刑事訴訟法ゼロから刑事訴訟法#9

強制処分と任意処分の区別①——判例が引いた線

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第2章 捜査 ②/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

今日の問い——強制処分か、任意処分か

酒酔い運転の疑いで説得を受けていた人と警察官の場面図 図:酒酔い運転の疑いで説得を受けていた人と警察官の場面図

前回、6つの出口を、全部見終えましたね。あの6つは、どれも「捜査が違法だったら」という仮定から、始まっていました。では、何が違法なのか。第2章は、まず、ここを問います。この処分は、強制処分なのか、任意処分なのか。その前に、言葉を1つ、そろえておきます。2回前は「強制捜査」、前回は「強制処分」と呼びました。条文の言葉は「強制の処分」です。捜査の場面では、同じものを指しています。呼び方が3つあるだけです。そして、2回前に並べた一覧の、並べる基準そのものを、今日、決めます。では、答える前に、まず、1つの場面を見てください。ある人が、酒酔い運転の疑いで、警察署に任意で同行し、呼気検査に応じるよう、説得を受けていました。

ところが、説得が続くうち、その人が急に立ち上がって、部屋の出口へ向かおうとしました。そこで警察官は、両手で、その人の左手首をつかみました。それだけです。ここで質問です。この「左手首をつかむ」行為は、強制処分でしょうか、任意処分でしょうか。今は、答えを出さなくて大丈夫です。実はこの事件、最高裁まで争われました。今日の最後に、もう一度、この場面に戻ります。まず、今日使う条文から見ていきましょう。

197条1項——本文が原則、但書が例外

「取調べ」という言葉の意味の広さを197条1項と198条で比較したボード 図:「取調べ」という言葉の意味の広さを197条1項と198条で比較したボード

今日、いちばん最初に読む条文が、これです。

条文刑訴法197条1項

刑事訴訟法第197条1項 捜査については、その目的を達するため必要な取調べをすることができる。ただし、強制の処分は、この法律に特別の定めのある場合でなければ、これをすることができない。

そこに、今日の1つ目の発見があります。前半——「必要な取調べをすることができる」——ここが、任意捜査の原則の根拠です。捜査機関は、目的を達するために必要な取調べを、原則、自由に行える、ということです。「強制の処分は、この法律に特別の定めのある場合でなければ、これをすることができない」——これが、強制処分法定主義です。ここで、条文の読み方として、覚えておいてほしいことがあります。「ただし」で始まるただし書きは、本文に対する例外です。例外として書かれていること自体が、本文——つまり任意捜査こそが、原則であることを示しています。

もう1つ、注意してほしい言葉があります。「取調べ」です。似た言葉ですが、意味の範囲が違います。198条で出てくる「取調べ」は、被疑者を呼んで供述を求める、狭い意味の取調べです。197条1項の「取調べ」は、証拠を集める活動、身体を拘束する活動まで含む、捜査全般を指す、広い意味です。そこが、初学者がいちばん誤読するところです。字面ではなく、条文の位置で、意味の広さが変わる、と覚えてください。目撃者から話を聞くのは、狭いほうです。「話を聞いて、供述を得る」という意味の取調べは、相手が被疑者でも、それ以外の人でも、変わりません。198条は、そのうち、被疑者について定めた条文で、被疑者以外の人については、別に条文が置かれています。

あちらは、また別の回で、じっくり扱います。今日は、197条1項の広い意味のほうを、使い続けます。

強制処分法定主義は、なぜ必要か

憲法31条を根拠に、強制処分法定主義を支える2つの要請を示したボード 図:憲法31条を根拠に、強制処分法定主義を支える2つの要請を示したボード

根拠は、憲法31条です。「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ……」という条文は、以前、扱いましたね。ここから、2つの要請が導かれます。1つ目、民主主義的要請。国民の代表である国会が、法律で定めるべきだ、という考え方です。2つ目、自由主義的要請。内容が事前に法律で明らかにされているからこそ、国民は、自分の行動の自由の範囲が分かる、という考え方です。自分の家に、警察がどんなときに入ってこられるのか。それが法律に書いてあるから、書いていない場面では入ってこない、と分かります。だから、安心して暮らせるんです。

ここで、大事な射程を、1つ予告しておきます。もし、今までに無い、新しい捜査の手法が出てきたとします。その手法を使うには、どうすればいいでしょうか。刑訴法に定めのない強制捜査は、立法を待つまでは、使えません。新しい捜査手法が出てくるたびに、この原則が効いてきます。中身は、また別の回で見ます。

令状主義——裁判官が事前に審査する

令状主義の仕組みと、例外の出どころの違い(憲法の明文=現行犯逮捕・逮捕に伴う捜索差押え/判例が合憲=緊急逮捕)を示したボード 図:令状主義の仕組みと、例外の出どころの違いを示したボード

  • 憲法の明文=現行犯逮捕・逮捕に伴う捜索差押え
  • 判例が合憲=緊急逮捕

強制処分には、もう1つ、縛りがあります。令状主義です。まず、逮捕の場面の条文を見てください。

条文憲法33条

憲法第33条 何人も、現行犯として逮捕される場合を除いては、権限を有する司法官憲が発し、且つ理由となつてゐる犯罪を明示する令状によらなければ、逮捕されない。

裁判官のことです。憲法は、この古い言い方を使っています。捜査機関が、自分で自分の権限を判断すると、行き過ぎが起きやすいからです。中立公平な裁判官が、事前に審査する——これを、司法的抑制と呼びます。

条文憲法35条1項・2項

憲法第35条1項・2項 1項 何人も、その住居、書類及び所持品について、侵入、捜索及び押収を受けることのない権利は、第三十三条の場合を除いては、正当な理由に基いて発せられ、且つ捜索する場所及び押収する物を明示する令状がなければ、侵されない。2項 捜索又は押収は、権限を有する司法官憲が発する各別の令状により、これを行ふ

逮捕状は刑訴法199条1項、捜索差押許可状は218条1項が、この憲法の規定を受けています。例外はあります。しかも、面白いことに、それは憲法の条文自身が書いています。33条の「現行犯として逮捕される場合を除いては」、35条1項の「第三十三条の場合を除いては」——ここです。現行犯逮捕と、逮捕に伴う捜索差押えは、憲法が自分で、穴を開けています。ただ、例外はもう1つあって、そちらは違います。緊急逮捕です。憲法33条に、緊急逮捕という言葉は、どこにもありません。刑訴法が定めた類型で、憲法に反しないかが、正面から争われてきました。判例は、合憲としています。

だから、3つを同じ強さで並べない。ここが、後で効いてきます。条文はあります。現行犯逮捕は212条・213条、緊急逮捕は210条、逮捕に伴う捜索差押えは220条です。中身は、それぞれ専用の回で、じっくり扱います。今日は、名前と、「例外の出どころは、1つではない」というところまでです。

三重の縛り——強制処分だと判定された瞬間に起きること

捜索差押えの現場(令状執行警察官・捜索を受けた人・検察官・裁判所)に三重の縛りが同時に降りる図 図:捜索差押えの現場に三重の縛りが同時に降りる図

ここで、以前使った場面を、思い出してください。警察官が、捜索差押許可状を得て、会社役員の自宅を捜索し、その場で現行犯逮捕、帳簿を押収した——あの場面です。今日は、その入口に戻ります。もし、あの捜索そのものが、強制処分だと判定されたら、何が起きるでしょうか。3つのことが、同時に問われます。1つ目、刑訴法に、それを許す「特別の定」があるか。2つ目、裁判官の令状は、あったか。3つ目、その執行は、必要性に見合っていたか。比例原則です。次で、詳しく見ます。今日は、まず、この3つが同時に降ってくる、という重さを、体で感じてください。

基準を教える前に、まず、この重さを分かってほしかったんです。

比例原則——令状は免罪符ではない

令状の有無にかかわらず比例原則がかかることを示したボード 図:令状の有無にかかわらず比例原則がかかることを示したボード

3つ目の縛り、比例原則です。そこが、大きな誤解です。令状は、「この処分をしていい」という許可であって、「どんな態度でやっていいか」までは教えてくれません。令状は、「入っていい部屋」を教えてくれるだけです。ドアを蹴破っていいかまでは、教えてくれません。比例原則とは、権利・利益への侵害・制約が、必要性に見合った、相当なものでなければならない、という原則です。無抵抗の相手を乱暴に逮捕することは、令状があっても許されません。拳銃を持ち出して抵抗する相手には、強い実力行使も許されます。でも、無抵抗の相手に、同じ強さでぶつかれば、令状があっても相当性を欠きます。

令状は免罪符ではない——まさに、その一言です。しかも、比例原則が効くのは、強制処分だけではありません。任意処分でも、比例原則には従わなければなりません。中身は、また別の回で扱いますが、197条1項の本文が、その根拠です。強制処分には、法定主義・令状主義・比例原則の3つが効き、任意処分には、比例原則だけが効く——ここが、両者の非対称なところです。もし、捜索そのものは適法でも、警察官が、必要以上に乱暴な態度を取っていたら、その部分は、比例原則に違反する余地があります。では、1つ、確認していいですか。

警察官が、相手の腕を軽くつかんだとします。これは、令状が要る捜査ですか?なぜですか。3つの縛りは、もう習いましたよね。判定の基準を、まだ渡していませんでしたね。縛りの重さは分かっても、どちらに判定されるかを決める物差しが無い——よく気づきました。そこで、次に、判定の手順そのものを、1枚の図にします。

適法・違法の判断順序——1枚のフローにする

強制処分か任意処分かの4分岐と、前回の6つの出口への接続を示したフロー図 図:強制処分か任意処分かの4分岐と、前回の6つの出口への接続を示したフロー図

この手順を、順番に見ていきましょう。まず、①その処分は、強制の処分か。次に進みます。②刑訴法に、特別の定があるか。あれば、③令状主義を遵守したか。適法です。①から③のどこか1つでも欠けていれば、違法になります。任意処分です。その場合は、④比例原則に従っていたか、だけを問います。従っていれば適法、従っていなければ違法です。さっきの、3つの縛りが、そのまま、この分岐に現れています。そして、ここが、今日、いちばんのつながりです。「違法」という結論の先に、前回見た、6つの出口が、そのままぶら下がります。

今日の判定と、前回の出口が、1枚の図で、つながりました。では、次に、この分岐の入口——「強制の処分か」を、どう判定するのか。その基準の歴史を、見ていきます。

かつての線——有形力か、法的義務の賦課か

旧説(有形力の行使・法的義務の賦課)と、それが念頭に置いた典型例を示したボード 図:旧説(有形力の行使・法的義務の賦課)と、それが念頭に置いた典型例を示したボード

「強制の処分か」を判定する基準は、実は、一度、書き換えられています。ありました。かつての基準は、2本柱です。1本目が、有形力——つまり物理的な実力——を使うこと。2本目が、相手に法的な義務を負わせること。このどちらかがあれば強制処分だ、というのが、かつての理解でした。念頭にあったのは、刑訴法が定める、典型的な強制捜査です。逮捕・勾留、捜索・差押え、検証——これらは、有形力の行使にあたります。第1回公判期日前の証人尋問です。出頭・宣誓・証言の義務を負わせる手続です。典型的な強制捜査を、そのまま説明できる、素直な基準でした。まずは、証人尋問のほうから、詳しく見ていきましょう。

法的義務の賦課——証人尋問はなぜ強制なのか

226条・227条の証人尋問請求から150条・151条・152条・160条・161条の制裁までのフロー図

「法的義務の賦課」の具体例が、これです。第1回公判期日前の証人尋問——226条・227条です。捜査に欠くことのできない知識を持つ人が、取調べに応じない場合、検察官が、裁判官に、その人の証人尋問を請求できます。ただ、ここで、勘違いしやすいところがあります。「裁判官が関与するから、強制なんだ」と考えてしまいがちです。でも、それは順序が逆です。証人として召喚されると、出頭・宣誓・証言の義務を負います。正当な理由なく拒めば、150条や160条の過料、151条や161条の拘禁刑・罰金、そして152条の勾引——強制的に連れてこられることさえあります。

義務は、召喚された時点で、法律上、先に生じています。制裁は、その義務を守らせるために置かれた担保です。だから、拒みたくても拒めない。だから、強制捜査だと言えるんです。裁判官は、令状主義の場面でも関与しますが、それは強制処分だから裁判官が出てくるのであって、逆ではありません。同じ間違いを、ここでもしないよう、覚えておいてください。公務所等への照会ですね。2回前に見た、団体が持っている情報を、捜査機関が尋ねる手段です。コンビニの本社に、来店者のデータを聞くような場面でした。あちらは、相手の同意を前提にした、任意捜査と考えられています。

ですが、この基準は、両側から壊れます。

旧説の破綻——両側から壊れる

旧説が暴発する例と、規制の空洞に落ちる例を対比したボード 図:旧説が暴発する例と、規制の空洞に落ちる例を対比したボード

1つ目、規制が暴発する側です。たとえば、電車の中で、隣の人の肩をポンと叩いて、「次で降りますよ」と教える行為を考えてください。有形力の行使です。でも、これを強制処分だと言われたら、おかしいですよね。軽い有形力まで、すべて強制処分になってしまうと、現実的ではありません。そちらは、話が変わってきます。同じ「肩に触れる」でも、程度がまるで違います。旧説は、触れたかどうかしか見ないので、この重さの違いを、うまく説明できません。2つ目、逆に、規制の空洞に落ちる側です。たとえば、双眼鏡で、ある人の行動をずっと見張り続ける行為を考えてください。

写真撮影や、通信の傍受も、同じです。有形力の行使も、法的義務の賦課も、ありません。旧説だと、こうした手法は、すべて任意処分——つまり、規制の外に落ちてしまいます。両側から、不都合が起きる。だから、旧説は、もう使われていません。冒頭の、腕をつかんだ場面も、実は、この旧説のもとでは、ある問題を引き起こします。

冒頭の場面に戻る——第一審は、無罪とした

警察官が左手首をつかんだ場面の、第一審判決の理由(旧説による違法判断と正当防衛)を示したボード 図:警察官が左手首をつかんだ場面の、第一審判決の理由を示したボード

では、冒頭の場面に戻りましょう。警察官が、左手首をつかんだ、あの場面です。もし、さっきの旧説——有形力の行使があれば強制処分——という基準を、そのまま当てはめると、どうなるでしょうか。そして、これは想像の話ではありません。実際に、第一審は、そう判断しました。

判例最高裁判所第三小法廷決定 昭和五十一年三月十六日(刑集三十巻二号百八十七頁)引用部分

第一審の判断——実質上の逮捕にあたる 第一審判決は、A巡査による右の制止行為は、任意捜査の限界を超え、実質上被告人を逮捕するのと同様の効果を得ようとする強制力の行使であつて、違法であるから、公務執行妨害罪にいう公務にあたらないうえ、被告人にとつては急迫不正の侵害であるから、これに対し被告人が右の暴行を加えたことは、行動の自由を実現するためにしたやむをえないものというべきであり、正当防衛として暴行罪も成立しない、と判示した。

だから、警察官の職務は違法で、公務執行妨害は成立しない。それどころか、相手が殴り返したことも、正当防衛にあたるとして、無罪を言い渡しました。ここが、大事なところです。旧説は、「昔の学者がそう考えていた」で終わる話ではありません。現場の裁判所が、実際に、この基準で人を無罪にしていました。しかし、この判断は、その後、争われます。最終的に維持されたのは、有罪でした。

最高裁が引き直した線——強制処分の定義

「有形力の行使ではなく、意思の制圧と、身体・住居・財産等への制約」という新しい基準を示したボード

では、この事件は、最終的にどうなったのでしょうか。最高裁は、この決定で、大きく2つのことを言っています。1つ目は、そもそも強制処分とは何か。2つ目は、強制処分にあたらない有形力を、どこまで許すか。順番に見ます。まず、そのまま読んでみましょう。

判例最高裁判所第三小法廷決定 昭和五十一年三月十六日(刑集三十巻二号百八十七頁)

強制処分とは何か——最高裁が引いた線 捜査において強制手段を用いることは、法律の根拠規定がある場合に限り許容されるものである。しかしながら、ここにいう強制手段とは、有形力の行使を伴う手段を意味するものではなく個人の意思を制圧し、身体、住居、財産等に制約を加えて強制的に捜査目的を実現する行為など、特別の根拠規定がなければ許容することが相当でない手段を意味するものであつて、右の程度に至らない有形力の行使は、任意捜査においても許容される場合があるといわなければならない。ただ、強制手段にあたらない有形力の行使であつても、何らかの法益を侵害し又は侵害するおそれがあるのであるから、状況のいかんを問わず常に許容されるものと解するのは相当でなく、必要性、緊急性などをも考慮したうえ、具体的状況のもとで相当と認められる限度において許容されるものと解すべきである。

「有形力の行使を伴う手段を意味するものではない」——このひと言です。旧説を、たった1行で、過去のものにしています。では、代わりに、何を基準にしたのか。有形力に触れたかどうかではなく、相手の意思を制圧し、身体・住居・財産などに制約を加えて、強制的に目的を実現する行為かどうか。これが、新しい物差しです。この言い換えで、さっき見た2つの不都合が、同時に消えます。電車で、隣の人の肩をポンと叩く行為です。触れてはいますが、相手の意思を制圧するほどではありません。だから、もう強制処分の側には拾われません。

逆に、双眼鏡でずっと見張る行為は、指1本、触れていません。旧説なら、それだけで規制の外でした。触れたかどうかを見るのをやめた以上、「何が失われているか」を、正面から測ることになります。結論がどちらになるかは、専用の回で扱いますが、少なくとも、土俵には乗ります。そこが、最高裁がこの線を、ここに引いた決め手です。手段の外形を測っても、重さは測れない。法律の根拠と令状を要求するに値するのは、「何を奪ったか」のほうだからです。そして、もう1つ、大事なことを言っています。強制手段にあたらない有形力の行使でも、何もかも自由というわけではありません。

任意捜査でも、状況に照らして相当な限度でなければならない。さっき見た、比例原則が、ここでも顔を出しています。今日の結論は、この1行に尽きます。線は、「何に触れたか」ではなく、「何を奪ったか」で引かれている。

コラム——新しい強制処分説という考え方

新強制処分説の問題意識だけを示した地図ボード 図:新強制処分説の問題意識だけを示した地図ボード

ただ、その空洞をどう埋めるかについては、学説の側からも、別の答えが出されています。写真撮影や通信傍受を、野放しにしないためだからです。名前だけ、今日は渡します。新強制処分説と呼ばれます。個人の権利・利益を侵害する手法は、すべて強制処分だと広く捉えて、令状主義で規制しよう、という考え方です。ただ、範囲を広げるほど、令状が要る場面が増えます。規制を厚くすることと、捜査を動かすことは、引っ張り合います。今、見た最高裁の基準とどう関係するのかも、宿題です。

当てはめ——冒頭の場面は、どちらだったのか

左手首をつかむ行為へのあてはめ結果(強制処分に該当せず・任意捜査として相当)を示したボード 図:左手首をつかむ行為へのあてはめ結果を示したボード

では、最高裁が示した、この基準を、冒頭の場面に当てはめてみましょう。最高裁は、この行為について、程度もさほど強いものではなく、逮捕など、性質上当然に強制手段にあたるとは判断できない、としました。だから、強制処分にはあたらない、という結論です。そこも、判断しています。父母を呼んで説得を続ける中、急に退室しようとした相手を、抑えるための措置だった。程度も強くない。だから、捜査として許される範囲を超えた、不相当な行為とは言えない——つまり、任意捜査としても相当だとしました。冒頭で見た、第一審の判断を覚えていますか。

あの判断は、その後、争われ、最終的に維持されたのは、有罪でした。「何に触れたか」で見ていた第一審と、「何を奪ったか」で見た最高裁——同じ事実から、正反対の結論が出ています。

参照条文

  • 刑訴法197条1項
  • 憲法33条
  • 憲法35条1項・2項

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