刑事訴訟法ゼロから刑事訴訟法#106

犬の臭気選別・ポリグラフ・筆跡鑑定

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第5章 証拠法 ⑥/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

導入

事務所の傘立てから傘が盗まれ傘の取っ手の臭いを覚えた犬が5枚のハンカチから容疑者の触った1枚を選んだときそれは何を証明したことになるのかを問う導入板

前回の最後に、DNA以外の鑑定を、作った物差しで順に見ていく、と予告がありました。DNAなら型という数字が出ますが、それ以外の鑑定は、何を根拠にしているのでしょうか。そこが今日の中心です。まず場面から入ります。事務所の共用の傘立てから、傘が1本盗まれました。警察は、傘の取っ手に残った臭いを、警察犬に覚えさせます。次に、ハンカチを5枚並べます。1枚は容疑者が触ったハンカチ、残りの4枚は事件と関係のない別の人が触ったハンカチです。犬は、その中から、容疑者が触った1枚をくわえてきました。この、犬が1枚を選んだという事実は、何を証明したことになるでしょうか。

犬が1枚を選んだことから、容疑者が盗んだ、とまで言うには、間にいくつも推論が挟まります。犬は本当に臭いで選んだのか。取っ手に残っていた臭いは、盗んだ人の臭いなのか。今日は、この間を1つずつ埋めていきます。前回作った許容性の物差しは4つで、最高裁が挙げた2点と、答案で足す2点でした。今日は、この同じ物差しを、DNA以外の鑑定に当てる回です。取り上げるのは、犬の臭気選別、ポリグラフ、筆跡鑑定、顔貌鑑定の4つです。

臭気選別の仕組み

現場の遺留物から覚えた原臭と被疑者の物の対照臭と第三者の物の誘惑臭を並べて犬に選ばせる検査とそこから犯人性に至る三段の推論を示す板

入る前に、前回の復習を1問。許容性の物差しのうち、最高裁が挙げた2点は、何と何だったでしょうか?科学的原理が理論的正確性を有することと、実施の方法が、技術を習得した者により、科学的に信頼される方法で行われたこと、です。残りの、資料の採取・保管・同一性と、結果を後から検証できることは、答案で足す視点でした。この4つを持って、臭気選別に入ります。犯行現場に残された物から、犯人の体臭を犬に覚えさせます。この、覚えさせる元の臭いを、原臭と呼びます。次に、被疑者や被告人の体臭が付いた物を用意します。これが対照臭です。さらに、事件と関係のない第三者の体臭が付いた物を混ぜます。これが誘惑臭です。こうして数個並べた中から、原臭と同じ臭いの物を、犬に選ばせる検査です。

誘惑臭は、なぜ混ぜるのですか。当てずっぽうでは当たらないようにするためです。ハンカチが容疑者の1枚だけなら、犬が適当にくわえても、必ず当たってしまいます。5枚のうち1枚が容疑者の物で、4枚が別の人の物なら、でたらめに選んでも、当たるのは5回に1回です。誘惑臭は、犬が本当に臭いを区別しているかを試すための、紛らわしい引き立て役です。この証拠は、3段の推論でできています。1段目、犬に選別検査をさせる。2段目、犬が複数回、対照臭を原臭と同じものとして選ぶ。3段目、そこから、被告人が犯人だと推論する。1段目から2段目を支えているのは、犬の嗅覚は優れている、という経験則と、その下で検査が適切に行われたことです。経験則とは、経験から導かれる一般的な傾向のことです。

DNAとは、支え方が違うのですか。違います。DNAは、型の繰り返しの回数を読む、という原理を、科学として説明できました。臭気選別は、犬の鼻がどう働いているのかが、十分には解明されていません。その点は、あとで物差しに当てます。まず、最高裁が実際に何を言ったのかを読みます。

最高裁の決定——臭気選別を証拠にしてよい理由

最高裁が挙げた3点それぞれの該当と非該当で訓練を受けた指導手と初めて犬を扱う人そして体調良好な犬と風邪で鼻が利かない犬そして採取保管の汚染の例を並べて示す板

臭気選別を証拠にした最高裁の決定は、あるのですか。あります。先に断ります。この決定は短く、事件の経過は書かれていません。警察犬による臭気選別の結果を有罪の認定に使った原審が正しかったかを、検討しています。ですから、事案はここでは語らず、傘の設例で足ります。決定が述べた判断そのものを、読みます。

判例最決昭62・3・3 刑集41巻2号60頁

最高裁が示した判断 右の各臭気選別は、右選別につき専門的な知識と経験を有する指導手が、臭気選別能力が優れ、選別時において体調等も良好でその能力がよく保持されている警察犬を使用して実施したものであるとともに、臭気の採取、保管の過程や臭気選別の方法に不適切な点のないことが認められるから、本件各臭気選別の結果を有罪認定の用に供しうるとした原判断は正当である。

理由は3点に整理できます。

⭐ 論文で書く規範:臭気選別の結果を有罪認定に使える理由——最高裁が挙げた3点 指導手が専門的な知識と経験を有する | 警察犬の能力が優れ、選別時の体調も良好 | 臭気の採取・保管の過程と選別の方法に不適切な点がない (判例が示した理由(条文の要件ではない))

1つ目は、指導手です。犬に検査をさせる人が、専門的な知識と経験を持っていること。訓練を受けた指導手が扱うのなら該当し、初めて犬を連れてきた人が扱うなら、疑いが出ます。2つ目は、犬です。臭気選別の能力が優れていることに加えて、選別のときに体調が良く、その能力が保たれていること。選別のときに風邪で鼻が利かない犬なら、結果は信じられません。優秀な犬でも、その日の状態が悪ければ、危うくなります。3つ目は、臭いの採取と保管の過程、それに選別の方法です。傘の取っ手を、何人もが素手で触ってから採ったのでは、誰の臭いか分かりません。臭いを付けたハンカチを、同じ袋に入れて移し替えてしまえば、臭いが混ざります。

最高裁が挙げた臭気選別を有罪認定に使える理由の3点である指導手と犬の能力と状態と採取保管と方法を前回の物差し4つのどれに当たるかと対応させて示す表の板

この3点は、決定が挙げた言葉そのものです。答案では、3点は決定の言葉で書き、物差しとの対応は、自分の当てはめとして書きます。指導手が適切に検査を行うことは、実施の方法の信頼性にあたります。犬の能力と状態は、原理の代わりに、犬の嗅覚という経験則を支える部分です。採取と保管は、答案で足す視点の、資料の採取・保管・同一性にあたります。決定は、理由を書いていません。こう整理できます。犬の鼻の仕組みが分からなくても、犬と指導手の確かさや、資料の扱い方は、あとから確かめられます。入口で問うのは、使ってよいか、だけです。どれだけ信じるかは、あとで他の証拠と合わせて量ります。だから入口では、確かめられる部分がそろっていれば足りる、という発想です。

臭気選別の報告書は経過と結果を見たとおりに記録した書面で321条3項の検証の結果に準ずるもの一方鑑定書は専門家の判断を書いた書面で4項という違いを示す板

もう1つ、この決定の特徴があります。決定の括弧書きです。臭気選別の経過と結果を書いた報告書について、選別に立ち会った警察官らが、経過と結果を正確に記載したことが、その証言で明らかだから、321条3項により証拠能力が付与される、と述べています。前回見たとおり、報告書のような書面は伝聞証拠なので、条文の例外を通らなければ、証拠にできません。前回の鑑定書は、4項でした。条文を並べて確認します。

条文刑訴法321条3項・4項

刑事訴訟法第321条第3項・第4項 3 検察官、検察事務官又は司法警察職員の検証の結果を記載した書面は、その供述者が公判期日において証人として尋問を受け、その真正に作成されたものであることを供述したときは、第一項の規定にかかわらず、これを証拠とすることができる。 4 鑑定の経過及び結果を記載した書面で鑑定人の作成したものについても、前項と同様である。

決定は、3項によると述べているだけで、理由までは書いていません。ただ、報告書に書かれているのは、犬がどのハンカチを選んだかという経過と結果で、立ち会った警察官が見て記録したものです。専門家が知識で判断した結果ではなく、見たことの記録に近いので、検証の結果に準ずる、と考えられます。鑑定書の4項も、前回見たとおり、3項と同じ条件を使う規定です。1つ、線を引いておきます。この決定が判断したのは、臭気選別の結果を有罪の認定に使ってよいか、という入口までです。犬の選別が、どれだけ強く犯人だと示すのか、という重さまでは、判断していません。ここで1問です。臭気選別の結果を有罪認定に使えるとした理由の3点は、何でしょうか?

指導手が専門的な知識と経験を有すること、警察犬の能力が優れていて選別時の体調も良好なこと、臭気の採取と保管の過程や選別の方法に不適切な点がないこと、です。

臭気選別の危うさ——許されても、どこまで信じるか

臭気選別を前回の物差しの原理の理論的正確性に当てると弱いこと最高裁は許容しても証拠能力を否定する見解や証明力を低く見る下級審があること犬が人の反応を読むクレバーハンス現象を示す板

犬が優秀で、手順も正しければ、確かな証拠になるのでしょうか。そこが難しいところです。前回の1つ目の物差し、科学的原理が理論的正確性を有するか、に当てはめます。犬の嗅覚の仕組みは、解明されていません。人の体臭に個人差があることも、その臭いが時間がたっても変わらないかも、明らかではありません。ですから、臭気選別は、科学的原理に基づく証拠だと言い切るのは難しく、実際には、犬の嗅覚は優れている、という経験則に支えられています。決定は、原理を厳しく求める形をとらず、犬と指導手と方法の適切さを見ています。ただ、これに納得しない見解もあります。証拠能力を否定する見解も有力です。事実を誤認させる弊害を上回るだけの推認力が、あるのか。1段目から2段目を経験則で支えられるのか、に疑いがあるからです。また、下級審の裁判例には、証拠能力は認めつつ、証明力は低く見たものがあります。許されるかどうかと、どれだけ信じるかは、別です。証明力が低く見られる理由の1つに、クレバーハンス現象があります。100年以上前のドイツに、計算ができる馬、と評判になった馬がいました。問題を出すと、足を踏み鳴らして答えの数を示します。ところが、後の調査で、馬は計算していたのではなく、出題者の表情や仕草の小さな変化を読み取って、正解の数で足を止めていたと分かりました。

犬にも、同じことが起こるのですか。起こりえます。設例で言います。ハンカチを並べた人、または犬に付き添う指導手が、正解の位置を知っていたとします。その人が、正解のハンカチの前で、無意識に視線を送ったり、リードを少し引いたりしたら、犬は臭いではなく、人の反応で選んだことになります。この場合、選別の結果は、臭いの一致を示していません。だから、検査の設計が効きます。1つは、正解の位置を知らない人がハンカチを並べることです。もう1つは、正解の位置を変えて、何度も行うことです。この2つは、実施の方法の信頼性と、結果を後から検証できることを、支える工夫です。同じ犬が同じ結果を出しても、設計が悪ければ、証明力は上がりません。

ポリグラフ検査——何を測り、何を推論するのか

ポリグラフ検査は質問への応答時の心臓呼吸皮膚電気反射などの生理的反応を記録し犯人しか知らない事項への反応から事件への意識を判定するもので原理は未解明であることを腕時計の色5つの設例で示す板

臭気選別の弱点は、原理が分からないことでした。次のポリグラフも、原理は分かっていません。そこに、結果から何を推論するのか、という問題が加わります。嘘発見器と呼ばれることはありますが、嘘そのものを見つける装置ではありません。質問をしながら、心臓の動き、呼吸、皮膚の電気的な反応といった、体の反応を同時に記録します。その変化から、質問への答えが本当かどうか、あるいは事件について何を意識しているかを判断する検査です。科学的な原理は解明されておらず、正確さが保たれる場合も、はっきりしていません。設例で見ます。腕時計が盗まれました。犯人は、盗まれた時計の色を知っています。そこで、赤ですか、青ですか、緑ですか、黒ですか、白ですか、と5つの色を順に質問します。本当の色が黒だとすると、犯人は、黒ですかと聞かれたときだけ、体に強い反応が出るはずだ、という考えです。犯人以外の人は、どの色にも同じ程度の反応になります。

反応が出ても、それだけで犯人とは決まりません。体温計に喩えます。熱があると分かっても、病名までは分かりません。ポリグラフも、この質問で反応が強く出た、という事実までです。それが犯人だからなのか、別の理由なのかは、別に考える必要があります。たとえば、事前に警察官から時計の色を聞いていた人なら、無実でも黒に反応します。だから、検査の前に、事件の情報を与えないことが大事になります。

最決昭43の括弧書きが前半の慎重な考慮を要するという注意と後半の同意のあった書面の証拠能力を肯定という2層でありその事案は同意のあったものに限られるという射程を示す板

ポリグラフを扱った最高裁の決定を読みます。この決定も短く、括弧書きで判断を示したものです。省いた部分は、ポリグラフ検査結果回答書という書面の名前です。検査の結果を書いた書面です。

判例最決昭43・2・8 刑集22巻2号55頁

最高裁が示した判断(括弧書き) ポリグラフの検査結果を、被検査者の供述の信用性の有無の判断資料に供することは慎重な考慮を要するけれども、原審が、刑訴法三二六条一項の同意のあつた警視庁科学検査所長作成の……について、その作成されたときの情況等を考慮したうえ、相当と認めて、証拠能力を肯定したのは正当である。

括弧の中は、2つに分かれます。前半は、検査結果を供述の信用性の判断に使うのは慎重に、という注意です。後半は、同意のあった書面について、証拠能力を認めた原審を正しいとした判断です。後半から、条文と一緒に見ます。出てきた条文を、全文で確認します。

条文刑事訴訟法第326条第1項

刑事訴訟法第326条第1項 検察官及び被告人が証拠とすることに同意した書面又は供述は、その書面が作成され又は供述のされたときの情況を考慮し相当と認めるときに限り、第三百二十一条乃至前条の規定にかかわらず、これを証拠とすることができる。

326条1項は、検察官と被告人が、書面を証拠とすることに同意した場合に、作成されたときの情況を考慮して相当と認めるときに限って、証拠にできる、という条文です。決定は、この同意があった回答書について、作成されたときの情況等を考慮して相当と認め、証拠能力を肯定した原審を、正しいとしました。同意は、証拠調べ請求の回で見たとおり、伝聞法則の例外として、その書面を証拠にしてよい、という相手方の意見でした。だから、同意があれば、書面の壁は326条1項で越えられます。この決定だけで、ポリグラフの結果は証拠に使える、と結論するのは早計です。この決定の事案は、同意があった書面です。同意がなければ、別の関門が要ります。同意がないときの書面の扱いは、別の回で見ます。前半の注意にも戻ります。括弧の冒頭で、被検査者の供述の信用性の判断資料にするのは慎重な考慮を要する、と断っています。原理が解明されていないので、黒で反応が出たことと、その人の話が嘘であることの間には、距離があるからです。なお、決定は、作成されたときの情況等を考慮して相当と認めた、と言うだけです。その情況の中身としては、検査者の技術と経験、検査器具の性能、検査の経過と結果を忠実に書いたか、が挙げられることが多いです。ここで1問です。この決定は同意があった事案でした。なぜ、ポリグラフの結果は自由に使える、とまでは言えないのでしょうか?

同意がない場合は、別の関門があるからです。それに、結果がどこまでのことを示すのかも、別に問題になるからです。次の話が、その2つ目です。

札幌高判は被検者が事件について情報を事前に与えられていたことと検査が明らかにするのは犯人性であって殺意の有無のような詳細までは疑問という2つの疑問に反応の中身も腑に落ちないという点を加えて結果を重く見なかったことを示す板

何を推論するのか、で使える範囲が変わることを示した裁判例があります。殺人事件の控訴審の、札幌高裁の判決です。検査は、それなりの経験と実績を持つ人が、適正に実施したと認めました。それでも、主に2つの疑問を挙げて、その結果を重く見ませんでした。1つは、被検者が、事件当日から警察官の事情聴取を受けていて、事件についての情報が、すでに与えられていたと考えられること。正確さを保証する前提条件に欠けます。もう1つは、検査結果が明らかにするのは、基本的には、事件に関与しているかどうか、つまり犯人性であって、殺意の有無のような詳細まで有効なのかが疑問だ、ということです。さらに、反応の中身そのものにも、腑に落ちない点がある、としています。判決の言う情況証拠とは、間接証拠のことです。結論の部分を読みます。

判例札幌高判平14・3・19

札幌高裁が示した判断 以上のとおりであって,被告人がポリグラフ検査を受ける者としての適格性を有していたのかという点,この検査が被告人の事件との関与(被告人の犯人性)ということを超えて殺意の有無というような事項についてまで有効性をもっているのかという点にすでに疑問があり,更にその反応の中身自体についても腑に落ちないところがあるのであって,本件ポリグラフ検査結果を被告人の殺意を認定するについての情況証拠とすることは相当でない。また,他の情況証拠を補強する意味においても証拠価値を認めることはできない。

前回の物差しに当てると、1つ目の原理は、未解明です。そこで決め手は、2つ目の、実施の方法になります。検査者と器具に加えて、この判決は、検査の前に情報を与えないことを重く見ました。これは、資料を汚さない、という物差しの3つ目に似た考え方です。そして、何を推論するのかで、使える範囲が変わります。犯人性の話なのか、殺意のような中身の話なのか。ここが答案の要です。

筆跡鑑定——経験の集積に支えられた鑑定

筆跡鑑定は文字の特徴から他人と異なる傾向の希少性と経年後も維持される恒常性を見つけて書き癖から筆者を識別することを匿名の脅迫文と年賀状の乃の書き出しの設例で示す板

伝統的な方法は、資料の中の、数個の文字や、文字の一部分の特徴を取り出します。そして、他人と異なる傾向、つまり希少性と、時間がたっても維持される特徴、つまり恒常性を探して、書き癖から筆者を見分けます。設例です。会社の机に、匿名の脅迫文が置かれました。容疑者の年賀状と見比べると、どちらの、乃の字も、書き出しを一度小さく戻してから運ぶ癖がありました。この癖を持つ人が少なければ、希少性があり、意味が出ます。誰もが書く癖なら、意味は弱くなります。そして、年賀状を書いたときと、脅迫文を書いたときで、癖が変わっていないか、つまり恒常性も見ます。

科学的な鑑定といえるかには、最高裁の決定が答えています。ここでも、先に断ります。この決定は、鑑定書に同意があり、鑑定人の選任にも異議が出なかった事案です。判断部分を読みます。

判例最決昭41・2・21 集刑158号321頁

最高裁が示した判断 しかしながら、いわゆる伝統的筆跡鑑定方法は、多分に鑑定人の経験と感に頼るところがあり、ことの性質上、その証明力には自ら限界があるとしても、そのことから直ちに、この鑑定方法が非科学的で、不合理であるということはできないのであつて、筆跡鑑定におけるこれまでの経験の集積と、その経験によつて裏付けられた判断は、鑑定人の単なる主観にすぎないもの、といえないことはもちろんである。したがつて、事実審裁判所の自由心証によつて、これを罪証に供すると否とは、その専権に属することがらであるといわなければならない。

前回の物差しで読みます。1つ目の原理を、科学の原理ではなく、経験の集積で満たした、と読めます。専門的な経験則に支えられた証拠です。そのうえで、証明力には限界があることも、決定は認めています。これを罪証に使うかどうかは、事実審の裁判所の自由心証、つまり証拠の価値を裁判官が自由に判断することに任されています。なぜ、経験が、ただの主観で終わらないのか。さっきの乃の書き出しで言えば、多くの人の字を見比べてきて、この戻し方はめったに見ない、と言えるなら、それは鑑定人の気分ではなく、比べてきた数に支えられた判断だからです。ただ、その数を法廷ですべて示すことはできません。だから、証明力には限界が残ります。

決定が言ったのは、もっと狭いことです。決定は、筆跡鑑定を唯一の直接証拠として有罪の判決をすることができない、という刑訴法上の証拠法則は存しない、と述べています。ただ、それは、そういう決まりがない、という話です。この事案でも、鑑定を、他の証拠と合わせて認定しています。ですから、筆跡鑑定だけで有罪にできる、と一般化してはいけません。証拠能力の話と、証明力と自由心証の話は、分けます。なお、文字の形を数値にして、コンピュータで比べる方法も使われますが、原理は解明されておらず、証明力の判断は慎重に、という主張があります。

顔貌鑑定——似ていることと、同一であることの距離

顔貌鑑定は防犯カメラの犯人の顔と被告人の顔の各部分の形と位置関係を比べる形態学的な検査でスーパーインポーズ法は三次元モデルを重ね合わせて比較することそして似ていることと同一であることの距離を示す板

防犯カメラに写った犯人の顔と、被告人の顔が、同一人物かどうかを、顔の各部分の形や、位置関係から判断する検査です。形の特徴を比べるので、形態学的な検査と呼ばれます。科学的、客観的な原理は、確立していません。捜査の段階で、犯人を特定するためには、よく使われます。ただ、公判で有力な証拠になる例は、多くありません。他の証拠で立証できれば足りるからです。逆に、犯人を特定する証拠が、画像しかない事件では、この鑑定の信用性が正面から問題になります。手法の1つに、スーパーインポーズ法があります。防犯カメラに写った犯人の顔を、3つの異なる角度から用意します。一方で、被告人の頭と顔の形のデータから、三次元のモデルを作ります。このモデルを、大きさや向きを調整して重ね合わせたり、縦横に輪切りにした写真をつなぎ合わせたりして、比較します。透明なフィルムを2枚重ねて、輪郭がぴたりと合うか見るようなものです。

似ていることと、同一であることの間には、距離があります。たとえば、そっくりな別人でも、ある角度では、重なってしまうかもしれません。ここで、物差しに当てます。1つ目の原理は、確立していません。そこで、2つ目の、実施の方法の信頼性、つまり、どんな手法で比べたか。4つ目の、結果を後から検証できるか、つまり、比べた根拠が見えるか。この2つが決め手になります。境界のペアで示します。重ね合わせた画像を提出し、別の人の顔でも同じ程度に重なるかまで比べているなら、後から確かめられます。一方、一致している、という結論だけが書かれていて、どう比べたのかが見えないなら、確かめようがなく、信用できません。答案では、手法と根拠を吟味して、その合理性と信頼性を判断するべきで、重ね合わせが一致していても、手法と根拠が吟味に耐えなければ、信用できるとは限らない、と書きます。

4つを並べる——推認力の違い

臭気選別ポリグラフ筆跡鑑定顔貌鑑定の4つを何を推論するか原理の裏づけ崩れやすい物差し裁判所の扱いの4列で比べ4つとも間接証拠でありDNAとは推認力が違うことを示す比較表の板

4つを並べると、共通することはありますか。あります。ポリグラフ、筆跡、顔貌は、どれも、単独では、犯人だと言い切る力を持ちません。他の証拠と組み合わせて初めて意味を持つ、間接証拠です。間接証拠は、まず間接事実を証明し、そこから経験則を介して、犯罪事実を推認するのでした。犬が選んだ、黒で反応した、字の癖が似ている、顔が重なる。どれも間接事実で、そこから犯人性へ進む経験則が、どれも強くはありません。パズルのピースが、1枚では絵を決められないのと同じです。臭気選別も、同様です。冒頭の傘で言えば、犬が1枚を選んだことで分かるのは、せいぜい、そのハンカチの臭いを、犬が取っ手の臭いと同じものとして扱った、というところまでです。容疑者が傘を盗んだかどうかは、他の証拠と合わせて決まります。一方、前回のDNA型鑑定も、間接証拠である点は同じです。ただ、現場に所在した事実が分かるので、犯人性までの一歩が短く、発見された場所や状況によっては、犯人性を強く推認できることもあります。推認力は、証拠ごとに違います。

崩れやすい物差しも、鑑定ごとに違いますか。違います。臭気選別は、原理が未解明で、結果を後から検証しにくい点で崩れます。ポリグラフは、原理が未解明で、検査前の情報の管理と、何を推論するのかで崩れます。筆跡は、経験の集積に支えられていますが、証明力に限界があります。顔貌は、原理が確立せず、手法と根拠を確かめられるかで崩れます。だから、答案では、鑑定の名前を見て、結論を書くのではなく、どこで崩れやすいのかを、当てはめます。

法律的関連性と、証拠調べの必要性・相当性

自然的関連性と法律的関連性と証拠調べの必要性と相当性の4語について役に立たない役に立つ気がするが判断を誤らせる裁判所の裁量弊害のおそれという位置づけを整理し実務では法律的関連性が相当性の枠で検討されるという理解を示す表の板

最後に、関連性の言葉を、実務の言葉につなぎます。その前に1問です。役に立たないのが、自然的関連性でした。では、役に立つ気がするのに、判断を誤らせるのは、どちらだったでしょうか?法律的関連性です。役に立つ力はあっても、判断を誤らせるおそれが勝つときでした。ところで、証拠の関連性の有無と、裁判所の裁量である、証拠調べの必要性、相当性との関係は、判例上、必ずしも明確ではないのです。関連性の回で見たとおり、証拠調べの必要性は、重複していないか、最良の証拠かで、証拠を選ぶ裁判所の裁量でした。そして、法律的関連性が無い証拠も、まとめて必要性なし、として却下されることがありました。どちらも、調べる意味と、弊害や負担を比べる判断だからです。この、まとめて必要性と呼んでいた中身を、2つに分けるのが、司法研修所の整理です。1つの見解として紹介します。自然的関連性は、必要最小限の証明力があるかどうか。必要性は、証拠の積極的な価値の高さと、審理を合理的に進められるかどうか。相当性は、証拠調べに伴う弊害、たとえば、混乱や誤導のおそれ。そう分けたうえで、法律的関連性は、実質的には、相当性の枠の中で検討される、という理解です。分けること自体への異論もあります。この講座では、自然的関連性と法律的関連性の2段に分けて整理しておきます。

犬の選別結果に、犯人性を推す値打ちがどれだけあるか。他の証拠と重なっていないか。これが必要性です。そして、科学的、と言われたことで、信じ込んでしまう混乱や誤導のおそれ。これが相当性です。前回も言いましたが、証拠能力と証明力は、分けて考えます。

論文の型

答案の順として何の要証事実の証拠かを特定し許容性の4つの物差しを鑑定の特徴に合わせて当てはめ書面なら321条3項4項同意があれば326条1項を検討し最後に許されても証明力を吟味する4段の型と今日のまとめと次回予告を示す板

答案で、こうした鑑定が出てきたら、何から書けばよいですか。4段です。1段目、何の要証事実のための証拠かを言います。犯人性などです。2段目、許容性を、前回の4つの物差しで当てはめます。ただし、鑑定の特徴に合わせます。臭気選別なら、犬、指導手、採取保管、方法。ポリグラフなら、検査者、器具、何を推論するのか。筆跡と顔貌なら、経験の集積、手法と根拠です。3段目、書面なら、321条3項や4項、同意があれば326条1項を検討します。4段目、許されても、証明力は間接証拠として吟味します。ここは、論文でも論点になりうるところです。今日のまとめです。1つ目。臭気選別は、最高裁が挙げた3点、指導手、犬の能力と状態、採取保管と方法で、有罪認定に使ってよいとされました。報告書は、321条3項で証拠能力が付与されました。ただ、原理は経験則頼みで、証拠能力は許されても、証明力は別に吟味されます。2つ目。ポリグラフは、同意のあった事案で、証拠能力が肯定されました。同意がなければ別の関門があり、何を推論するのかで、使える範囲も変わります。3つ目。筆跡は、経験の集積に支えられ、証明力に限界があり、自由心証に任されます。顔貌は、手法と根拠の吟味が要ります。4つ目。どれも、単独で犯人性を推せる証拠ではなく、間接証拠です。法律的関連性は、実務では、必要性と相当性の中で見られます。

今日、何度も出てきた、書面という壁の正体を、意義と趣旨から見ていきます。

参照条文

  • 刑訴法321条3項・4項
  • 刑事訴訟法第326条第1項

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