刑事訴訟法ゼロから刑事訴訟法#76

訴因変更の可否と狭義の同一性

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第3章 公訴 ⑦/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

もう一つの顔——財布はどこで盗まれたか

起訴状は深夜に自宅前で財布を盗んだという訴因だが審理で翌朝電車内で抜き取った疑いが浮上することを示す板

前回は、公訴事実の同一性には二つの顔があるとお伝えしました。別々の事実が、一つの罪にまとまるかを見る単一性の顔と、一つの事実どうしが本当に同じ事実と言えるかを見る狭義の同一性の顔です。前回は単一性の顔を掘り下げました。今日は狭義の同一性の顔を掘ります。まず一つの事件を用意しましょう。起訴状の訴因は「深夜、Vの自宅前でVの財布を盗んだ」というものでした。ところが審理が進むと、別の可能性が浮かび上がります。実は財布が消えたのは深夜の自宅前ではなく、翌朝、Vが乗っていた電車の中で、上着のポケットから抜き取られたのではないか、というものです。

日時も場所も手口も違う窃盗どうしが、同じ事件と言えるのか。これが今日のテーマです。単一性はもう使えません。深夜の窃盗と翌朝の窃盗は、一つの犯罪にまとまる関係にはないからです。ここで登場するのが、狭義の同一性です。先に答えを言っておくと、この財布の事件は、同じ事件として扱えます。決め手は、事実としてどちらか一方しか本当でないように見えるかではなく、法律上どちらか一方でしか罰せないか、という点です。この二つが食い違う事件を、今日の後半で見ます。

問題の所在——同じ事件と言えるか

単一性が及ばないときにもう一段別の事実どうしを比べる狭義の同一性という問いが立つことを示す図

狭義の同一性が問うのは、実体法上一罪ではない新旧両訴因を、それでも同じ一つの事件として審理してよいか、という問題です。一罪でなくても、同じ事件として扱えることはあります。先ほどの財布の例を考えてみてください。深夜の窃盗と翌朝の窃盗は、刑法の罪数で見れば、別の機会の別の窃盗にも見えます。しかし、もし同じ一つの財布が一度だけ盗まれたのだとしたら、二つの訴因は同じ一つの出来事を、違う角度から記述しているだけかもしれません。この「同じ出来事の話と言えるか」を判断するのが、狭義の同一性です。これから、その物差しを見ていきます。

基本的事実関係の同一性という物差し

日時場所行為客体被害者の共通性を総合して同一事件の審理かを判断する物差しを示す板 図:日時場所行為客体被害者の共通性を総合して同一事件の審理かを判断する物差しを示す板

判例が伝統的に用いてきた物差しが、基本的事実関係の同一性です。犯罪の日時が近いか、場所が近いか、行為の中身、そして客体や被害者が共通しているか、これらを総合して、同じ一つの事件の審理と言えるかを判断します。ただ、なぜ日時や場所の近さを見るのか、そこには理由があります。一つの出来事について、検察官の言い分が変わるたびに審理をゼロからやり直すのは非効率です。もともとの訴因と新しい訴因が同じ一つの出来事を指しているなら、1回の手続の中で決着をつけてよいはずです。もう一つは、被告人の防御の対象です。日時や場所が近ければ、被告人はもともとの訴因に向けて用意していた防御方法を、大きく組み替えずに新しい訴因にも向けられます。逆に日時や場所が大きくかけ離れていれば、被告人はまったく別の防御方法を一から用意し直さなければならなくなります。この物差しを、二つの場合で比べてみましょう。もし日時が数時間しかずれておらず、場所も同じ建物内だったなら、被告人の防御はほとんど変わりませんから、基本的事実関係の同一性はすんなり認められます。逆に、日時が数か月ずれ、場所も遠く離れた別の都道府県だったなら、被告人はまったく別の防御を準備しなければならず、同一性は認めにくくなります。先ほどの財布の例に当てはめてみましょう。深夜と翌朝という日時のずれ、自宅前と電車内という場所のずれは、単独で見ればかなり大きなずれです。ただ、被害者はVで共通していますし、盗まれた財布という客体も共通しています。

ここまでは、共通する要素と、ずれている要素が両方あって、これだけでは白黒つけにくい状態です。日時や場所のずれが大きいと、基本的事実関係の共通性という物差しだけでは、決めきれない場面が出てきます。

共通性だけでは足りない場面——非両立性という補充

共通性だけで決まらないとき新旧両訴因が両立しない関係にあるかを補充的に見ることを示す板

そこで判例は、共通性だけでは判断しにくい場面で、もう一つの視点を補充的に使います。それが、新旧両訴因の非両立性です。新旧両訴因が両立しない関係にあること、つまり、一方が成り立つなら他方は成り立たない、いずれか一方でしか成立しえない関係のことです。財布の例で言えば、財布は一つしかありませんから、深夜に自宅前で盗まれたなら、翌朝に電車内で盗まれたはずがありません。逆もまた同じです。どちらか一方しか、本当ではありえないんです。一つのものをめぐって、二つの説明が競い合っている。どちらか一方しか正しくない。この関係が見えると、両方の訴因が、実は同じ一つの出来事を指していると考えやすくなります。この非両立性が、判例で実際にどう働くかを、実際の事件で見ていきましょう。

収賄から贈賄へ——免許試験をめぐる賄賂の授受

免許取得者Cから公務員Bへ賄賂が渡る関係でAが受け取る側の共同正犯か渡す側の共同正犯かが入れ替わることを示す図

事件はこうです。免許の試験官という公務員Bと共謀の上、免許を取得したCから謝礼を受け取ったという収賄の共同正犯で、Aが起訴されました。ところが審理が進むと、別の見え方が出てきます。実はAは、Cと共謀した上で、Bに謝礼を渡す側にいたのではないか。検察官は、Cと共謀してBに供与したという贈賄の共同正犯へ、訴因を追加するよう請求しました。CからBへお金が動いたこと自体は変わりません。変わるのは、Aがその流れのどちら側に立っていたかです。受け取る側の共同正犯か、渡す側の共同正犯か。

判例最決昭53・3・6刑集32巻2号218頁

免許試験の賄賂授受をめぐる訴因変更 収受したとされる賄賂と供与したとされる賄賂との間に事実上の共通性がある場合には、両立しない関係にあり、かつ、一連の同一事象に対する法的評価を異にするに過ぎないものであつて、基本的事実関係においては同一であるということができる。

この言葉を、私たちの言葉で噛み砕いてみましょう。CからBへ渡ったお金は、一つの同じお金です。その一つの受け渡しを、受け取る側から見れば収賄、渡す側から見れば贈賄と呼ぶだけで、起きた出来事そのものは一つです。渡す側と受け取る側は、一方がいなければ成り立たない関係にあります。Aがどちらの側の共同正犯として成立するかが問われているにすぎません。しかもこれら二つの角度は、両立しません。Aが受け取る側の共同正犯であると同時に、渡す側の共同正犯でもある、ということはありえないからです。事実上の共通性があり、しかも両立しない。この二つがそろったので、基本的事実関係は同一だと判断されました。ここで少し立ち止まってみましょう。もし旧訴因が「50万円を受け取った」という収賄で、新訴因が、まったく別の機会に「200万円を渡した」という贈賄だったら、どうでしょうか。

……それは、同じ一つのお金の受け渡しではなく、別々の二回のやり取りですよね。だとしたら、Aは一回目の収賄でも、二回目の贈賄でも、両方とも成立しうる気がします。別の機会の別のお金なら、両方とも別々に成立しえます。両立してしまうので、非両立性は認められず、基本的事実関係が同一とは言えません。今回の事件で非両立性が認められたのは、あくまで同じ一つのお金の受け渡しを、どちら側から見るかという話だったからです。

日時・場所がずれても同じ事件と言える先例

同一の客体または同一の検出結果に着目しどちらか一方の行為でしか生じ得ない関係から非両立性を導く二つの先例を示す表

非両立性は、日時や場所がずれる事件でも働きます。二つの先例を見てみましょう。一つ目は、窃盗と、盗んだ品物を有償で処分あっせんした罪との間で争われた事件です。

判例最判昭29・5・14刑集8巻5号676頁

窃盗と盗品の処分あっせん 一方の犯罪が認められるときは他方の犯罪の成立を認め得ない関係にあると認めざるを得ないから、かような場合には両訴因は基本的事実関係を同じくするものと解するを相当とすべく、従つて公訴事実の同一性の範囲内に属するものといわなければならない。

盗んだ本人として窃盗の罪に問われるか、他人が盗んだ品物と知りつつ有償で処分をあっせんした罪に問われるかは、同じ一つの品物をめぐる話です。自分で盗んだのなら窃盗が成立し、盗品処分あっせんは成立しません。逆に、自分で盗んでいないなら、窃盗は成立せず、盗品処分あっせんだけが成立しえます。どちらか一方しか成立しない関係にあるので、基本的事実関係は同じだと判断されました。もう一つは、覚醒剤の自己使用が問題になった事件です。栃木県の被告人方で注射したという訴因から、茨城県のスナックで注射したという訴因への変更が争われました。

判例最決昭63・10・25刑集42巻8号1100頁

覚醒剤使用の日時場所のずれ 両訴因は、その間に覚せい剤の使用時間、場所、方法において多少の差異があるものの、いずれも被告人の尿中から検出された同一覚せい剤の使用行為に関するものであつて、事実上の共通性があり、両立しない関係にあると認められるから、基本的事実関係において同一であるということができる。

日時も場所も違っても、同じ事件になります。ポイントは、被告人の尿から検出された覚醒剤が一つしかない、というところです。栃木で注射したから尿から検出されたのか、茨城で注射したから検出されたのか、検出結果自体は一つしかありませんから、どちらか一方でしか説明できません。同一の検出結果という共通性と、両立しない関係、この二つがそろって、基本的事実関係が同一だと判断されました。二つの先例に共通する型が見えてきましたね。同一の客体、あるいは同一の結果に着目して、どちらか一方の行為でしか生じえない、という択一の関係から非両立性を導いている点です。ここで前回を思い出してください。併合罪の関係にある二つの罪を、一つの訴因変更でまとめて処理できましたか?

……できませんでした。併合罪では単一性が認められず、追起訴によるしかありませんでした。実はこのあと見る事件は、非両立性があるように見えても、実体法上は併合罪だった、という逆のパターンです。

身代わり運転——非両立に見えて、実は両立する

Aが自ら運転して衝突したという訴因とAは身代わりで実際はBが運転していたという訴因を対比した図

次の事件です。被告人Aが、自分の運転する車でVをはね、死亡させたという過失運転致死の訴因で起訴されました。ところが審理が進むと、実際に事故車両を運転していたのはBで、Aは事故のあと、Bをかばうために「自分が運転していた」と装っていたことが分かりました。検察官は、Bをかくまったという犯人隠避の訴因への変更を請求しました。Aが自分で運転したという話と、身代わりだったという話は、表面上は非両立に見えます。事実として、Aが自ら運転していたかどうかは、どちらか一方しかありえません。ここが今日いちばん注意すべきところです。東京高等裁判所は、罪の性質も、誰の利益が損なわれるかも、行為の対象も、主要な要素がまったく異なることを指摘して、事実として非両立に見えても、公訴事実の同一性は認められないと判断しました。

過失運転致死と犯人隠避を別々に起訴してそれぞれ立証したとき両方とも有罪にできるかという物差しで実体法上の両立を検討する図

条文刑法第45条

刑法第45条 確定裁判を経ていない二個以上の罪を併合罪とする。ある罪について拘禁刑以上の刑に処する確定裁判があったときは、その罪とその裁判が確定する前に犯した罪とに限り、併合罪とする。

ここで見るべき物差しは一つです。もし仮に二つの訴因を別々に起訴し、それぞれ十分な証拠で立証されたとしたら、両方とも有罪にできるか。言い換えると、両方で有罪にしたとき、同じ一つの被害を二度罰することにならないか、です。過失運転致死が罰しているのは、事故でVの命を奪ったことです。犯人隠避が罰しているのは、事故のあとAが身代わりを名乗り出て、本当の犯人を捜す国の働きを妨げたことです。罰している被害が別々ですから、両方で有罪にしても、同じ被害を二度罰することにはなりません。だから罪数上、この両者は併合罪の関係にあります。実体法の目で見ると、新旧両訴因は両立するんです。

両方とも有罪にできるということは、AがVをはねたことと、AがBをかばったことは、それぞれ別の刑罰権の対象になりうるということです。1個の刑罰権にまとめてよい話ではありません。東京高等裁判所の結論も、公訴事実の同一性は認められない、というものでした。有力な理解は、この結論を、別々の刑罰権の対象だから訴因変更を許すべきではない、と説明します。実務上は、検察官が過失運転致死の訴因について公訴を取り消すか、裁判所がその訴因について無罪の判決をした上で、犯人隠避の訴因で改めて起訴することになります。同じ物差しで比べてみましょう。財布の例では、深夜の窃盗でも翌朝の窃盗でも、罰しているのはVが一つの財布を奪われたという同じ一つの被害です。両方で有罪にすれば、その被害を二度罰することになりますから、両方とも有罪にはできません。収賄・贈賄の例も、CからBへ渡った一つの賄賂の受け渡しを、二度罰することになります。どちらも非両立です。ところが身代わり運転では、Vの命が奪われた被害と、犯人捜しが妨げられた被害は別々ですから、両方で有罪にできてしまいます。事実としてどちらか一方しか本当でないように見えるかではなく、法律上どちらか一方でしか罰せないか。有力な理解は、ここが結論を分ける決め手だと説明します。

非両立性の意味を確定する

非両立性を実体法上いずれか一方でしか処罰できない関係と捉え二重起訴一事不再理の範囲と結びつける図

ここまでの判例を踏まえると、非両立性の実質的な意味が見えてきます。有力に主張されている理解では、非両立性とは、刑法の罪数の目で見て、両方の罪を同時には処罰できず、どちらか一方しか成り立たない関係を指します。

⭐ 論文で書く規範:非両立性の意味(有力な理解) 新旧両訴因が実体法上両立せず、いずれか一方でしか処罰できない関係にあること。事実として同時に起こりえないかどうかではなく、刑法の罪数論の目で見て、両方の罪が独立に成立しうるかどうかで判定する。 (有力に主張されている理解)

前回、公訴事実の同一性が及ぶ範囲は、訴因変更だけでなく、一事不再理効の範囲と、二重起訴が禁止される範囲にも一致するという話をしましたね。非両立性が認められる、つまり一方でしか処罰できないなら、それは1個の刑罰権の対象ですから、1回の手続でまとめて処理すべきです。逆に、両方とも処罰できる、つまり併合罪の関係なら、2個の刑罰権の対象ですから、別々の手続で構いません。この理解が使う確かめ方を、例えば身代わり運転で試してみます。過失運転致死の訴因でAが無罪になり、その判決が確定したとします。そのあと、犯人隠避の訴因で改めてAを起訴できるでしょうか。

一事不再理効が犯人隠避にまで及ぶなら起訴できませんけど、別々の刑罰権なら、及ばないはずです。一事不再理効は犯人隠避には及びませんから、改めて起訴できます。二つを同時に別々の手続で起訴しても、二重起訴にはなりません。だから別の事件です。逆に財布の事件で、深夜の窃盗の無罪が確定したあとに翌朝の窃盗で起訴し直せば、同じ財布の被害を二度裁くことになり、一事不再理効が及びます。だから同じ事件として、訴因変更で1つの手続にまとめるべきなんです。

二つのコラム——見方の対立

単一性と狭義の同一性は同じ物差しに収斂するかという見方の対立と非両立性を訴因の記載で見るか背景の社会的事実で見るかという見方の対立を示す板

ここで、少し発展的な見方の対立を二つ、紹介しておきます。一つ目は、単一性と狭義の同一性の関係についてです。二重起訴の観点から説明する見方は、単一性も狭義の同一性も、結局は1個の刑罰権の対象かどうかという、同じ一つの判断枠組みに還元できると考えます。一方で、これに批判的な見方もあります。両訴因の間に択一的な関係があるかを見る狭義の同一性と、複数の事実が併存する関係を見る単一性とでは、問題になっている状況がそもそも違うので、分けて分析すべきだという批判です。どちらが正しいと言い切れるものではなく、見方の対立がある、というところまで押さえておいてください。二つ目は、非両立性をどう判断するかについてです。新旧両訴因の記載そのものを比べて、法律上非両立かどうかを検討する見方があります。これに対して、訴因の背景には社会的な事実があるはずだと考え、その社会的事実が非両立かどうかで判断すべきだという、有力な見方もあります。

この見方で先ほどの収賄・贈賄の事件を見直すと、CからBへ賄賂が渡っていくという一つの社会的事実の中で、Aがどちら側に立っていたかという違いにすぎない、と説明できます。身代わり運転の事件では、訴因の文言だけを比べれば非両立に見えます。しかし背景にある社会的事実は、過失運転致死のほうは事故そのもの、犯人隠避のほうは事故のあとAが身代わりを名乗り出た出来事で、同じ一つの出来事とは言えません。この見方では、非両立かどうかは判断の要素の一つにすぎず、本質は背景の出来事が同じかどうかにあります。訴因変更を許さないという身代わり運転の結論は、どちらの見方でも変わりません。

論文の型

罪数から共通性非両立性へと至る検討の順序を財布の事件に当てはめる図 図:罪数から共通性非両立性へと至る検討の順序を財布の事件に当てはめる図

⭐ 論文で書く規範:検討の順番 ①罪数を検討し実体法上一罪と言えるか(単一性)/②言えなければ日時場所行為客体被害者の共通性を検討(基本的事実関係の同一性)/③共通性だけで決めきれなければ実体法上いずれか一方でしか処罰できないかを検討(非両立性の補充) (公訴事実の同一性の検討順序)

ここまでの流れを、検討の順番として整理しておきましょう。まず罪数、つまり実体法上一罪と言えるかを検討します。一罪と言えなければ、日時・場所・行為・客体・被害者の共通性を検討します。それでも決めきれなければ、非両立性で補充します。確かめてみましょう。まず罪数です。深夜の窃盗と翌朝の窃盗は、別の機会の別の行為ですから、実体法上一罪とは言えません。単一性は認められません。次に、基本的事実関係の共通性です。被害者Vと、盗まれた財布という客体は共通していますが、日時と場所は大きくずれていて、これだけでは決めきれません。

財布はVのもとに一つしかありません。深夜に自宅前で盗まれたなら、翌朝に電車内で盗まれたはずがなく、その逆も成り立ちません。同一の財布という客体の共通性と、どちらか一方でしか起こりえない非両立の関係、この二つがそろいます。したがって基本的事実関係は同一と言え、訴因変更が認められます。

今日の地図(保存版)

単一性と狭義の同一性という二つの顔で公訴事実の同一性を検討する完成形を示す図 図:単一性と狭義の同一性という二つの顔で公訴事実の同一性を検討する完成形を示す図

今日のまとめです。狭義の同一性は、まず日時・場所・行為・客体・被害者の共通性という物差しで判断し、それだけで決めきれない場面では、新旧両訴因の非両立性で補充します。非両立性とは、有力な理解によれば、刑法の罪数の観点からいずれか一方でしか処罰できない関係を意味します。収賄と贈賄のように、同じ一つの出来事をどちらの側から見るかという場合や、同一の客体・結果をめぐって一方の行為でしか説明できない場合には、非両立性が認められ、基本的事実関係は同一になります。逆に、身代わり運転のように、事実としては非両立に見えても、実体法上は併合罪として両方とも成立しうる場合には、非両立性は認められず、訴因変更を許すべきではありません。

これで、可否の枠を決める公訴事実の同一性の、二つの顔の検討はひととおり終わりました。

参照条文

  • 刑法第45条

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