすい場面です。もう1つ、Aが「この時計はもらっておくぞ」と言った場合はどうでしょうか。渡さなければ、さらに何かする、という趣旨が伝われば足ります。新たな脅迫として、肯定できます。逆に、Bがすでに気絶していたり、死亡していたりした場合はどうでしょうか。その場合は、新しく力を加えることも、脅すこともできません。財物奪取に向けられた新たな暴行・脅迫を、認定できません。だから、強盗罪は成立せず、窃盗罪にとどまります。なお、被害者が死亡していた場合は、別の問題も出てきます。死者に占有が残るか、という問題です。窃盗罪の回で見たとおり、殺した本人が死亡の直後に奪えば、生前の占有が保護されて、窃盗罪になります。

強盗予備と未遂・既遂

予備、未遂、既遂という3つの段階 図:予備、未遂、既遂という3つの段階

ここからは、236条1項の因果の流れが、どこまで進んだかという話です。まず、準備の段階を見てみましょう。

条文刑法237条

刑法237条(強盗予備) 強盗の罪を犯す目的で、その予備をした者は、二年以下の拘禁刑に処する。

強盗の目的で、準備行為をした段階を処罰する規定です。1つ、注意点があります。殺人予備罪などと違って、強盗予備罪には、情状による免除規定がありません。免除の規定が無いので、準用できるかどうかが、そのまま結論を左右するんです。次に、未遂です。強盗罪の未遂も罰せられます。

条文刑法243条

刑法243条(未遂罪) 第二百三十五条から第二百三十六条まで、第二百三十八条から第二百四十条まで及び第二百四十一条第三項の罪の未遂は、罰する。

235条から236条までを含む列挙が、そのことを定めています。そして、既遂の時期です。被害者の財物に対する占有を排除する。行為者または第三者が、その占有を取得する。この時点をもって、既遂といえます。これを占有取得説といいます。

判例最高裁判所判決(昭和24年6月14日・刑集3巻7号1066頁)

最高裁判所判決——事務所に押し入り事務員を縛って財物を持ち出す寸前で逮捕された事案 被告人は共犯者等と共に被害会社の事務所に押入り、居合わせた男女事務員の全部を縛つて全然抵抗し得ず奪われた物を取返し得ない状態に置き洋服類は着込み、その他の物は荷造りして持ち出すばかりにしたところを、警察隊に踏み込まれて捕縛されたのであつて、上告論旨が通説なりとするいわゆる「取得説」から言つて、既に物の支配を取得したと言い得るのであり……強盗罪についてもこの点は同様であり、論旨は理由がない。

被告人が共犯者と、被害会社の事務所に押し入りました。居合わせた事務員全員を縛って、抵抗できない状態にしました。洋服類は着込み、その他の物は荷造りをして、持ち出すだけの状態にしました。そこで、警察に踏み込まれて捕まりました。それでも、この判決は既遂を認めました。すでに、物の支配を取得したといえる、という理由です。占有を排除して、自分の支配下に置いた時点で、既遂と評価されます。なお、先ほどの反抗抑圧の要否の話も、ここにつながります。通説の立場では、被害者の反抗が現実に抑圧されなかった場合。たとえ財物を取得しても、236条1項が予定する流れを満たしません。だから、未遂にとどまります。

主観的要件

故意に加えて、不法領得の意思が要る 図:故意に加えて、不法領得の意思が要る

最後に、主観的な要件です。強盗罪も、財物を奪う罪です。構成要件的故意に加えて、不法領得の意思が必要です。権利者を排除して、自分の物として振る舞う意思と、物を経済的な用法に従って、利用・処分する意思でした。前の方は、少し借りるだけの行為を、後の方は、壊す・隠すだけの行為を、財物を奪う罪から外すための要件です。窃盗罪で見た考え方が、そのまま強盗罪にも引き継がれます。

今日の地図(保存版)

今日のまとめ 図:今日のまとめ

今日の内容を整理しましょう。236条1項は、①暴行・脅迫、②反抗抑圧、③強取。この1本の因果の流れを定めた条文でした。その流れの”どこ”に着目するかで、論点が整理できる、という話でしたね。①の強さそのものを見るのが、程度論でした。一般人を基準にした客観的な物差しで決まり、ひったくりもこの物差しで線引きされました。①から③への”つながり”を見るのが、因果関係論でした。判例は客観的基準を貫き、通説は現実の反抗抑圧を必要とします。事後的奪取意思は、暴行・脅迫が財物奪取に向けられていたか。この”順番”の問題でした。

強盗予備、未遂を経て、財物の占有を取得した時点で既遂となります。236条1項という、たった1つの条文の中に、多くの問題が仕組まれていました。今日、それがつながったはずです。

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#134単独ページ動画

2項強盗と利益移転の具体性・確実性

第15章 個人的法益④|財産に対する罪①(総論・窃盗・強盗) ⑩/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

前回の受けから

今日は「利益」を奪う話です 図:今日は「利益」を奪う話です

前回、236条1項の強盗罪が終わりました。今日から、236条2項に入ります。1つ、考えてみてください。Aが、Bからお金を借りていました。返済を求められたAが、Bを殺してしまったとします。ですが、Bに相続人がいて、借用書もBの家に残っていたらどうでしょう。相続人が返済を求められる以上、Aの借金そのものは消えていません。それでも、Aに強盗罪は成立するでしょうか。結論を先に言うと、この場合、2項強盗罪は未遂にすらなりません。その理由が、今日の1本の筋です。これが、今日の核心に直結する問いです。前回、暴行・脅迫から強取までの1本の因果連鎖を見ました。今日は、奪うものが「物」ではなく「利益」になったときの話です。

236条2項——客体は財物ではなく財産上の利益

前項の方法により、財産上不法の利益を得る 図:前項の方法により、財産上不法の利益を得る

まず、条文です。

条文刑法236条2項

刑法236条2項(強盗利得罪) 前項の方法により、財産上不法の利益を得、又は他人にこれを得させた者も、同項と同様とする。

1項と2項で違うのは、客体だけです。1項は「他人の財物」、2項は「財産上不法の利益」を客体とします。「財産上不法の利益」という言葉、少し引っかかります。利益そのものが、不法でなければならないんですか。実は違います。ここでいう「不法の」は、利益を得る方法の不法性を指すにすぎません。暴行・脅迫という方法そのものが不法だから、当然に付いている言葉です。ここで、財物と財産上の利益の境界を見た回を思い出してください。覚醒剤の返還や代金の支払いを免れる利益は、財産上の利益にあたりましたか?あたりました。取引が違法なので、法律上は返還も支払いも請求できません。それでも、そこから事実上逃れることは財産上の利益になる、という判例でした。あの結論は、条文の上では、2項強盗罪の「不法の」を、いま見たように読むところから出てきます。別の事件でも、判例は、法律上は返還請求権の無い預かり金について、同じ判断をしています。

判例最高裁判所判決(昭和35年8月30日・刑集14巻10号1418頁)

最高裁判所判決——麻薬購入資金を預かり保管中、殺害してその返還を免れた事案 麻薬密売買にことよせて他人を誘き出し、その所持する麻薬購入資金を預かり同人のため保管中、該金員を不法に領得する目的をもつて同人を殺害し同人から事実上右金員の返還請求を受けることのない結果を生ぜしめて返還を免れたときは、たとえ右金員の授受は不法原因に基く給付であるがため被害者に返還請求権がないとしても刑法第二三六条第二項、第二四〇条後段の罪が成立する。

「不法の」という文言は、方法の不法性を指すだけであって、客体そのものの適法性を要求していない、という理解を裏づける判断です。財産上の利益は、代金請求権や返還請求権のように、幅広く含まれると考えてください。

行為——因果連鎖は1項と同じ

暴行・脅迫、反抗抑圧、利益取得という3段階 図:暴行・脅迫、反抗抑圧、利益取得という3段階

次に、行為の中身を見ます。236条2項が処罰するのは、暴行や脅迫を手段にして、財産上の利益を得てしまう行為です。暴行・脅迫があって、それによって反抗が抑圧される。その状態に乗じて、財産上の利益を得る。客体が財物から利益に変わっただけで、因果の型は完全に同じです。前回見た2つの要件も、そのまま生きています。1つは、反抗を抑圧するに足りる程度であること。もう1つは、その暴行・脅迫が、財産上の利益の取得に向けられたものであること。この手段性の要件は、今日、あとで大きく効いてきます。典型例で確認しておきましょう。Bが、Aに対して債務の支払を請求したとします。Aが、Bに暴行を加えて反抗を抑圧し、Bに支払の請求をあきらめさせる。これで、Aは「債務を免れる」という財産上の利益を得たことになります。

処分行為の要否——交付罪との対比

被害者の意思表示は要らない 図:被害者の意思表示は要らない

ここで、財産犯を3つの物差しで仕分けた回を思い出してください。強盗罪は、窃盗罪の側と、詐欺罪・恐喝罪の側の、どちらに分けましたか?窃盗罪と同じ、被害者の意思に反して奪う「盗取罪」でした。詐欺罪と恐喝罪は、意思に基づいて渡させる「交付罪」です。この分け方が、2項強盗の一番の難所を解く鍵になります。冒頭の事例を、もう一度使います。Aが、店主Bから現金を借りていました。Aが、返済を免れるためにBを殺してしまったとします。Bが一言も発していないことが、まさに問題です。詐欺罪や恐喝罪では、被害者が自分の意思で財物や利益を差し出す行為が要ります。これを処分行為といいます。

では、2項強盗ではどうでしょうか。Bが殺されてしまえば、Bの意思表示は一切ありません。それでも、2項強盗は成立するのでしょうか。判例は、成立を認めています。

判例最高裁判所判決(昭和32年9月13日・刑集11巻9号2263頁)

最高裁判所判決——債務の支払を免れる目的で反抗抑圧程度の暴行・脅迫を加えた事案 犯人が債務の支払を免れる目的をもつて債権者に対しその反抗を抑圧すべき暴行、脅迫を加え、債権者をして支払の請求をしない旨を表示せしめて支払を免れた場合であると、右の手段により債権者をして事実上支払の請求をすることができない状態に陥らしめて支払を免れた場合であるとを問わず、ひとしく右二三六条二項の不法利得罪を構成するものと解すべきである。

「請求をしない旨を表示させた場合」と「事実上請求できない状態にした場合」を、どちらも区別せず認めています。そこがポイントです。判例は、処分行為を不要としています。詐欺罪や恐喝罪は、被害者の意思に基づく交付を特徴とする犯罪です。だからこそ、処分行為が構成要件の中心にあります。ところが2項強盗罪は、被害者の反抗を抑圧して奪う犯罪です。反抗を抑圧するというのは、そもそも被害者の自由な意思を奪う行為です。反抗を抑圧して奪う犯罪である以上、被害者の任意の処分行為は、最初から予定されていません。最初に思い出した分け方でいえば、2項強盗罪は盗取罪の側です。処分行為が要るのは、交付罪の側だけなんです。だから、処分行為は不要と解されます。

利益移転の具体性・確実性——処罰範囲の限定

相続人と、物的証拠 図:相続人と、物的証拠

ここで、1つ疑問が生まれます。処分行為が不要だとしても、際限なく2項強盗を認めてよいのでしょうか。限定しなければ、借金のある人が貸主を殺した事件は、すべて殺人罪より格段に重い強盗殺人罪になってしまいます。Bに子がいれば、その子から、あらためて支払を請求される可能性が残ります。そこで、処罰範囲を限定するために、利益移転には具体性・確実性が必要と解されています。具体的に、場合分けをしてみましょう。Bに相続人がいない場合は、この借金は誰にも引き継がれません。この場合は、利益移転の具体性・確実性が認められます。

ここでもう1段階、場合分けが要ります。Bとの貸し借りが、借用書も何もない口約束だったとします。Bが死んでしまえば、子はこの借金の存在自体を証明できません。事実上、支払を免れたといえます。この場合も、具体性・確実性は認められます。一方、Bが几帳面な人で、借用書をきちんと作成し、自宅に保管していたとします。子が、その借用書の存在を知っているとします。この場合は、利益移転の具体性・確実性が否定されます。表にすると、この3つの場合分けになります。相続人がいなければ肯定。相続人がいても物的証拠が無ければ肯定。相続人がいて物的証拠もあれば否定です。

飲食店で代金を免れようと店員を殴って逃げた場合も、同じ枠組みで考えます。ふらっと立ち寄っただけの店なら、誰だったか特定されにくく、事実上請求が困難になるからです。

暗証番号を聞き出す行為も、同じ枠組み 図:暗証番号を聞き出す行為も、同じ枠組み

もう1つ、実務でよく出る場面を見ておきましょう。Aが、Bのキャッシュカードを盗んでいたとします。そのカードだけでは、暗証番号が分からず、ATMからお金を引き出せません。そこでAが、Bに反抗抑圧程度の暴行・脅迫を加えて、暗証番号を聞き出したとします。この場合、Aは、あとはATMに行くだけで現金を受け取れる立場を、暴行・脅迫によって確実に手にしています。これも、財産上の利益の取得にあたります。同様の事案で、2項強盗罪の成立を認めた裁判例があります。「事実上、確実に利益を得られる状態を作ったかどうか」という、同じ物差しで測っています。

具体性・確実性が欠けたときの効果——頻出の引っかけ

欠けた場合は、未遂ですらない 図:欠けた場合は、未遂ですらない

ここが、この回で一番間違えやすいところです。先ほどの表で、否定側だった場合を思い出してください。Bが借用書を残していて、子もそれを知っている場合です。Aが、Bに「もう返さなくていい」と言わせるために、反抗抑圧程度の暴行を加えたとします。それでも、2項強盗罪は成立しません。ここで多くの答案が間違えます。未遂にすら、なりません。実は、利益移転の具体性・確実性という論点は、利益取得の結果の話ではありません。暴行・脅迫という、実行行為そのものの評価の話なんです。前回、手段性の要件を見ましたね。暴行・脅迫は、財物、あるいは利益の取得に向けられていなければならない、という要件です。

今日の場面も、それと同じ構造です。いずれ請求される借用書がある以上、Aの暴行は、確実な利益取得に向けられたとは評価できません。つまり、この暴行・脅迫は、そもそも2項強盗罪の実行行為にあたらないんです。「利益移転の具体性・確実性が無いので、未遂にとどまる」という書き方は、誤りです。正しくは、「利益移転の具体性・確実性が無いので、2項強盗罪の実行行為にあたらず、未遂すら成立しない」となります。

2項強盗の未遂

実行行為はあるが、結果が出なかった場合 図:実行行為はあるが、結果が出なかった場合

先ほどの「未遂すら成立しない」場合と、区別してほしい場合があります。Bに相続人がおらず、具体性・確実性が認められる関係にあったとします。Aが、暴行を加えている最中に、第三者に取り押さえられてしまいました。実行行為性は、しっかり認められます。なぜなら、相続人がいない以上、この暴行が最後まで成功すれば、Aは確実に返済を免れられるからです。ただ、現実には利益を取得するに至っていません。この場合は、2項強盗罪の未遂として扱われます。1項強盗の未遂・既遂の型が、そのまま2項にも働きます。まとめると、実行行為性そのものが無ければ不成立。実行行為性はあるが結果が出なければ未遂。実行行為性があり結果も出れば既遂です。

1項詐欺罪との関係——混合包括一罪

先に詐欺、あとから強盗 図:先に詐欺、あとから強盗

最後に、よく出る罪数の場面を見ておきます。Aが、代金を払う気が無いのに、それを隠して料理の提供を受けたとします。財物である料理を、だまして受け取っているからです。そのあとAが、代金請求を免れようと、店員に反抗抑圧程度の暴行を加えたとします。ここで疑問が生まれます。素直に考えれば、1項詐欺罪と、2項強盗罪という、2つの罪が別々に成立し、併合罪になりそうです。2つの行為が同じ流れの中で起きている以上、単純に別々の罪として数えていいかが問題になります。2つの罪は、時間的にも場所的にも接着しています。しかも、詐欺で奪った「料理」と、強盗で免れた「料理の代金債権」は、実質的に同じ利益を指しています。

店が失ったのは、実質的には料理1回分の価値だけです。それを詐欺と強盗で2回数えると、1つの被害を二重に罰することになります。そこで、1つの被害は1回だけ、重い2項強盗罪で評価します。これを、混合包括一罪といいます。判例も、同様の考え方を示しています。

判例最高裁判所決定(昭和61年11月18日・刑集40巻7号523頁)

最高裁判所決定——先行する財物取得行為と、それに続く2項強盗が接着している事案 先行する……取得行為がそれ自体としては、窃盗罪又は詐欺罪のいずれに当たるにせよ、前記事実関係にかんがみ、本件は、その罪と(二項)強盗殺人未遂罪のいわゆる包括一罪として重い後者の刑で処断すべきものと解するのが相当である。

実はこの決定は、財物と財産上の利益の境界を見た回で、覚醒剤の返還を免れようと発砲した事件として見たものです。あの回で深入りしなかった「まとめて1つの罪」が、この考え方です。実質的に同じ利益をめぐる、一連のつながった出来事だからこそ、重い罪の一罪として処断するんです。

今日の地図(保存版)

今日のまとめ 図:今日のまとめ

今日の内容を整理しましょう。236条2項は、1項とまったく同じ、暴行・脅迫から利益取得までの因果連鎖を定めていました。ただ、客体が目に見えない利益になったことで、1項には無い2つの限定原理が必要になりました。1つ目は、処分行為の要否です。反抗を抑圧して奪う犯罪だから、被害者の意思表示は要りません。2つ目は、利益移転の具体性・確実性です。相続人と物的証拠の有無で、利益取得を認めてよいかを判断しました。そして、それが欠けたときは、未遂にとどまるのではなく、未遂すら成立しないんでしたね。ここは、しっかり押さえておいてください。冒頭の問い、覚えていますか。Bに相続人がいて、借用書も残っている場合、Aに強盗罪は成立しないという結論でした。

借金がチャラにならない以上、Aは確実に利益を得たとはいえない、ということですね。

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#135単独ページ動画

事後強盗罪と窃盗の機会

第15章 個人的法益④|財産に対する罪①(総論・窃盗・強盗) ⑪/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

前回の受けから

順序が、逆転します 図:順序が、逆転します

前回までで、236条1項の強盗罪、2項の強盗罪が終わりました。どちらも、暴行・脅迫があって、反抗が抑圧されて、それから財物や利益を得る、という順番でした。1つ、考えてみてください。窃盗犯が、盗んだ物を持って逃げている途中で、追いかけてきた人を殴ったとします。実は、暴行罪でも強盗罪でもありません。第3の答えがあります。以前、強盗罪①の回で、こう予告していました。「取り返されないための暴行なら、事後強盗という別の罪になります」。今日、その中身に入ります。今日の犯罪は、これまでの強盗と、順序がまるごと逆転しています。順序が逆になると、処罰の範囲が広がりすぎるおそれがあります。そこで238条には、誰が、いつまで、何のために、という3つの歯止めがかかっています。

238条の全文カードと主体

窃盗が、暴行又は脅迫をしたときは、強盗として論ずる 図:窃盗が、暴行又は脅迫をしたときは、強盗として論ずる

まず、条文です。

条文刑法238条

刑法238条(事後強盗) 窃盗が、財物を得てこれを取り返されることを防ぎ、逮捕を免れ、又は罪跡を隠滅するために、暴行又は脅迫をしたときは、強盗として論ずる。

条文の「罪跡」は、犯行の痕跡のことです。238条自体には、法定刑が書かれていません。この規定は、要件を満たしたときに、236条の強盗罪と同じ法定刑を適用する、という効果を定めているんです。条文の主語を見てください。「窃盗が」となっています。窃盗罪の実行に着手した者を指します。ここで大事なのは、窃盗が既遂でも未遂でも構わない、ということです。ただし、ここに落とし穴があります。窃盗が未遂にとどまっていた場合、そのあとどれほど巧みに暴行を加えて逃げおおせたとしても、事後強盗罪自体は未遂にとどまります。

事後強盗罪の既遂・未遂は、暴行・脅迫の結果ではなく、窃盗の既遂・未遂によって決まるんです。強盗罪の既遂は、財物を取ったかどうかで決まりました。本罪も強盗として扱う以上、財物を取れたか、つまり窃盗が既遂かどうかで測るわけです。例えば、窃盗が既遂に達した犯人が、逮捕を免れる目的で暴行したものの、結局逮捕されてしまったとします。この場合でも、窃盗が既遂である以上、事後強盗罪は既遂です。

事後強盗罪の意義

なぜ、強盗として重く扱うのか 図:なぜ、強盗として重く扱うのか

本罪の暴行・脅迫は、財物の奪取そのものに向けられていません。財物は、もう手に入れたあとだからです。この点だけを見れば、事後強盗罪は、本来「強盗罪の一種」とは言いにくい犯罪です。冒頭の、追いかけてきた人を殴る場面のように、窃盗犯人が現場を離れる際には、暴行・脅迫を加えることが多い、という実態があります。この実態に着目して、人身の保護を図るために、あえて「強盗として論ずる」という重い扱いにした、と解するのが多数説です。だからこそ、これから見る要件は、処罰範囲を無限に広げないための歯止めとして働きます。

行為——程度と相手方

反抗を抑圧するに足りる程度・相手方は被害者に限らない 図:反抗を抑圧するに足りる程度・相手方は被害者に限らない

次に、暴行・脅迫の中身を見ます。本罪も、強盗として処理される以上、暴行・脅迫は、相手方の反抗を抑圧するに足りる程度であることを要します。236条と同じ物差しを、そのまま使います。もう1つ、相手方の範囲も見ておきましょう。被害者に限りません。本罪の目的、たとえば逮捕を免れる目的を遂げるのに、障害となりうる者であれば足ります。ですから、窃盗の被害者本人だけでなく、犯人を追いかけてきた通行人や、駆けつけた警察官も含まれます。

窃盗の機会の継続中——本罪最重要の要件

容易に発見・取り返され・逮捕され得る状況か 図:容易に発見・取り返され・逮捕され得る状況か

ここから、本罪でいちばん難しく、そして、いちばん試験でよく問われる要件に入ります。窃盗と暴行・脅迫を、ひとまとまりの強盗として扱う以上、暴行・脅迫は「窃盗の機会の継続中」に行われたことを要します。窃盗が終わったあと、いつまで「事後強盗になりうる状態」が続くか、という時間的な枠のことです。だから、この要件は、処罰範囲を区切る、いちばん重要な歯止めなんです。判例は、次の物差しで判断しています。窃盗犯人が「被害者等から容易に発見されて、財物を取り返され、あるいは逮捕され得る状況」であったかどうか。なぜこの物差しなのか。さきほど、本罪を重く扱う理由は、窃盗犯人が取り返しや逮捕から逃れようとして、暴行・脅迫に出やすいという実態でした。そうだとすれば、その危険が続いているのは、まだ見つかって、取り返されたり捕まったりしうる間だけです。だから、その状況が続いているかどうかで、機会の終わりを決めるわけです。

ただ、この物差しを測るための手がかりが、2つあります。1つは、窃盗行為と暴行・脅迫との間の、時間的・場所的な接着性、つまり近さ。もう一方は、被害者側による追跡の有無です。ここが、多くの人が誤解するところです。「時間が経てば機会は終わる」「距離が離れれば機会は終わる」と、単純に考えてしまいがちです。ですが、実際の判例を見ると、時間の長さと結論が、一見逆に見える組み合わせが出てきます。

あてはめ①肯定事例

天井裏に潜み続けた、3時間後の暴行 図:天井裏に潜み続けた、3時間後の暴行

1つ目の事例です。Aが、被害者宅で指輪を盗んで、そのまま天井裏に潜んでいました。約3時間後、駆けつけた警察官に発見され、逮捕を免れようとして、Aは暴行を加えました。実際には、事後強盗罪が認められました。裁判所は、こう述べています。

判例最高裁判所決定(平成14年2月14日・刑集56巻2号86頁)

最高裁判所決定——被害者宅で窃取後、犯行現場の天井裏に潜んでいた事案 被告人は、上記窃盗の犯行後も、犯行現場の直近の場所にとどまり、被害者等から容易に発見されて、財物を取り返され、あるいは逮捕され得る状況が継続していたのであるから、上記暴行は、窃盗の機会の継続中に行われたものというべきである。

ポイントは、時間の長さではなく、被告人が犯行現場の直近の場所にとどまり続けていた、という点です。現場から動かず、いつでも見つかりうる状態を保っていたので、場所的な接着性が非常に強かったんです。

あてはめ②否定事例

1km離れ、追跡もされなかった脅迫 図:1km離れ、追跡もされなかった脅迫

2つ目の事例です。Bが、被害者宅で財布などを盗んだあと、誰にも発見・追跡されることなく、約1km離れた場所まで移動しました。ところが、盗んだ現金が思ったより少なかったので、もう一度盗もうと、被害者宅に戻りました。見つかったBは、逮捕を免れるために脅迫しました。ですが、この事案では、事後強盗罪が否定されました。

判例最高裁判所判決(平成16年12月10日・刑集58巻9号1047頁)

最高裁判所判決——財布等を窃取後、追跡なく1km離れた場所まで移動した事案 被告人は、財布等を窃取した後、だれからも発見、追跡されることなく、いったん犯行現場を離れ、ある程度の時間を過ごしており、この間に、被告人が被害者等から容易に発見されて、財物を取り返され、あるいは逮捕され得る状況はなくなったものというべきである。そうすると、被告人が、その後に、再度窃盗をする目的で犯行現場に戻ったとしても、その際に行われた上記脅迫が、窃盗の機会の継続中に行われたものということはできない。

ここが、単純に「時間の長さ」で考えると混乱するところです。決め手は、誰にも追われずに、いったんその場を離れた、という点です。追跡が無かったことで、被告人はいったん安全圏に入ってしまいました。その時点で、窃盗の機会はいったん終了しています。あとから自分の意思で現場に戻ったとしても、終わった機会が生き返るわけではありません。

判断枠組みの補足——3km事例

1km・追跡なしと3km・追跡継続を比較する 図:1km・追跡なしと3km・追跡継続を比較する

2つの事例を比べてみましょう。窃盗の犯行現場から1km離れた場所まで、誰にも追われず移動した場合と、3km離れた場所まで、ずっと追いかけられながら移動した場合。どちらが「窃盗の機会」を抜け出しやすいでしょうか。距離が近い方でしょうか、それとも。距離が離れていても、追跡が続いていれば、機会はまだ続きます。被害者や警察官から追いかけられて、走って逃げていた窃盗犯人が、現場から3km離れた場所で、ついに追ってきた人を殴ったとします。それでも、追跡が継続していた以上、なお「容易に発見・逮捕され得る状況」は続いていたといえます。だから、この暴行も、窃盗の機会の継続中になされたものといえます。

距離ではなく、追跡の有無で決まる 図:距離ではなく、追跡の有無で決まる

この3つを並べると、決め手が見えてきます。時間や距離の長さそのものではなく、「まだ捕まりうる状況にあるか」という1本の物差しで測っているんです。

目的犯としての構造

3つの目的、達成は不要 図:3つの目的、達成は不要

もう1つ、限定原理があります。以前、目的犯という言葉を学んだとき、238条、事後強盗罪も同じ構造を持っている、とだけお伝えしていました。目的犯とは、どんな犯罪だったか、思い出せますか?目的犯というのは、故意だけでなく、もう1つ、条文が求める目的が無いと成立しない犯罪でしたね。238条の条文をもう一度見てください。「取り返されることを防ぎ、逮捕を免れ、又は罪跡を隠滅するために」とあります。この3つの目的、①取り返されるのを防ぐ目的、②逮捕を免れる目的、③罪跡、つまり犯行の痕跡を隠滅する目的のうち、いずれかが無ければ、本罪は成立しません。

そして、ここが目的犯のポイントですが、これらの目的を、現実に達成することは要りません。例えば、窃盗既遂犯が、逮捕を免れる目的で暴行・脅迫を加えたけれど、結局、逮捕されてしまったとします。それでも、本罪の構成要件はすべて満たしているので、本罪は既遂です。目的を達成できたかどうかは、成立に関係ありません。

居直り強盗との区別

同じ暴行でも、目的が違えば罪が変わる 図:同じ暴行でも、目的が違えば罪が変わる

この目的の話には、もう1段、区別すべき場面があります。窃盗犯人が、被害者に発見されたとします。ここで、犯人が何を目的に暴行・脅迫を加えるかで、成立する罪が変わります。3つの目的のいずれかに向いていれば、事後強盗罪が成立します。ですが、犯人が、これらの目的以外の目的、たとえば、新たに別の財物を奪ってやろうという目的で、暴行・脅迫を加えたとします。この場合は、事後強盗罪は成立せず、単に、236条1項の強盗罪として扱われます。これを、居直り強盗といいます。例えば、家で現金を盗んだ犯人が、家の人に見つかり、逃げるどころか包丁を突きつけて「金庫も開けろ」と脅した場面です。

居直り強盗は、事後強盗の一種じゃないんですか。そこが誤解しやすいところです。居直り強盗は、事後強盗ではありません。窃盗犯人が、開き直って、あらためて236条1項の強盗を行った、という扱いです。「窃盗犯人による暴行・脅迫」という、外から見た客観的な行為は同じでも、その暴行が何を目的としているかによって、当てはめる条文が変わるんです。

居直り強盗と窃盗罪の関係——混合包括一罪

1つの被害は、重い方の罪で1回だけ 図:1つの被害は、重い方の罪で1回だけ

居直り強盗について、もう1つ、罪数の処理を見ておきます。以前、1つの被害を二重に数えない、という考え方を見ましたね。今日の居直り強盗も、これと同じ構造があります。居直り強盗が既遂に達した場合、それより前に成立していたはずの窃盗罪と、あとから成立する強盗罪の関係が問題になります。さっきの例で、金庫の現金まで奪い取った場合です。先に盗んだ現金の窃盗と、金庫の現金の強盗を、どう数えるか、です。別々の2つの罪として、併合罪にはならないんですか。なりません。窃盗罪と強盗罪は、被害者ないし保護法益が実質的に同一であり、時間的・場所的にも接着しています。ですから、強盗罪の混合包括一罪として扱うのが、裁判例・通説です。罪数のところで見たとおり、窃盗罪と強盗罪という、種類の違う罪がまとまるので、「混合」と呼ぶのでしたね。1つの被害は、重い方の強盗罪で、1回だけ評価するわけです。

家の人に逃げられて、金庫の現金は取れなかった場合、つまり居直り強盗が未遂にとどまった場合はどうなるんですか。そこは、場合分けが要ります。さっきの、家で現金を盗んだ犯人が、家の人に見つかった場面で考えましょう。もし、犯人が「金庫の中身も奪ってやろう」という目的だけで殴りかかったなら、238条の目的、つまり取り返しを防ぐ・逮捕を免れる・罪跡を隠滅する、のどれにも当たりません。さっき見た限定原理のとおり、この目的が無ければ、事後強盗罪自体が成立しないんです。犯人が、金庫の中身を奪う目的と併せて、逃げおおせるために殴った、というように、238条の目的も同時に持っていた場合です。金庫の現金を奪う目的と、逮捕を免れる目的が、1つの暴行に重なっているケースですね。

このときには、238条の目的が含まれている以上、暴行・脅迫の相手方・程度・機会の継続中といった要件も満たせば、事後強盗罪の要件はすべて満たされます。そして、ここで、さっき確認した、既遂・未遂の決まり方を思い出してください。事後強盗罪の既遂・未遂は、暴行・脅迫の結果ではなく、窃盗の既遂・未遂で決まる、という話でした。最初の現金は、もう盗み終わっています。窃盗はすでに既遂ですから、金庫を奪う暴行が不発に終わっても、事後強盗罪は既遂です。その強盗未遂は、既遂となる事後強盗罪のなかに吸収されます。1つの暴行・脅迫から生じた強盗未遂と事後強盗を、別々に2つ数えるのではなく、事後強盗既遂として一括して評価する、というのが裁判例の扱いです。

今日の地図(保存版)

今日のまとめ 図:今日のまとめ

今日の内容を整理しましょう。事後強盗罪は、財物の取得が先、暴行・脅迫があとという、順序が逆転した強盗類型でした。順序が逆になったせいで、3つの歯止めが必要になったんでしたね。1つ目は、主体の限定。窃盗の実行に着手した者だけが主体になれます。2つ目は、時間の限定。窃盗の機会の継続中でなければなりません。3つ目は、目的の限定。取り返しを防ぐ・逮捕を免れる・罪跡を隠滅する、のいずれかの目的が要ります。この目的が新たな財物の奪取に向けば、事後強盗ではなく、居直り強盗になります。冒頭の問い、覚えています。窃盗犯が、逃げる途中で追いかけてきた人を殴った場合、暴行罪でも強盗罪でもなく、第3の答え、事後強盗罪だったんですね。3つの歯止めを、すべて満たしたときに、その暴行は事後強盗として扱われます。

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#136単独ページ動画

事後強盗の共犯と昏酔強盗

第15章 個人的法益④|財産に対する罪①(総論・窃盗・強盗) ⑫/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

前回の受けから・設例

窃盗をしていない人に、なぜ強盗の罪が 図:窃盗をしていない人に、なぜ強盗の罪が

前回、事後強盗罪の骨組みを見ました。主体の限定、時間の限定、目的の限定という、3つの歯止めでしたね。今日は、その骨組みを前提に、ある設例から始めます。窃盗犯人Aが、財物を得て逃げている途中、偶然出会った友人Bに事情を話しました。Bは、追いかけてきた被害者に、Aと一緒に暴行を加えました。Aに事後強盗罪が成立するのは当然です。問題は、暴行にだけ関わったBです。窃盗をしていない人がなぜ強盗の罪を負いうるのか、これが今日の入口です。この問題は、事後強盗罪という犯罪の正体をどう見るかによって、結論が大きく変わってきます。

結合犯説

窃盗罪と暴行罪・脅迫罪がくっついた犯罪、と見る 図:窃盗罪と暴行罪・脅迫罪がくっついた犯罪、と見る

以前、共犯のところで、途中から犯罪に加わった人が、加わる前の部分まで背負うか、という話をしたのを覚えていますか?後から来た人が、先に起きた出来事を、自分の犯罪をやり遂げる道具として使ったといえるかどうかで決まる、という枠組みでした。まず考えられるのが、事後強盗罪を、窃盗罪と暴行罪・脅迫罪がくっついた犯罪、つまり236条の強盗罪と同じ結合犯だと見る立場です。この立場では、Bの罪責は、まさにさっき思い出してもらった承継的共同正犯の問題として処理されます。後行者が、先行者の行為及びこれによって生じた結果を、自己の犯罪遂行の手段として積極的に利用する意思のもと、現にこれを利用したかどうか、という枠組みです。

多くの場合、Bは、Aが得た財物を守り、Aとともに逃げるために暴行に加わっていますから、積極的利用が認められ、事後強盗罪の共犯が肯定されやすくなります。ただ、この結合犯説には、見過ごせない難点があります。事後強盗罪を、窃盗罪と暴行罪・脅迫罪の結合犯だと考えると、窃盗の段階から、すでに事後強盗罪という1つの犯罪の実行に入っている、という理屈になりかねません。236条の強盗罪では、暴行や脅迫に及んだ時点で、すでに未遂犯が成立する扱いでしたね。同じ理屈を結合犯にも当てはめると、事後強盗の目的をもって窃盗に着手した段階で、もう事後強盗罪の未遂犯が成立しかねません。

たとえばAが、見つかったら殴ってでも逃げるつもりで、店の棚の財布に手を伸ばした瞬間です。外から見れば、まだ誰にも手を上げていない、ただの窃盗の着手です。それなのに、心の中の目的だけで、強盗の未遂という重い評価が前倒しされてしまいます。これが、結合犯説の難点です。

身分犯説への転換

窃盗犯人という身分を持つ者だけが正犯になれる犯罪、と見る 図:窃盗犯人という身分を持つ者だけが正犯になれる犯罪、と見る

この難点を避けるために、事後強盗罪を、結合犯ではなく、身分犯だと見る立場が有力です。窃盗犯人であることを、事後強盗罪という犯罪を実現できる特別な地位、つまり身分だと見る立場です。この立場に立つと、窃盗という行為そのものは事後強盗罪を構成する要素ではなく、その罪を犯しうる資格を得るための行為にすぎない、と位置づけられます。窃盗の段階で事後強盗罪の未遂が生じるという、結合犯説の難点を避けられます。そして、身分の無いBがどう扱われるかは、以前学んだ、共犯と身分の問題として処理することになります。65条の話です。

ただ、身分犯説に転換しても、これで答えが1つに決まるわけではありません。ここに、もう1段、対立があります。事後強盗罪を身分犯だと考えたとき、この身分は、罪そのものを作る身分でしょうか、それとも、刑の重さだけを動かす身分でしょうか。使われるのは1項か、それとも2項でしょうか。少し考えてみてください。

不真正身分犯説と真正身分犯説

罪を作る身分(1項)か、刑を動かす身分(2項)か 図:罪を作る身分(1項)か、刑を動かす身分(2項)か

条文刑法65条

刑法65条 1項「犯人の身分によって構成すべき犯罪行為に加功したときは、身分のない者であっても、共犯とする。」 2項「身分によって特に刑の軽重があるときは、身分のない者には通常の刑を科する。」

まず、事後強盗罪の中身は暴行罪・脅迫罪であって、それを窃盗犯人という身分のある者が犯したときに刑が重くなる類型にすぎない、と見る立場があります。不真正身分犯説です。この立場では、65条2項が適用されます。共犯と身分の回で見たとおり、判例・通説は、2項が不真正身分犯の成立と科刑をまとめて定めていると読みます。ですから、Bに成立するのは、最初から暴行罪・脅迫罪にとどまります。保護している中身のずれ、これがこの立場に対する批判です。加重類型というのは、同じ罪の重い版のことです。以前見た保護責任者遺棄罪は、単純遺棄罪の重い版でした。どちらも人を見捨てる罪で、守っている中身は同じです。ところが、暴行罪・脅迫罪は非財産犯、事後強盗罪は財産犯で、守っている中身がそもそも違います。重い版・軽い版という関係を見出すのは無理がある、という批判です。そこで、暴行罪・脅迫罪と事後強盗罪は罪質が異なる以上、事後強盗罪は、窃盗犯人にしか実現し得ない、独立した罪だと見るのが妥当だとする立場が出てきます。真正身分犯説です。

65条1項により、暴行・脅迫から関与しただけのBにも、事後強盗罪の共犯が成立します。これも以前見たとおり、判例・多数説は、1項の「共犯」に共同正犯も入ると考えますから、Aと一緒に暴行したBは、共同正犯になります。事後強盗罪をどの立場で捉えるかについては、実は最高裁判例がありません。ここが、今日いちばん注意してほしいところです。最高裁による決着はなく、学説の対立が続いています。判例があると思い込みやすいところです。ただ、65条1項・2項の一般論そのものは、以前確立した判例で決着していましたが、事後強盗罪をどちらに位置づけるかは、また別の話です。判例が確立している場面と、最高裁の決着がないまま学説の議論が続いている場面を、混同しないようにしてください。

3説の対比——Bの罪責はどう変わるか 図:3説の対比——Bの罪責はどう変わるか

ここで、3つの見解を対比しておきましょう。結合犯説では、Bの罪責は承継的共同正犯の問題として処理されます。不真正身分犯説では、Bには暴行罪・脅迫罪の共犯が成立するにとどまります。真正身分犯説では、Bにも事後強盗罪の共犯が成立します。窃盗をしていないBに、なぜ強盗の罪が成立しうるのか、という冒頭の違和感は、この理論対立そのものが答えなんです。窃盗犯人という地位を、どう法的に評価するかで、答えが変わります。

本罪の未遂

決め手は暴行の結果ではなく、窃盗の既遂・未遂 図:決め手は暴行の結果ではなく、窃盗の既遂・未遂

結合犯説の難点は、本罪の未遂がいつ始まるか、という問題でした。ここからは、本罪そのものの未遂・予備を見ます。まず未遂です。本罪の未遂も罰します。今日は、そのルールを、判例で裏づけます。

判例最高裁判所判決(昭和24年7月9日・刑集3巻8号1188頁)

最高裁判所判決——窃盗未遂による準強盗の擬律 窃盗未遂犯人による準強盗行為の場合は、準強盗の未遂を以つて問擬すべきものであることは当然であるにかゝわらず、原審はその擬律において刑法第二三八条同第二三六条を適用し、以つて準強盗の既遂をもつて問擬したのは違法である。

判決文の「準強盗」は、ここでは238条の事後強盗のことです。「擬律」「問擬」は、どの条文を当てはめて何罪として扱うか、という意味です。原審は、238条と236条を当てはめて既遂だと扱い、裁判所はこれを違法だと判断しました。決め手は、前回見たとおりです。強盗罪の既遂は、財物を取ったかどうかで決まりました。本罪も強盗として扱う以上、財物を取れたか、つまり窃盗が既遂かどうかで測ります。具体例で確認しましょう。窃盗既遂犯が、逮捕を免れる目的で暴行・脅迫をすれば、本罪は既遂です。反対に、窃盗未遂犯が、同じ目的で暴行・脅迫をすれば、本罪は未遂にとどまります。

本罪の目的、逮捕を免れる、取り返されるのを防ぐ、罪跡を隠滅する、これらが達成できたかどうかは、本罪の既遂・未遂とは無関係です。窃盗の既遂・未遂だけが、この結論を決めます。

本罪の予備

「強盗の目的」に、事後強盗の目的を含むか 図:「強盗の目的」に、事後強盗の目的を含むか

条文刑法237条

刑法237条(強盗予備) 強盗の罪を犯す目的で、その予備をした者は、二年以下の拘禁刑に処する。

次に、本罪の予備罪が成立するかを見ます。237条は、強盗の罪を犯す目的で予備をした者を処罰しています。たとえば、空き巣に入る前に、見つかったら脅して逃げるつもりで、刃物を用意しておく、という場面です。237条の「強盗」に事後強盗が含まれるかには、争いがあります。237条が先に置かれ、238条が後に置かれている、という条文の並び順に着目して、237条が言う「強盗」は236条の強盗だけを指し、事後強盗はそこに含まれない、とする否定説があります。条文の並び順から読む見解です。しかし、238条は「強盗として論ずる」と定めています。この条文自体が、事後強盗を強盗の一種として扱うと宣言している以上、237条にいう「強盗」にも、事後強盗を含むと読むほうが素直です。判例も、この立場を採っています。

判例最高裁判所決定(昭和54年11月19日・刑集33巻7号710頁)

最高裁判所決定——事後強盗を目的とする予備罪の成否 刑法二三七条にいう「強盗ノ目的」には、同法二三八条に規定する準強盗を目的とする場合を含むと解すべきであつて、これと同旨の原判断は正当である。

237条の「強盗ノ目的」には、238条の事後強盗を目的とする場合も含まれる、という判断です。条文の並び順だけでは、事後強盗を予備罪の対象から外す理由にはならない、ということですね。

昏酔強盗239条

昏酔させて盗む、もう1つの強盗 図:昏酔させて盗む、もう1つの強盗

ここまでは、238条の事後強盗でした。第15章の最後に、238条とは別の理由で強盗として扱われる、もう1つの類型を見ておきます。239条、昏酔強盗です。

条文刑法239条

刑法239条(昏酔強盗) 人を昏酔させてその財物を盗取した者は、強盗として論ずる。

睡眠薬や麻酔薬、アルコールなどの作用によって、正常な意識のはたらきが、一時的にせよ長く続くにせよ、乱された状態にすることをいいます。眠り込ませる場合も、意識がぼんやりする場合も、どちらも含まれます。酔って寝ている人から盗む場面は、初学者がいちばん誤解しやすいところです。239条が要求しているのは、犯人が被害者を昏酔状態に「させ」たこと、つまり、犯人自身がその状態を作り出す行為です。

「昏酔させて」と「昏酔に乗じて」の区別 図:「昏酔させて」と「昏酔に乗じて」の区別

すでに被害者が、自分でお酒を飲んで眠ってしまっていた、という状態を、犯人がたまたま見つけて、財布だけ盗んでいった場合は、犯人は昏酔させていません。この場合、本罪は成立しません。犯人が薬を飲ませて眠らせた、というように、犯人自身が昏酔という状態を作出した場合にだけ、239条が適用されます。

昏酔強盗の未遂・予備

238条と同じ扱い 図:238条と同じ扱い

最後に、昏酔強盗の未遂・予備を確認します。本罪の未遂も罰します。たとえば、薬で眠らせたけれど、財布を取る前に家族が帰ってきた、という場合は、財物を取れていないので未遂です。予備についても、さっき見たのと同じ争いがあります。ただ、239条も「強盗として論ずる」と定めている点は238条と共通していますから、事後強盗と並行して考えれば、本罪についても予備罪の成立を認めるほうが筋が通ります。

今日の地図(保存版)

今日のまとめ 図:今日のまとめ

今日の内容を整理します。暴行・脅迫にのみ関与した者の罪責は、事後強盗罪の正体をどう見るかで決まります。結合犯説なら承継的共同正犯の問題、身分犯説に立つなら、不真正身分犯説で暴行罪等にとどまるか、真正身分犯説で事後強盗の共犯が成立するかが分かれます。本罪の未遂は、窃盗の既遂・未遂で決まる。これは、さっき見た判例で裏づけられていました。本罪の予備も、237条の「強盗」に事後強盗を含む、というのが判例の立場でした。そして239条、昏酔強盗は、犯人が昏酔状態を作り出したことを要する、という点が核心でした。

冒頭の設例、窃盗をしていないBの罪責も、この理論対立を通して答えが出せるようになりました。

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#137単独ページ動画

強盗致死傷罪と死傷の原因

第15章 個人的法益④|財産に対する罪①(総論・窃盗・強盗) ⑬/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

240条の重さと主体の入口

殺人罪より重い?——240条の法定刑 図:殺人罪より重い?——240条の法定刑

前回、事後強盗罪と昏酔強盗を見ました。今日は、強盗罪の中でも法定刑がもっとも重い、240条に入ります。今日はその先、強盗致死傷罪です。まず、この条文の重さを見てください。人を負傷させれば無期又は6年以上、死亡させれば死刑又は無期です。しかも、負傷させただけの場合でも下限は6年です。殺人罪の下限は5年ですから、負傷にとどまる240条前段のほうが、殺人罪よりも重い下限を持っていることになります。財物を奪う罪のはずなのに、なぜここまで重いんですか。そこが、今日1本通す軸です。この240条がここまで重いのは、強盗という財産犯罪の過程で、財産よりも重い法益である生命・身体が侵害される、という事態そのものを重く見ているからです。この視座が、今日扱う3つの論点、主体・故意ある場合を含むか・死傷の原因、すべてを貫きます。

条文刑法240条

刑法240条(強盗致死傷) 強盗が、人を負傷させたときは無期又は六年以上の拘禁刑に処し、死亡させたときは死刑又は無期拘禁刑に処する。

まず、この「強盗が」の中身、主体から見ていきましょう。

主体——既遂・未遂を問わない

236条・238条・239条、すべてが240条の「強盗」 図:236条・238条・239条、すべてが240条の「強盗」

240条にいう「強盗」とは、強盗の実行に着手した者を意味します。財物を取れたかどうか、つまり既遂か未遂かは問いません。財物を奪えていない未遂犯でも、240条の主体になれるんですか。なれます。240条が見ているのは、財物の行方ではなく、強盗の実行に着手した者が人を死傷させたという事実そのものだからです。判例で確認しましょう。

判例最高裁判所判決(昭和23年6月12日・刑集2巻7号676頁)

最高裁判所判決——強盗の実行行為中の傷害と既遂 強盗に着手した者がその実行行為中被害者に暴行を加へて傷害の結果を生ぜしめた以上財物の奪取未遂の場合でも強盗傷人罪の既遂をもつて論ずべきである。

強盗の実行行為中に傷害の結果を生じさせた以上、財物を取れたかどうかとは関係なく、240条は既遂として成立します。そして、この「強盗」には、実は236条の強盗だけでなく、238条の事後強盗、239条の昏酔強盗も含まれます。前回・前々回、238条も239条も「強盗として論ずる」と定めていることを確認しましたね。この言い回しが、ここでもう一度効いてきます。たとえば、窃盗犯人が財物を得て逃げる際、追ってきた人を刃物で刺して負傷させれば、238条を通じて240条が成立します。事後強盗の主体もまた、240条の「強盗」に含まれるからです。

故意ある場合を含むか

最初から殺すつもりだったら? 図:最初から殺すつもりだったら?

2つ目の論点、故意ある場合を含むかに進みます。240条は、被害者に傷害・死亡という結果が生じ、かつ犯人にその結果についての故意がない場合、つまり結果的加重犯として成立するのは当然です。問題は、犯人に最初から傷害・殺人の故意がある場合、つまり財物を奪うために最初から被害者を殺すつもりで強盗を実行した場合にも、240条が成立するのかです。240条は結果的加重犯だと習ったのに、最初から殺すつもりだったなら、それは故意犯であって、結果的加重犯とは違う気がします。矛盾していませんか。ここが超頻出の論点です。

旧判例——本罪は純粋な結果的加重犯 図:旧判例——本罪は純粋な結果的加重犯

かつては、240条を純粋な結果的加重犯の規定と解し、故意ある場合を含まないとする判例がありました。この見解では、240条が評価するのは故意のない死傷の結果までで、殺意の部分までは評価しきれない、と考えます。そのため、故意ある場合には、この240条に加えて、傷害罪・殺人罪も成立し、本罪と傷害罪・殺人罪との観念的競合として処理されます。ただ、この見解には批判があります。死傷の結果を二重に評価することになってしまいます。死亡という1つの結果を、強盗致死罪と殺人罪の両方で評価してしまう、という意味です。

現在の判例・通説——故意ある場合も含む 図:現在の判例・通説——故意ある場合も含む

そこで、現在の判例・通説は、故意ある場合も240条に含むと解します。理由は2つです。1つ目は、強盗の現場では、抵抗や追跡がからむので、人が死んだりけがをしたりすることが実際に多いということです。240条は、その現実に目をつけて、強盗の場面での死傷を特に重く扱う規定なのです。殺意をもって強盗に及ぶ場合こそ、強盗の機会に死傷結果が生じる典型的な場面のはずです。そうであるにもかかわらず、240条がその典型的な事態を排除していると読むのは不自然です。2つ目の理由は文言です。結果的加重犯には、たとえば傷害致死罪205条のように「よって」という文言が使われるのが通常ですが、240条にはこの文言がありません。

「よって」が無いということは、故意による場合を排除する趣旨ではない、ということです。この2つの理由から、傷害・殺人の故意がある場合も、240条一罪に含まれると解するのが、大正時代の大審院の判例以来の立場、そして通説です。

240条は4つの類型を規定している 図:240条は4つの類型を規定している

整理すると、240条は4つの類型を規定した条文だということになります。故意なしで傷害結果なら強盗致傷、故意なしで死亡結果なら強盗致死、故意ありで傷害結果なら強盗傷害、故意ありで死亡結果なら強盗殺人です。そして、いずれの類型でも、成立するのは240条一罪です。

死傷の原因——手段説と機会説

暴行・脅迫が直接の原因でなくても、本罪は成立するか 図:暴行・脅迫が直接の原因でなくても、本罪は成立するか

3つ目の論点、死傷の原因に入ります。強盗のために振るった暴行・脅迫そのものから、けがや死亡が直接生まれた場合に240条が成立するのは、当然です。たとえば、強盗の被害者が現場から逃げ出した先で、たまたま通りかかった車にはねられて死亡した場合です。犯人が振るった暴行・脅迫そのものが、直接の死因ではありません。この場合にも240条は成立するのでしょうか。

手段説——暴行・脅迫が直接の原因である場合に限る 図:手段説——暴行・脅迫が直接の原因である場合に限る

まず、けがや死亡が、強盗のために振るった暴行・脅迫そのものから生まれた場合に限る、とする見解があります。手段説です。なお、強盗罪の回で見た「手段性」は、暴行・脅迫が財物を奪う手段でなければならない、という強盗罪の要件でした。手段説は、死傷の結果がどこから生じたかを問う240条の見解で、別の論点です。そのうえで、この見解には有力な批判があります。240条にいう「強盗」は、事後強盗を含みます。ところが、事後強盗の暴行・脅迫は、逮捕を免れる、あるいは財物を取り返されるのを防ぐ、といった目的でなされるもので、財物奪取そのものの手段ではありません。

窃盗犯人が、逃げる際に追跡者に暴行を加えて死傷させれば、238条を通じて、この240条が成立します。ところが、236条の強盗犯人が全く同じ行為、つまり追跡者に暴行を加えて死傷させた場合、その暴行が財物奪取の「手段」ではないという理由だけで、この240条が及ばないとしたら、どう感じますか。少し考えてみてください。これが手段説に対する批判です。「強盗の手段」という線引きにこだわると、かえって不均衡な結論を招いてしまいます。

機会説——強盗の機会に生じた行為であれば足りる 図:機会説——強盗の機会に生じた行為であれば足りる

そこで、判例・通説が採るのが機会説です。けがや死亡は、強盗のために振るった暴行・脅迫そのものから生まれたものでなくてもよく、強盗に着手した後、その強盗の場面で行われた行為から生じたものであれば足りる、とする見解です。理由は、さっきの故意ある場合の話と同じですか。同じ理由です。さっき話したとおり、強盗の現場は死傷が起きやすいから、条文がその場面を重く見ているんでしたね。だからこそ、暴行・脅迫そのものが直接の原因でなくても、強盗の機会に生じた死傷なら本罪に含める、と考えるわけです。

判例最高裁判所判決(昭和24年5月28日・刑集3巻6号873頁)

最高裁判所判決——強盗殺人罪の機会 刑法第二四〇条後段の強盗殺人罪は強盗犯人が強盗をなす機会において他人を殺害することによりて成立する罪である。(中略)強盗行為が終了して別の機会に被害者両名を殺害したものではなく、本件強盗の機会に殺害したことは明である。

強盗行為が終了して別の機会に殺害したのではなく、まさに強盗の機会に殺害したと判断されています。ただし、注意が必要です。機会説といっても、強盗行為を契機として生じた死傷のすべてを含む、という趣旨ではありません。けがや死亡が、強盗の行為と切り離せないほど深く結びついた行為から生じた場合であることが必要です。具体的には、時間や場所が近いか、強盗をする意図がまだ続いているか、そして被害者が同じかどうか、という3つの点を見て判断します。機会説の理由は、強盗の場面では死傷が起きやすい、という点でした。強盗と切り離された別の動機や、別の決意による死傷には、その理由が当てはまりません。だから、強盗行為と密接に関連する行為から生じた死傷に限るわけです。つまり、大きな基準は「強盗の行為と密接に結びついているか」の1つで、この3つの手がかりは、それを確かめるための材料です。目安としては、財物を奪う場面、取り返されないよう確保する場面、逃げる場面、そのどこかで邪魔になった人に向けられた行為かどうかで見ます。

ただ、あちらが測ったのは、窃盗犯人がまだ見つかって、取り返されたり捕まったりしうる状況が続いているか、でした。こちらは、死傷が強盗と密接に結びつくかを測ります。測るものが違うので、手がかりも違います。

あてはめ——肯定される例と否定される例

具体例で、密接な関連性を確認する 図:具体例で、密接な関連性を確認する

判例最高裁判所判決(昭和25年12月14日・刑集4巻12号2548頁)

最高裁判所判決——強盗殺人罪と機会(母親と幼児2人) 強盗殺人罪は、必ずしも殺人を強盗の手段に利用することを要するものではなく、強盗の機会に人を殺害するを以て足りるものであつて本件においては少くとも強盗の機会にE、Fの両名をも殺害したこと明らかである

具体例で、密接な関連性を確認していきましょう。1つ目は、お金や品物を奪う目的で母親を手にかけたうえ、そばで眠っていた幼児2人までも手にかけた事案です。母親を襲った現場で、続けて幼児2人も手にかけていますから、密接な関連性が認められ、機会説の下で240条が成立します。判決は、3人の抵抗を排除する手段として殺害したと読んだうえで、仮にそうでなくても、強盗の機会に人を殺害すれば足りる、としています。被害者は母親とは別の人ですが、同じ現場で、同じ強盗の流れの中で続けて殺害しています。3つの手がかりは、全部そろうかを数えるのではなく、合わせて見るものです。ここでは、時間・場所も犯行の意図も、つながっています。2つ目は、さっき見た、追跡してきた家人を刺殺した事案です。これも同じ機会に生じた行為として、240条が成立します。

判例最高裁判所決定(昭和34年5月22日・刑集13巻5号801頁)

最高裁判所決定——強盗致傷罪の機会(タクシー車内) 被告人の本件傷害の所為は正にその強盗の機会に犯されたものというべく、時間的にも、場所的にも、又被害者が同一人である点及び犯行の意図からみても、(中略)新らたな決意に基いて強盗とは別の機会になされた別個独立の行為であるとはいい難い

被害者が運転する車の中で拳銃を向けてお金を求めた犯人が、いったん降りて、また乗り込み、約6キロメートル先の交番の前まで来たところで、逃げるために被害者を殴ってけがをさせた事案です。時間的にも場所的にも近く、被害者も同じで、犯行の意図も途切れていません。だから、新たな決意に基づく別の機会の行為とはいえない、と判断されています。4つ目は、被害者が逃げ出した先で、たまたま走ってきた第三者の車にひかれて死亡した場合です。犯人自身が暴行を加えたわけではありませんが、被害者が逃げ出したのは強盗から逃れるためであり、時間的・場所的にも強盗と密接に結びついていますから、これも機会説の下で240条が成立すると解されます。では反対に、密接な関連性を欠くために240条が成立しない、否定される例も見ておきましょう。1つ目は、強盗をしている最中に、誤って乳児を踏んでしまい死なせた場合です。時間も場所も強盗の最中ですが、踏んだのは誤ってのことで、奪う・確保する・逃げるための邪魔になる人に向けた行為ではありません。手がかりでいえば、強盗の意図とつながった行為ではない。だから、密接な関連性を欠きます。

判例最高裁判所判決(昭和23年3月9日・刑集2巻3号140頁)

最高裁判所判決——強盗殺人罪の機会を欠く場合(数時間後の殺害) 一旦強盗殺人の行為を終了した後新な決意に基いて別の機会に他人を殺害したときは右殺人の行為は、たとえ時間的に先の強盗殺人の行為に接近しその犯跡を隠ぺいする意図の下に行われた場合であつても別箇独立の殺人罪を構成し之を先の強盗殺人の行為と共に包括的に観察して一箇の強盗殺人罪とみることは許されない

判旨は、たとえ時間的に先の強盗殺人の行為に接近し、その犯跡を隠す意図でなされた場合であっても、いったん強盗殺人の行為が終了した後、新たな決意に基づいて別の機会に殺害した以上は、別個独立の殺人罪になる、としています。密接な関連性を欠くため、これは240条ではなく、別個独立の殺人罪にとどまります。ほかにも、ふだんから抱いていた恨みを晴らすために強盗の場面を利用して被害者を殺した場合、あるいは、強盗をしていた仲間同士が途中でもめて、一方が他方を殺してしまった場合も、同じく240条は成立しません。前者は私怨という別の動機に基づく行為であり、後者は強盗という犯罪そのものとは無関係な内輪もめだからです。

肯定される例と否定される例——決め手は密接な関連性 図:肯定される例と否定される例——決め手は密接な関連性

「強盗のついでに起きたことなら何でも本罪」ではなく、この3つの手がかりで密接な関連性があるかどうかを、そのつど確認します。強盗の場面で生命・身体が危険にさらされる事態を重く見るから広く及び、その理由が届かないところで止まる。今日の軸は、ここでも効いています。

今日の地図(保存版)

今日のまとめ 図:今日のまとめ

今日の内容を、整理します。この240条の重い法定刑の背後には、生命・身体という財産より重い法益を保護する、という1つの発想がありました。その発想が、主体・故意ある場合・死傷の原因という3つの論点、全部を支えていたんですね。主体は、強盗の実行に着手した者であれば足り、既遂・未遂を問わず、事後強盗・昏酔強盗も含みます。故意ある場合も、現在の判例・通説では本罪一罪に含まれ、強盗致傷・強盗致死・強盗傷害・強盗殺人の4類型として整理されます。そして死傷の原因は、手段説ではなく機会説が妥当ですが、密接な関連性による限定があります。

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#138単独ページ動画

強盗致死傷罪の既遂時期と241条

第15章 個人的法益④|財産に対する罪①(総論・窃盗・強盗) ⑭/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

前回の受けと既遂時期の問題提起

財物は奪えなかった。それでも既遂か? 図:財物は奪えなかった。それでも既遂か?

前回は、強盗致死傷罪、240条の主体と死傷の原因を見ました。では、240条の法定刑がここまで重いのはなぜだったでしょうか?240条がここまで重いのは、生命・身体という、財産より重い法益を守っているからだ、というお話でしたね。今日は、この視座を3つの場面に当てはめていきます。まず既遂時期、次に241条の強盗・不同意性交等罪、そして併発事例です。まず、既遂時期から考えてみましょう。次のような場面を考えてください。強盗に入ったところ、相手が逃げようとして転び、大怪我をしました。財物は結局奪えませんでした。

財物は奪えていないから、強盗自体は未遂ですよね。この場合、強盗致傷罪も未遂になるんですか。そこが今日の入口です。財物を奪う前に死傷結果が生じた場合、240条は未遂として扱われるのか、既遂として扱われるのか。

死傷結果基準——判例・通説

死傷結果が生じれば、財物が未遂でも本罪は既遂 図:死傷結果が生じれば、財物が未遂でも本罪は既遂

判例を確認しましょう。

判例最高裁判所判決(昭和23年6月12日・刑集2巻7号676頁)

最高裁判所判決——強盗の実行行為中の傷害と既遂 強盗に着手した者がその実行行為中被害者に暴行を加へて傷害の結果を生ぜしめた以上財物の奪取未遂の場合でも強盗傷人罪の既遂をもつて論ずべきである。

理由は、前回確認した視座と同じです。240条の刑がここまで重いのは、財産より生命・身体を重んじる条文だからです。守る対象が生命・身体である以上、既遂か未遂かの線引きも、財物の有無ではなく死傷結果が出たかどうかで決めるほうが筋が通ります。死傷結果が生じれば、財物奪取が未遂であっても、本罪は既遂になります。

243条の未遂が観念できる場合

243条は、強盗致死傷罪の未遂も定めている 図:243条は、強盗致死傷罪の未遂も定めている

さっきの結論を条文に当てはめてみましょう。

条文刑法243条

刑法243条(未遂罪) 第二百三十五条から第二百三十六条まで、第二百三十八条から第二百四十条まで及び第二百四十一条第三項の罪の未遂は、罰する。

ここで少し考えてみてください。240条は、結果について故意の無い強盗致傷・強盗致死と、故意のある強盗傷害・強盗殺人という、4つの類型を含んでいました。死傷結果が生じれば本罪は既遂になってしまうとすると、この4つのうち、未遂が実際に観念できるのはどれだと思いますか。うーん。傷害や死亡の結果が生じなかった場合は、結果自体が無いから、そもそも強盗致傷とか強盗致死とは呼べない気がします。冒頭の場面で、相手が転んでもけが一つしなかったとしましょう。財物も奪えていませんから、成立するのは強盗罪の未遂です。強盗致傷罪の未遂という独自の類型は観念できません。強盗傷害罪・強盗致死罪も同じです。結果が生じなければ、単なる強盗罪にとどまります。強盗致死罪で、死亡までは至らず、けがだけが生じたときは、強盗致傷罪の既遂になります。

犯人に殺人の故意があり、殺害行為に及んだものの、被害者が死亡しなかった場合。これだけが、243条にいう本罪の未遂、つまり強盗殺人未遂として観念できます。なぜ殺人だけなのか。殺人罪には、殺意をもって殺害行為に出れば、人が死ななくても殺人未遂として罰する、という未遂の形があるからです。その形が強盗の場面で起きたのが、強盗殺人未遂です。これに対して、傷害罪には未遂を罰する規定がありません。けがをさせるつもりで暴行して、けががなければ、成立するのは強盗罪です。この強盗殺人未遂を罰するために、243条の列挙が置かれているわけです。

脅迫による死傷結果

脅迫が原因でも、本罪は成立するか 図:脅迫が原因でも、本罪は成立するか

次は、死傷結果の原因についてです。ここまでは暴行が原因で死傷結果が生じた場合を前提にしてきましたが、犯人が手を出さず、脅すだけで強盗をしたのに相手がけがをした場合にも、本罪は成立するでしょうか。脅迫だけで直接手を出していない場合でも、判例はここでも本罪の成立を認めています。

判例大阪高等裁判所判決(昭和60年2月6日・高刑集38巻1号50頁)

大阪高等裁判所判決——脅迫による死傷結果 強盗の手段たる脅迫により被害者を畏怖させ、その結果傷害を生じさせた場合には、暴行にもとづくものでなくても、強盗致傷罪が成立する。

被害者にナイフを突きつけ、手錠でバイクに固定したうえで「倒れろ」と命じ、被害者が命じられたとおりにしなければ殺されるかもしれないと畏怖して、バイクごと転倒し負傷した、という事案です。それでも強盗致傷罪の成立が認められています。脅されて怖くなった被害者が、自分の判断で危険な行動をとって怪我をすることは、現実によくあることだからです。暴行そのものが直接の原因である必要はありません。

傷害の程度——見解の変化

「傷害」の程度をめぐる見解の変化 図:「傷害」の程度をめぐる見解の変化

もう1つ、傷害の程度について押さえておきましょう。強盗致傷罪・強盗傷害罪にいう「傷害」は、どの程度のものを指すのでしょうか。かつては、単なる傷害罪より重い傷害、目安として医者にかかる必要があるレベルの怪我でなければならない、という見解が主流でした。当時は240条前段の刑の下限が7年でしたから、酌量減軽をしても3年6か月までしか下がらず、執行猶予を付けられませんでした。軽い怪我にまで、猶予の余地が無い重い刑をあてがうのは行き過ぎだという発想から、「傷害」の範囲をあえて狭くとっていたのです。平成16年の改正で、下限が6年に引き下げられました。酌量減軽すれば執行猶予に届くようになったので、範囲を狭める必要はなくなりました。今では、通常の傷害罪と同じ意味に理解してよいという見解が有力です。

併発事例——びょう打ち銃事件

意図しなかった相手にも、結果が生じたら 図:意図しなかった相手にも、結果が生じたら

次は、併発事例です。1個の実行行為から、意図した被害者だけでなく、予期しなかった第三者にも死傷結果が生じた場合、どう処理されるでしょうか。ここで、総論で学んだ内容が生きてきます。1つの行為から複数の結果が生じたとき、行為者が認識していなかった相手にも故意が認められるかどうか、総論で法定的符合説というかたちで学びましたね。今日はその応用篇です。

びょう打ち銃事件——1個の行為から2人へ 図:びょう打ち銃事件——1個の行為から2人へ

事案を見てみましょう。警察官からけん銃を強取しようと企てた被告人が、殺害するかもしれないことを認識・認容しながら、手製の装薬銃を発射しました。弾丸は意図した警察官の体を貫通して負傷させただけでなく、さらに貫通して、たまたま近くを通行していた第三者にも命中し、負傷させました。最高裁の判断は、二段に分かれます。一つ目は、狙っていなかった通行人にも殺人の故意が認められるか。二つ目は、その通行人についても強盗殺人未遂罪になるか、です。

判例最高裁判所判決(昭和53年7月28日・刑集32巻5号1068頁)

最高裁判所判決——具体的事実の錯誤と強盗殺人未遂罪 犯罪の故意があるとするには、罪となるべき事実の認識を必要とするものであるが、犯人が認識した罪となるべき事実と現実に発生した事実とが必ずしも具体的に一致することを要するものではなく、両者が法定の範囲内において一致することをもつて足りるものと解すべきである。……人を殺す意思のもとに殺害行為に出た以上、犯人の認識しなかつた人に対してその結果が発生した場合にも、右の結果について殺人の故意があるものというべきである。……被告人の右殺人未遂の所為は同巡査に対する強盗の手段として行われたものであるから、強盗との結合犯として、被告人のBに対する所為についてはもちろんのこと、Aに対する所為についても強盗殺人未遂罪が成立するというべきである。

人を殺す意思をもって殺害行為に出た以上、認識していなかった人に結果が発生した場合でも、その結果について殺人の故意が認められます。法定的符合説の考え方が、そのまま働いています。通行人は、けん銃を奪われる相手ではありませんよね。それでも強盗殺人未遂罪になるんですか。なります。判決は、その発射が警察官に対する強盗の手段として行われたことを決め手にしています。前回、死傷の原因は強盗の手段に限られず、強盗の機会に生じたもので足りる、という機会説を見ましたね。強盗の手段として撃った1発は、その機会の中でも、強盗との結びつきがいちばん強い場面です。ですから、手段説と機会説のどちらに立っても、本罪になります。判決が「手段」を挙げたのは、この事案がそれだけ強く結びついていたからで、前回退けた手段説に戻ったわけではありません。1個の発射行為から、被害者ごとに、それぞれ強盗殺人未遂罪が成立します。1個の行為から2つの罪が成立する場合ですから、罪数の処理としては観念的競合になります。1つの行為で、2人分の重い評価を受けることになるわけです。

本罪が成立するには、条件があります。この判決が判断したのは、あくまで強盗の手段として撃った1発から生じた結果です。前回見た、強盗の仲間同士がもめて一方が他方を殺した場合のように、強盗と切り離された行為から生じた死傷は、相手が誰であっても本罪にはなりません。

241条——強盗・不同意性交等罪

強盗の罪と、性的自由を侵害する罪の結合犯 図:強盗の罪と、性的自由を侵害する罪の結合犯

今日扱う3つ目の場面が、241条です。強盗という財産犯の過程で、これも財産より重い法益、つまり性的自由が侵害される事態を重く見て、強盗の罪と不同意性交等の罪を結びつけたのが241条です。今日は、241条という結合犯の構造だけを見ていきましょう。条文を見てください。

条文刑法241条

刑法241条(強盗・不同意性交等及び同致死) 1項:強盗の罪若しくはその未遂罪を犯した者が第百七十七条の罪若しくはその未遂罪をも犯したとき、又は同条の罪若しくはその未遂罪を犯した者が強盗の罪若しくはその未遂罪をも犯したときは、無期又は七年以上の拘禁刑に処する。 2項:前項の場合のうち、その犯した罪がいずれも未遂罪であるときは、人を死傷させたときを除き、その刑を減軽することができる。ただし、自己の意思によりいずれかの犯罪を中止したときは、その刑を減軽し、又は免除する。 3項:第一項の罪に当たる行為により人を死亡させた者は、死刑又は無期拘禁刑に処する。

強盗が先で、そのあとに不同意性交等に及んだ場合はもちろん、不同意性交等が先で、そのあとに強盗に及んだ場合も、同じ1項が成立します。順序を問いません。どちらが先でも、強盗の場面で性的自由まで侵害された、という事態の重さは変わらないからです。どちらの罪についても、未遂にとどまった場合まで含めている点が重要です。強盗のほうが未遂でも、不同意性交等のほうが未遂でも、あるいは両方が未遂でも、1項は成立します。既遂・未遂の組み合わせを問わない構造です。両方の罪が未遂だった場合の扱いです。原則として刑を減軽できますが、人を死傷させたときはこの減軽ができません。ただし、自分の意思でどちらかの犯罪をやめた場合は、刑を減軽し、または免除しなければなりません。

3項も、故意ある場合を含む 図:3項も、故意ある場合を含む

3項は、1項の罪にあたる行為によって人を死亡させた場合の加重類型です。ここで、前回扱った論点を思い出してください。この3項も、「よって」という結果的加重犯を示す文言を使っていません。ですから、240条とまったく同じ構造で、殺人の故意がある場合も、この3項に含まれると解されます。

弁別パート——第15章の総まとめ

第15章を、1本の軸で見分ける 図:第15章を、1本の軸で見分ける

さて、いよいよ第15章の締めくくりです。窃盗から241条まで、この章で学んだ財産犯を、1本の軸で整理してみましょう。まず、暴行・脅迫があるか。あれば、その時点はいつか、奪取の前か後か。次に、手段の性質は何か、暴行・脅迫なのか、それとも昏酔させることなのか。そして、奪った対象は、財物か、不動産か、財産上の利益か。最後に、死傷結果が生じたかどうか。この5つの問いに沿って、順番に事例を仕分けていきます。

設例A〜D——平穏な奪取から、2項強盗まで 図:設例A〜D——平穏な奪取から、2項強盗まで

設例Aです。深夜、無人の資材置き場に忍び込み、置いてあった工具一式を黙って持ち去りました。誰とも接触していません。決め手は、暴行・脅迫が一切ない、平穏な奪取だということです。設例Bです。他人の空き地に勝手に資材を運び込んで小屋を建て、居座り続けました。客体が「財物」ではなく「不動産」そのものであることが決め手です。設例Cです。路上で刃物を示して「金を出せ」と脅し、財布を奪いました。暴行・脅迫を、財物を奪う手段として使っていますね。強盗罪1項、236条1項です。設例Dです。刃物を示して「借金を帳消しにしろ」と脅し、その場で借用書を破棄させました。

客体が財物ではなく、財産上の利益ですね。強盗罪2項、236条2項です。CとDは、どちらも暴行・脅迫を財物・利益を奪う手段として使っている点は同じですが、客体が財物か財産上の利益かで、1項と2項に分かれます。

設例E〜H——事後強盗から241条まで 図:設例E〜H——事後強盗から241条まで

設例Eです。万引きの現場を店員に見つかり、逮捕を免れるため店員を突き飛ばして転倒させましたが、怪我はありませんでした。暴行が、財物を奪ったあとに出てきていますね。事後強盗罪、238条です。決め手は、暴行が財物奪取の「後」に生じていて、目的が逮捕を免れる等の類型にあたることです。では、設例E’です。今の設例Eで、店員が転倒して骨折していたら、どうなりますか。前回確認した主体論が、ここでもう一度効いてきます。設例Fです。飲食店で相手の飲み物に睡眠薬を混ぜて眠らせ、財布を持ち去りました。抵抗を抑圧する手段が、暴行・脅迫ではなく、昏酔させることですね。昏酔強盗罪、239条です。設例Gです。相手を脅して金を奪おうとしたところ、相手が逃げようとして転んで骨折し、財物は結局奪えませんでした。

これは、今日の最初に見た設例そのものですね。財物奪取が未遂でも、死傷結果が生じていますから、強盗致傷罪の既遂です。本回の中心論点に戻ってきました。最後は、設例Hです。強盗に及んだうえで、相手に不同意性交等の罪も犯しました。こうして並べると、暴行・脅迫の有無、その時点、手段の性質、奪った対象、死傷結果の有無という1本の軸で、この章の財産犯すべてを見分けられることが分かります。

今日の地図(保存版)

今日のまとめ 図:今日のまとめ

今日の内容を、整理します。既遂時期は、死傷結果が生じれば、財物奪取が未遂でも本罪は既遂となり、243条の未遂が実際に観念できるのは強盗殺人未遂の場合だけでした。241条は、強盗の罪と不同意性交等の罪の結合犯で、順序も既遂・未遂も問わず、3項も故意ある場合を含みます。併発事例は、1個の行為から複数人に死傷結果が生じれば、被害者ごとに本罪が成立します。どれも、前回確認した「財産より重い生命・身体の侵害を重く見る」という視座から、そのまま出てくる結論ですね。そして最後に、第15章全体を1本の軸で見分ける弁別パートで、窃盗から241条までを整理しました。

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第16章個人的法益⑤|財産に対する罪②(詐欺・恐喝・横領・背任・盗品・毀棄)

#139単独ページ動画

詐欺罪の構造と欺罔行為

第16章 個人的法益⑤|財産に対する罪②(詐欺・恐喝・横領・背任・盗品・毀棄) ①/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

渡してしまったのに、なぜ財産犯なのか

被害者自身が渡してしまう。それでも財産犯か? 図:被害者自身が渡してしまう。それでも財産犯か?

前回まで、強盗6部作で財産犯の前半を見てきました。今日から、財産犯の後半戦、246条の詐欺罪に入ります。今日の詐欺は、その正反対から始まります。店の品物を客が勝手に持ち去れば、窃盗です。では、店員が自分の手で、その客に品物を渡してしまったら、どうなるでしょうか。店員が自分から渡しているなら、被害者が納得して渡したということですよね。それなのに、犯罪になるんですか。なります。今日はその理由を、ひと続きの筋で説明します。渡すという判断そのものが、ゆがめられているからです。このゆがみがどうやって起きるのか、4つの輪でたどっていきます。

交付罪としての詐欺——強盗との対比

盗取罪と交付罪、もう一度 図:盗取罪と交付罪、もう一度

前回までの強盗は、被害者の意思に反して財物を奪う罪でしたね。では、被害者が自分の意思で渡してしまった場合はどう考えるんでしたっけ?財産犯総論の回で見た区別ですね。占有移転が相手の意思に反するなら盗取罪、意思に基づくなら交付罪でした。窃盗・強盗は盗取罪、詐欺・恐喝は交付罪です。詐欺は交付罪です。被害者自身が「渡す」という処分行為をしています。被害者が自分から渡しているのに、なぜ財産犯になるのか、という最初の疑問に戻ります。そこがまさに今日のテーマです。渡すという判断そのものが、だまされてゆがめられているからこそ、交付罪という財産犯になります。このゆがみの中身を、これから条文と一緒に見ていきましょう。

条文刑法246条

刑法246条(詐欺) 1項:人を欺いて財物を交付させた者は、十年以下の拘禁刑に処する。 2項:前項の方法により、財産上不法の利益を得、又は他人にこれを得させた者も、同項と同様とする。

246条です。1項は財物、2項は財産上の利益を対象にしています。「人を欺いて」「交付させた」という2つの言葉に、今日の内容がすべて詰まっています。順番に、保護法益、客体、そして「人を欺いて」の中身、という順で見ていきましょう。

今日の地図 図:今日の地図

今日はこの6つを見ていきます。保護法益、客体、4つの輪の連鎖、欺罔行為の程度、不作為・挙動による欺罔、そして実行の着手です。

保護法益——国・自治体も被害者になるか

財産犯だから、被害者は個人とは限らない 図:財産犯だから、被害者は個人とは限らない

詐欺罪の保護法益は、通説では財産、それも個人の財産だとされています。では、国や地方公共団体が被害者になった場合はどうでしょうか。そこで対立があります。A説は、詐欺罪はあくまで個人的な財産を守る罪だから、公共的な利益に向けられた嘘は、詐欺罪が予定している型、つまり個人の財産をだまし取るという型に当たらないとして、成立を否定します。B説は、国や地方公共団体も、財産権を持つ主体でありうる以上、財産犯として保護されうる、と考えます。判例・通説はこちらです。一つは、国の金融統制に反して、法令で払い戻しが止められていた封鎖預金を、嘘の請求書で銀行から払い戻させた事案。もう一つは、農業をする意思があると偽って、国から国有の未墾地を買い受けた事案です。封鎖預金の事案は銀行、未墾地の事案は国を相手にした場面ですが、どちらも国家的な利益が絡む場面で、詐欺罪の成立が認められています。

判例最高裁判所決定(昭和51年4月1日)

最高裁判所決定——国家的法益と詐欺罪 欺罔行為によつて国家的法益を侵害する場合でも、それが同時に、詐欺罪の保護法益である財産権を侵害するものである以上、……詐欺罪の成立を認めることは、大審院時代から確立された判例であり

「公共的な利益をだまし取った」のではなく、「財産権を持つ主体から財産をだまし取った」と捉えるのがポイントです。

客体——財物と財産上の利益

詐欺の客体は、窃盗より広い 図:詐欺の客体は、窃盗より広い

客体は、1項が財物、2項が財産上の利益です。財産上の利益とは、借金を帳消しにさせる、サービスをただで受ける、といった形のない利益のことです。財物のほうは、窃盗罪の財物と同じ意味ですか。そこが少し違います。詐欺罪の財物には、動産だけでなく、不動産も含まれるとされています。不動産を奪う行為には、235条の2の不動産侵奪罪という専用の罪があるので、窃盗罪の財物に不動産を含める必要が無い、という話でした。詐欺は、被害者自身に渡させる罪です。土地は持ち去れませんが、持ち主をだまして名義を移させれば、「交付させた」といえます。だから詐欺の財物には不動産が入ります。財物という言葉は、窃盗の話か詐欺の話かで範囲が変わる、と意識しておきましょう。

4つの輪の連鎖——詐欺の背骨

欺罔行為から取得まで、1本の鎖 図:欺罔行為から取得まで、1本の鎖

ここからが今日の中心です。詐欺は、欺罔行為、錯誤、処分行為、財物・利益の取得という4つの輪がつながって初めて成立します。欺罔行為が嘘をつくこと、錯誤がその嘘を信じること、処分行為が信じたまま渡すこと、取得が実際に財物が移ることです。この4つは、ただ並んでいるのではなく、欺罔行為が錯誤を引き起こし、錯誤が処分行為を引き起こし、処分行為が取得を引き起こす、という因果の鎖になっています。4つの輪のどこか1つでも欠ければ、詐欺は既遂になりません。ただ、どこで切れたかで扱いが変わります。欺罔行為までは始まっていて、その後ろの錯誤、処分行為、取得のどこかで切れたなら、詐欺未遂です。詐欺の未遂は、250条が処罰しています。これに対して、入口の欺罔行為そのものが認められなければ、未遂にすらなりません。だからこそ、入口の欺罔行為がどういう行為なのかが大事で、欺罔行為には、2つの条件が必要になります。

⭐ 論文で書く規範:欺罔行為の定義 「欺罔行為といえるためには、相手を錯誤に陥らせるような行為であること、そして、その錯誤を通じて相手に処分行為をさせる、つまり処分行為に向かわせるような行為であることの、2つがそろっている必要がある。」 (規範(通説で立てる))

どちらか一方でも欠けると、欺罔行為そのものが否定されます。次に、この2つが欠ける場面を、具体的に見てみましょう。

鎖が入口で切れる場面——機械と、一時的な許可

相手が人でなければ、錯誤は生じない 図:相手が人でなければ、錯誤は生じない

1つ目は、セルフレジの場面です。スーパーのセルフレジで、1000円の食材のバーコードに、わざと200円の別の商品のバーコードを重ねて読み込ませ、差額を払わずに持ち出したとします。相手が人間でなければ、そもそも錯誤という心の動きが生じようがありません。だから、欺罔行為が成立せず、鎖はスタートすらしません。詐欺にならないなら、この人は何の罪にもならないんですか。違います。人からではなく機械の管理下にある商品を、正当な対価を払わずに持ち出しているので、窃盗罪として検討することになります。

一時的な許可は、終局的な処分行為ではない 図:一時的な許可は、終局的な処分行為ではない

2つ目は、家電量販店の場面です。「試聴してみます」と店員に断ってヘッドホンを渡してもらい、視聴コーナーでそのまま持ち逃げしたとします。嘘をついて、店員に「試すだけのお客さん」だと思い込ませるところまでは起きています。問題は処分行為です。店員が許したのは何だったでしょうか。「その場で試聴すること」を許しただけで、「持ち帰っていいこと」を許したわけではないですね。店員の許可は、財物を終局的に手放す処分行為ではなく、一時的な許諾にすぎません。だから処分行為が起きておらず、欺罔行為は処分行為に向けられていなかったことになります。

支払を後回しにすると偽って持ち帰りまで許させたのなら、鎖はつながります。店員は、持ち帰ってよいと許した、つまりヘッドホンを手放す処分行為をしています。同じ嘘でも、店員が許した中身が「その場で試す」か「持って帰る」かで、詐欺になるかどうかが分かれます。どちらも詐欺は成立せず、未遂にすらなりません。欺罔行為そのものが認められないからです。セルフレジの場面も、ヘッドホンの場面も、窃盗罪として検討することになります。4つの輪という物差しを持っていれば、なぜそうなるかが説明できます。嘘があるかどうかではなく、その嘘が錯誤と処分行為の両方に向けられているかどうかが決め手です。

欺罔行為の程度——重要な事項を偽ること

知っていれば渡さなかったはずの事実か 図:知っていれば渡さなかったはずの事実か

もう1つ、欺罔行為には程度の問題があります。どんな嘘でもよいわけではなく、交付の判断の基礎となる重要な事項を偽ることが必要です。社会的に相当な範囲の誇張やお世辞は、欺罔行為にあたりません。物差しは、相手が真実を知っていたら、その処分行為をしなかったといえるかどうかです。この重要な事項性が問題になった判例を、2つ見てみましょう。

誰を乗せるかは、航空会社にとって重要な事項

1つ目は、自分名義の航空券を見せて、実際には別人を乗せるつもりで搭乗券を請求した事件です。搭乗券そのものは普通に発行される種類のものでも、航空会社にとって、誰を実際に搭乗させるかは、運航の安全管理上、重要な事項にあたります。だから、それを隠したまま請求する行為は欺罔行為にあたり、詐欺罪が成立するとされました。

判例最高裁判所決定(平成22年7月29日)

最高裁判所決定——搭乗券詐取事件 搭乗券の交付を請求する者自身が航空機に搭乗するかどうかは,本件係員らにおいてその交付の判断の基礎となる重要な事項であるというべきである

申込みが何を表しているか——誓約した会員か、一般の客か 図:申込みが何を表しているか——誓約した会員か、一般の客か

2つ目は、暴力団員によるゴルフ場利用の事件です。実は同じ日に、似た事案で結論が分かれた2つの判断があります。1つは、暴力団関係者を同伴しないと入会のときに誓約していたゴルフ倶楽部の会員が、暴力団員を同伴者として申し込んだ事件です。こちらは詐欺罪が成立するとされました。

判例最高裁判所決定(平成26年3月28日)

最高裁判所決定——誓約した会員の申込み 入会の際に暴力団関係者の同伴,紹介をしない旨誓約していた本件ゴルフ倶楽部の会員である……が同伴者の施設利用を申し込むこと自体,その同伴者が暴力団関係者でないことを保証する旨の意思を表している上,利用客が暴力団関係者かどうかは,本件ゴルフ倶楽部の従業員において施設利用の許否の判断の基礎となる重要な事項である

もう1つは、暴力団員本人が、一般の客と同じように、氏名などを偽りなく書いた受付表を出して申し込んだだけの事件です。こちらは、人を欺く行為に当たらないとされました。

判例最高裁判所判決(平成26年3月28日)

最高裁判所判決——一般客としての申込み 一般の利用客と同様に,氏名を含む所定事項を偽りなく記入した「ビジター受付表」等をフロント係の従業員に提出して施設利用を申し込む行為自体は,申込者が当該ゴルフ場の施設を通常の方法で利用し,利用後に所定の料金を支払う旨の意思を表すものではあるが,それ以上に申込者が当然に暴力団関係者でないことまで表しているとは認められない。

決め手は、申し込むという行動が、何を表しているかです。誓約した会員の申込みは、それ自体が「同伴者は暴力団関係者ではない」という保証になります。一般の客の申込みは、「普通に使って料金を払う」という意味にとどまり、そこまでは表していません。行動の意味は、その取引の場面で、相手から見て、その行動が普通どう受け取られるかで決まります。誓約した会員が同伴者を申し込めば、「この同伴者は暴力団関係者ではありません」と受け取られます。そして、表している中身が、相手が渡すかどうかを決める重要な事項なら、それを偽ることが欺罔行為になります。行動が何を表しているか、という見方は、このあとの挙動による欺罔で、もう一度使います。

不作為による欺罔行為——告知義務

言うべきなのに言わなかった、というだけで足りるのか 図:言うべきなのに言わなかった、というだけで足りるのか

ここまでは、積極的に嘘をつく場面でした。ここからは、黙っていただけで欺罔行為になる場合です。何も言っていないのに、嘘をついたことになるんですか。なります。法律上、告げるべき義務があるのに黙っていた場合です。これを告知義務と呼びます。条文には書かれていませんが、判例・通説は、信義則、お互い誠実にふるまうべきだという民法上のルールを根拠に、この義務を緩やかに認めています。

窓口では詐欺、ATMでは詐欺にならない 図:窓口では詐欺、ATMでは詐欺にならない

1つは、誤振込です。自分の口座に、身に覚えのないお金が振り込まれていることに気づいたのに、それを告げずに銀行の窓口で払戻しを受けた場合です。

判例最高裁判所決定(平成15年3月12日)

最高裁判所決定——誤振込と告知義務 自己の口座に誤った振込みがあることを知った場合には……誤った振込みがあった旨を銀行に告知すべき信義則上の義務があると解される。

行員に告げるべき信義則上の義務があるのに、それを告げずに払戻しを求める行為は、不作為による欺罔行為にあたり、詐欺罪が成立します。ATMの場合は、詐欺は成立しません。理由は、さっきのセルフレジと同じ発想です。ATMには、告げるべき相手となる人間がいません。人に対する働きかけがない以上、欺罔行為が観念できないのです。もう1つ、釣銭の例も見てみましょう。店員から釣銭を多く渡されたことに、その場で気づいて、黙って受け取った場合です。店員に対してその場で告げるべき義務があるのに黙っていたので、不作為による欺罔行為にあたり、詐欺罪が成立します。では、家に帰ってから釣銭の多さに気づいた場合はどうでしょうか。

もう店員はその場にいません。受け取った時点では、まだ気づいていないので、欺罔行為がありません。この場合は、占有を離れた他人の物を自分のものにした、占有離脱物横領罪として検討することになります。この罪の中身は、横領罪を学ぶ回で扱います。

挙動による欺罔行為——行動そのものが嘘になる

注文するという行動が、嘘を含んでいる 図:注文するという行動が、嘘を含んでいる

不作為とよく似ていますが、少し違う場面もあります。挙動による欺罔行為です。無銭飲食を例に考えてみましょう。所持金が無く、支払う意思がまったく無いのに、普通に料理を注文して食べたとします。黙って注文しただけでも、判例は、支払う意思を装って注文し、飲食や宿泊をさせた時点で、詐欺罪が既遂になるとしています。注文という行動そのものを、支払う意思があるように見せかける作為の欺罔行為だと見るから、こういう結論になるわけです。

判例最高裁判所決定(昭和30年7月7日)

最高裁判所決定——無銭飲食と既遂の時点 逃亡前すでに……宿泊、飲食等をしたときに刑法二四六条の詐欺罪が既遂に達した

申込みという行動そのものが、利用意思の表明になる 図:申込みという行動そのものが、利用意思の表明になる

もう1つ、預金口座の開設も同じ発想です。実際には第三者に譲渡するつもりなのに、それを隠して、自分名義の口座開設等を申し込んだ場合です。

判例最高裁判所決定(平成19年7月17日)

最高裁判所決定——口座開設の申込みと欺罔行為 銀行支店の行員に対し預金口座の開設等を申し込むこと自体、申し込んだ本人がこれを自分自身で利用する意思であることを表しているというべきである。

だから、実際には他人に譲るつもりなのにそれを隠して申し込む行為は、欺罔行為にあたります。さっきのゴルフ場の2件も、同じ見方でした。申込みという行動が何を表しているかで、結論が分かれていましたね。見分けは、行動そのものが何かを表しているかどうかから始めます。注文や口座開設の申込みは、行動自体が「払うつもりがある」「自分で使う」と表しています。だから、その行動が嘘そのもの、つまり作為の欺罔行為で、告知義務は要りません。これに対して不作為は、行動だけでは嘘とまではいえないのに、黙っていたことを問う場面です。だから、信義則上告げるべきだったか、という告知義務が要ります。無銭飲食で「支払うつもりはありません」とわざわざ告げる義務まではいえませんが、注文という行動が支払う意思を表しているので、作為の欺罔行為として説明できるわけです。

実行の着手——特殊詐欺の事案

現金を求める言葉が無くても、着手はある 図:現金を求める言葉が無くても、着手はある

最後に、詐欺罪がどの時点で未遂として処罰されるようになるか、実行の着手を見ておきましょう。実行の着手の一般論、実質的客観説そのものは、未遂を学ぶ回で扱いましたね。詐欺罪では、財物が渡ってしまう現実的な危険が生じる時点は、欺罔行為の開始時点になります。特殊詐欺の事件は、着手の回でも一度見ました。今日は、詐欺罪の側から見直します。受け子役が、被害者の自宅を訪問する前に逮捕された事案です。

判例最高裁判所判決(平成30年3月22日)

最高裁判所判決——特殊詐欺の実行の着手 本件嘘を一連のものとして被害者に対して述べた段階において、被害者に現金の交付を求める文言を述べていないとしても、詐欺罪の実行の着手があったと認められる。

交付を求める言葉がまだ無くても、電話で一連の嘘を述べた段階で、実行の着手が認められています。一連の嘘は、被害者が現金を交付するかどうかの判断の前提となる、重要な事項です。それを述べてしまえば、被害者がその場で現金を渡してしまう危険性が、著しく高まります。危険性という物差しに照らせば、この段階ですでに実行の着手を認めるのが筋が通ります。

今日の地図(保存版)

今日のまとめ——4つの輪 図:今日のまとめ——4つの輪

今日の内容を、冒頭の問いに戻して整理しましょう。被害者自身が渡しているのに財産犯になるのは、渡すという判断そのものが、欺罔行為によってゆがめられているからでした。その仕組みを支えているのが、欺罔行為、錯誤、処分行為、取得という4つの輪の連鎖でしたね。この鎖がすべてつながって初めて詐欺は既遂になり、欺罔行為の後ろで切れれば詐欺未遂、入口の欺罔行為で切れれば未遂にすらならず、窃盗などとして検討することになります。保護法益は国や自治体も含みうること、客体は不動産まで含む財物と財産上の利益であること、欺罔行為には重要な事項性という程度が必要なこと、そして不作為・挙動という形でも欺罔行為になりうることを見てきました。

詐欺罪は、まだ先が長い論点です。

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#140単独ページ動画

詐欺罪の錯誤と処分行為

第16章 個人的法益⑤|財産に対する罪②(詐欺・恐喝・横領・背任・盗品・毀棄) ②/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

試乗は詐欺、試着は窃盗——何が違うのか

同じ嘘、違う結末 図:同じ嘘、違う結末

嘘で店員の許可を取り、商品を持ち去る点は共通でも、試乗なら詐欺、試着なら窃盗になります。今日は、その違いがどこから来るのかを解くところまで行きます。前回、詐欺は欺罔行為、錯誤、処分行為、取得という4つの輪の鎖だと見ましたね。今日は、鎖の真ん中2つ、錯誤と処分行為の中身に入っていきます。先に答えの方向だけ言っておくと、試乗と試着を分けるのは、店員が商品の支配を手放したと言えるかどうかです。

錯誤の意義——欺罔と処分をつなぐ輪

錯誤とは、心の中の思い違いである 図:錯誤とは、心の中の思い違いである

条文刑法246条

刑法246条(詐欺) 1項:人を欺いて財物を交付させた者は、十年以下の拘禁刑に処する。 2項:前項の方法により、財産上不法の利益を得、又は他人にこれを得させた者も、同項と同様とする。

条文をもう一度見ておきます。錯誤も処分行為も、条文には言葉として出てきません。「人を欺いて」の先に相手の錯誤があり、「交付させた」の中に相手の処分行為がある、と読むのが、前回の鎖の考え方です。まず錯誤です。錯誤とは、欺罔行為によって相手方が陥る、心の中の思い違いのことです。冒頭の試乗で言えば、店員が「この人は本当に車を買うつもりのお客さんだ」と思い込むこと、これが錯誤です。鎖で言うと、欺罔行為という原因が起こす結果が錯誤であり、その錯誤が今度は原因になって、次の処分行為を引き起こします。錯誤は、欺罔行為と処分行為をつなぐ、まさに真ん中の輪です。

心の中の出来事だからこそ、心を持たない相手には起こりようがありません。この点を、次で確かめましょう。

機械は錯誤に陥らない

相手に心が無ければ、勘違いは起きない 図:相手に心が無ければ、勘違いは起きない

錯誤が心の中の出来事だとすると、相手が機械だったらどうなるでしょうか。自動販売機に、正規の硬貨ではなく金属片を投入して商品を取り出した場合を考えてみます。自動販売機を、だましたことになりませんか。なりません。自動販売機には心が無いので、そもそも勘違いという現象自体が起こりようがないんです。錯誤という輪がスタートしない以上、その手前の欺罔行為も成立しません。だから詐欺は、未遂にすらならないんです。詐欺にならないなら、この行為は無罪になってしまうんですか。違います。人からではなく、機械の管理下にある商品を、正当な対価を払わずに持ち出しているので、窃盗罪として検討することになります。もう一つ、似た構造の例を見てみましょう。他人から盗んだキャッシュカードを使って、ATMから現金を引き出した場合です。

同じ理由で、詐欺は成立しません。引き出した現金は財物なので、こちらも窃盗罪で検討します。ただし、ATMのように電子計算機を使って財産上の利益を得る場面には、詐欺とは別に、246条の2という専用の条文が用意されています。その中身は、また別の回で扱います。なぜこの条文が必要になったのかは、この後の処分行為の話で見えてきます。

人が見破った場合——なぜ未遂で止まるのか

未遂には、2つの違う理由がある 図:未遂には、2つの違う理由がある

次は、相手が人である場面です。嘘をついたのに、相手がその嘘を見破ってしまった、あるいは見破ったうえで、あわれみなど別の理由で財物を渡した場合を考えます。たとえば、駅前で「災害の募金です」と嘘をついて箱を差し出したところ、通りかかった人が嘘だと気づいたうえで、「かわいそうだから」と千円を入れた場合です。欺罔行為そのものは成立しています。ただ、相手は嘘を信じていないので、錯誤には陥っていません。欺罔行為から錯誤への鎖が、途中で切れているんです。財物は結局渡されているのに、それでも詐欺は成立しないんですか。成立しません。渡す判断が、欺罔行為による勘違いに基づいていない以上、鎖はつながらず、詐欺は既遂になりません。ただし、欺罔行為そのものは実行されているので、詐欺の未遂として扱われます。

機械の場合は、欺罔行為自体が成立しないので、未遂にすらなりません。今回は、欺罔行為はきちんと成立していて、その先の錯誤で鎖が切れた場合の未遂です。同じ「未遂」という言葉でも、切れた場所が違うことを意識しておいてください。

処分行為の定義と2つの役割

鎖の3つ目の輪、処分行為 図:鎖の3つ目の輪、処分行為

ここで、前回のセルフレジとヘッドホンの試聴の2例を思い出してください。あの2つが詐欺にならなかったのは、なぜだったか覚えていますか?

⭐ 論文で書く規範:処分行為の定義 「処分行為とは、だまされて生じた瑕疵ある意思に基づき、財物または財産上の利益についての支配を、相手方へ終局的に移してしまう行為をいう。財物であれば占有、財産上の利益であれば準占有を、終局的に移す行為でなければ、処分行為とは言えない。」 (規範(判例・通説で立てる))

セルフレジは相手が機械で、試聴はその場限りの許可だったから、でしたね。どちらも、処分行為に向けた欺罔行為そのものが無かったのでした。続いて、鎖の3つ目の輪、処分行為です。処分行為と言えるのは、だまされて生まれた瑕疵ある意思のもとで、財物や財産上の利益に対する支配を、相手方へ終局的に、つまり後戻りしない形で渡してしまったときです。瑕疵ある意思とは、だまされて勘違いした、傷のある意思のことです。財産上の利益の場合は、物の占有の代わりに、その利益を事実上握っている状態が移ることになり、これを準占有と呼びます。

その場で一時的に使わせるとか、立ち入らせるだけでは足りず、物の支配そのものを相手に渡すという判断が必要だ、ということです。この後すぐ具体例で確かめます。まず典型例を一つ見ておきましょう。所持金が無く支払う意思も無いのに、それを隠して料理を注文し、店員がラーメンを出す場面です。店員は、錯誤に陥ったまま、ラーメンという財物を、決定的に手放しています。これが処分行為の典型です。処分行為には、大事な役割が2つあります。

処分行為は、2つの境界線を引く 図:処分行為は、2つの境界線を引く

1つ目は、財物を対象にする1項詐欺での役割です。処分行為があれば詐欺、無ければ窃盗として検討する、窃盗罪と詐欺罪の分かれ目になります。前回見たとおり、欺罔行為は、相手にこの処分行為をさせることに向けられた嘘でなければなりません。前回の試聴の例は、許可がその場限りで、ヘッドホンを終局的に手放させるものではありませんでした。つまり試聴の例は、処分行為に向けられた欺罔行為が無かった例です。2つ目は、財産上の利益を対象にする2項詐欺での役割です。財産上の利益をこっそり盗む、いわゆる利益窃盗は、条文が用意されていないので処罰されません。ですから、処分行為が無いまま利益だけを得ても不可罰です。処分行為があって初めて、2項詐欺として処罰されます。1項では罪名の分かれ目、2項では処罰されるかどうかそのものの境界線。同じ処分行為の有無が、2つの違う仕事をしているわけです。前に財産犯の入口の回で見た、払うつもりでラーメンを食べ終えてから、隙を見て黙って逃げた場面が、この利益窃盗でした。窃盗罪の条文は「財物」しか書いていないので、代金を免れた利益には使えないんです。さっき名前だけ出した246条の2も、ここにつながります。機械が相手だと錯誤も処分行為も起きないので、機械を使って口座の残高のような利益を得ても、詐欺にも窃盗にもならない穴が空いてしまう。その穴を埋めるために置かれたのが、246条の2です。

終局的な移転の判定——試乗は詐欺、試着は窃盗

「終局的に」を測る物差し 図:「終局的に」を測る物差し

ここからが、冒頭の謎を解く本題です。処分行為と言えるには、財物の占有を終局的に移転させる行為でなければなりません。判定の物差しは、相手が許したのがその場での一時的な使用・立入りにとどまるのか、それとも占有そのものを手放すことなのか、です。図書館を思い浮かべてください。閲覧室で「ここで読んでいいですよ」と本を渡されるのは、その場限りの許可です。図書館の支配は、まだその本の上に残ったままですよね。これに対して、貸出カードを作って「持ち帰っていいですよ」と渡されるのは、手放す判断です。図書館の支配は、その本からいったん離れます。冒頭の試乗と試着も、実はこの違いです。

単独での試乗は、店の支配の外へ出る許可 図:単独での試乗は、店の支配の外へ出る許可

自動車販売店で、客を装った人物が「1人で試乗させてください」と頼み、店員がそれを許した場面です。自動車は移動能力が高く、店員の目の届かない場所まで持ち出せてしまいます。ですから、この許可は、貸出カードを渡すのと同じで、占有を終局的に移転させる行為だと評価されます。錯誤に陥った店員が、終局的な処分行為までしている以上、鎖はすべてつながっていて、詐欺は既遂になります。図書館の貸出も、2週間後に返す約束ですよね。それでも、持ち帰られた本の上には、もう図書館の目は届きません。「終局的に」とは、永久に手放すという意味ではなく、窃盗罪の回で見た占有の1つ目の要件、物の事実上の支配が、いったん相手の手に移るという意味です。1人での試乗は、返す約束があっても、車の支配が店から離れてしまうんです。

店内での試着は、店の支配の中にとどまる許可 図:店内での試着は、店の支配の中にとどまる許可

一方、洋服店で「試着させてください」と頼み、店員が店内での試着を許した場面はどうでしょうか。店員の目が届く範囲にとどまっています。閲覧室で読むのと同じで、店の支配は服の上にまだ残ったままです。占有を終局的に手放す判断とは言えないので、処分行為がありません。「試着させてください」という嘘は、処分行為に向けられていないので、そもそも欺罔行為にすら当たらないことになります。少し止めて考えてみてください。答えは、この後すぐお話しします。試着のあと隙を見て逃げた場合、服の占有は終局的に店から離れていますが、それは店員の意思に基づくものではありません。処分行為が無いまま、財物の占有を意思に反して奪ったことになるので、この場合は窃盗罪が成立します。同じ「嘘をついて許可をもらう」でも、許可の中身が、閲覧室で読むだけの範囲なのか、持ち出せる範囲まで及んでいるのかで、処分行為の有無が変わり、結論が分かれるわけです。

処分行為者と被害者——一致しなくてよい

手放す人と、損をする人は同じでなくてよい 図:手放す人と、損をする人は同じでなくてよい

最後に、もう一つだけ触れておきます。処分行為をする人と、財産を失う人は、必ずしも同じでなくてよいんです。実は、今日の試乗も、処分行為をした人と損をした人が別になっている例です。だまされて車を渡したのは店員ですが、車は販売店のもので、損をするのは販売店です。それでも詐欺は成立しましたね。鎖が求めているのは、だまされた人の処分行為によって財物が移ることで、その財物がだまされた人自身の物であることまでは求めていないからです。246条も、「人を欺いて財物を交付させた」と書くだけで、「だまされた人の財物」とは書いていません。このように、処分行為をする人と損をする人がずれる型には、三角詐欺という名前が付いています。ただし、だまされた人なら誰でもよいわけではなく、どんな立場の人なら足りるのかが問題になります。その中身は、別の回で詳しく扱います。今日は、名前だけ覚えておいてください。

今日の地図(保存版)

今日のまとめ——切れた場所と結末 図:今日のまとめ——切れた場所と結末

今日は、詐欺の鎖の真ん中2つ、錯誤と処分行為の中身を見てきました。錯誤は心の中の思い違いなので、機械が相手だと発生せず、詐欺は未遂にすらなりません。人が相手でも、見破られれば錯誤が起きず、詐欺は未遂で止まります。そして処分行為は、終局的に手放す判断であることが必要でしたね。許可が、その場での一時的なものにとどまる限り処分行為は無く、詐欺は成立し得ません。占有そのものを終局的に手放させたと言えて初めて、処分行為があり、詐欺は既遂になります。冒頭の試乗と試着も、この「終局的かどうか」の違いだったわけです。

処分行為の存否は、あてはめで結論が分かれる、論文でも問われそうな論点ですね。ここは論文で論点になりうる部分です。

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#141単独ページ動画

詐欺罪の処分意思

第16章 個人的法益⑤|財産に対する罪②(詐欺・恐喝・横領・背任・盗品・毀棄) ③/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

家具は渡した、でも中身は知らなかった

気づかれず持ち去ったのか、だまして手放させたのか 図:気づかれず持ち去ったのか、だまして手放させたのか

家具を渡す認識はあっても中の現金には気づいていなかった今回の場面が、詐欺罪になるか窃盗罪になるかは、だまされた店主の頭の中で何が分かっていれば足りるか、という物差しの取り方で割れます。今日は、前回立てた処分行為の定義の続き、その内側にある被欺罔者の認識、つまり処分意思の話に入ります。

処分行為の主観面——何を分かっていれば「手放した」と言えるか

処分行為とは何でしたか 図:処分行為とは何でしたか

前回学んだ処分行為の定義、覚えていますか?だまされた意思に基づいて、財物か利益の支配を、終局的に相手へ移す行為でしたね。前回は、この定義の外側、つまり「終局的かどうか」という客観面を見ました。今日はその内側、だまされた本人の頭の中、つまり主観面に入ります。冒頭の古道具屋の例で考えてみましょう。店主は、家具という物を客に渡す意思はありました。でも、家具の引き出しに現金が入っていることには気づいていません。

条文刑法246条

刑法246条(詐欺) 1項:人を欺いて財物を交付させた者は、十年以下の拘禁刑に処する。 2項:前項の方法により、財産上不法の利益を得、又は他人にこれを得させた者も、同項と同様とする。

ここで条文を、もう一度確認しておきます。1項が財物、2項が財産上の利益です。今日は、この両方について、処分行為の主観面を見ていきます。

家具は渡す、現金は渡す気が無い 図:家具は渡す、現金は渡す気が無い

なお、客は嘘は言っていません。詐欺を問題にするなら、中身に気づいたのに黙って買う点を、前々回見た、告げるべき義務があるのに黙っている不作為による欺罔行為として見ることになります。それが処分行為に向けられた欺罔と言えるかどうかが、店主の頭の中で決まります。ここで問題になるのが、処分行為と言えるには、被欺罔者が何を分かっている必要があるか、という問いです。個々の中身、つまり現金まで分かっていないと処分行為とは言えないのか。それとも、家具という物が移ることさえ分かっていれば足りるのか。ここで、考え方が2つに分かれます。

意識的処分行為説——個々の中身までの認識を求める

意識的処分行為説 図:意識的処分行為説

⭐ 論文で書く規範:意識的処分行為説 「処分行為があるといえるためには、被欺罔者において、特定の財物が相手方に移転することの認識まで必要である。」 (規範(対立型・判例=最決昭30・7・7))

1つ目は、意識的処分行為説です。処分行為があると言えるには、特定の財物、たとえば現金封筒そのものが相手へ移ることの認識まで必要だ、という考え方です。詐欺罪は、被欺罔者自身の意思に基づいて占有が移るという構造の犯罪です。だとすれば、その意思が向いている対象は、渡す物の個々の中身にまで及んでいなければならない、という理由です。この考え方を古道具屋の例に当てはめるとどうなるでしょうか。店主は、現金の存在に気づいていないので、現金を移すという認識はありませんね。この説からは、現金についての処分行為が無いことになります。処分行為が無ければ、そもそも現金に向けられた欺罔行為も考えられません。前回見たとおり、処分行為があれば詐欺、無ければ窃盗として検討する、ここが2つの罪の分かれ目でした。しかも前々回見た4つの輪のとおり、入口の欺罔行為が無ければ未遂にすらなりません。だから現金の部分は、窃盗罪として検討することになります。

無意識的処分行為説——何かが移る認識で足りる

無意識的処分行為説 図:無意識的処分行為説

⭐ 論文で書く規範:無意識的処分行為説 「処分行為があるといえるためには、被欺罔者において、財物が相手方に移転することの認識があれば足り、移転する財物の個々の内容についてまで認識している必要はない。」 (規範(対立型・自説=学説で立てる/判例は意識的処分行為説))

2つ目は、無意識的処分行為説です。処分行為があると言えるには、何らかの財物が相手へ移ることの認識で足り、個々の中身までは分かっていなくてよい、という考え方です。たとえば、安い商品の箱に高い商品をこっそり詰めて、そのままレジで会計させる場面を考えてください。店員は、箱が客の手に渡ることは分かっていても、中の高い商品が移ることには気づいていません。このように、移る物そのものに気づかせないのが、詐欺の典型です。それを理由に処分行為を否定してしまうと、詐欺の本質的な部分を外して考えることになり、妥当ではない、という理由です。古道具屋の例では、店主は家具という財物が移ることは、はっきり認識しています。

この説からは、家具という財物についての認識で足り、処分行為があったことになります。だまされて処分行為までしている以上、4つの輪はすべてつながり、現金の部分も含めて、詐欺罪が成立することになります。被欺罔者の頭の中の認識を、どこまで細かく見るか、その物差しの違いが、罪名そのものを分けているわけです。

誤解の予防——2段の物差し

認識には2段ある 図:認識には2段ある

ここで、誤解しやすい点を確認しておきます。無意識的処分行為説という名前だけを聞くと、認識はゼロでよいと誤解しがちです。実は、認識ゼロでは処分行為になりません。被欺罔者の認識は、2段に分けて考える必要があります。1段目は、何らかの財物が移ることの認識。2段目は、その個々の中身までの認識です。争いがあるのは2段目だけで、1段目は両説とも必要だという点で一致しています。少し止めて考えてみてください。この場合は、意識的処分行為説からも、無意識的処分行為説からも、処分行為はありません。1段目の認識すら欠けているからです。何かを手放しているという自覚すら無ければ、それは本人が渡したのではなく、知らないうちに持ち去られただけ、つまり窃盗の形そのものだからです。結論は、両説とも窃盗罪になります。無意識的処分行為説であっても、認識ゼロでは処分行為にならない、ということを確認しておいてください。

2項詐欺での処分意思——準占有を手放す認識

財物が無い場合、何を手放すのか 図:財物が無い場合、何を手放すのか

ここまでの物差しは、財物を対象にする1項詐欺の話でした。次は、財産上の利益を対象にする2項詐欺で、同じ物差しをどう当てはめるかです。財物の占有に当たるものは、代金債権の準占有です。事実上、弁済を求めたり促したりできる状態のことを、こう呼びます。この準占有を基準に、同じ2段の物差しを当てはめます。1段目は、準占有が終局的に移ることの認識。2段目は、相手の債務を免除することの認識です。設例で見てみましょう。深夜営業のバーで、会計前の客が「近くのコンビニでお金を下ろしてきます」と店員に告げ、店員が一人での外出を許可しました。実際には所持金があったのに、客はそのまま戻りませんでした。

一人での外出を許した店員の頭の中 図:一人での外出を許した店員の頭の中

外出を許してしまうと、相手はもう店の目の届かない場所にいて、いつ戻るか、戻るかどうかさえ店側には分かりません。事実上、支払いを求めたり促したりできる状態が、そこで失われてしまうんです。これが、代金債権の準占有が終局的に移る、という意味です。ここでも意識的処分行為説と無意識的処分行為説で結論が分かれます。意識的処分行為説からは、店員はあくまで一時的な外出だと思っていて、外出を許すことが、中身としては代金を諦めること、つまり相手の債務を免除することだという認識までは持っていません。1項の家具の中の現金に当たるのが、この「代金を諦める」という中身です。2段目の認識が無いので、処分行為なし。2項詐欺は成立せず、前回見た、利益だけをこっそり得る、いわゆる利益窃盗の形になります。窃盗罪の条文は「財物」しか書いていないので、利益窃盗を罰する条文は無く、結局は不可罰です。

無意識的処分行為説からは、店員は一人での外出を許可した時点で、代金債権の準占有が終局的に移ることは認識していると評価できます。1段目の認識があれば足りるので、処分行為が認められ、2項詐欺が成立します。なお、この後見る最高裁の決定は、バーの例とは別の、客が店先まで見送りに出たまま逃げた事件についてのものです。その決定は、債務免除の意思表示までを求めていて、意識的処分行為説に立つものと評価されています。ここは、対立の構造だけつかんでおいてください。

両説が揃って処分行為を否定する場面

まだ請求できると思っている、という状態 図:まだ請求できると思っている、という状態

ここまでは、2説の結論が割れる場面を見てきました。最後に、両方の説が揃って処分行為を否定する場面を見ておきます。店内のトイレに行く、あるいは店先まで知人を見送る、というだけで、相手が姿を消してしまう場合です。バーの例では、店員は客が店の外に完全に出ることを許可していました。トイレや見送りでは、店員はあくまで、すぐそこに戻ってくるはずだと思っています。まだ請求できる状態にあると思っているわけです。同じ「外に出す」でも、店側がどこまでの支配の喪失を許容したか、そこが違うわけです。ここでは、準占有が終局的に移ることの認識、つまり1段目の認識すら欠けています。1段目が無い以上、意識的処分行為説からも、無意識的処分行為説からも、処分行為はありません。処分行為が無いまま利益だけを得ても、利益窃盗は不可罰でしたね。

実際にあった事件で、この場面が問題になったものがあります。客が料亭で宿泊と飲食を重ねたあと、「自動車で帰宅する知人を見送ってきます」と店の主人を欺いて店先まで出たまま、逃げてしまいました。

見送りのために店先まで出たまま逃げる 図:見送りのために店先まで出たまま逃げる

実は、この事件は、以前、無銭飲食で詐欺罪が既遂になる時点を確認したときと、同じ事件です。あのときは、支払う意思を装って宿泊・飲食させた時点そのものが問題でした。今日見るのは、その事件の別の場面、店先での見送りの部分です。

判例最高裁判所決定(昭和30年7月7日)

見送りを装った逃走と債務免除の意思表示 「相手方たる債権者を欺罔して債務免除の意思表示をなさしめることを要するものであつて、単に逃走して事実上支払をしなかつただけで足りるものではない」

最高裁は、財産上不法の利益を得たと言えるには、相手方の意思による場合でなければならないとしたうえで、相手方たる債権者を欺いて、債務免除の意思表示をさせることが必要であって、単に逃げて事実上支払わなかっただけでは足りない、としました。そのうえで、見送りを装った逃走だけをもって2項詐欺の既遂とした原判決を、失当だと判断しています。まだ請求できる状態だと思っている以上、準占有が終局的に移る認識すらありません。両説とも処分行為なし、という今日の整理と、そのまま重なる判断です。この判旨は、2段目まで求める意識的処分行為説に立つものと評価されています。ただ、この事案では1段目の認識すら欠けているので、どちらの説に立っても結論は同じになります。

この客は無罪になったんですか。違います。そこは分けて理解してください。この客は、見送りの前、すでに宿泊と飲食を受けている時点で、支払う意思が最初から無かったんです。最高裁は、その時点ですでに詐欺罪が既遂に達しているとして、結局は上告を棄却し、有罪を維持しました。今日学んだのは、あくまで「見送りだけでは2項の処分行為にならない」という部分の法理であって、事件全体の結論とは別の話だと考えてください。

今日の地図(保存版)

今日の比較表——2説×4場面の結論 図:今日の比較表——2説×4場面の結論

今日は、処分行為の主観面、被欺罔者がどこまで分かっていれば足りるかを見てきました。物差しは常に2段。何らかの財物や利益が移ることの認識は、両説とも必要です。争いがあるのは、その個々の中身までの認識が必要かどうか、という2段目だけでした。意識的処分行為説は2段目まで求め、無意識的処分行為説は1段目で足りるとする、という違いでしたね。この対立は、財物を対象にする1項でも、利益を対象にする2項でも、同じ形で現れます。2項では、占有の代わりに代金債権の準占有という言葉に置き換えて考えるだけです。そして、1段目の認識すら無い場面では、両説の対立自体が生まれず、揃って処分行為が否定されました。

判例は、先ほどの最高裁決定のとおり、意識的処分行為説に立つと評価されています。もっとも、答案では無意識的処分行為説に立つとよいでしょう。移転させる客体を相手に気づかせないことこそ詐欺の最も典型的なやり口であり、それを理由に処分行為を否定してしまうと、詐欺の本質的な部分を外すことになるからです。しかも先ほどの決定は、1段目の認識すら欠けていた事案なので、無意識的処分行為説に立っても結論は同じでした。ここも、あてはめで結論が分かれる、論文で問われそうな論点ですね。ここは論文で論点になりうる部分です。

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#142単独ページ動画

キセル乗車・無銭飲食と詐欺罪

第16章 個人的法益⑤|財産に対する罪②(詐欺・恐喝・横領・背任・盗品・毀棄) ④/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

定期券の手前から乗る

嘘をついたのはどこか、係員は何を手放したのか 図:嘘をついたのはどこか、係員は何を手放したのか

前回、処分行為の主観面、被欺罔者がどこまで分かっていれば足りるかという物差しを立てました。今日は、この物差しを実際の事案に当てていきます。まず、こんな場面を考えてみてください。通勤定期の区間の手前にある駅から電車に乗る人が、乗車駅では最低区間の切符だけを買い、定期券の区間に入ってからは何も申し出ず、下車駅の有人改札で定期券を見せて出ました。嘘をついたのはどこか、係員は何を手放したのか。実は、この問いへの答えは、鎖のどこを見るかによって、3つに割れます。

道具の再確認——鎖と処分意思の2段

これまでの2つの道具 図:これまでの2つの道具

使う道具は2つだけです。1つ目は、欺罔行為、錯誤、処分行為、取得という鎖の4つの輪。2つ目は、処分意思の2段、つまり何かが移る認識と、個々の中身の認識です。今日はこの2つの道具を、新しく作り直さずに、そのまま事案に当てていきます。

キセル乗車の事案の形——有人改札に限られる

区間の連続しない乗車券で無賃乗車する 図:区間の連続しない乗車券で無賃乗車する

冒頭の場面を整理しましょう。区間の連続しない2枚以上の乗車券、最低区間の切符と定期券を組み合わせて、本来払うべき運賃の一部を免れる行為、これがキセル乗車です。

鉄道営業法29条 図:鉄道営業法29条

鉄道の法律には、古い文体のままの条文があります。いまの言葉にすると、鉄道の係員の許しを受けずに、次の行為をした者は、2万円以下の罰金または科料に処する、という規定です。その1号が、有効な乗車券を持たずに乗車したとき、です。有効な乗車券なしに乗車すれば、この29条の罪が別途成立しえます。刑は軽いものです。今日の本題は、これとは別に、刑法246条の詐欺罪が成立するかどうかです。そして、以下で見る3つの見解の対立は、有人改札の場合に限られます。自動改札機は、機械なので錯誤に陥りません。以前見たとおり、機械が相手なら欺罔行為そのものが成立しないので、詐欺の対立は起きようがないんです。自動改札機を不正に通過した場合の扱いは、電子計算機使用詐欺の回で扱います。

乗車駅で見る見解——輸送という役務提供が処分行為

乗車券を無効と見て、乗車駅で欺罔行為をとらえる 図:乗車券を無効と見て、乗車駅で欺罔行為をとらえる

1つ目は、乗車駅で見る見解です。キセル乗車の目的で買った乗車券は、正規の乗客のふりをするための道具であって、本来無効だと考えます。その無効な乗車券を、乗車駅の係員に呈示して改札を通過する行為が、欺罔行為にあたります。係員が、電車に乗せて目的地まで運ぶという輸送の役務提供が、処分行為にあたると考えます。そして、この見解では、はるか駅を出発した時点で、財産上の利益についての2項詐欺が既遂に達すると考えます。この見解をとった裁判例があります。国鉄の駅で、近い区間の乗車券を見せて入場し、遠く離れた別の区間の乗車券で下車駅を出ようとして発覚した事案です。控訴審は、キセル乗車の目的で乗車券を乗車駅の係員に見せて使った時点で、その乗車券は無効になり、欺罔行為にあたるとして、乗車した全区間について2項詐欺の成立を認めました。

これは、最高裁の判例なんですか。違います。最高裁ではなく、高等裁判所の裁判例です。「判例は乗車駅基準説だ」と一般化はできません。あくまで、乗車駅で見た裁判例が存在する、という温度で受け取ってください。この見解には、弱点は無いんですか。あります。正規に購入した乗車券を、あとから目的が違法だったからといって無効だと見るのは無理があるという批判が向けられています。乗車券そのものは、購入時点では有効に成立しているはずだからです。

下車駅で見る見解——処分意思の2段を当てる

差額運賃の請求をさせない、という下車駅の場面 図:差額運賃の請求をさせない、という下車駅の場面

2つ目は、下車駅で見る見解です。下車駅の係員に対して、区間を偽り、本来請求できるはずの差額運賃の請求をさせなかった点をとらえて、2項詐欺の成立を認めます。ここで、前回学んだ処分意思の2段を、そのまま当ててみましょう。下車駅の係員は、そもそも差額運賃の債権が存在すること自体を知りません。

差額債権を知らないまま改札を通す係員の頭の中 図:差額債権を知らないまま改札を通す係員の頭の中

無意識的処分行為説は、1段目の認識、つまり何かが移る認識で足ります。係員は、この客を改札から出すこと自体は認識しています。改札を出てしまえば、もう差額を請求できる相手ではなくなるので、請求できる状態が移ることの認識はあると見て、処分行為ありと評価でき、2項詐欺の成立を肯定できます。意識的処分行為説は、2段目、つまり個々の中身の認識まで求めます。係員は、差額運賃の債権が存在することすら知らないので、その債権を免除する認識までは無いはずです。素直に考えれば、処分行為なしという否定の結論になります。ただし、係員には運賃の価値について決済する意思がある、という理由で処分行為性を認める見解もあり、意識的処分行為説の内部でも議論は錯綜しています。ここは深入りせず、「素直には否定、ただし肯定する見解もある」という温度で押さえておいてください。

否定する見解——どちらの駅にも輪が無い

乗車駅に欺罔行為なし、下車駅に処分行為なし 図:乗車駅に欺罔行為なし、下車駅に処分行為なし

3つ目は、どちらの駅にも詐欺罪の成立を認めない見解です。理由は2つあります。1つ目、はるか駅で買った最低区間の切符は、その区間の乗車券として有効に成立していますし、乗客には乗り越しを申告する義務もありません。だから、乗車駅の時点で欺罔行為は認められません。2つ目、下車駅の係員は、差額運賃の債権が存在すること自体を知らない以上、処分行為も認められない、と考えます。これは、意識的処分行為説を前提にした説明です。実際、キセル乗車について詐欺罪の成立を否定した裁判例も存在します。乗客に乗り越しの申告義務は無いとして乗車駅での欺罔行為を否定し、かつ、改札を出たあとも運賃債務は消えないとして下車駅での財産上の利益の取得も否定した裁判例です。それから、入場券で入場して列車に乗った無賃乗車の事案で、乗車駅の係員が改札を通過させた行為は処分行為にあたらないとして2項詐欺を否定した裁判例です。

キセル乗車3説の一覧

3つの見解、どの輪で切れるか 図:3つの見解、どの輪で切れるか

ここまでの3つの見解を、一覧で整理しておきましょう。乗車駅基準説は、乗車駅の欺罔行為と、輸送という役務提供の処分行為をつなげて、鎖が切れていないと考えます。下車駅基準説は、下車駅の欺罔行為と処分行為をつなげようとしますが、処分行為があるかどうかは処分意思の2段で説が分かれます。否定する見解は、どちらの駅にも輪が無いと見て、鎖はそもそも成立しないと考えます。ここが、冒頭で予告した「鎖のどこを見るかで答えが割れる」という意味です。

無銭飲食①——当初から支払意思がない

注文する行為自体が支払う意思を装っている 図:注文する行為自体が支払う意思を装っている

ここからは、無銭飲食を3つの場合に分けて見ていきます。1つ目は、当初から支払う意思がまったく無い場合です。以前見た挙動による欺罔行為をそのまま思い出してください。注文するという行動自体が、支払うつもりがあるという無言の嘘、つまり作為による欺罔行為になります。これで鎖はスタートし、注文した時点で1項詐欺の未遂、実際に飲食した時点で1項詐欺が既遂に達します。この時点では、財物である料理そのものを対象にした詐欺です。

無銭飲食②——食後に気が変わり、嘘をついて出る

注文時は支払意思あり、食後に嘘をついて外出する 図:注文時は支払意思あり、食後に嘘をついて外出する

2つ目は、注文した時点では支払う意思があったのに、食事を終えたあと気が変わり、嘘をついて外に出てしまう場合です。設例で考えましょう。食事を終えた客が、店員に「少し離れた駐車場に停めた車を確認してきます」と告げて一人で外出し、そのまま戻らなかったとします。注文の段階では支払う意思があったので、注文や飲食について1項詐欺が成立する余地はありません。問題は、支払段階での欺罔的な手段による2項詐欺です。ここで、前回学んだ処分意思の2段を、そのまま当てはめます。

意識的説と無意識的説で結論が分かれる 図:意識的説と無意識的説で結論が分かれる

前回見た最高裁の決定は、相手方たる債権者を欺いて債務免除の意思表示をさせることが必要であって、単に逃走して事実上支払わなかっただけでは足りない、としていました。債務免除の意思表示まで求めるということは、代金を諦めるという中身、つまり2段目の認識まで求めているということです。だからこの言い回しは、意識的処分行為説に立つものと評価されていました。この説から設例を見ると、店員は、車を見に行くと言う客を外に出しただけで、代金を諦める、つまり債務を免除するという中身までは分かっていません。2段目の認識が無いので処分行為なし、2項詐欺は成立しません。

無意識的処分行為説は、1段目、つまり前回見た、代金債権の準占有、店が客に事実上支払いを求められる状態が、終局的に移る認識で足ります。店員は、客が一人で店の目の届かない駐車場へ出ることを許しています。そこで請求できる状態を手放したと評価できるので、処分行為ありとして2項詐欺の成立を認めます。同じ場面でも、どちらの説に立つかで結論が変わるわけです。見送りは、店の主人がすぐ戻ってくるはずだと思っていた場面で、1段目の認識すら無く、両説とも処分行為なしでした。一人で目の届かない所へ出すことまで許したかどうかが、同じ「外に出す」を分ける線です。

無銭飲食③——食後に気が変わり、隙を見て逃げる

隙を見て逃げる場合、欺罔行為が無い 図:隙を見て逃げる場合、欺罔行為が無い

3つ目は、食後に気が変わったところまでは同じですが、嘘もつかず、隙を見て黙って逃げる場合です。嘘をついて出る場合と違うのは、店員への働きかけが、そもそも無いという点です。隙を見て逃げる行為は、店員に対して何かを信じ込ませようとする行為ではないので、欺罔行為にあたりません。欺罔行為が無ければ、鎖は入口からスタートせず、2項詐欺は成立しません。この人は無罪ですか。そうなります。得たものは、代金債務を免れるという財産上の利益です。以前見たとおり、利益窃盗は不可罰でした。235条は財物しか客体にしていないからです。欺罔行為も無く、条文も無い。この場合は、刑法上何も成立しません。

すり替え型——処分意思の1段目すら無い

封筒を自分の手元に置いたまま保管するつもり 図:封筒を自分の手元に置いたまま保管するつもり

最後に、キャッシュカードの封筒すり替え型です。「口座の不正利用を止めるため、キャッシュカードを封筒に入れて保管してください」という嘘を信じて、被害者が封筒にカードを入れて手元に置いたとします。その後、印鑑を取りに行かせるなどして被害者の目を離させた隙に、別の封筒とすり替えてカードを持ち去ります。カードを封筒に入れる動作そのものより大事なのは、被害者がその封筒をどうするつもりだったか、です。被害者は、封筒を自分の手元に置いたまま保管するつもりでいます。相手に何かを渡す、という認識自体がありません。処分意思の2段でいえば、1段目、何かが移るという認識そのものが欠けています。

「預かる」と言われて差し出す型との対比 図:「預かる」と言われて差し出す型との対比

対比になる場面があるんですか。あります。「こちらでお預かりします」などと告げて、その場でカードそのものを差し出させる型です。この場合、被害者は相手にカードを渡すという認識を持っています。処分意思の1段目があるので、処分行為ありと評価でき、詐欺罪として処理されます。同じ「封筒に入れる・差し出す」という外形でも、被害者が最終的にどこへ物を置くつもりだったかで、処分行為の有無が変わるわけです。鎖の最初の回で見たとおり、詐欺の欺罔行為は、嘘があるだけでは足りず、相手に処分行為をさせることに向けられた嘘でなければなりません。手元に置かせるための嘘は、カードを渡させるための嘘ではないので、詐欺の入口の輪にあたらないと整理されます。だから詐欺の未遂としてではなく、窃盗として見ることになります。実際に、すり替え型の事案を扱った最高裁の決定があります。争点は詐欺罪ではなく、窃盗罪の実行の着手、つまり着手を学んだ回で見た、結果発生の現実的危険性を含む行為を始めた時点がいつか、についてでした。

判例最高裁判所第三小法廷決定(令和4年2月14日)

すり替え型の実行の着手 このような事実関係の下においては、被告人が被害者に対して印鑑を取りに行かせるなどしてキャッシュカード入りの封筒から注意をそらすための行為をしていないとしても、本件うそが述べられ、被告人が被害者宅付近路上まで赴いた時点では、窃盗罪の実行の着手が既にあったと認められる。

この決定は、処分行為が無いことを理由に窃盗だと言っているんですか。違います。そこは注意してください。この決定が判断しているのは、窃盗罪・窃盗未遂罪として起訴された事案について、実行の着手がいつ認められるか、という一点だけです。被害者がカードを封筒に入れたまま手元に置くつもりだった、という事案の形と、この事件が窃盗罪として処理されている、という事実は今日確認したとおりですが、「処分行為が無いから窃盗とした」という理由づけそのものは、判例が述べたものではなく、今日の講義としての整理です。

今日の地図(保存版)

今日のまとめ——どの輪で切れたか一覧 図:今日のまとめ——どの輪で切れたか一覧

今日見た事案を、鎖のどの輪で切れたか、という観点で一覧にしました。キセル乗車は3説とも、輪をどこに見るかの違いでした。無銭飲食は、当初から支払意思が無ければ1項、食後に嘘をつけば処分意思の2段で分かれる2項、隙を見て逃げれば欺罔行為が無く不成立、という3段階です。すり替え型と交付型は、処分意思の1段目があるかどうかで、窃盗と詐欺に分かれました。誤振込は、窓口で黙って払戻しを受ければ不作為の欺罔行為で詐欺、ATMなら相手が機械なので詐欺は成立しません。釣銭も、その場で気づいて黙って受け取れば詐欺、帰宅後に気づけば占有離脱物横領として検討する、というのが以前の結論でした。

鎖と処分意思の2段、この2つの道具さえあれば、どの事案も自分で切り分けられそうです。あてはめとは、新しい理屈を探すことではなく、今見ている場面のどこで鎖が切れているかを、道具に当てて言い当てる作業です。ここも、あてはめで結論が分かれる、論文で論点になりうる部分です。

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#143単独ページ動画

詐欺罪の財産的損害

第16章 個人的法益⑤|財産に対する罪②(詐欺・恐喝・横領・背任・盗品・毀棄) ⑤/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

定価どおりの品物、それでも詐欺か

払った分の物は受け取っている。それでも詐欺か 図:払った分の物は受け取っている。それでも詐欺か

前回まで、詐欺罪を欺罔行為から取得まで、鎖の4つの輪でつないできました。今日は、その鎖の外側にある、もう1つの条件を見ていきます。まず、こんな場面を考えてみてください。ある品物を、嘘の触れ込みで、定価どおりの値段で売ったとします。買った人は、払った分の物をちゃんと受け取っています。詐欺が成立することもあります。答えは、買った人が何を得ようとしていたかで分かれます。今日は、この「損害」という条件を掘り下げます。

財産的損害が要件になる理由

財産犯である以上、財産的損害が要る 図:財産犯である以上、財産的損害が要る

交付の判断の基礎となる重要な事項を偽ることが必要でした。今日見るのは、それとは別の条件です。詐欺罪の条文には、「損害」という言葉は出てきません。それでも、詐欺罪は財産犯です。財産に対する罪である以上、相手方に財産的な損害が生じたことが必要だと考えられています。詐欺の初回で見たとおり、詐欺罪が守っているのは財産権で、罰する対象は、嘘によって財産が損なわれることです。だから、だまされて何かを渡しても、相手の財産に何の損害も生じていなければ、守るべきものは傷ついておらず、罰する理由がありません。これが、条文に無くても損害が要件になる理由です。しかも、この要件は2つの役割を持ちます。1つは、既遂の時期を決めること。損害が現実に発生した時点で既遂に達します。もう1つは、そもそも欺罔行為にあたるかどうかを決めることです。詐欺の初回で、欺罔行為は、相手を錯誤に陥らせ、処分行為に向かわせる行為だと見ました。その処分行為が損害を生じさせるようなものでなければ、欺罔行為そのものに当たらず、未遂すら成立しません。欺罔行為の条件は初回の2つのままで、損害という別の要件が、入口の判断にも効いてくる、ということです。

だから今日見る「損害」は、鎖の外側で、入口と出口の両方を締めている条件だといえます。なお、この要件を、鎖の最後の輪である取得の言い換えと見る考え方と、独立の要件と見る考え方がありますが、答案ではどちらで書いても問題ありません。

形式的個別財産説と実質的個別財産説

手放したこと自体を損害と見ると、要件が空になる 図:手放したこと自体を損害と見ると、要件が空になる

「損害」の中身の見方は、2つに分かれます。1つ目は、形式的個別財産説です。詐欺罪は個別財産に対する罪です。財産犯総論の回で見たとおり、財産全体が減らなくても、個別の財産が失われれば足りる罪、という意味でした。この個別財産に対する罪という性質を根拠に、財物や利益を手放したこと自体が、すでに財産的損害だと考えます。定価どおりの品物を渡した場合でも、買った人は代金を手放しています。手放したこと自体が損害なら、この時点でつねに損害ありになります。それだと、損害が無い場面が無くなりませんか。そこがこの説への批判です。価格相当の物を給付しても常に損害ありとするなら、損害という要件をわざわざ立てた意味が無くなり、損害を不要とする立場と実質的に変わらなくなってしまいます。

求めたものと給付されたものの経済的な齟齬を見る 図:求めたものと給付されたものの経済的な齟齬を見る

2つ目が、実質的個別財産説です。手放したこと自体ではなく、実質的な財産的損害が発生したかどうかを見ます。判例も、この実質的な見方に立っていると言われています。

⭐ 論文で書く規範:実質的個別財産説(通説で立てる) 「詐欺罪の財産的損害の有無は、被欺罔者が当該取引で獲得しようとしたものと、実際に給付されたものとの間に、経済的に重要な齟齬があるか否かによって判断する。」 (規範(通説で立てる))

冒頭の品物の例なら、買った人が求めていたものと、実際に渡された品物との間に、経済的に重要な食い違いがあるかどうかで、損害の有無が決まります。今日はこのあと、この物差しを類型ごとに当てていきます。

判例が実質で見ている2件

本来受け取れたはずのものとの差分を問う 図:本来受け取れたはずのものとの差分を問う

判例が実質で見ていることが分かる事案を、2つ見てみましょう。1つ目は、代金を受け取りながら品物を渡さない売主が、督促に来た買主を、嘘で一時的に安心させて帰した事案です。

督促を一時免れても、債務は消えていない 図:督促を一時免れても、債務は消えていない

判例最高裁判所判決(昭和30年4月8日)

履行遅滞中の督促を免れた事案 すでに履行遅滞の状態にある債務者が、欺罔手段によつて、一時債権者の督促を免れたからといつて、ただそれだけのことでは、刑法二四六条二項にいう財産上の利益を得たものということはできない。

督促を免れただけでは、本来支払うべきだった債務そのものが消えたわけではありません。だから、実質的に何かを得たとまではいえない、と判断されました。

支払時期を早めただけでは足りない場合がある 図:支払時期を早めただけでは足りない場合がある

2つ目は、請負人が、虚偽の書類を提出して工事の完成検査に合格し、本来受け取る権利のある請負代金の支払を受けた事案です。

判例最高裁判所判決(平成13年7月19日)

請負代金の早期受領事案 請負人が本来受領する権利を有する請負代金を欺罔手段を用いて不当に早く受領した場合には、その代金全額について刑法246条1項の詐欺罪が成立することがあるが、本来受領する権利を有する請負代金を不当に早く受領したことをもって詐欺罪が成立するというためには、欺罔手段を用いなかった場合に得られたであろう請負代金の支払とは社会通念上別個の支払に当たるといい得る程度の期間支払時期を早めたものであることを要する。

詐欺が成立することもあります。ただし、条件が付きます。ただ早く受け取っただけでは足りず、社会通念上、もはや別の支払といえるくらいの期間、支払時期を早めたことが必要です。督促を免れただけでは本来の債務は消えていない、支払時期を少し早めただけでは別の支払とはいえない。どちらも、実質的に何かが違ったといえるかを見ています。形の上で何かを得たかではなく、実質で見る。この姿勢が、さっきの実質的個別財産説と重なります。

価格相当の商品の給付

求めたものと給付されたものの間に、経済的に重要な齟齬はあるか 図:求めたものと給付されたものの間に、経済的に重要な齟齬はあるか

価格相当の商品を渡した場合には、さっきの物差しをそのまま当てます。買った人が求めていたものと、実際に渡されたものとの間に、経済的に重要な齟齬があるかどうかです。

段差センサーを求めたのに、無い型が届いた 図:段差センサーを求めたのに、無い型が届いた

段差センサー搭載、階段があっても落ちません、という触れ込みで、市場価格どおりの値段で売られていたとします。届いたのは、センサーの無い普通の型で、値段はそのセンサー無し型の相場どおりでした。物としての価値は釣り合っています。それでも、買った人が求めていたのは、段差を検知して落ちない掃除ロボットです。実際に届いたのは、段差を検知しない普通の型です。求めたものと給付されたものの間に、経済的に重要な齟齬がある。だから、損害はあると評価できます。同じ発想を扱った、古い時代の決定もあります。中風や麻痺に効く特殊な治療器だと偽って、実際には市価どおりの値段で、ただの器具を売った事案です。

判例最高裁判所決定(昭和34年9月28日)

効能を偽って市価相当の器具を売った事案 たとえ相当価格の商品を提供したとしても、事実を告知するときは相手方が金員を交付しないような場合において、ことさら商品の効能などにつき真実に反する誇大な事実を告知して相手方を誤信させ、金員の交付を受けた場合は、詐欺罪が成立する。

判旨の決め手は、本当のことを告げていれば相手はお金を払わなかった、という点です。今日の物差しで見ても、求めていたのは購入価格に見合う以上の特殊な効能で、実際に渡されたのは購入価格相当のただの器具にすぎません。経済的に重要な齟齬があり、損害ありと説明できます。逆に、損害なしになる場合もあるんですか。あります。もっと古い、大審院の時代の決定にも、医師だと偽って、実際に効能どおりの本物の薬を、相当な価格で売った場合には、詐欺罪に問えないとしたものがあります。今日の物差しで言えば、求めた効能と実際に得た効能が一致していて、経済的に重要な齟齬が無い、という説明になります。

2つの説の結論が分かれるのは、まさにこういう場面です。

フリマ設例も、同じ物差しで損害あり 図:フリマ設例も、同じ物差しで損害あり

あの回で見たのは、財産全体の差し引きでは決めない、というところまででした。今日はそこから一歩進めて、手放したものについて、何を求めて何を得たかを見ます。求めていたのは最新モデル、実際に渡されたのは型落ちでした。相場が同じ3万円でも、求めたものと給付されたものの間に、経済的に重要な齟齬があります。だから、今日の実質的な見方でも、損害ありという同じ結論に落ち着きます。

公的証明書の詐取——事実を証明するだけの文書

事実を証明するだけの文書は、損害なしの方向 図:事実を証明するだけの文書は、損害なしの方向

次は、公的証明書の詐取です。証明書には、事実を証明するだけの文書と、それを受け取ることで交付する側に給付の負担が生じる文書があります。事実を証明するだけの文書は、損害なしの方向で説明されます。印鑑証明書がその例です。古い大審院の時代の判断にも、印鑑証明書を偽って取得した場合に詐欺罪の成立を否定したものがあります。これを学説は、証明書は事実を証明するだけで、役所の側に現実の負担が生じるわけではない、と説明しています。旅券も、同じ理由で詐欺にならないんですか。そこは、注意が必要です。実は、旅券の判例は、「損害が無いから」とは言っていません。

旅券の判断理由は、損害ではなく特別規定の優先 図:旅券の判断理由は、損害ではなく特別規定の優先

旅券の下付、つまり役所から旅券を交付してもらうことを、公務員への嘘の申立てによって受ける行為だけを、詐欺罪より軽い刑で、特別に処罰する規定があります。判例が実際に述べているのは、この特別な規定がある以上、詐欺罪ではなくその規定だけを適用すべきだ、という理由です。

判例最高裁判所判決(昭和27年12月25日)

旅券下付事件 同条に規定する犯罪の構成要件は、公務員に対し虚偽の申立を為し免状等に不実の記載をさせるだけで充足すると同時にその性質上不実記載された免状等の下付を受ける事実をも当然に包含するものと解するを正当とする。……免状、鑑札、旅券の下付を受ける行為のごときものは、刑法二四六条の詐欺罪に問擬すべきではなく、右刑法一五七条二項だけを適用すべきものと解するを相当とする。

事実を証明するだけの文書だから給付の負担が無い、実質的な損害が無い、という説明は、あとから組み立てられた見方です。判例自身の理由づけと、この見方を混同しないでください。旅券の詐取が詐欺罪にならないのは、損害の有無ではなく、特別な規定が優先するからです。判旨が言うとおり、この規定は、嘘の申立てで不実の記載をさせることだけでなく、その旅券の下付を受けることまで、当然に含んで処罰しています。下付を受けるところまで軽い刑で評価し尽くしている規定なので、その上に重い詐欺罪を重ねない、という理屈です。

公的証明書の詐取——給付の負担を伴う文書

給付の負担を伴う文書は、損害ありの方向 図:給付の負担を伴う文書は、損害ありの方向

給付の負担を伴う文書の例が、国民健康保険の被保険者証と、簡易生命保険の証書です。保険の給付を受けられる文書なので、交付する側に現実の負担が生じます。カードに出てくる騙取は、騙し取るという意味です。

判例最高裁判所決定(平成18年8月21日)

国民健康保険証詐取事件 町役場係員に対し,虚偽の生年月日を記入した自己名義の住民異動届に国民健康保険の被保険者の資格を転入により取得した旨を付記して提出するなどして,係員を欺いて国民健康保険被保険者証の交付を受けた行為について,刑法246条1項の詐欺罪の成立を認めた原判断は,正当である。

判例最高裁判所決定(平成12年3月27日)

簡易生命保険証書詐取事件 簡易生命保険契約の事務に従事する係員に対し、被保険者が傷病により入院中であること又は被保険者につき既に法定の保険金最高限度額を満たす簡易生命保険契約が締結されていることを秘して契約を申し込み、同係員を欺罔して簡易生命保険契約を締結させ、その保険証書を騙取した行為について、刑法……二四六条一項の詐欺罪の成立を認めた原判決の判断は、正当である。

判旨は、欺罔行為に当たり、詐欺罪の成立を認めた判断が正当だ、とだけ述べています。保険給付を受けられるという現実の負担が交付する側に生じる、という損害の中身の説明は、判例の言葉ではなく、あとから組み立てられた見方だということを覚えておいてください。なお、これらは公務所や公的な保険を相手にした詐欺で、国や自治体を被害者と見られるかという前提の論点が別にありますが、その点は詐欺の初回で見た保護法益の話に譲ります。

預金通帳の詐取

財物性の話であって、損害の話ではない 図:財物性の話であって、損害の話ではない

預金通帳の詐取の判例は、まず財物性を確認しています。

判例最高裁判所決定(平成14年10月21日)

他人名義の預金通帳と財物性 預金通帳は,それ自体として所有権の対象となり得るものであるにとどまらず,これを利用して預金の預入れ,払戻しを受けられるなどの財産的な価値を有するものと認められるから,他人名義で預金口座を開設し,それに伴って銀行から交付される場合であっても,刑法246条1項の財物に当たる。

原審は、詐欺罪が予定する利益の定型性を欠くとして詐欺罪の成立を否定していましたが、最高裁は、その判断は誤りだとして、通帳は財物にあたると判断しました。ここで争われているのは財物性であって、財産的損害ではありません。以前、口座開設の申込みが欺罔行為にあたるとした判例を見ましたね。

判例最高裁判所決定(平成19年7月17日)

口座開設の申込みと欺罔行為 銀行支店の行員に対し預金口座の開設等を申し込むこと自体、申し込んだ本人がこれを自分自身で利用する意思であることを表しているというべきである。

この判例も、欺罔行為にあたることしか述べておらず、損害には触れていません。では、銀行の側に、実質的にどんな損害があるのでしょうか。通帳という物を交付したこと自体が、そのまま損害になるわけではありません。銀行の実質的な損害は、その口座が振り込め詐欺などに利用された場合に、銀行が、だまされて振り込んだ被害者から、不当利得の返還、つまり法律上の理由なく受け取ったお金を返せという請求や、損害賠償を請求されるリスクを負う、という点に見ることができます。もう1つ、通帳の預入れや払戻しといった給付そのものを負担と見る説明もあり、どちらで書いてもかまいません。

搭乗券の詐取

経営上の重要性は、重要な事項の理由であって損害の認定ではない 図:経営上の重要性は、重要な事項の理由であって損害の認定ではない

詐欺の初回で見た搭乗券の判例も、もう一度見てみましょう。

判例最高裁判所決定(平成22年7月29日)

搭乗券詐取事件 搭乗券の交付を請求する者自身が航空機に搭乗するかどうかは,本件係員らにおいてその交付の判断の基礎となる重要な事項であるというべきである

搭乗券の判旨は、重要な事項だから欺罔行為にあたると述べるだけで、どこにも財産的損害という言葉は出てきません。判旨の前のほうには、この乗客以外を乗せないことが会社の経営上も重要だった、という事実の認定もありますが、これもあくまで「重要な事項」を基礎づける事実認定です。財産的損害を認定した部分ではありません。損害はどこに見るんですか。そこは、学説側で補って考えるほかありません。今日の物差しに当てると、航空会社が搭乗券と引き換えに求めていたのは、券面の本人を乗せることです。ところが実際に乗るのは、搭乗券の名前とは別の人です。誰が乗っているかを会社がつかめない便では、安全の管理がそこで崩れます。それが知られれば、乗客を管理できない会社だと見られて利用客の信頼を失い、最後は会社の収入、つまり経済的な運営にまで響きます。運航の安全、業務への信頼、経済的な運営という順にたどると、求めたものと得たものの食い違いは、こういう像になります。判例自身は、そこまで踏み込んでいません。

重要な事項と財産的損害の関係

同じ事情を、別の角度から見ている 図:同じ事情を、別の角度から見ている

詐欺の初回で学んだ、交付の判断の基礎となる重要な事項という物差しと、今日見た財産的損害という物差しは、別の要件です。ですが、多くの場面で、同じ1つの事情を、別の角度から見ています。この構造そのものが、重要な事項が欺罔行為の輪を見る物差しであり、財産的損害がそれとは別の、財産犯であることから来る物差しであることを表しています。片方が語られていても、もう片方は語られていないことがある。だから、答案でも、この2つを混同せずに、別の要件として書き分けてください。

今日の地図(保存版)

今日のまとめ——相手が実質的に失ったもの 図:今日のまとめ——相手が実質的に失ったもの

今日見た類型を一覧にしました。価格相当の商品は、相当な価格でも詐欺が成立しうることを、判例自身が正面から述べていました。公的証明書・預金通帳・搭乗券は、判例自身が損害に触れないことが多く、損害の中身は学説側で補う場面が中心でした。判例が言っていることと、言っていないことを、区別するのが大事なんですね。特に旅券のように、判例の理由づけを損害の話だと取り違えると、答案でも誤った理由を書いてしまいます。今日押さえた物差しは、被欺罔者が求めたものと、実際に給付されたものとの間の、経済的に重要な齟齬でした。この財産的損害の認定は、論文でそのまま問われうる論点です。冒頭の問いに戻ると、定価どおりの品物でも、買った人が求めていたものと違うものを渡していれば、経済的に重要な齟齬があり、詐欺になりえます。

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#144単独ページ動画

不法原因給付と詐欺・三角詐欺

第16章 個人的法益⑤|財産に対する罪②(詐欺・恐喝・横領・背任・盗品・毀棄) ⑥/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

返せと言えないお金でも、詐欺か

民法上返還請求できないお金を渡した人は、何かを失ったといえるか 図:民法上返還請求できないお金を渡した人は、何かを失ったといえるか

前回、詐欺罪の財産的損害は「相手が実質的に何を失ったか」で見る、という物差しを見ました。今日は、その物差しを一歩外側まで広げます。まず、こんな場面です。闇のルートで盗まれた美術品を買う約束をして、前金として100万円を払ったとします。ところが売り手は、最初から品物を渡すつもりが無かったとします。盗品を買う約束は、民法上は無効です。しかも買い手は、払った100万円について、民法上「金を返せ」とは言えない立場にあります。返せと言えないなら、何も失っていないことになりませんか。それでも詐欺になるんですか。そこが今日の入口です。答えは、財物を渡した側なのか、それとも自分から不正な行為に踏み込んだ側なのかで、変わってきます。

不法原因給付の仕組み

公序良俗に反する契約は、返還請求できない 図:公序良俗に反する契約は、返還請求できない

条文民法90条

民法90条(公序良俗) 公の秩序又は善良の風俗に反する法律行為は、無効とする。

条文民法708条

民法708条(不法原因給付) 不法な原因のために給付をした者は、その給付したものの返還を請求することができない。ただし、不法な原因が受益者についてのみ存したときは、この限りでない。

まず、民法の仕組みを確認します。公の秩序または善良の風俗に反する契約は、90条で無効になります。盗品を買う契約は、この無効な契約にあたります。払ったお金でも、返してもらえないことがあります。不法な原因のためにおこなった給付は、708条本文により、返還を請求できません。無効な契約の後始末を、裁判所に頼ることができない、という仕組みです。ただし、ただし書があります。不法の原因が、受け取った側(受益者)だけにあるときは、返還請求できます。買い手にも売り手にも不法の原因がある今日の場面では、本文どおり、買い手は返還請求できません。

問題の所在

返還請求できないなら、財産的損害も無いのではないか 図:返還請求できないなら、財産的損害も無いのではないか

ここで、前回の物差しにそのままぶつかります。前回見たとおり、財産的損害を生じさせない行為は、欺罔行為にすら当たりません。なら、返還請求できない以上、財産的損害も無いのではないか、という疑問が出てきます。ここから先は、財物を渡した罪(1項詐欺)と、財産上の利益を得る罪(2項詐欺)とで、答えが分かれます。まず1項から見ていきます。

1項詐欺は成立する

財物に対する支配権を侵害した以上、成立を妨げない 図:財物に対する支配権を侵害した以上、成立を妨げない

結論から言うと、1項詐欺は成立します。これはほぼ争いがありません。判例の言い方はこうです。

⭐ 論文で書く規範:1項詐欺と不法原因給付 「欺罔手段によつて相手方の財物に対する支配権を侵害した以上、たとい相手方の財物交付が不法の原因に基いたものであつて民法上その返還又は損害賠償を請求することができない場合であつても詐欺罪の成立をさまたげるものではない」 (規範(最判昭25・7・4))

「支配権」を侵害した、という言い方なんです。「損害」とは言っていません。そこがポイントです。判例は、民法上の返還請求ができるかどうかとは別の次元で、財物に対する事実上の支配を奪われたこと自体を捉えています。美術品の例で言えば、買い手は100万円という財物に対する支配を、欺かれて手放しています。民法上の後始末がどうなるかにかかわらず、この支配の侵害は現に起きている、という理屈です。この判例の言い方を踏まえて、学説側は、財産的損害という切り口で2つの理由づけをしています。1つ目は、だまされなければそもそも財物を渡さなかったのだから、その意味で損害はあると見る説。もう1つは、不法の原因は受益者、つまりだました側だけにあるとみて、708条ただし書の適用を認め、損害を肯定する説です。

だから、その場面ではただし書の説明は使いにくく、1つ目の理由づけのほうがなじみます。逆に、だました側にしか不法の原因が無い場面では、2つ目の理由づけが使えます。どちらで書いても答案として問題ありませんが、自分の立場を1つ決めておけば足ります。ごく少数、否定する説もあるんですか。あります。708条本文で返還請求できない以上、損害は無いとする説です。ただし、ごく少数にとどまります。なお、判例に現れた事案には、闇の統制物資を騙し取ったものや、売春をする約束で前借金を騙し取ったものなど、いくつかの型があります。どの事案も、財物を渡した側が不法な取引に関わっていた点は共通していますが、結論はいずれも1項詐欺の成立です。

2項詐欺は場面で分かれる

違法な役務そのものは、財産上の利益にあたらない 図:違法な役務そのものは、財産上の利益にあたらない

一方、2項詐欺、つまり財産上の利益を得る場面は、単純ではありません。2つの場面に分けて考える必要があります。1つ目の場面は、だまして違法な役務そのものをさせた場合です。

闇の便利屋にタダで違法な作業をさせた場合 図:闇の便利屋にタダで違法な作業をさせた場合

闇の便利屋に、報酬を払うと嘘をついて、他人の住居に侵入し盗聴器を仕掛けさせたとします。便利屋は、依頼人にだまされてタダで役務を行ったことになります。便利屋は損をしていますよね。それでも2項詐欺にならないんですか。なりません。ここで得られたはずの役務、つまり住居侵入という違法行為そのものは、公序良俗に反していて、そもそも246条2項が守る「財産上の利益」にあたらないと考えられています。財産上の利益にあたらない以上、それを免れても、免れる対象自体が存在しないことになります。ここには、ほぼ争いがありません。

役務を終えた後、対価の支払を免れた場合は争いあり 図:役務を終えた後、対価の支払を免れた場合は争いあり

2つ目の場面は、いったん違法な役務を行わせておいて、その後だまして対価の支払を免れた場合です。

作業を終えた便利屋を、報酬支払の段になってだました場合 図:作業を終えた便利屋を、報酬支払の段になってだました場合

同じ便利屋の例で、今度は最初から報酬を払う約束で作業をさせ、作業を終えた後になって、だまして支払を免れたとします。さっきは、役務そのものをだまして手に入れました。今度は、役務は約束どおりに行われていて、後になって支払だけを免れています。ここは争いがあります。多数説である否定説はこう考えます。住居侵入という違法な役務をさせる契約は、公序良俗違反でそもそも無効です。無効な契約である以上、依頼人は最初から報酬支払の債務を負っていません。負っていない債務を免れても、財産的損害は生じない、という理屈です。これに対して肯定説は、社会秩序を乱す行為である以上、支払を免れることも財産上の利益として捉えて処罰すべきだと考えます。

最高裁の判断は無く、下級審の判断も分かれています。学説の対立として、否定説が多数、と押さえておいてください。

1項と2項で分かれる理由

財物を渡しただけか、自ら不正に踏み込んだか 図:財物を渡しただけか、自ら不正に踏み込んだか

ここまでの結論をつなげると、こうなります。1項の被害者、さっきの美術品の買い手は、不法な取引の当事者ではあっても、財物を渡しただけです。これに対して、2項(ii)の被害者である便利屋は、自分自身が住居侵入という違法な行為を行っています。渡しただけの人の財産は、刑法的に保護する値打ちがあると評価しやすい。自ら不正に踏み込んだ人の財産は、保護に値するかどうかに疑問符が付く。この評価の差が、1項と2項で結論が分かれる理由です。

手段の違法性がはるかに高ければ、2項でも成立を認める 図:手段の違法性がはるかに高ければ、2項でも成立を認める

強盗罪の2項では、成立を認める判例があります。暴力団どうしの対立の中で、覚醒剤の取引を装って相手から覚醒剤を受け取り、その後、覚醒剤の返還や代金の支払を免れる目的で、相手を拳銃で撃った事案です。

判例最高裁判所決定(昭和61年11月18日)

覚醒剤代金支払免脱事件 「代金の支払を免れるという財産上不法の利益を得るためになされた」

判例は、この目的での発砲を、代金の支払を免れるという財産上不法の利益を得るためになされたものと捉え、2項強盗による強盗殺人未遂罪の成立を認めました。以前見た、麻薬の購入代金の返還を免れる目的で殺害した事案と、同じ型です。手段の違法性の高さの違いです。詐欺は言葉でだますだけですが、強盗は暴行・脅迫、この事案では拳銃の発砲にまで及んでいます。被害者側が自ら不正に関わっていたという事情を考慮してもなお、これほど違法性の高い手段を使った以上は処罰すべきだ、という評価がここに働いています。詐欺の場面に戻すと、結論を分けるのは、被害者が財物を渡しただけか、自ら不正に踏み込んだか、です。強盗は、手段の重さがその評価を上回る場面だと整理してください。

三角詐欺の意義

だまされた人と、損をする人は別人でもよい 図:だまされた人と、損をする人は別人でもよい

ここからは、話の軸が変わります。不法原因給付は「返せと言えない財産でも守るか」という問いでした。ここからは「財産の持ち主と、だまされた人が別人でもよいか」という問いです。以前、試乗は詐欺、試着は窃盗になると見た回で、試乗の車を渡したのは店員でも、損をしたのは販売店だった、という例がありました。覚えていますか?だまされた人と損をする人が、別人になっていました。このように、被欺罔者と被害者が別人である場合を、三角詐欺と呼びます。別人でも詐欺になってよいのは、詐欺の鎖が求めているのが、だまされた人が処分行為をすることであって、渡した物がだまされた人自身の物であることではないからです。246条も「人を欺いて財物を交付させた」としか書いておらず、「だまされた人の財物」とは書いていません。

三角詐欺の2要件

会社の商品を、権限のある管理担当者からだまし取る 図:会社の商品を、権限のある管理担当者からだまし取る

具体例で考えます。ある会社の倉庫を任されている管理担当者のところに、取引先の社員を名乗る人物が来て、「本社の指示で、この商品を引き取りに来ました」と嘘をつき、商品を運び出させたとします。だまされた管理担当者が、会社の商品を手放す処分行為をしています。商品が担当者自身の物でなくても、詐欺の鎖はつながります。これが三角詐欺の典型の形です。

⭐ 論文で書く規範:三角詐欺の2要件 「詐欺罪が成立するためには、被欺罔者が錯誤によつてなんらかの財産的処分行為をすることを要するのであり、被欺罔者と財産上の被害者とが同一人でない場合には、被欺罔者において被害者のためその財産を処分しうる権能または地位のあることを要するものと解すべきである。」 (規範(最判昭45・3・26))

三角詐欺には2つの要件があります。1つ目は、被欺罔者と処分行為者が一致していること。だまされた人と、実際に手放す判断をする人がずれると、錯誤に基づく処分行為そのものが欠けてしまいます。2つ目は、被欺罔者が、被害者の財産を処分しうる権限・地位を持っていること。さっきの例なら、管理担当者には、会社の商品を外部に引き渡す権限があったからこそ、その担当者がだまされたことが、会社に対する詐欺として評価されます。だまされる人は、誰でもよいわけではありません。そこを絞っているのが、2つ目の要件です。会社の商品を引き渡す権限のある担当者が手放したなら、会社自身が手放したのと同じに見ることができます。権限の無い人が持ち出した場合は、会社が手放したとはいえません。

権限の無い人をだませば、窃盗の間接正犯 図:権限の無い人をだませば、窃盗の間接正犯

反対に、権限の無い人をだました場合を見てみましょう。同じ会社の、商品を処分する権限を持たない清掃スタッフに、同じ嘘をついて商品を運び出させたとします。清掃スタッフには、元々その商品を外部に引き渡す権限がありません。権限が無い人をだましても、被害者の財産を処分できる立場の人がだまされたとはいえないので、三角詐欺の2つ目の要件を欠きます。詐欺の鎖がそもそも成立しないので、窃盗罪の間接正犯として扱われます。事情を知らないスタッフに運び出させて、会社の物を奪ったことになるからです。以前、試乗と試着を分けたとき、詐欺と窃盗の境目は、持ち主の側が財物を手放したといえるか、つまり処分行為があるかでした。三角詐欺では、処分する権限のある人が手放して、はじめて会社が手放したといえます。だから、ここでは権限の有無が、詐欺と窃盗を分ける境界線になります。

訴訟詐欺

裁判所を欺いて勝訴判決を得て、敗訴者から財物を得る 図:裁判所を欺いて勝訴判決を得て、敗訴者から財物を得る

三角詐欺の代表的な型が、訴訟詐欺です。裁判所を欺いて勝訴の判決を得て、敗訴者から財物や財産上の利益を交付させる場合です。例えば、偽の借用書を証拠に出して「100万円を貸した」と訴え、裁判所がそれを信じて支払を命じる判決を出したとします。相手が払わなければ、判決に基づいて相手の預金を差し押さえることができます。判決には、負けた人が望まなくても、その財産を動かす力があるわけです。訴訟詐欺も、三角詐欺の一種として考えるのが判例・通説です。ただし、これには否定する見解もあります。否定説の理由は2つ。1つ目は、財物の交付は敗訴者の意思に反するもので、意思に基づく処分行為とはいえない、というもの。2つ目は、民事訴訟では、当事者が出した主張と証拠だけで判断し、裁判所が自分から真実を調べに行かない仕組み(形式的真実主義・弁論主義)が働くので、裁判所に錯誤が生じる余地が無い、というものです。

被欺罔者・処分行為者は裁判所、敗訴者は被害者にすぎない 図:被欺罔者・処分行為者は裁判所、敗訴者は被害者にすぎない

この2つの理由には、それぞれ反論があります。1つ目への反論は、三角詐欺として構成すればよい、というものです。処分行為をするのは裁判所であり、敗訴者はその処分行為によって財産を失う被害者にすぎません。敗訴者自身が処分行為をしているわけではないので、敗訴者の意思に反していても問題になりません。民事訴訟は、証拠をどう評価するかを裁判所の自由な心証に委ねる自由心証主義を採っています。証拠の評価が裁判所の心証に委ねられている以上、その心証が欺かれて誤った方向に形成されることは十分にありえます。だから、裁判所に錯誤が無いとは言い切れません。この2つの反論により、訴訟詐欺は、裁判所を被欺罔者かつ処分行為者とする三角詐欺として肯定されます。これが判例・通説の立場です。判例は、古い大審院時代の判断に、裁判所に対するこの種の詐欺を認めたものがあります。

登記官吏をだました場合は否定

登記官吏には、不動産を処分する権限も地位も無い 図:登記官吏には、不動産を処分する権限も地位も無い

訴訟詐欺と混同しやすい、正反対の結論の判例があります。第三者の氏名を勝手に使って、簡易裁判所に起訴前の和解を申し立てさせ、和解調書を作らせたうえで、これを登記の原因証書として登記官吏に提出させ、不動産の所有権移転登記を得た事案です。訴えを起こす前に、当事者どうしが合意した内容を、簡易裁判所で調書にしてもらう手続です。

判例最高裁判所決定(昭和42年12月21日)

起訴前の和解・登記官吏欺罔事件 「本件で被欺罔者とされている日下部簡易裁判所の裁判官は、起訴前の和解手続において出頭した当事者間に和解の合意が成立したものと認め、これを調書に記載せしめたに止まり、宅地の所有者に代つてこれを処分する旨の意思表示をしたものではない(この点裁判所を欺罔して勝訴判決をえ、これに基いて相手方から財物を取得するいわゆる訴訟詐欺とは異なるものと解すべきである)。また、……登記官吏には、不動産を処分する権限も地位もないのであるから、これらの被告人の行為によつて、被告人らが宅地を騙取したものということはできない。」

この判例は、2つのことを言っています。1つは、和解を認めた裁判官は、当事者間の合意をそのまま調書に記載しただけで、所有者に代わって処分する意思表示をしたわけではない、ということ。もう1つは、その後に登記を実行した登記官吏にも、不動産を処分する権限も地位も無い、ということです。つまり、裁判官の側では処分する行為そのものが無く、登記官吏の側では処分する権限・地位が無い。どちらを見ても、だまされた側が被害者に代わって財産を手放してはいない、ということです。なぜ登記官吏に権限が無いのか。登記官吏は、出された書類が形式的に整っているかを確かめて記録する立場で、その土地を誰のものにするかを決める人ではありません。所有権は当事者の意思表示で移るもので、登記はそれを記録して外に示すものにすぎないからです。

さっきの訴訟詐欺と、何が違うんですか。そこが重要です。訴訟詐欺は、裁判所を欺いて勝訴の判決を得て、その判決に基づいて相手方から財物を取得する場合でした。今回の事案は、裁判所を欺いて勝訴判決を取ったわけではなく、和解の合意をそのまま記録させただけです。判例自身も、この点をはっきり区別して、「訴訟詐欺とは異なる」と述べています。「訴訟詐欺なら肯定、登記官吏や和解を認めただけの裁判官なら否定」と丸暗記するのではなく、だまされた人が被害者に代わって財産を処分したといえるか、そしてその権限・地位があるか、という三角詐欺の2つの要件に立ち返って判断してください。

その他の三角詐欺

クレジットカード詐欺と二重抵当は別の回で 図:クレジットカード詐欺と二重抵当は別の回で

三角詐欺という名前で語られる論点は、他にもあります。クレジットカードを不正に使う詐欺と、同じ不動産に二重に抵当権を設定する二重抵当です。それぞれ、別の回で詳しく扱います。今日は名前だけ押さえておいてください。

今日の地図(保存版)

今日のまとめ——処分権限の有無が結論を決める 図:今日のまとめ——処分権限の有無が結論を決める

今日見た型を一覧にしました。三角詐欺が成立するのは、だまされた人が、被害者の財産を処分できる権限・地位を持っている場合です。倉庫の管理担当者も、裁判所も、この条件を満たしていました。逆に、和解を認めただけの裁判官は処分行為をしておらず、登記官吏にはその権限がありませんでした。権限の無い人をだまして財物を持ち出させた場合は、詐欺ではなく窃盗の間接正犯として扱われます。冒頭の、盗品の美術品を買う約束をした人の話は、どうなるんでしたか。あれは1項詐欺の話でした。買い手は民法上「金を返せ」とは言えない立場でしたが、財物に対する支配権を欺かれて侵害されている以上、詐欺罪は成立します。財物を渡しただけの側は、不正な取引の当事者であっても、刑法的に保護される。自ら違法な役務を引き受けた側が対価を免れられた場合は、保護に値するかが争いになる。これが今日の前半の結論でした。今日は、返せと言えない財産でも刑法は守るのか、そして、だまされた人と損をする人が別人でもよいのか、という2つの問いを見てきました。

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#145単独ページ動画

クレジットカード詐欺・詐欺の未遂と罪数

第16章 個人的法益⑤|財産に対する罪②(詐欺・恐喝・横領・背任・盗品・毀棄) ⑦/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

クレカで買い物、店は損してる?

引落し日、口座は空だと分かっていた 図:引落し日、口座は空だと分かっていた

引落し日には口座が空っぽだと分かっていながら、自分名義のクレジットカードで買い物をしたとします。店は、後日カード会社から代金を必ず受け取ります。さて、この店は何か損をしたと言えるでしょうか。誰を被害者と見るかによって、答えは変わります。今日はその組み立て方から見ていきます。

クレジットカードの三者関係——なぜ店は取りはぐれないのか

会員・加盟店・信販会社、3人の関係 図:会員・加盟店・信販会社、3人の関係

まず、クレジットカードの決済には、会員、加盟店、信販会社という3人が登場します。会員が加盟店で買い物をすると、加盟店は会員に商品を渡します。次に、信販会社が加盟店に立替払いをします。最後に、会員が信販会社に利用代金を支払います。ここで大事なのは、最後の支払いに会員が失敗しても、加盟店はすでに受け取った立替払いを返さなくてよい、という点です。未払いのリスクは、信販会社が引き受けています。クレジットカードの決済も、これと同じ三者関係です。来場者が会員、模擬店が加盟店、実行委員会が信販会社にあたります。「加盟店は取りはぐれない仕組み」というこの前提こそが、これから見ていく全部の出発点です。取りはぐれないのなら、加盟店には損が無いように見えます。だからこそ、詐欺の成否が問題になるのです。

条文刑法246条

刑法246条(詐欺) 1項:人を欺いて財物を交付させた者は、十年以下の拘禁刑に処する。 2項:前項の方法により、財産上不法の利益を得、又は他人にこれを得させた者も、同項と同様とする。

詐欺罪の条文を、あらためて見ておきます。1項は財物、2項は財産上の利益です。これから見る自己名義のカードの問題は、この1項と2項、どちらで組み立てるかという対立です。

自己名義・支払意思も能力も無い——問題の所在

加盟店に、錯誤も損害も無いのでは 図:加盟店に、錯誤も損害も無いのでは

加盟店は結局代金を受け取れて、しかも最初からそういう決済の流れを認識して取引しています。だから、加盟店には錯誤も財産的損害も無いのではないか、という疑問が生まれます。この疑問を突き詰めれば、詐欺罪の成立を否定する見解にもたどり着きます。ただ、多数説は詐欺罪の成立を肯定します。問題は、どう理論を組み立てて肯定するかです。ここで、2つの構成が出てきます。その場合は、買い物の時点で嘘がありません。欺罔行為が無い以上、詐欺にはならず、カード会社にお金を返せないという、お金の貸し借りの問題にとどまります。詐欺になるのは、最初から払う意思も能力も無いのに、それを隠して使う場合です。

1項詐欺説——加盟店を被害者と見る

加盟店を被欺罔者・処分行為者・被害者と見る構成 図:加盟店を被欺罔者・処分行為者・被害者と見る構成

1つ目は、加盟店を被欺罔者、処分行為者、そして被害者そのものと見る構成です。1項詐欺説といいます。会員に支払う意思も能力も無いと知っていれば、加盟店は信義則上、取引を拒否したはずです。だから、加盟店には錯誤があり、その錯誤に基づいて商品を交付したと見ます。加盟店は、信販会社と契約を結んでカードを扱っています。払うつもりの無い客だと知りながら売れば、そのつけを契約の相手である信販会社に回すことになります。それは契約相手への信義に反するので、知っていれば断ったはずだ、と見るのです。加盟店は結局、信販会社から立替払いを受け取れますよね。それでも損害があると言えるんですか。そこが1項詐欺説の弱点です。この説は、財物や利益を手放したこと自体を、もう財産的損害だと見る立場と相性がよい構成です。第16章の財産的損害の回で見た、形式的個別財産説を思い出してください。

手放したこと自体を損害と見るなら、加盟店が後で代金を受け取れるかどうかは関係がありません。逆に、実質的にみて損をしたかどうかを見る実質的個別財産説からは、加盟店は結局代金を受け取れる以上、損害が説明しにくくなります。ここに、もう1つの構成が出てくる理由があります。

2項詐欺説——信販会社を被害者と見る

加盟店を被欺罔者・処分行為者、信販会社を被害者と見る構成 図:加盟店を被欺罔者・処分行為者、信販会社を被害者と見る構成

もう1つが、加盟店を被欺罔者・処分行為者としつつ、被害者は信販会社だと見る構成です。2項詐欺説といいます。前回見た三角詐欺の型に当てはめると、被欺罔者である加盟店が、被害者である信販会社の財産を処分しうる地位と権限を持っているかが問題になります。加盟店には、加盟店契約に基づいて、信販会社に代わって立替払いを実行する権限がある、と見るわけです。この構成では、会員は商品の交付を受けた瞬間に、加盟店に払うべき代金を、信販会社が代わりに引き受けて払ってくれる状態になります。つまり、加盟店への代金債務を免れるという財産上の利益を得ます。その裏側で、信販会社は加盟店への立替払いの債務を負担します。この負担こそが、実質的な財産的損害だと見るわけです。利益も損害も商品を渡した瞬間にそろうので、既遂の時期は商品が交付された時点です。

しかも実行委員会は、料理を手放してはいません。背負わされたのは、模擬店に払う義務という負担です。物ではなく利益が問題になるので、1項ではなく2項の詐欺として組み立てるのです。だからこの構成は、実質的にみて損をしたかを見る実質的個別財産説と相性がよくなります。「誰が損をしたか」という当てはめの違いは、財産的損害をどう見るかという、第16章の対立がそのまま反映された結果でもあります。だから、どちらを採るかは損害の見方とセットで決まります。損害を形式的に見るなら1項詐欺説、財産的損害の回で通説として立てた実質的な見方をとるなら、2項詐欺説が筋の通る組み合わせです。なお、下級審の裁判例の多くは1項詐欺説によっています。ここは、論文で論点になりうる部分です。

他人名義のカード・承諾が無い場合

窃取したカードでの利用 図:窃取したカードでの利用

続いて、他人名義のカードを使う場合です。まず、名義人の承諾が無い場合、たとえば盗んだカードを使う場合を考えます。この場合、加盟店は、目の前の利用者が名義人本人ではないと知れば、当然に取引を拒否したはずです。だから錯誤・交付は問題なく認められます。自己名義の場合と違って、ここでは損害の説明にも困りません。加盟店には、加盟店契約上、利用者が名義人本人かどうかを確認する義務があります。この義務を怠ると、信販会社から立替払いを拒否されるおそれがあります。つまり、実質的にみて損をしたかを見る立場からも、加盟店に財産的損害を認めることができます。だから、1項詐欺説と2項詐欺説を対立させるまでもなく、1項詐欺罪の成立で説明が完結します。

他人名義のカード・承諾がある場合——判例の理由づけ

名義人の許可があっても1項詐欺 図:名義人の許可があっても1項詐欺

さっきの模擬店の例でいうと、友達から「使っていいよ」って言われて、その友達名義の食券を使ったようなものですよね。本人が許しているのに、まだ問題があるんですか。そこが今日の山場です。結論から言うと、名義人の承諾があっても、結論は変わりません。1項詐欺罪が成立します。

判例最高裁判所決定(平成16年2月9日)

名義人の承諾があっても1項詐欺は左右されない 仮に、被告人が、本件クレジットカードの名義人から同カードの使用を許されており、かつ、自らの使用に係る同カードの利用代金が会員規約に従い名義人において決済されるものと誤信していたという事情があったとしても、本件詐欺罪の成立は左右されない。

判例は、名義人からカードの使用を許されていて、代金は名義人が支払ってくれると思い込んでいたという事情があったとしても、詐欺罪の成立は左右されない、としています。クレジットカードの仕組みそのものに理由があります。会員規約上、カードは名義人本人しか使えず、他人への譲渡や貸し借りは禁じられています。加盟店規約でも、加盟店には目の前の利用者が会員本人かを確認する義務が課されています。つまり、模擬店の食券にたとえるなら、「この食券は本人しか使えません」という規約が最初からある以上、友達同士でどんな約束をしていても、模擬店や実行委員会にとっての意味は変わらないのです。判例が詐欺の中身として見ているのは、利用者が名義人本人になりすまし、カードを使う正当な権限があるかのように装った、という点です。名義人が許していても、規約上その権限は本人以外には生まれません。だから嘘は嘘のままで、加盟店が本当のことを知れば取引を断ったはず、という関係も変わらないのです。

だからこそ、承諾の有無にかかわらず、結論は1つに収束します。ただし、この判例が決めたのは、加盟店をだました詐欺が成り立つかどうかまでです。名義人との約束を超えて使い込んだ場合に、名義人との関係で何が成り立つかは、別の問題として残ります。ここも、論文で論点になりうる部分です。

周辺の犯罪

売上票の署名、預かったカードの使い込み 図:売上票の署名、預かったカードの使い込み

クレジットカードの不正使用では、隣接する犯罪が問題になることもあります。売上票に他人の名前で署名すれば、本当は自分が書いたのに、名義人が書いた文書であるかのように装うことになります。文書を作った人を偽るので、私文書偽造罪・同行使罪が成立しえます。文書偽造は別の回で扱います。また、名義人からカードを預かった人は、名義人のために使い方を任されている立場です。その約束の範囲を超えて使い込めば、任された務めに背いて、名義人に代金の支払いという損害を負わせることになります。そこで、名義人との関係で背任罪が成立しえます。こちらも別の回で扱います。今日は、どこにつながるかだけ押さえてください。

未遂——詐欺の鎖の総まとめ

詐欺の鎖、入口で切れれば未遂にもならない 図:詐欺の鎖、入口で切れれば未遂にもならない

条文刑法250条

刑法250条(未遂罪) この章の罪の未遂は、罰する。

ここで、詐欺罪の未遂を確認しておきます。250条は、この章の罪の未遂を罰すると定めています。ここまで見てきたクレジットカード詐欺は、欺罔行為、錯誤、処分行為、財物や利益の取得という、詐欺の4つの輪がすべてつながって初めて成立します。欺罔行為から始まって、その後ろの錯誤や処分行為や取得のどこかで切れたなら、詐欺の未遂です。ここまでは、刑法250条が処罰します。ただし、そもそも入口の欺罔行為そのものが認められない場合は、未遂にすらなりません。欺罔行為といえるためには、相手を錯誤に陥らせるものであること、その錯誤を通じて処分行為に向かわせるものであること、この2つが必要でした。さらに財産的損害の回で見たとおり、その処分行為が財産的損害を生じさせるようなものでなければ、やはり欺罔行為には当たりません。

さっきの自己名義の話で、加盟店に錯誤も損害も無いのではという疑問があったのも、結局はこの入口の話だったんですね。詐欺の回を通じて見てきた「鎖」は、この入口を具体的な場面ごとに確かめる作業だったとも言えます。2つの条件と損害のどれか1つでも欠ければ、欺罔行為そのものが認められず、詐欺は未遂すら成立しません。

罪数①——1項詐欺と2項詐欺

商品を詐取したあと、代金債務も免れた場合 図:商品を詐取したあと、代金債務も免れた場合

ここからは、罪数の整理です。まず、払うつもりが無いのに「ツケで」と偽って商品を受け取り、店を出ようとしたところで代金を求めてきた店主に「もう払いました」と嘘をついて、請求をあきらめさせた場合を考えます。1項詐欺と2項詐欺が、それぞれ成立するようにも見えます。1項詐欺と2項詐欺、それぞれ別の条文に当たるようにも見えますが、実際には包括して1個の詐欺罪と扱われます。両方の行為が守っている利益は実質的に同一で、しかも時間的・場所的に接着しているからです。同じ経済的利益をめぐる、切れ目のない一連の行為だと評価するわけです。

罪数②——1項詐欺と2項強盗

先に詐欺、あとから強盗 図:先に詐欺、あとから強盗

もう1つ、1項詐欺で商品を受け取ったあと、代金の支払いを免れるために暴行を用いる場合があります。だまし取った商品と、暴行で免れた代金は、実質的に同じ1つの被害です。詐欺と強盗という種類の違う罪が混ざっていても、同じ被害を二重に罰しないよう、重い2項強盗罪で1回だけ評価します。これが、2項強盗罪の混合包括一罪です。無銭飲食の場面で詳しく見た考え方と同じです。

罪数③——窃取・詐取した通帳での払戻し

通帳の占有と、払戻された現金は別の利益 図:通帳の占有と、払戻された現金は別の利益

次は、窃取または詐取した通帳を使って、窓口で払戻しを受けた場合です。通帳そのものの占有を侵害する行為と、払戻しによって現金の占有を侵害する行為は、別個の法益にあたります。判例も、この払戻しの行為を、盗んだ物のただの後始末とは扱わず、新たな法益侵害を伴う別の犯罪と評価しています。罪数の最初の回で見た、不可罰的事後行為の限界の事案そのものです。さっきの1項詐欺と2項詐欺は1個にまとまったのに、今度はまとまらないんですか。そこが罪数の物差しです。さっきの場合は、商品の代金という同じ経済的利益をめぐる話でした。今度は、通帳という物と、払戻しで得た現金という、別の利益が問題になっています。払戻しは、通帳を奪った罪が予定している被害の射程の外に出て、払戻しに応じた側、判例の事案では郵便局が持つ現金という、新たな法益を侵害しています。だから、盗んだ物の後始末として不可罰にはならず、別の罪が成り立つのです。窃取した通帳なら窃盗罪と詐欺罪の併合罪、詐取した通帳を使ったなら、詐欺罪2つの併合罪になります。

罪数④——偽造罪との関係

手段・目的の関係、ただし通貨は別扱い 図:手段・目的の関係、ただし通貨は別扱い

最後に、偽造罪との関係です。文書を偽造して、それを行使し、人をだまして財物を得る場合、偽造・行使・詐欺という一連の流れは、手段・目的の類型的な関係にあります。以前見た牽連犯の考え方がそのまま当てはまり、牽連犯として扱われます。有価証券の偽造と行使、そして詐欺の関係も同じです。通貨だけは扱いが違います。通貨を偽造して行使し、人をだます場合、判例・通説は詐欺罪を独立に扱わず、偽造通貨行使罪の中に吸収させます。牽連犯にはならないのです。この扱いを支える説明として、よく挙げられるのは次の考え方です。偽札と知らずに受け取った人が、あとで偽札だと気づいて使ってしまった場合を、法律は特に軽く罰すると決めています。そこで詐欺罪を別に成立させると、その軽く扱う趣旨が崩れてしまう、というわけです。

今日の地図(保存版)

1項説と2項説の対比、包括一罪と併合罪の対比を一枚で 図:1項説と2項説の対比、包括一罪と併合罪の対比を一枚で

覚えるポイント — クレジットカード詐欺・未遂・罪数、場面ごとの答え

  • 自己名義=1項説(加盟店が被害者・形式的損害)/2項説(信販会社が被害者・実質的損害)
  • 他人名義・承諾なし=1項詐欺(加盟店に実質的損害)
  • 他人名義・承諾あり=なお1項詐欺(カードは名義人本人しか使えない仕組み)
  • 未遂=欺罔行為の2条件か損害を欠けば未遂にすらならない
  • 罪数=同じ利益の一連の行為→包括一罪/射程外の新たな法益→併合罪/類型的な手段・目的→牽連犯(通貨偽造は吸収)

今日を振り返ります。クレジットカードの三者関係では、加盟店は取りはぐれない仕組みになっています。それでも、自己名義の不正使用では、加盟店を被害者と見る1項詐欺説と、信販会社を被害者と見る2項詐欺説の2つの構成があり、それぞれ形式的個別財産説、実質的個別財産説と結びついていました。他人名義の場合は、承諾のあるなしにかかわらず、カードの仕組みそのものを理由に1項詐欺で説明が完結します。未遂は、詐欺の鎖のどこかが切れたときの話であり、そもそも欺罔行為の2つの条件か損害を欠けば未遂にすらなりません。罪数は、物差しを使い分けます。同じ利益をめぐる切れ目のない一連の行為なら包括一罪、先の罪の射程の外で新たな法益を侵害すれば併合罪、手段と目的が類型的に結びつけば牽連犯です。通貨の偽造だけは、詐欺が偽造通貨行使罪に吸収されます。

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#146単独ページ動画

電子計算機使用詐欺罪と準詐欺罪

第16章 個人的法益⑤|財産に対する罪②(詐欺・恐喝・横領・背任・盗品・毀棄) ⑧/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

現金には一度も触れていない

窃盗でも詐欺でもないなら、無罪なのか 図:窃盗でも詐欺でもないなら、無罪なのか

少し前の、錯誤を扱った回を思い出してください。自動販売機に金属片を入れて商品を取り出したら、あるいは、盗んだキャッシュカードでATMから現金を引き出したら、何罪になるんでしたか?詐欺ではなく、窃盗でした。機械には心が無いので錯誤が起きず、財物を機械から取れば窃盗で拾える、という話でした。では、こんな場面はどうでしょうか。他人の口座から自分の口座へ、ネットバンキングの操作画面だけで数字を動かしたとします。現金には一度も触れていません。現金を取っていないなら、窃盗ではないですよね。相手をだましたわけでもないから、詐欺でもない。だとすると、無罪ということになるんですか。そう思えますよね。でも、無罪にはなりません。この穴を埋めるために作られたのが、電子計算機使用詐欺罪です。今日は、詐欺の鎖のどの輪が欠けると、どの条文に移るのか、という1本の物差しで見ていきます。

機械と利益の組み合わせにあく穴

財物なら窃盗で拾える。では利益なら 図:財物なら窃盗で拾える。では利益なら

詐欺罪が成立するには、相手が錯誤に陥ることが必要でした。機械には心が無いので、機械を欺いても錯誤は起きません。だから、機械を不正に操作しても詐欺罪にはなりません。財物なら、冒頭で確かめたとおり窃盗で拾えます。ところが、あのネットバンキングの場面のように、機械の不正操作で得たのが現金という財物ではなく、口座の残高のような、財産上の利益だったらどうでしょうか。財物ではないから、窃盗の条文の「財物」にも当たらない気がします。窃盗罪の条文は財物としか書いていないので、財産上の利益だけをこっそり得る行為には使えません。財産犯の入口の回で見たとおり、財産上の利益をこっそり盗む行為、いわゆる利益窃盗は、そもそも処罰する条文がありません。

機械を不正に操作して財産上の利益を得るという行為は、詐欺罪にも窃盗罪にも当てはまらない、処罰の隙間になっていました。この隙間を埋めるために新しく作られたのが、これから見る条文です。

246条の2の全文と要件

前条(246条)に規定するもののほか 図:前条(246条)に規定するもののほか

条文刑法246条の2

刑法246条の2(電子計算機使用詐欺) 前条に規定するもののほか、人の事務処理に使用する電子計算機に虚偽の情報若しくは不正な指令を与えて財産権の得喪若しくは変更に係る不実の電磁的記録を作り、又は財産権の得喪若しくは変更に係る虚偽の電磁的記録を人の事務処理の用に供して、財産上不法の利益を得、又は他人にこれを得させた者は、十年以下の拘禁刑に処する。

この条文の頭に「前条に規定するもののほか」とあります。前条とは246条、つまり詐欺罪です。詐欺罪では対応できない場面を補う条文だ、と条文自身が宣言しているわけです。分解すると、こうなります。まず、対象は人の事務処理に使われる電子計算機です。銀行のシステムや、決済のシステムを思い浮かべてください。そこに、行為は2つのパターンがあります。1つ目は前段で、虚偽の情報や不正な指令を与えて、財産権の得喪や変更に関わる不実の電磁的記録を作ることです。電磁的記録とは、コンピュータの中に残るデータのことです。財産権の得喪や変更に関わる記録とは、たとえば口座の残高のように、誰がいくら持っているかを決めるデータを指します。2つ目は後段で、そうした虚偽の電磁的記録を、人の事務処理の用に供する、つまり、仕事の処理に使わせることです。

2つの違いは、次の項目で具体例を使って区別します。最後に、得られるものは、財産上不法の利益に限られます。現金という財物そのものは含まれません。なお、246条の2の未遂も、詐欺罪と同じく処罰されます。「この章の罪の未遂は、罰する。」という250条は、この章に置かれた罪すべてに及びます。246条の2も、この章の中にあるので、未遂は罰せられます。

前段——まだ無い記録を新しく作らせる

実体の無い入金を、入力させて記録を作らせる 図:実体の無い入金を、入力させて記録を作らせる

まず、前段の具体例です。実際には入金の実体が無いのに、オンラインシステムの端末を操作させて、あたかも入金があったかのような情報を電子計算機に与え、口座残高の記録を書き換えさせる場面を考えます。この「虚偽の情報」の意味を、実際に判断した裁判例があります。信用金庫の支店長が、個人の債務の返済に困り、部下の職員に命じて、実体の無い入金処理をオンライン端末に入力させ、口座残高の電磁的記録を書き換えさせた事案です。

支店長が部下に命じて、実体の無い入金を入力させる 図:支店長が部下に命じて、実体の無い入金を入力させる

判例東京高等裁判所判決(平成5年6月29日)

「虚偽の情報」の意義 刑法二四六条の二の「虚偽ノ情報」とは、電子計算機を使用する当該事務処理システムにおいて予定されている事務処理の目的に照らし、その内容が真実に反する情報をいうものであり、本件のような金融実務における入金、振込入金(送金)に即していえば、入金等に関する「虚偽ノ情報」とは、入金等の入力処理の原因となる経済的・資金的実体を伴わないか、あるいはそれに符合しない情報をいうものと解するのが相当である。

この事案では、実体の無い入金処理を入力させているので、まさにこの物差しに当てはまり、前段の成立が認められました。支店長は支店のお金を管理する立場にありました。それでも判決は、お金の受け入れが無いのに特定の口座へ入金する権限は、支店長を含め誰にも無いと述べています。そして虚偽かどうかの決め手は、銀行のシステムが、入力された数字の裏に本物のお金の動きがあることを前提に動いている点、つまり数字の裏付けの有無です。この物差しを裏側から見ると、面白い対比が浮かびます。同じ支店長が、正式な稟議を経ずに、独断で不良な貸付を実行した場合を考えてみてください。この貸付は、法律上は有効な貸付として実行されているので、その入金情報自体は、経済的・資金的な実体を伴っています。だから「虚偽の情報」にはあたらず、電子計算機使用詐欺罪は成立しません。ただし、その貸付の判断自体が任務に背くものであれば、別に背任罪の成否が問題になります。

裏付けの無い数字を新しく作らせれば前段、裏付けのある取引の判断自体が不当なら別の罪、という切り分けです。前段の手段には、虚偽の情報のほかに、「不正な指令」もあります。これは、そのシステムが本来予定していない命令のことで、たとえば、振込のプログラムに手を加えて、他人の口座の端数が自動で自分の口座に移るように処理させる場面です。どちらも、裏付けの無い数字を新しく作らせる点で、同じ前段にあたります。

前段の別の型——他人のカード番号を機械に入力する

カード番号をシステムに入力し、利用権を取得する 図:カード番号をシステムに入力し、利用権を取得する

もう1つ、前段の類型を見ておきます。窃取したクレジットカードの名義人氏名や番号を使って、決済代行業者の電子計算機に入力送信し、名義人本人が電子マネーを購入したとする虚偽の情報を与えた事案です。

判例最高裁判所決定(平成18年2月14日)

クレジットカード番号の冒用と246条の2 被告人は、本件クレジットカードの名義人による電子マネーの購入の申込みがないにもかかわらず、本件電子計算機に同カードに係る番号等を入力送信して名義人本人が電子マネーの購入を申し込んだとする虚偽の情報を与え、名義人本人がこれを購入したとする財産権の得喪に係る不実の電磁的記録を作り、電子マネーの利用権を取得して財産上不法の利益を得たものというべきであるから、被告人につき、電子計算機使用詐欺罪の成立を認めた原判断は正当である。

そして、ここで取得しているのは、電子マネーの利用権という財産上の利益です。現金という財物ではありません。ここで、前回のクレジットカード詐欺の回を思い出してください。他人名義のカードを、加盟店の店員に示して商品を受け取る場面がありましたね。同じ「他人のカードを不正に使う」行為でも、店員という人をだまして商品を受け取れば246条、決済システムという機械に番号を入力するだけで人の判断を介さずに利益を得れば246条の2前段になります。人が介在するかどうかで、当てはまる条文が変わる、という好例です。

後段——既にある虚偽の記録を使う

既に書き換え済みの記録を、機械に読み込ませて使う 図:既に書き換え済みの記録を、機械に読み込ませて使う

次は後段です。前段が「まだ無い記録を新しく作らせる」行為だったのに対して、後段は「既に存在している虚偽の記録を使う」行為です。あるサービスのポイント残高を、あらかじめ何らかの方法で書き換えてしまった、改ざん済みの電子カードがあるとします。このカードを、店舗の読み取り端末に読み込ませて決済に使う場面です。読み取り端末という電子計算機に、その虚偽の記録を人の事務処理の用に供している、という後段の型にあたります。誰がその記録を書き換えたのかを問わず、既にある虚偽の記録だと知りながら使う行為自体が、後段の対象になります。ここで、以前、詐欺を事案に当てはめた回で見たキセル乗車を思い出してください。最低区間の切符で乗って、下車駅の改札で定期券を見せて出る場面でした。あのとき、見解が分かれるのは有人改札の場合に限られる、と確認しましたね。

自動改札機は機械なので錯誤に陥らず、詐欺の対立は起きようがない、という話でした。では、同じことを自動改札機でやったらどうなるか。その答えが、この後段です。乗車駅では最低区間の切符で入場し、下車駅の自動改札機には、下車駅を含む区間の定期券を投入して改札を通り、差額の運賃の支払を免れた事案で、高等裁判所が246条の2後段の成立を認めています。ただ、下車駅でそれを改札機に読み取らせると、この客は定期券の区間内の駅から乗ってきた、という情報を差し出すことになります。実際には、その区間の外の駅から乗ってきていますから、その乗車の情報が事実に反します。正規の運賃を払った乗車かどうかを判定する改札機の事務処理に、その虚偽の情報を使わせて差額の運賃の支払を免れた、つまり財産上の利益を得た、と見たわけです。有人改札なら、駅員という人をだましたかどうかで見解が割れました。自動改札機なら、相手は機械なので錯誤の輪がそもそも生じません。動いたのが運賃の支払を免れるという利益なので、246条の2に行き先が決まります。

財産上不法の利益に限る——財物との境目

客体は財産上の利益のみ。財物なら窃盗 図:客体は財産上の利益のみ。財物なら窃盗

ここで、246条の2が拾う対象を、もう一度確認しておきます。口座の引き出しや振替ができる地位、電子マネーやプリペイドカードの利用権のような、財産上の利益だけが対象です。機械から現金を取れば、窃盗罪の領域です。以前の回で見た、盗んだキャッシュカードでATMから現金を引き出す場面を思い出してください。あれは、財物である現金を機械から取得しているので、窃盗罪で処理されます。財物ならもともと窃盗で拾えるので、隙間は利益の側にしか無かった。だから、この条文が拾うのも、利益だけなんです。

246条・246条の2・窃盗の振り分け

人が介在するか、機械だけか、財物か利益か 図:人が介在するか、機械だけか、財物か利益か

ここまでの内容を、1つのフローにまとめます。人が介在して、欺罔行為から錯誤、処分行為までつながっていれば246条です。処分行為は、錯誤と処分行為の回で見たとおり、だまされた相手が自分の意思で財物や利益の支配を最終的に手放す行為でした。詐欺は、だまされた相手が自分で手放すから詐欺になる罪です。だから、手放す判断をする相手がいなければ、246条には乗りません。人の判断を介さず、機械だけを不正に操作して財産上の利益を得れば246条の2です。機械から現金などの財物を直接取得すれば、窃盗罪です。加盟店の店員という人に示せば246条、決済システムという機械に番号を入力するだけなら246条の2、ATMから現金を引き出せば窃盗、という具合に、同じ「他人のカードを不正に使う」行為でも、行き先が変わります。冒頭のネットバンキングの場面も、このフローに乗せれば答えが出ます。相手は機械で錯誤の輪が生じず、動いたのは残高という利益なので、246条の2です。詐欺の鎖のどの輪が欠けたかで、行き先の条文が決まるわけです。

248条の全文と要件

欺罔行為が無くても成立する受け皿 図:欺罔行為が無くても成立する受け皿

ここからは、もう1つの受け皿です。246条の2が、機械が相手で錯誤が起きない場合の受け皿だったのに対して、こちらは、相手は人だけれど、欺罔行為というほどの嘘には届かない場合の受け皿です。

条文刑法248条

刑法248条(準詐欺) 未成年者の知慮浅薄又は人の心神耗弱に乗じて、その財物を交付させ、又は財産上不法の利益を得、若しくは他人にこれを得させた者は、十年以下の拘禁刑に処する。

未成年者の知慮浅薄、または人の心神耗弱につけ込んで、財物を交付させたり、財産上の利益を得たりすれば成立します。客体は財物と利益の両方で、利益だけに限られる246条の2とは、ここが違います。

未成年者・知慮浅薄・心神耗弱・乗じて

「乗じて」=誘惑にかかりやすい状態を利用すること 図:「乗じて」=誘惑にかかりやすい状態を利用すること

条文の言葉を、1つずつ見ていきます。まず「未成年者」です。これは18歳未満の者を指します。次に「知慮浅薄」です。これは、知識が乏しく、思慮の足りないことを指します。「心神耗弱」は、精神の障害によって、通常の判断能力を備えていない状態です。「乗じて」は、誘惑にかかりやすい状態を利用すること、という意味です。ここが、詐欺罪との一番の違いです。詐欺罪は、相手を積極的に錯誤に陥らせる欺罔行為が必要でした。準詐欺罪は、そこまでは要求されません。相手がもともと持っている判断力の弱さに、つけ込むだけで足ります。なぜ嘘が無くても処罰するのか。判断力の弱い相手は、嘘をつかれなくても、自分の財産を守れないからです。嘘をつくまでもなく差し出させられる相手から財産を引き出すのは、だまし取るのと同じくらい、相手の財産を危うくします。法定刑も、詐欺罪と同じ十年以下です。

たとえば、小学生が持っている高価なゲーム機に目をつけて、「このお菓子と交換しよう」と持ちかけたとします。嘘は1つもついていません。でも、その子はゲーム機の値打ちを判断できず、言われるままに渡してしまいました。値打ちが分からないという判断力の弱さにつけ込んでいるので、248条の準詐欺罪です。

248条とほかの罪との境目

欺罔の程度の違い——欺罔があれば246条、処分できなければ窃盗 図:欺罔の程度の違い——欺罔があれば246条、処分できなければ窃盗

248条の位置づけを、周りの罪との境目で確認します。さっきの小学生の例で、「このゲーム機はもう壊れかけで、値打ちは無いよ」と嘘をついて渡させたらどうでしょうか。これは、錯誤に陥らせるだけの嘘、つまり欺罔行為です。相手が未成年者であっても、この場合は246条、つまり詐欺罪が成立します。248条は、あくまで欺罔行為に届かない場合の受け皿です。逆に、相手が意思能力、つまり自分のしていることの意味を分かる力をまったく欠いていて、財産的な処分の意味そのものを理解できない場合はどうでしょうか。たとえば、まだ物心のつかない幼い子どもから、手に持ったおもちゃを受け取る場面です。

処分行為は、自分の意思で財物の支配を手放す行為でした。手放すことの意味がまったく分からない相手は、その意思をそもそも持てません。準詐欺罪も、条文に「交付させ」とあるとおり、相手が自分で渡すことが前提の罪です。だから、おもちゃが子どもの手から移っても、それは相手の意思に基づく移転ではなく、相手の意思に反する移転です。処分行為が観念できない以上、詐欺罪にも準詐欺罪にもなりません。この場合は、窃盗罪として処理します。もう1つ、相手を昏酔させて財物を奪う場合もあります。これは、以前の回で見た昏酔強盗にあたります。判断力につけ込むだけの248条とは違い、相手の抵抗する力そのものを奪って財物を取るので、強盗として扱われます。なお、248条の未遂も罰せられます。250条は、この章の罪すべてに及ぶ規定だからです。

詐欺の章の締め——鎖のどこが欠けたか

詐欺の鎖のどこが欠けると、どの条文に移るか 図:詐欺の鎖のどこが欠けると、どの条文に移るか

詐欺罪は、欺罔行為、錯誤、処分行為、取得という4つの輪の鎖でした。今日見た2つの条文は、この鎖のどこかの輪が欠けたときに、代わりに出てくる条文です。相手が機械で、錯誤の輪がそもそも生じない場合、財産上の利益なら246条の2、財物なら窃盗です。欺罔行為というほどの嘘には届かず、判断力の弱さにつけ込むだけの場合は248条です。相手が意思能力を欠いていて処分行為が観念できない場合は窃盗、相手の抵抗する力そのものを奪えば昏酔強盗です。あの場面では、相手は機械で、動かしたのは口座の残高という財産上の利益です。だから詐欺にも窃盗にもならず、246条の2で処理します。これで、詐欺罪の章が一区切りです。強盗罪との境や、権利を行使する場面の扱いが中心です。

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#147単独ページ動画

恐喝罪と権利行使

第16章 個人的法益⑤|財産に対する罪②(詐欺・恐喝・横領・背任・盗品・毀棄) ⑨/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

前回の受けから

「欺く」を「脅す」に替えたら 図:「欺く」を「脅す」に替えたら

前回まで、詐欺罪を8本かけて見てきました。相手を欺いて、その気にさせて、財物や利益を手放させる罪でしたね。今日は、その鎖の入口を1つだけ取り替えます。「欺く」ではなく「脅す」だったら、どうなるでしょうか。それは、恐喝罪になりそうですね。今日から、恐喝罪に入ります。1つ、考えてみてください。お金を貸した相手が、いつまでも返してくれません。腹を立てたAは、Bにこう言いました。「返さないなら、周りに言いふらすぞ」。Bは怖くなって、貸した分だけをAに返しました。Aは、自分が貸したお金を取り戻しただけですよね。それでも犯罪になるんですか。実は、これは犯罪になりえます。しかも、単純な話ではありません。正当な言い分があっても、脅して取り立てれば恐喝になりうる。この答えは、2段階で考える必要があります。今日の後半で、じっくり見ていきましょう。まずは、恐喝罪そのものの骨格から固めていきます。

交付罪としての恐喝——249条

盗取罪と交付罪、恐喝はどちらか 図:盗取罪と交付罪、恐喝はどちらか

まず、条文を見ましょう。

条文刑法249条

刑法249条(恐喝) 1項:人を恐喝して財物を交付させた者は、十年以下の拘禁刑に処する。 2項:前項の方法により、財産上不法の利益を得、又は他人にこれを得させた者も、同項と同様とする。

恐喝罪は、詐欺罪と同じ性質を持つ罪だからです。財産犯総論の回で見た区別、覚えていますか。占有移転が相手の意思に反するなら盗取罪、相手の意思に基づくなら交付罪、というものでしたね。窃盗・強盗は盗取罪、詐欺・恐喝は交付罪でした。恐喝罪は、暴行・脅迫で相手を畏怖させ、その畏怖した状態で、相手自身に財物や利益を手放させる罪です。恐喝罪は、強盗と詐欺のちょうど中間に位置する罪だと考えてください。手段は強盗側、手放させ方は詐欺側です。この2つの軸を、これから1つずつ確認していきます。

客体には不動産も含まれる 図:客体には不動産も含まれる

次に、客体です。1項の財物には、実は不動産も含まれます。窃盗・強盗は、その場で持ち去る罪なので、客体は動産に限られます。ところが恐喝罪は、相手に手放す判断をさせる罪です。相手が土地の明渡しに応じるように仕向けても、恐喝罪は成立しうる、ということです。判例も、不動産を財物に含めています。2項の財産上の利益は、詐欺罪と同じく、債務の免除や役務の提供などを幅広く含みます。

強盗との境——1本の目盛り

一般人を基準にした客観的な物差し、もう一度 図:一般人を基準にした客観的な物差し、もう一度

ここで、強盗罪の回で確認した物差しを思い出しておきましょう。この物差しが、今日もそのまま効いてきます。

恐喝罪と強盗罪をつなぐ1本の目盛り 図:恐喝罪と強盗罪をつなぐ1本の目盛り

恐喝罪の暴行・脅迫は、財物や利益を手放させるための手段として使われ、しかも相手の反抗を抑えつけるところまではいかない強さのもの、と定義されます。ただし、暴行罪・脅迫罪はこの目盛りには乗りません。財物や利益を交付させる手段として使われて初めて、恐喝罪と強盗罪の目盛りが始まります。その目盛りの中で、反抗を抑圧するには至らない力が恐喝罪です。そして、反抗を抑圧するに足りる力になると、強盗罪に切り替わります。同じ「お金をよこせ」でも、夜道で刃物を突きつけて言えば、一般人なら抵抗できません。これは強盗です。職場で「出さないと、あのミスを上司にばらすぞ」と言われたら、怖くはあっても、抵抗する余地は残ります。これが恐喝です。

この物差しを境に、恐喝と強盗が分かれます。今日からは、恐喝罪の側に立って、その先を見ていきます。

暴行・脅迫の意義——脅迫罪との違い

恐喝の暴行・脅迫は何を指すか 図:恐喝の暴行・脅迫は何を指すか

まず、恐喝罪の「暴行」です。相手を畏怖させる性質があれば足り、身体に直接加える力である必要はありません。強さの上限が反抗抑圧に至らない程度なので、性質そのものも広く捉えられます。次に「脅迫」です。相手を畏怖させるに足りる害悪の告知をいいます。

脅迫罪の脅迫より、対象が広い 図:脅迫罪の脅迫より、対象が広い

性質は同じですが、1つ大きな違いがあります。脅迫罪の脅迫は、加害の対象が本人か、その親族に限られていましたね。ところが、恐喝の脅迫には、そのような対象の限定がありません。たとえば、Aが「お前の友人に危害を加えるぞ」と告げて、Bから金品を交付させた場合を考えてみましょう。友人は親族ではないので、脅迫罪の対象からは外れます。ですが、恐喝罪の脅迫には、そのような限定がないのであたります。Bを畏怖させて財物を交付させるという目的にとって、加害の対象が誰であるかは重要ではないからです。判例も、友人や縁故者への加害の告知で足りるとしています。

適法行為の告知でも恐喝になる

告げる内容そのものは、適法でもよい 図:告げる内容そのものは、適法でもよい

実は、告げる内容が適法な行為でも、恐喝罪は成立しえます。

判例最高裁判所判決(昭和29年4月6日・刑集8巻4号407頁)

最高裁判所判決——犯罪事実の通報を仄めかして口止料を得た事案 恐喝罪において、脅迫の内容をなす害悪の実現は、必ずしもそれ自体違法であることを要するものではないのであるから、他人の犯罪事実を知る者が、これを捜査官憲に申告すること自体は、もとより違法でなくても、これをたねにして、犯罪事実を捜査官憲に申告するもののように申し向けて他人を畏怖させ、口止料として金品を提供させることが、恐喝罪となることはいうまでもない。

他人の犯罪事実を知っている者が、警察に届け出るぞ、と仄めかして、口止め料を要求した事案です。通報すること自体は、誰でもできる適法な行為です。ですが、この判決は、害悪の実現そのものが違法である必要はない、と述べています。通報という適法な行為を材料にして相手を畏怖させ、口止め料を出させれば、恐喝罪が成立するということです。恐喝罪の脅迫にあたるかどうかは、告げた内容が適法か違法かではなく、それによって相手を畏怖させ、財物や利益を手放させる関係にあるかどうかで決まります。通報する自由はあっても、黙っている代わりにお金を出させる自由まではありません。適法な行為を、財物を手放させる脅しの道具に使った時点で、相手の自由な判断が押さえつけられているからです。

処分行為が要る——2項恐喝と2項強盗の違い

恐喝も交付罪、処分行為が要る 図:恐喝も交付罪、処分行為が要る

恐喝罪は交付罪ですから、詐欺罪と同じく、処分行為が必要です。恐喝によって畏怖しただけでは足りず、その畏怖に基づいて、被害者自身が財物や利益を終局的に手放す行為が無ければなりません。ここで、2項強盗の回で見た論点を思い出してください。

2項恐喝は処分行為が要る、2項強盗は要らない 図:2項恐喝は処分行為が要る、2項強盗は要らない

ところが、2項恐喝は違います。恐喝罪はあくまで交付罪なので、財物であっても財産上の利益であっても、被害者自身の処分行為が必要です。たとえば、Bを脅して、Aへの借金の返済を免除させたとします。Bが「もう返さなくていい」と自分の意思で告げれば、それが処分行為です。恐喝でこの処分行為を得られなければ、2項恐喝は成立しません。盗取罪の側か、交付罪の側かという、今日の最初に見た軸が、ここでもそのまま効いています。

未遂と因果の4段——250条

恐喝から取得までの因果の4段 図:恐喝から取得までの因果の4段

恐喝罪も、詐欺罪と同じ因果の流れを持っています。①恐喝、②畏怖、③処分行為、④取得という4段です。

条文刑法250条

刑法250条(未遂罪) この章の罪の未遂は、罰する。

この4段のどこで途切れたかで、未遂の扱いが変わってきます。ひとつの場面を見てみましょう。Aが、後輩のBに「金を貸してくれないなら、殴るぞ」と凄みました。ところがBは、Aを気の毒に思っただけで、特に怖がりませんでした。それでも、Bは同情から、いくらかのお金をAに渡しました。①の恐喝はありましたが、②の畏怖が生まれていません。畏怖の無いまま渡した処分行為は、恐喝罪が予定する因果の流れに乗っていないので、恐喝罪は未遂にとどまります。もう1つ、別の場面です。Aが、Bに「今度、何かおごってよね」と、冗談めかして言っただけだったとします。

人を畏怖させるに足りる程度の告知とは、とてもいえません。この場合、①の恐喝そのものが認められません。この場合は、未遂にすら至りません。①があって②か③で切れれば未遂、①自体が無ければ、恐喝罪の問題にすらならない。この違いを区別してください。

権利行使と恐喝——取り立ても犯罪になるのか

冒頭の設例に戻ります 図:冒頭の設例に戻ります

ここからが、今日の山場です。冒頭の設例に戻りましょう。Aは、Bに貸したお金を、脅して取り立てました。Aには、正当な債権があります。ここは、2段階に分けて考える必要があります。1段階目は、構成要件に該当するかどうかです。あのときも、1段目で脅迫罪の構成要件に当てたうえで、2段目で、権利行使として正当かどうかを、違法性阻却で見ました。今日の取立ても、同じ形で進めます。

恐喝罪の保護法益は、占有そのもの 図:恐喝罪の保護法益は、占有そのもの

恐喝罪の保護法益を、所有権のような正当な権利、つまり本権と解すれば、正当な債権者の取立ては、はじめから構成要件に該当しないことになります。Bはもともと、その金額を払う義務を負っています。債権の範囲内で払わせる限り、Bは守られるべき権利を何も失っていない、という考え方です。しかし、自力救済は禁じられています。正当な権利があるからといって、自分の実力で取り立てることまで許されるわけではありません。だからこそ、恐喝罪の保護法益は、占有そのものと解するのが妥当です。Aに正当な債権があっても、Bの財産の占有を侵害している以上、恐喝罪の構成要件には該当します。

正当な債権者なら、いくら脅して取り立てても無罪になるのか?そこが2段階目、違法性阻却の話になります。

違法性阻却の3要件 図:違法性阻却の3要件

構成要件に該当しても、①正当な目的があり、②権利の範囲内であり、③手段が社会的に相当であれば、正当行為として違法性が阻却される、というのが学説の整理です。

⭐ 論文で書く規範:【権利行使と恐喝の判例の基準】他人に対して権利を有する者が、その権利を実行することは、その権利の範囲内であり且つその方法が社会通念上一般に忍容すべきものと認められる程度を超えない限り、何等違法の問題を生じないけれども、右の範囲程度を逸脱するときは違法となり、恐喝罪の成立することがあるものと解するを相当とする。 (規範(最判昭30・10・14))

判例は、権利の範囲内であり、かつ、その方法が社会通念上一般に忍容すべき程度、つまり相手が我慢して受け入れるべき程度を超えないことを基準にしています。この範囲を超えれば、違法となり、恐喝罪が成立することがあります。ただし、注意してほしいことがあります。判例が言葉にしているのは、権利の範囲内かどうかと、手段が社会通念上相当かどうかの2点です。学説のように「正当な目的」を独立の要件として掲げているわけではありません。この違いを、混ぜて覚えないようにしてください。

限度を超えれば、全額について恐喝罪 図:限度を超えれば、全額について恐喝罪

身体に危害を加える態度を示すなど、社会通念上一般に忍容すべき程度を超えた手段だと認定された事案でした。この場合、判例はこう述べています。

判例最高裁判所判決(昭和30年10月14日・刑集9巻11号2173頁)

最高裁判所判決——債権額にかかわらず全額について恐喝罪の成立を認めた事案 もとより、権利行使の手段として社会通念上、一般に忍容すべきものと認められる程度を逸脱した手段であることは論なく、従つて、原判決が右の手段によりDをして金六万円を交付せしめた被告人等の行為に対し、被告人CのDに対する債権額のいかんにかかわらず、右金六万円の全額について恐喝罪の成立をみとめたのは正当であつて、……

手段が限度を超えた以上、正当な債権の範囲内で受け取った分も含めて、全額について恐喝罪が成立します。こう考えると分かりやすいです。Bが手放したお金は、借金の分も含めて、Bが占有していたお金です。それを1つの違法な脅しで丸ごと手放させた以上、債権の額で切り分けることはできません。行き過ぎた分だけが罪になる、と考えると読み違えます。判例は、権利行使を広く許しているのではありません。手段が相当性を欠いた瞬間、取立て全体が違法な恐喝行為に変わる、という厳しい帰結を示しています。反対に、たとえばAが「期限までに返さないなら、裁判を起こして請求する」と告げて、貸した分だけを返させた場合はどうでしょう。

権利の範囲内で、手段も社会通念上忍容すべき程度にとどまるので、違法の問題は生じず、恐喝罪は成立しません。身体への危害をちらつかせた判例の事案なら全額が恐喝、正規の手続を告げるだけなら不成立。線は、この間に引かれます。冒頭のAとBの場面も、この線で測ります。Aに正当な債権があっても、周りに言いふらすという脅しが、社会通念上忍容すべき程度を超えていれば、貸した金額そのままの範囲内であっても、恐喝罪が成立しえます。金額の正しさと、手段の相当性は、別の話だということです。なお、欺いて取り立てた場合、つまり権利行使と詐欺の関係も、同じように構成要件該当性から違法性阻却へという2段階で考えます。欺いて手放させても、Bが占有していた財産を、B自身の交付で失わせる点は、恐喝と変わらないからです。また、自力救済が禁じられているからこそ占有説を取る、という理由づけは、以前の回で見た自救行為の考え方ともつながっています。

自救行為の4要件とは、物差しが別です。自救行為は、正規の手続を待っていては回復が間に合わないという緊急性まで求める、条文の外の例外でした。今日見た学説の3要件も、判例の基準も、緊急性は問いません。学説は、権利の範囲内か、手段が社会的に相当かで、35条の正当行為に当たるかを測ります。ここは論文でも論点になりうる場面です。今日は、この2段階の考え方をしっかり押さえておいてください。

他罪との関係——吸収と観念的競合

手段は吸収、結果は別罪 図:手段は吸収、結果は別罪

最後に、他の罪との関係です。恐喝の手段として用いた暴行・脅迫は、恐喝罪に吸収され、暴行罪や脅迫罪が別に成立することはありません。ただし、その暴行によって、相手に傷害を負わせた場合は別です。

判例最高裁判所判決(昭和23年7月29日・刑集2巻9号1062頁)

最高裁判所判決——恐喝の手段として短刀で傷害を負わせたとして起訴された事案 右第一と第二との各事実が凡て証明されるならば、被告人は恐喝罪と傷害罪とにつき刑法第五十四条第一項前段の規定を適用して処断されなければならない。けだし、傷害行為は恐喝行為とは別個に、これの事前若しくは事後においてなされたのではなく、傷害行為がただちに恐喝行為の手段としてなされたと言うからである。

起訴された事実がすべて証明されれば、恐喝罪と傷害罪が成立し、54条1項前段の観念的競合として処断すべきだと述べています。暴行にとどまる限りは吸収されますが、傷害という重い結果が生じれば、傷害罪との観念的競合で扱われます。なお、公務員が恐喝的な手段で賄賂を受け取った場合の扱いは、賄賂罪の回で扱います。

今日の地図(保存版)

3罪対比表 図:3罪対比表

今日の内容を、3罪の対比で整理しましょう。強盗罪は、反抗を抑圧するに足りる力で、被害者の意思に反して奪う盗取罪です。処分行為は不要で、客体は動産に限られます。恐喝罪は、反抗を抑圧するに至らない力で、被害者を畏怖させて手放させる交付罪でしたね。処分行為が必要で、客体には不動産も含まれます。詐欺罪は、暴行・脅迫を用いず、錯誤によって手放させる交付罪です。恐喝罪と同じく、処分行為が必要で、不動産も客体に含まれます。この3罪は、力の強さと、手放させ方という2つの軸で、きれいに並んでいます。正当な債権者の取立てでも、恐喝罪の構成要件には該当する。そのうえで、権利の範囲内で、手段が社会通念上忍容すべき程度にとどまれば違法ではない。手段がその程度を超えれば、債権の分も含めた全額について恐喝罪が成立する。この2段階の考え方を、覚えておいてください。これで、財産に対する罪のうち、交付罪の側は一区切りです。占有していた他人の物を、自分の物にしてしまう罪です。主体や客体から、順番に見ていきましょう。

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#148単独ページ動画

横領罪の主体と客体・占有の意味

第16章 個人的法益⑤|財産に対する罪②(詐欺・恐喝・横領・背任・盗品・毀棄) ⑩/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

預かったカメラを質に入れたら

友人から預かったカメラ、勝手に質へ 図:友人から預かったカメラ、勝手に質へ

詐欺も恐喝も、相手の意思を歪めて占有を渡させる罪でした。今日はそこから離れて、こんな場面を考えます。友人からカメラを預かっていたとします。お金に困って、友人には黙って質屋に入れてしまいました。大事な違いがあります。カメラは、最初からずっとあなたの手元にありました。友人から奪ってはいません。占有はすでに自分にあるのに罪になるとすれば、いったい何を侵害したことになるのでしょうか。占有を奪っていないのに、罪になるんですか。なります。ただし、奪う罪とは中身が違います。今日は、任された人が裏切る罪、横領の罪の入口を見ていきます。

横領の罪、3つの地図

単純横領・業務上横領・遺失物等横領 図:単純横領・業務上横領・遺失物等横領

条文刑法253条・254条

刑法253条(業務上横領)・254条(遺失物等横領) 253条:業務上自己の占有する他人の物を横領した者は、十年以下の拘禁刑に処する。 254条:遺失物、漂流物その他占有を離れた他人の物を横領した者は、一年以下の拘禁刑又は十万円以下の罰金若しくは科料に処する。

横領の罪には3つあります。単純横領、業務上横領、遺失物等横領です。単純横領と業務上横領は、委託を受けて物を占有している場面を前提にします。この2つを委託物横領と呼びます。業務上横領は、その占有が業務によるものだった場合に、刑が重くなる形です。遺失物等横領は、委託を受けていない占有が前提です。拾った落とし物や、誤って配達された荷物のように、委託信任関係が無いまま手元にある他人の物を横領した場合にあたります。財産犯の全体像の回で見た、占有離脱物横領罪のことで、条文の見出しでは遺失物等横領と呼ばれています。法定刑がぐっと軽いことにも表れています。今日はまず、この3つに共通する土台を見ます。それが、奪取罪との違いです。

財産犯の全体像の回で見たとおり、占有移転を伴う領得罪が奪取罪、占有移転を伴わない領得罪が横領罪である、という関係で整理できます。窃盗や強盗、詐欺や恐喝は、占有を移す動作そのものが罪の本体でした。横領罪は、占有はすでに行為者の手元にあるところから始まります。だから、横領の罪が守っているのは占有そのものではなく、所有権と、物を預けた側との委託信任関係です。

252条を分解する——主体は誰か

自己の占有する他人の物、主体は占有者 図:自己の占有する他人の物、主体は占有者

条文刑法252条

刑法252条(横領) 1項:自己の占有する他人の物を横領した者は、五年以下の拘禁刑に処する。 2項:自己の物であっても、公務所から保管を命ぜられた場合において、これを横領した者も、前項と同様とする。

単純横領の条文を見ます。自己の占有する他人の物を横領した者は、五年以下の拘禁刑に処する、とあります。2項は、自分の物であっても公務所から保管を命じられた場合に横領すれば同じように処罰する、という規定です。こちらは短答向けの知識として押さえておけば足ります。以下は1項を前提に見ていきます。この罪の主体は、他人の物を占有する者に限られます。行為者に一定の身分があることが、構成要件の要素になっている犯罪です。身分があってはじめて成立する犯罪なので、真正身分犯と呼ばれます。占有者という身分が無ければ、そもそも1人では正犯になれません。なぜ占有者に限るのか。この罪の中身は、任された地位を裏切ることでした。カメラを預かったあなたには裏切る地位がありますが、何も預かっていない隣の人には、そもそも裏切りようがないんです。

占有していない人が手を貸したらどうなるんですか。そこは共犯の問題になります。詳しくは、業務上横領を扱う回でまとめて見ます。今日は、主体が占有者に限られるという骨格だけ押さえてください。

客体①「物」——不動産は入り電気は入らない

動産だけでなく不動産も客体になる 図:動産だけでなく不動産も客体になる

条文刑法235条の2

刑法235条の2(不動産侵奪) 他人の不動産を侵奪した者は、十年以下の拘禁刑に処する。

客体は「物」、つまり財物です。動産に限らず、不動産も含みます。窃盗罪は占有を奪う動作を前提にするので、動産に限られます。だからこそ、不動産を奪う行為を捕まえるために、不動産侵奪罪という別の条文が置かれています。横領罪は、占有を取得する態様を問いません。すでに手元にある物を裏切って処分すれば足りるので、最初から不動産も客体に含まれます。友人から管理を任されている土地を、勝手に売ってしまうような場面です。だから、横領罪には不動産だけの別条文がいらないんです。

条文刑法245条・251条

刑法245条(電気)・251条(準用) 245条:この章の罪については、電気は、財物とみなす。 251条:第二百四十二条、第二百四十四条及び第二百四十五条の規定は、この章の罪について準用する。

まず電気は財物ではありませんが、245条が、この章の罪については電気は財物とみなす、と定めています。ただし、この「この章」は窃盗・強盗の章のことです。詐欺・恐喝の章には、251条という準用規定があって、245条をそこにも及ぼしています。ところが、横領の章には、この準用規定がありません。準用規定が無い以上、横領罪の客体に電気は含まれません。電気を勝手に使い込んでも、財物を横領したとは言えないので、この罪では処罰されないことになります。

客体②「占有」——窃盗罪より広い理由

窃盗罪との対比——事実的支配に法律的支配を加える 図:窃盗罪との対比——事実的支配に法律的支配を加える

一度、窃盗罪の占有を思い出してみましょう。覚えていますか?刑法上の占有が認められるには、事実上の支配という客観的要件と、財物を支配する意思という主観的要件が必要で、その有無は社会通念にしたがって総合的に判断する、というものでした。横領罪の占有は、これより広くなります。事実的支配に加えて、法律的支配も含むんです。たとえば、不動産の登記名義人や、銀行預金の名義人も、横領罪との関係では占有者にあたります。横領罪の占有要件が求めているのは、処分できる地位です。窃盗罪は占有そのものを守る罪でした。だから、実際に手に持っているかどうかが問題になります。横領罪は、任された地位を濫用する罪です。実際に手に持っていなくても、登記や名義のうえで自由に処分できる地位にあれば、その地位を裏切ることができてしまいます。だから、法律的支配も占有に含めるんです。

預金の名義人には、法律上いつでも払戻しを受けられる地位があります。だから、預金名義人が委託の趣旨に反してそのお金を処分すれば、横領罪の占有者として扱われます。逆に、名義人以外の人が窓口をだまして預金を引き出すような場面では、占有は銀行の側にあって、預金名義人にはありません。同じ銀行預金でも、誰が占有者かは場面によって変わります。店の売上金を持ち出した場合は、任され方で分かれます。レジ打ちだけを任されたアルバイトなら、窃盗罪の回で見たとおり、上下関係のある店では、占有は上位の店主にあって、店員は店主の占有を手伝うだけの占有補助者にすぎません。持ち出せば窃盗です。これに対して、店主から店長として売上金の管理を全面的に任されている人なら、占有はその人自身にあるので、持ち出せば横領です。占有がどちら側にあるかを見極めることが、窃盗と横領の分かれ目です。冒頭のカメラに戻ると、あなたは何も奪っていません。それでも罰されるのは、友人から任された、処分できる地位を裏切ったからです。ここは、論文で論点になりうるところです。

委託信任関係——252条と254条の分かれ目

委託に基づく占有か、占有を離れた物か 図:委託に基づく占有か、占有を離れた物か

もう1つ、252条には条文に書かれていない要件があります。占有が委託信任関係に基づいていることです。なぜ書かれていない要件を足すのか。裏切ったと言えるためには、その前に「信頼して任せた」という関係が無ければならないからです。冒頭のカメラでいえば、友人が「預かっておいて」と頼んだ、その約束が委託信任関係です。委託に基づかない占有もあるんですか。あります。誤って配達された荷物や、道で拾った落とし物のように、委託を受けたわけではないのに手元にある他人の物です。この場合は、252条ではなく、さっき見た254条、遺失物等横領罪の問題になります。委託信任関係があるかどうかが、この2つの条文の分かれ目です。委託が無い分、裏切る信頼もそもそも無いので、254条の法定刑はぐっと軽くなっています。

委託信任関係が生まれる原因は、契約が典型ですが、それだけではありません。頼まれていないのに、他人のために事務を引き受ける事務管理のほか、慣習や条理によっても生まれるとされています。たとえば、留守中の隣人に届いた荷物を代わりに受け取って保管しておく場面です。頼まれてはいなくても、隣人のために預かっているという関係が生まれます。

物の他人性の入口——金銭の3つの型

封金・消費寄託・使途限定、金銭の3類型 図:封金・消費寄託・使途限定、金銭の3類型

客体には、もう1つ要件があります。「他人の」物であることです。所有権が自分以外にあることが必要です。この他人性が問題になる典型が、金銭です。3つに分けて考えます。1つ目は、封をしたまま預かった金銭、封金です。封がしてあって、中身をそのまま返す約束なので、金銭の所有権は預けた人のもとに残ります。だから、封金ごと持ち去れば横領罪の他人の物にあたります。封を破って中身だけ抜き取れば、窃盗罪の回で見た、封をした荷物と同じ理屈で、こちらは窃盗になります。2つ目は、消費寄託契約に基づく場合です。民法666条にあるとおり、同じ種類・品質・数量の物を返せばよいという約束で金銭を預かると、その金銭の所有権自体は預かった側に移ります。銀行にお金を預けるのが、この典型です。だから他人の物にはあたりません。この場合は、横領ではなく、任務に背いて財産上の損害を与える背任の問題になりえます。

3つ目は、使途を定めて金銭を預かった場合です。民法の考え方だと、お金は1枚ごとに見分けがつかないので、持っている人の物として扱われます。そうしないと、受け取ったお金が本当に相手の物か、いちいち確かめなければならず、取引が止まってしまうからです。ですが、それは見知らぬ相手とお金をやりとりする場面を守るための考え方です。友人から「この3万円で、来週の旅行の宿代を払っておいて」と預かったお金を、自分の買い物に使ってしまった場面を考えてください。ここで守るべきなのは、預けた友人の「この目的にだけ使う」という支配のほうです。横領罪は、預けた人と預かった人の内側で所有者を守る規定なので、民法の考え方がそのまま当てはまるわけではありません。だから、判例・通説は、このお金も他人の物にあたると解しています。

判例最高裁判所第二小法廷判決(昭和26年5月25日)

使途を限定して預けた金銭は他人の物にあたる かように使途を限定されて寄託された金銭は、売買代金の如く単純な商取引の履行として授受されたものとは自らその性質を異にするのであつて、特別の事情がない限り受託者はその金銭について刑法二五二条にいわゆる「他人ノ物」を占有する者と解すべきであり、従つて、受託者がその金銭について擅に委託の本旨に違つた処分をしたときは、横領罪を構成するものと言わなければならない。

判例は、使途を限定して預けられた金銭を、単純な商取引の代金とは性質が違うものとして扱い、受託者を他人の物の占有者と見ています。だから、委託の趣旨に反して勝手に処分すれば、横領罪が成立します。ここは、金銭の他人性という形で、論文でも問われる部分です。

今日の地図(保存版)

3つの横領・主体・客体を一枚で 図:3つの横領・主体・客体を一枚で

覚えるポイント — 横領罪①のまとめ

  • 全体地図=252・253は委託物横領/254は委託関係なし
  • 主体=占有者という真正身分犯
  • 客体・物=不動産も含み電気は含まれない
  • 客体・占有=事実的支配+法律的支配(窃盗罪より広い)
  • 委託信任関係=占有が委託に基づくことが必要
  • 他人性=金銭は封金/消費寄託/使途限定の3類型

今日を振り返ります。冒頭の問い、何を侵害したのかの答えは、任された地位への裏切りです。守られているのは、所有権と、物を預けた側との委託信任関係でした。横領の罪は、奪取罪と違って、占有がすでに行為者の手元にあるところから始まります。単純横領と業務上横領は委託物横領、遺失物等横領だけは委託関係がありません。主体は他人の物の占有者に限られる真正身分犯です。客体である物は、動産だけでなく不動産も含みますが、電気は準用規定が無いので含まれません。客体である占有は、事実的支配に加えて法律的支配も含み、処分できる地位そのものを問題にする点で、窃盗罪の占有より広くなっています。その占有は委託信任関係に基づくことが必要で、無ければ254条の問題になります。そして、他人の物にあたるかどうかは、金銭の場面では封金・消費寄託・使途限定の3類型で判断します。

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#149単独ページ動画

横領罪の他人の物・不法原因給付と盗品

第16章 個人的法益⑤|財産に対する罪②(詐欺・恐喝・横領・背任・盗品・毀棄) ⑪/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

返してと言えない物を、使い込んだら

違法な目的に使ってと預けた現金を、自分の買い物に使ってしまった 図:違法な目的に使ってと預けた現金を、自分の買い物に使ってしまった

前回、他人の物かどうかは所有権の所在で決まる、というところまで見ました。今日はここから、民法と刑法の結論がずれる場面を見ていきます。まず、こんな設例です。違法な目的に使ってほしいと頼まれて現金を預かった人が、その金を自分の買い物に使ってしまいました。預けた人は、その現金を取り返せるんですか。取り返せません。違法な目的のために渡したお金なので、民法上「返してほしい」とは言えない立場にあります。返してと言えないなら、預けた人はもう何も失っていないことになりませんか。それでも使い込んだ人は横領になるんですか。なります。ただし、理由を丁寧に見る必要があります。答えを先に言うと、判例はこの場合の成立を認めます。理由は、3つの考え方を比べると見えてきます。

金銭の他人性——なぜ民法の原則を使わないか

民法の原則は取引の安全のため、横領罪は預けた人の内側の支配のため 図:民法の原則は取引の安全のため、横領罪は預けた人の内側の支配のため

今日はまず、なぜ民法の原則をそのまま使わないのか、理由のほうを掘り下げます。民法の原則は、お金は1枚ごとに見分けがつかないので、持っている人の物として扱う、というものでした。この原則は、知らない相手とでも安心して取引できるようにするための道具です。横領罪が守っているのは、知らない相手との取引の安全ではありません。友人から「来週の旅行の宿代に使ってほしい」と預かった3万円のように、預けた人の内側にある「この目的にだけ使ってほしい」という支配です。守ろうとしている場面が違うので、民法の原則をそのまま持ち込む理由がありません。だから、使途を定めて預かった金銭は他人の物にあたる、という判例・通説の結論になります。

この考え方は、今日残り2つの論点にもそのまま使えます。

不法原因給付——問題の所在

不法な原因のための給付は、返還を請求できない 図:不法な原因のための給付は、返還を請求できない

条文民法708条

民法708条(不法原因給付) 不法な原因のために給付をした者は、その給付したものの返還を請求することができない。ただし、不法な原因が受益者についてのみ存したときは、この限りでない。

ここで、不法原因給付と詐欺の回でも出てきた民法708条を確認します。不法な原因のためにおこなった給付は、返還を請求できません。ただし、不法の原因が受け取った側だけにあるときは、この限りではない、というただし書があります。冒頭の設例では、預けた側にも預かった側にも不法な目的があるので、本文どおり、返還請求はできません。返してと言えないなら、そのお金の持ち主は、もう預かった人に変わっているんじゃないですか。そこが今日の問題の所在です。返還を請求できないことの裏返し、いわば反射的な効果として、所有権も給付を受けた側に移ると考えるなら、預かった人にとってそのお金はもう「他人の物」ではなくなります。他人の物でなければ、横領罪はそもそも成立しません。ここから、3つの考え方が分かれます。

3つの考え方——同じ設例に当てる

違法な取り立てのため前払いした現金を、着手せず使い込む 図:違法な取り立てのため前払いした現金を、着手せず使い込む

まず、2つの設例を用意します。1つ目は、違法な賭博の借金を取り立ててくれたら渡す、という約束で、依頼人が用心棒に現金を前払いした場合です。用心棒は取り立てに着手せず、そのまま自分のために使ってしまいました。

違法な密輸の元手にと預かった現金を、密輸に使わず生活費に使う 図:違法な密輸の元手にと預かった現金を、密輸に使わず生活費に使う

2つ目は、違法な密輸の元手にしてほしいと頼まれて現金を預かった人が、密輸には使わず、そのまま自分の生活費に使ってしまった場合です。この2つに、3つの考え方をそれぞれ当ててみます。

肯定説・否定説・折衷説——同じ設例で結論が分かれる 図:肯定説・否定説・折衷説——同じ設例で結論が分かれる

1つ目は肯定説です。これは判例の立場で、返還請求権を失うことと、所有権を失うことは別だと考えます。給付した側は、返還は求められなくても、所有権はなお失っていない。だから他人の物にあたり、横領罪が成立します。

⭐ 論文で書く規範:不法原因給付と横領・肯定説 不法原因給付にあたる金銭であっても、給付者は返還請求権を失うにとどまり、所有権を失うものではないから、受託者にとってなお「他人の物」にあたる。 (規範(肯定説・最判昭23・6・5の結論))

民事の判例は、のちに、渡し切る形で贈与した場面について、返還を請求できない反射として所有権も受け取った側に移る、と判断しています。肯定説の判例はそれより前の、刑法の側の判断です。横領罪が求めているのは「他人の物」であることだけで、預けた人が民法上「返して」と言えることまでは求めていない、と考えたんです。決め手は、逆に考えたときの不都合です。否定説に立つと、違法な目的で預かった人は、使い込んでも罪にならず、裏切った者のほうが得をしてしまいます。肯定説は、給付の型を区別しません。2つ目は否定説です。民法708条によって法的に保護されなくなった所有権を、刑法でまで保護すると、民法と刑法で評価がちぐはぐになります。法秩序の統一という見地からおかしい、と考えるわけです。だから他人の物にあたらず、どちらの設例でも横領罪は成立しません。

折衷説は、この民事の判例とのずれを、708条の「給付」の意味から埋めようとします。給付と、寄託、つまり、ただ預けただけの場合とを分けます。ここでの寄託は、前回見た消費寄託とは違い、所有権まで移すつもりのない、ただ預けるだけの場合です。民法708条の「給付」とは、終局的な利益移転、つまり相手に渡し切るという意味だと考えます。1つ目の設例、対価の前払いは、取り立ての成功と引き換えに渡し切るつもりの給付なので、708条の「給付」にあたり、所有権が移ります。だから、この設例では他人の物でなくなり、不成立に傾きます。

2つ目は、密輸の元手として一時的に預けただけで、終局的に渡し切るつもりはありません。だから「給付」にあたらず、708条は適用されず、所有権はなお預けた人のもとにあります。だから、この設例では他人の物のままで、成立に傾きます。同じ折衷説でも、渡し方によって結論が変わるところがポイントです。判例の肯定説に立てば、どちらの設例でも成立です。返してと言えなくなっても、所有権まで失ったわけではない、というのが結論の理由でした。ここは、論文で論点になりうるところで、自分がどの説に立つかで、あてはめの書き方も変わってきます。

盗品等の横領

盗品を預かった者が、勝手に売って代金を着服する 図:盗品を預かった者が、勝手に売って代金を着服する

次は、盗品を巡る場面です。骨董品を盗んだ人物が、知人に「しばらく預かっておいてくれ」と頼み、知人がそれを勝手に売って、代金を自分のものにしてしまったとします。これも、他人の物かどうかが問題になるんですか。ここは違います。盗まれた骨董品は、あくまで本来の所有者の物であって、他人の物であることに問題はありません。委託信任関係とは、前回見た「信頼して任せた」という関係で、横領罪の占有はこれに基づく必要がありました。問題になるのは、横領罪の占有に必要な委託信任関係が、本来の所有者ではなく、盗んだ本人との間にできたものであっても、保護に値するかどうかです。

委託信任関係があるのは、盗んだ人物と、預かった知人との間だけです。だからこそ、盗んだ本人からの委託にすぎない関係を、刑法が保護に値すると見てよいのか、という形で対立が生まれます。肯定説は、占有それ自体は誰との関係でできたものであっても保護に値する以上、盗んだ本人との委託信任関係も保護される、と考えます。だから横領罪が成立します。否定説は、横領罪の保護法益は所有権であって、所有者ではない盗んだ本人との委託信任関係は保護に値しない、と考えます。だから横領罪は成立しません。

⭐ 論文で書く規範:盗品等の横領・判例の結論 窃盗犯人から盗品の売却を頼まれた者が、売却して得た代金を自分のために使った事案について、横領罪の成立を認めた。 (規範(最判昭36・10・10の結論・肯定説))

盗品等の横領について、判例も肯定説に立っています。設例とは少し違い、窃盗犯人から盗品の売却を頼まれた者が、売却して得た代金を自分のために使った事案で、判例は横領罪の成立を認めています。占有が誰との約束に基づくものであっても、いったん任された以上、その地位を裏切れば横領罪の責任を免れない、という考え方です。決め手は、前回見た252条と254条の分かれ目です。254条は、落とし物や誤って配達された荷物のように、任されてもいないのにたまたま手元にある他人の物を横領する、遺失物等横領罪でした。委託信任関係は、任されて持っているのか、たまたま手元にあるのかを分ける目印です。事実として任されて預かった以上、その目印はそろっていて、254条ではなく252条の側にあたります。そして、本来の持ち主の物を勝手に自分の物にしている点は、誰から預かっても変わりません。

盗品を保管した点については、盗品等保管罪という別の罪の入口があります。窃盗犯人本人には成立しませんが、預かった第三者には別途成立しうる、というだけ押さえておいてください。詳しくは別の回で扱います。

252条2項——自己の物でも客体になる例外

自己の物でも、公務所から保管を命じられれば客体になる 図:自己の物でも、公務所から保管を命じられれば客体になる

条文刑法252条

刑法252条(横領) 1項:自己の占有する他人の物を横領した者は、五年以下の拘禁刑に処する。 2項:自己の物であっても、公務所から保管を命ぜられた場合において、これを横領した者も、前項と同様とする。

最後に、前回の条文カードにあった、252条2項を回収します。1項は他人の物であることが前提でしたが、2項は逆に、物が自分のものでも、公務所に保管を命じられていれば横領の対象に入る、という例外を定めています。例えば、強制執行によって差し押さえられた自分の物を、勝手に売ってしまうような場合です。物の所有権は自分にありますが、公務所が保管を命じた以上、勝手な処分は許されません。1項の「他人の物」という原則の外側に、条文がはっきり例外を置いている場面として押さえておいてください。

整理板——「他人の物」の判断表

民法の結論と横領罪の結論、そのずれの理由 図:民法の結論と横領罪の結論、そのずれの理由

覚えるポイント — 「他人の物」の判断表

  • 使途を定めた金銭=民法は占有者の物/横領罪は他人の物(判例・通説)
  • 不法原因給付(前払い型)=肯定説成立・否定説・折衷説は不成立に傾く
  • 不法原因給付(預けただけ型)=肯定説・折衷説成立・否定説は不成立
  • 盗品等=肯定説(判例)成立・否定説不成立
  • 252条2項=自己の物でも公務所保管命令があれば客体になる例外

今日を振り返ります。冒頭の問い、違法な目的に使ってほしいと預けた現金を使い込んだ場合の答えは、判例の立場である肯定説に立てば横領罪が成立する、というものでした。理由は、返還請求権を失うことと、所有権を失うことは別だからです。今日見た3つの場面に共通しているのは、民法上の結論をそのまま横領罪に持ち込まず、横領罪が何を守ろうとしているかから改めて考える、という1つの姿勢です。使途を定めた金銭は、民法の原則が取引の安全のためのものだからこそ、横領罪では他人の物にあたりました。不法原因給付は、返還請求できないことが、所有権まで失ったことを意味するとは限らないという理由から、なお他人の物にあたりえました。盗品等の横領は、本来の所有者との関係ではなく、窃盗犯人との委託信任関係が保護に値するかという、もう一段別の問いでした。そして252条2項は、自己の物でも公務所の管理を裏切れば客体になる、という条文明文の例外です。

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#150単独ページ動画

横領罪の横領行為・不法領得の意思・既遂時期

第16章 個人的法益⑤|財産に対する罪②(詐欺・恐喝・横領・背任・盗品・毀棄) ⑫/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

預かった時計を川に捨てたら

同僚から預かった腕時計を、腹いせに川へ捨てた 図:同僚から預かった腕時計を、腹いせに川へ捨てた

前回までで、横領罪の客体、つまり何が「他人の物」になるかが決まりました。今日はその先、どんな行為をすると「横領した」になるのかを見ます。設例です。同僚のAさんから、修理に出してほしいと腕時計を預かったBさんが、ケンカの腹いせに、その時計を川へ捨てました。利用も換金もしていない処分でも横領になるか、が問いです。窃盗罪なら、もっぱら壊す目的では不法領得の意思が欠けて、窃盗にはなりませんでした。では、預かった物を捨てた場合はどうでしょうか。答えを先に言うと、判例の考え方では横領になります。理由は、窃盗と横領で不法領得の意思の中身が違うからです。

「横領した」とは何をすることか

領得行為説と越権行為説——毀棄・隠匿と一時使用で見る 図:領得行為説と越権行為説——毀棄・隠匿と一時使用で見る

横領罪の条文は「横領した者」としか書いていません。ここで、判例・通説は「横領」を、不法領得の意思を実現する一切の行為だと解します。領得行為説と呼ばれます。具体的には、売却、贈与、貸与、質入れ、抵当権の設定、費消、返還拒否など、所有者でなければできない扱いです。売却や質入れ、抵当権設定は法律上の処分、預かった金を使う費消や、物を壊す捨てるは事実上の処分です。預かった自転車を友人に貸すのも、所有者だけができる扱いなので入ります。これに対して、雨の日に持ち主の家まで自転車を運ぶ行為は、任務の範囲内で、横領ではありません。窃盗の回で見た、返すつもりで短い間だけ使う使用窃盗と、混同しないでください。横領でも、所有者のように振る舞う意思、つまり権利者排除意思にあたる部分は要ります。ごく短時間の軽微な使用は、所有者でなければできない処分とまでは言えず、否定されえます。友人への貸与は、物を自分の手から離して所有者のように扱う処分なので、横領です。これと対立する考え方に、越権行為説があります。委託された権限を超える行為をすれば、それが横領だとする学説です。

両説の結論が分かれるのは、2つの場面です。1つ目は、壊す、隠す目的の処分です。越権行為説は権限を逸脱していれば足りるので横領を認めます。領得行為説も、判例は利用処分意思、つまり窃盗の回で見た、物を経済的に利用・処分する意思を要しないので認めますが、利用処分意思も必要とする見解なら否定します。2つ目は、返すつもりで頼まれた範囲を超えて使う、一時使用です。越権行為説は権限逸脱だけで横領を認めやすく、領得行為説は領得の意思がないとして否定しうる。領得行為説がとられる理由は、権限を超えただけで横領だとすると、返すつもりの軽い一時使用まで横領罪になり、処罰が広がりすぎるから、と説明されます。だから、「不法領得の意思とは何か」が横領の成否を決めます。そこを次に見ます。

横領罪の不法領得の意思——利用処分意思は要らない

窃盗と横領の不法領得の意思を比べる 図:窃盗と横領の不法領得の意思を比べる

その前に、窃盗のときに見た不法領得の意思は、何と何の組み合わせでしたか?使用窃盗を外すための権利者排除意思と、毀棄・隠匿罪を外すための利用処分意思、の2つでした。横領では、この2つのうち、利用処分意思のほうが要りません。まず判例の言葉を確認します。

判例最高裁判所第三小法廷判決(昭和24年3月8日)・刑集3巻3号276頁

横領罪における不法領得の意思 横領罪の成立に必要な不法領得の意志とは、他人の物の占有者が委託の任務に背いて、その物につき権限がないのに所有者でなければできないような処分をする意志をいうのであつて、必ずしも占有者が自己の利益取得を意図することを必要とするものではなく、又占有者において不法に処分したものを後日に補填する意志が行為当時にあつたからとて横領罪の成立を妨げるものでもない。

読み方の要点は3つです。物を持っているのは自分。その持ち方は、任されたものであること。そして、任された範囲を超えて、本来は所有者にしかできない処分をする意思があること。自分がもうけるつもりかどうかは問わない、という意味です。窃盗との違いはその先にあります。窃盗の定式にあった、物を経済的な用法に従って利用・処分する意思が、ここでは要求されていません。決め手は、罪が守ろうとしているものの違いです。窃盗は、他人が持っている物を奪う罪なので、単に壊しただけの場合は毀棄罪との線引きが必要でした。横領は、任された地位を裏切る罪です。住人から荷物の保管を頼まれた管理人が、預かった荷物を自分では使わずに捨てたとします。使わなかったとしても、信頼を裏切った点は、使った場合と変わりません。

冒頭のBさんは、預かった時計を、所有者でなければできない捨てるという処分をしました。しかも、Aさんから頼まれた修理という任務に背いています。よって横領罪が成立します。反対の意見もあるんですか。あります。奪取罪と同じに解する見解です。横領は利欲犯、つまり利益を得ようとする犯罪だから、利用処分意思も必要だと考えます。この見解だと、Bさんの捨てる行為は、横領罪ではなく、器物損壊罪の問題になります。ただ、判例・通説は、横領で守ろうとするものが、物を利用して得をされることではなく、任せた相手への信頼だと考えます。そこで、毀棄も横領になります。

⭐ 論文で書く規範:【論文で書く規範】横領罪の不法領得の意思 他人の物の占有者が委託の任務に背いて、その物につき権限がないのに所有者でなければできないような処分をする意思 (規範(判例型・最判昭24・3・8)——窃盗と違い、利用処分意思は要しない)

ここは論文で論点になりうるところです。では、この規範を、具体的な事案に当てて、輪郭を確かめます。

横領になる・ならない——任務に背いているか、所有者のように処分したか 図:横領になる・ならない——任務に背いているか、所有者のように処分したか

1つ目は、冒頭の時計を川へ捨てた場合で、さっき見たとおり横領です。2つ目は、預かった商品を勝手に売って、その代金を自分では使わず、全額寄付した場合です。自分の利益にしていませんが、判旨の言うとおり、利益を得ることは必要ではありません。売るという所有者にしかできない処分をして、任務にも背いているので、横領です。3つ目は、持ち主から「壊れているから処分してほしい」と頼まれて、時計を捨てた場合です。頼まれた範囲の処分なので、任務に背いていません。捨てるという同じ行為でも、横領にはなりません。4つ目は、盗まれないよう、預かった時計の置き場所を移しただけの場合です。所有者でなければできない処分とは言えないので、これも横領ではありません。

答案でも、事案の行為が任務に背いているかと、所有者のような処分かを、規範に当てはめて書きます。

使い込んでも横領にならない場合——一時流用

町内会の会計係が、預かった積立金を旅行代に使う 図:町内会の会計係が、預かった積立金を旅行代に使う

逆の場面です。前回までに見たとおり、使途を定めて預かった金銭は他人の物です。では、預かった金を使ってしまえば、いつでも横領でしょうか。設例です。町内会の会計係のBさんが、町内会の宿代にと預かった積立金の一部を、自分の旅行代に使いました。まず、さっきの判例の続きを見てください。後日に補填する意志が行為当時にあったからといって、横領罪の成立は妨げられない、とありました。ただの「あとで返すつもり」は足りません。判旨が言っているのは、意思だけの場合です。そのうえで、通説は、使った時点で確実に埋め合わせる意思と能力の両方があれば、横領にあたらないと考えます。所有者のように、その金を自分のものにしてしまう意思とは言えないからです。さっき、返すつもりの一時使用は領得行為説なら否定しうると言いました。ここが違います。時計なら、少し使っても同じ物が戻りますが、お金は使えばその場で無くなります。だから、返すつもりだけでは足りず、確実に戻せる状態まで要るわけです。

填補の意思と能力——両方揃ったときだけ横領にならない 図:填補の意思と能力——両方揃ったときだけ横領にならない

4つの場合を比べます。1つ目、Bさんに定期預金があり、その日のうちに確実に元へ戻すつもりで使った。填補の意思も能力もある場合で、横領にはあたりません。2つ目、取引先からの入金を待って戻すつもりだが、今は手元に原資がない。意思はあっても能力がないので、横領にあたります。判旨の言う、後日に補填する意志だけの場合が、これです。3つ目、預金は十分あるが、戻す気は最初からない。能力はあっても意思がないので、これも横領です。4つ目は、意思も能力もない場合で、当然に横領です。決め手は、任せた側から見た危険です。戻せる原資が無い、または戻す気が無いなら、預けた側は現実に金を失う危険にさらされます。両方が揃っているときだけ、その危険が無く、所有者としての処分とは言えないわけです。横領罪が守るのは、任せた物を確実に戻してもらえるという信頼なので、その危険が無ければ、裏切りとまでは言えません。

「取引先の入金が遅れただけで、月内には返せるはずだった」なら、どうですか。通りません。判断する時点は、使った時点です。後でお金が入る予定があっても、使った時点で確実に戻せる状態でなければ、能力があるとは言えません。冒頭の時計のように、壊して戻せない行為とは違い、戻せる状態が確実にある場面だけが例外になります。

いつ既遂になるか

窃盗は取りに行く途中から、横領は最初から手元にある 図:窃盗は取りに行く途中から、横領は最初から手元にある

最後に、いつ既遂になるかです。判例は、次のように言います。

判例最高裁判所第二小法廷判決(昭和27年10月17日)・集刑68号361頁

横領罪の成立時期 横領罪は自己の占有する他人の物を自己に領得する意思を外部に発現する行為があつたときに成立するものである。そしてその不法領得の意思を発現する行為は必ずしもその物の処分のような客観的な領得行為たることを要せず、単に領得の意思をもつて為した行為たるをもつて足るのである。

要点は、領得の意思を外部に発現する行為があれば、その時点で成立する、ということです。売却の引渡しや代金の受領といった、行為の完成を待ちません。つまり、直ちに既遂になります。発現行為って、決意しただけでも入るんですか。違います。心の中で決めただけでは足りません。この判例の事案では、保管許可の申請を頼まれて預かった刀剣を、警察官に贈与するつもりで、期日までに手続をせず、自分の物として、預かっていた場所にそのまま置いておきました。頼まれた手続をしないという外に現れた行為が、発現行為にあたりました。対比すると、預かった刀剣を贈るつもりだと、心の中で思っているだけなら、まだ横領ではありません。手続をせず自分の物としてそのまま置いておけば、その時点で横領です。

横領罪には未遂を罰する規定がありません。そもそも、占有が最初から自分の手元にあるので、取りに行く途中という段階がありません。発現行為があれば、その時点で既遂と考えるので、未遂を考える余地がないわけです。ただし、不動産の二重譲渡、つまり同じ不動産を2人に売ることや、抵当権の設定については、有力な見解があります。これは「発現行為で直ちに既遂」の例外ではなく、不動産では契約を結んだだけでは発現として不十分で、登記の完了をもって発現行為と見る、という位置づけです。契約だけではまだ所有権を失わせる危険が具体化していないからです。二重譲渡が成立するかどうか自体は、別の回で扱います。

不実の仮登記——仮登記をした時点で成立 図:不実の仮登記——仮登記をした時点で成立

この既遂時期が問われた事案があります。和解で他人に所有権が移った建物を預かり保管していた者が、登記名義がなお自分の会社のままなのを利用して、不実の抵当権設定仮登記をしました。原状回復にかこつけて、解決金を得ようとしたものです。仮登記とは、本登記の前に、順位だけを先に押さえておく仮の登記です。不実とは、中身が真実と違う、という意味です。

判例最高裁判所第二小法廷決定(平成21年3月26日)・刑集63巻3号291頁

不実の抵当権設定仮登記 不実とはいえ,本件仮登記を了したことは,不法領得の意思を実現する行為として十分であり,横領罪の成立を認めた原判断は正当である。

決定は、「既遂」という言葉は使っていません。仮登記をしたことが、不法領得の意思を実現する行為として十分だと述べて、横領罪の成立を認めています。登記が完了するまで待つ見解と、ぶつからないんですか。ぶつかりません。仮登記も登記簿に載る以上、所有者としての処分が外に現れています。しかも仮登記には、順位を守る力があります。あとで本登記をすると、順位は仮登記をしたときまでさかのぼります。だから、仮登記の後に本当の持ち主が建物を売ったり担保に入れたりしても、この抵当権が先に立ち、持ち主は建物の値打ちを削られてしまいます。契約を結んだだけなら、登記簿には何も現れず、この力もありません。ここが、契約だけでは足りず、仮登記なら足りる境目です。

整理板——横領の成否を判断する流れ

「横領した」かどうかを判断する流れ 図:「横領した」かどうかを判断する流れ

覚えるポイント — 横領の判断の流れ

  • 横領=不法領得の意思を実現する一切の行為(領得行為説)
  • 不法領得の意思=任務に背いて所有者でなければできない処分をする意思(利用処分意思は不要)
  • 一時流用=使った時点で確実な填補の意思と能力が両方あれば横領にならない
  • 既遂=発現行為で直ちに(未遂規定は無い)
  • 不動産=登記完了説が有力・不実の仮登記は仮登記時点で成立

まとめます。冒頭の問いの答えは、預かった時計を腹いせに捨てれば横領になる、でした。理由は、横領罪が守ろうとするのが、物を使って得をされないことではなく、任された地位の裏切りだからです。横領罪の行為は、所有者でなければできない処分を、任された地位を裏切ってすること、と言い直せます。窃盗の不法領得の意思と違って、利用処分意思は要りません。ただし、使った時点で確実な填補の意思と能力があるなら、一時流用として横領にはなりません。既遂時期は、発現行為の時点です。未遂を罰する規定はなく、不動産でも、不実の仮登記のように所有者としての処分が外に現れれば、その時点で成立します。

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#151単独ページ動画

横領罪の二重売買・横領後の横領・横領後の詐欺

第16章 個人的法益⑤|財産に対する罪②(詐欺・恐喝・横領・背任・盗品・毀棄) ⑬/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

同じ別荘を二人に売った画廊の主人

同じ別荘を、友人にも投資家にも売った 図:同じ別荘を、友人にも投資家にも売った

前回までで、ひとつの物についての単発の横領は決まりました。今日は、横領が「重なる」場面を見ます。設例です。画廊の主人のAさんが、別荘を友人のBさんに売る約束をして、代金も受け取りました。ただ、登記はまだAさんの名義のままです。そこへ、高値を出す投資家のCさんが現れます。Aさんは同じ別荘をCさんにも売って、登記まで移しました。ここで一度止めて考えてください。Aさんは誰に対して何の罪になりそうか。そして、あとから買ったCさんは無罪でしょうか。答えを先に言うと、Aさんは最初の買主Bさんに対する横領罪です。Cさんに対する詐欺罪は成立しません。そしてCさん自身は、事情を知っていただけなら罪になりません。ただし、ある場合には共犯になります。その線引きまで、今日で言えるようになります。

二重売買で問われる3つのこと

民法では先に登記した者が勝つ 図:民法では先に登記した者が勝つ

刑法の話に入る前に、民法の前提を確認します。二重売買で、別荘は結局だれのものになるのでしょうか。

条文民法176条

民法176条(物権の設定及び移転) 物権の設定及び移転は、当事者の意思表示のみによって、その効力を生ずる。

条文民法177条

民法177条(不動産に関する物権の変動の対抗要件) 不動産に関する物権の得喪及び変更は、不動産登記法(平成十六年法律第百二十三号)その他の登記に関する法律の定めるところに従いその登記をしなければ、第三者に対抗することができない。

176条は、売買契約を結べば、それだけで所有権が買主に移るとしています。ですから、AさんとBさんが契約した時点で、別荘の所有権はBさんに移ります。ただし177条により、登記がなければ「第三者」には対抗できません。対抗できない、というのは、自分が所有者だと主張しても負ける、という意味です。あとから来たCさんが先に登記を備えれば、Cさんが所有権を主張でき、Bさんは負けます。民法はこうして、Cさんを勝たせて話を終えます。ところが刑法は、民法とは別に、売主と買主の責任を問います。問われるのは3つです。

刑法で問われる3つ 図:刑法で問われる3つ

1つ目は、売主Aさんは、最初の買主Bさんに対して横領罪になるか。2つ目は、売主Aさんは、あとの買主Cさんに対して詐欺罪になるか。3つ目は、Cさん自身は、Aさんの横領の共同正犯になるか。この順に見ます。

売主は第1買主に対して横領罪

売った後の別荘は、Aにとって他人の物 図:売った後の別荘は、Aにとって他人の物

1つ目です。横領罪の条文を、もう一度出します。

条文刑法252条1項

刑法252条1項(横領) 自己の占有する他人の物を横領した者は、五年以下の拘禁刑に処する。

客体は「他人の物」、行為者は、その物を「自己の占有する」立場の人、でした。この設例に当てはめます。まず他人の物かどうか。先ほどの176条で、AさんがBさんと契約した時点で、別荘の所有権はBさんに移っています。だから、Cさんに売ろうとしたとき、別荘はAさんにとって他人の物です。占有は、手で持っている場合だけではありません。横領罪の1回目に、占有の話で見たとおり、法律上の支配も含みます。不動産では、登記簿に名前が載っている人がこれにあたります。登記簿に名前がある人は、ほかの誰の協力もなく、一人で売却の手続きを進められます。この、一人で所有権を動かせる立場が、法律上の支配です。

名義が残っていることが、そのまま占有になるんです。判例も、そう考えています。

判例最高裁判所第三小法廷判決(昭和30年12月26日)・刑集9巻14号3053頁

不動産の二重売買と横領罪 不動産の所有権が売買によつて買主に移転した場合、登記簿上の所有名義がなお売主にあるときは、売主はその不動産を占有するものと解すべく、従つていわゆる二重売買においては横領罪の成立が認められるとする趣旨は、大審院当時くりかえし判例として示されたところであり、この見解は今なお支持せられるべきものである

この事案は、山林をAに売った被告人が、登記簿上はまだ自分の名義であるのをいいことに、同じ山林をさらにBにも売った、というものです。判例が直接言っているのは、登記名義が売主にあれば売主は占有していることになり、二重売買では横領罪が成立する、という点です。「契約で所有権が買主に移る」という前提は、判旨の冒頭にあるとおり、民法の考え方です。Bさんは、名義がAさんのままでも、Aさんが信義を守って動かさないはずだと任せています。その信頼を裏切ったのが、横領です。逆の場合を見ると輪郭がはっきりします。AさんがBさんに売って、登記もBさんの名義に移していたとします。すると、名義はもうBさんですから、Aさんは別荘を占有する者ではありません。この場合は、横領罪の問題ではなくなります。名義が売主に残っていることが、線を引く決め手です。既遂の時期は、前回の受けです。同じ不動産を2人に売る場合は、登記の完了をもって発現行為とみて、既遂とする整理でした。契約を結んだだけでは、Bさんが所有権を失う危険が、まだ具体的になっていないからです。この設例なら、Cさんへの移転登記が完了したときです。

売主は第2買主に対して詐欺罪にならない

だまされた形なのに、Cに損害がない 図:だまされた形なのに、Cに損害がない

2つ目です。AさんはCさんに、Bさんに売った事情を隠して売りました。Cさんが何も知らなかったとします。Cさんは、だまされたと言えるでしょうか。

条文刑法246条

刑法246条(詐欺) 1項:人を欺いて財物を交付させた者は、十年以下の拘禁刑に処する。 2項:前項の方法により、財産上不法の利益を得、又は他人にこれを得させた者も、同項と同様とする。

事情を知らない買主が被害者に見える、という感覚は自然です。ただ、詐欺罪は財産を守る財産犯なので、だまされて財産を失うという財産的損害が要ります。詳しくは詐欺罪の回で見ました。ここでCさんが手に入れたのは、登記を備えた別荘の所有権です。民法上、Cさんは所有者として主張できます。払った代金には、その別荘という対価が返ってきています。Cさんは、Bさんとの契約を知らなかっただけで、損をしていません。損害がない以上、詐欺罪は成立しません。ここで被害を受けたのはBさんで、それはさっきの横領罪で評価されています。

第2買主の責任は悪意の質で分かれる

単純悪意者と背信的悪意者 図:単純悪意者と背信的悪意者

その前に、1問です。横領罪の主体は、他人の物を占有する者に限られる身分犯でした。占有していないCさんが、共犯になれるのはなぜでしたか?共犯には、身分のない人にも身分犯の共犯を認める条文があったと思います。あとで条文を出します。まず3つ目の問いです。Cさんが、Bさんに先に売られていると知って買った場合、Aさんの横領の共同正犯になるでしょうか。ここは、事情を知っていた度合いで結論が分かれます。ひとつは、単純悪意者です。先に別の人に売る約束があることを知っていたが、相場の値段を示して買っただけの人です。もうひとつは、背信的悪意者です。二重売買になると知りながら、あえて何度も執拗に働きかけて、Aさんに売らせたような人です。

単純悪意者は、共同正犯にならない 図:単純悪意者は、共同正犯にならない

事情を知っていた点は共通でも、結論は違います。単純悪意者には共同正犯は成立せず、背信的悪意者には成立する、というのが通説の立て方です。理由は民法にあります。先ほどの177条の「第三者」に、単純悪意者は含まれます。177条の条文は、第三者が事情を知らないことを求めていません。売買は競争なので、先の約束を知っていても、よりよい条件を示して先に登記を備えるのは、自由競争のうちだと民法は考えます。だから、知っていても、登記を先に備えれば所有権を主張でき、勝てる立場です。民法で正当に勝てる立場にある人を、刑法だけが罰するのでは、法秩序として食い違います。刑法も、この自由競争の範囲内の行為は罰しない、と考えるわけです。

背信的悪意者は、共同正犯になる 図:背信的悪意者は、共同正犯になる

背信的悪意者は、民法でも177条の「第三者」から除かれます。登記を備えても、所有権を主張できません。先に買った人に登記がないのにつけ込んで、信義に反するやり方で奪い取る人は、もう自由競争に参加しているとは言えません。そういう人にまで「相手には登記がない」と言い立てさせる必要はない、というのが民法の判例の考え方です。民法で保護されない人なので、刑法でも共犯として処罰できる、という整合になります。

単純悪意者と背信的悪意者 図:単純悪意者と背信的悪意者

よく似た2つの場面で確かめます。Cさんが、Bさんへの売却を知っていたが、相場より少し高い値段を示しただけなら、単純悪意者で、不成立です。Cさんが、Bさんに売るのをやめさせようと、Aさんの家に何度も押しかけて、Bさんとの契約を破るようしつこく迫ったなら、自由競争を超える働きかけで、背信的悪意者にあたります。ちなみに、Bさんへの売却を全く知らないCさんは、そもそも関与がありません。背信的悪意者を共同正犯とした例は、高裁の裁判例にあります。二重売買になると知りながら、あえて執拗に働きかけて売買契約に至らせた買主に、横領罪の共同正犯を認めたものです。ただ、これは下級審の裁判例で、最高裁の判例ではありません。単純悪意と背信的悪意の線引きは、下級審と通説の立て方だと、区別して覚えてください。

条文刑法65条

刑法65条(身分犯の共犯) 1項:犯人の身分によって構成すべき犯罪行為に加功したときは、身分のない者であっても、共犯とする。 2項:身分によって特に刑の軽重があるときは、身分のない者には通常の刑を科する。

冒頭の問いに戻ります。横領罪の主体は他人の物の占有者で、これは身分です。共犯と身分の回で見た65条です。横領罪は、占有者でなければそもそも成立しない真正身分犯なので、1項の場面です。占有者でないCさんも、65条1項で、占有者Aさんの横領に加功すれば、共犯になります。ここでは、名前と結論だけ押さえてください。

⭐ 論文で書く規範:【論文で書く規範】第2買主の共同正犯 第2買主が単純悪意者の場合は、民法177条の第三者に含まれ自由競争の範囲内にあるから、横領罪の共同正犯は成立しない。背信的悪意者の場合は、同条の第三者から除かれるから、横領罪の共同正犯(65条1項)が成立する。 (規範(他の法領域との整合・下級審と通説)——判例ではない)

ここは論文で論点になりうるところです。ひとまず、二重売買の3つの結論を並べておきます。

二重売買の三者切り分け 図:二重売買の三者切り分け

この表の3行を言えれば、二重売買は押さえたことになります。

二重抵当は横領ではない

売る場合と、抵当権を設定する場合の違い 図:売る場合と、抵当権を設定する場合の違い

同じ形の場面で、間違えやすいものを置いておきます。AさんがBさんからお金を借りて、その担保として自分の土地に抵当権を設定し、さらにCさんにも同じ土地に抵当権を設定した、二重抵当です。前回の抵当権設定は、他人の物にした場合の話です。二重抵当は違います。抵当権を設定しても、土地は依然として設定者自身の物のままです。横領罪の252条は、客体を「他人の物」としています。自分の物には、横領罪は成立しません。二重売買では、売った時点で別荘が他人の物になっていました。二重抵当では、土地は自分の物のままです。この違いが、横領か、そうでないかを分けます。二重抵当は、背任罪の問題で、なぜそうなるかは背任罪の回で扱います。

横領した物を、もう一度横領できるか

管理人が、まず担保に入れ、次に売った 図:管理人が、まず担保に入れ、次に売った

その前に、罪数の回の1問です。不可罰的事後行為になるのは、先行する犯罪の何の範囲内にとどまる行為のときでしたか?先行する犯罪が予定する法益の射程内、つまり法益侵害の範囲内、だったと思います。この物差しを使います。設例です。別荘の管理を任されて、登記名義人になっているAさんがいます。Aさんはまず、自分の借金の担保として、勝手に別荘に抵当権を設定して登記しました。これは、先に見た内容で、横領罪です。そのあとで、Aさんは別荘をDさんに売却して、登記も移しました。この売却に、別の横領罪が成立するでしょうか。

一度横領した物は重ねて横領できない、という考え方は、かつての判例の立場でした。

横領後の横領——否定説と肯定説 図:横領後の横領——否定説と肯定説

かつての判例は、否定説でした。抵当権設定で横領罪が成立する以上、その後の所有権移転は、別に横領罪を構成しない、と述べていました。後の学説の言葉でいえば、先の横領の不可罰的事後行為にあたる扱いでした。現在の判例は、これを変更しました。大法廷の判決です。

判例最高裁判所大法廷判決(平成15年4月23日)・刑集57巻4号467頁

横領後の横領 委託を受けて他人の不動産を占有する者が,これにほしいままに抵当権を設定してその旨の登記を了した後においても,その不動産は他人の物であり,受託者がこれを占有していることに変わりはなく,受託者が,その後,その不動産につき,ほしいままに売却等による所有権移転行為を行いその旨の登記を了したときは,委託の任務に背いて,その物につき権限がないのに所有者でなければできないような処分をしたものにほかならない。したがって,売却等による所有権移転行為について,横領罪の成立自体は,これを肯定することができるというべきであり,先行の抵当権設定行為が存在することは,後行の所有権移転行為について犯罪の成立自体を妨げる事情にはならないと解するのが相当である。

事案は、宗教法人の責任役員が、法人所有の土地に抵当権を設定して登記したあとで、その土地を売却して登記した、業務上横領のものです。この一般論は、単純な横領にも通じます。判決文の理由を、順に読みます。判決文の「ほしいままに」は、勝手に、という意味です。抵当権を設定しても、不動産は他人の物のままで、受託者が占有している事情も変わりません。その状態で売却して登記すれば、それは任務に背いて、権限がないのに所有者でなければできない処分をしたことにほかならない。だから、先の抵当権設定が、後の売却の成立を妨げない、という筋です。

もう一つ、答案で使いやすい説明があります。これは判決文の言葉ではなく、学説の説明です。抵当権設定と売却では、所有権を侵害する程度が違う、というものです。預かった車を、勝手に担保に入れる場合を考えてください。車の所有権は持ち主に残り、被害は担保の分にとどまります。しかし、勝手に売って名義まで移すと、持ち主は所有権そのものを脅かされ、車を取り戻すのが難しくなります。担保に入れた行為で、この最後の侵害まで済んだとは言えません。罪数の回の物差しに戻すと、不可罰的事後行為は、先行の犯罪の法益侵害の範囲内にとどまる行為でした。売却は、その範囲を超えた新しい侵害です。だから、別に横領罪が成立します。

⭐ 論文で書く規範:【論文で書く規範】横領後の横領 先行の抵当権設定行為が存在することは、後行の所有権移転行為について犯罪の成立自体を妨げる事情にはならない。学説は、売却は抵当権設定よりも所有権を奪う度合いが重く、先の行為では評価しきれない新しい侵害だと説明する。 (規範(判例の結論+学説の説明)——前半は判旨、後半は学説の説明)

ここも、論文で論点になりうるところです。

横領した物の返還を、嘘で免れたら

預かった絵画を売り、持ち主に嘘をついた 図:預かった絵画を売り、持ち主に嘘をついた

最後の場面です。設例です。画廊のAさんが、Bさんから預かった絵画を、勝手に売りました。そのあと、Bさんから絵画の返還を求められ、「倉庫が浸水して駄目になった」と嘘をついて、返還を免れました。問題は、この嘘に詐欺罪が別に成立するか、です。詐欺の条文は先ほど出した246条で、2項の「財産上の利益」、つまり返還する債務を免れた利益にあたるかが入口になります。

横領後の詐欺——肯定説と否定説 図:横領後の詐欺——肯定説と否定説

肯定説は、2項詐欺の要件を充たすのだから、成立すると考えます。通説は否定説で、この嘘は横領罪の不可罰的事後行為であり、詐欺罪は別に成立しないと考えます。決め手は法定刑です。詐欺罪は10年以下、横領罪は5年以下と、横領罪のほうが軽く定められています。理由は、横領罪が「自己の占有する物」を対象にしているからです。手元に預かった物があると、つい手を出したくなります。この誘惑的な事情があるぶん、非難の程度が軽いと見て、法定刑を軽くしたわけです。そこで、横領した物の返還を免れるための嘘に、重い詐欺罪を別に認めたらどうなるでしょうか。横領を軽く定めた趣旨が、意味を失ってしまいます。これを、趣旨を没却する、と言います。だから通説は認めません。もう一つ、侵害の中身も見てください。絵画を売られた時点で、Bさんの受けた侵害は出そろっています。嘘で返還を免れても、Bさんが新しく失うものはありません。担保に入れたあとで売った、さっきの別荘とは、ここが違います。

⭐ 論文で書く規範:【論文で書く規範】横領後の詐欺 横領の被害者本人を相手に、横領した物を手元に確保する目的でうそをついても、横領罪で評価しつくされた不可罰的事後行為にとどまり、詐欺罪は別途成立しない。 (規範(体系解釈・法定刑の趣旨)——通説)

ここも、論文で論点になりうるところです。ただし、否定されるのは、この規範のとおりの範囲だけです。

「詐欺は成立しない」が2か所に出てくる 図:「詐欺は成立しない」が2か所に出てくる

今日「詐欺は成立しない」が2回出てきました。混ぜないでください。二重売買の売主が第2買主に詐欺にならないのは、財産的損害がないから。被害者は、横領の被害者とは別の人です。横領後の詐欺が成立しないのは、被害者が横領の被害者本人で、新しい侵害がなく、法定刑の趣旨を没却するから。理由が違います。罪数の回で見た、窃盗で通帳を盗み、銀行をだまして払戻しを受けたら、詐欺が別に成立するという結論が、その例です。被害者が新しい人だからです。物差しは2段で読みます。被害者が新しい人なら、別に罪が成立します。同じ被害者でも、担保のあとの売却のように、失うものが増える新しい侵害があれば、やはり成立します。同じ被害者で、新しい侵害もないときだけ、先の罪で評価し尽くされます。罪数の回の言葉で言えば、前の2つは、どちらも先の罪の法益の射程の外に出た場合です。

今日の地図(保存版)

今日の地図(保存版) 図:今日の地図(保存版)

覚えるポイント — 今日の地図(保存版)

  • 二重売買=売主は第1買主に対して横領罪(売却後は他人の物・登記名義で占有)、既遂は登記完了とする見解が有力
  • 売主→第2買主=財産的損害がなく詐欺罪は不成立
  • 第2買主=単純悪意は共同正犯不成立・背信的悪意は共同正犯成立(下級審・通説)
  • 二重抵当=自分の物のままなので横領でなく背任
  • 横領後の横領=売却は新たな侵害で成立
  • 横領後の詐欺=同一被害者への欺罔は詐欺罪が別に成立しない(通説)

まとめます。冒頭の問いの答えは、Aさんは第1買主Bさんに対する横領罪、Cさんに対する詐欺罪は成立せず、Cさん自身は事情を知っていただけなら罪にならない、ただし背信的悪意者なら共同正犯になる、でした。3つの場面を貫く物差しは、その行為の被害者は誰か、先の行為で済まされていない新しい侵害があるか、です。二重売買では、失うのは第1買主で、第2買主は損害がありません。横領後の横領は、売却が新しい侵害だから成立します。横領後の詐欺は、同じ被害者に新しい侵害がないから成立しません。二重抵当は、抵当権を設定しても自分の物のままなので、横領ではなく背任へ回る、という位置づけも一緒に持っておいてください。

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#152単独ページ動画

業務上横領罪・占有離脱物横領罪

第16章 個人的法益⑤|財産に対する罪②(詐欺・恐喝・横領・背任・盗品・毀棄) ⑭/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

預かったお金を使い込んでも、条文は変わる

預かった物を使い込んだ二人と、鞄を持ち帰った一人 図:預かった物を使い込んだ二人と、鞄を持ち帰った一人

前回までで、横領罪の基本形である252条が固まりました。今日は、その上と下に付く2つの条文を見ます。設例です。Aさんは、旅行に出る友人から荷物を一晩だけ預かり、それを売ってしまいました。Bさんは、保険代理店で毎月保険料を集金して預かる担当者で、集めたお金を使い込みました。Cさんは、電車の網棚に置き忘れられた鞄を、そのまま持ち帰りました。三人とも、条文が違います。分かれ目は、預かることが仕事かどうか、そして、そもそも預かる約束があったかどうかです。今日は、それを言えるようになります。

業務上横領罪は、二重の身分

253条は、252条に「業務上」が付いた形 図:253条は、252条に「業務上」が付いた形

まず条文です。

条文刑法253条

刑法253条(業務上横領) 業務上自己の占有する他人の物を横領した者は、十年以下の拘禁刑に処する。

252条1項と読み比べてください。違いは「業務上」の一語だけです。法定刑は、252条が5年以下、253条が10年以下の拘禁刑と、倍になります。このように、基本の犯罪に、重くなる事情を付け足した犯罪を、加重類型と言います。預かることを仕事にしている人は、他人から物を任される立場に、繰り返し立っています。周りは、その人を信用して預けます。その信用を裏切る度合いが大きく、非難も強くなる、と考えられています。任された地位を裏切る罪、という横領罪の見方を、そのまま強めた形です。主体の身分を整理します。身分には2種類あります。その身分がなければ犯罪そのものが成立しないのが真正身分、成立はするが刑の重さが変わるだけなのが不真正身分です。第一に、占有者という身分。占有者でなければ横領罪は成立しないので、真正身分です。第二に、業務者という身分。業務者でなくても252条が成立し、業務者だと刑が重くなるので、不真正身分です。253条は、この二つの身分が重なった、二重の身分の犯罪です。

253条の業務は、預かることが仕事の中身

3つの「業務」の対比 図:3つの「業務」の対比

253条の「業務」は、他人から預かった物を保管することが、仕事の中身になっている職務だと解されています。211条、233条と234条、253条の業務には、共通点があります。どれも、社会生活上の地位に基づいて、繰り返し行う事務であることです。何度もおこなった実績は要らず、繰り返し行うつもりで始めれば、1回目から当たります。ただ、その事務の中身は、条文が守るものに合わせて変わります。211条では、生命や身体に危害を及ぼすおそれのある事務でした。233条と234条では、危険性は要らず、社会生活上の地位に基づいて継続して行う事務で、私的な家事や娯楽は含まれません。253条では、他人の物を預かって保管する事務です。ですから、運転を仕事にしている人は、211条の業務者ではあっても、荷物を保管する仕事をしていなければ、253条の業務者ではありません。逆に、倉庫会社の保管担当は、危険性を伴わなくても、253条の業務者です。同じ言葉でも、条文ごとに別の概念として読みます。典型例は、荷物を預かる運送会社の従業員、質屋の店主、示談金を預かった弁護士、会社のお金を保管する経理担当者です。報酬があるかどうか、本業か兼業かは、問いません。

Aさんは、一度きりの預かりで、この先も繰り返し預かるつもりはないので、業務とは言えません。252条にとどまります。保険料を毎月集金するBさんは、預かることが仕事の中身なので、253条です。1つ、間違えやすいところです。会社の金庫からお金を持ち出した社員は、業務上横領になるでしょうか。金庫のお金を、委託を受けて預かっていたのでなければ、横領ではありません。その社員は、会社の占有する物を取ったので、窃盗の問題です。物を扱う仕事をしていることと、委託を受けて預かっていることは、別のことです。

部外者が加わったら

運送会社のドライバーと、部外者の知人 図:運送会社のドライバーと、部外者の知人

部外者の話に入る前に、前回の復習です。横領罪の主体は、他人の物を占有する者に限られる身分犯でした。占有していない人が共犯になれるのは、どの条文のおかげでしたか?前回出てきた、65条1項です。身分のない人でも、身分犯に加功したら共犯になる、という条文でした。条文を、もう一度出します。

条文刑法65条

刑法65条(身分犯の共犯) 1項:犯人の身分によって構成すべき犯罪行為に加功したときは、身分のない者であっても、共犯とする。 2項:身分によって特に刑の軽重があるときは、身分のない者には通常の刑を科する。

設例です。運送会社のドライバーのAさんが、預かった荷物を、取引先でも従業員でもない知人のBさんと示し合わせて売り払いました。Bさんは、占有者でも業務者でもありません。Bさんの罪名と、科される刑は、どうなるでしょうか。占有者は1項、業務者は2項と、身分ごとに分ける読み方が、素直に見えますね。実は、65条の一般論では、判例も、罪を作る身分は1項、刑を動かす身分は2項と分けて、罪名と刑をずらしません。共犯と身分の回で見た、判例・通説の読み方です。ところが、業務上横領のこの場面だけは、判例は罪名と刑を分けて決めます。罪名は1項で、刑は2項です。まず判例を見ます。

判例最高裁判所第三小法廷判決(昭和32年11月19日)・刑集11巻12号3073頁

業務上横領と身分のない者 被告人両名はかかる業務に従事していたことは認められないから、刑法六五条一項により同法二五三条に該当する業務上横領罪の共同正犯として論ずべきものである。しかし、同法二五三条は横領罪の犯人が業務上物を占有する場合において、とくに重い刑を科することを規定したものであるから、業務上物の占有者たる身分のない被告人両名に対しては同法六五条二項により同法二五二条一項の通常の横領罪の刑を科すべきものである。

この事案では、村長と助役が、村の寄附金を業務上保管していた収入役と共謀して、そのお金を横領しました。村長と助役は、業務上の占有者ではありません。判旨の流れを、設例に当てはめます。Bさんは業務に従事していませんが、65条1項により、253条の業務上横領罪の共犯が成立します。そのうえで、253条は業務上物を占有する場合に特に重い刑を科す規定ですから、Bさんには65条2項により、252条1項の通常の横領罪の刑が科されます。判例は、業務上の占有者という身分を、253条という一つの罪を作る、一つの身分としてまとめて扱います。こう整理すると分かりやすいです。253条の業務は、預かって保管することそのものでした。占有と業務が一つの地位に重なっていると見れば、分けずに、罪を作る身分として1項に当て、罪名は253条になります。一方で、判旨のとおり、253条は業務上の占有者に特に重い刑を科す規定でもあります。刑を重くする部分は刑を動かす身分の働きなので、その部分だけを2項で外し、252条の刑に落とすのです。これに対して、判例と対立する考え方があります。この考え方は、占有者の身分は真正身分なので1項を、業務者の身分は不真正身分なので2項を当て、Bさんを単純横領罪の共犯とします。判例自身の一般論、罪名と刑をずらさない読み方を、そのまま253条にも当てたものです。一般論では分けないのに、ここだけ分けている判例を、この考え方は、身分を二つに割れば分ける必要はない、と批判します。

身分のある者と、ない者の結論 図:身分のある者と、ない者の結論

結論を表にします。罪名は、判例では業務上横領、対する考え方では単純横領と違います。ただ、Bさんに科される刑は、どちらでも252条の刑で同じです。罪名と科刑が分かれるのが、この場面の特徴です。逆に、Bさんが組んだ相手が、友人の荷物を一晩預かっただけのAさんなら、業務者の身分はそもそもありません。Bさんは65条1項で252条の共犯になり、罪名と刑はずれません。罪名と刑が分かれるのは、相手が業務上の占有者のときだけです。

⭐ 論文で書く規範:【論文で書く規範】業務上の占有者に加功した非占有者 非占有者が業務上の占有者と共同して横領した場合は、65条1項により業務上横領罪(253条)の共犯が成立するが、業務者という身分のない者には、同条2項により単純横領罪(252条1項)の刑を科す。 (規範(判例))

ここは論文で論点になりうるところです。

占有離脱物横領罪の客体

占有を離れた他人の物 図:占有を離れた他人の物

下の条文に移ります。

条文刑法254条

刑法254条(遺失物等横領) 遺失物、漂流物その他占有を離れた他人の物を横領した者は、一年以下の拘禁刑又は十万円以下の罰金若しくは科料に処する。

条文の見出しは遺失物等横領ですが、講学上は占有離脱物横領罪と呼びます。遺失物と漂流物は例示にすぎず、もっと広い物が対象だからです。この罪は、預かる約束、つまり委託信任関係がない場合の受け皿で、横領の罪で最も軽く処罰されます。対象は、占有者の意思に基づかずに占有を離れた他人の物です。その中身は、二つあります。まず、誰の占有にも属していない物。道に落とされた財布のように、持ち主の手を離れ、管理者もいない物です。次に、委託関係に基づかずに、行為者の占有に入った物です。ここで一度止めて考えてください。誤って自宅に配達された荷物を、開けてそのまま使った人は、252条と254条のどちらでしょうか。分かれ目は何でしょうか。

荷物は自分の手元にありますが、誰かに預けられたわけではありません。だから、254条だと思います。分かれ目は、委託によって手元に来たのか、たまたま来たのかです。誤配は、横領の最初の回でも見たとおり、誰にも預かる約束をされていないので、254条です。もう一つの例が、つり銭です。買い物で、多すぎるつり銭を渡されたとします。その場で多いと気づいたのに、黙って受け取れば、告げるべきことを告げない、不作為による欺罔になり、詐欺罪の問題です。帰宅してから多いことに気づいて、そのまま使えば、254条です。事後に気づいた点が、分かれ目になります。

落とし物なら、いつでも誰の占有にも無い、とは限りません。占有を離れたように見えても、なお他人の占有が及んでいる物は、254条の対象ではなく、窃盗になります。旅館のトイレに忘れられた財布は、旅館の主人の占有が及んでいる、と考えられています。占有の有無は、窃盗の占有と同じ物差しで、事実上の支配と支配する意思を、社会通念で総合して判断します。もう一つ、意思に基づいて離れた物は、そもそも対象外です。自分から預けたのなら、預かった人の252条か253条になります。

窃盗か、横領か、占有離脱物横領か

2段ふるい 図:2段ふるい

物が手に入ったとき、どの罪になるかを、二つの問いで振り分けます。

条文刑法235条

刑法235条(窃盗) 他人の財物を窃取した者は、窃盗の罪とし、十年以下の拘禁刑又は五十万円以下の罰金に処する。

1つ目の問いは、占有は誰にあるか、です。他人の占有下にある物を取れば、窃盗です。自分の占有にあるか、誰の占有にもない場合は、2つ目に進みます。2つ目の問いは、委託信任関係があるか、です。あれば252条、業務なら253条。なければ254条です。順番は、占有、次に委託です。他人の占有を破って取るのが窃盗で、10年以下と重く処罰されます。252条は、占有は破りませんが、任された信頼を裏切るので5年以下です。254条は、誰の占有も破らず、誰の信頼も裏切らないので、1年以下と最も軽いのです。だから、まず重い窃盗に当たるかを占有で外し、残った物を、委託があるかで横領の中に振り分けます。事例で確かめます。その順で考えてください。友人に頼まれて預かった荷物を売れば、占有は自分にあり、委託もあるので、252条です。運送会社で預かった荷物を配達員が売れば、仕事として預かっているので、253条です。

誤配の荷物は、手元には来ていますが、預かる約束はありません。委託が無いので、254条です。帰宅後に気づいたつり銭を使った場合も、同じ理由で254条です。では、商店街の共用ベンチに置き忘れられた財布です。持ち主が遠く離れてしまってから、通りがかりの人が持ち帰れば、持ち主の占有はもう及んでいないので、254条です。持ち主がすぐ近くにいて、戻れば見つかる状態で持ち去れば、占有が及んでいるので、窃盗です。貸し会議室の管理人が管理している部屋に、利用者が忘れた物を、第三者が持ち去れば、管理者の占有が及んでいるので、窃盗です。死者が持っていた財物は、死者の占有の回で見た結論だけ押さえます。殺したあとで初めて奪う気になった場合、判例・多数説は、殺した犯人自身が、死亡と時間的にも場所的にも近い範囲で奪うときに限って、生前の占有をなお保護し、窃盗とします。この二つの条件のどちらかを欠けば、無関係の第三者が奪った場合も、殺した本人が時間をおいて奪った場合も、占有離脱物横領です。冒頭のCさんも、この順で決まります。網棚の鞄に持ち主の占有がもう及んでいなければ窃盗ではなく、預かる約束もないので254条です。分かれ目は、占有が誰にあるか、そして預かる約束があるか、預かることが仕事か、でした。

占有離脱物横領罪の行為と既遂時期

既遂・事後の処分・錯誤・255条 図:既遂・事後の処分・錯誤・255条

最後の段階です。行為は、横領です。既遂の基準は、252条と同じです。横領の行為と既遂の回で見たとおり、領得の意思を外に表す行為、つまり発現行為があった時点で、直ちに既遂になります。254条では、不法領得の意思を持って、その物を自分の事実上の支配内に置けば、それが発現行為になり、その時点で既遂です。届けるつもりで拾ったのなら、拾った時点では領得の意思がないので、まだ発現行為がありません。あとで自分の物にしようと決めて、隠したり、売ったりすれば、それが発現行為になり、その時点で既遂です。見るのは、発現行為がいつあったか、この一点だけです。領得した後に、その物を使ったり、壊したり、売ったりしても、別の罪は成立しません。持ち主の所有権を、254条で、すでに侵害した範囲を超えないので、不可罰的事後行為になります。窃盗との錯誤は、錯誤の回で見たとおり、どちらも他人の物を自分の物にする点で重なり合うので、軽い254条の限度で成立します。窃盗のつもりで実は占有離脱物だった場合も、その逆の場合も同じです。最後に、255条です。親族間の特例である244条は、配偶者や同居の親族などの間なら刑を免除する、といった特例でした。255条は、これを252条から254条まで全部に準用します。

今日の地図(保存版)

横領5部作のまとめ 図:横領5部作のまとめ

まとめます。冒頭の問いの答えは、委託があるかどうか、預かることが仕事かどうか、でした。友人の荷物を売ったAさんは252条、保険料を使い込んだBさんは253条、鞄を持ち帰ったCさんは、持ち主が遠く離れていれば254条です。3つの条文は、任された信頼を裏切る度合いで並びます。上が253条、真ん中が252条、下が254条です。253条は、占有者と業務者の二重の身分の犯罪で、業務は、預かることが仕事の中身であることを指します。211条や234条の業務とは、別の概念として読みます。部外者が加わったら、判例は65条1項で業務上横領の共犯、2項で252条の刑です。窃盗との振り分けは、占有は誰にあるか、次に委託があるか、の2段です。これで、横領の罪の全体がそろいました。

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#153単独ページ動画

背任罪の主体と背任行為

第16章 個人的法益⑤|財産に対する罪②(詐欺・恐喝・横領・背任・盗品・毀棄) ⑮/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

二重抵当も、任された仕事の裏切りも

物を預かってもいない二つの場面 図:物を預かってもいない二つの場面

設例を二つ出します。一つ目です。抵当権とは、借金の担保として土地に付けておき、返してもらえなければ、その土地を売ったお金から優先して回収できる権利です。Aさんは、Bさんからお金を借りて、自分の土地に抵当権を設定する約束をしました。登記とは、土地の権利を国の帳簿に載せる手続きです。ところが、Bさんの登記が済まないうちに、同じ土地にCさんのためにも抵当権を設定しました。先に登記を済ませたのはCさんで、Bさんの担保は2番目の順位に落ちました。二つ目です。会社から仕入れの交渉を任された担当者が、取引先に得をさせるために、わざと相場よりずっと高い値段で買う契約を結びました。

預かった他人の物を使い込む罪である横領罪は、この二つでは成立しません。それでも、この二人は罰せられる可能性があります。今日の問いは、物を預かっていないのに、あるいは自分の物なのに、なぜ罰せられうるのか、です。答えは、任された信頼を裏切って、相手の財産に損害を与えたからです。それを罰するのが、247条の背任罪です。

横領には、二つの穴がある

横領罪が届かない二つの場面 図:横領罪が届かない二つの場面

横領罪を思い出します。252条は、自己の占有する他人の物を横領する罪でした。守っているのは、預かった物そのものです。だから、二つの場面が抜け落ちます。一つ目は、物を預かっていない場面です。仕入れの担当者が扱っているのは、交渉と契約という仕事で、預かった物ではありません。占有する物がないので、横領の要件が欠けます。二つ目は、自分の物の場面です。土地に抵当権を設定しても、土地は依然として設定者のAさんの物のままです。252条は客体を他人の物としているので、自分の物には横領罪は成立しません。二重売買の回で、二重抵当が横領にならない理由として見たのが、これでした。横領罪の1回目で、同じ額を返せばよい約束で預かったお金、つまり消費寄託のお金は、預かった側の物になるので、横領ではなく背任の問題になりうる、と見ました。これも二つ目の穴です。背任になるかは、今日見る主体の要件で決まります。

ですから、見る場所を変えます。物ではなく、事務を任された人が、その信頼を裏切ることを見る条文です。まず条文を読みます。

条文刑法247条

刑法247条(背任) 他人のためにその事務を処理する者が、自己若しくは第三者の利益を図り又は本人に損害を加える目的で、その任務に背く行為をし、本人に財産上の損害を加えたときは、五年以下の拘禁刑又は五十万円以下の罰金に処する。

読み方の要点です。「本人」とは、事務を任せた側の人です。仕入れの例では会社、二重抵当ではBさんです。事務を任された人が、任務に背く行為をして、本人に財産上の損害を加えると、5年以下の拘禁刑又は50万円以下の罰金になります。

条文の言葉が示す4つの性格

247条の言葉と性格の対応 図:247条の言葉と性格の対応

条文の言葉を、性格に結びつけます。四つあります。一つ目は、主体です。「他人のためにその事務を処理する者」でなければ、背任罪は成立しません。その身分がなければ犯罪そのものが成立しないので、真正身分犯です。横領罪の占有者と同じ型です。二つ目は、「自己若しくは第三者の利益を図り又は本人に損害を加える目的で」という部分です。故意に加えて特別の目的が要るので、目的犯と呼びます。仕入れの担当者で考えます。同じ高値の契約でも、取引先に得をさせたい、会社に損をさせたい、という目的がなければ、この点で背任になりません。三つ目は、「本人に財産上の損害を加えた」です。損害という結果が条文に書き込まれています。財産全体が減ったことを要するので、全体財産に対する罪です。目的と損害の中身は、別の回で扱います。四つ目は、故意犯であることです。過失を罰する規定はないので、うっかり会社に損害を与えても、背任罪にはなりません。

背任罪の位置と、横領との違い

横領罪と背任罪の対比 図:横領罪と背任罪の対比

位置に入る前に、財産犯の分類を思い出す、1問です。財産全体が減少したことを要する、全体財産に対する罪に当たるのは、財産犯の中でいくつの罪でしたか?背任罪だけ、でした。詐欺も横領も、個別の財産が奪われれば足ります。背任だけが、財産全体の減少を見ます。この違いを、横領と並べます。背任罪の247条は、刑法典の第37章「詐欺及び恐喝の罪」の中にあります。横領罪の第38章ではないので、六法の目次で背任を探すときは、詐欺の章を見てください。信頼の裏切りという点は横領と重なりますが、財産上の利益を客体にする点では、詐欺の側と並びます。詐欺罪の回で見たとおり、詐欺罪には、財産上の利益を得る2項がありました。背任罪は、財産犯を仕分けた回で見たとおり、財物ではなく財産上の利益だけを客体にする罪です。そのうえで、詐欺とも違い、財産全体の減少を見ます。例えば、返済の見込みが乏しい相手に、十分な担保もなく貸し付けたとします。貸主の手元の現金は、返してもらう権利、つまり債権に姿を変えます。その債権の価値が下がれば財産全体は減りますが、物が奪われたわけではありません。物を軸にした横領では、こういう損は拾えません。

主体その1——「事務」とは何か

「事務」の三つの問い 図:「事務」の三つの問い

主体を、二つの角度から見ます。一つ目の角度は、「他人のためにその事務を処理する者」の、「事務」です。一つ目の問いは、どんな事務でもよいのか、です。背任罪は財産犯なので、守られるのは本人の財産です。だから、事務は財産上の事務に限られる、と解されています。園児の見守りを任された保育士は、見守りを怠っても、背任罪にはなりません。任された内容は園児の安全で、本人の財産ではないからです。ほかの罪の問題にはなりえても、背任の問題ではありません。一方、会社の支払い管理を任された経理担当者は、財産上の事務を処理する人です。任務に背けば、背任罪の検討に入ります。二つ目は、裁量の余地のない事務も含むか、です。裁量とは、状況を見て、どうするかを自分で決められる幅のことです。有力説は、ある程度包括的で裁量のある事務に限り、物を見張るような機械的な事務は含まない、とします。これに対して判例は、裁量の余地のない事務も、事務に含めて考えます。次の事案で確かめます。株式会社の代表取締役だった被告人は、相互会社から融資を受け、担保として、会社の株式を目的とする質権を設定して、株券を相互会社に渡しました。質権とは、借金の担保として物を預け、返せなければそこから回収できる権利です。ところが被告人は、返済期を過ぎても返さず、会社の利益を図る目的で、株券をなくしたという嘘の理由で、除権判決を申し立てました。除権判決とは、なくした株券を無効にする裁判です。それを得て株券を失効させ、質権者に損害を加えました。

担保に渡した株券を、なくしたと偽った 図:担保に渡した株券を、なくしたと偽った

判例最高裁判所決定(平成15年3月18日)

質物の株券を失効させた質権設定者 株式を目的とする質権の設定者は,株券を質権者に交付した後であっても,融資金の返済があるまでは,当該株式の担保価値を保全すべき任務を負い,これには,除権判決を得て当該株券を失効させてはならないという不作為を内容とする任務も当然含まれる。そして,この担保価値保全の任務は,他人である質権者のために負うものと解される。したがって,質権設定者がその任務に背き,質入れした株券について虚偽の申立てにより除権判決を得て株券を失効させ,質権者に損害を加えた場合には,背任罪が成立するというべきであるから,

判旨は、裁量の有無には触れていません。ただ、担保価値を保全する任務には、失効させないという単純な不作為も含まれ、それは他人である質権者のための任務だとして、背任罪の成立を認めました。条文も、事務を裁量のあるものに限っていません。手を出さないだけの任務でも、破れば本人の財産は同じように傷つきます。裁量で絞る考え方には、ただの約束違反まで背任に広げたくないという心配があります。けれども、その心配には、次に見る「他人のため」の要件で応えられます。自分の債務を怠っただけの人はそこで外れるので、裁量で絞らなくても、処罰が広がりすぎることはありません。ですから、裁量の余地がなくても、他人の財産を守る任務なら、事務にあたると押さえてください。三つ目は、事実行為です。契約のような法律行為でなくても、現実に事務を担っていれば足ります。背任が守るのは、本人が財産を任せた信頼です。その信頼は、契約を結ぶ仕事にも、お金や物を実際に扱う仕事にもあり、正式な肩書きがあるかどうかでは変わりません。大審院の判例には、正式な収入役ではなく、事実上、収入役の代理を務めていた人を、背任の主体とした例があります。収入役とは、かつて市町村の会計を担当していた役職です。

主体その2——「他人のため」と二重抵当

自分の事務か、他人の事務か 図:自分の事務か、他人の事務か

二つ目の角度は、「他人のため」です。事務は、他人のための事務でなければなりません。自分の事務を怠っても、背任にはなりません。例えば、物を買った買主が代金を払わないのは、自分の債務の不履行にすぎず、民事の問題です。では、冒頭の二重抵当です。図に整理します。

同じ土地に、二人へ抵当権を設定した 図:同じ土地に、二人へ抵当権を設定した

Bさんの抵当権は、契約が先でも、登記が後です。ここで、民法の結論を一つ確認します。

条文民法177条

民法177条(不動産に関する物権の変動の対抗要件) 不動産に関する物権の得喪及び変更は、不動産登記法(平成十六年法律第百二十三号)その他の登記に関する法律の定めるところに従いその登記をしなければ、第三者に対抗することができない。

抵当権も不動産に関する物権なので、登記が対抗要件になります。対抗要件とは、二重売買の回で見たとおり、登記が無いと、後から来た人に権利を主張しても負ける、ということです。さらに373条は、同じ不動産に数個の抵当権があるとき、順位は登記の前後による、と定めています。契約の先後ではなく登記の先後なので、Cさんが1番、Bさんが2番です。順位が後ろだと、土地を売ったお金は先に1番のCさんが受け取り、Bさんは残りからしか回収できません。抵当権を設定する契約には、登記に協力する義務が含まれます。問題は、この義務が、Aさん自身の義務にすぎないのか、Bさんのための事務なのか、です。

登記協力は、誰のための義務か 図:登記協力は、誰のための義務か

否定説は、契約で負った自己の義務にすぎない、と考えます。代金を払う義務と同じ型だという見方です。肯定説は、登記に協力する任務は、主として相手方、つまり抵当権者の財産権を守るためのものだ、と考えます。判例は肯定説で、答案もこちらで書きます。代金を払う義務と、登記に協力する義務の分かれ目は、その義務で守られるのが誰の財産か、です。登記は、設定者の協力がなければ、抵当権者が一人では完成させられません。Aさんが協力して初めて、Bさんの権利は登記で守られます。この関係の中で負う任務なので、主としてBさんの財産を守るためのものだ、と見るのです。代金を払う義務は、ここが違います。買主が差し出すのは自分のお金で、売主の財産を預かって守っているわけではありません。これに対して、抵当権は、契約でもうBさんの財産になっています。Aさんは、その他人の財産を登記で完成させて守る役目を任されているのです。判例です。二重に根抵当権を設定した事案で、被告人は、登記の義務は自分固有の事務で、他人の事務ではないと争いました。根抵当権とは、一定の範囲の取引から生じる債権を、限度額まで担保する抵当権です。

判例最高裁判所判決(昭和31年12月7日)

二重の根抵当と登記協力の任務 抵当権設定者は…これを完了するまでは、抵当権者に協力する任務を有することはいうまでもないところであり、右任務は主として他人である抵当権者のために負うものといわなければならない。

設定者は、登記を完了するまでは抵当権者に協力する任務を負い、その任務は主として他人である抵当権者のために負う、と答えました。先ほどの質権の判例と同じ筋です。担保を設定した側は、担保権者の財産を守る任務を、他人のために負います。この判決は、一番抵当権を二番抵当権にしたことも、247条の損害にあたると述べています。順位が落ちると、先ほど見たとおり、Bさんは残りからしか回収できず、担保の値打ちそのものが下がります。

⭐ 論文で書く規範:【論文で書く規範】二重抵当と「他人のため」 抵当権設定者は、抵当権設定の登記を完了するまでは、抵当権者に協力する任務を有し、その任務は主として他人である抵当権者のために負うものである。 (規範(判例))

ここは論文で論点になりうるところです。これで、二重抵当がなぜ背任になるかが言えます。横領では、自分の物なので客体の要件で落ちました。背任が見るのは物ではなく主体なので、自分の物でも、他人のための事務を処理する者なら拾えます。横領では客体の要件で落ち、背任では主体の要件で拾える、と覚えてください。

「任務に背く行為」と3つの説

契約を結ぶ人と、物を守る人 図:契約を結ぶ人と、物を守る人

次は、247条の行為、「任務に背く行為」です。背任行為とも言います。意義には多くの見解がありますが、押さえるのは三つです。例えば、二人の社員で考えます。Dさんは購買担当で、冒頭の仕入れ担当者と同じ立場です。会社を代理して契約を結ぶ、法的な代理権を持っています。Eさんは倉庫の保管担当で、代理権はなく、商品を守るのが仕事です。Dさんは会社に不利な高値の契約を結び、Eさんは商品をわざと壊しました。最初の説は、権限濫用説です。背任行為を、法的な処分権限、つまり代理権の濫用と考えます。Dさんの高値の契約は、代理権の濫用にあたります。ここで一度止めて考えてください。Eさんが商品をわざと壊したことは、代理権の濫用といえるでしょうか。権限濫用説は、Eさんを背任で拾えるでしょうか。

商品を壊すのは、契約を結ぶことではなくて、ただの事実行為です。代理権を使ったわけではないので、拾えないと思います。権限濫用説では、法的な代理権のある人しか主体にならず、Eさんのような事実行為は拾えません。範囲が狭すぎることが難点です。そこで、範囲を広げる説が出ます。背信的権限濫用説は、法的な代理権に限らず、事実上の事務処理権限の濫用まで含めます。保管を任された人が、その立場を利用して商品を壊すことも、事実上の権限の濫用として拾えます。有力説で、答案で採ってもかまいません。ただ、この説は、任された権限の範囲内で濫用すれば背任、範囲を超えれば横領、と分けることになります。すると、今日の二重抵当のAさんは、任された範囲を超えた行為に見えるのに、土地は自分の物なので横領にもならず、どちらでも拾えなくなります。三つ目が、背信説で、判例・通説です。背任行為を、権限の濫用と見ず、信任関係に違背して財産を侵害することと見ます。法的な代理権の有無を問わないので、Eさんも拾えます。決め手は条文の言葉です。247条は、権限を濫用し、ではなく、任務に背く行為、と書いています。権限があるかではなく、任された信頼に背いたかを見るのが、条文に素直です。二重抵当のAさんも、登記に協力する任務に背いた、と言えれば足りるので、背信説なら拾えます。

3つの説の比較 図:3つの説の比較

二つの物差しで比べます。法的な代理権のない人も主体になるか、事実行為を拾えるか、です。権限濫用説だけが、どちらも認めません。背信的権限濫用説と背信説は、どちらも拾えます。

⭐ 論文で書く規範:【論文で書く規範】任務に背く行為の意義 任務に背く行為とは、信任関係に違背して、本人の財産を侵害する行為をいう。 (規範(判例・通説)——背信説)

当てはめると、Dさんは代理を任された信頼に背いて高値で買い、Eさんは保管を任された信頼に背いて商品を壊しました。どちらも会社の財産を侵害しているので、任務に背く行為です。ただし、Eさんは商品を預かっています。横領の回で見たとおり、預かった物を壊すことは事実上の処分なので、Eさんは横領にもあたりえます。ここで押さえるのは、事実行為も背任行為に含まれる、という点です。ここは論文で論点になりうるところです。

今日の地図(保存版)

背任罪①のまとめ 図:背任罪①のまとめ

まとめます。冒頭の問いの答えは、任された事務での信頼の裏切りを、247条の背任罪が拾うから、でした。247条は、真正身分犯、目的犯、全体財産に対する罪、そして故意犯です。置かれているのは、第37章の詐欺及び恐喝の罪です。背任の主体は、人から任された事務を、その人のために処理する立場の者です。事務は財産上の事務で、裁量の余地がなくても、事実行為でも含まれます。他人のための事務であることは、二重抵当で問題になり、判例は登記に協力する任務を、抵当権者のための任務としました。だから自分の物の二重抵当も、横領では客体で落ち、背任では主体で拾えます。行為は、背信説で、信任関係に違背した財産侵害です。目的と財産上の損害の中身は、別の回で扱います。

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#154単独ページ動画

背任罪と横領罪の区別

第16章 個人的法益⑤|財産に対する罪②(詐欺・恐喝・横領・背任・盗品・毀棄) ⑯/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

背任か、業務上横領か

銀行の金を、友人に貸した支店長 図:銀行の金を、友人に貸した支店長

前回は、背任行為を背信説で答えると見ました。信任関係に違背した財産侵害です。そして、背信的権限濫用説では同じ土地に抵当権を二重に付けた、二重抵当の設定者を拾えないが、背信説なら拾える、という結論でした。今日は、その続きです。設例です。銀行の支店長が、回収できないと分かっていながら、銀行のお金を、銀行の名義で、友人に貸しました。貸付を任された支店長が、その任務に背いたのですから、背任罪に見えます。一方で、支店長は銀行のお金を保管する立場でもあり、預かったお金を勝手に使ったのですから、業務上横領罪にも見えます。

決め手は、財物を自分のものとして扱ったかどうか、です。今日はその分かれ目と、背任行為の具体例を見ます。

背任行為の具体例

背任行為の典型例 図:背任行為の典型例

背任行為の具体例です。どの例にも共通するのは、本人の財産を守る任務を負った人が、その任務に背いて、本人の財産に穴をあけることです。五つの類型を、なぜ任務違背になるのかを添えて見ます。まず、不良貸付です。銀行の融資担当者が、経営の行き詰まった取引先に、担保もとらず追加で貸す場合です。貸付は、返してもらえることを前提に任されています。回収の見込みがないと知りながら貸すのは、その前提に背くので、任務違背です。背任の最も典型的な例で、冒頭の支店長の貸付もこれです。次に、粉飾決算です。経理を担当する取締役が、赤字の決算書を黒字に書き換えて、出してはいけない配当を出したとします。決算書を正しく作ることが任務なのに、偽って会社の財産を外へ流したので、任務違背です。三つ目に、債務負担行為です。本人に債務を負わせる行為をいいます。会社の代表者が、会社の名で、会社と関係のない友人の借金の連帯保証をした例があります。会社は返済を迫られる立場になります。会社の利益のために結ぶはずの契約を、無関係な他人のために結んだので、任務違背です。

債務を負っただけで、現金が出ていなくても、会社は将来払う義務を抱えます。財産の状態としては、すでに悪くなっています。ここでは、契約を結ぶ行為も背任行為になりうる、と押さえてください。

背任行為の典型例② 図:背任行為の典型例②

四つ目は、取締役が会社と取引する、自己取引です。取締役が、自分の持ち物を会社に相場より高く売ったとします。会社法356条1項2号は、取締役が自己又は第三者のために会社と取引をしようとするときは、株主総会で重要な事実を開示し、承認を受けなければならないと定めています。取締役会を置く会社では、この承認は取締役会で受けます。会社の利益を守る立場なのに、自分の利益と会社の利益がぶつかる取引をしているので、承認を受けずに会社に損害を加えれば、任務違背となり、背任になりえます。五つ目は、事実行為です。契約のような法律行為ではない、現実の行為をいいます。倉庫の冷蔵設備の保守を任された社員が、わざと設定を狂わせて、在庫の商品をだめにする例があります。また、開発担当者が、新製品の設計データのように財産的価値のある秘密を、競合他社に渡す例もあります。どちらも、会社の財産や秘密を守る任務に背いています。横領罪の回で、預かった腕時計を川へ捨てるのは横領だと見ましたが、あれは自分が預かっている物を、所有者のように処分したからです。この保守担当の社員は、在庫の商品を預かっているわけではないので、横領の主体になれません。それでも、任された保守に背いて会社の財産を傷つけているので、背任です。

契約でない事実行為も、背任行為に含まれます。理由は、前回の背信説です。背任行為は、信任関係に違背した財産侵害でした。任された信頼に背いて本人の財産を傷つけたかを見るので、契約などの法律行為に限りません。短答では、背任行為は法律行為に限られるか、と問われます。背信説では、事実行為も含まれるので、限られない、が正解です。権限濫用説だと事実行為は拾えませんが、背信的権限濫用説と背信説なら含まれます。秘密の漏示が背任になるのは、財産的価値のある秘密に限ります。背任罪は、本人の財産を守る罪だからです。単に知られたくない話を漏らしただけでは、財産の侵害になりません。ここは、典型が不良貸付で、事実行為も含まれる、と押さえてください。

横領との区別が問題になる場面

事務処理者と占有者の重なり 図:事務処理者と占有者の重なり

区別が問題になるのは、どんなときかを絞ります。条文を二つ確認します。

条文刑法247条

刑法247条(背任) 他人のためにその事務を処理する者が、自己若しくは第三者の利益を図り又は本人に損害を加える目的で、その任務に背く行為をし、本人に財産上の損害を加えたときは、五年以下の拘禁刑又は五十万円以下の罰金に処する。

条文刑法253条

刑法253条(業務上横領) 業務上自己の占有する他人の物を横領した者は、十年以下の拘禁刑に処する。

背任の主体は、他人のためにその事務を処理する者です。業務上横領の主体は、業務上、他人の物を占有する者です。二つの立場が、同じ人に重なると、どちらの条文にも当たります。重ならない場合は、区別の問題は起きません。仕入れを任されただけで、物を預かっていない担当者は、背任しかありえません。二重抵当のように自分の物への行為は、他人の物ではないので横領にならず、背任だけです。問題になるのは、他人のための事務処理者が、同時に他人の財物の占有者でもある場合です。支店長は、貸付の事務を任されていて、銀行のお金を業務上保管してもいます。だから、背任にも業務上横領にも当たりえます。

刑の重さも違います。背任は5年以下の拘禁刑か、50万円以下の罰金、業務上横領は10年以下の拘禁刑です。どちらで処理するかで結論が大きく変わるので、基準が要ります。基準は、学説で二つあります。

基準A——権限の濫用か逸脱か

基準A・濫用か逸脱か 図:基準A・濫用か逸脱か

まず基準Aです。背信的権限濫用説から出る考え方で、事実上の事務処理権限の濫用にとどまれば背任、権限を逸脱すれば横領、と分けます。濫用は、任された権限の範囲内で悪く使うこと、逸脱は、その範囲を超えることです。具体例を二つ並べます。一方の例は、貸付の権限を持つ支店長が、規程で決められた貸付の枠の中で、返済の見込みのない友人に貸した場合です。貸すこと自体は任された仕事の範囲内なので、濫用にとどまり、背任と読めます。もう一つは、同じ支店長が、保管している金庫の現金を持ち出して、自分の借金の返済に充てた場合です。支店長が任されているのは、銀行のために貸すことと、銀行のために保管することで、自分のために使うことは、任された仕事の範囲を超えています。逸脱なので、横領と読めます。この二例では、基準Aはうまく働きます。では、二重抵当ではどうでしょう。Aさんが、Bさんに自分の土地の抵当権を設定して、登記に協力する約束をしました。ところがAさんは、その登記をしないまま、同じ土地にCさんの抵当権も設定してしまいました。前回見たとおり、Aさんは、登記を終えるまで、主としてBさんのために協力する任務を負うので、他人のための事務処理者です。任されているのは、その登記への協力です。ここで一度止めて考えてください。この行為は、権限の濫用でしょうか、逸脱でしょうか。基準Aだと、どの罪に回ることになるでしょうか。

逸脱と見るのが素直です。ところが、そこで壁に当たります。この土地はAさん自身の所有物で、他人の物ではありません。252条も253条も、客体は他人の物です。横領に回されたのに、横領も成立しない、という穴です。逸脱だから横領へ、でも自分の物だから客体を欠く、と三段で覚えてください。前回、背信的権限濫用説では二重抵当の設定者を拾えない、と見たのは、この三段のことでした。基準Aの弱点は、横領に回すか背任にとどめるかを、権限の範囲という形式的な線だけで決めてしまう点にあります。二重抵当は、背任として処罰したいのに、基準Aだと入口が閉じます。前回、背信的権限濫用説は、背任行為の意味としては答案で採ってもかまわない有力説だと見ました。けれども、横領との区別にこの濫用か逸脱かの線を使うと、二重抵当で穴が空きます。区別の答案では、次の基準Bを使います。ここは論文で論点になりうるところです。

基準B——財物の領得行為か、その他の背信行為か

基準B・入れ子の関係 図:基準B・入れ子の関係

基準Bに入る前に、1問です。前に横領罪を見ましたが、思い出してください。横領罪の横領とは、何を実現する行為でしたか?領得行為説でした。領得とは、権限がないのに、所有者でなければできない処分をすることで、自分が得をしたかは問いません。今日、財物を自分のものとして扱う、と言っているのは、この意味です。基準Bは、この領得行為説と、背信説を組み合わせます。横領も、預かった物を任せた人の信頼に背く点で、背信行為の一種です。そこで、背信行為全体を大きな輪、その中で、財物を領得する行為を小さな輪で表します。小さな輪の中が横領です。輪の外側、つまり、財物の領得ではない背信行為が、背任です。基準Bの言い方は、財物についての領得行為なら横領、その他の背信行為なら背任、です。同じ支店長の設例で、輪の内と外を見ます。例えば、支店長が、保管している銀行の現金、1,000万円を、自分の借金の返済に使ったとします。このお金は、支店長が自分のものとして使ったのですから、財物についての領得行為です。小さな輪の中で、業務上横領です。対して、支店長が、銀行のための融資として、銀行の名義と計算で、その1,000万円を友人に貸したとします。お金が支店長の手を離れて他人に渡る点は、先の例と同じです。けれども、貸したのは銀行の貸付という本人のための形で、支店長は財物を自分のものとして扱っていません。横領罪の回で、預かった物を友人に貸すのも横領だと見ましたが、あれは自分の物のように貸したからです。銀行の貸付として貸すのは、本人に代わって本人の財産を動かすことで、所有者としての処分ではありません。領得ではない背信行為なので、輪の外側の帯、背任です。

見るのは、誰の手に渡ったかではなく、支店長が財物を自分のものとして処分したかどうかです。自分の返済に使えば自分のものにした、銀行の貸付として動けば自分のものにしていない、という違いです。二重抵当は、外側の帯、背任です。土地を自分のものにしたわけではなく、もともと自分の土地に、先に設定した人に対して不利益な形で、抵当権という負担を重ねたからです。財物の領得ではない、その他の背信行為に当たるので、背任で処理できます。主体の要件は、前回見た登記協力の任務で満たしています。基準Bが決めるのは、その背信行為が、横領と背任のどちらの輪に入るかです。基準Aでは穴が出た二重抵当が、基準Bでは収まります。この差が、答案でBを採る決め手です。

⭐ 論文で書く規範:【論文で書く規範】横領罪と背任罪の区別 背信行為のうち、財物についての領得行為が横領罪、その他の背信行為が背任罪になる。 (規範(学説)——背信説と領得行為説から導く)

出どころは、条文ではなく学説です。背信説と領得行為説の二つから導く解釈で、条文を読み上げても出てきません。だから規範として、文言を覚えます。ここは論文で論点になりうるところです。

判例の目印——名義と計算

二つの判例の対比 図:二つの判例の対比

判例は、基準Aと基準Bのどちらを採るかを、言葉にしてはいません。ただ、不良貸付の場面では、結論に目印があり、その目印は、あとで見るとおり基準Bで説明できます。本人の名義かつ計算で貸したなら背任、自己の名義または計算で貸したなら横領、とみえるのです。名義とは、誰の名で契約したか、計算とは、その取引の損得が誰に帰属するか、です。事案を二つ見ます。村長の事案は、村長が、自分が保管する村の公金を、村の計算で第三者に貸し付けたというものです。大審院は、背任として処理しました。収入役の事案は、村の収入役が、自分が保管する村の公金を、村の名義ではなく、自分の名義で第三者に貸し付けたというものです。こちらは、業務上横領の成立を認めました。二つの事案は、公金の保管者が、その公金を第三者に貸したという点で、そっくりです。分けたのは、誰の名義で、誰の計算で貸したか、という点でした。村長は村の計算で、収入役は自分の名義で貸しています。

対応は、村長が村の計算で背任、収入役が自己の名義で業務上横領、です。人物ではなく、名義と計算で覚えてください。なぜ、名義と計算が分かれ目になるのか。基準Bで説明できます。本人の名義かつ計算で貸せば、貸した金を返してもらう権利、つまり返還請求権は本人に帰属します。本人の利益になる形で動いているので、財物を自分のものにしたとは言えず、その他の背信行為として背任です。反対に、自己の名義で貸せば、返してもらう権利は、表向き自分に帰属します。自己の計算で貸せば、利息などの損得が自分に帰属します。どちらも、本人のお金を、自分の取引として動かしたことになります。これは所有者でなければできない処分なので、財物の領得行為として横領です。

名義と計算は、横領か背任かの定義ではありません。本体は基準Bで、領得行為かどうかを見分ける手がかりが、名義と計算です。実際の不良貸付の判例は、この手がかりに沿って結論が分かれているように見えるので、目印と呼びます。答案では、目印を先に書くのではなく、基準Bで規範を立て、あてはめで名義と計算に触れます。支店長の設例に戻ります。銀行の名義で、銀行の計算で貸した支店長は、背任です。同じ支店長が、自分の名義で貸し、利息も自分の懐に入れていたなら、自分のものとして処分した領得行為なので、業務上横領です。

今日の地図(保存版)

背任罪②のまとめ 図:背任罪②のまとめ

まとめます。冒頭の問いの答えは、銀行の名義と計算で貸した支店長は背任、でした。背任行為の具体例は、不良貸付、粉飾決算、債務負担行為、取締役の自己取引、設備の設定をわざと狂わせて在庫をだめにする行為や秘密の漏示のような事実行為です。背信説なので、契約に限りません。区別の答案の手順は三つです。一つ目に、行為者が、他人のための事務処理者かを確かめます。二つ目に、同時に、他人の財物の占有者かを確かめます。両方に当たると、背任と業務上横領が競合します。三つ目に、その行為が財物についての領得行為かを見ます。領得行為なら横領で、そうでなければ、その他の背信行為として背任です。基準Aは、濫用なら背任、逸脱なら横領ですが、二重抵当が逸脱として横領に回り、自分の物で客体を欠くという難点があります。基準Bは、二重抵当も背任で処理できます。答案は基準Bです。判例の目印は、本人の名義かつ計算なら背任、自己の名義または計算なら横領です。

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#155単独ページ動画

背任罪の財産上の損害と図利加害目的

第16章 個人的法益⑤|財産に対する罪②(詐欺・恐喝・横領・背任・盗品・毀棄) ⑰/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

貸したのに、損害はあるのか

回収見込みのない工務店へ貸した支店長 図:回収見込みのない工務店へ貸した支店長

前回までで、背任罪の主体と、背任行為と、横領との区別を見ました。他人のために事務を処理する者が、信任関係に違背して本人の財産を侵害する行為が背任行為で、財物の領得行為なら横領、その他の背信行為なら背任、でした。今日は、条文に残った最後の、二つのパーツを見ます。設例です。信用金庫の支店長が、返済の当てがなく、担保も取っていない工務店に、800万円を貸しました。信用金庫の手元から、800万円の現金は消えました。けれども、その代わりに、800万円を返してもらう権利、つまり債権が残っています。額面だけを足し引きすれば、損害はゼロに見えます。ところが、判例は損害がある、と考えます。今日は、その理由と、もう一つのパーツである、何のために背いたかという目的、図利加害目的を見ます。債権の値打ちを何で測るか、が分かれ目です。

財産上の損害の意義

247条の残りの二つ 図:247条の残りの二つ

条文刑法247条

刑法247条(背任) 他人のためにその事務を処理する者が、自己若しくは第三者の利益を図り又は本人に損害を加える目的で、その任務に背く行為をし、本人に財産上の損害を加えたときは、五年以下の拘禁刑又は五十万円以下の罰金に処する。

太字が、今日の二つのパーツです。目的の側は、自己若しくは第三者の利益を図り、又は本人に損害を加える目的、結果の側は、本人に財産上の損害を加えたとき、です。まず、結果から見ます。ここで1問です。前に、財産犯を、個別の財産が失われれば足りる罪と、財産全体が減ったことまで要る罪に分けました。後の方を、全体財産に対する罪と呼びました。財産犯のうち、全体財産に対する罪は、いくつありましたか?背任罪だけでした。だから、今日の損害の話は、全部そこにつながります。背任では、プラスもマイナスも差し引きして、本人の財産全体が減ったかを見ます。詐欺では、詐欺の財産的損害の回で見たとおり、通説は、求めたものと実際に渡されたものとの間に、経済的に重要な食い違いがあるかで損害を見ました。背任は、一つの取引の食い違いではなく、差し引きした財産全体が減ったかで見ます。

財産上の損害の二つの形 図:財産上の損害の二つの形

財産上の損害には、二つの形があります。一つは、今ある財産が減る、積極的損害です。例えば、時価1,000万円の土地を、わずか600万円で売ってしまえば、代金を受け取っても、差し引き400万円、財産全体が減ります。もう一つは、増えるはずだった価値が増えなかった、消極的損害です。例えば、本来なら得られたはずの利息収入が得られなくなる場合です。判例は、この両方を含めて損害と考えます。増えるはずだったものが増えないことも入ります。ただし、どちらの形でも、測るのは財産全体の状態です。次に、その測り方を見ます。

同額の債権を得ても損害か

現金と債権の値打ち 図:現金と債権の値打ち

冒頭の問いです。その前に、1問立ち止まってください。800万円を貸して、回収の見込みのない、額面800万円の債権が残りました。この債権は、800万円の値打ちがあると言えますか?言えないと思います。返ってこないのなら、紙に800万円と書いてあるだけです。ここに、二つの見方があります。法的損害概念説は、法的見地で見ます。債権は法律上800万円ある、現金を失う代わりに同額の債権を得た、だから差し引きゼロで、損害はない、と考えます。対して、経済的損害概念説は、経済的見地で本人の財産状態を評価します。回収の見込みのない債権は、額面の価値がありません。800万円の現金と、ほとんど回収できない債権では、財産の値打ちがまるで違います。だから、貸付の時点で損害がある、と考えます。判例も通説も、経済的見地です。たとえて言うと、額面1,000円の商品券でも、もう閉店した店でしか使えないのなら、財布の中身が1,000円ふえたとは言えません。額面ではなく、実際に使える価値で測る、ということです。判例を読みます。

判例最高裁判所第一小法廷決定(昭和58年5月24日)・刑集37巻4号437頁

財産上の損害の意味 刑法二四七条にいう「本人ニ財産上ノ損害ヲ加ヘタルトキ」とは、経済的見地において本人の財産状態を評価し、被告人の行為によつて、本人の財産の価値が減少したとき又は増加すべかりし価値が増加しなかつたときをいうと解すべきである

判決文の言葉を順に見ます。経済的見地において、とは、額面ではなく実質で見る、ということです。財産の価値が減少したとき、が積極的損害で、増加すべかりし価値が増加しなかつたとき、が消極的損害です。先ほどの二つの形が、一文に入っています。

不良貸付と債務保証 図:不良貸付と債務保証

注意点が一つあります。この判例の事案は、不良貸付ではありません。信用保証協会の支所長の、債務保証の事案です。信用保証協会は、中小企業が借入れをするときに、返済を保証する団体です。支所長は、企業の資金の使い道が、倒産をしばらく取り繕うためのものにすぎないと知りながら、任された限度額を超えて債務保証を決めました。決裁を受けるための稟議の資料には事実と違うことを書き、担保の抵当権を設定させよという協会長の指示にも従わずに、保証書を渡しました。この事案で、判例は次のように述べています。

判例最高裁判所第一小法廷決定(昭和58年5月24日)・刑集37巻4号437頁

現実の損失が出る前の損害 同人の債務がいまだ不履行の段階に至らず、したがつて同協会の財産に、代位弁済による現実の損失がいまだ生じていないとしても、経済的見地においては、同協会の財産的価値は減少したものと評価される

保証は、債務を負っただけで、まだ現金は出ていません。企業が返せなくなって、協会が代わりに払う、代位弁済が起きる前です。それでも、保証債務を負った時点で、協会の財産の価値は下がっている、と評価されます。債務を負った時点で損害が生じるので、既遂もその時点です。ここまでが、判例の事案です。

貸付の当てはめ 図:貸付の当てはめ

答案では、この規範を、冒頭の不良貸付に当てはめます。

⭐ 論文で書く規範:【論文で書く規範】財産上の損害 「財産上の損害」とは、経済的見地において本人の財産状態を評価し、行為によって本人の財産の価値が減少したとき又は増加すべかりし価値が増加しなかったときをいう。 (規範(判例)——最決昭58・5・24。全体財産に対する罪だから、財産状態全体で評価する)

出どころは、判例です。条文には、経済的見地という基準は書かれていません。そこで、規範として文言を覚えます。あてはめです。800万円の現金と、回収の見込みのない800万円の債権では、経済的な評価がまるで違います。貸付の時点で、信用金庫の財産の価値は減少しています。したがって、財産上の損害が生じました。貸付の時点で既遂で、実際に回収できないと確定するのを待ちません。貸したら必ず損害になるのですか。なりません。経済的見地は、常に損害あり、ではなく、評価の問題です。十分な担保があって、確実に回収できる貸付なら、現金と債権の値打ちは釣り合います。この場合は、財産の価値は減っていないので、損害は生じません。回収できるかどうかを、担保や相手の資力から見るわけです。ここは論文で論点になりうるところです。

既遂と未遂

250条 図:250条

条文刑法250条

刑法250条(未遂罪) この章の罪の未遂は、罰する。

背任罪は、未遂も罰せられます。既遂と未遂の分かれ目は、財産上の損害が生じたかどうかです。例えば、支店長が不良貸付の送金手続に入ったものの、本部の審査で止められて、お金が出なかった場合は、任務に背く行為には着手していますが、財産上の損害は生じていないので、未遂です。貸付が実行されて、回収見込みのない債権を得た場合は、先ほどのとおり、その時点で損害が生じているので、既遂です。損害が出るまでの時間を、待つ必要はありません。

図利加害目的——三つの型

図利加害目的の三つの型 図:図利加害目的の三つの型

次は、目的です。背任罪は目的犯です。任務に背くことと、損害を加えることの認識、つまり故意のほかに、自己図利、第三者図利、本人加害のいずれかの目的が、別に要ります。三つをまとめて、図利加害目的と呼びます。条文の文言を読めば出てくるので、成立要件です。覚える規範ではなく、条文から読み取ります。同じ不良貸付で、三つの型を並べます。回収できないと分かって貸した支店長が、貸付先に自宅の増築を格安で請け負ってもらう約束をしていたなら、自己の利益を図る、自己図利です。妹の夫が営む別の工務店を助けたくて貸したなら、第三者の利益を図る、第三者図利です。同期が先に昇進したことに腹を立て、信用金庫そのものに損害を与えてやろうと思って貸したなら、本人加害です。

損害が出ると分かって貸したのなら、それで足りないのですか。足りません。損害の認識は故意の話です。目的は、それとは別に、何のために動いたか、という行き先の話です。たとえば、支店長が、取引先を立て直せば、これまでの貸付金を取り戻せる、もっぱら信用金庫のためになる、と考えて貸したとします。損害が出るかもしれないと分かっていても、本人の利益を図る目的なら、図利加害目的はなく、背任は成立しません。

「利益」には保身も入る

「利益」の範囲 図:「利益」の範囲

図利の利益は、財産上の利益に限られるでしょうか。背任は財産犯なので、限るという見方もあります。けれども、判例は限りません。自分の地位を守る、信用や面目を保つ、といった身分上の利益、つまり保身の利益も含みます。理由は、図利の目的は、犯罪の動機にすぎないからです。背任が財産犯であることは、結果の側、つまり本人に財産上の損害を加えたこと、で既に押さえられています。目的の側は、何のために動いたかという動機なので、財産上のものに限る必然性はありません。判例の事案を見ます。銀行の支店長が、取引先の会社の当座預金の資金が足りないのを、銀行が立て替えて払う、過振りで補ってきました。過振りとは、口座に残高がないのに、銀行が立て替えて支払うことです。会社の資金状態が良くなる見通しがないと明らかになったあとも、回収できないおそれがあると承知で、長い間、過振りを続けました。動機は、これまで安易に過振りを続けてきた実態が、本店に発覚して、自分の面目や信用が落ちるのを防ぐことでした。銀行のためではありません。この事案は、特別背任の事案です。特別背任は、株式会社の取締役や監査役、支配人、事業に関するある種類または特定の事項の委任を受けた使用人などの背任を、重く罰する規定で、会社法に定めがあります。支店長がこれに当たるのは、支配人や、ある種類または特定の事項の委任を受けた使用人に当たる場合です。構造は247条の背任と同じです。判例は、この支店長に、図利加害の目的を認めました。取引先を利し、銀行を害することを熟知しながら、銀行のためではなく、自分の面目を守るために続けていたからです。

自分を守るためなら、銀行を害するつもりはなかった、とはならないのですか。なりません。保身が動機でも、その行為が取引先を利して銀行を害することを分かっていれば、図利加害の目的は認められます。動機が保身だから、目的がない、とはならないわけです。身分上の利益も含む、という一般論を述べたのは、古い大審院の判例です。この決定は、保身が動機の支店長に、図利加害の目的を認めた事例です。

本人のためでもあった場合

併存の天秤 図:併存の天秤

貸した理由が一つとは限りません。図利加害の目的と、本人のためになる目的が、併存する場合です。設例です。業績が悪化した取引先に、支店長が追加で貸しました。取引先が倒れると、支店長の支店の不良債権がふえて、人事評価が下がります。同時に、取引先を再建できれば、これまでの貸付金を回収できる見込みもあります。この場合は、主たる目的がどちらかで決まります。本人図利が主なら、図利加害の目的がないので、背任にはなりません。図利や加害が主なら、目的が認められて、背任が成立します。なぜ、主な方で決めるのでしょうか。貸す理由が混ざるのは普通のことです。少しでも自分の得が混じれば背任、とすると、本人のための経営判断まで罰することになります。目的の要件は、本人のために動いた場合を、背任から外すためにあります。だから、どちらが主かで線を引きます。

⭐ 論文で書く規範:【論文で書く判断の枠組み】図利加害目的と本人図利目的の併存 図利加害目的と本人の利益を図る目的が併存するときは、主たる目的がどちらであるかによって、図利加害目的の有無を判断する。 (判断の枠組み(判例)——最決平10・11・25)

判例の事案は、銀行の融資の特別背任でした。関連会社の会員権の預り保証金の償還問題を解決すれば、銀行の利益にもなる、という動機は一応ありました。けれども、判例は二点を見ました。一つは、問題の大きい融資をしてまで、償還の資金を確保する必要性も緊急性も認められないこと。もう一つは、融資に関わった人たちの決定的な動機が、責任を回避して被告人の意向に従うという安易さや、引き下がれないという事情にあったことです。そこから、この融資は、主として融資先や売主の利益を図る目的で行われたとして、第三者図利の目的を認めました。決定的な動機は何か、必要性や緊急性はあったか、他の手段はなかったか、という事情から、主たる目的を判断するわけです。先ほどの追加融資の設例に当てはめます。再建の計画に裏付けがあって、貸付金を回収するための追加融資なら、本人図利が主で、背任になりません。再建の見込みが乏しいのに、自分の人事評価を守るために貸したのなら、保身が主で、図利加害の目的が認められ、背任が成立します。ここは論文で論点になりうるところです。

図利加害の認識の程度

認識の程度 図:認識の程度

最後に、図利加害の認識の程度です。判例は、次のように述べています。

判例最高裁判所第二小法廷決定(昭和63年11月21日)・刑集42巻9号1251頁

図利加害目的と意欲 特別背任罪における図利加害目的を肯定するためには、図利加害の点につき、必ずしも所論がいう意欲ないし積極的認容までは要しないものと解するのが相当であり

積極的認容とは、そうなってもかまわない、と積極的に受け入れることです。意欲は、そうしたい、という気持ちです。判例は、そこまで求めません。言い換えると、図利加害の認識があれば足り、未必的な認識でもよい、ということになります。これは判旨そのものの言葉ではなく、私たちの整理です。先ほどの支店長は、取引先を利し銀行を害することを熟知していました。それで足りたのです。反対に、確定的な認識や意欲まで必要だとする見解もありますが、判例は、意欲や積極的認容までは求めない立場です。目的なのに、なぜ認識で足りるのでしょうか。損害の認識は故意の話で、目的は、何のために動いたか、でした。目的の要件の役目は、本人のために動いた場合を外すことです。本人のためという動機が主でないまま、取引先を利し銀行を害すると分かって動いたなら、何のために動いたかの答えは、もう本人のため、ではありません。だから、図利加害を意欲するまでは要りません。意欲まで求めると、保身が動機で、銀行を害したいとまでは思っていない支店長が、みな外れてしまいます。

詐欺・横領との関係

部下が欺いて金を出させたとき 図:部下が欺いて金を出させたとき

最後に、他の罪との関係です。まず、詐欺です。1問、考えてください。建設会社の資材担当者が、仕入れ先と共謀して、納入数量を実際より多く報告し、会社に代金を払わせました。資材の管理を任された担当者が、その任務に背いたのですから、背任にも見えます。背任でしょうか、詐欺でしょうか。会社を欺いて、お金を出させているので、詐欺だと思います。判例は、次のように述べています。

判例最高裁判所第二小法廷判決(昭和28年5月8日)・刑集7巻5号965頁

任務違背と詐欺 他人の委託によりその事務を処理する者が、その事務処理上任務に背き本人に対し欺岡行為を行い同人を錯誤に陥れ、よつて財物を交付せしめた場合には詐欺罪を構成し、たとい背任罪の成立要件を具備する場合でも別に背任罪を構成するものではないと解すべきである

任務違背の行為が、本人に対する欺罔を含み、それによって本人に財物や財産上の利益を交付させた場合は、詐欺罪のみが成立し、背任罪は別に成立しません。古い大審院の判例も、同じ結論でした。詐欺だけにするのは、同じ悪さを二度数えないためです。資材担当者の例では、任務に背いた中身は、数量を多く報告して会社を欺いたことです。会社の損害は、欺かれて支払った代金です。背任より重い詐欺罪は、欺いて財産を出させたこの全体を、まるごと処罰しています。そこに背任を重ねると、同じ行為を二度罰することになります。向きに注意してください。詐欺のみになるのは、欺いて交付させた場合です。欺罔がなく、単に任務に背いて損害を与えただけなら、背任のままです。区別の軸は、本人を欺いて、本人から交付させたかどうかです。横領との関係は、前回の基準に戻ります。財物についての領得行為なら横領、その他の背信行為なら背任、でした。冒頭の支店長が、信用金庫の名義と計算で貸したのなら、財物を自分のものにしたのではないので、背任です。

今日の地図(保存版)

背任罪の答案の骨格 図:背任罪の答案の骨格

まとめます。冒頭の問いの答えは、同額の債権を得ても、回収の見込みがなければ、貸付の時点で損害がある、でした。財産上の損害は、経済的見地で見て、財産の価値が減ったとき、または増えるはずの価値が増えなかったときです。背任は全体財産に対する罪なので、財産状態全体で測ります。債権は額面ではなく、回収できるかで評価します。損害が生じれば既遂、生じていなければ未遂です。図利加害目的は、条文どおりの成立要件です。自己図利、第三者図利、本人加害のどれかが、故意とは別に要ります。保身の利益も含まれ、動機が保身でも認められます。本人図利が併存するときは、主たる目的で決めます。意欲や積極的認容までは要らず、認識があれば足ります。答案の骨格は、五段です。主体、任務違背行為、財産上の損害、図利加害目的、そして他の罪との関係です。任務違背が本人への欺罔を含み、交付させたなら詐欺のみ、領得行為なら横領、と確認します。

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#156単独ページ動画

盗品等に関する罪の保護法益・客体・行為

第16章 個人的法益⑤|財産に対する罪②(詐欺・恐喝・横領・背任・盗品・毀棄) ⑱/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

盗んでいないのに、なぜ罰されるのか

腕時計を盗まれた人と、もらった友人 図:腕時計を盗まれた人と、もらった友人

前に、盗品を預かった人が、頼まれて売って、代金を勝手に使ってしまった場面を、横領罪の話として見ました。あのとき、盗品を預かった点には、別の罪の入口がある、と言いました。今日が、その本拠地です。設例です。Aさんが、腕時計を盗まれました。盗んだのはB。BはこのあとCという友人に会います。Cは、その腕時計が盗まれた物だと知っています。Cが、Bから、腕時計をただでもらう。あるいは、預かる。運んでやる。買い取る。売り先を探してやる。Cは、自分では何も盗んでいません。盗んでいないCも、罰されます。しかも不思議なことに、ただでもらうCより、預かったり運んだりするCの方が、刑が重いのです。もらう方が得をしているはずなのに、です。答えを先に少しだけ言います。この罪が何を守っているのかが分かると、ほとんどの論点が、同じ物差しで解けます。今日は、その物差しを作るところから始めます。

256条の構造

刑法256条 図:刑法256条

条文刑法256条

刑法256条(盗品譲受け等) 盗品その他財産に対する罪に当たる行為によって領得された物を無償で譲り受けた者は、三年以下の拘禁刑に処する。 2 前項に規定する物を運搬し、保管し、若しくは有償で譲り受け、又はその有償の処分のあっせんをした者は、十年以下の拘禁刑及び五十万円以下の罰金に処する。

条文を読みます。1項は、ただで譲り受けた者で、3年以下の拘禁刑です。2項は、運搬した者、保管した者、有償で譲り受けた者、有償の処分のあっせんをした者で、10年以下の拘禁刑及び50万円以下の罰金です。2項に注目してください。窃盗罪は、10年以下の拘禁刑又は50万円以下の罰金でした。窃盗は、どちらか一方です。ところが、2項は、拘禁刑と罰金の両方を科します。併科です。拘禁刑の上限は窃盗と並び、罰金は選べません。盗んだ本人と、ほぼ同じか、それ以上に重いのです。5つの行為のうち、無償譲受けだけが軽く、あとの4つは同じ重さです。理由を一言で先に言うと、あとの4つは、盗んだ人のために物を動かしたり換金を手伝ったりして、被害者が取り戻すのを難しくし、盗みを割に合うものにしてしまうからです。この理由は、この罪が何を守っているかを見ると、はっきりします。次に見ます。なお、ここで登場人物を整理しておきます。腕時計の持ち主のA、盗んだ本人のB、そして関わったC。Bの盗みのように、盗品等を生み出した元の犯罪を、本犯と呼びます。それをした人のことも、本犯と言います。この罪の主体になるのは、三人目のCです。盗んだB自身が、盗んだ物を持っているだけでは、この罪の主体にはなりません。

何を守るのか——追求権

保護法益の比べ方 図:保護法益の比べ方

保護法益、つまり何を守る罪なのかを考えます。まず、Aさんの立場に立ってください。腕時計を盗まれました。Aさんにはまだ、その腕時計を取り戻す道が残っています。盗んだBに返せと言えますし、いま持っているCに返せと言えます。Aさんが、被害物を取り戻せる権利、これを追求権と呼びます。Cが腕時計を預かったり、遠くへ運んだり、転売したりすると、Aさんはその腕時計に手が届かなくなります。取り戻す道が、遠く細くなるのです。この罪は、その追求権を守る罪だと考えるのが、判例と通説の追求権説です。判例を読みます。

判例最高裁判所第二小法廷決定(昭和34年2月9日)・刑集13巻1号76頁

回復を請求する権利 賍物に関する罪は、被害者の財産権の保護を目的とするものであり、被害者が民法の規定によりその物の回復を請求する権利を失わない以上、その物につき賍物罪の成立することあるは原判示のとおりである。

賍物とは、盗品のことです。判旨の言葉は、被害者が、その物の回復を請求する権利、です。追求権という言葉そのものは、判旨には出てきません。学説が、この権利を追求権と呼んでいる、ということです。判旨が言っているのは、この権利を失わない以上、罪が成立しうる、というところまでです。そこから、権利を失えば成立しない、と考えるのが、追求権説からの帰結です。ここが、後で客体の限界を考える手がかりになります。他の考え方も、名前と着眼点だけ押さえておきます。違法状態維持説は、本犯が作った違法な財産状態を、そのまま維持させる点を重く見ます。利益関与説は、本犯の不法な利益の分け前にあずかる点を重く見ます。事後従犯説は、盗品を買ってくれる人がいることで、本犯を助長する点を重く見ます。

保護法益の考え方の違いで変わるのは、客体の限界です。被害者がもう取り戻せなくなった物を、なお盗品等と見るかどうか。追求権説は、取り戻せなくなった物は客体ではない、と見ます。だから、後で見る場面が、追求権説からは一貫して説明できます。

事後従犯的性格

事後従犯的性格 図:事後従犯的性格

1問、思い出してください。実行行為が終わったあとに、本犯を助けた人は、幇助犯になりますか?なりません。幇助は、実行行為が終わるまでの手助けだったからです。では、Bが盗み終わったあとに、腕時計を買い取ってやったCはどうでしょう。Cは、盗みの共犯ではありません。それでも、何もしなくてよいとは言えません。共犯のところで、実行行為が終わったあとの援助は幇助にならず、これを事後従犯と呼びました。そして、その援助は、別の罪の正犯として問われうる、と言いました。盗品等に関する罪は、その別の罪の一つです。本犯が終わったあとに、その本犯を助ける関わり方を、独立の罪にしているのです。これを、事後従犯的性格と呼びます。なぜ、これが問題なのでしょうか。盗んだ物を、預かってくれる人、買ってくれる人がいれば、盗みは割に合います。盗んだ人は、次も盗みやすくなります。つまり、後から助けることが、本犯を助長し、次の犯罪を誘い出すことにつながるのです。これで、冒頭の疑問に答えが出ます。運搬、保管、有償譲受け、あっせんは、盗んだ人の換金や保持を、実際に手伝います。追求権をはっきり遠ざけますし、本犯を強く助長します。だから重いのです。ただで受け取るだけの無償譲受けは、この助長の度合いが比べて弱いので、軽く扱われます。罰金まで重ねて科すのは、盗品の取引の多くがもうけ目当てだからです。拘禁刑に加えて財産の面でも割に合わなくして、手を出させないようにしているのです。

ここは論文で論点になりうるところです。

客体——何が盗品等か

盗品等になる物・ならない物 図:盗品等になる物・ならない物

次は、客体です。条文は、盗品その他財産に対する罪に当たる行為によって領得された物、と書いています。盗品だけではありません。詐欺でだまし取った絵画も、恐喝で脅し取った現金も、横領した物も入ります。だから、盗品ではなく、盗品等、と呼びます。逆に、賄賂として受け取った現金や、賭博で得た金銭は入りません。収賄罪や賭博罪は、財産に対する罪ではないからです。もう一つ。本犯は、構成要件に該当して違法であれば足ります。有責でなくても構いません。例えば、責任能力のない年少者が盗んだ物も、盗品です。年少者を罰することはできませんが、Aさんの腕時計が違法に奪われ、Aさんが取り戻せることは変わりません。親族相盗例で、本犯の刑が免除された場合も、同じです。家族の間の盗みについて、刑を免除する244条でした。前に見たとおり、244条は刑を外すだけで、盗みが犯罪として成立したことまでは消しません。だから、奪われた物は盗品のままです。どちらも、Bの側を罰せるかどうかの話で、Aさんが取り戻せるかどうかとは関係がありません。追求権が判断の中心にある、と考えると、すっきり説明できます。

追求権が届かなくなる場面

別の物に変わったら 図:別の物に変わったら

問題です。Bが盗んだ腕時計を、まったく別の物、例えば高級な万年筆と交換してしまいました。その万年筆を預かったCに、盗品等保管罪は成立するでしょうか。追求権から、一言で考えてください。追求権は、その物に向かう権利です。その物が別の物に変われば、権利は届きません。これが、同一性を失った場合です。盗んだ腕時計を売った代金は、客体ではありません。盗んだ現金で買った別の物も、客体ではありません。反対に、盗んだ現金そのものは、両替をしても客体のままだ、とされます。金銭は、どのお札かという物の個性ではなく、金額で扱われる物だからです。盗んだ1万円札を千円札10枚に替えても、盗まれた1万円は、形を変えてそのまま手元にあります。これに対して、腕時計を売った代金は、買った人から新しく受け取った、別のお金です。腕時計の代わりに手に入れた物であって、盗まれた物そのものではありません。付合、つまり盗んだ物がほかの物にくっついて一体になってしまう場合や、加工、つまり材料に細工をして新しい物に作り替えてしまう場合などで、被害者の所有権自体が他人に移ってしまうようなときも、追求できなくなる、という同じ筋で考えます。

善意取得で道が閉じる 図:善意取得で道が閉じる

次は、善意取得です。設例です。Aさんは、詐欺で絵画をだまし取られました。だました本犯者のBは、その絵画を、事情を知らないCに売りました。Cは善意で、しかも過失がありません。そのCから、事情を知っているDが、絵画を買いました。Dは盗品等有償譲受け罪でしょうか。

条文民法192条

民法192条(即時取得) 取引行為によって、平穏に、かつ、公然と動産の占有を始めた者は、善意であり、かつ、過失がないときは、即時にその動産について行使する権利を取得する。

民法192条です。取引で、平穏、公然と動産の占有を始めた者が、善意で過失がなければ、その動産の権利を、即時に取得します。これを、即時取得、善意取得と言います。Cがこれに当たると、Cが権利者になり、Aさんは絵画を取り戻せなくなります。追求権が切れるのです。すると、絵画は、もう客体ではありません。後から買ったDが事情を知っていても、この罪は成立しません。盗まれた物や落とし物は、別に扱われます。

条文民法193条

民法193条(盗品又は遺失物の回復) 前条の場合において、占有物が盗品又は遺失物であるときは、被害者又は遺失者は、盗難又は遺失の時から二年間、占有者に対してその物の回復を請求することができる。

盗品と遺失物は、被害者が、盗まれた時から2年間は、占有者に回復を請求できます。この間は、追求権は生きています。だから、盗品なら、2年間はなお客体です。先ほどの判例は、民法の規定によって回復を請求する権利を失わない以上、と言っていました。2年間という期間そのものは民法193条の話であり、判例が期間まで示したわけではありません。ただ、この間は回復請求の権利が残っているので、判例の言う、権利を失わない場合に当たります。ところが、だまし取られた物や横領された物は、193条の対象ではありません。そのため、善意無過失の人が取得すれば、すぐに追求権が切れます。最後に、不法原因給付です。横領の回で見た、違法な目的に使ってほしいと預けた現金を、使い込まれた場面です。預けた人は、民法708条で、返せとは言えません。ここで、客体の条文の言葉に戻ります。財産に対する罪に当たる行為で領得された物、でした。ですから、この場面で本犯の横領や詐欺がそもそも成立しないと考えるなら、その物は、はじめから客体に入りません。ただし、判例は本犯を成立させています。横領の回では、返せと言えなくても所有権までは失っていない、として横領罪を認めました。詐欺の回でも、だまして財物への支配を奪った以上、詐欺罪は成立する、と見ました。本犯が成立する以上、判例の立場では、客体のままです。ここで押さえるのは、本犯が成立しない場合だけ、客体の外になる、ということです。

行為の五つの型

五つの行為 図:五つの行為

行為の五つの型を見ます。無償譲受けは、ただで引渡しを受けて取得することです。単に約束しただけでは足りず、引渡しを受けることが要ります。有償譲受けは、代金を払って取得することです。運搬は、頼まれて、場所を移すことです。保管は、頼まれて、預かることです。この二つは、頼まれてする行為で、有償か無償かは問いません。前に見た、盗品を預かった人は、ここに入ります。有償処分のあっせんは、売買や、質入れ、つまり物を担保に預けてお金を借りることなど、有償の処分を仲介することです。ここで大事なのは、処分が有償であればよい、という点です。あっせんの謝礼の有無は関係ありません。腕時計を買ってくれる人を紹介するのは、紹介料をもらわなくても、この罪に当たります。ところが、ただで引き取ってくれる人を紹介するのは、処分が無償なので、当たりません。

あっせんは、いつ成立するか

あっせんの三つの時点 図:あっせんの三つの時点

あっせんについて、成立の時期が論点になります。設例です。Cが、腕時計を買ってくれそうなDに、買いませんか、と持ちかけました。Dと一緒にBのところへ向かう途中で、Cは逮捕され、売買は完成しませんでした。Cは、有償処分あっせん罪になるでしょうか。時間の順に並べます。第一に、あっせんの行為、つまり持ちかけ。第二に、売買契約の成立。第三に、盗品が本犯者から買主に移ること。どの時点で成立するかで、考え方が三つに分かれます。追求権から筋を通すなら、実際に盗品が移って、Aさんが取り戻しにくくなる第三の時点、と考えるのが自然です。これが、移転時説です。他には、第二の時点で成立する、契約成立時説があります。持ちかけだけでは早すぎ、盗品が移るまで待つのは遅すぎる、として間をとる考え方です。名前だけ押さえておけば、十分です。判例は、違います。第一の時点で成立します。判例を読みます。

判例最高裁判所第三小法廷判決(昭和26年1月30日)・刑集5巻1号117頁

あっせん罪の成立時期 被告人の右周旋行爲によつて未だ賍物の賣買は完成するに至らず、また本犯の被害者の賍物返還請求権行使を不能又は困難ならしめるおそれはなかつたとしても、尚行爲自体は既に賍物牙保罪の成立に必要な周旋行爲に該当するものと認めるを相当とする

牙保とは、あっせんのことです。判旨は、売買が完成せず、被害者の返還請求も、不能や困難にならなかったとしても、あっせんの行為自体が、すでに罪の成立に必要な周旋、つまり売買の仲立ちに当たる、と言っています。気をつけたいのは、これがあっせんについての判断だという点です。同じ持ちかけの段階でも、C自身が買い取る約束をしただけなら、まだ有償譲受け罪にはなりません。譲受けは、盗品を実際に受け取って、はじめて成立するからです。さらに、続けてこう述べています。

判例最高裁判所第三小法廷判決(昭和26年1月30日)・刑集5巻1号117頁

追求権だけで狭く解さない理由 賍物に関する罪を一概に所論の如く被害者の返還請求権に対する罪とのみ狹く解するのは妥当でない、(法が賍物牙保を罰するのはこれにより被害者の返還請求権の行使を困難ならしめるばかりでなく、一般に強窃盗の如き犯罪を助成し誘発せしめる危險があるからである)

ここが大事です。判例は、被害者の返還請求権を害するおそれがなくても成立する、と言い、その理由に、強盗や窃盗のような犯罪を助け、誘い出す危険を挙げています。追求権だけでは、狭く解しすぎだ、と言っているのです。先ほどの、事後従犯的性格が、ここで効いてきます。持ちかけた時点で、すでに本犯を後押ししているからです。のちの最高裁の判例も、被害者を相手方としたあっせんが成立することを認めています。被害者による盗品等の正常な回復を困難にするだけでなく、助長し誘発するおそれもある、という理由を挙げています。ですから、この論点は、追求権だけでは説明しきれません。追求権を主役の物差しとして、本犯の助長や誘発が、もう1本の物差しとして働く、ということです。ここは論文で論点になりうるところです。

被害者のもとへの運搬

返す口実で金を取る 図:返す口実で金を取る

あっせんでは、被害者の取り戻しを邪魔するおそれがなくても成立する場面を見ました。最後は、その反対向きに見える場面です。被害者のもとへ返しているのに、罪になるかどうかです。設例です。Cは、Aさんから頼まれて、Bのところから腕時計を取り返し、Aさんの家まで持っていきました。ただ、その返還を条件にして、Aさんから、多額のお金を受け取りました。被害者に返すだけなら、追求権は害されないはずです。それでも、運搬罪は成立するでしょうか。被害者の手元に戻したのだから罪にならない、と考えるのが、不成立説です。ところが、判例は成立を認めました。判例の言葉を読みます。

判例最高裁判所第一小法廷決定(昭和27年7月10日)・刑集6巻7号876頁(裁判要旨)

被害者のもとへの運搬 窃盗の被害者から賍物の回復を依頼されて、これを被害者宅に運搬返還したとしても、結局窃盗犯人に協力してその利益のために賍物の返還を条件に被害者をして多額の金員を交付せしめる等賍物の正常なる回復を困難ならしめた場合には賍物運搬罪が成立する。

大事なのは、正常な回復を困難にしたかどうか、です。返還を条件にして、被害者から多額のお金を取るなら、それは被害者のための運搬ではなく、窃盗犯人の利益のための運搬です。追求権という物差しで言えば、単に返すだけなら、追求権を害しません。ところが、返還を道具にしてお金を取るなら、被害者の正常な回復を妨げます。学説には、不成立説と、判例と同じ成立説の両方があります。試験では、どちらの立場でも構いません。結論を、理由と一緒に言えることが大事です。ここは論文で論点になりうるところです。

今日の地図(保存版)

追求権で解く、盗品等の罪 図:追求権で解く、盗品等の罪

まとめます。冒頭の疑問の答えは、この罪は、盗まれた人が被害物を取り戻す権利、追求権を守り、本犯を後から助けて助長することを防ぐ罪だから、盗んでいなくても罰される、でした。256条は、1項が無償譲受けなら3年以下、2項が運搬、保管、有償譲受け、有償処分のあっせんで、10年以下の拘禁刑及び50万円以下の罰金の併科です。重いのは、追求権をはっきり遠ざけ、本犯を強く助長するからです。客体は、財産に対する罪で領得された物です。本犯は、構成要件に該当し違法であれば足ります。そして、追求権が届かなくなると、客体でなくなります。別の物に変わった場合、善意取得された場合、そして不法原因給付で本犯が成立しない場合です。ただし、盗品と遺失物は、2年間は取り戻せます。行為は五つです。運搬と保管は、頼まれてする行為で、有償無償を問いません。あっせんは、処分が有償であればよいです。あっせんは、あっせん行為の時点で成立します。理由は、追求権だけでなく、本犯の助長や誘発にもあります。被害者のもとへの運搬は、返還を道具にして正常な回復を困難にすれば、運搬罪が成立します。こうして、大半は追求権で解けます。ただし、被害者を相手方とするあっせんや、窃盗犯人の利益のための運搬のように、追求権だけでは説明しきれず、本犯の助長という物差しも働く場面があります。

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#157単独ページ動画

盗品等に関する罪の故意・他罪との関係・親族間の特例

第16章 個人的法益⑤|財産に対する罪②(詐欺・恐喝・横領・背任・盗品・毀棄) ⑲/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

預かった後で、盗品と知ったら

預かった後で知った・母親だった 図:預かった後で知った・母親だった

前回の腕時計の設例を思い出してください。持ち主のA、盗んだB、関わったC。盗品と知って関わったCは、罰されました。今日は、その続きです。新しい場面です。CはBから、腕時計を預かりました。盗んだ物だとは知りません。ところが1週間後、Bが打ち明けます。「あの時計、実は盗んだ物なんだ」。それでもCは、預かり続けました。Cは罰されるでしょうか。打ち明けられる前の預かりと、打ち明けられた後の預かり。この二つを同じに扱えるかどうかが、分かれ目です。もう一つあります。そのCが、実はBの母親だったらどうでしょう。息子をかばう母親と、赤の他人。同じ扱いでよいのでしょうか。答えを少しだけ言います。1つ目は、追求権を難しくするのはいつか、で決まります。2つ目は、なぜ刑を免除するのか、で決まります。物差しは2本です。今日は、この2本で全部解きます。

故意——盗品かもしれない、で足りる

故意の程度 図:故意の程度

まず故意です。この罪は、盗品等であることの認識が必要です。ただし、確実に知っている必要はありません。判例を読みます。

判例最高裁判所第三小法廷判決(昭和23年3月16日)

未必の故意で足りる 賍物故買罪は賍物であることを知りなからこれを買受けることによつて成立するものであるが、その故意が成立する為めには必すしも買受くべき物が賍物であることを確定的に知つて居ることを必要としない或は賍物であるかも知れないと思いながらしかも敢てこれを買受ける意思(いわゆる未必の故意)があれば足りるものと解すべきである

賍物故買とは、盗品を買う罪のことです。判旨は、盗品だと確定的に知っている必要はない、盗品かもしれないと思いながら、あえて買う意思があれば足りる、と言っています。これが未必の故意です。設例です。Cは、時価の半分以下の値段で、腕時計を売りつけられました。安すぎる、ひょっとして盗品ではないか、と思いました。それでも、盗品でも構わないと買いました。確信はありません。しかしCには故意があります。盗品かもしれないと気づいた時点で、思いとどまる機会がありました。それを自分で手放して買ったのなら、確実に知って買った人と、責める理由は変わらないからです。故意の回で見た、未必の故意の考え方です。逆に、疑う事情がなく、正規の品だと信じて買ったのなら、故意はありません。分かれ目は、盗品であっても構わないと思っていたかどうかです。もう一つ。誰が、いつ、どんな罪で手に入れた物か、までは知らなくて構いません。盗品等であるという点を、かもしれないと認識していれば足ります。持ち主が取り戻しにくくなるのは、誰の盗みであっても、盗品を引き受けること自体によるからです。1問です。Cは、確信はなかったものの、安すぎて疑いながら腕時計を買いました。故意はあるでしょうか?

盗品かもしれないと思いながら、あえて買っているので、未必の故意があり、故意は認められます。

途中で盗品と知ったら

預かった後で知った 図:預かった後で知った

ここが今日の山場です。冒頭の設例に戻ります。Cは、盗品と知らずにBの腕時計を預かりました。この時点では、保管罪は成立しません。故意がないからです。問題は、1週間後に事情を知り、なお預かり続けた分です。問いは1本です。追求権を難しくするのは、物が移る瞬間だけか、持ち続けることもか。追求権とは、Aさんが被害物を取り戻す権利でした。

途中知情の二つの立場 図:途中知情の二つの立場

否定説から見ます。物が移る瞬間だけを見る考え方です。理由は二つあります。一つ目。譲受けなど、他の類型は、物が移る時点の認識で判断しています。保管もそれに並べるべきだ、ということです。二つ目。Aさんの取り戻しを難しくするのは、Cのもとへ占有が移ったこと自体です。その時点でCは何も知りませんでした。だからCは無罪、となります。肯定説は、持ち続けることも見ます。判例もこの立場です。この立場の理由は二つあります。一つ目。預かった後もCが保管を続ければ、腕時計は見つかりにくくなり、Bも処分しやすくなります。取り戻しを難しくし続けているのです。これは追求権の面です。二つ目。保管は、本犯を事後に助ける性格を持ちます。事後従犯的性格です。知った後も預かり続けることは、Bを助け続けることにほかなりません。

有償譲受けなどは、受け取った瞬間に行為が完結します。だから、受け取る時点の認識で決まります。保管だけは、持ち続けるという性質の行為で、追求権を害する状態が続きます。この違いがあるので、途中知情は保管で問題になるのです。判例を読みます。

判例最高裁判所第一小法廷決定(昭和50年6月12日)

知った後の保管の継続 賍物であることを知らずに物品の保管を開始した後、賍物であることを知るに至つたのに、なおも本犯のためにその保管を継続するときは、賍物の寄蔵にあたるものというべきであり、原判決に法令違反はない。

賍物寄蔵は、現行法の保管にあたります。判旨は、保管を始めた後に盗品と知ったのに、なおも保管を続けるとき、保管に当たると言っています。判旨の言葉に注意してください。なおも本犯のために、その保管を継続するとき、とあります。判例は、本犯のためにという限定を付けています。本犯を助ける形で保管を続けるとき、ということです。前半の物差しの、事後従犯的性格が、判旨の言葉にも表れているのです。成立するのは、知った時点以後の保管です。最初の1週間は、故意がないので成立しません。追求権を難しくするのは、物が移る瞬間だけではなく、持ち続けることもです。これが判例の答えです。ここは論文で論点になりうるところです。

他の罪との関係——詐欺と恐喝

詐欺と恐喝 図:詐欺と恐喝

ここから、他の罪との関係を、順に四つ見ます。最初の二つは、結論が単純です。一つ目は詐欺です。あっせんをしたCが、盗品と知らない買主から、代金を受け取りました。買主から見れば、だまされて代金を払ったようにも見えます。しかし、詐欺罪は別に成立しません。代金を受け取ることは、あっせんという行為に、もともと含まれている当然の結果です。あっせん罪で罰するときに、すでに評価し尽くされているので、二重には罰しないのです。

脅して差し出させる 図:脅して差し出させる

二つ目は恐喝です。Bから腕時計を預かっている友人のDがいます。Cは、その腕時計が盗品だと知りながら、Dを脅して、差し出させました。Dに対しては恐喝罪が成立します。同時に、Cは、対価を払わずに盗品を受け取ったので、盗品等無償譲受け罪が成立します。1個の行為が、恐喝罪と無償譲受け罪の二つの罪名に触れています。詐欺と違うのは、脅すことが、盗品を受け取ることに、もともと含まれていない点です。Dを脅したことは、無償譲受けでは評価しきれない、別の侵害だと説明されます。だから両方が成立します。1個の行為が複数の罪名に触れる場合なので、観念的競合です。科刑上一罪として扱うのでした。

本犯者自身と、共同正犯

盗んだ本人には成立しない 図:盗んだ本人には成立しない

前回の復習です。盗品等に関する罪が守っているものは、何でしたか?被害者が取り戻す権利の追求権と、本犯を事後に助ける事後従犯的性格です。この物差しで、三つ目に入ります。盗んだ本人のBが、自分で腕時計を保管したり、運んだりした場合です。前回、Bはこの罪の主体にならないと予告しました。その答えです。Bには、盗品等に関する罪は成立しません。盗んだ人が、盗んだ物を持ち続けるのは、当然の成り行きです。その分は、窃盗罪の処罰の中で、すでに評価し尽くされています。罪数の回で見た、不可罰的事後行為です。Bに成立するのは、窃盗罪1罪だけです。盗品等の罪は別に成立しないので、二つの罪をどう数えるか、という問題自体が起きません。共同正犯も同じです。BとEが、二人で共同して盗みを実行しました。Eが後で、Bの手元から腕時計を預かって運んでも、Eに盗品等の罪はありません。共同正犯は、自ら本犯を実行した正犯です。Bと同じ立場だからです。境目に注意してください。Cが、盗みをそそのかしただけなら、教唆です。実行を共同したのなら、共同正犯です。前者は次に見るとおり、盗品等の罪が成立します。後者は成立しません。

盗みをそそのかした人

盗んでこい、買ってやる 図:盗んでこい、買ってやる

四つ目です。Cが、Bに「盗んでこい、買ってやる」とそそのかしました。Bは盗み、Cはその腕時計を買い取りました。Cには何罪が成立するでしょうか。窃盗教唆罪と、盗品等有償譲受け罪の、両方が成立します。そして、二つの罪は併合罪です。判例は、吸収を否定しました。読みます。

判例最高裁判所第二小法廷判決(昭和24年7月30日)

吸収されない 窃盗教唆罪と賍物牙保罪とは別個独立の犯罪であるから同一人が「窃取して来れば売却してやる」と言つて他人に対し窃盗を教唆し且つその賍物の売却を周旋して牙保をしたときでも、それは窃盗教唆と賍物牙保の二罪が成立するのであつて後者が前者に吸収さるべきものではない

牙保とは、あっせんのことです。窃盗教唆と、盗品等の罪は、別個独立の犯罪です。だから二罪が成立し、後者が前者に吸収されることはない、と判示しています。では、牽連犯ではないのでしょうか。手段と結果の関係にありそうです。買うために、盗みをそそのかしたのですから。これも判例が答えています。

判例最高裁判所第二小法廷判決(昭和25年11月10日)

牽連犯にならない 刑法第五四条後段の牽連犯が成立するためにはある犯罪と他の犯罪との間に通常手段又は結果の関係があることが必要であつて、被告人が主観的にある犯罪を他の犯罪の手段として行つたということだけでは足りないのである。そうして窃盜教唆と賍物故買との間には通常手段又は結果の関係はないのであるから、被告人が賍物故買の手段として窃盜教唆を行つたものであつても牽連犯にあたるものでなく両者は併合罪の関係に立つものというべき

牽連犯には、客観的に、通常、手段と結果の関係があることが要りました。買うつもりでそそのかした、という本人の主観だけでは足りません。窃盗教唆と盗品等の罪の間には、通常の手段と結果の関係がないので、牽連犯ではなく、併合罪です。罪数の回で、牽連犯にならない例として挙げた、窃盗の教唆と盗品の有償譲受けが、まさにこの場面です。違いは処断刑に出ます。牽連犯なら科刑上一罪で、最も重い刑1つで処断します。併合罪なら、最も重い罪の刑の長期が加重されるので、より重くなりえます。幇助も同じ扱いです。Cが、Bの盗みを見張りで手伝い、後日、腕時計を買い取ったなら、窃盗幇助と有償譲受けの併合罪になります。ただし、判例が扱った事案は教唆で、幇助は通説の理解です。なぜ、本犯者のBとは扱いが違うのでしょうか。理由は追求権にあります。Bは、自分で盗んだので、その後の処理は盗みの中で評価済みです。ところが、教唆者や幇助者は、自分では盗んでいません。その物を後から受け取る行為は、盗みへの関与とは別に、Aさんの取り戻しを難しくする、新しい侵害を生みます。だから、別の罪として成立します。1問です。Bが、そそのかされずに自分で盗み、自分で保管したら、何罪ですか? Cがそそのかして盗ませ、買ったら、何罪ですか? 二つの違いを一言で答えてください。

ここは論文で論点になりうるところです。

257条——なぜ刑を免除するのか

刑法257条 図:刑法257条

後半に入ります。物差しを持ち替えます。なぜ刑を免除するのか、です。条文を読みます。

条文刑法257条

刑法257条(親族等の間の犯罪に関する特例) 配偶者との間又は直系血族、同居の親族若しくはこれらの者の配偶者との間で前条の罪を犯した者は、その刑を免除する。 2 前項の規定は、親族でない共犯については、適用しない。

1項は、前条、つまり256条の、盗品等に関する罪を犯した者が、配偶者との間、または、直系血族、同居の親族、これらの者の配偶者との間で犯した場合に、その刑を免除する、という規定です。これらの者の配偶者には、例えば、息子の妻が入ります。免除は、できる、ではなく、免除する、です。必ず免除されるので、必要的免除と呼びます。2項は、親族でない共犯には、1項を適用しない、という規定です。なぜ免除するのでしょうか。盗品等に関する罪は、本犯を事後に助ける性格を持っています。本犯者が親族なら、かばいたい、助けたい、という情が働きます。その情から手を貸した人を、他人と同じに責めるのは酷です。盗品に手を貸さない、という適法な行為を選ぶことを、期待しにくくなるからです。期待可能性が減る、つまり責任が減る、ということです。期待可能性は、責任の回で見たとおりです。責任の回で見た105条は、期待可能性が乏しい程度なので、免除することができる、と裁判所に委ねる書き方でした。257条は、同じ期待可能性の考え方でも、条文が、免除する、と言い切った、強い側の書き方です。免除されても、罪が成立しなくなるわけではありません。犯罪は成立し、刑だけが免除されます。

親族関係は、誰と誰の間か

母と息子の線 図:母と息子の線

244条の復習です。親族相盗例の親族関係は、窃盗犯人と、だれとの間に必要でしたか?窃盗犯人と、占有者と所有者の、両方との間に必要でした。では257条は、だれとだれの間でしょうか。趣旨から考えます。かばう情が向かう先は、本犯者です。被害者のAさんではありません。だから、親族関係が必要なのは、本犯者のBと、盗品等の罪を犯した人の間です。それで足ります。冒頭の設例に戻ります。CがBの母親で、Aさんは赤の他人でも、Cの盗品等の罪は免除の対象になります。条文と趣旨からは、被害者との関係は問いません。判例もこの結論です。読みます。

判例最高裁判所第二小法廷決定(昭和38年11月8日)

本犯と賍物に関する犯人との間 なお刑法二五七条一項は、本犯と賍物に関する犯人との間に同条項所定の関係がある場合に、賍物に関する犯人の刑を免除する旨を規定したものであるから、原判決が、たとい賍物に関する犯人相互の間に右所定の配偶者たる関係があつてもその刑を免除すべきでない旨を判示したのは正当である

判旨が言っているのは、本犯と盗品等の犯人の間に関係がある場合に免除する、ということです。そして、盗品等の罪の犯人どうしが夫婦であっても、免除すべきでないとした判断を、正当としています。射程は、犯人相互の親族関係では免除しない、というところまでです。

犯人どうしが夫婦でも 図:犯人どうしが夫婦でも

設例です。CとFが夫婦で、二人で腕時計を運搬しました。本犯者のBと、二人の間に親族関係はありません。この場合、夫婦であっても、免除されません。かばう相手のBとの関係がないからです。2項も見ておきます。Bの母のCと共同して腕時計を運搬した、Bと親族でないGがいたとします。Gには免除は及びません。免除されるのは、親族のCだけです。責任の減少は、人ごとに判断するからです。ここは論文で論点になりうるところです。

244条との違い——趣旨から説明する

244条と257条の違い 図:244条と257条の違い

最後に、244条と並べます。244条は、法は家庭に入らず、という考え方でした。配偶者、直系血族、同居の親族との間なら、1項で刑を免除し、それ以外の遠い親族との間なら、2項で、告訴がなければ起訴できない、という2段構えでした。257条は、本犯者をかばう情から、期待可能性が減る、という考え方です。趣旨が違います。そして、趣旨が違うので、誰と誰の関係か、範囲、効果が、すべてずれます。誰と誰の関係か。244条は、家庭の中の財産のもめごとに、国家が立ち入らない、という考え方です。そのため、窃盗犯人と、被害者側の占有者、所有者の、双方との間に親族関係が必要でした。257条は、かばう情です。かばう対象は本犯者なので、本犯者との間で見ます。被害者は他人で構いません。範囲。257条は、これらの者の配偶者まで入ります。例えば、本犯者の息子の妻です。かばう情は、家族として近い、こうした人にも働きうる、と読めます。その一方で、244条の2項のような、遠い親族の規定はありません。遠い親族には、257条の特例は働きません。効果。244条は、遠い親族については、告訴がなければ公訴提起できません。家庭内の問題なので、遠い親族どうしは、被害者の意思に任せる、という考え方です。257条には、告訴の定めがありません。被害者は他人であり、免除するかどうかを被害者の意思に委ねる理由がないからだ、と趣旨からは読めます。共犯は同じです。どちらも、親族でない共犯には、特例が及びません。244条は、その人だけに関わる事情だから、257条は、責任の減少が人ごとだから、でした。理由の言い方は違いますが、どちらも人ごとに見る、という点でそろいます。

なお、盗品等に関する罪の外側には、マネー・ローンダリングの規制もあります。犯罪収益の隠匿や収受を処罰する、組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律。そして、取引時の確認などを定める、犯罪による収益の移転防止に関する法律です。

今日の地図(保存版)

二本の物差しで解く、盗品等の罪② 図:二本の物差しで解く、盗品等の罪②

まとめます。冒頭の二つの疑問の答えです。1つ目。盗品と知らずに預かり、後で知ってなお預かり続けた場合。判例は、知った以後の保管の継続に、保管罪の成立を認めます。持ち続けることも、追求権を難しくし続け、本犯を事後に助け続けるからです。ただし、判旨は、本犯のために保管を継続するとき、と述べています。2つ目。母親が息子をかばった場合。257条により、刑は必ず免除されます。かばう情から、期待可能性が減り、責任が減るからです。故意は、盗品かもしれないと思い、それでも構わない、という未必の故意で足ります。本犯の詳細まで知る必要はありません。他の罪との関係です。あっせん者が、事情を知らない買主から代金を受け取っても、詐欺は別に成立しません。持っている人を脅して交付させたなら、恐喝罪と無償譲受け罪の観念的競合です。本犯者自身と、その共同正犯には、盗品等の罪は成立しません。不可罰的事後行為です。盗みをそそのかした人、手助けした人には成立し、併合罪です。

免除の趣旨で解く、盗品等の罪② 図:免除の趣旨で解く、盗品等の罪②

257条です。親族関係は、本犯者と、盗品等の罪を犯した人の間に必要です。被害者との関係は問いません。判例は、犯人どうしが夫婦でも免除しないとしました。2項により、免除は、親族でない共犯には及びません。244条とは、趣旨が違うので、誰と誰の関係か、範囲、効果が、すべてずれます。

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#158単独ページ動画

毀棄・損壊の罪の「損壊」の意義・文書毀棄・建造物損壊

第16章 個人的法益⑤|財産に対する罪②(詐欺・恐喝・横領・背任・盗品・毀棄) ⑳/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

壊れていないのに、損壊?

二つの問い・自分の申請書と公園のトイレ 図:二つの問い・自分の申請書と公園のトイレ

不法領得の意思の回で出した、隣人の表札を川に投げ捨てる設例を、覚えていますか。奪って自分の得にしようとしたわけではないので、窃盗罪ではなく、器物損壊罪の範囲に落ちる、という話でした。今日は、その壊す側の罪の中身に入ります。問いを二つ出します。一つ目。自分で書いた申請書を役所に出し、その後、窓口で取り返して破りました。自分で書いた紙です。罪になるでしょうか。なるなら、何年以下の刑でしょうか。二つ目。公園のトイレの外壁に、スプレーで大きく落書きをしました。壁は1ミリも壊れていません。それでも、建造物を損壊した罪になるでしょうか。

どちらも、直感と結論が逆になります。答えを決める物差しは1本だけです。その物の効用、つまり、その物が本来の役目を果たせること。今日は、この1本で全部解きます。

毀棄・損壊の罪とは

毀棄及び隠匿の罪の位置 図:毀棄及び隠匿の罪の位置

刑法の第40章は、毀棄及び隠匿の罪です。258条から264条まで並んでいます。今日はこのうち、258条、259条、260条を扱います。残りの条文は、次の回にまわします。この罪は、財産犯のうち、自分の物にする意思がない罪です。不法領得の意思を欠く、と言います。以前に見た、権利者排除意思と利用処分意思のうち、特に利用処分意思がありません。物を経済的用法に従って利用または処分する気がない、ということです。なぜ軽いのでしょうか。窃盗は、奪って自分の得にしようとする動機、つまり利欲犯的な性格があるから重い、という説明でした。ただ壊す、ただ隠すだけの行為には、この動機がありません。窃盗は10年以下なのに、器物損壊は3年以下です。この差が出るのは、そのためです。壊された物は、取り戻しても元には戻りません。それでも刑が軽いのは、損害の大きさではなく、この動機の有無で線が引かれているからです。

預かっている他人の物を、腹いせに壊したらどうなりますか。自分の物にする気はないので、毀棄罪でしょうか。そこが注意点です。自分が占有を預かった他人の物を捨てたり壊したりすると、横領罪になりえます。横領の回で見たとおり、判例は、横領の不法領得の意思には、利用処分意思を要しない、としています。預かった信頼を裏切る点は、使った場合と変わらないからです。預かった腕時計を川に捨てても、横領です。つまり、分かれ目は、壊す前にその物を預かっていたかどうかです。預かった人が捨てれば、任された物に、所有者でなければできない扱いをしたことになります。そこが、ただ壊すだけの人との違いです。毀棄罪が働く典型は、他人が占有している物を壊す場面や、占有を取らずに壊す場面です。壊すからといって、いつも毀棄罪とは限りません。

「毀棄」「損壊」の意義——効用を害する

物理的損壊説と効用侵害説の違い 図:物理的損壊説と効用侵害説の違い

毀棄と損壊の意味から決めます。条文には「毀棄」や「損壊」とだけ書かれていて、意味は書かれていません。判例と通説の答えを、先に示します。

⭐ 論文で書く規範:【規範】毀棄・損壊の意義 毀棄・損壊とは、物理的に損壊する場合に限らず、物の効用を害する一切の行為をいう。隠匿も、毀棄に含まれる。 (規範(判例・通説の定義)——効用侵害説)

これを効用侵害説といいます。効用とは、その物が本来の役目を果たせること、です。時計なら、時を知らせること。時計は壊れていなくても、電池を抜けば、役目は果たせません。効用が害された、といえます。対立するのが物理的損壊説です。物の形を変える、なくす、つまり物理的に壊すことだけが毀棄・損壊だ、という立場です。この立場では、隠したり汚したりは含まれません。効用侵害説の理由は二つあります。一つ目は、財産としての価値は、使えることにある、という点です。例えば、他人のノートパソコンを、持ち主が絶対に見つけられない山奥に置いてきたとします。パソコンは無傷ですが、持ち主はもう使えません。壊された場合と、持ち主が受ける損害は同じです。二つ目は、物理的損壊に限ると、隠す行為や汚す行為が漏れる、という点です。守るべき利益は使えることなので、使えなくする行為は、同じ扱いにするのが自然です。物理的損壊説からは、処罰範囲が広がりすぎる、という批判が出ます。これに対して、効用侵害説も、何でも入るわけではありません。効用を害する、つまり使えなくなる、という限定があります。物に触れただけ、少し汚しただけで、使い方に支障がなければ入りません。この限定は、あとの限界事例で確かめます。隠す行為が窃盗と違う点も、確認しておきます。窃盗は、自分の得にしようとする意思があります。隠して使えなくするだけで、自分の得にする気がなければ、窃盗ではなく毀棄です。

用語です。文書には毀棄、建造物や物には損壊、動物には傷害、という言葉が使われます。客体で言葉を使い分けているだけで、中身は同じです。物の効用を害する、という一点です。1問です。他人の契約書を、破らずに、書棚の裏に落として、取り出せないようにしました。紙は1枚も破れていません。毀棄にあたるでしょうか?破っていなくても、契約書として使えなくしているので、効用を害しています。隠匿も毀棄に含まれるので、毀棄にあたります。

公用文書等毀棄罪——258条

刑法258条 図:刑法258条

文書から見ます。最初は、公務所で使っている文書を守る条文です。

条文刑法258条

刑法258条(公用文書等毀棄) 公務所の用に供する文書又は電磁的記録を毀棄した者は、三月以上七年以下の拘禁刑に処する。

公務所の用に供する文書、または電磁的記録を毀棄した者は、3か月以上7年以下の拘禁刑です。公務所とは、官公庁など、公務員が職務を行う所です。電磁的記録は、以前に業務妨害の回で見たとおり、紙ではなく、データの形の記録です。紙だけでなく、データも守られます。同じ回で見たとおり、記録そのものを使えなくすれば文書毀棄、コンピューターへの加害で業務を妨げれば234条の2です。「公務所の用に供する文書」とは何でしょうか。判例はこう言います。公務所において現に使用し、または使用に供する目的で保管している文書を総称する、と。作成者や作成の目的は関係ありません。

自分の申請書でも 図:自分の申請書でも

冒頭の一つ目です。Aさんは、自分で申請書を書いて、役所に出しました。役所が受け取って保管し、事務に使っています。この時点で、その申請書は、公務所の用に供する文書です。作ったのは私人のAさんですが、関係ありません。258条には、他人の、という限定がありません。誰が書いたかも、誰の物かも、要件ではありません。自分で書いた申請書でも、役所が使っている以上、Aさんは、もう自由に破れません。窓口で取り返して破れば、公用文書等毀棄罪で、3か月以上7年以下の拘禁刑です。冒頭の一つ目の答えは、7年以下です。公文書と公用文書は、別の概念です。公文書は、文書偽造の罪の言葉で、公務員が職務上作った文書、という作成者の側から決まります。公用文書は、作成者を問わず、公務所が使っている、という使われ方の側から決まります。市役所が保管する私人の申請書は、私文書ですが、公用文書です。公文書の定義そのものは、文書偽造の罪の回で扱います。判例を一つ見ます。国鉄の駅の助役が、白墨で列車の遅れのお詫びを書いた急告板を、待合室に掲示しました。それを外して、文字を黒板拭きで消した事件です。原審は、何かを証明するための文書ではないとして、器物損壊にしました。最高裁は、258条としました。お知らせの掲示も、駅の仕事に使われている文書です。何かを証明する文書でなくても、公務所が使っていれば足ります。作成の途中でも保護されます。取調べで、捜査官が被疑者の言い分を書き取っている途中の弁解録取書を、被疑者がひったくって破った事件があります。最高裁は、作成中でも、文書としての意味と内容を備えるに至っていれば客体になる、としました。書きかけでも、意味と内容が備われば、公務所はもうそれを使えます。使える物を壊せば、効用が害されます。さらに、違法な取調べの中で作られていた供述録取書、つまり取調べで話した内容を書き取った書面が、客体になるかが争われた事件があります。読みます。

判例最高裁判所第一小法廷判決(昭和57年6月24日)

違法な手続で作られつつあった文書 同条にいう公務所の用に供する文書とは、公務所において現に使用し又は使用に供する目的で保管している文書を総称するものであつて …… 本件供述録取書のように、これを完成させるために用いられた手段方法がたまたま違法とされるものであつても、原判示のように既にそれが文書としての意味、内容を備えるに至つている以上、将来これを公務所において適法に使用することが予想されなくはなく、そのような場合に備えて公務所が保管すべきものであるというべきであり、このような文書も刑法二五八条にいう公務所の用に供する文書にあたるものと解するのが相当だからである。

第一審は258条の罪を認めましたが、控訴審は、違法な手続で作られる文書は保護に値しない、として無罪にしました。最高裁は、この控訴審の判決を破棄しました。理由は、その文書が、既に文書としての意味と内容を備えているなら、将来、適法に使われる可能性があり、そのときに備えて公務所が保管すべき物だから、です。文書を作る手続の適法性ではなく、公務所が保管して使うものかどうか、で見ています。下限が3か月と、他の毀棄の罪より重いことにも意味があります。公務で使っている文書を壊すことは、単なる文書の損害にとどまらず、公務の遂行を妨げる面も持つから、と説明されます。公務所の文書が使えなくなると、困るのは持ち主一人ではなく、その文書で進むはずだった役所の仕事全体です。だから、同じ効用の害でも、刑が重くなっています。

私用文書等毀棄罪——259条

刑法259条 図:刑法259条

次は、公務所とは関係のない、私人どうしの文書です。

条文刑法259条

刑法259条(私用文書等毀棄) 権利又は義務に関する他人の文書又は電磁的記録を毀棄した者は、五年以下の拘禁刑に処する。

権利、または義務に関する他人の文書、または電磁的記録を毀棄した者は、5年以下の拘禁刑です。258条と違って、下限がありません。権利義務に関する文書とは、権利や義務の存在、発生、変更、消滅を証明する文書です。借用証書、契約書、領収書がその例です。これがなくなると、誰が誰にいくら請求できるのか、証明できなくなります。守る対象は、こうした証拠としての効用です。履歴書や転居届のように、単に事実を証明するだけの文書は、権利義務に関する文書ではありません。259条の客体にはなりません。私人が作る文書の偽造、つまり私文書偽造は、事実証明に関する文書まで守りますが、259条は、権利義務に関する文書に絞っています。この違いの本体も、文書偽造の罪の回で扱います。「他人の」というのは、持ち主が自分以外の人だ、ということです。作った人ではなく、持ち主で決まります。自分の物であっても、差押えを受けているなどの事情があれば、客体になる特例がありますが、それは次の回で扱います。259条は、親告罪です。告訴がなければ、公訴を提起できません。壊されたのは私人どうしの文書で、困るのは主に持ち主一人です。だから、処罰を求めるかどうかを、まず被害者の意思に任せている、と考えられています。258条は、役所の仕事全体が妨げられるので、告訴がなくても起訴できます。親告罪の範囲全体は、次の回で整理します。

文書の棲み分け

文書を振り分ける順序 図:文書を振り分ける順序

文書の振り分けは、順番に見ていきます。最初に、公務所で使っている文書かどうか。はいなら258条です。違うなら、権利義務に関する他人の文書かどうか。はいなら259条です。どちらでもなければ、ただの他人の物として、器物損壊罪です。これは次の回で扱います。例です。役所が保管している私人の申請書は、最初の問いの答えが「はい」なので、258条です。他人が持っている借用証書は、二つ目の問いの答えが「はい」なので、259条です。他人が持っている履歴書は、どちらでもないので、器物損壊です。さきほどの駅の急告板が、器物損壊ではなく258条になる理由も、この順序で説明できます。

先に権利義務を見ても、結論が同じになる場面はあります。ただ、公務所の文書は、権利義務に関するかどうかを問わず、258条の対象です。先に権利義務を見ると、急告板のような文書を取り落とします。広い方、258条から見るのが安全です。

建造物等損壊罪——260条と建造物の一体性

刑法260条 図:刑法260条

三つ目は、建造物を守る罪です。条文を読みます。

条文刑法260条

刑法260条(建造物等損壊及び同致死傷) 他人の建造物又は艦船を損壊した者は、五年以下の拘禁刑に処する。よって人を死傷させた者は、傷害の罪と比較して、重い刑により処断する。

他人の建造物、または艦船を損壊した者は、5年以下の拘禁刑です。後段には、致死傷の規定がありますが、それは最後に見ます。建造物とは、家屋その他これに類似する建築物のことです。一般には、屋根があり、壁や柱で支えられ、土地に定着していて、人が出入りできるもの、と説明されます。艦船は、軍艦と船舶です。他人のとは、持ち主が自分以外であること、をいいます。自分の物の特例は次の回で扱います。建造物として扱うかどうかは、刑にも影響します。建造物損壊は5年以下で、告訴は不要です。器物損壊は3年以下で、告訴が要ります。建物に付いている物を壊したとき、その物が建物の一部なら260条、ただの物なら器物損壊になります。この線引きが、争われるのです。玄関ドアの事件で、判例が枠組みを示しました。まず事案です。5階建ての市営住宅の1階の玄関ドアを、金属バットで叩いて、凹ませました。ドアは金属製の開き戸で、3個のちょうつがいで、外枠に固定されていました。修繕の見積りは2万5000円でした。読みます。

判例最高裁判所第一小法廷決定(平成19年3月20日)

建造物に取り付けられた物の一体性 建造物に取り付けられた物が建造物損壊罪の客体に当たるか否かは,当該物と建造物との接合の程度のほか,当該物の建造物における機能上の重要性をも総合考慮して決すべきものであるところ, …… 本件ドアは,住居の玄関ドアとして外壁と接続し,外界とのしゃ断,防犯,防風,防音等の重要な役割を果たしているから,建造物損壊罪の客体に当たるものと認められ,適切な工具を使用すれば損壊せずに同ドアの取り外しが可能であるとしても,この結論は左右されない。

建物と玄関ドアの結びつき 図:建物と玄関ドアの結びつき

判旨は、二つの要素を総合して考える、としています。一つ目は、その物と建造物との接合の程度。二つ目は、その物の建造物における機能上の重要性。ドアは、外壁とつながり、外界とのしゃ断、防犯、防風、防音という、住居として欠かせない役割を果たしています。だから建造物の一部です。ドアは、工具を使えば取り外せますよね。それでも建造物の一部になるのですか。なります。判旨の最後の一文がそれです。適切な工具を使えば、損壊せずに取り外せるとしても、結論は左右されない、と言っています。取り外せるかどうかだけで決めるのではなく、建物の一部として、実際にどんな役目を担っているか、で決めるのです。役目が重ければ、簡単に外せても建物の一部です。逆側も押さえます。建物に置いてあるだけの物や、簡単に取り外して別の場所でも使う物のように、接合が弱く、建物での機能も重要でない物は、建造物の一部とはいえません。壊せば、器物損壊の側です。判例が線を引く言葉は、接合の程度と機能上の重要性の二つです。1問です。玄関ドアを叩いて凹ませました。ドアは取り外せる作りです。建造物損壊でしょうか、器物損壊でしょうか?

取り外せるかどうかだけでは決まりません。外壁と接続し、防犯や防音の重要な役割もあるので、建造物損壊罪の客体に当たります。ここは論文で論点になりうるところです。

「損壊」とは——壊れていなくても

壊れていなくても損壊になる例 図:壊れていなくても損壊になる例

冒頭の二つ目に戻ります。壁が壊れていなくても、損壊といえるのか。効用侵害説の考え方が、建造物にも当てはまります。建造物の損壊とは、建造物の効用を害する一切の行為です。壊れたかではなく、使えるかどうか、を見ます。判例を二つ読みます。最初は、ビラです。労働組合員が、公社の通信局の庁舎の壁、窓ガラス、扉、シャッターなどに、要求事項を書いたビラを、糊で貼りました。1回に約400枚ないし500枚から、約2500枚で、同じ場所の一面に、数枚から数百枚を、びっしり集中して貼っています。

判例最高裁判所第三小法廷決定(昭和41年6月10日)

ビラの多数貼付 ビラの枚数が一回に約四、五百枚ないし約二五〇〇枚という多数であり、貼付方法が同一場所一面に数枚、数十枚または数百枚を密接集中させて貼付したこと等原審の認定した事実関係のもとにおいては、右建造物の効用を減損するものと認められるから、刑法二六〇条にいう建造物の損壊に該当するとした原審の判断は、正当である。

判旨は、多数であること、密接集中して貼ったことを挙げて、建造物の効用を減損するので、損壊に当たる、と言っています。壁が壊れたかではなく、庁舎として使う上で支障が出たか、という見方です。二つ目は、冒頭の落書きの判例です。区立公園の公衆便所の白い外壁に、ラッカーのスプレーで、赤と黒のペンキを吹き付けました。反戦の文言などを、大きく書いたのです。読みます。

判例最高裁判所第三小法廷決定(平成18年1月17日)

公衆便所の外壁への落書き 以上の事実関係の下では,本件落書き行為は,本件建物の外観ないし美観を著しく汚損し,原状回復に相当の困難を生じさせたものであって,その効用を減損させたものというべきであるから,刑法260条前段にいう「損壊」に当たると解するのが相当であり,これと同旨の原判断は正当である。

判文が認定した事実には、従前と比べて不体裁で異様な外観になった、利用する人に抵抗感や不快感を与えかねない、管理者が一般の利用に供し続けるのは困難と判断した、というものがあります。さらに、水道水や洗剤では消えず、シンナーでも完全には消えず、完全に消すには再塗装が必要で、約7万円かかりました。だから、原状回復に相当の困難がある、という判断です。冒頭の二つ目の答えは、建造物損壊罪になる、です。5年以下です。壊れたかではなく、利用に支障が出たかで見ています。二つの判例に共通するのは、壁が壊れたかではなく、建物として使う上での支障で、効用の減損を認めている点です。落書きの判例では、利用への抵抗感や、そのまま利用に供し続ける困難さまで認定されています。逆側の線も確認します。判旨は、多数、密接集中、著しく、相当の困難、という限定の言葉を使っています。少数のビラ、簡単に剥がせる貼り紙、容易に消せる落書きは、効用を減損したとはいえず、損壊にならない方向です。ただし、何枚から、いくらからという数値の基準は、判例にありません。事案ごとに、利用への支障の大きさで見ます。落書きの判例には、疑問も出されています。美観や外観は、建物の効用に含まれるのか。文化財でもない公園のトイレで、効用が害されたと言えるのか、という疑問です。判例の立場は、判文のとおり、美観の汚損に加えて、利用への抵抗感や、原状回復の困難を認定して、効用の減損としたものです。批判は、美観を効用と見ることへの疑問として出されている、という位置づけです。ここは論文で論点になりうるところです。

建造物等損壊致死傷

260条後段の法定刑 図:260条後段の法定刑

最後は、260条の後段です。「傷害の罪と比較して、重い刑により処断する」と書かれています。数字は、以前に見た比べ方で出します。1問です。遺棄の罪の回を思い出してください。傷害の罪と比較して、重い刑とは、上限と下限をどう比べるのでしたか?上限どうし、下限どうしを別々に比べて、それぞれ重い方を採ります。建造物損壊の基本の刑と、傷害の罪を比べます。260条前段は5年以下としか書いていないので、下限は、有期拘禁刑そのものの下限である1か月です。遺棄の罪の回で見たとおり、傷害罪は1か月以上15年以下、傷害致死罪は3年以上の有期拘禁刑です。人を傷害した場合は、下限はどちらも1か月、上限は傷害罪の15年です。よって、1か月以上15年以下の拘禁刑です。人を死亡させた場合は、傷害致死罪の3年以上の有期拘禁刑が、上限も下限も重いので、それを採ります。3年以上の有期拘禁刑で、上限は20年です。これは結果的加重犯です。建造物を損壊して、その結果として、人が死傷した場合を重く処罰します。死傷という結果について、故意までは要りません。

今日の地図(保存版)

効用の物差しで解く、毀棄・損壊の罪① 図:効用の物差しで解く、毀棄・損壊の罪①

まとめます。冒頭の二つの疑問の答えです。一つ目。自分で書いて役所に出した申請書を、窓口で取り返して破ると、公用文書等毀棄罪です。自分の書いた紙でも、役所が使っていれば、公務所の用に供する文書だからです。刑は3か月以上7年以下の拘禁刑です。二つ目。トイレの外壁への落書きは、壁が壊れていなくても、建造物損壊罪になりえます。外観を著しく汚し、原状回復が難しく、利用に支障が出て、効用が減損したといえるからです。刑は5年以下の拘禁刑です。毀棄・損壊とは、物の効用を害する一切の行為です。隠すことも入ります。この物差しで、三つの条文の守る物が分かれます。258条は、公務所が使っている文書です。作成者を問わず、下限は3か月です。259条は、権利義務に関する他人の文書です。事実証明の文書は入りません。親告罪で、5年以下です。260条は、他人の建造物を守ります。建物の一部かどうかは、接合の程度と機能上の重要性で決まり、取り外せても結論は左右されません。損壊は、壊れたかではなく、利用に支障が出たかで決まります。人が死傷したときは、傷害の罪と比較して、重い刑です。致傷は1か月以上15年以下、致死は3年以上、上限は20年です。

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#159単独ページ動画

器物損壊・境界損壊・信書隠匿と毀棄罪の弁別

第16章 個人的法益⑤|財産に対する罪②(詐欺・恐喝・横領・背任・盗品・毀棄) ㉑/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

自分の物を壊して、罪になる?

二つの問い・壊した車と動かした杭 図:二つの問い・壊した車と動かした杭

前回、毀棄や損壊の物差しを決めました。物の効用を害する一切の行為、つまり、その物が本来の役目を果たせなくなることです。今日は、この物差しで、毀棄及び隠匿の罪の残りを見ます。問いを二つ出します。一つ目。Aさんは、借金の返済が滞り、自分の車を差押えられました。その後、腹立ちまぎれに、自分の手で車を壊して、動かなくしました。自分の物を壊しただけです。罪になるでしょうか。二つ目。隣の土地との境に、安物の杭が打ってあります。この杭を、こっそり数メートル、隣の側へ動かしました。杭は1本も壊れていませんし、値打ちも小さい杭です。器物損壊罪は、3年以下で、告訴が要ります。それと比べて、この行為は軽いでしょうか、重いでしょうか。

どちらも、直感の逆になります。ヒントだけ出します。どちらの場面でも、守られているのは「物」そのものではありません。その物に乗っている、他人の権利です。今日はこの1本の筋で、条文を順に並べていきます。

毀棄及び隠匿の罪の全体

258〜264条を「守るもの」で並べる 図:258〜264条を「守るもの」で並べる

刑法の第40章、毀棄及び隠匿の罪を、守るものの違いで並べます。前回見た258条、259条、260条は、公務所の文書、権利義務の文書、建造物でした。今日の4条は、他人の物すべて、他人の権利が乗っている自分の物、土地の権利関係、信書、です。264条は、どの罪が親告罪かを決める規定です。前回の物差しを、一言で呼び戻します。壊すか、隠すか、汚すか、方法は問いません。その物が本来の役目を果たせなくなれば、損壊です。今日の条文でも、この意味のまま使います。

器物損壊罪——261条

刑法261条 図:刑法261条

まず、原則規定の261条です。条文を読みます。

条文刑法261条

刑法261条(器物損壊等) 前三条に規定するもののほか、他人の物を損壊し、又は傷害した者は、三年以下の拘禁刑又は三十万円以下の罰金若しくは科料に処する。

前の三条、つまり258条、259条、260条に規定するもののほか、他人の物を損壊し、または傷害した者は、3年以下の拘禁刑、30万円以下の罰金、または科料です。位置づけは、こうです。文書と建造物は、前回見た258条から260条が先に拾います。そこから漏れた他人の物は、すべてここに入ります。だから、毀棄・隠匿の罪の原則規定であり、試験でも最も出やすい条文です。前回の文書の振り分けで、最後に残った出口は、この261条でした。「他人の物」の「他人の」は、その物が他人の所有に属する、ということです。占有ではなく、所有で見ます。行為は、損壊または傷害です。損壊の意味は前回のとおりです。動物の場合は傷害と呼びますが、中身は同じで、動物の効用を害する行為です。殺したり傷つけたりする場合に限りません。壊れていなくても損壊になる場面を、三つの型で押さえます。

損壊の3類型 図:損壊の3類型

一つ目は、心理的に使えなくする型です。他人が使う湯のみに、放尿したとします。洗えば、物としては使えます。しかし、そのあとで、その湯のみに口を付けたいと思う人は、まずいません。感情のうえで、使えなくなっています。物の効用は、物理的に使えるかだけでなく、普通の人が普通に使えるか、でも見ます。二つ目は、持ち主の手の届かないところへ出してしまう型です。他人が魚を養殖している池の水門を開けて、魚を川へ流したとします。魚は、死んでもいませんし、傷ついてもいません。でも、持ち主は、魚を捕まえて売ることができなくなりました。魚は動物なので、この場合は「傷害」と呼びます。殺傷でなくても、傷害です。三つ目は、隠匿です。同僚が作業で使っている道具を、資材庫の奥に隠したとします。道具は無傷ですが、同僚は使えません。物を壊さなくても、使えなくすれば損壊です。1問です。隠した行為は、窃盗にもなりえます。窃盗と261条は、何で分かれるのでしたか?

隠すときに、あとで売ったり、自分で使ったりするつもりなら、利用処分意思があるので窃盗です。もっぱら隠して使えなくするだけなら、利用処分意思がないので、261条です。ここで、刑の重さも確認します。窃盗は10年以下の拘禁刑、または50万円以下の罰金です。261条は3年以下です。ずっと軽いのは、自分の得にしようとする動機、つまり利欲犯的な性格がないからでした。261条は、親告罪です。告訴がなければ、公訴を提起できません。範囲の全体は、264条のところでまとめます。

自己の物の損壊等——262条

刑法262条・4つの状態 図:刑法262条・4つの状態

冒頭の一つ目に入ります。自分の物を壊して、罪になるのか。条文です。

条文刑法262条

刑法262条(自己の物の損壊等) 自己の物であっても、差押えを受け、物権を負担し、賃貸し、又は配偶者居住権が設定されたものを損壊し、又は傷害したときは、前三条の例による。

自己の物であっても、差押えを受け、物権を負担し、賃貸し、または配偶者居住権が設定されたものを、損壊し、または傷害したときは、前三条の例による、です。前三条とは、259条、260条、261条のことです。条文の「例による」は、その三条の罪と同じ扱いで処罰する、という意味です。自分の物でも、他人の物を壊した場合と同じ罪と刑になります。たとえば、差押えを受けた自分の建造物を壊せば、260条の例によって、5年以下です。ふつうの自分の物なら、261条の例により3年以下です。258条が入っていないのは、258条にはもともと「他人の」という限定がなく、自分の書いた文書でも客体になるからです。前回見たとおり、自分で書いて役所に出した申請書でも、破れば258条です。だから、自分の物の特例に入れる必要がありません。4つの状態を、順に見ます。差押えは、債権者が、債務者の物を、強制的に押さえた状態です。物権を負担するとは、抵当権や質権など、その物に他人の権利が付いていることです。賃貸は、貸している状態です。配偶者居住権は、相続のとき、亡くなった配偶者の家に、残された配偶者が住み続けられる権利で、設定されていると、この条文の客体になります。ここで、混同しやすい点があります。保険に付した物は、262条には入りません。自分の家に保険をかけ、燃やしたときの特例は、放火の条文にあります。それは、公共の危険に対する罪の回で扱います。

差押えを受けた車 図:差押えを受けた車

冒頭の一つ目です。車の持ち主は、A。債権者は、Bです。Aの車は、Bによって差押えを受けています。Bは、車の値打ちから、返済を受けるつもりです。ところが、Aが車を壊して、動かなくしました。すると、Bが返済を受ける道が、消えます。車はAの物ですが、Bの権利が乗っています。だから、262条によって261条の例により、器物損壊罪と同じ扱いになります。3年以下です。差押えを受けていない、ふつうの自分の車なら、壊しても罪になりません。分かれ目は、他人の権利が乗っているかどうかです。なぜ、自分の物なのに処罰されるのですか。その物に、他人の権利が乗っているからです。差押えを受けた物を壊せば債権者の回収を害し、賃貸中の物を壊せば借り手の使う権利を害し、抵当権付きの物を壊せば担保の価値を害します。この条文は、他人の権利がある物の処分を制限する趣旨だと、説明されています。同じ発想の規定を、すでに見ています。窃盗の242条は、自分の物でも、他人が占有しているなら、他人の物とみなします。横領の252条2項は、自分の物でも、公務所から保管を命じられていれば、客体にします。自分の物でも、他人の権利や利益が乗っていれば、客体にする。262条も、同じ考えです。親告罪かどうかは、例にした条文に従います。「例による」以上、259条や261条の例による場面は親告罪のままです。260条の例による場面は、告訴が不要のままです。

境界損壊罪——262条の2

刑法262条の2 図:刑法262条の2

冒頭の二つ目です。条文を読みます。

条文刑法262条の2

刑法262条の2(境界損壊) 境界標を損壊し、移動し、若しくは除去し、又はその他の方法により、土地の境界を認識することができないようにした者は、五年以下の拘禁刑又は五十万円以下の罰金に処する。

境界標を損壊し、移動し、もしくは除去し、またはその他の方法により、土地の境界を認識することができないようにした者は、5年以下の拘禁刑か、50万円以下の罰金に処せられます。境界標とは、土地の境目を示す杭や石です。条文に書かれた損壊、移動、除去は、例示です。要は、土地の境界が分からなくなる、あらゆる行為が対象です。杭を抜かずに土を盛って埋める、地形を変えて境目を見えなくする、といった行為も、含まれます。物を壊さなくても成立します。守っているのは、物の効用ではありません。土地の権利関係の明確性です。境界が分からなくなれば、隣どうしで権利がどこまでかを争うことになり、土地の利用も取引も困ります。被害が持ち主一人で終わらず、社会に及びます。だから、5年以下と重く、告訴も要らないと、説明されます。冒頭の二つ目の答えです。杭を数メートル動かした行為は、262条の2です。杭が安物でも、1本も壊れていなくても、器物損壊より重い罪になります。試験での重要度は低い条文ですので、ここでは、この筋だけ押さえてください。

信書隠匿罪——263条

刑法263条 図:刑法263条

三つ目は、信書の隠匿です。その前に、1問です。思い出してください。第14章の最初の回で、信書開封の133条と、263条の隠匿を、見比べました。同じ手紙で、二つを分けるのは何を見る点でしたか?開けたか、隠したか、です。開ければ133条で、隠せば263条です。今日は133条と263条を、表で完全に比べます。まず条文です。

条文刑法263条

刑法263条(信書隠匿) 他人の信書を隠匿した者は、六月以下の拘禁刑又は十万円以下の罰金若しくは科料に処する。

他人の信書を隠匿した者は、6月以下の拘禁刑、10万円以下の罰金、または科料です。信書とは、特定の人から特定の人に対して、自分の意思を伝える文書でした。他人のとは、他人の所有に属する、ということです。行為は、隠匿です。通説的な整理は、こうです。隠匿は、本来、261条の損壊に当たります。それを信書については、器物損壊より軽く処罰する、と定めたのが263条です。法定刑は3年以下から6月以下に下がります。損壊は物理的な損壊に限る、という別の見解もあります。その見解に立つと、隠匿は本来処罰されないので、263条は信書に限って処罰を作る規定になります。前回の物差し、つまり効用を害すれば損壊という判例・通説の立場からは、前者の整理になります。答案も、前者で書けば足ります。

133条と263条の対比 図:133条と263条の対比

対比表です。133条が守るのは、中身を知られない利益で、行為は開封、客体は封をしてある信書です。263条が守るのは、信書の使える状態で、行為は隠匿、客体は封の有無を問わない他人の信書です。法定刑は、133条が1年以下、263条が6月以下と軽く、下がります。どちらも親告罪です。133条は、秘密を守る罪の親告罪を定めた135条、263条は、このあと見る264条が根拠です。

届いた手紙・開けたか、隠したか 図:届いた手紙・開けたか、隠したか

新しい設例です。Aさん宛に、別の人から、手紙が届きました。第三者がそれを見つけて、封をしたまま持ち帰り、読む気も使う気もなく、棚の奥にしまいました。Aさんは、その手紙を受け取れません。信書としての効用が、害されています。これは263条です。同じ手紙で、中を読むために、封を切ったなら、133条です。守っているのは、中身を知られない利益だからです。開封も隠匿もしたなら、罪数の問題になります。

親告罪の範囲——264条

刑法264条 図:刑法264条

最後の条文です。前回、258条は告訴なしで起訴できて、259条は親告罪、と見ました。ここで整理します。

条文刑法264条

刑法264条(親告罪) 第二百五十九条、第二百六十一条及び前条の罪は、告訴がなければ公訴を提起することができない。

259条、261条、および前条、つまり263条の罪は、告訴がなければ、公訴を提起できません。1問です。第40章には、258条、259条、260条、261条、262条の2、263条の罪があります。このうち、告訴が要らない罪は、どれでしょうか?264条に書いてあるのは、259条、261条、263条です。だから、258条、260条、262条の2は、告訴がなくても起訴できます。

親告罪は3つだけ 図:親告罪は3つだけ

暗記は、「3つだけ」で固定します。259条、261条、263条です。この3つは、被害が持ち主個人に閉じるので、処罰を求めるかどうかを被害者の意思に任せていると、考えられています。たとえば、友人に自転車を壊されても、弁償してもらえれば、事を荒立てたくない人もいます。困るのが持ち主一人なら、その人が望まない処罰まで、国が進める必要はありません。逆に、公務所の文書、建造物、土地の境界は、被害が公務や社会に及びます。だから告訴を要しないと、考えられています。262条経由の自己の物も、例にした条文に従います。「例による」以上、259条や261条の例による場面は、親告罪のままです。告訴の効果や期間は、刑事訴訟法の分野ですので、そこで扱います。

財産犯の弁別——意思→占有→対象

弁別の順序 図:弁別の順序

総まとめです。その前に、1問です。不法領得の意思のうち、利用処分意思が無ければ、どの罪の側に入るのでしたか?毀棄・隠匿の罪の側です。自分の物にする気がなく、ただ壊すか隠すだけなので、窃盗などの領得罪にはなりません。この考え方を、順序にします。一段目は、後で自分の物にする、売る、使う意思があるか、です。あれば領得罪、なければ毀棄・隠匿の罪です。二段目は、領得罪の中で、占有で選びます。他人の占有を奪えば、窃盗などの奪取罪、自分が占有を任されている物なら横領です。三段目は、毀棄・隠匿の中で、対象で選びます。公務所の文書は258条、権利義務の他人の文書は259条、建造物は260条、信書は263条、境界は262条の2、それ以外の物は261条です。ただし、この順序の外に置くものが、二つあります。一つ目は、自分が預かっている物です。横領は、所有権とともに、物を預けた人の信頼も守る罪です。その信頼を裏切る点は、使っても壊しても変わりません。だから、預かった物は、壊す、捨てるだけでも横領になり、一段目より先に見ます。前回も、預かった腕時計を川に捨てれば横領、と見ました。二つ目は、背任です。物ではなく、任された事務に背いて、財産上の損害を与える罪で、財産犯の総論の回で、盗品等に関する罪とともに、領得罪か毀棄・隠匿の罪かの二択の外に置きました。6問で試します。各問、意思、占有、対象の順に確認してください。

一問目・隠した工具箱 図:一問目・隠した工具箱

一問目。同僚が作業で使っている工具箱を、困る姿を見たくて、資材庫の奥に隠しました。売る気も、使う気もありません。

一問目・隠した工具箱の答え 図:一問目・隠した工具箱の答え

一問目は、器物損壊罪の261条です。決め手は、売る気も使う気もなく、ただ使えなくしたにとどまる点です。

二問目・売るつもりで隠す 図:二問目・売るつもりで隠す

二問目。同じ工具箱を、ほとぼりが冷めたら中古店で売るつもりで、いったん資材庫の奥に隠し、その日のうちに自宅へ持ち帰りました。

二問目・売るつもりで隠すの答え 図:二問目・売るつもりで隠すの答え

二問目は、窃盗罪です。決め手は、売る気があった点です。同じ隠す行為でも、売る気があれば窃盗、なければ261条に分かれます。

三問目・預かった絵 図:三問目・預かった絵

三問目。友人が展覧会に出すために預けた絵を、口論の腹いせに、自宅で切り裂きました。

三問目・預かった絵の答え 図:三問目・預かった絵の答え

三問目は、横領罪です。決め手は、絵が預かった物である点です。預かった物は、切り裂くだけでも、先に横領を見る場面に入ります。判例も、横領の不法領得の意思には、利用処分意思を要しないとしています。

四問目・管理人の賃貸借 図:四問目・管理人の賃貸借

四問目。賃貸マンションの管理を任された管理人が、オーナーの名義で、オーナーへの恨みから、相場の半額で長期の賃貸借契約を勝手に結びました。

四問目・管理人の賃貸借の答え 図:四問目・管理人の賃貸借の答え

四問目は、背任罪です。決め手は、物への加害ではなく、任された事務に背いた点です。管理人がマンションを預かっていると見ても、オーナーの名義と計算で結んだ、自分の物にする行為ではない背信行為なので、横領にはならず背任です。背任の回で見たとおり、預かった物について領得行為をすれば横領、そうでなければ背任です。

五問目・境界の杭 図:五問目・境界の杭

五問目。隣地との境の杭を、駐車場を広げたくて、こっそり抜いて捨てました。

五問目・境界の杭の答え 図:五問目・境界の杭の答え

五問目は、境界損壊罪の262条の2です。決め手は、売る気ではなく、対象が土地の境界である点で、告訴も要りません。

六問目・届いた手紙 図:六問目・届いた手紙

六問目。元の交際相手宛の手紙が、なぜか手元に届きました。封をしたまま棚にしまった場合と、封を切った場合は、どうなりますか。

六問目・届いた手紙の答え 図:六問目・届いた手紙の答え

封をしたまましまったなら、隠匿で263条です。封を切ったなら、開封で133条です。

誤りやすい組合せ 図:誤りやすい組合せ

誤りやすい組合せを、まとめます。預かった物を壊す、捨てるのは、横領です。もっぱら隠す、使えなくするだけなら、261条です。後で売るつもりで隠すなら、窃盗です。手紙は、開ければ133条、隠せば263条です。ここは論文で論点になりうるところです。

今日の地図(保存版)

毀棄及び隠匿の罪の全体 図:毀棄及び隠匿の罪の全体

まとめます。冒頭の二つの答えです。一つ目。差押えを受けた自分の車を壊して動かなくすれば、262条によって261条の例により、器物損壊罪と同じ扱いになり、3年以下です。車に、債権者の権利が乗っているからです。二つ目。境界の杭を動かせば、262条の2で、5年以下です。安物の杭でも、守っているのは土地の権利関係だからです。告訴は要りません。261条は、258条から260条以外の他人の物すべてを守る原則規定で、隠すことも損壊に入ります。262条は、自分の物でも、差押え、物権負担、賃貸、配偶者居住権があれば、259条から261条の例によります。263条は、信書の隠匿です。133条の開封とは、開けたか、隠したかで分かれます。親告罪は、259条、261条、263条の3つだけです。

財産犯全体の締め 図:財産犯全体の締め

最後に、財産犯全体の締めです。窃盗と、毀棄・隠匿の罪は、利用処分意思の有無で分かれます。預かった物なら横領、任された事務に背けば背任です。意思、占有、対象の順に見れば、条文が選べます。これで、第16章の財産に対する罪は終わりです。

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第17章社会的法益|公共の平穏・取引の安全・風俗

#160単独ページ動画

騒乱罪と多衆不解散罪

第17章 社会的法益|公共の平穏・取引の安全・風俗 ①/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

無人の車を倒す集団と、最後尾の人

二つの問い・倒された車と最後尾の人 図:二つの問い・倒された車と最後尾の人

前回で、第16章の財産に対する罪は終わりました。ここまでの罪は、被害を受ける人が、特定の誰かでした。物を盗まれた持ち主、預けた人、差押えをした債権者です。今日から第17章です。被害を受けるのが、特定の誰かではなく、社会そのものになります。問いを二つ出します。一つ目。何百人もの集団が、人にはいっさい触れずに、路上に止めてあった無人の車を、次々に横転させました。車の持ち主それぞれの器物損壊とは別に、もっと重い罪が成り立つ余地はあるでしょうか。二つ目。その集団の最後尾で、何もせず、一緒に歩いていただけの人がいます。この人も、同じ罪に問われることがあるでしょうか。問われるなら、首謀者と同じ扱いでしょうか。

どちらも、直感とずれます。ヒントだけ出します。この罪が守っているのは、被害を受けた個人ではありません。社会の平穏そのものです。守るものが変わると、条文の作りが、まるごと変わります。今日は、この1本の筋で通します。

個人から社会へ——第17章の地図

第17章の地図・個人から社会へ 図:第17章の地図・個人から社会へ

第17章の地図です。第16章までは、生命、身体、自由、財産と、被害を受けるのは特定の個人か、特定の組織でした。第17章からは、被害を受けるのが、社会、つまり公衆そのものです。同じ暴行という言葉でも、守る対象が変わると、条文の作りが変わります。社会的法益は、大きく3つの層に分かれます。1つ目は、公共の平穏と安全に対する罪で、今日の騒乱、そのあとの放火、往来を妨害する罪です。2つ目は、取引の安全に対する罪で、文書、通貨、有価証券などの偽造です。3つ目は、風俗に対する罪で、わいせつ、賭博、礼拝所と墳墓です。各層は、それぞれの回で扱います。試験で特に出やすいのは、放火と文書の偽造です。騒乱罪は軽く、短答で問われる程度です。ただ、社会的法益とは何か、をつかむ入口として、ちょうどよい罪です。たとえは、町内の空気です。町内の空気は、誰か一人の持ち物ではありません。でも、大勢が騒げば、一気に悪くなります。誰か一人の被害ではなく、みんなの空気が被害を受ける。これが、社会的法益のイメージです。

公共危険罪という考え方

抽象的危険犯と具体的危険犯 図:抽象的危険犯と具体的危険犯

次に、公共危険罪という考え方です。その前に、1問です。犯罪の分類の回を思い出してください。条文に「公共の危険」という言葉が入っている危険犯は、具体的危険犯と抽象的危険犯の、どちらでしたか?具体的危険犯です。条文が公共の危険の発生を要件にしているものでした。言葉がなくて、行為だけで成立するものが、抽象的危険犯です。文言の有無で判定します。罪の重さでは決まりません。この区別を、今日の条文に当てます。考え方は、こうです。個人の生命や身体や財産に、分けて還元できない、社会に向けた危険があります。こういう危険を守る罪は、実際に被害が出るのを待っていられません。被害が出たときには、もう手遅れだからです。たとえば、住宅街で火をつければ、燃え広がって誰の家や体が被害を受けるかは、火をつけた時点では決まっていません。だから、危険な状態を作った段階で処罰する、危険犯の形になりやすい。これが、公共危険罪という考え方です。ただし、範囲に注意してください。放火のように、不特定または多数の人の生命、身体、財産への危険を守る罪が、公共危険罪の本来の姿です。騒乱罪が守るのは、人の命や財産の安全というより、社会の平穏です。第17章の中で、平穏を守る側と、安全を守る側に分かれる、と覚えてください。騒乱罪は、平穏の側です。では、なぜ平穏を守る罪が、危険犯の形になるのでしょうか。犯罪の分類の回で見たとおり、守るものが現実に侵害されたことを要件にするのが侵害犯、侵害の危険で足りるのが危険犯でした。平穏は、いったん乱れると、回復が難しいものです。そのため、乱れるのを待たずに処罰する形をとっている、と説明されます。守るものは平穏、処罰する時点は危険の段階、と分けて持ってください。そして、この後に読む106条には、「公共の危険」という文言がありません。だから、抽象的危険犯です。実際に平穏が害されたことも、害される具体的な危険が生じたことも、要件ではありません。対比として、110条1項は、「公共の危険」を要件にしているので、具体的危険犯です。これは、放火の回で見ます。

106条 騒乱罪——条文と保護法益

騒乱罪の骨組み 図:騒乱罪の骨組み

106条を読みます。

条文刑法106条

刑法106条(騒乱) 多衆で集合して暴行又は脅迫をした者は、騒乱の罪とし、次の区別に従って処断する。 一 首謀者は、一年以上十年以下の拘禁刑に処する。 二 他人を指揮し、又は他人に率先して勢いを助けた者は、六月以上七年以下の拘禁刑に処する。 三 付和随行した者は、十万円以下の罰金に処する。

多衆で集合して、暴行または脅迫をした者は、騒乱の罪とし、次の区別に従って処断する、です。一号が首謀者で、1年以上10年以下の拘禁刑。次の二号が、他人を指揮し、または他人に率先して勢いを助けた者で、6か月以上7年以下の拘禁刑。三号が、付和随行した者で、10万円以下の罰金です。付和随行は、流れに引かれてついていくこと、と今は持っておいてください。条文の形は、二段です。前半が、罪の成立する場面で、「多衆で集合して暴行または脅迫をした」。後半が、参加の度合いによる、3段の処断です。まず前半を、要素ごとに読みます。守っているものは、公共の平穏です。判例は、公共の平和、静謐、と言います。静謐は、静かで穏やかなこと、という意味です。個人の誰かではなく、社会の平穏を守る。そして、実際に平穏が害されたことは要りません。条文にあるのは、多衆で集合して暴行または脅迫をした、という行為だけです。平穏が害された、という結果は書いてありません。この後の判例は、多衆を、一地方の平穏を「害するに足る」規模の集団、と定義します。害するに足る、は、現実に害されたという意味ではありません。そうなりうる規模と性質がある、という意味です。

多衆と集合

多衆と集合 図:多衆と集合

最初の要素は、多衆です。その前に、1問です。建物の前で、数人が口論になって、殴り合いになりました。これは騒乱罪になるでしょうか。ならないなら、何が足りないのでしょうか?足りないのは、規模です。その足りなさを、判例は、こう言い直します。

判例最判昭35・12・8 刑集14巻13号1818頁

騒乱罪の成立要件——多衆と集団の暴行 騒擾罪は、多衆が集合して暴行又は脅迫をなすによつて成立するが、その暴行又は脅迫は、集合した多衆の共同意思に出たものであり、いわば、集団そのものの暴行又は脅迫と認められる場合であることを要し、その多衆であるためには一地方における公共の平和、静謐を害するに足る暴行、脅迫をなすに適当な多人数であることを要する

事案の骨組みです。警察署の前に集まった群集が、警察官と衝突しました。その後、署の中に代表が入って交渉し、多衆が署を不法に占拠するなどした事件です。旧条文の言葉で、騒擾罪と書いてありますが、今の106条の騒乱罪と同じ罪です。読みどころは、全部で二つです。まず一つ目は、多衆の定義です。一地方における公共の平和、静謐を害するに足る暴行、脅迫をなすに適当な多人数です。ただの複数人ではありません。一地方の平穏を害しうる、規模の集団です。建物の前で数人が殴り合ったのは、この規模に届きません。暴行があっても、多衆ではないので、騒乱罪にはなりません。二つ目は、この罪の作りです。多衆が、最初から要件に入っています。1人だけでは成り立たない条文です。共犯の回で見た、必要的共犯のうちの集団犯です。条文そのものが、最初から多数人の集団の行為を前提にしている型でした。だから、集団の中の人は、共犯の60条以下を使わず、この条文の3段で処罰します。集合は、多人数が、時と場所を同じくして集まることです。組織された団体である必要も、事前の計画も要りません。たまたま集まった人たちでも、集まりは集まりです。

行為——暴行は物でもよい

暴行の4分類・最広義 図:暴行の4分類・最広義

次は、行為です。その前に、1問です。暴行罪の回を思い出してください。暴行の4分類で、いちばん広いのはどれで、その代表条文は何でしたか?最広義の暴行です。およそ不法な有形力の行使で、物に対するものも含みます。代表は、騒乱罪でした。今日は、その中身を回収します。騒乱罪の暴行は、最広義です。人に向けた力に限らず、物に向けた有形力の行使でも足ります。冒頭の一つ目の車を、次々に倒す行為も、これにあたります。暴行罪の暴行は、人の身体に向けた力でした。なぜ、物に向けたものでもよいのですか。1問です。守っているのが、人の身体ではなく、社会の平穏だとします。それなら、物に向けた暴行でも足りるのは、なぜでしょうか?

平穏が乱れるのは、人が殴られたときだけではないからでしょうか。何百人もの人が、車を次々に倒していく町では、人に触れていなくても、平穏が破られています。守るものが社会の平穏なら、その平穏は、物に向けた力でも害されます。だから、対人性すら要りません。判例も、こう言っています。

判例最判昭35・12・8 刑集14巻13号1818頁

騒乱罪における暴行の範囲 騒擾罪における暴行なる観念は、広義のものであつて、物に対する有形力の行使をも含むものと解するを相当とし、従つて、原判決が建物の不法占拠又は不法侵入を騒擾罪における暴行に当るものとした判断を是認する。また、騒擾罪の成立要素である暴行、脅迫は、他の罪名に触れない程度のものであるをもつて足りるから、その暴行、脅迫が他の罪名に触れる場合には、その行為は一面騒擾罪を成立せしめると同時に他の罪名にも触れる旨の大審院判例(大正三年二月二四日大審院判決、同判決録二〇輯一九五頁以下、大正一一年一二月一一日同院判決、同判例集一巻七四一頁以下参照)を支持するから、原判決が本件騒擾の点と建造物侵入の点とを一個の行為で二個の罪名にふれる場合として刑法五四条一項前段一〇条を適用したのは正当であると認める

判例の言葉は「広義」ですが、物に対する力まで含むので、暴行の4分類では最広義にあたります。建物の不法占拠や不法侵入も、暴行にあたるとされています。脅迫は、広義の脅迫です。強要罪の回で分けた脅迫の3段階の、いちばん広い段です。強要罪自身の脅迫は、一つ下の狭義でした。広義の脅迫は、誰に、どんな害を加えると告げるかを問わず、相手に恐怖心を起こさせる告知であれば足ります。答案での書き方です。暴行や脅迫の大きさは、別の要件として独立させず、多衆の定義の中で見ます。つまり、暴行や脅迫をするのに適当な多人数かどうか、という形です。そのうえで、集団そのものの暴行かどうかを見ます。多衆は、一地方の平穏を害するに足る規模の集団でした。暴行は、その集合した多衆の共同意思に出た、集団そのものの暴行である必要があります。

集団の中の全員が、現実に暴行しなければ、ならないのですか。違います。全員が暴行する必要はありません。このあとの、共同意思のところで確認します。

共同意思

集団と共同意思・無人の車 図:集団と共同意思・無人の車

三つ目の要素は、共同意思です。主観の面です。集合した多衆の共同意思に出た、集団そのものの暴行でなければなりません。冒頭の二つ目の最後尾の人は、ここに関わります。判例の言葉を、まず読みます。

判例最判昭35・12・8 刑集14巻13号1818頁

共同意思の内容 騒擾罪は、群集による集団犯罪であるから、その暴行又は脅迫は集合した多衆の共同意思に出たもの、いわば集団そのものの暴行又は脅迫と認められる場合であることを要するが、その多衆のすべての者が現実に暴行脅迫を行うことは必要でなく、群衆の集団として暴行脅迫を加えるという認識のあることが必要なのである。この共同意思は、多衆の合同力を恃んで自ら暴行又は脅迫をなす意思ないしは多衆をしてこれをなさしめる意思と、かかる暴行又は脅迫に同意を表し、その合同力に加わる意思とに分たれ、集合した多衆が前者の意思を有する者と後者の意思を有する者とで構成されているときは、その多衆の共同意思があるものとなるのである。共同意思は、共謀ないし通謀と同意義でなく、すなわち、多衆全部間における意思の連絡ないし相互認識の交換までは必ずしもこれを必要とするものではない。事前の謀議、計画、一定の目的があることは必要でないし、また、当初からこの共同意思のあることは必要でなく、平穏に合法的に集合した群集が、中途から、かかる共同意思を生じた場合においても本罪の成立を妨げない

まず、全員が暴行する必要はありません。多衆のすべての者が、現実に暴行脅迫を行うことは必要でなく、集団として暴行脅迫を加えるという認識があれば足ります。次に、共同意思の2つの型です。前者は、多衆の合同力を恃んで、つまり大勢の力をあてにして、自分で暴行をする意思や、多衆にさせる意思です。後者は、そうした暴行に同意して、合同力に加わる意思です。多衆が、この両方の者で構成されていれば、多衆の共同意思があります。さらに、共同意思は、共謀と同じではありません。全員の間で、連絡を取り合ったり、互いに分かっていたりする必要はありません。事前の謀議も、計画も、一定の目的も要りません。当初から持っている必要もなく、平穏に集まった群集が、途中で共同意思を生じてもかまいません。

判例最判昭35・12・8 刑集14巻13号1818頁

共同意思の程度 元来騒擾罪の成立に必要な共同意思とは、多衆集合の結果惹起せられることのあり得べき多衆の合同力による暴行脅迫の事態の発生を予見しながら、あえて、騒擾行為に加担する意思があれば足りるのであつて、必ずしも確定的に具体的な個々の暴行脅迫の認識を要するものではない

中身は、予見しながら、あえて加担する意思です。集団の合同力による暴行や脅迫の事態が起こりうると予見して、それでも加わる。予見の対象は、暴行や脅迫の事態のほうで、個々の暴行の具体的な認識までは要りません。冒頭の二つ目に戻ります。最後尾を、何もせず歩いていた人です。次の二つの場合に分けます。一つは、たまたま同じ道を歩いていただけで、集団が何をしているのか知らなかった人です。共同意思がないので、騒乱罪は成立しません。もう一つは、集団が車を倒していく状況を知りながら、その勢いに加わって、一緒に歩き続けた人です。集団の暴行の事態を予見して、あえて加わっているので、共同意思があります。何もしていなくても、付和随行として、騒乱罪の対象になりえます。

歩いているだけの行為が、罰せられるのではありません。多衆の一員として、集団の暴行に加わる意思で、その場にいる。その参加が、合同力になっています。共同意思の有無が、分かれ目です。ここは、論文で論点になりうるところです。

3類型の刑の階段

3類型の刑の階段 図:3類型の刑の階段

次は、刑の階段です。その前に、1問です。最後尾で歩いていた人は、首謀者と、同じ刑になるでしょうか? 3段の階段を、予想してみてください。階段は、こうです。首謀者は、まず1年以上10年以下の拘禁刑。指揮または率先助勢は、6か月以上7年以下の拘禁刑。付和随行は、10万円以下の罰金です。暗記は、首謀者だけが1年から始まる、付和随行だけが罰金、この2点で固定します。この3つは、別々の罪ではありません。同じ騒乱罪の中の、役割の重さの区別です。どの類型でも、多衆の一員として、共同意思をもって加わっていることが前提です。呼び分けは、行進にたとえます。中心になって騒ぎを言い出し、段取りを組み、集団を暴行や脅迫に向かわせた人が、首謀者です。行進で言えば、旗を振って、行き先を決める人です。他人に指図して動かす人が、指揮です。集団の中から抜きんでて、暴行や脅迫の勢いを高める人が、率先助勢です。現場でなく、事前の働きかけでもかまいません。他人の行動に引かれて、ついていくだけの人が、付和随行です。流れでついていく人です。先ほどの事件でも、署の中で交渉に当たって脅迫などをした者は、指揮や率先助勢とされました。署の前に残って群集と行動を共にした者たちは、率先助勢か付和随行とされました。これは事案の紹介です。線引きの物差しにはしないでください。冒頭の二つ目の答えです。最後尾を、状況を知りながら歩いていた人は、共同意思があれば、付和随行です。10万円以下の罰金で、首謀者とは、同じ扱いになりません。参加の度合いで、刑が3段に分かれる。守るものが社会の平穏なので、誰にどれだけ被害を与えたか、では測れません。平穏を乱すのは、集団の合同力です。その力を生み出し、向きを決めた人ほど、平穏を乱した責任が重い。だから、集団への関わり方の重さで、刑を分けるのです。

他罪との関係

吸収と観念的競合 図:吸収と観念的競合

他の罪との関係です。判例の原則は、騒乱罪の暴行と脅迫は、他の罪名に触れない程度のものであれば足りる、というものでした。そのうえで、その暴行や脅迫が、他の罪名にも触れるなら、一つの行為で二つの罪名に触れる場合になります。刑法54条1項前段の、観念的競合です。先ほどの事件では、建造物侵入との観念的競合が、正当とされました。整理します。暴行罪や脅迫罪は、騒乱罪に吸収されます。騒乱罪が、その暴行や脅迫を、最初から構成要件の中に含んでいるからです。独立には成立しません。一方、建造物侵入のように、別の罪名に触れる行為は、別に成立して、騒乱罪と観念的競合になります。建造物損壊や公務執行妨害も、同じ理屈です。集団が建物の壁を壊せば建造物損壊、取り締まる警察官に殴りかかれば公務執行妨害が、それぞれ騒乱罪と観念的競合になりうる、という形で押さえてください。冒頭の一つ目の答えです。無人の車を次々に横転させた集団は、物に対する有形力の行使、つまり最広義の暴行を、多衆の共同意思に基づいて、おこなっています。集団そのものの暴行です。だから、106条の騒乱罪が成り立ちます。車の持ち主それぞれの器物損壊も、騒乱罪とは別に成立しうる、観念的競合です。人に触れていなくても、社会の平穏が害される。これが、守るものが平穏だ、ということです。

107条 多衆不解散罪

107条の要件 図:107条の要件

最後に、107条です。試験での重要度は低いので、短く見ます。その前に、1問です。条文が最初から、「しないこと」を罰の対象にしている型を、何といいましたか?真正不作為犯です。不作為犯の回で条文を読んだ107条が、その実例でした。

条文刑法107条

刑法107条(多衆不解散) 暴行又は脅迫をするため多衆が集合した場合において、権限のある公務員から解散の命令を三回以上受けたにもかかわらず、なお解散しなかったときは、首謀者は三年以下の拘禁刑に処し、その他の者は十万円以下の罰金に処する。

暴行または脅迫をするため多衆が集合した場合において、権限のある公務員から解散の命令を3回以上受けたにもかかわらず、なお解散しなかったときは、首謀者は3年以下の拘禁刑、それ以外の者は、10万円以下の罰金です。要件は、次の3点です。暴行や脅迫をするために、多衆が集合したこと。権限のある公務員から、解散の命令を3回以上受けたこと。それでも解散しなかったこと。3回以上、を押さえてください。106条との位置関係です。106条は、暴行や脅迫をした場合でした。107条は、まだ暴行や脅迫に至っていなくても、解散命令を3回以上無視した段階で処罰します。騒乱に至る手前を、捕まえる規定です。騒乱罪の予備的な段階を処罰するものと、説明されます。すでに暴行や脅迫をしているなら、106条の問題です。実行行為は、解散しないという不作為です。真正不作為犯の実例で、論点はありません。

今日の地図(保存版)

騒乱の罪の一覧 図:騒乱の罪の一覧

まとめます。冒頭の二つの答えです。一つ目。無人の車を次々に横転させた集団には、騒乱罪が成立します。物に向けた有形力も最広義の暴行で、集団そのものの暴行だからです。二つ目。最後尾を、状況を知りながら歩いていた人も、共同意思があれば、付和随行として罰金の対象です。首謀者とは、刑が違います。守るものが変わると、何が変わるのか。ここでは3点です。一つ目は、多衆です。社会の平穏を害するには、一定の規模が要るので、1人では成り立ちません。二つ目は、最広義の暴行です。物に向けても、平穏は害されるので、物に対する力でも足ります。そして三つ目は、抽象的危険犯です。実際に平穏が乱れるのを待たず、乱しうる集団の行為で成立します。106条は、多衆と、暴行または脅迫と、共同意思です。刑は、順に1年以上10年以下、6か月以上7年以下、10万円以下の罰金の3段です。107条は、解散命令を3回以上無視する、真正不作為犯です。首謀者が3年以下、それ以外の者は、10万円以下の罰金です。第17章の地図に戻ります。個人的法益から、社会的法益へ。騒乱は、その入口で、公共の平穏の側でした。なお、治安を乱す目的などで爆発物を使うことを罰する、爆発物取締罰則という別の法律にも、同種の規定があります。国の統治の仕組みを壊す目的の暴動を罰する、内乱罪との違いは、国家的法益の回で扱います。

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#161単独ページ動画

放火の罪と現住建造物等放火罪

第17章 社会的法益|公共の平穏・取引の安全・風俗 ②/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

留守の家と、自分の家

二つの問い・留守の家と自分の家 図:二つの問い・留守の家と自分の家

前回は、社会の平穏を守る罪でした。今日からは、安全を守る側に入ります。その代表が、放火の罪です。問いを二つ出します。一つ目。家族全員が1週間の旅行に出て、誰もいない家に、隣人が恨みから火をつけました。中には誰もいませんでした。それでも、人がいる建物に火をつけたのと同じ、死刑まである罪になるでしょうか。二つ目。一人暮らしの男が、自分の名義の自宅に、自分で火をつけました。自分の家でも、他人の家と同じ重い罪になるでしょうか。どちらも、直感とずれるところです。ヒントだけ出します。重さを決めるのは、燃やした時点で中に人がいたかどうか、ではありません。その建物が、どう使われているかです。そして、そこに住んでいるのは誰なのか、が効いてきます。今日は、その建物に、人はいるか、いつもいるか、という1本の物差しで通します。

放火の罪の階段

放火の罪の階段・108条から110条 図:放火の罪の階段・108条から110条

まず、放火の罪の全体地図です。条文は、108条から110条までの、3段の階段になっています。最上段が108条です。現に人が住居に使っている建造物や、現に人がいる建造物に火をつける罪で、刑は、死刑または無期もしくは5年以上の拘禁刑です。真ん中が109条で、人が住居に使っておらず、人もいない建造物に火をつける罪です。1項が2年以上の有期拘禁刑、それが自分の物だったときの2項が、6か月以上7年以下の拘禁刑です。いちばん下が110条で、建造物など以外の物に火をつける罪です。1項が1年以上10年以下の拘禁刑、それが自分の物だったときの2項が、1年以下の拘禁刑または10万円以下の罰金です。階段の軸は、その場に人がいる可能性です。上に行くほど、人がいる可能性が高く、刑が重くなります。109条と110条の中身には、今日は入りません。別の回で扱います。

同じ火をつける行為なのに、人がいるかどうかで、ここまで刑が変わるのはなぜでしょうか。そこが今日の中心です。答えは、あとで説明します。その前に、放火罪が何を守っているのかを、確認します。

放火罪は何を守るのか

放火罪の保護法益・公共の危険 図:放火罪の保護法益・公共の危険

建造物損壊罪は、建物の持ち主の財産を守る罪でした。放火罪が守っているものは、それとは違います。不特定または多数の人の、生命、身体、財産の安全です。火は、燃え広がります。隣の家、その隣の家、そこにいる人たち。誰の家や体が巻き込まれるかは、火をつけた時点では決まっていません。だから、実際に誰かが被害を受けるのを待たず、危険が生じた段階で処罰します。侵害の危険で足りる危険犯です。ここでの危険は、不特定または多数人の生命、身体、財産に向けた危険なので、公共の危険といいます。この危険を守る罪が、公共危険罪です。前回、放火のように、不特定または多数の人への危険を守る罪が、公共危険罪の本来の姿だと言いました。今日から、それを条文で見ます。

持ち主の財産も、燃えれば失われます。ただ、放火罪の重さの中心は、公衆の安全のほうにあります。ここが、冒頭の二つ目の問いに効いてきます。

抽象的危険犯と具体的危険犯の振り分け

放火の罪の振り分け表・公共の危険の有無 図:放火の罪の振り分け表・公共の危険の有無

ここで1問です。前回、110条1項は放火の回で見ます、と言いました。110条1項と108条のうち、条文に「公共の危険」という言葉が入っているのは、どちらでしたか?110条1項です。「よって公共の危険を生じさせた者」と書いてあります。108条には、その言葉がありません。文言の有無で判定します。108条は、言葉がないので、抽象的危険犯です。109条1項も、ありません。抽象的危険犯です。ところが、109条2項には、ただし公共の危険を生じなかったときは、罰しない、とあります。110条1項は、公共の危険を生じさせた者、と書いています。2項は、その1項の物が自分の物のときの規定で、公共の危険の発生が要る形は同じです。つまり、109条2項と110条は、具体的危険犯です。抽象的危険犯は、公共の危険が生じたかどうかを、個別には問いません。具体的危険犯は、公共の危険の発生が認められることが、必要です。違いは、結論に出ます。周りに建物も人もない野原で、誰も住んでおらず中にも誰もいない自分の小屋を燃やし、火がどこにも広がる恐れがなかったとします。109条2項は、公共の危険が生じていないので、罰しません。一方、108条は、人の住む家を燃やせば、周りに火が広がる恐れがなかったとしても、成立します。公共の危険を答案で論じる必要があるかどうかが、型で分かれるのです。ここで、前回の約束が回収できます。危険犯の型は、罪の重さでは決まりません。最も重い108条は、死刑まであるのに、抽象的危険犯です。反対に、109条2項は、刑が6か月からと軽いのに、公共の危険が生じなければ罰しません。条文に、公共の危険という言葉があるかどうかで見分けます。

108条がここまで重く扱われる理由は、この回の後半で説明します。ここでは、108条の客体は、所有者が誰かを問わない、という点だけ押さえてください。放火罪の重さの中心は、公衆の安全にある、と言いました。燃える家の持ち主が誰でも、周りの人への危険は同じです。だから、他人の家でも、自分の家でも、現住か現在なら、108条の問題です。

108条の全文と、客体の二本立て

108条の骨組み・現住と現在 図:108条の骨組み・現住と現在

108条を読みます。

条文刑法108条

刑法108条(現住建造物等放火) 放火して、現に人が住居に使用し又は現に人がいる建造物、汽車、電車、艦船又は鉱坑を焼損した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の拘禁刑に処する。

構造は、4つの部品です。放火して、という行為。現に人が住居に使用し、または現に人がいる、という客体の状態。建造物、汽車、電車、艦船または鉱坑、という客体の種類。そして、焼損した者、という結果です。焼損の意味は、別の回で扱います。今日の中心は、2つめの、客体の状態です。客体の種類のうち、圧倒的に重要なのは建造物です。汽車、電車、艦船、鉱坑は、試験との関係では重要ではないので、名前だけ押さえます。ただ、1点だけ差があります。109条1項の客体は、建造物、艦船または鉱坑で、汽車と電車は入っていません。客体の状態は、二本立てです。現に人が住居に使用している建造物を、現住建造物といいます。現に人がいる建造物を、現在建造物といいます。字が似ているので、混ざりやすいところです。現住の「住」は、住んでいる、つまり、いつもの使い方です。現在の「在」は、いま居る、つまり、いまの居場所です。住所と、居場所の違いです。

二本立てにしているのは、なぜですか。現住だけでは、足りないのでしょうか。足りません。住居として使っている家は、留守でも拾いたい。ただ、住居ではない物置小屋や事務所でも、中に人がいる最中に燃やされれば、人の命が危ない。だから、住居として使っているか、またはいま人がいるか、どちらかで108条に入れます。

建造物の意義

建造物の意義・呼び戻し 図:建造物の意義・呼び戻し

客体の建造物について、1問です。建造物損壊罪の回で、建物の一部かどうかは、何と何で決まりましたか?建物との接合の程度と、機能上の重要性で決まりました。取り外せるかどうかは、結論を左右しませんでした。建造物は、家屋その他これに類似する建築物で、屋根があり、壁や柱で支えられ、土地に定着していて、人が出入りできるものでした。放火でも、建造物の意義は同じです。ただ、放火では、別の形の問題が出ます。建物の一部にだけ人がいるとき、その建物のどこまでを、一つの建造物として見るか、という問題です。今日は、一つの建物として、現住か現在かを見る段階です。

現住建造物とは

現住と現在の対比 図:現住と現在の対比

現住建造物の意義を、規範として持ちます。

⭐ 論文で書く規範:【規範】現住建造物の意義 現住建造物とは、人の起臥寝食の場所として日常使用される建造物をいう。放火の時点で中に誰もいなくても、日常使用されていれば、現住にあたる。 (規範(判例・通説の定義)——日常使用の実態)

起臥寝食は、起きて、寝て、食べる、つまり、人が暮らす、ということです。住居侵入罪の、住居の定義でも出てきた言葉です。放火では、そこが日常の暮らしの場所として使われているか、まで見ます。典型は、人の住居です。ただ、住居に限りません。学校の宿直室のように、夜間や休日だけ使う場所も、日常使用されているなら、現住です。大事なのは、日常使用されているか、です。放火の時点で、中に人がいたかどうかでは、決まりません。境界を、ペアで見ます。家族が旅行に出て、留守にしている家は、現住です。夜間の宿直室が、昼間は誰もいなくても、現住です。一方、引っ越しで人が住まなくなり、誰も戻ってこない空き家は、日常使用されていないので、現住ではありません。決め手は、こうです。もし、放火の瞬間に中にいたかどうかだけで決めるなら、住人が買い物に出た隙を狙った放火は、軽くなってしまいます。しかし、その建物は、住人が帰れば、また暮らしの場所として使われます。だから、いつもの使い方で見るのです。ここで1問です。家族が1週間の旅行で留守の家に、隣人が放火しました。放火の時点で、中には誰もいません。この家は、現住建造物でしょうか?

現住建造物だと思います。旅行に出ても、その家が家族の暮らしの場所であることは変わらなくて、使い方が変わっていないからです。この考え方を、判例で確かめます。

判例——留守でも現住か

事案の関係図・交替で泊まり込んだ家 図:事案の関係図・交替で泊まり込んだ家

事案です。ある家に、競売の手続を進めさせたくない経営者がいました。経営者は、人が住んでいるように見せかけようと、自分の会社の従業員に、交替で泊まり込ませていました。ところが、その従業員たちを旅行に連れ出したうえで、共犯者がその家に火をつけました。放火の時点で、家の中には誰もいません。この家は、現住建造物といえるでしょうか。判旨を、3枚に分けて読みます。まず、家の設備と、使われ方の事実です。

判例最決平9・10・21 刑集51巻9号755頁

家屋の設備と、従業員の交替宿泊 (一)本件家屋及びその敷地は、被告人が転売目的で取得したものであるが、風呂、洗面所、トイレ、台所等の設備があり、水道、電気、ガスが供給されていて、日常生活に最低限必要なベッド、布団等の寝具のほか、テーブル、椅子、冷蔵庫、テレビ等の家財道具が持ち込まれていた。 (二)被告人は、本件家屋及びその敷地に対する競売手続の進行を妨げるため、人がそこで生活しているように装うとともに、防犯の意味も兼ねて、自己の経営する会社の従業員五名に指示して、休日以外は毎日交替で本件家屋に宿泊に行かせることとし、本件家屋の鍵を従業員二名にそれぞれ所持させたほか、会社の鍵置き場に鍵一個を掛けて、他の従業員らはこれを用いて本件家屋に自由に出入りできるようにした。 (三)その結果、平成三年一〇月上旬ころから同年一一月一六日夜までの間に十数回にわたり、従業員五名が交替で本件家屋に宿泊して、近隣の住民の目から見ても本件家屋に人が住み着いたと感じ取れる状態になった。

読みどころは、二つです。一つ目は、設備です。風呂、台所、水道、電気、ガス、寝具、家財道具がそろっていて、暮らせる状態でした。二つ目は、実績です。10月上旬から11月中旬まで、十数回、従業員が交替で宿泊し、近所の目から見ても、人が住み着いたと感じ取れる状態でした。次に、旅行の前後の事情です。

判例最決平9・10・21 刑集51巻9号755頁

旅行の前後の事情 (五)また、被告人は、従業員らに対し、沖縄旅行から帰った後は本件家屋に宿泊しなくてもよいとは指示しておらず、従業員らは、旅行から帰れば再び本件家屋への交替の宿泊が継続されるものと認識していた。また、被告人は、旅行に出発する前に本件家屋の鍵を回収したことはなく、その一本は従業員が旅行に持参していた。 (六)Aは、被告人との共謀に基づき、被告人らが沖縄旅行中の同月二一日午前零時四〇分ころ、本件家屋に火を放ち、これを全焼させて焼燬した。

ここが、決め手の入口です。旅行から帰れば、また交替の宿泊が続くと、従業員たちは考えていました。鍵も回収されておらず、その一本は、旅行に持っていかれていました。旅行に出たことで、この家の使い方が、いったん終わったわけではありません。結論です。

判例最決平9・10・21 刑集51巻9号755頁

結論——旅行中の放火でも現住 以上の事実関係に照らすと、本件家屋は、人の起居の場所として日常使用されていたものであり、右沖縄旅行中の本件犯行時においても、その使用形態に変更はなかったものと認められる。そうすると、本件家屋は、本件犯行時においても、平成七年法律第九一号による改正前の刑法一〇八条にいう「現ニ人ノ住居ニ使用」する建造物に当たると認めるのが相当であるから、これと同旨の見解に基づき現住建造物等放火罪の成立を認めた原判決の判断は正当である。

判旨は、放火の時に中に誰もいなくても、この家は現住建造物にあたる、と言っています。理由は、人の起居の場所として日常使用されていて、旅行中の犯行時にも、使用形態に変更がなかったからです。起居は、起きて寝て暮らすことで、規範の起臥寝食と同じ意味です。条文の引用や焼燬という言葉が古いのは、判決当時の条文だからです。焼燬は、今の条文の焼損にあたり、108条の要件は今と同じです。使い方に注意してください。これは、この事実関係のもとで、現住にあたる、という事例判断です。旅行中なら常に現住、と読んではいけません。判断の軸は、日常使用の実態が、放火の時にも続いていたか、です。その続きを確かめる材料として、判例が挙げた事実は、設備、宿泊の実績、旅行後も宿泊が続く見込み、鍵が回収されていないこと、でした。これらを合わせて、使用形態に変更なし、と判断したのです。冒頭の一つ目に戻ります。家族が1週間の旅行に出た留守の家は、家族の暮らしの場所として使われ続けていて、旅行の前後で使い方は変わりません。だから、現住建造物です。隣人が放火すれば、108条の問題で、死刑まである罪の枠に入ります。中に誰もいなかったことは、結論を左右しません。

現住の「人」は誰か

誰が住んでいるか・犯人だけの家 図:誰が住んでいるか・犯人だけの家

冒頭の二つ目に戻ります。現住の「人」とは、誰のことなのか、という問題です。現住の人とは、犯人以外の者をいいます。共犯者も、犯人の側に入ります。そのため、犯人だけが一人で住んでいる建造物は、現住建造物ではありません。居住者の全員が殺害された建造物も、現住建造物ではありません。現住が重いのは、火が回ったとき、犯人以外の人の安全がかかるからです。犯人一人しか住んでいないなら、巻き込まれる住人が、いません。居住者を全員殺した後の建物にも、住む人がいません。だから、現住は肯定されません。殺人罪などが別に成立することは、いうまでもありません。境界を、ペアで見ます。どちらも、自分名義の自宅です。本人だけが住んでいる家は、現住ではありません。一方、家族が一緒に住んでいる家は、現住です。所有者が本人でも、犯人以外の人が住んでいれば、現住建造物です。物差しは、名義ではなく、住んでいるのは誰か、です。ここで1問です。夫と妻が二人で住む、夫名義の家があります。妻が旅行に出ている間に、夫が一人で火をつけました。この家は、現住建造物でしょうか?

現住だと思います。旅行中でも、妻は犯人以外の住人で、その家での暮らしは続いているからです。名義が夫であることも、放火の時に中に誰もいないことも、結論を変えません。冒頭の二つ目に戻ります。一人暮らしの男が、自分名義の自宅に自分で火をつけて、中に他の人もいなければ、現住でも現在でもありません。そうすると、108条は使いません。109条の問題になり、自分の物への放火は、公共の危険が生じたかどうかが問われます。ただし、保険をかけた家のように、自分の物でも他人の物として扱う特例が、放火の条文にあります。詳しくは、別の回で扱います。他人の家と同じ、死刑まである罪にはなりません。

現在建造物と、振り分けの流れ

現住か、現在か、どちらでもないか 図:現住か、現在か、どちらでもないか

次は、現在建造物です。現住建造物にあたらなくても、その中に現に人がいる建造物が、現在建造物です。例は、離れの物置小屋です。住居として使っていないので、現住ではありません。ただ、その中に人がいる最中に火をつければ、現在建造物になります。日中だけ人が働く事務所も同じです。夜は誰も寝泊まりしないなら、現住ではありません。しかし、仕事中で人がいるところに放火すれば、現在です。現在の人も、犯人以外の者です。犯人しか中にいない建物は、現在でもありません。使い分けは、こうです。現住は、日常の使い方で見ます。現在は、放火の時点にいるか、で見ます。誰も使っていないからっぽの倉庫に、誰もいない時に火をつければ、109条です。流れにします。まず、現住かを問います。あてはまれば108条です。あてはまらなければ、次に、現在かを問います。あてはまれば108条です。どちらでもなければ、109条以下の問題です。この流れが、答案の冒頭で、どの条文で考えるかを選ぶ手順になります。ここは論文で論点になりうるところです。

なぜ108条は特に重いのか

二つの危険・108条が重い理由 図:二つの危険・108条が重い理由

先ほどの問いに答えます。人がいるかどうかで、なぜ刑がここまで変わるのか。現住建造物や現在建造物への放火が、特に重い理由は、危険が二重だからです。一つは、他の放火罪と同じ、不特定または多数の人の生命、身体、財産を脅かす危険、つまり公共の危険です。もう一つは、直接に放火の客体になった建造物の中にいる人に対する危険です。現在建造物は、まさに中に人がいるので、人への危険は明らかです。現住建造物は、たまたまその時、人がいなくても、日常使用されているので、人がいる可能性が高い。だから、類型として、人への危険がある、と扱います。そうした建造物に火がつけば、中の人の命と、周りへ燃え広がる危険が、類型として一度に生じます。危険がこれほど確かで大きいので、108条は、公共の危険が生じたかを、個別には確かめません。そして、二重の危険に見合うよう、死刑まである重い刑を用意しています。建物の一部にだけ人がいるとき、どこまでを一つの建物として見るか。その判断は、人への危険がどこまで及ぶか、という、今の理由づけから導かれます。

今日の地図(保存版)

放火の罪①のまとめ 図:放火の罪①のまとめ

まとめます。冒頭の二つの答えです。一つ目。家族が旅行に出て誰もいない家でも、日常の生活の場として使われている限り、現住建造物です。隣人が放火すれば、108条で、死刑まである罪の枠に入ります。二つ目。本人だけが住む、自分名義の家に自分で放火し、中に他の人もいなければ、現住でも現在でもありません。108条は使いません。放火の罪は、108条から110条までの、3段の階段でした。上に行くほど、人がいる可能性が高く、刑が重くなります。危険犯の型は、公共の危険という言葉があるかで決まり、108条と109条1項が抽象的危険犯、109条2項と110条が具体的危険犯です。罪の重さでは決まりません。108条の客体は、3点です。現住は、人の起臥寝食の場所として日常使用されていること。放火の時に誰もいなくても、現住です。現在は、現住でなくても、放火の時に現に人がいること。そして、その人は、犯人以外の者です。108条が重いのは、公共の危険と、建造物の中の人への危険の、二重の危険があるからです。最後に、予告です。建物の一部にだけ人がいるとき、その建物全体をどう扱うか、という論点を扱います。

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#162単独ページ動画

現住建造物等放火罪と客体の一個性

第17章 社会的法益|公共の平穏・取引の安全・風俗 ③/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

倉庫だけに火をつけた

問い・店舗兼住宅の倉庫に放火 図:問い・店舗兼住宅の倉庫に放火

前回の最後に、ひとつ予告をしました。建物の一部にだけ人がいるとき、その建物をどこまで一つと見るか、という問題です。今日は、その答えの前半です。問いを出します。木造2階建ての、店舗兼住宅があります。1階は雑貨店で、夜は無人です。2階が住まいで、店主一家が寝ています。1階と2階は、階段や、天井と床でつながっています。深夜、何者かが、1階の店の倉庫だけに火をつけました。火をつけたのは、人のいない部分です。それでも、人がいる建物への放火、つまり、死刑まである罪になるでしょうか。倉庫だけの火なので、軽く見えるかもしれません。ヒントだけ出します。決め手は、燃やした場所に人がいたかどうかではありません。その火が、人のいる部分にまで危険を及ぼすかどうかです。今日は、その中でも、物理的なつながりの面から見ます。

前回の確認と、108条

108条の全文・現住と現在 図:108条の全文・現住と現在

前回の3点を確認します。108条の客体は、現住か、現在です。現住は、人の起臥寝食の場所として日常使用されていること。放火の時に誰もいなくても、現住です。現在は、現住でなくても、放火の時に現に人がいること。そして、その人は、犯人以外の者です。まず現住か、次に現在か、どちらでもなければ、109条以下の問題になります。108条を、もう一度読みます。今日は、建造物、という言葉に注目してください。

条文刑法108条

刑法108条(現住建造物等放火) 放火して、現に人が住居に使用し又は現に人がいる建造物、汽車、電車、艦船又は鉱坑を焼損した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の拘禁刑に処する。

前回は、この条文を、一つの建物について、現住か現在かを見る、という段階で読みました。今日は、その手前です。そもそも、どこまでが一つの建造物なのか。条文の建造物は、一つの単位です。その単位の取り方で、108条になるかどうかが変わります。

問題の所在・一つとして見るか、分けて見るか

問題の所在・複合的な建造物 図:問題の所在・複合的な建造物

冒頭の店舗兼住宅を、図にします。Aが、燃やした1階の倉庫。Bが、人のいる2階の住まいです。二つは、つながっています。このように、人のいる部分と、そうでない部分からなる建物を、複合的な建造物と呼んでおきます。問題は、その人のいない部分にだけ放火したときです。全体を一つの現住建造物と見るのか。それとも、燃やした部分だけを切り離して、人が住まず、人もいない建造物、つまり、非現住かつ非現在の建造物と見るのか。この差は大きいです。一つと見れば、108条で、死刑または無期もしくは5年以上の拘禁刑です。分けて見れば、109条1項で、2年以上の有期拘禁刑です。同じ火つけで、罪名も刑も、大きく変わります。だから争われます。この論点を、客体の一個性といいます。

答案では、108条か109条かを選ぶ前に、燃やした部分を含めて、どこまでを一つの建造物と見るかを決めることになります。論文で論点になりうるところです。

決め手は、人に対する危険

判断基準の導き方 図:判断基準の導き方

ここで1問です。前回、108条が特に重い理由は、二つの危険でした。何と何でしたか?一つは、不特定または多数の人の生命、身体、財産を脅かす公共の危険です。もう一つは、直接に放火の客体になった建造物の中にいる人に対する危険です。今日の物差しは、二つ目から出てきます。108条が、他の放火より重いのは、中に人がいる、または人がいる可能性が高い建物に火がつけば、中の人の命まで危ないからです。そうであれば、一つの建造物として見る範囲も、その人への危険が及ぶ範囲で決めるのが、筋が通ります。燃やした部分に誰もいなくても、その火が人のいる部分にまで危険を及ぼすなら、108条の重さを支える危険が、現にあります。反対に、火が人のいる部分に及ばないなら、重くする理由がありません。規範として持ちます。

⭐ 論文で書く規範:【規範】客体の一個性(物理面) 一つの建造物として見る範囲は、建造物内の人に対する危険が及ぶかで決める。物理面では、燃やした部分から、現住・現在の部分へ、類型的な延焼可能性があるかを見る。 (規範(判例・通説の判断基準)——人に対する危険)

類型的、という言葉の意味を確認します。前回の「類型として、人への危険がある」と同じで、一件ごとの結果を確かめずに、形で見る、という意味です。現実に、人のいる部分まで燃え移ったか、ではありません。普通に考えて、燃え広がりうる形になっているか、です。結果として、火が途中で消し止められても、人のいる部分に届かなくても、結論は変わりません。放火の時点で、その建物の構造が、火が届きうる形になっていたかを見ます。導火線のようなものです。つながった部分を伝って火が届く形なら、端に火をつけても、危険にさらされるのは奥にいる人です。境界を、ペアで見ます。階段や天井でつながった、木造の倉庫と住まいは、火が伝わる形です。一つとして見ます。一方、庭を隔てて離れて建つ別棟の倉庫は、火をつけても、普通は住まいまで届きません。住まいの人に危険が及ばないので、分けて見ます。

つながりさえあれば、いつも一つと見る、とは言い切りません。慎重に言います。今日は、延焼の可能性がある物理的なつながりか、という言い方に留めます。つながりがあっても燃え移りようがない場合は、別の扱いが必要になります。それは、最後に、問いとして残します。今日の物差しは一つです。燃やした場所ではなく、その火が、人のいる部分に届く形かどうかです。

冒頭の答えと、判例の同型

店舗兼住宅の答え・火は2階に届くか 図:店舗兼住宅の答え・火は2階に届くか

冒頭の問いに答えます。ここで1問です。1階の倉庫の火は、ふつう、階段や天井を通って、2階の住まいに届きうるでしょうか?木造ですし、階段も天井もつながっているので、届きうると思います。類型的な延焼可能性があります。だから、この建物は全体を一つの現住建造物と見ます。倉庫は、現住の部分と一体です。深夜の放火は、108条の問題です。燃やした倉庫に、誰もいなかったことは、結論を左右しません。もう一つ。類型的、ですから、実際に2階まで燃え移ったかも問いません。倉庫の火を、近所の人がすぐに消し止めて、2階には煙さえ届かなかったとしても、火をつけた時点で、2階に届きうる形だった以上、全体を一つの現住建造物と見る結論は同じです。決め手を、もう一度言います。108条は、建物の中の人への危険があるから重い。2階で寝ている一家には、1階の火が届きます。そこに危険がある以上、狙いが倉庫でも、危険を負うのは同じです。大審院にも、同じ型の判例があります。学校の校舎で、1階の一室が宿直室になっていて、教員が夜に泊まっている。その校舎の2階に放火した事案で、現住が認められました。人のいない部分に放火しても、つながった建物の全体が、現住とされる例です。判決自体は、宿直室のある校舎は全体が現住建造物だ、と述べたもので、延焼の可能性を論じたわけではありません。今日の物差しで言えば、2階の火が、同じ建物の1階の宿直室に届きうる形だった、ということです。

判例——社殿の全体は一つか

事案の関係図・廻廊でつながる社殿 図:事案の関係図・廻廊でつながる社殿

判例で確かめます。京都の神社の、社殿に放火された事案です。社殿は、本殿、拝殿、社務所、守衛詰所などの多数の建物からなり、それらが廻廊や歩廊でつながって、中央の広場を囲んでいます。夜は、神職と守衛ら4人が宿直し、社務所や守衛詰所で就寝していました。放火されたのは、祭具庫や西翼舎などです。弁護人は、こう主張しました。人がいた社務所などと、燃やした建物とは、別々の建造物だ。だから、非現住建造物放火にとどまる、という主張です。冒頭の問いと同じ構図です。判旨を、3枚に分けて読みます。まず、構造と、延焼の可能性です。

判例最決平1・7・14 刑集43巻7号641頁

構造と延焼の可能性 (1)平安神宮社殿は、東西両本殿、祝詞殿、内拝殿、外拝殿(大極殿)、東西両翼舎、神楽殿(結婚儀式場)、参集殿(額殿)、齋館、社務所、守衛詰所、神門(応天門)、蒼龍楼、白虎楼等の建物とこれらを接続する東西の各内廻廊、歩廊、外廻廊とから成り、中央の広場を囲むように方形に配置されており、廻廊、歩廊づたいに各建物を一周しうる構造になつていた、(2)右の各建物は、すべて木造であり、廻廊、歩廊も、その屋根の下地、透壁、柱等に多量の木材が使用されていた、(3)そのため、祭具庫、西翼舎等に放火された場合には、社務所、守衛詰所にも延焼する可能性を否定することができなかつた

物理面の事実が、三つ並んでいます。建物が廻廊と歩廊でつながって、一周できる。建物も廻廊も木造で、多量の木材が使われている。そのため、祭具庫や西翼舎への放火は、人が寝る社務所や守衛詰所にも、延焼する可能性を否定できない。今日の物差し、類型的な延焼可能性そのものです。次に、社殿の使われ方です。判旨は、これを機能的な面と呼んでいます。人が、建物の全体を、ひとまとまりの生活の場として使っているか、という面です。

判例最決平1・7・14 刑集43巻7号641頁

社殿の使われ方と宿直 (4)外拝殿では一般参拝客の礼拝が行われ、内拝殿では特別参拝客を招じ入れて神職により祭事等が行われていた、(5)夜間には、権禰宜、出仕の地位にある神職各一名と守衛、ガードマンの各一名の計四名が宿直に当たり、社務所又は守衛詰所で執務をするほか、出仕と守衛が午後八時ころから約一時間にわたり東西両本殿、祝詞殿のある区域以外の社殿の建物等を巡回し、ガードマンも閉門時刻から午後一二時までの間に三回と午前五時ころに右と同様の場所を巡回し、神職とガードマンは社務所、守衛は守衛詰所でそれぞれ就寝することになつていたというのである。

夜の宿直の実態です。4人が宿直し、社務所や守衛詰所で就寝する。しかも、社殿の建物の巡回もしていました。人が社殿の全体を使って、夜を過ごしていたわけです。結論です。

判例最決平1・7・14 刑集43巻7号641頁

結論——全体が一個の現住建造物 以上の事情に照らすと、右社殿は、その一部に放火されることにより全体に危険が及ぶと考えられる一体の構造であり、また、全体が一体として日夜人の起居に利用されていたものと認められる。そうすると、右社殿は、物理的に見ても、機能的に見ても、その全体が一個の現住建造物であつたと認めるのが相当であるから、これと同旨の見解に基づいて現住建造物放火罪の成立を認めた原判決の判断は正当である。

読みどころは三つです。一つ目。一部に放火されることで、全体に危険が及ぶと考えられる、一体の構造だった。二つ目。全体が一体として、日夜、人の起居に利用されていた。三つ目。だから、物理的に見ても、機能的に見ても、全体が一個の現住建造物である。使い方に注意してください。この判例は、物理面のあてはめの代表例です。ただ、判旨は、使われ方の面、つまり、機能面も述べています。物理面と機能面の両方から、全体を一個と認めた判例です。今日の物差しに当たるのは物理面で、機能面だけで一個と言えるかは、最後の問いにつながります。廻廊でつながっていれば足りる、という判例ではありません。木造で、延焼の可能性を否定できない、という事実が、根拠に入っています。決め手を1文で言うと、こうです。この社殿は、一部に火がつけば、人の寝ている部分を含む全体に危険が及ぶ構造だったので、人への危険という108条の重さの根拠が、全体にあったのです。

燃やした部分と人のいる部分が、燃え移りうる形でつながっている点で、冒頭の店舗兼住宅と同じです。規模が違うだけで、考え方は同じです。

今日の地図(保存版)

客体の一個性・整理 図:客体の一個性・整理

まとめます。冒頭の答えです。木造で、階段や天井でつながる店舗兼住宅は、1階の倉庫の火が2階に届きうる形です。だから全体が一つの現住建造物で、倉庫だけに放火しても、108条の問題になります。問題の所在は、人のいる部分と、いない部分からなる建物の、いない部分への放火で、全体を一つと見るか、分けて見るかです。決め手は、108条が重い理由でした。建造物内の人に対する危険が及ぶか、で決めます。物理面では、類型的な延焼可能性です。現実に燃え移ったかではなく、普通に考えて、燃え広がりうるかを見ます。平安神宮の決定は、木造で廻廊や歩廊がつながり、延焼の可能性を否定できない社殿の全体を、一個の現住建造物としました。判旨は、機能面も述べていました。最後に、次の問いです。では、燃え広がる見込みが乏しいときは、どうなるのか。

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#163単独ページ動画

難燃性建造物と機能的一体性

第17章 社会的法益|公共の平穏・取引の安全・風俗 ④/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

空き部屋の内装だけを燃やした

問い・コンクリート造の空き部屋に放火 図:問い・コンクリート造の空き部屋に放火

前回の続きです。建物の一部にだけ人がいるとき、決め手は、燃やした場所ではなく、その火が人のいる部分に危険を及ぼすかどうかでした。まず物理面で、普通に考えて燃え広がりうるか、つまり類型的な延焼可能性を見ました。木造で廻廊がつながる平安神宮の社殿は、その代表例でした。今日は、その物差しが効きにくい場面を扱います。問いを二つ出します。一つ目。鉄筋コンクリート造の集合住宅で、住人のいない空き部屋の内装にだけ、火をつけました。壁も床もコンクリートで、燃えにくい建物です。ほかの部屋には住人がいます。これは、人のいる建物への放火になるでしょうか。

燃えにくい建物なら、軽く見えるかもしれません。二つ目の問いです。同じ集合住宅の、エレベーターに火をつけたら、どうでしょう。エレベーターは、ロープで下がっている箱にすぎず、住戸とは構造上ほとんど接していません。それでも、住宅への放火になるのでしょうか。答えの方向だけ先に言います。決め手は、やはり、その火が人のいる部分に危険を及ぼすかどうかです。前回の物理面に加えて、機能面という、第二の見方があります。

燃えにくい建物でも、一体か

難燃性建造物・回る余地は消せない 図:難燃性建造物・回る余地は消せない

ここで1問です。前回、類型的な延焼可能性の、類型的、とは、どういう意味でしたか?現実に燃え移ったかではなく、普通に考えて、燃え広がりうる形になっているか、という意味でした。では、冒頭の空き部屋に戻ります。空き部屋と、住人のいる部屋は、同じ建物で、物理的にはつながっています。ただ、鉄筋コンクリートは燃えにくい。そこで、こう考えたくなります。難燃性の建物なら、延焼可能性はない。だから分けて見て、空き部屋は、人が住まず、人もいない建造物として、109条の問題になる。そういう考え方です。結論から言います。この考え方は、多くの場合、とりません。燃えにくい造りでも、火が別の部屋へ回る余地を、完全には消せないからです。だから、たいていは、延焼の可能性がまだあると言えます。空き部屋も、住人のいる部分と一体の、一つの現住建造物になり、108条の問題です。

燃えにくいことと、燃えないことは、別のことです。たとえば、空き部屋の玄関のドアや窓が開いていれば、火は外の廊下やベランダへ回れます。そこに可燃物があれば、そちらから隣の部屋に届くかもしれません。天井裏や配管のまわりを、火や熱が伝うこともあります。ここは、たとえば、という話です。個別の事案で経路を確かめる、という意味ではありません。類型的に、普通に考えて、火が届きうる余地が残る、ということです。同じ観点で、現住性を肯定した高裁の裁判例もあります。注意が二つあります。一つ目。言えるのは、多くの場合は、です。常に、ではありません。二つ目。ここで見ているのは、一つの建物として見るかどうか、だけです。条文で確認します。今日も、建造物、という言葉に注目してください。

条文刑法108条

刑法108条(現住建造物等放火) 放火して、現に人が住居に使用し又は現に人がいる建造物、汽車、電車、艦船又は鉱坑を焼損した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の拘禁刑に処する。

冒頭の一つ目の答えです。鉄筋コンクリート造の集合住宅でも、空き部屋への放火は、多くの場合、住人のいる部分と一体です。人のいる建物への放火として、108条の問題になります。決め手は、前回と同じです。その火が、人のいる部分に届きうるか。燃えにくくても、届きうる余地が残る以上、人への危険は消えません。

つながりが弱くても、一体か

エレベーターと住宅部分・二種類のつながり 図:エレベーターと住宅部分・二種類のつながり

ここで1問です。エレベーターは、ロープで下がっている箱にすぎません。物理的なつながりが弱いなら、分けて見るべきでしょうか?物理面だけを見れば、分けて見る結論になりそうです。エレベーターは吊るされているだけですから、住まいへの延焼可能性は否定されそうです。まして、素材が燃えにくければ、なおさらです。ところが、結論は違います。物理的なつながりに欠けても、現住や現在の部分との、機能的な一体性が認められるなら、なお現住建造物、現在建造物として扱います。理由は、この場合にも、建造物の中にいる人に対する危険が認められるからです。判断の根っこは、前回と同じです。

建物のそれぞれの部分が、住む人の生活の中で、一体のものとして働いているか、という面です。集合住宅のエレベーターは、住人が自分の部屋へ出入りするための通り道で、いわば、玄関の延長です。玄関が燃えれば、住人は出入りも避難もできなくなります。エレベーターで火が出ても、同じです。火が燃え移らなくても、住人の出入りや避難が直接に脅かされる。そこに、人への危険があります。離れて建つ別棟なら、話は違います。たとえば、集合住宅から離れて建つ、中に誰もいない物置小屋に火をつけたとします。物理的なつながりは無く、住人の出入りや避難の通り道でもありません。住まいへの延焼も、出入りや避難の妨げも、普通は考えにくい。物理面でも機能面でも一体と言えなければ、分けて見ます。判例を読みます。集合住宅のエレベーターに放火した事案です。

判例最決平1・7・7 集刑252号203頁

エレベーターへの放火 なお、一、二審判決の認定によれば、被告人は、一二階建集合住宅である本件マンシヨン内部に設置されたエレベーターのかご内で火を放ち、その側壁として使用されている化粧鋼板の表面約〇・三平方メートルを燃焼させたというのであるから、現住建造物等放火罪が成立するとした原審の判断は正当である。

決定文は短いです。12階建ての集合住宅のエレベーターのかごの中で火をつけ、側壁の鋼板を、約0.3平方メートル燃やした。この事実のもとで、現住建造物等放火罪が成立するとした原審の判断は正当だ、と述べます。理由は書かれていません。ですから、機能的な一体性、玄関の延長、という言葉は、決定文にはありません。この結論は、エレベーターを玄関の延長と見て、現住部分との機能的な一体性がある、と見ることで説明されます。判例が言った理由ではなく、結論の説明として持ってください。わずかな焼け方でも成立するのか、という疑問は残ります。ただ、それは、燃えたと言えるか、という別の問題です。今日は、エレベーターを一つの現住建造物の一部と見るか、だけです。決め手を1文で言います。エレベーターは、住人の出入りと避難の通り道で、そこで火が出れば、建物の中の人が危険にさらされるから、住宅と一体と見るのです。冒頭の二つ目の答えは、住宅への放火として、108条の問題になる、です。

判断の手順と、答案での位置

判断の手順・物理面から機能面へ 図:判断の手順・物理面から機能面へ

判断の手順を、一本にまとめます。人のいる部分と、そうでない部分からなる建造物の、そうでない部分に放火したとします。まず一つ目。物理面です。現住や現在の部分へ、類型的な延焼可能性があるか。難燃性の建物でも、多くの場合は肯定されます。あれば、全体を一つの現住建造物と見て、108条です。物理面で延焼可能性が乏しいときは、二つ目に進みます。機能面です。現住や現在の部分との、機能的な一体性があるか。エレベーターのように、玄関の延長として一体に働いていれば、なお108条です。どちらもなければ、三つ目。さっきの、離れて建つ物置小屋のように、分けて見て、109条以下の問題です。この手順の縦串は、どの段も同じです。建造物の中にいる人に対する危険が、そこに及ぶか。この一本の理由で、物理面と機能面を並べています。

実際の判例は、物理面と機能面を並べて、総合して判断しています。平安神宮での機能面は、社殿の全体が、日夜、人の起居に使われていた、という使われ方でした。今日のエレベーターも、住人が出入りし避難する通り道、という使われ方です。どちらも、建物がどう使われているかから、人への危険を見ています。二段は、答案で整理するときの手順と考えてください。もう一つ、区別しておきます。ここで1問です。以前、建造物損壊で、物が建物の一部といえるかは、どんな二つの要素で決まりましたか?接合の程度と、建物における機能上の重要性、でした。同じ、一体性、という言葉ですが、目的が違います。建造物損壊の、建物の一部か、は、損壊の対象になる範囲を決めるものでした。放火の一個性は、人への危険がどこまで及ぶか、つまり、どこまでを一つの現住建造物と見るかを決めるものです。どちらにも、機能、という言葉が出ます。建造物損壊の、機能上の重要性は、その物が建物の役に立っているか。放火の、機能的な一体性は、その部分が住む人の出入りや生活とつながっていて、火が人に危険を及ぼすか、です。最後に、答案での位置です。この論点で、どの条文の罪で検討するかが決まります。重い108条になるのか、それより軽い109条や110条にとどまるのか、その分かれ目です。どの条文の構成要件に当てはめるかを選ぶので、構成要件選択の論点と呼びます。どの罪かが決まらないと、その先の検討に進めません。だから、通常は、答案の冒頭で検討します。論文で論点になりうるところです。

整理と、冒頭の答え

客体の一個性・整理 図:客体の一個性・整理

まとめます。冒頭の二つの問いに答えます。一つ目。鉄筋コンクリート造の集合住宅の空き部屋に放火しても、燃えにくいだけで、延焼のおそれが絶対にないとはいえません。多くの場合は、なお延焼可能性を肯定できて、全体が一つの現住建造物になります。108条の問題です。二つ目。エレベーターは、物理的なつながりが弱くても、玄関の延長として、機能的に一体です。住宅への放火として、108条の問題です。物差しは、最初から一本です。その火が、建造物の中にいる人に対する危険を、及ぼすか。物理面では、類型的な延焼可能性を見ます。難燃性でも、多くは肯定です。物理面が弱くても、機能面の一体性があれば、なお一つと見ます。どちらもなければ、分けて見て、109条以下です。この手順は、答案の冒頭で使います。今日のエレベーターの事案も、もう一度出てきます。

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#164単独ページ動画

放火罪の焼損と独立燃焼説

第17章 社会的法益|公共の平穏・取引の安全・風俗 ⑤/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

鋼板が少し焼けただけで既遂か

問い・鋼板の表面が焼けた/畳だけが焼けた 図:問い・鋼板の表面が焼けた/畳だけが焼けた

前回の最後に、エレベーターの事案はもう一度出てくる、と言いました。今日がその回です。集合住宅のエレベーターのかごの中で火をつけ、側壁の鋼板の表面が、少し燃えました。前回は、これを人のいる建物への放火と見る、というところまで確かめました。あのときは、一つの現住建造物の一部として扱えるか、という面だけを見ています。今日の問いは、その先です。表面が少し焼けただけで、放火は完成した、つまり既遂と言えるのでしょうか。もう一つ、問いを出します。人が住んでいる家に火をつけたところ、畳が燃えただけで、消し止められました。既遂でしょうか。未遂でしょうか。

分からないのが自然です。放火の既遂は、覚える前に、線の引き方の理屈を持つと楽になります。理屈が分かれば、畳の場合も、鋼板の場合も、同じ物差しで答えが出ます。答えの方向だけ先に言います。決め手は、建物を使えなくしたかどうかではありません。火が建物そのものに移って、燃え続けているかどうかです。

放火という行為

放火の意義・媒介物と不作為と着手 図:放火の意義・媒介物と不作為と着手

条文から入ります。前に見たとおり、108条は、放火して、という行為と、焼損した、という結果の、二段になっています。今日は、その両方を扱います。

条文刑法108条

刑法108条(現住建造物等放火) 放火して、現に人が住居に使用し又は現に人がいる建造物、汽車、電車、艦船又は鉱坑を焼損した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の拘禁刑に処する。

放火とは、目的物の焼損を引き起こす行為です。ここで大事なのは、建物に直接火をつけなくても構わない、という点です。たとえば、建物を燃やすつもりで、軒先に積んだ古新聞に火をつけます。古新聞のように、火を建物へ運ぶ役をする物を、媒介物と呼びます。媒介物に火をつけることも、放火です。狙いが建物の焼損なら、火をつけた先が古新聞でも、行為としては放火になります。作為に限りません。以前に見た、炭火の不始末の判例を思い出してください。自分の不注意で出した火を、その火で建物が燃えることを認めながら、消さずに立ち去った事案でした。消せるのに消さない不作為が、放火の行為になりうるのです。ここで1問です。ガソリンを撒いた時点で、放火の着手が認められたのはなぜでしたか?

ガソリンは引火しやすくて、火の気があれば引火が避けられないほどでした。だから、燃える危険が切迫していたからです。火をつける前でも、引火性の高い物を撒けば、着手が認められうる。物の性質が、危険を前倒しするのでした。つまり、放火の行為は、火を建物に近づける流れの全体を指します。点火の前のガソリンの撒布から、古新聞への点火まで、幅があります。今日は、この流れのさらに先、火が建物に移ったあとの話です。着手のさきにある、既遂の線を扱います。

焼損の意義・独立燃焼説

独立燃焼説・理由の道筋 図:独立燃焼説・理由の道筋

108条は、焼損した時に既遂になります。では、どこまで燃えたら、焼損なのか。ここは、学説が激しく対立する所です。まず、判例の考え方を、理由から組み立てます。ここで1問です。放火罪が守っているのは、以前の回で見た、何でしたか?不特定または多数の人の生命、身体、財産、つまり公共の危険が生じないこと、でした。ここから理屈を組みます。放火罪は、公共危険罪です。守るのが公共の危険が生じないことなら、その危険が生じた時点で完成、と考えるのが素直です。建物の持ち主の損害が大きいかどうかは、二の次になります。では、いつ公共の危険が生じたと言えるか。火が、媒介物を離れて、建物に移り、建物が自分の力で燃え続けている状態を考えます。誰かが消さない限り、火は勝手に燃え広がります。隣の家に移るのか、中や近くにいる人に及ぶのか、誰が巻き込まれるかは、もう火まかせです。周りの家にまだ火が移っていなくても、燃え広がる筋道ができています。少なくとも抽象的には、公共の危険が生じた、と言えます。身近な例で考えます。キャンプで、マッチの火を薪に近づけます。マッチを捨てても、薪が自分で燃え続けていたら、もう火は人の手を離れています。逆に、焚き付けの新聞が燃えているだけなら、まだ薪には移っていません。火が、人の手を離れて、独り立ちしたかどうか。ここに、線を引くのです。そこで判例は、焼損を、こう定義します。

⭐ 論文で書く規範:【規範】焼損の意義(独立燃焼説) 焼損とは、火が媒介物を離れて目的物に移り、目的物が独立に燃焼を継続する状態をいう。 (規範(判例)——公共の危険から引いた既遂の線)

この規範を、事案に当てはめてみます。たとえば、Aが、人の住む家の軒先に積んだ古新聞に、ライターで火をつけたとします。古新聞が燃え、Aがライターを離しても、古新聞は燃え続けています。ただ、燃えているのは媒介物です。火が目的物に移っていません。定義を満たさないので、焼損ではありません。そのあと火が柱に移り、柱が自力で燃え続けたら、そこで初めて、焼損になります。放火は抽象的危険犯でした。だから、隣の家に火が及ぶ気配が実際にあったかは、問いません。目的物が独立に燃え続ける状態であれば、足ります。以前に見た、周りに火が及ぶ気配がなくても、家が焼損すれば既遂、という設例は、この理屈から出てきます。判例を読みます。

判例大審院判決 大正7年3月15日

焼損の意義 放火の行為が一定の目的物の上で行われ、火が導火材料(媒介物)を離れて、独立して燃焼作用を営むことができる状態にあるときは、公共の静謐に対する危険はすでに生じている。したがって、目的物を全然その効用を失わせるに及ばなくても、焼損の結果を生じ、放火の既遂状態に達したものとする。

これは、判旨の趣旨をまとめたものです。読むポイントは、三つあります。一つ目は、火が媒介物を離れて、独立に燃える状態になったこと。二つ目は、その時点で、公共の静謐、つまり公共の安全に対する危険が生じていること。三つ目は、建物の使い道を失わせるに至らなくても、既遂になること、です。三つ目が、あとで見る、ほかの見方との分かれ目です。建物がまだ使えても、独立に燃え出していれば、既遂です。では、段階で見ましょう。人の住む家に火をつけ、火が広がっていく流れを、時間順に追います。

焼損の段階・媒介物から建物の一部へ 図:焼損の段階・媒介物から建物の一部へ

まず古新聞に点火します。古新聞が燃え出し、ライターを離しても燃え続けます。ここで1問です。古新聞が独立に燃え続けています。畳にはまだ移っていません。既遂でしょうか?燃えているのは、火を運ぶ古新聞だけです。建物が燃えたわけではないので、未遂だと思います。独立に燃えていても、燃えているのが媒介物なら、未遂です。独立、という言葉に引きずられないでください。独立に燃えることは必要ですが、それだけでは足りません。燃えているのが、目的物でなければならないのです。次に、火が畳とふすまに移り、それらが独立に燃え出します。これも、まだ未遂です。畳とふすまは、家の一部のようでいて、判例は、建物の一部とは見ないからです。

見分け方があります。こわさなければ取り外せない物か、を見るのです。畳やふすま、押入れの引き戸は、こわさずに外せます。持ち上げれば、外れます。だから、建物に付いて使われてはいても、建物とは別の物です。こういう物を、従物と呼びます。柱や壁、天井板は、こわさないと外せません。だから、建物の一部です。柱や天井板が独立に燃え出したとき、焼損で、既遂になります。単に、建物に据え付けてあるだけでは足りません。畳は、部屋に敷き詰められていますが、それでも従物です。据え付けの有無ではなく、こわさずに外せるか、が基準です。判例を読みます。

判例最判昭25・12・14 刑集4巻12号2548頁

畳は建物の一部か 建具その他家屋の従物が建造物たる家屋の一部を構成するものと認めるには、該物件が家屋の一部に建付けられているだけでは足りず更らにこれを毀損しなければ取り外すことができない状態にあることを必要とするものである。従つて、判示布団は勿論判示畳のごときは未だ家屋と一体となつてこれを構成する建造物の一部といえないこと多言を要しないから、原判決の前示判示は、建造物の放火既遂の犯罪事実を認定判示したものではなく、その放火未遂の認定判示であるといわなければならない。

事案は、人の住む家屋の布団の中に薪を差し入れ、マッチの軸木を添えて点火し、布団3枚と、その下の畳約30センチ四方、深さ約1.5センチを焼いたものです。判旨の前半は、さっきの見分け方そのものです。従物が建物の一部と言えるには、建付けられているだけでは足りず、こわさないと外せない状態が必要です。後半で、布団はもちろん、畳も建物の一部と言えない、として、既遂ではなく、未遂と判断しました。一つ、切り分けます。建造物損壊で、物が建物の一部かを見たときは、接合の程度と、建物での機能上の重要性を見ました。あれは、壊した物が建造物損壊になるか、器物損壊になるかを分けるための見方です。放火では、どこまで燃えたら既遂か、を決めるために、こわさないと外せないか、を見ます。問いが別なので、見る点も別です。放火の回の初めに、建造物の意義は放火でも同じ、と言いました。それは、どんな物が建造物か、の話です。建物のどこまでが燃えたら焼損か、は、こわさないと外せないか、で見ます。冒頭の二つ目の問いの答えが、ここで出ます。畳だけが燃えて消し止められたなら、未遂です。燃えている畳も、危ないことに変わりはありません。それでも未遂になるのは、108条が焼損を求めている相手が、建造物そのものだからです。畳は、こわさずに外せる、建物とは別の物です。外せる物が燃えているうちは、その物を外へ出したり、その物だけを消したりして、火を建物から切り離す余地が残ります。こわさないと外せない柱や壁が燃え出したら、もう火を建物から切り離せません。畳が燃えているだけなら、火はまだ建物そのものに移っていません。既遂の線は、建物を使えなくしたかではなく、火が建物そのものに移って燃え続けたかで引くのでした。

他の見方との比較

既遂の時期・各説の比較 図:既遂の時期・各説の比較

独立燃焼説には、批判があります。ここで、もう1問です。木造の家なら、柱が少し燃えただけで既遂になります。それで問題ないでしょうか?実際に、柱が少し燃えただけで既遂とするのは早すぎる、と考える見方が出ました。既遂の線を遅く引く見方です。同じ火事を使って、判例の独立燃焼説を含めた四つの見方で、既遂がいつになるかを並べます。設例は、さっきの家です。火が柱に移って独立に燃え出し、そのあと、さらに燃え広がって、家の重要な部分が焼け落ちていく、という時間の流れです。一番早いのが、判例の独立燃焼説です。柱が独立に燃え出した時に、既遂です。効用喪失説は、火力で建物の重要部分が焼け落ちて、建物の本来の使い道を失った時に、既遂とします。柱が燃え出した段階では、まだ家は使える。だから、まだ既遂ではない。焼け落ちて、住めなくなって初めて、既遂です。四つのなかで、一番遅い線です。毀棄説は、火力で、建物が壊されたと言える程度になった時に、既遂とします。物を壊す罪、毀棄罪の損壊と同じ程度、という考え方です。重要部分が焼け落ちるところまでは求めず、一部が壊れれば足ります。さっきの家で言えば、柱が焼けて欠け、建物の一部が壊れたと言える状態になった時です。燃え上がり説は、建物の重要な部分が燃え始めて、簡単には消せない状態になった時に、既遂とします。さっきの家で言えば、柱から天井へと火が回り、もう簡単には消し止められない勢いになった時です。重要な部分、という所に建物の価値の目線が、簡単には消せない、という所に火の危険の目線が入っています。独立燃焼説と効用喪失説の間に位置する見方です。

効用喪失説や毀棄説が重く見ているのは、建物を使えなくしたか、こわしたか、という財産犯の面です。人の物を壊したり、使えなくしたりすると、財産の罪になりますね。その発想を、放火に持ち込んでいるのです。燃え上がり説は、財産の面と火の危険の面を、両方加味する見方です。しかし、放火罪が守るのは、財産だけではありません。人の生命と身体も含みます。建物がまだ使えるうちにも、火が広がれば、中の人や周りの財産が危なくなります。財産の目線で既遂を遅らせると、この危険を見逃します。だから、公共の危険から線を引く独立燃焼説が、妥当です。判例の結論も、はっきり違います。先ほどの判旨は、効用を失わせるに及ばなくても既遂、と言っていました。効用喪失説とは、結論が逆です。ここまでを、一言でまとめます。既遂の線を、建物の財産としての価値から引くか、火が生む公共の危険から引くか。この違いが、各説の差になっています。焼損の意義は、論文で論点になりうるところです。ここでは、定義と、この理由をセットで持ってください。

エレベーターの事案の焼損の面

エレベーターの鋼板・燃えた事案 図:エレベーターの鋼板・燃えた事案

冒頭の一つ目に戻ります。前回読んだ判例を、もう一度出します。

判例最決平1・7・7 集刑252号203頁

エレベーターへの放火 なお、一、二審判決の認定によれば、被告人は、一二階建集合住宅である本件マンシヨン内部に設置されたエレベーターのかご内で火を放ち、その側壁として使用されている化粧鋼板の表面約〇・三平方メートルを燃焼させたというのであるから、現住建造物等放火罪が成立するとした原審の判断は正当である。

前回は、この事案を、エレベーターが住宅の一部と言えるか、という面で読みました。今日は、燃えた、という事実に目を向けます。鋼板の表面が、燃焼した、とあります。ただ焼け焦げたのではなく、燃えたのです。しかも、側壁として使われている板です。決定文は、従物かどうかまでは述べていません。ただ、今日の物差しで見れば、壁の役目を果たしている板は、畳のようにこわさずに外せる物とは違う、と整理できます。注意があります。決定文は結論だけで、焼損、独立に燃焼、独立燃焼説、という言葉を使っていません。判例が独立燃焼説を適用した、とは言えません。言えるのは、側壁の鋼板の表面が燃焼した、という事実で、成立を認めた、というところまでです。

今日の物差しで考えます。焼損の線は、建物を使えなくしたかではなく、目的物に火が移って燃えたか、でした。エレベーターは、使えなくなるほど焼けたわけではありません。それでも、壁として使われている板に、火が移って燃えたのなら、その時点で、人のいる建物に危険が及んでいます。少しの燃え方でも、成立を認めた結論は、この筋で理解できます。逆に、同じエレベーターでも、火が床に敷いただけのマットや、置いてあった荷物にだけ移り、壁の板は燃えなかったとします。マットも荷物も、こわさずに外せます。それなら、外せる物が燃えただけで、まだ未遂の場面です。燃えたのが、壁として使われている板か、それとも外せる物か。そこが、分かれ目です。

前回の燃えにくい建物は、一つの建物と見てよいか、という面の話でした。建物が燃えずに、ただ焦げたり、剥がれ落ちたりする場合に、焼損と言えるのかは、また別の問題です。今日の定義は、燃えることを前提にしています。

整理と、冒頭の答え

放火と焼損・整理 図:放火と焼損・整理

まとめます。放火とは、焼損を引き起こす行為で、媒介物への点火も、不作為も含みます。着手は、引火性の高い物の撒布でも認められうるのでした。焼損とは、火が媒介物を離れて目的物に移り、目的物が独立に燃え続ける状態です。判例の立場で、理由は、放火罪が公共危険罪で、その危険が生じたかで既遂の線を引くからです。段階は、媒介物、従物、建物の一部の順です。媒介物や畳だけが燃えても未遂で、こわさないと外せない柱や壁が燃えて、既遂です。効用喪失説や毀棄説は、財産の面を重く見て、既遂を遅く引きます。人の生命や身体への危険を軽く見る点が、弱みです。冒頭の答えです。畳だけが燃えて消し止められたなら、未遂です。エレベーターの鋼板の表面が燃えたなら、独立燃焼説の物差しでは、建物の一部に火が移って燃えたので、焼損と説明できます。決定文そのものは、焼損という言葉を使っていません。決め手は、建物を使えなくしたかではなく、火が建物に移って燃え続けたか、でした。

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#165単独ページ動画

難燃性建造物の焼損と放火の未遂・予備

第17章 社会的法益|公共の平穏・取引の安全・風俗 ⑥/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

燃えていないのに、使えなくなった建物

問い・燃えていない建物は既遂か 図:問い・燃えていない建物は既遂か

前回は、焼損の線を、こう引きました。火が媒介物を離れて建物に移り、建物が独立に燃え続けた時に、焼損です。エレベーターの事案は、側壁の鋼板の表面が実際に燃えた事案でした。今日は、この定義に、厄介な場面をぶつけます。Aが、人の住むコンクリートの建物に火をつけました。中の物が燃え、その熱で壁が剥がれ落ち、有毒ガスが出て、建物は住めなくなりました。ただし、建物そのものは、燃えていません。既遂でしょうか。未遂でしょうか。建物の使い道は失われたのに、建物そのものは燃え続けていない。引っかかるのは、そこです。答えの決め手だけ先に言います。焼損という言葉が、燃えることを指しているかどうかです。今日は、この答えを、条文の言葉から組み立てます。そのあと、放火の未遂と予備、少し特別な115条、最後に罪数を見ます。

燃えない建物の焼損

前回の物差しを燃えない建物に当てる 図:前回の物差しを燃えない建物に当てる

ここで1問です。前回の復習です。焼損とは、火がどうなった状態のことでしたか?火が媒介物を離れて、目的物に移り、目的物が独立に燃え続ける状態、でした。では、この定義を、冒頭の建物に当てます。建物は、燃えていません。中の物が燃えたのは、火を運ぶ媒介物が燃えたに過ぎません。定義を満たさないので、焼損ではありません。ここまでは、前回の物差しのとおりです。問題は、ここからです。近年は、コンクリートなど、燃えにくい材料で造られた建物が増えました。こういう建物を、難燃性建造物と呼ぶのでした。燃えにくいことと、燃えないことは別、とも確かめました。ただ、中の物が燃えて熱が出ても、建物そのものは独立に燃えずに終わることが、多いのです。ここで燃えない建物と言うのは、この、実際には独立に燃えなかった場合のことです。それでも、壁が剥がれ落ちたり、有毒ガスが出たりして、建物としては使えなくなります。

使えなくなって、有毒ガスで人まで危ないのに、未遂で済ませていいのでしょうか。そこが、争いの出発点です。放火罪は公共危険罪ですから、危険が生じているのに未遂にとどまるのはおかしい、という感覚は自然です。この感覚に応える見方が、併用説です。効用喪失説を併用する見解で、新効用喪失説とも呼ばれます。併用説は、原則としては独立燃焼説に立ちます。そのうえで、火力によって建物が効用を失うに至った場合にも、既遂を認めます。つまり、独立に燃えれば既遂、に加えて、燃えなくても、建物として使えなくなったら既遂、と足す形です。前回の効用喪失説は、建物が本来の使い道を失うまで既遂にしない、線を遅く引く見方でした。併用説は逆に、独立燃焼で足りる場合は、そのまま既遂とします。そのうえで、燃えない建物の場面だけを、効用喪失で拾い足します。これに対して、批判があります。焼損は、文言上、燃えることです。建物が効用を失ったことを、焼損と読むことはできません。これが、文理上の制約です。この批判を、そのまま結論にする見方が、否定説です。独立燃焼が無い以上、焼損にあたらず、未遂にとどまる、と考えます。条文でいえば、108条の罪の未遂です。未遂を罰するのは112条で、あとで条文を見ます。

区別・渡れない≠凍った、使えない≠燃えた 図:区別・渡れない≠凍った、使えない≠燃えた

危険があるのに、言葉にそこまでこだわるのは、なぜですか。刑罰の条文は、言葉の意味の範囲でしか使えないからです。身近な例で考えます。寒さで池が、誰も渡れない状態になったとします。でも、水のままなら、凍った、とは言えません。渡れないことと、凍ったことは別です。同じように、建物が使えなくなることと、燃えたことは別です。言葉が燃えることを指しているのに、燃えていない建物を焼損と呼べば、処罰の範囲を、言葉の外へ広げることになります。併用説にも、理由があります。燃えなくても、有毒ガスで人の命が危うくなる点では、燃えた場合と同じだからです。ただ、現行の条文の言葉を前提にするなら、否定説のほうが素直です。併用説を採る場合は、文理の制約をどう乗り越えるのかを、説明する必要があります。

燃えない建物・二つの見方 図:燃えない建物・二つの見方

表で整理します。建物そのものが独立に燃えたなら、どちらの説でも既遂です。真ん中のぎょう、燃えてはいないが、壁が剥がれ落ち、建物として使えなくなった場合だけ、併用説は既遂、否定説は未遂に分かれます。下のぎょう、煤がついた、一部が溶けた、というだけで、建物としては使えるなら、効用を失っていません。この場合は、併用説でも未遂です。分かれ目は、燃えていない建物に、既遂を認める余地があるかの、ただ一点です。混ぜてはいけない点が、一つあります。冒頭で触れたとおり、前回のエレベーターは、実際に燃えた事案でした。今日の争いは、燃えていない建物で、焼損という言葉をどう読むか、という別の問題です。冒頭の答えが出ました。コンクリートの建物が、燃えずに使えなくなった場合。併用説なら既遂、否定説なら未遂です。決め手は、焼損という言葉が、燃えることを指しているか、という文理でした。難燃性建造物の焼損は、論文で論点になりうるところです。理由と一緒に持っておいてください。

放火の未遂と予備

予備、着手、焼損・放火の段階 図:予備、着手、焼損・放火の段階

ここで1問です。以前に見た、ガソリンを撒いただけで、火をつける前でも放火の着手が認められたのは、なぜでしたか?ガソリンの引火性が強くて、火の気があれば引火することが必定で、燃える危険が切迫していたからです。この着手の線が、今日の未遂と予備の境目になります。まず条文です。未遂は、112条に書かれています。

条文刑法112条

刑法112条(未遂罪) 第百八条及び第百九条第一項の罪の未遂は、罰する。

注目してほしいのは、範囲です。未遂を罰するのは、108条と、109条1項の罪だけです。109条1項は、人が住んでおらず、中にも、だれもいない、他人の建物への放火でした。この2つは、以前見た抽象的危険犯です。型は、条文に公共の危険という言葉があるかどうかで決まるのでした。刑の重さで決まるのではありません。ただ、結果として、この2つは放火の罪の中で重いほうでもあります。これに対して、自分の物についての109条2項と、建物以外の物についての110条は、条文に公共の危険が書かれた具体的危険犯でした。公共の危険が現に生じて初めて成立する、軽いほうの罪です。条文は、重いほうの2つに限って、焼損の手前まで処罰を広げています。だから、109条2項や110条の罪の未遂は、罰しません。未遂と既遂の線は、焼損で引くのでした。たとえば、人の住む家の軒先の古新聞に火をつけ、古新聞だけが燃えて消し止められたら、108条の未遂です。前回見た判例も、畳は建物の一部ではないとして、未遂としていました。さきほどの燃えない建物も、否定説なら、この112条の未遂に入ります。未遂は、43条で刑を減軽できます。既遂との違いが、ここに出ます。次に、予備です。

条文刑法113条

刑法113条(放火予備) 第百八条又は第百九条第一項の罪を犯す目的で、その予備をした者は、二年以下の拘禁刑に処する。ただし、情状により、その刑を免除することができる。

予備とは、犯罪の準備行為のことで、実行の着手より手前の段階です。113条は、目的犯です。108条か109条1項の罪を犯す目的で、予備をしたことが要ります。たとえば、人の住む家を燃やそうと考えて、ガソリンを買い集め、現場を下見した段階です。この段階で、犯罪は成立します。放火は、被害が大きく、取り返しがつかない罪だからです。だから、手前の準備も罰します。ただし、どこまでも手前を罰するわけではありません。買い集めて、車に積んでいるだけなら、予備です。一方、現場でガソリンを撒いたら、切迫した危険が生じています。ここからは、予備ではなく、着手で、未遂です。予備と未遂の境は、さっきの物差し、切迫した危険が生じたかどうかです。113条には、ただし書があります。情状により、刑を免除することができる、という任意的な免除です。以前に見た、予備の中止に中止未遂の規定を準用できるかという争いは、このただし書がある放火予備では、実益が薄いのでした。整理します。予備は、着手の手前で113条、着手のあと焼損の前が112条の未遂、焼損して既遂。予備を罰するのは、108条と109条1項を犯す目的の場合に限られます。未遂と同じく、重いほうの2つです。

115条、自分の物でも

自分の物でも、他人の物の例 図:自分の物でも、他人の物の例

次は、115条です。放火の罪には、燃やした物が自分の物か他人の物かで、扱いが分かれるものがあります。自分の物を燃やす場合は、原則として、他人の物を燃やす場合より軽く扱います。自分の物なら、持ち主が自由にしてよい面があるからです。ところが、自分の物でも、他人の権利や利益がからんでいるなら、話が別です。条文を見ます。

条文刑法115条

刑法115条(差押え等に係る自己の物に関する特例) 第百九条第一項及び第百十条第一項に規定する物が自己の所有に係るものであっても、差押えを受け、物権を負担し、賃貸し、配偶者居住権が設定され、又は保険に付したものである場合において、これを焼損したときは、他人の物を焼損した者の例による。

差押えを受けた物は、債権者の権利がかかっています。物権を負担した物は、抵当権などが付いています。賃貸した物は、借りた人が使っています。配偶者居住権が設定された物には、配偶者がその家に住み続ける権利があります。保険に付した物は、保険会社が保険金を払う立場にあります。こういう物を燃やせば、他人の物を燃やしたのと同じ害が出ます。だから、他人の物の例によります。108条は、自分の物かどうかで、罪を分けていません。人が住んでいる家は、持ち主が自分でも他人でも、同じ108条です。だから、115条の出番がありません。出番があるのは、人が住んでいない、自分の建物などです。たとえば、Aが、自分の倉庫を、Bに貸していたとします。人は住んでいません。Aがこの倉庫を燃やせば、自分の物ですから、原則は軽い扱いです。この軽い扱いのほうは、さきほどの具体的危険犯で、公共の危険が現に生じて初めて成立します。しかし、賃貸中の倉庫なら、他人の物の例になり、109条1項の扱いになります。ここでは、条文の位置づけだけを押さえてください。何も付いていない自分の物なら、115条は使いません。

罪数、数えるのは何か

物置を媒介物にした放火 図:物置を媒介物にした放火

最後は、罪数です。放火の罪が何個成立するかの、数え方です。放火罪は、公共危険罪でした。守っているのは、不特定または多数の人の生命、身体、財産が危険にさらされないことです。だから、数える単位は、焼けた建物の数ではなく、生じた公共の危険の個数です。108条は、さきほどの抽象的危険犯で、危険が生じたかを個別には確かめない罪でした。ここで危険を数えるのは、罪が成立するかを確かめるためではありません。何個の罪にまとめるかを、決めるためです。一つ目です。たとえば、一つの火事で、人の住む母屋と、離れの両方が焼けたとします。建物は2つですが、公共の危険は1つです。だから、包括して、108条の一罪です。母屋のほかに、109条や110条の物が一緒に焼けた場合でも、生じた危険が1つなら、108条の一罪にとどまります。反対に、別の日に、別の場所で火をつければ、危険は別々に生じます。罪も、それぞれ成立します。二つ目は、少し紛らわしい場面です。行為者は、人が住んでいる家を焼くつもりでした。ところが、その家に直接火をつけず、隣にある他人の物置に、先に火をつけました。物置から、家に燃え移らせるつもりです。物置は、109条1項の物にあたります。

別の罪としては、成立させません。物置は、家を焼くための媒介物にすぎないからです。火は、物置から家へ、一続きに燃え広がっていきます。生じる公共の危険は、1つです。数える単位が危険の個数なら、罪も1つにまとめます。まとめる先は、重いほうの108条です。物置を燃やしたことは、その108条の中で評価し尽くされます。前回、古新聞が燃えただけでは既遂としなかったのと、同じ形です。結論は、二つに分かれます。家が焼損したら、108条の既遂、一罪です。家が焼損しなかったら、物置が焼けたかどうかにかかわらず、108条の未遂、一罪です。物置が燃えたからといって、別に109条の罪が加わるわけではありません。罪数の一般的なルール、包括一罪や観念的競合は、以前に見たとおりです。今日は、放火では、数える単位が、公共の危険の個数になる、という点だけ持ち帰ってください。

整理と、冒頭の答え

燃えない建物・未遂と予備・罪数の整理 図:燃えない建物・未遂と予備・罪数の整理

まとめます。燃えない建物の焼損は、併用説と否定説に分かれます。併用説は、独立燃焼を原則にしつつ、効用を失えば既遂とします。否定説は、焼損は燃えることだから、燃えなければ未遂とします。未遂を罰する112条は、108条と109条1項だけです。予備の113条は、その罪を犯す目的の場合に限り、2年以下の拘禁刑です。情状により、刑を免除できます。境は、実行の着手です。115条は、差押え、物権負担、賃貸、配偶者居住権、保険のある自己の物を、他人の物の例にします。対象は、109条1項と110条1項の物です。罪数は、生じた公共の危険の個数で数えます。冒頭の答えです。コンクリートの建物が、燃えずに使えなくなった場合。併用説なら既遂、否定説なら未遂です。現行の条文の言葉を前提にするなら、焼損は燃えること、という文理から、否定説が素直です。決め手は、建物が使えなくなったかではなく、焼損という言葉が何を指すか、でした。

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#166単独ページ動画

非現住建造物等放火と公共の危険

第17章 社会的法益|公共の平穏・取引の安全・風俗 ⑦/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

防火壁の向こうの物置

問い・防火壁があっても罪になるか 図:問い・防火壁があっても罪になるか

前回、115条のところで、賃貸中の倉庫の話をしました。自分の倉庫でも、人に貸していれば、他人の物の例になります。何も付いていない自分の物なら、もっと軽い2項です。その軽い2項は、公共の危険が現に生じて初めて成立する、と言いました。今日は、この公共の危険の中身を見ます。設例です。Aは、人が住んでおらず、中にも誰もいない、自分の物置に火をつけました。隣の家とは、分厚い防火壁で隔てられています。Aは、絶対に燃え移らないと確信していました。ところが、通りから見ると火の手が上がり、近所の人は避難を始めました。Aは、罪になるでしょうか。

引っかかるのは、本人は燃え移らないと確信していたのに、周りでは避難が始まっている、という食い違いです。決め手だけ先に言います。犯人が分かっていなければならない公共の危険が、何を指すか、です。

109条の形、1項と2項

振り分け・現住か、現在か、他人の物か 図:振り分け・現住か、現在か、他人の物か

まず、条文です。

条文刑法109条

刑法109条(非現住建造物等放火) 放火して、現に人が住居に使用せず、かつ、現に人がいない建造物、艦船又は鉱坑を焼損した者は、二年以上の有期拘禁刑に処する。 前項の物が自己の所有に係るときは、六月以上七年以下の拘禁刑に処する。ただし、公共の危険を生じなかったときは、罰しない。

客体は、現に人が住居に使用せず、かつ、現に人がいない、建造物、艦船、鉱坑です。大事なのは、かつ、です。住居に使われていないだけでは足りません。中にも誰もいないことが要ります。現住と現在の両方が否定されて初めて、109条です。汽車と電車は、この条文に入っていません。108条にだけあります。振り分けを、順に並べます。現住か。そうなら108条。現在か。そうなら108条。どちらでもなければ、109条以下です。ここに、今日の新しい枝が加わります。その建造物は、他人の物か、自分の物か。他人の物なら1項、自分の物なら2項です。例外が二つあります。一つは、前回見た115条です。自分の物でも、差押え、物権負担、賃貸、配偶者居住権、保険のどれかがあれば、他人の物の例によります。賃貸中の倉庫が1項になったのは、これです。もう一つは、他人の物でも、所有者の同意があるなら、自己の物として扱ってよいと解されていることです。誰の物でもない無主物も、同じように考えてよいでしょう。

109条・1項と2項の違い 図:109条・1項と2項の違い

1項と2項の違いは、試験でもよく問われます。1項は、文言に公共の危険がありません。前に見た、抽象的危険犯です。公共の危険が生じたかを、個別には問わない罪でした。だから、焼損すれば既遂です。焼損は、前に見たとおり、火が媒介物を離れて目的物に移り、目的物が独立に燃焼を継続する状態でした。そこで、少なくとも抽象的には危険が生じた、と見て線を引いたのでした。2項は、焼損しただけでは足りません。ただし書のとおり、公共の危険が、その事件で現に生じて初めて、罰します。これが、具体的危険犯です。同じ、誰もいない空き倉庫でも、他人の物なら、焼損で1項が成立します。自分の物で、周りに何もない野原の一軒なら、火が広がる恐れがないので、2項は成立しません。

自分の物だと条件が一つ増えるのは、持ち主が自由にしてよい面があるからです。たとえば、自分の庭で焚き火をしても、ふつうは咎められません。問題になるのは、隣の洗濯物や通りの人に危険が及んだときです。自分の建物の焼損も同じで、それだけなら、本来は違法ではありません。周りの人を危険にさらしたときに、初めて犯罪になります。この筋が、あとの認識の問題にもつながります。

今日の道筋 図:今日の道筋

ここまでが、109条の形です。この先は、公共の危険とは何か。そのうえで、犯人は公共の危険を分かっている必要があるのか。最後に、未遂と予備の範囲です。

公共の危険とは何か

公共の危険の意義・限定説と非限定説 図:公共の危険の意義・限定説と非限定説

ここで1問です。前に見た、具体的危険犯とは、どんな罪のことでしたか?復習です。109条2項は、この具体的危険犯でした。では、認められるべき公共の危険とは、何でしょうか。意味は、不特定または多数人の生命、身体、財産に対する危険です。誰に及ぶかが決まっていないか、数が多い。そういう人たちの安全が、脅かされることです。判断の基準は、一般人の印象です。多数説は、一般の人がその場で危ないと感じるかで見ます。実際に燃え移る見込みがあるかどうかは、決め手にしません。燃え移るかどうかは、あとで調べて初めて分かることも多いです。でも、周りの人たちは、その場で見て危ないと感じれば、身を守るために動かざるをえません。その時点で、もう安全は脅かされています。だから、物理的に燃え移るかではなく、一般人が危険を感じるかで判断します。答案では、一般人の印象からみて、不特定または多数人の生命、身体、財産に対する危険を感じさせる状態、とまとめて書くのが通常です。冒頭の設例に当てます。防火壁があるので、物理的には、隣へ燃え移れません。でも、火の手が上がり、近所の人が避難を始めました。一般人の印象からは、危険を感じる状態です。だから、公共の危険は生じている、と言えます。条文は、公共の危険とだけ書いていて、何に対する危険かは書いていません。そこで、争いが出ます。公共の危険は、108条や109条1項の客体、つまり誰かが住む建物や他人の非現住建造物に、燃え移る危険に限られるのか。限られる、とするのが限定説です。限られず、それ以外の人の生命、身体、財産に対する危険も含む、とするのが非限定説で、判例・通説です。

例で見ます。自分の無人の倉庫に放火しました。隣は空き地です。ただ、近くに、他人の駐車車両が数台あり、延焼しそうになりました。限定説だと、車は108条や109条1項の客体ではないので、公共の危険は無しです。非限定説だと、車への延焼の危険も含むので、公共の危険は有りです。判例を見ます。先に断っておきます。この事案は、109条ではなく、110条1項、建造物等以外の物への放火の事案です。ただ、110条の公共の危険も、109条2項の公共の危険も、同じ意味で読むのが一般です。だから、意味を確かめる場面で使います。

判例最決平15・4・14 刑集57巻4号445頁

駐車場の自動車への放火 被告人は,妻と共謀の上,長女が通学する小学校の担任教諭の所有に係る自動車(以下「被害車両」という。)に放火しようと企て,本件当日午後9時50分ころ,同小学校教職員用の駐車場に無人でとめられていた被害車両に対し,ガソリン約1.45lを車体のほぼ全体にかけた上,これにガスライターで点火して放火した。

判例の事実・何を拾って危険を認めたか 図:判例の事実・何を拾って危険を認めたか

決定文が認定した事実の続きです。駐車場は市街地にあり、公園や他の駐車場に隣接していました。道路を挟んで、小学校や農協の建物もありました。被害車両から3.8メートル先に、他人の無人の車があり、そのすぐ隣にもう1台ありました。東側3.4メートルには、金網などで囲んだ、燃えるごみの集積場がありました。火は、被害車両から、この2台の車とごみ集積場に、延焼する危険が及びました。弁護人は、110条1項の公共の危険は、108条や109条所定の建造物等への延焼のおそれに限られる、と主張しました。この主張は、限定説の立場です。判旨です。

判例最決平15・4・14 刑集57巻4号445頁

公共の危険は建造物等への延焼に限られない 同法110条1項にいう「公共の危険」は,必ずしも同法108条及び109条1項に規定する建造物等に対する延焼の危険のみに限られるものではなく,不特定又は多数の人の生命,身体又は前記建造物等以外の財産に対する危険も含まれると解するのが相当である。そして,市街地の駐車場において,被害車両からの出火により,第1,第2車両に延焼の危険が及んだ等の本件事実関係の下では,同法110条1項にいう「公共の危険」の発生を肯定することができるというべきである。

読みどころは二点です。一点目。公共の危険は、建造物等への延焼の危険だけに限られない。不特定または多数の人の生命、身体、建造物等以外の財産に対する危険も含む。弁護人の、限られる、という主張を退けています。二点目。市街地の駐車場で、近くの2台の車に延焼する危険が及んだ事実のもとで、公共の危険の発生を肯定しました。使い方に注意してください。決定文が述べているのは、110条1項についてです。決定文に、109条2項の語はありません。109条2項にも当てはめるのは、同じ意味で読む、という通説の整理です。筋は、こうです。公共の危険は、周りの人の安全が脅かされることを問題にします。延焼の先が、建物でなく車やごみ集積場でも、周りの人の安全が脅かされる点は同じです。だから、建造物等に限る理由はありません。公共の危険の意義は、論文でも、定義を正確に書いて、事実を拾う論点になりうるところです。

公共の危険の認識は必要か

認識の要否・不要説と必要説 図:認識の要否・不要説と必要説

ここで1問です。前に見た、故意が認められるには、犯人は何を認識している必要がありましたか?復習です。では、109条2項です。ただし書は、公共の危険を生じなかったときは、罰しない、と言います。公共の危険は、客観的に生じているべき事実です。では、犯人が、公共の危険の発生を分かっていなかったら、2項は成立しないのでしょうか。冒頭の設例のAも、燃え移らないと確信していました。これが、分かっていなかったことになるのかが、問題です。考え方は二つに分かれます。不要説は、罰しない、という文言に注目します。公共の危険は、処罰条件にすぎない、と考えます。処罰条件とは、前に見たとおり、犯罪の成立の外側に置かれ、それが無いと処罰できない条件です。成立の外側にあるので、さきほどの故意の対象には入りません。だから、認識は不要です。少数説です。必要説は、通説です。さきほどの筋を使います。自己の所有に係る非現住、非現在の建造物等を焼損することは、本来は違法な行為ではありません。それが犯罪になるのは、公共の危険を生じさせたからにほかなりません。違法性を基礎づける事実です。処罰条件のように成立の外側にあるのではなく、2項の客観的構成要件要素の一つです。だから、さきほどの故意の対象に入ります。したがって、認識が必要です。

批判があります。公共の危険が分かっているなら、108条や109条1項の物件に燃え移ることまで分かっている。ならば、その物件への放火の故意もあります。ただ、まだ燃えていないので、結果が出ていない。つまり未遂です。そうなると、2項の場面は、みな108条や109条1項の未遂に吸い込まれてしまい、2項の出番がなくなる、というものです。この批判には、反論があります。公共の危険は、一般人の印象で決まるものでした。実際に燃え移るかどうかとは、別の話です。だから、公共の危険は認識しているが、108条や109条1項の物件への延焼は認識していない、という場合がありえます。必要なのは、一般人の印象からみて危険を感じさせる状態が生じることの認識です。延焼の認識までは要りません。

設例への当てはめ 図:設例への当てはめ

冒頭の設例に当てます。Aは、防火壁があるので、隣への延焼は絶対にない、と確信していました。延焼の認識は、ありません。ただ、物置に火をつければ、火の手が上がり、周りの人が危険を感じる状態になる。このことは、Aも分かっていたと認められるなら、公共の危険の認識はあります。必要説を採っても、2項は成立しえます。近所の人は現に避難を始めているので、公共の危険も、生じています。押さえてほしいのは、認識の対象です。必要説でも、要るのは延焼の認識ではなく、公共の危険の認識です。たとえば、Aが、周りに何もない野原の一軒だと思って、自分の小屋に火をつけた。ところが、風下の川べりに、釣りをしている人たちがいて、火を見て逃げ出した、という場合です。公共の危険は、現に生じています。でも、Aは、周りの人が危険を感じる状態になるとは、思っていません。必要説なら、公共の危険の認識が無いので、2項は成立しません。不要説なら、認識は要らないので、成立します。二つの説の結論が分かれるのは、ここです。一つ、位置づけです。109条2項そのものについて、最高裁の判例はありません。高等裁判所の裁判例には、必要説をとったものがあります。とはいえ、最高裁の判断ではないので、ここは、不要説と必要説の対立として押さえてください。最高裁の判例があるのは、110条です。論文では、公共の危険の認識は必要か、必要だとして、その内容は何か、が論点になりえます。必要説の理由は、自己の物の焼損は本来違法でないこと。認識の内容は、一般人の印象からみて危険を感じさせる状態が生じること。そして、延焼の認識までは要らないこと。この三点を、理由と一緒に持っておいてください。

未遂と予備の範囲

未遂・予備の範囲 図:未遂・予備の範囲

最後に、未遂と予備です。結論は、109条2項は、未遂も予備も罰しません。前回見た112条は、108条と109条1項の罪の未遂を罰する、という条文でした。2項は入っていません。予備の113条も、108条または109条1項の罪を犯す目的の場合だけです。予備を罰するのも、他人の物の場合に限られます。自分の物の2項は、対象外です。どうして、自分の物だと広げないのですか。2項は、公共の危険が現に生じて初めて成立する、軽いほうの罪だからです。前に未遂の総論で見たとおり、未遂を罰するのは各本条に規定がある罪だけで、予備はさらに限られた重大な罪だけでした。結果の手前まで処罰を広げるのは、例外なのです。条文も、重いほうの二つに限って、焼損の手前まで処罰を広げていました。しかも2項は、さきほどの筋のとおり、公共の危険が生じるまでは、本来は違法でない行為です。手前まで罰を広げる理由は、なおさらありません。2項は、既遂、つまり公共の危険が生じた場合だけです。

整理と、冒頭の答え

109条と公共の危険の整理 図:109条と公共の危険の整理

まとめます。109条は、他人の物なら1項で、抽象的危険犯です。焼損で既遂になります。自分の物なら2項で、具体的危険犯です。焼損に加えて、公共の危険が生じて初めて、罰します。公共の危険は、一般人の印象からみて、不特定または多数人の生命、身体、財産に対する危険を感じさせる状態です。判例と通説は、建造物等への延焼に限らない、という非限定説です。2項の公共の危険の認識は、通説では必要です。自己の物の焼損は、本来は違法でないからです。ただし、必要なのは延焼の認識ではなく、危険を感じさせる状態が生じることの認識です。未遂と予備を罰するのは、1項までです。冒頭の答えです。Aは、防火壁があるので延焼はないと確信していました。それでも、火が上がれば周りが危険を感じる状態になることを分かっていたなら、必要説でも、2項は成立しえます。近所の人が避難を始めた以上、公共の危険も生じています。決め手は、認識の対象が、延焼ではなく、公共の危険であることでした。

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#167単独ページ動画

建造物等以外放火罪と失火罪

第17章 社会的法益|公共の平穏・取引の安全・風俗 ⑧/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

隣人の木材に火をつけたA

問い・危険を分かっていなかったAは罪になるか 図:問い・危険を分かっていなかったAは罪になるか

前回、109条2項の認識のところで、最高裁の判例はない、と言いました。判例があるのは110条です。今日は、そこから入ります。設例です。Aは、隣人の敷地の隅に積んであった、建築用の木材に、腹いせで火をつけました。木材は隣人の物です。Aは、木材の山だけが燃えればいい、周りに迷惑は掛からない、と思っていました。ところが、火は高く上がり、近所の人が逃げ出しました。公共の危険は、現に生じています。Aは、それを分かっていませんでした。110条1項は、成立するでしょうか。前回の109条2項は、公共の危険を分かっていなければ成立しない、というのが通説でしたよね。それなら、ここも成立しないのですか。そこが今日の山場です。先に方向だけ言います。判例の答えは、前回の通説とは逆向きです。決め手は、何を認識していればよいか、です。

今日の道筋 図:今日の道筋

道筋です。まず、110条の形。次に、公共の危険の認識が要るかどうか。そのあと、延焼罪、失火罪、業務上失火罪と広げます。

110条の形

振り分け・108か109か110か 図:振り分け・108か109か110か

まず、条文です。

条文刑法110条

刑法110条(建造物等以外放火) 放火して、前二条に規定する物以外の物を焼損し、よって公共の危険を生じさせた者は、一年以上十年以下の拘禁刑に処する。 前項の物が自己の所有に係るときは、一年以下の拘禁刑又は十万円以下の罰金に処する。

客体は、前二条、つまり108条と109条に規定する物以外の物です。前に見た、3段の階段で言えば、108条の物は、人が住む、または現に人がいる建造物、電車などでした。109条の物は、人が住んでおらず、現に人もいない建造物、艦船、鉱坑でした。110条は、その残りです。自動車、オートバイ、畳、家具、立木などです。人のいない電車も、ここに入ります。電車が108条に入るのは、現に人がいるときだけです。そして、109条には、電車が入っていません。だから、現に人がいない電車は、108条にも109条にも当たらず、110条に回ります。注意点が一つあります。畳だけを燃やすつもりなら110条です。でも、畳を火の移る道具にして、家を燃やすつもりなら、110条ではありません。家への放火、108条などの問題です。何が目的物かで決まる、ということです。1項は他人の物、2項は自己の物です。2項は軽く、1年以下の拘禁刑または10万円以下の罰金です。罰金刑があるのは、放火の罪の中で110条2項の特徴です。他人の物でも所有者の同意があれば、自己の物と同じに扱ってよい、と解されています。逆に、自分の物でも、差押えや賃貸がある場合は、115条により1項です。

110条・1項と2項 図:110条・1項と2項

109条と違うところがあります。109条は、1項に公共の危険という言葉がなく、抽象的危険犯でした。110条は、1項にも、よって公共の危険を生じさせた、とあります。条文に公共の危険という言葉があるので、1項も2項も、具体的危険犯です。公共の危険が現に生じて初めて成立します。未遂と予備は、どちらも罰しません。112条が未遂を罰するのは108条と109条1項だけ、113条の予備も同じ範囲でした。110条は入っていません。公共の危険の意味は、前回のとおりです。一般人の印象から、不特定または多数人の生命、身体、財産に対する危険を感じさせる状態です。建造物等への延焼に限られない、と言った判例の事案は、前回も断ったとおり、この110条1項でした。

人家も人通りもない野原の真ん中なら、その車を燃やしても、誰も危険を感じる状態にはならないので、公共の危険は生じず、110条は不成立です。器物損壊にとどまります。

公共の危険の認識は必要か

認識の要否・判例と学説 図:認識の要否・判例と学説

ここで1問です。前回の109条2項で、公共の危険の認識は、通説ではどうでしたか?必要でした。自分の物の焼損は、本来違法ではなくて、公共の危険を生じさせたから犯罪になる、という理由でした。では110条です。ここにも公共の危険があります。犯人は、それを分かっていなければならないのか。冒頭のAは、周りに迷惑は掛からないと思っていました。まず判例です。事案は、他人の家の軒下に置かれた、他人の自動二輪車への放火です。被告人は、自分では火をつけていません。仲間と共謀し、その仲間が火をつけたので、共謀共同正犯として問われました。判旨です。

判例最判昭60・3・28 刑集39巻2号75頁

公共の危険の発生の認識は必要か なお、刑法一一〇条一項の放火罪が成立するためには、火を放つて同条所定の物を焼燬する認識のあることが必要であるが、焼燬の結果公共の危険を発生させることまでを認識する必要はないものと解すべきであるから、これと同旨の見解に立ち、被告人に本件放火罪の共謀共同正犯の成立を認めた原判断は、記録に徴し正当として是認することができる。

判決の焼燬は、いまの条文の焼損と同じ意味です。読みどころは二点です。一点目。火を放って110条の物を焼損する認識は、必要です。二点目。焼損の結果として公共の危険が生じることまでは、認識しなくてよい。つまり、判例は不要説です。使い方に注意してください。判決は、結論だけを述べていて、理由は述べていません。また、判決文が述べているのは、110条1項についてです。109条2項という言葉はありません。だから、判例は110条について不要、109条2項には最高裁の判例はない、と分けて覚えてください。では、なぜ不要と言えるのか。これは学説の説明です。前回の109条2項の不要説は、ただし書の、罰しない、に注目して、公共の危険を処罰条件と見ました。110条には、そのただし書がありません。代わりに、条文は、よって公共の危険を生じさせた、と書いています。そこで、この、よって、に注目して、110条を器物損壊罪の結果的加重犯と見ます。結果的加重犯は、基本の犯罪に故意を超えた重い結果が加わる型で、重い結果は認識も認容も要りませんでした。公共の危険は、その重い結果だから、認識は要らない、という筋です。同じ不要説でも、条文の書き方が違うので、理由の立て方が違う、と押さえてください。ただ、これには批判があります。器物損壊罪は個人の財産を守る罪です。110条は、みんなの安全を守る公共危険罪です。守るものが違う二つの罪の間に、基本の罪と加重の罪という関係を見出すのは無理がある、というものです。

通説は必要説です。理由は、1項と2項で違います。1項は、他人の物を焼損しても、器物損壊ならもっと軽い罪です。それが1年以上10年以下の重い罪になるのは、公共の危険が生じたからにほかなりません。だから、その認識が要ります。2項は、前回と同じです。自己の物の焼損は、本来は違法でなく、公共の危険で初めて犯罪になる。だから、認識が要ります。必要説だと、108条や109条1項の故意になってしまう、という批判は、ここでもあるのですか。あります。そして反論も前回と同じです。公共の危険の認識は、延焼の認識とは別です。必要なのは、一般人が危険を感じる状態が生じることの認識で、108条や109条1項の物に燃え移らせる認識までは要りません。

認識の三つの層 図:認識の三つの層

ここで、整理します。認識は、三つの層に分けて考えてください。一つ目は、放火の故意です。110条の物を、火を放って焼損することの認識。これは、判例でも必要です。二つ目は、公共の危険の認識です。一般人が危険を感じる状態が生じることの認識。判例は不要、通説は必要です。三つ目は、延焼の故意です。108条や109条1項の物に燃え移らせる認識で、あれば110条ではなく、108条や109条1項の問題になります。二つ目とは別物です。大事なのは、判例が不要としたのは二つ目だけ、ということです。不要説でも、何も認識しなくてよいわけではありません。木材を燃やすこと自体の認識は、要ります。

設例への当てはめ 図:設例への当てはめ

冒頭のAに当てます。Aは、木材を燃やす認識がありました。①はあります。公共の危険は、現に生じました。判例の立場なら、②は要りません。110条1項が成立します。通説の立場なら、②が要ります。設例のAは、周りに迷惑は掛からないと思っていて、②がありません。だから、110条1項は成立せず、隣人の木材を燃やした器物損壊罪にとどまります。判例なら成立、通説なら不成立。冒頭で、判例の答えは前回の通説とは逆向き、と言ったのは、このことです。決め手は、何を認識していればよいか、でした。Aが、火が高く上がれば、近所の人が危ないと感じるだろう、と分かっていた場合です。②があるので、通説でも110条1項が成立します。隣の家に燃え移らせるつもり、つまり③までは要りません。この論点は、論文でも論点になりうるところです。判例と通説のどちらに立つか、そして通説なら、1項と2項で理由が違うこと、判例の立場なら、結果的加重犯という説明とその批判を、持っておいてください。

延焼罪

延焼罪の条文構造 図:延焼罪の条文構造

ここで1問です。結果的加重犯とは、どんな型の犯罪でしたか?復習です。基本の犯罪に、故意を超えた重い結果が加わる型、でした。その型の放火の罪が、延焼罪です。条文です。

条文刑法111条

刑法111条(延焼) 第百九条第二項又は前条第二項の罪を犯し、よって第百八条又は第百九条第一項に規定する物に延焼させたときは、三月以上十年以下の拘禁刑に処する。 前条第二項の罪を犯し、よって同条第一項に規定する物に延焼させたときは、三年以下の拘禁刑に処する。

基本犯は、109条2項か110条2項、どちらも自己の物への放火です。そこから、よって、重い物に延焼させたときに成立します。結果的加重犯なので、延焼先の物については、故意がないことが前提です。延焼させるつもりがあったなら、延焼先の物についての放火罪になります。ここで、さきほどの110条と区別してください。110条を器物損壊罪の結果的加重犯と見るのは、不要説を支える学説の説明で、守るものが違う罪をつなぐのは無理だ、という批判がありました。111条は違います。条文が、109条2項または110条2項の罪を犯し、よって、と、基本犯をはっきり名指ししています。基本犯も、延焼という重い結果も、どちらも放火の罪なので、守るものも同じです。111条が結果的加重犯であることは、条文の組み立てそのものから出てきます。表で組合せを見てください。左の見出しが、火をつけた自分の物、つまり基本犯です。上の見出しが、燃え移った先の物です。燃え移った先は、3段の階段の上から、108条の物、109条1項の物、110条1項の物、つまり他人の車などです。先が重い物ほど、刑も重くなります。109条2項か110条2項から、108条の物や109条1項の物に延焼すれば、111条1項で、3か月以上10年以下の拘禁刑です。110条2項から、110条1項の物に延焼すれば、111条2項で、3年以下の拘禁刑に軽くなります。109条2項から110条1項の物への延焼は、規定がありません。

例です。自分が所有する、無人の古い納屋に火をつけました。燃え移らないと思っていたのに、火が隣家、つまり人が住む建造物に移りました。納屋への放火は、109条2項で、公共の危険も生じています。さらに、隣家に延焼させたので、111条1項です。

失火罪

失火罪・1項と2項 図:失火罪・1項と2項

ここまでは、わざと火をつけた場合でした。次は、不注意で火を出した場合、失火罪です。失火とは、過失により出火させることです。過失は、注意義務違反の行為でした。放火の罪の過失版、と考えてください。

条文刑法116条

刑法116条(失火) 失火により、第百八条に規定する物又は他人の所有に係る第百九条に規定する物を焼損した者は、五十万円以下の罰金に処する。 失火により、第百九条に規定する物であって自己の所有に係るもの又は第百十条に規定する物を焼損し、よって公共の危険を生じさせた者も、前項と同様とする。

1項は、108条の物と、他人の109条の物を焼損した場合です。公共の危険という言葉がないので、抽象的危険犯です。2項は、自己の109条の物と、110条の物を焼損し、よって公共の危険を生じさせた場合です。公共の危険という言葉があるので、具体的危険犯です。放火と同じ、言葉の有無で型が決まる、という筋がそのまま当てはまります。例です。台所の火の不始末で、家族と住む自分の家を焼いてしまった。人が住む家は108条の物なので、1項です。周りに危険が及んだかは、問いません。これに対し、庭で焚き火をしていて、火の粉が、とめてあった自分の車に燃え移った。車は110条の物なので、2項です。周りの人が危険を感じる状態になったときだけ、罪になります。刑は、50万円以下の罰金だけで、拘禁刑はありません。過失犯なので、未遂も予備もありません。

失火は、焼損を認識していない、過失の罪です。放火で認識が要るところは、失火では、その代わりに過失、つまり注意義務違反が問われます。そこで、通説が、110条や109条2項で、公共の危険の認識を必要と考えたのと同じ筋で、2項では、公共の危険を生じさせたことについての過失が必要だ、とする見解があります。ここは、軽く押さえる程度で足ります。

業務上失火と重失火

117条の2・業務と重過失 図:117条の2・業務と重過失

失火のうち、重くなるものがあります。条文です。

条文刑法117条の2

刑法117条の2(業務上失火等) 第百十六条又は前条第一項の行為が業務上必要な注意を怠ったことによるとき、又は重大な過失によるときは、三年以下の拘禁刑又は百五十万円以下の罰金に処する。

条文の、前条第一項の行為は、117条1項の激発物破裂、つまり火薬やボイラーなどを破裂させて物を壊す行為のことです。中身は、この回の最後に見ます。117条の2は、失火と激発物破裂が、業務上の過失や重大な過失によるときに、重くする規定です。単純な失火は、50万円以下の罰金のみでした。業務上失火と重失火は、3年以下の拘禁刑または150万円以下の罰金です。拘禁刑が出てくる点が、違いです。なぜ重くなるのか。前に業務上過失致死傷で見たとおり、業務者は、その立場ゆえに結果を引き起こしやすく、通常人より特に重い注意義務が課されている、という考え方でした。火を扱う立場でも、同じ筋です。業務の意味は、判例があります。事案は、ウレタンフォームの加工販売をする会社の、工場部門の責任者が、燃えやすい物、つまり易燃物であるウレタンフォームの管理をする職務をしていた、というものです。

判例最決昭60・10・21 刑集39巻6号362頁

業務上失火罪の「業務」 なお、刑法一一七条の二前段にいう「業務」とは、職務として火気の安全に配慮すべき社会生活上の地位をいうと解するのが相当であり(…参照)、同法二一一条前段にいう「業務」には、人の生命・身体の危険を防止することを義務内容とする業務も含まれると解すべきであるところ、原判決の確定した事実によると、被告人は、ウレタンフオームの加工販売業を営む会社の工場部門の責任者として、易燃物であるウレタンフオームを管理するうえで当然に伴う火災防止の職務に従事していたというのであるから、被告人が第一審判決の認定する経過で火を失し、死者を伴う火災を発生させた場合には、業務上失火罪及び業務上過失致死罪に該当するものと解するのが相当である。

117条の2の業務は、職務として火気の安全に配慮すべき社会生活上の地位です。調理、溶接、工場の可燃物の管理など、火を扱う職務や、火災を防ぐ職務が、これに当たります。同じ決定は、211条前段の業務も述べています。こちらは、人の生命、身体の危険を防止することを義務内容とする業務も含む、という内容で、前に見たものです。117条の2は火気の安全、211条は人の生命身体の危険の防止が軸で、見ている方向が違います。211条の業務は、前に、社会的地位、反復継続性、生命・身体への危険性の三つの要素で見ました。117条の2の業務は、この決定が、火気の安全に配慮すべき地位、という別の定義を立てています。答案では、211条の三つの要素ではなく、こちらの定義を書きます。この事案では、死者が出ていたので、両方が問われました。重過失は、注意義務違反の程度が著しいことでした。業務でなくても、たとえば、寝たばこをして布団に火をつけるような、著しい不注意なら、重失火です。

消火妨害と激発物破裂とガス漏出

114・117・118条の位置づけ 図:114・117・118条の位置づけ

最後に、放火の周りにある条文を三つ、名前と骨子だけ見ます。どれも放火と同じ章にあり、火や爆発、ガスで、周りの多くの人を危険にさらす罪です。試験との関係では、重要ではありません。114条は、消火妨害罪です。火災の際に、消火用の物を隠したり壊したりして、消火を妨げる罪で、1年以上10年以下の拘禁刑です。117条は、激発物破裂罪です。火薬やボイラーなどを破裂させて物を壊した場合は、放火の例により、過失なら失火の例によります。放火の例による、とは、放火罪と同じに扱う、という意味です。壊した物が108条の物なら108条、他人の109条の物なら109条1項、というように、壊した物に応じた放火罪の条文と刑で処断されます。自分の109条の物や、110条の物なら、放火と同じく、公共の危険が生じて初めて罪になります。過失なら、同じ振り分けで、失火罪の扱いです。118条は、ガス等漏出罪です。ガス、電気、蒸気を漏らすなどして、人の生命、身体、財産に危険を生じさせた罪で、3年以下の拘禁刑または10万円以下の罰金です。人を死傷させたときは、傷害の罪と比較して、重い刑で処断します。

整理と、冒頭の答え

放火・失火の罪の整理 図:放火・失火の罪の整理

まとめます。110条は、108条と109条以外の物への放火です。1項は他人の物、2項は自己の物で、どちらも具体的危険犯です。未遂と予備は罰しません。公共の危険の認識は、判例は不要、通説は必要です。ただし判例も、火を放って110条の物を焼損する認識までは要ります。通説は、109条2項でも110条でも必要で、筋は変わりません。逆向きなのは、110条の判例と、通説のあいだです。111条の延焼罪は、109条2項と110条2項の結果的加重犯で、延焼先の故意がないことが前提です。116条の失火罪は、1項が抽象的危険犯、2項が具体的危険犯で、罰金だけです。117条の2は、業務、つまり火気の安全に配慮すべき地位か、重過失のとき、3年以下の拘禁刑または150万円以下の罰金です。冒頭の答えです。判例の立場なら、Aは木材を焼損する認識があれば足ります。公共の危険が現に生じているので、110条1項が成立します。通説の立場なら、Aは公共の危険を分かっていなかったので、110条1項は成立せず、器物損壊罪にとどまります。決め手は、判例が不要としたのは、放火の故意とは別の、公共の危険の認識だけだったことです。

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#168単独ページ動画

往来妨害罪と往来危険罪

第17章 社会的法益|公共の平穏・取引の安全・風俗 ⑨/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

道をふさいだAと、線路に石を置いたB

問い・二つの「道の邪魔」 図:問い・二つの「道の邪魔」

前回で、放火の罪は終わりました。今日は、同じく安全を守る罪のもう一つ、往来を妨害する罪に入ります。設例を二つ出します。Aは、近所の人が何十年も買い物や通学に使ってきた、幅3メートルほどの道の真ん中に、コンクリートブロックを積み上げて、人も自転車も通れなくしました。道の土地は、Aの所有です。Bは、腹いせに、郊外の単線の線路の上に、大きな石を置きました。運転士が石に気づいて急ブレーキをかけ、石の手前で電車は止まりました。誰も怪我をしていません。道をふさいだAと、線路に石を置いたBは、罪名も刑も違います。しかも、刑は桁違いです。決め手は、条文が要求している結果の段階です。先に結論だけ言うと、AもBも罪になり、Bの方がずっと重くなります。理由を、順に見ていきます。

今日の道筋 図:今日の道筋

道筋です。まず、罪の全体の地図。次に、道をふさぐ罪。そこで人が死傷したとき。そのあと、線路や航路を危険にさらす罪。最後に、二つの違いを整理して、AとBの答えを出します。

危険の階段

危険の階段・4段 図:危険の階段・4段

まず、守るものです。前に、公共危険罪は、不特定または多数の人の生命、身体、財産への危険を守る罪で、実害を待たず、危険の段階で処罰する、と見ました。往来を妨害する罪もその一つです。放火では、火が燃え広がることで、その危険が生じました。往来の罪では、交通を通じて、その危険が生じます。往来の罪が守るのは、道路、橋、線路、航路と、その上を動く人や乗り物の安全、つまり公衆の交通の安全です。罪は、4つの条文で、階段のように組まれています。表を見てください。124条が往来妨害、125条が往来危険、126条が汽車転覆等、127条が往来危険による汽車転覆等です。上に行くほど、三つのことが変わります。一つ目は、客体が絞られます。124条は道路、水路、橋と広いですが、125条は鉄道と艦船、126条は現に人がいる乗り物だけです。二つ目は、結果が重くなります。通れなくなる、事故のおそれが生じる、実際に転覆する、という順です。三つ目は、刑が重くなります。なぜこの順に重くなるのか。通れないだけなら、人は立ち止まるか、回り道ができます。事故のおそれが生じると、一度に大勢が死傷しかねない、一歩手前です。実際に転覆すれば、それが現実になります。上の段ほど、大勢の命に近づくので、刑も重くなるのです。刑の数字を見てください。124条1項は、2年以下の拘禁刑または20万円以下の罰金です。125条は、2年以上の有期拘禁刑で、上限は20年です。124条の上限の2年が、125条では下限になります。一段上がると、軽い罰金刑が消えて、最低でも2年、最高で20年の拘禁刑になります。

今日は、下の2段、124条と125条です。

往来妨害罪

124条1項・条文 図:124条1項・条文

ここで1問です。前回までに見た、具体的危険犯と抽象的危険犯は、条文のどこを見て分けましたか?その危険が発生したことを、条文が要件にしているかどうかです。放火では、公共の危険という言葉がありました。往来の罪では、往来の妨害を生じさせた、往来の危険を生じさせた、という言葉が、同じ役割をします。条文にその状態が生じたことが書かれているので、124条も125条も具体的危険犯です。では、条文です。

条文刑法124条1項

刑法124条1項(往来妨害) 陸路、水路又は橋を損壊し、又は閉塞して往来の妨害を生じさせた者は、二年以下の拘禁刑又は二十万円以下の罰金に処する。

読み方は、客体、行為、結果の三つです。まず客体。陸路、水路、橋です。陸路は道路です。水路は、船やいかだが通る河川や運河です。橋は、陸橋や桟橋も含みます。ただし、鉄道専用の橋は含みません。それは、次に見る125条の、鉄道の側です。この三つに共通する条件があります。公衆の往来の用に供されていること、です。一般の人が通る道として使われているか、で決まります。特定の人しか通らない、ある家の庭先の通路のようなものは、外れるとされています。その道の土地が誰のものかは、関係ないのですか。関係ありません。判例があります。事案は、被告人が、自分の所有地の一部に杭を打ち、有刺鉄線を張って、通れなくしたものです。その部分は町村道として認められ、長年、集落から市街地へ通じる唯一の車馬の道として使われていました。判旨です。

判例最決昭32・9・18 集刑120号457頁

陸路の意義 刑法第一二四条第一項にいう陸路とは、公衆の往来の用に供せられる陸上の通路を指称し、その通路敷地所有権が何人に属するかを問わない。

読みどころは、敷地の所有権を問わない、の一点です。決め手は、誰の土地かではなく、公衆の往来の用に供されているか、です。この罪が守るのは、道を通る人たちの交通の安全でした。ふさがれて困るのは通る人なので、土地の持ち主が誰かでは、結論は変わりません。自分の土地でも、公衆が通る道なら、ふさげば罪になります。次に、行為です。損壊と閉塞の二つです。損壊は、物理的な損壊に限る、というのが通説です。橋を壊す、道を掘り崩す、といったことです。心理的に通りにくくしただけでは、当たりません。たとえば、道の脇に、この先通行止め、と書いた偽の看板を立てた。道は物理的にはあいたままなので、損壊でも閉塞でもありません。

毀棄の罪の損壊は、物の効用を害することでした。字は同じ損壊でも、124条の損壊は、それより狭く、物理的なものに限られます。罪が違えば、範囲が違うということです。閉塞は、障害物でふさぐことです。ブロックを積む、バリケードを築く、土砂を積む、などです。

妨害の意味・通れない状態 図:妨害の意味・通れない状態

結果です。往来の妨害とは、損壊や閉塞によって、人や車両などの通行を、不可能または困難にする状態をつくり出すことです。特定の人が、現に妨げられた事実は要りません。通れなくなった人がいたかどうかは問わず、その状態ができれば既遂です。未遂は、128条で罰します。たとえば、ブロックを積み始めたところで止められ、通行はできたままだった場合です。

冒頭のA・あてはめ 図:冒頭のA・あてはめ

冒頭のAに当てます。Aの道は、近所の人が何十年も使ってきた、公衆の往来の用に供されている陸路です。Aの所有地でも、問いません。ブロックを積み上げたのは閉塞です。人も自転車も通れなくなったので、往来の妨害が生じています。124条1項が成立します。刑は、2年以下の拘禁刑または20万円以下の罰金です。前に見たとおり、234条の威力業務妨害が守るのは、業務活動そのものでした。124条が守るのは、公衆の交通の安全です。同じ道をふさいでも、守るものが違う、ということです。ここでは、別の罪としての検討になる、と押さえれば足ります。

往来妨害致死傷罪

124条2項・条文 図:124条2項・条文

遺棄の罪の回を思い出してください。ここで1問です。傷害の罪と比較して、重い刑とは、上限と下限をどう比べるのでしたか?上限どうし、下限どうしを別々に比べて、それぞれ重い方を採るのでした。今日も、同じ比べ方で数字を出します。次は、道をふさいで、人が死傷したときの条文です。

条文刑法124条2項

刑法124条2項(往来妨害致死傷) 前項の罪を犯し、よって人を死傷させた者は、傷害の罪と比較して、重い刑により処断する。

構造は、結果的加重犯です。基本の犯罪は、往来妨害罪。よって、が目印です。故意を超えた死傷の結果が加わる型でした。重い結果、つまり死傷は、認識も認容も要りません。判例があります。事案です。被告人は、橋が台風で壊れたように見せかけて、補助金を得ようとしました。そこで、現に人が通れる吊り橋の大部分を、人に壊させました。壊している最中に、予想を超えて橋が落ち、通行人と作業員が死傷しました。最高裁は、死傷への責任を否定しませんでした。判旨です。

判例最判昭36・1・10 刑集15巻1号1頁

往来妨害致死傷罪の成立要件 刑法一二四条二項の罪が成立するためには、同条列記の客体を損壊または壅塞して往来の危険を生ぜしめる意思があれば足り、それ以外にさらに傷害ないし傷害致死の結果につき予見あることを要するものではない。

読みどころは、死傷の結果の予見は要らない、の一点です。判決文の壅塞は、今の条文の閉塞と同じ意味です。ここで、注意があります。判決文は、往来の危険、と書いています。しかし、この意味は、1項の往来の妨害です。125条の、往来の危険とは別物です。混ぜないでください。もう一つ。基本犯が既遂であることが前提です。往来妨害罪が既遂に達したうえで、死傷が生じた場合の規定なので、損壊や閉塞の行為そのものによる死傷は含まないのが通説です。この立場では、たとえば道を掘り崩す作業そのもので崩れた土砂に通行人が巻き込まれて死亡した場合は、2項ではなく、往来妨害罪と過失致死罪が成立し、両者は観念的競合になります。ところで、先ほどの判例の事案は、吊り橋を壊している最中に橋が落ちた場面でした。この通説との関係の評価は、分かれうるところです。ここでは、判例は、傷害の予見が要らない、という点だけを使ってください。

2項の法定刑・計算結果 図:2項の法定刑・計算結果

刑です。傷害の罪と比べるのは、道をふさいで人を死傷させたのに、直接傷つけた場合より軽く済んでは、釣り合わないからです。124条1項は、2年以下の拘禁刑または20万円以下の罰金です。下限は書いていないので、有期拘禁刑そのものの下限である1か月です。傷害罪の204条は、15年以下の拘禁刑または50万円以下の罰金でした。致傷の場合、下限はどちらも1か月、上限は204条の15年が重い。罰金も、204条の50万円が重い。よって、1か月以上15年以下の拘禁刑または50万円以下の罰金です。致死の場合は、傷害致死罪の205条、3年以上の有期拘禁刑と比べます。下限は3年と1か月、上限は20年と2年で、どちらも205条が重い。よって、3年以上の有期拘禁刑で、上限は20年です。拘禁刑の幅は、建造物損壊の致死傷で見た数字と同じです。こちらは、124条1項にも204条にも罰金があるので、致傷では罰金も選べます。最後に、未遂です。条文です。

条文刑法128条

刑法128条(未遂罪) 第百二十四条第一項、第百二十五条並びに第百二十六条第一項及び第二項の罪の未遂は、罰する。

124条で挙がっているのは、1項だけです。結果的加重犯の2項には、未遂がありません。

往来危険罪

125条・条文 図:125条・条文

次は、線路や航路の罪です。条文です。

条文刑法125条

刑法125条(往来危険) 鉄道若しくはその標識を損壊し、又はその他の方法により、汽車又は電車の往来の危険を生じさせた者は、二年以上の有期拘禁刑に処する。 灯台若しくは浮標を損壊し、又はその他の方法により、艦船の往来の危険を生じさせた者も、前項と同様とする。

汽車、電車と、艦船は、一度に大勢の人を乗せて動く、重要な交通手段です。脱線や衝突が起きれば、多くの人が一度に死傷しかねません。その往来の危険を生じさせる行為を、124条より重く処罰するのが、趣旨です。客体は、1項が汽車と電車、2項が艦船です。条文に並んだものだけです。自動車は、列挙されていません。自動車が走る道の側は、124条の客体でした。行為です。1項は、鉄道か、その標識を損壊する、またはその他の方法です。鉄道とは、汽車や電車の運行に直接必要な一切の施設をいい、線路だけでなく、枕木やトンネル、鉄道専用の橋も含みます。標識は、信号機などの、目印になる物です。2項は、灯台か浮標の損壊です。灯台は、夜の海で船に位置や進路を知らせる、陸の上の明かりの施設です。浮標は、水上の標示物、つまりブイです。灯台を壊して明かりを使えなくする、ブイを流したり沈めたりして目印を失わせる、などです。大事なのは、その他の方法です。往来の危険を生じさせる行為なら、何でも入ります。線路に障害物を置く、無人の電車を暴走させる、線路脇の土地を掘る、などです。行為は、事実上、限定がありません。だから、結果、つまり往来の危険が、罪の本体になります。では、往来の危険とは何か。判例です。決定文の、往来ノ危険は、今の条文の、往来の危険と同じ意味です。判旨に出てくる、必然的は、必ず起きること、蓋然的は、起きる見込みが高いこと、です。

判例最決平15・6・2 刑集57巻6号749頁

往来の危険の意義 「往来ノ危険」とは,汽車又は電車の脱線,転覆,衝突,破壊など,これらの交通機関の往来に危険な結果を生ずるおそれのある状態をいい,単に交通の妨害を生じさせただけでは足りないが,上記脱線等の実害の発生が必然的ないし蓋然的であることまで必要とするものではなく,上記実害の発生する可能性があれば足りる

妨害と危険・対比 図:妨害と危険・対比

ポイントは三つです。一つ目。脱線、転覆、衝突、破壊など、危険な結果を生ずるおそれのある状態、です。二つ目。単に交通の妨害を生じさせただけでは足りません。124条の水準では足りない、ということです。三つ目。実害の発生が必然的、蓋然的であることまでは要らず、実害の発生する可能性があれば足ります。そこまで待たないのは、一度事故が起きれば、取り返しがつかないからです。具体的危険犯です。災害が現実に起きたことや、往来が現実に妨げられたことは、要りません。条文が、危険を生じさせた、と書いているからです。放火の、公共の危険と、混ぜないでください。公共の危険は、一般人がその場で危ないと感じるかで見ました。往来の危険は、判例の言葉のとおり、脱線などの実害が起きる可能性があるかで見ます。同じ具体的危険犯でも、何を危険と見るかの言葉が違います。

判例の二つの事案 図:判例の二つの事案

妨害はあるのに危険がない、という場合は、あるのですか。あります。別の最高裁判決の事案です。駅の信号所で、電車の通行に必要な信号操作をせず、放置しました。しかし、連動式の信号装置のもとでは、操作をしなければ、各信号は停止信号になり、電車は手前で止まります。停止信号の手前では、低速で進む決まりがあり、見通しもよく、昼間でした。電車の運行は妨げましたが、脱線や衝突のおそれのある状態は、生じていません。最高裁は、往来の危険を否定し、業務妨害の点だけを有罪にしました。妨害はあっても、危険はない例です。道路でいえば、渋滞は起こしたけれど、事故を起こしかけてはいない、という状態です。逆に、認められた例です。こちらが、先ほど見た判例の事案です。国鉄に防災工事の費用の分担を拒まれて憤慨した者が、自分の所有地を、線路との境界沿いに、パワーショベルで深く掘りました。線路脇の電柱付近の土砂が崩れ、掘削の断面が電柱のすぐそばまで迫って、電柱が倒れかねず、電車が脱線しかねない状態になりました。国鉄職員らは危険と判断して、電車の運行を止めました。最高裁は、往来の危険を肯定しました。自分の所有地を掘っただけでも、その他の方法として成立します。

冒頭のB・あてはめ 図:冒頭のB・あてはめ

冒頭のBに当てます。Bは、線路の上に大きな石を置きました。その他の方法です。大きな石に乗り上げれば、電車が脱線や転覆するおそれがあります。実害の発生する可能性があり、往来の危険が生じています。運転士が気づいて止まったことや、誰も怪我をしていないことは、関係ありません。現実に事故が起きたことは、要らないからです。125条1項が成立します。刑は、2年以上の有期拘禁刑です。124条なら2年以下で、罰金もありました。ここは、最低でも2年です。ただし、小石なら、危険の可能性が否定されることもあります。石の大きさ、置いた位置、見通し、運行の状況、といった事案の具体的な事情で決まります。往来の危険が生じたといえるか、という点は、論文で論点になりうるところです。未遂は、128条が罰します。たとえば、石を運んで線路に置こうとしたところを、取り押さえられた場合です。

整理と、冒頭の答え

124条と125条の対比 図:124条と125条の対比

まとめます。124条は、陸路、水路、橋を、物理的に損壊するか、閉塞して、往来の妨害を生じさせる罪です。公衆の往来の用に供されていればよく、敷地の所有者は問いません。特定の人が現に妨げられなくても、通行が不可能または困難な状態ができれば既遂で、具体的危険犯です。2項は結果的加重犯で、死傷の予見は要りません。刑は、傷害の罪と比較して重い刑で、未遂はありません。125条は、汽車、電車、艦船の往来の危険を生じさせる罪です。行為は、鉄道や標識、灯台、浮標の損壊と、その他の方法です。往来の危険は、単なる妨害では足りず、実害の発生する可能性があれば足ります。これも具体的危険犯で、刑は2年以上の有期拘禁刑です。冒頭の答えです。Aは、自分の土地でも、公衆の往来の用に供されている道を、ブロックでふさいで通れなくしました。124条1項が成立します。決め手は、所有権ではなく、公衆の往来の用に供されているかと、通れない状態ができたかです。Bは、線路に大きな石を置きました。誰も怪我をしていなくても、125条1項が成立します。決め手は、妨害ではなく、事故のおそれ、つまり実害の発生する可能性が生じたことです。刑が桁違いなのは、結果の段階が、通れない状態から、事故のおそれへと、一つ上がっているからです。

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#169単独ページ動画

汽車転覆等罪と往来危険による転覆

第17章 社会的法益|公共の平穏・取引の安全・風俗 ⑩/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

壊したCと、死なせたB

問い・二つの「転覆」の話 図:問い・二つの「転覆」の話

前回は、往来を妨害する罪の下の2段、道をふさぐ124条と、事故のおそれを生じさせる125条まででした。今日は階段の上に進みます。設例を二つ出します。Cは、乗客がおおぜい乗った電車が駅に停まっているあいだに、運転台の制御機器と、車輪を支える足回りの台車を、工具で叩き壊しました。電車は一歩も動けなくなりました。乗客に怪我はなく、電車はひっくり返ってもいません。もう一つ。前回、線路に大きな石を置いたBの話をしました。もし、あの電車が止まらずに石に乗り上げ、脱線して横転し、線路脇の道を歩いていた人が巻き込まれて亡くなったら。Bは、電車を転覆させるつもりまではなく、人が死ぬとも思っていませんでした。

決め手は、条文が要求している結果が、前回の二つの罪とは、型が違うことです。理由を、順に見ていきます。

今日の道筋 図:今日の道筋

道筋です。まず、階段の上の2段の地図。次に、人がいる乗り物を転覆や破壊する罪と、そこで人が死亡したとき。そのあと、往来の危険から転覆まで進んだ場合。さらに過失の場合。最後に、往来の罪の外にある、その他の罪と、危険犯の総まとめをして、CとBの答えを出します。

階段の上2段

危険の階段・上2段 図:危険の階段・上2段

前回の階段を呼び戻します。往来を妨害する罪は、124条、125条、126条、127条の4段で、上に行くほど、客体が絞られ、結果が重くなり、刑が重くなります。通れなくなる、事故のおそれが生じる、実際に転覆する、という順でした。今日は、その上の2段、126条と127条です。ここで1問です。前回の124条と125条は、条文のどの言葉が目印で、どちらの型でしたか?往来の妨害を生じさせた、往来の危険を生じさせた、という言葉です。その状態が生じたことを、条文が要件にしているので、具体的危険犯でした。ところが、上の段では、この言葉が条文から消えます。126条には、妨害を生じさせた、危険を生じさせた、という言葉がありません。代わりに、転覆させ、又は破壊した、という行為そのものが書いてあります。人がいる乗り物を転覆させ、壊せば、その行為の中に、危険がすでに含まれているからです。つまり、転覆や破壊をすれば、それで既遂です。条文に危険の語がないので、抽象的危険犯です。抽象的危険犯は、危険が生じたかどうかを、個別には問いません。答案で、危険の発生を論じる必要があるかどうかが、型で分かれるのです。放火の108条と同じ見分け方です。

型を決めるのは、罪の重さではなく、条文の語です。喩えるなら、下の2段は、ドアに鍵をかけて、中の人が出られなくなった状態を書く罪です。上の2段は、ドアそのものを壊した罪です。壊した時点で罪になり、中の人が実際に出られなかったかは問いません。刑の数字です。125条は、2年以上の有期拘禁刑で、上限は20年でした。126条1項2項は、無期または3年以上の拘禁刑で、下限も上限も上がります。

汽車転覆等罪

126条1項2項・条文 図:126条1項2項・条文

条文です。

条文刑法126条1項・2項

刑法126条1項・2項(汽車転覆等) 現に人がいる汽車又は電車を転覆させ、又は破壊した者は、無期又は三年以上の拘禁刑に処する。 現に人がいる艦船を転覆させ、沈没させ、又は破壊した者も、前項と同様とする。

趣旨は、現に人がいる乗り物は、転覆や破壊をされれば、中の人の生命や身体に直結する、という点です。だから、危険が生じたかを待たず、行為で既遂にします。読む順は、客体と行為と型、この三つです。客体は、現に人がいる汽車、電車、艦船です。現に人がいるとは、犯人以外の人が、その中にいることです。人のいない電車は、この条文の客体ではありません。

転覆・破壊・沈没の意味 図:転覆・破壊・沈没の意味

行為です。転覆は、転倒、横転、転落のことです。レールから外れただけの、単なる脱線は、含まれないというのが通説です。艦船の沈没は、船体の主要な部分が水中に沈むことです。完全に沈みきる必要はありませんが、座礁は含まれません。そして、破壊です。ここに判例があります。事案です。被告人が仕掛けた爆発物が、乗客のいる電車の中で爆発しました。車両の屋根や天井の鉄板、座席、網棚、窓ガラスなどが壊れ、破片が床いっぱいに散らばって、乗客を乗せたまま安全に走り続けることができない状態になりました。判旨です。

判例最判昭46・4・22 刑集25巻3号530頁

汽車・電車の破壊の意義 刑法一二六条一項にいう汽車または電車の破壊とは、汽車または電車の実質を害して、その交通機関としての機能の全部または一部を失わせる程度の損壊をいうものと解するのが相当である。

読みどころは、交通機関としての機能を失わせる程度か、の一点です。実質を害して、とは、表面に傷をつけるだけでなく、乗り物の中身そのものを損なう、という意味です。決め手は、乗り物としての役目が損なわれたかどうかです。この罪が守るのは、乗り物に乗る人の安全です。走れない、安全に運べない、というところまで壊れて、はじめて破壊です。窓ガラスだけを割った場合は、電車はそのまま走れるので、破壊には当たらず、器物損壊罪にとどまります。窓ガラスを割るのと、制御機器を壊すのとで、そんなに違うのですか。違います。窓ガラスが割れても、電車は走れます。制御機器や台車を壊せば、電車は動けません。境目は、機能に関わる損壊かどうかです。型は、先ほどの抽象的危険犯です。転覆や破壊の行為があれば既遂で、往来の危険が生じたことも、現実に事故が起きたことも、要りません。前回の2罪との違いは、ここです。未遂は、128条で罰します。条文です。

条文刑法128条

刑法128条(未遂罪) 第百二十四条第一項、第百二十五条並びに第百二十六条第一項及び第二項の罪の未遂は、罰する。

罰するのは、124条1項、125条、126条1項と2項です。たとえば、工具を持って運転台に入り込み、叩き壊そうとしたところを取り押さえられた場合は、破壊の結果まで至っていないので、126条1項の未遂です。

冒頭のC・あてはめ 図:冒頭のC・あてはめ

冒頭のCに当てます。Cが壊したのは、乗客が乗った電車の、運転台の制御機器と台車です。電車は一歩も動けなくなりました。実質を害して、機能を失わせる程度の損壊で、破壊です。駅に停まっていて、乗客がおおぜいいたので、現に人がいる電車です。126条1項が成立します。転覆していなくても、怪我人がいなくても、既遂です。刑は、無期または3年以上の拘禁刑で、前回の125条より、下限も上限も重くなります。126条は、転覆や破壊を、故意でする罪です。この点は、あとで127条と比べます。

汽車転覆等致死罪

126条3項・読み方 図:126条3項・読み方

次は、転覆や破壊で、人が死亡した場合です。条文です。

条文刑法126条3項

刑法126条3項(汽車転覆等致死) 前二項の罪を犯し、よって人を死亡させた者は、死刑又は無期拘禁刑に処する。

構造は、結果的加重犯です。基本の犯罪は、汽車転覆等罪。よって、が目印で、死亡の認識や認容は要りません。加重結果は、致死だけです。致傷は、含まれません。刑は、死刑または無期拘禁刑です。死亡の原因です。この罪は、1項や2項が既遂、つまり転覆や破壊に至った結果として、人が死亡した場合に成立します。未遂にとどまる場合は成立しません。転覆や破壊の行為そのものから死亡が生じた場合は含まれないと解されています。たとえば、制御機器と台車を壊して止まれなくなった電車が、車止めに突っ込み、乗客が亡くなった場合は、壊れた電車が死亡の原因なので、3項です。これに対して、制御機器を叩き壊している最中に、振り上げた工具が、そばにいた乗務員に誤って当たって亡くなった場合は、死亡の原因は、壊れた電車ではなく、壊す作業そのものです。この立場では、3項ではなく、126条1項の罪と、過失致死罪で考えます。前回の124条2項でも、道を掘り崩す作業そのもので崩れた土砂による死亡は、2項から外しました。同じ整理です。ただし、124条2項と違い、3項は致死だけで、刑も傷害の罪と比べず、死刑または無期拘禁刑と決まっています。問題は、死亡した人の範囲です。乗客や乗員が含まれるのは当然です。では、駅のホームにいた人や、沿線の住民のような、車外の人は含まれるでしょうか。

車外の人を含むかどうかが、対立点です。否定説は、基本犯の汽車転覆等罪が、乗り物の利用者や乗員への危険を要件にしているので、死亡した人も車内の人に限る、と考えます。判例と有力説は、含まれる、とします。転覆や破壊で、車外の人が死ぬことも、十分に予想されるからです。次に見る判例は、127条の事件ですが、この点にも答えています。

判例最大判昭30・6・22 刑集9巻8号1189頁

126条3項の人の範囲 なお一二六条三項にいう人とは、必ずしも同条一項二項の車中船中に現在した人に限定すべきにあらず、いやしくも汽車又は電車の顛覆若しくは破壊に因つて死に致された人をすべて包含するの法意と解するを相当とする。

判決文は、旧い言い回しです。顛覆は、今の条文の転覆と同じ意味です。読みどころは、車中に現在した人に限らず、転覆や破壊で死んだ人をすべて含む、の一点です。決め手は、致死の原因が、転覆や破壊に結びついているか、です。人がどこにいたかではありません。殺人罪との関係です。殺意をもって電車を転覆させ、よって人を死亡させた場合は、この罪の刑が、殺人罪の199条、死刑又は無期若しくは5年以上の拘禁刑より重いので、この罪1つで処理する見解が有力です。ただし、殺人が未遂にとどまる場合、つまり、転覆はしたが誰も死んでいない場合は、3項の出番がありません。1項の汽車転覆等罪と、殺人未遂罪の観念的競合になります。観念的競合は、一つの行為で、二つ以上の罪名に触れるとき、重いほうの刑で処理する考え方でした。128条には、3項が挙がっていません。3項に未遂はありません。

往来危険による汽車転覆等罪

127条・読み方 図:127条・読み方

ここで1問です。結果的加重犯の重い結果は、行為者に認識や認容が必要でしたか?必要ありません。基本の犯罪をする故意があれば足りました。この前提で、127条を見ます。

条文刑法127条

刑法127条(往来危険による汽車転覆等) 第百二十五条の罪を犯し、よって汽車若しくは電車を転覆させ、若しくは破壊し、又は艦船を転覆させ、沈没させ、若しくは破壊した者も、前条の例による。

構造は、往来危険罪、125条の結果的加重犯です。前回の125条は、往来の危険を生じさせたところで止まっていました。そこから一歩進んで、実際に転覆や破壊などが生じた場合です。刑は、前条の例による、つまり126条の例です。126条との違いを整理します。126条は、転覆や破壊を、故意でする罪です。127条は、125条の罪、往来の危険を生じさせる行為から、結果として転覆等が生じた罪です。現に人がいる乗り物を転覆させる故意があれば126条の領分、危険にさらすつもりまでなら127条の領分、と押さえてください。ここから論点が二つあります。一つ目。126条の客体は、現に人がいる乗り物でした。127条は、126条の例によるので、人が現在していることが要るでしょうか。判例は、要らない、とします。理由は、127条の出発点が125条の罪だからです。前回見たとおり、125条は、無人の電車を暴走させる場合も含んでいました。125条の条文には、126条のような、現に人がいる、という言葉がないからです。127条の文言にも、人の現在の要件はありません。階段では127条を一番上に置きましたが、客体の絞りは、この段で外れます。この段を重くしているのは、客体ではなく、転覆という結果です。必要説は、126条の例によるのだから、客体の要件も同じだ、と考えます。ただし、判決は、一般論として現在性を述べてはいません。事案の処理から、不要の立場と整理されています。

二つ目。人が死亡した場合です。125条の罪を犯し、よって転覆等が生じ、さらに人が死亡した。127条の、前条の例によるの、前条は、126条の1項2項だけか、3項も含むのか。判例と通説は、3項も含む、とします。理由は二つ。127条は、前条第1項第2項の例による、とは書かず、前条の例による、と書いていて、3項を除外していないこと。そして、125条の行為は、その性質上、転覆や破壊だけでなく、人の死亡という結果を生じさせる危険も含むこと。否定説は、127条は人を死亡させた場合を規定していない、と考えます。判例の事案です。電車区の構内で、人のいない電車を発進させ、運転者のいないまま暴走させました。電車は、駅の車止めに衝突して脱線、破壊し、付近にいた人たちが死亡しました。判旨です。

判例最大判昭30・6・22 刑集9巻8号1189頁

127条と126条3項の関係 一二七条は、一二五条の罪を犯し因て汽車電車の顛覆又は破壊の結果を発生せしめた場合、一二六条の例によつて処断すべきことを規定している。この法意は、右の結果の発生した場合に一二六条一項二項の例によつて処断すべしとするものであるばかりでなく、汽車電車の顛覆又は破壊によつて致死の結果を生じた場合には、また三項の例によつて処断すべきを定めたものと解するを相当とする。

読みどころは、致死の結果が生じた場合は、3項の例によって処断する、の一点です。決め手は、127条が、前条の例による、と書いていることです。暴走させた電車自体が壊れた場合でも、127条の電車に当たるとされました。

127条の判定フロー 図:127条の判定フロー

道筋を、図にします。125条の罪を犯し、そこから転覆や破壊などが生じたら、126条1項2項の例です。さらに人が死亡したら、3項の例です。人の現在性は要りません。128条の対象にも、127条は入っていないので、未遂は罰しません。

冒頭のB・あてはめ 図:冒頭のB・あてはめ

冒頭のBに当てます。Bは、線路に大きな石を置きました。125条の罪です。そこから電車が脱線して横転しました。転覆です。127条です。転覆させるつもりまではなくても、結果的加重犯なので、認識は要りません。線路脇を歩いていた人が死亡しました。3項の例によります。亡くなったのが乗客でなく、車外の人でも、判例は、人に含めます。刑は、死刑または無期拘禁刑です。転覆も死も望んでいなかったBに、なぜ死刑まであり得るのか。冒頭の問いの答えがこれです。なお、乗客のいる電車を転覆させるつもりが最初からあったなら、結果的加重犯ではなく、126条の領分になります。これで、冒頭の決め手がそろいました。126条は、危険の語がなく、転覆や破壊の行為で既遂。127条は、よって、で転覆や死亡の結果につながる。どちらも、前回の2罪とは、条文が要求する結果の型が違います。

過失往来危険罪

129条・読み方 図:129条・読み方

次は、過失です。過失犯は、法律に特別の規定がある場合だけ処罰される、と見ました。38条1項ただし書です。往来の罪では、その特別の規定が、129条です。

条文刑法129条

刑法129条(過失往来危険) 過失により、汽車、電車若しくは艦船の往来の危険を生じさせ、又は汽車若しくは電車を転覆させ、若しくは破壊し、若しくは艦船を転覆させ、沈没させ、若しくは破壊した者は、三十万円以下の罰金に処する。 その業務に従事する者が前項の罪を犯したときは、三年以下の拘禁刑又は五十万円以下の罰金に処する。

129条は、往来危険罪と汽車転覆等罪の過失版です。放火の罪で、失火罪の116条が、放火の過失版だったのと、同じ手つきです。刑は、30万円以下の罰金です。2項は、業務者の加重です。業務に従事する者が1項の罪を犯したときは、3年以下の拘禁刑または50万円以下の罰金です。業務上失火の117条の2と、同じ、業務上だと重い、という型です。運転士や船長のように運行そのものを担う人が典型ですが、運行に間接的にかかわる人まで含みます。故意との線も押さえます。往来の危険を生じさせることを認識していれば、125条です。認識がなく、不注意なら、129条です。過失犯に未遂はなく、128条にも挙がっていません。

その他の罪

出水および水利に関する罪 図:出水および水利に関する罪

往来の罪を閉じる前に、公共の平穏および安全に対する、その他の罪の、位置づけを見ます。騒乱、放火、往来の罪のほかに、出水および水利に関する罪、あへん煙に関する罪、飲料水に関する罪があります。試験では深追いしない分野なので、名前と骨格だけ、地図に書き込みます。出水および水利に関する罪は、119条から123条です。表を見てください。浸害は、過失の回で見たとおり、水を出して建物などを水浸しにすることです。119条は、出水させて、現に人が住居に使う、または現に人がいる建造物や汽車、電車、鉱坑を浸害する罪で、死刑まである重い罪です。120条は、それ以外の物を浸害して、よって公共の危険を生じさせた罪です。121条は、水害の際の水防の妨害、122条は、過失の出水、123条は、堤防の決壊や水門の破壊などです。気づいてほしいのは、放火の罪と、条文の組み方が似ていることです。放火では、108条が、人が住む、または人がいる建造物への放火で、公共の危険の語がない抽象的危険犯。109条2項と110条が、人のいない自分の建造物や、建造物以外の物への放火で、公共の危険が生じて初めて罰する具体的危険犯。116条が失火でした。119条も、公共の危険の語がなく、108条と同じ抽象的危険犯です。人が住む家や、人がいる建物を水浸しにすれば、その行為の中に、中の人への危険がすでに含まれているからで、126条と同じ理屈です。120条は、よって公共の危険を生じさせた、とあり、109条2項、110条と同じ具体的危険犯です。122条は、116条と同じ過失版です。ここも、型は罪名ではなく、条文の語で見ます。

飲料水に関する罪 図:飲料水に関する罪

飲料水に関する罪は、142条から147条です。浄水は、飲み水のことです。ここは、個人用の浄水と、水道で公衆に供給する浄水とで、刑が上がる階段になっています。142条は、人の飲料に供する浄水を汚染する罪で、6月以下の拘禁刑または10万円以下の罰金。水道で公衆に供給する浄水や水源を汚染する143条になると、6月以上7年以下の拘禁刑に上がります。毒物を混ぜる行為も同じで、個人用の144条は3年以下、水道の146条は2年以上の有期拘禁刑です。145条は、142条から144条の罪で人を死傷させた場合で、傷害の罪と比較して重い刑により処断します。遺棄の罪の回で見た計算方式で、上限と下限を、それぞれ傷害の罪と比べて、重いほうを組み合わせます。たとえば、142条の汚染で人に怪我をさせたら、拘禁刑の上限は、142条の6月ではなく、傷害罪の15年になります。147条は、水道そのものの損壊や閉塞です。146条を全文で見ます。

条文刑法146条

刑法146条(水道毒物等混入及び同致死) 水道により公衆に供給する飲料の浄水又はその水源に毒物その他人の健康を害すべき物を混入した者は、二年以上の有期拘禁刑に処する。よって人を死亡させた者は、死刑又は無期若しくは五年以上の拘禁刑に処する。

文が二つです。前の文が混入罪、後ろの文が、よって、の結果的加重の致死です。個人用の144条は3年以下でした。客体が公衆に供給される水道や水源になると、刑が3年以下から2年以上へ、一気に上がります。あへん煙に関する罪は、136条から141条です。あへん煙を、輸入し、製造し、販売し、吸食、つまり吸い、所持する、といった行為を処罰する規定群で、141条が未遂を罰します。ここでは、名前の位置づけだけ覚えれば足ります。

整理と、冒頭の答え

126・127・129条の対比 図:126・127・129条の対比

まとめます。126条1項2項は、現に人がいる汽車、電車、艦船を、転覆、沈没、破壊する罪で、抽象的危険犯です。破壊は、実質を害して、機能の全部または一部を失わせる程度の損壊で、窓ガラスだけは当たりません。刑は無期または3年以上の拘禁刑で、未遂を罰します。126条3項は、その結果的加重犯で、致死だけです。死亡した人は、車外の人も含みます。刑は死刑または無期拘禁刑で、未遂はありません。127条は、125条の罪の結果的加重犯で、刑は前条の例による。人の現在性は不要で、人が死亡したら3項の例による。未遂はありません。129条は過失版で、30万円以下の罰金、業務者は加重されます。

危険犯分類の総まとめ 図:危険犯分類の総まとめ

最後に、危険犯の総まとめです。表を見てください。放火の108条、109条1項、出水の119条、往来の126条は、危険の語がなく、抽象的危険犯です。109条2項、110条、120条、124条、125条は、公共の危険や、往来の妨害、往来の危険を生じさせた、と書いてあり、具体的危険犯です。最も重い126条3項や、死刑まである108条が、具体的危険犯ではありません。重さと型は別です。型は、条文の語で見ます。冒頭の答えです。Cは、乗客のいる電車の、運転台の制御機器と台車を壊して、動けなくしました。126条1項、破壊が成立します。転覆も怪我人もなくても既遂です。決め手は、事故のおそれを論じる前に、破壊という行為が書いてある、抽象的危険犯であることです。Bは、石に乗り上げた電車が転覆し、車外の人が死亡しました。125条の罪の結果的加重で、127条と、126条3項の例によります。刑は、死刑または無期拘禁刑です。車外の人も人に含まれ、転覆も死も望んでいなくても、結果的加重犯なので認識は要りません。決め手は、結果が、危険から、実際の転覆と死亡に変わり、よって、でつながっていることです。論文では、126条と127条のどちらか、転覆や破壊に当たるか、が問われることがあります。

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#170単独ページ動画

文書偽造の罪の名義人と作成者

第17章 社会的法益|公共の平穏・取引の安全・風俗 ⑪/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

本当のことを書いたAと、嘘を書いたC

問い・二つの文書 図:問い・二つの文書

前回で、往来を妨害する罪が終わりました。守っていたのは、公衆の交通の安全でした。今日からは章が変わって、取引の安全に対する罪に入ります。社会が、書類を信用して、安心して取引できることを守る罪です。設例を二つ出します。一つ目。Aは、友人Bの名前で、Bは、Aから3万円を確かに受け取りました、という受取書を、Bに無断で作りました。実際にAはBに3万円を渡していて、書いてあることは全部本当です。二つ目。区役所の課長Cは、自分の名前で、実際には開かれていない説明会を、開催した、と書いた確認書を作りました。Cは、この確認書を提出して使うつもりです。

見るのは、中身が本当かどうかではありません。誰の名前で、誰が作ったことになっているか、です。答えは、最後に出します。

今日の道筋 図:今日の道筋

道筋です。まず、取引の安全に対する罪と、守るものを見ます。次に、偽造と虚偽作成の区別。そのあと、偽造の本質である、名義人と作成者。さらに、内容の真否と偽造の程度。最後に、形式主義と実質主義を見て、全体地図を完成させ、AとCの答えを出します。

取引の安全に対する罪と保護法益

偽造の罪の全体像と保護法益 図:偽造の罪の全体像と保護法益

経済取引は、お金や書類で動いています。通貨、有価証券、支払用のカード、そして文書や印章、つまりはんこです。これらが偽物だらけになれば、人々は何も信用できなくなり、取引が止まります。そこで刑法は、偽造の罪を置いています。このうち、試験でよく問われるのが文書偽造の罪なので、今日から文書を見ます。保護法益は、文書に対する公共の信用です。文書は、お金の取引だけでなく、身分関係や、ある事実があったことの証拠としても使われます。偽物が出回れば、社会全体が、文書というものを信用できなくなります。守るのは、誰か個人の財産ではなく、名前を使われた人の利益でもなく、社会の側の信用です。だから、社会的法益に対する罪として、この第17章に入っています。

被害者の気持ちはどうでもよい、ということではありません。ただ、罪が成立するかどうかが、名前を使われた人の承諾で決まる、という構造ではないのです。この点は、あとの作成者の話で効いてきます。覚えておいてください。

全体地図・空枠 図:全体地図・空枠

今日の最後に、この表を埋めます。縦に並ぶのは、公文書と私文書です。公務所や公務員が作るべき文書が公文書、それ以外が私文書、と粗く押さえてください。細かい定義は、あとの回で扱います。列は、空欄が二つです。何が入るかは、これから集めていきます。

偽造と虚偽作成の区別

偽造と虚偽作成 図:偽造と虚偽作成

文書偽造の罪の、最重要ポイントです。偽造と虚偽作成の区別です。偽造は、名義人と作成者の人格の同一性を偽ることです。名義人は、その文書を作ったことになっている人。作成者は、実際にその文書を作った人。この二人がズレていれば、偽造です。二人の定義は、あとで詰めます。今は、ズレる、で十分です。虚偽作成は、文書を作る権限のある人が、内容の嘘の文書を作ることです。名義人と作成者は一致していて、ズレてはいません。けれども、書いてあることが嘘です。

設例A・Cの対比 図:設例A・Cの対比

冒頭の二つに当ててみます。Aの受取書は、名義人がBで、実際に作ったのはAです。ズレています。課長Cの確認書は、名義人も、作った人も、C自身です。一致しています。ただし、中身が嘘です。同じ、嘘、でも、嘘の置き場所が違います。名義の嘘か、内容の嘘か。この違いが、今日の背骨です。用語の落とし穴があります。偽造は、有形偽造と呼ばれます。虚偽作成は、無形偽造と呼ばれます。虚偽作成が、無形偽造という名前なので、名前が紛らわしく、ここは取り違えが起きがちです。さらに、偽造という言葉には、広い意味と狭い意味があります。公文書偽造罪、私文書偽造罪というときの偽造は、狭い意味で、虚偽作成を含みません。一方、文書偽造の罪、という罪のグループの名前の偽造は、広い意味で、虚偽作成も含みます。

罪名の偽造は狭義、グループ名の偽造は広義、と見分けてください。

偽造と虚偽作成の判断フロー 図:偽造と虚偽作成の判断フロー

答案での順序です。まず、名義人と作成者の人格の同一性を偽っているか。偽っていれば、偽造です。偽っていなければ、次に、内容が虚偽かを見ます。虚偽なら、虚偽作成です。どちらでもなければ、文書偽造の罪としては、罰しません。まず偽造を見て、偽造でなければ虚偽作成、です。なお、すでにある本物の文書、つまり真正な文書の、本質的でない部分に、権限なく手を加えて、新しい証明力を生じさせることは、変造といいます。新たに作る偽造とは別です。区別は、あとの回で扱います。

偽造の本質:名義人と作成者

偽造の本質 図:偽造の本質

偽造の定義は、判例にあります。事案は、他人の名義を長年使ってきた人が、その名義で申請書を作った、というものです。その名義を長年使っていれば、偽造にならないのか。この結論の部分は、後の回で扱います。今日は、判例が、偽造の本質をどう見ているかだけです。判決の、定義を述べた部分です。

判例最判昭59・2・17 刑集38巻3号336頁

偽造の本質 原判決が、私文書偽造とは、その作成名義を偽ること、すなわち私文書の名義人でない者が権限がないのに、名義人の氏名を冒用して文書を作成することをいうのであつて、その本質は、文書の名義人と作成者との間の人格の同一性を偽る点にあるとした点は正当であるが、……

判決文は、旧い言い回しです。読みどころは、本質は人格の同一性を偽る点にある、の一点です。注意は、これが、最高裁自身の定義ではなく、原判決の定義を、正当だ、と是認している形であることです。決め手は、名前を偽ることではなく、名義人と作成者の人格がズレることです。名前の字面ではなく、人格のズレを見ます。以前のクレジットカードの回で、売上票に他人の名前で署名する話をしました。名義人はカードの持ち主、作った人は自分で、ズレています。だから私文書偽造が成立しうる、と予告していました。その理由が、これです。

名義人の意義 図:名義人の意義

名義人の意義です。名義人は、当該文書から理解される意思・観念の表示主体、です。答案では、この定義どおりに書きます。かみ砕くと、その文書を読んだ人が、この文書を作ったのは誰か、と受け取る人です。例を出します。運転免許証です。免許証を見た人は、誰が作った文書だと受け取るでしょうか。免許証に、担当した職員の名前は書いてありません。読んだ人は、公安委員会が作った文書だ、と受け取ります。名義人は公安委員会です。物理的に打ち出す人と、名義人は、別なのが普通です。名前の字面だけでなく、文書全体から、どんな人格が作ったと受け取られるか、で決めます。氏名、肩書、体裁を合わせて見ます。肩書や代理名義、別名のような細かい場面は、あとの回で扱います。

作成者の意義・行為説と意思説 図:作成者の意義・行為説と意思説

作成者の意義です。ここは学説が分かれます。行為説は、物理的に文書を作成した者が作成者だ、と考えます。意思説は、文書に意思や観念を表示した者、または表示させた者が作成者だ、と考えます。先に、二つの言葉を確認します。第2章で見たとおり、構成要件は、条文が定める犯罪の型です。第6章で見たとおり、違法性阻却は、型に当てはまっても、許される特別な事情があるとして、罪を否定することです。

部長と部下・授権あり 図:部長と部下・授権あり

設例です。営業部長が、部下に、私の名前で見積書を作って、取引先に出しておいて、と命じました。部下は、部長の名前で見積書を作りました。名義人は、部長です。では、作成者は誰でしょうか。行為説では、物理的に作った部下が作成者です。すると、名義人は部長、作成者は部下で、ズレます。構成要件に該当してしまい、部長の承諾があるので、違法性が阻却されて不成立、と処理するしかありません。意思説では、その文書に意思を表示させたのは部長です。部長が作成者です。名義人も部長、作成者も部長で、ズレません。そもそも偽造ではありません。

手紙の代筆を思い浮かべてください。代筆してもらった手紙の差出人は、書いてもらった本人です。取引先が見積書を受け取って信用するのは、部長の見積書だからです。文書の主人は、打った人ではなく、その内容を自分のものとして出す人です。両説とも、結論は不成立です。違いは、どの段階で否定するかです。意思説は、構成要件の段階で、そもそも偽造でないとします。行為説は、構成要件には当たると認めて、承諾を理由に違法性を阻却します。意思説が妥当です。理由は、保護法益です。文書偽造罪が守るのは、名義人個人の利益ではなく、文書に対する公共の信用でした。それなのに、名義人が承諾したから違法性が阻却される、という筋は、保護法益と合いません。第6章の被害者の承諾の回で見たとおり、社会的法益は、個人が勝手に放棄できません。社会の信用は、名義人一人が承諾して手放せるものではないのです。先ほどの種が、ここで効きます。

部長と部下・授権なし 図:部長と部下・授権なし

対比です。部下が、部長に無断で、部長名義の見積書を作ったらどうでしょう。部長は、何も表示させていません。意思を表示した者は、部下です。作成者は部下で、名義人は部長で、ズレます。偽造です。線を引くのは、授権があるかどうかです。同じ部長名義の見積書でも、偽造かどうかを分けたのは、中身ではありません。誰が作ったことになっていて、実際に誰が作ったか、でした。一言、注意です。今日の結論は、代筆してもらってよい文書の話です。本人が自分で書くこと自体に意味がある文書は、承諾があっても偽造になりえます。それは、あとの回で扱います。作成者を意思説でどう論じるかは、論文で論点になりえます。

内容の真否と偽造の程度

内容の真否は無関係 図:内容の真否は無関係

ここで1問です。内容がすべて本当の受取書を、本人に黙って、他人の名前で作りました。偽造にあたるでしょうか。名義人と作成者がズレているので、偽造にあたります。偽造の判断では、文書の内容が真実かどうかは、無関係です。見るのは、名義人と作成者の同一性だけです。内容が嘘でも本当でも、名義人と作成者がズレていれば偽造です。嘘の書類が偽造、という素朴な感覚は、ここでは当てになりません。冒頭に戻ります。Aが、Bの名前で作った受取書は、3万円を渡したことが本当で、書いてあることが全部本当でも、名義人はB、作成者はAで、ズレています。偽造です。行使の目的などの他の要件は、あとの回で扱います。逆に、課長Cのように、名義人も作成者もC自身なら、偽造ではありません。虚偽作成の問題になります。もう一つ、偽造の程度です。他人名義で作った文書は、一般人が見て、真正に作成されたものと誤信するに足りる外観を備えている必要があります。公的な体裁を何も備えない走り書きの紙に、区役所、と書いただけでは、誰も本物とは思いません。外観が足りないので、偽造とは言えません。逆に、様式や体裁がそれらしく整っていて、一般人が本物と受け取る程度なら、足ります。

形式主義と実質主義

形式主義と実質主義 図:形式主義と実質主義

最後の論点です。偽造と虚偽作成が、必ず処罰されるとは限りません。どちらを罰するかは、立法の選択です。有形偽造を処罰する立場を、形式主義といいます。守るのは、文書の成立の真正、つまり誰が作ったかです。無形偽造を処罰する立場を、実質主義といいます。守るのは、文書の内容の真正、つまり中身が正しいかです。

公文書と公用文書 図:公文書と公用文書

ここで復習です。以前の公用文書毀棄の回を、思い出してください。公用文書とは別に、公文書は、何の側から決まる概念でしたか?公文書は、公務員が職務上作った、という作成者の側から決まる概念でした。公用文書は、公務所が使っている、という使われ方の側から決まりました。市役所が保管する私人の申請書は、私文書ですが、公用文書でした。今日の公文書と私文書も、作る側から決まる区分です。公務員が職務上作るべき文書かどうか、で分けます。

形式主義と実質主義 図:形式主義と実質主義

日本法です。公文書は、両方を処罰します。有形偽造が154条と155条、無形偽造が156条です。併用です。私文書は、形式主義が原則で、有形偽造の159条だけです。無形偽造は、例外的に、160条で処罰します。公文書は、内容の正しさまで社会が頼るので、内容の嘘も罰する。私人の文書は、内容の嘘まで罰していては際限がありません。たとえば、自分の名前で出す年賀状に、元気にしています、と書いたのに、実は寝込んでいた。私人が自分の名前で書く手紙やメモには、こうした嘘がいくらでも混ざります。これを全部、文書の罪にはしない、ということです。条文を見ます。公文書の無形偽造、156条です。

条文刑法156条

刑法156条(虚偽公文書作成等) 公務員が、その職務に関し、行使の目的で、虚偽の文書等若しくは電磁的記録文書等を作成し、又は文書等若しくは電磁的記録文書等を変造したときは、印章等又は電磁的記録印章等の有無により区別して、前二条の例による。

主語は、公務員です。職務に関して、行使の目的で、虚偽の文書を作成した場合です。作成権限のある公務員が、内容の嘘の公文書を作る。これが、公文書の無形偽造です。刑は、前二条の例によります。詔書なら154条、それ以外の公文書なら155条の例により、印章や署名があるかどうかで、刑の重さが変わります。あとで当てます。公務員でない人が、公務員を使って、嘘の公文書を作らせる場合は、別の回で扱います。次に、私文書の有形偽造、159条です。

条文刑法159条1項

刑法159条1項(私文書偽造等・抜粋) 行使の目的で、次の各号に掲げるいずれかの行為をした者は、三月以上五年以下の拘禁刑に処する。 一 他人の印章等を使用して権利、義務若しくは事実証明に関する文書等を偽造し、又は偽造した他人の印章等を使用して権利、義務若しくは事実証明に関する文書等を偽造する行為

今日は、柱書と一号だけです。他人の印章等を使って、権利、義務、事実証明に関する文書を偽造する行為です。ここでの偽造は、狭義、つまり有形偽造です。冒頭のAの受取書は、権利、義務、または事実証明に関する文書にあたりえます。条文の細部は、あとの回で扱います。私文書で処罰される原則は、この有形偽造です。最後に、私文書の無形偽造の例外、160条です。

条文刑法160条

刑法160条(虚偽診断書等作成) 医師が、公務所に提出すべき診断書、検案書若しくは死亡証書に虚偽の記載をし、又は公務所に提出すべき電磁的記録文書等であって、診断書、検案書若しくは死亡証書の全部若しくは一部として用いられるものに虚偽の記録をしたときは、三年以下の拘禁刑又は三十万円以下の罰金に処する。

主語は、医師です。公務所に提出すべき診断書などに、虚偽の記載をする罪です。私文書の内容の嘘は、原則として罰しないのに、この場合だけ、例外的に罰します。診断書は、公務所が内容を信用して使うものだからです。たとえば、役所に死亡届を出すときは、医師の死亡診断書を付けます。役所は、死因が本当かを自分では確かめられず、医師が書いた中身を頼りに手続を進めます。年賀状の嘘とは、内容に寄りかかる重さが違うのです。条文の言葉について一言です。今の条文には、文書等、電磁的記録文書等、という言葉が出てきます。文書や図画に加えて、電磁的記録の版が並んでいる形で、令和7年の改正で整いました。今日は紙の文書の話なので、以後は、文書と呼びます。電磁的記録の版があることだけ、覚えておいてください。

今日の地図(保存版)

全体地図・完成 図:全体地図・完成

地図を埋めます。空欄だった列は、二つとも埋まります。有形偽造と、無形偽造でした。公文書の有形偽造が、154条の詔書偽造等と、155条の公文書偽造等。公文書の無形偽造が、156条の虚偽公文書作成等と、157条の公正証書原本不実記載等です。私文書の有形偽造が、159条の私文書偽造等。私文書の無形偽造は、原則として処罰がなく、例外が、160条の虚偽診断書等作成です。表の外に二つです。偽造した文書を使えば、行使の罪になります。公文書は158条、私文書は161条です。また、電磁的記録を不正に作る罪は、別枠で、161条の2です。どれも、あとの回で、一つずつ扱います。

今日の整理 図:今日の整理

まとめます。一つ目。偽造は、名義人と作成者の人格の同一性を偽ることで、有形偽造と呼ばれます。虚偽作成は、作成権限のある者が内容虚偽の文書を作ることで、無形偽造と呼ばれます。二つ目。内容の真否は、偽造の判断に無関係です。見るのは、誰が作ったことになっているか、です。三つ目。公文書は、有形も無形も処罰します。私文書は、有形偽造が原則で、無形偽造は、160条が例外です。冒頭の答えです。Aの受取書は、名義人がB、作成者がAでズレています。書いてあることが全部本当でも、偽造にあたります。決め手は、内容の真否は偽造の判断に無関係で、見るのは人格の同一性だからです。課長Cの確認書は、名義人も作成者もC自身で、ズレていません。偽造ではありません。内容が嘘なので、虚偽作成、つまり無形偽造です。Cは公務員で、公文書の虚偽作成は、156条で処罰の対象になります。決め手は、嘘の置き場所が、名義ではなく内容にあることと、公文書は無形偽造まで処罰することです。

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#171単独ページ動画

文書の意義と写しの文書性

第17章 社会的法益|公共の平穏・取引の安全・風俗 ⑫/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

実在しない名義と、コピーだけの提出

問い・二つの預り書と証明書 図:問い・二つの預り書と証明書

今日は、そもそも文書とは何か、を見ます。設例を二つ出します。Aは、実在しない、みどり台自治会、会計係、大野、という名前で、自治会は、Bから積立金10万円を預かりました、という預り書を作り、Bに渡しました。Bは、そういう会計係が自治会にいるものと信じました。もう一つ。Cは、市役所が出した本物の証明書の、発行日の数字を、修正液と手書きで書き換えました。そして、それをコピー機で複写し、複写だけを取引先に出しました。取引先は、日頃から、証明書はコピーで構いません、と言っています。答えを先に言うと、二つとも、偽造の対象になる文書になりえます。決め手は、世の中が、その紙を、本物の証拠として信用してしまうかどうか、です。その物差しで、文書になる条件を、一つずつ集めていきます。

今日の道筋 図:今日の道筋

道筋です。まず、文書の定義と、そこから出る条件の地図。次に、見えて残ること。そのあと、証拠になること、名義人が分かること。続けて、名義人が実在しなくてもよいか。最後に、コピーも文書になるか。そして、AとCの答えを出します。

「文書」の定義と、条件の地図

文書の定義と条件の地図 図:文書の定義と条件の地図

前回、偽造とは、名義人と作成者の人格の同一性を偽ること、と見ました。ただ、偽造罪の客体は、何でも紙に書いたものではありません。入口の関門があります。文書とは、文字その他の可視的、可読的な符号により、一定期間永続する状態で、物の上に、意思または観念を表示したもの、とされています。大審院以来の定義です。かみ砕きます。可視的、可読的は、目で見て、読んで、中身が分かること。永続は、ある程度のあいだ、消えずに残ること。物の上は、紙や板など、何かの物体に載っていること。意思または観念は、これを頼む、これは払った、といった考えの表示です。条文は、文書又は図画を、まとめて文書等と呼びます。図画は、絵や図面のことで、今日は文書だけを扱います。この定義から、三つの条件が出ます。見えて読めること。社会的に重要な事実の証拠になること。誰の名義か分かること。そこに、論文でも問われる論点が二つぶら下がります。名義人が実在しなくてもよいか。写しも文書か。この地図が、今日の本体です。理由は、守る物から説明できます。文書偽造の罪が守るのは、文書に対する公共の信用です。この紙は、この名義の人が本当に作った本物だ、という世の中の信頼です。条件は、どれも、世の中がその紙を、本物の証拠として信用してしまうかどうか、という物差しで読めます。判断の順序も、先に置きます。まず、対象は文書か。次に、偽造か。最後に、虚偽作成か。虚偽作成は、前回見た、作る権限のある人が、中身が嘘の文書を作ることです。今日は、一番目です。

見えて、残ること

可視性・可読性・永続 図:可視性・可読性・永続

一つ目の条件、見えて、読めて、残ることです。喩えで言うと、書いて残る掲示と、波で消える砂の上の文字を比べてください。掲示は、見えて、読めて、残るので文書です。砂の上の文字は、すぐ消えるので、定義の永続を欠きます。これは、定義への当てはめの説明で、判例ではありません。以前の回で見た、国鉄の駅の急告板の事件では、白墨で書いた掲示が、文書として扱われていました。ただ、あれは公用文書毀棄の事件で、偽造罪の文書かどうかを決めた判例ではありません。偽造罪の文書になるかは、このあと見る、証拠になるか、名義人が分かるか、も満たして、はじめて決まります。

音や映像の記録は、残ってはいても、眺めただけでは中身が分かりません。再生機械を通さないと、何が記録されているか、認識できないからです。音声や映像、電磁的記録、つまりパソコンなどの中のデータそのものは、可視的、可読的ではなく、文書ではありません。ここで、令和7年の改正に触れます。条文には、文書等のほかに、電磁的記録文書等という言葉が加わりました。文書として表示されて使われる電磁的記録を、文書とは別の客体として足したのです。文書の定義を広げたのではありません。電磁的記録そのものは、文書でないままで、改正で足されたのは、別の客体です。中身は、条文を一つずつ読む回で見ます。ここでは、文書でない、と、別の客体として足された、この二つを、並べて覚えてください。電磁的記録を不正に作り出す罪は、また別の筋です。

証拠になること、名義人が分かること

証拠性と名義人の特定 図:証拠性と名義人の特定

二つ目は、証拠性です。意思や観念が、取引や権利関係のような、社会で大事な事実を示す証拠になるものであること。契約書は文書です。学術論文や小説は、いくら読めて残っても、取引や権利の証拠にはならないので、偽造罪の文書ではありません。理由は、文書偽造の罪が守るのが、文書の証拠としての働きだからです。条文にも、この条件が表れています。私文書偽造の159条です。

条文刑法159条1項

刑法159条1項(私文書偽造等) 行使の目的で、次の各号に掲げるいずれかの行為をした者は、三月以上五年以下の拘禁刑に処する。 一 他人の印章等を使用して権利、義務若しくは事実証明に関する文書等を偽造し、又は偽造した他人の印章等を使用して権利、義務若しくは事実証明に関する文書等を偽造する行為 二 他人の電磁的記録印章等を使用して権利、義務若しくは事実証明に関する電磁的記録文書等を偽造し、又は偽造した他人の電磁的記録印章等を使用して権利、義務若しくは事実証明に関する電磁的記録文書等を偽造する行為

読みどころは、権利、義務若しくは事実証明に関する文書等、という言い回しです。契約書は権利や義務の文書、証明書は事実証明の文書です。小説や論文は、そのどちらにも当たりません。2号は、先ほどの電磁的記録文書等で、文書等とは別立てになっています。この159条の客体の細かい線引きは、私文書の回で見ます。一つ呼び戻します。以前見た、公用文書毀棄の258条の文書は、公務所が現に使っていて、保管している文書であれば足り、証明の用に供される性質は要りませんでした。偽造罪の文書は、そうではありません。同じ文書という言葉でも、罪が守る物が違えば、要件が違います。三つ目は、名義人の記載と特定です。名義人が表示されていて、かつ、特定できること。誰の意思か分からない書面は、信用が生まれないからです。ここで、前回の復習です。名義人とは、どういう人でしたか?

その文書を読んだ人が、この文書を作ったのは誰か、と受け取る人です。その誰かが特定できるか、ということです。ただし、名前の直接の記載までは要りません。内容、形式、筆跡、付属物から、特定できれば足ります。たとえば、有志一同、とだけ書いた書面は、誰か分からないので、名義人が特定できません。逆に、署名欄は空でも、レターヘッドと社判で、発行元の会社が分かる請求書は、名義人が特定できます。

名義人は実在しなくてもよいか

名義人の実在・設例Uの図 図:名義人の実在・設例Uの図

冒頭のAです。名義の、大野という会計係は、実在しません。名義人が実在しないなら、誰の信用も傷つかない、という考えもあり得ます。必要説です。実在しない名義の書面は、証拠としての意義がない、と考えます。判例と通説は、不要説です。実在しなくても文書になります。理由は、保護法益が、文書に対する公共の信用だからです。一般人が、その名義人は実在すると信じるなら、この預り書は、実在する人が作った本物だ、という公共の信用が、害されます。喩えです。通用するお札を考えてください。模様がよくできていて、店が受け取ってしまうなら、実在しない銀行の名前を刷ってあっても、お金に対する世の中の信用は傷つきます。実在する銀行の名前かどうかは、問題ではありません。判例は二つあります。一つ目は私文書です。実在しない人の名前で、簡易保険の申込書を作った事案です。判旨です。

判例最判昭28・11・13 刑集7巻11号2096頁

架空人名義の私文書 被告人が右の如く架空人名義を用いて保険申込書を作成した場合と実在人名義を冒用して保険申込書を偽造した場合とを比較して考えてみると当局のみならず一般人をして真正に作成された文書と誤信せしめる危険のある点において何等区別はないのであるから、本件のような場合には架空人名義を用いたとしても被告人の行為は私文書偽造罪を構成するものと解すべきである。

読みどころは、一般人をして真正に作成された文書と誤信せしめる危険のある点において区別はない、の一点です。決め手は、名義人が実在するかではなく、一般人が本物と誤信する危険があるかどうかです。二つ目は公文書です。実在しない官署、つまり役所の名義で、証明書を作った事案です。形式や外観から、一般人が、その官署が実在していて、職務の権限の範囲で作った公文書だと誤信するに足りるなら、公文書偽造罪が成立する、としました。ここは、架空の人ではなく、架空の官署です。公文書も私文書も、同じ結論です。

⭐ 論文で書く規範:【論文で書く規範】名義人の実在 文書偽造罪の保護法益は文書に対する公共の信用であり、一般人が名義人の実在を誤信するなら公共の信用は害されるから、名義人が実在することは要らない。ただし、一般人に実在を誤信させるに足りる外観は要る。 (規範(判例の結論+保護法益からの説明))

ここは論文で論点になりうるところです。限定が、一つ付きます。誤信させるに足りる外観です。名前が稚拙で、誰も実在を信じない書面は、文書性が否定される余地があります。たとえば、Aが、メモ用紙の切れ端に、自治会の大野、とだけ走り書きして渡したなら、誰も、そういう会計係が本当にいるとは思いません。前回の、偽造の程度と同じ軸です。冒頭のAに当てます。みどり台自治会の会計係という肩書と名前が、いかにもありそうで、Bも実在すると信じています。一般人が実在を誤信する外観があるので、実在しない名義でも、文書です。

写しは文書か

写しの位置・設例Vの図 図:写しの位置・設例Vの図

次は、コピーです。冒頭のCの書面を、図で見てください。名義人は、市役所です。書き換えて複写したのは、Cです。問題の所在です。書き換えた書面を、原本として使うなら、当然、文書です。問題は、写しとして使う場合です。これは本物の写しです、と分かる形で出すとき、写しは原本そのものではありません。それでも、偽造の対象になる文書なのでしょうか。判例の事案です。供託官、つまり、お金などの預け入れを扱う役所の担当官の、記名と公印の部分を切り取り、虚偽の事実を書いた書面につなぎ合わせて、コピー機で複写し、本物の受領証の写しとして、提出し、交付した行政書士の事案です。原審は無罪でしたが、最高裁は破棄して、有罪としました。判旨です。

判例最判昭51・4・30 刑集30巻3号453頁

写しの文書性 公文書偽造罪の客体となる文書は、これを原本たる公文書そのものに限る根拠はなく、たとえ原本の写であつても、原本と同一の意識内容を保有し、証明文書としてこれと同様の社会的機能と信用性を有するものと認められる限り、これに含まれるものと解するのが相当である。

読みどころは、原本と同一の意識内容を保有し、証明文書として原本と同様の社会的機能と信用性を有する、の二つです。意識内容とは、原本に表された中身、つまり名義人の意思や観念のことです。逐語で覚えるのは、この二つの言葉だけで十分です。理由は、そのような写しは、原本が、その写しどおりの内容と形で存在することについて、とても強い証明力を持つからです。冒頭の取引先が、コピーで構いません、と言うのも、コピーを見れば、原本がそのとおりにある、と信じられるからです。偽造すれば、公共の信用が害されます。反対の考えもあります。多数説は、写しは文書でない、とします。写しの名義人は、本来、写しを作った人のはずです。ところが写しには、その人の記載がなく、名義人が分かりません。だから、文書の条件である名義人の特定を欠く、という筋です。ただし、写しそのものを原本として使う場合は別です。そのときは、写しも原本として文書になります。ただ、これには批判があります。偽造した原本は処罰されるのに、コピーを使えば免れるのは、おかしいからです。逆に、判例説にも、精巧でも原本とみるのは、類推解釈だ、という批判があります。判例の決め手は、写しにも、原本と同じ公共の信用が生まれるかどうかです。

⭐ 論文で書く規範:【論文で書く規範】写しの文書性 写しが、原本と同一の意識内容を保有し、かつ、証明文書として原本と同様の社会的機能と信用性を有すると認められる限り、写しも文書にあたる。 (規範(判例の要旨)——最判昭51・4・30 刑集30巻3号453頁)

手書き・コピー・ファックスの当てはめ 図:手書き・コピー・ファックスの当てはめ

当てはめです。手書きの写しは、書き写した人の意識が、入り込みます。写し間違いも、書き足しも、あり得ます。原本と同一の意識内容を保有している、とは言えないので、通常は文書でありません。ただし、権限のある人が、写しだと認証した場合は、別です。写真コピーは、機械が、そのまま写します。作成者の意識が入り込む余地がなく、一つ目の要件を満たします。実生活で、原本に代わる証明文書として通用する場合が多く、二つ目も満たしやすいです。ただし、原本でなければ意味のない書面は、コピーでは、原本と同じ働きを持てません。そういう文書は除かれます。判決の続きの部分にも、そのことが書いてあります。

判例最判昭51・4・30 刑集30巻3号453頁

写真コピーと名義人 右のような公文書の写真コピーの性質とその社会的機能に照らすときは、右コピーは、文書本来の性質上写真コピーが原本と同様の機能と信用性を有しえない場合を除き、公文書偽造罪の客体たりうるものであつて、この場合においては、原本と同一の意識内容を保有する原本作成名義人作成名義の公文書と解すべきであり

読みどころは、二つあります。文書本来の性質上、コピーが原本と同様の機能と信用性を持てない場合は除く、というところ。そして、原本作成名義人作成名義の公文書と解すべき、というところです。写しの名義人は、原本の名義人、ということです。ファックスは、一つ目は満たしますが、印字の鮮明さなどから、二つ目を欠く場合が十分にあります。ここは、個別に判断します。

写しの名義人・作成者・有印 図:写しの名義人・作成者・有印

写しが文書だと認められたら、続きがあります。写しの名義人は誰か。判例は、原本の名義人だ、とします。要件を満たす写しは、原本と同じ意識内容を持つ文書なので、名義人も原本と同じです。作成者は、前回の意思説で決めます。文書に意思を表示した者、または表示させた者が、作成者でした。原本の名義人は、不正な写しを許していません。誰にも表示させられずに写しを作ったのは、コピー機を操作した人なので、作成者はその人です。名義人と作成者がズレて、偽造になります。逆に、本人が自分の書類をコピーするなど、正当な写しは、原本名義人が許容していて、作成者は原本名義人本人です。ズレないので偽造ではありません。判決も、原本の複写自体は禁止されておらず、格別の作為を加えず、正確に複写するだけなら、名義の冒用ではない、としています。もう一つ。有印、つまり、印章や署名のある文書かどうかです。原本が有印なら、写しも有印です。印章や署名が複写されているので、原本名義人の印章や署名のある文書として扱います。以上を、論文では、芋づる式に書きます。写しは文書か。名義人は誰か。有印か。この三点セットです。冒頭のCに当てます。Cが出したのは、写真コピーです。機械の複写で、作成者の意識は入りません。取引先は、コピーで構いません、と言っているので、原本に代わる証明文書として通用します。二つの要件を満たし、文書です。名義人は、原本の名義人の市役所です。作ったのはC。ズレるので、偽造の議論に進めます。Aの実在の話と同じく、決め手は、世の中が、その写しを本物の証拠として信用してしまうかどうか、です。

整理と、冒頭の答え

文書の条件・実在・写しの総まとめ 図:文書の条件・実在・写しの総まとめ

まとめます。文書とは、可視的、可読的な符号で、一定期間永続する状態で、物の上に、意思や観念を表したものです。条件は三つ。見えて読めること、社会的に重要な事実の証拠になること、名義人が特定できること。電磁的記録そのものは文書でなく、令和7年の改正で、電磁的記録文書等が別の客体として足されました。名義人は、実在しなくても、一般人が実在を誤信するに足りる外観があれば、文書です。写しは、原本と同一の意識内容を持ち、原本と同様の社会的機能と信用性がある限り文書で、名義人は原本の名義人、原本が有印なら写しも有印です。

判断の順序・完成 図:判断の順序・完成

判断の順序が、これで完成です。文書か、偽造か、虚偽作成か。今日は、一番目でした。冒頭の答えです。Aの預り書は、名義の大野が実在しなくても、一般人が実在と誤信する外観があれば、文書です。決め手は、実在かどうかではなく、公共の信用が害されるかどうかです。Cのコピーは、写真コピーで、取引先がコピーを原本と同様に扱っているので、文書です。名義人は市役所で、作成者はC。ズレるので、偽造の議論に進めます。決め手は、写しにも、原本と同じ公共の信用が生まれるかどうかです。論文では、名義人の実在と、写しの文書性が、問われることがあります。

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#172単独ページ動画

公文書偽造等罪155条

第17章 社会的法益|公共の平穏・取引の安全・風俗 ⑬/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

日付だけのCと、写真まで替えたD

問い・二つの設例 図:問い・二つの設例

前回の終わりに約束したとおり、今日は公文書偽造の155条を見ます。有印と無印の違いも、ここで見ます。設例を二つ出します。一つ目です。市営駐車場の本物の許可証があります。市長名義で、公印も押してあります。Cは、この許可証の有効期限の日付だけを書き換えました。Dは、同じ許可証の氏名欄と写真欄を、別人のものに貼り替えました。二つ目です。市の窓口に、課長の決裁を待たずに、一定の手順で証明書を出すことが許されている係員がいます。この係員が、決められた受付印の手順だけを飛ばして、内容の正しい証明書を作りました。受付の手伝いにとどまる臨時職員も、同じことをしました。

155条には、その分け方の軸があります。軸は一本です。その書類を、役所が作ったことにしてよいか、です。順に見ていきます。

公文書とは何か、公図画とは

公文書と公図画 図:公文書と公図画

まず、公文書とは何かです。公文書は、公務所または公務員が、その名義で、権限の範囲内で作るべき文書です。覚えるのは、名義人が役所である、というイメージだけで足ります。前々回に見たとおり、文書の名義人は、その文書を読んだ人が、誰が作った文書だと受け取るか、という人でしたね。免許証がよい例です。免許証には、持ち主の名前と顔写真が載っています。でも、誰が作った文書として読まれるかといえば、公安委員会です。文面に私人の名前があっても、名義人が役所なら、公文書です。これも前々回に見たとおり、公文書は、作る側から決まります。使われ方から決まる公用文書とは、別の分け方です。条文に出てくる、公務所と公務員の意味は、7条にあります。

条文刑法7条

刑法7条(公務員・公務所の定義) この法律において「公務員」とは、国又は地方公共団体の職員その他法令により公務に従事する議員、委員その他の職員をいう。 この法律において「公務所」とは、官公庁その他公務員が職務を行う所をいう。

公務員は、国や地方公共団体の職員のほか、法令で公務に従事する議員や委員も含みます。公務所は、役所のことです。市役所も、法務局も、公務所です。次に、公図画です。図画は、意思や観念を、絵や図のような形で表したものです。文字で表す文書に対して、図で表すものが図画です。公図画は、名義人が役所である図画のことです。例は、法務局の土地の図面です。土地の境界を示す、昔の、あざという地区ごとの地図が、書き換えられた事件がありました。最高裁は、その地図を、法務局の出張所の署名がある、公図画と認めています。町内会が作った地図は、公図画ですか。違います。町内会は役所ではありません。名義人が私人なので、私図画です。市が作った案内図なら、公図画です。同じ地図でも、誰の名義で作られたかで分かれます。

今日の道筋 図:今日の道筋

今日の道筋です。まず155条の全体と、刑の差。次に有印の意味。そのあと、偽造と変造の分かれ目と、係員が作った場合を見ます。最後に、無印と、現行の条文に加わった2号、行使の目的を確認して、冒頭の二つの設例に答えを出します。

155条の骨格と刑の差

155条1項・読み方 図:155条1項・読み方

条文です。1項から見ます。

条文刑法155条1項

刑法155条1項(有印公文書偽造等) 行使の目的で、次の各号に掲げるいずれかの行為をした者は、一年以上十年以下の拘禁刑に処する。 一 公務所若しくは公務員の印章若しくは署名(以下この章、第百六十五条及び第百六十七条において「印章等」という。)を使用して公務所若しくは公務員の作成すべき文書若しくは図画(以下この章において「文書等」という。)を偽造し、又は偽造した公務所若しくは公務員の印章等を使用して公務所若しくは公務員の作成すべき文書等を偽造する行為 二 公務所若しくは公務員の電磁的記録印章等(印章等として表示されることとなる電磁的記録をいう。以下この章、第百六十五条及び第百六十七条において同じ。)を使用して公務所若しくは公務員の作成すべき電磁的記録文書等(文書等として表示されて行使されることとなる電磁的記録をいう。以下この章において同じ。)を偽造し、又は偽造した公務所若しくは公務員の電磁的記録印章等を使用して公務所若しくは公務員の作成すべき電磁的記録文書等を偽造する行為

長い条文なので、柱だけ取り出します。1項は、公務所や公務員の印章か署名を使って、公務所や公務員が作るべき文書や図画を偽造する罪です。印章や署名がある文書の偽造なので、有印公文書偽造です。括弧の中で、言葉が定義されています。印章か署名をまとめて、印章等。文書か図画をまとめて、文書等です。この二つの略称は、この章の最後まで出てきます。2号は、電子データ版です。あとで読みます。今は、1号の紙の文書の場合だけを見てください。刑は、1年以上10年以下の拘禁刑です。かなり重い刑です。

条文刑法155条2項・3項

刑法155条2項・3項(有印公文書変造・無印公文書偽造等) 公務所若しくは公務員が押印し若しくは署名した文書等又は公務所若しくは公務員が電磁的記録印章等を使用して作成した電磁的記録文書等を変造した者も、前項と同様とする。 前二項に規定するもののほか、公務所若しくは公務員の作成すべき文書等若しくは電磁的記録文書等を偽造し、又は公務所若しくは公務員が作成した文書等若しくは電磁的記録文書等を変造した者は、三年以下の拘禁刑又は二十万円以下の罰金に処する。

2項は、押印し、または署名した文書を変造した者です。刑は、前項と同様で、かなり重く、1年以上10年以下の拘禁刑です。3項は、前二項に規定するもののほか、と始まります。1項と2項に当たらないものの、残り全部を拾う受け皿です。刑は、3年以下の拘禁刑または20万円以下の罰金で、ぐっと軽くなります。

有印・無印と偽造・変造の4マス 図:有印・無印と偽造・変造の4マス

表にします。縦が有印と無印、横が偽造と変造です。有印の偽造が1項、有印の変造が2項で、どちらも1年以上10年以下。無印は、偽造も変造も3項で、3年以下の拘禁刑または20万円以下の罰金です。前回、約束した、有印と無印の刑の差は、これです。どうして、ハンコがあるだけで、そんなに刑が重くなるんですか。印章や署名があると、いかにも、役所が確かに作った公文書に見えるからです。社会は、それを信用して取引や手続を進めます。信用されやすい形を偽るほど、被害が大きくなるので、刑が重くなります。公文書全体の信頼を守る罪なので、信頼しやすい形ほど重く罰する、という筋です。例えば、市長名義で、公印のある許可証を偽造すれば、重い罪です。公印も署名もなく、様式だけが市の文書らしい案内文を偽造した場合は、3項で、軽く罰されます。

有印の意味

有印とは 図:有印とは

有印の意味です。有印とは、公務所や公務員の、印章または署名を使っていることです。印章と署名は、どちらか一方で足ります。印鑑が押してなければ、無印ですか。違います。署名には、記名も含まれます。記名は、手書きでなく、印刷などで氏名を書いたものです。たとえば、ハンコも手書きの署名もないけれど、印刷された市長の氏名が入っている通知書は、有印です。ここは、条文の字面を読んだだけでは出てこない点です。判例以来の読み方なので、覚えてください。決め手は、役所が確かに作ったように見せる力です。手書きでも印刷でも、氏名が入っていれば、同じだけ信用されるからです。その結果、実際には、無印の公文書は、きわめて少なくなります。試験でも、3項は薄い扱いです。前回見たとおり、写しは、原本が有印なら有印です。冒頭の設例のCとDが手を加えた許可証は、市長名義で公印もありました。有印の公文書です。1項の1号には、前段と後段があります。前段は、真正な、つまり本物の印章や署名を使って偽造する場合です。後段は、偽造した印章や署名を使って偽造する場合です。

公務所や公務員の印章そのものを偽造する罪は、別にあります。だから、後段は、文書を作る段階の話です。偽の印章を使って、文書を偽造した行為を、この条文が処罰します。印章の偽造の罪との関係は、別の回で見ます。

偽造と変造の分かれ目

偽造と変造の定義 図:偽造と変造の定義

ここで復習です。前々回の内容を思い出してください。偽造とは、何をすることでしたか?名義人と作成者の人格の同一性を偽ることです。名義人でない人が、名義人の名前で文書を作ることでした。有形偽造のことで、権限なく他人名義の文書を作る、と言い換えられます。では、変造です。変造は、権限なく、すでにある真正な文書の、非本質的部分に、変更を加えて、新しい証明力を生じさせることです。決め手は、変えたあとのものが、元の文書と同じものと言えるか、です。変えても、同じ文書が残っていると言えるなら、変造です。変えたせいで、元の文書とは別の新しい文書になったと言えるなら、役所の名で新しい文書を作ったことになります。その新しい文書を作ったのは、手を加えた本人です。名義人は役所なのに、作成者は別人です。名義人と作成者の人格の同一性を偽ったことになるので、偽造です。たとえば、通帳の受入れの日付だけを書き換えるのは、変造だとされています。通帳は、誰の、どの口座の通帳か、という中心が変わらないからです。判例を見ます。他人の写真を運転免許証に貼り替え、さらに生年月日の数字も改めた事件です。判例は、決定の本筋とは別に、ついでに触れる形で、次のように述べています。

判例最決昭35・1・12 刑集14巻1号9頁

免許証の写真と生年月日の貼替 特定人に交付された自動車運転免許証に貼付しある写真及びその人の生年月日の記載は、当該免許証の内容にして重要事項に属するのであるから、右写真をほしいままに剥ぎとり、その特定人と異なる他人の写真を貼り代え、生年月日欄の数字を改ざんし、全く別個の新たな免許証としたるときは、公文書偽造罪が成立すると解すべきである。

読みどころは、重要事項を変えて、全く別個の新たな免許証にしたら偽造、の一点です。免許証は、この人が、この顔で、この生年月日の人だと証明する文書です。写真と生年月日は、その中心です。中心を差し替えれば、元の免許証は消えて、別の人の免許証が出来上がります。冒頭の設例に当てます。Cは、許可証の有効期限の日付だけを書き換えました。誰に、何を許す許可証かは、変わっていません。元の許可証が、そのまま残っています。これは、変造です。

設例Cと設例D 図:設例Cと設例D

Dは、氏名欄と写真欄を、別人のものに替えました。誰の許可証かという中心が替わり、元の許可証とは別の、市長名義の許可証が出来上がっています。偽造です。どちらも有印なので、Cは2項、Dは1項。刑は、同じ1年以上10年以下の拘禁刑です。刑を分ける区別ではありません。罪名と、条文の項を正確に当てるための区別です。答案では、当てはめで、本質的部分を変えたかを必ず論じます。変造の例として、先ほどの、あざごとの地図の事件も、2項の例です。

係員が作った公文書は偽造か

名義人・代決者・補助者 図:名義人・代決者・補助者

次は、冒頭の二つ目の設例です。役所の公文書の名義人は、市長のような、一番上の人です。でも、実際に一枚一枚作るのは、市長ではありません。市長から授権、つまり権限を任されて、市長の決裁を待たずに、自分の判断で公文書を作る権限のある人がいます。これが代決者です。たとえば、市民課長です。代決者が作った公文書は、偽造ではありません。名義人である市長の意思を、権限に基づいて表示した人だからです。前々回の意思説、つまり、作成者とは、文書に意思を表示した者、または表示させた者だ、という考え方で見ると、その意思を表示させたのは市長なので、作成者は市長で、名義人と作成者がズレていません。さらに、その下で実務を支える、補助的公務員、つまり係員がいます。ここで問題が出ます。係員に、公文書を作る権限はあるのでしょうか。

三つの立場・補助者の権限 図:三つの立場・補助者の権限

古い判例は、係員に権限を認めませんでした。作成権限があるのは、名義人と代決者だけ、という立場です。ところが、これでは、窓口で、毎日大量に証明書を作っている職員が、全員、偽造をしていることになってしまいます。逆に、補助者に無条件で権限を認める立場もあります。でも、それでは、内容が違っても、権限があると言えてしまいます。そこで、最高裁は、条件付きで認める道を採りました。

判例の事案 図:判例の事案

事案はこうです。市の市民課の係長が、自宅の新築資金を借りるために印鑑証明書が必要になりました。そこで、申請書も出さず、手数料も払わず、自分で証明書を作りました。市民課員は、慣行上、証明書を作る事務をとれました。通常は、課長が翌日に事後決裁をする扱いでした。内容も正確でした。ただし、この係長の分は、申請書が無いので、決裁もされていません。しかも、1通だけは、別の出張所が扱う市民の分でした。

補助者の規範 図:補助者の規範

判旨は、二つの層に分かれます。一つ目は、補助者にも作成権限があるか、という規範。二つ目は、申請書と手数料の手続違反をどう見るか、というあてはめです。まず、規範です。

判例最判昭51・5・6 刑集30巻4号591頁

補助者の作成権限 公文書偽造罪における偽造とは、公文書の作成名義人以外の者が、権限なしに、その名義を用いて公文書を作成することを意味する。そして、右の作成権限は、作成名義人の決裁を待たずに自らの判断で公文書を作成することが一般的に許されている代決者ばかりでなく、一定の手続を経由するなどの特定の条件のもとにおいて公文書を作成することが許されている補助者も、その内容の正確性を確保することなど、その者への授権を基礎づける一定の基本的な条件に従う限度において、これを有しているものということができる。

読みどころは、補助者にも、基本的な条件に従う限度で、作成権限がある、の一点です。決め手は、条件の中身が、内容の正確性を確保することにある点です。役所の公文書が信用されるのは、書いてあることが正しいからです。正しさを支える条件を守っている限り、役所が任せた範囲の作成と言えます。

手続違反のあてはめ 図:手続違反のあてはめ

次に、あてはめです。

判例最判昭51・5・6 刑集30巻4号591頁

手続違反の扱い 確かに、被告人が、申請書を提出せず、手数料の納付もせずに、これを作成取得した点に、手続の違反があるが、申請書の提出は、主として印鑑証明書の内容の正確性を担保するために要求されているものと解されるので、その正確性に問題のない本件においてこれを重視するのは相当でなく、また、手数料の納付も、市の収入を確保するためのものであつて、被告人の作成権限を制約する基本的な条件とみるのは妥当でない。

読みどころは、手続の違反でも、内容の正確性とかかわらないなら、基本的な条件の違反にならない、の一点です。申請書は、内容の正しさを守る手順ですが、内容が正確なら重く見ません。手数料は、市の収入のためで、証明書の中身とは関係ありません。違反は、内部の規律の問題にとどまり、偽造にはなりません。手順の違反が、いつも偽造にならない、という意味ではありません。たとえば、申請者が本人かどうかの確認のように、内容の正確さを支える手順を飛ばしたのなら、基本的な条件に反するかが問題になります。内容の正確性とかかわるかで、線を引くのがポイントです。先ほどの、出張所の分の1通は、判決も、権限のないことが明らかだと別に置きました。権限の範囲の外だからです。権限の範囲内での手順違反と、範囲そのものの外とは、別です。判例には、批判があります。権限があるかは、名義の問題です。内容が正しいかは、前々回に見た、権限のある人が内容の嘘の文書を作る、虚偽作成の問題です。内容が正確かどうかで権限を決めるのは、この二つを区別する刑法の建前に反する、というものです。無条件に認める立場は、この理由に立っています。ただ、試験では、判例の立場で書けば足ります。補助者の作成権限は、論文で論点になりうる所です。

設例の答え・係員と臨時職員 図:設例の答え・係員と臨時職員

冒頭の二つ目の設例に答えます。係員は、課長の決裁を待たずに、一定の手順で作ることが許されている補助者です。受付印は、いつ申請を受け付けたかを記録するための手順で、証明書に書く中身の正しさを確かめるものではありません。だから、受付印の手順は、内容の正確性とかかわりません。内容も正しいので、基本的な条件の範囲内で、作成権限があり、偽造ではありません。市長が任せた範囲で作っているので、意思説で見ても、意思を表示させたのは市長で、作成者は市長です。内容が正確なら、虚偽作成にもならず、罪になりません。臨時職員は、受付の手伝いにとどまり、事前の決裁なしには作れない立場です。作成を許された補助者でさえないので、権限がありません。名義人は市長で、作ったのは臨時職員ですから、偽造です。内容が不正確な場合の扱いは、判例の事案の外にあるので、ここでは踏み込みません。二人を分けたのは、冒頭の軸です。その証明書を、役所が作ったことにしてよいか。役所が任せた範囲の中なら本物で、外なら偽造です。

無印の公文書偽造

3項・無印 図:3項・無印

3項の無印です。先ほど見た3項は、1項と2項に当たらないものを拾う受け皿です。有印でない公文書の、偽造と変造です。例は、ハンコも署名もないけれど、様式や内容から、市の文書だと分かる案内文書です。公務所が作るべき文書であることが前提です。そこに、市長の氏名などが印刷されていれば、記名があるので有印になり、1項や2項です。押さえるのは三点です。3項は残り全部の受け皿であること、刑が軽いこと、実際には無印は少なく試験でも出にくいことです。

令和7年の改正で足された2号

1号と2号の対比 図:1号と2号の対比

先ほど読み飛ばした2号です。令和7年の改正で、155条に足されました。1号は紙の文書、2号は電子データ版で、構造が並んでいます。2号は、公務所や公務員の、電磁的記録印章等を使って、電磁的記録文書等を偽造する行為です。電磁的記録印章等とは、印章等として表示されることとなる電磁的記録です。電子の印鑑のようなものです。電磁的記録文書等とは、文書等として表示されて行使されることとなる電磁的記録です。画面に表示して、紙の文書と同じように使うデータです。前回、電磁的記録そのものは、文書でないと聞きました。文書の定義が広がったんですか。違います。広がっていません。文書は、目で見て読める形で表されていることが必要でした。データそのものは、その要件を満たさないので、文書ではありません。ところが、スマホの画面に表示して、紙と同じように使われる証明書が増えました。なりすまして作っても、罰せない場合があったのです。そこで、文書の定義には手を付けずに、文書と同じ働きをする電磁的記録を、別の客体として足しました。2項の変造にも、3項の無印にも、同じ客体が加わっています。偽造の考え方は、紙の文書と同じです。名義人は役所で、作成者との人格の同一性を偽れば、偽造です。設例で当てます。Gは、市がオンラインで出す電子の証明書について、市の名義の電子データと、電子印鑑を、無断で作りました。スマホの画面に表示して、本物として使うつもりです。市の電磁的記録印章等を使って、電磁的記録文書等を偽造したので、1項2号です。刑は、1号と同じ、1年以上10年以下の拘禁刑です。

なお、詔書の偽造を定めた154条は、この改正の対象ではなく、条文は文書のままです。行使や虚偽作成の側に電磁的記録の客体が加わった点は、別の回で扱います。

行使の目的

行使の目的 図:行使の目的

最後に、155条1項の冒頭にあった、行使の目的です。155条は、目的がなければ成立しない目的犯です。行使とは、偽造した文書を、真正な文書として使うことです。文書の内容を、他人に認識させるか、認識できる状態に置くことです。たとえば、偽造した許可証を、駐車場の係員に見せるつもりなら、目的があります。使う目的があれば、作った時点で成立します。逆に、観客に偽物と分かる形で作る、舞台の小道具の許可証なら、本物として使う目的がないので、成立しません。使った場合の罪は、別の回で見ます。

整理と、冒頭の答え

今日の整理 図:今日の整理

まとめます。公文書は、名義人が役所の文書です。有印は、印章か署名を使うことで、記名も含みます。有印の偽造と変造は、1年以上10年以下の拘禁刑、無印は、3年以下の拘禁刑または20万円以下の罰金です。偽造と変造の分かれ目は、本質的部分を変えて、新しい文書を作ったかです。補助者は、内容の正確性など、授権の基本的な条件に従う限度で、作成権限があります。権限の範囲外は、権限がありません。現行の条文は、電子データの2号も並べています。行使の目的が必要な目的犯です。冒頭の答えです。Cは日付だけを変えたので、非本質的部分の変更で、変造です。Dは氏名と写真を替えて新しい許可証を作ったので、偽造です。刑は、どちらも同じです。係員は、基本的な条件の範囲内で作成権限があるので、偽造ではありません。臨時職員は、作成権限がないので、偽造です。決め手は、役所が、その人に任せていた範囲かどうかです。

判断の順序・公文書版 図:判断の順序・公文書版

判断の順序を、図にまとめます。文書か、偽造か、虚偽作成か、という順序は、これまでと同じです。公文書の偽造では、そこに、有印かどうかと、新しい文書を作ったかどうかを足して、条文の項を決めます。偽造にあたらない場合は、虚偽作成かどうかを考えます。

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#173単独ページ動画

虚偽公文書作成罪と偽造公文書行使罪

第17章 社会的法益|公共の平穏・取引の安全・風俗 ⑭/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

住民票と証明書、持ち歩きと提示

問い・四つの設例 図:問い・四つの設例

前回の終わりに約束したとおり、今日は、公務員が内容を偽る、虚偽公文書作成を見ます。あわせて、偽造した文書を使う罪も見ます。設例を四つ出します。Kです。実際には別の町で暮らし続けるつもりなのに、人気の学区に子どもを通わせたくて、その学区の町に引っ越したと役所に届け出て、住民票にその町の住所を記載させました。窓口の職員は、嘘と気づきませんでした。Lです。窓口で、この町で3年間、店を続けている、と嘘を言って、そのことを証明する市の証明書を出してもらいました。職員は、嘘と気づきませんでした。Mです。市の施設の関係者用の立入許可証を偽造して、バッグに入れて持ち歩いているだけです。Nです。同じ偽造の立入許可証を、施設の警備員に見せて入りました。

しかも、MとNは、偽造した許可証を持っている点は同じです。それなのに、片方だけが、使った、つまり行使になります。分かれ目は二つあります。一つは、条文の並べ方です。私人が役所に嘘を言って作らせた書類は、157条に並んだ重要な書類のときだけ、処罰されます。もう一つは、使うとは何か、です。使うとは、相手が中身を読める状態に置くことです。順に見ていきます。

今日の道筋 図:今日の道筋

今日の道筋です。まず、156条の骨格。次に、その間接正犯の3つの形。そのあと、157条と、他の罪との関係。それから、使う罪の158条。最後に、現行の条文に入った電磁的記録を確認して、冒頭の四つの設例に答えを出します。

156条・虚偽公文書作成の骨格

156条 図:156条

条文です。

条文刑法156条

刑法156条(虚偽公文書作成等) 公務員が、その職務に関し、行使の目的で、虚偽の文書等若しくは電磁的記録文書等を作成し、又は文書等若しくは電磁的記録文書等を変造したときは、印章等又は電磁的記録印章等の有無により区別して、前二条の例による。

前回、155条で定義された言葉が、そのまま出てきます。文書等は、文書と図画。印章等は、印章と署名。電磁的記録文書等と電磁的記録印章等は、電子データ版です。新しく覚えるものはありません。要点は三つです。一つ目は、主体です。公務員が、その職務に関して、と書かれています。さらに、その公文書を作る権限のある公務員に限られます。権限のある人だけがなれる犯罪なので、真正身分犯です。ここで復習です。文書偽造の罪の最初の回を思い出してください。偽造と虚偽作成は、それぞれ、何が嘘なのでしたか?偽造は、名義の嘘です。名義人と作成者がズレています。虚偽作成は、内容の嘘です。名義人と作成者は一致しているのに、書いてあることが嘘でした。名義の嘘が有形偽造、内容の嘘が無形偽造でした。作成権限のない者が他人の名義で作れば偽造、作成権限のある者が内容の嘘を作れば虚偽作成です。156条は、この虚偽作成の側です。二つ目は、行為です。虚偽の公文書や公図画を作ること、または変造することです。ここでの変造は、155条とは主体が違います。155条の変造は、権限のない者が、真正な文書の非本質的部分を変えることでした。156条の変造は、権限のある公務員が、真正に成立した公文書に変更を加えて、内容の嘘の公文書にすることです。三つ目は、刑です。前二条の例による、とあります。前二条とは、154条と155条です。詔書などの虚偽作成なら154条の刑、通常の公文書なら155条の刑を借ります。印章や署名のある有印なら、1年以上10年以下の拘禁刑。無印なら、3年以下の拘禁刑または20万円以下の罰金です。公務員が自分の名義で作る文書には、通常、印章か署名があるので、重い刑になることが多くなります。

行使の目的も要ります。虚偽の文書を、内容の真実な文書として使う目的のことです。どうして、公文書だけ、内容の嘘まで罰するんですか。公文書は、役所が作ったというだけで、社会が内容を信じて動くからです。私文書の無形偽造は、原則として罰しない、というのが、文書偽造の罪の最初の回の整理でした。公文書は、有形も無形も罰します。例を作ります。保健所の所長Aが、検査をしていない飲食店について、検査に合格したという証明書を、自分の名義で作りました。作る権限のある公務員が、内容の嘘の文書を作ったので、156条です。名義も作成者もAで、ズレていないので、155条の偽造ではありません。

156条の間接正犯・三つの形

保健所の三人・三つの形 図:保健所の三人・三つの形

156条には、大きな論点があります。間接正犯です。156条は、作成権限のある公務員しか犯せない、真正身分犯でした。では、人を道具のように使って、内容の嘘の公文書を作らせたとき、使った人に156条が成り立つのは、どこまででしょうか。間接正犯の回で、身分が問われる罪では別の限界が出る、と予告した話です。分かれ目は、使った人が、公務員として職務に関わっているか、私人か、です。保健所の三人で、三つの形を見ます。Aは所長、Bは起案を担当する職員、Cは飲食店の店主です。一つ目の形です。所長Aが、情を知らない事務員に命じて、内容の嘘の合格証を作らせました。作成権限のあるAが、自分の犯罪として、道具を使ったのです。Aに、156条の間接正犯が成立します。事務員が事情を知って共謀していたなら、共犯です。身分のない者も、身分犯に加われば共犯になる、という、身分犯と共犯の回で見た65条1項の話です。二つ目の形です。職員Bが、検査していないのに検査済みと書いた報告書を起案して、事情を知らない所長Aに出しました。Aは、内容を信じて、合格証に記名して押印しました。Bには、権限者でないのに、間接正犯が成立するのでしょうか。

確かに、Bに合格証を作る権限はありません。でも、判例は、Bの間接正犯の成立を認めました。作成権限のある者を補佐して、公文書の起案を担当する職員が、行使の目的で、内容の嘘の公文書を起案して、情を知らない上司に出し、内容を真実と誤信させて署名や押印をさせた場合も、なお、虚偽公文書作成罪の間接正犯だ、というのです。

⭐ 論文で書く規範:【判例の趣旨】起案担当の公務員の間接正犯 作成権限者を補佐して公文書の起案を担当する公務員が、行使の目的で内容虚偽の公文書を起案し、情を知らない権限者に提出して内容を真実と誤信させて署名・記名・押印させたときは、その職務に関し内容虚偽の文書を起案し、情を知らない作成権限者を利用して虚偽の公文書を完成したものとして、虚偽公文書作成罪の間接正犯が成立する。 (判例の要旨——最判昭32・10・4 刑集11巻10号2464頁)

決め手は、Bが、その職務に関して起案をしている点です。Bは、公文書を作る流れの中に、公務員として組み込まれています。その職務を使って、情を知らない権限者を道具にしたので、権限者本人がやった場合と、同じ評価になります。三つ目の形です。飲食店主のCが、所長Aに、検査は終わっています、と嘘を言って、合格証を出させました。Aは、嘘と気づきませんでした。Cは、公務員でもなく、作成権限もありません。この場合、Cに、156条の間接正犯は成立するでしょうか。判例と通説は、成立しない、と答えます。理由は、157条の存在です。

私人の間接正犯・理由 図:私人の間接正犯・理由

⭐ 論文で書く規範:【論文で書く規範】私人による156条の間接正犯 刑法は、公文書の無形偽造のうち、公務員に虚偽の申立てをして重要な公文書に不実の記載をさせた場合だけを、156条よりはるかに軽い刑で、157条に定めている。そこで、公務員でない者が虚偽公文書作成の間接正犯となる場合は、157条の場合のほか処罰しない趣旨と解する。 (規範(判例の趣旨)——最判昭27・12・25 刑集6巻12号1387頁)

順を追って言います。私人が役所に嘘を言って、公文書を作らせる事態は、日常的に起こりえます。もし、156条の間接正犯を一般に認めると、重い刑で罰することになります。ところが、刑法は、わざわざ157条で、重要な公文書に限って、ずっと軽い刑で罰しています。重い刑で一般に罰するつもりなら、157条は要りません。157条があるということは、私人については、その範囲だけを軽く罰して、あとは罰しない、という立法者の判断だと読めます。これが、否定の理由です。理屈の上では、私人のCにも、間接正犯の考え方は及びえます。だから、157条が、156条の間接正犯の処罰を、条文に並んだ場合に限って、軽くする仕組みになっているのです。学説は、否定説が通説です。判例の結論と一致します。肯定説は、156条の間接正犯を一般に認めて、157条に当たるときは法条競合で157条だけが成立する、と考えます。157条は、当罰性の軽いものを、定型的に軽くしただけだ、という見方です。ただ、論文は、否定説で書きます。

三つの形・結論の表 図:三つの形・結論の表

表にします。権限者が権限のない者を使えば成立。起案担当の公務員が権限者を使っても成立。私人が権限者を使えば不成立です。ここで落とし穴があります。権限のない者が、権限者を使ったら不成立、とだけ覚えると、二つ目で間違えます。割れ目は、その人が、公務員として職務に関与しているか、私人か、です。もう一つ、この判例には副産物があります。Cが出させた合格証は、虚偽公文書作成の間接正犯が成立しない以上、虚偽の公文書とは言えません。だから、後で使っても、行使の罪になりません。これは、行使のところで思い出します。この論点は、短答でも論文でも重要な所です。

157条・公正証書原本不実記載と免状等不実記載

157条 図:157条

条文です。1項、2項、3項と、まとめて読みます。

条文刑法157条1項〜3項

刑法157条(公正証書原本不実記載等・免状等不実記載) 公務員に対し虚偽の申立てをして、登記簿、戸籍簿その他の権利若しくは義務に関する公正証書の原本に不実の記載をさせ、又は権利若しくは義務に関する公正証書の原本として用いられる電磁的記録に不実の記録をさせた者は、五年以下の拘禁刑又は五十万円以下の罰金に処する。 公務員に対し虚偽の申立てをして、免状、鑑札若しくは旅券に不実の記載をさせ、又は電磁的記録文書等その他の電磁的記録であって、免状、鑑札若しくは旅券の全部若しくは一部として用いられるものに不実の記録をさせた者は、一年以下の拘禁刑又は二十万円以下の罰金に処する。 前二項の罪の未遂は、罰する。

先ほどの理由を、条文で確認します。157条は、私人が役所に嘘を言って、不実の記載をさせる行為を、条文に並べた場合に限って、軽く罰する規定です。意味は、156条の間接正犯を、限定して、軽くすることです。行為は、公務員に対して、虚偽の申立てをして、不実の記載をさせることです。罪の名前は、1項が公正証書原本等不実記載罪。2項が免状等不実記載罪です。刑は、1項が5年以下の拘禁刑または50万円以下の罰金。2項が1年以下の拘禁刑か20万円以下の罰金です。156条の1年以上10年以下に比べて、はるかに軽くなっています。3項は、未遂を罰します。この条文を、短答では、1項と2項の客体と、刑の差と、未遂まで、問われます。

設例K・L・住民票と証明書 図:設例K・L・住民票と証明書

冒頭のKとLを、条文に当てます。まず、1項の客体、権利若しくは義務に関する公正証書の原本です。公正証書とは、公証人が作る、あの公正証書だけではありません。判例の考え方では、公務員が職務上作成する文書で、権利義務に関する、ある事実を証明する効力を有するものを指します。

⭐ 論文で書く規範:【定義】権利若しくは義務に関する公正証書の原本 公務員が職務上作成する文書で、権利義務に関するある事実を証明する効力を有するもの。 (定義(判例の趣旨)——最判昭36・6・20 刑集15巻6号984頁)

例は、条文に出てくる登記簿と戸籍簿。それから、土地台帳です。土地台帳は、公務員が申立てを受けて、内容を審査せずに記載するものでも、審査して取捨選択して記載するものでも、また、私法上の権利義務を証明するのが目的でなくても、該当する、とされています。そして、住民票も、公正証書の原本です。住民票は、市の職員が職務として作って、役所に備えておく原本で、どこに住んでいるかを証明します。住所は、選挙や、子どもが通う学校など、権利や義務の基準になる事実です。だから、定義に当たります。Kに当てます。Kは、暮らすつもりのない町の住所で、転入届を出し、住民票にその住所を記載させました。虚偽の申立てをして、住民票、つまり公正証書の原本に、不実の記載をさせたので、1項です。Kは、157条1項で処罰されます。電磁的記録も、1項に並んでいます。住民基本台帳のファイルのように、公正証書の原本として用いられる電磁的記録に、不実の記録をさせる場合です。名前だけ押さえてください。次に2項の客体です。免状は、役所が、特定の人に、ある行為をしてよいという資格を認めて、渡す証明書です。運転免許証、医師免許証、狩猟免状が例です。鑑札は、公務所の許可や登録があったことを証明する証票です。犬の鑑札や、古物営業の許可証が例です。旅券は、パスポートです。

どれにも当たりません。この町で3年間、店を続けている、という市の証明書は、役所に備えておく原本ではありません。Lに渡すために、その都度作る書類です。1項は、原本に限っているので、当たりません。2項の免状、鑑札、旅券でもありません。だから、157条の客体ではありません。そうすると、Lが、156条の間接正犯になるかが残ります。私人が公務員を利用した場合は、157条の場合のほか処罰しない、というのが先ほどの理由でした。だから、Lは、文書偽造の罪としては処罰されません。Kとの分かれ目は、書類の種類が、157条の条文に並んでいるかどうかです。

157条と他罪との関係

三つの場合分け 図:三つの場合分け

157条と、他の罪との関係を、三つの場合で見ます。一つ目は、公務員と共謀した私人です。例えば、Kが、窓口の職員と示し合わせて、住民票に嘘の住所を載せさせた場合です。判例は、公務員に156条が成立し、私人にも、65条1項により、156条の共同正犯が成立する、とします。156条は身分犯なので、身分のない者も、身分のある者と一緒に実行すれば共犯になる、という理屈です。有力説は、私人は157条にとどまる、と考えます。私人が役所を使う形は157条で軽く罰する、という先ほどの条文の並べ方が、共謀した場合にも及ぶ、という理屈です。論文では、どちらの立場でも書けます。二つ目です。共謀はなかったものの、窓口の公務員が、虚偽と見抜いていた場合です。まず、その公務員に、156条が成立するかを考えます。ここで、審査権限の違いが出ます。実質的審査権限とは、申請の内容が真正かどうかを審査する権限です。形式的審査権限とは、書類の形式が整っているかを見る権限です。学説は、実質的審査権限のある公務員なら、156条が成立するとします。嘘だと分かれば記載を拒める立場なのに、あえて載せたので、自分で内容の嘘の公文書を作ったと言えるからです。形式的審査権限しかない公務員は、見抜いても、形式が整っていれば受け付けるしかないので、不成立とします。載せることが、法律で決められた職務そのものなので、自分の判断で内容の嘘を作った、とは評価できないからです。

例を作ります。窓口の職員が、転入届の書式は整っているが、虚偽だと気づきました。この職員が形式の審査しかできないなら、156条は成立しません。実質の審査をする権限を持つ職員が、見抜きながら作ったなら、156条が成立します。どちらの場合も、私人については、157条の成立を認めるのが一般的です。公務員が見抜いても、虚偽の申立てをして、不実の記載をさせた事実は変わりません。不実の記載が完成すれば、既遂です。三つ目は、詐欺罪との関係です。免状や旅券の下付、つまり役所から交付を受ける行為は、詐欺罪として別に罰しません。判例は、免状や旅券は、下付を受けて持っていなければ役に立たないと考えています。157条2項の構成要件は、不実の記載をさせることで足ります。その性質上、不実の記載のある免状などの下付を受けることも、当然に含まれる、というのです。刑も著しく軽いので、詐欺罪は問わず、157条2項だけです。この判例は、旅券の下付が事案です。この結論は、免状や旅券の下付を受ける行為についてのものです。短答で、旅券などの下付を受けたことについて、157条2項の罪と詐欺罪が成立して科刑上一罪、と書かれていたら、×です。詐欺で別の財物を得る場合は、別に考えます。次の158条の罪数で見ます。

158条・偽造公文書行使

158条 図:158条

次は、使う罪です。158条を読みます。

条文刑法158条1項・2項

刑法158条(偽造公文書行使等) 第百五十四条から前条までの文書等若しくは電磁的記録文書等を行使し、同条第一項の電磁的記録を公正証書の原本としての用に供し、又は同条第二項の電磁的記録を人の事務処理の用に供した者は、その文書等若しくは電磁的記録文書等を偽造し、若しくは変造し、虚偽の文書等若しくは電磁的記録文書等を作成し、又は不実の記載若しくは記録をさせた者と同一の刑に処する。 前項の罪の未遂は、罰する。

長いので、柱だけ取り出します。154条から157条までの文書を使うと、行使の罪です。刑は、偽造や虚偽作成や不実記載をした者と、同じです。未遂も罰します。短答で問われやすいのは、どの罪の文書を使ったかの対応です。名義の嘘なら155条の文書の行使、内容の嘘なら156条の文書の行使、データなら157条1項の電磁的記録の供用、と対応させてください。供用とは、不実の記録をさせたデータを、公正証書の原本として使われる状態に置くことです。では、行使とは何でしょうか。偽造した文書を、真正な文書として、虚偽の文書を、内容の真実な文書として、使うことです。使うとは、他人に文書の内容を認識させるか、認識しうる状態に置くことです。

⭐ 論文で書く規範:【論文で書く規範】行使 行使とは、偽造文書を真正な文書として、虚偽文書を内容の真実な文書として、使用することをいう。使用とは、他人に交付、提示等して、その閲覧に供し、その内容を認識させ、またはこれを認識しうる状態におくことである。 (規範(判例の趣旨)——最大判昭44・6・18 刑集23巻7号950頁)

設例M・N・認識しうる状態に置いたか 図:設例M・N・認識しうる状態に置いたか

冒頭のMとNに当てます。Mは、偽造した許可証を、バッグに入れて持ち歩いているだけです。誰の目にも触れていません。他人が内容を認識しうる状態に置いたとは言えず、行使ではありません。Nは、警備員に見せています。提示して、内容を認識させたので、行使です。判例は、偽造した運転免許証を携帯して運転していたに止まる事件で、行使にあたらない、としました。理由は、偽造公文書行使罪が、公文書の真正に対する公共の信用が、具体的に侵害されることを防止するものだからです。バッグの中にあるだけなら、誰かが偽の文書を信じる事態は、まだ起こっていません。信用が具体的に害される段階に、達していないのです。たとえ、法令上、運転する時に免許証を携帯して、求められたら提示する義務があっても、同じです。携帯しているのと、実際に見せるのとは、別です。次に、行使の相手方です。行使は、偽造文書を真正な文書として使うことなので、相手方は、偽造や虚偽と知らない者でなければなりません。情を知らないと思って示したが、実は知っていた場合は、未遂です。行使の方法は、問いません。例えば、来店者用の受付の端末の画面に、偽造した証明書を表示して、職員に見せる場合も行使です。電子データの場合は、後で読みます。認識しうる状態は、相手が実際に読んだことまでは要りません。例えば、偽造文書を郵送して、相手方に到達すれば、その時点で既遂です。携帯だけでは足りず、到達や提示で足ります。そして、電子的な場合も、閲覧できる状態に置けば既遂です。

行使の対象の限定 図:行使の対象の限定

先ほどの副産物です。私人が公務員を利用して作らせた証明書は、虚偽の公文書とは言えません。だから、後で使っても、158条の行使にならない、と判決は述べています。偽造でも虚偽作成でも不実記載でもない文書は、158条の客体ではありません。最後に、罪数です。偽造や虚偽作成と、その行使は、牽連犯です。牽連犯は、目的と手段の関係にある犯罪で、一つの刑で処理する、と牽連犯の回で見ました。判例は、公正証書原本不実記載と、その行使と、詐欺罪も、牽連犯とします。

判例最決昭42・8・28 刑集21巻7号863頁

不実記載・行使と詐欺の罪数 右公正証書原本不実記載罪およびその行使罪と詐欺罪とは、罪質上通例手段結果の関係にあるものと認められるから、右数罪は、刑法五四条一項後段のいわゆる牽連犯に当る

読みどころは、手段結果の関係にあれば牽連犯、の一点です。例えば、嘘の申立てで、他人の土地を自分の名義に登記させ、その登記を見せて、土地を担保にお金を借りて、だまし取る場合です。不実記載と行使が、詐欺の手段にあたります。お金は、登記とは別の財物です。さっきの、免状や旅券の下付が詐欺にならない話とは、型が違います。下付そのものは、157条2項に含まれます。それに対して、この事案は、別の金銭を取る詐欺です。後で学ぶ偽造通貨行使と詐欺の関係は、また違うので、そこで確認します。

令和7年の改正で入った電磁的記録

156・157・158条に入った客体 図:156・157・158条に入った客体

前回、155条の2号で見た、電磁的記録の客体が、今日の条文にも入っています。表にします。156条は、虚偽の電磁的記録文書等の作成や変造も対象です。有印か無印かは、印章等または電磁的記録印章等の有無で分かれます。157条2項は、免状や鑑札や旅券の、全部または一部として用いられる電磁的記録に、不実の記録をさせた場合を加えています。たとえば、運転免許証やマイナンバーカードのICチップに、虚偽の申立てをして、不実の記録をさせる場合です。1項の電磁的記録は、前から条文にありました。158条は、電磁的記録文書等の行使と、157条2項の電磁的記録を、人の事務処理の用に供した場合を加えています。電磁的記録文書等を画面に表示して、人に示せば、行使です。

前回、電磁的記録そのものは文書ではない、と見ましたよね。今日の条文でも、同じ考え方ですか。同じです。前回見たとおり、文書の定義には手を付けずに、文書と同じ働きをする電磁的記録を、別の客体として足しただけです。偽造も、虚偽作成も、行使も、考え方は紙と同じです。なお、詔書の偽造を定めた154条は、今回の改正で変わっておらず、文書のままです。

整理と、冒頭の答え

今日の整理 図:今日の整理

まとめます。156条は、作成権限のある公務員が、内容の嘘の公文書を作る罪で、刑は155条の例です。間接正犯は、権限者が権限のない者を使う場合と、起案を担当する公務員が情を知らない権限者を使う場合は成立します。私人が権限者を使う場合は、157条があるので、成立しません。157条は、虚偽の申立てで、条文に並んだ重要な公文書に不実の記載をさせる罪です。1項は公正証書の原本、2項は免状、鑑札、旅券で、刑は軽く、未遂も罰します。158条は、認識しうる状態に置く行使の罪です。携帯だけでは行使ではなく、相手方は知らない者であることが必要で、偽造や虚偽作成との間は牽連犯です。現行の条文は、電磁的記録も並べています。冒頭の答えです。Kは、住民票という公正証書の原本に、虚偽の申立てで不実の記載をさせたので、157条1項で処罰されます。Lは、証明書が、157条の客体ではなく、私人による156条の間接正犯も成立しないので、文書偽造の罪としては不可罰です。Mは、偽造した許可証を持ち歩いているだけで、認識しうる状態に置いていないので、行使ではありません。Nは、警備員に見せたので、行使です。二つの分かれ目は、条文に並んでいるか、他人が認識しうる状態に置いたか、でした。

判断の順序・公文書の最後の項 図:判断の順序・公文書の最後の項

判断の順序を、図にまとめます。文書か、偽造か、有印か、偽造か変造か。そこまでが前回です。偽造にあたらなければ、虚偽作成か、つまり、作成権限のある公務員が内容の嘘の文書を作ったかを見ます。私人が公務員を使ったなら、その文書が157条の客体かを見ます。そして、使ったなら、行使かを見ます。

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#174単独ページ動画

私文書偽造罪と名義人の承諾

第17章 社会的法益|公共の平穏・取引の安全・風俗 ⑮/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

承諾しているのに偽造になる文書

問い・二つの設例 図:問い・二つの設例

前回の終わりに約束したとおり、今日は、私人が作る私文書の偽造、159条を見ます。偽造の意味を学んだ回で、本人が自分で書くこと自体に意味がある文書は別に扱う、と約束しました。その約束も、ここで果たします。設例を二つ出します。一つ目、Pです。取引先の社長から、電話で、契約書の署名欄は、私の名前で君が書いておいてくれ、と頼まれました。担当者は、言われたとおり、社長の名前を署名欄に書きました。社長は承知しています。二つ目、Qです。友人から、代わりに受けてくれ、と頼まれました。民間の検定試験を、友人の名前で受験して、友人名義の答案用紙に答えを書いて出しました。友人は承知しています。

実は、片方は偽造にならず、片方は偽造になりえます。分かれ目は、名義人が承知しているかどうかではありません。文書の種類で決まります。順に見ていきます。

159条の骨格と刑の差

159条の骨格 図:159条の骨格

まず、条文です。1項から読みます。

条文刑法159条1項

刑法159条1項(有印私文書偽造等) 行使の目的で、次の各号に掲げるいずれかの行為をした者は、三月以上五年以下の拘禁刑に処する。 一 他人の印章等を使用して権利、義務若しくは事実証明に関する文書等を偽造し、又は偽造した他人の印章等を使用して権利、義務若しくは事実証明に関する文書等を偽造する行為 二 他人の電磁的記録印章等を使用して権利、義務若しくは事実証明に関する電磁的記録文書等を偽造し、又は偽造した他人の電磁的記録印章等を使用して権利、義務若しくは事実証明に関する電磁的記録文書等を偽造する行為

公文書の155条とそっくりの作りです。印章等と文書等という略称は、155条の括弧の中で定義された言葉を借りています。155条では、印章等は、公務所や公務員の印章か署名でした。159条では、それが他人の印章か署名に置き換わります。文書等は、文書か図画です。違いは、名義人が公務所や公務員でなく、私人であることです。

条文刑法159条2項・3項

刑法159条2項・3項(有印私文書変造・無印私文書偽造等) 他人が押印し若しくは署名した権利、義務若しくは事実証明に関する文書等又は他人が電磁的記録印章等を使用して作成した権利、義務若しくは事実証明に関する電磁的記録文書等を変造した者も、前項と同様とする。 前二項に規定するもののほか、権利、義務又は事実証明に関する文書等又は電磁的記録文書等を偽造し、又は変造した者は、一年以下の拘禁刑又は十万円以下の罰金に処する。

2項は、他人が押印や署名をした文書を変造する罪で、刑は1項と同じです。3項は、1項2項に当たらない残りを拾う受け皿で、刑が軽くなります。

155条と159条の比較 図:155条と159条の比較

並べて比べます。名義人が役所なら155条で、1項と2項は1年以上10年以下の拘禁刑です。私人なら159条で、1項と2項は3月以上5年以下の拘禁刑です。3項も、155条は3年以下または20万円以下、159条は1年以下または10万円以下です。私文書のほうが、軽いんですね。どうしてですか。役所の文書は、社会全体が信用して手続を進める土台だからです。偽造の被害が広く及ぶので、重く罰します。私人の文書も保護しますが、信用の広がりが小さいぶん、刑が軽くなります。

有印・無印と、有形偽造が原則

有印と無印・私文書版 図:有印と無印・私文書版

有印の意味は、公文書と同じです。他人の印章か署名を使っていることで、どちらか一方で足ります。署名には、公文書のときと同じく、印刷した氏名の記名も含まれます。社長の印鑑が押された契約書を偽造すれば1項、他人が署名した借用書の日付を書き換えれば2項です。印鑑も署名もないけれど、文面から誰の作成した書面か分かるものは、3項です。なお、先ほどの1項の中には、他人の印章を使う場合のほかに、偽造した印章を使う場合も含まれています。偽造と変造の意味も、これまでと同じです。偽造は、名義人と作成者の人格の同一性を偽ること。文書の上で作ったことになっている人と、その文書を自分の意思として出した人とが、食い違うことです。変造は、真正な文書の非本質的な部分、たとえば日付のような、文書の同一性を変えない部分に、権限なく変更を加えることです。そして私文書では、偽造がとても大事です。私文書は、有形偽造、つまり名義を偽る偽造が原則だからです。作成者が名義人本人で、内容が嘘だという無形偽造は、原則として罰しません。例外の虚偽診断書は別の回で扱います。

文書偽造の最初の回で見たとおり、私人の文書の内容の嘘まで罰していたら、際限がないからです。自分の名前で出す年賀状に、元気です、と書いて、実は寝込んでいても、文書の罪にはなりません。だから私文書では、「それは偽造にあたるか」が勝負になります。今日の山場は、そこです。

行使の目的

行使の目的 図:行使の目的

159条は、行使の目的を要する目的犯です。その前に、前回の確認です。偽造した免許証を、持ち歩いているだけでは行使にならないと見ました。では、行使と言えるのは、どんな状態に置いたときでしたか?他人に内容を認識させるか、認識しうる状態に置いたときです。行使の目的とは、偽造や変造をした文書を、真正な文書として使う目的のことです。偽造した契約書を、取引先に本物として見せるつもりなら、目的があります。目的は、作った時点であれば足ります。実際に使わなくても、成立します。逆に、舞台の小道具のように、偽物と分かる形で使うつもりなら、目的はありません。

客体の限定——権利、義務又は事実証明

権利義務と事実証明 図:権利義務と事実証明

次に、159条の客体です。条文にあった、権利、義務又は事実証明に関する、という限定です。155条の公文書には、この限定がありません。私文書は、守る範囲が内容で絞られています。権利、義務に関する文書は、権利や義務が生まれたり、変わったり、なくなったりする意思表示を内容とする文書です。身近な例は、借用証書や、売買の契約書です。冒頭のPの契約書も、これに当たります。事実証明に関する文書は、権利義務でなくても、社会生活に交渉を有する事項、つまり、社会生活の中で意味のある事柄を、証明するのに足りる文書です。判例の言葉を見ます。

判例最決昭33・9・16 刑集12巻13号3031頁

事実証明に関する文書の意味 ……社会生活に交渉を有する事項に属すると認めるのが相当であり、従つてかかる事項を証明するに足る文書である以上は、たとえそれが所論のように、権利義務に関する事項に関しないものであつても、刑法一五九条一項にいわゆる事実証明に関する文書に当たると解するを相当とする

読みどころは、権利義務に関係がなくても、社会生活に関わる事柄を証明できる文書なら足りる、の一点です。例は、郵便局に出す転居届や、履歴書です。判例が答えています。

判例最決平6・11・29 刑集48巻7号453頁

入学選抜試験の答案 本件入学選抜試験の答案は、試験問題に対し、志願者が正解と判断した内容を所定の用紙の解答欄に記載する文書であり、それ自体で志願者の学力が明らかになるものではないが、それが採点されて、その結果が志願者学力を示す資料となり、これを基に合否の判定が行われ、合格の判定を受けた志願者が入学を許可されるのであるから、志願者の学力の証明に関するものであって、「社会生活に交渉を有する事項」を証明する文書……本件答案が刑法一五九条一項にいう事実証明に関する文書に当たるとした原判断は、正当である。

読みどころは、答案そのものでは学力が分からなくても、採点を経て合否の基礎になるなら、学力の証明に関する文書だ、の一点です。だから、冒頭のQで、友人の名前で書いた検定試験の答案も、同じ理屈で、事実証明に関する文書に当たると考えられます。次に、公文書か私文書かです。これは、名義人で決まります。答案の名義人は、受験した本人、つまり私人です。国立大学の入試でも、答案は私文書です。権利義務にも事実証明にも当たらない文書は、159条の客体になりません。たとえば、自分だけが読む、純粋に私的な覚書です。社会生活に関わる文書は無数にあります。全部を刑法で守ると広すぎるので、権利義務と事実証明に絞っている、と説明されます。

今日の道筋 図:今日の道筋

今日の道筋です。骨格と客体は済みました。これから、名義人の承諾を見ます。そのあと、令和7年の改正を確認して、冒頭の二つの設例に答えを出します。

名義人の承諾と、偽造

設例PとQ・承諾 図:設例PとQ・承諾

ここが論文でも論点になりうる所です。名義人があらかじめ承諾している場合、他人が名義人の名前で文書を作っても、偽造でしょうか。まず、原則です。偽造にあたりません。文書偽造の最初の回で見た意思説を思い出してください。作成者は、自分の意思や観念を文書に表した者、または人に表させた者でした。承諾した名義人は、自分の意思を、他人に書かせて表示させた者です。だから作成者は、名義人本人です。名義人と作成者が一致するので、人格の同一性にズレがありません。冒頭のPがそうです。社長が、担当者に書かせて、自分の意思を表示させています。作成者は社長なので、偽造ではありません。文書偽造の最初の回で見た、部長が部下に見積書を作らせた設例と、同じ構造です。

承諾があっても、いつも偽造にならないわけではありません。ここで、考えてみてください。承諾があれば原則として偽造にならないと見ました。では、名義人が頼んでいても、偽造として罰せられてしまう文書とは、どんな文書でしょうか。本人が自分で書くことに意味がある文書、という見当は合っています。判例を見ます。

判例最決昭56・4・8 刑集35巻3号57頁

承諾があっても偽造になる文書 交通事件原票中の供述書は、その文書の性質上、作成名義人以外の者がこれを作成することは法令上許されないものであつて、……他人の名義で作成した場合は、あらかじめその他人の承諾を得ていたとしても、私文書偽造罪が成立すると解すべきである。

読みどころは、文書の性質上、名義人以外が作ることが許されない文書は、承諾があっても偽造になる、の一点です。交通違反で取り締まられた人が、事実を認めて自分で署名する、供述書の欄です。他人の名前で書いたのですね。

承諾の判断・流れ 図:承諾の判断・流れ

答案では、これを、性質上、本人が自分で書くことが要求される文書、つまり自署性が要求される文書と整理します。判旨の言葉は、法令上許されない、です。整理の言葉と、判旨の言葉は、分けて覚えてください。理由はこうです。見分け方は、その文書が証明しようとしている中身が、本人の行為そのものかどうかです。供述書は、本人が違反を認めたこと。答案は、本人の学力です。そういう文書は、「この本人が、自分で書いた」ことが、信用の中身になっています。代わりに書くことが許されないので、承諾があっても、本人の意思を表示させたことになりません。作成者は、実際に書いた人になり、名義人とズレます。だから、偽造です。自署性が要求される文書の例は、この原票の供述書欄、入学試験の答案、旅券の発給申請書です。

役所の書式でも、名義人で決まります。供述書欄は、違反者本人が書く文書で、名義人は私人ですから、私文書です。旅券の発給申請書も、申請する私人が名義人の私文書です。旅券そのものは、役所が発給する公文書で、別物です。

承諾をめぐる学説 図:承諾をめぐる学説

学説も整理します。否定説は、承諾があれば偽造でない、という立場です。文書偽造の最初の回で見た、物理的に書いた人を作成者とみる行為説を採らない限り、承諾で作成者は名義人になる、というのが理由です。部分的肯定説は、自署性が要求される文書については、承諾があっても偽造とします。判例も、この立場と整理できます。答案では、判例の立場で書くのが書きやすいです。理由は、否定説だと、入試の答案の代わり受験まで偽造にならなくなって、文書の信用を守る趣旨に合わないからです。ここで、冒頭の二つの設例に当てます。Pの契約書で取引先が頼りにしているのは、社長がその契約に同意していることです。誰の手で署名欄を書いたかは、契約の中身を変えません。だから、本人が自分で書くこと自体に意味がある文書ではありません。承諾があれば、作成者は社長で、偽造ではありません。Qの答案は、受験した本人が、自分で解くこと自体に意味がある文書です。入試の答案と同じです。承諾があっても、作成者は実際に書いた人で、名義人の友人とズレます。偽造になりえます。分かれ目は、承諾の有無ではありません。代わりに書いてもらってよい文書か、です。

今日の承諾と、被害者の承諾による違法性阻却は、別の話です。被害者の承諾は、第6章で見たとおり、犯罪ごとに効き目が分かれ、違法性を消すとは限りません。しかも文書の罪が守るのは社会の信用なので、名義人一人の承諾では手放せません。今日の承諾は、そもそも誰が作成者か、という、偽造にあたるかの段階の話です。

令和7年の改正と159条

159条に加わった電磁的記録 図:159条に加わった電磁的記録

先ほどの条文カードに、2号がありました。令和7年の改正で、159条にも、155条と同じ形で、電磁的記録の客体が入ったのです。1項2号、2項の後段、3項です。電磁的記録印章等は、印章等として表示されることとなる電磁的記録です。電子印鑑のようなものです。電磁的記録文書等は、文書等として表示されて行使されることとなる電磁的記録です。例です。他人の電子印鑑の画像を使って、取引先との電子契約書のデータを、無断で作った場合は、1項2号です。文書の定義は広がっていません。データそのものは、目で見て読める形ではないので、文書ではありません。文書の定義には手を付けずに、文書と同じ働きをする電子データを、別の客体として足しました。偽造の考え方も、承諾の考え方も、紙と同じです。

整理と、冒頭の答え

今日の整理 図:今日の整理

まとめます。159条は、名義人が私人の文書の偽造です。有印の偽造と変造の刑は、3月以上5年以下の拘禁刑です。無印は、1年以下の拘禁刑または10万円以下の罰金です。行使の目的が必要です。客体は、権利、義務又は事実証明に関する文書に限られます。事実証明は、社会生活に交渉を有する事項の証明で、入試の答案も当たります。公文書か私文書かは、名義人で決まります。名義人の承諾は、原則として、偽造にあたりません。作成者は、表示させた名義人だからです。ただし、本人が自分で書くことが要求される文書は、承諾があっても偽造です。また、令和7年の改正で、電磁的記録の客体も、同じ型で並んでいます。冒頭の答えです。Pの契約書の署名欄は、代わりに書いてもらってよい文書なので、偽造ではありません。Qの試験の答案は、本人が自分で書くことに意味がある文書なので、承諾があっても、偽造になりえます。肩書の冒用、代理名義の冒用、別名の使用です。

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#175単独ページ動画

肩書・代理名義・別名の冒用と私文書偽造

第17章 社会的法益|公共の平穏・取引の安全・風俗 ⑯/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

肩書を偽ると、偽造になるのか

設例R・S・T 図:設例R・S・T

前回の最後に予告したとおり、今日は、名義人は誰か、という問いを見ます。私文書偽造の後編です。設例を三つ出します。一つ目、Rです。一級建築士の資格のない者が、自分の名前に、一級建築士という肩書を付けて、建物の構造の安全を確認した、という書面を作りました。二つ目、Sです。同じ者が、同じ肩書を付けて、友人あての、引っ越しの挨拶状を出しました。三つ目、Tです。退職した元営業部長が、甲商事、代理人X、という名義で、自分の印鑑だけを押して、商品の発注書を作りました。肩書を偽った点が同じなら、結論も同じに思えます。ところが、片方だけが偽造になります。Tも、名義人は、Xなのか、甲商事なのかで、話が変わります。答えの予告は、ひとことだけです。名義人は、文書に書かれた名前の見た目では、決まりません。今日は、この一点で、肩書、代理名義、別名の三つを貫きます。

名義人は文書の性質で決まる

名義人の決め方 図:名義人の決め方

まず、文書偽造の罪の最初の回で見た、名義人の意義です。名義人は、当該文書から理解される意思・観念の表示主体です。かみ砕くと、その文書を読んだ人が、この文書を作ったのは誰か、と受け取る人でした。例です。会社の注文書の末尾に、担当者の氏名が書いてあるとします。読んだ取引先は、担当者個人が作った文書だとは受け取りません。会社が出した文書だと受け取ります。書いてある名前と、名義人は、ずれることがあります。偽造は、名義人と作成者の人格の同一性を偽ることでした。ですから、まず名義人が誰かを決めないと、ズレがあるかどうかも、決まりません。名義人は、文書の性質、形式、内容から決める。これが、今日の共通の発想です。ここで、前回の確認です。前回、承諾があっても偽造になる文書を見ました。それは、どんな性質の文書でしたか?

本人が、自分で書くことが要求される文書です。あのときも、文書の性質が、結論を決めました。今日も同じ、文書の性質が出てきます。ただし今回は、作成者でなく、名義人を決める側で働きます。

肩書の冒用

設例RとS・名義人はどちらか 図:設例RとS・名義人はどちらか

一つ目の論点、肩書の冒用です。例えば、資格のない者が、自分の氏名に、資格を表す肩書を付けて、文書を作りました。名義人は誰でしょうか。考え方は二つあります。一つは、名義人は、肩書付きの者、つまり一級建築士のXだ、という見方です。すると、作成者はただのXで、肩書を持たない人です。二人はズレて、偽造になります。もう一つは、肩書は無視して、名義人はXという本人だ、という見方です。すると、作成者もX本人で、ズレません。偽造になりません。肩書が名義人の一部になるかどうかが、この論点の中心です。判例を見ます。

判例最決平5・10・5 刑集47巻8号7頁

肩書の冒用と名義人 私文書偽造の本質は、文書の名義人と作成者との間の人格の同一性を偽る点にあると解される……たとえ名義人として表示された者の氏名が被告人の氏名と同一であったとしても、本件各文書が弁護士としての業務に関連して弁護士資格を有する者が作成した形式、内容のものである以上、本件各文書に表示された名義人は、……弁護士資格を有しない被告人とは別人格の者であることが明らかであるから、本件各文書の名義人と作成者の人格の同一性にそごを生じさせたものというべきである

事案は、同姓同名の実在の弁護士になりすまして、弁護士の名義で、弁護士報酬の請求書などを作った、というものです。肩書の冒用と、他人になりすます点が、重なっていました。判旨の、そご、は、食い違い、つまり、ここまで言ってきたズレのことです。読みどころは、氏名が同じでも、文書の性質と形式、内容から、名義人は、弁護士資格のある別人格だ、と言った点です。弁護士報酬の請求書は、資格のある者が、業務として出すものです。読んだ人は、資格のある弁護士が作った文書だ、と受け取ります。答案の言葉に直します。

⭐ 論文で書く規範:【論文で書く規範】肩書の冒用 肩書を付けた文書について、その性質や内容から見て、肩書のある者が作ったと読み手が受け取るなら、名義人は肩書のある者であり、肩書のない作成者との間で人格の同一性が食い違うので、偽造にあたる。 (規範(判例の趣旨)——最決平5・10・5 刑集47巻8号7頁)

肩書の分かれ目・RとS 図:肩書の分かれ目・RとS

冒頭のRとSに当てます。Rの、建物の構造の安全を確認した書面は、建築士の資格があって、初めて意味を持つ文書です。読んだ人は、資格のある一級建築士のXが作った、と受け取ります。名義人は、一級建築士のXです。作成者は、資格のないX。ズレるので、偽造です。Sの引っ越しの挨拶状は、肩書がなくても、誰でも作れる文書です。読んだ友人は、肩書の有無にかかわらず、Xという友人が出した、と受け取ります。名義人は、単なるXです。作成者もX。ズレないので、偽造ではありません。同じ肩書でも、文書によって、結論が変わります。分かれ目は、肩書がなければ作れない性質の文書か、です。

ただ、肩書を偽ったこと自体が、別の罪になるかは、別の話です。ここでは、偽造にあたるかだけを見ています。学説も一言です。少数説は、肩書を偽っても、人格の存在としての同一性は変わらず、性質の齟齬にすぎない、と考えます。Rでいえば、書面のXも、書いたXも、同じ一人の人間で、違うのは資格があるかという性質だけだ、という見方です。責任の所在は明らかで、文書の公共の信用も害されない、だから成立しない、という理由です。判例は、さきほどの規範で、偽造とします。ここは論文で論点になりうる所です。

代理名義の冒用

設例T・名義人は誰か 図:設例T・名義人は誰か

二つ目の論点、代理名義の冒用です。冒頭のTを見ます。退職した元営業部長のXが、甲商事、代理人X、の名義で、発注書を作りました。Xには、もう代理権がありません。代理権のない者が、代理人の名義で文書を作ったとき、名義人は誰でしょうか。代理人として書いた、Xでしょうか。それとも、代理される本人の、甲商事でしょうか。この論点は、二段で答えます。一段目は、名義人は誰か。二段目は、1項の有印になるか、3項の無印か、です。ここで、考えてみてください。甲商事、代理人X、と書かれた発注書の名義人は、Xでしょうか、甲商事でしょうか? 理由も考えてみてください。

もし名義人がXなら、作成者もXで、ズレません。でも、結論として、これは偽造です。判例は、名義人を、別に決めています。

判例最決昭45・9・4 刑集24巻10号1319頁

代表・代理名義の名義人 他人の代表者または代理人として文書を作成する権限のない者が、他人を代表もしくは代理すべき資格、または、普通人をして他人を代表者もしくは代理するものと誤信させるに足りるような資格を表示して作成した文書は、その文書によつて表示された意識内容にもとづく効果が、代表もしくは代理された本人に帰属する形式のものであるから、その名義人は、代表もしくは代理された本人であると解するのが相当である

事案は、理事会の議事録の署名人という資格を、権限なく名乗って、学校法人の理事会名義の議事録を作った、というものでした。ただ、判旨は、代表と代理の両方を並べて言っています。代理にも当てはまる言い方です。決め手は、効果の行き先です。代理人名義の発注書は、その中身の効果が、本人に及ぶ形の文書です。だから、名義人は、効果の帰属する本人、甲商事だ、と言います。作成者はX。名義人は甲商事。ズレるので、偽造です。

代理名義の名義人・判例と有力説 図:代理名義の名義人・判例と有力説

実は、判例の説明は、やや無理がある、と批判されています。代理の文書で、意思を表示しているのは、代理人として書いたXです。甲商事は、何も表示していません。表示主体を本人とするのは、効果の行き先と、表示した人を混ぜている、という批判です。そこで、有力説は、肩書の冒用と同じように考えます。代理人という資格が、文書の公共の信用の基礎になっているなら、代理の資格と氏名が、一体として名義人の表示になる、と見ます。名義人は、甲商事の代理人であるX、です。すると、作成者は、代理権のないX。名義人は、代理人という資格を持つX。資格の有無で、ズレます。結論は、判例と同じ、偽造です。整理すると、判例は、名義人を本人とします。有力説は、代理資格を含めた者とします。どちらの説でも、結論は偽造です。違いは、名義人の理由づけだけです。論文では、どちらで書いてもよい、と整理できます。

代理権のある者が、代理名義で文書を作るのは、偽造ではありません。判旨も、文書を作成する権限のない者、と限っています。権限があれば、前回の承諾と同じで、本人が表示させた文書になり、作成者も本人です。名義人の本人とズレないからです。もう一つ、重要な点があります。有印か無印か、です。159条の1項は、他人の印章または署名を使用した場合でした。

条文刑法159条1項

刑法159条1項(有印私文書偽造等) 行使の目的で、次の各号に掲げるいずれかの行為をした者は、三月以上五年以下の拘禁刑に処する。 一 他人の印章等を使用して権利、義務若しくは事実証明に関する文書等を偽造し、又は偽造した他人の印章等を使用して権利、義務若しくは事実証明に関する文書等を偽造する行為 二 他人の電磁的記録印章等を使用して権利、義務若しくは事実証明に関する電磁的記録文書等を偽造し、又は偽造した他人の電磁的記録印章等を使用して権利、義務若しくは事実証明に関する電磁的記録文書等を偽造する行為

条文刑法159条2項・3項

刑法159条2項・3項(有印私文書変造・無印私文書偽造等) 他人が押印し若しくは署名した権利、義務若しくは事実証明に関する文書等又は他人が電磁的記録印章等を使用して作成した権利、義務若しくは事実証明に関する電磁的記録文書等を変造した者も、前項と同様とする。 前二項に規定するもののほか、権利、義務又は事実証明に関する文書等又は電磁的記録文書等を偽造し、又は変造した者は、一年以下の拘禁刑又は十万円以下の罰金に処する。

代表や代理の名義を冒用して、本人名義の文書を偽造した場合、1項になるのは、どんなときでしょうか。判例が答えています。

判例最決昭45・9・4 刑集24巻10号1319頁

代表名義の冒用と有印 いわゆる代表名義を冒用して本人名義の文書を偽造した場合において、これを、刑法一五九条一項の他人の印章もしくは署名を使用してしたものとするためには、その文書自体に、当該本人の印章もしくは署名が使用されていなければならないわけである

読みどころは、名義人は本人なので、1項にするには、その文書自体に、本人の印章か署名が使われている必要がある、の一点です。設例Tを見ます。Xが押したのは、自分の印鑑だけです。名義人である甲商事の印章も、署名も、使われていません。甲商事、代理人X、という記載は、全体が代理人Xの表示であって、本人の甲商事が自分で表した記名ではないからです。だから、1項には当たらず、3項、つまり無印の私文書偽造です。判例の事案も、本人の印章も署名も文書に使われておらず、3項でした。ここまでをTに戻します。Xに代理権はないので、名義人は本人の甲商事で、作成者のXとズレて、偽造です。印鑑は甲商事のものでないので、3項です。ここも、論文で論点になりうる所です。

別名の使用

通称と偽名・名義人は誰か 図:通称と偽名・名義人は誰か

三つ目の論点、別名の使用です。まず原則です。通称や、芸名、ペンネームのように、社会に通用していて、本人とすぐ分かる別名があります。この別名で文書を作っても、作成者の本人と、名義人の、その別名を名乗る本人は、同じ人格です。偽造ではありません。例えば、十年来、ある通称で暮らしている人が、賃貸借の契約書を、その通称で作りました。大家も近所も、その名で呼んでいます。名義人は、通称を名乗る本人で、作成者と一致します。偽造にはなりません。通称であっても偽造になる場合がある、というのが、この論点の核心です。判例を見ます。

判例最判昭59・2・17 刑集38巻3号336頁

別名の使用と書かれざる資格 再入国の許可を申請するにあたつては、ことがらの性質上、当然に、本名を用いて申請書を作成することが要求されているといわなければならない……本件文書に表示されたAの氏名から認識される人格は、適法に本邦に在留することを許されているAであつて、密入国をし、なんらの在留資格をも有しない被告人とは別の人格であることが明らかであるから、そこに本件文書の名義人と作成者との人格の同一性に齟齬を生じているというべきである

事案は、密入国をして、在留資格のない被告人が、通名として定着していた名前で、再入国許可申請書を作った、というものです。原審は、通名として定着していれば、人格の同一性はある、として無罪でした。最高裁は、それを破棄しました。決め手は、再入国の許可は、適法に在留していることが前提だ、という点です。だから、この申請書は、ことがらの性質上、本名で作ることが要求されます。読んだ入管の職員は、適法に在留することを許された人が、作った文書だ、と受け取ります。ここで出てくるのが、書かれていない資格です。申請書には、適法に在留している、とは、どこにも書いてありません。でも、文書の性質上、その資格が、名義人の表示の一部になっています。名義人は、適法な在留資格のある、その名の者です。作成者は、資格のない本人です。資格の有無で、ズレます。これは、さきほどの肩書の冒用と、同じ技法です。書かれた肩書が、名義人の一部になるのと同じに、書かれない資格も、文書の性質しだいで、名義人の一部になります。答案の言葉に直します。

⭐ 論文で書く規範:【論文で書く規範】別名の使用 別名が社会に通用していても、文書の性質上、本名や一定の資格が要求される場合には、表示された名から認識される人格と作成者は別人格であり、人格の同一性に齟齬が生じる。 (規範(判例の趣旨)——最判昭59・2・17 刑集38巻3号336頁)

学説も見ます。否定説は、通称が、本人を指す名として社会に根づいているなら、名義人はその通称の本人自身であり、作成者と食い違わない、と考えます。判例は、偽造とします。ここも、論文で論点になりうる所です。

偽名の履歴書・通称との線引き 図:偽名の履歴書・通称との線引き

次に、通称と、偽名の線引きです。別の判例です。偽名を使って、虚偽の生年月日、住所、経歴を書き、自分の顔写真を貼った、その人の名義の履歴書と、雇用契約書を作って、使った事案です。

判例最決平11・12・20 刑集53巻9号1495頁

偽名の履歴書と名義人 これらの文書の性質、機能等に照らすと、たとえ被告人の顔写真がはり付けられ、あるいは被告人が右各文書から生ずる責任を免れようとする意思を有していなかったとしても、これらの文書に表示された名義人は、被告人とは別人格の者であることが明らかであるから、名義人と作成者との人格の同一性にそごを生じさせたものというべきである

読みどころは、顔写真があっても、責任を負う気があっても、名義人は別人格で、偽造になる、の一点です。有印私文書偽造と、その行使になりました。顔写真があるから、同一人物と分かる。責任を取る気だったから、迷惑はかけない。そういう言い訳は、通りません。履歴書や雇用契約書は、その名の人物の経歴と、人格を、読み手に伝える文書です。別の人物の名で書いた時点で、名義人は、別人格です。通称と偽名の違いです。通称は、本人を指す名として社会に定着していて、本人と分かる名前でした。偽名は、別の人物になりすます表示です。通称でも、本名や資格が求められる文書なら、偽造です。偽名なら、履歴書や雇用契約書のように、その名の人物を示す文書では、人格のズレが出ます。実在しない名前を使っても同じです。前に見たとおり、名義人は、実在しなくてよいからです。

別名の使用・3段の整理 図:別名の使用・3段の整理

別の例で、再入国の申請書と同じ型の当てはめをします。営業の許可を持たない男が、許可を持つ兄の名で、十年、営業してきました。取引先もその名で呼んでいて、その名は、この男の通称として定着しています。この男が、許可の更新申請書を、兄の名で作ったとします。通称なので、原則なら偽造ではありません。でも、更新の申請書は、本名で、許可を受けた本人が出す文書です。読んだ役所は、許可を受けている兄が作った、と受け取ります。名義人は、許可を持つ兄という人格で、作成者は、許可の無い弟です。通称として定着していても、ここでは人格がズレるので、偽造になると考えられます。本名で出したのなら、中身の嘘にとどまり、名義の偽りにはなりません。肩書でも、代理の資格でも、通称でも、名義人は、名前の見た目でなく、文書の性質で決まります。

整理と、冒頭の答え

今日の整理 図:今日の整理

まとめます。共通の発想は、名義人は、書かれた名前の見た目でなく、文書の性質、形式、内容から決まる、でした。肩書の冒用は、肩書がなければ作れない性質の文書なら、肩書付きの者が名義人で、作成者とズレて偽造です。代理名義の冒用は、判例は、名義人を本人とします。有力説は、代理資格を含めた者とします。どちらでも偽造です。1項にするには、その文書自体に、本人の印章か署名が必要で、なければ3項です。別名の使用は、定着した通称なら、原則偽造ではありません。ただし、本名や一定の資格が要求される文書なら、偽造です。別の人物になりすます偽名は、履歴書や雇用契約書のように、その名の人物を示す文書なら、顔写真や責任を負う意思があっても、偽造です。冒頭の答えです。Rは、資格がなければ作れない文書なので、偽造です。Sは、肩書がなくても作れる文書なので、偽造ではありません。Tは、名義人が本人の甲商事で、Xとズレるので偽造です。印鑑は甲商事のものでないので、3項です。

判断の順序・私文書版 図:判断の順序・私文書版

判断の順序も、これで完成します。まず、文書か。次に、権利、義務又は事実証明に関する文書か。三つ目が、名義人は誰か、です。文書の性質で決めます。四つ目に、作成者は誰か。意思説で考えて、承諾や自署性も見ます。五つ目に、名義人と作成者の人格の同一性に、ズレがあれば、偽造です。そのあと、有印か無印か。有印なら1項と2項、無印なら3項です。最後に、行使の目的を確認します。

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#176単独ページ動画

虚偽診断書等作成罪と偽造私文書等行使罪

第17章 社会的法益|公共の平穏・取引の安全・風俗 ⑰/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

同じ嘘なのに、片方だけが罪になる

設例U・V 図:設例U・V

前回の最後に予告したとおり、今日は、虚偽診断書の160条、偽造私文書の行使の161条、詔書偽造の154条を見ます。文書偽造の罪の、六本目の前半です。設例を二つ出します。一つ目、Uです。開業医が、知人に頼まれて、診ていない病気の診断書を書きました。知人は、それを勤め先の会社に出しました。二つ目、Vです。同じ医師が、同じ嘘の診断書を、市役所に出す手当の申請のために書きました。同じ嘘なら、結論も同じに思えます。ところが、片方だけが罪になります。答えの予告は、ひとことだけです。私文書の中身の嘘は、原則として、罰しません。私人が自分の名前で書く手紙やメモには、小さな嘘がいくらでも混ざります。それを全部、罪にしていたら、きりがないからです。では、なぜ片方だけ罰するのか。これを今日の一本目の筋にします。二本目の筋は、使ったらどうなるか、です。偽造して、使って、だましてお金を取る。この三つは、一本の鎖としてつながります。最後に、天皇名義の文書を偽造する、154条を、位置づけだけ確認します。

私文書の無形偽造と、160条

原則と例外・160条の骨格 図:原則と例外・160条の骨格

まず原則を思い出します。偽造とは、名義人と作成者の人格の同一性を偽ることで、これを有形偽造と呼びました。これに対して、作成権限のある者が、内容の嘘の文書を作ることを、無形偽造と呼びます。私文書は、有形偽造だけを罰します。自分が作る文書の中身が嘘でも、それだけでは罪になりません。公文書は、内容の正しさまで社会が頼るので、156条が、無形偽造も罰していました。ところが、私文書には、その規定がありません。この例外が、160条です。

条文刑法160条

刑法160条(虚偽診断書等作成) 医師が、公務所に提出すべき診断書、検案書若しくは死亡証書に虚偽の記載をし、又は公務所に提出すべき電磁的記録文書等であって、診断書、検案書若しくは死亡証書の全部若しくは一部として用いられるものに虚偽の記録をしたときは、三年以下の拘禁刑又は三十万円以下の罰金に処する。

柱は三つです。主体は、医師。客体は、公務所に提出すべき、診断書、検案書、死亡証書。行為は、虚偽の記載です。刑は、3年以下の拘禁刑または30万円以下の罰金です。診断書は、患者の病状を書いた書類です。検案書は、死体を調べた結果を書いた書類です。死亡証書は、死亡の事実を書いた書類です。理由は二つです。一つは、医師の診断書は、専門的な判断として、強く信用されることです。素人の私的な書面とは、信用の重みが違います。もう一つは、それを受け取る公務所が、内容をそのまま前提にして動くことです。手当の支給を決めたり、死亡の届出を受け付けたりします。内容が嘘だと、公務所の判断が、根本から狂います。だから、特別に罰します。

医師の種類と適用条文 図:医師の種類と適用条文

主体の点も、整理します。160条の主体は、医師に限られます。医師でない者が、医師の名義で診断書を作れば、中身の嘘ではなく、名義の嘘です。これは有形偽造で、159条の問題になります。もう一つ、ひっかけがあります。市立病院のような公立病院の医師が、職務として診断書を作る場合です。これは、公務員が職務に関して作る、虚偽の公文書です。156条の側になって、160条ではありません。160条は、公務員ではない医師の話です。設例Vで言えば、書いたのが開業医なら160条、市立病院の医師が職務として書けば156条、医師でない知人が医師の名前で書けば159条です。

医師という身分が無ければ成り立たない、真正身分犯に、身分のない者が加わる場面です。身分犯と共犯の回で見た、65条1項により、知人にも、160条の共犯が成立しえます。ここでは、160条の主体は医師だけ、という点を押さえてください。

公務所に提出すべき——Uは不可罰、Vは罪

設例U・Vの提出先 図:設例U・Vの提出先

本題の、客体です。条文は、公務所に提出すべき、と書いています。公務所とは、官公庁その他公務員が職務を行う所です。155条の回で見た、7条2項の定義です。市役所、裁判所、税務署、保健所が、その例です。ここで、考えてみてください。同じ医師が、同じ嘘の診断書を書いたのに、提出先が会社なら不可罰、市役所なら罪になります。この差は、条文のどの言葉から出ているでしょうか?公務所に提出すべき、という言葉です。会社は公務所ではないけど、市役所は公務所だから、だと思います。Uは、提出先が勤め先の会社です。会社は、公務所ではありません。だから、公務所に提出すべき診断書に、あたりません。160条の客体ではなく、不可罰です。私文書の中身の嘘は、原則として罰しない、という原則に戻ります。Vは、提出先が市役所です。市役所は、公務所です。160条が成立します。差は、公務所に提出すべき、という一点です。私立学校や私企業に出す診断書も、Uと同じ扱いで、客体になりません。

160条が守るのは、診断書という紙の中身の正しさそのものではありません。公務所が、それを前提に判断することです。だから、提出先で線を引きます。令和7年の改正で、電子の診断書も加わりました。155条の回で見た、電磁的記録文書等です。公務所に提出すべき電磁的記録文書等で、診断書、検案書、死亡証書の全部または一部として用いられるものに、虚偽の記録をした場合です。紙でも電子でも、医師が、公務所に提出すべき、診断書等に、嘘を書く。この三つで決まります。

161条・偽造私文書等行使

161条の骨格 図:161条の骨格

次は、161条です。これは、158条の私文書版です。使う、という行為を、罰します。その前に、158条の回で見た、偽造した立入許可証を、バッグに入れて持ち歩いているだけの場面を、思い出してください。これは、行使にあたるでしょうか?あたらない、です。誰かが認識しうる状態に、置いていないからだと思います。携帯しているだけでは、行使ではありません。この定義を、そのまま使います。

条文刑法161条

刑法161条(偽造私文書等行使) 前二条の文書等又は電磁的記録文書等を行使した者は、その文書等若しくは電磁的記録文書等を偽造し、若しくは変造し、又は虚偽の記載若しくは記録をした者と同一の刑に処する。 前項の罪の未遂は、罰する。

客体は、前二条の文書です。159条の、偽造や変造をした私文書。そして、160条の、虚偽診断書。この両方が、客体になります。つまり、名義の嘘の文書も、中身の嘘の診断書も、使えば、行使の罪です。行使とは、偽造した文書を、真正な文書として、虚偽の文書を、内容の真実な文書として、他人が認識しうる状態に置くことです。相手が、実際に読んだことまでは要りません。他人が認識しうる状態に置けば、その時点で、文書への信用が害されるからです。電磁的記録文書等は、画面に表示して人に示せば、行使です。刑は、偽造や虚偽の記載をした者と、同一です。2項で、未遂も罰します。

同じ人である必要はありません。偽造罪と行使罪は、別の罪です。偽造した者が使うとは限りません。偽造した文書を、他人が使えば、使った者に、161条が成立します。設例Vなら、書いたのは医師、市役所の窓口に出したのは知人です。窓口に出した時点で、職員が読む前でも、知人に161条が成立します。

偽造、行使、詐欺は一本の鎖

牽連犯の鎖 図:牽連犯の鎖

罪数の話です。偽造して、使って、お金をだまし取る。これを三つの罪として、別々に刑を足すのでしょうか。ここで使うのが、牽連犯です。54条1項は、一個の行為が二個以上の罪名に触れるとき、または、犯罪の手段もしくは結果である行為が、ほかの罪名に触れるときは、その最も重い刑で処断する、としています。後半の、手段または結果の関係にあるものが、牽連犯です。罪は数個成立したまま、刑を科すときだけ一つにまとめるので、科刑上一罪と呼びます。牽連犯にあたらなければ、原則どおり併合罪です。それぞれの刑を基礎に、合算する方向で重くなります。牽連犯なら、合算せず、最も重い刑一つで処断します。牽連犯かどうかの判断軸は、牽連犯の回で見ました。その犯罪の性質上、類型的に、手段と目的の関係にあるか、です。手段の罪をすれば、目的の罪に進むのが通常、という組み合わせなら、二つは一つの流れとして評価できるので、刑を合算しません。住居侵入と窃盗が、牽連犯になるのと、同じ発想です。例えば、他人名義の借用書を作って、貸主に見せて、お金を貸させました。まず、借用書を作る。これは、私文書偽造です。それを貸主に見せる。これは、行使です。そして、お金を貸させる。これは、詐欺です。偽造と行使は、牽連犯です。偽造した文書は、使うために作るものだからです。行使と詐欺も、牽連犯です。使うことは、だます手段だからです。そして、三つが全体として、一本の鎖になり、科刑上一罪として、最も重い刑で処断されます。

診断書の場合も、同じ鎖になります。設例Vの医師が、自分で市役所に出して、手当を受けさせたとします。虚偽診断書の作成の160条、行使の161条、詐欺が、一つにつながります。ただし、使うのが、医師でなく知人なら、使った知人に、161条と詐欺です。作った医師と使った知人は、別の罪を負います。詐欺罪の成否の判断は、別の回の内容です。虚偽公文書の回で見た判例も、不実記載と、その行使と、詐欺を、罪質上通例、手段結果の関係にあるとして、牽連犯にしていました。ここでは、偽造、行使、詐欺が、通例、手段と結果の関係でつながる、という筋道を押さえてください。ここは、論文で論点になりうる所です。

154条・詔書偽造等

154条の位置づけ 図:154条の位置づけ

最後に、154条です。詔書の偽造です。詔書とは、天皇が、国事行為として出す、公の文書です。国会の召集の詔書が、その例です。位置づけだけ、確認します。

条文刑法154条

刑法154条(詔書偽造等) 行使の目的で、御璽、国璽若しくは御名を使用して詔書その他の文書を偽造し、又は偽造した御璽、国璽若しくは御名を使用して詔書その他の文書を偽造した者は、無期又は三年以上の拘禁刑に処する。 御璽若しくは国璽を押し又は御名を署した詔書その他の文書を変造した者も、前項と同様とする。

御璽、国璽は、天皇や国家の印章です。御名は、天皇の署名です。これらを使って、詔書その他の文書を偽造すると、1項です。御璽や国璽が押され、御名が署された文書を変造すると、2項です。刑は、無期または3年以上の拘禁刑です。文書偽造の罪で、最も重い刑です。154条は、155条の公文書偽造のうち、名義人が、機関としての天皇である場合を、特に重くした類型です。天皇の名で出る文書は、国の意思を示すものとして、社会が最も厚く信用します。偽造されたときに害される信用が最も大きいので、重く罰します。行使の目的も要ります。使えば、158条で、偽造した者と同一の刑です。

出題の可能性は、きわめて低いです。位置づけと、刑が最も重いことだけ、押さえれば十分です。154条の条文は、令和7年の改正で、変わっていません。

整理と、冒頭の答え

今日の整理 図:今日の整理

まとめます。160条は、私文書の無形偽造を罰する、唯一の例外です。主体は医師、客体は、公務所に提出すべき、診断書、検案書、死亡証書で、提出先で線を引きます。公務員の医師が職務として作れば、156条です。161条は、158条の私文書版です。前二条の文書を、認識しうる状態に置くと、行使の罪で、未遂も罰します。偽造した者と、使った者は、別でかまいません。偽造や虚偽の記載、行使、詐欺は、手段と結果の関係で、一本の鎖になります。全体で、科刑上一罪です。154条は、文書偽造の罪で、最も重い刑の、特別な類型でした。冒頭の答えです。Uは、提出先が勤め先の会社で、公務所ではないので、160条の客体でなく、不可罰です。Vは、提出先が市役所で、公務所なので、160条が成立します。同じ嘘でも、公務所に提出すべきかどうかで、線が引かれていました。

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#177単独ページ動画

電磁的記録不正作出罪と文書偽造の罪の総まとめ

第17章 社会的法益|公共の平穏・取引の安全・風俗 ⑱/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

文書を一枚も作らないのに、偽造の仲間なのか

設例W 図:設例W

前回の最後に予告したとおり、今日は、電磁的記録不正作出の161条の2と、文書偽造の罪の総まとめを見ます。六本目の後半で、最終回です。設例を一つ出します。Wです。会社の経理担当者が、権限なく、社内の会計システムに、会計の数字を実際より多く見せるつもりで、架空の入金データを打ち込みました。紙の書類は、一枚も作っていません。文書を作らなくても、罪は用意されています。答えの予告は、ひとことだけです。文書でない記録のために、別の罪が置かれています。今日は二本立てです。一本目は、その罪、161条の2。二本目は、六回かけて見てきた文書偽造の罪を、一枚の表で通して見ます。

161条の2——文書でない記録のための罪

161条の2の骨格 図:161条の2の骨格

その前に、文書の条件を見た回を、思い出してください。電磁的記録そのものは、文書にあたるでしょうか? なぜ文書偽造の罪では守れないのでしょうか?文書にはあたらない、です。見て読める形になっていないからだと思います。電磁的記録は、画面に出さないと、中身が見えません。文書の条件の一つは、目で見て、読んで、中身が分かることでした。この条件を満たさないので、文書ではありません。だから、文書偽造の罪では守れません。でも、会社も銀行も役所も、コンピュータの中のデータを読み取って、仕事をしています。そのデータが嘘だと、仕事が狂います。そこで、電磁的記録そのものを客体にした罪が、置かれました。守るのは、電磁的記録が証明の手段として働くことへの、社会の信頼です。それが、161条の2です。

条文刑法161条の2

刑法161条の2(電磁的記録不正作出及び供用) 人の事務処理を誤らせる目的で、その事務処理の用に供する権利、義務又は事実証明に関する電磁的記録を不正に作った者は、五年以下の拘禁刑又は五十万円以下の罰金に処する。 前項の罪が公務所又は公務員により作られるべき電磁的記録に係るときは、十年以下の拘禁刑又は百万円以下の罰金に処する。 不正に作られた権利、義務又は事実証明に関する電磁的記録を、第一項の目的で、人の事務処理の用に供した者は、その電磁的記録を不正に作った者と同一の刑に処する。 前項の罪の未遂は、罰する。

1項が、私電磁的記録で、5年以下の拘禁刑または50万円以下の罰金です。2項は、公務所や公務員が作るべき電磁的記録の場合で、10年以下に重くなります。3項が、使う行為、供用です。4項で、供用の未遂も罰します。客体は、人の事務処理の用に供する、権利、義務または事実証明に関する電磁的記録です。例えば、銀行の預金残高を記録した元帳のデータは、権利、義務に関するものです。会社の顧客名簿のデータや、商品の入荷記録のデータは、事実証明に関するものです。登記簿のデータも、公務所が作るべき記録なので、2項に入りえます。ただ、窓口で嘘の申立てをして、役所の人に不実の記録をさせるやり方なら、157条でした。2項は、公務所や公務員が作るべき電磁的記録を、権限なく、または権限を濫用して、直接作る場合です。公的な信頼が大きいので、10年以下と重くなります。

「不正に作る」は、権限の濫用まで含む

不正に作る・文書との違い 図:不正に作る・文書との違い

行為は、不正に作ることです。これには、作る権限がないのに作る場合が含まれます。さらに、作る権限のある人が、その権限を濫用して作る場合も、含みます。ここが、文書との大きな違いです。私文書の無形偽造は、権限のある者が内容を偽っても、原則罰しませんでした。電磁的記録は、権限の濫用も罰します。理由は、機械の動き方にあります。紙の文書なら、受け取った人が、誰が作ったかを見て、判断します。でも、コンピュータは、誰が入力したかを見分けません。入っているデータが正しい、として動きます。データを入力する権限のある人が、嘘を入れても、機械には区別がつきません。だから、権限の濫用も、罰します。ここで、考えてみてください。入力の権限を持っている経理担当者が、権限の範囲内で、自分の成績のために、架空の入金データを入力しました。161条の2の、不正に作った、にあたるでしょうか? 文書の場合と比べて考えてみてください。

権限があっても、事務処理を誤らせる目的で、嘘のデータを作れば、不正に作った、にあたります。もう一つの要件が、目的です。人の事務処理を誤らせる目的が要ります。不正な電磁的記録が使われて、事務処理に過誤が生じる、と分かってやることです。目的犯です。設例Wの、会計の数字を実際より多く見せるつもりで、が、この目的にあたります。この一句がないと、目的が足りず、成立しません。

供用——使う行為

供用の着手と既遂 図:供用の着手と既遂

3項の供用です。不正に作られた電磁的記録を、1項の目的で、他人の事務処理の用に供する、つまり、他人のコンピュータで使える状態に置くことです。例です。偽の磁気データを入れたカードを、機械に差し込みます。差し込もうとした時点が、着手です。差し込む動作を始めれば、あとは機械が読むだけなので、事務処理を狂わせる危険が、もう目の前にあるからです。機械が、そのデータを読み取れる状態になった時点が、既遂です。機械は、読み取ったデータを正しいものとして動くので、その状態に置けば、事務処理はいつ狂ってもおかしくないからです。実際に処理が狂ったかどうかは、問いません。4項があるので、読み取れる状態の手前で止まっても、未遂として罰します。刑は、不正に作った者と同一です。158条や161条の行使と同じ作りです。作った者と使った者が、別人でもかまいません。

文書か、電磁的記録か——令和7年改正後の役割分担

役割分担の表 図:役割分担の表

ここで、令和7年の改正との関係を整理します。161条の2の条文は、この改正で、変わっていません。ただ、改正で、155条以下に、電磁的記録文書等が、別の客体として足されました。電磁的記録文書等とは、文書等として表示されて行使されることとなる電磁的記録です。文書等とは、文書と図画をまとめた呼び名です。つまり、画面に表示されて、人が文書として読むことになる記録です。判断の軸は、一つです。その記録が、人が文書として見る使われ方か、機械が事務処理に使うデータか、です。たとえるなら、店頭に出す看板と、店の裏で機械が読む在庫台帳の違いです。看板は、人が見て信じます。台帳は、機械が読んで動きます。画面に表示して人に見せる、電子の証明書や電子の領収書は、電磁的記録文書等です。文書偽造の罪の側で、名義人と作成者の人格の同一性を偽ったか、と考えます。行使の目的が要ります。会計システムの入金データや、預金元帳のファイル、顧客のデータベースは、機械が読み取って処理に使う電磁的記録です。161条の2の側です。目的は、人の事務処理を誤らせる目的で、権限の濫用まで罰します。同じ取引から、両方が生まれることもあります。例えば、お客さんに画面で見せる電子の領収書と、その金額を会計システムに流し込むデータです。この場合は、まず、どの記録を偽ったのかを分けます。人に見せる領収書を偽れば、文書偽造の側。機械に読ませるデータを偽れば、161条の2の側です。

設例Wに戻します。Wが打ち込んだのは、会計処理のためのデータです。人が文書として見るための記録ではないので、電磁的記録文書等ではなく、電磁的記録です。

設例Wの当てはめ 図:設例Wの当てはめ

当てはめです。入金の事実を示すデータで、事実証明に関する電磁的記録です。会社の会計処理、つまり事務処理の用に供するものです。権限なく作ったので、不正に作った、にあたります。会計の数字を多く見せる、つまり会計処理を誤らせる目的もあります。したがって、Wは、私電磁的記録不正作出罪、161条の2第1項です。公務所や公務員が作るべき電磁的記録なら、2項です。権限があって濫用した場合も、同じ結論です。周辺の罪は、名前だけ確認します。このデータで財産上の利益を得れば、電子計算機使用詐欺で、246条の2です。これは詐欺の回で見ました。Wは、会計の数字を多く見せただけで、利益は得ていません。161条の2は、利益を得ることまでは要らないので、データを作った時点で成立します。支払用カードの電磁的記録と、不正指令電磁的記録は、別の回で扱います。ここは、論文で論点になりうる所です。

文書偽造の罪を一枚の表で通して見る

公私・有形無形の比較表 図:公私・有形無形の比較表

ここから二本目、総まとめです。その前に、前回の確認です。医師が診断書に嘘を書いても、私文書なら原則罪にならないのに、どの場合だけ罪になるのでしょうか?医師が、公務所に提出すべき診断書などに、嘘を書いた場合です。160条です。それを入れて、全体を一枚の表にします。公文書か私文書か、有形偽造か無形偽造か、で並べます。有形偽造は、作る権限のない人が、他人の名前で作る、名義の嘘です。無形偽造は、作る権限のある人が、中身に嘘を書く、内容の嘘です。公文書の有形偽造は、155条です。有印は1項と2項で、1年以上10年以下の拘禁刑です。無印は3項で、3年以下の拘禁刑または20万円以下の罰金です。天皇名義の詔書は、154条で、無期または3年以上です。公文書の無形偽造は、156条と157条です。156条は、作成権限のある公務員が内容を偽る場合で、刑は前二条、つまり154条と155条の例によります。157条は、私人が虚偽の申立てをして、不実の記載をさせる場合です。私文書の有形偽造は、159条です。有印は1項と2項で、3月以上5年以下の拘禁刑です。無印は3項で、1年以下の拘禁刑または10万円以下の罰金です。私文書の無形偽造は、原則罰しません。例外は、さきほどの160条だけです。3年以下の拘禁刑または30万円以下の罰金です。文書でない電磁的記録は、161条の2です。私電磁的記録は5年以下、公電磁的記録は10年以下です。有形か無形かを分けずに、不正に作る、で罰します。権限の濫用も含みます。

読み方のコツが三つあります。一つ目、有印と無印の区別は、有形偽造の155条と159条にあります。無形偽造の156条も、印章等の有無で区別して、前の条文の刑を借りるので、同じように分かれます。二つ目、私文書の無形偽造が罰せられるのは、160条だけです。三つ目、使えば、公文書は158条、私文書は161条で、偽造した者と同一の刑です。原則は、有形偽造を罰する、です。名義の嘘を罰する、と言い換えられます。文書偽造の最初の回で見たとおり、公文書は、内容の正しさまで社会が頼るので、内容の嘘も、156条と157条で罰します。私文書の内容の嘘は、全部罰していては際限がないので、160条に限られます。そして、機械が読むデータは、誰が入力したかを見分けないので、161条の2が、権限の濫用まで罰します。

牽連犯の鎖・判断の順序の最終形 図:牽連犯の鎖・判断の順序の最終形

前回見たとおり、偽造や虚偽作成、行使、詐欺は、手段と結果の関係でつながる、牽連犯です。全体で科刑上一罪、54条1項後段です。偽の文書を作り、それを見せて、お金をだまし取る。偽造は行使の、行使は詐欺の通り道なので、牽連犯になります。住居侵入と窃盗と、同じ発想でした。判断の順序も、これで最終形です。一つ目、客体は、文書等か、電磁的記録文書等か、そもそも文書でない電磁的記録か。そもそも文書でない電磁的記録なら、161条の2です。二つ目、公文書か私文書か。名義人で決めます。三つ目、有形偽造か、無形偽造か。名義人と作成者の人格の同一性で見ます。四つ目、私文書なら、客体が権利、義務または事実証明に関するものか、159条を確認します。無形偽造なら、主体や客体の特則があるか、156条と160条を見ます。五つ目、有印か無印か。六つ目、行使の目的。七つ目、行使したか。158条と161条です。八つ目、罪数。偽造、行使、詐欺は、牽連犯です。ここは、論文で論点になりうる所です。

整理と、冒頭の答え

今日の整理 図:今日の整理

まとめます。161条の2は、文書でない電磁的記録を客体にした罪です。私電磁的記録は5年以下、公電磁的記録は10年以下です。目的は、人の事務処理を誤らせる目的で、不正に作る、は、権限なく作る場合と、権限を濫用して作る場合の両方です。供用も、同一の刑で、未遂も罰します。電磁的記録文書等との分担は、人が文書として見る使われ方か、機械が事務処理に使うデータか、でした。総まとめです。文書偽造の罪は、名義の嘘、つまり有形偽造を罰するのが原則です。私文書の無形偽造は、160条だけです。電磁的記録は、有形と無形を分けずに、不正に作る、で罰します。冒頭の答えです。Wは、文書を作っていませんが、会計処理のためのデータを、権限なく、会計を誤らせる目的で作ったので、私電磁的記録不正作出罪、161条の2第1項です。

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#178単独ページ動画

通貨偽造罪と偽造通貨行使罪

第17章 社会的法益|公共の平穏・取引の安全・風俗 ⑲/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

紙を刷って使っただけで、なぜ無期まであるのか

設例X 図:設例X

前回の最後に予告したとおり、今日は、通貨偽造の罪を見ます。148条の偽造と行使です。設例を一つ出します。Xです。Xは、自宅のプリンタで、一万円札そっくりの紙を刷りました。通常人が不用意に見たら、本物と思うほどの出来です。それを、本物として、店で使いました。文書偽造と、道具は同じです。偽造、変造、行使、行使の目的。文書偽造で使ってきた言葉が、そのまま使えます。ただ、刑がまるで違います。この罪の刑は、無期または3年以上の拘禁刑です。文書偽造では、公文書の偽造でさえ、1年以上10年以下でした。これと同じ重さだったのは、天皇の名で出る詔書の罪だけです。

答えの予告は、ひとことだけです。通貨への信用を壊すからです。今日は二つの条文を見て、最後にXに戻ります。

通貨偽造の罪の地図と、刑が重い理由

通貨偽造の罪の流れ 図:通貨偽造の罪の流れ

まず、文書偽造のときに見た、保護法益を思い出してください。偽造の罪が守るのは、何でしたか?公共の信用、です。誰か個人の財産ではなくて、社会の側の信用でした。通貨でも同じです。守るのは、通貨の真正に対する公共の信用です。ただ、通貨の場合、その信用の重さが違います。たとえるなら、通貨は、経済の血液です。誰もが、このお札は本物で、次の人も受け取ってくれる、と信じて、手から手へ渡します。この信用が崩れて、お札が本物かどうか、いちいち疑われるようになると、買い物も、給料の支払いも、止まります。血が流れなくなった体と同じです。文書と比べると、違いが見えます。偽の文書は、多くは、見せられた相手をだますところで終わります。偽札は、受け取った人が、本物と思って、また次の人へ使います。一枚が手から手へ渡り続けて、だまされる人が増え、やがて本物のお札まで疑われます。だから、通貨偽造の刑は、詔書の罪と並んで、無期まで置かれています。通貨偽造の罪は、一本の流れで見ると、整理できます。偽札を作る準備が、153条です。作るのが、148条1項です。作った偽札を、使う、渡す、輸入する、が148条2項です。ここまでが、作った側です。もう一方に、偽札を受け取ってしまう側がいます。わざと受け取れば、150条です。知らずに受け取って、あとで偽物と知ってから使えば、152条で、これは刑が大きく軽くなります。未遂は151条です。

今日は、148条の二つだけを、本体として見ます。

148条1項——通貨を偽造・変造する罪

148条1項の骨格 図:148条1項の骨格

では、条文を見ます。

条文刑法148条

刑法148条(通貨偽造及び行使等) 行使の目的で、通用する貨幣、紙幣又は銀行券を偽造し、又は変造した者は、無期又は三年以上の拘禁刑に処する。 偽造又は変造の貨幣、紙幣又は銀行券を行使し、又は行使の目的で人に交付し、若しくは輸入した者も、前項と同様とする。

今日は、この条文の1項から入ります。まず、客体です。通用する貨幣、紙幣、銀行券。通用するとは、日本で、強制的に通用する力を持つ、という意味です。強制通用力と呼びます。だから、もう使えなくなった古い通貨や、外国の通貨は、含みません。外国の通貨は、別の条文、149条です。貨幣と紙幣は、国が発行するものです。銀行券は、特定の銀行、日本では日本銀行が発行する、貨幣の代わりになる証券です。いまの日本で、出回っているのは、硬貨と、日本銀行券、つまり千円札や一万円札だけです。

偽造・変造と真券らしさ 図:偽造・変造と真券らしさ

次に、偽造です。権限のない者が、通貨に似た外観の物を作ることです。ここが、文書との違いの一つ目です。文書偽造は、名義人と作成者の人格の同一性が、軸でした。誰の名前で作ったか、です。でも、通貨には、名義人という考え方がなじみません。問題になるのは、誰の名前を使ったかではなく、その見た目が、本物と思われるかどうかです。つまり、真券らしさで測ります。判例も、そう言っています。

判例最判昭25・2・28 集刑16号663頁

通貨偽造の程度 刑法一四八条に規定する銀行券の偽造は、通常人が不用意にこれを一見した場合に真正の銀行券と思い誤る程度に製作されることを要することは言うまでもない。

読みどころは、通常人が不用意に見た場合、の一句です。専門家が、じっくり調べて見破れるかどうかではありません。普通の人が、レジの前で、さっと見て、本物と思うかどうか、です。なぜ普通の人なのか。お札を受け取って、次の人へ渡していくのは、普通の人だからです。その人がだまされる出来なら、偽札は、そのまま世の中を流れていきます。境界の例で確かめます。コピー機で刷った、片面だけの、色もまるで違う紙は、どうでしょうか。普通の人が、さっと見ても、おもちゃと分かります。偽造にあたりません。一方、Xのように、両面を、本物そっくりに刷って、切り揃えた紙は、さっと見て、本物と思います。偽造です。決め手は、真正の通貨だと、誤認させる出来かどうかです。

誤認させるところまで至らない、紛らわしい物にも、別の法律があります。通貨及証券模造取締法です。製造や販売を、より軽く罰します。続いて、変造です。権限のない者が、本物の通貨に手を加えて、本物らしい見た目の別物に仕立てることです。例えば、千円札の額面の表示を、書き換えたり貼り付けたりして、高額の紙幣のように見せるものです。ここも、文書と比べておきます。文書の変造は、真正な文書の非本質的部分に手を加えることで、決め手は、元の文書と同じものと言えるか、でした。通貨の変造も、真正な通貨を材料にして加工する点は、似ています。ただ、何で測るかは、ここでも見た目、つまり真券らしさです。判例を見ます。

判例最判昭50・6・13 刑集29巻6号375頁

通貨変造の程度 被告人が作出した六片の物件は、通常人をして真正の銀行券を四つ折又は八つ折にしたものと思い誤らしめる程度の外観、手ざわりを備え、真正の銀行券として流通する危険を備えたものと認められるとして、通貨変造罪の成立を認めた原判決の判断は正当である。

読みどころは、真正の銀行券として流通する危険、です。変造でも、見た目と手ざわりが、本物と思われる程度で、世の中に流れてしまう危険があるかどうかが、決め手です。偽造と同じ測り方です。偽造か変造かは、どちらでも同じ148条1項で、刑も同じです。

行使の目的・通貨と文書の違い 図:行使の目的・通貨と文書の違い

最後に、行使の目的です。この罪は、行使の目的がないと成立しない、目的犯です。目的犯は、故意の枠からはみ出す、もうひとつの主観として、目的が要る犯罪でした。目的犯の回で、偽の一万円札を刷る事件を見ました。あれが、まさにこの148条1項です。行使の目的とは、真正な通貨として、流通に置く目的です。ここが、文書との違いの二つ目です。文書の行使は、真正な文書として、他人が内容を認識しうる状態に置くことでした。通貨は、それより一歩進みます。世の中を流れる状態に置く、のです。有価証券を偽造する罪の、行使の目的と比べると、違いがはっきりします。そちらは、流通させる目的までは要らず、真正なものとして使う目的で足ります。通貨のほうは、流通に置く目的まで求められます。例を比べます。店の買い物に使うつもりで刷る。友人に、使わせるつもりで作る。どちらも、流通に置く目的があります。一方、展示会で飾るレプリカとして、精巧な偽札を作った場合や、映画の撮影で映すだけのつもりで作った場合は、流通に置く目的がありません。どんなに精巧でも、この罪は成立しません。

外観だけを見れば、本物そっくりの物があること自体、気になります。ただ、この罪が守るのは、流通する通貨への信用です。流れ出さないなら、その信用は傷つきません。だから、流通に置く目的が、一線になります。

148条2項——偽造通貨を行使する罪

148条2項の骨格 図:148条2項の骨格

2項に進みます。さきほどの148条の、2項の部分です。偽造又は変造の貨幣、紙幣又は銀行券を、行使し、又は行使の目的で人に交付し、若しくは輸入した者も、前項と同様とする。刑は、1項と同じです。客体は、偽造または変造された貨幣、紙幣、銀行券です。これを、まとめて偽貨と呼びます。ここで大事な点があります。偽貨は、自分で作ったものでなくてかまいません。また、行使の目的で作られたものでなくてもかまいません。例えば、ドラマの撮影用に作られた偽札も、偽貨です。それを手に入れた人が、本物として使えば、2項にあたります。行為は三つです。行使、行使の目的での交付、輸入。輸入は、外国で作られた偽貨を、国内に持ち込むことです。試験で特に大事なのは、最初の二つです。

行使と交付の区別 図:行使と交付の区別

まず、行使です。ここで、前に見た文書の行使を、思い出してください。文書の行使とは、どんな状態に置くことでしたか? 通貨では、それがどう変わるでしょうか?文書は、他人が内容を認識しうる状態に置くことでした。通貨は、流通に置くこと、だと思います。偽貨を、真正な通貨として流通に置くのが、行使です。典型は、代金の支払いに使うことです。自動販売機に入れる行為も、行使です。機械は人ではありませんが、入れた硬貨は、いずれ世の中に出ていくからです。判例も通説も、行使と見ています。一方で、見せ金のように、見せるだけで、真正な通貨として流通させるつもりがなければ、行使ではありません。次に、交付です。ここで、問いです。偽札を人に渡した場合、渡した相手が偽物と知っていたかどうかで、行使と交付は、どう分かれるでしょうか? 少し考えてみてください。

交付とは、偽貨であることを告げて渡す、または、偽貨と知っている相手に渡すことです。行使と交付の分かれ目は、相手が偽貨と認識していたかどうか、一点です。例えば、これは偽札だよ、と告げて、買い手に渡せば、交付です。なぜ、分けるのでしょうか。相手が知らずに受け取れば、その相手は、偽札をつかまされて、それを次の人に使うかもしれません。流通に直接出ます。一方、知っている相手に渡す場合は、渡した時点では、まだ世の中に出ていません。ただ、その相手が、いずれ使うかもしれない。だから、交付には、他人に行使させる目的が、要ります。条文の言葉は、1項と同じ、行使の目的です。交付の場面では、渡した相手に使わせる目的、という意味になります。

設例Xの当てはめ 図:設例Xの当てはめ

罪数も確認します。偽造・変造した者が、自分で、行使や交付をしたら、どうなるでしょうか。牽連犯の回で見たとおり、二つの罪が、犯罪の性質上、手段と結果の関係にあれば、罪は二つ成立したまま、刑を科すときだけ一つにまとめ、最も重い刑で処断します。54条1項後段の、科刑上一罪です。通貨偽造は、行使の目的がなければ成立しない罪でした。作る罪の中に、使うことが、初めから組み込まれています。だから、偽造と行使は、たまたまではなく、性質上、手段と結果の関係にあります。牽連犯です。文書偽造のときと、同じ作りです。では、冒頭の設例Xに戻ります。プリンタで、一万円札そっくりに刷りました。通常人が、不用意に見て、本物と思う出来です。真券らしさは、満たしています。店で使う目的もあります。したがって、通貨の偽造で、148条1項です。そして、店で、それを本物として使いました。流通に置いたので、行使で、148条2項です。1項と2項は、手段と結果の関係なので、牽連犯です。最も重い刑といっても、二つの刑は、どちらも無期または3年以上の拘禁刑で、同じです。結論は、Xは、通貨偽造罪と、偽造通貨行使罪の牽連犯で、無期または3年以上の拘禁刑です。ここで、気づいた方もいると思います。店で、商品を受け取っています。これは、詐欺ではないのか、という疑問です。詐欺との関係は、受け取った側の罪と並べて、続きの回で見ます。

整理と、冒頭の答え

今日の整理 図:今日の整理

まとめます。通貨偽造の罪が守るのは、通貨の真正に対する公共の信用です。通貨は経済の血液で、その信用が崩れると、取引全体が止まります。だから、刑は無期または3年以上の拘禁刑と、極めて重く置かれています。148条1項は、行使の目的で、通用する貨幣、紙幣、銀行券を、偽造または変造する罪です。偽造は、名義ではなく、真券らしさで測ります。通常人が不用意に見て、真正と思い誤る程度です。行使の目的は、真正な通貨として、流通に置く目的です。148条2項は、偽貨を、行使する、行使の目的で交付する、輸入する罪です。行使と交付の分かれ目は、相手が偽貨と知っているかどうか、です。偽造者が、自分で行使すれば、牽連犯です。ここは、論文で論点になりうる所です。冒頭の答えです。Xは、プリンタで一万円札を刷って、店で使いました。通貨偽造罪と偽造通貨行使罪の牽連犯で、刑は、無期または3年以上の拘禁刑です。紙を刷っただけに見えても、通貨への信用を壊すので、ここまで重いのです。

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#179単独ページ動画

偽造通貨収得罪と収得後知情行使罪

第17章 社会的法益|公共の平穏・取引の安全・風俗 ⑳/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

同じ偽札を使ったのに、刑が桁違いなのはなぜか

設例YとX 図:設例YとX

前回の設例Xを思い出してください。Xは、本物そっくりの一万円札を自分で刷って、店で使いました。通貨偽造と偽造通貨行使の牽連犯で、刑は無期または3年以上の拘禁刑でした。今日は、受け取ってしまった側の話です。設例Yです。Yは、買い物のお釣りで、一万円札を受け取りました。家に帰ってから、それが偽物だと気づきました。損をしたくなくて、翌日、別の店で、その一万円札を使いました。Xと同じ重さではありません。桁が、まるで違います。どれくらい違うかは、あとで条文で確かめます。分かれ目は、受け取った時に、偽物と知っていたかどうかです。今日は、受け取る側と準備の条文を見て、最後にYに戻ります。

通貨偽造の罪の残り——拾う・準備・未遂

通貨偽造の罪の流れ 図:通貨偽造の罪の流れ

前回の流れの図に、残りの条文を全部入れます。準備が153条です。作るのが148条1項で、使う、渡す、輸入するのが148条2項です。ここまでが本流で、前回見た、作った側です。そこに、脇道が加わります。受け取るほうが150条です。知らずに受け取って、あとで知って使う側が152条です。外国の通貨は149条、未遂は151条です。覚え方を一つ。作ったら148条1項、使ったら148条2項、拾ったら150条です。収得とは、偽貨を自分のものにする一切の行為です。拾う、もらう、買う、どれも収得です。有償か無償かは問いません。

149条と150条 図:149条と150条

まず、149条です。前回、148条の客体に、外国の通貨は含まれないと言いました。それを受ける条文が149条です。日本国内に流通している外国の貨幣、紙幣、銀行券を、偽造、変造し、また、行使、交付、輸入する罪で、刑は2年以上の有期拘禁刑です。条文が、日本国内に流通している、と絞っています。試験での出番は、あまり多くありません。次に、150条です。条文を見ます。

条文刑法150条

刑法150条(偽造通貨等収得) 行使の目的で、偽造又は変造の貨幣、紙幣又は銀行券を収得した者は、三年以下の拘禁刑に処する。

要件は三つです。行使の目的、偽貨であること、収得です。行使の目的とは、前回見たとおり、真正な通貨として流通に置く目的でした。つまり、受け取る時点で、偽物と知っていて、いずれ使うつもりでもらう場合が、150条です。知らずに受け取ったなら、150条にはなりません。知らなければ、偽貨を収得する認識がないからです。この場合は、あとで見る152条の話になります。境界を確かめます。受け取った一万円札が偽物だと気づいて、店の人が、警察に届けるために預かる場合は、どうでしょうか。偽物と知って、手に入れています。でも、使うつもりがありません。行使の目的がないので、150条は成立しません。刑は、3年以下の拘禁刑です。作る148条の無期まで置かれた刑と比べると、ずいぶん軽いです。受け取っただけでは、まだ世の中に流していません。自分の手元に取り込んだ段階だからです。ただ、収得して、そのまま使えば、150条と148条2項が成立し、牽連犯になります。150条も、行使の目的がなければ成立しない罪なので、受け取ることと使うことは、初めから手段と結果の関係にあるからです。

未遂と準備 図:未遂と準備

続いて、151条です。

条文刑法151条

刑法151条(未遂罪) 前三条の罪の未遂は、罰する。

前三条とは、148条、149条、150条です。例えば、偽札を刷り始めたが完成前に捕まった場合は、148条1項の未遂です。ここで、数え間違いに注意してください。152条と153条は、前三条に入っていません。この二つは、未遂を罰しません。最後に、153条です。

条文刑法153条

刑法153条(通貨偽造等準備) 貨幣、紙幣又は銀行券の偽造又は変造の用に供する目的で、器械又は原料を準備した者は、三月以上五年以下の拘禁刑に処する。

偽造の準備、つまり予備のうち、処罰されるのは、器械又は原料を準備する行為だけです。印刷機を買う、専用の用紙やインクを買いそろえる、こうした行為は、準備にあたります。一方、偽札を作れる技術者を探して頼むだけでは、器械でも原料でもないので、この罪にはなりません。自分で偽造するための準備でも、他人に偽造させるための準備でも、成立します。刑は、3月以上5年以下の拘禁刑です。短答でよく問われます。

152条——知らずに受け取った人はなぜ軽いのか

152条の構造 図:152条の構造

いよいよ、冒頭のYの条文です。152条を見ます。

条文刑法152条

刑法152条(収得後知情行使等) 貨幣、紙幣又は銀行券を収得した後に、それが偽造又は変造のものであることを知って、これを行使し、又は行使の目的で人に交付した者は、その額面価格の三倍以下の罰金又は科料に処する。ただし、二千円以下にすることはできない。

構造は、三つの順です。まず、本物と思って、収得します。次に、あとで、偽物と知ります。そして、知りながら、行使するか、行使の目的で人に交付します。行使と交付の意味は、前回の148条2項と同じです。150条との違いは、収得した時に偽物と知っていたかどうかです。刑は、額面価格の3倍以下の罰金または科料です。ただし書の、2千円以下にすることはできない、というのは、額面の小さい硬貨のような場合の下限の定めで、Yの一万円札では問題になりません。

軽い理由 図:軽い理由

軸は、期待可能性です。責任の回で見ました。この行為に出ずに、適法に振る舞うことを期待できるか、という考え方です。Yで考えます。お釣りで受け取った時は、本物と思っていました。気づいた時には、もう自分が損を抱えています。損を、そのまま自分でかぶって、偽札を捨てるのが、法に沿う行動です。けれど、その損を別の誰かに回したくなるのは、人情として、無理もありません。適法な行動を期待しにくいのです。ただし、責任の回で見たのは、期待可能性が無い場合で、そのときは責任が否定されました。Yは、無いのではなく、低いだけです。だから、それでも犯罪ではあります。偽札が世の中に流れ出して、通貨への信用が傷つくことは、変わらないからです。そこで、罰するけれど、刑は著しく軽くする、という作りになっています。

初めから偽物と知って受け取る人は、事情が違います。知っていて受け取れば、知らないうちに損を押し付けられたわけではありません。同情の余地がないので、150条で、重く罰します。

受け取る時の認識で分ける 図:受け取る時の認識で分ける

三つの場合を、並べて整理します。偽物と知って、使うつもりで受け取る。これが150条で、使えば148条2項です。本物と思って受け取り、あとで偽物と知って使う。これが152条です。本物と思って受け取り、本物と思ったまま使う。これは、偽物という認識がないので、罪になりません。ここで、問いです。受け取った時は本物と思っていた一万円札を、偽物と気づいてから使った場合、どの条文で、どれくらいの刑になるでしょうか? 受け取る時に、偽物と知っていた場合と比べて考えてみてください。

設例Yの当てはめ 図:設例Yの当てはめ

Yに当てはめます。お釣りで受け取った時は、本物と思っていました。収得ですが、150条ではありません。帰宅後に偽物と知り、翌日、別の店で使いました。知りながらの行使なので、152条です。刑は一万円の3倍、つまり3万円以下の罰金、または科料です。罰金は1万円以上、科料は千円以上1万円未満です。Xは無期または3年以上の拘禁刑でした。同じ偽札を使っても、これだけ違います。分かれ目は、最初に受け取った時の認識です。

偽造通貨を使えば、詐欺も成立するのか

詐欺との関係の問い 図:詐欺との関係の問い

最後に、前回の終わりに残した疑問です。Xは、偽札で、店から商品を受け取りました。店をだまして、物を取っています。詐欺罪も、成立するでしょうか。その前に、牽連犯の回の復習です。手段と結果の関係にある犯罪は、どう処理されたでしょうか?牽連犯で、罪は二つ成立するけれど、刑を科すときは、最も重い刑で一つにまとめる、でした。文書偽造では、偽造した文書を行使して、人からお金をだまし取れば、偽造と行使と詐欺が、牽連犯でした。通貨も、同じ扱いになるでしょうか。

通貨と文書の対比 図:通貨と文書の対比

結論は、違います。偽造通貨の行使は、行使罪だけが成立して、詐欺罪は別に成立しません。判例も通説も、そう考えます。罪数の回で見た、吸収です。詐欺の分は、行使罪の評価の中に包み込まれて、別の罪にはなりません。罪が二つ成立したまま、刑だけを一つにまとめる牽連犯とは、そこが違います。少数説は、詐欺罪も成立すると考えます。行使罪と詐欺罪が成立して、牽連犯になるという立場です。守るものが違う、というのが理由です。通貨の罪は、社会の信用を守ります。詐欺は、個人の財産を守ります。守るものが違うので、両方成立する、というわけです。

吸収の決め手 図:吸収の決め手

決め手は、152条の軽さです。Yに、詐欺罪も成立するとします。偽札で商品を取っているので、詐欺罪の10年以下の拘禁刑が、問題になります。牽連犯なら、重いほうの詐欺の刑で処断されます。すると、知らずに受け取った人だけ軽くした152条の意味が、なくなってしまいます。Xのほうでも、結論は同じです。148条2項の刑は、無期または3年以上と、詐欺罪より重いです。行使罪が、すでに十分重く罰していて、詐欺を重ねて足す意味がありません。だから、判例も通説も、行使罪だけと考えます。文書の行使には、152条のような軽い罪がないので、詐欺を別に評価して、牽連犯にします。ただ、文書でも、前に見た免状や旅券の下付は、詐欺は別に問いませんでした。下付、つまり役所から受け取ることが、免状や旅券に不実の記載をさせる157条2項の罪に、初めから含まれるからでした。短答で、偽造通貨を行使して商品を得た場合に、行使罪と詐欺罪の牽連犯、とあれば、判例・通説と合わず、誤りです。ここは、論文で論点になりうる所です。

整理と、冒頭の答え

通貨と文書の比較 図:通貨と文書の比較

まとめます。通貨と文書を並べます。偽造の測り方は、通貨は真券らしさ、文書は名義人と作成者の人格の同一性でした。行使の意味は、通貨は流通に置くこと、文書は他人が認識しうる状態に置くことです。違いが出るのは、受け取る側です。通貨には、知らずに受け取って、あとで知って使う人に向けた、軽い罪の152条があります。文書には、同じ軽い罪がありません。そして、詐欺との関係も違います。通貨の行使は行使罪だけで、文書の行使は、詐欺が別に成立して牽連犯です。

今日の整理 図:今日の整理

条文を整理します。通貨偽造の罪は、準備が153条、作るのが148条1項、使うのが148条2項、受け取るのが150条、知って使うのが152条です。149条は外国通貨で、未遂の151条は、148条、149条、150条だけが対象です。153条は、器械又は原料の準備だけを罰します。150条は、偽貨と知って、使う目的で収得する罪です。152条は、知らずに受け取って、あとで知って使う罪で、刑は、額面の3倍以下の罰金または科料です。軽い理由は、損を他人に回したくなる人情で、適法な行動を期待しにくいからです。詐欺は、行使罪に吸収されて、別には成立しません。冒頭の答えです。Xは、無期または3年以上の拘禁刑でした。Yは、3万円以下の罰金、または科料です。同じ偽札を使っても、受け取った時に偽物と知っていたかどうかで、刑は桁違いに変わります。

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#180単独ページ動画

有価証券偽造罪と印章偽造罪

第17章 社会的法益|公共の平穏・取引の安全・風俗 ㉑/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

誰にも渡さず、見せるだけの手形は罪になるのか

設例Z 図:設例Z

前回までで、通貨を偽造する罪と、偽札を受け取った側の罪を見ました。通貨の偽造には、行使の目的が要りました。真正な通貨として、流通に置く目的です。流通させるつもりがなければ、どれほど精巧な偽札を作っても、通貨偽造罪にはなりませんでした。今日の設例Zです。Zさんは、資金繰りに困っていました。そこで、取引先の会社の名前を勝手に使って、約束手形を作りました。ふつうの人が見たら、本物の手形と思う出来です。目的は、銀行の担当者に見せて、信用させることです。誰かに渡すつもりは、ありません。結論から言うと、罪になります。ただ、理由は、通貨とは別のところにあります。答えの予告は、ひとことだけです。守っている信用の中身が違う、です。今日は、有価証券を偽造する罪と、印章を偽造する罪を見て、最後にZさんに戻ります。

有価証券偽造の罪の地図と、権利がしみ込んだ紙

有価証券偽造の罪の流れ 図:有価証券偽造の罪の流れ

まず、全体の地図です。条文は二つです。作るのが162条で、偽造、変造、虚偽記入の三つの行為があります。使う、渡す、輸入するのが163条です。この二つで、一本の流れになります。守るものは、これまでの偽造の罪と同じ、公共の信用です。ここでは、有価証券の真正に対する公共の信用です。手形は、文書の一種ですよね。文書偽造の罪では、足りないんですか。足りません。有価証券は、文書より、取引の中で強い信用を背負っているからです。たとえるなら、有価証券は、権利がしみ込んだ紙です。約束手形なら、100万円を受け取れる権利が、紙にしみ込んで、紙と一体になっています。その紙を持って行かなければ、権利は使えません。他の人に譲るときも、紙ごと渡します。もし、その紙が偽物だったら、どうでしょうか。紙を信じて受け取った第三者が、思わぬ損をします。権利と紙が一体だからこそ、紙が本物であることへの信用が、取引の土台になります。だから、文書偽造とは別に、重い罪が用意されています。

有価証券とは何か——あたる紙とあたらない紙

有価証券の定義 図:有価証券の定義

最初に、有価証券とは何かを定めます。判例を見ます。

判例最判昭32・7・25 刑集11巻7号2037頁

有価証券の意義 刑法にいわゆる有価証券とは、大審院が屡々判示したように、財産上の権利が証券に表示され、その表示された財産上の権利の行使につきその証券の占有を必要とし、その証券が取引上流通性を有すると否とは刑法上は必ずしもこれを問わないものと解するを相当とする。されば、第一審判決が本件定期乗車券を有価証券と解したのは正当である。

読みどころは二つです。一つ目は、財産上の権利が証券に表示され、その行使に、証券の占有が必要、という部分です。さっきの、権利がしみ込んだ紙のことです。二つ目は、流通性を問わない、という部分です。手形のように、広く転々と流通しなくても、有価証券でありうるのです。判例は、定期乗車券を、有価証券としました。決め手は、占有です。定期券は、無くしたら、電車に乗る権利を使えません。券を持っていることが、権利を使う条件です。だから、あたります。

あたる紙・あたらない紙 図:あたる紙・あたらない紙

一覧にします。まず、あたる紙です。手形、小切手、株券は典型です。乗車券や定期券もあたります。急行券については、距離と料金だけが印刷された用紙は、まだ有効な急行券ではありません。乗る日、列車、乗る駅といった所定の事項が書かれて、はじめて有効になります。乗る権利が、そこで紙にしみ込むからです。権限なく、その所定の事項を書き込んで、決まった様式の急行券を作れば、有価証券の偽造になる、というのが判例です。宝くじも、有価証券です。商品券やタクシーチケットも、あたります。さらに、取引の慣行の上で証券として扱われるものも、有価証券と認められます。増資で出す新株式の、申込証拠金の領収書が、その例です。商法上の有価証券より、刑法の範囲は広いのです。ここで、問いです。預金通帳は、有価証券にあたるでしょうか。理由まで考えてみてください。

あたりません。通帳は、権利を証明するための紙で、権利が紙にしみ込んでいるわけではないからです。通帳を無くしても、預金は消えません。占有が要りません。判例も、貯金通帳は有価証券でないとしています。通帳を偽造すれば、文書偽造の罪が問題になります。銀行の預金通帳なら、私文書です。同じ理由で、下足札や預り証も、あたりません。渡した物を返してもらう資格を示すだけだからです。クレジットカードなどのカード類も、有価証券ではありません。線引きの理由は、一本です。その紙を持っていないと、権利を使えない、譲れない、かどうか。定期券は、無くせば使えないので、あたります。通帳は、無くしても預金は消えないので、あたりません。

162条——偽造・変造・虚偽記入

162条の骨格 図:162条の骨格

では、条文を見ます。

条文刑法162条

刑法162条(有価証券偽造等) 行使の目的で、公債証書、官庁の証券、会社の株券その他の有価証券を偽造し、又は変造した者は、三月以上十年以下の拘禁刑に処する。 行使の目的で、有価証券に虚偽の記入をした者も、前項と同様とする。

1項は、偽造と変造です。2項は、虚偽記入です。刑はどちらも、3か月以上10年以下の拘禁刑です。まず、偽造です。作成権限のない者が、他人の名義で有価証券を作ることです。名義人と作成者がずれる、という型は、文書偽造と同じです。手形を受け取る人は、名義人が支払いを約束した、と信じて受け取ります。作ったのが別人なら、その約束をした人は、どこにもいません。だから、偽造なのです。設例Zでは、名義人は取引先の会社で、作ったのはZさんです。名義人と作成者がずれています。しかも、ふつうの人が、本物の手形と思う出来です。偽造が成立する形です。次に、変造です。権限のない者が、本物の有価証券に、手を加えることです。例えば、本物の約束手形の額面を、100万円から1000万円に書き換えるのが、変造です。他人が振り出した小切手の、金額欄の数字を書き換える事件でも、判例は、偽造ではなく変造としました。偽造と変造は、同じ1項で、刑も同じです。ですから、試験では、区別の当否が結論に影響することは、あまりありません。

偽造と虚偽記入の分かれ目 図:偽造と虚偽記入の分かれ目

最後に、虚偽記入です。判例を見ます。

判例最決昭32・1・17 刑集11巻1号23頁

虚偽記入の意義 刑法一六二条二項にいわゆる「虚偽ノ記入」とは、既成の有価証券に対すると否とを問わず(すなわち手形にあつては先ず振出行為があると否とを問わず)、有価証券に真実に反する記載をするすべての行為を指すものであつて、手形にあつては基本的な振出行為を除いたいわゆる附属的手形行為の偽造等をいうものと解するを相当とする。

読みどころは、基本的な振出行為を除いた、付属的な手形行為、という部分です。手形を作る行為、つまり振出しの偽造は、虚偽記入ではなく、偽造です。1項です。それ以外の、裏書、引受け、保証といった付随的な行為に、真実に反する記載をするのが、2項の虚偽記入です。裏書は、手形を人に譲るとき、裏面に名前を書く行為です。例を比べます。他人の名で、約束手形そのものを作れば、偽造で、1項です。他人が振り出した約束手形の裏面に、第三者の名前で、勝手に裏書を書き込めば、虚偽記入で、2項です。1項と2項は、罪質も刑も同じなので、どちらを適用するかで結論が変わることは、ありません。なお、162条には、未遂の規定がありません。有価証券を作る段階の未遂は、罰しません。使う側の163条には、未遂の規定があります。これは、あとで見ます。

行使の目的——設例Zの回収

行使の目的の対比 図:行使の目的の対比

162条の罪は、行使の目的がないと成立しない、目的犯です。ここで、問いです。前回までに見た、通貨の行使の目的は、どんな目的でしたか?真正な通貨として、流通に置く目的、でした。では、有価証券は、どうでしょうか。偽造した有価証券を、真正な有価証券として使う目的です。流通に置く目的は、要りません。ここが、通貨との違いです。さきほどの、流通性を問わない、は紙の性質の話でした。こちらは、作る人の目的の話です。目的犯の一般論は、目的犯の回で見たとおりで、故意とは別の主観として、目的が要る犯罪です。どうして、有価証券は、流通させなくていいんですか。守っている信用の中身が違うからです。通貨は、手から手へ流れること自体が価値です。流れ出さなければ、通貨への信用は傷つきません。通貨偽造の回で見た、映画の撮影で映すだけの偽札が、そうでした。誰の手にも渡らないので、偽札をつかまされる人が、出てきません。一方、有価証券は、本物として使われることが価値です。見せるだけでも、本物と思わせて、銀行の担当者の、融資の判断を狂わせます。その時点で、有価証券の真正に対する信用が、傷つくのです。銀行に見せて信用させるために作る手形を、見せ手形と呼びます。判例・通説は、見せ手形も、真正なものとして使う目的があるので、行使の目的ありとします。

設例Zの当てはめ 図:設例Zの当てはめ

冒頭の、設例Zに戻ります。Zさんは、取引先の会社の名前で、約束手形を作りました。名義人と作成者がずれていて、ふつうの人が本物と思う出来です。偽造です。銀行の担当者に見せて信用させる目的は、真正な手形として使う目的です。行使の目的が、あります。誰にも渡すつもりがなくても、成立します。結論は、Zさんには、有価証券偽造罪、162条1項が成立します。流通させなくても、本物として見せるだけで、罪になるのです。

163条——偽造有価証券を使う罪と罪数

設例Zの続き 図:設例Zの続き

ここから、使う側の163条です。前の部分の確認です。設例Zは、取引先の会社の名前で約束手形を偽造して、有価証券偽造罪、162条1項が成立しました。続きです。Zさんは、その手形を銀行の担当者に見せました。担当者は、本物と信じて、Zさんに融資をしました。順に見ます。まず、163条の条文です。

条文刑法163条

刑法163条(偽造有価証券行使等) 偽造若しくは変造の有価証券又は虚偽の記入がある有価証券を行使し、又は行使の目的で人に交付し、若しくは輸入した者は、三月以上十年以下の拘禁刑に処する。 前項の罪の未遂は、罰する。

客体は、偽造または変造された有価証券、あるいは虚偽の記入がある有価証券です。自分で作ったものでなくても、かまいません。刑は、3か月以上10年以下の拘禁刑で、162条と同じです。行為は三つです。行使、行使の目的での交付、輸入です。輸入は、外国で作られたものを、国内に持ち込むことです。試験で大事なのは、最初の二つです。

行使と交付の区別 図:行使と交付の区別

まず、行使です。偽造や変造をした有価証券を、真正な有価証券として使うことです。ここでも、流通に置くことは要りません。見せ手形として、相手に呈示するのも、行使です。通貨の行使は、流通に置くことでした。ここが、通貨との違いです。次に、交付です。偽物であることを告げて渡す、または、偽物と知っている相手に渡すことです。行使と交付の分かれ目は、相手が、偽物と認識していたかどうか、一点です。通貨の交付と、同じ型です。交付にも、行使の目的、つまり、渡した相手に使わせる目的が要ります。例えば、銀行の担当者に、偽物と知らせずに見せれば、行使です。仲間に、これは偽の手形だと告げて渡せば、交付です。163条2項は、1項の罪の未遂を罰します。行使の未遂などが、あたります。さきほどの162条には未遂がなかったので、対になる点です。

偽造・行使・詐欺の鎖 図:偽造・行使・詐欺の鎖

罪数です。ここで、問いです。偽造通貨の行使と詐欺は、どう処理されたでしょうか? 前回のことを、思い出してください。偽造通貨の行使は、行使罪だけで、詐欺は別に成立しません。吸収されるからでした。では、有価証券は、どうでしょうか。まず、偽造した者が、自分で行使すれば、偽造と行使は、牽連犯です。54条1項後段の、科刑上一罪です。二つの罪が、手段と結果の関係にあれば、罪は二つ成立したまま、刑を科すときだけ一つにまとめ、最も重い刑で処断します。さらに、行使が詐欺の手段になった場合も、行使罪と詐欺罪は、牽連犯です。つまり、偽造、行使、詐欺が、一連の牽連犯になります。通貨には、偽札と知らずに受け取り、あとで気づいて使った人を、軽く罰する152条がありました。有価証券には、そのような、軽くするための特別の罪がありません。この点で、文書と同じ側です。偽造文書の行使と詐欺が牽連犯だった、文書偽造の回と、同じ処理です。詐欺の中身は、詐欺罪の回で見たとおりです。Zさんに当てはめます。偽造で162条1項、見せて信用させたのが行使で163条1項、融資を受けたのが詐欺です。この三つは、牽連犯で、最も重い刑で処断されます。

通貨・有価証券・文書を並べる

通貨・有価証券・文書の対比 図:通貨・有価証券・文書の対比

ここで、偽造の罪の三つを、表にして並べます。通貨、有価証券、文書です。守るものは、どれも、真正に対する公共の信用です。偽造の測り方は、通貨が真券らしさ、つまり、ふつうの人がうっかり見て、本物と思い誤る出来かどうかです。有価証券と文書は、名義人と作成者のずれです。ただ、有価証券と文書でも、ふつうの人が本物と思う外観は要ります。行使の目的は、通貨が流通に置く目的、有価証券が、真正なものとして使う目的、文書が、真正な文書として、他人が内容を認識しうる状態に置く目的です。行使と詐欺は、通貨が行使罪だけで、有価証券と文書は、詐欺が別に成立して、牽連犯です。刑は、通貨が無期又は3年以上の拘禁刑、有価証券が3か月以上10年以下の拘禁刑です。文書は、155条が1年以上10年以下、159条が3か月以上5年以下の拘禁刑です。

行使の目的の違いは、一本の筋で結べます。通貨は、手から手へ流れること自体が価値なので、流通に置く目的が要ります。有価証券と文書は、本物として使われることが価値なので、見せるだけでも、行使の目的があります。詐欺との関係の違いは、別の理由でした。通貨で詐欺も成立させると、牽連犯で、重い詐欺の刑で処断されます。すると、知らずに受け取った人だけを軽くした152条の意味が、消えてしまいます。偽札を作って使った人のほうは、行使罪の刑が、すでに詐欺より重いのでした。有価証券と文書には、その軽い罪がないので、詐欺を別に評価します。

印章偽造の罪——164条から168条

印章偽造の罪の骨格 図:印章偽造の罪の骨格

最後に、印章偽造の罪です。164条から168条までです。守るものは、印章や署名の真正に対する公共の信用です。印章とは、人の同一性を示すための文字や符号で、ふつうは、はんこを押した跡のことです。判例は、はんこ本体も、印章に含めます。署名とは、自分を示す文字で、氏名などを書いたものです。印章と署名を合わせて、印章等と呼びます。文書偽造の回で出てきた言葉と、同じです。署名には、そこで見たとおり、印刷などで氏名を表した記名も含まれます。条文の骨格を、表で見ます。164条は、御璽、国璽、御名で、刑は2年以上の有期拘禁刑です。165条は、公務所や公務員の印章等です。166条は、公務所の記号です。167条は、他人の印章等です。刑は、165条が3か月以上5年以下の拘禁刑、166条と167条は、3年以下の拘禁刑です。行為は、どの条文も二つです。まず、行使の目的で偽造すること。次に、不正に使うか、偽造したものを使うことです。刑は、偽造と使用で、同じです。条文を、二つだけ全文で見ます。まず、165条です。

条文刑法165条

刑法165条(公印偽造及び不正使用等) 行使の目的で、公務所又は公務員の印章等又は電磁的記録印章等を偽造した者は、三月以上五年以下の拘禁刑に処する。 公務所若しくは公務員の印章等若しくは電磁的記録印章等を不正に使用し、又は偽造した公務所若しくは公務員の印章等若しくは電磁的記録印章等を使用した者も、前項と同様とする。

次に、167条です。

条文刑法167条

刑法167条(私印偽造及び不正使用等) 行使の目的で、他人の印章等又は電磁的記録印章等を偽造した者は、三年以下の拘禁刑に処する。 他人の印章等若しくは電磁的記録印章等を不正に使用し、又は偽造した印章等若しくは電磁的記録印章等を使用した者も、前項と同様とする。

165条は役所や公務員の印章、167条は、私人の印章です。違いは客体だけで、作りは同じです。電磁的記録印章等とは、印章等として表示されることとなる電磁的記録のことです。電子的な押印や署名のデータにも、保護が広がっています。

未遂と、印章・記号の線引き 図:未遂と、印章・記号の線引き

168条は、未遂の規定です。罰するのは、使う側だけです。各条の2項、つまり、不正使用や、偽造したものの使用の未遂です。偽造そのものの未遂は、罰しません。次に、判例を二つ見ます。まず、印章と記号の線引きです。

判例最判昭30・1・11 刑集9巻1号25頁

公務所の印章と記号の区別 公務所の印章と記号とを区別する標準は、その使用の目的物の如何にあるもので、文書に押捺して証明の用に供するものは公務所の印章であり、産物、商品等に押捺するものはその記号であること…… 右全国選挙管理委員会の検印は、同委員会が、選挙運動のために使用する文書であるポスターが法定の枚数内であり、規格の制限に違反していないことを確認した上、これに押捺するものであるから、刑法一六五条一項にいわゆる公務所の印章に該当するものというべきである。

読みどころは、使う目的物で分ける、という点です。文書に押して、証明に使うものは、印章です。産物や商品に押すものは、記号です。判例は、選挙管理委員会がポスターに押す検印を、印章としました。文書であるポスターに押して、確認を証明するものだからです。もし、これが、りんごの箱に押す検印なら、記号になります。続いて、偽造の程度です。

判例最決昭32・2・7 刑集11巻2号530頁

公印偽造の程度 いわゆる公印偽造罪を罰するのは、結局実在する公務所又は公務員の印章若しくは署名の信用を保護しようとするものであるから、偽造の印章若しくは署名が通常人をして実在する公務所又は公務員の印章若しくは署名と誤信せしめるに足りる程度の形式、外観を備えている以上、実際のものと一致しなくとも、同罪の成立を妨げないものといわなければならない。

読みどころは、通常人が誤信する程度の形式と外観、です。実際のものと、そっくり一致している必要はありません。ふつうの人が、実在する公務員の印章だ、と思い違える出来であれば足ります。なぜなら、守るものが、実在する公務所や公務員の印章への信用だからです。通貨の真券らしさや、文書の外観と、似た測り方です。

印章偽造と文書偽造の関係 図:印章偽造と文書偽造の関係

最後に、公文書偽造の回で、あとに回していた、文書偽造との関係です。印章や署名が、文書の一部として押されて、文書偽造が成立する場合、印章の偽造や使用は、文書偽造の中に吸収されます。成立するのは、文書偽造の罪だけです。印章偽造の罪が、独立して問題になるのは、文書偽造が成立しない場面です。印章だけを作る、印章だけを使う、といった場面です。名前だけの短い書き込みでも、名義人の意思や観念を表していれば、文書です。こうした短い文書を、省略文書と呼びます。単なる氏名の記入や押印にとどまるなら、印章や署名の問題です。判例には、郵便送達報告書の、受領者欄に他人の氏名を書いた行為を、有印私文書偽造とした例があります。受領者欄の名前は、確かに受け取りました、という意思を表すからです。

整理と、冒頭の答え

今日の整理 図:今日の整理

まとめます。有価証券は、権利がしみ込んだ紙です。その紙を持っていないと、権利を使えない、譲れない。だから、守るのは、本物として通用することへの信用です。通帳やカード類は、あたりません。162条は、偽造と変造が1項、虚偽記入が2項です。手形を作る振出しの偽造は偽造で、裏書など付随的な行為への真実に反する記載が虚偽記入です。行使の目的は、真正なものとして使う目的で足り、見せるだけでも成立します。163条は、行使、行使の目的での交付、輸入を罰し、未遂も罰します。分かれ目は、相手が偽物と知っているかどうかです。偽造、行使、詐欺は牽連犯で、通貨が行使罪だけだった点と違います。偽造、行使、詐欺の罪数は、論文で論点になりうる所です。印章偽造は、164条から167条が客体の違いで、168条が、使う側の未遂だけを罰します。冒頭の答えです。Zさんは、誰にも渡さず、見せるだけのつもりでも、有価証券偽造罪、162条1項が成立します。さらに、見せて融資を受けたなら、行使と詐欺が加わり、牽連犯です。有価証券は、見せるだけでも、本物と思わせれば信用が傷つく。守っている信用の中身が、通貨とは違うのです。

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#181単独ページ動画

支払用カード電磁的記録不正作出罪と不正指令電磁的記録罪

第17章 社会的法益|公共の平穏・取引の安全・風俗 ㉒/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

まだ一度も使っていない偽のカードは罪になるのか

設例Q 図:設例Q

前回は、有価証券の偽造を見ました。その中で、クレジットカードなどのカード類は有価証券ではない、と整理しました。さらに、電磁的記録の回で見た、電磁的記録不正作出罪も思い出してください。文書でない電磁的記録を、人の事務処理を誤らせる目的で、不正に作る罪でした。設例Qです。Qさんは、使わなくなった白いカードの磁気部分に、他人のクレジットカードから読み取った番号などのデータを書き込みました。店で使える、偽のクレジットカードの完成です。ただ、まだ一度も、店では使っていません。問いは三つです。罪になるのか。なるなら、どの条文か。そして、いつ既遂になるのか。データそのものを客体にする罪が、あります。今日は、カードのデータの罪と、悪意のプログラムの罪を見て、最後にQさんに戻ります。

なぜ独立の罪が要ったのか——支払システムを守る

支払用カードの罪の流れ 図:支払用カードの罪の流れ

まず、なぜ独立の罪が要ったのか、です。カードは、二つの網から落ちます。一つ目は有価証券です。前回の、権利がしみ込んだ紙、にあたりません。二つ目は文書です。文書は、人が読んで意味を受け取るものです。カードの磁気データは、人が読むものではなく、機械が事務処理に使うデータです。電磁的記録不正作出罪は、一般規定です。ここで置かれたのは、支払システムを守る特別版です。守るものは、支払用カードを使った決済の仕組みへの、世間の信頼です。店も利用者も、カードを通せば正しく支払が済む、と信じて使っている、その信頼です。客体をカードに絞って、刑を重くし、作る手前の、持つことや準備することまで罰します。流れで見ます。まず、作る罪が、163条の2第1項です。使うのが2項、渡すのが3項です。持つのが163条の3、準備するのが163条の4です。作って、使って、渡して、持って、準備する。この順に見ていきます。なお、条文は偽造ではなく、不正に作る、という言い方です。

163条の2第1項——作った時点で既遂

163条の2の全文 図:163条の2の全文

その前に、問いです。思い出してください。電磁的記録不正作出罪の目的は、どんな目的でしたか?人の事務処理を誤らせる目的、でした。今日の条文は、そこに、財産上の、が付きます。条文です。

条文刑法163条の2

刑法163条の2(支払用カード電磁的記録不正作出等) 人の財産上の事務処理を誤らせる目的で、その事務処理の用に供する電磁的記録であって、クレジットカードその他の代金又は料金の支払用のカードを構成するものを不正に作った者は、十年以下の拘禁刑又は百万円以下の罰金に処する。預貯金の引出用のカードを構成する電磁的記録を不正に作った者も、同様とする。 不正に作られた前項の電磁的記録を、同項の目的で、人の財産上の事務処理の用に供した者も、同項と同様とする。 不正に作られた第一項の電磁的記録をその構成部分とするカードを、同項の目的で、譲り渡し、貸し渡し、又は輸入した者も、同項と同様とする。

今日は、第1項を見ます。客体は、二つです。一つ目は、代金や料金の支払用のカードを構成する電磁的記録です。クレジットカード、デビットカード、プリペイドカードなどです。二つ目は、預貯金の引出用のカードを構成する電磁的記録で、キャッシュカードのことです。プリペイド式のカード、たとえばテレホンカードも、含まれると解されています。行為は、不正に作ることです。電磁的記録不正作出罪と同じで、権限がないのに作る場合と、権限を濫用して作る場合を含みます。見た目が白いカードでも構わない、という点が、この罪の肝です。たとえるなら、レジが信じる合言葉が入っているのが、中身です。白いカードは、その入れ物にすぎません。客体は、電磁的記録です。見た目が本物そっくりである必要はありません。記録が、支払システムで通用するデータであれば足ります。たとえば、本物のカードと同じ番号などが書き込まれていて、店の読取機が、本物として支払を通してしまう。それが、通用する、ということです。

設例Qの当てはめ 図:設例Qの当てはめ

もうひとつ、目的です。人の財産上の事務処理を誤らせる目的で、これも目的犯です。故意とは別の主観が要る、目的犯の一般論は、目的犯の回のとおりです。Qさんに当てはめます。他人のカードの番号などを書き込んで、店で使える記録を作りました。店の決済システムに、本物のデータと思い込ませて、財産上の事務処理を誤らせる目的が、あります。結論です。Qさんに成立するのは、163条の2第1項です。そして、既遂の時期は、作った時点です。使うことは、要件ではありません。なぜか。偽のデータは、できた瞬間から、いつでも、誰の手でも使えます。支払システムへの信用は、使われる前の、作られた段階で、もう危うくなるからです。まだ一度も使っていなくても、罪になります。冒頭の三つの問いの、答えです。

163条の2第2項と3項——使う・渡す

供用と譲り渡し等 図:供用と譲り渡し等

続いて、使う側です。さきほどの条文の、第2項と第3項です。第2項は、供用です。不正に作られた電磁的記録を、1項の目的で、人の財産上の事務処理の用に供することです。要するに、カードを使う行為です。偽のカードを店の読取機に通す、ATMに差し込んで読み取らせる、といった行為です。第3項は、譲り渡し、貸し渡し、輸入です。ここで、客体に注意してください。1項と2項の客体は、電磁的記録です。3項の客体は、その電磁的記録を構成部分とするカードです。カードという物を、人に渡す行為だからです。譲り渡しは、処分する権限ごと渡すこと、貸し渡しは、使うことだけ許すこと、輸入は、国外から持ち込むことです。たとえば、作った偽のカードを、仲間に売り渡せば、譲り渡しです。

供用にも、作出と同じ目的が必要です。刑は、1項と同じです。使ったその先は、別の罪の問題です。店員をだませば、詐欺罪です。機械に使うときは、得たもので分かれます。ATMから現金を引き出せば、現金は財物なので、窃盗罪です。機械を通して、決済や振込のような財産上の利益を得れば、246条の2の電子計算機使用詐欺罪です。電子計算機使用詐欺の回で見た、財物か利益か、の線引きのとおりです。

163条の3から5——持つ・準備する・未遂

所持と準備の全文 図:所持と準備の全文

作る手前に進みます。まず、持つ罪です。

条文刑法163条の3

刑法163条の3(不正電磁的記録カード所持) 前条第一項の目的で、同条第三項のカードを所持した者は、五年以下の拘禁刑又は五十万円以下の罰金に処する。

目的を持って、不正に作られたカードを、持っているだけで罪です。たとえば、店で使うつもりで、偽のカードを財布に入れているだけで、成立します。次は、準備する罪です。

条文刑法163条の4

刑法163条の4(支払用カード電磁的記録不正作出準備) 第百六十三条の二第一項の犯罪行為の用に供する目的で、同項の電磁的記録の情報を取得した者は、三年以下の拘禁刑又は五十万円以下の罰金に処する。情を知って、その情報を提供した者も、同様とする。 不正に取得された第百六十三条の二第一項の電磁的記録の情報を、前項の目的で保管した者も、同項と同様とする。 第一項の目的で、器械又は原料を準備した者も、同項と同様とする。

四つの行為があります。情を知って、とは、事情を知りながら、という意味です。情報の取得、情を知っての提供、保管、そして器械や原料の準備です。カードの磁気データを、専用の機械でこっそり読み取ることを、スキミングといいます。四つとも、そのスキミングの周りの行為です。目的は、作る犯罪行為の用に供する目的です。作る罪の、手前の罪だからです。準備の対象は、器械と原料に限られます。器械は、カードにデータを書き込む機械、原料は、白いカードのような材料です。ここで、問いです。所持の未遂は、罰されるでしょうか? 163条の5の条文を、見てみます。

条文刑法163条の5

刑法163条の5(未遂罪) 第百六十三条の二及び前条第一項の罪の未遂は、罰する。

未遂を罰するのは、作る、使う、渡す、そして取得と提供だけです。所持、保管、器械や原料の準備には、未遂の規定がありません。なぜ分かれるのかは、こう整理できます。所持と保管は、持っている状態そのものの罪で、途中まで持った、という段階を考えにくいのです。器械や原料の準備は、未遂の回で見た予備にあたる、ずっと手前の行為です。その未遂まで罰すると、日常の行為まで巻き込む、と整理できます。一方、情報の取得と提供は、読み取る、渡すという一回の動作なので、途中で止められた、という段階があります。

163条の2から5の一覧 図:163条の2から5の一覧

一覧にします。作る、使う、渡すは、刑が重く、未遂も罰します。持つは、刑が一段軽く、未遂はありません。準備の罪は、さらに軽く、取得と提供だけ未遂を罰します。重さの順に、処罰が手前に伸びています。

有価証券・電磁的記録・支払用カードを並べる

三つの客体の対比 図:三つの客体の対比

三つの罪を、並べます。有価証券は、権利がしみ込んだ紙です。電磁的記録不正作出は、文書でない電磁的記録です。支払用カードは、その中の、支払システムのデータです。目的は、有価証券が、真正なものとして使う目的、電磁的記録不正作出が、人の事務処理を誤らせる目的、支払用カードが、人の財産上の事務処理を誤らせる目的です。違いは、財産上の、の有無です。刑は、支払用カードが、10年以下の拘禁刑又は100万円以下の罰金で、161条の2の第1項より重くなっています。さらに、作る手前の、所持と準備まで罰するのは、この三つの中では、支払用カードだけです。

設例Qは、表の右端の列、支払用カードに入ります。文書でも、有価証券でもありません。支払システムのデータを不正に作ったので、163条の2第1項です。

不正指令電磁的記録の罪——ウイルスを作る・渡す・動かす

設例R 図:設例R

後半は、悪意のプログラム、つまり、ウイルスの罪です。その前に、問いです。電子計算機損壊等業務妨害罪の、電子計算機とは、何のことでしたか?情報を集めて処理したり、複雑な業務を制御したりする機械で、パソコンやサーバのことでした。設例Rです。Rさんは、写真の色合いを自動で整える、と説明して、ソフトを配りました。ところが、そのソフトには、利用者のパソコンの中のファイルを、勝手に外部へ送る機能が、仕込んであります。守っているものは、プログラムが、使う人の意図に沿って動くという、社会一般の信頼です。ひいては、電子計算機の社会的機能です。カードの罪が、使う前の、作る段階や持つ段階から罰したのと同じく、ウイルスでも、実際に被害が出る前に、作る、渡す、動かす、持つ行為そのものを罰します。業務妨害の回で見た、不正な指令を与える罪は、実際にコンピュータの動作を狂わせて、業務を妨害する罪でした。今日の罪は、その手前の段階を受け持ちます。

168条の2の全文 図:168条の2の全文

条文です。

条文刑法168条の2

刑法168条の2(不正指令電磁的記録作成等) 正当な理由がないのに、人の電子計算機における実行の用に供する目的で、次に掲げる電磁的記録その他の記録を作成し、又は提供した者は、三年以下の拘禁刑又は五十万円以下の罰金に処する。 一 人が電子計算機を使用するに際してその意図に沿うべき動作をさせず、又はその意図に反する動作をさせるべき不正な指令を与える電磁的記録 二 前号に掲げるもののほか、同号の不正な指令を記述した電磁的記録その他の記録 正当な理由がないのに、前項第一号に掲げる電磁的記録を人の電子計算機における実行の用に供した者も、同項と同様とする。 前項の罪の未遂は、罰する。

構造を見ます。第1項は、作成と提供です。客体は二つあります。1号は、そのまま動かせるプログラムです。2号は、その不正な指令を記述した記録で、ソースコードのように、まだ動かせない形のものです。第2項は供用で、客体は1号だけです。第3項は、供用の未遂だけを罰します。実行の用に供する目的とは、事情を知らない人のパソコンで、その人に動かす意思がないのに、動いてしまう状態に置く目的です。作成と提供は、この目的が要る目的犯です。供用は、動かせる状態に置くこと自体が行為なので、カードの供用と違って、別に目的は要りません。作った人が善意で、あとから誰かに悪用されても、作った時点で目的がないので、作成罪は成立しません。

作成・提供・供用の定義 図:作成・提供・供用の定義

三つの行為を、一文ずつ定義します。作成は、新たに記録媒体の上に、存在させること。提供は、不正指令電磁的記録と知って、自分の手元に置こうとする人に、渡すこと。供用は、事情を知らない人のパソコンで、動かせる状態に置くこと、です。渡し方の違いに、注意してください。事情を知らない利用者に配るのは、提供ではなく、供用です。提供は、ウイルスだと知っている相手への引渡しです。もうひとつの条文が、持つ側の罪です。

条文刑法168条の3

刑法168条の3(不正指令電磁的記録取得等) 正当な理由がないのに、前条第一項の目的で、同項各号に掲げる電磁的記録その他の記録を取得し、又は保管した者は、二年以下の拘禁刑又は三十万円以下の罰金に処する。

取得と保管です。刑は一段軽くなります。正当な理由がないのに、とは、違法に、という意味です。目的の要件と、セットで考えます。たとえば、ウイルス対策ソフトを開発するために、自分のパソコンで動かして試すなら、そもそも、他人のパソコンで動かす目的がありません。研究機関や対策ソフト会社に、ウイルスだと明らかにして渡す提供や取得も、正当な理由があります。そうした場面を、条文が、はっきり外しているのです。

反意図性と不正性——何がウイルスにあたるか

二段のふるい 図:二段のふるい

次は、何が不正指令電磁的記録にあたるか、です。最高裁が、2段のふるいを示しました。コインハイブ事件の判決です。まず、反意図性です。

判例最判令4・1・20 刑集76巻1号1頁

反意図性 反意図性は,当該プログラムについて一般の使用者が認識すべき動作と実際の動作が異なる場合に肯定されるものと解するのが相当であり,一般の使用者が認識すべき動作の認定に当たっては,当該プログラムの動作の内容に加え,プログラムに付された名称,動作に関する説明の内容,想定される当該プログラムの利用方法等を考慮する必要がある。

読みどころは、一般の使用者が認識すべき動作、です。基準は、個別の使用者が、実際にどう思っていたかではありません。名前や説明を見たとき、一般の人が、どう動くと考えるか、と実際の動作が、ずれているかどうかです。使う人の期待との、ズレです。たとえば、電卓と名前の付いたアプリが、起動すると、連絡先を勝手に外へ送る。これがズレです。次に、不正性です。

判例最判令4・1・20 刑集76巻1号1頁

不正性 不正性は,電子計算機による情報処理に対する社会一般の信頼を保護し,電子計算機の社会的機能を保護するという観点から,社会的に許容し得ないプログラムについて肯定されるものと解するのが相当であり,その判断に当たっては,当該プログラムの動作の内容に加え,その動作が電子計算機の機能や電子計算機による情報処理に与える影響の有無・程度,当該プログラムの利用方法等を考慮する必要がある。

読みどころは、社会的に許容し得ない、という部分です。ズレがあっても、そのズレが社会に受け入れられる範囲なら、不正とは言えません。判断材料は、動作の内容、機能や情報処理への影響の有無と程度、利用方法です。たとえば、サイトを開くと出てくる広告は、いちいち説明されませんが、社会に受け入れられています。

コインハイブ事件——ズレはあるのに無罪

コインハイブ事件 図:コインハイブ事件

事案です。サイトの運営者が、閲覧者のパソコンに、仮想通貨のマイニング、つまり演算を行わせるプログラムコードを、自分のウェブサイトのサーバに保管しました。不正指令電磁的記録の保管罪、168条の3で起訴された事件です。ここで、問いです。反意図性はあるのに、無罪になりました。何が欠けていたからでしょうか?不正性、です。順に見ます。まず、反意図性は、肯定されました。閲覧者の同意を得る仕様でもなく、説明も表示もなく、この収益の仕組みは、一般の使用者に、知られていませんでした。ズレは、ありました。ところが、不正性が否定されました。動作は、閲覧者のパソコンを、一定程度使うにとどまり、気付くほどの影響はありませんでした。社会に受け入れられている広告表示のプログラムと比べても、影響や利用方法に、有意な差がない、とされました。マイニング自体も、仮想通貨の信頼性を確保する仕組みです。ですから、マイニングという動作の中身も、社会的に許容し得ないものとは言いにくい、とされました。

判例最判令4・1・20 刑集76巻1号1頁

結論 本件プログラムコードは,反意図性は認められるが,不正性は認められないため,不正指令電磁的記録とは認められない。

結論は、無罪でした。ズレがあっても、許される範囲なら、処罰しない。これが、2段のふるいの意味です。ただし、この判決は、負担が小さく気付かれない程度の、この事案についての判断です。マイニングのプログラムなら何でも許される、とまで述べたわけではありません。この論点は、論文で論点になりうる所です。

設例Rの回収と周辺の法令

設例Rの当てはめ 図:設例Rの当てはめ

冒頭の、設例Rに戻ります。反意図性は、あります。色合いを自動で整える、という説明と、ファイルを外へ送る動作が、ずれています。不正性もあります。利用者の情報を、黙って外へ出す動作は、社会的に許容し得ません。コインハイブは、負担が小さく、広告と同じように受け入れられていました。Rさんは、そこが違います。ですから、そのソフトは、不正指令電磁的記録です。仕込んで作った行為は、まず、168条の2第1項の作成です。そして、事情を知らない利用者に配って、動かせる状態に置けば、2項の、供用です。配ったから提供、ではない点が、ポイントです。利用者は、事情を知らないからです。周辺の法令を、名前だけ、触れます。不正アクセス禁止法があります。他人のIDなどで入る行為を罰する法律で、今日の罪は、プログラムを作る、渡す、持つ行為を罰する点が違います。

整理と、冒頭の答え

今日の整理 図:今日の整理

まとめます。カードのデータは、有価証券でも文書でもありません。だから、支払システムを守る罪が、別に置かれました。作る、使う、渡す、持つ、準備する。この順に、処罰が手前に伸びています。未遂を罰するのは、作る、使う、渡す、取得、提供だけで、所持、保管、準備にはありません。ウイルスの罪は、作成、提供、供用、取得、保管です。実行の用に供する目的が核で、未遂は、供用だけです。何がウイルスかは、2段で決まります。一般の使用者の期待とズレているか。そのズレが、社会に許されないか。コインハイブ事件は、ズレがあっても、許される範囲だとして、無罪でした。冒頭の答えです。Qさんは、まだ一度も使っていなくても、163条の2第1項が成立します。既遂の時期は、データを作った時点です。使えば、2項の供用が加わります。

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#182単独ページ動画

公然わいせつ罪とわいせつ物頒布等罪

第17章 社会的法益|公共の平穏・取引の安全・風俗 ㉓/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

会員が同意していても罪になるのか

設例T 図:設例T

今日から、風俗に対する罪に入ります。性的自由に対する罪を思い出してください。あの罪には、被害者がいました。設例Tです。Tさんは、料金を払った会員だけが入れる動画サイトを運営していました。わいせつな動画を、会員がいつでもダウンロードできるようにしています。入会は料金さえ払えば誰でもでき、実際に多数の会員がダウンロードしていました。会員は全員、自分の意思で見ていて、苦情を言った人は1人もいません。問いは二つです。罪になるのか。なるなら、ここで守られているのは、誰の、何なのか。答えの骨格を先に言うと、守られているのは、個人の自由ではなく、社会の風俗です。今日は、公然わいせつ罪と、わいせつ物頒布等罪を見て、最後にTさんに戻ります。

守るのは個人ではなく社会の風俗

風俗に対する罪の地図と対比 図:風俗に対する罪の地図と対比

まず、地図です。風俗に対する罪は、三つのまとまりです。一つ目が、わいせつと重婚の罪で、今日の主役です。守るものは、健全な性的風俗、性道徳、性秩序です。社会の側のものなので、社会的法益です。性的自由とは、性的な事柄について、自分で決める自由でしたね。守られるのは、その個人です。だから被害者がいて、本人が自由に同意していれば、成り立たないのが基本です。ただし、年齢が低い相手のように、同意があっても成立する場合が、条文で決められています。第17章の最初に、社会的法益を、町内の空気にたとえました。町内の空気は、誰か一人の持ち物ではありません。だから、その場の一人が、構わないと言っても、空気を汚してよいことにはなりません。同意して手放せるのは、その利益の持ち主だけです。風俗に対する罪も同じで、守っているのが社会なので、個人の同意では消えません。被害者の同意があっても、成立しうる。ここが、一番の違いです。

ただし、罪になるかどうかを決めるのは、次に見る、わいせつの線です。

わいせつの定義——判例の3要件

わいせつの3要件 図:わいせつの3要件

最初に、思い出してください。前に学んだ、わいせつの意味の認識は、どの程度あれば足りるのでしたか?素人的認識で足りる、でした。裁判官と同じ法的な判断までは要らず、普通の人の感覚で、その意味が分かっていれば足りる、でした。あのとき、判例が定めるわいせつの3要件、と呼んだものの中身を、今日ちゃんと読みます。3要件です。一つ目は、徒らに性欲を興奮又は刺戟させること。二つ目は、普通人の正常な性的羞恥心を害すること。三つ目は、善良な性的道義観念に反することです。三つ全部が要る、という整理です。言い換えます。性的羞恥心は、人前で出すのは恥ずかしい、と感じる普通の感覚です。性的道義観念は、性についての社会の最低限の約束事です。要するに、普通の人が見て、これは公に出すものではない、と感じるかどうか、を言葉にしたものです。たとえば、医学書の図や、美術館の裸体の彫刻を見て、普通の人は、公に出すものではない、とは感じません。性的な興味をあおることだけを狙って作られた冊子なら、話は変わります。同じ裸でも、何のために、どう示されているかで、判断が変わります。判例を読みます。わいせつの定義を確立した、チャタレイ事件の大法廷判決です。

判例最大判昭32・3・13 刑集11巻3号997頁(チャタレイ事件)

3要件と社会通念 ……最高裁判所の判決は『徒らに性欲を興奮又は刺戟せしめ、且つ普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するものをいう』としている……。そして原審判決は右大審院および最高裁判所の判例に従うをもつて正当と認めており、我々もまたこれらの判例を是認するものである。要するに判例によれば猥褻文書たるためには、羞恥心を害することと性欲の興奮、刺戟を来すことと善良な性的道義観念に反することが要求される。 ……裁判所が右の判断をなす場合の規準は、一般社会において行われている良識すなわち社会通念である。この社会通念は、『個々人の認識の集合又はその平均値でなく、これを超えた集団意識であり、個々人がこれに反する認識をもつことによつて否定するものでない』こと原判決が判示しているごとくである。

読みどころは、社会通念です。最後に決めるのは裁判官ですが、その物差しは、裁判官の好みでも、見る人一人ひとりの感じ方でもありません。一般社会の良識です。個々人が、自分は違う、と思っても、わいせつでなくなるわけではありません。守っているのが社会の風俗なので、物差しも、社会の側に置かれるわけです。もう一点。この判決は、性的秩序を守り、最少限度の性道徳を維持することが、公共の福祉の内容をなす、と述べています。さきほどの、健全な性的風俗を守る、という保護法益は、ここにつながります。

判例の変遷——全体として、その時代の社会通念で

わいせつ判断の変遷 図:わいせつ判断の変遷

3要件そのものは、一貫しています。変わってきたのは、当てはめ方です。表にします。最高裁の出発点で3要件が述べられ、チャタレイ事件で是認されて、社会通念で判断する、とされました。次の悪徳の栄え事件で、二つが加わります。一つは、芸術的、思想的な価値があっても、わいせつでありうる、ということです。性生活に関する秩序と健全な風俗を守ることが、国民生活全体の利益に合う、とされたからです。芸術としての価値と、性的な刺激の強さは、別のものです。芸術性が刺激を和らげて、線より下になることはありえます。でも、和らがなければ、刺激はそのまま残り、風俗への害も残ります。もう一つは、全体で見ることです。文書の一部の章句だけでなく、全体との関連で判断します。

芸術性があるというだけで、わいせつにあたらなくなるわけではありません。ただし、芸術性や思想性は、判断の材料にはなります。それを具体的に示したのが、四畳半襖の下張事件です。判断の観点の列挙の部分を読みます。

判例最判昭55・11・28 刑集34巻6号433頁(四畳半襖の下張事件)

判断の観点 文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、それが『徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの』……といえるか否かを決すべきである。

読みどころは、全体としてみたときに、と、その時代の健全な社会通念に照らして、の二か所です。描写の程度、全体に占める比重、思想との関連、芸術性による緩和などを見て、主として読者の好色的興味に訴えるものか、を総合します。そして物差しは、その時代の社会通念です。つまり、時代によって、線は動きます。昔はわいせつとされたものが今はそうでない、あるいは逆のこともありえます。なお、表現の自由、憲法21条との関係は、憲法の側の話です。ここでは、判断の仕方に絞ります。

174条——公然わいせつ罪

174条の全文 図:174条の全文

条文です。まず、公然わいせつ罪です。

条文刑法174条

刑法174条(公然わいせつ) 公然とわいせつな行為をした者は、六月以下の拘禁刑若しくは三十万円以下の罰金又は拘留若しくは科料に処する。

要素は二つです。公然と、わいせつな行為。刑は、拘留や科料まである、軽い罪です。公然と、とは、判例は、不特定または多数の人が認識できる状態、と解しています。ポイントは、認識できる、です。実際に見た人がいなくても、見られうる状態なら足ります。たとえるなら、シャッターが開いている店先です。通った人がいなくても、開いていれば、見られうる状態です。たとえば、人通りのある駅前で、下半身を露出する。これが典型です。さきほどの3要件を、その行為に当てはめます。相手の被害は要件ではありません。見ている人が同意していても、成立します。性的自由の罪との違いは、公然性、つまり人目があることと、被害者がいなくても成り立つことです。

175条——客体は物とデータ

175条の全文 図:175条の全文

次は、わいせつ物頒布等罪です。条文は長いので、一つずつ見ます。

条文刑法175条

刑法175条(わいせつ物頒布等) わいせつな文書、図画、電磁的記録に係る記録媒体その他の物を頒布し、又は公然と陳列した者は、二年以下の拘禁刑若しくは二百五十万円以下の罰金若しくは科料に処し、又は拘禁刑及び罰金を併科する。電気通信の送信によりわいせつな電磁的記録その他の記録を頒布した者も、同様とする。 有償で頒布する目的で、前項の物を所持し、又は同項の電磁的記録を保管した者も、同項と同様とする。

まず客体です。1項前段は、物です。文書、図画、そして電磁的記録に係る記録媒体、つまりDVDやハードディスクのような入れ物も含みます。後段は、データそのものです。電磁的記録その他の記録、です。ここで、整理します。物なら、頒布、つまり配って渡すことと、公然陳列、つまり見られる状態に置くこと。データなら、送信による頒布。物とデータで、行為の名前が分かれています。電子データの時代に合わせて、条文が整えられたからです。罰金も250万円までで、拘禁刑と罰金を併科、つまり両方を同時に科すこともできる点が特徴です。理由は、あとで表で整理します。なお、わいせつな、の意味は、さきほどの3要件です。

頒布とは何か——前段と後段、最決平26

頒布の2つの形 図:頒布の2つの形

頒布から行きます。1項前段の頒布は、不特定または多数の者に、有償か無償かを問わず、交付することです。現実に相手へ渡ったことが要ると解されています。後段の頒布は、不特定または多数の者の記録媒体上に、電磁的記録その他の記録を、存在するに至らしめることです。ここで、設例Tです。会員がダウンロードのボタンを押しているのに、運営者の頒布になるのでしょうか?ボタンを押すのが会員の側でも、運営者の頒布と言えるのか。これを判断したのが、次の決定です。

判例最決平26・11・25 刑集68巻9号1053頁

後段の頒布 刑法175条1項後段にいう『頒布』とは、不特定又は多数の者の記録媒体上に電磁的記録その他の記録を存在するに至らしめることをいうと解される。 ……不特定の者である顧客によるダウンロード操作を契機とするものであっても、その操作に応じて自動的にデータを送信する機能を備えた配信サイトを利用して送信する方法によってわいせつな動画等のデータファイルを当該顧客のパーソナルコンピュータ等の記録媒体上に記録、保存させることは、刑法175条1項後段にいうわいせつな電磁的記録の『頒布』に当たる。 ……被告人らが、同項後段の罪を日本国内において犯した者に当たることも、同条2項所定の目的を有していたことも明らかである。

読みどころは、ダウンロード操作を契機とするものであっても、です。ボタンを押すのは会員でも、その操作に応じて自動的にデータを送る仕組みを、運営者が作っています。会員の操作は引き金にすぎず、データを相手の記録媒体に存在させているのは、運営者です。だから、運営者の頒布です。仕組みを用意し、その仕組みで送られる以上、運営者の行為です。そして、この決定は、国外のサーバを使った事案で、日本国内の顧客のパソコンに記録、保存させたとして、国内で罪を犯した者に当たる、と判断しました。適用範囲の回で見た遍在説では、行為の場所か、結果の場所か、どちらかが日本にあれば、国内犯でした。これで、設例Tで、実際に会員のパソコンにデータが渡ったなら、後段の頒布です。

公然陳列——見られる状態に置く、最決平13

頒布と公然陳列の違い 図:頒布と公然陳列の違い

次は、公然陳列です。頒布が、渡すことなら、公然陳列は、見られる状態に置くことです。相手の手元には、渡りません。その場合を判断したのが、次の決定です。

判例最決平13・7・16 刑集55巻5号317頁

公然陳列の意義 同条が定めるわいせつ物を『公然と陳列した』とは、その物のわいせつな内容を不特定又は多数の者が認識できる状態に置くことをいい、その物のわいせつな内容を特段の行為を要することなく直ちに認識できる状態にするまでのことは必ずしも要しないものと解される。 ……ホストコンピュータのハードディスクに記憶、蔵置された画像データを再生閲覧するために通常必要とされる簡単な操作にすぎず、会員は、比較的容易にわいせつな画像を再生閲覧することが可能であった。

読みどころは、直ちに認識できる状態までは必要ない、という部分です。再生のために簡単な操作が要るだけなら、陳列です。比較的容易に見られるなら足ります。この決定は、データを記憶させたハードディスクを、175条が定めるわいせつ物にあたる、とも述べています。料金を払えば誰でも会員になれるなら、見られる相手は限られていません。だから不特定または多数です。反対に、親しい友人二、三人だけに見せるような、特定の少数なら、公然とはいえません。簡単な操作で見られるなら、見ようと思った人は誰でもすぐに見られます。人の目に触れる状態は、もうできている。だから、それで足りるんです。設例Tに戻します。自動送信なら、後段の頒布です。サイトに置いて見られるようにしているだけなら、公然陳列です。どちらの形でも、175条1項になります。

有償頒布目的の所持・保管——設例S

設例S 図:設例S

2項です。設例Sです。Sさんは、わいせつな図画を、大量に自宅に置いていました。自分で楽しむだけで、売るつもりはまったくありません。持っているだけですよね。罪にならないんですか。なりません。2項は、有償で頒布する目的が要ります。有償での頒布の、予備を罰する趣旨だからです。目的がなければ、不成立です。近く売るつもりで置いていたなら、成立します。物なら所持、データなら保管です。ここで、問いです。友人に無料で配るつもりで置いていたら、どうなるでしょうか?条文は有償でと書いているので、無償で頒布する目的は、含まれません。もう一点。頒布を受けた側、設例Tなら会員は、原則として共犯になりません。受け手は、頒布が起きるたびに必ず登場する相手です。立法者はそれを分かっていて、受け手を罰する規定を置かなかった。あえて外した、と読むのが、必要的共犯の回で見た考え方です。ただし、当然予想される範囲を大きく超えて、積極的で執拗に働きかけた場合は、例外的に共犯になりえます。

罪数と、174条・175条・性的自由の罪の弁別

3つの罪の弁別表 図:3つの罪の弁別表

最後に、整理です。その前に、思い出してください。同じ種類の行為が、何度も繰り返されたら、罪はいくつになるのでしたか?繰り返されることが想定される罪なら、包括一罪、でした。罪数の回では、これを営業犯と呼びました。繰り返すことが、最初から構成要件に織り込まれている罪で、わいせつ物頒布等罪がその例でした。繰り返した全体を、立法者が1個の罪として処罰すると決めているので、何回頒布しても数え直さず、原則として包括一罪です。最高裁も、同じ時刻、同じ場所での、わいせつな図画の販売と、販売目的の所持を、包括一罪としています。表で、3つの罪を比べます。守るものは、174条と175条が社会の性風俗、性的自由の罪は、個人の自由です。被害者は、前の二つはいなくてよく、性的自由の罪は、自由な同意があれば、原則として成立しません。

175条が重いのは、物やデータは手元に残り、何度も、多くの人の目に触れうるから、害が大きいと説明されます。人前で一度行為をするより、残って広まりうる方が、風俗への害が大きい、という考え方です。

周辺の条文と、冒頭の答え

今日の整理 図:今日の整理

周辺を、名前だけ出します。重婚罪は、184条です。配偶者のある者が、重ねて婚姻をしたときは、2年以下の拘禁刑で、その相手方も、同様に罰します。また、182条の、16歳未満の者に対する面会要求等の罪は、条文はこの並びにありますが、性犯罪の前段階を捕まえる規定で、性的自由の罪の側で見ました。まとめます。風俗に対する罪が守るのは、個人の自由ではなく、社会の風俗です。だから被害者がいなくても、同意があっても、成立しうる。わいせつの線は、3要件を、全体としてみて、その時代の健全な社会通念で当てはめます。公然わいせつ罪は、人前で行為をする罪、わいせつ物頒布等罪は、物や記録を広める罪です。人の目に触れる状態をつくる、という一点で、つながっています。頒布は相手の手元に渡すこと、公然陳列は見られる状態に置くことです。この論点は、論文で論点になりうる所です。冒頭の答えです。Tさんは、175条1項で成立します。ダウンロードに応じて自動で送る仕組みで、実際に会員のパソコンに渡ったなら、後段の頒布です。サイトに置いて見られる状態にしているだけなら、公然陳列です。会員が同意していても、関係がありません。守っているのは、社会の風俗だからです。

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#183単独ページ動画

賭博罪と死体損壊等罪

第17章 社会的法益|公共の平穏・取引の安全・風俗 ㉔/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

自分のお金を賭けても罪になるのか

設例M 図:設例M

前回の最後に、今回は賭博の罪、礼拝所及び墳墓に関する罪、死体損壊等の罪を見ると言いました。前回は、被害者が1人もいなくても罪になる、という風俗に対する罪を見ましたね。今回は、その続きです。設例Mです。Mさんは、友人3人と、1人1万円ずつ現金を出し合い、トランプの勝負で、勝った人が全部もらう約束で遊びました。全員が、自分のお金を、自分の意思で賭けています。問いは二つです。罪になるのか。なるなら、何を守っているのか。答えの予告だけ先に言います。守られているのは、勤労の美風という、社会の風俗です。後半では、死体の罪も見ます。どちらも、目の前に傷つく個人がいない罪です。

風俗に対する罪の地図と、守る二つのもの

風俗に対する罪の地図 図:風俗に対する罪の地図

地図です。風俗に対する罪は、三つのまとまりでした。前回のわいせつと重婚が一つ目。今回の前半が、二つ目の、賭博と富くじの罪です。後半が、三つ目の、礼拝所、墳墓、死体に関する罪です。守るものは、それぞれ違います。賭博の罪は、勤労の美風。礼拝所、墳墓、死体の罪は、国民の宗教的感情です。共通点は、個人の被害が、条文の要件に入っていないことです。社会が大事にしているものを、守っています。次の判例で、中身を見ます。

賭博の罪が守るもの——勤労の美風

賭博の保護法益 図:賭博の保護法益

賭博の罪には、有名な疑問があります。賭けるのは、自分のお金です。他人の財産を、奪ってはいません。自分の財産を、自分で処分しているだけではないか、という見方です。判例は、一見そう見える、としたうえで、この見方を退けました。読みます。

判例最大判昭25・11・22 刑集4巻11号2380頁

賭博罪の保護法益 賭博行為は、一面互に自己の財物を自己の好むところに投ずるだけであつて、他人の財産権をその意に反して侵害するものではなく、従つて、一見各人に任かされた自由行為に属し罪悪と称するに足りないようにも見えるが、しかし、他面勤労その他正当な原因に因るのでなく、単なる偶然の事情に因り財物の獲得を僥倖せんと相争うがごときは、国民をして怠惰浪費の弊風を生ぜしめ、健康で文化的な社会の基礎を成す勤労の美風(憲法二七条一項参照)を害するばかりでなく、甚だしきは暴行、脅迫、殺傷、強窃盗その他の副次的犯罪を誘発し又は国民経済の機能に重大な障害を与える恐れすらあるのである。

読みどころは、しかし、の前後です。しかし、の前で、自己の財物を自分の好きに使うだけで、一見、罪悪と言えないようにも見える、と述べています。しかし、の後で、働いて得るのではなく、偶然で財産を得ようとすることは、怠惰浪費の弊風を生み、勤労の美風を害する、と言っています。さらに、暴行や強窃盗のような、別の犯罪を呼び込み、国民経済にも害が出うる、とも述べています。町内の空気でたとえます。町の人がみんな、働いて稼ぐことを当たり前にしているから、町が回っている。そこで、勝負の運だけで財産が動くのが日常になると、その空気が崩れる。一人の財布の問題ではなく、町の空気の問題だ、という考え方です。前回と同じで、同意して手放せるのは、その利益の持ち主だけです。守っているのが社会なので、本人の同意では、罪は消えません。一つ、確認します。競馬や宝くじは、賭博ではないのですか。

公営競技が罪にならない理由 図:公営競技が罪にならない理由

競馬、競輪、オートレース、競艇、宝くじ、スポーツ振興くじは、それぞれ、特別法で認められています。刑法35条は、法令又は正当な業務による行為は、罰しない、と定めていました。法令による行為なので、罰されません。

185条——単純賭博罪と賭博の意味

185条の全文 図:185条の全文

条文です。単純賭博罪です。

条文刑法185条

刑法185条(賭博) 賭博をした者は、五十万円以下の罰金又は科料に処する。ただし、一時の娯楽に供する物を賭けたにとどまるときは、この限りでない。

刑は、罰金又は科料だけです。拘禁刑がない、軽い罪です。本文が原則で、ただし書が例外です。例外は、次に見ます。まず、賭博の意味です。賭博とは、偶然の勝敗により、財物や財産上の利益の得喪を争う行為です。分けます。一つ目は、偶然の勝敗。結果が、当事者に確実には分かっていない、ということです。二つ目は、財物や財産上の利益の得喪を争う。負けた人が失い、勝った人が得る、ということです。

設例Mの関係図 図:設例Mの関係図

設例Mに当てはめます。トランプの勝ち負けは、偶然の勝敗です。1万円の取り合いは、財物の得喪を争うことです。この二つが、そろっています。そして、全員が同意していることは、関係がありません。守っているのが、社会の風俗だからです。

一時の娯楽に供する物——設例Mの回収

一時の娯楽の線引き 図:一時の娯楽の線引き

ただし書の例外です。一時の娯楽に供する物を賭けたにとどまるときは、罪になりません。たとえば、その場で飲み食いしてしまう飲食物や、タバコです。その場で消えてしまう物なら、守っている勤労の美風を害する程度が軽く、処罰するほどの違法性がないからだ、と説明されます。ここで、問いです。Mさんの勝負が、現金を出し合うのではなく、負けた人が全員の夕食代を払う約束だったら、賭博罪になるのでしょうか?まず、現金の場合です。判例を読みます。

判例最判昭23・10・7 刑集2巻11号1289頁

少額でも金銭を賭ければ 本件賭博は仮りに所論の縷述するような賭金の少額なこと等の事情があるとしても、骨牌を使用し偶然のゆえいに関し金銭の得喪を争つたものであることは、判文上明らかなところであつて、単に一時の娯楽のためにしたもので罪となるべきものでないとはいえない。

骨牌は、カルタやトランプのこと、ゆえいは、勝ち負けのことです。読みどころは、賭金の少額なこと等の事情があるとしても、の部分です。額が小さい、という主張を、受け入れていません。金銭の得喪を争ったのだから、一時の娯楽のためにしただけで罪にならない、とは言えない、としています。まとめると、判例は、金銭そのものの得喪を争う賭博は、賭金が少額でも罪になる、としています。なぜ少額でもよいのか。お金は、その場で消えずに、勝った人の財産として残ります。偶然の勝ち負けで財産が移ること自体が、勤労の美風を害するので、額の大小では線が引かれません。設例Mです。Mさんが賭けたのは、現金そのものです。勝てば、全員分の現金が移ります。だから、ただし書に当たらず、185条の単純賭博罪です。冒頭の問いの答えは、罪になる、です。守っているのは、勤労の美風です。次に、変形です。負けた人が全員の夕食代を払う、という約束だと、賭けたのは、お金そのものが移ることではありません。その場で飲み食いする物の、代金を負担する、ということです。敗者に、一時の娯楽に供する物の対価を負担させるために、金額を決めたにすぎないときは、賭博罪にならない、とした大審院の判決があります。ですから、一時の娯楽に供する物を賭けたにとどまるとして、罪にならないことがあります。ただし、事案ごとの判断なので、必ず罪にならない、とまでは言えません。覚える線は、二行です。金銭そのものを賭ける場合は、少額でも成立する。その場で消費する飲食物や、その対価の負担は、例外になりうる。

186条と187条——常習賭博・賭博場開張・富くじ

賭博の罪の整理 図:賭博の罪の整理

次は、186条と187条です。先に、前の回の復習の問いです。常習性のように、ある人だけにある身分があるとき、身分のない共犯者には、65条の何項が働くのでしたか?2項で、通常の刑、でした。前に、常習賭博罪を、不真正身分犯の例として見ました。身分がなくても185条の賭博罪は成立し、身分があると刑が重くなる。加減的身分です。常習性のない共犯者には、65条2項で、普通の賭博罪の刑が科されます。処理は、前の回のとおりです。条文です。186条は、1項が常習賭博、2項が賭博場開張等図利です。

条文刑法186条

刑法186条(常習賭博及び賭博場開張等図利) 常習として賭博をした者は、三年以下の拘禁刑に処する。 2 賭博場を開張し、又は博徒を結合して利益を図った者は、三月以上五年以下の拘禁刑に処する。

186条1項、常習賭博罪は、常習として賭博をした者を、3年以下の拘禁刑にします。常習性とは、賭博を反覆累行する習癖のことで、判決の言葉です。賭博を繰り返す癖がある人、ということです。185条の賭博に、この常習性という身分が加わって、刑が重くなる。不真正身分犯です。常習性が、なぜ刑を重くする身分なのかは、違法を重くするとも、責任を重くするとも読めて、判定が難しい、と前に見ました。常習者が何度賭博をしても、全体で包括一罪と解されています。186条2項は、賭博場を開張し、又は博徒を結合して利益を図った者を、3月以上5年以下の拘禁刑にします。賭博場を開張するとは、自分が胴元になって、賭博ができる場を用意することです。博徒とは、賭博を生業のように繰り返す人です。結合して利益を図る、とは、そうした人たちを手下のようにまとめ、商売の区域で賭博をする便宜を与えて、見返りを得ようとすることです。

判例は、自ら財物を失う危険を負わず、専ら他人の賭博を開催して利を図るものだから、と述べています。この罪は目的犯です。利益を得る目的が要りますが、現実に利益を得たことは要りません。187条は、富くじです。富くじとは、あらかじめ番号札を売ってお金を集め、後に抽選などの偶然の方法で、買った人の間に、不平等に利益を分けることです。宝くじがその例です。1項が発売、2項が発売の取次ぎ、3項が授受で、刑は、発売、取次ぎ、授受の順に、軽くなります。ただし、特別法で認められた宝くじは、さきほどの法令による行為で、罪になりません。

礼拝所及び墳墓に関する罪の地図

礼拝所及び墳墓に関する罪の一覧 図:礼拝所及び墳墓に関する罪の一覧

後半です。まず、地図です。礼拝所及び墳墓に関する罪が守るのは、国民の宗教的感情、つまり、死者に対する一般的な宗教的感情や敬けん感情です。死者を敬う、社会の気持ちです。この保護法益は、論文で論点になりうる所です。表で、条文を並べます。188条1項は、神社やお寺などの礼拝所に、公然と不敬な行為をする罪。2項は、説教、礼拝、葬式の妨害です。189条は、墳墓を発掘する罪。190条が、今回の主役の、死体損壊等罪です。191条は、189条の発掘をして、さらに死体などを損壊、遺棄、領得した場合で、190条より重くなります。192条は、検視を経ないで変死者を葬る罪です。

判例は、墳墓の覆土、つまり遺体や遺骨の上にかぶせてある土の、全部又は一部を取り除くことや、墓石などを壊して、墳墓を損壊することも、発掘としています。棺や遺骨を外に出すことまでは、要りません。192条だけ、少し毛色が違います。刑事訴訟法は、変死者や、変死の疑いのある死体があるときは、検察官が検視をしなければならない、と定めています。192条は、この検視の定めと結びつく規定で、他の条とは趣旨が違うとされます。188、189、191、192条は、この表で足ります。深掘りするのは、190条です。

190条——死体損壊等罪と「遺棄」の意味

190条の全文 図:190条の全文

条文です。

条文刑法190条

刑法190条(死体損壊等) 死体、遺骨、遺髪又は棺に納めてある物を損壊し、遺棄し、又は領得した者は、三年以下の拘禁刑に処する。

客体は、死体、遺骨、遺髪、棺に納めてある物です。行為は、損壊、遺棄、領得です。試験で特に重要なのは、遺棄です。判例を読みます。保護法益と、遺棄の意味を示した判決です。

判例最判令5・3・24 刑集77巻3号41頁

遺棄の意義 刑法190条は、社会的な習俗に従って死体の埋葬等が行われることにより、死者に対する一般的な宗教的感情や敬けん感情が保護されるべきことを前提に、死体等を損壊し、遺棄し又は領得する行為を処罰することとしたものと解される。したがって、習俗上の埋葬等とは認められない態様で死体等を放棄し又は隠匿する行為が死体遺棄罪の「遺棄」に当たると解するのが相当である。

読みどころは二つです。一つ目は、第1文の、宗教的感情や敬けん感情。さきほど見た、保護法益です。二つ目は、第2文の、したがって、です。守るものが、習俗に従った埋葬で保たれる感情だから、遺棄とは、習俗上の埋葬等とは認められない態様で、放棄し又は隠匿する行為だ、と決まります。隠匿も入っている点を、落とさないでください。たとえば、死体を袋に詰めて、川に流す。人目につかない空き地に埋める。これは、習俗上の埋葬とは認められない態様の放棄です。場所を移さなくても、とむらいの作法と相いれないやり方で隠せば、隠匿で、遺棄です。ただし、一点あります。他の人が死体を見つけにくい状況をつくっただけでは、足りません。判決は、その態様自体が、習俗上の埋葬等と相いれない処置といえるか、という観点から検討する必要がある、としています。見つけにくくしたかどうかだけでなく、やり方そのものが、とむらいの作法と相いれないか、で決まります。たとえば、場所を移さずに、見つけにくい状態にしただけで、その態様が習俗上の埋葬等と相いれないとまでは言えなければ、遺棄には当たりません。判決は、この観点から検討して、遺棄に当たらないと判断しました。

不作為による遺棄——設例N

遺棄の判断の流れ 図:遺棄の判断の流れ

前に、不真正不作為犯は、作為義務のある者だけが処罰される、と見ました。それが、ここで使えます。設例Nです。Nさんは、同居していた父が病気で亡くなったのに、誰にも知らせず、葬儀もせず、そのまま部屋に置いて、数か月暮らし続けました。父の体には、一切、手を触れていません。

設例Nの関係図 図:設例Nの関係図

ここで、問いです。何も触っていないのに、遺棄になるのでしょうか?判例は、遺棄は、作為だけでなく、不作為でもできる、と解しています。ただし、不作為による遺棄は、葬祭をする義務のある者に限られます。葬祭をする義務のある者が、葬祭をせずに、場所を移さず死体を放置することも、遺棄になりうる、とされています。設例Nです。この義務は、前に見た作為義務の発生原因のうち、法令や慣習から出てきます。亡くなった人を弔うのは、まず一緒に暮らしていた家族だ、と考えられています。Nさんは、同居の子として、葬祭をする立場にあります。その義務があるのに、葬祭の意思なく、数か月、放置し続けています。だから、不作為による遺棄が成立しうる、と考えられます。

守っているのは、死者本人ではありません。死者を敬う、社会の宗教的感情です。弔わずに放っておかれる状態は、その感情を傷つけます。だから、何もしなくても、葬祭をする立場の者が、放置し続ければ、遺棄になりうるのです。対比を二つ、置きます。一つ目は、葬祭の義務のない人が、何もしない場合です。たまたま死体を見つけた通行人が、通報しなかった、というときは、不作為による遺棄ではありません。義務がないからです。交通事故で他人を死なせた運転者が、遺体をその場に残して立ち去った、というだけの場合も、不作為による遺棄にはなりません。前に、先行行為からも作為義務が生じうる、と見ました。でも、葬祭の義務は、法令や慣習で、家族など弔う立場の人に割り当てられる義務です。死なせた、という事実から、弔う立場が生まれるわけではないので、葬祭の義務は生じません。ただし、親族など、葬祭をする立場にある人は別です。二つ目は、袋に詰めて川に流した場合です。これは作為による遺棄で、義務の有無と、関係がありません。覚える線は、遺棄は作為も不作為もできる。不作為は、葬祭義務者に限る、です。作為義務の認定は、論文で論点になりうる所です。賭博と同じで、目の前に傷つく個人がいなくても、守るものを先に決めると、罪の範囲が決まります。

殺人との罪数と、遺棄の罪との違い

罪数と遺棄の罪との違い 図:罪数と遺棄の罪との違い

罪数です。殺人罪や傷害致死罪の犯人が、その死体について、190条の罪も犯したとき、判例は、併合罪としています。理由は二つです。一つ目は、守るものが違うことです。殺人は生命、死体損壊等は、死者に対する宗教的感情です。二つ目は、殺人の後に、当然続く行為ではないことです。人を殺しても、死体を損壊したり、遺棄したりするとは限りません。科刑上一罪の回で見た牽連犯は、手段と目的、原因と結果の関係にある罪を、一番重い刑一つで処断するものでした。殺人と死体遺棄は、この関係にないので、牽連犯ではなく、併合罪です。併合罪は、前に見ました。たとえば、人を殺した後、別の機会に、死体を袋に詰めて海に沈めた場合です。殺人罪と死体遺棄罪が、併合罪になり、刑は併合罪の加重を受けます。有期拘禁刑にするなら、一番重い罪の刑の上限に、その半分を足したものが、新しい上限になる、という扱いでした。ただし、それぞれの罪の上限の合計は超えられません。殺人罪の上限は20年で、その1.5倍は30年です。でも、190条の上限は3年なので、合計の23年が上限になります。

217条から219条は、生きている人の、生命や身体を守る罪でした。190条は、死んだ人、死体に対する、宗教的感情を守る罪です。同じ遺棄でも、客体と守るものが違います。もう一つ、違いがあります。217条の遺棄は、動かす移置に限られ、置き去りという不作為は、保護する責任のある者の218条だけでした。190条の遺棄は、葬祭をする義務のある者なら、不作為でも成り立ちます。義務のある者だけが、何もしないことで問われる、という形は、218条と同じです。

弁別ミニ事例——第17章の締め

弁別表 図:弁別表

第17章の締めです。事例を四つ、条文と、守るものを選んでください。事例1。わいせつな動画を、有償サイトで、会員にダウンロードさせた。事例1は、データを広めて人の目に触れる状態をつくるので、175条です。見た人が納得していても成り立つ、被害者がいなくてよい、型です。事例2。友人と現金を出し合って、トランプの勝負をした。事例2は、現金の得喪を偶然の勝ち負けで争うので、185条です。事例3。親族の死体を、袋に詰めて、川に流した。事例3は、とむらいの作法と相いれないやり方で死体を手放したので、190条です。事例4。病気で倒れた老親を、扶養する責任のある子が、助けずに放置した。老親は、まだ生きています。

事例4は、客体がまだ生きている人なので、190条ではなく、生命と身体を守る遺棄の罪の側です。選ぶときの目印は三つです。客体が、生きている人なのか、死体なのか。守るものが、生命、身体か、宗教的感情か、社会の風俗か。そして、被害者が要る罪かどうか。個人的法益か、社会的法益か、です。保護法益、遺棄の意義、作為義務、併合罪は、論文で論点になりうる所です。

今日の整理——設例Mと設例Nの答え

今日の整理 図:今日の整理

まとめます。賭博の罪が守るのは、勤労の美風、死体の罪が守るのは、宗教的感情です。どちらも、目の前に傷つく個人がいません。だから、守るものを先に決めると、成立の範囲と、他の罪との関係が決まります。設例Mです。Mさんは、185条の単純賭博罪です。現金そのものを賭けたので、少額でも、一時の娯楽に供する物にはなりません。設例Nです。Nさんは、葬祭をする立場の者が、数か月放置したのですから、不作為による、190条の遺棄になりえます。殺人と死体遺棄は、併合罪です。

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第18章国家的法益|国家の存立・国交・国家の作用

#184単独ページ動画

内乱罪と外患誘致罪

第18章 国家的法益|国家の存立・国交・国家の作用 ①/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

県庁を占拠した大勢は、何罪になるのか

設例J 図:設例J

第17章の社会的法益は前回で終わり、今回から国家的法益です。設例Jです。Jさんは、数百人の仲間とともに県庁の建物を占拠し、警備の職員を押しのけ、周辺の道路を封鎖しました。Jさんは前もって、この国の政治の仕組みそのものを、暴力でつくり替える、と宣言していました。問いは、同じ暴動の外形でも、第17章の騒乱罪になる場合と、別の罪になる場合が、何で分かれるのか、です。答えの予告だけ先に言います。守るものが、社会の平穏から、国家の存立に上がります。決め手は、Jさんが宣言した目的です。後半では、外国と結んで国を危うくする罪と、外国との関係を守る罪も見ます。

各論の地図の最後の層——国家的法益

3層の地図と国家的法益の二層 図:3層の地図と国家的法益の二層

各論は、守るものによって三つの層に分けて見てきました。個人的法益は、一人ひとりの利益で、第12章から第16章。社会的法益は、社会全体の安全や信用で、第17章。そして国家的法益は、国家の働きで、今日からの第18章です。社会的法益は、社会の構成員みんなの利益でした。たとえば放火は、町の人みんなの安全を危うくします。国家的法益は、国家という組織そのものを守ります。国の仕組みを壊そうとする行為が、その代表です。国家的法益は、さらに二つに割れます。一つ目は、国家の存立です。国が国として存在し続けることで、内乱の罪と外患の罪が入ります。今日の中心です。二つ目は、国家の作用です。国の仕事が適正に行われることで、公務執行妨害や、犯人蔵匿、偽証、賄賂などが入ります。

国交に関する罪は、この二つのあいだに置かれた小さな帯です。国家的法益の並びの中にありますが、守る対象は外国の利益と見る説が多数です。最後に見ます。もう一つ、第6章で見た、被害者の承諾の話を思い出してください。守っているのが個人でなく、社会や国家のときは、一人が同意しても罪は消えません。国家の存立は、誰か一人の持ち物ではないからです。

内乱罪——守るのは国家の存立

内乱罪の保護法益と危険犯 図:内乱罪の保護法益と危険犯

内乱罪の条文です。長いので、まず全体を読み、そのあと分けて見ます。

条文刑法77条

刑法77条(内乱) 国の統治機構を破壊し、又はその領土において国権を排除して権力を行使し、その他憲法の定める統治の基本秩序を壊乱することを目的として暴動をした者は、内乱の罪とし、次の区別に従って処断する。 一 首謀者は、死刑又は無期拘禁刑に処する。 二 謀議に参与し、又は群衆を指揮した者は無期又は三年以上の拘禁刑に処し、その他諸般の職務に従事した者は一年以上十年以下の拘禁刑に処する。 三 付和随行し、その他単に暴動に参加した者は、三年以下の拘禁刑に処する。 2 前項の罪の未遂は、罰する。ただし、同項第三号に規定する者については、この限りでない。

まず、守るものです。内乱罪が守るのは、国家の存立です。国の統治の仕組みを、内部から暴力で壊すことを、処罰します。殺人罪なら、人が死んで初めて成立しますよね。内乱は、国の仕組みが壊れるまで待たないんですか。待てません。試合にたとえます。反則をした選手は、審判が裁けます。でも、審判席ごと壊してしまう人は、壊された後には裁けません。内乱が成功すれば、裁く側の国家が、もう存在しないのです。だから、結果が出てから罰する侵害犯としては、作りようがありません。暴動の段階で処罰する、本来的な危険犯です。次に、主体です。内乱罪は、そもそも一人では成り立ちません。条文が、最初から多数人の暴動を前提にしています。先に、復習の問いです。必要的共犯のうち、同じ目的に向かう多数人の集団的な行為を、それ自体で一つの型にしたものを、第9章の共犯の回で、何と呼びましたか?

集団犯、多衆犯、です。内乱罪と騒乱罪が、その例でした。

暴動の意味と目的の三つの分解 図:暴動の意味と目的の三つの分解

行為は、暴動です。多数人による集団的な暴行や脅迫で、その程度は、一地方の平穏を害するほどです。暴行は、騒乱罪と同じ、最広義の暴行です。人に向かう力だけでなく、物に向かう有形力も含みます。脅迫も、騒乱罪と同じ広義の脅迫です。ここまでは、騒乱罪と同じです。違いが出るのは、目的です。条文を三つに分けます。一つ目は、国の統治機構を破壊すること。二つ目は、その領土において国権を排除して権力を行使すること。たとえば、一部の地域から国の権力を追い出して、自分たちが権力を握ることです。三つ目は、その他、憲法の定める統治の基本秩序を壊乱することです。壊乱は、壊して乱すことです。議会や選挙のように、憲法が決めた政治の基本の仕組みを、壊して乱すことを指します。この目的は、故意の外に、もう一つ要る主観です。第2章で見た、目的犯です。暴動をする認識があるだけでは足りません。そのうえで、この三つのどれかを目指していなければ、内乱罪になりません。ここで、問いです。設例Jで、Jさんが、ただ腹が立ったから暴れただけで、政治の仕組みを変える目的は無かったとします。同じ暴動は、何罪になるでしょうか?

目的が無いなら、内乱罪にはならなくて、騒乱罪だと思います。

設例Jの関係図 図:設例Jの関係図

冒頭の設例Jに答えます。何百人もの仲間で県庁を占拠し、道路を封鎖したのは、暴動の外形です。そこにJさんは、政治の仕組みそのものをつくり替える、と宣言していました。これは、憲法の定める統治の基本秩序を壊乱する目的です。だから、内乱罪です。目的が無く、ただ怒りで暴れたなら、騒乱罪です。ルールを破るのか、ルールブックそのものを書き換えようとするのか、の違いです。守るものが、一地方の社会の平穏か、国家の存立か、で罪が分かれます。

内乱罪の刑と騒乱罪との対比 図:内乱罪の刑と騒乱罪との対比

刑を見ます。関与の程度で、三段階に分かれます。一段目は、首謀者で、死刑又は無期拘禁刑です。二段目は、謀議に参与し、又は群衆を指揮した者が、無期又は3年以上の拘禁刑。その他諸般の職務に従事した者が、1年以上10年以下の拘禁刑です。三段目は、付和随行し、その他単に暴動に参加した者で、3年以下の拘禁刑です。付和随行は、第17章の騒乱罪で見た、他人の行動に引かれてついていくだけの人です。内乱罪の首謀者は、死刑まであります。国家の存立を壊そうとする罪は、それだけ重いのです。未遂は、2項で罰します。ただし、除かれるのは、3号の者だけです。条文の読み方に注意してください。2項は、同項第三号に規定する者について、この限りでないと言っています。つまり、1号と2号は、職務に従事した者を含めて、未遂も罰します。付和随行は、最も軽い関与で、刑も軽いので、未遂までは拾わない、と読めます。最後に、他の罪との関係です。暴動の内容として行われた殺人や放火などは、別の罪にならず、内乱罪に吸収される、と判例は解しています。吸収とは、別の罪として数えず、内乱罪一つで評価することです。ここは、騒乱罪と違います。第17章の騒乱罪で吸収されたのは、暴行と脅迫だけで、建造物侵入などは、別の罪として成立しました。条文の刑も違います。騒乱罪の首謀者は10年以下ですが、内乱罪の首謀者は死刑まであります。国外犯も一言です。77条から79条は、第1章で見た、2条のすべての者の国外犯に列挙されています。日本という国そのものへの攻撃にあたる罪なので、国外で外国人が犯しても、適用されます。

内乱の周辺——予備・陰謀、幇助、自首による免除

内乱の周辺の条文 図:内乱の周辺の条文

77条の周りに、三つの条文があります。78条は、予備と陰謀です。内乱の予備又は陰謀をした者は、1年以上10年以下の拘禁刑です。予備は、内乱を実行する目的で、その準備をすること。陰謀は、内乱の実行を2人以上で計画し、合意することです。陰謀まで罰するのは、刑法典で、内乱の78条、外患の88条、私戦の93条の3つだけでした。また、第12章で見た殺人予備の201条には、199条の罪を犯す目的で、という書き込みがありました。78条には、その書き込みがありません。ただ、予備である以上、内乱を実行する目的の準備をいう、と読みます。79条は、内乱等幇助です。兵器、資金、食糧を供給し、その他の行為で、前二条の罪、つまり77条と78条の罪を幇助した者を、7年以下の拘禁刑にします。総則の幇助とは別に、独立の罪として、刑が定められています。先に、復習の問いです。第11章で見た刑法42条1項は、自首をしたとき、刑をどうすると定めていましたか?

減軽することができる、です。任意的減軽でした。80条は、それよりさらに強い規定です。条文は、前二条の罪を犯した者であっても、暴動に至る前に自首したときは、その刑を免除する、です。読みどころは三つです。一つ目は、対象です。78条と79条の罪で、77条そのものは入っていません。二つ目は、時期です。暴動に至る前です。三つ目は、効果です。必ず免除する、必要的免除です。減軽してもしなくてもよい、から、必ず免除、へ強くなっています。条文の構造から読めます。暴動に至る前に引き返せば、内乱が起きるのを未然に防げます。必ず免除すると約束しておけば、準備した人が引き返す理由になります。暴動に至った後は、国家の存立が実際に危うくなっているので、この規定は使えません。77条の罪や、暴動に至った後の自首は、42条1項の一般ルールに戻り、減軽することができる、にとどまります。守るものを先に決めると、重い刑と必ず免除が、同じ筋でつながります。

外患に関する罪——外から国の存立を脅かす

設例Oの関係図 図:設例Oの関係図

内乱は、内部から国家の存立を脅かす罪でした。外患は、外部から脅かす罪です。日本に対して外部から武力を行使させたり、外部からの武力行使に加担したりします。守るものは、内乱と同じ、国家の存立です。設例Oです。Oさんは、外国政府の担当者と会い、日本を軍事的に攻撃してほしい、協力する、と合意しました。のちに、その国は、実際に日本の領土へ砲撃しました。条文を読みます。

条文刑法81条

刑法81条(外患誘致) 外国と通謀して日本国に対し武力を行使させた者は、死刑に処する。

刑は、死刑だけです。刑法典で、法定刑が死刑だけの罪は、この条だけです。他の死刑の条には、死刑又は無期、のように選択肢があります。裁判所に、刑を選ぶ余地がありません。ただし、酌量減軽はできます。死刑を減軽した場合は、無期又は10年以上の拘禁刑になります。読み方です。外国と通謀して、とは、外国の政府などと、意思を通じ合うことです。日本国に対し武力を行使させた、とは、外国が実際に日本に対して武力を行使することです。既遂になるのは、外国が実際に武力を行使したときです。内乱と比べます。内乱罪は、暴動の段階で罰する危険犯で、首謀者でも、死刑か無期かを選べました。81条は、外国の武力が実際に日本に向けられて、はじめて既遂になります。国家の存立への危険が、現実の武力行使にまで至った段階をとらえる罪で、刑は死刑だけです。ここで、問いです。設例Oで、外国と通謀して、武力行使をさせようと働きかけたけれど、外国がまだ攻撃していないとき、81条は成立するでしょうか?

武力を行使させた、が要件だから、既遂にはならない気がします。既遂ではありません。ただし、87条が、81条と82条の未遂を罰しています。81条の行為は、二段でできています。外国と通謀すること、そして武力を行使させることです。通謀までは済んだのに、武力の行使という結果に届かなかった。だから、既遂ではなく、未遂です。通謀のうえ働きかけたが、攻撃が行われなかったOさんは、未遂として処罰されます。実際に砲撃が行われた元の設例Oは、81条の外患誘致罪の既遂です。

誘致と援助の違い 図:誘致と援助の違い

82条は、外患援助です。

条文刑法82条

刑法82条(外患援助) 日本国に対して外国から武力の行使があったときに、これに加担して、その軍務に服し、その他これに軍事上の利益を与えた者は、死刑又は無期若しくは二年以上の拘禁刑に処する。

誘致と援助の分かれ目は、武力行使の前か後か、です。81条は、まだ行使されていない武力を、通謀して行使させます。82条は、すでに行使された武力に、加担して利益を与えます。設例Oで、砲撃が始まった後に、その国の軍に加わった人がいたとします。Pさんとします。Pさんは、すでに始まった武力行使に加担して、軍務に服しています。だから、82条の外患援助です。88条は、81条又は82条の罪の予備又は陰謀を、1年以上10年以下の拘禁刑にします。ここで、内乱との対比です。内乱には、80条の自首による必要的免除がありました。外患には、自首の免除の規定が、条文のどこにもありません。80条が対象にするのは、前二条、つまり内乱の78条と79条だけだからです。外患で自首したときは、42条1項に戻り、減軽することができる、にとどまります。国外犯も一言です。81条、82条、87条、88条も、2条のすべての者の国外犯に列挙されています。

国交に関する罪——外国との関係を守る

国交に関する罪の守るもの 図:国交に関する罪の守るもの

最後は、国交に関する罪で、92条から94条の三つです。外国との関係に関わる罪です。守るものには、争いがあります。国際法上の義務に基づいて、外国の利益を守る、と見る説が多数説です。日本の対外的な安全や、外交上の利益を守る、と見る説もあります。92条です。

条文刑法92条

刑法92条(外国国章損壊等) 外国に対して侮辱を加える目的で、その国の国旗その他の国章を損壊し、除去し、又は汚損した者は、二年以下の拘禁刑又は二十万円以下の罰金に処する。 2 前項の罪は、外国政府の請求がなければ公訴を提起することができない。

読みどころは三つです。一つ目は、目的です。外国に対して侮辱を加える目的が要る、目的犯です。外国を侮辱する目的で、その国の国旗を汚した人は92条です。同じ行為でも、侮辱の目的がなければ、92条になりません。二つ目は、対象です。条文は、その国の国旗、と言っています。日本の国旗は、この条の対象ではありません。三つ目は、2項です。外国政府の請求がなければ、公訴を提起できません。これは、訴訟条件です。訴訟条件とは、裁判にかけるために、満たしていなければならない条件のことです。決め手は、この罪が、外国に対する侮辱を問題にしていることです。侮辱された外国が、処罰を望むかどうかを、まず外国政府に委ねる形になっています。保護法益は、外国の利益と見る説が多数です。93条です。

条文刑法93条

刑法93条(私戦予備及び陰謀) 外国に対して私的に戦闘行為をする目的で、その予備又は陰謀をした者は、三月以上五年以下の拘禁刑に処する。ただし、自首した者は、その刑を免除する。

私的に、とは、国の意思によらずに、個人や集団が勝手に、という意味です。条文が処罰するのは、予備と陰謀だけです。陰謀まで罰する3つの条文の、最後の1つです。ただし書の自首は、80条と同じ型の、必要的免除です。42条1項の、減軽することができる、とは違います。外国での戦闘に参加するために、仲間と準備を相談した人は、93条の陰謀です。自首すれば、刑が免除されます。

中立命令違反罪 図:中立命令違反罪

94条は、中立命令違反です。外国が交戦している際に、局外中立に関する命令に違反した者を、3年以下の拘禁刑又は50万円以下の罰金にします。局外中立とは、戦っている国のどちらにも味方しない立場のことです。何に違反すれば罪になるのかは、条文には書かれていません。そこが、この罪の作りです。命令の内容は、条文に書かれていません。命令が内容を補う罪です。条文は、外国が交戦している際に、と言っています。どの国とどの国が戦うかは、前もって決められません。だから、中立として何をしてはいけないかは、その戦争ごとに出る命令に任せ、条文は、命令に違反したら罰する、という枠だけを決めている、と読めます。

整理表と弁別ミニ事例

国家の存立と国交の罪の比較 図:国家の存立と国交の罪の比較

一枚に整理します。内乱は、国家の存立を内部から守る罪で、目的犯、刑は最大で死刑、自首は暴動に至る前なら必ず免除です。外患は、国家の存立を外部から守る罪で、81条は死刑のみ、自首の免除はありません。国交は、外国の利益を守ると見る説が多数で、刑は5年以下の拘禁刑までです。93条のただし書だけ、自首の必要的免除があります。事例を三つ、条文を選んでください。事例1。大勢が集まって暴れた。目的が、政治の仕組みの変更だった場合と、ただ腹が立っただけだった場合は、どうなるでしょうか?仕組みの変更が目的なら、内乱罪で、腹が立っただけなら、騒乱罪です。事例2。外国から日本への武力行使がすでに始まっているときに、その軍に加わった。武力行使の前に、外国と合意した場合は、どうなるでしょうか?

すでに始まった後に加わったのは、82条の外患援助で、前に合意したのは、81条の外患誘致です。事例3。外国の国旗を、侮辱する目的で汚した。別に、外国での戦闘に参加するため、仲間と準備を相談した。どうなるでしょうか?国旗は、92条で、外国政府の請求が要ります。準備の相談は、93条の陰謀で、自首すれば免除です。ここまでが、国家の存立と、国交の罪でした。

今日の整理——設例Jと設例Oの答え

今日の整理 図:今日の整理

まとめます。国家的法益は、国家の存立と、国家の作用に分かれます。今日は、存立を守る内乱と外患、その隣の国交の罪を見ました。設例Jです。暴動の外形は、騒乱罪と同じでも、統治の基本秩序を壊乱する目的があったので、内乱罪です。設例Oです。外国と通謀して、実際に武力が行使されたので、81条の外患誘致罪です。通謀のうえ働きかけたが攻撃が行われなければ、未遂として処罰されます。守るものを先に決めると、危険犯という作りも、重い刑も、暴動に至る前の自首で必ず免除する政策も、一本の筋でつながります。外患で自首しても、42条1項の任意的減軽に戻るだけです。

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#185単独ページ動画

公務執行妨害罪の暴行と脅迫

第18章 国家的法益|国家の存立・国交・国家の作用 ②/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

体には触れていないのに、暴行になるのか

設例I 図:設例I

今日から、国家の作用を守る罪に入ります。その最初が、公務執行妨害罪です。設例Iです。市の職員が、放置自転車の撤去作業をしています。台車に積み上げた、撤去済みの自転車の山を、通りかかったIさんが、職員の目の前で蹴り倒しました。自転車は路上に散らばり、作業は止まりました。Iさんは、職員の体には、指一本触れていません。問いは、職員の体には触れていないのに、公務員に対する暴行と言えるのか、そして、暴行罪の暴行と同じなのか、です。答えを先に言います。触れていなくても、95条の暴行にあたりえます。暴行罪の暴行より広い、広義の暴行だからです。その広さは、守るものが、公務員という人ではなく、公務そのものだ、というところから決まります。

今日の旅程 図:今日の旅程

今日の旅程です。まず、この罪が守るもの。次に、誰に。そして、何を。

95条1項と保護法益——守るのは公務そのもの

刑法95条1項と保護法益 図:刑法95条1項と保護法益

まず、条文です。

条文刑法95条1項

刑法95条(公務執行妨害及び職務強要) 公務員が職務を執行するに当たり、これに対して暴行又は脅迫を加えた者は、三年以下の拘禁刑又は五十万円以下の罰金に処する。

この条文は、公務と業務妨害罪の回でも見ました。暴行や脅迫が無ければ、95条は成立しない、という点でした。今日は、この条文が主役です。守るものは、公務が円滑に行われることです。公務とは、国や地方公共団体の仕事のことです。ここで大事なのは、公務員の身体の安全や、身分、地位を守る罪ではない、という点です。公務員が襲われたことを問題にするなら、暴行罪や傷害罪で足ります。95条が、それとは別に置かれているのは、公務員が仕事をしている最中に襲われると、国や自治体の仕事そのものが止まるからです。たとえば、窓口の職員が襲われて、その日の手続が止まれば、困るのは、手続を待っている市民です。公務員だから特別に偉い、という話ではありません。だから、公務員でも、その補助者でもない人に暴行を加えれば、暴行罪の領域です。逆に、行為をする側は、誰でもかまいません。身分が要る罪ではなく、公務員でも、民間人でも、主体になりえます。

要件の骨組み 図:要件の骨組み

要件の骨組みです。条文を左から読むと、三つに分かれます。客体は、公務員。行為は、暴行又は脅迫。時は、職務を執行するに当たり。もう一つ、条文には書かれていない要件として、職務が適法であること、があります。これは、次の次の回で扱います。95条2項の、職務強要と辞職強要も、別の回です。ここから先の要件の広さは、すべて、守るものが公務だという筋で決まります。暴行が、身体に向かなくてよいのも、暴行や脅迫が、公務員に対するもので足りるのも、そして、守られる仕事がどこまでかも、同じ理由で決まります。

客体——公務員とは誰か

刑法7条1項と公務員の3分解 図:刑法7条1項と公務員の3分解

次に、客体の、公務員です。定義は、7条1項にあります。

条文刑法7条1項

刑法7条1項(定義) この法律において「公務員」とは、国又は地方公共団体の職員その他法令により公務に従事する議員、委員その他の職員をいう。

三つに分けて読みます。一つ目は、国又は地方公共団体の職員です。国家公務員も、地方公務員も、入ります。二つ目は、法令により公務に従事する議員、委員その他の職員です。議会の議員や、各種の委員が、これにあたります。三つ目は、法令により、という言葉です。公務に就く根拠が、法令にあることを表します。つまり、公務員かどうかは、その人が何者かという、身分で決まります。市の職員は、地方公共団体の職員なので、公務員です。もう一つ、みなし公務員があります。本来は公務員ではないけれど、別の法律が、公務に従事する職員とみなす、と書いているために、刑法上は公務員として扱われる人です。なぜ扱うかというと、守るのは公務という仕事なので、本来は公務員でない人でも、法律が公務を担わせているなら、その仕事は同じように守る必要があるからです。たとえば、検察官の職務を行う指定弁護士や、日本銀行の役員及び職員です。覚え方は、別の法律に、公務に従事する職員とみなす、と書いてあるかどうか、です。

市の職員に頼まれて手伝っているだけの人は、その人自身は、公務員ではありません。ただ、その人に暴行を加えた場合は、また別の筋で考えます。次の節で、補助者として扱います。

行為①——暴行は広い意味で

暴行の4分類と、95条の暴行 図:暴行の4分類と、95条の暴行

まず、復習の問いです。暴行の4つの分類のうち、公務執行妨害罪の暴行は、どの段で、どんな広さでしたか?広義で、人に対するものであれば足りて、身体に限らない、でした。広義です。暴行罪の回の4つを、広い順に言い直します。最広義は、物に向けた力でも足ります。騒乱罪の暴行です。広義は、人に向けられていれば足ります。95条の暴行です。狭義は、人の身体に向けた力で、暴行罪の暴行です。最狭義は、相手の反抗を抑圧する程度の力で、強盗罪の暴行です。95条の暴行は、広いほうから2つめなので、物そのものではなく、人に向いていることが要ります。理由は、保護法益から出てきます。公務員に向けた力は、その場で、公務員の仕事の進行を止めうるからです。定義は、公務員に向けられた、不法な有形力の行使です。暴行罪の暴行は、人の身体に向けられた、不法な有形力でした。95条は、身体でなく、公務員に向けられていれば足ります。有形力は、物理的な力のことで、殴る、押す、蹴る、だけでなく、物を壊す、投げ捨てる、も力の行使です。公務員の体に、直接ではなく、物や第三者に力を加えて、公務員に向けられた暴行を、間接暴行と呼びます。ここで、問いです。設例Iで、Iさんは、職員の体に触れていません。公務員に対する暴行にあたるでしょうか? 考えてから、判例を見ます。

判例最高裁判所判決(昭和26年3月20日・刑集5巻5号794頁)

間接暴行の出発点 「公務員の職務の執行に当りその執行を妨害するに足る暴行を加えるものである以上、それが直接公務員の身体に対するものであると否とは問うところではない。」 「……被告人はC事務官等が適法な令状後段説示により押収した煙草を、街路上に投げ捨ててその公務の執行を不能ならしめたというのであるから、その暴行は間接には同事務官等に対するものと謂い得る。」

事案は、事務官が、適法な令状によって押収した煙草を、街路上に投げ捨てた、というものです。押収は、公務員が、証拠などの物を取り上げることです。差し押さえも、押収の一つです。最高裁は、暴行が、直接公務員の身体に対するものか、そうでないかは、問わない、としました。職員が使っている物に向けた力も、間接には職員に対するものと言える、という判断です。

設例Iの関係図 図:設例Iの関係図

冒頭の設例Iに答えます。Iさんが蹴り倒したのは、職員が作業のために積んだ、自転車の山です。しかも、職員の目の前で、作業を止めました。自転車の山は、職員が作業に現に使っている物です。暴行罪の回の、警察官の目の前でパトカーを蹴った例と同じ型で、職務に現に使っている物に力を加えれば、その公務員に向けられた有形力の行使と言えます。体に触れていなくても、判例の理屈に当てはめれば、95条の暴行にあたりえます。暴行罪の暴行ではなく、広義の暴行です。決め手は、公務員が職務に使っている物に向けた力が、その公務員の仕事を止めるからです。なお、Iさんが職員の体を突き飛ばしたなら、直接の暴行です。この場合は、狭義にも広義にも入ります。

間接暴行の判例の一覧 図:間接暴行の判例の一覧

同じ筋の判例が、ほかにもあります。一覧にします。差し押さえて置いたアンプルを足で踏み付けて壊した事案は、間接に、司法巡査に対する暴行とされました。司法巡査は、捜査にあたる警察官のうち、巡査の階級の人のことで、公務員です。差し押さえた焼酎入りの甕を、鉈で割った事案も、暴行にあたるとされています。もう一つ、人に向けた例があります。強制執行に当たる執行吏の補助者への暴行です。執行吏は、今の執行官で、裁判所で強制執行を担う公務員です。補助者が、公務員の指揮に従い、その手足となって、職務の執行と密接不可分の関係で関与している人なら、その人への暴行も、公務員に向けられた暴行になります。さっきの、荷物を運んでいた人も、この型です。補助者自身は、公務員でなくてかまいません。共通点は、公務員が職務に使っている物や、保全している物、そして、公務員の手足となっている人に向けられた力を、公務員に向けられたものとみる、ということです。

公務員がその場にいないときの物の損壊について、判例は、面前で行われることが要るかを、正面からは論じていません。判例が言うのは、公務員の職務の執行を妨害するに足る暴行であれば足りる、ということです。これに対して、学説では、公務員の目の届く所での行為に限るべきだ、という見方が有力です。仕事が結果として止まったことだけで罰する形にしないため、です。この見方に立てば、公務員から離れた所で、誰も見ていないときの物の損壊は、暴行になりません。その場に公務員がいないので、力が向かう相手がいない、という点で、暴行罪の回の、誰もいない建物のガラスと同じ扱いになります。一方、設例Iのように職員の目の前なら、どちらの立場でも、あたりえます。公務員が職務に使っている物に向けた力でも暴行になりうるのは、守るものが、公務員という人ではなく、公務そのものだからです。仕事を止める力かどうかで、暴行の広さが決まります。

行為②——脅迫も広い意味で、そして今日の整理

脅迫の広さと、妨害するに足る程度 図:脅迫の広さと、妨害するに足る程度

次は、脅迫です。脅迫は、強要罪の回で、3段階に分けて見ました。広い順に、広義、狭義、最狭義です。脅迫罪の脅迫は真ん中の狭義、強盗罪の脅迫はいちばん狭い最狭義でした。95条の脅迫は、いちばん広い、広義の脅迫です。定義は、およそ人を畏怖させるに足る害悪の告知です。畏怖は、こわがらせることです。脅迫罪の脅迫は、本人又は親族の、生命、身体、自由、名誉、財産に対する害悪の告知に限られていました。95条は、それより広く、誰に害を加えると告げるか、どんな害か、を問いません。公務員の仕事を妨げるに足る脅しなら、足ります。理由は、暴行と同じです。守るものが公務なので、誰に害を加えると告げたかではなく、その脅しで仕事が止まりうるかが問題になるからです。設例Iの職員に、Iさんが、作業を続けるなら、ここにいる人たちの自転車を片っ端から壊す、と告げたとします。害を加えると告げられたのは、居合わせた第三者の財産です。脅迫罪の脅迫にはなりませんが、職員を畏怖させ、作業を妨げるに足りるなら、広義の脅迫には入りえます。

暴行も脅迫も、公務の執行を妨害するに足るもの、であることが要ります。先ほどの判例も、執行を妨害するに足る暴行、と言っていました。実際に職務が止まったかどうかは、別の回で扱います。

今日の整理 図:今日の整理

まとめます。今日は、条文の、誰に、何を、を見ました。守るものは、公務員という人ではなく、公務という仕事です。客体は、公務員で、みなし公務員も含みます。暴行は広義で、公務員に向けられた有形力なら、間接暴行も入ります。脅迫も広義で、誰への害でも、公務を妨げるに足れば足ります。設例Iは、公務員の体に触れなくても、職員が職務に使っている物に向けた力で、公務員に向けられた有形力と言えるなら、暴行にあたりえる、という答えで閉じました。残る問いは、いつ、です。

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#186単独ページ動画

公務執行妨害罪の職務を執行するに当たり

第18章 国家的法益|国家の存立・国交・国家の作用 ③/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

仕事が終わったあとの暴行は、公務執行妨害か

95条1項の3パーツ地図 図:95条1項の3パーツ地図

今日は、その続きです。

条文刑法95条1項

刑法95条(公務執行妨害及び職務強要) 公務員が職務を執行するに当たり、これに対して暴行又は脅迫を加えた者は、三年以下の拘禁刑又は五十万円以下の罰金に処する。

95条1項の3パーツ地図 図:95条1項の3パーツ地図

前回見た、要件の骨組みを、もう一度置きます。条文は三つのパーツでした。客体は、公務員。行為は、暴行又は脅迫。そして時が、職務を執行するに当たり。今日は、この三つ目の、いつ、です。守るものは、公務員という人ではなく、公務という仕事そのものでした。

設例Iの変形 図:設例Iの変形

設例Iを少し変えます。前回の市の職員は、放置自転車の撤去作業を終えて、現場を離れ、別の用事で休憩に入りました。そこへ、さきほどの件で腹を立てたIさんが現れ、職員を突き飛ばしました。問いは、作業は終わっているのに、この暴行は、公務員が職務を執行するに当たっての暴行と言えるのか、それとも、ふつうの暴行罪なのか、です。答えの予告だけ先に言います。守るものが公務という仕事そのものだから、答えは、仕事が続いているか、で決まります。

今日の2つの問い 図:今日の2つの問い

今日は、どこまで、を二つに分けます。一つ目は、職務とは、どんな仕事のことか。二つ目は、執行するに当たり、とは、いつからいつまでか。仕事をしていないときの暴行は、95条ではなく、暴行罪の問題です。

職務の範囲——公務員の事務のすべて

公務の全体と、業務妨害罪の業務 図:公務の全体と、業務妨害罪の業務

まず、職務です。先に、業務妨害罪の回の復習です。強制力を行使する権力的公務は、業務妨害罪の、業務に含まれるでしょうか?含まれない、でした。暴行や脅迫で妨害されたら、95条で対応する、でした。では、95条の職務は、権力的公務だけでしょうか。

判例最高裁判所判決(昭和53年6月29日・刑集32巻4号816頁)

職務の範囲と一連の職務 「同項にいう職務には、ひろく公務員が取り扱う各種各様の事務のすべてが含まれるものである」

答えは、ひろく、各種各様の事務のすべて、です。強制力を使う仕事だけではありません。窓口で書類を受け付ける仕事も、台帳を管理する仕事も、職務です。権力的公務かどうかで分けたのは、業務妨害罪の業務に入るか、という話でした。業務妨害罪の回で見たとおり、権力的公務には、自力で妨害を排除できる実力の裏付けがあるので、業務からは外れ、暴行や脅迫による妨害は、95条で守ります。95条の職務は、公務全部です。それ以外の公務は、95条の職務にも、業務妨害罪の業務にもあたり、二重に守られます。ここで、決め手を一つ。守るものが、公務という仕事そのものだからです。強制力があるかどうかで、仕事の値打ちは変わりません。窓口の仕事が止まっても、困るのは、手続を待つ市民です。だから、公務なら、広く職務に入ります。

執行の範囲——どこからどこまでが、執行するに当たり、か

勤務時間中なら、いつでも? 図:勤務時間中なら、いつでも?

次は、執行するに当たり、です。問いです。公務員が勤務時間中であれば、いつ殴っても、95条でしょうか?違います。判例を見ます。

判例最高裁判所判決(昭和45年12月22日・刑集24巻13号1812頁)

執行の範囲 「右条項の趣旨とするところは、公務員そのものについて、その身分ないし地位を特別に保護しようとするものではなく、公務員によつて行なわれる公務の公共性にかんがみ、その適正な執行を保護しようとするものであるから、その保護の対象となるべき職務の執行というのは、漫然と抽象的・包括的に捉えられるべきものではなく、具体的・個別的に特定されていることを要するものと解すべきである。」 「……右のように具体的・個別的に特定された職務の執行を開始してからこれを終了するまでの時間的範囲およびまさに当該職務の執行を開始しようとしている場合のように当該職務の執行と時間的に接着しこれと切り離し得ない一体的関係にあるとみることができる範囲内の職務行為にかぎつて、公務執行妨害罪による保護の対象となるものと解するのが相当である。」 「……右の認定・判断は、前叙の当審の見解に照らし、首肯し得ないものではない。」

時間軸 図:時間軸

守るものは、公務員の身分や地位ではなく、公務の適正な執行です。だから、職務は、抽象的に勤務時間全体で見ません。具体的に、この仕事、と特定して見ます。範囲は二つです。一つ目は、その仕事を開始してから、終了するまで。二つ目は、まさに開始しようとしている場合のように、その仕事と時間的に接着して、切り離せない一体の関係にある範囲です。接着し、切り離せない、とは、つまり、ほぼ続きの関係、というイメージです。

⭐ 論文で書く規範:執行の範囲 「具体的・個別的に特定された職務の執行を開始してから終了するまで、及び、まさに開始しようとする場合のように、その職務と時間的に接着し切り離し得ない一体的関係にある範囲内の職務行為に限り、保護の対象になる。」 (規範(最判昭45))

事案です。駅の助役が、点呼を終えた直後に、点呼をした場所や、その出入口付近で、暴行を受けました。助役は、このあと、数十メートル離れた助役室で、事務の引継ぎをする予定でした。原審は、点呼と引継ぎは別個の職務で、点呼の終了直後の暴行は、職務を執行するに当たり、にあたらないとしました。最高裁は、これを、首肯し得ないものではない、つまり、うなずけなくはない、という控えめな言い方で認めて、上告を棄却しています。引継ぎまで含めて見るかは、判断が割れる余地があるところで、反対意見もあります。ただ、原審は、点呼という個別の職務が終わった直後を、含めませんでした。点呼は、その場で終わっています。引継ぎは、場所も中身も違う、まだ始まっていない次の仕事だ、と見たわけです。最高裁は、その判断を、首肯し得ないものではないとして、維持しました。決め手は、職務を、勤務時間全体ではなく、具体的な仕事ごとに見ることです。

線の引き方の比較表 図:線の引き方の比較表

線の引き方を、ほかの判例で確かめます。表の二つ目は、運転士が、乗務の交替のあと、終業点呼を受けるためにホームを歩いているときに、暴行を受けた事案です。終業点呼は、運転の状況などを報告するもので、乗務に直結する内容です。だから、職務の執行にあたるとされました。三つ目は、県議会の委員会で、委員長が休憩を宣して席を立ち、出入口へ向かっていたところを暴行された事案です。休憩のあとも、委員会の秩序を保って、紛議に対処する職務を、現に執行していたので、あたるとされています。点呼の直後は、その仕事が終わったあと、でした。終業点呼に向かう途中は、乗務に直結する仕事の、続きだったのです。見るのは、肩書きや時間帯ではなく、その暴行の時点で、その仕事のまとまりが続いているか、です。

判例最高裁判所判決(昭和53年6月29日・刑集32巻4号816頁)

職務の範囲と一連の職務 「……職務の性質によつては、その内容、職務執行の過程を個別的に分断して部分的にそれぞれの開始、終了を論ずることが不自然かつ不可能であつて、ある程度継続した一連の職務として把握することが相当と考えられるものがあり、そのように解しても当該職務行為の具体性・個別性を失うものではないのである。」

四つ目は、先ほどの判例の後半です。電報局の局長は、局長室で会計書類の決裁を、次長は、報告文書の作成をしていました。被告人は、処分の撤回を求めるいやがらせを続け、二人に対して空き缶を激しく打ち鳴らすなどの暴行を加えました。そのいやがらせのために、二人は仕事を一時止めざるをえなくなっていて、外から見ると、職務は中断していました。それでも、局の事務全般をまとめて取り扱う職務は、ひとまとまりの、続いた仕事とみられます。外観が中断でも、被告人の不法な目的の行動で作られた状態なら、終了したとは言えない、とされました。なぜ、外から見て止まっていても、終わっていない、と見るのか。局長の仕事は、局全体をまとめて見る仕事で、点呼のように、一回ごとに区切れる仕事ではないからです。芝居にたとえると、点呼は、幕が下りればそこで終わる出し物。局長の仕事は、途中で一度幕が下りても、まだ終わっていない、二幕ものの芝居です。しかも、その中断は、被告人の側が作り出したものでした。自分で仕事を止めておいて、止まっているから保護されない、とすれば、妨害した側が得をしてしまいます。どちらの判例も、仕事のまとまりを具体的に見ている点は同じです。

設例Iの変形の答え 図:設例Iの変形の答え

冒頭の設例Iの変形に答えます。三つの場面を並べます。作業の最中に突き飛ばしたなら、職務の執行中で、あたります。作業を始めようと、職員が現場に近づいたところを突き飛ばしたなら、まさに開始しようとしている場合として、あたりうる、と考えられます。そして、作業を終えて現場を離れ、別の用事で休憩に入ったあとなら、その作業と、接着し切り離せない一体の関係とは言えません。判例の定式に当てはめれば、95条ではなく、暴行罪の問題です。守るものが、人ではなく、仕事だからです。仕事が続いているか、またはまさに始まるか。それで、罪の名前が変わります。この判断の軸は、論文でも論点になりえます。

95条1項の整理表と弁別ミニ事例

95条1項の整理表 図:95条1項の整理表

前回と今日を、一枚に整理します。守るものは、公務が円滑に行われること。客体は、公務員で、みなし公務員を含みます。暴行は広義で、公務員に向けられた不法な有形力、間接暴行も入ります。脅迫も広義で、誰への害でも、公務を妨げるに足れば足ります。職務は、公務員が取り扱う各種各様の事務のすべて。そして、執行するに当たり、は、具体的な職務の開始から終了までと、接着し切り離せない一体の範囲です。事例を三つ、考えてください。事例1。Iさんが、職員の目の前で、職員が作業に使っている道具を壊しました。どうなるでしょうか?

前回の間接暴行です。公務員に向けられているので、暴行にあたりえます。誰もいない所で壊したなら、公務員に向けられたとは言いにくい、というのが、前回見た学説の有力な見方です。判例は、職務執行を妨害するに足りれば足りる、としていました。事例2。窓口で、職員の通常の窓口業務中に、殴りかかりました。強制力のある仕事ではありませんが、どうでしょうか?公務全部が職務なので、あたります。事例3。職員が作業を終えて現場を離れ、別の用事で休憩に入ったあとに、殴りました。休憩に入って作業と切り離し得ない一体の関係でなくなったあとの暴行は、暴行罪の問題になる、というのが、判例の定式に当てはめた場合の、見立てです。ここまでは、条文に書かれた要件でした。

今日の整理

今日の整理 図:今日の整理

まとめます。守るものは、公務という仕事です。職務は、公務員が取り扱う各種各様の事務のすべてで、権力的公務に限りません。執行するに当たり、は、具体的な職務の開始から終了まで、そして、接着し切り離せない一体の範囲です。設例Iの変形は、作業を終えて休憩に入ったあとなので、暴行罪の問題でした。

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#187単独ページ動画

公務執行妨害罪の職務の適法性

第18章 国家的法益|国家の存立・国交・国家の作用 ④/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

条文の要件がそろっても、罪にならない

95条1項の3パーツ地図と、書かれていない4つ目 図:95条1項の3パーツ地図と、書かれていない4つ目

今日は、その続きです。条文に書かれた要件は、三つのパーツでした。客体は公務員、行為は暴行又は脅迫、時は職務を執行するに当たり。今日の主役は、この三つのどこにも書かれていない、四つ目の要件です。

設例I 駅前の逮捕 図:設例I 駅前の逮捕

今日は、新しい設例です。前回までの、自転車の設例とは、別の話です。駅前で、Iさんが警察官に呼び止められました。警察官は、あなたに逮捕状が出ている、署まで来てもらう、と言って、Iさんの腕をつかみました。ただし、逮捕状はIさんに見せませんでした。Iさんは、警察官を突き飛ばして逃げました。問いは、その三つがそろっても、公務執行妨害罪にならないことがあるのか、です。答えの予告だけ先に言います。95条が守るのは、公務という仕事です。だから、守るに値する公務かどうか、つまり適法かどうかが問われます。この設例は、後でもう一度戻って、決着をつけます。

なぜ、書かれていない要件が要るのか

適法性は必要か——2つの学説 図:適法性は必要か——2つの学説

条文を見ます。95条1項は、職務を執行するに当たり、とだけ書いていて、職務が適法であることを、文言では求めていません。では、適法でない職務を執行している公務員に、暴行を加えたらどうなるのか。説は二つに分かれます。A説は、不要説です。条文に書かれていないし、公務員が職務として、おこなっている以上、保護する必要がある、と考えます。B説は、必要説で、判例・通説です。違法な職務を、刑法で保護する必要はない、と考えます。判例は、大審院の時代から必要説です。設例Iで比べます。不要説なら、警察官は逮捕という職務の最中なので、令状を見せたかどうかに関係なく、突き飛ばしは95条です。必要説なら、その逮捕が適法だったかを、もう一段問うことになります。先に、正当行為の回の復習です。警察官が逮捕状で人を逮捕しても、逮捕罪に問われないのはなぜでしょうか?

逮捕罪の構成要件には当たるけれど、法令行為として、違法性が阻却されるから、です。ただし、層が違う点に注意です。構成要件の章と違法性の章で見たとおり、構成要件は条文が定める型、違法性阻却は、型に当たっても違法でないとされることでした。逮捕罪では、適法な逮捕も型には当たり、違法性の段階で外れます。95条では、適法かどうかを、型の段階で問います。適法な職務でなければ、そもそも95条の型に入らないのです。理由を、保護法益から言います。前回までに見たとおり、95条が守るのは、公務が円滑に行われることでした。だとすれば、違法な公務まで、刑罰で守る理由がありません。設例Iのように、令状を示さない逮捕は、円滑に進むよう守るべきものではなく、むしろ正されるべきものだからです。

書かれざる構成要件要素、と呼びます。条文に文言はないけれど、成立要件になる要素、という意味です。結論は、適法でない職務への暴行や脅迫は、構成要件に該当せず、95条は成立しません。

⭐ 論文で書く規範:職務の適法性 「公務が円滑に行われることを保護する95条は、違法な公務まで保護しない。職務の適法性は、条文に書かれていない構成要件要素であり、適法でない職務への暴行・脅迫には95条は成立しない。」 (判例・通説(必要説))

適法性の3要件——どこで欠けるか

適法性の3要件 図:適法性の3要件

職務が適法かどうかは、三つの要件で見ます。一つ目。その職務が、その公務員の、抽象的職務権限に属していること。つまり、仕事の種類のことです。二つ目。その公務員が、その職務を行う、具体的職務権限を持っていること。つまり、その場で、やってよい仕事かです。三つ目。その職務の執行が、法律上の手続や方式の、重要な部分を守っていること。つまり、大事な手続です。三つ全部が要り、一つでも欠ければ、適法ではありません。ここで、混同しやすい点を一つ。前回の、職務の範囲、各種各様の事務のすべて、とは別の話です。前回の職務の範囲は、どんな仕事が、95条の職務に入るか、という、条文の要件でした。今日の抽象的職務権限は、その公務員が、そもそもその種類の仕事をする権限を持つか、という、適法性の要件です。もう一つ、前回の、具体的に特定された職務、の具体的とも別です。前回は、どの仕事かを特定する話。今日の具体的職務権限は、その仕事を、その場でしてよいか、の話です。

警察官の逮捕の流れ——どこで欠けるか 図:警察官の逮捕の流れ——どこで欠けるか

警察官の逮捕を例に、順に見ます。一つ目の、種類です。警察官は、現行犯逮捕や、令状による逮捕の権限を持っています。しかし、入場料金の支払についての示談あっせんをする権限は、持っていません。だから、その場で警察官が示談をあっせんしていても、その職務は、抽象的職務権限を欠き、適法ではありません。大審院の判例です。二つ目の、その場です。警察官は、現行犯人を逮捕する権限を持っています。しかし、具体的に逮捕できるのは、刑訴212条の要件、つまり、現に罪を行い、又は現に罪を行い終わった者など、を満たす場合だけです。満たさないのに現行犯逮捕するなら、具体的職務権限を欠きます。三つ目の、手続です。警察官は、令状による逮捕の権限を持ちます。令状が出ていれば、種類も、その場も、満たします。しかし、令状による逮捕には、守るべき手続があります。条文を見ます。

条文刑事訴訟法201条

刑事訴訟法201条(逮捕状による逮捕) 逮捕状により被疑者を逮捕するには、逮捕状を被疑者に示さなければならない。 2 第七十三条第三項の規定は、逮捕状により被疑者を逮捕する場合にこれを準用する。

1項は、逮捕状を被疑者に示すことを求めています。示さずに逮捕するのは、法律上の重要な方式を欠き、適法な職務にあたらない、とした裁判例があります。被疑事実の要旨、つまり、疑われている犯罪のあらましを告げずに、緊急逮捕した場合も、同じく、方式を欠くとされています。緊急逮捕は、重い罪で急速を要し、逮捕状を待てないときに、先に逮捕して、すぐ後で逮捕状を求める手続です。このあと見る2項の、逮捕状は出ているが手元に無い場面とは、別の手続です。三つ目の、方式です。種類も、その場も満たしていますが、重要な手続を欠いています。逮捕状を示すのは、捕まる人に、何の疑いで、どの令状によって連れて行かれるのかを知らせ、不当な逮捕ではないかを確かめる機会を与えるためです。だから、令状を持っているだけでは足りず、示すことまでが、適法な逮捕の、一部です。

逮捕状を手元に持っていない場面のための例外が、2項にあります。逮捕状を所持していないため、示すことができない場合で、急速を要するときは、被疑事実の要旨と、令状が発せられている旨を告げて、逮捕できます。73条3項の準用です。ただし、令状は、できる限り速やかに示します。告げさえすれば、方式は、履践、つまり、きちんと踏まれたことになります。

⭐ 論文で書く規範:適法性の3要件 「①職務の執行が、当該公務員の抽象的職務権限に属すること。②当該公務員が、その職務を行う具体的職務権限を有すること。③その職務の執行が、法律上の手続・方式の重要部分を履践していること。」 (判例・通説(3つ全部が要る))

もう一点。求められるのは、手続の、重要部分です。重要部分、という言い方は、軽微な手続の違いまで全部を問題にするわけではない、という前提に立っています。線を引くと、逮捕状を一切示さないのは、捕まる人が理由を知る機会そのものを奪うので、重要な方式を欠きます。一方で、示す際の、ごく細かい不備にとどまり、理由を知る機会が守られているなら、適法性を失わない方向に働きます。個別の当てはめは、事案によります。

設例Iの前半の答え 図:設例Iの前半の答え

設例Iに戻ります。警察官は、逮捕状を持っていたのに、見せませんでした。逮捕する種類の権限も、その場の権限もあります。しかし、示す、という方式の重要部分を欠いています。判例・通説に当てはめると、適法な職務ではありません。持っていなかった場合でも、急速を要する場面で、被疑事実の要旨と令状が出ている旨を告げなければ、やはり方式を欠きます。つまり、95条は成立しない、という見立てになります。

誰が、いつの時点で判断するか

判断の主体——3つの説 図:判断の主体——3つの説

三つの要件を、誰が、いつの時点に立って判断するのか。この二つの軸で、結論が変わります。まず、誰が、です。A説は、主観説です。その職務を執行した公務員が判断する、とします。しかし、公務員が適法だと思えば適法、となり、全ての職務が適法になりかねません。公務員の主観的判断に、国民を従わせることにもなります。B説は、折衷説で、一般人が判断する、とします。しかし、これも、全ての職務が適法になりかねません。また、一般人とは誰かが分からず、基準として明確性を欠きます。C説は、客観説です。裁判所が、客観的に判断します。通説であり、判例の立場です。設例Iで言えば、警察官が、見せなくても大丈夫だ、と思っていたとします。主観説なら、それだけで適法になりかねません。客観説では、裁判所が、示すという方式を守ったかを、外から確かめます。設例Iの前半の答えは、この客観説の目で出したものです。

判断時点——2つの説 図:判断時点——2つの説

次に、いつ、です。A説は、純客観説で、裁判時を基準にします。B説は、行為時基準説で、暴行や脅迫の行為時を基準にします。

結論差——後で無実と分かったら 図:結論差——後で無実と分かったら

結論の差を、例で見ます。駅での置き引きの被疑者として、警察官が、正式に発付された逮捕状で、Bさんを逮捕しようとしました。Bさんは、警察官を突き飛ばしました。ところが、後の裁判で、Bさんは、置き引きについて無実と分かりました。裁判時を基準にすると、誤認逮捕で、違法な職務への暴行になり、95条は成立しません。行為時を基準にすると、逮捕のときは適法だったので、95条が成立します。純客観説には、批判があります。逮捕の要件を備えていても、後で無実と分かっただけで、逮捕が違法になり、公務執行妨害罪が成立しなくなってしまうからです。適法に行われている職務を邪魔しても、後から結果次第で罪が消えるのは、おかしい、という批判です。行為時基準説の理由は、職務を執行した時に適法であれば、十分に保護する価値がある、です。判例・通説は、行為時基準説です。では、問いです。逮捕状に基づく、適法な逮捕をしたのに、後で、逮捕された人が無実だったと分かりました。この逮捕は、あとから、違法な職務になるのでしょうか?

適法かどうかは、逮捕した時点で決まり、後の結果では動きません。判例を見ます。

判例最高裁判所決定(昭和41年4月14日・集刑159号181頁)

職務の適法性の判断基準(裁判要旨) 「公務執行妨害罪における職務としての現行犯人逮捕行為の適法性の判断は、逮捕行為当時における具体的状況を客観的に観察して、現行犯人と認められるに十分な理由があつたか否かによるべきものであつて、事後において犯人と認められたか否かによるべきものではない。」

読み方は三つです。一つ目。見るのは、行為当時の、具体的な状況です。二つ目。それを、客観的に観察します。三つ目。後から、犯人と認められたかどうかは、基準にしません。客観説と、行為時基準説の、立場です。判示は現行犯人逮捕についてですが、行為時の状況で見る考え方は、職務の適法性の判断基準として整理されます。

⭐ 論文で書く規範:職務の適法性の判断基準 「職務の適法性は、裁判所が、行為時の状況を基準に、客観的に判断する。」 (客観説+行為時基準説(判例・通説))

違法な公務への抵抗と、弁別ミニ事例

設例Iの後半の答え 図:設例Iの後半の答え

設例Iの決着です。令状を示さない逮捕は、適法な職務ではないので、95条は成立しません。ただし、それで話が終わるわけではありません。Iさんが警察官を突き飛ばした行為が、暴行罪の構成要件に当たるか、また正当防衛で罰されないか、は別の問題です。正当防衛の回で見たとおり、不正とは、違法のことでした。違法な逮捕は、この不正の侵害にあたりうるので、突き飛ばしが、身を守るための反撃と認められれば、罰されない余地があります。逆に、警察官の側の違法な逮捕は、それ自体が、別の犯罪の問題にもなりえます。95条が成立しないなら、無罪、ということですか。違います。結論の言い方は、95条は成立しない。Iさんの行為は、暴行罪、正当防衛の問題になる、までです。個別の成否は、事案次第です。

弁別ミニ事例3問 図:弁別ミニ事例3問

事例を三つ、考えてください。軸は、三つの要件のどれが欠けるか、と、判断の時点です。事例1。警察官が、逮捕状を持たないまま、急速を要する場面で、被疑事実の要旨と、逮捕状が発せられている旨を告げて、逮捕しようとしました。Iさんが突き飛ばしました。どうなるでしょうか?告げていれば、方式は履践されているので、適法で、95条が成立します。事例2。逮捕状で、適法に逮捕しようとしたところ、あとで、被疑者は無実と分かりました。逮捕のときに要件がそろっていれば、後で無実と分かっても、左右されません。事例3。犯行から数日たち、刑訴212条のどの号にもあたらない状況で、路上で見かけた人を、窃盗犯に似ている、というだけで、現行犯逮捕しようとし、Iさんが突き飛ばしました。

現行犯逮捕の種類の権限はあるけれど、212条の要件を満たさないので、具体的職務権限を欠きます。適法でないので、95条は成立しません。この三つの要件の当てはめと、判断基準は、論文でも論点になりえます。

今日の整理

今日の整理 図:今日の整理

まとめます。95条が守るのは、公務という仕事です。だから、守られるのは、適法な公務だけです。適法性は、条文に書かれていない要件です。適法かどうかは、種類、その場、手続の重要部分、の三つで見ます。判断は、裁判所が、行為のときの状況を基準に、客観的に行います。設例Iは、令状を示さない逮捕だったので、95条は成立せず、暴行罪や正当防衛の問題になりました。

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#188単独ページ動画

公務執行妨害罪の適法性の錯誤と職務強要罪

第18章 国家的法益|国家の存立・国交・国家の作用 ⑤/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

適法だった逮捕を、違法だと思い込んだら

前回までと今日の地図 図:前回までと今日の地図

前回は、公務が適法かどうかを、裁判所が行為時の状況で、客観的に判断するところまで進みました。今日は、本人がどう思っていたか、故意の側から入ります。今日の中身は四つです。一つ目、故意。二つ目、適法性の錯誤。三つ目、既遂の時期。四つ目、罪数です。後半では、95条2項の、職務強要罪も扱います。

設例I 事務所での逮捕 図:設例I 事務所での逮捕

設例Iを、新しい場面で続けます。Iさんの勤務先の事務所に、警察官が二人来ました。警察官は、裁判官の出した逮捕状をIさんに示し、被疑事実の要旨を告げて、同行を求めました。手続は全部守られた、適法な逮捕です。ところがIさんは、警察官を突き飛ばしました。Iさんの頭の中は、二通り考えられます。一つ目。机の書類に気を取られていて、示された書面が逮捕状だと気づかず、何の説明もなく腕をつかまれた、と思い込んだ。二つ目。逮捕状をしっかり見た。そのうえで、令状は検察官の押印が無いと無効だ、と自分で決めつけ、こんな逮捕は違法だ、と思い込んだ。

客観は適法、本人の頭の中は違法。このずれがあっても、95条の故意は認められるのか。これが今日の問いです。答えの予告だけ、先に言います。取り違えたのが事実なのか、評価なのかで分ける考え方があります。この設例は、適法性の錯誤の節で戻って、決着をつけます。

故意の対象——何を分かっていれば故意か

故意の対象と95条1項 図:故意の対象と95条1項

総論で見たとおり、故意とは、構成要件に当たる客観的な事実を、認識していることでした。95条1項なら、公務員に対し、職務を執行するに当たり、暴行又は脅迫を加える、ということの認識です。ここで問いです。Iさんは、警察官が、逮捕状のどんな罪名で来ているのかを、知りませんでした。それでも、故意はあるでしょうか。判例で確かめます。前々回、職務の範囲で使った判決の、別の部分です。

判例最高裁判所判決(昭和53年6月29日・刑集32巻4号816頁)

故意の対象 「公務執行妨害罪の故意が成立するためには、行為者において公務員が職務行為の執行に当つていることの認識があれば足り、具体的にいかなる内容の職務の執行中であるかまでを認識することを要しないものと解するのが相当である」

被告人は、あらかじめ面会を申し入れることもなく、突如、局長室に入り込みました。原判決は、具体的にどんな職務の最中かの認識が必要だとして、故意を否定しましたが、最高裁は、局長と次長が、局の事務全般を管理する職務を執行中だという認識があった、として故意を認めました。なぜ、中身まで要らないのか。故意の対象は、構成要件に当たる事実でした。条文が求めているのは、職務の最中に、暴行を加えることです。どの種類の職務か、何の書類を扱っているかは、条文の要件に入っていません。だから、勤務中の公務員が、仕事をしている、と分かっていれば足ります。

故意の有無——2つの事例 図:故意の有無——2つの事例

二つ、考えてください。一つ目。窓口の職員が、机で何かを書いています。何の書類かは知らなかったけれど、勤務中の職員が仕事をしている、とは分かっていて、突き飛ばしました。勤務中の職員が仕事をしている、と分かっていれば、書類の中身を知らなくても、95条の故意としては十分です。二つ目。私服で張り込み中の警察官を、ただの通行人だと思い込んで、突き飛ばしました。事実の認識を欠くので、故意を欠きます。故意がなければ罰しない、という38条1項の原則どおり、95条は成立しません。

⭐ 論文で書く規範:故意の対象 「公務執行妨害罪の故意には、行為者において、公務員が職務の執行に当たっていることの認識があれば足り、具体的にいかなる内容の職務の執行中であるかまでの認識は要しない。」 (判例)

適法性の錯誤——取り違えたのは事実か評価か

適法性の錯誤とは 図:適法性の錯誤とは

前回、職務の適法性は、書かれざる構成要件要素だと確認しました。では、客観的には適法な職務を、行為者が、違法だと思い込んだとき、故意はどうなるのか。これを、適法性の錯誤といいます。考えるための道具を、先に一つ、思い出します。総論の復習です。描かれている内容は分かっていたが、芸術だから、わいせつな物には当たらないと思っていた人に、構成要件的故意はあるでしょうか?故意に必要な認識の程度は、裁判官と同じ判断か、一般の人が分かる程度か、どちらでしたか。一般の人が分かる程度、つまり、素人的認識で足ります。描かれている内容という事実は分かっているので、評価を誤っているだけで、故意はあります。適法性も、法的な評価を含む、規範的構成要件要素です。故意に必要なのは、裁判官と同じ判断ではなく、一般の人が分かる程度の意味の認識です。評価を誤っても、素人的な認識そのものは、消えません。もう一つ、思い出します。法律の錯誤とは、事実は正しく分かっているのに、それが法に触れないと思い違いをすることでした。違法性の意識そのものは、故意の要件ではないので、法律の錯誤では、原則として故意は阻却されません。阻却されるのは、違法性の意識の可能性すら無かった場合だけでした。この前提のうえで、学説は三つに分かれます。

適法性の錯誤——3つの説 図:適法性の錯誤——3つの説

一つ目は、法律の錯誤説です。適法性の錯誤は、すべて法律の錯誤だとします。法律の錯誤は、原則として故意を阻却しません。理由は、軽率な誤信から、公務を保護する必要がある、からです。ただし、適法性を構成要件要素と解する以上、すべて法律の錯誤にするのは妥当でない、という批判があり、少数の説です。二つ目は、事実の錯誤説です。適法性は構成要件要素なので、その認識を欠けば、構成要件的故意が阻却されます。ただし、規範的構成要件要素なので、素人的認識があれば足ります。職務の適法性を基礎づける事実を認識していれば、故意ありです。三つ目は、二分説です。適法性を基礎づける事実を取り違えたなら、事実の錯誤で、故意を阻却します。適法性の評価、つまり解釈を取り違えたなら、法律の錯誤で、原則として、故意は阻却されません。事実は正しく分かっていて、誤ったのは、その事実が法的にどう評価されるか、だけだからです。これは、さきほど思い出した、法律の錯誤そのものの形です。規範的な概念は、評価の面だけを誤ることがあります。取り違えたのが、事実そのものか、事実に対する評価か。この切り分けの軸は、誤想防衛で見たものと同じです。注意点を一つ。誤想防衛の回にも、事実の錯誤説という、同じ名前の説が出てきました。あちらは、誤想防衛をした人の責任故意をどう扱うか、という説でした。ここの事実の錯誤説は、適法性の錯誤で、構成要件的故意をどう扱うか、という説です。名前は同じでも、別の説なので、混ぜないでください。

では、設例Iに当てはめます。その前に、問いです。Iさんが、令状は検察官の押印が無いと無効だ、と思い込んでいたとします。これは、事実の取り違えでしょうか。評価の取り違えでしょうか。令状に何が書かれているかは、正しく分かっていて、その法的な効力を誤っているので、評価の取り違えです。誤りの根拠は、刑訴200条1項にあります。

刑訴200条1項・201条1項 図:刑訴200条1項・201条1項

逮捕状に記名押印するのは、検察官ではなく、裁判官です。Iさんの思い込みは、令状の効力という、法的な評価についての誤りです。

設例Iの当てはめ——3説の結論 図:設例Iの当てはめ——3説の結論

一つ目の思い込み。逮捕状が示されたことに、気づかなかった場合です。逮捕状が出ていて、自分を逮捕しようとしている、という事実の認識がありません。事実の錯誤説も、二分説も、故意を阻却します。法律の錯誤説だけが、故意を阻却しません。二つ目の思い込み。逮捕状を見て、押印が無いから無効だ、と考えた場合です。逮捕状が出ていて、警察官が逮捕しようとしている事実は、認識しています。素人的認識があるので、事実の錯誤説は、故意ありです。二分説は、評価の誤りなので、法律の錯誤として、原則、故意ありです。法律の錯誤説も、故意は阻却されません。

ただし、経路が違います。事実の錯誤説は、適法性の錯誤を、全部、構成要件的故意の問題として扱い、素人的認識があるから、故意あり、と見ます。二分説は、同じ錯誤の中に、事実の誤りと評価の誤りが混ざっていると見て、評価の誤りだけを、法律の錯誤として、構成要件的故意の外に出します。だから二分説では、評価の誤りは、責任の段階で、違法性の意識の可能性があったか、という形で問題になります。

設例Iの回収 図:設例Iの回収

設例Iを回収します。一つ目の思い込みは、事実の錯誤説でも、二分説でも、故意が阻却され、95条は成立しません。法律の錯誤説だけが、成立を認めます。二つ目の思い込みは、三つの説のどれでも故意があり、原則として、95条が成立します。どの説に立つにしても、まず、事実を取り違えたのか、評価を取り違えたのかを、切り分けます。なお、Iさんの突き飛ばしが、暴行罪に当たるかは、別の問題です。そこでは、誤想防衛で見た考え方を使います。ここでは、95条の故意の話だけにとどめます。適法性の錯誤は、答案で、三つの説から立場を選ぶ論点で、論文で論点になりえます。

既遂になるのはいつか——抽象的危険犯

既遂の時期 図:既遂の時期

ここまでは、本人が何を分かっていたか、という主観の話でした。次は、いつ既遂になるか、です。95条1項は、職務の執行を妨害するに足りる程度の暴行や脅迫を、加えれば成立します。実際に職務が妨害されたことも、妨害される具体的な危険が生じたことも、要りません。このような罪を、抽象的危険犯といいます。遺棄の罪の回で見たとおり、具体的な危険の発生を要件とする具体的危険犯と違って、危険の発生そのものを、条文が要件にしていない罪です。なぜ結果が要らないのか。条文は、妨害した者、ではなく、暴行又は脅迫を加えた者、と書いています。加えた時点で、条文の要件はそろうからです。例です。Iさんが警察官を突き飛ばしましたが、警察官は動じず、そのまま逮捕を完了しました。職務は妨害されていません。それでも、暴行を加えた時点で、既遂です。

罪数・他罪との関係

罪数の整理 図:罪数の整理

既遂の時期が決まったので、次は、ほかの罪との関係、罪数です。まず、手段として加えた暴行や脅迫は、本罪に吸収されます。95条1項は、暴行又は脅迫を加えることを、条文の中に含んでいるので、暴行罪を別に数えると、同じ暴行を二度罰することになるからです。逆に、けがをさせた、物を取った、という部分は、95条の条文に入っていないので、別の罪として残ります。次に、傷害罪、恐喝罪、強盗罪、殺人罪などが成立するときは、本罪と観念的競合です。観念的競合は、54条1項前段で、一個の行為が二個以上の罪名に触れるとき、最も重い刑で処断するのでした。例えば、殴りかかる一個の行為が、公務執行妨害罪と、傷害罪の両方に触れます。三つ目は、一個の行為で、複数の公務員の職務を妨害した場合です。判例を見ます。

判例最高裁判所判決(昭和31年7月20日・集刑114号331頁)

一個の行為で複数の公務員の職務を妨害した場合の罪数 「原判決は、被告人Aが判示の如き言動によりB等五名の群馬県事務吏員を脅迫して差押物件の引揚を断念せしめ、以て一個の行為によつて右公務員等の公務執行を妨害した事実を認定したのであるから、同判決がこれに対し刑法九五条一項、同五四条一項前段の規定を適用し一罪として処断したのは相当である」

一個の行為で、五人の県の職員の職務を妨害した事案で、95条1項と54条1項前段を適用して、一罪として処断したのは相当、としました。2項についても、同時に税務署長ら四人を脅迫した事件で、四人それぞれに、2項の罪が成立し、54条1項前段が適用されています。守っているのは、公務員が行う一つ一つの職務、つまり公務です。判例は、一個の行為で複数の公務員の公務を妨害した事案で、公務員ごとに罪の成立を認め、観念的競合としました。四つ目は、行為が別々なら、併合罪です。これは、罪数の総論どおりです。

職務強要罪・辞職強要罪——95条2項

2項の導入 図:2項の導入

ここまでは、職務を執行している最中の公務員への、暴行や脅迫でした。では、公務員に、ある処分をさせる、させない、あるいは辞めさせるために、暴行や脅迫を加えたら、どうなるでしょうか。条文を見ます。

条文刑法95条2項

刑法95条2項(職務強要及び辞職強要) 公務員に、ある処分をさせ、若しくはさせないため、又はその職を辞させるために、暴行又は脅迫を加えた者も、前項と同様とする。

前項と同様とする、とあるので、法定刑は1項と同じです。三年以下の拘禁刑又は五十万円以下の罰金です。

3つの目的 図:3つの目的

条文のとおり、目的は三つです。一つ目、ある処分をさせる。二つ目、ある処分をさせない。三つ目、職を辞させる。暴行や脅迫は、この目的のために加えられます。このように、一定の目的が要件になっている罪を、目的犯といいます。暴行や脅迫の意味は、1項と同じです。ここで問いです。公務員を脅して、許可を出させようとしました。しかし、許可は出ませんでした。犯罪は成立するでしょうか。成立します。2項も、抽象的危険犯です。条文は、処分をさせるために、暴行又は脅迫を加えた者、と書いていて、処分がされたことを要件にしていません。だから、暴行や脅迫を加えれば既遂で、目的を遂げる必要はありません。では、処分とは何でしょうか。職務権限の中の処分だけでしょうか。判例を見ます。この判決の、右条項、とあるのは、刑法95条2項のことです。

判例最高裁判所判決(昭和28年1月22日・刑集7巻1号8頁)

95条2項の「処分」と保護法益 「右条項前段にいわゆる「公務員をして或処分を為さしめ若しくは為さざらしむる為め」とある「公務員の処分」とは、当該公務員の職務に関係ある処分であれば足り、その職務権限内の処分であるとその職務権限外の処分であるとを問わないものと解すべきである。けだし、同条項前段と後段並びに同条一項を比較対照すれば、同条二項は、公務員の正当な職務の執行を保護するばかりでなく、広くその職務上の地位の安全をも保護しやうとするものであること明白だからである。」

事案は、多衆の威力を示して面談を求め、税法違反などの要求事項の承認を迫った、というものです。要求の内容が、税務署長の職務権限の外の事項でも、成立します。理由を見ます。2項は、公務員の正当な職務の執行を保護するだけでなく、職務上の地位の安全も、広く保護しようとしている、からです。保護法益は、公務員が自由に職務を行えることを通じた、公務の公正かつ円滑な執行です。そこに、職務上の地位の安全も含まれる、ということです。

1項と2項の対比 図:1項と2項の対比

1項と2項の違いは、二点です。暴行又は脅迫という行為は、同じです。違いは、1項は、職務を執行するに当たり、が要件で、目的は書かれていません。2項は、職務を執行するに当たり、は書かれておらず、処分をさせる、辞職させる、などの目的が要件です。分かれ目は、時、つまり職務の最中か、と、目的、つまり処分や辞職を狙っているか、です。他の罪との関係です。暴行罪や脅迫罪は、2項の罪に吸収されます。強要罪も、同じく吸収されます。強要罪は、223条で、義務のないことを行わせる罪で、未遂も罰するのでした。暴行や脅迫で、人に何かをさせる、という強要罪の形は、公務員に処分をさせるための暴行や脅迫として、2項の条文にすでに入っています。別に数えると、同じ行為を二度罰することになるからです。罪数も、複数の公務員を一度に脅した事案では、判例は公務員ごとに罪を認めています。

1項か2項か——3事例 図:1項か2項か——3事例

事例を三つ、考えてください。軸は、職務を執行するに当たり、があるか、と、処分や辞職の目的があるか、です。一つ目。夜、帰宅した市の建築担当職員の自宅前で、あの許可を取り消せ、さもなければ家族に危害を加える、と脅しました。二つ目。市長に、辞職を迫って、辞めなければ、ただでは済まない、と脅しました。三つ目。窓口で書類を整理している職員を、腹立ちまぎれに突き飛ばしました。一つ目と二つ目は2項、三つ目は1項です。1項と2項の振り分けは、短答で問われうるところです。

今日の整理

今日の整理 図:今日の整理

まとめます。一つ目。故意は、公務員が職務中だと分かっていれば足りて、職務の内容までは要りません。二つ目。適法性の錯誤は、取り違えたのが事実か、評価かで分けます。設例Iの、逮捕状に気づかなかった場合は、事実の錯誤説や二分説なら故意が阻却され、押印が無いから無効と考えた場合は、故意ありです。三つ目。既遂は、暴行や脅迫を加えた時で、抽象的危険犯です。四つ目。手段の暴行や脅迫は吸収され、傷害などとは観念的競合、複数の公務員を一度に脅した事案では、判例は公務員ごとに罪を認めています。五つ目。2項は目的犯で、処分や辞職をさせる目的があれば、目的を遂げなくても既遂です。

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#189単独ページ動画

封印等破棄罪・強制執行妨害罪・談合罪

第18章 国家的法益|国家の存立・国交・国家の作用 ⑥/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

表示を壊していないのに、罪になるか

前回までと今日の地図 図:前回までと今日の地図

前回までで、公務員に暴行や脅迫を加える95条を閉じました。今日は、公務員への暴行や脅迫ではなく、公務が作った効果を壊す罪を見ます。柱は三本です。一つ目、封印や差押えの表示が示す、命令や処分の効力を守る96条。二つ目、強制執行が債権者を満足させる働きを守る、96条の2から96条の5。三つ目、公の競売や入札が公正な価格を出す働きを守る、96条の6です。

設例G 機械の差押え 図:設例G 機械の差押え

設例Gです。Gさんは、債権者Dさんに貸金を返せないまま、自分の倉庫に金属加工機械を一台持っています。裁判所の執行官が、この機械を差し押さえました。動産の強制執行は、執行官の差押えで始まります。執行官は、機械をそのままGさんに保管させ、機械の正面に、差押えと書いた公示書、つまりシールを貼って帰りました。その夜、Gさんは、シールには指一本触れず、機械をシールを貼ったままトラックに積んで、買主のCさんに売り、引き渡しました。シールは、一枚も剥がれていません。表示を一枚も壊していないのに、封印等破棄の罪になるのか。これが今日の問いです。予告を一つだけ。96条が罰しているのは、損壊だけではありません。この設例は、96条の行為の節で戻って、決着をつけます。

96条——条文・保護法益・客体

96条の読み方 図:96条の読み方

まず条文です。

条文刑法96条

刑法96条(封印等破棄) 公務員が施した封印若しくは差押えの表示を損壊し、又はその他の方法によりその封印若しくは差押えの表示に係る命令若しくは処分を無効にした者は、三年以下の拘禁刑若しくは二百五十万円以下の罰金に処し、又はこれを併科する。

三つに割って読みます。一つ目、公務員が施した。二つ目、封印若しくは差押えの表示。最後に、これを損壊し、又は、その他の方法により、表示に係る命令若しくは処分を無効にした、です。保護法益は、強制執行が適正に、滞りなく進むことです。表示は、その手続が出した効果を、外から示す目印にあたります。95条は、公務が円滑に行われることを、公務員に向けられた暴行や脅迫を罰することで守りました。96条は、公務が作った効果のほうを守ります。客体で、一つ、注意があります。客体は、表示そのものではありません。条文は、その封印若しくは差押えの表示に係る、命令若しくは処分、と書いています。

⭐ 論文で書く規範:96条の客体 「客体は、封印・差押えの表示そのものではなく、表示に係る命令・処分の効力である。」 (要点)

言葉を一つずつ整理します。封印とは、中身を開けたり、使ったり、動かしたりさせないために、権限のある公務員が、物の外側に施す封じのことです。封緘紙や封鎖の設備など、目に見える物的な仕掛けがそれにあたります。差押えとは、公務員が、守るべき物を、自分の支配下に移してしまう強制処分です。差押えの表示は、その支配を外から分かるようにするために付ける、封印以外の目印で、貼り紙、立て札、公示書などがあたります。命令は裁判所の命令、処分は執行官などの処分を指します。差押えの表示は、この物は債権者のために預かり中、という約束の看板です。看板が無傷でも、中身を持ち出せば、約束は破れます。

差押えの表示が効力要件になる場面 図:差押えの表示が効力要件になる場面

表示は、効力の入口にもなります。設例Gのように、債務者に動産を保管させたときは、民事執行法123条3項で、差押えの表示をしたときに限り、差押えは効力を有します。税金の滞納処分でも同じ形で、国税徴収法60条2項が、差押えを明白にする表示をした時に、効力が生ずると定めています。仮差押えや仮処分、つまり判決の前に、財産や物の状態を仮に押さえておく裁判所の処分の公示も、差押えの表示に当たります。また、主体に制限はありません。債務者本人でも、第三者でも、成立します。Gさん本人が典型です。

96条の行為——損壊と、その他の方法により無効にした

行為の二系統 図:行為の二系統

行為は、二系統です。一つ目は、表示そのものを損壊すること。壊す、剥がす、移し替えるなど、表示の効用を害することです。損壊は、毀棄の罪で見た、効用を害する、と同じ言葉です。二つ目は、その他の方法により、表示に係る命令や処分を、無効にすることです。無効にするとは、差押えなどの実質的な効果、つまり、執行官の保管のもとで債権者のために物を押さえておく働きを、なくしたり、弱めたりすることをいいます。問いです。Gさんは、シールに触れていません。シールが剥がれてもいません。それでも、無効にした、と言えるでしょうか。

機械を運び出して売ってしまえば、債権者のために押さえておく働きは、なくなるので、言えそうです。例は三つです。差押物を搬出して売ること。執行官が保管する土地に、立入りを禁じる立て札があるのに、入り込んで作物を作ること。仮処分で執行官の占有に移った家屋に入居すること。三つ目は、あとで判例を見ます。

設例Gの回収 図:設例Gの回収

設例Gを回収します。シールが無傷でも、機械を運び出して売れば、差押えの実質的効果が失われます。その他の方法により、処分を無効にした、に当たり、96条が成立します。条文が問うているのは、表示を壊したか、ではなく、表示に係る命令や処分を、無効にしたか、です。もう一点。表示が行為の時に、現に貼ってある必要はありません。客体は命令や処分の効力なので、貼り紙が風で飛んでいても、差押えの効力が生きている間に、運び出して無効にすれば足ります。逆に、差押えが取り消されて効力が消えた後なら、シールが残っていても、無効にする処分がないので、96条は成立しません。売買そのものが有効かどうかは、民事の話で、96条の成否とは別です。

表示の適法性・有効性と、故意

表示に瑕疵があるとき 図:表示に瑕疵があるとき

次は、表示の適法性です。執行官が、占有者を取り違えるなど、表示を付けた手続に、ミスがあったとします。それでも、表示は守られるのでしょうか。条文には、適法とも、有効とも、書かれていません。95条の職務の適法性と同じで、書かれざる構成要件要素です。本罪の客体である表示は、適法で有効であることを要します。では、どこまでのミスなら、有効なのか。判例を見ます。

判例最高裁判所決定(昭和42年12月19日・刑集21巻10号1407頁)

表示の瑕疵と封印破棄罪 「しかしながら、右執行に際し、右執行吏代理に故意に第三者の権利を侵害する目的があつたとは認められず、また、その執行の瑕疵が重大かつ明白であつて、執行行為そのものが無効あるいは不存在と認められるような場合でもなかつたことは原判決の判示するとおりであるから、執行吏の占有保管に移すという本件仮処分の執行とその旨の公示とによつて、第三者である被告人の占有も制限を受け、執行方法の異議もしくは第三者異議の訴によつて、その取消を求めない限り、本件家屋に入居することは許されなくなつたものと解すべきである。そうすると、被告人が、本件仮処分の取消を得ないうちに、あえて本件家屋に入居したことは、執行吏の占有を侵害し、その差押の標示を無効ならしめたものとして封印破棄罪にあたるものといわざるを得ない」

事案です。家屋を実際に占有していたのは被告人でしたが、執行にあたった執行吏代理が、債務者の占有だと誤認して、仮処分の執行と公示をしました。執行吏は、現在の執行官です。被告人は、取消しを得ないうちに、その家屋に入居しました。最高裁は、二つを確かめました。一つ目、執行側に、故意に第三者の権利を侵害する目的があったか。二つ目、瑕疵が重大かつ明白で、執行行為そのものが、無効か不存在か。どちらでもなければ、第三者の占有も制限を受けます。取り消したければ、執行方法の異議や、第三者異議の訴えで求めるしかありません。執行方法の異議は、執行の手続の誤りを、裁判所に申し立てて正してもらう手続です。第三者異議の訴えは、執行された物に権利のある第三者が、その執行を許さないよう求める訴えです。

瑕疵のある表示の扱い 図:瑕疵のある表示の扱い

問いです。執行官が占有者を取り違えていた。表示は間違いだから、無視して入居してよいでしょうか。間違いなら、無視してもよさそうですが、それだと、自力で決めることになってしまいます。重大かつ明白な、当然無効の場合を除いて、表示は有効です。争うなら、法律上の救済手続で争います。自力で無視してはいけません。前々回までの95条の職務の適法性と並べると、どちらも、書かれていない要素を、解釈で補う論点です。次に、故意です。判例を見ます。

判例最高裁判所判決(昭和32年10月3日・刑集11巻10号2413頁)

96条の故意 「刑法九六条の公務員の施した差押の標示を損壊する故意ありとするには、差押の標示が公務員の施したものであること並びにこれを損壊することの認識あるを以て足りる」 「……仮りに被告人が法律上無効であると誤信してこれを損壊したとしても、それはいわゆる法律の錯誤であつて、原判決の説示するように差押の標示を損壊する認識を欠いたものということのできないこと多言を要しない」

事案は、市の収税吏員が、法律上有効に施した滞納処分の差押えの標示を、被告人が損壊したものです。原審は故意を否定しましたが、最高裁は、これを破棄しました。要点は、公務員が施した表示だと分かっていて、損壊する認識があれば、故意は足りる、ということです。法律上無効だと思い込んでいても、それは法律の錯誤です。何が貼られているかという事実は分かっていて、誤ったのは、その効力の法的な評価だけだからです。前回、法律の錯誤とは、事実は正しく分かっているのに、それが法に触れないと思い違いをすることだ、と確かめました。故意に要るのは、事実の認識です。違法性の意識そのものは、故意の要件ではないので、評価を誤っても、故意は消えません。

設例Gの変形 図:設例Gの変形

設例Gを変えます。一つ目。Gさんが、手続に不備があるから差押えは無効だ、と思い込んで、機械を運び出しました。実際には、有効な差押えでした。前回の設例Iで、押印が無いから令状は無効だ、と考えた思い込みと、同じ形です。あちらでも、三つの説のどれを採っても、故意はありました。二つ目。貼ってあるのが、差押えの表示だと気づかず、ただの荷札だと思って剥がしました。事実の認識を欠くので、故意がなければ罰しない、という38条1項のとおり、成立しません。参考までに、表示の効力にも、限界があります。土地だけを対象とする仮処分なのに、建物への出入りまで禁じた事案で、命令の範囲を越えたその部分については、是正が得られない間も、建物を使う権利のある者は、正当な事由があれば、通常の使用方法に限って出入りできる、とした判決があります。重大かつ明白でなければ有効、というのは、命令の範囲の中での話です。

強制執行妨害の罪——4つの角度

96条の2から96条の5の一覧 図:96条の2から96条の5の一覧

二本目の柱です。強制執行は、債権者に債権の満足を与えるための、国の手続です。それを妨げる行為を、財産、現場、売却、報酬目的という四つの角度で押さえるのが、96条の2から96条の5です。まず、財産です。96条の2を、全文で見ます。

条文刑法96条の2

刑法96条の2(強制執行妨害目的財産損壊等) 強制執行を妨害する目的で、次の各号のいずれかに該当する行為をした者は、三年以下の拘禁刑若しくは二百五十万円以下の罰金に処し、又はこれを併科する。情を知って、第三号に規定する譲渡又は権利の設定の相手方となった者も、同様とする。 一 強制執行を受け、若しくは受けるべき財産を隠匿し、損壊し、若しくはその譲渡を仮装し、又は債務の負担を仮装する行為 二 強制執行を受け、又は受けるべき財産について、その現状を改変して、価格を減損し、又は強制執行の費用を増大させる行為 三 金銭執行を受けるべき財産について、無償その他の不利益な条件で、譲渡をし、又は権利の設定をする行為

読み方は三つです。一つ目、目的犯です。故意とは別に、強制執行を妨害する目的が要ります。財産を隠したり、安く譲ったりすること自体は、普段の取引でも起こります。強制執行を妨害する目的があるときに限って、国の手続への攻撃として罰するので、目的で絞っています。二つ目、一号は財産を隠す、壊す、仮装する。二号は現状を変えて価値を落とし、執行の費用を増やす。三号は只同然で身内などに渡す行為です。三つ目、三号は、情を知っていた相手方も処罰されます。差押えを受けるおそれのある財産も含みます。自作の例です。差押えを受けそうな土地に、産業廃棄物を山積みして、売却価格を下げ、撤去の費用を増やしました。第二号の、現状の改変による価格の減損と、執行費用の増大です。

96条の3から96条の5の一覧 図:96条の3から96条の5の一覧

次は、現場と、売却の罪を見ます。まず、現場です。96条の3を、全文で見ます。

条文刑法96条の3

刑法96条の3(強制執行行為妨害等) 偽計又は威力を用いて、立入り、占有者の確認その他の強制執行の行為を妨害した者は、三年以下の拘禁刑若しくは二百五十万円以下の罰金に処し、又はこれを併科する。 強制執行の申立てをさせず又はその申立てを取り下げさせる目的で、申立権者又はその代理人に対して暴行又は脅迫を加えた者も、前項と同様とする。

1項は、偽計又は威力で、立入りや占有者の確認など、強制執行の行為を妨害する罪です。目的は要りません。2項は、申立てをさせず、又は取り下げさせる目的で、申立権者やその代理人に、暴行や脅迫を加える罪で、こちらは目的犯です。1項は、執行の現場そのものを守り、2項は、執行が始まる入口を守っています。次に、売却です。96条の4を、全文で見ます。

条文刑法96条の4

刑法96条の4(強制執行関係売却妨害) 偽計又は威力を用いて、強制執行において行われ、又は行われるべき売却の公正を害すべき行為をした者は、三年以下の拘禁刑若しくは二百五十万円以下の罰金に処し、又はこれを併科する。

売却の公正を害すべき行為、と書かれているので、公正を害するおそれのある行為で足ります。たとえば、競売にかかった家に、偽の賃借人を住まわせ、買い手を寄せつけないようにする行為です。最後に、報酬目的の96条の5を、全文で見ます。

条文刑法96条の5

刑法96条の5(加重封印等破棄等) 報酬を得、又は得させる目的で、人の債務に関して、第九十六条から前条までの罪を犯した者は、五年以下の拘禁刑若しくは五百万円以下の罰金に処し、又はこれを併科する。

三つ弁別します。一つ目、加重対象は、96条から96条の4までの罪で、96条の6は含まれません。条文が、前条まで、と書いているからです。次に、人の債務とは、他人の債務です。自分の債務を、報酬目的で妨害しても、加重にはならず、基本の罪です。最後に、報酬は、自分が得る場合だけでなく、第三者に得させる場合も含みます。報酬をもらって、他人の競売物件に居座る、いわゆる占有屋が典型です。法定刑は、五年以下の拘禁刑若しくは五百万円以下の罰金で、併科もあります。一つだけ、旧条文の判例に触れます。旧96条の2は、強制執行を免れる目的の罪でした。最高裁は、現実に強制執行を受けるおそれのある客観的な状態が必要で、執行名義、つまり強制執行をしてよいと認める確定判決などの文書がなく、債権者が提訴しただけの段階では、基本となる債権の存在が肯定されなければ成立しない、としました。強制執行が現実に来るおそれのない段階で財産を動かしても、守っている強制執行は、まだ危うくならないからです。押さえるのは、目的だけでなく、強制執行を受けるおそれという客観的な状態が要った、という点です。旧条文の判例なので、現行の96条の2に、同じ形で当てはまるかは、断定しません。

96条の6——公の競売・入札と談合

96条の6の構造 図:96条の6の構造

三本目の柱です。条文を、全文で見ます。

条文刑法96条の6

刑法96条の6(公契約関係競売等妨害) 偽計又は威力を用いて、公の競売又は入札で契約を締結するためのものの公正を害すべき行為をした者は、三年以下の拘禁刑若しくは二百五十万円以下の罰金に処し、又はこれを併科する。 公正な価格を害し又は不正な利益を得る目的で、談合した者も、前項と同様とする。

一項が公契約関係競売等妨害罪、二項が談合罪です。保護法益は、公の競売や入札の公正です。公のとは、国や地方公共団体など、公的機関が行うもので、民間の入札は含みません。一項の手口は、業務妨害罪の回で見たのと、同じ言葉です。偽計は、人を欺いたり、相手の知らないことにつけこんだりすること、威力は、人の意思を制圧するに足りる勢力を示すことでした。見えない形か、見える形か、で分けたのでした。条文は、公正を害すべき行為、と書くので、公正を害するおそれのある行為で足ります。二項に入る前に、前回の復習です。95条2項の職務強要罪は、公務員が処分をしなくても成立しましたか?目的犯とは、何が要件の罪のことでしたか。

成立します。目的が要件で、その目的を遂げる必要はありません。談合罪も、同じ目的犯の形です。目的は、公正な価格を害する目的か、不正な利益を得る目的か、どちらかです。

談合の3語 図:談合の3語

三つの言葉を、確認します。談合とは、競争に加わる者が、たがいに通謀し、特定の者を落札者にするため、他の者は一定の価格以下、または以上に、入札しないことを協定することです。入札の前に、勝者を決めてしまう打ち合わせです。談合は、複数人の通謀が構成要件上必須の、必要的共犯でもあります。既遂の時期は、協定をしただけで足ります。協定に従って、実際に入札したことは、要りません。協定だけで足りるのは、守っているのが入札の公正で、勝者を前もって決めた時点で、公正な競争が失われる危険が生じるからです。判例は、談合罪は、協定だけで成立する、としています。主体は、競買の希望者に限られず、自分と特別な関係にある希望者に、影響を及ぼせる地位の者でもよく、希望者全員が談合に参加することも、必要ではありません。不正な利益は、談合による利益が、社会通念上、祝儀の程度を越えて、不当に高額な場合をいいます。次は、公正な価格です。二つの説があります。

公正な価格の2説 図:公正な価格の2説

競争価格説は判例の立場で、その入札で公正な自由競争により形成されたであろう落札価格です。適正利潤価格説は有力説で、最も有利な条件の者が、実費に適正な利潤を加えた額で落札すべかりし価格です。公正な価格を害する、とは、これを引き下げるか、引き上げることです。結論の差を、自作の設例Hで見ます。過当競争で、談合がなければ、原価割れの安値で落札されそうな入札があります。業者らが協定して、落札価格を、適正利潤を加えた額まで引き上げました。競争価格説なら害する、適正利潤価格説なら害しない。両説の定義から、結論が分かれます。適正利潤価格説は、原価割れの安値まで守る必要はない、と考えます。判例が競争価格説を採るのは、入札が、価格を自由な競争で決める仕組みだからです。何が適正な利潤かを、業者どうしの協定で決めてよいことにはなりません。問いです。談合罪の二つの目的のうち、公正な価格を害する具体的な危険まで要るのは、どちらでしょうか。判例を見ます。この判決は、当時の条文の番号で書かれていて、現在の96条の6第2項に当たります。

判例最高裁判所判決(昭和32年1月22日・刑集11巻1号50頁)

危険犯の二分(現96条の6第2項・当時は96条ノ3第2項) 「これを得る目的をもつて成立する罪も、右法条前段の場合と同じく入札の公正を害する危険あるがゆえに処罰の対象となるのであるが、ただこの場合の危険は抽象的に存すれば足り、前段の場合のように、公正な価格を害する具体的危険あることを必要としないと解するを相当とし」

判決の言う、これを得る目的とは、不正の利益を得る目的です。右法条前段とは、公正な価格を害する目的の談合です。つまり、公正な価格を害する目的の談合には、公正な価格を害する具体的な危険が要り、不正な利益を得る目的の談合は、危険が抽象的に存すれば足ります。どちらも、入札の公正を害する危険があるから罰する点は同じです。前回の言葉で言えば、前者は具体的危険犯、後者は抽象的危険犯です。具体的な危険が要るとは、その事件で、危険が本当に生じたかを確かめる、ということです。公正な価格を害する目的の談合は、価格を守る罪なので、設例Hなら、協定した額が、自由競争で付いたはずの価格から、実際に離れるおそれがあったかまで確かめます。不正な利益を得る目的の談合は、祝儀の程度を越える利益を、談合でやり取りすること自体が、入札の公正を害するので、そこまでは確かめません。答えは、公正な価格を害する目的のほうです。

業務妨害罪との棲み分け——公務のどこを誰が守るか

手口と対象の振り分け 図:手口と対象の振り分け

最後に、整理します。ここで、業務妨害罪の回を思い出してください。強制力を行使する権力的公務は、業務妨害罪の、業務に含まれるでしょうか?含まれない、でした。95条は、公務員への暴行や脅迫だけを罰します。業務妨害罪は、偽計や威力で業務を妨害しますが、権力的公務は、その業務に含まれません。強制執行は、まさに権力的公務です。すると判例の枠組みでは、強制執行に偽計や威力で立ち向かう行為は、95条にも、業務妨害罪にも、当たりません。そこに、96条の3や96条の4が、処罰規定を置きました。穴を埋める条文、という整理です。ただし、業務妨害罪の回で見た修正積極説のように、偽計なら権力的公務も業務妨害罪で守る、という立場に立てば、偽計の場面は、業務妨害罪とも重なります。公の競売や入札の公正を受け持つのは、96条の6の一項です。

どの条文で処理するか 図:どの条文で処理するか

事例を四つ、考えてください。軸は、手口と、対象です。一つ目。執行官が、債務者本人かを確かめに来た場面で、偽名を名乗って、占有者の確認を妨げました。二つ目。差押えの表示を残したまま、差押物を運び出して売りました。三つ目。市の入札で、参加業者三社が、A社に落札させる、と協定しました。四つ目。市の入札会場で、他の参加者を怒鳴りつけて、入札を辞退させました。条文で言えば順に、96条の3の一項、96条、96条の6の二項、同じく一項です。権力的公務と業務妨害罪の関係は、論文で論点になりえます。

今日の整理

今日の整理 図:今日の整理

まとめます。一つ目。96条は、損壊のほかに、その他の方法により、命令や処分を無効にした場合を罰します。搬出、売却、入居が、その例です。二つ目。表示に瑕疵があっても、重大かつ明白な、当然無効でなければ有効で、自力で無視してはいけません。無効だと思い込んだのは、法律の錯誤です。三つ目。96条の2から96条の5は、財産、現場、売却、報酬目的の四つの角度で、強制執行を守ります。四つ目。96条の6は、公の入札の公正を守り、談合は目的犯で、公正な価格は、判例は競争価格説です。五つ目。危険犯として、公正な価格を害する目的は具体的な危険、不正な利益を得る目的は抽象的な危険で足ります。一本の線にまとめます。95条は、公務員に向けられた暴行や脅迫を罰して、公務を守りました。96条以下は、公務が作った効果、つまり、表示が示す処分の効力、強制執行の働き、公の入札の公正を守ります。見るのは、壊したかではなく、効果を失わせたかです。

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#190単独ページ動画

逃走罪・加重逃走罪・逃走援助罪

第18章 国家的法益|国家の存立・国交・国家の作用 ⑦/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

逃げただけで、罪になるか

前回までと今日の地図 図:前回までと今日の地図

前回までで、公務の執行とその効果を守る罪を閉じました。今日は、国家が人の身柄を押さえておく働き、つまり拘禁そのものを守る罪、逃走の罪を見ます。守り方は二系統です。一つ目は、閉じ込められた本人が逃げる罪で、97条の単純逃走と、98条の加重逃走。二つ目は、外から逃がす罪で、99条の被拘禁者奪取、100条の逃走援助、101条の看守者等による逃走援助です。102条は、この全部の未遂を罰します。

設例F 図:設例F

設例Fです。場面は二つあります。一つ目。夜の路上で、窃盗の現行犯として警察官に逮捕され、手錠をかけられて、パトカーで署に連れていかれた男がいます。署の駐車場でドアが開いた瞬間、男は、手錠をかけたまま、走って逃げました。二つ目。刑務所で服役中の受刑者が、構外での作業の帰り際に、隙を見て、外へ走って逃げました。問いは、どちらも逃げただけなのに、条文はどこで線を引いているか、です。予告を一つだけ。97条の、誰が、を読めば分かります。設例Fは、97条の節で決着をつけます。

逃走の罪の全体像——保護法益と5罪の表

逃走の罪の5罪 図:逃走の罪の5罪

保護法益は、国家の拘禁作用です。国が法令に基づいて、人の身柄を押さえ続ける働きを守ります。表で見ます。二系統の分け方は、主体です。97条と98条は、拘禁された本人が逃げる罪です。99条から101条は、逃がす側が主体で、誰でもよく、101条だけ、看守者や護送者に限られます。本人と逃がす側で、なぜ扱いが違うのか。責任の回で見た、期待可能性で説明がつきます。その場面で、適法な行為を選ぶよう期待できるか、という考え方です。閉じ込められた者が逃げ出したいのは自然で、逃げずにとどまることを期待しにくい。だから、ただ逃げるだけの97条は、逃走の罪の土台、つまり98条がそこに手段を足して重くする、もとの形にとどまります。刑も三年以下と上限だけで、98条のような、三月以上という下限が書かれていません。手助けする側には、本人に認められる、その軽さの理由が当てはまりません。だから、100条1項は97条と同じ三年以下ですが、99条や100条2項のように、本人より重い罪も置かれています。

表の主体と客体の列が、全部、同じ言葉なんです。そこが大事です。現行は、5罪とも、法令により拘禁された者で揃っています。令和5年の改正の結果です。違うのは、行為と法定刑だけです。

⭐ 論文で書く規範:「法令により拘禁された者」 「①法令により=適法な根拠による身柄拘束。逮捕・勾留・受刑・少年院の収容・鑑定留置・勾引された証人などが入り、違法な拘束は含まない。」 「②拘禁された=現に身体を拘束されていること。収容前で出頭を求められているだけの者は含まない。一度収容されていれば、護送中や刑事施設の外での作業中も含む。」 (要点)

たとえば、何の根拠もなく、勝手に部屋に閉じ込められた人が逃げても、法令による拘束ではないので、逃走の罪は問題になりません。①に入るのは、逮捕や勾留のような、法律の手続に基づく拘束だけです。鑑定留置は、精神状態などを調べるために身柄を留め置くこと、勾引は、裁判所が証人などを強制的に連れてくることです。法定刑も、板の一行で押さえます。97条と、100条1項は、同じ三年以下。98条、99条、100条2項は、三月以上五年以下。一番重いのが、101条の一年以上十年以下です。

97条——単純逃走罪と、設例Fの回収

97条の読み方 図:97条の読み方

条文です。

条文刑法97条

刑法97条(逃走) 法令により拘禁された者が逃走したときは、三年以下の拘禁刑に処する。

三つに割って読みます。一つ目、法令により拘禁された者が。二つ目、逃走したとき。三つ目、三年以下の拘禁刑です。

設例Fの回収と改正 図:設例Fの回収と改正

設例Fを回収します。逮捕されて連行されている男も、服役中の受刑者も、どちらも、法令により拘禁された者です。ですから、どちらも逃げれば97条です。ここに、令和5年の改正があります。以前の97条は、裁判の執行により拘禁された、既決又は未決の者に限っていました。既決は刑が確定して服役している者、未決は判決の前に勾留されている者のことです。逮捕されただけの男は、裁判の執行で拘禁された者ではないので、逃げても97条に当たりませんでした。改正で、主体が、法令により拘禁された者に広がり、逮捕された者や、少年院に収容された者なども入りました。法定刑も、一年以下から、三年以下になりました。

今は、身柄を拘束された時点から、逃走罪の主体になります。理由の話に入る前に、期待可能性の回を思い出してください。期待可能性とは、何を期待できるか、という考え方でしたか?適法な行為を選ぶことを期待できない事情があるとき、でした。閉じ込められた者が逃げたいと思うのは、人として自然です。期待可能性が全く無ければ、責任そのものが否定されます。逃走の場面では、無くなるのではなく、低い。だから、罪にはなるけれど軽い、という形で表れます。冒頭で、97条に下限が無いと言ったのは、このためです。逃げるために手段を重ねると、非難が強まります。それが次の98条です。逃がす側には、この軽さの理由が当てはまらないので、本人より重い罪も置かれています。

逃走の既遂時期 図:逃走の既遂時期

既遂の時期です。逃走とは、看守者の実力的支配を脱することです。看守者の手の届かないところへ出た、ということです。設例Fを変えます。駐車場で走り出した男が、すぐに警察官に取り押さえられました。まだ実力的支配を脱していないので、既遂ではなく、未遂です。居室から出ただけで、なお刑事施設の構内にいる場合も、未遂にとどまると解されています。構内にいる間は、まだ看守者がすぐに取り押さえられる範囲にいるからです。もう一つ、弁別です。呼び止められただけで、まだ身柄を拘束されていない者が、走り去りました。これは、拘禁された者ではないので、97条は成立しません。出頭を命じられたのに来ない、収容前の受刑者も同じです。

98条——加重逃走罪:3つの手段と着手時期

98条の読み方 図:98条の読み方

条文です。

条文刑法98条

刑法98条(加重逃走) 前条に規定する者が拘禁場若しくは拘束のための器具を損壊し、暴行若しくは脅迫をし、又は二人以上通謀して、逃走したときは、三月以上五年以下の拘禁刑に処する。

三つに割って読みます。一つ目、前条に規定する者が。つまり97条と同じ範囲の者です。二つ目、逃走の手段です。損壊、暴行脅迫、二人以上の通謀の、どれかです。三つ目、三月以上五年以下の拘禁刑です。三月以上、という下限に惑わされないでください。97条は上限が三年で、98条は上限が五年です。上限で、重くなっています。設例Fに戻ります。手錠をかけたまま走って逃げたら、97条どまりです。では、手錠を壊して逃げたら、何条でしょうか。

3つの手段と着手時期 図:3つの手段と着手時期

手段を一つずつ見ます。一つ目は、損壊です。手錠を壊して逃げる設例Fの変形は、ここに入ります。拘禁場は、房や壁や扉など、拘束のための器具は、手錠や捕縄などです。ここでの損壊は、物理的に壊すことです。毀棄の罪の回では、損壊は、効用を害することでした。落書きでも、損壊になりました。98条の損壊は、それより狭く、物理的に壊すことに限られます。98条が重くするのは、閉じ込めるための設備や器具を、力で破って逃げることだからです。手錠を外しただけなら、物を壊してはいないので、98条の損壊には当たりません。二つ目は、暴行や脅迫です。相手は、看守者か、その協力者に限られます。設例Fの男が、ドアを開けた警察官を突き飛ばして逃げれば、これに当たります。拘禁された者どうしの殴り合いは含みません。95条の暴行は、公務員に向けられた有形力でした。系統は同じですが、98条は、相手が看守者側に限られます。三つ目は、二人以上の通謀です。逃走すること、その時期、方法などについての意思連絡です。同じ房の二人が、一緒に逃げようと、日時と抜け道を打ち合わせるのが、その例です。多数が同時に逃げると成功しやすいので、重く罰します。次に、着手時期です。損壊を手段とする場合は、損壊を始めたときに着手があります。判例を見ます。

判例最高裁判所判決(昭和54年12月25日・刑集33巻7号1105頁)

損壊による加重逃走罪の着手 「被告人ほか三名は、いずれも未決の囚人として松戸拘置支所第三舎第三一房に収容されていたところ、共謀のうえ、逃走の目的をもつて、右第三一房の一隅にある便所の外部中庭側が下見板張りで内側がモルタル塗りの木造の房壁(厚さ約一四・二センチメートル)に設置されている換気孔(縦横各約一三センチメートルで、パンチングメタルが張られている。)の周辺のモルタル部分(厚さ約一・二センチメートル)三か所を、ドライバー状に研いだ鉄製の蝶番の芯棒で、最大幅約五センチメートル、最長約一三センチメートルにわたつて削り取り損壊したが、右房壁の芯部に木の間柱があつたため、脱出可能な穴を開けることができず、逃走の目的を遂げなかつた」 …… 「刑法九八条のいわゆる加重逃走罪のうち拘禁場又は械具の損壊によるものについては、逃走の手段としての損壊が開始されたときには、逃走行為自体に着手した事実がなくとも、右加重逃走罪の実行の着手があるものと解するのが相当である。」

事案は、拘置支所の房の壁を削ったものの、壁の芯に木の柱があり、穴が開かず、逃げられなかったというものです。最高裁は、損壊が始まった時点で、逃走行為自体に着手していなくても、実行の着手がある、としました。判決は、その理由を詳しくは述べていません。条文の形から考えると、こう説明できます。98条は、損壊して逃走する、という形で、損壊そのものを条文の行為に書き込んでいます。だから、損壊を始めた時点で、条文の行為を始めたことになるのです。判決の中の、械具という言葉は、今の条文の、拘束のための器具のことです。暴行や脅迫を手段とする場合は、暴行や脅迫を始めたときに着手があると解されています。通謀を手段とする場合は、二人以上が現実に逃走に着手したときと解されています。通謀しただけでは、98条の未遂も成立しません。通謀を重くする根拠は、同時に逃げることだからです。通謀のあと、一人だけが逃げた場合は、逃げた者に97条、通謀の相手に100条が、成立しうるにとどまります。一緒に逃げようと持ちかけたこと自体が、相手の逃走を容易にする行為にあたりうるからです。

逃がす罪——99条・100条・101条

設例L 図:設例L

設例Lです。拘置所に勾留されている男が一人います。この男に、三人が関わります。一人目は、力ずくで男を連れ去り、自分のもとに置いた者。二人目は、面会に来た友人で、脱出に使う工具を差し入れた者。三人目は、看守で、男が逃げようとしているのを知りながら、見て見ぬふりをし、男は逃げました。三人は、それぞれ何条でしょうか。一人目から見ます。

条文刑法99条

刑法99条(被拘禁者奪取) 法令により拘禁された者を奪取した者は、三月以上五年以下の拘禁刑に処する。

奪取とは、拘禁されている者を、看守の手から引き離して、自分や第三者の支配の下に置くことです。単に解放して自由にするだけで、支配に移さないなら、99条ではなく、次の100条で問われるのが通説です。設例Lでいえば、男を連れ出して、その場で、好きに行けと放しただけなら、99条ではなく100条の側です。二人目です。

条文刑法100条

刑法100条(逃走援助) 法令により拘禁された者を逃走させる目的で、器具を提供し、その他逃走を容易にすべき行為をした者は、三年以下の拘禁刑に処する。 前項の目的で、暴行又は脅迫をした者は、三月以上五年以下の拘禁刑に処する。

逃走させる目的が要る、目的犯です。1項は、器具の提供など、逃走を容易にする行為。2項は、暴行や脅迫です。2項が1項より重く、99条と同じ重さなのは、98条と同じで、暴行や脅迫という乱暴な手段が加わるからです。99条の奪取も、拘禁を外から実力で奪い取るので、重く罰します。100条の意義は、逃走罪の教唆や幇助にあたる行為を、独立の罪として処罰することです。共犯の行為を、正犯として罰する、ということです。だから、既遂は行為の終了時で、被拘禁者が実際に逃げたかどうかは問いません。設例Lの友人は、男が逃げなくても、工具を差し入れた時点で既遂です。未遂が成立する余地は、ほとんどありません。なお、客体は、法令により拘禁された者です。すでに逃走を終えた者は、客体ではありません。三人目です。

条文刑法101条

刑法101条(看守者等による逃走援助) 法令により拘禁された者を看守し又は護送する者がその拘禁された者を逃走させたときは、一年以上十年以下の拘禁刑に処する。

主体は、看守し又は護送する者です。身分がなければ成立しない、真正身分犯です。身分犯と65条の回の言葉で言えば、身分のない者が看守者の逃走行為に加担したときは、65条1項で、共犯が成立します。65条1項は、身分があって初めて成り立つ罪に加わった者は、身分が無くても共犯になる、という規定でした。101条が、まさにその、身分があって初めて成り立つ罪だからです。101条は100条より重いので、100条の刑を、看守者という身分で重くしただけの罪、つまり不真正身分犯ではないか、と思うかもしれません。違います。100条は、誰にでもできる、容易にする行為を罰しています。101条が罰するのは、逃走させたことそのものです。逃走させられるのは、看守者や護送者だけです。身分で刑が重くなるだけではなく、身分があって初めて成立する罪だからです。

行為の、逃走させる、は、解放などの作為だけでなく、逃げようとしているのを知りながら放置する不作為も含みます。看守者には、逃がさないようにする職務上の義務があるからです。既遂は、被拘禁者が逃走したときです。100条と違って、逃走の結果が要ります。法定刑が一番重い理由は、看守者が、職務上、拘禁を守る立場にあるからです。

3罪の弁別 図:3罪の弁別

設例Lの答えです。連れ去って自分のもとに置いた者は、99条。工具を差し入れた友人は、100条1項。見て見ぬふりをした看守は、101条です。支配に移すなら99条、容易にする行為や暴行脅迫なら、逃走の有無を問わず100条、看守者や護送者が逃走させたなら101条、と分かれます。

102条の未遂と、本人が頼んだ場合

102条と本人の教唆 図:102条と本人の教唆

条文刑法102条

刑法102条(未遂罪) この章の罪の未遂は、罰する。

102条です。この章の罪の未遂は、罰する。97条から101条まで、全部の未遂を罰します。実際に問題になるのは、98条の着手時期、99条、101条です。100条は、行為の終了で既遂になるので、未遂の余地はほとんどありません。97条の未遂は、設例Fで、取り押さえられた男が、その例です。最後に、本人が頼んだ場合です。設例Lの男が、面会に来た友人に、工具を差し入れてくれと頼んだとします。頼んだ本人は、100条の教唆になるでしょうか。成立しない説は、こう考えます。逃げる本人と、逃がす友人は、向かい合う関係です。共犯の回で見た、対向犯の形です。逃げる本人が誰かに助けを求めるのは、逃走の場面で当然予想される関わり方です。それなのに、法律は本人を、97条でだけ罰することにしました。だから、総則の共犯規定を使って、100条の教唆として重ねて罰するのは、その選択に反する、と考えます。逃げる本人の期待可能性の低さも、根拠になります。成立する説は、自分が逃げることと、他人を唆して罪を犯させることは別だ、と考えます。逃げたい気持ちは自然でも、友人に100条という別の罪を犯させるところまで、大目に見る理由はない。だから、教唆の一般原則どおり、100条の教唆が成立する、とします。

説が分かれるので、論文で論点になりえます。

どの条文で処理するか

どの条文で処理するか 図:どの条文で処理するか

事例を五つ、考えてください。一つ目。逮捕されて連行中の被疑者が、手錠のまま走って逃げましたが、警察官が見失わずに追いかけ、取り押さえました。二つ目。受刑者が、房の壁を削り始めましたが、穴が開かないうちに、見回りの看守に見つかって止められました。三つ目。被拘禁者を連れ出し、自分の家に置いた友人がいます。四つ目。看守が、逃げようとするのを知りながら見て見ぬふりをし、被拘禁者が逃げました。五つ目。職務質問で呼び止められた者が、逮捕される前に走り去りました。軸は、手口と、拘禁されているかどうかです。

今日の整理

今日の整理 図:今日の整理

まとめます。一つ目。保護法益は、国家の拘禁作用です。二つ目。自分が逃げる罪は、期待可能性が低いので、ただ逃げるだけの97条が土台です。損壊、暴行脅迫、通謀と、手段が加わると、98条で重くなります。三つ目。逃がす罪は、手口で分けると三つです。逃走を容易にするだけの100条1項は、97条と同じ重さ。実力支配に移す奪取の99条と、暴行脅迫の100条2項は重く、看守者や護送者による101条が、最も重くなります。四つ目。5罪とも、主体と客体は、法令により拘禁された者です。令和5年の改正で、逮捕された者なども入りました。設例Fは、どちらも97条でした。ただ逃げるだけなら土台の罪、手段が乱暴なら98条、逃がす側は手口で重さが変わる。これが、今日の一本の線です。

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#191単独ページ動画

犯人蔵匿罪・犯人隠避罪

第18章 国家的法益|国家の存立・国交・国家の作用 ⑧/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

泊めた友人と、頼んだ男

設例 図:設例

前回の最後に予告したとおり、今日は犯人蔵匿罪を、犯人隠避罪とあわせて見ます。設例です。ある男が、人を殴ってけがをさせました。男は友人に、「警察が来るかもしれない。数日、泊めてくれ」と頼みます。友人は事情を聞いたうえで、男を自宅に泊めました。警察官は、男を探して捜査を続けています。今日の問いは、この二人の扱いです。問いは二つです。まず、泊めた友人は罪になるか。次に、頼んだ男本人は罪になるか。男が自分でホテルを転々として隠れるだけなら、罪になりません。それなのに、友人に頼むと、なぜ罪になるのか。答えは、103条の、誰を、何を、を読んだあとで、最後に出します。

今日の地図 図:今日の地図

地図です。前回は、拘禁、つまり身柄を押さえておく働きを守る罪でした。今日は、まだ捕まっていない犯人も含めて、犯人を見つけ、捕まえ、裁き、刑を執行するという、働き全体を守る罪です。問いは三つです。一つ目、誰をかばうと罪になるのか。二つ目、何をするとかばったことになるのか。三つ目、犯人本人が頼んだら、どうなるのか。三つとも、刑事司法の働きを害するか、という同じ物差しで決まります。

103条の全文と保護法益

103条の構造 図:103条の構造

条文です。

条文刑法103条

刑法103条(犯人蔵匿等) 罰金以上の刑に当たる罪を犯した者又は拘禁中に逃走した者を蔵匿し、又は隠避させた者は、三年以下の拘禁刑又は三十万円以下の罰金に処する。

保護法益は、国の刑事司法作用です。捜査、審判、刑の執行など、刑事手続の働き全体のことです。前回の逃走の罪は、拘禁されている者の身柄を押さえておく働きを守りました。103条は、まだ捕まっていない犯人や、逃げ回っている犯人も含めて、手続の全体を守ります。条文を分けて読みます。客体は、罰金以上の刑に当たる罪を犯した者と、拘禁中に逃走した者です。行為は、蔵匿するか、隠避させることです。主体は、条文の書き方から、犯人以外の者になります。蔵匿し又は隠避させる者、とあるだけで、犯人自身は書かれていません。この点は、最後の問いで効いてきます。故意が必要で、過失は罰しません。未遂を罰する規定は、103条にはありません。前回見た102条は、逃走の罪の章の未遂だけを罰する条文で、103条には及びません。

これらは条文どおりの要件なので、覚えるのではなく、読めば分かる部分です。解釈で決める必要があるのは、罪を犯した者とは誰か、隠避とは何か、の意味です。そこを、これから順に見ます。

客体——誰をかばうと罪か

罰金以上の刑に当たる罪 図:罰金以上の刑に当たる罪

まず、罰金以上の刑に当たる罪です。これは、法定刑に罰金以上の刑が含まれている罪、という意味です。実際に科される刑ではありません。たとえば、設例の傷害罪は、15年以下の拘禁刑又は50万円以下の罰金ですから、罰金が入っています。客体になります。侮辱罪も入ります。現行の侮辱罪は、1年以下の拘禁刑若しくは30万円以下の罰金又は拘留若しくは科料で、罰金を含むからです。刑法典の罪は、全部が罰金以上の刑に当たる罪です。外れるのは、拘留や科料だけの罪で、特別法の例としては、軽犯罪法の罪があります。次に、拘禁中に逃走した者です。法令により拘禁されている間に逃走した者で、前回見た、97条の単純逃走罪の主体が、逃げたあとの姿です。他人に奪取されて拘禁を脱した者も含まれると解されています。一方、借金取りに追われているだけの者は、法令により拘禁されたわけではないので、客体になりません。山場に入ります。罪を犯した者は、真犯人に限るのでしょうか。たとえば、殴った男ではなく、別の無実の人が、傷害の嫌疑、つまり疑いを受けて、警察に捜査されているとします。その人が無実だと知りながら、かくまった人は、103条の、罪を犯した者をかくまったことになるでしょうか。判例は、どう考えるでしょうか?

罪を犯した者の範囲をめぐって、説は三つに分かれます。三説を表で見ます。

罪を犯した者の3説 図:罪を犯した者の3説

一つ目は、真犯人に限る説です。理由は二つ。条文に、罪を犯した者、とあるのだから、文言どおりに真犯人に限るべきだ。もう一つ、真犯人でない人を助けるのは人情で、思いとどまるよう期待しにくい。批判は、被疑者や被告人を客体から外すと、立法の趣旨が損なわれること。それに、真犯人でないと確信すれば、故意が常に消えてしまうことです。二つ目は、判例の立場で、真犯人のほか、犯罪の嫌疑を受けて、捜査の対象になっている者も含める説です。理由は、保護法益から出てきます。捜査機関は、誰が真犯人かを、まだ知りません。疑いのある者を追っています。その者をかくまえば、真犯人をかくまった場合と同じように、捜査は妨げられます。つまり、刑事司法の働きが害されます。三つ目は、真犯人のほか、客観的に嫌疑が濃厚な者に限る説です。理由は、明らかに真犯人でない者まで含めると、刑事司法の働きを、過度に守ることになる、というものです。批判は、嫌疑が濃厚かどうかの基準が、はっきりしないことです。次の判決を見てください。

判例最高裁判所判決(昭和24年8月9日・刑集3巻9号1440頁)

かくまった事件と、罪を犯した者 「本件は、恐喝の被疑者として逮捕状を発せられ逃走中のAを逮捕からまぬかれさせるため、B、C、Dの三名が順次にかくまつた事件であるが」 「……なるほどその趣旨の学説もないではないが、刑法第一〇三条は司法に関する国権の作用を妨害する者を処罰しようとするのであるから、「罪ヲ犯シタル者」は犯罪の嫌疑によつて捜査中の者をも含むと解釈しなくては、立法の目的を達し得ない。」

事案は、恐喝の被疑者として逮捕状が出て、逃げている男を、三人が順番にかくまったものです。上告した側は、罪を犯した事実が確定するまでは、犯人蔵匿は成立しない、と主張しました。最高裁は、罪を犯した者には、犯罪の嫌疑によって捜査中の者も含むと解さなければ、立法の目的を達し得ない、として退けました。決め手は、保護法益です。有罪が確定するまで待つなら、その間は、いくらでもかくまえます。捜査も裁判も止まります。注意点が一つあります。この事案は、かくまわれた者が無実かどうかが争われた事件ではありません。判例が正面から答えたのは、有罪が確定するまで待つのか、という問いです。無実の者への当てはめは、この判旨の延長で、捜査中の者を含む説、と整理されます。

結論が分かれる場面 図:結論が分かれる場面

場面ごとに、結論の違いを見ます。無実だが嫌疑が濃厚で捜査中の者を、無実と知りつつかくまった場合は、真犯人に限る説だけが不成立で、判例の立場と、嫌疑が濃厚な者に限る説は成立です。嫌疑が薄いのに捜査中の者なら、判例の立場だけが成立で、嫌疑が濃厚な者に限る説は不成立です。境界のすぐ外も確認します。誰からも疑われていない無実の人を、ただ泊めただけなら、どの説でも成立しません。捜査の対象になっていないので、刑事司法の働きは害されないからです。判例の線は、捜査の対象になっているかどうかです。真犯人で、しかも捜査中なので、三つの説のどれでも客体です。なお、捜査が始まる前でも、真犯人であれば客体になる、と解されています。

行為——蔵匿と隠避

蔵匿と隠避 図:蔵匿と隠避

次は、何をするとかばったことになるか、です。蔵匿は、場所を提供して、かくまうことです。設例の、友人が男を自宅に泊めた行為は、蔵匿です。隠避は、蔵匿以外の方法で、官憲、つまり警察などの捜査機関による発見や、身柄の拘束を免れさせる、一切の行為です。定義は、判例が示してきたものです。隠避の例は、広いです。逃亡先を示して、逃げるよう勧める。逃亡資金を渡す。捜査の動きを教える。条文は、蔵匿と隠避の二つの行為を並べていて、どちらか一方に当たれば、103条の罪が成立します。次の判決が、その点に答えています。

判例最高裁判所決定(平成元年5月1日・刑集43巻5号405頁)

逮捕勾留後の身代わり出頭 「刑法一〇三条は、捜査、審判及び刑の執行等広義における刑事司法の作用を妨害する者を処罰しようとする趣旨の規定であつて……、同条にいう「罪ヲ犯シタル者」には、犯人として逮捕勾留されている者も含まれ、かかる者をして現になされている身柄の拘束を免れさせるような性質の行為も同条にいう「隠避」に当たると解すべきである。」 「そうすると、犯人が殺人未遂事件で逮捕勾留された後、被告人が他の者を教唆して右事件の身代り犯人として警察署に出頭させ、自己が犯人である旨の虚偽の陳述をさせた行為を犯人隠避教唆罪に当たるとした原判断は、正当である。」

事案は、犯人が殺人未遂で逮捕勾留されたあとに、被告人が他の者を教唆して、身代わり犯人として警察署に出頭させ、自分が犯人だ、と嘘を言わせたものです。最高裁は、犯人として逮捕勾留されている者も、罪を犯した者に含まれるとしました。そして、現になされている身柄の拘束を免れさせる性質の行為も、隠避に当たる、としました。決め手は、条文の保護する働きにあります。刑事司法の働きは、捕まる前の発見だけでなく、捕まったあとの身柄の確保にもあります。身代わりが出て、真犯人が釈放される方向に動けば、その働きは害されます。まだ捕まっていない者を見つけにくくする行為だけでなく、捕まっている者の身柄の拘束を免れさせる性質の行為も、隠避です。もう一つ見ます。参考人が、捜査機関に嘘の供述をした場合です。参考人とは、犯人とは別に、事情を聴かれる人のことです。

判例最高裁判所決定(平成29年3月27日・刑集71巻3号183頁)

口裏合わせと参考人の虚偽供述(事実) 「被告人は,自ら率いる不良集団の構成員であったAから同人が本件事故を起こしたことを聞き,A車の破損状況から捜査機関が前記道路交通法違反及び自動車運転過失致死の各罪の犯人がAであることを突き止めるものと考え,Aの逮捕に先立ち,Aとの間で,A車は盗まれたことにする旨の話合いをした。」 「Aは,前記(1)に係る各被疑事実により,平成24年7月8日通常逮捕され,引き続き勾留された。被告人は,その参考人として取調べを受けるに当たり,……警察官に対し,「Aがゼファーという単車に実際に乗っているのを見たことはない。Aはゼファーという単車を盗まれたと言っていた。単車の事故があったことは知らないし,誰が起こした事故なのか知らない。」などのうそを言い,……前記各罪の犯人はAではなく別人であるとする虚偽の説明をした。」

事案を整理します。被告人は、仲間のAが事故を起こしたと聞き、捜査機関はAを犯人と突き止めるだろうと考えて、Aの逮捕に先立ち、Aとの間で、事故を起こした車は盗まれたことにする、と話し合いました。口裏合わせです。その後、Aが逮捕・勾留されたあと、被告人は参考人として取調べを受け、口裏合わせに基づいて、嘘の供述をしました。

判例最高裁判所決定(平成29年3月27日・刑集71巻3号183頁)

口裏合わせと参考人の虚偽供述(判断) 「……前記の事実関係によれば,被告人は,前記道路交通法違反及び自動車運転過失致死の各罪の犯人がAであると知りながら,同人との間で,A車が盗まれたことにするという,Aを前記各罪の犯人として身柄の拘束を継続することに疑念を生じさせる内容の口裏合わせをした上,参考人として警察官に対して前記口裏合わせに基づいた虚偽の供述をしたものである。このような被告人の行為は,刑法103条にいう「罪を犯した者」をして現にされている身柄の拘束を免れさせるような性質の行為と認められるのであって,同条にいう「隠避させた」に当たると解するのが相当である」

最高裁は、Aの身柄の拘束を継続することに疑念を生じさせる内容の口裏合わせをした上で、参考人として、口裏合わせに基づく虚偽の供述をした行為を、現にされている身柄の拘束を免れさせる性質の行為として、隠避に当たる、としました。決め手は、身代わり出頭と同じです。嘘の供述で、Aを犯人として拘束し続けてよいかが疑わしくなれば、釈放の方向に働きます。捕まえた者の身柄を確保する働きが、害されるからです。

隠避の歯止め 図:隠避の歯止め

隠避を広げすぎない歯止めを見ます。法廷意見、つまり裁判所としての判断が、隠避を認めたのは、口裏合わせをしたうえで、虚偽の供述をした事案です。補足意見、つまり結論に賛成する裁判官が、理由を付け加えた意見は、次の整理をしています。虚偽の供述が隠避に当たるというには、客観的に刑事司法作用を誤らせる危険性があること、つまり、身柄の拘束の継続に疑義を生じさせる性質のものであることを要する。そのうえで、身柄の拘束の可否の判断に、直接または密接に関わる内容の供述でなければならない。そして、口裏合わせの事実は、重要な考慮要素になる、と述べています。ここは、言い過ぎないことが大切です。この決定は、口裏合わせをしたうえでの虚偽の供述について、隠避を認めました。口裏合わせのない、単なる虚偽の供述が隠避に当たるかどうかは、この決定では示されていません。補足意見は一人の裁判官の意見で、法廷意見そのものではありません。

刑事司法の働きを害するか、という物差しが、行為の場面でも使えます。なお、隠避は、犯人本人以外の者の行為です。本人が逃げるだけでは、隠避ではありません。これは、最後の問いで、もう一度出てきます。

故意——何を知っていれば足りるか

故意と罰金以上の認識 図:故意と罰金以上の認識

故意の対象は二つです。一つ目は、客体であること。つまり、罰金以上の刑に当たる罪を犯した者、または拘禁中に逃走した者だ、という認識です。二つ目は、その者を蔵匿や隠避させる、という行為の認識です。たとえば、友人が借金取りに追われている、と聞いて泊めた人には、一つ目の認識がありません。故意がありません。問題は、罰金以上の認識の程度です。学説には、罰金以上の刑に当たる罪だと、正確に認識している必要がある、という考え方があります。批判は、素人の判断を超える、というものです。普通の人は、傷害罪の法定刑が罰金以上かどうかを、いちいち知りません。判例は、罪名の認識、または漠然と、重大な犯罪を犯した者だという認識で足りる、と解されています。

⭐ 論文で書く規範:故意の認識の程度 「罰金以上の刑に当たることの、正確な認識は要らない。罪名の認識、または漠然と重大犯罪を犯した者という認識があれば足りる(と解されている)。」 (要点)

具体例を一つ。原審の判断を是認した最高裁の決定に、かくまう相手が密入国者だと認識して蔵匿した以上、その刑が罰金以上であることの認識がなくても、犯人蔵匿罪が成立する、としたものがあります。密入国は、正規の手続を経ずに入国することです。密入国者だと知って泊めた人は、その罪の刑が罰金以上かどうかを知らなくても、故意があります。無実だと確信して、かくまった場合も確かめます。罪を犯した者に、捜査中の者を含む説に立てば、その人が捜査の対象になっていることを認識している限り、故意は認められます。真犯人に限る説では、真犯人でないと確信すれば、故意が常に消えてしまう。三説の理由の違いが、ここでも効いてきます。

犯人自身による教唆

犯人本人と他人 図:犯人本人と他人

最後の問いです。設例に戻ります。男が自分でホテルを転々とするだけなら、罪になりません。なぜでしょうか。理由は二つあります。一つ目は、条文の構造です。蔵匿し又は隠避させた者、とあるのは、犯人とは別の人です。自分で逃げ隠れることを、蔵匿とも、隠避させたとも言えません。もう一つは、期待可能性です。期待可能性の回を思い出してください。期待可能性とは、どんな事情のときに、罪に問えなくなる、または軽くなる、という考え方でしたか?適法な行為を選ぶことを期待できない事情があるとき、でした。自分が捕まりたくないのは、人情です。前回の、拘禁された本人が逃げる場面では、期待可能性は、無くなるのではなく、低い。だから、罪にはなるけれど軽い、でした。今回は、表れ方が違います。犯人が自分で身を隠すだけの行為には、法は、罰する条文を置いていません。捕まりたくない者に、逃げ隠れせず、おとなしく捕まれ、とは、この種の場面では、およそ期待できないからです。一つ目の理由で見た、103条の主体に犯人が入っていないことは、この考え方の表れです。出発点の人情は、前回と同じです。結論が違います。前回は、罪になるが軽い。今回は、そもそも罪にならない。

成立しない説 図:成立しない説

では、他人に頼んだら、どうなるのでしょうか。犯人が第三者に、かくまってくれと頼み、第三者が蔵匿しました。第三者は、103条の正犯です。正犯は、共犯の回で見た、自ら実行する者のことです。頼んだ犯人は、103条の教唆犯になるでしょうか。教唆は、他人を唆して、犯罪を実行する決意を生じさせることでした。二つの説があります。前回の、逃走の罪の本人教唆と、同じ形です。成立しない説から見ます。理由は二つです。一つ目は、犯人は、自分で隠れる正犯としてでさえ、期待可能性がありません。それより軽い関与の形である、教唆では、なおさら期待可能性がない。もう一つは、対向犯の考え方です。対向犯は、共犯の最初の回に出てきた、2人以上の、互いに向き合う行為を要件にする型です。103条は、犯人と、かくまう者の両方が関わる犯罪です。前回の、逃げる本人と逃がす側が、向かい合う関係だったのと同じです。犯人が誰かに、かくまってくれと頼むのは、この罪が成立する場面で、当然予想される行為です。それなのに、法は、かくまう者だけを処罰することにしました。だから、頼んだ犯人を、総則の共犯規定で処罰するのは、法が意図しないところだ、と考えます。

2説の比較 図:2説の比較

成立する説、つまり判例の立場は、自分が逃げることと、他人を唆して罪を犯させることは別だ、と考えます。理由は、二つ挙げられます。一つ目は、大審院の判例以来の、防禦権の濫用です。大審院は、戦前の最上級の裁判所です。防禦権は、疑いをかけられた者が、自分が発見され、捕まるのを免れようとして取る、自己防衛の自由です。自分で逃げ隠れる範囲は、大目に見られる。設例の男が、自分でホテルを転々とするのは、この範囲の内側です。しかし、友人に、泊めてくれと頼んで、友人に103条の罪を犯させるのは、範囲の外側です。自分を守るために、罪を犯す人を、新しく一人増やしているからです。防禦の範囲を超える、というのは、このことです。二つ目は、学説で言われる、期待可能性です。自分が逃げ隠れするのをやめろ、とは期待できません。しかし、他人に頼むのをやめろ、とは期待できます。頼まずに、一人で隠れる道が残っているからです。だから、他人を巻き込む場面まで、期待可能性が一律に欠ける、とは言えない、というものです。この説には、批判があります。教唆の処罰根拠を、他人を罪に陥れたことに求めるなら、それは、共犯の処罰根拠の回で見た、責任共犯論です。責任共犯論は、犯罪者を生み出したことを理由に、教唆者を処罰する考え方です。同じ回で見た、共犯も、正犯の実行行為を通じて法益侵害という結果を引き起こしたから罰せられる、という因果的共犯論、つまり惹起説とは食い違う、という批判です。

では、最高裁の結論を、判例で確かめます。

判例最高裁判所決定(令和3年6月9日・集刑329号85頁)

犯人自身による蔵匿・隠避の教唆 「なお,犯人が他人を教唆して自己を蔵匿させ又は隠避させたときは,刑法103条の罪の教唆犯が成立すると解するのが相当である(最高裁昭和35年(あ)第98号同年7月18日第二小法廷決定・刑集14巻9号1189頁参照)。」

決定は、強盗致傷と、犯人隠避教唆、犯人蔵匿教唆の事件の上告を棄却したものです。そのうえで、犯人が他人を教唆して自己を蔵匿させ、又は隠避させたときは、103条の罪の教唆犯が成立する、と述べました。判例は、以前の決定から、一貫して成立を認めています。最高裁は、この決定では理由を述べていません。理由として挙げられてきたのは、大審院の判例以来の、防禦権の濫用と、第三者に103条の罪が成立する以上、その教唆も成立する、という考え方です。

反対意見 図:反対意見

この決定には、裁判官1名の反対意見がついています。要点は、こうです。正犯としては処罰できないが、教唆犯としては処罰できる、と認めるのは、教唆犯は犯罪者を生み出したことを理由に処罰される、という責任共犯論の考え方が背後にある、というものです。判例の結論は法廷意見ですが、否定説の理由が、判例の中にも出てきます。

設例の回収 図:設例の回収

冒頭の問いに答えます。泊めた友人は、犯人蔵匿罪です。客体は、傷害という罰金以上の刑に当たる罪を犯した者で、行為は蔵匿、故意もあります。頼んだ男は、判例の立場では、犯人蔵匿教唆罪です。教唆犯には、正犯の刑が科されます。物差しに戻ります。友人が男を泊めれば、捜査は妨げられ、刑事司法の働きは害されます。ここまでは、誰を、何を、と同じ物差しです。本人の場面だけは、そこに、期待可能性という物差しが、もう一本加わります。自分でホテルを転々とするだけなら、罪になりません。しかし、友人に頼んで泊めてもらえば、教唆犯になります。自分が逃げることと、他人を唆して罪を犯させることは別です。他人に罪を犯させるところまでは、防禦の範囲に入らない、というのが、大審院以来の判例が挙げてきた理由づけです。

どの説を選んでも構いません。大切なのは、自分で隠れることが罪にならない理由と、つなげて書くことです。理由は、捕まりたくない者に、おとなしく捕まれとは期待できない、でした。この理由が、他人に頼む場面にも及ぶ、と考えるなら、成立しない説です。他人に罪を犯させないことなら期待できるので、及ばない、と考えるなら、成立する説です。ここは、論文で論点になりえます。

弁別とまとめ

弁別ミニ事例 図:弁別ミニ事例

事例を五つ、考えてください。一つ目。無実の友人が、傷害の嫌疑で捜査の対象になっていると知りながら、その人をかくまった人は、どうなるでしょうか。判例は、捜査中の者も含むので、犯人蔵匿罪が成立します。二つ目。犯人に、逃亡資金を渡した人です。三つ目。犯人を、自宅に泊めた人です。四つ目。犯人本人が、自分でホテルを転々としました。五つ目。犯人本人が、友人に、身代わりで出頭してくれと頼み、友人が出頭しました。軸は、誰を、何を、誰が、です。

今日の整理 図:今日の整理

まとめます。

⭐ 論文で書く規範:今日の4点 「①保護法益=国の刑事司法作用(捜査・審判・刑の執行)。」 「②罪を犯した者=真犯人のほか、捜査の対象になっている者も含む(判例)。」 「③蔵匿=場所の提供。隠避=それ以外で、発見・身柄の拘束を免れさせる行為(身代わり出頭、口裏合わせに基づく虚偽供述を含む)。」 「④犯人本人は不可罰。しかし他人に頼めば教唆犯が成立する(判例)。」 (要点)

冒頭の設例は、泊めた友人が犯人蔵匿罪、頼んだ男が犯人蔵匿教唆罪でした。誰を、何を、本人が頼んだら、の三つとも、刑事司法の働きを害するか、という物差しで決まります。本人の場面だけは、期待可能性という物差しが、もう一本加わりました。

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#192単独ページ動画

証拠隠滅等罪

第18章 国家的法益|国家の存立・国交・国家の作用 ⑨/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

壊された録画媒体

設例 図:設例

前回の最後に予告したとおり、今日は証拠隠滅罪を見ます。設例です。侵入役の男と見張り役の男が、二人で店に空き巣に入りました。事件のあと、侵入役の男は、二人の姿が映っていた店の防犯カメラの録画媒体を持ち出して、壊しました。問いは二つあります。一つ目は、侵入役の男に、証拠隠滅の罪が成立するか。二つ目は、壊すのを知人に頼み、知人が壊した場合に、頼んだ侵入役の男は罪になるか、です。自分の証拠に手を加えるのは罪にならない、と言われます。それなのに、なぜ結論が分かれうるのか。答えは、条文の、他人の、という語を読んだあとで出します。

今日の地図 図:今日の地図

地図です。前回の103条は、犯人という人をかばう罪でした。今日の104条は、証拠に手を加える罪です。どちらも、守っているのは、国の刑事司法作用、つまり捜査や裁判の働きです。問いは三つです。一つ目は、誰の証拠か。二つ目は、何をしたら手を加えたことになるか。三つ目は、犯人本人が他人にやらせたらどうなるか。一つ目と三つ目は、自分を守るための行為を、どこまで大目に見るか、という同じ物差しで決まります。二つ目は物差しが別で、証拠そのものに手を加えたかどうか、で決まります。

104条の全文と保護法益

104条の構造 図:104条の構造

条文です。

条文刑法104条

刑法104条(証拠隠滅等) 他人の刑事事件に関する証拠を隠滅し、偽造し、若しくは変造し、又は偽造若しくは変造の証拠を使用した者は、三年以下の拘禁刑又は三十万円以下の罰金に処する。

保護法益は、前回の103条と同じ、国の刑事司法作用です。捜査、審判、刑の執行といった、刑事手続の働き全体のことです。法定刑は、三年以下の拘禁刑又は三十万円以下の罰金で、103条と同じです。二つの条文は、守るものも刑も同じです。違うのは、客体が人か、証拠か、と、それに応じた行為です。条文は、三つの語と、四つの行為でできています。三つの語は、他人の、刑事事件に関する、証拠です。四つの行為は、隠滅、偽造、変造、そして偽造又は変造の証拠の使用です。この順に読みます。設例の問いを解く鍵は、一つ目の、他人の、にあります。

客体——誰の証拠か

自分の事件と他人の事件 図:自分の事件と他人の事件

一語目は、他人の、です。自分の刑事事件の証拠を壊したり隠したりしても、104条は成立しません。条文が、他人の、と限っているからです。限った理由は、期待可能性です。期待可能性の回で見たとおり、期待可能性とは、行為者本人に、その場の具体的な事情を前提として、違法な行為を思いとどまり、適法な行為を選ぶよう期待できること、でした。自分が罰せられるかもしれないときに、自分に不利な証拠を、そのまま残しておけとは、およそ期待できません。前回の103条で、犯人が自分で逃げ隠れしても罪にならなかったのと、同じ型です。

山場は、自分と共犯者の両方の事件の証拠になるものです。これを、共通の証拠と呼びます。設例の録画媒体は、これです。共通の証拠を壊した場合は、説が三つに分かれます。

共通の証拠の3説 図:共通の証拠の3説

一つ目は、肯定説です。成立する、とします。共通の証拠は、見張り役の男の事件の証拠でもあります。他人の刑事事件の証拠であることに、変わりはないからです。批判は、共通の証拠は、自分の事件の証拠でもある、というものです。自分のためにも壊した場合まで成立させると、自分の証拠を壊しても罪にならない、という出発点と合わなくなります。二つ目は、否定説です。成立しない、とします。自分の事件の証拠でもある以上、壊すな、とは期待できない、という考えです。批判は、もっぱら共犯者のためにした場合まで、なぜ不成立になるのか、理由が明らかでないことです。三つ目は、限定的肯定説で、多数説です。もっぱら共犯者の利益のためにした場合には成立する、とします。理由は、他人の、と限った理由から出てきます。限った理由は、期待可能性の欠如でした。もっぱら共犯者のために壊すのなら、自分を守るための行為ではありません。それなら、期待可能性に欠けるとはいえず、成立させてよい、と考えます。

境界のペアで見ます。設例のように、録画媒体に侵入役の男自身も映っていて、自分のためにも壊した場合は、もっぱら共犯者のためではないので、限定的肯定説では成立しません。一方、侵入役の男の事件には関係がなく、見張り役の男の事件の証拠にしかならないものを、見張り役の男をかばうためだけに壊した場合は、成立します。分かれ目は、自分を守る意味があったかどうかです。設例の一つ目の答えです。侵入役の男は、自分のためにも壊しています。肯定説なら成立、否定説と限定的肯定説なら不成立です。多数説で考えれば、不成立になります。

刑事事件と証拠の範囲 図:刑事事件と証拠の範囲

二語目は、刑事事件に関する、です。ここは、普通の感覚と違うので、注意してください。民事裁判のための証拠や、行政事件の証拠を隠したり壊したりしても、104条にはなりません。たとえば、貸したお金をめぐる民事裁判のために、契約書を隠した場合です。不正な行為ですが、条文は刑事事件と限っています。守っているのが、刑事司法の働きだからです。逆に、刑事事件は、裁判が始まっていなくても構いません。捜査中の事件も含まれます。大審院の判決が、現に裁判所に係属している、つまり裁判が進んでいる事件だけでなく、将来、刑事訴訟事件となりうるものも含む、と述べています。趣旨から見ても、裁判が始まる前に証拠を消されると、捜査や裁判の働きは、同じように邪魔されると考えられます。三語目は、証拠です。証拠は、物だけではありません。人も含まれます。捜査の段階の参考人、つまり前回見た、犯人とは別に事情を聴かれる人も、証拠です。この点を述べた判断を見ます。

判例最高裁判所決定(昭和36年8月17日・刑集15巻7号1293頁)

参考人も証拠に当たる 「刑法一〇四条の証憑湮滅罪は犯罪者に対する司法権の発動を阻害する行為を禁止しようとする法意に出ているものであるから、捜査段階における参考人に過ぎない者も右法条にいわゆる他人の刑事被告事件に関する証憑たるに妨げなく、これを隠匿すれば証憑湮滅が成立するものと解すべきであり、」

決定は、犯罪者に対する司法権の発動を阻害する行為を禁止する趣旨だから、と理由を述べています。捜査の段階の、まだ参考人にすぎない者も、他人の事件の証拠になりえます。その人を隠匿すれば、証拠隠滅が成立します。刑事訴訟法でも使う区別を、一つ押さえてください。物や人という存在そのものが証拠で、そこから得られる中身とは、分けて考えます。この区別が、あとの山場で効いてきます。

行為——隠滅・偽造・変造・使用

4つの行為 図:4つの行為

次は、何をしたら手を加えたことになるか、です。行為は四つです。一般に、次のように言われます。隠滅は、証拠の顕出を妨げ、又は証拠としての効力を失わせ、若しくは弱める、一切の行為です。顕出とは、証拠を裁判や捜査の場に出すことです。録画媒体を壊すのも、書類を隠すのも、参考人を隠匿するのも、隠滅です。壊す、隠すだけに限りません。証拠の効力を失わせたり弱めたりするなら、広く当たります。偽造は、存在しない証拠を、新たに作り出すことです。実際には存在しない領収書を作るのが、典型です。変造は、すでにある証拠に変更を加えて、証明力を変えることです。既存の契約書の日付を書き換えるのが、例です。使用は、偽造又は変造された証拠だと知りながら、捜査機関や裁判所に提出するなどして、証拠として使える状態に置くことです。たとえば、偽造した領収書を、捜査機関に出す行為です。

使用は、条文に書かれた独立の行為です。偽造した人と、使用した人が別でも、使用した人には104条が成立します。四つのうち、どれか一つに当たれば足ります。もう一点あります。この罪は、犯人の利益になる行為に限りません。他人を陥れる目的で、無実の人に不利な偽の証拠を作った場合でも、成立すると解されています。守っているのは、刑事司法の働きで、犯人の利益ではないからです。

参考人の嘘の供述は偽造か

嘘の供述は偽造か 図:嘘の供述は偽造か

山場に入ります。参考人が、捜査機関に嘘の話をした場合です。前回は、口裏合わせのうえの嘘の供述が、隠避に当たるかを見ました。今日の問いは、それが証拠の偽造に当たるか、です。別の条文の、別の問いです。原則は、当たりません。理由は二つです。一つ目は、虚偽の供述は、偽証罪に限って処罰するのが、刑法の建前だからです。偽証罪は、宣誓した証人の嘘を罰する、別の条文です。宣誓していない参考人の嘘まで、104条の偽造として罰すると、偽証罪に限った意味がなくなります。二つ目は、104条の証拠は、物や人といった、物理的な存在としての証拠で、そこから得られる供述の内容そのものは含まないからです。参考人という人は証拠ですが、その人が話した嘘の中身は、証拠そのものではありません。嘘を話しても、存在しない証拠が新たに作り出されたわけではないのです。

⭐ 論文で書く規範:証拠の偽造と証人の偽証 「刑法一〇四条の証憑の偽造というのは証拠自体の偽造を指称し証人の偽証を包含しないと解すべきであるから、」 (最高裁判所決定(昭和28年10月19日・刑集7巻10号1945頁))

最高裁も、証拠の偽造は、証拠自体の偽造を指し、証人の偽証を含まない、と述べています。偽証を教唆した事件で、証拠自体の偽造と、証人の偽証を区別した判断です。

書面になった場合の2立場 図:書面になった場合の2立場

立場は二つに分かれます。当たらないとする立場は、原則どおりです。書面になっても、中身は、本人の嘘の供述そのものだから、偽造ではない、と考えます。当たるとする立場は、文書化されたら当たる、とします。書面は物理的な証拠として存在し、証拠としての価値もあるからです。ここで問いです。供述が書面になっただけで、偽造になるでしょうか?判例を見ます。答えは、書面になっただけでは、ならない、です。では何が加わると、偽造になるのか。事実から読みます。

判例最高裁判所決定(平成28年3月31日・刑集70巻3号58頁)

参考人の虚偽供述と証拠偽造(事実) 「……,A,B警部補及びC巡査部長と共謀の上,C巡査部長において,「Aが,……見た。……」などの虚偽の内容が記載されたAを供述者とする供述調書1通を作成し,もって,他人の刑事事件に関する証拠を偽造した,という事案である。」 「(2) Aは,被告人と相談しながら,Dが覚せい剤等を所持している状況を目撃したという虚構の話を作り上げ,二人で警察署へ赴き,B警部補及びC巡査部長に対し,Dの覚せい剤所持事件の参考人として虚偽の目撃供述をした上,被告人らの説明,態度等からその供述が虚偽であることを認識するに至ったB警部補及びC巡査部長から,覚せい剤所持の目撃時期が古いと令状請求をすることができないと示唆され,「適当に2か月程前に見たことで書いとったらええやん」などと言われると,これに応じて2か月前にもDに会ったなどと話を合わせ,具体的な覚せい剤所持の目撃時期,場所につき被告人の作り話に従って虚偽の供述を続けた。C巡査部長は,Aらと相談しながら具体化させるなどした虚偽の供述を,それと知りながら,Aを供述者とする供述調書の形にした。」

事案を整理します。被告人は、参考人と相談しながら、第三者が覚せい剤を持っているのを目撃した、という作り話を作り上げ、二人で警察署へ行きました。警部補と巡査部長は、その話が嘘だと分かりました。そのうえで、目撃した時期が古いと令状を請求できない、と示唆し、適当に二か月ほど前に見たことで書いておけばいい、と言いました。参考人はこれに応じて、話を合わせました。巡査部長は、そうして具体化した嘘の供述を、嘘と知りながら、参考人を供述者とする供述調書の形にしました。

判例最高裁判所決定(平成28年3月31日・刑集70巻3号58頁)

参考人の虚偽供述と証拠偽造(一般論) 「他人の刑事事件に関し,被疑者以外の者が捜査機関から参考人として取調べ(刑訴法223条1項)を受けた際,虚偽の供述をしたとしても,刑法104条の証拠を偽造した罪に当たるものではないと解されるところ(……),その虚偽の供述内容が供述調書に録取される(刑訴法223条2項,198条3項ないし5項)などして,書面を含む記録媒体上に記録された場合であっても,そのことだけをもって,同罪に当たるということはできない。」

最高裁は、まず一般論として、従来の判例を引いて、参考人として嘘の供述をしただけでは偽造に当たらないと確認しました。そのうえで、その供述が調書に録取されて書面になっても、そのことだけでは当たらない、としました。書面になったら当たる、という立場を、そのまま採ったものではありません。

判例最高裁判所決定(平成28年3月31日・刑集70巻3号58頁)

参考人の虚偽供述と証拠偽造(この事案の判断) 「しかしながら,本件において作成された書面は,参考人AのC巡査部長に対する供述調書という形式をとっているものの,その実質は,被告人,A,B警部補及びC巡査部長の4名が,Dの覚せい剤所持という架空の事実に関する令状請求のための証拠を作り出す意図で,各人が相談しながら虚偽の供述内容を創作,具体化させて書面にしたものである。」 「このように見ると,本件行為は,単に参考人として捜査官に対して虚偽の供述をし,それが供述調書に録取されたという事案とは異なり,作成名義人であるC巡査部長を含む被告人ら4名が共同して虚偽の内容が記載された証拠を新たに作り出したものといえ,刑法104条の証拠を偽造した罪に当たる。したがって,被告人について,A,B警部補及びC巡査部長との共同正犯が成立するとした原判断は正当である。」

そのうえで、この事案は違う、と言います。理由は三つの事情です。一つ目は、架空の事実について、令状請求のための証拠を作り出す意図があったこと。二つ目は、被告人、参考人、警部補、巡査部長の四名が、相談しながら、嘘の供述内容を創作し、具体化したこと。三つ目は、それを、作成名義人、つまり調書を作った者として名前が載る巡査部長を含めて、供述調書の形の書面にしたことです。最高裁は、四名が共同して、虚偽の内容が記載された証拠を新たに作り出した、として、証拠偽造罪の共同正犯を認めました。

偽造になる経路・ならない経路 図:偽造になる経路・ならない経路

線引きを言い直します。

⭐ 論文で書く規範:偽造に当たるかの線引き 「ただ嘘を話して、調書を取られた。→偽造に当たらない。」 「相談して一緒に嘘の中身を作り上げ、書面にした(作成名義人側も加わる)。→偽造に当たる。」 (要点)

決め手は、嘘を話した人が、一人で話したか、一緒に作り上げたか、です。自分の話を調書に取られただけなら、調書の中身は、本人の嘘の供述そのものにすぎません。ところが、作成名義人の側まで加わって、嘘の中身を一緒に作り込み、書面にしたなら、その書面は、もう、話を書き取った記録ではありません。形は供述調書でも、実質は、証拠にするために一緒に作り上げた書面です。だから、新たな虚偽の証拠が、世に出たことになります。侵入役の男の友人が、参考人として呼ばれ、事件の夜、男は私と別の店にいた、と嘘を話し、調書に署名しました。これだけなら、偽造に当たりません。隠避の可能性は、前回見たとおりです。ここで、友人と捜査官が相談して、嘘の内容を作り込み、調書の形にしたなら、今日の判例と同じ型で、偽造に当たります。

犯人自身による証拠隠滅の教唆

成立しない説の当てはめ 図:成立しない説の当てはめ

前回の問いを、一つ思い出してください。犯人が他人に、かくまってくれと頼み、他人が蔵匿した場合、頼んだ犯人本人に教唆犯は成立するでしょうか。判例はどう考えるでしょうか?今日の設例の二つ目が、同じ形です。壊すのを知人に頼んだ侵入役の男に、104条の教唆犯が成立するか、です。教唆は、他人を唆して、犯罪を実行する決意を生じさせることでした。犯人本人は、自分の事件の証拠については、104条の主体から外れます。他人の、に当たらないからです。では、他人に頼んだらどうなるか。前回の二つの説を、そのまま当てはめます。成立しない説の理由は、前回の一つ目の理由と同じ、期待可能性です。犯人は、自分の手で証拠を壊す正犯としてでさえ、やめろとは期待できないので、罪になりません。他人を唆すだけの教唆は、自分の手で壊すより軽い関与の形です。重い形で期待できないのなら、軽い形では、なおさら期待できない、と考えます。

前回との対応 図:前回との対応

成立する説は、判例の結論です。理由は二つ挙げられます。一つ目は、前回見た、防禦権の濫用です。大審院の判例以来、挙げられてきた理由です。防禦権は、前回見たとおり、疑いをかけられた者が、自分を守ろうとして取る、自己防衛の自由です。自分で証拠を壊す範囲は、大目に見られる。しかし、他人を唆して、他人に104条の罪を犯させるのは、その範囲を超える、という考え方です。自分を守るために、罪を犯す人を、新しく一人増やすからです。二つ目は、学説の言う期待可能性です。自分で壊すのをやめろ、とは期待できなくても、他人を巻き込むのをやめろ、とは期待できます。頼まずに、一人で済ませる道が残っているからです。だから、他人を巻き込む場面まで、期待可能性が一律に欠けるとは言えない、と考えます。批判も、前回と同じです。教唆の処罰根拠を、他人を罪に陥れたことに求めるなら、それは、共犯の処罰根拠の回で見た、責任共犯論です。通説は、共犯も、正犯の行為を通じて法益侵害を引き起こしたから罰せられる、という惹起説です。罰する理由を、他人を罪に陥れたことに置くのは、この通説と食い違う、という批判です。大審院の判決が、この教唆の問題の、出発点です。

判例大審院判決(明治45年1月15日・刑録18輯1頁・判決要旨)

犯人自身による証拠偽造の教唆(大審院) 「苟も他人の刑事被告事件に関し証憑湮滅に関する行為を為したる以上は縦令刑事被告人の教唆に因り被告人の為めに之を為したる場合と雖も猶ほ第百四条の罪を構成すべく従て之を教唆したる刑事被告人は同罪の教唆者として論すべきものとす」

事案は、横領の嫌疑で取調べを受けていた被告人が、自分の事件の証拠を偽造させようとして、他人を唆したものです。大審院は、他人の刑事被告事件に関して、証拠に手を加える行為をした以上は、被告人に唆されて被告人のためにした場合でも、104条の罪が成立する、としました。そして、唆した被告人は、その罪の教唆者として扱うべきだ、と述べています。判決要旨の言葉は、証拠隠滅に関する行為、となっていて、104条の罪全体について述べています。

判例最高裁判所決定(昭和40年9月16日・刑集19巻6号679頁)

犯人自身による証憑偽造の教唆(最高裁) 「なお、犯人が他人を教唆して、自己の刑事被告事件に関する証憑を偽造させたときは、刑法一〇四条の証憑偽造罪の教唆犯が成立するものと解すべきであるから、この点について同趣旨の解釈をした原判決の判断は正当である」

最高裁の決定です。詐欺、私文書偽造、横領などの事件の上告を棄却する中で、「なお」と、1文だけ述べたものです。犯人が他人を教唆して、自分の事件の証拠を偽造させたときは、104条の教唆犯が成立する、というものです。この決定は、結論を示すだけで、理由は述べていません。理由として挙げられてきたのは、さきほどの、防禦権の濫用です。ただ、この二つは、どちらも証拠の偽造の事案です。壊させた場合については、別の最高裁の決定があります。

判例最高裁判所決定(令和5年9月13日・集刑332号201頁)

犯人自身による証拠隠滅の教唆(最高裁) 「なお、犯人が他人を教唆して自己の刑事事件に関する証拠を隠滅させたときは、刑法104条の証拠隠滅罪の教唆犯が成立すると解するのが相当である」

偽造だけでなく、隠滅についても、最高裁が、104条の教唆犯の成立を明示しました。この決定も、理由は述べていません。さきほどの昭和40年の決定を、参照しています。なお、この決定には、反対意見が付いています。

設例の回収 図:設例の回収

設例の二つ目に答えます。壊した知人にとって、録画媒体は、侵入役の男と見張り役の男という、他人の刑事事件の証拠です。ですから、知人には、証拠隠滅罪が成立します。頼んだ侵入役の男は、判例では、証拠隠滅の教唆犯です。冒頭の問いに戻ります。自分の証拠を壊すのは罪にならないのに、なぜ結論が分かれうるのか。自分で壊すのは、期待できない行為で、大目に見られます。しかし、他人に頼めば、他人に罪を犯させます。そこまでは大目に見ない、というのが、判例の立場です。論文では、どの説を選んでも構いません。大切なのは、自分で壊しても罪にならない理由と、つなげて書くことです。理由は、期待可能性でした。この理由が、他人を巻き込む場面にも及ぶと考えるなら、成立しない説です。他人に罪を犯させないことなら期待できるので、及ばないと考えるなら、成立する説です。ここは、論文で論点になりえます。

逆向き——第三者が犯人にやらせたら

向きが逆の2場面 図:向きが逆の2場面

向きを逆にします。第三者が、犯人を唆して、犯人自身に、自分の事件の証拠を壊させた場合です。たとえば、侵入役の男の知人が、侵入役の男だけの事件の証拠になる、指紋の付いた道具を、壊しておけ、と唆し、侵入役の男が、自分で壊した場合です。その道具は、見張り役の男の事件には関係がありません。唆した知人に、教唆犯は成立するでしょうか。正犯は、壊した侵入役の男です。自分の事件の証拠を壊したのですから、他人の、に当たりません。104条が定めている型は、他人の刑事事件の証拠を壊すことです。この型に当てはまらないので、正犯が、構成要件にすら該当しません。教唆犯は、共犯の処罰根拠から考えます。共犯の処罰根拠の回で見た、通説の混合惹起説は、二つのスイッチを両方入れる、という考え方でした。自分の関与そのものの違法性と、正犯が実行した行為の違法性の、どちらも欠かせません。共犯は、正犯の行為を通じて法益侵害を引き起こすから罰せられるので、正犯の行為が違法でなければ、共犯を罰する土台がないのです。この場面では、正犯側のスイッチが入りません。構成要件に該当しない、つまり型に当てはまらない行為は、違法かどうかを確かめる前の段階で止まります。違法な正犯の行為が、そもそも無いからです。従属性の回で見た制限従属性説は、構成要件に該当し違法な正犯の行為を、共犯の成立に求める説ですが、この説でも、結論は同じです。ですから、唆した知人に、教唆犯は成立しないと考えられます。ここは、判例の結論としてではなく、共犯の処罰根拠から導く結論として押さえてください。

さきほどの場面では、正犯は頼まれた知人です。知人は、他人の事件の証拠を壊しているので、構成要件に該当し、違法です。正犯側のスイッチが入っています。頼んだ犯人本人の側は、判例が、教唆犯の成立を認めています。今回は、正犯が犯人本人で、構成要件に該当しません。正犯側のスイッチが入らないので、唆した側が、どれだけ悪質でも、教唆犯は成立しない。向きが逆だと、スイッチの入り方が違うのです。

弁別とまとめ

弁別ミニ事例 図:弁別ミニ事例

事例を三つ、考えてください。一つ目。民事裁判のために、契約書を隠した人は、どうなるでしょうか。二つ目。参考人として呼ばれた人が、事件の夜、侵入役の男は別の店にいたと、嘘を話して、調書に署名しました。偽造に当たるでしょうか。三つ目。侵入役の男が、知人に頼んで、壊させました。知人と、頼んだ男は、どうなるでしょうか。知人は、他人の事件の証拠を壊したので、証拠隠滅罪です。頼んだ侵入役の男は、判例では、教唆犯が成立します。軸は、誰の証拠を、何をしたか、誰が、の三つです。

今日の整理 図:今日の整理

まとめます。

⭐ 論文で書く規範:今日の4点 「①他人の刑事事件の証拠が客体。自分の事件は対象外(期待可能性)。共通の証拠は、もっぱら共犯者のためなら成立(多数説)。」 「②行為は、隠滅・偽造・変造・使用の四つ(使用も落とさない)。」 「③嘘の供述は原則として偽造でない。共同して虚偽の書面を作り出せば偽造(判例)。」 「④犯人が他人に頼めば教唆犯が成立(判例)。第三者が犯人に頼んだ場合は、教唆犯は成立しない(と考えられる)。」 (要点)

冒頭の設例の答えです。侵入役の男が自分で壊した場合は、多数説では、自分のためにも壊したので成立しません。知人に頼んで壊させた場合は、知人が証拠隠滅罪の正犯、侵入役の男が教唆犯です。誰の証拠か、と、誰がやらせたか、の二つは、自分を守るための行為を、どこまで大目に見るか、という物差しで、つながっていました。

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#193単独ページ動画

親族による犯罪の特例と証人等威迫罪

第18章 国家的法益|国家の存立・国交・国家の作用 ⑩/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

母がかくまった

設例 図:設例

前回の最後に予告したとおり、今日は、親族による犯罪の特例と、証人等威迫罪を見ます。設例です。青年が、ひったくりをして逃げています。青年の母が、二つのことをしました。一つ目は、自分の家に青年を泊めて、かくまったこと。二つ目は、自分ではかくまえない事情があり、職場の同僚に頼んで、同僚に青年をかくまってもらったことです。一つ目の場合は、免除がありえます。ところが二つ目、同僚に頼んだ場合は、結論が変わりえます。母が自分でかくまえば免除がありうるのに、人に頼むと変わる。なぜでしょうか。答えは、今日の条文の趣旨を読んだあとで出します。

今日の地図 図:今日の地図

地図です。前の二回で、人をかばう103条と、証拠に手を加える104条を見ました。今日の前半は、その二つの罪を、親族が犯したときの特例、105条です。後半は、証人や参考人に圧力をかける罪、105条の2です。前半は、一本の物差しで通せます。その人自身に、身内をかばう事情があるか、です。後半の105条の2は、この物差しの反対側に立ちます。自分の事件であっても大目に見ない罪だからです。

105条の全文と句ごとの読み

105条の構造 図:105条の構造

条文です。期待可能性の回で、一度読んだ105条です。

条文刑法105条

刑法105条(親族による犯罪に関する特例) 前二条の罪については、犯人又は逃走した者の親族がこれらの者の利益のために犯したときは、その刑を免除することができる。

四つの言葉で読みます。一つ目は、前二条の罪です。105条の前の二つ、つまり、103条の犯人蔵匿等と、104条の証拠隠滅等だけです。二つ目は、犯人又は逃走した者の親族です。親族の範囲は、民法725条で決まります。六親等内の血族、配偶者、三親等内の姻族です。かくまわれた犯人との関係です。設例なら、母と青年の関係です。母の同僚は、青年とは親族ではないので、この条文の親族には当たりません。三つ目は、これらの者の利益のために、です。犯人の利益のためにした、ということです。親族である犯人のためではなく、専ら、その共犯者のためにした場合は、文言から外れます。親族である犯人の利益と、共犯者の利益が両方あるときは、大審院の判例は、105条を使わせませんでした。学説には、使えるとする見解もあります。四つ目は、その刑を免除することができる、です。罪は成立していて、刑を免除できる。免除するかどうかは、裁判官が事情を見て決めます。必ず免除する、ではありません。これを、任意的免除といいます。比べておきます。盗品等の罪の回で見た、親族の特例、257条は、その刑を免除する、と書いてあります。こちらは、必ず免除です。105条は、できる、です。具体例です。母が、息子が盗んだバッグを、証拠になると考えて川に捨てました。息子の事件は、母にとって他人の事件ですから、104条の証拠隠滅罪の対象です。ただし、母が息子の利益のためにした行為なので、105条の対象にもなります。

趣旨——期待可能性は「低い」

本人・親族・他人 図:本人・親族・他人

趣旨です。親族が犯人をかばうのは、情愛からで、ある程度は無理もありません。つまり、期待可能性が低いのです。期待可能性の回で見たとおり、期待可能性とは、行為者本人に、その場の具体的な事情を前提として、違法な行為を思いとどまり、適法な行為を選ぶよう期待できることでした。その期待が、低い。だから、刑の任意的免除を認めます。期待可能性が無い、と書いてはいけないのですか。いけません。理由は、条文の効果から逆算できます。期待可能性が無いなら、責任が無く、犯罪は成立しないはずです。ところが105条は、犯罪の成立を前提に、刑だけ免除できる、としています。成立を前提にしている以上、期待可能性は、無いのではなく、低いのです。補強があります。105条は、かつては、罰しない、という規定でした。戦後の改正で、その刑を免除することができる、に改められました。効果の読み方が、変わったのです。三人を並べます。犯人本人が自分で逃げ隠れしても、そもそも罪になりません。期待可能性が、無いからです。親族は、罪は成立するけれど、刑を免除できます。期待可能性が、低いからです。全くの他人には、減る事情がないので、通常どおり処罰です。無いと低いの違いが、不成立と免除できるの違いに、そのまま出ています。

山場の入口——4つの共犯パターン

3つの問いと物差し 図:3つの問いと物差し

山場です。共犯が絡むと、誰に105条が使えるのかが問題になります。場面は四つです。親族が他人を唆す。他人が親族を唆す。犯人が親族を唆す。親族が犯人を唆す。四つとも、同じ三つの問いで解きます。一つ目は、誰が正犯で、誰が教唆か。二つ目は、正犯に罪は成立するか。三つ目は、105条が使えるのは誰か。教唆は、他人を唆して、犯罪を実行する決意を生じさせることでした。三つ目の問いを解く物差しは、一本だけです。冒頭の、身内をかばう事情があるか、を、趣旨の言葉で言い直します。その人自身に、期待可能性が低いといえる事情があるか。105条が刑を免除できる理由は、期待可能性が低いことでした。ですから、親族という形ではなく、その人に、この理由が当てはまるかを見ます。親族だからといって、自動的に免除されるのではありません。

パターン1 親族が第三者を唆した

親族が他人を唆す 図:親族が他人を唆す

一つ目は、設例の二つ目、母が同僚に頼んだ場面です。母が同僚に、息子をかくまって、と頼み、同僚がかくまいました。三つの問いで解きます。正犯は同僚、教唆は母です。同僚には、犯人蔵匿罪が成立します。同僚は青年の親族ではないので、105条は使えません。母にも、教唆犯が成立します。争いがあるのは三つ目、母に105条が使えるか、です。大審院の判例は、使えないとしました。親族である犯人をかばう目的でも、他人を唆して罪を犯させるのは、庇護の濫用で、法律の認める庇護の範囲を超える、という理由です。ただ、105条が、罰しない、という規定だった時代の判例です。いまの条文のもとでも、学説では、使えないとする見解が有力です。理由は、他人を巻き込んでいるからです。わが子を、自分の手でかくまってしまうのは、情愛から、無理もないことです。しかし、同僚に頼めば、同僚に罪を犯させることになります。頼まない、という道は残っています。ですから、他人を巻き込む点で、もはや、定型的に、つまり、この種の場面なら一般に、期待可能性が低いとはいえない、と考えます。反対に、使えるとする見解も考えられます。条文の文言上、母は、親族が犯人の利益のために犯したときに当たります。しかも、免除は任意です。事情に応じて裁判官が決めればよい、という考え方です。

設例の回収 図:設例の回収

設例に戻ります。一つ目、母が自分の家でかくまった場合は、母が犯人蔵匿罪の正犯です。犯人の親族が、犯人の利益のために犯したので、105条で、刑を免除できます。二つ目、同僚に頼んだ場合は、いま見たとおり、大審院の判例は使えないとし、学説でも、使えないとする見解が有力です。分かれ目は、他人を巻き込んだかどうか、です。ここで、逆の向きを考えてみてください。同僚が母を唆して、母が青年をかくまった場合、同僚に105条は使えるでしょうか?理由を、次のパターンで確かめます。

パターン2 第三者が親族を唆した

他人が親族を唆す 図:他人が親族を唆す

二つ目です。同僚が母に、息子さんをかくまってあげなよ、と勧め、母がかくまいました。正犯は母、教唆は同僚です。母には、犯人蔵匿罪が成立し、105条の適用を受けます。同僚にも、教唆犯が成立します。105条が使えるのは、母だけです。同僚には使えません。105条の趣旨は、親族間の情愛ゆえの期待可能性の低さ、つまり責任の減少でした。責任は、行為者に対する非難可能性です。共犯が絡んでも、責任は、一人ひとり別々に考えます。従属性の回の、違法は連帯的に、責任は個別的に、でした。母には、期待可能性が低い事情があります。同僚には、ありません。だから、同僚に免除はありません。条文の比較を一つ。盗品等の257条2項や、窃盗の親族相盗例の244条3項には、親族でない共犯については適用しない、と明文があります。244条は、その人だけに関わる事情だから、257条は、責任の減少が人ごとだから、でした。105条には、この明文がありません。そのため、同僚に使えないという結論は、条文から直接ではなく、責任は個別に考える、という解釈から導きます。

パターン3 犯人が親族を唆した

前回の問いの呼び戻し 図:前回の問いの呼び戻し

三つ目は、犯人が親族を唆す場面です。前回の問いを、思い出してください。犯人が他人に、証拠を壊してくれ、と頼んだ場合、頼んだ犯人本人に教唆犯は成立するか。判例はどう考えるか?今回は、青年が母に、かくまってくれ、と頼み、母がかくまった場面です。正犯は母で、教唆は青年です。母には、犯人蔵匿罪が成立し、105条を受けます。問いは二段です。一つ目、青年に教唆犯は成立するか。二つ目、成立するとして、青年に105条を及ぼせるか。

犯人自身の教唆と105条 図:犯人自身の教唆と105条

一つ目の問いは、前回と同じ考え方で解きます。判例は、成立を認めます。理由の一つ目が、防禦権の濫用でした。防禦権は、疑いをかけられた者が、自分を守ろうとして取る、自己防衛の自由です。自分で隠れる範囲は、大目に見られます。しかし、他人に頼んで、罪を犯す人を、新しく一人増やすのは、その範囲を超えます。前回の、二つ目の理由、学説の言う期待可能性から説明すると、こうです。自分で隠れるのとは違い、頼めば、母に罪を犯させることになります。他人に罪を犯させないことなら、期待できます。正犯である母に罪が成立する以上、それを唆す行為は、定型的に期待可能性が、ないとはいえない。だから、成立を認めてよい、と考えます。

パターン1とここで、期待可能性の言い方が違うのは、問いが違うからです。パターン1の母は、罪が成立する人で、問いは、刑を免除できるほど、期待可能性が低いか、でした。ここの青年は、犯人本人です。自分で隠れても罪にならないのは、期待可能性が、無いからでした。問いは、母に頼む場面でも、無いままか、です。だから、無いかどうか、を見ます。成立しない説も、前回のとおり、学説にあります。正犯としてさえ期待できないのだから、教唆はなおさら、という考えです。二つ目の問いです。成立を認めたとして、青年に105条を使えるか。学説では、使うのが妥当と考えます。正犯の母に刑の免除の可能性がある以上、教唆した青年にも、同じ可能性を認めるのが均衡だからです。成立しない説を採るなら、青年に教唆犯が成立しないので、105条の問題になりません。他方で、使えないとする考え方もありえます。条文上の主体は、犯人又は逃走した者の親族、です。青年自身は、この文言には当たらない、というものです。

パターン2では、同僚には使えないと言いました。青年に使うのは、矛盾しませんか。矛盾しません。物差しは、その人自身に、期待可能性が低い事情があるか、でした。パターン2の同僚は、全くの他人で、減る事情がありません。パターン3の青年は、教唆者ですが、正犯の母との間に親族関係があり、青年自身にも、期待可能性が減る事情があります。物差しは、一貫しています。

パターン4 親族が犯人を唆した

親族が犯人を唆す 図:親族が犯人を唆す

四つ目です。母が青年に、どこかに隠れていなさい、と言い、青年が自分で隠れました。正犯は青年、教唆は母です。青年は、自分で隠れただけです。103条の条文は、蔵匿し、又は隠避させた者、でした。罰しているのは、犯人とは別の人が、犯人をかくまうことです。自分で逃げ隠れることを、蔵匿とも、隠避させたとも言えません。ですから、青年は、構成要件に当たらず、正犯は成立しません。正犯が成立しない以上、母の教唆犯も、成立しないと考えられます。前回の、逆向き、第三者が犯人に、自分の事件の証拠を壊させた場面と、同じ形です。共犯の処罰根拠の回で見た混合惹起説は、共犯自身の関与と、正犯の行為の、両方に違法性を求める考え方でした。二つのスイッチです。この場面では、正犯側のスイッチが入りません。制限従属性説でも、同じ結論です。105条は、使う前に、終わっています。

結論表と設例の完結

4パターンの結論表 図:4パターンの結論表

四つの結論を、一枚にします。パターン1は、第三者が正犯、親族が教唆です。親族に105条が使えるかは、大審院の判例が否定し、学説でも否定が有力です。パターン2は、親族が正犯、第三者が教唆です。105条は、親族だけです。パターン3は、親族が正犯、犯人が教唆です。犯人の教唆は判例で成立し、105条は犯人にも及ぼすのが妥当、とされます。パターン4は、犯人が正犯で、構成要件に当たらないので、親族の教唆も成立せず、105条の問題になりません。板の下の凡例も大事です。パターン1の否定には、大審院の判例があります。105条が、罰しない、という規定だった時代のものです。パターン2とパターン3で105条が使えるかどうかは、学説です。パターン3の教唆犯の成立は判例、パターン4の不成立は、共犯の処罰根拠から導く結論です。冒頭の問いに答えます。母が自分でかくまえば免除できるのに、同僚に頼むと変わりうるのはなぜか。母が自分でかくまうのは、情愛から無理もない範囲の内側です。同僚に頼むと、同僚に罪を犯させます。頼まない、という道が残っています。ですから、期待可能性が低いとは、定型的にはいえない、と考えるのです。四つの場面を貫く物差しは、その人自身に、期待可能性が低いといえる事情があるか、でした。ここは、論文で論点になりえます。次は、証人に圧力をかける罪、105条の2です。

105条の2の全文と保護法益

105条と105条の2の比較 図:105条と105条の2の比較

105条は、103条と104条だけに使える特例でした。次の105条の2は、その外側にある、別の罪です。まず条文です。

条文刑法105条の2

刑法105条の2(証人等威迫) 自己若しくは他人の刑事事件の捜査若しくは審判に必要な知識を有すると認められる者又はその親族に対し、当該事件に関して、正当な理由がないのに面会を強請し、又は強談威迫の行為をした者は、二年以下の拘禁刑又は三十万円以下の罰金に処する。

保護法益は、第一次的には、刑事司法作用です。副次的には、証人その他の者の、安全と私生活の平穏です。事件を知っている人が、圧力を受けずに話せなければ、捜査も裁判も、正しく働けないからです。103条や104条との違いは、条文の最初にあります。自己若しくは他人の刑事事件、とあります。自分の事件でも成立します。103条と104条は、自分の事件は対象外でした。物差しで説明できます。自分が逃げ隠れる、自分の証拠に触れる、というのは、自分を守る行為です。大目に見られる範囲でした。ところが、証人は、他人です。圧力を受けると、証言が歪み、証人本人の自由や平穏も害されます。自分を守る範囲を、超えるのです。立法の背景として、暴力事件の被疑者や被告人の側が、被害者や目撃者に圧力をかける、お礼参りを防ぐために、昭和33年に作られた条文です。事件の当事者が圧力をかけるのが、典型的な場面でした。法定刑は、二年以下の拘禁刑又は三十万円以下の罰金です。103条、104条より、拘禁刑の上限が一年低く設計されています。

要件——客体・事件・3つの行為

客体と事件 図:客体と事件

要件です。まず、誰に対して、です。刑事事件の捜査又は審判に必要な知識を有すると認められる者、つまり、被害者、証人、参考人などです。その親族も入ります。親族の範囲は、民法のとおりです。認められる者、とあります。実際に知っているかどうかではなく、外から見て、知識を持っていそうな者であれば足ります。刑事事件には、被告事件と被疑事件のほか、将来、被疑事件となりうるものも含む、と解されています。起訴される前の、捜査の段階の事件も含む、とした下級審の判決があります。民事事件や行政事件は、前回の104条と同じ線で、対象外です。当該事件に関して、とあるので、その刑事事件に関連してでなければなりません。無関係な押し売りや取り立ての過程の強談は、文言からも対象外です。正当な理由がないのに、は、違法性の一般原則の確認です。正当な理由があれば罰されないのは当然で、要件を新しく足す言葉ではない、という意味です。

3つの行為 図:3つの行為

行為は三つです。面会を強請、強談、威迫。一つずつ見ます。面会を強請は、相手の意思に反して、面会を強いて求めることです。証人になる予定の人の勤め先に押しかけて、会ってくれ、と繰り返し迫るのが、例です。強談は、言葉で、強いて自分の要求に応じるよう迫ることです。参考人に、事件のことは忘れたことにしろ、と強く迫る場合です。威迫は、言葉や動作で気勢を示し、不安や困惑の念を生じさせることです。証人になる予定の人の自宅の前で、余計なことを言ったらどうなるか、と繰り返すのが、例です。顔を合わせる場合に限られるのか、文書を送るだけでも当たるのかについては、判断があります。

判例——文書の送付と威迫

事案の板 図:事案の板

事案から見ます。暴行の罪で起訴された被告人が、裁判の係属中に、自分の事件の証人に宛てて、文書の写しを、配達記録郵便で郵送し、郵便局で閲覧させました。文書には、偽証罪で告訴するので覚悟しておくように、という趣旨のことや、謝罪も反省もなければ、刑事告訴も民事裁判も、永遠に続くと思う、という趣旨のことが、二枚にわたって書かれていました。第一審も原審も、威迫に当たると認めた事案です。最高裁は、次のように判断しました。

判例最高裁判所決定(平成19年11月13日・刑集61巻8号743頁)

文書の送付と威迫 「なお,刑法105条の2にいう「威迫」には,不安,困惑の念を生じさせる文言を記載した文書を送付して相手にその内容を了知させる方法による場合が含まれ,直接相手と相対する場合に限られるものではないと解するのが相当であり,これと同旨の原判断は相当である。」

上告を棄却する中で、なお、と述べた短い判示で、理由は示されていません。結論は、文書を送って内容を了知させる方法でも、威迫に当たる、直接向き合う場合に限られない、というものです。理由は、威迫の意味から考えられます。威迫は、不安や困惑の念を生じさせることでした。文書でも、読めば、不安や困惑は生じます。証人が圧力を受けずに話せるように、という保護法益から見ても、向き合ったかどうかで分ける理由がありません。読みどころは、了知させる方法、という言葉です。文書でもよいのですが、相手がその内容を知る方法であることが前提です。届いたけれど読まれなかった場合まで、この決定が答えているわけではありません。注意点が一つあります。この決定は、威迫についての判断です。面会を強請が、直接でなければならないかには、触れていません。

罪数と105条の位置

罪数と105条 図:罪数と105条

最後に二点です。一つ目は、罪数です。威迫の行為が、脅迫の程度に達していれば、脅迫罪や強要罪との関係は、観念的競合です。一つの行為が、両方の構成要件に当たるからです。二つ目は、105条の位置です。条文で見たとおり、105条の前二条は、103条と104条です。105条の2は、105条の後にある別の条文です。ですから、家族が証人に圧力をかけても、105条は使えません。親族の特例の趣旨は、情愛ゆえに犯人をかばう場面を大目に見ることでした。証人に圧力をかける場面は、その趣旨の外にある、と考えられます。

弁別とまとめ

弁別ミニ事例 図:弁別ミニ事例

事例を五つ、考えてください。一つ目。母が自分の家で、青年をかくまいました。母は、どうなりますか。二つ目。母の同僚が母に頼み、母が青年をかくまいました。同僚に、105条は使えますか。三つ目。母が青年に、隠れていなさい、と言い、青年が自分で隠れました。母の教唆犯は、どうなりますか。四つ目。ひったくりで起訴された被告人が、自分の事件の証人に電話をかけ、余計なことを言うな、と繰り返しました。五つ目。その被告人の家族が、同じことを証人にしました。家族に105条は使えますか。使えません。105条の前二条は、103条と104条だけだからです。見るのは、誰が、誰のために、何をしたか、です。

今日の整理 図:今日の整理

まとめます。

⭐ 論文で書く規範:今日の4点 「① 105条は、103条・104条の罪を、親族が犯人の利益のために犯したとき、刑を免除できる。期待可能性は、低い。無い、ではない。」 「②共犯の4場面は、その人自身に、期待可能性が低い事情があるかで解く。」 「③ 105条の2は、自己の事件でも成立する。面会強請・強談・威迫。文書の送付でも威迫に当たる(判例)。」 「④ 105条は、105条の2には使えない。脅迫罪・強要罪とは観念的競合。」 (要点)

四つの場面を貫いたのは、冒頭の物差し、その人自身に、身内をかばう事情があるか、でした。そして、105条の2は逆に、自分の事件であっても大目に見ない罪でした。

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#194単独ページ動画

偽証罪と「虚偽の陳述」の意義

第18章 国家的法益|国家の存立・国交・国家の作用 ⑪/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

事故を見た配達員の証言

設例 図:設例

前回の最後に予告したとおり、今日は偽証罪を見ます。虚偽告訴罪は、次の回で扱います。設例です。交差点で事故があり、車の運転手が起訴されました。事故を見ていた配達員が、法廷で宣誓をして、証人になりました。配達員は、相手の車の色は白だった、とはっきり覚えています。ところが、運転手に義理を感じて、わざと、黒でした、と証言しました。後で調べると、相手の車は、本当に黒でした。配達員の記憶のほうが、間違っていたのです。記憶と違うことをわざと述べた証人が、偽証罪になるかどうかは、偽証罪の「虚偽」が何に反することを指すのかを決めたあとで答えます。

今日の筋 図:今日の筋

今日の筋は、この一文です。証人の役目は、体験して覚えていることを、そのまま述べること。その記憶が真実かどうかを決めるのは、証人ではなく、裁判官です。写真を撮った人が、撮ったとおりの写真を出す係で、写真の中身を判定するのは裁判官、というイメージです。この役割分担から、偽証罪の多くが一本でつながります。「虚偽」の意味、誰が罪に問われるか、いつ既遂になるか、被告人が他人にやらせたらどうなるか、までです。

今日の地図 図:今日の地図

地図です。山場は二つあります。一つ目は、「虚偽」とは何に反することか。ここで、設例の答えが出ます。二つ目は、被告人が自分の事件で、他人に偽証させた場合です。前の三回と同じ物差しで解けます。最後に、自白による刑の減免を定めた170条と、鑑定人などの虚偽を定めた171条を見ます。

169条の全文と保護法益

104条と169条の比較 図:104条と169条の比較

前々回、証拠隠滅罪の回で、虚偽の供述は偽証罪に限って処罰するのが刑法の建前だ、と見ました。偽証罪は、宣誓した証人の嘘を罰する、別の条文でした。今日は、その別の条文の中身です。

条文刑法169条

刑法169条(偽証) 法律により宣誓した証人が虚偽の陳述をしたときは、三月以上十年以下の拘禁刑に処する。

条文を、四つの切れ目で読みます。

⭐ 論文で書く規範:169条の4つの切れ目 「① 法律により」 「② 宣誓した」 「③ 証人が」 「④ 虚偽の陳述をしたとき」 (条文の読み方)

①から③は、誰が主体になるかの話で、次の節で見ます。④は、山場として、その次の節と既遂時期の節で見ます。法定刑を、104条と並べます。169条は、三月以上十年以下の拘禁刑で、罰金がなく、下限があります。104条は、三年以下の拘禁刑又は三十万円以下の罰金でした。同じ証拠まわりの罪でも、宣誓した証人の嘘のほうが、格段に重いのです。宣誓のうえで述べる陳述は、裁判の判断の土台になるものだからだと考えられます。偽証罪の対象は、刑事裁判に限りません。守られているのは、国の審判作用の適正です。審判作用とは、裁判所などが、証拠から事実を認定して、判断を下す働きのことです。民事の法廷でも、行政事件でも、法律により宣誓した証人が虚偽の陳述をすれば、成立します。104条が「他人の刑事事件」に限っていたのとは、対照的です。短答では、証拠隠滅は刑事事件だけ、偽証は刑事に限らない、と覚えておいてください。

主体は宣誓した証人

宣誓のきまり 図:宣誓のきまり

主体から見ます。169条の罪は、法律により宣誓した証人であることが、成立の条件です。このように、一定の身分を持つ人だけが主体になる罪を、真正身分犯といいます。身分と共犯の回で見た、65条1項の話です。宣誓した証人でない人が嘘をついても、169条は成立しません。宣誓は、法律に基づいて行われます。刑事では、刑訴法154条が、証人には宣誓をさせなければならない、と定めています。民事では、民訴法201条1項が、同じ定めをしています。ですから、宣誓していない人の嘘は、169条になりません。捜査機関に呼ばれた参考人は、宣誓をしませんから、嘘を述べても、偽証罪の主体ではありません。前々回に見た、参考人の嘘が偽証罪でなく別の問題になった理由の一つが、これです。

法律が宣誓をさせないと決めている人がいます。宣誓の趣旨を理解できない人は、宣誓をさせないで尋問する、と刑訴法155条1項が定めています。民事では、十六歳未満の人も、宣誓をさせることができません。そういう人に誤って宣誓をさせて、嘘を述べたとしても、法律により宣誓したとはいえず、本罪は成立しないと解されます。順番にも触れておきます。成立の条件は、宣誓した証人であることで、宣誓と陳述の順番ではありません。宣誓が、陳述のあとになった場合でも、判例は成立を認めています。

被告人・当事者・証人 図:被告人・当事者・証人

次に、証人になれる人です。事件の当事者は、証人になりません。刑事の被告人は、その事件の証人になりません。理由は、こう説明されます。

⭐ 論文で書く規範:被告人が証人にならない理由 「被告人は、終始沈黙し、又は個々の質問に対し、供述を拒むことができる。」 「何人も、自己に不利益な供述を強要されない。」 (刑訴法311条1項・憲法38条1項)

被告人には、黙っている権利があり、自分に不利益な供述を強いられません。宣誓をさせて、真実を述べさせる証人の仕組みとは、両立しないのです。被告人が法廷で述べるのは、証人尋問ではなく、被告人質問です。したがって、設例の運転手が、自分の法廷の被告人質問で嘘をついても、偽証罪の主体になりません。民事の当事者本人は、証人ではなく、当事者尋問で尋問されます。宣誓させることもできますが、宣誓した当事者が虚偽の陳述をしたときは、偽証罪ではなく、十万円以下の過料です。過料は、刑罰ではない、金銭の制裁です。民訴法209条1項が定めています。犯人蔵匿の103条、証拠隠滅の104条と並べて、一言で整理します。103条は、蔵匿し又は隠避させた者、と書いていて、犯人本人は主体から外れます。104条は、他人の刑事事件、と限っていて、自分の事件の証拠は対象外でした。偽証罪は、宣誓した証人、と書いていて、被告人は証人にならないので、主体になりません。本人が罪にならない結論は同じですが、条文の外し方が違います。本人を外した実質的な理由は、二つ目の山場で見ます。

山場その1 虚偽とは何に反することか

証人の役目と2つの見方 図:証人の役目と2つの見方

山場です。まず、出発点を確認します。証人の役目は、体験して覚えていることを、そのまま述べることです。その記憶が真実かどうかを決めるのは、証人ではなく、裁判官です。証言の信用性は、ほかの証拠と突き合わせて、裁判官が判断します。役割分担の、どこに力点を置くかで、見方が二つに分かれます。主観説は、証人の役目は記憶どおりに述べることだから、虚偽とは、自分の記憶に反することだ、とします。記憶に反する陳述をすれば、たまたま真実に合っていても、裁判官が判断する材料をゆがめる危険を持つ、という考えです。客観説は、虚偽とは、客観的な真実に反することだ、とします。真実に合っている陳述は、審判を誤らせる危険がないからです。判例は、主観説です。

⭐ 論文で書く規範:虚偽の陳述の意義 「虚偽の陳述とは、自己の記憶に反する陳述をいう(判例・主観説)。」 「理由=証人の役割は記憶を正確に述べることであり、記憶に反する陳述は国の審判作用の適正を害する(学説の整理)。」 (判例の結論と、理由づけ)

判例が言っているのは、結論です。理由として説かれる、証人の役目と審判作用の適正は、学説による整理です。

2本の物差し 図:2本の物差し

二つの説の違いは、見る場所の違いです。主観説は、証人の頭の中だけを見ます。記憶に反することを述べたか、の一問です。客観説は、まず外の事実を見て、述べた内容が真実に反するかを調べます。そのうえで、本人がそれを認識していたか、つまり故意があったかを見ます。二本の物差しで、設例の配達員の場面を、判定してみましょう。

4つの場面 図:4つの場面

場面は四つです。アは、白と覚えていて、白と証言し、本当の色も白でした。イは、白と覚えていて、白と証言しましたが、本当の色は黒でした。見間違いです。ウは、白と覚えているのに、わざと黒と証言し、本当の色は黒でした。設例そのものです。エは、白と覚えているのに、わざと黒と証言し、本当の色は白でした。主観説と客観説で、それぞれ偽証罪が成立するか、先に自分で答えを決めてください。アは簡単ですが、イとウは迷います。少し考えます。答え合わせです。

答え合わせ 図:答え合わせ

アは、どちらの説でも成立しません。イは、主観説では、記憶どおりに述べたので、成立しません。客観説では、述べた内容は真実に反しますから、構成要件には当たります。しかし、本人は真実だと思っていたので、故意がなく、成立しません。短答の落とし穴です。客観説でも、真実に反する陳述をすれば常に偽証罪になる、わけではありません。イは、両説とも不成立です。ウは、割れます。主観説は、記憶に反する陳述なので、成立します。客観説は、述べた内容が真実に合っているので、成立しません。エは、どちらの説でも成立します。もう一つ、割れる場面があります。オです。白と覚えているのに、自分で、本当は黒のはずだ、と判断して、黒と証言した。実際は白だった場合です。客観説では、述べた内容は真実に反しますが、本人は真実だと思っていたので、故意がなく不成立です。主観説は、記憶に反する陳述なので、成立します。証人が、自分で真実を判断してしまう場面で、主観説が最も問題にしている、役割分担に反する場面です。

客観説には、批判が二つあります。一つ目は、人を陥れる目的で、わざと嘘を述べたのに、後で真実だと分かれば罰せられない、という点です。二つ目は、さきほどのオの場面です。記憶に反することを、自分の判断で真実だと思い込んで述べた証人は、内容が真実でなかったときでも、故意がないので罰せられません。証人が自分で真実を判断してしまうことを、止められないのです。設例の答えを出します。配達員は、白と覚えているのに、わざと黒と証言しました。記憶に反する陳述をした以上、偽証罪が成立します。後で、本当に黒だったと分かっても、成立は妨げられません。判例は、主観説に立つからです。

大審院の事実 図:大審院の事実

判例を見ます。大審院の判決です。被告人が、自分の詐欺の事件の証人に、ほかの二人を通じて、偽証を頼んだ事件です。原判決が認定した事実から読みます。

判例大審院判決(大正3年4月29日・刑録20輯654頁)

偽証教唆の事実 「上告人は…借用証書中金二十円なる記載を三十円と変造し実際の貸与金二十円なるに拘はらず三十円なりと偽はり其返済を受けたりとの事件に付き…地方裁判所に於て公判の審理を受くるに際し」 「借用証書差入れの当時受授したる金額三十円なることは記憶するも…名義の十円の借用証書を被告に渡したるや否や記憶せざる旨故らに記憶に反する虚偽の陳述を為し偽証を遂くるに至らしめたるものなり」

証人が述べたのは、やり取りした金額が三十円だったことは覚えているが、十円の借用証書を被告人に渡したかどうかは覚えていない、という内容です。これが、わざと記憶に反する陳述でした。ところが、原審は、同じ判決のなかで、詐欺のほうは証拠が不十分として無罪にしていました。弁護人は、詐欺が認められないなら、証言が不実だったとはいえず、偽証教唆も認められないはずだ、と争いました。

判例大審院判決(大正3年4月29日・刑録20輯654頁)

偽証罪は証言の不実を要件としない 「証言の内容たる事実が真実に一致し若くは少くとも其不実なることを認むる能はざる場合と雖も苟くも証人が故らに其記憶に反したる陳述を為すに於ては偽証罪を構成すべきは勿論にして、即ち偽証罪は証言の不実なることを要件と為すものに非ざるが故に裁判所は一面偽証の犯罪事実を認め他面証言の内容が不実ならざることを認むるも二箇の認定は必ずしも相牴触するものと謂ふを得ず。」

判決自身が、偽証罪は証言の不実なることを要件としない、と述べています。証言の内容が真実に一致する場合でも、証人がわざと記憶に反する陳述をすれば、偽証罪になります。だから、偽証を認めつつ、証言が不実とは認められない、としても、二つの認定は矛盾しません。ここで判決の字面から言えるのは、この結論までです。補足を二つ。一つ目、同じ判決は、偽証を教唆した者について、証人の供述が記憶に反することを知っていれば足り、それが真実だと確信していたかどうかは、罪に影響しない、とも述べています。教唆の故意は、証言が記憶に反することの認識で足りるのです。二つ目、記憶は、証言する時点の記憶で判断するのが実務だとされます。ここまでをまとめます。証人の役目は、記憶どおりに述べることで、真実かどうかを決めるのは裁判官です。だから、記憶に反する陳述は、たまたま真実に合っていても、偽証罪になります。写真を出す係が、写真に手を加えて出せば、たまたま実物と合っていても、係の役目に反する、というのと同じです。ここは、論文で論点になりえます。

既遂時期・危険犯・陳述と沈黙

既遂時期の線 図:既遂時期の線

次は、いつ既遂になるかです。通説は、一回の尋問手続のなかの陳述が、全体として終わったとき、と考えます。証人の陳述は、一連のものとして評価され、信用性も、全体として判断されるからです。設例で確かめます。配達員が、尋問の前半で、わざと黒と述べました。しかし、尋問の終わり近くで、さきほどの色は言い間違いで、本当は白と覚えています、と訂正しました。尋問がまだ終わっていないので、偽証罪は成立しません。一方、尋問が全部終わったあとで、別の日に訂正した場合は、すでに既遂です。あとの訂正は、成立には影響しません。刑の減免の可能性は、後で見る170条の問題です。

嘘の陳述を裁判官が信じなくても、既遂です。偽証罪は、抽象的危険犯とされます。裁判の結論に影響したかは問われず、国の審判作用の適正を害する危険が、陳述の時点で生じれば足りる、とされます。もう一つ。罪の行為は、虚偽の陳述です。黙っているだけ、証言を拒むだけでは、本罪になりません。自己が刑事訴追を受けるおそれのある証言は、拒むことができます。刑訴法146条です。ただし、拒まずに宣誓をして述べたなら、嘘は偽証罪になります。最高裁は、証言拒絶権を放棄して、宣誓のうえ虚偽の陳述をした証人に、偽証罪の成立を認めています。

山場その2 被告人が他人に偽証させた場合

運転手が後輩に頼む 図:運転手が後輩に頼む

もう一つの山場です。さきほど見たとおり、被告人は、自分の事件の証人になりません。運転手が、自分の法廷で嘘をついても、偽証罪にならないのです。では、運転手が、自分の後輩に頼んで、宣誓させたうえで嘘の証言をさせたら、運転手はどうなるでしょうか?結論から言うと、運転手には、偽証教唆罪が成立します。判例の結論です。理由を見る前に、記憶を一つ呼び戻します。前々回を思い出してください。犯人が他人に、証拠を壊してくれ、と頼んだ場合、頼んだ犯人本人に教唆犯は成立するか? 判例はどう考えるか?

3つの回の物差し 図:3つの回の物差し

判例は、頼んだ犯人本人に、教唆犯の成立を認めていました。前の三回で使ったこの物差しを、今日の偽証罪に当てはめます。蔵匿、証拠隠滅、偽証のどれも、自分でやる場合は罪になりません。ただし、条文の外し方は違いました。103条は、犯人本人が主体から外れ、104条は、自分の事件の証拠が対象外で、偽証罪は、被告人が証人にならないのです。ところが、他人にやらせる場合は、三つとも教唆犯が成立します。物差しは、自分でやるのと、他人を巻き込むのとは違う、です。

最高裁の決定 図:最高裁の決定

最高裁の決定です。偽証を教唆した被告人が上告し、棄却された事件です。弁護人の主張は、二つに分けられます。一つ目は、被告人には黙秘権がある、という点です。二つ目は、自分の事件について他人に偽証させるのは、理論上は自分の事件の証拠隠滅にほかならないから、104条の趣旨により、偽証教唆に問うべきでない、という点です。決定が、二つの主張にどう答えたかを見ます。

判例最高裁判所第二小法廷決定(昭和28年10月19日・刑集7巻10号1945頁)

偽証教唆と黙秘権・104条 「しかし被告人自身に黙秘権があるからといつて、他人に虚偽の陳述をするよう教唆したときは偽証教唆の責を免れないことは既には当裁判所の判例とするところであり(昭和二六年(あ)第二六二号、同二七年二月一四日第一小法廷決定参照)、今これを変更する必要を認めない。また刑法一〇四条の証憑の偽造というのは証拠自体の偽造を指称し証人の偽証を包含しないと解すべきであるから、自己の被告事件について他人を教唆して偽証させた場合に右規定の趣旨から当然に偽証教唆の責を免れるものと解することはできない。」

一つ目の、黙秘権があるから、という主張には、黙秘権があっても、教唆の責は免れない、と先例を引いて答えました。次に、二つ目の、104条の趣旨から、という主張には、104条の証拠の偽造は、証拠自体の偽造を指し、証人の偽証を含まないから、104条の趣旨から当然には免れない、と答えました。前々回に見た、証人の偽証は証拠の偽造に含まれない、という言葉は、まさにこの決定のこの部分です。大切なのは、帰属です。最高裁は、防禦権の濫用とも、期待可能性とも、述べていません。その二つは、前の三回と同じく、別のところから挙げられてきた理由です。一つ目は、防禦権の濫用で、大審院の判例以来のものです。防禦権は、自分を守る自由ですが、他人に罪を犯させるところまでは、防禦の範囲に入りません。二つ目は、期待可能性です。学説が挙げるほか、大審院の判決にも、被告人が自分で嘘を述べても罪にならないのは、真実を述べるよう期待できないからで、その理由は、他人に偽証させる場合にまでは及ばない、と述べたものがあります。学説は、条文の外し方は違っても、本人を外した実質的な理由は、103条や104条と共通だ、と見ます。被告人が偽証罪の主体にならないのも、自分の法廷で嘘をつくな、とは期待しにくいからだ、という見方です。しかし、他人に頼むのをやめろ、とは期待できます。後輩に頼まず、自分の事件は自分で争う道が残っているからです。

偽証教唆は成立しない、とする学説もあります。被告人自身が嘘をついても罪にならないのに、他人を使って同じことをしたのを罰するのは、均衡を欠く、という考えです。正犯としてさえ期待できないのなら、より軽い教唆は、なおさら期待できない、という、前の三回と同じ理屈です。虚偽の意味のところで事実を読んだ大審院判決は、いま挙げた判決とは別のものですが、その被告人も、自分の事件の証人に、記憶に反する証言を頼んだ人でした。偽証を教唆した被告人が処罰されること自体は、昔から変わっていません。ただ、事実を読んだほうの判決が、被告人の黙秘権や期待可能性を判断したわけではありません。争われていない点だからです。逆の場面も、一言だけ。証人が被告人をかばって嘘をついたときは、宣誓した証人が記憶に反することを述べたのですから、証人に偽証罪が成立します。被告人の側の事情である黙秘権は、証人の罪を消しません。

170条と171条

170条の4つの切れ目 図:170条の4つの切れ目

最後に、170条です。偽証した人が、自分から本当のことを言ったときの規定です。

条文刑法170条

刑法170条(自白による刑の減免) 前条の罪を犯した者が、その証言をした事件について、その裁判が確定する前又は懲戒処分が行われる前に自白したときは、その刑を減軽し、又は免除することができる。

効果は、減軽し、又は免除することができる、です。任意的で、必ず減免されるわけではありません。減軽は、68条の方式に従います。免除するときは、判決で言い渡します。趣旨は、政策です。自白を勧めて、偽証に基づく誤った裁判や、誤った懲戒処分を防ぐための規定です。裁判が確定する前なら、真実を言えば、判断をやり直せます。誤った裁判を、取り返しのつくうちに直させる動機づけです。前回の105条は、親族の期待可能性が低い、つまり責任が減るから、でした。170条は、責任が減るからではなく、政策です。自白は、偽証したことを具体的に告白することです。時期は、裁判が確定する前までで、確定してしまえば、適用はありません。また、偽証を教唆した人にも適用されうる、と判例は考えています。ただし、効果は、自白した人ごとに別々だとされます。理由は、条文と趣旨から説明できます。170条は、自白したときは、その刑を、と書いていて、軽くなりうるのは、自白した本人の刑です。趣旨は、自白を勧める動機づけでした。他人の自白で自分の刑まで軽くなるのなら、自分から本当のことを言い出す動機になりません。さきほどの運転手と後輩でいえば、偽証した後輩が自白しても、頼んだ運転手が自白しなければ、運転手には使えません。逆に、運転手が自白すれば、後輩が自白しなくても、運転手に使える、とされます。

171条の構造 図:171条の構造

171条です。

条文刑法171条

刑法171条(虚偽鑑定等) 法律により宣誓した鑑定人、通訳人又は翻訳人が虚偽の鑑定、通訳又は翻訳をしたときは、前二条の例による。

主体が、鑑定人、通訳人又は翻訳人に替わるだけです。たとえば、宣誓した通訳人が、証人の言葉を、わざと違う意味に訳して法廷に伝える場面です。宣誓していること、虚偽の行為をしたことは、169条と同じ構造です。前二条の例による、とは、169条と170条の扱いに従う、という意味です。法定刑も、自白による減免も、同じです。

弁別とまとめ

弁別ミニ事例 図:弁別ミニ事例

事例を五つ、考えてください。一つ目。宣誓した証人が、見間違いで黒だったと信じて、黒と証言しました。本当は白でした。偽証罪は成立しますか。二つ目。捜査機関の取調べで、宣誓していない参考人が、嘘を述べました。三つ目。被告人が、法廷の被告人質問で、嘘を述べました。四つ目。運転手が後輩に頼み、後輩が宣誓して、嘘の証言をしました。五つ目。偽証した証人が、事件の裁判が確定する前に、自白しました。刑を減軽し、または免除することができます。必ず、ではありません。五つの事例の結論と決め手は、表のとおりです。見るのは、誰が、宣誓していたか、何に反するか、いつ、です。

今日の整理 図:今日の整理

まとめます。

⭐ 論文で書く規範:今日の4点 「① 「虚偽」とは、自己の記憶に反すること(判例・主観説)。証人の役目は、記憶どおりに述べること。」 「② 主体は、法律により宣誓した証人。被告人・民事の当事者は主体にならない。民事の当事者の嘘は過料。」 「③ 既遂は、尋問手続の陳述が、全体として終わったとき。途中の訂正は不成立。」 「④ 被告人が他人に偽証させたら、偽証教唆(判例)。自白は、裁判確定前なら、減免できる(任意的)。」 (要点)

設例の配達員は、わざと黒と証言した以上、本当に黒だったとしても、偽証罪です。見る場所は、証人の頭の中でした。

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#195単独ページ動画

虚偽告訴等罪と「虚偽」の意義

第18章 国家的法益|国家の存立・国交・国家の作用 ⑫/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

賃貸マンションの大家の申告

設例 図:設例

前回の最後に予告したとおり、今日は虚偽告訴罪を見ます。条文上の正式な名前は、虚偽告訴等罪です。設例です。賃貸マンションの大家が、ある入居者を追い出したいと考えていました。そこで、根拠もないのに、入居者が駐輪場の自転車を盗んだ、と警察署に申告しました。大家自身は、作り話のつもりでした。ところが、警察が調べてみると、入居者は、本当に自転車を盗んでいました。前回の配達員を思い出してください。嘘のつもりで述べたら、本当だった。その場面で、偽証罪が成立しました。今日の大家は、同じ形の場面です。ただし、答えは逆になります。理由を、今日の筋にそって順に見て、答えは山場の節で出します。

⭐ 論文で書く規範:今日の筋 「虚偽告訴等罪が守るのは、無実の人に向けて、国の手続が動かされないこと。」 「だから「虚偽」は、事実そのものに照らして決まる。」 (今日の筋)

今日の筋です。虚偽告訴等罪が守るのは、無実の人に向けて、国の手続が動かされないことです。警察の捜査や、役所の懲戒処分は、一度動き出すと、人を巻き込みます。その引き金を、作り話で引かせないための罪です。だから、「虚偽」かどうかは、申告した人の頭の中ではなく、申告された事実そのものに照らして決まります。偽証罪とは、ここが違います。同じ理由から、本人が同意していても成立します。また、裁判が確定する前に自白すれば、刑を減免する余地が出てきます。こちらは、保護法益の帰結ではなく、政策による規定で、最後に見ます。

今日の地図 図:今日の地図

地図です。まず、172条の全文と、この罪が守るものを見ます。次に、行為と、いつ既遂になるかです。三番目が山場で、「虚偽」が何に照らして決まるかを、偽証罪と並べて見ます。そのあと、虚偽の認識、目的、同意を得た申告、最後に173条を、前回の170条と並べて読みます。

172条の全文と保護法益

169条と172条 図:169条と172条

条文です。前回の偽証罪と、並べて見ていきます。

条文刑法172条

刑法172条(虚偽告訴等) 人に刑事又は懲戒の処分を受けさせる目的で、虚偽の告訴、告発その他の申告をした者は、三月以上十年以下の拘禁刑に処する。

法定刑は、三月以上十年以下の拘禁刑です。前回の169条と同じで、罰金がなく、下限があります。国の手続を誤らせる罪は、それだけ重く見られています。条文を、四つの切れ目で読みます。

⭐ 論文で書く規範:172条の4つの切れ目 「① 人に」 「② 刑事又は懲戒の処分を受けさせる目的で」 「③ 虚偽の」 「④ 告訴、告発その他の申告をした」 (条文の読み方)

①の「人に」は、他人のことで、目的の節で見ます。②は、目的犯としての要件です。③の「虚偽の」が、今日の山場です。④は、何をすれば行為になるかの話で、次の節で見ます。

2層の保護法益 図:2層の保護法益

次に、この罪が守っているものです。二層に分けて考えます。第一次的には、国の刑事司法作用と懲戒作用です。無実の人を相手に、捜査や懲戒の手続が動いてしまうことを防ぎます。副次的には、申告された個人の私生活の平穏です。通説の整理です。偽証罪が守るのは、国の審判作用の適正でした。裁判所が、証拠から事実を認定して、判断を下す働きです。虚偽告訴等罪は、捜査や懲戒の手続を動かす、引き金のところを守ります。ここでは、守るものが違う、とだけ置いておきます。山場の表で、この違いが効いてきます。この二層が、今日の二つの結論を決めます。「虚偽」の意味と、同意があっても成立する理由です。173条は、政策による別の規定で、最後に見ます。覚える形は、こうです。

⭐ 論文で書く規範:虚偽告訴等罪の保護法益 「第一次的には、刑事司法作用・懲戒作用。」 「副次的には、個人の私生活の平穏(通説)。」 (短答)

行為と既遂時期

告訴・告発・その他の申告 図:告訴・告発・その他の申告

行為は、虚偽の告訴、告発その他の申告をすることです。順に見ます。告訴は、犯罪の被害者など、告訴をする資格のある人が、犯罪の事実を申告して、犯人の処罰を求める意思表示です。刑事訴訟法230条が、犯罪により害を被った者は、告訴をすることができる、と定めています。告発は、被害者でなくても、誰でもできます。刑事訴訟法239条1項が、何人でも、犯罪があると思料するときは、告発をすることができる、と定めています。三つ目の、その他の申告は、受け皿です。刑事処分や懲戒処分を求める請求や申立てのほか、そうした処分に結びつきうる事実を知らせることも入ります。告訴と告発は、例示にすぎません。

告訴と告発は、検察官か司法警察員に、書面か口頭でする、と刑事訴訟法241条1項が定めています。司法警察員は、警察官のうち、巡査、つまり司法巡査とは別の、重い権限を持つ側の人です。本罪の申告も、同じ考え方で、刑事なら捜査の権限を持つ官署、懲戒なら懲戒をする権限のある人に向けたものです。巡査は、現行法でいう司法巡査です。司法警察員の指揮のもとで、手足となって捜査をする立場です。それでも、巡査に申告した時点で足りる、と大審院は考えました。検察官にまで届く必要はありません。逆に、警察ではなく、不特定多数の人が見る場に、あの人は泥棒だ、と書き込んだ場合は、本罪ではなく、別の罪の世界です。名誉毀損罪は、公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損した、という罪でした。申告の方法には、制限がありません。書面でも口頭でもよく、匿名でも、他人の名前を使っていても構いません。大審院の判例です。短答では、方法に制限なし、と覚えてください。

既遂の線 図:既遂の線

次は、いつ既遂になるかです。通説は、申告が、相当な官署に届いた時と考えます。届いて初めて、国の手続が誤って動くおそれが生まれるからです。書面なら、発送した時ではなく、届いて、官吏が見られる状態になった時です。設例で確かめます。住民が、市の職員を懲戒処分にさせたいと考えて、その職員について、ありもしない非行を書いた匿名の手紙を、市長宛てに出しました。ポストに入れた時点では、まだ既遂ではありません。市長のもとに届き、見られる状態になった時に、既遂です。そのあと、住民が考え直して取り下げても、既遂は動きません。自白による減免は、最後の173条の話です。捜査が始まったか、申告された人が知ったか、起訴されたかは、問いません。前回の偽証罪で、裁判官が嘘を信じなくても既遂だったのと、同じ考え方です。おそれが生まれた時点で、足ります。また、未遂を罰する規定はありません。刑法44条は、未遂を罰する場合は、各本条で定める、と言っています。172条には、未遂の定めがないので、申告が届く前の段階は、罰せられません。

申告は、自分から行うものなので、取調べで問われて答えただけでは、申告に当たらないと解されます。反対に、取調べの途中で、自分から進んで、別の人についての作り話を持ち出せば、申告に当たります。

「虚偽」は客観的真実に反すること

前回の確認 図:前回の確認

山場に入る前に、前回を思い出してください。偽証罪の「虚偽」は、何に反することだったか? そのとき、証人の役目は何だと見たか?自己の記憶に反することでした。証人の役目は、記憶どおりに述べることで、真実かどうかを決めるのは、裁判官でした。見る場所は、証人の頭の中でした。今日は、同じ「虚偽」が、別の意味になります。

何が害されるのか 図:何が害されるのか

出発点は、何が害されるのか、です。申告された事実が本当なら、警察の捜査が始まるのは、正しい結果です。国の作用は、不当に害されませんし、申告された人の平穏も、不当には害されません。だから、申告した人が嘘のつもりだったとしても、内容が真実に合っているなら、この罪は成立しません。たとえると、火災報知器です。報知器を押すのは、消防車を動かす引き金です。本当に火事があったなら、押した人の気持ちがどうであれ、消防車が出たのは正しいことです。火事がないのに押せば、出動そのものが誤りです。見るのは、押した人の頭の中ではなく、火事があったかどうかです。偽証罪は違いました。証人が記憶に反することを述べれば、それだけで、国の審判作用の適正が害されました。本罪は、手続が動いたこと自体ではなく、動かす理由が事実でなかったときに、害になります。守るものが違うから、「虚偽」の意味が違うのです。判例を見ます。最高裁の決定です。被告人が、ある人を通じて、別の人に刑事上の処分を受けさせる目的で、司法警察員に申告させた事実が、虚偽であることが明白だ、とされた事件です。

判例最高裁判所第二小法廷決定(昭和33年7月31日・刑集12巻12号2805頁)

虚偽の申告の意義 「刑法一七二条にいう虚偽の申告とは、申告の内容をなすところの刑事、懲戒の処分の原因となる事実が客観的真実に反することをいうと解するを相当とし、第一審判決の認定した事実によると、被告人がAをしてBに刑事上の処分を受けしめる目的で司法警察員に対し申告せしめた事実は虚偽であることが明白であるから、原判決には所論の違法は存しない。」

判例の結論は、虚偽の申告とは、申告の内容をなす、刑事や懲戒の処分の原因となる事実が、客観的真実に反することをいう、です。この決定が述べたのは、この定義までで、理由は述べていません。客観的真実に合っていれば、国の作用も平穏も害されないから、という理由は、通説による説明です。結論は判例、理由は通説、と分けて覚えてください。

偽証罪と虚偽告訴等罪 図:偽証罪と虚偽告訴等罪

前回の偽証罪と、一枚の表で並べます。上の三行は、考え方の違いです。一つ目は、「虚偽」の意味です。偽証罪は、自己の記憶に反することで、判例は主観説でした。虚偽告訴等罪は、客観的真実に反することで、これも判例です。二つ目は、見る場所です。偽証罪は、証人の頭の中で、記憶に反することを述べたか、の一問でした。虚偽告訴等罪は、申告された事実そのものです。まず、外の事実が真実に反するかを調べて、そのうえで、申告した人がそれを知っていたかを見ます。後半は、次の節です。三つ目は、理由です。偽証罪では、証人の役目は記憶どおりに述べることで、真実かどうかを決めるのは裁判官でした。申告は、捜査や懲戒の手続を動かす引き金です。動かしてよいかは、事実が本当かどうかで決まります。

下の三行は、場面で比べます。四つ目は、嘘のつもりで言ったら、本当だった。偽証罪は成立します。前回の配達員です。虚偽告訴等罪は、成立しません。今日の大家です。五つ目は、本当だと信じて言ったら、違っていた。どちらも成立しませんが、止まる場所が違います。偽証罪は、記憶どおりに述べたので、そもそも虚偽の陳述に当たりません。虚偽告訴等罪は、内容は客観的に虚偽に当たりますが、嘘だと知らなかったので、故意がありません。六つ目は、嘘のつもりで言ったら、やはり嘘だった。両方とも成立します。設例の答えを出します。大家は、嘘のつもりで申告しましたが、内容は本当でした。客観的真実に合っているので、虚偽の申告に当たらず、虚偽告訴等罪は成立しません。前回の配達員とは、結論が逆です。

成立しないのは、この罪が罰する対象が、嘘をつく気ではなく、無実の人に、国の手続を向けることだからです。今回の入居者は、実際に盗んでいたので、捜査が動いたのは、正しい結果でした。前回、偽証罪では、わざと嘘を述べたのに、後で真実だと分かれば罰せられない、という点を、客観説への批判として挙げました。証人が記憶に反して述べれば、それだけで国の審判作用の適正が害されるのに、罰せられないからです。申告は、そこが違います。内容が本当なら、害されるものが、そもそもありません。だから、同じ結論が、ここでは弱点にならないのです。補足を二点。一つ目。虚偽でなければならないのは、処分の原因となる事実です。犯罪の成否に影響しない付け足し、たとえば、誰が現場を見ていたか、という点の嘘は、含まれないと判例は考えてきました。二つ目は、逆向きです。申告した事実そのものが虚偽なら、たまたま申告された人に、別の悪事があっても、成立は妨げられません。判例です。判例の言葉は、成立を妨げない、という結論の部分です。理由づけは、保護法益からの説明で、申告された事実について見れば、動かす理由のない手続が、その人に向けられるからです。

⭐ 論文で書く規範:虚偽の申告の意義 「虚偽の申告とは、申告の内容をなす刑事・懲戒の処分の原因となる事実が、客観的真実に反することをいう(判例)。」 「理由=申告された事実が真実なら、手続が動いても、国の刑事司法作用・懲戒作用は不当に害されず、本人の私生活の平穏も損なわれない(通説の整理)。」 (判例の結論と、理由づけ)

ここは、論文で論点になりえます。

虚偽の認識

4つの場合 図:4つの場合

客観的に虚偽でも、本当だと信じて申告した人は、故意を欠きます。四つの場合を、表で整理します。嘘のつもりで申告して、内容が本当だったときは、虚偽に当たらないので不成立です。本当だと信じて申告して、内容が虚偽だったときは、嘘だという認識がないので、故意がなく不成立です。本当だと信じて、内容も本当なら、もちろん不成立です。成立するのは、嘘のつもりで申告し、実際にも虚偽だったとき、この一マスだけです。虚偽であることの認識は、確定的でなくて構いません。嘘かもしれない、と思いながら、あえて申告すれば足ります。未必的な認識です。最高裁の判決です。判決文に出てくる誣告罪は、虚偽告訴等罪のことです。判決は、原判決が、確信がないのにあえて虚偽の事実を申告すれば足りる、と判示したことは、引用された大審院判例に反しない、と述べたうえで、なお書きで、次のように言っています。

判例最高裁判所第二小法廷判決(昭和28年1月23日・刑集7巻1号46頁)

虚偽の認識は未必的でよい 「(なお、誣告罪が成立するためには、その主観的要件として申告者がその申告した事実につき、その虚偽たることを確定的に認識していたことを必要とするものではなく、未必的な認識があれば足りるものと解すると相当とするばかりでなく、第一審判決が証拠により確定し、原判決が是認した事実に徴すれば被告人の本件告発は極めて軽々になされたものであつて、到底その適法性を認めることができない以上、被告人は誣告罪の刑責を免れることができない)。」

判決は、この告発が、極めて軽々になされたもので、適法性を認められない、ということも挙げています。ここでいう未必的な認識は、嘘かもしれないと分かっていながら、あえて申告する場合です。本当だと信じて申告した場合は、含まれません。大家で確かめます。一つ目。大家が、あの入居者が盗んだに違いない、と思い込んで、本当だと信じて申告しました。実は別人でした。この場合は、嘘だという認識がないので、故意がなく、成立しません。二つ目。大家が、違うかもしれないと思いながら、確かめもせずに、あの入居者が盗んだ、と断定して申告しました。実は別人でした。この場合は、未必的な認識があるので、成立します。

違いは、嘘かもしれないという認識があったかどうかです。一つ目は、盗んだと信じ切っていて、嘘の可能性を考えていません。二つ目は、嘘かもしれないと分かっていて、それでもあえて断定しました。見るのは、申告した人の頭の中の認識です。

目的と「人に」

故意と目的 図:故意と目的

次は、条文の二つ目の切れ目、目的です。人に刑事又は懲戒の処分を受けさせる目的で、とあります。目的犯の回で見たとおり、故意の枠からはみ出す主観を、主観的超過要素と呼び、こういう目的が要件になっている犯罪を、目的犯と呼びました。この罪でいえば、故意は、申告した事実が嘘だと分かっていることです。目的は、その先の、人が処分を受けることに向けた主観です。この目的は、動機ではなく、条文に明記された独立の要件です。故意だけを確認して、目的を見落とさないようにしてください。この目的は、未必的でよい、と判例は考えています。処分を受けさせたいと望んでいなくても、申告によって他人が処分を受けることがありうる、と分かっていれば足ります。判決自身の理由は、あとでカードで読みます。まず、なぜ望みまでは要らないのかを、守るものから説明します。目的という要件が見ているのは、その申告が、人の処分に向けられているかどうかです。処分がありうると分かって申告したなら、その申告は、もう国の手続を動かす引き金になっています。そこから先、申告した人が処分を望んでいたかどうかで、手続が誤って動くおそれは、増えも減りもしません。だから、望みまでは要らないのです。大審院の判決を見ます。被告人らが、他人に刑事の処分を受けさせる目的で、不実の申告をした事件です。弁護人は、被告人らが結果の発生を欲望した証拠が示されていない、と争いました。

判例大審院判決(大正6年2月8日・刑録23輯)

目的は結果の発生を欲望することを要しない 「刑法第百七十二条に所謂『人をして刑事又は懲戒の処分を受けしむる目的を以て』とは、不実なる申告が其性質上他人をして刑事若くは懲戒の処分を受けしむる結果を発生すべきことの認識を以てするの意なれば、誣告罪の成立には右認識の下に不実の申告あるを以て足り、必ずしも上叙結果の発生を欲望することを要せず」

判決の言葉は、認識の下に不実の申告があれば足り、必ずしも結果の発生を欲望することを要しない、です。この判決が言ったのは、望むことまでは要らない、というところまでです。処分を受けることがありうるという認識で足りる、と言い換えたのは、その後の判例です。この二つを合わせて、目的は未必的でよい、と呼びます。設例です。大家が、入居者を処罰してほしいとまでは、思っていません。ただ、警察に調べられれば、入居者は困って出ていくだろう、と考えて、作り話を申告しました。この場合も、目的があります。申告によって、入居者が処分を受けることがありうる、と分かっているからです。取調べを誘発しうる程度の虚偽を申告し、処分を受けることがありうると認識していれば、処罰まで望んでいなくても、目的があるのです。処罰を強く望んで、同じ作り話を申告した大家と、並べてみてください。警察に届く申告は同じで、入居者に手続が向かうおそれも同じです。違うのは、大家の望みだけです。

混ざりやすいところです。表で分けます。

2つの未必的でよい 図:2つの未必的でよい

一つ目は、申告した事実が嘘であることの認識です。嘘かもしれないと思いながら、あえて申告すれば足ります。最高裁の判決でした。二つ目は、申告によって、他人が処分を受けることの認識です。望んでいなくても、ありうると分かっていれば足ります。大審院の判決です。先ほどの大審院の判決が言ったのは、望みは要らない、というところまでです。ありうると分かっていれば足りる、という言い方にしたのは、その後の判例でした。一つ目は、事実の真偽についての認識で、二つ目は、処分を受けることについての認識です。認識する対象が違います。最後に、「人に」です。他人のことです。自分に処分を受けさせる目的の申告は、この罪の対象外です。他人をかばって、自分が犯人だと申告するのは、この罪ではなく、身代わりの話で、犯人隠避罪の世界でした。実在しない人を犯人にする作り話は、処分を受けさせる人がいないので、成立しないと解されます。通説です。

同意を得た虚偽の申告

同意を得た申告 図:同意を得た申告

設例を変えます。大家と入居者が、示し合わせました。入居者が承諾したうえで、大家が、入居者が自転車を盗んだ、と警察署に、虚偽の申告をしました。問いです。申告される本人が、承諾していたら、虚偽告訴等罪は成立しなくなるでしょうか? 理由まで、考えてみてください。申告される本人が承諾していても、虚偽告訴等罪は成立します。判例です。大審院の判決を見ます。被告人が、相手と相談のうえ、借金を踏み倒す策として、相手について虚偽の申告をした、と、弁護人の上告趣意が引く原判決にあります。弁護人は、被申告者の承諾を得てしたことだから、罪にならない、と争いました。判決は、承諾の事実を認定したわけではなく、仮に承諾があったとしても、と受けて、答えています。

判例大審院判決(大正元年12月20日・刑録18輯1566頁)

被申告者の承諾 「誣告罪は個人の権利を侵害すると同時に当該官憲の職務を誤らしむる危険あるに因り処罰するものなるを以て縦令被誣告者の承諾ありとするも本罪の構成に影響を及ぼすものに非ず」

判決は、個人の権利を侵害すると同時に、官憲の職務を誤らせる危険があるから処罰する、だから承諾があっても構成に影響しない、と述べています。判例は、二つの面を並べて、承諾があっても成立するとしました。通説は、そのうち、国の作用を第一次的と整理します。

2層の保護法益(呼び戻し) 図:2層の保護法益(呼び戻し)

通説の説明では、理由は、先ほどの二層の法益です。副次的な法益は、申告された人の私生活の平穏でした。これは、本人が承諾すれば、損なわれないかもしれません。しかし、第一次的な法益は、国の刑事司法作用と懲戒作用です。これは、本人が放棄できるものではありません。承諾があっても、国の手続は、誤って動いてしまうのです。被害者の承諾の回で見ました。承諾が意味を持つのは、被害者本人が処分できる法益に限られます。国家的法益や社会的法益は、本人が承諾しても、意味を持ちません。同じ物差しです。個人の平穏は差し出せても、国の作用は差し出せないのです。

173条と170条の並べ読み

170条と173条 図:170条と173条

最後に、173条です。

条文刑法173条

刑法173条(自白による刑の減免) 前条の罪を犯した者が、その申告をした事件について、その裁判が確定する前又は懲戒処分が行われる前に自白したときは、その刑を減軽し、又は免除することができる。

前回の170条と、並べて読みます。170条は、前条の罪を犯した者が、その証言をした事件について、その裁判が確定する前又は懲戒処分が行われる前に自白したときは、その刑を減軽し、又は免除することができる、でした。173条は、その証言をした事件、が、その申告をした事件、に替わるだけです。骨格は同じで、違いは一か所だけです。効果は、減軽し、又は免除することができる、です。任意的で、必ず減免されるわけではありません。減軽は、刑の減らし方を定めた68条の方式に従い、免除は判決で言い渡します。前回の170条と同じです。趣旨は、政策です。自白を勧めて、無実の人に対する、誤った裁判や誤った懲戒処分を防ぐための規定です。裁判が確定する前なら、本当のことを言えば、取り返しがつきます。確定してしまえば、適用はありません。

先ほどの、市の職員の懲戒の設例で考えます。住民が、懲戒処分が行われる前に、あの手紙は作り話でした、と自白すれば、刑を減軽し、または免除することができます。懲戒処分が行われてしまったあとでは、この規定は使えません。時期の限定は、条文のとおり、裁判が確定する前又は懲戒処分が行われる前、です。

弁別とまとめ

弁別ミニ事例 図:弁別ミニ事例

事例を五つ、考えてください。一つ目。大家が、嘘のつもりで警察に申告したら、内容が本当でした。虚偽告訴等罪は成立しますか。二つ目。宣誓した証人が、嘘のつもりで述べたら、たまたま本当でした。三つ目。大家が、本当だと信じて申告しましたが、実は別人でした。四つ目。申告される本人が、承諾していました。五つ目。裁判が確定する前に、大家が自白しました。刑を減軽し、または免除することができます。必ず、ではありません。見るのは、どの罪の「虚偽」か、何に照らすか、誰が認識していたか、です。

今日の整理 図:今日の整理

まとめます。

⭐ 論文で書く規範:今日の4点 「① 「虚偽」とは、客観的真実に反すること(判例)。偽証罪は、自己の記憶に反すること。」 「② 虚偽の認識は、未必的でよい。目的も、未必的でよい(意欲は不要)。」 「③ 同意を得た申告でも成立する。国の刑事司法作用・懲戒作用は、放棄できない。」 「④ 173条は、裁判確定前の自白で、減免できる(任意的・政策)。」 (要点)

設例の大家は、嘘のつもりで申告しても、内容が本当だったので、虚偽告訴等罪になりません。見る場所は、事実そのものでした。

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#196単独ページ動画

公務員職権濫用罪と「職権」の意義

第18章 国家的法益|国家の存立・国交・国家の作用 ⑬/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

保健所の職員と、休日の職員

設例 図:設例

前回の最後に予告したとおり、今日は職権濫用の罪を見ます。ここまで見てきた罪では、公務員は、害される側でした。公務執行妨害罪が守るのは、公務員という人ではなく、公務という仕事でした。今日は向きが逆です。公務員が、する側に回ります。設例です。保健所で、飲食店の衛生検査を担当している職員Aがいます。Aは、店主Bに、衛生検査で必要だから、と言って、店の予約台帳を出させました。ところが、検査に予約台帳は必要ありません。Aは、台帳に載っている客の連絡先を、私的に知りたかっただけでした。もう一人います。同じ保健所の別の職員Cは、休日に、私服で、近所に住むDに、出さないと痛い目にあうぞ、とすごんで、町内会の名簿を出させました。

設例のAとCのうち、どちらが職権濫用の罪になるのかは、まだ言いません。今日の筋にそって順に見て、途中で出します。

⭐ 論文で書く規範:今日の筋 「公務員は、相手が従わざるをえない力を預かっている。」 「職権濫用の罪は、その力を、預かった目的の外で、相手に向けたことを罰する。」 (今日の筋)

だから、「職権」は、相手に負担を負わせうる権限に限られます。「濫用」は、職権を行使するという形を借りていることが要ります。

今日の流れ 図:今日の流れ

流れです。まず、193条の全文と、この罪が守るものを見ます。そのあと、中心になる話が二つあります。一つ目は「職権」とは何か、二つ目は「濫用」とは何かです。判例を三つ並べて見ます。次に、結果と強要罪との並べ読みを見て、最後に事例で確かめて、今日の整理をします。

193条の全文と、守るもの

向きの逆転 図:向きの逆転

条文です。公務員職権濫用罪、193条です。

条文刑法193条

刑法193条(公務員職権濫用) 公務員がその職権を濫用して、人に義務のないことを行わせ、又は権利の行使を妨害したときは、二年以下の拘禁刑に処する。

法定刑は、二年以下の拘禁刑です。罰金はありません。下限は条文に書かれていないので、有期拘禁刑の下限になります。刑法12条1項が、有期拘禁刑は一月以上二十年以下と定めているので、下限は一月です。条文を、三つの切れ目で読みます。

⭐ 論文で書く規範:193条の3つの切れ目 「① 公務員が」 「② その職権を濫用して」 「③ 人に義務のないことを行わせ、又は権利の行使を妨害したとき」 (条文の読み方)

一つ目は、主体です。公務員だけがこの罪を犯せます。公務員という身分がなければ、この罪自体が成立しない、真正身分犯です。公務員の意味は、刑法7条1項で見たとおりです。二つ目の「その職権を濫用して」が、今日の中心です。三つ目は、結果です。順に見ていきます。向きが逆です。公務執行妨害罪では、公務員は、害される側でした。今日の罪では、公務員が、人に向けて力を使う側です。守るものも、変わります。

2層の保護法益 図:2層の保護法益

この罪が守るものは、二層に分けて整理されます。一つ目は、公務の適正と、それに対する国民の信頼です。公務員が、仕事の名目で人に不当なことをさせれば、公務そのものが信用されなくなります。二つ目は、相手方となった個人の、自由と権利です。たとえば、設例で、予約台帳を出させられた店主Bの側です。この二層が、このあとの「職権」と「濫用」の結論を、どちらも支えます。覚える形は、こうです。

⭐ 論文で書く規範:193条の守るもの 「公務の適正と、それに対する国民の信頼。」 「相手方となった個人の自由・権利。」 (短答)

法定刑、真正身分犯、二層の法益は、短答で、そのまま問われます。

「職権」とは何か

預かった鍵 図:預かった鍵

まず、なぜ公務員だけを、特別に処罰するのかを考えます。一つ、思い出してください。前に見た強要罪は、どの時点で成立する罪でしたか?脅した結果、相手が実際に何かをさせられて、はじめて既遂になる罪でした。一般の人が、相手に義務のないことをさせるには、脅すか、殴るかが要ります。それが強要罪でした。ところが公務員は、脅さなくても、仕事です、と言うだけで、相手が従わざるをえない力を預かっています。たとえると、ビルの管理人です。管理人は、全室の鍵を預かっています。点検です、と言って鍵を持って来れば、住人は断りにくいです。その鍵を、点検とは関係のない、私用のために使えば、預かった目的の外で使ったことになります。これを特別に処罰する、というのが、この罪の考え方です。ただし、ここまでは、判例の言葉ではありません。二層の法益から導いた、ここでの整理です。判例が示したのは、次の定義です。

「職権」の定義 図:「職権」の定義

一つ目の定義です。職権濫用罪の「職権」は、公務員の一般的職務権限に当たるものです。一般的職務権限とは、その公務員の仕事の範囲に属している事柄のことです。今この場面で、その行為が許されるかどうか、とは別に、仕事の範囲に入っているかを見ます。最高裁は、この権限が、法律上の強制力を伴っていなくてもよい、と述べています。裁判官が、刑務所に資料の閲覧を求めた事案です。決定文の前半は「濫用」の定義で、これはあとで見ます。ここで聞いてほしいのは、「右一般的職務権限は」から後ろです。

判例最高裁判所第二小法廷決定(昭和57年1月28日・刑集36巻1号1頁)

職権の濫用の意義と、法律上の強制力 「刑法一九三条にいう「職権の濫用」とは、公務員が、その一般的職務権限に属する事項につき、職権の行使に仮託して実質的、具体的に違法、不当な行為をすることを指称するが、右一般的職務権限は、必ずしも法律上の強制力を伴うものであることを要せず、それが濫用された場合、職権行使の相手方をして事実上義務なきことを行わせ又は行うべき権利を妨害するに足りる権限であれば、これに含まれるものと解すべきである。」

なぜ、法律上の強制力が要らないのか。相手が従うのは、法律で強制されるときだけではないからです。公務員から、仕事として求められれば、相手は断りにくい。その、事実上従わせる力があれば足りる、ということです。この決定は、裁判官が刑務所に資料を求める場面で、その理由も述べています。

判例最高裁判所第二小法廷決定(昭和57年1月28日・刑集36巻1号1頁)

裁判官が刑務所長らに資料の閲覧を求めること 「裁判官が刑務所長らに対し資料の閲覧、提供等を求めることは、司法研究ないしはその準備としてする場合を含め、量刑その他執務上の一般的参考に資するためのものである以上、裁判官に特有の職責に由来し監獄法上の巡視権に連なる正当な理由に基づく要求というべきであつて、法律上の強制力を伴つてはいないにしても、刑務所長らに対し行刑上特段の支障がない限りこれに応ずべき事実上の負担を生ぜしめる効果を有するものであるから、それが濫用された場合相手方をして義務なきことを行わせるに足りるものとして、職権濫用罪における裁判官の一般的職務権限に属すると認めるのが相当である。」

判例が述べた理由は、こうです。裁判官は、刑務所を巡視する権限につながる、正当な理由に基づいて、資料を求めることができます。法律で強制できるわけではなくても、刑務所長らには、特段の支障がない限り応じなければならない、事実上の負担が生じます。だから、この要求は、裁判官の一般的職務権限に属する、というのです。二つ目の定義です。別の事案で、最高裁は、一般的職務権限のすべてが「職権」ではない、と述べました。

判例最高裁判所第三小法廷決定(平成元年3月14日・刑集43巻3号283頁)

「職権」の範囲 「しかし、刑法一九三条の公務員職権濫用罪における「職権」とは、公務員の一般的職務権限のすべてをいうのではなく、そのうち、職権行使の相手方に対し法律上、事実上の負担ないし不利益を生ぜしめるに足りる特別の職務権限をいい(最高裁昭和五五年(あ)第四六一号同五七年一月二八日第二小法廷決定・刑集三六巻一号一頁参照)、同罪が成立するには、公務員の不法な行為が右の性質をもつ職務権限を濫用して行われたことを要するものというべきである。」

答案に書く「職権」の定義は、これです。一般的職務権限のうち、相手に、負担や不利益を生じさせるに足りるものだけに絞られます。相手を従わせる力にならない権限は、この罪が問題にする、預かった力ではないからです。たとえば、庁内の資料を整理する仕事は、公務員の仕事ではあっても、相手に何の負担も生じさせません。この意味の職権ではありません。裁判官が資料を求めた事案の決定で、法廷意見、つまり裁判所としての判断は、条文に明記があるかを問題にしていません。裁判官と刑務所の関係、たとえば刑務所を巡視する権限などを見て、実質的に権限を認めました。補足意見、つまり結論に賛成する裁判官が、理由を付け加えた意見は、法制度を総合的、実質的に観察して、と述べています。反対意見、つまり結論に反対する裁判官の意見は、法令上の根拠が要る、としました。答案では、明文の根拠規定は必須ではなく、実質的に権限が認められればよい、と書きます。

設例の分かれ目 図:設例の分かれ目

設例に戻ります。Aは、保健所の職員として、飲食店の衛生検査で、資料を出させることができます。これはAの仕事の範囲に属し、店主Bに、求められたら応じざるをえない、という負担を負わせうる権限です。Aは、その力を、検査で必要だと言って、私的に客の連絡先を知るために使いました。一方のCは、休日に、私人として、すごんだだけです。Cは、職権を何も使っていません。AとCの分かれ目は、公務員がしたかどうかではありません。職権という力を、相手に向けたかどうかです。ここで、一つ問いです。公務員が、職務として違法な行為をしたら、必ず職権濫用の罪になるでしょうか? 理由まで、考えてみてください。

実は、ならないことがあります。「職権」を絞った、二つ目の決定は、続けて、こう述べています。

判例最高裁判所第三小法廷決定(平成元年3月14日・刑集43巻3号283頁)

職務としてなされた違法な行為 「すなわち、公務員の不法な行為が職務としてなされたとしても、職権を濫用して行われていないときは同罪が成立する余地はなく、その反面、公務員の不法な行為が職務とかかわりなくなされたとしても、職権を濫用して行われたときには同罪が成立することがあるのである(前記昭和五七年一月二八日第二小法廷決定、最高裁昭和五八年(あ)第一三〇九号同六〇年七月一六日第三小法廷決定・刑集三九巻五号二四五頁参照)。」

判例は、二つの逆向きの命題を述べています。職務としてした違法な行為でも、成立しないことがある。職務と関係なくした行為でも、成立することがある。問われるのは、職務としてしたかではなく、職権を濫用したかです。違法であることと、職権濫用罪になることは、別です。このうち、職務としてしたのに成立しない、という一つ目の命題を、次の話で、判例の事案に当てて見ます。ここは、論文で論点になりえます。

「濫用」とは何か

「濫用」の定義 図:「濫用」の定義

次は、「濫用」です。判例の定義を見ます。その前に、一つ確かめます。先ほど見た「職権」は、一般的職務権限のうち、どんな権限のことでしたか?相手に、法律上、事実上の負担や不利益を生じさせるに足りる、特別の職務権限です。その職権を、どう使うと「濫用」になるのかが、ここからの話です。

⭐ 論文で書く規範:「濫用」の定義 「濫用とは、公務員が、その一般的職務権限に属する事項につき、職権の行使に仮託して、実質的、具体的に違法、不当な行為をすることをいう。」 (最高裁判所第二小法廷決定)

三つの部品に分けます。一つ目は、一般的職務権限に属する事項であること。二つ目は、職権の行使に仮託して、です。仮託とは、職権を行使するという形を借りる、という意味です。三つ目は、実質的、具体的に、違法、不当な行為をすることです。判例が、この定義を、どう当てはめたかを、三つの事案で見ます。見比べるのは、二つ目の部品、職権を行使する形を借りたかどうかです。

1件目・資料の閲覧 図:1件目・資料の閲覧

一つ目は、裁判官が、調査、研究を装って、刑務所に資料の閲覧を求めた事案です。

判例最高裁判所第二小法廷決定(昭和57年1月28日・刑集36巻1号1頁)

調査・研究を装った資料の閲覧の要求 「したがつて、裁判官が、司法研究その他職務上の参考に資するための調査・研究という正当な目的ではなく、これとかかわりのない目的であるのに、正当な目的による調査行為であるかのように仮装して身分帳簿の閲覧、その写しの交付等を求め、刑務所長らをしてこれに応じさせた場合は、職権を濫用して義務なきことを行わせたことになるといわなければならない。」

定義の三つの部品に当てます。一つ目。資料を求めることは、裁判官の一般的職務権限に属します。二つ目。正当な調査であるかのように装ったので、職権を行使する形を借りています。三つ目。本当の目的は、調査とかかわりがないので、実質的に違法、不当です。三つがそろうので、職権を濫用して義務のないことを行わせたことになります。成立です。

2件目・喫茶店への呼び出し 図:2件目・喫茶店への呼び出し

二つ目は、裁判官が、自分の担当する事件の被告人を、夜、喫茶店に呼び出した事案です。事実から見ます。

判例最高裁判所第三小法廷決定(昭和60年7月16日・刑集39巻5号245頁)

担当する被告人を喫茶店に呼び出した事案の事実 「被告人は、小倉簡易裁判所判事で、Aに対する窃盗被告事件の審理を担当していた者であるが、同事件については、被害弁償を待つために次回公判期日が昭和五五年七月一六日に指定されていたところ、同月一一日午後八時四〇分ころ、自己との交際を求める意図で、右Aに電話をし、「裁判所のBですが。」「例の件の弁償はどうなりましたか。」「これから弁償のことで、ちょつと会えないかな。」などと言つて、同女を呼び出し、右被告事件について出頭を求められたものと誤信した同女をして、同九時ころ国鉄a駅付近の喫茶店「c」まで出向かせ、そのころから同九時三〇分ころまでの間、同店内に同席させたというのである。」

効いてくるのは、二つの点です。本当の目的は、交際を求めることでした。口実は、自分が担当している事件の、弁償の件でした。続けて、判断です。

判例最高裁判所第三小法廷決定(昭和60年7月16日・刑集39巻5号245頁)

呼び出し行為の判断 「刑事事件の被告人に出頭を求めることは裁判官の一般的職務権限に属するところ、裁判官がその担当する刑事事件の被告人を右時刻に電話で喫茶店に呼び出す行為は、その職権行使の方法としては異常なことであるとしても、当該刑事事件の審理が右状況にあるもとで、弁償の件で会いたいと言つていることにかんがみると、所論のいうように職権行使としての外形を備えていないものとはいえず、右呼出しを受けた刑事事件の被告人をして、裁判官がその権限を行使して自己に出頭を求めてきたと信じさせるに足りる行為であると認めるのが相当であるから、右Aをしてその旨誤信させて、喫茶店まで出向かせ、同店内に同席させた被告人の前記所為は、職権を濫用し同女をして義務なきことを行わせたものというべきである。」

ここも、三つの部品に当てます。一つ目。被告人に出頭を求めることは、裁判官の一般的職務権限に属します。争われたのは、二つ目です。夜に、電話で、喫茶店へ、というのは、職権行使の方法としては異常です。それでも、弁償を待っている事件で、弁償の件で会いたい、と言われれば、被告人は、裁判官が権限を使って自分を呼んでいる、と受け取ります。だから、職権を行使する形を借りた、といえます。三つ目。本当の目的は交際なので、違法、不当です。成立です。どちらも、裁判官が、自分に認められている権限の、その範囲の中の行為を、私的な目的に使いました。

3件目・電話の盗聴 図:3件目・電話の盗聴

次の事案は、結論が逆になります。警察官が、身分を隠して、電話を盗聴しました。まず、手続です。付審判請求という手続で争われました。検察官が起訴しなかったとき、告訴や告発をした人が、裁判所に、審判に付するよう求める制度です。中身は、刑事訴訟法の回で見ます。

判例最高裁判所第三小法廷決定(平成元年3月14日・刑集43巻3号283頁)

身分を隠して電話を盗聴した事案の事実 「原決定及びその是認する原原決定の認定によれば、警察官である被疑者A及び同Bは、職務として、日本共産党に関する警備情報を得るため、他の警察官とも意思を通じたうえ、同党中央委員会国際部長である請求人方の電話を盗聴したものであるが、その行為が電気通信事業法に触れる違法なものであることなどから、電話回線への工作、盗聴場所の確保をはじめ盗聴行為全般を通じ、終始何人に対しても警察官による行為でないことを装う行動をとつていたというのである。」

効いてくるのは、最後の部分です。警察官は、盗聴の全般を通じて、誰に対しても、警察官による行為でないことを装っていました。判断です。

判例最高裁判所第三小法廷決定(平成元年3月14日・刑集43巻3号283頁)

盗聴についての判断 「これを本件についてみると、被疑者らは盗聴行為の全般を通じて終始何人に対しても警察官による行為でないことを装う行動をとつていたというのであるから、そこに、警察官に認められている職権の濫用があつたとみることはできない。したがつて、本件行為が公務員職権濫用罪に当たらないとした原判断は、正当である。」

不成立です。なぜそうなるのかは、三つを並べてから見ます。

3件の対比 図:3件の対比

三つの事案を、一枚の表で並べます。見るのは、相手が、職権を行使されている、と受け取る形だったかです。相手の受け取り方は、形を借りたかどうかを見る手がかりになります。上の二行は、成立です。資料の閲覧を求めた事案では、正当な調査であるかのように仮装しました。呼び出しの事案では、裁判官が権限を行使して出頭を求めてきた、と信じさせるに足りる行為でした。どちらも、相手は、職権を行使されている、と受け取る形でした。一番下の盗聴の事案は、成立しません。警察官は、自分が警察官であることを、むしろ隠しました。決定は、これを、職権の濫用があったとはみられない、と判断しました。

違法と職権濫用 図:違法と職権濫用

違法であることと、職権濫用罪になることは、別です。盗聴は、確かに職務としてされ、違法でもあります。それでも成立しないのは、決定が述べるとおり、盗聴の全般を通じて、終始何人に対しても警察官による行為でないことを装っていて、警察官に認められている職権の濫用があったとはみられないからです。この罪が罰するのは、違法な行為そのものではありません。職権を濫用して行われたことです。決定は、もう一つ述べています。盗聴の事案では、下級審の二つの決定が、職権の濫用ではない、という理由を挙げていました。一つ目の決定は、相手方において、職権の行使であることを認識できうる外観を備えたものでない、ということ。もう一つの決定は、行為の相手方の意思に働きかけ、これに影響を与える、職権行使の性質を備えるものでない、ということ。最高裁は、これについて、こう述べました。

判例最高裁判所第三小法廷決定(平成元年3月14日・刑集43巻3号283頁)

原原決定・原決定の判示について 「なお、原原決定及び原決定が職権に関して判示するところは、それらが公務員職権濫用罪が成立するための不可欠の要件を判示した趣旨であるとすれば、同罪が成立しうる場合の一部について、その成立を否定する結果を招きかねないが、これを職権濫用行為にみられる通常の特徴を判示した趣旨と解する限り、是認することができる。」

判例は、外観や働きかけを、職権濫用行為にみられる通常の特徴を述べた趣旨と解する限り、是認できる、と述べています。不可欠の要件ではありません。不可欠だと決めてしまうと、成立しうる場合の一部を、落としてしまいかねないからです。それがどんな場合かは、決定は述べていません。ここまでが、決定が述べたことです。ここからは、決定の言葉ではありません。盗聴は、鍵のたとえでいえば、管理人が、預かった鍵を使わずに、窓から忍び込んだのと同じです。悪いことですが、鍵を預かっているからできたことではありません。では、何が決め手なのか。ここでは、こう整理します。濫用とは、職権という、国から預かった力を、相手に向けて使うことです。預かった力は、仕事です、と言うだけで、相手が従わざるをえない力でした。この力が相手に働くのは、ふつう、相手が、公務員の仕事として求められている、と受け取るときです。ですから、相手がそう受け取る形は、通常は伴います。ただ、それは、力が使われたときの通常の特徴であって、決め手そのものではありません。先ほどの表で、この形を見比べたのは、力が相手に向けられたかを確かめる、手がかりになるからです。三つの事案に戻します。資料の事案と、呼び出しの事案では、この特徴があり、力も、相手に向けて使われていました。盗聴の事案では、警察官であることを、終始隠していました。特徴が無いだけでなく、力そのものが、相手に向けて使われていません。整理として言えば、成立しないのは、そのためです。

設例の答え 図:設例の答え

設例の答えを出します。Aは、衛生検査という、職権の内にある事項を口実にして、予約台帳を出させました。成立します。資料の閲覧を求めた事案と、同じ型です。Cは、休日の私人で、職権を何も使っていません。この罪ではありません。脅して名簿を出させた点は、強要罪の問題です。分かれ目は、預かった力を、預かった目的の外で、相手に向けたかどうかです。ここは、論文で論点になりえます。

結果と、強要罪との並べ読み

223条と193条 図:223条と193条

次は、条文の三つ目の切れ目、結果です。人に義務のないことを行わせ、又は権利の行使を妨害したときです。結果が発生して、はじめて成立する、結果犯です。では、結果が出なかったときは、どうなるか。犯罪の実行に着手して、これを遂げなかった場合を、未遂といいます。刑法44条は、未遂を罰する場合は、各本条で定める、と言っています。未遂は、それぞれの罪の条文に、罰すると書いてあるときだけ、罰されます。193条には、その定めがありません。だから、193条の未遂は、罰されません。例で確かめます。Aが、検査を口実に、予約台帳を出すよう求めましたが、店主Bが断りました。結果が生じていないので、193条は成立しません。Bが、実際に台帳を出したなら、結果があります。権利の行使を妨害した、という場合は、たとえば、検査を口実に、店主が行政への不服申立てをするのを、あきらめさせた場合です。

今日の罪は、前に見た強要罪と、よく似ています。一枚の表で並べます。結果の文言は、同じです。人に義務のないことを行わせ、又は権利の行使を妨害した、です。手段が違います。強要罪は、脅迫または暴行を用います。今日の罪は、職権の濫用です。未遂も違います。相手に断られて終わったとき、強要罪は、223条3項で未遂として罰しますが、今日の罪は、193条では罰しません。法定刑は、強要罪が三年以下の拘禁刑、今日の罪が二年以下の拘禁刑です。設例のCは、手段が脅迫なので、強要罪の側です。

弁別ミニ事例

弁別ミニ事例 図:弁別ミニ事例

事例を三つ、考えてください。見るのは、職権という力を、相手に向けたかです。一つ目。税務署の調査官が、調査に必要だと言って、調査対象の事業者に、調査と無関係な、友人の会社の帳簿を持ってこさせました。どの罪でしょうか。成立します。資料の閲覧を求めた裁判官の事案と、同じ型です。二つ目。同じ調査官が、休日に、友人に、運ばないと痛い目にあうぞ、と言って、荷物を運ばせました。193条ではなく、強要罪です。職権を使っていなくて、手段は脅迫だからです。強要罪です。設例のCと、同じ型です。三つ目。保健所の職員が、職員であることを終始隠して、客を装い、飲食店の従業員に、私的に使うために、客の連絡先を教えさせました。

成立しません。盗聴の事案と、同じ型です。見るのは、職権という力を、相手に向けたか、でした。

今日の整理

今日の整理 図:今日の整理

まとめます。

⭐ 論文で書く規範:今日の4点 「① 職権とは、一般的職務権限のうち、相手に法律上、事実上の負担・不利益を生ぜしめるに足りる特別の職務権限。法律上の強制力は不要。」 「② 濫用とは、職権の行使に仮託して、実質的、具体的に違法、不当な行為をすること。見るのは、職務としてしたかではなく、職権を使ったか。」 「③ 193条は結果犯で、未遂なし。強要罪とは、手段が違う。」 「④ 設例のAは成立、Cは強要罪の問題。」 (要点)

設例の答えをもう一度言います。保健所の職員Aは、検査という、職権の内にある事項を口実にしたので、職権濫用罪になります。休日のCは、職権を何も使っていないので、この罪ではなく、強要罪の問題です。分かれ目は、預かった力を、相手に向けたかどうかでした。

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#197単独ページ動画

特別公務員職権濫用罪と暴行陵虐罪

第18章 国家的法益|国家の存立・国交・国家の作用 ⑭/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

警察官が理由なく逮捕したら

今日の流れ 図:今日の流れ

前回は、公務員職権濫用罪、193条を見ました。今日は、その先を見ます。警察官が、逮捕する理由がないと知りながら、通行人を逮捕しました。一般の人が同じことをしたら、逮捕監禁罪です。刑は、220条が定める、三月以上七年以下の拘禁刑です。警察官がすると、何が変わるのでしょうか。人を逮捕する権限を預かった者が、その権限で人の身体を拘束したのに、一般の人より軽い刑で済むのは、釣り合いません。そこで、194条以下が、重い刑を用意しています。今日は、194条、195条、196条の順に見ます。最後に、193条も含めた四つの罪を、表で整理します。

194条 特別公務員職権濫用罪

220条と194条 図:220条と194条

次は、194条です。入る前に、一つ問いです。前に見た身分犯の二種類のうち、身分がなければ、その犯罪自体が成立しないのは、どちらだったか? もう一方は、身分があると何が変わるか?身分がなければ成立しないのは、真正身分犯です。もう一方の不真正身分犯は、身分がなくても犯罪は成立しますが、身分があることで、刑が重くなったり軽くなったりします。194条は、この不真正身分犯の側です。条文です。

条文刑法194条

刑法194条(特別公務員職権濫用) 裁判、検察若しくは警察の職務を行う者又はこれらの職務を補助する者がその職権を濫用して、人を逮捕し、又は監禁したときは、六月以上十年以下の拘禁刑に処する。

主体は、裁判、検察、警察の職務を行う者です。裁判官、検察官、警察官です。そして、これらの職務を補助する者です。たとえば、裁判所書記官や、検察事務官です。193条の公務員の中から、裁判、検察、警察の職務に関わる者だけを、取り出した形です。罪名では、この人たちを、特別公務員と呼んでいます。行為は、職権を濫用して、人を逮捕し、又は監禁することです。逮捕監禁罪の回で見たとおり、逮捕は、人の身体を直接拘束して、身体活動の自由を奪うこと、監禁は、人の身体を間接的に拘束して、身体活動の自由を奪うことでした。「職権を濫用して」は、193条と同じ言葉です。前回見たとおり、職権とは、一般的職務権限のうち、相手に、法律上、事実上の負担や不利益を生じさせるに足りる、特別の職務権限でした。濫用とは、職権の行使に仮託して、つまり職権を行使する形を借りて、実質的、具体的に違法、不当な行為をすることでした。同じ言葉なので、ここでは、この読み方を194条にもそのまま使って整理します。冒頭の警察官でいえば、逮捕する権限は、相手の身体の自由を奪う、特別の職務権限です。逮捕する理由がないと知りながら、逮捕という形を借りて拘束したので、濫用です。220条と並べます。220条は、誰でも、三月以上七年以下の拘禁刑です。194条は、特別公務員で、六月以上十年以下の拘禁刑です。身分があることで、刑が重くなっています。ですから、不真正身分犯です。主体は、193条の公務員の中から取り出しましたが、刑の土台は、193条ではなく、220条です。193条は、公務員でなければ成立しない、真正身分犯でした。そこが違います。最初の問いの答えです。理由なく逮捕した警察官は、一般の人なら三月以上七年以下のところ、六月以上十年以下になります。下限も上限も上がります。人の身体を拘束する権限を預かった者が、その権限を濫用したので、重く扱われるのです。

「補助する者」の範囲 図:「補助する者」の範囲

判例は、入らない、としました。195条1項の事案ですが、「これらの職務を補助する者」は、194条と同じ言葉です。警察署長から委嘱を受けた少年補導員が、少年補導に従事中、暴行を加えた事案です。事実から見ます。

判例最高裁判所第三小法廷決定(平成6年3月29日・刑集48巻3号1頁)

少年補導員が暴行を加えた事案の事実 「原決定の認定によれば、被疑者Aは、本件当時大阪府泉北警察署長から委嘱を受けた少年補導員であり、同警察署の警察官ら及び他の少年補導員らとともに少年補導に従事していたものであるが、申立人及びその友人らと少年補導員らとがもみ合いになった際、申立人に対し暴行を加えたというのである(なお、原決定は、右暴行について右Aと警察官らとの共謀は認められないとしている。)。」

この事案も、前回見た付審判請求という手続で、争われました。検察官が起訴しなかったとき、告訴や告発をした人が、裁判所に、審判に付するよう求める制度でした。判断を見ます。

判例最高裁判所第三小法廷決定(平成6年3月29日・刑集48巻3号1頁)

「警察の職務を補助する者」の範囲 「刑法一九五条一項は、「裁判、検察、警察ノ職務ヲ行ヒ又ハ之ヲ補助スル者其職務ヲ行フニ当リ」と規定しているところ、同条項は、これらの国家作用の適正を保持するため、一定の身分を有する者についてのみその職務を行うに当たってした暴行、陵虐の行為を特別に処罰することとしたものであり、このような特別の処罰類型を定めた刑法の趣旨及び文理に照らせば同条項にいう警察の職務を補助する者は警察の職務を補助する権限を有する者でなければならないと解するのが相当である。」

判例最高裁判所第三小法廷決定(平成6年3月29日・刑集48巻3号1頁)

少年補導員への当てはめ 「少年補導員は、警察署長から私人としての協力を依頼され、私人として、その自発的意思に基づいて、警察官と連携しつつ少年の補導等を行うものであって、警察の職務を補助する職務権限を何ら有するものではないというべきである。したがって、右Aは刑法一九五条一項にいう警察の職務を補助する者に該当せず、同人の本件行為は付審判請求の対象とならないとした原決定は、正当である。」

決め手は、権限を預かっているかどうかです。195条は、裁判、検察、警察という国の働きを適正に保つために、その権限を預かった者の暴行、陵辱、加虐を、特別に罰する条文です。少年補導員は、私人として協力しているだけで、権限を預かっていません。ですから、事実上、手伝っているだけでは、補助する者になりません。同じ言葉を使う194条の、補助する者も、同じ読み方で整理されます。

195条 特別公務員暴行陵虐罪

195条の読み方 図:195条の読み方

次は、195条です。特別公務員暴行陵虐罪です。

条文刑法195条

刑法195条(特別公務員暴行陵虐) 裁判、検察若しくは警察の職務を行う者又はこれらの職務を補助する者が、その職務を行うに当たり、被告人、被疑者その他の者に対して暴行又は陵辱若しくは加虐の行為をしたときは、七年以下の拘禁刑に処する。 法令により拘禁された者を看守し又は護送する者がその拘禁された者に対して暴行又は陵辱若しくは加虐の行為をしたときも、前項と同様とする。

法定刑は、七年以下の拘禁刑です。1項も2項も、同じです。主体です。1項は、194条と同じです。裁判、検察、警察の職務を行う者と、補助する者です。補助する者の範囲は、先ほどの判例のとおりです。2項は、法令により拘禁された者を看守し、又は護送する者です。逃走罪の回で見た101条の主体と、同じ言葉です。たとえば、刑務官や、被疑者を護送する警察官です。客体は、被告人、被疑者その他の者です。証人や参考人なども含みます。そして、時は、その職務を行うに当たり、です。194条と違って、職権を濫用して、とは書かれていません。194条は、逮捕という権限の形を借りた場合でした。195条は、形を借りる必要がありません。取調べなど、職務をしている場面で殴れば、それで足ります。逆に、休日に、私的な口論で人を殴った警察官は、職務を行うに当たってではないので、195条ではなく、暴行罪です。行為は、二つです。一つ目は、暴行です。ここでは、暴行罪の暴行と同じく、人の身体に対する不法な有形力の行使として整理します。人に向けられた有形力であれば足りる、と広く読む見解も、あります。二つ目は、陵辱若しくは加虐の行為です。暴行以外の方法で、精神上又は肉体上の苦痛を与える、一切の虐待行為を指します。たとえば、取調べの間、長時間、休ませずに立たせ続けること、食事を与えないこと、用便に行かせないこと、わいせつな行為、侮辱的な言動です。

身分犯の種類 図:身分犯の種類

身分犯の種類を見分ける方法は、一つです。195条から身分を外したとき、同じ行為を罰する条文が、残るかです。暴行は、残ります。一般の人がしても、暴行罪、208条が成立します。身分があることで、刑が重くなるので、不真正身分犯です。194条が、220条に身分で刑を足したのと、同じ形です。陵辱、加虐は、残りません。苦痛を与える虐待行為そのものを、誰がしても罰する条文は、ないからです。一般の人の行為が、侮辱罪や強要罪に当たることは、あります。ただ、それは、それぞれの罪の要件を、別に満たしたときです。陵辱、加虐に当たれば必ず成立する、という関係ではありません。ですから、陵辱、加虐は、身分があってはじめて成立する、真正身分犯です。行為ごとに分けて、このように整理されます。性犯罪との関係です。陵辱、加虐の行為が、不同意わいせつ罪、176条や、不同意性交等罪、177条にも当たるときは、195条と、観念的競合になると整理されます。一つの行為が、国家作用の適正と、個人の性的自由という、別のものを害するので、両方の評価が要るからです。

196条 致死傷と刑の計算

196条の計算 図:196条の計算

最後の条文、196条です。194条と195条の、結果的加重犯です。

条文刑法196条

刑法196条(特別公務員職権濫用等致死傷) 前二条の罪を犯し、よって人を死傷させた者は、傷害の罪と比較して、重い刑により処断する。

逮捕監禁罪の回で見た、221条と同じ形です。221条は、220条の逮捕、監禁の罪を犯して、その結果、人を死傷させた場合の、結果的加重犯でした。そのときと同じ計算の仕方をします。上限と下限を、それぞれ、傷害の罪と比べて、重いほうを採用します。こうすると、基本の罪だけのときより軽くも、傷害の罪だけのときより軽くも、なりません。比べる相手は、致傷なら、傷害罪です。刑は、204条が定めています。十五年以下の拘禁刑か、五十万円以下の罰金です。罰金は、拘禁刑より軽い刑なので、比べるのは、拘禁刑どうしです。下限は、条文に書かれていません。書かれていないときは、刑法12条1項で決まります。12条1項は、有期拘禁刑は一月以上二十年以下、と定めています。ですから、傷害罪は、一月以上十五年以下です。致死なら、傷害致死罪です。刑は、205条の、三年以上の有期拘禁刑です。上限が書かれていないので、同じ12条1項で、二十年です。195条の基本の罪も、下限が書かれていないので、下限は一月です。四通りを見ます。194条の罪の致傷。基本は六月以上十年以下、傷害罪は一月以上十五年以下です。下限は六月の方が重く、上限は傷害罪の十五年の方が重いので、六月以上十五年以下です。194条の罪の致死。基本は六月以上十年以下、傷害致死罪は三年以上二十年以下です。下限も上限も、傷害致死罪の方が重いので、答えは、三年以上二十年以下です。

195条の罪の致傷。基本は一月以上七年以下、傷害罪は一月以上十五年以下です。下限は同じ一月で、上限は傷害罪の十五年の方が重いので、一月以上十五年以下です。195条の罪の致死。基本は一月以上七年以下、傷害致死罪は三年以上二十年以下です。下限も上限も傷害致死罪の方が重いので、三年以上二十年以下です。もう一つ。221条のときと同じく、死傷の結果は、基本の罪、つまり逮捕、監禁や、暴行、陵辱、加虐との間に、因果関係があることが必要です。たとえば、違法に逮捕された人が、逮捕とは無関係な持病の発作で亡くなったときは、196条ではなく、194条にとどまります。

4つの罪の整理と弁別

4つの罪の一覧 図:4つの罪の一覧

四つの罪を、一枚の表で整理します。見分ける手がかりは、誰がしたかと、何をしたかです。193条は、公務員が、職権を濫用して、義務のないことを行わせ、権利の行使を妨害する罪で、真正身分犯です。194条は、裁判、検察、警察の職務を行う者と、補助する者が、職権を濫用して、逮捕、監禁する罪で、220条の加重にあたる不真正身分犯です。195条は、194条の主体に、看守者、護送者を加え、職務を行うに当たり、暴行、陵辱、加虐をする罪です。暴行は不真正身分犯、陵辱、加虐は真正身分犯と整理されます。196条は、194条と195条の罪を犯して、人を死傷させる、結果的加重犯です。

法定刑の階段 図:法定刑の階段

法定刑も並べます。193条は、二年以下です。194条は、六月以上十年以下です。195条は、七年以下です。力が人の身体に向かう194条と195条は、どちらも、上限が、193条の二年より高くなっています。196条の四通りは、先ほどの計算の表のとおりです。

弁別ミニ事例 図:弁別ミニ事例

事例を五つ、考えてください。見るのは、職権を使ったか、誰が、何をしたか、です。はじめの二つは、前回の終わりに考えた、税務署の調査官です。一つ目は、場面を少し変えます。税務署の調査官が、調査の必要がないと知りながら、調査に必要だと言って、嫌がらせのために、事業者に帳簿を持ってこさせました。どの罪でしょうか。二つ目は、前回と同じ事例です。同じ調査官が、休日に、友人に、運ばないと痛い目にあうぞ、と言って、荷物を運ばせました。三つ目。警察官が、逮捕する理由がないと知りながら、通行人を逮捕して、署に連行しました。同じことを一般の人がしたら、どうなりますか。

四つ目。警察官が、取調べ中の被疑者を殴って、けがをさせました。五つ目。警察官に頼まれて、容疑者を押さえるのを手伝った近所の人が、容疑者を殴りました。見るのは、職権を使ったか、誰が、何をしたか、でした。

今日の整理 図:今日の整理

まとめます。

⭐ 論文で書く規範:今日の4点 「① 194条は、220条の加重。裁判、検察、警察の職務を行う者と、補助する者が、職権を濫用して逮捕、監禁する罪。補助する者は、補助する職務権限を有する者に限る。」 「② 195条は、職務を行うに当たってした暴行、陵辱、加虐。暴行は不真正身分犯、陵辱、加虐は真正身分犯と整理される。2項は、看守者、護送者。」 「③ 196条は、194条と195条の結果的加重犯。傷害の罪と比べ、上限と下限を、それぞれ重いほうにする。四通り。」 「④ 見分けるのは、職権を使ったか、誰が、何をしたか。職権と濫用は、193条と同じ言葉なので、同じ読み方で整理する。」 (要点)

最初の問いの答えをもう一度言います。理由がないと知りながら人を逮捕した警察官は、194条で、六月以上十年以下です。取調べ中に殴ってけがをさせれば、195条と196条です。分かれ目は、人の身体に向けて、預かった力を使ったかどうかでした。

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#198単独ページ動画

賄賂の罪の保護法益と収賄罪の類型

第18章 国家的法益|国家の存立・国交・国家の作用 ⑮/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

正しい仕事をしたのに収賄になるのか

設例の人物関係 図:設例の人物関係

前回の予告のとおり、今日から賄賂の罪を見ます。公務員が権限を濫用して人を害する、職権濫用の罪は、前回で終わりました。設例から入ります。市役所で、道路の占用許可を担当している職員Aがいます。工事業者Bから、占用許可の申請が出ました。Aは、法令どおりに、受付の順番どおりに、許可を出しました。許可の内容にも、手続にも、不正は一つもありません。後日、Bは、お礼のつもりで、Aに現金十万円を渡し、Aは、それを受け取りました。注意してほしいのは、Aの仕事が、完全に正しいことです。Bから事前に頼まれた事情も、Aが便宜を図った事情も、ありません。それでも、Aは、犯罪になるのでしょうか。

結論を先に言います。Aには、単純収賄罪が成立します。197条1項の前段です。Aは市の職員ですから、公務員です。公務員の職務が金品と結びつく罪が、賄賂の罪です。それにしても、正しい仕事をしたのに、なぜ処罰されるのか。これが、今日の問いです。

今日の流れ 図:今日の流れ

今日の流れです。まず、197条1項の条文を読みます。次に、三つの考え方で、この罪が何を守っているのかを確かめます。続いて、賄賂の罪の類型を、地図にまとめます。最後に、事例で確認します。

197条1項を読む

197条1項の三つの切れ目 図:197条1項の三つの切れ目

条文に入る前に、一つ問いです。前回までに見た罪の中には、公務員という身分がなければ、犯罪自体が成立しない罪がありました。このような身分犯を、何と呼びましたか?真正身分犯です。197条1項の収賄罪も、主体は公務員だけですので、同じ真正身分犯です。条文です。

条文刑法197条1項

刑法197条1項(収賄、受託収賄及び事前収賄) 公務員が、その職務に関し、賄賂を収受し、又はその要求若しくは約束をしたときは、五年以下の拘禁刑に処する。この場合において、請託を受けたときは、七年以下の拘禁刑に処する。

句ごとに区切って読みます。一つ目は、公務員が、です。主体は公務員だけです。民間の人が金品を受け取っても、この条文の収賄罪にはなりません。二つ目は、その職務に関し、です。賄賂は、公務員の職務と結びついていなければなりません。この言葉の中身は大事な論点ですが、今日は扱いません。別の回で見ます。今日は、条文にこの言葉があると確かめるだけにします。三つ目は、賄賂を収受し、又はその要求若しくは約束をしたとき、です。行為は三つあります。収受は、賄賂を受け取ること。要求は、賄賂を渡すよう求めること。約束は、将来、賄賂を渡し、受け取ると取り決めることです。どれか一つで足ります。細かい意味は、別の回で見ます。法定刑は、前段が五年以下の拘禁刑で、罰金はありません。後段の請託は、職務について、こうしてほしいと頼まれて、それを引き受けることです。請託を受けたときは、七年以下です。これは類型の話なので、あとで見ます。ここで、条文の言葉を確かめます。この条文のどこにも、不正な行為をした、とも、職務を曲げた、とも書かれていません。書かれているのは、職務に関して、賄賂を収受、要求、約束した、ということだけです。設例のAは、職務に関して、現金十万円を収受しました。条文の言葉に、そのまま当てはまります。ですから、仕事が正しくても、成立するのです。

仕事が正しいのに、なぜ処罰するのか。条文の言葉だけでは、その理由までは分かりません。ここが、この罪の核心です。罰することで守ろうとしているものを、保護法益と言います。次に、保護法益についての三つの考え方を、設例に当てて確かめます。

何を守る罪なのか

三つの考え方(一つ目と二つ目) 図:三つの考え方(一つ目と二つ目)

保護法益が分かれば、設例の説明がつきます。三つの考え方を、設例のAに、一つずつ当てます。当てて説明がつかないものを、落としていきます。一つ目は、職務が賄賂で左右されないこと、つまり、職務が買収されないことを守る、という考え方です。職務の不可買収性を守ると考えるので、不可買収性説と呼ばれます。設例のAに当てます。Aは、お金をもらう前から、正しく許可を出しました。賄賂で職務は左右されていません。この考え方だけだと、Aは処罰できないはずです。しかも、先ほど確かめたとおり、197条1項前段は、職務が左右されたことを要件にしていません。条文の作りが、説明できません。二つ目は、職務が公正に行われること、そのものを守る、という考え方です。職務の純粋性を守ると考えるので、純粋性説と呼ばれます。設例のAに当てます。Aの職務は、公正でした。職務の公正は、害されていません。これでは、処罰の理由が言えなくなります。ここで、立ち止まって考えてください。設例のAは、職務を公正に行いました。職務の公正だけを守る立場では、処罰の理由が言えません。では、何が害されたと考えれば、この処罰が説明できるでしょうか?

三つ目の考え方 図:三つ目の考え方

三つ目の考え方は、信頼に目を向けます。職務の公正と、これに対する社会一般の信頼を守る、という考え方で、信頼保護説と呼ばれます。設例のAに当てます。Aの職務は公正でした。でも、職務の対価として金品が渡れば、あの人はお金で動くのではないか、あの許可はお金で買えるのではないか、という疑いが生まれます。職務の公正に対する、社会一般の信頼が害されます。ここに、処罰の根拠があります。冒頭の問いに、答えが出ました。Aの仕事は、正しいものでした。しかし、仕事の対価として現金を受け取れば、社会一般の信頼が害されます。だから、単純収賄罪が成立します。

判決の言葉 図:判決の言葉

判決の言葉を確かめます。最高裁の大法廷判決です。総理大臣が、運輸大臣を通じて、民間航空会社に特定の航空機を買うよう働きかけることを頼まれ、その対価として、総理大臣に金員が渡された事件で、保護法益を述べた部分です。この判決の本題は、賄賂と対価の関係に立つ行為の範囲という、別の論点です。保護法益は、その前提として述べられています。範囲の話は、別の回で見ます。読む前に補います。ここで言う、右のような行為とは、公務員の職務に属する行為のことです。もう一つ、けだし、は、なぜなら、という意味の古い言葉です。

判例最高裁判所大法廷判決(平成7年2月22日・刑集49巻2号1頁)

賄賂罪の保護法益 「賄賂罪は、公務員の職務の公正とこれに対する社会一般の信頼を保護法益とするものであるから、……けだし、公務員が右のような行為の対価として金品を収受することは、それ自体、職務の公正に対する社会一般の信頼を害するからである。」

判決は、賄賂罪は、職務の公正とこれに対する社会一般の信頼を保護法益とする、と述べています。そして、職務に属する行為の対価として金品を受け取ることは、それ自体が、職務の公正に対する社会一般の信頼を害する、と述べています。金品を受け取ること自体で信頼が害されるのですから、職務が実際に曲げられたかどうかは、問う必要がありません。設例のAの結論と、つながります。この立場は、判例と多数の学説が採ります。ただ、職務の公正だけを守ると考える立場も、なお有力に主張されています。

⭐ 論文で書く規範:賄賂の罪を読む物差し 「賄賂の罪が守っているのは、職務の公正と、これに対する社会一般の信頼である。」 「以後の解釈は、社会一般の信頼が害されるか、という物差しで考えていく。」 (要点)

この物差しを、設例の二人に当てます。Aは、許可を出したあと、現金十万円を受け取りました。許可という職務の対価として現金が渡れば、仕事が正しくても、お金で動くのではないか、という疑いが生まれます。信頼が害されるので、Aには、単純収賄罪が成立します。Bは、お礼のつもりで、その現金を渡した側です。渡す側がいなければ、職務と現金は結びつきません。お金で動くのではないか、という疑いの原因を、Bが作っています。ですから、Bには、贈賄罪が問題になります。この罪は、次の節の地図で確かめます。物差しの外側も、一つ見ます。例えば、Aが、休みの日に、担当する許可とは関わりのない、近所の人の引っ越しを手伝い、お礼に菓子折りを受け取ったとします。同じお礼でも、これは、Aの職務の対価ではありません。許可がお金で買えるのではないか、という疑いは生まれませんから、賄賂の罪にはなりません。物差しが見ているのは、職務の対価として渡ったかどうかです。この物差しは、これから何度も使います。次の回では、賄賂の範囲、つまり、金銭だけなのか、贈り物はどうなのかを、この物差しで決めます。別の回では、その職務の範囲を、同じ物差しで決めます。

賄賂の罪の類型の地図

類型の地図(収賄側) 図:類型の地図(収賄側)

賄賂の罪の類型を、一枚の地図にします。見るのは、名前と、条文番号と、基本形から何を足したか、何を変えたかだけです。各類型の要件は、別の回で見ます。基本形は、単純収賄罪、197条1項前段です。足すものは二つです。一つ目は、請託を受けた、つまり、頼まれて引き受けた、という事情です。足すと、受託収賄罪、197条1項後段で、七年以下の拘禁刑になります。二つ目は、実際に不正な行為をした、という事情です。足すと、加重収賄罪、197条の3の第1項と第2項で、一年以上の有期拘禁刑です。次に、変えるものです。主体を、これから公務員になろうとする者に変えると、事前収賄罪、197条2項です。主体を、公務員であった者に変えると、事後収賄罪、197条の3の第3項です。職務を、ほかの公務員へのあっせん、つまり、ほかの公務員に働きかけて口をきくことに変えると、あっせん収賄罪、197条の4です。受け取る人を、第三者に変えると、第三者供賄罪、197条の2です。この四つは、法定刑が、どれも基本形と同じ、五年以下の拘禁刑です。なお、この四つには、いずれも、請託を受けたことが要件に加わります。事後収賄では、在職中に不正な行為をしたことも要件です。あっせん収賄では、ほかの公務員に不正な行為をさせるよう、あっせんすることが要件です。不正な行為が実際に行われたことまでは、要りません。要件の中身は、別の回で見ます。

類型の地図(贈賄と没収・追徴) 図:類型の地図(贈賄と没収・追徴)

反対側に、渡した人の罪があります。贈賄罪、198条です。職務と金品を結びつけるには、渡す人が要ります。信頼を害する原因を作る側ですから、渡した人も罰されます。賄賂を供与し、申し込み、又は約束した者が対象です。法定刑は、三年以下の拘禁刑、又は罰金です。罰金は、二百五十万円以下です。そして、収受した賄賂は、必ず没収され、没収できないときは、その価額が追徴されます。197条の5です。なぜ、足すと重くなるのか。一文で言うと、信頼の害され方が大きくなるから、と整理できます。単純収賄は、職務の公正に対する信頼を害します。請託を受けたり、不正な行為までしたりすると、害され方が大きくなります。とくに不正な行為をすれば、職務の公正そのものも、実際に害されます。だから、重くなります。

変えた四つは、なぜ、基本形と同じ刑なのでしょうか。変える型は、刑を重くする型ではなく、処罰の範囲を広げる型だからです。公務員になる前、辞めたあと、ほかの公務員に口をきく場合、受け取るのが別の人である場合。どれも、197条1項の言葉からは外れる場面です。それでも、請託を受けて、職務が金品と結びつけば、お金で動くのではないか、という疑いは生まれます。物差しは同じです。だから、別の条文を置いて、処罰の範囲に入れています。法定刑は、基本形と同じ五年以下です。ここまでが、守っているものと、罪の地図です。

弁別ミニ事例

弁別ミニ事例 図:弁別ミニ事例

事例を四つ、考えてください。地図のどこに載るかを選びます。見るのは、基本形に、何かを足しているか、です。一つ目。市の職員が、正しい許可を出し、お礼として、現金を受け取りました。何罪でしょうか?単純収賄罪です。仕事が正しくても、職務の対価として受け取れば、社会一般の信頼が害されるからです。基本形で、何も足していません。二つ目。許可を頼まれ、それを引き受けたうえで、現金を受け取りました。受託収賄罪は、基本形に、請託を受けた事情を足した型で、法定刑は、七年以下の拘禁刑です。三つ目。頼まれて、法令に反する許可を出し、その見返りに、現金を受け取りました。

加重収賄罪は、基本形に、不正な行為をした事情を足した型で、法定刑は、一年以上の有期拘禁刑です。四つ目。お礼として現金を渡した、業者の側は、どうでしょうか?渡した側ですから、贈賄罪です。198条です。収賄罪は受け取る側を、贈賄罪は渡す側を罰します。

今日の整理

今日の整理 図:今日の整理

まとめます。

⭐ 論文で書く規範:今日の2点 「① 賄賂の罪が守っているのは、職務の公正と、これに対する社会一般の信頼。だから、正しい仕事への謝礼でも、単純収賄罪が成立する。」 「② 類型は、単純収賄罪を基本形にして、請託や不正な行為を足すか、主体や行為を付け替えるかで並ぶ。反対側に贈賄罪があり、収受した賄賂は必ず没収される。」 (要点)

最初の問いの答えをもう一度言います。市の職員Aの仕事は、正しいものでした。それでも、仕事の対価として現金を受け取れば、職務の公正に対する社会一般の信頼が害されます。だから、単純収賄罪が成立します。

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#199単独ページ動画

「賄賂」の意義と社交儀礼・政治献金

第18章 国家的法益|国家の存立・国交・国家の作用 ⑯/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

現金でなくても賄賂になるのか

今日の二つの場面 図:今日の二つの場面

前回の予告のとおり、今日は、賄賂とは何か、を見ます。場面を二つ出します。一つ目は、株の場面です。ある公務員が、業者から、値上がりが確実な株を、公開価格、つまり、売り出しのときの決まった値段で、買わせてもらいました。代金は、きちんと払っています。現金は、一円も受け取っていません。二つ目は、贈り物の場面です。子どもの担任の先生に、保護者が、季節の挨拶として、贈り物を渡しました。株の場面は、賄賂にあたりえます。贈り物の場面は、事情によります。分かれ目は、前回の物差しです。前回の結論を、呼び戻します。判例と多数の学説が採る立場では、賄賂の罪が守っているのは、職務の公正と、これに対する社会一般の信頼です。前回の設例では、市の職員Aが、正しく許可を出したあと、業者からお礼の現金十万円を受け取りました。仕事が正しくても、仕事の対価として現金を受け取れば、この信頼が害されるので、単純収賄罪が成立しました。賄賂にあたるかどうかも、この信頼が害されるかで決まります。今日は、この筋で、賄賂の中身を決めていきます。

今日の流れ 図:今日の流れ

今日の流れです。まず、条文で、賄賂という言葉を確かめます。次に、賄賂の定義と、利益の広さを見ます。続いて、中元や歳暮などの社交儀礼との限界、そして、政治献金との限界です。最後に、事例で確認します。

条文の中の「賄賂」 図:条文の中の「賄賂」

197条1項を読み直します。今日見るのは、賄賂を、という部分です。

条文刑法197条1項

刑法197条1項(収賄、受託収賄及び事前収賄) 公務員が、その職務に関し、賄賂を収受し、又はその要求若しくは約束をしたときは、五年以下の拘禁刑に処する。この場合において、請託を受けたときは、七年以下の拘禁刑に処する。

条文には、賄賂を収受し、とあります。ただ、賄賂とは何かは、条文のどこにも書かれていません。ですから、この言葉の中身は、判例と学説が、解釈で決めてきました。

「賄賂」の意義

賄賂とは 図:賄賂とは

では、前回の物差しで、賄賂の範囲を決めます。賄賂とは、公務員の職務に対する対価としての、不正な報酬です。典型は、金銭、物、不動産です。ただ、範囲は、それに限りません。人の需要や欲望を満たす利益であれば、足ります。広いのには、理由があります。その前に、前回の設例を思い出してください。Aの職務は、公正でした。それでも成立したのは、何が害されるからでしたか?職務の公正に対する、社会一般の信頼です。物差しが信頼ですから、利益の種類は問われません。どんな利益でも、職務と引き換えに渡されれば、その信頼が害されます。現金ではなく商品券でも、接待でも、疑いが生まれることは同じです。ですから、定義の、不正な、という言葉も、利益そのものが悪い物だという意味ではありません。職務と引き換えに受け取るから、不正なのです。なお、この定義は条文に書かれておらず、判例や学説が、解釈で立てた基準です。現金を受け取っていなくても、賄賂にあたる場合があります。たとえば、値上がりが確実な、まだ上場前、つまり、取引所で売り買いが始まる前の株を、公開価格で譲ってもらった場合は、どうでしょうか?

賄賂と認められた利益 図:賄賂と認められた利益

五つ並べます。判例が賄賂と認めた利益です。このうち、饗応接待と債務の肩代わりは、大審院、つまり、最高裁ができる前の一番上の裁判所の判例です。情交も、最高裁が、大審院以来の判例を確認したものです。一つ目は、株の利益です。最高裁の決定です。新規上場に先立って株式が公開されたとき、贈る人が、公開価格で提供すると申し出て、受け取る人が了承し、代金を払い込んだ事案です。

判例最高裁判所決定(昭和63年7月18日・刑集42巻6号861頁)

未公開株式を公開価格で取得できる利益 「なお、原判決の認定によれば、本件は、F株式会社、G株式会社その他の株式会社の株式が東京証券取引所等において新規に上場されるに先立ち、あらかじめその株式が公開された際、贈賄側の者が公開に係る株式を公開価格で提供する旨の申し出をし、収賄側の者がこれを了承してその代金を払い込むなどしたという事案であるが、右株式は、間近に予定されている上場時にはその価格が確実に公開価格を上回ると見込まれるものであり、これを公開価格で取得することは、これらの株式会社ないし当該上場事務に関与する証券会社と特別の関係にない一般人にとつては、極めて困難であつたというのである。以上の事実関係のもとにおいては、右株式を公開価格で取得できる利益は、それ自体が贈収賄罪の客体になるものというべきであるから、これと同趣旨に出た原判断は、正当である。」

上場すれば、価格が確実に公開価格を上回ると見込まれ、しかも、一般の人が公開価格で取得することは極めて困難でした。ですから、公開価格で取得できる利益それ自体が、賄賂の客体になります。現金は一円も渡っていません。株を買わせてもらえること自体が、利益です。二つ目は、異性間の情交です。最高裁は、以前からの判例を変更する必要はない、と確認しています。

判例最高裁判所判決(昭和36年1月13日・刑集15巻1号113頁)

異性間の情交と賄賂 「異性間の情交も賄賂の目的物となり得ることは夙に判例の示すところであり……、現在これを変更するの必要を認めない。」

三つ目は、饗応接待です。四つ目は、債務の肩代わりです。この二つは、大審院の時代から、判例が、賄賂と認めてきた類型です。料亭で接待を受けることも、借金を肩代わりしてもらうことも、人の需要を満たす利益です。五つ目は、思うように売れなかった土地を、買い取ってもらい、換金できる利益です。県知事の実弟が経営する会社が、土地を早く売る必要があったのに、売れずにいました。県が発注した工事を受注した謝礼の趣旨で、受注した業者の下請業者が、その土地を買い取り、代金を支払いました。代金は時価相当額だったとしても、というのが、決定の前提です。最高裁の決定です。

判例最高裁判所決定(平成24年10月15日・刑集66巻10号990頁)

土地を売却して換金できる利益 「このような事実関係の下においては,本件土地の売買代金が時価相当額であったとしても,本件土地の売買による換金の利益は,被告人Aの職務についての対価性を有するものとして賄賂に当たると解するのが相当である。」

代金が時価相当額だったとしても、損も得もないように見えます。しかし、売れずにいた土地を現金にできること自体が、利益です。決定の言う被告人Aは、県知事です。その利益が、県の工事を受注できたことへの謝礼として渡されたので、知事の職務への対価になります。ですから、代金が時価相当額でも、賄賂にあたりうるのです。次は、対価関係の細かさです。前回の設例の、市の職員Aで考えます。Aが許可を出したことへの謝礼でも、Aが担当している仕事の全体への謝礼でも、賄賂にあたります。どの書類のどの判断への謝礼か、までは特定できなくて構いません。最高裁の決定が、こう述べています。

判例最高裁判所決定(昭和33年9月30日・刑集12巻13号3180頁)

一定の職務に対する対価で足りる 「賄賂は職務行為に対するものであれば足り、個々の職務行為と賄賂との間に対価的関係のあることを必要とするものではないと解するを相当とする」

職務行為に対するものであれば足り、個々の職務行為との間に、対価的関係があることまでは要りません。決定は理由を述べていませんが、物差しに戻れば説明できます。どの判断への謝礼かが特定できなくても、仕事と引き換えに利益が渡れば、お金で動くのではないか、という疑いは、同じように生まれるからです。定義を、一枚にまとめます。

⭐ 論文で書く規範:賄賂の意義 「賄賂とは、公務員の職務に対する対価としての不正な報酬をいい、人の需要や欲望を満たす利益であれば足りる。」 「職務との対価関係は、一定の職務に対するもので足り、個別の職務行為との間の対価関係までは要しない。」 (要点)

逆に、賄賂にならない例も見ておきます。単純収賄罪、197条1項の主体は、公務員です。ですから、公務員でない人が、自分の仕事の報酬を受け取っても、この罪の問題にはなりません。また、職務への対価ではない贈り物も、賄賂ではありません。たとえば、仕事と無関係の恋人からの贈り物です。では、職務と関係がありそうな、中元や歳暮は、どうでしょうか。次に見ます。

社交儀礼との限界

社交儀礼の二つの基準 図:社交儀礼の二つの基準

中元、歳暮、お祝い、手土産。公務員に贈っても、すべてが賄賂になるわけではない、という感覚があります。どこで線を引くのでしょうか。考え方は二つあります。判例の基準は、職務との対価関係があるかどうか、です。対価関係が認められる限り、金額の多少を問わず賄賂です。大審院の判決は、社交上の儀礼と見える程度の贈り物でも、職務に関して授受される以上は、賄賂になる、という趣旨を述べています。前回の物差しから説明すると、こうなります。金額が小さくても、職務と引き換えなら、お金で動くのではないか、という疑いは生まれます。ただし、この説明は、大審院が述べた理由ではありません。有力な学説の基準は、慣習上、社交儀礼として是認される範囲かどうか、です。その範囲内なら、賄賂にあたりません。理由は、その範囲なら、職務の公正と、これに対する社会一般の信頼は害されないからです。物差しは、先ほどの、信頼です。是認される範囲かどうかは、公務員と贈る人との人的関係、二人の社会的地位、金額、時期、渡し方などで判断します。二つの基準は、一見、食い違います。ただ、実際のあてはめでは、近づきます。最高裁の事案で確かめます。

教諭への贈答の事案(事実) 図:教諭への贈答の事案(事実)

国立大学の附属中学校の教諭が、生徒の父兄から、贈答用の小切手を、何度も受け取った事案です。公訴事実、つまり、検察官が起訴した事実は、約二年間のことです。十二回、合計十二万円です。父兄九名から、収受したとされました。十二回のうち、三回だけを、第一審は有罪としました。三回の内訳を見ます。五千円が、一回。一万円が、二回です。五千円は、新学級の担任になった直後です。一万円は、卒業時です。原審も、これを維持していました。公訴事実は、判決ではこう書かれています。

判例最高裁判所判決(昭和50年4月24日・集刑196号175頁)

公訴事実の要旨 「本件公訴事実の要旨は、被告人は、昭和四一年三月上旬ころから同四三年三月下旬ころにかけて、A大学B付属中学校教諭としての学習指導等の職務に関し、生徒の父兄九名から前後一二回にわたり、贈答用小切手一二通額面合計一二万円の賄賂を収受したというものである。」

教諭への贈答の事案(判断) 図:教諭への贈答の事案(判断)

最高裁の判断を、二つに分けて見ます。まず、五千円の一回です。新学級担任になった直後のものです。

判例最高裁判所判決(昭和50年4月24日・集刑196号175頁)

新学級担任直後の五千円 「被告人が新規に右Cの学級担任になつた直後の時期においてであるところ、右Dは、Cの場合ばかりでなく、かねてから子女の教員に対しては季節の贈答や学年初めの挨拶を慣行としていたものであつて、これらの贈答に関しては、儀礼的挨拶の限度を超えて、教育指導につき他の生徒に対するより以上の特段の配慮、便益を期待する意図があつたとの疑惑を抱かせる特段の事情も認められないのであるから、本件小切手の供与についても、被告人が新しく学級担任の地位についたことから父兄からの慣行的社交儀礼として行われたものではないかとも考えられる余地が十分存するのであつて、右供与をもつて直ちに被告人が学級担任の教諭として行うべき教育指導の職務行為そのものに関する対価的給付であると断ずるには、記録上窺知することのできる被告人に対する他の父兄からの贈答状況、金額、被告人以外の教員の場合における同種事情、被告人が無罪とされた他の九個の事実との対比等の諸事情一切を総合考慮するときは、なお合理的な疑が存するものといわなければならないのである。」

供与の趣旨を述べる供述だけを見ると、お世話になりますというお願いのしるし、あるいはお礼、という言葉があり、賄賂に見えます。しかし、父兄は日頃から、季節の贈答や学年初めの挨拶を、慣行にしていました。儀礼的挨拶の限度を超えて、特別の配慮を期待する意図を疑わせる事情も、ありません。そのうえで、他の父兄の贈答状況、金額、他の教員の場合、無罪とされた他の事実との対比などを総合すると、職務行為そのものへの対価と断ずるには、なお合理的な疑いが存する、としました。刑事裁判では、有罪を認定するには、常識に照らして疑いが残らない程度の証明が要ります。合理的な疑いが残る場合は、有罪と認定できません。この判決は、賄賂と断ずるには、その疑いが残る、と言っているのです。次に、卒業時の一万円二件です。

判例最高裁判所判決(昭和50年4月24日・集刑196号175頁)

卒業時の一万円二件 「以上説示の諸事情に加え、その他記録上窺知できる諸般の事情をも総合して本件事実関係を見れば、第一審判決が掲げる証拠及び記録によつても、前記二件の供与をもつて、被告人の教諭としての公的職務に関し、これに対してなされたものであると断定するには、なお合理的な疑いの存することを払拭することができず、右二件の供与は、被告人の職務行為を離れた、むしろ私的な学習上生活上の指導に対する感謝の趣旨と、被告人に対する敬慕の念に発する儀礼の趣旨に出たものではないかと思われる余地があると言わなくてはならない。」

卒業時の二件は、二年間担任をした教諭への謝礼で、教諭が、勤務時間の外にまで熱心に指導した事情もありました。それでも、卒業時の謝恩的な贈答は、慣習的な儀礼として広く承認されていること、従来から中元や歳暮の儀礼的な贈答の慣行があったこと、私的な特別の指導への感謝や敬慕の念から出たと見る余地があることなどから、公的職務に対してなされたと断定するには、なお合理的な疑いが払拭できない、としました。主文です。

判例最高裁判所判決(昭和50年4月24日・集刑196号175頁)

主文 「原判決を破棄する。本件を大阪高等裁判所に差し戻す。」

教諭への贈答の事案(結論) 図:教諭への贈答の事案(結論)

結論の形を、正確に押さえます。最高裁は、賄賂に当たらないと言い切って、無罪にしたのではありません。賄賂と断ずるには、なお合理的な疑いが残るとして、原判決を破棄し、審理をやり直させたのです。破棄差戻しとは、原判決を取り消して、下級の裁判所に、審理をやり直させることです。理由は、賄賂性の認定について、審理を尽くしておらず、重大な事実を誤認した違法の疑いがある、ということでした。ここから取り出せることがあります。対価関係は、供与の趣旨の供述だけでは決まりません。贈答の慣行、金額、時期、他の人への贈答、特別の便宜を期待する事情があるかなどを、総合して判断しています。この事情は、学説の考慮事情、つまり、人的関係、社会的地位、金額、時期、態様と、重なります。形の上では対価関係を問いながら、あてはめでは、社交儀礼の事情を見ている、と整理できます。ただし、最高裁自身が、学説の基準を採ったと述べているわけではありません。設例に戻します。Aは、許可を出したあと、現金十万円を受け取りました。慣行的な挨拶と言える額か、関係か、時期か。許可という職務と結びついた現金で、儀礼の範囲を超えます。対価関係は強く、賄賂です。前回の結論と一致します。現金か贈り物かではありません。職務と引き換えで、信頼が害されるかどうかで決まります。

政治献金との限界

二つの献金の趣旨 図:二つの献金の趣旨

社交儀礼と同じ線引きが、政治献金でも問題になります。政治献金は、政治活動を支える正当な目的のものと、職務の対価にあたるものとが、似て見えます。分かれ目は、趣旨です。同じ献金でも、趣旨で結論が変わるのですか。変わります。献金した人の利益にかなう政治活動を、一般的に期待するだけなら、賄賂にあたらない方向です。政治活動を支えるための献金で、職務への対価として渡されたとは言えないからです。この法案を、このように修正してほしい、というように、政治家の職務の中身に、具体的な見返りを求める趣旨なら、賄賂にあたります。献金が、その職務と引き換えになるからです。ただし、一般的な期待にとどまるなら賄賂にあたらない、というのは、学説の整理です。最高裁の決定で確かめます。ハイヤー、タクシー業者が、新しく課税する石油ガス税法案が、衆議院の大蔵委員会で審査されている最中に、衆議院議員に金員を供与した事案です。

判例最高裁判所決定(昭和63年4月11日・刑集42巻4号419頁)

審査中の法案をめぐる金員の供与 「……被告人は、……石油ガス税法案が、既に内閣から衆議院に提出され、当時衆議院大蔵委員会で審査中であつたところ、……衆議院議員として法律案の発議、審議、表決等をなす職務に従事していたB、Cの両名に対し、単に被告人らの利益にかなう政治活動を一般的に期待するにとどまらず、右法案が廃案になるよう、あるいは、税率の軽減、課税実施時期の延期等により被告人らハイヤータクシー業者に有利に修正されるよう、同法案の審議、表決に当たつて自らその旨の意思を表明するとともに、衆議院大蔵委員会委員を含む他の議員に対して説得勧誘することを依頼して、本件各金員を供与したというのであるから、……右金員の供与は、衆議院議員たるB、Cの職務に関してなされた賄賂の供与というべきであつて、これと同旨の原判断は正当である。」

決定は、単に利益にかなう政治活動を一般的に期待するにとどまらず、法案が廃案になるよう、あるいは業者に有利に修正されるよう、審議や表決で意思を表明し、他の議員を説得することまで依頼して供与した、として、職務に関してなされた賄賂の供与としました。注意点です。この決定は、賄賂性を認めた事案です。一般的な期待にとどまる場合に、賄賂ではないと判示した決定ではありません。ただ、にとどまらず、という言い方から、一般的な期待にとどまる場合は別になる、という分かれ目が、読み取れます。整理します。具体的な依頼まであれば賄賂にあたる、という側は、この決定が認めています。一般的な期待にとどまれば賄賂にあたらない、という側は、判例ではなく、職務への対価とは言えない、という理由から、学説が導いた結論です。

事例で弁別とまとめ

弁別ミニ事例 図:弁別ミニ事例

事例を五つ、考えてください。賄賂にあたるか、あたらないかを選びます。見るのは、職務の対価かどうか、です。一つ目。市の職員が許可を出し、業者が、お礼として、高級商品券を渡しました。あたります。商品券は金銭ではありませんが、人の需要を満たす利益で、許可の対価だからです。商品券も、賄賂の利益にあたります。許可という職務と引き換えに渡されているからです。二つ目。市の工事の担当課長を、受注業者が、高級料亭で接待しました。饗応接待は、大審院以来、賄賂と認められてきました。三つ目です。市の職員が、仕事と無関係の友人から、誕生日に贈り物をもらいました。

職務と引き換えでない贈り物は、賄賂ではありません。四つ目は、二つで一組です。取引のある業者が、年末に、毎年の慣行どおり、少額の菓子折りを、担当職員に渡しました。許可の審査中ではなく、特別の依頼もありません。毎年の慣行どおりの少額の菓子折りで、審査中でもないので、職務の対価とは断じにくい場面です。では、対になる場面です。審査中の許可を頼みながら、高額の商品券を渡したら、どうでしょうか。あたる方向です。審査中の許可を頼んでいて、金額も大きいので、職務との対価関係が強いからです。同じ贈り物でも、関係、金額、時期、渡し方で分かれます。五つ目も、二つで一組です。政治団体が、議員に、今後の政治活動に期待して、寄付しました。

寄付の趣旨が、政治活動への期待だけなら、賄賂にあたらない方向です。対になる場面です。議員が審議中の法案について、具体的な修正を依頼して、お金を渡したら、どうでしょうか。あたります。職務の中身に、具体的な見返りを求めているからです。政治献金は、趣旨で分かれます。

今日の整理 図:今日の整理

まとめます。

⭐ 論文で書く規範:今日の3点 「① 賄賂にあたるかどうかも、職務の公正に対する社会一般の信頼が害されるか、で決まる。」 「② 賄賂とは、職務の対価としての不正な報酬。人の需要や欲望を満たす利益で足り、個別の職務行為との対価関係までは要らない。」 「③ 限界は、職務との対価関係があるか。社交儀礼は事情を総合して判断し、政治献金は趣旨で分かれる。」 (要点)

最初の問いの答えをもう一度言います。値上がりが確実な株を、公開価格で買える利益は、現金でなくても、賄賂にあたりえます。担任の先生への贈り物は、季節の挨拶の範囲なら、職務の対価とは断じにくく、職務と引き換えなら、賄賂です。分かれ目は、職務との対価関係でした。

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#200単独ページ動画

「その職務に関し」と一般的職務権限

第18章 国家的法益|国家の存立・国交・国家の作用 ⑰/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

担当ではない申請への謝礼は、その職務に関するのか

設例の人物関係 図:設例の人物関係

前回の予告のとおり、今日は、どこまでの仕事が、その職務にあたるのかを通して、条文にあった、その職務に関し、という言葉を見ます。設例を使います。市役所で、道路の占用許可を担当している職員Aと、工事業者Bです。今回は、別の場面を足します。Bの占用許可の申請は、課の担当割りでは、同僚の担当分でした。Aの担当ではありません。それでもBは、Aに、審査を急がせてほしい、と頼みました。Aは、急がせる、と請け負い、Bから現金十万円を受け取りました。これが、今日の問いです。答えから言います。Aは、その職務に関して受け取ったことになります。担当ではなくても、Aの仕事の範囲に属している申請なら、その職務にあたるからです。なぜそう言えるのかを、判決で確かめていきます。

呼び戻し:職務の公正と社会一般の信頼 図:呼び戻し:職務の公正と社会一般の信頼

先に、前々回の物差しを呼び戻します。判例と多数の学説が採る立場では、賄賂の罪が守っているのは、職務の公正と、これに対する社会一般の信頼です。今日の範囲も、この物差しを基に考えます。ただし、判決自身が理由として信頼を挙げている場面と、挙げていない場面があります。そこは分けて確かめます。答案で理由を書くときに、混ぜないためです。

197条1項の三つの切れ目 図:197条1項の三つの切れ目

197条1項を読み直します。三つの切れ目のうち、今日は、二つ目の、その職務に関し、です。

条文刑法197条1項

刑法197条1項(収賄、受託収賄及び事前収賄) 公務員が、その職務に関し、賄賂を収受し、又はその要求若しくは約束をしたときは、五年以下の拘禁刑に処する。この場合において、請託を受けたときは、七年以下の拘禁刑に処する。

条文は、その職務、としか書いていません。何が、その職務にあたるのかは、条文のどこにも書かれていません。ですから、範囲は、条文どおりではなく、判例が、解釈で決めています。

今日の流れ 図:今日の流れ

今日の流れです。まず、その職務の三つの層を、一枚の図で見ます。次に、現に担当している仕事と、仕事の範囲の違いを、判決で確かめます。続いて、最高裁の大法廷判決で、適法にできたかどうかが問われるのか、そして、総理大臣の指示の権限を見ます。最後に、冒頭の場面の答えを、もう一度確かめます。

「その職務」の三つの層

「その職務」の三つの層 図:「その職務」の三つの層

判例を整理すると、その職務は、三つの層に分けられます。一枚の図で、関係を見ます。一番内側が、具体的職務権限です。その公務員が、現に担当している事柄です。設例では、Aが自分で受け持っている許可の申請です。その外側が、一般的職務権限です。職権濫用罪のところで出てきた言葉で、意味も同じです。その公務員の仕事の範囲に属している事柄のことです。現には担当していなくても構いません。内側の、具体的職務権限も含みます。設例では、Aの課の、占用許可の事務の全体です。さらに外側が、職務密接関連行為です。その公務員の職務そのものではないけれども、職務と密接な関係にある行為のことです。今日は、名前と位置づけだけです。判例は、この三つとも、条文の、その職務にあたる、とします。

違いは、現に担当しているかどうかです。Aの課では、占用許可の審査が、課の事務として分担されているとします。Aが自分の担当として受け持つ申請は、具体的職務権限です。同僚の担当の申請は、Aの担当ではありませんが、同じ課の事務の範囲にあります。これは、Aの一般的職務権限です。仕事の範囲は、法令や、役所の事務の分け方を定めた規程で決まります。

職権と、その職務の違い 図:職権と、その職務の違い

ここで、前に見た、職権濫用罪の、職権と、取り違えないでください。そちらの職権は、一般的職務権限のうち、相手に、法律上、事実上の負担ないし不利益を生じさせるに足りる、特別の職務権限だけでした。賄賂の罪の、その職務には、そのような絞りがありません。一般的職務権限の全体を含み、さらに、密接関連行為まで広がります。同じ、一般的職務権限という言葉の上に、別の絞りが乗っているだけです。ここでの整理として、罪が守るものが違うので、言葉の範囲も違います。

「その職務」の三つの層 図:「その職務」の三つの層

なぜ広いのか、の見通しだけ言います。守っているのが、職務の公正と、社会一般の信頼だからです。担当ではない申請でも、Aの仕事の範囲にある事柄について現金が渡れば、あの許可はお金で買えるのではないか、という疑いが生まれます。担当かどうかで、その疑いは変わりません。ただし、判決自身がどんな理由を述べたかは、このあと、判決ごとに確かめます。最後に、この三つの層は、条文には書かれていません。判例の積み重ねを整理した型です。論文では、この三つの層を書いて、あてはめます。ここは、論文で論点になりうる部分です。

担当でなくても、その職務にあたる

担当割りと、課の事務の範囲 図:担当割りと、課の事務の範囲

設例の場面を、図に当てます。その前に、一問です。前回を思い出してください。賄賂になる利益は、現金に限られませんでした。では、賄賂とは、何に対する報酬でしたか?公務員の職務に対する対価としての、不正な報酬です。ただ、そこで言う、職務の範囲が、今日の話でした。設例です。Aの課では、占用許可の審査が、課の事務の全体として、分担されています。Bの申請は、同僚の担当分です。ですから、Aには、この申請を現に担当する権限、つまり、具体的職務権限がありません。ただ、この申請は、課の事務の範囲には属しています。Aの一般的職務権限には、属します。

判例は、あたる、とします。理由を、まず、判例の言葉ではなく、ここでの整理として言います。担当割りは、課の内部の事情で、いつでも変わるからです。担当でなければ除く、とすると、担当割りを書き換えるだけで、処罰の有無が変わってしまいます。判決自身が述べた理由は、これから見る判決で確かめます。

税務署の事案(事実) 図:税務署の事案(事実)

最高裁が、税務署の職員について判断した事案です。税務署の直税課、第一係の職員である被告人が、管内の納税者たちから、金品を受け取りました。問題になった点は二つです。ある納税者は、その年度に、係の主管者から分担を命ぜられた区域と業種の外にいました。また、別の贈り主の兄の所得税については、弁護人が、被告人は調査の補助者にすぎず、決定権は同僚にあった、と主張しました。分掌事務、つまり、係が分けて受け持っている事務、という言葉が出てきます。核心を読みます。

判例最高裁判所第一小法廷判決(昭和27年4月17日・刑集6巻4号665頁)

税務署の係の職員の職務権限 「されば第一係の所属職員は結局その第一係の分掌事務全般にわたつてこれに従事する職務権限を有するものであるといわなければならぬから、いやしくも第一係の所属職員である被告人はたとえ当該年度の担任ではなかつたとしても」……「法令上その職務権限を有するものであることは多言を要しないところである。」 …… 「たとい被告人においてEの兄の所得税の調査については補助者であつて決定権は同僚が有していたとしても右所得調査を目して被告人の職務権限に属しないものとはいえないこと論をまたぬ。」

判断です。第一係の職員は、係の分掌事務の全般について、職務権限を持ちます。その年度の担任ではなくても、法令上、その調査に関する職務権限を持ちます。同僚が決定権を持っていても、職務権限に属しない、とは言えません。収賄罪が成立しました。判決自身が述べた理由は、規程の読みです。税務署の分課規程と訓令に基づけば、係の職員は、係の分掌事務の全般に従事する職務権限を持ちます。分担事務の内容は、係の主管者が必要と認めれば、いつでも変更できます。この判決は、ここでは、信頼には触れていません。規程を読んで、職務権限を認めています。

ただし、担当の区域の内か外かが、判例の基準、というわけではありません。判決が見たのは、係の分掌事務の全般です。設例のAも、同じ課の事務の範囲に属する申請なら、担当が同僚でも、Aの職務権限の範囲です。次に、この考えを、一般論として言葉にした判決です。県の地方事務所の、農地課の事案です。

判例最高裁判所第三小法廷判決(昭和37年5月29日・刑集16巻5号528頁)

其職務は、一般的な職務権限で足りる 「刑法一九七条にいう「其職務」とは、当該公務員の一般的な職務権限に属するものであれば足り、本人が現に具体的に担当している事務であることを要しないものと解するを相当とする」

農地課に勤める事務吏員、つまり、事務を受け持つ県の職員が、日常は担当していない事務についても、課の分掌事務に属するものとして、課の事務の全般にわたり、上司の命を受けて処理し得る一般的な権限を持つ、とされた事案です。なお、この事件は、被告人も罪も複数で、結論は、一部の被告人について無罪部分を破棄して差し戻し、ほかの被告人の上告は棄却、というものでした。今日見るのは、其職務の一般論だけです。其職務は、その職務、と同じ意味です。要点は、二つです。その職務とは、その公務員の一般的な職務権限に属するもので足ります。本人が現に具体的に担当している事務であることは、要りません。つまり、具体的職務権限までは、要らないのです。これは、条文に書かれていない、判例の規範です。では、その公務員が、その行為を、法律上、適法にはできなかった場合は、どうでしょうか。次の判決で見ます。

適法にできたかは問わない・総理大臣の指示の権限

大法廷判決の事案 図:大法廷判決の事案

前々回の内容を、思い出してください。賄賂の罪が、守っているものは、何でしたか?職務の公正と、これに対する社会一般の信頼です。今日の判決は、前々回、この物差しの出どころとして出てきた、最高裁の大法廷判決です。総理大臣が、運輸大臣を通じて、民間航空会社に特定の航空機を買うよう働きかけることを頼まれ、その対価として、総理大臣に金員が渡された事件です。金員を渡した側の、贈賄罪の成否が争われました。贈賄罪は、賄賂を渡した側の罪です。渡した金員が賄賂と言えるのは、それが、公務員の職務の対価であるときだけです。ですから、頼まれた働きかけが、総理大臣の職務にあたるかどうかが、渡した側の罪の成否を決めます。前々回は、この判決の、次に引く一節の前半を見ました。今日は、その後半が本題です。

判例最高裁判所大法廷判決(平成7年2月22日・刑集49巻2号1頁)

職務権限と、適法にできたかどうか 「賄賂罪は、公務員の職務の公正とこれに対する社会一般の信頼を保護法益とするものであるから、賄賂と対価関係に立つ行為は、法令上公務員の一般的職務権限に属する行為であれば足り、公務員が具体的事情の下においてその行為を適法に行うことができたかどうかは、問うところではない。けだし、公務員が右のような行為の対価として金品を収受することは、それ自体、職務の公正に対する社会一般の信頼を害するからである。」

カードの言葉を補います。右のような行為、とは、前にある、公務員の一般的職務権限に属する行為のことです。前々回は、これを、公務員の職務に属する行為、と言いました。けだし、は、なぜなら、という意味です。判決は、二つのことを言っています。一つ目は、賄賂と対価関係に立つ行為は、法令上、公務員の一般的職務権限に属する行為であれば足りる、ということです。二つ目は、その公務員が、具体的な事情の下で、その行為を適法に行うことができたかどうかは、問わない、ということです。設例で考えます。Aが、書類が足りず、本来は許可を出せない申請について、許可を出す、と請け負って、現金十万円を受け取ったとします。実際には、適法に許可を出すことは、できませんでした。それでも、占用許可を出すという行為は、Aの仕事の範囲に属しています。ですから、その職務にあたります。逆に、水道料金の減額のように、Aの課の仕事の範囲に入らない行為は、できるかどうか以前に、一般的職務権限に属しません。適法にできたかを問わない、という結論の理由は、判決自身が述べています。それは、そのような行為の対価として金品を受け取ること自体が、職務の公正に対する社会一般の信頼を害するから、です。この場面では、判決が、信頼を理由に挙げています。前々回の物差しが、そのまま、判決の理由です。適法にできたかどうかで、信頼が害されるかどうかは、変わりません。

総理大臣の働きかけの二段の検討 図:総理大臣の働きかけの二段の検討

次に、この判決が、総理大臣の行為を、どう検討したかです。争われた行為は、総理大臣が、運輸大臣に、民間航空会社へ特定の機種を勧めるよう、働きかけることです。この判決の多数意見、つまり、裁判所としての判断は、これを、二段に分けて検討しました。一つ目は、運輸大臣が、民間航空会社に、特定の機種の選定購入を勧めることは、運輸大臣の職務権限に属するか、です。勧奨、つまり、すすめることです。機種を選ぶこと自体は、本来、航空会社が自分の責任で決める事柄です。明文の根拠規定もありません。ただ、新しい機種を就航させるには、運輸大臣の認可、つまり、大臣に認めてもらう手続が要ります。そこで、認可の仕組みの趣旨に照らして、必要な行政目的があるときは、運輸大臣が行政指導として勧めることも許される、と判決は考えました。行政機関は、任務や所掌事務、つまり、その機関が受け持つ事務の範囲内で、指導、勧告、助言などの行政指導ができます。判決は、こう述べています。

判例最高裁判所大法廷判決(平成7年2月22日・刑集49巻2号1頁)

運輸大臣の行政指導 「一般に、行政機関は、その任務ないし所掌事務の範囲内において、一定の行政目的を実現するため、特定の者に一定の作為又は不作為を求める指導、勧告、助言等をすることができ、このような行政指導は公務員の職務権限に基づく職務行為であるというべきである。」

行政指導とは、法律で命令するのではなく、指導や助言で、相手に動いてもらう、行政の方法です。ですから、運輸大臣の勧奨は、一般的には、運輸大臣の職務権限に属します。

二段目:総理大臣の働きかけ 図:二段目:総理大臣の働きかけ

二つ目は、総理大臣が、運輸大臣に、その勧めをするよう働きかけることは、総理大臣の職務権限に属するか、です。閣議、つまり、内閣の会議にかけて決めた方針がなくても、少なくとも内閣の明示の意思に反しない限り、総理大臣は、行政各部、つまり、各省などの行政機関に、指示を与える権限を持つ、と判決は述べました。

判例最高裁判所大法廷判決(平成7年2月22日・刑集49巻2号1頁)

内閣総理大臣の指示の権限 「内閣総理大臣は、少なくとも、内閣の明示の意思に反しない限り、行政各部に対し、随時、その所掌事務について一定の方向で処理するよう指導、助言等の指示を与える権限を有するものと解するのが相当である。したがって、内閣総理大臣の運輸大臣に対する前記働き掛けは、一般的には、内閣総理大臣の指示として、その職務権限に属することは否定できない。」

注目してほしいのは、少なくとも、内閣の明示の意思に反しない限り、という言葉です。閣議で決まった方針がなくても、内閣がはっきり反対していない限りは、総理大臣は、指示を与えられます。なぜ、二つとも要るのか。総理大臣の行為が、運輸大臣を通じた、間接的な働きかけだからです。働きかけの中身である、勧めることが、運輸大臣の職務権限に属することと、働きかけること自体が、総理大臣の職務権限に属することを、順に確かめたのです。働きかけが、総理大臣の職務にあたるので、結論は、贈賄罪の成立です。ここで、整理します。判決は、総理大臣や運輸大臣の権限について、具体的職務権限か、一般的職務権限か、と三つの層を使い分けて検討したわけではありません。使っている言葉は、職務権限に属する、一般的には、です。ですから、三つの層の図には、この判決を載せません。また、総理大臣の指示の権限は、総理大臣という地位についての、個別の判断です。規範として暗記するものではなく、論文では、あてはめる公務員の権限の根拠を、条文や法令から示します。もう一つ、この判決で押さえることがあります。結論は、裁判官全員が、贈賄罪の成立で一致しました。ただ、理由が分かれました。多数意見は、今見た、総理大臣の指示の権限を認めました。別の理由を述べた四名の裁判官の意見は、違います。運輸大臣の勧めは、特別な事情がなければ、運輸大臣の職務権限には属さない、とします。それでも、運輸大臣の職務と密接な関係にある行為で、総理大臣の指示は、その事実上の影響力に照らして、総理大臣の職務と密接な関係にある行為だから、結論は同じ、としました。

答案に書くのは、多数意見の判示です。一般的職務権限に属すれば足りること、そして、総理大臣は、内閣の明示の意思に反しない限り、指示の権限を持つことです。密接関連行為の理屈で、総理大臣の職務を認めたのは、この判決の多数意見ではなく、別の理由を述べた四名の意見です。混ぜないでください。なお、密接関連行為そのものは、最高裁が、別の事件で、正面から認めています。

二つの層の小まとめと、冒頭の場面への答え

三つの層と、判決の言葉 図:三つの層と、判決の言葉

三つの層を、判決の言葉つきで、もう一度見ます。具体的職務権限は、現に担当している仕事で、設例のAの担当分です。一般的職務権限は、仕事の範囲に属する事柄で、担当でなくても足ります。判例は、課や係の分掌事務の全般を、その公務員の職務権限と認めました。大法廷判決は、一般的職務権限に属する行為であれば足り、適法にできたかは問わない、と述べました。職務密接関連行為は、職務そのものではないが、職務と密接な関係にある行為です。三つとも、その職務です。もう一つ、整理があります。判決自身が信頼を理由に挙げたのは、大法廷判決の、適法にできたかを問わない場面でした。税務署の判決は、規程の読みで、職務権限を認めていました。総理大臣の指示の権限は、その地位についての個別の判断で、暗記する規範ではありません。理由を書くときに、混ぜないでください。

今日の整理 図:今日の整理

まとめます。

⭐ 論文で書く規範:今日の3点 「① 「その職務」は、三つの層。具体的職務権限は、現に担当している事柄。一般的職務権限は、仕事の範囲に属する事柄で、担当でなくてよい。職務密接関連行為は、職務そのものではないが、職務と密接な関係にある行為。」 「② 賄賂と対価関係に立つ行為は、法令上、一般的職務権限に属する行為であれば足り、適法にできたかどうかは問わない。」 「③ 判決が挙げた理由は、分けて覚える。適法にできたかを問わない理由は、社会一般の信頼が害されること。税務署の判決が職務権限を認めた理由は、規程の読み。」 (要点)

最初の問いの答えを、もう一度言います。Aの担当ではない申請でも、課の事務の範囲に属していれば、Aの一般的職務権限に属します。ですから、その職務にあたります。

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#201単独ページ動画

職務密接関連行為と職務関連性の3つの層

第18章 国家的法益|国家の存立・国交・国家の作用 ⑱/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

取りまとめ役の働きかけに、謝礼が出たらどうなるか

設例の人物関係 図:設例の人物関係

前回の最後に予告したとおり、今日は、職務そのものではない働きかけに、謝礼が出たらどうなるかを見ます。賄賂の罪の最初の回で立てた物差しを、一文で呼び戻します。判例と多数の学説が採る立場では、賄賂の罪が守っているのは、職務の公正と、これに対する社会一般の信頼です。設例を使います。市役所で、道路の占用許可を担当している職員Aと、工事業者Bです。今回は、別の場面を足します。Aは、課の予算案づくりを取りまとめる立場にもあります。ただし、個別の業者を選ぶのは、契約担当の係長の権限で、Aに指揮権はありません。それでもAは、取りまとめの立場を背景に、係長に、B社に便宜を、と働きかけました。そして、Bから現金十万円を受け取りました。

今日の問いは、権限のない事柄への働きかけでも、その職務に関して受け取った、と言えるのか、です。答えから言います。権限そのものがなくても、本来の職務と密接な関係にある働きかけなら、その職務に関して受け取ったことになりえます。なぜそう言えるのかを、最高裁の決定で確かめていきます。

197条1項の三つの切れ目 図:197条1項の三つの切れ目

197条1項を読み直します。三つの切れ目のうち、今日も、二つ目の、その職務に関し、です。

条文刑法197条1項

刑法197条1項(収賄、受託収賄及び事前収賄) 公務員が、その職務に関し、賄賂を収受し、又はその要求若しくは約束をしたときは、五年以下の拘禁刑に処する。この場合において、請託を受けたときは、七年以下の拘禁刑に処する。

条文は、その職務、としか書いていません。職務そのものではない働きかけが、そこに入るのかどうかは、条文のどこにも書かれていません。ですから、範囲は、条文どおりではなく、判例が、解釈で決めています。

今日の流れ 図:今日の流れ

今日の流れです。まず、その職務の三つの層の地図を、呼び戻します。次に、職務そのものではなくても含まれる、職務密接関連行為を、最高裁の決定で確かめます。そのあと、三つの層を並べて、場面ごとに見分けます。最後に、冒頭の場面を、もう一度確かめます。

「その職務」の三つの層の地図

「その職務」の三つの層 図:「その職務」の三つの層

最初に、一問です。前回の設例を思い出してください。Bの占用許可の申請は、課の担当割りでは、同僚の担当分でした。Aの担当ではないこの申請に謝礼が出ても、Aの、その職務に関して受け取った、と言えました。なぜでしたか?担当ではなくても、課の事務の範囲に属しているからです。この範囲を、一般的職務権限と呼びました。では、三つの層を、一枚の図で呼び戻します。判例を整理すると、その職務は、三つの層に分けられます。一番内側が、具体的職務権限で、その公務員が現に担当している事柄です。その外側が、一般的職務権限で、その公務員の仕事の範囲に属している事柄です。ここまでが、前回の内容です。今日の主題は、一番外側の帯です。職務密接関連行為、つまり、その公務員の職務そのものではないけれども、職務と密接な関係にある行為です。前回、総理大臣が、運輸大臣を通じて、民間の航空会社に働きかけた事件の、大法廷判決を見ました。贈賄罪の成立という結論は全員一致でしたが、理由は分かれました。この外側の帯の理屈を使ったのは、多数意見ではなく、別の理由を述べた四名の裁判官の意見でした。今日は、この層を、最高裁が正面から認めた別の決定を見ます。

三つの層は、判例が、三つに分けて判示したものなのですか。違います。三つの層は、判例を整理した型です。判決が、三つの層という言葉で判示したわけではありません。ただ、三つとも、条文の、その職務にあたる、というのが、判例の立場です。三つの層は、条文には書かれていません。ですから、論文では、この三つの層を書いて、あてはめます。ここは、論文で論点になりうる部分です。

職務そのものでなくても、職務密接関連行為

長官の働きかけの事案(事実) 図:長官の働きかけの事案(事実)

冒頭の問いに、最高裁が答えた事案があります。決定の事実を見ます。なお、これは決定の事実で、冒頭の設例とは別の話です。北海道開発庁、国の役所の長官である被告人が、港湾工事の受注を希望する会社の代表者らから、下部組織である開発局の港湾部長に、受注できるよう指示するなど、便宜な取り計らいを求められました。被告人は、長官室に港湾部長を呼び出し、予定される工事の表を出させるなどして、その会社が特定の工事を落札できるよう、便宜を求めました。その報酬として、合計六百万円の現金を受け取りました。押さえる点が、二つあります。一つ目は、この港湾工事について、長官に、指揮監督の権限はなかったことです。二つ目は、ただし、予算の実施計画づくりの段階では、庁と、下部組織の開発局や、その地域ごとの開発建設部などが協議して計画案を作り、長官は、予算の実施計画の作製事務を統括する権限に基づいて、職員を指導できる地位にあったことです。しかも、当時は、落札させる業者を、港湾部長が指名して、業者に通知することが、常態化していました。この通知を受けた業者の間で、入札金額を調整する談合が行われていました。決定の理由を読む前に、一問です。賄賂の罪の最初の回を思い出してください。賄賂の罪が守っているものは、何でしたか?

職務の公正と、これに対する社会一般の信頼です。この決定が、その言葉を、どう使ったかに注目して読みます。

決定が見た形と中身 図:決定が見た形と中身

決定の判断は、三つに分かれます。一つ目は、長官の働きかけが、長官の職務と密接な関係のある行為にあたるか、です。二つ目と三つ目は、被告人の主張に対する答えです。まず、一つ目を読みます。

判例最高裁判所第一小法廷決定(平成22年9月7日・刑集64巻6号865頁)

長官の働きかけと、職務に密接な関係のある行為 「北海道開発庁長官である被告人が,港湾工事の受注に関し特定業者の便宜を図るように北海道開発局港湾部長に働き掛ける行為は,職員に対する服務統督権限を背景に,予算の実施計画作製事務を統括する職務権限を利用して,職員に対する指導の形を借りて行われたものであり,また,被告人には港湾工事の実施に関する指揮監督権限はないとしても,その働き掛けた内容は,予算の実施計画において概要が決定される港湾工事について競争入札を待たずに工事請負契約の相手方である工事業者を事実上決定するものであって,このような働き掛けが金銭を対価に行われることは,北海道開発庁長官の本来的職務として行われる予算の実施計画作製の公正及びその公正に対する社会の信頼を損なうものである。したがって,上記働き掛けは,北海道開発庁長官の職務に密接な関係のある行為というべきである。」

言葉を補います。服務統督権限とは、職員が、職務を正しく果たすよう、上から指導し、取り締まる権限です。予算の実施計画とは、予算を使って、どの工事を、いつ、どこで行うかを、具体的に決める計画です。本来的職務とは、長官が、本来行うべき職務のことです。決定が見たのは、働きかけの形と中身です。形は、三つです。服務統督権限を背景にしたこと。予算の実施計画の作製事務を統括する職務権限を利用したこと。指導の形を借りたことです。中身は、指揮監督の権限はなくても、競争入札を待たずに、工事業者を事実上決めるものだったことです。このような働きかけが、金銭を対価に行われれば、どうなるか。決定は、長官の本来的職務である、予算の実施計画作製の公正と、その公正に対する社会の信頼を損なう、と述べました。ですから、長官の職務に密接な関係のある行為、とされました。ここで、決定自身が理由に挙げたのは、この事案での、予算の実施計画作製の公正と、その信頼までです。そして、決定は、働きかけの形と中身を挙げています。職務権限を背景にした働きかけで、中身が、業者を事実上決めるものだった、という点です。判例だから、ではなく、この二つが、本来の職務と結びついていたからです。

長官には、港湾工事の指揮監督の権限がなかったんですよね。それでも、長官の職務になるのですか。そこが、この決定の山場です。指揮監督の権限という、行為そのものの権限がなくても、本来の職務との関係が密接なら、その職務にあたる、と決定は考えました。長官の本来の職務は、予算の実施計画の作製です。その段階で、業者を事実上決めてしまう働きかけが、金銭で動くなら、その実施計画の公正が疑われるからです。冒頭の設例に戻します。Aは、取りまとめの立場を背景に、契約担当の係長に働きかけています。その中身が、業者の選定にかかわるものなら、Aの取りまとめという本来の職務と結びついた働きかけで、密接関連行為になりえます。逆に、予算の取りまとめとはまったく関係のない頼み事を、ただ同じ庁舎の人にしただけなら、本来の職務との関係が見えません。見るのは、行為の権限ではなく、本来の職務との関係です。

被告人の主張と、決定の答え 図:被告人の主張と、決定の答え

次に、被告人の二つの主張への答えを見ます。主張の一つ目は、こうです。入札の前に、落札する業者を決めてしまうのは、前に見た、談合にかかわる行為です。そういう行為は、正当な職務としては、およそ行えない、違法な類型だから、密接な関係のある行為には、なり得ない、というものです。決定は、こう答えました。

判例最高裁判所第一小法廷決定(平成22年9月7日・刑集64巻6号865頁)

違法な行為でも、判断は左右されない 「当該行為が密接関係行為に当たるかどうかは上記のように本来の職務との関係から判断されるべきものであり,その行為が所論のいうような違法な行為であることによってその判断は直ちには左右されないと解するのが相当である。」

決定の言う密接関係行為は、職務密接関連行為のことです。これにあたるかは、本来の職務との関係から判断します。その行為が違法でも、その判断は、直ちには左右されません。違法だから、職務と関係がない、とはなりません。言い換えると、適法かどうかと、職務と関係があるかどうかは、別の問いです。問われているのは、その行為が、適法な職務かどうかではなく、本来の職務との関係が密接かどうかです。談合は違法ですが、業者を事実上決めるという働きかけの中身が、予算の実施計画づくりという本来の職務と結びついていることは、変わりません。そして、その働きかけが金銭で動けば、実施計画づくりの公正が疑われることも、変わりません。主張の二つ目は、前回の大法廷判決をよりどころにしたものです。あの判決は、働きかけを受ける運輸大臣の権限も、確かめていました。ところが、この事件では、受注業者の指名が、港湾部長の職務権限に属することを、認定していない。だから、あの判決に反する、という主張です。条文を見直すと、197条1項は、公務員が、その職務に関し、と書いています。決定は、この、職務に関し、を、賄賂を受け取った公務員自身の職務との関連性だ、と述べました。働きかけを受ける公務員の職務との関連性は、条文上の要件そのものではありません。ですから、その関連性を、それ自体として認定する必要は、一般にはありません。決定は、一般には、と断っています。働きかけを受ける側の職務との関連性は、一般には、それ自体として認定しなくてよい、というのが決定の答えです。

答案に書く枠組みは、こうなります。密接な関係があるかどうかは、本来の職務との関係から判断します。その行為が違法でも、判断は直ちには左右されません。そして、職務権限を利用した働きかけか、その中身は何か、を見ます。

密接関連行為とされた他の例 図:密接関連行為とされた他の例

ほかにも、密接関連行為にあたるとされた例として、挙げられるものがあります。議員が、同僚の議員に、ある議案への賛成を働きかける行為。国立の芸術大学の教授が、学生に、特定の楽器の購入を勧めたり、あっせんしたりする行為です。議員は、議案を審議して、賛否を決めるのが職務です。教授は、学生を指導するのが職務です。どちらの働きかけも、職務そのものではありませんが、その本来の職務と結びついています。

学説による整理 図:学説による整理

ここで、なぜ密接関連行為まで含めるのか、を整理します。これは、決定の理由ではなく、学説による整理です。一つ目は、その行為に謝礼が出ても、職務の公正に対する社会一般の信頼が害されることです。二つ目は、条文の言い回しです。前に見た、公務執行妨害罪の95条1項は、職務を執行するに当たり、と書いていました。あちらは、具体的な職務を執行している時を指す言葉でした。197条は、職務に関し、です。執行している時に限らない言葉ですから、職務そのものでなくても、含められる、という説明です。最後に、一つだけ見通しです。自分の職務とは関係のない公務員に、働きかける場合は、別の罪、あっせん収賄の問題になります。これは、別の回で見ます。

三つの層を並べて、場面を見分ける

三つの層と、判決の言葉 図:三つの層と、判決の言葉

三つの層を、判決の言葉つきで、もう一度見ます。具体的職務権限は、現に担当している仕事で、設例のAの担当分です。一般的職務権限は、仕事の範囲に属する事柄で、担当でなくても足ります。判例は、課の分掌事務の全般を、その公務員の職務権限と認めました。職務密接関連行為は、職務そのものではなくても、密接な関係にある行為で、判例は、長官の働きかけを、これにあたるとしました。三つとも、その職務です。もう一つ、整理があります。今日の決定が、自分で理由に挙げたのは、予算の実施計画作製の公正と、その信頼でした。密接関連行為まで含める理由として、社会一般の信頼や、条文の言い回しを挙げたのは、学説による整理です。答案で理由を書くときは、この二つを混ぜないでください。ここからは、場面を四つ並べます。Aの場面ごとに、三つの層のどれにあたるか、どの層にもあたらないかを、答えを聞く前に、自分で選んでください。

場面ごとの違い、どの層か 図:場面ごとの違い、どの層か

一つ目。Aが、自分の担当の申請について、現金十万円を受け取りました。一つ目は、具体的職務権限です。Aが、現に受け持っている申請だからです。二つ目。Aが、課の中の、別の担当の申請について、現金十万円を受け取りました。二つ目は、一般的職務権限です。Aの担当ではなくても、課の事務の範囲に属しているからです。三つ目は、冒頭の場面です。Aは、予算案づくりの取りまとめの立場を背景に、契約担当の係長に働きかけて、現金十万円を受け取りました。業者の選定は、Aの権限ではなく、Aに指揮権もありません。三つ目は、職務密接関連行為です。Aに権限はなくても、取りまとめという本来の職務と結びついた働きかけで、中身が、業者の選定にかかわるからです。四つ目です。Aが、自分の課の事務とは全く関係のない、別の部署の発注について、現金十万円を受け取り、その部署の職員に、口をききました。

四つ目は、どの層にもあたりません。Aの本来の職務と、結びついていないからです。197条1項の、その職務には、あたりません。自分の職務と関係のない公務員への働きかけは、先ほど触れた別の罪、あっせん収賄の問題です。三つ目と四つ目の違いが、今日の山場です。どちらも、Aの担当でも指揮権の範囲でもありません。分けたのは、本来の職務との関係が、あるかないかです。

今日のまとめ

今日の整理 図:今日の整理

まとめます。

⭐ 論文で書く規範:今日の3点 「① 職務そのものでなくても、職務と密接な関係にある行為は、その職務にあたる。」 「② 密接な関係かどうかは、本来の職務との関係から判断する。その行為が違法でも、その判断は直ちには左右されない。」 「③ その職務は、具体的職務権限・一般的職務権限・職務密接関連行為の三つの層。場面ごとに、どれにあたるかで見分ける。」 (要点)

最初の問いの答えを、もう一度言います。取りまとめの立場を背景にした、業者の選定にかかわる働きかけは、職務密接関連行為にあたりえます。ですから、Aは、その職務に関して受け取ったことになりえます。

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#202単独ページ動画

転職前の職務と将来の職務

第18章 国家的法益|国家の存立・国交・国家の作用 ⑲/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

異動したあとの礼と、来年度の仕事への謝礼

設例の人物関係 図:設例の人物関係

前回の最後に予告したとおり、今日は、時間の面から、その職務を見ます。異動したあとに、前の課の仕事への礼を受け取った場合と、来年度の仕事への謝礼だった場合です。まず、前回までの内容を呼び戻します。その職務は、判例を整理すると、三つの層に分けられました。現に担当している具体的職務権限、仕事の範囲に属する一般的職務権限、職務そのものではないけれど密接な関係にある職務密接関連行為です。三つとも、条文の、その職務にあたります。物差しは、判例と多数の学説が採る立場で、職務の公正と、これに対する社会一般の信頼が害されるかどうかです。設例は、これまでと同じです。市役所で、道路の占用許可を担当している職員Aと、工事業者Bです。今日は、二つの場面を考えます。場面一です。Aは、仕事の範囲が違う別の課に異動しました。異動したあとで、Bから、前の課で出した許可への礼として、現金を受け取りました。Aは、今も市の職員です。場面二です。Aは、今も道路課にいます。来年度に予定されている工事の占用許可について、まだ申請は出ていませんが、今のうちに便宜を頼まれて、現金を受け取りました。

今日の問いは、その職務に、過去の職務と将来の職務が入るのか、です。答えから言います。場面一は、判例が収賄罪の成立を認めています。場面二は、決定は市長の再選の事案ですが、その考え方を広げた学説の整理に従えば、含まれます。なぜそう言えるのか、何を判例が述べ、何が学説の整理なのかを、分けて確かめます。

197条1項の三つの切れ目 図:197条1項の三つの切れ目

197条1項を読み直します。三つの切れ目のうち、今日も、二つ目の、その職務に関し、です。

条文刑法197条1項

刑法197条1項(収賄、受託収賄及び事前収賄) 公務員が、その職務に関し、賄賂を収受し、又はその要求若しくは約束をしたときは、五年以下の拘禁刑に処する。この場合において、請託を受けたときは、七年以下の拘禁刑に処する。

条文は、その職務、としか書いていません。仕事の範囲だけでなく、いつの職務なのかも、条文のどこにも書かれていません。ですから、時間の範囲も、判例の判断と、学説の整理で決まります。

今日の流れ 図:今日の流れ

今日の流れです。まず、転職前の職務を、判例と学説で確かめます。次に、将来の職務を、決定で確かめます。そのあと、三つの層と時間の面を混ぜて、場面を見分けます。最後に、冒頭の二つの場面に答えます。

転職前の職務、異動したあとに前の課の礼を受け取ったら

異動の前と後 図:異動の前と後

場面一を整理します。Aは、道路課で占用許可を担当していました。その後、仕事の範囲が違う別の課に異動しました。Aは、今も市の職員で、公務員です。異動したあとで、Bから、前の課で出した許可への礼として、現金を受け取りました。問題は、条文の、その職務が、Aの今の職務だけを指すのか、それとも、Aが自分の職務として担ってきた、過去のものも含むのか、です。結論が変わります。自分の職務と読めば、収賄罪が成立します。今の職務と読めば、前の課の仕事は、その職務から外れますから、収賄罪は成立せず、事後収賄罪が問題になるにとどまります。事後収賄罪は、賄賂の罪の最初の回で名前を見た、197条の3の第3項の別の類型です。主体が、公務員ではなく、公務員であった者になっています。ここで一問です。異動したあとのAが、前の課の仕事の礼を受け取りました。その職務を、今の職務と読むのと、自分の職務と読むのとで、罪名はどう変わるでしょうか?

つまり、同じ事実でも、その職務の読み方ひとつで、罪名が分かれます。これが、転職前の職務の問題の所在です。

どこで争いになるのか 図:どこで争いになるのか

実は、争いになるのは、場面一のような、ごく限られた場合だけです。表に、四つの場面を並べます。一つ目は、職を変える前に収受した場合です。これは、もとから自分の今の職務ですから、通常の収賄罪で、争いはありません。二つ目が、争いの場面です。仕事の範囲、つまり一般的職務権限を異にする職に転じて、今も公務員で、転じたあとに、前の職務について収受した場合です。場面一が、これです。三つ目は、民間に転職して、公務員でなくなったあとに収受した場合です。197条1項は、公務員が、と書いています。公務員でなくなった者の収受は、収賄罪ではなく、事後収賄罪の問題です。ここは、争いがありません。四つ目は、同じ種類の職務に転じた場合です。前の仕事と今の仕事が、同じ仕事の範囲にあるなら、前の課の仕事も今の課の仕事も、どちらの読み方でも、その職務です。ここも、争いはありません。争いが残るのは、二つ目だけです。仕事の範囲が変わり、しかも公務員のままだからです。

昭28決定と昭58決定 図:昭28決定と昭58決定

判例を見ます。二つの決定があります。ここで、取り違えやすい点があります。一つは収賄罪の事件、もう一つは、賄賂を渡した側の、贈賄罪の事件です。まず、収賄罪の事件から読みます。

判例最高裁判所第二小法廷決定(昭和28年4月25日・刑集7巻4号881頁)

転職後に前の職務に関して賄賂を収受した場合 「収賄罪は公務員が職務に関し賄賂を収受するによつて成立する犯罪であつて、公務員が他の職務に転じた後、前の職務に関して賄賂を収受する場合であつても、いやしくも収受の当時において公務員である以上は収賄罪はそこに成立し、賄賂に関する職務を現に担任することは収賄罪の要件でないと解するを相当とする。」

この事件では、他の職務に転じた後に、前の職務に関して賄賂を受け取っていました。弁護人は、前の職務とあとの職務に関連があり、後の職務のほうが優位にあることが必要だ、と主張しました。決定は、そのような見解をとりませんでした。決定が挙げた理由は、収受の当時において公務員である以上、という点です。賄賂に関する職務を、今、現に担当していることは要件ではない、と述べました。

判例最高裁判所第二小法廷決定(昭和58年3月25日・刑集37巻2号170頁)

転職後に前の職務に関して賄賂を供与した場合 「贈賄罪は、公務員に対し、その職務に関し賄賂を供与することによつて成立するものであり、公務員が一般的職務権限を異にする他の職務に転じた後に前の職務に関して賄賂を供与した場合であつても、右供与の当時受供与者が公務員である以上、贈賄罪が成立するものと解すべきである」

こちらは、賄賂を渡した側の、贈賄罪の事件です。県の係長だった職員は、住宅供給公社に出向し、従前とは一般的職務権限を異にする、公社の参事兼課長の職務についていました。ただ、県の職員の身分は引き続き持っていて、公社の職員は、法律上、公務員とみなされていました。この職員の前の職務に関して現金五十万円を渡した者に、贈賄罪が成立するか、が争われました。決定は、渡した当時に、受け取った側が公務員である以上、贈賄罪が成立する、と述べました。贈賄の事件をここで読むのは、決定が、同じ、その職務に関し、という言葉を使っているからです。カードの冒頭で、決定は、贈賄罪を、公務員に対し、その職務に関し、賄賂を渡すことで成立する、と言い表しています。そのうえで、他の職務に転じたあとに、前の職務に関して渡した場合でも成立する、と述べました。その職務に関し、という言葉は、収賄の側の197条1項と同じです。収賄の側の結論は、最初に読んだ決定が、正面から述べています。この決定は、渡した側の罪を判断したものです。二つの決定に共通するのは、収受か供与の当時に、受け取る側が公務員である、という点です。決定が挙げた理由は、ここまでです。信頼が害されるから、という説明は、決定自身の理由としては述べていません。次の学説に入る前に、一問です。賄賂の罪が守っているものは、なんでしたか?

職務の公正と、これに対する社会一般の信頼です。この言葉が、次の学説の説明に出てきます。

収賄罪説と事後収賄罪説 図:収賄罪説と事後収賄罪説

学説は、二つに分かれます。収賄罪説と、事後収賄罪説です。収賄罪説は、その職務を、自己の職務、つまり、過去から現在を通じた、その公務員の職務と読みます。結論は、収賄罪です。学説による説明は、こうです。過去の職務に関することでも、公務員が賄賂を受け取れば、職務の公正に対する社会一般の信頼が害される、というものです。場面一でいえば、Aは課を移っただけで、今も市の職員です。そのAが、前の課で出した許可の礼を受け取れば、市の仕事はお金で動くのか、と見られる、というわけです。事後収賄罪説は、その職務を、現在の職務と読みます。結論は、収賄罪は成立せず、事後収賄罪が問題になるにとどまる、です。学説による説明は、収賄罪説では、賄賂と職務の結びつきを求める趣旨が崩れ、成立が必要以上に広がる、というものです。

事後収賄罪説に、弱いところはないんですか。あります。事後収賄罪の主体は、公務員であった者です。ところが、場面一のAは、今も公務員です。今も公務員である者を、公務員であった者として扱うのは、無理がある、という批判があります。判例は、収賄罪説の立場です。学説は分かれますが、収賄罪説をとる者が多いとされています。ここで、二つを分けて覚えてください。今日の二つの決定が挙げた理由は、受け取る者が、その当時に公務員である、という点でした。転職前の職務について、信頼が害されるから、と説明しているのは、学説です。賄賂の罪が何を守るのか、という場面で、判例が信頼を挙げていることとは、別の話です。場面一への答えを、ここで一度まとめます。Aは今も公務員で、異動したあとに、前の課の仕事の礼を受け取りました。判例は、収賄罪の成立を認めます。なお、その職務を、今の職務と読むのか、自己の職務と読むのかは、論文で論点になりうる部分です。

将来の職務、来年度の仕事への謝礼

「その職務」の三つの層 図:「その職務」の三つの層

今度は、時間を先に進めます。その前に、一問です。前回の内容です。職務そのものではない働きかけに謝礼が出た場合、どの層にあたるのでしたか?職務密接関連行為です。職務そのものではなくても、本来の職務と密接な関係にあれば、その職務にあたりました。三つの層は、仕事の範囲を、内から外に広げたものでした。今日は、この図に、時間という別の軸を足します。場面二です。Aは、今も道路課にいて、来年度に予定されている工事の占用許可について、今のうちに便宜を頼まれ、現金を受け取りました。申請は、まだ出ていません。まだ存在しない仕事への謝礼でも、その職務にあたるのかが、問いです。

市長の事案(事実) 図:市長の事案(事実)

判例を見ます。これは決定の事実で、冒頭の設例とは別の話です。ある市の市長が、任期満了の前に、次の選挙で再選された場合に、具体的に担当することが予定されていた、市庁舎の建設工事などについて、業者から、入札参加者の指名や、入札の執行などに便宜な取り計らいをされたい、という頼みを受けました。その報酬として、現金三千万円を受け取りました。市長と共謀した被告人の事案です。決定の言葉を読みます。点が三つ入っていますから、数えながら聞いてください。

判例最高裁判所第三小法廷決定(昭和61年6月27日・刑集40巻4号369頁)

再選された場合に担当すべき具体的職務 「このように、市長が、任期満了の前に、現に市長としての一般的職務権限に属する事項に関し、再選された場合に担当すべき具体的職務の執行につき請託を受けて賄賂を収受したときは、受託収賄罪が成立すると解すべきであるから、被告人の本件所為について受託収賄罪の成立を認めた原判断は正当である。」

決定が述べた三点 図:決定が述べた三点

決定の言葉を、三つの点に分けます。一つ目は、時期です。受け取ったのは、任期が終わる前、まだ市長でいる間でした。二つ目の点は、仕事の範囲です。市が発注する工事について、入札参加者の指名や入札の執行を管理する権限は、今の市長の仕事の範囲、つまり一般的職務権限に入っていました。三つ目は、頼まれた中身です。再選されたら自分が担当することになる具体的な仕事について、請託を受けていました。賄賂の罪の最初の回で見たとおり、受託収賄罪は、収賄の基本形に、請託を受けた事情を足した型です。この三つの点がそろうと、その受託収賄罪が成立する、と決定は述べました。

再選は、確実ではありません。それでも成立する手がかりは、二つ目の点にあります。まだ無いのは、三つ目の点の、再選されたあとに担当する具体的な仕事のほうです。市が発注する工事の、入札参加者の指名や入札の執行を管理する、市長としての一般的職務権限は、再選される前の今、現にあります。再選後の庁舎の建設工事は、その今の仕事の範囲に属する事項で、まったく別の、手の届かない仕事ではありません。決定は、この、現に、という言葉を条件に入れています。言葉が似ていますから、一つ区別します。三つの層の一番内側、具体的職務権限は、現に担当している事柄でした。決定の三つ目の点の、具体的職務は、まだ担当していない、これから担当する仕事です。今すでにあるのは、一般的職務権限のほうです。もう一つ、大事な区別があります。決定は、将来の職務は、一般的職務権限に属していれば足りる、とまでは書いていません。書いたのは、先ほどの三つの点です。これに対して、将来の職務も、その公務員の一般的職務権限に属する限り、その職務にあたる、というのは、決定の考え方を一般化した、学説の整理です。この整理は、三つの層の、真ん中の層を思い出すと、筋が見えます。三つの層を見た回で確かめたとおり、一般的職務権限は、現には担当していなくても、仕事の範囲に属していれば、その職務にあたる、というものでした。これから担当する仕事も、今は担当していませんが、今の仕事の範囲に属しています。ですから、同じように、その職務にあたる、という整理になります。決定が述べた範囲と、整理を、混ぜないでください。

場面二への答えを、ここでまとめます。Aは、今も道路課にいて、来年度の占用許可は、今の課の仕事の範囲に属する事項です。決定が述べた三つの点のうち、現に一般的職務権限に属する、という点は満たします。決定は市長の再選の事案ですから、場面二そのものを判断したわけではありません。ただ、学説の整理に従えば、場面二も、その職務にあたります。来年度の許可を、Aはまだ担当していませんが、今のAの課の仕事の範囲に属しているからです。最後に、もう一つ区別です。今は公務員ではなく、これから公務員になろうとする者が受け取る場合は、別の類型で、事前収賄といいます。今日の将来の職務は、今、公務員である者の話です。

三つの層と時間の面を混ぜて、場面を見分ける

三つの層と、時間の面 図:三つの層と、時間の面

ここからは、仕事の範囲の問いと、時間の問いを、混ぜて出します。Aの場面ごとに、聞かれている軸が、仕事の範囲か、時間かを、答えを聞く前に、自分で選んでください。見分け方は、一つです。お金の対象になった仕事が、いつの仕事かを見ます。今の職の、今の仕事について、どこまでがその職務に入るのかを聞いていれば、仕事の範囲の問いです。職を変える前の仕事や、これから先の仕事について受け取っていれば、時間の問いです。

場面ごとの違い 図:場面ごとの違い

一つ目。Aが、課の中の、別の担当の申請に口をきいて、現金十万円を受け取りました。一つ目は、仕事の範囲の問いで、一般的職務権限にあたり、その職務です。二つ目。Aが、仕事の範囲が違う課に異動したあと、前の課の仕事の礼として、現金を受け取りました。Aは、今も市の職員です。二つ目は、時間の問いで、今も公務員ですから、判例は収賄罪です。三つ目。Aが、民間の会社に転職して、公務員でなくなったあとに、前の課の仕事の礼を受け取りました。三つ目も、前の課の仕事について受け取っていますから、時間の問いです。ただ、受け取った時に公務員でなくなっていますから、争いなく、収賄罪ではなく、事後収賄罪の問題です。二つ目と三つ目の違いは、受け取った時に、Aが公務員かどうかです。四つ目。Aが、同じ種類の職務をする別の課に異動したあと、前の課の仕事の礼を受け取りました。

四つ目も、前の課の仕事について受け取っていますから、時間の問いです。ただ、異動の前と後で仕事の範囲が同じですから、その職務を、今の職務と読んでも、自己の職務と読んでも、結論は変わりません。争いなく、その職務です。五つ目。Aが、自分の課の事務と全く関係のない、別の部署の発注に口をきいて、現金を受け取りました。五つ目は、どの層にもあたりません。自分の職務と関係のない公務員への働きかけは、その職務の問題ではなく、あっせん収賄という別の罪の問題になります。今日の山場は、聞かれている軸を、見分けることです。一つ目と五つ目は、今の職の、今の仕事について、どこまでがその職務に入るのかを聞く、仕事の範囲の問いでした。残りの三つ、二つ目から四つ目は、どれも、職を変える前の仕事について受け取っていますから、時間の問いです。時間の問いの中で、結論を分けるのは、二つです。受け取った時に公務員かどうかと、職を変える前と後で、仕事の範囲が同じかどうかです。公務員でなくなっていれば、収賄罪の枠から外れます。仕事の範囲が同じなら、争いは起きません。冒頭の場面二のように、これから先の仕事について受け取る場合も、時間の問いです。

今日のまとめ

今日の整理 図:今日の整理

まとめます。

⭐ 論文で書く規範:今日の3点 「① 転職前の職務は、収受の当時に公務員である以上、収賄罪が成立する(判例は収賄罪説。学説は分かれる)。」 「② 将来の職務は、任期満了の前に、現に一般的職務権限に属する事項で、再選された場合に担当すべき具体的職務なら、含まれる(決定が述べた範囲)。」 「③ 判例が挙げた理由と、学説による説明は、分けて覚える。聞かれている軸が、仕事の範囲か、時間かも、見分ける。」 (要点)

最初の問いの答えを、もう一度言います。場面一は、Aは今も公務員ですから、判例は収賄罪の成立を認めます。場面二は、来年度の許可が、Aの今の課の仕事の範囲に属する事項ですから、決定の三つの点のうち、現に一般的職務権限に属する点を満たし、学説の整理に従えば、その職務にあたります。

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#203単独ページ動画

単純収賄罪と恐喝による収賄

第18章 国家的法益|国家の存立・国交・国家の作用 ⑳/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

脅して出させた現金は、賄賂なのか

設例の人物関係 図:設例の人物関係

設例から入ります。市役所で、道路の占用許可を担当している職員Aと、工事業者Bです。Aは、Bに迫りました。許可がほしければ、現金を払え。払わなければ、申請は通さない。Bは怖くなって、現金二十万円を渡しました。Aは、Bを脅して、現金を出させています。ですから、恐喝罪に当たることは、問題ありません。問いは、もう一つのほうです。Aは市の職員ですから、収賄罪も成立するのでしょうか。脅し取った現金は、賄賂と言えるのでしょうか。迷うところです。今日の問いは、脅して出させた現金が、職務の対価と言えるのか、です。答えから言います。分かれ目は、Aに、職務を執行する意思があるかどうかです。許可という職務を、現に行うつもりで迫ったのなら、現金は職務の対価と言えて、収賄罪も成立しえます。最初から行うつもりが無く、許可を口実にしただけなら、恐喝罪だけです。理由は、後半で、判決と学説で確かめます。その前に、土台になる条文を読みます。

197条1項の三つの切れ目 図:197条1項の三つの切れ目

197条1項です。今日は、前段を読みます。

条文刑法197条1項

刑法197条1項(収賄、受託収賄及び事前収賄) 公務員が、その職務に関し、賄賂を収受し、又はその要求若しくは約束をしたときは、五年以下の拘禁刑に処する。この場合において、請託を受けたときは、七年以下の拘禁刑に処する。

先に、一つ確かめます。前段には、請託という言葉がありません。頼まれたという事情は、前段のどこにも書かれていません。つまり、頼まれごとが無くても、成立します。頼まれて引き受けた場合を重く罰するのが後段です。前回の最後に、請託の意味を予告しました。請託は、後段で刑を重くする事情ですから、土台になる前段を先に読み、請託の意味は、次の回で見ます。三つの切れ目のうち、二つ目の、その職務に関し、は、前回までの三つの層と、時間の面で見たとおりです。今日は、一つ目の、公務員が、という部分と、三つ目の、収受、要求、約束を、ていねいに読みます。

今日の流れ 図:今日の流れ

今日の流れです。まず、単純収賄罪の要件を、条文どおりに確かめます。次に、脅して出させた場合を、判決と学説で見ます。そのあと、五つの場面で、罪名を選びます。最後に、冒頭の問いに答えます。

単純収賄罪の要件、主体と三つの行為と故意

主体は公務員 図:主体は公務員

一つ目は、公務員が、です。この罪は、公務員という身分があってはじめて成立し、身分が無ければ、犯罪自体が成立しません。前に見た、真正身分犯です。民間の人が金品を受け取っても、この条文の単純収賄罪にはなりません。設例のAは、市の職員ですから、主体に当たります。

収受・要求・約束 図:収受・要求・約束

二つ目は、行為です。収受、要求、約束の三つです。前に名前だけ置きましたから、今日は、いつ成立するのかまで確かめます。収受は、賄賂を、現に受け取ることです。受け取った時に成立します。要求は、賄賂を渡すよう、相手に求めることです。求めた時に成立し、相手が応じなくても成立します。約束は、将来、賄賂を渡し、受け取ると、相手と合意することです。合意が成立した時に成立し、現に受け取るのは、あとでかまいません。設例で並べます。Aが、Bに、許可の礼として、二十万円がほしいと持ちかけました。Bは断りました。現金は一円も動いていませんが、Aには、求めた時点で、単純収賄罪が成立します。Bが、では来月お渡しします、と応じて合意したなら、約束です。合意した時点で成立します。来月、現に現金を受け取れば、収受です。条文は、収受し、又は、要求若しくは約束、と、又は、でつないでいます。ですから、三つのうち、どれか一つで足ります。

収賄罪と贈賄罪は、いつも両方そろって成立するわけではありません。収賄は、収受、要求、約束で、贈賄は、供与、申込み、約束です。受け取るほうと渡すほうが、おもてと裏の関係にあります。ただ、どちらか一方だけが成立することも多くあります。賄賂の申込みを断られた場合は、渡そうとしたほうの贈賄罪だけです。このように、相手がいてはじめて成り立つ形の犯罪を、対向犯と言い、収賄罪と贈賄罪は、その例です。贈賄罪の成否の中身は、贈賄罪の回で見ます。

重ねても罪は一つ 図:重ねても罪は一つ

ここで一問です。Aが、現金を要求し、来月払うと約束し、翌月に受け取りました。行為は三つです。成立する単純収賄罪は、いくつでしょうか?要求し、約束し、受け取ると、行為は三つですが、成立する単純収賄罪は、一つだけです。包括一罪と呼ばれ、大審院の判例も、そう扱っています。理由は、学説による説明ですが、害される法益が一つだけだからです。職務の公正と、これに対する社会一般の信頼という、一つのものを、同じ職務について、要求から収受へと段階を進めて害しただけです。三つの罪が積み重なるのではなく、一つの罪の中で、行為が進んだと考えます。

故意は賄賂性の認識 図:故意は賄賂性の認識

もう一つ、故意です。単純収賄罪は、故意犯です。受け取るもの、求めるもの、約束するものが、公務員の職務に対する対価としての、不正な報酬、つまり賄賂であることの認識が要る、と解されます。設例で、Aが、Bから渡された封筒を、旅先の土産代とだけ思って受け取ったなら、職務の対価だという認識がありません。故意が無いので、単純収賄罪は成立しません。

脅して出させた現金と収賄罪、判決と学説

問いは二段 図:問いは二段

冒頭の場面に戻ります。Aは、Bを脅して現金を出させました。恐喝罪、249条1項は、人を恐喝して財物を交付させた者を罰します。Aに恐喝罪が成立することは、前に見たとおりで、問題ありません。問いは、二段に分かれます。一つ目は、Aに収賄罪が成立するのか、です。二つ目は、成立するなら、恐喝罪と、どう並ぶのか、です。なお、脅されて渡したBに、贈賄罪が成立するかも、別に問題になりますが、贈賄罪の回で見ます。なぜ、収賄罪が引っかかるのか。恐喝罪は、相手が怖くなって渡す罪です。収賄罪は、職務の対価を受け取る罪です。怖くなって渡した現金が、職務の対価と言えるのか。そこが引っかかります。

順に確かめます。分かれ目は、冒頭で言ったとおり、Aに、職務を執行する意思があるかどうかです。判決を読む前に、一問です。Aに、最初から許可を出すつもりが無いなら、受け取った現金は、職務の対価と言えるでしょうか?許可を出すつもりが無いなら、許可と引き換えに渡したことにならないので、対価とは言いにくいと思います。許可を出すつもりが無いのに、出す顔をして現金を出させたのなら、その現金は、職務と引き換えに受け取ったものとは言いがたい、ということです。この点を、判決で確かめます。

判決の事実 図:判決の事実

判決の事実です。これは、設例とは別の話です。警察官が、職務を執行する意思が無いのに、ただ職務の執行に名を借りて、被害者を脅し、財物を出させました。被害者は、警察官に、自分の犯行を押さえられていたので、処罰を恐れて出しました。被告人側は、これを職務の執行だと争いました。古い言葉を補います。名を職務の執行にかりて、は、職務の執行を口実にして、という意味です。たとい、雖も、は、たとえ、であっても、という意味です。

判例最高裁判所第一小法廷判決(昭和25年4月6日・刑集4巻4号481頁)

職務を執行する意思が無い公務員が、脅して財物を出させた場合 「人を恐喝して財物を交付せしめる場合には恐喝罪が成立する。本件のように公務員がその職務を執行するの意思がなく、ただ名をその職務の執行に籍りて、人を恐喝し財物を交付せしめた場合には、たといその被害者の側においては公務員の職務に対し財物を交付する意思があつたときと雖も、当該公務員の犯行は、収賄罪を構成せず恐喝罪を構成するものと見るを相当とする。すなわち、被害者の側では公務員たる警察官に自己の犯行を押さえられているので処罰を怖れて財物の交付をするのであつて、全然任意に出でた交付ということはできないから、恐喝罪のみを構成するものである。」

判決が述べたのは、ここまでです。公務員に、職務を執行する意思が無く、職務の執行に名を借りて脅した場合は、収賄罪は成立せず、恐喝罪だけが成立します。判決自身の理由は、被害者のほうは、処罰を恐れて財物を渡したのであり、全然任意に出た交付とは言えない、というものです。たとえ被害者のほうに、職務への対価として出す気持ちがあったとしても、結論は同じだと、判決は述べています。ここで、判決が述べていないことを分けます。職務を執行する意思がある場合に、収賄罪が成立する、とは、この判決は述べていません。これは、学説による整理です。学説は、こう説明します。職務を執行する意思が最初から無ければ、受け取った現金は、職務と対価の関係に立つとは言えない。だから、収賄罪は成立しない。逆に、意思があるなら、現金は職務の対価と言えるので、収賄罪も成立しうる。判決の理由は、被害者の交付が任意かどうか。学説の理由は、職務と対価の関係です。理由が違いますから、混ぜないでください。前に確かめたことと、ぶつかるように聞こえるかもしれません。賄賂は、個別の職務行為との対価関係までは要らず、その行為を適法にできたかどうかも問わない、と見ました。あれは、職務と引き換えに受け取っていることを前提に、どの行為の礼か、適法にできたか、までは問わない、という話でした。今日の話は、その手前です。職務を行うつもりが最初から無く、職務が口実でしかないなら、学説の整理では、職務と引き換えという関係そのものが、認めがたいのです。

設例の二つの場面 図:設例の二つの場面

設例のAに当てます。場面アです。Aは、現金を出せば許可を出し、出さなければ許可を出さないつもりで迫りました。許可という職務を、現金と引き換えに、現に使うつもりです。職務を執行する意思がある場面です。場面イです。Aは、最初からBの申請を審査するつもりは全く無く、許可がほしければ、という言葉は、現金を出させるための口実にすぎませんでした。意思が無い場面で、判決の場面と同じ向きです。アなら、収賄罪が成立しうる。イなら、恐喝罪だけです。場面アでも、Bは、怖くなって現金を渡していますよね。判決は、怖れて渡したのだから任意の交付ではない、と言っていました。同じ理由で、場面アも恐喝罪だけになりませんか。そこが、つまずきやすい所です。判決は、本件のように、職務を執行する意思がなく、と、場面を限って述べています。意思がある場面アについては、何も述べていません。ですから、判決が、場面アも恐喝罪だけだと述べた、とは読めません。場面アを決めているのは、学説の整理です。学説の整理が見るのは、渡す側の気持ちではなく、現金が職務と引き換えかどうかです。怖れて渡した現金でも、許可と引き換えに出たのなら、職務の対価です。この整理では、渡す側が怖れていたことは、収賄罪の成立を妨げません。場面イは、どちらの理由でも、恐喝罪だけです。判決の理由では、任意の交付ではないから。学説の理由では、職務と引き換えではないからです。

守るものの違い 図:守るものの違い

場面アで、収賄罪と恐喝罪がどう並ぶかを見る前に、一問です。恐喝罪の回を思い出してください。恐喝罪が守っているものは、何でしたか?占有そのもの、つまり、個人の財産です。恐喝罪は、個人の財産、財物の占有を守る罪で、判例は、占有そのものを守ると考えています。収賄罪が守るのは、職務の公正と、これに対する社会一般の信頼でした。守るものが違います。場面アのAは、一個の行為、つまり、脅して、許可と引き換えに現金を要求し、受け取るという行為で、収賄罪と、恐喝罪の、二つの罪名に触れます。恐喝罪だけで罰すると、職務の公正への信頼が害されたことが、評価されずに残ります。収賄罪だけで罰すると、Bの財産が害されたことが、残ります。守るものが違いますから、一方が他方を吸収する、つまり、一方の罪に含めて、もう一方を別には成立させない、という扱いはできず、両方が成立します。一個の行為ですから、観念的競合で、54条1項前段により、最も重い刑で処断されます。観念的競合は、数罪が成立したまま、一罪に近く扱われ、重い刑一つにまとめられる関係です。ここも、分けて言います。この結論は、学説による整理で、理由は、守るものが違う、ということです。判決が直接述べたのは、職務を執行する意思が無い場合までですから、判決が観念的競合を採った、とは言いません。答案では、一つ目に、意思の有無で収賄罪の成否を決め、二つ目に、成立するなら、両方成立して観念的競合、と、二段で書きます。論文で論点になりうる部分です。

学説の三つの結論 図:学説の三つの結論

ここまで使ってきた整理は、学説の一つの立場です。学説は、三つに分かれます。残りの二つと並べて、位置を確かめます。一つ目は、恐喝罪だけが成立する、という説です。理由は、脅し取られた現金の授受を、贈賄、収賄の問題にするのは不合理、というものです。二つ目は、意思の有無を問わず、両方が成立して観念的競合、という説です。理由は、公務員に収賄罪が成立するのに、完全に任意の交付である必要はない、というものです。批判は、最初から職務を行う意思が無いなら、職務の対価という関係は認めがたい、という点です。三つ目は、意思がある場合に限って、両方が成立して観念的競合、意思が無ければ恐喝罪だけ、という説です。今日採るのは、三つ目です。採る理由を、残りの説と比べて言います。意思を問わない説では、場面イでも収賄罪が成立することになり、判決の、意思が無ければ恐喝罪のみ、という結論と合いません。恐喝罪だけとする説では、場面アも恐喝罪だけになり、許可が現金と引き換えにされた点が、罪名に表れません。意思がある場合に限る説なら、判決の結論と合い、場面アで、守るものを取りこぼしません。

場面の弁別、五つの場面で罪名を選ぶ

五つの場面 図:五つの場面

場面ごとに、聞かれている軸を、答えを聞く前に選んでください。見分け方は、現金が脅しで出たかどうかです。脅しが無ければ、行為と罪数の問いです。脅しがあれば、職務を執行する意思の問いです。一つ目です。Aが、許可を出したあと、Bが礼として渡した二十万円を、受け取りました。脅しはありません。許可の礼として、現金を現に受け取っていますから、収受で、単純収賄罪です。二つ目です。Aが、Bに、許可の礼として二十万円がほしいと持ちかけましたが、Bは断りました。要求は、相手が応じなくても、求めた時点で成立しますから、現金が動いていなくても、単純収賄罪です。三つ目です。Aが、Bを脅して、許可と引き換えに二十万円を出させました。Aは、現金が出れば許可を出し、出さなければ出さないつもりでした。

職務を執行する意思がありますから、現金は職務の対価と言え、収賄罪も成立します。守るものが違うので、恐喝罪と両方成立し、一個の行為なので、観念的競合です。四つ目です。Aが、Bを脅して二十万円を出させましたが、最初からBの申請を審査するつもりは無く、許可は口実でした。職務を執行する意思が無く、職務を口実にしただけですから、収賄罪は成立せず、恐喝罪だけです。五つ目です。Aが、Bに二十万円を要求し、来月払うと合意し、翌月に現に受け取りました。要求、約束、収受と進んでも、害される法益は一つですから、単純収賄罪が一つだけ成立します。包括一罪です。今日の分かれ目を整理します。一つ目、二つ目、五つ目は、行為と罪数の問いで、収受、要求、約束のどれかを見て、重ねても一罪になる、と考えました。三つ目と四つ目は、脅しがあるときの問いで、分かれ目は、職務を執行する意思です。意思があれば、収賄罪と恐喝罪が両方成立し、意思が無ければ、恐喝罪だけです。

今日のまとめ

今日の整理 図:今日の整理

まとめます。

⭐ 論文で書く規範:今日の2点 「① 単純収賄罪は、公務員が、職務の対価を、収受、要求、約束のどれか一つで成立する。頼まれごと(請託)は要らず、重ねても罪は一つ。」 「② 脅して出させた場合は、職務を執行する意思が最初から無ければ恐喝罪だけ(判決が述べた範囲)。意思があれば、両方成立して観念的競合(学説による整理)。」 (要点)

最初の問いの答えを、もう一度言います。Aが脅して現金を出させた場合、Aに職務を執行する意思があるなら、現金は職務の対価ですから、収賄罪が成立し、恐喝罪とは守るものが違うので、両方成立して観念的競合です。ここは、学説による整理です。意思が最初から無く、許可が口実だけだったなら、恐喝罪だけです。最高裁判決が述べたのは、この、意思が無い場合までです。

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#204単独ページ動画

受託収賄罪の請託と事前収賄罪

第18章 国家的法益|国家の存立・国交・国家の作用 ㉑/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

当選前に受け取った現金は罪になるか

設例の人物関係 図:設例の人物関係

設例から入ります。市長選挙の候補者が、います。市の工事を請け負っている工事業者Bが、候補者に頼みました。当選したら、市の工事で便宜を図ってください。候補者は、分かりました、と応じ、その場で、Bから現金を受け取りました。候補者は、まだ公務員ではありません。市長選挙は、これからです。落選したら、どうなるのでしょうか。当選したら、どうなるのでしょうか。そもそも、この現金は、いつ、犯罪になるのでしょうか。今日の問いは、この現金が、いつ、犯罪になるのか、です。答えから言います。落選すれば、処罰されません。当選すれば、事前収賄罪という罪が問題になります。犯罪がいつ成立するかは、条文の、公務員となった場合において、という部分の読み方で分かれます。理由は、後半で確かめます。その前に、前回の最後に予告した、請託という言葉の意味を、はっきりさせます。請託は、197条1項の後段に出てくる言葉で、この設例の罪にも、要件として入っています。前に作った類型の地図を、思い出してください。基本形の単純収賄罪に、請託を受けたという事情を足すと、受託収賄罪になりました。主体を、これから公務員になろうとする者に変えると、事前収賄罪になりました。どちらも、請託が鍵です。

今日の流れ 図:今日の流れ

今日の流れです。まず、請託の意味を、判決で確かめます。次に、請託を足した受託収賄罪を見ます。続いて、主体を変えた事前収賄罪の要件を見ます。そのあと、条文の、公務員となった場合において、という部分を、どう読むかを考えます。最後に、五つの場面で罪名を選び、冒頭の問いに答えます。条文です。1項と2項を、続けて読みます。

条文刑法197条1項

刑法197条1項(収賄、受託収賄及び事前収賄) 公務員が、その職務に関し、賄賂を収受し、又はその要求若しくは約束をしたときは、五年以下の拘禁刑に処する。この場合において、請託を受けたときは、七年以下の拘禁刑に処する。

条文刑法197条2項

刑法197条2項(収賄、受託収賄及び事前収賄) 公務員になろうとする者が、その担当すべき職務に関し、請託を受けて、賄賂を収受し、又はその要求若しくは約束をしたときは、公務員となった場合において、五年以下の拘禁刑に処する。

1項の後段が、請託を受けたときを、七年以下にしています。2項が、公務員になろうとする者の罪です。どちらにも、請託という言葉があります。まず、この言葉からです。

請託と受託収賄罪

請託の場面 図:請託の場面

前に出てきた、市役所で道路の占用許可を担当している職員Aと、工事業者Bに戻ります。Bが、Aに頼みました。次の占用許可を、順番を待たずに出してください。Aは、分かった、と応じました。後日、Bは現金を渡し、Aは、それを受け取りました。前回の単純収賄罪なら、頼まれたかどうかは問題になりませんでした。五年以下です。ところが、今回のように、頼まれて、引き受けたうえで受け取ると、197条1項の後段で、七年以下になります。何が加わったのか。それが、請託です。請託というのは、頼まれることですよね。不正なことを頼まれた場合だけが、請託なのでしょうか。そこが、一つ目の疑問です。判決で確かめます。読む前に、古い言葉を一つ補います。苟も、は、いやしくも、と読み、かりにも、という意味です。

判例最高裁判所第三小法廷判決(昭和27年7月22日・刑集6巻7号927頁)

請託の意味 「刑法一九七条後段の請託とは公務員に対して一定の職務行為を行うことを依頼することであつて、その依頼が不正な職務行為の依頼であると、正当な職務行為の依頼であるとに関係なく、苟も公務員が請託を受けて賄賂を収受した事実ある以上同条後段の収賄罪は成立し、……」 「公務員の職務の公正を維持するためには正当な職務行為に対しても賄賂による買収を許すことを得ないことは明らかである。」

判決が述べたことを、順に分けます。一つ目は、請託の意味です。公務員に対して、一定の職務行為を行うことを依頼すること、です。二つ目は、その依頼が、不正な職務行為の依頼でも、正当な職務行為の依頼でも、関係がない、ということです。公務員が請託を受けて賄賂を収受した以上、後段の収賄罪は成立する、と述べています。三つ目が、判決が理由として述べた部分です。公務員の職務の公正を維持するためには、正当な職務行為に対しても、賄賂による買収を許すことはできない、というものです。設例に当てます。Bが頼んだのは、順番を待たずに許可を出すことでした。これは不正な職務行為の依頼です。ただ、判決の言葉は、不正でも正当でも関係がない、でした。ですから、Bが、順番どおりに、法令どおりに、許可を出してください、と頼んだだけの場合でも、請託にあたります。頼むほうが不正を求めたかどうかで、請託は分かれません。賄賂の罪が守るものから見ても、同じ向きです。守るのは、職務の公正と、これに対する社会一般の信頼でした。正しい仕事でも、その対価として現金を受け取れば、お金で動くのではないか、と疑われ、信頼は害されます。ですから、前に見たとおり、正しい仕事への謝礼でも、単純収賄罪は成立しました。請託も、同じ理由で、正しい仕事の依頼で足ります。反対の場面も見ます。Aが、順番どおりに許可を出したあとで、Bが、お礼だけを渡した場合は、事前の頼みごとがありません。請託を受けたとは言えず、単純収賄罪の問題です。

もう一つ、請託には、受けた、という言葉が付いています。依頼があっただけで、足りるのでしょうか。ここで一問です。Bが、次の許可を早く出してほしいと頼みました。Aは、何も答えず、黙っていました。後日、現金を受け取りました。Aは、請託を受けた、と言えるでしょうか?

請託を受けたと言える場面 図:請託を受けたと言える場面

迷うところです。受けた、とは、依頼を引き受ける、つまり承諾することです。依頼が来ただけでは足りず、承諾が要ります。ですから、はっきり断ったのなら、請託を受けたことにはなりません。その場合でも、あとで現金を受け取れば、単純収賄罪は、問題になりえます。一方で、承諾は、言葉で、分かった、と言った場合に限りません。黙示でもよい、と一般に整理されています。これは、判決の言葉ではありません。黙っていても、うなずくなどの態度で、引き受けたと見られる場合は、承諾があります。先ほどの問いの答えは、こうなります。黙ったまま、態度でも引き受けたと見られるなら、請託を受けた。何も承諾していないと見られるなら、受けていない。分かれ目は、頼みを引き受けたと言えるかどうかです。

板の三つ目の場面は、公務員のほうから持ちかけた場合です。Aが、次の許可は、急ぎなら相談に乗りますよ、と切り出しました。Bが、それなら、早めに通してください、と頼み、Aは、分かりました、と応じました。この場合も、請託を受けたにあたりうるとされます。公務員のほうから持ちかけても、Bが職務について頼み、Aが引き受けたという関係が、できているからです。受託収賄罪の成立要件を、まとめます。公務員が、その職務に関し、賄賂を収受、要求又は約束し、そのとき、請託を受けていることです。いずれも条文のとおりです。請託の意味は、判決が定義した部分を、そのまま使います。

学説の整理で説明します。判決の言葉ではありません。頼まれて引き受けたうえで受け取ると、賄賂と、職務行為との、引き換えの関係が、はっきりします。そのぶん、職務の公正に対する社会一般の信頼は、より強く害されます。前に、足すと重くなるのは、信頼の害され方が大きくなるから、と言いました。その、害され方が大きくなる理由の一つが、これです。論文で、請託の趣旨を書くときの、骨格にもなります。

事前収賄罪の要件

197条2項の五つの切れ目 図:197条2項の五つの切れ目

ここで、1問です。前回までに見た類型の地図を、思い出してください。主体を、これから公務員になろうとする者に変えると、何罪になるのでしたか?事前収賄罪です。197条2項で、法定刑は、基本形と同じ五年以下だったと思います。197条2項を、五つに切って読みます。一つ目は、公務員になろうとする者が、です。二つ目は、その担当すべき職務に関し、です。公務員になってから担当する職務について、ということです。三つ目は、請託を受けて、です。四つ目は、賄賂を収受し、又はその要求若しくは約束をしたとき、です。五つ目が、公務員となった場合において、です。単純収賄罪と比べます。主体の、公務員が、が、公務員になろうとする者が、に付け替わっています。そして、単純収賄罪では要らなかった請託が、ここでは要件です。頼まれて引き受けたことが、条文に書かれています。五つ目の、公務員となった場合において、は、あとで、じっくり見ます。

前に見たとおり、変える型は、刑を重くする型ではなく、処罰の範囲を広げる型です。候補者は、まだ公務員ではありませんから、197条1項の、公務員が、という言葉からは外れます。1項だけでは、処罰できません。それでも、請託を受けて現金を受け取った者が、そのまま公務員になれば、その職務は、はじめから現金と結びついています。お金で動くのではないか、という疑いが生まれます。そこで、2項を別に置いて、処罰の範囲に入れました。請託は、ここでは、範囲に入れるための要件です。受託収賄罪のように、刑を重くする事情としては、働いていません。だから、法定刑は、基本形と同じ五年以下です。主体を見ます。典型は、市長や議員などの候補者が、当選する前に、あらかじめ、当選したあとの職務に関して請託を受け、賄賂を収受し、その後に当選した場合です。冒頭の設例が、そうです。公務員になろうとする者、は、公務員という身分に就く前の者に、主体を限った言葉です。この罪の要件は、いま切った、この五つです。いずれも条文のとおりです。

公務員となった場合の読み方

当選前と当選後 図:当選前と当選後

条文の五つ目、公務員となった場合において、を見ます。ここで、もう一問です。前に、あると処罰できなくなる事情と、無いと処罰できない事情を、それぞれ何と呼びましたか? 思い出してください。今日、使うのは、処罰条件のほうです。犯罪の成立の外側に置かれ、それが無いと処罰できない条件、という意味でした。犯罪の成立要件を見た回で、この、公務員となった場合において、を、その処罰条件の例として見ました。そこでは、答案には、犯罪が成立するかを確かめる、三つの関門のあとに書く、とも言いました。ただ、構成要件の要素そのものだと見る立場もある、とも言いました。今日は、その続きです。冒頭の設例で考えます。候補者が、当選する前に、請託を受けて、現金を受け取りました。落選した場合は、どちらの立場でも、処罰されません。公務員となった場合において、という条件が、満たされないからです。では、ここで聞きます。当選する前、まだ公務員ではない時点で、犯罪は、もう成立しているのでしょうか?

二つの読み方 図:二つの読み方

二つの読み方を、並べます。一つ目は、処罰条件と読む立場です。この立場では、当選する前の時点で、犯罪は、もう成立しています。ただ、公務員となる、という客観的な事実が起きるまでは、処罰できません。公務員となることの認識は、犯罪の成立の問題としては、要りません。故意は、犯罪の型に当たる事実を、分かっていることでした。処罰条件は、成立の外側に置かれます。ですから、分かっている必要のある事実には、入らない、とされます。答案では、構成要件、違法性、責任の、三つの関門を書いたあとで、処罰条件として書きます。二つ目は、構成要件の要素と読む立場です。この立場では、公務員となる、という事実も、犯罪の成立要件の一部です。ですから、当選するまでは、そもそも、犯罪が成立していません。当選した時点で、はじめて成立します。そして、この立場では、公務員となることの認識、つまり、公務員になる見込みがあると分かっていることが要る、と説明されます。就任の見込みを、まったく考えていなかったのなら、成立しない、ということです。答案では、構成要件のあてはめの中で書きます。

違いは、成立の時点と、就任の認識の要否です。

守るもの 図:守るもの

どちらで読むかの決め手になるのは、保護法益です。前に、賄賂の罪が守っているものを、確かめました。職務の公正と、これに対する社会一般の信頼です。判例と多数の学説が採る立場でした。候補者に当てます。当選する前は、候補者は、まだ職務を行う立場にいません。職務の公正も、これに対する信頼も、まだ害されていません。公務員となってはじめて、職務の公正に対する信頼が、害されることになります。公務員となることは、法益が害されることを決める事情の一部です。そうであるなら、構成要件の要素として読むほうが、自然だ、という理由です。処罰条件と読む立場の理由も、言います。犯罪が成立したあとの問題を、構成要件、違法性、責任の外に置いて整理する、という、前に見た枠組みです。就任という客観的な事実を、成立の外に置いて、処罰の条件にする、という整理です。どちらが正しいかを、ここで言い切ることはしません。ただ、答案では、構成要件の要素と読む立場で書きます。公務員となってはじめて信頼が害される、という、先ほどの理由を、そのまま書けるからです。犯罪の成立要件を見た回で言った、三つの関門のあとに書く、という書き方は、処罰条件と読む立場のものです。今日の書き方では、そこには置きません。主体の、公務員になろうとする者、担当すべき職務、請託、収受などの行為と並べ、最後の五つ目として、公務員となった、つまり、当選した、と、あてはめの中で書きます。論文で論点になりうるのは、いま並べた二つの違い、成立の時点と、就任の認識の要否です。

まとめると、落選すれば処罰されず、当選すれば事前収賄罪が問題になり、成立の時点が、読み方で分かれます。

五つの場面で選ぶ

五つの場面 図:五つの場面

最後に、場面ごとに、罪名を選びます。聞かれている軸も、いっしょに選んでください。見分けは、二段です。まず、請託があったか、受けたか。次に、受け取った者が、今、公務員か、これから公務員になる者か、です。一つ目です。Aが、頼まれてもいないのに、許可を出した礼として、現金だけを受け取りました。請託の有無の問いで、請託が無いなら、単純収賄罪です。二つ目です。Aが、Bに頼まれ、分かった、と応じて、後日、現金を受け取りました。頼まれて、引き受けているので、請託を受けています。受託収賄罪で、七年以下です。三つ目です。Aは、Bに頼まれましたが、断りました。後日、Bが礼を置いていき、Aは、それを受け取りました。

ここで聞かれているのは、請託の承諾です。四つ目です。現職の市長Mが、任期満了の前に、再選された場合に担当すべき工事について、請託を受けて、現金を受け取りました。以前に見た、将来の職務の話です。聞かれているのは、今、公務員か、です。五つ目です。冒頭の候補者が、当選前に、当選後の工事について請託を受けて、現金を受け取りました。当選した場合と、落選した場合を、分けて答えてください。三つ目は、請託の承諾の問いでした。四つ目と五つ目は、今、公務員か、という問いです。聞く軸が違いますから、問いを聞いたら、まず、どちらの軸の問いかを選んでください。冒頭の問いに、戻ります。候補者が、当選前に、請託を受けて現金を受け取りました。落選したなら、公務員となった場合において、という条件が満たされません。どちらの読み方でも、処罰されません。当選したなら、事前収賄罪が問題になります。そして、構成要件の要素と読むなら、当選した時点で、犯罪が成立します。当選するまでは、成立していません。処罰条件と読むなら、当選前から、犯罪は成立していて、当選して、はじめて処罰できるようになります。

今日のまとめ

今日の整理 図:今日の整理

まとめます。

⭐ 論文で書く規範:今日の3点 「① 請託は、公務員に一定の職務行為を頼むこと。正しい仕事の依頼でもよい。受けたとは、引き受けること。黙示でもよく、公務員のほうから持ちかけてもよい、と整理される。」 「② 請託を受けると受託収賄罪で、七年以下。対価の関係がはっきりし、信頼がより強く害されるため、と学説は説明する。」 「③ 事前収賄罪は、主体をこれから公務員になろうとする者に変え、請託が要件。公務員となった場合において、は、答案では構成要件の要素として書く。」 (要点)

最初の問いの答えを、もう一度言います。候補者が、当選前に、請託を受けて現金を受け取った場合、落選すれば、処罰されません。当選すれば、事前収賄罪が問題になります。構成要件の要素と読むなら、当選した時点で、犯罪が成立します。処罰条件と読むなら、成立は当選前で、処罰できるようになるのが当選のときです。答案では、構成要件のあてはめの中で書きます。

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#205単独ページ動画

第三者供賄罪と加重収賄罪

第18章 国家的法益|国家の存立・国交・国家の作用 ㉒/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

自分は受け取らない場合

設例の人物関係 図:設例の人物関係

設例から入ります。市役所の道路課で、道路の占用許可を担当している職員Aがいます。工事業者Bが、Aに頼みました。次の許可を、便宜を図って出してください。Aは、引き受けました。そのうえで、Aは言います。私は受け取りません。そのかわり、地域の団体Cに、10万円を寄付してください。Bは、そのとおり、Cに10万円を渡しました。Aの手元には、1円も入っていません。今日の問いは、Aは収賄にならないのか、です。答えから言います。Aは、自分で受け取っていなくても、罪になります。第三者供賄罪という罪です。なぜそうなるかは、条文で確かめます。その前に、前に作った類型の地図を思い出してください。基本形の単純収賄罪に、足す型と、変える型がありました。今日は、変える型のうち、受け取る人を第三者に変える、第三者供賄罪を見ます。そして、足す型のうち、不正な行為を足す、加重収賄罪を見ます。請託は、公務員に、一定の職務行為を頼むこと、でした。請託を受けるとは、それを引き受けることです。

今日の流れ 図:今日の流れ

今日の流れです。まず、第三者供賄罪の条文と要件を読みます。次に、第三者とは誰かを、判決で確かめます。続いて、加重収賄罪の条文と、1項と2項の違いを見ます。最後に、六つの場面で罪名を選び、冒頭の問いに答えます。

第三者供賄罪の条文と要件

第三者供賄の関係図 図:第三者供賄の関係図

冒頭の設例の続きです。Bがお金を渡した相手は、Aではなく、団体Cでした。197条1項は、公務員が賄賂を収受し、と書いています。受け取るのは、公務員自身です。ですから、Aが受け取っていないなら、1項は使えません。それでは、頼みを聞いて、受け取りだけを人に付け替えれば、逃げられてしまいます。そこで置かれたのが、197条の2です。

条文刑法197条の2

刑法197条の2(第三者供賄) 公務員が、その職務に関し、請託を受けて、第三者に賄賂を供与させ、又はその供与の要求若しくは約束をしたときは、五年以下の拘禁刑に処する。

ここで一問です。Aは受け取っていません。それでも罪になるとしたら、何があるからでしょうか?条文を、四つに切って読みます。一つ目は、公務員が、です。二つ目は、その職務に関し、です。三つ目は、請託を受けて、です。四つ目は、第三者に賄賂を供与させ、又はその供与の要求若しくは約束をしたとき、です。

受託収賄罪との違い 図:受託収賄罪との違い

前に見た受託収賄罪と並べます。受託収賄罪の行為は、収受、要求、約束でした。第三者供賄罪は、受け取る人が、自分から第三者に付け替わっただけで、行為の並びは同じです。供与させる、供与の要求、供与の約束です。ですから、第三者に実際に渡らなくても、要求や約束をした段階で成立します。条文の言葉のとおりです。ここで、前の回の確認です。受け取る人を第三者に変えた型は、基本形と比べて、刑は重いのでしたか、同じでしたか?同じです。五年以下の拘禁刑で、変える型は、処罰の範囲を広げる型でした。条文を見ても、刑は五年以下です。そして、ここが受託収賄罪との違いです。受託収賄罪は、請託があると、七年以下に重くなる型でした。第三者供賄罪は、請託が無いと、成立しない型です。頼まれて引き受けていることが、要件として、条文に書かれています。設例で確かめます。頼みを引き受けたうえで、Cに渡させたAは、197条の2です。ところが、Bから頼まれてもいないのに、Aが、Cに寄付を、と言い、Bが渡した場合は、請託がありません。この罪は、成立しません。

条文の上では、罪にならないことになります。第三者供賄罪は、請託を受けたという、頼まれて引き受けた関係があることで、その見返りに第三者に渡させた、と言える場合に、処罰を広げた規定です。請託が要件と書かれている以上、請託が無い場合まで、この条文で処罰することは、できません。もう一つ、要件を確かめます。第三者に渡った利益が、賄賂と言えるのは、どんな場合でしょうか。これは、次の判決で確かめます。

第三者とは誰か

昭和の判決の事実 図:昭和の判決の事実

判決の事実を、まず見ます。警察署長は、犯罪の検挙、捜査、送致の職務を持っています。この署長が、ある被疑事件について、町や組合に寄附金をするから、寛大に扱ってほしい、との依頼を受けて、承諾しました。そして、寄附金名義で、町と組合に金員を供与させました。その事件は、検察庁に送致されませんでした。この事件で問われた罪は、あとで見る加重収賄罪です。加重収賄罪は、第三者供賄罪などの収賄の罪を犯したうえで、すべきことをしなかった場合などに成立します。署長は、町と組合に供与させたうえで、事件を送致しませんでした。ですから、判決は、土台になる第三者供賄罪が成立するための条件を、述べています。カードの、197条ノ2は、当時の条文の書き方で、いまの197条の2にあたる規定です。

判例最高裁判所第二小法廷判決(昭和29年8月20日・刑集8巻8号1256頁)

第三者供賄罪が成立するために必要なこと 「刑法一九七条ノ二の罪が成立するためには公務員が其の職務に関する事項につき依頼を受けこれを承諾したことを必要とし第三者に供与した利益がその公務員の職務行為に対する代償たる性質を有することを要するものと解するを相当とし、右第三者のうちには地方公共団体その他の法人を含むことも当然でありこれを除外する理由はない。」

判決が述べたことを、順に分けます。一つ目は、職務に関する事項について、依頼を受け、これを承諾したことが必要、ということです。依頼されただけではなく、承諾が要ります。二つ目は、第三者に供与した利益が、公務員の職務行為に対する代償という性質を持っていること、が必要ということです。三つ目は、第三者には、地方公共団体その他の法人も含まれる、ということです。判決が述べたのは、ここまでです。設例に当てます。Cの団体に渡した10万円が、Aの職務行為の見返りという性質を持っていれば、第三者に渡した利益も、賄賂になります。受け取った人が、Aでなくても、職務行為の対価である性質は変わらないからです。

判決は、地方公共団体その他の法人も含まれる、と述べました。判決が理由として述べたのは、これを除外する理由はない、という点です。受け取りを人から団体に付け替えれば逃げられる、という抜け道をふさぐ、条文の狙いにも合います。もう一つ、別の判決を、板で見ます。

第三者の範囲 図:第三者の範囲

板の二つ目です。農業協同組合の支部は、法人格こそ持っていませんが、独立の会計を持つなど、独立の団体としての実質を具えていました。大法廷の判決は、この支部が、197条の2と、197条の5にいう第三者にあたる、とした原判決の判断を、正当と認めました。197条の5は、追徴の規定です。それは、別の回で見ます。ここまでで、言い切れる範囲を整理します。第三者は、公務員自身と、その共同正犯者以外の者、とされます。共同正犯者は、公務員といっしょに罪を実行する側の人です。その人が受け取れば、公務員の側が受け取ったことになるので、第三者には数えません。一方、公務員をそそのかした人や、手助けした人は、第三者になりえます。自然人に限らず、法人や、独立の団体も含まれます。ここで、一つ注意です。形の上では第三者に渡っていても、その第三者が公務員と一体で、実質的には、公務員自身が受け取ったと言える場合があります。このときは、第三者供賄罪ではなく、単純収賄罪や受託収賄罪で処理される、と整理されます。学説による整理です。

実質は公務員自身 図:実質は公務員自身

たとえば、Aが頼んで、Aが自由に使えるC名義の口座に振り込ませたとします。Cは、名義を貸しただけです。この場合、実質は、Aが受け取ったのと同じです。請託があれば、受託収賄罪で、請託が無ければ、単純収賄罪です。ただ、どこまでが実質か、という線引きには、定まった基準が示されていません。実質的に自分が受け取ったと言える場合は、こちらで考える、というところまでを、覚えてください。第三者供賄罪の要件は、条文のとおりです。公務員が、その職務に関し、請託を受けて、第三者に供与させ、要求し、または約束することです。第三者に法人や団体も含まれる点は、判例の個別の判断です。

加重収賄罪と1項2項

時間の順序 図:時間の順序

次は、足す型の加重収賄罪です。収賄に、不正な行為が足されます。条文を、続けて読みます。

条文刑法197条の3第1項

刑法197条の3第1項(加重収賄及び事後収賄) 公務員が前二条の罪を犯し、よって不正な行為をし、又は相当の行為をしなかったときは、一年以上の有期拘禁刑に処する。

条文刑法197条の3第2項

刑法197条の3第2項(加重収賄及び事後収賄) 公務員が、その職務上不正な行為をしたこと又は相当の行為をしなかったことに関し、賄賂を収受し、若しくはその要求若しくは約束をし、又は第三者にこれを供与させ、若しくはその供与の要求若しくは約束をしたときも、前項と同様とする。

条文刑法197条の3第3項

刑法197条の3第3項(加重収賄及び事後収賄) 公務員であった者が、その在職中に請託を受けて職務上不正な行為をしたこと又は相当の行為をしなかったことに関し、賄賂を収受し、又はその要求若しくは約束をしたときは、五年以下の拘禁刑に処する。

1項と2項が、加重収賄罪です。3項は、公務員であった者の罪で、事後収賄罪です。加重収賄罪ではありません。条文は、項の番号まで確かめる癖を付けてください。1項と2項の違いを、設例で見ます。1項の設例です。Bから頼まれて引き受け、Aは、10万円を受け取りました。ここまでで、収賄罪です。そのあとで、Aは、約束どおり、受付の順番を飛ばして、不正に許可を出しました。これは、1項です。2項の設例です。Aは、お礼の約束は何もないまま、頼まれて、受付の順番を飛ばして、不正に許可を出しました。後日、お礼として、Bから10万円を受け取りました。これは、2項です。ここで一問です。Aが先に不正を働き、後でお礼を受け取った場合、197条の3は、何項でしょうか?

先に不正をして、あとで受け取っているので、2項です。1項と2項を分けるのは、時間の順序です。1項は、先に収賄の罪が成立し、そのあとで不正な行為をした場合です。2項は、先に不正な行為をし、そのあとで賄賂を受け取った場合です。覚え方として、後から不正なら1項、先に不正なら2項、と読み分けてください。前二条の罪は、197条の罪と、197条の2の罪です。197条は、単純収賄罪、受託収賄罪、事前収賄罪を含みます。197条の2は、今日の第三者供賄罪です。1項の、よって、は、収賄の罪を犯した結果として、不正な行為をしたことを求めています。条文の言葉のとおりです。ですから、不正な行為をした時点で、収賄の罪がまだ犯されていない場合、つまり、先に不正な行為をして、後から受け取った場合は、1項の、よって、に当たりません。その場合を受け止めているのが、2項です。そして、2項の条文には、第三者にこれを供与させ、という言葉が入っています。不正な行為が先で、第三者に供与させた場合も、加重収賄罪です。今日の前半の、第三者供賄罪と、ここで、つながります。なお、2項には、請託を受けて、という言葉は、ありません。

不正な行為と法定刑

不正な行為と相当の行為 図:不正な行為と相当の行為

条文には、不正な行為をした、または、相当の行為をしなかった、という二つの言葉があります。不正な行為をしたとは、職務に違反する行為を、現にしたことです。設例の、順番を飛ばして許可を出した、がそれです。相当の行為をしなかったとは、本来すべき職務行為をしなかった、つまり、やるべきことをやらない型です。判例を一つ見ます。犯罪の捜査にあたる巡査が、被疑者の要望を容れて、証拠品の押収を取りやめました。

判例最高裁判所第二小法廷決定(昭和29年9月24日・刑集8巻9号1519頁)

相当の行為をしなかったとき 「犯罪捜査の衝にあたる巡査が、とくに被疑者の要望を容れて証拠品の押収を取止めた、本件のごとき場合は、刑法一九七条の三にいわゆる「相当ノ行為ヲ為ササルキ」に該当することは、原判決の説示するとおりである。」

決定が述べたのは、この場合が、197条の3の、相当の行為をしなかったとき、にあたる、ということです。収賄が先か、不正が先か、つまり1項か2項かには、決定自身は触れていません。

準職務行為にも成立 図:準職務行為にも成立

板にもう一つあります。前に見た、職務密接関連行為です。職務そのものではないけれども、職務と密接な関係にある行為でした。役所の長官が、指揮監督の権限のない工事について、下部組織の部長に、特定の業者の便宜を図るよう働きかけた行為が、その例でした。板の決定は、職務に密接な関係を有する行為を、いわば準職務行為、と呼んでいます。決定の言葉です。決定の判断は、二つです。こうした行為について賄賂を受け取れば、197条の収賄の罪が成立します。そして、その行為について不正な行為をしたときも、197条の3の罪が成立します。理由として、決定は、法令上の職務そのものについて不正な行為をした場合と同じく、加重収賄を認めるべき事情がある、と述べています。次に、法定刑を見ます。その前に、前回の確認です。請託とは、何でしたか?

公務員に、一定の職務行為を頼むことです。受けたというのは、それを引き受けることでした。では、加重収賄罪の法定刑です。1項も、2項も、一年以上の有期拘禁刑です。有期拘禁刑は、期間を決めて言い渡す拘禁刑で、一か月以上、二十年以下です。ですから、一年以上の有期拘禁刑は、一年から二十年まで、という幅になります。単純収賄罪の五年以下、受託収賄罪の七年以下は、下が一か月からです。加重収賄罪は、上が二十年に上がり、下も一年に上がっています。学説による整理で説明します。不正な行為まで現にすれば、職務の公正に対する社会一般の信頼が害されるだけでなく、職務の公正そのものが、現に害されます。害される程度が大きいから、刑が重い、と整理できます。

六つの場面で選ぶ

六つの場面 図:六つの場面

最後に、場面ごとに罪名を選びます。聞かれている軸も、同時に選んでください。一つ目から三つ目は、受け取る人は誰か、という軸です。四つ目から六つ目は、不正な行為の時間は、という軸です。軸が違いますから、問いを聞いたら、どちらの軸かを先に選んでください。一つ目です。Bが頼み、Aが引き受け、C団体に10万円を渡させました。不正な行為は、ありません。一つ目は、自分で受け取っていなくても、第三者供賄罪です。二つ目です。頼まれてはいませんが、Aが、Cに寄付を、と言い、Bが、Cに10万円を渡しました。請託が要件ですから、二つ目は、197条の2が成立しない場面です。三つ目です。Aが頼んで、Aが自由に使えるC名義の口座に、振り込ませました。Cは、名義を貸しただけです。

三つ目は、名義だけがCですから、単純収賄罪や受託収賄罪で処理される、と整理されます。ここまでが、受け取る人の軸です。四つ目です。Bが頼み、Aが引き受けて10万円を受け取り、その後、順番を飛ばして、不正に許可を出しました。四つ目は、収賄が先、不正が後ですから、197条の3第1項の加重収賄罪です。五つ目です。Aが先に、順番を飛ばして不正に許可を出し、後日、Bから10万円を受け取りました。五つ目は、不正が先、収賄が後ですから、197条の3第2項の加重収賄罪です。六つ目です。Aが先に不正に許可を出し、お礼を、C団体に渡させました。

六つ目は、渡す先がCでも、不正が先という順番は変わりませんから、同じ2項の加重収賄罪です。最後に、一問です。もし、不正な行為が無く、許可が正しかったなら、罪名は、どう変わるでしょうか?一つ目の第三者供賄罪は、そのままです。四つ目と五つ目は、加重収賄罪ではなくなって、Aが自分で受け取った部分だけが残ります。請託があれば受託収賄罪、無ければ単純収賄罪です。六つ目は、受け取ったのがCですから、同じようには戻らない気がします。六つ目は、Aが自分では受け取っていませんから、単純収賄罪にも、受託収賄罪にも、なりません。残るのは、197条の2です。請託を受けていたなら、一つ目と同じ第三者供賄罪で、受けていなければ、二つ目と同じで、成立しません。第三者供賄罪は、不正な行為が無くても成立します。加重収賄罪は、不正な行為が、あってはじめて成り立ちます。冒頭の問いにも、ここで答えが出ています。Aは、一つ目の場面でした。自分は1円も受け取っていなくても、請託を受けて、Cに渡させたので、第三者供賄罪です。

今日のまとめ

今日の整理 図:今日の整理

まとめます。

⭐ 論文で書く規範:今日の2点 「① 第三者供賄罪は、請託を受けて第三者に供与させる罪で、五年以下の拘禁刑。第三者は法人や独立の団体も含む。実質は公務員自身が受け取ったと言える場合は、単純収賄罪や受託収賄罪で処理される、と整理される。」 「② 加重収賄罪は、収賄に不正な行為が足された罪で、一年以上の有期拘禁刑。収賄が先で不正が後なら1項、不正が先で収賄が後なら2項。3項は事後収賄罪で、加重収賄罪ではない。」 (要点)

最初の問いの答えを、もう一度言います。Aは何も受け取っていませんが、請託を受けて、Cに供与させました。ですから、第三者供賄罪、197条の2で、五年以下の拘禁刑です。ただし、Cが実質的にA自身なら、単純収賄罪や受託収賄罪で考えます。

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#206単独ページ動画

事後収賄罪とあっせん収賄罪

第18章 国家的法益|国家の存立・国交・国家の作用 ㉓/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

退職後と口ききの二場面

場面一 退職後の受け取り 図:場面一 退職後の受け取り

今日は、二つの場面から入ります。まず、一つ目です。市役所の道路課で、道路の占用許可を担当している職員Aがいます。工事業者Bが、Aに頼みました。基準を満たしていない私の申請に、許可を出してください。Aは引き受けて、許可を出しました。その後、Aは退職します。退職から2か月たって、Bは、退職祝いとして、Aに10万円を渡しました。Aは、受け取りました。

場面二 口ききの報酬 図:場面二 口ききの報酬

二つ目の場面です。Aは、在職中の道路課の職員です。Bは、基準を満たしていない自分の会社を、市の工事を受けられる指名の業者に、入れてほしいと考えました。決めるのは、契約課の係長Cです。そこで、Bは、Aに頼みました。Aは、契約課の仕事にはまったく関わっていません。それでも引き受けて、道路課の職員として、Cに、Bの会社を入れるよう口をきき、お礼として、Bから10万円を受け取りました。Cは、応じませんでした。今日の問いは、この二つの場面を、どの罪で処罰できるのか、です。答えを先に言います。場面一は事後収賄罪、場面二はあっせん収賄罪です。前に作った類型の地図を思い出してください。基本形は、単純収賄罪でした。公務員が、その職務に関し、賄賂を受け取る罪で、197条1項です。そこに事情を足す型と、どこかを変える型がありました。今日の二つは、どちらも変える型です。主体を、公務員であった者に変えたのが、事後収賄罪です。職務を、他の公務員へのあっせんに変えたのが、あっせん収賄罪です。どちらも、197条1項の言葉の外側にあり、刑は、基本形と同じ、五年以下の拘禁刑です。

今日の流れ 図:今日の流れ

今日の流れです。まず、事後収賄罪の条文を読み、判例で、退職後の顧問料が賄賂になるかを確かめます。次に、あっせん収賄罪の条文を分解します。続いて、判例を二つ見ます。最後に、場面を五つ並べて罪名を選び、冒頭の二つの場面に答えを出します。

事後収賄罪

事後収賄の要件 図:事後収賄の要件

場面一に戻ります。受け取ったのは、辞めたあとでした。在職中の不正の礼を、辞めてから受け取れば罪にならない、というのでは、受け取る時期をずらすだけで逃げられてしまいます。この穴をふさぐのが、197条の3の第3項です。条文を読みます。

条文刑法197条の3第3項

刑法197条の3第3項(事後収賄) 公務員であった者が、その在職中に請託を受けて職務上不正な行為をしたこと又は相当の行為をしなかったことに関し、賄賂を収受し、又はその要求若しくは約束をしたときは、五年以下の拘禁刑に処する。

条文を四つに切ります。一つ目は、公務員であった者が、です。今は公務員ではない人のことです。二つ目は、その在職中に請託を受けて、です。請託は、公務員に一定の職務行為を頼むことで、請託を受けるとは、それを引き受けることでした。三つ目は、職務上不正な行為をしたこと、又は相当の行為をしなかったことに関し、です。在職中にした不正のことです。四つ目は、賄賂を収受し、又はその要求若しくは約束をしたとき、です。この受け取りは、公務員でなくなってから行われます。ここで一問です。場面一のAは、退職後に受け取りました。もし、在職中に出した許可が、基準どおりの正しいものだったら、事後収賄罪は成立するでしょうか?

成立しないと思います。四つの要件のうち、在職中に不正な行為をした、という三つ目が欠けるからです。四つは、全部そろわないと成立しません。成立する範囲の狭い罪です。在職中に頼まれていなければ、二つ目が欠けます。不正な行為をしていなければ、三つ目が欠けます。退職後に高い礼を受け取っても、どちらかが欠ければ、事後収賄罪にはなりません。在職中に受け取るのなら、頼まれていなくても、正しい職務への礼でも、単純収賄罪が成立するのでした。退職後の受け取りは、それより狭い範囲だけが処罰されます。

在職中と退職後の違い 図:在職中と退職後の違い

ここで、前に見た転職前の職務の確認です。今も公務員のまま、別の課に異動した人が、前の課の仕事の礼を受け取ったら、判例は、収賄罪と事後収賄罪のどちらでしたか?収賄罪でした。公務員でなくなってから受け取った場合が、事後収賄罪でした。判例の理由は、受け取った当時に公務員である、という点でした。ですから、分かれ目は、受け取った時に公務員かどうかです。在職中に不正な行為をして、在職中に受け取ったなら、加重収賄罪です。収賄に不正な行為が足されて、刑が重くなる罪で、前回見ました。公務員でなくなってから受け取ったなら、事後収賄罪です。不正な行為は、職務に違反する行為を現にすることでした。相当の行為をしなかったとは、やるべき職務行為をしないことでした。

平成21年の決定の事実 図:平成21年の決定の事実

事後収賄の判例を見ます。まず、決定が認定した事実です。国の機関の副本部長で、技官だった被告人が、在職中に、民間会社の幹部から、関連会社が国に返還すべき金額を、少なく確定してほしい、との請託を受けました。そして、その金額を少なく確定させました。これは、背任罪にも当たる、不正な行為です。被告人は退職し、その翌月、その会社の影響下にある別の会社の、非常勤の顧問に就任しました。約2年半のあいだに30回に分けて、顧問料として、合計538万5000円の供与を受けています。被告人の主張も、そこでした。顧問料は、退職者に慣例の正当な報酬で、職務も遂行していたから、賄賂ではない、というものです。決定は、これを退けました。カードを見ます。

判例最高裁判所第三小法廷決定(平成21年3月16日・刑集63巻3号81頁)

退職後の顧問料と対価関係 「被告人のこれらの行為は,いずれも被告人の前記調達実施本部契約原価計算第一担当副本部長等としての任務に背くものであり,背任罪を構成するとともに,職務上不正な行為に当たることが明らかである。(中略)このような事実からすれば,被告人に供与された前記金員については,被告人にG社の顧問としての実態が全くなかったとはいえないとしても,前記各不正な行為との間に対価関係があるというべきである。原判決がこれと同旨の判断に立ち,事後収賄罪の成立を認めたのは,正当である。」

決定が述べたことを分けます。一つ目は、被告人の行為が、任務に背く背任罪であり、職務上不正な行為に当たることが明らかだ、ということです。二つ目は、供与された金員、つまり顧問料と、在職中の各不正な行為との間に、対価関係がある、ということです。顧問としての実態が全くなかったとはいえない、つまり、顧問の仕事を何かしていたとしても、結論は変わらないと述べています。対価関係の材料は、不正な行為からまもない時期に、請託をした会社などが、世話になったという理由で、被告人の希望に応じる形で、当時の会社では異例な報酬の条件で、顧問に迎えたことです。言い切れる範囲を整理します。決定が述べたのは、顧問としての実態があっても、不正な行為との対価関係があれば、事後収賄罪が成立する、というこの事案への判断までです。顧問料は常に賄賂だ、とは言っていません。決定の理由に沿って整理すると、決め手は、名目ではなく、不正な行為との対価関係です。顧問料でも退職祝いでも、在職中の不正な行為の見返りと言えるなら、賄賂です。賄賂は、公務員の職務に対する対価としての、不正な報酬でした。その定義のとおりです。

場面一の答えは、あとでもう一度確かめます。

あっせん収賄罪の条文

場面二の関係図 図:場面二の関係図

場面二に戻ります。その前に、前に見た職務密接関連行為の確認です。職務そのものではなくても、本来の職務と密接な関係にある行為は、その職務にあたるのでしたか?あたるのでした。職務そのものではないけれど、密接な関係にある行為は、その職務に含めて考えるのでした。ところが、場面二のAが口をきいた先は、契約課の係長Cです。契約課の仕事は、Aの仕事の範囲に属しません。Aの本来の職務と密接な関係のある行為でもありません。前に見た場面のAは、予算案づくりを取りまとめる立場を背景に、契約担当の係長に働きかけたので、本来の職務と結びついていました。今日のAは、占用許可を担当しているだけで、その立場にありません。指名の業者を決める契約課の仕事は、Aの本来の職務と結びつきません。自分の職務とは関係のない公務員に働きかける場合は、あっせん収賄の問題になる、と前に触れました。197条1項の、その職務に関し、には、あたらないのです。

Aは、Cに働きかけて、報酬をもらっています。それが罪にならないのは、おかしくないでしょうか。そこが、この罪が置かれた理由です。公務員が、他の公務員への口ききで報酬を受け取るなら、お金で他の公務員の判断が動かされるのではないか、という疑いが生まれます。職務の公正と、これに対する社会一般の信頼を損なうおそれがあります。そこで、197条の4が、職務ではない行為、つまり、あっせんの報酬を、処罰します。賄賂の罪の中でも、特殊な型です。条文を読みます。

条文刑法197条の4

刑法197条の4(あっせん収賄) 公務員が請託を受け、他の公務員に職務上不正な行為をさせるように、又は相当の行為をさせないようにあっせんをすること又はしたことの報酬として、賄賂を収受し、又はその要求若しくは約束をしたときは、五年以下の拘禁刑に処する。

あっせん収賄の要件 図:あっせん収賄の要件

条文を四つに切ります。一つ目は、公務員が請託を受け、です。ここで頼まれるのは、自分の職務行為ではなく、他の公務員へのあっせんです。それを引き受けることです。二つ目は、他の公務員に職務上不正な行為をさせるように、又は相当の行為をさせないように、です。三つ目は、あっせんをすること又はしたことの報酬として、です。四つ目は、賄賂を収受し、又はその要求若しくは約束をしたとき、です。刑は、五年以下の拘禁刑です。あっせんとは、他の公務員との間に立って、紹介したり、仲介したり、働きかけたり、依頼したりすることです。あっせんの内容は、条文では二通りです。相手の公務員に、職務上不正な行為をさせるように。または、相手の公務員に、相当の行為をさせないように。どちらかを働きかけることです。逆に、正当な行為をさせるあっせんは、条文の言葉から、この罪の対象になりません。受託収賄罪の請託は、正しい仕事の依頼でもよいのでした。あっせん収賄罪は、条文が、あっせんの中身を、不正なものに限っています。あとで、五つの場面の四つ目で確かめます。もう一つ、大事な点です。条文は、不正な行為を、させるように、あっせんをすること又はしたことの報酬、と書いています。報酬の対象は、Aのあっせんで、Cの不正な行為そのものではありません。ですから、あっせんの内容が不正であれば足ります。事後収賄罪では、不正な行為をするのはA自身で、現にしたことが要件でした。あっせん収賄罪では、不正な行為をするのは、相手のCです。類型の地図で確認したとおり、Cが実際に不正な行為をしたことまでは、要りません。口ききの報酬を受け取れば、お金で他の公務員の判断が動かされるのではないか、という疑いは、Cが応じなくても生まれるからです。場面二でCが応じなくても、Aのあっせんは、すでにあります。

条文は、あっせんをすること又はしたことの報酬、と書いています。これから口をきくことの報酬も、すでに口をきいたことの報酬も、含まれます。

あっせん収賄罪と判例

立場の問い 図:立場の問い

条文の言葉を、判例で確かめます。まず、立場の問いです。あっせん収賄罪では、公務員が積極的に地位を利用することは必要でしょうか。それとも、公務員としての立場でさえあれば足りるでしょうか?決定を見ます。

判例最高裁判所第二小法廷決定(昭和43年10月15日・刑集22巻10号901頁)

あっせん収賄に必要な立場 「刑法一九七条ノ四の斡旋収賄罪が成立するためには、その要件として、公務員が積極的にその地位を利用して斡旋することは必要でないが、少なくとも公務員としての立場で斡旋することを必要とし、単なる私人としての行為は右の罪を構成しないものと解するのが相当である。」

決定が述べたのは、三点です。積極的に地位を利用してあっせんすることは、必要でない。少なくとも、公務員としての立場で、あっせんすることは必要。単なる私人としての行為は、この罪を構成しない。そのうえで決定は、問題のあっせんが、単なる私人としての行為ではなく、被告人が公務員としての立場でおこなったことが明らかだとして、あっせん収賄罪にあたるとした原判断を、結論において正当としました。決定は、その線引きの基準までは述べていません。そこで、条文に戻ります。197条の4の主語は、公務員が、です。ですから、見るのは、公務員として頼んだのか、一個人として頼んだのか、です。場面二のAは、道路課の職員として、同じ市役所の係長に口をきいています。公務員としての立場です。逆に、たとえば、親族や、先輩、後輩といった個人的な関係だけを頼りに、公務員であることを出さずに頼んだ場合は、一個人としての頼みごとで、この主語から外れます。このような場合が、私人としての行為の例とされています。決定の言葉は、立場が要る、私人としての行為は含まない、までです。

平成15年の決定の事案 図:平成15年の決定の事案

次は、内容の問いです。どんな場合に、相当の行為をさせないあっせんにあたるのか。決定が前提にした事案を見ます。決定は、公務員が、請託を受けて、公正取引委員会が独占禁止法違反の疑いで調査中の審査事件について、同委員会の委員長に、告発しないように働きかける場合を、述べています。また、被告人両名の間で授受された1000万円の現金は、賄賂と認定されています。決定の理由を見ます。独占禁止法は、公正取引委員会が、違反の犯罪があると思料するとき、つまり、あると考えるときは、検事総長に告発しなければならない、と定めています。そして、独占禁止法89条から91条までの罪は、委員会の告発がなければ、裁判で問うことができない、とも定めています。告発は、委員会が、すべきときにはしなければならない行為です。カードです。

判例最高裁判所第二小法廷決定(平成15年1月14日・刑集57巻1号1頁)

告発しないよう働きかけた事案 「私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律73条1項は,公正取引委員会は,同法違反の犯罪があると思料するときは検事総長に告発しなければならないと定め,同法96条1項は,同法89条から91条までの罪は,同委員会の告発を待って,これを論ずると定めているところ,公務員が,請託を受けて,公正取引委員会が同法違反の疑いをもって調査中の審査事件について,同委員会の委員長に対し,これを告発しないように働き掛けることは,同委員会の裁量判断に不当な影響を及ぼし,適正に行使されるべき同委員会の告発及び調査に関する権限の行使をゆがめようとするものであるから,平成7年法律第91号による改正前の刑法197条ノ4にいう「職務上相当ノ行為ヲ為サザラシム可ク」あっせんすることに当たると解すべきである。」

決定は、この事案について、告発しないよう働きかけることは、委員会の裁量判断に不当な影響を及ぼし、告発と調査の権限の行使をゆがめようとするものだから、相当ノ行為ヲ為サザラシム可ク、あっせんすることにあたる、と述べました。注意が二点あります。一つ目。決定が適用したのは、改正前の197条ノ4です。その、相当ノ行為ヲ為サザラシム可ク、は、今の、相当の行為をさせないように、と同じ内容です。二つ目。裁量判断への不当な影響、という言い方は、告発しないよう働きかけた、この事案での判断の理由です。あっせん全般の定義として、決定が述べたものではありません。

立場と内容の読み分け 図:立場と内容の読み分け

二つの決定は、聞いている軸が違います。立場の問いは、誰として口をきいたか、です。先に見た決定が、公務員としての立場が要る、と答えました。内容の問いは、何をさせる口ききか、です。基準は、不正な行為をさせる、又は相当の行為をさせない、という条文の言葉です。あとに見た決定は、告発をさせない働きかけが、これにあたる、と判断しました。あっせん収賄罪は、論文で論点になりうる罪です。請託を受けて、あっせんをして、その内容が不正で、公務員としての立場でおこなった、という順に、要件を組み立てます。

五つの場面で選ぶ

五つの場面 図:五つの場面

最後に、場面ごとに罪名を選びます。基本形の単純収賄罪は、今の公務員が、自分の職務に関して受け取る罪でした。今日の二つは、その外側です。辞めたあとに受け取るのが事後収賄罪、他の公務員への口ききの報酬を受け取るのがあっせん収賄罪でした。罪名と、足りない要件を、混ぜて聞きます。軸は三つです。時間の軸は、受け取った時に公務員かどうか。内容の軸は、あっせんの中身が不正かどうか。立場の軸は、公務員として口をきいたかどうかです。問いを聞いたら、先に軸を選んでください。一つ目は、請託と不正あり、退職後に受領、です。冒頭の場面一です。在職中にBから頼まれて、不正な許可を出し、退職から2か月後に、礼として、10万円を受け取りました。

一つ目は、197条の3第3項の事後収賄罪です。二つ目は、請託も不正もなし、退職後に好意で受領、です。在職中の許可は適正で、頼まれた事実も、礼の話も、何もありません。退職後に、Bが好意で、10万円を渡しました。要件が欠け、事後収賄罪は成立しません。

五つの場面 口ききの三つ 図:五つの場面 口ききの三つ

三つ目は、担当外のCへ、基準外のB社を口きき、です。冒頭の場面二です。Aは、Bから頼まれて、契約課の係長Cに、基準を満たしていないB社を入れるよう口をきき、Bから10万円を受け取りました。197条の4のあっせん収賄罪です。Cが応じたかどうかは、問いません。四つ目は、三つ目と、設例だけ入れ替えます。担当外のCへ、基準どおりの案件を口きき、です。B社は基準を満たしていて、普通に手続を進めてよい案件を、順番どおりに受け付けるよう、Aが口をきき、10万円を受け取りました。基準どおりに進めてもらう口ききは、197条の4にあたりません。内容が不正かどうかで、三つ目と分かれます。内容の軸です。五つ目は、先輩だからと個人で頼む、職員の立場なし、です。Aは、Cが高校の先輩であることだけを頼りに、市職員の立場は一切出さず、個人として、基準を満たしていないB社を入れてくれと頼み、10万円を受け取りました。

五つ目は、職員の立場を出していない設定です。決定が、この罪を構成しないとした、私人としての行為にあたり、あっせん収賄罪は成立しません。ただし、どこからが私人としての行為か、線引きそのものは、決定が示していません。これで、冒頭の二つの場面にも答えが出ました。辞めたあとの受け取りは事後収賄罪、担当外への口ききはあっせん収賄罪です。

今日のまとめ

今日の整理 図:今日の整理

まとめます。

⭐ 論文で書く規範:今日の3点 「① 事後収賄罪は、公務員であった者が、在職中に請託を受けて不正な行為をした、又は相当の行為をしなかったことに関し、退職後に賄賂を受け取る罪で、五年以下の拘禁刑。四つの要件が全部そろわないと成立しない。決め手は、名目ではなく、不正な行為との対価関係。」 「② あっせん収賄罪は、請託を受け、他の公務員に職務上不正な行為をさせるように、又は相当の行為をさせないようにあっせんした報酬を受け取る罪で、五年以下の拘禁刑。公務員としての立場が要る。現に不正が行われたことは要らない。」 「③ 決定が述べたのは、顧問としての実態があっても対価関係があれば事後収賄罪が成立すること、積極的な地位の利用は不要で公務員としての立場は必要なこと、告発しないよう働きかけた事案での判断まで。現に不正が行われたことが要らない点は、条文の言葉から言える。」 (要点)

最初の二つの場面に答えます。場面一は、在職中に請託を受けて不正な行為をし、退職後に受け取ったので、事後収賄罪です。名目が退職祝いでも、決め手は、不正な行為との対価関係でした。場面二は、頼まれて、担当外の、他の公務員に、不正な行為をさせるよう口をきき、報酬を受け取ったので、あっせん収賄罪です。Cが応じなくても成立します。場面一は、197条1項の、公務員が、にあたらず、場面二は、同じく、その職務に関し、にあたりません。事後収賄罪とあっせん収賄罪の条文が、その外側をふさいでいます。

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#207単独ページ動画

贈賄罪と恐喝された贈賄者

第18章 国家的法益|国家の存立・国交・国家の作用 ㉔/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

断られた封筒と脅された業者

場面一 断られた封筒 図:場面一 断られた封筒

今日は、二つの場面から入ります。まず、一つ目です。市役所で、道路の占用許可を担当している職員Aがいます。工事業者Bは、許可を早く出してもらいたくて、現金の入った封筒を、Aに差し出しました。Aは、受け取れません、と断りました。封筒は、Bの手に残ったままです。

場面二 脅されて渡す 図:場面二 脅されて渡す

二つ目の場面です。別の日、Aは、Bに、許可がほしければ現金を持ってこい、出さなければ許可は止める、と告げました。Aは、現金を受け取れば、許可を出すつもりでした。Bは、怖くなって、現金を渡しました。今日の問いは、この二つの場面で、Bに贈賄罪が成立するのか、です。答えを、先に言います。一つ目は、Bに贈賄罪が成立します。断られても、申込みをした時点で成立します。Aには、収賄罪は成立しません。二つ目は、脅されて贈った場合の贈賄罪の成否で引かれる最高裁の決定があり、その決定は、完全な自由意思までは要らないとして、成立を認める側の判断を示しています。学説には、否定する立場もあります。前に、類型の地図で、贈賄罪を見ました。収賄の反対にある罪として、名前と法定刑だけでした。渡した者も、職務の公正と、これに対する社会一般の信頼を害する原因を作っています。今日は、その贈賄罪の中身です。条文を読みます。

条文刑法198条

刑法198条(贈賄) 第百九十七条から第百九十七条の四までに規定する賄賂を供与し、又はその申込み若しくは約束をした者は、三年以下の拘禁刑又は二百五十万円以下の罰金に処する。

覚えていてほしいのは、この条文が、供与、申込み、約束の三つを、又は、若しくは、でつないでいることです。この点は、あとで使います。

今日の流れ 図:今日の流れ

今日の流れです。まず、条文を分けて、誰が、何をすれば成立するのかを確かめます。次に、収賄と向かい合う罪であることを確かめて、片方だけ成立する場面を探します。そして、脅されて贈った者を、決定の言葉で考えます。最後に、場面を五つ並べて、冒頭の二つに答えを出します。

贈賄罪の要件

贈賄罪の三つの要件 図:贈賄罪の三つの要件

条文を三つに切ります。一つ目は、主体です。条文は、者、と書いています。誰でもよいのです。197条1項は、公務員が、と書いて、身分のある者だけを対象にしていました。贈賄罪は、身分を問いません。Bのような民間の業者でも、別の課の職員Cでも、主体になります。条文の言葉は、者、だけです。限定は書かれていません。

収賄と贈賄の行為の対応 図:収賄と贈賄の行為の対応

二つ目は、行為です。条文は、供与し、又はその申込み若しくは約束をした、と書いています。供与、申込み、約束の三つです。設例で並べます。供与は、賄賂を渡して、相手に受け取らせることです。BがAに封筒を渡し、Aが受け取れば、供与です。申込みは、賄賂を受け取ってほしいと、相手に持ちかけることです。許可を早く出してもらえれば、礼をします、と持ちかければ、申込みです。約束は、賄賂を渡し受け取ることについて、相手と合意することです。来月渡します、分かりました、と、AとBの意思が合えば、約束です。収賄の行為と、向き合っています。受け取る収受には、渡す供与。求める要求には、持ちかける申込み。約束には、約束。三組です。条文は、又は、若しくは、でつないでいますから、どれか一つで成立します。三つそろう必要はありません。

申込みは、持ちかけるだけですよね。断られたら、何も起きていません。それでも、罪になるのですか。なります。申込みをした時点で、贈賄罪が成立します。相手が断っても同じです。理由は、条文の組み立てにあります。条文は、申込みを、供与とは別の行為として並べて、処罰しています。そして、相手がどう応じたかは、何も書いていません。受け取られて初めて成立するのは、供与のほうです。前に、要求は断られても成立する、と見ました。申込みも、同じ向きです。大審院の判例も、相手が受け取らなくても、申込みだけで成立するとしています。冒頭の封筒です。Bが差し出し、Aが断りました。Bは、申込みをした時点で、贈賄罪が成立します。Aは、受け取りも、要求も、約束もしていません。ですから、Aに収賄罪は成立しません。三つ目は、賄賂の範囲です。条文は、197条から197条の4までに規定する賄賂、と書いています。単純収賄、受託収賄、事前収賄、第三者供賄、加重収賄、事後収賄、あっせん収賄。収賄のどの類型の賄賂でも、贈る者の罪は、198条の一か条です。収賄は、類型ごとに刑が分かれていましたが、贈賄罪は、一つにまとまっています。刑は、三年以下の拘禁刑、又は二百五十万円以下の罰金です。収賄の基本形は、五年以下の拘禁刑でした。数字の上では、贈賄罪のほうが、軽く定められています。

向かい合う罪と片方だけの成立

向かい合う二本の矢印 図:向かい合う二本の矢印

贈賄罪の要件は、ここまでです。次に、収賄罪との関係を見ます。共犯の全体像で見た、必要的共犯を思い出してください。その一つ、対向犯とは、どんな型の罪でしたか?2人以上の、互いに向き合う行為を要件にする型です。例は、収賄罪と贈賄罪でした。向かい合う2本の矢印、と習いました。収賄罪にも贈賄罪にも、処罰規定があります。ここで、問いです。向かい合う二人のうち、片方だけが成立することは、あるのでしょうか。冒頭の封筒で考えます。Bが差し出し、Aが断りました。罪が成立したのは、どちらでしょうか?Bです。差し出した時点で、申込みが成立して、贈賄罪になります。Aは、受け取らず、要求も約束もしていないので、収賄罪は成立しません。片方だけが成立する場面は、実際にあります。どんな行為なら片方だけになるのか、先ほどの三組に戻って、整理します。

片方だけ成立する場面 図:片方だけ成立する場面

三組を、一つずつ見ます。供与と収受は、一つの出来事です。渡す者から見たのが供与、受け取る者から見たのが収受で、一枚の紙の、おもてと裏の関係です。受け取ってもらえなければ、供与にならず、申込みにとどまります。ですから、供与と収受は、行為の面では、片方だけが成立する形になりません。約束と約束も同じです。合意は、二人で成り立ちます。合意に至らなければ、持ちかけた者の、申込み、または要求にとどまります。残る申込みと要求は、一方的な行為です。相手が応じなくても成立しますから、片方だけが成立します。表の四つです。一つ目は、Bの申込みを、Aが断った場合で、Bにだけ、贈賄罪が成立します。二つ目は、Aが現金を要求して、Bが応じなかった場合で、Aにだけ、収賄罪が成立します。197条1項の、要求です。三つ目は、Bが渡して、Aが受け取った場合で、Bは供与、Aは収受として、両方が成立します。四つ目は、約束です。二人の意思が合えば、約束どうしで、両方が成立します。

収賄には、請託を足したり、第三者に渡させたりする型もありました。そういう賄賂を贈った場合も、同じですか。同じです。条文は、197条から197条の4までに規定する賄賂、と書いています。請託を受けた職員に渡す場合も、退職した元職員に、在職中の不正の礼を渡す場合も、Aに頼まれて、団体に渡す場合も、別の課の職員へのあっせんの報酬を渡す場合も、贈る者の条文は、198条です。各類型の要件は、これまでの回で見たとおりです。

脅されて贈った者

脅されて贈った者の問題 図:脅されて贈った者の問題

冒頭の二つ目の場面に戻ります。Aは、許可を止めると脅して、Bに現金を渡させました。Aの罪は、前に確かめました。職務を執行する意思がある場合には、収賄罪と恐喝罪が成立して、観念的競合になる、というものでした。これは、前に採った、学説の一つの立場による整理です。そして前に、脅されて渡したBに、贈賄罪が成立するかは、贈賄罪の回で見る、と言いました。今日が、その回です。脅されて渡した、という事情をどう扱うかが、問題の所在です。贈賄罪は、賄賂を渡す行為を罰します。ところが、Bは、脅されて渡しました。この事情があっても、贈賄罪は成立するのか。決定を読みます。

判例最高裁判所第三小法廷決定(昭和39年12月8日・刑集18巻10号952頁)

贈賄罪の賄賂の供与と意思決定の自由 「贈賄罪における賄賂の供与等の行為には、必ずしも完全な自由意思を要するものではなく、不完全ながらも、いやしくも贈賄すべきか否かを決定する自由が保有されておれば足りるものと解するのが相当である。」

この決定は、贈賄の事件の上告を棄却したもので、その理由のなかで、今の判断を述べています。決定は、事案の事実を述べていません。決定が述べたのは、二点です。贈賄罪の賄賂の供与などの行為に、完全な自由意思は、必ずしも要らない。不完全でも、贈賄すべきか否かを決定する自由が保有されておれば足りる。ここまでです。脅された場合、と明言してはいません。この判断が、公務員に脅されて贈った場合の贈賄罪の成否で、引かれるのです。決定の言葉を、噛み砕く前に、確認です。恐喝罪は、盗取罪と交付罪のどちらでしたか?交付罪です。暴行や脅迫で相手を畏怖させて、その状態で、相手自身に財物を手放させる罪でした。脅されても、手放したのは、相手自身です。恐喝の脅しは、相手の反抗を抑えつけるところまではいかない強さでした。怖くはあっても、抵抗する余地は残ります。ですから、恐喝で脅された者は、渡すか、渡さないかを、自分で決めて、手放しています。この点を頭に置いて、決定の言葉を見ます。完全な自由意思は、要らない。怖い、断りたい、という不完全さがあっても、贈るか、贈らないかを、自分で決める自由が残っていれば足りる、という言葉です。輪郭を、例で確かめます。許可を止めるぞ、と告げられて、怖いながらも、Bが自分で封筒を用意して、Aに差し出しました。渡すか、渡さないかを、Bが決める余地は残っています。逆に、Bが身動きできないまま、Aに現金を取り上げられたなら、Bが決めて渡した、とは言えません。決定する自由が残っているかどうかを、見ることになります。決定が述べたのは、残っていれば足りる、までです。冒頭の二つ目の場面のBは、怖いながらも、自分で決めて、渡しています。決定の言葉に当てると、決定する自由が残っている場合です。答案では、この当てはめを経て、成立する、という結論を書くことになります。

成立を認める立場は、こう説明します。怖さという不完全さはあっても、渡すと決めたのは本人です。だから、成立を妨げる理由はない。これは、学説による説明です。決定自身が述べたのは、決定する自由が保有されておれば足りる、までです。決定は、どこまでの自由があれば足りるか、を述べました。なぜ成立を認めてよいのか、という説明は、学説のものです。答案では、この二つを、混ぜないでください。

二つの立場 図:二つの立場

学説には、否定する立場もあります。否定する立場の理由は、成立を認めれば、脅された被害者にも、脅されても渡してはいけない、と求めることになってしまう、というものです。整理します。決定は、成立を認める判断を示しています。学説には、否定する立場もあります。Aの罪は、先ほど確かめたとおり、別に問題になります。ここで、前に読んだ判決と、分けておきます。あの判決は、職務を執行する意思が無い場合に限って、公務員の罪は恐喝罪だけ、と述べ、その理由として、全然任意に出た交付とは言えない、と述べたものでした。渡した者の贈賄罪については、述べていません。贈った者の贈賄罪について述べたのは、今日の決定で、問われている罪が違います。この論点は、論文で論点になりうる部分です。問題の所在、決定の言葉、事例への当てはめ、という順に書くことになります。

五つの場面とまとめ

五つの場面 図:五つの場面

最後に、場面ごとに、成立する罪を選びます。聞いている軸が、場面ごとに違います。申込み、要求、約束、決定する自由、主体の五つです。先に、軸を選んでから、答えてください。一つ目は、Bが封筒を差し出し、Aが断った、です。冒頭の場面です。申込みの軸です。Bに贈賄罪が成立します。Aは、収賄罪になりません。二つ目は、Aが十万円を求め、Bは断った、です。要求の軸です。Aには、要求の時点で、収賄罪が成立します。Bは、応じていないので、罪になりません。今の二つで、申込みと要求は、片方だけ成立する、と確かめました。三つ目は、Bが、来月、お礼を渡す、と言って、Aが了承した、です。

約束の軸です。合意が成立しましたから、Bは約束による贈賄罪、Aは約束による収賄罪で、両方が成立します。四つ目は、Aに脅されて、Bが現金を渡した、です。冒頭の二つ目の場面です。決定する自由の軸です。決定は、成立を認める判断を示していますから、Bに贈賄罪が成立する、という結論になります。学説には、否定する立場もあります。五つ目は、別の課の職員Cが、Aに現金を渡して頼んだ、です。主体の軸です。条文は、者、としか書いていませんから、公務員のCも、贈賄罪の主体になりえます。ただし、Aに収賄罪が成立するかは、197条の要件で、別に決まります。この場面が聞いているのは、贈る者の主体だけです。

今日の整理 図:今日の整理

まとめます。

⭐ 論文で書く規範:今日の3点 「① 贈賄罪は、198条の一か条で、主体に限定がない。供与、申込み、約束のどれか一つで成立し、申込みは断られても成立する。197条から197条の4までの賄賂が対象で、刑は三年以下の拘禁刑又は二百五十万円以下の罰金。」 「② 収賄と贈賄は向かい合う罪で、申込みと要求は一方的な行為だから片方だけ成立する。供与と収受、約束と約束は、向かい合って成立する。」 「③ 脅されて贈った場合について、決定は、決定する自由が保有されておれば足りる、と述べ、成立を認める判断を示している。渡すと決めたのは本人、は成立を認める立場の説明で、否定する立場もある。」 (要点)

最初の二つの場面に答えます。一つ目は、Bの申込みの時点で、贈賄罪が成立します。Aは、受け取っていませんから、収賄罪は成立しません。二つ目は、脅されて渡したBについて、決定は、決定する自由が残っていれば足りる、と述べ、成立を認める判断を示しています。学説には、否定する立場もあります。

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#208単独ページ動画

賄賂の没収と追徴・国家的法益の弁別

第18章 国家的法益|国家の存立・国交・国家の作用 ㉕/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

使ってしまった賄賂

使い切った現金と接待 図:使い切った現金と接待

今日は、二つの場面から入ります。市役所で、道路の占用許可を担当している職員Aがいます。工事業者Bは、許可の見返りとして、Aに、現金で百万円を渡しました。Aは、その百万円を、もう使ってしまいました。手元には、一円も残っていません。別の日には、Bから、高級な料理店で接待を受けました。料理は、食べればなくなります。形としては、何も残りません。今日の問いは、使ってしまった賄賂や、形の残らない賄賂を、国は取り上げられるのか、です。答えは、197条の5にあります。前に、賄賂の罪の類型の地図で、名前だけ出した条文です。今日は、その中身を読みます。

条文刑法197条の5

刑法197条の5(没収及び追徴) 犯人又は情を知った第三者が収受した賄賂は、没収する。その全部又は一部を没収することができないときは、その価額を追徴する。

先に答えを言うと、取り上げられます。使っていても、形が残らなくても、です。鍵は、没収する、追徴する、と言い切る書き方にあります。この形が何を意味するのかは、すぐあとで見ます。

今日の流れ 図:今日の流れ

今日の流れです。まず、没収の一般のルールと比べて、197条の5が何を変えているのかを見ます。次に、没収できないときの価額の追徴を、二つの場面に分けて確かめます。そして、二人で受け取った賄賂を、最高裁の決定で考えます。そのあとで、国家的法益の罪を事例で選び分けて、刑法の各論を、守るものから振り返ります。

必ず没収する条文

任意的と必要的 図:任意的と必要的

一般のルールを思い出します。没収は付加刑でした。主刑の言い渡しとセットで、単独では言い渡せない刑です。では、一般のルールでは、没収するかどうかを、誰が決めるのでしたか?裁判官です。没収は、原則として任意的で、裁判官の裁量に任されていました。条文で確かめます。19条1項です。

条文刑法19条1項

刑法19条1項(没収) 次に掲げる物は、没収することができる。 一 犯罪行為を組成した物 二 犯罪行為の用に供し、又は供しようとした物 三 犯罪行為によって生じ、若しくはこれによって得た物又は犯罪行為の報酬として得た物 四 前号に掲げる物の対価として得た物

没収することができる、と書いています。並んでいる四つは、没収できる物の種類です。追徴も、次の条文を見てください。

条文刑法19条の2

刑法19条の2(追徴) 前条第一項第三号又は第四号に掲げる物の全部又は一部を没収することができないときは、その価額を追徴することができる。

追徴も、することができる、です。これも裁判官の裁量です。条文にある、前条の第三号と第四号に掲げる物は、犯罪行為によって得た物や、その対価として得た物のことで、賄賂は、犯罪行為によって得た物に当たります。追徴は、刑罰の種類の回で見たとおり、没収できない物の代わりに、その価額を金銭で取り上げる処分でした。これに対して、197条の5は、没収する、追徴する、と書いています。できる、ではありません。没収するかどうか、追徴するかどうかについて、裁判官に裁量はありません。賄賂は必ず没収し、没収できなければ、必ず価額を追徴します。これを、必要的没収、必要的追徴と呼びます。この197条の5は、19条と19条の2の特則です。

同じ没収と追徴なのに、賄賂だけ裁量を外したのは、なぜですか。受け取った利益を、収賄者に残さないためです。たとえば、収賄罪で拘禁刑を受けても、受け取った百万円が手元に残るなら、割に合うと考える人が出てしまいます。そこで、裁判官の裁量に任せず、賄賂は必ず取り上げる形にしています。付加刑ですから、没収は、収賄罪の刑に付け加えて、言い渡されます。

没収される賄賂 図:没収される賄賂

次に、何を没収するのかです。条文は、犯人又は情を知った第三者が収受した賄賂、と書いています。二つに分かれます。一つ目は、犯人自身が収受した賄賂です。設例で言えば、Aが受け取った現金です。二つ目は、情を知った第三者が収受した賄賂です。たとえば、前に見た第三者供賄罪の場面です。公務員が、請託を受けて、第三者に賄賂を供与させる罪でした。この罪で賄賂を受け取るのは、公務員ではなく、第三者です。その第三者が、賄賂だと分かって受け取ったなら、第三者の手元にある賄賂も、没収の対象になります。条文の言葉は、情を知った第三者です。知らずに受け取った第三者の賄賂は、この言葉には入らない、と読めます。

没収できないときの追徴

没収できない二つの場面 図:没収できない二つの場面

冒頭の二つの場面に戻ります。条文の後半を見てください。没収することができないとき、には、二つの場面が含まれるとされます。一つ目は、後から没収できなくなった場面です。受け取った現金を使った、受け取った物を人に譲った、というときです。受け取ったときには、確かに賄賂が手元にありました。しかし、没収のときには、もうありません。冒頭のAの、百万円が、これです。使い切っていても、百万円の価額が追徴されます。受け取った現金そのものが手元に無くても、Aは、百万円を国に納めなければなりません。二つ目は、はじめから没収できない場面です。接待を受ける、借金を免除してもらう、というのは、受け取ったものが、形のある物ではありません。取り上げる物が、はじめから存在しないのです。それでも、条文の後半の、没収することができないとき、に入ります。冒頭の接待が、これです。接待も、賄賂に当たります。賄賂は、金銭に限らず、職務に対する不正の報酬としての利益でした。形が残らなくても、価額が追徴の対象になります。一部だけの場合も、同じ後半です。百万円のうち四十万円を使い、六十万円が手元に残っていたなら、六十万円は没収し、使った四十万円は価額を追徴します。軸は、一つです。没収できなくなっても、利益は残さない。使っても、形が残らなくても、賄賂を受け取った人は、得をしたままにはなりません。ここで、確認です。Aが百万円を受け取って、使い切りました。裁判所は、追徴を命じなければならないでしょうか。それとも、命じるかどうかを、決められるでしょうか?

19条の2は、できる、でした。197条の5は、追徴する、ですから、命じなければなりません。裁量はありません。使い切っていても、接待でも、同じです。

追徴する額を測る時点 図:追徴する額を測る時点

もう一つ、追徴する額を、いつの価額で測るのか、という問題があります。物の値段は動くからです。最高裁の大法廷判決を読みます。公務員が、賄賂として宅地を収受しました。その後、情を知らない人に、その宅地を贈与して、没収できなくなりました。宅地の価額は、収受したときと贈与したときで違っていて、値上がりしていました。どちらの価額で追徴するのかが、問題になりました。

判例最高裁判所大法廷判決(昭和43年9月25日・刑集22巻9号871頁)

追徴する額を測る時点 「収賄者は賄賂たる物を収受することによつてその物のその当時の価額に相当する利益を得たものであり、その後の日時の経過等によるその物の価額の増減の如きは右収受とは別個の原因に基づくものにすぎないのであるから、没収に代えて追徴すべき金額はその物の授受当時の価額によるべきものと解するのが相当である。」

判決は、こう述べています。収賄者は、賄賂の物を収受した時点で、その当時の価額に相当する利益を得た。その後の値段の増減は、収受とは別の原因による。だから、追徴する金額は、授受当時の価額による、という判断です。数字で確かめます。収受したときに百万円の価値があった物が、手放したときには百五十万円の価値になっていたなら、追徴は百万円です。逆に、価値が八十万円に下がっていても、追徴は、収受したときの百万円です。決め手は、収賄者が得た利益が、収受した時点で決まっていることです。手元から無くなった時点の値段は、基準になりません。

二人で受け取った賄賂

二人で受け取って使い切った 図:二人で受け取って使い切った

追徴では、もう一つ、問題になる場面があります。二人で受け取った賄賂です。設例を変えます。Aは、知人のCと共謀して、Bから現金二百万円を受け取りました。Cは、公務員ではありません。二人は、その二百万円を、使い切ってしまいました。公務員でないCも、Aと共謀したなら、65条1項によって、収賄の共同正犯になりうることは、前に、身分犯と共犯の回で見ました。そのうえで、最高裁の決定を読みます。市長と、その支援者で公務員ではない人が、共謀して、業者から現金一億五千万円を収受しました。二人の間で、どう分けたか、どう使ったかは、はっきりしませんでした。第一審は、七千五百万円ずつを、各人から追徴しました。これは、総額の半分です。決定の判断は、四つに分かれます。命じられる額、執行、裁判所の裁量、そして、この事案の結論です。まず、前の二つを読みます。

判例最高裁判所第三小法廷決定(平成16年11月8日・刑集58巻8号905頁)

共同収受の追徴と執行 「刑法(平成7年法律第91号による改正前のもの。)197条ノ5の規定による没収・追徴は、必要的に行うべきものであるが、本件のように収賄の共同正犯者が共同して収受した賄賂については、これが現存する場合には、共犯者各自に対しそれぞれ全部の没収を言い渡すことができるから、没収が不能な場合の追徴も、それが没収の換刑処分であることに徴すれば、共犯者ら各自に対し、それぞれ収受した賄賂の価額全部の追徴を命じることができると解するのが相当であり、賄賂を共同収受した者の中に公務員の身分を有しない者が含まれる場合であっても、異なる扱いをする理由はない。」 「……追徴が没収に代わる処分である以上、その全員に対し重複してその全部につき執行することが許されるわけではなく、共犯者中の1人又は数人について全部の執行が了すれば、他の者に対しては執行し得ないものであることはもちろんである。」

前の二つです。一つ目、共同して収受した賄賂は、残っていれば、各人に全部の没収を言い渡せます。たとえば、二百万円の現金が、一円も使われないまま二人の手元に残っていたとします。没収は、刑として、被告人一人ひとりに言い渡します。ですから、Aにも、Cにも、その二百万円を没収する、と言い渡すことができます。決定は、追徴を、没収の換刑処分と呼んでいます。没収に代わる処分、という意味です。だから、没収できないときの追徴も、各人に、収受した賄賂の価額全部を命じることができます。公務員でない人が混じっていても、同じです。二つ目、ただし、全員に重複して全部を執行する、つまり、実際に取り立てることは、できません。一人又は数人について全部の執行が済めば、ほかの人には執行は、できません。確認です。AとCに、二百万円ずつ追徴を命じたとします。国は、合わせて四百万円を取れるでしょうか?

取れません。二百万円を、どちらか一方から取れたら、全部の執行が済んだことになるので、もう一方には執行は、できません。追徴は、没収の代わりです。二百万円が残っていたとしても、言い渡しは二人それぞれに全部ですが、現金は二百万円しかありませんから、国が実際に取り上げられるのは、その二百万円だけでした。ですから、代わりの追徴でも、二百万円を超えては取れません。命じるのは言い渡しの話で、取るのは執行の話です。各人に命じられるのは全額でも、国が取れる総額は、二百万円までです。

ここまでに確かめたこと 図:ここまでに確かめたこと

次に、全額を、必ず各人に命じなければならないのか、という問題です。決定の続きを読みます。

判例最高裁判所第三小法廷決定(平成16年11月8日・刑集58巻8号905頁)

共同収受の追徴額の裁量 「収賄犯人等に不正な利益の保有を許さないという要請が満たされる限りにおいては、必要的追徴であるからといって、賄賂を共同収受した共犯者全員に対し、それぞれその価額全部の追徴を常に命じなければならないものではないということができるのであり……、裁判所は、共犯者らに追徴を命じるに当たって、賄賂による不正な利益の共犯者間における帰属、分配が明らかである場合にその分配等の額に応じて各人に追徴を命じるなど、相当と認められる場合には、裁量により、各人にそれぞれ一部の額の追徴を命じ、あるいは一部の者にのみ追徴を科することも許されるものと解するのが相当である。」 「……収受した賄賂の総額を均分した金額を各被告人から追徴するものとしたことには相応の合理性があると認められ、また、各追徴の金額を合算すれば収受された賄賂の総額を満たすから、必要的追徴の趣旨を損なうものでもない。」

三つ目は、全額を常に命じなければならないわけではない、という点です。不正な利益の保有を許さない、という要請が満たされるなら、裁判所は、裁量で、各人に一部の額だけを命じたり、一部の人にだけ追徴を科したりしてもよい、と決定は述べています。たとえば、Aの取り分が百五十万円、Cの取り分が五十万円と明らかなら、その額に応じて命じる形も許されます。合わせれば二百万円ですから、利益は、どちらの手元にも残りません。197条の5は、裁判官の裁量を外した条文でした。この三つ目と、ぶつかるわけではない、と整理できます。197条の5が外したのは、賄賂の利益を、受け取った側に残してよいかどうかの裁量です。残すことは、許されません。決定が認めたのは、その先の、誰に、いくら命じるかの裁量です。四つ目は、この事案の判断です。分け方が分からなかったので、総額を均分した額を各人から追徴しました。決定は、これには相応の合理性があり、合算すれば総額を満たすから、必要的追徴の趣旨を損なわない、と述べています。

決定が述べたのは、この事案で均分で足りる、までです。分配が不明なら必ず均分する、とは述べていません。決定の物差しは、不正な利益の保有を許さないという要請が満たされるかどうかです。均分は、その要請を満たす一つのやり方として、この事案で認められました。

共同収受の追徴 図:共同収受の追徴

四点を、一枚にします。命じられるのは各人に全額。執行は重複できない。全額は常には要らず、裁量で一部でもよい。そして、分配が分からない事案で、均分が許された例がある。以上です。

国家的法益の罪の選び分け

罪を選ぶ二つの問い 図:罪を選ぶ二つの問い

没収と追徴で、賄賂の罪の条文は、すべて読み終えました。ここからは、国家的法益の罪を、事例で選び分けます。その前に、思い出してください。賄賂の罪が守っているものは、何でしたか?職務の公正と、これに対する社会一般の信頼です。罪を学ぶときは、いつも、何を守る罪かから入りました。事例から罪を選ぶときは、順番が逆になります。先に、誰が、誰に、何をしたかを拾い、それがどの守るものを害したかで、罪を決めます。

五つの罪の決め手 図:五つの罪の決め手

五つの罪の、守るものと、決め手を並べました。これを使って、事例を五つ選び分けます。事例を聞いたら、先に、誰が、誰に、何をしたかを拾ってから、罪を選んでください。一つ目です。占用許可の窓口で、許可が出なかったBが、職員Aの胸ぐらをつかんで、押し返しました。公務執行妨害罪では、公務員は、職務中に暴行を受ける立場にいます。二つ目です。Aは、許可の審査の手続として、Bに、提出する義務のない書類を出させました。公務執行妨害罪と職権濫用罪は、同じ公務員とBの場面でも、公務員の立場が逆です。暴行を受けて害される立場か、職権という力を相手に向けて、義務のないことをさせる立場かが、分かれ目でした。

拾う三点 図:拾う三点

三つ目です。Aは、許可の見返りとして、Bから、現金を受け取りました。収賄罪では、公務員は、Bに力を向けていません。職務の対価として受け取ったことが、決め手です。四つ目です。公務員でも、事務を任された人でもないCが、Bに、工事の邪魔をされたくなければ現金を出せ、と告げて、現金を出させました。公務員という身分も、任された事務も、恐喝罪の決め手になりません。暴行や脅迫で畏怖させ、財物を交付させたことが決め手で、恐喝罪が守るものは、Bの財産です。五つ目です。民間の会社で、仕入れを任されたDが、知人の会社に有利になるよう、会社に損害が出ると分かっていながら、不当に高い値段で発注しました。

背任罪が守るのは、事務を任せた本人の財産で、任務に背いて、その本人に損害を加えたことが決め手です。五つとも、拾ったのは、誰が、誰に、何をしたか、の三点です。そこから、守るものと罪が決まりました。

冒頭の問いの答え 図:冒頭の問いの答え

冒頭の問いに戻ります。三つ目の事例のAが受け取った現金は、どうなるでしょうか。使い切っていた場合と、接待だった場合も、答えてください。Aが受け取った賄賂は、現金を使い切っていても、接待のように形が残らなくても、没収か、価額の追徴で、必ず取り上げられます。利益は残さない。それが、没収と追徴の軸でした。

⭐ 論文で書く規範:没収と追徴の三点 「① 収受した賄賂は、197条の5により必ず没収される。19条・19条の2の特則で、没収するか追徴するかについて裁判官の裁量はない。没収できないときは、必ず価額が追徴される。」 「② 没収できないときには、後から没収できなくなった場合と、はじめから没収できない場合が含まれるとされる。追徴する額は、授受当時の価額による。」 「③ 共同で収受した賄賂は、各人に全額の追徴を命じることができるが、執行は重複できない。全額を常に命じる必要はなく、不正な利益を残さない限り、裁量で一部を命じてもよい。」 (要点)

各論の総復習と読み筋

個人的法益の地図 図:個人的法益の地図

各論の全体を、守るものから並べ直します。まず、個人的法益です。人が持つ利益を守る罪で、第12章から第16章です。生命と身体を守るのが、殺人や傷害、過失致死傷、遺棄、堕胎。自由を守るのが、逮捕監禁や脅迫、強要、略取誘拐、性的自由に対する罪、住居侵入。秘密、名誉、信用、業務を守るのが、秘密を犯す罪、名誉毀損、信用毀損、業務妨害。財産を守るのが、窃盗と強盗、それから、詐欺、恐喝、横領、背任、盗品等に関する罪、毀棄です。

社会的法益の地図 図:社会的法益の地図

次に、社会的法益です。第17章です。公共の平穏と安全を守るのが、騒乱、放火、往来妨害。取引の安全を守るのが、文書、通貨、有価証券、カード等の偽造。風俗を守るのが、わいせつ、賭博、礼拝所と墳墓に関する罪です。

国家的法益の地図 図:国家的法益の地図

最後に、国家的法益です。第18章です。国家の存立を守るのが、内乱と外患に関する罪。その隣に置かれているのが、国交に関する罪で、こちらは、守る対象に争いがありました。外国の利益と見る説と、日本の外交上の利益と見る説です。そして、国家の作用、つまり、国の仕事が適正に行われることを守るのが、公務執行妨害、逃走、犯人蔵匿、証拠隠滅、偽証、虚偽告訴、職権濫用、賄賂です。今日の事例の、公務執行妨害、職権濫用、収賄は、この国家の作用の罪でした。恐喝と背任は、個人的法益の、財産の罪です。国家的法益か財産か、その分かれ目も、守るものが決めていました。第1回に戻ります。そこで、ある条文が守ろうとしている利益を、保護法益と呼ぶ、と言いました。個々の犯罪を扱う回では、これが毎回の出発点になる、とも言いました。各論を通して、この出発点から、何が決まったでしょうか?

一つ目の柱は、守るものから始めると、条文の要件の広さが決まることでした。もう一つの柱が、法益保護機能と自由保障機能の綱引きでした。利益を守るために犯罪の輪を広げる力と、行動の自由を守るために輪を絞る力です。賄賂の罪で、職務の公正だけを守ると見る立場と、社会一般の信頼まで守ると見る立場が分かれたのも、この綱引きの現れとして読めます。正しい仕事への謝礼では、職務の公正は害されていません。ですから、前者では、これを輪の内に入れる理由が言えません。後者なら、言えます。職務の対価として金品が渡れば、職務は、お金で動くのではないか、という疑いが生まれて、社会一般の信頼が害されるからです。信頼まで守ると見れば、輪は、そこまで広がります。第1回から今日まで変わらない読み筋は、刑法を、まず守るものを問い、犯罪の輪をどこまで広げるかの綱引きとして読むことです。

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旧シリーズv1(作り直し中)

作り直し前のシリーズです。話の割り方が今の解説順と違うため、本文はこのページに載せず 単独ページへのリンクだけ置いています。