不法行為の全体像・故意過失・失火責任法
印刷のコツ
プリンターでは次の設定がおすすめです。
- 用紙:A4 / 向き:縦
- 拡大縮小:「実際のサイズ」(フィット縮小しない)
- 両面印刷:オン、とじ方は「長辺をとじる」(左綴じ)
- モノクロ印刷OK(強調は色でなく太字なので白黒でも読めます)
第6章 法定債権 #293/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。
契約のない相手に、なぜ治療費を賠償するのか
図:冒頭の設例 Aが自転車でスマートフォンを見ながら走っていて、歩道を歩いていたBにぶつかった
- Bはけがをして治療費がかかった
- AとBの間に契約はない
- それでもAは、なぜ治療費を賠償しなければならないのか
- B=損をした人(被害者)/A=損をさせた人(加害者)
今日から不法行為のブロックに入ります。設例です。Aが自転車で、スマートフォンを見ながら走っていて、歩道を歩いていたBにぶつかりました。Bはけがをして、治療費がかかりました。AとBは初対面で、契約はありません。記号は、Bが損をした人、Aが損をさせた人、つまり加害者です。契約が無いなら、Aさんは治療費を出す約束をしていませんよね。わざとぶつけたわけでもないのに、どうして賠償しなければならないんでしょう?それが今日の問いです。答えは709条にあります。契約が無くても、うっかりで他人を傷つけた人には、損害を賠償する責任が生まれます。画面を見ながら走れば、人にぶつかるおそれは分かります。それなのに、避ける措置をとらなかった。これが、あとで見る過失です。債権が生まれる原因は、契約、事務管理、不当利得、そして不法行為の4つでした。不法行為は、その最後です。契約が無いところで、賠償を求める債権が生まれる場面を扱います。順番は、不法行為とは何か、種類、709条の要件の地図、債務不履行との関係、故意と過失、最後に失火責任法です。
不法行為とは何か 損害の填補
図:不法行為の意義と対比
- 不当利得=相手の手元にある得を返させる(プラスの調整)
- 不法行為=被害者が受けた損害を償わせる(マイナスの填補)
- 債務不履行=契約などの債務関係を前提に、その不履行を問う
不法行為とは、決まった要件を満たしたときに、被害者が加害者へ損害賠償を求められるようにする制度です。目的は損害の填補、つまり、受けた損害を埋め合わせて、被害者を救済することです。条文は709条です。
条文民法709条
民法第709条 故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。
「故意又は過失」の「又は」に注意してください。わざとでも、うっかりでも、どちらも責任の原因になります。不当利得との違いを確かめます。不当利得は、相手の手元にある得を見ました。返させるのは得た利益です。不法行為が見るのは、被害者が受けた損害で、償わせるのは受けた損害です。ここで問いです。隣の家の植木鉢を、うっかり割ってしまいました。割った人は、何も得をしていません。不当利得は使えるでしょうか?得をした人がいないので、使えないと思います。得が無いので、不当利得は使えません。でも不法行為なら、得は要りません。損害があれば足ります。だから、加害者が得をしていなくても、賠償責任が生じます。債務不履行との違いも確認します。債務不履行は、契約などの債務関係があって、その不履行を問う制度でした。不法行為は、契約関係を前提としません。通りすがりの人にも、責任が生じます。損害は、財産の損だけではありません。精神的な損害、つまり慰謝料も含まれます。710条です。
条文民法710条
民法第710条 他人の身体、自由若しくは名誉を侵害した場合又は他人の財産権を侵害した場合のいずれであるかを問わず、前条の規定により損害賠償の責任を負う者は、財産以外の損害に対しても、その賠償をしなければならない。
目的は損害の填補ですから、見せしめのために、賠償額を上乗せする懲罰的な賠償は、認められていません。制裁は、刑罰や行政上の処分など、別の仕組みの役割です。損害の中身は、あとの回で詳しく見ます。
一般不法行為と特殊の不法行為
図:類型
- 一般不法行為=709条(故意・過失があるときだけ責任=過失責任の原則)
- 特殊の不法行為=714条以下(要件を修正)
- 3つの責任
- 過失責任=加害者の過失が必要・証明責任は被害者
- 中間責任=過失が必要・証明責任は加害者
- 無過失責任=過失は不要
不法行為には、709条が定める一般的な型と、714条以下の個別の型があります。前者を一般不法行為、後者を特殊の不法行為と呼びます。一般不法行為は709条です。加害者に故意か過失があるときだけ責任が生じる、という過失責任の原則を採っています。特殊の不法行為は714条以下で、一般の要件を修正したものです。民法の三本の柱の三本目でした。自分に落ち度、つまり過失が無ければ、責任を負わない、というものです。709条の「故意又は過失」が、その原則の条文上の現れです。ただ、この原則を貫くと困る場面があります。被害者が、加害者の落ち度を証明できないときです。前に、家電から出た火の例や、会社の責任の例で、少し見ました。会社の例では、従業員を使って利益を上げる者は、そこから出た損も引き受けるべきだ、という報償責任の原理も見ました。こうした考えから、特殊の不法行為では、責任の形が変わります。表で整理します。過失責任は、加害者の過失が必要で、証明する責任は被害者にあります。中間責任は、過失は必要ですが、証明する責任が加害者に移ります。無過失責任は、過失そのものが要りません。特殊の不法行為は、中間責任や無過失責任を採っていることが多いです。条文の地図です。714条は、監督義務者などの責任です。小さな子どもが友だちにけがをさせたとき、親が負う責任で、親は、監督を怠らなかったこと、または、怠らなくても損害が生ずべきであったことを自分で示さない限り、責任を負います。これが中間責任の例です。715条は、使用者などの責任で、従業員が仕事中に他人に損をさせたとき、雇っている会社が負う責任です。716条は、注文者の責任で、工事を頼んだ人は、請負人が起こした事故に、原則として責任を負いません。717条は、塀が崩れて通行人がけがをしたときのような、土地の工作物の責任。718条は、飼い犬が人をかんだときのような、動物の責任です。719条は、何人かで一緒に他人に損をさせたときの、共同不法行為です。特別法として、今日見る失火責任法と、無過失責任を定める製造物責任法があります。家電から出た火の例は、製造物責任法の場面です。どれも、あとの回で順に見ます。今日は、名前と一言の中身で十分です。
709条の要件の地図
図:709条の要件5つ
- 1 故意・過失(今日)
- 2 権利又は法律上保護される利益の侵害
- 3 損害
- 4 因果関係
- 5 不法行為の成立を否定する事由がないこと(責任無能力・正当防衛・緊急避難など)
- 冒頭の設例のあてはめ=1 画面を見ながら走った過失/2 Bの身体の侵害/3 治療費/4 ぶつかったからけがをした/5 否定する事由は無い→709条の責任
709条の要件を、5つに整理します。1つめは、故意または過失。2つめは、権利または法律上保護される利益の侵害。3つめは損害。4つめは因果関係、つまり、その行為によって、その損害が生じた、というつながりです。どこまでの損害がつながるかは、あとの回で見ます。5つめは、不法行為の成立を否定する事由がないこと、です。たとえば、他人に襲われて、身を守るためにやむを得ず反撃した、という正当防衛のような事情があれば、責任は否定されます。この5つめだけは、709条の文言には出てきません。709条のあとに置かれた別の条文、たとえば、自分の行為の責任が分からない子どもなどについての712条・713条や、正当防衛と緊急避難の720条が、責任を否定する事情を定めています。713条には例外があります。713条のただし書は、自分の故意や過失で一時的にその状態を招いたときは責任を負う、としています。詳しくは、責任能力を扱う回で見ます。それを709条の文言に合わせて、否定する事由がないこと、という要件の形に置き直したものです。5つとも、条文から来る成立要件を、整理して並べたものです。冒頭の設例に当てはめます。画面を見ながら走った点が、1つめの過失です。Bの身体という権利が侵害されました。治療費という損害があります。ぶつかったからけがをした、という因果関係もあります。そして、正当防衛のような、責任を否定する事情は見当たりません。だから、Aは709条の責任を負います。
今日は、1つめの故意と過失を見ます。思い出してみましょう。会社の代表者自身に不法行為の一般的な要件が必要だと見ました。故意や過失、損害、因果関係です。それが、この5つです。抵当権を第三者が壊す709条は、抵当権という権利の侵害で2つめ、壊れた建物の価値が、抵当権で守っている債権の額を下回る、担保割れになって初めて損害が生じる、という点で3つめの話でした。事務管理の回で、頼まれずに他人の庭に入った行為でも、事務管理が成立すれば違法ではなくなり、不法行為の責任を負わない、と見ました。違法というのは、その行為を正当化する事情が無い、ということです。違法性をなくす考え方は、正当防衛などと一緒に見る、と言いました。それが5つめです。
請求権競合 契約があるときの不法行為
図:請求権競合の設例 引越し業者Aが、Bから預かった家具を、運搬中にうっかり落として壊した
- 契約上の債務を果たしていない=債務不履行(415条)
- 不注意で他人の物を壊した=不法行為(709条)
- BからAへ2本の請求(415条・709条)
故意と過失に入る前に、契約がある相手との関係を、先に整理します。設例を変えます。引越し業者のAが、Bから預かった家具を、運搬中にうっかり落として壊しました。Aは、家具を無事に返す債務を果たしていませんから、債務不履行で、415条です。同時に、不注意で他人の物を壊したので、不法行為で、709条にも当たります。Bは、どちらで請求できるでしょうか。415条を確認します。
条文民法415条1項
民法第415条第1項 債務者がその債務の本旨に従った履行をしないとき又は債務の履行が不能であるときは、債権者は、これによって生じた損害の賠償を請求することができる。ただし、その債務の不履行が契約その他の債務の発生原因及び取引上の社会通念に照らして債務者の責めに帰することができない事由によるものであるときは、この限りでない。
709条と415条の要件を、ともに充たしているとき、Bはどちらを使ってもかまいません。債務不履行の回で見た、どちらの請求権を使ってもよい、というのが、判例の立場です。
⭐ 論文で書く規範:【判例の立場】不法行為による損害賠償請求権と、債務不履行による損害賠償請求権の要件を、ともに充たすときは、請求権者は、いずれかを選んで行使できる。 (判例の立場。条文に選択の規定は無い。運送の事案で最高裁が認めた。最判昭38・11・5 民集17巻11号1510頁)
最高裁は、運送取扱人、つまり荷物の運送を手配する業者や、運送人の責任の事案で、債務不履行に基づく請求権と、不法行為に基づく請求権の競合を認めうる、と述べました。そして、不法行為の請求権が成立するには、運送人らに故意や重大な過失は要らず、過失で足りる、とも述べています。一般論として競合を認めた判決、と覚えるのではなく、運送の事案で認めた、と覚えてください。どうして、どちらを使ってもいいことになるんですか?整理としては、別々の条文が定める、別々の権利だからです。一方を使うと他方が使えなくなる、という規定がありません。だからこそ、要件と効果の違いを知って、有利なほうを選ぶことになります。論文で、よく問われるところです。
415条と709条の比較 立証責任・時効・過失相殺
図:415条と709条の比較表(その1)
- 帰責事由の立証責任=債務不履行:債務者が、責めに帰することができない事由を示して免れる
- 不法行為:被害者が、加害者の故意・過失を立証。消滅時効=物の損害 債務不履行:知った時から5年・行使できる時から10年
- 不法行為:損害と加害者を知った時から3年・不法行為の時から20年。生命・身体 どちらも5年・20年。過失相殺=債務不履行(418条):必ず考慮・責任そのものもなくせる
- 不法行為(722条2項):考慮するかは裁判所の判断・額を減らすだけ。
違いを表で整理します。まず、前に見たことの復習です。415条1項ただし書で、責めに帰することができない事由を示して免れるのは、債務者と債権者のどちらでしたか?
図:1行目 帰責事由の立証責任
債務者でした。1行目、帰責事由の立証責任です。債務不履行では、債務者が、責めに帰することができない事由を示して免れます。不法行為では、被害者が、加害者の故意や過失を立証します。逆です。理由は、条文の書き方にあります。415条では、責めに帰することができない事由は、ただし書に、責任を免れる事由として書かれています。だから、免れたい債務者が示します。709条では、故意や過失は、責任が生じるための要件として書かれています。だから、請求する被害者が示します。ただ、安全配慮義務、つまり、雇用のような関係に入った相手の生命や健康を、危険から守るよう配慮する義務では、何をすべきだったかという義務の中身を、請求する原告が特定します。点検を怠った、のように、何をすべきだったのに怠ったかを示せれば、それは、不法行為で過失を示したのと、ほとんど同じです。だから、この場面では、立証の差は小さくなります。
図:2行目 消滅時効
- 物の損害 債務不履行:知った時から5年・行使できる時から10年/不法行為:損害と加害者を知った時から3年・不法行為の時から20年
- 生命・身体は、どちらも5年・20年
2行目、消滅時効です。ここで問いです。家具が壊れた、つまり物の損害です。知った時から数える短いほうの期間が長いのは、415条と709条のどちらでしょうか?415条が5年で、709条が3年なので、415条だと思います。短いほうは、知った時から数える期間で、長いほうは、知らなくても進む最後の期限です。ただし、最長の期間は逆で、415条は行使できる時から10年、709条は不法行為の時から20年です。生命や身体の損害なら、どちらも5年と20年でそろいます。この数字は、415条なら166条1項と167条、709条なら724条と724条の2が決めています。数字の向きには理由があります。消滅時効の回で見ました。契約の当事者は、前もって関係を結んでいます。相手が誰かは、最初から分かっています。だから、権利に気づかないまま長い年月が過ぎることは、不法行為より起きにくいのです。短いほうの5年は、債権に共通の期間です。もう請求できると知っているのに眠っている人まで、長く保護しないための区切りです。不法行為では、前もって何の関係も無い相手から損害を受けます。被害者は、損害と加害者を知って初めて動けます。知ってしまえば早く動けるので、短いほうは、5年より短い3年でかまいません。他方で、被害に気づくまでに長い年月がかかることもあるので、最長は20年を確保しています。生命や身体でそろうのは、どちらで請求したかで期間が変わるのは、被害者にとって不合理だからでした。覚えるのは、物の損害では、短いほうは415条が長く、最長は709条が長い、という向きです。
図:3行目 過失相殺
3行目、過失相殺です。債務不履行では、418条で、債権者の過失を必ず考慮し、責任そのものをなくすこともできます。不法行為は、722条2項で、考慮するかどうかは裁判所の判断で、減らせるのは額だけです。差は、条文の言葉にあります。418条は、考慮して、損害賠償の責任及びその額を定める、と書いています。定める、ですから必ず考慮し、責任とも書いてあるので、責任そのものもなくせます。722条2項は、考慮して、損害賠償の額を定めることができる、と書いています。できる、ですから考慮するかは裁判所の判断で、額としか書いていないので、額を減らすだけです。
図:415条と709条の比較表(その2)
- 遅延損害金の起算点=債務不履行:履行の請求を受けた時(期限の定めのない債務・412条3項)
- 不法行為:損害の発生と同時(催告不要)。遺族固有の慰謝料=債務不履行:契約当事者でない遺族自身の慰謝料は否定
- 不法行為:肯定(711条・被害者の父母・配偶者・子)。使い分け=物の損害で時効が長いのは415条
- 遺族自身の慰謝料を請求するなら709条。
4行目、遅延損害金の起算点です。遅延損害金は、賠償金の支払いが遅れた分の賠償です。遅れになることを、遅滞と言います。その遅滞が、いつ始まるかの差です。債務不履行の賠償債務は、期限の定めのない債務だ、と最高裁が、安全配慮義務違反の事案で判断しました。賠償金の支払いの期日は、ふつうは契約でも条文でも決めていません。不当利得の返還義務と同じで、期限の定めのない債務の扱いになります。期限の定めのない債務は、412条3項で、履行の請求を受けた時から遅滞になります。
条文民法412条3項
民法第412条第3項 債務の履行について期限を定めなかったときは、債務者は、履行の請求を受けた時から遅滞の責任を負う。
だから、請求を受けた時からです。不法行為は、損害の発生と同時に遅滞になり、催告、つまり支払いを求めることは要りません。これは不法行為の一般論として、最高裁が示しています。不法行為は、契約の相手でもない人を、いきなり傷つけた場面です。被害者は、傷つけられたその時から損をしています。だから、請求を待たずに、遅滞が始まります。5行目、遺族固有の慰謝料です。被害者が亡くなった場合で考えます。債務不履行は、契約の当事者の間の責任です。だから、契約の当事者でない遺族は、債務不履行を理由に、自分自身の慰謝料を求めることはできません。これも、安全配慮義務違反の事案での最高裁の判断です。不法行為は、契約を前提としない制度で、711条が、被害者の父母、配偶者、子に、固有の慰謝料を認めています。範囲の詳細は、あとの回です。使い分けをまとめます。物の損害で、時効の短いほうの期間が長いのは、415条です。遺族自身の慰謝料を請求するなら、709条です。立証は、一般には415条が軽くなります。ただ、安全配慮義務のように、義務の中身を原告が特定する場面では、差は小さくなります。論文でよく問われますから、どの行で差がつくかを覚えておいてください。
故意とは何か
図:故意と過失
- 故意=結果の発生を認識し、認容していること
- 過失=予見可能性を前提とした結果回避義務違反
- 709条は「故意又は過失」=どちらでも責任が生じる
ここから、1つめの要件、故意と過失です。まず故意です。故意とは、結果の発生を認識し、かつ認容していることです。分かっていて、それでもかまわないと受け入れて行う、ということです。冒頭のAが、わざとBに自転車をぶつけたなら、故意です。709条は「故意又は過失」ですから、どちらでも責任は生じます。ただ、故意か過失かで扱いが分かれる場面もあります。それは、あとの回で見ます。不当利得の回で、強迫した人への責任は不法行為で扱う、と予告しました。強迫は、わざと相手を脅す行為ですから、故意による不法行為になりえます。不当利得で、悪意の受益者の損害賠償が、不法行為の要件を満たす限り、と言ったのも、この故意や過失が必要になる、という意味です。
過失の定義
図:過失の定義
- 予見可能性(結果が起きると予見できたか)→結果回避義務(避けるために必要な措置をとる義務)→違反(措置をとらなかった)
- 冒頭の設例=画面を見ながら走れば歩行者にぶつかるおそれは予見できた→前を見る・減速する・止まるなどの措置→とらなかった=過失あり
次は過失です。過失とは、結果の発生を予見できたのに、その発生を避けるために必要な措置を講じなかったことです。予見可能性を前提とした、結果回避義務違反、と呼びます。
⭐ 論文で書く規範:【規範(通説で立てる)】過失とは、結果が起きると予見できたのに、それを避けるために必要な措置をとらなかったこと(予見可能性を前提とした結果回避義務違反)。 (解釈で立てる規範(出どころ=通説)。条文は「過失」としか書いていない。決め手=予見できたのに避けなかった落ち度を問う)
冒頭の設例に当てはめます。画面を見ながら走れば、歩行者にぶつかるおそれは、予見できました。前を見る、速度を落とす、止まる、避けるための措置は、いくらでもありました。それをとらなかったから、過失ありです。ブレーキを握れば止まれたのに握らなかった、という落ち度を、民法は問うわけです。この過失の定義は、論文で論点になりうるところです。条文には、過失としか書いていません。解釈で立てる規範です。
過失の客観化と立証責任
図:過失の判断基準
- 行為者個人の力量ではなく、その立場の平均的な人に求められる水準(客観化・抽象的過失=通説的な整理)
- 専門家=その専門家に求められる水準
- 故意・過失の立証責任=被害者
過失の判断の基準を、見ます。その前に、復習です。借りた物を返すまで保管する賃借人に求められる注意の水準は、どう決まりましたか?その人の立場の標準的な人が、尽くすべき注意、でした。善管注意だったと思います。不法行為の過失も、同じ発想です。判断の基準は、行為者個人の力量ではありません。その立場の平均的な人に求められる水準で判断します。自分は運転が下手だから、という言い訳は通りません。そうしないと、不器用な人ほど責任を免れることになり、被害者が救われないからです。行為者本人の能力を基準にする具体的過失に対して、これを抽象的過失と呼びます。ただし、判例は「抽象的過失」という言葉を使っていません。通説的な整理として、お話ししています。専門家は、その専門家に求められる水準です。たとえば医師の注意義務の基準は、最高裁が、診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準だ、と述べています。診療契約に基づく注意義務の事案です。その水準は、医療機関の性格や、所在する地域の医療環境の特性など、諸般の事情を考慮して決まる、とも言っています。最後に立証責任です。故意や過失は、被害者が立証します。債務不履行と逆であることは、比較表で見たとおりです。立証が難しい場面には、証明の責任を加害者に移す、中間責任が用意されています。それは、特殊の不法行為の回で扱います。
失火責任法 隣家と貸主
図:失火責任法の設例 貸主Cから借りた一軒家で、Aがコンロの火の始末を忘れて出火した(軽い不注意)
- 借家が焼け、隣のBの家にも燃え移った。BとCは、Aに賠償を求められるか。A=失火した借主
- B=隣家の人
- C=貸主。AからBは延焼・契約なし。AからCは賃貸借。
最後に、失火責任法です。設例です。Aが借りた一軒家で、貸主はCです。Aがコンロの火の始末を忘れて、出火しました。軽い不注意でした。借家は焼け、隣のBの家にも燃え移りました。BとCは、Aにそれぞれ賠償を求められるでしょうか。記号は、Aが失火した借主、Bが隣家の人、Cが貸主です。同じ火事、同じ軽い不注意でも、請求する相手によって、結論が分かれます。分かれ目が、失火責任法です。まず、なぜこんな法律があるのか、です。木造の家は燃え広がりやすく、一度の失火で、隣近所まで損害が甚大になりえます。軽い不注意しかない人に、その全部を負わせるのは酷だ、賠償額が個人の力を超える、という考えです。そのうえで、条文を見ます。条番号のない、短い法律です。
条文失火ノ責任ニ関スル法律(明治三十二年法律第四十号)
失火ノ責任ニ関スル法律 民法第七百九条ノ規定ハ失火ノ場合ニハ之ヲ適用セス但シ失火者ニ重大ナル過失アリタルトキハ此ノ限ニ在ラス
意味を整理します。失火とは、過失による出火です。失火の場合には、709条は適用されません。ただし、失火者に重大な過失があるときだけ、不法行為の責任を負います。軽過失にとどまれば、不法行為責任は発生しません。なお、わざと火をつけた場合は、失火ではありません。失火責任法は関係なく、709条のまま責任が生じます。はじめに見た、軽い不注意の人を守るという趣旨は、耐火建築や火災保険が普及した今は、薄れつつあると言われます。
重過失とは何か
図:重過失
- 判例の定義=通常人に要求される程度の相当な注意をしないでも、わずかの注意さえすれば、たやすく違法有害な結果を予見できた場合なのに、漫然これを見すごした、ほとんど故意に近い著しい注意欠如の状態
- 立証責任=賠償を請求する被害者が、重大な過失を立証する
重大な過失とは何か。最高裁の判決があります。判決は、2つのことを言っています。誰が重大な過失を立証するかと、重大な過失とは何か、です。まず、立証から見ます。
判例最判昭32・7・9 民集11巻7号1203頁
失火者の重大な過失は誰が立証するか 失火の損害賠償の事案 右法律は、失火者の責任を軽減する趣旨において、一般不法行為の主観的要件として過失を挙げている民法七〇九条の規定を失火の場合には適用しないこととし、ただ失火者に重大な過失があつたときにのみ不法行為上の責に任すべきことを規定したのであるから、失火者に対し不法行為による損害の賠償を請求する者は、失火者に重大な過失があつたことを立証しなければならないことはいうまでもない
カードの主観的要件とは、加害者の心の状態についての要件、つまり故意や過失のことです。失火者の責任を軽減する趣旨の法律だから、賠償を請求する被害者が、失火者の重大な過失を立証しなければならない、というのが決め手です。次は、定義です。
判例最判昭32・7・9 民集11巻7号1203頁
失火責任法の重大な過失とは何か 失火の損害賠償の事案 ここにいう重大な過失とは、通常人に要求される程度の相当な注意をしないでも、わずかの注意さえすれば、たやすく違法有害な結果を予見することができた場合であるのに、漫然これを見すごしたような、ほとんど故意に近い著しい注意欠如の状態を指すものと解するのを相当する
⭐ 論文で書く規範:【規範(判例で立てる)】重過失とは、わずかの注意さえすれば、たやすく結果を予見できた場合なのに、漫然これを見すごしたような、ほとんど故意に近い著しい注意欠如の状態。 (解釈で立てる規範(出どころ=判例)。条文は「重大ナル過失」としか書いていない。決め手=失火者の責任を軽減する趣旨の法律だから、通常の過失では足りない)
普通の過失は、予見できたのに避けなかった、でした。重過失は、それより一段重く、わずかの注意で足りたのに、それさえしなかった、ほとんど故意に近い状態です。軽い不注意の失火者を守るための法律ですから、責任を負わせる落ち度の線も、故意のすぐ手前まで引き上げられている、ということです。判決の事案も見ます。焚火をした者について、出火当時の気象状況、焚火の場所の選び方、監視の状況などの事情のもとで、注意義務を怠った過失は認められるが、重大な過失に達するものではない、という原審の判断が、是認されました。過失はあるのに、重過失ではない、という線の引き方を、示した事案です。
失火責任法は債務不履行に適用されるか
図:失火責任法の2列板
- 隣家B=契約がない→709条→失火責任法が適用→Aに重過失がなければ賠償請求できない
- 貸主C=賃貸借契約がある→債務不履行(415条)→失火責任法は適用されない→Aは軽過失でも、責めに帰することができない事由が認められず賠償責任を負う(賃借人の失火の典型)
貸主のCは、どうなるでしょうか。失火責任法が、債務不履行にも適用されるかが問題です。これも最高裁の判決があります。
判例最判昭30・3・25 民集9巻3号385頁
失火責任法は債務不履行による請求にも適用されるか 賃借していた工場が火災で滅失した事案 所論「失火ノ責任ニ関スル法律」は「民法第七百九条ノ規定ハ失火ノ場合ニハ之ヲ適用セス……」と規定するところであつて、債務不履行による損害賠償請求の本件に適用のないことは明らかであるから、論旨は採るを得ない。
事案は、賃借していた工場が、火災で滅失したものです。判決の理由は、条文の文言どおりの一文です。失火責任法は、709条を適用しない、と書いているだけだから、債務不履行には適用されないのは明らか、というものです。詳しい理由づけのある判決ではありません。整理としては、失火責任法は不法行為の特則だから、債務不履行には及ばない、となります。板の2列で、設例の答えを整理します。隣家のBは、契約がありません。請求するなら709条です。ここには失火責任法が適用され、Aに重過失が無ければ、賠償を請求できません。貸主のCは、賃貸借契約があります。請求するなら、債務不履行で415条です。失火責任法は適用されません。責めに帰することができない事由かどうかは、過失の有無だけで決めるのではなく、契約で何を引き受けたかで決まる、と債務不履行の回で見ました。借りた家を、火を出さずに管理して返すことは、Aが賃貸借契約で引き受けた範囲の中の話です。ですから、軽い不注意による出火は、責めに帰することができない事由とは言えず、Aは賠償責任を負います。賃借人の失火の典型です。問いです。隣家のBは、軽い不注意の借主Aに、賠償を請求できるでしょうか。貸主のCはどうでしょうか?
Bさんは、できない。Cさんは、できる、です。立証の向きも逆になります。Bが709条で請求するなら、被害者のBが、Aの重過失を立証します。Cが415条で請求するなら、免れたいAが、責めに帰することができない事由を示す側です。失火責任法は、子どもや従業員が出火させた場合、建物の設置や保存に欠陥があった場合などとの関係も問題になります。それは、特殊の不法行為の回で扱います。
今日の地図(保存版)
図:まとめ
- 不法行為=損害の填補・一般(709条・過失責任)と特殊(714条以下)・要件5つの地図
- 請求権競合=415条と709条を選べる(判例の立場)・比較(立証責任・時効・過失相殺・遅延損害金・遺族固有の慰謝料)
- 故意=認識・認容/過失=予見可能性を前提とした結果回避義務違反(客観的な水準)
- 失火責任法=重過失のときだけ責任・債務不履行には適用しない
冒頭の設例に戻ります。AはBに、709条で、治療費などを賠償します。契約が無くても責任が生じるのは、不法行為が、契約を前提としない、損害填補の制度だからです。画面を見ながら走れば、ぶつかるおそれは予見できました。避ける措置をとらなかった。それが過失です。まとめます。1つめ、不法行為は損害の填補の制度です。一般不法行為は709条で過失責任、特殊の不法行為は714条以下です。要件は5つで、今日は1つめの過失まで見ました。2つめ、請求権競合です。415条と709条の要件をともに充たすなら、選んで行使できます。これは判例の立場です。比較は、立証責任、消滅時効、過失相殺、遅延損害金、遺族固有の慰謝料で見ました。3つめ、失火責任法です。失火は、重過失があるときだけ責任を負います。重過失は、ほとんど故意に近い著しい注意欠如の状態で、被害者が立証します。債務不履行には適用されないので、借家の失火は、軽過失でも貸主に賠償します。請求権競合、過失の定義、失火責任法が債務不履行に及ばない点は、論文で論点になりうるところです。物権、債権、生命や身体、名誉、プライバシーなど、何が保護の対象になるかを見ます。
参照条文
- 民法709条
- 民法710条
- 民法415条1項
- 民法412条3項
- 失火ノ責任ニ関スル法律(明治三十二年法律第四十号)