権利侵害(物権・債権・生命身体)
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第6章 法定債権 #294/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。
助かったと言い切れなくても、医師は責任を負うか
図:冒頭の設例 Aは医師
- 検診で撮ったBの画像に小さな影があったのに、見落として「異常なし」と伝えた
- 半年後、Bの重い病気が見つかり、Bは亡くなった
- 早く見つけていても助かったとまでは言い切れない(もともと進行の速い病気だった)
- それでもAは責任を負うのか
- A=医師/B=患者
今日は、その2つめです。設例から入ります。Aは医師です。検診で撮ったBの画像に、小さな影がありました。Aはそれを見落として、異常なしと伝えました。半年後に、Bの重い病気が見つかり、Bは亡くなりました。ここで、もともと進行の速い病気で、早く見つけていても助かったとまでは言い切れない、とします。記号は、Aが医師、Bが患者です。証明できない、というところが、今日の山場です。この設例の答えは、あとで出します。結論だけ先に言うと、助かる可能性も、法が守る利益になる、という判決があります。そのために、今日は、そもそも何が守られるのかを、権利と呼べないものまで含めて見ます。順番は、条文で権利から利益へ、守られるものの一覧の地図、物権、債権、そして生命や身体です。生命や身体では、医療の判決と、建物の安全性の判決を見ます。
権利でなくても足りる 条文の歩み
図:709条の言い換え
- 以前の条文=「他人ノ権利」を侵害
- 今の条文=「他人の権利又は法律上保護される利益」を侵害
- 権利と呼べなくても、法律上保護に値する利益なら足りる
まず条文を、全文で確かめます。
条文民法709条
民法第709条 故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。
今日見るのは、太字の真ん中、「権利又は法律上保護される利益」です。ここには、権利だけでなく、法律上保護される利益も入っています。つまり、確立した権利でなくても、法律上保護に値する利益なら、守られます。権利は、所有権や債権のように、名前の付いた、はっきりした権利です。喩えるなら、名札の付いた持ち物です。法律上保護される利益は、名札は無いけれど、鍵をかけて守る値打ちのある持ち物です。名札があるかではなく、守る値打ちがあるかを見る、という発想です。じつは、以前の709条は、他人の権利、とだけ書いていました。そのままだと、名前の付いた権利でない利益は、守れないことになります。そこで、戦前の大審院の判例が、侵害の対象を具体的な権利に限らず、法律上保護に値する利益まで広げました。確立した権利と呼べなくても、守るに値する利益が侵されたなら賠償を認める、とした、大学湯事件と呼ばれる判例です。そして2004年の、カタカナの文語だった民法を今の言葉に書き改めた改正、民法の現代語化で、その判例の考え方が、条文に書き込まれました。今の条文の形は、この流れの到達点です。
守られる利益でも、何をしても違法とは限らない
図:利益の強さと侵害のしかたの関係
- 被侵害利益の性質・内容、侵害行為の態様・程度を総合して違法かどうかを決める
- 利益が強い=ふつうの侵害でも足りる/利益が弱い=悪質な侵害でないと足りない(通説的な整理=相関関係説と呼ぶ)
大事な疑問です。法律上保護される利益と言えても、侵害すれば必ず賠償になるわけではありません。その前に、復習です。709条の要件5つのうち、正当防衛のような、責任を否定する事情は、何番目でしたか?5つめでした。5つは、故意か過失、権利又は法律上保護される利益の侵害、損害、因果関係、そして5つめの、否定する事由がないこと、でした。今日見ているのは、2つめの、利益の侵害の側です。違法な侵害かどうかは、被侵害利益の性質と内容、それに侵害行為の態様、程度などを、あわせて考えて決めます。これは、景観の利益について判例が示した言い方です。通説的な整理では、こうなります。所有権のように、守る値打ちが大きく、外からも見える利益は、ふつうの侵害でも賠償になります。値打ちが小さかったり、見えにくかったりする利益は、侵害のしかたが悪質でないと賠償になりません。このあと見る、債権を二重譲渡や引き抜きで侵害する場面や、訴えられた側の応訴の負担が、その例です。なぜ強さで変わるのか。弱い利益まで、ふつうの行為で賠償にすると、取引をすることや、訴えを起こすことのような、ほかの人の自由な活動まで止まってしまうからです。この整理を、相関関係説と呼びます。ただし、判例がこの説を採ったという意味ではありません。線を引いておきます。5つめは出口です。違法な侵害に見えても、正当防衛のような事情があれば正当化される、というところで、前回見た、違法とは正当化する事情が無いこと、はこちらの話です。今日の話はその手前の入口、2つめの中で、利益の強さと侵害のしかたから見て、そもそも違法な侵害と言えるか、です。名誉の回で、正当化される場合が出てきます。
守られる利益の地図
図:被侵害利益の一覧
- ア 物権/イ 債権/ウ 生命・身体(今日)
- エ 名誉/オ プライバシー(次回)
- カ 景観/キ 身分関係(次々回)
守られる利益を、一覧にします。アは物権、イは債権、ウは生命や身体です。今日は、この3つを見ます。カの景観とキの身分関係は、次々回です。今日は、ア、イ、ウの順に進みます。今日は、財産と、生命や身体の利益です。名誉やプライバシーは、表現の自由とぶつかるので、別の回でじっくり見ます。
ア 物権
図:物権の侵害
- 所有権・用益物権(地上権・地役権など)=侵害されれば不法行為が成立しうる
- 担保物権=優先弁済が実現できないとき(担保割れ)だけ
- 数字例=被担保債権300万円・建物500万円相当
- 建物が350万円に下落=全額回収できるので損害なし
- 90万円に下落=210万円が回収できず損害
まず物権です。所有権や、地上権、地役権のような用益物権が侵害されたときは、不法行為が成立しえます。用益物権は、他人の土地を使う権利のことです。たとえば、他人の物を壊す。他人の土地を使えなくする。そういう場面です。台風の翌朝、隣の物置がフェンスを越えて庭に倒れ込んでいた設例を覚えていますか。どけて、と求めるのは、相手に過失が無くてもできました。倒れ込みで生じた損害の賠償を求めるなら、709条で、相手の過失が要ります。物権は、誰にでも主張できる強い権利で、外からも見えるので、ふつうの侵害で足ります。ただし、担保物権だけは別です。抵当権のような担保物権の侵害は、優先弁済が実現できない場合に限って成立しえます。
抵当権者が持っているのは、優先弁済請求権、つまり、建物の値打ちから、ほかの債権者より先に、被担保債権を回収できる権利です。建物が壊されても、被担保債権を全額回収できるなら、損害はありません。数字で見ます。被担保債権が300万円、建物はおよそ500万円相当です。誰かの不注意で建物が90万円まで下がると、回収できないのは210万円で、それが損害です。このように、建物の値打ちが、被担保債権の額を下回ることを、担保割れと呼ぶのでした。担保割れになって初めて、5つの要件の3つめ、損害が生じます。権利の侵害は要件の2つめで、損害は3つめです。問いです。建物が350万円まで下がったとき、抵当権者に損害はあるでしょうか?
350万円なら300万円を回収できるので、損害は無いと思います。なお、この損害の賠償は、抵当権の実行の前でも、被担保債権の弁済期が来ていれば、請求できます。また、物を持っている状態を奪われたり乱されたりした人が起こす、占有の訴えで求める損害賠償も、不法行為に基づくので、過失が要ります。
イ 債権 第三者による債権侵害
図:債権侵害の結論と問題
- 債権も権利なので、第三者に侵害されれば不法行為が成立しうる
- ただし、①排他性がない(同じ内容の債権が複数あってよい)②外から見えない(公示性がない)③取引は自由(自由競争)
- そこで成立の要件を類型ごとに調整する(この枠組みが通説)
次は債権です。債権も権利ですから、第三者に侵害されれば、不法行為が成立しえます。ただし物権と違って、そのままの要件では困る事情が、3つあります。1つめ、排他性がありません。同じ内容の債権が、いくつあってもよいのです。2つめ、公示性がありません。債権は外から見えません。3つめ、取引は自由です。たとえば、誰かが売約済みと知らずに、その絵を買ったとします。外から見えない約束を理由に、あとから責任を負わされたら、酷です。取引は自由競争ですから、先に約束した人が絶対に勝つ、ともしにくい。そこで債権の侵害は、類型ごとに、成立の要件を調整します。この枠組みが、通説です。前回の最後に、故意か過失かで扱いが分かれる場面もある、あとの回で見る、と言いました。ここが、その場面です。類型によっては、過失だけでは足りず、債権があると知っていたことまで要ります。その前に、復習です。前に見た二重譲渡で、あとの買主が、先の売買を知っていただけで、不法行為になるでしょうか?
知っていただけでは足りません。方向は合っています。理由を、類型表で確かめます。
図:債権侵害の類型表
- 帰属侵害(債権そのものを奪う。例=店員になりすまして代金を受け取る)=故意・過失で足りる
- 給付侵害・事実行為(約束した絵を壊す/買った山林の木を切って運び出す)=一般の要件に加えて、債権の存在の認識を求める見解が有力(理由=公示性がない。過失で足りるとする見方もある)
- 給付侵害・取引行為(二重譲渡・引抜き)=自由競争の範囲を超える不当さ(理由=取引は自由)
前に見たときは4つに分けましたが、絵を壊す場合と木を切る場合は要件が同じなので、今日は1つにまとめて、3つで見ます。1つめは、帰属侵害です。債権そのものを奪う類型です。画廊の店員になりすました人が、客から代金を受け取る。これは、ふつうの不法行為の要件だけで足ります。故意か過失があれば、成立します。2つめは、給付侵害のうち、債権が消えたり、債務者の給付を妨げたりする事実行為です。画廊が客に売る約束をした絵を、第三者が壊す。木材業者が買った山林の木を、第三者が勝手に切って運び出す。この類型では、ふつうの要件に加えて、債権の存在の認識まで要る、とする見解が有力です。債権は外から見えないので、あると知らない人に責任を負わせるのは酷だからです。過失があれば足りる、とする見方もあります。3つめは、給付侵害のうち、取引行為です。二重譲渡や、専属契約をした演奏者を別の楽団が引き抜く場面です。ここでは、自由競争の範囲を超える不当さが要ります。取引は自由で、あとから同じ物を買う人にも、自由競争の範囲では許される余地があるからです。知っていただけでは足りません。たとえば、先の買主への嫌がらせが目的で、わざと買った。演奏者にうそを告げて、元の楽団から引き離した。こうした場合は、範囲を超えます。
⭐ 論文で書く規範:【規範(通説で立てる)】第三者による債権侵害は、類型ごとに要件が変わる。帰属侵害=故意・過失/給付侵害(事実行為)=債権の存在の認識(有力な見解)/給付侵害(取引行為)=自由競争の範囲を超える不当さ。 (解釈で立てる規範(出どころ=通説(類型で調整する枠組み)。事実行為の認識要件は有力な見解)。判例は債権侵害でも不法行為が成立しうるという一般論まで。決め手=債権は外から見えず取引は自由なので、類型ごとに調整する)
債権侵害の成立に、故意は必須ではありません。帰属侵害は、故意か過失で足ります。類型で違う、と覚えてください。二重売買の判決も、一言だけ見ます。不動産の二重売買で、あとの買主は、先の売買を知っていても、登記を備えれば所有権を取得し、先の買主は対抗できません。知っていても取得が認められるのですから、悪意で買い受けて登記を備え、さらに転売した、というだけでは、いまだ不法行為の責任を認めるには足りない、とした最高裁の判決があります。これは、知っていただけでは足りない、という裏付けです。ただし、事案は不動産の二重売買で、債権侵害の類型を示した判決ではありません。最後に、賃借権と代理受領です。賃借権も債権の一種です。借りた駐車場に他人の車が止まっていて使えない。賃貸借の回では、このとき借り手が動ける4つの道を見ました。それとは別に、妨害で生じた損害の賠償は、不法行為の問題で、先ほどの類型の枠で考えます。代理受領は、担保の章で見た、お金を貸した人が、取立てと受領の権限を任されて、第三債務者から直接受け取る仕組みです。代理受領の承諾をした第三債務者が、正当な理由なく債務者へ直接支払ってしまい、代理受領をするはずだった人が受け取れなくなった場面です。最高裁は、承諾には、代理受領で得られる利益を承認して、正当な理由なくその利益を侵害しない、という趣旨が当然に含まれる、としました。だから、それに反して支払えば、過失による不法行為責任を負います。代理受領によって得られる利益は、権利と呼べないけれど、法律上保護される利益に当たる例です。
図:債権侵害のまとめ
- 帰属侵害=故意・過失で足りる/給付侵害(事実行為)=債権の存在の認識(有力な見解)/給付侵害(取引行為)=自由競争の範囲を超える不当さ
- 賃借権侵害は類型の枠で考える
- 代理受領の承諾をした第三債務者=過失があれば不法行為責任
ウ 生命・身体 医療過誤と生存の可能性
図:冒頭の設例に戻る
- Aは医師でBは患者
- 見落としと死亡(病気の進行)との因果関係は証明できない
- それでもAの責任は? 生命・身体は最も基本の利益
3つめ、生命と身体です。生命や身体が侵害された場合は、当然に不法行為が成立しえます。最も基本の利益です。ここで見たいのは、権利の中身が広がった重要な判決です。冒頭の設例に戻ります。見落としと、病気の進行との因果関係は、証明できません。それでも、責任はあるのでしょうか。判決の事案を、役割語で説明します。背中やみぞおちの痛みを訴えて、夜間に受診した患者がいました。医師は、当時の医療水準に照らして行うべき基本的な検査や処置をしないまま、患者は亡くなりました。患者の遺族が、病院の運営者に、医師を雇う側の責任、使用者責任として賠償を求めました。医療水準というのは、その当時の医療で、実際に期待される診療のレベルのことです。原審は、適切な医療を行っていれば救命できたと高い確からしさで言える、高度の蓋然性までは認められないが、救命できた可能性はあった、と認定しました。最高裁は、請求を認めた原審の判断を、そのまま維持しました。ここで問いです。死亡との因果関係が証明できないなら、医師に責任は無い、と考えたくなります。何が、権利のかわりに守られたのでしょうか?
判決を見ます。
判例最判平12・9・22 民集54巻7号2574頁
死亡との因果関係が証明されないとき、医師は責任を負うか 診察後に患者が亡くなった事案 疾病のため死亡した患者の診療に当たった医師の医療行為が、その過失により、当時の医療水準にかなったものでなかった場合において、右医療行為と患者の死亡との間の因果関係の存在は証明されないけれども、医療水準にかなった医療が行われていたならば患者がその死亡の時点においてなお生存していた相当程度の可能性の存在が証明されるときは、医師は、患者に対し、不法行為による損害を賠償する責任を負うものと解するのが相当である。けだし、生命を維持することは人にとって最も基本的な利益であって、右の可能性は法によって保護されるべき利益であり、医師が過失により医療水準にかなった医療を行わないことによって患者の法益が侵害されたものということができるからである。
3つの条件がそろえば責任を負います。1つめ、医師の医療行為が、過失により、医療水準にかなったものでなかった。2つめ、医療行為と死亡との因果関係は、証明されない。3つめ、医療水準にかなった医療が行われていたら、患者がその死亡の時点でなお生存していた相当程度の可能性が、証明される。そのとき、医師は損害を賠償する責任を負います。
⭐ 論文で書く規範:【規範(判例で立てる)】過失で医療水準にかなわない医療をし、死亡との因果関係は証明されなくても、医療水準にかなった医療ならなお生存していた相当程度の可能性が証明されれば、医師は賠償責任を負う。 (解釈で立てる規範(出どころ=判例)。条文は「権利又は法律上保護される利益」としか書いていない。決め手=生命の維持は最も基本的な利益で、その可能性は法によって保護されるべき利益だから)
決め手は理由の部分です。生命を維持することは、人にとって最も基本的な利益です。だから、その可能性も、法によって保護されるべき利益になります。医師が過失で医療水準にかなった医療をしなかったことで、患者の法益が侵害された、と言えるわけです。法益は、法が守る利益のことです。
図:医療過誤の二層
- 死亡との因果関係が証明できる場合=死亡による損害
- 証明できないが、生存の相当程度の可能性が証明できる場合=この判決(可能性という利益の侵害)
板で整理します。死亡との因果関係が証明できる場合は、死亡による損害の話です。証明できないけれど、生存の相当程度の可能性が証明できる場合が、この判決の場面です。ここでは、可能性という利益が侵害された、と整理します。喩えるなら、当たるかもしれない席を奪われた、というイメージです。当たりの賞金そのものではなく、席に値打ちがある、ということです。ただし、これは理解の補助です。規範は判決の言葉で覚えてください。冒頭の設例に当てはめます。早く見つけて治療していれば、Bが亡くなった時点でなお生存していた相当程度の可能性がある。そう証明できれば、Aは責任を負います。逆に、影の時点ですでに手遅れで、その可能性すら証明できないなら、この判決の枠では、Aの責任は認められません。学説の整理も一言だけ。現在の多数の見方は、生命とは別に、生存の相当程度の可能性という新しい被侵害利益を認めた判例だと読みます。少数の見方は、被侵害利益は生命のままで、債務不履行の回で見た、あれなければこれなし、の事実的因果関係について、立証の程度を緩めた判例だと読みます。ただし、この判決自身は、可能性は法によって保護されるべき利益だ、と書いています。因果関係を高度の蓋然性まで証明させるかは、因果関係を扱う回で見ます。賠償の中身である慰謝料は、損害の回です。今日は、可能性という利益が守られる、というところまでで十分です。ただし、死亡の損害の全額が認められる、という意味ではありません。
ウ 生命・身体 建物の基本的な安全性
図:建物の設例
- Aは建物の設計と施工をした会社
- 完成後に建築主から建物を買ったBは、Aと契約をしていない
- 階段の手すりの取り付けが甘く、ぐらつく
- A=設計・施工会社/B=建物を買った人
生命や身体の2つめは、建物の安全性です。設例です。Aは建物の設計と施工をした会社です。完成後に、建築主からその建物を買ったBは、Aと契約をしていません。階段の手すりの取り付けが甘く、ぐらつきがあります。Bは、Aに、不法行為で賠償を求められるでしょうか。記号は、Aが設計と施工をした会社、Bが建物を買った人です。請負の回で見た担保責任は、契約の相手、つまり注文者に対するものです。ですから、契約が無いBは、不法行為で考えることになります。判決の事案を、役割語で説明します。建築主から、9階建ての共同住宅と店舗を買った人が、ひび割れや鉄筋の耐力低下などの瑕疵があるとして、設計と、工事が設計どおりかを確かめる工事監理をした会社、それに施工会社に、契約が無いまま、不法行為に基づく損害賠償を求めました。瑕疵とは、本来あるべき性質や安全性が欠けていることです。原審は、違法性が強度な場合、たとえば基礎や構造くい体にかかわる瑕疵などに限る、として請求を退けました。最高裁は、この判断を誤りとして破棄し、審理を尽くさせるため、差し戻しました。責任を認めたのではない点に、注意してください。最高裁の判断は、3つに分けて見ます。1つめ、建物に求められる安全性とは何か。2つめ、それが欠けたとき、契約の無い人にも責任を負うか。どんな瑕疵が当たるかは、差戻しのあとの判決が示しました。
判例最判平19・7・6 民集61巻5号1769頁
建物に求められる安全性 設計・施工者等の責任に関する事案 建物は、これらの建物利用者や隣人、通行人等(以下、併せて「居住者等」という。)の生命、身体又は財産を危険にさらすことがないような安全性を備えていなければならず、このような安全性は、建物としての基本的な安全性というべきである。
判例最判平19・7・6 民集61巻5号1769頁
契約関係にない居住者等に対する設計・施工者等の責任 設計・施工者等の不法行為責任に関する事案 建物の建築に携わる設計者、施工者及び工事監理者(以下、併せて「設計・施工者等」という。)は、建物の建築に当たり、契約関係にない居住者等に対する関係でも、当該建物に建物としての基本的な安全性が欠けることがないように配慮すべき注意義務を負うと解するのが相当である。そして、設計・施工者等がこの義務を怠ったために建築された建物に建物としての基本的な安全性を損なう瑕疵があり、それにより居住者等の生命、身体又は財産が侵害された場合には、設計・施工者等は、不法行為の成立を主張する者が上記瑕疵の存在を知りながらこれを前提として当該建物を買い受けていたなど特段の事情がない限り、これによって生じた損害について不法行為による賠償責任を負うというべきである。
図:建物の規範
- 義務=契約関係にない居住者等に対しても、基本的な安全性が欠けないよう配慮する注意義務
- →義務を怠った結果、基本的な安全性を損なう瑕疵
- →居住者等の生命・身体・財産が侵害された
- →特段の事情(瑕疵を知りながら買い受けた等)がなければ不法行為責任
- 違法性が強度な場合に限る必要はない
順に整理します。まず、設計者、施工者、工事監理者は、契約関係にない居住者等に対しても、建物の基本的な安全性が欠けないように配慮する注意義務を負います。居住者等とは、建物を使う人や隣人、通行人のことです。次に、その義務を怠って、基本的な安全性を損なう瑕疵があり、居住者等の生命、身体、財産が侵害されたとします。すると、瑕疵を知りながら買い受けていたなどの特段の事情がない限り、不法行為の責任を負います。
⭐ 論文で書く規範:【規範(判例で立てる)】設計・施工者等は、契約関係にない居住者等に対しても、建物の基本的な安全性が欠けないよう配慮する注意義務を負う。義務を怠って基本的な安全性を損なう瑕疵があり、居住者等の生命・身体・財産が侵害されたときは、特段の事情がない限り賠償責任を負う。 (解釈で立てる規範(出どころ=判例)。条文は注意義務の範囲を書いていない。決め手=建物は居住者等の生命・身体・財産を危険にさらさない安全性を備えるべきだから、契約の有無で区別しない)
最高裁は、強度な場合に限る必要はない、としました。なぜか。基本的な安全性を損なう瑕疵があれば、責任は成立するのであって、違法性が強度な場合に限る理由は無いからです。たとえば、バルコニーの手すりに瑕疵があって、転落などで生命や身体を危険にさらすなら、それも基本的な安全性を損なう瑕疵に当たります。ただし、この事案のひび割れなどが、基本的な安全性を損なうかどうかは、差戻しのあとの審理の判断でした。次に、基本的な安全性を損なう瑕疵の意味です。ここで問いです。壁紙の浮きと、階段の手すりのぐらつき。どちらが基本的な安全性を損なう瑕疵にあたるでしょうか?
手すりのぐらつきです。差戻しのあとの判決が、意味を示しています。
判例最判平23・7・21 集民237号293頁
基本的な安全性を損なう瑕疵の意味 差戻しのあとの判決 「建物としての基本的な安全性を損なう瑕疵」とは、居住者等の生命、身体又は財産を危険にさらすような瑕疵をいい、建物の瑕疵が、居住者等の生命、身体又は財産に対する現実的な危険をもたらしている場合に限らず、当該瑕疵の性質に鑑み、これを放置するといずれは居住者等の生命、身体又は財産に対する危険が現実化することになる場合には、当該瑕疵は、建物としての基本的な安全性を損なう瑕疵に該当すると解するのが相当である。……建物の美観や居住者の居住環境の快適さを損なうにとどまる瑕疵は、これに該当しないものというべきである。
危険にさらすような瑕疵です。今まさに危険な場合だけでなく、放置するといずれ危険が現実化する場合も含みます。美観や快適さを損なうだけの瑕疵は、含みません。設例に当てはめます。手すりのぐらつきは、転落して人身被害につながる危険があります。基本的な安全性を損なう瑕疵に、当たりえます。壁紙の汚れや、見た目の傷は、当たりません。契約の相手に対する請負の責任は、契約の回で見ました。今日は、契約が無くても、居住者等に責任を負う場合がある、というところまでです。
例外的に守られる利益 不当訴訟
図:不当訴訟
- 訴えの提起は原則として正当な行為(憲法32条 裁判を受ける権利)
- 敗訴しただけでは違法にならない
- 例外=提訴者の主張した権利等が事実的、法律的根拠を欠くうえ、提訴者がそのことを知りながら又は通常人であれば容易に知りえたのにあえて訴えを提起したなど、裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くとき
最後に、財産的な利益の例を、もう一つ見ます。不当訴訟です。訴えを起こすことは、原則として正当な行為です。憲法32条の、裁判を受ける権利があるからです。だから、敗訴しただけで、違法にはなりません。例外はあります。基準は、訴えの提起が、裁判制度の趣旨目的に照らして、著しく相当性を欠くときです。判例は、その例として、2つがそろう場合を挙げます。1つめ、提訴者が主張した権利などに、事実的、法律的な根拠が無いこと。2つめ、提訴者がそのことを知っていたか、通常人なら容易に知りえたのに、あえて訴えを起こしたこと。こうした、著しく相当性を欠く場合に限り、相手方への不法行為になります。たとえば、もう返してもらったと分かっている貸金を、もう一度払えと訴えた場面です。訴えられた相手は、裁判に応じる、つまり応訴するために、弁護士に頼んだり、何度も裁判所に通ったりして、時間や費用の負担を負います。ふだんは、訴えを起こすことが正当な行為なので、この負担を負わせても違法にはなりません。根拠が無いと知りながら起こした訴えのような場合に限って、この応訴の負担が、守られる利益として表に出てきます。権利と名前の付かない利益が、限られた場合に守られる例です。
今日の地図(保存版)
図:まとめ
- 709条=権利でなくても法律上保護される利益で足りる
- 物権=所有権・用益物権は成立しうる、担保物権は優先弁済が実現できないとき
- 債権=類型で要件が変わる(帰属侵害・給付侵害・取引行為)
- 生命・身体=生存の相当程度の可能性/建物の基本的な安全性
冒頭の設例に戻ります。Aは、見落としによって、Bの、生存していた相当程度の可能性を侵害しました。その可能性が証明されれば、死亡との因果関係の証明が無くても、Aは損害賠償の責任を負います。まとめます。1つめ、709条は、権利でなくても、法律上保護される利益で足ります。ただし、利益の強さと侵害のしかたを合わせて、違法かどうかを見ます。2つめ、物権です。所有権や用益物権は、そのまま成立しえます。担保物権は、優先弁済が実現できない、担保割れのときだけです。3つめ、債権です。類型で要件が変わります。帰属侵害は故意か過失、給付侵害の事実行為は債権の存在の認識を求める見解が有力、取引行為は自由競争の範囲を超える不当さです。4つめ、生命や身体です。生存の相当程度の可能性も、建物の基本的な安全性も、守られます。債権侵害の類型、医療過誤での相当程度の可能性、建物の基本的な安全性は、論文で論点になりうるところです。名誉やプライバシーは、表現の自由とぶつかるので、責任が否定される場合があります。
参照条文
- 民法709条